○中野(寛)
委員 急に
大臣にお尋ねしましたので、
大臣もちょっと内容的に一私は音楽等についての録音・録画のことについてお聞きし、またローマ
条約のことについてお聞きしたわけでありますが、問題点の御
認識は持っておられるだろうと思いますから、これ以上お伺いいたしません。しかし、その持っている
緊急性というか
必要性というのはますます高くなってきているわけですから、単に
文化庁というだけではなくて、大いに御努力をいただきたいと思います。
それと、こういう問題はある
意味では日本だからこそなお一層必要ではないかという気が私はするのです。先ほど来同僚議員の質問の中にも出ておりましたけれ
ども、欧米と日本の意識の差、伝統的な違いというのは随分大きいわけです。貿易摩擦の問題で先般勉強しておりましたらこういう説がありました。これは
著作権とちょっと外れますが、例えば欧米ですと、フォルクスワーゲンは大衆車をつくる、同じ技術を使ってもベンツの方は高級車をつくる、それから一方ではスポーツカーばかりつくっている会社があるというふうに、同じ技術開発でも、その開発された技術を使ってつくるものは会社によって全然別のところを目指すという
傾向がヨーロッパの場合にはある。同じようなものをつくらない、それはむしろ恥だ、別の
方向を目指す、そして特色を出していく、個性を出していく、それによって少々経費がかかっても、そのことによって
文化的により高いもの、技術的により高いもの、そしてその形でむしろ国民に、また社会に奉仕をする。ところが、日本の場合には、どこかが千ccの何とか車をつくったらやたらと売れた、そうしたらほかの会社もどっとそれをつくり始める。一時三十万円、五十万円した電子計算機、これは便利だということになりましたら、それを一生懸命工夫して、千円で手の中に持てるコンパクトなものまでつくった。それによってみんなが買えるようになった。ところが結局、欧米の発想だったら、三十万の電子計算機を三十万のままで、もっと便利に、もっと激密に、もっと何とかというふうに工夫したのではないか。こういうふうに技術開発でも何でもそうですが、日本人の持っている感覚と向こうの人たちが持っている感覚というのは産業界でさえも違う。それが実は貿易摩擦の根源だというふうに言う人もいるわけなんですね。
日本的やり方の方が実は消費民主化には実に貢献しているわけで、私たちの感覚からすると、それは日本の方が正しいという感じがするのですけれ
ども、少なくとも彼らとの感覚の違いだけは知っておかなければいけない。そして、余計な摩擦を起こさないように、例えばやはり
著作権の問題だって我々は努力していかなければいけない。そうしないと、日本が世界の孤児になっていく、こういうことなんだろうと思うのです。これは
知的活動に対する評価、またそれに対するペイをしていくというふうなことについての
認識も、これはやはり同じ発想というか、同じ
考え方の中で日本人と欧米の人たちの違いというものが出てくるわけなんですね。
そういうことを考えますと、日本の場合には
著作権法の充実というのは実に難しいけれ
ども、しかし、そういう日本的土壌があるからこそこれは必要なんですね。そして、そういう土壌があるからこそ日本は欧米よりも努力して普及活動、また意識を高めていく教育というものが、日本の場合はなお一層必要なわけなんです。
そういうことを考えますと、そしてまた、そうしませんと、確かに消費の面での民主化は進んでいく、使う方にとって便利な方にはなっていくけれ
ども、
創作意欲というのはだんだん減退していく、そして模倣がやはり上手になっていく、こういうことになってくる。それが現在の日本の実態ではないだろうか、こういうふうに思うわけです。
この
隣接権の問題もございますし、今回の
コンピュータープログラムに関する
改正もございます。これから
著作権法というのは、今までとは全然違う、より幅の広い、より高度なものになっていくのだろう。言うならば、
著作権に関する革命が起こり始めているわけですね。今その第一
段階に来ている、こういうことではないだろうかと思うわけです。
ゆえに、本来の質問に戻りますが、今回のこの
著作権法の
改正の趣旨、ねらい、そして今後の展望、こういうことについて
基本的にどういうふうにお考えなのかをこの機会にお尋ねをしたいと思います。