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1984-06-27 第101回国会 衆議院 文教委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年六月二十七日(水曜日)     午前十時三十三分開議 出席委員   委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 馬場  昇君 理事 有島 重武君    理事 中野 寛成君       青木 正久君    稻葉  修君       臼井日出男君    榎本 和平君       大島 理森君    北川 正恭君       葉梨 信行君    町村 信孝君       渡辺 栄一君    木島喜兵衞君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    池田 克也君       伏屋 修治君    滝沢 幸助君       藤木 洋子君    山原健二郎君       江田 五月君  出席政府委員         文部政務次官  中村  靖君         文部大臣官房長 西崎 清久君  委員外出席者         参  考  人         (日本経済新聞         社論説委員)  黒羽 亮一君         参  考  人         (東京大学新聞         研究所教授)  稲葉三千男君         参  考  人         (常葉学園理事         長)      木宮 和彦君         参  考  人         (千葉大学教育         学部教授)   三輪 定宣君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 六月二十五日  辞任        補欠選任   木島喜兵衞君    上西 和郎君 同日  辞任        補欠選任   上西 和郎君    木島喜兵衞君 同月二十七日  辞任        補欠選任   二階 俊博君    大島 理森君 同日  辞任        補欠選任   大島 理森君    二階 俊博君     ————————————— 六月二十五日、  養護教諭配置等に関する請願外二件(木島喜  兵衛君紹介)(第六八六二号)  同(中村茂紹介)(第六九一四号)  教育職員免許法等の一部を改正する法律案反対  等に関する請願外三件(佐藤誼紹介)(第六  八七七号)  同(田中克彦紹介)(第六九七〇号)  私学助成の増額に関する請願青山丘紹介)  (第六九〇八号)  同(伊藤英成紹介)(第六九〇九号)  同(春日一幸紹介)(第六九一〇号)  同(近藤豊紹介)(第六九一一号)  同(塚本三郎紹介)(第六九一二号)  同(横江金夫紹介)(第六九六七号)  同外四件(横山利秋紹介)(第六九六八号)  私学助成に関する請願松野幸泰紹介)(第  六九一三号)  同(古屋亨紹介)(第六九六九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本育英会法案内閣提出第二五号)      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより会議を開きます。  内閣提出日本育英会法案議題といたします。  本日は、参考人として、日本経済新聞社論説委員黒羽亮一君、東京大学新聞研究所教授稲葉三千男君、常葉学園理事長木宮和彦君、千葉大学教育学部教授三輪定宣君、以上四名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、ただいま議題となっております日本育英会法案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、参考人から御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただいた後、委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を受けることとなっております。  それでは、まず黒羽参考人にお願いいたします。
  3. 黒羽亮一

    黒羽参考人 日本経済新聞黒羽であります。  この日本育英会法案に対して、私は、早期に成立を図るべきであるという立場から意見を申し上げます。  総論として、なぜ早くできた方がよろしいかと申しますと、現在の財政状況育英奨学事業重要性という二点を加味いたしますと、育英奨学事業拡充発展させるような法律になっているようでありまして、基本的な方向としては賛成であります。  以下、若干具体的なその理由を申し上げます。  まず第一点は、今回のこの改正は第二臨調答申を踏まえたものであるというふうに言われております。確かに発端はそこにあったようでありますが、その後文部省内に育英奨学事業に関する調査研究会という組織が設けられまして、私もその末席に参加していた者であります。そこで諸外国奨学事業実情調査とか、それから関係団体からの意見聴取などをかなり詳細に行いました。期間は大体一年半くらいにわたったと思います。そして昨年、その報告文部省に提出したわけでありますが、法案を拝見いたしますと、ほぼそのような線でできているようであります。それから、所要の予算措置も五十九年度予算政府案に盛り込まれておるわけでありまして、そういう意味からいけば、素人なりに一種の予算関連法案かと思考するわけであります。したがって、臨調答申の影響は受けてはいるが、それをそのまま実施したというものではなく、教育政策あるいは文教政策と言ってもよいかもしれませんが、その観点から十分にそしゃくされているものであるというふうに思うわけです。  二、三例を申し上げますと、臨調答申では「外部資金導入による有利子制度への転換」というようなことが言われておりまして、すべてを有利子制度に転換するというような答申であったようでありますが、文部省で開かれました調査会報告では、無利子制度というものをやはり根幹として存続してそれを改善していくということをまず第一点として挙げまして、第二点として、しかしながら今日の財政事情のもとでは、育英奨学事業規模拡大のためには外部資金導入してそれを長期低利で貸し付けるという制度も入れる、両々相までは育英奨学事業拡大するのではないかというふうな考え方に立ちました。  もう一点は、臨調答申では返還免除制度というものの廃止を進めるというような表現がございますが、調査会報告では、学校教育学術研究のための人材確保という非常に重要な問題のためにこの制度は引き続き存続すべきものであるというような意見を取りまとめました。本法案もこの調査会の線に沿っているようであります。  それから第三点といたしまして、この調査会では各国の奨学事業なども検討したわけでありますが、先進国と言われます欧米と比べまして、日本奨学事業規模においてもその内容においても、かなり見劣っております。ヨーロッパ、アメリカなどにおいては給与制度というようなものがかなり発展しております。もちろん今の育英会のような無利子貸与もありますし、ローンもあることはあるわけですが、しかし給与制度というようなものも相当に発展しております。それに対して、我が国実質的給与になるのは返還免除のある教員に就職した場合とか学術研究者になった場合だけであります。そういうような違いがあります。それから金額的に見ましても、我が国育英奨学事業は、民間の分を含めてもせいぜい千二百億円か千三百億円ぐらいでありますが、アメリカの場合は、いろいろな計算の仕方がありますけれども、日本円に直すと一兆五千億円ぐらいになるのではないか。西ドイツの場合は四千億円ぐらいになるのではないかというような試算もあるわけでありまして、こういうものとの比較もいたしました。  そこで、我が国育英奨学事業は、長期的に見ればこういう先進国を目標に拡大していかなければならないのではありますが、どうも現在の財政事情も大変深刻な状況であります。そこで、この深刻な財政事情のもとでも育英事業拡大を図っていくためには、やはり一般会計に依存しているという形だけではかなり無理があるのではないかというような感じであります。  その次に、最近の高等教育拡大傾向というようなものを考えてみる必要があると思います。現在、大学短大学生数は二百万人を超しているわけでありまして、これは国民に経済的な余裕があるからこれだけ進学が伸びたとは思いますが、また一面、そういうような進学拡大ムードの中で学費が乏しくて困っている人も、全体の量がふえるのに伴って、それに比例してふえているわけであります。先般も、この法案がなかなか成立しないために各大学で困っている表情が新聞、テレビなどで一斉に報道されましたけれども、その後も、私も仕事柄大学先生に会う機会が多いわけでありますが、似たような話をよく聞いておるわけでありまして、そういう面からいけば、恩恵を受ける学生の数でも金額でも拡充していく必要があるのではないかと思います。  それで、新しく始まるこの有利子制度金額にして六十億円分というようなことで、育英会事業規模の一割にも満たない数でありますが、しかし、これも拡充のための新しい手段になるのではないかと思うわけであります。利子も、財投の利率はたしか七%以上と聞いておりますが、利子補給がありまして三%ということになっております。今日の消費者物価上昇率その他を考えますと、三%の利子というのは、事実上は将来所得があるようになれば特に負担にはならない、毎年の経済規模拡大ぐらいの数字なので、この程度でよろしいのではないかと思うわけであります。  それから次に、先ほどもちょっと申しましたように、我が国育英奨学事業総額千二百億とか千三百億ぐらいの範囲の中で育英会奨学事業の占めているウエートが千億を超しておりまして、非常に大きいわけです。多数の民間育英奨学事業がありますけれども、それぞれ規模は非常に小さいものでありまして、その総額というのは三百億円あるかないかぐらいと承っております。この点が諸外国、特にアメリカのように企業あるいは財団あるいは個人というような民間奨学事業の発展している国と我が国の違いであるわけです。これは、一つ学生に対する考え方の違い、文化に対する考え方の違いのようなものでありまして、ですから我が国が特に悪いというわけではありませんが、実態としてはそういうふうになっているということは認識しておかなければならない。つまり、日本育英会ウエートというものは非常に大きい。ですから、そこがしっかりしていないと日本育英奨学事業というものがおかしくなってしまうというような感じであります。  以上、総括いたしまして、奨学事業は人員、金額とも拡充する必要があるというふうに私は思っております。そして、従来のように一般会計だけに依存するのでは今日の財政状況下においては充実が困難でありますので、財投資金導入による低利有利子制度の創設は、育英事業全体の拡充という観点から必要かと思っております。  以上です。
  4. 愛野興一郎

    愛野委員長 ありがとうございました。  次に、稲葉参考人にお願いいたします。
  5. 稲葉三千男

    稲葉参考人 東京大学稲葉でございます。  私は、今回の育英会法改正、特に有利子制導入ということに対しまして反対立場から少し意見を述べさせていただきます。  私自身は、戦後に旧制高等学校から大学そして大学院と、約十一年間でございますが、奨学金を受けて学生生活を送った者でございます。そして大学院の五年間につきましては、卒業後すぐに現在の新聞研究所に就職いたしましたものですから返還免除の特典にあずかった者でございます。高等学校及び大学貸与を受けた奨学金につきましては二十五年の年賦ということで、たしか昨年完済をいたしました。自分が今こうして大学に職を奉じているという、こういう立場に立てるということについても、奨学金恩恵を非常に受けているということを体験して痛感しているものであります。  まず、私の教育についての考えというのを少し述べさせていただきますが、私は、教育というのは、理念として言えば、人類人類を生みまた育てていく、そういう活動だというふうに思っております。人類以外の生物の場合ですと、せいぜい環境に適応して進化をするというわけでありますが、人類の場合は、みずからの意思と努力によって進歩するあるいは発展する、そういう進歩発展の中に教育という極めて基本的な活動が位置づけられているというふうに思っております。歴史の中で見ますと、こういう教育という営み、人類人類を生み育てるという活動が、最初は十数人あるいは数十人というような規模で始まるでしょうし、やがてそれは数百人あるいは数千人というような拡大をしていくわけですが、近代市民社会が成立しまして近代国家になりますと、国家あるいは国民国民を生み育てていく、そういう活動になってまいります。そこに近代社会における基本的人権として教育を受ける権利が確認をされ、また、それを無償教育という形で遂行するということが世界的に広がってきているわけであります。  そういう歴史流れを踏まえますと、現在二つの課題が浮かび上がってまいります。  一つは、教育国際化の問題であります。この面につきましては、我が国においてもその必要性が近年ますます痛感をされ、いろいろの施策が図られているように承知をいたしております。  と同時に、もう一つは、教育という活動の全体を無償化していく、教育機会均等という理念にのっとって無償化していくことが必要でありまして、この点につきましてはしばしば指摘をされますように、国際人権規約の第十三条が「種々の形態の中等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」さらに「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」こういうふうに、いわゆる基礎的な教育だけではなくて中等教育から高等教育に至るまで、さらにそれを発展させるならば、成人教育あるいは生涯教育というような問題も含めてすべてを無償化をしていき、教育を受ける権利をすべての人間に対して保障していくことが必要だと思っております。  そういう観点教育の現状を見ましたときに、一つ出てまいっております問題点は、教育における資本論理の浸透という問題、裏返して申しますと、教育論理あるいは文化論理ということがややもすると軽視をされていく傾きがある。これは具体的な問題としては教育産業、例えば塾というようなことが一つ問題点として指摘をされるかと思います。たしか昨日も、NHKの総合テレビが朝の「おかあさんの勉強室」の時間で、月四万円かかる幼稚園の話をいたしておりました。もちろん父母側選択あるいは子供本人選択でそういうお金のかかる教育ということもあってよろしいと思いますけれども、特に公教育あるいは公教育に準ずるような、例えば現在の私立のいろいろな教育機関も含めてでございますが、できるだけそこでは教育論理あるいは文化論理活動が続けられることが望ましい。言いかえれば、資本論理をできるだけ排除していくことが望ましい。  しばしば教育を語るときに、それは国家百年の大計であると言われ、また一つ歴史的な事実として、長岡藩におけるいわゆる米百俵の例が出されるわけですけれども、そのときの小林虎三郎論理というのは、まさに今ここにおける利益を追求するのではなくて、どう文化論理あるいは教育論理に立って人間を育てていくか、あるいは社会を築いていくか、こういう理念の表明であったと思います。それが米百俵の話を私たちに非常に感銘深いものにしていると思うわけであります。  それが、現実の社会を見ますと、いろいろな形で教育にも資本論理が浸透しようとしている。そこに財政危機国家財政危機ということが言われるわけでありますが、私自身、先ほど申しましたように、戦後間もない時期に旧制高校で学びまして、たしか月六百円の奨学金を受けたと思います。そのころ、私も寮生活を送っておりましたが、よく芋が一切れぐらい乗っかって夕食である、あるいはすいとんを食べてそれで一念終わりというような生活をしていたときでも、奨学金利子をつけようというような発想は恐らく出ていなかったのではなかろうか、あるいは奨学金をやめようというようなことも恐らくなかったのじゃなかろうか。その辺は詳しくは存じませんけれども、そういう時代に無利子制奨学金を受けてきた一人として、これからのまさに二十一世紀を担っていくと言われる子供たち青年たちに対して、今の時代は苦しいのだから本当は無利子がいいのだが有利子も我慢してくれと言うようなことは、親の世代の一つ発言としてとてもできるものではないというのが私の実感であります。どんなに苦しくても無利子制を守っていく、あるいはさらにはそれを改善していくということであれば給付制にしていく、授業料については無償制にしていく、こういう方向こそが歴史流れを踏まえたものであって、そこへ有利子制導入し、それによって奨学金を受ける人数をふやすというようなことは、確かに人数はふえているとは思いますけれども、これはまさに資本論理教育論理あるいは文化論理が屈服していくことであって、今あらわれているところだけを見ればせいぜい二万人が有利子貸与になるということだけのように見えますけれども、教育全体の質の問題として、これは極めてシンボリックな事件あるいは導入でありまして、こういうところから教育の全体がまた変質していくことが予想されるわけであります。  今盛んに教育改革が議論されておりますが、私はここで一つ理念として、資本論理に抗した、そして本当に人間を進歩させ発展させていく教育の実現ということを国民全体の願いとして受けとめていくならば、教育全体がそういう方向改革されなければいけないだろうし、そういう改革の一環として奨学金制度も、英才に対して利子を取ってでも与えるということではなくて、すべての人間給付をしていく、少なくとも現行の無利子貸与ということぐらいは守らなければ子孫に対して顔向けができないのじゃないかというふうに考えている次第であります。  以上で最初の陳述を終わります。
  6. 愛野興一郎

    愛野委員長 ありがとうございました。  次に、木宮参考人にお願いいたします。
  7. 木宮和彦

    木宮参考人 私は、静岡の学校法人理事長をやっておる者でございます。私の学校は、大学短大高校三つ中学校二つ小学校一つ幼稚園二つ、計十校を私が経営し、責任を持ってやっておる者でございます。  今回、育英会法律改正につきまして意見を述べろということで、特に私が考えていることを自由に述べて構わないというお話でございましたのでまかり出たようなわけでございますが、いろいろと子細には言えませんけれども、私は今回の法律改正には賛成をいたします。ただ、私の現場からあるいは現地からの声というものは国会にも反映されないだろうし、まだこれからの運営にむしろ法律改正以上に大事なことだろうと思いますので、私はその辺の実態を申し上げまして参考に資していただければ大変ありがたいと思います。  ただいまもお話がありましたが、教育につきましてはいろいろな観点でとらえることができると思いますけれども、教育をだれが受け、だれがする、まただれのためにするかという問題は非常に難しい問題だと思います。  昔はただ本人のため、言ってみれば出世のために教育を受けるのだ、素朴な意見でございますが受益者本人であるというふうに位置づけられていたと思います。しかし、近年は必ずしもそうではなくて、総資本社会すなわち国家受益者であるという観念が非常に浸透してきたと思います。そのために私立学校への経常費の補助あるいはこの育英会拡充ということが行われたのではないかと思います。私もその両方が今日の教育受益者だと思います。国家受益者であるし、また本人受益者であると思います。そういう意味では、それを受けるために必要な経費は、本人が半分、国家あるいは自治体が半分受け持つのは当然だと思います。ただ、本人が持てといっても必ずしも全員が持てるわけではございませんので、やはり育英会というものがこれにかわるべく大いにバックアップしていく大切な役目を果たしていく、それがこの日本育英会の使命ではないかと私は思います。今回そういう意味で、特別と一般をやめて貸付金有利子あるいは無利子というふうな二つ方向に行くということは、機会均等あるいは大勢の人がこの日本育英会恩典を受けられるという意味で大変結構なことだ、私はそう思います。  まず、一つ実例だけを申し上げますが、ただ育英会にも、大学生の場合と高校生の場合は受け方が大分違います。高校生の場合ですと、育英会の支部から学校にわざわざキャンペーンに来てくださって、そして受け持ちの先生が、おい、だれか、おまえのところで日本育英会を受けてくれないかというようにして、むしろ掘り起こすのに大変苦労するような実態がございます。これはなぜか。これにはやはりいわゆる無利子で受けるということに対する親の抵抗子供はいいと言うのですが、そのぐらいのものは親が見てやるから心配するなというような観念が親に非常に強いので、言ってみれば、お金を借りて学校へやるということは罪悪あるいは暗いイメージがあるというのが高校以下の場合の実態でございます。それにはどうしたら明るくなるかということをやはり我々は考えるべきだと思います。それから大学の場合には、これは公私立ございまして、国立の場合と私立の場合では大分事情が違うと私は思います。国立の場合には私立と違いまして、既に授業料でかなり恩典を受けているはずでございます。これは学生の方から言わせますと、授業料がうんと安いということは言ってみれば国家負担が多いということでございますから、本人負担が少ないということでございます。そういう意味で、私立学校にもっともっと優遇措置があってしかるべきだというふうに私は考えております。  今回、何といいますか、無利子を一本化しようということでございます。これはあくまで私の希望でございますが、奨学生というものにつきましては二本立てでお願いするのが私は一番いいと思います。一つは、やはり給費生的にもう無料でもやる。特にその子供に名誉的に、これから世の中のためにリーダーシップをとれる人、あるいは金銭的に非常に苦しい方にはやはりそれだけの待遇をしてやるべき中核を育てるのが、私は教育の場においても大事なことだと思います。それからそれ以外の場合には、貸与生の中には一種、二種があって結構でございますし、また有利子がたくさんあることについては、私は何も抵抗感じておりません。むしろもっと自由に、いつでも、どこでも、だれでも、この日本育英会貸与生になれる。言ってみれば所得制限なし、だれでも借りられるというふうにしていただきますと、大変明るくなると私は思うのです。  しかし、資金には限界がございますので、その辺の問題はともかくといたしまして、ただしかし、この際、育英会の方でも債券を発行して資金の調達をされるように今回の法改正でなっておりますが、私は大賛成でございまして、もっと積極的に民間資金導入をやって、そしてまた返還につきましては、その事務を民間に委託するなりして、やはりもっと機能的に運営していただきたいと思います。そういうことが大事だと思います。それによって国家は税金を利子補給するということで、あまねく大勢学生育英資金を借りられるようになると私は思います。  それからもう一つ現場として考えられますことは、私立学校の場合には一時金というものが入学当初にかなりの金額になりますので、この入学金その他の一時金がなくて大学入学を断念するというケースがなきにしもあらず、むしろ多いと思います。むしろ月々の費用はそれなりに自分で稼いで、アルバイトをやって稼いで何とかなるけれども、一時金の多額の金がどうにもならぬという現実がございますので、特に医科系の場合にはそうだと思いますので、できましたらこういうものを一時金的に育英資金が代替して、就職後それを長い間かかって返済するというような方策もぜひ考えていただきたい、かように思います。  いずれにいたしましても、現在の日本育英会の役割というものは非常に大きいと私は思います。ただ、先ほど来申し上げましたように、せっかく借りたくてもなかなか借りられないという実情がございます。  二、三例を申し上げますと、大学生の場合でございますが、母親が再婚いたしまして、そして養子縁組みをした。ところが、男の子でございますが、その再婚したおやじから金をもらうのを潔しとせず、青年にはそういう心情というものがございまして、再婚した親からもらうのはおれは嫌だと言い張って、絶対にもらわない。それじゃ学校の方で育英資金をもらうようにお願いしようということで実際に申し込んだところが、やはり養子縁組みをしておりますし、またその新しいお父さんの所得が非常に多いということで、所得制限にひっかかってもらえない。やむなくとうとう本人は退学していったという勇ましい青年もおります。これなんかも所得制限がなければ、あるいは自分が借りて、そして学校に立派に行く。親がかりといいますか、かえってそういうことを嫌う、自尊心が高い、大変優秀な青年でございましたが、私としてはこれは非常に残念に思いますが、制度上これはやむを得ないことでございまして、そういうことを何とかしていただければ大変ありがたいのじゃないかと思います。  それから高校生の場合ですと、急に倒産しておやじがいなくなってしまう。その場合、成績が中よりも悪い、しかし人間が非常にまじめである。ところが、親がいなかったりあるいは成績が悪かったりするために、せっかく高等学校三年生まで行っておりながら日本育英資金が必ずしも受けられない。成績がもう少しよければ該当するのですが、それがだめだという場合もあります。成績も大事でございますけれども、しかし私は、そういう意味所得制限をなくして、たとえわずかな利子を取られてもそういう子供日本育英会一つの傘の中に入ってくるように応用していただくということが大事だろうと思います。 それからもう一つの例は、私立高等学校に来る者は必ずしも優秀な子供ばかりではございません。ところが、高校一年に入って、そして中学の成績でもって申請いたしますので、中以下になっている場合があります。しかし、その高等学校では中よりちょっと上だと思って提出したところが、それはだめである。しかも、私立学校で高い月謝を払わなければならないのにそれが受けられないというような事態もございますので、私は、そういう意味でぜひひとつ日本育英資金も大胆に民間資金を活用し、そして今後大いに膨らましていただきたい。むしろ今回の法改正は遅きに失したというような気がいたします。そういう意味で、現場なり社会なりのニーズに対応できるような運営ができる、そういう法律にぜひしていただきたい。それには今回の法改正がその第一歩だと私は思います。  これからの日本教育というものは非常に大事でございまして、私が言うこともございませんが、アメリカにおきましても日本教育というものは大変注目され、この間レーガンにも教育振興の委員会から、危機に立つ国家アメリカ教育改革の緊急課題があるということを答申しているように聞いております。日本がこれからますます健全な教育ができるためには、日本育英会が今よりももっともっと発展し、そして国立学生さんも私立学生さんも、あまねくすべての学生に明るく利用していただくことができる、そういうふうにぜひひとつお願いしたいというふうに考えております。  以上でございます。
  8. 愛野興一郎

    愛野委員長 ありがとうございました。  次に、三輪参考人にお願いいたします。
  9. 三輪定宣

    ○三輪参考人 千葉大学教育学部の三輪でございます。教育行財政学、教育法学を専攻しております。  私は、本法案反対立場から若干の所見をあらかじめ述べさせていただきます。  私の専門は教育財政、したがいまして奨学金問題は当然研究上の重要なテーマでございますが、また、大学の教師として日常学生たちに接しております。また、学生部長として全学的にこの問題を扱った経験もございます。さらには、私自身高校から大学院までの十二年間、奨学金のお世話になっております。  さて、この法案でございますが、結論的に申しますと、奨学金制度というのは教育制度の根幹でございます。したがいまして、教育改革の最大の課題として今後十分慎重に検討されるべきでございます。特に、今日、教育論議が国民の中でも高まっている折でありますので、多面的に長期の観点から慎重に検討されるべきだと思いますので、今国会で拙速に審議、採決を行うことはぜひ避けていただきたい、このことをくれぐれもお願いしておきたいと思うわけであります。  まず、法案の主な問題点の第一は、この法律の名称や第一条の目的規定に代表され、また本法全体を貫く英才主義という立場の問題でございます。特に、これと憲法、教育基本法の精神との関係であります。  まず、法律の名称には「育英」という言葉がありますし、一条に定める目的は「優れた学生及び生徒」を対象に「国家及び社会に有為な人材の育成に資する」ということが主とされているわけであります。この「育英」という言葉は、例えば広辞苑に「英才を教育すること。」と解説されてもおりますように、一般にエリートを選別して育成することを意味いたします。したがって、憲法十四条に定める法のもとの平等とか、二十六条の定める、すべて国民はひとしく教育を受ける権利の精神とも、また教育基本法が定める第三条の「教育機会均等」とか、すべての子供の「人格の完成」、「心身ともに健康な国民の育成」という第一条に掲げる「教育の目的」の規定など、平等かつ人権保障的な教育理念とはこの考え方は明らかに離反するものと言わざるを得ません。  もっとも、現行法には「育英上必要ナル業務ヲ行ヒ以テ国家有用ノ人材ヲ育成スル」という露骨な英才主義の表現があります。また、片仮名の文語調であります。これをこのように平仮名の口語調に改めた点などは評価されると思いますけれども、なお大いに改める余地がございます。  そもそもこの法律は、当初の大日本育英会法、五十三年までの名称でございますが、この名称とかあるいは戦時下の一九四四年に制定されたいきさつに見られますように、当時の戦勝、戦争に勝つという国家目的遂行に必要なエリート育成を目指し、軍国主義、国家主義、能力主義を原理として制定されたものでございますので、戦後の憲法、教育基本法制下の平和主義、民主主義、平等主義の教育理念とは異質のものを含んでいることは否めないわけであります。  戦後初期の四十六年十一月には、教育刷新委員会教育基本法案要綱案を作成いたしました。そのときには「育英の方法」という表現があったのですが、これが新しい教育理念のもとではなじまないということで「奨学の方法」という言葉に改められた立法の経過もございますので、「育英」という表現は今日の法律用語としてふさわしくない、このように思います。同様に、一条の「優れた学生」云々とか、「国家及び社会に有為な人材の育成」という用語も、平等に国民教育を保障するという立場から、不適切と言わざるを得ないかと思います。  今日の大学生約二百万人、進学率三六%の国民を対象とする大衆的な奨学事業の原理は、教育機会均等の実現を重視して、学力基準による選抜ではなくて、低所得家庭への援助、経済的負担の軽減を重点にした制度へと、原理を転換させる必要があるかと思います。特に高等学校奨学金は、義務教育における教育扶助やあるいは就学援助の一環に組み込むのがふさわしいように思います。  なお、学術の発展を目的とした奨学金は、大学院生を対象に別途その整備を図るべきだというふうに考えます。  この英才主義を克服いたしませんと、「経済的理由により修学に困難があるもの」が実は優秀という基準で極端に制限、厳選されて、「教育機会均等に寄与する」といいましても、事実上これは空文に等しくなるわけでございます。  現行育英奨学制度下で、学資貸与者が高校二%台、大学が一一%台と極端に少ないのもその結果であろうと思います。対象は、少なくとも学生奨学金を希望する者の割合は、この十年来五〇%前後でありますが、その程度まで枠を広げるべきでありますし、それには英才主義という考えが大きな桎梏になっているように思います。  第二の問題は、法案の第二十一条以下に定めてある育英会の業務についてでございます。つまり、学資の給与という重要な業務がなくて、現行制度にもない利子つきの学資金、第二種学資金導入されたということで、本法の最大の問題点かと思います。  この点につきましては、育英奨学事業に関する調査研究会報告も、「先進諸外国の公的育英奨学事業が給与制を基本としていること」と認識しておられます。国際人権規約十三条の定める無償制と並んで、奨学金貸与制から給与制へと転換を図ることが国際的な動向でもありますし、同時に歴史の発展に沿うものでありまして、行政改革教育改革の名に値するものだと思います。  続いて、なお、今回の奨学金制度改正の背景に、臨時行政調査会答申、その背景にある考え方が伏在していることは御存じのとおりでございます。この点につきまして臨調専門委員の公文俊平東大教授が一臨調文教政策をめぐって——私の主張したかったこと」という論文で次のように述べておられることも大変残念だと思います。奨学金は「当然利子付き、しかも通常の利子率のものでなければならない。そうでなしに、特別低利で貸すとすれば、どんなことが起るか。誰もが奨学金を貰い、定額貯金や定期貯金にしておくことになりはしないか。それで確実に利鞘が稼げるからである。」こういう思想が根底に流れていたということは、大変残念なことでございます。  さて、第二十二条二、三項によりますと、無利子の学資金、つまり第一種の学資金は、特に優れた学生等で著しく修学に困難な者に貸与するとされ、例外的奨学金の性格が強く、利子つき学資金一般奨学金という規定になっております。そうなりますと、その拡大とともに、かなりの低所得者まで利子つき奨学金を借りることになるわけです。そういたしますれば、当然、その借入が心理的、経済的な負担となることは言うまでもなく、卒業後は低所得者は多額の借金返済を余儀なくされ、無借入の余裕ある階層の者との間に新しい格差や差別が生ずることになります。  例えば、政府案どおりに国立大学、自宅外通学の学生が月額二万八千円を借りるとしますと、その卒業後十四年間にわたって毎年十万円から十四万円、私立大学の理科系学生ならば、四万七千円借りますれば、二十年間に毎年十一万から十八万円の返済が必要になるとされております。大学卒の初任給平均十三万円程度にとりまして、当然これが過重な額であることは自明であります。家計の補助はおろか、結婚資金の貯蓄さえ大きく阻まれることになるのではないでしょうか。卒業後も、低所得家庭に出生じたことによるハンディがつきまとうということになります。  このほかの問題点といたしまして、二十二条の四項によりまして学資金の月額は政令に委任されることになっております。これも法律事項として、例えば学生生活費の二分の一以上とかというように明記する必要があるのではないでしょうか。また、月額が、自宅、自宅外とか設置者別のランクはございますけれども、家庭の経済能力別あるいは地域別等のランクがないわけであります。中にはほとんど仕送りの期待できない学生もいるわけで、そういう者には全額を支給するというような、実態に即した制度をきめ細かく考えていかなくてはならないと思います。現状では、奨学生でさえ、奨学金は収入全体の三〇%にすぎません。諸外国では所得別ランクの設定が普通でございます。  また、二十四条の規定によりまして、第一種学資金貸与者のみが教育職あるいは研究職についたときに返還免除されるというように、この制度が制限されていることも問題でございます。  なお、奨学事業といいますのは、単に経費を支出するだけではなく、その執行に当たる職員の方々の意欲や協力が大変大事であります。今回、この問題では当の育英会の職員がこぞって反対をしておられるという点も、この制度改革に大きな無理があることのあらわれではないかというふうに思っております。  一般に、奨学生はよく勉強し、卒業後も社会的使命を持って働く者が多いと言われております。それは、そういう能力の学生を選んだという一面も確かにあるでしょうけれども、事実上借金なのですが、形の上では奨学金をもらうということがそうした自覚を促していると考えられるわけでございます。したがいまして、文字どおり奨学金をもらう、つまり給与奨学金にいたしますならば、その教育的な作用は一層大きくなることが期待されます。つまり、公費の負担という形で自分たちの学習を支えてくれる無数の働く国民の利益に、学生達が学習や学歴の成果を還元するという気持ちが強められるわけですし、それが本当に正しく学び、働く基本的な動機づけであろうと思います。学んだ成果を社会に生かしてもらうということであって、奨学金の返済という現金の返済を要求することではないだろうと思います。給与の奨学金にそのような教育的な意義があるとすれば、それは単なる一部の優秀なる学生だけではなくて、すべての学生に広く開放することが社会的な配慮だろうと思います。  このように奨学金制度を発展的に考えることは、子供や青年というものを、親の経済力に左右される単なる親の附属物ではなくて、すべての者を平等に、いわば社会の宝として処遇をし、その発達にだれもが責任を負うということでございますし、したがいまして、私たち子供観あるいは教育責任観そのものの変革や拡大を必要とする問題でもあろうと思います。そして、このような大人の若い世代に対する配慮や愛情を教育制度として表現することによって、逆に若い世代の主観者としての自覚や社会への貢献心がおのずとはぐくまれ、また、そうした能力が社会の利益に役立つ方向で最大限に引き出されるように思います。  これに対して、有利子奨学金の発想というのは、学習や学歴を私的な利益追求あるいは金もうけや立身出世の手段にする、それを前提として返還金を求めるという発想に立つわけですから、人間形成上もさまざまな影響を及ぼす制度措置だというふうに思います。こうした制度が広がるならば、恐らく国民大衆の願いの理解できない冷たいエリートや利己主義が多数育つことになり、せっかくの公的な資金がかえって教育社会の混迷に拍車をかけることになりかねないと思います。現在、発達した資本主義国では、校内暴力特に対教師暴力に象徴される教育の荒廃や混迷が指摘されております。その背景には、いわゆる教育の自由化とか商品化の進展がございます。政府が公然と教育を商品化する、あるいはローン化するというこの有利子奨学金導入が、単に大学教育だけではなくて、公教育全体に悪影響を及ぼすおそれもあるわけでございます。  なお、財政上の問題でございますが、敗戦直後のような財政事情のもとならともかく、今日では、財政的な困難にもかかわらず、給与奨学金を漸進的に導入拡大することは十分可能だろうと思います。また、教育費を聖域として守るという姿勢の中でこそ真に財政再建も可能であろうというふうに思います、  以上のような諸点から、今国会で法案を無理に審議、採決することについては反対でございますので、御三者いただきたいと思います。
  10. 愛野興一郎

    愛野委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。白川勝彦君。
  12. 白川勝彦

    ○白川委員 自由民主党を代表いたしまして、黒羽参考人木宮参考人に一、二点御意見をお伺いいたします。  今回の制度改正の眼目は、何といっても厳しい財政事情のもとで、育英奨学事業の量的拡大を図るために無利子制度と並行して財政投融資資金導入による低利の有利子貸与制度の創設を図るというものであります。  有利子貸与制度の創設については、学生返還負担を増大させるとともに、将来において無利子貸与制度事業規模が削減され育英奨学制度の崩壊につながるおそれがあるから、有利子貸与制度導入すべきでないという意見があります。しかし、現下の厳しい財政事情を勘案すれば、一般会計の政府貸付金資金とするだけではどうしても限度があり、育英奨学事業拡充は極めて困難となります。  そこで、我が党は、この際、一般会計以外の外部資金として財政投融資資金導入して有利子貸与制度を創設して、育英奨学事業の量的拡大を図る必要があると考えているわけでございますが、木宮参考人の御意見を改めてお伺いしたいと思います。  また、黒羽参考人にお伺いしたいのでありますが、有利子貸与制度と申しましても、貸与利率は在学中は当然無利子、卒業後も年利三%に抑えております。有利子貸与を受ける学生利子負担をできるだけ軽減するために、財政投融資資金利子負担については当然国としても相当分を負担し、学生には応分の負担をしてもらうという制度であるわけでございます。市中金利や物価上昇分を勘案すれば、年利三%はそう学生負担増につながるものではないというふうに思うわけでございますが、この点いかがお考えになりますか、お伺いしたいと思います。  さらに、日本育英会の学資貸与事業は、教育機会均等を確保するための基本的な教育施策であり、諸外国育英奨学事業が給与制を基本として実施されていることを勘案すれば、やはり無利子貸与制度を事業の根幹とすべきと私は思っております。無利子貸与事業と有利子貸与事業というものがどうあるべきなのか、黒羽参考人の御意見をお伺いしたいと思います。  以上二点を黒羽参考人にお伺い申し上げます。  以上でございます。
  13. 木宮和彦

    木宮参考人 ただいまお話がありました有利子でたくさんの学生を対象にしたらどうかというお話、私は大賛成でございます。  先ほども述べましたように、高校生以下の場合には、無利子であるがゆえに何か授けられるというか、国から何か援助を受けるということに対しての抵抗があろうと思いますので、むしろ現在の社会通念からしますと、金を借りれば多少の利子を払わなければならぬ、また日本人は中産階級の意識が非常に強いですから、プライドもございますので、有利子であるということについては何ら抵抗はないと私は思います。  それからもう一つ大事なことは、現在所得制限が非常に厳しく言われております。これは育英制度そのものじゃないと思います。税制上の問題だと思いますが、捕捉率がサラリーマンには非常に過酷でございますので、当然受けてしかるべき父兄がもらえないで、むしろ一次産業なりあるいは自営業の者がどんどんもらえるような状況になっておりますので、そういう意味で、所得制限を撤廃する上からいいましてもぜひひとつ低利子でもって——長いですから余りたくさんじゃ困ります。低利子大勢の人が受けられる、これを私ども現場としては希望する次第でございます。
  14. 黒羽亮一

    黒羽参考人 利率の問題でありますが、現在教育ローンというのが奨学金とは別にかなり金融機関で行われております。それの利率を見ますと、国民金融公庫が貸しているのが八・一%、それから一般銀行が大体一〇・五%前後になっておるようであります。それから、先ほど申しましたように、アメリカなどでは給与、貸与、ローンと三種類あるわけですが、そのアメリカのローン、有利子貸与事業の様子を見ますと、さまざまでありますが、やはり四%から九%ぐらいのところが多いようであります。そういう状況から考えましても、また過去の物価上昇率が最近対前年三%ぐらいで推移している点から見ましても、三%というのは適当なのではないかと私は思っております。  それから第二点の、無利子貸与を根幹とすべきではないかという御意見に対しては、私も全くそのとおりだと思います。ただ、現在の厳しい財政事情の中で本年も無利子貸与に対する政府出資は減額されております。マイナス一〇%というような状況が続くことは好ましくないと思いますけれども、少なくとも数年はこういう状況が続くとすれば、育英事業のじり貧を避けるために有利子制度導入せざるを得ないのではないか、あわせて導入するというように考えております。
  15. 白川勝彦

    ○白川委員 どうもありがとうございました。
  16. 愛野興一郎

    愛野委員長 佐藤徳雄君。
  17. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、それぞれの参考人の皆さんに、今述べられましたそれぞれの御意見に対してさらに深く言及をしながら御意見を承りたい、こう思うわけであります。  まず、稲葉参考人にお尋ねをいたしますが、先般の文教委員会の中でいろいろ各党からの質問があり、そして文部大臣からの答弁もありました。その際、文部大臣の答弁の中で、もちろん貸与制よりも給与制の方がいいに決まっている、しかし今日財政的云々といっただし書きが実は述べられたわけであります。無利子貸与を根幹とするということを主張されておりますが、たとえ二万人の対象者であっても有利子導入されるということについては大変問題があるという観点に立って、私も質問をしたわけであります。  そこで第一にお尋ねしたいのは、育英奨学金制度は基本的にどうあるべきだとお考えになりますか、御意見を承りたいと存じます。
  18. 稲葉三千男

    稲葉参考人 先ほども触れたことでございますけれども、一つは、教育機会均等を保障するということからいえば所得制限などは当然撤廃すべきであるし、また成績基準というようなものもやめていく、こういうことが望ましい。そうして、学習を希望するすべての子供、あるいは場合によれば成人に対しても、社会の側が社会権の保障という立場に立って給与の方向に発展させていくべきだ。したがいまして、現在の無利子貸与制というのが中間的な形態でございますから少なくともそこにとどまるべきで、それを有利子制導入するというのは私にはどうしても後退というふうに思えるわけで、人間社会を少しでも理想に近づけていくということを考えるならば、苦しくても少なくとも給与制を何とか考える、それがどうしても無理というなら無利子制を守るというのが基本ではなかろうかと考えております。
  19. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 同じことでありますが、三輪参考人にひとつ御意見を承りたいと思います。
  20. 三輪定宣

    ○三輪参考人 御質問でございますが、奨学金制度が給与制を根幹にすべきであるということは当然でございますが、同時にそれは、すべての教育段階における授業料を初めとする諸経費の無償制ということを伴う必要があろうかと思います。  特に大学奨学金制度が問題になっておりますが、私は、三つの原則に基づく制度の創設が必要ではないかと思います。  その一つは、基本的には全員給与制にするということです。一定の必要学生生活費というものは、実態調査あるいは理論研究から明確になるわけでございますので、そうした必要学生生活費を受ける権利をすべての学生に保障すること、つまり全員給与制という理念が第一の原則でございます。  第二には、家計応能制という原則。つまり、低所得家庭の学生の修学奨励を最重点にして、家計の経済能力に応じて所得の所定の基準に基づいて支給額を減額していく、ランクを所得に応じて設けるということです。家計応能制というのはそういう意味でございます。  もう一つの三つ目の原則は、希望者貸与制でございます。つまり、必要学生生活費以上の奨学金を希望する者があるとすれば、その者については無利子奨学金貸与を受ける権利を保障する。  こういうような三つの原則に基づく給与奨学金を今後創設していくことが、教育費の抜本的な解決のために必要なことではなかろうかと考えております。
  21. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 先ほどのお話の中で、特に稲葉参考人、三輪参考人、お二人の先生から、教育機会均等重要性について大分強調されました。教育機会均等についていま少し補足する事項がありましたら、稲葉参考人、三輪参考人にお尋ねをしたいと思います。
  22. 稲葉三千男

    稲葉参考人 教育機会均等と言う場合に、これは先ほどの三輪さんの御意見にもございましたけれども、今の育英会法の中でもいわゆる英才主義というのがとられているわけでありますが、教育の効果というのは、どういうふうに、いつの時期に発現するかということは、教育をする側、学校あるいは親という側でもとても予測のできない、非常に複雑な過程を通って発現をしていくわけでありますから、今彼に能力がない、成績が悪いというような条件を抱えている子供であっても、いつその子がまたどういう予測もできないようなすばらしい能力を発揮し、社会進歩発展に貢献するかわからないという意味では、今生きているすべての人間を大事にしていくという観点で、彼の学習意欲、教育意欲を最大限尊重していくということが私たち親の世代の務めではないか、あるいは国の務めではないかと考えております。
  23. 三輪定宣

    ○三輪参考人 教育機会均等という言葉は、法令上は教育基本法の第三条に規定してございます。注意して読んでいただきますと、この教育機会均等という概念は、ただ教育機会をオープンに開放するというだけにとどまらないで、特に経済的に困難な者に積極的に奨学の措置を講ずるという原則なのでございます。この点は法文の次のような規定に明確であります。  第三条は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」という条文であります。憲法十四条は、法のもとの平等を掲げております。ここでは特に経済的な差別というものを禁止していないわけでありますが、事教育につきましては経済的な差別も禁止する、そういう積極的な教育平等の規定をしているのが教育基本法の趣旨でございます。これは、憲法が教育を受ける権利の平等性を規定したことに伴って、その具体化の法的整備として定められたものというふうに考えられるかと思います。つまり、民主的な社会というのは当然に平等な国民から構成されるべきでありますし、その平等な国民というのは、経済的な平等も当然ですが、特にその背景にある能力の面で不当な社会的な差別が存在しない、それぞれの人間が能力を全面的に開花させるということの平等を意味していると思います。教育機会均等は、その意味で民主的な国家の実現にとって極めて本質的な原理である、このように考えております。
  24. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 次に、黒羽参考人にお尋ねをしたいと思いますが、参考人が日経新聞の特に教育欄等に、質の高い論文をいろいろ発表されている内容を読ませていただきました。  手元にコピーして持っているわけでありますが、その中で昭和五十六年八月二日付の日経新聞朝刊の「中外時評」欄の論文の中で、次のように述べられているわけであります。すなわち、「臨調指摘するように奨学金制度に矛盾があることはたしかである。義務教育学校教員就職者の返還免除制度人材確保法との見合いで、とうに廃止すべきだった。しかし、有利子制などというのはどんなものか。欧米の奨学金有利子制どころか、貸与ではなく給与が原則である。」このように実は述べられているわけであります。  そこで、限られたスペースの中での文章ですから短い文章になったのではないかと思いますけれども、この内容についてひとつ解説をお願い申し上げたいと思います。
  25. 黒羽亮一

    黒羽参考人 私、大体記憶しておりますが、きょうコピーを持っておりませんので、あるいは違ったお答えになるかと思います。  臨調答申が出た直後ですから、先ほど申しましたように、全部を有利子制にするというようなことはちょっと矛盾なのではないかというような感じは強く持っておりましたので、そういう気持ちで新聞記事に書いたのではないかと記憶しております。  それからもう一つは、返還免除のことに関しては、大ざっぱに言ってしまいますと、研究者への免除、それから学校先生への免除、この二つあるわけですが、研究者への免除は当然続けなければいけないけれども、学校先生の免除は、今お読みいただきましたように、これは歴史的に言いますと、戦前の師範学校、高等師範学校の給費制度の延長のようなものがありまして、教員に優秀な人材を確保するために給費制・義務年限というような組み合わせになった、一種の人身売買というのは若干大げさかもしれませんけれども、こういうものの名残が戦後もずっと残っているわけであります。戦後、教員の社会的地位は非常に拡大してきましたし、教員の人口が大学から小学校まで入れると百五十万人ぐらいおりますが、こういう職業に携わっておる人と我々のような民間会社で働いている人とが、社会への貢献度というところで片方は免除される、片方は免除されないというような取り扱いになっているということに、私は当時疑問を感じておりました。今でもその疑問は若干ございます。  しかしながら、その後、奨学金調査研究会出席いたしまして、そこでも私はそういう意見を申し上げたわけですが、他の違った御意見も多々お伺いしておりまして、現在の時点はそうかもしれないけれども、将来とも教育を大事にしておくためには教員の返還免除制度も続けるべきではなかろうか、そういう意見が多くて、調査研究会はそういう結論になったわけです。その結論には、私も十分議論した上、現在は納得している、こういう気持ちであります。
  26. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 以前の文章を引用させていただいたわけでありますが、同時に、同じ文章の中で、我が国高等教育費が少ないことを実は述べられておられます。  また、五十六年六月二十九日付の日経朝刊の「教育」欄の中で「私大補助には工夫を」こういうふうにも述べられております。特に最後のところに「第一特別部会」、これは臨調だと思いますけれども、「第一特別部会のこの項の提言は不可解というより、品位を疑いたくなるものである。」かなりきつい表現をされてお書きになっているわけでありますけれども、これはどういうことなのでしょうか。  この二点について先生の御主張をお聞かせいただきたいと思います。
  27. 黒羽亮一

    黒羽参考人 公財政支出教育費のうち、高等教育への配分は、我が国の場合大体一五、六%かと認識しておりますが、諸外国、特に先進国を見ますと、公財政支出教育費のうちの二割ないしそれ以上を高等教育に支出しております。我が国教育費の構造は、伝統的に初等教育中等教育高等教育、上の方に行くに従ってどうも薄くなっている。その傾向、そういう問題に臨調がいろいろお考えになるならばいいけれども、そういうことは余り考えないで国立大学の設置を抑制するとか、教員の数をふやさないとか、奨学金を全部有利子化するとか、その他大学に対する指摘が非常に多いというようなところに当時疑問を感じておりましたし、今でもその疑問はまだ若干持っております。  それから私大補助金のことでありますが、私大補助金はいろいろと私大全般の水準向上には役立っておるわけでありますが、一種の悪平等的なところもありまして、大学教育研究条件の質あるいは学生の質というようなところについての考慮というようなものがない。これも幾らでもお金があるなら別ですけれども、二千五百億から三千億ぐらいのお金を、大学短大全部合わせますと八百ぐらいあるんじゃないかと思いますけれども、八百に配分するのには、現在の配分方法以外の方法がないのかどうか、文部省なり私学振興財団なりは研究してほしいというような願望を持って書いたわけであります。  それから最後の有利子制度不可解というのは、全面的に有利子制度にするというようなことは大変不可解であるというような気持ちを書いたわけでございます。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
  28. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 特に稲葉先生、三輪先生が先ほどの御意見の中で、かなり教育の基本にかかわる問題について主張されて、お聞かせをいただいたわけであります。  私は、公教育の問題について、今日非常に教育の荒廃が叫ばれている状況でありますから、これを重視しているわけでありますけれども、特に教育と公費の問題、そして当然これには教育的な条件の整備の問題も御承知のとおり絡んでくるわけであります。したがいまして、教育と公費、教育的な条件整備についてどのようにお考えになっておられますのか、これも稲葉参考人、三輪参考人にお聞かせをいただきたいと存じます。
  29. 稲葉三千男

    稲葉参考人 今この委員会の部屋にいらっしゃる文教委員先生方あるいは政府委員と言うのでしょうか、文部省の方もお見えのようでございますけれども、恐らくここの委員会に御出席の方は、もっともっと教育費に対する国家支出というのをふやすべきだという点では意見が一致しているんじゃないかと思います。私自身国立大学にいまして、いろんな意味で国の予算をいただいているわけで、そういう意味では感謝もいたしておりますし、今後ともますます教育費の支出をふやしていただきたいというようにお願いもしたいわけですが、現実問題として、いろいろな仕組みあるいは力関係ということでございましょうか、教育費がとかくマイナスシーリングというようなものの対象になるという現状を非常に憂えているわけで、ぜひ今ここにいらっしゃる皆様方の御努力で、もっとこれを拡大をしていただきたいと思っております。  それともう一つつけ加えておきたいのは、国の教育行政の役割ということで申しますと、何と申しても、いわゆる教育の外的事項というふうに言われております物理的な条件整備、これが一番の基本任務であろうかと思いますので、特に教育の条件を物理の面あるいは経済の面、お金の面で整備をしてくださることをお願いをしておきたいと思っております。
  30. 三輪定宣

    ○三輪参考人 教育と公費の関係についての御質問でございます。  私は、教育費は原則として公費で負担されるべきだし、真に教育的な教育費は公費でしかあり得ないというぐらい強く、教育と公費の関係について認識を持っております。  その根本的な理由は、教育というものがかけがえのない人権であるということ、そして若い世代を社会の形成者に育て、社会の維持発展を図る、こういう共同の利益を実現するためのいわば社会の存亡をかけた事業、これが教育事業だと私は思います。この点につきましては、日本国憲法のみならず世界の国際的な宣言や条約などが、すべての者の教育を受ける権利を定めておりまして、人間人間として、また社会の形成者として自立をし豊かに発達するということは侵すことのできない基本的な人権である、このように普遍的な人権として確立しているわけでございます。したがいまして、そのような人権としての教育は、単に個人の経済能力や親の理解という程度で保障をゆだねておくべきではなくて、社会全体で配慮をしなくてはならない、そういう事業であろうかと思います。  また、教育の成果というのは、確かに個人の利益として還元される分もありますけれども、基本的には社会に還元をされて、そして社会の発展に役立っていくわけでありますので、そのような社会が結局は利益を受ける経費についてはみんなで負担をするということが当然ではないかと思うわけであります。  また、先ほども発言のところで述べましたように、学生たちも、教育費、学習の経費が公的な資金によって支えられているというそのことが、実は社会的な責任感やあるいは社会に対する奉仕の自覚を促すことになります。これに対して、親の経済能力やあるいは理解によって子供が私的に教育を保障されるということになれば、結局、人生競争の手段として、教育教育投資の手段として使われ、私費教育が普及すればするほどますます競争が激化して教育が荒廃するという悪循環を繰り返すわけです。したがいまして、私は、本当に教育が成り立つのは公費による教育条件の整備であろうと思います。  実は、教育基本法の十条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という教育行政の原則を明記して、第二項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めたのも、そのように教育費がさまざまな政治的、財政的な事情や圧力によって不当に削減されない、そうした動向に対して教育を守るのが教育行政の責任であるということを明記したことだと思いますし、それは教育の発展にとって重要な行政責任であろうと思います。
  31. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 御承知かと思いますが、臨時行政改革推進審議会の六十年度行財政改革委員会というのがありまして、これは六月十六日までにまとめた六十年度予算編成に関する報告素案要旨を実は新聞で発表しているわけであります。  特に文教関係では次の四点を指摘しているわけでありますが、その第一は私学助成の縮減、第二は教科書無償制度は廃止の方向で見直し、第三が学校給食施設に対する国庫補助の廃止を含む検討、そして第四に育英奨学金返還免除制度の見直し、この四つが実は発表されているわけであります。  どうも中曽根総理が大上段に構えて教育改革を行うということをやられておる割には、それを支えている行革審が教育費をかなり大幅に削減しようとしてきている。まさに中曽根総理の言う論点と背景にある行革審とは、実はかなりの矛盾を露呈しているのじゃないかというふうに私は理解をしているわけであります。  先般、私は本委員会でこの問題を文部大臣にお尋ねしたわけでありますが、残念ながら私の納得するような答えをいただけませんでした。とりわけ行革の問題が国民生活に及ぼす影響、かなり大きく取り上げられてきているわけでありますけれども、これまた、稲葉参考人、三輪参考人のお二人の先生にお伺いしたいのですが、行政改革教育についてどうお考えになっておられますのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  32. 稲葉三千男

    稲葉参考人 これは先ほどの御質問にお答えしたことと重なるわけでありますが、教育費というのはもっともっとふやしていただきたいというふうに思っておりますので、行革審でございますか、こういうところでの考え方には反対であります。  そのうちの、特に今の奨学金に関連したところにだけちょっと意見を述べさせていただきますが、先ほど黒羽さんの方から、どうも民間の方は免除規定がないで学校の教師だけあるいは研究職だけ免除があるのはおかしいじゃないかとおっしゃったのは私も全く同感であります。  実は私的なことになりますが、黒羽さんは、私がいます東京大学新聞研究所で私より一年先輩でございまして、恐らく同じようにその時期、奨学金をお取りになったのじゃないかと思いますが、私の方は免除になって黒羽さんは免除にならないというので、恐らくいろいろ格差というのか不公平というのをお感じになっているのだろうと思うのです。そういう意味で、私は、おかしいのはどっちの方に直していけばいいのかということで言えば、これは明らかにもっと返還免除の枠をいろいろな職種にわたって拡大をしていくことが望ましいわけで、これは給与制に近づけるということでありますから、ここで言われているような返還免除をやめるというのではなくて、むしろもっともっと返還免除の適用範囲を広げていくということがこれから一つ政治課題になるのじゃないかと思いますので、先生方の御検討をぜひお願いをしたいと思います。
  33. 三輪定宣

    ○三輪参考人 行政改革教育の問題についての御質問でございます。  行政改革におきましては、行政責任の見直しという名において教育費等が削減をされる、そのための項目が三十数項目にわたって答申に盛られているという経過でございまして、教育行政、財政問題を研究する者としては大変残念なことでございます。  行政改革の基本的なねらいが、国の活力を回復して真に二十一世紀に向かって豊かな国づくりをする基礎を固めることにあるのだとするならば、一番その根幹に、つまり国づくりの根幹になるのは次代を担う青少年でございます。特にこれからは人口も老齢化して、しかも子供の数は着実に減る傾向にございますので、今後の国の発展の基礎ということになれば、当然一人一人のどの子の能力もむだにしないで最大限に引き出していくことが決定的に大事だと思います。そのためには、さまざまな財政事情があるにしても、教育費だけは聖域にして、さらにその拡充を図ることによって将来の発展の基礎を築いていくということが行政改革の一番重視されるべきポイントだというふうに思います。もし目先の財政事情によってこのように多額の教育費を削減していくならば、困難が次々に順送りになっていくことは目に見えているわけでございます。  中長期の経済の発展とか財政の再建を担うのも次の国民でありますから、その能力を最大限に引き出すための教育に十分な公費を支出していただきたい、こんなふうに思います。
  34. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私の手元には、現行法と今審議しております改正法の奨学金の具体的な数字についての資料がございます。  その中に、一つの事例をとらせていただきますと、例えば私立大学の自宅外の奨学生の場合には、現行法でいきますと三万九千円、これが実は四万一千円に単価アップになるわけであります。ところが、これでいきますと、現行法は貸与総額が百八十七万二千円、そして改正でいきますと、予約が百九十六万八千円、在学が百八十四万五千円になるわけであります。もちろん貸与月数が短縮されたという意味合いもありまして、そのアップ率は、予約生が五%、在学がマイナス一・五%になっているわけなんであります。  ところが、これが返還総額になりますと大変なアップ率になりまして、その増額分が改正法によって六十七万二千円増額になる。これは予約の場合でありますが、率にいたしますと何と五二%のアップになるわけであります。それから在学の場合は、返還増が五十四万九千円にはね上がりまして、これまたアップ率が四二%。単価アップによってスライドされますから、よく私は、喜びと悲しみが同居すると言うのでありますけれども、当然こういう結果が結果的に実は生じてくるわけであります。  無利子がこのような状態でありますから、ましてや有利子の場合になりますと、御承知のようにたとえ三%であってもかなりかさむわけであります。  そして、さらにまた資料を見ますと、これは政府の資料でありますが、御承知のとおり、今年度の利子補給金が有利子の分で一億九千九百万になるわけであります。ところが、ずっと十年後を計算していきますと、この前の文教委員会において政府側からも答弁があったわけでありますけれども、実に百五億四千八百万にも利子補給金がぐんぐんふえてくるわけなんであります。そうなりますと、利子補給金をこんなに補給するならむしろ無利子貸与分に回したらどうかという意見を実は私は申し上げたのでありますが、数字を申し上げて恐縮でございましたけれども、これについての感想なり御意見がおありでしたら、ひとつそれぞれの方から一言ずつお願い申し上げたいと思います。
  35. 稲葉三千男

    稲葉参考人 今まで申し述べてきたことの繰り返しになりますけれども、確かに学生諸君、あるいは私自身も二十代の子供を持っておりますが、その生活を見ておりまして、一方でモラトリアム現象とかいろいろなことを言われておりますけれども、自分で食べていこうという段階になると非常に生活は苦しい、決して楽ではないわけで、そこに奨学金返還ということがかかってくるということになると、それはますます生活を圧迫していくことになります。そういう意味では、有利子化というのは将来の子供たち負担をふやすことになる。その辺は何としても私たち親が考えていかなきゃいけないことだ。そういう意味有利子化に反対をいたしております。  また、現行の無利子貸与にしても、インフレとかいろいろな要因の中で生活費あるいは学習費がふえていく、それを補うためには月額をアップしなければいかぬ、上げればまた返還額がふえるという御指摘の悪循環があるわけでありますから、この点についてはできるだけ給与制の方に近づけていくというのが唯一の解決というふうに思っております。
  36. 黒羽亮一

    黒羽参考人 十年後に今のままで延ばしていくと百五億になるというお話は、私も今初めて聞いたのでよくわからないわけですが、そういうときにはまたその有利子制度の方の人数は減らして無利子の方をうんとふやすとか、いろいろなことがあるのじゃないかと思います。  私は、当面二、三年のことだけで判断しているわけですが、二、三年のことで判断いたしますと、学生数もふえており、希望者もあり、この際日本育英会奨学事業規模を小さくすることにはどうも耐えがたい。しかしながら、片方で臨調なり財政当局からの強い要請もあって一般貸与の方がふやせない、むしろ減るということならば、ここで拡大するためには有利子制度を採用せざるを得ないのではないか。数年後のことについてはまたその段階でレビューいたしまして、あるいは財政事情も違っているかもしれませんし、いろいろな状況があると思いますので、また考えるということでよろしいのではないかというような感じがしております。
  37. 木宮和彦

    木宮参考人 将来のことについては計算上わかるのかもしれませんが、実感としてはまだわかっておりませんが、確かにそういう意味で将来なるべく負担が少なくなるということは望ましいことだと思います。  ただ、忘れてはいけないのは、同じ十八歳人口で、片方は働いて税金を払う人間もおるし、またそれを受ける側の学生諸君もいるわけなので、その辺は社会通念的にみんなが納得のいくように配慮すべきが我々の先に生まれた者の責務だと思います。  そういう意味で、自分で借りたものについては多少の利子でも確実に払っていくという姿勢を示すことが教育上も意味があるというふうに私は理解しております。
  38. 三輪定宣

    ○三輪参考人 教育の中でも、特に大学教育というのは大変なお金がかかるわけです。したがいまして、現在、国民の世論調査などによりますと、自分の子供高等教育まで進めたいという者は大体七割から八割くらいいるわけですが、実際には四割に満たないという現状でございます。その壁の大きなのが、これは言うまでもなく高い学費であり、膨大な学生生活費であるわけです。  もしこの奨学金有利子化を拡大していきますならば、当然この一番の被害者は低所得の者でありまして、生涯にわたって借金の返済を余儀なくされる。貧しい家庭に生まれたがゆえに生涯なぜこのような社会的な差別を受けなくてはならないのか。もともと家庭での出生は本人の責任ではないわけであります。このことを十分配慮した制度であってほしいと思うのです。もしこのような制度拡大していきますと、結局持てる者と持たざる者との社会的な格差をますます拡大再生産をしていき、豊かな社会づくりをそれだけ損なうことになると思うのです。特に進学希望を持っております多数の高校生たちが、奨学金が現在は成績基準などによって大きく制限されておりますが、さらにそれに利子がつけばもっと壁が厚くなるわけですね。その結果、給与奨学金にしたならば恐らくは進学が保障されるであろう多数の青年たちがこの措置によって葬り去られるということにもなりますので、たとえ三%でもその心理的、経済的な負担は、特に低所得層にとっては非常に重いのだということをくれぐれも御認識をいただきたいと思います。
  39. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 時間も参りましたので、最後に簡単に三輪参考人にお願いをいたします。  例のオーバードクターと奨学金の問題についてお考えがありましたら、ぜひお聞かせいただきたいと存じます。
  40. 三輪定宣

    ○三輪参考人 現在、大学進学率は三六%台で、一九七五年以来頭打ちになっているわけでございます。その背景には国の大学増設や定員増を抑制する政策があって、それは言いかえれば大学の教職員の採用を抑制しているということにもなります。一方では国家公務員の定員削減等が相当な数で進んでおります。千葉大学でも、職員だけでもこの五年間で数十名でございます。こういう採用の抑制と定員削減の中で、若い研究者の採用度が極端に減ってきております。一方では、研究者養成は大学院等で一定計画的に進めざるを得ない、こういう矛盾が今、オーバードクターと言われる方々にもろにしわ寄せがいっているわけであります。在学中から、あるいはオーバードクターの期間を入れますと、その生活、研究費は膨大な出費であります。この方々の待遇をいかにするかが、単に当人の研究条件の改善のみならず、日本の長期にわたる学術研究の基盤形成にとって決定的に重要な意味を持っております。  したがいまして、大学という国民教育要求の非常に高い施設については積極的に拡充策をとるということと並んで、若い職員の採用を促進するとともに、現に過渡的には生活が困難な場合には、奨学金の猶予、免除の期間を延長するとか、将来の研究職につくまでの間、十分研究が継続できるような学術奨励的な経費をさらに奨励金が切れた時点で出すとか、さまざまな措置をとって、将来の国の土台である学問研究の基礎について十分な配慮をいただきたい。こういう点では、なお今回の育英会法改正は不十分であるというふうに思っております。
  41. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 大変有意義な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。これで私の質問を終わります。
  42. 船田元

    ○船田委員長代理 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時二十五分休憩      ————◇—————     午後一時八分開議
  43. 愛野興一郎

    愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に対する質疑を続行いたします。木島喜兵衞君。
  44. 木島喜兵衞

    ○木島委員 第一問は、全部の先生方にお聞きしたいのでありますけれども、先ほど稲葉先生から、今日の教育資本論理を排除して教育文化論理に基づくために、そしてそのことは世界的な動向として、例えば国際人権規約等のお話がございました。他の先生方もまた同じことでございますが、今日教育改革と言われておりますけれども、教育改革と言われるゆえんは何かといえば、むしろ今日の資本論理による社会の混乱と言うのでありましょうか、公教育は産業社会のために出発したと言っていいですね。そのためにまた弊害が生まれてきたところに、今日の教育改革一つの大きな原点があると思うのであります。そういう観点に立って教育改革が、今臨教審の法律が出されておるときに、この教育改革を憲法、基本法によると中曽根さんは言う。憲法二十六条には機会均等がうたわれ、基本法には先ほどからおっしゃいますように第三条がある。  黒羽先生、育英制度調査研究会ですか、の委員でいらっしゃったとおっしゃいましたですね。あの制度の御研究をなさったときには、出発のときにはまだ教育臨調などというものが日の目を見なかった時代ですね。すると、教育改革のときに憲法、基本法でもってやるとするならば、奨学の道がどのような観点から出されるかわからない。当然、これに触れなくて教育改革たり得ないだろうと私は思うのです。とすれば、今回出されたことと将来出るであろうことは矛盾することもあり得ると思う。黒羽先生には悪いけれども、あのときには臨教審はなかったのですから。  今度臨教審でやるときに、こういうことを抜きにしては考えられないと私は思うのです。とすれば、矛盾するものが出ては困るのでありますから、そういう意味ではこの法案はまさに撤回すべきではないかと思うのでありますが、一言ずつお願い申し上げます。
  45. 黒羽亮一

    黒羽参考人 私がジャーナリストとして承っておるところによりますと、臨時教育審議会設置法案がかかっていて、もし法律が成立すれば全般的な教育問題を討議するのではないかというふうに聞いております。  しかし、この奨学金の問題はもちろんですし、それ以外に当面、臨教審の方はやってもかなり時間がかかると思いますし、また根本理念からいくわけでありましょうので、その間には日々教育が行われているわけですから、それは政策なり行政として進めていかなければならない問題ではないかと思います。この奨学金制度改正もその根本改革を待ってということではなくて、もうさしあたって、今奨学金がもらえなくて困っている学生がいるわけですから、これはこれとして進めていくのがいいのではないかと私は思います。
  46. 稲葉三千男

    稲葉参考人 今国会でといいますか、あるいは急いでと申しますか、育英会法改正ということをすべきでないという点については全く同意見であります。ただ御質問が、伺いようによっては、臨教審を設置してそこでというふうに聞こえると、またジャーナリストが喜ぶような趣旨にもなりかねませんので、そこについてはちょっとお答えを保留するようにいたします。
  47. 木宮和彦

    木宮参考人 論旨としてはごもっともだと思いますので、確かにそうだと思います。  しかし、私は、育英会法というのは実際に教育の日々の、毎日のことを行う法律でありまして、いわゆる臨教審の法律とは矛盾をしないと思うのです。ですから、旧来の法律を見ますと大分古色蒼然といたしまして、むしろ今までこれに手をつけなかったことの方がおかしいと私は思いますので、ぜひひとつこの際は見直すべきだろうと思います。
  48. 三輪定宣

    ○三輪参考人 教育改革の基本は、何といいましても国を挙げて財源を確保して、そうして直接目に見えない、経済的な効果のない教育領域に多額を支出していくということが基本になるはずであります。  また、今後教育改革を進めるに当たってはどの程度の公費の規模拡大が必要なのか、また今日、学習塾を初めとする教育産業によって受験競争が激化をする等、さまざまな教育荒廃が教育をめぐる商品化によって拡大をしつつあるという事実があるわけで、こうした事態を抜本的に改めていくには、公費による教育条件の整備を計画的に進めていくことが何といっても必要だと思います。  そのためには、部分的に奨学金制度改正に着手するのではなくて、国民教育改革への期待が強まっている今日、もう一度教育制度の根幹として奨学制度のあり方を抜本的に見直す、そういうことが非常に重要な時期になっていると思います。どうも、教育基本法の精神に基づいて教育改革を進めるという臨教審法案の趣旨のようでありますけれども、今回の育英会法の全面改正も、教育機会均等の一層の実現という点から見るとさまざまな制約を持っていることは、先ほどの発言のとおりでございます。したがいまして、この際、教育改革全体の展望の中で、その根本にあります公費教育の確立の原理とか、それに基づく給与奨学制度のあり方などを総合的に御検討いただきたい、これが先ほどの質問に対する私の回答でございます。
  49. 木島喜兵衞

    ○木島委員 稲葉先生、私、臨教審賛成じゃなくて、政府がこの国会に臨教審も提案し、かつ育英会法も提案しているものでありますから申し上げたのであります。  それから、さっき木宮先生、今まで手をつけなかったのがむしろおかしいというお話もちょっとございましたが、今それに触れるのじゃございません。ただ、先ほど三輪先生から、育英、すなわち英才を育てる、この言葉は孟子に出発するのだそうでありますが、実はこの法律の趣旨からしてということで、私、昭和四十七年の三月に予算委員会で、時の文部大臣が高見三郎でありましたが、この「育英」という言葉についても質問をされているときに、彼は早急に改正すると言ったのですよ。それから十数年たってもやっていないのです。まず、この「日本育英会法」という、まさに名は体をあらわすでありますけれども、このことから直さなければ本質的な解決にならないと思うのでありますが、一言ずつ。
  50. 黒羽亮一

    黒羽参考人 御趣旨は私も同感でありまして、「育英」というよりも「奨学」にニュアンスがあるのではないかと思います。しかしながら、なれた言葉というものを変えるということに関する感情的ないろいろなものもあらゆるところであるのではないか。「日本奨学会」とやるよりは「日本育英会」という方が、奨学金を受け取っている人も感じもいいということもあるのではないかというような感じも若干いたします。実体においては奨学だと思います。
  51. 稲葉三千男

    稲葉参考人 私は、「国家及び社会に有為な人材の育成」というのは、それはそれでよろしいかとも思いますが、問題は、それをだれだというふうに考えるかというときに、やはりすべての人間が何らかの形で国家社会に有用なんだというふうに考えるところに教育機会均等の実現があるのだろう。何か高等学校で、三・五以上取ったら国家に有用とか、三・二ならちょっとそれよりは劣って有用とかいうような格付をするのは非常におかしいというように考えております。
  52. 木宮和彦

    木宮参考人 全く同感でございます。ただ、一歩前進をお願いします。
  53. 三輪定宣

    ○三輪参考人 同感でございます。  アメリカ奨学金の名称の一つにも、教育機会給与奨学金というようになっておりまして、あえて「教育機会」という言葉が「奨学金」の前についているように、諸外国奨学金の常識は低所得層の援助が重点になっておりますので、すぐれた者にだけ差別的な待遇を国家がするという趣旨ではございませんし、また、そのような理念国際人権規約の「適当な奨学金」という言葉の中身にも含まれておるかと思います。
  54. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今、名は体をあらわすと申しましたけれども、今回この法律の第一条、すなわち法律の目的が改正されました。「国家有用ノ人材ヲ育成スル」という現行法に対して、「国家及び社会に有為な人材の育成に資するとともに、教育機会均等に寄与することを目的とする。」と変わりました。  言うまでもなくこの育英会法の根拠は、先ほどからいろいろお話ございますように、教育基本法第三条にありましょう。この第三条は、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」この場合の「能力があるにもかかわらずこということは、能力の上下ではなしに、大学になら大学に合格し入学許可が与えられた者にして経済的困難な者に対しては奨学の道を講じなければならぬと読むべきことは、もはや常識だと考えております。そういう意味では、後にまた御質問申し上げますけれども、点数によるということの問題点があります。  同時に、かつて国家有用の材というのは一体何であったか。明治教育は、追いつき追い越せ、そのために人材選別機能としてのエリート養成と労働者や兵士を養成するところの国民教育機能の二つを持っておった。このエリート養成がすなわち国家有用の材であったであろう。ところが、戦後はむしろ進学率が上昇したために国民教育的機能が薄れて、人材選別機能が多くなった。ここに今日の教育の荒廃の一つの大きな原因がある。だのに、あえてかつての国家有用の材と同じ「国家及び社会に有為な人材の育成」というものを入れることは一体何か。先ほど私が、名前の問題とも絡むと言ったのはこのことであります。  同時に、文部省は、この国家社会での有為の人材ということを、学校教育法四十二条の高等学校の目的の中に「国家及び社会の有為な形成者」という言葉があるからだと言っておるのです。中学校の中には「国家及び社会の形成者」とだけあるけれども、高校の場合には「有為」とある。ところが、教育基本法第一条の「教育の目的」は、「国家及び社会の形成者としてことあるのであって、これは義務教育と言っておらない。でありますから、むしろ高等学校におけるところの「有為」という言葉は、基本法第一条の「教育の目的」に必ずしも趣旨が入れられないと思っておる。それをあえて入れることは一体いかがなものか。同時に、そのことは機会均等と第一条にいう「国家及び社会に有為な人材の育成に資するとともに、教育機会均等に寄与する」という、この「国家及び社会に有為な人材の育成」ということと機会均等とは矛盾——矛盾という言い方は少し強いのだが、矛盾に近いような感じを持つのでありますけれども、その辺包括して一言ずつお答えいただければありがたいと思います。
  55. 黒羽亮一

    黒羽参考人 学校教育法と育英会法との整合性のことは、私、全然知らないわけですので今ちょっと判断できませんが、育英会法だけに関して見れば、先ほど他の参考人の方も言われましたように、かなり高等教育が大衆化してきたとはいっても、現在とにかく三分の二の者は高等教育進学してない。そのうちのかなりの人は税金を払っているわけですね。そういうような、国の予算なり財投にしろ、一応国のお金でやる育英奨学事業というものを考えるときには、青年全体の社会への参加ということとのバランスも考えなければいけない。そうしますと、エリートに金を出すという意味ではありませんけれども、やはり「有為な人材」というくらいの線は引きませんと、全体の青少年の問題というふうな点から考えると整合性がなくなるのではないかというような感じはいたします。
  56. 稲葉三千男

    稲葉参考人 これも繰り返しになりますけれども、私は、その人間が有為であるかどうかというようなことは、例えば十五歳のところであるいは十八歳のところで簡単に判断できるものではなくて、むしろもっと言うなら、それはすべての人間がすべて社会にとっては有為な形成者であるというふうに考えるなら、まさに教育機会均等という意味で、すべての人間教育のチャンスを与えるという奨学の方法を講ずることが適当ではないかというふうに考えております。  私は、こういう問題を考えるときによく、どちらも亡くなられた方なのであえて名前を出しますと、式場隆三郎さんと山下清さんの関係なんというのを考えるわけです。「能力に応じてこというふうになっている、まさにその能力を見出して育てていくことで、一定の社会的な有為な存在としての山下さんがあったというふうに思う。そういう意味では、今はその人の成績が三・二ないからというようなことで奨学の方法を講じないのは、非常に社会にとってマイナスになっていくんではないか。教育基本法第三条あるいは憲法二十六条の能力に応ずるというのは、一見してハンディキャップをしょっている人も含めてその人の能力に応じた能力を引き出す、全面発達を考える教育というふうに解していくべきではなかろうか。第三条の二項の方は、「能力があるにもかかわらずこという、ここになると少し解釈が難しくなってまいりますけれども、これからはその「能力に応ずる」というのをできるだけだれにでも、能力は磨けば玉になっていくというふうに考えていくのがよろしいのではないかと思っております。
  57. 木宮和彦

    木宮参考人 この目的の「有為」という言葉の話感でございますが、エリートというふうには私はあえてとれないので、形容詞的に言えばまじめな人材をつくりたい、こういうふうに私は受け取っておるので、あえてこの「有為」にこだわることはない、私はそう思います。
  58. 三輪定宣

    ○三輪参考人 「有為な」という言葉の中身は、一条に出てきます優秀なる学生等ということでありまして、やはり英才主義の表現であることは多弁を要しないというふうに思います。  そういたしますと、有為な形成者のための選別とその処遇ということが当然に教育機会均等の原則に反してくるとなると思います。そもそも能力ある者とか能力に応じて教育を受ける権利というのは、能力にさまざまなハンディキャップを負った者にこそより手厚い社会的な保護を与えて、そしてその不利な立場社会的に克服する援助をしていく、そういう趣旨でありまして、能力の高い者により高い教育あるいは高額の援助をするというそういう英才主義、逆立ちした原理ではないというのが憲法、教育基本法解釈における通説でございます。  アメリカなどでは、教育機会均等について、出発点の平等からゴールの平等へ、つまり単に出発が平等だけではなくて、そのゴールの中で皆が平等になるように、不利な者を社会的に援助をすることこそ教育機会均等の趣旨だというふうに言われておりますし、そういう考え方は、教育における正義の原則という原理となって、ヨーロッパ諸国の教育改革の支配原理になっております。教育機会均等というのは、むしろ恵まれない、経済的に不利な者にこそ重点的な保障をするという原理でありますから、その原理からしますと、当然英才主義は矛盾をしてくるのだと思います。  確かに一般国民の三分の二は現在大学への機会が閉ざされておりますけれども、それはこのような優秀なるという条件で有利子奨学金導入することによってその人たち立場が救済されるのではなくて、三分の二が二分の一になりさらに三分の一になり、だんだん大学に修学しない青年がなくなるようにするにはこのような有利子化の方向ではなくて、あるいは英才主審的な奨学金制度方向ではなくて、教育機会均等を重点にした給与奨学金でなければならない、このように考えます。
  59. 木島喜兵衞

    ○木島委員 御案内のように、現行法では一般貸与と特別貸与ございますけれども、一般貸与は「優秀ナル学徒ニシテ経済的理由二因リ」とありますし、特別貸与は「特ニ優秀ナル学徒ニシテ」云々。すなわち、点数主義とでも申しましょうか、ここに差をつけている。今度それを一本化したことば、その意味で評価に値すると思っております。  ところが、今度無利子は点数で三・五、有利子が三・二ということになると、一本化したことの論理とは必ずしも一致しないというのであろうか、逆に言うならば、無利子が十二万人で有利子が二万人でありますから、三・五という点数の余計な者が中心になりますから、全体が特別貸与に近づいたということになるかもしれない。なぜ貸与の資格要件として点数によって区別しなければならないんだろうか。この根拠法からいって、先ほど申しましたように、教育基本法第三条の「能力があるにもかかわらずこというのは大学なら大学に合格するということであって、それは三・一とか三・五ではないはずである。その根拠法から生まれているところの育英会法であるならば、このようなことは不要だと思うのでありますけれども、それについての御意見のある方から御意見をいただきたいと思います。
  60. 黒羽亮一

    黒羽参考人 政府からどういうふうな根拠で三・五とか三・二とかが出てきているのか、本当に私はよくわからないのですが、恐らく原資、予想される人数、それから余り低額でも困るしという、一人当たり配る金額というようなところから何かの基準を設けなければいけないということは私にも容易に想像されるわけです。そして、そういうことの総合的な結果としてそういうことに現在なっているならば、それはそれで私は差し支えないのではないかと思います。
  61. 稲葉三千男

    稲葉参考人 私は、学校にはできるだけ差別というものを持ち込まない方がよろしいというふうに思っておりますので、三・五の方は無利子、三・二だと有利子というようなことは避けるべきだ。それから、場合によれば三・五でも人数によっては有利子というようなことも起こりかねない。いろいろ複雑なことが起こりかねないので、できるだけこういうものは一本化して、まあおっしゃるように、特別貸与一般貸与が統合されたことはプラスだと思いますので、もし育英会法改正どこか一つだけというなら、そこを変えて差別をなくしていくというのが一つかと思っております。  さらに選考の基準、現実には今の段階では要るわけですから、こうなればこれは所得基準ということだけで考えればよろしいんじゃないかというように思っております。
  62. 木宮和彦

    木宮参考人 三・五とか三・二という成績の評価点でこれを区別するということは、私は反対いたします。  私は、先ほど申し上げましたように第二種はむしろ拡充して、だれでも、いつでも、どこでも、自分が学生である限り、その費用に充てる限りは、利子は少々取られても希望者には全員が当たるような施策の方がより公平だと思います。ただ、今までのように特別奨学生のような制度は残す必要はありますが、それはむしろ逆に、数は少なくてもいいから給費生として奨励する意味で、全額をくれてあげるくらいの気持でやるべきだというふうに私は理解しております。
  63. 三輪定宣

    ○三輪参考人 今回、特に優秀なる者が無利子、優秀なる者が有利子ということになった場合に、成績によって、より経済的に不利な者でも結局有利子奨学金を受けざるを得ないという矛盾が出てくる。奨学金制度の中に優秀という基準を持ち込みますと、矛盾が次々に拡大していくわけですね。確かに財源等に一定の限度というものはありますけれども、それならば経済的に困っている者から順次重点的に支出していけばよいのではないかと思いますので、現実に奨学金でも、相対的には困らないでも貸与を受けながら、本当に困っている者が実際にはもらえてないという現状がございますので、やはり奨学事業における成績基準というのは大きな問題をはらんでいるというふうに私は考えざるを得ないわけであります。  なお、現行制度の特別貸与は、経済的理由により著しく修学が困難な者への保障措置でもあったように思うのですが、今回貸与月額は一本化されて、経済的能力に対応した措置が全く画一化されてしまったということについては、先ほども指摘したように問題を感じているわけでございます。少なくとも二つか三つのランクを設けて、もっと学生の困窮度に対応した弾力的な、現実的な措置にしなくてはならないというふうに思います。
  64. 木島喜兵衞

    ○木島委員 余り時間がありませんから黒羽さんだけにお聞きしましょうか。育英奨学事業に関する調査研究会で、まさに無利子を根幹とするということを非常に重視していらっしゃる。ところが、それは何も法的にも保証がありませんから、担保がないですね。だから、今日までの無利子は九千人減りましたね。そして、有利子が二万人でしょう。予算はその無利子が四十五億円削られているのです。そうすると、このままいったら有利子が根幹になるのじゃないか、なぜなら臨調の方針等もそういうことでありますから。いや、なるのじゃないかと言うのは少し言い過ぎかもしれませんが、私は、だんだんとそういうふうになっていきはしないかという懸念を持つ。なぜなら、法的に保証がないからです。何か法的なことがなければ——ことし現に無利子もふえて有利子もふえたというならわかるのです、理解の仕方があるのです。無利子人数も予算も減って、有利子人数も予算もふえた、このままいったらだんだんどうなるのだろうか、それが無利子が根幹だということの保証になるだろうか、私は大変そういう心配があるのです。委員でいらっしゃったことも含めまして、その点はいかがでしょうか。
  65. 黒羽亮一

    黒羽参考人 その保証を法律に盛れるものなのか盛れないものなのか、私も立法技術その他のことは素人で全くわかりませんが、しかし、仮りに法律に書いたからといって、金額を幾らにするとか、そこまで書けるわけは当然ないわけですから、世の中の動きによってそれは変わってくることはあり得ると思うのです。ですからそれは、無利子を根幹とするという精神は、教育関係者のみならず国民を含めたコンセンサスとして維持していくような努力をしていくということ以外にはどうも手がないのじゃないか、またそういうふうにすればこれは守れるのじゃないか、及ばずながら我々新聞記者もその線で働きたいというような気持ちでございます。
  66. 木島喜兵衞

    ○木島委員 結構です。ただ、私がむしろ聞きたいのは、せっかくあのようなことを出された委員の一人として、今回のこの政府のとった措置は根幹から崩れていくという危険をむしろお感じになりませんかという意味で申し上げたということに御理解いただきたいと思います。  次に、あと五分しかありませんから、木宮さん、私学の問題で、今大学生で言うならば私立が八割、国立が二割です。ところが、貸与人員は半々、五対五です。これはなぜかというと、国家有為の材だからです。国家有為の材というのがあるから、国立国家有為の材を育てるエリート教育だったからです。そういう伝統でしょう。ですから、これをどうするかということがこれからの一つのテーマだと思うのであります。  同時に、これから大学生がふえますね。大学生がふえるときに、政府からも私立に多分に期待がかけられるでありましょう。しかし、それはやがて減るのでありますから、したがって、私立大学にはいろいろな苦悩があるだろうと私は思うのです。国立大学は低負担高サービスであると一般的に言えると思います。逆に、私立は高負担低サービスだと。先生大学は別といたしまして、一般的にはそう言えるかと思います。そこで、今言いましたように、学生がふえていく、しかしやがて減るのですから、しかも私学助成が削られるならば、ますます授業料が上がってくるでしょう。ますます高負担低サービスになるおそれがないか。そのときに、先ほどから私が繰り返し言っておるのは、国家社会の有為の材というようなこと、国家有為の材というのは、今日私立に大変人数が少ないということともあわせ考えたときに、ここを考えなければならぬからこそ私はずっと一連の御質問を申し上げてきたわけでありますけれども、そういう意味では私立として国家有為の材を含め、あるいは今日の貸与人員の比率等もお考えになりまして、希望されることがございましたならばお述べいただければありがたいと思います。
  67. 木宮和彦

    木宮参考人 御意見、全くごもっともでございますが、ただ、違う点が一点ございます。有為の材というのは国立にあるわけではございませんで、それは誤解でございまして、むしろ私学の方が有為の人材を大変輩出していると今も思っております、もっとも私は国立出でございますけれども。  今現実には、若い人たちの志向から言いましても、これは私が言うのじゃなくて旺文社の代田編集長が、気象の用語をもじりまして国低和高型という言葉を言っております。国立が低くなって私立が高くなるのを国低和高型と言うのでございます。これは受験戦争の話でございますけれども、今私学が国立にないものを目指している点は、私は大変すさまじい勢いで発展していると思います。ただ、今申し上げましたように、私学には何といいましても国費のつぎ方が少ないですから、学生負担が多いことは事実でございます。しかも、それに輪をかけて日本育英会の選別もそういう点で、これは有為の人材というところからそうなっているとは私は思いませんけれども、ぜひひとつその点はむしろ負担が多い私学の方にたくさんの奨学資金がもらえるような、これは負担が多少金利がかってもいいから、ともかく大勢の人が活用できるような方法にしていただきたいというのが私の切なる願いでございます。
  68. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ちょっと私の言ったことが誤解されては困りますので、私は私立の方が有為の材でないと言ったのでは決してないのです。ただこの法律に、国家有為の材を育成するという目的があるものだから、そこで政府は国立国家有為の材として明治以来つくってきたわけです。そうでなかったら、今日、国立大学が二割で私立大学が八割だなんという、二割でなければならないという区分なんて、こんなものは意味がないです」ですからそういう意味では、私が私立が有為の材でないとか国立が有為の材だと言ったのでは決してなくて、人数が八対二なのに、それにもかかわらず給付が一対一、同じ数です、そういうことからそのことは来ているのですかと申し上げたのでありますから、私がそう考えているということではございませんので、その点は御理解いただければありがたいと思います。  以上をもって終わります。どうもありがとうごさいました。
  69. 愛野興一郎

    愛野委員長 馬場昇君。
  70. 馬場昇

    ○馬場委員 社会党の馬場昇でございます。  参考人の方には、本当に長時間私どもの審議に御協力いただきまして、深く感謝を申し上げたいと思います。  もう議論の中でもはっきりいたしたわけでございますけれども、この育英奨学金制度の問題は、昭和十九年に設立されまして、あの戦争中、戦後の中でも有利子という言葉は、先ほどもありましたように出なかったわけでございまして、それが今時点で出てきたわけでこざいまして、これは本当に育英奨学事業の大変な転換だと思いますし、ひいては日本教育にかかわっても非常に大変な問題だと思いますので、この文教委員会も慎重審議をしようということで、現在まで皆さん方の御協力を得ながら慎重審議をしているわけでございます。  その中で、現行制度法律であるわけでございますけれども、文部省がこれで奨学生を募集することを停止といいますか、凍結しているわけです。これで、新聞等にも出ますようにたくさんの、十三万幾らの学生なんかが非常に困っているわけでございますので、我が文教委員会といたしましては、文部省は現行法で募集し実施すべきだということを文教委員会で決めまして、文部省に要請を衆参両委員会でやったところでございます。そして、一応予約生だけについては募集事務を始めたわけですが、在学生についてはまだやっていないわけでございます。  そういう点で、学生が困っているのは国会の審議がはかどらぬからだ、何か国会の審議権を制約するような、ここを批判するような報道なんかもちょっと行われておるわけですけれども、私が各参考人の方にお尋ねしたいのは、一生懸命慎重審議、また参議院もあるわけですが、またここでどうなるかもわかりませんけれども、現行法が現にあるわけですから、現行法でもって希望しておる学生について募集の事務を始め支給すべきであると思うのですけれども、この点につきまして各参考人の方々の御意見をまず伺いたいと思います。
  71. 黒羽亮一

    黒羽参考人 我々は、そういう奨学事務が、育英会があって各大学があってどうなっているかというデテールまでは存じませんので、よくわかりませんが、恐らくことしの事業の規模、内容というものが決まらないと、やはり育英会なり大学の窓口は動けない。各大学に何人というようなこともあるので動けないのではないかと思います。  なぜことしの事業内容が決まらないかというと、先ほど申しましたように、これは一種の予算関連法案のようになっておりますので、この法律が通らないと決められないのではないかなと私は推測しております。
  72. 稲葉三千男

    稲葉参考人 私も、予算関連法案をどういうふうに国会に上程し審議をしていったらいいのか、技術的にはわかりませんけれども、理念としては、教育の問題というのは何事であれ慎重に審議をしなければいけないわけなので、一方で、こう予算が決まってしまったから教育に関連したこの育英会法案にしろ急いで上げなければいかぬということになると、これはちょっと文教委員会の審議を拘束することになるのじゃないか。そういう意味では、今回のことがよかったか悪かったかというのは別として、今後そういう予算を伴う教育関連法案を審議あるいは上程なさる場合に、場合によればそれは一年かかって審議するかもしらぬということを前提とされて、現行法でできるものは現行法でやる。その上で、新しい法律ができた段階で予算措置を講じるというふうにしていただければ——確かに私なんかの周囲でも、在学の希望者というのは非常に困っているわけでございます。私の指導している大学院学生なども、昨年取らなくてことし取りたいと言っていて、今応募できないというようなことも起こっておりますので、その辺御配慮いただければと思います。
  73. 木宮和彦

    木宮参考人 ともかく現場から申し上げますと、今凍結されておりまして大変迷惑がかかっておりますので、現行法であろうと新しい法律に上げようと、ともかく早く実施をお願いしたいというのが本当の声でございます。どうぞ早くお願いいたします。
  74. 三輪定宣

    ○三輪参考人 国会で通過することも未確定な法案を条件にして奨学事務を停止するということ自体、行政当局として反省の余地が大いにあるのじゃないかというふうに思います。学生は蓄えができてないわけです。また、それが学生の特質でもあるわけですから。奨学金がこうして何カ月間も滞れば、当然学業に大きな支障が出ますし、それをカバーするには即アルバイトを始めなければならない。しかしそれも簡単に見つからないという状況で、学生たちは大変な苦境に立たされているのが現実でございます。私がきょうここへ来るに当たっても、在学生の方からそういう声が出ておりまして、この問題についてもぜひ一言言ってほしいということでございましたし、この点は法案とは別の問題かもしれませんけれども、可及的速やかに奨学金を支出するような措置をとっていただきたいというふうに思います。
  75. 馬場昇

    ○馬場委員 御意見承ったわけでございますけれども、学生を困らせてはならないわけでございますので、私たち、殊に当委員会では委員の総意として文部省に、現行法で早くやりなさいということで予約生についてやっているわけですが、今在学生についても文部省で検討しろということで、近く検討して、実施の段階になるかどうかわかりませんが、きょう、あすぐらいに明らかにすることになっておりまして、そういう点で当委員会としても、困っている学生についてはそれを救うように全力を挙げて頑張っておるということをぜひひとつ御理解いただきたいと思います。  そこで、これもまたお聞きしたいのですが、先ほどから何回も出たのですけれども、無利子が根幹である。今木島さんからも出ましたけれども、そして先ほど黒羽参考人は、利子をつけるなんかということは、これは暫定措置だぐらいに考えているのだというようなこともおっしゃっていただいたわけでございますけれども、先ほど木島さんから出ましたように、これが有利子が根幹になっちゃって無利子の方が枝葉になっちゃうという可能性だってあるわけでございまして、この辺についての歯どめというのがこの法律にはないわけです。だから、やはり歯どめについては法定化した方がいいのではないかと思うのですが、根幹が逆転しないようにどういう歯どめをしたらいいのか、その辺についてのお考えを、先ほど黒羽先生はお答えになったようでございますけれども、必要がありましたらまた再度でも結構ですけれども、各先生方にお伺いしたいと思います。
  76. 稲葉三千男

    稲葉参考人 私は基本的に有利子制度反対。でございますから、できればぜひこの委員の皆さんの御賛同を得てその分を取って、無利子の現状で一本化した法案というようなことで通過させていただきたい。先ほど黒羽参考人の方から、例えば利子補給が非常に高額になるというようなことがわかったら二、三年で変えてみたらどうだというようなお話も出たりしておりますが、そんなことになると、奨学金制度にかかわっている学生あるいは社会人がいろいろ出てくるわけで、利子の面も三%を上限とするというようにするとか、何かその辺も、もしも有利子化ということを考えるのであれば利率の面も縛っておいた方がよろしいのではないかというふうには思っておりますが、なくしていただくのが一番ありがたいというふうに思っております。
  77. 木宮和彦

    木宮参考人 私、ちょっと意見が違いまして、無利子でやれば一番いいことは理想として私も十分理解できる。そういうのが根幹であるべきこともわからないわけではありませんけれども、しかし、現実にはやはり無利子の金となりますと制約があると思います。特に国家財政の問題もありましょうし、その他の問題もあろうと思います。それで枠が決められますから、どうしても国立が有利になって、先ほど木島先生からお話がありましたように、有為な人材のために私学が犠牲になっているじゃないかというありがたい御指摘もございまして、その辺は私も大変うれしいのでございますが、むしろ多少の利子はあっても、ともかくあまねく学生である以上は、成績だとかあるいはおやじの所得だとかいうことにこだわらないで、いつでも、どこでも、だれでも、それに使うなら気軽に貸してもらえる、そのかわりちゃんと利子は払って、将来、借りたものはしっかりと返さなければいかぬという思想でやった方が皆さんが恩恵をこうむるのではないかというように私は理解するわけでございまして、その辺が若干先生方と御意見が違う点だろうと思います。
  78. 三輪定宣

    ○三輪参考人 この点、先ほどの最初発言でも指摘した点ですが、法案第二十二条二項によりますと、無利子の学資金というのは、「特に優れた学生」等で「著しく修学に困難があるもの」に貸与するとされているわけです。そうしますと、「特に」とか「著しく」というのはある意味で例外的な規定になりますので、そうすると、無利子の学資金の方が例外で、そしてそれ以外の利子つき学資金、第二種の学資金の方が一般的な、根幹的な奨学金になる、この条文を素直に読みますと当然そういうことになるわけですね。したがいまして、第二種奨学金は暫定的な措置にするとか、あるいは財政というようなことももちろん考えられないことはないですし、あるいは調査研究会の意向が無利子奨学金を根幹とするということであるならば、この条文にも当然そういうふうに明記されていなければならないと思うのです。  私は、そういうふうに修正すればいいと言っているわけではございませんけれども、法案の条文はむしろ現行無利子の学資金が例外的な措置になり得る、そういう規定になっているという点を強く指摘しておきたいと思います。
  79. 馬場昇

    ○馬場委員 大変よくわかりました。有利子制反対先生に暫定的だとかなんとか言って質問いたして恐縮でございますけれども、これを廃案にすれば一番いいわけだし、無利子だけでいけば一番いいわけでございます。  そこで、法案の中で心配した点はそういう点ですけれども、例えば利子だって、これには反対ですけれども、通っちゃったら、三%といったって、今財投資金は七・一%ですから、いつそこに持っていかれるかわからない。金融公庫法などには利子はこれだけだと法定してあるそうでございますが、そういう利子が七・幾らに上がらないようにとか、あるいはその根幹が逆転しないようにとかという点について国民も非常に心配しているわけでございますので、その点、この法律が廃案になれば一番いいわけですけれども、お尋ねしたところでございます。  そこで、これは稲葉先生にお尋ねしたいのですが、先ほどからも出てダブって恐縮ですけれども、成績基準の問題ですね。何かこんなのは要らないと私は思うのですけれども、これについてと、それから育英事業の一環として入学したときの一時金制度というのは要るのじゃないか、こういうぐあいにも思いますし、さらに、大学におられて、やはり授業料は高過ぎるのじゃないか、これを減免すべきじゃないかという意見も、父兄からも学生からもよく聞くわけですが、特に父兄からは、学費に使った金は所得税の控除にすべきじゃないかというような意見も非常に多いわけです。こういう点について稲葉参考人の御意見を承りたいと思います。
  80. 稲葉三千男

    稲葉参考人 全く同感でございます。  私も、昨年子供大学に入れました途端に八十万円の支払いの必要が生じまして、やはりかなり苦しゅうございます。国立ならまだ幾らかよろしいのでしょうけれども、どうも余り有為の材じゃないものですから……。  私立の方に行きますと本当にそういうことが起こります。そういう意味では、これは先ほど木宮さんからもお話が出ましたけれども、入学時の一時金についての御配慮とか、それから今の所得税法でございますか、こういう面の御配慮とか、もしもしていただけるのであれば、ぜひ子供の親としてお願いしたいと思っております。
  81. 馬場昇

    ○馬場委員 三輪参考人にお尋ねしたいのですが、急にこんなことを言って恐縮でございますけれども、先ほど木島さんからも出たのですが、目的の項でございます。「国家及び社会に有為な人材の育成に資する」とか「優れた学生及び生徒」、こういうのがありますけれども、これは憲法とか教育基本法の精神からいいましたらちょっとおかしいのじゃないかと私は思いますが、皆さん、その第一条を修正なさるとすればどういう言葉にした方がいいか。修正と言うと語弊がございますが、こういう理念を書くべきだということがございましたらひとつ教えていただきたいと思うのです。  その前に、木宮さんにちょっとお尋ねします。  先ほどから出ておりますが、学生、特に私学の大学生は学費地獄というか、非常に苦しんでいると私は思うのです。そういう面につきましてその実態と、それから今度私学の助成が予算上削られましたね。このことはけしからぬと思うのですが、この私学助成が削られたことに対するお考えと、私は、私学に対する奨学事業に対する国の補助なんかも考えるべきじゃないかと思うのですが、まず木宮さんの方からひとつお答えいただきたいと思います。
  82. 木宮和彦

    木宮参考人 昨今、私学助成が削られまして、国の財政が厳しいということもありましょうし、また、中には不祥事を出す私学があったりして、大変厳しい私学助成の前途でございますが、ただいま馬場先生がおっしゃるように、私学は決して——百のうち一はまずいのがあるかもしれませんが、大部分、九九・九%は非常に真摯にやっていると思います。その点はひとつ社会的な評価をしていただきたいと思います。  しかし、補助金というものはあくまでも補助金でございまして、私は、これはオールマイティーなものではないと思っております。私学が補助金に頼らなければ生きていかれないということになりますと、私学の野党精神というものは全くなくなってしまいまして、これはまさにアヘンと言っても差し支えないのでございまして、アヘンはやめるにやめられない。補助金も若干似ているところがございますけれども、私は、そういう意味ではなくて、本当に日本教育を思うなら、国立と私学が車の両輪のように真っすぐ走っていく。どっちが大きくてもぐるぐる回っちゃって先に進みませんので、同じ大きさでもって前へ進むには、私学に国民が助成していただかない限り、いい日本教育はないと信じております。  そういう意味で、今後、私学の助成のあり方について十分検討されて——私は、増額だけを訴えません。正しい私学の補助金というものを皆さんで検討していただきたいと思います。
  83. 三輪定宣

    ○三輪参考人 法文について軽々に申し上げることはできないと思いますけれども、御質問がございましたので、念のためにということでお答えいたします。  一つには、「すべての国民は奨学助成を受ける権利を有する」というように、奨学金についての権利規定を明確にすべきだと思うのです。それを前提にした上で、「日本育英会」を「奨学会」とでも改称しまして、「優れた学生及び生徒であって」を削除して、「経済的理由により修学に困難がある学生及び生徒に対し、学資の給与等を行うことにより」、「貸与」でなくて、「給与等を行うことにより教育機会均等を実現するとともに、学術の発展に寄与することを目的とする」というような表現になろうかと思いますが、これはまた十分研究してみたいと思います。
  84. 馬場昇

    ○馬場委員 時間が参りました。どうもありがとうございました。
  85. 愛野興一郎

    愛野委員長 池田克也君。
  86. 池田克也

    ○池田(克)委員 公明党の池田克也でございます。  きょうは、四人の御見識を拝聴させていただきまして、これで一日お過ごしになるわけで、大変ありがとうございます。  いろいろと細かい問題が出ておりましたので、私の方からは、この委員会で大臣ともやりとりをしておりましたが、英才教育ということ、それから、主に大学なんですが、どの程度まで普及することが適当なのかということ、これは当該法案と関係があるので私は伺うわけでございます。  先般、大臣がこんな話をしておりました。共通一次試験の改革について国立大学協会の先生方に、もうちょっと科目を少なくできないか、こういう要請をしたわけだ、ところがそれに対して国立大学協会の学長の方々からは、日本の資源のない状況の中では知的能力というもので生きていく以外にないのだ、したがって、日本の置かれている状況を考えるならば、いわゆる五教科七科目と言われる共通一次試験はクリアしてもらわないと困るのだ、これぐらいは悠々とクリアするぐらいのことでないと将来心配だから、これはもうとても軽くできないのだ、こういう御意見国立大学先生から出た。片方では、同世代の三十数%に及んだ大学進学者というものがあって、そして大学進学をめぐって、偏差値であるとか予備校であるとか、いわゆる業者テストだとか、非常にお金もかかるし、大きな問題になってきている。片方では、いろいろの弊害もあるので、もっと緩めればいいという考えと、片方では確かにしっかり教育していかなければならないという問題と二つある。したがって、私は大臣にもその質問をしたのですが、大臣はお立場上明快なことは述べられなかった。今他の同僚議員からも質問が出ました、この法案を「奨学」専門にすべきで「育英」というのは不適当だという気持ちも私には若干あるのですが、しかし、はてな、やはり日本の置かれている状況の中では育英というものも全然無視はできないし、むしろそれも大事にしていかなければならない。  大変大まかな質問を申し上げて恐縮なのですが、きょうおいでいただいた四人の方々はそれぞれお立場がおありでしょうが、かえって大臣とは違って、思い切ってその辺について御見識をお述べいただけるのではないかと思いましたので、そうした意味で、英才というもの、また非常に大衆化していく大学教育というものは今ぐらいの線がいい線なのか、あるいはもうちょっと何らかの配慮を加えていくべきなのか、もしそれについてのお考えを聞かせていただけるならば、私にとって大変参考になりますので、お一人ずつ、短い時間で恐縮ですが、幾つかずっとお伺いすることがあるものですから、手短にお聞かせをいただければと思うのです。
  87. 黒羽亮一

    黒羽参考人 私も最近は、大学短大、専門学校というふうな言い方と同時に、高等教育というふうな言い方もしております。ですから、大学短大、専門学校高等教育と言うのか、あるいはさらに社会人入学とか成人教育とか、そういうものを全部含めて高等教育と言うのか、その辺でまた高等教育の定義も違ってきますし、そういう点ではいろいろ難しいと思いますが、各国の状況を大まかに見てみますと、大体十七、八歳ぐらいで入って、三年とか四年とか教育をするような定型的な教育機関への在学者数というのは、日本は三五%とか三六%ですが、アメリカの場合四〇%を超えている。ヨーロッパの場合はまだ二〇%前後の国が多いというような状況になっておるようであります。  ですから、すべての者に開かれた高等教育ができるという点では、それは極論を言えば全員が高等教育を受けるような、そういう文化的な豊かな社会というようなことも十分考えられるし、これはこれで考えていかなければいけないと思いますが、十七、八歳で入る定型的な高等教育機関としては、現在の三十数%という進学率はほぼ適当なところなのではないかと思います。もうそのぐらいの年齢になりますれば、続けて大学なり短大で学習するよりは社会に出てというような希望も十分あるわけですし、またそういう人たちは勉強したいときには帰ってくるような、そういうオープンなシステムをつくるということを考えながら、定型的な大学短大規模というものは今程度でよろしいのではないかというふうに私は思っております。  それから、英才というのは、これはなかなか難しい。何が英才なのか、これは最初から英才の資質がわかるということよりも、結果として英才であったというような場合もあるでしょうし、なかなか難しいわけですが、世上よく言われておりますように、理工系では非常に早く英才的な資質の人も発見できるし、そういう人たちにはそれにふさわしい場を与えるのがいいというようなことが言われておりますが、全般的に人文科学、社会科学、全部の科学にわたってどうもそういうことも言えないという大変難しい問題があると思いますので、ある程度英才教育の効果のはっきりしている分野だけは、今例えば大学の物理学科の学生は四年間大学にいなくてもいいではないか、三年から大学院に行けるようにしてもいいではないかというような意見もかなり出ておりますが、そういうふうに割合英才についてのコンセンサスのあるような分野の英才教育というものはどしどしお始めになった方がいいかと思いますが、無理して全部の学校の分野にわたってその制度を考えていくということはなかなか難しいことではないか、こんなふうに思います。
  88. 愛野興一郎

    愛野委員長 ちょっとお願い申し上げます。  質問者の持ち時間がありますので、できるだけたくさん聞きたいそうですから、できるだけ簡単に……。
  89. 稲葉三千男

    稲葉参考人 どうも非常に大きな問題なので手短というのが難しいのですが、結局スクールというのは語源はスコーレだというふうに言われております。要するに余暇ということで、ある社会でどれだけそういうメンバーに余暇を保障できるか。だんだん歴史的には余暇がふえてきていると思います。そこへ持ってきて高齢化とかいう形で平均年齢も伸びてまいります。ですから、私はこれも黒羽さんと基本的には大体同じようなことを申すことになるかと思いますけれども、かなり出入り自由なポスト・セカンダリー・エデュケーション・システムというものを考えればよろしいのではないか。したがって、今のように十八歳で必ず大学に行くというのではなくて、やはりそういうことが必要な分野というものもあると思いますので、そういうものについてはすぐ入るという、しかしむしろ多くの学問領域では、理工科の場合も含めて少し実社会に出てみて、それからまた大学というか、いろいろな形のポストセカンダリーの教育を受ける機関に入る。そういう意味では教育切符なんというような考え方が出ておりますけれども、例えばそういう考え方はどうだろうかというふうに考えております。
  90. 木宮和彦

    木宮参考人 時間もございませんので、現場にいる人間として本音で申し上げますと、今育英という問題は余り現場ではなじまないと思っております。むしろ、何が基準かと言いますと、もう子供も親も大学に関して、あるいは大学以外でもそうだと思いますが、就職ですね。もうほとんど八十何%サラリーマンになると思いますので、就職がいかにできるかできないかがその学校の死命を制するというようなのが現実でございまして、ですからそれがおろそかになったのじゃいい学生が集まらぬ、いい学生を集めるためには就職にいい成果を上げる、これが今の大学の変な使命で、悲しいことでございますが現実でございます。
  91. 三輪定宣

    ○三輪参考人 十九世紀には「すべての者に中等教育を」というスローガンがあって、それがほとんど実現してまいりましたが、今後二十一世紀を目指しては、「すべての者に高等教育を」というスローガンが必要になってくるのではないか、また必要だというふうに思うのです。その形態はいろいろでございますが、人間が一人前に成熟するには、生物学的には二十年程度かかるというふうに言われておりますので、これは個々の親や子供の好みの問題というよりも、もっと社会的な配慮のもとに必要な教育年限は確実に保障するという視点が重要かと思います。
  92. 池田克也

    ○池田(克)委員 ちょっと大きな問題だったものですから、いろいろお答えがあったわけです。  次の問題ですが、これは明年度の予算編成の問題と絡んでくるわけなんですが、いわゆる一律予算のシーリングということが今議論になっております。私は、この委員会でも別の機会にいろいろ主張しておったのですが、あるいは予算委員会でも大蔵大臣に言いました。教育というものについては同じようなシーリング状態で一〇%とか一二%とか予算を頭から切ると、これは後に非常に大きな失敗だと気がついても遅いのじゃないか。建物をつくる、あるいは鉄道を敷く、いろいろなことがある。諸産業についての予算の措置はいろいろあるだろうけれども、殊さら教育に関しては一律シーリングはまずいということを主張してきたわけなのです。今回のこの法律の提案も、予算の配分と絡んでいると私は思っているわけです。どなたも喜んで有利子制を提唱してないと思うのですね、基本的には。ですから、きょうのお話を伺っておりましても、ないにこしたことはない、しかし財源の状況からというのが後についてくる。  したがって、そういう状況の中から関連してお伺いするのですが、一律シーリングというものについて、教育、福祉と言いたいところですが、きょうは文教委員会ですので教育について申し上げますが、一律シーリングはまずいんだ、教育にはむしろ先の投資も含めてかなり配慮をすべきだ。そういう点から考えるならば育英についての何らかの対応も違ってくるのではないか、私はそんなふうに思っておりますので、参考人の皆様方から、一律シーリングについてのお考えをお聞かせいただければと思うわけでございます。
  93. 黒羽亮一

    黒羽参考人 大変難しい問題ですが、結論的には、一律シーリングというのは教育に限らずどの分野でもまずいのではないかと思います。
  94. 稲葉三千男

    稲葉参考人 自分が国立大学にいるという利害も幾らか絡むのかもしれませんけれども、どこを削れということはここでは申しませんが、よそは何とか削っていただいても文教予算だけはぜひ増額していただきたい、そのように思っております。
  95. 木宮和彦

    木宮参考人 確かに日本が今日あるのは、教育の力が非常に大きかったと思います。やはりこれは先行投資でございまして、すぐに目につくものではないので切りやすいと思いますが、教育をおろそかにしては国家百年の大計はないと思いますので、一律シーリングというものは非常にまずいと思います。
  96. 三輪定宣

    ○三輪参考人 戦後三十年の間、国家予算に占める教育費の割合は平均一二%でございます。今年度は九%に下がっておりますが、一二%程度は安定的に確保するということが教育の本質、継続性を保持していく上にどうしても必要な枠だろうと思いますので、教育こそ聖域だという概念をもっと財政当局も理解をしてほしいというように思います。
  97. 池田克也

    ○池田(克)委員 二つの問題についてお伺いしたのですが、ちょっと補足的に、木宮参考人は就職のことをおっしゃっておられました。  私、最初の質問のときに教育の中で「英才」という言葉を使ったので、これは適当かどうかは議論のあるところだと思いますが、要するに成績と申しましょうか、子供たち学校へ入ってからのあり方という問題なのですけれども、就職というのは私の認識では、企業サイドから見てかなり成績ということが問われると思っております。この部分を取り上げてっなげて私なりに考えてみますと、木宮参考人のおっしゃる私学の本音は、やはりできるいい子をそろえるということがかなりいい就職につながるし、それが学校の評価を高めるし、いろいろな意味でそこへ来てしまうというふうに理解して私伺っておったのですが、その点について御意見がありましたら聞かしていただきたいのです。
  98. 木宮和彦

    木宮参考人 就職ということが学生を集める上においては一番の要件であることはまず疑いないと思います。ついこの間までは医科歯科大学が大変な入学難で、天下の秀才が集まるし、また金を積んでまで入りたいという現状でしたが、ここへ来ては本当に波が引くごとく静まってしまった。これはやはり医者に対する就職といいますか、志向がなくなってしまったのが一つの原因だと思います。これがいいか悪いかは別として、いい学生を一人でも多く集めて就職率を上げたいということは本音として当たり前のことで、また競争があってこそ初めてお互いに社会の活性化ということがあり得るので、あながちそれを否定してしまうことは教育界のためにも私はよくないと思っております。しかし、頭がいいだけで就職が決まるかというと必ずしもそうでございませんで、最近の企業の就職の状況を見ていますと、多少突っ張っておっても、むしろやる気のある人間をひとつ活用したいという方向に今や転じつつありますので、果たして優等生をつくることがこれからの経済界に喜ばれるかどうかということは大変疑問だと思っております。
  99. 池田克也

    ○池田(克)委員 さっきのお話の中でもうちょっと伺いたいと思いましたのは、三輪参考人お話なのですが、高等教育機会を受けるのは一〇〇%を目指すべきだ、こういうお話だったのです。  それはそれとして、現実に学生さんをお扱いになっていらっしゃって、才能が向いているか向いていないか、あるいはまた先生の教室におかれましても、選抜の上で将来学生さん全部に同じようにということはなかなかいかないと思うのです。私も「英才」という言葉についてこだわりもあるのですが、なかなか適当な言葉もないものですから、要するに育英という考え方は本当にもう要らないのかどうか。やはり何らかの形で激励もし、また向いでなければ向いている方向につけかえながら、あえて十八歳以降と申し上げたいのですが、日本を背負っていくためにはある意味でのそうした教育は残しておくべきではないか。一番最初に私、問題提起をいたしました。これはなかなか頭の痛いことですが、これから教育を受ける上では非常に重要な部分ではないかと思っておりますので、御専門の立場からこの辺についてもう一言お伺いできたらと思うのです。
  100. 三輪定宣

    ○三輪参考人 英才の必要性についての御質問ですが、私は、社会の学術、文化等の発展にとって、その第一線で活躍する若い人たちが今後も大量に育っていくことを期待することは当然だと思うのです。しかし、それは教育制度の上で言えば大学の上にまた大学院というのがありますし、そこに入学するのはかなりの難関でもございます。そういうシステムの中で、いわば公に認められる形で学術、文化の先端を開く青年たちも存在し、形成されているわけですから、あえて英才ということを意識的に、制度的に誘導するという必要は特にないのではないかというように思います。  それから、高校でもそうですが、大学でも、枠を広げていけばいくほど多様な能力というか、個性、適性の方々が入学してくるわけですね。そういう人たちに対する高等教育はどういう形態になるのかという疑問は確かにございます。この点、アメリカ等では、コミュニティーカレッジという短期大学的なものが無試験で入学できる仕組みとして既に存在しております。そして、それとまた別の相当専門領域の、専門職の形成を目指す大学等は激しい競争をしなければならないというところはございますし、そういう国民選択に対応して多様な高等教育機関が存在するということは当然念頭に置くわけですけれども、そうしたことを含めて、やはり若いときにしか系統的な学習をして生涯の基礎を築くときはないわけですから、かけがえのない時期に希望をするならば高等教育機関に進学できる、そういう保障は社会的な配慮として私は必要だと思うのです。そのことと社会にとって必要な学術、文化の推進のための人間形成の場というものとは、必ずしも制度的にも矛盾しないし、現在でも大学院制度を中心に存在しているように思いますので、この延長の上で考えていくことができるように思います。
  101. 池田克也

    ○池田(克)委員 実は育英会の仕事というのは、非常に職員の方々が頑張っておられまして、私もいろいろ調べてみて大変びっくりもしたし、感心もしたのですが、九四、五%の返還率なんだそうですね。非常によくお金が戻ってきている。昔は、私どもの同じクラスの連中だったならば、まだなんだよなというのがいっぱいいましたけれども、このところ非常に意識がよくなり、また職員の人たちも頑張っている。戻ってきたお金というのは、次に使っていかなければならない非常に貴重な原資なので、それを確保するために懸命になって活動していらっしゃる。そういう状況の中で、学生に対して四段階のいろいろ警告を発しているわけですね。成績を取り寄せて、激励とか警告とか一カ年停止とかあるいは廃止とかする。  これは御婦人なんですけれども、私のところへ来まして、下宿している学生の国元から、実は出席日数が足りないからもうちょっとちゃんと学校へ行くように言ってくれと親から下宿のおばさんに来た。実は、非常に政治活動に熱心で、私のポスターなんか張ってくれたりしていろいろ頑張っている学生なものですから、ちゃんと学校へ行くようにあなたから言ってくださいと、こういうわけですよ。私、それを聞きまして、育英会というのは非常にいいなと。なかなか親の言うことを聞かないけれども、育英資金というものの関係できちっとチェックしてくれているということを私発見しまして——またこれは管理、管理ということになるといけませんけれども、そういう点で、大学へ行きますとなかなか親の言うことも聞かないし、お金だけ送ってくれれば後はおれの好きなんだというような人生を送っているわけです。そういう状況の中で、ある一定の成績をとるように激励をし、そして卒業後それを返さしていく、この制度はいいのじゃないかと思う。  そういう活動をしていく中で、さっき三輪先生お話、私、今の御答弁とちょっとすれ違うような感じがして、大変失礼ながらもうちょっと時間があれば伺いたいなと思ったのですが、三輪先生最初お話の中で、奨学金をもらっている学生はなかなかできがいいじゃないか、やはり使命感があるのじゃないかというような御発言があったような気がします。私は、教育の中で学生に使命感を与えていくことは非常に大事だと思う。何でもいいから入れば、とにかくどうでも単位だけ取って出ればいいんだという考えは、さっきの就職の話とも絡んでくるのですが、要するにきちっとした考え方を持たせることが必要だ。国家的な使命感を持たせる意味でも、やはり利子というものについては抵抗があるな。反面、大変財政緊迫の折から、量的拡大を目指す上で財政投融資を使わなければならない。非常に苦しい選択だな。そういう意味で私自身もいろいろこの問題について頭を悩まします。しかし基本的に、そういう子供たちに対する教育効果やあるいは使命感を与えていく面からも、ぎりぎり国の方も頑張って、利子を取りたいところだが取らないで、そのかわり頑張りたまえ、国民がみんな君たちの将来に対して期待をして税金を投じてくれているんだというふうな考え方の方がいいのじゃないかなというふうに、私は今のところ思っておるのです。これからまだ変わるかもしれませんけれども、私、今皆さん方のお話を伺っておりまして、「英才」という表現が適切じゃないかもしれませんが、やはりある部門の督励をしていかなければならない人材教育というものも必要だ。そういう中で、育英、奨学と言われますけれども、育英と奨学ともにあわせて必要だと思う。  先ほどの、無制限な、だれでももらえるようにというふうな木宮参考人お話、もっともだと思うのです。これは銀行ローンをもっと拡充して——特に入学金ですね。今稲葉先生お話しになった一時金で頭を悩ました、私も全く同じだと思うのです。育英会には一時金の制度が余りないようでございます。やはり銀行ローンはもっと拡大をしていかなければならないし、そして利子も八%、一〇%、いろいろありますけれども、こういう銀行ローンを拡大する中で、言うならばもっと。多面的な、だれでも受けられるような道がある。この育英会というのはそういう中でちょっと色が違うように思いまして、まだなかなか結論を胸の中で出し切れないでいるような状態で、きょうはその意味で真剣に皆さん方の御意見を承るために質問に立っているわけでございます。  今、私若干のお話をしましたのですが、そういう状況を踏まえて、最後に二言ずつお伺いをしたいと思うのです。  アルバイトと奨学金の関係について、大体今の学生状況、これは仕方がないなというお気持ちか。ちょっと何か手を打った方がいいのじゃないかな、もうちょっとしっかり勉強させた方がいいのじゃないのかな、この辺についてお一人お一人から、時間が短くて恐縮なんですが、お伺いして、終わりたいと思います。
  102. 黒羽亮一

    黒羽参考人 アルバイトが全部悪いというわけではありませんが、それからやりたくてやっているとも思いませんけれども、まあ少しアルバイトが多過ぎるというような感じも、人文社会科学の学生に関してはいたします。ただ、それと奨学金との関係というのは、直接はなかなか難しい問題じゃないかと思います。
  103. 稲葉三千男

    稲葉参考人 そこに恐らく、大学の種類といいますか、参加している学生の意識の違いが出できて、よく言われているようにレジャーセンター化していて、レジャー費を稼ぐためにアルバイトというようなことは現実にあると思います。しかし、先生がおっしゃったように、使命感を与える、あるいは生きていく誇りあるいは勉強する誇りを与えていくという意味で、社会が君に期待しているのだ、だから君に給与しているのだとか、あるいは苦しいけれども無利子貸与しているのだ、そういう社会の側が何か示すことで、それにまた学生がこたえて、それはアルバイトもするでしょうけれども、一生懸命勉強もする、それで社会に貢献するという使命感が強まるのではないか。社会の使命、社会からの恩恵ということを考えさせるという意味でも、私はローン化というのは反対でございますね。
  104. 木宮和彦

    木宮参考人 育英資金とアルバイトの関連性というものはあると思いますが、しかし、一面、また逆に、先生がただいま御指摘になったように、自分の遊ぶ金はアルバイトというふうに今の子供は割り切って、生活費、学校に納めるのは育英資金と親からもらう、こういうのが現代っ子じゃないかと思っております。
  105. 三輪定宣

    ○三輪参考人 一九八二年の日本育英会の調査によりますと、奨学生の月収、月九万二千六百円のうち、アルバイトが二一・一%の一万九千五百円というような比重でございまして、奨学金が二九・七%。やはり奨学金の額の低さが特に奨学生の場合にはアルバイトを必要としているのだと思います。  それから、アルバイトでさまざまな文化教養費を捻出するということはぜいたくではないかという見方もありますけれども、例えばイギリスの奨学金などは夏休みの旅行代まで必要学費に組み込んで、それを公費で補助をするというように、最低限度は親から仕送りをしてもらったにしても、多少文化的な、教養的な経費についてはみずから働くということで、いずれにしてもアルバイトというもので学生生活を営んでいるわけで、なるべくでしたらその時間を学業に没頭させたい。家庭教師一軒やるにも一日五、六時間は必ずかかりますので、そういう時間は、せっかくの在学期間ですので、なるべく本を読んだりあるいは研究をしたり、そういうことに時間を使ってほしい、こういうふうに思います。
  106. 池田克也

    ○池田(克)委員 終わります。
  107. 愛野興一郎

    愛野委員長 中野寛成君。
  108. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私は、今困っておられる学生の皆さんのためにも一日も早くこの法案に対する結論を出して、そして奨学金が差し上げられるようにしたい、このことを心から念じております。そういう意味で、きょうせっかくお越しいただいて、心からお礼を申し上げたいと思いますが、あわせまして私は、その学生の皆さんの気持ちも考えながら、みずからの質問時間を十分間と限定をいたしましたので一回だけの質問で終わるかもしれませんが、あしからずお願いを申し上げたいと思います。  国会の審議は当然慎重でなければなりませんが、この問題は、ある意味では学生生活と密接につながりがあります。ですから、結論もそれだけにまた慎重な中にも早く出さなければなりません。我々の内部の問題ではありますけれども、定例日以外には開かないとか、原則的に五時以後はやらぬとか、そういう水臭いことを言わぬと、もっと徹夜してでもこの審議をやりたい、こう主張してまいりましたが、残念ながら入れられません。しかし、私は、できる限りこの内容の充実のためになお一層努力をしていきたい、こういう気持ちを持っております。  同時に、法案審議であります。我々としては、あくまでも現行法よりも新法が少しでもよければその方を選択するという立場をとっておりますが、しかしながら、先ほど来各参考人先生方がおっしゃいましたように、授業料がただである、奨学金給付制である、そしてまた国公立と私学には何らの差別はない、そういういろいろなことが充実されることがもちろん望ましいと思います。同時にまた、それを単に絵にかいたもちや理想だとしないで、それに近づける努力はもちろん日々しなければならない、このように思っております。思っておりますが、そのときそのときの政治選択は、現行法に比べて新法がよりよいものかどうかという比較論で論じたい、このように思うわけでございます。  そこで、お尋ねをいたしたいと思いますが、現在論議をしておりますこの改正法案が廃案となり、現行法でいくとなりますと、既に予算は決まっているわけであります。そして、その予算の枠でいきますと、そして現行法を適用いたしますと、一人当たりに貸与します金額、いわゆる単価は下がります。下がりますというよりも、今までと同じということになります。改正法でもくろまれている金額給付はされないということに相なります。そして、予算が既に決まっているわけでありますから、現行法でいきましても、貸与されます学生の数は制限をされてしまいます。これは明らかに後退であります。私は、それは耐えられないと思います。同時にまた、新法でいきますと、予算上人数の制限は受けておりますが、単価を引き上げること、それから、ある意味では大蔵省や行革臨調の方針に文部省の精いっぱいの抵抗とも思える有利子貸与制度の創設。これはある意味では、新たな、利子をつけて返してもいいからそのお金を借りて学校へ行きたいという学生を救うことにつながります。  私自身も大変貧乏な中で育ってまいりましたから、その気持ちが実はよくわかります。私も、そういう制度があればと願った経験もあります。そういう意味では一歩前進だと言えなくもありません。そういうふうに考えますときに、現行法に比べて改正法は幾らかでも前進がな、私はこういう気持ちを持つわけであります。先ほど木宮参考人が、いろいろ問題はありましょうともとりあえずは一歩前進をとおっしゃったお言葉に、実はむしろ端的な言葉の中にいろいろな意味感じながら共鳴をいたしました。そういう意味で、我々も理想やまたあるべき姿を目指して現実的に日々努力をしてまいりますが、現行法と改正法との比較を論じた場合にどうお考えかを四人の先生方にお聞きをいたしたいと思います。  先ほど来、黒羽先生からばかりいっておりますので、平等を期すために今度は三輪先生の方からお聞かせいただければありがたいと思います。
  109. 三輪定宣

    ○三輪参考人 現行制度改正案の相違点につきましては、最初発言のところで申し上げたことに尽きるわけですが、結論的に申しますと、百歩後退への第一歩という感じがするわけです。  その最大の問題は、言うまでもなく、有利子奨学金導入で、これが法律に全く歯どめがない。条文の中には、むしろ有利子奨学金一般的な形態であるかのような規定にもなっているわけですね。国会で審議をされる諸先生にもその点は十分考えていただきたいと思うのですが、法律利子拡大の歯どめとか、それから利子率の歯どめとか等々、今後この制度がどう変化していくかについての歯どめがないわけです。この点が一番の問題ではないかというふうに思っております。  以上でございます。
  110. 木宮和彦

    木宮参考人 私は、一歩前進だと思っております。ローンなども大分普及してはまいりましたけれども、しかし学費に対してのローンはかなり金利も高いし、かつまた、学費も納められないような家庭状況で果たして銀行がまともにそれを受けてくれるかということは非常に疑問に思っております。サラリーローンなら別ですけれども、これは悲劇につながりますので、ぜひひとつ大勢の人が借りられるような方策をお願いしたいと思っております。
  111. 稲葉三千男

    稲葉参考人 二つのものを比較しますときに、いろいろなことを考えて比較しなければいけないと思うのですが、私は、それが理想に向かって、要するに一番いいというふうに考えているものに近づいているか遠のいているかということではかるのが一番よろしいんじゃないか。そういう意味では、今中野先生が、給付制こそが理想だ、それは絵にかいたもちにしてはいかぬというふうにおっしゃった。そこを先生と御一緒に考えていくと、そこが今度近づいたというよりはむしろ遠のいている。そういう意味では、ぜひ先生にも、理想に近づけるということでは、もしもこの法案のどこかをとってあとは捨てるということが許されるなら、先ほども申しましたように、特別と一般という貸与の二本立てを一本化するというところは理想に近づいていると思いますので、無利子制貸与一本にするということになればよろしいかと私は思いますが、今のままだと理想から遠のいているという意味で、改正案が悪いというふうに考えております。
  112. 黒羽亮一

    黒羽参考人 この問題、先生方には法案が提出されてからの問題かと思いますが、先ほど申しましたように、私、第二臨調のことにコメントした記事を書いたり文部省会議に入れられたりして、三年ぐらいおつき合いしているわけです。それで、文部省会議でも本当にいろいろな立場の方がいらっしゃいまして、今の三輪先生稲葉先生のようなお立場の方もいらっしゃいましたし、長岡元大蔵次官のようなお立場の方もいらっしゃいましたし、本当にいろいろ議論しました結果、結局先ほど申し上げたようなことになったわけです。  さらにもう一つ、今こちらに出席して思い出したわけですが、実は日本育英会一般会計支出による奨学事業が余り伸びないというようなことがいろいろと関係者の間で懸念されたのはもう十数年前でありまして、昭和四十五、六年ごろに多少民間お金もだぶついていたような嫌いもありまして、アメリカなどで行われている奨学金ローンのような制度を別に設けたらというようなことを文部省の研究会で調査したことがありますが、そのときも私、メンバーに加えさせていただきました。そして、結局それは実現しなかったのでありますが、私大奨学事業というような形で財投お金を使って各私大がローンをしているというのは、四十九年かと思いますが、始めているわけです。見方によりましては、今回の法案のローンの部分は、その私大奨学事業拡大して、各私大の事務室がやっているのでは事務も煩瑣でなかなかできないので、これをコンピューターで処理できる育英会で一括してやるというふうにもとれるわけです。  それで、冒頭にも申しましたように、各国は給与、貸与、ローンと三本立てになっておりますので、日本の場合も返還免除を入れればこれで形が整うわけでございますから、そういう意味では、奨学の方法の形としても一歩前進だと思うわけです。しかもそれは、直接のきっかけはこの三年間の臨調指摘以来のことですけれども、長い歴史がやはりあるものであります。しかし、給与、貸与、ローンのローンの部分ばかり拡大してもという御懸念も非常によくわかりますので、その辺のことは、先ほど我々のことは申しましたけれども、大変僣越な言い方でございますが、国会の決議とか先生方のお考えの手もあると思いますので、いろいろお考えになられて法案ができるように取り計らっていただけると大変ありがたいと思います。
  113. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 今御回答いただいてわかりますことは、結局、無利子貸与制が有利子に取ってかわられないか、言うならば有利子への移行の第一歩を踏み出したんだということが最大の御心配のようでございます。  先般の文部省との質疑応答の中でも、文部省としてはそのことは考えていないということを明確に答弁をされましたが、財政当局その他相手もあることでございますから文部省だけでは心配だ、また先ほど、ちゃんとした保証が担保されてないという同僚議員の声もありました。今黒羽参考人がおっしゃいましたように、私どもとしても、この委員会で最終結論を出しますときにはそういうことのないように、附帯決議等を明確に国会の意思としてつけたいというふうに考えておるわけでありますが、今後とも各参考人先生方のあわせての御努力、また御協力をお願い申し上げておきたいと思います。  時間が参りましたので、終わります。
  114. 愛野興一郎

    愛野委員長 藤木洋子君。
  115. 藤木洋子

    ○藤木委員 参考人先生方には、私どもの審議に御協力をいただきまして本当にありがとうございます。随分長時間にわたる質疑が続いておりまして、さぞお疲れのことと思いますが、いましばらくおつき合いをいただきますようによろしくお願いいたします。  また、私に与えられております時間も制限がございますので、全員の先生方にお尋ねをさせていただこうとは存じておりますけれども、そうばかりはいかないこともあろうかと思いますので、その場合には御容赦をいただきたい、こんなふうに存じます。  まず最初黒羽参考人にお伺いをいたしますけれども、参考人は陳述の中で、今回の法改正臨調どおりではなくてそしゃくをされて出てきたものだ、こんなふうにおっしゃったわけで、その例に無利子貸与制度を根幹にするという点をお挙げになられました。  そこで、この無利子貸与を根幹にするということが何を意味しているのか、その点を一つお伺いしたいと思いますのと、有利子貸与との関係でどう見ておられるのか、調査研究会の討論を踏まえて御説明をいただけたらと思います。  もう一つ、全面有利子化に対して批判的な御発言をされたように私はお見受けするのですけれども、この点についてどのような問題があって反対をしていらっしゃるのか。全面的に有利子化にするということは好ましくないと思っていらっしゃるのはなぜなのか。この二点についてお尋ねをいたしたいと思います。
  116. 黒羽亮一

    黒羽参考人 先ほども申しましたように、結局学生援助の方法としては給与と貸与とローン、この三通りがあるわけですが、そのうちで我が国の場合は真ん中の貸与ということで育英会がやってきたわけであります。それから、もちろんローンという点からいきますと、先ほどから話が出ておりますように、利子が非常に高いわけですけれども、市中金融機関とかそういうものもあるわけです。アメリカなどの例を見ますと、今度の法律のように、一部分連邦政府なり州政府なりあるいは大学利子補給するというような形で安いローンもある。  それで、これは非常に大ざっぱな話になりますけれども、国全体の経済規模の中で、あるいは文教費の中で高等教育にどのぐらいをかけられるか、高等教育の中でスチューデントエードをどのぐらいしたらいいのかというようなことも、理論的にはなかなか出てこないわけですけれども、結局今あるものを少しでも伸ばしていくという方向で考えるのが一番現実的な考え方じゃないかと思うわけです。  それから、返済というのは、全部ローンにしてしまった場合には、先ほどから再三出ておりますように大変でございますから、無利子貸与もいい。それらを総合的に検討しますと、非常に大ざっぱな話になりますけれども、主体は貸与というところに置いて、一部は給与があってもいい。私は、給与という概念を鋭く通すためには、これを学術研究者に限定した方がいいんじゃないかというような個人的な気持ちは持っていたということを申しましたけれども、教員を外せば先ほどの御質問にありました育英というような意味もそこに入ってきまして、これはグラント、給与である、一般貸与とローンだ、こういうふうに整理ができるんじゃないかなという考え方を総合いたしまして、今度の法律はそういうことの第一歩となるならばよろしいのではないかということであります。  それで、そういうような形で文部省の研究会で議論したというわけではありませんが、私も出席して若干発言しましたけれども、それぞれの専門家の方、財政当局の方あるいは銀行の代表の方もいらっしゃいましたし、そういう人の話を聞いていまして私がつかんだおぼろげながらの奨学事業観みたいなものから出ているわけでございます。
  117. 藤木洋子

    ○藤木委員 無利子貸与を根幹とするというのはどういうことか、その根幹ということについてちょっと御説明をいただきたかったのですが……。
  118. 黒羽亮一

    黒羽参考人 直接のお答えをしなくて申しわけございませんでしたけれども、根幹というのは、それを全部で十とすれば八とか、そのぐらいのところは貸与のところに置いて、一ぐらいは給与があってもいいだろうし、一ぐらいはローンがあってもいいだろう、そういう気持ちでございます。
  119. 藤木洋子

    ○藤木委員 では、稲葉参考人にお伺いをいたします。  冒頭の陳述の中で、育英奨学金制度への有利子導入は今日の教育にとってまさにシンボリックな事件であるという旨をおっしゃったわけですけれども、この点についてもう少し具体的といいますか、補足をしていただきたいというふうに思います。
  120. 稲葉三千男

    稲葉参考人 今、学校教育あるいは教育全般に、先ほど木宮さんもおっしゃったことにもつながりますが、就職のための教育であるとか、あるいはもっとひどく言えば、食いはぐれのない高収入を得るための教育であるとか、そういう考え方が出てきているわけですね。有利子化をしていくときの一つ論理として、将来高収入を得られる大学教育を受けるんだ、あるいは高等学校教育を受けるんだ、それならば高校にも行けない、あるいは大学にも行けない者が働いて苦労して払った税金から、無利子だとか給与だとかというのはおかしいじゃないかというように、高収入を得るんだから一定の利子負担があっていいじゃないかとか、あるいは返却するのは当然じゃないか、こういうふうに出てまいりますね。だから、そうじゃなくて、何度も申していることでありますけれども、社会社会に有用な人材を育てていく、それはすべての人間がそうなっていくんだというように考えるなら無償であり、あるいは奨学金に限って言えば給与であるというようにすべきなのが、国がまさにそこへ逆行して有利子制導入してくるというのは、今社会の中に非常に強まってきている、教育を一言で言えば金もうけのための手段というように考えていく、そういう考え方に国がまた一歩乗って拍車をかけていく、こういうことになるだろう、そういう意味を申しているわけでございます。
  121. 藤木洋子

    ○藤木委員 ありがとうございました。いわば教育の質的な転換といいますか、そういうことについてお話をされていたということがよくわかりました。  三輪参考人にお伺いをいたします。  今回の法改正との関連で育英奨学金制度のあり方について、特に歴史的な経緯、給付制貸与制、こういった議論を踏まえまして望ましい制度をどのように考えておられるか、御見解をお聞かせいただきたいというふうに思います。
  122. 三輪定宣

    ○三輪参考人 私は、給与奨学金は日本人の夢であったというように思うのです。  既に戦前には文部省が早い時期から諸外国を丹念に調査して、給与制度導入についての研究をしております。  例えば、一九三二年には文部省調査部で「内外教育制度の調査 第三輯」というものを発行しておりますが、そこでは「英・独・仏・米に於ける給費制度」という四十一ページにわたる調査報告がございまして、給与制度の積極的な評価をしています。同じく三五年には「第六輯」でやはり三十ページ近くを割いて、この調査報告を繰り返ししているわけでございます。その報告書の最後のところで、ドイツの給与制度について、一九一九年のワイマール憲法百四十六条の「学資ノ補助」とそれに基づく制度を詳細に紹介した後でこう述べております。「給費制度により無産階級の子弟の修学機会を有産階級のそれと同一に置くべく積極的に制定せられていった」という評価でございます。また、その後もたびたびこのような調査をしておりますが、例えば「英国の奨学金制度は恐らく世界各国中最も発達したもの」であるというように、給与制奨学金導入のための基礎資料を着々と整えていたわけであります。  また、民間の側でも早くからそのことについての運動がございます。例えば一九〇一年の社会民主党宣言は、「人民をして平等に教育を受けしむる為に、国家は全く教育の費用を負担すべきこと。」、「義務教育の年限を少くとも満二十歳までとなし、全く公費を以て学齢の青年を教育するに在り。」と述べておりますし、また、一九一九年の啓明会という教員団体の綱領にも「教育機会均等」という項目を掲げて、次のように述べております。一教育を受くる権利——学習権——は人間権利の一部なり、従って教育は個人義務にあらずして社会義務なりとの精神に基づき、教育機会均等を徹底せしむべし。小学より大学に至るまでの公費教育——(1)無月謝。(2)学用品の公給。(3)最低生活費の保障——の実現を期す。」これは、こうした日本歴史の中で、給与奨学金を目指して行われてきた各界の努力のほんの一端でございますが、このような夢が戦後の憲法、教育基本法に基づいて実現するはずであったと思います。  一九四四年の現行日本育英会法の審議に当たっても、給与にするか貸与にするかについての激しい論争の結果、なお給与にした場合には財源に難があるということで、とりあえず貸与になったといういきさつがあります。こうした日本国民歴史的な努力の延長を考えるならば、当然そこに描かれる奨学金制度は自明であるというふうに思います。  それは、先ほども御質問に対してお答えしたことになるわけでありますが、特に大学奨学金について言いますと、三つの原則に基づく。つまり、希望する者が全員給与されるという原則、それから家計応能性の原則、最後は希望者にはさらに貸与を認めるという原則でございます。この中身について繰り返すことは省略いたしますが、当面、現在の奨学金制度もこのような法改正によって暫定的に改善するのではなくて、一歩前進のさまざまな措置が考えられるわけです。有利子化というのは改善ではなくて私は一歩改悪だと思いますけれども、そういう改悪のような措置ではなくて、さまざまな漸進的な改善が考えられると思います。  例えば、現行の貸与制は返還期間が二十年以内で、実際にはだんだん縮小されておりますが、もっと返還期間を延長するということ、あるいは返還免除制度についても、教育職、研究職からさらに部分的にせよ拡大することによって実質給与制の枠を拡大していくということ、あるいは学力基準を緩和してもっと経済的条件を重視して奨学生を選考し、そして所得の認定方法も多々問題があるわけでございますので、これをきめ細かく洗い直して改善をするということ、あるいは日本育英会の奨学生を飛躍的に増員することはもとよりですけれども、現在全体の四〇%近くは自治体や民間奨学事業に依存しているわけでございます。これらの奨学事業にもっと補助金を出してその枠を広げていくということも一歩改善の措置だと思います。また、現在では生活費の三分の一程度奨学金ですので、この額を五割程度に引き上げることも改善になります。さらに、現行の進学資金貸付制度といって、大蔵省や郵政省所管の進学ローンがございますが、これが教育の商品化を広げる一つの突破口になって、そういう慣行が今度の有利子奨学金の引き金にもなっているわけですので、そのもとを断つ意味進学ローン制度を廃止するということも課題かと思います。また、先ほどの御質問にもありましたようにオーバードクター、つまり大学院修士課程修了者で定職についていない方々については返還猶予の期間を延長するとか、あるいは教育、研究職などに就職後は特にそうした不利な期間を考慮して返還免除にするといったさまざまな一歩前進の制度改善の方策があるわけでございます。  これをやるだけでも随分給与奨学金は改善されるわけです。そういうものを一歩一歩積み重ねながら理想の給与制度に近づけていくならば、日本人の夢が実るということじゃないかと思います。
  123. 藤木洋子

    ○藤木委員 続きまして、三輪先生に幾つかの質問をさせていただきたいと思いますが、三輪先生はとりわけ教育行財政の専門家というふうにお聞きしておりますので、日本の場合、教育負担実態、その傾向がどうなっているか、そして実際国民負担意識と申しましょうか、それについての国民の意識はどうなっているか、それをどのように見ていらっしゃるのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  124. 三輪定宣

    ○三輪参考人 教育費の父母負担についての調査は、文部省とか総理府とか、そのほか各自治体とか、さまざまなところで行われております。そういう諸調査の中の一端を取り出して、父母負担の現実を簡単に御紹介してみたいと思います。  一つは、岩手県の企画調査部が一九七九年に調査したものですが、「教育文化の面では、とくにどのようなことに力を入れてほしいとお考えですか。このなかから二つ選んで下さい」という問いに対して、「教育費の父母負担の軽減」を挙げた者が三七%で、第二位を倍近く離して断然トップである。つまり、今、父母、国民は重い教育負担に随分悩んでいるわけで、この改善、軽減こそが教育改革の最大の課題の一つである、こういうふうに受けとめているわけです。  また、東京都の生活文化局が八一年に調べた就学者のいる父母の教育負担感、子供学校に通っている家庭の教育費の負担感でございますが、「大へん重い」という方が三五%、「重い」が四二%で、合わせて七七%、つまり八割の者が現に重い教育費の負担に音を上げているというのが実態なのですね。ですから、それをいかに軽減するかということが重要な課題であることは言うまでもないと思います。  また、厚生省の統計情報部の調査によりますと、子供一人当たりの家庭教育費を所得四分位階層区分で比較した場合に、最低の第一階層の子供教育費というのは最高の第四の階層の〇・四八、つまり半分に満たないわけですね。このように、重い教育費のゆえに低所得層の者はそれだけ出費ができないということから、現に家庭の教育にもそうしたゆがみが及んでいるというのが実態でございます。  文部省の父母負担教育費調査も毎年行われているわけでございますが、これなどの調査に基づいて現在家計に占める教育費の割合を調べてみますと、親が三十歳で幼稚園に通っている場合には、公立ては一人で八・五%、私立の場合は一五・八%かかります。小学校の公立の場合にはやや少なくて五・九%、中学校で六・五%ですが、子供が二人、三人となってきますとこれが二倍、三倍になってまいります。特に高等学校では、私立てすと一六・一%、公立ても七%という割合でございますし、大学生になりますと、これが一人で国立ても二〇・八%、私立ては三九・九%というように、家計に占める教育費の割合は非常に重いわけです。無償が建前の義務教育費ですらこういう現状であります。  そして、これを幼稚園から大学までトータルにまとめてみますと、私の計算でも相当な金額に、利子なども全く計算しなくても約一千万でございます。これに扶養費とかいろいろな経費を含めますと、一人の子供が成人するまでに三千万近くかかるというのが一般的な推計なんですね。したがいまして、こういう悩みをどのように解消してもっと気楽に子育てに、教育に専念できるか、そういう環境や条件をつくることこそが政治家に課せられた重要な役割ではないかというふうに私は思います。  現在、確かに財政難ということが言われておりますけれども、しかし、公教育費の支出基準というのは、これはやはり一定の基準が考えられると思うのですね。それは、GNPに対する公教育費の支出の割合でございます。  ユネスコの文化統計年鑑の一九八二年のによりますと、その割合は、例えばカナダは七・七%、イスラエルは八・一二%、オランダは八・一%、ノルウェー八・一%、スウェーデン九・一%、ソ連七・二%、アメリカ六・四%というように、八%近くの支出を努力している国は少なくないわけですね。これに対して、この統計表を見ますと、日本は五・八%。そして、今の数字は七九年前後の数字ですが、私どもの推計では、その後臨調行革のもとで減少いたしまして、公教育総額は十五兆円でございます。八四年のGNPの政府見通しが二百九十六兆円でございますので、そのGNP比は五・一六%ということで、次第に下がっているわけですね。三百兆円の枠の中で一%上げることによって約三兆円近くアップいたします。現在の五%を八%に上げますと、それだけでも相当な金額になるわけでございます。仮に八%にいたしますと、八兆四千億円近くが公教育費として確保できるわけですね。  もう一つ、午前中の御質問にもございましたが、国の予算に占める教育費比、と申しましても文部省所管予算の割合ですが、これが七六年の一一・四%から八三年の九%へと二・四%減少いたしました。これは、全体が五十兆円近いですから一兆二千億円程度の減少になります。しかも自治体等の負担分がその二倍ですから、合わせると三兆六千億円近くがこの間に削減をされているわけですね。従来の財政の水準を何とか維持することによって、逆に三兆円から八兆円近い公教育費の拡充が可能なわけです。そうなりますと、全員に対する給与奨学金の実施を初め、高校授業料無償大学授業料無償、三十五人学級、そのほかいろいろな事業が実現できて教育費問題は基本的に解決する、そういう見通しが成り立つと思いますので、これは決して財政上の問題ではない、政策選択の問題である、このように思います。
  125. 藤木洋子

    ○藤木委員 ただいまの最後の御説明のところにもありましたのですけれども、財政事情が厳しいことを理由にして、今政府、文部省は、有利子導入もやむなしということを言っているわけです。そして、財政投融資からこれを借りてくるということなんですけれども、私どもの見ておりますところでは、この財投も極めて厳しいのじゃないかというふうに思うわけですね。その三%の利子というのをいつまで持ちこたえられるかというようなことも私どもは極めて心配しているわけですけれども、その不安定性、そして財源確保をすることもそういった方法ではなくて、財源確保をして教育費問題を解決していくという展望についても、今お話の中で多少お触れになったわけですけれども、そういったことについてもうちょっと深めるといいますか、切り込んでといいますか、御説明がいただけたらというふうに思いますが、引き続いて三輪先生にお願いいたします。
  126. 三輪定宣

    ○三輪参考人 私は、教育費というのは譲歩をし始めたら切りがないと思うのですね。  この点は、戦前の十五年戦争にもそういう経験があるわけですが、例えば満州事変から太平洋戦争が終わるまでの一九三〇年から一九四五年の間に、当初教育費は九・二%で今日とほとんど同様であった。それがだんだん軍事費の拡充に従って減少して、そして一九四四年の、ちょうど奨学金の現行法が成立したときには〇・七%にと縮減をしていったわけですね。その分だけ軍事費に食われていったわけですけれども、教育費というのは後退をし始めたら切りがない、こういう問題がございますので、どこかで明確な歯どめをかける、その基準を設定することが国民的合意のもとで非常に重要だと私は思うのです。これはどんな財政事情であろうとやはり聖域を守る、その聖域を守るために財政努力をするというような視点が必要だろうと思うのです。  その観点で見た場合に、この三十年来コンスタントに国家予算に占める教育費の割合は一二%前後を維持しておりました。したがって、それが一つの目安になると思います。  もう一つは、今言いましたGNP比でございますが、五%台ではなくて少なくとも七%、目標を八%に置いてそこへと確保していく努力が必要ではないかと思うのです。今、日本だけではなくて教育費が減退ぎみで、軍事費が急速に突出して伸びているわけです。このように人間を殺りくするための経費が突出して伸びて、人間を育てる経費が削減されているというのは、人類史上まさに異常なことだと思うのです。本当に二十一世紀という難しい時代を生き延びるには、何といっても高い知性と倫理の持ち主を一人でも多く育てていかなければならないわけで、軍事費や余計な経費を削って人間形成の経費を確保するということは、いわば死活問題だと思うのですね。そういう死活問題を突破することが教育改革の基本でございますので、このような財政事情であってもやはり教育費は所定の額を必ず確保する、そういう努力を政治家の先生方はぜひ協力して進めていただきたい、こんなふうに思います。
  127. 藤木洋子

    ○藤木委員 それでは、最後に木宮先生に、有利子の問題なのですが、今のところ三%と、先ほどもできるだけ利子は安いにこしたことはない、こういうふうにおっしゃったわけですが、この三%が維持できるとお考えになっていらっしゃるかどうか、その点を二言お聞かせいただきたいと思います。
  128. 木宮和彦

    木宮参考人 三%はぜひ堅持していただきたいというのが私の気持ちでございます。  物価が上がりますので、無利子ということは、だんだん目減りしてくるのでだんだん安くなるということなので、三%ぐらいで、自分の借りたものは自分で払うというような感じじゃないかと私は理解しております。
  129. 藤木洋子

    ○藤木委員 質問を終わります。
  130. 愛野興一郎

    愛野委員長 江田五月君。
  131. 江田五月

    ○江田委員 参考人先生方には、きょうは午前午後一日、我々のためにお時間をお割きくださいまして、本当にありがとうございます。  もう皆さんからいろいろなお話を伺っておるので、それほど伺うこともないかと思いますが、最初に、どうも世間一般奨学金というのはもう余り意味がなくなったのだという受け取られ方があるいはあるのじゃないかと心配しておるのですが、私どもよりずっと学生諸君に日ごろ身近に接していらっしゃる皆さんから、数字というよりもむしろ実感をお伺いしたいのです。  先ほどのレジャーランドですか、何か学生が随分遊び回っている、大学へ入ったらあとは遊ぶばかりで、アルバイトでどんどん金は入ってくるし、親からの仕送りもどんどんあるしで、いい車を乗り回して女の子をひっかけ回してというようなことで、こんな奨学金なんてもう要らぬのだという空気もあるのじゃないかと思うのですが、果たして本当にそんなものなのか。あるいは私どもが今の学生諸君について、若干ひがみでそんなふうに思っているのか、それともやはり世の中が大分変わってきたからある程度はレジャーということも必要なので、そう度外れたものにはなっていないのか、あるいはまたそういう学生もおるけれども、同時に奨学金を必要としている学生、そして奨学金があれば国家有為というのですか、何というのですか、世の中に役に立っていく者に必ず育っていく、しかし奨学金がなければ学問を続けることができないという学生もちゃんとおるということなのか、実感としての御意見を伺いたいと思いますが、順次お願いいたします。
  132. 黒羽亮一

    黒羽参考人 学生の気持ちは私以外の三先生方の方が詳しいと思いますが、私は、今先生がおっしゃったようなことが何となく社会にはあるから結局あの臨調のようなことになるということじゃないかと思うのです。  それともう一つ我が国では、奨学金とか人から助けてもらうより親がお金を出して子供学校にやるという機運が非常に強い。その二つの要素によりまして——日本の経済力からいったら、今育英会民間と合わせて千五百億円ないわけですから、アメリカの上兆五千億はともかくとしまして、西ドイツの四千億や五千億ぐらいの奨学事業規模になり得るわけなのです。それがなぜならないのかというと、これはポリシーの問題ということもあるかもしれませんけれども、それと同時に、奨学金というものに対する国民の受け取り方の問題というものがあるのではないかと思います。したがいまして、急速にこの額がこれから大きくなっていくとは期待できませんけれども、困っている学生さんもあることだと思いますし、私は漸進的に充実させていって、そのうちにだんだんと学費観——学費はだれが持つのか、日本の場合は親が持つべきだという気持ちが非常に強いと思うのですが、こういうものも変わらないのか変わるのか、そういう推移を見ていくというようなことで、余り大きな奨学金政策の変動はここでしたくない。  それで、今度のローンの導入程度はそれほど大きな変換ではなくて、むしろ各国のそういう奨学金政策のスタンダードに近づくことじゃないかなというふうな感じでおります。
  133. 稲葉三千男

    稲葉参考人 幾つか数字なども持っておりますが、余り時間もございませんので省かせていただきますが、奨学金の変質というようなことで、一つは、先ほどもちょっと触れましたレジャーセンター化していってアルバイトでというような、その中で、じゃ奨学金がどうだという問題と、私自身がいわゆるエリート大学にいて感じますのは、エリート大学に来る父母あるいは保護者とでもいいますか、その年収が次第に上がってきていて、そこでは余り奨学金の持っている奨学という意味が発揮できない、むしろ非常に高負担低サービスと言われているところで勉強していらっしゃる方のところに奨学金が必要になってきているのじゃないか。そういう意味では、今の選考方法も変えなければいかぬだろうというようなことも思うわけであります。  それから、今の黒羽さんの御発言でもちょっと感じるわけですが、例えば私が今から三十数年前に初めて奨学金を取ると言ったときに、私の父なんかが、ある意味では泣いてと言うとちょっと大げさですけれども、何とかやめてくれ、おれは石にかじりついてでもおまえは学校にやるからと言うのだけれども、どうにも払えなくなって、もらうわけです。子供教育費は親が負担すべきだ、そういう考え方から、教育というのは社会全体の営みだから社会負担するのだ。これも池田先生おっしゃったように、そこに使命感を感じ子供たちが、社会がおれを育ててくれるのかということで一生懸命勉強するというようなふうにしていくのが非常にいいのじゃないかと考えております。
  134. 木宮和彦

    木宮参考人 江田先生がおっしゃるようなものじゃございませんで、今の大学生は非常にまじめでございます。  ただ、アルバイトをするというのは事実でございますが、これは目的を持ってみんなやっています。男の子は大体車を買いたいと言うのですね。女の子は衣料を買いたい、自分のおしゃれをしたいと言う。レジャーといいましても、ふしだらなレジャーじゃなくて、車が欲しいだあるいは衣装が欲しいだということで、それは親にも求められないし奨学金にも求められないということで一生懸命アルバイトをやるというのが、中には例外はたくさんございますが、平均的にはそういうものじゃないかと私は思います。  それから、奨学金はやはり所得制限でサラリーマンに非常に過酷でございまして、四百万ちょっとになりますともらえないというところで、実感と制度とがやや、欲しい人がもらえないというのが現状のような気がいたします。
  135. 三輪定宣

    ○三輪参考人 奨学金に関する国民の意識あるいはそれに関する学生実態でございますが、一つは、関心が低い理由は、奨学金貸与人数やそれから額が余りにも低くて国民の全般的な関心になり得ないということで、これはもっと国民的な関心事になるように拡大していく必要があるだろうというふうに思うのです。  それから、一部の学生は確かに裕福でございます。また、例えば東京の学生などは裕福でなければ自宅外から通学できない。地方から出てきて私学なり国立なりに学べるような学生は、つまり全国大学と言われる各地から集まってくる学生は、そういう親でないと学生の保障ができないということがございますね。例えば文部省学生生活調査でも平均が百二十三万円という学生生活費ですが、東京で下宿をすると百六十七万円必要だというように、首都圏とか大都市では、家庭的に相当裕福な者でないと学生になり得ないということになっている面がございます。  それから、現在サラ金地獄に象徴されるようにあらゆる面にローン化が進行しまして、そういう中で奨学金問題というのは、貸与であっても何かむしろ積極的に評価するという空気がございますね。ですから、逆に三%の利子でも安いではないかというような反応も出てくるかと思います。  それからもう一つは、諸外国にも例を見ない教育費の受益者負担主義の中で、教育、特に大学教育とはそもそも受益者が経費を負担するものだという風潮がございまして、そういうことの中で一種あきらめの空気になっているというところもあろうかと思います。  しかし、一口に大学生と言いましても大変さまざまでございまして、私の大学の門のところには、「交通安全」と書いた下に「ローンクラブ 学生の方へ 学生証だけで即融資いたします」という学生ローンの看板が出ておりまして、そして困った学生を相手に商売がはやっているわけですけれども、そういうことに頼らなければならない学生も結構いるわけです。  そして、国民の諸階層を五段階に分けてみますと、例えば私立学校に行ける者は、第一の階層では進学率が二九%で第五の階層の者が五三%というように、現に大学生の中でも相当所得に差があるわけです。そういうところに行けない学生やその親たちにとって奨学金はまだなお救いの手になっていないということで、まだまだ国民の関心になっていないということは、だから奨学金は局所的な改善でいいということではなくて、むしろもっともっと国民教育を受ける権利の保障にたえ得るような、そういう条件整備の課題として拡充していかなければならないだろうと私は思います。
  136. 江田五月

    ○江田委員 ありがとうございました。  先生方、とりわけお三人が皆さん、今の学生はそんなに言われるほどふしだらなわけじゃないので、まじめにやっているんだということをおっしゃってくださいまして、安心しました。女子大生などというと最近はやたら週刊誌などに出てきまして、いわゆるおじんクラスというのは心臓がどきどきというような感じになっておりますが、決してそういうことじゃない。学生諸君はまじめにちゃんとやっているし、そういう皆さんに本当に必要な手を差し伸べていかなければならぬという実態というのは変わってないんだと思うのです。  それにもかかわらず臨調が、今黒羽先生おっしゃったとおりに、臨調が全部悪いとか全部いいとかいう議論じゃなくて、個々にずっととってみますと、とりわけこの奨学金のことについては「外部資金導入による有利子制度への転換こという、今の無利子制度はやめて外部資金導入して有利子制度に変われということを言ったわけですね。私は、外部資金導入したら有利子制度に必ずしなければならないのかどうか、これも一つ疑問があるんで、財投を入れたからといって有利子にしなければならぬというものではないだろうと思うのですが、まあその点はおいても、一体奨学金というようなことは一般会計マターなのか、それとも一般会計マターの時代はもう過ぎたと言えるのか、過ぎたのであって財投マターだ、つまり、いろいろなことで国にお金があって、それをなるべく財投の運用としても有利で、しかも社会に役に立つようなことに運用していけばいいんだという程度のことになってしまったと言えるのだろうか、こういう疑問があるわけです。やはりこれは少なくとも根幹は一般会計マターじゃないのか、国の行政の一番重要な、国としての課題なんだということじゃないかと思うのですが、これを簡単で結構ですが、恐らく皆さんイエスということだろうと思いますけれども、お聞かせ願いたいと思います。
  137. 黒羽亮一

    黒羽参考人 しかし、なかなか難しい問題はあると思いますね。  先ほどGNPと公財政教育費の支出の問題がありましたけれども、その話をするならば、国民の税負担率の違いの話までしなければならないわけですね。そうしますと、やはり今主体は、多くは一般会計マターで処理すべきだと思いますけれども、一般会計だけでは育英奨学事業の伸びは期待できないのじゃないかと私は思うのです。それは国民の税負担感から何から全部にかかってくる問題になってくるのじゃないかと思います。
  138. 稲葉三千男

    稲葉参考人 どうも余り技術的なところになるとわかりませんけれども、とにかく次の世代を育てるという仕事はもう国の基本的な仕事なんだという認識をお持ちになった上で、財源をどこから取ってきてくださるのか、それもできるだけたくさんいろいろなところからかき集めていただくのも結構かと思います。
  139. 木宮和彦

    木宮参考人 一般会計だけでは限界があると思うんで、やはり学生がこれだけふえてまいりましたし、普及してまいりますと、どうしても大勢の人がそれにかかわれるようにした方がいいというのが私の持論でございまして、できるだけ大勢学生が借りられるためには、財投といわず、民間資金まで導入してでも欲しい者には貸してあげるという配慮があっていいのではないかと私は思っております。
  140. 三輪定宣

    ○三輪参考人 私は、この法案にございます、第二十六条の「業務に要する資金」として「借入金、寄附金等をもって充てるものとする。」こうなっておりまして、原則が借入金、寄附金となっていることが一つ問題点だろうというふうに思います。  そして、四十一条の補助金規定は、「政府は、毎年度予算の範囲内において、」「経費の一部を補助することができる。」として、一般会計からの支出がごく部分的な財政援助にとどまっているという点、これはやはり本末転倒でして、もっと一般会計からの経常支出を基本的な財源にして、若干何らかの融資に必要な場合には財投を利用するというような関係がノーマルではないか、それが奨学事業というものにかける政府の熱意のあらわれてはないかというふうに思います。
  141. 江田五月

    ○江田委員 先ほどから皆さんのお話を伺っていておよそわかるのですが、奨学金というのが、教育を受けたい、勉強したい、だけれども経済的な理由でそれが続けられない、そういう学生に対してこれを助ける、これはもちろん基本ですけれども、奨学金制度教育とのかかわりというのは、国の財政がそういう教育を受けたい者を助けるというだけじゃなくて、奨学金自体あるいは奨学金制度自体が持つ教育的機能といいますか、受ける学生に対する教育的機能もある。あるいは奨学金制度がこれだけ社会に存在していることによって社会全体の教育についての認識を深める、あるいはみんなが教育についてもっと熱を入れようというようなことになってくる、そういう社会教育していくというか、そういう側面も無視できないんだろうと思うのですね。  そういうことを考えた場合に、あるいは有利子貸与で借りたものは返すのが当たり前、しかも利子つけて返すのが当たり前ということを教えるのが非常に教育的だというような話もちょろっとあったり、そういう向きもあるかと思いますけれども、しかし、教育というのはそういう個人のことじゃないんで、奨学金というのは、国と奨学生との間の契約の中身のことだけじゃ済まない問題があるので、やはり給与制度あるいは少なくとも無利子貸与で、国がこういうふうに君たちに期待しているんだぞということが大きな機能を果たす、教育的な機能を果たすのじゃないかという気がしておって、そういう点から、今の有利子貸与制度がちょろっと制度としてのぞいてきたということに危惧を感じておる一人なんですが、だからといって、それじゃ今の財政のもとで全然ふえなくてもいいのか、それも困るので悩みなんですがね。臨調の言うように、もう全部有利子への転換となってしまうと問題。しかし、やはり有利子は少なくともピンチヒッターで、財政がちゃんとなればまたそういうものは姿を消すという——臨調財投の関係のところで、新しい制度財投で行うときには慎重にやって、しかもサンセットぐらいのことは考えておかなければならないということも言っているわけですね。そうすると、今ちょっと安易に有利子に入ろうとしているような感じがして、いろいろお伺いしたわけです。  最後に、奨学金制度全体として、先ほど三輪先生がおっしゃっていましたけれども、日本奨学金制度全体としてやはりお粗末だ、国の制度はこれ自体もお粗末だけれども、そのほかに、地方公共団体あるいは民間が十分でない、諸外国と比べるとこんなものじゃまだまだ足りないという、数字を挙げていろいろなお話がございまして、その中に、例えば、地方団体に対する補助金ももっとふやすべきだとか、あるいは民間の場合はお話に出てこなかったと思いますが、税制上もっと、今も多少ないわけじゃないけれども、もっといろいろな優遇措置があって、民間奨学金制度をもっとふやすべきだとか、そうやって奨学金全体を、国だけじゃなくて民間も地方公共団体も含めて豊かなものにしていくべきだという提案が三輪先生の方から出されておりましたが、その提案に対するほかのお三方の御意見を伺って、質問を終わります。
  142. 黒羽亮一

    黒羽参考人 私が冒頭に申し上げましたように、民間奨学事業は非常に数が多いのですが、合わせて三百億前後というような状況ですね。これはやはり育英会に匹敵するぐらいの千億ぐらいになってくれるということは、大変ありがたいと思います。そして、それはまさに育英資金を通じての学生への教育であると同時に、そういうお金を出す個人なり法人なりが社会に参加していく非常にいい方法だと思いますけれども、なかなか日本社会がそこに行かない。行かなくて、それを待っていられないから、やはり育英会規模を縮小するわけにはいかないといようなことで、財投の金でも借りてというようなローンの方が、ローンの方は本来、準国の機関である育英会というようなところでなくてもいいのでしょうけれども、やらざるを得なくなったのではないかと観測しております。
  143. 稲葉三千男

    稲葉参考人 現実として、日本にはいろいろなファウンデーションというような形での奨学活動というのが貧弱である。そういう意味では、江田先生おっしゃったように、いわば社会教育していく一つのショック療法というような意味でも、今の育英会を抜本的にといいますか、大々的に発展させて、じゃ国なんかに任せておけぬぞというような機運もつくっていかなければいかぬのじゃないか。そういう意味では、ここで財投からちょっと借りてきて、二万人有利子化でふやすとかいうようなことじゃなくて、今の育英会を大きく発展させることが日本全体の奨学金制度あるいは教育機会均等を保障する制度の発展につながるのじゃないか、こういうように考えて、先生の御意見にほとんど賛成でございます。
  144. 木宮和彦

    木宮参考人 私も、有利子がいいのでぜひそうしたいと言うのじゃございませんので、その辺は誤解のないようにしていただかないと……。私は決して、金を取るのを喜んでいるわけじゃございません。決してそんなことはありません。絶対にないのですから。もう一回、決してありません。絶対にないのです。ただ、私が思うには、現実論として、むしろ義務教育には現在奨学生なんか一人もありませんよ、中学生、小学生。全額、国なり地方団体が負担するのですから。ですから、大学も、私立も含めてこれは全部負担していただければ、日本育英会は解散してしかるべきだと思うのです。しかし現実は、やはり大学というものは授業料を取ってやる、またそれが半分ずつは国も大いに助成するし、また本人もやはり一生懸命努力して出すというので、その出せない人をいかに救済するかというのが日本育英会の使命だと私は理解をしております。  ただ、私学と国立との差は非常に大きいのです。年々ふえておると思います。ですから、私学に厚くしていただきたい。私学の生徒だって日本人でございます。同時にまた、私学のお父さん、お母さんが税金の面で、私学で行ってそこの授業料を払った納入金は、税金の中から何とか控除するというような制度をいち早くつくっていただく方が、私はむしろ育英資金をかれこれするよりもはるかに理想的だとは思います。ぜひお願いしたいと思います。
  145. 江田五月

    ○江田委員 ありがとうございました。
  146. 愛野興一郎

    愛野委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ当委員会に御出席いただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して、厚くお礼を申し上げます。(拍手)  次回は、来る二十九日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時四十七分散会