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中西(績)
委員 素直に表現したからこのようになったわけですよ。そのことを私は
指摘しているわけです。少なくとも今目指さなくてはならない、
先ほど大臣が言われたように、今まで果たしてきたけれども、それを一歩踏み越えてやらなければならない面があるとするならば、そのことがやはり主題になり、そして今まであった
問題点について入れなくちゃならぬという立場に立ったときには、それが付随的なものになってくるのが普通の表現なんです。こちらが主になっているのです。ここに私が
先ほどから言っておる、三年間も
外務省と
文部省がなかなか意見一致を見なかった――意見一致をしたと言っても、
外務省側がむしろ
文部省から説得されたような格好になっているのじゃないかと心配しているのですけれども、こういうような
考え方が依然としてそこには残っておるということを今
局長が言われましたように素直に表現しただけに、そこに率直に出ているということを
指摘しなくてはなりません。
次に、時間がもうありませんから、また次の
機会に時間をもらってもう一遍やりますけれども、「
家庭科の履修の取扱い等」というのがその後に出ています。この中で明らかになっておりますのは、今言うように、まず
高等学校の問題でありますけれども、
文部省から示された
資料の三ページになりますが、「現行の「
家庭一般」のほかに、例えば、」ということから始まりまして「衣・食・住及び保育などの
内容のいずれかに重点を置いたり、
家庭生活に必要な知識・技術に重点を置いたりした新しいタイプの
家庭に関する科目をいくつか設け、その組合せの中からいずれかの科目を選択必修させる
方法。なお、この場合はこここからですね。「当分の間、地域や
学校の実態に応じ他教科の科目での代替履修の余地を認めることも必要であろう。」そして、二番目に「
家庭一般」と他教科の科目を組合せ、その中からいずれかの科目を選択必修させる
方法。」この二つが示されております。その上で「
我が国の歴史や伝統を踏まえ、」ということから始まりまして、
先ほどのことを繰り返すように、「
教育課程編成に際しこのことを十分留意すべきである。」こういうようになっています。
この
中身を見ますと、両論併記であると同時に、「当分の間、」ということになりますと、
文部省の場合には当分の間というのは、今まで三十年を超えるようなことがたくさんあるわけですよ。ですから、ここに「当分の間、」ということを入れて、将来三十年も全然変わらなかったということになれば、これはもう全く従来どおりであるということを意味するのですね。ここを私はどういうふうに
理解すればいいかわからなくなってくるのです。いずれにいたしましても、この点、
家庭科教育というものの発想が非常に弱いと私は言わざるを得ないのですね。
家庭科教育の
重要性、こういう問題について私は今もう一度科学的に総合的に見直さなくてはならない、特にその時期に来ておるのに、こういう不備なものを平気で
報告書として出され、これを中心にして、今
大臣が言うようにこれから審議会で審議をしていくということになるわけであります。この点、「当分の間、」というのはどれくらいですか。