○渡部(一)
委員 きょうはそのくらいにしておきましょうか。
けれども、こうした問題について、私は、
日本の
安全保障という問題は本当に慎重に扱っていただかなければ困る。もう何が起こるかわからぬ。というのは
日本国内で
議論しただけではなくて、
アメリカにも響けばヨーロッパにも響けば中国にも響く。当たり前なことを、私はひとつ考え直すきっかけにしなければいけないのではないかと思いますし、大臣もその点は十分
配慮されるだろうと思います。
私はついでに申し上げておきますけれども、私の父親も戦死者の一人です。いろいろ靖国神社に祭られてうれしい人もある、けれどもうれしくない人もたくさんある、宗派を異にしていろいろな方々が
日本の戦死者におられるわけであります。その戦死者の中で立派な方もあったろうし、立派でない方もあったかもしれない。だけれども、戦死者を悼むのは
日本民族の心境だと私は思っております。しかし、
日本では一神社の形式で靖国神社に対する公式参拝が行われたことでもめておりますが、
アメリカではないのです。私は
アメリカへ参りましたときに、どうしてだろうという思いがよくしておりました。ところが、ハワイに行きまして、
アメリカの国立墓地に二つあるのですけれども、一つの墓地はハワイに置かれています。このハワイに置かれているパンチボールという名前の国立墓地は戦死者を全部祭っているのですけれども、この戦死者のところに最初は十字架が墓の一つ一つに並べられておった。ところが、戦争中仏教徒のある親が当時の国防
長官に手紙を出して、我々の子供はキリスト教の拝み方では浮かばれない、こうしたことは困ると抗議をした。それに対して、国防次官が
たちまちやってきて、十字架を引き抜いて、そしてならして、今墓石に当たるヘッドストーンのところに小さな仏教徒とか回教徒とかキリスト教徒とかマークがされているだけである。中央の像まで、キリストの像あるいはマリアの像はやめて、要するに総合的な像というものに切りかえられておる。何とその像は足にわらじを履いている。民族的な
配慮、宗教的な
配慮というものが行われておった。そこで、パンチボールのところにはいろいろな人々が宗教的な心配なくて全部集まることができた、こういういきさつがあるわけであります。
私は、
アメリカと
日本との当時のいろいろな論争とか戦闘の経緯とか、いろいろな批評のしようというものはあるかと思いますけれども、一つの戦争あるいは愛国心のいたすところとして、宗派の差を乗り越えるという慎重な
配慮、それから民族の差を乗り越えるという
配慮、そしてそれによる団結というものに
アメリカ合衆国はどんなに
配慮していたか、一つの典型的な例ではなかったかと私は思います。今度ハワイへ行かれたら現地を視察されるように私は要望したいと思います。それと同時に、靖国神社という形でなければならぬと言って押しつけることによって
日本国内における団結を破壊するということは余り適切な処置ではないのではないかと私は思っておるわけであります。
長官にひとつこうした面からも御
配慮をいただき、また中国人の心を傷つけたという面で気をつけなければなりませんのは、先ほど同僚議員の
質問に対して大臣は、東南
アジアの国々に対して
日本の
防衛政策が
侵略主義であるとか軍国主義であるとかそういった印象を与えないように十分に
配慮すると言っておられました。まさにいろいろな
配慮の行き届いた
施策をやっておられる御様子で、私はその答弁を聞いては安心した一人でありますけれども、その
配慮が、中国との
関係でこうした問題がこじれますと東南
アジアの方は全部一遍にだめになってしまうというのが従来の経緯であります。私はその
意味でこうした問題について特段の慎重な御
配慮をもう一回望みたいと思いますが、いかがでございますか。
〔
委員長退席、三原
委員長代理着席〕