○中野寛成君 教育はいかにあるべきか。山積する社会問題の中で、今改めて
日本人みんなが教育について語り始めました。そのかなめとなるべき臨時教育審議会の設置
法案について、私は、民社党・
国民連合を代表し、若干の
意見を加えながら、
総理並びに文部
大臣にお尋ねいたします。
まず、昨年六月以来、我が党が提唱してまいりました教育臨調構想を
総理が前向きに受けとめられ、本
法案の
提出に至りましたことを評価いたします。ただ、我が党の提唱した教育臨調と
政府が
提出した臨教審が、果たして同じものであるかどうかを中心に質問したいと存じます。
まず質問の第一点は、教育と教育を取り巻く諸問題について、
総理がどのような現状
認識をお持ちであるかということであります。
総理の現状
認識が明らかにされることによって、教育改革の方向とねらいもまたおのずから明確となるでありましょう。
ここで
意見を申し述べます。
その第一は、今日の我が国の教育界が完全に八方ふさがりとなり、教育問題の解決の糸口をどこに見出すべきか、
国民のすべてが全く途方に暮れております。
激化する受験
戦争、偏差値による輪切り、落ちこぼれ、校内暴力、青少年非行等々山積する教育問題に対して、文部省も教育
委員会も責任を転嫁し合い、大体のところ事後処理か対症療法に終始し、問題発生の予防、根絶にまで踏み込めない。あげくの果ては、我々には権限がないとお逃げになる。また、学校で直接子供たちを指導する教師たちも、一部教師集団の姿勢に見られるように、学校教育の混迷を
政治と社会の責任にしてみずからの責任を回避する。加えて、子供の教育やしつけが第一義的には親の責任であるにもかかわらず、父母の中には学校や教師に頼り過ぎる傾向がある。核家族化、世代間の断絶、マスコミの悪影響等により、望ましい教育機能が発揮されていない。このような現実を
総理はいかがお考えでしょうか、お伺いをいたします。(
拍手)
その第二は、二十一世紀からの要請についてであります。
今日の社会は、日進月歩などと言うのももどかしいほどの速度で科学技術の開発が進んでおります。あわせて国際化社会、
世界国家等の
言葉が示すように、我々の行動範囲が一世代前には想像もつかなかったほど拡大しております。このような新しい社会の到来は、これからの二十一世紀に生きようとする子供たちに二つの新しい資質を要請しております。
一つは、言うまでもなく、創造的能力、クリエーティブな能力であります。この能力の開発について、我が国はこれまで欧米先進諸国の発明発見のおかげで真剣な取り組みを先へ先へと延ばしてきたと言っても過言ではないでありましょう。いま一つ、二十一世紀の国際化社会が要請する資質は、
世界的、国際的見地に立った物の考え方ができる能力であります。これは我が国の国際収支を黒字にするという能力でもなければ、英語を流暢に話せるというだけの能力でもありません。
世界の平和と安定の観点から、我が国の果たすべき使命を知り、行動できる能力、見識であります。これらの新しい資質は、率直に言って、これまでの教育
制度、教育観によって十分に培われ得るとは思えません。これまでの先進国模倣型の教育のあり方を改めなければ、二十一世紀からの、そして
世界からの要請にこたえられないと思いますが、
総理並びに文部
大臣はいかがお考えでしょうか。(
拍手)
その第三は、教育は
国民全体のものでなければならないということであります。
しかるに、現在の教育は、行政的には文部省の所管下に置かれ、教育の現場は日教組を中心とする教師集団の独占するところとなり、その恣意に任されてきたと言っても過言ではありません。そして、戦後の我が国の教育界に文部省対日教組という不毛のイデオロギー対決が定着し、
国民不在、子供無視の教育がまかり通ることとなりました。その結果、
昭和四十六年、中教審が多年のエネルギーを費やして答申した改革案の多くが実施に移されないまま葬り去られたことは御存じのとおりであります。この対決と混迷の中で
国民は当惑し、子供たちは多くの犠牲を強いられています。もはや一日たりともこの事態を放置しておくことは許されません。
では、どうするか。それには、教育を文部省の縦割り行政の枠組みから解放し、同時に日教組から
国民の手に教育を取り戻し、全
国民的な枠組みの中でとらえ直すことが必要であります。ましてや、教育が
政治的道具に利用されるようなことは断じて許されません。
総理の過去の言動や本質的な思想のために、多くの
国民からその真意について疑いを持たれております。これはあなたの自業自得であります。それだけに、
総理は謙虚にかつ粘り強く教育改革のあり方を訴え続けなければなりますまい。野党もまた先入観や偏見を捨て、率直に教育改革を考えなければならないと存じます。(
拍手)
総理の
信念を吐露した誠意ある御所見を承りたいと存じます。
さて、第二点としてお伺いしたいことは、臨教審のあり方についてであります。
その中の第一は、まず教育改革の目標を明確にしていただきたいということです。
昭和四十六年の中教審答申は、明治五年の学制発布、戦後の教育改革に次ぐ第三の教育改革として、当時鳴り物入りで宣伝されたものでありました。ちなみに、明治の教育改革は、近代国家への離陸という至上命令のもとに、
世界の列強に伍していくための富国強兵を教育の大
原則としたものでした。また、戦後の改革は、アメリカ占領軍の指導のもと、
戦争放棄を至上命令とし、連合国に追従する平和国家の樹立を教育の大
原則とされました。
では、第三の教育改革と宣伝された中教審答申の大
原則は何であったか。この点が明瞭でなかったところに中教審答申の欠点があったと断ぜざるを得ません。
総理は、今回の臨教審の設置を戦後教育の総決算のためと言われます。しかし、それだけでは教育改革の大目標とは言えません。今次教育改革の大目標をどこに置かれるのか、明確にされんことを望みます。
第二は、教育が国づくり、人づくりの基本であることにかんがみ、
総理が目指す国づくり、人づくりはいかなるものであるかということであります。
我が党は、結党以来、人間の精神的豊かさと物質的豊かさの調和した教育国家の建設を、すべての政策の根底に置くことを主張してきたところであります。戦後我が国は、高度経済成長という
言葉が語るように、物質的繁栄を一貫して追い続け、これまでに体験したことのない恵まれた豊かな生活を享受できるようになりました。しかし反面、精神的栄養失調に陥り、貧しさゆえの苦悩ではなく、豊かなるがゆえの苦悩を味わうというジレンマに立たされることになりました。なぜか。我々は物に対する欲望をコントロールする自制心を育てることができなかったからであります。加えて、戦後民主主義思想によってもたらされた極端な自己主張、個人の権利の主張がこれに相乗して、エゴイズムの横行、享楽主義の蔓延、道義心の低下をももたらしていることは周知のとおりであります。(
拍手)
そこで我々は、このような物質万能、金銭万能の風潮を正すために、物質的欲望をコントロールできる強靱な精神力を持った
国民の育成を教育改革の大眼目としなければなりません。そして、この達成のためには、戦後我が国が歩いてきた道をただ部分的に修正していくのではなく、物より魂を重視する人間の育成という教育の理念についてのコペルニクス的転換を図る必要があります。同時に、教育の理念、人間の持つべき基礎が、だれにもわかりやすいものでなければなりません。
総理のお好きな絵画の
世界で申し上げるならば、あのピカソの絵を思い出します。あれだけ色鮮やかで大胆な構成、すばらしい個性。しかしそれも彼の正確なデッサン力の上に、すなわち確固たる基礎の上に成り立っていることを忘れることはできません。その人間の基礎、教育の理念を、憲法や教育基本法の精神にのっとり、わかりやすい
言葉で教育憲章として制定されるよう改めて提唱いたします。
総理の的確な指針と決意を示されるよう求めるものであります。
その第三は、臨教審の構成と
運営についてであります。
臨教審の会長及び委員は、その使命のゆえに、全
国民の納得する人たちでなければなりません。全
国民の意思を代表するもの、それは言うまでもなく国権の最高機関でもある国会であります。ゆえに会長及び委員は国会の同意人事とすることを改めて求めます。またその人たちの人選は、当然教育界のみならず、経済界、労働界、言論界、宗教界など各界の代表、特に若い戦後世代の代表など幅広く選ぶべきであります。教育界の利害得失が、ややもすると抜本的な教育改革を阻害することがあることを忘れてはなりますまい。
また臨教審の目的は、委員だけの論議の中で答申をつくることだけではありません。教育についての
国民の論議を広く巻き起こし、中央
地方の公聴会等を通じてこれを集約し、
国民の合意を自然な形で形成することであります。そして合意できた部分は逐次中間答申としてこれをまとめ、速やかに実行に移すことが必要であります。また、可能なものは来
年度予算編成にも反映させるよう努力すべきでありましょう。そのためにすべての答申を国会に
報告されるよう望みます。
以上、臨教審の構成と
運営について
総理及び文部
大臣の御所見を伺います。
最後に、臨教審の究極的な目標について申し上げたいと存じます。
すなわち、教育の長期安定と
政治的中立を確保するため、立法、行政、司法に次ぐ第四権的機関としての中央教育
委員会の設置を提言いたします。
さきにも申し述べましたように、教育は
国民全体のためのものであり、一
政党の政権保持の具にすべきものではありません。歴史のある時期にたまたま政権をとった
政党の立場からのみ考える性質のものではありません。国家百年の計、これが教育政策の立案にかかわる我々
政治家の忘れてはならない基本姿勢であることは当然であります。人間の道義と信義を中核とする教育国家の建設を目指し、全
国民的視点から教育を考える第四権的性格の中央教育
委員会、その設置と、そのもとで教育行政を執行する機関としての文部省のあり方について抜本的改革を加えることこそ我々の目標とすべきものであります。
総理の御所見を伺います。
教育改革は、しょせん強力な外からの圧力か独裁者でなければできないという説があります。確かに過去二回の教育改革はそのとおりでありました。我々は今初めて
国民の、
国民による、
国民のための教育改革に挑戦しようとしているのであります。ここに
日本国民の英知と誇りを結集し、真の教育改革という歴史的偉業を国会すべての力をも合わせて達成することを訴えて、私の質問といたします。
ありがとうございました。(
拍手)
〔
内閣総理大臣中曽根康弘君
登壇〕