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1984-04-19 第101回国会 参議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月十九日(木曜日)    午前十時開会     —————————————    委員異動  四月十八日     辞任         補欠選任      佐藤 昭夫君     吉川 春子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         長谷川 信君     理 事                 杉山 令肇君                 田沢 智治君                 久保  亘君                 吉川 春子君     委 員                 大島 友治君                 藏内 修治君                 山東 昭子君                 世耕 政隆君                 仲川 幸男君                 林 健太郎君                 柳川 覺治君                 粕谷 照美君                 中村  哲君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 小西 博行君                 美濃部亮吉君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君    政府委員        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房審        議官       齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省大学局長  宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省管理局長  阿部 充夫君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    説明員        法務省人権擁護        局総務課長    堤  守生君        労働省婦人少年        局婦人課長    川橋 幸子君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文教行政基本施策に関する件)     —————————————
  2. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い、現在理事一名が欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により委員長に指名を御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事吉川春子君を指名いたします。     —————————————
  4. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 教育文化及び学術に関する調査のうち、文教行政基本施策に関する件を議題といたします。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 久保亘

    久保亘君 私は、最初に大学急増対策といいますか、六十一年から六十七年のピークに至るまで十八歳人口急増してまいりますこのことに対して、大学教育計画ですね。これを文部省としてどのようにお考えになっているか、そのまず基本的な立場をお聞かせいただきたいと思います。
  6. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御案内のとおり、六十一年度以降のいわゆる十八歳人口急増昭和七十五年度程度には、それがさらに急減をしていくというようなことに対応いたしまして、六十一年度以降の高等教育計画的整備ということにつきまして、大学設置審議会大学設置計画分科会で従来検討を進めてまいってきておるわけでございます。そして、昨年十月にその中間報告取りまとめられておりまして、その中間報告を一応公表いたしまして、各方面の御意見を伺ったところでございます。基本的な考え方は、六十一年度以降の十八歳人口急増急減状況対応いたしまして、ピークに達します昭和六十七年度までの間に、全体として約八万六千人程度定員増を図る。ただし、ただいま申しましたように、昭和七十五年度には十八歳人口がさらに減ってまいるという状況をも踏まえまして、約八万六千人程度のうち、約四万四千人程度につきましては、期間を限った定員という考え方対応することが適当ではないかということが、この中間報告で述べられているわけでございます。この点につきましては、考え方の基礎といたしましては、大学進学率が現在程度のものという前提に立った上で、そういう入学定員増を図るという考え方をとっておりまして、各方面の御意見を伺って、この設置計画分科会専門委員会におきまして、現在取りまとめをしておるところでございまして、六十一年度以降の大学の新増設対応するためには、私どもとしては、大体六月じゅうには、その取りまとめお願いをいたしたいということで、鋭意ただいま作業を詰めておる段階でございます。
  7. 久保亘

    久保亘君 その場合の基本的な考え方というのは、現在の大学進学率を六十七年度ピーク時においても傘として維持すると、こういうことなんですね。
  8. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 基本的にはそういう考え方に立っております。
  9. 久保亘

    久保亘君 それでは、何ですか、六十七年度において、一番ピーク時に大学募集定員といいますか、入学定員国立の場合に幾ら、私立大学の場合に幾らふやせばよいのですか。
  10. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先ほど申しましたように全体として約八万六千人程度定員増考える、そのうちで期間を限ったものが約四万四千人程度ということでございまして、国公私別の、設置者別定員増をどう考えるかということについては、その報告では必ずしも明確には述べられていないわけでございます。ただ、昨年末に各大学等団体から具体的に意見聴取もしたわけでございますけれども、その際にもその点がいろいろ御意見として言われておりまして、ただいまのところ、考え方としては、国公私立別対応としては、おおむね現状程度の割り振りで考えたらどうであろうかということが専門委員会の内部でも議論としては検討されているところでございます。
  11. 久保亘

    久保亘君 あなたの方から各国立大学国立短期大学にお出しになりましたことし一月十二日の文書によれば、「国立大学における臨時増募は、」 「計画期間中約八千百人(年平均約千二百人でその初期に傾斜を図る。)」、こうなっておりますね。そうすると、計画期間中に約八千百人というのは、毎年八千百人ということですか。これどういう意味ですか。
  12. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) おおよそ八千百人と申しますのは、現在の国公私別のシェアで考えますと、臨時増募の数が約四万四千でございますが、ほぼそれの二割に対応する数字としておおよそ全体として計画期間中に八千百人ということでございまして、つまり、六十一年から七年までの七年間におよそ八千百人を国立大学期間を限った臨時定員増として対応をしてはどうかという考え方でございます。
  13. 久保亘

    久保亘君 そうすると、二つお聞きしますが、八万六千人のうち四万四千人が臨時措置による増募である、そのうち国立大学が受け持つ分は八千百人、そうすればあとの三万六千人近くは私立大学に受け持たせるということなのかどうか。  それからも一つは、臨時的な時限的な増員の四万四千人以外のあとの四万二千人というのは、そうすると、これは恒久的な増員措置として施設設備等を伴って措置されるものなんですか。
  14. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 先生、御指摘の点は、おおむねそのように考えております。
  15. 久保亘

    久保亘君 そうすると、大学設置審議会大学設置計画分科会中間報告によれば、私学定員超過現状程度を上限として守っていくという方針になっております。そうすると、私学学生定員というものをどういうふうにして三万六千−七年間に分けましても年間五千人以上です。そういう増員がどういう措置によって可能なのか。私学増設されるのか、増学部になるのか。それからまた恒久的措置の四万二千人の方も、その配分に、従えば私立大学が受け持つ部分が極めて大きくなってくるわけですが、そういうことは私学の側とは話がうまくまとまっているんですか。
  16. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御指摘の点は、私立大学例相当の今後の大学整備についてお願いをする点が出てくるわけでございまして、ただ、従来からも、もちろんそうでございますけれども、五十一年度以降、前期計画、さらに後期計画ということで、高等教育計画的整備ということで対応してきておるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、私立大学があるいは大学の新設なり、あるいは学部増設、さらに既存の学部定員増というようなことを行います際は、いずれにいたしましても、現在の制度に従いまして、それぞれ文部大臣認可申請を出して対応するわけでございます。  過去の五十一年度以降の整備に当たりましても、順次、そういうことで、従来から入学定員増ということが図られてきておりまして、従来の例で申しますと、五十一年度以降の入学定員の増は、いわば私立大学の過去の定員超過と申しますか、それの改善のために相当努力をされた。つまり実際上は、いわゆる定員超過して入れております実員を定員化をするというような形で対応してきたわけでございますが、今回の計画を策定するに当たりましても、これから十八歳人口がふえていく時期に、現在の私学入学定員超過状況というものについては、おおむね現状程度を維持するということにいたしまして、これをより条件を悪くするというようなことは考えていないわけでございます。  ただ、現状程度入学定員超過というものは、一応その程度を維持をいたしまして、さらに六十七年度以降、十八歳人口が減る時期には、入学定員超過率改善をしていくということで、現在、想定しております数字で申し上げますと、昭和七十五年度には定員超過率をおおむね一・一倍程度というところまで改善をしていくというような考え方に立って対応をしているわけでございます。  いずれにいたしましても、この定員の増につきまして、あるいは大学新設なり学部増設、あるいは入学定員の増につきましては、それぞれ所定の手続に従いまして認可申請が出されるわけでございまして、それを受けて対応することになるわけでございます。したがって、私立大学に期待をしている数字ではございますが、これらの数字が、この計画どおりに出てくるかどうかということは、これからのそれぞれの私学対応の仕方次第でございまして、私どもとしては、これを一つの目安の数字として持っておるわけでございますけれども、このことについて、私学側から、そういう了解があって行われているかというお尋ねでございますれば、それは個々具体に今後の私学申請を待って対応することになるということでございます。
  17. 久保亘

    久保亘君 もう六十一年に始まる急増対応するには非常に取り組みが遅いような気がするんです。そして、何か私学との関係においても、高等学校急増期に入るときだって、各県の教育委員会はかなり前から準備をしまして、そして私学と公立の生徒を分担する配分率を決めたり、そのために必要な施設をしたり、学校をふやしたり、いろんなことをやっていったんです。大学の場合には、非常に泥縄的なことになってきているんじゃないでしょうか。そして、相手はもう大人だから、ひとつこの期間は辛抱してもらって、詰め込みマイク教育でやるかというようなことになりやしませんか。そして、そういうことが、それこそ教育を受ける学生の側からすると、一生に一回ですからね。また今度は定員が減ったころもう一遍入るという問題じゃないんです。  それで、大学教育にふさわしい十分な教育を受けられないような詰め込み教育をやらしたり、あるいは実験、実習の施設設備も十分対応できないような状態ということではいかぬのではないでしょうか。だから、基本大学進学率を現在の進学率から下げない、こういうことをきちんとしたならば、その下げないという方針に従って、一体私学がどれだけ分担できるのか、国立がどれだけ責任を持たなければいかぬのか、そういうことを明確にして、それに対応する準備を急がなければいかぬのでしょうが、ここ文部大臣、どうお考えですか。
  18. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 久保さんの御指摘やまた今御心配は、私どもに対する注意を喚起するという意味お話をいただきましたが、すべてそのとおりだと思うんです。  この問題は、長くなって恐縮でございますが、私も党におりまして部会長をやっておりましたときから、既にこのことについては早くから役所の方でも対応するようにということで指示もいたしておりまして、決して泥縄的に少し遅きに失しているのではないかということには当たらないのでありまして、かなり早くから文部省取り組みをいたしておりますが、いろいろ今議論に出ましたように、それぞれ御専門検討機関を設けて検討をずっと続けておるところであります。  ただ基本的に、久保さんもおわかりですが、大変難しいのは、まず経済情勢が大体今のような状況で推移するであろうかということが、まず一つですね。そこが進学率との絡みが出てきます。  それからもう一つは、今お話がございましたように、国公立私学との負担はどの程度になるだろうか、これもいろんな議論の出るところでありまして、私学に余りにも負担をかけないで、本来は国でやるべきではないか、公でもう少しそれは処理すべきではないかという考え方から見れば、まあ七、三ぐらいにしたらどうかというような意見もいろいろ出てくるわけでございますが、財政の状況考えてみましたり、あるいは定員をある程度、こういう状況の中で大学学部をつくる、あるいは新設大学をつくるということは、今の臨調の指摘行政改革のこうした現状から見て非常に難しいのではないか。これは政治責任論は別でございますが、難しいという考え方から、おおむねこれも今ある八対二ということで推移させることがいいだろう、こういう考え方基本的にまずしておるわけです。  ところが、それを今度は、じゃあ私学にも国公立にも、ある程度定員をふやしていくということになりますが、基本的には、これは与野党を通じ て、地方にもう少し大学を分散すべきではないかという意見があるわけですね。そして、それぞれ先生方も御承知のように、北海道から沖縄もそうでしょうが、九州に至るまで、大学をつくれ、大学をつくれという要望が非常にきております。これは、こういうピーク時なんというようなことを頭に置いたことではなくて、高度経済成長一つの後始末的な考え方から、工場誘致に用意しておった土地が余った、人が来ない、何とか産業振興しなきゃならぬ。そこで大学をという、こういう非常に短絡的な希望意見もあるわけですね。でき得る限りそういう形で配分も、四十八都道府県を少しウエートを地方に置きながら、大体この程度の人間でふやしていこう、学生数許容量をふやしていこうという数字は、これはかって中間報告で出したんです。それを出しても、かなりの批判が出るわけですね。これは与野党を通じて出るわけです。何だと、また大都市中心じゃないかと、こういうことになりますが、できるだけ負担をかけないで、将来また急減していくわけですから、急減のところを国が全部責任を持って引き取るということはできないわけでございますので、ある程度都会のキャパシティーの能力のあるところに若干は数をふやしていかなきゃならぬ。ふえる率は圧倒的に地方を多くしておるわけでありますが、現実の問題としての、現実数字にパーセンテージを上乗せいたしますと、数量の絶対数は大都会中心になる。これについては非常に各党からも御批判が出ているところであって、いわゆる大学地方に分散するという計画とは違うじゃないか、こういう御指摘も出ます。しからば、地方にできるだけ誘導するような措置をいたしますが、これもまた先生方一番おわかりのとおり、果たして大学高等学校生徒が行ってくれるんだろうか。徳島大学にこれだけキャパシティーふえました−徳島という名前出してちょっとまずいかもしれませんが、世耕先生いらっしゃいますから、近畿大学に五百名負担させますよと言えば、これは行く人が出てくるかもしれません、大阪ですから。しかし、変な話ですが、私の石川県に、金沢ならそう嫌がらぬとは思いますが、仮に千名分ふやしますよと言ったって行ってくれなきゃそれまでの話で、これを国が強制命令したり、高等学校が強制的にあっちに行け、こっちに行けとできないところにこの計画の立て方に非常にむずかしいところがある。もう少し、これはおしかりいただくかもしれませんが、私の私的な発言としてお認めをいただきたいんですが、そもそも大学に受けることを全部国が責任を、もって引き受けなきゃならぬのかという、こういう議論も出てくるわけで、やはりこれは試験によって、能力に応じて受けてもらわなきゃならぬ。しかし、社会問題になることはある程度予測しておかなきゃならない。受験地獄ということが再来する。そのことについての対応は国がしなきゃならぬ。政治責任としてしなきゃならぬ。こういういろんな要素を含んだ大変むずかしい問題でございまして、要は高等学校生徒がどういう考え方をしてくれるかということにかかってくるわけでありますが、そういうことをある程度予測しながら、いろいろな受け入れ体制をつくっておかなきゃならぬというところに今、確かに久保先生からおしかりのとおり、遅いんではないかと言われるのは当然でございますが、文部省としても、随分早くからこのことに取り組んでおったことは間違いございませんが、今、そういう意味で、まずまず国立大学として、もしやり得るならやってくださいというんじゃなくて、やれるならおたくの現有のキャンパスの中でどの程度受け入れが可能でございますか。国としては、今申し上げておったような議論数字ではありますけれども、各大学でやるとするならどの程度受け入れができるでしょうかということを、今まず照会をいたしております。これが、あたかもそれだけ引き受けてくれよと言われたように受け取られている面もございまして、先般、衆議院の文教委員会でも少しおしかりをいただいたところでございますが、まだそういうことではなくて、まずリサーチをしていく。そして、今度は私学関係の皆さんにもお話をさしていただかなきゃならぬ。ある程度東京中心の方々は喜んで定員増をやりたい、学部学科増をやりたいと、こういうふうにおっしゃることは大体予想できるわけですけれども、それを安易に認めてしまいますと、全体的に文教関係先生方は、これはもう与野党を通じてお話しくださっておりますが、もう少し地方に誘導すべきであるという考え方と少しまた違ってくるという面が出てくるわけでございまして、そういう面で非常に正直に申し上げて四苦八苦しながら計画を進めておるところでございますが、今、中間答申が出ましたので、この中間答申数字一つの基準といいましょうか、バロメーターといたしまして、今後は各大学国立大学にどの程度可能性があるかということをまず今調査をいたし、なおかつ、それを少し地方全体にどのように向けていくか、こういうことをこれから精力的に急いでまいります。確かに、今までの時点では、先生から御心配のように、少し遅いんではないかという、そういうお話でございますが、かなり早くから対応いたしておりまして、国立大学協会、あるいはまた私学関係団体もこの時点のことを踏まえながら、いろんな意味考え方検討していてくれているようでございますので、間違いのないように、そして先生から今御注意いただきましたことに対しても、十分泥縄式にならないように、そしてできる限りこの時期には多くの生徒高等学校から大学に進学することについての、そういう混乱した状況をつくらないように、文部省として十分真剣に取り組んでいきたい、こういうふうに考えております。  大変長くなりましたけれども、非常にむずかしい問題が幾つかございますので、先生、十分御承知でございますが、あえて問題点として指摘もさしていただいたわけでございます。
  19. 久保亘

    久保亘君 国立大学学部学科別募集定員というのは、これは設置法の定めるところになりますか。
  20. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 基本的には予算で固まるわけでございますが、それぞれの学則で定員を決めておるわけでございます。したがって、入学定員そのもの設置法の規定上出てくるわけではございません。
  21. 久保亘

    久保亘君 ただ、そういう定員に見合ういろいろな施設設備の拡充とか、そういうものに対して、今のいわゆる行政改革というのが大変な壁になっている中では、非常に文部省としても苦労されるところだと思うんです。私もよくそれはわかるんです。ただ、あなたの方から出されております文書によれば、施設設備臨時増募の分に対しては面倒見ない。それから定員についてもほとんど面倒見れぬようなふうになっておるんですね。それで、その他の学生当たりの諸経費については経費を節約しろと、それで節約していって、そういうものの中から捻出して増募をやるところに臨時的な措置をやりたいと、こういうような意味で受けとめられるんですが、それで今大学の側はどういうふうに考えているかというと、これは増員計画を目いっぱい文部省に返事をしないと、現在の大学経費よりも減額になるぞと。総枠をそのままにしておいて、それでそこから節約する分を節約して、つまり相互扶助的なやり方でふやしたところに足してやるというような意味にとれるものだから、このことに対して非常に各大学の側では心痛のところですね。だから、人数もできるだけ余計出そうというので、大学によっては正規の定員の一割以上も増員できますという回答を寄せたところもあるはずです。すでに、もう文部省には全部集まっているはずですが、大体、今文部省に寄せられた国立大学臨時増募が可能だとしている数はどれぐらいになりますか。
  22. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 御指摘の今回の調査は六十年、正確には六十一年度以降の対応でございますが、やはり事前現有施設がどのくらいあるか、それはどのように活用できるかというようなことについて、各大学としてはどんな意向を持っているかということを、いわば各大学側意向調査をして、今後の概算要求に当たってどういう 対応をしなければならないかということを知るための調査としてお願いをしているわけでございます。確かに御指摘のように、現有施設の工夫、改善というようなことも積極的に、これはぜひ取り組んでいただかなければならないということは、もちろん私どもとしても大学にはお願いしたいところでございますが、ただし、現在の施設でこういうことができないというような困難な点も大学側から御指摘をいただければ、それらに対応して、こちらとしてどういう施策を打ち出していくかということについて考えをまとめていくための、いわば事前調査という形でお願いをしているわけでございます。具体的には、例えば教官組織につきましては、例えば非常勤講師というようなこともやはり必要ではないかとは考えておるわけでございます。各大学から出されております数字はおおむね八千名程度数字が出されております。御指摘のように、中には、それぞれの大学取り組み方によりまして、ばらつきもあるわけでございまして、それらの点は、今後各大学側と、全体の姿としてバランスをとるということも必要でございますし、個別に今後対応していかなければならぬわけでございますが、現在のいただいている状況は、ただいま御説明申し上げたようなとおりでございます。
  23. 久保亘

    久保亘君 八千名の増員が可能だというのが大学側調査結果で出てきているということなんですが、これは気をつけて見なけりゃならぬのは、この調査に当たって医学部はふやすなと、それから歯学部もふやすな、初等中等教員養成学部もふやすな、船舶職員に関する学部もふやすな、こういうことで制限がついております。これらの学部大学を全部控除しますと、あと学部大学で八千名というのは、これは現在の施設設備、教官定員でいくなら、相当な頑張った数字を出しておられると思うんですよ。だから、そこのところには大学側も非常に苦労しているところあるんで、それだから次の欄には、こういうことをやってもらいたい、これ以上ふやすなら、これが必要だというのが書いてありますね。だから、そういうものについてどれだけ対応できるのか。少なくとも、急増だから、詰め込みで何とかこの七年間通り抜ければ文部省責任終わりということにならないようにやってもらいたいと思う。この問題はまた改めて少しあなたの方の計画が詰まってきたところでいろいろ聞かしていただきたいと思っております。  次は、教育改革について文部大臣にお尋ねいたしますが、文部省に置かれておりました教育改革推進本部というのがございましたですね。あったんじゃないですか。それで、それはもう解散したわけですか。
  24. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 四十六年答申がございまして、その四十六年の答申の趣旨を体して教育改革を推進すべく省内に教育改革推進本部を設置をいたしまして、その後、具体の施策を推進していくために初等中等教育局の中に教育研究開発室を設けまして、先導的試行の前段階としての研究、調査を実施してまいったわけでございます。この組織につきましては、現在、高等教育課の中に企画官を設けまして、その事務を引き続き実施しておるというのが実態でございます。
  25. 久保亘

    久保亘君 何か、まあ新聞等を見ておりますと、この教育改革推進本部の看板が文部省にはかかっておったんだそうですが、これが外されたそうですね。そして、その後にまだつくられてもいない臨教審の準備室とかなんとかいう看板が上がったと聞いておりますが、文部省も大変気の早いことだと感心いたしております。  それで、この教育改革推進本部というのは、今のお話を聞いておりますと、中教審の四六答申を根拠にして設置されておったものなんでしょうか。
  26. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 御指摘のとおり、四十六年答申の実施の問題でございます。
  27. 久保亘

    久保亘君 そうすると、それが今、何ですか、高等教育課の中にあるんだって、それを解散していないんだという話でしたね。そうすれば、その中教審の四六答申に基づく教育改革推進本部というのは、これはこれで残しておいて、そして今度はまた臨教審がつくられると、こういう段取りになりますか。
  28. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 文部省の中に設けられております教育改革推進本部は教育改革の推進の体制の問題でございます。今回、御審議をお願いしておりますのは審議会の設置の問題でございますので、その関係は別の次元の問題でございます。
  29. 久保亘

    久保亘君 何ですか、教育改革を推進する本部はございますと、それで、今度つくるのは教育改革を考える審議機関でございますと言ったら何をやるんですか、推進本部というのは。教育改革というのは、二つあるんですか、文部省には。教育改革というものの考えが二つあるんですか。その審議会が考え教育改革と、それから文部省が持っている教育改革と二つあるんですか。
  30. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 四十六年の答申に基づきまして、四十六年に指摘されました事項の実施方につきまして文部省教育改革推進本部を設置し、省内の施策の連絡調整を行ってきたわけでございます。  この作業につきましては、現在も四六答申に基づく施策の実施についての問題等のこともございますので、機構として残されておる、内部の組織として残されておるわけでございます。今回お願いをいたしますのは、四十六年答申で取り上げました幼児期から高等教育までの教育改革、あるいはそれに基づきます拡充整備のための施策以外に、さらに範囲を広げまして、いわばゼロ歳から生涯にわたる、学校教育ももちろん入りますけれども、生涯にわたる教育全般につきましての御審議をお願いをすると。そういうために新たに総理府に審議会を設けるということでございますので、おのずから違いがございます。
  31. 久保亘

    久保亘君 何ですか、ますますわからぬようになりますがね。  そうすると、今度の臨時教育審議会には、ゼロ歳からずっと高齢の方までの範囲に広げたからというと、そうすると、その従来の四六答申に基づく範囲のものは今までの教育改革推進本部でやるんだと、その広がった分だけを今度の審議会でやると、こういうことですか。
  32. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) ちょっと、審議官の説明のとおりでいいんですが、四六答申——中教審答申は、この委員会でも予算委員会でも何回か議論に出ましたが、既に実施をし、行政の中で進めているものもございます。それから、例えば先導的試行でありますとか、あるいは幼保の問題というようなやつは現時点ではまだ残されております。しかし、その幾つかの中には、現実の問題として、例えば定数改善でありますとか、あるいは教員給与の改善とか、既に具体的に進んでいるものもございます。しかし、これは、まだこれからアイ・エヌ・ジーとして進めていかなきゃならぬものもございます。そういう四六答申に残されたものは別といたしまして、現実に四六答申を踏まえながら、教育改革を進めていかなきゃならぬことを、教育改革本部で今日まで進めてきたし、これからも、文部省個有の所掌事務としてやっていこうと、こういうことでございます。新しい審議室は、今度の新機関は、もう一度二十一世紀に向かって新しい教育制度を全体的に見直してみましょう、そのための審議機関設置を今、国会にお願いをしているわけでございます。したがいまして、従来の四六答申は、これで全部終わったわけじゃありませんよ。それからもう一つは、さっき言いましたように、先導的試行とかそういうものが残ったら、その残ったものをやるための教育改革本部というふうに受け取られても困るわけでございまして、現実に四六答申の中で具体的に行政を進めても、まだやっていかなきゃならぬことがたくさんございます。定数改善もそうでしょう、あるいは私学助成もそうでしょう、教員の給与もそうだと思います。なお一層やっていかなきゃならぬものもございますし、なお、研究部門の課題として残されたものも幾つかございます。高等教育の多様 化などもそうだと思います。そういう問題は、新たな審議機関で検討していただく事柄ではなくて——もちろん検討するかもしれません。それは今、私、しっかり言えることじゃありませんが、そういう事柄も文部省固有の問題として、やはり研究もしなきゃなりませんし、具体的に行政の中に取り入れていかなきゃならぬ面もございます。そういう意味で、この改革推進本部は引き続き存続をしていこうと、こういうことでございます。
  33. 久保亘

    久保亘君 非常に教育改革に対して一元行政になりますね、そういうやり方だと。そうすると、今度のあなた方が考えておられる、臨教審で審議するものの中から、既に文部省教育改革推進本部でやっておるものは全部のけろと、こういうことにならぬとおかしくなるでしょう。一方では、実行本部みたいな推進本部がやっておって、それをまた審議機関が、そこで審議しておるということになれば非常におかしなことですから。しかも、今度は片側では、臨教審は中教審の四六答申を含む今までの中教審答申を引き継いで、この上にやるということも言われておるんです。一方では、何か文部省の固有の行政事務だというところだけ引き抜いてきて、これは文部省の中にある教育改革推進本部がどんどん進めてまいります。そして、一方では、教育改革全般にわたって臨時教育審議会をつくって、そこで審議をしてもらって、その答申に基づいてやりますと。そうすると、今度はそこが答申を出してきたら、もう一つ教育改革推進本部がまた要るようになるわけですね。そうすると、文部省教育改革推進本部とか教育審議会というのを幾つつくったら満足されるんですか。何か非常にそういう点では形式的で、そして、何かそういうものをつくりさえすればいいというような考えで、今までだって教育改革推進本部というのがあるならあるらしく、この教育改革推進本部が、本当に中教審答申の中で国民がやってもらいたいと思っていること、あるいは既に国会において国民の合意に達している問題などについて、積極的に進める努力をやってないじゃないですか。やってないでおいて、教育改革推進本部は、これはこれでまた残しておくんですと、臨時教育審議会は今度は年齢も広がりました、二十一世紀に向かってやるんですと。そんなことをやっておったって、私は教育改革が本当に一元的に、強力に文部省の力を基盤にして進められていくことにならぬのじゃないか、こう思います。  しかし、この問題だけ議論しておっても時間がないから、次にお尋ねするのは、今の教育改革、文部省に現在も残っております教育改革推進本部の土台になった中教審は既に凍結されております。凍結されているというのは、もう人がいないんだから、中教審は。これは名称だけあって人がいないんだから、中教審は事実上凍結されている。新たに臨時教育審議会を設けなければならなくなった。教育改革推進本部までつくってやってきたけれども、なおかつ新たに臨時教育審議会を設けなければならなくなったということは、文部省として、教育改革に対して、文部省の力の限界をみずから感じたのでやむを得ないと、こういうことなんでしょうか。
  34. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これもたびたび申し上げていることでございますが、教育も、今の日本の教育制度は決して誤ったとは思っておりません。戦後の民主主義教育というのは、量的にも質的にも充実をいたしております。日本の教育の水準も大変高い。国際的にも科学技術の面でも大きな役割も果たしてまいります。しかし、一方においては社会におきまして、これも国会の予算委員会や、この文教委員会でも非常に御議論の中に出てまいりましたように、教育荒廃、青少年の非行化、いろいろな問題が出ております。教育すべてが原因であるというような面もある程度出てきております。だからといって、日本の教育制度の、例えば入学試験の問題一つ取り上げてみましても、だからといって、試験問題を楽にしなさいとか、あるいは高等教育は今勉強し過ぎでありますとかというようなことは言えることではないわけです。しかし、少なくとも、そういう社会でいろんな現象が起きているということは、我々は、その問題に対して対応していかなきゃならぬ。そうすれば、試験問題のやり方を部分的には、いろんな形で対応して改善をいたしたとしても、絶対のものは出てこない。能力がすばらしい人を評価するのか、人間性のすばらしい人を評価するのかといっても、現実の問題として学問を中心にした今日の教育の機間の中で、勉強を余りしなさんなというようなことは文部省として言うべきことではない。しかし、一面においては、社会では、人物の評価はもう少し多様的にとらまえていいんではないか、そういう社会全体をつくる必要があるのではないかというふうに考えれば、学歴社会を含めながら社会全体の物の考え方や、制度の、あるいは採用の仕方や、いろいろな物の考え方を全般的に考えてもらわなければならなくなってきている。それはもう文部省だけで考えていくだけの問題ではなくなってきている。あるいは国際的にも、もう少し国際社会に役立つ日本、あるいは国際社会に、何としても大いに貢献をしていく、二十一世紀でなければ、日本の安全保障というものは考えられない。そういうふうに考えれば、国際社会全体における日本の教育というのはどうあるべきだというようなことも考えてみれば、これは、ある程度文部省固有の考え方で進められるかもしれませんが、もう少し幅広くいろんな角度から御検討いただく必要があるのではないだろうか。こういう意味で、審議の視点や検討の角度を文部省の従来の枠の中だけで考えずに、もう少し多元的に広げて、国民的な広い立場からお考えをいただきましょう。そういう意味で取り組もうということと、もう一つは、長期的な展望ということもございますし、政府全体の責任においてこのことは考えていくべきだということで、いろいろ御議論はございましたが、総理の諮問機関ということでお願いをしよう、こういうことでございますので、決して文部省能力がなくなったとか、文部省がもう力の限界が来たということではなくて、教育というのは各部行政にもいろんな形で、もう既に、科学技術庁もそうでしょうし、労働省もそうでしょうし、外務省もそうでしょうし、いろんなところが全体的に取り組んでもらわないと、文部省だけで物を考えて改革していっても、本来の教育制度の全般的な見直しにならぬのではないかと、こういうことでございますから、決して文部省が力がなくなって、文部省の権限を放棄したとか、そういうことではないということです。  それから、また蒸し返しておしかりをいただくかもしれませんが、そういう審議をやっているから、今の教育行政をしばらくとめて、遅滞をしておいていいというものではない。今の子供たちが、さっきもちょっと大学の問題で先生おっしゃったように、今、ことし卒業し、ことし学んでいくという、今の時点の子供たちのことも考えて、文部省は、教育行政に、少なくとも遅滞のないように進めていかなきゃならぬということもあり、決して一元的なものではない。現実の問題は現実の問題として充実しながら、なおかつ長期的な問題としてとらまえていかなきゃならぬ、こういうことでございますから、むしろ、文部省が強固な力を持つようになってきた、文部省が中心になってきて、政府全体を動かして、各行政部門を動かしてきたんだ、こういうふうにどうぞお考えをいただきたい、こう思います。
  35. 久保亘

    久保亘君 ちょっと済みませんが、答弁を要領よく短くやってください。  私、そういうことを聞いておるのは、文部大臣に就任されたときに、わざわざインタビューに答えられた中で、戦後の役所の中で文部省が一番力が弱くなったとあなたが言っておられるんですよ。それでお聞きしたんです。しかし、非常に文部省は、その力は強固になった言われるんだから、それなら結構です。  しかし、新しい時代とか、二十一世紀の教育対応するような教育というものを見詰めていくためには、今や文部省だけでは難しくなったと、こうあなたはおっしゃる。私も、そうかもしれぬと 思う、しかし、それは文部省だけでは難しいということだけではなくて、今の文部省では難しいという点があるんじゃないか。明治以来文部省という名前で続いてきた、この役所のあり方というものについても、文部省自体がみずから自己改革をやることも、日本の教育改革にとって非常に重要な問題になってきているんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
  36. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 御指摘の点は、確かにそういう一面とらえ方もできると思いますけれども文部省自身も、今日までいろんな社会的な変化、あるいは国民の要請におきまして、現実教育基本法の枠の中で、今日まで文部省も所掌事務の事柄なども踏まえつつ、いろんな改革をいたしてきております。  余り長くやるとまたおしかりをいただきますから……。
  37. 久保亘

    久保亘君 それでは今度は少し具体的なことをお聞きしましょう。  名は体をあらわすと言うけれども文部省という名前はいかにも監督官庁、こういう感じです。もっと新しい時代にふさわしい、教育行政を推進する国家の行政組織としての名前を考えるならば、例えば教育文化省とか、そういう名前に改めることが、今、教育改革をやる出発点において非常に大事なことなんじゃないかという、そういう気持ちを私は持っておるんですが、あなたはどういうふうにお考えでしょうか。若い文部大臣のことだから反応してもらえると思って聞いておるんですよ。
  38. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、文部大臣という立場でございますから、私が具体的に、こういう考え方をという話をすれば、またこれがひとり歩きをしてしまうということにもなりますから、あくまでも個人的な考え方としてぜひ受けとめておいていただきたいんです。  私も党におりましたときは、どうも文部省という、これを英語で名刺をつくるときにいつも困るんですね。結局、外国の教育省みたいな形になるわけです。ですから、文部省というのは、どういう由来で、どういう形で来たのかというようなことは、むしろ、これはもう美濃部先生を初め林先生、皆、学問のそれぞれのお立場の方いらっしゃいますから、私よりもよく御存じだと思うんですが、私はそう名前に余りこだわっていないんです。本当に世界の国全体から見てもなるほどと思うような役所であってもいいなというような感じも持っておりますし、それから私は特にスポーツとか青少年のことを非常に考えておりますし、それから昔のように学校教育じゃなくて生涯教育という立場から考えれば、ドイツだったか、青少年家庭問題省というのがたしかあったです。いい名前だなと思ったり。それから、ある国ではスポーツ文化庁というのがある。スポーツ文化というのをやってみてもいいんじゃないか。科学技術教育という、そういう省でもうちょっとあったら−これはしかられることかもしれませんが、個人的な意見ですから、これは党におったときから私は主張しておることなんですが、科学技術庁と文部省はどうも同じようなことをやっているんじゃないか。党でも、たしか中山太郎さんが、何かどうも予算枠を多元化しているんじゃないかということで、一遍検討してみようということが、最近新聞にも出ておりましたけれども教育と科学技術というのは、もっと一緒の次元でとらまえてみてもいいんじゃないかと。逆に言えば、青少年問題と、スポーツと、文化というのは別の形でやってみたらどうかと。私は、そういう意味で今度の機構改革のとき、党の立場で、どうも私は、そこのところを思いきって、スポーツと文化とくっつけて、スポーツ文化庁という形はどうなんだろうかと、将来は。こんな話を個人的にはずっと党の立場で私は役所の皆さんには申し上げてきております。しかし、今、私のこの今の立場で、久保先生のそういうお考えも私は大変自分の個人的な考え方と合っておりますが、こういうことは私が今とやかく言うことではございませんので、幅広く、いろんな皆さんのまたお考えが出てくるかと思いますが、文部省は今日まで機敏に対応しながら、機構改革も進めてまいりましたし、そして国民的な要請、社会の変化に対応できるような役所としての体制はその都度とってまいりましたし、今後とも、今の文部省で十分にこれからの教育に担当でき得る、推進をでき得ると、こういう考え方で私以下全文部省員は頑張っておる、こういうことで御理解をいただきたいと思います。
  39. 久保亘

    久保亘君 今、大臣が、文部省という名前はいかにもわかりにくいしというお話がございました。私、このことは、この際、教育改革を国民全体で考える機会に、もし可能ならば、ふさわしい名称に変えるべきだということが一つ。  もう一つは、今や、あなたの言われたスポーツ、体育の分野というのが文部省の中の一局でいいのか、これは私は大変疑問に思っているんです。だから、今、新しい省をつくるということは非常に難しいでしょう。しかし、スポーツ庁とか体育庁とか呼ばれるようなものがあってもよい。それぐらい、今や体育というのは非常に重要な分野を占めるようになった。文部省の中の一局で済まされる問題ではなくなってきているのではないか、こういう感じを持っているんですが、このことについては、大臣ひとつお考えありませんか。
  40. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これも文部大臣としての答弁要求でありましたが、個人的な立場というふうにお断りをさしていただいて、久保先生お許しをいただきたいんですが、まだ大臣就任前に、この七月の機構改革、臨調答申を踏まえての機構改革ございましたときに、私は若干、役所と議論をしたことがあるんです。そのときに、大学局を高等教育にする、これは私は賛成だ。そして、その中に私学国公立も一元化していくということも基本的にはやむを得ないかもしれないが、できれば私立学校も、別の私立大学を含めて、私立学校を局にしたらどうかなという私意見当時持っておったんです。それは、本当に八対二で私学におぶさっている今日的な構えからいえば、私学をそうさせるべきではないかという気持ちがありましたが、残念ながら入れられずに、そのかわり私学部という形で特設して私学の皆さんに大いにひとつ国が大事にしているという姿勢を見せたわけでございます。そのときに、当然私学局というものが仮にできれば、局が一つふえるからいかぬのじゃないかというように、これは官房長が盛んに私にそう言うから、私は体育局外したらどうかと。それは体育局を決しておろそかにするのではなくて、むしろ体育局と文化庁を一緒にするという考え方、今、先生がおっしゃったように、スポーツ文化庁という形をむしろとるべきじゃないだろうか。そして、将来、ある意味では役所の再編が出てくるかもしれない。そのときにはスポーツ文化省という形で、あるいはそこに青少年問題入れてもいいんじゃないだろうか、家庭問題と婦人も入れてもいいんじゃないか、そういう形の将来の備えを私はすべきではないだろうか、そういう議論もしたんですが、体育局が、そうなると、いろんな支障があってと、必死に官房長が抵抗しますから、いや、学校給食なんというのは、あれは体育局よりもむしろ初等中等へ入れた方が私はすっきりしていいんじゃないですかというような話もいたしておりましたわけですが、全体といたしましては、将来は、スポーツ文化、あるいは家庭問題というのが一つの庁という立場で、本来行政として大きく責任を持っていくことが私は正しいなという考え方を今でも実は個人的に持っております。しかし、私の大臣の任期期間中というのはせいぜい長くても秋まででございますから、今、私がそうこう申し上げるということよりも、何といっても教育改革全体を見直していきたいと思いますが、先生からおっしゃったようなお話は、私は、また執拗に党においては、そういう考え方を今後とも進めてみたい。そうすれば文部省全体のネーミングも、またある意味では考え方が少し新しい感覚に変わってくることも当然出てきてもしかるべきではないか。そういう意味では、ほかの省のこと、今言うとしかられるかもしれませんが、科学技術庁や文部省というのは大体ある意味 では一元化してもいいんじゃないかなという気持ちを私は持っております。
  41. 久保亘

    久保亘君 大臣のお考えはよくわかりました。大体、考え方が共通できる問題だと思っております。それで、こういう問題は大臣だから言わないとか、そういうことでなくて、大臣のその職務にあるときにこそ、かねて思っていることを、そして国民の支持することをやらにゃいかぬのです。やめたら言いましょうじゃ、それはいかぬです。今やらにゃいかぬ。  それから、文部省という役所の場合に、大事について−局長さん方みんな立派な方ばっかりだから気を悪くせずに聞いてください。大事について、文部省という性格上、私は教育の現場と人事の交流があってよいのではないかという感じを持つのです。詳しくは知りませんけれども、今文部省局長さんや課長さんたちで教員免許を取得しておられる方が何人いらっしゃるのでしょうか。それから、文部省局長や課長さんたちで、実際に教育の現場で子供を教えた経験をお持ちの方が何人いらっしゃるのでしょうか。私は、教育の問題を考え文部省ならば——学校を管理統括する役所ならばいいと思う。しかし、教育の問題を考える役所ならば、そういう面で、人事が思い切って交流されるということが、日本の教育のためにはいいのではないかなということを思っているのです。しかし、そんなことは一挙にできるものではない。だけど、そういうような方向を模索することも、日本の教育を改革するために、先頭に立つ文部省一つの自己改革じゃないかなという気持ちを持ちますが、大臣いかがですか。
  42. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) お考えとしては、とても私はおもしろい発想だろう、こう思います。ただ、現実の問題として、採用した方、あるいはある程度役所にいた方を地方先生という形で現場に派遣する。このことが現実に物理的に可能かどうか。これは法律や規則ということではなくて、恐らく、それだけの文部省に今余裕がないのではないかなという感じを持ちます。特に文部省定員の問題は、ほとんど外側といいますか、出先機関が、非常にここのところ、ある意味では、大学等でふえておりまして、本省そのものはずっと減員の状態でございますから、そういう意味からいえば、なかなか外に出しにくいという、それが一年行っていいものなのか、半年くらい研修することなのか。少ない、短い期間の研修ということなら、これはある程度研修のやり方として、たまには現場へ行って見てこいと若い職員に言うことも、私は適切な一つの勉強の仕方だろう、こう思いますが、ある程度それをきちっと定型化してやるということになればいろんな問題は出てくると思う。ただ、お考えとしてはそれぐらいの発想はやってもしかるべき大変示唆に富んだお考えだというふうに私は申し上げてよろしいかと思います。
  43. 久保亘

    久保亘君 次に今度は、臨教審にかかわってはいずれ、国会に法案が提出されておりますから、その際にまた大臣のお考えもお聞きすることがあろうかと思う。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕 一つだけどうしてもお聞きしておきたいのは、伝えられるところでは、臨教審の設置に当たって、文部大臣にこの審議会の主管権限が全面的に委譲されたという話があるのですが、この関係は総理とあなたとの方で、この法案を提出されるに当たって、どういう理解が成り立っておるのですか。
  44. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) このお願いをいたしております臨時教育審議会は、いわゆる国家行政組織法第八条機関でございますから、先生承知のとおり、総理大臣が諮問して総理府に置く、こうなります。従来のこうした機関は、八条機関は、背こういう形で今日まで法律ができております。行政改革の臨調も、実は法律的には行政管理庁長官は何ら法律的に明記されてないのですね。ただ、従来の慣行上みたいな形で行管長官がおやりになっている。それでもできないことはない。しかし、今度の場合は、先ほどからも、先生の冒頭の御質問にもありましたように、文部省が一体どこへ行っちゃったのかとか、一体教育の問題にそのまま政治がちょっかい出してやっていいのかとか、いろんな御意見、さまざまな御批判も出てきました中で、総理大臣の諮問機関とするけれども文部省の権限だけは、しっかりこれは法律に明記しておく必要がある。そのことが一番国民の皆さんから理解されることであるという、このことを一番私どもは総理に対するいろんな意見調整の中でも強くお願いをし、もう一つ教育基本法という、このことも、しっかり、はっきりと明記していこう、これが私と総理との間です。特に総理も強くそのことを心配されたのは、文部大臣の機能をきちっと明記しようじゃないかということ、あるいは文部省という立場を、もう少しこの法律の中ではっきり書いて、少なくとも、外で今いろんなことで御心配をかけているような向きがないようにしておきましょう。実質は臨調のような形で行管長官がやるにいたしましても、法律ではっきりしておくことが国民に明快な説明がつくことではないか、こういうことで「文部大臣」とという項を二つぐらい入れておるのも御承知のとおり。あるいは、これは臨調も同じでございましたが、文部事務次官が、この事務局長として、これに当たるということもはっきりさせておきましょう。なおかつ、この設置法案が閣議決定される際、決定をしたその直後に、総理大臣から、この法案に関する担当大臣は文部大臣である、こういうふうに閣議発言として了解をしていただく。当然、この法案が通りまして、いよいよこの臨時教育審議会が発足し、スタートをするということになれば、この審議会の責任大臣は文部大臣であるということを再度閣議で総理が御発言をなさるであろう、そういうふうに私は伺っておるところでございます。
  45. 久保亘

    久保亘君 いずれ、その問題についてはまだ議論をすることもあろうと思います。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕  もう一つは、政府が提出されております臨教審の設置法案は、その人事構成のあり方とか運営などについて、もちろん政府が責任持って提案されたんですから、このことについて政府はこのまま成立さしたいと思っておられるでしょうけれども、政府としては、国会の審議を通じて、もし合意が得られるような状況であれば、いろいろ弾力的に考えられるというようなお考えをお持ちなんでしょうか。それとも、今のこの設置法案というものを、これはもう今までのいろんな議論を通じて、例えば教育基本法の精神に沿ってということも挿入したと、文部大臣を主務大臣とすることも明文化した、これが今の政府の出し得る法案としてはぎりぎりのところであると、こういうふうに思っておられるんでしょうか。これはなかなか言いにくい問題だと思うけれども、その感触を少し話してみてくれませんか。
  46. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 久保先生の後段の御発言どおり、文部省といたしましては、いろんな角度で検討し、関係省庁、法制局とも十分議論をした上で、ただいま提案をいたしました法案は最高、ベストのものであるというふうに私ども考えております。ただ、あくまでもこの法案は国会で、これから御論議をいただくことでございます。たびたび私はこの問題について答弁をいたしましたように、設置法案の審議、その御論議も当然国民的合意の一つの手段でございますから、国会の御議論の中で各党の皆様方がどのようなお考え方を出されるかについては、政府からあらかじめとやかく申し上げることはできない、これは国会の御論議というのが一番大きな重みをなすものである、私は国会議員という立場からも、そういうふうに考えております。ただ、今提出をいたしましたこの法案は、くどいようでございますが、文部省としてなし得る最大限の、ベストの法案である、こういうふうに私は考えております。
  47. 久保亘

    久保亘君 臨教審の問題については、また機会を見ていろいろお尋ねすることもあると思います。  次は、先日安永委員からも御質問のございました業者テストによる標準学力検査をめぐる問題で ありますが、最初に初中局長、あなたにちょっとお聞きしてみますが、この場合どう答えたらいいですか。これは小学校の一年生の社会科の標準学力テストの問題だそうです。私、わからないのであなたにお聞きしたいのですが、「「水のみ場やお手洗いで、水道を使ったら、栓をしっかりと締めてくださいね。」というのは、次のだれですか。ア、給食のおばさん イ、校長先生 ウ、用務員さんエ、養護の先生」、これ初中局長、どれが正解ですか。
  48. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) それを見た、今挙げられた四人の方はいずれも生徒に注意し得る立場の人間だと思います。
  49. 久保亘

    久保亘君 ところがね、これはそれで正解にならぬのですよ。この中から一つ、この場合には、私もよく覚えとらぬです、答え見せてもらったんだけどまたわからぬようになったんですが、たしか、これは用務員さんという解答をすれば正解のようですね。そうなっとるんですよ、このテストは。それで採点されて−この業者テストは学校先生採点できないんですからね、全部答案は業者の方へ送られて、そこで採点してくる、これで偏差値というのが出てくる。そうすると今あなた、これは、小学校の一年生の社会科は合格しないんですよ。正解にならない。  文部大臣、これはどうですか。これは今度はあなたの場合は小学校の二年生、標準学力テスト、「「給食を、ぜんぶたべましたか」というのは、つぎのだれでしょう。ア、先生イ、親 ウ、給食のおばさん」、これ、どれに答えたらいいんですか。
  50. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) まあ、今即座に伺って瞬間的に判断すれば先生かなあという感じします。
  51. 久保亘

    久保亘君 これもね、何か正解はそうならぬようです。こういうのが業者テストなんです。そして、こういうものでいろいろ偏差値が出されたりしてくるんです。  そこで、このようなテストについて教師としては、こういう業者テストを使ってやるよりも、教師がみずからテストを用意してやった方がいいんじゃないかということで、いろいろと校長と教師の間に議論があった。これに対して市教委の教育長が校長に、絶対にやらせろと、もしそれでも教師に異論があるならば職務命令を発してやれ、職務命令が合法的であるということは県教委の指導を受けておれがちゃんと知っとるから安心してやれ。こういうことで、校長は、ある日職員に対して職務命令です、口頭で言って、そのまま校長室に引っ込んだ。そして、この業者テストをめぐるいろいろなトラブルが起きて、県教委はこれらの教師たちに対して懲戒戒告の処分を行った。このことは既に議論が行われてきたところです。  そして、この業者テストの問題については選挙中、総選挙のさ中に、特に総理の強い要望もあったと報道されておりますが、文部事務次官の通達をもって全国に、業者テストをやめるような指示が出されたんですね。それにもかかわらず、この業者テストに対する職務命令がずうっと生きておって、そしてその後、教育長や校長もその場に参加して、これらの教職員をこの学校から出てもらおうという住民組織が生まれて、半年以上にわたっていろいろなことが行われてきた。中には、今までの行動に反省せぬときは「一生涯、教職につけね身体になる恐れがあることを覚悟されたい」、こういう手紙をもらった教師もおります。  そういうようなことがずうっと発展していきまして、この三月、この中学校は校長以下三十三名の教職員のうち十二名が転出しました。二名が退職しました。三十三名のうち十四名がかわったんです。特に、国語は担当教師五名のうち三名が転出しました。数学は四名のうち新採用だった一名を残して全員転出しました。理科は四名のうち教頭を一人残して全員転出しました。体育は三名の教師が全員転出しました。こういうような人事というのは、明らかにこれはこの職務命令違反で懲戒処分を行ったことにつながる制裁的な人事だったのではないでしょうか。これは初中局長、どう思われますか。
  52. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 鹿児島における阿久根中学校の標準学力検査をめぐる問題は、かなり長い間時間がかかっていろんなトラブルが生じた事件でございます。業者テストということでございますが、通達を出した業者テストというのは、私たちの方としては、進路指導のために使われる業者テストを言っているわけでございます。鹿児島で使われました標準学力検査というのは、大体全国的にそうでございますが、年に一回程度、しかも学期の初め一学期に行われる。この阿久根中学校の場合も一年と二年を対象にしたわけです。そしてその結果をもとにして学習活動に生かしていくということでございます。したがいまして、そういう意味では進路指導に使われる業者テストと、標準学力を測定する、科学的にいろんな分析してでき上がる標準学力検査というのはおのずから基本的に違うという認識をしているわけでございます。そういう認識の標準学力検査を、市の予算化をいたしまして、そして相当長い間説得をした上で先生方お願いをしたという経緯があるようでございます。  今回の異動につきましては、その地域の教育を最も安定した形で進行させるというような形の人事というのを基本的に考えることが人事異動をやる場合の一つ方針だと思います。そこで阿久根中学校の場合に、いろんな事件もございましたでしょうけれども、一方において県の人事異動方針というのを持っているわけでございまして、六年以上在職した人は異動対象にするという異動方針というものを毎年県は発表していくわけでございますが、その基準に乗って人事をする。その際に、六年以上の者はことごとく、すべて異動対象になるというわけではなくして、全体的にその何割かが具体的に動いていくということが通常の場合であろうと思います。阿久根の場合には、そういういろんな問題が重なり合って、校長と教職員のチームワークが十分とれていないということもあるし、親の方からは七千人の署名も集まって、その先生方にいてもらっては困るというようなことが取り上げられ、そして議会でも問題になるというような、いろんなことを考えて、できるだけ安定した形でこの阿久根中学校を置くということが必要であろうという観点で人事異動というのが行われたのではないかと思うんです。しかし、行う以上は、あくまで県が発表した人事異動方針に従って、そのルールに従って異動をやるということで、処分をしたからとか、職務命令に反したから勝手に動かすというようなことをしていないというふうに県からの報告は承っている次第でございます。
  53. 久保亘

    久保亘君 よく御回答いただきました。それなら私は、お聞きしたいことがあります。  七千名の署名が、人事刷新をやれという地域の住民の署名が提出されたということであり、それで確かに、地教委の教育長もそれを振りかざしておやりになったようです。ところが、そういうことでは、あなたが今言われた教職員組合と教育委員会も合意をしている人事異動の原則にのっとってやるという、そういう大事に不当に外部が介入することになるのではありませんか。こういうことで、こういう署名が背景にあってやられるんなら、そうではない人たちの意思もはっきりしましょうというので、三月の一日から五日間で今度は逆の署名が集められて、これも六千数百に達しておる。多い、少ないの問題じゃないんです。そんなことをやって人事をやる、これでいいのかという問題。  それと、きょうは、ここへ労働省、見えておりますね、労働省に払お聞きいたしますが、今、非常に通常の人事だというお話だったから、特にきょうはあなたにおいでいただいておるんです。労働省としては、夫婦がともに働いていることを好ましいことだとお考えになっておりますか、特に結婚している女性が教職などの仕事についていることを労働省としてはどのように評価されますか。
  54. 川橋幸子

    説明員川橋幸子君) 共働きといいますか、共稼ぎといいますか、用語はいろいろでございますが、夫婦がともに結婚後も働くという御質問でご ざいます。大変、最近そうした共働きの女性がふえております。その背景にはいろんな理由があろうかと思いますが、大きく申し上げますと、一つは経済やあるいは社会がそうした女性の労働者を必要とした。もう一つは、女性自身も長い人生の中で自分の人生を多様に設計する。以前ですと結婚まで働くということで選択なさった方が多うございますけれども、最近では結婚後も、あるいは育児期間だけ休んで、その後働くというような多様な設計をなさる女性がふえてきた。  私ども、こうした女性の共働きにつきましては、一つは、そうした女性自身の自主的な人生設計の選択を助けることが必要だということがございます。それから、日本の社会は、家庭の責任は女性の方にかなり大きく負担が参りますが、そうした家庭責任との調和を図っていくようにする必要があるということを基本的に考えております。
  55. 久保亘

    久保亘君 そうです。その家庭との調和ということがございますね。そうすると、夫婦は本来同居すべきものだとお考えになっておりますか。これは、雇用者の都合で別居を強いなければならない場合には、本人の同意が前提となるべきものだと私は思うんですがね。雇用者の都合で夫婦がもう絶対に別居しなければならないような状態に勤務場所を決めるというようなことは、一方的にそれが人事権として行われることについて、婦人労働の立場、婦人の権利という立場で仕事をなさっている労働省の婦人少年局としてはどのような御理解でしょうか。
  56. 川橋幸子

    説明員川橋幸子君) 共働きの例でございますが、教育界だけではございませんで、いま日本の産業社会、いろんな分野で共働きがふえております。先生の場合ですと、御夫婦そろって教職員として働いていらっしゃる、あるいは御主人あるいは奥様どちらか一方が教職員でいらっしゃる、もう一方の方は別の産業で働いていらっしゃる、いろんな例があろうかと思います。最近、単身赴任の問題がいろいろ言われておりまして、それぞれ家庭の事情で単身赴任をするということもございますけれども、一方では企業活動のためから必要上ということもございます。  教職員の方々のこうした住居を移転するようなこうした赴任といいましょうか、大事につきましては、一点は、次代の子供を健全に育てるという大変重要な教育行政上の問題が一つと、それともう一点は、教職員の方々も家庭にありましては両親でいらっしゃるわけでございまして、家庭の福祉という点も非常に大きな問題かと思います。この両面から調和させながら考えていく、そういうルールづくりが必要ではないかと思っております。
  57. 久保亘

    久保亘君 今、あなたの言われた一般論としてわかります。それで例えば、男性が教育行政上の必要でやむなく単身赴任しなければならぬというような場合が必ずしもないとは言えないわけです。それでは、そうではなくて私があなたに特に婦人の立場に立ってお尋ねしたいのは、母親である、しかも未青年の子供を扶養している婦人が働いていて、本人の意思に反して家庭を犠牲にするか、仕事をやめるか、どちらかの選択を迫られるような人事異動というのは、婦人労働権の、婦人の権利の否定につながらないかどうか。この点はどうですか。
  58. 川橋幸子

    説明員川橋幸子君) 労働省の場合、民間企業の実例等調べましたり、考えたりしているわけでございますけれども、やはり何と申しましょうか、家庭の問題、両親が大変大きな責任を持つものであります。しかし、企業の人事管理ないしは福利厚生上のいろんな配慮が現実にはなされているというふうに思っておりますので、労働省としましては、その辺の実態をさらによく調べて、必要に応じて指導なり対策なりを講じていきたいと。一般論で、先生には大変おしかりを受けるかもわかりませんが、私ども労働省はかように考えております。
  59. 久保亘

    久保亘君 それじゃね、−法務省、済みませんがちょっと待ってくださいね。具体的にやりましょう。  先ほど、これは通常の人事であって、処分をしたからとか、そういう問題ではないということでございました。しかし、この学校の場合には、処分を受けた、戒告処分を受けた十五名の先生のうち八名が転出し、一名が退職です。そして、そのうちの一人のBという女性、四十九歳の先生は、異動を伝えられるに当たって、長年同居しているから今度は別居しなさい、こういうことを言われたそうです。こんなばかなことは私はないと思うんですよ。そういうものを労働省としては、それはもうやむを得ぬことですねとはおっしゃらないでしょう。夫婦というのは、本来同居すべきことを原則としていると私は思うんですよ。しかし、やむを得ない場合があるということを否定はしませんよ。しかし、こういうようなやり方というのがあり得るかどうか。  それから、今度はぜひ聞いてもらいたいのは、処分を受けていない教師です。処分を受けていない教師であるが、この女性は組合員である。そこで、しかも先ほど局長は六年を異動対象としている、六年以上の在勤者を異動対象としているというお話であったが、この女性は五年です。五年在勤で処分を受けていない。しかし組合員である。そこで、彼女には阿久根市から奄美大島の徳之島に赴任するよう、一方的に留任希望の教師に対して内示をしたわけです。この女性は、病弱のお母さんがおりました。中学校の二年生と小学校の四年生の女の子がおります。そして、御主人も先生です。御主人はそこの地域に残したままです。隣の町に留任をさせておいて、この女性だけを奄美大島の徳之島の学校異動させたわけです。そこで、このKさんという三十八歳の女性は、十数年にわたる自分の教職を、家庭を犠牲にしないために、子供たちを犠牲にしないために、やめるべきかどうか思い悩んだ結果、最終的に家庭を捨てるか職を捨てるかの選択を迫られて、三月三十一日に退職届を出したんです。  こういう異動というのが、こういう人事権者のやり方というのが婦人労働の否定にならないでしょうか。これ労働省、まず答えてください。
  60. 川橋幸子

    説明員川橋幸子君) この鹿児島の女性の方の具体的な例につきましては、実は今この場で先生から初めて伺ったことで、地方から私ども報告来ておりませんので、細かい事情何ともわからなかったわけでございますけれども、そういうことでございますけれども、繰り返しになりますけれど、私ども婦人労働者の立場から言いますと、家庭責任を持っております。子供の問題も、母親の問題というのも大切な問題だと思っております。人事管理の上でやむを得ない話もあろうかと思いますが、それぞれの人事管理の具体例におきまして、民間企業ですと、労使と申しますけれども、よくお話し合いいただいて、ルールづくりをしていただきたいというふうに申し上げておりまして、こちらの話につきましては、文部省さんの方でもいろいろ御指導なりなんかおありだったのかなというふうに推測するわけでございます。一般論としては、よくお話し合っていただいて、人事管理と、それから個人の家庭の事情がよく調和するように、御配慮いただきたいということでございます。
  61. 久保亘

    久保亘君 あなたのところの仕事は何やっているんですか。その婦人の権利を守り、婦人労働者の立場を守るべき役所が何言っているんですか。具体的なことを言っておるじゃないですか。この場合はどうなんだと言っているんです。こういうようなことが平気で行われて、これで婦人の立場が守れますかということを私は聞いている。具体的なことですよ。それを一般論でお答えしますというような、そんなあさっての答弁をされたんじゃ、一体、あなたの役所は何をしておるんだろうかと私はこう言いたくなるわけですよね。女性に対して大きな声出して大変失礼でございますが、どうなんですかね。
  62. 川橋幸子

    説明員川橋幸子君) 具体的な問題につきましてはと申し上げました趣旨は、人事権のおありな文部省さんの方で、いろいろこの点については御検討されたのではないかというふうに思ったとい うことでございます。  それから、私ども婦人労働の立場から言えば、家庭の事情は配慮していただきたいと、人事管理上も配慮していただきたいというのが希望でございます。
  63. 久保亘

    久保亘君 いや、それでよくわかりました。そうでないといけません。ところがね。この人事が通常の大事などとはとても言えないんです。とにかく、その処分をした者、組合員である者をできるだけ報復しろという考え方の上でやられたから、三十三名の教職員のうち、校長を入れてですよ、退職者まで入れて十四名も出した。教科によっては一人も残らない。こんな異動というのはないでしょう。そして、この女性はね、その選択を人事権をもって迫られたわけです。退職の道を選ぶ以外になかったわけです。三十八歳です。もうあと一年ぐらいしたらやめにゃならぬかもしれぬという人の場合なら、その選択も割に容易な場合もあるでしょう。しかし、三十八歳の今一番働き盛りの人がね、こういう道をなぜ選ばにゃならぬですか。これでも  しかも、この人は六年いってないんですよ。これでも原則に当てはめて通常の人事異動であって文句はない、こういうことですか。
  64. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 先ほど、六年という基準だけを申し上げたわけですが、先生御存じのとおりに、その他いろんな基準を県ではつくっているわけでございます。その一つには、僻地等における勤務年数は五年以上、特に鹿児島のように島の多い、僻地の多いところでは、だれかが僻地に行って教育に当たらなけりゃならぬということから、いろんな積み重ねの結果、先生は五年以上の勤務年数をさしたいというような基準も持っているようでございます。したがいまして、この件の先生につきまして、いろいろ考えた上での処理だと思いますが、全然、僻地経験がないというようなことで、いつの時期にどうするかという問題はあろうかと思うんです。そういうことを考えた上で対応したのではないかと思うんです。ですから、具体的に県の教育委員会、市町村の教育委員会は、こういう事件になって、国会でも取り上げられるほどの事件になっていることは十分承知の上で、この問題をどう解決していくかということに相当意を注いで、人事をやったというふうに思うわけでございます。
  65. 久保亘

    久保亘君 この問題はね、あなた方も関係があるんですよ。わざわざ現地に文部省の職員を派遣して調査されたんでしょう、このテスト問題では。その処分をめぐる問題についてはね。あなた方もこの問題にはかかわっているんだ。それを受けてね、今度のこの人事異動が出てきているんです。要するに一人の女性の、四十歳にもならない女性教師の働く権利を人事権を盾にして奪ったという事実だけが残ったんですよ。そうでしょう。これは行けばよかったんだと、そういうふうに文部省は言われますか。
  66. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 私も地方での経験がございますが、特に夫婦共稼ぎの先生方の大事について一体どうあったらいいか。男の方はどんどん単身赴任で行く、やってよろしいというだけのことをやって、一方においては勧奨退職については女性も男性も同じ年齢にしなきゃならぬというような問題もある。そういうことを考えると、やはり県内の人事配置として、夫婦一緒の者は、常に一緒のところで生活するという前提での人事をしなきゃならないという拘束を受ければ、十分な人事ができないということはあろうと思うんです。したがって、それは教員だけではなくして一般の社会においても、共稼ぎの人が、ある場合には外国に行く、ある場合においては鹿児島に行くというようなことは往々にしてあると思うんです。それが男であるか女がによって、そこを基本的に区別するのが本当に必要なのかどうかということは、基本的な問題として残ると思うんです。ただ、今御指摘のありましたように、いろんなことを配慮しながら全精力を先生方が発揮できるような状態での人事配置をしてやるということは基本的には必要だと思うんです。  したがいまして、この件について具体的にどういう考え方でどういう方針でという、そこの小さい細かいところまで聞いていませんので、ここで私が断定的にこれについて詳細に申し上げることはできませんが、基本的にはそういうふうに考えるわけでございます。
  67. 久保亘

    久保亘君 じゃ、こういう人事は当然のことで、行かない方が悪いと、こういうことですね。これはいわゆる教育委員会が公表している原則の年限にも達していない。しかも、この人は体育の教師のようですが、この学校の体育の先生は同時に全員転出。そして、この人は小さな女の子が二人おり、病弱の母親がおる。そんなことを一々配慮しておったら人事はできるかと、こういうことですね。それが文部省の御方針ですね。
  68. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) まず人事は、最初に公の立場として、その先生方にどういう形での人事配置をするか、それによって、その県内ないしは市町村の教育を高めていくということがまず前提に考えられなければならないと思うんです。優先すべきは、まず公のそういう勤務関係における教育効果を高めるということがまず第一に考えられなければならないと思います。それから第二次的に、今、おっしゃいましたように、家族の状況だとか、いろんな状況をしんしゃくしてやるということも考えられなければならない問題だと思うんです。そういう両方の調整をした上で人事配置をしていくというのが常識的な妥当なやり方であろうと思います。
  69. 久保亘

    久保亘君 文部省考え方はわかりました。とにかく権力があればやれと、こういうことですね。あなたの答弁を聞いているとそういうことになるんだから。  文部大臣、私が言っていることをお聞きになっていて、こういうのが通常の人事だと、そういうのがやむを得ないんだとお考えになりますか。この場合、私は御主人の方が仮に一定の条件があって行かなければならないというんなら、まだ、それはわかるんですよ。それは教育行政上の立場というものも、これを全く無視して、みんな個人の事情だけを聞けといったら、それはできぬでしょう。人事問題なんかできぬ。そんなことは局長に教えてもらわぬでも私は知っておるんですよ。しかし、私は今個々の一つの例を言っておるわけです。この場合に、そんなことまでして退職させるところまで追い込んでも、こういう人事をやらにゃならぬ状況にあったかどうか、そして、それほどの強制をどうして婦人教師にやらにゃならぬか、そういうことを聞いておるんですよ。それはもういろいろな原則に照らしてやるべき人事で、公の立場が優先するんですから、しようがないんですよと、それは、やめた方が悪いと言わぬばっかりのあなたの答えなんです。だから、もう、あなたに聞いてもしようがない。文部省の事務当局は、そういうことをやるんだということを、私もこれからはいろいろ皆さんにお話しします。それで結構です。大臣はどうお考えですか。
  70. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 久保さんも、このことにつきましては、お立場上御専門でありますから、私から、かえって余計なことを申し上げてもおしかりをいただくかもしれませんが、高石局長としては、私は今申し上げたことは当然だと思うんです。確かに個人的には今のお話を例えば、それはここにいらっしゃる皆さんが、ああお気の毒な状況だなとか、いろいろそれは感ずるでしょう。しかし、個人的なことを十分状況を踏まえてケース・バイ・ケースでやってやれなんというようなことを初等中等局長がそうやったら、これはもう日本じゅうが皆そうなってしまう。ですから、初等中等局長としての答弁というのは、私はこれは極めて当然のことを申し上げたと、私は、かばうわけじゃありませんが、そのことは筋だと思います。  さて、今の話について、じゃ大臣はどう思うのかと、こう言われますが、先生がおっしゃった、そこのところの、その方のことだけを取り上げられ、その話だけして感想を求められれば、私も血の通った人間ですから同情します。しかし、その 先生がそういうふうな形で、恐らく基準に照らし合わせながら教育委員会が判断をした。それにはそのところの部分だけではなくて、従来いろんな関係で今日までの中にいろいろなものが積み重なっているという面もあるんじゃないだろうか。私は直接聞いておりませんよ。その当時、私もそういう任にはおりませんので、承知いたしておりませんけれども、そして、今、局長が申し上げたように、まず一番先に公教育に携わるということが一番大事なポイントでありますし、第二義的には個人の状況を十分教育委員会はしんしゃくしなければならぬということも、これは教育委員会として十分心得ていかなきゃならぬことでございますが、先生になられるということ、そしてそのために個人的な事情が、その都度、ある程度の配慮はあるにいたしましても、そのことが重きをなすということになれば、先生同士が結婚した方が得じゃないかということにだってなってくるかもしれない。ですから、ここのところは、教育委員会がいろいろ今日までの積み重ねやいろんなことの諸情勢を勘案しながら、担当していただくべきことを担当していただく、そういう時期が来ていると。さっきもおっしゃったように、そういう言葉を使われたのかもしれませんが、これは言葉遣いには十分教育委員会関係者も気をつけてもらいたいと思いますが、あなたも何十年ずっと一緒にいたんだから、そろそろ別れたらどうなんだというような、そんな発言は私は好ましい発言だとは思いませんが、これまではずっといわゆる夫婦共働きの形で、別れて、別居して教育に担当されたということは、しばらくなかったわけですから、そろそろ、一回、あなたもそういうことも御担当いただけないかという言葉は私はあってもいいと思うんです。その辺の言葉のやりとりが、これは私はさっきから申し上げたように、従来のいろんな行きがかりがあったんだなということを、今お話を聞きながら考えておるわけですが、教育委員会の任にある人たちが、そういう乱暴な言葉で私はやられたとは思いませんし、だから、そういう意味では、久保先生が、そこのところだけつまんでお話しされれば、私も、これはちょっとあれかなという感じは持ちます、個人的な考えとしては。しかし、そこのところだけつまんだ経緯だけではないんじゃないでしょうが。そういうところを私は、もう少しその実情も調査をしなければわからぬことでありますが、私が今申し上げられるところは、そういう考え方でございますから、文部省としては直接の人事権はない。これは先生もよく御存じのとおりでありますが、初等中等局長の答弁は、私はこれは弁護するわけじゃありませんが、文部省の答弁としてはやむを得ない答弁であると、そういうふうに申し上げます。
  71. 久保亘

    久保亘君 業者テストをめぐる問題についても、安永委員の質問のときに、文部大臣としても、そういうことなら再度調査をしてみたい、こういうことをおっしゃっておりますね。私は、もしこれが通常の人事の中で行われておるんならば、そして本人が了解されておるならばいいと思うんです。しかし、明かに今度はその背景、それから、これまでのいろいろな動きのつながりを見ると、これは制裁の意味を持った大事になったんです。こんな特別な人事、三十三名の学校のうち十四名入れかえるというような、そんな人事はないでしょう、どこへ行ったって。一般的にあり得ない。文部省はそれは当然だとは思わぬでしょう。だから、そういうような中で行われた。この人が組合のどういう活動をされていたのか私は知りません。しかし、これは明らかにその報復的な人事だと。そして、そのことによって婦人教師の一人の教師としての働く権利を奪い取った。このことは私は、文部省がここの学校の問題にかかわってこられただけに、一般的にはとか、そういうような言い方で、この問題をすりかえようとしても通らぬ問題だと思うんです。もし業者テストの問題について再調査をなさるんなら、ここの人事異動がどういうやり方で、具体的にはどんな形をとって行われたのか、これを調べた上でもう一遍答えてください。そうしないと、一般的にはと言って、あなた方はそう言われるんです。やってもらえますか。
  72. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 個別の事情は、十分、もう一回伺ってみたいと思います。
  73. 久保亘

    久保亘君 もう一回はっきり言ってください。
  74. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 個別の事情は、調査をいたしまして、もう少し我々としても、どういう状況でどうだったかということがつかめるようにしたいと思います。
  75. 久保亘

    久保亘君 法務省ね。これは、こういう扱いを受けた当事者にしてみれば、非常に基本的な人権を侵害をされたという気持ちになるかもしれないと私は思う。私は本人の気持ちは聞いたことはございません。しかし、その場合に、人権擁護上の救済の道というのはどういうことがあるんですか。それから、もし、この人が人権擁護の立場で訴えを起こせば実情を調査していただけますか。それから、その実情の調査の結果、人権侵害の事実に該当すると思えば、当事者に対して勧告を行うことができますか。
  76. 堤守生

    説明員(堤守生君) お答えいたします。  人事配置に当たりましては、いろんな御配慮があろうかと思いますし、発令権者の方の御意見も十分聞いてみなければいけないとは思いますが、先生、御指摘のように、制裁的な意図で強制的に退職を迫るような人事異動がなされたとすれば、これは人権上問題だと考えるわけでございます。このような事案につきましては、本人等から法務局の方に御申告いただければ、私どもとしては、人権侵犯の有無につきまして調査し、侵犯の事実が認められれば、関係機関に勧告あるいは説示等の措置をとるということになろうかと思います。
  77. 久保亘

    久保亘君 ありがとうございました。  この問題については、今後もう少し、私の方でも本人の事情等も詳しく調べてみたいと思っております。しかし、私がいろいろ報告を受けました範囲においては、大変これは教育上も問題だと思っております。こういうやり方で人事権者の側が報復的に人事権を発動することによって、教育は決して振興されるものではないとこう思っているのでありまして、この点について文部省としても、先ほど局長の方も十分実情を調べてみたいと、こういうことでございましたから、またお調べになった上で、ぜひ御報告をいただきたい、こう思います。  最後に、時間がなくなりましたが、実はもう二点ほどお尋ねしたかったその一つの問題ですね、事実関係だけ一応お聞きしておきます。  最近問題となっております東北福祉大学、宮城県にございます。東北福祉大学が国有林の払い下げを受けた後−この国有林の払い下げにも政治家を利用し、そして払い下げを受けた後、市街化調整区域から市街化区域に編入させることによって短期間の間に十二億で購入したものが百億を超える資産になった。そして、この資産を担保にして私学振興財団から、買い入れた価格の二倍近い借り入れを既にやっておる、こういうことを聞くのでありますが、文部省は東北福祉大学について調査をされたことがあるかどうか。それからこの東北福祉大学私学振興財団から融資を受けた、五十六年三月以降の融資を受けた日時と金額、そのときの担保物件をどれだけに私学振興財団は評価をしたのか、そのことを御説明をいただきたいのが一つであります。それからもう一つは、昨年の十二月十五日に行われました私費外国人留学生統一試験について文部省はどのような責任をお持ちなのか。そして、この五十九年度、私費外国人留学生の統一試験は、一月十七日にその結果を関係大学に通知をされておりますが、二月二十四日になって、その採点の結果を訂正して各大学に再通知が行われております。二月二十四日再通知を受けた段階では、私立大学はほとんど合格者の発表が終わっております。この私費留学生は、もし採用にならなければ日本に引き続きとどまることが困難な学生も多いのであります。このような非常に大きな国際的にも影響をもたらすようなこんな誤りがどうして起こったのか。そしてこの訂正がなぜ試験を行っ てから二カ月もたって明らかになるのか。  それから、この私費外国人留学生の統一試験とあわせて行われております第一回外国人日本語能力試験については、その試験問題が非公開とされているのはどういう理由であるか。非公開とされていることによって、この外国人の日本語能力試験がどんな問題であったか、この正解は何なのか、この問題に誤りはないのかということがわからないのであります。そんなことをやっているから、この統一試験については、誤りが二カ月もたってから発表されるということになっておるのであります。  この二つの点と、もう一つは外務省の論文募集の資格の中で、日本人学生、外国人学生という制限を加えたり、あるいは、ことしのように国費留学生と限定をしたりすることによって外国人の応募資格を制限をしているのはどういう理由であるか。これは外務省の問題だけれども、しかし、そのことについて文部省としては異議を感じたことはないのか。特に在日朝鮮人や韓国人は、在日外国人学生の場合にも、国費留学生の場合にも、いずれもその資格から外されるのであります。こういうようなことについて、文部省は、そのようなやり方が妥当でないとお感じになったことはないか。  時間が参りましたけれども、以上申し上げました点を要領よく簡単にお答えください。
  78. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 東北福祉大学についての御質問でございますが、東北福祉大学について、新聞報道で国有林払い下げ等が報道されているということは承知をいたしております。しかしながら、新聞報道等を子細に見ましても、なお問題点等明確でないような点もございます関係上、今日まで、大学当局から事情を聴取するということはいたしておらないわけでございますが、本日、先生からの御指摘もございますので、近日中に一度ぜひ聞いてみたいと思っておるわけでございます。  ただ、私どもが、私学振興財団から融資という関係承知をしておる部分についてはお答えをさしていただきたいと思いますが、まず、東北福祉大学昭和五十五年の七月に国有林の一部、約十・八ヘクタールでございますけれども、これを六億五千万円で運動場用地ということで払い下げを受けて、既に造成が終わって、これは運動場として活用されております。それから、引き続き五十七年度に同じく国有林の一部約十・八ヘクタール、面積はほぼ同じでございますけれども、これを約五億八千万円で払い下げを受けました。現在、それについての土地の造成の開発許可を申請をしているというような状況でございます。  これに対します財団の融資でございますけれども、五十五年度に運動場用地を買収いたしました場合に、その土地そのものを担保にいたしまして四億五千五百万円の融資をいたしております。さらに引き続き、五十六、五十七年と二年にわたりまして運動場の造成あるいは校舎建築等のために、それぞれ六億円ずつの融資をいたしておりますが、この際の担保も、先ほど申し上げました土地、それのほかに従来持っております学校用地、両方を担保にして貸与をしているということでございます。五十八年に至りまして、五十七年度の五億八千万円払い下げにかかる部分につきましての体育施設用地の買収費といたしまして四億四千万円の融資をいたしておりますが、これも買収の用地そのものを対象といたして融資をしたというような状況になっておるわけでございます。  こういった用地の買収等に関しましては、考えたくないことでございますけれども、例えば、その後、転売をされるというようなことがあってはいけないということから、その用地そのものを担保にして融資をするというような仕組みをとっておるわけでございます。
  79. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) お答えを申し上げます。  まず、留学生の私費統一試験でございますが、これは日本国際教育協会というところに文部省が補助をいたしまして、私費で日本の大学に学ぶという希望で、日本語学校等で御勉強になっておられる方々の大学入学を円滑適正に行う一助として、統一試験を実施をしていただいているものでございまして、その結果につきましては各大学にお送りをしまして、留学生の入学選抜の際の参考資料として御活用いただきたいということで、各大学、漸次、御活用していただく大学がふえておるという状況にあるところでございます。ただ、本年五十八年の十二月に行われました試験につきまして、御指摘のように化学の問題の一つが不適切であったということが試験実施後、留学生からの指摘で判明をいたしまして、その時点で日本国際教育協会では理事長名で各大学にその訂正方を通知をしたというのが事実経過でございます。  このような事態が起きましたことは、大変私どもとしては残念だと思っておりまして、理事長あるいは関係者にも、その間の状況をお伺いをしたわけでございますが、結局、現時点では、その試験問題の機密保持というようなことでダブルチェックをしていないということが最大の問題であるというふうにも感じられましたので、その点についての仕組みの改善方というようなことをぜひやっていただきたいというお願いもいたしたところでございまして、今後このようなことがないように努力をいたしたいと思っております。  それから、第二点の日本語能力試験の問題の公表の件でございますが、これは実は、同じ問題を中国とマレーシアからの政府派遣の留学生がそれぞれ現地で予備教育を受けておるわけでございますが、その学生に対する試験問題にも活用したいということで、現時点で公表していないわけでございます。いずれも一月には試験が終わりましたので、先生の御指摘も踏まえまして、公表の方向で検討するように協会の関係者に話をいたしたいと存じます。  それから、最後の外務省の論文募集のあり方につきましては、私も実は不勉強で具体のケースを十分に承知をしておりませんので、調べさせていただきまして、また外務省とも話し合いをいたしたいと思います。
  80. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それでは、私はきょうは大学教育とそれから留学生の問題について、その二つの問題で質問をさせていただきたいと思います。  まず、最近の大学生は無気力になったと、こんなふうに言われておりますし、それから入学して五月ごろ、ぼんやりするというような五月病といったことがよく言われております。この原因は文部省としてはどんなふうに考えておられるでしょうか。ちょっと伺いたいと思うんです。
  81. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 現代の学生像をどのように把握しているのかというお尋ねかと思うわけでございますけれども一つには、最近、高等教育が大変量的にも拡大をしてまいったと。いわゆる大学の大衆化が大変進んできておるということが言われておるわけでございます。そういう量的な拡充に伴いまして、学生能力、適性あるいは思考というようなものが大変多様化しているということも言えるかと思うわけでございます。そういう現代の大学生について、私ども必ずしも一概に無気力とは言えないと考えておりますけれども、中には、そういう大学生活に適応できないような意味で、無気力な学生がいるというぐあいに感じております。  そこで、その原因を、いろいろいろなことが考えられるかと思いますけれども、例えば、その一つとして、いわゆる近年におきます日本の家庭が非常に小家族になって核家族化をしておると。いわゆる過保護の影響というようなことで、精神的に十分自立しないままに大学に入学する学生が多いんではないかとも考えられるわけでございます。中には、また、いわゆる不本意なままに入学をするというようなこともあろうかと思いますが、そんなことで学生生活に適応できないこと、それらが、いわゆる五月病の原因とも言われております。大学の入学という一つの目標達成後の虚脱感といいますか、そんなようなことから、勉学なり学生生活への意欲が乏しくなるというようなことも考えられるんではないかと思います。
  82. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、大学の自治という問題が あるわけですけれども、私は大学の自治、つまり自律、自治、自由といった問題には、大学自体の中での批判精神が非常に必要であると思うんです。つまり、批判精神の中でみずから反省し、次への発展を模索していくと。そこに大学の発展があると思うんです。大臣、いかがでしょう。
  83. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 一般的な、年齢的にも若い青年層でありますから、そういう世代観から見れば、物事に対しまず疑問、そしてそれに対しての批判、そこから新しい関心が高まっていく。そのことが人格形成の一つの方向にも進むこともあり得るだろうし、学術、学問をさらに追求するということの意欲につながっていくというふうに思いますので、いろんな意味で私は批判精神というのは若者が持つ一番大事な基本的な要請だろうと。そういう意味では先生のおっしゃるとおりだなという感じがいたします。
  84. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今の大臣のお考えも、私は全くそのとおりで、そう思ってお伺いしたわけでありますけれども、特に大学紛争以後ですけれども学生批判精神というものが非常に低下したといいますか、なくなっていったということを、私は現場の教師でもありましたので、つくづくそう思うんです。どうしてあのエネルギーがどっかへ行っちゃったんだろう。これは大学の存立にかかわる重要な問題ではないだろうか、私はそんなことを思っているんですけれども、それは大学に対する管理強化ということが前提にあって、その上で教官方がそれに乗っかって、何というか、管理強化の側で物事を処理してきたということが学生批判精神を萎縮させたのではないかという感じがするんです。いかがですか。
  85. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 一般論ということでお許しをいただきたいんですが、私は、先生、そう思わないんです、先生よりは、若干、私の方が今の時代に近い大学で学んでおりますから。私は、卒業してから卒業生が、こういう仕事をしておりますから、いつも私の周辺に学生がたくさん来ておりまして話を聞くんです。君はどこだというと、例えば早稲田と、学部はというと商学部だと。こういう先生がいるだろう、こういう先生がいるだろう、知っていると。こんなおもしろい話するだろう、いや、そんなものは聞いたことがない。いや、それは授業中にはしないが、一緒に酒でも飲むとするだろう。いや、酒なんかごちそうになったことありませんよと、こう言うんですね。ちょっと待てよと、大学先生は君らを一々ごちそうしないんだけれども、君らが先生を引っ張り出して喫茶店へ行ったり、一杯、夜おでん屋でやるということは我々やったが、やらないのかと。そんなことを先生にしていいんですかと、こういう学生諸君の反応があるんですね。そういうのを見ておりますと、さっきの最初の御質問にもございましたように、私は、学校の構えは、そう僕たちのころと変わってないと思うんです、今も。そういう意味では、先生のおっしゃるように、管理が強化されたとかというふうには考えないんです。ただ、今、大学に学ぶ、その学生たちの大学に入るまでの教育にかかわってきた環境、私はそこにもっと大きな原因があるんじゃないだろうか。端的に言えば、それは一概にすべてがそこだとは言えませんけれども、もう少し学問も、勉強も、試験勉強もやってもらわなきゃならぬ、高等学校における学問の到達もしてもらわなきゃならぬが、一面、もう少し人間的な深まり合いは持ち合う、そういう人間形成の面が僕は足りなかったんじゃないだろうか。そういう中で大学に入っても、どうしていいかわからない。  これはある学生が具体的にあった例ですが、大学へ入ったんだけれども、実は単位の履修をしていなかったという、届け出の契約をきちんとしてなかったという学生がいる。その本人にすると、学校へ行けば高等学校と同じようにクラスに集められて、こうするんですよ、こうするんですよと教えられるものだと考えておった。ところが、大学はほとんど掲示板ですね。そして自分で単位の修得をして、かなり丁寧に最近はオリエンテーションをやっているようでありますが、我々のころは全くそんなこともなくて、紙切れ一枚見逃したら単位を落とすことだってあったわけですね。ですから、そういうふうに、僕は、むしろ学校の構えは、少しは今様に親切、丁寧にはなっておりますけれども、受ける学生が全く育つ一つの環境が変わってきている。そういう学生と、むしろ構えは音とそう変わってない大学と、そこに学校学生間、あるいは教授と学生間の間に隔たりがあるんじゃないか。これは全く私が、自分が、先生より若干若いという、少し今様の大学生を知っておるということで、もちろん、先生は教師という、教育という立場でいろいろ知っておられると思いますが、私はそういう感想を持っておるんです。
  86. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今、大臣言われたとおり、私はちょっと上でございますので、学園紛争当時、私は教授でもございましたし、そのさなかに医学部長を務めました。それで大学管理臨時措置法というのができて、あれで一挙に、もうすべての学校がおさまった。あれは私は教師側としては情けないことだと本当は思っています。あれに頼らなければ学生との対話ができなかったのかと。これは非常に私はみずからの反省を込めて  いや、私は違うんですけれどもね。私は、大管法というのは反対で、しかも学生との対話をもう頑張ってやってきました。妥協ということはしないけれども、論理を展開して、それが大学のレーゾンデートルだと思ったわけです。論理展開こそ大学の場だと、それが大学の自治を守るものだと、こう思ってきました。しかし、少なくとも大管法で一挙にあれが解決をし、学生のエネルギーが一挙にしぼんだように僕には見えました。そしてあの学生の紛争が別な形になっていった。つまり、セクトの争いのような、極めて陰惨な形になっていった。しかし、大学はいかにも正常に戻ったけれども、私はそういった批判精神が失われて、萎縮というのだな、やっぱり。萎縮したということが、今後の大学の自治にとっても甚だ残念だと私は思っているのです。  それで、最近いろんなスキャンダルが大学に登場してきております、医学部を含めまして。私はもう私の本意にはまことに反するので残念だし、腹が立つし、と思います。それから、いろんな大学ありますね、九州産大とかいろんなことが今出ております、国士館とか。しかし、そういうことは、もし、あの紛争の最中であったら、こんなことはあり得なかったのですよ。これはもう、ちょっとそんなことがあったら必ずいわゆる団交の場に引き出されて、もう大変なことになる。ですから、大学というものは常にそういう批判精神の中で自浄作用というか、みずからの立場をはっきりさせて、そして新しい教育のあり方、学生との対話を求めてきたと、こんなふうに私は考えているんですけれども、そういった意味で、もう少し学生の気力を高揚させるというか、教育の活性化というものについて、これは極めて抽象的なお話なんですけれども、何か考えはないでしょうかね。つまり、そういう方向へ向かってひとつ調査したり検討したりして、そこを少し奮い立たしていくような方法というものを考えられないものでしょうか。
  87. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 文部省の範囲の中で申し上げれば、カウンセリングをもうちょっと充実させるとか、あるいは、いろんな管理センターみたいなものをつくって、先生学生との間の交流を促進させるとか、課外活動をもう少しやらせるとか、それはそれなりの文部省が指導できるということは、もう本当にお役所の範囲は超えられないと思うのですね。そのことよりも、今の大学管理法の話が出ましたけれども、私はあのころはまだ、その後から国会へ来たんですけれども、大変に関心を持っておりましたし、考えてみて、あれくらい簡単な法律ないんですね。あんな法律なら、大学の自治から考えれば、大学先生みずから解決をしていただければよかったのですね。ところが、やらないうちにだんだん深みに入っちゃって、結局、あんなものに頼らざるを得ないことになってきた。ある意味では、あれは精神規定みたいなものですね。私は、そういうふうに当 時も見ておったわけでございます。しかし、そのことと大学を活性化させていくということは、これは私はある意味では教授の質もだんだんサラリーマン化した面もあると思うのです。現に、私のような年齢より、もっと若い人が、もう既に私の母校などでは助教授や助手、講師にたくさんいらっしゃいます。  まあ、ちょっと言いにくいことですけれども、私の母校のことだから、あえて言ってもいいと思いますが、助手、講師になられるような方々を見ておりますと、端的に言えば勉強オンリーにやってこられた人たちです。それは学問を追求する立場からいけば無理ないと思いますが、高等学校から、もうただ進学をある程度前提にして、いい大学に入りたい、大学に入ってそのままずっと残っておられる。どちらかと言うと、東大や京大に対するコンプレックスを持っている人たちが非常に多いです。私も親しい人があるから、はっきりわかります。だから、自分は東大に行けなかったけれども、この大学に入って、この自分の大学を何とか東大、京大並みにしようというお考えを持っている方が、かなり教授にいらっしゃいます。ですから、大学の教授の質も少しは現代風に変わってきたと思います。しかし、何と言っても、学生が求めて引き出す。これはさっき先生が冒頭におっしゃった疑問と批判精神から来て、プロフェッサーから引き出すということが、大学教育の僕は根幹だろうと、こう思うのです。与えられたものをただ読み上げて、マイクを通じて読み上げるだけなら、大学教授ではないと私は思うのです。問題は、学生が引き出すという疑問や関心や批判を呼び起こす、今、子供たちにはなっていないということじゃないでしょうか。例えば、運動部のクラブ活動の部、体育部所属のクラブ活動はだんだん人が減っていきます。それも圧倒的にクラブが多いですね。体育部の野球部はいやだけれども、練習させられたり、先輩の手伝いをさせられたり、ボールばかり拾わされていて、試合は出してくれない。それよりも、自分らで仲間でクラブとしてやろう。早稲田大学野球クラブという名刺持っているから、お前体育部の野球部かと言ったら、いや自分たちの同好会です。同好会が圧倒的に多いです。それは試合はしたい。野球はしたい。しかし、一緒になって体育部の一つ考え方のもとでやりたいという考え方はほとんど今学生は持たない、高等学校からそのまま来た人たちは別としまして。私は、大学は教授が教えるということよりも、学生が教授から何かを引き出すということが基本的な、高等学校や小中学校と違うスタンスだ、そういうことを引き出していこうという、そこのところが大学全体の活性化になっていないんじゃないか、私はそんなふうに考えております。
  88. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、一つ承りたいのですけれども、土曜日というのは外国では、欧米ですけれども、まず全部と言っていい、休みでございます。わが国においては土曜日は休まないことになっているんでしょうかね、いかがでしょうか。
  89. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 土曜日、あるいはお尋ねは大学の授業のことかと思いますけれども、具体的にどのようなカリキュラムを組んで授業を行うかということは、もちろん、これは大学自体がお決めになることであるかと思います。先生がおられました北海道大学の医学部では、土曜日には授業を行わないで課外活動を初めとする学生の自由な時間にしているというぐあいに承っているところでございます。
  90. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 実は、今、御指摘になって、ちょっと恐縮だったんですけれども、私が医学部長のときに、医学の膨大な知識を一週間一生懸命やってみたところで全部を教えることはできるわけないから、教えるというのは一つの大事なトランクラインをちゃんと教えればいいので、支線の方は自分で勉強させる。一週間授業カットしろということで土曜日を休校にすることを提案をいたしまして、カリキュラム委員会で一年検討してもらいました。結果はだめだというふうに出たんです。ということは、大学先生は授業カットされることは非常に権威を失墜するように思うらしくて、とてもじゃないが授業カットができなかったわけです。私がもう一度カリキュラム委員会に提案をし直して、そして団交的やりとりをやった結果、ばっちり決まりましてね。しかし、そのときにどうも事務当局から聞くと、我が国は土曜日は休んじゃいけないみたいなふうにちょっと聞いちゃったんですよ。仕方がないから、カリキュラムにはゼミナール及び自習と書いて土曜日を休みにしたんです。そして、土曜日というのは学生には、さっき大臣言われたクラブ活動頑張れと、あるいは図書館は必ず開いておくから図書館で勉強しろと、そのかわり学生図書は、毎年、私のときですが、学生のための図書費用を百万ずつ出せということをやりまして、学生の自主的自発的学習を刺激するというのと、クラブ活動をやらせるというのと、土曜日は教官はフリーになって自分の勉強に専心できるというふうなこと、それから中間試験なんかは土曜日にやればほかの授業に影響がないぞと、それから休日で休みになったところの代替授業にも充てられるというようないい点をいっぱい挙げましてやらしたんです。そして四年たってから、一年から四年まで全学できたわけですが、ほかの医学部なんかでも、どうしてできたかといって見学に見えるところがたくさんあったんですけれども、どうもなかなか実行できないようですけれども、私は大学学生の活性化という意味でも、むしろ土曜日は休みにして、もし、私が申し上げたようなことができれば、図書館をあけて勉強をさせる。だから、ホームタスクを出して、それの勉強もさせる、クラブ活動もさせる。こういったようなことが、むしろ、奨励されてしかるべきではないかと思っているんです。  私が留学をしたときに、土曜日が休みだったものですから、毎週ゴールデンウイークだと、いやこれはいいなと思っておったら、毎週宿題が出ましてね。やっぱり一日はどうしてもつぶすということだったのです。しかし、いかにも余裕ができる。こういうことは、むしろ積極的に、国公私立に、土曜日を大学の場合は休みにして、しかるべき活用を図れというふうな指導はできないものですか、いかがでしょう。
  91. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も勉強不足でありまして、そういう御質問があるということで、大学局長なんかに意見を聞いておりました。やはり、そういう規則ということではないんでしょうが、大学設置基準の第二十七条にそう書いてありますね。「一年間の授業日数は、定期試験等の日数を含め、三十五週にわたり二百十日を原則とする。」とこうなっておるわけですから、それを割り振っていきますと、大体、一週間六日に割り振るようになっているわけですね。ですから、私はけさ局長に、じゃあ百二十四単位というのはだれが決めたのだと、それは文部大臣ですと言われて私の責任だということがわかったのですが、だけど、文部大臣が、設置基準は法律上そうなんでしょうが、百二十単位を絶対とらなければならぬと決めたのはかなり昔の話で、私、今、個人的に思うのは、その時期と今の時点とではもっと世の中変わっているんじゃないかなという感じはしますから、百二十四単位は絶対だとは思っていないのですね。ただしかし、百二十四単位をそういう形で、今言った数字で割っていけば、大体、割り振りをすると、六日間になるということですから、先生がおやりになっているやり方も、私は、ある意味では、また大学自身でお考えになることでありますから、文部省としては土曜日をお休みにしなさいということは言えませんし、これはまた将来の検討課題で、問題点は多いと思いますが、大学みずからがいろんな角度でお考えになって、私は、そういうふうにおやりになることは、それは間違っているとは思っておりません。ただ、百二十四単位をずっと一週六日として、大体、一日七時間四十五分になるのですね。これを五日にすると一日九時間十八分学ばなきゃならぬということになります。あるいは医学科や歯学科の場合は、一週六日として一日八時間、これを五日にすると一日九時間三十六分ですね、大変な強化、オーバーワー クになるんじゃないか。これは学生だけではなくて、教授の面でも大変だろうなということは考えられますね。じゃあ百二十四単位、そこのところをという問題、これはまた別問題になってまいります。  僕は、今、お話を伺っておって、土曜日、お休みになって、ゆとりあるということは、非常に学者の立場から言っても教授の立場はいいかもしれませんが、しかし、今の医学や歯学のような御専門先生は、意欲が強いですが、一般的な文科系の方にこれをさせたら、土日はゆうゆうとレジャーで遊びにいく、そうでなくたってレジャー大学だと、こう言われているんですから。だから、私がもし学部長なら、月火やって、水か木曜日を仮に休みにする、そこにクラブ活動とかそういうものをやっていく、オリエンテーションをやるというふうになれば、ちょっと息抜きができる。私が学部長なりせばですよ、なれるはずはありませんが。私はそんなふうに今先生お話を承って考えました。  ですから、これは今後とも問題点として残りますけれども、私は、大学がみずから、いろんな角度でお考えになって、おやりになることがいいのではないかなというふうに思います。
  92. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今のお話の週六日になるというようなことは、たしか、当時、事務局はまずいようだと僕に言ったと思うのです。しかし、当時、北大の医学部は五千時間オーバーしていましてね。後でだんだん基準みたいなものができてきたら、私は一割カットしたわけです。四十四時間のうち四時間カットしたので週四十時間になったわけですね。そうしたら四千五百時間になりましたら、たまたまその後に出た文部省の医学教育基準四千五百九時間の標準大学になったわけです。ですから、今、大臣言われたように、七時間何分とか、その辺が僕割り振っていませんけれども、一週間ぐらい早く始めるとか何かあったんだろうと思うのですけれども、びっちりちゃんといっているんです。ですから、それにホームタスクと僕申し上げましたね。ホームタスクを出して、それから大学のレジャーという問題、今大臣言われた。レジャーランドであるということは、かの天城先生が僕らに、北海道にIDEの会長として講演に来られて、今や大学はレジャーランドになったとか言われて、元の文部次官がおっしゃったんだと思って、いやあそうだなと思って、喜んだり悲しんだりしたわけですけれども、レジャーランドになった理由というものの一つは、入学は難しいけれども卒業が易しい、それからゴールデンウイークだと思って喜んでいたら宿題が毎週出だということです。決して喜んでいられなかったんです。アメリカです、これは。だから宿題を出す。学生の自発的学習を刺激する。そして、それを厳重にチェックして、だめなやつは落第させる。そういうことがないから、レジャーランドになるのでありまして、医学は国家試験が控えておりますから、自分で遊んでいてはだめなんです。自発的学習がなければ突破できない。だから、一方では文科系もホームタスクを出すなり何かして、あるときには伸び伸びと、あるときには勉強をさせるという——土曜日を休むというのは先進国の全部ですよ。それがどうしてもできないんだったら、二百十日とかというのを僕は変えるべきだと思うんです。大臣、どうです。
  93. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 文部大臣という立場でございますので、先ほどレジャーランドになっておるというふうに私は申し上げたんではなくて、レジャーランドではないかと言われておりますと、こういうふうに申し上げたので、これは念のためにもう一度申し上げておきます。天城さんがどういうふうに言ったかは知りませんが、世上そういうふうに言われております。  私は、さっき、教育は引っ張り出すというのが大学教育基本だろうと、こう言いました。しかし、教育には目的がないと進まないということですね。ですから、今、先生がおっしゃったように、医学は国家試験がある。医者にならなければならぬという目標は、進路がはっきりしている。ところが文科系の場合は、どうしても目標というのがないわけです。何でもいいから単位取って、そしてどこかいい会社へ勤めたいというのが目標で、じゃあどこの会社へ行くのかというのはまだ考えていないわけです。ですから、そこに目標意識がないと、人間というのは意欲を持ってこないということだと思うんですね。ですから、そういう意味から言うと、土曜日休みにしてゆとりがあるから活性化するとは必ずしも考えられないんで、単に土、日休みですよということになれば、そういう専門や目標を持っている、そういう学問をやっておられる人は、頭を冷やしたりいろんなことで有効な活用をするかもしれませんが、今言ったように目標がない文科系の学生に仮になれば、土、日休みだと、それじゃ奥多摩へ行こうかというのが、思い切って北海道まで行こうかということになってしまったり、同じように、やるならじゃあ車にボートも持っていって、浜へ行って遊んでこようじゃないかということに僕はなると思うんですよ、形としては。だから、もしおやりになるなら、私は真ん中に間を置いたらどうかというふうにちょっと思ったわけですけれども、ですが、そのことよりも、文科系の学生たちは単位を取って、そういうふうに学問をやっていく。先生、おっしゃるように、私はこれは国大協の先生とも御議論を申し上げたときに言ったんですが、大学に入るまでは予備校に行ったり、家庭教師をつけなければ入れないような学問をしておって、大学へ入ったら気が抜けたようになってしまうから、つい気が緩んで遊ぶという面も出てくるでしょう。だから、本当は入りやすくしてあげて、そこをレベルを下げたらどうかと私は言っているんですけれども、学問全体のレベルが下がったらどうするんだという反論もあるわけですが、大学に入ったら、むしろ力がないと、家庭教師や特別の個人指導でも仰がなかったら大学の学問についていけないんですよというふうにすることが、本来、私は高等教育機関のあるべき姿だと思うんですね。  だから、今のような世の中で、みんなが大学へ進む、権利もあるし、やる方法はあるわけですから、みんなが大学に入るから多様的になって、いろんな問題が発生してくるわけです。ところが、文部省や私どもの立場から、世に対して、能力のない者は大学に来るなとはよう言い切れない。恐らく大学先生方だって言えない。ですから、大学に入ってみて、初めて高等教育というのは、単に遊びに行くものではないんだということをみずから悟ることによって、これは僕の来るところじゃない、私の来るところじゃなかったということで進路を改めて考えていくには、年齢的にもゆとりもあります。私はむしろ高等教育はそうあるべきだと思うんですね。  もう一つは、じゃあ目標は何にするのかということになれば、文科系の場合はサラリーマンになっていくということが大きな一つ目標でしょう。もちろん先生になる方もいらっしゃる。司法界に行く方もいらっしゃる。いろいろあるでしょうが、文科系の場合はどうしてもそういうゆとりが出てきますから、本来はクラブ活動などもやっていただいて、そこで大学教育とは別な形で、スポーツもやる、文化活動もやる、あるいは学生運動も私はいいと思うんですね。そういうところへむしろ入って、自分の余暇をそういうことにどんどん開発させていくことが大学全体の活性化になる、私はそう思います。自分の経験からもそんな感じがします。  ただ残念ながら、そういうふうにクラブ活動に入って余暇を利用してやろうという、そういう目的を持って、北海道大学のサッカーの選手になろう、明治大学に行ってラグビーの選手になって、何とかして秩父宮のラグビー場におれは出たいんだという、そういう目的意識というのが、どうしても今ないのはなぜなのか。私はそこのところをもっと基本的に考えてみなければ、大学の活性化という問題とつながってこないんじゃないかなというような感じを持つんです。
  94. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今の大臣のお話、僕の考えと非常 に似ていましてね。きょうはその質問はやめますけれども、それに関連したことを考えて、ちゃんといつの機会がに質問をしたいと思っておりましたから、大変いいお話を承りました。楽しみにひとつとっておかしていただきます。  ところで、世界各国の高等教育機関への進学率数字でちょっと、パーセントで結構ですけれども進学率を伺いたい。
  95. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 高等教育進学率の国際比較というのをお尋ねでございますが、日本の場合には一九八一年で三七・四%、アメリカが同じく一九八一年で四五・五%、イギリスがちょっと資料が古うございますが、一九七七年で二二・一%、フランスが一九八〇年で二六・四%、西ドイツが一九七九年で一九・四%というぐあいに承知しております。
  96. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今のに関連する、ちょっと前に、私、天城さんのことを申し上げましたので、大臣と同じように、と言われているとおっしゃったかというふうに訂正さしていただきます。ちょっとありましょうから。  それで、今の点ですけれども、大ざっぱに言うと、日本は大体高等教育に進む人が三五%ぐらい、アメリカが五〇%近くになっているようですし、ヨーロッパは大体二〇%ぐらい、日本というのは大変高等教育進学者が多いということになるわけです。それで、さっき大臣言われた大学教育の大衆化ということだろうということになるわけですね。  それは、さっき大臣が触れておられた、入学が易しい、そして卒業も易しい——入学は厳しかったんだけれども、随分広がったという意味ですけれどもね。広がらなければ入らないわけですから、入学は厳しい状況ですけれども、枠が広がったと。入れば卒業が易しいんだというふうなことだろうと思うんです。  それで、結局、日本における高等教育の大衆化という意味は、レベルダウンを来したのではないだろうか、平均値です。そう思うんですが、いかがですか。
  97. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これは大学局長からお答えする方が正しいかと思いますが、レベルダウンは私はしてないんじゃないか。学問的に、学術的に、むしろ、大変、大きく日本の高等教育機関は進んでおる、私はそういうふうに見ております。  ただ、さっきちょっと申し上げたように、中村先生なんかもいらっしゃって、それは違うよとおっしゃるかもしれません、林先生にもお聞きしたいんですが、たくさんの許容量といいますか、学生数が多くなってきましたから、高等学校や小学校のように、先生の方から手を差し伸べて、こうしなさい、ああしなさいと言えるような大学じゃなくなったんじゃないでしょうか。自分から求めて学問をしていこうという人を先生としてはある程度——そうでもしなかったら、これだけのマスプロ化した大学を、全体を教授が昔のような形で教育していくというのは——私は高等教育教育というのは、研究をし、その研究の成果をさらに学問的にフォローして、そしてそれを教育の場を通じて後世に残していくということが高等教育の研究でしょう。私はそう思っているんです。  ですから、そういう意味から言えば、みんなを集めて、したくない者も、能力のない者も、みんな引き入れてやっていくほど、今、大学には、私は先生にはそんなゆとりもないと思うんですね。だから、好んで自分から飛び込んでくる学生先生も相手にして、どんどん学問を進めていく。私はそれが今の大学現状じゃないかなという感じがしますから、そういう意味ではレベルはダウンしてないんで、むしろ非常にレベルは進んでおると。少なくとも今世の中で言われているような、いわゆる体外受精の問題にいたしましても、その他、宇宙衛星の問題にしましても、そういう科学技術の先端というのはほとんど日本が担っている、非常に進んでいると、私はそういうふうに見ておりますので、レベルは下がってない。ただ、非常にすそ野が広がってきたために、その方に関心を持たない人たちが目につき過ぎる。私はそんなふうに見ると、そこのところを見ると、何かレベルが下がっているんじゃないかというふうな私は印象が出てくるんじゃないかなと、こういうふうに思うんです。
  98. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 多分、大臣のおっしゃっていることと私が言っていたことと同じじゃないかと僕は思うんですけれども、つまり学問の上の方のレベルが下がったと言っているんじゃなくて、教育の平均値的な学生の資質といいますか、そういうものが僕は平均的にはダウンしているんじゃないかと、こういうふうに申し上げたんで、日本の科学技術、学問が前より下がったという意味ではないんです。    〔委員長退席、理事杉山令肇君着席〕  そこで、ですけれども、私は学校の試験というのは、入試というのは、大学における勉学、修学にたえる、それだけの基礎的な素養を持っているかどうか、これをテストするのが入学だと思うんです。それから、卒業までの中間試験というのは、修学の段階的チェックをしていく、その次に進めるかというチェックをするのが中間的な試験だと思います。それから、卒業試験というのは、これで我が大学が要求しているレベルに達したかどうか。つまり、単位ですけれども、単位というのはレベルです。レベルに達したかどうかということをチェックするものだと思うんです。一般的にどうも日本は入学がむずかしいけれども、卒業が、みんなよほどの故障がない限り、あげるというふうになっておるようでありまして、そういう意味では、今、私が申し上げたような大学を卒業するときの実力を卒業試験によってちゃんと効果あらしめているのかどうか。文部省はどういうふうにこれを評価しておられるんでしょうか。
  99. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 大学教育について大変御造詣の深い先生からの御指摘でございまして、    〔理事杉山令肇君退席、理事田沢智治承者席〕 私ども行政を担当しているものといたしましては、大学教育の内容あるいは基準その他に関しましては、先生、御案内のとおり、大学基準分科会の先生方のお集まりのところで、いろんな御検討お願いをしているわけでございます。ただいま御指摘のような点、大学教育のいわばある意味では本質的な問題点についての御指摘であろうかと思いますけれども大学教育全体の方向をどういうぐあいに改善し、先ほど来お話のあるように、活性化さしていくかというようなことについて、広くは、ただいまの審議会で申せば、大学基準分科会あたりで、そういうような点についても十分御議論をいただいて、大学全体の大学教育改善充実といいますか、そういう方向について一つの全体での御議論一つのまとまりがいただければ、それをまた各大学にお示しをしまして大学教育の充実、水準の向上といいますか、そういうようなことについても取り組んでまいりたいと、かように考えます。
  100. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、外国人留学生による日本の学位、これは博士相当の学位ということですが、その評価というのの調査がありましたですね。その数字をちょっと示していただきたい。評価しているか、しているというののパーセントで結構です。
  101. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) これは広島大学大学教育研究センターが、日本の大学教育に関する留学生意見調査というのを昭和五十六年十一月でございますけれども、行っておりますが、それによりますと、日本の大学なり大学院の学術水準について、日本の学術水準が国際的な学術水準に達しているかという問いに対しまして、専門分野によって多少異なりますけれども、平均をすれば六三・五%が肯定的に見ております。否定的な見解を示した者が一三・七%というような数字になっております。また、学位の評価について見ますと、最も高く評価されておりますのがアメリカ合衆国の学位、次いでヨーロッパ諸国の学位、その次が日本の学位、この調査ではさらに母国の学位というような順番になっております。したがって、この留学生調査、これがそのまま即全体的 な評価として受けとめていいかどうかの点はあろうかと思いますけれども、一応、広島大学で行われました調査では、ただいま申し上げたような数字になっております。
  102. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今、お話しの点で六六%何がしというのが学部でしたね。大学院というか、高等、高級なもう一つバイアークラスのあれですが、それの評価の数字を今ただ順番だけで言われたわけですが、米国の学位を高く評価しているのが六六%、欧州各国では大体五〇%ですね。それから日本が二一%、母国の学位が一七・六ということは、日本の学位の評価は自国の学位の評価とほぼ同じ、アメリカは三倍ぐらい高く評価している。これは私は重大な問題だと思っています。つまり、日本に留学をして学位を取って帰ったと、意味がないということであって、これで欧米の学位を再取得する人間も出てくる。これは我が国の技術で、学問が水準が劣っているとは私も思っていませんし、事実いろんな学会での比較はそうでない、ちゃんと日本は第一級国であることを物語っていると思うんです。しかし、外国留学生の評価がこれほどひどいというのは一体何なんだろう。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 つまり、この数字だけをそのまま受け取れば、日本に留学する意味はない、たまたま奨学金をもらったから日本という国を見学、見物してこようと、今度はレジャーランドではなくてツーリストとしてやってくるということになっているのではないか。私は、これはかなり重大に受けとめているんです。これは東大の例を申し上げて恐縮ですけれども、東京大学学部に留学をして卒業して、東南アジアの国ですが、我々から見れば医学水準ははるかに日本が上だと思っておりますけれども、東大の医学部を卒業免状をもらって帰っていって国家試験に落ちだと。これ天下に名高いお話があるんですよね。それは東大だけのことを言っているんじゃないですよ。それで東大が教え方悪いと言っているんじゃないんです。東大によって代表したお話として受け取っていただきたい。ですから、こういうことで留学生受け入れている。それでいいんだろうかと。私は留学生というのは国際交流の本当の柱だと思うんです。自分の経験からもそう思っているんです。ですから、私が、今、たまたま留学生の評価の方が客観的であると思って、その数字を出してもらったんですけれども、私は大学教育というものを、ここで大学陣の自覚を促す方向だと思いますけれども考えなけりゃいけないんじゃないかというふうに思っているんです。いかがでしょうか。
  103. 宮地貫一

    政府委員宮地貫一君) 確かに先生の御指摘のように、留学生から見た日本の大学の評価ということについて、その意味での客観性といいますか、そういうような面が確かに御指摘のようにあろうかと思います。私は、先ほど数字で申し上げたわけでございますが、特に先ほどの点で申せば、日本の大学についての情報といいますか、そういうようなものが外国で非常に得る点が少ない。日本に来れば、もちろん当然でございますけれども、まず東南アジアなり、そういう地域から日本に留学をしようという際に、どういう大学があって、どういうことが行われているかということの日本の大学全体の紹介をする一つの手だてというようなものが、情報が、例えば欧米その他の大学に比べて日本の場合には少ないんではないかということがいろんな面で響いている点があるんではないかと思っております。多少、五十九年度予算でも、英文での大学紹介資料というようなものもつくるように努力をいたしておるわけでございますけれども、そういう日本の大学を、いわばある意味では正しく理解をしてもらうための情報を十分提供するということも大事ではないかと、かように考えております。
  104. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 留学生の問題はまた、時間がだんだんなくなりましたけれども、ともかく後にいたしまして、大学教育を少し続けさせていただきますが、教養課程教育なんですけれども、教養に行って無気力だとか五月病だとかと言っているものの一つには、教養教育つまらないと、つまり高等学校と内容がダブっていると。それは、学生も言うし、文部大臣もおっしゃったようでございますが、それに文化教育懇談会でしたか、あの提言の中で一般教養不要論みたいな、と受け取れる発言が新聞に載っておりますけれども、これはどういうことなんだろうかと思うんです。文部大臣、どんなふうに文教懇の提言を受けとめておられるか。文部大臣のそういう御発言があったように思いますんで、ひとつお考えを聞きたいんです。
  105. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 一般教養につきましては、もう先生の方がよく御存じのとおり、戦後、日本の新制大学一つの象徴的なものとして、一般教育とそして専門教育、それを合体した新しい新制総合大学、これは戦後教育一つの象徴だろうと、こう思います。したがって、文部省の立場からいえば、このことはいささか所期の目的と少し違った形に現実に受けとめられている面もあるのかもしれないし、あるいは、そういう意味では、一般教養は高等学校教育の繰り返しにすぎないというような意見があったり、あるいは本来の専門の基礎または準備のための教育なんだというふうに受けとめられて、どうも画一的に、あるいは形式的な内容になってしまった。どちらかと言うと、惰性のままで来ているという、そういうところで、しばしば教養課程は必要ではないんじゃないかというような指摘は、私だけではなくて、かなりいろんな層からも出てきている議論だろうと、こう思います。  今度の文化懇の答申は、正式に私どもは、私が直接かかわりを持っているものではございませんので、総理の個人的な私的諮問機関でございますが、その報告の中では、「新しい時代に向かって大学の一般教育の理念を再構築し、指摘される一般教育専門教育の区別を廃し、改めて両者を統合した大学教育内容をそれぞれの大学学部の目的に即して再編成」したらどうかと、こういう御指摘だというふうに承知をいたしておるわけです。いずれにいたしましても、当初の一般教養のあり方についてはいろんな批判改善や、そして、もう少し所期の目的にもう一遍戻すべきではないかとか、さまざまな議論があるというふうに考えます。したがって、私はそういう意味で、一般教養は必要はないんじゃないかということじゃなくて、さっき先生がおっしゃった。せっかく意欲を持って苦労して大学へ入ってきたのに、そこのところでどうもとんざしてしまっているんじゃないか。ということであるなら、一般教養のあり方は一度再検討してみる必要があるだろうという一つの見方、それからもう一つは、大学の多様化、学制年限のことも考えてみますと、四年ということが果たしていいのか、いや、単位によっては三年、さっきおっしゃったように六日を五日にしたりするとまた長くなるかもしれませんが、いずれにいたしましても、そういう大学の就学年齢というようなことも検討してみると、そういう角度から、いわゆる物理的に見た場合の一般教養のあり方というのは、もう少し考えてみるべきではないか。本来は、もう少し一貫した、専門課程もやりつつ、一般教養もちょっとミックスして、コンバインをしたやり方で単位の修得ができる方法だってあるわけでしょうから。個人においては、それは三学年で、ある程度三年で取れるかもしれない。そういうようなことも考えてみますと、さっき言いました面、そして今言いました物理的な面で、高等教育全体のあり方も含めて検討する、私はそういう時期に来ているのではないかと、こういうふうに考えますので、新しい審議機関などでも高等教育のあり方、学制問題というのは当然議論になってくるでありましょうから、そういう中で一般教養のあり方なども検討してみたらどうかと、こういう考え方で、私は衆議院の予算委員会だったと記憶いたしますが、そういうお話をしたのは、そういう考え方からでございます。
  106. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今のところですけれども、教養課程教育というのは、一般教養教育専門基礎教育と二つが入っているわけですわね。で、文化懇ですか、あそこは、どうも私が読んで受けとめたの は、一般教養教育を捨てると言っているように見えたんです。つまり、専門だけやればいいんだというふうにとれたんですが、私は旧制高校時代の教育を受けた人間ですが、旧制高校のところで一般教養というものを教わったわけです。中学はある意味では受験の時代だったわけですよ、昔の中学はですね、ですから、私は、大学に目的意識を持って入ったという前提なんですけれどもね。偏差値でやむを得ず入ったというんじゃ困るんですが、目的意識を持って入ったとすると、そこで初めて余裕を持って一般教養を受けとめていけるんじゃないか。それが人格形成に最も支障なく全面的に受け入れられると思うものだから、私は、もし一般教養を問題にするんであれば、高等学校における教育大学一般教養との間の仕分けはしておけばいい。大学に入ったら、大学らしい一つのアカデミックな雰囲気で、余りシェネラライズされたものじゃなくて、ある特色を持ったアカデミックな雰囲気で教育を受けることで若い人たちは大学に入ったときの希望を新しく燃やすだろうとぼくは思うんです。それを燃やさせないのが悪いんじゃないかということを私今言いたかったんで、そのときの学制、制度の改革に多分つながるんですよ。いずれ、私は別の機会に大臣にも、私の考えを申し上げさしていただきますが、今は、基本的な意味ではそんなことを考えているんです。  それで、教養問題なんですけれども、今、文化系、理科系ですと、教養一年半、いわゆる昔の学部教育は、専門教育が二年半、医学、歯学は、総合大学においては二年と四年に分かれているわけです。医学部学生に言わせると、実際もう二年というのはだめだと、要らないと。半年ぐらいは何だかんだいろんなことがあって休講になったりと言っていますね。そうだと言うと、また、うまくないようですから——と言っているようです。ですから、私はそういう学生の声をずっと聞いていて、例えば医学、歯学も、せっかく優秀なのが入ってきて、教養のところでぼんやりするような時間が多かったら、せっかくの向学心がそこでとんざをすると。だから、私は、医学、歯学の場合、単科大学はくさび型と称して斜めにおろしていますから、それはいいんです。ところが総合大学はそうはいかない、どうしても分離していますから。少しは相互乗り入れがありますけれども、まあ、だめなんで、私は、その意味では、今の現制度であれば、医学も教養は一年半でいいんじゃないかと、半年残ったら、それは昔のインターンに振り向けたら、その分だけ学部四年目の最後のところでインターンができるのではないかといったような感じを僕は持っているんですが、それよりも学部専門教育で二年半では足りないというのは、工学部だとか法学部なんかで僕の耳に入っているんですけれどもね。確かに専門教育二年半では、昔のレベルをいつも念頭に置いておられると思うんで、確かに足りないんだろうと思うんです。皆さん、もう一年延ばしたいという希望が、ある一部の教官から出ております。同じようなことが獣医学部ではもう出ておって、獣医学部は四年ではだめだと、とうとう六年になりましたね。ことしからですね。そういうのがいろいろあるので、教養課程の見直しと、学部専門教育のことが、今度の学制改革の中でも新しく登場してくるべきテーマではないか、こんなふうに思っているんですが、いかがでございましょうか。
  107. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、先生から御指摘いただきましたこと、細かにまた私の意見具申し上げると時間にかえって食い込みますので、そういうふうに一般教養課程というのは、さまざまな意見が出てきておりますし、文化懇のところも、それを全くなくしろといっているわけじゃなくて、もうちょっと専門教育と一般教育との区別は廃して、両者を一緒にした単位の取得といいますか、そういう大学教育の内容にしてみたらどうかというような提言というふうに私は聞いておるわけでございます。このことが、私どもこれから進めようとする教育改革の下敷きになるということではございません、一般論としてですね。そういう意味で、私としましても、文部省も四十五年の大学設置基準の改正のときにも、かなり、そこのところは柔軟になるようにいろいろと制度上の改正、改革もしてみたわけでございますが、学問分野、さっき先生がおっしゃったように、高等学校における一般教養、大学の一般教養を、もう少しそこをきちっと識別しようではないかというような御意見お話しになっておりましたように、一般教養全体の科目や、そして、その中身、あるいは、また、さっきちょっと文化懇で言っておりましたように、専門教育との間をもう少し一々区別をしないやり方なども含め、そして逆に言えば、先生も今御指摘ありましたように、高等専門科目はもっと広めていかなきゃならぬ面も、分野によってはかなり出てきておると思うんですね。そういう意味で、単位の取得や大学の年限というのは、もうちょっと柔軟に考えてみたらどうだろうか、分野によってかなり違っているわけですから。もちろん、今、獣医なども六年になりましたけれども、そういう意味で、もうちょっと柔軟に、そして専門課程で、ある程度単位を取っていける。例えば私は商学部出ですけれども、原価計算や商業経済や簿記やなんというのはどんどんやればやって、何も四年で修めなきゃならぬというような問題でもないような感じがするんですね。ですから、それぞれ、そういうような柔軟な、問題を検討する課題、その中で一般教養、専門教養の課程はどういうようにあるべきだろうか。こういうようなことも我々の立場で議論していることは、いろいろかえっておかしなことになってもいけませんので、新しい、そういう審議機関で、いろんなバランス、いろんな経験、いろんなお考え方を持つ中で、こうしたことも基本的に一遍思い切って制度上考えてみる、そういういい時期が来ている。そういう意味では、さっき先生が冒頭からずっと一貫したお話の中のテーマに流れております今の高等教育を活性化させる、私はその一助にもなるのじゃないか、いや、一助よりもそのことすべてじゃないかなというような感じもする意味で、新しい審議機関は、ぜひ私は高等教育の問題を大いに議論していただきたいなあと、そういうように考えているわけでございます。
  108. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 あと一分半ぐらいしかございませんので、留学生問題は次の機会に譲ろうと思うんです。  それで、今のことにもうちょっと申し添えますと、文部大臣、御承知のように私は、薬学会の方ですね。医療薬剤師というふうなことを日本薬剤師会あるいは日本薬学会で随分昔から考えておられて、主張しておられたんで、この前の総括質問のときに申し上げたんですけれども、これも六年を希望しておるわけです。そして、医療のための知識を深めた薬剤師が、これからの医療に必要なのではないかと言っているわけです。こういうことが、前に申し上げましたが、医学教育会議のテーマでございますので、医学教育会議というものの設置のことも文部大臣頭にちょっと入れておいていただければ幸いでございます。  ちょうど時間になりましたので、私、これで終わらせていただきます。
  109. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後零時五十四分散会