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1984-08-01 第101回国会 参議院 内閣委員会,文教委員会,社会労働委員会連合審査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年八月一日(水曜日)    午後一時三十一分開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。    内閣委員会     委員長         高平 公友君     理 事                 亀長 友義君                 坂野 重信君                 小野  明君                 太田 淳夫君     委 員                 板垣  正君                 源田  実君                 沢田 一精君                 林  寛子君                 林  ゆう君                 堀江 正夫君                 穐山  篤君                 菅野 久光君                 矢田部 理君                 伏見 康治君                 橋本  敦君                 藤井 恒男君                 前島英三郎君    文教委員会     委員長         長谷川 信君     理 事                 杉山 令肇君                 田沢 智治君                 久保  亘君                 吉川 春子君     委 員                 井上  裕君                 大島 友治君                 藏内 修治君                 山東 昭子君                 世耕 政隆君                 仲川 幸男君                 柳川 覺治君                 粕谷 照美君                 中村  哲君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 小西 博行君                 美濃部亮吉君    社会労働委員会     委員長         石本  茂君     理 事                 遠藤 政夫君                 佐々木 満君                 浜本 万三君                 中野 鉄造君     委 員                 大浜 方栄君                 金丸 三郎君                 関口 恵造君                 曽根田郁夫君                 田代由紀男君                 田中 正巳君                 村上 正邦君                 森下  泰君                 糸久八重子君                 菅野 久光君                 本岡 昭次君                 山中 郁子君                 柄谷 道一君                 下村  泰君         ―――――        発  議  者  久保  亘君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君        厚 生 大 臣  渡部 恒三君    政府委員        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房総        務審議官内閣        審議官      齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省教育助成        局長       阿部 充夫君        文部省高等教育        局長       宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        厚生政務次官   湯川  宏君        厚生省児童家庭        局長       小島 弘中君    事務局側        常任委員会専門        員        林  利雄君        常任委員会専門        員        佐々木定典君        常任委員会専門        員        今藤 省三君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○臨時教育審議会設置法案内閣提出、衆議院送  付) ○国民教育審議会設置法案久保亘君外二名発議  )     ―――――――――――――    〔内閣委員長高平公友委員長席に着く〕
  2. 高平公友

    委員長高平公友君) これより内閣委員会文教委員会社会労働委員会連合審査会を開催いたします。  先例によりまして、私が連合審査会会議を主宰いたします。  臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題といたします。  両案の趣旨説明は、お手元に配付いたしました資料により御了承願い、その聴取は省略いたします。  これより両案について質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 糸久八重子

    糸久八重子君 本日の連合審査厚生大臣がお見えにならないことは大変残念でございますけれども、まずそのことを、残念だということを申し上げまして質問に入らせていただきます。(「どうした、厚生大臣は何で来ないんだ、呼べ呼べ」と呼ぶ者あり)
  4. 高平公友

    委員長高平公友君) 要求してあるんですか。要求してあるのなら呼びます。  速記とめてください。    〔速記中止
  5. 高平公友

    委員長高平公友君) 速記を起こしてください。  糸久君、続けてください。
  6. 糸久八重子

    糸久八重子君 それでは、最初に幼稚園保育所一元化の問題について、文部厚生両省にお伺いをしたいと思います。  幼稚園学校教育に基づく教育施設であり、保育所児童福祉法に基づいて保育に欠ける乳幼児を預かる児童福祉施設で、両者の機能目的は本来的に異なるものとされてきております。ところが、最近は保育所でも幼児教育を行うようになり、両方の区別があいまいになってきているわけであります。また、幼稚園の数が保育所よりも少なく、地域的に偏在しているということもありまして、父母から子供幼稚園に行かせたくとも地元にないといった不満も出てきております。幼稚園では私立に負うところが多く、最近の私立幼稚園では、働く母親要望にこたえて保育時間の延長とか、スクールバスでかなり広範囲の地域から幼児を集めるなどして、公立幼稚園定員不足が深刻になったりもしておるわけであります。もう一方では、幼児人口の減少の中で顧客を保育所に奪われ、経営危機を募らせているところも幼稚園経営者の中にはあります。つまり、幼稚園保育所一元化はさまざまの問題を生じさせているわけでありますけれども、今一元化の動きがいろいろある中で、率直な御意見を聞かせていただきたいと思います。
  7. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今先生から御指摘がございましたように、幼稚園保育所というのはそれぞれ定められております法律は違っておりますし、また目的機能というのもそれに合わせまして異なっているわけでありますが、実態的にはほとんど混同されております。そしてまた、これも先生から今御指摘ございましたように、地域によっては幼稚園が圧倒的に多いところとか、県によってはもう保育所が圧倒的に多いというふうに、どちらもまあ利用されるといいましょうか、就学あるいは就園されるということについては同じような考え方で親御さんたち子供をお預けになっておられるということだろうと思うんです。一番そういう点でお困りになっておられるのは、私はやっぱり市町村長さんがお困りになっておられるのじゃないだろうか。よくそんなお話を伺うわけでございます。私はそういう意味で、大体実際的には同じように混同されているものでございますから、今先生のお尋ねの中にもちょっと入っておりましたけれども、どうも幼稚園がだんだん園児が少なくなっているから保育所にというふうに、そういう考え方をすると私これ誤りだと思うんです。ですから、そういう観点ではなくて、やはりもう少し園児――園児といっても実際の判断は親がするわけでありますから、親の立場教育を受ける立場、その立場に立ってもう少し考えてあげる必要があるのではないか。そういう意味で私は、幼保の一元というのはやはりこれは進めていかなければならぬ。特に、これは政治あるいは政府の責任においてやるべきであろうというふうに考えておるわけでございます。そういうふうに申し上げると、すぐ幼保一元化という言葉がどうもあって、保育所幼稚園に糾合されるのではないかというふうなことから、保育園側からはつい反対の声が出るわけでありますが、幼保であれ保幼であれ、私はどちらでもいいと思います。要は私は、このことについてはいろいろと今日まで議論を重ねてきたことでございますが、やはり臨時教育審議会などにおいて検討に値する私は課題であろうというふうに考えております。
  8. 湯川宏

    政府委員湯川宏君) ただいまの保育所幼稚園関係につきましては、従来から厚生省文部省両省によりまして、幼稚園及び保育所に関する懇談会というものが設けられまして、それによります報告にもございますように、今大臣が申し上げられたように、目的機能を異にして、簡単には一元化しにくい事情にあることは事実でございます。しかしながら、幼稚園保育所につきましては、それぞれその性格上、地域性が強うございますし、また対象とする年齢層が重複といいますか、同じであるというふうな事情から、中央、地方を通じまして、関係行政庁の間で密接な連携を図ることが必要であることは申すまでもございません。文部省との間では従来から密接な関係を、連絡をとりながら、必要な資料、情報の交換に努めてきたところでございますが、今後ともさらに連携を図りまして、お述べになりました諸点につきまして効率的、効果的な行政施策を展開し得るように努めてまいりたい覚悟でございます。
  9. 糸久八重子

    糸久八重子君 私は、この問題につきましては予算委員会の中でもお伺いいたしたことがございまして、文部大臣がこの幼稚園保育所一元化の問題に前向きであるということはそのときにもう既に伺っておるわけです。問題は、厚生大臣に非常に問題があるので、きょう私は厚生大臣に集中的にお伺いをしようというつもりであったわけです。ですからそういう意味では、今の次官の説明も何かよくわかりませんでしたし、また、厚生大臣がこれこれという答弁をしている中身の問題につきましても、きょうはさらに内容を深めていきたいというふうに考えておったわけですけれども、厚生大臣は何時ごろお見えになってくださるのでしょうか。
  10. 高平公友

    委員長高平公友君) ちょっと速記をとめてください。    〔速記中止
  11. 高平公友

    委員長高平公友君) 速記を起こしてください。
  12. 糸久八重子

    糸久八重子君 この件につきましては、実は本会議が始まる前に政府委員室の方から話がございまして、厚生大臣が出られないということなのですね。私はそれを聞きまして、このことはこちら側の委員会厚生大臣がいらっしゃれないということは参議院軽視ではないかということでお話をしたわけですけれども、あちらでも委員会をやっているというようなことなので私もそれ以上、何しろ新人でございますのでよくわかりませんから、ああそうですかということで引き下がったと、そういう経過がございます。  それでは、厚生大臣がお見えになってからお伺いしたいことは後に譲っていきたいと思います。
  13. 高平公友

    委員長高平公友君) 今、私の方から強く要請しておりますから。
  14. 糸久八重子

    糸久八重子君 話がちょっとつながらなくなってしまうのですけれども、大変細切れになりますけれども了承をいただきたいと思います。  実は、私立幼稚園団体から幼保一元化構想が提案されていると聞いておるわけでございますけれども、その内容はどういうものでございますか。
  15. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 「幼児教育の一層の充実振興に関する基本構想」という形で打ち出しておりまして、具体的な中身といたしましては、ゼロ歳から二歳の保育に欠ける幼児のための家庭にかわる保育をする施設。それから(ロ)といたしまして、三歳から五歳の幼児教育する施設保育に欠ける幼児については、同一施設で全日保育延長保育等の方策で対応する。(ハ)といたしまして、早期、夜間、短期保育家庭にかわる保育を行う施設に分けて既存の幼稚園保育所がいずれかの施設を経営するかを選択できるようにする。こういうような中身の提案でございます。
  16. 糸久八重子

    糸久八重子君 ちょっと大変やりづらいんですけれども、ここで厚生大臣にお伺いしたいこともあるわけですが、保育一元化の理想というのは、子供発達権保障とか、それから保育者研究権だとか、母親労働権だとかいうものの保障がなければならないと思うわけでありまして、今の私立幼稚園協会一元化の問題も少々問題があるのではないかと思うのですけれども、その辺につきまして文部大臣はいかがお考えですか。
  17. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、政府委員から御説明を申し上げました。先生から御質問がございましたのは、私立幼稚園協会も含めておりますが、全日本私立幼稚園連合会といいまして、幼稚園が三つの団体に分かれておりましたが、それが先般一緒になりまして、そして一緒構想を検討いたしたものでございまして、大変私はおもしろい提言だなというふうに感じております。私はやはりこういう一つ考え方もあると思いますし、できれば保育所幼稚園機能をもう少し子供たちが、親たちが上手に両方をうまく利用できる方法だってあるのではないか、例えば時間的に延ばして、そしてあるいは先に延ばしたり、いろんな使い方だって考えられるわけだし、幼稚園先生にも保育免許を取ってもらって、希望の方はおやりになればいいし、あるいは保育所先生保母さん方にも場合によっては幼稚園園児教育するそういう勉強もしていただく。それも希望によって選択ができるようにしてあげる。この幼稚園団体から出ておりますのは、むしろ年齢によって横割りといいましょうか縦割りというのでしょうか、やるやり方もありますし、私は今の幼稚園保育所と同じようなものを、その中でそういう機能にしてもいいのじゃないか、こうしたいろいろなさまざまな意見が出るというのは、私は大変いいことだと思います。きょうも参議院の本会議でも女性社会への進出というのは非常に大きな話題になっておりますが、そういう意味女性方々、お母さんの方々がいよいよ社会進出されることも多くなるわけでありますから、やはりこうしたことなども私は大事な教育一つの基本的な考え方としては、十分こうしたことなども参考にしながら、できれば文部省厚生省で話し合って合意ができ得ればいいけれども、そういうことが難しいということであるならば、今お願いをいたしております臨時教育審議会などでこれから総合的に検討していただくには大変いい課題ではないかなというふうに私は考えております。
  18. 糸久八重子

    糸久八重子君 この一元化ネックは、やはり厚生省に由来するところが大きいわけですけれども、それでは続けて文部省にお伺いいたしますが、かなり保育園幼稚園一元化が考えられていまして、地域によってはそういう試みがされているところがあるわけですね。五月の十二日付の毎日新聞の夕刊に神田の和泉町にあります佐久間幼稚園佐久間小学校で、新しい幼児教育施設構想を考えているということが報じられているわけです。さらに大阪交野市、それから神戸の北須磨ですか、もう既に一元化状況が始まっていると聞いておるのですが、具体的な内容につきましてお聞かせいただきたいのですが。
  19. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 千代田区の佐久間小学校佐久間幼稚園、これを同じ建物の中でつくりまして、八階建てにいたしまして、下の一階、二階を幼児教育のための施設、それから三階、四階を小学校、五階―八階を老人コーナー、それから身障者コーナー、さらにコーラスや料理等を行うような社会教育のための施設、こういうことで総合的なセンター化していこう、その発想の中に幼児教育を取り扱うものについては従来の幼稚園、それから保育に欠ける子供対象とする保育所、そういうものを一緒保育の時間の長短を決めて、教育の面では一緒教育していこう、こういう構想でございます。それから大阪府の交野市立、それから兵庫県における北須磨保育センターについても、基本的には同じような考え方でございまして、教職員は幼稚園免許状を持っている人と保育所保母免許状と両資格を持っている者を採用していく。それから施設といたしましては、幼稚園保育所を隣接してつくる。それから教育の場では同時に展開をする、こういうような構想内容が既に試みとして行われているわけでございます。したがいまして、保育に欠けない一般の幼児教育については、九時から昼前ないしは二時ぐらいまでをめどにして教育をする。それから保育に欠ける者は長時間保育ということで九時から五時までを対象にして世話をする、こういうような形で教育機能の面では一体化していこうという試みでございます。
  20. 糸久八重子

    糸久八重子君 今のような実態を実はやはり厚生大臣に聞いていただきたかったと私は思うわけでございます。  先ほどの文部大臣お答えの中に、これから設置しようとしている臨教審の中で考えていこうというようなお答えがあったわけですけれども、臨教審ということでこだわるのならば、臨教審設置法が通るかどうかということはまだわからないわけですけれども、その内容に例えば審議委員を二十五名置くとあるわけですね。やはり今のこの保育とか、それから育児とかいうのは、主として女子に現在はゆだねられているわけですけれども、現段階で保育の問題を実際に悩んだり苦しんだりしているのはやはり女子である。そしてまた、さらに子供教育母親にゆだねられているという部分が多いわけですね。そうなりますと、やはり審議会委員女子を入れていかなければならないのではないかと思うんですね。予算委員会での総理答弁の中にも、天の半分を支えているのは婦人であるというような答弁もございましたし、女子についての非常に高い認識をお持ちになっていらっしゃるわけですが、そういう意味で、設置なさろうとしていらっしゃるこの審議会の中に、もし設置がされるようならば、審議会委員女子を半数程度入れるお気持ちがおありになるのかどうか、その辺のところを文部大臣にお伺いしたいのですが。
  21. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほど私は幼保の問題をお答え申し上げましたが、ちょっと御了解をいただきたいのですが、臨時教育審議会の中でこの問題を御論議をいただくという意味ではございません。審議会国会でお許しをいただいて発足をいたしましたならば、どういう事柄を議論するかというのは、これは改めて審議会で御判断をいただくことでございますが、教育制度全般に対してのこれからの見直しをしていこう、こういうテーマになるわけでございます。したがいまして、そういう意味で、当然就学教育ということは極めて人間の人格の形成の上からおいても非常に大事なことでございますし、先ほど申し上げたし、先生も大変御関心を持っておられます女性社会への進出ということからも考え合わせてみますと、この就学教育というのはやはり臨時教育審議会の中で御論議をいただくには大変私は期待をされる課題だと、こういうふうな意味でございますので、審議会そのものを今私が幼保の問題をやれというふうに、文部大臣が拘束するということではないわけでございますので、当然そういうお話し合いがなされるであろうという私は期待感を申し上げ、その中で取り上げられるにはまたふさわしい課題であろう、こういうふうに申し上げたわけでございますので、この点については御了解を賜りたいと、こう思います。  そして、先生の今の御質問からまいりまして、私はこの内閣委員会臨時教育審議会設置に対しましての御論議の中で、いつもこう申し上げております。人選審議会国会で成立をさしていただいた上で広く各界、各層から、多くの皆さんの理解と協力を得なければ教育改革はできるわけじゃありませんので、そういう意味では幅広い方々の分野からお選びを申し上げたい。その一つのよりどころとしては国会論議を踏まえて人選をさしていただきたい、このように申し上げてまいりました。したがいまして、今、先生からお話しをいただきましたことなども大変私は大事な判断の基準になろうかというふうに思います。ただ、半数はということについてのそうした数字は果たして申し上げるということについては、これは適当ではないと思いますが、これまでの委員会審議等におきましても、私は女性を十分にこの委員の中にお加えをさしていただきたい、こういう考え方総理に申し上げたいと、こう思っております。
  22. 糸久八重子

    糸久八重子君 国際婦人年国内行動計画の中に、各種の審議会には女性を登用するという方針がうたわれているわけです。現在我が国にあります審議会の中の女性審議委員の割合というのが四・八%程度でございます。したがいまして、やはり私たち女子要望を国に反映する、国民の声として反映させるためにも、女子のこの審議会への登用ということは特に頭に入れておいていただきたいと、そう思うわけでございます。  それでは、あとは厚生省関係になりますので、次の問題に入らせていただきます。  次は、障害児教育についてお伺いをしたいと思います。  まず、未就学状態障害児についてでありますけれども、五十九年度に小学校入学予定障害児のうち、就学猶予または免除になった者はどのくらいおりますでしょうか。また、猶予免除手続をとっていないけれども未就学状態となっている者は何人くらいおりますか。いずれも、できましたら都道府県別にお知らせを願いたいと思います。
  23. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 都道府県のトータルでまず申し上げますと、就学猶予免除者の数は、まだ五十九年度は指定統計が出ておりませんのでその数字を申し上げかねますが、五十八年度で申し上げますと、千二百二十三でございます。一応各府県別状況はわかりますが、ちょっと全部申し上げるのは時間の都合で節約さしていただきたいと思います。
  24. 糸久八重子

    糸久八重子君 後の方の質問の中で、猶予免除手続はとっていないけれども未就学状況になっている、それを都道府県別に教えてほしい、そういうことなんです。
  25. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) これは五十九年度でこの部分についてはある程度実態がつかめておりますので、申し上げます。文部省で把握しているところでは、長崎県で三名、それから宮崎県で二名、愛知県で一名、秋田県で一名の、計七名がまだそのいずれの学校にも就学していないという状況でございます。
  26. 高平公友

    委員長高平公友君) 糸久君に申し上げますが、厚生大臣、今向こうの審議をやめてこっちへ来ましたので、両方かけ持ちですからね、その辺配慮して、さきに戻って簡単にひとつ要点を質問いただきたいと思います。
  27. 糸久八重子

    糸久八重子君 もう一分早くお見えになれば大変話がかみ合ったわけですけれども、次の議題に入ってしまいまして、ちょっとあっちこっちをしてしまうんですが、実は幼稚園保育所一元化の問題について文部大臣に今までお伺いしておったわけでございます。これは予算委員会の中でもお伺いをしたわけですが、その中で、私の感触といたしましては、文部大臣はかなり積極的に前向きな姿勢をとっていらっしゃるけれども、ネックはやはり厚生省だ、厚生大臣だというふうに感じておるわけですね。また、三月三日の衆議院の予算委員会厚生大臣がこう答えていらっしゃるんですね。その目的機能、開所日数や時間、対象年齢など、異なるところが多いが、内容が重複している部分も多くある、むだを省く意味で、文部省とよく連絡をとっていきたい、そうお答えになっていらっしゃるわけです。その点で文部省文部大臣とはお話しになられましたか。いかがでしょうか。
  28. 渡部恒三

    国務大臣(渡部恒三君) 今先生おっしゃったとおりの考え方でございますので、文部大臣と積極的にお話ししたいと思っております。
  29. 糸久八重子

    糸久八重子君 そうすると、まだお話はし合っていらっしゃらないということなんですね。
  30. 渡部恒三

    国務大臣(渡部恒三君) 今まで予算委員会、また健康保険法の改正やら、いろいろございまして、そのいとまがございませんでした。
  31. 糸久八重子

    糸久八重子君 厚生省はいつも口を開けば、保育所というのは子供保育する施設教育する学校ではない、そうおっしゃっているわけですね。文部省は、幼稚園学校教育法に基づく教育施設であると、そう言うわけです。そこで、家庭での父母による子育ては、これは育児と言っているわけですね。そして、保育所でもって保母による子育ては保育と呼んでいるわけです。幼稚園学校で教師による子育ては教育というふうに言われているわけですけれども、現行教育法では、第七章の幼稚園部分で、七十七条に幼稚園は、幼児保育しとあるわけです。これは文部大臣も聞いていてください。それから七十八条で保育の目標が書かれてあるわけですね。七十九条では、保育内容に関連する事項とはというふうに、教育でなくて保育学校教育法の中では書かれているわけです。さらに、幼稚園教育要領にも保育内容というふうに書かれてあるわけですね。例えば健康とか、社会とか、自然とかそういうものをやると。それから、保育所保育指針では、望ましい活動として健康とか、社会とかという、やはり同じようなことが書かれてあるわけです。だから、やはり保育教育とは同義語として使われているのが実態なんですね。しかし、厚生省はやはり幼稚園保育所は違うものだというかたくなな御意見をお持ちになっていらっしゃるんですけれども、先ほども申しましたとおり、保育所での保育とそれから家庭での育児というものは同じですね。そして、幼稚園による教育とまた同じだと思うんですね。だからこういう解釈を厚生大臣はどのようにおとりになりますか。
  32. 渡部恒三

    国務大臣(渡部恒三君) そもそもの保育所のでき上がったゆえんは、これは家庭子供さんを育てていただくのが一番いいんでしょうけれども、それぞれの事情保育に欠ける家庭保育のお手伝いをすると、そういうことででき上がったものだと考えております。
  33. 糸久八重子

    糸久八重子君 わからないんですけれども、それはそもそものいきさつかもしれませんけれども、今文部大臣との質疑のやりとりの中で、既に幼稚園保育所一元化されている例があるわけですね。例えば、東京でも神田の和泉町の佐久間幼稚園佐久間小学校が合併して一緒になって、そして新しい形の教育施設をつくるというような新聞報道もありますし、大阪交野市やそれから兵庫の北須磨でも、看板二つ掲げて、そして保育所とそれから幼稚園の仕事を一つの中でやっているという事例などがあるわけですね。そういう事例があるので、やはりいわゆる二つの省の縄張り争いということをなさらないで、やはりこの際じっくり話し合って、大変子供を持つ親たちも、幼稚園に入れるのはできのいいいい子であり、保育園に入れるのは保育に欠ける子で、何か貧しい子供が行かなければならないというような、そういう差別を生むような状況を何とか直していかなければならないし、また園に勤務している方も、片や保母さんであり、片や教諭であると、そういう身分的な違いもあるわけですから、早急にやはり両省で話し合って、保育一元化ということを実現をしていただきたい、そう考えるわけですけれども、その辺につきまして厚生大臣の所感をもう一度聞かせてください。
  34. 渡部恒三

    国務大臣(渡部恒三君) これは非常に難しい問題であり大事な問題だと、私なども十四年前初めて国会に出て文教委員に入ったことあるんですが、森さんなんかと一緒で。どうも言ってみると保育所幼稚園と同じようなことをしてるのじゃないか、あるいは一つになった方がいいのじゃないかなどと言ったことがございます。だれでもが表だけ見るとそういうふうに考えやすいんです。ところが、責任ある立場でこの問題勉強してみますと、これは共通している面もありますけれども、やはり保育所機能目的というのは幼稚園幼児教育とはまた全然別でありまして、今は夏休みですけれども、幼稚園はみんな休みになってしまいます。それから、朝でも、幼稚園ですと短期間ですが、やはり今特に職業婦人が多くなって、若いお母さんは外で働くのがもう当然みたいな世の中となっておりますから、小さな子供を持っているお母さんにしてみれば、朝八時から午後五時まで子供を預かってもらいたい、できればもっと早い時間から遅い時間まで子供を預かってもらいたいというような希望が非常に多いし、夏も働きたい、その間子供を預かっていただきたい、そういうまさに最近の女性の職場進出、そういう中でそういう若いお母さんたち要望は残念ながら今の幼稚園機能では発揮されておらないのであります。  したがって、重複する部分はございますけれども、しかしまだ幼稚園幼稚園としての長い幼児教育の歴史と伝統を持っておりますし、また保育所はやはり今日の日本の変化していく家庭内の事情や何かでより重要性、必要性があってこれはでき上がり、今日にまで成長をしておるものでありますから、外から見ると何か子供さん青い服を同じように着て、何か同じようにやっていると見えますけれども、その目的機能、果たしておる役割というものが異なっておりますから、それを一遍に今すぐこれは幼稚園保育所、あるいは保育所幼稚園一つにしてしまうということになると、私はむしろ混乱することのみの方が、益よりも害の方が多いような心配もございます。(「二十一世紀」と呼ぶ者あり)しかし、同時に今まさに二十一世紀というお話がありまして、やはりこれから生活も変わってまいりますし、また子供教育に対する考え方子供保育に対する考え方というものも変わってまいりますから、今既に重複している部分もあるわけですから、町に行って保育所幼稚園で同じ町立のものでけんかしているなんて、こんなつまらないことないわけです。文部大臣と私はもう三十年来心を一つにしておる友人でもございますので、できるだけ文部省厚生省連絡をとって、そういうむだのないように配慮していって、そして進んでいるうちにいずれは二十一世紀に向かってあるべき方向の方に進んでいく、スムーズに、自然に進んでいくことが望ましいのではないか、こんなふうに考えておるわけでございます。
  35. 糸久八重子

    糸久八重子君 文部大臣ね、大変厚生大臣はそのようにかたくななところがおありになるんですね。ですから、そこをやはり文部大臣がよくほぐしていっていただきたいと思うのですけれども、乳幼児保育というのは生涯学習の一環として等しく権利として保障されなければならないわけであります。そのためにも、やはり幼稚園保育所という種別とか行政の一元化の現状というのは早急に改められなければならないものだというふうに考えるわけです。よろしくお願いしたいと思います。大変お忙しい中ありがとうございました。  じゃ、先ほどの障害児の問題にまた返らせていただきます。  猶余とか免除手続をとっていないけれども未就学状況となっている障害児の各ケースについて、文部省としてはどのような行政指導をなさっていらっしゃいますか。
  36. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 学齢に達した障害児の中に、非常に残念でございますが、ごく一部の人が未就学状況になっているわけでございます。このトラブルの要因は、普通の小中学校に進学させたいという立場と、それから教育委員会の方としては障害の種類、程度に応じた養護学校等への進学をお願いしたいという対立関係で、そういう未就学状況になっているわけでございます。したがいまして、これはあくまで教育委員会、それから保護者が十分な話し合いをして、そして十分な理解のもとに一日も早くこういう状態を解消してもらいたいという指導を重ねている状況でございます。
  37. 糸久八重子

    糸久八重子君 保護者の理解を得るということが先行しまして、保護者の理解を得るということは、余り突っ張らないで、無理を言わないで、行政の言うように養護学校に行きなさいという指導ではないかと思うんですけれども、一方的にそういう指導をするだけでなくて、教育委員会とか、それから学校側への指導というのもしていくわけですね。いかがでしょうか。
  38. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 県の方からもいろんな相談がありまして、こういう状態でごたごたしていると。そこで文部省としては、できるだけそういう状態を早く解消して対応するようにということでございます。問題は、立場に若干考え方の差がありまして、教育委員会、それから就学指導委員会立場といたしましては、その子供がそういう障害の程度、種類に応じた養護学校に進学することがその子のためにプラス、教育としても非常に有益ではないかという立場に立っていろいろ対応、指導をしているわけでございますが、親の方はそこについての理解がなかなか得られないという状況からの対立状況が続いているというふうに把握しているわけでございます。
  39. 糸久八重子

    糸久八重子君 七名の子供について一学期中に親の同意が得ることができなかった、そういう現状の中で、二学期以降はどういう手だてをとってこの事態を解消しようとなさるのでしょうか。
  40. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 二学期もこういう状態が続くというのはまことに遺憾なことでございますので、あくまで教育委員会と保護者が十分な話し合いをして、一日も早くそういう状況を解消していただくようにということを強く重ねて指導してまいりたいと思っております。
  41. 糸久八重子

    糸久八重子君 文部大臣は四月二日の本院の予算委員会の中で、「何としても親の理解を得られるように最大限の努力をしていく」とお答えになったわけです。それにもかかわらず、教育委員会の定めた就学状況について今なお親の同意が得られないというのは一体何が原因なのでしょうか。特に長崎県下の三例とか宮崎県下の二例とか、それから愛知県岡崎市の例とかについてお話をいただきたいと思いますし、それから長崎県教育委員会の交流学習や訪問教育に対して、そういう対応をどう見ていらっしゃるのか、御意見伺いたいと思うのです。
  42. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 具体的なそれぞれの例があるわけでございまして、それぞれその地域、また親の考え方教育委員会の指導、さまざまでございますので、一律にどこに問題があるということについては、私はこの場で申し上げるそれだけの資料は持ち合わせておりません。ただ、そうしたお子様をお持ちの親御さんにとっても、できるだけ子供たちにみんなと同じように教育の機会を与えてあげたいという、まさに親の本当の愛情だろうと思いますし、また教育委員会側にとっても、子供たちのもちろんその症状の種類、程度によって、やはり本当に子供たちのその才能といいましょうか、また教育の力を引き出してあげるようにしたい。そういうお互いに子供たち立場を思ってそうした考え方をそれぞれお持ちであろうというふうに私は信じておるわけです。  したがいまして、やはりケースによっては感情的なもつれもあるのかもしれませんし、そのことはやはりもう一度教育委員会等、また自治体の設置責任者等がいろんな角度から、先ほど先生厚生大臣と私の間をもうちょっともみほぐしてというふうにおっしゃいましたけれども、そういう言葉が適当かどうかわかりませんが、お互いに子供たち立場に立って、もう一度子供たちが本当に子供にとってどうあるのだろうかということを、もちろん子供判断できない面は多いわけでございますが、やはり子供立場に立って考えてあげるという、そういう基本的なスタンスにもう一遍立ち返っていただいて、なお一層話し合っていただくことがより大事だろうというふうに考えておりますし、先ほど申し上げましたように、念を押すようでありますが、それぞれの例によって違う条件がいろいろあるだろうと思いますが、文部省としても、できる限り話し合って円満にお話し合いが進むように、そして少しでも早く子供たち就学の機会を得るように、そういうふうになお一層指導していきたい、こういうふうに考えております。
  43. 糸久八重子

    糸久八重子君 大臣の御答弁は、やはりこうしたケースにおける親の説得は行政の責任であることを前提としていると思うのですね。最大限の努力によってもまだ同意が得られないような場合には、該当児が未就学のまま放置されないような臨時応急の措置が必要だと考えるわけですけれども、その辺についてはいかがですか。
  44. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 非常に長期にわたってそういう状態が続くことは極めて遺憾なことでありますし、望ましいことではないのでございます。問題は、その子供教育効果としてどういう道を選ぶのが最善であるかという子供立場に立っての判断がまず出発点であろうと思います。そういう点で現実的にトラブルが生じている内容を見ますと、やや親たちがそういう立場でない一つ考え方に立っていらっしゃる点もあるように見受けられます。したがいまして、あくまでその子にとってどういう教育の仕組みの中で教育するのがベストであるかという判断の上に立って指導していく、そしてそういう学校就学してもらうということが必要ではないかと思います。
  45. 糸久八重子

    糸久八重子君 障害児が普通校に就学しているたくさんの事例があるわけですね。文部省は、適当でないけれども違法でないという趣旨の答弁をやはりこれは四月二日の予算委員会の中でしていらっしゃるわけですけれども、これらのケースについて一概に適当でないとする根拠は一体何なのでしょうか。そしてまた、学校教育法の第何条にその根拠がありますでしょうか。
  46. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) まず、我が国の就学児童に対しましては、保護者に就学の義務を課しているわけでございます。学校教育法二十二条、三十九条、七十一条、七十一条の二の規定でそれぞれ就学の義務を課しているわけでございます。原則的には、学齢に達した子供たち小学校ないしは中学校、それから盲・聾・養護学校就学させなければならないという法制上の整備をしているわけでございます。  養護学校につきましては、昭和五十四年に就学義務の履行を行いまして、一方、都道府県に対して養護学校設置義務を課したわけでございます。その基本的な考え方は、障害の種類、程度に応ずる学校をつくるという義務をそれぞれの都道府県に課したわけでございます。そして、障害の種類、程度に応じた教育の効果を高めていきたいと、こういう発想で養護学校の義務化を実施したわけでございます。そういう観点で、それぞれの小・中・盲・聾・養護学校において、その障害の種類、程度、内容に応じて教育を受けてもらう、そして万全の態勢をとっていくということが義務教育一つ考え方として今日とっている考え方でございます。  したがいまして、どういう障害の程度、種類のものを養護学校、盲・聾学校就学させたらいいかということの一応の基準を政令で決めているわけでございますが、その具体的な取り扱い、判断にいろいろな問題が生じますので、市町村の教育委員会就学指導委員会設置いたしまして、教育者それから医者その他学識経験者、そういう人々から成る委員会を設定いたしまして、その委員会の判定に基づいてそれを尊重して教育委員会就学すべき学校を指定すると、こういう仕掛けにしているわけでございます。したがいまして、そういう判定に従ってそれぞれの学校就学してもらうのが現在の教育のシステムの中ではベストであると、こういうふうに考えているわけでございます。
  47. 糸久八重子

    糸久八重子君 その就学指導委員会のことなのですが、その中に、例えば今の御答弁のように医師が入っていたり、それから父母がというようなお話もありましたけれども、学校の時点では、大体学校の責任者の教頭とか校長とかいう人たちが入っていて、一般の普通の教諭というのはそういう中に入っていないケースが多いんですね。ほとんど入っていないと言ってもいいわけです。そういうようなやはり就学指導委員会も大変問題があるのではないかと思うわけですけれども、学校教育法施行令の二十二条の二に該当する障害児であって、現在普通校に就学しているケースがたくさんあるわけですけれども、これらについて調査をなさったことがございますか。
  48. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 二十二条の二の規定に該当するのは、制度の建前としてはそれぞれの学校就学していただくということになっておりますので、その内容が、小、中の普通学校に在学しているという中身を調査すること自体が非常に変な対応でございまして、行政指導としてはそれに該当する子供はそれぞれの盲・聾・養護学校就学してもらうと、こういう指導をしておりますので、そこまでの調査をしていないのでございます。
  49. 糸久八重子

    糸久八重子君 文部省の理論で言えば、普通校に就学している障害児についてきちんと調査をし、そして適正化の指導をすべきではないかと思うんですね、これは文部省の理論ですよ。就学しているのはもうしようがないから、未就学障害児は納得させて養護学校に入れさせようというのは、子供とか親はやはり納得がいかないのは当たり前ではないのでしょうかね。その辺についてはいかがですか。
  50. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 制度の仕組みは先ほど申し上げたとおりでございまして、そして本来それぞれの目的学校をつくったわけですし、そしてそういう配慮を加えて教職員の定数とか施設、設備とか、教材、そういうものについても十分な配慮を加えて、最大の教育効果を上げていくという仕組みで盲・聾・養護学校についての教育の整備を今急いできているわけでございます。したがいまして、普通の小中学校に行くことによってその子が本当に幸せなのか、そしてその子が本当に伸びるのかというのがポイントだと思うんです。したがいまして、そういう実態についての見解が分かれるという点は現実的にあり得ると思います。そういうようなものについては、そこはある程度裁量の範囲として小学校、中学校教育委員会としても対応していくということを現実の対応としてはやっているのではないかと思います。
  51. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 ちょっと関連して。  私は、二、三日前にテレビを見ていましたら、アメリカのケニー少年のことが出ていました。ちょうどここから下がないんですね。本当おなかまでしか体がない。上半身しかないんです。その子がもう手で歩くんですよ。手だけでちゃんといろいろな体操もやるし、バスケットボールも友達とやる。足がないんですけれども、本当に小さなこんな車の上に自分の上体を乗せてお使いにも行ってくる。そういうケニー少年をアメリカではどのように教育しているか。普通学校にも行けますという。しかし、両親は状態を考えて、日本で言うと養護学校に入れましたという。うちは違うんですよね。普通学校に入れない。どうしても養護学校に入りなさいという、そこの違いを先ほどから糸久さんが言っているのでありまして、やっぱり保護者、責任は親なんだから、親が普通の学校に入れたいと、しかし普通学校よりも親がやっぱり養護学校の方がいい、盲学校、聾学校がいいという、そういう信頼を私は盲学校や養護学校や聾学校は自分たちの力でつくり上げていかなければならない。そういう選択の自由はやっぱり親にあるんだということをさっきから言っているんです。あなたの考え方は私は非常に硬直しているというふうに思いますけれども、そういう硬直した法律をつくっているのが文部省なんです。そこのところを私は言いたいと思います。
  52. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) どちらが進んだ仕組みかというのにはいろいろの考え方の差があると思うんです。  例えば、医学の面でも発達していけばいろんな専門の病院ができ上がって専門的な治療行為をやる。教育の分野でも盲・聾・養護学校ができてきた歴史の経過を見ますと、やっぱり普通の教育の仕組みでは十分な成果が上げられないという反省の上に立って、盲・聾・養護学校というのがそれぞれの国で発達してきたと思うんです。そして、ヨーロッパ諸国、アメリカを含めまして、そういう状況については日本の方が進んでいると言われております。したがいまして、そういう親の判断に任せることが教育効果を高めるベストの政策であるのか、もう少し客観的な立場で認定して、そういう子供たちをそういう専門の教育の機関に入れて教育するのがベストであるのか、これは一つの見解の分かれるところであろうと思うんです。しかし、少なくとも日本は先進諸国の中で養護学校、特殊教育についてはいわば非常に進んだ評価を受けておりまして、盲・聾学校就学する子供が、例えば一、二年生のときに普通の小学校に入った、しかし三、四年でどうもうまくいかないから帰ってきた。それではもうそのとき手おくれだと、こう言うわけですね、盲・聾学校の専門の先生方は。そういうことを考えていけば、なおのこと子供立場に立って、その子にとって何が幸せであるかということを考えて対応することが必要ではないかというふうに思っております。
  53. 糸久八重子

    糸久八重子君 文部省障害児に対する考え方というのは、健常児教育から障害児を分離または隔離して特殊な療育を施すことだというふうに考えるわけですね。この方式は、一見すると障害児を手厚く扱う療育のように見えるんですが、やっぱり本質的には差別や疎外をすることになると思います。やはり障害児と健常児が互いに交わり、そして刺激し合うことのデメリットだけをあげつらって、メリットについては全く考えない。したがって、どういうメリットがあるのかということにつきましても調査をしておいていただきたいし、次の機会にそれについてまたお伺いをしたいと思うわけです。  今度は改正されました身障者福祉法三条の中に、国及び地方公共団体は、すべての身障者が社会を構成する一員として、社会、経済、文化、その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられるようという、その理念が具体化されるよう配慮しと、そして、身障者に対する更生の援助と、必要な保護の実施に努める、そしてまた.国民社会連帯の理念に基づき、身障者がその障害を克服し、社会経済活動に参加しようと努力をすることに対し協力をすると規定されているわけですね。この精神は、ハンディのある子供と親が社会参加しようという、その努力に対して報いなければならないということではないかと思います。  そこで、国際障害者年以来、文部省も参加と平等を唱えておられるわけですけれども、普通校に入学をして勉強したいという子供や親の希望を実現するように努力することを望みたいのですけれども、また、これらの親子と直接会って事情を聞きたいと思うのですが、文部大臣一緒にお聞きになる御意思はございますか。
  54. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) できる限り直接の指導をいたしております教育委員会などが中心にお話を伺うことがやはり一番適当だろうと思います。もちろん、私個人でそうした方々にお目にかかることも決してやぶさかではございませんが、文部大臣という立場でまた判断を示さなければならないようなことになると、かえって解決をしにくい面も出てくるのかもしれません。これは事情によってもいろいろあるだろうと思いますし、また、先生が直接そうした方々の御指導、あるいは御相談に乗っておられるようなお立場でございましたならば、先生からまたそういうお話を個々に少し伺ってみて判断をしてみることも大事ではないかと思うんです。要は子供のために本当にいい方向を選んであげるということが、周囲にいる大人のみんなの、これは私も含めてみんなのやはり責任だろうというふうに感じます。決してお会いするとかしないということを、私はいい悪いということを申し上げるのではなくて、そうした方々は、できるだけ責任あるお立場方々で解決の方法をお選びになるということが一番よろしいのではないかというふうに考えます。またしかし、先生が個々に私にそのことについての説明をしたいとか、あるいは相談に乗れということでございましたら、私は喜んで御相談を申し上げたいと、こう思っております。
  55. 糸久八重子

    糸久八重子君 私どもといたしましては、こういう計画を、該当する親や子供に直接会って話を聞くという計画も持っておりますので、ぜひその節はまたよろしくお願いを申し上げまして私の質問を終わらせていただきます。
  56. 安永英雄

    ○安永英雄君 本案の設置法が提案されまして、それ以来、衆議院の内閣委員会あるいは参議院内閣委員会あるいは私どもの文教委員会でも、あるいは予算委員会でも本案についてのいろいろ解明がなされたわけでありますが、今に至っても非常に不明確、そして解明が行われていないものが二点あると思います。  その一点は、臨教審をなぜ総理直属にするのかという問題と、臨教審は何を審議するのかという、こういった点がいまだにまだ不明確であります。  特に私は後段の分について質問をいたしますが、何をこの審議会に諮問し答申を期待しているかという問題について、この点は非常に不明であります。むしろ不明というよりも言わない、こういった態度に終始今日までしてきているわけです。我々文教委に所属する者として、何をこの審議会の中で審議をするのかというその内容は文教委員としては非常に関心のあるところで、また、これは国会においてこの法案を審議する中で、私ども自身がはっきりとしたこの内容をつかみ、どういった点が現在この二十一世紀に向けての教育の一番大事なところかという問題を私ども自身がこれは掘り出さなければならぬ、そういった性格の私は今度の法案の審議だろうというふうに思っていますので、特に後段の何を審議するのか、この点について大臣答弁をお願いしたい。
  57. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 安永さんから特に不明確――ちょっと言葉はそうおっしゃったかどうかわかりませんが、二点あるということで御指摘をいただきました。  臨時教育審議会総理直轄の審議会にさしていただくという理由、これも文教委員会先生のお尋ねもかつてございましたときにも申し上げましたけれども、日本の教育はやはり社会の変化、文化の発展に対応しにくい面が出てきている。やはり世の中の進歩、それから文化の進展が大変激しい動き方をしております。時間をとりますので、細かいことは先生の方がよく御存じですから略さしていただきますが、こういう新しい時代へのやはり対応をしていくためにみんなでひとつ二十一世紀に向けて、あるいは二十一世紀を担ってくれる青少年たちに対して、どのような一体教育制度があるべきであろうか、こうしたことを幅広く多くの皆さんから御論議をしていただこう。それについては、やはり文部省のみならず、行政各部の施策と密接な関連を持つものが非常に多い。先ほど糸久さんのお話しになっておりましたテーマもやはりそうでございまして、そのように政府が総力を挙げて取り組むということが必要ではないだろうか。また、後ほどテーマについても申し上げますが、安永先生の属される社会党さんも、また各どの政党も教育の改革ということに対しては大きな政策の課題にしておられます。そういう課題に対して、やはり政府が長期的な観点、そして政府全体の責任においてこれを進めていくということから、総理大臣の諮問に応じて調査、審議するための臨時の機関を設けることが適当であろうと、こういうふうに考えたのが総理直轄の審議会にする理由でございます。  第二点は、どのようなことを審議するのか、諮問するのかという点については不明確で、政府は何も言わないではないかという、こういう御指摘でございます。  これは、審議会国会で成立をさしていただいて、そして審議会の皆様方でどういう事柄についてお話し合いをするかということについての御論議をいただくことは、政府が余り拘束するということが、むしろ教育のいろんな立場から考えても審議会御自身で御判断をいただくということが一番適当であろうというふうに、私どもはそういう考え方を基本的に持っているわけでございます。そしてもちろん、しかしそうは言っても、総理はやはり諮問をしなければなりませんので、諮問の内容につきましては、これはこれから国会審議の御成立をいただいて、その上で、これまでの長い間の予算委員会もございました、先生が今おっしゃったように、内閣委員会あるいは文教委員会、いろいろなところで教育論議というものが行われたわけでございますし、また、臨教審に対するいろいろなお考え方も各党の皆さんからお示しをいただいたわけでありますから、そうした国会論議を踏まえて諮問の内容総理が定めなければならぬと考えております。したがいまして、そういう基本的な考え方を今持っておりますので、具体的にこうだああだということを今申し上げるということはむしろ適当ではないというふうに総理も私も判断をいたしておるわけでございまして、あえて申し上げれば大変幅広く諸制度、いろんな各部の行政にも関連することではありますので、基本的なやはり包括的な考え方で諮問をするということになろうかと思います、諮問の内容は。ただし、それだけでは背景がわからぬではないかというおしかりも、これもよく委員会でも、また今、先生からも御指摘をいただきました。総理はこの第百一国会に臨みます総理の施政方針演説として、幾つかのことを政府の姿勢として申し上げているわけであります。その中で総理は、「今後目指すべき教育改革の視点は、教育制度、教育内容の多様化、弾力化、家庭社会教育の重視、個性の尊重や教室外における実践・体験の奨励等による学生生徒等の全人的育成、教育を受ける側の選択の自由の拡大等総合的、人間的な教育のあり方の探求であり、また、国際国家日本の国民にふさわしい教育の国際化の追求にあると思います」。こう述べておりまして、その後、いろいろ知育のみに偏しないとか、人格主義の理念でありますとか、道徳性や社会性、あるいは豊かな個性と創造力をはぐくもうとする人間主義、こうしたことを述べておるわけでございまして、その諮問の一つ考え方総理としての基盤をなすものは、こうした考え方一つの方向づけとしたいと、こういうことはこれは国会の施政方針演説の中に述べさせていただいております。  また、私はこの法案に対します今担当大臣といたしまして、文部大臣としてはどういうふうに考えるかということについての御質疑国会でちょうだいをいたしておりますので、私は二十一世紀の我が国を担ってくれる青少年が、今後における社会の変化及び文化の発展に対して主体的に対応する能力をぜひ持ってもらいたい。具体的には困難に立ち向かう強い意志、問題の解決に積極的に挑む知的探求心、知識、情報を選択、活用していく能力、そして大事なことは自己を抑制し、他者を尊重しつつ良好な人間関係を築いていく、そういう資質を持つことができるように学習の機会を充実することを私どもはこの視点といたしたい。これは文部大臣としてそのような考え方を、国会でお示しを申し上げているわけでございまして、総理考え方、また私のそうした視点、そうしたことが一つのバックボーンといいましょうか、基本的な考え方として、そして先ほど申し上げましたように国会のこの論議を各党の皆様方、各先生方の御意見等も十分踏まえながら、国会で御成立をいただきました後に総理として諮問事項を定めたい、このように考えておるわけでございます。
  58. 安永英雄

    ○安永英雄君 今のお答えでは、いわゆる諮問の内容等については、今度の国会審議しているその内容はその時期には示さない。いわゆる入れ物といいますか、八条委員会というものができて、それから人選ができて、それから示すと、こういう大体基本的な考えのようですけれども、先ほども私は申し上げたように、入れ物と中身は表裏一体のものですよ。どういうものがそこで審議をされ、そして、その入れ物がどう機能していくか、これはまさに一体のものであって、入れ物だけを皆さん方は審議してくれればいいんだ、後は委員ができたら内容としては私の方から何らか言うだろうということで、今、漠とした内容を示されました。これじゃ私どもとして、特に文教の立場からして、どうしてもこれは言ってもらって、こういったものについてぜひひとつ出してもらいたいということを、私は一緒になってこれは審議をしていくというものでなければ、私どもは国民に対して責任が持てないのじゃないですか。どんなものが、先ほどあなたはおっしゃったけれども、大まかなことは包括的に言うけれども、あとは委員の二十五名が集まって、そしていろいろ知恵を出し合って、そこでテーマも設定し審議も行われるであろうというふうな立場は、これは根本的に持っておられるわけですね。これじゃ、ちょっと私どもとしては責任が持てないわけですよ。  これは私も随分議事録を調べてみたんですけれどもね。例えば六月十九日の衆議院の内閣委員会で我が党の角屋さんが質問をしたときでも、総理は、今言ったように「二十一世紀を目指した世界的日本人をつくってください」と、こういうふうな抽象的な言葉も言われた。そして最後に「そういう点を中心に諮問する。これは文部大臣にいろいろ御研究をお願いしたいと思っているところでございますが、そういうことを頭に置いて諮問事項を考えていただきたい」、こんなふうに大臣にお願いしようと思っています、こういうふうなことも明確に言われておる。これは教育基本法の問題で大臣答弁されたわけですけれども、とにかく総理との食い違いの中で、総理はあくまでも教育基本法、憲法の枠内で審議をしていただく。大臣の方は多少審議会の中で憲法、教育基本法に触れる、あるいは飛び出すというふうな論議があってもいいのじゃないか、活発な論議があってもいいのじゃないか。こういう食い違いを示したわけですけれども、「要はこれをおまとめいただく会長がどのようなお考えを持つかということにもなりますし、当然政府は尊重してそれを国会にまたお諮りすることになるわけであります」、こういうことも言っておられて、ある程度会長任せというふうな、内容的な問題についてもお任せをする、委員は憲法、基本法に多少抵触するようなこともこれはあっていいのではないか、こういうことも言われておる。あるいはまた六月の十九日、総理は、臨教審審議する内容及び運営のやり方、これは委員になった皆さんが自分でお互いに決めていただくことがいい、ただし、政府総理大臣の名において諮問はいたしますと。諮問の内容というものは文部大臣にいろいろ検討していただきたい、諮問するに当たって、こういうことを答申してほしい、意見をまとめてほしい、そういうことは当然我々の方でやるべきで、これらの内容について文部大臣にいろいろ勉強していただきたい。こういうところから見ますと、今おっしゃったようないわゆる入れ物ができて、後で委員の方に示すということじゃなくて、私は既に準備ができているのじゃないか。準備室等もありますけれども、ただ大臣としては、基本的にとにかく皆さんの御意見で御意見でというふうにウエートを置いて、内容は私は今聞いたのが初めてですから、大臣のあれは初めてですけれども、私はこの前、内閣委員会にちょうど傍聴にいっておりましたが、穐山委員質問に答えて渋々三点答えられましたね。人間形成の基礎としてのしつけ、道徳。個々人の個性を重視する。生涯にわたる教育機会を保障する。こういうふうに言われたんですが、今おっしゃったのと、この三つの視点をおっしゃったことは同じですか。違うんですか。
  59. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 穐山さんの内閣委員会の御質問に私は渋々お答えをしたのではないので、審議会でいろいろと制度について御判断をいただくことを最初から拘束するということは、かえってこれは越権ではないかという、極めて私はへりくだった気持ちでおるわけでございまして、それで穐山さんはおかしいじゃないかということで御指摘でございましたから、総理は施政方針演説でも考え方は持って述べておられます。それから私もあえて衆議院の内閣委員会で、何も考えはないということはなかろうと、こういう御質問でございましたから、私は三つぐらいの視点を今のところ考えておりますと。これについて六・三制をこうしろとか、今の幼稚園をこうしろとか、大学は国立大学と私立大学はこうあるべきだと言うことは、やはりこれは大変越権なことで、初めから考え方政府が示してしまうということはよくないので、特に教育というのはやはり多くのいろいろな国民の理解というものが必要なんですから、そういう意味で私が今三つの視点と申し上げたのは、先ほど総理考え方、施政方針の背景、考え方、それで私が今主体的に対応する能力とこう申し上げて、その中にこの間穐山さんの際に申し上げた三つの視点が入っているわけで、余り時間が長くなって先生ちょっとまゆをひそのられたからそこの細かな説明を実は避けたのでございまして、包括的にはそういうことでございます。
  60. 安永英雄

    ○安永英雄君 急に七つが出たり三つが出たり、私は初めて聞いたんだけれども、まあ大体似たようなものだという説明ですけれども、私はこれじゃ承知できない。しかし、あなたはいずれにせよ言うというんですから、委員会ができたら言うというのだから、それはここで言ってもらわなければ困るですな、それは。幾ら何でも二十五人の人にお任せします。そして、委員が集まったときに大臣、どうせ言うのでしょう。初会合でもやったときには言うのだけれども、今みたいなことを言ったら目をぱちぱちさせますよ。そのときには言うんでしょう。今までの審議の中でも、極端な場合には今度の概算要求でも間に合うような、早急に結論が出たときは直ちに実施するようなことも言っているんですよ。もう目の前にあるというのは頭の中に想定している、私どもわかる。二十一世紀を眺めたのはこういうことだろうということもわかる。それを言わないんですからね。あなたどういうあいさつをします、皆さん、御苦労さんでございます。私は何も言いませんけれども、皆さん方の良識でいろいろ知恵を出し合って、二十一世紀を目指していい子供をつくるような審議をしてください。終わり。こういうことじゃないでしょう。それがどうして国会の今の審議の中にあなたは言えないのかと言うんですよ。そのことを私は聞いておる。あなた、こんな国会の中で一々、大学の設立についてはそれも入っておるでしょう、何か言うとそれも今度は委員会へ入るでしょうと。何が入るのか、あなた全部今までぶち込んできておるんですよ。  そういうことでございまして、あなたがとにかく何を渋っているのか私はわからない。これは委員の方に対しては失礼に当たると言うけれども、国会については無礼千万ですよ、我々に対しては。三つ、七つ、今おっしゃったのは何ぼになるんですか、数で。一つ一番はっきりしているのは総理の七つですよ。だから、これについて聞こうかと思うけれども、肝心の大臣となってくるとだんだん数が三つになっちゃったりあれだから、これは大臣言わない気だなと私は思っているんだけれども、言いませんか。
  61. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 言わないとか言うという問題ではないのでありまして、諮問内容といいますか、諮問事項は総理がこれから判断をされるんです。したがって、私は直接この法案の担当を命ぜられている大臣といたしまして、衆議院の予算委員会参議院予算委員会、また内閣文教委員会で大変教育に御関心の深い先生方からいろんな御質問をいただいております。私はそれを一々全部、もちろん速記録もあるわけでございますし、文部省の方でもその事項については全部詳細に明記をさしておるわけであります。  私が国会論議を踏まえてといつも申し上げておりますのは、そうした事柄などすべて含めて諮問事項を総理がお決めをいただく際に、私から総理にこうした事柄などを含めて御諮問をいただくようにというふうに私はお話をする、意見を申し上げるという立場であろうというふうに思います。  これは先生に何度おしかりをいただいても、やはり設置しないのに最初に準備を何もかもしておいたらなお先生におしかりをいただくんじゃないですか。国会の意思判断もないのに何だということになるのじゃありませんか。しかし、教育論議というのは大変幅の広いことでございますし、教育の諸制度全般に対してでございますから、まさに学校教育もある、社会教育もある、そしてまた家庭教育もある、そういうことを全部、全項目をずらっと並べるということはこれは大変なことになって、逆に言えば、落ちておったらどうするのかということさえ出てくるのでありますから、恐らくまだ今のところは予想はできませんが、先生には最初に始まるときのあいさつの言葉まで今ちょっと御指導いただきましたけれども、もちろんそういうあいさつをされる、その中に何か入るのでしょうが、そこのところは総理が諮問事項として申し上げることになると思いますから、今予想されることは、これだけ事柄が多いから、ですから恐らく基本的な、包括的な事項を申し上げてまず諮問をされるであろう。私が当初予算委員会で申し上げたのは、そういうことをまず基本的にしていただいて、そして一遍幅広く審議会の皆さんが議論をしていただく、こういう包括的、基本的な考え方総理から答申を求められているからと。そうして、審議会の皆さんで何回かやっていただく、これは私の私案ですよ、私の個人的な考え方です。やっていただいたら、それじゃ高等教育のことをこういうふうにしようとか、あるいは家庭教育の問題はこうしよう、社会教育の問題はこういうふうにして、あるいはこういうふうに分科会に分けようとか、いろんなことが恐らく出てくるだろう。そういうことを数回やっていただいて、一遍また政府に戻していただいて、そして政府がその中で精査をして、じゃこれとこれは少し長期に検討していただく、これとこれは少し短期的に意見が出ないだろうかというようなことなどをするようなやり方がいいのではないかということは私は予算委員会で申し上げたことでございます。  したがいまして、その三つや七つは何で出てくるんだというおしかりをいただきますが、七つの構想というのは、あれは昨年の暮れのときに総理が党のいわゆる選挙対策の政策として掲げたものでございまして、これも一つの参考になるだろうというふうに私は申し上げた。このことはそのまま諮問するということではございません。  それから、文部大臣として何も考えていないのかとおっしゃったので、先ほど先生に申し上げたこと、そして今までそのことを具体的に三つの視点で私は申し上げているわけでございまして、決して先生からそうおしかりをいただくような答弁をしておるとは、今までこんなにまじめに一生懸命答えたことはないと私は思っておるんですが、ぜひひとつ御理解をいただきたいと思う次第であります。
  62. 安永英雄

    ○安永英雄君 そうすると、私が先ほど教えたような、委員が集まったときのあいさつになるわけですよ。  私はもうこれ以上は聞きませんが、それじゃ別の面から聞いていきたいと思う。  要するに、現在の文部省というのは教育に関する制度その他の一切責任を持っている官庁です。ここの仕事は教育全般にわたる問題である。今度できる審議会というのも、これは聞いておりますと全学制制度についての検討を広くやってもらうと。大体同じような守備範囲を持っている。そこで、臨教審で一体何を討議するのかというのと対比しながら、文部行政はどう現在あるべきか。臨教審学校教育のみならず、ゼロ歳から生涯にわたる教育全般について二十一世紀を展望した長期的視点で検討していただく機関であり、文部省固有の事務として進めらるべき政策、例えば四十人学級、育英奨学金制度の見直し、私学助成のあり方などは臨教審審議とは切り離して実施していく、こういうことを大臣は再三言われた。  そこで、臨教審の検討事項は大臣の言うように委員自身が決定すべきものであるということになれば、それでは文部省が固有の行政責任において進めていこうとする仕事、これは何か。臨教審の答申、検討を待つまでもなくやっていくんだという、こういう考え方があるわけでありますが、臨教審文部省のいわゆる固有の行政事務、こういったこととの関係はどうなりますか。
  63. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先生の方が私よりもよく御存じでございますが、文部省は中教審のほかに十六の審議会を持っております。それぞれが文部省所管の特定分野につきまして調査、審議をし、そして時々課題につきまして必要に応じて答申をちょうだいをいたして、また提言もちょうだいをしておる、そして文教行政の推進に寄与をしていただいておるというのが文部省の固有の審議会でございます。  それで、臨時教育審議会は、先ほどから先生お話をされましたので時間を省かしていただきますが、まさに将来の日本の教育のあるべき姿、法、諸制度を全般的に幅広く検討をさせていただきたい、それを政府全体の責任で長期的に考えてみたい、こういう総合的な審議機関でございます。したがいまして、この審議会でどんな事柄をするかということはこれから審議会で御判断をいただくことでございますから、端的に言えばすぐにも答申が出てくるものがあるのかもしれませんし、かなり長期的な問題として議論をなさることもあるのかもしれませんが、しかし日々文部行政はこれはやはり進めていかなければなりませんし、改善をしていくことも当然必要でございますから、当然この十六の審議会等はそれぞれの立場でいろいろと御検討いただき、あるいは調査をしていただく、あるいは御提言をしていただくということがこれからも必要になってくるというふうに考えます。  ただ、臨教審からいろいろの答申がどういう形で出るかわかりませんが、例えば中間的に出てくる、それを専門的にそうした十六の審議会でもう一遍検討してもらって、そしてまたそれをフィードバックしてもらうということもあり得るかもしれませんし、あるいは逆に言えば個々の審議会でいろんなことを御研究いただき、御提言をいただくことを、場合によれば臨時教育審議会で受けてもらって、もう一遍幅広い角度から見てもらうということもあり得るかもしれませんし、これはそういう意味で私は固有の審議会と、そして臨時教育審議会とはそう絡み合うものではない、むしろお互いにいい意味で補完的なことにする場合もあるでしょうし、またある意味ではそれをさらに教育のためにはより充実した制度として、あるいは内閣全体としてそれをバックアップしていくという形になり得ることもあるだろうというふうに考えているわけでございます。ただ、中教審につきましては、先生も御承知のように、いわゆる審議会事項との関連ということもございますので、これは次期審議会の発足というのは当面見合わせて臨時教育審議会の動きを見ていきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  64. 安永英雄

    ○安永英雄君 審議会が十六、協力者会議が十五、この仕事の内容を実際は言ってもらいたかったわけですけれども、時間がありません。全部うまくいったら、教育全般について手抜かりなく今の文部行政の中で機能するようになっているんですよ。それをあえて総理直轄の審議会に持っていくというところには、どうしてもここの理解ができない。しかも、今聞いておりますと、厳然として文部省側の立場をあなた強調されたけれども、これらの審議会を中心にして文部省はこぞって今の体制でやっていけばこれはやれるんですよ。だから、二十五人集まって総理直轄で今度の新しい審議会がやっているというときの関係というのは、今さっき言ったようにうちが主体ですよと、これと合わせるものがあったら言ってください、あるいはうちからもこっちに頼みますよと、こういう関係で実にくだらぬ審議会をつくるものだと思うんですよ。鳴り物入りでこんなものつくる必要ない。文部省はしっかりしておけばいいわけですよ。何か文部省の中で、仕事がとにかく今も言ったように社会の進展その他の問題でどうしても力不足、そういったものならいいけれども、私はそうは思わない。もう時間がありませんから具体的に今の十六と十五の審議会についての内容は聞きませんけれども、中で特徴的なものを聞いていきたいと思います。  どこの機構の中でも、文部省の中で二十一世紀を目指して教育をやっていこうというふうなことで手抜かりのあるところはない。手抜かりがあるとすれば金の問題ですよ。金がないんですよ。私は、ちょっと横道にそれますけれども、金の問題で、驚いたことにこういう審議が行われておりますね。これは四月の二十五日に総理答弁されたんですけれども、教育改革がすぐ財政負担につながるとは考えない、必要な改革は実行していくけれども、教育改革即財政負担というふうには考えない、臨教審の自主性で現在の財政状態をある程度考え、答申が行われると期待している、実に私はこれは総理として言うべきことじゃないですよ。それこそ先ほど言ったように二十五人の委員に失礼に当たる。何でも自由に皆さん方検討してください、張り子いっぱいやってください、憲法、基本法も多少飛び出たっておもしろいじゃないですか、そこで思う存分の案を出してください、それは法律の中で尊重します。しかし財政の問題になってくると、とにかく委員はそれぞれ財政が苦しいからわかっているでしょうと、余り財政を使わぬことを期待していると、こう言っている。  それから衆本会議で、これは日にちはちょっと忘れましたが、議事録の中から見たんですけれども、竹下大蔵大臣に至りましては、教育の予算は厳しい財政事情のもとでも必要なものは確保している、これが今の現状です、教育改革内容いかんでは財政の負担を軽減する場合もあると。二十五人が一生懸命やったら今よりも財政負担がかからぬようになる結論が出るかもしれぬ、逆に新たな負担を生ずる場合もある、教育改革は財政負担が増大すると決めてかかるべきではない、財政再建は国民課題で、どんな政策もこれに立脚したものでなければならないとの基本認識に立っているという、実に公然と今の教育改革について財政面からはっきりとしたことを言っている。  後で私は申しますが、教育改革の中心に恐らくなるだろうと思う今後の大学のあり方、これについても行政審の方から、もう今度の報告書の中で競って一様に今後の大学の新設あるいは増設、あるいは学部、学科の増、絶対に厳しく抑制する。こういう財政面から考えたら、私は今度のこの臨教審から出てくるものは何も期待できませんな。初めから文部省の方に、たくさんとにかく当面の問題があるから、予算を今度の概算要求では張り子いっぱい出せというんなら話はわかるけれども、財政面から考えたときの総理と大蔵大臣の発言、こういうものから見れば全く何にもこれは私は期待できない。それと、先ほど言った内容というものも、文部省が下になっておる。そして、向こうから参考になるものがあったらすり合わせをしましょう、こういったものは、ここに何を期待するのか。そもそもこの問題は総理が言い始めたときには、現在の教育の荒廃、落ちこぼれ、非行、いろんなものが目に余る、だからとにかく教育改革をやろうじゃないかという、この点は与野党ともに一致している。そこから発想してきたものが、いつの間にか二十一世紀を目指して、そしてそれを目指しても予算は何にも考えられない。文部省もやれればやるんですよ。私はこれは疑うわけじゃないけれども、文部省がなりふり構わず自分の職責を総理の直轄に持っていく。私はひどいことを文教委員会で言ったですな、もう文部省はもはや文部省ではなくて文都庁、そういうふうに私は言ったこともありますけれども、それでも一番大きなねらいというのは、財政的にはいろんな予算で苦しいその文部省が、得たり賢しとこの機会をねらって、総理の直轄になるし各省が協力する、こうなれば予算も相当潤沢にとれるであろう、そこに大きな期待文部省は持ったからこそ、我々としては、これは日常与えられた固有の事務というのをやってまいりますというところにあったと思う。ちょっと財政面の問題で横道にそれたけれども、これは先ほど言ったように、皆さん方がよろしいように英知を絞ってやってくださいと言った、結果は尊重する、尊重するといっても出鼻をくじいてこの審議の中で、総理大臣と大蔵大臣がここまで言えば、何とか文部大臣としても本気で考えているのかというふうな気がする。文部省だってそれを期待したのじゃないのか。これは出ませんよ、どうです。
  65. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 安永さんは大変御無礼でございますが、確かにある一面の答弁のところだけとらえていらっしゃる面もある。予算委員会の際も、大蔵大臣は私の前で答弁しておられたこともありますし、行管長官、今の総務庁長官も私の隣におられました。そのときの答弁も私は承知をいたしております。総理も、財政が厳しいこういう時期に教育改革をやって金がかかるということになったらどうするんだと、そこに整合性があるのかと、こういうような趣旨の御質問等に対してお答えを申し上げた形が多いと思いますが、そのときに必ずしも全部財政が大変大きくかかるとも考えられないし、もちろんかかることもあるかもしれません。また、必要に応じてかかることであるならば、十分その経費は必要があるとするならば考えなければならぬ、こういう答弁も大蔵大臣はいたしておりますし、総理もそういう答弁をいたしておるわけでございます。これから教育論議をしていただくという過程の中で、必要があるということになれば、当然これは国として責任を持って、しかもこの法律を国会で御論議していただいて、出していただいて、総理はこれを政府として遵守していかなければならぬということまで法律に書いてあるわけですから、当然お金がかかるということになれば、これは出していただかなければならぬというのは当然のことであろうというふうに思います。  大変安永先生教育に御熱心で、私どものことに対して大変好意的に心配をしてくださるお立場というのは私よく理解をいたしております。そういう中で、文部省はそれじゃ総理は文化庁ぐらいにしか思っていないのじゃないかと、それぐらいに見下されているんだよというような御心配の余りでのお話がございましたが、私は先生よりも経験がずっと浅うございますけれども、事文部省教育のことに関して政府全体で検討しようという、私はむしろこれだけ大きく文部省が評価をされている、教育行政というものを内閣全体でとらえようという、これだけ大きな位置に文部省は行政の中で、政治の中で大変大きな位置づけをしてくる時期になったと。私はむしろそういうふうに考えて、教育関係を持つ者、あるいは教育に関心を持つ者にとってこんなありがたいことはない。文部大臣としてそういうふうに私は感じておるわけでございまして、先生の御指摘の点、御心配の点も十分文部大臣として心得ておかなければならぬことでございますが、むしろ政府全体として教育に必要なものというものを十分考えているわけです。  もう一つは目前のことをいろいろやっているうちにいつの間にか二十一世紀になったじゃないかと、こうおっしゃいますが、二十一世紀というのはあと十七年なんですから、今のことを一生懸命に詰めていけばこれは二十一世紀のことになるわけでありまして、言葉の一つの表現でございまして、何も二十一世紀のためということだけやるわけじゃない。現実の問題もあるでしょうし、長期的な展望もあるでしょうし、これは当然審議会でいろいろ御議論をいただく。その中で、長期にかかって財政的な裏づけの必要になってくるものも出てくると思いますし、あるいは場合によっては、きのうの内閣委員会でもちょっと論議が出ましたが、いい意見が出てきて、ありがたい意見が出てきたら、場合によれば六十年度の概算要求の際にもバックアップしてもらえるような考え方が出てくるかもしれません。そういうふうに私どもむしろ期待をいたしたい。そういう意味で、この臨時教育審議会は文教行政、また文部省にとって大変大きな強い味方だというふうに私は理解をいたしたいと、こう思っているわけでございます。
  66. 安永英雄

    ○安永英雄君 強い味方じゃないですよ。何になりますか、あなた。二十五人集まって、そしてそこで憲法に触れるような、とにかくいろんな意見が出るでしょうよ。そしてあなたのところが日常一滴の漏れもなく進めておる現在の全教育分野にわたっての行政、それと直接関係が来る。いいところだけ取ってというわけにはいかぬですよ、この委員会はひとり歩きしますよ、臨調じゃないけれども、これは土光さんみたいなのが出てきますよ。文部大臣なんていうのは、あごの先で使うような者が出てくるかもしれない。  私は金の問題で心配しているんですよ、もうこれは既に入ってきません。文部省の金は、臨教審のあれで要るからといって、今度の予算でも切られましょうよ。そこで、時間がありませんから、一つの例として、高等教育局長見えておりますから、そちらの方からやります。  今もいみじくも大臣おっしゃったように、私が二十一世紀といったってもう十六年しかないんですから。そこで大学教育という問題で一番大きな問題は、当面の六十一年から六十七年までの、いわゆる大学の十八歳年齢が急速に伸びてくる。これを考えてみますと、この十八歳が、六十一年から六十七年までの十八歳というのは、まさに二十一世紀前期において大体三十四、五ですよ。これが二十一世紀の前半に国政の中心を動かしていく。これをよほど当面の問題として計画を立てなければならぬ。我が党の国民教育審議会というものの中で審議をするのは、まずこれが一番です。二十一世紀におけることを考えた場合に、六十一年から六十七年の間のこの急増期における私は大学教育というものが、やっぱり大きく将来の日本のいろんな各方面を左右する。そういった意味で、私はこれこそ審議会で十分審議をしなければならぬ。  私はこの前もちょっと言ったんですけれども、どうも文部省の動きは動きが早い。新高等教育計画というものが出ました。そして、もう既に各大学その他とも打ち合わせておる。一番問題なのは、これは間違いありませんか、いよいよ新しい中間報告から今度の最終的な計画が出ましたが、中間報告のときには私も追及したんですけれども、大学全部の中で、国立大学が二割、私立大学が八割というこの比率というのに私は問題があると、こう言ったんです。今度今進めておりますこの計画、動いておる今の中でやはり八対二ですか。
  67. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) 高等教育の整備についての考え方でございますが、設置者別のおおよその割合については、現状の形をほぼ前提にして考えているところでございます。
  68. 安永英雄

    ○安永英雄君 今の日本の大学教育で一番根本的に考えなければならぬのは、私学依存という、こういった体制ですよ。今でもとにかく八、二という比率で、その二の方も、きのうも私は追及したように、研究費すら満足に出さない。民間からもらわなければならぬ。そういうところに汚職が起こってくる。全体の大学の二割を国が持っている、その二割すら満足にあなた方は育てていない。そうしてすべてが私学に依存をする、依存をしておるかと思うと、ばっさり国が補助金あたりを切って捨てる。私は狂ってあなた方の考え方はおりゃせぬかと思うんですよ。五、五ぐらいの目標を持たなければいかぬ、国立が半分は持つと、国の予算で大学は持つ、あとの半分は私学で持ってくださいと。これぐらいのとにかく、私は転換期に今あると思う。この割合が、私はこの臨教審なり、我が党の国民教育審議会の一番大きな審議でなければならぬと思うんですよ。それをもう既に動いておる、六十一年から六十七年の計画を立てて動いておる、これは早過ぎる。これはもう少し具体的に配分を数字で言ってください。
  69. 宮地貫一

    政府委員(宮地貫一君) この六十一年度以降の高等教育の計画的整備ということについては大学設置審議会の中で十分御議論いただきまして、ただいまこの六月に報告をいただいたわけでございます。六十一年度以降の今後の整備は、私どもは基本的にその線に沿って対応していく心づもりでいたしておるわけでございますが、まあ基本的なあり方としては、開かれた高等教育機関、あるいは高等教育機関の国際化、特色ある高等教育機関というような三つの視点を基本に置きまして、量的な整備については先生から御指摘のございましたような考え方で、十八歳人口がピークになる昭和六十七年度においても現状程度の進学率を維持するというような考え方で、さらに六十八年度以降十八歳人口というのは、昭和七十五年――ちょうど二十一世紀になるところでございますが、さらにその時期に向かって十八歳人口全体が減っていくということも前提に置きまして、考え方の基本は六十一年度から六十七年度までの七年間にほぼ八万六千人程度の全体の定員増を考えていく。六十八年度以降の十八歳人口の急減ということも考えまして、この八万六千人程度のうち約四万四千人程度はいわゆる期間を限った定員増ということで対応をいたしたいということで考えておるわけでございます。  したがって、まあ恒常的な定員増約四万二千人につきまして、仮に毎年度均等ということであれば、各年度約六千人の定員増が必要になるわけでございますけれども、従来の五十六年から五十九年度までの大学、短期大学の定員増がほぼ年平均で約七千七百というようなことでございましたので、私どもとしては、今後の問題でございますけれども、従来の過去の実績から見ましても、ほぼ恒常的な定員増については対応が可能ではないかなというぐあいに考えております。  他方、期間を限った定員増についても、ほぼ毎年六千人程度の定員増が必要になるということでございまして、私どもこの点は教育水準の維持は十分留意をしながら、例えば教員組織でございますとか、校地、校舎等の基準を弾力的に対応するというようなことで、行政的にはそのような対応を図るべく、設置基準の改正その他の作業をいたしておるわけでございます。この期間を限った定員増については、国立大学についてももちろん既存の施設等を活用するような形で積極的な対応をするということで、各国立大学等にも、現状について調査をするというようなことは具体的に対応しておるわけでございますが、ただいまのところ私どもとしてはそういう状況というぐあいに把握をしております。  なお、六十一年度以降の私立大学の新設その他については二年前の申請ということで、まあ本年の七月末が締め切りでございましたが、従来に比べますと、傾向としては既設の大学の学部増設あるいは短大の学科増設というような点で、従来よりも相当既存の大学等が学部増設等で対応するというような数字が具体の申請等でも出てきておる。これらはもちろんこれから設置審議会で具体的な審査が行われることになるわけでございますが、ただいまのところそれぞれ私立大学の定員増あるいは学部、学科の増設の状況等については、ただいま私どもの把握している状況では、この私どもが考えております六十一年度以降の高等教育計画の整備については、数字的な面では、今出ている状況では対応が可能ではないかというぐあいに把握をしております。
  70. 安永英雄

    ○安永英雄君 私の言っているのは、今のあなたが説明したことは、二十一世紀を目指したときには大きな日本の障害になるよということを私は言ったので、あなたのところはどんな指導しているですか、校舎へ生徒は入れて、おまえのところ何千人受け持てとしておいて、今度は別の筋から、校舎、施設、その問題については今のあるもので我慢しろと、こういう指導でしょう。それで、おまえのところはそれでも引き受けるか引き受けぬかとわんさわんさ大学にやっておるわけでしょう。大学はきゅうきゅう言っておるわけでしょう。そして、現実に六十一年から六十七年までの間の、今のあなたたちのやっていることから見たら、実に終戦後の七十人から八十人を一教室に入れた、あの状態が起こってくるんですよ。研究するといったって部屋はないし、教員は増すな、なるべく非常勤にしておけとか、こういった状態ですよ。この六、七年間我慢しろ、この六、七年の間に巣立つ大学生、これが二十一世紀の中心ですよ、ちょうど終戦のときに、教科書もない何もない、我慢しろと、これと同じような状態が日本の将来を左右する大学教育において起こるんですよ。今の計数あたり簡単に説明しているけれども、私はこれは本気で、例えば今度の審議会、後の問題で十分に討議をする。その基礎は、国立大学がどこまで私学の分を吸収するかというところにかかっておるし、先ほどのように、これは金がかかりますよ。金がかからぬ改革もあるかもしれぬと言うけれども、そんなものはない。改革をすれば金が膨大にかかってくる、これは当然です、金かけなければできませんよ。かつての中教審の答申で、今じゃ総理もちゃらんちゃらんに文部省たたいているけれども、わかっているでしょうが、あなた方。金さえあれば実現できたんですよ。それができなくて、ほったらかしておいて、今ごろになって総理から頭からたたかれて、中教審じゃだめだと、おれが直接やると、こう言う。おれがやるおれがやるといって力んだけれども、金は使わぬというのだから、どちらもどうかしておるです。  私は一つの例を出しましたけれども、大学の問題については真剣に今考えて、校舎、施設とか先生の数が何とかいう問題じゃない。これはもう本気で大学教育の問題については今考えなければならぬ。大臣もおっしゃったように、二十一世紀になったらどうかというような問題じゃなくて、現在の問題としてやらなければならぬというふうなことを私は言いたかったわけですよ。そのためには本気でやらにゃならぬ。そのためには、今度できる臨教審じゃだめ。これは文部省が腹いっぱいやらなければだめですよ、私はそう言い切っておきますよ。すぐに出てくる結論ですよ、これは。今でも私は、この点ちょっと大臣の決意を聞きたいけれども、基本になる、いわゆる私学依存の今の大学教育というのをどう思うか。あなたも私学の出身だからどうかと思うけれども、どうですか、国立が持たなければだめですよ、きのうも汚職問題でやったでしょうが、国立大学がやらなければ。半々ぐらい持っていくという熱意があって、まあ今のところ険しいところからやろうじゃないかということで準備をせにゃならぬということで始めるのならいいけれども、基本的に大臣は、例えば今度できるかもしれないといういわゆる審議会、あるいは我が党の国民教育審議会、この方式に、どう私は大学教育については考えるかという点で、学問のうんのうをきわめるとか、科学技術とか、そういう問題じゃない、環境整備ですよ。まず、文部省が、国立大学はこの点については五割が受け持つ、これぐらいの決意があるかどうかということについてお尋ねしたい。
  71. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この合同審査の会場には、お見受けをいたしますと高等教育機関でいわゆる指導をなさいました先生方もたくさんいらっしゃいます。私のような浅学な者が専門的なお話を申し上げることは恐縮でございますが、当面いわゆる六十七年度を一つの目途として十八歳人口が二百五万に達する、それについて文部省として今高等教育の全体計画を示していただいたわけであります。これは文部省といたしましてどんな事態があろうとも、どういう審議会が出ようともこの考え方はある程度今は努力して進めていかなければなりません。しかし、確かに今先生がおっしゃるように、高等教育をやはり全部私学に押しつけることはいかがなものか、あるいは二対八のこの比率が将来ともこれでいいのかどうか、またある意味では、衆議院の内閣委員会の公聴会にもございましたが、どの先生であったかということは定かにいたしませんが、どうもいわゆる学術研究というどちらかというとそういう専門分野の技術系、そうした分野は国立にお願いをして、むしろ文科系は私学に全部依存をしたらどうかという、そういう御意見を述べられた方もある。高等教育についてはさまざまな意見があると思うんです。人文系を全部私学に押しつけていいとはなかなか私もそんな判断はできるものではございません。しかし、一面においては、高等教育に進む進学率がもう三五%を超えている。一時の三八%というようなことはもう望めないにいたしましても、おおむねこの日本の今の経済の水準はそう大きな変動がないということを前提にすれば、大体こういう数字がある程度考えられるだろう。そういたしましたときに、今度は大学の価値観というものも随分変わってしまった。これは私が言うのじゃないんです、文部大臣として言っちゃいけないことでありますが、外から聞く例としては、実際大学というのはレジャー大学ではないかと言われる方々もある。そのようなもしレジャー大学も、これもまた人格を形成、教養を高めるという意味では一つの私は見方だろうと思いますが、そういう大学を全部国立でやることが果たしていいのかどうかという、これはやはり多くの国民意見を聞かなければならぬだろうというふうに考えます。したがいまして、先ほどの先生の御質問にも触れることになりますが、予算委員会内閣委員会文教委員会等を通じて私も答弁といたしまして、臨時教育審議会でどういうことをやるんだということについて、先生方の御質問に対して随分高等教育については私も意見を述べております。したがって、今度の教育改革全体をやはり検討していく、御審議をいただくということも、その事柄から大学の問題高等教育のあり方、そして今先生がおっしゃったような具体的な問題、果たして五割がいいかどうか、そういうような高等教育機関というものを国でどういう位置づけをしていくのかとかいうこと、こんなことも今度の臨時教育審議会では大変大きな、大事な審議事項ではないかなあというような私は予想をいたすわけでございます。むしろ先生のそうした御意見なども踏まえて、そこを私は国会論議を踏まえてと申し上げているところでございまして、先生のそうした御高見などもこの審議会などで十分御検討をいただく私は大事な一つの機関ではないだろうか、こんなふうにも考えるわけでございまして、適切な先生の御発言等もこれからの臨時教育審議会で十分私は論議を深めていただく大事なことであろうというふうにむしろ歓迎もし、期待もしたい。先生は、いやそれは中教審でやればいいのだ、文部省でやればいいのだ、社会党が提案している国民教育審議会でやることであって、臨時教育審議会ではだめだよと、こうおっしゃいますが、私はそうは思わない。むしろ臨時教育審議会政府全体の各行政各部の上に立って、高等教育機関というのは科学技術庁、厚生省、通産省、外務省、すべての私は役所に影響を持つわけでございまして、そういう多くの皆さんの意見の中から、高等教育機関のことなどについて議論をするということは極めて私は大事なことではないかというふうに思うわけでございます。
  72. 安永英雄

    ○安永英雄君 私は、今の話を聞いてますます臨教審の必要ないということを痛感しましたね。今私が言っているのは、大学の何とか、価値観がどうのこうのというのじゃないんですよ。文部大臣としての、あるいは大学についての環境整備ですよ。それを中心にしてやっていて、ここに大きな力点を今注がなければならぬと。今聞いておりますと、二、八は妥当じゃないかと私は思うと、この数字は動かないと。あなたの意欲を私は聞いているのだ。
  73. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そんなこと言ってないですよ。
  74. 安永英雄

    ○安永英雄君 そうじゃないですよ、今の話は。いろんなあれはあるけれども今進めておるようなところで大体妥当じゃないかという考え方なんです。あなた逆に五対五と、これぐらいの率で審議会に私は臨むんだと、でも今の文部省じゃできない、今度の審議会に大いに期待しているんだというふうな意欲がわけばあれだけれども、今のだったらそう別に知恵は出ませんね。審議会から知恵あなた借りようとは思っていない、今の答弁では。時間があれば言いますけれども、先ほどからのあなたの答弁をいろいろ聞きますと、文部省は毅然として今持っている全機能、これを発揮すれば十分できる。だから、臨教審から何が飛び出すかわからぬけれども、それが来たらすり合わせをして、それはとにかく一緒のものだということになればそれはやりましょうと、こういう答弁があるが、あなた自身も今度の臨教審には余り期待していない、金も期待していない。そういうふうな私は感じを持つ。ここらでやっぱり、文部大臣として文部省を守っていく、そして文部省が民主的なとにかく役所として、汚職やその他を払拭して、新しい気持ちで出発するというふうに専念した方がよろしい。私はそういうことで申し上げておきます。  時間が来ましたので終わります。
  75. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 文部大臣は、私は大変今大事なときにあると、それだけにやっぱり歴史に残る大臣になるであろう。ちょうど明治維新の森有礼大臣と匹敵する森大臣になるかどうかはこれからの問題でございますが、まあひとつ大いに私たちの意のあるところも酌んでいただきたいと、こう思っております。  私は、教育学者ではございませんので余り教育学のことはわかりませんが、あの大学紛争のときに、私はちょうど医学部長を長らく、約六年いたしましたが、その折に読んだフランシス・ケッペルという人の言葉を引用さしていただこうと思っております。この人は、戦後ハーバード大学で新しく教育学部が新設されたときに、三十二歳で教育学部長を務めたという人でございます。この人が「アメリカの教育に必要な改革」という論文というか提言というかの中で引用している言葉があります。そのアメリカの教育に必要な改革に当たっての二つの仮説、その一つは、マンイズ ポテンシャリー グッド、人間は善への可能性を持っているということであります。そして、ジス グッド キャンビー ブロート アバウト バイ エデュケーション、この善の実現は教育によって可能である、こういう言葉がございます。私は、大学紛争のときに学生たち教育のあり方のその根源を追跡したときに、この言葉にやはり私自身は大変感銘したというか、引かれたことを思い出しております。今我が国が近代国家として立って三つ目の改革ですか、明治維新、戦後の改革、そして今と、非常に大事なときだと思うんです。ですから我々もやはりこういったきっちりした目標を掲げて改革に取り組んでいただきたい。これが一つの私の願いでございます。  しかし、先ほど来、前のお二人の方々の御質問で私が言おうと思っていることを大分もう話が済みまして弱ったなと思っているところでございますが、その中で私は、この前の文教のこれは委員会だったかと思うんですが、諮問事項というか審議内容のことを質問をいたしました。私は、この教育改革という中で大きな三つのところがあるのじゃないか。それは教育内容教育の方法、そして教育の制度だろうと思うのです。その中で、教育内容とか方法というのは、これはまさに教育学の専門領域に属するのではないかと私は思います。そうすると、教育制度というところがやはりもちろん教育内容、方法を含むんですけれども、今度の改革の中で非常に大きなウエートを占めてくるのではないか。本来、改革という言葉はラジカルなことを意味しているわけですね。しかし、教育というのは長期展望に立つ先ほどの理想を掲げるものでありますのでラジカルな面ではないだろう、私はやっぱりロジカルに、論理的に考えてもらいたい、こういうふうに思います。そして、やはりこの緩やかな改革という とが必要であろうと、こう思うのです。そのロジカルの中に発育段階に対応した教育ということが挙げられておりますが、後で私は医学専門家としての意見を少し述べさしていただこうと思っております。  この教育制度の改革、この前はお伺いをしたときには念頭に置いてあるようなないような、よくわからなかったんですけれども、先ほど来の総理大臣の七つの教育構想の中に、トップに六・三・三・四の見直しということが挙げられていたようでありますが、これはやっぱり私は大きな目玉であるべきだと思っておりますが、文部大臣はどのようにお考えでしょうか。
  76. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほどの安永さんの御質問の際にも申し上げたのでありますが、総理が諮問事項を決めます際、もちろん担当大臣として私の意見を申し上げる機会もあると思います。まだ正直申し上げて総理がどのような考え方で諮問事項をお決めになろうとしているのかについては具体的には当然話し合ってないわけです。あえて安永さんからも御質問ございましたので、総理考え方として施政方針演説の中で教育改革国民に訴えておられるわけですから、その教育改革考え方の基本になることを幾つか申されております。さっき私は、ちょっと時間が、御迷惑になると思いましたので、最初のところだけちょっと申し上げた。具体的にそういうふうに考えますと、そこから引き続いて私は今後このような考え方に立って教育理念、幼児教育、六・三・三・四制を初めとする教育制度、教育内容、教員の資質、入試制度、海外子女教育家庭社会教育等広範な分野にわたって論議と改革を目指してまいります、こういうふうに施政方針で申し上げておるわけでございますので、そういう幾つかのその時点として考えられる項目から見れば六・三・三・四制のやはり見直しといいましょうか、制度としての考え方を御検討いただくということがやはり大変大きな課題一つであろうと思います。その中の一つとして、例えば六・三・三・四のところに、さっきこれまたお名前申し上げて恐縮ですが、安永さんの大学、高等教育機関の話も出ておりました、これもこの中に入ってくる。あるいはその前の冒頭にございました、いわゆる幼保の問題、これも六・三の六に入るのかどうか、いわゆる就学前の問題でございましょうが、そういうようなことも含めて入ってくるというふうに考えますので、そういう意味から言いますと、六・三・三・四制全体の見直しということも大変私は重要な審議事項になるのではないか、こういうふうに予想というと御無礼ですから、むしろ期待をする、こう申し上げた方がよろしいのではないかというような感じを持っております。
  77. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 教育改革に当たって総理大臣もそうおっしゃったと思いますが、総意を集めて国民合意のもとに行っていく、こういうお話がございました。私は、国民の合意、その合意という言葉を分析をしてみますと、まず関心を持っていなければいけない、そして内容についての理解がなければなるまい、そこでジャッジメントがありますね。判断が出てくるわけだ。支持をする人と反対をする人と出てまいります。それを一つの方向に持っていく、この努力がなければなるまい、こういったことが合意というものの中身だろうと思うのです。そういうことについてまず文部大臣はいかがお考えでしょうか。
  78. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教育改革は、これもたびたび私も総理も申し上げておりますが、広く国民全体にかかわりを持つ大事なテーマであります。また、国の将来を左右するという大変大きなまたテーマでもあるわけでございます。そういう大きなテーマ、まさに国の将来を左右するようなテーマであるだけに、やはり審議のプロセスにおきましては、やはり広く国民各界各層の理解を得る、そのためにはそうした意見は十分反映をさしていかなければならぬ、そういうふうに私も考えております。そういう意味では、まず理解が得られるように配慮するということがジャッジメントする上においても極めて大事なところではないかというふうに私も考えます。
  79. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、国民合意の形成へのアプローチということなんですけれども、私は、これは私の個人の考えでございますから、ほかの先生方に失礼かもしれませんが、私は国会議員というのはすべての者をすべて代表していると思ってはいないのです。専門の分野と非専門の分野がございますので、やはり自信があって代表なさる方と、自信のない場合とあるのではなかろうかと、こんなふうに自分では思っているのですが、したがって、こういった問題では、私は政治というものは国民合意のためのルールをつくるのが政治の役割ではないのか、我々が結論を出すというよりも、ルールをつくっていく、国民合意とはいかなるものか、こういうルールをつくるのが政治の役割ではないのかなと私はふだん思っておりますが、文部大臣はお考えどうでしょう。
  80. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も基本的には政治というのは、例えば文化を創造する、その文化を創造する舞台というのは教育だろうと思う。そういう創造が沸き上がってくるような、そういう教育の環境、諸制度、これを整えることが政治だろうというふうに私は理解をいたしております。したがって、そういう意味から言えば臨時教育審議会のように、将来の日本の命運を左右するような事柄を幅広く多くの代表の皆様で御議論をいただく、まさに教育の諸制度についての問いかけを政府はいたしておるわけでございますから、やはり国民合意を得るように、そのためのいろんな議論をこうしていただいておりますことも、やはりその国民合意を得るルールの私は一番大事な手段といいましょうか、そういう舞台であろうというふうにも考えているわけでございます。  余計なことかもしれませんが、したがって、たびたび御質問をいただくわけでありますが、どういう事柄をどのようにするのかということについては、むしろ政府としては余り審議会に固めてお問いかけをするということは、むしろ避けた方がいいという考え方を私どもは持っているわけでございます。
  81. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、国民合意形成のアプローチの方法論を少し私の考えを述べまして、またお考えを承りたいのですが、最初に提案、提言がなければ審議ができませんから、提言、提案というものがあるだろう、それを広く国民から求めるというのは面倒ではございましょうが、例えば論文を募集するとか、何かこういった方法もないわけではない。何らかの提言、提案が行われる、非常にたくさん出てくるでしょう。これを整理する必要があります。そして整理して幾つかにまとまった場合に、これを公表して審議にかける、これが一つ手続ではなかろうかなと思うのです。そして、その審議した結果、また原案ができてくる。そうすると、その原案は、例えば公聴会にかけていく。そしてフィードバックしてまた審議に戻される。私は公表とか、公聴会と申し上げたのを広くこれは公開という言葉に置きかえたいんですけれども、公開という方法論が後で問題になるかと思うんですが、公開ということが、さっき大臣も言われたジャッジメントの知識を得る場所ですから。ですから、公開というのはその人たち意見が仮に出なくても参加をしている、間違いなく参加をしている。そしてその結果ジャッジメントが出てくる、プラスもマイナスもあるでしょう。それがまた整理されてフィードバックしていく、つまり国民合意の形成というのはやっぱり上意下達であり下意上達である。それのフィードバックの連続して、その結果まとまっていくものが合意ではなかろうかなと、これが私の考えているアプローチの方法論なんですが、大臣いかがですか。
  82. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 基本的なこの仕組みといいましょうか、ルールというのは、私は先生の今お示しをいただいたお考え方であろうと思います。私はそういう意味でいろいろ論議をしていただく、それを国民にどういう形で問いかけていくか、それをまたフィードバックさせる、その私は繰り返し、やはり合意を得る一つの方法として何回か繰り返していくということがいいのではないか、もちろんそれは事柄によっては短期的に案外早く結論が出るものもあるでしょうし、もうちょっと長期的に幅広くいろんな角度からいろんな各界の意見を聞いてみるということも大事であろうと思います。  先ほど先生からお話しありましたように ラジカルにやるよりもロジカルでやろうと。そういう意味では、よく三年でやれるのかという御質問もこの内閣委員会でいただきました。三年間で論議するのであって、三年間で改革しようというのじゃないわけです。例えば幼保の問題を糸久さんさっき出していただいたんですけれども、ああいう問題もなぜかたくなにセクショナリズムになるかというと、何か自分たちが今持っているものをとられてしまうんだという、人間にはやっぱりそういう気持ちがあるんですね。それを無理やりやろうとするからそこに血が出る。血が出ればやはり人間気持ちが高ぶるということになるわけですから、変な話ですが、自然な形でやっていく方法だって私はないとは言えない。そういうことをやはり何回か繰り返していく、そういう形でルールづくりをしていくものもあるというふうに、私はルールづくりには幾つかのケースがあらていいんではないかというふうに考えます。そういう意味では後ほど先生からまた御質問いただくんでありましょうが、参加する一つの方法としての公開ということを先生はおっしゃられたんだろうと思いますが、参加する方法については公開も一つの方法であるのでしょうが、また別の意味での参加する方法というのもいろいろあると思うんです。要は審議会自身がどうして国民の理解と協力を得るか、どうして国民の幅広い御意見を聴取できるか、こういうことについてさまざまな工夫を私は審議会自身でやっていただくということが一番適当なのではないか、こういうふうに考えているわけでございます。
  83. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今大臣お話を承りながらふと思い出したのが、合意の形成というのは本当に難しいんですね。大学入試を五教科七科目、共通一次はだめだ、私もだんだんそう思い込んでいたわけです。ムードというのは恐ろしいものだなと思っているんですが、この間高等学校会議であれは崩さないと、何かあれを崩すことに反対という決議のようでしたね。私は現場の高校長さんが反対しているのに周りの三等席で、何というか、改革せよといっているのは、はてな間違ったのかなと思っているんですよね。ですから、合意の形成というのは極めて難しいということは私もよくわかるんです。聞かなければ黙っておられる人もいるわけですよね。黙っておられる方が賛成なのかと思ったら賛成ではなかった、こういうこともありますので、声の大きいのだけが賛成というわけではないし、反対というわけではないので、そういう意味教育というのは百年の計でございますから、本当に心して合意の形成を間違わないようにしてもらいたいと私は思っております。  それから、政治的に中立であるということも、これまた私もいろいろと考えてみたわけでございますけれども、この教育の責任というのはだれが負っているのか。大臣もいろいろもうとっくにお考えでしょうが、私の考えを述べて、大臣の批判というか、お考えを聞いた方がいいのじゃないか。つまり教育の責任の所在というのは、幼少から成長期にかけてはどうしても家庭が主体になる。だから家庭がまず責任の所在になりますね、だろうと思っているわけです。そして、その次に学校教育の時期になっている。つまり学校が責任を負っている。そして、中等学校、高等学校あるいは大学を終わると、いわゆる親権者、保護者の立場とは別になる。社会生活に入っていくと、地域社会あるいは産業界、あるいは専門技術の伝承、こういった立場の場が教育責任の所在になるかなと思うわけです。一方で、学問とか文化とかというのがありますが、これはまた学術研究者というか、研究所というか、そういう場の責任が出てまいります。つまり、教育の責任というのは非常に広い。言うなれば家庭を考え、国民全体であるということを考えますと、さっき申し上げた国民の合意の形成というのがいかに重要であるかということを痛感するわけです。それが即中立ということであろうと私は思うんですね。つまり、一つのイデオロギーのもとで過半数で決めるようなものではないんだ、これは何としてもやっぱり理解を求める、そういうもののもとで合意が成り立つのが先決ではないか。それが、改革という名はラジカルなことを意味しているけれども、緩やかに、ロジカルにと申し上げたのはそこなんですが、いかがでしょうか、大臣
  84. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) どうも、大学の先生であった先生から私にどうかと聞かれると、やっぱり先生の考えが正しいと言わさるを得ないわけで、基本的にはそういうスタンスで御答弁を申し上げることになるかと思いますが、確かに最終的にはやはり全体の責任というのは国民全体が負うべきであろう。そういう意味では国が教育の責任を持つ、その国が具体的に責任をどう進めていくかということは、民主的ルールによってできる政治、政府ということになるんではないか。そういう意味で、国民の合意を、政府ができ得る限り努力をして、国会のこうした論議も一番大事な一つの条件でしょうし、それからまたスタートをさしていただけるでありましょう審議会がまたいろんな工夫を凝らしてその責任を負うて国民的な合意のルールを求めるように最大限の努力をしていくということが私は大切であろうというふうに考えております。そういう意味で、この臨時教育審議会の運営についてはまさに政治的な中立性の確保、こういうことをやはり一番留意をしなければならぬというふうに考えておりますし、そういう意味では、審議経過の概要を適宜公表していくとか、あるいは先ほど先生がおっしゃいましたようないろんな形でフィードバックを繰り返していく、そうしたことなどをしながら国民各界各層の意見が反映されるようにやっていくということが大事だと思います。  ただ、これはやはり人間社会でございますから、先般内閣委員会での論議がございました際に、民社党の関先生が、すべて同じような意見を統一するということはかえって民主的ではないのだ、いろんな意見があって初めて民主主義ということは言えるのではないかという御専門のお立場でそういう御意見質問とともに私にも寄せられたわけでございまして、そういう意味で、人間が絶対同じような統一をするということになれば、これは全体主義国家しかあり得ない、恐らく人間の歴史ではさまざまなこと、歴史は繰り返してきたんでしょうが、どうにも言うことを聞かない者はこれは全部一掃してしまう、独裁体制の国家をつくり上げてきたやり方も昔の歴史にはあったんだろうと思うんです。しかし、それを今日、民主的なルールというのは、いろんな意味ではそのやり方はいろいろあろうと思いますが、いろいろな意見を踏まえつつ、やはりある意味では、先生は、無理な多数決みたいなものは必ずしも全体の意見ではないというような意味のこともちょっと触れられたような感じがいたしますが、最終的にはやはり合意を求める一つの方法としては、民主主義の原理、それにはやはり多数決の原理、その上に当然少数の意見も加味していく、こういうことなども十分踏まえるということによって中立性というものが担保されていくというふうに私は考えておるところでございます。  先生の御採点をお待ち申し上げております。
  85. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 採点というのは、先生、卒業のときにやるのでございまして、口頭試問の最中にはしないことになっております。  今のお話、よくわかりましたが、私も絶対満場一致と申し上げているのではなくて、やはり理解をお互いに深めるという方法をとるべきだと。つまり、反対論は明快に記載しておかなければいけない、将来のために残しておくということがやっぱり必要だというような意味だったんです。  運用のことを触れられたんで、私は注文を申し上げておきたいと思うんですが、衆議院の修正ですと、審議会からの答申等があったときに国会に報告する、答申がなければしないように見えちゃうんですが、私はやっぱり議会が要請したら経過報告などはする必要があるのじゃないか、つまり、だれがこう言ったというのは必要がないと思います、サンマリーですね、こういう経過をたどってこういう反対論があったりした結果こうなったと、中間ですね。これは中間答申じゃなくて経過報告が私はある方が、やっぱり国民合意を取りつけるのに議会を通して公表されていくということかと思うんです。そういったことを私は注文しておきたいと思います。  それから、委員人選でございますけれども、二十一世紀という言葉を厚生大臣も大分お使いになっていたし、文部大臣も言われたと思うのですが、二十一世紀といってもすぐそこに迫っておりまして、私は二十一世紀まで生きているのはちょっと難しいかなと思っていますが、森さんは大丈夫ですよね。しかし、森さんね、二十一世紀に証言できる年代を入れておかなければいけませんね。年とった人というのじゃないんですよ、その意味では証言ができる、そういう人をやっぱり加えておく必要があろうというふうに私は思っています。これは私の意見でございます。  次に私は、学制改革というのは重要な目玉だと思っているんです。それは改革という意味を踏まえれば、それが形のあるものとして間違いなく上がってくるものだと、こう思っているんです。それで、四六中教審答申ではいろんなことを言っておりますね。四歳児から始めた四・五・五制とか五歳児の五・四・四制、六歳児、まあ今でしょうが、六・六制とかとございますが、こういったことを先導的試行としてありますけれども、これはうまくいったのかどうか、うまくいかなかったように聞いているんですけれども、その理由は何か、ちょっと伺いたいんですが、いかがでしょう。
  86. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 当時の四六答申については、今先生から御指摘がございました現行の六・三制というものを根幹としてその充実を図っていくけれども、学校制度上特例を設けて、学問的な根拠ある見通しに立って、現行制度のもとでは十分実施できない実際的な研究を積み重ねていく、そして将来の学制改革の基礎となるような新しい学校体系を開発しようと、こういうことが答申であるように、私も読んでみますとそういうように承知をいたしておるわけであります。そういう意味で、四六答申の先導的試行というのは、今のこういう教育論議の高まりから見ますと、大変示唆のある私は提言であったというふうに思うわけでありまして、今日と当時とでは大分状況は違っておりますけれども、今日にも十分このことは私は教育の制度に対する一つの大きな示唆であるというふうに私もまた文部省も受けとめているわけでございます。ただ、先生が今おっしゃったように、そのことはなぜうまく進まなかったのかなということについては、やはり当時といたしましては、今のようなちょうど四十六年、私がまだ一期生で当選したばかりでございました。私の党内の中でもいろんな議論が分かれました。また野党間の中にもいろいろ御意見もあったように聞いております。当時の新聞論調を見ておりますと、かなり批判的な論調が新聞に多いです、社説なんか見てみますと。  それから、さっきの糸久さんのお話で出ました幼保の問題のように、どうもそこのところの区切りだとか接点のところが大事になるものですから、小学校長会かどこだったかわかりませんが、何々校長会はもうこれは絶対反対ですとか、いや幼稚園協会は反対ですとか、いろんなことが大変さまざまな意見が飛び交い、当時としてはこの問題を教育改革と自分たちの問題として理解をしていく、そしゃくをしていくような、そういう社会的な機運は醸成されていなかったということがやはり私はこの問題がテーマとしてとり得なかったということではないかなというふうに考えますが、そういう意味で、例えば公明党さんから出ておりますパイロットスクールなんというのも、こうした考え方と大体軌を同じゅうしておられるわけです。このことが今出てきてもだれもがとんでもないことだと、そんなラジカルなことはとだれも言わないですね。やはりそういうふうにもう少し柔軟にこうした制度は考えてみた方がいいのではないかという、国民的なそういう待望論といいましょうか、合意論みたいなものはだんだんだんだん成熟しつつあるというふうに私は考えているわけであります。
  87. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 いや大臣お話は私も一々ごもっともだと思っているんです。つまり、その中で我々が教訓にしなければならないのは、これは他山の石ではないということなんですね。我が家の庭にある石みたいなもので、国民合意の形成が後であったというところにこの先見性が置き去りにされたということだったと思うんですね。ですから、国民合意形成への努力というのは今度の改革にとっては最大のポイントかなと思うんです。そんなこと感想として述べさせていただきます。  それからもう一つ、四十人学級というのを教育現場の方や、あるいはPTA、あるいはいろんなところで賛成しておられるわけですね。与野党とも賛成だったのかな、私はよくわからないのですけれども、ほとんどが賛成だというにもかかわらず今年度までは抑制してきておって今年度で終わるというんですか。しかし、それにもかかわらずこの間の臨調の小委員会では再び抑制を続けるようにという何かアドバイスが出ていますね。ですから、私が言おうとしたのは、やはり予算が厳しいからいいことだと、みんながいいことだと思っているにもかかわらずできないという客観情勢を今示されているわけです。  そこで、文部行政も極めて厳しいし、私は文部省でも随分長く暮らしたわけでございますから、文部予算が減るということは教育の低下だと思って非常に残念だと思うし、いけないことだと思っているわけなんですけれどもね。しかし、そういった臨調の問題もございましょうから、これがどうなるのかというのはこの前も私質問したんですが、予算も審議会任せみたいなことであったかな。しかし、四六答申のときには、四十六年の教育投資総額が三兆ばかりと、そのときに四六答申のとおりやっていけば五十五年には十三兆になると、十兆ばかりふえることになっておったわけです。事実は五十五年で九兆円ぐらいになっていますから、もしやっていけば実際には五十五年度で四兆円ばかりオーバーをすることになっていたようでありますが、改革には金がかかると思うんですね。教育だからただでやれというのは、虫がよ過ぎるんで、それは教育内容、方法ではある程度できるかもしれない。私が言った制度改革に及べばそれはもうお金がかかります。ですからその試算をしてほしいと申し上げたけれども、答申が出ないから試算ができないというお話だったと思うんですが、そんなことはないですね。仮説を立てればいいんです、仮説を、A、B、C、Dと。それでコンピューターがございますから、それに指数を入れて、ちゃっちゃっとやれば、きょう言えばあすでもできるというのが本品の特徴だと思うんです。ですから試算ができるんですね。どれくらいなのか、まあないかあるかでよろしいんですが、なければこれ返事はないわけで、試算があれば承りたいんです。
  88. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 先生指摘ございましたように、四十六年の中央教育審議会の答申ではその附属資料といたしまして先生がおっしゃいましたような教育投資額の資源の見積もりを行っているわけでございます。審議の結果、改革の方向につきまして具体的な施策が出される、それに基づきまして試算が行われるということでございまして、そのような計算がある意味ではできるわけでございますが、現段階で、具体の改革案が決定してない段階で、例えば学校制度についてどのような区切りになるのかという計算ができない段階においてA、B、Cというような仮説を立てる。仮説を立てれば計算はもちろんできますんですけれども、その仮説自身が教育改革案でございますので、今それについての数字を計算をするということは事務段階として適当ではないのじゃないか、こういう判断をこの前の文教委員会でも先生に御説明を申し上げた次第でございます。
  89. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 これは蒸し返してもしようがございませんので、私にスタッフがいればちゃんとやってひとつ試案をお目にかけるんですけれども、まあ思案している程度でございますから、次に入らせていただきますが、学制改革のポイントを私、医学的立場で高桑案を少し述べさせていただきます。  発育発達に対応した教育制度というものを私は当然考えるべきだと思っておるんです。今までのも多分そうだったんだろうと思うんですけれども、そこで五歳児入学ということがこの前のときも総理大臣も、文部大臣も非常に貴重な意見だから検討してもらうようなお話だったと思うんですが、確かに幼保に入っているのがもう既に延べると九割ぐらいになっているんでしょうかね。そうでしょう。ですから、ほとんどもう五歳児としては何らかの形で教育段階に入っている。したがって、五歳児入学というのは私も今は賛成なんですよ。というのは、家庭の手数の問題もございますし、やっぱり五歳児入学というのはいいのじゃないかと思うんです。  その次は、文部省の予算もおもんぱかりまして、小学校教育というのを六年間にしてしまう。つまり、今は六歳から六年ですが、五歳からだと今までの五年になるわけで、六年制の施設はそのままでいいように思うわけですね。そしてその上に中等学校というのを四年にする。そして高校をその上に二年積み上げておく。つまり六年になるわけです。そういう六年四年二年、こういうことでございまして、ここがちょうど六年四年で義務教育は同じようになりますが、年齢一つ若くなりますよね。そういうことなんで、その中で私が申し上げるのをちょっと聞いていただいて御意見を述べていただきたいと思うんですが、五歳児はテレビなんかで非常に知恵が発達をしているからすぐ知的教育に入れるかと多分思われるのじゃないかと思うんですよ。ところが論文を見ますと、脳波のパターンというのは六歳児くらいまでは、乳児から小児になる間に非常にパターンが変わってきまして、特にアルファ波のパターンなんですけれども、六歳になるとようやくやや大人側のパターンに変わる。そこから緩やかになるわけですね。したがいまして、六歳から知的教育をするということはいいと思うんです。しかし、五歳は知的教育にはまだ多分脳波のパターンから言うと少し幼いわけです。これは今のようなマスコミの情報過多の時代では子供の脳波パターンも変わるだろうかと思いましたんで、つい最近精神科の教授に聞いてみましたら、パターンは変わらないと言っています。したがいまして、私は五歳児入学は賛成、しかし五歳児の一年間は集団生活訓練に当てるのが本当ではないか。そして六歳から知的教育、今までのように知的教育に入るということが私の考えです。  それから、中学から高等学校、義務教育は中学校四年にして、つまり六年四年で十年になるんで、昔の六・三と同じわけですね。今、小学校五歳児から上げたとすると十五歳ですね。そういうことになるんですけれども、ここで私は、思春期の心身の発達というのはちょうど二十がピークなんですね、二十歳がピークでございますから、二十歳に向けて変動が非常に大きい。そういうときに高等学校への入試のために伸び伸びとした気持ちが養えない。しかも、心情不安定なところに非常にプレッシャーがかかる。これが私は非常によくないのじゃないかと思うんです。それが校内暴力につながったというふうに私は思ってはいませんけれども、しかし少なくとも医学的に見て、あの中学から高校への入試というのは残酷ではないかと私は思っています。私は旧制中学でございますから、今の中学と高校が合わさって五年という時代で、よかったなと思うんですね。旧制中学五年制でございましたから、心身不安定のときに入試がなかったです。あれを私はなくすべきであるというのが、思春期のあの不安定の時代を考えてなくすべきだと。そして、高等学校への入学率が九四%ぐらいですか、もう準義務教育みたいですから。その先どうするかというのは細か過ぎますから私やめます。  それから、大学の教育は二十歳をというのは、やはり二十歳である程度大脳の発達のピークが来ちゃう。生理学の本によりますと、大脳細胞が百四十億とか、まあいろいろな本に若干の違いありますけれども、百四十億という説をとりますと、二十歳で百四十億になる。二十歳を過ぎると毎日一日十万個ずつ崩壊していく。一年に三千六百五十万個なくなるわけです。ですから、教育というのはやっぱり二十プラス・マイナス・アルファで大体終わった方がいい、こう思っているんです。  それで、大学教育の件が後にありますが、こういったことで、発育発達に対応する学制改革の中に私は医学的知見を加えてもらいたい。これを教育学の専門家だけでおやりになると、こういう考えが若干出ないおそれがあるのじゃないかと思うんです。そういう意味で今私の意見を申し上げたんで、大臣が御返事をと言っても困るかなと思うんですが、御感想をひとつ述べてください。
  90. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 時間を気にして御質問されておりますから、私もそれに合わせて申し上げなければ申しわけないと思っておりますが、あえて感想ということでございますが、今、先生が具体的にこの就学年齢、学制制度の区切りの仕方についての一つの御意見を述べられました。私は大変示唆に富む興味深い御意見であるというふうに申し上げておきたいと思います。なぜかといいますと、私がいい意見だな、賛成だなというふうに申し上げると、これであしたの朝刊からずっとひとり歩きをしてしまいまして、そうでなくても幼保の問題を私は一緒にすべきだというだけで保育所関係からいつも怒られて、大変おしかりをいただいているんで、今度は幼稚園側から怒られるに決まっておるんですから、決して私はそのことは幼稚園を否定するものではない。社会の環境がやっぱりどんどん変化をしておる。しかし、先生が専門的な学問の見地から、いわゆる脳波のパターンというのは変わってないということであるならば、社会は急激に変わっているんだということを、これをやはり政治家の我々が十分考えて対応しなければならぬ。専門的にそういうお立場の方で議論してもらうことは当然だろうと思います。  ですから、私は常々申し上げておるんですが、幼保の問題を幼稚園が人手がどうだとか保育所がどうだと考える前に、それを設置する義務を持っておる市町村等の立場を考えてあげることが大事だろう。もう一つは、昔は人生五十年、今もう八十年だという。そういう年代のときのことを考えると、学校に入る年というのはいつがいいのかということの検討を加える必要がある。長くなったんだからあわてなくていいじゃないか、もうちょっと家庭環境、お父さん、お母さんの、むしろお母さんの肌に接する機会が長い方がいいんじゃないかという意見もあるんですね、初めから外へ出してしまうよりは。しかし、一方においては婦人社会参加ということがこれから逆に伸びていくということを考えますと、やはりこれはむしろ早い時期にみんなで団体的にお世話をしていくということも大事ではないだろうかというふうに考えます。  しかし、そのことがどちらがいいかという議論がこれから出てくることになるんだろうと、こう思いますが、そういう意味では、子供たちのもう少し環境のことを考えて、余り教育でこの字を教えていけない、あの字を教えていけないというふうなことをある程度我々は考える。しかし、現実に家に行けばテレビでどんどんコマーシャルで入ってくるんですから、いや応なく字を覚えることができる。僕の子供のころは、学校に入るまでは平仮名を覚えちゃいけなかったけれども、平仮名を先に私は覚えたんです。何で覚えたかというと、「のらくろ」の漫画を見たかったからです。あれは平仮名で書いてあった。「冒険ダン吉」は片仮名だったんです。ですから環境なんですね。環境がそうさせるわけです。そういうこともやはり考えてあげれば、就学年齢というのは大変大事な私は一つの検討の課題であろうと思うんです。  それからもう一つは、十五歳から十八歳というのは、私は一番大事にしたいと主張している一人なんです。この大事な時期にあれだけ学問を進めることが本当に将来いいんだろうか。この結果はまだ出てこないです。これは先生や伏見先生、たくさんいらっしゃいますから、御専門の御意見というのがあるだろうと思いますが、私は、この時期は最も多感な時期であって、もっといろんなことを多様に人格形成の中に吸収してもらいたいなあというふうに思うわけでありまして、そういう意味では、二十歳の大脳のピークといいますか、そういうことに一つの照準を合わせて制度全体を考えてみるというのは大変大事なことだと思います。結論を申し上げると、こうした考え方も当然審議会で恐らく大きな参考としての御意見としてお考えになることがあるであろうと思います。  それから、大事なことを申し上げておかなければなりませんが、まだどういう人選をするかわかりませんけれども、先般の国会審議の中で、文部大臣はどのように考えておるかということについて、幾つか分野を私は私なりに検討をいたしておりまして、その中に、当然そういう人間学みたいなもの、あるいはそういう何といいましょうか専門的な、先生が今おっしゃったような、そういう学問的な見地に立つ方も当然やはり人選対象として考えていくことは非常に大事なことだというふうに私は思っております。
  91. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 大変いい御意見だと思って私も喜んで今伺っておりました。  そこで、入試問題に入りたいと思うんですが、先ほどのフランシス・ケッペルの言葉をもう一度引用させていただきますと、学校教育に対する期待というのに、一つはコンペティティブバリューというんですね、競争の価値と、もう一つは、コーオペラティブバリューと、これは協調の価値と、この二つが学校教育への期待の中にある。つまり競争の原理、競争の価値、これは民主主義社会における自由の理念である。もう一つの協調の価値、これは民主主義における平等の理念に支えられているものだと。この二つが学校教育における大事な二つの大きな柱なんだということを書いております。私も本当になかなかいいなと思うのですが、時折アメリカでは競争の価値だけが優先的に動くことがある。しかし、これからの社会は、この競争の価値と協調の価値とがバランスをとりながら、協調の価値が競争の価値に優先するのがこれからの福祉社会への道だということを書いております。私はさっきの善実現への可能性が教育だということとあわせて、非常に大事な点だと思うんです。  そういうことで入試を考えてみました。中学から高校への入試は私は廃止という案を今申し上げたわけで、それは終わり。大学入試でございますが、これはやっぱり学歴社会を追放することが前提になるので、それがなければコンペティションだけが、競争だけが優先していくだろうと思うんです。ですから、学歴社会追放というのをまず考える必要があると思うんです。  そこで入試に多様な方式というのがございますが、私は、これはアイデアでございますから聞いておいていただきたいんです。定員というのはどうしても学校施設上ある。定員を一・〇といたします。これは共通一次または多様な何かの組み合わせで競争の原理に従って採る。プラス〇・三、これは全く別な多様な方式でこれを〇・三採る。これは協調、つまり平等の方の協調の理念によって採るということであります。  最近、ついこの間、東北大学の工学部が昭和六十年度から、外国子女に対しては試験をしないで、学校の成績証明書、推薦書、それから日本語の論文で採るということを昭和六十年度から決めたと書いてあります。これはアメリカ的な方法ですけれども、日本では初めての試みです。こういう枠を〇・三とっておく、私、極端なことを言うと抽せんでもいいと思うぐらいです。そして一・三をとって第一年目、大学ですから教養第一年目で本当のコンペティションをしてもらう。そして定員一・〇にして二年目に上げていく。そうしたら〇・三は一・三の中から落ちていくのはかわいそうだという論もありますが、それは最初から承知で入ってもらう。あとは競争で、〇・三は定員で入れ物がこれだけだから落ちるというのを覚悟する。それを承知で入ってくるのはくじ引きでもいいよという私の考えなんです。しかし、〇・三は一点を争って落ちたけれども、可能性のある、自分でそう思う人が入ってきて、修学の能力があれば一年以内で上へ上がっていけると、こんなふうなことを僕は考えたわけですよね。  ところが、大学入試の参考人の意見聴取のときに、慶應義塾の塾長の石川先生が、私学連盟の会長でしたか、あの先生が私の質問に答えて、いや、私学は実は一・四既にとっておりますと言われまして、これはははあと思ったんですが、私はそういう考え方一つあって、つまり入り口は緩いが出口が狭い。つまり入り口の方は可能性がある。本人もそう思う人を入れていくけれども、出口はこれだけのことが修得できた、これだけのことを知っているという資格試験だから、これはしっかりしてもらいたい。そういうことで、例えば大学に入って五月病なんていうのはなくなるわけです。五月にぼんやりしているのは十月には落ちてしまうということになりますから、だからそういうこともなくなるのじゃないかというように、今の競争の理念と協調の理念の組み合わせで私はそんなふうなことを考えているんですが、文部大臣も多様な入試ということを言っておられますが、こんなアイデアに対して文部大臣としての答弁は先ほどと同じでお困りかもしれませんが、いかがなものでしょうか。
  92. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これは困らないんです。私はやはり人間の多様性を引き出すというのが大事です。これも大学にいらっしゃった伏見先生と高桑先生におしかりをいただくかもしれませんが、今の大学は一般論から言えば、十八歳で一番頭のいいとき、二十歳までの一番いい頭のパターン、大変申し上げにくいんですが、一般論として、出るときにはむしろ悪くなって出ているのじゃないかと思うんです。もちろん非常に引き出して、能力のある専門に進んでいる方はもちろんありますよ。ありますけれども、全般的には私はそんな感じがします。  そういうふうに考えますと、大学というのは卒業の資格をとる、免状をもらうことに意義があるんだろうか。例えば今八年という、学校によって違いますが定められている。仮に単位取らなくてもその中で体験をしていく、その中で人格を形成をしていく、それは私は大変貴重な本人にとってプラスの材料になる。そしてそれが社会へ出ていって生きていく。私はそれでいいのじゃないだろうかというふうに考えます。ただし、残念ながら社会がそういうふうに認めないんです。卒業証書がなければだめなんですね。ですから、そういう学歴社会的なものをやはりどうクリアをさせるかということが、今度臨時教育審議会の大事な私はやっぱり一つのポイントじゃないかなというふうに思うんです。  先ほど先生もおっしゃいました一プラス〇・三、〇・四というのはどうかと、いろんな見方があると思いますが、私は人間というのは一つのことに集中をしていく。その能力を引き出す。そのことで一芸に秀ずればという言葉がよくあるんですが、私は例えばきのう悔しかったろうと思います、長崎宏子、あるいは瀬古、山下。この四年間、モスクワに出られなかったこの期間を通じてどんなつらい思いをしていただろうか。甲子園間もなく始まりますが、まあピッチャーであって四番打つよりも、ブルペンキャッチャーを続けた、普通の青年にはできないでしょう。ある意味では学問をきわめることも大事かもしれませんが、三年間黙々とブルペンキャッチャーでエースを守ってやる、これは私はすばらしい大きな評価をしていい。この人は変な話だが東京大学入れてあげてもいいと思うんです。それでもし学力が足りなくて出られなかったら、先生のさっきおっしゃった原理で淘汰してもやむを得ないと思うんですね。そういう多様的な人のやはり見方というものをしてあげられる社会、あるいはそういう教育の仕組みといいましょうか、そういう価値観を多様に求めていくということをぜひ私はしてもらいたい。私は、そういう意味ではこのことについては何の遠慮会釈もなく先生以上に私はそういう考え方でぜひ教育全体の制度として取り組む。そのためにはどうも文部省教育の事柄だけではこの仕組みは直らないのじゃないでしょうか。文部省の固有のことでやれというふうに安永先生にさっきおしかりをいただきましたけど、こういうことになれば、やはり私は社会全体で、内閣全体で受けとめていくテーマではないだろうかというふうに考えるんです。
  93. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 大臣の非常に率直なお話を承っているうちに、なるほど文部省が悪いというのじゃないんですけども、やっぱり文部省が築いてきたプロセス、そしてそれはちゃんと証拠に支えられてきた。なかなかそこの枠を抜け出すのは難しかったんだろうと、私はある意味では文部省を評価しますけど、だけども臨教審というのはその意味内閣全体で考える。  大臣ね、同じことが医学教育会議なんだ、学術会議の感覚の医学教育会議でございますから、やっぱり今までの枠を少しはみ出して、そして大所高所から日本の医学を、医師養成を、そして今問題になっているいろんなことをどう解決していくかということを医者の手に任してもらいたい。しかし行政は全部文部省厚生省でやっていただくということでございますが、時間がありますのでこれの答弁もちょこんと後でお願いします。  国際政治ということを私ちょっとお話ししておきたいんです。どなたも御承知のように、シリコンバレーの事件もありましたけれども、日本はイミテーション文化とか、イミテーション技術ということで、高度な技術を持ちながら、先進国からはある意味で模倣のそしりを受けているわけです。ですから、これはやっぱり教育そのものが覚え込みの点数主義でいっているから創造性を引き出すことがなかなか難しいのじゃないか。つまり、自発的学習の態度を学生のうちに学ばしていかないと創造性というものは求められないと思うんです。私たち教育に携わっている人間は、過去の文化、知識の遺産を伝承していく、そしてそれを土台にして新しいものをクリエイトしていく、創造していってもらうのが教育者の立場だと我々は信じています。そしてやってきたつもりですけれども、この習慣というか、自発的学習の精神というのは、やっぱり本当に義務教育のとき、高等学校のとき、教養のとき、大学のときを通じてやってもらわなければいけないと思うんです。これが二番目の私の意見でございます。  三番目は、語学教育のことを少しお話をして私の質問終わります。  総理大臣が昨年の暮れごろの発言で小学校から英語の歌を歌わした方がいいのじゃないかというのかな、何か新聞ですけどね、そんなのが出ていました。なかなか楽しい発想だと思うんです。だけども歌を歌うというのはそれで終わってしまうんで、今カラオケで英語の歌でも何でも歌っていますけれども、それは歌うということであって英語ができるということでないんですね。それで、ASEAN等に行ってみますと、私は人口問題の国際議員懇談会で参りましたけれども、ASEANの各国から来ている国会議員が全部英語ですね。通訳ありません、もう円卓会議で全部英語なんです。だから、あれは多民族国家だから、共通語として何を選ぶ、一番いいのが世界に通用する英語だということだったんだと思う。日本語はだめなんだな、私もそうでございますけどね、それでもまあ私はどうにか間に合ったという程度でございますが、やっぱりこれは日本語が英語またはドイツ語というああいう系統の言葉とは全く違っている。発言が違うんです。それからイントネーションが違います。ですから、このごろ中国人、韓国人等の日本語で書いた名前を日本語のとおり皆読むものだから、今度片仮名で書こうかみたいになっています。片仮名なら発言にならないですから、日本語なんです。あれは。日本語というのは英語に通用しませんね。いい例はメリケン粉だと思うんです。メリケン粉なんて何だろう、メリケンというのは何だろうかと思ったらアメリカンなわけでしょう。アがイントネーションとしては弱いから聞こえなかったんですね。アメリカンとアメリカン粉なわけです。しかしメリケン粉じゃないんですよね。ですから、そのイントネーションと発言のエルとアールとか、ブイ、エフ、ティー、エッチの発言ですね、エスの発言、こういうものは日本語にはないわけだ。ですから、本当は発言記号というものを強力に教育を強化してもらえば、新聞なんかに鄧小平と書いて、括弧して何とかというのを発言記号で書いてくれればだれだって正確に発言できるんです。これは何語にでも通用するわけです。フランス語でもドイツ語でも英語でも同じ発言記号で万国共通でございます。私はやっぱり英語でもいいし、スペイン語でもいいが、とにかく何か外国語を一つマスターすれば世界どこへ行っても言葉通ずるんですよ。一カ国語だけマスターすればあとは大丈夫ですね。ですから、まず一つは、発言記号というものを強力に推進をして、新聞にも括弧して書いていく、人名なんかその方が正確です。それが一つ。  それから、日常会話を英語でやらしたらいいと思うんですね、歌じゃなくて。小でも中でも高でも知識の教育でなくて、遊んでいるときなんか英語でしゃべらせると、そのうちにいっか英語ができるようになると思うんです。やっぱり国際語としてひとつ通用するためには語学教育というものを根本的に考えてみる必要があると思っております。  時間ちょっと過ぎましたのでこれで終わります。
  94. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 時間がございませんので、すべてに対してお答え申し上げることができませんが、医学教育につきましても先生の御持論はよく承知をいたしております。これまた学術会議の御提言ということも私も承知もいたしておりまして、こうした事柄につきましても十分可能な限り尊重してまいらせたいと考えております。  また、英語教育等につきまして、もちろん英語だけではないという意見もあるわけでございますから、これについては文部省としても十分今ある教育の仕組み等についてもいろいろと御意見もあるところでございますから、十二分に反省の上で、確かに国際語としてのそういう方向は全体的にやはり私は認めざるを得ないだろうと思います。十分に検討していく大事な事柄であろうというふうに考えております。  国際性の問題につきましては、これはもう先生のお考えどおりでありまして、むしろこれからは私は貿易摩擦、経済摩擦よりも民族摩擦みたいなものが起きてくるのじゃないか。これだけ日本の企業が外国へ行く。しかもそれは進出じゃないですね。外国から求められて日本が工場をつくってあげて現地で採用している。そして会社の雇用の関係というのは日本式ライフファクターといいましょうか、生活様式に変わっていく。長い間積み重ねてきた欧米の生活様式がもう日本式に変わりつつあるとまで言われる。そういう面から見ても国際性というのは相当私はこれから大事な教育の視点にしていかなければならぬのだろうと、こういうふうに考えています。まさにケッペルの説でありますが、この善の実現は教育によって可能であるというふうに、私もまた別の意味では同様の同意語でございますが、カントの人間は教育によって人間になるという言葉は非常に私は大好きでございます。    〔委員長退席、内閣委員会理事坂野重信君    着席〕
  95. 吉川春子

    ○吉川春子君 それでは、お伺いいたします。  行革審が七月の二十五日に、「当面の行政改革推進方策に関する意見」について発表いたしました、その意見について文部大臣としてはどうお考えになるかということを最初に伺います。  この中には、文教の関係だけを拾ってみましても、大学、短大の規模の抑制とか、あるいは「第五次公立義務教育学校学級編制及び教職員定数改善計画」、つまり四十人学級ですね、こういうものの極力抑制、そして公立の文教施設の整備の抑制、私学助成の総額抑制、こういうことが盛り込まれております。教育改革をやろうとしている政府にとって、この行革審の意見が提出されたということは教育改革を進める上で非常に大きな障害になるのではないかと思いますけれども、いかがですか。
  96. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 行革審の報告につきましては、昨日閣議におきまして、時間がありませんからそこのところを省かしていただきますが、閣議におきましてもその旨を決定をいたしました。行政改革の推進は、たびたび申し上げておりますように、現下の重要な政策の課題でございまして、閣議決定を踏まえて引き続き適切な対応をしていかなければならぬというふうに考えております。  しかし、それとあわせまして、来年度の概算要求に際しましてのいわゆる概算基準というものも、要求基準というものも決定をされているわけてございまして、正直申し上げて、教育行政を進めるに当たって非常にやはり、後ほどまた個々の御指摘があろうかと思いますが、大変窮屈で厳しいというふうに私自身もとらまえておるわけであります。しかしながら、私は昨日閣議でも発言をあえていたしておきました。教育についてはやはり大変厳しい財政状況の中ではありますが、その中で私は私なりに文教政策推進上必要な予算の確保ということについては最大の努力をしていきたい、そういう意味では財政当局のひとつ理解もぜひお願いをしたい、こういうふうに申し上げておいたわけでございまして、先生から御指摘のように、教育改革をこれから進めていこう、そのことについてこの臨調の指摘、そしてそれを受ける、フォローアップする行革審の報告は妨げになるのではないかというふうなお考えも一つのお考えであろうと私は思います。しかし、これはきのう、私は菅野さんの御質問の際に内閣委員会で申し上げたんでありますが、臨調はやはり行政、財政という形で、教育もみんな同じように考え方としてカットしてきている。この考え方が正しいかどうかということについてはやはりいろいろ意見があるだろうと思う。私はむしろこの臨時教育審議会はまた別の内閣全体の意味で、教育という見地で教育全体をやはり見ていかなければならない、そういう意味で私は大変臨時教育審議会というのは意義があることである。そういうふうに私は受けとめているわけでございまして、そういう意味では具体的にどのような事項をこれから進めていくかということがわからなければ、実際には行革審の提言が、決定が教育改革を進める上においての支障になるかならぬかということは、これは今の時点で申し上げるということはできないと思いますが、当面の問題につきましては最大限の努力を私はしていきたいと、こういうふうに考えております。
  97. 吉川春子

    ○吉川春子君 そうしますと、文部大臣といたしましては行革審の意見というのはにわかには肯定できない部分も含まれていると、こういうふうに理解してよろしいですか。
  98. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 政府といたしましては、これはやはり当面の最大の課題であるというふうに私は受けとめております。  文教委員会でも先生に申し上げたような記憶をいたしておりますが、国務大臣という立場ではこのことを私はやはり重視をしながら、内閣全体として行政改革は進めていかなければならぬというふうな考え方を持っております。しかし、私は文部大臣という仕事も与えられております。その枠の内で教育行政に支障のないように最大の予算の私は獲得に努力をしていきたい。どういうふうにやっていくかということについては、これはこれからのやり方でございますが、私はある意味ではそのことも含めながら、ある意味ではその枠からはみ出ることもあり得るのかもしれません。しかしこれは今後の財政当局との調整、あるいは私ども党の中に指導を仰いでいかなければならぬ面もあろうかと思いますが、そういう考え方で私なりに最大の努力をしていきたいと、こういうふうに申し上げているわけであります。
  99. 吉川春子

    ○吉川春子君 行革審の方向というのは、文教に限ってみても国民の声と真っ向から対立するのではないかと思います。ここに全国都道府県教育長協議会の六十年度の国の施策及び予算に関する要望書というのがあります。十四の分野で百十項目以上の要求が掲げられておりますが、実はこのトップに学級編制及び職員定数の改善、四十人学級を早くやれ、こういう要求が掲げられておりますし、マンモス校の解消、教職員給与の改善、こういうことが含まれています。これも非常に一つの大きな国民の声であり、行革審の方向と真っ向から対決するものであると思います。  それから私学の助成をふやせと、この国会請願がこの一年間で千七百六十六万寄せられています。東京、正則高校ではPTA、教組、理事会が一体になって、実に一校で九十四万人の署名を集める、こういう取り組みをしております。これもまた非常に国民の強い声であると思います。  さらにまた、国会の決議を幾つか挙げておきたいと思いますけれども、まず七四年五月十日の衆院文教委員会においては、学級定数四十五人を四十人以下に引き下げる、「現在、四十五人をこえる学級を直ちに解消する」という決議を超党派で上げております。    〔委員長代理坂野重信君退席、委員長着席〕 また八三年の三月三十日には参議院文教委員会で、全会一致でマンモス校の解消ということを決議として決めているわけでございます。こういう、一部分ですけれども挙げてみますと、今度の行革審の方向というものが非常に国民の声に挑戦的な、願いに反するものではないかと思うのですけれども、この点については大臣いかがですか。
  100. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 臨調の答申、そしてそれを受けまして、フォローをしてまいりますという意味で行革審がいろいろと提言をいたしております。これは国民の声に真っ向から私は対決するものだというふうには考えません。政治はいろいろな理想を求めていかなければなりません。また政治は将来に対する一つの方向もまたこれは示し、そしてその方向に具体的に実現をさせていくということも大変大事な要点でございます。まさに行政改革というのはやはりできるだけ躍動的なそういう行政にしていこう。戦後ずっと肥大化していく行政機関というものをスリムにして、そしてもっと柔軟にさせていこう。それはなおかつ将来のためにそういう対応ができ得る行政にしていこうということが願いであります。  また、財政再建に至ってもやはり同様でございまして、将来に借金を残し、子供たちにそれを支払わせていくということはできるだけ避けなければならぬ。現在の私どもでできる限りの努力をしていこうということでございまして、このこともやはり決して国民の考えていることと真っ向に対決していくということではない。むしろ国民に対し、また将来の国民に対してのやはり政治の責任であるという、そういう考え方からこれを行っていることでございますから、その一つの枠の中で、確かに厳しい状況でございますが、多くの国民の求めることなども一つ一つ着実にこれをやはり実現をしていくということも政治のまた大事な使命でもございます。  先生が今お取り上げになりました都道府県教育長協議会等の要望を私どもも十分承知をいたしております。先生はどの資料をごらんになったか、十四というふうに書いてございまして、私の持っておりますのは九つの項目になっておりますが、義務教育学校の教科書あるいは定数、あるいは高等学校の新増設、あるいは公立学校の改修等々につきましても、十分そのことにつきましては事業として確保しながら、国民の声にこたえるように文教行政を進めているというふうに私どもは考えておるわけであります。
  101. 吉川春子

    ○吉川春子君 いろいろ大臣はおっしゃられますけれども、とにかく行革審の意見と、それから教育長協議会などの意見とは、今真っ正面に向き合っているわけですね。私は、行革審をとるのではなくて、ぜひ国民の声の立場に立って文部大臣としてはやっていただきたいというふうに思うわけなんです。第一、全国の教育会議意見などを無視して教育行政が進められるものではないわけなんです。だから、行革審の意見意見としてあるけれども、できる限り国民立場に立ってやっていただきたいということをちょっと時間の関係要望だけして次へ進みたいと思います。  県の教育行政の努力について次に伺いたいわけですけれども、五十七年度、全国の公私立高校の中途退学者の総数は、文教委員会文部省がお出しになりました資料によりますと十万六千人に達しています。これは千人規模の高校が百六校消えたことになるわけなんですね。そういう中で、実はこれは埼玉県の教育局の指導課がやっていることなんですけれども、第二次高等学校基礎学力向上対策研究委員会、こういうようなものをつくりまして低学力者の指導にかかわる問題について、学校運営、教科・特活の指導、生徒指導、学習適応状況、中途退学者の五つの面から総合的な実態調査をし、資料の収集・分析に努めたわけです。そして、その上に立って、行政施策に役立たせるためにより細かい実態調査を行って、そして五十九年度から新たな施策を県単位で実行してまいりました。この調査の対象は、五十六年度の学力検査において学校の平均点が全県のそれに及ばなかった八十校を対象に調査して分析をしているわけなんです。  どういうことをやったかといいますと、県単で定数を配置しまして、教育困難校、学力が低い、生活の乱れが多い、そういうところへ教師を加配して、そして生徒がこういうところは輪切りで多数入学している学校で、新設校に多いわけですけれども、教師を加配している。それから、学習促進のために十校に各週平均十四時間分の講師を加配しています。その活用は学校の主体的なやり方に任せておりまして、例えばA校では英語と数学、一年生一クラスを二つに分けて二十三人、二十二人にして授業をしています。またB校では、一年生の英語五時間のうち三時間は共通の授業、二時間は二クラスに分けてやっています。C校は、一年生の英語の五時間のうち三時間ば共通、二時間は一人が授業、一人が机間を回って個別指導をする、こういうふうに教師を使っています。  また、別のもう一つの県単の事業としては、生徒指導にかかわる授業確保措置をしております。生徒指導のために家庭訪問や校外指導などで授業が欠けることをなくして、授業を確保するために十校に週五時間の講師の加配をしています。新設校の生徒指導のための加配、あるいは三十学級の学校に必要な時間講師を加配するとか、習熟度別授業のための時間講師の加配、これは最高週三十時間、県の合計五百時間、こういうことを地方の教育局がやっているわけです。今行政に求められているということは、こういうところに着手してきめの細かい施策をしていくことが必要なのじゃないか、そのことが学校の荒廃とか子供たちの落ちこぼれとか、そういうものを救っていくためにどうしても必要なのじゃないかと思うんですけれども、この点について大臣、いかがお考えですか。
  102. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 埼玉県の事例でございますので、具体的な事柄につきまして全部掌握いたしておりませんので、政府委員から答弁させます。
  103. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 今御発表になりましたように、埼玉県ではそういう対応を積極的にやっております。それはそれなりの県の努力として我々も評価をしているわけでございます。  ただ、国の立場では、そういうものに対応できるように、実は第四次公立高等学校教職員定数改善計画の中で考えておりまして、習熟度別授業に伴う教員定数の増約六千人程度は、そういうことを改善計画の中に盛り込んでやっているわけでございます。今までのところ千六百程度でございますので、今後あと残された期間でそういうことをやっていく、そういう定数加配を利用しながら、今のような具体的な対応が県で可能になると思うわけでございます。また、非常勤講師、そういうものの活用によりまして、今御指摘のありましたようなきめの細かい対応も可能であろうと思っております。
  104. 吉川春子

    ○吉川春子君 習熟度別の教師の加配計画が、当初の予定からしてどの程度進んでいるものか、もうちょっと具体的にお話しください。
  105. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 当初の計画は約六千でございますが、そのうち現在までに千六百余りの措置が行われているわけでございます。
  106. 吉川春子

    ○吉川春子君 時間がありませんが、要するにこういうようなきめの細かいことをやることも行革審などでそういうものをやめよ、極力抑制せよということを今度の報告の中でも出している。ここが非常に問題だと思います。  それで、文部大臣にお伺いいたしますけれども、私は端的に言って、今文教予算が軍事費の犠牲にされていて、そのしわ寄せを非常に受けているということを指摘したいと思うんです。来年度の予算の概算要求枠は軍事費はプラス七%、こういうことが決定されまして、ますます軍事費が来年度もふえていくということが決められたわけでございます。  実は五十五年度から防衛庁とそれから文部省とそれぞれ計画を立ててやっているわけですけれども、防衛庁などの五三中業などは非常に超過達成しているのにもかかわらず、文部省の例えば四十人学級の計画などの達成率は四・六六%ですか、五%に達していない、こういう状況があるわけです。念のために申し上げますと、例えば軍事費でいいますと、昭和五十七年から五十九年度の三年間に伸び率が二〇・八五%。文教費は二・三%しか伸びていない。それから、軍事計画、五三中業では五十五年から五十九年正面装備購入計画、これも五十八年度から五六中業、五十八年から六十二年に格上げされ、目標が飛躍的に引き上げられています。そして、五三中業の基準で見てみますと、多くが目標達成及び超過達成をしております。F15戦闘機、これが目標七十七機に対して八十七機購入して、一一三%達成している。P3C対潜哨戒機は目標三十七機に対して三十二機購入して、八六%達成しています。そのほか、七四式戦車は一〇八%、潜水艦一〇〇%、ミサイル護衛艦一〇〇%など、もう当初計画になかったものも追加して達成しているわけです。一方、文教の方の計画はさっき申し上げたとおりなんです。  大臣にお伺いいたしますけれども、文部省のお役人が自分たちの立てた計画に非常に不熱心でこの達成ができないのか、防衛庁が熱心だからこんなに達成できたのか。そういうことでもないと思いますけれども、教育が国の非常に重要な施策だとすれば、このみずから立てた計画がほとんど達成されていない、基本計画が達成されていないということについて、大臣としてはどういうふうに思っておられるのか、私の質問の最後にそれを伺います。
  107. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 防衛費と教育費、見方としては並んで一つの視点として考えるということもこれはまた一つの見方だろうと思います。しかし、私ども、日本の国はやはり国際社会の中で平和憲法を掲げ、そして平和で豊かな発展をこれから維持していかなければならない、そういう観点から考えますと、やはり日本の国というのは貿易立国でございます。そして、いかなる国とも戦いをしないということを国際的にも宣言をいたしております。そういう日本の国のテーゼというものを守って、そして国際社会の中で平和を維持していくということについてのやはり防衛費の負担というのは、これはまあ見方はいろいろあると思いますし、党によってはその考え方をとらない党もあるでしょうし、しかし私どもとしてはそうした考え方国民の平和、国民の幸せを求めていくというその方向を、私ども自由民主党の政府としては求めているわけでございます。したがいまして、防衛費と教育費とを並んで比較をしていくということは私自身は適当ではないというふうに考えております。  しかしながら、確かに先生から御指摘のように、そうした伸び率に比べて教育費は大変窮屈、これは教育だけではございません。全体的な国全体の予算というのは確かに一つのシーリングの枠の中におさめられているわけでございますが、先ほどから申し上げましたように、その中で私どもは最大限のやはり努力を傾けていきたい、このように申し上げているわけでございます。当面、六十年の概算要求につきましては、先生も御心配のように、行革審のそうした提言、意見というものに対して、どのようにこれを対応させていくかというのは先生も大変御心配な点であろうということも私はよく理解をいたしております。そういう意味では私はこの臨調のいわゆる最終答申にあった定数改善については停止をする、こういうふうに表現をいたしておりますが、審議会の方におきましては、これをやはり極力財政の勘案をしながら考えろというふうになっているわけでございまして、そうしたところもやはり財政当局また臨調そのものの教育に対する考え方というのは従来とは変わってきておる、教育というものに対する重要性というものも十分認識をしておるというふうに私はこの文面を見ながら理解をしておるところでございまして、そういう基盤に立って、先ほどからたびたび申し上げますが、例えば四十人につきましては、全体計画は変えておりませんし、最終年度につきましてもたびたび申し上げておりますように、その最終目標に向かって進めていきたい、このように考えております。当面、六十年度の概算要求は極めて重大なところに私は差しかかっているという判断でございますので、一生懸命このことについての実現をでき得るように努力をいたしたい、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
  108. 吉川春子

    ○吉川春子君 いろいろ大臣はおっしゃいましたけれども、私は防衛費の削減なくして本当に実のある教育改革というのはできないと思うんです、限られているわけですから。ですから、私はそういう意味で本当に子供たち教育の責任を持ち、将来の子供たちを立派に育てていくという観点に立って、やはり文部省としては防衛費を削減してでも文教予算をとってくる、そういう立場に立って頑張っていただきたいということをお願いして質問を終わります。
  109. 山中郁子

    ○山中郁子君 大変短い時間なのでございますけれども、せっかくの貴重な機会ですので、幼保一元化問題並びに関連して幼稚園問題について文部大臣に二、三お伺いしたいと思います。  文部省はことしの五月に幼稚園教育要領の見直しのための専門家会議を発足させておられますけれども、現行の幼稚園教育要領のどこに中心的な問題点があるというふうに認識されていらっしゃるのか、短い時間なので簡潔にお答えいただきたいと思います。
  110. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 現行の幼稚園教育要領は昭和三十九年にできたのでございます。当時の幼稚園の就園率は六〇%程度でございました。現在は幼稚園保育所を含めますと九〇%以上になっております。まず、幼児教育を受ける層が非常に拡大しているということが一つ。それからもう一つは、時代の変遷によりまして社会状況も大きく変化してきております。したがいまして、そういう変化している社会状況の中で、一体こういう幼児期にどういう教育を展開したらいいかというようなことは、現時点において検討に値することであるということから、協力者会議を発足させてその内容の検討をお願いしているところでございます。
  111. 山中郁子

    ○山中郁子君 何か余り抽象的で、具体的な問題意識がどこにあるのかわからないのですが、きょうは突っ込んだ議論ができませんので、次の問題をお伺いいたします。  幼保一元化の問題ですけれども、その接近を図るためにも、現在の幼稚園保育所、それぞれの分野での足らざるところ、充実しなければならないところ、そういうところの充実が求められているわけでありますけれども、幼稚園でいえば、ひとつまず公私格差をなくしていくことが大事だと思われますし、私どももそのように思っておりますが、幼稚園保育料の公私格差を是正する方向、これについての文部省の見解をお伺いをしたい。
  112. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) やはり基本的には教育条件の維持、そして向上さしていくということであろうというふうに考えますので、就学上の経済的負担の軽減等を図る、こういう考え方から、私立学校振興助成法、この趣旨に沿いましていわゆる経常的経費に対する補助を実施をいたしておるということでございます。具体的な数字を申し上げるとかえって時間が御迷惑でございますから、そういう考え方で進めておりますと申し上げておきます。
  113. 山中郁子

    ○山中郁子君 じゃ、公私格差の是正ということについては、とにかくそういうことを実現するということははっきりしているということですか。
  114. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私立学校振興助成法の趣旨はそうしたところにもあるわけでございまして、もちろん全体をすぐ埋めていくということは非常に困難なことでございますが、そういう中で最大の努力をしながらその公私格差の是正を図っていきたい、こういうふうに考えております。
  115. 山中郁子

    ○山中郁子君 私は今、幼保一元化の問題に関連して、具体的に幼稚園保育料の公私格差の問題を申し上げておりますけれども、そういうことについてもそういう認識の上での文部大臣の御見解であり、文部省の方向であるというふうに承ります。  もう一つ、現在幼児減というんですか、そういう状況のもとで、一学級定数四十人以下としている幼稚園設置基準を見直すことこそが今必要であるというふうに私どもは思っておりますけれども、この点についての御検討の用意があるかどうかということをお示しいただきたいわけであります。ヨーロッパでは、もちろん文部省が既に御承知のところだと思いますけれども、二十人、二十五人というのが普通であります。それで、二十年も前の一九六一年、国際教育会議での就学教育についての勧告でさえ、教師一人当たりの子供の標準的な数は二十五人を超えないようにと言っているわけですから、例えばせめて二十五人という線を具体的に検討されてしかるべきだと考えておりますけれども、その点の御見解はいかがでしょうか。
  116. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 御指摘のように、現在は一クラス四十人を単位にしているわけでございます。したがいまして、幼児教育保育内容の見直しは先ほど申し上げたような方向で検討を加えているわけでございますが、四十人の学級編制問題については、今後の重要な課題であろうと思って検討しなければならないと思っております。
  117. 山中郁子

    ○山中郁子君 もう一つ突っ込んだ方向が欲しいわけですけれども、今幼稚園においても行き届いた教育のためにということがまず第一義的にあるわけですけれども、同時に民間の幼稚園などの経営危機、こうしたものを乗り切っていくためにもクラス規模を小さくしていく。それは本来そういう経営危機だけの問題でなくて、今の行き届いた教育を行うということからもその点が大変重要なわけなので、その点について重要な問題なので認識をしているということは今伺ったところですが、ぜひ文部大臣に、四十人以下という設置基準の見直しを、具体的にヨーロッパの水準である二十人とか二十五人とか、そういう方向に向けて見直していくという考え方なのであるかどうかについて重ねて文部大臣からお考えを伺っておきたいと思います。
  118. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これは義務教育学校でもよく議論に出るところでありますが、何人が一番いいのかということの絶対的なものはないわけでありまして、国によっては、ソビエトなどはかなり少ない人数で一クラス編制しておりますし、四十人よりも三十五人がいいという説もございます。しかし当面、学校におきましては私どもは四十人を一つの目標設定して六十六年までには達成したい、こういうふうに努力目標、そしてそれを実施目標として着実に進めていきたい、こう思っているところでございます。  したがいまして、幼児教育につきましてもやはり何名が一番いいのかということについては、今先生がお示しのように、ヨーロッパのような一つ考え方もあろうかと思います。行き届いた教育ができるということは、やはりある意味では先生あるいは保母さんの立場でいけば少ない方がいいだろうというふうに考えます。しかし、子供たちの葛藤、人間的な葛藤という面から見ると、どこまで小さくて、ただ少なければいいというものでもないだろうというふうにも考えております。こうしたことは十分これからも考えていかなければならぬ大事なテーマでございますが、そういう意味で先ほど糸久さんのお話にもございましたように、幼保の問題なども端的に言えば同じ国の財政で、厚生省文部省と窓口が違って、そしてそれが県から出てきて、そしてやっていくということよりも、もうちょっとそのことをあわせて、そして行き届いた教育を展開していくことの方がより国民のためになるのではないかというふうに私どもは考えているわけでございますので、そういうことも含めてできるだけ教育の条件を整えていくということには、私どもとして一生懸命その方向を求めていきたい、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
  119. 山中郁子

    ○山中郁子君 さらに突っ込んでお伺いしたいところ、また意見のあるところは大いにあるのでございますけれども、時間になりましたので私の質問を終わります。
  120. 小西博行

    ○小西博行君 三十分の時間しかございませんからかいつまんでお答えをひとつしていただきたいと思います。  私ども民社党が政府自民党に先駆けまして総理直属の教育審議会を特定し、文部省だけに任せるのではなくて、全省庁を挙げて教育問題の解決に取り組むべきだという決断をしたわけでございますが、その重立った理由を御紹介して、そして文部大臣の御所見をお伺いしたいと思います。  この問題につきましてはたくさんございますけれども、一応きょうは四点だけに絞っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。  まず第一点は、生涯教育の時代の到来と文部省あるいは日教組のやる気のなさについて私の考え方を述べさしていただきたいと思います。  まず、どなたにも多分賛成をしていただけると思いますことは、これからの時代は教育を単に学校教育とだけ限定して考えるのではなくて、生まれたばかりの乳幼児から成人あるいは老人に至るまで長いライフスパンとしてやっぱりとらえる必要があるんではないかと思います。それぞれの年齢段階に応じた教育を適切に用意しなければならない生涯教育の時代を迎えていることであります。このような人の生涯の段階における学習要求に十分に応じるための教育サービスの計画あるいはプランニング、こういうものは、これまで六歳から二十一歳までの青少年の学校教育を主として担当してきた文部省の手に余るものであるというふうに考えます。したがいまして、厚生省あるいは労働省あるいは科学技術庁あるいは自治省あるいは大蔵省というような、いろんな関係省庁の積極的な協力が必要になってきているというふうに私どもは理解しているわけでございます。これが第一点の理由でございます。  もう一つの大きな理由は、国民教育を任されている文部省学校の教師たちが、少なくとも国民期待、その真の願いというものに対してどうこたえてくれるかという問題が大変歯がゆい形で一般国民が受け取っているんじゃないか、このように考えます。これはまた改めて政府にただしたい点でありますが、これだけ荒廃している教育の現場をどうするかということについて、文部省は国の中央教育行政機関として少しも責任ある指導監督を行おうとしていない。むしろできないと言った方が妥当かもしれません。また、現場の教師たちも、日教組にその例を見るように、子供たち教育のことよりもむしろ自分たちの都合のことばかり考えていろいろな主張をなさっているような状況であるというふうに私は考えるわけです。これでは我が国の教育はよくなるはずがございません。  したがって、すでに敷かれたレールに沿ってこれ以上走り続けるよりも、むしろ一度思い切ってこのレールから外れ、そしてもっと別の視点から見直す、そして新しい教育のあり方、あるいは教育の行政の方針を再構成してもらう必要があるのじゃないか、このように考えるわけであります。特に父母や教育に直接関係のない人々を多数加えて、総理のおっしゃる国民的すそ野から我が国教育のありさまを考え直す、そういう時代に来ているのではないかというような認識から、我々はこれまで審議会とは異なる総理直属の新しい審議会設置を提案したのであります。  私は、ここで改めて政府のこの臨教審にかける期待、こういうものをまずお伺いしたいと思います。
  121. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) いろいろの角度から御指摘をいただいております。もちろん、小西さんが所属をなさっておられます民社党の一つ考え方をお示しをいただいたものであろうというふうに考えます。私ども大変ありがたく、またいろいろと示唆に富むお考えとして拝聴させていただきました。  ただ、これは臨時教育審議会設置に当たりましてたびたび申し上げておることでございますが、日本の教育の成果というのは私はやはり世界に誇るものだろうというふうに思うんです、量的な面から見ましてもレベルから見ましても。ただ、たびたび申し上げておりますように、そのことがやはり大変な価値観の多様性といいましょうか、あるいは社会の大きな変動、変革、文化の進展の度合いによってなかなかこれがやはり柔軟に対応し切れなくなってきている。そういうようなことがこうした学歴社会なども生んでいろんな病理現象ができ上がってきておるということでございます。  そういう意味先生のお考え方に対しても私はある意味では賛意を表するところもございますが、文部省の手に余ってきたという表現はちょっといささか私どもとしてはちょうだいをできないわけでございまして、やはり教育の諸制度を考えていく上において文部省が主体的に進めていくということでございますが、先生からもいろいろお話がございましたように、例えばゼロ歳から生涯にわたる教育制度の充実という面だけを取り上げてみましても、関係する行政各部が非常に広がりを見せてきておる。したがって、そういう関係行政の各部とも十分な連携をとっていながければならぬであろう。そういう意味政府全体でこれを取り組むことがより効果的であるし、よりまた政府が責任を持って文部省の主体性をむしろ生かすことにもなるだろうと、こういう考え方でございます。もちろんお考えは同じだろうと思いますが、ちょっと手に余るというふうな表現は、余計なことかもしれませんが、ちょっと私からそのことについては文部省立場を主張をいたしておきたいというふうに考えております。  また、文部省とこれまでの日教組との関係等についても先生お触れになっておられますが、私も先生も共通した年代ですから、やはり戦後、あれだけの激しい戦争、そして敗戦、その中から、戦争というものは二度と起こしてはいかぬのだという、そういう反省の中から今日は三十年の年月を経ております。そういう一つの過程の中で、やはりいろいろな価値観、いろんな物の考え方があっただろうと思うんです。私は、そういう意味で確かに一時的には日教組の集団というと、これはまた先生方の中にいろいろあるわけで、日教組必ずしもこれは問題が多いという考え方はできない。これは教職員団体としてやはり私は認めているわけであります。ただ、その中には一部の教員によっては行動が国民期待と信頼を裏切る、そういうことがあった、これは今までの歴史の中からそういう経緯はあった。これは私は極めて遺憾なことだというふうに考えております。  私も自分の選挙区でも先生方と随分おつき合いございます。その中には日教組に参加しておられる方もたくさんいらっしゃいます。個人的にお話をするとみんな教育に対して大変大きな識見も持っておられるし、情熱も持っておられるわけでございます。また、そういう団体のいろんな行動に対してはやはり非常に個人的な考え方としては困っておられる立場の方もいらっしゃるわけでございます。しかし、要は教員は国民全体に奉仕するというこの使命というものをやはり自覚していただく、そして職責を十分に果たしていただく。そういう中にあって、先生方の当然労働条件でありますとか、環境の整備というようなことについての御主張は私はあってしかるべきであろうというふうに考えておりますが、やはり法治国家でございますから、法律の枠の中で、そしてそのルールを守ってやっていくことが、特に子供たちの模範になるというお立場であるということも十分考えていかなければならない。そういうことについての使命感は先生方も十分お持ちであろうと思いますし、今日これだけの教育に対する国民的な要請が強いときでありますだけに、先般の日教組の大会といいますか、研修の中でもいろいろ学校教育の現場についての御議論が出てきておるということについては、私は大変歓迎をしたいというふうに思っているわけでございます。
  122. 小西博行

    ○小西博行君 それでは、二点目の質問に入らせていただきますが、まず時代から取り残された学校教育という問題ですね、この問題について質問させていただきます。  現在の学校教育がいかに社会の進歩、発展から取り残されたものになっているか。皆さんの注目を何とかその面から喚起する必要があるのじゃないか。特に、今日の社会は国際化あるいは情報化あるいはサービス経済の時代でございます。そして今後はこの傾向はますます強まってまいるというふうに考えられます。将来の社会人を育成する学校が、どれだけこれをまじめに受けとめ、今日の時代の要請に応じ得られるかという点が大変大きな問題になっていると思います。今日の学校教育状況がそうであればあるほど、義務教育のレベルの向上という問題も大きく問題点として挙げられるというふうに考えられるわけでございます。  私はそういうような観点から、特に商業学校あるいは大学の商経部門、こういう部門の教育内容というのが今までの状態とはややこれから変わってくるのじゃないか、特にコンピューターシステムなんというのが最近入ってきておりまして、そういうものの教育もあわせてこれから取り組んでいかなければいけない。また、先ほど同僚委員からございました外国語、特に英語教育という問題を一つとらえてみましても、よくその点が理解できるのじゃないか、このように考えるわけでございます。中学校から大学までをストレートに行きましても、十年間もかけて現実に英語教育を学んでいるわけでございますが、なかなかこれが会話という形で実現されない。こういう問題がございますから、これからの教育という問題を根本から見直していく必要があるのじゃないか。高度化社会とよくおっしゃいますけれども、どうも基礎的な問題ばかり中心にとらえているような教育体制があるんではないか。これは何も高等学校、中学校先生だけでなくて、大学の先生の中にもそういう考え方が、昔のままの教育を旧態依然の形でやっておられる、こういう問題も現実に私もそばで見ているわけでございまして、そういう問題も含めて、抜本的に教育内容もあわせて考える必要があるのじゃないか、このように考えますが、どのようなお考えでしょうか。
  123. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども申し上げましたように、今小西さん御指摘のように、今日の日本の教育というのは戦後これだけの大きな国の発展を見た。この最大の原因はいろいろございましたけれども、戦前、戦後の教育のこれは積み重ねであろうというふうに思います。  ですから、初めて明治政府が世界に目を向けて人を生かすということ、これを学問にあらわした。それが身分制度や家柄制度というものを廃止をして努力をするという、そのことによって報われていくという、そういう国民の活性化といいましょうか、そういう国民の力というものを生かしたのが日本の繁栄のもとであった。そして、敗戦という大きな代償は払いましたけれども、民主主義とか、平和、平等という、これもまた近代国家としての大事な私はこれは哲学であろうと思うのですが、そうしたステータスといいましょうか、そうした基本的な国における存立の理念というものを、これもまた日本人は多くの犠牲を払いましたけれども、つかみ取ることができた。そして、義務教育もさらに伸ばして今日の成果をおさめたというふうに考えているわけです。  したがって、そういう意味で先ほど申し上げたように量的にも質的にも大変高いものにありますが、今御指摘のありましたように、情報化あるいは高齢化、高学歴化、国際化、多様化、コンピューター化、いろいろのことがこれから考えられる。私も高齢化なんというのも簡単に考えて、六十五歳以上の年金受給者が九・八%、西暦二〇〇一年には一五%ということだけだろうというふうに実は思って、それだけの数字で考えておりましたが、けさたまたまある機会に中川国土政務次官の資料でちょっと勉強させていただいたら、地方によって大変な遍在があるんだと。地域によっては六十五歳以上の高齢者の人が八五%も占めるような地域社会が出てくるのだという、学校体系からすべて変わってしまうだろうという、お医者さんのあり方からですね。こういうことなども予想してまいりますと、西暦二〇〇一年以後というものは、私どもは本当に怖くなるような社会もある程度考えておかなければならぬ。しかし、そのことから逃避はできないわけであって、我々政治家はこのことをやはり一つの目標設定にして、いろいろな社会の諸制度というものについての政治的な責任を果たしていくということ。その中でやはり教育がすべての私は国の行政府におきます諸制度、諸施策のもとになる。そういう意味では人間をさらに大きく生かし、伸ばしということが教育の基本的なやはり私はテーマであろうというふうにも考えるわけであります。  そういう意味で、先生が今御指摘がありましたように、個々の問題についてはお答えはできませんけれども、やはり従来の学校教育といいましょうか、あるいは社会教育家庭教育全般にわたって、従来のパターンとはやはり角度を違えた、いろいろなやり方というものを加味していくという、そういう多様性というものに対する考え方をこの臨時教育審議会で十分に詰めていただきたい、御検討いただきたいというふうに私は考えておるわけであります。
  124. 小西博行

    ○小西博行君 今回の臨教審問題でも随分四十六年度に出されました中教審の答申問題、これが絶えず出てまいっております。  私は、今度の総理をリーダーにするそういう一つのシステム、これは非常に効果があるのではないかという一つ期待感と、それからもう一つは、果たしてこのような臨教審というものが結成されたときに、それを実際に諮問して答申という形で受けた場合に、それを現実に実行できるものかと。ここが実は皆さんの大変関心のあるところだと思うんですね。私は、この四十六年度の内容もいろいろ見せていただきましたが、中には立派なことがたくさんございます。なぜあの時代にやれなかったのだろうか。そういう残念さが残るわけであります。これは総理がトップになれば、今まで以上に実施という面ではスムーズにいく、実現できる、そのようにお考えでしょうか。
  125. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 総理が諮問をいたしまして、総理が答申を得る。それについてこれを現実に実現をしていく責任を負っておるわけです。同時に先生も先ほどおっしゃったように、政府全体がこの問題について責任を持って取り組むということになります。しかし、それだけではやはり教育改革というのはできないだろうと思います。これは教育に限らずすべての諸制度がそうでありましょうが、やはり国民的な理解と協力というのが一番大事であろうというふうに思います。  四六答申が実現ができ得なかった幾つかの部分については、当時はやはり社会国民的な要請が高まってなかった。そういう関心が成熟をしていなかったという言い方もできるのではないだろうかと思います。そういう意味では、今でも今日的な視点で見ましても、四六答申の例えば先導的試行などは大変私は示唆に富む考え方である。そういう意味ではこうした考え方を今述べても、国民と全然違和感がない。むしろ各党の皆さんのいわゆる政策を一つ一つ私も拝見をさせていただいておりますが、やはりこうした考え方というのは多様的な面を求めているという面では軌を同じくしているというふうな考え方を持ってもいいのではないか。そういう意味では、国民がこの教育改革に対する大変大きな要請をしておるというふうに私は考えていい時代であろうと。もちろん総理が中心に内閣全体で責任を持って進めていきますが、同時に幅広く国民各界各層の協力と理解を得るということによって、教育改革が私は完成をしていくだろうというふうに今思っているわけでございます。
  126. 小西博行

    ○小西博行君 四点目はこの臨教審委員のメンバーというのがこれも各党委員の皆さん方からそれぞれ意見がございますけれども、文部大臣にまずお伺いしたいと思うのですが、まさか自民党寄りで全部固めていくなんということはもう当然ないというふうに考えるわけでありますが、ある意味では、こういう審議会のシステムというのは、私は、多少疑問を持っている面が実はあるわけであります。つまり総理なら総理がこれからの教育というのはこういうものだという当然自分の考え方は持って、そしてこの審議会に対して諮問する、そして審議会はそれぞれの研究をなさってそれを答申してくる、それを実行に移す。こういうシステムから考えますと、総理の意識といいますか、こういうメンバーをぜひ集めていただきたい、こういう専門家にぜひいい改革案をつくっていただきたい、こういうのが私は当然であるような感じがいたしますが、その点に対する文部大臣考え方はいかがでしょうか。
  127. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 国民の理解と協力を得るということがやはり基本的なルールだろうと、私どもはこう思います。そういう意味につきましては、今、小西さんがおっしゃったように一つ考え方を示すということも大事かと思いますが、教育というものの事の重大性から考えますと、審議会で十分自由な御論議をいただくということの方がむしろ私どもは的確性があるだろう。そういう意味ではたびたび議論になるところでございますが、この法案が国会で御承認をいただいて、そしてこれまでちょうだいをしました国会論議、各党各会派からちょうだいをしましたいろんな御意見等を十分踏まえて諮問の内容総理が検討されるということになろうかというふうに思います。したがって、そういう中ではやはり包括的、基本的な事柄を一応諮問するということ、そしてそれを審議会で十分御論議をいただいて、どのような項目をやろうかということについては当然審議会の皆さんで御論議になるだろう、こういうふうに思います。  したがって、先生から御指摘がありましたように、人選はとても大事なことでございまして、多くの国民の各界各層からお選びを申し上げて、さっき申し上げたように国民の多くの理解と協力を得るということが大事でありますし、また同時に国民の各界各層の意見が反映をされるということでなければならぬ、そういう点について十分配慮をしたいというふうに考えております。もちろん国会で成立をしなければ具体的な人選に着手もできないわけでございますが、国会論議を通じまして、私は衆議院の段階におきまして、大体私は今考えられるような事柄から、また各先生方の御意見等をちょうだいをしてある程度分類をしてみると、子供の成長に直接かかわっておられる父母、あるいは現に学校教育に携わっておられる教師またはその経験者。あるいは青少年教育など社会教育、体育やスポーツの実践者、またこれらに精通している方たち。作家や芸術家等文化に関しての識見を有する方々。先ほどちょっとお話にも出ましたように、人間の発達あるいは社会の発展についての識見を有する学者や研究者。国際関係というのは大事でございますので、これらの経験を有する方々、国際関係に関する識見を持っておられる方。それから、大学の管理や運営に識見を持つ方。私立学校関係者、あるいは専修学校関係者。地方公共団体関係者。財政運営についての識見を持つ者。文教行政に精通している方々。そしてやはり大事なことは、学歴社会というようなものが現存しているわけでございますから、経済界、労働界。その他産業構造、雇用問題等に識見を有する方々。そして、新聞や放送等そういう学識のある方々等を幅広く加えていくということが大事な分野ではないかというふうに私たちは今留意点として考えておるわけであります。  同時にそのことにつきまして先ほど糸久さんからもお話がございましたように、当然女性委員というものも十分に考えなければなりませんし、それからもう一つは御質問の中にも先ほどございましたけれども、将来に対する証言者でなければならぬというお話もございましたので、世代間のバランスというものも十分配慮をしていかなければならぬ。  私は若いから言うわけじゃございませんが、やはりこれは三年間論議をしていただいて、かなり長期に、まあラジカル、ロジカルというようなこともさっき高桑さんから出ましたけれども、論理的に改革を進めていくということであればかなり長期にこれを見届けていくということも大事な視点であろうというふうに考えますので、世代的にも若い方々にやはりこの中に入っていただくということも大事なんではないだろうか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  128. 小西博行

    ○小西博行君 事務局体制につきまして、これも第二臨教審なんかでも、それぞれ省庁代表という形で出られましてね、そして取りまとめなんかをやったという経緯がございます。やっぱり各省庁代表選手みたいな格好になりますと、そこにたくさんのエゴが出てまいります。その辺の調整が非常に私は大事じゃないか、このように考えております。  それから、最後になりますけれども、私は教育改革というのは当然やらなければいかぬ。これは法律があるないは別にしましても、現在までの法律でもあるいは教育の進め方についても相当私はできる分野があるんではないか。ところが、絶えず私の方も文教委員会でこういう質問もしているわけでありますが、文部省は、力いっぱいやっているから非行、校内暴力というのは減りますということを盛んにおっしゃるんだけれども、これも毎年毎年何か上昇傾向にある。これは学校教育だとか、あるいは先生の問題ではないという方も中にはいらっしゃいます。しかし、少なくともそれは大いに関係していると思うんです。もちろん教育委員会の問題とか、あるいは中央では文部省の大きな責任もあると思うんです。お互いにそれを、いやよそなんだというような形での議論が非常に多いと思うんですね。ですから、私は法律の改正をして、そしてこの臨教審というすばらしいものが例えば誕生して、いいものが出てきたら、それっということですばらしい教育がいきなりできるとは思わない。やっぱりそれぞれの当事者がどこまで真剣にこの問題を考えていくか、ここに私は今回の大きな意味があるんじゃないかという感じがします。だから、新しいものをどんどんつくっても決してよくはならない、まず教育の問題というのはそういう問題があるのではないかという感じが実はするものですから、その点はよほど、できれば大臣はもう三年も四年も文部大臣で頑張ってもらわないと、なかなかこれまた現実大臣がかわってしまうと全然別になってまいりますので、その点が非常に一面不安な問題がございます。しかし、いずれもう何かそういう改革案を出して今の時期にやらなければいけない、時代も変わったと、こういう認識を私自身しておりますが、その辺の決意も含めて最後にお願いしたいと思います。
  129. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 事務局体制につきましては、先生の御指摘がございました点は十分留意をしなければなりません。ただ、もちろん法律が成立をさしていただいてからの判断でございますが、事が教育でございますので、事務局長文部事務次官を充てるというふうに法律で明記をさしていただきまして、関係省庁等からいろいろと御協力をいただきながら、教育という府にある文部省が主体性を持って進めていきたいということはもう当然のことであろうというふうに考えております。当然お互いの役所のセクショナリズムにならないように、そういう意味で幅広い審議委員の皆様方に十分な御論議をいただいていきたい。事と次第によってはいろいろと専門分野の方々に専門委員で御検討いただきたいというふうに考えているわけでございます。  なお、文部省といたしましては、先生から御指摘をいただきましたように、同様に臨時教育審議会はこれから将来にわたる教育の制度のあり方を審議、御検討いただくわけでございまして、文部省は日々これ毎日教育行政について責任を持つ、こういう立場でございます。先ほど安永先生からもちょっとおしかりもいただきながら御質問がありましたけれども、当然例えば六十七年の体制、高等教育に対することなども日々これは大事な文部省の固有の事務でございますから、いろいろな審議会等の御意見を賜りながら逐次改善をすることには最大の努力をしていきたいというふうに考えておるところでございます。  なお、私のことについては、いろいろとありがたいことだと思っておりますが、自由民主党はやはり内閣はしっかりと自民党と協調して国民に対する政治の責任を持っておりますので、私であろうと私でなかろうと、これは文部大臣になる方、また総理大臣が中曽根さんが続けていかれるか、あるいはどなたかにおかわりになるということが仮にあったといたしましても、自由民主党としては国民に約束した大事な政策でございますし、また公党間でいろいろと民社党さんとも、あるいは各党の皆さんとも御協議をしながら進めてきた政策でございますから、責任を持って進めていくということは、どなたが立場になろうとも、これは責任を持って国民のためにやり遂げていなければならぬということは申し上げるまでもないというふうにお答え申し上げておきたいと思います。
  130. 小西博行

    ○小西博行君 終わります。
  131. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 私に割り当てられた時間はわずか十五分でございます。質問に対して大臣は大変よくおしゃべりなさいますので、私はノーかイエスだけで返事をしていただきたい、またそういうふうな質問をいたしますから。  それで、まず第一に、教育を論ずる上において大臣と同じ土俵に上がらなければ議論ができない。私は、民主主義的な教育というものを課題にして論じたいと思いますが、それに対してはノーかイエスか、どちらでございましょう。
  132. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) イエスでございます。
  133. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 大変にありがとうございました。  それでは、民主主義的な教育というものはどういうものか。これは文教委員会でも申し上げましたことの繰り返しになりますけれども、これは教育基本法の中に非常によく書かれているように思われます。  そこで教育基本法の中には「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」、それから「教育行政は、この自覚のもとに、教育目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」。この規定に対しましては賛成でございますか、不賛成でございますか。
  134. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) イエスと、こう申し上げたらよろしいんでしょうか。賛成でございます。
  135. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 それでは、これが文部省の守るべき原則である、文部省の持っておらるべき哲学であるということについてはどう御返事なさいますか。
  136. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 文部省の哲学というふうに申し上げていいかどうかわかりませんが、やはり教育を進めていく上におきましては憲法、そしてこの憲法の精神を教育の中で具体的に実現をした法律が教育基本法、そして教育のいろんな諸関連法案にこれが影響といいましょうか、その中にあるわけでありますから、当然その基本的な考え方文部省は行政を進めている、こう申し上げておきたいと思います。
  137. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 イエスだという御返事だと思います。ところが、現実には十年来文部省がたどった道筋というのは、必ずしも今述べたような道筋とは違っているというふうに思うんです。もう少し言うならば、民主主義的な路線ではなしに、多くの場合において反民主主義的な路線ではなかったかと思われる点がございます。そういう点幾つかございますけれども、ここでは三つだけ重要だと思われる点を申し上げます。  第一は教科書に対する検閲、ざっくばらんに言って検閲という言葉を使ってもいいと思いますが、私は二十年以来教科書を書いておりまして、文部省関係しておりますから、身をもってよく知っているわけでございます。一番初めは二十二年でございましたか、検閲というふうなことはございませんで、書かれたことが間違いであるとか、あるいは数字が間違っているとか、そういうことの注意だけに文部省のいわゆる検閲が限られておりました。そうしてまた、教科書を採択するかどうかということも学校ごとに学校の自由意思で決められておりました。それがだんだんと検閲が厳しくなりまして、調査官というふうなものが選ばれまして、調査官の意思、これは文部省の意思だと言っていいと思いますけれども、その意思が教科書に反映されない限り許可しないというような傾向がだんだんと激しくなりまして、ことしの高等学校社会科の教科書は、私は事実は自分で見たわけではございませんけれども、新聞の批判によりますと相当に激しい、もし日本が戦前の日本に帰ったらば、こういう検閲をするだろうと思われるような検閲をされていると言ってもいいように思われます。この点において私は文部省のたどった道というのは必ずしも民主主義的ではなかったと思いますけれども、ノーかイエスで返事をしてください。
  138. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) やはりマークシート方式というのは余りよろしくないなあという感じがいたしまして、いろいろと先生がおっしゃるその理由を全部私がイエスかノーかとまとめて言うということは、これはやはり無理な話でございます。先生時間気にしておられますが、やはりこれは大事なところでございますから。  一足す一は三と書いてあればこれは間違いだと指摘できます。しかし、社会とか公民というようなこと、歴史についてはそれぞれ記述者の考え方が入ると思うんです。日本の国は思想も政治も何も全部自由の国ですから、どのような自由な表現をなさってもいいと思います、学者の立場から。しかし、そのことが心身ともにまだ未発達な、もちろん心身の発達程度によって違うと思いますが、子供たちにそのまま与えるということ。それも選択をして、美濃部博士のお話を聞くのではなくて、子供たちには選択を与えられていないんですから、先生がお書きになった、先生が特定の考えを持っていると申し上げているのじゃないんですよ、例えばの話です。そういう考え方をそのまま生徒に示される、それを生徒がそのまま理解をしていくということは、これはやっぱり子供たちにとっては大変困ることになるのじゃないでしょうか。文部省の意思かどうかというのは、私はやはりこれは国民の意思だろうというふうに思います。また、そういう歴史的過程は私も子供ながらにもいろいろ印象として覚えております。また、たどった道はそういう意味では民主主義的ではないということでございますが、私はそうは思わない。むしろ文部省は民主主義の方向を少しずつ逐次改善をしながら進めてきている。まさに検定制度の今の教科書のあり方などはいわゆる民意の創意工夫、民間の創意工夫でつくった教科書、国が決めたものを子供に与えるのではなくて、みんながつくり上げる、そのことをやはり文部省は十分に配慮をして子供たちに展開をさせるということでございますから、逆に言えばこんな民主主義的なやり方はないのではないかというふうに私は考えております。
  139. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 反論することはたくさんございまして、一から十まで今反論したいんですけれども、時間が五十四分で、もう四分しかございませんから、今の御返事はノーであるというふうに考えます。  それからもう一つ。反民主主義的な路線をたどったのではないかと思われる事実は、公選制の教育委員会委員の選任を昭和三十一年に廃止をして、そうして知事の任命制にした。もちろん議会の承認を得なければなりませんけれども。これは教育国民に直接に責任を負うという教育基本法の民主主義的な路線に反するものであると思いますけれども、これはノーかイエスかでお答えいただきたい。
  140. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) ノーでございます。
  141. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 これもノーであるということを伺いまして、ますます困ってしまいました。  それから、それじゃ三つ目に、最近文部省は三つですか、汚職事件を起こしました。これは何といいますか、国民の汗と油の税金をもって私腹を肥やした、最も非民主的な行為であると言って差し支えないと思います。それからが問題なんですけれども、私は、こういう事件を三つ起こした文部省の体質の中に、やはり汚職を起こすような体質があったのではないかというふうに感ぜざるを得ないので、こういうふうな事件を三つ連続して起こしたということは、文部省の反民主主義的な傾向をあらわすものであるというふうに考えておりますけれども、ノーかイエスで御返事を願います。
  142. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 不祥事を起こしたということについては、たびたび私からもおわびを申し上げておりますが、国民の皆さんの期待を裏切ったということでは、これは大変申しわけないことであったというふうに考えます。そこのところはイエスでございます。しかし、そのことは文部省の体質が非民主的であったというふうにそう決めつけられるということについては、一生懸命に教育行政で日々努力をしておる私の部下であります。文部省職員全体に対してもまたこれは大変相済まないことだと思っております。しかし、全体の責任は当然私も含めてみんなが負わなければならぬと思っておりますが、先生がごらんになった面で文部省全体が非民主的な体質であるというふうにもしお感じになるとすれば、大変私も残念でございますので、何とかして民主的なそういう文部省であるように先生の理解を得るように私も努力いたしたいと思いますし、今そうした体質がどういう形であったのかということについて、文部省といたしましても当然その対応といいましょうか、解明をいたしておるところでございますので、そういうふうに御理解をいただきたい、こう思います。
  143. 美濃部亮吉

    美濃部亮吉君 私はすべてがノーでございますから、同じ土俵の上で相撲をとるというわけにはまいりません。  しかしながら、教育臨調に非常に心から期待いたしますことは、教育基本法において述べられた民主主義的な教育、この線を守るという初心に返って、その後この路線から非常に離れていった、それをどういうふうにしたらもとに戻して本当の民主主義的な教育を実現することができるか、それを考えるのが私は教育臨調の本当の任務ではないであろうかと、私はそう確信をいたします。もし私の言うことに少しでもとるところがあるとお考えでございますならば教育臨調をぜひともそういうふうに、そのことが初めに決めた民主主義的な路線から離れたことが、私は教育の荒廃をこのように進めた重大な原因の一つであるというふうに思いますので、そのことをぜひともお願いをいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  144. 下村泰

    ○下村泰君 この臨教審というものがどういうふうになりますか、これから審議されて採決されるんだと思いますけれども、この臨教審というのが創設された場合に一体大臣にとっていいことなのか、それとも情けなくなることなのか。ここにあります「位置づけ」というものをちょっと拝見しました。中央教育審議会文部省の附属機関、臨時教育審議会総理府の附属機関、こうなりますると総理大臣直轄になる。そうしますと、文部大臣の頭越しにいろいろなことが審議され、これが文部大臣逆に命令されるようになるんじゃないかと。そうなると文部大臣は非常に苦しい立場になるなというようなことを想像しております。かつて臨時教育制度審議会というのが第二十四回国会の昭和三十一年二月の一日、当時の鳩山内閣から出されたそうですが、衆議院を通過したが参議院の方では審議未了になったというような過去の経験があるにもかかわらずまたぞろこういうものが出てきたというところに、何か非常に恐ろしいような、あるいはある反面では期待を持ちたいような、いろいろな感情が、今私は頭の中がぐるぐる回っておるわけでございますけれども、これから私のお尋ねすることは、別に文部大臣の心胆を寒からしめるようなことは申し上げません。  先ほどからも糸久委員その他の先生方から身体障害者のことについて御質問があったようでございます。私も身障者のことには専心しておりますので、そのことについてお伺いをいたします。  我が国の身体障害者の教育のあり方についてはまだいろいろな論議がされておりまして、これが一番すばらしいものであるというような結論は出ていないようです。  一昨年、五十七年一月の二十二日に提出されました中央心身障害者対策協議会、これは総理の諮問機関になっておりますが、国内長期行動計画というのがあります。この中に書かれておりまするが、「心身障害児教育については、いわゆる統合教育を心身障害児教育のあるべき方向として打ち出すべきであるとの意見も出され、活発な論議が行われたが、これについては、意見を集約するに至らなかった」と、こういうふうになっております。今回設置されます例えば臨教審においても当然こういった身障者の教育のあり方について重要な問題として取り組むだろうと思うんですけれども、大臣は大変情のある方だと思いますので、情のある、中身のあるひとつ御返事を伺いたいと思います。
  145. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 心身障害児教育につきましては、たびたび政府からも申し上げておりますように、障害の種類と程度に応じてやはり適切な教育を施すということが大事であろう。したがって、やはり教育の場を整える、整備をしていくということが大事でございます。ただ、その程度と種類というものをどういうふうに判断をするか。これも先ほどの議論に出ておりましたけれども、やはり教育を受ける子供の気持ちを一番大事にしてあげなければならぬ。しかし、子供の気持ちは発達の程度によって違うわけでしょうけれども、なかなかそのことは子供に問いかけてもわからない面もあるわけでございまして、そこのところが親御さんのお立場、そして教育を整える立場の者との意見が時々合わない面も出てくるんだろうと思いますが、文部省としてはもうかねてから特殊教育、これは大事にしなければならぬ重点施策の一つとして従来ともにこれを高く掲げてきました。したがいまして、幾つかの問題点もやはり指摘されておると思いますし、先生も今お話がございました、前島先生もこのことについてはよく文教委員会あるいは内閣委員会等でも御指摘がございます。したがいまして、これが臨時教育審議会でどうあろうかということについては私は今ここではそのことを、これは審議会がお考えになることですから決められませんが、やはり教育の諸制度全般を議論することでございますから、当然教育の一番大事な重要施策の一つであるというふうに私ども受けとめておりますから、そういう面では特殊教育というこの障害児教育についてもやはり臨時教育審議会等で十分議論をされる私は大事なテーマではないだろうか、そういうふうに考えておるわけでございます。  なお、先ほどの前提で先生が御質問ではない、御意見としてお話になりましたけれども、どうぞひとつ臨時教育審議会は決して文部省の地位が低下をするとか、そういうことではない、むしろ内閣全体が協力して教育を考えるということでありますから、文部省は大変地位が高まったというふうに私は受けとめているわけでございますし、どうぞそういう意味で、ぜひ先生期待をしていただきたい、こういうふうにお願い申し上げておきたいと思います。
  146. 下村泰

    ○下村泰君 別に文部省の価値が下がるというようなことは一言も申し上げておりませんで、私は、むしろ文部大臣の価値が下がるんじゃないかなと、こういうふうに申し上げたわけでございます。失礼をいたしました。  一九八二年十二月の国連総会では、国連のポスト障害者年、今後の十年の運動のガイドラインとも言うべき障害者に関する世界行動計画というのを採択しております。その中で、百二十項というのがございます。その百二十項に、障害児には可能な限り一般学校システムの中で教育を行うべきは政府の任務と述べております。国際的な理念、考えが、養護学校、これは別建ての教育ではなくて、最終的には一般学校システムの中に組み入れられるべきことを理念としていると思います。最近は、ノーマライゼーションという言葉が多く使われ、その方向に我が国の教育も進むべきだという考えがありますけれども、文部大臣としてどういうふうにお考えをお持ちでしょうか。
  147. 高石邦男

    政府委員高石邦男君) 先ほどの論議でも申し上げましたように、明治以来、障害者のための教育をどうしたらいいかということで、いろんな歴史の積み重ねがあるわけでございます。盲聾学校というものが整備されていったのもその一つの過程でございます。養護学校というものが整備され、しかも養護学校も肢体不自由、病弱その他いろんな障害の程度に応じた養護学校を整備してきたのも一つの歴史の積み重ねでございます。そういう形で、一人一人の子供たちの最大の教育をしていくということで養護学校をつくってきたわけでございます。  それから一方、一般の人々との交流というものも必要でございます。そういうことを交流教育として進めなければならないというふうにも思うわけでございます。したがいまして、専門的には教育の機関としてそういう養護学校教育を受けながら、一般の子供たちとの交流の場も広げていくと、この二面からの対応が必要であろうと思っております。
  148. 下村泰

    ○下村泰君 私は教育者でも何でもありませんし、こういった問題について深く論議をする学識も持ち合わせておりません。ですから、私はあくまでも身体障害者のことのみにして終わらせていただきますけれども、文部大臣は大変私が今までおつき合いした中では庶民的な方であり、我々芸能界の人たちにもよく理解を示してくださっております。それだけに温い人だと私は思います。その温みをこういう身体障害者の方にどうぞお向けくださって、もし臨教審の中で取り上げられるべき問題があるならば、大いにひとつ論議をしていただいて、こういう方々に少しでも日の当たるような方向に持っていっていただくことをひとつお約束願いたいんですが、いかがでしょうか。
  149. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども申し上げましたように、特殊教育を充実させるということは、これは大事な施策でございます。今高石局長からも申し上げましたように、歴史の積み重ねの中から一つずつ解決をしている面もございます。まだなかなか制度上未解決な面も若干、受けとめ方にもよりますが、ございます。そういう意味で、これから教育諸制度全般、特に二十一世紀を担ってくれる若者たちのために教育制度はどうあるべきかということを議論するわけでございますから、その制度の中に十分こうした問題も大事な施策の一つとして取り上げられていくであろうというふうに、私は期待をいたしている。今の時点では期待をするという言い方しかできないわけでございます。  私は、教育を大事にしたいという気持ちでございます。温い心であるかどうかは先生に御判断をしていただくことでございますが、将来の子供たちにとって本当にいい日本の国で、本当にいい教育を受けられたなあと、そういうふうに何とかしてあげたい。それに比べて、やはり今の子供たちは、特に受験などを見ておっても、何かかわいそうだ。まあ先生のように幅広くいろいろとお話を、端的に申し上げて政治の中に生かしてこられる、そういう考え方を多様的に持つ、そういうやはり大人になってもらいたいなという気持ちもあるわけでございます。どうぞ、文部省の地位を御心配をいただきまして、文部省が地位が向上することは大臣の地位も向上するということでございますので、どうぞひとつ側面からも先生いろいろと御指導いただきたいということをお願い申し上げてお答えとさせていただきます。
  150. 下村泰

    ○下村泰君 今の文部大臣のお言葉に期待をかけまして、終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
  151. 高平公友

    委員長高平公友君) 他に御発言もなければ、本連合審査会はこれにて終了することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  152. 高平公友

    委員長高平公友君) 御異議ないと認めます。よって連合審査会は終了することに決定いたしました。  これにて散会いたします。    午後六時五分散会