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1984-05-11 第101回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年五月十一日(金曜日)     午前十時十八分開議 出席委員   委員長 愛野興一郎君    理事 大塚 雄司君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有島 重武君       青木 正久君    稻葉  修君       臼井日出男君    榎本 和平君       加藤 卓二君    北川 正恭君       河野 洋平君    坂田 道太君       二階 俊博君    松田 九郎君       渡辺 栄一君    佐藤 徳雄君       田中 克彦君    中西 績介君       池田 克也君    伏屋 修治君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 森  喜朗君  出席政府委員         人事院事務総局         給与局長    斧 誠之助君         文部政務次官  中村  靖君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房審         議官      齊藤 尚夫君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省体育局長 古村 澄一君         文部省管理局長 阿部 充夫君  委員外出席者         議     員 中西 績介君         議     員 佐藤  誼君         議     員 田中 克彦君         林野庁林政部管         理課長     鳥居 秀一君         労働省職業訓練         局訓練政策課長 金平 隆弘君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 五月十一日  辞任        補欠選任   臼井日出男君    松田 九郎君   町村 信孝君    加藤 卓二君 同日  辞任        補欠選任   加藤 卓二君    町村信孝君   松田 九郎君    臼井日出男君     ————————————— 五月十一日  私学助成増額に関する請願外四件(岡田利春  君紹介)(第四五一〇号)  同外二件(岡田利春紹介)(第四五七三号)  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(深  谷隆司紹介)(第四五七四号)  身体障害児者に対する学校教育改善に関する請  願(林義郎紹介)(第四六三七号)  同(若林正俊紹介)(第四六三八号)  私学助成増額等に関する請願矢野絢也君紹介  )(第四七一九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法等の一部を改正する法律案中西績  介君外二名提出衆法第九号)  学校教育法の一部を改正する法律案佐藤誼君  外二名提出衆法第六号)  日本育英会法案内閣提出第二五号)  日本体育学校健康センター法案内閣提出第  二九号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。滝沢幸助君。
  3. 滝沢幸助

    滝沢委員 文部大臣、御苦労さまです。先般の稻葉先生との問答に敬意を表し、興味深く拝聴しました。質問というのはわからぬ者がわかる者に聞くことなのだとおっしゃっておりましたが、私は、いわゆるわからぬことをわかる方にお尋ねをするということですから、ひとつ御親切な御答弁を願いたいと思います。  この道に経験豊かな、しかも稻葉先生のお言葉をかりるまでもなく優秀な大臣でありますから、その見識に敬意を表するとともに、本当の意味で御期待を申し上げたいと思うわけです。  私は自分青年時代に短い期間教壇に立ちまして、今そのことをつくづくと責任を感じているのでありますが、戦後、地方教育委員会制度ができましたときに初めの公選で町の教育委員長を務めまして、そしてまた県会に出ましても文教を長く担当しまして、今ここに国会文教委員会の席で教育のことを議論するのは大変に誇りあり、また責任のあることというふうに認識をしておのれを戒めておるわけでありますけれども、そういう立場からこれを見ておりますと、思想や政策の違いはある、しかしそれらを超えて日本の国の教育をよくしよう、日本の国の将来に過ちなからしめようということにおいては少なくとも一致するはずだし、しなくてはならぬというふうに私は信じておるわけですけれども、大体私が申し上げるような、例えば教科書問題のごときが、今申し上げたことによって直ちに是正されたり理想的なものになるというふうに安易に考えているわけではございません。しかし、戦中になおかつ戦争はすべきでないと言った人があったように、日本のこのときにこのようなことを言っていた政治家が少なくともあったということを記録しておくことは子孫に対する責任ではないのか、こういう気持ちをも含めて申し上げたい、私はこういうふうに思っているわけであります。  私は二人の子供を持っておりまして、いずれも成人に達しましたけれども、今の子供が物の豊かな中で、自由が満喫される中で生きている。一面から言うと、まことに幸せということでございます。しかし、私は非常にかわいそうな、不幸な人たちだと思うのですよ。私たち青少年時代には、食べるものは全部乏しかったけれども、信用して食べることのできるものでした。田舎には図書館もなく、読むものは全く不足をしておりました。しかし、読むものすべては心の栄養になるものでございました。しかし、今子供たちは生まれ落ちたときから、食べ物も読むものも聞くものも、みずから選択をしなくてはならないような状況にあるわけです。このごろテレビで、猿が木登りもできなければ子供を育てることもできなくなっているのを、森に戻して野生を取り戻そうと言っていることがありましたけれども、人間もその意味では大変な、おのずから持つべきものを失ってきたのではないかな、こんなふうに思うものでございます。今、日本教育というものを思うときに、一口に言って欠けたるもの、大臣、これは一体何でございましょう。
  4. 森喜朗

    森国務大臣 大変難しい御質問でございまして、それこそ私が先般稻葉先生との御質疑で申し上げたように、これは教育問題というよりも、人生を私よりももっとより豊かに経験を積んでいらっしゃいます先生の方が、むしろそのことを一番よく御存じじゃないかと思います。  私は一つだけ、あえて何かと問われると、教育立場からいえば、人間として一番大事な基本をもう少ししっかりと身につけられるようにしてあげる、そしてその基本から、将来心身の発達程度に応じて教養や学問やあるいは科学技術分野、いろいろなものを身につけていくことになると思いますので、日本教育のあれから見ると、どうも先を急ぎ過ぎるような気がして、きちっと基本を繰り返しもう少し教えるということが何か欠けているのじゃないかな、そんなことを私は感じております。
  5. 滝沢幸助

    滝沢委員 まことに同感であります。  そこで、人間としての基本はいろいろございましょう。せんだっても稻葉先生は、教育勅語があったとおっしゃいましたけれども、そういう言い方もあるわけです。しかし、私はその中で、祖先が今日までいろいろ苦労と経験を重ねられてここに至った歴史もやはり大事なおっしゃる基本一つたり得るのではないかと思うのです。私は、実は三月三十日のこの委員会教科書のことで、北方領土など小中学校高校教科書の中において不十分なものないしは誤って書いてあるものの話を申し上げたのでありますけれども、そのときの大臣の、また政府委員お話の結果によりますと、速記録を全部読むことはしませんけれども、要するに一冊一冊、一ページ一ページの記録ではなしに、教科書全体を通じて議論をしようではないか、またそれでいいのだ、言うなれば歴史的分野公民的分野地理的分野三つのものをセットにして考えれば大体のことにはなっている、こういうふうにお答えいただいたと思うのであります。そこで私は、実はそのときに、それならば全部持ってこなくちゃ話にならぬと申し上げたのでございますけれども、ここに例の教育委員の準公選ということでやかましい議論を呼びました中野区の選んだ教科書三冊のセット、そして私の故郷の福島県の、これは何か九つのグループに分かれているのだけれども、結果的には全部一緒のものを指定したというのでありますけれども、選んだもの、そして国分寺市が選んだものという三つセットを持ってきてみました。しかし、これを全部朗読したら大変、会期延長しなくちゃなりませんからそれとしまして、このことの議論に入ります前に一言、大臣が席においでのうちにお尋ねをしておきたいと思いますので、お答えいただきまして、後どうぞお仕事を別になさっていただきたいと思います。  まずお尋ねをしたいのは、今ほども理事会でちょっとお話がありましたけれども、さきに大臣は、教育基本法のことは今度の臨時教育審議会の中では議論の対象にはしない、いわばならない、この教育基本法を踏まえて審議会議論お願いするのだというふうにおっしゃったと思うのであります。だけれども、一面からいうと、当然この審議会は学制のことも議論をちょうだいしなくてはなりませんから、そうなれば第四条の九年間の普通教育というくだりはどうなのかという議論があるわけです。しかし、それはそれとして、精神は、教育基本法を尊重した精神議論をするけれども、九年の義務教育を十年にしようという議論があってもちっともおかしくはない、そのことに大臣は何もそう拘束された考えで苦労されることはないと私は思うのです。ただ、お尋ねをしたいのは、大臣が尊重するとおっしゃっている教育基本法は、公布されたのは昭和二十二年の三月です。いわゆる日本の国が戦争に負けて混迷と絶望の中で、しかも進駐軍を迎えて主権が制限された中におきます日本の特殊な社会状況国際状況政治状況の中で生み出されたものであることについて、今これを振り返るときに、やはりこれでいいものかどうか、この点についてはいかがお考えですか。
  6. 森喜朗

    森国務大臣 このたびの臨時教育審議会は、今、国会にその法案お願いをしているわけでありますが、その法案の中に、教育基本法精神もとに、こういうふうに記述をさせていただいているわけでございます。この委員会でも何回か御議論が出たところでありますが、どのような事柄をどのように御議論を願うかということは、お願いをする、御人選をさせていただく委員皆さんで御論議をいただくことになりますが、基本的な姿勢として、教育基本法精神をまず大事に考えていただきたいというのが一応政府立場でございます。  しかし、私は常にこの委員会でも申し上げてまいりましたが、御論議はどうぞひとつ御自由に、濶達にやっていただく方がいいのではないか。今先生からもたまたまお話がありましたように、例えば義務教育の年限の話になると、十年にするとかあるいは八年にするとか、動かせば当然教育基本法にひっかかってくることにもなる。あるいはまた各界のいろいろな提言の中に、もっと自由に学校をつくったらどうなのかというような意見もあります。そうすると、これも教育基本法にひっかかってくるわけですね、だれでも学校をつくらせていいというものじゃないわけですから。ですから、私は議論は御自由におやりになったらいいと思うし、そして今滝沢さんおっしゃったように、戦後のいわゆる教育基本法についていろいろな議論がまたあるのかもしれない。そのことを全部抑えて、やっちゃいけませんよということで議論をすべきではないだろう。本当に御自由な御論議をする。どのようなことをどのようにされるか、これは委員方々会長を中心にお考えになることであります。  ただ、御答申をいただくことになる、その御答申をまとめられるときに、会長が、教育基本法という精神の中でどう御判断をされるかということではないだろうか、私はこう考えておりますので、入り口のところで余りその議論をしてしまいますとかえってお話し合いが進まないんじゃないか。本当に今すぐ、今の教育をどうするかということはもちろん一つのテーマですけれども、二十一世紀に向けて、二十一世紀日本は一体どのような教育がいいのだろうかということを本当に幅広い考え方で、戦前そして戦後、その反省あるいはまたよきもの、失ったよきものもあるでしょうし、新しく得たすばらしいものもあるでしょうし、そういう中で体験の極めて深い方々が幅広く、いろいろな角度から検討をいただく、基本的にはそういう御自由な御論議で進めていただきたい、私はこういうふうに考えているわけでございます。したがいまして、先生お話しになりましたような事柄も当然その中に含まれて皆さんが自由な御論議をなさるのではないか、私はこういうふうに期待もいたしておるところであります。
  7. 滝沢幸助

    滝沢委員 わかりました。ゆえに私は、大臣教育基本法を尊重した立場で、臨教審ですか、そうおっしゃっているのだけれども、そのことについて、文言にとらわれたところの拘束を断固としてはねのけて、自由濶達なる議論が展開できるように配慮をいただきたい、こう思います。  ところで、この教育基本法を評する一つ言い方の中に、世界ないしは人類ということが強調されている、そしていきなり個人というものがこれまた強調されている、その間にありまして国家ないしは国民、あるいは民族というような概念が不足をしている、こういう指摘をする向きがあるのでありますが、このことにつきまして、臨教審のことは別、政治家としての大臣の所見はどうですか。
  8. 森喜朗

    森国務大臣 何回も目を通して見る機会があるのですが頭の中に入ってないものですから、今改めて先生が御指摘をいただいた点で見てまいりますと——世界とか人類ということが強調されて国家というのは余り書いてないのではないかな、そういう御質問だったという気がしますが、こうして目を通してみますと、必ずしもそうだとも私には思えないのです、いろいろな意見はあるだろうと思いますが。  先生がおっしゃったように確かに昭和二十二年のころというのは、私もちょうど子供のころでございましたが、世の大人と称される人たちは、いろいろな意味でかなり気持ちも動転しておられたと思いますし、自信もなくなっておられたでしょうし、何しろ戦争に負けたことのない日本敗戦国になった、そういうまさに混乱の状況の中。また、戦争はいけないんだ、こう言っておられたような立場学者皆さんが、いわゆる戦時体制の非常に厳しい抑圧をされた中で、逆に言えば非常に広がりを見せるといいますか、逆にそういう人たち気持ちが非常に強くなって出てきた状況もあるのではないかというふうにいろいろな文献では書いてありますから、確かにそういうもとでできたものですから、それは従来の日本式理念といいますか、哲学みたいなところからかなり変わった、今言えば何でもないのでしょうけれども、昔ですとかなり新しい法律といいますか文章だろう、こう思います。  しかし、問題は、これをどう理解をし、そしてどのように解釈をしていくかという乙とだろうと私は思うのです。ですからそういう意味で、先生がおっしゃるように、このことによって日本国民が何か国のことを余り考えない、どうも新しい方向のことだけしか目を向けていないのではないか、先生もそういう御懸念で御質問されたのじゃないかと思いますけれども、これを読んでみると、むしろ非常によく考えられて、立派な法律だ、私はこういうふうに思います。  ただ、この間稻葉先生のときにもちょっと申し上げたのですけれども、三十一年のころの清瀬文部大臣は、これでは国を愛することも愛国心も親孝行もできないのだと、確かに国会で発言している。そういう議事録を私は読んでみましたけれども、別にこれで親孝行や国を愛することを教えてはいかぬということはちっとも書いてないわけで、文部省はこれで指導要領の中にも教科書の中にもきちっとそのことを教えるようにしてきたわけであります。  時代的な変化、変遷といいますか環境、そういうことがいろいろな意味でやはり弊害を生んできたこともあると思いますし、また、ある意味ではむしろいい方向をつくってきたという面もあるんじゃないかというふうに思います。
  9. 滝沢幸助

    滝沢委員 大臣、たびたび立ったり座ったり御苦労ですけれども、いろいろおっしゃったようなことなんですよ。ですが、日本はいわばこれを戦後教育基本としてやってきたわけです。これを制定するときの精神も、やはり教育勅語を失った教育の中で教育一つの指針としようというものがあったと思うのです。でありますから、おっしゃるように歴史的な変遷の中で評価も変わり、また要求されるものも変わってくるわけでありますけれども、あの戦後の特殊な事情の中で生まれたものであることを御理解ちょうだいしまして、ここに臨教審が発足をしまするときでありますから、おっしゃるように入り口議論が行き詰まっては困るわけでありますから、その点の御配慮はよくわかりますけれども、今後の日本教育の将来のために過ちなきを期する意味で、この文言にはこだわらずに今後の議論を展開していただきたい。特に一番最後に、不当な支配教育は受けないというのです。何が不当な支配で何が正当な支配かということになってくると、これはなかなか議論が難しいところであります。  これは御意見も聞きたいところでありますが、次に進みます。  そこで大臣、実は教科書検定基準でありますけれども、この基準が五十七年の十一月に変わっておりますね。基準に従ってできました省の告示によって検定をなさる。その一つの条項の中に(15)というのが加わった、これが五十七年十一月二十四日とされております。この一項目が加わった動機、理由は何ですか。
  10. 高石邦男

    高石政府委員 まず、この基準改正が行われました動機は、中国、韓国などの国々から、日本教科書で「侵略」という言葉を避けて「進出」という言葉になっているというようなことについて指摘があり、国際的な問題になったわけでございます。当時それについて、教科書検定のあり方についていろいろな角度から大変論議が行われまして、最終的には、近隣諸国感情も十分考え、より一層の友好親善を進めていくという観点に立って適正な教科書をつくっていくということが必要であるという官房長官談話が発表されまして、それをもとにいたしまして文部省におきましても検討をいたしました結果、検定基準に「近隣アジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という新しい項目をつけ加えまして検定をしていくというような経過を踏まえているわけでございます。  それは、日本教科審歴史記述を何も海外の圧力に屈して修正するということではなくして、真に歴史的な事実に着眼して記述をしていくという精神を貫きながらも、なお諸外国感情というものにも十分な配慮を加えながら教科書の中身を整備していきたいという観点でつけ加えられたわけでございます。
  11. 滝沢幸助

    滝沢委員 次の質問答弁までおっしゃってくださいましたけれども、自分の国の教育の方針を決めることは独立国家としての主権でしょう。大臣、そうでしょう。マッカーサーがおりますうちは占領軍によって主権が制限される。今度は講和条約ができて独立国家となりましたけれども、中国等からの教科書に対する意見抗議、しかもこれは後で判明したことだけれども、マスコミの取材中に起きた手違いがもとだと言われているものについて、外務省の立場はわかりますよ、外国と仲よくしなくてはなりませんから、それはわかるけれども、外交の一つのテクニックの範囲の中に文部省主権であるべき教育基本を変更するというようなことがあっていいのかどうか。これは大体(15)項に書いてある国際状況配慮するという、国際協力関係配慮するために、うそとは言わなくても誤りに近きものを書いてもいいと言うのか。また、今の答弁にありましたとおり、圧力に屈したのではないけれども、よそから音われて気づいたというような意味であったけれども、それではあの抗議が来るまで、日本侵略していたのにかかわらず進出していたと勘違いをみずからしていたのでありますか。抗議が来て初めてそれは侵略であったと気がついたのですか。抗議があって誤りを正したのか、誤りではないんだけれども、抗議が来たので国際関係の円満なる解決のためにこちらが手心を加えたのか、どっちですか。
  12. 高石邦男

    高石政府委員 従来の教科書検定態度が誤っていたというふうには考えていないのでございます。ただ、教科書全体で他の記述とのバランス上、「進出」になっているとか「侵略」になっている、そういうバランスの上に立ってより客観的な記述をやってほしいということで検定をしてきたわけでございます。  しかし、今回新たにいろいろな諸外国とのあつれきと申しますか、そういうことが発生したことは事実でございます。したがいまして、この際もう一回、国際理解国際協調精神に立脚して現在の教科書内容を、より一層そういう親善を進めていく上で、しかも日本の国の主権的な判断もとでどう教科書を変えたらいいかということを新しい検定基準につけ加えまして、そしてその検定基準検定をしていくという態度をとったわけでございまして、諸外国から言われた、それが誤っていた、だから改めた、そういうものではないわけでございます。
  13. 滝沢幸助

    滝沢委員 どうもわかるようでわからぬ。これが私は日本国民の多くの人々の懸念じゃないのかな、こう思うのですよ。あの抗議が来なかったならば(15)項は加わらずにいたのですか。あの抗議が来なくとも遅かれ早かれ、あのような措置はなされるのですか。
  14. 高石邦男

    高石政府委員 当時からも教科書によりましては、ある教科書では「侵略」という表現を使っているのがあります。それから、ある教科書においては「侵略」ではなくて「進出」という言葉を使っているのがあるわけでございます。したがいまして、それは教科書全体の記述バランス上の問題として取り扱ってきたわけで、絶対に「侵略」という言葉を使ってならないとか「進出」にしなければならない、そういう態度検定してきておりませんので、教科書によって昔から「侵略」という表現を使っていたのも事実ございましたし、「進出」という言葉を使っていたものも事実あったわけでございます。
  15. 滝沢幸助

    滝沢委員 私が聞いておるのは、何かよその面の答弁を聞きますと、「侵略」であろうと「進出」であろうと、何であろうと、何も言葉を統一しなくたっていいということもあるわけです。学者学者が書くのを見て大体よければ検定は合格するわけですから、何も統一する必要はないと思うけれども、私が申し上げたいのは、あの抗議があったから(15)項は加わったのか、なくともいずれはあれは加わったものなのかどうか。そして、国際協力立場配慮するということは、うそを書くことなのか。国際事情考えなくたって真実を書けばいい、それが私は教科書検定姿勢じゃないのか。もしも国際環境のことを考えで、うそとは言わぬけれども、筆に手心を加えなくてはならぬとするならば、もっとよその国からも言われたりしたならばどうですか、そこら辺のところについてはどのようなお考えを持っていらっしゃるのですか。
  16. 高石邦男

    高石政府委員 整理して申し上げますと、我が国の教育が平和的な国家及び社会形成者を育成することを目的として、国民としての自覚を深めるとともに国際理解国際協調精神を養うということを重視していろんな教科書検定に当たってきたことは、従来も今日も変わらないわけでございます。  ただ、非常に不幸なことに、韓国、中国等からこれについての意見が寄せられたことは事実でございます。そして、それがある意味においては大きな国際関係としていろんな問題を惹起したということも事実でございます。したがいまして、その際に、教科書検定に当たりまして、我が国と韓国、中国を初めとする近隣アジア諸国との過去における不幸な関係にかんがみ、これらの諸国の国民感情等にも一層配慮する必要があるとして、検定基準国際理解国際協調に係る事項をつけ加えて、より一層そういう点の配慮考え検定をしていこうということを検定基準に新たにつけ加えたわけでございます。したがいまして、そういう見地から検定基準を改定いたしまして検定をやっているわけでございますから、従来よりもなお一層そういうことに配慮してやっていこう。  それから、記述バランスの問題は、例えば一つ教科書で、ある国がある国に対して行った行為を「進出」と書き、そして日本中国、韓国にやったものだけを「侵略」とする、そういうような表現になっているのは正しい歴史の事象の扱いとしてはバランスがとれない、そちらを「進出」にされるならばこちらは「侵略」という表現にしない方がいいであろうというような意見を申し上げてきたわけです。ある教科書で、ある国がある国に対して「侵略」をした、日本もそれと同じような表現で「侵略」をした、そう書いてあるものについては特に意見を付さないで検定に合格してきた。そういういきさつがあって、その付近の個別の記述上の問題についていろいろな調整をしたことが、いろいろな意見を言われるということになってきているわけでございます。そして、今回新たに著者が、検定を受けるに当たってはそういう用語のバランスを統一しながら申請をしてきた。そして申請してきたものについては、それを「侵略」であるものはけしからぬという意見を付さないという態度で具体的な検定をしてきたというのが今日までの状況でございます。
  17. 滝沢幸助

    滝沢委員 どうもそれはわからぬ。何時間議論しても、あんたの立場がわかるような言い方ができないのだろう。しかし、語るに落ちるということもあります。こちらが中国に行ったのが「侵略」なのに、ソビエトが北方領土に来たのは「侵入」とか「進撃」とかあるいは「来ました」と書いてあるのだけれども、ソビエトが日本を「侵略」したなどということは一言も書いてない。さっきの話のようにそれは統一をするんだ、向こうが「侵略」ならばこっちも「侵略」とおっしゃったけれども、そうなってはいないことだけ申し上げておきます。  それでは、具体的なことに触れますけれども、時間がなんでありますから簡単に結論だけをおっしゃっていただきたいと思います。  この三冊セットにして物を考えよとおっしゃることは、私は大変疑問があることだと思う。しかし百歩譲って、三冊セット考えてみても、沖縄が書いてあって北方領土が書いてないというのは歴史分野にそれがある。だけれども、不完全なものもそれはあります。日本書籍の「中学の歴史」二百六十七ページ、同じく二百八十三ページなんというのを見ますと、これはこの前も例を申し上げましたから一々読みませんけれども、北方領土の記載については決してこれで真実の歴史を伝えているとは言えないと思うのです。この前の委員会でもこれを読んでおきましたのできょうは読みません。ところが、地理の分野においては確かにややまともに書いてあるんですよ。だけれども、どうして三点セットにして物を考えなければいけないのか。これはどういうことなんです。歴史と地理は学問の世界が違うのでしょう。地理は現状を認識するもの、歴史は今日までの経過を認識するものです。歴史なら歴史分野において沖縄と北方領土、そして日本とソビエト、このようなことはまともにもっと書けるのじゃないですか。
  18. 高石邦男

    高石政府委員 小中高等学校を通じて具体的な内容をどの教科で教えるかということは、できるだけ重複を避けて教育をしていくということが必要だと思うのです。数学でも教える、国語でも教える、理科でも教えるというような形は基本的にとっていないわけでございます。したがいまして、その真実が何かの教科で的確に教えられていくということが達成されれば十分ではないかというふうに、まず基本的に思うわけでございます。  そこで、まず社会科の学習の中で便宜的に地理的分野歴史的分野公民的分野というものを分けているわけでございますが、その分けている中で一体どこで重点的に取り扱うかということは、当然配分上の問題として力点が違って書かれるということはあり得ると思うのです。そこで、地理的分野では明確に北方領土はソ連が占領している、そしてこれは我が国固有の土地であるということを全部記述されているわけでございます。したがいまして、地理の教育の中でそれが徹底して子供たちに十分に教えられれば、子供たちは北方領土問題については日本の固有の土地でありソ連によって占領されている、したがって北方領土返還ということが叫ばれているということがまず基本的に認識されると思うのです。それで歴史的な解説の中でずっと教えていくわけでございますが、その際に、そこまで十分教えておればその部分については、ある意味ではそこの流れのわかるように教えていくという程度に記述がとどめられているということは当然あり得ることだと思うのです。したがいまして、地理的分野記述されていると同等以上に歴史的分野にも教科書として記述されなければならないということになると、教科書はどんどん分厚くなっていくというようなことで、ゆとりのある教育をやれということに逆行するというようなこともあって、今力点としてそういう状況教科書がつくられているというのが実態でございます。
  19. 滝沢幸助

    滝沢委員 そういうごまかしを言ってはだめですよ。それはごまかしというものです。それじゃ、どうして沖縄は歴史で北方領土は地理なんだ。聞いてちょうだい。例えば富士山のことを図画の時間に写生したから、よその分野で教えなくてもいいのですか。写生の時間に富士山の写生をやっておけば頼朝があそこで戦争をしたそのことはいいんだ、私はそういうものじゃないんじゃないかなと思うのです。沖縄の地理も学ぶ、北方領土の地理も学ぶ。そのときは北方領土という言葉じゃなくて千島列島とか歯舞、色丹か知らぬけれども、歴史になって初めて北方領土という言葉になって、あれが終戦の後に不当に侵略をされて、そして今なおこれは両国の間の大きなる問題として残っている、沖縄は占領されたのだけれども講和会議でこれは日本のものになった、こういうふうに書くのが本当じゃないの。両方とも触れるのが本当じゃないですか。片一方の科目で教えたから片一方で教えなくていい、それを全部やったら膨大になり過ぎるなんというのはごまかしですよ。そんなこと言ったら、戦前だってその膨大なものをこなしてきたんじゃないの。どうなんですか。そういう、どこかの科目で教えていればこっちの科目は省略してもいいなんていうのはごまかしです。
  20. 高石邦男

    高石政府委員 沖縄については我が国の領土の一部であるということは、他のいかなる国も承認している事実であるわけです。そういうのがどういう経緯であって最終的には本土復帰が行われたかというのを書いてあるわけでございます。北方領土のものの認識とやや見方が違う観点もあろうかと思うのです。  ですから、そういう何の教科書で書いておかなければけしからぬというのじゃなくして、事実としてそれが正しく生徒に理解されればいいというのが基礎にあるわけでございまして、それが地理のやつではけしからぬので歴史のところで教えられなければならない、そう厳密に教科編成の中で、これはこうしろ、これはああしろというところまで言う必要はないんじゃないかということで検定をしてきているわけでございます。
  21. 滝沢幸助

    滝沢委員 何か答えられない事情があるんだよね。  私は、全部これを目を通してみて、どういうことなのかなと考えて私なりの一つ判断をしました。それは、地理を担当していらっしゃる先生は自然科学というような立場から、ややないしはほとんど主観なしに公平な書き方ができる。歴史を担当していらっしゃる先生は、社会科学というような立場で、そこにその先生なりの史観というものですかね、歴史を見る目ないしはイデオロギーが入ってくる。ところが、今の検定制度におきましては、これは書いてないけれども、ここに一ページこれを書きなさいとは言えないものだから、出てきた原稿に対してイエスとノーしか言えない、そういう立場でこのような結果になったんじゃないですか、どうですか。
  22. 高石邦男

    高石政府委員 社会科の学習の中でこの問題を的確に処理していくという方針のもと検定をしてきておりまして、そういうことで社会科の分野として、地理的分野歴史的分野公民的分野というのが内訳として存在しているわけです。したがって、これについて地理的分野のところで、その地域、そしてそれの経緯というものを明らかにして子供たちに的確に教えていく。現在、日本子供たちが北方領土問題について正しい理解を得ていないという結果があれば問題でございますけれども、日本の北方領土は日本の固有の領土である、そしてソ連によって占領されている、したがって北方領土返還を求めているというのは、中学生の子供たちには的確にわかるような教育が展開されているわけです。それが、歴史教科書でなければけしからぬ、地理の教科書はつまらない、こういうふうな言い方をされますと、なかなかそこまで細かに教科書づくりについていろいろやるというのは非常に難しいので、私は、その付近は著者の意思を十分に考えながら対応していかなければならないというふうに思っておるわけでございます。
  23. 滝沢幸助

    滝沢委員 とにかくあなたのお答えは、それはあなたの立場がそう答えさせるのだろうけれども、間違っていますよ。どの教科であってもいいから、それは一度触れてくれればいい、だからいわゆる二重には書かないんだというような言い方は間違っております。  そして今、北方領土のことについては、子供がみんな理解しないなら困るけれどもちゃんと理解している、そしてこれを返せということになっていると言うのだけれども、考えてごらんなさい。沖縄を返せという叫びは、本当に民族的な具体的な行動になって町にあふれたでしょう。ところが、これは正当なる戦争によって占領されても仕方がないんだ、そういう状態の中であればいわば取られたんだ。昔から、ああいう取られ方をしたのが返ってきた例は、世界にあの例しかほとんどないんですよ。ところが、北方領土は降伏して抵抗しない中でいわゆる不当に、これこそ侵略されたのだ。沖縄はあの群衆の叫び、そして政府も一生懸命交渉した。ところが、北方領土についてはあの民族の叫びにならないでしょう。ですから、今の子供が、ないしは国民が、北方領土のことについて理解をしていると言ったって、これを文部省が教えた結果だと思ったら大間違いだ。そうじゃないのです。いろいろの団体やなんかがキャンペーンして、この運動を細々ながらも盛り上げてきて国民がようやく理解するに至ったんじゃないですか。文部省教育した結果において北方領土問題が徹底したと思ったら間違いですよ。  さて、北方領土のことだけで終わるわけにいきませんので、これまでにさせていただきまして、また後の機会にひとつ勉強させていただきます。  実は南京の虐殺ということも、いわゆるこれこそ歴史的分野において、随分と書いてあるわけです。だけど、このことの文部省が原稿本をいわば検定されるときの一つ判断の基礎になったものは何ですか。それは確かに著書とか資料とか学説とか情報とかがあるはずですが、これは何ですか、簡単にお答え願います。
  24. 高石邦男

    高石政府委員 一般的に南京事件としての一つの学界の通説というのがありまして、それをもとにして記述をされているというわけでございます。
  25. 滝沢幸助

    滝沢委員 学界の通説というのは具体的に何ですか。学界というのは、いろいろな学者がいろいろなことを言うのが学界というのです。通説となるには、どこかでこれが決まったのですか。だれ博士の何の論文とかあるでしょう。
  26. 高石邦男

    高石政府委員 非常にその分野の研究を深く積まれている学者もございます。その人たちの学会における発表というのがそういう歴史を専攻する人々の大体通説ということで、今ここで具体的にこの人のこの説が学界の通説であるということを断定するのは非常にいろいろ難しい問題があるわけでございます。
  27. 滝沢幸助

    滝沢委員 あなた、そこらの奥さん方のお茶飲み話じゃないですよ。大体みんなの先生が言っているみたいな話で文教委員会を通せると思うのですか。文部省検定をするに当たっての一つ基準ですよ。何かあるから検定できるのでしょう。それが通説だと言う。通説とは何かといったら、どこの博士が何と言ったとか、何とか新聞の何とかということがあるでしょう。それをみんなが言っているみたいな話では、そこらのお茶飲み話というものですよ。ここは国会文教委員会ですからね。だれ博士の何とかと言ってちょうだい。どの文書が基礎なんですか。
  28. 高石邦男

    高石政府委員 非常にそういう説をはっきり言う学者もいらっしゃる、そして、それについてそういうことを勉強されている多くの学者も同意をするというのが通常学界における通説でございまして、固有名詞でこの人の説が学界の通説になっていると言うのは非常に独断的な見解になりますので、私がここで個人の名前を挙げて、この人の説のこうだということを申し上げるのは適当でないと思います。
  29. 滝沢幸助

    滝沢委員 それじゃ、後ほどの委員会でまたこのことを勉強させていただきますので、どういう学者はどう言い、どういう資料はどう書いてあるか、検定基準になったその物差しをひとつ示してちょうだい。  それがでたらめだという証拠に、つまり世間の話だという証拠に、こういうことを書いてあるのです。時間があと十分というのですから省略しますけれども、例えば「二十万以上ともいわれる。」というようなことが書いてある。これは東京書籍のものですね。あるいはまた、「二十万人以上といわれる大量の」と書いてある。これは自由書房ですね。あるいはまた、「三十万以上とみている。」これは東京書籍ですかな、書いてある。その「ともいわれる。」とか「とみている。」なんというのは非常に不正確なことです。そこら辺のスキャンダルを書く週刊誌の書く言葉ですね。市民は批判している、そういう言い方ですね、  では重ねて、これも答えられないのかもしらぬけれども、「ともいわれる。」という「とも」というのは何です。別にも言われているわけでしょう。二十万人ともというのは、十万人とも五万人とも言われているのですか、どうですか。
  30. 高石邦男

    高石政府委員 この記述については、教科書によって非常なばらつきがございます。七、八万と書かれたり、十万と書かれたり、二十万と書かれたり、三十万と書かれたりしているわけでございます。したがいまして、そういう意味では、断定した表現でこの記述を書くということはまず基本的に適切でないということが言えるかと思います。  それから、そういう断定ができないということであれば、そういうものが伝えられたデータ、基礎になったものが明確にされた上で、そういうふうに伝えられているというふうに書かれることが必要であろうということで、こういう筋の発表によればとか、こういう資料によればというような形で「とも言われている」というような表現になされておりまして、先生指摘のように、七、八万から三十万までの幅があった数字でいろいろ書かれていることは事実でございます。
  31. 滝沢幸助

    滝沢委員 それならどうして数を書くのです。「多くの」とかいう書き方があるのではないですか。きのうの人出は十万人だったと言ったら一万人のはずはないのだから。ところが、十万人だと言うからには朝日新聞がそう書いているとか何かあるのだ。じゃ、なぜ数を入れるんです。そのときに各教科書に対して、数は抜いてちょうだいと言うのが本当じゃないですか。  それで、あなたの方で、この検定基準に「正確性」ということ多言っているのです。正確に書けと言っているのです。そして、いろいろな学説があるときは片っ方書いちゃだめだと書いてありますよ、この(3)というところに。「教科用図書の内容の記述」という中にまず正確に書けと、そして(3)に「一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述して」はいけないと書いてあります。これはそうじゃないのですか。どうなんですか、
  32. 高石邦男

    高石政府委員 事実を正確に書くということは必要でございます。ただ、歴史の取り扱いではいろいろな考え方が存在することもあるので、例えばそういう南京事件のように、死傷者の数がどれだけであったかということは公的に確認されていないわけでございますから、そこからいろいろな説が出されてくるということは事実であります。したがいまして、先生おっしゃるように、「多数の」という表現表現としては最も無難な表現であろうと思います。しかし、著者がこういうデータではこういうふうに言われているというのを申請してきた際に、それはおかしいじゃないかということを言うのは検定する際の権限を超えているというような形になるものですから、今のようなまちまちの状況が出てきているということでございます。
  33. 滝沢幸助

    滝沢委員 時間がないですから。  それで、このことを世界はいろいろ非難、攻撃したというようなことが書いてある。世界でこれを大変非難したと言うのだけれども、そうならば、その当時の世界のどの新聞の何月の幾日付にどう書いてある。例えばニューヨーク・タイムズがとか、ロンドン・タイムズが書いたとかということがあるのですか。これも学者が書いてきたからそのまま判こを押したのですか。  私が申し上げたいのは、もっと国は検定について責任と権威と自信を持て、こういうふうに言いたいんですよ。数字をまちまちに書いてきたものを、二十万人と書いてあるのをぺたり、十万にもぺたり、三十万にもぺたりと判こを押すだけが検定ならば、検定はだれでもできる。そうじゃない。これは諸先生、みんな違うことをおっしゃるのですし、先生がおっしゃることの基礎を科学的に、いついつの新聞、いついつの本ということがないものですから、ここは「多数の」として統一していただけませんか、こう言えないなら、検定なんかほうり投げた方がいい、やめた方がいい。国の責任においてこの教科書検定し、将来育つ国民に教えるのじゃありませんか。二十万の教科書をもらった人は、二十万だと覚えて成長するのです。十万人の人は、十万人日本人は虐殺したということを教えられて育つのです。数字は抜けませんか。せめて数字を抜くことはできませんか。  それと、世界が非難していると言う。この「世界の非難」というのは、その当時のどの新聞です。ないしはどの演説です。
  34. 高石邦男

    高石政府委員 「世界の非難」は、昭和十三年、一九三八年の一月九日付のニューヨーク・タイムズで記事として掲載されたのをもとにして書かれているわけでございます。  それから数字の問題については、先生の御指摘のような考え方もごもっともな点があるわけでございます。また一方、著者としてのそういう客観的なデータに基づいて書いてきたものについて、検定の仕組みの中で一体どこまでやり得るかという一つの問題もあるわけでございます。そういう意味で、おっしゃるとおりに、一般的に「多数の」というような表現になれば、皆さんから一番納得のいただけるような形になるのかと思いますけれども、書いてきたものを、いや、これはこう表現を変えると言うのにはなかなか限界があるということでございます。
  35. 滝沢幸助

    滝沢委員 次の委員会までに大臣とよく相談して、この数字が抜けるかどうか、ひとつ協議してきて返事をしてください。  時間がなくなりましたから、本当に二日だけてありますが、「侵略」「進出」という言葉が随分やかましかったのですけれども、「侵略」というのは英語のどれを翻訳してこうなったのか。そして、これは逆に日本語を英語にしたのか。英語を日本語にしたのか。どういうことなんですか。ないしは、東京裁判等とのかかわりがあっての言葉ですか。そこら辺のところを一言だけ。
  36. 高石邦男

    高石政府委員 一般的に「侵略」の定義として、これが定義だというものについていろいろな見方があるわけですが、一つは、一九七四年の国連総会において採択された「侵略の定義」を含む決議の第一条で、「侵略とは、国家による他の国家主権、領土保全もしくは政治的独立に対する武力の行使であってこというような表現が使われているわけでございます。そういうようなことを意識して、具体的な言葉として「侵略」という言葉が使われているのであろうと思います。
  37. 滝沢幸助

    滝沢委員 初めに私は大臣に、私は歴史に向かって一つの証言をしたいという意味で今これから言うんだということを言っておきましたけれども、このようなことで一々学者の書いたものにめくら判を押して、そしてそれを教科書として子弟に教えるような教育をしていたら、今日の教育は将来の日本歴史の中でその責任が問われますよ。どうぞひとつ大臣と御相談いただきまして、次に私が質問に立ちますときに、せめてこの南京虐殺事件の数字を、それぞれが無根拠なものを書くようなことを訂正できるかどうか、御相談してください。  どうもありがとうございました。
  38. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 山原健二郎君。     〔委員長退席、脇田委員長代理着席〕
  39. 山原健二郎

    ○山原委員 大臣がおいでになりませんので、別の問題を先にやらせていただきます。  現地の新聞に連日出ております東北福祉大学の隠し口座の問題、また、この大学における会計の乱脈、同時に、教授会の議を経ないで入学生の合否の決定がされる、あるいは教授の任用がされるというような問題が起こっておりますが、この問題についてお伺いします。  最初に、林野庁に来ていただいておりますので、林野庁の方で国有林野の払い下げを二回にわたってなされておりますが、簡単にこの実態をお聞かせいただきたいのです。
  40. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 お答えいたします。  実は、この国有地につきましては、青森営林局管内のものでございまして、東北福祉大学に昭和五十五年六月三十日に十万八千四百六十一平方メートル、それから昭和五十八年三月二十八日に十万八千四百十五平方メートルをそれぞれ売り払っております。
  41. 山原健二郎

    ○山原委員 その金額はどの程度のものでしょうか。
  42. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 お答えいたします。  五十五年度の場合におきまして六億五千三百万円でございます。それから五十八年度におきましての売り払い金額は五億八千七百万円ということになっております。
  43. 山原健二郎

    ○山原委員 現在その土地の時価が、住宅開発等が行われておるせいかもしれませんが、百三十億円にはね上がっておるということも聞くわけでございますし、また地元ではそういうことが言われております。また、新聞各紙にも出ておるわけでございます。  この国有林の払い下げは、どういう目的で払い下げされたんでしょうか。
  44. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 お答えいたします。  学校法人の栴檀学園東北福祉大学につきまして、総合運動場の用地として用途を指定してございます。
  45. 山原健二郎

    ○山原委員 総合運動場になっていますか。
  46. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 五十五年度のものにつきましてはそのような用途に供されておりますが、五十八年度のものにつきましてはまだ事業が着工されてないというふうに聞いております。
  47. 山原健二郎

    ○山原委員 この土地を担保にして私学振興財団から二十億九千五百万円の融資が行われておりますが、これは御承知でしょうか。
  48. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 そのような融資を受けられているということを聞いております。
  49. 山原健二郎

    ○山原委員 これは契約目的は総合運動場をつくるということですね。それがそういう目的外の使用ということにならないのかどうか、どういうふうにお考えですか。
  50. 鳥居秀一

    ○鳥居説明員 お答え申し上げます。  売り払いをする場合におきましては、その条件といたしまして、その使用収益を目的とする権利といいますか、その用途を指定してございますので、その用途以外の用途に供するような使用というものは認められませんが、抵当権の設定のように、単に債権を担保するための権利の設定というようなことにつきましては可能であるというふうに考えておりまして、契約書の内容もそうなっておりますし、当方からの指導もそのようにしております。
  51. 山原健二郎

    ○山原委員 文部省の方へお伺いします。  この隠し口座の問題について、大学における事態は解決の方向に向かっておるかもしれませんが、学校法人の金の一部が幹部によって使用される、これは背任横領という格好になるわけです。この隠し口座の行方につきまして調査をされておりますか。
  52. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 いわゆる隠し口座というようなことで新聞記事等にも大分出てまいりましたので、去る五月一日に大学当局の者を呼びまして、事情聴取をいたしております。新聞記事にも、これは後援会の金だというふうに書かれておったわけでございます。もともと新聞記事も、学校法人の経理の問題ではないような書き方であったわけでございますが、種々事情を聞きましたところ、これは野球部の関係のお金である——東北福祉大学は野球部が大変強いということで有名なところでございますけれども、野球部が全国優勝したとかあるいは全国大会に出場するというような場合に、これに対しましていわゆる御祝儀でございますとかおせんべつというようなお金をもらうことがある。それを、その後の野球部の合宿等の費用に充てるために積み立てておいたものでございます、こういう説明を受けておるところでございます。
  53. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう事情説明をお聞きしただけでしょうか。新聞を見ますと、例えばさきの選挙に当たって有力な国会議員に対して百万円の政治献金がなされているとか、役員、幹部個人の出張旅費その他に使われているとかいうようなことが出ておりますが、そういう事実はないのでしょうか。後援会費だけでなくて、例えば個人の金あるいはサークルの金などが、いわば経理感覚がないといいますか、ごっちゃになって置かれている、そこに問題があると私は思いますけれども、やはりそれはそれなりに明確にしないと——学校法人として助成法が適用されておるものに対して、その経理というものをはっきりさせて、そして事態を収拾する必要があると思うのです。今の管理局長答弁によりますと、何となく、どうなんだ、こういうことだ、野球部が使ったんだ——それだけではこれだけ大騒ぎになるはずはないと思うのですよ。そこはお調べになっていますか由
  54. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 新聞等でいろいろ指摘されたことにつきましては、逐一事情聴取をしておるわけでございます。野球部用の経費でございますものを、大学の職員が野球部からその管理を頼まれまして、自分名義で銀行に口座をつくって、必要なときに野球部の人に渡す、こういう形で利用されておったわけでございますが、これがその後、いわば本来の用途を若干逸脱をいたしまして、後援会が学校に対して、例えばバレーボール大会をやるときに援助をしてもらうというような場合に、とりあえずこのお金で立てかえておくというようなことにも利用されたというような点で、事務的にルーズな面があったということは大学当局も認めておるわけでございます。こういう点につきましては、これは学校法人会計ではございませんけれども、学校と関係のある会計についてそのようなルーズなことであっては困るということで、大学当局ももちろん反省をいたしておりますが、文部省といたしましても適切な管理をするようにということを特に指導したわけでございます。  それから、政治献金云々ということも新聞記事にあったわけでございますが、この点につきましては大学当局としては全く関知してないということでございます。
  55. 山原健二郎

    ○山原委員 大学当局というのはどういう方ですか。
  56. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 栴檀学園の理事と総務部長を呼んで事情を聴取したところでございます。
  57. 山原健二郎

    ○山原委員 千五百万とも言われておりますお金が、今野球部とおっしゃるのですが、野球部会計というのはまた別にあるんじゃないかと思います。大学のサークルあるいは部の費用というのは、それなりに徴収したり寄附を集めたりするだろうと思いますけれども、だれがこの金を集めて、だれがだれに渡したかということまでは文部省はお調べになっていないわけですね。
  58. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 概要の事情を聞いたわけでございますけれども、学園の会計にかかわることではございません関係でもございますので、一々帳簿等まで当たるということはいたしておりません。
  59. 山原健二郎

    ○山原委員 では、これは何の金ですか。隠し口座でもない、漠然と出てきた金と受け取っておられるわけですか。
  60. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 隠し口座という言葉がどういう意味かよくわからないわけでございますけれども、とにかく野球部に対しまして、野球部が優勝したとかいうようなときに世間の通例といたしまして御祝儀でございますとか、全国大会にこれから行ってきますというと、ではせんべつをというような形でお金が集まるということがあるわけでございます。そういうたぐいのお金を野球部自体の運営に充てようということで、それを野球部の中で経理をしていたんではどうも心配だからということで学校の職員に委託をしまして、その職員がそれではということで自分の名義で銀行口座をつくって保管をし、それによって運用しているということでございますから、格別人に隠していたとかいうたぐいのことではないんであろうと思うわけでございます。隠し口座と一般に言いますと、何か後ろ暗いものをやっていたというふうに聞こえるわけでございますが、そういう意識はなかったものと考えております。
  61. 山原健二郎

    ○山原委員 全くわかりませんね。——こんなことにこだわるつもりはなくて、大臣が出てくれば別の質問をしたいのですけれども……。  あなたの答弁を聞いていますと、これはこれからもこういう形で続けるわけですね。学校法人の金ではないとおっしゃるけれども、これは学校経営ですよ。私学といえども公教育に携わる学校経営の中に、わけのわからぬ、だれが集めて、だれが使って、だれがだれに渡したかわからぬ、そんなことがあなたの答弁だったら、これからも許されていくわけです。教授会の議も経ないで入学生の合否が決められるとか、教授会は後で一カ月も二カ月もたって知るとか、あるいは教授が二十名も採用されるとかいうような、学園の自治の問題と関連して考えましても、こういうところをきちんと整理しなければ本当の問題の解決にはならない。今の文部省のおっしゃり方だったら、そんなことはいつでも許す、当たり前のことだという答弁じゃないですか。
  62. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先ほど来お答え申し上げておりますように、野球部という学校法人の会計と直接関係のない現在野球部を構成している現役の人たち、そういう人たちに対しておせんべつあるいは御祝儀という形でいただいたお金でございますので、必ずしも学校法人会計に受け入れなければいけないという性格のものではないと思うわけでございます。ただ、それが野球部の合宿等の費用等に野球部関係の中の経理の問題として充てられているということであれば、それ自体は特に問題にすることはないと思うわけでございますが、それを預かっていた者が、都合がいいということでいろいろなことの立てかえ払い等にそれを使っていた、もちろん金は全部戻ってきているそうでございますけれども、そういう格好のことは、これは学校法人の直接の会計の問題ではないけれども、学校に関係のあるものとして適切に処理すべきではないかという指導をしたわけでございまして、いわゆる隠し口座等として疑われるようなたぐいのものでないように、明快な経理の仕方を考えたらどうかという指導をいたしまして、学校法人側もそういうことにおいて十分検討し、改善をする、こういう約束をして帰ったわけでございますので、その行方を今見守っているところでございます。
  63. 山原健二郎

    ○山原委員 野球部が強くてそれに経費が要ることはわかりますけれども、それならそれの経費にしておいた方が正しいと思いますよ。何かわからぬ、新聞記事その他を見ますと、役員の出張の費用にも使われておる。だれかが出張のとき手づかみで、はい、あなたにこれだけ上げますという金があるはずはないですね、普通は。それが野球部と言われると、私これ以上質問はできませんけれども、野球部なら野球部の正規の会計があってしかるべきだと思うのです。それは、遠征に行くときの費用であるとか、勝利して帰ってきたときのお祝いであるとかいうことについて金が要ることはわかります。私も高等学校の野球部長をしていましたからわかりますけれども、それはそれなりの会計にしないと、それを勝手にだれかがどうでもやれるなんということになったら、これは学校経営としては全く不適切ですからね。その点は許容するような態度では私はだめだと思うのです。やはりそこはきちんとしていただいて、そして過去の金額につきましても、だれからどういうふうに渡っているかということがはっきりしないと、これはまた問題になってくると思います、そういう意味では。それは非常に好ましくないことですから、やはり学校らしい形態をとるためにも経理は明確にしていく、あるいはまた、学校運営についても一定の解決の方向が見出されておるようにお聞きしますので、これ以上は言いませんけれども、この大学も四千数百という学生を持った立派な大学でございますから、それにふさわしい経理状態あるいはそれにふさわしい民主的な運営がなされてしかるべきだと思いますので、再度そのことについて伺って、この問題の質問を終わりたいと思います。いかがでしょう。
  64. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 この経費の問題につきましては、先ほども申し上げましたとおり、野球部の経費として適格に使われるような使い方、経理の仕方をよく考えるようにという指導をいたしておるわけでございます。また、その他の点等も含めまして、先生からいろいろ御指摘をいただきました点につきましては、今後の大学の運営状況等も見定めながら、必要に応じて御趣旨に沿った指導をするように努力したい、かように存じます。
  65. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっと、質問大臣に対する質問なものですから、どうしましょう。委員長もおかわりになっておるので、委員長にもちょっと聞きたいことがあるのですけれども、どうしましょう。いや、先生不足はないんだけれども、声が出ないとおっしゃるから。それじゃちょっと待ちます。  大臣、大変忙しいのに駆けつけていただいて恐縮です。  いわゆる臨時教育審議会の設置法案が本会議に上程されまして、いよいよ審議が開始されるという段階です。今まで、考えてみますと戦前に二回、内閣直属のこれに等しい臨時教育会議とかあるいは教育審議会がございまして、戦後におきましても、二十八年前になりますが、昭和三十一年にちょうど名前もほぼ同じ臨時教育制度審議会が上程されまして、それが設置法という形で出てきまして審議がなされております。非常に綿密な審議が行われておりまして、内閣文教連合審査会というのが開かれているのです。そういう経過をたどっておりますが、今度臨教審の審議に当たりまして、委員会は内閣委員会でございますが、この内閣委員会の審議には大臣としてはどなたが出られるのでしょうか。
  66. 森喜朗

    森国務大臣 委員会には私が担当大臣として出席をいたします。  なお、この法案が三月二十七日、国会提出する前、閣議で決定をいたします際に、法案担当大臣として閣議で文部大臣が指名をされたことによるものでございます。
  67. 山原健二郎

    ○山原委員 臨教審という審議会ができましたときに、その審議会の担当大臣は森文部大臣ということはわかります。総理府総務長官は、設置法の審議に当たってはどういう立場なのでしょうか。臨時教育審議会は総理府の機関としてつくられるのか、その辺はどういうふうに解釈しておりますか。
  68. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 手続的なことでございますので、私から答弁させていただきます。  今回の臨時教育審議会は総理府に設置されるわけでございますが、この法律教育改革について審議していただくものでございますので、閣議決定によりまして、この法案の担当大臣として文部大臣が命ぜられたわけでございます。法案国会審議に当たりましては文部大臣がこれを担当することになっております。
  69. 山原健二郎

    ○山原委員 この審議会教育改革を論議する審議会でございますから、担当大臣法案の担当大臣ですか、審議会の担当大臣じゃないのですか。
  70. 森喜朗

    森国務大臣 法案を閣議決定いたします際に、法案の担当大臣として閣議で指名を受け決定をいたしたものでありまして、法案国会によって成立させていただきまして臨時教育審議会が発足をいたしますならば、その審議会の担当大臣として文部大臣が指名を受けるものであろう、そういうふうに考えております。
  71. 山原健二郎

    ○山原委員 余りこだわりませんけれども、総理府に設置される審議会ですね。総理府総務長官は全く関係のない所在として考えてよろしいですか。
  72. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 法案の審議その他の担当といたしましては文部大臣が担当するという閣議決定がなされたわけでございます。実際に審議会が設置されまして、それの事務分担につきましては、大臣ただいま御答弁ございましたように、その審議会の運営その他につきましては文部大臣が担当することとなると想像されますけれども、総理府総務長官と文部大臣とのこの審議会に対します分担関係は、その時点で改めて決められるということでございます。
  73. 山原健二郎

    ○山原委員 閣議のことはわかりましたけれども、法律は、この臨時教育審議会の担当大臣文部大臣なんですね。設置を審議する国会における、例えば内閣委員会の審議の際には、総理府の機関としてつくる場合には中身についての担当大臣である森文部大臣と、そして設置をする所管大臣としての総理府総務長官の二人がこの質疑に応ずることが正しいのではないでしょうか。閣議決定というのは私どもは知りませんからね。法律によれば、臨時教育審議会の担当大臣文部大臣でしょう。その辺は明確にしておいていただきたいと思うのですが、これは恐らく内閣の委員会でも問題になるところだと思いますが、私、よくわかりませんので、その辺どうなるのか。大臣は森文部大臣だけが出るのか、あるいは設置者の大臣であるところの総理府総務長官も出られるのではなかろうか。これが法案審議の正式なあり方ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  74. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども申し上げましたように、閣議決定の際、法案の担当大臣ということで指名を受けて閣議決定をいたしておりますので、法案の審議については私が委員会に出席をする、御答弁申し上げる、こういうことになると思います。ただ、組織上のこと等、その他関連のことにつきまして御質疑がある場合は総務長官の御出席の場合もあり得るのかもしれませんが、ここで私がそのようなことを申し上げる立場ではございません。あくまでも法案の審議につきましては閣議で文部大臣が担当するように命じられ、閣議で決定した、こういうことでございます。
  75. 山原健二郎

    ○山原委員 閣議の決定はそうかもしれませんが、私はどうしても納得のいかないのは、確かに法案審議に当たって主たる答弁をされる大臣は、教育問題が主でしょうから文部大臣になれると思うのですけれども、しかし、その機関を設置する側の長が、設置するか否かの国会の審議に当たって当然出席をすべきものだと思うのです。これは閣議の決定の問題とは違いまして、当然そうなるべきものだと私は理解しておったのですけれども、その辺どういうふうに解釈しておりますか、もう一回。
  76. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 先ほども御答弁申し上げましたように、法案に関します担当大臣として文部大臣が出席をしてこの法案の御説明に当たるということでございます。この法案にかかわらない部分で、あるいは総理府関係の業務についての御質疑が関連してあるというような場合を今否定しているわけではございません。
  77. 山原健二郎

    ○山原委員 これは今後審議の状況の中で出てくる。問題だと思いますから、これでおきます。  一九五六年すなわち昭和三十一年ですね、あれから四分の一世紀経過していますが、その時点でやはり同じように臨時教育制度審議会が内閣直属機関として上程されまして、清瀬一郎文部大臣の当時でございますが、そのときに内閣文教両合同委員会がつくられて審議をされておることは御承知でしょうか。
  78. 森喜朗

    森国務大臣 議事録などを読んでみましたので、そのことは承知しております。
  79. 山原健二郎

    ○山原委員 このときにいろいろなことが論議されています。  例えば、何で「臨時」なのか、教育は百年の計という場合に何で「臨時」という言葉がつくのかという、大変初歩的なようでありますけれども、重大なことが随分綿密に論議をされているわけです。例えばある委員はこう言っております。「臨時雇いが会社の経営にタッチするのと同じではないか」という意見も出ておりますし、また「地道な調査や研究を軽視して、少数の体験や事例から大きな文教政策を割り出すことになれば、これは新教育発足以来積み重ねてきたりっぱなものを、わずかの審議で、一瞬に突きくずされてしまうことにもなりかねない」、という意見も出ておりまして、随分激しい論議がなされたのでございます。  確かに専門委員あるいは事務局がございまして、必要資料は整えられると思いますけれども、しかし委員は非常勤ですね。そして、言うならば臨時雇いでございまして、それらの委員の持っておる事例というのは、個々の委員経験事例というのは決して豊富なものではないわけでございまして、そういう意味では、自分のわずかな事例や体験をもとにして教育の本質を踏まえぬ答申が出ないという保証はない、そういう点も論議されているのです。本当に腰を落ちつけて、教育の将来にわたって、二十一世紀を展望して教育大改革をやられるというのですから、それだけの気構えということになってくると、「臨時」などというものではできないじゃないか、少数の非常勤の委員がときに集まって、その委員が持っておるわずかな経験や教訓事例、これを集めて出してくるものが、本当に教育の将来にわたって教育政策として立派なものが出てき得るのかどうかということが論議されているのです。  これに対して、清瀬一郎文部大臣は本当に困っているのですね。困って、その答弁内容を見てみますと、年中行事ではないのだから、一遍思い切ってやるだけだ、それが済めば退却するのだという言葉も使っておるわけでございまして、こういう形では本当に教育を論ずる審議会と言えるかどうかということが、もう二十八年前に論じられているわけですが、私もその点は心配をいたします。  これは文部大臣、どうでしょう、本当に可能でしょうかね。
  80. 森喜朗

    森国務大臣 議論というのは、審議というのはどれだけをもって長い、どれだけをもって適量である、そしてどれだけが短いというようなことはなかなか難しい判断だと思います。ただ、今お願いをいたしております臨時教育審議会の設置法案につきましては、三年間というふうに規定をしているわけでございますが、その三年間御議論をいただく、どういう形で、あるいはどのようなペースでするか、これは当然審議会の皆様方で御決定をいただくことでございますけれども、三年間審議をするということは、大体そう短いというふうには私は判断できない年限ではないかな、こう思います。  それから、これも国会で、私はこの委員会でも御答弁をさしていただきました記憶がございますけれども、単に御議論をいただくというのではなくて、従来積み重ねてまいりました、例えば中教審の答申を踏まえあるいはまた多くのいろいろな意見が各界、そしてまた各党から出されている、そうしたいろいろな意見も当然審議委員皆さん方が耳を傾けられ、御参考にされるだろうと予想はできます。そうした御議論の中から教育問題全体を専門的に、あるいはまた集中的に、表現がちょっと適当な表現かどうかわかりませんけれども、集中的にと申し上げた方がいいかと思いますが、そういう形で御論議をいただくということになれば私はそう、「臨時」という名前がどういう形でされたか、これは法的に後ほど事務当局からでも御説明をいただいたらいいかと思いますが、専門的に集中的に御論議をいただく、しかも三年間に御検討をいただく。それから、先生も今おっしゃったように、いろいろな専門委員等、専門的な資料も寄せられていく、そういうように考えますと、名前が「臨時」でありますから、教育論議を臨時的にさっとやってしまうというものには当たらないと私は考えておるところであります。
  81. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一つの問題で論議されたのがあります。それは中教審との関係ですね。  これは今度の国会でも今まで予算委員会や本会議質問がなされておりますが、ちょうどこの三十一年のときにもそこのところが随分論議されておりまして、中教審、中央教育審議会令は一九五二年六月六日にできておるわけでありますけれども、それには「文部大臣の諮問に応じて教育に関する基本的な制度その他教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する。」ここの中教審の場合も、教育基本的な制度その他について審議をし、そして建議をする、こうなっておりまして、現に法令として存在する中教審と臨時教育制度審議会との関係は一体どうなんだ、これも随分論議をされております。  きょうはそれはやりません。それはこれから論議されるところだと思いますが、この際も清瀬さん困ってしまって、つまりどういうことを言っているかというと、教育刷新委員会、これは御承知のように戦後できまして、六・三・三制度を確立するときの南原繁さんや田中耕太郎さんあるいは城戸幡太郎さんたちが加わったあの審議会ですね。あの審議会というのは、六・三・三制の問題につきましてもアメリカから押しつけられたと今言っていますが、あの報告書を見ますと全部自主的なんです。むしろ教育基本法についてはアメリカ側から全く示されたものはなかったわけで、アメリカ側の資料を見ましても、教育基本法の作成に当たってはアメリカ側が全く立ちおくれてしまったということを言っているぐらい自主的に教育基本法ができているのですが、それが教育刷新委員会の中身なんです。これは何だと言ったら、これは戦後、教育の組み立てをやった、大工さんの仕事をしたのだ、その次の中教審はどうだと言うと、中教審はその建てた家を保存するためにつくられたものだ、じゃ今度あなたが提案している臨時教育制度審議会は何だと言ったら、もとに戻っての研究をする会だというふうに言い分けて、非常に苦しい答弁をせざるを得なかったわけでございます。  私は、そういった問題がこれからも論議をされまして、もし政府が今度の臨教審を審議するならば、この辺の問題もひとつ明確にしておかなければならぬ問題だと思います。  そのときにもう一つ論議されたのは、中教審というのは結局何だということになってきまして、中教審は現行制度に手を加えるものだ、そういった論議がなされて答弁もなされておるわけでございますけれども、結局この考え方は中教審というものを——私は中教審の存在をいいとは思っておりませんけれども、法令として存在する限りはこの性格は明確にしておかなければなりませんが、どういうふうに言っているかというと、結局中曽根さんの発言では、文部省の中教審というのはスケールの小さい技術的な改革をやるにすぎないのだ、こういうとらえ方ですね。しかも外来種の教育制度を小刻みに改革しておるにすぎないのだと言う。これは大変問題になったのです。中曽根さんの発言でなくて、清瀬文部大臣の当時の発言が問題になって、それは中教審に対する軽視ではないのかということも論議されておることを今ここで申し上げておきたいと思うのです。時間がありませんから、問題点だけ申し上げておきたいと思います。  それから、もう一つの問題は「教育基本法精神にのっとり」と書かれておりますが、一つだけ確かめておきたいのです。今度首相の私的諮問機関であるいわゆる文教懇、この中におきまして、御承知のように提言が三月二十二日になされまして、これを今度の臨教審の参考にするということを中曽根首相もしばしば言っておられます。その文教懇の中で、個人的意見として田中美知太郎京都大学名誉教授が教育基本法廃止論を主張いたしております。そして、この個人的見解を事務当局に対して提出しているのです。ところが、この提出を待ったをかけて抑えております。それが明らかになったのが四月十六日のことでございまして、その調整のために教育基本法にとらわれず論議したという文言があの提言の中に出てくるわけです。ここで調整を図ったわけですね。教育基本法にとらわれず論議をしたのだということで、田中美知太郎教授の教育基本法廃止論をここで調整を図った。そして、鈴木健二さんと山本七平さんと曽野綾子さんの三人の個人的見解が併記される、こういう結果になっていることが一部の報道に見られるわけですが、そういう事実はございましたでしょうか。
  82. 森喜朗

    森国務大臣 ただいまお尋ねの、私は文化懇、こう言っているのですが、これは総理の私的諮問機関でございますし、総理が文化、教育に関しての意見を勉強される、そういう懇談会であると私は理解しております。したがいまして、文部省はこれには直接のかかわり合いを持っておりませんので、今御指摘がありましたような事柄につきましては、事実関係は私も全くわかりませんので、文部省としてはそのことについて、その当時の実情、またそのまとめられましたことにつきまして、私どもから見解を述べるという立場ではございません。  ただ、国会でも、この委員会でもこの点につきましてたびたび御指摘もございましたが、あくまでも私的諮問機関でございますから、その意見は恐らくこれから選ばれる委員皆さん方がある程度参考にされる場合もあるのかもしれませんけれども、そのことは臨時教育審議会と直接のかかわり合いといいましょうか、参考にするとか、そういうことを臨時教育審議会として考えるべきものではない、このことを私はこの委員会でしばしば申し上げているところでございます。
  83. 山原健二郎

    ○山原委員 こういうことが後になって、三月二十二日にこの文化懇——私どもは文教懇と呼んでいますが、大臣は文化懇とこの間からおっしゃっていますので、文化懇の提言が報告をなされまして、四月十六日にこの事実が新聞に一部出るわけですね。そして、田中美知太郎先生は個人的意見として事務当局に提出をした。事務当局というのはどこですか。
  84. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 これは総理の私的諮問機関として内閣に置かれたものでございますから、内閣審議室というふうに考えていただいてよろしいかと思います。
  85. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、ここにも問題があると思うのですね。非公開でやられた場合にこういうことが後から出てくるわけでして、しかも教育基本法問題が、国会の本会議でも委員会でもずっと論議されている一番基本の問題が、三月二十二日の答申の中には出てこないで、それが後になって、四月十六日になって明らかになってくるというふうなところに、非公開の審議というものがいかに真実をゆがめるかということ。私は、これは私的諮問機関ですから教育基本法を廃止するという意見が出てきても、それは出てくる可能性も高いだろうと思いますよ。でも、それが政治的な圧力であるいは政治的配慮もとに、蒸し返されて後になって出てくるなどというこの非公開制というものが、教育を語る場合に全くふさわしくないものであるということの証明としてこれは申し上げておきたいと思うのです。  そして、今度も首相はたびたび、この文化懇の提言に基づきまして、これを参考としてやっていきますということをおっしゃっているのです。ところが、一方では、文化懇そのものは、教育基本法にとらわれずに論議をしたのですという報告になっておるわけですね。そうしますと、この臨教審法律に書かれております「教育基本法精神にのっとり」というこの大前提が非常に怪しいものになってくるということを考えざるを得ません。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕  それから、先般、森文部大臣が細川隆元さんと対談されたのをたまたま私も見せていただいたのですけれども、あのときもたしか、教育基本法の問題に触れれば入り口のところから紛糾が起こるのだから、こういう政治的配慮もと教育基本法の問題については触れないといいますか、そういう御発言があったように思うのです。気持ちはわかりますけれども、そういうオブラートに包んだり、あるいは何となく世間を政治的に納得させる配慮、そんなもので審議会が発足したのでは、非常にあいまいなことになってしまうということ、私はこれも指摘しておきたいと思います。  それからもう一つは、教育改革をやるというならば、それなりに決意が要ると思うのです。例えば財政問題。今度の特徴は、総理の発言を聞きましても森文部大臣の御答弁を聞きましても、財政問題についてはほとんど触れられない。文化懇の答申の中にも財政問題は出てきません。  教育改革には金が要るのです。例えば幼保一元という言葉が出て、昨日もNHKでやっておられましたけれども、保育園には保育園、幼稚園には幼稚園、それぞれの経過がありますから、それを本当に幼保一元という——これは今までも方針が出ているわけですから、何も今度臨教審をつくってやらなくても、国の方針としては幼保一元という方針は何遍も今まで答申が出ているわけですね。それをやるためには、それなりの条件整備をやらなければ一元などということはできない問題なのです。そこにも経費がかかる。ところが、今度の臨教審の大きな矛盾は、一つは、行政改革あるいは第二臨調の路線はこれを最大限に尊重するという一本の路線があります。第二臨調の考え方というのは財政削減あるいは縮減、しかも聖域を設けないというのが原則です。すなわち、お金をできるだけ使いたくないというのが原則です。その原則と二十一世紀に向かって教育大改革をやるというこの路線には猛烈な矛盾がある。私は、そこのところが本当に今論議されなければならぬところだと思います。  そういう意味では、例えば四十人学級の問題。今、坂田先生おいでになりますけれども、昨日、きょうと先生のインタビューが毎日新聞に出ています。私はこれを読みまして、本当に坂田先生が四十人学級の問題で——私が国会に来たとき、坂田先生文部大臣だった。一番最初の文部大臣だった。そういう意味で私は一番親しみを持っているのですが、あのときから四十人学級の問題を提唱してこられた。きのうの毎日新聞もそのことを書いておられます。例えば「教育改革をやる、といいながら、そういう(改革に)不可欠な条件はやらないみたいな政府答弁では、ボクはどうも納得できない。」ということを言われているのです。本当にそうだと思います。そしてさらに、「四十人学級は実現しなければいけないが、さりとて教育は条件整備だけではない。やはり教育は人、人格」の問題というのが出ております。それはきょうは論議する時間はありませんけれども、例えば「四十人学級も財政難のあおりでなかなか実現しそうにありません。いまの四十五人学級では授業改革の工夫もやりにくいようです。」まさにここにあるのです。  四十人学級ということに、何だ、いつまでたっても四十人学級かとおっしゃる方がおいでになりますけれども、例えば、今から七十年前に成城学園小学校、成城小学校と言われる、あの創立の趣意書を見ますと、六十人、五十人では教育はできないのだ、本当に配慮のある子供の個性を育てるためには三十五人でなければならぬと七十年前に書いているのです。それを実現するため努力しなければ本当に子供の個性を伸ばすことはできないのだ、多様な教育体制はできないのだということを本当にはっきりと書いています。また、私はそのとおりだと思います。  国際的に見ましても、本当に四十人というのは群だ、群れだと書いていますね。三十人以下で初めて集団としての教育ができるのだということを書いております。そして、私は一度申し上げたことがあるかもしれませんが、最近ある小学校の改築の問題があって行きましたら、三年生のときは四十五名で一クラスで教えておったのです。ところが、去年の四月にこの組へ転校生が一人入りまして四十六名になった。だから、去年の四月からこの子供たちは四年生になっているのですが、四十六人ですから、四十五人学級で今計算ですから、四十六人になりますとこの組を教室を二つに分けているのです。二十三名、二十三名です。校長先生がどれほど喜んだかわかりません。二十三名と二十三名の教室でいろいろなことができます、何でもできます、落ちこぼれをなくするためにいろいろな手が使えます、こんなうれしいことはありません、三年生のとき四十五名、いっぱいのときはこれができなかった、こう言うんですね。本当にそう思いますと、四十人学級というものはそういう意味で非常に大事な中身を持っておるわけでございまして、何でもできる。  高等学校に至っては四十五名で計算されておりますから、何遍もここで論議されましたように、一つの教室で高等学校の生徒が四十五名入ったら教育はできません。私は高等学校の教師をやっておりましたけれども、この間、岩手県の教育委員会の調査によりましても、一番つまずきの多い数学でも、教室の中で先生が、机間巡視と言って机の間へ入っていけるようになれば相当落ちこぼれを防ぐことができると、八四%の数学の教師がその点では確信を持っているわけですね。そういう意味で、一学級における生徒数というのは非常に大事な中身を持っています。かつて過去においては五十名で数えたこともあるじゃないか、今四十五名だから前進しておるじゃないかという意見もあります。私は、戦前は小学校の教師をやっておりまして、男の子ばかり五十三名の子供を教えました。それは苦労したのです。苦労したけれども必死でそれをやったわけです。しかし、それでは必ず落ちこぼれが出てくるのです。小学校二年生、四年生を教えたのですけれども、作文を書かせても、これを見るのには体力の限界が来ます、まだ私は若いときでございましたけれども。  そういうことを考えますと、本当に心の通った教育、教師には人格が必要だ、情熱も必要だということ、これはもうだれも否定しません。今、教師にとって必要なのはやはり情熱です。そしてまた、子供たちに対して公平に接触をする教師が今望まれているわけですね。そのためにもこのような条件整備というものがどれほど必要なものであるか、それがどれほど全国の教師を励ます結果になるかということを考えますと、この坂田先生がおっしゃっている四十人学級の実現というのは、これは本流の外に置かれた問題ではなくて、教育改革の本流なのです。マンモス学校の解消の問題もそうですし、そういう意味で、これから臨教審論議が始まりますけれども、本当に徹底して、声高にお互いに大改革をやるんだ、だめだということだけではなくて、日本子供たちをどうするかという意味で、本当に静ひつな場でお互いの経験を出し合って論議していく、あらゆる経験国会の中にも集約されるような体制をつくる必要があるのじゃないかということを痛切に感じるわけでございまして、いよいよこれから審議に入る段階でそのことをあえて申し上げた次第でございます。  この点について大臣、私の気持ちがおわかりになりますかね。
  86. 森喜朗

    森国務大臣 大変よくわかります。まず、坂田先生が、ちょうど山原先生が御当選されまして、当時文部大臣で親しみを大変持っておりますということですが、その四十人学級を推進する自由民主党の責任者が私であったのですから、どうぞ私にも親しみをぜひ持っていただきたいとお願いをしたいところでございます。  この間、中西先生にも先般の委員会でこの問題で御議論させていただきました。私自身も四十人学級をやりたくないと一遍も言ったことはございませんし、十二年計画というとてつもないものでございましたが、全体計画と最終目標は何とかして実現したい、そういう気持ちでおりますので、今先生が大変情熱を込めて御発言をいただきました件につきましては、立場はお互いに違いますけれども、学校教育現場をよくしたい、そういう情熱につきまして心から敬意を表する次第ですし、私自身もまた同じような考え方で今日まで文教施策をお手伝いしてきた一人でございまして、まさにそういう意味では気持ち一つになっている、こう思っているわけでございます。  ただ、臨時教育審議会、これの問題をやることが先ではないかという御議論でございますが、予算委員会やまたこの委員会で総理も発言をしておりますし、私も発言をしてまいりましたが、今の段階で臨時教育審議会がどのような財政措置をするのかとか、そうした問題を今私がここで言及するということは極めて困難でございます。どのような教育の制度をつくるのか、それに対してどういう経費がかかってくるのかということもやはり当然議論の中に出てくると思いますが、いまの段階で私がどうこう申し上げるということは、これは越権でございます。したがって、これから御議論をいただいて、そうしてその中で臨教審設置法案の第三条におきまして、審議会の「答申又は意見を受けたときは、これを尊重しなければならない。」というふうに規定をされているわけでございますから、例えばですよ、これは私が大臣という立場で申し上げると、またいろいろとひとり歩きをして御迷惑をかけるかもしれませんが、例えば臨時教育審議会皆さん方が幅広くいろいろな御議論をいただく。二十一世紀教育制度というのは、学制制度はこうあったらいいだろう、例えば今先生がおっしゃったように、一人の教師がどの程度の生徒を抱えていくというのはこういうことじゃないか、やはり四十人学級というのは正しいのだという意見がそこで出てくるかもしれない。そして先生は、臨調とは矛盾するじゃないかということですが、私はそうは思わない。臨調というのは、聖域がないのだということで今日まで進められておった、各行政部門のいろいろな施策について臨調が上からかぶさっているわけでしょう。しかし、そういうことも踏まえながら臨時教育審議会の中で、例えば四十人学級の議論が出て、かくあるべしだという答申が仮に出るかもしれない。私は、むしろ四十人にこだわることはありませんが、本当に二十一世紀、すばらしい教育制度を子供たちにレールを敷いてあげられるというようなことがお互いの議論の中に出たら、場合によればもっと素直なものが、我々が期待する以上のものが出てくるかもしれない。私は、むしろそういうことをこの審議会期待したいのです。ですから、そういう意味では、先生がおっしゃるように矛盾をしたり、そのことによって抑えつけられたり、そんなものでもありません。  それから、先生が、それをやる前にもっと金をかけてやるべきだ、こうおっしゃいますが、国民全体が、やはり教育には金がかかるものなのです、こういう経費をかけてやるべきなのですという幅広い国民的な合意がまた議論の中から生まれ出てくることによって、これからの教育行政がかえって円滑に進んでいくということもあり得るのではないか。私は今、これは想定でございますから、そういうこともむしろ期待をしてもいいのじゃないか。  そういう意味で、この臨時教育審議会が一日も早く設置をされて、その中でいろいろな考え方を持つ人たちがみんなお集まりをいただいて、そして今のような教育の現場あるいは制度、教育環境、そしてまた特に今度の問題は、先ほど中教審のお話もございましたけれども、中教審が文部省固有の事務を進めていく、そのために必要な改革をいろいろ御建議をいただいたものだ。しかし、これからは、私も常に申し上げているように、社会の急激な変化あるいは量的に拡大した現実の教育問題、そんなことをすべて、今の教育ではなかなか対応でき得ない問題も出てきている、そしてかなり各行政部門にかかわり合いのある問題がある、そういう意味政府全体が全体の責任において長期的に展望して、そして何とか二十一世紀にふさわしい教育制度全体を御論議をいただこう、こういうことでございますので、私は先生が御心配をいただくようなそういう矛盾点はない、むしろいい方向に進んでくれるのではないか、そういう大きな期待を持っているところでございます。
  87. 山原健二郎

    ○山原委員 大臣がおいででなかったので時間が延びていますが、一分、二分過ぎただけで、あとちょっと……。  一つは、私はこういう言い方をするのはどうかと思いますが、教育は聖域であってよろしいというぐらいに思っております。というのは、教育は百年の計とも言われますし、また本当に財政が厳しいときに人間を育てることに対してお金を使う、あるいはそれに対する心を配るということが、行政の性格が試されるとさえ思っているのですよ。いつでも我が国は満足すべき豊かな国ではないわけですから、私ども子供のときは、日本は貧しい国だと言われてきたわけですね。そういう貧しさの中でなおかつ将来に向かって人間を育てることに対して、苦労しながらでも金を出していく、まあ金といったらおかしいですけれども、そういう意味での教育の充実を図っていく内閣は私は信用するに足る内閣だとさえ思っています。そういう意味では、聖域はないんだという言葉もと教育予算がひとしく削られていくということは、私は大変残念なことだ。しかも、四十人学級なんということは、本当を言えば大した金じゃないわけですね。試算しましても、文部省も試算されていると思いますが、本当に年次計画で言えば微々たるものです。それが何で削られて、それでなおかつ二十一世紀に大改革と幾ら中曽根さんがおっしゃっても、じゃあここで今そのあかしを見せてくださいと言いたくなるくらい、今の状態は残念な事態だと思っております。これは文部大臣責任じゃありませんけれども。  それからもう一つは、今度の臨教審、一体何をやるのかということになってくると、私はますます中身がわからなくなってくる。中曽根さんは、今までの教育は画一主義だったと言う。その画一主義がどこから出てきたか。例えば学習指導要領の法的根拠があるという文部省の見解、これは画一主義を生み出す一つの大きな要因になっています。教科書検定もそうです。それからまたさらには、例えば五段階相対評価、これなどについても、どれほどこの委員会論議をしたかわかりません。子供たちに点数をつけて、一から五まで正規分布曲線で必ず一と五が少数でもって出てくる。全部の子供が五になるように教育できる体制を、あの五段階相対評価というもので押しとどめてきたのです。それを押しつけてきたんだ。さまざまな通知表の研究や実践はなされてきましたけれども、全体としては五段階相対評価を押しつけてきた。こういうものが画一主義をつくる大きな基礎になっているわけですね。  多様化の問題にしてもそうなんです。教育の多様性、それは必要なことです。さまざまな工夫をするということは必要なことですけれども、それだって今言っている多様化というのは何かというと、多様化のように見えて人生のコースまで決められる。言うならば、むしろそのコースの中に幼いときから子供たちの能力が判定をされて固定化されて、その道しか歩めない中に子供たちが送り込まれていく。むしろこのままでいくならば、今よりももっと学歴社会のすごいのが出てくる可能性だってあるわけでしょう。そういった問題について本当に政府が一度反省をすべきだと思うのです。こういう点について反省をしなければならぬというものがまず出てきて、だからここは改善するんだということが出てくればまだ人は納得します。また日教組に対しても、日教組のこういうところには問題はなかったですかということで、日教組自体も反省をされているし、そういう発言は研究集会その他たくさん出てきているわけですけれども、政府も戦後三十八年の間に反省しなければならぬことはなかったのか。そこのところが出てきて初めて教育に対する改革の基礎が生まれてくるわけでして、そこのところが何もなくて画一化だ、平等主義だ、親が平等主義に陥っているからだめなんだということで、客観的に、何か他人ごとのように戦後教育を批判するという立場では問題の前進にはつながらないということを申し上げておきたいと思います。  もう時間がなくなりましたのでこれでおきますが、委員長お願いしたいのですが、二十八年前におきましても内閣文教の合同連合審査が相当綿密に行われています。そしてこの委員会は、各党の議員さんとも教育問題については今まで諭し合ってきた間柄です。教育の問題については皆ベテランです。そのベテランが、臨時教育審議会というこの法案について本当に審議する場所はここではなくて別の委員会になったというこの段階で、連合審査と申しましょうか、ここにいらっしゃる委員皆さんがこの臨教審設置法案について十分審議をできるような体制を、ぜひ決意を固めて委員長も御努力をいただきたいということをお願いしたいと思いますが、委員長の御決意をお伺いして、私の質問を終わります。
  88. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 ただいまの山原委員の申し入れにつきましては、後刻理事会検討いたします。
  89. 山原健二郎

    ○山原委員 終わります。
  90. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 江田五月君。
  91. 江田五月

    ○江田委員 教育改革を目指してのすばらしいやりとりが続いておりますが、多少角度を変えて、今の教育の持っているあるいは抱えている問題点について伺ってみたいと思うのですが、それは視聴覚教育という点なんです。  視聴覚教青の重要性が認識され始めてもう随分久しいんだろうと思います。大臣の小学校、中学校時代はどうでしたでしょう。多分私の中学校のころに幻灯か何かがあって、断層であるとか地層の反転であるとか、理科の地学ですか、そんなようなものを幻灯で見たようなことをうっすら覚えておりますけれども、最近はもうそんなものじゃ恐らくないんだろう。どんどん進んで、幻灯あるいは八ミリ、十六ミリ、そういうものはもうとっくの昔で、今はもうテレビがどこでもあるという時代なんだろうと思います。教科も、理科はおろか、もうありとあらゆる教科に行き渡っているんだろうと思いますが、そういう時代に、恐らくもっともっとこれが進んでいくときにきているんだろうと思う。科学技術がどんどん進んでいく。エレクトロニクスの発達であるとかニューメディアの時代であるとか高度情報化社会だという、そういう新しい時代に入ろうとしておる。  そういう中で電電三法がきのう、本会議で趣旨説明があったわけですね。電電三法についての問題点はいろいろあるので、大いに議論しなければいけません。しかし、そういう電電三法が出てくる客観的状況、条件というものが出てこざるを得ない一つの大きな時代の変化というものがあるので、こういう新しい時代、高度情報化時代というものが学校教育の中にもこれからどんどん入ってくるんじゃないか。例えば通信が自由化されることになると、そういう第三の波といいますか、新しい波を学校教育もかぶらざるを得ない、あるいはもうすでにいろいろなところで入ってきているんじゃないかという気がする。そのあたりの具体的なことが一体どうなっているかということを、少しずつ聞いていきたいと思うのです。  まず、テレビです。これは今、小中高等学校でどの程度普及をしているのか。いかがですか。
  92. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 五十八年度の調査で申し上げますと、テレビ受像機がある学校は、小学校は九九・六二%、中学校は九九・〇三%、高等学校は九八・五三%の学校が持っていることになっております。これは抽出調査でございますが、抽出調査の結果、推計したところではそういうことになっております。
  93. 江田五月

    ○江田委員 テレビはディスプレーの装置ですが、それだけでは足りないのです。NHKその他の現に放送されているものを聞くだけならそれはテレビだけあればいいのですが、恐らくそれだけじゃなくて、ビデオデッキも相当行き渡っているんじゃないかと思います。ビデオデッキの方はいかがですか。
  94. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 ビデオテープレコーダーは各学校にかなり普及しておりまして、小学校については八二・六四%、中学校については九二・二七%、高等学校については九八・四〇%ということになっております。
  95. 江田五月

    ○江田委員 これはおもしろいですね。テレビの場合は小学校の方が多くて高校の方が少ない。ビデオテープレコーダーの方は小学校よりも高校の方が多くなっている。これはどうしてそうなるのですか。
  96. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 いろいろな事情があろうかと存じますけれども、テレビ受像機を各教室に置きましてテレビを視聴しながら授業を進めるということにつきましては、実際に放送局で教育番組をやっていただくことがまず基礎条件になるわけでございますが、小学校、中学校義務教育につきましては、カリキュラムに従って比較的との学校でも見られるような視聴番組が現実に行われているわけでございます。それに対しまして、商等学校になってきますと、NHK等でもいろいろ試みていただいておりますけれども、それぞれの学校によって教科課程というのが、科目も多様化してまいりますし、内容もいろいろなレベルのものが出てまいりますので、現実にテレビを視聴して視聴覚教育を行っているということになりますと、やはり小中学校の方が実際上は行われているというのが実態であります。  それに対しましてビデオの方は、ビデオを使いまして実際にそれぞれの学校先生が、こういうテレビ番組は生徒に見せたらいいんじゃないかということで録画してやるようなことがかなり自由に行われますので、学習内容がいろいろ多様化している高等学校なんかにそちらの方が進んでいるんじゃないかというふうに推察するわけでございます。
  97. 江田五月

    ○江田委員 ついでに、コンピューターの普及率はどうですか。これは学校運営とか教師の給料のこととか就職状況とか、そういうことじゃなくて、教材としてコンピューターがどの程度入っているのでしょうか。
  98. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 先ほど申し上げましたテレビやビデオに比べましてコンピューターは、特に小中高の学校ということになりますと、大型のものではなくてマイクロコンピューターということになりますが、この保有状況はまだ進んでいる状況ではございません。これも昭和五十八年度の調査でございますが、現実に今持っておる学校という保有率は、小学校では〇・五八%でございます。中学校がややふえまして三・〇九%でございます。それに対しまして高等学校は五六・三八%ということになっておりますが、この間の事情は、高等学校へまいりますと、例えば職業高校では、商業科とか工業科では、コンピューターに現実に授業の中で取り組んでやっている学校が多いものでございますから五六・三八%ということになるわけであります。  そこで、今申し上げました数字は、コンピューターのハードをどれだけ持っているかということであります。それの使い方ということになりますと、先ほど先生のおっしゃったように三種類ほどの使い方があるわけで、一つはCAIと申しましてコンピューターを使って授業を進めるという、コンピューターを授業を進める道具にするという使い方でございます。それから、いろいろな成績管理とかいう学校の管理運営の方に使うというやり方がございます。それから、直接コンピューターについて児童生徒に教えるというコンピューター学習という三種類ぐらいの使い方があるわけでありますが、その中で今先生のおっしゃっておられるのは、恐らく一番最後のコンピューター学習ということを想定されておっしゃったんではないかと思いますが、それについてはまだまだこれからの問題ではないかというふうに総括的には思うわけであります。
  99. 江田五月

    ○江田委員 こちらの意図まで酌んでいただきましてありがたいのですが、そうじゃなくて、そこまで基礎がずっとできてきているので、これからの教育の方法が変わってくる基礎が整いつつあるんじゃないかということを申し上げたいのです。  つまり、先ほどテレビの場合に、教育番組の放送がなされていることが基礎条件だとおっしゃいましたけれども、そうじゃないんじゃないか。今まではテレビが放送される、それをキャッチしてディスプレーに映像が出てきて、そのときにちょうど生徒が見て、それが授業時間に組み込まれていた。そうじゃなくて、これからはもっとビデオデッキまで整備される、さらに高校の場合ですとコンピューターまで入ってくると、基礎条件というものが放送されているかどうかじゃなくなって、もっとがらっと変わってしまう。ビデオソフトの利用の可能性が質的に飛躍する、ふえてくるわけですね。しかも、それがもっとこれから、今の通信の自由化というようなことになってくるとまだ変わってくる。学校にそれぞれビデオソフトがなくても、あるいは学校にそれぞれ置いておくこと自体が非常に不経済になって、どこかにビデオソフト自体は集中的に管理をしておって、そしてそこから、コンピューターがあれば、ディスプレーの装置があれば、後はもう端末機一つの操作でどんどん出てくるようになるわけですね。そこまで変わってくるんじゃないか。そういう動向、そういう一つの傾向がこれからだんだん明らかになってくるんじゃないかと思うのですが、そういう大きな方向についてどういう判断をされておるか。壁がけから紙芝居、さらに進んで幻灯、そして映画、それがテレビ、ビデオが入ってきて変わってくる。そこまではまだ教育の現場としては受ける側ですね。だけれども、さらに変われば、今度は教師の方もそうしたさまざまなメソッドを自分で自由に操って、自分一つのソフトをつくる技術を持たなければならぬというところまでいくんじゃないか、こういう大きな変化の時代にあると思うのですが、大臣、感想といいますか、どんな感覚をお持ちですか。
  100. 森喜朗

    森国務大臣 私は科学の方は大変弱い方でございまして、江田さんのときは幻灯というのを思い出しておりますし、私の時代は視聴覚らしきものは何があったかな、紙芝居くらいあったかな、そんな思い出しかありませんが、基本的には文部省としては、視聴覚教材を教材あるいは教具に計画的に利用することを奨励いたしておるわけであります。そしてまた、視聴覚教材を使用して教育が行われている、科学技術の発展に伴って学校教育の中に利用されていく、それがまた多様化している、そういう意味において適切に利用した教育の促進を図る、これが文部省考え方でございます。  ただ、今あえて江田さんが感想はとおっしゃってくださったので、おしかりをいただくかもしれませんが、正直な気持ちを申し上げると、そういう教材、コンピューターやテレビあるいはワードプロセッサーみたいなものを一体教育のためになぜ使うのか、そこのところをどうも私は納得していないのです。もちろん小学校から高等学校までありますから、社会の中がコンピューター化時代ですから、それに対応して、社会に出ておろおろしないようにワープロやコンピューターやそんなものが駆使できるように技術を身につけて出なさいよ、そのことを小学校から順を追って、心身の発達の度合いに応じてある程度マスターさせていきますという親切な教育が必要なのか、それとも、実際には先生がやるべきことを、そうした教材をある程度使って先生の仕事が少し楽になっていくからいいのか、私はもちろん、これは小学校段階をある程度頭に置いておるのです。  この間、国会でも答弁したのですが、総理と仙台の太白小学校へ行ったのです。一年生がみんな机にそれを持っておるのです。それでピッピッピッピッやっているわけです。何をやっているのかわからないですが、何かゲームみたいなことをやっている。そういうことに非常に敏感な子供達が出てくれることは、将来社会に巣立っていくためにはいいのかもしれませんが、ボタンを押すことよりももうちょっと、ボタンを押すためへの判断を、よく共通一次の試験の批判が出るように、あるいはマル・バツ式の試験の批判がよく我々の時代は出たわけですけれども、何か瞬間的に判断をすることはかりが上手になるというよりは、ボタンを押してどうなるかということを十分頭で考える、そのことが教育じゃないかなと私は思っておるのです。カシオミニでぽんぽん固有名詞を使っていいのかどうかわかりませんが、ぽんぽんと出てくることよりも、そろばんの玉を四つ積み上げて、もう一つ積んだら、四つしかないから、線を引いた上が五つに値する玉だから、それを入れて下へ四つおろした。六足すときに、下へもう一つ入れたら五と五が重なったから、これは外して隣の十桁の一つを上げた。私は、そういう考え方をやっていくことの方が教育だと思っているのです。  もう一つは、私は常に申し上げておるのですが、教育というのは、教科書学校という場所を利用して先生の人格に触れることじゃないかと思うのです。だから、余りにもそういう教育器材、近代的なものが先行しますと、今言ったような考えること、判断すること、そして先生教科書やその教科書に書かれていることを一つの中心にして、先生の人格や先生の持っておられるいろいろな知識を子供たちにどんどん継承させていく、そういうことが逆になおざりになっていくのじゃないか、私はそういう点で非常に心配をしておりますので、「読み書きそろばん」という一番基本的なことをもっと大事にしていく教育でなければならぬのじゃないか。コンピューター化時代に進めば進むほど、それに余り乗るのではなくて、そこにどうせ入っていかなければならぬのですから、技術的な習得はいつだって、高等学校へ行ったってできるわけで、中学の後期だってできるわけですから、むしろそういう、社会に入れば入るほど人間としての一番大事な基本的なことをもっと教えることの方が大事じゃないか。これはあえて感想を言えとおっしゃったから、その論議について私は感想を申し上げさせていただきました。
  101. 江田五月

    ○江田委員 大臣が力説されることは私はよくわかるのです。そのとおりだと思います。しかし、恐らく誤解があるのだろうと思うのです。  新しいさまざまな教育のメソッドがどんどん進んでいく、それが教師の省力化につながっていって、それで教師はどこかに寝ていていいんだ、テレビのボタンをぽんと押しておけば後は一定時間テレビが生徒を教えてくれるのだ、そういうことになったらこれは教育じゃないですね。まことに無味乾燥なものになってしまう。しかし、時代としてはそういう新しい技術が学校の中に入ってくる。それは教材の業者なんかがしょっちゅう学校へ来て売り込んだりするようなところに——今家庭にどんどん売り込んでいますが、教育ママなんかが教材屋さんにおどされたりして随分高い金を払ったりしていますけれども、そういうのが学校にどんどん来るでしょう。そういうことになって、なおかつ学校教育というのは生徒と先生との人格的なぶつかり合い、つながり合い、そういうものがこれからどうやって保っていけるのだろうか。  そうなると、教師の省力化じゃなくて教育の方法の多様化といいますか、ただ教師と生徒、教師が口でいろいろ言う、あるいは黒板に下手な絵をかくだけじゃなくて、もっとさまざまな方法を使っていろいろなことを、生徒に知識の伝達にしても教えていける。あるいは単に知識の伝達だけじゃなくて、例えば道徳なら道徳にしたって、教師が妙なお説教をするよりは、すばらしい映画か何かを見せた方がよっぽどいいということがある。それも、今度は一つのカセットをぽんと入れて終わるまでというのじゃなくて、時々区切りながら、あるところ画面をばっと出したら次には教師が自分で出てくる。教室のぐあいによってここはやはり画面じゃだめ、自分が出なけりゃだめだというときには、すぐ教師が出てこれるというノーハウを身につけていかないと、今のようなエレクトロニクスの時代に学校教育はむしろ立ちおくれてしまって、それなら塾の方がいいじゃないか、学校は行って適当に時間を過ごして寝てくるところ、本当の教育はどこか塾でもっときめの細かなものでやっていこうということになってしまったらどうするのですか。これはそれこそ文部大臣として、この大きな変化の時代に取り残されてしまってえらい責任を負うということになってしまうのじゃないですか、どうでしょう。
  102. 森喜朗

    森国務大臣 私は誤解はしていないのです。そういう教育機器を使うということにはいろいろな面があるでしょうということを申し上げたわけです。  その一つとして、例えばそのことが先行してしまうと先生との触れ合いかないがしろにされるという面も心配されます。便利になって、先生がある意味では省力化になることもいいと思うのです。その省力化になって残った時間をいろいろな形に使えることはむしろいいと思います。しかし、ともすればそういうことだけが前に先行してしまうのじゃないかということを恐れるのです。  確かに将来、これからの子供たちの時代は、もう本当にコンピューターが駆使される世の中になるでしょう。だから、そこに入っていきやすくしてやるには基本的なことを教えなければなりませんが、どういうコンピューターやロボットの時代に入るにしても、人間なんですから、一番大事な人間基本的なことだけはしっかり身につけておかないと、むしろかえってコンピューター化時代に間違いをするのじゃないか。  簡単なことを選べば簡単です。最近はピアノなんかは弾がなくても、ピッピッピッとランプがついて、そのランプのとおり押していったら、ジャイアント馬場が「僕も弾けます」なんてテレビでやっていますけれども、それも一つの楽な方法で、ピアノが弾けない我々から見れば大変いい機器だけれども、それじゃみんながそれをねらったら本当のピアニストは出てこないわけですから、ピアニストになるか、将来はピアノなんかをやらないで電子機器だけでやるか、有島先生なんかはお得意のピアノをやっておられますけれども、それは子供のころにある程度先生に触れて実際に苦労することを学ぶことが大事だと私は思うのです。そして中学や高校、だんだん進むに従って、僕はピアニストになろう、音楽家になろうと思うかもしれぬ。しかし、最初から電子機器で簡単なことを教えられてしまったら、そういうことをやろうとする人が出てこなくなるのじゃないかと思うのです。ですから、確かにおっしゃるとおり、コンピューター学校や何とか技術院や専修学校へ行けばそれでいいのかもしれませんが、だから学校をやめてそっちに行くというのじゃなくて、それはそういう時代に専門的に進むならそういうのをやればいい。  そういう難しい社会になればなるほど取り残されるのじゃないかと江田さんは御心配になったようですけれども、取り残されないためにも、人間として一番大事な基本的なことはどんな社会に入っても同じだろうと私は思うのです。そのことをもっとできるだけ初等教育の中に、さっきから何回も申し上げていますように、断っているように、中学校高校と発達段階によって違いますが、初等段階はできるだけ基本を教える方がいいのじゃないかということを、感想を言えとおっしゃったから私は感想を申し上げたのです。
  103. 江田五月

    ○江田委員 大臣の言っていることを否定するのじゃないのです。しかし、誤解じゃないのだろうけれども、どうも何か理解が足りないのか、ちょっと違うような気がしてしょうがないのです。  これは時間を余りとってもいけませんが、こういうさまざまな副教材がこれから山ほど出てくる。しかも、その副教材も固定された副教材じゃなくて、ある程度情報のフローとなって学校の中に入ってくるような時代に、よもやこれを中身について規制をしていく、あるいは検定をその副教材にまでやる、そんなお考えは毛頭お持ちでないと思いますが、いかがですか。
  104. 森喜朗

    森国務大臣 そうした補助教材は、文部省として検定するという考えはございません。
  105. 江田五月

    ○江田委員 さて、私がさっきから言っているのは、生徒に今のコンピューターとかその他の新しい技術を早く習得させることをやれと言っているのじゃないので、そういうものがふえてきているときに、教育の方法が今までのような方法、教師と生徒の一対一のやりとり、一対一というか一対四十なり四十五なりという、これまた問題ですけれども、そういう方法のほかにいろいろな方法が出てくる。さまざまな方法を駆使できるような先生にならなかったら、これからやっていけないのじゃないかということを言っているわけなんです。そういうさまざまな器材の購入といいますか、学校と器材とのアクセスの問題ですけれども、今、義務教育費国庫負担法ですと、これは実際に買い入れることでなければ小学校はそういうものを備えることができない。しかし、これからはもうそうじゃなくて、例えばリースであるとかあるいは使用料を払うというような方法であるとか、そういう教材購入のシステムをそろそろ見直さなければならぬときが来ているのではないかと思いますが、いかがですか。
  106. 高石邦男

    高石政府委員 御指摘のように、教材につきましては国庫負担制度を持っておりまして、一定の教材基準をつくってその範囲内で二分の一の負担をするという仕掛けにしてあるわけでございます。したがいまして、その対象としてどういう視聴覚器材を対象にするかというのは、時代の変化で見直していかなければならないというふうに思っております。現在の時点では、いろいろな視聴覚器具としてのテレビ関係、それから録音機関係、そういうようなものまでやっておりまして、マイコンまではいっていないというところがあるわけでございます。  ただ、先ほど大臣からお話し申し上げておりますように、そういう機器を導入していくという流れに沿って対応していかなければならないことは基本的にあるわけですが、どういうふうにそれを教育の場で本当に利用するように位置づけていくかというのは、相当考えていかなければならぬ問題だと思うのです。  これは教材じゃございませんけれども、例えば鉛筆削り器が家庭、学校、全部整備された結果、ナイフを使わない、リンゴの皮がむけないというふうになっちゃったわけですね。やはり、これはそういうものに全く依存してしまうような体制が行われるということになると問題だから、視聴覚教材の導入についてはそういう教育効果ということを考えて慎重にやっていかなければならない。しかし、時代の変化で改善していくべきものは改善していかなければならないというふうに思っております。
  107. 江田五月

    ○江田委員 そうですね。鉛筆削り器でも、鉛筆削り器という大きな流れがある。そういう流れのプラスとマイナスとをよく見て——ナイフが使えなくなるという。しかし鉛筆削り器は入ってくる、鉛筆削り器は入るな、ナイフで削れと言ってもそうはいかぬ。そうすると、ナイフを使うことを一体どこで覚えさせるかという知恵を絞らないと、入ってくるなど言ったって入ってくるわけですから、これは本当に慎重といえば慎重、しかしある意味では大胆にやっていただきたいと思うのです。  次に、もう時間がなくなってしまいましたが、社会人入学について前回聞きまして、文部大臣からも積極的な答弁をいただきましたが、先日ある通信教育を受けている感心な青年から、一遍スクーリングというのをぜひ見てくれ、今の普通の昼間の大学と比べてスクーリングに来ている生徒は、皆もう目を輝かせて一生懸命やっている、ここに教育があるのだ、そういう訴えを聞きまして感心したのですが、そんな話をしながら、彼は、それにしても大変なんだ、スクーリングに行くのに同僚からの目もある、そう皆が歓迎してくれるわけじゃない、それにまた費用としても、かかる費用自体は仕方がないけれども、その間は休まなければならぬ、随分給与をカットされるんだ、何とかならぬかという訴えがありまして、これは通信教育にしても放送大学にしても、スクーリングを受ける間の給与のカットはやはりどう考えてもかわいそうだと思うのです。いろいろな方策をお考えかと思いますが、文部省はどういう方策がおありですか。
  108. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 お話の大学における通信教育について、スクーリングは通信教育では三十単位が必要なわけでございます。それに対する文部省としての施策はどうかというお尋ねでございますが、このスクーリングに出席することが通信教育の学生にとって大変大事なことでございます。  一つは、毎年度、通信教育の学生が在職する官公庁、会社等に対しまして、出席希望者に対して便宜を与えていただくようということで、大学局長名で依頼の通知は出しております。大体七千社くらいのところに各大学を通じて出しております。  それから、スクーリングの実態に応じまして日本育英会の奨学金を貸与いたしております。五十九年度で申し上げますと、夏季等特別の時期のスクーリングの場合は一期間について六万五千円、通年スクーリングの場合は私立大学と同額の、自宅通学にあっては月額三万一千円、自宅外通学にあっては月額四万一千円を貸与するということになっております。  具体的にはそのような施策でございますが、例えば労働省で実施をいたしております生涯職業訓練促進給付金制度というようなものもあるわけでございまして、私どもとしても、そういうようなものももっと積極的に活用をいただくようなこともあわせて今後通知の中に盛り込むとか、そういうようなことで、より一層積極的な対応をいたしてまいりたいと考えております。
  109. 江田五月

    ○江田委員 労働省にも同じことをお伺いいたします。どういう方法を用意されておりますか。
  110. 金平隆弘

    ○金平説明員 労働行政としましては、去る五十年から有給教育訓練休暇奨励給付金制度というのを設けております。これは公共職業訓練とか、それから学校教育法による高等学校、大学、高等専門学校のような学校教育、それから専修学校とか各種学校の行うような教育で、職業人としての資質の向上に資すると認めて労働大臣が指定するものとか、ほかにもございますが、こういったものを労働者が受ける場合に年次休暇以外に事業主が教育訓練休暇を有給で出す、そういう場合を助成するという意味で給付金制度を設けているわけでございます。昭和五十六年度まではそういう休暇制度が、事業所内で就業規則とか労働協約という形で行われる、そして結果的には事業所内における一つの私的な権利のような関係できちっと奨励されるようにということで考えておりましたところ、なかなか実態には合わないということで利用が進んでいなかったわけでございます。  そこで、昭和五十七年から制度改正をしまして、事業所内で労働組合の意見を聞いて決めた事業内の職業訓練計画をもとにそういう休暇を与えるような場合には助成金を出すというふうに改正しましたところ、五十七年に比べまして五十八年は、まだ完全に集計いたしておりませんけれども、約四倍くらいに利用がふえてきている。例えば利用する企業の数は五十七年が三百八十くらいでございましたけれども、五十八年は千三百ぐらいにふえてきている。金額的にもふえてきている。四倍ぐらいになっております。そういうことで、一つは制度改善の効果が非常にあったなということで喜んでおりまして、その利用促進を一層図ってまいりたい。こういう制度があるということをまず知ってもらうということで、PRが大事だと思っておりまして、いろいろなところでいろいろな機会に利用促進を図っております。  また、この事務を現在のところ県に委託してやっていただいておりますけれども、県の主管課長会議の際などには、少なくとも今年度あたりは県内にある三百人以上の大規模事業所、これは全国で約九千八百ございますけれども、これを全部当たって利用を促進しろというような檄を飛ばすとか、工夫改善をいろいろやっております。
  111. 江田五月

    ○江田委員 もう時間がなくなりましたが、今のちょっとした工夫で、五十七年から五十八年には有給教育訓練休暇奨励給付金が四・二四倍にふえる。どこにネックがあるかをよく見て、いろいろこれからも工夫をして、さらにふえるように、普及していくようにしていただきたいと思います。先ほど、教育は聖域であるべきなんだ、教育が一体どの程度大切にされているかがその内閣の質をはかるバロメーターなんだというお話がありましたけれども、どんどんふえたら困るんだと大蔵省はひょっとしたら考えているのかもしれませんが、そういうことに負けずに、こういう有給教育訓練休暇奨励給付金制度などというものは必ず守って、さらにふやしていただきたい。  それから文部省も、これは労働省の方の仕事だからということではなくて、事業所に、ぜひ通信教育などに行かしてやってくれというようなことをお願いしたりするような際には、ついてはこういう制度もありますよとか、そういう労働省の制度なども、よその省のことであっても、やはり通信教育などを安んじて受けることができるようにいろいろな工夫をしていただきたいということを要望して、質問を終わります。
  112. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 午後一時四十五分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後一時二分休憩      ————◇—————     午後二時一分開議
  113. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  中西績介君外二名提出学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。藤木洋子君。
  114. 藤木洋子

    ○藤木委員 この委員会におきまして、長期にわたり懸案となっておりました実習助手の問題について法案を御提出になられました提案者の皆さん敬意を表明するものでございます。  議員立法そのものの審議は極めてまれなケースのようでございますが、年来の実習助手の問題について、提案されております法律案を正当に論議し、その重要な問題を深めて、さらにこの法律案の持つ意味を確かめることが議員立法の審議が果たす大切な役割であろうと存じ、質問を行うものでございます。  最初に、提案者の中西議員に、高校の実習助手の勤務の実態についてどのようにとらえておられるか、お伺いをいたします。
  115. 中西績介

    中西(績)議員 まず、実習助手の勤務の実態でございますけれども、現行制度のもとにおきましては、実習助手の身分あるいは職務につきましては学校教育法第五十条の二、三項に位置づけられております。職務内容としては、「実験又は実習について、教諭の職務を助ける。」となっています。  この条文による一般的な実習助手の職務内容としての中身は、まず第一に、実験・実習の準備や後片づけ、そして二つ目に、教材の維持・管理や備品の整理などが挙げられます。しかし、学校現場における実態は、ただいま申し上げた一般的に言われている補助的な職務内容にとどまっていることは不可能でありまして、実験・実習の準備や後片づけ、教材の維持・管理などについても重要な職務内容の一部であることは言うまでもありません。実習助手はこれらの職務を十分果たしつつ、実験・実習教育において教諭と協力、分担しながら、例えば一つの班を受け持って、指導書の作成、実験・実習についての直接指導、そして評価まで、実験・実習の教育に直接かかわっておるわけであります。実習を幾つかの班に分けて行うことが一般的になっている工業あるいは、私は以前農業高校に在職をした経験を持っておるわけでありますけれども、こういう農業高校などにおきましてはこの状況は一層顕著になっておりまして、その中において果たしておる役割というのは、産業教育手当支給規則の精神からもそうしたことがうかがえるし、さらにまた学校教育法に言う「教諭の職務を助ける。」にこだわり狭義に解釈し、実習助手の職務内容を補助的業務のみに限定するならば、実験・実習教育そのものが成立しないと言っても過言ではなくなってきております。  したがって、この実験・実習とは直接関係のない分野においても、実習助手は重要な役割を担っている。言いかえますと、今大きな問題になっておる非行だとか低学力の問題などにつきましては、教育荒廃の克服のための生徒の指導、校務分掌の分損、部活動の指導など、学校教育全般にわたって教諭と協力し分担し合いながら重要な役割を果たしておると私は指摘できると思っています。  以上です。
  116. 藤木洋子

    ○藤木委員 私も全くそのとおりだと思います。まして、実験・実習というのは小人数で行われることが望ましいというふうにも思いますので、ただいまの実態は本当に早急に改善をしなければならない、そんなふうに思います。  盲学校や聾学校、養護学校の教員の免許状の種類については、現行の教育職員免許法第十七条及び同条二、三にかかわって「文部省令で定める。」となっています。今回提案されている法律案では、第三条の十六の末尾にあります「文部省令で定める資格を有するものに対して授与することができる。」というところに直接関連することになります。私は今回、特に盲・聾・養護学校に勤務する実習助手問題に絞ってお伺いをしたいと思います。  文部省にお答えをいただきたいのですが、盲学校、聾学校、養護学校の高等部におられる実習助手について、それぞれの職業学科に全国では何名ずつの実習助手がいるのか、最初にお聞きをしておきたいと思います。
  117. 高石邦男

    高石政府委員 昭和五十八年度の基本調査によりますと、盲学校が二百十八、聾学校が三百三十七、養護学校が七百七十四、合計千三百二十九人でございます。  この配置の考え方は、高等部のみを置く学校には一、また、専門学科数に掛ける二という、いろいろな小さい配置基準がございますのでその内容は省略いたしますが、現にいる数は、以上申し上げたとおりでございます。
  118. 藤木洋子

    ○藤木委員 障害児学校の実習助手のうち、農業、商業、工業など高等学校にある職業科の実習助手については、免許法の附則十一項で、経験年数六年、修得単位十単位で教諭の免許状を取得できると思いますが、文部省、いかがですか。
  119. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 職業科の実習助手については、御指摘のとおり取得ができます。
  120. 藤木洋子

    ○藤木委員 続いて文部省お尋ねします。  免許法施行規則第十葦、特殊教科の実習助手の場合ですが、例えば聾学校の特殊技芸の場合、これは美術、工芸、被服と分かれておりますけれども、この特殊技芸という単位名での認定講習は国や都道府県でやっているでしょうか。ないというふうに思います。また、美術、工芸についてないと聞いております。被服の場合、家庭科と読みかえることが可能なのかどうか、またその認定講習があるかどうか、いかがでしょう。お答えください。
  121. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ただいまのところ、認定講習は理療について実施をしておりますので、御指摘のような分野については実施がされておりません。
  122. 藤木洋子

    ○藤木委員 いずれにしましても、認定講習を受けて単位を取り、教諭へという道は非常に狭いものがあります。理療科の実習助手も、筑波大学附属の理療科の教員養成課程を受けるために退職するか、夜の理療の専門学校に三、四年通うかしなければ理療科教諭の免許状は取得できません。特に理療の夜の専門学校は、東京など幾つかの大都市にしかございません。理療科の実習助手が教諭になる道も、これまた大変狭いものでございます。免許状を取得するための教職員資格認定試験さえも各都道府県教育委員会はしようとしておりません。教諭の枠に空席ができた場合でも、在職経験年数が豊富な実習助手が教諭の免許状を取得しているにもかかわらず、その職業科の教諭に採用されないという例がございます。  特殊教科の実習助手の教諭への道はどのようになっているのでしょうか。極めて狭く、問題点を含んでいるのではないかと思われますが、いかがでしょうか。
  123. 高石邦男

    高石政府委員 特殊教育学校の高等部には、一般の高等学校と同様に、家庭実習や農業実習のための実習助手が配置されているわけでございます。先ほど御指摘のありましたように、経験年数六年、十単位を修得すれば実習教諭としての取得が可能であるわけであります。しかしながら、理科や特殊教科については、工業の実習助手などと異なり理論と実際とを一体として行うという必要があるために、実験・実習のみを担当する教諭の免許状を設けることは現在のところ考えられていないわけでございます。  こういうように一定の手続を経て上級教諭の免許状を得れば教諭に採用の道はあるわけでございますが、具体的な採用はそれぞれの府県が実施をするということで、府県はそれぞれの教科構成等を考えて、その欠員があった場合にだれをどう採用するかということを考えて対応するわけでございます。
  124. 藤木洋子

    ○藤木委員 高校教職員定数法第七章の「公立の特殊教育学校の高等部の教職員定数の標準」、この第十九条二号で、専門学科がなくても養護学校に二名の実習助手が配置されています。精神薄弱養護学校の場合、学習指導要領でも、職業科設置とその教育課程については何ら記されておりません。  学校教育法第五十条三項で、「実習助手は、実験又は実習について、教諭の職務を助ける。」と定められています。精神薄弱養護学校高等部の実習助手をしていた場合、免許法附則第十一項の経験年数六年、十単位で教諭の道が開かれると思います。しかし、その場合、精神薄弱養護学校では本来職業科はないのですから、何をもって計算をされるのか。在職経験年数があっても何の職業学科の経験年数として計算をされるのか、その点がはっきりいたしません。実質的には教諭になる道がないのと同様ではないかというふうに思うわけであります。その点どのような解決の道があるのか、お伺いを申し上げます。
  125. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 教科等の区別がないという点についての御指摘でございますが、免許状取得のために必要な勤務年数の証明というのは、最終的には所轄庁であります教育委員会が行うわけでございます。しかしながら、第一義的には勤務校の校長が証明をするということになろうかと思います。  そこで、精神薄弱児の養護学校の高等部等において、家庭実習、農業実習、工業実習、商業実習等の実習が、いずれも幾つか合わされて実施をされるということがあるわけでございます。これらを担当した場合の経験年数の通算について、その実習の授業の実態等に応じて学校長が適切に判断すべき事柄であろうかと考えております。  一般論でございますけれども、免許法の在職年数については、当該教科の授業を年間を通じて常時担当し、所要の年数を満たせば要件を満たしていることになるわけでございまして、一週のうちに何時間担当するかとか、あるいは年間何時間担当しなければならないというようなところまで厳密に適用はされていないわけでございます。したがって、先ほど申し上げたような事柄判断をされることになろうかと思います。
  126. 藤木洋子

    ○藤木委員 精神薄弱養護学校高等部の実習助手の教諭への道は、今もお伺いいたしましたけれども、実質上は閉ざされているに等しいのではないかというふうに思います。専門学科、職業学科の実習助手の枠が二名のところは、本来教諭を配置すべきではないかというふうに思いますが、その点はいかがでしょうか。
  127. 高石邦男

    高石政府委員 公立高等学校の教職員定数標準法におきましては、特殊教育学校の高等部には、専門教育を主とする学科及び養護学校普通教育を主とする学科について、各学科ごとに御指摘のように二人の実習助手を措置するということになっております。これは、専門教育を主とする学科における専門教科について、実験または実習を必要とする教科でございます。また、養護学校普通教育を主とする学科における商業、家庭等においても実習を伴う教科があるわけでございます。そういう実験・実習を必要とする学科であり教科でございますので、「教諭の職務を助ける。」という観点で実習助手を配置しているわけでございます。  したがいまして、その必要性は今後も続くというふうに考えられますし、職務の内容が本来の教諭の職務の内容と違った観点での仕事があるということから、現在の実習助手の制度を教諭をもって切りかえるという考え方は適当でないと思っております。
  128. 藤木洋子

    ○藤木委員 しかし、現在配置されている実習助手の方の教諭への道を保障することは必要じゃないでしょうか。私は必要だと考えますが、その点はどうでしょうか。
  129. 高石邦男

    高石政府委員 先ほども議論がありましたように、教諭資格、教諭の免許状を取得する道があるわけでございます。その教諭の資格を取得すれば、教諭に採用される道は当然あるわけでございます。具体的に採用を決定するのは都道府県の教育委員会が決めるということになっておりますので、実習助手という職制を学校に置かなければならないという存在理由と、その人たちが教諭の資格を得た場合に教諭に登用されるというのはまた別個の問題であるし、後段の教諭への登用の道が閉ざされているというわけではないというふうに思っております。
  130. 藤木洋子

    ○藤木委員 これまでの質疑で明らかになっていますけれども、現在の教育職員免許法施行規則の盲・聾・養護学校高等部の実習助手に関連する部分につきましては、極めて矛盾も多く、どうしても改正が必要になってきているというふうに思います。  そこで、提案者の中西議員にお伺いをいたします。  今回の法律案でいった場合、文部省令改正試案を具体的に考えておられるのかどうか、もし考えておられれば、その内容についてお聞かせをいただきたいと思います。
  131. 中西績介

    中西(績)議員 ただいま文部省の方から答弁がございまして、教諭と別の職務として助手が必要だということと教諭の登用をしなければならないということとは別問題だという論議をしておりましたけれども、私は、現状から見る場合に、そこに大変な矛盾があると思います。したがって、少なくとも今回の場合、提案をし、これが改正されていくということの私たちの目標は、何としても現状認識をどう踏まえるかということが一番問題としてあると思います。その上に立ってこれから後の、それぞれ農、工あるいは障害児学校、普通高校等、たくさんの学校があるわけでありますけれども、そこにおける多くの実習助手の皆さんを登用する道がふさがれておるわけですから、それを開くと同時に、手厚い教育がどうすれば拡大し、そしてまた私たち期待をするものがそこに実現できるかという教育の面におけるものとあわせまして教諭の登用問題、この二つをあわせ考えた場合に、私たちが今提案を申し上げておるような改正をぜひ行うべきではないかということを考えたわけであります。  したがって、出てまいります。その中身というのは、今指摘のありました問題をすべて解消するように、第三条にありますように教育職員免許法の一部改正を提起いたしまして矛盾を解消していこうと思っております。そうすることによって、今まである身分保障の問題そしてさらにこの登用の問題、それから希望する多くの人々の期待を実現するためにも、さらにまた、今まで職場におきましてはそれぞれ助手と教諭との関係の中でぎくしゃくしたものもあったわけでありますから、そういうことすべてを解消しながら、私たち期待をする教育現場、その中で手厚い教育をということをねらって提案しておるということを御理解いただければ、こう思っております。
  132. 藤木洋子

    ○藤木委員 では最後に、実習助手がいなくなった場合どうなるのか、この問題も随分議論されてきたところですが、文部省側もこの点について不安を持っておられるということもございまして、今後お互いが合意に達する、理解の度を深めていくということからいって、明確にしておくことが非常に大事ではないかというふうに思います。  そこで中西議員にお伺いをいたしますが、実習助手制度が廃止をされ、実習助手がいなくなる状況で、実習や実験の指導、学校運営に支障がないのだろうか、また、実験や実習教材の維持・管理、準備、片づけはだれがすることになるのか、これらの問題についてもお考えをお聞かせいただきたいというふうに思います。
  133. 中西績介

    中西(績)議員 この改正案におきましては、学校教育法及び教職員定数法の中の実習助手にかかわる項を削除しまして、定数については、教諭定数に加えて現行実習助手の数を実習担当の教諭として加えますので、その合計数を教諭定数とするわけであります。したがって、制度改正が実現いたしましたならば、経過措置期間の後はすべて教諭になるわけです。教諭とするわけですから、当然、他の教諭と同様に、免許法に基づき高等学校普通二級免許状を所有したものとすべきでありますけれども、その際、同じ実習助手の中で現行の免許法では免許状が取得できない理科あるいは障害児学校関係実習助手にも、それぞれ該当する免許状が取得できるように措置をすることによって、一定の学校種別によって差をつけるというようなことを完全になくしていく、一様にそうした状態というものをつくり出すわけでありますけれども、今指摘のありました、実習助手が廃止になった場合、学校運営に支障が生ずるのではないかという声が全くないということはありません。確かにございます。  まず、御理解いただきたいと思いますのは、第一に、制度改正が実現した場合におきましても実習助手は実習担当の教諭になるわけで、現に行っている職務の一部としての実験・実習の準備あるいは後片づけ、教材の維持・管理などなど、職務は放棄するのではなくて、引き続き実験・実習指導に付随する当然の職務として行っていくわけでありますから、その心配はないものと私たち理解をします。  そこで二番目に、現に実習助手の学校現場における実態というものを考えてまいりますと、現行制度を超えまして、現在におきましても実習助手は実験・実習の指導その他教育活動について制度的にも保障し、また本人たちにもそれだけの自覚と責任を持ってもらうということが、より充実した分厚い指導体制を確立することができる、こういうように私たち理解します。したがって、支障を生ずるどころか、教育的には大きなプラスになると考えています。  また、新たな職員の配置が必要なのではないかといういろいろな御意見もありますけれども、これは、今申し上げましたように教諭プラスの実習教諭の皆さんで、教諭という職務の中で十分果たしていくことができるわけでありますから、特別これに加えて定数を配置しなくてはならぬということは起こってこないし、また私たちは、そのことの方が、今までより以上の教育効果を上げることができるんだというように考え、このようにして提案をしておるということを御理解ください。
  134. 藤木洋子

    ○藤木委員 ただいまの御説明で非常によくわかりました。今までと同じ仕事をしておられましても、それが教諭であるという身分や資格が保障されるということで、一層責任感を伴った仕事ができるであろうという点では全く同感でございます。  これをもちまして私の質問を終わらせていただきます。
  135. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 江田五月君。
  136. 江田五月

    ○江田委員 冒頭、まず敬意を表したいと思います。  実習助手の問題は、第九十四国会に提案をされて、昭和五十六年ですか質疑もあったようで、長い間の懸案でございますが、この問題について提案をしてくださいました提案者の皆さんにまず敬意を表したい。  と同時に、議員立法についてきちんとこうして質疑の場を設けてくださいました委員長にも、敬意を表したいと思います。  議員立法をきちんと質疑をし、検討を加えていくという当委員会の慣行というのは、これからも大切にしていかなければならぬと思っております。  さて、この実験とか実習とかの役割なり意味というものが、時代の流れに伴って最近ますます増大をしてきているんじゃないかということを私は考えます。科学技術が非常に進んできている。恐らく科学技術の進歩の度合いというのは、日進月歩というよりもむしろもう秒進分歩というようなものじゃないかと思うのですが、こうやって科学技術が進歩していけば、そういうものに追いつくための能力を大いに学校教育でも涵養していかなければならぬ。実験とか実習とかいうものはまさにそのための役割を果たすのじゃないかと思うのですが、学校現場でも恐らくこの実験・実習の役割が増大しているんじゃないかということを探ってみるために、幾つか質問をしてみたいのです。  まず第一に、きょう午前中も伺ったのですが、高等学校でコンピューターが一体どの程度入ってきているか、これは文部省の方、お答えください。
  137. 高石邦男

    高石政府委員 これは昨年一月の調査でございますが、コンピューターの設置されております学校は、公立学校で四九・八%、私立学校で三二・二%でございます。特に工業や商業の学校ではその設置率が多くて、例えば公立の商業科でのコンピューターを設置している学校の割合は七五・七%になっております。
  138. 江田五月

    ○江田委員 もちろん、そこに入っているコンピューターがすべて教材として使われているわけではないのでしょうが、つまり学校の管理運営に使われているというコンピューターもあるのでしょうけれども、やはりそこに一つの大きな時代の流れが見られる。  もう一つ、これも私は全く素人でよくわからないのですが、例えば遺伝子工学が随分発達してきている。遺伝子工学自体の持っている問題性はいろいろあるにしても、この遺伝子工学の発達というのは、例えば農業高校の実験・実習に影響を与えないものですか、あるいは何か与えるところがありますか、どうでしょう。
  139. 高石邦男

    高石政府委員 遺伝子工学の事例で申されましたが、いわゆる先端技術と高等学校教育のあり方の問題だと思います。  高等学校レベルの職業教育においては、先端技術まで教えるということは現実問題として非常に無理があるわけでございます。したがいまして、その前の基礎、基本的な内容、先端技術を将来学び、ないしは利用することのできるための基礎、基本的な教育をしっかり身につけさせるということが教育上必要であろう。そのために必要ないろいろな器材とかないしは教育をしていくというような形で、高等学校における職業教育は展開しているわけでございます。
  140. 江田五月

    ○江田委員 素人ですからよくわかりませんけれども、例えば種なしスイカなんというようなものをつくるということになりますと、これは染色体のことや何かをちゃんと勉強しなければどうしようもないわけですね。あるいは最近ホルモン剤も随分あって、トマトに、花にちょっちょっとかければ必ず上手に実をつけるとか、接ぎ木の細胞の活性剤を使うとかいろいろな技術があって、そういうものが先端技術とどういうふうにつながっていくかというようなあたりまできちんと、少なくともそういう広がりを持った実験・実習であるという観点を持っておかないと、これからの実験・実習になっていかないんじゃないかと思うのです。  そうやって科学技術が大いに発達をしてくると、実験とか実習とかに携わる教師の側、それが教諭であれ実習助手であれ、自己啓発といいますか研修といいますか、大いに自分自身を高めていく、勉強していく、そういう必要が今高まっている、そういう時代だと思うのですが、文部省の方ではどう認識されていますか。
  141. 高石邦男

    高石政府委員 その点については御指摘のとおりだと思います。
  142. 江田五月

    ○江田委員 教諭だけ頑張ってもらえればいい、実習助手は補助の仕事だからいいんだということではないですよ。今のお答えはそういうことでよろしいですね。——それなのに、この実習助手の皆さんに、そうした今の大変な変化の時代に追いつき、これを自分のものにしていくために努力をしてもらわなければならぬのに、努力に報いるような制度になっていないのではないか、こう思います。  例えば給与の点は一体どうなっているか。教育職俸給表の第(二)表三等級、このカーブはほかのカーブと違って随分低いじゃないですか。文部省、どうですか。
  143. 高石邦男

    高石政府委員 時代の変化に応じて実習助手の受け持つ領域が広がっていく、そしてより研修を積まなければならない、御指摘のとおりでございます。そこで、そういう実態に応じてちゃんとした希望が持てるような形での処遇をしていくことは基本的に大切なことだと思います。  具体的には給与のことになろうと思います。基本的な身分保障は先生方と同様な形で保障されておりますので、あとは給与の問題だと思います。したがいまして、三等級の格付が教諭に比較いたしまして低いというのは、またそのとおりでございます。また、一般の事務職員との対比においても若干不利になっているのではないかという点もございます。したがいまして、そういう面の給与上の待遇改善という点については、文部省も力を入れていかなければならないということで、人事院に対してその処遇改善、三等級が頭打ちになるのをもう少し起こしてもらうように一昨年来お願いをして、今努力を続けているところでございます。
  144. 江田五月

    ○江田委員 しかし、なかなからちが明かないですね。給与の面というだけじゃなくて、教諭への道を開いておかなければならぬ。教諭への道は開かれておるのだという先ほどのお答えもありましたけれども、実習教諭の免許状を取得する道は開かれておる、それも全部じゃないけれども開かれておる。しかし、免許状を取ったからといってすぐに教諭になれるわけではない。そこは都道府県の問題だとおっしゃいますけれども、提案者の方はそれは逃げだぞ、こうおっしゃる。都道府県の問題ということだけで済むのですか。教諭への道は本当に開かれていると文部省の方ではお考えなんですか、どうなんですか。
  145. 高石邦男

    高石政府委員 先ほど来議論がありましたように、学校に教諭の職と実習助手の職が今後とも必要である、そういう前提が一つあるわけでございます。したがいまして、実習助手という形で学校に必要な職種として存続し、設置をしていく以上は、その実習助手を全部なくして教諭にしてしまうということは適当でないというのがまず前提にあるわけでございます。しかし、今度は実習助手個人の立場になりますと、将来教諭への道が開かれているということになれば、そのための免許状を取得していくという励みも出てくるでありましょう。そしてその結果、教諭の免許状を取得すれば具体的に教諭として発令されていく、採用されていくというような道が開かれていけば、そこである意味では教諭と同じような形の処遇が得られるということになるわけです。  そこで、各県が具体的にどういう形でそういう具体的な免許資格を取った人々を教諭として採用するかしないかというのは、これは県内の事情がいろいろあるわけで、文部省が一律にそういう者を全部教諭に採用しろと言ってもこれはなかなかできぬ話でございます。そこはそれぞれの県が、欠員の状況とか教科構成等を考えて採用の道を考えていくということになるわけでございますので、取った以上は全部教諭になれる、その保証はあるかという質問を受けると、それはそこまでの保証はございませんということをお答えしたわけでございます。
  146. 江田五月

    ○江田委員 今の局長のお答えですと、実習助手というのはどうしても必要なんだ、だから教諭への道を開いたって、今まである教諭の枠の中へ潜り込むならどうぞ潜り込みなさい、だけど潜り込む余地がなければそれは無理ですよということですね。一つは、それでは実習助手の、少なくとも私が聞いている限りの現実を十分認識していただいていないということ。もう一つは、やはりそういう将来の励みというのだと、これは青い鳥をどうぞつかまえてください、だけど青い鳥はどんどん逃げますよ、馬の前にニンジンをぶら下げるならどうぞぶら下げてください、だけどニンジンはどんどん前に行きますよというのと同じことで、それではやはり励みにならないと思うのですね。  実習助手は必要なんだという今のお話ですが、実際問題、実習助手と教諭と職種が一体どの程度違うというふうに御認識ですか。
  147. 高石邦男

    高石政府委員 これはそれぞれの学科によって違うと思います。例えば農業であるとか工業であるとか、それぞれその内容によって違うと思うのです。  したがいまして、具体的に実験や実習をやる場合の必要な教材の維持・管理ないしは薬品等の整備、それから実際上、例えば農業でございますと農薬で具体的なものを、植物を植えるとか栽培するとか、そういうものについての仕事を見本として示す、いろいろあるわけでございまして、一般的な教諭の持っている職務内容のほかに、ある意味ではそれを補助していく職種が必要であるということで、明治以来と申しますか、旧制中学校ができて以来ずっと置かれてきた職種であるわけです。ですから、教諭と全く同じ仕事をするわけではないわけですね。やはり教諭と違った、教諭の職務を助けるというような形での職務内容があるわけでございますので、そういういわば実態の必要性から実習助手というものが置かれておりますし、大学においてもそういう形での理工系なんかでは助手というものが置かれていろいろやっているわけでございますから、高等学校レベルにおいてもそういうことが当然あるわけでございます。
  148. 江田五月

    ○江田委員 大学の例をお出しになっておっしゃるのですが、これはかなり違うんじゃないですか。  それと、薬品の管理だとか整備だとかあるいは農業においても植えるとかおっしゃったのですけれども、教諭はそんなことはしなくてよろしい、実習助手がやるんだ、実習助手は実習・実験の準備とか後片づけをやるんだ、本当にそうなっておるのですか。実習助手というのは実習の準備、後片づけをやる職務なんですか。もう一遍ちょっとはっきりお答えください。
  149. 高石邦男

    高石政府委員 これは学校教育法五十条で、「実習助手は、実験又は実習について、教諭の職務を助ける。」というわけですから、当然教諭が実際上当たる場合があるわけでございます。それを助けるという形の仕事をしていくので、教諭は一切そんな実験・実習に関与しなくていいということには考えていないわけでございます。
  150. 江田五月

    ○江田委員 職務を助けると言うのですが、確かに「助ける」と書いてある。それは助手という名前だから助けるということになるのでしょうけれども、助けるなんという概念は非常に多義的な概念なんで、私はむしろ実験とか実習とかというものは一体何だろうかということを考えたら、例えば今の薬品の管理、整備、発注したりすることは生徒じゃできないでしょうけれども、農業にしても植えることや何かは、何か今の話だと実験や実習の外にあることのような認識のようですけれども、そうじゃなくて、実験・実習の周辺のさまざまな仕事ですね、準備をしていくあるいは後片づけをする、そういう実験・実習そのものの周辺にあるたくさんの仕事というのも、学校教育の中で非常に重要なんじゃないだろうかという気がしているのです。  一体、実験・実習というのがどういう意味教育なのかということですね。私は、実習なり実験なりというのは、一つの切り刻まれてカセット化された単位を学ぶのじゃなくて、準備の段階からずっとあって、そして実際にいろんなことをやって、結果を見て、その後ちゃんと片づけていく、そういう包括的な体験をするということ、これが大切な九で、実験・実習の倫理というのはまさにその包括的な体験をするというところにあるんじゃないかと思うのですが、文部省いかがですか。
  151. 高石邦男

    高石政府委員 現に農薬とか工業の実態で言いますと、教諭の人と実習助手の仕事が全く同じであるというふうに現場で思っていらっしゃる方は少ないと思うのです。やはり教諭は教諭としての一つの役割分担を持ち、実習助手は実習助手としての役割分担を持って仕事をされているのが現実だと思うのです。したがって、そういうところに着眼して、教諭の資格を持つ教諭とその手助けをする実習助手を伝統的に置いてきているわけでございます。  問題は、そういう実習助手の方々の将来の処遇の改善であるとか待遇の改善であるとかいう点については、これは前向きに積極的に対応していかなければならないというふうに思っている次第でございます。
  152. 江田五月

    ○江田委員 私が聞いたのは、実験とか実習とかというのを、そういうふうに準備や後片づけを全部切り離して真ん中のところだけとらえて、それを先生と生徒はやればいいんだ、後は全部実習助手に任すんだ、そういう実験・実習のとらえ方はいいんですかと。もしそれがいけなくて、そして現に学校の現場では、準備や後片づけは全部実習助手がやっているというんだったら、これは変えなければならぬと思う。学校の現場では実はそうじゃなくて、もう準備も後片づけも、生徒も先生も一緒になってやっているんだということなら、それはそういう方向へ大いに伸ばしていかなければならぬということになるんで、実験とか実習とかをどう認識されておりますか、どういうものであるべきだと考えていらっしゃいますかということを聞いたのです。  提案者の方に伺いますが、文部省の方は何かそういう厳然とした違いがあるんだというお答えですが、現実を提案者の方はどう認識されておりますか。
  153. 中西績介

    中西(績)議員 今、文部省局長答弁を聞いておりますと、言葉にもありましたように、明治以来こうしたことが続いておるということを言われたわけでありますけれども、私はここに問題があると思います。  と申しますのは、以前は教諭と雇員との関係ですね。教職ではなかったわけです。したがって、教諭と雇員との関係を依然として頭の中に描いて、そのための職種としてのあり方を追求していけば、今の文部省局長答弁のようにせざるを得なくなってくるわけですね。ところが、近来とみにまたそのことが復活しまして、実習助手の諸君は何をしてはならない、何をしてはならないということで、実際に教育活動の中で大変重要な役割を果たしておったのですけれども、それを全部切断をし、枠をつくって、その中には入れないという体制をつくり始めておるわけです。こういうところに今、文部省が答えましたようなかたい殻が依然としてあるとしか言いようがありません。  そこで、私たちがこれを提案しましたのは、先ほども申し上げましたように、例えば農業高校における実態がどうなのか、工業高校における実態がどうなのか、あるいは先ほど出ました障害児学校における実態がどうなのかというようなことで、ずっとそれぞれを追求してまいりますと、まさに指摘ありましたように、教師と実習助手が一体的に授業時間を構成し、その中における実習助手の役割あるいは教師の役割というものが厳然としたものでなくなってきつつあるわけですね。そのことは、例えば職業高校なんか一番いい例なんですけれども、班編成をして、その中で教師と実習助手の皆さんが一体的に授業を、教育活動を支えておる、その中で初めて実現できるものがたくさんあるわけです。ところが、今指摘されるように、もし分離をしたような形でやったとしますならば、実験・実習というものはほとんど不可能になってくるのではないかと私は思っております。  そういうことで、今御指摘のとおり、私たちが今まで長い間積み重ねてきたこうした実態をさらにどう助長し、そしてその中における人間的な取り扱い、さらに身分の問題からすべての問題が解決していくようにすることによって、今問題になっておる非行の問題においてもあるいは暴力問題においても、すべてがそういうところで一体的になったときに解消できるし、真のねらいがそこで解消できると私は思っております。
  154. 江田五月

    ○江田委員 私は、今高石局長のお答えを聞いていまして、文部省に非常な失望を感ずるのです。実験とか実習の準備は助手の仕事です。そしてもうきちんと前もって点検された器具に、例えば薬を注いで、試薬を入れて何か起こるのを見て、後片づけするのは助手の仕事ですと、そういう教育の思想が随分続き過ぎたから日本教育は変になっちゃったんじゃないか。そういう周辺の事情を全部切り離して、はい、これが内容です、このことだけ覚えればよろしい、このことだけやればよろしい、そういうことが教育を随分ゆがめているのではないか。むしろ、実験なら実験でも、前もって器具の点検をする。器具に異常がないかを調べる。器具に何かちょっとおかしなところがあった場合に、それがおかしいのか、おかしくないのか、自分で調べてみる。あるいは、実験が終わった段階では何も起こってなかったけれども、例えば後片づけになってほっと見ると、シャーレの中に何となくバクテリアがぶつぶつ動いていたとか。今までの科学の発展の経過というのは、そういうときにあっと驚くような発見をして科学が進歩してきた、発展してきたということが随分あるんじゃないですか。教育というのは、そういう周辺部分までずっと含んだ幅広い人間の営みじゃないかという気がするのです。それが何かもう決まり切った、型にはまった、そして、こうやれば必ずこうなりますという、一つのでき上がった公式を教えるだけの教育というふうになってしまっているところに大きな問題があるんじゃないかと思うのです。そういうことじゃなくて、教育の現場は実習助手も教諭も一緒になってやっている、しかもそれを区別する合理性も別にないということになれば、これはやはり今回のこの議員立法のような方向で実習助手という制度を廃して、そしてその部分を教諭の定員の中に組み入れて教諭の枠をふやして、そして実験・実習というものの時代とともに増してくる価値をますます高めて間違いのないものにしていくという今回の提案は、大切な提案だと思うのです。  最後に提案者に。これは社会党提案ということですが、ずっとお話をしてくだされば、恐らく自民党の議員の皆さんも、それはそうだとわかってくださる方がたくさんいると思うのです。私、まだ政治の素人ですのでよくわかりませんけれども、そういう根回しといいますか、広く共同提案者を募るというようなことが今回の提案ではちょっと欠けているところがあるんじゃないかという印象を持つのですが、その点だけ伺って、質問を終わります。
  155. 中西績介

    中西(績)議員 お答えします。  今江田委員の方から指摘のありました点、確かに重要であります。ただ残念ながら、私たち過去二回にわたってこの討論をしてまいりましたし、特に昨年の場合には採決をぜひということで要請いたしたわけでありますけれども、自民党の皆さん、なかなかそこまでまだ理解をし得ておりませんようで、討論いたしましても後で議事録を見ていただくかどうかわかりませんし、こうして出席なさっている方は非常に少ないわけですから、これからやはり私たちが手を尽くして十分説得し、そうした中で、今指摘のあったように、全党的にこうした教育問題についてはぜひ意思統一なりができればしていくことが大変重要でありますから、これから十分私たちも留意をしておきたいと思います。
  156. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 佐藤誼君。
  157. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 まず最初に申し上げますが、これはいわゆる衆法ですね。閣法も衆法も同じなんであって、特に国権の最高機関といえば国会の方が上なんですから、その議員が出す法律案ですから、私はきょうの委員の出席を見ると、このとおり野党の皆さんはそれなりに出席をしているけれども、与党の皆さんがごらんのとおり大変少ない。これは極めて残念なことでありまして、まず冒頭に委員長にそのことを申し上げますが、所見はどうですか、委員長
  158. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 定足数は達しておりますから……。できるだけひとつ出席を促します。
  159. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間が限られていますからそれにとどめますけれども、委員長の方から与党の皆さんに出席方を要請していただきたいということを私の方で要望いたしまして、中身に入っていきたいと思っております。  そこで、時間が限られておりますから、最初にまとめて提案者に質問したいと思っております。  このたびの改正案は、実習助手の待遇や身分全般にかかわって、しかもそれに関連する法律案を入れて学校教育法等という言葉を使って改正しているわけです。  そこで、あらかじめ私は二点について質問したいのですが、その第一点は、実習助手の待遇改善についての問題です。実習助手の適用される給料表は教育職。表の三等級だけですね。これは給料表としても極めて問題があるし、また他の教育職(二)表の二、つまり教諭ですね、これとの比較においても、あるいは行政職(一)表の相当する等級と比べてみても極めて悪い、このことが常識になっているわけです。したがって、その辺をどう考えているのか、どのように改善したらいいと考えられるのか、まず、その点を提案者にお聞かせいただきたい。それが一点。  それからもう一つは、身分の問題ですけれども、これはきょう先ほどから質問の主題にもなっておりました、実習助手の方で教諭の免許状を持っている方の採用問題ですね。確かにその採用の道は開かれておりますが、実態はほとんど採用されていない、あるいは極めてまれであるというのが実情だと思うのですよね。その辺の隘路をどのように解決していこうとするのか、つまり今提案されている法案とのかかわりにおいて。その点についてひとつ見解をお聞かせいただきたい。  以上、二点。
  160. 中西績介

    中西(績)議員 給与の問題でありますけれども、この問題は、今指摘のありましたように、長い間の懸案事項であります。しかも、人事院あるいは文部省自体もこのことを認め、先ほども局長の方から答弁あっておりましたけれども、この矛盾については人事院に要請をする、そして人事院は、昨年の場合でありましたけれども、六十年には見直しまでしなくてはならぬということを既に言い始めておるわけであります。したがって、多くのことを申し上げませんけれども、最終的には私たちは、待遇改善、賃金だけで申し上げますならば、こうした矛盾というものを認めるならば、私たちが今こうして提案をしておりますように、教諭という制度に一元化することがまず第一の段階突破であろうと思います。そうする中で初めてこれに伴う二等級給料表の適用をするということ、この二つをあわせ考えてまいりますと、私たち、大体期待をする給料表なり待遇の改善を実現できると思います。  それでは、当面のその期間をどうするかという問題になりますけれども、その場合としては、この三等級の給料表を抜本的に改善をしなくてはならぬと思っております。その場合には、現在の三等級の賃金カーブを見ていただくとわかりますように、高年齢になってまいりますと、行政職の現業職員の皆さんよりもさらにカーブは寝まして賃金は劣ってくるわけでありますから、こういうところを一挙に引き上げていくという特別措置がなされない限り、賃金についての改善なり待遇の改善はあり得ないのではないか、こう考えます。  それと、今指摘もございました教諭任用の何が問題になっておるかといいますと、一番の障害点というのは、何と申しましても定数の枠が、教諭の場合、一定数ありまして、それに伴う実習助手の枠ということになっておりますから、現在六五%を超える実習助手の皆さんが二級免許を取得はいたしておりますけれども、依然として教諭任用になっておらないということの大きな原因というのは、この定数枠が全く措置、処理されておらないというところに原因があるわけであります。したがって、ここの部分を、先ほど文部省が言っておりましたように、県段階の措置でこれを処理せよということを言っておるようでありますけれども、これは現場の実態からいたしましても、教諭の枠というのは絞られておる中での枠でありますから、そうしますと、座学の関係だとかいろいろな関係からいたしますと、実習関係の教諭の数を免許取得することによってどんどん拡大していきますと、結局、座学の方の教諭の定数を食い込むことになるわけですから、現場としてはどうしてもそこまで踏み切れるという条件は出てまいりません。したがって、やはり私たち提案をいたしておりますように、この教諭の定数と実習助手の定数、これを加えまして合計数、これをもって定数枠とすれば、今問題になっておる実習教諭、二等級適用をあわせまして可能なわけでありますから、今回この点をぜひ十分な御論議をいただいて、すべての皆さんに御理解と御認識をいただければと思っております。  以上です。
  161. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今、実習助手が抱えている待遇、身分の改善策について、提案されました改正法案との関連で具体的に説明がありまして、大変よくわかりました。  そこで、続いて文部省とそれから人事院の事務総局の斧さん、きょうおいでですか。——それじゃ実習助手の待遇について、まずお尋ねをしていきます。  それは、今も本改正案の提案者からありましたように、実習助手の適用される俸給表、つまり(二)表の三等級ですね、これは既に御承知のとおり、五十一歳で頭打ちという、それ自体まず給料表として問題があることは昨年の審議の中でも明らかになっていますね。それから、(二)表の二等級、つまり教諭と比べても三十八歳ごろからぐうっと格差が出てくる。しかも五十一歳頭打ちですからいその辺から後は横並びになってしまう、したがって格差が大きくなっていく、これは御承知のとおりです。さらに、行政職(一)表の特に四等級などと比べますと、この等級に属する五十歳以上の方は三八%いるんですね。ですから、これは既に昨年のこの改正法案議論しておりますから細部を除きますが、そういうことで、この実習助手の適用される教育職(二)表の三等級というのは、それ自体の給料表として持っている問題点もあるし、他と比較しても非常に不利になっているという、このことは明らかなわけですね。  そこで、昨年の五月十八日の本委員会での議論のやりとりを踏まえまして具体的に文部省お尋ねしていきますが、昨年、そういう今私が述べたような状況を踏まえまして、鈴木初市局長は、教育職(二)表の三等級は終身の俸給表として問題がある、何らかの改善が必要だということを言っているわけですね。これは昨年のことですから、約一年間たっている。言ったことは文部省として責任を持ってもらわなければならない。したがって、局長は変わっているわけでございますけれども、そういう点でどのような検討をなされ、どのような改善をする考えであるか、このことを一つ。  それから、人事院の斧給与局長は昨年もおいでいただいたわけでありまして、今私が述べたことは十分御理解いただいていると思っております。たしか昨年、斧局長は、細部のことは別にしまして、(二)の三等級には問題があるという趣旨のことを言われたやに記憶をしております。今後給料表全体について検討しなければならぬので、職名によって等級が格付されるという俸給表について見直していく必要があるのではないかというような趣旨を述べられたと記憶しておるのです。したがって、約一年間たちましたので、人事院としても今後どのように検討されていくのか。現在検討されていれば、どの辺まで検討されているのか。その辺をお聞かせいただきたいと思います。
  162. 高石邦男

    高石政府委員 今御指摘のありましたような経緯もありまして、昭和五十八年七月、人事院に対して教育職俸給法(二)の三等級の号俸の増設を要望したわけでございます。人事院としても鋭意御検討をいただいていると伺っております。
  163. 斧誠之助

    ○斧政府委員 給与制度の見直しでございますが、これにつきましては、昨年の勧告前に、我が方の制度改正の概略を、使用者側であります各省当局と職員団体、これにお示ししまして、意見をお伺いしたわけでございます。大体この一年間で意見集約できましたので、それを根拠にしまして、ことしの勧告前にたたき台をお示ししたい、こういうふうな段取りになっておるところでございます。六十年度を目途にということで、さらにもう一年間検討をさせていただきたい、こういうことでございます。  なお、つけ加えさせていただきますと、教育(二)の三等級につきましては、先生おっしゃいましたように、生涯その等級で仕事をしていく、こういう方々でございますので、それなりの配慮が現状でも必要であるということで、まあ勧告は値切られるという結果になりまして、私たちの勧告した俸給表は実現をしていないわけでございますけれども、勧告に当たりましては平均六・四%の俸給改定を行いまして、最高が六・八であったわけでございますが、この六・八のところを、教育(二)の三等級につきましては相当範囲の号俸にわたって改善をいたしておりまして、各俸給表の中では援も我々が配慮をした点であるということを申し添えさせていただきます。
  164. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今斧局長から答弁ありましたが、具体的にどこがどうなったということはまだ明らかになっておりませんけれども、そのとらえ方と考え方と検討に対する熱意については、私は大変敬意を表しております。あなたも前回そしてこのたびもこの検討の場に出席されているわけですから、今後の改善については具体的に成果が出るような形でひとつぜひ御検討いただきたいというふうに思っております。また、今渦中にありますから、それ以上お聞きしてもそれ以上のことはちょっと無理だろうと私は想定しますので、その程度にして、御要望だけ申し上げておきたいと思っております。それでは、どうもありがとうございました。  それで、文部省に重ねて聞きますけれども、私は、文部省答弁は極めて不親切であり、冷たい答弁だと言わざるを得ない。と申しますのは、私が先ほど言った鈴木初中局長答弁は五月の十八日の答弁なんですよ。今あなたは、昨年の四月に人事院に対してこういう要望をしているということを言いました。——七月ですか、どうぞもう一遍……。
  165. 高石邦男

    高石政府委員 発言が悪かったから四と七が間違ったと思いますが、七月に人事院に対して要望したわけでございます。
  166. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 七月となれば、鈴木初中局長答弁した後になりますが、それでは、ここでそういう答弁をした後に人事院に対してそういう要望をしたわけですから、その後、追跡的にどういう要望と今人事院でどういう作業をしているか、その辺は文部省としてやっていますか。
  167. 高石邦男

    高石政府委員 具体的な検討の内容は人事院でやるわけでございまして、その背景その他については我々としては随時説明を行ってきておりますが、今どの段階にいっているかというのは相手のことでございますので、ちょっとわかりかねます。
  168. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは重ねて私、聞きますけれども、昨年鈴木局長が、俸給表に問題があり何らかの改善が必要だ、この認識と改善していかなければならぬというこの決意については、現局長はどうなんです。
  169. 高石邦男

    高石政府委員 先ほども答弁申し上げましたように、三等級が五十一歳で頭打ちになるという状況があるので、これは改善していく必要があるというふうに思っております。
  170. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今、五十一歳頭打ちだけを取り上げて答弁しておりますけれども、私は、他との比較において全体的に、しかも幸い六十年見直しということも言われておりますから、そういう総括的な観点からも改善策を考えるべきだと考えるのですが、どうですか。
  171. 高石邦男

    高石政府委員 教職員全体の俸給表を含めて見直し検討が行われると思いますし、ただ頭打ちの問題だけではなくして総合的に、三等級のところだけではなくして教職員の俸給表全体についての前向きの対応というのは必要であろうと思います。
  172. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それじゃ続いて、次は実習助手のうち教諭免許所得者の教諭採用について質問いたします。これは先ほどからずっと質問されておりますから、時間の関係上なるべく要点だけ質問していきますので、答えも簡潔にしてください。  文部省質問いたします。  一つは、実習助手の数及びその中で教諭免許取得者の数はどうなっているか。  二番目は、昭和三十六年に免許法が改正され、現場の実習助手もそれ相当の単位取得によって教諭免許の取得の道が開かれたわけです。そして昭和三十六年免許法改正以後、免許取得者のうち教諭として採用された数はどうなっているか。  まず、この二点です。
  173. 高石邦男

    高石政府委員 五十八年五月一日現在の実習助手の数は一万四千五百二十八名でございます。これは昭和五十年以来ほぼ一定した数で推移しております。そのうち、高等学校二級普通免許状を取得されている方が、これはちょっとデータが古いのですが、昭和五十五年十月一日現在で約九千三百余りでございます。したがいまして、全体の総数の六四%程度の方が教諭免許状、二級普通免許状を所有されております。  なお、実習助手から教諭に採用された員数については、これはそこまでの掌握をしていないのでございます。
  174. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 昭和三十六年免許法改正以後の教諭免許取得者のうち、教諭採用になった人の数は把握してないというのですね。これじゃ文部省として問題じゃないのですか。去年鈴木局長はおおよそということで言われたわけですが、毎年百五十名ないし二百名ぐらいではないだろうかと。そして、この数字ははっきりしないけれどもということで、おかしいじゃないかと言ったら、改めて検討したいような、調査をしたいような旨のことを言っているのだけれども、あなたの方でその後わかっていないわけだ。例えば二百名ずつ採用したって、大体一万名近くいるんだから五十年かかるでしょう。五十年ですよ。成人して五十年といったら、二十歳の人がもう七十歳になってしまう。仮に去年の鈴木局長答弁を前提にして計算してもそういうことになる。ところがあなたは全然わからぬ、これじゃ行政当局として余り無責任じゃないですか。  そこで、制定当時の第三十八回国会、つまり昭和三十六年四月二十六日、この文教委員会の記録を見ると、免許法の改正によって、実習助手の方が単位取得によって教諭免許の道が開かれたという改正なんですね。その改正のときに、今の免許取得者の採用の問題について議論のやりとりがなされております。そのときに内藤政府委員は次のように言っているのですね。「ただいまの御質問でございますがこと言って、以下ずっとございます。長いですからやめますが、今のことに関連した部分で申し上げますと、「そこでせっかく免許状をとった者が教諭に採用されないという事態になりますと、これは非常に本人に失望させますので、そういうことのないようにいたしたい。」若干ありまして、「免許状をとった者が教諭に現実になれるように積極的に指導して参りたいと思います。」こう言っているのです。いいですか、「積極的に指導して参りたいと思います。」と国会議事録ではっきり書いてある。この方は後に文部大臣になったのじゃないですか。そうでしょう。この方が衆議院の文教常任委員会で免許法の制定のときにこのようにはっきり言っているのに、あなた方は積極的にどのような指導をしたのですか。指導したのかしないのかはっきりせぬけれども、指導したとしたって結果の数字もわからぬなんて、大体こんなずさんな語がありますか。ですから、これは指導しているのかどうか。指導しておっても昨年の百五十とか二百とかあんな数字は、指導の努力が足りなかったのか、どこかに打開する制度上の隘路があるのか。どうなのです。
  175. 高石邦男

    高石政府委員 こういう問題についていろいろな問題があるということは、我々もそれから県の当事者も県教育委員会もわかっているわけでございます。それで、そういう担当者の会合等においては、具体的にそういう問題について前向きの対応をしていく必要があるということで文部省も語をし、担当者もその打開のための方途はないかと苦しんできていることは事実でございます。したがいまして、具体的にそういう人たちが何人採用されたかというところまでの数字は把握しておりませんけれども、そういう対応をしてきていることは事実で、全くこれに無関心であるという態度ではないのでございます。
  176. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 答弁言葉をつないでおりますけれども、あなたの言葉は何にも中身ないのですよ。そうでしょう、聞いている皆さん。やったと言ったって、その後どうなったかという追跡もなければ、毎年毎年のことですからその追跡の総括もなければ、次どうするかというのが出てこないのは当たり前じゃないですか、大人の世界では。それで、はっきりしていることは、今申し上げたように制定当時、「積極的に指導して参りたい」ということを言っておるし、前向きの対応とか打開のためにとか方途とかいろいろなことを言ったけれども、指導したとしても何人がその後採用されたか結果もはっきりしないということは、積極的に指導してきたとは言えないということだと思うのですよ。  文部大臣、今帰ってきまして、やりとりしている意味がわかりますか。(森国務大臣「今勉強しています」と呼ぶ)そうですか。それでは後で聞きます。  それでは重ねて聞きますけれども、そういう指導の実態の中で国会の中でも答弁しているのだが、今までの指導の実態なり経過は、あなたがいみじくも数字がわからぬと言われたことではっきりしているわけだ。この問題、今後どうしますか。どのように指導しますか。どのように、ここで言ったように、せっかく免許状を取った人ががっかりしないように教諭への道を開いていきますか。具体的にどうなのです。
  177. 高石邦男

    高石政府委員 まず、実態についての把握は努めてまいります。  それから、具体的にこういう人々の教諭への任用は都道府県教育委員会がやるわけでございますから、文部省が一方的にこうしろ、ああしろと言って強制するわけにいきません。したがいまして、文部省としての基本的な姿勢はそういう前向きな対応で指導してまいりますが、具体的にそれが各県で担保されるかどうかというところまで責任をとれということになっても、それは制度上責任をとりかねますので、そういう前向きの対応の指導をしてまいりたいと思います。
  178. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これは実際採用するのは各県だ、我々はそれを指導するけれども限界がある、簡単にそういうことですね。そういう形で、国会答弁したように、せっかく取った人に失望させることのないように、免許を取った人が教諭に現実になれるようにするということに対する具体的な回答になっていますか、今のあなたの答弁は。全然なってないじゃないですか。ですから、具体的にあなたが指導して県教育委員会が採用すると言ったって、先ほどから言われているように、制度上どうしたって枠が決まっているのじゃないですか。あなたの言っていることは、あるいはあなたが指導しようとすることは、それを受けて県教委が採用するに当たってやろうとすることは、工業なら工業の免許状を持っている先生方、これは定数がありますね。簡単に言えば、工業高校で言えば普通科の先生が何名、職業科の先生が何名、工業並びに工業実習という免許を持っている先生が何名、それから実習助手が何名、こうなっていますね。あなたが言われ、また県教委がやろうとする枠というのは、今の職業担当の教諭、この場合ですと工業なり実習助手です。この中で欠員があれば採用するということなんでしょう、あなた方の言わんとするのは。その点の具体的採用は、はっきり言って制度上どうなっているのですか。
  179. 高石邦男

    高石政府委員 御指摘のとおりに、教職員定数というのが標準法で一応決められているわけでございます。したがいまして、各県はその定数を県の条例定数として予算化していくわけでございます。したがいまして、その予算化された定数の枠内で具体的に教諭として採用するかしないかということになるという点は、そのとおりでございます。そういうことで、その枠を拡大して現時点でやるということは考えていないわけでございまして、その枠内での対応ということになろうかと思います。
  180. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、先ほどから言われているように、なるべく教諭免許を取った人を教諭として採用していきたいし、そのために指導もするし努力もしたいということの答弁を具体化することは、今のあなたの答弁ではできないということです。  数字を上げた方が早いと思いますから、実態から具体的に申しましょうか。例えば工業高校の普通科の教諭が二十四名、職業科、つまり工業及び工業実習が二十六名、実習助手が十五名、合計六十五名ですか、こういう教員構成になっていたとします。そうすると、今の実習助手が、工業実習の免許を取った先生が七割おったとしますね。十五名のうちの七割ですから約十名おったとします。そのときにあなたの論法なり指導の方から言えば、二十六名のうち一名でも二名でも欠けた場合に、この十五名中の十名の教諭免許状のうちから採用するというのでしょう。そうしますと、例えばこの一名、二名という工業の先生を採用するときに、工業の免許を持っておる先生は座学も実習もできるのです。いいですか。工業実習の免許を持っている人は実習しかできないのです。そうすると、採用する側から言えばどうなるか。人情として、実習しかできない工業実習の先生よりは座学である工業も実習もできる先生を採用したいということになるのじゃないですか。したがって、仮に一、二名の枠が出てきたところで、今のような実態ですから、工業実習の免許を持った実習助手はなかなか採用されないということが現実にあるのです。この中でやろうと言ったって、免許を取った人が泣かないように教諭に採用しますと言ったって、大体そんなやり方ではできないですよ。だから、私はこれを具体的に打開するために本改正案が出されたものと理解する。  そこで中西さんにお尋ねしますが、その点、提案者は端的にどう考えますか。
  181. 中西績介

    中西(績)議員 先ほども答弁申し上げましたように、この定数枠をどのように拡大するかということになれば、現在提案を申し上げておりますように、実習助手の定数プラスの教諭の定数、この合計された数が確保されれば、当然、普通免許状を持っているわけですから、今申し上げるように、任用の方法だってとやかく言う筋合いは何もないわけです。私たちが今度の大きな眼目としている提案の理由は、ここにも一つあるということをぜひ御認識いただきたい。今文部省の言うような状況であれば、もう将来永遠に任用されないということを前提にした論議になってくるわけですし、今まで言ってきたことが全然政策的に実行されないということになるわけですから、この点を改めていただく以外にはない。ということであれば、文部省も、私たちが提案をしておる本法案に対して改めて認識をしていただくと同時に、みずからがこうした問題について打開をしていくという方向が出てこない限りだめだと思っておりますので、この点をぜひ拡大をしていきたいと思っています。
  182. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 趣旨は大変よくわかりました。つまり、実習助手で免許を取った方を確実に教諭に採用する。しかも取る方に励みになり、取った方が落胆しないように、それだけの身につけたものが具体的に実験・実習に教育効果としてあらわれるように、それらを総合的に判断されて出されたのが今の改正案だというように、今の話を聞いて私は理解しました。  それは、具体的には今の職業科、工業関係の教諭、つまり教諭定数、それに今の場合であれば実習助手、先ほどの私の例で言えば十五名をプラスして工業関係の先生として枠をとる、こういうことなんですね。そうなりますと、今私の挙げた例で言えば、二十六名の教諭プラス十五名の教諭になりますから四十一名の教諭の中に、免許を持っておって工業実習の担当ができる教諭をその四十一名の枠の中で採用することができるということなんですね。  それで、私は文部省お尋ねします。  今のような具体的に採用も可能であって、しかも免許状を取得する人にとっても励みになり、研さんしたことが工業の実習や実験に教育効果としてあらわれるという今の改正案のどこが悪いのか、どこがマイナスなのか、はっきりしてください。
  183. 高石邦男

    高石政府委員 まず、高等学校等の教育を展開する上に必要な教員数が確保されなければならない。そのために一応標準法という法律でその内容を明らかにしているわけでございます。一方、教職員の定数というのは公務員の定数として国民の税金で賄われている。一応の合理的な理由がなければ何ぼでも公務員をふやしていいというような理屈はなかなか通りにくいという実態がある。したがって、教職員の定数等についておのずから成る合理的な枠決めというのが当然存在しなければならない。  もう一つは、学校の職種で、教諭であるとか事務職員であるとか養護教諭であるとか実習助手というのは、そういう職務の実態から出てきている職種として存在しているわけです。だから、その職種は要らないという実態があれば別でございますけれども、そういう仕事に従事するそれぞれの職種の入が当然要るということが学校教育を正常化していく上に必要であります。  したがいまして、実習助手の処遇改善も基本的に必要でございますが、そのために公務員の制度であるとか職員の配置というものが全部それを超越していかなければならないということにはならないということで、現在の時点で実習助手を学校から全部なくして教諭の資格にしていくというようなことは適当でない、こういう立場に立って賛成をしかねるわけでございます。
  184. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 あなたの言われたことは、一般論としては意味ある場合もありますね。だけれども、今の場合には意味ないのですね。  というのは、今あなたは合理的ということを言われましたけれども、これは財政上のかかわりの中でも特に強調されたと思いますが、それは例えば教諭の数を何名、実習助手の数を何名としておって、そして教諭の数をプラスしてふやすというのであれば極めていろんな問題がありますよ。定数法もあるし財政上の問題もあるし。だけれども、今回言っていることは、教諭の定数は定数、実習助手は定数があるのですから、実習助手の定数を教諭と同じ枠の中に入れなさいということを言っているわけですよ。そうでしょう。しかも、それは先ほどから言っているように、採用しようとする人は教諭の免許を持っている人なんですよ。本来、教諭として採用されたっておかしくない人が実習助手になっている方が大体おかしいのですよ。本来教諭になるべき資格があって教諭になっていていい人が、今のような制度の中で実習助手になっておって、(二)表の三等級という劣悪な賃金をもらっていなければならぬというのが問題なんですよ、私から言わせれば。ですから、その教諭の数に実習助手の数を包括して定数の中に入れるということで、本来教諭になれるべき人、またなってしかるべき人を入れるというのが何で不合理ですか。私は、考え方としては不合理ということは成り立たぬと思うのです、今の場合。このことを実質的に実のあるものにし、現に実習助手の皆さんが苦労しているこの問題を打開し、教育効果を上げていくためには、私は今のあなたの論法では納得できないのです。  それからもう一つは、この実習助手の職種は要らないのか要るのかという問題です。この実習助手の方々、免許状を持っている方が教諭に採用されても仕事は同じことをやるわけです、実験・実習をやるわけですから。先ほど江田委員も言われましたけれども、実験・実習全体が教育の仕事の全体の中身なんです。ですから、教諭の資格を持って教諭に採用された人が実験・実習の準備や後始末をしてなぜ悪いのですか。むしろそういう資格を持って研さんを積んだ人が実験の準備や後始末をすることの方が意味があるんじゃないか。工業の学習、化学の学習で実験・実習ほど重要なものはないじゃないですか。それが資格を持った人が意欲を持ってやってどこが悪いのです。私はそのことを考えますと、どうも今の局長答弁は納得いかないということを考えます。  そこで、いずれまた次の機会に私やりたいと思いますが、時間になりましたので文部大臣に最後に聞きます。  途中から入ってきましたのでやりとりのことはよくわからなかったと思いますが、私は今、私の方で出している改正案について、その理由と必要性について強調してまいりました。私が言っていることが、あるいはこの免許法の趣旨が極めて不当なものであって全然聞くに値しないのか、あるいは傾聴に値し今後検討しなければならぬのか、その辺の感想をお聞かせいただきたいと思います。所見と感想をお聞きしたいと思います。
  185. 森喜朗

    森国務大臣 委員長理事委員各位の御配慮で席を外させていただきまして、ありがとうございました。  佐藤さん、そして提案者であります中西さん、御議論をずっと伺っておりませんので、どういう御議論がなされたのかは御指摘どおり、私として今すぐ感想といいますか申し上げると、かえって御迷惑をかけてしまいますが、ただ実習助手制度を廃止して、これに伴う措置として高等学校等の教職員定数の改善、いわゆる標準の中に入れて計画を練り直せ、こういう法案であろうと理解をいたしております。  文部省といたしましては、実習助手につきましては局長から答弁があったと思いますけれども、教育職俸給表(二)の三等級の中に格付をされておるわけでございますから、そういう意味ではいろいろと、いわゆる終身の俸給表としては確かに問題があるのではないか、そういうふうに考えますから、文部省としましても五十八年七月、人事院に対しましてその三等級号俸の増設を要望いたしております。これは御承知だと思います。人事院の方でも給与制度等の見直しを今行おうとしておるところでもございますから、その中で甲乙について所要の検討を行っておるということも伺っておりますので、文部省としてはこうした人事院の検討状況を見ながら、必要に応じて協議をしていきたい、こういう考え方でございます。  今私が申し上げましたことは、この実習助手の方のいわゆる頭打ちが三等級の号俸でございますから、身分、賃金の立場から言えば、確かにいろいろ問題があるという指摘、そして文部省としてもその指摘を受けとめているわけでございますから、その中で改善ができないだろうかということを今人事院に働きかけている、こういうふうに御理解いただきたいと思うのです。  ただ、その中で、そういうことをこの際思い切りやめて、制度上いわゆる実習助手をやめて教職員としてその中に組み入れた方がいいではないか、こういうお考えだろうと思いますが、やはりこれには今までのいろいろな経緯、歴史もあるんだろうと思いますし、それから基本的にはそうしたことについての検討をしてみなければならぬということも出てまいりますけれども、実習助手としてその地位にお入りになったのは、そのことを御承知の上でお入りになっておられるわけです。もちろん、その中には先生の免許を持っておられる方もあるわけですから、その免許を持っておられる方については登用する道も全くないというわけではない。ですが、今全部変えてしまいますと、この国会が始まりましてから、先日も中西さんから四十人学級初めいろいろな定数についての御議論があるわけでありますから、いわゆる全体的な定数の配置、改善は、文部省としてもどうしてもやっていきたいこともたくさんあるわけでありますから、やはり結果的には私はプライオリティーの問題になってくると思うのです。ですから、今やらなければならないものというものはやはり優先順位があるわけでございますし、そういうことも順番にやっていくという段階から現時点を判断いたしますと、そうした法案を提案していただいているということについては、私どもとしては当然耳を傾ける、大変傾聴に値する、そういう法案であると私も政治家として考えますが、現在の時点では、何から優先していくかという、これもまた政治の一つ判断だろうと思いますので、まずは当面、いろいろと指摘をされているいわゆる俸給の改善のところにむしろ焦点といいますか、改善の施策を当てていくというのが文部省考え方でございますし、私も、当面はその方向でやっていくことが適切ではないかと考えます。
  186. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 大臣とのコミュニケーションが不足しまして、きょうはちょっと残念でございますけれども、時間がありません。  ただ、私は、議論しました中心は、待遇の問題と教諭採用にかかわる身分の問題を中心にやったわけですが、給料表の問題は、身分、待遇、採用とかかわっていますけれども、しかし、今大臣が言われたように、大変問題を抱えているわけです。現に免許を持っておっても教諭に採用されないで実習助手になっているこの方々自体が三等級で問題があるわけです。教諭にされないということで給与上の差を受けているという問題もありますけれども、したがってその辺の問題を十分検討してもらいたいと思うのです。  それからもう一つの問題は、教諭に対する採用の問題ですが、ただ実習助手をやめて、そして全部込みにしてしまう、このことだけを強調されますと、それは一つの大きな問題だと思うのだけれども、議論のある程度分かれるところもあります。しかし、この法案を提起している問題の発端は、昭和三十六年に免許法が改正されて、もう既に七〇%近くの人が教員免許を持っている、そして採用時には、先ほどもここで指摘したように、免許状を取った人が現に教諭になれるように積極的にやるんですということまで答弁している。それが何年間たっても微々たる状態になっている、この隘路をどう打開するかということを言っている。そのためには、いろいろ方法があるだろうが、私たちが提案しているこの改正案で行かないと、いつまでたってもこれは絵にかいたもちになるんじゃないかということを指摘しているわけです。したがって、これがすべてとは言いませんから、あなたの方でも、しからばどうしたならばこの人たちを具体的に教諭に任用できるのか、この辺のところを十分検討してもらいたいと思うのです。  そこで、時間になりましたから最後に、提案者の中西さん、そして重ねて文部大臣に一言答弁をいただいて、終わりたいと思います。
  187. 中西績介

    中西(績)議員 時間がございませんから簡単に申し上げますと、先ほどからの文部省答弁なりを聞いておりますと、業務を放棄するかのごとき発言が出てくるわけですね。もう一つは、明治以降における教諭と雇員との関係を依然として頭の中に描き、そのことが現場の人の中にも、校長だとかそういう人たちの中にある。その打開ができないまま移行しておるというのが、こうしたものを温存するということになってきたのではないかと私は思っています。したがって、私たちが今提案している中身というのは、先ほどから何回も言っておりますように、教諭プラス実習助手の数を合計した数になるわけでありますから、決して業務を放棄するということにはならないし、むしろ今まで、先ほども論議しましたけれども、つくられた中で生徒たちが授業あるいは教育活動をしていくということでなくて、つくり上げる過程から教師と生徒が一緒になって総合的なものでつくり上げていく、こうした発想も私は重要視しなければならぬと思っています。それが今、文部大臣から後で答弁いただくと思いますけれども、そうしたことを、大臣であるならば十分察知あるいは認識をしていただけるのではないか。ただ残念なことに、先ほどからそうした論議を十分踏まえておりませんので、最後の段階でしかありませんでしたから、この点大変残念でありますけれども、問題は実習助手でなければできないという職能職種でも何でもないわけなんですから、みんなでつくっていこう、そうすることを願っておるわけですから、ぜひこの点を御理解いただいて、いち早いこれら問題についての解消とあわせまして法案の成立に賛成していただきますようお願いを申し上げたいと存じます。  以上です。
  188. 森喜朗

    森国務大臣 文部省といたしましては、いろいろと御議論がございましたが、いわゆる処遇の改善、このところに先ほども申し上げましたように問題がございますので、できる限り改善の方向になるようにさらに一層努力をしてまいりたい、こう考えております。
  189. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 きょうは残念ながら時間になりましたので、以上で質問を終わります。
  190. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 有島重武君。
  191. 有島重武

    ○有島委員 日程の都合上で、とかく内閣提出法案の審査に偏りがちな国会の中で、こうして議員立法の審査をいたしますことは大変欣快にたえないところであろうと思っております。提案者に対し、またこうして大幅に時間をとっていただいております委員長に対して、敬意を表したいと思います。また、与党の自民党の諸君も、質問をなさるのが至当ではなかろうかというふうにも思うわけであります。  私どもは、教育をする側といいますか先生の側、あるいはお役所の立場、行政の立場からではなしに、むしろ学習者側、生涯教育者としての立場ということから、教育問題全般を見ていくというような立場にいるわけでございますが、そうした立場できよう提案されております学校教育法等の一部を改正する法律案、二つあるようでございますけれども、まず今まで提案をされておりました実習助手の問題について一、二伺っておきたいと思います。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕  最初に文部大臣に。学校教育法の高等学校の目的でございますけれども、これが四十一条、四十二条に出ているわけでございまして、私たち大分前から、この目的自体を少し考え直さなくちゃならないのじゃないのだろうかというようなこともずっと議論を続けているわけなんです。と申しますのは、「心身の発達に応じてこと言っても、その心身の発達の状況というのが昔と大部違ってきているのではないか。また、心身の発達と今まで言われているものには、半分はまだ未成熟なところもあるけれども、半分は大人以上の体力あるいは、知識はまだ少ないかもしれないけれども、すばらしい知恵の働きを内蔵しておる。高校野球なんかを見たってすばらしいものです。訓練の仕方によってはすごい生命力を秘めておる。そういうような認識を新たにしなければいけないのではないかというのが一つです。  それから、高等普通教育、専門教育ということなんですけれども、専門教育というものは時代に応じて、昔に比べて随分幅が広くなっておるのではないかということがあります。学校の中だけに閉じ込めておいて、専門教育というものが今の若い人たちの多様なニーズに対応していくということはとても大変なことじゃないか、そういうようにも思うわけですね。  そこで、臨教審法案が今内閣委員会にかかっておるわけでございますけれども、そういう基本問題というものも、今まさに考えていくべきときに来ているのではないかと私たちは思うわけです。文部大臣の御所見を伺っておきたいと思います。
  192. 森喜朗

    森国務大臣 今有島先生は、高等学校の目的ということから御論議に入ったわけですが、私も、予算委員会でもあるいはまたこの文教委員会でも再三申し上げてまいりましたけれども、例えば私たち子供のころは人生五十年、今は七十年、場合によっては八十年近くということも確かに言えるような時代になってくる。そうすると、就学の年齢というのは幾つがいいのだろうか。それから、今先生がちょっとおっしゃっておりました、体が物すごく大きなった。その心身の体の方は大きくなったけれども、心の方はひょっとしたら昔より案外子供っぽいところがある。先生のところもそうだと思いますが、私の部屋にも大学生が随分遊びに来ますが、いろいろな話をしてみると、いい言葉じゃありませんが、ふぞろいというか、物すごく伸びているところもあるし、物すごく子供っぽいところもある。そしてある意味の、学問と言っていいのか、知識と言った方がいいのか、物すごく進んだ知識を持っている面もありますし、今までの我々のしきたりからいうと、世の中のことについて、例えば手紙をちょっと書かしてみたり、あいさつをさせてみると、全くできないというようなことも意外にある。ですから、そういう意味では、確かに先生のおっしゃるように、心身の発達の程度に応じて小学校、中学校高校というふうに区切ってきましたけれども、このことが本当に今の世の中に適合しているのかどうかというのはやはり考えてみる必要があると思うのです。  そういうことになりますと、いろいろな意味での、端的には文部省のみならず社会全体の通念、労働の問題からすべての問題にかかわってきますから、そんなことを御議論いただくかどうかわかりませんけれども、臨時教育審議会などではそういうようなことも含めて、例えばあなたの党で出していらっしゃるパイロットスクールなども含めたような話に当然なってくると思いますし、各界の人が集まってこられるわけでありますから、そんなことを御議論いただくのも大変大事なことじゃないだろうか。大変生意気なことをいつも言っているようですが、二十一世紀日本教育は一体どのようにあるべきだろうか、それから先生のおっしゃったように体の発達、心の持ち方、そういうことも含めて、これからの高等学校はどのような年齢で、そしてどのような学問をどれくらいやっていくのがいいのか、そんなことも御議論いただくということは極めて適切ではないか、そういう意味で一日も早く臨教審の設置をスタートさせたい、こう願っているところであります。
  193. 有島重武

    ○有島委員 ですから、場合によっては専門教育というものの大部分は、学校の外でもっての機関をいろいろな高校が共通に使っていくというような状況が今後ますます起きてくるのではないかというふうに思っています。そういった未来を見通しながらこの現実の実習助手の問題も考えいくべきなんではないのだろうかというふうに思うわけであります。  そこで、高石初市局長さんが来ておいでですから聞きますが、現在、実習助手の方が積極的にいろいろ勉強なさって研修をなさる、そしてその教科担当の教諭へ移行する道が開かれておるけれども、提案者からは、非常に難しいんだ、こういうことが訴えられておりますね。これに対して先ほどから、これは検討せざるを得ないというようなことを文部省までも言われておる。いつから検討し出して、いつ結論が出るのであるのか、これが一つ。  それから、実習助手から教諭へ昇格といいますか、昇格と言ってはおかしい、でも昇格と言っておきましょうか、昇格するともとの実習の仕事はしなくなってしまうのであるのか。  この二点を局長に聞いておきたい。
  194. 高石邦男

    高石政府委員 実習助手のいろいろ言われている結論は何かといいますと、処遇の改善の一語に尽きると思います。したがいまして、処遇の改善を図るために、その方途として、教諭資格に行けば俸給表も教員の二等級、一等級という道が通ずる、だから解決するんじゃないか。それからまた、そこまで行かぬにしても、実習助手の処遇改善をやるために俸給表の改善を図ってやるという手も前段階で必要じゃないか、そういうことだと思うのですね。  だから、純粋に学校の運営上の観点では、学校に教諭があり、事務職員があり、養護教諭があり、実習助手があるというのが自然な姿だと思います。したがいまして、実習助手の処遇を改善するために教諭にしてしまえばいいじゃないかというのは、公務員制度を考える場合になかなかそうは簡単にいかないというところに隘路がありますので、非常に難しい問題だ、こういうことを申し上げております。  したがいまして、そういう点で給与面での改善という方向での対応を積極的に進めていきたいというのが現在文部省のとっている態度でございます。
  195. 有島重武

    ○有島委員 これは問題が二つあるわけですよ。  一つは、先生になっていくという道が非常に難しい、こういう訴えがあるのだけれども、これをもっと促進をして、やったらやりがいがあるというふうに道が開けていかれるようにしたり、そのことについていろいろな努力もしていらっしゃるんであろう、こう思われるが、そのことを聞いておきたいのですよ。  それからもう一つは、今度は、教諭になってしまうと昔の助手というような者は一切なくなってしまうということになるというお考えなんですね。
  196. 高石邦男

    高石政府委員 そういう特別の教諭の職務というものを法律上書いて、そして一般的に言われている教諭でない教諭のような職務規定を置いて新たな制度として創設するという考え方は、考え方として当然あり得ると思うのです。  ただ、その際に、先ほどの答弁で十分御理解をいただけなかった点があるようでございますけれども、現に農業とか工業とか理科の実験というものをやる際に、先生、教諭と一体となって実習助手の人がそれがスムーズにやれるような態勢づくりをするわけですね。だから、先生ができ上がったところへぽんと行くというのじゃなくして、それはやはり一体的な仕事のかかわりの中で仕事を展開していると思うのです。したがって、そういう先生方の仕事がより手助けできるような形での仕事の実態はなくならないと思います。名称をどう変えるかというような話と、仕事の実態がなくなるかというと、現に行われている学校の仕事、教育の展開の仕方がそう変わるというふうには思っていないわけでございます。
  197. 有島重武

    ○有島委員 これはちょっとこれから外れることになるのですけれども、中学においてはこの実習助手という制度は正式にはないわけですね。だけれども、実験をやっていますね。私なんか私立てございましたから助手の方がいました。それでいろいろやってくれました。いろいろなことを教えてくれました。それから、子供たちも一生懸命準備も手伝った、後片づけも手伝った、そういった覚えがございます。中学についてはどんなふうに思っていますか。
  198. 高石邦男

    高石政府委員 中学段階までの理科の実験とか農業の実習というものについては、高等学校以上に比べるといわば基礎的な一般的な内容ということになっておりますので、それの手助け、準備を行うための専門的な職員まで配置して教育を展開する必要がないという考え方で置いていないわけでございます。それがやはり高等学校段階、大学の段階に行きますと非常にそういう分野の仕事がふえるので、その仕事をスムーズにやるためにそういう職種が置かれていくというふうな沿革があってそのようになっていると思います。
  199. 有島重武

    ○有島委員 では、最後に中西さんに伺っておきたいと思います。  一つは、今の中学校の問題も含んでそういった教員の配置というようなことを将来もお考えになっていらっしゃるのであるかどうか。  もう一つは、教諭でない人も教育に携わるというかお手伝いをしていくということが、今後もいろいろまたふえてくるのではないかというふうに私は思っているんです。高校の場合、教諭の資格を持っていなくても、職業人である、町でもってパン屋さんをやっていたり、あるいは機械工業をやっていたり、あるいは農業をやっている人たちに、教員の資格が全くないあるいは実習助手というような資格も持っていない、そういう人たちに手伝ってもらって教育を進めていくというようなことが今後起こってくるのではないかと思うわけです。この法案からちょっと話が外れてしまうかもしれませんけれども、今の二点について、そういったことも何か将来問題として考えていらっしゃっての上でのこの法案であるというふうに我々は受け取ってよろしいかどうか。この法案だけ見ますと、教師の方々のお立場から、数をふやせ、待遇をよくしろ、こういうふうにそれが強く印象づけられる。それだけに思うわけです。僕たちとしては、何か大きな広がりの中にそういう教員の待遇の改善が位置づけられていくべきじゃないかなというふうに思うものですから、そのことを最後に確かめさせていただきたいと思います。お願いします。
  200. 中西績介

    中西(績)議員 まず、一点でございますけれども、中学もこうした高等学校における助手制度なり何なりを含んでこれから考えていくのかという問題でありますけれども、この点に関しましては、私たち学校におけるこのような実習あるいは実験にかかわる教諭というのは、将来的には必要ではないかと思っています。と申しますのは、極めて基礎的なものであるがゆえに、私たち、いろいろな観察だとか機器を使ってのいろいろな措置の仕方等につきましても、基礎的であればあるほど一人の教師によってそれが授業時間、一時間なら一時間を賄っていくということについては大変困難な面があるわけです。そうでなくともいまだに四十人学級が実現できないわけですから、こうしたものとあわせ考えました際には、やはり行き届いた教育ということを考えれば当然過ぎる中身でないかと考えています。  それから二点目でございますけれども、教諭資格、教員免許資格を取ってない方が参加をする場合ということでございますけれども、具体的にはまだそこまでは考えておりませんでした。しかし、これから後の教育のあり方としては、開かれた形で私たちがやろうとする場合に、こうした多くのいろいろな技術的あるいは高度の見識を持っている方がこうしたものに対して参加ができるということになれば、必然的に学校全体の運営そのものをどうこれから組織的に開かれたものにしていくかということをあわせて考えていかなければならぬと思います。  ところが、今逆に、先ほどから私が申し上げておりますように枠をつくって、その閉鎖的な中で、しかも問題になっておりますように、先ほど局長答弁されておりますように、職階的なものをそこにはいつまでも温存し、それをむしろ強化することによって学校の運営そのものが成り立つかのような答弁があったようでありますけれども、そのこと自体が、結局仕事の実態というのはなくならないわけですから、それを皆さんで生徒と一緒にこれを遂げていこうということであるわけですから、このことこそ、今、しつけだとかあるいは生徒に対するいろいろな考え方なり、こうした実験なり実習なりの中で私たちがいろいろなものを学んでいくという、こうしたものが遂げられるのにそれをむしろ閉鎖的にしていくという格好になりますと、そうしたものは全く出てこないのではないかと思います。  したがって、今指摘のございました点についてはまだそこまでは考えておりませんけれども、特に局長が言われておりました処遇改善が中心だというここの指摘は、もう一度討論をさしていただかないと、まだまだ文部省自体のとらえ方が非常に浅い面でとらえておるのではないかと私思いますので、この点はまた時間をかけて、ぜひこうした時間を設定していただいて討論を重ねていただければ、こう思っています。
  201. 有島重武

    ○有島委員 ありがとうございました。      ————◇—————
  202. 船田元

    ○船田委員長代理 次に、佐藤誼君外二名提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。有島重武君。
  203. 有島重武

    ○有島委員 学校教育法の一部を改正する法律案という同じような名前で今度は養護教諭と学校事務職員のものでございますので、続いて質問をさせていただきます。  養護教諭についてですけれども、ここにも、特に近年、社会、経済等の急激な変化に伴って生活環境が変化をしている中で非常に悪化しているというふうに書かれておりますけれども、子供たちにとって不利な状況といいますか、ある意味では人間的な潤い、そういったつながりが薄くなっているというような意味を言っているかとも思います。あるいは入試準備教育が過熱をしていることを背景として心臓や腎臓の疾患が多い、情緒障害が多い、骨折が多い、こういったことが指摘をされております。こういったことについての文部省の認識、それが一つ。  もう一つは、これに応じて養護教諭の仕事が非常に多くなっているということ。私たちもときどきいろいろな学校に行かしていただき、部屋をのぞかせていただく。大変静かな部屋で、何かカードを整理していらっしゃる、子供たちが群がって相談を受けたりなんかしたりしているということ、話には聞いているのだけれどもその姿は余り僕は見ていないわけですが、文部省は何か養護教諭なんというのは暇なんじゃないだろうか、勘ぐって言うと、カードを整理しているのは組合の仕事を持ち込んでやっているのじゃないだろうか、極端なことを言うとそういうような認識がおありになるのじゃなかろうかと、率直に申しますと思われるのだけれども、まず御認識のほどを第一番に伺っておきましょう。
  204. 高石邦男

    高石政府委員 養護教諭の受け持っております仕事の分野が年々歳々非常にふえている、複雑化していると我々も思っているわけでございます。子供たちの健康管理という点は、そうした養護教諭のやる分野の仕事と学校の保健体育の両方の分野から十分なる成果を上げていかなければならないということで、子供たちの実態は、非常に近代的、現代的になってまいりますと複雑化しておるので、その対応は非常にふえておる、しかもやるべき仕事の量はふえておるし役割も重要性を増している、こういうふうに認識しております。
  205. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、この法律で言っている趣旨は非常にもっともだというふうになりますか。  それから、第二番目の事務職員の方でございます。この事務職員の職務ですけれども、文書、統計、給与、福利厚生、学校予算執行事務、それから教材教具、施設設備、就学奨励及び転出入、こんなようなことがたくさんある。こういった仕事が今後ますます増大していく方向にあるのじゃなかろうか。これは現在のことを言っておりますけれども、将来機械化なんかによって幾つかの学校を集約されて、コンピューター扱いになって合理化されて軽減されていくめどがあるんだろうか、銀行なんかと違ってお子さん方一人一人を扱っていくことですからそういうわけにはいかない、こういうことが社会の複雑化に応じてますます多くなっていくのじゃなかろうか、その辺の御認識は文部省としてはいかがですか。
  206. 高石邦男

    高石政府委員 学校事務の範囲というのは、ある意味では一般的に言ってふえていると思います。ただ、学校事務の中でも例えば教員の給与事務は電算化されて、学校現場ではほとんどやる必要がなくなったというような、いわば省力化されていく傾向もあるわけでございます。したがいまして、ただ一般的に事務がふえていくというそのままの状態で放置するわけにいかないし、できるだけ学校事務を能率化、省力化していくということもあわせて考えていかなければならないというふうに思っております。
  207. 有島重武

    ○有島委員 文部大臣は校長さんをやったことはおありにならぬと思うのだけれども、大臣のところには官房長を初め各局長さん方ががっちりいらっしゃる、事務次官さんもいらっしゃるわけですね。それでお仕事をしておられる。大変お忙しくやっていらっしゃる。だけれども、やはり秘書官というのは非常に重要なんじゃないですかね。だから、あれだけ人数がいるんだから秘書なんか要らないんじゃないかと言われると、やはり仕事が滞るのではなかろうか。秘書は相当大切なものじゃないかと思うのですが、その実感といいますか、そういう点の実感から見て、各校長さんにとっても事務職員というのは大変重要な人になっているんじゃなかろうか。私が知っている何人かの事務職員の方、その中の随分しばらくつき合っているある人が、僕は副校長さんか教頭さんかなと思っているくらい本当にしょっちゅう校長にくっついて、かつ、発言なんかも非常に的確に、重々しくて威厳があってという方がいらっしゃいました。事務職員の重要さということについての大臣の御認識を承っておきたいと思います。
  208. 森喜朗

    森国務大臣 大臣国会議員の秘書と学校事務職員と一緒にするというのは、学校の事務職員の皆さんに申しわけないような気がいたします、学校が大変忙しいこともございますし。  私もよく母校へ帰りますと、もっとも大臣になってから行ったことないのですが、議員のときに時折自分の昔学んだ学校へ遊びに行きますが、やはり一番先に行くのは事務職員の部屋なんです。事務職員の皆さんと話をするととても楽しいですし、学校の様子もよくわかります。校長先生やほかの先生に会いますと何となく仕切りができてしまって、余り本当の話が出てこない。事務職員の皆さんと話すと非常にいろいろな、卒業生の話だとか大変愉快な話も多いですし、勉強するには事務職員の方にお会いするのが一番いいと僕は思っています。それだけまた学校の中も複雑ですし、子供たちも非常に多様な考えを持っておりますし、そういう意味では、学校に求めるニーズというのはとても範囲が広くなっております。そういう意味で事務職員の皆さんも大変だろうと思いますし、学校にとって極めて大事な、言葉はよくないかもしれませんが、今有島さんが秘書官と一緒にするような例え話をちょっとされましたから、校長などから見ればある意味ではお台所、お母さん役、そんなような感じがするくらい、私は大変大事な仕事だと思っているわけです。それだけに事務職員の皆さんの御苦労も極めて大きいだろう、こう思っております。  感想をということでございますので……。
  209. 有島重武

    ○有島委員 そうなりますと、必置ということですね。この提出されております法律の趣旨は必置ということにあろう。その期間、目標をうんと手前のところに持ってきて、そこまでに努力しろ、こういうような意味合いであろうかと思うのですけれども、どうして必置しないのか、こう言いたいところですね。  提案者に最後に質問をさせていただきましょう。  複数配置ないしは必置の年限ですけれども、この年限の定め方、六十四年という根拠ですね、これがどのくらい必然性のあるというかな、ここまでにやらぬとえらいことになるというようなことがおありになるんだったら、ひとつこれを教えておいていただきたい。
  210. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 御承知のとおり、現在は学校教育法二十八条において「置かないことができる。」というふうになっていますね。それをすぐ、今の状況の中であすから全部必置ということになると、これはいろいろな行政の流れもありますから支障を来すわけであります。さればといって遠い先の問題じゃ、これは何のために必置制を置いているのかわからない。したがって適宜なところにそういうことを区切るということになりますが、六十四年ということにしましたのは、今申し上げたような、六十六年で例の第五次計画というようなことも一応想定されておりまして、その前にそういう必置制を設けてその実現を図るというようなことで、そういう全般の状況考えながらその期限を切ったということです。それは厳密に問われれば、なぜ六十五年で悪いのだ、なぜ六十三年で悪いのだと言われますと、これはまたいろいろありますけれども、私たち考え方は、そういう観点でその期間を一応六十四年にしたということです。
  211. 有島重武

    ○有島委員 時間ですのでこれでやめますけれども、せっかく大臣が来ておられますので、関連して一言だけちょっと聞いておきたいのです。  せんだって伺いました、ロサンゼルスのオリンピックに対しソ連が不参加であるという表明をした、それで先日安倍外務大臣が、政府として外交ルートを通じてソ連のオリンピック委員会が不参加の声明を撤回して参加できるように働きかける、こう言っておられましたですね。これは多少疑問があるのじゃないかなと思うのですが、この種の問題は政府が直接乗り出してかかわっていくことがよろしいのかどうか。それは、どんな手だてでもして何かうまくやらしてあげたいという気持ちはありますけれども、そういったことがこの間の大臣答弁と比較して、大臣の御所見を承っておいた方がよろしいのじゃないかと思いますので、最後に一言だけ承って、終わりとします。
  212. 森喜朗

    森国務大臣 先般当委員会お尋ねがございましたときは、ちょうど不参加が決まって報道されましたその日の午後でございましたので、政府としてどういう対応をするのかということはまだはっきりはいたしておりませんでした。ただ、オリンピックといいましょうか、スポーツを所管する文部省、その文部大臣という立場で、これはいわゆるIOC、そしてソビエト、アメリカ両国内委員会ができるだけ円満に話し合ってもらうべきである、そういう意味では日本のいわゆる国内オリンピック委員会が、できる限りそういう環境を整えることがいいのではないか、政府はどのように対応するか、まだそういう話はしておりません、こういうように私は答弁をしたと記憶いたしておりますが、その日の夕刊を見ましたら、安倍外務大臣が外交ルートでできるだけ円満に話ができるように働きかけたい、御指摘どおりそういう談話が出ておりました。詳しいことは外務大臣と話はいたしておりませんが、外務大臣は恐らく、オリンピックそのものを開く開かないということを直接的に触れることではなくて、できる限り外交ルートでアメリカにもソビエトにも、両方ともいろいろなことがあるだろうけれども、せっかくの祭典でありますから、全世界が参加して円満にオリンピックができるような環境づくりができるように、オリンピック云々ということよりも、できるだけそういう環境づくりができるように外務大臣として働いてみたい、こういう御意思であったのではないかと私は思っております。  まだ時間はございますといいますが、六月二日までのことでございますから、いろいろな手だけをつけられて、世界が平和であるということの最大の象徴でありますから、できるだけそういう環境づくりのために、いろいろな意味でみんな努力していくということは大弱だろう、私はこう考えております。
  213. 有島重武

    ○有島委員 それじゃ、外務大臣とこの件について少しお話しになるという御用意がおありになるわけですか。
  214. 森喜朗

    森国務大臣 毎日会っているようなものでもありますし、とりたててそのことについで話し合いはいたしておりませんけれども、恐らく外務大臣もそういう考え方でありましょうし、もう少しこの推移を見たい。体協の方にも、私的には私は専務理事にも別のことで会いましたので、できるだけオリンピック委員会等でもそういうことに環境づくりをするように努力してほしい、こういうふうに申し上げておきました。もう少し推移を見ておく必要があるのではないか。関係者の皆さん、大変努力もしておりますし、心配もしておるようでありますけれども、もう少し推移を見ながら、こう考えております。
  215. 有島重武

    ○有島委員 どうもありがとうございました。
  216. 船田元

    ○船田委員長代理 山原健二郎君。
  217. 山原健二郎

    ○山原委員 最初に、議員立法の問題、これについて一言私の感想を申し上げたいと思います。  よその園であれば議員立法というのが非常に重要な意味を持っていますし、また、ところによっては最優先課題として取り上げられておるわけです。例えば労働運動の場合に、ムント・ニクソン法であるとかタフト・ハートレ一法であるとか、法案に名前がついているぐらい議員立法というものが重要視されているわけですね。この法案が通ったら佐藤田中法ということになりかねないぐらいの意味を持っているわけでして、そういう意味日本の場合は、結局は議員立法が何となく軽視をされて、そして閣法である政府提出法案が最優先課題になる。審議にいたしましても、与党の方は閣法の審議を早くやってくれという形で迫ってくる、結局議員立法というのは短い時間でやらざるを得ない、こういう事態が続いておるわけです。これはまことに残念なことであって、こういう悪習は変えていかなければならぬということを最初に申し上げておきたいと思いますが、佐藤さんの場合は、この点についてはどういうふうにお考えになっておりますか、一言見解を伺いたいのです。議員立法がいかに大事なものであるかということですね。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
  218. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 先ほど、学校教育法等の一部を改正する法律案の私の質問のときにもちょっと申し上げましたけれども、閣法、衆法のどちらが優先となればいろいろ議論もあるでしょうけれども、ただしかし、日本の憲法の建前では国会が最高の機関になっているわけですから、それを構成する議員がやはり優先する立場にあることは、私は日本国憲法の建前からいってそうだと思うのです。そういう点から、今どちら側を強調するかということになれば、国権の最高機関を構成する議員が提出する法案というものを、日本の場合にはまだまだ十分重視しなければならぬし、尊重しなければならぬじゃないかというふうに私は思っているわけです。だからといって閣法を軽視するというわけじゃないけれども、特に日本の場合には国権の最高機関として定めがありながら、どちらかというと、それを構成する国会議員、つまり衆法の方がとかく疎んぜられているという嫌いはないかということについて、私も今質問されたあなたと同じような考え方を持っている次第です。
  219. 山原健二郎

    ○山原委員 社会党提案の法案が四本ありまして、きょうは二本分についての質疑をやっているわけですね。時間が少ないものですから、結局各党が短い時間を分け合わなければならぬという状態ですけれども、まだ二本残っていますから、この二本についての審議というのもできるだけ時間をかけて審議をするという意味も含めて私は今申し上げたわけでございまして、今後の運営についてぜひ委員長配慮をいただきたいと思うわけです。  佐藤先生外二人の方の提案されております学校教育法の一部改正法案でありますが、私は、主として学校事務職員の問題を取り上げたいと思います。  法案としては養護教諭の問題が入っております。これは今までも何遍も論議をしてきているわけでございますけれども、なかなか前に進まないという歯がゆさ、それを感じているわけですが、養護の場合につきましても、例の学校災害の問題が起こりましたときに、学校安全会の法律改正の問題がありまして、この委員会に小委員会までつくって、そして給付その他を改善した法律改正が行われたわけです。そのときに、養護教諭の方たちが大変現場において苦労しているという問題が実態として随分出されまして、その上にさらに学校安全会の議論まで持ち込んでくる場合、ますます仕事はふえるのじゃないかという問題が論議されたことを今思い起こすわけでございます。そういう意味では、たしか今有島さんの質問に対して、事務量がふえている、仕事が複雑化しているということについては文部省の方も認めでおられるわけですね。当然それはそうだと思います。  ところが肝心の問題について、学校教育法二十八条一項で、校長、教頭、教諭、養護教諭とともに置かなければならないとされていますところの事務職員の場合も、ただし書きの問題で「置かないことができる。」という規定によって、全校配置がなされていないまま今日に至っているというこの事態をどうするかということなんです。この問題は、今言いましたように随分論議されてまいりまして、学校経営あるいは学校教育における事務職員の職務の重要性にかんがみて、どうしても全校に配置すべきだという声が強いわけですね。そして、絶えずその要請が国会に対しても出されております。  しかも、国会はそれならどうかというと、昭和四十九年五月十日の教職員定数法案の附帯決議で「養護教諭及び事務職員の全校配置と二人以上配置のための学校教育法の改正を図る」という決議をしているわけです。それから昭和五十三年十二月二十一日には、これは提案者のお一人である木島さんが小委員長をしておりましたが、定数問題小委員会をつくりまして、ここで再び決議をして再確認するわけです。  あのときのことを私はよう忘れぬわけですけれども、昭和五十三年十二月二十一日の夜遅くまでかかって、前に行われた全会一致の附帯決議を再確認するかどうかということで、今文部大臣をされている森先生も当時その小委員会に来られて最後の調整を行ったとき、大変事態はもめて、決裂寸前まで行ったわけです。しかし、この問題はどうしても全会一致でやるべきだ、しかも小委員会は一年間にわたって論議をしてきたじゃないかということで、決裂して廊下まで皆出る中で、また一緒に戻ってきて、そして再度確認をした。これが附帯決議の中身なんです。  だから、この教職員定数法に関する附帯決議の二回の確認というのはただごとじゃない。本当に苦労した。しかも小委員会までつくって一年間論議した末に、与野党の間にまさに火花の散るような論議が行われて、しかし、やはりここで決議をしなければだめだということで再確認をしたのがあの附帯決議であります。したがって、私は、この附帯決議は重みを持っておると思うわけでございますけれども、しかし実態としては、ただし書きは削除されないまま今日に至っているわけでございます。私は、この点は改正をしなければならぬ、こういうふうに思っております。この辺の事情は御承知だと思いますが、文部省、この点について、どういうふうにこの重みを受け取っておられるか、伺っておきたいのです。
  220. 高石邦男

    高石政府委員 昭和四十九年の標準法改正時の附帯決議で「養護教諭及び事務職員の全校配置と二人以上配置のための学校教育法の改正を図るとともに現行法の下においても学校数の四分の三という機械的な数字にかえて、例えば、きわめて小規模な学校だけを例外とするような措置に改めること。」こういう内容になっております。  そこで今次の、五十五年から六十六年の第五次十二カ年計画の定数改善計画は、相当、事務職員、養護教諭については前向きの対応で目標値を定めていると思っております。ちなみに申し上げますと、事務職員、養護教諭とも最終年度は九六・四%までの配置率ということを目指した定数改善計画であるというふうになっているわけでございます。
  221. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっとその問題をおいておきまして、提出者の方にお伺いしますが、提出されました法案の提案理由の中で、学校事務職員の職務は極めて多方面、複雑多岐にわたっていることが挙げられております。また、事務職員には速やかな連絡調整機能が要求されるということも言われておるわけでございますが、これらの提案理由に関連しまして二、三点お伺いしたいと思うのです。  一つは、昭和二十二年の学校教育法制定当時から今日に至る三十七年間に、事務職員の仕事の内容がどのように多様化し、複雑化し、増大していっているかという点について、具体的な事例がございましたらお示しいただき、御説明いただければ幸いと思います。  次に、小規模学校にも事務職員を配置する必要性について伺うわけでございますが、大規模校より小規模校の方が事務量が少なくなるのは当然であるとしても、例えば文書、統計、給与、福利厚生その他さまざまな学校事務はいずれも、大規模校であれ小規模校であれ、やらなければならない共通の事務項目であると思います。そのために、事務職員のいない学校では教諭が授業やクラブ活動の合間を縫って、悪い表現をするならば片手間に学校事務を行っている、そうせざるを得ないという実態があると思います。その辺の実態も含めまして、なぜ小規模校でも事務職員が必要なのかという点について、お考えがございましたらお伺いをいたしたいと思います。いかがでしょう。
  222. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 今質問されたことも、基本にありますのは、学校事務職員の全校配置の必要性はどなたも認めているわけです。しかし、その隘路になっているのが今御指摘にありました学校教育法第二十八条一項のただし書きですね。したがって、それが法律上の一つの隘路になっているわけでございますから、私たちが提案した改正案においては、このただし書きの削除ということを基本に据えているわけでございます。  この点については、先ほども先生指摘されましたように、たび重なる附帯決議の中で、養護教諭を含めてですけれども、何遍かごの特例措置、特別措置、経過措置の削除についてやってきましたし、また今も言われました昭和四十九年でしたか、その中では全校配置、複数についてまで、しかもそのために学校教育法を改正すべきだということまで言っているわけですね。これは、私が先ほど言ったような国権の最高機関である国会の決議というものは、当然行政当局がそれに基づいて改善すべきことはしなければならぬわけです。それが、いまだにそういうことをやっていない。つまり、具体的に言うならば、二十八条第一項のただし書きの削除をやっていない。したがって、私たちはやむを得ずして本法案を出したという経過になっているのです。したがって、そういう中で中心になっている二十八条第一項ただし書きを削除する、養護教諭でいえば、十二項の養護助教諭をもって養護教諭にかえることができるという代替措置、それから百三条の当分の間置かなくてもいい、このことを何とかしなければ、事務職員、養護教諭の全校配置ができない、こういうことで今改正案を出したわけです。  今政府側の答弁が、このたびの第五次計画で云々ということの中で九六%と言っておりますけれども、これは六十六年ででしょう。これでは私たちの長年の附帯決議なり要望からいうとほど遠い措置でありまして、少なくとも先ほどありました昭和六十四年までには養護教諭必置、それから事務職員も全校必置ということでやりたいというのがこの趣旨であるということを、まず最初に私は特に強調しておきたいと思っておる次第でございます。  そこで、今いろいろ御質問ございましたが、何点かにわたっております、簡潔に申し上げますが、制定当時に比べて事務職員の仕事がどのように複雑化あるいは増大してきたかという具体的な事例等のことがありました。  制定当時は、どちらかというと学校プロパーの事務、教職員の給与とか福利が中心でありましたけれども、その後は学校の規模の拡大なり学校教育教育の深さというものに関連いたしまして、事務職員あるいは事務としてやるべき範囲が、教諭は教育をつかさどるがその学校教育活動の事務は事務職員がつかさどる、こういう学校教育活動の両輪であるという位置づけが明確になることによって、今指摘されたような、年々その事務が複雑、多様化、私から言うと高度化してきたと言えると思うのです。  いろいろ細部にわたりますから項目だけちょっと申し上げますと、今日の時点では、学校予算の編成と執行、それから教職員の権利を実現する仕事、例えば扶養手当とか住宅手当、通勤手当その他福利厚生全体に関するもの、それからまた学校の施設設備、物品の管理、改善等のもの、それから先ほどありましたような個々の教育に直接関係のある子供の就学保障の問題、さらにまた今日的には地域の父母、住民との連絡調整のこと、さらにこのような情報社会におきましては情報処理の仕事など、非常に多様そして多量、高度化してきているというのが実態だと思います。  それから、二番目に小規模校のことがございました。この指摘は極めて重要なのでございまして、学校教育法二十八条一項の中で「ただし、特別の事情のあるとき」というこのことについて、昨年この問題で議論したときに文部省側は、財政上の理由も根拠になるが、同時にこれは、学校にとって校長や教諭はどうしても置かなければならぬけれども、事務の場合はまあまあいいのではないか、小規模の場合にはそういう点で、校長、教諭は置かなければならぬけれども、事務職員はこの際勘弁してもらってもいいのではないかというような趣旨で、この「特別の事情のあるときは」ということで除外してもいい、そういう趣旨のことを述べられたけれども、私は、これは極めて遺憾な、しかも学校の実態を知らない発言あるいは答弁だと言わざるを得ないわけです。先ほど申し上げましたように、規模が大きかろうが小さかろうが、学校教育活動には、教諭が教育をつかさどる部分と、学校教育活動のためにどうしても必要な事務がありますから、その事務をつかさどらなければならぬという分野があるわけです。これは大規模であろうが小規模であろうが同じだという、この教育活動に対する基本的な考え方を押さえなければならぬというのが第一点であります。  それから、規模が小さくても大きくても、どうしても必要な最小限度の共通の事務はあるわけです。これは常識的にわかります。ですから、これは当然必置しなければなりませんし、必置しなければ、例えば子供教育なり教職員の権利について、その専門家がいないことによってその権利が全うできない部分もあります。そして、そういう小規模の場合には先生方が非常にたくさんの仕事、校務分掌を持ちながら、さらに加えて事務職員がいないために事務の仕事を持たなければならぬ、こういう実態にあるわけですから、私に言わせるならば、むしろ小規模校ほど早くやっていかなければならぬし、それとあわせながら、規模に応じてその事務職員の人数をふやしていく、こういう両面を転がしていくということが必要だということを考え、特に質問がありました点については強調したいし、そしてまた、先ほど言ったように、二十八条一項のただし書きをそのような形で解釈し、そのようなことで小規模校は勘弁してもらっていいんじゃないかというような考えがあるならば、まさにこれは重大な認識の欠陥であるというふうに言わざるを得ません。  次に、連絡調整の問題ですが、これは今申し上げたように、学校には教諭、それから事務、大づかみに言えばそういう二つの系統があると思います。校長を初め教諭は、その専門職として学校の管理、それから児童の教育をつかさどっているわけです。そういう専門的な仕事に入っています。ところが、学校というのは一つの有機体であり、組織体ですから、いろいろな問題が出てきたときにそれらを、全部それぞれ専門的に横たわっている仕事を連絡したり調整する機関がなければ、学校はまともに動きません。それは内的にもそうですし、外部に向かって、PTAその他県教育委員会等に対しても、市教委についても同じです。そういう調整の中心にあるのが事務室であり、事務職員であり、その機能を失えば学校の有機的な運営なり本来の効果ある教育活動はできないということが言えると思っております。  それから、事務職員が非行問題の対策やら課外クラブ活動に協力している実態云々のことがありました。この問題を議論しますと、ある人は、法令にはっきりあるじゃないか、校長は学校を管理し、教諭は児童の教育をつかさどり、「事務職員は、事務に従事する。」ここが問題なんですけれども、私は事務をつかさどるということだと思いますが、法令上は「事務に従事する。」となっています。したがって、それぞれ職分があるのだから、事務職員の皆さんは、そんな教育に直接関係あるクラブ活動とか非行の子供たちのことはやらなくたって、事務に従事さえしていればいいじゃないか、こういうことを言われますけれども、これは学校の実態を知らないのだと思うのです。教育活動というのは、直接子供を扱う部分とそれからその教育活動をより効果的にあらしめるための事務をつかさどる部分がありますから、そうなりますと、学校の事務というのは一般行政事務と違いまして、教育的な側面から重要な事務だというふうに理解していかなければならぬ。その点で教育活動と接点があります。  それからもう一つは、同じ屋根の下におるわけですから、先生方が少なければどうしたって子供に対して、クラブ活動なり非行生徒の問題に対して扱うというのは当たり前なんです。避けて通れない問題です。ですから、そういう問題を実態に即して考えていったときに、事務職員の全校必置は必要でありますし、特に学校事務あるいは学校事務職員の場合には、教育という専門性を持ちながら事務に従事し、あるいは事務をつかさどり、そしてそういう事務職員としての研修、素養を持たなければならぬということを、せっかくの質問でございますので、むしろこの際強調して、私の答弁にさせていただきたいと思います。
  223. 山原健二郎

    ○山原委員 今の問題は大変明確にわかりました。  事務量がふえたというだけでなくて、今日問題になっている非行や校内暴力の問題を初め、まさに臨時教育審議会をつくらなければならぬと政府が言っているくらいの問題が学校現場にあるときに、事務や養護の先生方の果たしておる役割は非常に大きいのです。本当に救いなんですね。そういう意味で、学校を構成するメンバーとして教育に携わっているこの人たちの仕事の重要性は、非常に高くなっているということを私は痛感いたします。他の国へ行きましても、本当に子供たちに対してそういう手が届いているわけですね。そういう大事な人は必ず配置している。いかに貧しくとも一貧しいといっても経済大国第一一位と威張っている日本で、子供を育てていくこの重要性に対して、貧しくともこの大事なスタッフを配置するという気構えは本当に必要だと私は思っています。  その意味で、もう時間がございませんが、教職員定数法の問題が依然として問題になっております。これは先ほども出ましたけれども、去年論議されましたときに政府はこう答弁しています。これは鈴木勲さんですけれども、先ほども出ましたね。「大臣もたびたび申し上げておりますように、最終的な目標の計画は変更していないということでございますので、今後の改善に努力をいたしたい」、また別のところでは「いわゆる行革関連特例法におきましては特例適用期間を五十七年度から五十九年度までの間と明定しておりますので、五十九年度までは抑制をされるわけでございますが、この年度が外れました場合にはこの法令の趣旨といたしましてはもとのあれに戻っていくということであろうと思います。」やはりこういうふうに答えているわけですね。この政府の方針、文部省の方針というのは変わったということをまだ聞いておりません。したがって、この定数是正ということについては、四十人学級の問題を含めて随分論議されてきましたのできょうは時間の関係で問いませんけれども、本当にこの問題は重視をして、法律を無視するようなことを文部省がしてもらっては困るということを申し上げておきたいと思います。  最後に、この問題に関連しまして提案者にお尋ねしたいのですが、もともと全校配置が当委員会の意思でございます。その趣旨に沿って法案をまとめられたことに対しまして、私は敬意を表したいと思います。  そこで、この法案では、昭和六十四年の四月一日をもって養護教諭、事務職員を置かなければならないことになるわけでございます。つまり、現在から五カ年計画でやるという内容でございます。一方、現行の教職員定数法に基づく第五次計画では、昭和六十六年四月一日時点でも約九六%の配置率にとどまる内容になっているわけでございまして、この六十六年も財政再建が怪しくなっているというのが予算委員会における政府答弁の中身でございます。そうしますと、この二つの法律の間の矛盾をどうされるかということです。今回提案されました法案が成立しました暁には、当然教職員定数法の規定をこれに合わせるよう改正を図っていくというふうに理解をするわけでございますが、そのように理解をしてよろしいでございましょうか。提案者の見解をお伺いをしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  224. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 六十六年になってもまだ九六%という、このこと自体が問題だと私は思うのです。したがって、私たちは、先ほど改正案で提案しているように、少なくとも六十四年には一〇〇%ということを言っているわけです。  そこで、今御指摘のこの改正案が通った場合どうなるかということでございますが、両法の関連、これは後法優先の原則によりまして、私の方の改正案が遅く通るわけですから、したがってそれに基づいて、今の定数法とのふぞろいの部分は、今の私たちが提案した法律に伴って直していくということに当然なると思いますし、またそうしなければならぬと思っております。  以上です。
  225. 山原健二郎

    ○山原委員 終わります。
  226. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 佐藤徳雄君。
  227. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、事務職員の問題と養護教諭の問題について、最後の質問者となりましたので、幾人かの方が質問をされ、そしてお答えをいただいたわけでありますけれども、締めくくりの意味で提案者並びに文部大臣文部省の方にお伺いをしたいと思います。  問題は、学校事務職員あるいは養護教諭の問題につきましても、ただいまのやりとりをお聞きいたしまして、何といっても学校教育法第二十八条、そして百三条の関係がネックになっていると考えざるを得ないわけであります。これは条文を読まなくても既にお答えの中でもはっきりいたしましたが、まさにそのとおりでありまして、学校教育法第二十八条第六項には「教諭は、児童の教育をつかさどる。」と確かにあります。そしてまた同条八項には「事務職員は、事務に従事する。」こうあるわけなのであります。私は広辞苑を調べてきたわけでありますけれども、「従事」するということは「仕事に従うこと。」あるいは「仕事にたずさわること。」である、実はこう書いてあるわけであります。また「教諭は、児童の教育をつかさどる。」という、その「つかさどる」という意味合いは、「官職として担当する。」あるいは「役目として担当する。」こう簡単に実は解釈が載っているわけなのであります。  提案者に、先ほど見解が明らかになりましたけれども、改めてお尋ねをいたします。お答えをいただいてから幾つかの事例を申し上げたいと思いますけれども、学校事務職員の仕事の今日的実態から見て、「従事する」という表現は適切だと思いますかどうですか、お答えをいただきたいと思います。
  228. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 確かに学校教育法二十八条の八項に「事務職員は、事務に従事する。」こう明記しております。私は、この表示は適切ではないというふうに思っております。  と申しますのは、今質問者は広辞苑からずっと説き起こして言われましたけれども、私も調べてみると、小中学校の事務職員については、教職員定数法第二条三項で「地方自治法第百七十二条第一項に規定する吏員に相当する者」というふうにされているのです。そうして地方自治法の事務吏員は、同法第百七十三条第二項で「上司の命を受け、事務を掌る。」、「事務に従事する。」とは書いてないのです。「事務を掌る。」と規定されております。したがって、学校事務職員の場合も「つかさどる」と言うのが至当だというふうに考えます。したがって、この二十八条八項の「事務に従事する。」は「事務をつかさどる」というふうにかえていくのが至当だというふうに考えております。そしてまた、実際学校の事務の仕事に携わっておる皆さんの実態から見ても、「従事する」ということはふさわしくないし、なじまないと思うのです。  学校は、先ほども申し上げましたような学校教育活動の一面の分野である事務、つまり教育の専門性とのつながりでやっておりますし、人数も少ないのですから、したがって、常に学校教育活動全体を見て判断していかなければならぬ。したがって、常に指示だけで動くというような立場にはないわけでございます。そういう意味で、「従事」ではなくて、学校教育活動の全般を見ながらその事務的な分野を「つかさどる」、これが適切だというふうに私は考えますので、あなたの質問という意味での指摘に対して賛成でございます。
  229. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 学校事務職員の職務の内容あるいは位置づけ等につきましては、既に提案理由の中で述べられておるとおりであります。これは、先ほど有島委員がそこを引用されまして朗読をいたしましたとおりでありますから、再度読み上げることはいたしませんけれども、私は、文部省の方はよく聞いていただきたい、こう思うのであります。  それは、学校教育の現場では、児童生徒、教師、父母それぞれが、学校に入れば「事務員さん」なんては呼んでいないのであります。私の経験でも、子供たちでも親でも、それから先生方でも、みんな「先生」と呼んでいるのであります。それだけに、事務職員の皆さんは完全に学校教育の中に組み込まれておる、つまり一般行政の事務とは異なっている職種なんだということが既に社会的に定着している、私は実はこういうふうに判断をしているところなんであります。  今日、事務職員全校配置の問題を議論するに当たりまして、今までありました幾つかの事柄について私は思い浮かべるわけであります。例えば学校に宿日直があったときに、私どもは多くの悩みを持ちました。そして、だれもが小規模校に行きたがらなかったという事実は否定できないことなのであります。それは小規模校に行きたくないという意味ではなくて、宿直や日直の回数が非常に多い、私が指摘するまでもなく御承知のとおりであります。とりわけ宿直というのは、男子教員が少ないことから一週間に三回ぐらい学校に泊まっていたという事例というのは、実は当時たくさんあったわけなのであります。そういたしますと、当然その教師の健康問題や家庭問題が大きくのしかかってくることは事実であります。そして私ども、宿日直から解放して教育に専念をさせる、この目的のために一生懸命運動したことを私は今思い起こしているわけであります。  同時に、このことを小規模校における学校事務の問題に当てはめてみますと、学校事務の問題は小規模校については極めて深刻な問題となっていること、これまた事実なのであります。小規模学校なるがゆえに事務職員がおらない、山原委員質問の中あるいはお答えの中でもありましたけれども、ただし書きがある、そのために学校に事務職員が置いてもらえない、だからそのための事務というのは教頭を含めた教員が行わされているという実態に今日までもあるわけであります。ですから、特に児童生徒を受け持ちながら授業をやり、教材研究や調査に追われながら過重な事務負担が加わってきているだけに、小規模校における事務担当者の状況というのは容易でない状態にあることが今日なお続いていることを文部省はよく知っていただきたい、こう私は思うのであります。  そこで、そういう事例の上に立ちながら幾つかの問題について私はお尋ねをしたいと思っています。  つまり、学校教育法二十八条一項のただし書きの関係だとは思いますけれども、今申し上げましたような現場が置かれている実態を文部省は一体どのように把握をしておられるのか、お答えいただきたいと思います。
  230. 高石邦男

    高石政府委員 戦後、事務職員、養護教諭も同じでございますけれども、この配置率を高めていくという努力をやってきたわけでございます。ちなみに申し上げますと、昭和三十三年当時は事務職員の配置率は二五%程度であったわけでございます。それが第一次、第二次、第三次、第四次と改善されまして、現在は八〇%を超える、八十数%になっていると思います。これを先ほど申し上げましたように第五次計画では九六%まで高めていくという努力をしてきているわけでございます。したがいまして、この改善について政府は終始一貫前向きの姿勢で対応してきたというふうに言えるかと思うのであります。  ただ問題は、小規模学校の、例えば一学級で二人ないし三人しか子供のいないようなところまで例外なく事務職員を配置すべきかということについては、特に最近のように公務員の効率的な配置ということが言われているときに、それが国民に、なるほどそういう二人、三人の学校にも事務職員を配置すべきだというふうな大方の理解が得られるかどうかという点は、この六十六年度の第五次の計画が達成された暁の状況を踏まえて考えてしかるべき問題ではないか。そして、現に事務職員が学校の教職員と一体となって学校教育に大きな役割分担を担って仕事をされているということについては、御指摘のとおりだと思っております。
  231. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 先ほどの山原委員質問の中で附帯決議の問題が出されました。確かに調べてみますと、五八年四月十六日、六一年三月三十一日、六二年三月三十一日、七四年五月十日、いずれも附帯決議がされている記録があるわけであります。先ほどのお話ですと、現在の森文部大臣もこの点について参画をしたというお話がありましたが、この附帯決議の内容を具体化するためにこれからどのような措置をしようとしているのか。参画されました文部大臣の見解をお尋ねしたいと思います。
  232. 高石邦男

    高石政府委員 この法律改正に当たりまして、こういう附帯決議があったし、そういうことを踏まえて具体的な第五次五カ年計画の年次ごとの対応を考えていかなければならないというふうに思っております。
  233. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 局長の先ほどのお答えの中で、充足率の問題についての見解がありましたけれども、文部省は、最終年度九八%にするということを公表していたはずだと思います。その後、先ほどの答弁のように九六%になっているわけでありますが、九六%に変えたその理由は何でしょうか。
  234. 高石邦男

    高石政府委員 第五次の教員の配置改善の計画をつくる際に、四十人学級の問題、配置率の改善の問題、それを総合的に改善していく、その際にいろいろな計数が作業の過程ではじかれてくることは当然あるわけでございます。しかし、最終的には法律の形としてでき上がったものをもとにして推計いたしますと、九六・四%というのが現時点における推計でございます。ただし、これは児童生徒数が例えば三学級以下の、学校の規模が非常に少なくなるということになると、これは配置率の内容が改善されていくということでございますので、あくまでも推計でございますので、一学級、二学級の学校が今の推計よりも非常に減少していく、そういう結果になると、この配置率の改善はもっと高まっていくというふうに思うわけでございます。
  235. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それではその答弁に関連いたしまして、次のことをお尋ねしたいと思います。  行革関連法で、教職員の定数増が三年間抑制を受けている、そういう中で文部大臣、大変な御努力をいただいていたと思います。学校事務職員については五十九年度、御承知のように六名の増が認められていることについては、私は一定の評価だと思っています。ただ、今の答弁の中で、さらに突っ込んでひとつ具体化していただきたいその第一は、六十年度の自然増を幾らに見ておられますか。
  236. 高石邦男

    高石政府委員 六十年度の定数の基礎になります児童生徒数の実態調査を今やっておりまして、八月末までに大蔵省に、通常でありますと予算要求をしていくという作業をしていかなければなりませんので、現時点でまだそこまでの作業を諦めておりませんので、六十年度何ぼになるかということを今の段階で申し上げることができないのでございます。
  237. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それはいつごろになればわかりますか。
  238. 高石邦男

    高石政府委員 具体的に文部省が大蔵省に対して教員定数を何ぼ要求したかというのは、八月の末に明らかになると思います。
  239. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 明らかになった時点でその数を示していただきたいと思います。要望しておきます。  それで、これは推定になるかと思いますけれども、六十一年度以降の自然減、児童生徒の減少に伴う自然減、この数字を、推定だと思いますが、年度ごとに明らかにできますか、できませんか。
  240. 高石邦男

    高石政府委員 先ほど申し上げましたように、今調査をしておりますので、今の時点で明らかにすることはできないのでございます。
  241. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 明らかになった時点でひとつ資料の提示をお願いしたいと思います。  多くの皆さんが、今日置かれている学校の事務の実態、そしてさらにまた全校に配置をするその必要性、これを多く主張もされ、あるいは提案者の方からも具体的にその中身についてのお答えがありました。特に附帯決議の問題も、先ほど来から論議をされておりますように現実として残っているわけでありますから、これは単に議員立法だという受け流してはなくて、まさに重みのある議員立法でありますから、文部大臣初め文部省皆さん、十分検討していただいて、これが成立できるような条件整備をぜひお願い申し上げたい、こう思っているところであります。  さて、養護教諭の問題について触れてみたいと思います。  養護教諭は、御承知のように一九四一年、昭和十六年でありますが、これが職制化されて以来、実は子供たちの生命や健康を守るための重い任務を果たしてきたことは、私が言うまでもないと思っているわけであります。とりわけ戦後の混乱期における子供たちの疾病上、栄養失調、結核、寄生虫など、いわゆる国民病と呼ばれていたわけでございますが、これらの問題に対して数々の対策、これは実は養護教諭の献身的な働きによるものだと私は思っているところであります。そして今日、そのことが、当事の子供たちが成長し、そして今お母さんとなり、お父さんとなっているのでありますけれども、その子供たちの健康づくりに効果を上げてきたその役割というのは、大変重要だなというふうに私も思っています。特に私は、かつて教育現場で保健主事を何年間か務めた経験がありますから、養護教諭の皆さんのその仕事の中身の大切さ、そして多忙さ、そしてその真剣さをだれよりも私は知っているつもりなのであります。  ところが近年、子供たちの成長発達は、先ほどからも議論がありますとおり、目覚ましいものが出てきています。さらに、受験競争によるところの子供たちの異常なほどの精神的な作用、そしてそれから来るところの矛盾と悩み、それらのことが新しい課題として実は養護教諭の皆さんに加えられてきていることも実態として出されてきているわけであります。いわば子供たちの心の病の相談相手として、今日、養護教諭の任務というものは大きな役割である、こうさえ言われているわけであります。  そこで、提案者並びに文部省お尋ねしたいのでありますけれども、養護教諭の果たしてまいりました、とりわけ戦後から今日まで、その役割についての評価をどのようにされておられまするのか、お答えをいただきたいと思います。
  242. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 子供の成長にとって、健康と安全は極めて重要なわけでありまして、子供の全面発達を担う教育分野については、特にそのことが強く要請されていると思います。したがって、その健康管理、その成長を正しく指導するという点で、近年に至りまして特にこの養護教諭の任務の必要性ということが強調されることは御案内のとおりでありまして、またそのとおりでございます。  特に今の質問の中で指摘がありましたように、最近の子供の成長の著しいそういう状況なり、あるいは特にこの教育の荒廃の中での受験競争、それに伴う子供の発達障害なり情緒障害等を考え、さらに心の病等を考えますと、この養護教諭必置の必要性はどなたも認めるところだと思います。まあマスコミその他でも報道されておりますように、子供と教師の間というのは、心ならずもなかなかぴたっといかない状況があります。その中にあって、子供たち学校の中で休息の場として求めるのがこの保健室だとも言われておりますし、そういう健康のことやあるいは身辺の自分の心の悩みまで訴えられるのが養護教諭だというふうに私も聞いているわけです。そうなりますと、今まで以上に、心身の発達という側面からだけではなくて、そういう今日の教育荒廃の立場からいっても、私はこの養護教諭の必置の重要性というものを特に認識しているわけであります。その中で法律上隘路になっているのが御承知のとおりの第二十八条の十二項でしたか、そこにありますような養護助教諭で代替できるということ、さらに第百三条の当分の間置かなくてもいいという経過規定、これなどが今日までの法律上の大きな隘路になっておるものですから、そのところをまず取り払わなければならぬということで提起をしているのがこのたびの改正案でございます。  そういうことで、全校必置については、先ほどからもありますように、国会におきましてもたびたびそれが附帯決議をなされ、しかも全校配置の上にさらに複数配置を加えてこれが国会の決議になっているわけです。行政当局が国会で決めたことをやっていただくならば、わざわざ我々がこのような法律案を出さなくてもいいのですけれども、残念ながら至っていないということのために出しているわけであります。そういうことで、この国会の附帯決議がそのような形で行政当局に扱われているということは、単に怠慢の域を超えまして、国会を軽視しているというふうに言わざるを得ないのでありまして、私は甚だ遺憾に思っているところであります。したがって、そこのところを十分文部省当局も反省をされまして、私たちのこの法案が速やかに通るようにそれぞれの立場から十分なる協力を求めて、私の答弁といたします。
  243. 高石邦男

    高石政府委員 養護教諭は、学校の保健情報の的確な把握、子供たちの保健指導、救急措置、健康診断、健康相談の実施、学校環境衛生に関すること、その他もろもろの仕事をしていく、極めて多岐にわたる職務内容に従事しているわけでございます。したがいまして、それらの職員が十分に専門的な知識を生かしながら子供たちの健全育成、健康管理、そういうものに努めていくことが必要であろうと思います。  そこで、先ほども申し上げましたように、戦後非常に配置率の悪かったのを終始前向きに対応して、国の財政状況の関係も当然考慮しなければならないわけでございますが、現在の十二年計画では九六・四%まで養護教諭の配置を持っていきたい、事務職員と同様にそういう前向きの対応で進めてきているわけでございます。  ただ、現在の時点で当分の間置かないことができるとなっているわけでございますが、それは今までは養護教諭の資格を持った人を必ずしも十分に得ることができなかったという事情と財政状況、そういう両面からそういう規定が置かれておりますので、先ほど来申し上げておりますように、現時点でこの規定を削除して全部必置にするということについては、なかなか実現が難しい問題であろうし、行政としてそこまで責任を今直ちに負うということはできかねると思っている次第でございます。
  244. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 養護教諭の皆さん方の仕事に対して評価をしながら、直ちにできない、いろいろな財政事情があることは知っていますけれども、今局長答弁されましたことは前向きの姿勢とは受け取れないというふうに私は思っているわけであります。自分答弁に矛盾を来さないように十分ひとつ心しておいていただきたい、こう思います。  さて、今第五次五カ年計画の問題がお答えがありましたけれども、たしか文部省はこれを実施するに当たりまして、四学級以上の学校のうち極めて隣接校の小中学校に一人、こういうふうに指導してきたと思います。ところが現状は一体どうかといいますと、そんなものではないのです。これは各県の教職員組合の調査をいただきましたが、四校も五校も養護教員の先生方が兼務をさせられているという実態が実はあるわけであります。例えば長野、福島、岩手、山梨、群馬、青森、秋田、滋賀等については、それが端的に実はあらわれてきているわけであります。あるいはまた御承知のように予防接種の問題に入りますと、当然市町村でやるべきものや、あるいは甚だしい例として出されてきておりますのは、農協の扱う団体生命などの代用審査まで押しつけられているという例さえ実は報告されてきているのであります。さらに、事務職員の問題は先ほど触れましたけれども、事務職員がいない学校には未配置ということで給与事務までやらされているという実態のあることも、これまた現実的な問題なんであります。このような実例というものを文部省は一体どういうふうに把握をしておられますか。そして、どういう認識を持っておられますか。
  245. 高石邦男

    高石政府委員 先ほどもしばしば答弁申し上げておりますように、漸次養護教諭をふやしていくという政策をとってきているわけでございます。そして、その過程として、例えば小規模校の多い市町村において、中心校に養護教諭を配置してその管内のほかの学校の仕事も分担してもらうという兼務発令をしているケースが、府県によってあることは承知しているわけでございます。したがいまして、そういう実態の過程をとりながら学校保健の仕事を十分果たしていきたいということで、その間大変御苦労でございますけれども、そういう勤務の形態を県によってはしているということは承知しておりますし、これが漸次養護教諭の定数、配置率が高まっていけばそれも漸次解消されていくということであろうかと思うわけでございます。
  246. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 承知していれば当然指導が加わってしかるべきなんです。その指導の部分については触れないで、承知だけしていたんでは困るのですね。これは文部省の怠慢と言わなければなりません。  そこで、改めてお尋ねをいたしますが、養護教諭の本務とは何ですか。明確にひとつ答えてください。
  247. 高石邦男

    高石政府委員 法律の規定で明確にされておりますように、「児童の養護をつかさどる。」というのが養護教諭の職務でございます。(笑声)
  248. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 今笑い声が出ましたように、そんなことを私は聞いているのじゃないのです。幾つかの事例を先ほど私が言ったはずであります。本当に子供たちの命を守る、健康を守る、そういう立場に立って養護教諭の先生方がどんな苦労をしているかということはおわかりだと思うのですよ。そんな官僚的な答弁で私は納得するわけではないのであります。だからもっと具体的に、例えば——私が言ってしまったんでは文部省の言い分がなくなりますから言いませんけれども、養護教諭の任務というのは、あるいは本務というのは、確かに先ほどの短い答弁の中で終わるかもしれません。だが、それだけではないということなんであります。そこに専念させるために先ほど挙げた事例をなくしていく、そういうことで行政指導をしていただきたいと思うのですが、どうですか。
  249. 高石邦男

    高石政府委員 先ほど事例を申し上げたように、養護教諭は、学校保健の情報を処理する、児童生徒の保健指導を行う、救急措置に対する仕事を行う、児童生徒の健康診断、健康相談に関する業務に従事する、学校環境衛生の実施に関する仕事を分担する、学校保健に関する各種の実施計画の立案や教員の行う保健教育の協力を行う、事細かに言えば相当な時間をいただいて説明しなければなりませんので、主な柱を先ほど申し上げて、再度の御質問でございましたので簡単にお答えしたわけでございますが、そういう非常に複雑な、多岐にわたる仕事に従事されている職員が養護教諭としていらっしゃる、その人々の協力のもと子供の健康管理、学校の安全管理というものに成果を上げていかなきゃならないということも申し上げたわけです。そういう職種であればこそ、戦後は二五%くらいの配置率であったものを、今当面九六・四%の配置率に持っていくという、政府は終始一貫前向きの姿勢で対応してきたということを説明申し上げたつもりでございます。  なお、九六・四%では足りないから全校必置にしろという御指摘がこの法案の趣旨であろうと思います。したがいまして、その計画達成の暁に次なる状況判断で対応していかなければならない、基本的にはそう理解しているわけでございます。
  250. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 いま少し現場の置かれている実態というものをつぶさに把握をして、そして改めなければならない問題については的確な行政指導をする、これが文部省の大きな任務であろうと私は思いますし、特に教育に対して意欲的な森文部大臣でありますから、どうぞひとつ現場の養護教諭の皆さんともひざを交えて語をし、そして改善するべきものがあったら改善していく、そういう姿勢をぜひ文部大臣にも示していただきたい、こう思っておるのであります。  学校給食の問題で中曽根さんと仙台の学校へ行かれたようでありますけれども、あの学校、調べましたら文部省の優良校でありまして、そういう学校でない学校をぜひ見てもらわないと本当のことが把握できないのじゃないか、こう思いますので、これは大臣学校を歩いてもらう際にひとつお願い申し上げておきたい、こう思います。  高石局長の方から先ほどお話がございました。そこで、これはひとつ大臣にお答えをいただきたいわけでありますが、いわゆる九大学十課程の四年課程の実現を見ただけで、一九七九年以降はその増設はストップされているわけですね。文部省責任ある養成政策、これを打ち出すべきだと私は考えますけれども、今後における養成計画をどのように文部省はお持ちになっているのか、これは大臣の方からひとつお答えをいただきたいと思います。
  251. 森喜朗

    森国務大臣 先般仙台に参りましたのは、給食を食べに行っただけじゃないのでありまして、幅広くいろいろと学校を見させていただきました。  私は大臣に就任いたしまして最初に、ちょっと委員会のお休みのときがありましたので、物すごい雪でしたけれども、中野区立の養護学校へ行ってまいりました。これからもできるだけいろいろな学校へ行っていろいろな角度から、そしてまた今先生から御指摘ございましたように先生方のお話も伺いたい、こう思っておりますが、何しろ委員会がたくさんございまして、なかなか自由な時間がとれません。また国会がゆとりが出てまいりましたら、先生からまた御指導いただきまして、できるだけいろいろな方々お話を伺いたい、こう思っております。  それから、先ほどから養護教諭のお話が出でおりましたが、私も大変大事なものだというふうに考えておりますし、局長からも御答弁申し上げましたように、むしろおくれておりましたものをできるだけ積極的に今日まで配置計画として取り組んでまいったわけでございます。先ほども、佐藤さんのときだったと思いましたが、ちょっと私も御答弁で申し上げましたけれども、もちろんそれはでき得る限りすべてを完備したい。四十人学級を含む第五次定数改善計画、これは午前中もちょっと申し上げたけれども、私もそのとき党の責任者でつくり上げたものですから、それは私も一生懸命、完全にそのことを全うしていきたいということを先生と同じような気持ちで願っております。しかし、財政状況もございますし、先ほど佐藤さんのときに申し上げたように、やはり政治ですから、どういう形で優先をしていくか。仮にそうした必置という規定がなくてもやるべきことはどんどんやっていこう、こういう考え方でいるわけでございますので、何とかして、多くのニーズに対してどのような選択をしていくかということは、これは政治の判断でございますので、私どもとしては積極的に取り組んでいっておるという姿勢はぜひ御理解をいただきたいと思います。  それから、お尋ねの大学の養成についてでございますが、具体的には、必要がございましたら事務当局からお答えをいただいた方が的確かと思いますが、今のこの計画で養成計画が大体間に合う、こういうような判断でいたしておるところでございます。
  252. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 せっかくのお答えですけれども、私は今ので間に合うとは考えていないわけなんであります。戦後から今日までの果たしてきた役割、必要性、それから重要性、これは私が指摘したわけでありますから、もっともっと養成政策というものを積極的に文部省は打ち出すべきだ、私はこういうふうに実は考えておりますので、内部的にも十分ひとつ御検討をいただきたいと思います。  時間ももうありません。それで、最後に一つお尋ねしたいわけでありますが、冒頭私が申し上げましたように、学校事務職員の問題あるいは養護教諭の問題は、学校教育法二十八条と百三条との問題がネックになっているということを実は申し上げたわけであります。  そこで、「当分の間」とありますけれども、「当分の間」とは何年続いたんですか。
  253. 高石邦男

    高石政府委員 昭和二十二年に学校教育法が制定されたわけでございますから、それから今日まで続いているわけでございます。法律用語として「当分の間」という用語が一般的に使われている場合は、大きな変化がない限りは、大体かなり長い期間こういう状態でいくという姿になっているのが一般的な法律で使われている「当分の間」の使い方でございます。
  254. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 やはり文部省の役人的答弁だなという感じを受けます。「当分の間」というのは、普通三十年もそれ以上も「当分の間」だとは私は理解してないんであります。極めて常識的でいいですから、世間一般に通ずる「当分の間」とは何年ぐらいを指しますか。
  255. 高石邦男

    高石政府委員 私たちが日常会話で使う「当分の間」というのは、それはいろいろ、その交わす内容によって相場が決まると思うのですが、法律では、一般的に「当分の間」と使われておれば相当長い期間を意味している。今までの法律の立法例で見ますと、大体そういう形で現在まで運用されているわけでございます。
  256. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 高等学校や大学の入試問題にそういう答えをしたら、私はだめだろうと思います。私は禅問答をしているんじゃないのであります。つまり、この議員立法を出している趣旨というのは、何人かの皆さんから指摘されましたように、あるいはまたお答えがあったとおり、今日極めて重要な問題であるがゆえにこれをみんなで賛成してほしい、そしていい教育をしてほしい、こういう願いからなんであります。「当分の間」、法律用語、何十年も続くということは常識的には普通考えられないわけでありますけれども、それは現実にそういう年数を追ってきたことは否定できないわけでありますが、しかし、これからまた三十年余を経過するということになりますと、これでもまだ当分と解釈できるのかどうかということになっちゃうと、私も非常に大きな疑問を実は持つわけなんであります。  そこでひとつ、最後の締めくくりでもありますから、大臣、「当分の間」を削除していくための展望をひとつお示しいただきたい、こう思います。
  257. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども申し上げましたように、必置の規定がない、そういう過程の中でおくれておりましたので、積極的に最大の配置計画を進めてきました。先ほどお答えが出たかもしれませんが、小中学校八五・四%ぐらい、それをさらに九六・四ですか、そこまで伸ばしていきたいという考えをいたしておるわけでございますから、「当分の間」ということに対するいろいろな解釈は御指摘どおりさまざまでございますけれども、そうした規定がなくても積極的に取り組んでいきたい、こういう考え方でございます。  したがいまして、先般の委員会でも中西先生から、いわゆる四十人学級も含めましての計画についての御質問がございました。たびたび申し上げておりますように、私はこの六十六年の到達年度、全体計画は変えてない、こう申し上げているわけでありますし、私自身も何とかしてこれを実現したい、こういう考え方でございます。文部大臣として微力でありますけれども、私の任期の間に、間もなく六十年度の概算要求の作業も始めるわけでございますから、こうした国会の御論議は私としましても大臣として大事に考えていきたい、こう思っているところでございます。この間、中西さんにおしかりもいただきましたけれども、仮に私は内閣を辞しましても、いずれ、私の選挙区の人が私を推してくれる限りは十年や十五年は政治家をやっていますし、その間は私は文教委員会に籍を置いて、一生懸命政治家としてもバックアップしてまいりますから、こうした先生方の法案提出、そしてまたこうした御論議が決してむだにならないように、文部省としても十分そのことを含みながら着実に実行できるように努力してまいりたい、こう申し上げておきたいと思います。
  258. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 「当分の間」というのは大変問題になりますけれども、大臣が「当分の間」政治的に頑張るそうでありますから、ぜひひとつそれをこの法律の中にも生かしていくことを期待もいたしますし、要望いたします。  同じ質問でありますけれども、提案者に、「当分の間」を削除する展望をひとつお示しいただきたいと思います。
  259. 佐藤誼

    佐藤(誼)議員 この改正案の中心になっているのは、言うならば一〇〇%必置、そのための隘路になっている「当分の間」の削除、百三条ですね、それから二十八条第十二項でしたか、養護助教諭をもって代替できる、これを削除する、こういうことですね。  ところが、今文部省答弁などを聞いておりますと、前は随分配置率が低かったのに今は八五%いったんじゃないか、これから九六%にいくんだからまあ立派なもんじゃないか、そこまで到達してまた次のことは考えますよ、こういうような考え方ですけれども、そこのところが、四%か五%の、これが全く文部省の思惑どおりいったとしても、その差なんですけれども、私なりの見解から言うと、発想においてかなりの違いがあると思うのです。  というのは、例えば先ほど九六・四%、それ以上のことは何にも出ておりません。しかし、先ほどの局長答弁によれば、小規模学校では事務職員、養護教諭まで置くことを地域の皆さんが納得できるだろうかという趣旨のことをちょっと言われました。私は、このことを考えると、これが四%なり五%を残しておくことになってしまうのじゃないかと思う。しかし、考えてみると、教育は升目や量でははかれないところに問題がある。百人の子供のうち九六%については、あなたの成長と健康は保障されるけれども、あとの四人の子供は山間僻地の学校、小規模だから、あなたはその恩恵に浴することは我慢してくれということは、教育の質からいったらどうなるのですか。私はこの議論は成り立たないと思うのです。したがって、一〇〇%という意味は、そういう子供の成長や健康に少なくともかかわること、そのためには一〇〇%やはりやって、すべての子供にそのことを与えていく、教育の機会均等の立場からも必要ではないかということで、削除で一〇〇%。片一方は、頑張ったけれどもそこまでいったのだからいいじゃないか、九六%。ここには教育に対する発想の大きな違いがあるということを私は特にここで言っておきたいわけであります。  そういう点で、先ほどから「当分の間」の論争はありますけれども、私は聞かれましたからあえて申し上げますけれども、「当分の間」ということの答弁は全然なっていないと思う。私は、一般の方々——先ほど地域の皆さんということを言われましたけれども、そういう答弁をしたならば地域の皆さんは納得できるかどうかということを私はあえてここで提起をしたいと思う。  それから最後に、九六%云々という、かなりの格差はありますね、このことを、何とか子供の健康管理のためにあくせくして頑張っているのが、先ほど言った兼務発令じゃないですか。本当に、養護教諭の皆さんは兼務発令されて、五分や十分で行けるのじゃないのです。一日もかからなければならぬ山のところを走り回って、自分の健康も害しながら頑張っているのが養護教諭の皆さんの実態ではないか、そのことが子供の成長やあるいは健康管理にどれだけのマイナスになっているか、このことを考えるならば、九六%、一〇〇%の論争というものは、量の問題ではなくて質の問題だということを考えて、「当分の間」は削除すべきであるということを申し上げまして、答弁にかえます。
  260. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 大変いいお答えでありました。今のような答えが実現できますように文部省に御努力もお願いいたしたいし、そして最後にお答えになりました文部大臣のその意欲に期待をいたしますから、どうぞひとつよろしくお願い申し上げたいと思います。  佐藤誼議員、田中克彦議員、それぞれ質問に立ったり答弁に立ったり、本当に御苦労さまでありました。私も、出されました議員立法には賛成でありますから、どうぞひとつよろしくお取り計らいをいただきたいと思います。  ありがとうございました。      ————◇—————
  261. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 内閣提出日本育英会法案及び日本体育学校健康センター法案の両案を議題とし、順次趣旨の説明を聴取いたします。森文部大臣。     —————————————  日本育英会法案  日本体育学校健康センター法案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  262. 森喜朗

    森国務大臣 このたび、政府から提出いたしました日本育英会法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  昭和十九年日本育英会法施行以来、日本育英会は逐年発展を遂げ、今日まで局会を通じて学資の貸与を受けた学生及び生徒は、約三百四十万人に達し、これらの人材は社会の各分野で活躍し、我が国の今日の発展に多大の寄与をいたしてまいりました。  しかしながら、最近における高等教育等の普及状況を踏まえ、社会、経済情勢の変化に対応して日本育英会の学資貸与事業の一層の充実を図るためには、その内容、方法等について抜本的な見直しを行うことが必要であり、このことは、第二次臨時行政調査会の答申等や文部省に置かれた育英奨学事業に関する調査研究会の報告でも指摘されたところであります。  このような要請にこたえるべく、今般、国家及び社会に有為な人材の育成に資するとともに、教育の機会均等に寄与するため、日本育英会の学資貸与事業に関し、無利子貸与制度の整備、有利子貸与制度の創設その他制度全般にわたる整備改善を行うほか、日本育英会の組織、財務・会計等の全般にわたる規定の整備等を行うこととし、現行の日本育英会法の全部を改正する法律案提出いたした次第であります。  次に、この法律案の内容の概要について申し上げます。  まず第一に、日本育英会は、すぐれた学生及び生徒であって経済的理由により修学に困難があるものに対し、学資の貸与等を行うことにより、国家及び社会に有為な人材の育成に資するとともに、教育の機会均等に寄与することを目的とすることといたしました。  第二に、日本育英会の組織については、理事文部大臣の認可を受けて会長が任命することとし、また、法人運営の適正を期するため、会長の諮問機関として評議員会を置くなどの整備を行うことといたしました。  第三に、日本育英会の業務については、学資貸与事業について次のような改正を行うことといたしました。  まず、無利子貸与制度について、現行の一般貸与と特別貸与を一本化することといたしました。これに伴い、特別貸与を受けた者が一般貸与相当額の返還を完了したとき、その残額を免除してきた従来の特別貸与返還免除制度を廃止することといたしました。  次に、現行の無利子貸与制度に加えて、学資貸与事業の量的拡充を図るため、新たに低利の有利子貸与制度を創設することといたしました。この有利子貸与制度には、死亡・心身障害返還免除制度を設けることといたしました。  なお、無利子貸与にあわせて有利子貸与を受けることができる道を開くことといたしております。  第四に、日本育英会が債券を発行することができる旨の規定を設け、国の一般会計以外からの資金を導入し得ることといたしました。なお、これにより、政府から資金運用部資金の貸し付けを受けて、有利子貸与事業に対する貸付資金の原資に充てることができるようにしたい考えてあります。  また、債券発行規定を設けることに伴い、日本育英会の長期借入金または債券に係る債務についての政府保証の規定を整備するほか、日本育英会の財務・会計について所要の規定の整備をいたしております。  第五に、日本育英会の監督、罰則等に関する規定を整備するとともに、関係法律についても所要の規定を整備することといたしました。  このほか、この全部改正の機会に、現行の片仮名書き文語体の法文を平仮名書き口語体に改めることとし、法文の平明化を図ることといたしております。  以上がこの法律案提出いたしました理由及びその内容の概要であります。  何とぞ十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いいたします。  次に、政府から提出いたしました日本体育学校健康センター法案につきまして、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  この法律案は、昭和五十八年三月十四日に臨時行政調査会が行った行政改革に関する第五次答申に沿って、特殊法人の整理合理化を図るため、国立競技場と日本学校健康会を統合し、日本体育学校健康センターを設立しようとするものであります。その統合の趣旨は、両法人の業務について見ますと、国立競技場は、その設置する体育施設の運営に関する業務を、日本学校健康会は、学校安全及び学校給食に関する業務をそれぞれ行ってきており、その業務の対象に国民一般と児童生徒等との違いはありますが、広く国民の体力の向上や健康の保持増進の面で密接な関係を有するものであることにかんがみ、両法人を統合しようとするものであります。  この法律案におきましては、日本体育学校健康センターに関し、その目的、組織、業務、財務・会計、監督等につきまして所要の規定を設けるとともに、従来の両法人の解散等につきまして規定することといたしております。  その内容の概要は、次のとおりであります。  まず第一に、日本体育学校健康センターは、体育の振興と児童生徒等の健康の保持増進を図るため、体育施設の運営、児童生徒等の災害に関する必要な給付、学校給食用物資の供給等を行い、もって国民の心身の健全な発達に寄与することを目的とするものであります。  第二に、日本体育学校健康センターは法人といたしますとともに、役員として、理事長一人、理事五人以内及び監事二人以内並びに非常勤の理事三人以内を置き、理事長及び監事は文部大臣が、理事文部大臣の認可を受けて理事長が、それぞれ任命することとし、その任期はいずれも二年としております。なお、役員数につきましては、行政改革の趣旨に沿って統合の前に比べその数を縮減いたしております。また、法人運営の適正を期するため、理事長の諮問機関として運営審議会を置くこととし、業務の運営に関する重要事項について審議することといたしております。  第三に、日本体育学校健康センターの業務につきましては、従来の両法人の業務を承継して、  (一) その設置する体育施設及び附属施設の運営並びにこれらの施設を利用しての体育の振興のための必要な業務  (二) 義務教育学校等の管理下における児童生徒等の災害に関する災害共済給付  (三) 学校給食用物資の買い入れ、売り渡しその他供給に関する業務  (四) 体育、学校安全及び学校給食に関する調査研究並びに資料の収集及び提供その他の体育、学校安全及び学校給食の普及充実に関する業務を行うことといたしております。また、この法人は、以上のほか、文部大臣の認可を受けてその目的を達成するため必要な業務を行うことができることとするとともに、これらの業務の遂行に支障のない限り、その設置する体育施設及び附属施設を一般の利用に供することができることといたしております。  なお、災害共済給付事業につきましては、災害共済給付契約、共済掛金、給付基準学校の管理下における児童生徒等の災害の範囲、学校の設置者の損害賠償責任に関する免責の特約等に関し、また、学校給食用物資の供給に関する業務につきましては、売り渡し価格、供給の制限等に関し、従前と同様の規定を設けることといたしております。  第四に、日本体育学校健康センターの財務・会計、監督等につきまして、一般の特殊法人の例に倣い所要の規定を設けることといたしております。  第五に、従来と同様に保育所の管理下における児童の災害につきましても災害共済給付を行うことができる規定を設けることといたしております。その他、日本体育学校健康センターの設立、国立競技場及び日本学校健康会の解散等につきまして所要の規定を設けることといたしております。  以上がこの法律案提出いたしました理由及びその内容の概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。
  263. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これにて両案の説明は終わりました。  次回は、来る十六日午前九時五十分理事会、午前十時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時五十五分散会      ————◇—————