○多賀谷
委員 随分問題が
指摘をされておるわけですが、この
坑内火災防止
対策委員会の
報告書もかなり詳細をきわめておるわけです。その中で
火災発生の防止、
火災の早期発見、初期消火、
火災拡大の防止、安全な退避、これらが言うならばほとんど網羅的に
問題点として
指摘をされております。
有明の
災害というのは極めて明白でして、残念ながら素人目にもよくわかるのです。まず、ローラーあるいはローラースタンドが腐食しておった。そしてそれがローラーと摩擦をして、そこで熱が出た。しかも、そこには粉炭あるいは落炭があったということを書いておる。それで、コンベヤーのキャリア台のローラーの角とローラースタンドとの間に異常摩擦があった。そこに粉炭といいますか、落炭が随分あった。それに着火したということです。ですから、これを見ると、部品が定期的に検査をされ交換されていたら
災害は起きなかったであろう。次に、部品の取りかえがなくても落炭を法規どおり掃除しておったら
事故は起こらなかったであろう。それから、掃除を怠っておったとしてもベルト当番がいたら、定時にこの測定をしておったらそういうこともなかったであろうし、
集中管理システムが完備しておったら、なかったであろう。第五としては、
保安管理システムにトラブルがあったとしても、水道施設が十分であれば
火災は起こらなかったであろう。今度の
南大夕張のときには吹き飛ばされた人々が
火災を消火しておるわけですから、私は勇気があったと思います。三池のときには、水の系統が河系統があったらこういうことは起こっていなかったであろうということが言われる。それから、退避命令が早かったらこういうようにはなっていなかったであろうということが言われる。それから、例のCOマスクがもう少し整備されておったらどうか。それから
坑内退避所、これがいわば退避所の役目をしていない。こういうところから、今度のこの
調査報告書では少なくとも長期に籠居のできるような施設でなければならないというようなことを言っておるわけです。そういう点も十分でなかったという、
指摘をするとこれは余りにも教訓の多い事件でありまして、私はこの
法律、規則あるいは指示の改正をぜひお願いいたしたい、こう思うわけであります。
そこで、時間もだんだんたちますから、最後に、戦後の
災害をずっと見てみますと、我々も残念だったという悔悟の念にさいなまれるわけでありますけれ
ども、随分いろいろな事件がありました。戦後最大の三池の
炭じん爆発、
昭和三十八年十一月九日、死亡者四百五十八名と、さらに多くの、千名近いCO患者を出したわけです。三十六年三月十六日に大辻
炭鉱の
坑内火災があった。このときは所長以下救護隊が全く無防備で
坑内へ入って、COで二次
災害を誘発したということからCOマスクを携帯する、あるいは
坑内にぜひ設置しなければならぬということになったのです。そのときに、中小
炭鉱にその危険が多いということで大きな
炭鉱は後回しということになりまして、三池は後回しになった。そこで、三池で起こったときにはCOマスクがなかったということですから、あのとき三年計画なんて言わないでなぜ早くできなかったのかというのが私は残念でたまりません。
ところが、今度の
坑内火災対策委員会でも五年間に長期的にというのがあるのですよ。それは、可燃性のものを
坑内から除去するという意味で金がかかるという意味もあるでしょうけれ
ども、長期計画でというのは、私の判断からすると、こういう
災害の起こったときには短期にだっとやらないと、ゆっくりやっているうちにまた同じ
災害が起こる、こういうことを私
どもは経験した者として非常に残念に思う。ですから、今までの役所の
考え方、
先生方の
考え方は、経営もなかなか困難だから長期にやらざるを得ない、それは短期にはできないよ、こういう頭でしょうけれ
ども、事
保安に関して言えば、やはり短期的に集中的に予算をつけて改善するところは改善するという
対策をやらないと、今までのようにゆっくりした、長期計画を立ててやるのだということは、むしろまた
災害を惹起するのではないかという感じが私はいたします。これはぜひ
対策が決められたら早くやってもらいたいと思うわけであります。
それから、ちょっと古いのですけれ
ども、茂尻
炭鉱が
昭和三十年の十一月一日、六十名死亡者があった。このときは
ガス爆発から
炭じん爆発に移って、跡
ガスのCOで亡くなった。ですから、いわば
罹災者は三通りあるわけです。殊にCOで亡くなった患者の場合は、私は非常に残念に思ったのは退避所です。今、三池の有明で問題になった。これは退避所がありまして、そして亡くなった方はそこに衣類を全部かけてCOの通るのを防ごうとした。そして地にはいつくばって、なるべく地上の空気を吸わないようにということで、穴を掘って口を地中につけておった。そうして、一人だけ助かった人は、五、六メートルのホースがそこへ転がっておった、そのホースをくわえておったために助かったのですよ。その間から清浄な空気が来ておった。そして、COはだあっと坑口に出ていってしまった。こういう人が一人だけ助かった。
ですから、三池の場合でもあの退避所が完備しておったらかなりの人が助かっておったのじゃないだろうかと思いますね。それを一体
保安監督官はどういうように——あれは見ればわかる。新聞によると炭車を入れておったというのです。そういう管理体制を一体どういうふうに見ておったのか。そういう注意もしたということを私は聞いておりません。ですから、非常に残念に考えるわけでありますけれ
ども、ベルトの
事故というのは三池では起こりがちなんです。
炭じん爆発が起こったけれ
ども、あれはベルトのところで起こったかどうか、いろいろ問題があるのですが、ベルトを多く使う三池のような場合には大きな注意点だ。ですから、三池自身が「
昭和五十八年度の
保安方針」の中に「ベルトコンベヤーの機械の摩擦による
火災防止
対策の必要性」というのを出している。そういうことも幹部だけが知っておって、組合員が知らない、あるいは労働者が知らないというところに問題があると思うのですよ。こういうものは全部に周知徹底させるべきではないか、こういうように考えるわけです。
そこで、
大臣にお聞きしたいのは、先般来
保安に対して外部からいろいろ意見が出ております。東大教授で資源
開発工学の外尾さんが、昨日ですか、
炭鉱保安は国の責任である。それから、社会党の福岡県本部の有明
対策総括
委員長の蓮尾信治郎君も昨年十月十六日に朝日新聞の「論壇」に投稿しておる。「
鉱山保安法の改善を望む」ということなんですね。それからやはり昨年十月十七日には、これは放送作家でありますけれ
ども、毛利恒之さんという方が、「
炭鉱事故は国にも監督責任」があるのじゃないか。そのほか真鍋毅さん、これは佐賀大学教授ですが、「十分予見できた有明鉱の
火災」というような投稿や批評が出ておる。
そこで、
保安だけを
国家管理という意見は
北海道には割合に強いのですよ。この前も、石炭に対して非常に造詣の深い、かつては佐賀大学、後には九州大学教授をされました野口雄一郎さん、この人は
石炭政策については「世界」という雑誌に随分書かれた。この人も、この間雑誌では「
保安は
国家管理でやれ」。どうも我々はなれ過ぎておるのか、
保安だけを
国家管理でやるというのはどういうようにやったらいいのかなということで、私もちょっとその意見には戸惑っておるのです。戸惑っておるのですが、これほど外部からは何をしているのだという意見が出ておる。ですから、
大臣は一体どういうように
保安管理体制をやろうとされておるのか。今までの発想を転換して、国もやるし労使も全部
保安について最重点に目を向ける。
事故が起こったら山はつぶれる、ほんのこの前の北炭新
夕張の
事故が閉山につながったわけですから。そのことが八次政策に
影響がある、我々はこう思っているのですよ。
そこで、
大臣、どういう御所見であるか、お聞かせ願いたい。