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前島英三郎君 いよいよ私が最後になりますけれ
ども、今
国会におきまして
総理に
質問する機関を得られましたのは、二月十日の本
会議におきます代表
質問以来およそ半年ぶりのことでございます。
代表
質問の際にも、私は
教育改革の問題につきましてお尋ねをさせていただきました。その答弁の中で、
総理は大変すばらしいことを述べておられたんです。御記憶があるかどうかは別としましても、大変すばらしいことを述べておられました。「障害児が持っておる直感的なセンシビリティーというものは、我々から見れば非常に貴重な人間の宝のようなものが自然にそこに埋蔵されているということを感じた」と、こうお述べになっておられたわけです。障害者や障害児の問題を語るときに、どうしても障害という部分、ディスエーブルという部分がクローズアップされてしまいまして、何となくマイナスの要素として人々はとらえがちなんですけれ
ども、そういう傾向というのは、これは人間社会に何となく今日まで培われてきて、なかなかこれをぬぐい去るのは難しいかもしれません。
ところが、
総理はマイナスというよりもかえって貴重なプラスなものを発見され、それに大変感動されておられたわけでありまして、これは非常に大切なポイントであると私は思います。そして
総理は、さらにそうした能力をいかに引き出すかが大切であり、また仲間として社会の一員に当たり前のこととしてお迎えするという
態度でやっていきたい、こう結んでいただいたわけでございます。
この答弁を承りまして、私は実はその場で再
質問をいたしましてさらに深めさせていただきたいと思ったんですけれ
ども、これは代表
質問で本
会議のことでありますからそれはできなかったんですが、その後、二月の末ごろでありましたか、NHKのテレビ番組で「
総理にきく」というのを実は拝見をしたんです。この番組の中でも
総理は大変すばらしいことを述べておられます。障害児の
教育のあり方に触れられておりまして、普通の学校の
教育ともっと一緒にミックスしていく必要があるということを御自分から発言されておられたわけです。
その後、予算
委員会でも私の出番がなくて
総理のお考えを伺うチャンスというのがなかったわけなんですけれ
ども、あれは
総理が持っている一つの政治家としての知られざる美点というものをもう少し早い時期に引き出すことが、もっと早くチャンスがあればできたんですけれ
ども、今ようやくそのときがやってきた、これはちょっと大げざ過ぎますけれ
ども。そして、私はこの
臨時教育審議会設置法に対しましてこれまで賛否を明らかにしてまいりませんでしたが、いよいよ結論を出さなければならないときでもございまして、大げさかもしれませんが、私はこの
質問にかけたい、そう思って実はここに臨んでおることをまず申し上げておきたいと思うんです。
教育改革といいますと、
教育を改革する必要があるという一般的な認識ではこれは一〇〇%に近いコンセンサスが得られるのではないかと思うんですけれ
ども、ところが、一つとしては、現状のどのようなところに問題を感じるのか、二つ目として、それをどのような方向で改革するのか、そしてまた三つ目として、それをどんな方法で進めるのかという部分が、今日までいろんな
論議の中で要約する部分だろうというふうに思います。
そこで、大筋として、この順序で
総理に私は
質問してまいりたいと思うんですけれ
ども、
教育をめぐる諸問題の
基本認識についてまず伺いたいんですが、余り一般論ではなくて、私が関心を持っておりますテーマに即してこの中から
教育全般を私見たいものですから、お尋ねしていきたいと思うんですけれ
ども、一九八一年、昭和五十六年、国連の決議に基づきまして国際障害者年とされました。この年を起点として世界じゅうで大変な
努力が続けられてきたわけです。
この障害者年のテーマは障害者の完全参加と平等、これは非常にポピュラーな言葉になりました。この完全参加と平等を実現するためには、これは広く
教育全般が寄与することが必要であるということは言うまでもありません。学校
教育を初め、あらゆる
教育の場の中で、その理念とかあるいは
関連するもろもろの事項について普及をして、あるいは啓蒙していくことは、これは行きつくところが私は
教育の場であろうというふうにも思っているわけなんです。これを逆の見方をしてみますと、
教育改革の視点から障害者などの完全参加と平等の実現というテーマはどのような位置づけがなされるかということでありますけれ
ども、私はやはり
教育改革にとっても完全参加と平等の実現が不可欠であるというふうにも思っているわけです。これは確信してもいいと思うんです。
教室の中で、いかに徳を教えて、あるいは平等を教えても、教室の外の社会で差別と不平等というのが広まっていたら子供たちは正しく学ぶことができないと思うんです。私もちょっと通りすがり聞いた言葉で、何とからゃん、勉強しないと何とからゃんのようになっちゃうのよと、こう我が子を障害児を引き合いに出しながら叱咤激励をしているという母親に遭遇したこともあったわけであります。子供たちの
教育の中に、多かれ少なかれ必ず社会の現実というものがこれは投影していくことは間違いないことだと思うんです。特に、差別と不平等といった問題は、より鋭敏に子供たちの心に大きな影響を与えずにはおかないであろう、こう思うんです。
それがまた一つの引き金となった、あの横浜のああした浮浪者襲撃みたいな子供たちの私はアクションであったようにも、ふと思うことがあるわけでありますが、
教育改革と完全参加と平等の実現とは、こういう立場から非常に密接な関係があると私は思うのでありますけれ
ども、
総理の率直な御見解をまずお伺いをしたいと思います。