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1984-04-17 第101回国会 参議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月十七日(火曜日)    午前十時開会     —————————————    委員の異動  四月九日     辞任         補欠選任      大森  昭君     中村  哲君  四月十七日     辞任         補欠選任      吉川 春子君     佐藤 昭夫君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         長谷川 信君     理 事                 杉山 令肇君                 田沢 智治君                 久保  亘君                 吉川 春子君     委 員                 井上  裕君                 大島 友治君                 藏内 修治君                 山東 昭子君                 仲川 幸男君                 林 健太郎君                 柳川 覺治君                 粕谷 照美君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 佐藤 昭夫君                 小西 博行君                 美濃部亮吉君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君    政府委員        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房審        議官       齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省大学局長  宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省体育局長  古村 澄一君        文部省管理局長  阿部 充夫君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    説明員        防衛庁人事教育        局人事第一課長  村田 直昭君        防衛庁人事教育        局教育課長    平林 和男君        防衛庁衛生局衛        生課長      河路 明夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文教行政基本施策に関する件)     —————————————
  2. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  教育文化及び学術に関する調査のうち、文教行政基本施策に関する件を議題といたします。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 安永英雄

    安永英雄君 高等学校教育の問題について質問をいたします。  生徒能力、それから適性、進路、こういったものが非常に多様化してきている。こういう実態や社会経済の変化、これに対応しなければならない、こういった問題が高等学校教育の中に当面の非常に重要な問題としてあるわけです。かてて加えて、六十三年には生徒急増、六十二年とは限りませんが、各県で多少ばらつきがありますけれども、大体六十三年、ここらあたり急増し、またこれが減少していくという、こういう一つ事態考えなければならない。そういうことで、高校設置、それから教育内容方法、こういった点で新しい発想を取り入れなきゃならぬ事態が来たと私も思います。そうして、長期にわたっての展望が必要な時期だと、こういうふうに私は考えます。もちろん、きょうは大臣所信表明に対する質問ですが、この前、大学の問題もいろいろ質問をいたしましたし、特に直接の管轄ではない高等学校の問題、これは大臣もおっしゃるとおり、現在の大学入試大学あり方、こういったものが、いわば高等学校、小中学校に大きく影響している。関連が非常に強い。一口で言えば、高等学校大学の予備校だというふうな極言をする人までもあるわけでありますが、そういった面で、ただ単に各県の方で御自由にというわけにはいかない状態があるのではないか。そういう観点から、文部省大学教育に対する指導、助言、こういった問題についての態度、こういったものについてお伺いをしたいと思います。  そこで、各県それぞれ審議会方式なり、あるいは協議会方式なり、いろんな形態ではありますけれども、今申しました新しい時代を迎えての方向づくりというものが進んでおると思います。そこで、私は先ほど言ったような状態を踏まえて、各県どういう努力をしているか、また、どういうことを今進めておるかという点についてお伺いしたいわけですけれども、これは全国どういう状況かと言えば、なかなか真としたことになりますので、例えば東京都のまず例といいますか、そういったものについてお伺いしたいんでありますけれども、これについて文部省の方で、東京都の新しい構想というものについてわかっておったらお知らせ願いたいと思います。
  4. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 東京都では高等学校教育指導研究協議会というものをつくりまして、新しい高等学校の創造ということで、子供たちの多様な適性能力に応ずる教育を展開していこうということで、いろいろ研究を重ねられているわけでございます。一つは、教育課程内容及び教育方法改善、そして生活指導改善、関連する学校経営面改善家庭教育学校教育社会教育の連携についての検討というような項目に従いまして検討が行われてきているわけでございます。それから一方、高等学校急増に対してどう対応していくかということも並行して議論をしていくということで、特に東京都の場合は、私立公立というのがある意味では逆転している。普通のところは大体七十対三十ぐらいの比率でございますが、東京都の場合はそれが逆に私立の方が多いということで、急増に向かってこれを公立だけで対応するということは非常に将来見通しとして問題を残すということで、公私立間における調整を考えていくということ、それから安定期における高等学校教育見通しを立てて学校の新増設、学級増ということを考えていかなきゃならないということで、一時的に一クラス四十五人のところを四十七人とか四十八人という緊急の対応をせざるを得ないというような状況での対応、そういうもろもろの対応がどの段階でも研究されているというふうに承っております。
  5. 安永英雄

    安永英雄君 東京都のいゆわるピーク時を迎えての新しい構想として非常に特徴のあるものを出しているようなことを聞いておるわけですが、この際、新しいタイプ高等学校をつくろうということで、総合選択制高校、それから単位制高校中高一貫の六年制の高校国際高校体育高校、それから新芸術高校、定・通の独立センター校、こういう七つの新しい構想を描きながら、これに向かって検討し、実施に向けていきたいという構想があります。そこで、私は主に総合選択制高校については後でお伺いしたいとして、文部省のこういった構想についての態度といいますか、指導方針というものについてちょっとお伺いしたいと思うのです。  それは単位制高校という問題なんですが、これは学年の枠を外して、生徒は自由な選択に基づいて卒業に必要な単位を三カ年でおのおの取っていけばいい、こういう単位制高校もひとつつくってみようじゃないかということなんですが、これについて文部省としては指導方向としてはどういう指導をなさいますか。
  6. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 現在高等学校進学率が九四%と非常に高くなっております。それだけ生徒能力適性多様化しております。本来、教育が一人一人の子供能力適性最大限に引き出すというのが教育のねらいでございます。そういう観点から、今、御指摘のありました非常に多様化した、弾力化した高等学校教育を求めていくということは極めて必要なことであろうと思います。したがいまして、その一環として単位制高等学校ということも十分研究していかなければならない問題であるし、むしろ文部省としては、できるだけそうした多様な弾力化された高等学校タイプというものを大いに研究開発していく必要があろうということで研究開発研究指定校では、そういうことも含めて研究をしてきているわけでございます。したがいまして、各県でそういう新しい試みを積極的にやっていただくことについては、前向きに大いに賛意を表しているところでございます。
  7. 安永英雄

    安永英雄君 多様化という問題については後で私も意見を述べてみたいと思うのですけれども、私は単位制高校だけについて今から逐一聞いていきますから、一般的な問題については大体意見は一致するような気もするんですけれども、単位制高校となると、私はちょっと、今、言いましたように、学年の枠を取っ払っちゃって、そして三年間のうちに、おのが向き向き単位を取ってそして卒業していくと、こういう構想東京ではとっている。私は、非常にこれは危険な面も含んでいると思うんですよ。言いかえますと、これが進んでいきますと飛び級の発想につながる構想なんですよ。二年間で三年の分の単位を何らかの形でとっていく、そうすると、二年から、もう終わって、それから大学試験を受ける資格ができるという単位というものを取るということ、これは名前も、あそこは仮称でしょうけれども、単位制高校というのをつくってみようと、文部省としてはこの問題について賛成なのか、大いに推奨すべき多様化方向なのか、この問題に限ってはどうですかと、こう聞いているわけです。
  8. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 現在の学校教育法では三年という修業年限がございますので、それを無視するというか、それに反するような形での高等学校教育ということはあり得ないわけでございます。したがいまして、三年という修業年限範囲内で単位を自由にたくさん子供適性能力に応じて選択できるという形での高等学校であれば特に問題にすべきことにはならないというふうに理解しておるわけでございます。
  9. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、三年という枠は、これはもう当然東京だって取っ払おうという考え方はありません。直ちに飛び級とかなんとかという考え方は今はないんです。したがって、三年の枠は守っていくでしょう。ただ、単位制という高等学校ができるということについては、あなたも、これは義務制とは随分違うんですけれども、この前の説明で、三年生で教える漢字の数が、難易度等考えて、六年間の中で採択していった方が指導がしいいと、私もそう思いますが、しかし、法的拘束力で三年の、一学年の中でせいぜい一学期、二学期、三学期の取っ払いはできるけれども、それ以上は法的拘束力で、それをやりよると処分すると言わんばかりの言い方ですが、これは義務制とは違いますけれども、この単位の取り方というのは、さまざまな取り方があるわけですが、三年間という枠を守れば、その三年間でどのような形で単位を修得しても、これは卒業できると、こういうことは文部省として推奨できるかどうかということです。
  10. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 高等学校卒業に必要な単位は八十単位と最低限決めているわけでございますが、その中で三十二単位必修とするということになっているわけでございます。したがいまして、あと選択ということになります。  そこで、現実的に高等学校で一定の限られた数の教員で授業を展開する際に、必修単位の消化に当たっては、一年、二年、三年というような積み重ねというものが時間割上考えられないと、これは完全に自由にばらすということは不可能だろうと思うんです。あと残りますのは、選択教科につきまして、できるだけ本人の希望、能力適性に応じて選択できるという範囲を広げていくということですから、単位制だけで、学年制を全くとらないというようなことは、現実的な教育としては展開しにくいだろうと思うんです。  東京都の方も、まだ単位制高校というものを一つ研究対象として、どういうように考えていくかという研究段階でございますので、それを直ちに実施しようというところまでの内容ではないというふうに承っております。
  11. 安永英雄

    安永英雄君 これは東京都だけではないから私は聞いているんです。文部省態度をここで承っておこうと思っておるわけです。東京都だけでなくて、新しい構想として、単位というものを三年間でどんな形でも取っていけばいいというふうな構想を持っているから、私は文部省の見解というものをお伺いしたかったわけです。別に私はここでいいとか悪いとかいうことじゃなくて、この問題については飛び紙その他の問題に関連していく、この単位制高等学校をつくったら非常に乱れるような方向に行く可能性もあるので、お開きしたわけです。  時間がありませんから、もう一つだけ。体育高校という構想もあります。これは、現在、全国的に普通高校の中で体育科というのがあるわけですが、これは数少なかったと思うんですが、この点、何枚ぐらいありますか、体育科設置しておる普通高校は。
  12. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 体育科を全日制でつくっておるのは十三ございます。
  13. 安永英雄

    安永英雄君 私もある学校、二校ほど回ったことがあります。やっているカリキュラムも私は見してもらったが、これはちょっと日体大でも、体育大に行こうと思っても、この科におる者は、特別の体育技術能力、こういったものを持っておるかどうかで、わずかしか大学進学はできていないはずです。そこまで聞きません。もうほとんど入れない。これが袋小路なんです、明らかに。というのが、カリキュラムそのもの大学を受験できるようなカリキュラムになっていません。  それはそれとして、これが一つの独立した体育高校という形になると、私はどうもそのイメージが浮かんでくるわけなんですが、こういった方向多様化の中の一つであるけれども、体育高校という構想については、どういう考え方なんですか。
  14. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 高等学校教育でございますから、高等学校の一般的な目標、ねらいとしている教育をまず基礎としなければならないと思うんです。その際に体育系教科ウエートを置いて教育を展開していくということはあり得ると思うんです。ただ、今おっしゃいましたように、大学体育学部にも進学できないような形で体育高等学校が展開されるということは問題であろうと思います。
  15. 安永英雄

    安永英雄君 時間がありませんから、総合選択制高校についてお伺いをいたします。  埼玉県の新座総合技術高校、これは文部省研究開発学校ということであるそうでありますが、文部省はどのような援助あるいは指導、こういったことをされておるか。非常に簡単で結構ですから。
  16. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) これは教育研究開発事業としていろんな学校研究指定いたしまして、その研究成果を今後の学校のいろんな方策を立てる場合に生かしていこうということでやっているわけでございます。したがいまして、具体的に物質的、財政的援助ということについてはやっておりませんで、いろんな研究事業をやる場合の委託事業の経費であるとか、そういうような事業面での研究開発をお願いしているということでございまして、定数とか施設とか、そこの裏づけまではやってないわけでございます。
  17. 安永英雄

    安永英雄君 私は、そういったことは当然だと思うんですよ。  そこで、そのほかにも総合選択制高校、これを埼玉でもつくっておる。神奈川県でもこの総合選択制高校設置をやっておる。こうした設置について全国的にはどういう傾向といいますか、現実にある総合選択制高校というのはどういう設置状態ですか。
  18. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 全国的には子供の数がふえていく、その対応策として新しい学校をつくっていこうという動機をとらえまして、今、御指摘になりましたような総合選択制高等学校であるとか総合技術高等学校をつくるという方向の新しい企画がされているわけでございます。私たちの承知しておりますところでは、神奈川県であるとか岡山県でそういうような形の高等学校をつくろうという動きがあると聞いております。
  19. 安永英雄

    安永英雄君 これ、しかし動きがあるとか先の話じゃないでしょう。それぐらいですか、文部省のつかんでいるのは。
  20. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 埼玉県の二つは既に開校されております。岡山県でも、ことし、新設高等学校を開校したということを聞いております。それから神奈川県は昨年から双子の高等学校をつくったというふうに聞いております。
  21. 安永英雄

    安永英雄君 この種の総合的な選択高校について、簡単で結構ですが、文部省としてはこういった高等学校というものは評価しているわけですか。
  22. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 新しい一つ試みとして評価しているわけでございます。
  23. 安永英雄

    安永英雄君 そこで、評価をしたとしても、相当内容的に注意しておかなきゃならぬ問題がたくさんあると思うんですね、これ。  例えば、これいつごろですかね、三十年から四十年ごろですか、ここあたりで、日本経済高度成長期のそういった時期に、とにかくできる子は普通高校へ、できない子は職業の高校へと振り分けまして、特徴的なところが富山教育と言われたあの当時のことです。これはもう完全に失敗しましたね。これの轍を踏んじゃいけないというふうに思うんですが、時間もありませんから、文部省のあの当時の指導なんというのは一聞いている時間ありませんですけれども、少なくともあの失敗は今度の総合選択高校について二度と繰り返してはならないというふうに私は思うんです。これが一番大きな注意をしなきゃならぬ事項ではないか。当時も多様化という言葉を使っていたんですよ。多様化という言葉を使っていたけれども、とにかく企業その他に必要な初級の社員とか初級技術者、こういった者を直ちにほしいという財界の要求も確かにあった、足らなかった、それから選択して差別、選別をやったというんで非常に不評判だった、この点あたりの反省からその点はどうお考えになりますか。
  24. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 先ほども申し上げましたように、九四%の子供がおりまして、その一人一人の適性能力最大限に引き出していくというのが教育のねらいでございます。そういう意味で、純粋な意味でそれにふさわしい教育機会が与えられていくということは必要なことであろうと思います。また、それが特定グループエリート教育のみを推進するというような結果に陥らないようにしなければならないと思っております。
  25. 安永英雄

    安永英雄君 これは、また後日——総合選択制高校については文部省としても検討はされておりましょうけれども、もう現場では必死になって各県やっているんですが、はたから見ますと非常に危険な状態にあるようなところも私は見てまいりました。この点は機会がありましたら、もう一度文部省の各県の指導方針等につきましては具体的にお聞きしたいと思います。  そこで、いま一つ問題なのは、今も全国のある程度の状況を報告していただきましたが、岡山県なり神奈川県なり、いろんなところ出ましたけれども、今から一斉にこういった設置の問題、それから教育内容、こういった問題がだんだん固まっていく時期になってくると思いますが、見てみますと各県で非常にばらつきが多いんです、ばらつきが。  そこで大臣にお聞きしたいと思うんですけれども、非常に裕福県といいますか、財政的に。ここらあたりは六十三年を目指して生徒がずっとふえていくというこの機会をとらえまして施設も充実し、それで減少期に向けてもちゃんとその計画まで立ててやっていける能力がある。例えば今の総合選択制高校などというところは、そういったところがやっている。ところが反面非常に財政的に苦しい、貧弱県と申しますか、弱小県あたりでは、六十三年目指して生徒のふえる、それを何とか入れ物をつくるだけにもう精いっぱいだ、その今の生徒入学率その他からいけば、これだけふえる、したがって校舎、施設あるいは教員の数、これを最小限度にとどめていかなきゃならぬという、こういう県も多く見受けられます。これはゆゆしい問題だと思うんです。財政の豊かなところだけは将来展望をもって非常に堅実な具体策にもう今から乗り出しているし、実現にやっている。片一方の方はどのくらい校舎増すか、つけ足すかとが何とかいうくらいのことのところでまだもたもたしているところもある。これはどうしても文部省の方で、政府の方で指導なりあるいは援助ということが私は必要だろうというふうに考えます。この点についての大臣のお考えをお聞きしたい。
  26. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほどから安永先生高石局長議論も私伺っておりまして、局長から申し上げましたように、高等学校へ進む人たち価値観というものも大分変わってまいりましたし、高等学校存在そのものも、社会の中でいろんな見方も、従来とは私は完全に変わってきたと思っております。  そういう中で、各県が高等学校におきます設置の責任の団体として、いろんな立場で御検討いただくということは文部省としては大変意義のあることだと私は考えておりますが、確かに先生指摘のように、各県によってばらつきがいろいろございます。  今、裕福県とそうでない県というふうなお話ございましたけれども、どちらかというと裕福県の方が私学ウエートが非常に多いという面も、私はすべてだとは申しませんが、私の石川県などは裕福なのか裕福でないのかよりも、公立が主でございまして、余りいいことじゃないんですが、どうも高等学校公立に入れなかった人たちを、あとお余りを私学で分かち合っているというような感じがありまして、私は余りどうも賛成じゃないので、もっと私学は権威持ちなさい、こう言って、いつも申し上げておるわけでございますが、そうした、いわゆる財政的なばらつきによって、高等学校に進む人たちに不公平がないように、このことは文部省としてその対応十分配慮をしていかなきゃならぬ、こう思っております。  安永先生先ほどからの御議論先生自身もお話されておりましたように、いい悪いということ、今ここでは私自身も言えない、こう先生おっしゃっておられます。そのとおりだと思うんですね。この方向は将来日本高等学校あり方について、それぞれの専門家の皆さんがいろんな角度で御検討されていることでございますから、文部省としても、その方向多様化になっていく方向にできるだけお手伝いはしていかなきゃなりませんけれども、今、先生から御心配ありましたような、高等学校人たちが、その県に生まれ育つことによって不公平なことにならないように、このことは文部省として十分都道府県教育委員会等についての指導をしていきたい、こう考えております。そういう観点から都道府県教育長協議会とが、あるいは指導部課長会議とか、いろんな会議を通じまして情報も私どもは収集もしなきゃなりませんし、また、今先生から御指摘のありましたようなことについての誤りがないような、今申し上げたような不公平感が出てこないような、そういう趣旨の徹底も図ってまいりたい、このように考えております。
  27. 安永英雄

    安永英雄君 次に、高校入試の問題についてお聞きしますが、全国的な公立高校、この選抜状況についてお聞きしたいと思うんですけれども、これもまた、四十六都道府県やっていますと、もう時間がありませんので、特に四点ほどについてお聞きしたいと思います。  選抜学力検査実施の上で、教科と、いわゆる五教科とか九教科とか三教科とかいう、あの試験教科、これは現在どうなっておるのか、全国的に。そして、これは変わってきたと思うんですが、そういった推移の状況をお知らせ願いたいと思います。
  28. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 四十二年から四十八年までの傾向でまず申し上げます。  四十二年度は九教科実施していたのが二十三県、五教科が十八、四教科が二、三教科が三でございます。これが五十八年になりますと、九教科ゼロ、五教科四十五、四教科ゼロ、三教科一、その他一でございます。
  29. 安永英雄

    安永英雄君 この各県の選抜についての検討機関というものはどのような状況設置されていますか。
  30. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 昨年の十二月八日に、高等学校入試問題についての検討会議を発足したわけでございます。それは、中央教育審議会が経過報告を出した際に会長の談話の中で、緊急に対応すべき四つの中の一つとして指摘されたわけでございます。それを受けまして、昨年十二月八日に有識者から成る検討会議を発足させたわけでございます。その会議は、月に大体二回程度の、かなりのピッチを上げた会合を開きまして、六月の末には、その会議の中身をまとめて報告をしていただけるという段階に来ると思います。
  31. 安永英雄

    安永英雄君 次に、学力検査調査書、これの比重の関係、全国的にどうなっていますか。
  32. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) これも五十八年度の状況で申し上げます。  調査書の学習の記録と学力検査の成績を同等に見ているのが二十五県でございます。それから調査書の学習の記録及びその他の記録と学力検査の成績を同等に見ているのが十でございます。学力検査の成績よりも調査書を重視しているのが九でございます。その他が二ということで、一般的な傾向で申し上げますと、学力検査と中学校における調査書、これを同等ないしはそれ以上に見ているというのが大体の全国的な傾向でございます。
  33. 安永英雄

    安永英雄君 身体障害者の高校への進学状況、特にこの内容として、ちょっとこれとは別になるかもしれないけれども、今いわゆる養護学校、これの高等部というのがどのぐらい設置をされておるか。それと進学との関係、あるいは各学校におけるいろんな普通の学級から身体障害者として高等学校入試を受けておる状況、これあたりは、なぜかといいますと、高等学校側の施設が整わないとかなんとかいって排除しているような状況もありますが、現在の全国的な状況としてはどういう状況になっていますか。
  34. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 身障者の障害の程度がいろいろありますので、なかなか統計的な数字で申し上げること非常に難しいわけでございますが、まず、学校状況から申し上げますと、養護学校につきましては、高等部を設置している学校が三百七十二、全体の五二・二%が高等部をつくっているわけでございます。そこに在籍している子供が一万八千程度でございます。なお、それ以外に普通の高等学校に身障者で進学している数もあろうかと思いますが、これを正確に区分けしてデータをとっておりませんので、詳細な中身を申し上げかねるわけでございます。
  35. 安永英雄

    安永英雄君 この点は、私もまた別な機会に、これは重要な問題をはらんでおりますので、機会をかえますので、この点、十分検討していただきたいと思う。もう少し、私は、文部省、この問題について手を入れてやる必要があるところがたくさんある。特にもう高校へ行きたいという者についていろんな障害がたくさんあるんですよ。それについて、どうしても県段階では処理できない。これはもう国の方が乗り出さなければできないという問題がたくさんあるので、この問題は討検していただいておると思いますけれども、機会をかえます。  そこで、この高校入試改善という問題については、いろんな意見があるわけで、例えば、今お聞きしました学力検査調査書との比重の問題、これはもう少し調査書の方を重く見た方がいいんじゃないかという意見等もある。あるいは調査書のうち学習記録以外の評価もこれはやらなければならぬのじゃないか。あるいは推薦入学は、今、大体、工業系統ですか、これも普通高校への拡大も必要ではないか、こういう意見もあるようです。そして、これは文部省としても考えなきゃならぬと思うんですけれども、いわゆる学校教育法の施行規則の五十九条、これは余り一律過ぎやしないか。同じ問題で、同じ日に、県内は同時にやると、これがもう施行規則に頑としてあると。これあたりでは特色のある学校をつくろうと思ったら、受け入れ側の方の立場も考えなきゃならない。こういった多様な、それこそ多様な選抜方法があっていいのではないかという、私もそう考えます。同じ日にちに、このごろは何か全国並べておるようですな、あれは文部省指導か何か知りませんけれども。昔は福岡県で受けて、どうも危ないと思ったら山口県に飛び込めばもう一回試験受けられよったんだけれども、何だかこう、このごろは全国またずっと広げていくような、これは確かに文部省指導にほかならないと私は思うんだけれども、ここらあたりの弾力的な考え方というのは道を開かなければならぬのじゃないか。先ほど学力検査調査書の比重等も全県同じということではないでもいいのではないか。先ほどの新構想高等学校あたりをつくったとすれば、これは全くその学校独自の問題がたくさんあるんで、これは調査書の方をもう最大限に見ていくというところもあろうし、あるいは学力検査の方をというところもあろうし、余り一律に縛ってはならないと思うんですけれども、この点あたりはどうですか。
  36. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) まさに御指摘のとおりでございまして、今、御指摘になったような角度から、この検討会はいろいろ議論していただいております。したがいまして、画一的でない、もう少し多様な、弾力的なやり方というのが必要ではないか。特に受験をする側から見ると一回しかチャンスがないということについては、もう少しチャレンジできるようなことを考えるとかということも含めまして、全く御指摘になりました角度から検討が行われているわけでございます。
  37. 安永英雄

    安永英雄君 高校入試改善検討会議なるものを、これは私余りよく知らないんですけれども、これはどういうメンバーでやっていますか。
  38. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) まず関係の高等学校の校長、それから中学校の校長、それから行政関係で教育長、それから指導課長、それと国立教育研究所並びに地方の教育研究所の方々、学識経験者、私学関係者ということで、全体で十八人の方方から槻成しておりまして、非常に幅広い形の検討が行われているわけでございます。
  39. 安永英雄

    安永英雄君 幅広いメンバーとなれば、これは現場の先生、どうして入れないんですか。実際、どうしようかといって入試問題については悪戦苦闘している。こういった幅広い層といったら、そこを入れなきゃ意味ないんじゃないの。
  40. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 現場の進路指導担当の専門の方も入れているわけでございまして、なかなか現場代表といっても、何をもって現場代表とするか、いろいろ見解が分かれるところだと思うのですが、この入試問題は、まさに広く教育の現場にかかわり合いがありますので、そういう角度から人選をしたつもりでございます。
  41. 安永英雄

    安永英雄君 人選の問題についても注文はあるんだけれども、現実にこれは今進んでおると、しかも報道機関の記事あたりを見てみますと、六月あたりで結論を出して、できれば来年の三月の試験に間に合わしたい、こういうこともちらっと見たんですけれども、それはそのとおりですか。
  42. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 高等学校入試問題は基本的には各県で決められることでございます。したがいまして、私の方では各県が高校入試改善についていろいろ検討をされる際の基本的なデータ、指導というような形で指導、助言をしたい、そういうことで六月という目安でつくっているわけでございますが、それを受けて各県が具体的なまた検討会議をおつくりになるところが多いんじゃないかと思います。  そこで、例えば教科を増減させるというような問題になりますと、それはすぐはやれない、二年ないし三年の経過措置を設けてやっていかなきゃならないという問題もございます。  それから調査書の見方につきましても現在までの教育の展開が変えられたことによって急に大きな変動があってはいけないという経過措置も考えていかなきゃならないというようなことがございますので、すぐに実施できる分野と、少し時間をかけて、そして検討していかなきゃ、経過措置を設けて移行していかなきゃならない問題があろうと思っております。したがいまして、六十年度から、すぐに、すべて今回の結論が出されたものが現場で実施されるというふうには思っていないわけでございます。
  43. 安永英雄

    安永英雄君 そのことなんですよ。そのことをはっきり言っておかないと、これは文部省の方でこの検討やっている、これは注目していますよ、全国。これはもう父兄も注目しているんですよ。ああいう新聞に出ているし、来年の三月からもう実施するんだ、だから教科も、時々そして漏れて——漏れてというか、当然漏れなきゃならぬのだけれども、後でこっちは主張したいと思うんだけれども、時々、五教科が二教科に、国語と算数になるんだ、新しく文部省はする考え方を持っているんだとか、あるいは今の行動記録とか、これは大臣も何か予算委員会でも答弁された、答弁というよりも−質問を受けて答弁をされたんですね。何か自治活動あたりで、生徒会の自治会の委員長をやっておれば最高点で通るようなこととか、あるいはスポーツで日本選手権あたり、中学校の大会へ出て優秀なのというのに点数うんとやるぞと。こういうことで慌てて三月、今始まっておるのに、これはあなた、大体、今ごろ学校やりますよ。皆、選挙でビラ張りましてね。私が委員長になりたいというんで立候補してちゃんとやっている。ひどいとこは父兄が動いていますよ、これ。自分のどこの今まで学校の中で、選挙運動らしく、同学年の者が集まって、うちの候補者に入れてくれと言って学校の中でやっている。これは教育のためにやっているんですけれども、もうあのことを聞いて、これはもうとてもテストの点数が足らないと思ったら、学級の役員とか、そんなものになっておかにゃ、とても高等学校通らぬぞとか、それから運動をやっておかにゃならぬというんで慌てて各クラブ活動に入ってやっている。これは涙ぐましいあれですけれども、六月に大体そういう方向文部省出すと言わんばかりのことが流れている。そういうことで大臣が御答弁されて、点数そのもので隣の子が一点−点数が明らかに出て、一点減って内分のどこが落ちて一点上のどこが上がったというのなら納得いくけれども、おれんちのとこは運動神経が鈍いんで選手にもなれない、自治会長にもなれぬやつだから、落ちたとなれば、これはどうしたって残念で、この点、主観的なものが入ってくるし、いろんな点でこれはどうなるんだろうという心配もあるけれども、現実にそういった問題が予算委員あたりでちらちら出てみたり、さらに選挙中でも、そんなことがどんどんやられておるものですから、そして文部省が、かてて加えて、六月で結論出して来年に間に合わせる、こういうことを育っているんで、私は、今の現在の検討状態——態度はわかりました、今。できるもので、これは各県の自主性に任してある、こう言いますけれども、文部省がやったら待っているんですよ。みんな各県、あなたのところでそういう右へ倣えさせるでしょうが。北海道から沖縄までぴしゃりこうやるというのがあなたたちの、何でもかんでも合わせたいというんだから。文部省検討した結果を尊重してください——指導員まであなたたち派遣して各県やるんじゃないの。それが、あなた今までの常套手段だけれども、それをやらないで、今のあなたが言ったとおりのことで、参考に使ってください、方向ぐらい出しますと、だから必ずしも来年の三月からは文部省がつくったってそれは直ちにやれるものじゃございません。こういうことを何らかの形で表明しなきゃならぬと思ったから、この点は皆大騒ぎですよ、これ。あなたたち知らぬかもしらぬけれども。改善検討会議なるものの到達した今の状態、それをこの委員会ではっきり述べていただきたい。先ほどのとおり、私が聞いた、そういうことをやっていますじゃだめ。
  44. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 委員会では学力検査あり方とか調査書に至るまでずっと個別に論議を重ねてきたわけです。そしてこれから小委員会、ワーキンググループをつくりまして内容の取りまとめに入ろうかという段階でございますので、今の状態委員会でどういう方向でどうだということを申し上げられる段階に来ていないわけでございます。ただ、基本的には先ほど先生指摘になりましたようなポイント、角度から論議されているわけでございます。したがいまして、そういうことでございますので、流れ、方向というのは、先生の御意見と、今、委員会で論議されている流れというのは、方向はある程度一致するのではないかというふうに理解しておりますが、まだワーキンググループで作業もやっていないのに、私がここで、べらべらしゃべるというわけにいきませんので、その程度に御了承いただきたいと思います。
  45. 安永英雄

    安永英雄君 それは下手なものを今ごろまた言われたってますます混乱するばかりだから。しかし、六月はすぐですよ、もう固まっておかないと。やっぱり大臣からこの点については一言はっきり言ってもらいたいと思うんです。これはそのことで、これを委員会を通じて全国の皆さんに知らせるということも、これは大臣として大事なことじゃないかと思う。お願いします。
  46. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) まず、今検討をいたしております検討会議先ほど局長から申し上げたように、六月の末ごろまでには改善意見を取りまとめたい、こういう方針のもとで進めておるわけでありますが、幅広くいろんな角度からの議論をいただいておりますので、細かい内容につきましてはここで今申し上げることは、かえって、今先生からおしかりをいただいたばかりでございまして、ひとり歩きをしてしまうわけでございます。例えば、よくいろんな会議を公開する、しないという問題で、ちょっとおしかりいただくかもしれませんが、我々が話をしなくても、学者の皆さん、参加された皆さんが、ついきょうはこんな議論が出たよということを親しい新聞記者などにちょっと話されただけで、それがそういう問題について今検討会議議論されておると新聞に出ただけで、児童、生徒はそういう方向、あるいは先生がおっしゃったとおり、親がそういうふうに見てしまうということでございますので、今はただひたすら御専門の皆さん方がどのような御議論でおまとめになるかを、むしろ、私どもはどういう内容か、私自身も一遍も聞いたこともございません。そんなことをうっかり私が知って、どうもこんなこと検討するみたいだよなんというようなことやっただけで、それがもう新聞の見出しになってしまうということを恐れるからでございます。  それから、今、安永先生からおしかりよりも、まあ、御指導いただいたと私は解釈いたしておりますが、予算委員会を通じまして、衆参あわせて、私はこのことだけは常に念頭に置いておきました。それは、例えば、先生の政党ではございませんでしたと思いますが、共通一次テストぐらいはこの場でどうやるかぐらい明言したらどうかというようなことの御質問もございました。私は時期を繰り下げるとか上げることぐらいのことは、ここである程度は申し上げられましょう。しかし、科目についてこのようにいたしますよとか、あるいは評価をこのようにして、もうちょっとクラブ活動やボランティアなどを、こういうようにしたら、その方にウエートをかけますよなんということ言っちゃっただけで、今、高等学校に入っている人たちが、みんな、そのために勉強の仕方が全部変わってくるんです。したがって、五教科七科目云々することとか、どのような評価の仕方するとかについては、この委員会でどういう御質問があっても私からは申し上げることはできないし、このことについては非常に私は慎重にしなければなりません。こう私ばずっと——どちらかというと私は多弁な方でございまして、ついつい先生方のお話で共鳴して、こうもああも言いたいなと思いますが、このことだけは常に私は自分を戒めて気をつけてきたつもりでございます。  評価の方法につきましても、今、安永先生、予算委員会で私の発言したことをちょっとお取り上げになりましたが、これは議事録をお調べをいただくとわかるんでありますが、評価の方法も、私は単にスター選手になったり、すばらしい記録を上げる人を評価するというんじゃなくて、そういう人も評価する方法はないだろうか。あるいは、たとえ三年間でも、高等学校の場合です、中学校でもいいですが、黙々と補欠選手に任じて、ブルペンキャッチャーでエースのために球を受けてやった人を評価するような方法がないだろうか。あるいは、みんな嫌がることを一生懸命学校で後に残ってボランティアをやった生徒さんを、もう少し評価してやることはできないだろうか。どうも、今の高等学校も中学校も、勉強しない子はだめなんですよと先生指導——これ先生、悪くないんです、そういう社会の要請がそうなっちゃうものですから、先生方が御苦労されていることは十分わかるわけでありますが、もう少し勉強したい人がやればいいし、勉強が余り好きでない人は思い切って運動をやったり、ボランティアをやったり、人様のお世話をするというようなことをやり、そのことが次へ進む進路のところで評価されるような、そういう学校現場に何とかできないだろうか、文部省もそう願っているし、恐らく、諸先生方はみんなそのことを願っていらっしゃると思う。何とかそういうふうにして能力や学力だけで評価する方法ではなくて、人間性というものを評価し、そして中学校高等学校などで、一生懸命にそんなことに汗水を流した人たちを評価する方法が、何かいい形で、うまい形で選ぶ方法がないんだろうか、こんなことを私は委員会で申し上げてきたつもりでございます。  それにいたしましても、一点差の場合は、若干の違いがありましても、生徒会の活動だけで評価すると、今、先生が御質問されたような、じゃ、自分の子供はもっと生徒会活動させなさいというようなことになるのかもしれませんが、この辺の評価の仕方を学力と、そういう調査票というものを、どういう点数でいくのかということもまだきちっとしておりませんね。明示されてない。そういうところにいろいろ問題もあるんだと思いますが、こうしたことも恐らく検討会議でお話し合いがなされているのではないかというふうに私は想像をいたしているところであります。
  47. 安永英雄

    安永英雄君 それじゃ困るんですよ。それじゃ私は困るから、はっきり言ってくださいというのは、あなたがいみじくも言われた、それがきょうの議事録に載る。ますます今のボランティア活動やら何やらやりますよ。あなたがこの審議会の内容一つも知らないというのじゃなくて、文部大臣は一番偉いんだから、文部大臣の口から言っているんだからそのとおりになるだろうという、そういうことになるから私は言っているんですよ。今の議事録の中では、文部大臣は今の審議会の内容一つも知らないということが一つわかるわけです。しかし、余分にそこのところもう一遍繰り返す必要ないでしょう。文部省も今の経過というのは自分も見たこともない、またどういう形で決まるか知らないけれども、その決まったものについては各県を拘束するものではないし、また来年の三月から間に合わせるというけれども、来年の三月からは、それを受けて県の方でいろいろ審議するだろう、一つの参考になるだけなんだということを言ってもらいたかったわけですよ。ますます、あなたここで自分の考え方を言うたら、だれだって——審議会に顔出さなきゃいかぬですよ、あなた。途中、一遍ぐらい座って聞かなくちゃ……。
  48. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そういう方向を望んだのではなくて、予算委員会で、先ほど先生からおしかりをいただいたから、こういう考え方を前提に申し上げたのですというちょっと繰り返しをしたわけです。それもいけないというんだったら決まり言葉しか話ができないわけでありまして、そういうことになっちゃいけないので、それで私どもも発言に十分注意しておりますし、予算委員会はそういう心持ちで申し上げたんですということを繰り返したわけでありまして、適切でなかったというんなら、これは全くそういうことを文部大臣としては希望も期待もしてはいけないということになっちゃうわけですから、一切お話ができないことになってしまいますから、予算委員会のことの説明を、言いわけということじゃありませんが、申し上げたというふうに先生どうぞお受けとめをいただきたいと思います。
  49. 安永英雄

    安永英雄君 私は取り違えて責めているわけじゃないんですよ。そういうことがえてして全国に広がっていく。しかし、局長の方は私に答弁したように、これは一つの試案、一つの参考ということでやってもらうことを研究しているんですと、だから三月から、がらりこの問題、入試内容が変わっていくということは、一にかかって各県がやることです、こう言ってもらえばいいわけなんです。それを私は言ってもらいたかった。そういうことを言うと、ますますそれは、一番偉いんですから、これはあなた、文部省の機構を国民知っているわけじゃなし、この点はそう言ってもらいたかったわけですよ。
  50. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) ちょっと僕は二つに分けて申し上げたつもりがあるんです。最初は局長から申し上げたとおりで、六月ごろまでに改善意見がいいものが出るだろうということを期待しておりますと、こう言って、二度目は予算委員会のことをちょっと言いわけした。それがちょっと長くなったものですから、その方が先生に印象強く映ったんだろうと思いまして、最初のところは局長申し上げたとおり、私もそのように解釈をいたしております。
  51. 安永英雄

    安永英雄君 次に、業者テストの問題について質問をいたします。業者テストの問題につきましては、これはもう三回にわたって文部省としては各都道府県の教育委員会に対して通知、通達、これを出しているわけです。最終的には昭和五十八年の十二月八日ですから、昨年末に事務次官の通知という形で出されております。これは一番初めに福田さんが出されて、それから諸澤さんのときになってまた出されて、五十一年の九月の七日、そして五十八年の十二月の八日。これは私も読んでみたけれども、この内容は、大づかみに言えば、同じことを言っているというふうにとっていいですか。
  52. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 基本的にはそうでございますが、今回の次官通達は、昔は勤務時間内に業者テストを利用するなとか、業者から金をもらってやるなとか、そういうことも含めて申し上げたわけでございますが、今回の次官通達は、学校における適正な進路指導について、業者テストというよりも、偏差値のみの指導体制というのは是正していくべきだという基本の線に従って通知を出したわけでございます。
  53. 安永英雄

    安永英雄君 わかりました。だから、ごく最近の状態を受けて、非常に私は、通知、通達で、一番最後の次官通知ですか、これは相当厳しい内容になっていると、気持ちとしては。文章としては、そう変わったことではないけれども、厳しい通知になっているというふうに私も思います。  そこで、後でこの問題でずっと質問していきますので、この内容については、「偏差値のみを重視してこれを行うことがないようにする」というのが一つの大きな柱になっている。そして、各「学校においては、このような業者テストに依存することなく、主体的な進路指導の体制を確立するようにすること。」と。ここが、この二本の柱が一番強く出ているということです。だから、この通達そのものは、業者テストは使いなさんなという趣旨だと私はとりますが、どうですか。
  54. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 生徒の進路指導をする際に、学力の面を評価する際の資料として業者テストが使われるということは適当でないということで、例えば、どこの学校に行ったらいいとか、ここの学校は受かるとか、そういうような基本的なデータとして、業者の行うテストに依存することは適当でない、こういう考え方でございます。
  55. 安永英雄

    安永英雄君 言いかえると、いわゆる進学指導にこの業者テストを使ってはいけない、これだけははっきりしておって、あとはまあ使ってもよろしいということになるんだろうと思うんですが、その前にちょっと聞きたいことがあります。今、業者テストの業者はどのくらいおりますか。
  56. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 各府県で行われている主な業者テストの業者、全部完全に掌握できているかどうか問題でございますが、全体で六十八でございます。
  57. 安永英雄

    安永英雄君 これは減る傾向にあるんですな。例えば諸澤さんが出した通知のあの状態のときには八十一社。
  58. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 当時は八十一社ございましたのが、現在、六十八社でございます。
  59. 安永英雄

    安永英雄君 ちょっと先に聞いておきますが、今の調査の時点はいつですか。今からずっと聞いていきます。いつの調査です、それは。
  60. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 六十八社というのは、五十八年の末でございます。
  61. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、あの通達のときには、既に今から言うデータ出ておったんですな。後から出したのか。なぜデータつけないで、通り一遍の、十二月のあの選挙の一番騒がしいときに、ばかあんと、とにかく紙切れだけ各県に出しておる。現在、こういう状態というのは一つも出していない。ところが今聞くと、五十八年末のデータと言うけれども、そのときにあったんだね。なぜつけなかった、これ。
  62. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) これはいろいろな見方があると思うんですが、民間でこういう業者がいらっしゃること自体、その存在自体が現在の我が国の制度下で存在している合法的な業者であるわけですね。だから、そのこと自体をやり玉に上げていくというのはちょっと行政としても行き過ぎだと思うんです。問題は、こちら側の、利用する側が、そういうものについての自粛的な対応をしていくというのが基本として必要ではないかということで、業者の名前まで挙げるのはいかがかというふうに思うわけでございます。
  63. 安永英雄

    安永英雄君 そんなことを聞いているんじゃないです。最後まで私は業者の名前出せなんというようなこと言やしません。調査全部について、何年のときのこれはデータかと今、聞いている。当初に聞きよるわけですよ。——まあいいです、それは。出てないんだから、全国的な。後で聞くけれども、鹿児島あたりは勝手なデータでやった……。  参加の回数はどうです、全国的に。
  64. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 回数で申し上げますと、一番多いのが五回から六回というのが三年の場合十九県、それから三回から四回というのが十五県、一回から二回というのが五県、七回から八回が三県、九回から十回が二県ということでございます。
  65. 安永英雄

    安永英雄君 業者テストを利用していない学校状況について、あわせてどのような理由でそれを使っていないのか。
  66. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 業者テストが行われているのは四十四でございます。利用されていないのが三県でございます。それから、業者テストそのものが行われていないのが三県でございます。業者テストそのものが行われていない県は、校長会や教育研究団体が、それにかわる内容実施しているということでございます。  それから、業者テストが使われていないのは、その学校における期末テスト等の結果や過去の実績を利用して進路指導に利用されているということでございます。
  67. 安永英雄

    安永英雄君 ほとんどが業者テストを使っているということなんですね。  そこで、鹿児島県のいわゆる阿久根市、ここの阿久根中学、大川中学の問題について質問をいたします。これは業者テストの実施に対して反対をして実施を拒否した、こういった教師に対して職務命令をもって実施を強要し、応じない教師に対しては懲戒、戒告処分を行ったという事件の問題であります。これが当時、非常に大きな問題になりました。これは例がないです。  そこで問題は、業者テストというものを実施させるときに、果たして職務命令が出せるかどうかという問題であります。これは今さっき確認をしましたように、この厳しい通知では業者テストはやってはならない、こうなっている。まあ、例外が幾らかあるようですけれども、後から出るかもしれませんけれども、とにかく、それをさしてはならない。教師自身が、自分の手で自分の学級の子に対する問題を作成し、それによって日常の学習指導にも役立たせようし、あるいは進学指導というものについても、一番よく知っている先生というものが、いろいろ進学指導をするというのがいいんであって、ここにも書いてあるように、あれでしょう、一番新しい通達にしましても、こういったものは、とにかく教師がやることが好ましいんだということも前の通達にも出ている、先生が実際にやれと。そのとおりにやっておって、褒められこそすれ、これに業務命令出して、そして従わなかったと言って処分をする、これは、とにかく言語道断だよ。文部省がこれを認めるということになれば、これは大変な問題だ。第一、業者テストをやらせるというふうに職務命令出してやるというのは、これ職権乱用だよ。ましてや処分をするということについては、これはまさに処分権の乱用だよ。文部省どう考えますか。まず大臣からお聞きしたい。
  68. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 鹿児島県で行われたのは標準学力検査という内容でございます。標準学力検査、要するに、高校進学のための進路指導のための業者テストではないわけでございます。もちろん、業者がつくったものではありますけれども、基本的に、先ほど申し上げましたように、A校に行くのには、この業者テストの何点ぐらいの偏差値でどうだという意味のテストではなくして、標準学力検査という形でございます。この標準学力検査は各県でもいろいろな形で行われておりまして、具体的に鹿児島で行われているのは、一年生、二年生、三年生の新学期、大体四月ないしは五月に行うわけです。しかも一回。それは自分の学校子供たち全国的ないしは県内でどれくらいの学習到達度であるかというものを知るための標準学力検査でございます。それを行いまして、それの結果を一年間の授業の展開に生かしていこうということで、進路指導のための業者テストとは基本的に違うわけです。そういう差があるので、鹿児島はほとんどの市町村で市の予算に計上しているわけです。そういうような有効な手段となる、しかも、科学的データに基づく標準学力検査の問題を利用して、その後の学年の学習に展開きしていく貴重な資料であるということで、ここの町でも約百八万円の予算を計上して、一年生、二年生、三年生と、新学期になったらそれを実施して、それをもとにして、国語に力を入れるべきものは入れる、算数に力を入れるべきものは算数に力を入れる、そういう内容のものでございます。そういう内容のものまで、この通達で排除しているというわけではございませんので、民間でつくられる標準学力検査、それが非常に信頼性の高いものであれば、それは利用されてしかるべきでありまして、民間でつくられたものは一切だめというようなことではないし、ましてや標準学力検査という形の問題であれば、その利用は全国的にも大いに利用されているし、学習面にも利用されている。そういう内容のテストというのが鹿児島におけるテストでございます。
  69. 安永英雄

    安永英雄君 だれがそういう、大体、基準をつけたの。業者テストというのは、業者が問題をつくり、業者が採点をする、これが業者テストでしょう。それが、一般の日々の学習指導に役立たせるという目的であれば業者テストではない、進学指導に使ったときに初めて業者テストだと、こういう使い分けはどういうところから出てくるかね。私は、それはあえてもう言わない、あなたのところ、学力テスト、かつて文部省がやった学力テスト、あれと同じ論法だよ。いつまであんな古くさい論法を使うんだよ。文部省も実態調査に出かけたと言う。私は二回行った。阿久根に。二回。鹿児島県じゅう駆けめぐってきた。全国もう回ってきた。この問題について調査をしてきた。あなたが言うような、阿久根の、業者テストではないテストだということは言えない。教育長も校長も、専務の先生方にも会ってきた。学校全部回ってきた。教育長いわく、これは、あなたが言うように、全国のレベルを知るために必要だから私はやりましたと言う。そして、とんちんかんなことを言うんですがね。あなたのところも調べなさいよ、これは。教育委員会には、その結果は全部報告は必要ないということでございますと。阿久根の市の教育委員会には、年に一回やる、この金まで出したデータの結果というものは教育委員会にはない。何のためにやっとんのか、教育委員会は。指導要領の何とかかんとかと、こう言ってみたり、教育課程の管理権が自分のところにあるんだとか、あなたのところ指導しておるけれども、そういった教育長、さすがに県の教育委員会から指導を受けて、あなたの趣旨を言えば、これは言い逃れができるということで、絶対に高校入試には使っていません、こう言う。年に一回、どのくらいのレベルか調査をしたんです、こう言う。あなたの言うとおりだ。さて、今度は各学校の校長、特に問題のあった、処分を受けた阿久根中学、ここの校長さんと会った、まず。校長さんは、大いに、どこの高等学校に入れるか、進学指導に、これはもう唯一のものでございます、私のところの学校先生方は、これが日本図書文化協会から点数、偏差値が返ってきたら、それを持って各家庭まで行って、あなたのところの子供はこうだから、この高等学校に行きなさい−これが私どもの仕事です、大いに活用さしていただいておると。教師に至っては全部ですよ。自分の担当しておる子供の親と打ち合わせ、家庭まで出向いていって、この日本図書文化協会の私は現物も見てきました。これは持って帰ると問題がありますので、私はそっと見てきましたが、はっきり偏差値が書いてある。これを抱えて私どもは家庭に回るんです、こう言っておる。そうすると、これは阿久根で行われたものは明らかに業者テスト、文部省指導しておる業者テストじゃありませんか、はっきり言って。鹿児島県全部でしょう。そうでないと、こんな通達三回も出すはずはないじゃないか。全国で、みんな、隠れみのだよ、あなたのところの指導がそうなっているから。全国でほとんどのところが業者テストをやっている。そして、その業者テストは、その中で性格が分かれておって、入試問題についてこれを使っておると、いや、もうこれはいけませんという通達どおりに、厳重に、やってはいけない。学校の中の学習指導に役立たせるというのであれば業者テストではありません、やりなさい。ここをあなたのところは知って−報告書は、全部その方向で報告書があなたのところへ来るんだろうが。指導に使っております、指導に使っております——ところが、現に、今さっきの報告なり、今、教育の問題で一番問題になっておるのは、あなたのところの指導どおりに行っておったら、全国で輪切りにして偏差値にやっているという弊害が出るはずはない、そうでしょうが。ほとんどの全部の、全県、四十七都道府県の大半が、もう四十何県が業者テストを使っておる。そして、あなたのところの通達を見て、厳重な通達が来ている。しかし、現にどこもここもやっておるからと。これは鹿児島でも阿久根だけじゃないよ、一〇〇%近くは同じテストを鹿児島県じゅう使っておる。鹿児島県の学校を回ってみなさいよ。鹿児島県の先生というのは、それを抱えていって、何高等学校、おまえは何高等学校と、まさに今、教育の荒廃の根源と言われておる、この業者テスト、偏差値教育を助長しているのは、あなたのところじゃないか。私は、その罪天に沖すと思うんだよ。表向きはこんな通達出して、やってはいけません。やってはいけません。一つも怖くない。三回もやったところで同じことだ。四回目は選挙中に、まあ私はあれだけれども、あわてまくって、何か知らぬけれども、次官通牒の強いやつを出した、こう言っておる。受けた方はそうじゃないんだよ。業者テストを使って、現にとにかく鹿児島だってどこだって、全国これを使っているからこそ教育の弊害があって、あなたのところの言うようなことで業者テストを使っておったら、輪切りなんというようなことは起こってくるはずはないじゃないか。本当ですよ、これは。ここのところを押さなきゃ、あなた。ここのところをとにかく指導しなきゃ、文部省は。この前も調査に行ったと言うけれども、我々二回も行って、いろいろ走り回ったのに、あなたのところも何か二人かなんか行ったというけれども、県庁の中に座り込んでおって何がわかるかね。文部省にもらった報告書というの、それだけでいいかね。それには全部学習指導に役立たせるようにしてテストをしましたという報告しかこない。現実はやっておる。やっておるからこそ、全国これだけの教育の荒廃が起こっている。業者テストなんというのは、あなたが言うとおり、予算は市が出している。そして、もう次の高校にも進学しない、就職するというのも一緒にやって、そして、いやいやながらやっておる、それも入れなきゃ順番ができぬものだから。私は、あんなものには用はないと。登校拒否やら、暴力行為やら、校内暴力なんというのは、ここから起こっているんだろうが。それをとめるための通達じゃないか。その通達に裏がある。どう考えたところで、年に一回どのくらいのレベルかというのをとらせるのに、それだけの必要があるかね。文部省が進めるほどのことがあるかね。業者テストを使って、弊害こそあれ。私は、本当に腹の底から、あれだよ、この前も文部大臣にも申し上げたけれども、今度の教育改革そのものについても、反省しなきゃならないのは、行政、これの過ちというのはたくさん山ほどある、これを改革しない限りはだめなんだ。これは一つのサンプルですよ。とにかく文部省、口を開けば輪切り、偏差値教育絶対いかぬ。これが原因です。張本人なんだと言っておるけれども、ごまかせるような形で全国、現にやっている。あなたのところの指導どおりにいったとしたら、入学試験に使わないんだから、全国の偏差値でこう指導をしていく、そのことはないはず。一校もないはず。文部大臣、どうですか。ここに私は落とし穴があると。何回こんな紙切れ各県に厳重にやったところで同じですよ、これ。私は言わせませんよ。二回も行って、とにかく必死になって鹿児島走り回って、全員の先生に聞いてきたんだから。校長さんにも聞いてきたんだから。今さっき言い忘れたけれども、ここの校長は松本校長、教頭さんにも池田教育長にも会ってきた。とにかく時間がありませんが、こういうことで実際に今の教育の改革というのができますか。ましてや、これについて職務命令を出している。処分をするなんて言語道断ですよ。もう少し時間があれば、それでは現場の、その業者テストにかわるものはどういうふうに考え、どんなことをやっておるかということも申し上げたい。むしろ、文部大臣から褒めてもらわなきゃならぬ人間が処分をされるとは何事ですか、これは直接文部省のあれではないけれども。私は、間違いない報告の——もう少し出せと言えばデータ幾らでも出しますけれども、文部大臣の、私は、この職務命令を出させ、処分をするということは、これはもう間違いだというふうに私は思うが、文部大臣としてはどう思いますか。
  70. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私はこの問題につきましては、直接、その当時の経緯をきょう安永先生の御質問があるということで、初めて事務当局の説明を聴取したわけでありますが、私自身も、率直に申し上げて、標準学力検査ということであっても、これは業者がつくったものであるということについては、いささか私も若干の疑問は正直言って持っております。しかし、現実の問題として、先ほどから局長が申し上げておりますように、そのことを直接進路指導に、あるいは大学進学指導に使わないという前提で標準学力検査という形で進めたということ、これがひとり歩きしたというのが、今の先生調査で、いろいろ今伺っておるところでありますが、鹿児島県教委としては、標準学力検査という形で実施をした、そのことについて、その十九名の先生方が従われなかったということで、校長のいわゆる命に従わなかったということで、戒告という処分が出たと。そのことの事実関係は、私は、それで校長が命を発した、そのことについて聞かなかったということで、私はやむを得ない処置であるというふうに考えます。ただ、この標準学力検査というのを業者のものに依存をするという形は、確かに今一番の社会でも問題になっております。またこの国会でもいろいろ議論になっておりますように、進学であろうとなかろうと、業者を介入させていくということについては、私はこれは疑問が出てくることだと、こう考えます。したがって、ここは実は正直言って、けさ、局長と若干のやりとりも実はしたところでございまして、私自身としても、政治家としては、理由のいかんにかかわらず、業者のものを使うというのは、どうも私は納得しかねる点も正直言ってあるということでございますが、現実に鹿児島県教委は、この方向学力検査をやる、そしてそのことが将来の進路指導に云々ということよりも、鹿児島県の中にいる先生方が自分たちが今教えていることが実効が上がってきているだろうか、その学問や学力というのは全国全体に見たらどんな程度なんだろうかということもこれは知りたいというのも、教育者としてこれは僕は正直なところだと、こう思うんですね。問題はそのことで進路指導進学指導をやるということが問題だということで、これは、今、先生から御調査で御指摘をいただいた。ただ、これは文部省の立場から言えば、文部省としても調査をいたしました結果、問題はないという形での報告を受けております。それについては、ちゃんと調べてないじゃないかというおしかりをいただくことは当然でございますが、そういう形で文部省としては職制上、行政上、鹿児島県教委を通じ、そして当該の市の調査の報告を受けて、文部省としては妥当な処置であったというふうに判断せざるを得ないわけでございますが、ただ、先生がいろいろと足を運ばれてお調べをいただきました現実の問題として、進路やあるいは入試の問題に大学進学に使われておるということであるならば、そのことについては、文部省としてももう一遍調査をする必要があると私は思いますので、その点についてはもう一度十分調査をして、鹿児島県教委に、小なくとも、学力検査というものの、いい悪いということは、今後の議論に残りますが、そのこと和進学に用いた、先生方が正直に、先生にそうおっしゃったということであるならば、そのことについての是非は文部省としてもう一遍判断をして、鹿児島県教委に指導しなければならぬと、こう思っております。
  71. 安永英雄

    安永英雄君 もう時間が来ましたけれども、いろいろ大臣の方で職務命令、処分という問題と業者テストという問題は、これは別の問題だという考え方があるようですけれども、これは私はそうじゃないと思う。職務命令とかいうものについては、これは法律的な、今からあれをやろうかと思っておったんだけれども、本来何でもかんでも、とにかく口から出た、紙に書いたら、それが命令なんだというわけにはいかない。本務に対して出さなきゃならぬ問題でしょう。何でもかんでも、とにかく言いつけると命令だというわけにはいかないわけです。鹿児島あたりの実態見ましたけれども、この問題以外に、おれの口から出たものは命令なんだと、従わないやつは処分すると。こういう形で教育行政がやられたらこれは大混乱ですよ。それからまた、全国の教師自身だって悩んでいますよ。一月でも教研集会で兵庫に集まってやっているけれども、その中心は、自分たち自身がテストを使って選別やっておる。これは今の体制として、どこも全国やっているから、どうにもならないが、何とかならないか。自分たちでテストをつくって、それでやろうじゃないかと言っても、今みたいなことになっちゃう。どうしてもやらざるを得ないんです。やらぬときには職務命令。処分。これが新しく鹿児島に出てきた。これはただ単に鹿児島阿久根市の問題ではない。全国者そうですよ。そんな何でも命令できるという問題じゃない。別個な問題じゃない。業者テストという問題と命令と処分という問題は、これは一体的に考えなきゃならぬ問題なんですよ。簡単に割り切って、校長の言うこと、教育委員会の言うことを聞かなかった、だから当然処分だと。これは別の問題だというわけにはいかないでしょう。なぜ拒否したのか、それはやっちゃいけませんと言ったのか、私はやりませんと言ったのか。報告管けたら、これは業者テストの範疇から外される問題なんだと今でもまだ言っておる。大臣も、調査として報告を受ければ、それはまともに文部省としては受けなければなりませんと。それで済まないんですよ、この通達出した場合に、文部省が。一切、そのことについては、今までかかわりなしに各県がそういうことをやっております。私の責任じゃございませんと言うなら話はわかるけれども、こんな立派な通達を出しておいて、その行く末の点検もしないで、そして依然として、今でも鹿児島で行われておる、この業者テストというのは、一般の学習に、使うんだと、だから、一年生も二年生もということを殊さらにつけて。鹿児島、そう真剣に思っています。入学試験のときの選別ということには一切使っていませんというのを、まともに受けざるを得ませんという今の文部大臣の答弁なんだけれども、報告はまともに受けなきゃならぬという答弁だけれども、これは文部省として責任逃れですよ。これだけのものを出しておれば、少なくとも詳細な実態というものは調べなきゃならぬでしょう。文部省に呼んできたのと、二人の係官が向こうに行って県庁の中でしたのと同じことですよ。ただ場所が変わっただけ。報告を受けて、そして帰ってきて、こうでございます。こういう私は無責任な、しかも、これは今の全国の業省テスト、偏差値教育、この、これは決め手になる。現場の先生は絶対にそのことではいかぬ。自分で問題をつくって、自分でやりたいと思っても、今の仕組みはできない仕組みになっている。下手すれば処分される。こういう厳しい中で、教師は何とかやろうと一生懸命頑張っているんですよ。頑張っている。ここでは、わずかな人間ですけれども皆先生方が抵抗した、処分を受けた。これは鹿児島の問題だけじゃない。  まあ、調査をされるということですが、その結果で、私は絶対に、命令、処分という問題と業者テスト——大きく言えば偏差値教育をどうしてやめるかというのは、この一点にかかっている、文部省指導に。この指導では、これはしり抜けですよ。しり抜けせんと言わぬばかり。学習指導先生もテストするけれども、年に一回は業者テストでやって全国のレベルとるのも必要じゃないかと文部大臣も言われるけれども、それほど、とにかく処分までしてやるほどの問題じゃないですよ、それは。また時期も考えなきゃならぬし、いろんな方法もあると思う。改善する方法はあると思う、そういうレベルをとるということであれば。それが、もういよいよ三月の試験の、あのころにざあっと来ておって、ぱっと持っていく。その時期に合わせるなどということも、これは工夫が必要であるというふうにも考えるわけです。  私は、時間が来ましたからもうこれ以上は申しませんけれども、改めて私はもう一回この問題については、いわゆる職務命令の問題とか実態、あなたのところも握ったら、ひとつ言ってください。これは絶対に私は承服できない。  以上です。
  72. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 長期的展望に立って社会文化の発展に対応する教育の実現のため教育全般にわたる改革を進めなければならない大事な時期に直面をしていると思います。このたび臨時教育審議会設置法案の担当大臣に指名されたと聞いておりますが、どのような決意で取り組まれるのか、まずお伺いをいたしたいと思います。
  73. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 臨時教育審議会の設置につきましてはたびたび当文教委員会あるいはまた予算委員会、衆議院、参議院あわせまして私どもの考え方を申し上げておりますが、今、あえて担当大臣としてどのような決意を持っておるかということでございますが、私は、今ほど日本の国民が教育に対して大きな関心を持っているときはない、同時にまた各党各派の皆さん方が政策の課題の中に教育問題を大きく掲げておられるときはない、こういうときこそ、まさに国民的な要請が今の教育を何らかの形で改善をしてほしい、こういう大きな希望が、気持ちがあるということを担当の大臣として受けとめておるわけでございます。しからば、今の日本教育は悪いのかということについては、これはいろいろ評価が分かれるところであろうと思いますが、戦後の日本教育は民主主義と平和、自由というものを、大きくこれをひとつの哲学として、そして質的にも量的にも充実をしておりますし、むしろ、逆に言えば海外からも日本教育に注目をしろという、こういう声もあるぐらいでございます。しかしながら、時代の変化というのはどんどん進んでいく、物の考え方というものもどんどん変わっていく、そういう中でどんな立派な制度でも、まして教育制度も現状のままで置いていいというものではないだろうと、私はこんなふうにも考えるわけです。特に私は先般衆議院の予算委員会でも申し上げたし、この委員会でもちょっと申し上げたような記憶があるんですが、今の日本の国民というのは、いろんな意味で、戦前と戦後に大別をいたしましても、その子供の時代に受けてきた教育の環境、社会の環境が大きく変わっておりました。現に、私自身が、戦前のある程度幼児教育を受けて、そして小学校二年生以後からは新教育を受けてきているわけでありますが、その同じ私の小学校時代でも、新教育の中でも随分変動がございました。ですから、そういう中で日本の国民全体が教育を受けてきた環境というものも、また大きく大別をしているわけでございまして、それが一言で言うならば、価値感というものの多様性というものの考え方ができるのかもしれませんが、そんなことが、今日の社会を構成をしていく中において、確かにいろんな問題が社会的に起きているということの私は原因にもなっているような感じがいたします。そういう意味で、今あるものをどうするこうするということよりは、二十一世紀を担う青少年に対して、これからの日本教育はどうあるべきなんだろうか。そして、今の教育は、ある程度質的にも量的にも私は充実をしておるというその反面、先ほどからもいろいろ議論に出ますように、社会的には教育が原因としていろんな病理現象みたいなものが起きているとするならば、これからの時代は国際化時代とも言われますし、あるいは情報化時代とも言われます。あるいは高齢化社会、高学歴化社会大学に進む人、高等学校に進む人は非常に多くなって、それぞれの能力に応じて多様的にもなっております。そういう意味で新しい日本教育あり方がどんなものであろうか。そんなことを政府全体の責任で長期的な展望に立って議論をしていく必要があるのではないか。そういう意味で、このたび政府に臨時教育審議会を設けることを今国会にお願いをいたしておるところでございまして、私は、私のあえて感想や決意をということを杉山先生からお尋ねでございますが、ちょうど私の年齢から言いますと、戦前戦後の教育というものをよく、ある程度自分の体を通じて承知してきたつもりでもございますので、私の年齢から言えば、微力でございますが、日本教育について一番私は関心を持っていい年齢であろうというふうにも考えておりますので、この時期に、本当に将来の日本にとって、そして世界の中における日本の役割という、そういう立場から考えましても日本に必要な教育の改革をぜひ図っていきたい。そして、このことは私どものこんな短い期間で、どうこうできるというものではないと思いますが、少なくとも教育の御論議ができ得る、そういう土俵の設定だけはぜひ私はやり遂げておきたい、こんな気持ちで今早くこの国会でこの設置法案に対して一日も早い御審議をいただきながら御採択をいただきたい、こんなふうに願っている毎日でございます。
  74. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 臨教審の重要な事柄の一つ委員及び専門委員の人選がございます。委員及び専門委員は文部大臣意見を聞いて内閣総理大臣が任命するとなっておりますが、各界各分野の幅広い角度から選ぶのはもちろんのことと思いますが、特に教育のゆがみと教育現場の荒廃の原因を考えるとき、人選には慎重に臨んでいただきたいと思います。  また、臨教審の参加について十三日の日教組の臨時大会において、条件として教員免許法改正案の撤回、四十人学級の実現、臨教審の審議の公開、また政府・自民党はみずからの過去における教育政策に対し批判と反省が必要等々と提示しているとの報道でありますが、それに対し文部大臣は、「日教組の現場の先生方も教育改革をまじめに考えている、との良識が示されたものだと思う。これからも日教組に対し(委員の参加を)呼びかける」と述べたとあります。私は臨教審に参加するために日教組の挙げた条件は全く理解しがたいものと思っておりますが、文部大臣の真偽のほどをお伺いいたしたいと思います。  またもう一つ教育団体の関係で全日教連というのがございますが、その方面の参加についてはいかがお考えなのかお示しをいただきたいと思います。
  75. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) どのような方を委員にお願いをするかにつきましては今後の課題でございまして、まず設置法案を国会で御審議をいただきまして、審議会が正式に決定をする運びになりましたら、目的や所掌事務等々も御決定をいただき、また国会におきます御議論等も十分踏まえて検討しなければならぬということでございますが、一番大事なことは、常々申し上げておりますように、国民各界各層の意見が反映されるような幅広い分野の方々にお願いをしたい、こういうふうに考えておりまして、今後とも十分慎重に検討していきたい、こう考えております。私は各般の幅広いところからお願いをするということでございますので、当然、親の立場もあるでしょうし、それから直接現場で教育に携わっている皆さん、それは義務教育もございましょうし、高等教育もございましょう、社会教育もあるでしょう、社会スポーツもあるでしょう、そういうような意味で、直接のいろいろと教育の中で任に当たっている皆さんもその選考の対象になるというふうに私は申し上げてきているところでございます。ただ、私は今度の臨時教育審議会は特定の団体の中から、その団体を代表して出ていくという形はどうも余り適当ではないのじゃないかという考え方も実は持っているところでございまして、これにつきましても、もう少しいろんな角度から検討もし、いろいろの皆さんの御意見も伺ってみたい、こう思っているところでございます。当然、そういう中で現職の教師の中から人選をするのかどうかということについては、現時点では、具体的なことにつきましての今問題点はまだ整理もいたしておりませんので、今のところはそのことについては差し控えたい、こう思うわけでございます。  なお、お尋ねの四月十三日の日教組のこの問題に対します御意見のいろいろな御論議があったということを新聞やテレビでも承知をいたしております。直接伺ってもおりませんが、先生方の中も教育の改革については何とかしなければならぬという、そういうお気持ちであるということは、この大会の空気の中でも十分把握することができましたし、その中でいろんな提案も出、あるいはいろんな議題も出て、その中でいろんな結論が出ておるということもある程度承知をいたしておりますが、臨教審の成立については阻止をするという、こういう形で述べられておるようでございますけれども、臨教審への参加については、まだその大会では直接な言及はなかった、こういうふうに考えております。  いずれにいたしましても現場を代表する大きな勢力であります日教組のその大会におきまして、教育というものについて大変御熱心な御論議が高まっておると、そして、その意見はいろんな形で決定がしかねているというような状況を外から見ておりますだけに、それだけ熱心に教育について先生方がいろんな形でお考えになっておられるという空気は非常に私は読み取れるわけでございまして、そういう意味で私はそういう御論議があったということの、今度の大会は歓迎すべき大会であったなあと、こういう感想を、これは会見ではございませんけれども、実は記者団に自分の感想として申し上げたというのが、そういう内容で新聞に出たのではないかと、こう思っております。
  76. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 男女雇用平等法案が話題になっておりまして、婦人の職場での活躍が今後ますます期待されるところであります。  一方、父親も仕事に追われ、家庭を顧みない風潮がありますが、子供の成長過程において父親、概観の与える影響は極めて大きい、大臣家庭教育の重要性をどのように認識して、どのように振興を図るお考えなのかお伺いをいたします。
  77. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 杉山さんから御指摘のように、確かに今の社会の情勢、また日本の今日的な勤労意欲、よく言えば意欲かもしれませんが、精神から言えば会社のためには家庭を犠牲にしてまでもというのが、何となく日本人の男子の本懐のような、そういう考え方——私はそれはそれなりに評価もしなければならぬし、今日の日本をつくり上げてきた。恐らく学校先生でもそうだと思う。自分の家のことはさておいても学校の現場の、教えている子供のためには一生懸命になっておられる先生がたくさんあることも承知をしておりますが、しかし、これだけ複雑な社会になってまいりましたし、また、学校の中も、どちらかというと人間形成を主体に置くような、そういう学校現場ではなくて、これは社会的風潮もございますし、親の理解度もございますが、どうしても学歴社会というものを頭に置いた学校現場になってくるということになりますと、どうしても親と子の関係というのは非常に大事です。特に中学生、高校生というのは非常に情緒的に不安定でもございますし、そういう中の子供たちの人格形成には基本的生活習慣が大事だということから考えましても、家庭教育を十分に、これから重要になお一層考えていかなければならぬ、そういうふうに私は認識をいたしておるところでございます。  きのう、一昨日ですか、山中湖で起きた東京大学の学生の事件なんかを見ておりましても、何か、もうちょっと遊びの仕方というよりも、こうしたことは、本来言えば、日ごろの家庭教育の中や学校で友達を通じて覚えていくことなのかもしれませんけれども、もう一つ家庭でのお父さんやお母さんの指導というものも大事だったんじゃないかなと思います。あの事件は非常に私も深刻に考えておりますし、犠牲者の皆さんに対しては心から霊を弔い、慰めなければならぬという立場でございますが、非常に今日的な教育というものの中における今日の子供たちのいわゆる成長というものを見ておりますと、いろいろ考えさせる問題だったなというふうに考えております。文部省といたしましては、やはり家庭教育というものを十分に大事に考えていきますということであるならば、家庭に対しても、親に対しても、こういう指導をしてほしいということを呼びかけていく、指導をしていくという、そういう方向を施策として実施していかなければならぬことだなと、この点を怠ってはならぬなということを改めて認識をしたところでございます。
  78. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 核家族化、子供の少ない家庭の増加に伴いまして、現在の子供たちは家庭内においても、また学校外においても、集団的な活動の機会が少なくなってきております。対人関係や社会に出てからの協調性において適応力を欠くおそれがあります。特に幼児期、少年期を通じて、たくましい社会性に富んだ青少年の育成を図らなければならないと考えております。大臣の所見と対応策を承りたいと思います。
  79. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) さっきも、安永さんの御質問のとき少し言い過ぎておしかりをいただいたんですが、私は基本的には学校の中でもっと人間関係の触れ合いができるように、生徒先生の触れ合いがもっとできるように、そういう楽しい、そしてある意味では勉強だけではなくて、もっともっと人間関係という意味での触れ合いが強まるような、そういう学校現場にしたいなというのが、私の実は率直な気持ちなんです。そのことと、今日の社会の背景から言う、学歴、進学というものとどう調和させていくかということが、今日求められております教育改革の大きな私は一つの基本ではないかなというような感じがいたしておるわけでございます。  かくあるべし、もっともっとスポーツやボランティアや生徒会活動をもっと積極的にやるべしと、こう私が言うと、またいろいろ誤解を受けて安永先生におしかりをいただくようなことになりますので、そうしたことは申し上げないようにいたしますが、基本的には、もう少し人間同士の触れ合いが助長されるように、そういう教育現場にするということが、一番私は情緒的に難しい少年期の子供たちに対する大事な文部省の責任ではないかと、こんなふうに考えておるところでございます。
  80. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 私立学校は、建学の精神に基づいた特色のある学校教育を行っております。現況幼稚園は七五%、高校は三〇%、大学は八〇%強、私学が担当しております。そして、我が国の学校教育の普及と発展に大きく貢献をいたしておると思います。特に問題なのは、私立大学の教職員の給与の問題にひとつ触れてみたいと思います。  私学公立と違いまして人勧制度を採用しておりません。学園独自の給与体系をとっております。ところが、学校によっては国立大学の教職員給与額表に比較いたしますと、一〇〇に対して極端な学校では十三〇ないし少数でありますが一四〇%というような異常な高給支給の学校も見受けられます。また、先般来、問題になっております九州産業大学の理事長の問題、新聞報道でありますが、給与六千万円、退職金三億数千万円というような異常な、理解のできない状況のところもございます。いずれにいたしましても、公共性を認識していないと考えるわけであります。国民の税金は公平、平等でなければならないと思います。そういう点から考えますと、ワンマン経営で私物化をするような学校、また大学自治に名をかりて、力で理事会の機能を抑圧いたしまして、高給を支給する等々の国民の批判を受けるような好ましくない学校については、財源のゆとりがあると判断をいたし、今、現在、特に大学の助成につきましては、私学振興財団におきまして、幾つかの教育条件を傾斜配分とみなして配分をしていただいております。そういう中に、明確に、この問題等々につきましては傾斜配分の対象にすべきではないか、そして補助金の減額等の措置を積極的に行うべきではないかと考えられます。したがいまして、この際、国民の信頼を得る私学の基盤づくりのためにも大臣の行政の指導を強化する態度を表明すべきだと考えてみたいのでありますが、大臣の所信を承りたいと思います。
  81. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私立学校は、国公立に比べまして、それぞれ建学の精神あるいはまた教育の自主性、特殊性というものを発揮しながら日本を担っていける児童生徒を大きく成長させてくれる、そういう意味での役割は極めて高いわけでございます。そして、また私学ができ上がるといいましょうか、私学を維持していくという意味においても、優秀な学者や、また特徴ある教員を採用もしていかなきゃならぬと、そういう意味から言いますと、いささか給与の面では、若干、国公立よりバランスを欠いているという面が現実にはあったと思いますし、そのこと自体は決して私は間違っているとは思えないと思うんです。ただ、助成法が制定をされまして、そして国民の血税が注がれるということになります。ましてや財政がこういう厳しい中でございますから、私学に対する経費、助成費というものが大きく新聞等に出てまいりますと、世間の目は私学に対して厳しい目で注がれるようになってまいりますので、従来のように独自性、私学の自主性あるいは建学の精神ということだけで御自由にどうぞということにはなかなかなりにくい面もございます。そこは文部省としては余り立ち入ることではないとは思いますけれども、世間で通用するという姿勢というのは大事なことじゃないかなというふうに思います。先ほど九州産業大学のお話も出ましたが、世間の、国民が納得しないというやり方は、これはたとえ教育機関であっても、また大学の自治、大学の自主性という見地に立っても、これは否定をしなければならぬというふうに考えております。文部省といたしましては、五十七年におきましては、教員の給与水準の高い者につきましては、増額配分について抑制あるいは配分方法につきまして見直しをしたところでございます。五十八年度におきましては、役員報酬の高い学校法人に対しまして補助を抑制するという、そういう方法を見直したわけでございます。今後とも、先生のお話しになりました趣旨、また私どもは私学を大事にしたい、私立学校振興助成法の精神を生かしていきたいということでございますが、同時に、単にこれだけの額をお手伝いをしますよということではなくて、特色ある教育、あるいは特色ある私学らしいそうした研究部門、そしてまた国民の皆さんから納得いただけるような給与というようなところも十分配慮していただいたところに対して、十分に細やかな配慮をしながら私学助成の充実を図っていかなければならぬ、こんなふうに私は考えておるところでございます。
  82. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 今までの教育は、追いつけ追い越せから画一的になるのはやむを得なかったところと思いますが、今や我が国は創造志向型に転換していかなければならないと思います。私立学校の中には既に国公立ては行われにくい教育、例えば小・中・高一貫教育、中・高一貫教育、徳育教育、宗教教育等、特色のある教育に努力をしておられるところであります。また一つの例といたしまして、私立学校では校内暴力事件が少ないと言われております。もちろん、一面からは転校をさせられるから云々というような他の御意見もありますけれども、一応そのような評価を受けているところであります。今後ますますこれを助長して成果が上がるようにするためには、何かこのような特色のある私学に対する奨励費を特殊補助金のような形で進めていくというお考えはないかお伺いをいたしたいと思います。
  83. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども申し上げましたように、私学につきましては私学の自主性を重んじたいと思いますし、特に建学の精神というのを大事にしたいと考えます。したがいまして、私学がみずから私学の役割、特に国民の皆さんから私学らしいそうした学問的土壌をつくり上げ、そのことにこれから国の助成の面でお手伝いをしていくということが大前提であろうというふうに考えておりますが、先ほども申し上げましたように、世間から見て血税が注がれるということでございますので、十分、国民の目というものを意識して考えてもらいたい。そういう意味で、文部省といたしましては、いろいろ指導いたしておりますが、私はきのうも実は私学振興財団の清水、新しい理事長の就任のお祝いの席がございましたので、きのう私はちょっと祝辞を申し上げたわけでありますが、どうぞできるだけ私立学校振興助成法の精神は私学みずからがそうした考え方をつくり上げてほしい、よそからとやかく言われることではなくて、そしていつも私は申し上げておりますが、単に経常の経営する費用の足らざるを補っていくということではなくて、私学らしい建学の精神を生かした研究体制、そういうものに対してできるだけ配分の抑揚をつけていくということが、これからの私は大事な私学助成のあり方ではないかというふうに考えます。ただ、今、先生から具体的なお話としてございました中・高一貫というようなことにつきましては、これは高等学校でございますので、高校以下につきましては御承知のように都道府県で実施をいたしておるところでございますので、そうした先ほどからのお話の中で、そういう観点で都道府県に対しましては、特色ある私学に対しては十二分の措置をするように指導をしていきたい、こんなふうに考えておるところでございます。
  84. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 文部大臣所信表明の中で、希望するすべての幼児が幼稚園教育を受けられるよう、その整備充実に努めるとの方針を示されております。現在、公立私立を問わず、幼稚園の保護者には家庭の収入に応じて就園奨励費が支給されております。ただし、これは四、五歳児でございます。既に定着化いたしてまいりまして、公立私立の幼稚園の保護者にとりましては、家庭の収入にもよりますが、あの何万円かの支給額というものは大変なありがたいことでございまして、多くの保護者が感謝をしているところであります。  ところが、乳幼児の収容施設の問題をとらえてみますと、一つの問題が残っているのではないか。具体的に言いますと、現在の乳幼児施設といいますと、保育所、幼稚園の問題がございます。現在の保育所の場合には、厚生省所管ではありますけれども、家庭で保育に欠けるという認定に基づく措置児童として措置をいたします。そして、入所いたしますと、乳児から就学前五歳児まで、すべての子供に、家庭の収入に応じて、保育料の段階援助をいたしております。そして、保育料の認定をいたしております。ところが幼稚園の場合は、四歳、五歳児ということで感謝をいたしておりますものの、ルールによれば満三歳から幼稚園に就園ができるということでございまして、現実には満三歳児もいるわけであります。そうしますと、幼保一元化の問題も云々されております現状でありまして、乳幼児の収容施設、保育所と幼稚園の総合的検討を重ねますときに、乳児から幼児までの子供たちに向かって保護体制をとっている保育行政、そして、四歳、五歳児だけを対象にしている幼稚園行政というものを検討いたしますと、満三歳児だけがその恩恵に浴していない、こういうことでございまして、私の申し上げたいことは、ぜひともひとつ温かい制度を三歳児までに拡大をしていただいて、すべての子供たちが感謝できるような、就園奨励費の恩恵が受けられるような制度拡大にひとつ努力をしていただきたい。このようなことが望ましい方向ではないかと考えまして、大臣の所見を承りたいと思います。
  85. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 幼稚園の就園奨励費につきましては、随分、私ども党におりました際から、議論がいろいろにあったところでございまして、とりあえず、当面、現状のような形で就園奨励費、これも法律的には憲法の疑義があるなどとも随分議論も分かれましたし、今日また、個人立あるいは宗教法人等の幼稚園についてのこの就園奨励徴のあり方云々についてもいろんなまだ議論のあるところでございますが、要は、基本的には幼稚園教育を一層普及したいということで、この制度を取り入れて、今、杉山先生から喜んでいただいているというお話をいただいて、私ども努力したかいがあったというふうに考えておるところでございます。  ただ問題は、この予算委員会等でも申し上げてまいりましたし、随分、議論が出たところでありますが、実質的には保育に欠ける子供たちということで保育所が子供さんをゼロ歳から預かっている、そのことと、地方によっては非常に偏在をした、ばらつきがございますから−私の石川県などは保育所が非常に多いわけでありますから、ついつい幼児も保育所も幼稚園も同じように考えてしまう。そのために、片方で幼稚園は四歳からしか国の助成がないじゃないかというようなことになってくるわけでありまして、ここを保育所と比較検討されるということは非常に私どもにとってはつらいところでございます。  しかしながら、今後、いわゆる就園率の動向というのも見ていかなければなりませんし、もう一つは、これは粕谷先生などもいらっしゃって、女性の立場から御意見もまた伺いたいなと思うんですが、子供さんというのは本当に、人に預けた方がいいのか、できるだけ母親のそばに置いた方がいいのか、五歳で学校へ出したって、幼稚園へ出したって、ずっと後、高等教育までは人様のところでいく。それが本当にいいのか。もうちょっと母親や父親のところにいることがいいんじゃないかなという感じを持ちますが、現実に保育に欠ける、そういう御家庭の場合は、これはやむを得ないということがございますが、そこのところと幼児教育の問題との絡みが、なかなかお互いに意見の両論があってまとまらないということでございますので、私は、予算委員会を通じて、新しい臨時教育審議会などでこういうことも御議論をいただきたいなと、そして教育を受ける立場、あるいは保育を受ける立場、そしてまたその親の立場、それを進めていく市町村長の立場というものをもう少し考え一つの案というものはできないだろうか、こういうことで1私がそう言うと厚生省はちょっと反対だと、こう言いますし、私がこういう言い方をすると、森文部大臣は保育所をつぶす気かとか、幼稚園が経常難になってきたので保育所をつぶして取ってしまおうと言うのかと、こういう議論でよくおしかりをいただくんですが、もう少し別の角度で考えてもらいたいと思って、新しい審議機関でぜひ御検討していただきたいという期待を実は申し上げておるところでございます。  大変長くなって恐縮でございますが、先生の御指摘の三歳児就園奨励費というのは私はわからない理屈ではないと思います、今のような保育園とのバランスから考えましたら。しかし当面は、当時の考え方として、四歳、五歳児の就園者に対して補助率をできるだけアップをしていくお手伝いをしていく、充実をしていくというところに、むしろ今は重きを私どもは置いておきたいと思いますが、先ほど申し上げまして繰り返しになって恐縮でありますが、就園率は、あるいは児童のこれからの急減等、いろんなことを考えてまいりますと、十分に慎重に今後とも検討していく課題だなと、こういうふうに先生からの御提言を承っておきたいと、こう思います。
  86. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 本年度の中学校卒業式が行われた一万百七十七校のうち、警察官の立ち入り警備した学校が、警察庁発表では六首九十八校、文部省発表では百二十三校。また、学校の要請で周辺警戒したものが、警察庁発表で六百六十三校、文部省発表で四百七十校。警察庁の発表は、学校からの正式要請のほか、警察が自主判断にて警備した分があり、文部省の発表との差がありますが、中高合わせ、立ち入り校は全校の二十校に一校、周辺警備は十八校に一校の割であり、卒業式に警官の警備を必要とすることは異常な状態だと思います。また、非行も低年齢化をいたしまして深刻な状況にありますが、この問題行動の実態をどのように把握し、具体策を講じておられるか、お伺いをいたします。
  87. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 実態、事実関係の数字でもございますので、一応事務的に局長から御説明申し上げます。
  88. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 御指摘のように、五十八年度の卒業式において学校内に警察官が入りました数は、先生今読み上げられたとおりでございます。ただ、若干好転していると思われますのは、五十七年度の対比で見ますと、五十七年度が、文部省調査で言いますと、二百六十一が五十八年度百二十三と、約五〇%強減少しております。また、学校が依頼して学校周辺を巡視した学校も、五十七年度が五百二十六、これが四百七十と減少しているわけでございます。  そういう意味で、昨年度の町田におけるいろんな事件を契機にいたしまして、国を挙げて、地方もこの問題に取り組んでまいりまして、そういう成果が卒業式における警察官の導入、巡視の数が減少したというところにあらわれていると思うわけでございます。  しかし、この状態があるということが問題でございまして、御指摘のように、こういうような状態を一日も早く解消していかなければならないというふうに思っている次第でございます。
  89. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 今回の教育改革は、ある意味では戦後教育の総決算に取り組むことだと思っておりますが、先般の予算委員会の集中審議におきまして私も幾つかの点について御質問いたしましたが、戦後教育の問題の一つに、学校現場において画一的な平等主義、道徳教育軽視、正しい国家意識の欠如、権利のみ主張し義務を履行しない風潮、偏差値や点数万能主義で人間性を失った教育となっていることにあると考えられます。  大臣は、このような学校現場のあり方についてどのような指導及び改善を図られるのかお伺いいたしたいと思います。
  90. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 戦後、教育は、先ほども、私少し申し上げましたけれども、冒頭に先生の御質問のときにも申し上げたように、私自身がちょうど小学校二年生のときに終戦になりまして、恐らく、その当時は子供でございましたから、どうもわかりませんでした。今、こう静かに考えてみると、当時は文部省も含めて教育者も学者もみんな大混乱をしておったんじゃないかなあということを、今静かに返ってみると、我々がその教育を受けてきた立場でそんな感じがいたします。何か神話などは教えてはいけないんだというふうに僕らは子供のころ教わったけれども、よくよく後で調べてみれば、より客観的に教えなさいということであったというふうに後から承知をいたしますし、道徳教育なども何か修身ということ、そして戦前ございました、いゆわる国家において配給いたしました教育勅語そのものはだめなんだと。その中にいろいろ議論するところはたくさんあると思いますが、何か先生に対する敬愛、親子のいわゆる尊敬、友情、そんなことまでが一緒になって、さわってはならぬような、そんな状況を当時、終戦の直後の時代は、先生自身も持っておられたような気がするわけでございまして、そういう意味で、本当にこれからの日本の国を背負っていく青少年、特に国際化社会の中で、今までの日本とこれからの日本の国は世界全体から見る目が違ってくるわけでございますから、そういう意味で、国際社会の中に生きていく日本人として、自分の国をどう思うか、そしてそのことがよその国をどう理解をしていくのか、そういうことも含めながら、私は柔軟な教育方法がこれから施されていかなければならぬのではないか、そんなふうに考えているところでございます。  昨年十一月の中教審の審議経過、あるいは先般出されました総理の私的諮問機関であります文化懇におきましても、そうした児童生徒に対する教育は、いわゆる能力適性に応じて適切に行われるものである。同時に、これまでの教育を振り返ってみると、やや画一的な傾向が見られるのではないかという、そういう指摘も受けているところでございまして、児童生徒の個性、能力に応じた教育が充実して行われるように配慮しておりますけれども、今後とも、こうした趣旨を踏まえて、一層児童生徒能力適性に応じた教育の方途について、これから検討していかなければならぬ、こんなふうに考えているところでございます。
  91. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 今日、教育改革が内政の最重要課題となっておりますが、去る九日の読売新聞の調査結果を読んでみますと、「教育改革で有識者に本社調査」ということで発表になっております。それを眺めてみますと、第一に教師の質の向上五八・三%、道徳教育の充実四八・三%、大学入試制度四六・五%、以下云々と発表になっております。特に道徳教育の充実ということが期待をされておりますし、所信表明の中にも「道徳教育の一層の充実」に取り組むと言っておられますが、どのように理解され、充実していこうとしておられるのか、まず大臣のお考え伺いたいと思います。
  92. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) まず道徳教育子供たちの人格形成に大きな役割を果たすものでございます。戦後、ややこの面の教育がいろんな経過をたどりながら十分徹底して行われなかったという点は問題があろうかと思います。そこで、最近実態調査をいたしますと、どうも道徳の時間が、特設はされているけれども他の教科ほど徹底して教材研究も行われないし、指導も十分行われていないという実態調査の結果もあったわけでございます。したがいまして、この調査結果をもとにいたしまして、来年度から、三つの面で道徳教育の充実を図っていきたいというふうに思っております。  一つは、学校、家庭や地域社会との連携協力による研究を進めるということの研究推進指定校を考えるということでございます。これは、道徳教育というのは、単に学校で教えるだけじゃなくして、家庭において、社会において実践的活動を伴わなければ本物にならないということで、学校という範囲を越えた地域社会にまで広げた研究をしていきたいということが一つでございます。  第二番目は、校長、教頭等を対象とする「指導者養成実践講座」ということで、まず学校におけるリーダーの人たちに道徳教育についての実践研究をやっていただくということの研修事業を展開したい。  第三番目は、道徳の教材にどういうものを使うかと、いろいろな教材が使われておりますが、身近な郷土の先人の生き方などを通じて児童生徒に道徳性を身につけさせるという観点から、道徳教育用郷土資料の研究開発というような事項を挙げまして、より一層の道徳教育の推進を図ってまいりたいと思っております。
  93. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 学習指導要領によりますと昭和三十三年度から小中学校に道徳の時間を週一時間特設いたしまして、さらに小学校については二十八項目の指導内容、中学校には十六項目の指導内容を示しているわけであります。私は、釈迦に説法でありますが、この内容に目を通しまして、すばらしい内容だと思っているわけであります。特に小学校の中を、まず目を通しまして、終わりの方の二十五から二十八あたりをちょっと読んでみますと、二十四から申し上げますと、二十四には「社会の一員としての自覚をもって、公共物を大切にし、公徳を守る。」二十五「家族の人々を敬愛し、よい家庭を作ろうとする。」二十六「学校の人人を敬愛し、立派な校風を作ろうとする。」二十七「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家の発展に尽くそうとする。」二十八「広く世界の人々に対して正しい理解と愛情をもち、人類の幸福に役立つ人間になろうとする。」というふうに示されております。そのほか盛りだくさんに豊富に内容がしるされておるすばらしいものだと思っています。また、総合的に目標としては「人間尊重の精神を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標と」していると方向を示しているわけであります。また、道徳の指導書も全国の小中学校の教師に六十数万部配付されておりまして、ここにもその見本がございますが、内容もすばらしいと思います。また、テレビを使用したり、別に参考書を、今承りますと、全国で十社ほどの出版社が作成をしている道徳の参考書がございます。ここに一部の道徳の参考書を持ってきておりますが、いずれも内容は豊富であると評価をするものであります。しかし、何と申しましても、先生方の指導力、意欲が問題でありまして、教師のやる気を起こしていただくことが大事だと思うのであります。教師の意欲を高め指導力をつける方法一つに研修がありますが、どのようになっておりますのか、また、ただいま御説明はありましたが、本年新しく校長等指導者養成講座の中に中央講座を設けてありますが、従来の研修との関連及び内容はいかがなものかお伺いをいたしたいと思います。
  94. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 御指摘のように、まず校長、教頭、教職員を初め、指導する先生方に十分この内容の趣旨を徹底していくということが大切でございます。今年度からは「校長等指導者養成実践講座」というのを中央で実施いたしまして、積極的に展開したいと思います。この講座は、従来の教員、教務主任等を対象とした研修と異なりまして、校長、教頭等を対象として各地域における道徳教育の中核的指導者を養成するということを考えているわけでございます。この講座は六日間にわたりまして、道徳教育指導計画の作成、道徳の時間の指導、校内研修のあり方など、実際上の指導に役立つ研修内容ということで、新しい試みとして実施するものでございます。
  95. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 道徳は教材整備、中でも読み物資料の充実を図るのも方法だと考えます。道徳の時間の副読本の使用については、昨年文部省でも調査をなさったようでありますが、使用状況を申し上げてみますと、学校の備えつけが四一・一%、児童各自が所持をするもの三九・六%、学校備えつけ、児童各自に所持が四・九%、使用させていないが一四・四%と調査結果が見られるようであります。児童各自が参考書を所持し、計画的に活用している学校は四〇%程度と考えられるのであります。もっとこれを積極的に推進すべきではないかと考えます。参考書の活用その他具体的施策について、どのようになっておりますか、お伺いをいたしたいと思います。
  96. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 道徳教育の教材としてどういう形でこの内容を整備、充実していくかというのは、道徳教育が特設されたときからの問題でございます。一つは、他の教科と同じように教科書みたいなものをきちっとつくってやるべきではないかという意見もございましたが、その方式はとらないで、そのかわり先ほどお読みいただきましたように、かなり具体的な目標と内容を学習指導要領で示しまして、そしてこの内容に従いまして多様な教材を活用していただくという方式で今日まで進めてきているわけでございます。文部省といたしましては、単なる民間のそういう教材開発だけにゆだねるのではなくして、毎年これを積極的に文部省自体としてもつくっていくという努力を積み重ねてきているわけでございます。道徳教育に関する文部省作成資料というのもかなりの数に上っているわけでございます。したがいまして、こういう内容のものを十分お使いいただければ相当な成果を上げることができると思っているわけでございます。またそれ以外に、民間の発行者がこの内容についての教材開発を積極的にやっていただいているわけでございます。この両面から的確な教材の利用ということを進めていくことが必要でありますし、先ほど、なお一歩進めて、地域に密着する郷土の偉人ないしは逸話、そういうものを織りまぜて、子供たちに興味と関心が持てるような教材開発も進めていくということで、多面的な方法でやろうとしているわけでございます。要は、そういう内容の教材が現場でフルに利用されるということが必要であろうと思います。どうも他の教科に比べて、その面の教師の取り組みの姿勢というのは、調査の結果からも十分でないということがありますので、研修その他の機会を通じて、より一層内容の充実に努めてまいりたいと思います。
  97. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 スポーツの振興について若干お伺いをいたしたいと思います。  高齢者社会に向けて、生涯にわたり健康で充実した生活を送ることは国民の願いであります。先般の文化教育に関する懇談会の報告の中にも、身体を動かすことによる精神の高揚を体験させるべきだと指摘されていますが、大臣体育、スポーツの効用をどのように認識しておられますか、お伺いをいたしたいと思います。
  98. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、杉山さんから御指摘がございましたように、体育、スポーツは心身の発達、そして健康で文化的な生活を営む上で極めて重要な役割を果たしていると思います。特に最近の生活様式というのは大変文明度が進んでおります。家庭の電気製品を初めといたしまして、例えばテレビ一つにいたしましても、テレビのスイッチを入れに行くことすらも最近はしなくていいようになってしまって、ボタンを押すということはそれだけ体を使わないという、もう家庭生活の中にどんどんこうした文明の利器が入ってくる、そのことによって生活様式が大きく変わってまいります。そういう意味での体の運動不足というものも指摘されてまいります。もう一つ、都市生活が拡大をして、全国、まあ、すべてではございませんが、都市化現象になってまいりますと、やはり地域の連帯感の欠如というものも、これは社会を構成をしていく意味でも大変私は大事な問題の欠如になっているような感じがいたしまして、そういう意味ではスポーツというのはルールの枠の中で——これはある学者が言っておることですが、スポーツは冷静な戦いだと、そういうルールの枠の中で戦っていく。そして、ラグビーでよくノーサイドという言葉ありますが、時間が終わればみんな仲間になって、一方に偏しておったが、みんな仲よくしていくという、そういう意味でノーサイドという言葉をラグビーでは使うわけでありますが、あれだけ激しくぶつかり合っておりましても、笛が吹かれ、終わりますと、こう仲よくみんながやっていく。そういう意味で人間的な触れ合いといいましょうか、あるいは冷静な戦いといいましょうか、そういうこともお互いに体を通じて要ることができそそういう意味で、スポーツはいろんな意味でこれからの社会の生活において、もちろん学校教育も含めてでございますが、必要欠くべからざるものである、いよいよ重要性を増してきていると、私はそのように考えておりまして、文部省といたしましても、学校教育、同時にまた社会教育の中におきましても、スポーツの意義というものを十分に認識して、これをさらに積極的に進める施策をとっていかなければならぬ、こんなふうに考えておるところであります。
  99. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 体育、スポーツの振興を図るためには、スポーツ人口の底辺を広める努力も必要ですが、本年はロサンゼルス・オリンピックが開催されることになっていますので、関心も高く、よい刺激になると思いますが、選手強化にはどのように取り組んでおられますか、お伺いいたしたいと思います。
  100. 古村澄一

    政府委員(古村澄一君) オリンピック競技大会がことし開かれますが、それに対しましては日本体育協会が各競技団体と協力していろんな事業を行っております。例えば強化合宿、あるいは国際大会への選手の派遣、あるいは外国コーチの招聘等々でございますが、こういった事業に対しまして国としては大体、五十九年度で八億二千万円の国庫補助を行ってその振興に努めておるというのが現状でございます。
  101. 杉山令肇

    ○杉山令肇君 学術研究は学問的基盤のみならず、資源エネルギー問題、がん対策等、大臣の言われるごとく重要課題でありますが、特に我が国は手薄になっております研究者養成が急務であると思います。その充実を図るためどのような施策を講じていられるかお伺いをいたします。
  102. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) 研究者の養成ということは学術振興上、御指摘のように最も重要な事項でございますが、文部省といたしましては、従来から、一つは、大学院における研究者の養成の整備充実、二つには、大学院を卒業いたしました後で、すぐ職にはつけないが優秀な研究能力を持っている方々に、奨励研究員というような制度を設けまして研究に従事をしていただくというような措置を講じております。それから第三には、若手研究者のために科学研究費補助金の中に奨励研究という形で特別の枠を設けまして、それの充実を逐年図っておるというような措置を講じておるわけでございます。今後につきましても、先般学術審議会の御答申もちょうだいいたしましたので、その線に沿いましてさらにフェローシップ制度の充実を図る、あるいは大学院の改善充実を図るというような努力を進めてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  103. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時三十分休憩      —————・—————    午後一時三十二分開会
  104. 長谷川信

    委員長長谷川信君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本政策に関する件を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  105. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 最初に臨教審に関係してお伺いをいたします。  文部大臣は、「中曽根総理大臣は本国会の施政方針演説において三つの大きな基本的改革に取り組むこととし、その一つ教育改革を取り上げ、今こそ来るべき二十一世紀を展望し、教育改革を断行する時期に来ていると述べております。私もこの点に同感であり、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を育成するため教育全般にわたる改革を着実に推進していく必要があると考えます。」こうおっしゃっております。私は、この教育改革を「断行する」というその強い調子ですね、総理の。そして、それに対して文部大臣賛成をすると、こういうことをおっしゃっているわけでありますが、一体、教育改革をやってこなければならなかった、また、きていたと思っている文部省が、文部省を乗り越えて横断する形でこの臨時教育審議会をつくるということについて、どういう反省をしているのだろうかということと、もう一つは、文相の、教育全般にわたる改革というのは一体何を指しているのか、この点についてお伺いをしたいと思うのです。  去年の六月の二十日の「週刊民社」の私はコピーをちょっと持ってきたんですけれども、その中で佐々木委員長が福井県の記者会見で、臨時教育改革調査設置に関して「民社党は、すでに『校内暴力問題シンポジウム』を開くなど、校内暴力問題を重視し、その打開に取り組んできた。」云々と。こうして、その言葉の中に「昭和四十六年の中教審答申をはじめ、注目すべき提案もあった。しかし、文部省のヤル気のなさ、日教組などの強い抵抗などにより、改革はほとんど実行されず、教育の荒廃を深める結果となっている。」と厳しく文部省の姿勢を批判をしているわけであります。私どもは、その中教審答申そのもの、内容についての批判もありますから、ここの部分とは意見を異にいたしますけれども、しかし、この教育荒廃の状況をつくり出してきたのは今の政府のやり方、文部省教育改革の力量不足と言われてもやむを得ないのではないかというふうに考えておりますので、御意見をお伺いしたいと思います。
  106. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、粕谷さんから、民社党の佐々木委員長のお話やら、あるいはまた文部省がやる気がないのではないかとか、いろんな例を取り上げられてお話しになりましたけれども、それも一つ教育の改革をぜひしたいという、やらなければならぬという国民的な要請を各政党が政治的感覚で受けとめていく一つの姿勢であろうというふうに私思っております。したがいまして、今度の教育改革はたびたび申し上げておりますが、今日までの中教審の答申を踏まえながら、今までの審議の視点あるいは検討の角度を少し変えてみたらどうだろうか、これもたびたび申し上げておりますが、社会の変化あるいは文化の進展等に対応でき得る教育の体系というのはどうあるべきなんだろうか、あるいは学校教育だけではなくて、いわゆるゼロ歳から生涯にわたる教育全般を教育改革の対象とする必要がある。こうしたことなどを考えまして、中教審とは別の角度で審議をする。こういう意味で新しい臨時教育審議会を設けることを今提起しお願いをいたしておるところでございます。当時の状況といたしましては、粕谷先生も一番よく御存じでございまして、中教審のものを全く文部省が何もしなかったということではないわけでありまして、ある程度のことというよりも、むしろほとんどのことは、量的に言えばほとんどのことは、ある程度いろいろな形で国会で御議論いただいたこともございましたし、文部省の固有の事務として、制度として進めてきたこともございます。ただ、例えば先導的試行のように、当時の状況の私は新聞をずうっと思い起こしてみますと、今のような制度の改革について、こんなお互いに議論をし合う時期では当時はたしかなかった。もう大変な喧騒の中で、お互いに、それにかかわり合う、何といいましょうか、関係するそれぞれの各界がいろいろな形で反対をする。例えば就学年齢のことを言うと、幼稚園関係者がもう大変な声を上げて反対をするというような状況であったというふうに思います。したがって、具体的にそのことと取り組むことは、時期的には、そういうふうに成熟していなかったというふうに私どもは当時を振り返って、そういう感想を今持っているところでございまして、今、こうして各党、各界がそれぞれ教育に対して、これは大きな議論が出てまいりますし、それぞれお考えは若干違うにいたしましても、制度の改革等については、それぞれ積極的な提案も出ておりますし、先般は日教組も数項目、具体的な改革案も出しております。そういう意味で、まさに今こそ国民的な要請にこたえる時期である。こういうことで、総理の言葉の「断行」はいい言葉がどうかわかりませんけれども、総理のそういう教育に対しての強い関心といいましょうか、それを国民の皆さんに提言をするというような意味から「断行」という言葉を用いられたんだろうと、こう思いますが、決して、そのことはトラスチックに、ラジカルにものをやると、こういうことではないというふうに私は考えているわけでございます。
  107. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 教育改革についての国民的な情勢が非常に前進をしている、合意が得られそうな感じがしているという大臣の御答弁であります。いずれ法律が提案されるというふうに思いますので、詳しい質問はそこの段階に譲りたいのですが、その前段について若干の質問をいたしておきます。  まず、法案の第一条ですね、「教育基本法の精神にのっとり、」云々と、こうあるわけであります。教育基本法にのっとりと、こういうふうに言わないで「精神にのっとり、」と、こう言われた理由というのは何ですか。
  108. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 臨時教育審議会談灘法案におきます第一条で教育基本法に言及しております趣旨は、今回の教育改革につきまして総理並びに文部大臣、繰り返し教育基本法にのっとり今回の教育改革を進めていくという政府の姿勢を表明しておられますので、その趣旨を法案の中に盛り込もうということで、このような規定を設けたわけでございます。今回の教育改革は戦争直後に教育基本法を設け、その教育基本法の各条項に従って学校教育法あるいは社会教育法、私学法、教育委員会法等、順次、戦後の教育の制度をつくっていったということと異なりまして、それらの制度について時代の変化に対応できるように改革を進めようというような観点での御議論でございますので、教育基本法の規定のそのものに従ってという趣旨よりも、法文上は「精神にのっとり、」という規定の方がベターであるというふうに判断したわけでございます。
  109. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 頭が悪いものですから、教育基本法にのっとりというのと「精神にのっとり、」という違いが今の説明ではどうもよくわからないんです。大臣、いつもわかりやすく御説明くださるわけですけれども、ひとつよくわかるように教えていただきたいと思います。
  110. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 事務的に法律を作成をいたしますまでは、当然、法制局等と検討いたします。私たちは政治家でございますから、教育基本法にのっとる、教育基本法の精神にのっとる、これは答弁上申し上げておりますが、その私どもの気持ちや総理の気持ちを法律上書くとするならばどういう形が一番法律的になじむのか、こういうことを直接事務当局に命じまして、法制局等あるいは関係省庁と議論をし、煮詰めたものでございます。したがいまして、私も、願いい悪いの問題はさておきまして、法律としてなじみやすい言葉というふうに考えて法制局の方で御判断をいただいたのではないかと、こう思います。直接、法制局等と関係省庁と調整をいたしました審議官がおりますので、その辺の経緯をもう少し詳しく説明してもらいたいと思います。
  111. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 先ほど説明したとおりでございますが、教育基本法にのっとりと申しましても、あるいは「教育基本法の精神にのっとり、」と申しましても、教育基本法に関します限りは内容的には同じことでございます。と申しますのは、教育基本法は戦後におきます我が国の教育の基本を定める法律でございますので、一般の法律の場合に何々法の精神と申します場合には第一条あるいは第二条でその法律の規定の趣旨、考え方等が規定されまして、それを精神というふうに言う場合が多いわけでございますが、教育基本法の場合には一条から十条まで各項に定めます各規定の考え方、基本的な理念というものを規範として意識をいたしまして、それに従っていくということでございますので、法律技術上「精神」という言葉先ほど説明しましたような趣旨で挿入をしたということでございます。
  112. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 憲法解釈もいろいろありまして、警察予備隊が保安隊になり自衛隊になりという、こういう問題もあるものですから、私はこの「精神にのっとり、」ということを非常に重要にとらえているわけです。他意ないと、法律習慣に従ったんだということであれば、それはそのとおりに一応今の段階ではお伺いしておきます。  ところで、教育基本法の改正の問題については、昭和三十一年の一月の二十七日閣議決定をしました臨時教育制度審議会設置法案というのがありますね、これは廃案になったわけでありますけれども、その中に、教育基本法には国家への忠誠などが欠けているので改正する方向で審議することが挙げられた、つまり、この設置法は教育基本法を改正する方向で審議するということであったのですか。そうすると、その当時の臨時教育制度審議会設置法案と今回は全然逆でありますね。「教育基本法の精神にのっとり、」ですから。その点はどういう理解をしたらよろしゅうございますか。
  113. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 昭和三十一年に提案されました臨時教育制度審議会につきましては、時の大臣は、先ほどお話もございましたように、教育基本法の第一条の目的につきまして、規定上明確に、愛国心であるとか家族愛であるとか、そういう文言が入っておらないということに着目をいたしまして、教育基本法の改正も一つの課題として考えられたということは審議の経過で明らかであるわけでございます。今回の教育改革は教育基本法の精神にのっとって行うわけでございますので、三十一年当時の考え方とは異なっておるということは申し上げられると思います。
  114. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 今、審議官の御答弁のように、確かに衆議院の予算委員会で辻原弘市委員から質問があり清瀬文部大臣がお答えになっている。参議院では中山福藏当時緑風会の委員から質問があり、清瀬文部大臣が、できれば教育基本法の改正を行いたいと考えていると、こう答えていらっしゃる。そうすると、今回はもう全然違うわけですね、法律でも。大臣、これはそのとおりに考えてよろしゅうございますか。
  115. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 昭和三十一年の当時の清瀬文部大臣の議事録も私読んでみましたが、また、そういう当時の発言からいろんな危惧、いろんなおそれというものも十分皆さん方から疑念として出てくるのは当然でございますが、今度の新しい臨時教育審議会の設置は、先ほども御議論に出ましたように、「教育基本法の精神にのっとり、」とはっきり明記をいたしております。当時、清瀬さんとしては、そういう新しい戦後制定をされました教育基本法の中ではみずからの国を愛したり、あるいはその他、いろいろと議論の中の答弁に出ておりましたようなことができないという御判断をなさったんだろうと、こう思いますが、その後の日本教育教育基本法が定着をいたしておりますし、その教育基本法の法の枠のもとの中で今日の十分なる新しい教育制度が定着をし、そして国を愛することも、親孝行することも、また兄弟仲よくすることも十分教育の中で子供たちにしっかり教えることができる、そういう判断で今日行われておるわけでございまして、したがいまして、当時の清瀬文部大臣のお考えとは全く違って、粕谷先生の御指摘どおり、今日の教育基本法が、こうして今の日本の国の教育の中で定着した中で、新しい教育の制度を見直しする、こういうふうに素直にお酌み取りをいただきたいと、こう思います。
  116. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 先日も質問したわけですけれども、総理の私的諮問機関の教育文化懇ですね、この文化懇の報告の中に「教育基本法や教育に関する特定の見解にとらわれず」と、こうあるわけですね。そうしますと、その文教懇の報告も非常に大事な討議の素材になると、こういうお答えがあったわけでありますけれども、教育基本法にのっとって審議を進めていこうというこの臨教審が、教育基本法にとらわれずに審議をしたというこの報告書を参考にすることは私はできないのではないかというふうに思いますけれども、どうでしょうか。
  117. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この文化懇につきましても、いろいろと予算委員会またこの文教委員会でも出ましたが、大変、教育全般にわたりますお考え方を示されております。貴重な参考意見として私は評価をすると、こういうふうにも申し上げてきたわけでございます。しかし、新しい臨時教育審議会の審議委員の皆様方は、そのことを参考にされるかされないかは、また御自由なことでございまして、そういう御議論をいただく中で、すべてのことに余りとらわれずに、初めから枠を定めて、こういうことは触れちゃいかぬ、こういうことはさわっちゃいかぬということよりも、制度上の問題でございますから、できるだけフリーな御議論をいただくことが、より建設的な意見が出てくるであろう、そういうふうに私は期待をしておるところでございます。この文化懇の考え方というのはあくまでも総理の個人の私的諮問機関でございまして、しかし、それは当然国民の前にもこうして明らかになって具体的に提言をされているわけでありますから、そのことは一つの貴重な参考として委員の皆さんがどういうふうに受けとめておられるか、これは委員の皆さん方のお考えに待つということではないかというふうに思います。
  118. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 「学校教育活性化のための七つの提言」というのを世界を考える京都座会が出しております。新聞広告にも物すごく大きく出ているわけでありますが、また私どもの手元にも届いておりますけれども、座長が松下幸之助さんであります。その中に「現行の学制を再検討すること」、こういうのが入っているわけであります。世の中に唯一絶対の学校制度はない、例えば六・四制でも六・六でもあるいは五・四でも設置者が自由に選択できるようにするべきである、さらに前項の標準学力認定に合格すれば学校を経なくてもよいようにするべきだ、非常に大胆な提言をされているわけです。しかし、六・四にするか六・六にするか五・四にするかというのは、教育基本法で言えば義務教育、これ九年というのでありますから、このようなことは論議の対象にはならない、意見は出るかもしれないけれども、その辺はどう理解したらよろしゅうございますか、学制の変革になると思います。
  119. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この件につきましても、私も何回か申し上げておるわけでありますが、制度全般を見直していただくということでございますから、学制のいわゆる年限、区切り等は議論はされるであろうということは予想できるわけでございまして、今から私どもから学校制度そのものを検討してくださいというようなことは申し上げるべきではないし、しかし当然二十一世紀につなげていく学校制度は当然議論の対象になっていくだろう、こういうふうに考えておるところでございます。  したがいまして、現行では、教育基本法では九年、義務教育ということが法律で制定をされておるわけでありますが、当然このことに触れてくるということになれば、できるだけ私は自由濶達な御論議はいただくべきだと考えております。教育基本法がありますから、九年そのものも全くさわってはいかぬぞということで言うのも、議論を進めていく上で果たして適切であるかどうか、私自身はそういう考えを今持っておるわけでございますが、当然答申をまとめる段階においてこの法律の、先ほどから先生も御指摘ございましたように、「教育基本法の精神にのっとり、」こういうふうに明記をいたしておるわけでございますから、教育基本法に触れるということをどのように判断をしておまとめになるか、これは会長と委員の皆さんがお考えになることであろうというふうに思います。  そして、仮に教育基本法に触れる、あるいは九年が八年になりあるいは十年になる、十一年になるというような、そういう考え方の案が仮に出てくるということになれば、これは当然法律の改正ということになってまいりますので、これは当然国会で御議論をいただくことになりますし、教育基本法に触れてまで、そのことに抵触してまで制度をこのように答申すべきことがいいかどうかということも当然私は議論になって出てくると思うんですね。  そういう議論の国民的な世論、あるいは端的に申し上げれば戦前回帰、特に粕谷先生なんかも御心配になっておられましたように、何か総理が戦前の、背のものに、もとに戻すようなことを時々昔言われた、だからそこのところで教育基本法に触れるというなら、これはいかぬということになりますが、仮に九年が十年になり八年になるというところが、もし国民的な合意が得られるとするなら、それでも、そこの教育基本法は触れちゃいかぬとは恐らく粕谷先生おっしゃらぬだろうと思うんですね。そのことは本当にいい意見であるとするならば、そうでしょう。ですから、そういう意味で私は制度上のことをいろいろ議論される、上には余りとらわれずに、御専門の方で御自由な御論議をしていただきたいな、そういう私は願望を持っておるんです。しかし、まとめられて世に問われること、あるいは、そのことを文部省、総理が受けて、そうして制度として動かしていくというときに基本法の問題とどうなるのかということになれば、当然、基本法はさわっちゃいかぬのだという考え方があるなら、その枠の中で判断をしていかなきゃならぬということになるかと思うのですが、私はできるだけ、この御議論は、そういう制度上の現実にある学制ぐらいの問題だったら、余りそのことにとらわれずに、思い切った発想をひとつして議論をしていただきたいなというふうに、私自身はそんなふうに思っているところです。
  120. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 文部省伺いますけれども、長い教育行政の歴史の中で内閣直属の教育改革などに関する審議会、それを置いたことはどのくらいありますか。  また、どういう社会的な情勢の中でそのような審議会が置かれましたかということについて御報告ください。
  121. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 教育に関します審議会等で内閣総理大臣の所管に属するという形のものは戦前戦後を通じまして六つございます。戦前でございますが、大正六年の九月から大正八年まで、これは臨時教育会議というものでございます。それから大正十年から大正十一年臨時教育行政調査会、それから大正十三年四月から昭和十年まで文政審議会、それから昭和十二年の五月から十二月まで、これは文教審議会、これはすぐ次のものに引き継がれるわけでございますが、昭和十二年から昭和十六年まで教育審議会、この五つのものが総理大臣の直属の機関として設置をされたわけでございます。  戦後につきましては、御承知のとおり教育刷新委員会、これは昭和二十一年から二十四年まで、名称は変わりまして、二十四年から二十七年までは教育刷新審議会というふうになりましたが、戦後の制度の改革について取り組んだ審議会でございます。  戦前のことにつきましては、必ずしも詳しい状況を私ども現在の段階で十分承知しているわけではございませんが、簡単に申し上げさせていただきます。  最初に申し上げました臨時教育会議でございますが、第一次世界大戦後、我が国の教育に対する需要というものは非常に高まりまして、この審議会では特に高等教育を中心に、進学率の上昇を契機にしまして、その拡充整備を図るということが主眼であったようでございます。  大学教育につきましては、従来の大学というのは旧制の帝大だけでございましたけれども、それを単科大学というものを認めるということや、あるいは私立大学も認めるというようなことも含めまして大学制度の改革が行われる。  また、高等学校につきましても、大学の予備部門という形ではなくて、小学校から直ちに入学できる七年制の高等学校をつくる等、高等学校教育を高等普通教育として位置づけるというふうなことも行われたと聞いております。  さらに、中等教育段階につきましても、大幅な拡充が図られ、また、そのために必要な教員養成につきましても、大学卒を直ちに中等教育教員とする道を開くなど、いろいろな改革が行われたというふうに聞いております。  それから次の臨時教育行政調査会でございますが、これは学校制度に関しますものでございませんで、当時の義務教育国庫負担金の適正化をめぐって御議論があったというふうに承知しております。  それから大正十三年の文政審でございますが、これは主として臨時教育会議での結論を受けまして中等教育あるいは高等教育の拡充整備を図るということが主眼であったようでございますが、このときの特徴としては幼稚園制度、幼稚園教育令、幼稚園令が制定される。あるいは初等教育を終えて中等教育に進まない者のための青年訓練所の設置であるとか、あるいは青年学校の創設などにつきまして答申が行われているようでございます。それから文教審議会、昭和十二年の文教審議会でございますが、これは実質的な審議を経ることなく、六カ月で次の教育審議会の方に引き継がれたようでございます。この教育審議会は、昭和十二年から十六年までの間に行われたものでございまして、このときの問題は、小学校を国民学校に変える、国民学校につきまして八年の義務制をしくということが一つと、それから文政審で議論されました、中等教育に進まない者のための教育機関として青年学校の制度を充実していくということで、昭和十四年から青年学校義務制実施というものを手がけておるわけでございます。その他、中等教育を一本の中等教育令にまとめる、それから師範学校制度の充実を図る等々の答申がなされ、それが実施されたというように承知をいたしているところでございます。  まとまりございませんが、以上お答え申し上げます。
  122. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 一つ一つに大きな戦争の影が出てきている。そして、そういうところにまた大きな教育要求がどんどん伸びてきている。そういう時代にこれらのものがつくられてきたんだということは、よく私は理解ができました。  その委員の任命なんですけれども、今回の委員の任命はできるだけ国民的合意を得たいと、こういうふうに言っていらっしゃるわけでありますが、メンバーどんな人を選ぶのか、どんなところの団体が参加するのかというのは国民注視の的でありますね。日教組大会がああいう結論を出したから、すぐ参がするんだろうなんという新聞報道もありましたけれども、私が見ている限りにおいては、この制度には反対をすると、日教組はそのことを明確にしているというふうに思うんです。ただ法律ができた段階ではどうするかということの結論が出ただけでありまして、あの修正案が通らなかったから日教組は参加したがっているなんて思うのは間違いだというふうに思いますが、この委員の任命というのは非常に大事だというふうに思います。私自身も調べてみたんですけれども、大正六年の臨時教育会議、これは延べ五十人のメンバーの中で議会の関係者が二十四人も出ているんですね。当時貴族院議員ですから、今の参議院からは十七名もメンバーとして出ている。今のように政党同士相対立することも少なかった時代の貴族院でありましょうからあれですけれども、学識経験者がかなり入っていた。政府機関で十五名、学校関係者が十七人で、その学校関係者の中でも財界関係から三人出ていると、こういう数字になっています。文部省がこれチェックしているんですね。答申が百十九項目あって、そのうち実行できたのが七十六件で、六四%の改革達成率だなんということがあるわけで、今までの中教審答申を文部省がどのように実行してきたかというのは、何か漢としたお話でありますけれども、すごい厳しいチェックをしているんだなという感じがいたしました。それから、大正十年の臨時教育行政調査会というのが私はひどいものだというふうに思いますが、とにかく二万五千人の現職の教員を首切ろうという、こういう法律ですね。小学校の准教員と代用教員九千三百人を整理、二部授業、三学級二教員制、准教員、代用教員一万一千人の整理、四千五百人の補助教員の整理、唱歌、体操、裁縫、手工の専科教員整理、これはみんなが教員仲間が称して教育殺人法案と、こういうふうに呼んでいたそうでありますけれども、そういう中で、議会でどんなことが言われたかというと、今の学科に不要なものはないかとか、小学校は必ずしもクラスを分ける必要はない、全生徒を校長が集めて一時間、こういう国民にならねばならぬということを教えれば足りる、読み書きそろばん三時間学へは十分だなどということを言っている。ひどい調査会が国会の中に設けられていると。そういうことであってはいけないというふうに思っているわけでありますが、この大正十三年の文政審議会は、非常に幅広いとはいいましても、上に総理大臣が入って、総裁も各党党首も幹部も実業界、それから陸海軍関係者、教育関係団体、代表者、言論界代表者、実に多様ですけれども、多様であるだけに、なかなかこれは私は意見がまとまらなかったんではないだろうか。十三年から昭和の十年までかかったというんですから、そういう感じがいたします。  それで、今回のこの国民的合意を得るメンバーというものの選出の基盤というものはどういうことをお考えですか。例えば国会の了解を得るということを前提にしている政党もあります。我が党も当然その中に入るわけでありますけれども、そういう原則的なことをどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
  123. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 設置法案そのものが今国会に提案をさしていただいて、一日も早い御議論をいただきながらぜひ成立をさせていただきたいと、こう思っておるところでございまして、わかりやすく言えば、入れ物、土俵の法案をお願いをしているわけでございますので、この法案が通りましてということを一つの前提といたしまして、目的や所掌事務が決定をいたしますので、その時点になりませんと具体的な人選のことについては決定をすること自体が越権であるというふうに考えております。しかし、今、粕谷さんからもお話がございましたように、私も常々申し上げておりますように、できるだけ、どのような形がいいのか、国民的な広がりを持つ各界各層の皆さんに幅広く御議論を願いたい。したがって、二十五名以内というふうに申し上げたのも、フリーな議論をするということは本当は少し数が少ない方がいいという学者の説もございますが、教育というテーマを考えますと、かなり幅の広い立場からこうして人選をさせていただくということが正しいと考え、しかし、またこれが三十人にもなり四十人にもなりますと、これまた議論が果たして本当に深まっていくのかどうかということも心配でございまして、二十五名以内という形に、法律の上ではそういうふうに書かせていただいたわけでございます。日教組を初め先ほど杉山先生の御質問の中にもございましたけれども、現場の先生方の意見を十分にくみ上げその御意見を十分にしんしゃくするということも大事なことであるというふうにも考えております。ただ、それが何も日教組や全日教連というふうに、あるいはまた小学校長会や中学校長会というふうにとらわれずに、そういうふうな団体の代表であるという選び方をいたしますと、どうしても、どの団体どの団体と皆平均して考えていかなきゃならぬという面も出てくるわけでございますから、そういう方法がいいかどうかということを今いろいろと検討しておるわけでございまして、要は現場の声が十分にくみ取れるように、理解がされるようにそういうことに十分配慮しながら考えていきたいというふうに思っているところでございます。いずれにいたしましても、委員の選任をするということにつきましては、これは政治的中立ということを一番大事に考えていかなきゃならぬということでございますので、国会でこれを御同意をいただくということについてはいろいろ議論の分かれるところでもございますけれども、委員の選任の適格、不適格というのは、よく国会の御同意人事がございます。私も衆議院で議運をやっておりました経験もございまして、お一人お一人の名前を挙げて各党の皆さんにお聞きをするということもやったことはございますけれども、お一人お一人を各党に個別に御判断をいただくということは、逆に言えば、また中立性の確保が要請されるこの教育改革という、こういう性格を考えてみますと、必ずしも国会同意をすることは適切ではないのではないかというふうに私は今考えているところであります。
  124. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私、今の大臣の非常に慎重な御答弁多といたしますが、本当に政治的に中立にやっていきたいというお考えをぜひ堅持をしていただきたい。そういう立場からこう考えますと、この制度を、審議会を発足をさせることを今やることは問題があるのではないかとお考えにならないでしょうか。いろいろなマスコミ論調を見てみますと、中曽根総理が総裁の再選に向けてこれを利用しているということが随分載っているわけでありますね。これを一番御存じなのは御本人で、しているとかしていないとかいうふうに御判断なさると思いますけれども、しかし、そういうふうに考えている人たちは多いのではないかというふうに思います。心配をしている人も多いわけであります。ですから、政治的中立、国民的合意、これを本当に心から望むのであれば、総裁選が終わってからこの法律をお出しになる、あるいはどうだろうとお話をしてくださる、こういうことがいいのではないかと思います。ぜひ、そうしてもらいたいと思いますけれども、大臣、いかがですか。
  125. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 仮にですよ、粕谷さん。総裁選挙が終わって中曽根さんが再選されたら、それは自分の命後の延命にということにまた言われるわけでしょうし、仮にだれかかわったといたしますと、その方が掲げられれば、それをまた総裁選のテーマにするんではないかということになるわけでありまして、自由民主党の総裁、総理大臣という立場からいえば、どのようにいたしましても、そのような御批判や御心配は、私はこれは当然出てくることになると思いますから、しかし大変生意気なことを申し上げておしかりをいただくかもしれませんが、私ども自由民主党の党員でございまして、自由民主党という大事な政党を背負っておる政治家として、そのことが政争や単なる総裁選挙の道具にもし扱われるというようなことがあったら、これは派閥やそんなこと関係なく、我々が政治家として、これは国民の前にどのように説明をつけたらいいんだろうか。中曽根さんが提案されようと、仮に過去に振り返りまして鈴木さんが提案されようと福田さんが提案されましょうと、国民の前に、政権政党として、こういうことをやりたいということを申し上げられた、その総裁がかわろうとかわるまいと、政党はやはり責任持って政治を進めていかなきゃならぬ、私はそういうふうに思っております。  したがいまして、そういうことの御心配は当然出てまいりますけれども、私どもは、これは本当におしかりをいただくかもしれませんが、我が党は、永遠に政策をしっかり大事にして、国民の幸せのために頑張っていく政党である、私どもはそう考えておりますから、中曽根さんであろうとなかろうと、今こういうふうに国民の各界各層、そして各政党の皆さんから、こうした御議論が出てくる。さっきもちょっと出ましたけれども、四十六答申が出たときのあの新聞なんか大変なものでございましたが、しかし、むしろ今はそういう中曽根さんの危機性とか危険性とかいろいろございますけれども、基本的には教育改革をやるべき時期だということはどなたもおっしゃっておられるわけです。粕谷先生も最初にそのことにお触れになりました。そういう時期に総理がやりたい、こういう方向でいきましょうということは、これはまさに内閣が全責任を持って国民の前に永遠の命題としてずっと議論されてきたこと、今がそういう時期なんだと、こういうふうに判断をされての国民に対する呼びかけでございますから、それを政争の問題というふうに一緒にごちゃまぜにするほど、こちらにいらっしゃっておしかりいただくかもしれませんが、自由民主党はそんなおかしな政党ではない、またそんなことをさせてはならない。私たち教育は大事な国の一番基本的な政策課題だ、こういう認識で、そして、いかなるそういう不当な支配にも屈しない大事な、これから日本の国に生きていく子供たちにとって最も大事な政策課題なんだ、こういう認識で一生懸命に私もやっておりますので、どうぞ先生、ひとつ、そういう我が党の御心配はなさらないようにしていただきまして、また先生のその御心配は十分我々はそのことを受けとめて、まじめにこの問題に取り組んでいきたい、こういうふうに考えているところでございます。
  126. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 自由民主党が永遠にと、こうおっしゃいましたけれども、永遠に続くのかどうかは別といたしまして、しかし、主務大臣としては、きちっと、その点を政治的に利用しないという御答弁をいただいたわけですから、頑張っていただきたいというふうに思って私はこの部分についての質問を終わります。  次に、初等中等教育改善充実についてという所信表明が述べられております。私はこの初等中等教育改善充実の中に、学級編制について「学級編制と教職員定数の改善計画についても、財政事情を考慮しつつ、その改善に努めてまいります。」と、こうあるんですね。四十人学級という言葉を意図的に抜かしていますね。これ早急にやりたいなんていう気持ちがないから、ここに述べていらっしゃらないんだと思いますけれども、いかがですかこれは。
  127. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これも昔のことを申し上げて大変恐縮ですが、予算委員会でも私申し上げて粕谷先生お聞きをいただきましたが、四十人学級を各党の皆さんにも御協力いただきながら、当時いわゆる十二年計画でスタートしましたときに、私がその責任を我が党で持っておった一人でございます。自分にとっては我が子のような、いわゆる四十人学級を含める定数の改善計画である、こういうふうに私は認識をいたしておるわけでございます。したがいまして、この学級編制、教職員定数の改善改善というか、よりよく改めるということでございますから、改善計画についても十分全般的な姿勢、文教施策に対します所信の中の最初に持ってきておりますことも、もちろん、初等中等教育という、その制度からも、トップになったということは言えば言えないわけではありませんが、この学級編制と教職員定数を持ってきている以上は、当然四十人学級を含む、今、定数改善ということが前提でございますから、そのこともしばしば申し上げてきておるわけでございますので、そのことをあえて書かなかったといって先生におしかりをいただけば、そういう見方もできるのかもしれませんが、私といたしましては四十人学級を含む定数改善計画、こういうふうに私どもは努めてこの改善方向で努力してきておるわけでございますので、そういう四十人学級に対するやる気がないとか、そのことに対していささか腰が低くなってしまったのではないかという御懸念は全くないというふうにお考えいただきたいと思います。
  128. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そこのところで今の学校教育の成否は、すぐれた資質を持った教員を確保するということが大事だというふうにおっしゃっておりますけれども、「すぐれた資質を持った教員」というのはどういうことを言うのですか。文部大臣の教師観をお伺いしたいと思います。
  129. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) いろいろと教師観というのはいろんな見方あると思いますが、私は人間が人間を教えるということに、教育で最も崇高なことでありますし、最もそのことにおそれを私は教育者が持たなきゃならぬところだと思うんです。そういう意味で一口にはなかなか言いあらわせませんが、教育者としての使命感、あるいは深い教育的な愛情というものを基礎として、そして広い教養、教科の専門的な学力を持つこと、教育理念や方法、人間の成長発達についての理解、すぐれた教育技術を持つこと、こうしたことが「すぐれた資質」というふうに申し上げることができるのではないかと思います。
  130. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私が非常に心配をしますのは、最近教師攻撃が非常に大きくなってきているわけですね。大学先生で天文学の先生なんかも、どうも自分の小学校の娘を教えている先生の教え方が間違っているのではないかということがありましても、おまえの先生はこうだこうだという批判を子供の前ではおっしゃらないで、先生に直接お話をしていただくという、こういう良識を持った親御さんもいらっしゃるわけですね。  そういう中で、「季刊教育法」というのがあるんですけれども、八二年の夏季号ですが、立教大学の中野先生がこういうことを書いています。「自民党の現状認識」というところで、「自民党は一九七九年七月に「教育の新しい方向」と題する文書をまとめているが、その中で教師の世界はなんと、「患者の楽園」である、として次のように述べている。「教師の世界は、一部から『患者の楽園』と呼ばれる。というのも、いったん教師になれば、あとはほとんど勉強しなくても年功序列によって昇給していくからである。」、当時、文教委員として自民党の中では随分文部大臣は頑張っていらっしゃったと思いますが、こんな文書をごらんになったことがあるんですか。これほど私は教師を侮辱し、教育界を侮辱した文章はないというふうに思うものですからお伺いします。
  131. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、粕谷さんから御紹介ありました、そういう文献は私は見ておりません。
  132. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私もこの文献を欲しいと思いまして問い合わせたんですけれども、自民党にもないとおっしゃるので、あとはこの中野先生からお伺いをする以外にないというふうに思いますから、いずれ正式の文書を手にしてから、内容については質問をしたいと思います。  ところで、教師の資質を高めるために非常に研修というものが重要視されてくるというふうに思いますが、教師には研修しなければならないという義務があると思いますけれども、法的な問題点を御説明いただきたい。
  133. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 教育公務員特例法第十九条で、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」「教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。」第二十条では、「教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。」第二項「教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。」第三項「教育公務員は、任命権者の定めるところにより、現職のままで、長期にわたる研修を受けることができる。」というふうに、教育公務員特例法で教育公務員の特殊性に基づき研修の必要な、重要なことを規定しているわけでございます。
  134. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 今の特例法というのは、国家公務員法、地方公務員法あるにもかかわらず、わざわざ設けているということは、教員というものの職責上どうしても研修というものが必要であり、しかも研修はその職場の中だけでやるべきものではなくて、授業に支障のない限り外で行うことができる、こういうことを言ったものだと理解してよろしゅうございますか。
  135. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 国家公務員法、地方公務員法の特例として教育公務員特例法が定められているわけでございます。そういう意味においては国家公務員、地方公務員を通じてこの規定の適用があるわけでございます。その際にどういう形で研修をするかというのは、いろんな研修の形態がございますので、勤務場所で研修することもございましょうし、勤務場所を離れて他の機関で研修を受けることもあろう。その場合に一定のルール、任命権者の承認であるとか所属長の承認であるとか、そういうような手続をとりながら勤務時間内に研修を行う、こういう内容の規定になっていると思います。
  136. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 この研修はどういう内容の研修であるか、それからどんな手法でやられるか、どんな条件のもとでやられるかということが非常に重要な意味を含んでいるというふうに思います。最近の研修ですね、行政研修というのはものすごく重視をされて、そして自主的な研修というものに対する何といいますか、弾圧といいますか妨害といいますか、歓迎しない風潮といいますか、そういうものが非常に多くなっているのではないか、私どもはそういうふうに思います。例えば七一年の中教審答申を見てみますと、特定の行政研修を受けた者には職制の面、給与の面、処遇上の待遇改善をするというようなことが提案されていますね。それから、教職員等中央研修、これでは受講するということが海外派遣研修の資格条件になっているというようなことですね。何かお土産がつくわけですね、報奨のような形が。そして、官製研修というものが非常に強い形で行われているということに不安を持つ一人なんですけれども。特に、所信表明の中にありますが、「文部省としても、学校における校長を中心とする教職員の一致協力体制の確立、学校の管理運営の状況の総点検」云々と、こういうふうな言葉があるのと絡み合わされまして、自発性、自主性、これが抑えられるのではないか。絶対にそんなことはしませんということなのか。ということは、現場の中に、男の花道をつくってやろうじゃないかという言葉があるんですね。それはどういうことかといいますと、校長で最後に退職をする、そういう先生方のために必ず学校研究会をやる、大々的な研究会をやる。それを成功させることが男の花道だというような言葉がまかり通ったりしているわけですけれども、この教育研究あって子供先生が話し合うチャンスが、時間が短くなった、本当に教員同士で話し合う時間が短くなった、こういう不満が巻き起こっているわけです。この辺について、どういう認識をしていらっしゃいますか。
  137. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 本来、教職員の研修は、まず自発的にその職責の重要性にかんがみ、みずから研修するという基本的な態度が必要であろうと思います。それが一つと、もう一つは、子供教育に当たる教師でございますから、子供教育を犠牲にして研修を与えるということは問題があろうと思います。したがいまして、あくまで子供教育を大切にしながら研修をしていくということが必要であろうと思います。そのためには、まず何といっても校内研修、学校の中において研修が活発に行われるということがまず必要であろうと思います。そして、その次に学校を出て研修する場合に、一定のルール、手続に従って研修が行われるということが必要でございまして、学校外に出る研修の機会が調整されたものでないと、非常に研修が多過ぎて授業を休まなきゃならぬ、そして研修のためにかなりの時間を割かれるというようなことがありますので、そういうものを調整しながら研修をしていくということが大切であろうと思います。そのために任命権者が計画的にそういう機会を調整をしていくということを心がけていかなければならないであろう、こういうふうに考えるわけでございます。
  138. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 ぜひ、子供と接する時間、それから自発的な研修の時間、教員同士の研修の時間というものが確保されるように、調整をするように指導しているという文部省のその態度は理解いたしましたけれども、それが適正に実施できるようにこれからも指導をしていただきたいと思いますね。  それから、私は一つ文部大臣にお伺いしたいんですけれども、先日、小西委員の方から、定時制高校の勤務の問題について御質問がありました。私は個々の問題については、悪いことはやっぱり悪いというふうに判断をした方がいいと思いますが、先日の質問内容ではなくて、定時制の教育というのは発足当時に比べて随分変化をしていると思います。そして、忘れ去られようとしているのではないだろうか。スクラップ・アンド・ビルドの繰り返しの歴史だったというふうに思います。この位置づけをどういうふうにしていらっしゃるか、お伺いいたします。
  139. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私もこの間、小西さんの御質問いただきまして、勉強不足で大変恥ずかしいところでありましたけれども、定時制高校というのはどうなっているんだろうかと思って、いろいろと事務当局に命じまして数字なども調べてみました。先生、十分おわかりのとおりだと思いますが、各委員の皆さんもいらっしゃいますので、時間をとって恐縮ですが、定時制高校生徒は昭和二十八年に大体五十六万七千人で、全高校生徒数の二二・七%を占めていたそうでありますが、だんだん減少をしてしまいまして、五十八年度では十三万七千人だそうであります。教員生徒比といいますか、二十八年当時では一対二十五、一人の先生で二十五名の生徒さん。ところが、五十八年度では一人に対して九人の生徒さんと、こういうふうになっている。したがって、定時制高校の存立の意義といいましょうか、このこと自体が、いわゆる勤労青年のためにというのは、どうも最近は価値観そのものが変わってしまったんじゃないだろうか。ちょっとどういう方々が——もちろん、昼働いて夜学ばなければならぬ方もおられることは当然でありましょうし、それから、地方によっては、かなりいろいろばらつきがあるようでございますが、特に近年大都会を中心にいたしまするのは、どうも勤労青少年とは言いかねるという傾向が非常にふえていると、こういうようなこともございますので、こうした問題で、粕谷先生が今おっしゃったように、そういういろんな定時制でお勤めになるという先生の非常なハンディですね。勤務状態にとって非常に難しいお立場の中で、いろんな意味でのこれは方法が工夫されて今日まできたんだと思いますが、それを盾に悪用するということは、これは先生もおっしゃったとおり、悪いものは悪いということになりますが、いずれにしましても、こういう数字であるということであるならば、私は定時制高校の構造的変化がもう顕著になったんだと。そして、各都道府県において実態をもう少し調べてみる必要がある。そういう意味で、私は事務当局に、この改善策の検討が必要ではないかというふうに今命じたところでございまして、文部省といたしましては、近く専門家会議を発足させまして、定時制通信教育振興のあり方等をも含めまして検討をしてみたいと、こんなふうに思う次第でございます。
  140. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そのときに、経済効率を優先をさせるのではなくて、定・通高校ができたという、その基本理念に立っての専門家会議、そして現場の教師、本当に頑張っている教師も含めてやるのであれば、私はきちんとした討論をしていただきたいと思うわけです。例えば、こういう言葉があります。定時制の先生は三時間しか一日授業しないじゃないか、そうして給料も一〇%も、定・通手当いっぱいもらっているではないか、こういうことを言われていますけれども、しかし、一年通じて、日曜日は別といたしまして、夕食を子供や妻と食べることができないわけであります。そして、夜の団らんなんというのは全然ないわけですね。そういうことを考えてみますと、本当に人間らしい教員生活を送っているというわけにはいかない。そういう中で、給料がいいから、三時間しか一日授業しないから、一週間十二、三時間だから、希望者が定時制へ行きたいというふうになっているかというと、ないんですね。全日制と定時制の人事交流、これ定時制の先生方はぜひ全日制へ行きたい、一〇%の定・通手当要らないから行きたいと、こういうふうに言っていても、現実に来てくれる人がいなければ出ていくことができないわけです。全日制でぜひ定時制へ行きたい、こういう方いらっしゃるかというと、希望者がもうほとんどない、こういう状況なんですね。そういうことも含めながら、そんな中で定時制の先生は頑張っているということを私は大臣に認識をしていただきたいと思うんですが、まあ、これ読むわけじゃないんですけれども、これ東京都内の定時制の研究紀要なんです。英文でどのようにして広告をつくるかなんということも含めて、大変格調の高いしかもハイレベルの研究紀要が毎年出されているんですね。こういう研究紀要というのは、授業が始まって授業をずっとやって、生徒の相談あれして帰って、それからの後というよりは、どちらかといえば昼のうちに自分のうちで仕事をなさるという方が多いんですね。すばらしいものであります。これは後でごらんいただければいいと思いますが。それから、ここにありますのは、後でこれもぜひ読んでいただきたいと思いますけれども、たまたまこれは東京都立の本所工業高校定時制の石橋さんという方のものですけれども、毎日、クラス通信を出していらっしゃるんですね、ガリ版を切って。そして一人一人に呼びかけているわけです。生徒だけではなくて家庭の人たちにも呼びかけをしているんです。これ毎年の分がこんなになっているんですけれども、こういう努力をしていらっしゃるんですよね。だから、学校に来ないから、自宅研修だからいけないとか、バトミントンばっかりやっているとかね。そういう人もいらっしゃるかもしれませんよ。しかし、大半の定時制の先生方はこうやって努力をしているんだということを認識をしていただきたい。  特に、ここに南葛の高等学校の定時制の八二年度のまとめですから二年前のまとめになるんですけれども、この中で答辞が出ているんです。私はこの答辞を読んで先生は告発されていると思いましたね。自分が運転手をしていた。そして中学校も満足に行かなかったから、定時制に来ないかと、その南葛の先生に言われて入る気持ちになった。なぜ中学へ行かなかったかといったら、中学校でぐれちゃったものですから、体育祭のメンバーの中に名前が入っていなかったところから、もう学校に行かなかったというんですけれども、その子が林先生の授業を四回受けた。その中で、オオカミに育てられた少女の話と、回り道の話は大切な話だったと思うと。自分の定時制の学生生活の中で宮城教育大の元学長の林先生の授業が心の中にしみついているという報告をしていらっしゃいます。そして、仕事を終えてくたくたになって学校に来ることもある。雨の日も、寒い日も、暑い日も、学校に来て教室に入ると、授業カットだと。先生は有給休暇だなんというけれども、そんなことやめてもらいたいということを厳しく問うているわけであります。それと同時にまた、私たちの疲れた体でも、疲れを飛ばしてくれるような中身のある熱い授業がしてほしかった、こういうことも言っているんですね。本当に熱い授業ができるようになるには、教師の力量というものがうんと高まらなきゃならない。  兵庫県の湊川高校に定時制に私行って、ちょうどそのとき林竹二先生の授業を聞いていたんですけれども、ダンプの運転手夫婦が夜六時ぐらいになってから連れ立って勉強を習いに来るんですね。目がもうぎらぎらして、よそ見なんかしてないんですよね。それは一体何か。林先生の深いものがあるから生徒を引きつけていける。そういう力量を私たちはつけなければならないということを湊川高校先生はおっしゃっておりましたけれども、ぜひ、学校に来てないから、これは教師は遊んでいるんだなどというそういう認識はやめていただきたいと思うんですけれども、大臣いかがですか。
  141. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども申し上げましたように、決して定時高校先生方が全部そうした法律の奥をかいて不誠実なことをなさっているというふうには考えていませんが、先般は具体的な事例として東京都の中にそうした事例がある、これは大変私どもは遺憾なことであるというふうに申し上げたわけでございます。  しかし、今、先生がいろんな例をおっしゃったように、現実の問題として、そうしてパンフレットをつくり、生徒あるいは家族との交流、そうしたことに努力をされる。それは必ずしも、短い時間だからといっても、それは外でおやりになったり、あるいは職場でおやりになることもあるでしょうし、あるいは御自分で図書館に行かれることもあるでしょう、御家庭でされることもあるでしょう。要は、これは教師という立場上、信頼関係が成り立つことであって、だれも見てないんだからといって、ほかの人にかわりにやってもらって、それで寝ているというのは、これは教育者としての、これはもう資質の問題だろう、人間性の問題だろうと。これは教師でなくても、人間社会の中におって、あるまじき行為は、とりわけ教職員の場合はしてはならぬと、私はそういうふうな考え方を申し上げてきたわけでございます。  しかし、今、先ほども答弁しましたように、実質的には一対九・四、一校当たり生徒数は約百二十人という、こういう実態になっておりますので、いわゆる定時制高校の問題について改めて文部省として正式に検討会議を持って考えてみたいと思いますが、それも、先生がさっきおっしゃったように、やはり定時制教育あるいは通信教育というのは大事な、そしてだれもがいつでも自由に学べるという、これは基本的な姿勢でありますし、先般も皆さんに御議論をいただきました放送大学も、そういう見地から、いつでもどこででも学べるという、そのことに文部省として行政の責任を持っていくことでございますので、基本的にはその精神を決して忘れないようにしていきたいと、こう思っております。  先生からたくさんいただいて、なかなかそれだけ読む時間がありませんので、できるだけ目を通したいと思いますが、余りそれ読んだからといって、また、それについて質問なさると、私はちょっと困るわけでありますが、信頼関係の上において読ましていただきたいと、こう思うわけでありますが、私の選挙区の家の隣が学校先生で、ずっと教頭、校長と、今度、去年おやめになりましたが、定時制の先生ずっとやっておられまして、非常に定時制のお話を聞いておりますし、私のごく身近いいとこもことしまで、この春まで定時制の先生をしておりまして、今度、全日制に変わりました。定時制の意義もいろいろ教えられておりますので、定時制については十分理解をいたしておるつもりでございます。
  142. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 大臣の理解を私は歩といたしまして、その資質に関連いたしまして、教員の資質よくするために教員の養成の制度も変えなきゃいけない。それから養成の制度を変えていくと同時に免許証もちょっと変えていかなきゃならない、こういうことでありますけれども、考えてみますと、教育制度も含めて、国民的な合意のもとに教育改革を進める、こういうふうに言っている一方で、この教育養成の制度の根幹にかかわる免許制度、教員養成の単位の取得などというものを、強い反対がある中で強行しようとされるのは一体どういうことでありますか。
  143. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほど先生ちょっと御引用なさいましたし、また杉山先生御引用もなさいましたし、先般からの国会の場でも出ておりますが、いろんなアンケート、教育問題に対する調査をいたしますと、教員の資質に関したものが非常に多うございました。それは、今の先生方がいいとか悪いとかという、そういうことではなくて、教員の資質というものに対して大きく国民的な関心があるという、そういう私は位置づけで理解をした方がいい、こういうふうに考えているわけでございます。今度、教育職員免許法の改正を国会にお願いをいたしているわけでございますが、これは、昨年の秋の教育職員養成審議会、教養審の答申に基づく教員の資質向上のための基本的な方策でございまして、その答申に基づいて法律を国会にお願いをいたしております。国民の教育に対するいろんな考え方も、教員先生に対する考え方というのは非常に大きな位置づけになっておりますので、私は、この法案をお願いをして、先生方の資質向上のためにぜひ資したい、こういう気持ちでお願いをいたしておるところでございます。
  144. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 例えば小学校先生ですけどね。九教科一人で教えるわけですね。体育も得意——東大生、湖でおぼれて本当にお気の毒なことをしましたけれども、うちの子供は泳ぎができないというのがありましたね。普通であれば、泳ぎというのは、小学校時代にプールがきちんとあればできないということにはならないわけでありますね。しかし、そのことを教える教師は一体水泳を教えるだけの教育を受けてきたか、力量があるか。音楽も全部、ピアノもアコーデオンも歌唱力もなければなりません。理科も専門家でなければなりませんよ。こんな全能の神様みたいな教師はいないわけでありますね。すぐれた教師づくりをするということは、それは非常に大事なことでありますし、努力もしていかなければならないことでありますけれども、もっと大事なことは、教師は、広い視野で社会を見ていく、人間を見ていくという、そういう人間であるということがまず前提でなければならないと思うんです。師範学校というものが、狭い枠の中で教師をつくり上げてきたということの批判の中から、開放型の教員養成というのが出てきましたのに、今またもとに後戻りをしようという法案だ、こういうことについての心配があちらこちらから出ているじゃありませんか。大学局長、どのようにお考えですか。
  145. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) 戦後の教員養成は、御案内のとおり、大学において養成を行うということでいわゆる開放制がとられたわけでございます。今回、養成審議会で御議論をいただいて、教員の資質向上のために教職の専門性を高めるということで、教職の専門科目について単位の基準の引き上げを行ったわけでございますけれども、審議会でも、その点はいろいろ議論をされたところでございます。そして基本的には、現行制度のいわゆる開放制の原則ということは、それをとった上で専門性の向上を図るという、その両者の、何と申しますか、バランスを図るという点は教育職員養成審議会でも十分議論をされまして、その点はいただいております答申にも触れられている点でございまして、私どもとしても、今回の改正でその原則にもとることはないというぐあいに存じております。
  146. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そういうふうにおっしゃいますけれども、たとえば、その試案が示された後で、私大連盟から、基本的な部分についてのこれは問題点があるという指摘意見が出ておりますね。和歌山大学教育学部では、有志ということでありますけれども、明確に反対というものが表明をされているわけであります。国民的合意のもとにこの教育改革は進めるというときに、そういう——日教組も反対してますね。そういう大きな反論を押し切ってまで、この法律は私は出すべきではない、通していくべきではないというふうに思うわけですが、諸悪の根源が学歴社会だと学歴社会を批判をしつつ、大学院の専門教育を受けましたから、あなたは上級免ですよっていう、こんなことはあるでしょうかね。大学院の専門教育を受けたということでストレートに上級免だなんということについては、個人の資質に関係ないじゃないですか。教育界の士農工商のランクづけの法律だというふうに言われたってしようがないじゃないですか、こう思いますが、局長いかがお考えですか。
  147. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) 教育職員養成審議会でいろいろ御議論をいただいたわけでございますが、例えば教職に関する専門科目の単位数につきましても、審議会で議論を経ました結果、当初、試案でお示しをいたしておりました単位も、議論を踏まえて修正をして、可能な範囲内で、受け入れ可能な範囲内の限度で教職に関する専門科目を引き上げるというような考え方で、それらの点は具体的に各方面の御意見も伺って、十分全体として受け入れ可能なような限度で考えるということで、その辺は私どもとしても十分柔軟に対応をしてきたつもりでございます。なお、大学院終了課程を基礎資格とする免許状につきましては、当初の原案では上級免許状ということで、これは仮称でお願いをいたしまして、審議会でも御議論をいただいて、しかるべき名称があればということで、結論としては、特修免許状ということで、特定の分野について特に山門的な修得をした者、という感じの名称に改めていただいたところでございます。
  148. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 名前を改めたから直しましたよ、ということには私はならないと思いますが、いずれ法律を出してくるようでありますから、そのときに徹底的な審議を行うということで意見を述べておきたいと思います。  まず、そういう状況をつくり出す前に、私は、国立大学における教員養成部門の整備が非常におくれているということを指摘したいと思います。また、大学設置についてだって、まだ未整備であります。このことが大学問の格差を生んでいるというふうに思います。それから、だから大学の教職課程担当教官の増員など、行政努力を伴わない限り、管理強化が先行して画一的な戦前の教育教員養成制度、教員免許の制度になる、こういうことを指摘して次に移ります。  次は国士館大学の問題です。  国士館大学の中高の封鎖が解けまして、一応新学期が発足をしていくようになった、なるであろうということについては、私は非常にうれしいと思っているわけですが、去年ですね、安高理事の刺殺事件が起きましたときに、瀬戸山文部大臣が、廃校命令辞さぬなどと、こんなことをおっしゃったのかどうか、新聞には、見出しに出ておりますけれども、非常に強い調子で事務当局に対して指示をされたと聞いております。これは内容はどんなものだったんでしょうか。
  149. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) その新聞報道につきましては私も皆目見当がつかない報道でございます。
  150. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 質問は、何かやりなさいという強い指示をした、その内容はどうだったかということです。
  151. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 国士館大学問題の改善について一層努力せよという御指示は大臣からもちろんいただいておりましたが、ただ、新聞に載りました廃校命令云々とか、あれについては全く承知してないところでございます。
  152. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私が質田したのは、その指示の内容を固いているわけです。
  153. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 当時の瀬戸山文部大臣から個別、具体にどうせよという指示ではございませんで、この問題を解決をし、改善するために一層の努力をするようにという御指示をいただいたわけでございます。
  154. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 それじゃ、そういう漢とした御指導をいただいて、具体的に何してきたんですか。
  155. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 国士館大学当局に対しましては、問題が起こりましたとき以降補助金等についての厳しい措置をとるということのほかに、大学当局を呼びまして数項目にわたる指導を行ったわけでございまして、その指導の中身につきましては、先生も御案内だと思いますけれども、例えばその一番基本といたしましては、運営体制の刷新、理事体制の刷新等を行うべきであるということ等を初めといたしまして、例えば当時問題になっておりました海外事業等について慎重に実施をすべきであるとか、あるいは教職員の身分取り扱い等について慎重な取り扱いをすべきである等々、全体として六項目の指導を行ったわけでございます。その後、この大学から回答があったわけでございますけれども、理事体制の刷新等について非常に不十分な回答でしかないというようなことから、さらに指導を重ねてまいったわけでございまして、特に最近では三月の十五日に、柴田当時の総長に来省願って厳しい指導を行ったというようなことが続いてきておるわけでございます。そして先般、既に先生御案内でございますけれども、理事長退陣というような一つ方向が出てきたわけでございます。
  156. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 先日、前柴田梵天理事長兼学長が文部省に退任のあいさつに来られたと。まあ退任に来られたのか何のあれに来られたのか私はわかりませんけれども、内容はどういうものだったのですか。
  157. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 四月の十一日でございますけれども、国士館大学の柴田氏及び光定氏というお二人の方が報告ということで見えたわけでございまして、前日の理事会におきまして国士館大学の運営について種々決定を行ったのでその点について報告をしたい、こういうことでの御報告でございます。  それで、その際に既に柴田総長はその前日付をもちまして退任をされておりますので、前総長として御報告に来たということでございまして、主たる御報告は光定理事長事務取扱の方からあったというようなことでございます。  報告の内容をつけ加えて申し上げさせていただきますと、四月十日の理事会の決定内容でございますが、まず第一点といたしまして、柴田梵天氏が理事長、学長を辞任をする、そして新しく名誉的な職として館長というポストをつくりましてそこに就任をするということが一点でございます。それから第二点は、柴田氏は理事長・学長兼任でございましたが、後任の理事長及び学長については文部省の推薦を得た方を理事会として決定をするということでございます。それから第三点は、それまでの間の暫定措置といたしまして理事長事務取扱及び学長事務取扱を置く。それから第四点は、この機会に理事定数を、現在五名でございますけれども、これを八ないし九名ということで増員をする。そしてまた、評議員定数につきましても、現在十一名から十三名と決められておりますのを十七名から二十名ということに増員をしたいということでございました。これらのために必要な寄附行為変更の認可申請を行うということを決めた、ついてはよろしくお願いをしたい、こういう御報告兼依頼でございました。
  158. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 その際、柴田梵天氏から反省のごあいさつがあったかどうかということと、館長に就任をしましたと言いますけれども、館長に就任をしたということは寄附行為の改定がなければできないわけですね。まだ文部省はその寄附行為を承認してないと思うんですけれども、現在館長であるのですか、どうですかということと、今まで六項目文部省指導をしてきたことがその寄附行為を改定したことを含めてきちんとできているかどうかという判断をどのように持っていらっしゃいますか。
  159. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 国士館からの報告に当たりまして、柴田前総長から文部省から正常化の指導を受けて種々検討してきたこと等を踏まえて昨日、つまり四月十日でございますけれども、先ほど御報告を申し上げましたような点を決定をしたということ、並びに長い間御心配をかけてまことに申しわけなく思います、と同時に、今後とも一層の御指導を国士館大学に対してお願いをしたい、こういうことで遺憾の意が表明されたわけでございます。  それから館長に就任しているかどうかということでございますが、館長のポストにつきましては、寄附行為の変更をいたして、その認可を受けた上で館長というポストができるわけでございますので、そういうことを、そういうポストの新設を予定をしており、その新設された場合に館長に就任をする予定であると、こういう趣旨のことでございまして、現在は、したがって、何も肩書きはないと、こういうことでございます。
  160. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 大臣、ここが大事なんですね。この国士館で一番の問題点は何か。およそ大学らしからぬ寄附行為なんです。その寄附行為を一方的にもう自分の都合のいい部分だけ入れて、今変えて文部省に持ってきた。これをうんと言えば、そのままの体制以上に院政がしかれるということになるわけであります。ほかの部分、大学の教授会が最高の機関であるなんということが全然入っていない今の寄附行為なんです。その寄附行為を直していかなければならないという連動が続いていて、長いことこれ数年間かかっているんですが、全然改善の風潮が見えない。今変えましょうと言ってきた部分は、やめた柴田梵天氏を館長にしますよという、そういう部分だけなんですね。評議員もふやします、あるいは理事もふやしますというのも入っているけれども、そこのところなんです。それで刷新になっていないんですね、私が思いますには。それで、国士館理事会が発表したものを私文書でいただいたんですが、四つの項目について「上記の件文部省の了承を得た。」と、こうなってるんです。大臣、了承したんですか。こういうことについて本当に国士館問題が解決をするというふうにお考えですか、いかがでしょう。
  161. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 管理局長を中心にいたしましてこれまで国会でも何回か御答弁を申し上げてまいりましたが、柴田梵天氏のいわゆる理事長、学長退陣を一つのテーマといたしまして、六項目にわたります刷新の改善事項を文部省としてお願いをしていたわけであります。ようやくいろいろな議論もございまして、国会でこうして与野党の先生方からもいろいろな御批判もございました、そういう事態を受けて、柴田氏が理事長をやめるということを初めて申し出られたわけでございますから、これは一つのやはり私は前進だろうと、こう思うんです。確かに粕谷さんおっしゃるように、院政を振るうか振るわないかというのは、これはこれからの問題だと思います。現在のところ私どもに報告があり、お話があったところでは、理事会には一切出ませんし、象徴的なものであってその権限はないと、こういうふうにおっしゃっておられますが、この館長をどのような形にしておくかどうかということはやっぱり新しい理事会が決定をすることでございまして、今ある理事会は暫定的な、端的にわかりやすく言えば選挙管理理事みたいなものでありますから、そういう意味では新しい理事や学長については、文部省から出していいか悪いかということは別問題といたしまして、今は文部省にすぐれた、そして適切な人を選んでほしいと、こういうふうに一応文部省に申し出ているわけでございますから、文部省としてはそのことを今重要に受けとめて、どういう対応をするか検討をいたしておるところでございますが、仮に文部省から、なるほどこれは国士館大学を本当によみがえらすことができるという方を仮に、推薦という形がいいかどうかわかりませんけれども、仮にそういう方が御就任をいただくようなことに文部省がお手助けをすることができて、そしてその方々が世間から見て、あるいはまた学界から見ましても、大学の中から見ても、なるほどこの方なら間違いはないんだということになれば、この理事長や学長によって新しいいわゆる国士館大学の今後の行き方というものを恐らくつくり上げていかれるであろう。その中で館長という存在がいいか悪いかという問題もやっぱり当然出てくるだろうと思いますから、そのことをもう少し見ないうちにせっかく六項目改善で絶対やめるやめないでやっておった柴田さんがやめるということを申し出てこられたということは素直に、これは今までのことから見てそう簡単には評価はできないという、そういう疑心はあるかもしれませんけれども、しかし、やはり、そういう一歩進んだ考え方で、このことによって国士館問題全体の解決が少しでもでき得るという方向に今私は行ったと判断をしますが、そういうことであるとするなら、いま少しこれは私は見てあげている方が改善方向に沿うのではないか、こういうふうに今思っているところでございます。また、私自身もこの館長という制度がどういう制度なのか、このことについて果たしてこれは本当に院政をしくかしかないものか、本人はそんなことはないとおっしゃっているし、理事会にはもう出ないと、こうおっしゃっておりますから、そういうことも含めながら、本当に国士館を大切に守っていきたいという御本人の気持ちから出ておるものとするならば、いましばらくこの対応の推移を見ていきたい、こう思っておるわけでございますし、現実にこういう動きがあったればこそ、文部省といたしましても、今度は刷新をなさる方々からバリケードだけは外して具体的に、物理的に学園の正常化にぜひ協力してほしいということで、文部省が厳しい指導を行うということを信じて、いわゆる学内の秩序を回復をして封鎖を解いていただいたわけでございますから、徐々にではございますけれども改善方向に今歩み出している、こういうふうにぜひひとつ理解をしてやっていただきたいものだなと、こう思うわけでございます。私個人としては、柴田さんがそういう方向で院政を振るっていくなんというようなことは、これは絶対認められることではない、こういう姿勢でおることはもちろん申し添えておく次第であります。
  162. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 初めて館長と理事は分離しているんだと、するんだということを文部省にお話があったということを今伺いました。寄附行為見ても書いてないんですね。その間が明確でないからこそ、教授会の中では館長の院政が制度上可能ではないか、現理事四名の責任が明確化がない、そして館長と理事の分離は一体どうなっているのかという凝固を呈しているわけでありまして、もしそういうふうに理事と館長は全然別個で、まことに象徴であって——天皇みたいなことを言っているわけですけれども、象徴であるなんというようなことがあったり、「館長は創立者の後裔とし、前館長の指名による。」などということが、このまま通っていくとすれば、私は今のあなたの説明はちょっと疑問があるんじゃないかと思いますけれども、どうですか。
  163. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 館長に関する申請がありました規定の原案としては先生おっしゃるような書き方になっておるわけでございますが、その職務権限に関しましては「この学園を象徴する。」ということだけでございまして、正式の改正の理由といたしましても「館長職を名誉職として規定する。」ものであるということで、公文でそういう説明もなされておるわけでございます。他のケースで、総長でございますとか院長でございますとか、いろいろな名称を各大学で使っておるケースがございますが、これらが理事や理事長等兼務する場合には、そういうことが明確に規定をされているというケースが通常でございます。ここについては、まさにそういう規定がないという状況でございますので、私たちも、これはこの規定からいえば名誉職である、こういうふうに理解しておるわけでございます。  なお、柴田氏は既に理事ももちろん辞任をしておりますので理事でもなくなっておるわけでございまして、現在、国士館大学の理事会は定員五名でございますけれども、一名を欠きまして四名で運営されているという状況になっておりますので、当面の運営の状況から見れば名誉職で——まだ今この館長という職ができておりませんのであれでございますけれども、柴田氏は理事会からも既に去っているという状況にあるわけでございます。個々の条文の表現等につきましては、私どもも、この表現等につきましては問題があるようにも思われますので、現在、事務的にも検討しているというところでございます。
  164. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 封鎖の解除は非常に私は喜ばしいことだと思いますし、今大臣がおっしゃったように文部省がいろいろと間で話し合いを進める中から、このことができたということについても理解をいたしました。しかし、この中で一番怒っているのは十一人の解雇者が出たということですね。しかも、非組合員、弱いところだけねらって解雇者を出しているわけであります。これについて、ある程度文部省との話し合いの中で感触を得たという言葉があるわけですね。その感触を得るようなものというのは一体何であったのかということが一つと、なお、このことについては、教授会の審議を経ずしてなされた教職員の解雇は追認があっても、瑕疵が治癒されないで無効であるという神戸地裁の判決が五十一年の九月の十四日にあるわけですから、もう確実にもとへ戻るわけですし、都労委にこれ調停も申し入れしているようでありますから、早期の解決をするように相談があると思いますので、乗っていただきたい、こう思います。  特に、その中で私問題だなと思うのは、野田平太郎さんという方がいらっしゃるんです。この方は国士館の監事であります。この監事の方が任期が来たからあなたはお引き取りくださいという一片の通知で解雇されているわけです。任期が来たんですから、それは首でもありませんし、何でもないんですけれども、しかし内容が問題なんですね。この方は監事であって柴田梵天先生あてに何回もお手紙を出しているんです。それは「私立学校法で規定された監事の職務は財産の状況、理事の業務執行の状況の監査と共にこの監査の結果、不整の点のあることを発見したときは、これを所轄(文部省)に報告すること等これが監事の職務」である、そして「義務」であると、こういうふうに言っているわけです。問題があるから、そのことについて御回答いただきたいということをお手紙出しているんですね。それと同時に「財産の状況、経理の内容について資格ある公認会計士の監査を受けられることはないのか。」こういう非常に厳しい質問も出しております。これがお気に召さないわけですね。だからエジプトの問題も解決してない、カイロの問題も解決してない。寄附金なのか、貸付金なのか、このことについても全然解決をしてない。我が党の本岡昭次委員がエジプトのカイロヘ行って写真まで撮ってきた。大変なことになっている。そういうことについてまことに不明朗な部分があるんですね。この辺をどのようにお考えになるのかということであります。
  165. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 幾つか御質問ございましたので、それにお答えをさせていただきたいと思いますが、一つは十一名の解雇問題についてのお話でございますけれども、この点につきましては、先生のお話もございましたように、労働委員会等における検討旗項にもなることでございますので、文部省は一々それぞれの事件に立ち入ってどうこうというのは遠慮をしなければいけない性格のことであろうかと思っておりますが、しかしながら、いろいろ状況等を聞いてみますと種々問題もあるようにも思われますので、特に新しい理事者側、そしてまた処分を受けた方々、あるいはそれの支援をしておられる方々が、高い立場に立って、この問題については対応してほしいということを両者に要請をしておるわけでございまして、例えば、新しい理事会等ができました段階には、まず、この問題についてどうするか検討してほしいということでございます。そのような私どもの要望等も受けまして、既に大学当局におきましては、具体的に四月の十三日であったかと思いますけれども、個々の処分を受けた職員等から事情を聴取をするというようなことも始めておりますので、いずれこの問題については適切な解決が何らかの形で図れるんではなかろうかと期待をしておるわけでございます。  それから監事の解任のことにつきましては先生からお話があったとおりでございますけれども、私どもも、解任ではないわけでございますが、任期終了してしまった方の後任を埋めるその埋め方のその前後の流れ等を見ますと、全く問題なしというわけにはいかないという感じを持っておるわけでございますが、全体の運営をめぐるいろいろな問題の中で出てきた問題でもございますので、これもまた新しい体制のもとで今後検討されるべき事柄ではなかろうかと、こういうふうに思っておるわけでございます。  さらにエジプトの問題等海外送付資金の問題等につきましても、例えば、ブラジルの問題等につきましては、その後担当の理事が現地へ行って、さらに先方と折衝した等々、若干の前進は、前進と申しますか、検討そのものが進んでいるということはあろうかと思っておりますけれども、いずれも、こういう大波が今来たところでもございますので、まずはこの大波の方を静めた上で、そういう問題にかかっていく。そのために今回の新しい理事体例のつくり方がまた非常に大事なことだと思っておりますので、後の解決のためにプラスになるという方向で、この問題に文部布としては対処したい、こう考えているところでございます。
  166. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 時間が来ましたから、これで終わりますが、大臣に一言お伺いしたいと思います。  この学校、本当にすばらしい卒業生を出しているんですけれども、こんな事件が起きるたびにイメージが下がっちゃって、そこの卒業生だ、と言うことができないような状況に立ち至っているわけであります。それは寄附行為のところで、教授会の権限というものがきちんとしていないからであります。教授会で決定して、次、採用しますと言われても、理事のお気に召さなければ全然だめでして、これで数年間、それこそパートしながら、アルバイトしながら国士館の先生になることを念願して頑張っている人たちも何人もいるわけです。本当に何というんですか、いい大学というのですか、そういう大学になるように御努力をいただきたいと思いますが、それをもって私の質問を終わります。
  167. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 粕谷先生おっしゃるとおり長い伝統の中で各界に多くの卒業生を出している。特に武道、スポーツを中心にした活躍も大変大きなものもございますし、私も、この間、オリンピック選手候補の一人である斎藤君にも会って、恥ずかしそうに、僕、国士館ですと、こう言ったときに、胸張って言えよと、こう言って激励をしたわけでありますが、そういう卒業生や現役の学生の皆さんのためにも一日も早い解決を私たちは望んでいるところであります。いろいろ御心配の点もございますし、これまでの経緯がございますが、要は柴田氏が今後大学の運営にかかわり合いを持たないということが一番大事なことでありまして、現時点では理事をやめたんです。学長もやめたんですから、その中から今新しい胎動が芽生えつつあるわけでございますので、文部省としても大学の自治、大学の自主性を侵さない中で、ぎりぎりのところで、国会の多くの先生方の議論一つでも多く踏まえながら、私どもは今改善の努力をいたしておるところでございますので、いましばらく推移を見守っていきたい。単に見守っているだけじゃありませんので、いろんな形で努力しておりますということで、どうぞひとついろんな角度でまた諸先生方の御支援も賜りたい。一生懸命に努力いたしますと、こう申し上げて答弁にかえさせていただきます。     —————————————
  168. 長谷川信

    委員長長谷川信君) この際、委員の異動について御報告いたします。  ただいま吉川春子君が委員辞任され、その補欠として佐藤昭夫君が選任されました。     —————————————
  169. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 お許しを得まして委員を交替し、幾つかの問題について質問をいたしたいと思います。  まず、高等学校教育課程制度の問題をめぐってお尋ねをいたしますが、未来を担う子供たちの健やかな成長を目指して、今、各界、各方面からさまざまな教育改革論が提起をされています。中でも、今や進学率九四%を示し、準義務教育とも言うべき高等学校教育一つの焦点となっているわけでありますが、まずお尋ねをいたしますけれども、高等学校教育課程の編成に当たっての類型の問題でありますが、この類型という考え方はいつから始まりどのように定めたのか、まず御説明を願いたい。
  170. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 昭和三十一年度の教育課程の基準をつくる際に必須教科、それから科目の増加とコース制の採用などを行ったわけでございますが、その際に一つ教育課程の型といたしまして類型についてそういうコースを準備して子供たちの学習効果を高めるというようなコースを準備するということをうたっているわけでございます。  自来、今日まで、教育課程は改定されてきておりますけれども、その類型の考え方は踏襲されて今日に至っているわけでございます。
  171. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 現在の教育課程改定といいますか、この学湖指導要領、これではこの類型をどのように定めておるのか、踏襲をされておるとは言いつつも表現が変化をしていると思うんですが、どうでしょう。
  172. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 「教育課程編成に当たって留意すべき事項」として、「生徒能力適性・進路・興味・関心等に応じてそれぞれ適切な教育を施すため、必要により、教育課程の類型を設け、そのいずれかの類型を選択して履修させることは差し支えない」、こういうふうに書いてあるわけでございます。
  173. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 今の説明でも明らかなように、文部省指導としても類型を打ち出した一番当初の昭和三十一年学習指導要領、ここでは類型を置くと、こういうふうに限定的に書いておったわけですけれども、それが現在の昭和五十三年八月の学習指導要領、ここでは「いずれかの類型を選択して履修させることは差し支えない」ということで、いわば置くべきだと、こういうふうに言っておった、それがその後の変遷を経て、今日では「類型を選択して履修させることは差し支えない」、いわば類型を附いてもいい、置かなくてもいいと、こういう形に文部省指導自身も変化をしてきているわけです。  ところで、この普通科の類型について実際の設置状況、どのように類型が置かれているかという、この点について文部省全国の実態把握はどうでしょう。
  174. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 具体的な中身まで分析しておりませんけれども、昭和五十七年十二月の調査によりますと、公立高等学校普通科において約七〇%の学校が類型を設けております。    〔委員長退席、理事田沢神治君着席〕
  175. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 そこで、第一学年から類型を設けておるという、そういう府県はあるんでしょうか。
  176. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 突然のことでございまして、ちょっと資料を調べなければわかりませんが、大部分は第二学年から類型を採用しているところが多いと思われます。
  177. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 この間文部布からいただいておる資料では第二学年から始めておるのと第三学年から始めておるのと大体半々だということで、文部省調査では第一学年から始めておるというのは調査にひっかかってこない、こういうことになっておるわけでありますが、普通科に体育類型を置いているのは全国に例があるでしょうか。
  178. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 公立学校で十三、学科を設けている学校がございます。
  179. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 その体育類型が国民体育大会を目当てに置こうかと、こういうことが一部で議論に上っているやに聞くわけですけれども、そういう例が全国を見てありますか。
  180. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) ちょっとその前に、今度の新しい教育課程は、子供の多様な適性能力に応じてできるだけ多様化し、弾力化していくという方針で新しい教育課程をつくったわけでございます。したがいまして、その効果を上げていくためには、類型等を設けて教育的な効果を上げていくということが現実的に広まってきているわけでございます。  そこで体育系の類型につきましても、そういう高校へ進んでいきたいという子供たちにふさわしいコースとして設けられるということが、一般的に旧体を開催するしないにかかわらず、論議されて現につくられている学校もあるわけでございます。具体的にどこの学校でどういう県でどうかというところまで私直接聞いておりませんので、ここで、こういう県で国体を目指して類型を設けようとしているというところをちょっと断定申し上げるには自信のない状況でございます。
  181. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 先ほどちょっと補足をされた学習指導要領が多様化、弾力化、これを打ち出しておるという、そのことを否定しているわけじゃないと。私が言っているのは、類型を倣くということについての学習指導要領の上でのうたい方が三十一年の出発のときには置くと、まあ、言うなら置くものとする、こういううたい方からその後ずっと変遷をして、一番最近の学習指導要領では、いずれかの類型を選択して履修して差し支えないと、こういう表現になっているということはまごうべきもないわけですね。このことを確かめたという問題であります。  そこで次の問題として、こうした類型の設置を含めて教育課程の編成権の問題でありますが、文部省、都道府県教育委員会、学校、それぞれの役割、権限、これがあると思うんですけれども、まず文部省の役割、権限はどういう範囲ですか。
  182. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 文部省教育の水準を維持するという観点で、小・中・高等学校までの学校については学習指導要領の基準を定めるということができるわけでございます。その定められた基準に従って具体的に各都道府県、市町村で具体的なカリキュラムの編成が展開されるということになるわけでございます。
  183. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 都道府県教育委員会のところまで話をもうされておるわけですけれども、いわば文部省は学習指導要領をもとにして全国的な教育課程の共通基準、これを示すというのが文部省の役目だと、都道府県教育委員会はそれに沿って、その府県内の高等学校の共通的基準、県内の共通的基準、これを示す。学校はそれに沿って具体的に我が学校でどういう教育課程、類型を組むかというこの問題は学校の役目ですね。
  184. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) ええ、そのとおりでございます。
  185. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 でありますから、したがって、どの学校がどういう類型をつくるかということは学校の役目であって、それを越えてというか、都道府県教育委員会が、あなたの学校はこういう類型を置きなさいということを、もう頭から指定をすると、この類型でなくちゃいけませんよ。ほかの類型をつくったらいけませんと、こういうふうに、頭から教育委員会が指定をするということは、今の学習指導要領の精神からいって芳しくないわけですね。
  186. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 先ほどの答弁にやや補足して申し上げますが、地教行法の第二十三条では、「教育委員会は、」「学校の組織編成、教育課程、学習指導生徒指導及び職業指導に関すること。」について管理及び秋行する権限を有しているわけでございます。したがいまして、具体的にその管内の学校教育課程についてどういうような基本的な方針を示して、そして具体的には、その学校で展開する毎日の教育プログラムにつきましては学校にゆだねる。だから、大綱的なものを基準として示して、そして、その範囲内で、それぞれの学校が毎日の教育課程の中身を決めるということになるわけでございます。
  187. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 今、言われた地教行法というのは、ずっと以前からある法律ですね。それが今の学習指導要領、すなわち昭和五十三年の八月でしたか、この現行指導要領もよく御存じのように、「第一章 総則」「第一款 教育課程編成の一般方針等」、その第一項、だからまさに一の一の一、一番冒頭にうたっておる教育課程編成の大原則は、学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従って、生徒としてのそういう発達を目指して、「地域や学校の実態、課程や学科の特色及び生徒能力適性」、こういうものを「十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。」と、学校においてはこれこれこれこれのことに心を配って「適切な教育課程を編成するものとする。」という、この一の一の一と、こう出てくるわけでありますから、具体的に、文部省はもちろん、そういう全国的基準を示す、教育委員会はそこの都道府県内の高等学校の共通的基準を示す、具体的に我が学校でどういう教育課程にするかというのは、これは理の当然の問題ですけれども、我が学校ではどうするかということはその学校が決める事柄だ。それをあなたの学校はこういう教育課程、こういう類型でなくちゃいけませんよということで、教育委員会が指定をするということは、これはこの学習指導要領の精神に照らして芳しくないわけですね。
  188. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) ちょっと、その付近が意見の食い違うところかと思いますが、都道府県の高等学校で申し上げますと、都道府県の高等学校として工業学校、商業学校、普通課程、普通学校を、どういう学校をつくるかというのは、設置者である教育委員会が具体的にこういう学校設置したいということを当然決定する機能があるわけでございます。したがいまして、工業学校をつくれば工業に関する教育を展開するというような授業を展開していかなきゃならない。そこの工業学校の校長並びに教職員は工業に関する教育の授業を展開していくというプログラムをつくらなければならない、こういうことになるわけです。そこで、普通課程につきましても、例えば女子向きの高等学校をつくりたいとか、それから、普通科では、こういう類型の高等学校をつくりたいというような学校設置者が意思を決めてそういう形の学校をつくるということは当然できるわけでございます。最近、普通高校におきましても、いろんな多様化されている子供たち対応できるようにできるだけ弾力的な形の学校をつくっていこうという試みが地方でいろいろ行われているわけでございます。そういう意味で、一定の類型を持った学校をA校でそういうものを実現していくということの意思を、設置者である都道府県、それを具体的に管理する教育委員会が、その内容を示して、その枠内で学校教育展開をしていくということは当然あり得ることかと思います。
  189. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 随分、殊さら違いを繰り返しておられますけれども、この学習指導要領のここに「第一款 教育課程編成の一般方針等」、ここで一、二、三、四、四項目ありますけれども、どこ見たって、その教育委員会は、これこれ云々という教育委員会の指図が働くようなそういうような表現というのは出てこないわけですよ。ですから、具体的にどういう教育課程類型をつくるかというのは、これは学校の役目だということは明瞭ですけれども、これだけ続けておると時間がたちますから、次の問題にいきましょう。  もう一つ尋ねておきますが、公立高校入試選抜に当たって、中学校における部活動、いわゆるクラブ活動、こういうものを評価をして定員の一定割合まで優先入学させると、こういうことがいろいろ議論に上っておる部分がありますけれども、これは文部省の方針というのは、学力検査の成績とそれから中学校から送られてくる調査書、これの総合判定をすると、こういうことであって、一定割合優先入学制とか、こんなようなことは文部省の今までの指導にはありませんね。
  190. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 高等学校側が、学力検査とそれから中学校における調査書、その調査書の中には学習の記録の面と部活動その他の面も入った報告、調査書、そういうものが出されて、それをもとにして入試の決定を行うというような形は普通行われるわけでございます。その際に、学力検査と中学校における調査書をどういうウエートで見るかと、それから、調査書の中でどういう部分をどういうふうに評価して見るかという点は、それぞれの県の教育委員会で方針を明らかにすることができるということであります。それから、そういう学力検査のほかに推薦入学制度というのが最近職業コースではとられておりますけれども、したがって、中学校における学習の記録をもとにいたしましてその子供における推薦入学制度を拡大していく、それをどの程度、どういう形で実行するか、これはまさに都道府県教育委員会が決定できる内容でございます。
  191. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 文部省指導しているのは、学力試験の結果と成績と、それから中学校からの報告書と、これを総合判定をしなさいと、こういうことであって、一定割合の部活動についての優先入学制ということが、そういうやり方がいいんだということを別に全国的に号令しているということじゃありませんね。
  192. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) そのとおりでございまして、それは各県の教育委員会の自主的な判断でお決めいただくことでございます。
  193. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 次に、高校の制度改革の問題について、大臣、しばらくお待ちいただきましたので、大臣にいろいろとお尋ねをいたします。  御存じのように、我が党は、今、国会に政府として提案をしております臨教審構想、すなわち、名前は違えていますけれども、中曽根首相の戦後政治総決算の一環としての教育臨調的な構想、こういうものには強く反対をしているものでありますが、    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 真に国民のための教育改革、これを否定をするものではないということで、むしろ我が党も早くから、高等学校の問題について言えば、高校の準義務教育化、中高一貫性の確保と、こういうことを提唱してきたものであります。すなわち、さっきも冒頭言いましたが、高校進学率が九四%という、義務教育に近いところまで、それだけ増大をしてきておると、こういう状況のもとで、高等学校への希望者全員入学制、これが、そういう現実に照らしても、また受験をめぐってのいろんな矛盾を解決をしていくという点でも、また人間の発達にとって大切な青年期を、中学、高校という形で言うなら、ぶち切ると、こういうことよりも、むしろ一貫性をどうつくり出すかと、こういう点で我が党の提唱を早くからしてきたものでありますけれども、この点についてまず文部大臣の御意見はどうでしょうか。
  194. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 佐藤先生から御指摘ございました、共産党さんがいろいろと御提案をなさっておることも含めまして、今、高等学校そして大学への一つの関連、あるいは中学校から高等学校への関連、また小学校から中学校への一つの連結、言葉の表現はいろいろございますけれども、今の教育制度全体を見直すには非常に重要なところだと私どもも承知をいたしております。しかし、どの制度が絶対、これがすべていいんだという答えはなかなか現実的に出てまいりませんし、また地域によって実情もいろいろ違ってくるということも十分考えるわけでございます。したがいまして、新たに教育改革を進めていく上での臨時教育審議会では、こうしたことなども、ある程度御議論をいただくことになろうかと思いますが、今の段階で私の方からこうしたことを検討するということを言うことは、これは、また設置法そのものを御議論いただいておりませんので、私の方から、とやかく申し上げることは越権になることであろうと思いますが、こうした制度全体を議論するということについて、高等学校あり方、これについて触れないわけにはいかないだろうというふうに私は考えておるところでございます。  ただ、果たして高等学校全入という制度が……
  195. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 希望者ね。
  196. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 希望者をそのまま入れることがいいのかどうか、現実の問題として九四%を超えている高等学校が、能力適性、いろんな意味で極めて多様化いたしております。そのために高等学校そのものも、いろんな価値観に基づいていろんなバラエティーに富んだ方向も——今の高石局長先生の間にも議論も出ておりました、もろちん類型という形で出ておったわけでございますが。いずれにいたしましても、果たして学生が、高等学校、中学校同中等教育のところで受ける年齢の問題とか年限の問題でありますとか、たとえ希望するということでございましても、それを全部入れるということは、現実の社会において全部入れるということであるならば、入ることがいいのか悪いのか、あるいは入ることによって勉強したくないという、そういう方々を無理やりに高等学校の中に入れることになる。現在の時点においても、どちらかといえば、学歴社会の中で、御本人の希望とは別にして高等学校に入って、高等学校の中でむしろ悩み、いろんな問題行動を起こしているという面もあるわけでございますから、ここは自由闊達な進路指導をしていく、進路を選んでいくということの方が、今の事態の中では、私はむしろ適切な方法ではないだろうか。あるいは、そのことによって、これからの高等教育あり方、あるいは専修学校あり方、いろんな意味でも、また、これもこの系統すべてに関係をすることでもございますので、私どもとしては、もちろん先生のおっしゃったことを否定するという意味ではございませんけれども、高等学校、中学校、小学校全体を含めまして、新しい審議機関でこの学制制度問題全体についていろんな角度から御議論をいただくということには極めてふさわしいテーマではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  197. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 やっぱりちょっと、いろいろ議論をしていかなくちゃならぬ重要な問題があるかとは思うんですけれども。しかし、現実の問題として、高校進学率九四%、さらに年々増大をする勢いということで、義務教育に近い状況へだんだん近づいてくると、こういう現実の上に立って高等学校教育をどういうふうに組んでいくのかということについて、この義務教育状況が、人間の全面的発達のために、細かく細かく選別をして教育の形をつくっていくよりは、そういう人間の全面的発達のための共通の学習分野というものをもっともっと大切にしなきゃいかぬじゃないかという考え方が今広まってきているわけですね。その点はさておくとして、そういうことも念頭に置きつつ、教育改革問題の一つの焦点になってまいりました課題に、受験競争、偏差値教育解消のためにということが一つのスローガンになってきた。この問題について、文部省は一体どういう方策を考えているんですか、この受験地獄解消、偏差値教育解消のために。
  198. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 受験を一つの要因といたしまして教育全体に及ぼす影響あるいは社会的な風潮、いろんな問題を招来していることは先生も今御指摘のとおりでございます。  私も、文部大臣に就任をいたしましてから、総理も、このことに一番やはり何とかして今の時点を解消する方法はないのか、これについては学歴社会全体あるいは親の理解、社会的な風土、いろいろなことがございますから、これについては先ほど議論に出ましたように、高等教育機関も含めながら、いわゆる学制制度全般を見直してみるということも一つの期待感でもあるわけでございますが、私は大臣に就任いたしましてから、この共通一次問題も含め、入学試験という制度に、何とか今の子供たちを一まあ、競争をしちゃいかぬということにはならぬわけでありますが、こうしたいろいろな病理現象を生んでいるということについて改善をでき得るものならしてもらいたい、こういうことで、国立大学協会のいわゆる入試改善に関する先生方とも、総理も含めて二度ばかりお目にかかって、何とか改善をしてもらいたい、あるいはまた私立大学関係者ともお目にかかりまして、ぜひ、ひとつ改善の方途を見出してもらいたい。しかし、いずれにいたしましても、どういう生徒大学に入れるか入れないかということは大学の判断することでございますから、文部省からああしろこうしろということは言えないわけでございます。そういう意味で、まず大学入試の問題についても今検討いたしていただいているわけでもございますし、もう一つは、前後したわけでございますが、高等学校入試の問題につきましても、どちらかというと、偏差値をいわゆる利用しながら進めていくという今日のいろいろな弊害というのは改善をしつつありますけれども、まだまだ完全なものにはなっておりません。そういう意味で、高等学校入試につきましては、今、私ども検討会議文部省の中に定めまして、既に七回ばかり議論をいたしておりますが、午前中の議論にも出たわけでありますが、この六月を一つの目途に、新しい入試改善に関する考え方をぜひまとめてみたい、こういうふうに思っているところでございます。  偏差値等につきましての改善につきましては、初等中等教育局長通達、そしてまた次官通達などもいたしまして、そして幾つかの具体的な事項を取り上げて、中学校等につきまして改善方向を示しているところでございます。
  199. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 今、答弁の後段にありました、昨年の十二月から、そういう高校入試改善検討委員会のようなものもつくっていろいろ検討していると。六月をめどにしているんだということですが、何か中間的な結論出ますか。
  200. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 検討の最中でございまして、まだ、小委員会をつくって具体的な内容をまとめる作業が、これから始まるわけでございます。
  201. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 私は、問題は明瞭だと思うんですよ。高校入試をめぐっての受験地獄解消、受験競争加熱を解消しようと思えば、希望者が全部入れるような高等学校をふやす、増設をするという、これが何よりも先立ってのまず解決策と。ところが、これが今臨調だ行革だ、こういうことで軍事費の犠牲になって抑えられると、こういう姿になっておる、ここを解決をしなくちゃいかぬ。そこを解決をしないまま類型性をあれこれ強める、こういうやり方は受験戦争解消に役立つというよりはむしろ受験競争を激しくさせるというものではないかというふうに私思うんですが、大臣の所見どうでしょうか。
  202. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 考え方の違いでもあるわけでありますが、現行の教育制度の中で、高等学校希望者を全員入れてしまうということは確かに一つの安易な方法なのかもしれませんが、現在の時点の教育制度の中では、義務教育は九年間ということに、これは教育基本法の中に定められております。その中で進路は本人の能力適性、希望に従って、あるいは関心度に従って進んでいくという道が開かれておるわけでありまして、この中で自由競争を進めていくということが私どもの考え方としては正しいやり方だというふうに思っているわけであります。ただ、高校の準義務教育化というような御意見も出てくるわけでございますが、現実の問題といたしましては、特定の高等学校にこだわらなければ、希望する人たちの九九%は入学は現実にできているわけでございます。しかし、いろいろな資料等も調査をしてみますと、もちろん、いろいろな理由はございましょう。経済的な理由もいろいろございますけれども、現実に高等学校教育になじまないという形で途中で進路を変更する人たちのパーセンテージもかなり出てきているわけであります。そういう意味考えてまいりますと、今の制度でこの程度の競争の中で、私は高等学校の進路を選んでいくということは適宜なやり方であるというふうに私どもは考えております。
  203. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 えり好みをしなければ九九%は高等学校へ入れるはずですと、こういう言葉が文部大臣から出るというのは心外ですね。大変な学費、授業料を負担をして私学へ行くと、こういう状況のもとで、どうしたって学費が余りかからない学校へというこういう方向へ集まってくるというのは、これは疑い得ない傾向になって出てくるじゃありませんか。だから、そういう状況の上で、まず何よりも大事なのはその全員入学制、このことにどうだこうだというのでしたら、高等学校をとにかくふやすと、公立高等学校を増設をする。これが非常に重要な一つ方向だということはお認めになりますか、それも否定なさいますか。
  204. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 高等学校をただ量的にふやすということについては、私は先生と同じ考え方は持てないと思っております。
  205. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 まあ、重大ですね、今の大臣の発言については。  時間の関係ありますので、もう一つ次に進めて聞いておきますが、いずれにしましても、この教育制度をいろいろ変えると、こういう場合には、それをせっかちに進めてはいかぬ、よく関係者の間で議論を尽くして、共通の認識、合意をつくって、一歩一歩進めていくと、こういうやり方が大事だということは大臣も否定をなさらぬと思うんですけれども、こういう点で一つの苦い経験として、最近、類型性を一方的に強行をして定員割れさえ起こったと、通常、ここへ来るのじゃないかというふうに思っていたところが、むしろ定員割れが起こったということで随分混乱が起こった広島県の福山市の例、御存じですか、大臣
  206. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 存じておりません。
  207. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 大臣だけじゃない、横の局長も首振っておったんですから、局長も知らないと。テレビにまで報道されたそういう問題。もっと、だから、一体、地方でどういうことが実際に起こっておるかということに、よく目を配ってもらう必要があると思うんですよ。とにかく、極めて短期間の間に類型性をばあんと発表した。父母の間でよく内容が理解をされない。通常、大体類型をつくる場合には、進学コースといいますか、そういうところへ希望がずうっと殺到するというのが通例ですね。ところが福山市の場合はそこが定員割れが起こったんです。やっと二次募集をして形をつけたと、こういう形になっておるわけですけれども。  そこで最後に、私は大臣に要望兼お願いをしておきたいと思うわけですけれども、今、京都でも府教育委員会のもとで高校制度の検討委員会というものがつくられて、いろいろな検討をやって、この三月の末にいよいよ決定という方向が出たんでありますけれども、この検討委員会なるもの、教育委員会の考え方に批判意見を持つ者は一人も入れないと、こういう点では国のつくる審議会よりも、どうもやり方がひどいというふうに言わざるを得ないような、そういうやり方で短時日の間にこれを発表したということでありますけれども、本当に誤りなき教育制度の改革を進めていくという点で一遍よくこの実情も聞いていただきたい、必要なことがあれば助言もしていただくということで、これらの問題についてのひとつ大いに心を配っていただきたいというふうに思いますが、大臣、どうでしょう。
  208. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も不勉強でございまして、京都府教育委員会、市教育委員会におきまして高等学校教育制度の改善について教育懇談会を設けて御議論をいただいておるということ、けさ局長から報告を受けました。もちろん、私自身もまだ就任して間もないことでもございますし、そのまますぐ国会に、先生も御承知のとおりほとんど国会にこうして縛られておるわけでございまして、そこまで検討いたしておりません。国といたしましては、文部省といたしましては、それぞれこうした都道府県の教育委員会がいろんな改善検討策を懇談会あるいは審議会等を設けていろいろと検討をなさるということは、極めて私はいいことだというふうに考えております。ただ、どういう内容でどういうやり方をということについては、まだ私どもは承知をいたしておりませんが、都道府県教育委員会が自主的に事を進めていかれるということについては私どもはむしろ賛成をしていかなければならぬと、こう考えております。
  209. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 強く要望をしておきます。  それでは次の問題へ移ります。  いわゆる軍学協同と言われる現象の問題でありますが、まず防衛庁、最近五年間の自衛官の国費による大学への派遣人数、どういうことになっておりますか。
  210. 平林和男

    説明員(平林和男君) 防衛庁では自衛官を職務上の必要によりまして因費をもって大学及び大学院へ派遣しておりますけれども、最近五年間の状況を申し上げますと、五十四年が七十七名、これは年度における在籍数でございます、五十五年が八十一名、五十六年が九十二名、五十七年度が八十四名、五十八年度が八十名ということになっております。
  211. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 文部省は数字を調べたことありますか。
  212. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) 大学における入学許可の決定は各大学がみずからの権限と責任において行っておるわけでございまして、したがって、文部省としては各大学へ入学した者の中に自衛官が何名含まれているかということについては把握いたしておりません。
  213. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 防衛庁、先ほど数字の回答がありましたけれども、最も最近の年度、把握をされているあれでいくと五十七年度ですか、各大学別にどういう分布になっているか、お願いをしたい。
  214. 平林和男

    説明員(平林和男君) 五十八年度が八十名というふうに先ほど申し上げましたが、派遣先の大学名につきましては、先方の同意を得ておらないということ、それから過去におきまして大学名を公表したことがあるわけでございますけれども、それによりまして相手先に多大の迷惑をおかけした、さらに結果的にその大学につきましては自衛官を派遣することができなくなったという、大変苦い経験を持っておりますので、大学名の公表につきましては差し控えさしていただきたいと思います。
  215. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 幾つかの理由を言われましたけれども、私は、なぜ大学別の人数、どういう状況になっておるのか、それが言えないのかと。とにかく国費をもって派遣をしている、いわば自衛官を内地留学をさせておるというような姿ですね。これがなぜ一体発表ができないのか。私は、そういうふうに隠されると、各大学別に発表したら、トータルをしたら数字のつじつまが合わぬようになると、さっき言われた人数よりも私はもっとたくさんの人数があるんじゃないかというふうに思わざるを得ないわけでありますので、そうした点で、委員長、お願いをしたいんですけれども、私は、国の予算を使って、要するに国から月給をもらって大学へ勉強に行くということで、任務を持って派遣をされている、その人数がどういう姿になっておるのか、これが公表できないということは問題だと思うんです。ひとつ、ここらの問題については、扱いについて理事会で後日、御協議をいただきたいと思いますが、どうでしょうか。
  216. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 理事会で検討いたします。
  217. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 ところで、文部省大学へ派遣されておる自衛官の数、そういうものはつかもうともしてないというんですから、もう一つ私はこれは問題だというふうに思うんですね。こういう自衛官の大学への派遣、大学院などが多いわけでありますけれども、これが大学の自治、学問の自由にかかわる重大問題として各大学でいろいろ議論を呼んでおると、こういうことについては理解をしていないんですか。
  218. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) 基本的には先ほど御答弁したとおりでございますが、さらにつけ加えて申し上げますと、すべて国民は能力に応じて教育を受ける権利を有しているものでございまして、職業によって差別されてはならないことは当然でございます。したがって、各大学に対しても、この趣旨の指導を行っているわけでございます。  具体的には、昭和四十四年でございますけれども、昭和四十四年三月十九日付文大大第二〇五号をもちまして、自衛官等職業を有する者の入学者選抜について大学局長名の通知を各国公私立大学長あて出しているわけでございますが、その中でただいま申しました点について申し上げますと、「その職業が自衛官等特定のものであることを理由として、その者の入学の機会を奪うことは、教育機会均等の原則を定めた憲法および教育基本法の趣旨からみて許されないことであります。」という点でございます。  さらに四十四年四月十八日付で、これは具体的に大学で自衛官の受験拒否事件がございまして、それが法務省から具体的のケースで人権擁護の事実が認められるという認定がございまして通知があり、それを各国公私立大学長あてに移牒をしたケースがございまして、基本的には、私ども、自衛官等職業を有する者の入学者選抜については、先ほど申し上げましたような趣旨の通知に従って各大学を拍導しているところでございます。
  219. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 大臣、私は聞けば聞くほど文部省の論理は東大だと思うんですね。自分の費用で希望によって大学を受験して大学で勉強をするという問題は、それは確かに教育機会均等で、むやみに門戸を閉ざしてはいかぬという、私はこの問題自身についてもいろいろ検討すべき問題はあると思うんですけれども、その事柄と、国から月給をもらっていわば国の費用で大学へ勉強という形で派遣をされている、このケースとは性質が違うということはお感じになりませんか、大臣。性質違うでしょう、自分の希望で自分のお金で行っているというのと、国からお金の面倒見てもらって行っているというのと、全く違うでしょう。
  220. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 大学の入学許可は、今、局長が申し上げたように、どういう人を入れようと入れまいと、その判断は大学自身考えることでございまして、先ほど入試問題のときも、高等学校だけでよかったんですけれども、大学のこともちょっと私触れましたが、大学の固有のこれは権限でございます。大学考えることでございます。今御自分の意思で御自分のお金でやる人、あるいは国から給料をもらっている人が入る、この判断もいわゆる防衛庁、自衛隊が判断をすることでありまして、文部省としては大学が、いわゆる先ほど局長が申し上げたように、能力に応じてすべての国民が教育を受ける権利がある、その職業によって差別されないようにそういう指導を今日までしておるわけでございますから、その中でそれぞれの立場の、それぞれの属しておる中で御判断をいただいて、そして大学に入学され、それが許可されるということは私はそれは間違ってないと考えております。
  221. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 納得ができません。  防衛庁、自衛隊法第六十条は何を定めていますか。
  222. 村田直昭

    説明員(村田直昭君) 自衛隊法第六十条は……
  223. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 第一項だけでいいです。
  224. 村田直昭

    説明員(村田直昭君) 「隊員は、法例に別段の定がある場合を除き、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用いなければならない。」というのが第一項の規定でございます。
  225. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 今ありましたように、自衛隊員は職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用いなければならない、こういう姿で国がお金の面倒を見てくれて大学へ来るわけですね。いわば、自衛官というのは四六時中、みずからの職務、いわゆる軍務について義務づけられている、こういう人々でありますから、だからこそ、そういう人が大学へ入ってくるということをめぐって、これが学問の自由、大学の自治との重大なそこにかかわりが出てくるんだということで、学内外での議論を呼んでいる、こういう問題だというふうに大臣考えになりませんか。そういうふうに考えるのは間違っているとおっしゃるんですか。
  226. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 考え方が、私と佐藤さんと、どうしても同じくできない立場でございますが、防衛庁の判断として防衛庁の職員である、自衛隊の隊員であっても、広く一般教養あるいは専門的な学問を身につけたい、また、そういうことを身につけることが自衛隊の隊員として、また防衛庁として、そうした教養を身につけることによって人格を、ある意味では大学教育を必要とする、そういう判断をその場でなさる。いい悪いは、その判断は防衛庁がなさるべきであって、文部省としては、そういう立場でお入りになる方を、大学として拒まない限りは、私は入学されて差し支えないことだというふうに思っております。
  227. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 そういう逃げの答弁というのは通りませんね。防衛庁の方はお願いをしておる立場ですよ。こういうことをひとつお願いをしたい、それを受けるか受けないかは大学だ、まさにそのとおり。大学が一体それを受けるべきか受けざるべきか、ここについて指導をするのが文部省の責任じゃありませんか。それを、いや、それは防衛庁の御判断になる問題だ、こういうことで逃げられる論理ではないと思うんです。  問題を変えましょう。さらに重大な問題は、近年、防衛庁と大学との共同研究がいろいろ盛んになってきているという、こういう問題なんです。まず、大臣は、今言いました防衛大学や防衛医科大学というのがありますね。ここの研究者と——研究者といったってこれは防衛庁職員です。この人たちと国公私立大学研究者との間で共同研究が近年広がっているということを御存じですか、大臣。いや、ちょっと議論の前提として大臣にひとつ。
  228. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は承知いたしておりませんので、事務当局からお答えさせます。
  229. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) 国立大学等とただいまの御指摘の防衛大学校あるいは防衛医科大学校等との間で組織的な共同研究が行われるということは私ども聞いておりませんし、そういうことはないんじゃないかと思っております。
  230. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 これは昨年の夏から秋ごろにかけて、学生新聞とか、祖国と学問の自由のためにという、こういう新聞でも報道もされましたし、それから東京大学初め幾つかの大学で学内で随分いろいろ問題になった、こういう事実は文部省全く知らぬのですか。
  231. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) 一部の新聞等でその種の報道があったということは承知をいたしておりまして、報道された案件につきまして、念のために関係の大学等にも問い合わせたこともございますが、いずれも、研究者の個人ベースの問い合わせなり指導助言に応じだというようなケースはございますが、いわばその組織としての大学、学部研究所と組織としての防衛大学校、防衛医科大学校等との職務上の共同研究というような事例はないというふうに承知をいたしております。
  232. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 一体、文部省は目と耳はどこについているんでしょうね。  防衛庁、お尋ねをします。防衛庁は今の共同研究について、どういうふうに把握をされていますか。一応、資料をいただきましたが、簡単に防衛大学とその他一般大学との研究者の共同研究、それから防衛医大と一般大学との共同研究、これを最近五年間ほど年度別に件数を挙げてください。
  233. 平林和男

    説明員(平林和男君) 防衛大学校についてまず申し上げます。  防衛大学校が毎年発行しております理工学研究報告というものがございますが、それによりますと、防衛大学校の教官が他大学等の教官と連名で発表した論文または研究に当たりまして、助言等をいただいて論文の巻末で相手の方の氏名を紹介しておるという論文の件数を申し上げますと、五十三年度が二件、五十四年度が三件、五十五年度が四件、五十六年度が六件、五十七年度が一件でございます。  なお、これらの論文につきましては、防衛大学校の教授等が大学時代の恩師であるとか、あるいは先輩、後輩というような関係、そういう個人的なつながりから研究について指導を受けたり、あるいは同じようなことを研究されておる方から研究に関する意見を伺ったり、さらには資料の提供を受けたり、それから、その道の権威者から、例えば実験装置の設計に当たって意見をいただいたというようなものが大部分でございます。
  234. 河路明夫

    説明員河路明夫君) 防衛医科大学校の関係についてお答えいたします。  防衛医科大学校が毎年出しております防衛医科大学校研究年報、これによりますと防衛医科大学校の教官が他大学等の教官と連名の形で発表いたしました論文、あるいは分担執筆等で発表いたしました著書、それらの数は最近五年間、これは暦年でございます。五十三年が六十九件、五十四年が七十件、五十五年が六十七件、五十六年が七十件、五十七年七十三件となっております。
  235. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 歴然とした数字が今報告があったじゃないですか。年々増大をしている。こういう姿になっていることもはっきりしていますね。こういうことを重大視をして文部省はつかもうともしない。この国公私立大学というのは、言うまでもありませんけれども、学校教育法に基づく大学だ。でありますから、学校教育法五十二条で大学の目的をうたっておる。「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」と、これが大学大学での研究の目的はそういうところにあると。防衛大学と防衛医大というのは、学校教育法の適用を受けませんね。受けないんです。別に目的がある。これは、幹部自衛官を、これを育成していくために教育訓練をすると、これを目的としている。一部、いろんな工学的、理学的な、そういう技術もひとつつけていこうと、こういう目的もないわけじゃありませんけれども、これが共同研究をするということが、一体どういう結果がそこから出てくるのか。明らかに目的の違う、そういう、名前は同じ大学という名前を使っていますけれども、そことの共同研究、これが一体何を導くかと。しかも、さっき自衛隊法六十条を引用しましたように、四六時中みずからの職務について注意力を払っていなさいと、これを義務づけられておる、ここの職員と共同研究をやっていくというわけですね。したがってこれが、共同研究、なるほど内容は、極めて基礎研究的な、そんなのであっても、その行き着く先、発展の先が軍事的目的に結びついていくおそれ、これは大いにあり得るというふうに、そういうふうに警戒をしなくちゃならぬ、慎重にしなくちゃならぬというふうに大臣、思われませんか。どうですか。
  236. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) 先ほど申し上げましたのは、いわば組織的な共同研究が行われていることは承知をしておらないということでございまして、ただいま防衛庁の方からもお話がございましたように、いわばその研究者、個々の研究者として学事上の意見交換、あるいは助言というようなものは、これは行われることはある程度うなずけるものがあるわけでございます。その場合に、どういう場合に連名で発表することが適当かどうかという問題はあろうかと存じますけれども、基本的には、おっしゃるように、大学におきまして軍事を直接の目的とする研究というのはおよそ実施をされておらないというわけでございますので、私どもとしては、現状基本的に問題はないというふうに考えておるわけでございます。
  237. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 いや、その言いわけを前段でなさったわけだけれども、なら、さっき防衛庁が説明があったような数字はどういうように把握をされていますか。把握に努めているのですか。
  238. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) ですから、先ほども申し上げましたように、個々の研究者としての指導、助言というようなものの実態につきましては、私どもとして把握をいたしておりません。
  239. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 そうでしょう。だから何もつかんでない、結果として、ということじゃないですか。  念のためにもう一つ防衛庁聞いておきます。  今は国公私立大学とのいわゆる共同研究でありますけれども、その他、係国立の研究機関、ここに対して防衛庁の職員を国費をもって派遣をしているというのはどれくらい数がありますか。
  240. 平林和男

    説明員(平林和男君) 防衛庁では職員を、自衛隊員を職務上の必要から、各省庁の教育機関等において実施をされております研修とか、あるいは講習というものへ教育のために派遣しておるものがございます。五十七年度について申し上げますと、その派遣数は三百八十七名ということでございます。このうち主なものは、各省庁に設置されております大学校であるとか、あるいは職員の研修施設、そういうところで行われております教育課程といいますか、職員のための研修課程、そういうところに派遣をいたしまして、警務であるとか、あるいは法務であるとか、気象関係であるとか、統計であるとか、そういったことに関する専門的な知識を修得させるというものでございます。
  241. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 この国立の研究機関のいろんな研修会、研究会、こういうところへの派遣が一体短期のものなのか、年間を通しての長期のものなのか、そこはよくわかりませんけれども、まだこれはおいおい聞きましょう。いずれにしても、国公私立大学に対して、五十八年度の派遣が八十人と、国立の研究機関に対する派遣が五十七年度三百八十七人ということで、これはこれでまた重大な問題が出てきているというふうに私は思わざるを得ないわけでありますけれども、この問題はこれだけにとどめておきましょう。  そこで、文部大臣、きょうは主として二つの角度から、文部省が責任を負っておる大学と自衛隊との、ここのいわゆる軍学共同と呼ばれる、この姿の問題についていろいろと取り上げました。私は、言うまでもありませんけれども、とりわけ、大学は平和と民主主義を基調とする教育基本法の精神で大学の運営が行われなくちゃならぬということは当然のものでありますし、また、こうした立場での文部省としての大学に対する指導が行われなくちゃならぬと。さらに御記憶と思いますけれども、日本学術会議は、一九五〇年の四月の第六回声明という形で、通称、戦争のための科学に従わない声明というものを発表いたしまして、その中で、創立以来の精神に基づいて戦争を目的とする科学の研究には今後絶対に従わないと、こういう我々のかたい決意を表明をするんだということを打ち出しているわけでありますけれども、こうした日本学術会議の総会という形であらわれておる学者の皆さん方の総意、これも十分尊重をして、本当に平和で民主的な大学教育研究を守ると、この立場で、文部大臣として、どうしてもしっかりやってもらう必要があるというふうに私は思いますけれども、この点どうでしょうか、大臣
  242. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も、浅薄な知識しか持ち合わせておりませんが、今の日本の高等教育機関、国公私立を問わず、平和と日本の繁栄のために、また世界の学術が振興するためへの日本の大きな役割を十分に発揮するように努力しておる、こういうふうに私は承知をいたしております。
  243. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 そういうことでやっておるつもりだということであれば、もう繰り返しませんけれども、国の費用で自衛官が派遣をされておるその数もっかもうとしないと、共同所労がやられておるその数もつかもうとしないというのは、もう全く口先だけのうたい文句で、本当に、そういう立場で、よく心を配っておるというふうには言えないと思うんです。私は、どうしても、こうした点での大臣文部省の反省を求めておきたいと思いますが、あわせて、ついでに、この際、産学共同問題について少し聞いておきます。  昨年の五月十一日付で民間等との共同研究に関する文部省通知というものが出てますけれども、その字づらはともかく、この通知を運用する上での基本精神は何かということで二つ尋ねます。一つは、民間などから共同研究員を受け入れる場合一定の研究料などを受けるわけでありますけれども、その使い方については、企業の思惑に支配されることのないよう大学の主体的判断で決めると、お金をもらっても、とやかくそれで指図されるということは受けないと、こういう立場でやってもらう必要があるかどうかと。それから二つ目は、この共同研究による研究成果の公表の時期、方法については、必要な場合は、国立学校の長と民間機関の長との間で適切に定める、こういう文章になっていますけれども、いわば企業秘密と、こういうことで研究の結果の発表の自由が制限をされるということになったら、これは大問題で、そういうことにならないように研究発表の自由はしっかり守る、こういう立場でやってもらわなくちゃならぬと思うんですが、この二点お尋ねします。
  244. 大崎仁

    政府委員(大崎仁君) 新しく昭和五十八年度から民間等の研究者が国立大学におきまして国立大学先生方と共同研究をできる制度を設けたわけでございますが、その趣旨は、民間等における研究もいわゆる先端技術その他で非常に充実をしてまいっておりますし、片や大学関係の研究者も広く社会的な動向にも目を向けた学術研究を発展させるという必要があるわけでございまして、双方で関心を共通にする課題に共同で取り組むことによって学術上の成果が一段と得られるというような場合には、両者が話し合って共同研究の契約を結ぶ、こういうのが基本的な制度の趣旨でございます。したがいまして、国立学校研究者の立場からいたしますと、そのことが自分の研究にとってプラスである、必要であるという場合に、初めてその共同研究をしたいということを提議をし、それを学内の委員会で、大学において共同研究をするのにふさわしいテーマかどうかということを審査しました上で、いわば民間との間の契約を結ぶわけでございます。  ただ、これは、民間の立場もございますので、一方的に、共同研究でございますから、すべて大学の言うとおりしてくれという契約は、これは結ぶことはできませんで、ある一定の条件で契約が結ばれますので、ただ契約を結ぶに当たりましては、大学側の研究者がそれでいい、それで自分の研究の遂行ができるということが大前提として結ばれておるわけでございます。そういうことでございますので、基本的にその仕組みからいって、大学側の主体性、契約を結ぶ際の大学側の主体性というのが確保されておる、こういうことでございます。  ただ、契約でございますから、契約した以上は、相手方に約束したことは守らなければならないという意味で、例えば、経費の受け入れをいたしますと、この経費でこういう設備を買おうという話し合いになっていれば、それは一たんもらったお金だから、大学側が何に使ってもいいということにはなりませんで、やはり、最初の約束に従った金の使い方なり、経費の分担の仕方ということにはなろうかと思います。  それから、研究成果につきましても、当然、大学で行われる研究でございますから、公開が前提でございまして、公開できないような研究はこれは認めない、当然、引き受けないわけでございますが、ただ、特許の出願その他の関係から、ある時期まで公表を待ってくれとか、あるいは公表するならばこういう方法でしてくれとかという時期方法等の問題につきましては、これは約束事の中に、その中身が適切であればしてもいいと、こういうことでございます。
  245. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 あと、もう一つの問題を残っている時間でお聞きをしておきたいと思います。  それは、ほかでもありませんが、中国から日本へ帰国をしている子供たち教育の問題です。これらの子供たちというのは日本の侵略戦争の犠牲者であって、住宅問題初め万般についての援助が必要かと思いますけれども、中でも、きょうは教育の問題について絞って聞きますが、もう余り時間がありませんのであれですけれども、一つは、こういう子供たちが現在、小・中・高校に何人ぐらい在学在籍しているのかというこの数。二つ目は、私もこの間、関係者から随分陳情を受けたわけですけれども、一つは、中国語が話せる教員をぜひ学校に配置をしてほしい。とにかく、日本語をいかに身につけるかというのがこれがもう大問題で、日本語がわからぬ限り勉強もできない、生活もできないという、こういう関係でありますから、中国語で通訳をして、いろいろ教育指導がやってもらえる、そういう教師を、こうした子供を抱えておる学校には最低一人配置をしてほしい。それから、学級経営が大変であって、往々、民族差別的な発言とか、それから、いじめ、いわ一ゆる、いたずらを含めてのいじめですね。こういうことが起こって、なかなか学級経営が大変だということを聞きました。こうした点で、せめてこういう子供を抱える学級は四十人編制にして、一人一人によく指導が行き届くようなそういう態勢がとれないものかというふうに思うわけですけれども、この点どうでしょうか。
  246. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) まず、数から申し上げますと、小・中学校子供で、推計でございますが約八百人、高等学校子供で約二百人と推計されます。  それから、中国語を話せる先生が、そういう中国からの引き揚げの子供の多い学校に配属されることは望ましいと思うんですが、基本的に、そういう資格のある先生をそれぞれの地域で得られるかどうかという問題点がございます。したがって、そういう問題の解決を図らなければならないということが一つございます。
  247. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 得られる場合はやるということですか。
  248. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 得られる場合には、研究指定校にしておりまして、研究指定校になれば一名の加配をしておりますから、それぞれの地域から、そういう学校研究指定校の申請をしてもらって、そして申請があれば一名の加配をするということになります。  それから、四十人学級については、これはむしろ日本語の教育を早く子供に覚えさせるということとは別個の観点から処理すべきことであって、中国からの子供がいるからといって、直ちに四十人学級というわけにいかないと思うんです。中国からの帰国子女が早く日本語になれるというためには、今度、厚生省で新しい機関がつくられているようでございますから、そこで、まず四カ月間、集中的に日本指導とか生活指導というものを受けて、そして、それぞれの地域の学校教育を受けるというような仕組みが新年度からとられますので、この成果を大いに期待しているところでございます。
  249. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 最後に大臣に一言。  研究指定校などを応募なさったらということですけれども、それもそれで予算の総枠があって、ことしがせいぜい二十校ぐらいでしょう。十何枚ぐらいじゃないですか。ですから、全国で小・中学生八百人、高等学校で二百人、これだけおる子供に対する、そんなもの、手だてとしては大海の一滴ですわね。もう少し抜本的なことを考えなくてはいかぬと思うんです。予算の制約これありということかと思うんですが、ここでひとつ大臣にお願いをしておきたいんですが、次の六十年度概算要求期というのもそう遠い先でないということでありますので、ぜひ、一つはどんなに難しい姿になっておるかという、この実情を把握をしていただいて、これらの人たちというのは、いわば企業やら在外公館で海外へ行っていて帰ってきた子供の問題以上に、戦争の犠牲者でしょう。ですから、特別の手厚い温かい援助策が必要だと、こういう見地に立って、次の概算要求に向けて、他省庁とのいろいろ相談も要るでしょう。ぜひ、国務大臣の一人として積極的に相談なんかもやって、ひとつ、この対策の前進を図るということで、大臣の御努力のほどをお願いをしておきたいと思いますけれどもどうでしょうか。これで終わります。
  250. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 御指摘いただきました中国からの引き揚げをされました子供さんに対して、確かに言葉の障害ということで学校になじまない、そういう面があることも私どももしばしば耳にいたしておりまして、大変深刻な問題であるということも十分に承知をいたしております。しかし、でき得れば中国語ができるという教員を配置することは望ましいということでございますが、財政面だけではなくて、現実の問題として、なかなかそのような中国語の先生を確保するということ、そのことだけで教員に採用していくということについては、やはり幾つかの問題が出てくると思います。したがいまして、中国語を用いない方法指導方法ができるような工夫も考えられないか、もちろん、先生のおっしゃるようなお話もいろいろございますが、各都道府県教育委員会も、十分こうした問題について深刻な問題として受けとめて、善処できるように文部省としても指導をしていきたいと、こう考えております。
  251. 長谷川信

    委員長長谷川信君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会をいたします。    午前四時三十分散会      —————・—————