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1984-04-18 第101回国会 衆議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月十八日(水曜日)     午前十時三十二分開議 出席委員  委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有島 重武君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    稻葉  修君       臼井日出男君    榎本 和平君       北川 正恭君    河野 洋平君       坂田 道太君    二階 俊博君       葉梨 信行君    町村 信孝君       渡辺 栄一君    木島喜兵衛君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    湯山  勇君       伏屋 修治君    滝沢 幸助君       藤木 洋子君    山原健二郎君       江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 森  喜朗君  出席政府委員         文部政務次官  中村  靖君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房審         議官      齋藤 尚夫君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省学術国際         局長      大崎  仁君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省体育局長 古村 澄一君         文部省管理局長 阿部 充夫君  委員外出席者         大蔵省主計局主         計官      小村  武君         厚生省年金局企         画課長     渡辺  修君         文教委員会調査         室長      中島 米夫君     ————————————— 委員の異動 四月十八日    辞任          補欠選任   木島喜兵衛君      湯山  勇君 同日  辞任          補欠選任   湯山  勇君      木島喜兵衛君     ————————————— 四月十六日  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(大  久保直彦紹介)(第二八三五号)  同(島村宜伸紹介)(第二八三六号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件 昭和四十四年度以後における私立学校教職員共 済組合からの年金の額の改定に関する法律等の 一部を改正する法律案内閣提出第五九号) 文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伏屋修治君。
  3. 伏屋修治

    伏屋委員 私も三年半の浪人を終えまして、今回初めて質問をいたしますので、やや上がっておりますので、御容赦いただきたいと思います。  きょうは、文教行政の中でも、初等中等教育改善充実についてを主体に、二、三質問をしてまいりたい、こういうふうに考えております。  まず最初に、今月の十五日に山中湖東大学生ボート転覆事故がございましたけれども、ああいう悲惨な事故について大臣はどのような受けとめ方をされたか、お尋ねしたいと思います。
  4. 森喜朗

    森国務大臣 ちょうど私も息子が十九歳になりまして、東京大学に行くほど優秀じゃないんですけれども、ちょうどそういうふうに一番将来子供の成長を、親としての務めをある程度果たし——果たしたとは言えませんけれども、果たし得る状況になってきて、その子供がみずから招いたこととはいえ、自分子供に置きかえてみると、何とも言えない、悲しいといいますか、お父さんお母さん、どんな気持ちだろうかな、こう思ってテレビを実は見て、私も家内とそんな話をしておりましたし、家内も何か涙ぐんでおりました。多少勉強ができなくても、余り家に帰ってこなくても、元気でいてくれることが一番いいわねなんて、こういう話も家内はしておるわけでありますが、その犠牲者皆さんには本当に心から霊を慰めたいし、それから御両親や関係者、御家族の皆さんには心からお慰めを申し上げたいということはもちろんのことでございます。  ただ私は、いろいろ事情は文部省の方も東京大学から連絡を受けて、詳細が必要でございましたら事務当局から御報告させますが、いろいろなアクシデントがたくさんあったと思います。三人しか乗れないところに六人乗ったとか、薄氷が張って、山中湖の場合はもう十分も手を入れていたらしびれるような状態になるとか、あるいは前の日も何か持ち出したので、ボートの持ち主がオールを隠しておいた、それでさおを持って出たというようなこととか、いろいろなアクシデントが出ておりますが、やはり全体的に見て、この問題だけではなくて、どうも大人子供端境みたいなところがあって、ある面では非常に大人の面もありますけれども、言葉はよくありませんけれども、この人たちのことを言うわけじゃありませんが、全体的にちょうど今の大学生ぐらいの年齢というのは、何か今はやりの言葉で言うとふぞろいといいますか、大人の面もあるし、意外に幼稚な面もある。そういうところを、いろいろな経験勉強や、友人や先輩を通じて、それぞれ大人へ脱皮していく、そういうちょうど大事な時期、そんなことをこの事件を見ながら、ある意味では案外簡単なことがわかってなかったんだなとか……。もう一つは、やはり東京大学に入られた人でありますだけに、もちろんそれだけの素質と能力は持っておられたと思いますが、高等学校中学校時代は相当勉強もなさったのかな、もう少し友達と遊びも覚えてほしかったな、お酒の飲み方なども、本来言えば、文部大臣として二十以下の人に酒の飲み方を覚えると言うのはよくないんですが、そこはもう少しお酒の飲み方なども遊びの面として学んでおいてほしかったななんていうような感想も実は持ったというのが、あの事件テレビ新聞で見ながら感じ感想でございます。
  5. 伏屋修治

    伏屋委員 今、大臣お答えにあったように、私も全く同感でございまして、前途有為な青年がこのような事故を起こしてとうとい生命をなくしたということについては、本当に哀悼のきわみでございます。  新聞の報道によりますと、この東大生新入生コンパに、いわゆる生徒主体性を尊重するということもあるでしょうけれども、教職員が全然一人も参加しておらなかった。そういう年配の方がおらなかったというところに、若さの一つの躍動というものが危険な方向へ行ってしまったんではないか、こういうことを考えるわけでございまして、新聞記事によりますと、今後ともそのコンパは続けていく、こういうような学校側の談話も出ておりましたけれども、やはり子を持つ親といたしましては、もう二度とこういう過ちは繰り返してもらいたくない、これが本当の心情ではないかと私は思います。そういう面での事件再発防止という意味で、幾ら学生主体性を尊重するとはいいながら、やはり学校関係者がある程度周りの配慮をしておかなければならないのではないか、その辺がやや欠落しておったのではないかなと、このように考えますので、この事故を通じて文部省からも、そういう過ちが二度と起きないようにひとつ、厳しい通達ではなくても結構でございますけれども、そういう事故を防ぐという意味での指導等をよろしくお願いしたい、こういうように思います。
  6. 森喜朗

    森国務大臣 伏屋さんおっしゃるとおり、東大では、ああしたことはもうやめるということではないので、とかくこういう問題、校外活動でいろいろなことがございますと、そのことに対する責任とかいろいろなことがありまして、じゃもうやめてしまおうか。校外活動野外活動あるいは修学旅行、遠足のたぐい、だんだん皆やめてしまおうということになるので、これは先ほど申し上げた、もうちょっと遊びのことを覚えてもらうためには、むしろそうしたことはできるだけ続けなければならぬし、活発にやってもらわなければならぬというふうに思います。ただ、大学生でございますから、果たしてだれか指導者がついておることがいいのかどうか、これもまた議論の分かれるところで、逆に、そういう勢いの中で大人先生、職員が制止をすれば、また逆行という面もやはり出てくるわけです。その辺も非常に難しいところだと思います。  ただ、さっき申し上げたように、我々が考えている時代学生時代ではない、あるいは我々の世代観から見ましても、やはりさっき言ったような、言葉はよくありませんが、大人の面と子供の面と両面を持っているように見える。それは個々によって違う、そういうようなことを非常に感じますので、そういう指導態勢は、従来の大学学生たちへの指導態勢と、若干やはり現状に合わせたことも検討してみなければならぬかなというふうに思いますので、そういう面での指導大学の方にしておかなければならぬというふうに思います。
  7. 伏屋修治

    伏屋委員 今大臣おっしゃるとおり、私もそういうものをやめさせるという方向ではなくて、主体性に基づいたそういうことは、今後どんどん校外活動的なもので広げていかなければならぬと思いますけれども、やはり学校関係者の方々が、学生のそういう心の動きというものをある程度先取りをしておかなければならない。いわゆる厳しい入学試験を終えてそして入学した、その解放感に満ちたそういう学生というものが一体どういう動きをするかぐらいのことは、年配の方であればある程度のことはわかる。だから、そういう計画というようなものは学校側が事前に知っておって、それに配慮していく、その規制を強めるという意味ではなくて、そういう事故が起こらないような深い配慮をする中で、主体的なそういう校外活動を積極的に推進する、そういう立場をとってもらいたい、そういうような指導文部省の方もしていただきたい、こういうように思うわけでございます。
  8. 森喜朗

    森国務大臣 面接どういう形でそういう指導をするか、また十分大学局長にも検討していただきたいと思いますが、要は、伏屋さんや我々の時代と違って、入学試験に親がついてきて、そして下宿探しも、何から何までみんな親がやってくれるという、大体大学生の半分以上がそういう時代ですから、大学自身も昔のように紙切れ一枚で大人として大学生を扱っている時代ではない。ところが、大学の方は昔と同じ考え方で、入ってくる大学生考え方というのはもう背の大学生ではない。考えられないようなことが——今現実に、女子大生あたりでも、ちょっとお金になるといえばその場所で、これは委員会で言っていいかどうかわかりませんけれども、簡単に裸の写真などを撮らしてしまう。いい、悪いという感覚は全くなくなっていますね。そういう意味で、やはり時代の、社会の、一つ環境の影響もあるのでしょうけれども、どうも昔の大学生ではない。知能程度学問は昔より、ある意味ではもっと進んでいるかもしれませんが、人間的な面から見ると、もう昔の大学生ではないというふうに、私はそんなふうな見方をするのですが、大学もある程度そういう対応をしておかなければならぬのじゃないかというような感じを私は持っておりますので、適切な指導ができるようにしてまいりたいと思っております。
  9. 伏屋修治

    伏屋委員 その問題はそれで終わりたいと思います。  ことしの春の選抜で私が感心しましたのは、歴代文部大臣始球式をやるのですけれども、ことしの選抜始球式は、まことにスピードにあふれた始球式が行われて、全く異例な始球式であったなという感じを深くしたわけでございますが、選抜高校東京岩倉高校が優勝したわけでございます。私もそのときに思いましたが、昨年は池田高校ブームがございました。岩倉高池田高を比較したときに、本当に大きな違いがあるように思えてならないわけですけれども、この辺を大臣はどのように受けとめられましたですか。
  10. 森喜朗

    森国務大臣 昔は、野球といえば九州、四国、関西、大体これは優勝常連、ないしは岐阜、名古屋というところがそれに続く、こういうふうに見ておりましたし、それからまた春と夏のあれは、どちらかといえば、やはり雪のない西側の県が大体優勝常連ということでございました。しかし、最近は、野球地域差というのは余りなくなってきたと思います。昨年の夏の甲子園の大会で、私の石川県などは、高等学校ができて四年目、しかも進学校一般公立高校で、公式試合には一遍も勝ったことがないという野球部が、あれよあれよと間に県代表甲子園に出てしまったというケースがあるのですが、みんながやればやれるんだぞという、そういう、みんなが平均化して、おれにも出るチャンスがある、そういう空気が出てきておるということは非常によかったということ。  それからもう一つは、いい、悪いという議論は別にしまして、私立高等学校などでは、かなり全国から野球の好きな子供たちを集めている傾向はあるわけですね。そういう、野球を強くしようというふうに考えている学校に比べて、一般高校でも勝てるぞという自信を見せた。そういう意味で、私は、大変野球空気はいい方向へ来ているなどいう感じがいたします。ただ、池田高校は、蔦さんという監督が大変上手に選手指導している。大体あの高校野球でも、私の県などを見ておりますと、やはり監督次第ですね、選手の差はそうはない。要は指導者だな。そして生徒たちを上手に、最高の力をその試合に集中させるような指導力を持っていて、そして先生といいますか、監督に全面的に信頼をして、先生のまさにたなごころの中に入って、そして思うように動いていく、これがやはり大体野球で優勝しているチームの特色だと思うのです。今度岩倉高校の場合は、どちらかというと全員野球といいますか、まさに無私無欲の中から積み上げていった勝利ということが言えるわけで、いずれにしても、学生スポーツ代表といいますか、象徴的な、甲子園野球らしい結果だった、私はこう思っておりまして、高校選手に負けないような球は投げられませんが、まずまずは、高校選手キャッチボール程度の球は投げることができたことは、せめても私にとって誇りになりました。
  11. 伏屋修治

    伏屋委員 私も岩倉高練習風景を見てびっくりしたわけでございますけれども、今までの野球部練習風景になかった、何という踊りなんですかね、ダンスを取り入れた柔軟体操というような形で、今大臣お答えになりましたように、やはりスポーツというのは監督人柄監督資質によってチームが強くもなり弱くもなるということが、対比的に如実に証明されたのじゃないかと。池田高校は、言うなれば西武ライオンズのように管理野球的な行き方をしてみえますし、岩倉高はそういう行き方をとらないで、子供主体性といいますか、子供考え方を大事にしながら伸び伸びとやらしておる。甲子園球場における岩倉高野球選手動きを見ておりましても、何となく伸び伸びとした野球をやっておった。こういうようなことを私は非常に印象深く見せてもらったわけでございます。そういう面で、監督人柄、それからまた、その資質というのですか、そういうものが非常に大事であるなどいう印象を深くしたわけでございます。  これをお聞きしましたのは、これからお尋ねする教員資質の問題に入りたいのでこのことをお尋ねしたわけでございますけれども、今まで委員会で各委員の方がそれぞれ論議を交わされておりますので、ここで総括的に今日的ないわゆる教育荒廃をもたらした要因というのを、今まで大臣も御答弁なさっておられますけれども、もう一度繰り返して簡略にお聞きいたしたいと思います。
  12. 森喜朗

    森国務大臣 幾つも挙げることはできると思いますが、簡略にということでございます。  やはり、先ほど申し上げましたように、社会環境というのは子供たち教育にとって有害な面が非常に多い。それを吸収でき得るような心身の発達状況にまだなってない。これはやはり大人社会であると思います。それに伴います、やはりマスコミ関係というものもございます。  もう一点は、これはどちらがいい、前後、一、二番という意味ではございませんけれども、やはり学歴偏重という社会、その中に親の過度の期待。そして僕は、世のお父さんお母さんというのは、そういう高等教育を受けなくて、そういう人たちの力が今日の日本をつくり上げたということの自信をもっと持ってもらいたい。それなのに、どうしてこう子供たち大学さえ出せばという考え方になるのか。しかし、それは責めてはいけないので、社会学歴社会というものがある限り、やはり当然親は子供の幸せを考えてそういうことを要求するわけでございますが、そういう過熱した受験、そして過熱した特殊な進路の方向のとり方、そういうことが子供たちに、学校現場というものは暗いという感じを持たせている。楽しかるべき学校苦痛だというような考え方を抱くようになってきておるということで、私は、やはり学校学問を習うことも大事でありますが、生徒間あるいは先生との人間関係に触れて、そして全人格的な形成を図っていくというのが、学校教育学校現場の一番大事なところだ、こう考えます。そういう中で勉強だけをしていかなければならぬ、学校苦痛になってくるのは当然だろうと考えますから、そういうところの除去をすることがやはり我々大人としての、また政治家としての大事な務めだというふうに考えております。  それからもう一つは、先ほど岩倉高校お話にも出ましたように、やはり単に先生資質が悪くなったということではなくて、ちょうど今学校先生になっていらっしゃる年齢層がどういう教育経験を経てこられたのか。私は、野球部先生なんか見ておりますと、人心の掌握が非常に上手ですね。校内暴力で、先生との暴力事件なんか起きるのを見ておりますと、昔も今もそう体力的に——確かに戦後大きくなっていますけれども、体力的には昔の子供の方が強かった。だから、五人に取り巻かれたら今も昔も先生はかなわない。しかし、先生の方が生徒に取り巻かれないような状況をどうしてつくってきたかということが今と昔の大きな違い。そういう意味で、やはり先生が今日まで、教師としての免許を取られるまでの勉強過程、その環境がどうであったのか、そういうことを考えて、先生だけ責めるというのはよくない。その先生先生になるまでの間の教育環境過程というのがやはり違ってきておるのではないか。そういうところに少し目を注いでみる必要があるのではないか。  いずれにしましても、この教育荒廃というのは、いろいろな意味での理由はたくさんあると思いますので、どれか一つだけ取り上げるということもありませんし、それからもう一つはやはり家庭の状況社会状況、このこととの関連も非常に大事だ、私はそういう感想を持っておるわけでございます。
  13. 伏屋修治

    伏屋委員 私は、荒廃要因はいろいろございますけれども、いろいろな環境は今大臣お話があったとおり学歴優先でございますので、今の大学入試高校入試というものが一挙に全廃になるというようなことは考えられない状況でございますので、その中で、やはり子供先生がどういう触れ合いをして、そしてその人間性をゆがめないでその子供をそれに対応させていくかという取り組み方、いわゆる先生資質の問題になると思います。だからそういう問題で、教員資質というのを簡単に言うわけでございますけれども、教員資質というものについて大臣は、今大体御答弁の中にあったと思いますけれども、どういうふうにお考えになっておみえになりますか。
  14. 森喜朗

    森国務大臣 もちろん、小学校から高等学校まで、端的に教員と言えばそういうふうなことが言えると思います。その小学校中学校高校によってそれぞれ違ってくると思いますが、要は、もちろん学問を教えていく、知識を修得させていくということも大事だと思いますが、もう一つは、やはり使命感に燃えて、人間人間を教えるんだよというその恐れ感じながら、そういう謙虚な気持ちで、やはり自分の、人間先生が持つ個性、人間先生として今日まで得てきた御自分人格、そうしたものを生徒たちに吸収してもらうんだ、こういう基本的な考え方がなければならぬのではないか。学問だけ教えていくということであったら、変な話ですが、これは露骨な言い方でおしかりをいただくかもしれませんが、コンピューターでロボットで教えてもいいのかもしれない。その人のけいがいに接するという言葉がございますけれども、やはり人に触れて、教師人格に触れながら子供たちは成長していくのだろう。そういう意味で、人を教えるということに恐れを持ちつつ、人間教育するということに対する使命感を持つということであると思いますし、もう一つあわせてそれにつけ加えるならば、学問と同時に広い教養というものを持つこと、これがやはり先生としての資質というふうに私は位置づけておるわけでございます。
  15. 伏屋修治

    伏屋委員 今、小、中、高、大学といろいろございますけれども、とりわけ人格形成の一番基盤をなす初等中等教育における教員資質というものを重視していかないと、今の教育荒廃というものを解決できない、私はそういうふうに考えるわけでございます。  私もかつて教壇に立ったことがございますが、振り返ってみますと、校内暴力が起こってきた時期というものはいつごろから起こってきたのかなと私なりに考えてみましたところ、やはり昭和四十四年あたりからそういう校内暴力芽生えが出てきたのではないか。そのときに一体どうしてそういう芽生えが出てきたのかなと考えますと、昭和四十四年当時が、いわゆるクラブ活動に対する父兄の風当たりの一番強かったときでございまして、クラブ活動をやっておるときに事故を起こした、それに対してPTAが学校に強力なその責任追及を迫ったということから、クラブ活動というものがそこで問題になりまして、それほど学校責任を追及されるならばクラブ活動は定時の中でおさめよう、あとの課外については父兄の方の監督のもとに課外活動をやろう、こういうような形になってまいりました。それ以前、私もバレーボールが好きでございましたのでバレーボールで徹底的に搾った経験がございます。遅くまで搾っていろいろとやって、その触れ合いの中でやはり子供との言葉に言えない親近感といいますか、人間的な信頼感というものも生まれてくる。私は中学校でも教えておりましたが、その中学校における高校入試を目指してのいわゆる偏差値といいますか、あの当時も偏差値がございましたので、偏差値教育の中で唯一の救いの道は、子供先生触れ合いクラブ活動しかなかったわけです。それがそういうような壁にぶつかりまして、やはりそこから校内暴力芽生えが出てきたのではないか、このように考えるわけでございまして、とりわけ小中学校における教員資質の向上というものが本当に大事だなということを、私はしみじみと感ずるわけでございます。そういう意味で、今大臣の御見解をお尋ねをいたしたわけでございます。  それに関連いたしますけれども、文部省の方で学級編制教職員の問題、第五次計画がございますが、そういう問題と非常に密接に関連してまいりますので、やはり先生方も人でございますので、そのあたりをちょっとお尋ねしたいと思います。
  16. 高石邦男

    高石政府委員 第五次の十二カ年計画を六十六年度を完成年次と考えまして進めているわけでございますが、一つは四十人学級でございますし、もう一つ教職員配置率改善という、二つの面からこの事業の推進を図ろうとしているわけでございます。財政再建期間中は、三年間できるだけ定数を抑制するということで抑制してきているわけでございます。しかし、基本的にその十二カ年計画で目指す内容については変えないという従来の方針をとっているわけでございます。今後具体的にどう展開していくかは、ことしの夏までにいろいろな基礎データを少し整理いたしまして、そして考えていきたいというふうに思っている次第でございます。
  17. 伏屋修治

    伏屋委員 一応今、局長の御答弁がございましたが、その第五次計画は、臨調答申に基づいてのいろいろな圧縮はあったけれども、最終年度においての四十名編制そして教職員の増ということについては文部省の姿勢、見解は変わらない、こういうことでございますか。
  18. 高石邦男

    高石政府委員 このことについては、しばしば文部大臣も答弁しておりますように、変えないという方針でいるわけでございます。
  19. 伏屋修治

    伏屋委員 それを聞いて安心をいたしました。まるっきり手放しては安心できない面もありますけれども、財政の運近状況によってそれがさらにまた延伸されるというようなことになりますと、教員資質の問題を云々すると言いながら、その環境整備というものは我々が全然やれないで、教員資質が悪いんだということで教員責任を転嫁するようなことは許されないことでございますので、何としてもやはり現場における教員の方々が伸び伸びとやれるように行政は環境をつくっていかなければいけない。そういう意味で、六十五年赤字国債脱却と言いながら、もう何遍かほごにされてきておりますので、そういうことのないように、二十一世紀の日本を担う今の青少年を育てていくんだということからいえばそういう財政再建の犠牲にされてはならない、私はそういう思いでおりますので、大臣初め局長の今後の強力な姿勢をお願いしたい、こういうように思います。もう一度確認の意味で……。
  20. 森喜朗

    森国務大臣 今初中局長から申し上げましたように、私も、この国会が始まりまして衆参両予算委員会あるいは昨日も参議院の文教委員会がございまして、多くの各党の皆さん方の大変関心を寄せておる問題であるということを承知いたしております。実は、そこに坂田先生いらっしゃいますが、この第五次定数改善計画の案をつくりました当時、私が自民党の責任者をいたしておりまして、そして坂田先生にその推進役の一番大事な役割を担っていただきまして、その坂田先生などの御指導をいただきながらあの案をつくったのです。九年を十二年にしたというのは若干後退をしたわけですが、これは予算委員会で大蔵大臣が、夢のようなロマンがある計画だなんて言っておられましたけれども、いろいろ事情がございまして十二年計画というようになりました。  生意気なようなんですが、あの案をつくりました当時の気持ちとして、ここにいらっしゃる各党の皆さん、もちろんそうですが、特に我が党の自民党文教部会の皆さんは、この問題だけはどんなことをしてもこれは達成しようということでこの計画をつくった、そういう経緯がございます。私にとりましては、自分の育てた子供のような気持ちでこの十二年計画を持っておるわけでございますので、確かに今三年間のこの抑制期間がございますけれども、六十年度の予算編成時、概算要求は間もなくこの夏には行われるわけでございますから、その時点から最終年度の全体計画だけは変えない、そして最終年度にはその問題を完全に四十人学級等を含めて完成をさせたい、こういう気持ちで私どももおりますので、どうぞひとつ伏屋先生もいろいろな意味で側面から応援をしていただきたい。政府としましても一生懸命やりますということを申し上げます。また、皆さんの支援もお願いをしたい、こういう気持ちでございます。
  21. 伏屋修治

    伏屋委員 強力にお願いをしたいと思いますし、私どもも強力にお手伝いをさせていただきたい、こういうふうに考えております。  教員資質の向上ということでございますけれども、毎日新聞教育改革における世論調査を見ましても、「入試制度」が四六%、「非行・校内暴力」が四〇%、その次にいわゆる「教員資質」という問題で三七%という世論結果が出ておりますように、多くの方々の眼は、今後の先生がどういうふうな変わりようをして我が子供に接してくれるのかという期待感があると思います。  そういう意味で、先ほど大臣の御答弁の中にもありましたように、教員養成の中にもやはり教員資質の問題がございましょうし、また教師として新任採用されたという段階における資質向上の場もございましょうし、また、現職教育を通じてのそういうような教員資質の向上の場もあると思いますが、今そういう教員の養成、採用、現職教育と、こういう三段階の中での資質向上についてどのような配慮をされておるのか、お聞きしたいと思います。大ざっぱで結構でございます。
  22. 森喜朗

    森国務大臣 教員養成の基盤はやはり大学教育にあるわけでございますから、高等教育におきます教職員の養成に対して十分注意を払っていかなければならぬ。今伏屋さんおっしゃったように、教職員になられてそしてそれからの研修というのも、やはり日々努力をしていく、これは大事なことだと考えます。  もう一つ、やはり社会環境がかなり高学歴化社会になっておるということですね。昔は、先生のわっしゃることだからそれは間違いないでしょう、こういう、何となく納得みたいなものがあったけれども、最近は世のお父さんお母さんもかなり高学歴経験者が多い。そういうことから、先生のおっしゃることと親の言っていることとちょっと違ってきている。そういう中で子供がかなり迷うというものも出てまいりますし、それだけに親がいろいろな意味学校の現場に口を出すという傾向も強いのではないか。そういう意味で、私は、一番大事なことは、親としては静かに学校を外から見守ってあげるという姿勢がなければならぬ。やはり先生方自信を持ってもらわなければならない。同時に、世の中がどんどん変化をしている。世の親たちもどんどん勉強している。ですから先生も、学校の現場の中だけを見ておりますと、これは時代におくれてまいりますから、外の進歩、科学の発達、人間の価値観、社会の変化、文化の進展、そういうものに対応できるような努力を先生もしてもらわなければならぬ。私はそういうふうに一般的には考えております。  文部省としてどういう指導、どういう方向をやっておりますかということにつきましては、初等中等局長から伺っていただければと思います。
  23. 高石邦男

    高石政府委員 まず、教員養成の段階では、立派な資質を持った先生の養成を各大学でやっていただきたいと思っているわけでございますが、採用に当たりましては、そういう適性・能力のある人を採用するということが必要だと思います。  これはもう古い話でございますが、例えば学校で水泳というのを教えることになっているわけですけれども、小学校先生で実際に泳げないというような先生があったりしたケースがかなりあるわけです。そういうことで、本当にそれぞれの小中高等学校の段階で備えていなければならない能力をちゃんと身につけた教師を採用していくということが必要でございます。したがいまして、選考に当たりましては、そういうことをいろいろ工夫しながら各県は努力をしております。  おかげさまで人確法ができて教職員の希望者がふえてきておりまして、そういう意味においてはその中から選択をしていくということができるようになりましたので、ここ数年、教職員資質は新任教員についてはかなり向上してきたというふうに見ているわけでございます。  それから、採用後の研修につきましては、これは、初任者研修、中堅者の研修、いろんな段階で研修を積極的に進めておりますが、問題は、学校内における校内研修をきっちりやっていくというのが出発点だと思います。学校内における校内研修をしっかりやりながら、そして一定のけじめけじめで、それなりの任命権者の計画する研修を合理的に効果的にやっていくということが必要であろうということで、研修の充実強化ということについても、いろんな助成の道を講じながら努めているところでございます。
  24. 伏屋修治

    伏屋委員 教員養成の場は、上越とかいろいろと教員養成大学がございます。聞くところによりますと、私どもの池田委員からもちょっと質問があったと思いますが、上越あたりはかなり定数割れをしておるのではないかというような問題もありまして、そこらあたり配慮をしていかないと、看板倒れになるのではないかというようなことも考えますので、その辺はどうなっておりますか。
  25. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘のように、新しい教員養成の大学ということで、兵庫、上越、鳴門の三大学を創設をお願いしたわけでございます。最初に出発をいたしました兵庫教育大学につきましては、順調にそれぞれ卒業生を送り出しまして、大学院を出ましてまた現場に復帰して、大変実践的な教育が身について、それぞれの現場で非常に好評を得ているところでございます。  御指摘の上越教育大学につきましては、昨年第一回の大学院の募集をしたわけでございますが、御指摘のように上越教育大学の場合は、大学院の設定しておりますコースと申しますか、専攻分野の関係もございまして、確かに募集定員を満たしていないというのが事実でございます。その後充実に努力をいたしておりますが、初年度ということもございまして、そういう実態があったことは事実でございます。  教員養成の点でこれらの大学が果たすべき使命ということは、もちろん私ども、当初念願しております方向で果たすように充実を図っていかなければならないわけでございまして、専攻分野のコースの設定でございますとか、そういうようなことについても今後十分留意をしながら今後の充実を図りたい、かように考えております。
  26. 伏屋修治

    伏屋委員 それから、採用の問題については今局長の方から御答弁がございましたけれども、それ以外に教員資質向上のために、その資質を見抜いていくというのですか、採用のときに教師としてのそういう素質を持った人なのかどうなのかという、そういう面で、今具体的には泳げない人は教員には不適であるというような問題が出ましたけれども、それ以外にも各県でそれぞれの採用試験が実施されておると思いますけれども、特色のあるような、教員資質を見ることができるような、そういう採用試験をやっておるような例はございませんか。
  27. 高石邦男

    高石政府委員 一つは、今までは一般的に学力検査と申しますか、学力を第一次試験で実施いたしまして、そして振り落として面接をするというのが通常の傾向でございます。これについて先ほどの実技を伴うような教員の採用につきましては、実際上実技をやらせるということをかなり採用している県がふえているわけでございます。それから面接も、個別面接ではなくしてグループで討議をさせるというような形の面接方法を採用する。また筆記試験も単なる学力の、通常のマル・カケ式の筆記試験ではなくして論文式の作文を書かせるというような工夫ということで、そういういろんな工夫をしながら実施しておりますので、各県は、採用された後は生涯教師として採用していくわけですから、相当そこのところを厳重にやり始めているというのが実態でございます。
  28. 伏屋修治

    伏屋委員 今私の聞く範囲においては、やはり各県がとっておる大方の採用試験というのはテストが優先でございますね。そこでふるい落とされて、そして面接を経て決定、こういう段階をとっておるのがほとんどだと思うのですね。けれども、これでいきますと、やはり入試制度、今の大学入試と変わらない、他を押しのけてもとにかくテストに合格しなければならぬという、非常に教師資質とはまるっきり逆方向のそういう動きをしなければならない。そういうことを考えたときに、もう少し教員資質向上につながるような、そういう採用というものを考えなければならないのでないか。やはり各県に文部省がお任せするのではなくて、そういう専門家の方々を通じて、今局長の御答弁の中にもありましたけれども、グループで面接するとか、これは新しい行き方だと思いますね。というのは、もっともっと我々が教員資質というものに焦点を合わせながら英知を絞っていけば、採用試験のありようというのも、もっともっと変わってくるんではないかと私は考えるわけで、通り一遍的に学力テスト、面接、こればかりを繰り返しやっておって、片一方では教員資質向上だと言いながらそれを繰り返しておったのでは、教員資質向上につながらない。だから、まず門戸を開放する、その門をくぐるときがやはり大事ではないか、こういうふうに考えますので、そのあたりの御構想を持っておみえになりましたらお聞かせいただきたいと思います。
  29. 高石邦男

    高石政府委員 これは教員採用だけではなくして、一般の職員の採用についても言えることだと思います。  従来、御指摘のように、どちらかというと試験による第一次ふるい落としというのが中心になっているので、それを是正していく、改めていくという努力は当然行わなければならないと思うのです。したがいまして、今の段階で具体的な内容、方法を持っているわけではございませんけれども、御指摘のような点に十分留意しながら、各府県に対して創意工夫を凝らしてやっていただくようにしてまいりたいと思います。
  30. 伏屋修治

    伏屋委員 できるだけそういう専門的な方々の御意見を聞くような機会を、各県で採用試験のそういう条件を考える委員会的なものをやはりつくっていくということ、そこの中でお互いの知恵を出し合って教員資質向上につながる採用をしていくという、そういうような方向文部省の方の御努力をお願いしたいと思います。  さて、そうやって一応教員の門をくくった、そして現職についた新採用の方々に対する、そういう教員の現場を通じながらの資質向上の研修期間というものは、文部省で持っておられるように聞くわけでございますが、どのような持ち方をされておりますか。
  31. 高石邦男

    高石政府委員 まず、新規採用教職員に対しては、一般研修といたしまして年間十日程度研修をやる。それから授業研修といたしまして、これまた年間十日程度の演習等を含む授業研修を実施するというのを、すべての新任教職員に対して計画的に実施しているわけでございます。もちろん、この二十日程度で十分であるとは考えておりませんので、学校内における先輩等の指導による校内研修、これも充実していかなければならないと思います。  それから、教職経験の五年程度を経過した段階で研修を、これまた年間一週間程度実施しております。それから、各種の主任クラス、教務主任とか生徒指導の主任、こういう主任クラスに対する研修も計画的にやっていく。そのほか校長、教頭に対する研修という、いわば任命権者の企画する研修という形態での内容の展開と、もう一つは、各種の教育研究団体に対して補助金を交付しておりまして、そういう各種の研究団体が自主的にいろいろな研修をしていくというようなこと等をあわせてやっているわけでございます。  ここで留意しなければならないのは、研修倒れになってはいけないという批判がありまして、研修をやるために教育の現場がお留守になるということを防止しながら、あくまで児童生徒教育を重視しながら教育研修をさせるという体制整備が必要であろうと思っております。
  32. 伏屋修治

    伏屋委員 今、局長が最後の方でお答えになったとおりだと私は思います。研修倒れになっては決してならないということでございますが、案外それが研修倒れになっているのが実態なんですね。今のいろいろの教育荒廃要因もあるでしょうけれども、文部省が全国的に教育長を集めまして、教育長に対していろいろなお話をする、それがそのままストレートに各地方町村の教育委員会におりてくる、そしてまたその教育委員会からストレートに校長にくるという、上から下への流れが非常に強いのですね。下から上への流れというのはないわけです。そういうところに教師の息苦しさというものがあるわけでありまして、もう少し教師の自主的、弾力的な運用のできるようなそういう研修機会というものを考えていかないと、やはり研修倒れにならざるを得ない。もうお仕着せの研修というような形で、本当にみずから主体的にその研修に取り組んでいく、そういう資質を持たせなければならないのですけれども、余りにもそういうものが多過ぎて、結局主体性が失われた、受け身のそういう研修に参加というような姿勢になってしまう、そういうところからは教員資質向上というものは余り望み得ないのではないか。だから、もっともっとそういう面での弾力的、主体性のある研修機会というものを何とかつくれないかなということを私も思うわけでございますので、その辺を考慮してそういう研修機会をつくっていただきたい、そういうことを切に要望するわけでございます。  さて、そういうようにいろいろ文部省からあるいは県教委からというような主催の新任教員の研修機会というものはありますけれども、それよりもむしろ、現場における新任教員子供を通しての研修機会、これが最も大事ではないかと私は思います。ただ机上の講義を受けるだけの研修機会であっては、本当に教師資質向上には余りメリットがないと思います。だから、そういう面での現場の学校における子供を通しての研修機会というものを重視する方向文部省も御指導いただけたらと思いますが、いかがでございますか。
  33. 高石邦男

    高石政府委員 御指摘のとおりでございまして、それぞれの学校で積極的な校内研修というのがまず出発点であろうと思うのです。  戦後の教育界は、ややもすると、上の校長、教頭、先輩の先生方が、新しい教師に対していろいろ口やかましく指導していくという形態が少なくなってきているのではないかということを心配するわけでございます。そういう意味においては、まず校内における研修を十分に積み上げて、そのためには先輩諸氏の積極的な指導助言を仰いでいくという態勢が必要であろうと思います。
  34. 伏屋修治

    伏屋委員 そのとおりだと思います。やはり先輩の胸にぶつかって、そしてそこから学び取っていくというのが本当の研修になると私は思います。そういう面で、現場におけるそういう主任とか管理職の方々が胸をかすという機会が余りにも少ないのじゃないか。学校の事務量が多過ぎて、結局、中間管理職の教頭さんあたりになりますと、その事務処理だけでいっぱいでありまして、新任教員に胸をかすというようなゆとりがない、それが現実だと私は思います。だから、もう少しそういう面での事務量の削減をしながら、やはり教師本来の本務、教職についてのそういうぶつかり合いというものを重視していかなければならぬ。そういう意味においては、やはり今後の教職員の定数増と同時に、学校の事務職員というものをもう少し導入することによって、教師本来の本務に専念できる環境をつくってあげることで現場におけるぶつかり合いができる研修を持てる、このように考えますので、そういう面の御配慮、それも一応第五次計画に入っておると思いますけれども、そういう意味からも強力に進めていただきたい、こういうように考えるわけでございます。  その次に、そういう新任教員でなくて、いわゆる五年なりあるいは十年近く教職についておられる方々に対する現職教育というものも、それぞれ行っておられると思います。文部省が研究指定校的な形で研修の機会を積極的に設けておることは聞いておりますが、昨年度どのような計画で進められたか、お尋ねしたいと思います。
  35. 高石邦男

    高石政府委員 具体的には、各県のそれぞれの段階で先ほど申し上げました新規採用教員等の研修、それから五年程度の教職経験者研修、それから新任の教務主任の研修等を実施してもらうために、それぞれ各県に予算を計上して補助しているわけでございます。したがいまして、先ほど申し上げましたような経費をそういう研修のための助成費として予算化し、それぞれの府県で府県に適合するような事業内容につくっていただきまして研修を進めるということで、国の財政的な援助をしているというところでございます。
  36. 伏屋修治

    伏屋委員 そういう形で予算的な措置をもってそういうような研修機会をつくっておられるわけですが、その研修の成果、結果というものはどういうふうに受けとめておられますか。
  37. 高石邦男

    高石政府委員 研修がどういう成果があったかというのは直ちになかなか評価しにくい点がございますが、研修を受講された多くの方々は、例えば新任の新しく教師になった人々は、やはり現場で面接手足をとって教えてもらった教育実習というのは、その後の教育に非常な参考になったということが言われますし、五年の研修は、マンネリ化しかけているときに、教育についての新しい一つの見方ないしは今日までやってきたことに対する反省、そういうもののいいチャンスになったということ。それから新任の教務主任等は、新しい教務主任として仕事をどううまくやっていったらいいかというようなことについて大きな効果が出たということが言われておりまして、こういう研修をやったからこういう結果が出たというのは、数字で申し上げるということは非常に難しいわけでございます。
  38. 伏屋修治

    伏屋委員 具体的にそういうことは言いにくい面だろうと思いますが、研修の機会がありましたら、一応その研修の機会の紀要とか、あるいは成果としての出版物としてそういうものが文部省に来ておるのではないかと私は思いますけれども、現場の文部省指定校なんかを受けたところの先生方に聞いてみますと、えてして集約した本をつくるための研修というような感じを免れない、そういう印象を私は受けておるわけでございます。研修のための研修だというような、研究指定校のための研修だというような感じで、現場の先生方資質向上には直接つながりが薄いのではないか、そういうような感じも受けておるわけでございますが、その辺はどうですか。
  39. 高石邦男

    高石政府委員 確かに、先生の御指摘になりますような傾向があることは事実だと思うのです。というのは、これは明治以来、日本の学校で研究指定校をやると、大変よそ行きの姿にして公開授業なんかを実施する。それは、すぐ持ち帰って現場に生かすには余りにもよそ行きの姿になっているというようなことを耳にするわけでございます。しかし、そういうことはできるだけ避けながらやっていくということで、研究指定校でやりますねらいが二つあると思います。  一つは、全国的にその成果を活用していくということ、それから、今後の教育課程を改訂していく場合の貴重な資料になるという二つの目的から、各研究指定校で研究成果とか研究記録、そういうものを出してもらうということでございます。  それはそれなりに大変大きな成果をおさめていると思いますので、今御指摘になりました、どちらかというと見せるための研修にならないように留意しながら、本当にその学校でも十分にその研修がはね返っていくというような形をとりながらも、先ほど申し上げました二つのねらいも達成していくというような研究指定校の運用をしていくことが必要であろうと思います。
  40. 伏屋修治

    伏屋委員 昨年度もそういうような形で教科別、学校別の研究指定校を何枚がつくって、教科課程の参考にするためにいろいろな研究をされたと思いますが、五十九年度もまたそういうことは実施される計画であると私は思うわけでございます。  そこで、先ほど局長の答弁にありましたように、現場の先生がその研修機会あるいは研究指定校を受けて、その研究指定校のテーマに沿って研究して本当によかった、自分教師としてプラスになった、そういうような実のある研修機会が多くなってくるように、弊害を除去しながら研修機会の実を上げていく、そういう研修機会を積極的に進めてもらいたい、このように考えるわけでございます。  そういう意味で、文部省の方々にとると、いろいろな面で苦々しい今までの歴史があるかもわかりませんが、日教組、日本教職員組合が毎年教研集会というのを開いておりますね。その教研集会の中で、みずから教壇に立った生々しい実践レポート等の報告をしておるわけでございますが、そういうものを現場に積極的に取り入れていくというような柔軟さを文部省に持ってもらう、そういう研究の交流といいますか、そういうものが大事ではないか。日教組の教研集会の内容について大臣もお知りであろうと思いますが、そういうものについての大臣の御所見はどうですか。
  41. 森喜朗

    森国務大臣 先生方がさまざまな体験を通じながらいろいろな研究成果を発表し合う、そして、いろいろな機会に他の学校先生方とも交流をする、それをそのまま素直にとれば、それはそれなりに大変いいことだと私は思います。伏屋さんのおっしゃるように、そのことを柔軟に受けとめていくことが大事だと思うのですが、教研集会そのものは、教育内容に対する行政の関与を否定するというところから出てきておるわけでございますし、学習指導要領に反するいわゆる独自の教育内容の実施を図る、そういう運動方針に基づいてその中でいろいろ勉強なさる、その実践例をお互いに発表し合うという考え方からいけば、文部省の立場から見れば、これはやはり組合活動の一環として考えざるを得ないという立場に立ちます。  ただ、私もこの国会を通じて申し上げておりますが、現場の先生方にも、単に指導要領に反して独自のやり方をというだけではなくて、先ほど先生からもございましたように、教育荒廃あるいは教育に関係することについての先生方自身のいろいろな意味での矛盾、また先生方自身の自覚というものも出てきているわけでございます。そういう面で、校内暴力あるいは教育荒廃、そうした面をいろいろと議論をなさっておられた、先般の大会等はそういう高まりが出てきたということで、私はそれはそれなりに評価をしていきたい、こう思っておるわけでございます。  しかし、文部省としては、これは基本的には組合活動の一環という形で行われておると考えざるを得ないということでございます。部分的には教育的見地の論議も大変目立ってきておりますけれども、全体としての基本的性格は変わっていない。そういう意味では、本来の意味での教育研究活動として評価をするということは、文部省としてはとれないという判断でございます。
  42. 伏屋修治

    伏屋委員 それは、文部省と日教組の長い歴史がございますからね。  けれども、教育というものは、やはりそういうような政治的な介入を許さないところにこそ教育があるのではないかと私は思いますので、先入観といいますか、そういうものに余りこだわらないで、子供を育てること、そのことが目的である、そこに教育が成立するんだ、そういう考え方で柔軟に受けとめていただきながら、今後ともに文部省、その責任者である大臣がそういう方々との懇談を重ねながら、そういう一つ一つの壁を打ち砕いていかなければならぬ。それをやっていかないと、言葉では教員資質向上をし、教育荒廃要因を除去するのだと声高に言ってみたところで、お互いの壁がいつまでたっても崩れることがないというところにおいては、結局いろいろな面でそのはざまに入る子供がかわいそうではないか、こういうように考えますので、そういう面でもう少し柔軟な姿勢で臨んでいただきたい。その点、もう一度大臣の見解を伺いたい。
  43. 森喜朗

    森国務大臣 歴代文部大臣、私も文教委員という立場で随分接してまいりましたけれども、伏屋先生から柔軟にということでございますが、私ほど柔軟な文部大臣はいないと思っておるのです。私は、日教組の皆さんに対して、その活動等々については評価すべきところはちゃんと評価もいたしております。  しかし、伏屋さん、日教組の昨年の運動方針というのがやはりもとになっておるわけでありますから……。ゆとり時間の特設と奉仕活動、日の丸、「君が代」などの押しつけに反対します。なお、学校教育に対する日の丸、「君が代」の強制については、その背景とねらいについて徹底的討議を深め云々、こういう一つの運動方針という中で組合活動をなさるということは、やはりそこまで柔軟になれと言われても、私どもとしては、日本の国、国民全体の教育責任を持っているわけでございますから、むしろそうした問題を逆にもう少し柔軟にお考えをいただいて……。「君が代」だって、これは憲法にきちっと定めた国民統合の象徴でございます。押しつけはいけない、押しつけないというようなお話も出てまいりますけれども、「教育課程・教育内容の自主編成運動をする。自主的な教育研究を組織的に強化し、」平和軍縮、人権尊重と民主主義の教育を推進します、こうした一つの運動方針をもとに組合活動が行われているということであれば、それは幾ら素直に、柔軟に——結構柔軟に私は考えているつもりでありますが、そこのところは、私は十分に納得はでき得ないところでございます。
  44. 伏屋修治

    伏屋委員 この論議をやっておりますとそれだけで時間が費やされてしまいますので、何かまた別の機会がございましたら論議をしたいと思いますが、文部省ばかりが柔軟になるだけではなくて、日教組の方も、もっともっと柔軟に対処していかないと子供がかわいそうだ、そのことを私は言いたいわけでございます。  それから、現職教育のところが外れておるわけでありますけれども、管理職の研修会とか管理職テストというのを各県でやっておるようですね。これは一体どのような実情なのですか。
  45. 高石邦男

    高石政府委員 管理職試験を実施しているところが、県単位で申し上げますと、校長につきましては、小中学校で四十二、高等学校につきましては二十、教頭につきましては、小中学校で四十、それから高等学校につきましては二十五でございます。  その内容といたしまして、小中学校の校長の場合に、論文形式のものが三十三、筆答十九、面接四十一、教頭の場合は論文二十七、筆答二十七、面接試験三十八。高等学校の場合に、校長の場合、論文十四、筆答六、面接十六、教頭が論文十五、筆答十、面接試験二十三ということで、大部分の県で何らかの形で選考試験が行われているというのが実情でございます。
  46. 伏屋修治

    伏屋委員 管理職のテストとか、いろいろ今実情についてお話がございましたが、本来ならば子供に注がなければならない情熱が管理職テストの方へ注がれて、子供が置いてきぼりを食らっておるというような面も一面あるわけでございまして、そういう面への配慮というものを今後考えていただきたいと思います。もう四十代に近くなり、管理職のテストを受けるという年代になってまいりますと、子供というものを無視しながらその勉強に取りかかるとかあるいは事務屋になってしまう、そういう傾向がなきにしもあらずでございます。その辺について、そういう実施状況と同時に、今後そういう面で局長はどういうような指導を各県へ出されたいか、お聞きしたいと思います。
  47. 高石邦男

    高石政府委員 校長、教頭にこの試験が実施されるようになりました経緯は、各県でいろいろあると思うのです。  基本的に申し上げますと、どの人を校長、教頭にするかという人事の公正をどう担保していくかが実は教育界の非常に大きな悩みであり、問題点であったわけでございます。この試験制度が実施されるまでは、いろいろな形の推薦母体とか、いろいろな形の情実が入るとかということで、教員の校長、教頭の選考に当たっては、教育界でいろいろな事件が過去においてたくさん起きたわけでございます。そういうことをより公正、客観的な形で選ぼうというのが、この試験制度が多くの県でとられていった流れであると思います。  しかし、御指摘のありましたように、受験勉強に一生懸命で現場の子供たち教育をなおざりにするということは、基本的にいけないことだと思います。したがいまして、そういうことまでしなくていいような試験の工夫ということが考えられなければならないということで、各県でもそういう反省に立って、一体どういう形でそれをやったらいいかということで、昔は全部の学力テストみたいなことをやっていたものを漸次論文式に変えていくとか、ないしは面接に切りかえていく、そして教頭の段階でしっかりやれば、あとは教頭から校長に上げるのはそんなに難しいことをしなくていいじゃないか、いろいろな工夫が行われておりますので、基本的には、今御指摘のありましたような方向指導助言をしていかなければならないと思っております。
  48. 伏屋修治

    伏屋委員 そういう弊害を除去しながらの指導をよろしくお願いしたいと思います。  時間がもうなくなりましたので、教員資質の問題についてはそれくらいにしたいと思います。  次に、学校給食の問題にちょっと触れたいと思います。  せんだって本会議で、大臣は、国立競技場のスポーツセンターと学校健康会の趣旨説明をなさったわけでございます。私、文部大臣の所信を見せてもらいましたけれども、この中にないのです。別にそういう意図はなかったのかどうか。その辺、僕が見落としたのかな、お答えいただきたい。
  49. 古村澄一

    ○古村政府委員 大臣の所信に何を盛り込むかというのはいろいろな考え方があろうかと思いますが、主として、新しいことをやっていくようなことを中心にして重要なことを盛り込んでいくということだと思います。  したがって、学校給食は、昭和二十九年に学校給食法ができましてずっとやってきたわけでございますので、今回の大臣の所信の中には学校給食について触れなかったということかと思います。
  50. 森喜朗

    森国務大臣 三ページのところに、全体の問題として「学校体育、学校保健、学校安全の充実、魅力ある学校給食の推進に努めてまいります。」こういうふうに、一行だけでございますけれども、従来進めているものにつきましては、そのことによって強弱とか積極的でないということにおとりをいただくと困るわけでございますが、ずっと並べて所信を申し述べさせていただいております。
  51. 伏屋修治

    伏屋委員 了解いたしました。  学校給食でいわゆる米飯が導入されているわけでございますが、今現状のパンそれから米飯の比率、それから今後それが維持されていくのか、さらにそれが変化があるのか、その辺のことをちょっとお尋ねしたいと思います。
  52. 古村澄一

    ○古村政府委員 米飯給食の導入は五十一年度から始めたわけでございますが、今の現状は、大体一週間に一・八回ぐらいが米飯給食として行われているのが全国の状況でございます。  なお、この後昭和六十年代の早い時期に週三回まで持っていきたいという希望を持って、現在市町村に対してお願いを申し上げておるというような現状でございます。
  53. 伏屋修治

    伏屋委員 臨調からの学校給食に対する答申等もありまして、いろいろな問題があると思いますけれども、今まで先行的に学校給食に大きな貢献をしてきたパン業者というものに対する温かい配慮というものも忘れずに進めていただきたい、こういうように思っております。その米飯とパンの比率につきまして、米飯の比率が多くなればパン業者にとっては死活に関係しますので、そういう方々に対する温かい配慮もお願いしたいと思います。  それから、臨調答申によれば、単独調理方式から共同調理方式の方へというような答申があったやに聞いておりますけれども、文部省としてはどういう方向を指向してみえるのですか。臨調答申をそのまま受け継いでいくというのですか。
  54. 古村澄一

    ○古村政府委員 まず第一点の、パン屋さんに対する配慮でございますが、確かに戦後の学校給食はパン屋さんに大変お世話になってやってまいったわけでございますので、切りかえますときにパン屋さんに対して、これは農林省からの補助金でございますが、炊飯設備の補助金を出して、パン屋さんが米を炊くという仕事に切りかえていく場合にはそのお手伝いをする、あるいはそういった仕事にパン屋さんが切りかえたときにはそれに対して優先的に委託をするというようなことを御指導申し上げてまいったわけでございます。  第二点目の、臨調答申の話でございますが、現在私たちといたしましては、臨調答申にありますような共同調理場のメリットというものも認められますので、単独調理場よりも共同調理場の設置を推進するという方向で市町村に対する指導を行っているわけでございます。
  55. 伏屋修治

    伏屋委員 給食のこと、まだ幾つか聞きたいのですけれども、時間がないようでございますのでちょっとはしょりまして、次にがらっと変わりますが、共通一次テストの問題についてお伺いしたいと思います。  年ごとに共通一次テストの受験者が、当初申し込みよりも欠席者がふえつつあるという傾向でありますけれども、その辺の要因とそれに対する是正策というもの、ほかの委員の方も聞かれたと思うので重複するかもわかりませんが、その点をお尋ねしたいと思います。
  56. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 お尋ねの、共通一次試験について順次欠席者がふえているのではないかということでございますが、御案内のとおり、既に過去六回の実施を見ているわけでございます。全体では、志願者が約二万人ほど増加しておりますけれども、現役の志願率は六年間で一・一%程度低下をしておるわけでございます。また、回避した受験生と言えるかどうか疑問でございますけれども、欠席者も二千人ほど増加しておりまして、欠席率もごくわずかではございますけれども、増加傾向にございます。昭和五十九年度で申し上げますと、三十六万八百四十六人の志願者中欠席者が一万九千四百二十一人で、欠席率が五・三八%ということになっているわけでございます。  そこで、志願率の低下ないし欠席率の増加がどういう要因によるかということでございます。明確にすることは困難でございますけれども、推測できますことは、一つには、受験生の大学に対する価値観、それが大変多様化しておりますことと、私立大学が質的にも大変充実してきておりまして、一面、最近の若者がいわゆる都会指向型、そういう傾向があるというようなことなどから、国立大学一辺倒というような考え方が変わってきているのではないかという点。それから第二点としては、授業料などの学費負担で国立大学と私立大学の格差が順次少なくなってきているというようなこと。さらに第三点として、入りたい大学よりも入りやすい大学へと志望変更するというようなことも言えるのではないかと考えられるわけでございます。  いずれにいたしましても、その点は確たることは申し上げられませんが、現状は以上のような状況になっております。
  57. 伏屋修治

    伏屋委員 いよいよこの七月には、来年度、六十年度の共通一次テスト要項等が発表される時期がもう来ておるわけでございますが、総理も国大協の懇談会等を通して六十年には共通一次を改革していきたい、こういう御意思を持っておられるようですし、大臣の見解の中にもそういう御見解があったと聞いております。そういう面で、もう既にアラカルト方式というものを実施しておるような大学もあるわけでございますので、そういうようなアラカルト方式というものを配慮に置きながら、いわゆる受験生に混乱をさせない、受けやすい環境づくりをするためにどのようなお考えをお持ちか、お聞きしたいと思います。
  58. 森喜朗

    森国務大臣 実質的にアラカルト方式を採用しておられるという今お話でございましたが、国立大学の共通一次試験の採用につきましては、まだアラカルト方式の採用には踏み切っておりません。今、国立大学協会の入試検討委員会等で検討いたしておるところでございますが、実質的には、例えば芸術関係の大学について、その採点の傾斜配分といいますか、そういうものは具体的にやっておるようでございます。  私としましては、大臣に就任をいたしましてから国大協の皆さんと、総理も一度一緒に入っていただきまして、懇談をさせていただきました。基本的には、伏屋さん一番御存じのとおり、大学に入学する学生はどのような学生生徒を採るかということの判断は、これは文部省でなくて大学固有の権限でございますから、私どもから、余り勉強しない者でも入れてやれということはなかなか言いにくい。要はやはり大学先生方の御判断になります。俗に言う五教科七科目では大変多いじゃないかという意見が大変ございます。したがって、それを少し少なくしなさいというふうな気持ちも私どもは込めておるわけでございますが、やはり大学の学長さん方によっては、五教科七科目ぐらいのことはマスターしてくださらなければ国立大学に入る資格はございません、こういうふうにおっしゃる方もあるわけだし、私が、そこのところもうちょっとレベルを下げられませんか、こういうふうに具体的にお願いしますと、学術、学問が、森大臣、あなたの代に下がったらどうしますか、こう言われると、私もちょっと責任を感ずるわけでございます。ですから、文科系と理科系と、先ほどの傾斜配分のやり方もあるでしょうけれども、もう少し具体的に言えば、選び方をもう少し多様化させるということはぜひ検討願えないだろうかということをお願いいたしておるところです。  一方、国大協といたしましては、それは検討してみるという段階に入っておりますけれども、私立大学の方はどうなるのかという話も出てくるわけですね。私大は初めから入っておりませんから、逆に言えば非常に濃度が高まるといいますか、逆に非常に学問をきわめていくわけでございますから、特定の名前を言っていいかわかりませんが、早慶などの一部の学部では、偏差値から見ると東京大学以上みたいなようになってしまう。その辺については国大協ではかなり不満があるわけでありますから、私立大学もでき得ればこれに参加をしてもらって、そして明治大学の商学部は国語と社会だけは見させていただきますよというような形にできないものだろうか、こういうことも今、私大関係者にお願いをいたしております。  要は、予算委員会で私も申し上げましたが、六十年度からアラカルト方式を含めて多様的な受験科目についてこういうふうな形でやりますということは、軽々には今言えない段階でございますし、むしろ時間的なことを考えましても、六十年からその方向をやるということは、はっきりと申し上げて今の段階では事務的に難しいだろう、こう考えておりますが、何とか今までの議論や、また国民の要請もございますし、また受ける高等学校長会等のいろんな具体的な指摘もございますので、鋭意国大協関係者皆さん方で今議論をいたしていただいておる段階でございますから、文部省としては、そうした国民的な要請あるいは高等学校長会の要望等を踏まえながら、できるだけ改善工夫をしてもらえないだろうか、こういうことを今期待をいたしておるところでございます。
  59. 伏屋修治

    伏屋委員 今大臣の御答弁にありましたとおり、六十年度実施不可能にしましても、やはり共通一次の多様化というんですか、アラカルト方式というものも含めて多様化を図る中で、受験生が年々欠席者がふえていくということのないような手当ても考えていってもらいたい。そのことをお願いして、この問題は終わりたいと思います。  最後に、留学生の交流についてお尋ねをしたいと思いますが、昨年の八月にいわゆる「二十一世紀への留学生政策に関する提言」というものが報告されておるわけでございます。それでなくても日本というのは、諸外国に比べましても留学生の受け入れが極端に少ない、そういうことがございますし、今後のやはり諸外国との相互理解、それから友好を増進する、そういう意味においても、この留学生交流というものに対しても大きなウエートを置かなければならないのではないか、そういうことを考えますので、この提言に対して大臣はどのようにこれをとらえられておられるか、お尋ねしたいと思います。
  60. 森喜朗

    森国務大臣 御指摘どおり、我が国の留学生に対する対応というのは、やはり諸外国に比べましてかなりおくれておるということは事実でございまして、先進諸国の留学生の受け入れ数から見ましても、日本は非常に少ないということでございます。最近はそうした国際社会への対応、役割ということが諸外国からも日本に求められておりますので、文部省といたしましては、相互理解の増進、開発途上国の人材養成への協力等、留学生交流に対しましての役割の重要性にかんがみまして、さらに留学生交流の充実を図っていきたい。  今年度におきましても予算面におきまして、五十八年度八十億一千三百万でございましたが、五十九年度には八十八億九千百万円を予算措置いたしておりまして、パーセンテージの伸びからまいりますと、一一%増でございます。おくれてはおりますけれども、政府としては積極的な取り組む姿勢を見せているところでございます。  なお、今お話にございましたように、総理から指示がございまして「二十一世紀への留学生政策に関する提言」、これを今関係省庁と検討いたしておるところでございますが、世界に開かれた大学としての体制の整備あるいは留学生交流の充実になお一層努力をしてまいりたいと考えているところでございます。  私も臨時教育審議会設置に当たりまして、やはり二十一世紀を担う日本の青少年たちに対して、何といいましても国際社会の中で日本の学問はいかにあるべきなのか、そして二十一世紀を担う子供たち、青少年たちが世界のためにどのように役割を果たしていくのか、こういうことも十分検討の視点として配慮をしてほしい、こういう考え方でこの教育改革にも臨んでおるところでございまして、まさに二十一世紀は国際社会の中の日本というテーマを文部省としても十分受けとめながら、なお一層国際社会に対する貢献あるいは世界の青少年の交流、学生の交換、そうしたことに重きを置く政策を推進していきたい、こういうふうに考えておるところでございます。
  61. 伏屋修治

    伏屋委員 その「二十一世紀への留学生政策に関する提言」の中で「当面の施策」として、当面やらなければならぬ施策として十項目を挙げられておるわけでございますが、その十項目に対してどれを重点的に取り上げていかれるのか、そういう計画がおありでしたらお聞かせいただきたいと思います。
  62. 大崎仁

    ○大崎政府委員 「提言」の中で、御指摘のように十項目の当面の措置が指摘をされておるわけでございますが、いずれも重要だと考えておりまして、私どもとしましては、明年度予算におきましてもそれぞれ何がしかの努力をその方向でしておるところでございます。  ただ、その中でも基本的には、大きく分けますと三つに分かれるのではないかと思います。一つは、留学生の方々の宿舎の整備というものを整えていくということが一つでございます。それからもう一つは、大学における留学生の受け入れ態勢、教育指導の充実というものの条件の整備を図っていく。それから三つには、日本語教育という問題が基本的に重要でございますので、その整備充実を図っていくというあたりが特に重要ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
  63. 伏屋修治

    伏屋委員 そういう面での諸環境の整備というものが今急務でございますので、それをやりながら、当面の諸外国におくれておる留学生の受け入れを具体的に進めていっていただきたい。  国費留学生というのは非常に少ないわけでございますが、当面どのあたりの国を目標にしながらそれに近づこうと考えておられるのですか。
  64. 大崎仁

    ○大崎政府委員 御指摘のように、現在、昨年の五月一日の調査の時点で申しますと、日本で学習をしております外国人留学生の総数が一万四百二十八人ということになっておりまして、外国政府からの派遣が八百六十三、それから国費でお招きをしておる方が二千八十二、それから私費でおいでになっている方が七千四百八十三という状況にございます。  ただ、これは少のうはございますが、五十年度前半が大体総数五千台で推移をしておったわけでございますが、最近国費留学生の拡充あるいは日本に対する関心の高まりということで、ようやく一万を超えたというのが現状でございます。ただ、御指摘のように例えば最近の数を見ますと、イギリス五万、西ドイツ五万と五万台でございますし、フランスは十二万近くの留学生が学んでおるわけでございますが、当面の目標といたしましては、やはり早くイギリス、西ドイツの水準まで持ってまいりたい。  それから、「提言」の御指摘のように、二十一世紀初頭にはフランス並みの受け入れということを一応のめどとして「提言」で御指摘をされておりまして、私どもといたしましても、そういうところを努力目標にしてまいりたいと思っておるわけでございます。
  65. 伏屋修治

    伏屋委員 国費留学生一つの私費留学生の呼び水にならなければならない。けれども、日本の留学生の受け入れは全く砂漠状態であるというので、余り評判がよくない。だから、数少ない国費留学生というのは、日本に来ても、それが私費留学生の呼び水になっておらないというところに交流の非常に低調化がある、こういうふうに考えるわけでございまして、そういう面からいいましても、やはり経済大国にふさわしい国際化の努力というものを文部省、もっと積極的に推進して、そしてそういう友好あるいは相互理解の増進に寄与していかなければならぬ、このように考えますので、一層の御努力を強く要望をいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  66. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時五十九分休憩      ————◇—————     午後一時一分開議
  67. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。佐藤誼君。
  68. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 文部大臣の所信表明に対する質問、私が最後になります。いろいろな角度から質問がなされておりますので、私は、九十分という時間ですが、文部行政全体についての文部大臣の所信、それに対する私の考え方、これを提起しながら、文部大臣の重ねての所信を問うというような形で進めさしてもらいたいというふうに思っているわけでございます。  そこで、大臣の所信表明の中にも、ずっと多方面にわたっておりますが、特に「心を痛めております。」というその中に「児童生徒の問題行動は依然として深刻な状態にあり、中でも中学生を中心とする校内暴力事件が後を断っていないことに心を痛めております。」こういうところがありますね。  これは私も同じでありまして、ひとしく国民もこのことに心を痛め、これなども教育改革に国民が大きく期待をしている要因だろうと思うのであります。特に、非行、暴力の実態、これは昨年の二月でしたか、横浜市における中学生による浮浪者殺傷事件、また、東京都町田市における教師による生徒刺傷事件、まさに我々戦前戦後に育った者としては考えられない、荒廃と言うよりは、私に言わしめるならば病理現象とも言うべきような問題が出てきているわけですね。これらの問題は那辺に原因があるのか、この辺の問題も含めてこれから質問してまいりたいと思います。  その中で、質問の第一は、青少年の非行の実態はどうなっているのか、また、それに対する文部省指導は果たして効果を上げでいるのか、上げつつあるのか、上げる自信があるのか、この辺のところを私は端的にお伺いしたいのですが、時間もそんなに無制限じゃございませんので、私の方から若干それに関して申し上げて、そして見解を聞くということにしたいと思うんです。  そこで、資料としてはいろんな資料がございますが、特に警察庁調べを中心として、幾多非行、暴力問題の中で何件か取り上げてその状況を見ますと、刑法犯少年のこれなどを見ますと、対人口比で見ても、昭和四十七年の一〇%からずっと五十七年、五十八年、一八・八%あるいは一九%近いですね。こういう状態で累増の一途をたどっているのです。五十七年、五十八年度は、これは人口比についてはパーセントでは同じですけれども、件数については大変ふえているということになりますね。さらに、問題になります対教師の暴力、それからいわゆる校内暴力、これなどを見ても、全体的に累増しているということは明らかなわけですね。  ただ、その中で少し慰めになりますのは、昨年の七月から十二月にかけて、つまり下半期ですね、これは対前年同期に比べては若干落ちているということが慰めにはなりますけれども、しかし全体の趨勢として、朝野挙げて努力をしている割には効果を上げているとは言いがたいし、全体的にプラスの方向に行っているということを言わざるを得ないわけです。例えば校内暴力にしても、一昨年は若干減りましたが、昨年度を見ますとまたふえている、こういう状況がありますね。  それに対しまして、御承知のとおり文部省といたしましても、警察庁の保安部長からの通達、これは昭和五十年の二月四日に出ています。これを受けながら五十三年、五十五年、五十八年、つまり初等中等教育局長のいわゆるこの問題等に関する通達指導がなされておりますね。  私は、そういう文部省の通達を中心とした指導あるいは政府全体としての努力を認めないわけじゃないけれども、しかし、この青少年の非行、暴力問題は極めて憂慮すべき実態になっているということを言わざるを得ないので、この辺に対する実態をどうとらえているのか、それからまた、文部省指導というのが果たして効果を上げつつあるのか、今のような形の指導で果たして十分なのか、その辺、まず冒頭から質問したいと思うのです。
  69. 高石邦男

    高石政府委員 件数の概要につきましては先生御指摘のとおりでございますが、そのほかに、ことしの卒業式における警官の警備状況というのを最近とりました。  この調査も、文部省調査と警察庁調査と二つありますが、文部省調査でも警察庁の調査でも、五十七年度と比較いたしますと五十八年度は約半数に、学校が依頼をいたしまして校内に警察官が待機した学校数は減少しております。それから、学校周辺の巡視をした件数も一〇%前後減少するということで、先ほど読み上げられました五十八年の七月から十二月にかけての下半期のいろいろな事件の減少傾向とあわせますと、どうやら峠を越えて減少の傾向を示している、こういうふうに見れるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。しかし、これはまだ半年程度でございますから、ここ一、二年の状況、推移を的確に見た上でないと、全体的に減少傾向をたどっているということまで断定することは困難かと思うわけでございます。  昨年の横浜における事件、町田における事件を契機といたしまして、学校はもちろんのこと、地域、社会、家庭、それが相協力いたしましてこの問題に真剣に対応していく兆しができたということで、この問題に対する対応は従前にも増してその的確な対応への努力が行われているというふうに思うわけでございます。
  70. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 峠を越したのかどうか、この辺は微妙なところだと思いますが、しかし、いずれにしても結局何とかしなければならぬ、これは国民共通であり、我々共通の課題ですね。そのことに対する文部省指導がどうかというこのことの議論のやりとり、これも大切でしょうけれども、しかし、これは当然努力しなければなりませんし、減らしていかなければなりません。問題は、それがなぜ起こってきているのか、それに対する我々の対応なり指導なり教育が適切であるのかどうか、この幹の部分を常に議論していかなければ、若干ふえた減ったという一喜一憂の議論ではならぬと私は思うのですね。この辺のところを私たちはその衝に当たる者としてきちっと押さえなければ、こここそ我々が国政の場で議論しなければならぬ点ではないかというふうに私は感ずるわけであります。  したがって、第二の問題として、この非行、暴力、登校拒否、いじめ、病理現象とも言われるこれらの教育荒廃のよって来る原因、これはある物の本によれば、あるいはある報道によれば、複合的な要因というふうにも言われておりますけれども、確かにそれはいろいろな要因が重なっております。しかし、そのよって来る主たる要因は何であるのか、やはり私は、このところが国会の場で議論を尽くすべき重要な問題であろうかと思うのです。  そこで私は、議論をはっきりさせるために、焦点をはっきりさせるために、私なりの考えを若干述べて、まず大臣の意向を聞きたいのだけれども、高度経済成長という一つ状況の中で、確かに社会全体が大きく変わりました。都市と田舎の過密過疎の問題から、都市におけるマンモス都市化現象、そして職と住の分離、サラリーマン化、家庭における核家族、そしてその要因は家庭の放置あるいは社会の無秩序、そしてそれに対するそういう退廃的な文化現象が取り巻く環境、いろいろございます。家庭、社会、いろいろな要因がございますが、私に言わせるならば、一端的に言えば、焦点はやはりこの学歴社会を背鏡にした過熱した受験競争だと思うのです。  そして、それが引き起こした偏差値による小さい子供のときからの選別、それがやがて人間全体に対する学校の差別、こういうところにつながっていったそういう教育のあり方論、これをやはり基本的に今日の教育荒廃の大きな要因一つと挙げていいのではないか。私は何が要因かというと、どうしてもそこが基本的な要因のような気がしてならないのです。したがって、その辺に対する大臣の見解をまずお聞きしたいと思います。
  71. 森喜朗

    森国務大臣 私も、佐藤さんが今お話しされましたように、むしろ社会の病理現象というような見方で見ております。  たびたび申し上げるようでございますが、日本の戦後の教育は、量、質という面から見れば充実したという形は、私はそれなりに評価を受けていると思うのです。しかし、どうも教育が原因という形で社会のいろいろな、先ほど佐藤さんがおっしゃったように、我々が想像できないような状況が招来する、そういうことはやはり病理現象というふうにも考えられ、その一環として教育が原因になっておるという面も、私は否定できない現実だろうと思うのです。だからといって、今のこの教育制度がいけない——みんなが学問を学びたいという、そのすべてがみずから出てくる向学心だ、すべてをそういうふうに言えるかどうかわかりませんが、みんなが学びたい、日本の国全体の経済の水準が高まることによってみんなが教育を受けたい、そういう教育を受けるという状況になりつつある、それに対して量的にある程度政府はそれを受け入れる備えをしていかなければならぬ、これは当然のことだと思うのです。そういう中で、一方で病理現象が出ていますということでございますので、佐藤さんがおっしゃるように、すべてこのことが原因だというふうにはなかなか決めつけられない面もあると思うのです。  それには幾つかの問題がたくさんあると思いますし、時間をとっておしかりをいただくかもしれませんが、やはり物質面での豊かさ、自由と責任あるいは権利と義務ということ、そういう基本的な教えが子供のころからどうもきちっとしていないのではないか。そういう面も出てくると思いますし、一方では大人のわがままで、いわゆるマスメディアを中心にするテレビや出版物、これも何かあると、現実にもまた不良図書等の規制という話が出れば、これは自由と表現というような問題になってくる。そのことを言えばそのとおりでありますから、そのために、今までは若干手ぬるかったことは事実だけれども、現実には子供が確かに影響を受けてきたことは事実。ただし、同じように物を見る、そういう一つの不良雑誌を見るにしても、高校生で見る目と小学生で見る目とは全然違う。テレビにしてもやはりそうでありますし、テレビを見させる親が憩いという表現もありますけれども、子供の見る目と大人の見る目とのテレビの見方がやはり違う。いろいろさまざまな要因が私はあると思います。  ですから、一概にすべてが学校教育、今の受験体制だとは片づけられません。受験の過度の競争あるいは学歴社会に伴う親の子供に対する期待、こうしたことが子供学校教育の中で——もう少し多様的に子供を受けとめていかなければならぬ、年齢やあるいはいわゆる能力・適性、関心度に応じて、少し多様的に子供たちに接していかなければならぬのを画一的にしたという面もある。そういういろいろな、さまざまな理由が私はあると思いますが、そういう意味では佐藤さんのおっしゃるように、学歴社会あるいは受験過熱戦争というものがやはり大きな比重を占めるということは、先生の御指摘のとおりだろうと私も思います。
  72. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 一口に言えば非常に複合的な要因であることは共通の理解ですから、その中で、これがすべてだということにもならぬだろうと思う。これからそれに対してどう対応して教育をより立派なものにするかという場合に、主たる要因は何か、こういうとらえ方は、すぐれて私はアプローチの仕方として効果があると思うのです。そういう点で今大臣も、学歴社会、受験競争とか、それに伴う云々ということを言われましたけれども、基本的にまずそこに問題があるというとらえ方で、それを中心にしながら対応していくというのは非常に必要なような感じが私はするんですよ。  そこで私は、大臣あるいは皆さんと現場の状況をともに見詰め合うということで、若干今のことに関連して、現場の状況を私なりにまず提起をしたいと思うのです。  これは私たち、全部現場を見るわけにいきませんし、もちろん大臣文部省と一緒に同じものを見るわけにはなかなかいかないわけです。そこで私は、ここに「日本の条件」、これはNHK取材班が放送いたしました、それをずっと記録にしてあるものですね。これなど私は、国民みんなが見ておりますし、またNHKというところで取材したものですから極めて参考になるのじゃないかというので、この中からも一、二取り上げさせていただきたいと思います。  そこで、こういう詩があるんです。高校入試を間近に控えた中学生の詩で、「ぼくの見た夢」という詩です。その詩は、   大きな商店の店先に ぼくは並べられていたぼくも、ぼくのまわりの商品もみんな値段がつけられている  それは偏差値である お客(高等学校)は数値の高いものから買っていく。  ぼくは売れ残ってなかなか売れない こういう詩です。これは「日本の条件」からとったものではございません。違う資料です。これは値段、つまり偏差値で序列がつけられて引き取られていくという、このことを非常に率直にこの詩はあらわしておるんじゃないでしょうか。それから、学校における偏差値によってその子供の進路を決めていく。つまり、格差に合わせて偏差値の輪切り進学が行われている。  このことに対して、NHKの「日本の条件」はこのような記録を残しています。   東京郊外のA中学では、三年生の受験志望校を決める学年担任の”振り分け会議”が開かれていた。   毎月繰り返してきた業者テストの偏差値と内申書の成績を手もとに、ひとりひとりの生徒の行く先を検討する。   「彼ならばB高校に大丈夫です」   「彼女はどうしても無理ですね。一ランク落とさなければダメです」   「入れる高校がないのです。駄目とはわかっていますが挑戦だけさせましょう。オリンピックです。参加することに意義ありです」   「この子は私立のC校一校だけにします。話は通してありますから」   いかにして全員を高校へ送りこむか、教師の気も重い。続いて行われる父母と生徒、そして教師の三者面談では、子どもたちの夢も、親たちの願いも、偏差値の冷酷な数字に踏みにじられる。   がらんとした教室の片隅で、教師と母親、そして生徒、三人の真剣な話し合いが続く。  「なんとか昼間の高校へ行かせてやりたいのですが無理でしょうか」  「うーん、もう少し頑張っていればねえ。この偏差値の表を見てください。偏差値ごとに入学できる高校が一覧表になっています。いまの点数だともっとも低いD高校にも入れないんですよね。よほど入学試験の成績がよくないとね。定時制ではいやなのかな」   母親はすがるように教師を見つめ、子はひと言も口をきかずに椅子に座り続ける。  これが輪切り、振り分け会議の実態だと私は思うのです。こういう形で子供が、まさに十五の春が、この偏差値という冷酷なコンピューターによって振り分けされていくわけです。そこには、本人の意欲も努力の将来の見通しも入る余地がない。これが冷酷な現実ですよ。  これは、十五歳の春と言いましたけれども、都市の学校では、もう中学校に入るときからそういう方向でしょう。振り分けられる。そしてそれは、小さい子供のときから塾通いですよ。これが今の偽らざる学校の実態ではないのか。そこまで我々が踏み込んだときに、学校の改革、教育の改革はどうあればいいのか、この辺の問題になりはしまいかというふうに私は思うわけです。  続いて申し上げますが、非行はよく卒業期とかあるいは卒業式とか、そこに焦点が当てられやすい。ところが、NHKのデータ等を参考にさせてもらいますと、昭和五十七年度の月別の非行を見ますと、一番多いのは十月なのです。五十七年度のデータによりますと、十月は百十四件、ずっときまして一月は六十七件、二月は八十四件、三月は四十二件、四月は四十八件です。この十月という月が、先ほど言いました三者会談、振り分けの行われるときなのです。そうなりますと、その時期がいわゆる輪切りの時期であり、自分のテスト、普通言う実力、これがコンピューターで明確に、嫌と言うほど知らされるときなんです。そのときにはまさに疎外感と自己喪失に陥るでしょうね。そういう意味で、まさに十五歳あるいはそれ以前に、大げさに言えば人生の方向が決められてしまう。こういう時期こそ、子供たちは疎外感と人生の将来に対してこの壁の中で悩み、それがいろいろな形であらわれてきている。しかも、教師に対する暴力が、十月ごろ一番多いということです。このことはやはり否めない今の状況だと思うのですね。  さらに警察庁の資料によりますと、警察に補導され、書類送検された生徒のほとんどが、偏差値が最下位でございます。その子供たちが補導されたとき、異口同音に言うのは、差別に対する不満と反抗、私には構ってくれない、お客さまだから、こう言うのです。そして、それは同時に学校教師に対する不信ということですね。このことに今日の病理的と言われる非行、暴力、その他の問題が潜んでいはしまいかということです。  先ほど私は輪切り進学のことを言いましたけれども、まさに輪切りによる普、商、工の進学、つまり偏差値による輪切りです。ある女子高校生が、「あなたはうれしい日はどういう日ですか。」「朝、雨が降ったときです。」「なぜですか。」「レーンコートを着ていく。レーンコートを着れば、自分学校の制服も校章も見られなくていい。」こういうことですね。これは、まさにそういう輪切りの結果が生んだ落ちこぼれ学校に対する子供たちの悲哀だと私は思うのです。これは偽らざる実態だろうと私は思う。  そういう意味で、学校に受験指導はあっても進路指導がないじゃないか。つまり、どの学校に入れるか、そのことの品定めの受験指導はあっても、これはコンピューターが明確に偏差値を出してくれますから。しかし、あなたはどの学校に行きたいか、つまり、その子供の個性と希望を生かす、人間触れ合い指導が今の学校にあるだろうか。教育改革と言うならば、このことを我々は、それぞれが十分心しなければならぬのではないだろうかというふうに思います。  そこで、私は、この問題の最後に、これは「日本の条件」の中にありますけれども、その中にOECDの本部の社会労働教育局のガス局長の弁というのがあります。それには次のようにあります。  「少年の非行、校内暴力といった問題は日本だけでなく先進国共通のテーマです。日本の事情はよく知りませんが、非行や暴力は差別が大きな原因だと思います。差別があると、その結果として必ず暴力問題が起きます。黒人問題にしても、婦人問題にしても、差別を感じた人にとって暴力は一つの答えかたなのです。差別された人は必ず抵抗します。」以下云々とありますね。  私は、これは非常についている表現じゃないのか。つまり、学校偏差値、コンピューター、学力、これによって心ならずも、我々が知らない間に子供たちが差別をされ、心を痛めつけられているのじゃないか。これが表面に出てきたときに、反抗したときに校内暴力であり、教師への暴力であり、内にこもったときには登校拒否であり、ゆがめられたときにはいじめだと思うのですよね。そういうところを考えたときに、はて、我々の教育改革の原点は何かということになるのではないかと私は思います。  まず、その辺についての大臣の所感があるならばひとつお聞かせいただきたいと思います。
  73. 森喜朗

    森国務大臣 これまでの佐藤さんのお話、私もある意味では大変興味深く、また大変的確にお調べをいただき、そしてさまざまな角度から御指摘をいただきまして、私どもにとりましても、それなりに大変参考になる御意見であるというふうに、まず申し上げておきます。  しかし、もう一つは、やはり日本の経済繁栄の歴史の経過といいますか、そういうこともこの問題とは切り離せない問題であろうというふうに私は思うのです。確かに、敗戦の中から、日本の今日の制度、とにかく努力してみんなが学問をして、学問を身につけることによって自分たちの未来が切り開かれていく、こういうことが日本の発展の大きな原動力、ある意味では日本の底力になってきた、私はこういうふうに思うわけです。  しかし、一方では、こうして多くの皆さん高等学校あるいはまた高等教育というふうに進むようになれば、当然、人さまざまな能力・適性が出てくる。しかし、教育を行政の中で指導していく文部省の立場から見れば、やはり学校勉強するところであって、教育を進めていく、その姿勢は文部省としては崩すわけには当然いかないわけでありまして、余り勉強しなくていいよということは文部省としては言えない、これは今日までの文部省の基本的なスタンスであろう、こう思うわけであります。  しかし、現実の問題としては、量的にこれだけ拡大すれば、確かにおっしゃったように学校差というものも出てくる、あるいは同じクラスの中に格差が出てくる。それを今差別というふうにおっしゃいましたけれども、これはある意味では、努力する人、しない人、能力が備わっている人、備わってない人、それぞれ個性、適性というのはあるわけでございますから、その区別はやはりしなければならぬ。そこで、差別と区別の用い方が、とらえどころによっては非常に微妙なところだと思いますが、こうしたところが、今日の役所の行政の立場からいえばまたなかなか区別がしにくい、判別がしにくいということもあったと思います。  そういう意味で、これからの人間の評価は結局何でしていくのかということで、その評価の仕方といいましょうか、評価のポイント、こういうところはもう少し多様にしていかなければならぬ。勉強だけで評価するからどうしてもそういう差別というふうな形になってくるのだろう、私はこう思います。勉強ができなくてもこの子はこういう面で大変な力を持って、こういう面で勉強のできる子と同じような評価を世の中でしてくれるのだということになれば、それぞれ、おのずと自分の好きな道を選ぶことができるわけでありますが、そのことを学校の中でどのように取り入れていくか、これがやはりこれからの一番大事な問題点じゃないか。そうすれば、勉強のできる子がA高校で、その次の子がB高校で、若干できない子はC高校でということで、雨の降る日が制服が隠されて一番うれしいというようなことにはならないはずであります。問題は、人間の評価の仕方というものを、こういう時代に入ってきた日本の国にとって、新しい教育の成果の誇り方といいましょうか、そういうことを改めて考えていく。そういう意味で、今度の臨時教育審議会も、そういうようなことをもう少し長期的にとらえた日本の新しい教育の物の見方というものも御議論をして、国民の前に提示をしてもらいたいな、私は今、こういう気持ちを持っておるところでございます。  今まで佐藤さんから御指摘をいただきました点はそのとおりでございますが、だからといって、それじゃ文部省がそういう方向をとり続けてきたことに誤りがあるかというと、必ずしもそう言い切れるものでもない。やはり日本の発展、日本の歴史の経過の中で、その都度文部省は適宜に対応してきたということだけは、これは別の意味からは評価するという面もあるわけでございますから、そういう点で私は、佐藤先生お話をそういうことと外しながら受けとめさせていただきました。
  74. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 大臣の話も、それとなく私もわかります。世の中、差があるというのは常ですから、これは否定するものではありません。今大臣は、差別か区別かということを言われましたけれども、区別というのは評価の伴わない物理的な感覚ですね。差別というのは価値観が伴う、そこが私は基本的に違うと思いますから、私が議論しているのは、価値観が伴っている区別なのです。つまり、差別の問題なのです。そういう点からいうと、先ほど人間の評価のことを大臣言われましたけれども、それは非常に一面的に偏っているのじゃないか、このことは私も同感なんです。もっと多様な側面を丸く評価していくということが大切ではないか、その点も私は同感なんです。  そういう点からいうと、先ほどのことをちょっと続けて申し上げますと、率直に言えば、私は今の学校というのは、例外はありますよ、しかし押しなべて言えることは、今の学校というのは有名校、一流大学、それを目指す予備校化しつつあるのではないか。教育は、結局は予備校化、受験のための教育であり、それはテストで得点を上げ、偏差値を高めるというこのことにドリルされて、集中的にそこに焦点が当てられているということを言わざるを得ないと思うのですね。つまり、偏差値による評価というのは、今大臣も言われましたけれども、率直に言って、全面発達としての人間が浮かんでこないわけです。人間の一側面だけが断面的に出てくるわけですね。したがって、それは数量化されるわけです。偏差値が出てきて序列化されるわけです。それが人間全体の評価になっていく。これは人間の評価というものが非常に一面的である。もっと全般に丸みを持ったものにしなければいけない。丸みを持った教育でなければ本来の教育ではないのではないか。つまり、教育基本法で言う「人格の完成」というのは、とりもなおさず全面発達の思想ですね。そして、その全面発達という全人格的な普遍のものと、それから、その子供でなければならない個性を伸ばす、普遍と特殊の問題が教育では非常に重要だと私は思いますが、その中で特に、今言われましたところの偏差値によって人間そのものが全体的に選抜されて、偏差値が悪ければすべても悪いというところに今日の大きな問題があるのではないか。  だから、そういう点からいうと、人間というのは本来縦の序列になじむものではなくて、やはり横並びだと思うのですね。つまり、この人でなければならぬという個性があって、そして横で比較されていくものだ。それが言うなれば、私に言わせれば知育偏重の能力とでもいいましょうか、そういう能力によって、しかも数値化されたもので人間を縦の序列に置くということ自体が物の始まりの間違いではないのかな、特に教育の場ではそれは考えなければならぬことではないのかなと私は思うのです。  そこで、私は一、二、先ほどの「日本の条件」をまた引用させてもらいますが、その中で、今のことはすぐれて入学試験なり大学入試、このことに関係があって当然出てくるわけです。つまり、評価の仕方ですから。  その中で、御存じのとおりケネディ大統領はアメリカの有名なハーバード大学に入りましたね。いわゆる日本流で言えば、彼の高校時代の成績ではとても入れる状態ではなかったというのですね。ところが、彼は入ったわけですね。日本で言うペーパーテスト、偏差値以外の評価の全体評価で入ったということは明らかです。そのことがちょっと書いてあります。ハーバード大学の入試事務部長のジュエットさんの言なんです。それは、次のようにこの本の中で言っている。   どの学生にも個性があり、それぞれ異なった早さと、異なった方法で成長するのです。そして、その方法も当然、異なっているのです。そうした彼らの多様化をたった一つの尺度、たとえばペーパーテストで客観的に測ろうとするのは無理なことです。   もちろん、最高の物理学専攻の学生を選べというのなら一つの客観的なテストですむでしょう。しかし、それでは、その学生が将来地域社会のリーダーに向いているのかそれとも実業家か芸術家に適しているのかといった人間的な側面を測ることはできません。   さまざまな方向に伸びる潜在力を持った学生たちをたった一つの試験で、振り分けるというのは絶対に不可能なのです。   もちろん、私たちの方法は時間もかかりますし、確かに主観も入りがちです。しかしハーバード大学では、この方法で長い間、各界に指導者を送り出してきたのです。ノーベル賞をもらった人だけでなく、実業家や作家や教師やその他いろいろと。 以下云々、こうありますね。  私は、ここに表現されるハーバード大学、この入試のあり方は、選抜のあり方としては参考になると思うのですね。その中でずっと見ますと、日本で言う学力の到達度もあります。しかし、課外活動人格人間性、この全体評価で入れているのですね。これを見ますと、日本で言う一流の秀才と言われる女性が落ちているのです。しかし、成績が真ん中ぐらいのケネディは入っている。この辺は、これから考えていくときに非常に手間暇かかりますけれども、教育というものは手間暇かかるのですから、やはりじっくり考えてみる必要があるものではないのかというふうに思います。  なお、諸外国の関係については皆さんよく御存じなわけですけれども、これによりますと、例えば西ドイツの例を見れば、そこには中学校を卒業してゲゼレン試験という徒弟修了試験を受け、マイスターという次の親方試験を受ける。このマイスターの資格を得た人は、言うなれば大学院出のドクター、博士と並んで社会の尊敬を受ける。何らそこに大学院に行った人に劣等感を持つこともないし、社会的に同じように評価されているという、このことですね。  それから、スウェーデンの場合には開かれた大学、どこから大学に入るか自由なわけです。スウェーデンではもともと日本のような入学試験はない。主婦も、主婦業を四年すればそれで入学資格ありと認められる。これは極論かもしれません。つまり、日本の場合には入り口の条件が非常にきっちりしている。しかし、入り口を広げても出口のところで締めるという方法だって考えられると思う。  その中には、御承知のとおり、ILO条約百四十号条約ですか、これは大臣も知っていると思いますが、教育有給休暇に関する条約というものがあります。たしか日本は結んでいないと思うのです。批准していないと思うのです。これはつまり、生涯教育の観点でいつでも、だれでも大学に入る、そのために有給休暇で教育を受けることを認めていくという条約です。これは、それぞれの国の国柄がありますけれども、やはり日本の場合にはもう少し大学の入り口、出口、その辺のところを開放的にするべきではないだろうかというふうに感ずるわけなんで、この辺についての大臣の所感をいただきたい。
  75. 森喜朗

    森国務大臣 大学の入り口を自由にするというのは、私も大賛成なんです。しかし、今日までの日本の高等教育機関と高藩学校とのちょうど連結部分というものは、そう簡単にはすぐ大きく変革はできないわけでありまして、みんながだれでも行けるようにするぞということになれば、今の段階ではやはり特定の大学に集中してしまう。量的にそれを受け入れられるのかということになってくる。みんなが日本じゅうの国公私立の大学に上手に振り分けてくれれば、確かにある程度の数を受け入れてもいいわけであります。  私は、党におるころから、早稲田の総長にも慶応の塾長さんにもいつも言うのです。入りたい人は入れてあげなさい、そして一年でも二年でも、所定の単位をある程度取らなかったらどんどん落としていきなさい、入って、いかに難しいものなのか。どうも大学に入るまでは、一生懸命に勉強して家庭教師や塾に通わなければ入れない、入ったらそれきり楽になっちゃうというのじゃなくて、まず入れてあげて、大学の中で、いかに高等教育学問を身につけるということが大変なことかということを本人に体験をさせて、じゃあ、僕はこれでもうやめて社会に出るわというように、本人が納得して出ていくことになれば一番いいのじゃないかな。だから、まず入れてあげなさいよ、こう申し上げると、大学先生方は、それだけ受け入れて、みんな来たいという者を入れたらキャンパスが足りませんという話になる。みんなをどうやって振り分けるのです。その振り入けるときにまた学校の序列みたいなものがある。私は、逆にやらせたいという希望が一心にありますから、それなら大学の受験日を国立大学の日もみんな一緒にしたらどうですか。あっちもこっちも受けられるから倍率が高くなるのだから、ある程度一定にどこかでぱっとしてしまって、もちろんもう一遍できるチャンスくらいは、二回くらいの方法は考えるにしても、みんな同じようにして。そうすれば、おのずから自分でこの大学にぜひ行きたい、あるいはおのずから適性を振り分ければ——現に共通一次ができた一つの評価といいますか、よかった面は、物すごい倍率は確かに少なくなった。今でも高いところでせいぜい三倍くらいでしょうか、大体そんなものだと思います。  そういう意味からいえば、私はある程度受け入れてもいいんじゃないかという感じがいたしますが、佐藤さんのおっしゃるとおり、私はそういうふうにやりたいけれども、現実の問題としては、高等教育機関がそこまでの構えをしてくれるかどうかということになりますと、午前中も申し上げたわけですが、入れる入れないは大学の固有の権限でございますから、それを文部省の命令でやれるのかどうか、これはまた非常に議論の余地があるだろう、こう思います。  私ども党で、法律で入試を縛ってしまったらどうだろうかというような意見も当時出たこともありました。もう大学が、今先生のおっしゃったようなそういう対応の仕方をなかなかやってくれないだろう、だとすれば、国会で法律で縛って無理やりにやらすという方法はないだろうかなんというような議論も、当時我が党の中で闘わしたこともございます。したがいまして、今の段階としては、そういうことの改善をお願いするということしかございませんけれども、しかし、でき得るならば第三者的な機関の中で、高等教育全体の入り口から出口の、今先生のおっしゃったようなことも含めて、高等教育機関のあり方をもう一遍思い切って考え直していただく、そういう面で、新しい審議機関で御検討いただくことが大変重要な段階に来ておるのではないかということを、私はこの国会も予算委員会を通じて申し上げてきました。  また、もう少し人間的な面で評価して入学を決めるということになれば、もうちょっと手間暇かけたらどうかなという意見もあるわけですが、現実の問題としては、一定の期間にどうしても選別をしなければならぬという面もあるでしょうから、場合によってはもう少し入試の間のことを、例えば、一時問題にもなりましたけれども、入学金の問題も考えて、もう少し手間暇かけて、卒業してから十分に考えてあげるような、そういうゆとりのある制度というものを生み出すことはできないだろうか、こういうようなことも私は新しい審議機関の方で思い切って御検討いただけないだろうか、こういう希望も持っているところでございます。
  76. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 各論の細部までいきますととても時間がやり切れませんし、これは現状認識と考え方ということで、きょう私は、問題提起をしながら大臣の意見も聞くことにしているわけでありまして、時間の制約もありますから、ちょっと質問の角度を変えていきます。  先ほど申しました学歴社会あるいは受験競争、偏差値という問題を端的に申しますと、今日の学歴社会を引き起こして受験競争に拍車をかけていった、その原因、責任はいろいろあると思いますけれども、今までの教育行政にだって責任の一端があると言わざるを得ない、責任は免れないと私は思うのです。以下、私の考え方を述べていきたいと思うのです。  第一点は、経済成長とともに進学率は高まりました。これは事実ですから、経済的余裕ができたという側面もあります。しかし、経済成長とともに、例えば高校はもちろんのこと、大学を出なければとても社会的に通用しないという、つまり、経済成長政策がそういうようにこの進学率を高めていったという側面もあったと思うのです。そこで、その経済成長政策というのとこの教育の問題は非常にかかわりがあると私は見ているわけです。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕  率直に申し上げますと、高度経済成長政策、つまり、あれは昭和三十五年ですか、池田内閣時代の所得倍増計画、これに始まる経済成長政策、これとともに財界からの教育に対する要望という形で、たくさんの意見なり提言なりが出てまいりました。これは当然教育の中にも生かされていったという経過は、大臣も御承知だと思うのです。このことは、学歴社会、受験競争の激化ということに無縁ではなかったというふうに私は思うのです。そこで私は、時間も制約されておりますから、私の方の考え方をちょっと述べますので、大臣はひとつお聞き取りいただきたいというふうに思います。  これは、今申し上げたように高度経済成長政策、一九六〇年十二月、国民所得倍増計画が閣議で決定されておりますね。これなんであります。細かいことは抜きますけれども、教育の問題に触れていると私は思うのです。例えばこの中に、ちょっと一行だけ引用しますと、「経済政策の一環として、人的能力の向上を図る必要がある。 人的能力の向上は、国民全体の教育水準を高め、」云々ということで、経済政策と教育と人的能力という関係をとらえて押さえておりますね。  ですから、ずっと長くなりますから、私なりに教育とのかかわりで言うと、第一は、教育は経済政策の一分野として、あるいは一分野を担うものとして位置づけられたというのが特色だと思うのです。次に、教育の任務は、経済成長のための人的能力の向上を図ることだというふうに位置づけられた、第二の特色だと思う。  つまり、教育人間の先ほど問題になりました全面発達よりも、経済成長のため人間の一側面である能力、端的に知育偏重の能力と私はあえて言いますけれども、こういうものが非常に強調されたということが、その所得倍増政策に始まる経済界から教育界に求められていった一つの特徴的な点ではないかというふうに私は思います。  一九六〇年十月、長期教育計画ということに関連して経済審議会から答申が出ております。  さらに、二年後の一九六二年十一月、「日本の成長と教育」というのが文部省から出ております。これは重要だと私、思います。この中には、今のことが文部省の立場である——この本です。これは「日本の成長と教育文部省版。三十七年の十一月です。つまり、教育白書です。この中にいろいろなことが書いてあります。しかし、貫いている思想は、ずばり教育投資論なんです。これは御存じだと思う。  その中にはいろいろありますけれども、その「まえがき」をちょっとごらんになっていただきたいと思います。それは、「報告書では、このような考え方に立って、教育を投資の面から、ことばをかえていえば、教育の展開を経済の発達との関連」以下云々というふうに明確に書いてあります。それから、「教育が経済の成長に貢献することは、この報告書の着眼点であるが、」以下云々ということでずっと……。  簡単に言うと、投資することによってどれだけの人材開発ができて、その人材開発の結果どのような経済効果がもたらされるか、こういう考え方だと思うのですね。ですから、文部省教育白書に盛られているのは教育投資論。つまり、これは経済成長に役立つ人材開発なんですよ。先ほどの話の関連で言えば、人間を中心に据えた個性の尊重とか全面発達とか、そういうものはまずさておきまして、経済成長に役立つ側面としての人材開発、これを教育投資論という立場から文部省も出しているわけです。これは経済界の教育に対する要請とぴたり一致しているわけです。  さらに、これを受けて集大成化した形になっているのが、有名な一九六三年一月、経済審議会が出した「経済発展における人的能力開発の課題と対策」、つまり、マンパワーポリシーですね。このマンパワーポリシーの中に今のことが明確にあるんです。これは時間もありませんから、全部引用するわけにいきません。この中で私なりに整理をすると、そのねらいは何か。能力主義による人材開発、これだと思う。その中に明確にありますように、パイタレント、つまり経済発展をリードするエリート、これをまず選び出さなければならぬ。これは人口の三%と明確にあります。次に中堅技術者、これは実業高校でしょう。ロータレント、技能者、職業訓練。明確に人間の人的能力、これについて位置づけされております。ランク三つ。それに見合う制度として能力・適性、進路による多様化をうたっております。それは具体的には、先ほど大臣も言いました大学の格差を生み出すことになる。高専の発足でしょう。高校のコース制でしょう。そういうランクによって大学がずっと、あるいは高校が配置されてきている。そして、これに伴う学校教育指導の観点は何か。能力の観察と進路指導の強化ということでつくられております。それは何かというと、学校の任務は、生徒の能力を観察し、選別して進学させることだ。つまり、簡単に言うと、能力によってパイタレントからロータレントに至る基準を決めますね。それに合った形で大学は格差をつける。高専、工業高校ですね。それに進めていくための学校の任務は何か。その子供の能力、これを観察し、早期に発見し、えり分けてそれぞれに送り込むことなんです。つまり、一口に言えば、ハイタレントを全国規模で早く見つけて、その子供をエリートコースに乗せて、早く人材開発の立場で養成をして、経済発展のために役立たせる、これです。これがマンパワーポリシーの考え方だと思うんですね。これは先ほどから議論になっている学校の格差、つまり、いい大学に入ればいい就職ができる。有名大学、一流大学に入りたいという受験競争の過熱、これに無縁ではないと私は思うし、学校がそのための選別と、そしてそのためのえり分けのこのことに関係なくはないと私は言えると思うんですね。  さらに、それが一九六六年十月「後期中等教育の拡充整備」、これは中央教育審議会から出ているんです。これはいろいろ中身はありますが、生徒の能力・適性による選別強化、このこととコース制の多様化、つまり、今のマンパワーポリシーという経済審議会の考え方が、中教審という形で中等教育の形に具体化される。  さらに一九六八年十一月に、いろいろありますが、ちょうどこれは大学紛争のころだったと思いますが、「大学の基本問題」の提言。これは経済同友会から出でずっと中教審までいきますけれども、これは簡単に言えば、ハイタレントを頂点とする大学の再編成、これをマンパワーポリシーに見合うものとして配置されてきている。  それをずっと受けて、一九七一年六月、第三の教育改革と言われるいわゆる四六中教審答申が出てくるわけです。これはまだこれから問題になってくる。これがよく言われるこれからの教育改革、つまり、臨時教育審議会に答申する下敷きかと言われる。一九七一年、第三の教育改革と言われる四六中教審答申にこういうふうにつながっていくんだと私は思う。  これはいろいろ見方があるでしょうが、今のような流れに沿ってその中身を見るならば、経済成長政策以来の経済界の要望を受けてきた能力主義に基づくまとめではないかなというふうに私は思う。これはいろいろ議論のあるところですから、これから議論されて結構だと思うんです。当然これから教育改革で議論されると思います。さらに、今申し上げたようなマンパワーポリシーに代表されるハイタレント養成のための全学校体系の再編成ということにつながっていくのではないか。これはいろいろ議論のあるところですよ。ただし、流れから言えば、そういうような位置づけにずっとなってくるんじゃないか。ですから、この辺のところは、資料は客観的なものでありますが、見方は私の主観的なものが入っておりますから……。  ただ、いずれにしても、先ほどから大臣ともやりとりをいたしました。今日の言うなれば学歴社会といいましょうか、そしてそのためのそれを背景にした苛烈なる受験競争、そしてそれに進むためのえり分けの具にされてきている偏差値教育、そして言うなれば落ちこぼれとでもいいましょうか、例えばそういう全体のものが今のことに関連がないとは私は言えないような気がするんです。そういう一つの客観的状況の中に、やはり父兄から見れば、エリートにしていい大学に入れていけば将来が約束されるとすれば、親の気持ちから言えば、これは小さいときから一生懸命ドリルをして育てて、いい大学に入れたい、そしてエリートとして選ばれていきたい。そのために殺到するのは私は当たり前だと思うし、私はそれを親がいけないとは言えないと思うんですよ。また、そのことのために先生方が一生懸命にやらされているし、やらざるを得ないし、やっている。このことも私は罪ないような気がするんですよ。  ですから、私は、これがすべてとは言わないけれども、この高度経済成長政策とともにどんどん出されてきた経済界からのマンパワーポリシー、これをやはり受け継ぎながら教育行政の中に乗せてきたという、このことによって引き起こされた、今申し上げたいろいろなひずみ、ゆがみの問題は、やはり文部行政の中に責任がないとは言えないんではないかというふうに私は思うんです。これがすべてとは言いませんよ、いろいろな要因がありますから。そういうふうに私は考えるんですが、大臣はどうですか。
  77. 森喜朗

    森国務大臣 佐藤さんの、日本の戦後の歴史の経過を踏まえつつ、佐藤さんの視点にとらえた一つの御指摘であろう。それはそれなりに、私は大変興味深くお伺いをすることができました。  しかし、これは私が申し上げるよりは、それに対応してまいりました役所の政府委員から申し上げた方がいいのかもしれませんが、私は、今お話を承りながら思いましたことは、やはり佐藤さんが今おっしゃる御指摘は御指摘として私は一つの見方だろうと思いますから、それはそれなりに私は賛成をするところもあります。しかし、今こういう日本の国の教育だけではなくて、今日の経済状況あるいは国際社会の中における日本の評価、こういう立場に今立ってみて、若干ゆとりあるそういう立場から過去を振り返りながら反省をしてみれば、そういう一つの見方はできるのかもしれません。  しかし、高度経済成長、すべて悪いということではない。先生もそうおっしゃいました。高度経済成長というものをみんながっくり上げてきた。そのことによってみんなが、みんなで集めてきた、総力を挙げてつくり出したパイをいろいろな形で平準化して分け合ってきている。日本の国は、やはり平準化した社会になったことだけはまたこれは事実だと思うんです。そして、先ほどからおっしゃいましたが、ハイレベルの層だ、あるいは中間の層だ。パイタレントとおっしゃいました。いろいろなことをおっしゃいましたが、それも日本ほど自由にこのところに参加できる機会がある国はないんです。努力して一生懸命に頑張れば、だれだってそのところの属に到達し得ることができるというのが、世界にない日本の教育制度のよさだったと私は思うんです。  今日、世界を見ていましても、先ほどハーバード大学の話が出ましたけれども、アメリカもやはりイギリススタイル、ヨーロッパスタイルの影響を、すべてでありませんが受けております。イギリスなんかは、やはり今もって人間の間に層といいますか、格式みたいな層があるわけです。アメリカだってそれを受けている。しかし、日本はそんなことはない。努力すればみんながやれるんだという、そういう機会をつくってきた。  ですから、高度経済成長が日本の教育行政として誤ってきたのではないかということについて、私は残念ながらそれは認めることはできない。しかし、そういう高度経済成長をみんなが願ったからこそ福祉社会の実現に努力もできたし、また、経済界が努力をすることによって、労働者階級に対してもいわゆる負担、分担の公平ということもでき上がったわけですよ。今こういう立場の中から見て、その教育のところにだけ視点を当てれば、佐藤先生お話も私はこれは全く反対する、受け入れられないというものじゃございませんけれども、やはり今こういう事態になったから、一つの反省材料として、お話として大変含蓄のあるお話だというふうに私は考えます。しかし、日本の教育は、やはり我が国の将来を担うにふさわしい青少年を育成するために、常に幅広い国民各界各層の意見、要請にこたえながら、長期的展望のもとで教育制度を行政の中で責任を持ってやってきたわけでございますから、単に財界のためにやってきたという、そういう即断的な感想をそのまますべて受け入れるというわけには、残念でありますが、いかないわけでございます。  ただし、そういう一面はなきにしもあらずでございますから、別の角度から改めて日本の教育全体を少し考えてみよう。確かにおっしゃるとおり、勉強能力というだけで人間の評価をしてきたかもわからぬ。しかし、今日の日本の力は、そういう指導者階層もあったけれども、多くの労働者そして日本の国民全体がエネルギーを燃やして、そしてだれもが努力してなれるということが日本の底力、原動力であったことは間違いないわけでございますが、そのことがだんだん当たり前のような、固定化した今日の教育が反省されなければならぬわけでありますから、これからもう一度教育全体を見画して、さっきも申し上げたように、人間の評価というものはいろいろな角度であるんだということを、落ちついた、平準化した今日の日本であるからこそ、今こそみんなで議論し合うことが大事ではないか。そういう意味で、あえてこの機会に、国民の皆さんの多くの御意見を承りつつ新しい教育制度をぜひ見直してみたいということを、国民の皆さんに御提言を、総理以下私も責任を持って申し上げておるそのゆえんがここにあるわけでございます。先生お話にも大変よくわかる点もございますが、あえて文部省の今日までやってまいりました、責任ある教育行政の名誉にかけて、幅広い国民のすべての要請にこたえて私ども文部省は努力してきた、このこともぜひ先生に御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  78. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 物には偏りがあるといろいろなひずみが出てくるのであって、いろいろな広い考え方を持って国民に直接責任を負う教育を考えたときに、これは行き過ぎじゃないか。やはりこれは正さなければならぬと私は思うのです。ですから、教育がすべて財界の意のままだということを言うのではなくて、高度経済成長とともに教育の分野に経済界の要望というのが強く入り過ぎてきたのではないか、この側面を私は言っているわけでありまして、同時に、教育が経済発展に役立って悪いなどと言っているわけではない。その協調の仕方、かかわり方を私は言っているわけであります。  まあ、ついででございますから、今のようなことを自分なりにまとめてみるならば、先ほど申し上げた一つのマンパワーポリシーから来るパイタレント養成という考え方は明確にあるのですから、これはやはり大学の格差の助長や受験競争を激化させたことに関連があるのではないか。二番目は、経済成長のための能力開発という発想は、やはり知育偏重の能力開発を重視して、全面発達というものをネグっていくことに関連があったのではないか。第三は、能力による早期選別、適正な進路指導ということを言っていますから、やはりこれは公教育の予備校化と偏差値による輪切り進学ということに関連があったのではないか。  そういうことを押しなべてみると、今までの教育行政がやはり経済界の要求あるいは要望とのかかわり方の中で、学歴社会と受験競争の結果、偏差値による輪切り進学、ひいては学校に選別と差別を持ち込むことで、今日の非行や暴力の発生に何らかのかかわりと加担をしてきたのではないか。それぞれの分野がだれの責任だということを言い合うことではないのですから、文部省もここのところは謙虚に振り返ってみる必要があるのではないか。そういう一つの反省の上に立ちながら国民の英知を結集するということが、今こそ教育改革で非常に重要な国民的な課題ではないかと私は思うわけです。  そういう意味で、言葉を端的にして言うならば人間不在の教育とでも言いましょうか、そういうことがありはしなかったか。むしろ我々が、これから教育改革と言うならば、一側面の断面だけを切ろうとするのではなくて、人間を中心に据えた教育、回り逆のできるゆとりのある教育、そういう教育というものを考えていかなければならないのではないでしょうか。  皆さん御承知だからきょうは持ってきませんけれども、宮城教育大学の学長だった林竹二という先生がおります、教育学者です。この先生が全国でずっと授業をやりました。私もその映画を見ました。あの先生の授業は、落ちこぼれている子供でも生き生きとした目で授業を受けるわけです。なぜああいう場面が出てくるのだろうか。今日のマシンと言われる受験体制の中では、ああいう授業はできないのです。このことを考えたときに、人間の復権ということが問われているのが今の教育改革ではないか。それがつまり、教育基本法でいう「人格の完成」に始まるという、あのことに帰ることではないか。そういう意味では「教育基本法の精神にのっとり」というのは賛成なんですが、その中身が今問われている。このことを私はあえて強調したいと思います。  そこで、また次にちょっと返りますけれども、いわゆる落ちこぼれの子供、これは今大きな問題になっています。どの家庭でも悩みの種だと思いますが、これは先ほど言ったようにたくさんの原因がございます。しかし、私は、文部省指導要領を見ると、指導要領の改訂によって、つまり言うなれば、教育内容の高度化にも落ちこぼれの原因があるのではないかと思うわけです。  そこで、具体的にこのことについて一これ、ちょっと渡してください。それをひとつごらんになってもらいたいのですが、昭和四十三年、一九六八年に指導要領が改訂されました。その改訂されたのが今お手元に渡したこれです。「むずかしい算数」、次に「小学校四年の算数教科書」、下に「小学校で覚える漢字数」こうありますね。この改訂のときに、「むずかしい算数」とありますように、九九であれば小学校三年のところが二年になり、集合という概念は高等学校一年のところが小学校四年になり、確率が高一から小学校六年まで下がってきておる。つまり高度化です。それから「小学校四年の算数教科書」も同じです。四十三年の改訂とともにこういうふうに内容が非常に高度化され、濃くなってきている。下にありますのが「小学校で覚える漢字数」であります。「昭和四十六年三月まで」ということは、指導要領が改訂されたのは昭和四十三年ですから、それまでということです、教科書は指導要領のある一定の後に出てくるわけですから。それから「現在」というのが指導要領の改訂後ということです。右にある「増減」を見ますと、指導要領の改訂によって小学校で覚える漢字数は八百八十一から九百九十六、つまり百十五プラスになった。ですから、あとは見ればおわかりのとおりで、大変子供の学習する内容が多くなり、高度化してきたということがこの表で明らかです。  この背景を尋ねてみると、ちょうど昭和四十三年以前は、一九五九年というのがソ連のスプートニクの上がった年です。一九六一年には日経連が「技術教育の画期的振興策の確立推進に関する要望」ということで、中身は、端的に言えば教育内容の高度化です。そして、高いものをどんどん子供に教えてすぐれた子供を引っ張り出せ、簡単に言うと、そういう背景があったと思うのです。そういう意味では全体のレベルアップ、そして授業のスピード、よく言われる新幹線教育というのはここから始まってきた。こういうことで、子供はとてもついでいけない状況が出てきたわけだ。  ところが、こういうことがありまして、これは大変だ、過重と詰め込み、その結果の揺り戻しとして一九七七年、昭和五十二年、今の指導要領が改訂されたと思います。そのときには授業の数だけを減らしていって、あとのをゆとりに使ってくださいとやってしまった。ところが、例えば国語で言いますと、小学校の六年間で七十一時間減った、あとの残りはゆとりに回しなさいという趣旨だったと思うのです。英語の時間は中一、中二、中三、それぞれ四時間であった。ところが、中一と中二は一時間ずつ減らされて三時間になった。中三は四時間ですね。算数も六年間で三十六時間減ですか。とにかく、ゆとりに使いなさいということで授業時数そのものを減らしたのです。ところが、教える内容は何も変わっていない。ですから、先ほど言いました昭和四十三年、一九六八年のときの改訂で高度化されて、大変だ、大変だ、そこで授業の時数は減らしたけれども内容は減らしていないわけですから、むしろ大変な負担になってしまったわけです。  そこで、大臣も聞いているかもしれませんけれども、よく出てくるのが、中学校の一、二年で四時間ずつのものが三時間ずつになった、一時間減ったことで、とてもじゃないがこれで英語なんかこなし切れるものではない、こういう問題が出てきた。ただでさえいろいろ難しい今の状況の中で、とてもついていけない子供がたくさん出てきた。これが落ちこぼれですね。こういう現象を引き起こしてきたのではないかと私は思います。私もこの前調査しますと、学校の授業についていけないという子供が圧倒的に多いのです。これは教員組合関係の調査なんかにもそれが出てきておりますね。  その辺を考えたときに、私は、ねらっている意味はわかるのだけれども、職場の実態から言うと、むしろ新幹線教育あるいは濃密教育を強制するような結果に終わって、子供はいたずらにあえぎながら、加えての受験競争ですから、そして落ちこぼれを引き起こしていくところの面からも重要な要因をつくっているのではなかろうかと思うので、その辺についての考え方を聞きたいと思うのです。
  79. 高石邦男

    高石政府委員 まず、漢字のところから申し上げますと、五十二年度の改訂で九百九十六字にしたことは事実でございます。戦前の比較で言いますと、戦前の小学校で大体どれくらい漢字を教えていたかというのを調べてみますと、千三百から千五百字数えております。したがって、戦前これだけの漢字を小学校教育で教えていたではないかというのが、戦後の国語教育でいろいろな角度から論議されてきたわけです。そういうことで、戦後八百八十一字で流れてきた内容を、日常使われている漢字をもう少し小学校段階で教える必要があるということで、教育課程審議会の専門家の意見を聞いて漢字をふやしたということは事実でございます。しかし、これは長い戦後の反省の上に立っての取り扱いでございます。  それから、算数のことについて触れられておりますが、たしか三十三年から四十三年にかけての教育課程は、日本の教育の水準を上げていくということで、かなり系統的な学習という点で教育課程が考えられ、構成されたことは事実でございます。そこで、その反省の上に立ちまして、五十二年度の学習指導要領の改訂に当たりましては、形だけではなくして、内容もかなり精選をしております。ここで一々申し上げませんが、算数の中身にいたしましても、二分の一とか三分の一という分数を二年生でやっていたのを三年生で取り扱うようにするというような形だとか、内容によってはこれを削除していくというような内容の精選を図りながら時間数も精選をして、そしてゆとりある時間を取り戻すということをやったわけでございます。したがいまして、三十三年、四十三年をピークにして、そういう他の教科、算数とか理科とか社会とか、そういうような教科についてはもう少し基礎、基本に絞っていこうということで内容も精選し、時間にもゆとりを持たせるというような対応をしてきているわけでございます。
  80. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これは、中身をもう少し精査しないと具体的に突き合わせた議論になりませんので、きょうすべて尽くすわけにいきませんけれども、しかし大筋、今私が述べたようなことは事実としては間違いないと思うし、はっきりしているのは、現場ではかなりこのことが負担になっている。加えてやはり受験競争のプレッシャーがかかりますから、これは大変過重な問題になっているということ。そこからついていけない子供がいるわけであります、進度の遅い子供がおりますから。ですから、そういうものがすべてとは青いませんけれども、現場の先生方父兄皆さんからは、落ちこぼれの非常に大きな要因をつくっているのではないかという厳しい指摘がある。特に、中学校の英語の時間が一年生、二年生、一時間ずつ減ったというのは大変な問題だというふうに言われておりますので、この辺はぜひ文部大臣、現場の問題を十分精査しながら、このことについては検討を加えてもらいたいと思うのです。一言でいいですから、その辺どうですか。
  81. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどの先生お話にもございましたように、教育も常に反省を加えながら進めていくということが大事でございますから、制度上の問題などは、やはりもう少し第三者の皆さんで御議論をいただきたいということで籍議会をお願いしておるということも先ほど申し上げたとおりでございます。  ゆとりのある教育というのも、今局長から申し上げたように四十三年の改訂は、日本の教育をある程度伸ばし、そしてそれを平準化していこうという意図があったし、五十二年の改訂は逆に、もう少しゆとりのあるものにしようというのが恐らく国民全体の要望でもあった。そういうことを政治関係の皆さんも皆受けとめて、我々も党にいたころはそのことを文部省に求めたことを今思い出すわけでございます。そういう意味で、やはり反省を加えながら、そしてその都度その都度、社会の進展にある程度呼応しながら制度も考えていくという意味では、間違った歩み方をしているとは私は思っておりません。  ただ、長くなって恐縮ですが、全体的にバランスをとりませんと、せっかくゆとりある教育をということをやりましても、大学の入試は全然変わってなかったり、せっかくゆとりあるようにいたしましたよといって我々は喜んでもらえるのかと思ったら、逆にお父さんお母さんから怒られるわけですね。そんなゆとりのあることばかりやっていたら大学へ進めないじゃないかとしかられる。政治家というのは何ら現実に即応してないじゃないかと怒られるようなことが間々ございました。だから、そういう意味では、文部省指導要領だけ変えてもなかなかこの問題は解決し得ない。そのときに初めて大学全体も考えていかなければならない。やはり人間学歴社会全体も含めながら教育行政、教育制度全般に呼応していかなきゃならぬということは、この五十二年の指導要領改訂でいろいろと我々が反省しなきゃならぬ面はたくさんあったような気がいたします。  御指摘いただきましたように十分に今後とも精査をして、そしてやはり、そうは言いつつも学問というものは深めていくということが学問の基本的なことでございますから、勉強しないで足踏みしてなさいということはなかなか言い切れるものではございませんから、そこのところの兼ね合いが非常に難しいところだ、こういうふうに思っております。先生から御指摘いただきました点も、このことについては十分文部省としてもまじめに受けとめていきたいと考えております。
  82. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは、次の質問に入ります。  私は、端的に言って、今の学校は統制と管理の側面が強過ぎるんじゃないかという感じがしてならないのです。それがすべてとは言いませんが、やはりいろいろな意味のひずみを生む要因にもなっているんじゃないかという感じがしてならないのです。同じように、私の持論から言うならば、教育というのは抑圧と管理の中では育たない、そういうものを持っていると思う。また、なじまないと思うのです。私は、基本的には自由と創造の環境の中でなければ教育という機能を果たすことはできないというふうに考える、物は程度ですけれども。じゃ学校は野放していいのかということではもちろんありません。スタンスの置き方としては、やはり自由と創造という環境の中でいかに先生方自分の専門性と能力と情熱を生かすか、その中で子供の持っているものをいかに引き出していくかという、この創造の営みが教育だと私は思うのですね。そういう点から言うと、文字どおり教育、エデュケーションはエデュケートする、つまり引き出すということだと思います。つまり、子供の持っている可能性を引き出して完成していくという創造の営みですね。そういう中で、私は、きざな言い方ですが、人間人間にする、これはつまり人格の完成だと思うのですね。これは普遍的なもの。しかし同時に、その人の特性を生かす、これは個性の伸長だと思う。これはいわゆる特殊ですね、普遍に対して。こういう両面を引き出していくという仕事が教育ですから、管理と抑圧の中にはなじまないものだと私は基本的には思います。この精神を持っているのは教育基本法ではないかと私は改めて思います。ただ、それがすべてとは言いません。これは教育考え方の基本だと私は思うのです。  ただ、しかし、私は、子供には生きる力を与えていかなければならぬと思うのです。生きる力、つまりそれは文化だと思うのです。もっと具体的に言えば、職業と言ってもいい。そういう側面は生きるためのイシスツルメント、つまり手段ですから、その手段だけが前面に出てくるという教育はやはりどこかゆがみが出る。やはり基本的には創造の営みだということを基本に据えた生きる力の文化を教えていく、このことが基本ではないか。  そういう点から言うと、戦後の教育の、ちょうどあのアメリカの第一次教育使節団が来たときに、私は非常に示唆に富んだことが報告書の中に書いてあると思った。それは何かと言えば、「教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分にあらわされる。」この言葉です。これは、戦前の抑圧と管理からの解放ということに主眼を置いたことだと思いますけれども、私は、この考え方の基本は教育現場においては変わらないと思うのです。その後いろいろな政治的な背景なり曲折がありまして、いまここで詳細は言いませんけれども、例の教育二法に始まって主任制という、それはそれなりの考え方があっての教育行政のやり方でしょうけれども、しかし、それは教育現場から言うならば、今申し上げたような管理の側面のみが非常に強調されていったのではないか。それに、学校なり教師なりの立場から言えば、私はこれは他意あって言うわけじゃないけれども、父兄なり地域なりの受験の願いといいますか、学校に対する強いプレッシャーといいますか、そういう中に先生方は大変今苦しんでいると思うのです。今、学校において教師はまさに、言葉は適切かどうか、皆さんも判断してもらいたいのですが、私から言えば管理と命令、過密投薬、そして多忙化、そういう中にあって、その中で渦巻いているのが受験競争だと思いますから、その中で子供の一人一人に当たってその個性を引き伸ばすということが果たして可能かどうか、学校の今の実態として。このことを私たちはよく考えてみる必要があるのじゃないでしょうか。  ですから、そういう基本的な教育のあり方論、同時に、今置かれている学校教師、このことに思いをいたしたときに、もう少し先生方にゆとりと自由を与え、いろいろな面から、定数その他含めて与えて、子供の全面発達と子供の個性を伸ばすような環境をつくっていくことが大切ではないか。私は、学校を野放しにしろなんて言っているのじゃないですよ、どこにも秩序と統制は必要ですから。しかし、私は学校の校長は管理者じゃないと思うのです。コンダクターだと思っているのですよ。つまり、学校はそういう専門性を持った先生方の集りですから、それをまとめていくのが校長なんです。ところが、私に言わせれば、教育委員会なり何なりからずっと命令という形でおりてくるのが、ごく最近の学校の世相ではないかと思えてならないわけであります。  そこで、時間もありませんので、ひとつ大臣にお尋ねをしたいのですけれども、こういうように学校は、率直に言えば非常に暗くなっているといいましょうか、動きがとれないとでもいいましょうか、そういう現象はたくさんございます。しかし、その中で特に一つだけ挙げますと、大臣も参議院の文教でいろいろ質問のやりとりがあったようですから御存じだと思います。鹿児島県の阿久根中学校の業者テスト職務命令違反による処分事件です。これなどは、今私が述べたところの非常に生々しい、暗い感じ事件だと思うのですよ。  そこで、この事件は、御承知のとおり、つまり標準学力テストの中身だと言われておりますけれども、私から言わせれば世に言う業者テスト、つまり業者が行い、業者が採点する、そういう業者テストだと思います。この業者テストをやれと言う校長の職務命令に対してやらなかった、つまり、そのことは命令に従わないという形で十八名が処分されたのですね。この処分は六月十一日ですから、その後、たしか夏ごろだったと思いますが、昨年、私も現地に行きました。そしていろいろ調べてみましたが、私から言うと、職務命令で業者テストを強制すること自体がやはり行き過ぎではないか。しかも鹿児島の場合には、標準テストといわれるその種類が、九九%まで一種類でやられている。これは県教委の過ぎた押しつけではないか。そういう内容の業者テストを職務命令でやらせ、しかも、やらないからといって追い打ちをかける形で処分をするということは、どう見たって行き過ぎだと私は思うのです。  この点、私も現地に行ってまいりましたけれども、大臣、参議院でもやりとりしたと思います。このことに対するまず大臣感想をお聞きしたいというふうに思います。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
  83. 高石邦男

    高石政府委員 先生も現地に行かれてお調べになったと思いますが、進路指導を決定するための業者テストと、それから学習活動の基礎的なもののために利用する標準学力検査は、文部省としても区別をしているわけでございます。  標準学力検査は、鹿児島の場合は一年生と二年生。特に事件になりました中学校では三年生はやっていないわけでございます。しかも、そのテストというのは各学年の一学期に実施をする、そして、それをもとにしてその学年の学習を展開していこうというようなことで、従来、文部省が学力テストを全国一斉にやっていたわけですが、国がやるのはけしからぬというような話がありまして、そういうことで民間がある意味において肩がわりするような形で、科学的なデータによって標準化された学力検査を実施するというものがつくられているわけでございます。これは全国的に使われておりまして、使われていない県は二県でございまして、多いところは九十数%の比率で使われております。  そういう内容のテストを鹿児島県では各市町村で予算化をして実施したいということで、ここの町でも相当長い間かかって、一学期から三学期にもつれるまで実施をしてほしいということを、教育委員会学校側との間でいろいろなやりとりがあって、それがなかなか実現しなかった、こういう経過で最終的な不幸な処分という状態まで行ったわけでございまして、そういう事態まで行ったというそのこと自体は大変残念だと思っているわけでございます。  そういう状況のものでございますので、通常言われている業者テスト、進路指導のために利用されている業者テストと基本的に区別をしているというふうに御理解いただきたいと思います。
  84. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間もありませんから、私はこの議論を深めようとは思っていません。日を改めてやります。ただ、今そういうことを言われましたから、私も時間の許す限りちょっと述べておきたいのですが、標準学力テスト、つまり学力の程度を見るという意味で標準学力テスト、しかもそれは全国的に使われている、それはそのとおりでしょうね。しかし、そのものは文字どおり受験産業の業者のテストなんですよ、明確につまり、これは営利企業としての業者のテストでしょう。ただでやっておるわけじゃないですよ。しかも業者が採点をして、その結果を市町村なりに報告しているのでしょう。中身は、あなたは標準学力テストというふうに言われますけれども、扱っている状況は、受験産業といわれる業者のテストで、業者が採点して報告している。同じなんです、これは。しかも、そのテストの結果は各市町村教委に全部報告されて、それが相互に比較検討されたりいろいろな形で利用されています。私は現場に行ってきたのですから。進学指導、進路指導、受験指導というのは三年だけじゃありません、二年生ごろから始まりますから、これは父兄の面接その他に十分使われているのです。言うなれば、その学校の独得の学力テストと同じように使われている。そういうところを、私は現場を見てきております、きょうは持ってきませんけれども。ですから、あなた方が、本来それは先生方がテストをつくってやるべきであって、今私が述べたような業者テストは避けるべきであると言うことに非常に抵触する問題だと私は思うのです。それは若干現場の見方、意見も分かれるでしょうが、しかし、偏差値人間よりもより人間的なものをということを自民党の皆さんだって言っているし、文部大臣だって言っていると思うのです。偏差値、業者テストの行き過ぎは言っていると思うのですよ。これを業務命令でやらせようとすること自体が問題がある。やっていただきたいと言うならまだしも、業務命令でやらせようとする、このことが問題がある。これが一つ。  もう一つは、そのことに違反したからといって処分という形でやるのは、さらに二重の追い打ちではないか。しかも、これは私たちがもう少し丁寧に現場の状況を調べてみなければなりませんけれども、ことしの阿久根中学校の年度末の人事異動などを見ても、私の調べたところでは三十三名中十二名、他にないほどの転出です。しかも、これは全部希望がない形の方々が転出させられているのですね。どう見たって、これは私たちが今、学校はかくあってもらいたいということから見るとちょっと不正常な状態ではないか、こういうふうに思わざるを得ないのです。  きょうはここでは全部尽くしません。私も行ってきましたが、きょうは全部データを持ってきておりませんから、そんなに深くやるつもりはありません。そのことについて大臣、どうですか。もう少し現場を精査して、そしてここでもう一度このことについてやってみようじゃないですか。とにかく、そういう意味でこのことに対する大臣感想と、そしてとりあえずこのことについて一体どう対応するつもりなのか、それをまずお聞きしたいと思います。大臣に最後にお尋ねします。
  85. 森喜朗

    森国務大臣 正直に申し上げまして、昨日参議院の文教委員会でもこの話が出ました。当時私も文部大臣でございませんでしたので、大変申しわけなかったのでありますが、当時の状況はよく承知をいたしておりませんでした。  きのうの参議院文教、そしてただいまの佐藤先生お話も、見方の一つとしてはそういう見方もよくわかります。しかし、私は今文部省責任ある立場でございますし、文部省の方の報告を私はきのう、けさと何回も聴取をいたしました。文部省としては先ほど高石局長が申し上げたような考え方をいたしております。どちらもそれなりの立場でおっしゃっておられるわけですが、私は文部大臣ですから、文部省局長としての報告を正しく受けておかなければなりません。  ただ、標準学力検査というのは進路指導に使われていない、あるいは一学期のうちにやる。確かに先生がおっしゃるように、それは現実には使っておるという。これはひとり歩きするものですからいろいろな言い方ができると思いますが、一学期にやるとか一年、二年生でやるというふうにいろいろ配慮はいたしておるわけでありますけれども、しかし、さはさりながら業者のものを使っているということの御批判は確かにあるかもしれません。しかし、そこまで議論をしてしまいまして、みんなこれが業者のもので云々ということになれば、例えば教科書だって民間がつくったもので、もちろん検定制度というものはございますけれども、やはり民間の業者がつくったものには間違いがないという議論にまで発展をする、若干飛躍した議論になりますけれども。ですから、そういう意味で考えますと、今私ども文部省としては標準学力検査をそういうふうに配慮し、進路、適性の指導に使わないという前提で指導し、そして鹿児島県教委もそのことで進めてきたということであるならば、それはそれなりに私どもは受けとめていかなければならぬと思うのです。  ただ、問題は、それはそれとして、十八名ですか懲戒をしたということについては、私も文部省から報告を受ける、鹿児島県教委から報告を受けるしか実態としては今ないわけでございますが、文部省調査では、鹿児島県教委はこれは妥当であった、問題はなかった、こういう報告をしているわけです。佐藤団長がおいでになれば、またそれなりのいろいろな御報告があるというふうに、これはきのう安永さんからも受けとめました。きょう両方の御意見を伺いつつ、私は今文部大臣という立場でございますから、そういう立場の中でもう少しよく両方の状況を調べてみる必要がないか。私は正直に局長にも言ったのです、本当に現場まで行って文部省は調べたのかと。佐藤先生たちはちゃんと先生方や校長に会ってきたとおっしゃっているじゃないか。文部省は、いや教育委員会から聞いただけだと言うから、それはよくないのじゃないか、こういう問題は文部省も現実に先生から聞いた方がいいのじゃないかと、私もけさ高石さんを怒っておいたわけでございます。しかし、文部省としては、やはり教育委員会制度を大事にしていくということは戦後教育の大事な姿勢でありますから、その結果、逆に教育委員会を吹っ飛ばして文部省が手を入れれば、なお皆さんからおしかりをいただくことが多いわけでありますから、そういう意味で、一応教育委員会の報告を受けたということは、それはそれなりの方法だと思います。いずれにしても、とり方が非常に違うようでございますから、もう一度局長に命じてこの辺の実際の実態、あるいは、当時問題はなかったという報告でありますけれども、現実はどうであったのか、その辺のことももう一遍よく調査をさせてみたい、こういうところでひとつ御了承をいただければと思います。
  86. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 最後に、きょうこれですべて終わりじゃありませんから、大臣のその態度と意欲については大体了としますが、私たちこの問題は団を編成して、私が事務局長で行ったわけだ。そして現場に行って一泊して、関係者皆会ってきているのですよ。ですから、この次この問題を議論するときに、だとすればとか、仮定の問題だとか、こういう報告によればなんということではかみ合いませんから、大臣なり局長なり、責任を持って答弁する人が行ってきてください。これはどうですか。大臣、ひとつそれをお願いしたい。答弁する人が行ってこなければだめですよ。
  87. 森喜朗

    森国務大臣 大臣局長が今すぐ動けるかどうかというのは、これまでのいろいろな経緯もありますし、そういう気持ちはないわけじゃありませんが、何か一つそういう問題が起きるたびに大臣が出ていくという習慣を、今先生は行けとおっしゃいますが(何かあったときに大臣がのこのこ行ったら、逆に今度は皆さんから私が委員会で指弾されることだってあるわけでございますから、これは大事なところですよ。そういうところをうっかり言えば今度はまた逆になります。現実の問題としては今は国会がございますし、私どもがそう軽々に調査に行くということはこの場では申し上げることはできませんが、適切な調査をしたい、こういうふうに思います。
  88. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 では、以上で終わります。      ————◇—————
  89. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 内閣提出昭和四十四年度以後における私立学校教職員共済組合からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正ずみ法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中克彦君。
  90. 田中克彦

    ○田中(克)委員 大変大勢の議員から文部大臣の所信に対する質疑が続いたわけでありますが、その日程も終わりまして、いよいよここから私立学校教職員共済組合からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律案の審議に入るわけであります。その質疑に入るに先立ちまして、私はいわばトップバッターでございますので、極めて平面的な法案の内容、それから従前から論議をされて積み残されてきている問題などを中心にお伺いをしていきたい、こんなふうに思っているわけであります。  そこで、本論に入る前に、実は今回の法律改正案は、申すまでもなく、昨年の人事院の決定に基づきます——二・〇三%ベースアップに基づく給与引き上げにならいましての手直し、こういう形になって出てきております。五十七年の秋に政府が財政非常事態宣言を発しまして、その際、人勧の凍結が措置されたわけであります。そして、二年連続して凍結はしないということが何回か議論をされまして、昨年の場合、人勧は六・四七というアップ率を示したわけであります。しかし、財政事情等もある中から結果的に示されたのは二・〇三というアップ率でありまして、申し上げるまでもなく、今回の予算にも見られておりますように、私学が公教育に果たしてきた大きな役割というものは、それぞれ今までの論議の中で童言われてきたところでありますし、大臣もそういう点は高く評価をされているようでありますが、そういう状況の中で二千七百七十億、一二%私学振興助成がダウンするというかつてない予算の状況になっているわけであります。そんな状況の中で、国公立大学あるいは公立学校等に比べますと、私学の方が給与その他の点についてもいわば格差があるという状況の中で、結局二・〇三というアップにならって、それに準じていくという措置がいろいろな面でとられていくわけでありまして、今回の法改正もまたその一つだというふうに私ども、受けとめます。したがって、五十八年度の物価上昇率というのは二・四%くらいだったと記憶しておりますし、それから五十七年はさらに四%くらいの物価上昇率だったと思いますが、そういうものを考慮に入れただけでも、この数字というのは私学の教職の場にある教職員あるいは事務員等の生活に大変大きな影響を与えていると思います。  したがって、そういう観点から、このことについて文部大臣として実態をどのように受けとめているのか、また、それに対する感想等ありましたら、冒頭伺っておきたい、こんなふうに思います。
  91. 森喜朗

    森国務大臣 これもたびたび申し上げておりますことでまことに恐縮でございますが、私立学校振興助成法の制定を自由民主党が議員立法として提出をいたしましたときのその一端を私も担っていたわけでございまして、私立大学を大事にしていかなければならぬ、日本の国の私学に負うところのウエートというのは大変大きなものである、これは田中先生からも御指摘どおり、私もそう思っております。自分が私学を出たから言うわけじゃありませんが、国公立よりも私学の方が自由に、そしてまさに多様な教育学問ができるし、日本の教育の入り口の幼稚園、そして逆に出口のところの高等教育、それをすべて私学が負っているという意味では、私学の果たしている役割というのは大変大きく評価しなければならない。先ほどの佐藤先生との議論にも出ましたように、日本の戦後の今日の発達、発展の状況もやはり私学出身者に負うところが極めて大きい、こういうふうに私は思っておるところでございます。  そういう中で、私自身が党におきまして、いわゆる予算編成概算要求時に、私学の予算については減額せざるを得ない。臨調の答申あるいはこの特例適用期間三年間、そうしたことを踏まえながら、こうせざるを得なかった。従来も財政当局のシーリングにある程度合わせてきたわけでございますけれども、今申し上げたような私学のいろいろな今日までの社会に対する大きな比重の役割、そういうものを評価しながら、最終的に予算編成の際には、できるだけの上積みをしてプラスをするように、私ども党の立場では努力してきたつもりでございます。  しかし、昨年の場合はやはり私学全体の問題が社会に大きく出過ぎた。もちろん、本当にごく一部の世間に通用しないようなことではございましたけれども、しかし私学全体に対する国民全体の目は厳しかった。そういう中で、もう一つプラスアルファ分の予算を財政当局と交渉して何としても積み上げていきたいというエネルギー、大変恐縮でありますが、前に前部会長がいらっしゃいますが、当時としてはそういうエネルギーになかなかなり得なかった、そういう状況だったということもやはり御推察をいただきたいと思うのです。そのことによって私学全体を何かお仕置きをするとか、私学全体に責任を持ってもらう、そういうことではなくて、余りにも私学の問題は多すぎた。そのことに対して、現にこの国会でも随分いろいろな御議論皆さんから出ておる。それを私学全体がみずから自浄能力で解決するということが、今の私学界には全くできない。文部省や政党や政治家がそういうことに対して口うるさく申し上げるよりも、むしろ私学界全体として何とかお互いにそのことを自浄能力で解決でき得なかったのだろうか。こういうことを考えますと、私学全体に対して予算措置で全面的にバックアップして、もう一ひねりも二ひねりもして予算を積み上げるという空気が醸成し得なかった、ひとつ田中先生としてはそういうふうに御理解をいただきたい、こう思うわけでございます。  そして、もう一つは、今給与の面でも格差というお話がございましたけれども、今日までの私立学校振興助成に伴って、現実に教授の面、あるいは最近では職員の面でも、一般の国公立よりも給与面では高い大学もかなり出てきているのです。高いからいけないということを申し上げているのじゃないのです。そういう理解しにくい面もかなりあるわけでございまして、そういう面では今日までの私学助成というものが、給与とかそうした面での格差の是正というものには大きく役割を果たしてきているわけでございますから、今度のこういう事態、私学界のいろいろな問題も踏まえて、私学界がこれからなお一層みんなで努力し合って、国民の皆さんからもぜひ私学を盛り上げろ、こういう国民的な大きな声がバックアップとなれるような、そういう事態にぜひ我々も側面からしていかなければなりませんし、私学界みずからも主体性を持ってやっていってもらいたい、こういうふうに考えているわけでございます。  したがいまして、私学に対しましては、年金共済の法案の御審議をいただく冒頭に田中さんからお話をいただきまして、私も私学をもっと大事にしたいし、これからも日本の教育の大きな柱は私学、そのことを私は常に願っておりますし、今後とも文部省としてもその気持ちは全く変わりございませんから、今度の機構改革におきましても私学部という、あえて私学部という名称の部を新たに特設したというところもぜひひとつ御理解をいただき、高等教育の中に私学もきちっと位置づけて——従来の大学局というのは、何か国公立大学だけのような印象をぬぐえなかったものを、国公私立全部を踏まえた高等教育としての主管局とし、なおその上に私学部というものをあえてこうして設けさせていただいたのも、また私学をより大事にしていこうという政府の気持ちのあらわれである、こういうふうにぜひ御認識をいただきたい、こう思うわけでございます。
  92. 田中克彦

    ○田中(克)委員 私学振興については、大臣からもかなり前向きな決意を含めた答弁をいただきましたから、これが本論でございませんので、このことで長く時間をかけるつもりはございませんが、ただ、私ども、教育現場等を回ってみましても、この人勧の凍結と昨年の値切りという問題については、教職の現場でございますから道理にかなったことがそのとおり行われれば問題は起こらないわけでありますが、労働基本権の代償という形の措置が踏みにじられてほごにされたということの上にさらに続いた措置でありますので、そういう現場でもかなり大きな不満があります。私学教育の現場でも同じ状況であることは間違いないわけでありますが、そういう面でこれから論議は中身へ入りますが、私学振興についてもぜひ、今お答えいただきましたような角度で前向きな御答弁をいただきたい、こんなふうに思います。  中身へ入るに先だちまして、いただきました資料に、私学共済へ加盟している一万二千五百七十四校、三十三万六千三百七十二人、こういうことでありますが、私ども聞くところによりますと、私学の中でも一部の大学等で厚生年金に加入しているところもあるように聞いております。したがって、私学であって私学共済に加入になっている学校あるいはまたその人数、こういうものはどういう状況になっておりますか。
  93. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私立学校済組合に加入をしているものと加入をしていないものとがあるわけでございまして、加入をしております数字の方は、先生おっしゃいました一万二千五百七十四校というのが現状でございます。加入をしておらないものを加入適用除外校と言っておりますが、全体を合計いたしまして五十九校が加入をしていないというようなことに相なっております。
  94. 田中克彦

    ○田中(克)委員 今回改正になります部分の事項の中で、既裁定の退職年金等の額の引き上げ、旧財団法人私学恩給財団の年金の額の引き上げ、旧法の年金の最低保障額の引き上げ、こうなっておりまして、もう一つは掛金の算定の基礎となる給与の上下限の額を決めるということになっておりますが、こういう改正の措置によって、いわば私学共済に及ぼす全体的な影響、これをまずお伺いしたい、こう思います。例えば、この改正の措置によって年間給付される各項目の額というのは総額でどれくらいになり、あるいはまた国庫補助の額はどうなってくるのか、その辺のところをお聞かせいただきたい、こう思います。
  95. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 今回の法律改正によりまして増加する費用についてのお尋ねかと思いますが、増加いたします費用は、法律の改正関係に関する部分で、昭和五十九年度におきまして三億五千万円、これを平年度化いたしますと約四億円という金額になるわけでございます。これはその総額の費用でございますので、これに伴います国庫補助は、そのうち昭和五十九年度におきまして四千七百万円、平年度化いたしました場合に五千四百万円という金額になっております。  なお、今回の年金改定は、この法律で改定をお願いしております分と、さらに政令で改正をするということが予定されている部分がございます。政令改正の部分まで追加をして申し上げさせていただきますと、政令改正関係が昭和五十九年度で二億六千六百万、平年度化いたしまして三億三千九百万ということでございまして、補助金ベースに直しますと、五十九年度三千六百万、平年度化いたしまして四千六百万、そのような程度のものでございますので、補助金ベースで大体単年度一億円くらいの改正というような感じでございます。
  96. 田中克彦

    ○田中(克)委員 わかりました。  もう一つは、標準給与の上下限の引き上げが行われるわけでありますけれども、このことによって、いわばこの対象とされる組合員の範囲というのは変わってくると思うのですが、その数というのはどんなふうになるのでしょうか。
  97. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 標準給与につきまして上限と下限がそれぞれ引き上げられるわけでございますけれども、これに関連をいたします対象者といたしましては、上限引き上げで四十五万円以上というところに該当いたします組合員が二万八千六百人、全体の組合員の約八・二%ということでございます。それから下限の引き上げで七万七千円という下限になりますが、それ以下の組合員というのは四千九百人でございまして、全組合員に対しまして一・四%ということでございまして、これだけの数の方々が直接的にはこの標準給与の改定の影響があるということになるわけでございます。
  98. 田中克彦

    ○田中(克)委員 私は、この審議は初めてなので、ちょっとあえてお伺いをするわけでありますけれども、遺族年金につきまして、これだけ、五十九年三月の分で引き上げまして、さらに五十九年八月に再び引き上げるという二段階制がとられています。このことだけがどうしてこういう形で運用されなければならないのか、その辺の事情をちょっと説明していただきたいと思います。
  99. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘の部分につきましては、退職年金、障害年金、遺族年金の最低保障額を昭和五十九年三月以降にある段階に引き上げをいたしまして、その後さらに八月に引き上げをするという措置にいたしておるわけでございますが、これにつきましては、全体として恩給に準じまして二・一%の増額を確保するという観点から、財政的な限度の中でその体制をとるためにその部分が八月実施ということにいたしたわけでございます。
  100. 田中克彦

    ○田中(克)委員 そうすると、単なる財政上の事情で引き上げの部分を繰り延べしたということにすぎないわけですか。
  101. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 遺族年金につきましては二%の引き上げというのをやっておるわけでございますけれども、このほかに寡婦加算分というのがあるわけでございます。これは通常、パーセンテージで引き上げの対象にならないわけでございますので、遺族年金二%引き上げという場合には遺族年金の本体の部分だけの引き上げになるわけでございますが、これが一般に受け取る側のお気持ちからいきますと、寡婦加算になっているものまで含めて二%のアップになるのじゃないかというふうに受け取るという関係がございます。そういう受け取る方のお気持ち配慮いたしました結果といたしまして、予算の範囲内でそれにできるだけ対応したいということで、八月分からその寡婦加算分についても若干の引き上げをして、全体合わせての二・一%程度のアップにしようというわけでございます。本来のルールからいえば、遺族年金と寡婦加算というのは別でございますので、遺族年金部分だけのパーセンテージというのが通常の形でございますけれども、受け取る方々のお気持ち等を配慮してそういう措置を講じたということでございます。
  102. 田中克彦

    ○田中(克)委員 受け取る人の気持ち配慮してということですが、受け取る人の気持ち配慮したら、同時に引き上げる方がよほど受け取る人の気持ち配慮している、私はそうなると思うのです。ですから、事情や理由があって二段階をとらなければならぬということであるとすれば、それはそれとして私どもも納得がいきます。ただ、今おっしゃられるのは、明確に寡婦の分のアップ率というのがわかるように時期を繰り延べだということですが、実質的には三月から八月までの期間はそのまま移行していってしまうということになってくるわけです。余り歯にきぬを着せないで正直に私どもに言っていただかないと、そういうことなのかということでもって納得いきませんので、制度上のことでございますので、そういうふうに理解していいですね。
  103. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 お答えがあるいは御理解をいただきにくいかと思いますけれども、この年金のアップにつきましては総体として二%程度のアップをするということで措置をいたしたわけでございますが、その措置の対象としては、従来の例から申しましても、遺族年金と申しました場合には遺族年金の本体についてのアップということをしておるわけでございます。今回もそういうことで、本体についての二%アップという措置を講じたわけでございます。しかし、その後いろいろな状況等を見ますと、実際に寡婦加算分というものについてまで遺族の方々は常にあわせてもらっているものですから、そちらも含めてお考えになるという傾向がございます。そういう中で、受け取ってみたら二%になっていないじゃないか、いや、こっちは遺族年金で、寡婦年金は別だからアップの対象になっていませんということなわけですけれども、そこのところは説明を理解していただくのもなかなか難しいであろう、そのためには、現在の予算の範囲内でできるものであればできるだけ配慮して、そっちの方についても若干のアップをしてはどうかというようなことで、八月分以降ならば対応できるということで措置をいたそうというものでございます。
  104. 田中克彦

    ○田中(克)委員 わかりました。今お答えをいただきましたような事情と、それから予算の範囲内で、こういうことでの措置であるというふうに私ども、受けとめておきます。こんなことで長い議論をしても仕方がありませんので、先へ進ませていただきます。  次の問題は、従前から、会議録等を拝見しますといつも問題になってきたことのようでありますけれども、この私立学校の私学共済というのは組織的には小さいし、それから歴史も比較的新しい、こういうような性格もあって、非常に内容的には堅実な収支の運営をたどってきたような経過があるようでございます。したがって、従前、成熟度等の推移につきましても質問がありまして、大変成熟度が若い、こういうふうに言われておりましたが、私どもがいただきました資料等を検討しますと、これは五十七年ベースですか、三・一というような数字を見ているわけでありますけれども、前回の論議の際、五十七年ですか、佐藤先生質問に答えて、今後の成熟度の推移の見通しというものを六十年で四・四、六十五年で七・三、八十五年で二四・二、九十年になると二五を超えるような状況になるであろう、こういうふうに見ておられました。  そこで、現状、その後、ここのところ若干財政事情等も変わってきておりますし、制度上の問題等と絡んでもきておりまして、長期の給付の方におきましては、若干保有資産から引当金を差し引いた不足額というものも漸増している傾向にあるようでありますけれども、そういうような状況も踏まえて、さらに今の時点で私学共済が持っております成熱度それから今後の見通し、これはさっき私が申し上げましたのは前回五十七年に発表された数字でございますけれども、現状を見通したものでもって推計するとどんな状況を見込んでおいでになりますか。
  105. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘がございましたように私学共済は大変若い共済制度でございますので、他の共済が、例えば国家公務員の共済の成熟度が二七・七、公立学校共済が二三、農林共済が一四というのに対しまして、私学共済の場合は三・七というような大変若い状況にあるわけでございます。  今後の見通しについての御質問でございますけれども、今後の状況につきましては、現在の試算によりますと、昭和六十年で四・四、六十五年で七・三、七十五年で一四・三、八十五年で二四・二ということで、かなり急激に成熟度は高まっていくわけでございますけれども、それにいたしましても、他の共済制度等に比べますと依然として若いという状態ではあろうかと思います。そういう意味では、財政的には他の共済に比べれば比較的安定をしているというようなことが言えようかと思うわけでございます。
  106. 田中克彦

    ○田中(克)委員 共済の中でも、今幾つかの共済を挙げて比較をされましたが、そういうものから見ても成熟度が非常に若くて、私学共済の場合にはまだまだ非常に健全性が保たれている、こういう状況だと思いまして、大変結構だと思うわけであります。  そこで、この私学共済がそういう健全性を維持している大きな原因というのは、もちろん歴史が若いということが最大のものだ、こう思いますが、それと同時に、私学そのものが持っている性格の上から優位性といいますか、健全性といいますか、そういうものは出ていると私は思うわけであります。例えば大学から幼稚園まで、幼稚園につきましては、加入は八千七百八校で八万四千二百二十七人、こういうことですが、パーセントにすると、学校数では六九%になるわけですね、大学から幼稚園まで。人数にしても二五%以上を占めているという状況になると思います。言うまでもなく、幼稚園というのは比較的若い保母さんが多いわけであります。結婚等の事情や転職等の事情もありまして、比較的新陳代謝も若い段階で早い、こういう性格を一つは持っていると思います。  もう一つ、私学の場合ですとどうしても、途中で退職をして退職金をもらうというようなことよりも、もうその私学のために自分の生涯をその仕事に投ずる、こういうような先生あるいは経営者、こういうものがありますから、そういう点でこれが非常に少ないというようなことも挙げられる、こう思うわけでありますけれども、それらの要因以外に、この私学の健全性なり何なりを支えているというような要因は何かあるのでしょうか。
  107. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 制度が若いということのほかにもいろいろな事情が、先生御指摘のような部分もあるいは一面あるかと思うわけでございます。私ども、これにつきまして一番大きな理由と申しますか、思っておりますのは、私立学校というのが戦後非常に急激に発展をしてまいりました関係上、この私学共済が当初発足いたしました当時の共済組合員というのが五万人程度であったものが、年々組合員の数が急激に増加をしてまいりまして、現在では、先生御案内のように三十三万というところまで来ている。比較的短い年数の間にそれだけ成長してきて、それだけ組合員がふえ、掛金がふえてきたというところが、現在、財政が健全な一つの一番大きな事情であろうかと思っておるわけでございます。もちろん、これは現在そうだということでございますので、こういった組合員になられた方々は、将来長期給付を受けるわけでございますから、将来のしかるべき時期には当然それだけの支出が今度はかさんでくるということになりますので、現在の段階ではそういう事情で財政がやや緩やかになっている、こういうことでございます。
  108. 田中克彦

    ○田中(克)委員 これは後から湯山先生も長い御経験質問されて——前回、議事録を見ますと、湯山先生が大分指摘をされている問題でありますけれども、私学の中にもう一つ特徴として、この退職年金を受ける人、これが年金者の五万二千六百人のうち一万一千九百人で二三%にすぎない。一方、通算退職年金、これを受ける人は二万九千六百人で五六%と、圧倒的にこっちの方は多いわけですね。それはやはり中高年齢になってから公立大学、公立学校から私立の方に移ってくる、こういう先生方が多いということが、一つは大きな特徴として言えると思うのです。さっき私は、ほかに何か要因はありますか、こう聞いたのですが、私は、それも一つ要因になっているのじゃないかというふうにとらえておりまして、そんなお答えが聞けるのではないかと期待をしながら御質問を申し上げたわけでありますけれども、この話は、また後から湯山先生からさらに突っ込んでいただくようなことになるのじゃないかと思っておりますが、とにかく他の共済に比べて内容は非常にいいんだ、こういうことが今までの答弁の中で十分に明らかになってきているわけであります。  そこでもう一つ、健全性を示す中に、この長期経理の責任準備金の充足率も非常によくなってきているということもありまして、これが五十二年、五十三年、五十四年、五十五年と充足率が逐次高まってきて、五十五年には実に九六%というところまできたのですが、額にして一兆三千四百億、こうなっておりますけれども、その後、若干この傾向は違ってきているようであります。  そこで、明らかにしていただきたいのは、五十五年まではわかっておりますけれども、五十六年、五十七年、昨年あたりはまだ決算は出てないと思いますから明確な数字にはならぬと思いますが見通しはついていると思いますので、それらの傾向まで含めて、この辺の状況がどうなっておるか、わかりましたらお答えいただきたいと思います。
  109. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 責任準備金の充当率でございますけれども、先生お話しございましたように年次によって少し差異があるわけでございますが、最近では五十二年ごろから準備金の充当率が大分上がってまいりまして、五十二年に七〇・四というのが最近で一番低い数字だったわけでございますけれども、その後、五十三年、五十四年、五十五年と上がってまいりまして、五十五年に九六・〇というところまで来ております。その後、五十六年、五十七年につきましては、五十六年が九五・五、五十七年が九五・二ということで若干下がりぎみと申しますか、大体同じぐらいの程度で横ばいと申した方がいいかもしれません、そういった程度になっておりますので、大体五十五年程度の水準で今のところは推移しているというような状況でございます。
  110. 田中克彦

    ○田中(克)委員 責任準備金の充足率の方はわかったわけですけれども、もう一つ、この私学共済の持っている特徴として掛金負担率の問題があると思います。  これは冒頭、前から積み残されている問題もあるということを指摘しておきましたように、前回の改定の際には、佐藤先生がこの問題を大変深く突っ込んでおいでになるようであります。今の長期給付の掛金率は御承知のように千分の百二になっておりまして、労使折半の状況になっているわけでありますけれども、佐藤先生が言われたように、五十三年に千分の十、五十四年に千分の六、五十五年に千分の六・五と、いわば三年間で千分の二十二・五大幅に引き上げられた。こういう、一方で掛金率を引き上げてきている状況の中で、国の方の共済に対する補助は当時から少しも、当時からというより昭和四十七年以来百分の十八という数字で全然変わっていない。  こういうことになりますと、先ほど大臣は、私学の財政的な実情、そこに働いている職員の実態というものに深い理解を示して、前向きで考えていくんだ、こういうことを言われましたけれども、こういうものを見る限り、これはちょっと片手落ちじゃないか。掛金も引き上げていくかわりに当然国の方の補助についても率を引き上げてやるということであれば、それはそれなりに評価もでき、私ども理解できるわけでありますけれども、こういう状況になっております。大臣、これはどうお考えになりますか。
  111. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国庫補助につきましては、先生御指摘ございましたように、昭和四十七年以降百分の十八ということで補助が行われておるわけでございます。これにつきましては、当初、昭和二十九年の百分の十という時期から逐次引き上げられまして、今日百分の十八というところまでまいっておるわけでございまして、さらに、御案内のように財源調整費というようなことでそれに一・八二分が加えられるということで、現在は十九・八二というところまで措置が行われておるわけでございます。かねてからこれを百分の二十に引き上げるべきだという御指摘もいただいております。私どもといたしましてもいろいろ努力を重ねてきておるわけでございますが、他の制度との均衡等いろいろな問題がございまして今日まで実現をしておらないという点は、大変恐縮に存ずる次第でございます。ただ、先生御案内のように、現在行革関連特例法によりまして、この百分の十八という数字についてさえもさらに四分の三を掛けるというようなことで、国の財政上特別な措置が講ぜられているという時期でもございますので、これをさらに引き上げるということが現在の時点では大変困難な事情にあるということは、ぜひ御理解を賜りたいと思うわけでございます。  また、公的年金の一元化問題というのが現在大きな問題となりつつあるわけでございますが、そういった問題につきましても、いずれまた国会での御審議、御意見等を賜らなければならないと思うわけでございますが、そういったことの進行との関係におきましても、国庫補助のあり方をいかにするかということが、全共済共通の問題としてまた出てくるたぐいのことであろうかと思っております。そういった際にも、これまでの御意見の趣旨等を踏まえながら、他の共済制度とのバランス等を考えながら十分検討させていただきたい、かように思っておるところでございます。
  112. 田中克彦

    ○田中(克)委員 今のことは私も十分承知しているわけでありますけれども、お話がありましたように、百分の二十に引き上げるという意見は長いこと続いているわけであります。  前回の審議の際に、さっき申しましたように佐藤先生質問、この百分の二十に引き上げるという問題ですが、それに対して柳川政府委員の答弁は、「御指摘の私学共済組合の長期給付事業に対します国庫補助につきましては、その補助率を百分の二十以上まで引き上げることとする旨の国会の附帯決議がございました。学校法人及び教職員の負担能力等を勘案し、補助率の引き上げにつきましては鋭意努力して」いきたいと思います、こういうふうに言ってもいるわけです。  それで、今ありましたように、これは衆議院では同じ文教委員会で五十七年五月十四日、参議院では同じ文教委員会で五十七年七月六日、同様趣旨の附帯決議が行われておる。こういうことになりますと、今おっしゃられますように財政事情というのは私ども十分承知はしているわけですが、一体国会というのは、こういう議論をして、それから附帯決議をつけて、大臣もそれなりに約束をされて、財政事情が伴わないからできませんよということでそれがしり抜けになっているということの繰り返しが、この問題の審議にずっと続いてきているということは何としても、私ども考えてみまして非常に問題だと思うわけであります。  しかも、さっき言いましたように、この百分の十八の中の四分の一に相当する額というのは、行革関連の特例法によって五十七、五十八、五十九とカットされるというか留保されているというか、そういうことで、これも終わりましたら利息をつけて返しなさいよ、こういう附帯決議の内容。にもなっているわけであります。そうなりますと、やはりその辺のことがきちっとできないと、さっきお話のありましたこれから先、きのう国民年金法の一部改正案、これは厚生年金との統一問題を基本としていよいよ本会議へおりてきたわけなんですけれども、これから各種共済の統一へ向かっても動いていくという状況にあるとすれば、私どもは、なおのことそのことに対するけじめはきちっとつけてもらわなければ困る、こういうふうに実は思えるわけです。  そこで、今お答えいただいたわけでありますけれども、これに対しまして、既に昭和六十年の概算要求の時期も近づいておるという状況の中で、特例法の期間というのは終わった、ここで、附帯決議もあるし国会の中の答弁もある、こういう状況を踏まえて一体来年度の対応はどういうふうに考えておいでるつもりですか。
  113. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 行革関連特例法によりまして、先生が御指摘ございましたように、国庫補助金につきましては四分の一部分がカットと申しますより留保というような形になっておるわけでございますが、この関係につきましては、積立金の運用収入の減額分というようなものまで含めまして、将来にわたる年金財政の安定が損なわれることがないように、特例適用期間経過後において、国の財政状況を勘案しつつ、できる限り速やかに繰り入れに着手するということが、政府の内部で意見が統一をしておるわけでございますので、具体にどういうふうに組み入れていくかという問題はございますが、その点につきましては財政当局と今後十分御相談をしながらまいりたいと思っておりますが、この点につきましてはそういう形で回復をしてもらうということで考えておるわけでございます。  なお、御指摘の百分の二十の問題をどうするかという点につきましては、先ほど来申し上げておりますが、私ども国会の御決議というのを非常に重たいものとして受けとめ、それに沿って努力をしてまいったわけでございますが、特に五十七年度以降は、御承知のようなこういう特例法ができるという異常な財政事情にもなってまいったというような特殊な状況の中で十分な対応ができなかったということで、ぜひひとつ御理解をいただきたいと思うわけでございます。  また、来年度の具体の概算要求をどうするかという問題につきましては、来年度の予算のシーリングの問題等もございますし、それからまたもう一つは、基礎年金の導入にかかわる共済制度のあり方の問題というのも、この夏あるいは年内くらいにはある程度の方向を出さなければならないという状況にもございますので、そういったことの検討状況との関連等を見ながら慎重に検討させていただきたいと思っておるわけでございます。
  114. 田中克彦

    ○田中(克)委員 留保されている分については附帯決議の趣旨を踏まえて最大限努力をしていく構えだ、こういうように受けとめましたので、私どもも成り行きを関心を持って注目したい、こう思っております。ぜひ頑張っていただきたい。  もう一つ、この中身について伺っておきたいのは、都道府県の補助、それから私学振興財団からの助成というのがございます。都道府県の補助につきましては、五十七年までは四十七都道府県、こうありますから恐らくすべてだと思うわけでありますけれども、この額は実に五十一億を超えているということで、大体干分の八を基準に掛金率の低減を図るために助成をする、こういうことになっているようであります。しかも、これが議員立法によって法定化が実現したものだというような経過も聞いているわけでありますけれども、ただ私どもが憂慮するのは、接近、国も地方も財政事情が大変厳しいという状況に立ち至っている中で、府県の一部においてはこの都道府県の私学補助を一部大学等カットしたり、それから八カ月というような期間を短縮したりしているところが出始めているという状況を聞いております。したがって、そういう実態がどうなっているのか。  それからもう一つは、このような傾向が一例えば、このことについては当然、都道府県補助につきましても一応私学共済組合法三十五条で規定はしてありますけれども、あくまでも予算の範囲内においてということになっておりますので、それはその都道府県の事情に任されるということにもなりましょうが、ただ、交付税の算定基礎にもこれが入っているということから見れば、建前の上からいけば当然、経費の補助は基準に基づいて交付されなければならないという性格のものであろうと思います。したがって、そういう観点から、これについてこのような府県に出てきている動きを拡大させない、逆に言えば基本へ戻していく、こういう文部省の強い要請なり指導なりというものはあってしかるべきだと思いますが、その辺のことについてお聞かせをいただきたいと思います。
  115. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先生御指摘のように、都道府県からの補助金ということで千分の八相当額が昭和二十九年以来原則として措置をされるということでまいっておるわけでございます。交付税措置につきましては、高校以下及び専修学校につきまして千分の八という交付税措置がとられておりますが、それ以外の高等教育機関につきましては、交付税措置そのものが実はないわけでございます。そういった中で、私どもといたしましては自治省に対しまして、交付税について高等教育機関についてもお願いしたいということを要請すると同時に、各都道府県に対しましても全学種にわたって配慮してほしいという指導を重ねてきたわけでございまして、かなりのところで相当の補助をしてまいっていただいておったわけでございます。  最近の実態で申しますと、非常にさまざまでございますので個別に申し上げるのはお許しをいただきたいと思いますが、全学極に満額補助をしておりますものが三十五県というようなことで、ここ一、二年、先生がおっしゃったように学種を限るとかあるいは月数を削るとかいうものが、数は多くはございませんけれども、若干出てきているというようなことがあるわけでございます。私どもといたしましては、いろいろな機会に、特に各都道府県に私学主管課長会議等がございますので、そういう機会を通じまして各都道府県に対しまして、財政上大変苦しい時期ではあろうけれども、できるだけ配慮をしてほしいということを強く要望し続けてきているわけでございます。  この点につきましては、今後とも、先生からも御指摘いただきましたような方向に沿いまして充実した補助が行われるように都道府県等に指導をし、また、自治省等にもお願いをしていきたい、かように考えておるところでございます。
  116. 田中克彦

    ○田中(克)委員 私学振興財団についても大体同じような傾向が出てきているようでありまして、これにつきましてもひとつ強力な指導をぜひお願いしたい、こんなふうに思います。  先ほど申し上げましたように、長期給付に対する国の補助額は四分の一部分が特例法でカットされている、こういうことで、その総額は三年間で大体五十三億円ぐらいになると聞いているわけです。したがって、それが戻るということは私学共済自体の経費についても大変大きくウエートを占めるわけでありますし、そういう点から、私どもは先ほどの答弁にぜひ期待をしたい、こう思っておりますし、なお今後、私学共済の健全な運営につきまして、今私が指摘をいたしましたような各般にわたって積極的な御指導をいただきたい、このようにお願いを申し上げておきます。  時間がちょっと詰まってきましたから、話をほかの問題に移していきたい、こう思うのですが、実は先ほど答弁の中にもちょっとありましたように、今回、国民年金を初めとして、国が持っております年金制度、三つの種類、八つの制度、この制度間の格差をできるだけなくし、あるいはまた制度としてわかりやすくする、あるいはまただれでも年金制度の恩恵に浴せる、こういう形にしていくことを前提にして一元化問題というのが議論をされてきております。一面で、非常に成熟度が高くなってしまった組合等の実情も考えれば、そういう組合をほっておくことは極めて問題がありますから、これは対応しなければなりませんが、ただ問題は、そういう制度間の格差が、いわばいい組合という言い方は当たるかどうか知りませんが、健全性を持っている組合とそうでない組合との格差というのをその中だけで埋め合わせるということになることは極めて問題であります。  そこで、最近の傾向の中で、高齢化社会ということがよく言われております。最近、六十五歳以上の人口が占める比率というのは非常に高くなってきました。全国的に見ても九%、一千万人を超えるというような状況の中で、私の県などはもう既に実に一二%を突破しているわけであります。そこで、中央、地方を問わず、この高齢化社会にどう対応していくかということが非常に問題になります。  そこで、労働省が、高齢化社会に対する対応というものを労働省のサイドから検討するプロジェクトチームをつくりまして、まとめたものを私、ちょっと見せていただいたわけであります。大変参考になりましたが、ただ、ちょっと注釈がついておりまして、これは労働省の公式の見解ではない、あくまでも高齢化社会に対する対応についての参考の資料にしてほしい、こういうことでありますから、私はちょっと労働省に聞きたかったのでありますが、そういう資料でありますだけに控えさせていただきます。  しかし、この中に一貫して流れているものといいますのは、要するに、高齢者の雇用の問題としてとらえる側面とそれから年金生活という面でとらえる側面と、政策的に二つの面から高齢化の対応をしていかなければならない。そういう中で、いわば人間の平均寿命が延びている中で働ける年限が非常に高まってきているというような時代に即応した対応の仕方、それから高齢化すればするほど体力差、個人差というものがあるわけですから、そういう事情に応じた対応をしていく必要があるというような問題やら、いろいろ参考になることがありまして、私も関心を持って読ませていただいたわけであります。  その中で、こういうことが書いてあるのですね。臨調答申に基づく各種年金制度の統合等の目標年次が昭和七十年度とされていることなども十分考慮に入れて、六十歳定年の一般化が実現した段階において指導の重点は六十五歳雇用延長に移していく必要があろう、こういうふうにまとめ上げておりまして、労働省は労働省のサイドで既にこういうプロジェクトをつくって検討が始まっている。  きのうの国民年金の問題につきましては、厚生省は厚生省サイドとしてそれらの一元化問題について検討を始めている。国民年金を基礎年金として、その上乗せをしていく厚生年金制度という形になろうと思うわけですけれども、それが今後は各種の共済に及んでいくということになろうと思います。その際に、これだけすぐれているというか、いい条件を持っている私学共済というものが、一元化へ向かって対応する際に、従前得られております既得権や有利な条件がダウンしては困ると思うのですね。そういうことについての見通しの上に立って今後この一元化について、そろそろそういう話題も出てき、検討も始まっているようでありますから、どんな考え方文部省としてはお持ちでしょうか。
  117. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘にございましたように、年金制度全体の一元化問題というのをこれから着々と進めていかなければならないわけでございますが、それぞれの年金制度、それから共済年金といいましてもそれぞれの共済組合制度、それぞれが歴史なり伝統なり、これまでの長い経緯を持っておるわけでございます。積立金等の保有資産等につきましても、組合員が積み立ててきたものだという事情等もあるわけでございますので、そういった点を十分考慮し、先生おっしゃるような既得権について著しい侵害になることがないように、新しい制度を考えるにつきましてもその辺の考慮を十分しながら、円滑な移行ができるような方式を考えなければならないということを基本に据えて考えておるわけでございます。  現在、既にこの共済年金グループにおきましては、各関係各省の間で検討会も開始をいたしておりますけれども、そういった中で御指摘のような点を十分踏まえながら慎重に対応するように心がけたい、かように存じます。
  118. 田中克彦

    ○田中(克)委員 厚生省はお見えになっていますね。  年金や共済制度の中で、国民年金、厚生年金が大体加入者の九〇%ということで、この部分がきちっとできればほかの問題は逐次解決する手だてもあろう、こういうふうに私ども、思うわけであります。そこで、厚生省はそれを軸として将来的な見通しを立ててお考えになっているということでありまして、厚生省が出している年金一元化に対する資料などは膨大なものがあります。いろいろなパンフレットが出ておりまして、読み過ぎると何か混乱してわからなくなるくらいに出ているわけであります。  それで、今私がいたしました質問と同じ趣旨になりますけれども、厚生省サイドとして、そのことについては、今私が申し上げましたような前提に立ってどういう見通しをお持ちでしょうか。
  119. 渡辺修

    渡辺説明員 私ども厚生省といたしましては、現在私どもが所管しております国民年金、厚生年金、船員保険、この三つの制度につきまして、まず船員保険と厚生年金は統合をする、そして国民年金の適用を厚生年金の加入者本人とその配偶者にまで拡大をいたしまして、各制度に共通する基礎年金を支給する制度にする、まあほかにもいろいろございますけれども、こういうことを柱とする制度の大きな再編成を含む改正案を国会に御提出申し上げているところでございます。  この基礎年金の制度のねらい、趣旨は、もう先生既に御指摘のとおり、各制度間の不均衡を是正する、国民みんなが支える安定した制度にする、さらには、制度が分かれているために複数の制度から年金を受給するとか、逆に手続が煩雑で適用漏れを生じて年金に結びつかないようなケースが生ずるといった不都合を是正する、いろいろな目的があるわけでございます。この公的年金の中の基礎的な部分について、各制度統一の仕組みで、給付と負担の両面において公平な制度をつくるという基礎年金制度の創設といいますか、こういう制度をつくる趣旨にかんがみまして、共済年金制度もぜひこの基礎年金に参加をしていただきたいというふうに期待をしているところでございまして、基本的には去る二月二十四日の閣議決定におきまして、来年、共済年金制度につきましても、厚生省所管の今回改正をいたします年金制度の改正の趣旨に沿った改正をしていただけるということが決定されておりまして、沿革その他仕組みの違い、いろいろ難しい検討すべき点はあろうかと思いますけれども、ぜひとも基礎年金に関して御参加をいただきたい。その他の面についても、この同じ閣議決定にございますように、公的年金制度として、全体として公平な整合性のある制度に発展をさせていかなければいけないのではないか、私ども、基本的にそう考えているところでございます。
  120. 田中克彦

    ○田中(克)委員 二月二十四日の閣議決定は私ども、拝見しておりますけれども、それは五十七年十一月に出された公的年金調査会の田中会長試案で示された統合のスケジュールと大体合っているのですね。  そこで、そういうことであるとすれば、六十一年までに法改正して足並みのそろうものはそろえるということで、あと六十四年に国共、公共企業体、地方共済等関連整備をして、六十九年には改正案で足並みをそろえて七十年に実施していく、こういうスケジュールを組まれております。したがって、このスケジュールに合わせて、しからば私学共済としてはどういうスケジュールになるのか、どうでしょう。
  121. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私学共済につきましては、その制度を従来から、国家公務員共済の国立学校教職員の例に準じて措置をするという方式をとってきているという関係もございます。また、他の共済年金制度全体との絡み等もございますので、私立学校済組合の関係の年金につきましては、先ほど申し上げましたように、国家公務員、それから地方公務員、私学、農林、この四つの関係省庁が一緒になりまして、学識経験者も御参加をいただきまして、既に三月の末から検討会を開始いたしております。基本的には、閣議決定にもございますように、基礎年金制度の導入ということとの調整を図りながら改善を進めていくということで検討を開始しているところでございまして、できればこの夏ぐらいには主な問題点ぐらいが明らかになり、年内には改定の基本的な方向が明らかになるぐらいのところまでぜひ持っていきたいということで考えておるわけでございまして、事が成立し次第、次の通常国会に関係の法案を提出するということで御検討いただきたいと思っておるわけでございます。  なお、その後も公的年金全体の給付、負担の調整という問題はさらに残る可能性がございますので、その点につきましては、六十九年までの間にその関係の調整を逐次進めていくという構えでおるわけでございます。
  122. 田中克彦

    ○田中(克)委員 時間が来たようですからやめますけれども、とにかく統合によって現状後退しない努力というのを極力やっていただいて、あとはまた年金そのものの内容については議論する場もございましょうからその機会に譲って、私の質問を終わらせていただきます。
  123. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 佐藤徳雄君。
  124. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 田中議員に関連をいたしまして、問題を一つに絞りましてお尋ねをしたいと思います。  田中議員の質問の冒頭に、大臣から私学振興に対する基本的な考え方について述べられました。そのことにつきましてお尋ねをしたいわけであります。  実は、御承知かと思いますが、岩手県の花巻市に富士大学があります。これは経済学部でありまして、四年制であります。時間もありませんから、若干説明をさせていただいて、簡潔にお尋ねをしたい、こう思っているわけであります。  この富士大学は、以前奥州大学という名称であったわけでありますが、昭和五十一年四月に名称が変更されており、学校法人富士大学、その理事長が二上仁三郎という方であります。これは、東京の新宿区にあります富士短期大学理事長を兼務しているようでありまして、教員は、専任教員が二十八名、非専任教員が二十四名、職員が二十四名、学生が約六百二十名在学をしている大学であります。  問題は、昭和五十六年六月、五十七年四月、八月、九月、この四回にわたりまして、大学側は労働組合が結成されたことを理由として、委員長、副委員長、書記長、執行委員一名、組合員三名、合計七名を解雇したわけであります。いずれも労働組合つぶしのために行った解雇であることは、実は仮処分申請の中身を見ても明らかになっているところであります。  そこで、組合側は早速、地位保全のための仮処分の申請をいたしました。そして、五十八年の十二月二十二日を皮切りにいたしまして、既に七名中五名の仮処分の決定が下されているわけであります。これは、いずれも組合側の全面的な勝利の決定内容であります。  その主文は、さらに裁判所の判断も加わっているわけでありますが、御理解をいただくために申し上げたいと存じますけれども、裁判所の判断のまとめも実は出ているわけであります。そして、その主文の第一は、「債権者が債務者に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める」これが一番であります。第二は、「債務者は債権者に対し昭和五十七年九月以降本案判決確定まで毎月二十日限り金二十万二千五百円を仮に支払え」これが第二であります。第三は、「申請費用は債務者の負担とする」。主文を今読み上げさせていただいたわけでありますが、この主文のとおり、まさに組合側の全面的な勝利に終わっているわけであります。  そして、その理由の中に裁判所の判断があります。そのまとめを若干引用いたしますと、「本件解雇は、債権者(大学側)が債務者の組合活動を嫌悪してなしたものと認めるのが相当であって、労働組合法七条一号の不当労働行為として無効というべきである。したがって債権者は、債務者大学の職員としての地位を依然有していることになる。」こういう裁判所の判断のまとめが実は決定書の中に記載をされているわけであります。  一方、大学側は、この決定をされました全体を受け入れるわけにはいかない、しかし、決定されました賃金を毎月支払うことにいたしました。そして、今日まで支払っているわけでありますが、仮処分決定を不満として本訴に持ち込んで、現在も係争中であります。  裁判所は、この本訴に対して和解を提起したようであります。しかし、大学側はあくまでも就労を認めない。金銭和解を主張して平行線をたどり、実は和解が不調に終わっているわけであります。  一方、これを見かねまして行政側、すなわち花巻市と岩手県が介入をいたしました。そして、花巻市の市長は、組合側の仮処分勝訴の段階で和解あっせんに積極的に乗り込みましたが、大学側はこれを拒否したわけであります。そして、さらに岩手県側は、県の商工労働部長さんが中心となって和解あっせんのためにかなり努力をされたわけでありますが、理事長初め有力な理事さんに接触を拒まれまして、いわば事実上拒否をされてきている、こういう状況であります。それで、現在は副知事に預かりになっているというのが現状であります。  経過を言えばたくさんあるわけでありますが、時間がありませんので若干のこときり申し上げることができませんでしたけれども、そこで質問を三つ、四つしたい、こう思っておるわけであります。  その第一は、文部省はこの仮処分の決定とその内容を知っておられますか。知っているとすれば、決定の内容についての感想なり判断をお聞かせいただきたい、こう思います。
  125. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 この大学におきまして、そういうたぐいの争議と申しますか問題があったという事実と、裁判所の仮処分についての判断が出たということは、承知をいたしております。しかしながら、先生の御質問にもございましたように、現在本訴ということで裁判所に係属中の問題でもございますし、労使関係の問題でもございますので、文部省がこれについて意見を申し述べるということは差し控えさせていただきたいと思います。
  126. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、仮処分の決定と、主文は私が読み上げましたからおわかりいただいたと思いますが、その内容については御承知なんでしょうか。
  127. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私、その仮処分の原文を読んだことはございませんけれども、地位保全が認められ、賃金の支払いが命ぜられたという内容については、その事柄としては承知をいたしております。
  128. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、富士大学に対して補助金が交付されていると思うのです。それで、富士大学に改称された、つまり昭和五十一年四月から五十八年度まで、年度別の交付額をおわかりでしたらひとつ教えていただきたいと思います。
  129. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 富士大学に対する経常費補助金でございますけれども、年次を追って申し上げますと、昭和五十一年度五千五百五十六万三千円、五十二年度五千六百二十六万七千円、五十三年度六千九百七十七万四千円、五十四年度七千九百八十九万円、五十五年度八千七百二十六万三千円、五十六年度九万千三百七十万七千円、五十七年度九千九百八十七万五千円、五十八年度九千四百十三万五千円、このような経緯になっております。
  130. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 この使途についてはどうなっておりますか、おわかりですか。大学がどのようにこの補助金を使われているのか、その内容については御承知でしょうか。
  131. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 補助金の使途につきましては、それぞれ決算等の報告を受けておるわけでございますし、それからまた、決算報告に関しましては公認会計士の監査等も義務づけられておりますが、その個々の大学の具体にどうなっているかというところまで私が目を通しているわけではございませんけれども、特段問題があるような指摘を受けたことはないと思っております。
  132. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 先ほど申し上げましたように、仮処分の決定は明快に出ておるわけであります。したがいまして、大学側も毎月賃金を支払っているわけでありますが、これは大学に限らず、係争中の民間の会社、企業においてもこういう事例はたくさんあるわけであります。私も、そういう事例に直接携わった経験がありますからよく知っているわけでありますが、ただ問題は、補助金をかなり出されている、そういうことを前提にしてお尋ねをしているわけであります。就労を拒否して、いわば就労しない者に大学当局が賃金を支払っているわけですね。そうでしょう。——いや、支払っているのですよ。仮処分が決定をされて、本訴に持ち込んだけれども、しかし、その決定に従いまして賃金だけは払っているわけです。だから私は、補助金を交付されているということが前提だということを言っているわけでありますから、十分御理解いただきたいと思います。だから、就労をしていない者に支払っているだけに、広い意味で言ったら人件費も補助対象になるのだろうと思うのでありますけれども、私から言いましたら非常にむだ遣いだ、こう思わざるを得ないわけであります。就労していない者に賃金を裁判所の決定によって支払っている、こういうことを考えましたときにそう思うのでありますが、どうお考えになりますか。
  133. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 補助金を出している側からということで申し上げますれば、この大学の、御指摘の解雇を受け現在係争中の七人の職員につきましては、現実に職員としての業務に従事していないということもございますので、経常費補助金の交付の対象にはなっていないわけでございますので、補助金としては対象にしていないわけでございます。先ほど先生の御質問にちょっと首を振りましたのは、私、勘違いをいたしました。大学側から給与を払っているわけでございますが、国からの補助金はその人たちに対しては出していない、これは大学側からそもそも申請もないわけでございます。そういうような状況になっておりますので、補助金という点からは、この問題は関係していないということでございます。
  134. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 高等教育にとりまして、このような係争の長期化は決して好ましい状況だなどとは私は思っていないわけであります。一日も早く収束すべきだと思います。私は、この仮処分の内容を丹念に読みこなしました。ずっと読んでみますと、明らかに本訴に持ち込んでも大学側が勝てるような状況にはないと、私なんかは判断をするわけであります。極めて明快な決定書が出ているわけなんであります。  そこで私は、やはり学園正常化のためにも何としても解決の方向に向かった方がいいという意味合いでいろいろとお尋ねをしているわけであります。したがいまして大学当局が、一審があり、二審があり、三審があると、司法の制度がそういう仕組みになっていることはよく承知しているわけでありますけれども、このように明快に出されました司法の決定に従って、解雇された者を直ちに復職させるべきだ、私はこう思っているわけであります。そのことは学園の正常化にもつながりますし、第二の九州産業大学や中西先生が指摘されているような国士館大学のようなことを発生させないためにも、私は非常に重要だと思っているわけであります。私学であるだけに限界があるでしょうけれども、文部省はぜひそのような立場に立った行政指導をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。できれば大臣お答えをいただきたいと思います。
  135. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先ほどもお答えしたとおりでございますけれども、こういう労使問題について両者の間に意見の相違があり、裁判所で争われているというようなたぐいの事柄につきまして、労働関係を担当している省庁でない文部省がこういう個々の事件につきまして一々介入をしていくというのはいかがかという感じを私どもは持っているわけでございまして、現段階におきましては、法廷に争われておる事柄でもございますので、私どもとしては、その状況等について注意して見守っていくということにいたしたいと思っておるわけでございます。
  136. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 お答え気持ちはわからないわけでもありません。ただ、大学側が今日の和解あっせんを拒否している限り、かなり長年月にわたって裁判が続くのではないか、私はこういう懸念を持っておりますし、教育の場であるだけにできるだけ文部省が、今の答弁については、その中身について理解はいたしますけれども、私の方も努力をいたしますので、今後とも十分な御検討をお願いしたい、こう思っているところであります。  ちょうど時間も参りましたので、終わります。
  137. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 湯山勇君。
  138. 湯山勇

    湯山委員 この私学共済の法律ができましたのは昭和二十九年でございまして、たまたま私が国会へ出た年でございました。当時、厚生委員会というのでこれの審議をいたしまして初めて誕生したので、私にとっては大変印象深い法律ですし、自来いろいろ関心を持ってやってきたのですけれども、今度出された改正案ぐらいわけのわからない改正案は初めてでございます。  そこで、それらについていろいろお尋ねいたしたいと思うのですが、今度の既裁定年金の引き上げについては、五十九年三月から上げるというものと四月から上げるもの、大きく分けましてこう分かれております。そこで、これは、本来ならば五十八年四月に引き上げるものが十一カ月おくれたと解釈するのか、そうじゃなくて、五十九年度に支給するものを五十八年度にそれだけ遡及してやった、こう解釈するのか、その辺どうなんでしょう。
  139. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 大変難しい御質問でございますけれども、私ども、従来の例から申しまして、年金の改定をお願いいたします際には、そのお願いしております年の四月から実施をするというのが通常の形でございます。そういった中で、ある一部分につきまして三月からということでございますので、そういう意味から言えば一月さかのぼって実施したということが言えようかと思うわけでございます。
  140. 湯山勇

    湯山委員 五十七年度、それまでは四月実施であったのを全部そろえて五月から実施したのを御記憶だと思いますが、いかがでしょう。
  141. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 恐縮でございますけれども、私はそこの勉強が足りなかったわけでございますが、先生御指摘のとおりであるというふうにただいま聞いたところでございます。
  142. 湯山勇

    湯山委員 これは明らかに一カ月おくらせたということになります。おくらせるに当たっては全部一斉でしたか、あるいは適用法、もっと端的に言えば旧法、新法によって差別があったかどうか、これはいかがですか。
  143. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 全部一律に措置をしたというふうに聞いております。
  144. 湯山勇

    湯山委員 これは、古いことになりますと、うんと古いのは十月から実施というのもあったかと思うのです。九月になり、それから八月になり、七月があったかどうか、六月になり、五月飛ばして四月になり、また今のように五十七年は五月に戻る。その際、いずれの場合も一斉に行われたと私は記憶しておりますが、いかがでしょうか。
  145. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘のとおりでございます。
  146. 湯山勇

    湯山委員 それだけ長い実績を踏まえておりながら、今回は旧法適用者あるいは旧法適用期間についてのみ三月にさかのぼって、それ以外は四月から、もっと細かく言えばありますけれども、大きく分けてそういう扱いをしたというのはまことに異例であって、私どもどうしてもこれは納得できないのですが、ひとつ納得のできるような御説明をお願いいたしたい。
  147. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私立学校済組合年金につきましては、先ほどお話がございましたように、もう先生の方が十分お詳しいわけでございますけれども、昭和二十九年にこの共済組合制度ができまして、その後いろいろな形で逐次改正等も行われまして国家公務員に準ずるような形でということになってきたわけでございます。  こういうことになりましたことは、御承知のように教育基本法の精神で、国公私を通じて教員について適正な待遇が図られるべきだという基本的な精神に基づいてこういう仕組みができてきたのだというふうに理解をしておるわけでございますが、そういった観点から、この私学共済が行います長期給付の内容につきましては、国公立学校教職員に準ずるという仕組みで今日まで措置をしてまいったわけでございます。今回の年金の改定に当たりましても、そういうような形で基本的にと申しますか、国公立学校の措置に準ずるという仕組みをとったわけでございます。  国公立学校の今回の国家公務員共済の年金関係の改定につきまして、御指摘がございましたように、現行の共済年金制度施行後の期間分につきましては四月から改定であるけれども、それ以前の期間分につきましては三月から改定という措置が講じられておりますので、私学共済につきましては四月実施というのが従来の普通のルールであろうということで先ほど申し上げたわけでございますが、その措置を講じますと、国立学校教員との間にアンバランスが生ずるという問題がございます。したがいまして、国家公務員と国立学校教員と同じような措置をとるというような従来の私学共済の基本的精神に基づきまして、今回この問題につきましても国立学校の場合と同じような措置をとるということにいたしたわけでございます。
  148. 湯山勇

    湯山委員 これはちょっと説明にならないので、ただそれに準じたということでは御答弁にならないと思うのです。というのは、提案理由の御説明にも、国公立学校教職員に係る退職年金等の云々に準じという説明がありまして、準じたことはよくわかります。しかし国公立、国立はどうなんですか。公立は年金文部省所管ですね。
  149. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 公立学校済組合そのものは文部省所管でございますけれども、年金制度は自治省が所管ということになっております。
  150. 湯山勇

    湯山委員 ですから、ただ準じたと言えば、じゃ国公は恩給に準じたと言えばそれで終わりです。それでは説明にならないので、どういうわけでそうしたんだということをわかるようにひとつ説明してもらいたいというのが私の質問です。
  151. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国立学校と申しますか、国家公務員共済組合につきましては、ただいま先生から御指摘ございましたように、恩給関連というようなことで措置をしたということでございますが、恩給問題の取り扱いにつきましては私も所管でございませんので直接承知をしておるわけではございませんけれども、恩給につきましては、昭和五十七年度の公務員給与の改善が見送られたというようなことで五十八年度の恩給のベースアップが見送られざるを得なかった。その辺のところを勘案をして、せめて実施時期を一カ月だけでも繰り上げたいということで措置が行われたというふうに理解をしておるわけでございますが、国家公務員の共済組合は、その恩給との関連を考慮してただいま申し上げたような措置を講じたということでございます。玉突きの玉突きみたいな説明になって大変恐縮でございますけれども、私どもといたしましては、先ほど来申し上げておりますように、私立学校教職員について国立学校より不利になってはいけないというようなこともございますので、もとのところについてはあるいはいろいろ御議論があろうかとは思いますけれども、国立学校に合わせるという方式をとらしていただきたいというわけでございます。
  152. 湯山勇

    湯山委員 確かに合いい例えで、玉突きの玉突き、そのとおりで、一向に実態の説明がないのですね。  今おっしゃった、恩給については五十八年度ベースアップを見送ったのでと言うのですけれども、これはみんな同じです。全部そうなんです。だから、恩給についてなされる、三月にさかのぼるのならば、かって全部一緒に四月を五月に下げたように、全部同じでなければならない。この説明は私はできないと思うのです。恐らくできないと思うのです。なぜかというと、これは政治的な配慮でなされたものです。その政治的な配慮の内容というのは、局長は御存じですか。
  153. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 全く存じておりません。
  154. 湯山勇

    湯山委員 主計局、お見えになっておりますね。主計局は御存じですか。
  155. 小村武

    ○小村説明員 五十八年度の恩給の問題につきまして、当時見送った背景には、党と恩給団体との間でいろいろなお約束があったということは聞いておりますが、政府としては、その話の内容について私ども関知をしていないという立場でございます。
  156. 湯山勇

    湯山委員 若干違うと思うのです。私が大蔵省で聞いたのでは、大蔵省も内容は知っています。しかし、大蔵省とそれとの覚書ではありません。関知しないじゃなくて、中身は知っておられるはずなんです。いかがですか。
  157. 小村武

    ○小村説明員 中身の文書については拝見をいたしておりますが、内容について私ども大蔵省が納得をして、結構ですと申し上げたものではございませんという趣旨でございます。
  158. 湯山勇

    湯山委員 その内容を御記憶でしたら、ここで述べていただきたいと思います。
  159. 小村武

    ○小村説明員 文書をただいま持っておりませんので正確でないかもしれませんが、恩給の五十九年の改定に当たっては実施時期は五十九年一月からという、原則として一月からというふうに書いていたかと存じますが……。
  160. 湯山勇

    湯山委員 おっしゃるとおりで、それから、引き上げの額は五十八年度人事院勧告実施の状況を見て、その引き上げの率は四・五、積み残したものを下らないということもあったはずです。そこで結局、本来ならば共済は恩給に準ずるわけですから、恩給連盟との約束だけじゃなくて、同じものは、直接の覚書じゃありませんけれども共済にも行っておるはずなんです、それは常に今言われたように恩給に右へ倣えで来ておるわけですから。それが三月になったということで、その三月を今度また新法、旧法期間で区切ってやっておる。こういう例は、これもないと思うのです。  そこで局長にお尋ねしますが、三月から上がる人で一番額の低い人というのは幾らくらい上がりますか。
  161. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま調べておりますので、後ほどお答えさせていただきたいと思います。
  162. 湯山勇

    湯山委員 では、私学年金の平均額は幾らですか。
  163. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 一般の退職年金でございますけれども、一人当たりの年金額平均値でございますが、百五十四万六千円くらいでございます。
  164. 湯山勇

    湯山委員 そうすると、百五十四万ですから、月額にして十二、三万ですか。  そこで、まるまる旧法の人で、十二万の二%、二千四百円です。いいですね。ところが、旧法期間が例えば二年で新法期間が十八年という人は、幾ら上がりますか。
  165. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま御指摘ございました二千数百円の十分の一ぐらいの数字になろうかと思います。
  166. 湯山勇

    湯山委員 これだけ難しい法律をつくって、そして旧法期間、新法期間を区切って、おまえのは三月から上げてやるといった低い人は、まだその半分もあるのですよね、一年の人もあるわけですから。とにかく二百四、五十円、もっと低いのは百何十円です。そんなのを区切って上げなければならない必要がどこにありますか。
  167. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 金額の点について御指摘はあろうかとは思いますけれども、制度としていろいろ考えていきます場合には、そこの間のバランスはとらなければならないと思うわけでございまして、恩給についてそのような制度がとられたということのバランスの上から、国家公務員についての措置が講ぜられ、それとのバランスで私学についての措置が講ぜられるわけでございます。金額のいかんということもございましょうけれども、バランスをとっておくということの必要性という見地から考えたわけでございます。
  168. 湯山勇

    湯山委員 説明は求めませんけれども、大臣、今のように、せっかくこれは法律をやって三月までさかのぼってやりましたよと言っても、低いのは一カ月で百何十円です。こういう事態だということを大臣は御存じだったでしょうか、まずその点から。
  169. 森喜朗

    森国務大臣 湯山先生は、私学共済の特に権威者だと伺っておりましたから、正直申し上げて、法案提出に際しましていろいろと勉強はしてみましたけれども、先生のようにそこまで、いろいろな角度から掘り下げられたところまでは私は承知をいたしておりませんでした。
  170. 湯山勇

    湯山委員 それはもうごもっともだと思います。しかし、これは協議のときに、共済は文部省で公立も管理しておるわけですから影響するところは非常に大きいわけで、その辺の主張をなぜやらなかったか、その点は私は非情に不満です。  それから、第二の質問をいたします。公務員に関しては、確かに五十八年度の人事院勧告は見送られました。しかし、私学の教職員について、五十八年度ベースアップは見送られたか、見送られなかったか、これはどうなっておりますか。
  171. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私立学校教職員の給与の額の問題につきましては、これは民間ベースの話でございますので、それぞれの学校の労使関係で決まってくるわけでございます。したがいまして、その学校法人によりまして、ベースアップを行ったところ、行わなかったところ、多様であろうかと思います。
  172. 湯山勇

    湯山委員 どれぐらいが上がって、どれぐらいが上がらなかったかという調査は、していらっしゃいませんか。
  173. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま手元には持っておりませんけれども、私学助成の関係で、ある程度の調査はしているのではないかと思います。
  174. 湯山勇

    湯山委員 大部分が上がっているということではないですか。
  175. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 上がっているケースが相当あると思います。
  176. 湯山勇

    湯山委員 そこで、さっき局長の御答弁では、公務員の給与が凍結になった。それを受けて恩給がこうなってこうだという玉突き説明がありました。しかし、私学の場合は私学の教職員は上がっているのだ。したがって、公務員給与凍結に必ずしも私学年金が悪くなる分まで準拠しなければならないか、その主張もなぜできなかったのか、私は大変不満なんですが、いかがでしょうか。
  177. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ここのところは、先生からの御指摘ではございますけれども、私ども、こういった共済という制度を私学について、普通の民間会社の場合と違って特に共済組合という制度を設け、国家公務員に準じた年金制度をつくっているということの関係から申しますと、個々についてのベースアップがあるケース、ないケース、さまざまなものにつきまして、給与につきましても別途標準給与という金額を定めて措置をしておるわけでございますし、そういった中でいわば私学共済の年金受給者の場合には、公的年金の受給者グループの中で、その仲間に入ったものとして統一的に取り扱っていくということが適当なのではないかと思っておるわけでございます。
  178. 湯山勇

    湯山委員 局長の御答弁はそうだろうと思います。しかし、おっしゃったように、制度の間で同じようにそろえていくということも大事ですけれども、その制度の中で、今申し上げましたように三月から二千四百円ばかり上がる人があるし、その中でわずかに百二十円くらいしか上がらない人もある、もっと少ない人もあるはずです。そういう不均衡はほっておいて、ただ制度の並びだけ考えるというのは、必ずしも私はいいことではないと思うのです。この辺に対する配慮が若干足りなかったことを、私は大変遺憾に思います。  それから第三番目に、さっき田中委員からも質問がありましたが、掛金については法人及び組合員に対して都道府県から補助があります。千分の四ずつ千分の八、その補助を出している側は、掛金負担が少なくなるというのはもちろん直接のねらいですけれども、出す側としてみれば、年金は正常に支給されているということを前提にして出している、これは間違いございません。したがって、今度も私学の年金もこうこうだという話をしたら、私学はそんなことをしなくていいじゃないですかという県の関係者もないではないのです。  これらについては、何らか了解を得ておく必要があるんじゃないかなと私は思ったのですが、ただ法律をやったからこうだ、国はこれでこれだけ倹約ができます、国がそれだけ浮いてきます。地方は従来どおり出しておるのですから、地方はちっとも浮かない。国だけいいことをして地方は従来どおり出させて組合員にこういうしわ寄せをしているということにも、私はある意味で、政治的な責任とまでは言いませんけれども、やはり何かしておかぬといかぬのじゃないかという感じがしますが、この点はいかがでしょうか。
  179. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 都道府県の関係者に対しましては、毎年私立学校主管の部課長会議等がございますので、その席でこの改定問題等の御説明も申し上げ、同時に、かねて先生からも御指摘をいただいております千分の八の確保の問題等についてもお願いをするという措置は講じておるわけでございますが、あるいは私どもの説明が不十分で理解が十分行き届いていなかった面があるかもしれません。その点は反省をしなければならないと思いますが、御指摘をいただきまして、今後十分御説明をするようにはいたしたいと存じます。
  180. 湯山勇

    湯山委員 それから、またもっと矛盾があるのです。それは最低保障額です。今の年金のベースアップについては、通常の年金については今のように旧法在職期間と新法在職期間によって計算しておる。最低保障額にはそれがないですね。そういう区別はしないでやっておりますね。これを御確認願いたいと思うのです。
  181. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘のとおり、最低保障額につきましては、一律に三月から引き上げという措置にいたしております。
  182. 湯山勇

    湯山委員 提案説明にもそうなっておるのですが、三月から上がらない最低保障額も私学年金の中にありますね。
  183. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 あるいは正確なお答えでなかったかと思いますが、六十五歳以上の者に係る新法年金の最低保障額について三月からということにいたしておりますので、六十五歳未満の者につきましては三月からになっておらないわけでございます。
  184. 湯山勇

    湯山委員 ただ、これで見ますと、三月分以後引き上げるとなっております。これは細かい説明が抜けておるのだろうと思うのですが、それでは最低保障では、新法適用者で六十五歳未満の三月から上がらない人、これだけ今度のけものですね。いつ幾らに上がるのですか、正確にお答え願いたい。
  185. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま御指摘の最低保障額でございますけれども、厚生年金関係との絡み等もございますので、国民年金法等の一部を改正する法律案が現在御審議をいただいておるわけでございますが、その附則第四条を根拠といたしまして政令の改正をするということを予定いたしておるわけでございまして、その政令改正によって必要な金額を定めるわけでございますが、他とのバランスから二%の引き上げをするということを予定いたしております。
  186. 湯山勇

    湯山委員 そうなりますと、現在あの法律は通るか通らぬかわからぬと私は思うのです。というのは、社労委員会には現に健康保険法が行っております。この共済の短期に関連する分が行っておるわけで、これは非常に問題の大きい法律です。その後へ持っていって国年、それから厚年、船員保険一緒になったものが行くわけで、これも通るか通らぬかわからないのですが、もし通らなかったら、六十五歳未満の最低保障額はどうなるのですか。
  187. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 文部省所管の法律ではございませんけれども、政府として提案しておる法律でございますから、その成立を私ども望んでおるわけでございますが、先生ただいま御指摘のお話につきましては、現在の退職年金の最低保障額が現行制度が七十四万四千円ということになっておりまして、旧法グループのケースとの比較では、旧法グループでは六十五歳未満の方の場合に六十万五千百円ということでございますので、まあ二%上がらないということの問題は残るわけではございますけれども、著しくバランスが、例えば逆転するというような現象が生ずるわけではないと思います。
  188. 湯山勇

    湯山委員 大臣、これもちょっとお聞きになってください。今答弁のように、最低保障額はほとんど全部上がります。六十五歳未満の人も旧法の人はやる。それから新法でも六十五歳以上の人は全部上がります、約二%。ただ、新法適用の六十五歳未満だけが取り残される。しかも、上がるのは三月からじゃなくて正常にいっても四月から。で、今お話しのように、計算してみると七十四万四千円が七万五千四百八十円というような、これが一つだけ取り残される。ここも問題なんですね。もし法律の建前を厳重にいくのであれば、最低保障額についても、例えば今のように、何年旧法期間があり新法期間幾らならそれに準じて区別をつけるのなら両方理論的に一致します。しかしそうじゃなくて、一方はつかみのように六十五歳以上は全部行け、新法も旧法も八十万に皆行けと。ただ、今のように新法の六十五歳未満だけ取り残すという建前も、ほかのなら別ですけれども、最低保障額だけに問題があるということを指摘しておきます。  ここのあたり、非常にわかりにくいのです。だから局長も十分御理解できにくいと思うし、私も随分苦労してここまでたどり着いたわけで、これはこういう矛盾を持っているのです。だから、今度の改正というのは、さっき申し上げた点といい今度のといい、結局、さっき主計官が言われたような政治折衝の結果をしゃにむに持ってきて、予算の幅があったのか何か知らぬけれども、それで削るところは削って、まあこれは仕方ない、残してやれ、これは面倒だから生かしてやれといったような操作をしただけのものです。ちっとも年金受給者に対する思いやりもなければ、わずかに三月までさかのぼって百円余り余計にもらって、それで、ああ三月までさかのぼってくれたというようなことにしかならない改正であって、この点、私は大変不満であるということをここで表明しておきたいと思います。  その次に、今の標準給与の引き上げで、これも今田中委員から質問がございました。そこで、それぞれの数についてありましていささか驚いておるのですけれども、上限の方の引き上げはいいとします。これはさっきの御説明で納得したとして、下限の引き上げが二千名ですか、千名——適用者が何名ありますか。
  189. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 下限引き上げの絡みで七万七千円となるわけでございますけれども、それ以下の組合員が四千九百人でございまして、全体の一・四%程度となるわけでございます。
  190. 湯山勇

    湯山委員 全体の一・四%といえば二百人に三人ですか。あれだけ大臣も私学の経常費助成というので相当助成をしておるわけです。それから経営もほとんどが安定してきているという中で、なおかつ月の給料が七万五千円に足りない人が、今日で言えば七万七千円に足りない人が四千九百人、二百人に三入もいる。ちょっと想像できないのですけれども、実態で一番低いのは幾らですか。
  191. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま手元にその資料を持っておりませんので、ちょっとわかりかねるわけでございます。
  192. 湯山勇

    湯山委員 私は、七万七千円以下の教職員がいるということさえも理解に苦しむところです。あれだけとにかく助成して、今度の場合も高校以下については交付税の方から随分頑張ってもらってきておるのですから、こんなのがなくならないと本当に私学振興にならないのじゃないか。それは自分の娘を使っておる幼稚園等もあるのはわかります。わかりますけれども、そういうところだからといって五万円、ひょっとしたら五万円以下というのがあるかもしれぬのですよ。それでやったり、七万円以下でとにかく法律で認められた学校教職員を使っているということはいかにも私は心外であって、こういうものをなくするためのいろいろな対策をもっと講じなければいかぬのじゃないか。その点、いかがですか。
  193. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私ども、この実態を十分承知しておるわけではございませんのであれでございますけれども、いろいろ考えられるところといたしましては、例えばミッションスクールなんかの場合に、神父さんが教員を兼ねておられるというような場合非常に低額で、ただし、例えば上智大学なんかの場合でございますけれども、学内の官舎等に住み、食事その他すべて現物支給をされるというようなタイプのものもあるわけでございますし、あるいは看護学校みたいなたぐいのもので、見習い看護婦として勤めていて、そしてかつ生徒でもあるというような関係で、若干相殺関係が行われているというたぐいのものもあろうかとは思うわけでございます。ただ、全体を十分把握しておるわけでもございません。今度また私立学校済組合等からよく事情を聞きまして状況はよく把握し、先生御指摘のような点があるかどうか、私ども考えてみたいと思います。
  194. 湯山勇

    湯山委員 特に私学振興に御熱心な森文部大臣のもとですから、調べて、例えば今のシスターさんが安い給料でやっているのだって、本来から言えばいいことじゃないのです。それから、見習いといいながらも、年金に入る以上はやっぱりそれはきちっとした待遇をしないといけないのであって、資料は早急に調べれば簡単にわかることですからお調べになって、適切な指導をぜひお願いをしたいと思います。それはそういうことでお願いします。  次にお尋ねしたいのは、主計官おいでいただいたので。給付費の補助一八%ですね、四分の一ずつ五十七年、五十八年、五十九年と減額した。これは、私どももその特例法審議に当たりましたのでよく知っています。しかし、三年間やるのであって、それを経過した以後、何年からかわかりませんけれども、元利に運用益をつけて返しますと総理は約束をしておられます。一二年間で元利、運用益合わせて幾らぐらいになるものですか。
  195. 小村武

    ○小村説明員 三年間の補助金の四分の一減額相当分は、決算、予算の額でございますが、合わせて五十二億円でございます。それに運用益の減少分が幾らかというお尋ねでございますが、運用益、どういう率でどういうふうにお返しするかという点についてはまだこれからお話し合いをする段階でございますが、仮に共済の運用予定利回り五・五%ということで計算いたしますと、約四億円ぐらいになろうかと思います。
  196. 湯山勇

    湯山委員 よくわかりました。  しかし、今度のベースアップで必要な金額は、局長、さっき幾らとおっしゃったのでしたか。
  197. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 法律改正に直接絡みます分で、補助金ベースで五千四百万円くらいとお答えしたと思います。
  198. 湯山勇

    湯山委員 補助金ベースで五千四百万といえば、それの百倍ですね、とにかくそれだけ国は召し上げている。  それはそれとして、今それをどうこう言うつもりはありません。問題は、財政再建は思うように進んでいないと思うのです。主計宮、当時の計画どおり進んではいないでしょう。
  199. 小村武

    ○小村説明員 先生御指摘のとおり、行革特例法を御審議願っている段階では、五十九年度特例公債脱却ということを目指して改革を行っていたわけでございますが、五十九年度脱却は残念ながらできなかったということで、財政状況については当時予想していたものよりも悪いということは言えるかと思います。
  200. 湯山勇

    湯山委員 だからといって、ここが大事なんですから、ひとつお答え願いたいのは、この三年間の再建期間を延長する、つまり、三年間今のようなことで給付費の補助をとにかく借りておった、それをなお六十年も継続するというようなことがあってはならないと思うのですが、その点はいかがですか。
  201. 小村武

    ○小村説明員 六十年以降の財政改革をどのように進めていくかということにつきまして、これから各方面の御意見をお聞きしながら検討に入るわけでございますが、今後の経済情勢あるいは財政状況どうなるか、そういった点を踏まえて検討されるべき問題かと存じております。今、具体的にどうこうするという確たることを申し上げる資料もございませんし、また、そういう検討も本格的に行っている状況でもございません。
  202. 湯山勇

    湯山委員 大蔵大臣お答えではないのですから……。法律は三年間と決まっておるのですね。そして、それ以後やるということはないのです、約束は。したがって主計官としては、現在の法律に従ってそれから向こうやることになっておりません、というお答えがいいんじゃないでしょうか。大蔵大臣なら、そこから向こうはまあ考えてみないといかぬけれども、というのもあり得る——あり得たら困るのですけれども、いかがでしょう。
  203. 小村武

    ○小村説明員 先生おっしゃるとおりでございまして、法律上は、特例期間経過後、本則に戻ることは当然でございます。そういう通り一遍のお答えではなしに、ちょっと踏み込んだお答えを申し上げましたのは、余り法律論議ばかりしておってもという考えで、前提を忘れました。
  204. 湯山勇

    湯山委員 それは結構なんです。やはり主計官ですから、それくらいの見識を持っていただくのはちっとも悪いことではないのです。これはやはり主計官、せっかくあれだけの公約です。しかも閣議決定ぐらいじゃなくて、法律によってしたものです。しかも、そのために特別委員会までつくったのですよね。したがって、これまた年数を延ばすとなれば、私学共済はここで延ばすのですか、また臨調特別委員会をつくってそこで延ばすことになるのか、手続はどうなるのでしょう。一々、どの共済の担当の委員会でまた延ばすというのをやらぬといかぬか、特別委員会をまたもう一遍つくってやるか、どうなるのでしょう。
  205. 小村武

    ○小村説明員 私どもは、五十九年度予算を先日通していただきましたのですが、五十九年度予算成立に現在まで全力を挙げておりまして、六十年度以降をどうするかということについて今、確たることを申し上げるような資料も、また検討もいたしておりません。
  206. 湯山勇

    湯山委員 お聞きしておるのは、仮に延長するというようになった場合にはどういう手続でするかというので、するしないの論議はまた後です。それはどこに聞いたらいいのですか。委員長に聞くのですか、どうなるんでしょう。
  207. 森喜朗

    森国務大臣 私がお答えをするのが適当かどうかわかりませんが、一応国務大臣の一人であると同時に、自民党の議員でありますから……。  私どもとしても、三年延長はないという前提で文教政策を守っていきたい、こう思っておることは大前提でございますが、もしそういうことになるということであれば、これはやはり国対サイドの問題だろう。したがって、前のときの経緯も踏まえつつ、そういうことを実施するということであれば、国会対策上、どういう委員会でどのような御協議、御論議をいただくか、これは各党とお話をしなければならぬ、こういう問題であろうと思いますので、これは小村主計官であれ小村大蔵大臣であれ、ちょっと今の段階では答えにくいと思いますので、かわって私からお答え申し上げます。
  208. 湯山勇

    湯山委員 よくわかりました。そういう難しい問題ですから、主計官、延ばさないようにしてくださいよ、いいですか。ひとつ頑張ってもらって、そういうことはすべきじゃない。ただ、払うのが延びるのはいいですよ。五年向こうで払うようになろうが十年向こうで払うようになろうが、それは別です。当面五十億、三年で割れば十七億ですか、その程度のものをこの掛金から召し上げていくというのはよくないです。だから、延ばさないようにひとつぜひ努力を願いたいと思います。  主計官は共済の方の御担当で、文教全体の御担当ではないのですか。
  209. 小村武

    ○小村説明員 私は社会保障担当でございまして、その関係上、私学共済につきましては他の社会保障の年金と同等に検討しろと命じられて、特にこの問題を担当しております。
  210. 湯山勇

    湯山委員 それでは、くれぐれも今の点、延長をしないようにお願いします。  せっかく文部大臣、御答弁いただいたのですから、文部大臣にお尋ねします。  同じように三年と区切られた中に四十人学級があります。もう来たなと思われたような顔をなさいましたけれども、これももうこれ以上の延長は許されないと私は思うのです。この間も予算委員会のときに申し上げましたけれども、改善増、定数増、それは一体のものであって、結局、今日教育改革が大きな課題になっているときにこれを延ばすというようなことは、政府の教育改革に対する熱意が疑われることにもなりますし、ただ口だけじゃないか、やるべきことをやってないじゃないかという批判がもろに返ってくると思います。殊に四十人学級、定数改善については、ある意味大臣としても十分大きな責任がおありになりますし、また議員としても責任のある文部大臣ですから、今、主計官にはもう延ばさないようにということを私は懇願いたしましたので、大臣には懇願じゃなくて、当然、四十人学級をまた据え置きする、足踏みさせるというようなことは絶対しないということをここで言い切っていただきたいと思います。
  211. 森喜朗

    森国務大臣 先般の予算委員会湯山先生の御質問もいただきまして、ちょっとおしかりもいただいたわけでございますが、その後、文教委員会また参議院の予算委員会でも再三繰り返しておりますし、特にこの問題につきましては、私は先ほどもちょっと触れましたように、十二年計画そのものをつくりました際の党の責任者でもございまして、全体計画は変更いたしておりませんし、最終年度も六十六年ということで定めております。したがいまして、この問題が三年間、関連法が延びるというようなことの前提は、今私も考えたくもございませんし、そういう中であえて予算委員会で総理や大蔵大臣の前で明らかに、この問題は全体計画は変えない、そしてあくまでもこの目標に向かってやり遂げていきたい、これが教育政策を預かる文部大臣としての当然の務めである、このように申し上げてまいりましたので、もう一度そういう方向であくまでも努力をしたい。ただ、概算要求をまとめます際、八月になりますか、その時点までどのようにしていくかというようなことについては、今、財政当局の方針も出ませんので、具体的なことを申し上げることは差し控えさせていただきたい、そのようにお答えをさせていただきます。
  212. 湯山勇

    湯山委員 私も、その内容をお聞きすることはかえってその問題を取り上げることになりますから、もう当然だというような顔で知らぬ顔しておって概算要求はぱっと出していただくように、これは差し出がましいようですが、ひとつお願いいたします。  なお、年金についてもう少しお尋ねいたします。これもただいま田中委員から御質問もございましたが、年金改革について五十九年二月二十四日の閣議決定があるということはもうおわかりのとおりですが、その中で、まず六十年中に共済についての改正案をまとめ、成立させて、六十一年から実施するということですね。そこで、もう恐らく共済年金関係の各省はそれぞれ何らかの形で協議をしておるやに承っておりますが、その点はどうなっておりますか。
  213. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま御指摘がございましたように、去る二月二十四日の閣議におきましてそのような方向が定められたわけでございますので、それから早速、共済関係を担当しております大蔵省、自治省、文部省、農林省といった関係四省、そのほか、いわば学識経験の方にも若干入っていただきまして、三月の末から検討のための会合を既に開催を始めております。
  214. 湯山勇

    湯山委員 どういう項目について検討しておられますか。
  215. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいま論議を開始したばかりの段階でございますので、この項目この項目等と決めておるわけではないようでございますけれども、考えられます主な事項といたしましては、基礎年金を導入する場合の給付体系の変更等、現行共済年金制度との関係の整理をどうするかという問題。それから、報酬比例年金の給付水準あるいは基礎給与のとり方、スライドの方法等をどうしていくかという問題。それから、公平性を確保するために制度内あるいは制度間の併給の問題をどう調整していくかという問題。遺族年金の支給率、支給対象範囲、支給開始年齢等をどうするか。さらには、現行共済年金は職域年金的な性格をも有しているということが言われておるわけでございますけれども、そういった職域年金部分というものをどう考えていくか、どう位置づけるか。その他にもあろうかと思いますけれども、そういったような点が論議の対象に、これからだんだん詰めていく対象になるもの、こういうふうに理解をしております。
  216. 湯山勇

    湯山委員 共通事項だけを審議していく中で、私学年金だけ、独自なものについてはさっき田中委員からも、既得権は損なわないようにというようなお話がありました。しかし、かなり基本的なところに触れる問題でほっておけない問題は、それらのならしをしておかないと共通で論議できないようになる問題の一つに、掛金負担の問題があると思うのです。おおよそ掛金負担の限度というのはどれぐらいと見ておりますか。
  217. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 掛金負担をどの程度と考えるかということは大変難しい御質問でございまして、申し上げるまでもないことでございますけれども、こういった各種の、その他にも社会保険がいろいろございます。こういった社会保険料の問題でございますとか、あるいは租税負担とのバランスとか、いろいろなことを検討いたしませんと、にわかにこれについてということが言いにくいわけでございますので、そういう点でひとつお許しをいただきたいと思うわけでございます。  ただ、これはもう先生の御承知のことと思いますけれども、昭和五十七年の七月に、共済年金制度基本問題研究会というのがございまして、これは大蔵大臣のいわば私的諮問機関ということで共済年金問題についての議論をいただいた機関でございますけれども、その意見におきましては負担の限界というようなことで、事業主負担と本人負担と両方合わせた率でございますけれども、標準報酬の二〇%から二五%ぐらいのところが限度ではなかろうかというようなことが示されているということは承知しておるわけでございます。  いずれにいたしましても、文部省として、この辺が限界であるということを言うだけの資料は、ただいま持ち合わせてないわけでざいます。
  218. 湯山勇

    湯山委員 おっしゃるとおりです。局長の御答弁のとおり、資料にはそうなっています。私ども、大体二百三十ぐらいじゃないかという検討もしておるのですが、その場合に私学年金については都道府県の補助がかむわけです。仮に千分の二百五十なら五十としても、千分の八の補助があれば千分の二百四十二というように、ほかは二百五十でも私学の場合は補助があれば二百四十二でいいという、そこの違いがあるわけですね。これについてどうするつもりですか。これはほかと関係なく文部省で考えなければならぬ問題ですし、もちろん地方でもそうですが、年金制度が変わったときになおかつ期待できますか。あるいは期待しても都道府県が応じてくれるかどうか、その辺の検討はどうなんでしょう。
  219. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 都道府県の補助につきましては、これは先生十分御承知のように、掛金については都道府県は補助をするということでございますので、一般の国庫補助等の公経済負担の問題とかなり性格を異にしていると私どもは思っておるわけでございます。そういう意味からいえば、公的年金の一元化等が進んできました場合にも、これについて一般の国庫補助と申しますか、公的負担の中に解消するという性格のものではないんではないかという気持ちを持っておるわけでございます。  いずれにいたしましても、例えば国庫補助については基礎年金の方に集中的に措置をするとか、いろいろな方向が厚生年金の関係では出てきておるというようなこともございますので、今後種々議論になることであろうとは思っておりますが、最初に申し上げましたように、私どもは、一般の公経済負担としての国庫補助とは性格が違うんだ、掛金に対する特別の援助措置なんだというような構えでこの問題については対応していきたい、こう思っておるわけでございます。
  220. 湯山勇

    湯山委員 局長、そうだから問題なんですよね。国の補助ではなくて各個人の掛金負担でしょう、法人それから本人の。それの限度が幾らかというのをお聞きしたわけです。そうすると千分の二百から二百五十、それに当たるのがこれですからね。国の補助はそれより別なところです。だから、それと直接関係があるからこれは問題があるということを申し上げておるのです。これは私は、だんだんお互い各省論議しておるときに、恐らく私学年金だけが都道府県の補助をもらっておるということについては、他から意見が出ると思うのです。  それは、例えば農林年金あたりも、農協にしても漁協にしても、県の仕事も随分やっています。国の仕事も随分やっている。しかし、ここに対しては今のような掛金の補助というのはないのです。だから、以前から農林年金も私学並みに都道府県の補助をもらうようにはならないかという議論は、しばしばあったわけです。そういう中で私学だけが、うちは既得権だからこれは都道府県から出してもらうんだということで安易にやっていけるかどうかという問題は、非常に重大な問題で、検討しなければならないと思うのですが、その点の認識はいかがでしょう。
  221. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先生からお話がございましたように、まさに私どももそのとおりだろうと思っているわけでございまして、この問題につきましてはいろいろな議論が、例えば交付税を担当しております自治省とか所管のところからは、いろいろな御意見が出てくるであろうということを覚悟しておるわけでございます。ただ、これの性格は、掛金に対する援助という特別の措置であって、従来の、国が補助をしているというような公経済負担の問題とは性格が違うというふうには私どもは思っておるわけでございますけれども、これについていかに対応していくかという問題は、さらにこの年金制度全体の総合調整の中から私どもも十分慎重に検討したいと存じております。
  222. 湯山勇

    湯山委員 これは最初に申し上げたように、私学年金を抑える。それについて、補助をしておる都道府県の人たちは、全部ではありませんけれども、本来正常に給付されるものという前提のもとにしておる。それがこんなことでされるということについては不満もあるわけです。今度改正になって共済がほとんどそろってくるということになれば、これは都道府県だって決して楽な財政じゃありません、したがって、お願いしても出してくれないというさっきのお話もあったとおりです。正直に言って、できるなら負担をやめたい方でしょう。そういう中でやっていくということになれば、これは各省の話し合いの中で問題になるし、対都道府県関係でも問題になる。非常に大事な問題ですから、早目にがたがたしないように対応しておかないと、各省との協議が進めば進むほど事は面倒になるということで、ひとつぜひ十分な対応をお願いいたしたいと思います。  それからもう一つの問題。これも大きい問題なんです。それは、今度の改正は、基礎年金導入を前提として改正が論議されて案をつくる。その場合に、現在加入しておる法人と加入してないのとがありますね。この加入してない五十幾つの、しかもこれはちゃんと大きな大学と聞いております、それらの措置をどうするのかです。このまま厚生年金に移る、それでほっておいていいのか。今度は新たな観点から今の基礎年金というようなものを導入して、それでもって新しい共済制度がスタートするというときに、我が国の代表的な私学がこれに入っていないということは決していいことじゃないと私は思うのです。これは入らなかった理由は、病院で看護婦さんが短期でやめるとか、いろいろあったようですけれども、今度はそうじゃないのですよ。やめようがやめまいが、基礎年金というのは生涯ついていくわけですから。そうしたら、そのときに拒否した理由も消えておるわけです、新たな法律の場合は。  それからもう一つは、ただ議決されなかったとかいうのもありましたね、大きいので。ただ、諮ったときに議決にならなかったというのは、それは以前の年金ではあるいはそういうことがあったかもしれませんけれども、新しいのがどういくかということ、新しい厚生年金、それから構想される私学共済というもの、将来それらが一本になるのだという前提で話し合えば、私は、この際入れておかないと、七十年になって年金統一が行われ、それまでの十年間の期間というのは大変難しい問題が起こると思うのです。これについてどう考えておられますか。見通しはどうなんでしょう。
  223. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘の適用除外校、五十九校というのがあるわけでございますが、当初、私学共済制度が発足した際に一度選択をさせ、そしてその後法改正の際に再度、昭和四十八年でございましたけれども、今回が最後の機会になるので判断をしてほしいということで、ただいま先生お話もございましたように、各大学あるいは私学の中におきましては、職員が投票するというようなことで否決されたケースもあり、入ってきたケースもあるというような状況にあるわけでございます。こういった経過から見まして、私ども、現行制度の中では、この問題はとにかく一応先般の四十八年のときに済んだんだというふうに解釈をしておるわけでございますが、御指摘がございましたように、今回新しく公的年金制度が一元化ということで全体の調整が図られてくるという時点では、あるいは次元が少し違った問題になってくるのではないかという感じも持っておるわけでございます。  ただ、これについて具体にどうするかということになりますと、一つには、全体の制度がどういうふうに調整が行われてくるかということとの関連もございますし、それからまた、既に三十年以上厚生年金に加入していたという実態からの御議論も出てこようかと思います。いろいろな御議論も出てこようかと思いますので、現段階でどの方向でということを申し上げるだけの文部省としても結論を得ておるわけではございませんけれども、先生の御指摘がございましたように、一つの大きな検討課題だということは十分意識をし、この問題については研究をしていきたいと思っておるわけでございます。
  224. 湯山勇

    湯山委員 四十八年と言えば十年前ですから、端的に言えば十年間ほっておいたということなんです。その間に経済情勢も変わっておりますし、それからそれぞれの年金、私学年金は非常に健全ですけれども、しかし、もっと大きい目で見ていけば、高齢化社会を控えて決して年金全体は安定してはおりません。そういう時期に、なおかつ今のような状態で大きいところが、勝手にやっておると言うわけじゃないですが、それはよくないことだと私は思うのです。特に私学については、生殺与奪の権を持っておるとまでは申しませんけれども、文部大臣、これは率直に言って、大臣の部下をそういうように言うのは悪いかもしれませんけれども、さっきの御答弁からいえば局長が言ってもだめだと思うのです、これから向こうの問題は。やはり大臣が直接それぞれに当たって、今のような事情を述べていただいて、そしてこの際だから私学共済へお入りなさい、入らなけば私学助成を削るなんて言わぬでも、こんなようなことはやらぬでもいいとしても、本当に力を入れてやっていただくべき問題だと私は思いますが、大臣、いかがでしょう。
  225. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども申し上げましたように、この問題に関しましては大変御精通なさっておられます湯山先生の御質問、きょうは阿部局長から、事務局としていろいろ答弁に四苦八苦するかもしれない、よく聞いておいてくださいという話もさっきありまして、私も大変教えられることがたくさんございました。大臣としてそれだけの力があるかどうかわかりませんが、文部大臣という立場で、いわゆる年金の統合というのは高齢化社会、それこそ二十一世紀へのための大きな施策の一つであるというふうに私も認識いたしておりますので、幾つかの問題点、先生から今御指摘いただきました点、私もメモをさせていただきました。特に先ほどお話がございました基礎年金の問題、あるいは大手の大学の非加入の問題、大変重大な問題だと思います。また、この年金直接ではございませんでしたけれども、私学の給与の最低はどうなっておるのか、実態は阿部局長から申し上げましたように、確かに宗教法人等いろいろな別での恩典もありますから一概に給与面だけでは申し上げられませんが、私学として問題点をたくさんきょうは御指摘をいただいたような感じがいたしました。先ほど田中先生のときですか申し上げましたように、私学全体を大事に考えておりますだけに、この種の問題も、いわゆる公的年金統合に際しましての文部大臣の問題点として関係方面に十分私からも説明もいたしたい、こういうふうに考える次第です。
  226. 湯山勇

    湯山委員 大臣から非常によくわかっていただいた御答弁をいただいたので、私も質問をしたかいがあったと思います。この法案についての質問は、恐らく歴史的に見ても、来年もう一回あるかもしれませんけれども、来年は改正案の方へ焦点が行きますから、ひょっとすると今のままの法律としては実の入った審議は今回だけしかできないと思います。それを受けての次への改革ですから、担当する局長以下の皆さんも、これは面倒くさい、邪魔になるというような感じじゃなくて、本気で取り組んでいただきたいということを申し上げたいと思うのです。  それから、しつこいようですけれども、大蔵省の主計官に来ていただいてお聞きいただいたのですが、大蔵省の主計官のお立場から、必ずしも社会保障関係だけじゃなくて、会議等もあって文教面にもいみいろ御意見を述べる機会があると思うのです。この三年を延長することのないようにしていただくのと同時に、これと四十人学級、定数改善は一体ですから、大臣のあの決意もお聞きいただいたように、そういう約束を破らないように主計官もぜひひとつ御努力を願いたいと思います。  中西委員から関連質問がありますので、私の質問はこれで終わります。どうもありがとうございました。
  227. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 中西績介君。
  228. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、私学問題について、先般から問題になっておった部分を確認する意味質問をさせていただきたいと思っています。  そこで、昨日、九産大の稲井理事長、平野理事、堀常任監事あるいは野田次長などを呼びまして、新聞報道によりますと、いろいろ申し渡しをいたしたようでありますけれども、何を求めたのか、この点、時間がございませんから項目別で結構ですのでお答えください。
  229. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 昨日、九産大の従来からの懸案について前進を図りたいということで、稲井理事長に来省を求めたわけでございます。その際、理事の平野昭一氏、監事の堀博氏、ほか事務職員が若干名随行してまいりました。  私どもといたしましては、話し合いを数時間にわたって行ったわけでございますけれども、その中で、主として従来から求めでおりました理事体制の刷新の問題について、その後どういうふうな対応になっているのかというあたりを詰めることが一つ、もう一点は、鶴岡前理事長に対します高額退職金の問題について事情を聴取する、いるいろ問題はあるわけでございますけれども、昨日は主としてその二点について説明を求め、あるいはそれに応じて指導等を行ったわけでございます。
  230. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、五項目の勧告をしておるわけでありますけれども、主としてその一項目目を中心に据えてやったということですね。
  231. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 これは、従来から申し上げておりますように、五項目の勧告の中で他の四項目については、ある程度前向きの回答をかねて大学当局から受けておるわけでございますけれども、私どもが最も重要だと考えております第一項目、すなわち理事体制の刷新等に関する部分については、今までの大学当局の対応が極めて不十分であると私どもは考えておるわけでございますので、まずはこれが一番の先決問題であるということで、その問題を中心に詰めるべく努力をしたわけでございます。
  232. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、鶴岡前理事長の支配がまだ依然として残っておるということになるわけですから、この点がまだまだ問題として残っておる。今例に挙げました高額の退職金の問題でありますけれども、三億六千五百万プラス対馬研修所の贈与、建設費二千九百万円については、一名の学長が反対しただけであと全員賛成だということになるわけですから、全体的にそういうものが依然として残っておるということが言えると思います。と同時に、この前も指摘をいたしましたように、公舎、公用車、あるいは鶴岡氏は校内に部屋を持っておるということ、さらに人権擁護対策の責任者にまでなっておるということですから、内容的には理事会が全くそうなっておらないということをまさに指摘することができると思うのですね。  そこで、きのう論議されたのではないかと思いますけれども、財政的にこの学校を食いつぶして出ていくのではないかということを私は一番恐れています。特に、昨年この委員会で論議いたしましたけれども、校納金の中で特別協力金なるものを一般に十万円、それから特別推薦入学は十五万円ということで、私が試算したところでは三億八千四百二十五万円という金額になる。入学をしてない人を含めますと、昨年は約五億円になるのですね。それを今度引き当てれば、鶴岡氏のこうした問題が全部大体片づくということになったような感じがするのですね。  本年度また授業料引き上げ、増額していますね。この特別協力金は教育環境の整備充実ということで取るということで、昨年大学局長と確認をしたところなんですね。環境整備は全然してない。逆に研究費だとかいろいろなものは、どんどん全部削り取っていっているでしょう。昨年末の年度末手当は、本人は三百六十万円もらっているけれども、教員は二十一日分ですよ。一カ月に満たない。  こういうぐあいにして全部削り取って、こういう金を自由にどこかで使っていくという体制、その体質が依然として直っていなくて本年授業料が増額されていますが、試算をすると総額は一年間で大体何ぼになりますか、わかりますか。
  233. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 手元に資料を持っておりませんので、後ほど計算をいたしたいと思います。
  234. 中西績介

    ○中西(績)委員 こうしたやり方すべてが依然として体質として残っておる。しかもその中で、今度稲井理事長が来てどういうように答えたか知りませんけれども、地元の読売新聞に出ている中身は、三億六千五百万円を決定した後に、内規は見たことがない、額は聞いて驚いたということを言ったということが出ているのですよ。ところが今度聞きますと、五十五年十月に内規は提出をした、こういうふうに言われています。これは、内規があるだろうかということを聞き合わせましたら、前中村理事長は、五十八年一月にやめたのですが、さらにその後五十八年三月から就任した大村学長、この方たちは理事であったし現在も理事であるけれども、策定したことはないし知らないと言っているのですよ。だのに文部省には内規が提出をされた。稲井さんの読売新聞における発言の中身、文部省にこうしたことをやったということ、こうなりますと、また同じようなことを繰り返しやっておるということがここには具体的に出てきたと私は思うのです。この点とういうように受けとめられておりますか、出されたものについて。
  235. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 いわゆる内規でございますけれども、そういうものを昭和五十五年につくってあるということでございまして、私どもといたしましては、その現物の提出を求めると同時に、それの制定の経緯と申しますか、どういうところでちゃんと決めたのかどうかというような問題でございますとか、五十五年に決めたものであれば、その後役員の異動が若干数あったはずであるから、その者たちについて具体に適用がどのようにされたかというようなあたりをいろいろ詰めて問いただしをしたわけてございますが、制定の経緯等につきましても全く明確な回答ができない、それからその後の適用につきましても、その後退官された役員についてそれを適用したケースは一件もない、今度の鶴岡氏について適用したのが初めでであるというようなことで、内規というものについては私どもは、信頼性等の面から極めて問題のあるものだというふうに判断をしておるわけでございます。  なお、三億幾らという金額の問題につきましては、そういう金額を内規からはじいたということで、大学側としては、それは内規によってはじいたものであり、前理事長に対する配慮としていわば当然の金額であるという主張をするわけでございますけれども、私どもとしては、社会的に見て問題があるというふうに感ずるということでもございます。  さらに、ちょうどぐあいのいいことに、という言葉は適当かどうかあれでございますけれども、堀という四月から任命された新しい監事が見えておりましたので、監事の職責について、私立学校法あるいは寄附行為等からいって、学内のそういった状況を監査し、理事について意見を言うと同時に、文部大臣に対して直接意見を言うという立場にあるわけでございますので、そういう職責を御本人に十分確認をした上で、学内の諸般の状況、あるいは先生の御指摘がございましたような、大学の経営の状況等から見て適切な退職金であったかどうかという判断を、近日のうちに監事として判断をして持ってきてほしいというところまで注文をいたしました。  いろいろな点から批判を高めつつあるというところでございます。
  236. 中西績介

    ○中西(績)委員 こういうあれを見ますと、先ほど申し上げました五十八年の一月まで、今局長が言われましたように、中村前理事長に対しては一銭も支払いをされてないわけですね。ところが地方の新聞には、九州高校だとか英数学館だとか別の学校法人をやったんだとか、千坪の、英数学館の寮の土地として十年前に購入したものをやっているとか、こんなむちゃくちゃなことで地域ではごまかしをしておるというのが今の実態のようであります。  そこで、この点は十分追及をしていただきたいと思いますし、特に九産大の財政状況がどうなっておるかということについては恐らく今度堀監事が持ってくると思いますから、そこいらとあわせて後日には聞きたいと思いますけれども、今出ておる中身というのは五十七年度ですか、二年前ですから五十六年度になりますか、どちらかになると思いますが、どうなっているかわかりますか。
  237. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 五十七年度末のところまでしか私どもも把握をしておらないわけでございますけれども、この当時は、先生御案内のように、補助金の打ち切り等の問題にじかに響いておらないというようなこともございますので、総資産に対する総負債の割合が三一%というようなことで、一般大学法人の平均的なところから見て特に問題があるという状況ではないということでございます。あるいはまた、帰属収入の中で人件費がどれだけかかっているかというようなことにつきましても、五十七年度では五〇・九%ということで、これも全大学の平均状態に比べますと決して悪いという状況ではないというのが五十七年度までの状況でございます。  しかしながら、その後の状況がどうなっているかということは、私どももまだ把握をしていないわけでございますけれども、昨日はそういう最高責任者との基本的な話し合いでもございましたので、あと細かい財政等の問題につきましては別途事務的にもう少し詰めていきたい、こう思っておるわけでございます。
  238. 中西績介

    ○中西(績)委員 理事会の状況でもう一つ確認をしておきたいと思います。  昨日参りました平野理事の発言ですけれども、これは読売に出ておったというのですが、教学側にイデオロギー急進者がおり、私はとどまらなくてはならぬと思う。そしてなお、これはきょう言ったのではないかと思いますけれども、人員整理をしなければならぬ、それまでやめられぬということまでつけ加えて発言をしています。といいますと、今言う新聞で報道された、教学側の皆さんの今一生懸命正常化を目指しておる人たちの首を切らなければ私はやめることはできないということを暗にほのめかしておるということが言えるわけですね。そして特に稲井発言が、これまた地方の新聞に出ておりますけれども、成績改ざん問題などもあり提訴されているので、片づくまでは平野氏をやめさせるわけにはいかぬということまで言っておるようであります。悪いことをしておる者をこうして残さなければならぬということを平気で新聞記者などに言っておる。と同時に、今度は、きょう体育館へ職員をみんな集めまして鶴岡氏が、みんな動揺するなということで激励しているのですよ。こういうぐあいに、依然として今の問題になっておる部分の理事の刷新に対する考え方というのは、今大変慌てておるのか何か知りませんけれども、こうした逆の面が次々と出てきておるということを私たちは知っておかなくちゃならぬと思うのですね。  ちょうど国士館と同じような形でもって、そう注意をしたところが今度は何人か首を切っていく、それがまた混乱のもとになって、入学が延ばさりたりいろいろなことになって、その被害を受けるのはだれかというと学生であります。それから、地域社会においてこの学校の地位をどんどん下落させていくということにつながりかねぬわけです。一万数千名おる大学でありますから、この点を何としても——この次は四月二十七日ですか、回答を求めるということになっておるようでありますけれども、こうした言動などが次々に報道されればされるほど学校の威信というものが落ちていくわけですから、こうした点につきましても事前にでももう少し注意をしておく必要があるのではないか、こう思いますので、この点についてどうでしょう。
  239. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 御指摘のような、私どもは初めて伺ったこともございますけれども、いろいろなことがあるわけでございまして、そのゆえにこそ理事体制の刷新というのは何よりも重要だということで、今回は期限つきでその回答を迫ったわけでございまして、理事長はもちろん、大変厳しい御指導をいただいたということで、それは厳しく受けとめる、十分検討して回答するということで持ち帰っております。私どもとしては、先方の回答が近く来ると思いますけれども、それを見て、また足らざる点があればさらに厳しく指導を重ねていくということで、一日も早く事態が改善するように最大限の努力を粘り強く続けたい、かように考えております。
  240. 中西績介

    ○中西(績)委員 大臣、このようにして確かに強い指導を行った、しかしその結果は、内容的にまた同じようなうそを文部省に来て平気で、現理事長まで含んで言っておる。しかも、底が抜けて、外ではそれを否定するようなことを平気で言っておるというような状況等もありますし、さらに、こうした体制を固めようとして必死になり始めておりますときだけに、文部省としての、今回長が言われました不退転の決意、こうしたものを十分受けて、大臣の所感を最後にお聞かせいただきたいと思うのです。
  241. 森喜朗

    森国務大臣 中西先生からきょう御指摘をいただきましたことを踏まえまして、局長も、なお一層粘り強く改善を求めていく、こういうふうに申し上げております。私も、この国会が始まりましてから予算委員会、文教委員会を通じまして、世間では通用しないこと、私学全体に及ぼす影響が大きい、そういう立場で私もこの問題に対しては毅然とした態度をとりたい、とっていきたい、こう述べておるわけでございます。また、私の意を受けまして事務当局も粘り強く、なお一層強く改善の命令をいたしておるわけでございます。しかし、御承知のように、改善命令というものと現実の問題と、私学助成を切っている文部省大学との関係、これは国士館の際にも先生の御質問において委員会でも申し上げたとおりでございます。しかし、少なくとも私学は、こういう状況を続けて私学の自主性——文部省のそうした態度を逆に、盾にこうした態度を続けていくということであるならば重大な決意もせざるを得ない、こうも私は申し上げているわけでございますので、この姿勢は今後とも続けてまいりたい、こういうふうにもう一度先生にも申し上げておきたい、こう思います。
  242. 中西績介

    ○中西(績)委員 この前私、国士館のときに申し上げましたように、一ひねり二ひねりあるところですから、甘い判断はぜひなさらぬようにしていただいて、厳正に対処していただくことを申し添えて、終わります。
  243. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 次回は、来る二十日午前十時理事会、午前十時十五分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時三十二分散会