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1985-04-24 第102回国会 衆議院 文教委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年四月二十四日(水曜日)     午後二時開議 出席委員   委員長 阿部文男君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    赤城 宗徳君       稻葉  修君    臼井日出男君       榎本 和平君    北川 正恭君       田川 誠一君    二階 俊博君       渡辺 栄一君    木島喜兵衞君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    有島 重武君       伏屋 修治君    滝沢 幸助君       藤木 洋子君    山原健二郎君       江田 五月君  出席政府委員         臨時教育審議会         事務局次長   齋藤 諦淳君         文部政務次官  鳩山 邦夫君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房審         議官      菱村 幸彦君  委員外出席者         参  考  人         (臨時教育審議         会会長)    岡本 道雄君         参  考  人         (臨時教育審議         会会長代理)  石川 忠雄君         文教委員会調査         室長      高木 高明君     ————————————— 四月二十日  養護教諭配置等に関する請願岩垂寿喜男君  紹介)(第三六三九号)  同(佐藤誼紹介)(第三六四〇号) 同月二十二日  学生寮充実発展等に関する請願田澤吉郎  君紹介)(第三七二七号)  養護教諭配置等に関する請願大出役紹介  )(第三八三〇号)  同(佐藤誼紹介)(第三八三一号)  同(坂井弘一紹介)(第三八三二号)  同(安井吉典紹介)(第三八三三号)  同(大原亨紹介)(第四〇二三号)  国立大学付属病院臨床研修改善等に関する請  願(中西績介紹介)(第三八三四号)  中学校英語授業時数上限週三時間の強制反対  に関する請願江田五月紹介)(第三八三五  号)  公立幼稚園学級編制及び教職員定数の標準に  関する法律制定に関する請願江田五月紹介  )(第三八三六号)  同(大出俊紹介)(第三八三七号)  障害児教育充実等に関する請願江田五月君  紹介)(第三八三八号)  同(中西績介紹介)(第三八三九号)  身体障害児者に対する学校教育改善に関する請  願(野呂田芳成君紹介)(第三九五三号)  私学助成増額等に関する請願福家俊一君紹  介)(第四〇二四号) 同月二十三日  徳島新聞社の社団法人設立許可の取り消しに関  する請願小澤克介紹介)(第一四七一号)  同(小澤克介紹介)(第三五九八号)  養護教諭配置等に関する請願斎藤実紹介  )(第四一八九号)  同(平石磨作太郎紹介)(第四一九〇号)  国立大学付属病院臨床研修改善等に関する請  願(滝沢幸助紹介)(第四三一四号)  中学校英語授業時数上限週三時間の強制反対  に関する請願石橋一弥紹介)(第四三一五  号)  障害児教育充実等に関する請願滝沢幸助君  紹介)(第四三一六号)  身体障害児者に対する学校教育改善に関する請  願(北口博紹介)(第四三三七号)  私学助成充実強化に関する請願井出一太郎  君紹介)(第四四二一号)  同(小沢貞孝紹介)(第四四二二号)  同(唐沢俊二郎紹介)(第四四二三号)  同(串原義直紹介)(第四四二四号)  同(塩島大君紹介)(第四四二五号)  同(清水勇紹介)(第四四二六号)  同(田中秀征紹介)(第四四二七号)  同(中島衛紹介)(第四四二八号)  同(中村茂紹介)(第四四二九号)  同(羽田孜紹介)(第四四三〇号)  同(宮下創平紹介)(第四四三一号)  同(若林正俊紹介)(第四四三二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件(臨時教育審議  会における審議概要に関する問題)      ————◇—————
  2. 阿部文男

    阿部委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  本日は、特に臨時教育審議会における審議概要に関する問題について調査を進めてまいりたいと存じます。  本日御出席参考人は、臨時教育審議会会長岡本道雄君及び会長代理石川忠雄君であります。  参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。  議事の進め方といたしましては、時間の関係で、初めに委員会を代表して委員長から総括的な問題についてお尋ね申し上げ、次いで委員質疑お答えをいただく形で、忌憚のない御意見を承りたいと存じます。  まず、委員長から岡本参考人お尋ね申し上げます。  改めて申し上げるまでもなく、教育改革行政改革財政改革と並ぶ現下の主要な政策課題であり、その推進に対する国民各位関心期待は極めて高いものがあると存じます。臨時教育審議会におかれては、このような国民期待にこたえ、昨年秋発足以来精力的にこの課題に取り組み、審議を重ねておられることに改めて敬意を表する次第でありますが、審議に取り組まれるに当たっての基本的な事項について、この際、若干お尋ねいたしたいと思いますので、端的にお答えをいただきたいと存じます。  第一は、教育改革審議を行うに当たり、臨教審として、我が国教育現状問題点をどのように認識し、どのような方向を目指そうとしているのか、基本的な御認識を伺いたいのであります。  第二に、臨教審は、本日の総会においてこれまでの審議状況を取りまとめた「審議経過概要(その2)」を作成、公表された趣旨は那辺にあるのか。また、この文書と六月に予定されているという第一次答申との関係はどのようになるのか、御説明をいただきたいと存じます。  第三に、これまでの審議を通じて、総会または部会において具体的な改革方向が示された事項が幾つかあると存じますが、それはどのようなものであるか、その内容の概略を伺いたいのであります。  また、それら以外にも、今後臨教審として取り組むべき課題は数多くあるとお考えのことと存じますが、その辺についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。  最後に、これまで臨教審での審議途上意見委員個人的発言が、あたかも臨教審としてまとまった結論であるかのように一般に伝えられ、一部に不安や混乱を招いているという意見がありますが、臨教審の運営に当たって、岡本会長はこれらの点にどのように配慮をされているのか、承りたいと存じます。  以上、四点についてお答えをお願いいたしたいと存じます。  臨時教育審議会会長岡本道雄君。
  3. 岡本道雄

    岡本参考人 私が、臨時教育審議会会長岡本でございます。  先生方には、かねてから、本審議会発足前からいろいろ御高配をいただいてまいりました。また、このたび出席して私が皆さんの御意見を聞く機会につきましても、いろいろ御高配があったと承っておりまして、その点、きょうここに参りまして、これから先生方のお話がお聞きできること、まことにありがたいことだと思っております。  早速今の委員長の御質問お答えいたしますが、まず第一に、教育現状問題点をどのように認識しておるかというお尋ねでございます。  これに関しましては、従来の我が国のこれまでの教育が、時代のそれぞれの要請にこたえまして、そのことが日本の現在の繁栄の基礎を築いておるということにつきましては、十分評価されておると思います。このことは世界からも高く評価されておるというわけでございます。しかし、同時に、その中に、時代の推移とともに、今日に至りまして多くのひずみが生じておるということも否定できないと思うのであります。  それで、そういうものをこの教育審議会改革をということでございますが、単にそういうひずみというものだけでございませんので、やはりこの時代は大変大きな文明の転換期と申しますか、特に一般的に言われるのは、二十一世紀を展望した場合の改革ということでございます。  それで、まず、現在の教育のひずみといいますか、荒廃というようなものでございますけれども、これはいろいろ皆さんがおっしゃっています教育荒廃内容というものがございますが、こういうものをしっかり見据えて、一日も早くこれを改革しなければならないということ、これはこの審議会国民要請として生まれた直接的な原因でございます。  それで、これを私は、そういうものも重要でございますが、最前申しましたように、単にこういうふうな教育荒廃にあらわれるようなものが、日本だけでなく、また教育世界だけではないという意味で、これはやはり広く近代の科学技術文明の中でとらえなければいけないという気持ちも強く持っておりまして、その意味では、現在の教育現状問題点をどう認識しておるかということにつきましては、そういう二つの観点を強く意識しておるわけでございまして、この両方をしっかり見据えて、これに対して改革を進めていかなければならぬ、こういうふうに思っております。  その次、第二のお尋ねでございますが、「審議経過概要(その2)」をきょう決定いたしまして発表いたしました趣旨及びその第一次答申との関係でございますが、本審議会の第八回総会までの審議状況は、既に御承知のとおり「審議経過概要(その一)」として昨年十一月に公表したところでありますが、その後の総会及び各部会審議状況をとりまとめまして、「(その2)」として公表することにいたしたわけでございます。  それで、この審議会経過概要は、各部会部会ございますけれども、その審議状況の中で一応方向性の出たものを特に詳しく改革構想として取りまとめるというようなことをしました。今後において、この中から第一次答申に酌むべきものを総会審議いたしまして、そして合意の得られたものにつきまして逐次答申をする、できたものから答申をするという方針に従いまして、第一次の答申として取りまとめるということでございます。  それで、この「審議経過概要」が出ますというと、これにつきまして各方面の御意見を拝聴して、それに従って総会審議は進めてまいりたい、そういうように思っております。  第三の御質問は、これまでの審議を通じ、総会または部会において具体的な改革方向が示された事項としてどのようなものがあるかということでございます。また、それら以外に今後審議会として取り組むべき課題についてどのように考えておるかというお尋ねでございます。  それで、答申に向けての具体化につきましては、もとより総会で今後審議されるところではございますけれども、これまでの部会審議において一応方向性が出された主なものといたしましては、第一は、中学校教育高等学校教育を統一しましてこれを青年期教育として一貫して行う学校として、これは地方公共団体または学校法人等判断によって設置できる六年制中等学校構想、これが一つ。  その次は、生涯教育観点に立ちまして、学習歴生活環境等に応じまして高等学校教育が容易に受けられるようにするための単位制高校構想でございます。  第三は、中学校卒業者に多様な後期中等教育機会を提供する等のことから、専修学校高等課程、これは修業年限三年以上の課程でございますが、その卒業生に対しまして大学入学資格を付与する措置の推進でございます。  第四が、国公立大学共通一次試験を改めまして、国公私立の大学が自主的な判断によりまして自由に利用できます共通テスト制度を創設したいということでございます。  これに伴いましては、これにはいわゆる大学入試センターというものがございますので、これの設置形態等検討を加えまして、その改善を図って、いろいろ進学指導とか高等学校大学との連絡などもいたすというようなこと、それと同時に、現在まで一発勝負といいまして受験機会が一回であるということが問題になっておりますので、国立大学受験機会複数化というものを実現するということも期待しておるということでございます。  以上のようなことがこの「概要」には載っておりますが、今後、これを今申しましたように第一次答申に向かいまして審議を進めていくと同時に、新しくこれ以外にも「審議経過概要」の中には、それぞれ文書に出ておりますことですけれども、リカレント教育とか、教育へのニューメディアの積極的な活用と、それよりまず第一に弊害というようなもの、それから教員資質向上、就学前教育障害児教育道徳教育学級編制等教育条件、それから九月入学高等教育国際化等考えられますし、さらに、教育行政あり方、生涯学習の問題、それから大学における一般教育あり方というものも問題でございます。それから大学学術研究あり方、こういうものはすべて昨年の十一月八日の部会設置の際に各部会検討課題例として取り上げたものでございますが、こういうものをただいまの時点においても今後力を入れて検討いたしていきたい、そういうふうに思っております。  いずれにしましても、今後何をどのように審議していくかということにつきましては、審議会で十分検討してまいりたいというふうに思っております。申すまでもなく、これと並行しまして総合的理念的なもの、そういうものをしっかり検討してまいるということでございます。  それから、最後に、これまでの審議会での審議途上意見委員個人的発言が、あたかも審議会としてまとまった結論であるかのように一般に伝えられて、不安や混乱を招いておるということのお尋ねでございましたが、これは、もともとこの審議会教育という国民のすべてが関心を持っておる審議会であるということにつきまして、私が最初のころ、この審議会の特徴としてできるだけ開かれたものにしようというようなことを主張いたしまして、また、各委員もとにかく伸び伸び検討してもらいたいというようなことを申しましたので、少し薬が効き過ぎたと申しますか、その点、大変混乱を与えて御心配をおかけしておるということにつきましては、深く反省しておりまして、過日の総会でも、またきょうも、そういうことがいろいろ御心配をかけておるようだから、決して言論の自由を束縛するものじゃないけれども、しかし審議会の一員としてひとつよく注意してやってもらいたい、そういうことを一同申し合わせといいますか、申したような次第でございます。  これまで、各部会における審議途上考え方検討方向等がこのような機会を通じ明らかにされておりますが、ああいうふうないろいろな意見はしょせんは各個人または部会意見でございまして、今申しますように、審議会決定といたしますと、これはどこまでもやはり総会決定したものである、それが決定事項であるということでございますので、この点、今後十分注意してまいりたいと思っておりますから、どうぞひとつその点よろしくお願いをいたします。  以上で私の答弁を終わります。
  4. 阿部文男

    阿部委員長 どうもありがとうございました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。北川正恭君。
  5. 北川正恭

    北川(正)委員 まず、臨教審先生方に、三年間の長きにわたって大変お忙しい先生方が随分時間を割いていただいて、しかも使命感を持って未来の教育に対しての御提言をいただくという御努力敬意を表したいと思いますし、それぞれの先生方が御健康で十分な審議がされて、将来の日本教育にすばらしい効果がありますことをまずお祈りを申し上げたいと思います。  そこで、限られた時間でございますので、三点ほどお伺いをして岡本会長の御所見伺いたい、こう思います。  第一点は、臨教審の第一回総会における会長あいさつ文の中に、一つは、教育固有不易のものに目を据えて論議をしていきたいという一カ所、もう一つは、それぞれの意見委員も含めてみずからの限られた経験所産であることを考え、耳を傾け合う心構えが大切だという、この二カ所について少し掘り下げてお伺いをいたしたいと思います。  一つは、人格、識見すぐれ、経験も豊富な先生方が御議論をいただくわけでございますが、経験所産という判断、これを僕はいい言葉だと思いますけれども、少し言葉足らずではないかなという気がいたします。ということは、のど元過ぎれば熱さ忘れるという言葉がありますけれども、ある環境にいて、それから環境が変わって十年もすれば、過去の置かれた環境、そういった経験というものは風化されやすい場合があるんではないかということをぜひ御一考いただければ大変ありがたいな、そう思うわけでございます。  そして、もう一点は、教育はややもすると観念論に陥りやすいし、形而上のことが一番語られやすいわけでありますけれども、できますれば、今回、教育の概念といいますか、通称教育と言われる範疇から離れて、そして、社会構成というのは一体何でなされているかというような御論議までいっていただければ、実はありがたいなと思うわけでございます。例えば、確かに世の中をリードし、そして新しい価値体系を生み出した、そのことは形而上のことが優先はしますけれども、実は形而下のことのぶつかり合いなり積み重ねによって社会構成されていると見た方がより正しいんではないかという気が私はいたします。例えば、人格、識見もすぐれ能力もあるある人物が、学歴がないというだけによって昇進の道を閉ざされたとするならば、我が子にみずからが歩んできた道を、二度と同じわだちを踏ましたくない、こういう思いは当然わき起こってくるわけであります。果たしてその親の思い教育論議するのが妥当か、あるいは私は逆にむしろ教育という観点から見ればもっと離れた別の異質の世界考え方であろうと思います。したがって、そういった面からいけば、むしろ形而下の積み上げ、形而下のぶつかり合いによって社会構成されていくと思っています。したがって、その形而下問題点にまで目を据えていただかないと、会長のおっしゃる不易のものに目を据えていくという観点は出てこないのではないか、あるいは出てきにくいのではないかということを痛切に感じるわけでございまして、なろうことなら一回教育という範疇を離れて、社会構成要素とかその他さまざまなことについても一度御議論をいただく機会をおつくりをいただきたいな、そう思いますが、会長の御所見を承れればありがたいと思います。  続いて、個性主義ということについてお伺いをいたしたいと思いますが、第一部会報告の中に、「教育荒廃は、画一主義硬直化がもたらした病理現象」ということでとらえられております。そして、個性主義推進のための教育改革進め方が十項目並んでいるわけでございますが、その十項目全部拝見をいたしますと、どうも制度改廃が中心ではないかなという気がいたします。よく教育を語るときに、逆境こそ最大の教育であるという言葉がありますけれども、設備とかあるいは制度とか、そういったことよりも、むしろ人格人格とのぶつかり合いこそが教育の本質ではないかという気がいたすわけでございます。そうしたときに、制度改廃のみに目がとらわれてしまって、本来あるべき教師の姿ということについて議論がまだ不十分ではないかという気がいたします。例えば、教員資質向上のための手法、あるいは今日まで積み上げられてきた文部行政あり方、あるいは日本教職員組合あり方ということについて踏み込まれていないんではないかという気がいたすわけでございますが、そのあたりはいかがな考えで少しウエートが軽くなっているのか、お考えをお聞かせをいただければありがたいと思うわけでございます。  そして、十年ほど前になりますけれども、私は、ある教育者、自分も教師経験があり、学校を経営され、そして実績もすばらしいものを残されている先生でございますけれども、その先生が、今回の臨教審とは別の、十年ほど前の話でありますから別であったわけでありますけれども、どうも個性を語るときに自由と一緒に同義語的な意味合いで語られるというのは私は間違いだと思うということを言われたことがございます。経験の少ない、まだ頭脳も固まっていないそういう子供たちが、その子供たちに自由を与え続けることで果たして個性は伸びてくるのだろうかな、伸びない、むしろそういった未成熟な子供たちを一定の枠にはめ込んで、そしてその枠の中で鍛え鍛え鍛え抜いて、たたきたたきたたき抜いて、それを耐え切らした、そこから自我の発芽個性発芽が見られるのであり、みずからの努力によって個性の確立がされていくのではないか、そういう御意見を聞いて感服をしたことがあります。そして、その枠というののとらえ方が難しいのであって、その枠をとらえるためには、教師情熱がその枠のあり方を決めていく、その情熱こそが教育ではないか、そして、教師と生徒の全人格のぶつかり合いがあって初めて個性は生まれてくるという論議でございますけれども、私は実はそれが正しい見方でないのかなという気がいたすわけでございます。  そこで、そういう考え方もあるわけでございますけれども、この第一部会報告の中の、個性主義というので一つ規定がされておりましたけれども、あの規定の仕方というのは、実は内側から見たといいますか、そういうとらえ方であろうと思うのです。例えば、教える側があるいは外側から個性主義いかようにしてとらえていくかという議論はなされていないのではないかなというふうな気がするわけでございます。したがって、これから画一主義から個性主義へと移行をしていく、これは私はある意味で認めます。必ずしも学歴社会があるいは画一化決定的に悪いとは言いませんけれども、方向として私は正しいと思いますけれども、個性主義について会長のお考えがいかがなものか、お聞かせをいただければと、このように思います。  もう一つは、個別にわたって恐縮でありますけれども、先ほど会長の御報告の中にもございましたけれども、大学入試改革の問題でございますが、三年制の高等専修学校卒業者大学入学資格付与の件についてでございます。幾多の問題、いっぱいあると思います。例えばドクター浪人の問題あるいは帰国子女教育の問題、いっぱいありますけれども、一点、細部にわたった質問ですけれども、教育多様化に対してどうするかという集約された姿がここに出てきておりますので、会長の御意見なんかを伺わせていただきたいと思うのです。  学校教育法五十六条に、高等学校卒業程度能力のある者とか、あるいは十二年間の学校教育をしてきた者とかいう一つ規定があるわけでありますけれども、これは学校教育法ですから当然のことではありますけれども、ひょっとすると、学校教育のある意味では思い上がりと言ったら言い過ぎかもしれませんけれども、それと同等程度の者という、同等程度の者をむしろ引っ張り上げなければ新たな教育は生まれてこないのではないかという気が実はするわけでございます。もちろん、大学はそれそのものが存在し、より高度なレベルにアップされなければならぬ四部会意見はわかりますけれども、どうも三部会と——今三部会意見だけを会長はおっしゃっていただいたような気がちょっとするのですが、四部会意見は多少違う、私はこう思いますが、今回答申を出されるにあたって、総会もお開きになりますけれども、ぜひ前向きの姿勢で御検討をいただきたいなと思います。大学も、それこそ画一された高等学校まで学んできた者だけが学ぶよりは、さまざまな地域からさまざまな体験を経た人々が寄り集まって、そして密度の高い大学構成するということは必要なことだ、こう思いますけれども、会長の御見解を承れれば大変ありがたいと思うわけでございます。  どうぞ、以上三点でございますけれども、時間に限りがありますので意を尽くせませんけれども、お答えをいただきたいと思います。
  6. 岡本道雄

    岡本参考人 ただいま御質問いただいたことに対しましてお答え申し上げます。  私が会長あいさつで申しましたことで、教育はだれもすべての人が意見を持つけれども、それはおのおの自分の経験によるものであるから、したがって、それは狭い広いがありまして、人の意見に耳を傾けるという姿勢が大事だと申しましたことは、実は大学紛争のときに、大変狭い自分の経験で若い人たちが強く主張しますことにつきましては、私はやはり、彼らはこれだけの経験なんだからというようなことで、いろいろ考えるところもございまして、その後、自分も含めまして、やはり人の意見というものは皆経験が違うんだから発想も違う、そういうものを広く聞かなければいかぬということを考えておりまして、ああいうことを申したわけでございます。  それから、不易なものと時代とともに変わるものですけれども、実は、私は、あのあいさつで申しましたように、過去の教育改革は、あるいは政治、経済、社会の情勢によって大きくそれに左右されて、それに影響を受けておるけれども、今の時代は大局的に見ては平時であると申して、このときこそひとつ、そういう時代や何かに左右されない、教育で変わらぬものにしっかり目を据えないと、結局時代とともにひずみが大きくなって問題が起こるんだと申しました。私が教育に対して不易なものと申しますときには、実は私の専門が大変大きく影響しておりまして、私は脳の専門家でございますので、人間が人間に育っていく状況というものに強く目を据えておるわけでございます。その意味で、私は、教育というものは人間が人間に育つことだというふうに強く考えておりまして、時間がございませんからそのディテールには入りませんけれども、その内容というものは、これはもう時代環境、あらゆるものに関係なく、やはり教育不易なものであると思っております。  それ以外に、教育につきましては、例えば二十一世紀の教育というような場合には、私はその中軸になるものは科学技術の驚くべき発展だと思っておりますけれども、その現代、近代性、科学技術と人間の心の問題というものは、この二十世紀になって大きく反省されるような時代になっていますが、これを不易なものというか、時代とともに移るものか、私はそこにははっきりした境界がないと思いますけれども、この問題が大変教育には大きなことだと思っております。  それから、個性主義のことでございますが、この個性主義という言葉を第一部会が使いましたことについてはいろいろあるのですけれども、それはさておきまして、今、私は先生がおっしゃいました中で、まあ課題が十ほど挙げでありますが、あれは全部極めて具体的なものであるということでございました。あれは臨教審の使命が、やはり改革の施策を策定することだということでございますので、大変具体的なものを挙げておりますが、先生がおっしゃいます大変大事なものはやはり精神的なものでございまして、特に個性というものが自由化の路線で論じられるということについては、これは私見でございますけれども、実は、私は、またこれは自分の専門の立場でございますけれども、個性が育つということは一体どういうプロセスにあるんだ、何も個性ということだけじゃなしに、私は創造性というものを強く意識しておりますので、創造性、創造活動というものにおける個性の役割というものを感じておりますし、個性がいかに育つのだということと、その個性が本当に発明発見に連なるというか、そのメカニズムとしては、ある時期には完全な自由な環境も要るというようなことも考えておりまして、そう単純に自由化の中から個性がというようには考えておりません。その点は、先生のお話を大変興味深く聞かせていただいた次第でございます。  そのほか、専修学校のことでございますが、これは既に「概要」にも出ておりますように、できるだけ、一度選んだコースがその後のその青少年の精神的な発意によりましてどういう道でも自由に選べるということが基本的には大変大事なことでございますので、そういう道をあらゆる教育の段階において準備するということが大変大事なことである、そういうふうに考えておりまして、こういうことを唱道しておるわけでございます。  簡単でございますが、ちょっと時間がございませんので、これでお許しいただきたいと思います。
  7. 北川正恭

    北川(正)委員 できるだけ多くの機会を持たれて現場へも行かれることだ、あるいは公聴会も開かれてということでありますけれども、実は公聴会に出てこられる人は人の前で意見が言える方なんですね。あるいは現場へ行かれるということは限られた人々の現場へ行くわけでありまして、私は、社会構成している人の絶対数はそういう方でなしに、その場へ出してもらえないような立場の人の方が実ははるかに多いし、そこに視点を据えないと、実は不易なものが浮かんでこないのではないかという気がいたしますので、より深くより多くの方にお会いをいただき、いろいろな意見を吸い上げていただくように、ぜひお願いを申し上げておきたいと思います。  そして、個性主義のことについて先生からお答えをいただいたわけでありますが、やはり本質は教員あり方ということが最大の課題になってくると思います。したがって、ぜひ文部行政なり、あるいはこれは一番大きな逃れられない問題だと思いますが、日教組の問題なんかも真っ正面から取り組んでいただいて、堂々の御論議をいただければ大変ありがたいと思います。  そして、第三の質問の、高等専修学校三年生以上ということですが、そのことについては、まだ私は三部会と四部会には大いに異論があるように承っておりますので、総会の場でさらに御熱心な御審議をいただくようにお願いを申し上げて、質問を終わります。  ありがとうございました。
  8. 阿部文男

  9. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 臨教審の運営にかかわる問題で若干質問したいと思います。  第一点は、先ほど文教委員長質問したことに関連いたしますが、この臨教審委員臨教審以外での節度のない発言がいろいろな意味で波紋を呼んでいるわけであります。この点については、先ほど会長からいろいろ所見と今後の運営についての考え方を出されたわけでありますけれども、しかし、私は、今後もあることですから、委員の節度と良識ある行動を望みたいと思いますし、また会長の運営に当たっての適切な指導とそのあり方を私は望んでおきたいと思っております。非常に国民関心を持っているだけに、その点は十分運営に当たって留意すべきだという点をまず第一点は申し上げておきます。先ほど阿部委員長に答弁がありましたから、今の点はそういう形で締めくくっておきます。  次、二番は、ことしの二月末の読売新聞の調査によりますと、今後の教育改革に当たって、臨教審期待するという国民の世論が四〇%、まとめてですけれども、期待をしていないというのが四六%と報道されておるわけであります。臨教審として、今後の運営に当たってこの点をどう受けとめ、また運営に当たって留意をしていくつもりなのか、これが質問の一点目であります。  二点目は、臨教審委員参考人出席がきょうようやく実現をいたしました。私は、その点、もっと早くこの国会の参考人としての出席要求にこたえるべきではなかったかというふうに思います。また、今後国会が参考人として出席要請した場合は速やかにこたえるべきだと私は思うのですが、その点、会長としてどうお考えでありますか。  次に、質問の三点目であります。きょうは会長及び会長代理に出席していただいております。私は、これからも各党の方が質問されると思いますが、質問報告及び答申等に関して考えてみた場合に、会長及び会長代理ですべてが答えられるというふうにはちょっと考えられないわけです、突っ込んでいけばいくほど。したがって、今後は部会長出席も私は要請したいと思っておるわけです。したがって、その点、今後のあり方として部会長出席等についてもどう考えていらっしゃるか。  以上、まず質問としては三点、お聞かせをいただきたいと思います。
  10. 岡本道雄

    岡本参考人 最前御注意いただきました第一点でございますが、委員の発言が、特に臨教審外での発言なんでしょうが、大変混乱をしておるということでございますが、これは最前申し上げましたように、これで二回、総会においても私から、こういう事実については十分良識をもって注意いたしましょうということで注意してまいりましたが、今後とも御趣旨に沿いまして十分の努力をさせていただきたいと思っております。  それから、読売新聞の調査で、期待しないということでございます。こういうことが出ますと、大変気持ちが抜けるわけでございますけれども、これはやはりできるだけ国民審議会内容も伝えて、そして真剣に深く取り組んでおるという事実を踏まえてもらい、また、一部第一次答申内容にも、これが必ずしもすぐ国民の望むようなものにこたえておらないとしても、その審議内容としては相当深く考え答申しておるというようなことが積み重なって、徐々に国民の信頼を得られるのではないか。その点は、三年というものをしっかり見据えて、国民とともにということが実現するように努力いたしていきたいと思っております。  それから、参考人として早く出席すべきでなかったかということなんでございますが、実は、御承知のとおり審議会の議事を公開いたしておりません。これは、公開せよという声があることも知っておりましたけれども、やはりできるだけ率直に伸び伸び内部では審議できないといけないということを強く思っておりまして、今は御承知のような、議事録の概要とか「臨教審だより」とか、それから公聴会とか、いろいろなもので発表しておるということでございますが、この点につきまして、政府からの委託でございますけれども、国会の先生方に一番早くということもございます。ですけれども、やはりここで、これはどう考えるかというような内容について、会長が出て自分の考えを、私見とは申しながら申し述べることが、会の自由な討議に一つ方向を与えるということになるといけないと思いまして、できるだけ、私は外の方でも、主に脳の話をいたしましたりなにかして、そのものの方向を与えないように注意したりいたしておりますので、その点、とにかく一次答申が出た役とか、一応結論の出たときに、十分その内容をお聞きしていただいたり御意見をいただくというようなことにさせていただきたい、そういうふうに思っておりまして、その点は、早急に出てこなかったことにつきましては大変申しわけなく思っております。  それから、部会長でございますけれども、これも最前申しましたように、部会審議を深めるところでございますので、これこそ自由濶達な審議をお願いしたいと思っておりまして、その点、部会長もここに出てきてということは必ずしも適当でないのではないかというふうに思っておりますので、この点はひとつ御了承をお願いしたいというふうに思っております。
  11. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間が制約されていますので、全部詰めるわけにいきませんが、今の御答弁に対しまして若干の意見を述べて次に移りたいと思いますけれども、国会の参考人出席要求に対してのことがありました。これは総理大臣も文部大臣も会長である岡本さんも言っていることですが、国民各層あるいは各界の意見を聞くとか、理解と協力を求めるとか、いろいろなことを言っていますね。しかし、どうも見ていると、先ほどから質問しているように、国会とは別に、何かひとり歩きをして、どんどん報告がされたり意見の開陳が行われたりというようなことがなきにしもあらずという状況だったと思うのです。少なくとも、国民各界を代表するのは国権の最高機関である国会ですから、ここで出席要請がされたならば、何はさておいてもいち早く出てくる、これが筋だと私は思いますので、この点は今後十分にお考えをいただきたいと思います。  それから、今の部会長出席についていろいろ考え方がありました。私は、やはりこれからだんだん報告がなされ、そして答申が出てくる、深みに入っていきますと、会長会長代理だけではすべての部会議論までささった質問に対して答えられないのではないかと思うものですから、その点についてさらに実りある参考人としての答弁というか、質問に答えるという点で十分に考えていただきたいというふうに思います。  そこで、第二の質問に入りますが、教育基本法に関連して質問したいと思います。  このたびの報告書「(その2)」によりますと、三十三ページになるのですけれども、「教育基本法については、積極、消極両様の評価があったが、条文改正の主張は」「なかった。」と述べております。そこで、会長として教育基本法の改正問題についてどう考えているか。これが質問の第一点です。  質問の第二になりますが、同じく報告書によりますと、「討議の中で「「教育憲章」を新たに制定せよ。国会決議も一つの方法である」という提唱があった。「教育基本法には解釈の違いがあるので、それを補う意味で憲章が必要である。」」と述べております。  そこで、次に質問になりますが、教育憲章とはいかなる内容、形式を想定しての議論であったのか。その際、教育基本法と教育憲章の関係をどうとらえての議論であったのか。また、教育憲章について今後さらに議論していくつもり、見通しなのか。  以上です。
  12. 岡本道雄

    岡本参考人 教育基本法の問題でございますが、これにつきまして消極的、積極的な両意見があったということでございますが、この積極的意見というのは、もう既に教育基本法の中に大事なものは全部含まれておる、これ以上加えるべきものは何もないというのが当然積極的なもので、消極的なと申しますのは、どうもあれではまだ加えるべきものがあるのではないかということと、それから、解釈が必ずしも一義的にならないので補わなければならないのではないかというようなことですね。特に後に申しました解釈が必ずしも一致しないからというようなものが多かったと思いますが、それも補足的にというようなことが消極的発言でございます。これを、結論として現在の教育基本法を改正しなければならぬというような議論はもちろんなかった。これは当然のことでございまして、この審議会教育基本法の精神にのっとりということでございますから、そういうものは全くございません。  それから、憲章につきましては、今の消極的評価ということに関連しまして、あの中では、その意味がはっきりしないものがあるなら補ってそういうものを出したらどうかというようなことでございましたのですけれども、これにつきましては第一部会でさらに今後議論を深めていこうというようなことでございまして、もし簡潔な内容国民大多数の合意が得られるならば、そういう必要性も考えることができるのじゃないかというような意見もありますけれども、また一方、国会決議になじむとは考えられないというようないろいろな意見が出ておりまして、これについて憲章をつくろうというような方向が決まっておるわけでもない、こういう議論が出たということがすべてでございます。
  13. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 なかなか答弁しづらい点があったからだと思いますけれども、端的に私がこれから私なりに解釈して次の質問に進みたいと思いますから、もし異論等があったら述べてください。  会長としては、教育基本法の改正は考えていないし、また改正すべきでないというふうに私は理解しますが、そのとおりですか。
  14. 岡本道雄

    岡本参考人 まさにそのとおりです。
  15. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それから、次に、教育憲章の問題についていろいろな意見がある、簡単にいいますと。したがって、何か今の話によりますと、今後も議論されていくような見通しを持っていらっしゃるようでありますが、これはちょっと今後の議論の行方にもかかわりますけれども、かなり問題が多いような気がするのです。私は若干この点について意見を述べて、次の質問に入りたいと思うのです。  それは、今中曽根首相は、伝統文化の尊重とか、事あるごとに戦後政治の総決算ということを述べているし、うたいとげています。その点、ある国民の方々からいえば、何といいましょうか、非常に不安を持っているという方も多いわけですね。こういう中曽根首相のもとで教育憲章が制定されるということは、教育基本法そのものを改定しなくとも、実質的には教育基本法を空洞化したり、それから棚上げをしていって、その内容と形式によっては、教育基本法の精神に反する方向教育が持っていかれるのではないか、国民はやはりこういう心配や懸念を持つ方も多いと思うのです、この論議の行方によっては。したがって、この点、教育基本法は変えないから教育憲章だったらいいじゃないか、こういう議論にはならないような気がするのですね、現在の中曽根内閣のもとでの政治状況なりいろんな戦後政治の総決算などという発言をとらえてみると。その点、私の今述べたようなことが単なる杞憂にすぎないのかどうなのか、もし所見があったら、この点について加えて述べていただきたいと思うのです。  その次の質問に入ります。先ほどもありましたけれども、教育の自由化、個性主義国民関心を呼んでいます。前回の報告ではこの点について次のように述べています。「義務教育の見直し、学校の民営化など学校制度の自由化を図り、選択の自由の拡大と競争原理の導入を図ることが必要である」。この前の、つまり昨年十一月の報告ではこういう報告になっているんですね。つまり、これは端的に言えば、内容の賛否は別にしまして、いわゆる今日の自由化というものの考え方が端的に述べられていると私は思うのです。これは、さらにずっと尋ねていけば、きょうは時間がありませんけれども、京都座会の考え方がつながっていることはもう常識になっているわけです。  ところが、このたびの報告では「画一主義から個性主義へ」、こういう形で自由化というものは後ろへ引いた形で、個性主義が前面に出ているわけですね。そして、私が先ほど述べた「(その1)」の報告に相当するものとしては「(その2)」では、教育改革の具体的内容として「義務教育段階においても、過度の画一化を戒め、少なくとも学校選択について配慮する。」というふうに述べられているわけです。私は、1から2の報告というのはさらに細かく細分化されていくものであると思ったら、非常に抽象的、短文化されているわけです。しかも、新たに自由化にかわるものとして個性主義が出てきているんだけれども、じゃ個性主義と自由化というのはどういう関連になっているのか、ますますわからなくなってきていると思うのです。ですから、その点では国民皆さんが、教育の自由化とか個性主義に対して非常に関心を持っているのだけれども、1から2へ報告が変わっていくに従って。ますますわからなくなってきているというふうに思っているのではないだろうか。  特に、新聞の報道によりますと、第三部会は今後六月答申に向けてこの自由化論に部会としての意見をまとめて反論を加えていく、こういう言い方をしているわけですね。そうすると、国民の立場からいうと、「自由化論」あるいは「個性主義」、こういうものはこれからどういう議論になっていくのか、その場合に、会長はまとめる責任ある立場だろうと思いますが、どういうまとめ方をしていくのか、この辺の見通しと考え方、これをまず聞きたいと思うのです。  それからその次、二番は、今申し上げたように、ヘッドに相当する第一部会で、教育理念またそのあり方、これについて整合性がないことは明らかだと思うのです。そういう状況の中で、第二部会以下の、言うなれば各論に相当する部分がどんどんと議論が進められていって、先ほど会長は具体的改革方向が既に出されているということを言われた。頭の部分が整理がつかないのに、各論の手足の部分だけはどんどん進んでいくということはどうもおかしいじゃないか、整合性、進め方からいっても。これを私は疑問に思うので、その点どう考えるか。特に、教育が百年の大計である、慎重を期さなければならぬということはどなたも認めることです。今そういう第一部会等ヘッドの部分で整合性、まとめもないのに、各論でどんどん進めていく、なぜそういう拙速主義をとらなければならぬのか。あえて言うならば、教育の現場、その実情に思いをいたして、十分なる資料を駆使して、そして時間をかけて整合性ある答申を出すべきであると私は思うのです。  今、私は何点かについて申し上げましたけれども、その点についての答弁と、所見がありましたら所見を述べていただきたい。
  16. 岡本道雄

    岡本参考人 まず、教育憲章のことでございますけれども、今申しましたように、これにつきましては今後やるともやらぬとも、ああいう議論があったということだけでございますけれども、いずれにしましても、この審議会教育基本法にのっとりでございますから、それに反するようなものはできないということ、会長としてはそういうものは結論は出さないということでございます。  それから、第二の、「自由化論」と「個性主義」の理論でございますが、これは大変混乱を与えておりまして御迷惑をかけておりますけれども、私自身もこれは十分考えておりまして、個性主義に転回をしたというようなことはございますが、第一部会は自由化論というものも本当は議論しておらないのでございますけれども、そういう誤解を与えておるのが事実でございますが、最後に十項目ほど挙げておりますあの具体的な事実ですね、ああいうものは将来、たとえ自由化論というものがあらわすものであっても個性主義であっても、別途、方向というか、改善方向画一主義を排除していこうということであると思うのですね。その点ベクターの実際の値、これは個々の具体的な内容によって、総会であの委員が全体で審議しまして、おのおの具体的に審議いたしますから、その点、私は会長として——きょうも総会でそういう話がございましたのですけれども、会長は、そういう具体的なものが出て、自由化と言っても個性主義と言ってもいいのですが、とにかく画一主義を排除して、少しでもフレキシビリティー、多様化して弾力化していこうというときに、具体的な問題に即して私は判断する。ですから、そういう不安は持っておらないというようなことをきょうも申しておりますが、そんな方向でいきたいと思っております。  それから、先生最後におっしゃいました、第一部会が理念的なものを完成しないのにどんどん途中から各論が出るのはおかしいじゃないかということでございますが、これにつきましても、総会では絶えず繰り返しこの議論が出ておりまして、私自身も、それは一般的な理論としては、総論というか理念が出ないと各論は出ないということでございますけれども、やはり現実の中で現実の問題をフィードバックしながら総論もまた補強される事実もございますので、これは実は部会を置きますときに、まだ理念がはっきりしていないのに部会に分かれて審議するのはおかしいではないかというところから繰り返し論議はされておりますけれども、私は、この点は、そういう一番正当な主張でございますが、それを根に据えながら両方を並行して進ませていこうじゃないかというところで、総会の同意を得て今日に至っておりますので、その点先生のお考えをお聞きして、忘れておるわけじゃございませんので、どうぞよろしく。
  17. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは時間になりましたので、あと後ほどまた質問をされる方もおりますから……。  ただ、今会長画一主義ということを出されましたから、その点だけちょっと触れておきたいと思うのです。つまり、いろいろな報告書をずっと1も2も通して見ますと、今日の教育荒廃の原因は画一主義あるいは硬直化ということを言っていますね。これは香山さんその他のずっと一連のものを見ましても、つまり今日の教育の諸悪の根源は画一化だ、こういう言い方なんですね。ただ、私はそういう教育荒廃なり諸悪の根源は画一主義だというこのことだけで、あるいは、だけでと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、そこだけを取り上げて原因だ原因だと言うことが果たして適切なのかどうか、この点が一つやはりあるのです。私はにわかに賛成しがたい。その側面があるということ、一面があるということはわかりますけれども、余りにも強調し過ぎている。それから、そのことが原因だから、したがって簡単に言うと、画一主義を殺せ。したがってそれの反対は自由化である、個性主義である。では、自由化は何かというと、以下御承知のとおりですね。つまり学校選択の自由からいろいろ始まってくる。だから、私は、こういう画一主義を、そういう形ですべての諸悪の原因である、荒廃の根源であり原因であるというとらえ方は、ちょっと短兵急に過ぎるのじゃないか。そこから導き出される、したがって自由化というものがいったときには、今のこういう学歴社会の、言うなれば受験競争激化、あるいは非行がたくさんある中で、そういう面で自由化ということをばあっといったときに、必ずしも期待する方向ではなくて、むしろたくさんの問題を惹起していくのではないかということで、その点についてはまだ意見はございますけれども、残念ながら時間になりましたので、一応私の考え方の一端を述べまして、私の質問を終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  18. 阿部文男

    阿部委員長 午後四時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後三時二分休憩      ————◇—————     午後四時開議
  19. 阿部文男

    阿部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。二階俊博君。
  20. 二階俊博

    ○二階委員 臨教審の連日にわたる精力的な御審議に対し、まず心から敬意を表するものであります。  臨教審論議で、いわゆる自由化論、九月新学期の問題、また中高一貫の六年制の中等学校構想等について大きな反響を呼んでおります。最近、全日本学校長会から自由化論は学校現場をいたずらに混乱させるだけで賛成できないという態度が表明され、地方の教育委員会のレベルにおいてもいささか戸惑いを感じているようでありますが、教育の現場を担う方々と臨教審との感覚のずれを指摘する声も聞かれるわけでありますが、先ほど来、委員長等の御質問に対する会長の御答弁で理解できますが、この点につきましては、現場に余り混乱をもたらさないよう、くれぐれもお願いをしておきたいと思います。  今日、大学入試の問題は国民がひとしく解決を求めている教育上の大きな課題一つでありますが、これについて臨教審が、大学入学者選抜制度改革についてあらゆる角度から積極的に取り組んでおられることに賛意を表するものであります。今後十八歳人口が急増する時期を迎え、何としても入学の枠を広げない限り、どのような入試の方法をとってみても、問題の根本的な解決にはならないのではないかと考えるものであります。この際、臨教審として高等教育の計画的な整備についてどのような考えを持っておられるのか、お伺いしたいのであります。  また、国が財政難の折ではありますが、国立大学の学部増設等の要望が極めて強いわけでありますが、そこで、大学設置を要望する地域の県及び市町村が用地を提供し、国が建物をつくり、私学がその運営に当たる、いわゆる第三セクター方式等についてもあわせて見解を伺っておきたいと思います。
  21. 岡本道雄

    岡本参考人 今お話のございました、午前中からの自由化の論が大変現場で惑いを起こしておるということにつきましては、午前中申しましたように、この第一部会そのものとしては、どうもこの言葉というものは、仰せのようにいろいろはっきりしないものがあるので、これは使わないというか、そういうことで今後行くということになっております。  それから、これも午前中に答えたことですけれども、やはり自由化と申し個性主義と申しましても、これは結局具体的なところに収れんいたしますので、そのときに総会としては、特に会長といたしまして、具体的な問題でそう野方図なことを決めるわけではございませんので、それは十分注意しておりますから、ただ審議の途中で現場でそういう混乱が起こっているということは大変申しわけないことなので、その点ひとつ総会で十分審議して慎重にやるからということを、もし機会がありましたらお伝え願いたいと思っております。  それから、大学の入試の改革でございますが、これは共通一次というものを、私大変深くかかわっておりますので、何とかして改革したい。あの入試センターに事業部と研究部とがございますが、あの研究部というのは、本来、改革しました共通一次をあれでもって完全なものであると思っておりませんので、いろいろな各方面の要求に応じて徐々に改善していくときのあれは窓口であるというふうに考えておりますので、今後十分改善をやっていかなければならぬと思っておりますけれども、御承知のように、十八歳人口が急増する時期におきましては、到底物理的にもあれを改善するだけでは解決がつく問題ではございませんので、やはり入学枠をふやすというようなことも十分考えなければならぬというふうに考えております。  それで、財政難の折でもありますけれども、第三セクターのようなものをつくるというようなことに対しましても、十分今後検討していかなければならぬな、そういうふうに考えておる次第でございます。
  22. 二階俊博

    ○二階委員 次に、先般の理科教育及び産業教育審議会答申は、社会経済の変化に応じて高等学校に電子機械科及び新しい情報関連学科等の新設を提案しておりますが、先端産業等において既に技術者の不足が言われておる状況から見まして、望ましいことであると考えますが、こうしたことが単に構想だけで終わってしまうことのないよう、また、そうした学科が長い期間をかけてようやくでき上がったころには、時代はさらに新しい方向に進んでしまって、そこに時差が生じてしまうようなことがないように、速やかに対応すべきであると考えております。また、経済摩擦がやかましく言われておる昨今でありますが、これからは製品の輸出だけではなく、若い技術者そのものをより積極的に海外に送り出すことも考えるべきではないかと思っております。例えば一例を挙げれば、自動車の組み立て及び修理学校等で優秀な技術を身につけてもらって、海外における技術指導者として、単に学歴だけが物を言うのではなく、若い人たちが実力を備えて自信を持って国際的にも活躍できる場を広げていくような方途も講ずべきではないかと考えておりますが、この際、これらについて会長の御所見を伺っておきたいと思います。
  23. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、現在、社会要請に従いまして、それに速やかに応じる人材を養成するということは大変大事なことでございますので、この「概要」にもございますように、六年一貫の中等学校というようなもの値その地域地域が判断しまして、その要請にすぐ応じられるようなひとつフレキシブルなのをつくろう、そういうことを意図しておりまして、先生のお考え、まことにそのとおりだと思います。それで、私は、特にそういうふうな若い技術者を養成しまして、そして途上国も含めて世界に流通していくということは、今後日本のとるべき大きな道だと思っております。私自身が自然生物学者でございますので、生命科学、バイオテクノロジーの技術者が、上の学者は養成しておりますけれども、あるいは実際やるテクノロジストが少ないということに関しまして、やはり早急にそういう者を養成すべきだというようなことを強く感じておりまして、先生のお話、まことにごもっともと承りました。
  24. 二階俊博

    ○二階委員 次に、石川会長代理にお伺いをさせていただきます。  従来の学校の枠にとらわれずに、個性、適性に応じた教育が受けられるような機会を設けていく必要がある、これは近ごろよく言われていることであります。この四月十日、野球やスポーツを専門とする日本野球体育学校が静岡県の天城湯ケ島町に発足いたしました。これが引き金となって、さらにバレーボールやテニス等においても専門の学校がやがて誕生するでありましょう。近年、高卒者を受け入れる施設については、大学の単位との連携を考えるなど、このような施設が、何もスポーツには限りませんが、あらゆる分野において時代要請に応じて発展していくものと思いますが、これらに対し、このようなユニークな教育の方法がより活性化していくような方途を考えるべきであると思いますが、この点について先生のお考えを伺っておきたいと思います。
  25. 石川忠雄

    石川参考人 ただいま先生からお話のありましたような教育多様化、複線化、あるいは個々の才能を伸ばすような教育、これは大変大事なことでありまして、特にこれから先の将来の社会考えますと、どうしてもそれぞれの人がそれぞれの持つすぐれた固有の才能を伸ばしてもらわなければならない。そして、そういう人たちがお互いに影響し合い刺激し合って活性化した社会をつくっていくということは、非常に大事なことだというふうに思っております。  そういうことから考えてみますと、教育制度というのはもっともっと柔軟化することが必要でありまして、その意味で御趣旨には私も賛成でございます。努力をしたいと思います。
  26. 二階俊博

    ○二階委員 近年、国際化の進展に伴いまして、海外生活を経験する日本人が大変ふえておるわけでございますが、その子弟が、感受性の強い幼いころ、さらに若い時代に外国での生活並びに勉学の経験を持つことは、これからの国際化社会に活躍する人材を育てていく上でもまことに得がたい体験であり、ある意味では国家の宝でさえあると思うのであります。しかるに、現状は、海外の第一線で活躍される人たちの共通の悩みといいますか、深刻な不安は、帰国子女教育の問題であります。子供のころからの海外生活での貴重な体験が帰国してからも評価され、その経験が大いに生かされるように、教育面からも当然配慮されるべきであると考えるものであります。この問題は、臨教審以前に文部省として入試制度等において十分対処すべき問題だと思いますが、さらに臨教審においても御検討願いたいと思っております。この際、これについての御見解を承りたいと思います。
  27. 岡本道雄

    岡本参考人 帰国子女の問題でございますけれども、これにつきましては、今後ますます日本世界へ発展していきます場合には大きな問題でございます。したがって、これの受け入れにつきましては、各大学などは御承知のとおりその方向に徐々に門を開いておるのが実情でございます。  私も、インターナショナルバカロレアを成立させるといいますか、日本もそれに加担するというときにはいろいろこれに関与したこともございまして、十分これに関心を持っておりますが、特に最近知り得た問題で、大学というものはそういうふうな受け入れの窓口をつくっておりますけれども、もっと大学以下の課程で、子女が帰ってまいりましたときに、それを受け入れる個々の生徒の気持ちが、何かやはり帰国子女に対して十分打ち解けない、特別な扱いというか感情を持って接せられるという問題が大変重大だということも知りまして、こういう問題は、日本の本格的な国際化というか、意識の面で十分まだ国際化しておらない事実がございますので、この点にも十分目を注いでしっかりやっていかなければならぬ。これは最前先生がおっしゃいましたように、国の宝と申しますか、経験できない経験を持って帰っておる、今後の日本の国で大事なものでございますから、十分これに対しては配慮してまいらなければならぬ、そんなことを考えております。
  28. 二階俊博

    ○二階委員 このことについては、海外で頑張っておられる日本の代表選手のような方々が、我々外地でお目にかかりますと、それぞれの悩みはこのことに集中しておるようであります。今会長もお認めをいただいたように、まさに私も国の宝のような気がしてならないのであります。これらの人々がもっと優遇されるように、そして海外で働く人たちがそうしたことに対して心配のないように、ひとつ教育上十分御配慮を賜りたいと思います。  これまで臨教審で御論議をしてきた中で、「明治以降の近代化の明暗と教育の果たした役割」、大変時間をかけて御熱心に御論議をいただいておりますが、この点につきまして、果たした役割を一口で評価しますとどのようにお考えになっておるのか、石川先生にお伺いしたいと思います。
  29. 石川忠雄

    石川参考人 お答え申し上げます。  私は、日本の明治維新のときを考えてみますと、あれが成功した基本的な原因というのは、一つには、明治維新以前に東洋学とか仏教学とかいろいろなことをやっておられましたけれども、かなり潜在的なつまり知識層が日本の中にあった、それが明治以後西欧の学問にどんどん転向していく。そこで、そういう意味では、人材的な意味一つの蓄積があったということ。それからもう一つは、明治五年の学制の施行によりまして、国民一般的な教育水準を高めなければいけない、そういうことがあって、この二つが両々相まって、日本の近代化を推し進める大きな基盤的な力になったのだというふうに考えております。  しかし、日本の近代化を進めるということになりますと、どうしても教育の性格は、先進国民が何を考え何をやってきたかということを知ることが非常に大事だ。ですから、そういう意味では、今まで近代化の過程ではどうしても知るということ、それから一般的な教育水準を高めるためには、例えば五十人、六十人という生徒を教室に集めてそこで均一的な教育をやる、そういうことがどうも不可欠であった。そういうような形で日本の近代教育というのはつくられてきたのではないか。それは確かに、追いつき追い越すというような時代にはそういうやり方で大きな効果を上げたということはもう否定できないことであって、日本の近代化の成熟というのはそういったものによることは確かである。しかしながら、これから先の時代ということを考えますと、そういうやり方だけではどうにもならない時代が多分来るであろうというのが、これは個人考えてありますが私の予測であります。したがって、そういう意味では教育の形というのはかなり変わってくるということを予測しなければならないと思います。  少し長くなりますが、現代の時代というのは、戦後四十年たちまして、日本を含めて世界が大きく変わりつつある。変わりつつあるけれども、しかし、それがどこにどう落ちつくかよくわからない、だれもわからない。そういう複雑で流動的で不透明な時代だと思っております。これは科学技術の進歩に伴う工業化の発展がもたらした結果であると言ってもよろしいのであります。そういう時代。それは別の意味から申しますと、過去の経験にはなかったような現象が後から後から起こってくる時代であります。過去の経験にあるような問題が起こってくるのならば、それは過去の経験で処理できます。しかし、そうでないとすれば、それにこたえ得る人間の知的能力、これは知的能力でありますけれどもそれはただ一つしかない。それは、豊かな着想力で問題を発見し分析し推理し判断をし対応策を構成して実行に移すという、これを総じて物を考える力と言ってもよろしいかと思いますが、それを強めるような教育にならないといけない。そこでは、それぞれの人の個性が花開くような社会にならなければならない。大学一つをとってみましても、今までの大学はまさに知識修得型でありまして、その一番シンボリックな形は大教室授業であります。しかし、考える力を養うということになれば、大学もだんだん少人数教育をつくっていかなければいけませんし、その教授法も、ただ講義をするというような教授法ではもう済まない、そういう時代に入ってくる。施設的にも、今までの施設では間に合わない。小さい教室で先生が教授法を変えて、報告をつくったり討論したり批判したりするような内容教育をやっていかなければいけない、そうなると思います。ですから、そういうことで教育の姿が昔のままで済んでいくというわけにはいかない時代に来つつある、そういう認識でございます。
  30. 二階俊博

    ○二階委員 ありがとうございました。  それでは、時間が参りましたので、これで終わります。
  31. 阿部文男

    阿部委員長 石川参考人に申し上げますが、質問の時間が非常に限られておりますので、答弁はなるべく簡潔にお願いします。  木島喜兵衞君。
  32. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今お話がございましたように、時間がないものでございますから、ずばりお聞きします。  最初は、学歴社会について。この中では、第二部会ですか、今日このような職業生活にかかわる面での学歴による格差は相当程度に減少ないしは解消しつつある、しかしながら国民の行動様式の面では学歴志向が根強く存在しており、これが学歴獲得競争を生んでいると言っておりますが、そうだとするならば、時間をかければ学歴社会がなくなってくるということになるのでしょうか。なぜなら、産業生活におけるところの学歴による格差というものは減少しあるいは解消しつつある、しかし国民の行動様式に学歴志向がなお存在しているからというのですが、しかし、国民の意識は、もし産業界でもって学歴というものが有効でないならばだんだんと投資をしなくなりますね。ということは、これは言うなれば学歴社会自然解消論ということになるのだろうか。時間をかければ、この傾向で行くならば自然と学歴社会は解消するという前提に立つのだろうか。いかがですか。
  33. 岡本道雄

    岡本参考人 第二部会は、学歴社会を焦点にして研究いたしました結果、まず審議の順序として、現在学歴社会がどの程度にあるかということを審議いたしました。(木島委員質問に答えてください」と呼ぶ)現在、事実としては余りない、ないというよりは弱まっているという事実を発見した。その次には、これに対してどう対応すべきか。事実は、弱いけれども国民の意識の中に大変残っておるので、それをどうするかということにつきましては、やはり教育機会を多様にして生涯教育を促進するということ、それから、企業及び官庁の採用などについてしっかりした手を打つ、そういうことを考えておるということでございます。自然に消滅することを待つのではないということでございます。
  34. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そうじゃないでしょう。職業生活にかかわる面での学歴による格差は相当程度に減少ないしは解消しつつあると言っているのでしょう。解消しつつあるなら、国民の意識は、だんだんと投資しませんよ、したって無理だなと思うから。そうでしょう。そうすれば自然に学歴社会というのは解消することになるのじゃございませんか。今あなたがおっしゃるようなそういう意味で言うなら、第一部会は、部会長メモの中では、さっきあなたがおっしゃったその具体的な十項目の中の第一に、「官公庁・企業の採用基準の抜本的見直し。学歴・官学偏重の是正」というのを挙げていらっしゃる。これは何かというなら、逆に言うと学歴が現存しているということになるわけです。そうでしょう。第二部会はそう言っていないのです。自然と減少すると言っているのです。矛盾じゃありませんか。整合性を欠いておりませんか。だから、私は、そういう意味では整合性を欠いておるけれども、いずれにしたって、会長はそれをどのように御理解していらっしゃるのか。存在しているのか、いないのか。今日の教育荒廃というものは非常に続いているわけでしょう。だからこそ、学歴社会というものは各部会でみんな論及しているわけでしょう。しかし、もし第二部会結論なら、これでもって解消してしまいますよ、教育荒廃はこれで解消することになりませんか、第二部会なら。まあいいです。そのように整合性を欠いておると私は思うのです。  そこで、会長にお聞きします。  例えば、今日、高校進学率は九四%。そこまでいきますと、中学校の卒業生が持っておった就職機会ないしは職業分野を高校生が奪ってくるから、したがって、だれもが高校を出なければならぬということになってくるわけでしょう。高校生がホワイトカラーの職業についておったのが、中学生のかわりにブルーカラーに追いやられる。そのブルーカラーに今大学生すら入り込んでいますね。そうじゃございませんか。まさに学歴インフレは悪性インフレと言われるゆえんもそうでございましょう。そうすると、これまで就職の機会があった者がその就職から締め出されるから、したがって、そのためにより高学歴を求めざるを得なくなってくるわけでしょう。これを学歴社会というのですよ。そうじゃございませんか。どうお考えになりますか。
  35. 岡本道雄

    岡本参考人 この議論はきょうも出まして、第二部会としては、事実については減少しておるという見解だけれども、国民の中にはまだ厳然としてそれはあるということでございました。今先生がおっしゃいましたように、国民の意識の中にもありますし、それからまた、高等学校入学があれだけ上がっておるということで、今のお説のこともありますが、やはりしかし、日本教育が全体として高いものを得るということについてはまた長所もございますけれども、その点は長所と短所両方ございますので、高学歴を志向すること自体が悪いというふうには私は思わないわけでございます。
  36. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今日の企業は、高学歴者の能力、銘柄大学卒の能力をそのまま職業的な即戦力としては考えておらないわけです。ただ、高学歴の人たちは一種の潜在的な一般能力を持っておる、したがって、社内訓練、社内教育によってそれが職業的能力に転換する。だから、学歴の差というものが、高学歴になればなるほど、その差は潜在的一般能力の差と考えますから、したがって、社内訓練でもって訓練をすることによって職業的な能力の差になる。これが今日の最近の学歴の職業的価値論の定説であるはずであります。  でありますから、おのおのの企業がそれそれでもって人材を発見し選別するということは大変なコスト高になる。したがって、潜在的一般能力を持っておるといわれるその銘柄を、企業が、学歴の高い者ほど一般的に人材が高い、銘柄大学ほどいいから、それをとってくる限りにおいては、しょせん学歴社会になりませんか。殊に、これからサービス産業が、今も相当でありますが、ふえていく。サービス産業の労働者というのは高い教養を持った労働者でなければなりませんから、勢い高学歴にいくでしょう。それならば、それを求めてみんなが学歴を追求して銘柄大学に行くでしょう。だから、そういう限りにおいて、この第二部会の感覚というのは、そして同時に、他の部会がこれほど学歴社会と言っていることについての関連性、整合性からいって、大変問題だと私は思うのですが、いかがですか。
  37. 岡本道雄

    岡本参考人 第二部会調査の結果は、私は、企業も徐々に卒業生採用の面、変わっておりまして、必ずしも高学歴という学歴だけにとらわれないで、やはり実質的に個人能力の多彩なものを選ぶような方向に徐々に移っておる、そういうふうに分析しておると理解しておりますので、したがって、今後の教育もそれに応じたものをというふうに考えております。
  38. 木島喜兵衞

    ○木島委員 国民の生活感情からいっても、臨教審の第二部会のこの報告国民は納得しないでしょう。納得しないのでありますから、臨教審の言うところの国民学歴意識というものは持続し続ける。学歴志向の意識が持続し続ければ、しょせん教育はまた入試中心の準備教育になり、偏差値が横行をし、そこから教育荒廃を続けるということに、国民の意識が変わらない限りそうなってきますね。臨教審が、いかに第二部会がそう言ったって、国民がそうならぬだろうといって信じて行動すれば、結局そうなってしまう。そういう性格を持っておる第二部会だと思うのであります。  この学歴社会の是正というものを中心に考えないで、学歴社会の存続というものをそのままにして、その次に参りますが、六年制の中高一貫の中等学校をつくった場合に、学歴社会が背景にありますから、おのずからそれは進学校になり、エリート養成校になっていくのではないか。ならないという保証は一体どこにあるのだろうか。第三部会は、つくるのは自治体や法人に任すと言っておる。ひょっとしたら歯どめがないから逃げておるのかどうか私は知らない。けれども、例えば、今日法人が中高一貫の教育、六年制の一貫をやっているのが約二百以上ありますね。これはほとんど私学の進学校でしょう。進学のためでしょう。これからますます私立は、法人は、六年制の中等学校というものを打ち出せばそれをやっていく。それは進学校になるでしょう。なっていったら公立は地盤沈下しますね、公立高校は。おのずから公立高校もそれとの対抗上またエリート校にならざるを得ないのじゃないですか、進学校にならざるを得ないのじゃないですか。どう思いますか。
  39. 岡本道雄

    岡本参考人 この六年一貫の中等学校というのにつきましてはいろいろメリット、デメリットもございますので、それについては臨教審で十分審議しておるところでございますが、仰せのように、これが入学のときにどういうふうな、選択というか、多数の希望者があれば選択制になる。そのときにどうするかというのは大変大きな問題でございますので、これについては十分審議をせんならぬということが「概要」にも書いて、ございますが、その点は仰せのとおりで、十分な慎重な審議をしないとこの問題は安易にはできない、そういうふうに考えております。
  40. 木島喜兵衞

    ○木島委員 これは六月の第一次答申で出るのじゃございませんか、出るでしょう。(岡本参考人「今後の審議によってそうなると思います」と呼ぶ)そうでしょうね。そういうことが、今回のこの「経過概要」というのは、言うなれば第一次答申に対するところの国民への中間報告でしょう。そういうものを歯どめがなきまま放置しておいて、そして第一次答申に間に合うのですか。私は大変に疑問に思う。きょうは参考人でいらっしゃいますから、文部省と同じ意識で余りあれしてはいけませんから……。  中高一貫の理由ですね。理由はいろいろありますけれども、中学校の高校入学準備をなくして、落ちついた安定的な学校生活を営むということが一番大きな理由でありましょう。とすれば、入学準備がなくて落ちついて安定した学校生活を営むことができるというなら、そういうものがなぜ一部の生徒のためになされて、全体のためになされないのですか。なぜ一部だけに新設して——それは今の中学校高等学校が合併するということはなかなか困難ですから、新設しかないでしょう。それはわかります。わかるけれども、しからば一部の者しか安定した落ちついた学校生活というのはできませんね。他の大部分は入試の中で苦しんでいかなければならない。なぜ一部の者だけがそうなるようなことをしなければならないのでしょうか。それがちょっとわからない。
  41. 岡本道雄

    岡本参考人 これはメリットとデメリットがいろいろございまして、今先生がおっしゃいました入試のこともございますし、よい点もあるが悪い点もあるということで、一部の者だけにやるということではなしに、やはりしっかり実情を見ながらやらねばならぬということでございます。  それから、一斉にこれをやるということにつきましては、やはりまだ多彩な学校があるということも意味がございますし、これは今、単に試行ということではございませんけれども、多彩な高等学校を持つという意味で一部のものにやるということでございますが、メリットだけなら一斉にやってもいいじゃないか、それまでやらぬでおけというようなこともございますけれども、その意味では、一部でとにかくこういう多彩な高等学校を持つということは意味があるから発足してみよう、そういうことだと理解しております。
  42. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そのデメリットの対策は、歯どめなきままに第一次答申に進んで、これだけ進んでいいのかということを聞いているのです。  私が今一部の者と申しますのは、憲法二十六条の第二項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とあります。これを平面的に解釈すれば、親はその保護する子女——保護する子女とは二十歳までですが、本来はそうでありますが、現在の日本の法体系では、保護する者は十八歳以上はありませんから、十八歳まで、十八歳とは高校卒業年次です、普通教育を受けさせる義務を負う。普通教育、これに対する言葉は高等専門教育すなわち大学であります。だから、平面的に言えばこれは親が十八歳の高等学校まで受けさせる義務があるということでありますが、しかし、そのことを直ちに私は今言っているのではありません。ただ、そういうことの観点で、例えば先ほど申しましたように高等学校は九四%行っておる。あとの六%行かないのは何でだ。それは確かに嫌な人もいるでしょう。けれども多くは、一つはいわゆる能力であり、一つは経済的理由でありましょう。能力は、学校教育法七十五条によれば、「小学校、中学校及び高等学校に」「特殊学級を置くことができる。」とある。すなわち中学校の精薄学級の子供は高等学校の精薄学級に行くことはできるんです。ただ、日本では公立高校の中には一つもないだけの話です。小学校、中学校に特殊学級をつくっておりながら、文部省は進めておりながら、高校には一つもつくっておらない。ただ実現しないだけです。教育基本法第三条には経済的困難なる者には奨学の方途を講じなければならないとあるでしょう。これが完全でない。完全であれば——したがって、私が申しておることは、憲法二十六条第二項のその思想を、一つには全入なら全入でいい。というのはなぜか。経済力のある者はそうする。経済困難な者は奨学の道を講ずる。いわゆる能力というものは、中学校の精薄学級の子供は高等学校の精薄学級に行けるわけでしょう。法体系は全入の法体系をとっておる。ただ実施しないだけです。だから、そういう観点に立つならば、なぜ一部の者だけを入試なしにいつだって安定した学校生活をさせながら、なぜ大部分の者にさせないんだろうか。今日高等学校卒業というのは、九四%まで行きますと生存権的基本権でしょう。高等学校を出なかったらまともに就職できない。まともに就職できなかったらまともに生存できない。まさにこれは、かつての中学校の義務教育が生存権的基本権としてできたと同じ意味においては、今日高等学校がすなわち生存権的基本権であるならば、そういう観点に立つならば、なぜみんなが試験をしないで進めるところの道を全部にどう拡大するかということを考えられないんだろうか。私は、憲法、基本法を中心に考えるならばまさに、こういう一部の中高一貫の教育考えるのでなしに、全体をどうするか、全体を入試せずに生存権的基本権をどう守るか、そういう観点から教育考える、高等教育考える、高等学校考える、そういうことが必要な観点だと思うのです。その観点についての会長の御見解をお伺いしたい。
  43. 岡本道雄

    岡本参考人 国として、親の責任において受けさせるべき教育というものは、私は義務教育の段階だと理解しておりまして、高等学校につきましては、御承知のとおり、高校長なんかの現場の意見も、まだ必ずしも全部をという意見にもなっておらないように理解しておりますので、その点、先生が九四%以上の者が入るんだからというその事実に即してのお話はわかりますけれども、現在、事実に即して義務教育と同じように国民者入るようにせよということができるのはどうかということについては、私はそれをその方向で申し上げることはできないと思います。
  44. 木島喜兵衞

    ○木島委員 先ほどおっしゃったとおり義務教育が、生存権的基本権として義務教育はこれを無償とする。私は今そういうように義務教育を高校までせよと言っているんじゃありませんよ。しかし、生存権的基本権だとするならば、そこに行かなかったならば生存ができないんだとするならば、まともな就職ができないならまともな生存ができないという観点に立つならば、みんなが入れる道をどう考えるかということが臨教審として必要なことではないのかと聞いておるのです。
  45. 岡本道雄

    岡本参考人 その基本的生存権として高校までの教育だということにつきましては、それが国民的全体の合意であればやはりそういうところまではいくと思いますけれども、そういうふうにはなっておらないのじゃないかと思っております。
  46. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私は義務教育を言ってない。会長さん、終戦直後教育改革で六・三・三制ができたときに、文部省の公式見解も、高校には入試をしないということが公式見解でありました。ただ、高度成長のときに進学率が上がったでしょう。そこで努力が足らなかったから入れ物が足らなかった。そこで、試験し、落とすということになったのですよ。六・三・三制の出発のときにはそうであったのです。そのことを考えれば、当然そういう観点に立って臨教審考えるべきじゃないのかということを繰り返し聞いておるのです。
  47. 岡本道雄

    岡本参考人 多様化ということに関連しまして、義務教育の年限までにおいては国のもので一律にと考えておりますけれども、それ以後のものは、多様化ということもございまして、それを直ちに国民全体のなにだからという結論にはまだ達しておらないのですが、先生の御趣旨をよく私もお聞きいたしましたので、また審議会に帰ってその点は十分検討いたしてみます。
  48. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そのことをお聞きしておるのです。今、多様化というお話でございましたね。どうなんですか、多様化の中には、臨教審としてはエリート教育という要素を考えていらっしゃるのじゃないかという、懸念というか、考え方がちょっと疑問があるわけでありますが、殊に義務教育では、例えば中高一貫の前半三年は義務教育ですから、義務教育では国民全体の教養の向上が何にも増して優先されねばならない問題であって、エリートをつくるということが優先さるべき問題ではないことはもはやおわかりだと思います。ところが、歴史の教えるところによれば、エリート養成制度というものは、国民の教養の向上を犠牲にしながらひとり歩きし、自己主張をして、教育の平等という教育の歴史的遺産というものを犠牲にしてきておるのです。これは近い例は、例えばアメリカのスプートニクショック、ソ連がスプートニクを上げましたね、そのときに大変差がついたということでエリート教育をやりましたね。エリート教育をやったその結果、アメリカの国民全体が世界教育の落ちこぼれだなどと悪口を言われるほど全体は下がったですね。確かに、例えば今日の先端技術なら先端技術は日本よりも十年先だと盛んに言われます。十年先はさらにもっとこれから進むかもしれません。しかし、それほど進んでおるところの先端技術のエリートたちがいるのになぜ生産が上がらないのか、日本にこの生産がやられてしまっているのか、これが実はアメリカの反省なんでしょう。それがアメリカの最近発表された「危機に立つ国家」でしょう。あの本が売れているのが実はそこなんでしょう。ですから、そういう意味で、臨教審全体がこの問題に絡んでエリート養成ということを考えておるんじゃないのか。義務教育を含むところの中高一貫でありますから、そういう心配はないのかどうかを私が心配するものでありますからお聞きいたしたい。
  49. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、義務教育というものは基本的なものを教育するところで、そこにエリート教育というものは考えられないわけでございますけれども、アメリカの現在のあの「ア・ネーション・アット・リスク」というものも決してエリート教育を否定したものではないので、私は、今二者択一の時代は去ったのであって、この教育改革の基本的なものはバランスにあると思っているのです。ですから、やはり基本的なものを大事にしていくということと同時に、すぐれたものを伸ばすということもまた教育の大変大事なことであると思っております。
  50. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いや、私は義務教育でと言っている。
  51. 岡本道雄

    岡本参考人 初めに今お答えしましたように、義務教育国民一般、基本的なものをつくるところである、そういうことを申しております。
  52. 木島喜兵衞

    ○木島委員 単位制高校ですね、学校教育の視点から言えば、今一貫教育というのは中高に視点が注がれております。しかし、第二部会では生涯学習社会を言っておりますね。そういう観点から言うならば、人生の一貫教育というものを考えていいんじゃないか。当然考えられますね。六年間の一貫教育じゃなしに人生の一貫教育、一人の人間が六年間同じ学校に進むから一貫教育というのじゃなしに、その人の能力個性に応じて教育が一貫しておれば、本来それが人生全体であろうと一貫教育というのであって、同じ学校に行っているから一貫というのじゃないと思う。教育というものは形式じゃなく内容なんですから。そういう観点に立ては、先ほども会長がおっしゃいますように、単位制高校というのは生涯学習社会全体の一環として考えられておりますね。第二部会ではそのことを出しながらも全体の構想は全くまた触れておらない。これからなんですね、学習社会方向は。どう行くかという方向は全然入ってない。入ってないのに、学習社会の一部だけが第三部会でもってこれをやって、単位制高校が第一次答申で出てくる、こういう一貫性のない、整合性のないものはいかぬと私は言っているのです。これはどう思いますか。
  53. 岡本道雄

    岡本参考人 第二部会の主張は、決して言っておらないのではないのであって、まず、生涯における多数の教育機会というものと、それから学歴社会の克服に対しまして、価値の多様化ということを申しておりますので、その線に沿って単位制の高校というものを発足させる、その意味ではコンセンサスをとれておりますけれども、御承知のとおり部会同士のまだ議論でございますので、この整合性は総会においてしっかり議論いたします。
  54. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そうなんだけれども、しかし、先ほどもおっしゃいますように、これが第一次答申で出てくるわけでしょう。そこが私は審議が全然上滑りしているという感じがするのです、さっき言った中高一貫にしても、この問題にしても。臨教審全体の総会主義だと言っておりながら、そういうことがなきままに第一次答申方向に行っておる。何で第一次答申を急がなければならないのです。どうして急がなければならないのですか。なぜ六月末にしなければならないのですか、先ほどからお話がございますように。改革の理念すら一致しておらない。先ほど御答弁がありましたから、それはいいですよ。改革の理念が一致しないで、そして個々のものが出てくる。中高一貫だ、単位制高校だ、しかもそれが全体の中では整合性を持っておらない。それで第一次答申が出る。めちゃくちゃじゃございませんか。そう思いませんか。こんな臨教審だったら、国民が、先ほどだれかが新聞のことを言ったが、そうなりませんか、期待しなくなりませんか。これほど期待されたのですよ。あなたは第三の教育改革とおっしゃったでしょう。明治のあのとき、敗戦後のあのとき、それに次ぐところの大改革だとおっしゃったのに、その理念もなきままに、整合性なきこんな一つ、二つのものがちょこちょこと、何でこんなに急いで出されなければならないのですか。もっと時間をかけてじっくりと、あなたのおっしゃる第三の教育改革にふさわしい壮大なブランがなぜできないのですか。そこで時間をかけてじっくりやろうじゃないですか、三年間あるんだから。なぜこんなに急がなければならないのですか。私は不思議だと思う。それがもしもある政治家の意思に迎合するものであるとすれば、教育は政治的中立を守らなければならぬと言いながら、それが侵されることになる心配すら私は懸念するのですが、それは私のひがみでありましょう。(「いや、ひがみではないよ」と呼び、その他発言する者あり)みんなそう言っている。いや、それは失礼しました。そういうことがみんなささやかれているわけです。なぜなら、これから入りますけれども、自由化論争というのは、中曽根さんのブレーンが自由化論争の中心になっておるということを考えれば、そして専門委員が、専門委員なのか、委員なのか、あれは何の専門だろうと思うようなのが——これはそのときの文部大臣がおるからいかぬな。そうでしょう。とすれば、やはり政治家によって左右されているということを皆さん心配されていらっしゃるからそうおっしゃっているのだと思うのでありますが、これは整合性なきままになぜ急がなければならないのですか。改革の理念なきままになぜ急がなければならないのかちっともわかりません。もしお返事いただければ幸せです。
  55. 岡本道雄

    岡本参考人 まず、この整合性の問題ですけれども、御承知のとおり、第一部会は、個人主義といいますか個性主義というもの、これは多彩なものということでございます。第二部会は、生涯教育の立場に立って、教育機会多様化ということを申しております。それに対して、第三部会がああいう単位制の高校、これは、私は現在整合性は成っておると思いますが、ただ、この問題は総会においてしっかり審議いたしますから、総会で出ますときには、あの「審議経過概要」は各部会審議したものをそのまま出しておると前に答えてございますので、あれが整合性を持って、きちんと理念も入れて、もし第一次答申で出すときにはそういうものはきちっと整理して出します。  それから、この第一次答申というものなんですが、我々は逐次答申をしていくということを申し合わせております。この逐次答申というのは、何分、各部会はそれぞれ独立して審議してもらっておりますので、まとまったものからということでございます。そして、それは予算もございますので、実行できるものは少しでも早くという意味で逐次答申ということをいたしておりますが、それをいろいろ考えまして、それには、国民が一番望んでおるものとか、それからやや完結性のあるものだとか、従来大変審議されたけれども実行されてないものとか、そういうものをできるだけ早くという意味でいたすのでございまして、決して特に急いでということではございません。  そんな意味で、あの審議会は最初から主体性を持ってしっかりやろうという申し合わせをいたしておりますので、その点は、十分主体性を持って第一次答申に出発した、そういうことでございます。
  56. 木島喜兵衞

    ○木島委員 さっき佐藤委員が、なぜ出てこなかったか、あなたが早く出てくればよかったのにと言っておりましたが、それはいいのです。そんなことはいいのです。ただ言えることは、皆さん答申をなさっても歯どめがあるのです。法律をつくるまでに政府与党は歯どめが一つあります。尊重義務があっても一〇〇%するわけはないのですから。同時に、我々国会議員は、ここで決めたら、法定主義なんだから、それで行政が動くのですから歯どめがないのです。皆さんの場合は、国会で修正するかもしれません。政府はあなた方の部分を修正して出すかもしれません。しかし、国会は最後のとりでですから、実は我々は歯どめがないのですよ。だから、結論よりも、その結論に至るのにいかなる議論がなされていかなるプロセスを通ってこの結論に至ったかということが、我々が最後審議する決定的な要素なんです。それはなぜかというと、今整合性がないと言ったのは、これから整合性を持ってやるんだとおっしゃるから、第一次答申までに、そのような整合性がないと指摘されるごときものであってはならないと私は思うので、十分に御留意いただきますことをお願い申し上げます。  次に、先ほどからお話がございます自由化論について少しお聞きいたします。  この自由化論、実は私大変にいいなと思っているところがちょっとあるのですよ。ただ、自由化を言う人たちは、この「概要」にも書いてありますけれども、理念としての自由化論を主張していらっしゃるのですけれども、手段としての自由化、すなわち自由化に基づくところの教育体系が臨教審の中では少しも示されておらない。あるのはせいぜい学校選択の自由。学校設置基準を下げて、意欲のある者はだれでもつくれるようにせい、あるいは塾を学校に認めたらどうかと言うくらいですね。私は、学校選択ということからぱっとひらめいたのは、自然権であるところの親の教育権説。教育権は親にある。まさに自然法、これはだれも侵すことのできない親の責任であり、義務でありましょう。ところが、学校教育法になってくると——民法ではありますね。民法の八百二十条には、子供の教育に対するところの親の責任と義務がうたってある。だけれども、学校教育法になると、親の教育権はないのですよ。どこにも出てこないのです。そこで、そういう親の教育権という原点から出発して教育体系というものがつくられて臨教審の中で発表されたら、これは大変大きな一つの明らかな指針になるだろう、大変参考になるなど私は期待しています。  なぜかと申しますと、公教育というのは親の教育権を委託されて成立しておるのですね。しかし、果たして親たちは本当に自分が公教育に委託をしているという意識を持ったことがあるだろうか。ないと思うのです。しかし形はそういう形になっています。義務教育という言葉がかつて強迫教育とか強制教育と訳されて少しも国民は不思議に思わなかった時代があるのでありますけれども、そのごとく公教育は親に対する強制によって成り立っておる。委託者に対して強制によって公教育は成り立っておる。だから、就学義務を怠った者には刑罰をもって対処しているでしょう。委託者に対してそれを実行しなかったゆえに刑罰を与えなければならないというものは一体何だろうか。そういう観点に疑問を持つだけに、親の教育権という立場から学校教育体系というものをつくっていったら、大変おもしろいことになるだろうと思っておったのだけれども、実はない。臨教審の中に出てこない。ここはどうも私にはわからないところの一つなんです。むしろ会長が、おまえら理念は何もないのか、具体的な教育体系を持たせろとおっしゃっていいのです。そのくらいの重みを持っているものだと思っているのです。いかがですか。
  57. 岡本道雄

    岡本参考人 教育権というものが親の教育権から出て、国家がこれを行うということの成り立ちはよく存じておりますが、この自由化論というものがその原点に返って、親の選択の自由ということを申しておりますけれども、現実のものとして、その現実に当てはめて考えますときに、そこにはかえって混乱が生じて親自身も困るという状況もあるので、この自由化論というものは、つまみ食いと言うとなんでございますが、現実に即して教育をできるだけ画一的でないような方向にやるという方向なんです。自由化論そのものを私がいろいろ申しますと時間をとりますので申しませんが、これは極論を申しますと、自由化というのは何でもいいということにもなるのです。その意味では軽々に使わぬ方がいい。ただ、先生がおっしゃいましたように、これは大きなインパクトを与えまして議論を起こしたという点では大変おもしろいけれども、いつまでもこの自由化論というものを振りかざしてはいけない、臨教審の第一部会個性主義というものに変えたのも意味がある、そういうふうに考えております。
  58. 木島喜兵衞

    ○木島委員 時間がありませんから深くお聞きいたしませんが、しかし、親の教育権というものは、変化の少ない狩猟採取時代や農耕時代ならともかくも、変化の多い産業社会の中では有効に作用しませんから、したがって、国に生存権的基本権として委託をした、保障を求めた、そこから今おっしゃるように国家教育権が出てくるのです。親の教育権といっても、学校に行っているときには親の教育権が及ばない、それは学校教師だから、したがって教師教育権というものも出てくるとかいろいろありますけれども、私はそのことを言っているのじゃありません。  ただしかし、そういう教育権論争が続いておりますけれども、教育権論争はなぜ続くかというと、それは、例えば自由化を唱える方々が、学校選択というのは、どの学校を選択してそこへ行ったからそれでいいのじゃないのです。そこの学校に行くことによって、親が自分の子供に受けさせたい教育ができるという教育内容を求めているわけです。したがって、教育権論争というものは、教育内容決定するその決定権はどこにあるかという論争なんであります。もしそういう観点に立つならば、自由化を唱える方々は、法的拘束力があるという学習指導要領についていささかも触れておらないのです。その指導要領によって、検閲的検定とまで言われるところの教科書の自由について触れておらない、公的義務教育においては。これじゃ、自由化論者という言葉はあっても、彼らは自由化論者ではない。教育内容を自由にしてなくて、今日の検閲的検定だと言われ、国際的にあれほど問題になることを直さずして、教育権をどうのこうの言ったって始まらないことなんです。それをやらない自由化論者は、私は自由化論者ではないと思うのですが、どうお考えになりますか。
  59. 岡本道雄

    岡本参考人 今御指摘のあったように、いわゆる自由化論と申しますのは、抽象的な論をしておるだけで、具体的にこのものという整理がまだついておらないわけです。その意味で、自由化ということはあれもこれもということがありますけれども、まだそこまではいっておりませんし、その場合には、自由化という問題には最前申したとおりいろいろ歯どめがないと問題がありますので、その点は具体的な方向として聞いて、まず教育基本法の精神もございます、そういうものから考えて、義務教育とかいろいろな問題でどこまで自由になるかということをしっかり検討していかなければならぬと考えております。
  60. 木島喜兵衞

    ○木島委員 理念としての自由化、手段としての自由化ということが報告の中にありますね。それは私は両方だと思っているのです。理念を先に決めてから自由化といっても、あるいは逆に言うと、理念だけあるけれども個々の自由化の政策が出てこなかったら、自由化といったところで自由化にならないでしょう。だから、個々の理念としての自由化と、個々の教育体系というもの、政策体系というものが出て初めてなるそういうものがなぜないのですか、あなた会長としてどうして出さなかったのですかとお聞きしたのはそういうことなんであります。  ただ、そこで、教育内容について、画一化とか言われる中に、教育行政の中央集権化、管理主義等々がありましょう。そういう教育行政でいいますと、親があるものの中から入れる学校を選択するよりも——教育委員会というものは本来公選制であった。なぜか。教育基本法第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負」う。政治は国民全体に責任を負うものでありますが、あえてこの場合に「直接」とあるものは、そのとき公選制を意味したのであります。だから、私の質問に対して、かつて高見文部大臣やあるいは奥野文部大臣は、直接選ばれた首長が直接住民から選ばれた議会の同意を得て任命するのであるから、「直接」というその文言には反しないとお答えになりましたが、「直接」というものはそれほど公選制を求めているのです。そうしたら、おらの村のおらの子供を、おらの代表が、おらの意思を入れてつくる、創造することの方が、あるものを選択するよりもいいじゃありませんか、選択だけで言えば。私は必ずしもすぐに公選にせいと言うのじゃありませんが、しかし、自由化論者たちが言うならば、そこに行かなかったら自由化論者と言えぬじゃありませんか。教育行政あり方についてそういう体系がなぜ出てこないのだろうか。いかがですか。
  61. 岡本道雄

    岡本参考人 「直接」ということは大変議論のあったところですから、あえて私がそういうものになにはいたしませんけれども、親の子供に対する教育権が、産業の複雑化に従って、親も合意して国がそれを代行するということが納得されておるのが現在の国の義務教育に対する制度である、私はそういうふうに理解しております。
  62. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今の親の学校選択権でいいますと、今日の高等学校はほとんど選択自由であります。ところが、選択自由であるということは、学歴社会を背景にした中でありますから、したがって一つ学校に集中する。一つ学校に集中しますから、そこで生活の知恵なる偏差値というものが編み出されて、そこで九四%の進学率の中で九八%が合格するということになってきておる。そのことが実は今日の教育荒廃につながっているわけ、点数至上主義になったり、偏差値教育になったり。とすれば、学校選択というものが教育荒廃を救ってくれるなら、高等学校は救われるはずですね、選択自由なんだから、大変に幅広いんだから。これはどうお考えになりますか。
  63. 岡本道雄

    岡本参考人 国民の価値観と申しますか、これはいろいろ機会の均等とか何か問題がありまして、やはり成績というか知的な達成度をもってはかるということに偏ってしまいましたので、これが偏差値ということになったわけで、これが大きな欠点になっておるということは皆さん御承知のとおりであります。したがって、その選抜の様式を多様に変えるということ、これはひとり学校に限らず、企業もすべてがその方向に行かなくてはならぬというようなことを主張して、具体的にどういうことができるかということは、今後十分検討していかなければいけないと考えております。
  64. 木島喜兵衞

    ○木島委員 時間がないから進みましょうね。  それから、自由と平等の関係、憲法二十六条第一項は、「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とあります。「能力に応じて」でありますから、決して同じレベルの内容を画一的に与えるということを意味しておりません。その能力に応じてを前提にしてひとしく、すなわち機会均等、平等を追求しておるのです。これを間違えてはならないと思っております。この平等というのは、近代主義社会の中の殊に教育の原点でもあります。ところが、それにもかかわらず、日本においてはまだ、臨教審ではとかく平等が先に進み過ぎて自由がないからそれだ、こうおっしゃるのですが、例えば養護学校が義務制になったのは六年前です。戦前の、国家目的に有効でなかった者は教育から切り捨てられていった、そのことが今日まで続いているのです。まだ平等ができておらない。経済的にもそうです。学歴を得たところの者がいい地位につく、その経済的、家庭的、文化的環境というものがその子供をより受験技術を覚えさせるから、その子もまた有名校に行く。そして学歴による身分社会ができる。封建社会の士農工商の身分社会というものから解放されたはずの我々は、今近代において新しい学歴によるところの身分社会ができつつある。これは平等じゃない。そういうことを挙げたら切りがないほどあります。したがって、平等というものを軽視してはならないということだけを申し上げておきましょう。  時間がありませんから、最後質問をいたします。  中曽根内閣は三つの改革と言っております。すなわち、一つ行政改革一つ財政改革一つ教育改革であります。すると、この財政改革教育改革は大変に絡み合ってくる。例えば、この自由化論というのはフリードマンの中に尽きますけれども、これは経済学者。今日の教育荒廃というのは産業社会の病理そのままの反映ですね。再三その点は会長もおっしゃった。だが、それを今また引用するのでありますけれども、そのことに追いつくところの最後は、やはりフリードマンが言うバウチャー制度になるでしょう。バウチャー制度は、よい学生を集めるためには月給を上げてよい先生を集める。施設、設備をよくする。したがって金がかかる。だから、フリードマンが貧者には冷たいと言われたゆえんはそこであります。それを公費でやるとすれば、バウチャー制度ならば今日の教育費用の二倍からかかると言われている。あるいは個性主義と言う。今四十五人の義務教育、四十五人で一人一人の子供たち個性を生かすことができますか。アメリカは、一九八二年の統計でありますけれども、公立学校の平均生徒数は十八・九人であります。半分以下であります。それくらいでなければ個人個人を生かすことはできないでしょう。とすれば、教師が二倍要ります。個性主義というなら二倍要ります。  そういうことを考えたら、これはもういろいろありますよ。九月入学になったら二千五百億を私学に出さなければならぬとか、教員の試補制度をつくったら一年分の新採用分の教師の月給が要るでしょう。一体これを、今会長として、金があるかないかにかかわらずなすべきことはなすんだという決意なのか。金は出さぬで、改革だけは金のかからぬものだけやろう、こう言うのか。中曽根さんは三つの改革と言っておるのです。しかし、やろうとすれば矛盾が出てくる。決意を聞きたい。
  65. 岡本道雄

    岡本参考人 先生のおっしゃいましたフリードマンの説がいろいろな点で破綻しておる、これはよく存じております。よく初めから臨調と臨教審とのリンクといいますか、この関係があるのかどうかということを申されておりますけれども、教育というものは経済とは違う、その点はフリードマンのあれがそのままいくとは思っておらないと同じことです。したがって、今先生がおっしゃいました、勇ましく言えば、やるべきことは金のいかんを問わずやるべきだとは思っていますけれども、そこはやはりきようは、総会でちゃんと考えておりますのは、背伸びして、時々は跳び上がってでも行くところまでくらいは考えよう、それくらいの考えております。
  66. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今臨調と違うとおっしゃったけれども、臨調のチャンピオンもまた委員として入っていらっしゃるわけですから、お日付で入っていらっしゃるのですから。しかし、今の決意を私は信用しましょう。期待をして私の質問を終わります。
  67. 阿部文男

    阿部委員長 有島重武君。
  68. 有島重武

    ○有島委員 九月以来の臨教審岡本会長また石川会長代理ほかの先生方の熱心な御努力敬意を表したいと存じます。  そこで、本日「審議経過概要(その2)」というのが発表されまして、先ほどその御説明も承ってございます。この扱いでございますが、この「(その2)」の中からこれから総会で合意を得られたものを逐次答申に取りまとめる、こう言っていらっしゃるのですね。そういたしますと、これから出される答申は、本日のこの「概要」に挙げられている審議項目よりも狭い範囲に限定されていくことになるのでしょうか。あるいはそうじゃなくて、この中というふうに書いてあるにもかかわらず、この「概要」にはないさらに重要と思われる項目があれば場合によっては総会でどんどんつけ加えられていく、そういった可能性もおありになるのかどうか、この点をまず伺います。
  69. 岡本道雄

    岡本参考人 ただいまの御質問でございますけれども、まず、率直に申しまして、今度の第一次答申というものは今日の「審議経過概要(その2)」の内部のものであろうということでございます。それもそのままではございませんので、あの中で最前いろいろ御議論願いましたような整合性も考えましたり、その点をぴしっと整理して、出せるものは出すということでございます。  ただ、もし余分なものが加わるとしますと、第一部会なんかの個性主義というようなところから出発しておるものに関しましては、もっとその基本になるキャップと申しますか、そういうものが加わることはあり得るというふうに私は考えております。これも私の私見でございますから、今後総会で決めますことばかりでございます。しかし、恐らくそんなことは考え得るのじゃないか、そう考えております。
  70. 有島重武

    ○有島委員 では次に、中央教育審議会との関係でございますけれども、この臨時教育審議会というものを設置するかどうかという議論の中で、当初、文部一省を超える大改革である、それだから中教審の審議などでは不可能である、したがって内閣直属の臨時教育審議会の設置をしなければならぬ、こういうことでございました。本日のこの「概要」を拝見いたします限り、また先ほどからのお話を伺っております限り、いろいろ具体案なんかも申されました、中高一貫、生涯教育単位制高校、あるいは専修学校卒業生に対しての大学入学資格共通一次云々。こういったようなことを伺っておりますと、これは文部省一省でもって十分対応できる範囲であるというふうに私は思うわけです。文部一省を超える大改革の気構えというものは、率直に申しまして余り感じられない。この中にはその具体案も盛られておらないように見られる。まだまだこれを熟読しておりませんから、あるのかもしれない。  そこで、教えていただきたいと思いますけれども、最もこの臨教審臨教審たる真価、中教審ではこういうことはできないのだというような、この臨教審の真価を発揮したと自負をなされる点が、この「概要」百二ページほどあるようでございますけれども、このどこにあるのか。これを教えていただきたい。
  71. 岡本道雄

    岡本参考人 中教審と臨教審の相違ということでございますけれども、今先生がおっしゃいましたように、臨教審は文部省一省を超えるということでございます。しかしながら、その点は私は、実行というところに大変大きな意味があるので、なかなか文部省だけではできないことも臨教審では可能性があるということ。それから、もう一つ大事なことは、例えば大学紛争で大学自体が自分の力でなかなか改善できなかったように、今回の問題は文部省そのものの行政についても十分な考慮がなされるという意味で、その意味は文部省を超えた立場に立ってやろうということです。  現在の「概要」の中でどれがそれに該当するかという御質問でございますけれども、今のところ、やはり実行に関して、例えば文部省で、四六答申の中のものもございますけれども、それが実行されないで残っておるというようなものを、このたびはひとつ実行してみようというふうなことでございます。しかし、基本的にはそういうふうなことを考えておりまして、文部省を超えるという意味は、それぐらいの気持ちを持って臨んでおるということでございます。
  72. 有島重武

    ○有島委員 ここではその議論はいたしません。またの機会に承ることもありましょう。
  73. 阿部文男

    阿部委員長 今の質問にちょっと石川参考人から……。
  74. 有島重武

    ○有島委員 いいです。済みません。  改革を進めていく、実行をしていくということになりますと、どんな小さな改革でありましても抵抗が起こりますね。私どもは、改革といってもこれは三つに分けております。それは、一つは新しい方向性に従って現状の枠内でもってこれは充実していきましょう、できることを制度の範囲でやっていきましょう。それから、最終的には制度を変えなければならぬところまでいくでしょう。その中間のところで、パイロットスクールといいますか、いろいろな例外的な弾力的なことをやってみる、こういうふうに思っているわけでございますけれども、そこにはいろいろな抵抗があるであろう。というのは、単なる充実をしていくという、ここでもってこれを充実するから予算をつけてやると言えば、これはだれも文句は出ない。しかし、いろいろなところから出るわけです。そのことも十分いろいろお考えになっていらっしゃるのだろうと思うわけですね、今の岡本会長のお話を承りますと。  それで、その中で、現行の学校制度というものをめぐりましてさまざまな教育産業と言われるものがございます。この教育産業というのは、大体大ざっぱに言いましてレクチャーセミナーなどに代表されるサービス産業、ソフト分野でございますね。それから施設、設備、機械、教材、教具、文房具、運動用具、楽器その他のハード分野でございますね。もう十分こういったものも把握していらっしゃるとは思いますけれども、私の手元にあるのはやや古い資料でございまして、一九八二年版の「教育産業白書」、これは矢野経済研究所というところから出ております。これによりますと、昭和五十六年で二十二兆円ということになっております。これが昭和五十二年の十六兆四千億円から見ると五年間で三四・四%の増加である、こういうことでございます。恐らく本年くらいは三十兆円にもなろうかと思うのですね。この場は御承知のとおり国家予算をこの間いろいろ審議した場所でございますが、一般予算の規模は五十二兆四千九百九十六億ということでございます。それに比べまして、この教育産業をめぐって動いているお金というものはなかなか大変なものでございます。これは先ほど飛び上がってもとか、いろいろのお話があったけれども、教育産業というのは必ずしも教育的に機能するとは限らない。もうかることなら何でもやりましょう、こういうこともあるわけです。それをとめるすべもないというような現状が多々あることは御存じのとおりであります。  それで、この「審議経過概要」の御報告の中には、この教育産業の動向に関する項目は欠落しておるようでございますけれども、今後これをどうなさるおつもりでございますか、これを伺っておきたいと存じます。
  75. 岡本道雄

    岡本参考人 教育産業のことに関連しましては、現在教育荒廃と言われるものの一つの背後にあるといいますか、そんな意味で、まだ論議がそこまで行っておらないことは仰せのとおりでございまして、今後十分これは検討してまいらなければならぬと思います。これに関しまして、石川さんから、もしお考えがあれば聞いていただいたらありがたいと思います。
  76. 石川忠雄

    石川参考人 これは、このことだけにお答えすることになるわけですか。(有島委員「なるべく短く」と呼ぶ)そうですか。私は、ちょっと先ほど手を挙げましたのは、臨教審と中教審の違いで先生の方からの、要するにこの「審議経過」ではその臨教審の構えが見られないということについてちょっとお答えしておきたいと思うのです。  私はそういうふうには必ずしも思っていないわけであります。現代の社会の一番重大な問題は、社会が非常に複雑になって、いろいろな部分がいろいろリンケージしている社会である。したがって、文部行政一本ですべてが片づくというわけにはいかない時代になっている。例えば教育個性的なものにしていくというようなことになれば、それは非常に広くなりますし、それからさらに、生涯学習社会の建設というようなものも、そう文部行政一本ではいかない、そういうことではないかと思うので、そういう構えは私はあるというふうに考えております。  それから、ただいまの受験産業の件でございますけれども、これはまだ確かに余り議論をいたしておりません。一番問題なのは、中等教育高等教育の接続の問題でありまして、この問題のところで、今まで受験生に対して何も十分な情報提供というものがなかった、そこに受験産業が生まれてきた大きな原因が私はあると思うので、今後そういう接続の問題のところでもっとしっかりした学生に対する情報提供の場を考えるということが大事ではないか、それが入試センターの問題に絡まっている、そう思います。
  77. 有島重武

    ○有島委員 この件につきましては、私は国会の中であちらこちらでもって質問をいたしましたけれども、文部省の方ではこれを答えてくれません、把握してないということです。通産省もなかなか答えてくれません。経済企画庁も答えてくれません。こういったことは、確かに文部省を超える大事件でございまして、しかもそれを左右しようというお立場に今臨教審はおありになるのではないか、そう思うわけであります。  次に、第一部会のお仕事というのは、二十一世紀の社会をどのようにしていくのか、教育改革方向性を決める、これは一番重要なお仕事であろうかと思うのですね。  そこで、さっきからいろいろな自由化とか画一化とか個性化とかいうお話がございましたけれども、第一部会を貫いている哲学といいますか、この中で拝見する限り科学技術文明の進歩、こういったところでもって歴史を見ていく、人類の進歩を見ていく、それで科学技術文明の進歩に対応する人間の育成、これが一番の基本になっているように、拝見した限りは受け取られるわけであります。そして、この科学技術文明を進歩させるためには画一化ではだめだとか、これに対応する人間を育成するためにはもっとこうでなければいけないとか、そういう主観といいますか哲学といいますか、そういうもので第一部会は貫かれておられる、ここに国民の合意を求めようとしておられる、あるいは臨教審内部の合意を求めようとしておられるかに見受けられます。私どもの見解で間違っていたら教えてください。  それから、もう一つ、これは文部省じゃどうにもならない問題の中でこういったことがあるんじゃないだろうか。それは、学歴社会とか教育荒廃とか画一化とか言われておりますけれども、その前提に日本教育の中に、これは明治以来ずっとですけれども、学校主義というかあるいは学校権威主義というべき風潮が根強くあるのじゃないだろうか。学校にあらざるものは教育にあらずというような風潮ですね。親も子もみんなそう思い込んでいる。それで、あえてここで主義と申しますと、学校教育はとにかく大切だ、教育の中でも大切だ、大切だから絶対だ、絶対だから学校がそういうような自己目的を持ってしまう、そのために人間形成が従属的になる、そういうような傾向があったのじゃなかろうかというふうに私ども思うわけであります。  それで、もう時間が参りましたので、これは長い質問になってしまってあれですけれども、お願いでございますが、この中には学校主義とか学校権威主義というようなことに当たるようなことは余り出ていないように思うのですけれども、こういうような問題を御審議一つの項目の中にお加えになるべきではないか。御提言を申し上げまして、それで私の質問から今度池田克也君に譲ります。
  78. 池田克也

    ○池田(克)委員 関連して二、三お伺いをさせていただきます。  一つは、きょう会長会長代理においていただきましたが、きょう四月二十四日は我が国教育改革にとって一つの新しい幕あけになるのじゃないか。つまり「審議経過概要」が公表されまして、今お話を伺っておりますと、大体この枠の中であるいはこの線上で第一次の答申が行われる、こういうことを考えますと、きょうは非常に重要な意味を持つ日ではないか、こう思うわけでありますが、まず最初に、きょうをお迎えになった、そしてこの「審議経過」を発表された岡本会長の所感として、関心を持つ父母あるいは教育関係者にどういうことをおっしゃろうとしていらっしゃるのか、それをかいつまんでお伺いしたいと思います。
  79. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、きょう初めて本格的な審議をいたしました「審議経過概要」を発表するということで、大変重要な意味を感じておりまして、これを出しまして各層、各界からの意見をちょうだいして、さらにまとめていこうということでございますので、これに対しましては、これをお読みいただく人々がどういうふうにお考えになり、またその人がどういうことを望むかということでございます。  それで、この点は、教育改革は、繰り返し申しておりますように、国民すべての人が関心を持っておることでございますので、これに対して忌憚のない意見を開陳してもらいたい、また私どもも熱心にそれをいかにして吸い上げるかという努力を今後しなければならぬと思っております。同時にまた、この内容をお読みいただいて、どういうことが審議されておるかということをよく御存じいただいて、それからこれを一次答申にまとめていくときの我々の態度が、これをよく我々は大胆にして細心と申しておりますけれども、余り憶病であってもいけませんけれども、しかし十分慎重に考えてやるというようなその経過を、これから第一次答申に向けて国民各層しっかりごらん願うことができるというふうに思っておりますので、その点よく注目していただくと同時に、忌憚のない御意見をいただきたい、そういうふうに思っております。
  80. 池田克也

    ○池田(克)委員 今お話がありましたように、この「審議経過概要」が報道される、そしていろいろな意見が出てくると思うのです。それはどういう手続で聴取されようとしていらしゃるのか。日程も週一遍ずつ今まで総会を開かれるときは開かれておりましたし、大変お忙しい方々がお集まりになって、私はその労力を大変多とするわけでありますが、連休等もありますが、これから残された六月の第一次答申までの間に、どういう手順で各界、各層の意見を求めていかれようとするのか。その辺についてまだ十分に私は承知しておりませんが、もし部内での手順がありましたらば、石川先生からでもお聞かせいただければと思うのです。
  81. 石川忠雄

    石川参考人 この「審議経過」の中から第一次答申の項目を絞り込んでいくわけでありますけれども、これを公表いたしまして、さらに「臨教審だより」の特別号を出すとか、その他いろいろなことをして、できるだけ国民に周知していくということをしたい。同時に、それから起こってくる反応も聞きたいわけであります。これは各ヒアリングをやったその他の各団体にもお送りいたしますし、それから、もちろんマスコミを通じての批判もおありだろうというふうに思いますし、公聴会も開きますし、そういうことをやってできるだけいろいろな意見を吸い上げたい、そういうつもりでおります。それを審議の中に、少なくとも五月いっぱいは各柱についての議論総会でいたしますから、そこにできるだけ反映したい。また、それ以後のものであっても、六月に入ってここは臨時総会でも何でも開いて答申をまとめるための議論をしてまいりますから、そのときにまたそういう後から出てきた意見も吸収したい、こう考えております。
  82. 池田克也

    ○池田(克)委員 その問題はもっといろいろ細かくお伺いしたいところですが、先へ進みたいと思います。  父母の意見を吸収するということが教育にとっては非常に大事だと私たち前から主張してまいりました。今日までの審議経過の中で父母の意見というものが十分に聴取できたかどうか、これはなかなか数も多くまとまりが難しいと思うのでありますが、端的に、父母の意見が十分聞けたかどうかという点、私も今までの主張からいってぜひ確認をさせていただきたいと思っておりますので、お聞かせいただきたいと思います。
  83. 岡本道雄

    岡本参考人 父母の意見ということでございますが、これは大変大事なことで、本当に父母が一番痛切な体験と意見を持っておるわけであります。例えば、今まで公聴会というのをこれで四回開きましたのですけれども、その際にも父母の意見というものは大変重視いたしまして、発言者の中には必ずその代表を入れまして発言を聞いております。また、いろいろな新聞などに発表しまして意見を求めるときに、父母の意見というものもたくさんいただいておりまして、その点、先生がおっしゃいますように、父母の意見というものは十分尊重して今後ともやっていきたい。特に、発表した後はそんな意見もしっかり集約していきたいと思っております。
  84. 池田克也

    ○池田(克)委員 私がお伺いしたかったのは、今日までの経過の中で父母の意見をどういうふうに聴取できたか、公聴会を、伺っておりますと数も二百五十人前後でございますし、回数にしても数回という状況で、私が感ずる限りでは、父母の意見の聴取というのはなかなか手間のかかる面倒なことだと思います。しかし、これなくしては教育改革というのは実効を伴わない、こう思っておるわけでありまして、端的に申しまして、この父母の意見の代表の一つのあらわれは国会だと思うのです。私ども、地域から非常にさまざまな意見を反映して選ばれて国会を構成しておりまして、日常活動として非常に有権者の方々と接触をしております。とりわけ父母の意見は私どもに頻々と寄せられておりまして、できるならば今後第一次答申が出るまでの間に、私どもが願うならば何回か岡本会長においでをいただいて、審議経過総会での絞り込みとか第一次答申に向かっての経過とか、そうしたものをもう少しすり合わして、きょう全体で四時間ですが、各党それぞれ二十分とか三十分のような時間で、十分にまだお話を伺えないうらみもあるわけであります。そうした点は、私どもがそうした気持ちを持つならば臨教審としてそれに応ぜられる、そういうお考えはあるでしょうか。
  85. 岡本道雄

    岡本参考人 これは私、最前お答えしまして、できるだけ自由濶達に審議するために予見をなにしないようにということを申したわけでありますけれども、やはり国会の権利と申しますか調査権として命じたことでございますから、必要とお考えになるときは出てまいらなければならぬと思っておりますけれども、その点ひとつできるだけ自由に討議のできるように御高配をお願いしたい、そんなことを思っております。
  86. 池田克也

    ○池田(克)委員 もちろん自由な討議を私どもは妨げるものではございません。ただ、今申し上げたように、父母の意見とか本当に多数の国民の声というものの一つの集約が国会の場であると私たちは思っておりますし、日常そうしたものをここでいろいろ議論しております。したがって、ぜひ国会の意思というものを十分答申に反映させるような姿というものをお願いしたいと思っておるわけなんです。  先に話を進めますが、第一部会に割り当てられた課題として、地域社会についてのテーマがあるわけでございます。この地域社会については、長い長いテーマになっているようでありますが、「教育に関する学校、家庭及び地域社会並びに国・地方公共団体の役割」というような文言が「概要」には並んでおりますが、これについては「今後の審議をまつ」、こうなっておりまして、率直に申しまして、第一部会課題として自由化問題が非常に議論されましたので、こうした地域社会における家庭とか地方公共団体の役割等非常に重要な問題が、どちらかというと今回の時点までには余り議論されないで経過してきたというふうに思うわけでございます。  その一つのあらわれが第一部会のメンバーの構成でして、このメンバーの構成を拝見しておりますと、いわゆる教育現場の経験者が第一部会のメンバーにはだれもいらっしゃらないように私は思うわけでございます。全体のメンバーにはいらっしゃるわけでありますが、主に第三部会あるいは第四部会等にいらっしゃるわけでございまして、こうした基本的な教育方向をむしろ議論されている第一部会にそうした方がいらっしゃらない。そのあらわれの一つは、こうした地域社会地方公共団体の役割等についての議論もどっちかというと後回しにされたのではないかな、これは私の勘ぐりかもわかりませんけれども、現実に一番最初にこれを実情として分析しなければ、自由化と言っても画一化と言っても、十分な分析にならないのじゃないかなという気が私はするわけでありますが、第一部会のメンバーの構成になぜそうした教育現場の方がいらっしゃらなかったのか、あるいは四つの部会を見渡してみましても、全体に少ないものですから部会によってはそうした方がいらっしゃらない。むしろ教育行政の権威者とか大学先生とか、そうした大学先生教育現場ではないと私はあえて申しませんが、教育の基本となります一番の父母の関心事は初中教育や何かの問題だと私は思っておりますので、その辺の人選等につきましても、今日まで万全であったか、これから若干の手直しなども必要とするんじゃないか、そうしたお考えはないものかどうか、お伺いしたいわけでございます。
  87. 岡本道雄

    岡本参考人 第一部会の主な仕事としましては、今挙げていただきましたような項目でございますけれども、基本的には、最前からお話がございますように、理念的なものを優先させてということでございますので、ほかの二、三、四の部会よりも、それをリードするために先行するようにというようなことを私が申しまして、この「概要」にはああいう記述になっております。ただ、部会の中にもそういう専門家もおりますし、それから、委員を今各分科会に分配しておりますけれども、あれは必要に応じて自由にどこへでも行けることになっておりますし、ヒアリングと申しますか勉強というものは極めて広範にわたっておりまして、今地域社会の役割というもの、これも大事だということもその「概要」に書いてあるとおりでございまして、これにもヒアリングをやりましてそれについては十分本格的に取り組むというつもりでおりますので、もうしばらくお待ち願いたいと思っております。
  88. 池田克也

    ○池田(克)委員 そうしますと、このメンバーの組みかえ、そうしたこともだんだんと起きてくると考えてよろしいわけですね。ヒアリングという問題がしばしば今日までの臨教審あり方で出ました。私、教育現場や父母の声をということで、この場でも総理にも伺ったのですが、総理は、国家的、大局的な観点から議論できる方々をお集めして、そうした父母や教育現場の方々はむしろヒアリングで補えばいいじゃないか、こういう答弁だったわけなんです。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕 私もそれはわかる気がするのですが、ヒアリングというものは、言葉を媒介としまして、言葉はだれでもお互いに自由に討議できるのですが、なかなか言葉にならないいろいろな意思表示というものがあるわけでして、長い合宿とか審議のおつき合いとかそうしたことの中から、いろいろと教育現場というものがしみ通るように各委員の方々に理解されていく、これは私はなかなか重要な部分だろうと思うのです。したがって、私がこの席で申し上げたいのは、父母や教育現場の声を尊重するために、専門委員等にさらに新しい形で追加をされる、こうしたことはお考えになっていないだろうか。専門委員のメンバーは人数の枠としては決まっていないように私は承知をしておりますが、専門的な分野、いろいろあろうと思います。私は今日の方々がいけないと言うわけじゃありませんが、いかんせん父母や教育現場が少ないということを私は痛感しておりますので、これからの活動に当たって、そうした点をさらに補強していくということはお考えにならないものかどうか、お伺いをしたいと思います。
  89. 岡本道雄

    岡本参考人 専門委員の選任に当たりましては、まず、その専門に詳しいということ以外に広い見識を持った人であってほしいというような注文もつけてまいりました。それと余り人数をふやさない、そんな観点で選んでいただいたわけでございますが、その意味では、現場の方もそれぞれ入っておりますし、私たち自身できるだけ現場へは出かけるようにとか、それから最前のヒアリングというものもございますけれども、とにかく現場というものを重視して努めていこうというふうに思います。現在、専門委員を特にどうしてという気持ちは持っておりませんけれども、しかし、またよく審議いたしまして、事情に応じてはそういうことも考えられることもあるかもしれません。
  90. 池田克也

    ○池田(克)委員 私がなぜこういうことを申し上げたかと言いますと、最初のいわゆる正委員の人選のときに現場の方々が少ないということを岡本会長も意識していらっしゃって、報道によりますと、専門委員の人選で補おうとされたように私は見たわけです。いよいよ専門委員が具体的に発表になりました段階で、やはり同じような人数の状況で、これは本当に十分に現場の声が反映できないのではないかな、そういう心配を持ったからそう申し上げたわけで、今の補強するということも考えられるという御答弁を私は承って、最後質問になると思うのですが、次へ進んでいきたいと思うのです。  これも、石川先生もお帰りになりましたのでお伺いしたいのですが、これから答申されるさまざまな形の中で予算というものを算定するのかどうか。たしか石川先生は中教審にも御関係があったと記憶しておりますが、中教審の四六答申などを見ますと、非常に膨大な額でありますが、これにかかる予算というものがかなり細かく算定されているわけであります。これは、やがてそれが法案となり国会にもかかってくると思いますが、必ず出てくる問題は予算の問題なんです。今、国家財政は大変厳しい状況の中で、大蔵省はそうした新たなる歳出については大変厳しい査定をしておるように私は聞いておりますので、お金のかからない部分から進めるということもあろうかと思いますが、しかし、それであっては本当の教育改革はできないという認識がありまして、どちらの先生から御答弁いただいても結構ですが、臨教審の中で必要経費を算定するという方向あるいは部門、あるいはそれにかかわる専門的な人選、こうしたお考えがあるのかどうか、あるいはそれは全く別で方向性だけ決めるのだということなのか、その点をお伺いしたいのです。
  91. 石川忠雄

    石川参考人 非常に正直に申し上げまして、臨教審の中で予算を、どのくらいお金がかかるかということを決めるか決めないかということは決まっておりません。まだそれはお互いに議論したことはない。ただ、九月入学というような議論が出たときに、例えば私学に対してもしその授業料、学費の納入分を何とかするとすればそれは二千五百億円ぐらいかかるよとか、あるいはもし試補制度をやったら千二百億ぐらいでしょうかお金がかかるよというような、そういう話は出たことはある。ですけれども、まだ全体にわたってどういう改革をするかということがすべて決まったわけではありませんし、その議論をこれからするかしないかということはまだ何も決まっていない、それが正直なところでございます。
  92. 池田克也

    ○池田(克)委員 時間ですが、今の御意見について私の感想を申しますと、これがないと実際の改革にならないのじゃないか。当然国会にかかってくると思います、諸制度改革でございますから。先ほどの六年制高校にいたしましても、先生方の免許あるいは給与の変更、さまざまなことがこの中にも出てくるわけです。それは全部予算に絡んでくる問題でして、それがくっついてこない限りは、これは答申とは言えない、失礼ながら乱そういう感想を持つわけでして、これについての作業や検討を今後なさらないとうまくないのじゃないかな、この点は岡本会長からお伺いしたいのですが……。
  93. 岡本道雄

    岡本参考人 この点につきましては、今石川さんから正直な話ということでございましたが、私、部会に出ておりまして、その問題につきましての発言は、やはりそういうことも大事なんだから、最前背伸びしてと申しましたけれども、やはりこの結論を出す前には、どれくらいかかるのだろうというようなことについても大体のなには検討せんならぬだろうなというくらいなことでして、まだ「概要」の中に出るような予算になっておりません。  それから、最前のにちょっと余分に追加させていただきますと、専門委員の補足というようなことは、これは私が決めるなにでございませんので、この点は言葉の誤解があるといけませんからちょっと訂正しておきます。
  94. 池田克也

    ○池田(克)委員 終わります。
  95. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 滝沢幸助君。
  96. 滝沢幸助

    滝沢委員 私は、民社党の滝沢幸助でございます。  本日は、御多用のところ、岡本会長さん、石川代理さん、お見えいただきまして御苦労さまに存じます。  実は、民社党は、たびたびの党首会談等の機会におきまして、教育改革を断行すべし、それは臨教審のごとき手続を踏むべしということを主張いたしまして、それが実現したことに一応の評価をいたし、原則的にはこの手法を支持するものでございます。したがって、大きな成果を期待するものでございます。そういう立場に立ちまして、以下数項目のことをお尋ねさせていただきたいと思いまするけれども、御存じのように時間が極めて制約されております。私も結論だけを承るということにしますので、お答えの方も簡略、率直にお願いしたいと存じます。  初めにお伺いしたいことは、先ほどもいろいろと議論がございました、つまり臨教審発足をいたしまして今日まで皆さんの御苦労は、これは多々謝意を表するものでございますけれども、ややもすれば、はしゃぎ過ぎという言葉も随分とはやりましたけれども、いろいろの委員先生方がいろいろの場所におきましておっしゃること、お書きになること、それがややもすれば国民各層に不安感を与えたり混乱を招いたりすることもなしとしなかったのではないでしょうか。そのような意味で、私は、むしろ委員先生方国民各層の御意見をよく聞いて、これを吸収するということにもっと力点を置いてちょうだいした方がいいのではないか、今ほども議論のあったことでありますが、重ねてこのことを要望し、今後の運営の御方針を承りたい。簡略にお願いします。
  97. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、この問題はきょう再三御注意いただきましたので、過去二回にわたって審議会でも申しましたけれども、重ねて先生方の御意思をよく伝えて、自重いたしてまいります。
  98. 滝沢幸助

    滝沢委員 そこで、そのような御精神でどうぞひとつ大いに成果を上げてちょうだいしたいと思います。  関連しまして、その意見を聞く中で、特に、私は、教育のことでございますから、教育現場の教師意見、どのようなことで苦労されているのか、そのようなことをむしろ聞いていただきたい。あるいはまた、今ほどもお話がありましたが、父母、父兄の意見というものを特に吸収してちょうだいしたい。さらには、児童生徒、学生諸君の、今日この多難な時代に若き日を送る者の悩みも率直に聞いてちょうだいしたい。そのようなことを経て、どうかひとつ十分な成果をおさめてちょうだいしたいと思いますが、一つの手法について申し上げたわけです。簡単にお答えいただければありがたいと思います。
  99. 岡本道雄

    岡本参考人 教師、父母、それから生徒、学生でございますか、仰せのように、最前申しましたようにできるだけ努めて聞きたいと思っておりますが、生徒、学生についても、過日集まってもらいまして直接聞いたというふうなことで、今後も努力してまいります。
  100. 滝沢幸助

    滝沢委員 そのようにお願いしたい。  ただ、校長会等でお集まりいただくということになれば、これは極めて限られた方になりますから、私は、御苦労さまでも委員先生方が出向いて現場に訪れられてなさったらいかがなものか、こう思います。  ところで、先ほど森前文部大臣も見えておられましたけれども、この制度発足しまするときに、教育基本法の精神にのっとりとおっしゃっていただいたことであります。入口論、出口論というのもその当時言われたわけでありますが、諮問されるに当たりまして、公的、非公的とはかかわりなく、このようなことは議論してちょうだい、このようなことは議論しないでちょうだいというような希望が政府側から付されたものでしょうか、いかがなものでしょう。
  101. 岡本道雄

    岡本参考人 この審議会の成立の当初において、大きな枠として教育基本法の精神にのっとりということは強く意識しておりまして、その精神にのっとって今後審議をいたします。ただ、こういうことは審議するなというようなことは申しておりませんので、その点は自由濶達にと申しておりますけれども、各委員全部、やはり基本法の精神にのっとりという枠は絶対によく意識しておると思います。
  102. 滝沢幸助

    滝沢委員 いわば教育基本法にのっとり自由濶達に何事でもひとつおっしゃってちょうだいというふうな諮問であったと聞いておりますが、今のお話によりましてよくその点がわかりました。  そこで、そうならば、特に教育基本法の精神となっているところに私たちは多くの意味があろう、こう思っているわけです。予算委員会またこの委員会等におきましても、そこはいろいろと議論のあったとこうでありますが、例えば学校の小学校、中学校、高校、大学という刻み方の議論の中には、教育基本法に書いてある「九年」というのが議論の対象になるのではないかというようなこともございまして、そのときは、九年を下るのはいけないのだけれども九年以上はいいんだというような議論もございました。いずれにしましても、教育基本法の精神にのっとりであって、文言の一々の瑣末なことに触れるものではないという議論も展開されるわけです。  そこで、この教育基本法についてのいろいろな議論がございますが、実はこれについて論ずる立場によりますると、人間の立場というものは非常に強調されているけれども、国民という意識は強調されてない。ないしは、人類愛ということはその精神に十分に盛られているけれども、愛国というような部面は非常に少ない。ないしは、親子の関係や夫婦の関係というようなことについても具体性に欠けるということで、先ほども議論のあったところでありますが、これに具体的に手をつけないでこれら国民的要望に対してこたえるとするならば、国民憲章のようなものが必要ではないのか、そのような議論があったと承りまして、先ほどの議論も拝聴したことでありますが、重ねて、いわゆる教育基本法の補完的意味の憲章のごときものを議論されるか、考えられるか、ひとつ承りたいと思います。
  103. 岡本道雄

    岡本参考人 教育基本法のあの文言の中から、これは私自身の私見になりますけれども、平和的な国家、社会の形成者としてというところに、十分国を愛するということはあると思います。それからまた、親に対するというのも、心身ともに健全なということに関連しまして、私自身は医者でございますので、特にそういうものは親のことも、およそ文化の初めは親のことを思うというようなことだと思っております。それで、憲章につきましては、午前にお答えいたしましたのですけれども、そういう必要を述べる者もございましたが、特にそれをやるということにもなっておりませんが、今後検討も続けることがあるかと思います。そういう程度でございます。
  104. 滝沢幸助

    滝沢委員 承っておきます。  次に、基本的なことでお伺いしますが、いわば何事を議論してもよろしい、何でもおっしゃってちょうだいという趣旨の諮問であったとするならば、今日教育を取り巻く問題は多々ございます。予算のことございます。学校制度のこと、教師の素質のことございます。ございますが、最近数年間における教育議論の中で、教科書の検定制度をめぐる議論、これは家永裁判あり、またそれに相反するような立場から田中裁判というものが、双方から出ているわけです。その裁判の進みぐあいは先生方御存じのとおりでありますが、承るところによりますと、三年間の任期なんだけれども、ときどきに応じて必要なものは議論して中間の報告をちょうだいというような趣旨もあったと聞いております。この教科書の検定をめぐる議論は、極めて長きにわたり、また焦眉の問題と私は認識をしておりますが、このことが議論になりましたか。また、今後どのような作業日程でこれを議論されるお考えですか。承ります。
  105. 岡本道雄

    岡本参考人 義務教育内容に関連しまして、やはり教科書の問題も今後検討を加えるということが八十三ページに出ておりますように、今後その問題は十分検討してまいりたいというふうに思っております。
  106. 滝沢幸助

    滝沢委員 このことに検討を加えるとお答えいただきました。  それならば、会長先生個人のお考えにわたっても結構でございますが、いかなる時期に、いかなる方向によってこれが議論されるものでございましょう。承ります。
  107. 岡本道雄

    岡本参考人 義務教育教育内容というものは、設置にも関連しますけれども、自由化というわけにはいかないと私は思っておりますので、この点、現在、義務教育の教科書というようなものはやはり今後も検討されていくものだろう、そういうように思っております。
  108. 滝沢幸助

    滝沢委員 実は、会長先生も篤と御存じのことでございますが、今日、教科書をめぐる、特に検定のあり方をめぐる議論は、片や、極端に言えば、革新的見地に立ってこれを書くべきであるという学者もいらっしゃいます。しかし、片や、またこれは、特に私がいつも問題にしておりますのは、社会科の特に歴史の部門における記述でありますが、非常に我が国をいけない国、侵略の国と、いわゆる自虐的な表現が多過ぎる。将来性ある若き人々によき国民としての教育をするならば、日本の国はいい国だ、日本の国は決して世界に侵略だけをやってきたのではない、この立場をきちんとすべきであろうし、特にせんだっての委員会で私は、いわゆる侵略そして進出ないしは領土とするなどの記述のバランスの問題を議論させていただきましたけれども、会長先生は、このようなことについて、社会科、特に歴史の部門のあの記述についていかにお考えでありましょうか、参考までに承らせていただきたいと思います。
  109. 岡本道雄

    岡本参考人 今申しましたように、義務教育においては基準的なものが必要だと申しておるとおりでございますが、歴史などの記載につきまして、事実というものは大変尊敬すべきものでそれは大事なことだと思いますけれども、例えば一家でも、自分の祖先がこういう悪いことをしたということで大変子供が激励されるものかどうか、その点などは十分に考えていかなければならぬものだと思っております。ただ、事実というものは大変尊重すべきものである、そういうふうに考えております。
  110. 滝沢幸助

    滝沢委員 実はそのことにつきまして、私もたびたび取り上げさせていただきましたが、純粋学問としての歴史と教育としての歴史はおのずからそのとらえ方に差があるべきだ。学問としての歴史なれば、それは数々の学説に従ってよろしいけれども、教育の部門におきましては、先ほども申し上げましたが、日本の国のよき部分はこれを強調し、あしき部分はこれを隠せと言うのではありませんけれども、心ある取り扱いをすべきであるというふうに申し上げているわけであります。  ところで、今会長先生から今のようにおっしゃっていただいて心強くいたしておりますけれども、この臨教審において、一つには、速やかに取り上げていただきたいということを要望申し上げ、そして、もしもその結果、これは反省すべき部面があるという結論が出ましたならば、片や文部省におきましては、例の昭和五十七年十一月二十四日の中国との折衝の結果、検定基準に(15)という項目が加えられたことによりまして、いわば日本の戦争の事実についての分は、学者先生がお書きになったものはフリーパスで通さざるを得ないような事情になっておるのでございまするけれども、これらについて、いかなる手法をもって文部省にこれをおっしゃっていただけるのか、これをひとつ承らせていただきたいと思います。
  111. 岡本道雄

    岡本参考人 大変重要な問題でございますが、これは最前申しますとおり、部会というものは議論を深める場所でございますので、そういうところで慎重に議論いたしまして措置をしたい、そういうふうに思っております。
  112. 滝沢幸助

    滝沢委員 具体的におっしゃっていただけませんけれども、やむを得ないことかと思います。  そのことについて、このままでもちょっと物足りないと思いますので、速やかに議論をいただきたい。議論一つの点に達しましたならば、いかなる手続をもって文部省にこれをおっしゃっていただけるのか、この点について、幸いに御同席ちょうだいしております石川代理さんにも一言御教示いただければありがたいと思います。
  113. 石川忠雄

    石川参考人 教科書の検定問題というのは、今会長が言われましたように、まだこれから検討する項目でございます。これは決まったわけではございませんけれども、恐らくそんなに遠い将来にそれをやるということではないというふうに思いますが、それが臨教審意見として固まって、いつになるかちょっとはっきりしませんが第二次答申として出てくるということになれば、政府の方はそれなりの対応をなさるのではないか、これは想像いたしますので、そういうお答えでございます。
  114. 滝沢幸助

    滝沢委員 話は変わりまするけれども、私は、今日、日本社会が、総理大臣が戦後の総決算とかおっしゃっておりますが、いかなる部面をいかに決算するかとなれば、戦後平和国家を目指す、それはいいです。だけれども、経済再建を目指す、ここに経済大国、高度経済成長、これが、経済は豊か物は豊かになったけれど、一面からいうと心が貧しくなった、こう言われるゆえんだと思うのでございます。そのような意味考えますときに、心の貧しさとは何か。これは私は国語の問題に結びつけて考えざるを得ません。言葉、心、一緒のものでございます。  そこで、我が国には、御存じのごとく万葉の昔から、非常に美しい言葉、そしてたくさんの話彙、そして豊かな表現、美しい文章が満ち満ちておりましたのに、戦後、あの一連の国語改革によりまして日本の美しい国語は破壊されつつあります。破壊されたと言っても過言ではないでしょう。そこで、このように豊かな文字を千九百四十五字に制限をしてしまったり、非常に合理的にして美しい五十音図のあの仮名遣いの規則を、現代仮名遣いなどということでいわば破壊してしまいました。このようなことは非常に残念なことで、取り返しのつかないことになっていると私は思うのでありますけれども、このようなことについて議論をされているか、またはされる御用意がありますか、承ります。
  115. 岡本道雄

    岡本参考人 先生の、言葉は心であるというようなことにつきましては、私は専門的な立場から全く先生の御見識に賛成でございます。それからまた、国語というものがどれくらい我々の心を養うものであるかということも大変痛感いたしておりますので、その点十分注意してまいりますが、この問題はやはり今後の文明を論ずる際も十分出てくる問題でございますから、しっかり審議してまいりたいと思っております。
  116. 滝沢幸助

    滝沢委員 そこで、大変力強いお言葉をちょうだいしまして意を強うしたことでありますが、特に先生、文部省の方は、これは一つの目安である、強制はしないとおっしゃっているのだけれど、一方、法務省の方は、夫婦が孫のあるいはまた子供の名前を本当に一生懸命考えて、おじいちゃんの一字を借りたいというようなことにして市役所に行きましても、その文字はございませんということで受け付けが拒否される。いやしくも子供が生まれてくるときに、その一生の幸せを念じてその名をつけることは国民の権利と言ってもよろしいだろうと私は思うのです。その権利を自由に使わせることによって国家に非常な支障があるというならば別だけれども、難しい文字で名前をつけられて一生苦労するでしょうぐらいのことでこれを制限することはまことにけしからぬ。  そこで、私はせんだっての文教委員会では、いつ自民党は社会主義になったのだ、こう申し上げましたけれども、先生、このようなことについて、せっかくの機会でありますから、どうかひとつ御見識のほどを拝聴させていただきたいと思います。
  117. 岡本道雄

    岡本参考人 メインのフィールドが教育でございますけれども、すべてにおいて画一性を打破してまいろうというのが趣旨でございますので、今おっしゃっている問題に我々がどこまで関与できるかそれはわかりませんけれども、御趣旨はやはり大変大事な方向でないかと思ったりいたしております。きょうのところはこれくらいで……。
  118. 滝沢幸助

    滝沢委員 和気あいあいのうちに幾つかのことについて意見が一致しまして、まことに喜びにたえませんけれど、どうかひとつ先生方、御存じのとおり今日本の国はあらしの中に立っている。そして、二十一世紀か何か知りませんけれど、いわば国家存亡の課題を幾つか抱えている。それは財政問題でもありましょう、それは道徳問題でもありましょう、幾つかございますが、教育の抱えている非常な局面に対しまして、どうかひとつそれこそ自由濶達に深い御見識を披瀝していただきまして、よき結論を出して、教育をして誤りなからしめていただきまするように御要望申し上げて、私の質問を終わらせていただきます。  委員長ありがとう、先生方御苦労さまです。
  119. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 山原健二郎君。
  120. 山原健二郎

    ○山原委員 お二人の先生、遅くまで御苦労でございます。日本共産党の山原です。  最初に、一つ確認したいのですが、自由化という言葉については第一部会では使わないことになった、こういうことをおっしゃったのですが、これは臨教審そのものとしても自由化という言葉はもう使わないということなのでしょうか。
  121. 岡本道雄

    岡本参考人 自由化ということにつきましては、最前からるる述べておりますように、言葉内容に大変問題があるということで、第一部会ではそれを個性主義というように直したというようなこともございます。しかしまた、自由化そのものについて第一部会でその具体的な内容審議しておるわけでもございませんので、今後これを使わないというか、意味としてひとつ多様化していこうというような意味で、審議のときに出ることはあると思いますけれども、自由化というものをしっかり審議しますとなかなかこれには問題が多い言葉だから、できるだけ使わないということでございます。
  122. 山原健二郎

    ○山原委員 たしか新聞を見ますと、岡本会長が、一月六日ですか、第一次答申教育に関する国の規制緩和と教育の自由化を基調とするという言葉が出まして、あれからそう時間もたっておりませんが、この段階で自由化という言葉がだんだん薄れつつあるという感じがします。同時に、それが個性主義という言葉になってくるわけですが、自由化と個性主義というのは同義語なのか、それとも自由化という言葉はニュアンスとして耳ざわりが悪いからなのか、そういう点は論議をされておりますか。そこだけ聞きたいのです。
  123. 岡本道雄

    岡本参考人 これは第一部会におきまして審議をされたことでございますけれども、そのときに出ておりませんので、その意味で、今から申しますのは私見ではございますけれども、最前もお話がございましたように、自由化というのは、理念としての自由化か手段としての自由化かということがございまして、理念として自由というものを教育の中に入れたから何をしてもいいというわけにはいきませんので、そうすると何のための自由化だということになります。それが大事でございますが、何のためということになりますと、これにはいろいろな制限もございまして、その意味ではそう軽々にこれを使うことはできないもので、したがって、この自由化という言葉は、何のためにということになりますと、その何のための中にはいろいろな問題が含まれるわけですが、それをおのおのの人が自分の持っておる能力を伸び伸びと伸ばすことができるというような意味で使えば、これはまさに個性を生かすということであるので、自由化という言葉は最前申したようにそれくらいいろいろ問題があるが、ひとつ個性化でいこうというようなことになったというふうに私は理解しております。     〔白川委員長代理退席、委員長着席〕
  124. 山原健二郎

    ○山原委員 個性主義とか個性化ということもまた問題が出るわけですよね、そういう観点から見ますならば。教育の理念として自由という言葉があることは私は正しいことだと思っておりますが。  そこで、今回初めて公式記録として「経過概要」を見せていただいたわけですけれども、この中に、例えば第三部会におきましてこの自由化問題についていろいろ意見が出まして、第三部会審議経過概要部会案、これは自由化批判の部分があったわけですね。第三部会部会案の中には自由化批判があったのですが、これが消えているのはどういうことなんですか。
  125. 石川忠雄

    石川参考人 この問題につきましては、率直に申し上げて私も少し責任があるものですから……。そのとき削除をした方がいいのではないかというふうにサゼストしたのでありまして、これは決してそうしろと言ったわけではないのですけれども、そのときの私の気持ちをちょっと申し上げたらおわかりいただけるのではないか、そう思います。(山原委員「時間がありませんから、なるべく簡潔で結構です」と呼ぶ一はい。  あの審議は、一月二十五日に行われた審議をそのまま採録したものであります。したがって、当時自由化と言われているものについては、実は内容がいろいろありましてはっきりしなかった。第一部会が自由化の問題、個性主義とかそういったような問題を議論したのは二月の合宿でありますから、したがって、余り内容のはっきりしないものについて、いろいろな内容があるものについて議論をした。つまり目標がはっきり定まってないところで議論をしたわけですから、さまざまな理由が出てくるというようなことになります。したがって、今の段階では、そういう目標の定まらないところで議論をした理由を書くよりは、第三部会は自由化に対しては慎重であるべきであるという姿勢をそこに示せば、それで意図は通る。第一部会のやった二月の合宿の内容ははっきりしたわけでありますから、今度はそれについて議論するんならきちっと目標を決めて議論した方がいい、そんな気持ちだったのであります。それを受け入れられたのか受け入れられないのか、それはわかりませんけれども、第三部会の方々が御相談なすってその部分を削除するということを言われた、これが経緯でありまして、そのことは第三部会が自由化に賛成であるとか、そういうようなことでは決してない、そういうことでございます。
  126. 山原健二郎

    ○山原委員 私はまことにおかしいと思うのですよね。せっかく半年以上経過しまして、初めて公式の文書として「審議経過概要」が出されたわけですから、その中に自由化という言葉も強烈に出てきて、国民が毎日新聞を見れば「自由化」でしょう。それに対して第三部会は批判をした。当然、この中に出てきて初めて国民はこれに対して論議をすることができるわけですよね。それが一方で消えてしまう。こういうところに私は非常に問題があると思うのです。  時間の関係で先に進みますけれども、一方では、第一部会の集中審議の議事概要が出ておるわけでございます。この第一部会の議事概要には自由化論の中身が出ておりまして、中長期展望に立った発想として、学校をすべて法人化するという案も検討されるべきではないか、これが画一性の打破の決め手ではないかという主張がなされております。また、学校設立が自由になれば、例えば定年退職した優秀な先生学校をつくり、子供が集まるという可能性も出てくる。なぜ学校には必ず運動場やプールがなければいけないことをしなければならないのかということが出てくるわけですね。こういうふうに具体的に論じられますと、初めて今臨教審が問題にしてきました自由化論の中身が国民にわかるわけです。それを消してしまって、一体これは何を公式文書として出したのか。あなた方の中で恣意的に、これは誤解が生ずるから消す、これは取り上げるなどということで、国民論議の対象とするには余りにも不十分なものを出されたのではないかという感じを持っておるわけでございます。  このほか随分たくさんの議論がなされたわけですが、なぜそういうことが正確に盛られないのでしょうか。あなた方の考え方でこれを消すとか消さぬとかいうことをしていいものか。臨教審とはそれほど閉鎖的なものなのかという疑問が出てくるのは当然じゃないでしょうか。いかがですか、会長さん。
  127. 岡本道雄

    岡本参考人 「概要」の内容は各部会審議をそのままということでございますのですが、今石川さんからお話もございましたが、石川さんは決してそうせよとおっしゃったのではございませんので、そういうこともあるというような話でございます。そのときに第一部会審議をされまして、時間をとって、そしてここにございますように、第一部会としては具体的に、義務教育段階における学制、学校の設置、教育内容、教科書を含む学区制、教員資格等の自由化を図ることは慎重であるべきである、これで十分であるという結論を持っておいでになりましたので、我々としてはこれをもって「審議経過概要」の中に部会意見として取り上げたということでございます。
  128. 山原健二郎

    ○山原委員 あなた方の第一部会あるいは第三部会論議されたことは本当に教育の本質に関係しているのです。例えば、長期的に学校教育をすべて法人化するということになりますと、義務教育を含めての私学化でしょう。そういうことが論じられているわけですね。そういうことを国民は知りたいわけで、その中で国民判断していくあるいは国会が判断していくという材料として提供されるならまだしもですけれども、そういう重要な部門、しかもそれが新聞やその他で報道され、中には議事概要が既に新聞にも連載して出ているという状態の中でこれを見たら、私も公式文書としてこれを見て論じる場合に、一体何が臨教審論議されているのか、まことに不十分な「概要」だと言わざるを得ません。  それから、もう一つ教育基本法の問題について、この「概要」は、「条文改正の主張はほとんどなかった。ただ、教育基本法の精神がこれまでの教育に正しく生かされてきたとはいえない。」と記述いたしております。ところが、合宿議事概要には、臨教審では二十一世紀の教育についていろいろ論議し、その結果、教育基本法の改正が必要だとなったらその旨はっきり言うべきだ、それをどう扱うかは臨教審の問題でなく政府の問題であるとの主張が書かれております。これは臨教審論議の中におきまして教育基本法改正まで踏み込んだということが考えられるわけでございます。こういう重大な主張があるわけでしょう。ところが、「概要」にはこれは一切なくなっていますね。なぜそういうことをオープンにされないのですか。いかがでしょうか。
  129. 石川忠雄

    石川参考人 私が記憶しておりますところでは、第一部会でそういう学校の設立を完全に自由化せよというような主張は、あるいはあったかもしれません、それははっきりいたしませんが、私が合宿に出ていてそのときの部会長の総括では、公教育を存続するということについてはどなたも御異論はありませんねと念を押して、それでよろしいということになったのです。ですから、今読まれたところがどういうところに出ているのか私はよくわかりませんけれども、そういうことであります。  それから、教育基本法についても、教育基本法を改正すべきだという議論は私はどうもなかったような気がいたします。ただ、初めのうちにそういうような主張はあるいは多少あったのかもしれませんけれども、もう今日ではそういう主張は全くないと言ってもよろしいのではないか、そう考えます。
  130. 山原健二郎

    ○山原委員 これは合宿議事概要に出ているのですよ。今私が申し上げたことが出ているわけですね。  議事録はおとりになっていないのですか。全くあやふやですね。これでは論議のしようがないのですよ。議事録はどうなっているのですか。議事録はありますか。
  131. 岡本道雄

    岡本参考人 議事録はとっております。ですけれども、これは審議を公開しないということの趣旨と同列に、このものは公開しないということを審議会自体で決定しております。
  132. 山原健二郎

    ○山原委員 速記録をとっていますか。
  133. 岡本道雄

    岡本参考人 速記録というものではない、審議議事録というもので、速記録ではない。
  134. 山原健二郎

    ○山原委員 議事録はだれがとっているのですか。
  135. 岡本道雄

    岡本参考人 速記録、議事録、そうですねえ一速記録というものは速記者がおらないものですからとっておらないのですが、録音をしてそれをとるということなんですか、ちょっとその具体的なことについては……(山原委員「もう結構です」と呼ぶ)よろしゅうございますか。
  136. 山原健二郎

    ○山原委員 いや、私が申し上げておりますのは、例えば先ほどからの各党の議員の皆さん質問とどうもかみ合わないのです。だから、基礎になるものがないのです。やはり議事録をおとりになって——国の法律で決めた臨時教育審議会でしょう。そして、最近の動きから見るとむしろ国会の上にあるかのごとき存在にまでなっているわけですから、その議事録をとらないで教育を語るなんということ自体が会長さんとされまして不十分です。これはもう論議のしようがないわけでしょう。  それから、次に移りますが、この「概要」は教育基本法及び教育憲章について、「教育の目標を一律に論ずることは極めて困難であり、」「それぞれのレベルに即しつつ議論を深める必要がある」「今後とも「教育の目標」論議を深めていくこととした。」教育憲章、教育基本法の問題についてこれからも深めていく、こういうふうに出ております。  会長にお伺いしますが、あなたは教育基本法を踏み出す、踏み越えることをしないとここで断言できるでしょうか。あるいは教育憲章は提案しないということを断言できるでしょうか。
  137. 岡本道雄

    岡本参考人 自由濶達に議論をしてくれということでいろいろな議論はあり得るわけですけれども、今申されました、会長として、教育基本法を踏み出さないということにつきましては、これはもう引き受ける最初から申しておりますとおり断言できる、そういうふうに思います。  教育憲章に関しましては、最前から申しておりますとおり、そういう議論が出ましたけれども、これは審議会で、やると決定したわけでもございませんし、そういう議論があったというだけのことで、今後審議会を見守るということより仕方がありません。  それから、私は最前ちょっと間違って、第三部会と言うべきを第一部会と申したそうですが、これは訂正させていただきます。
  138. 山原健二郎

    ○山原委員 教育憲章はこれから論議される検討対象ということは先ほどおっしゃいましたけれども、検討の対象であれば、論議した結果つくり得る可能性もあるわけですね。その点、いかがでしょうか。
  139. 岡本道雄

    岡本参考人 繰り返し申しておりますように、そういう教育憲章の話があったけれども、それをつくれという方向にもなっておりません。しかし、いずれにしても、もしそういうものがあっても、これは教育基本法の精神を逸脱するものではないということで、やろうということが決まっておるわけではございません。
  140. 山原健二郎

    ○山原委員 そこのところが少しあいまいですけれども、教育基本法に文句がなければ憲章なんて要らぬわけでしょう。あるいは、教育基本法が不十分だからこれを補うという意味で憲章ができるとか、この教育基本法と関係なしに憲章なんというものはないわけで、だから、教育基本法を守るとおっしゃるならば教育憲章は不必要だと私は思っております。  それから、今のお答えでは、憲章をつくり得るということもまた言外に含まれておりますけれども、内閣総理大臣中曽根康弘氏は国会においてどういうふうにお答えになっているか、御承知でしょうか。
  141. 岡本道雄

    岡本参考人 内閣総理大臣がどういうふうにお答えになっているか存じませんのですけれども、私が今ここで答弁いたしておりますのは、「審議経過概要」に沿って、こういうことがあったということだけをお伝えしておりますので、今後やるともやらぬとも、そういうことを申しておるわけではございません。
  142. 山原健二郎

    ○山原委員 やるともやらぬとも言わないとおっしゃることは、やる可能性も何分があるということを認めるわけですね。内閣総理大臣が教育憲章をつくるつもりはありませんと国会で明確に答えております。首相の見解と違うこともあり得るというふうなお答えなのでしょうか、やらないということなのでしょうか、もう一回伺っておきます。
  143. 岡本道雄

    岡本参考人 存じませんでして、総理もそういうふうなお答えを出しておられるわけですが、これも今後審議経過にはよく——私はその点は、またもとへ返りますけれども、この「概要」は審議経過を率直にお伝えしてその説明をしておるというだけでございますので、それは私の見解、私見を言えということでございましょうか。これは聞いたらいかぬのだそうですね。失礼いたしました。
  144. 山原健二郎

    ○山原委員 そういうことを認識して審議を進めていただくように、余りここで会長自身をとっちめるつもりでやっているわけではないので。これははっきりさせておいていただきたいと思って今お伺いしたわけですが、総理の発言からいえば教育憲章はつくらないということが国会における正式答弁ですから、その点御認識賜りたいと思います。  それから、個性主義についてヒアリングの中でいろいろ意見が出ておりますね。例えば個性主義について九十一団体からヒアリングを行っておりますが、私は読んでみましたところ、個性主義あるいは自由化に賛成したところは、結局、全国私立幼稚園PTA連盟が自由競争導入について原則的に賛成だと言っておるだけなのですよ。あとは反対か、意見を述べないか無視しているかということでございまして、このヒアリングから考えてみますと、例えば、日本私立小学校連合会あるいは日本私立中学高等学校連合会、全国連合小学校長会なども、全部自由化あるいは個性主義に対しての疑問、批判というものを持っておられるわけです。それがなぜ、それだけのヒアリングをしておきながら、この個性主義教育改革の中心課題になるのか不思議に思うのですけれども、いかがでしょうか。
  145. 岡本道雄

    岡本参考人 ヒアリングといいますか、公聴会すべて周囲の意見を重んじておるということは今後も変わらないわけですが、画一性の排除という点については恐らく賛成があるのじゃないかと思っておりますが、私ちょっとその統計のこともよく存じませんので、今はっきりしたことは申し上げられません。
  146. 山原健二郎

    ○山原委員 むしろヒアリングの中で出てきておりますのは、先ほども予算の問題が出ましたけれども、一番国民が求めているのは、学級編制の縮小、四十人学級の実現、そういういわゆる条件整備ですね。学歴社会をなくすると言ったって、あるいは入試地獄をなくすると言ったって、今、国公私立間の大学格差をなくさなければそれはできないわけですよ。ヒアリングの中にそういうものについて本当に出ているのです。あなたがやられた公聴会のようなヒアリングの中にそういう要求がいっぱい出ているのですが、これは先ほど石川会長代理さんもおっしゃったようにほとんど論議されていない。ここが臨教審の最大の欠陥なんです。予算も語らない、今国民が求めている四十人学級、落ちこぼれをなくするために学級規模を縮小してくれという一番大事なことを論議しないで、何が教育改革か。私はこのことを言いたいのですよ。だから、行革臨調の枠の中でやっておられるのじゃないか。苦しい気持ちはわかりますけれども、国民が今一番求めている入試地獄をなくする、落ちこぼれをなくする、非行をなくする、そのためには学級規模を少のうしてくださいという要求にこたえることがなぜ論議されないのか。それはどうなんですか。
  147. 岡本道雄

    岡本参考人 四十人学級、さらにそれを三十五人とか、これはやはり世界的に見ても大変大事なことであるということは十分自覚しておりまして、私が第三部会に出て聞いておる限りでは、このことは大変よく論議されておりまして、やがてそれも答申の中にあらわれるときが来るというふうに私は想像しておる次第です。
  148. 山原健二郎

    ○山原委員 お聞きしましても、会長御自身でお答えになれない面もあると思いますけれども、先ほどからも出ておりました一番肝心なことは、基本が固まらないで——基本論議をやったらいいじゃないですか、本当にやられるならば。三年間任期があるわけでしょう。一年かかったって二年かかったって、二十一世紀に向かっての教育改革をやるというならば、国民的合意を得る改革の理念は何かということを論議すればいいのですよ。そういうものなしに、ぽかっと六年制中等学校なんというのが出てきて、そうして六年制中等学校ということになれば、法律も変えなければならぬし、それがますます受験競争を激化する可能性もありますし、また、エリートということでそこへ殺到する場合もありますし、そういうさまざまなことをお考えになった上で、その理念の上に立ってこれが出てきたというならわかりますけれども、理念はもやもやしてまるで固まらないままにぽかっとこういうものが出てくる、しかもその六年制中等学校についての入試の問題についてはまだ検討されていないということになってきますと、これは何のために泡食って第一次答申をお出しになろうとしているのか、国民は納得しないと思いますね。その点、本当にお聞きしたいのです。  それから、学歴社会は解消しつつあるなんて、とんでもないことでしょう。それと今おっしゃった画一化の問題。画一化があるから、だから個性主義だとか自由化だとか、こうおっしゃる。この画一化というのはだれが断定を下したのですか。画一化の原因は何かという正当な論議をされているのでしょうか。むしろ、その点では国会の方が論議していると私は思いますよ。画一化が生まれてきた原因はどこにあるか。これはいろいろ見解があると思います。それを本当にまとめて、その上にこの画一化が生まれてきた原因を排除するというならわかりますよ。画一化というのを頭に出しておいて、だから個性主義だとか、だから自由化だとかというこの基礎のところの定義の仕方に問題がある。これを徹底的に論議するなら私はわかりますけれども、初めから戦後教育画一化だと。文部省も文部省ですよ。四十年間戦後教育をやってきて画一化だと一遍に言われて、それに納得するような文部省に私は納得できませんね。どうして画一化が生まれてきたかということを本当に論議されておるのか、これをひとつお聞きしたい。  もう時間がございませんので、最後に、きょうお見えくださるについても随分時間がかかったわけでございますけれども、国会の方にも説明においでいただきたい、これは会長さんあるいは会長代理さんがお見えになるだけでなくて、部会長さんにも来てもらって危憚ない意見の交換をしたいと思うのですが、先ほどの佐藤誼委員からの質問に対して、何かその点あいまいでしたから、この点については、もしこの文教委員会が一致して御要請を申し上げましたときには出てきていただきたいと私は思いますが、そのお考えがあるかどうか、最後伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
  149. 岡本道雄

    岡本参考人 最前も申しましたように、調査権というものがございますし、この文教委員会が一致してどうしても出てこいとおっしゃったときに、それは拒むものは全くないわけですね。ただ、私はできるだけなには与えないと申しますか、そんなつもりでどこでも発言をできるだけ注意しておりますので、審議が濶達自由に行われるようにという点も考慮しておりますので、その点よく御考慮いただきまして、それでも来いということであれば、いつでも出てまいるというのは当然だと思っております。
  150. 山原健二郎

    ○山原委員 答弁は要りませんけれども、声を大きくしなければならぬのは、今まで何遍かおいでいただくことを要請していながら、なかなか出てこられない、今度は公式文書が出ましたから今までとは違うと思いますので、そういう点で、委員会要請申し上げたときにはぜひ出てきていただいて、忌憚のない御意見を承りたいと思います。その点を強く要請いたしまして、私の質問を終わります。
  151. 阿部文男

  152. 江田五月

    江田委員 社会民主連合の江田五月と申します。随分長時間御苦労さまですが、私に与えられております時間はまことに短うございますので、どうぞお許しを願いたいと思います。  臨時教育審議会設置法を国会で随分いろいろ議論をしまして、これは内閣委員会にかかっておったのですが、我々の文教委員会関係しておるものですから、議論に一部加えさせていただいたりして議論してきたわけです。どういうつもりで国会が臨教審というものを設置をしたか、どういうことを期待しているか、どういうことを危惧したかということは、これは委員皆さん会長さん、会長代理さんなどに伝わっておるのでしょうか。
  153. 岡本道雄

    岡本参考人 そのいきさつにつきましては事務局からもよく聞いておりますし、私自身は議事録も拝読いたしまして、その趣旨については十分納得して、承知しておると思っております。
  154. 江田五月

    江田委員 私どもの場合には、今教育が大変な事態になってきている、これで一体二十一世紀を担う国民が本当に育っていくのだろうかという危惧を感じ、しかし、この臨時教育審議会皆さん教育をどうするかということを全面的に白紙委任でゆだねてしまうということではなくて、ひとつ国民的に大いに議論をしていこうじゃないか、国民がみんなで議論をし、この際思い切って今のさまざまな問題について深い検討をして、メスを深く入れて、国民議論の大きな渦の中心にもし臨教審というものがあって、そして、その渦を起こしながら何時に議論の渦を集約していって一つ方向を見出していただけるというならば、それはそれで意味があると思います。いろいろ最初の法案を修正もし、こういうことでスタートをしていただこうということを了解をしておったわけです。今までの会長お答えあるいはこれまでの議論を伺っておりますと、自由化の問題にしても、賛否を含みながらかなり国民的に議論を起こした、騒然たる議論になってきたことはそれなりに私は評価をしております。これからますます議論を起こしながら、同時に、いろいろな議論を聞いていくという態度で審議をお進めいただきたいと思うのですが、その点はよろしいでしょうね、確認をしておきたいと思います。
  155. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、私どもは政府から、国民とともによく声を聞いて教育審議をせよということを委託されたと思っておりまして、その点、委託にこたえるように十分努力してまいりたいと思っております。
  156. 江田五月

    江田委員 きょうこの「審議経過概要(その2)」を発表してくださいまして、ここまでに至った御努力敬意を表するわけです。これは国民に対する今の教育についての重大な問題提起だと思うのですね。ここで問題提起をされたことについてこれからさらに一層国民的な議論を起こさなければならぬ、大いにそれを聞いていかなければならぬ、こういう過程が待っているわけですね。それなのに、なぜ第一次答申は六月というふうに、これから意見を起こしていき、そしてこれを聞いていく経過を限定されてしまうのでしょうか。
  157. 岡本道雄

    岡本参考人 予算というものに関係のあるものもあるということも最初は考えたりいたしまして、まず六月というようなことを考えておりましたが、仰せのように、これを出しました後は十分意見を聞かなければならぬということで公聴会も計画しておりますし、これからこの「概要」を各方面へ送りますときに、その上書きと申しますか、そういうものに忌憚のない御意見をいただきたいということを申して、これは二カ月でございますけれども、できるだけ真剣に審議して一次答申にしたい、そういうようなことを考えております。
  158. 江田五月

    江田委員 まあ政治が絡むとどうも小田原評定がありまして、第一次答申が六月というのも、その背景をあれやこれや取りざたされるわけですが、いやしくも一部の政治家の政治的思惑に迎合するような形で答申するということがあってはいけない。そういうことは決してないようにしていただかなければ困ると思うのです。  いろいろな意見を聞いていくというわけですが、公聴会なども大いに結構です。今回のこの「審議経過概要」でも随分たくさんの団体にヒアリングを行っていらっしゃいますが、それももちろん結構なんです。しかし、さまざまな団体、市町村長会や都道府県知事会や何とか学校長会や何とか会というようなものの意見を集約する過程で、実は少数意見といいますか、小さな声、小さな悲鳴、こういうものが随分落ちてきたのじゃないか、こういう形の意見の集約というのは実は壮大なる少数意見無視の体系じゃないかという気が、そう言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、するのです。今の日本教育というのは、表通りのところで見えない、裏通りの陰の方でしくしく泣いている子供たちの声にそっと優しく声をかけていくという姿勢がなければ救えないんだという気がして仕方がないのです。いろいろな小さな実験というのがいっぱいあるのです、小学校にも中学校にも幼稚園にも。したがってこれからは、国民の大きな声、大多数の声を聞くということもいいのですが、そうでなくて、そういう本当に小さな実験、小さな悲鳴を聞こうというお気持ちを持っていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  159. 岡本道雄

    岡本参考人 ヒアリングでああいう団体の声を聞いたりということにつきましては、やはり仰せのようなことがあると思いますので、そういう欠も補うために、直接いろいろなメディアを通じて手紙を下さいということを申しまして、そういうものを大変たくさんいただいております。それを尊重して、整理などいたして審議に生かすように努力はいたしております。
  160. 江田五月

    江田委員 具体的にそういうところを一つ一つ聞いていきたいところなんですが、時間がなくてそれができません。  ところで、いろいろな意見を聞くということの続きですが、臨教審に対抗するというか向こうを張るというか、そういう形で幾つかの審議の機関ができているのですね、臨教審に比べたらまことに力はないのかもしれませんが。教育改革研究委員会ですか、これは日教組の皆さんを中心におつくりになっている。教育問題研究会、都留重人先生を中心におつくりになっている。あるいは女性による民間教育審議会、これは俵萌子さんなどを中心におつくりになっている。臨教審の向こうを張ってつくられた機関だからというので、余り気持ちがよくないかもしらぬけれども、そこは意地を張らず、いろいろなところでいろいろな議論が起こっているので、臨教審という広い立場でこういう議論も吸収していこう、こういう皆さんからの意見も大いに参考にしていこうというお考えはありませんか。
  161. 岡本道雄

    岡本参考人 今おっしゃいましたようないろいろな教育関心を持った団体が審議にいそしんでおられることもよく存じておりますし、何かその後見解をおまとめになって提出していただいたりなにかすることもあると思っておりますが、特にその方たちとどうというようなことは考えておりません。大変多くの団体がございまして、今まででも慎重にその御意見を聞いてまいりましたので、やはりそういう方の声も尊重しながら聞きたい、そういうふうに思っております。
  162. 江田五月

    江田委員 いろいろな声を聞くもう一つのものは、やはり国会だと思うのです。先ほども池田委員が尋ねておられましたが、実は国会の中にいろいろな意見が集約をされておる。国会というのが果たしてどの程度機能するのかということについてはいろいろな議論がありますが、しかし、ここにいろいろな議論が集約されていることは間違いがないのです。  そこで、国会といいますと、教育の問題ですと文教委員会ですが、国政調査権があるからもし来いと言えば行きますということだけでなくて、ひとつ国会の衆参の文教委員といろいろ意見を交換してみよう、そのことを臨教審としては希望するというようなことになってしかるべきじゃないのかという気がするのですね。それも、こういう参考人質疑質問をし、片や答えるだけというのじゃない」——先ほども石川さんが何か発言されたいのにできないというようなことがあったり、岡本会長質問してはならぬのですかというようなことがあったりで、なかなか形式がややこしいですが。そういう形式を一度取り払って、臨教審皆さんと文教委員の我々とがお茶とお菓子でも食べながらざっくばらんに教育のいろいろな議論をしてみる、そういうことを臨教審としてはぜひお願いしたいという積極性があってしかるべきだ。教育についての議論を本当に国民的に起こしていって、そしてそれを吸い上げていく、聞いていきたいと思うならば、そんな意見が出ないのが不思議だという気がするのですが、いかがですか。
  163. 岡本道雄

    岡本参考人 きょうは大変有益な御意見を聞かせていただきまして、私としましてはいろいろ得るところがございましたので、本当に有益だったと思って感謝いたしておりますが、何分、私初めての経験でございますので——進んで出てこいというよりも、最前申しましたように、実際上は、文教委員会が結束して出ろとおっしゃれば、これはやむを得ないというのが本当のところでございます。これは、大変有益なお話がお聞きできたのですから、またいろいろな機会を計画されて、そういうときにひとつ出てこいというようなことであれば、またお話を聞かせていただきたい、そんなことを思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
  164. 江田五月

    江田委員 文教委員会が出てこいと言うならじゃなくて、臨教審の方に衆議院の文教委員会が出てこいぐらいのことを言っていただければ、喜んで出ていくと思うのです。  そのほか、例えば第一部会の要旨の中では「明治、大正、昭和の日本の追いつき型近代化は、成功のうちにその百余年の歴史的役割を終えた。」成功のうちにといったって、それでは、第二次大戦はどうなったのかとか、あるいは第一部会の合宿の中では、二十一世紀の日本人に必要な能力として相変わらず先頭に立つ能力とかなんとか、何か貿易摩擦をますます進めるような議論が依然として行われておって、議論をしていきたいことは山ほどあるのですが、もう時間になりましたので終わります。どうぞ我々の意見も大いに聞いてください。よろしくお願いします。
  165. 阿部文男

    阿部委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ当委員会に御出席をいただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表しまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る二十六日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時五分散会