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1984-04-06 第101回国会 衆議院 法務委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月六日(金曜日)     午前九時三十一分開議 出席委員   委員長 宮崎 茂一君    理事 太田 誠一君 理事 亀井 静香君    理事 高村 正彦君 理事 森   清君    理事 天野  等君 理事 稲葉 誠一君    理事 石田幸四郎君 理事 三浦  隆君       井出一太郎君    上村千一郎君       衛藤征士郎君    大西 正男君       高鳥  修君    谷垣 禎一君       小澤 克介君    佐藤 観樹君       土井たか子君    広瀬 秀吉君       山口 鶴男君    山花 貞夫君       神崎 武法君    中村  巖君       伊藤 昌弘君    野間 友一君       林  百郎君  出席政府委員         法務大臣官房長 根岸 重治君         法務省民事局長 枇杷田泰助君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学教授星野 英一君         参  考  人         (東京家政大学         教授)     金城 清子君         参  考  人         (国際結婚考え         る会会員)   森木 和美君         参  考  人         (国際福祉相談         所ケースワー         力ー主任)   瀧岡 直美君         法務委員会調査         室長      藤岡  晋君     ————————————— 委員の異動 四月六日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     土井たか子君 同日  辞任         補欠選任   土井たか子君     山口 鶴男君     ————————————— 四月四日  法務局、更生保護官署及び入国管理官署職員の  増員に関する請願梅田勝紹介)(第一九九  〇号)  同(小澤克介紹介)(第一九九一号)  同(中川利三郎紹介)(第一九九二号)  同(野間友一紹介)(第一九九三号)  同(林百郎君紹介)(第一九九四号)  同(東中光雄紹介)(第一九九五号)  同(不破哲三紹介)(第一九九六号)  同(松本善明紹介)(第一九九七号)  同(三浦久紹介)(第一九九八号)  永住韓国人に対する外国人登録証指紋押なつ  廃止等に関する請願新井彬之君紹介)(第一  九九九号)  同(池田克也紹介)(第二〇〇〇号)  同(石田幸四郎紹介)(第二〇〇一号)  同(市川雄一紹介)(第二〇〇二号)  同(小川新一郎紹介)(第二〇〇三号)  同(近江巳記夫紹介)(第二〇〇四号)  同(長田武士紹介)(第二〇〇五号)  同(木内良明紹介)(第二〇〇六号)  同(小谷輝二君紹介)(第二〇〇七号)  同(駒谷明紹介)(第二〇〇八号)  同(権藤恒夫紹介)(第二〇〇九号)  同(斉藤節紹介)(第二〇一〇号)  同(斎藤実紹介)(第二〇一一号)  同(坂井弘一紹介)(第二〇一二号)  同(竹内勝彦紹介)(第二〇一三号)  同(武田一夫紹介)(第二〇一四号)  同(玉城栄一紹介)(第二〇一五号)  同(中川嘉美紹介)(第二〇一六号)  同(中村巖紹介)(第二〇一七号)  同(西中清紹介)(第二〇一八号)  同(沼川洋一紹介)(第二〇一九号)  同(橋本文彦紹介)(第二〇二〇号)  同(春田重昭紹介)(第二〇二一号)  同(日笠勝之紹介)(第二〇二二号)  同(平石磨作太郎紹介)(第二〇二三号)  同(福岡康夫紹介)(第二〇二四号)  同(伏屋修治紹介)(第二〇二五号)  同(古川雅司紹介)(第二〇二六号)  同(宮地正介紹介)(第二〇二七号)  同(森田景一君紹介)(第二〇二八号)  同(矢追秀彦紹介)(第二〇二九号)  同(薮仲義彦紹介)(第二〇三〇号)  同(山田英介紹介)(第二〇三一号)  同(吉浦忠治紹介)(第二〇三二号)  同(渡部一郎紹介)(第二〇三三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案(内  閣提出第五六号)      ————◇—————
  2. 宮崎茂一

    宮崎委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として東京大学教授星野英一君、東京家政大学教授金城清子君、国際結婚考え会会員森木和美君、国際福祉相談所ケースワーカー主任瀧岡直美君、以上四名の方々に御出席いただいております。  参考人各位には、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。本案について、参考人各位には、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いをいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。御意見の開陳は、星野参考人金城参考人森木参考人瀧岡参考人順序で、お一人十五分以内に取りまとめてお述べいただき、次に、委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず星野参考人お願いをいたします。
  3. 星野英一

    星野参考人 私は、法制審議会国籍法部会委員といたしまして、小委員会及び準備会に加わり、今回の改正法案審議関係してまいりましたが、民法が専門でございまして、国籍法専門ではございません。そこで本日は、今回の国籍法改正について考えるための全般的な視点とでも言うべきものにつきましての私の考えを述べたいと存じます。  まず、これを見るための前提となる事項、次いで今回の国籍法改正に際して問題となる指導理念につきまして、簡単に触れることにしたいと存じます。  まず、前提といたしまして、二つの点について申し上げたいと存じます。  第一に、今回の国籍法改正は、全面改正ではなく一部改正であり、かつ、婦人差別撤廃条約批准との関係で比較的急いで改正することが要請されているということであります。そのために、現行国籍法における一つ原則、すなわち、子の出生による国籍取得におけるいわゆる血統主義原則自体考え直すことはしていないということであります。  実を申しますと、出生による国籍取得については、血統主義のほかにいわゆる生地主義がありまして、かなりの国がこの原則、つまり生地主義をとっているということは周知のところであります。そして、各国がどちらをとっているかは、歴史的な事情、場合によっては政策的な理由によると言われておりますが、白紙立場考えますと、今回どちらがより適当であるかということは極めて難しい問題であります。  どちらかと申しますと、生地主義の方が合理的であるという見方もできるわけです。と申しますのは、子の生まれた場所と申しますのは、通常両親が居住して生活している場所でありまして、通常は子もそこで育ち、生活していく、つまり、その地域社会の一員となるということでありますから、そこの国籍を与える方が、大多数の場合に生活の実態に即しているということも言えるからであります。  しかし他方血統主義は、一見よくわかるようでありますけれども、実は、案外説明が難しいものでありまして、非合理な要素を多く含むものと言うことができましょう。もっとも、それなるがゆえに、逆に人間の情にかなっているということも言えるかもしれません。  それやこれやございまして、白紙立場からどちらをとるのが適当かということを改めて議論いたしますと、なかなか収拾のつかないものでありまして、今回は血統主義を一応の前提として出発しておりますが、血統主義は普遍妥当なもの、絶対的なものではないということをまず明らかにしておく必要があろうかと存じます。  第二に、今のことからわかりますように、どの法律におきましても同じではありますけれども、とりわけ国籍法のように国民要件を定める基本的な法律におきましては、どのような根本理念によるかということが重要な問題となります。ここで申し上げますのは、しかしその全体ではございませんで、理念といっても一つではない、時に次元を異にするような幾つかの理念とか原理とか要請というものがあるということであります。  この際注意すべき点は、第一に、それらの理念間の優先順位を決める必要があるということであり、第二に、このようにして先順位理念とされたものにつきましても、それだけで貫いてしまうということはできませんで、下位の理念との間の調和、いろいろな理念調和的な実現が必要であるということであります。これは単に対立する考え方を妥協させるという意味ではありません。もちろん、違った考え方の人がおります以上は、最終的にはそれらの妥協が必要となりますけれども、今申しておりますのはそれ以前の問題でありまして、どの人におきましても、ある点について決める際に一つ理念に徹底してしまうということはできない、そもそも幾つかの理念調和的な実現が問題になるということであります。  これを裏から申し上げますと、一つ理念をどこまで貫くことができるか、あるいは貫くべきであるかということこそが問題になるということであります。さき血統主義生地主義について申しますと、どこの国でもその一方だけを貫いているところはありませんで、どちらかを原則としつつ、補充的に他方をも採用しているわけであります。そこで問題は、血統主義原則とするとしても、それをどこまで推し進めるか、どの辺から生地主義採用するかということになるわけでありまして、今回の改正に際しましても、まさにそこが問題となるわけであります。  そこで、国籍法改正に際して考慮すべき、そして現実に考慮された理念について考えることといたします。ただ、本日は今回の改正のいわば眼目とも言うべき子の国籍決定に関連するものだけを取り上げたいと存じます。  第一に、この点に関しまして現行国籍法血統主義原則を維持しているということは今申し上げたとおりでありますが、問題となりますものをまず列挙いたしますと、両性の平等、重国籍回避、つまり、いわゆる国籍唯一原則のうち重国籍回避という問題であります。それから地縁土地との関係尊重本人意思尊重、親の判断尊重といったようなものであります。そのほか、親子国籍はできるだけ同じにしたいといったことも入ってくるかと思いますし、そのほかもございますが、今の点がかなり重要なポイントであろうかと存じます。これらにつきまして、さきに申し上げました優先順位とそれらの調和が問題になるわけであります。  さて、今回の改正を必要ならしめましたものは、両性の平等の理念であることは今さら言うまでもありません。これが出生による子の国籍取得についてのいわゆる父母系主義採用帰化要件における夫婦の平等の実現としてあらわれておりますけれども、ここでは前者についてのみ申しますと、二点が注意さるべきであります。  一つは、父母系主義採用することが望ましい理由には、第一に差別撤廃条約批准必要性がありますけれども、決してそのようないわば外圧だけが理由ではないということであります。一つには、言うまでもなく、憲法第二十四条の男女平等の理念があります。しかし、ここで、さきに申しましたような異なった理念衝突調和の問題が直ちに生ずるわけでありまして、現行法父系優先主義立法当時どのような考え方によってできたかは別といたしまして、今日における合理性がないわけではないのは、まさにそれが先ほど申し上げました重国籍回避理念にかなうからであります。つまり、両性の平等の理念と重国籍回避理念とがここで接触いたしまして、どちらを優先させるべきかという問題がまず出てくるわけであります。  ちなみに、国籍法における両性の平等の問題といたしましては、もう一つ、婚姻に際しての妻の国籍決定の問題がありまして、我が国でも、現行国籍法の前のいわゆる旧国籍法におきましては夫婦国籍同一主義というものを採用いたしまして、大ざっぱに申しますならば、妻は夫の国籍に従うこととしておりました。しかし、現行国籍法ではそれを改めております。その限りで両性の平等が実現されているわけでありまして、この見地から申しますと、国籍法における両性の平等の理念をさらに推し進めるべきかどうかということが現在の問題なわけであります。ところが、これがやはり意外と難しい問題でありまして、さればこそ、多くの外国におきましても比較的最近に至るまで父系主義がとられていたわけであります。  しかし、今日におきましては、国民一般的な意識の変化、つまり、男女平等意識の進展という事実のほか、実質的に考えましても、子が母と国籍を異にすることから生ずる種々の不便や母の持つ寂しさといった点からも、血統主義をとりつつ子に母の国籍を与えないのは適当でないと言うことができようと思われます。  そこで次に、重国籍回避要請との優先順位について考える必要があるわけでありますが、重国籍種々の面倒な問題を生ずるおそれのあることは事実でありまして、繰り返すまでもありませんが、外交保護権衝突であるとか忠誠義務衝突、とりわけ兵役の問題、選挙権や被選挙権あるいは義務教育等であります。したがって、重国籍には種々弊害があって好ましくないからできるだけ回避すべきだということは、国際的にもほぼ通念となっていると言ってよろしいでありましょう。国によりましては、重国籍を一切認めていないところさえあるわけであります。さらに、我が国では重国籍は余り好まないのが一般考え方のようにも見受けられます。しかし、他方それらの弊害も一々を細かく検討してまいりますと、一見したほど重大なものでもないのでありまして、そのためか、最近において父母系主義に改めた国におきましても、その結果生ずる重国籍を放置しているというところが多いということも看過できない事実であります。  そこで、これらの諸点を総合して考えますと、両性の平等の理念に先順位を与えて父母系主義採用するとともに、そこから生ずる重国籍をできるだけ解消するように努めるというのが今日における立法の最上のやり方であろうと考えられます。今回の改正は、この見地から極めて当を得たものと考えている次第であります。  しかし、早速生ずる問題というのは、この重国籍回避理念を今度はどこまで貫くかということであります。ここでさきに挙げました地縁尊重とか子の意思尊重、親の判断尊重といった理念との抵触が問題になるわけであります。この点につきましては、この改正案は、子の出生のときの留保とその後における、実際は子が成年に達したときでありますが、その選択という二つ制度を重畳して採用しております。もちろん、この留保制度をこの見地からだけとらえるのは十分ではありませんけれども、ここでは留保制度のこの見地からする意義、機能に絞って申し上げているわけであります。  選択制度かなり幅の広い制度でありまして、本人意思、場合によっては親の考えによりまして国籍を一方に付与させるものでありますけれども、実際はとにかく重国籍弊害成年以後に多く生じますので、少なくともこのあたりの年齢まででどちらか一方の国籍に決めさせるということが重国籍回避理念から適当と考えられるわけであります。事実上は成年のときに選択がなされることが通常でありましょうし、催告の制度もあるわけであります。この場合にはまさに子の、本人意思によることでありまして、大体それでうまくいくということになろうかと思います。  ただ、そのように考えますと、次に未成年中は重国籍でも構わないということにもなりそうでありますが、しかし、選択といいましても、実際は重国籍者の一々をつかまえるわけにはいきません。漏れが出てまいりまして、それらの者におきましては、場合によっては四重、五重の国籍が出るということもあるわけであります。そこで、重国籍回避原則からいたしますと、未成年の間の重国籍を放置しないで済むならば、その方がよいと考えられます。そうなりますと、出生時にも重国籍でなくなるという方策が講じ得れば、それにしくものはないと考えられるわけであります。  一方で両性の平等を強く実現しておりますソ連とかポーランドなどにおきましては、外国で生まれた一方が外国民の子につきましては、両親決定によりどちらか一方の国籍を取るということにしておりますが、たまたまこれが同じ制度でありますけれども、我が国にも留保制度というものがあったわけであります。その立法当時の目的はともかくといたしまして、今日におきましてその技術を用いることによって重国籍回避かなりの程度にできるということになるわけでありますから、したがって、これを利用するのは結構ではないかと私は考える次第であります。  ところで、これはどういうことかと申しますと、外国で生まれた子供の問題でありますから、地縁を考慮しているものであります。国籍決定に際しましては、やはりその子が現に生きており、当分の間両親とともに生活するであろう土地との関係を考慮するということは極めて合理的なものでありまして、血統主義原則とするとしても、地縁主義というものをある程度加えるのがよいと思われます。両親日本国籍を保持させたいと考えますならば、留保すればよいのでありまして、問題はないわけであります。  もっとも、留保制度につきましては両論があるわけでありますが、これに賛成する意見の中にも、実は私が今申しましたこととはかなり違った理由を挙げる方もあるわけでありますけれども、私は今の重国籍回避という点からこれに賛成しているわけであります。  問題は、しかし、ここで子の意思尊重されないのではないかという問題が生ずるわけでありますけれども、これにつきましては、生まれたばかりの子供はもともといまだ意思がない、ある年齢までは十分な判断力がないわけでありまして、だからこそ、より判断力のある親がかわって決定するのは妥当だということであります。この考え方は、帰化とかあるいは国籍離脱その他にも採用されておりますけれども、広く親子関係におきましては、一般にこのことが認められていることは言うまでもありません。ただ、子が判断力を有するに至りましたときに親のした決定を変えることができるように定める必要はありますけれども、この点も、改正法ではこれを考慮しているわけであります。  あと一、二補足させていただきますと、第一に、まれでありますけれども、親は子に自己の国籍を承継させる権利があるとか、子は親の国籍を承継する権利があると言われることがあります。しかし、この点は国際的にもほとんど認められておりませんけれども、実質的に考えましても、生地主義をとる国があるわけでありますから、したがって、これが普遍的な原理とは言えないことは明らかでありましょう。血統主義原則とする国におきまして初めてこれが問題になりますが、問題は、繰り返し申すまでもなく、どこまで血統主義を徹底するかということにありまして、今申しましたような権利を認めることの理由ということは、まだ十分に説明されておらないように思われます。  第二に、重国籍者日本国籍を維持することの利益ということが言われるわけでありまして、この利益を奪うべきではないと言われることもありますが、これは日本国籍一つしか持っておりません普通の人との公平が問題でありまして、この人と比べました場合に、二つ国籍をどちらも主張できるという利益保護に値するものかどうかということは、多分に疑問であろうと思います。  以上、簡単でございますが、私の所見を申し述べた次第でございます。
  4. 宮崎茂一

    宮崎委員長 ありがとうございました。  次に、金城参考人お願いいたします。
  5. 金城清子

    金城参考人 金城でございます。  初めに、私は、今いろいろ星野先生がおっしゃいましたけれども、国籍について、それとは異なった考え方をとっているということからお話をしたいと思います。  一つは、国籍というのは国が付与するものなのか、それとも国民権利なのか、国民がそれ相当の幸せに生きていくために国籍を持つ、そういう権利国民の方にあるのか、それとも国の方がその判断によってするのかということが、まず一つ大きな問題点として浮かび上がってくると思います。  それからもう一つは、戸籍の問題ですね。現在戸籍制度というのを検討いたしますと、身分登録制度という意味を持っています。それから、戸籍というのは国籍登録制度、そういう意味も持っております。その二つがそごするために、そして、しかも現在のところでは国籍登録制度国籍登録簿であるという点がより優先して考えられているために、国際結婚などでは、結婚をしても新しい戸籍が編製されないというようなことはございました。しかし、今度の戸籍法改正では、それについて、国際結婚でも、結婚いたしましたら新しい戸籍が編製されるということになっておりまして、身分登録制度としての機能をより純化させる方向に向いている。そういう意味で、戸籍というものを身分登録制度として純化させていくということがやはり個人の人権を守っていくという意味で重要なものなのではないか。  この二つの点から、現在の国籍法及び戸籍法改正について私の考えを述べさせていただきたいと思います。  まず、国籍を有する権利、これは国民のものなのか、それとも国の方がより優先して考えていくべきなのかということですけれども、それについて問題になりますのは、選択制度という問題です。もちろん、選択制度は二重国籍をなくする国際法上大変重要な原則となっております国籍唯一原則を貫くためであるというふうに一般には説明されております。しかし、各国とも父母系平等主義採用をいたしまして、事実上国籍唯一原則というのは放棄せざるを得ないというような現状になっております。父母系主義採用して重国籍子供が生まれる、その重国籍者については国籍唯一原則を貫くためにどうしているかといえば、むしろ本人意思を起点として国籍唯一原則を達成するという方に行っておりまして、これは二重国籍者について離脱の自由を保障するということによって、二重国籍者がどうしても一つ国籍になりたいという場合には、各国ともそれを阻害しないようにしようという方向で、スウェーデン、それから西ドイツなどでは立法上の解決が図られております。  どうしてこういうふうに国際法上非常に重要だとされた国籍唯一原則放棄せざるを得なくなっているのかということですけれども、これは二つ理由考えられると思います。  一つは、二重国籍者にとっては、二つ国籍を持つということが極めて自然だということなんですね。個人国民とのきずなを法的にあらわすもの、これが国籍だと言われておりますけれども、父親母親が違うという国際結婚から生まれた子供にとっては、父親の国とも非常に強い精神的それから生活的な臍帯を持っておりますし、それから母親の国とも同じようでございます。そういうことから、二重国籍者についてはどちらか一つにしろと言うことが非常に困難だという、個人国籍に対する要求ということを配慮してそういう方向になったということが一つでございます。  それからもう一つは、国が国籍について規定していくのに、自分の国の国籍についてしか云々できないということなんですね。ですから、例えば日本選択制度を導入しておりますけれども、選択制度を導入してみましても、重国籍を完全には解消できないというのが現状でございます。せめて自分国籍については放棄をしたい、放棄をするなり離脱をするなり、それを認めることだけしかできないということです。ですから、二重国籍者の相手方の国についてこれを放棄をさせるというようなことを個人に強制してみても、これはあくまでも相手様のあることですので、国家としてはどうしようもない。  そういうことから、国際法国籍唯一原則がどうしても重要であるというなら、むしろこれは国際立法によって、条約によって解決するべきであって、それがまた現在きちっと整っていない状況では、一つの国家として解決できるのは、先ほど申し上げましたように、重国籍者自分国籍離脱したいという場合にはこれを寛大に認めていく、しかし、そうでない場合には、もう仕方がないから二重国籍をそのまま放置しておくというより仕方がないというのが現状だと思います。  現に、日本の新しい国籍法でも、十六条では、日本国籍選択した人に対してもう一つ国籍放棄する、離脱をするということについては努力義務ということになっているわけですね。これは努力義務としてしか決めようがないということが現状だと思います。幾ら個人に他国の国籍離脱するようにということを強制いたしましても、相手方の国籍法がそれを認めでないような場合には、これは法律的に効果を持たないということで、そういう人の場合に、それでは日本国籍を奪うかといえば、これは国籍を有する権利に対する大変な侵害になりますので、十六条では単に努力義務としているわけです。  この努力義務ということですけれども、どうも婦人差別撤廃条約に関する法律立法については、努力義務というのが大変はやるようでございます。これだけではなく、雇用平等法でも努力義務というのが出てきておりますけれども、努力義務というのは、これはここで言うのも必要のないことだと思いますが、法律的な効果はないということなんですね。  ですから、日本国籍選択した人、それが日本国籍は有した、しかも外国国籍も有したいというような場合には、外国国籍離脱に努めなければならないという規定があっても、自分は二重国籍を持つ権利があるのだといって離脱をしない場合には、これは法的に何ら措置をとることはできない。したがって、事実上二重国籍というのは放置せざるを得ないという結果になるわけです。もちろん、国の行政的な指導によってかなりこれが効力をあらわすのではないかという気はいたします。だけれども、二重国籍を有する権利を持つのだという確信犯については、これは二重国籍の防止には何ら意味を持たない。しかも、そういうふうに一人一人の心の持ちようによって、二重国籍を持っている人もいれば、それがだめになってしまう人もいるということですから、法律の適用においては非常に不公平な結果をもたらすということになると思います。  こういうふうに考えできますと、国籍唯一原則というのは確かに国際法上の尊重しなければならない原則ですけれども、現状では、これを何らかの措置をとることによって、一国だけの努力でこの原則を貫くことは不可能であるということでございます。とするならば、やはり寛大に二重国籍を持つ権利というものを認めていく、これが必要なことではないかと思います。  先ほど星野先生も、重国籍というのはそれほど国際社会において、また国内社会において問題になる規定ではないのだということをおっしゃいましたけれども、確かにそうなんですね。例えば外交保護権ということが言われておりますけれども、二重国籍者について外交保護権が問題になるということはないのです。例えば日本国籍とそれからソ連の国籍を持つ人がいるとします。そしてソ連の国が日本に住む二重国籍者に対して外交保護権を行使する、これは国際法上自国民に対する外交保護権は許されないという原則が確立しておりますので、外交保護権について日本が二重国籍者についてあらぬところから、日本国民だと思っていたのにあらぬところから異議が申し立てられて大変困るということは考えられないわけです。  それから、兵役の義務についても私はそうだと思います。例えば日本と韓国の二重国籍者、その人について韓国では兵役の義務があるから、したがって日本国民に対して兵役の義務が課されてくる、そして強制的に連れられてしまうというようなことが言われておりますけれども、日本の国にその人が住んでいる限りは、兵役の義務を課されて強制的に日本から連れられていくということはございません。日本の国に対して韓国の官憲がそういう強制的な力を及ぼすということは認められないわけです。  しかし、その人が韓国などに自国民として旅行したとき、そこで強制的に兵役の義務を行っていないということで処罰されることは、それは確かに起こると思います。だけれども、これは個人の問題だと思うのですね。二重国籍自分は韓国の国籍を持って兵役の義務を果たしていない。それは個人が注意をして、外国に旅行するときにはきちっと離脱の手続をとるなり、そういう旅行はしないようにする。それについてまで国が保護的に考えまして、そういうことがないように、だからこうやって選択をさせて、そうして放棄をさせるのだということは必要ないのではないかという気がいたします。  そういう意味から、やはり国籍というのは個人権利である、しかも二重国籍を持つ権利を非常に望んでいる人もいるのだということを考えまして、選択制度というのは削除するのが私としては望ましいと思います。どうしても選択制度というのは置かないわけにはいかないというのでしたら、せめて選択については本人意思尊重するように、現在のところですと、生まれたときから親が選択をすることもできることになっておりますけれども、そうではなく、二十歳を過ぎてから選択をするということにしていく必要があるのではないかと思います。  もう一つ問題になりますのは、経過措置の問題です。これは特に沖縄と大きな関連がございますけれども、経過措置によりますと、二十歳を過ぎた人たちは簡単な届け出では日本国籍取得できない、二十歳未満の人しかそういう簡易な届け出によって日本国籍取得できないということになっております。  日本に沖縄が復帰する前は、どちらに帰属するかということは沖縄県民の間でも非常にはっきりしなくて、例えば七〇年の調査では、米国籍を持っていた方がいいという人が三分の一、日本国籍がよろしいんだという人が三分の一、どっちにするか迷っている人が三分の一というようなことだったのですね。しかし、七二年に返還が行われましてから、日本への帰属意識が非常に強まりまして、多くの人たちが日本国籍取得したいと希望するようになりました。そして多くの人たちが、帰化という手続しか現在のところでは認められておりませんので、帰化という手続でできるだけ日本国籍取得しているわけです。にもかかわらず、成人になっても外国籍のままいる、ないしは無国籍のままいるという人たちがまだまだ大勢おります。そういう人たちは、むしろ成人になってからの方が帰化がしにくいというのが現状なんですね。  そういう人たちに対して、今度の国籍法改正によって経過措置ということをとりまして、すべて日本国民の母から生まれた子供であれば届け出だけで日本国籍取得できる、こういう道を開いておくことがぜひ必要なことだと思います。これは法理論的に申しましても、日本国憲法制定のときから、法のもとの平等、男女平等ということは原則として確立しているわけですね。にもかかわらず、国籍法改正が今まで見送られてしまったということから、沖縄の無国籍だとか外国籍の問題というのは起こっているわけです。  かつて佐藤元首相が沖縄にいらっしゃったときに、沖縄が返還されない限り日本の戦後は終わらないということをおっしゃっているのですね。しかし、沖縄が返還されても、国籍の問題は解決していないわけです。ここで日本は、日本国憲法施行のときに遡及効を及ぼして、そしてすべての日本国籍取得したいと望んでいる日本国民から生まれた子供に対して、経過措置で届け出だけで日本国籍取得する道を開くことが、人々の国籍を有する権利を保障するためにぜひ必要だと思います。  最後になりますけれども、戸籍制度身分登録制度として純化させていく、これが必要だということを最初に申しましたけれども、これはどういうことかといいますと、日本国籍選択宣言をいたしますと、この選択をしたこと、それからさらに、いずれの国籍を有するかということを戸籍に書くということになっているのですね。こうなりますと、これはまさに戸籍の中にその人が二重国籍であるということを明確に記入をすることになります。それまでは一般日本国民と同じように何もそういう記載がなかったのに、選択をするとこういうことが書かれるというのは大変矛盾したものではないかと思います。  しかも、未解放部落の人々に対する差別なんというのも、すべて戸籍を基準にして行われているわけですね。二重国籍者はやはり日本の国ではマイノリティーとしてこれからいろいろな差別が行われる。これは日本国民意識の問題として変えていかなければいけないと思います。だけれども、こういうことを戸籍に記入をすることによって、そういうマイノリティーに対する差別、これに国が手をかすこと、これは大変おかしなことだと思います。そういう意味で、選択をして、そしてどの国の国籍を持っているのかというようなことは戸籍に書く必要はない、戸籍はしかるべく身分登録制度として純化させていく、そういう方向に持っていくのが必要なことではないかと思います。  このように二つの観点からお話をしてまいりましたけれども、一九八四年に国籍法改正をされる、これはむしろ二十一世紀をにらんだ改正であってほしいと思うのですね。そして、国の法律立法のときには国民のコンセンサスということがよく言われるのです。だけれども、やはり法律というものは、国民のコンセンサスをもとにしてつくらなきゃいけないと同時に、国民のコンセンサスというものをあるべき方向に先導していく役割も果たしていただきたいという気がするのですね。それが法律の役割ではないかと思います。  そういうことを考えますと、二重国籍を持つ権利、それから戸籍制度というものを身分登録制度として純化していく、そういう観点も踏まえての今回の国籍法改正であってほしいというのが、私の考え方でございます。  では、これで終わります。
  6. 宮崎茂一

    宮崎委員長 ありがとうございました。  次に、森木参考人お願いいたします。
  7. 森木和美

    森木参考人 きょうは、私個人意見を述べさせていただくだけではなくて、外国人を夫に持つ女性たちでつくっております国際結婚考える会の会員を代表しまして、みんなの意見を述べさせていただきたいと思います。  御承知のように、現在の国籍法は、父が日本人でなければ子供日本国籍はありません。したがって私たちの子供には日本国籍がありません。私の場合、子供が生まれたのは外国でしたから、日本の大使館へ届けに行きましたところ、大使館員は、そんな必要はないですと言うのです。子供日本籍が取れないから届けなくてもよいと冷たく突き返されたときは、本当にショックを受けました。日本で生まれなかったから日本国籍が取れないというのはわかりますけれども、もし私が男であったら、外国であっても子供は日本人になれるというのでは、納得できるものではありません。ずっと学校では男女平等しか教えられなかった時代に育った私にとって、こういった苦い経験は長い間尾を引き、ついに国籍法改正運動をやるようになってしまった次第です。  日本の男性と日本の女性の間に、子供国籍をめぐって差別があり、配偶者の帰化条件についても差別があることは、この法律を見ればだれの目にも明らかであると思います。婦人差別撤廃条約の条文にも反するし、憲法に定める性による差別の禁止にも違反しております。  このような意味におきまして、今回の両性平等への国籍法改正は、私たちがずっと待ち望んでいたものでございます。かねてからの私たちの要望がやっと実現に向かっているのだという実感を感じずにはいられません。子供たちに日本国籍の道をつくってやるという親としての義務をやっと果たすことができるのだと思うと同時に、ただいまの金城さんの御指摘にもありましたように、国籍が取れる子供と取れない子供年齢の違いによって生まれるというのは本当に残念なことです。私たちの会員の中にも、母が日本人であっても、きょうだいによって、年齢の違いで国籍を得る人と得ることができない人が生まれてきております。そういうことのないように何とか先生方の御協力をお願いする次第でございます。  この法律が施行されますと、私たちの子供出生によって日本国籍取得することになります。国民としての権利義務はほかの日本人と決して区別されてはならないことです。しかし、新しく導入された選択制度は、選択しなくてもよい日本人すなわち両親が日本人選択しなければならない日本人すなわち片方の親が外国人あるいは出生地主義の国で生まれた日本人という二つの区別を日本国民の中につくることになります。言いかえれば、純血の日本人、そして混血の日本人という区別なんです。  かつてドイツのナチスは、ユダヤ人とドイツ人の選別をやりました。日本は、朝鮮半島占領時代、内地戸籍と朝鮮戸籍というものをつくって日本人を使い分けました。現在は、戸籍の出身地によって差別を受ける人たちがいると聞いております。人間がとかく差別をつくってしまうということは、歴史が我々に教えるところですが、法律でこのようなものをつくるのは避けなければならないことではないでしょうか。  今回の国籍法改正案選択制度は、戸籍法と連結して、選択宣言をしたということを戸籍に記載するということです。戸籍簿を見ることによって、その本人が純血であるか混血であるかということを峻別できるようになっております。余計な心配であるかもしれませんが、これを悪用すると大変なことになるのではないかと心配せざるを得ません。  また、子供立場からこの選択制度を見てみますと、生まれながらにして持っている二つ国籍を二十二歳で選択するのは容易なことではないということです。無論、それぞれの置かれている環境によって状況は変わってくると思いますが、子供を教育するとき、父親母親の持っているものを最大限与えてやるというのが一番自然であると思います。私たちの子供は、父と母の文化が違います。当然子供は両方の文化を受け継ぎ、両方の親の国に関心を持っていきます。両国の親族を訪ね合い、二つの国に影響されて育っていくケースも多々あると思います。周囲の見る目も、おのずと違った見方をするものです。このような環境の中で育つ子供は、一人の人間の中に両親二つの国を持ち合わせ、矛盾することなく一個のパーソナリティーを形成することができます。日本人として日本に生活していても、一生のうち、いつ、もう一つの国へ行く決心をしてもおかしくないのがこういった子供たちではないかと思うのです。こういった子供たちは、たまたま国籍という壁に挾まれているのですが、同じようなことが北海道出身の親と九州出身の親の間にできた子供に言えるのではないかと思います。彼らの両親はたまたま日本人であって、国籍選択する必要はありませんけれども、父親の北海道をとるか、あるいは母親の九州をとるかということになれば、これは不可能なことです。国籍選択についても同じことが言えるのではないでしょうか。  次に、ギリシャやイランなどでは、そこの国の人と結婚することによって国籍が自動的に付与されるということがあり、私たちの会員の中にもギリシャ在住の日本人女性の中から二重国籍者が生まれることになっていますけれども、そういう方たちの要望がここに届いております。ギリシャに住む日本人はギリシャ国籍日本国籍を持つことになり、ギリシャに住む以上はギリシャ国籍が必要であり、仕事をするにしても、社会保障を受けることにしても、そして子供を育てていくことにしても、不可欠な条件であるわけです。ところが、もう一つの国、日本という国はやはり自分の故郷なわけでして、これを捨てるということまで踏ん切ることはできません。やはりいつでも帰ることのできる国日本というのはどこかにしまっておきたいということがあるようなんです。いつ夫と、子供と離別して帰ることになるかもわからない国なんです。そうかといって、今住んでいるギリシャ国籍放棄することができるかといっても、これはまた無理なわけです。そういうふうにして彼女たちは訴えております。そういう場合に、現在の提起されております国籍選択制度というものは彼女たちにとって大きな困難となるものだと思います。  二重国籍を持つということは、その二つ国籍をうまく使い分けるとか、両方の国の選挙権を行使するとか、兵役義務の回避に使うとかというような、そういう両刀使いを目的として持つわけでは決してございません。そういうことはやはり国の方から二国間条約なり、世界の国々と交渉していただいて、何とか解決していただきたいと思います。  父と母の二つ国籍、あるいは夫の国と自分の国の二つ国籍を持つということは自然の成り行きであり、実生活上必要なことでもあるのです。二つ国籍を持つ権利は同時に義務でもあり、ある人にとっては二つ国籍を持つということが非常に負担になるということがあります。また、二つ国籍を持つ者が、また三つにふえ、四つにふえというようなことも可能であると思います。二つ以上の国籍個人の自由な意志によって一つにすることを認めていくような方向になっているのが、ヨーロッパ理事会の重国籍者の減少及び重国籍者の兵役義務に関する協定というものであると思います。ヨーロッパの先進諸国の国籍法改正には、こういった個人国籍離脱の自由を認めていくことが規定されておると聞いております。  日本におきましては、既に現行国籍法の第十条にこの規定があり、個人の負担となる二重国籍回避日本国籍離脱することによって可能です。改正案の中の選択制度は、本人選択の宣言をしたとしても、もう一つ国籍は依然として残っているのですから、これはもう有名無実の制度となり、日本人の間に差別を生じさせるものだけとなる可能性があります。国籍選択するについては、あくまで個人の自由な意思から生まれたものであり、年齢の制限などを設けるものではないことだと私たちは考えております。  また、未成年者の間に親が国籍選択してしまうということがあるかと思われます。子供意思尊重する意味で、親が放棄した子の日本国籍を回復する何らかの法的措置がこの改正案の中には含まれておりませんので、これも御一考願えればありがたいと思います。  次に、戸籍法改正について少し意見を述べたいと思います。  私たちは、結婚した相手がたまたま外国人であったことによって思ってもみなかったようなことに出会いました。結婚すれば配偶者の名前を名のることができるこの日本で、私たちも当然夫の姓を名のることができるものと思っていました。しかし、外国人と結婚する日本人は、そういった法律の外側に置かれ、結婚届を出しても新しい戸籍さえも与えてもらえませんでした。子供ができても、日本国籍がないので戸籍には入れず、子供は夫の姓を名のるしかありません。そうすると、子供の姓と母親の姓が違うことになるのです。そして、いろいろな場面で不便な思いをすることになります。PTAに参加しましても、入学願書に書いた母親の名前が戸籍名となっておりますので、子供の名前と母親の名前が違って私は大変困ったことがあったことを覚えております。  今回の戸籍制度改正は、外国の名前であっても戸籍をつくることができるという、従来にはなかった画期的なものであると思います。物についている片仮名の名前は、今や私たちの周りにはんらんしております。私たちにとっても、それは普通になって、人間の名前に片仮名の外国名があっても何らおかしくない時代であると思います。日本が世界との交流を持ち、互いに影響し合って日本文化が形成されている今日、日本人の多様化が進むのは当然であると思います。小野田という日系ブラジル人がいるのと同様に、ガルシアというブラジル系日本人がいても決して不思議ではないということだと思います。  今回の改正案によりますと、これから外国人と結婚する日本人については、戸籍の編製がなされ、かつ、配偶者の外国姓を戸籍名とすることができるそうです。しかし、この法改正前に結婚したために配偶者の名前が名のれなかった日本人については、今回そういう便宜は図られておりません。私もそのうちの一人になるわけなんですけれども、これについて少し考えていただきたいと思います。  国籍法改正されて、経過措置によって、今まで日本国籍が得られなかった子供たちは、今回、日本人になり、母親戸籍に入ります。しかし子供たちは今まで父親の姓を名のって自分のアイデンティティーをつくってきましたので、突然母の戸籍に入れられて母の名前になるというのでは、子供たちはやはり納得できないと思います。そこで、私たちは、母親が父の名前に変わり、子と母と父の名前を統一したいという希望を持っております。入るべきところの母の戸籍の姓が既に父の名前に変わっておれば、そこに子供が入ってくれば、裁判所の許可を得ることなしに、当然母と子供の名前は同じになるわけです。  この改正案では、妻の姓の変更というものは、裁判所に氏の変更の申し立てをして許可されれば変更することができるということです。しかし、外国にいる場合はこういう手続をするのは不可能だと思います。そしてまた、日本で手続をとってみても必ずしも許可になるとは思われません。そういうことのないように、氏の変更を確実に行えるようにするために、私たちの場合、届け出だけで外国人である配偶者の姓に変更することができるように御検討くだされば大変ありがたいと思います。国籍法の経過措置による子供国籍取得の届け出期間、すなわち三年間の間を母の氏変更の届け出期間とするならば、裁判所を通すことなく、子供は従来どおりの名前で日本国籍を得ることができるようになります。  今回の国籍法戸籍法の一部改正について、私たちは一歩前進であると考えております。法律は建前をつくるのではなく、あくまで人間の幸福を追求するためにあるのだと思います。もう一度、この新しい制度である選択制度日本国民のために妥当なものであるかどうか、御検討いただきたいと思います。  最後に、私たちの意見を聞いてくださる機会を与えてくださいました法務委員の先生方に感謝いたします。  これで私の意見陳述を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  8. 宮崎茂一

    宮崎委員長 ありがとうございました。  次に、瀧岡参考人お願いいたします。
  9. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 ただいま御紹介いただきました瀧岡でございます。沖縄県の中部にございます国際福祉相談所でケースワー力ーをしております。  今回、国籍法改正に向けてこのような機会を設けてくださったことは、衆議院法務委員会の皆様を初め、法務省の当局がこの問題に慎重かつきめ細かく取り組んでおられることのあらわれと思い、沖縄県内の国籍問題で悩んでいる人たちや関係者にかわって深く感謝申し上げます。  しかし、私が日常の相談業務で受けている国籍の問題で悩んでいる人々の声を十分皆様にお伝えすることができるか不安であり、その責任の重大さに非常に緊張しております。  改正案にはいろいろと問題点があるように指摘されておりますが、私は、日ごろの相談の中から最も身近で切実だと思われる点に絞って私どもの意見を申し上げます。  それは、第七の経過措置の年齢制限を設けている点です。この年齢制限を撤廃してほしいということが私どもの意見です。第七の経過措置には、法改正時に二十歳に達していない者にだけ簡略な届け出だけで国籍取得できる特典が適用されておりますが、それでは救われない人々が出てまいります。そこで、ぜひ二十歳以上の者も簡略な届け出だけで国籍取得できるようにしていただきたいと思います。それを主張する根拠として、次の四つが挙げられます。  一つには、沖縄県には二十歳を超える無国籍者がまだかなりいると思われます。二つ目に、日本国籍を希望しながらこれまで日本国籍を取ることができなかった外国籍者も多く、現在二十人の相談を取り扱っております。三つ目に、現在は十九歳ですが、法改正時に二十歳になっていると思われる外国籍者二人を取り扱っております。四つ目に、一つの家族の中での兄弟姉妹で、法律施行の際二十歳未満であるかないかによって差別され、日本国籍取得できる者とできない者とが出てまいります。確かに数の面からしますと少ないと言われるかもしれませんが、人間の人権に関する問題は数の問題で判断されるものではなく、その質によって判断されるべきだと思っております。  二十歳を超えた無国籍や外国籍者が、これまでに何にもしないで今日まで過ごしたかというと、そうではありません。これまで幾度となく、日本国籍取得するための手続なり具体的な努力をしてきた者がほとんどです。  ある者は、兄弟五人帰化を申請して、一番年上の彼だけが読み書きが不十分だということで許可されませんでした。彼は現在日本人女性と結婚し、二人の子供がおりますが、子供たちに国籍のことで自分と同じ苦労をさせたくないということで、結婚前に妻の非嫡出子として子供をもうけ、日本国籍取得させました。  ある母親は、三人の子供帰化手続を進めるため、個人の力だけでは書類をそろえることができず、司法書士に依頼しましたところ、一人当たり十万ないし十二万円の手数料がかかり、費用の捻出が困難なため、途中で手続を断念いたしました。母親子供たちにいつ日本人になれるのかと聞かれると、大人になればすぐになれるとうそをつき続けてきました。子供たちは成人して母親の言ったことがうそだとわかり、一時期母親を恨んだこともあるそうです。しかし、いざ自分で手続を進める段階になって、母親の力ではどうしようもなかったと理解できたと話しておりました。  彼らの多くは、アメリカ合衆国軍人の父親がベトナム戦争や本国への転勤などで去った後残された母子家庭で、ただでさえ苦しい生活を余儀なくされた上、日本国籍もスムーズに取れず、児童扶養手当、児童手当、国民健康保険等の社会保障制度の適用も受けられず、また日本の学校への入学手続も大変面倒など、数多くの不利益を受けてまいりました。そのことが、社会から拒否されたという疎外感を抱かせている点は否めないと思います。  二十一年間無国籍で、三人目の弁護士によってつい最近ようやく日本国籍取得したある女性は、就職の際、雇用主から住民票や戸籍抄本を提出するよう言われても、いろいろと理由をつけて提出をおくらせ、それが押し通せなくなると仕事をやめてしまい、このために幾度も仕事を変えてきました。結局彼女は、住民票や戸籍抄本をうるさく請求されない不安定な職についております。私は彼女に、どうしてありのままを雇用主に話し、無国籍であるということが決して個人の責任ではないことを理解してもらわなかったのかと話しましたところ、じっと下をうつむいたまま黙り込んでしまいました。長い沈黙が、これまで彼女の味わってきた苦痛を意味していたものだと思います。  ある外国籍の女性は、日本人男性と婚姻し、二人の子供がおります。夫と子供国民健康保険が適用されますが、彼女は日本人の妻でありながら外国籍ということで適用されません。彼女は高校時代、陸上の選手として国体選手に選ばれましたが、外国籍ということでそのチャンスを失いました。また、彼女には十六歳と十八歳になる二人の弟がおり、国籍法改正されても自分だけ年齢制限にひっかかってしまうと涙ぐんでおりました。  無国籍の息子を持つある母親は、約十年間息子の国籍を取るためいろいろな人に依頼し、手続費用を前払いいたしました。これまでに費やした金は母子家庭としては莫大で、いまだにその借金を抱えております。無国籍の問題が取り上げられ、問題解決の糸口が見えるようになってから家庭訪問しましたところ、国籍法が変わるまで待つの一言でした。しかし、そのように居直った青年も二十歳を過ぎてしまいました。  日本国籍を希望する外国籍者は、父母系主義になるということで大変喜んでいたにもかかわらず、年齢制限により取り残されることになると大変落胆しておりました。彼らの多くは、日本で生まれ、日本の教育を受け、日本の社会に同化して、心は日本人なのです。しかし、法的身分は接したこともない外国にあるわけです。彼らが国籍法改正により日本国籍取得し、日本の国に受け入れられたという精神的安定感を持つことこそが、地域社会のために役立つ人材になろうという気持ちにつながるのではないかと思います。  今回の改正を心より待ち望んでいるのは、日ごろから職場や日常生活の中で国籍に関する苦しみや不利益を味わってきた二十歳を超えた人たちではなかったかと思います。そのためにも二十歳という制限を排除して法改正の意義をより一層充実させていただきたいと、私ども沖縄の関係者は切に希望しております。そうすることによって、彼らが日本の社会でよりよき社会や文化の創造の担い手となるものと確信いたしております。  また、届け出について御配慮いただきたい点がございます。十五歳未満の者については、父母もしくは後見人がかわって届け出をできるものとし、かつ、父母の一方が同意しないとき、またはその意思表示をすることができないときは、他方のみでできる旨、特例を設けてほしいと思います。なぜならば沖縄では、父母が事実上の離婚状態にあり、父が国外にいるかまたは行方不明のため、その同意を得られない状況にある者が数多くおります。  最後に、ある帰化の動機書を読み上げたいと思います。これを書いた人は、ことし二月にようやく無国籍からの帰化が認められたことし二十になる女性です。   私の名前は、(名前は省略させていただきます。)です。私はハーフですけど、私は日本人でもアメリカ人でもありません。私は無国籍です。私には国籍はありません。私の血は半分に分かれてますけど、それでも私にはどちらの国籍もありません。   十一歳のとき、私が無国籍だと知ったときは、私はとってもショックでした。お母さんともけんかもよくやるようになりました。何もかもがお母さんのせいだと思ったときもあります、みんなお母さんのせいだと。なぜ私には国籍が、普通の人のように国籍がないのが嫌でした。国籍というものは当たり前のものだったからです。お母さんがそこの国の人なら、子供もそこの国で認められるのが当たり前だと思いました。自分が無国籍だということで笑われたときもありました。   何回も国籍を取ろうとしましたが、でも何回も、国籍が取れる、取れないの言葉が返ってきました。いろんな書類を集めては、もうこれは要らない書類だと言われました。何回も国籍が取れると思っては期待外れでした。あと一年待ては、あと二年待てば、あと何年待てば。私には国籍が取れるという言葉まで信じることもやめました。今度も取れるということを聞いて喜んてますが、やはり不安です。私自身、焦っていることも自分ではわかってます。   無国籍ということでやけになり、お母さんを困らせたり、けんかをしたりしました。でも、本当に一番私に国籍を取ってもらいたいのはお母さんなんです。自分のせいだと思っているお母さんが、一番だれよりも国籍を取ってもらいたいと思っているお母さんなんです。何だかんだって言っているお母さんですけど、やっぱり好きです。ずっと一緒にそばにいたいと思います。そして、私の沖縄のお父さんです。私を自身の娘として育ててくれたお父さんに感謝してます。そんな家族のそばで一緒に沖縄で暮らしたいと思ってます。   私は、ぜひ日本国籍が欲しいと思ってます。私は、(名前は省略させていただきます。)という名前で日本人だと名のりたいと思ってます。どうかこんな私ですけど、私に日本国籍を与えてください。どうかお願いします。 どうもありがとうございました。(拍手)
  10. 宮崎茂一

    宮崎委員長 ありがとうございました。  以上で参考人意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 宮崎茂一

    宮崎委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷垣禎一君。
  12. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 自由民主党の谷垣禎一でございます。  参考人の諸先生におかれましては、本日はお忙しい中をわざわざ当委員会までお運びいただきまして、貴重な御意見をお聞かせいただきましたことを心から感謝申し上げます。皆様方の御意見は、これからの審議の上に十分生かさせていただきたいと思います。  それでは、時間もございますので、早速質問に移らせていただきます。  参考人の皆様の御意見を聞いておりまして、今回の改正案が前進であるということに関しましては、ほぼ共通の御評価をいただいていると思うわけでございますが、個々の制度の評価ということになりますと、そこはいろいろ御意見が分かれるような感じがいたします。  その中軸にありますのは、結局、一つは重国籍制度、重国籍というものをどのように評価していくのか、この点でかなり意見が分かれるような感じがするわけでございます。この重国籍をどう評価するかということも、決して国籍の問題だけではなくて、他のいろいろな価値とのバランスで判断されなければならないという点に関しては、星野先生から大変詳細にお話しをいただいたわけでございますが、金城先生あるいは森木先生のお話の中に、二重国籍者が、二つ国籍を持つことは自然なんだ、それは個人権利なんだということを非常に強調されたお話があったと思うわけでございます。  これは、確かに二重国籍を現に持っておられる方の個人の気持ちから見ると、そういう気持ちがあるいは自然なのかもしれない。しかし、他の要件との関連はどうなのか。金城先生のお話を伺いますと、選択制度というもの、他の国籍放棄させようとしてもそこにおのずから限界がある、国籍唯一原則を守るとしても、そこに無理があるんだ、もう無理じゃないか、一方では、二重国籍というのは、人情から見れば極めて自然なことではないか、そう考えると国籍唯一原則放棄せざるを得ない、こういう御趣旨だと思います。  しかしながら、依然として国籍唯一原則放棄するところまで国際社会は進んでいないのではないか。やはり民族国家というものは多数分立をしておりまして、その壁を乗り越えられないのが現状ではないか。いろいろな観点からごらんになったときに、その辺の国籍唯一原則をどう評価されるのか。  また、星野先生のお話の中に、重国籍利益は、一つしか国籍を持たない者に比べて保護に値するか否か疑問であるというようなお話もございました。この辺に関しまして、まず星野先生に、重国籍利益保護に値するか否か疑問だという点をもう少し詳しくお話しをいただけないかと思うわけでございます。
  13. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  絶対保護すべきでないかどうかというのは、これはもう非常にデリケートな問題でありますので、私も最初に申し上げましたように、ある一つ考え方で徹底的に押すという硬直な考え方自身、余り適当ではないとそもそも考えているわけであります。さしあたりのところ、今まで私があちこちで伺いましたところでは、結局、重国籍であること、殊に日本国籍を持っていることによる利益ということを割合強調なさる方が多いわけでありますけれども、果たしてそれはどれほど言うことができるであろうかという感じであります。つまり、先ほど申し上げましたのは、一つの点で、日本国籍一つしか持っていない人の場合と比較して、もちろん両方の国籍を持つ利益というものがあるわけで、少しバランスを失するのではないかという感じがいたします。  先ほど森木さんでしたか、別に両方の国籍を適当に使い分けようというのではないとおっしゃいました。けれども、もちろんこれは御本人の気持ちとかそういうことを疑うという問題ではありませんで、やはり法律制度としてはどうしておくのがいいかという問題ではないかと思います。そういたしますと、どうもそのようなことができるような制度を置いておくということが果たして適当であろうかという感じがするわけであります。  特に、これは少し言い過ぎかもしれませんけれども、現在では日本は戦争も放棄しておりますし、軍隊もありません。大変豊かな国で治安もよろしいわけでありますので、日本国籍を持ちたいと思う人も多いかもしれません。しかし、これが徴兵制度もある非常に過酷な国であった場合に、そう思うであろうかという感じもするわけです。つまり、たまたま日本が現在いいから、そこで日本国籍を持つことに利益があるということを主張するというのは、何か少し便宜的な考え方ではないかという感じがしてならないわけであります。そのような感じがありますものですから、私ばかりではありませんで、いろいろ議論をしておりますと、そういうことをおっしゃる方も実は少なくなかったものであります。そんなところで、このように考えている次第であります。
  14. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 ありがとうございました。  次に、金城先生と森木先生に伺いたいわけでございます。  二重国籍者二つ国籍を持つことは自然なんだというお考えだと思いますが、今星野先生のお話にもございました、例えば兵役の義務なんかの問題につきまして、韓国と日本に二重国籍を仮に持っているとしますと、韓国には兵役の義務がある。その場合に、先ほどどちらかのお話で、韓国の徴兵義務を逃れた場合に、韓国を旅行した場合にそのことでいろいろトラブルが起こったりするのではないか、それは個人が気をつけて解決すればいいではないか、こういうお話がございました。しかし、事はそう簡単なものなのかどうか。これは私、韓国の法制をよく存じませんが、あるいは徴兵忌避というようなことで向こうの国の犯罪に当たるというようなことがあるのではないか。私、つまびらかにしませんからあるいは間違っているかもしれません。そういったような事例が起こる場合に、例えば犯罪人引き渡しといったような問題も起こってくるのではないか、事は個人の注意を尽くせばよいということでは済まない場合が起きてくるのではなかろうか、こういう感じがするわけでございます。  それから、これはむしろ個人の側から見ればまた違う判断かもしれませんが、例えば国際社会が進展してまいりますと、いろいろ国際私法的な、法の適用をどこの国の法にするかというような問題があると思います。そういった場合に、二重国籍を持った場合に、これからいろいろ国際社会のルールを決めていく場合に混乱が起こってくるのではないか、こういうことも考えられるわけでございます。先ほどどちらか、親が北海道生まれと九州生まれの場合に、どっちを選べと言われても選べない気持ちがあるというお話もありましたけれども、やはり国際社会、主権国家が存立しているという中では、そこに違った面があるのではなかろうか。したがいまして、国籍唯一原則、これは完全に守ることは大変難しいと思いますが、やはりそれは守っていくべきではないか、これは私の考え方であるわけです。その辺につきましてお二人のお考えを聞かせていただきたいと存じます。
  15. 金城清子

    金城参考人 お答えいたします。  二重国籍を持つ権利ということは、普通の人が一つ国籍しか持たないのに、バランスを失するのではないかというお話がございましたけれども、これは血の必然から来るわけなんですね。ですから、両親が日本人であれば、これはその人自体、何も二つ国籍を持ちたくないわけです。ところが、両親国籍が異なる、そうすると、やはり両方の国と密接な関係を持つ、そういう血の必然ということで出てくるわけですから、一般一つ国籍しか持たないのに、二重国籍を持つ権利というのを認めるのはバランスを失するのではないかと言うのには当たらないというのが私の考え方です。  それから、兵役の義務ですけれども、日本に住んでいる韓国人については兵役の義務がないということで現在国際社会では解決されております。ですから、今御心配のようなことはないのじゃないかと思うのですね。しかし、そういう兵役の義務について問題が起こるようなときには、やはり二重国籍者については、今のようにお互いの国で譲り合ってきちっと兵役の義務について規定しておくというような努力は、国がどんどんしていかなければいけないと思います。これは国際社会の問題ですので、個人ではいかんともしがたい。したがって、そういう問題が予想されるような国については、国がしかるべく条約を締結しておくことによって解決をしていくということですね。  それから、国は今まで非常に強調されてきたわけですけれども、二重国籍なんということがあるとその人自身が困るから、だからあえて選択制度だとか離脱の手続を強制して、その人が困らないようにしてあげるんだ、非常に保護的な態度なんですね。しかし、二重国籍を持つ権利ということでそういうことを要求する人に対しては、これは必要のない過保護ではないかということなんですね。ですから、そういう人は自分で十分注意をすればいいのであって、もし兵役の義務というようなことで二つの国の一方の国から処罰をされる、それは困るということであれば自分離脱をする。離脱をしたくてもその離脱を認めない国もありますから、それはまた問題が出てくると思いますけれども、今度は国がそんな過保護でなくてよろしい。個人が積極的に自分でどうするかを決めて、そしてきちっと法律上の行為をとっておけばよろしいということで解決していけばいいと思います。  それから次に、国際社会が非常に複雑になってくると、二重国籍者についてどの国の法律を適用するかという国際私法上の問題が出てくるだろうということでした。これは大体解決されているのですね。国籍二つあっても、住所がどこにあるかということで、いつも住んでいる国の国内法を適用するというようなことで、二重国籍者であっても、その人とより緊密な関係にある国はどこなのかということで法律上の選択は行われております。しかし、どんどん国際社会が進んでいきまして、二重国籍者が両方とも密接であるというようなことも、これからの国際化社会の中では必然的に出てくると思うのですね。そういう場合には、国際私法上、現在の本国法主義といってその人の国籍によって準拠法を定めるというよりは、むしろその人の住んでいるところ、行為が行われたところで準拠法を定めていった方がいいのじゃないかというような考え方も出てきております。国際社会が非常に緊密になってくれば、そういう方向に国際私法上の原則も変わっていく。むしろ個人権利を認めることが大切であって、それが認められるようにいろいろな法原則というのは変えていけばいいので、法原則があるから個人権利は認められないというのは、これは反対の考え方ではないかと思っております。
  16. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 今の血のしからしむるところというような考え方一つ国籍の場合にはよくわかるのですが、二重国籍の場合でもそうかどうか。あるいは兵役の場合、衝突回避するような国際的措置をとれ、それは現在は国籍という形で解決されているのじゃないか、こう思うわけでございます。  ちょっと持ち時間が少のうございますので、森木さんにも簡単に今の点をお願い申し上げます。
  17. 森木和美

    森木参考人 子供の環境によってそれは随分違うようになるんだと思います。育てられ方というか、やはり両親考え方、それに子供の育ち方、それによっていろいろなタイプの国籍選択の方法というものがあると思います。それを一律に国が法律を決めて、選択制度をつくって二重国籍者をなくしていくということは、非常に無理が起こるのではないかと私は考えております。それに、二重国籍者二つ国籍を悪いように使うということを予防するために選択制度を設けるというのであれば、犯罪を起こすことがないために何か法律をつくっておくのだというような感じに受け取られて、これはもう全く人権じゅうりんのことだと私は考えております。ですから、もちろん国の壁というものは現にあることはあるのですけれども、それは国の方で何とか解決していただきたい。子供といいますか、二重国籍者個人に対して自分で解決しろと言うことは、ちょっと無理ではないかと考えております。
  18. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 その点も議論をしたいのですが、時間が余りありませんので、もう一つ。  今お話を伺っておりますと、根本的な問題といたしましては、我々の日本という社会は、長い間単一民族という形でやってきたわけでございますので、髪の毛も黒いとか、名字も田中とか中村とかいう名字で大体やってきた。ところが、こういうふうに複雑な国際社会になりますと、今までの対応だけではやっていけない面が大変出てきている。大げさなとらえ方かもしれませんけれども、現状においてはいわば文化摩擦というような面がかなりあるのではないかという感じがいたします。こういうことがございますと、結局今までの閉鎖社会的な発想でやってまいりますと、制度の運営といった点で、運用の仕方によってかなりいろいろな問題が違ってくるというところがあるのではないかと私は思うわけでございます。その点につきまして、星野先生法律的な制度については先ほど周到に御説明いただきましたが、その辺でお考えをお聞かせいただけませんか。
  19. 星野英一

    星野参考人 具体的な問題について申し上げたらよろしいかと思います。また、いずれ問題になるかと思いますが、経過措置に関する問題でございますけれども、基本問題は後に申し上げる機会もあるかと思いますけれども、これは結局帰化で解決するというのがこの法律考えだと思いますし、私もそれでいい。その理由は今申し上げませんが、その場合に、結局帰化というのは行政的な裁量の問題でありますので、そこで十分に考慮していただくということが必要になるだろうと考えております。御質問の趣旨に合っているかどうかわかりませんが、そういう意味でしたらば、帰化あたりのところでは大いに運用の妙を発揮していただきたいと私も考えております。
  20. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 瀧岡参考人、いかがでしょうか、今の点でございますが、今度の改正案前提にした場合に、沖縄の実情から見て、特に運用面で先ほどもいろいろ御要望いただいたわけでございますが、御希望がありましたら伺いたいわけでございます。
  21. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 帰化ということが超簡易帰化ということでとらえられて、我々も超簡易帰化が適用されるということを聞いたときには非常に喜びました、特に無国籍や米国籍に関してそのように取り扱いを行うということでしたので。ですけれども、実際にふたをあけてみますと、書類をそろえる面でも少なくなった点も余り感じられませんし、また帰化手続の申請をしましても、私は超簡易帰化ということになりますとすぐにでも許可がおりるのかという考えでしたけれども、先ほど読み上げた無国籍者帰化動機書を書いた女性の場合も、去年の三月に申請して、ことしの二月の中旬にしか許可がおりていないわけです。  あるいは、ほかに外国から取り寄せなければいけない書類などもあったりして、それを取り寄せるにも本人だけの力ではできないとか、外国籍の書類は日本の役所に出すときはどうしても翻訳とかそういうのが出てまいりまして、沖縄の場合それにもお金を要しているというような状況がございます。  それに、生計の概要というのも書かなければいけません。そのときに、確かに配慮されるという言葉は聞きますけれども、その独立の生計が営まれているかどうかというのはやはり重要なポイントになってまいりますので、母子家庭の場合、果たしてちゃんと生活が営まれているかという点で、またそれが問題点として上がってくるのではないかと心配しております。  ですから、私としては、今おっしゃったような帰化ということでこの国籍法のものをとらえるのではなく、二十を過ぎた者でも二十以下の人たちと同じような簡略な届け出だけでできるようにということを強く訴えたいと思います。
  22. 谷垣禎一

    ○谷垣委員 ありがとうございました。運用面で大いにまた考えていかなければならない点があるのではないかと私個人は思っております。  どうもありがとうございました。
  23. 宮崎茂一

    宮崎委員長 天野等君。
  24. 天野等

    ○天野(等)委員 本日は、参考人の諸先生方には本当にお忙しいところをありがとうございます。国籍法改正という国の基本的な問題でございますので、先生方からのいろいろな御意見を率直にお尋ねしたいと思います。  最初に、星野先生にお聞きしたいのでございますけれども、先生の先ほどのお話の中で、国籍法改正についてはいろいろな原則があり、その間で優先順位をつけながらこういう改正案をまとめてこられたのだというお話がありました。確かに大変な作業であったと私も感じるわけでございますけれども、その中での優先順位の問題といいますか、幾つかの点で払お尋ねしておきたいのですが、一つは、先生のお話の中にも、最近の世界各国の法制の状況としても、二重国籍について単純に二重国籍を解消させていくということばかりではなくて、それをそのままある程度認めていこうというような法制もあるようにお聞きしたのでございますけれども、私も、フランスの国籍法などを読みますと、そういう趣旨もあるのかなというようなことを感じるのでございますが、その辺について先生のお考えをお聞かせいただきたいというのが第一点でございます。  それからもう一つは、先ほど、国籍選択の問題で子供意思尊重という原則、親の意思による決定という原則、いろいろな原則があって、その中でのどれを優位にとっていくかということで具体的な法制度がつくられていったというようなお話だったと思うのですけれども、これは金城先生あるいはガルシアさんなどのお話をお聞きしておりましても、子供意思尊重ということ、本人国籍の問題ですので、本人意思尊重ということが優先順位としてはかなり高いのではないかというようなことを私、考えるのです。そこからいきますと、例えば法定代理人による国籍選択の場合に、改めて本人意思による再取得というような道による本人意思尊重原則の優位といいますか、そういうものも考えられないものかどうかという点で、その辺のどういう原則を優位に持ってくるのかということでの先生のお考え、この辺をちょっと私お聞きしたいと思います。
  25. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  第一点でございますが、最近の立法例の中では、父母系主義をとりまして子供が重国籍になりました場合に、これを放置している国があるわけでございます。その理由というものは必ずしもわかりませんので、積極的に重国籍というのは構わないという趣旨であるのか、これを処置する方法が十分に気がつかなかったかもそのままになっているのか、その辺もちょっとわからないところであります。  他方におきまして、もともと非常に早くから父母系主義をとっております例えばソ連とかああいうところでは、今度は逆に、それにもかかわらずこの重国籍を非常に嫌いまして、先ほどちょっと申し上げましたように、外国で生まれました一方の親だけが自分国民である場合につきまして、父母が共同して決定する、どっちかの一方に決めなければいけないということにしているわけですね。  それがなぜかということも必ずしもわからないのですが、いろいろな見方があるかと思います。これは全くの憶測ですけれども、一つは、恐らくそういう国では比較的ある意味で国家主義的な考え方が強いということであるのかもしれませんし、あるいはそういう国では自分国民に対する社会保障などが非常に厚いというようなことで、なるべく社会保障の利益国民だけに与えたいというか、いろいろな点からそれしかないということであるのか、その辺もよくわかりません。あるいはもっと別に、重国籍というのはいろいろな点で困るというようなことが特に感じられているのかもしれません。したがいまして、両方の国がございまして、一体どちらが進歩しているとか進歩していないということは言えない、非常に皮肉な状態にあるわけでございます。  そこで、私といたしましては、個人的には、そういう状況なものですから、外国の例というものもそれぞれ十分に参考にしつつもそう簡単には採用しがたいという面がありまして、たまたま最近両系主義をとった国で重国籍を放置しているから、その方が進歩していると言うわけにもいかないものがあるだろう。これはやはり相当慎重に考える必要がある。そこで、若干白紙に近く考えますと、私は、さしあたりまだ重国籍というものは余り好ましくないということでいった方がいいのではないかと考えているわけであります。  それから、なお、最近重国籍を放置している国につきまして、テクニックが見つからなかったのではないかと私が一つ憶測しておりますのは、例えば日本留保制度というのは、先ほど申し上げましたようにそのような目的に奉仕し得る制度に今たまたまなっているわけですが、それらの国で日本留保制度というものに気がついていたかどうかということはよくわからないし、知らなかったのではないかという感じもいたします。  実は、私個人のことを申し上げるようですけれども、ソ連、ポーランドあたりの国の今のような立法も気がついておりましたが、やはり我が国留保制度があるということが、重国籍解消のために非常に役に立つということを非常に強く感じましたものですから、これがもともと立法されたときにどういう趣旨であったかということは一応別といたしまして、今日においては十分利用できるのではないかというふうに考えたわけですけれども、そういう利用し得る技術というものをそれらの国が知らなかったことであるのかもしれませんし、あるいは逆に、社会主義国で割合そういうものをとっているから嫌だという、そんな単純な理由であったのか何かわかりませんが、いずれにいたしましても、外国立法例というのは必ずしも十分に参考にはなり切れない面があるように私は思っております。  それから、第二番目の選択の問題であります。  おっしゃいますように、子の意思尊重というのは非常に重要な問題でありますので、今おっしゃいましたような制度も十分考えられると思っておりまして、私もちょっと個人的には考えたことがないわけではありませんけれども、結局ここでの問題は、やはり重国籍をできるだけなくす、できるならば早い機会になくしておいた方がいいのではないかと私は考えたわけです。もっとも、これは実際はなかなかできませんで、例えば一方の国が兵役義務、徴兵制度をとっておりますときには、その兵役の義務を果たしてからでないと離脱ができないというようなお話が先ほどもありましたが、そういうところが多いわけですから、実際は難しいわけですけれども、できるだけそういう制度を講じておく方がいいのではないかと考えまして、さしあたりこの問題に関しては、今回の立法全体について言えることですけれども、男女平等、両性の平等ということを第一順位に、第二順位としては重国籍回避ということを考えていくのがよいのではないか、このように私は考えている次第であります。
  26. 天野等

    ○天野(等)委員 今の第二の点についてもう少しお尋ねしたいのですけれども、これは国籍取得についても未成年要件というようなものが十七条あるいは経過措置等にも出てくると私思うのですけれども、この点について、年齢で再取得できるかどうかということが分けられるのは、たとえ重国籍解消が大きな基本原則だとしても、やはりそこに不平等感というのは免れないのじゃないかというような感じがするわけでございますけれども、先生のお話をお聞きしておりましても、重国籍解消ということが大きな原則であることはわかるわけですが、それを実定法としてつくり上げていく過程ではやはり幾つかの原則が出てくると思いますので、その場合に国籍取得についての平等感といいますか、そういうようなものもやはり大きな原則になり得るのではないかというふうに考えるのでございますが、いかがでございましょうか。
  27. 星野英一

    星野参考人 おっしゃるとおり非常にデリケートな問題だと思いますが、これはまた先ほどの経過措置にも若干関係するのですが、今回の改正法では、成年になってから後ということと未成年とは若干分けている面があるのですね。これはどういうことかと申しますと、やはり成年になったら後は自分判断でという、これは割合はっきりしていると思うのです。未成年の場合には、これは先ほどの御質問にもありましたけれども、ある程度法定代理人の考え方でいくということも結構であろうということであります。  そこで、本人意思ということに関しては、これも完全に貫かれているかどうかというのはちょっと問題ですけれども、成年未成年かで分けるということであろうと思います。その線は、基本的にはやはり現行のいろいろな法律の体系に合っているのではないかと考えております。もっとも十五歳という問題がありまして、もう少し複雑な問題がございますけれども、ちょっとこれは省略させていただきますと、その点で分けるということは、一応現行の身分法といいましょうか、家族法の体系からいいまして割合通りやすいといいましょうか、考えやすい理屈ではないだろうかというふうに考えているわけです。  したがいまして、私は、本人意思尊重ということも一つ理念として申し上げましたが、これはある程度成年になってからということを比較的考えているわけでして、成年になる前については大体やはり親というものが——むしろ、なぜ成年という制度があるかと申しますと、これは判断能力が不十分であるからということなんでありますから、そこで未成年の場合には親の考え方というものもある程度尊重する、こういうところで分けられるということも十分理由があるのではないかと考えているわけであります。
  28. 天野等

    ○天野(等)委員 これは先生のお話の中にはなかったのですが、一点、ちょっとお尋ねしておきたいのですが、今身分法の問題が出てまいりましたけれども、氏の変更の問題でいろいろな規定が今度の戸籍法改正の方に出ておりますけれども、先ほどガルシアさんのお話でも、外国人の夫、婚姻をして当然外国名になるんだというふうに考えておったら、それが従来の戸籍法の取り扱いではそうならないんだというお話がございました。夫婦が同一の氏を称するという形で民法の七百五十条でございましたか、その原則、そういうようなものは、片方が外国人の場合には当然適用になっていかない原則なんでございましょうか。それとも何か別な観点からの考え方でなんでしょうか。その辺、ちょっと読んでおりまして、強いて戸籍法改正をしなくても同一の氏を名のるという形でやれるのではないかなという感じもしたものでございますから、その辺、お考えがございましたらちょっと。
  29. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  実はただいまの問題は大変難しい問題でございまして、つまり子供の氏がどうなるかということは、結局父母国籍を別にいたします場合には、一体どこの法律でやるかによって決まる、つまり子供の氏の決定に入ります前に結局国際私法の問題がありまして、この氏の決定に関してはどこの国の法律によるかという問題がまず出てくるわけですね。そういたしますと、私は国際私法になりますとますますわからないのですが、どうも国際私法学者の間にもかなり説が分かれているようでございまして、結局これは夫といいますか、つまり父親の法によるとかあるいは子供の法によるとか、いろいろな考え方もあるようでございます。したがって、そこ自身がまず問題になります。それで、日本法によるということになりましたときに初めて今の日本法ということになりまして、今の七百五十条でしたか、ということになろうかと思うわけです。  この点は、今回の戸籍法改正自身につきましても実はかなり問題があり得るわけでして、余り寝た子を起こすのは適当でないかもしれませんけれども、今回の改正というのは、一つのある考え方前提としてとにかくできている。私はこれは結構なことだと思うのですけれども、とにかくこのような学説の争い——単に学説ではありませんで、これは非常に難しい問題であると思います。そのような問題を避けまして、さしあたり一方では、現在の戸籍実務というものを前提とするあるいはその戸籍実務が背景としております考え方前提とする、他方では、先ほども参考人の方から御説明がございましたような、ああいった割合強い要望というものも入れるという形で、非常にうまい妥協的な案ができていると思います。  したがいまして、実はひそかに聞いておるところでは、理論的にははなはだ問題だということを国際私法学者も民法学者もいろいろと言っておるのでございますけれども、しかし、これはさしあたりこういうことでいくということで結構じゃないかと思います。したがいまして、現行法でいきますと、当然に日本民法が適用されるわけではなくて、一体どこの法律が適用されるかということ自身が非常に難しいという問題があるということでございます。
  30. 天野等

    ○天野(等)委員 どうもありがとうございました。  金城先生に今度お尋ねしたいのですけれども、重国籍の問題について、国籍を単一化することが望ましいのじゃないかという考え方もあり得ると思うのですけれども、現実に二重国籍でないと不利益を受ける場合というのはどういうような場合が考えられるのでございましょうか、その辺をもう少しお尋ねしたいと思います。
  31. 金城清子

    金城参考人 お答えいたします。  これはむしろ森木さんあたりの方がよくおわかりかもしれませんけれども、だんだんとその人が成長していくに従って、大体自分はこちらとより緊密なタイがあるという方向にいくと思うのですね。ですけれども、二十歳で線を切れるか、二十二歳で切れるかというと、それは大変難しいので、具体的にどんな不利益ということですと、まず二重国籍であれば、父親の国へも母親の国へも簡単に帰れるということですね。たまたま父親の国で勉学をしていて、ところが両親母親の国に住んでいる。急に病気になったからすぐ帰らなければいけない、ところがパスポートは切れているなんというときには、まさに悲劇が起こるのじゃないかということですね。ですから、二つの国の国籍がないと困るというのは、そういう日常的な生活の範囲で起こるわけなので、そういうものについて認めていくのが必要じゃないかということです。  それから、精神的なものもかなり強いと思いますね。やはり国籍というのは、私は法律的な問題だけじゃないと思うのです。特に、先ほど沖縄の問題が出たときに皆さんお感じになったと思うのですけれども、国籍というのは自分のアイデンティティーをつくるもの、それを支えるものという役割を果たしているのですね。それが、父親の国とも非常に強いアイデンティティーを持っている、母親の国ともそうなんだということになりますと、それもどちらか選ばなきゃいけないということになると、それは一定の年齢制限をしてどちらか選べということにしますと、それもその時点ではどうしても選べないということが出てくる。そういうようなことから、やはり二重国籍というのは寛大に認めていく必要があるのじゃないかということでございます。
  32. 天野等

    ○天野(等)委員 今の点、森木さん、いかがでございましょうか。
  33. 森木和美

    森木参考人 先ほど申し上げましたとおり、夫の国に住む場合に、婚姻によって夫の国籍を自然的に得る場合は、やはりその国籍がなければ、そこの国に住む上では煩わしいことが多いというケースがあると思うのです。それで、具体的問題としては、そこの国で仕事をするときに仕事のビザを外国人としてとらなければならないとか、そういうことがございまして、生活上、実際問題として困ってしまうということがあるように聞いております。  それから、先ほど金城先生もおっしゃったとおりのことが、私も日ごろ感じることなんですけれども、やはりそういう行き来の問題、それに子供を支える国籍、やはり混血児というものは周りが見る目というのは違うわけで、何か今までは日本人として育てようとか日本制度に同化させて育てようとか、そういう風潮にありましたけれども、これからのそういう混血児を育てるお母さん方、お父さん方というのは、その子供の持っているものを大事にして、世界的な場所にも飛躍できるような子供に育てたいという願いがこもっておりまして、日本の学校に入れたとしてももう一つの国の言葉を教えるとか、そういう子供に育てたいという願望が非常に強いものになっておりまして、そういう支えになる国籍というのはやはり大切なものだと思うのです。  ですから、そういう意味におきまして、子供にとって、そしてそれが大きくなるにつれて、全然問題なく一つに徹することができる子供というのは多分いると思います。ところが、もう片方、そういうのはどっちでもいいんだ、負担にならないという子供もいると思うのです。それにまた、ある日突然もう一つの国に行きたい、日本人だってどこかの国に行って移住をする場合だって考えられるわけなんですから、そういう場合にはもう一つの国があるということは当然なことだと思います。そういう意味で、天野先生の御質問に答えているかどうかわかりませんけれども、終わります。
  34. 天野等

    ○天野(等)委員 選択制度の場合に、未成年のうちに選択を強制されないといいますか、やはりそういう原則は必要なように思いますし、その点についてはある程度の配慮をこの改正案もされているように思うのです。  それで、私なんかが考えましても、成年に達した後については、自分意思による国籍選択ということはある程度やむを得ないのじゃないかというふうにも——私自身がそういう選択の場に立たされておりませんから、実際にその選択の場に立たされている方にとってはそう簡単なことではないのかなと思いますけれども、やはりどちらかの国籍成年に達した以上選ぶ必要があるのじゃないか。ただ、そこまでの期間については、仮に親権者が、法定代理人が選択をした場合にも、回復できるような措置というような形での法制度なり何なりということは、ある程度考えなければならぬのじゃないかという気が私はしておりますけれども、成年に達すれば自分の国について選択をしなければならぬということはある程度やむを得ないのじゃないか、また必要なのじゃないかというふうに考えるのですが、金城先生、この点、いかがですか。
  35. 金城清子

    金城参考人 お答えいたします。  これは価値観も含む問題で、しかも大変難しいのじゃないかと思うのですね。そして、むしろ私たちは余り発言の権利がないというような気がするのです。天野先生もおっしゃいましたけれども、まさに自分の問題じゃないのですね。具体的にそういう立場に立たされた人が、もう大人になったんだから二十二歳までに仕方がないのよと言われて、仕方がないとあきらめなければならないのか、それとも国にとってそれがそれほど困らない問題なら、やはり寛大に認めてあげて、そしてその人が、私は日本人がいい、アメリカ人がいいと決まったときに一つになるように法律としてはしていった方がいいのかという選択の問題なんですね。  どうして二重国籍を放置しているのかよくわからないと星野先生はおっしゃいましたけれども、一つは、一つの国でどうしたって二重国籍なんかなくならないということで、やはりそういう個人の気持ち、権利といいますか、そういうものをできるだけ法律上は尊重していこうということから、北欧諸国だとか西ドイツなんかでは二重国籍というのは放置して、そのままでよろしいというふうにしているわけですね。ですから、国の便利と見るか。国籍選択させることは国にとっては確かにそれは便利だと思います。そういう意味で、国の便宜を優先させるか、それとも個人権利を優先させるか、その選択の問題ではないか。そのときに、私たちが注意しなければいけないのは、日本の国を構成している人間というのは大多数が一つ国籍しか持っていなくて、こういう選択の場に立たされてどうしていいか困るという立場にはないということなんですね。ですから、考えてみれば、そんなことを仕方がないじゃないかと言うのが多くの人だと思いますけれども、やはりそういう場に立たされて困る人たちの気持ちというのを十分そんたくをして法律はつくっていかなければいけない、それが私の希望でございます。
  36. 天野等

    ○天野(等)委員 森木さんの場合には、具体的な当事者といいますか、選択について考えますと、当事者としては森木さんではなく森木さんのお子さんということになるのかと思いますけれども、そういう場合に、この選択制度子供についてどういうふうな意味を持つだろうかということで、お考えがございましたらお聞かせいただきたい。
  37. 森木和美

    森木参考人 本当なら、ここに私の子供を、娘も十五歳になるのですけれども、連れてきたかったのですが、一人ということでそれは不可能でございます。  私は五年前にこちらに来まして、子供たちは日本の学校にすぐ入れました。やはり教育委員会の許可は要りましたけれども、許可をされまして入らせていただきました。それで、割と無理なく育ったわけなんで、その前はブラジルにいましてポルトガル語をしゃべっていたわけです。ですから、彼女たちにとっては日本語とポルトガル語が自分たちの母国語なんです。私と話をするときは日本語、彼女は父親と話すときはポルトガル語と、そういうふうな感じで家庭生活を営んでおります。  それで、日本の学校に進みまして、今は高校一年生、公立の学校に受かりまして、この春から始めるわけなんですけれども、名前は、ガルシアという名前で学校に通っております。そして周囲の目は、お母さんが日本人、お父さんが外国人という正当な評価をしていただいているようです。そういうことは子供の目にとっては非常に正しい。大人から見れば、何か、混血児だなとか、そういう従来考えられてきた差別的な見方をされるようなときもあるのです。例えば、うちの子供を見て、日本語で話しかけないで英語で話しかけるという大人がたくさんいるわけなんです。でも、うちの子供は、英語はしゃべれませんと突っ返すわけですね。もちろん、そうなんです。彼女としては、自分は半分日本人で半分外国人なんだという、そういう意識があるわけです。それで学校の友達の評価というのは、そういう評価を彼女たちにやっている。子供たちの評価というのは正しいと私は思うのです。  それで、彼女が大人になってどうするかというのは、これはやはり親が決めるということではなしに、彼女たちの選択に任せたいと思うのです。それはもう、そうすることができる年齢になって彼女たちがやることだと思います。ですから、今回の選択制度年齢制限というのは二十二歳というふうになっているのですけれども、二十二歳ということがどこから生じるのかわかりませんけれども、二十二歳というのは普通でいきましたら大学を卒業する年でして、大学まで行きましたらの話なんですけれども、自分の将来を決めかねているという、そういう微妙な年齢だと思うのです。一年浪人しましたら、それはまた二十三歳になるわけなんで、そこの年齢制限という、そういうところが彼女たちにとってやはり大きな負担になるのではないか。  そういう選択というのは、ある日突然できることであるかもわからないし、ぐずぐずぐずっているようなこともあるかもわからない。そういう個人の差というのはやはり認めていただきたいと思うのです。ですから、今回の選択制度は、どうしても個人の自由な意思によって選択をするような法制度になっていただきたいと考える次第です。
  38. 天野等

    ○天野(等)委員 瀧岡さんにお尋ねしたいのですが、沖縄の無国籍児あるいは外国籍児の問題については、経過措置で漏れた場合に帰化等の方法によって考えることができるというのも一つの方法だと思うのです。  そこで、ちょっとお尋ねしたいのですが、先ほどのお話でも、帰化の申請の問題で時間がかかるというような問題がありましたけれども、時間的な問題だけなんでしょうか。この帰化の困難さというようなものが沖縄の場合にどういうふうに具体的にあるのか、その辺で少しお話をお聞かせいただきたいと思います。
  39. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 まず最初に、そういう問題を持っている方たちが相談に行くところは法務局なんです。地方法務局に行きます。そこで結局十分な説明もないままに、また書類の説明はこれこれということで、必要な書類のメモがございますから、それに記入されて渡されて、それっきりなんです。それで、それを持って本人たちがどこで何をとっていいのかさえわからない書類も出てくるわけです。それで、たまたまいろいろな人たちから聞いて私どもの事務所に来るわけですけれども、書類をそろえまして持って行きますと、法務局の中で、いやまだこれは足りない、あれが必要だということで、また返されます。それが足りないということでまたそろえて持って行きますと、まだこれが足りないということが出てくるわけです。ですから、書類のことを具体的に言うのは私もちょっとあれなんですけれども、彼らにしてみれば、まずそれを扱う窓口での対応が非常に丁寧親切でないということが、帰ってきてもう行くのが嫌だということが非常に多く声として上がってまいりました。  それで、私どもとしましては、そういうケースに関して、私も数年前に一度経験したことがあるのですけれども、ある無国籍子供を持つ親と一緒に、これは胎児認知の届け出によって無国籍になった方でしたけれども、どういうふうにこの問題を解決していいのか、法務局の課長とお会いしました。そうしましたら、その方がおっしゃるには、こういう問題は親が無知だから起こったのだという言葉だったのです。それは、本人と私を目の前にしてそういう言葉が返ってきたのです。  そういう一つの経験もありましたし、そして帰化申請に行かせますと、いろいろあれが足りない、これが足りないということで、何度も足を運ぶということでもう嫌だという声を何度も聞いたものですから、その後は、私どもの相談所で取り扱っているケースに関しましては、担当のケースワー力ーがついて行くことにしているのです。そうしますと、本人たちに後で聞きますと、我々がついて行くのと本人たちが申請に行くのとでは、対応が全然違うと言うのです。ですから、今の先生の御質問の答えになるかどうか私もわかりませんけれども、ただそういう現実だということを御理解いただきたいと思います。そして、何度も何度も書類が足りないということで突っ返されているというのが現状の問題としてございます。
  40. 天野等

    ○天野(等)委員 これはちょっと聞いた話でございますので不正確かもしれませんが、帰化の際に、いわゆる知能テストというよりはむしろ学力テストというのでしょうか、読み書きのテストというふうなものを課せられているというような話を私、耳にしたのですが、この実態はどんなふうなことでございましょうか。瀧岡さん、おわかりでございましたら。
  41. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 実態として、私が本人たちについて行ったときにはそういうテストは目の当たりに見たことはないのですけれども、本人たちが申請に行きますと、書類ももちろん目を通しますけれども、すぐ読み書きのテストがあるということは私も聞いております。それで、できないとまた勉強してくるようにということで、また出直すそうです。そういうことでよろしいでしょうか。
  42. 天野等

    ○天野(等)委員 どの程度のどういうふうな読み書きテストをさせているのか、おわかりですか。金城先生、おわかりでございますか。
  43. 金城清子

    金城参考人 私が帰化手続をしたときですけれども、小学校に入るということでしたから、あいうえお、かきくけこぐらいのものと、自分の名前を平仮名で書く程度ではございました。しかし、年が多くなってくればいろいろな問題が出てくるのじゃないかと思います。
  44. 天野等

    ○天野(等)委員 そうしますと、実態としては年齢に応じた読み書き、例えば十二歳であれば十二歳程度の読み書きというような形での要求をしているのでございましょうか。その点は金城先生でも瀧岡先生でも、どちらでも結構でございますが、もし実態を御存じでございましたら。
  45. 金城清子

    金城参考人 その点につきましては私もきちっと具体的には調べていないのですが、もう一つのケースでは、これは混血ではなくて全く中国人だったのです。そうしましたら、申請をしたけれども、そのときには日本語はほとんどできなかった。そこで、勉強してくるようにと言われているから毎日日本語のお勉強をしているのですよと言っていました。ですから、この人は成人でしたから、しゃべれて平仮名ぐらい書けるまで勉強しないと帰化はできないのだという了解をしていたようです。  それから、先ほどきょうだいの一人が却下されてしまい、不許可になったというケースがございましたけれども、あの場合には十九歳で、そして日本語をしゃべることは十分にできるが書けない、そこで、ほかのきょうだいは許可されたのにその子だけは許可されなかったということでございます。
  46. 天野等

    ○天野(等)委員 先生方には御協力いただきまして本当にありがとうございました。これをもって私の質問を終わります。
  47. 宮崎茂一

  48. 中村巖

    中村(巖)委員 本日は、参考人の先生方には大変貴重なお話を伺わせていただきまして大変にありがとうございます。冒頭に感謝を申し上げておきます。  早速、若干の時間、質問をさせていただきたいと思うわけでありますけれども、まず最初に星野参考人にお伺いをいたします。  今、ずっと話を伺ってまいりますと、今回の国籍法の問題で一つかなり大きな争点は、重国籍回避する必要があるのかどうかということになってこようかと思うわけであります。回避が必要であるということになれば、それなりの制度を導入しなければならないということになろうかと思うわけであります。その問題は、いみじくも星野先生が言われたように、結局二つ国籍のどちらも主張できるというものが仮に一つ利益だといたしますれば、その利益を法的に保護する必要があるのかどうかということに尽きようかと思うわけでございます。ほかの参考人の方々からもいろいろお話があったわけでありますけれども、それをも踏まえられて、先生のその点に関するお考え方をお聞かせ願いたいと思うわけでございます。
  49. 星野英一

    星野参考人 お答え申し上げます。  ただいまの点も一つございますが、むしろその点になりますと、結局、利益があって、そして逆に損失ということもあるわけでございまして、例えばある国の国籍を持っておりますと兵役につかなければならないというようなプラス・マイナスがありますので、差し引き勘定はなかなか難しいかと思いますけれども、さしあたり利益という点から申しますと、先ほど申し上げましたように、日本のほかの一般の、つまり日本国籍しか持っていない者とのバランスということがどうも私には割合強く感じられるわけでございます。  それから、その基本にありますところは、先ほど来お話しございましたように、御本人が両方の国籍を持ちたいという気持ちよりも、国籍を持つ権利があるかどうかという、そういう点が一つあるような感じがするわけでありますが、どうも私はそういうものがあるかどうかということに若干疑問を持っているわけでありまして、もちろん無国籍ということは非常に困る、その限りにおいては国籍を持つ権利がある、基本権であることはほとんど国際的な常識であろうと思います。つまり、無国籍にしてしまうような形で国籍を失わせるということは明らかに適当でありませんが、しかし、重国籍はやめろということはその問題とは全然別の問題ではないか、つまりその限りにおいては国籍を持つ権利はあるということは言えないのではないかというふうに考えているわけであります。  そもそも、これも先ほどちょっと触れましたように、一体血と国籍というものがどの程度つながっていると考えるべきかというのは実は根本問題でございまして、それがつながっていないという原則をとっている国も少なからずあるわけでございます。したがって、血イコール国籍だという考え方がいわば一種の人間としての自然権だということには到底ならないのであって、それを決めるファクターというのはもちろんいろいろな歴史的な非合理な要素もありましょうし、またいろいろ合理的なファクターというものもあろうかと思います。  そのように考えてまいりますと、そもそも血が二つ国籍にたまたままたがっているから当然生まれたときからいつに至るまでもその両方の国籍を持ち得るんだということにはならないような感じがいたしまして、それを考える際にはやはりいろいろなファクターを考慮しなければならないというふうに出しいます。  ただし、一方の親だけの血を国籍にする、つまり血統主義をとっていて片一方の親だけというのはいかにも適当でない。特に一方の親という場合に母親国籍だけという国はどこにもありませんで常に父親になりますけれども、それは適当ではないということもほとんど常識だと思います。一応両方の国籍を継ぎ得る形にはする。しかしながら、さてその後でどのようにして今度はそれを考慮していくかということになりますと、次の問題が出てくるわけでありまして、そこで重国籍でも構わないというかどうかという大問題になろうかと思うわけですけれども、これはやはり私といたしましては、必ずしも国の便利という問題ではないと思うのです。しかし、また他方個人の気持ちでもないのでありまして、法律というのは、もちろん個人を非常に大事にしなければいけませんけれども、いかなる個人の気持ちをも、いかなるものであっても尊重するというわけではないのであって、あくまでそれがある程度の合理性を持って主張できるかどうかという判断をする必要があろうかと思うわけであります。  しかし、これは繰り返して申しておりますように、一つ原理では決められないものですから、結局我が国一般国民の感情であるとか、あるいは重国籍に伴う明らかにいろいろな意味での不便ということもあるわけでありますから、それはやめる方が適当ではないかと考えるわけです。それから、もう一つ理由といたしましては、先ほど来、完全に重国籍は防ぎ切れないから放置したらいいというお考えもございましたけれども、完全に防ぎ得ないということは余りにも明らかなんですが、だから放置するほかないのか、それにもかかわらず少しでも重国籍をなくすという方向に、少なくともせめて日本国籍法は努力すべきであるのかというのが選択肢ではないかと私は思います。  私は国籍唯一主義というものに必ずしも固執しているわけでは毛頭ないわけなんですけれども、繰り返すまでもありませんようないろいろな不便その他があるものですから、あるいは不便というか、逆に申しますとほかの国民とのバランスといったような問題もあるものですから、さしあたり現在の制度としては、少なくとも日本国籍法においては日本国籍法でできる技術を使ってこの重国籍回避する努力をした方がよろしいのではないかというふうに考えているわけでございます。
  50. 中村巖

    中村(巖)委員 今、星野先生のお話を伺ったわけでありますけれども、金城先生あるいは森木先生のお話を伺っておりますと、星野先生が御指摘になられたように、国籍の問題について、殊に重国籍の問題について血のつながりというようなことを大変に重視をせられておるというような感じがいたすわけでございまして、お父さんの血もお母さんの血も継いでいるのだからというような、そういうような考え方が強いように思うわけでありますけれども、元来、国籍決定の契機というものは必ずしも血とは関係がないのだろうというふうに私ども思うわけでありまして、例えば帰化なんというものを考えてみますと、帰化によって国籍取得するわけでありますけれども、その場合に全然日本人の血のつながりがない人が帰化をして日本国籍取得してくるというようなことになるわけでありまして、したがいまして、国籍決定の契機について二重国籍の場合に余りにも血のつながりということを重視する考え方というのは何か私も納得ができないような感じがいたすわけでありますけれども、その点について金城参考人並びに森木参考人の御意見をお聞かせをいただきたいと思います。
  51. 金城清子

    金城参考人 お答えいたします。  血のつながりということですけれども、これは非常に象徴的に言ったまででして、父親の国の血を引いているから、母親の国の血を引いているから、だから両方なんだ、そう直截にくるわけではなくて、やはり父親の国とも生活環境が非常に密接になるだろうし、それから母親の国とも生活環境が密接になるだろう。したがって両方の国籍を持っていることがアイデンティティーを確立していくためにも、それから生活をしていくためにも非常に重要なことなんだという意味でございます。  二重国籍につきましては、両系平等ということから出てくる両方の、父親の国、母親の国という二重国籍と、それから出生地主義の国で生まれても二重国籍ということはできるわけですね。そういう人も、生まれた土地によって生まれた土地とも非常に密接な生活関係を持っている、それから両親の国とも密接な関係を持っているということは必然的に出てくるだろうと思うのです。ですから、血ということだけを私としては強調しているわけではなくて、その人が生活していく環境の中からやはり両方の国籍が必要だということが出てくるのではないか、そういう場合に寛大に見ていった方がいいのではないかというのが私の考え方です。  ただ、これは価値観の問題も含めて言えばかなり先のことになると思うのです。国際社会がもっともっと緊密になって、そしていろいろな国と緊密な関係を持っている人がどんどん出ていってそういう社会になってきたときには、国籍唯一原則なんということは国際社会は放棄していくだろう、そういう場合には二重国籍を持つ権利というものがきちっと権利として確立していくだろうという気がいたします。  ただ、この資料にも出ておりますけれども、現在国際結婚は非常に少ない。特に日本は西ドイツだとかスウェーデンだとか、ああいうヨーロッパの国に比べれば非常に少ないわけです。そういう中で先生方が、バランスということから考えても二重国籍なんていうのは認められないんじゃないか、そんな権利なんかないんじゃないかとおっしゃるのはやむを得ないという気は私としてはするのです。だけれども、やはり現在改正するとしたら、これは二十一世紀を見た改正であるということであれば、この点について寛大に見ていくというのがこれからの日本の国の法律のあり方ではないか。婦人差別撤廃条約は大変批准がおくれておりますけれども、のろのろとやってきた日本はすばらしい法律をつくってやってきたということであれば、これは、日本が国際社会の中で非常に経済的に強くなって、それをバックアップできるようなすばらしい法律日本がつくって、新しい法律のあり方というのを国際社会に提示していくというのは大変よろしいことではないかと思いますので、私としては現在でもこう考えているわけです。
  52. 森木和美

    森木参考人 たまたま父と母の国籍が違う、そういう環境の中で子供が育つということで、別に血のつながりがあるからそれに固執しているわけではございませんで、例えば私どもの家族がアメリカに住みまして子供がアメリカで生活していく場合、やはりそこのアメリカの環境というものは子供を育てていくんじゃないかと思います。ですから、そういう場合は、別に、父と母の血のつながりが第二義的になるんじゃないかと私は思っております。ですから、いろいろなケースがございますので、私どもひっくるめて言うことはできないと思うのですけれども、現在提起されております選択制度問題点というのは、選択する日本人選択しない日本人というものを分けるということが非常に問題があるのではないか。戸籍を見るとそういうことが記載されているというのは本当に問題があるんじゃないか、そういうことを心配することからくる二重国籍選択制度反対という意味でもございます。
  53. 中村巖

    中村(巖)委員 再び星野先生にお伺いをいたしますけれども、選択制度を導入しているのが今度の新しい法案でございますけれども、その場合に、結局のところ二十二歳までに選択をしろというような形になっているわけでございます。二十二歳という年齢までに選択をしなければならないということの合理性というか、そういうことを私ども考えているわけでございますけれども、確かにいつか選択しなければならないということになれば一定年齢を限らなければならないだろうということは考えるわけでありますが、二十二歳という年齢が本当にそれにふさわしい年齢であるのかどうかということは多々問題があろうかと思うわけでございまして、二十五歳でもあるいは三十歳でも、そういう年齢に達しますならば——判断力ということだけ考えますと、成年に達すれば判断力があるのだろうということになるわけでありますけれども、その判断力の根底をなすものは自分たちの生活実態というか生活の基礎の確立というようなことだろうと思うわけでございまして、そうなりますと、どうも二十二歳でも必ずしも合理性がない、むしろもっと高い年齢での選択というものを考えた方が合理的ではないかという感じが私はいたすわけでありますけれども、その点について先生の御意見を承りたいと思います。
  54. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  おっしゃいましたとおり、この年齢というのはきちっと完全に合理的な理由で割り切れるようなものではないだろうと思います。一方では、現在のかなり多くの人が大学に行って卒業が二十二歳だということを考えますと、そして、どうもモラトリアム人間なんて言われておりますので、その点から言うともう少し上げた方がいいではないかというようなお考えも十分成り立つかと思うのです。  しかし、他方では、これまた今後問題になると思いますけれども、現在世界で成年年齢引き下げをやっているわけでございます。これはどういうことかと申しますと、やはり日本のような国もありますけれども、他面では、いろいろな情報産業の発達等によりまして人が割合早熟になっているというような面もございますし、それから青年が社会にできるだけいろいろな形で早く参加したいというような気持ちもあるかもしれません。そのようなことで、かなり多くの西欧諸国では成年年齢の引き下げをやっておりますけれども、そういう点などから申しますと、もう少し下げてもいいという考え方も成り立ち得ないではありませんし、また別の観点から申しますと、実際かなり大学に入っているとはいうものの、一応高等学校を出たあたりがやはりわが国でもある程度の、もちろん現実には成年というのはございますけれども、事実問題として相当判断力があるというふうに社会的に期待されている年齢ではないかという見方もあり得ようかと思うわけです。  したがって、この問題は延ばす方のファクターと引き下げる方のファクターがございますけれども、さしあたり成年というあたりで、二十歳ということを起点として、それからあと二年がいいか三年がいいかというのは、これも大変難しい問題でございまして、ちょっと決め手もないのですけれども、さしあたりこの辺のところということで、別にこれに固執するような問題でもないと同時に、ぜひ延ばさなければいけないという問題でもないような感じを持っております。
  55. 中村巖

    中村(巖)委員 星野先生にばかりお伺いして恐縮でございますけれども、もう一つの問題として、重国籍回避のために選択制度のほかに留保制度というようなものが今あるわけでありますけれども、選択制度が導入されるということによって、必ずしも留保制度は必要ではないのではないか。留保制度も大きな機能を果たさなくなってしまうので、留保制度というものも無理やりに国籍選択させるような機能を果たしているわけでありますから、主体的に自分が選ぶ、またその選び方の問題として自主申告をするというか、そういうような形での選択制度の方が合理的であって、留保制度というものは不合理じゃないか。この際、留保制度をやめてしまったらどうなんだという意見もあるわけでありますけれども、その点について星野先生のお考えをお伺いいたしたいと思います。
  56. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  そういうような考え方も十分有力に成り立つとは思うわけであります。しかし、私自身はかなり国籍をどうかと考えるものでありますので、そういたしますと、選択というのは重国籍をはっきりと排除する制度でございますが、しかし、選択を余り早い時期に——もちろん、現在ではできるようになっておりますけれども、実際はそういうことは、少なくとも催告を経ての選択ということはないということになっておりまして、そういたしますと、未成年の間は重国籍という問題が起こるわけであります。  未成年の間の重国籍はそれほど問題はないという考え方も十分成り立つわけでありますけれども、例えば実際問題といたしまして、兵役などというような問題はかなり出てくる可能性があります。これは例の離脱というものが簡単にはできないということから出てくるわけでありまして、そういたしますと、やはり重国籍は深刻な問題を生むだろうと思います。そうだといたしますと、できれば早い時期にどちらかに決めるという可能性も残しておいた方がいいのではないかと思うわけです。  そして、これが日本国で生まれまして重国籍になった者につきましては日本という社会との関係がございますので、これを留保しろと言うことは適当だとは思いませんけれども、外国で生まれました場合につきましては、そこに親の生活の本拠があり、育てられており、当分は、恐らく成年あるいは学校を出るまでぐらいはそこにいるだろうということになります。その結果、そこの国で徴兵を受けるというようなこともあるかもしれません。徴兵の方は、これは離脱との関係でどうにもできませんけれども、それはともかくといたしまして、問題になりますのは、これもよく言われておりますように、日本国籍を持っている者が日本人である限りは兵役がない。つまり平和的な国民であるのに、たまたま重国籍であるために外国の兵役につくということ、これもちょっと何となくすっきりしないという御意見が、これは重国籍を好ましくないと考え考え方一つ理由にはなっているわけですが、そういう問題がここでは起こってくるのではないかというふうに思います。  いずれにいたしましても、子供が生まれた。もちろん離脱という制度はありますけれども、やはり生まれたところで一つチョイスをさせてしまう。そして日本国籍も維持したいと親が思うならば、それは維持させるということで留保する。しかし、留保しない人はそのままにしておけばいいという形で、少しでも重国籍をなくしていくという方がいいのではないかというふうに思っております。  特に現在の、これは実は中間試案というものが出たのですが、あれにつきましてはいろいろ御批判がありまして現在の案になっておりますけれども、現在の案ですと、重国籍の者を十分に把握できないために催告しないでずっと重国籍が残るという場合があります。そういたしますと、いろいろな意味で穴があいてしまうわけであります。もちろん、これで穴のあきっ放しの場合もあるわけですけれども、外国で生まれた者に関する限りはその穴があかないようにしておいた方がいいのではないか。そういたしますと、これは留保という手段とセットになりますと極めてうまくいくわけでありまして、留保した者についてだけ催告をすればよろしいということになるので、その点は非常にスムーズにいくのではないかというふうに考えております。  なお、この点に関しまして、未成年の間の重国籍はいいではないかというお考えもありますが、先ほど私は血の問題、血と国籍は必ずしもつながらないと申したのですが、文化ということをおっしゃいまして、確かに家族の中では父親母親がそれぞれの文化を負うておりますから、家庭の中では二文化的でありましょうけれども、しかし、家庭を包んでおります社会というものは一つだけなのでありまして、日本外国がどちらかということになります。問題はやはりそういったいろいろな経済生活等と、まあ未成年の場合には政治はございませんけれども、あるいは社会保障などとの関連も出てくるわけで、そういう広い意味での社会的な関係、そういう意味での地縁ということを私はやはり考えたいと思うわけでありまして、両親の文化的な違いがあるからということもちょっと国籍に直ちに結びつくとは言いがたい、やはり国籍に結びつくのはもうちょっと広い、いわば両親子供、家族を包んでおります社会、地域社会と申しましょうか、そういう社会とのつながりというものは非常に考える必要があるというふうに考えます。そういたしますと、その留保という制度かなり合理性があるというふうに考えている次第でございます。
  57. 中村巖

    中村(巖)委員 最後に一点だけ、今度は瀧岡参考人にお伺いをいたしますけれども、沖縄におきまして重国籍の方々がおられるということで、日本人の女性で外国の男性と結婚をして、なおかつその外国の男性が居住条件等を満たしていないために無国籍になってしまうという子供さんがあるようでございますけれども、これが法務省のお調べによりますと、こういう人で二十歳以上である人というのは一人か二人しかいないのだ、こういうようなお話でございますけれども、実際としてそうであるかどうかということが一点。  それから、日本人外国人の男性と結婚しまして子供さんが生まれて、そのためにその子供さんが外国籍、つまりアメリカ籍ならアメリカ籍になっておってもう既に二十歳を超えていて、しかも、なおかつ日本国籍取得したい、こういう希望をする人が実態としてどのくらいありましょうか、その点についてお伺いをいたしたいと思います。
  58. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 まず一点に関してですけれども、今おっしゃったような無国籍の二十歳以上の者というのは、ちょうどこちらからこの委員会参考人としてのお話があった日に、今まで我々の相談所では二人のそういう問題を扱っていたのですけれども、やっと日本国籍取得できたということで連絡を受けましたので、当相談所としては一件もございません。ですけれども、いるということは聞いております。  それと二つ目の御質問ですが、外国籍で二十歳を超える件数というのは、これは私どもの相談所で扱っている件数だけしかお話しすることができないのですけれども、現在二十人おります。そして、先ほども言いましたけれども、また来年には二十歳になるという子供たちが二人おります。
  59. 中村巖

    中村(巖)委員 どうもありがとうございました。
  60. 宮崎茂一

    宮崎委員長 三浦隆君。
  61. 三浦隆

    三浦(隆)委員 本日は参考人の諸先生方、お忙しいところありがとうございます。また、大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして、大変参考になります。  本日は重国籍の問題が大変話題になっているかと思いますけれども、二重国籍を持つ権利を主張するといった場合、一般的に基本的人権の主張と国の公共の福祉との関連がやはりあろうかと思うのですが、特に重国籍がどうしても必要なんだ、重国籍でないと不利益なんだということについての御意見、具体的に金城先生あるいは森木さん、瀧岡さんからお話をお聞きしたいと思います。  先ほど例えばパスポートの例が出たり、あるいはお仕事の都合でというようにお伺いしたのですが、それだけでは特段に重国籍でないと不利だというには若干足りないような気もするのですが、どんなものでしょうか。改めてお伺いしたいと思います。
  62. 金城清子

    金城参考人 私もその点につきましてははっきりとどういうところということがかなり難しいわけですね。私が一番考えますのは、やはり強制されるのが一番嫌だということではないかと思うのですわ。先ほど森木さんも言っていましたけれども、子供は間もなくどちらかの国籍選択していかなければいけないのだろうと思う。一生二重国籍で生きていくということではないだろう。中にはそういう人もいるのではないかと思います。だけれども、そうではなくて一般の人たちは、それぞれ成長して、自分の生活の本拠をここに構える、そしてこの国で一生生きていくということになってくるだろうと思うのです。ただ、それが何歳のときにできるかというと、これは必ずしも二十歳から二十二歳というのが妥当ではないかもしれない。それは星野先生の方でも子の年齢というのは大変流動的だという御意見だったと思います。いつでも選択できるような今の形にしておけば、少なくとも二十歳からは選択ができるということにしておけば、これは選択の時期を下げる契機もあるし、それから上げる契機もあるとおっしゃいましたけれども、下げる契機の方は選択の自由を保障しておけば問題はないわけですね、二十歳を超えてから。  現在のところは生まれたときから選択ができるということになっていますけれども、私はこれはやはり成年になって本人意思選択をするということを保障するためには、二十歳を超えてから二十二歳の間にという規定が必要だと思います。そういう意味で、二十歳を超えてから選択ができるということにしておけば、選択年齢を下げていく必要というのはなくなるのではないか。しかも国籍離脱の自由というのは一応憲法上の権利としてございますので、何も国籍法でそこまで見なくても一つ国籍になるのであればいつでもできるのではないかと思います。ですから、国籍法の問題といたしましては、やがては選択をするということを考えて、むしろ選択年齢というのを、いつまでに選択しなければいけないという年齢を上げていくといったような方向考えていったらいいのではないかと思います。  直接のお答えとしては、では二重国籍でないと何が困るかということに対することですけれども、先ほど申し上げたような日常のかなり細々したこと、しかし、それは国の力によってどちらかと言われると非常に自由の侵害ということを感じる状況に特に二重国籍を持つ人たちはあるのだということですね。そこを御了解いただきたいと思います。  それから現行の国籍法戸籍法では、選択をいたしますと、選択をしたこと、それからどの国籍を持っているのかということを戸籍に記載するということになっているのですね。これはかなり具体的な差別としてあらわれる可能性があるのではないかと思うのです。二十歳までにしなければいけない。そうすると、まさに就職の時期には大体選択を終わっていなければいけない。そうすると、就職のときに必ず、この人は二重国籍だ、しかもどこの国と国籍が二重かと言えば、ソ連だ、アメリカだ、ポーランドだということが戸籍簿を見るとはっきりしてしまう。そうすると、いろいろそういうことに結びついて、そういうことになってくると、やはりマイノリティーに対する非常な差別に当たるのではないか。そういう戸籍法の記載と合体をして、やはり二重国籍を持つ権利ということを認めておけば、こんな戸籍上の記載もないわけですから、そういうことも考えられるのではないかと思います。  それについては、もちろん回避の方法としては戸籍には書かない、戸籍はあくまでも身分登録制度として純化をしていくという方向考えていけばいいわけです。この国籍法及び戸籍法改正案のとおりだと、二重国籍を持てないということが就職差別その他の差別につながる、結婚差別にもつながるかもしれません。そういう問題を起こしてくるんだということが言えると思います。
  63. 森木和美

    森木参考人 世界の趨勢として内外人平等ということがよく言われるのですけれども、まだまだ国によっては外国人とその国の国民とが区別されているという現状がございまして、日本におきましても、外国人で生活していくということは、日本の国へ入るということから始まって死ぬまで一生それがつきまとうわけです。それはもう学校教育、そして就職に至るまで、そしてこのごろは社会制度日本は割と整備されてきて、外国人に対しても社会保障が行き届くようになりましたけれども、やはり外国人として生活するということは、そこの国の国民と区別されて生活しなければならないという状況に陥っているわけです。まず外国人登録があったり指紋押捺制度があったりということで、私たちの夫はそういう身分になっておりますので非常に痛感しているわけです。  それで、先ほどギリシャの例をとって説明しましたけれども、やはりそこの国で生活していくにはそこの国の国籍が必要である、それはもう一生の問題であって、就職ができないという理由は別にどうでもいいのではないかというようなおっしゃり方だったのですけれども、就職ができないということは人の一生で大変重要な問題だと思うのです。そういう意味で、おわかり願いたいと私は思うのです。二つ国籍を持つ子供を育てる側に立たないと、こういうことはおわかり願えないのではないかと、何か先ほどからの御質問を聞いておりましたら痛感するのです。本当にわかっていただくためには、やはり国際結婚をなさっていただいて経験していただくより仕方ないのじゃないか、そこまで考えてしまうわけなのですけれども、そういうところは何とか御理解くださるようにお願いします。
  64. 三浦隆

    三浦(隆)委員 個人として二重国籍を持つ権利を主張されるといった場合の何かちょっと具体的な、特にその権利を認めた場合と、今度認めたために障害が起きることが予想されますね、そのバランスを考えた場合に、どんな障害があろうとも認めた方がいいのだという論拠が何かないと、確かにお仕事のこともあろうかと思いますが、例えば日本の場合に外国の人だからといって日本で仕事するときにどういうふうなマイナス点が出るのか。いろいろとあるかと思いますが、それぞれの国の状況によっても違いがあるし、逆に言えば社会保障の問題あるいは教育上の問題、あるいは仕事で言えば鉱業法による鉱業権の取得の問題など、単一の国籍を持つよりも二つ国籍を持っていた方が有利になってしまうのじゃないかというふうに考えられると、圧倒的多くの人々を納得させるには今のお話だけだともう一歩足りないような気がするのですね。  それからもう一つ、よく言う国家への忠誠義務というのを規定する国々もありますけれども、例えば二重国籍の場合に、今でも外交官に対しては特別のあれはあるのですが、そのほか仮に警察、公務員とか、そうした人々に対する問題、あるいは星野先生からありました兵役の義務の問題点とか、あるいは日本で言えば参政権のような問題点とか、さまざまにあろうかと思うのです。あるいはこの間ここの法務委員会では指紋の問題なども取り上げたのです。外国人登録法上に言う指紋の場合に、重国籍の人はどういうふうな取り扱いになるのか、これまたよくわかりませんけれども、とにかくそうしたいろいろな予想される問題があります。しかし、それも二十一世紀を見通して開かれた国籍法をという主張であれば、それも私は立派な一つ意見のように思うのですけれども、それを主張するには、今まで予想される障害を乗り越えてでも認めた方がいいという何かもう少ししっかりとした主張がないとちょっと弱いんだなという気が、お伺いしている限りではいたしたのです。  そういう意味で、しかし、いや、これは違う、もっと補足したいという御意見がもしあれば、簡単にお述べいただければいいと思います。
  65. 森木和美

    森木参考人 日本外国人として住むのに就職差別があるのかどうかということは、もう明らかにございます。日本の企業に外国人が就職するということは、嘱託としてしか就職できないということが現実の問題としてあるわけです。ここに外国人の記者の方がいらしていますけれども、その方でさえも一年ごとの契約を繰り返して仕事をしているということです。ですから、外国人として日本で生活をしていくにはそういう問題があるということです。ですから、一つ国籍に絞った場合、外国で生活していくのがいかに困難なものであるかということを知っていただきたいと思います。
  66. 三浦隆

    三浦(隆)委員 星野先生にお伺いしたいと思うのですけれども、我が国の都合によって旧植民地の人々について選択の自由というか、それこそ選択権を認めないで、一昔前に植民地の人を日本国籍、日本人にしてみたり、あるいは戦争が終わってから外国人にしてみたりと、全く日本の国の理由によって一方的にしたと思うのです。私は一般的に二重国籍をというのではないのですが、そういういわゆる日本に在日していた旧植民地の人々くらいは二重国籍を認めてもいいのかなと思うのですが、先生、どうでしょうか。
  67. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  私も難しい問題で余りよく考えたことはございませんけれども、この旧植民地の場合には、植民地にした場合にどういうふうにこの人の国籍と申しましょうか、その身分を扱うかという問題が一つ他方におきましては、これが植民地から離れて独立いたしました場合にどうするかという問題がございまして、どうもそちらとの関係で、植民地にするのは勝手にしているかもしれませんが、独立した後にどうするかというのは世界的にいろいろ問題があったかと思います。その場合に、勝手にしたのかどうかというのは、私ちょっとよく理解しておりません。  それから旧植民地の方々という問題ではないように思うのです。つまり、今後問題になりますのは、これからのことが問題になりまして、後この法律をいかに遡及させるかということの問題だと思います。したがって、現在重国籍でおられます方に関しまして、選択でどうしようということは今回はなっておらないわけでございますので、その問題にはならないように思うのでございます。  あるいは私が御質問の趣旨を取り違えたのかもしれませんが……。
  68. 三浦隆

    三浦(隆)委員 質問の仕方がちょっと悪かったのかもしれませんが、今の国籍法の問題で実は問うたのではないのです。  例えば、かつての朝鮮半島の人々は、日本の植民地ということで日本人になったわけですね。ところが、戦争が負けてから、特に平和条約発効後、一方的にその人たちはまた韓国なり北朝鮮の国籍になったわけですね。特に在日していた人々には、そのときに日本国籍取得するか、あるいは朝鮮半島なりの国籍取得するかの選択の自由を認めてなかったと思うのですね。それに対して西ドイツのオーストリアに対する隊とか、あるいはイギリスの旧植民地に対する姿勢とか、その場合には、そうした人々と話し合いというのはかなり行われたと思うのです。我が国は一方的に行わなかったと思うのです。ですから、私は、日本国籍を希望する人があれば、そのときに認めてもよかったんじゃないかなというふうに思ったわけです。国籍法の問題とちょっと外れましたが、実はこの間も法務委員会でやったものですから、先生の御意見を例えればなというふうに思ったわけでございます。  与えられた時間も来たようでございますので、私の質問はこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。
  69. 宮崎茂一

  70. 野間友一

    野間委員 参考人の皆さん本当にお疲れさまでございます。私が最後の質問者ということで、もう少しの御辛抱をお願いしたいと思います。  時間が限られておりますので、重複を避けまして幾つかの問題についてさらにお伺いしたいと思います。  一つは、金城先生、星野先生にお伺いしたいのは、現国籍法のいわゆる父系血統主義と憲法十四条ないしは二十四条の関係についてどうおとらえになるのか。先ほど星野先生は、今度の改正について、差別撤廃条約という外圧だけではなくて憲法二十四条というような御指摘があったと思いますけれども、まずその点について両先生の御所見を承りたいと思います。
  71. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  これは非常に難しい問題でありまして、私は、現在の段階ではかなり違憲の疑いが強くなってきているのではないかと思いますが、果たして国籍法立法いたしました当時にそうであったかということは、これまた逆に多分に疑問に思っております。当時の記録を見ましても、あるいは当時のいろいろ書いたものを見ましても、若干男女平等の問題が出ておるようですけれども、違憲という余り強い意見は出ておらないようでございます。私は、憲法の考え方、違憲かどうかというようなことも結局時代によってかなり変わってくると思いますので、一般の人の意識の変化あるいは社会情勢の変化で十分変わっていき得るだろうと考えております。したがって、ある時期には違憲ではなくても別の時期に違憲となるだろうということは理論的にあり得ると考えておりますけれども、さて今度は、そうなりますと、いつから、どの瞬間からかというような問題になってまいりますと非常に難しい問題がありまして、私もこの点はっきりしたことは申しかねるわけであります。ただ、非常に疑いが強いと思っております。  そうなりました場合に、違憲と簡単に言いにくい点がありますのは、例の遡及との関係があるだろうと思います。私自身は現在の段階と考えておりますので、遡及という問題は余り考える必要はないだろうと思います。仮に違憲と考えたといたしましても、西ドイツなんかでは完全に遡及はしておりませんので、問題は、それぞれの国におきまして違憲判決が仮に出たといたしまして、その効力をどう見るか。これは一体現行法の効力をどうするのか、あるいは立法府に対してどういう義務を課するのかといった非常に難しい問題が起こってくるかと思います。  そういう問題もあるのでしょうか、御承知のとおり我が国の裁判所ではさしあたり違憲とはしておりませんけれども、いずれにいたしましてもそのような難しい問題を含んでおりますので、私は自信はございませんが、さしあたりは現在の段階ではそろそろ違憲の疑いが濃くなってきたのではないかと考えます。
  72. 金城清子

    金城参考人 御承知のように、裁判所では違憲とは言わないで、その判断を避けている。しかし、私としましては、これは違憲であるというふうに明白に言えるのではないかと思います。ところが、どうして今までそういうことではなく現在まで来ているかと言えば、日本では男女平等とは何なのかということについての理解がまだまだ完全にいっていないということなのではないかと思います。女性差別撤廃条約ができまして、これこそ男女平等の原則なんだということがはっきりしてまいりました。そうすると、いろいろ理屈をつけて、これは平等に反しないと言っていたようなこと、これはみんな合理的な差別なんだ、区別なんだと言われてきたこと、いっぱいございますけれども、こういうものについては改めてすべて統一的に見ていかなければいけないということが言えると思います。ですから、国籍法は父系血統主義ですか、これは立法のときから違憲だったというのが私は正しいと思います。  それから、違憲だと言えば遡及効は憲法制定時まで戻らなければいけないということでございます。西ドイツでは先ほど男女平等権の制定まではさかのぼらないということだったのですけれども、これは西ドイツはさかのぼっているんですね。どうしてかというと、西ドイツは戦後の憲法ができてからすぐ男女平等権を規定してないのです。しばらくたってから男女平等権は憲法の中に入っていて、その意味では日本の方が非常に進んでいたわけですね。ですから、憲法の中に男女平等権が入った時期までは、国籍法改正の遡及効をさかのぼらせております。ということは、父系優先血統主義は違憲である、したがって、その違憲になった時点まで、憲法に男女平等条項が入ったところまではさかのぼらせたというのが西ドイツの現状でございます。
  73. 野間友一

    野間委員 時間が十五分というように私、限られておりますので、えらい恐縮ですが……。  続きまして、星野先生、今も若干言及されましたけれども、仮に違憲かどうかについて、違憲でないという立場をとっても、例えば経過規定の五条ですが、これを未成年、つまり四十年一月一日からというふうに未成年者に切ることなく、新しい憲法施行後ということで先ほどからたくさんの方からも御意見が出ておりますし、特に沖縄の瀧岡参考人からも強い要望が出ておりますけれども、私は立法政策上、そういうふうに新憲法施行時までさかのぼって届け出による国籍取得を認めること自体必要ではないか、またできるという考え方を持っておりますけれども、その点、いかがでしょう。
  74. 星野英一

    星野参考人 お答えいたします。  おっしゃるとおり、それをすることはできるわけだと思います。これはやはり立法政策の問題でありまして、どの程度までということですが、ここでこの問題に関しましては、今回の改正のほかの規定との関係があると思います。さっきもちょっと触れましたように、ある程度、成年になりましたときには、むしろこれは帰化でいくと申しましょうか、その本人考え方、そのほか帰化要件の審査ということを加えて見ていった方がいいのではないかということがあろうかと思います。そういう点で、それがほかにも出ておりまして、この点に関しましても違憲ではない——違憲だと考えた場合でも、私は立法政策で決め得ると思いますけれども、違憲でないと考えました場合には、特にそのような考慮が要るのではないかというふうに考えているわけでございます。  なお、もう一つ申し上げますと、さかのぼるかどうか。違憲でないという立場を仮にとったといたしますと、今度はさかのぼるということがある意味である方々に非常に便宜を与えるということになりますものですから、もちろんその当事者に利益を与えることならば幾らでも与えた方がいいという考え方もあるわけですので、もっとさかのぼってもいいのですね。つまり、もしも仮に、本来父系主義はまずいんだ、つまりこの新憲法がなくても、本来父系主義はまずいんだという考え方もあり得るわけですし、そういう自然権といいますか、自然法的なものもあるという考え方をとれば、これは旧憲法時代にさかのぼっちゃっていいという考え方も、立法政策としてはどちらもあり得るわけですね。ですから、やはりこれもいろんな配慮が要ると思います。  そこで、私などは一応成年のところで切るというところが妥当ではないかという、先ほど申し上げました点とのコンシステンシーなども考えているわけでございます。
  75. 野間友一

    野間委員 ただ、まさに立法政策上の問題なんですけれども、これは経過措置なんで、いわば一過性のものですね、三年以内にとにかくこれで救っていくということなんです。特に瀧岡さんからも話がありましたが、沖縄の無国籍児の問題、私も調査に参りましたけれども、今もお話を聞きまして大変身につまされる思いを私はしました。ですから、この五条については、そういうふうにこれで三年間の期限を切ってこの中で救っていくということですから、今の切実な、量でなくて質なんだという瀧岡さんのお話にもありましたように、少なくとも新憲法施行時までさかのぼってこの届け出による国籍取得を認めるのが立法政策的にも適切ではなかろうか、こういうふうに私は考えるのですけれども、これについて簡潔で結構ですから、金城先生から。
  76. 金城清子

    金城参考人 まず、父系優先血統主義が違憲であるということになれば、私は、何も立法政策の問題だから旧憲法までさかのぼるという必要はないので、新しい憲法ができたときというのが一つのメルクマールになると思います。  それからもう一つは、沖縄の問題を解決するには、これはどうしても新憲法が制定されたときまでさかのぼらないと、少しずつ漏れてしまっている人がいるのですね。しかも、その人たちは、では帰化でいいじゃないか、もう一回きちっと審査をしていいじゃないかというと、どうしようもなく帰化ができないという人が出てくる。そういうことを考えましたら、これはどうしても——だから、沖縄だけというのは私は言いたくないのですね。同じような立場の人は日本全国、基地の周辺にはいるでしょう。ですから、三年間という期限を区切るわけですから、やはり新憲法までさかのぼらせて遡及効は持たせる。そこで沖縄の問題もすべて解決しますし、それから両系平等主義採用しなかったことによるいろいろな問題もすべてここで全部終わりということになりますので、やはりそれが望ましいと思います。
  77. 野間友一

    野間委員 次の問題ですが、戸籍に関してお伺いしたいと思います。  これはどなたにお聞きしましょうか。森木さんにお聞きしたらいいのかもわかりませんし、あるいは金城先生にもお聞きしたらいいのかもわかりませんが、今度の改正の百四条の三の問題です。要するに、市町村長が地方法務局に対して二重国籍についての実態を全部掌握する、これが選択の催告権の一つの基礎というかデータにもなるという仕組みになっておるわけですね。そこで、いろいろ今出ておりますような心配、こういうふうにして二重国籍をどこかで名簿をつくるなりなんなりするということ自体が、人権の問題なりあるいはプライバシーの問題、この点で一体いかがなものかということだと思うのです。そこで、いろいろ言われておりますが、市町村長のところでこれを掌握するという考え方とか、あるいは国がこれを全国的ににらんでというようなことも、法務省はそうは考えておりませんが、いろいう言われている説もあるわけです。  そこで、これは立法政策上あるいは運用上、人権侵害とかあるいはプライバシーの侵害ということにならないためにはどういう配意が必要なのかということ、これも瀧岡さんも含めて御三方から御意見をお伺いして、質問を終わりたいと思います。
  78. 金城清子

    金城参考人 私は、選択制度をとって、そしてとにかくどちらかを選択しなさいという限りは、こういうことが出てきてしまうというのは仕方がないと思うのです。しかもこれが、もちろん法務省はコンピューター化するつもりはないというようなことをおっしゃっていますけれども、選択制度を見込んで留保制度を置いたという経過もございますから、これは法律とは関係なしに、どういうようなことになるか、私は何とも言えない。しかも、科学技術はどんどん発達していく、人間がとめてもとめられないような流れというのがどうしても出てくると思うのです。ですから、私は、先ほど戸籍簿というものを身分登録制度として純化させるように、国籍登録簿としての役割はなるべく果たさせないようにということを話したのですけれども、やはりそちらを見てみますと、そういうことが出てくる。したがって、私としては、この立法技術をどうしたらどうなるかという問題ではなくて、国籍選択制度そのものからこれは出てくる、そして、そういうものを背景にして戸籍をすべてコンピューター化して国民の生活を一々管理をしていくという方向に向かっていく一つの契機になるというふうに考えておりますので、選択制度は大変問題だということなんです。
  79. 森木和美

    森木参考人 部落解放同盟の今までの運動の経過といたしまして、就職の際に戸籍の提示をしなくてもいいという、そういうものをから取ったということはちょっと聞いたことがあるのです。ということは、やはり戸籍を見て、日本人の間でも就職をする際に、採る者と採らない者ができてきているんだというようなことだと思われるのです。それで、その戸籍の中に、選択制度を導入することによって選択の宣言を書くということは、やはりその戸籍によって日本人を区別する結果になるということで、私はこういう意味からも選択制度には大変反対しております。
  80. 瀧岡直美

    瀧岡参考人 ただいま金城先生と森木さんがお話しなさったので、私が言うすべはないのですけれども、ただ、現在でも無国籍から帰化をして日本国籍取得した場合に、従来の無国籍であったということと、そしてこの方が無国籍のときに名のっていた外国名が戸籍に載ってくるわけです。だから、せっかく日本国籍取得したにもかかわらず、就職の際、その戸籍を提出を余儀なくされる場合、元の国籍が何であったかということがわかるということで、非常に嫌だという声が多く上がっております。  あとはお二人の方がおっしゃったことと同じですので、省略させていただきます。
  81. 野間友一

    野間委員 大変貴重な御意見を承りまして、ありがとうございました。  これで終わります。
  82. 宮崎茂一

    宮崎委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時三十七分散会