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1984-04-13 第101回国会 衆議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月十三日(金曜日)     午前十時三十一分開議 出席委員  委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有島 重武君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    稻葉  修君       榎本 和平君    北川 正恭君       河野 洋平君    二階 俊博君       葉梨 信行君    町村 信孝君       渡辺 栄一君    木島喜兵衛君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    池田 克也君       伏屋 修治君    滝沢 幸助君       藤木 洋子君    山原健二郎君       江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 森  喜朗君  出席政府委員         文部政務次官  中村  靖君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房審         議官      齋藤 尚夫君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省体育局長 古村 澄一君         文部省管理局長 阿部 充夫君         文化庁次長   加戸 守行君  委員外出席者         国税庁直税部所         得税課長    岡本 吉司君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 四月十三日  日本育英会法案内閣提出第二五号)  日本体育学校健康センター法案内閣提出第  二九号) 同月十二日  高校新増設費国庫補助増額等に関する請願(池  田克也紹介)(第二六〇七号)  同(菅直人紹介)(第二六〇八号)  同(鈴切康雄紹介)(第二六〇九号)  同(高沢寅男紹介)(第二六一〇号)  同(竹入義勝君紹介)(第二六一一号)  福島大学学部増設に関する請願天野光晴君紹  介)(第二六九五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。池田克也君。
  3. 池田克也

    池田(克)委員 教育改革が非常に大きな政治的なテーマになって随分時間が経過するわけでありますが、きょうは、教育について親の立場からどう考えたらいいか、私も常日ごろ、子供の親として子供学校に行かせておりますが、なかなか思うように先生方ともあるいは学校現場とも行き来ができない、いわゆるもどかしい思いをしているわけであります。多くの日本の親御さんも、教育を心配する、しかしながら忙しさに紛れてなかなか教育について物が言えない、難しい状況であろうと私は思うのであります。  一番最初に、大臣の今置かれているお立場として、親は教育にどのようにかかわっていくべきか、大変大きな問題であろうと思いますが、所見をお伺いしたいと思います。
  4. 森喜朗

    森国務大臣 正直申し上げて、非常に難しいお問いかけだと思います。  私自身も、まだ子供中学校に通っておりますので、父親として自分子供をどのように教育という面で話をしたらいいのかということ、非常に迷いますから、どちらかといえば母親任せになってしまいます。  池田さんもそうだと思いますが、何も政治家だけじゃなくて、今の社会ではどうしても、社会で勤めている男性の場合、お父さんの場合は、断片的に子供に話しかけたり、教育の問題を何となく御機嫌をうかがうように話してみても、かえって子供から拒否されるような感じもする、ついついそういうことから、むしろ教育の問題は話さない方がいいなと思って遠くから見ているような感じになります。子供は、学校教育でありますから、学校先生子供との間にまず主体性を置くことが一番大切だと思います。その中で疑問点やあるいはまたいろいろな壁にぶつかった場合に、親として、親の立場相談に乗ってあけるということが、親の一番当たりさわりのない関与の仕方ではないかなというふうに私は思います。  どうも最近のこの学歴社会を初めといたしまして、教育荒廃あるいはまた暴力、問題児行動等、いろいろな要因が挙げられておりますし、先般のこの委員会でも多くの皆さんからこの問題で御議論をいたしたわけですが、その幾つかの議論の中に、やはり多く原因があります家庭の問題というのをかなり一つ要因として挙げざるを得ない。だからといって親が介在するな、口を入れるなということであってはいけないし、そこのところの程度というのは非常に難しいところだ、こう思っております。そういう意味では、先ほど申し上げたように、やはり学校教育の一番大事な場所でございますから、親としては子供へのある程度の問いかけ、あるいは相談によって、そばからある意味では厳しく、ある意味ではやわらかく見守ってあげていく、誤った方向に行かないようにしてあげるということが基本的な姿勢ではないかなというふうに思いますが、池田さんからむしろ教えていただきたいなと思うのが率直な気持ちでございます。
  5. 池田克也

    池田(克)委員 これは、教育と親というのは非常に古い問題であろうと思うのです。しかし、国民的合意がなければ、というよりは、国民的合意背景にして教育を大きく変えたい、今のままではいけないというのが、今非常に大きな関心を持っている教育改革の大ざっぱな感覚だろうと私は思う。その国民的な合意というものは、やはり親が必ず、当然のこととして関与してくるわけです。  各政党も、選挙の際に教育改革を公約に掲げました。また世論調査におきましても、多くの人々が教育改革に強い関心を示しているということがデータとして出ています。私は、やはり子供の親として、多くの国民教育がどうなっていくのだろうかという心配をすると同時に、自分が過ぎてきた、自分が経てきたかつての教育の場というものを今の場と照らし合わせてみて、いい悪いというふうに判断をする、これはもう仕方がないことだと思うのです。先般も私、予算委員会で、御出席大臣教育についての感想を求めましたけれども、それぞれの青春時代を振り返って感想をお持ちでございました。やはり私は、そういう意味では、今教育が置かれているという状況を親に正しく知らせる、これは非常に大事なことだと思っておりますし、教師あるいは教育専門家、こういう方々が教育議論して、言うならば一つの結論を導き出し、それを具体的に行政に反映していこう、臨時教育審議会等が今法律として出てくるところでございますが、私率直に申しまして、親の立場というのはなかなかそれを形としてまとめることは難しかろうと思いますが、一つの例として、文教懇というものがございました。  文化と教育に関する懇談会でしたか、総理も、その提言一つのたたき台として次へ進もうというふうなお話をしておられたように思うのでありますが、あのメンバーを拝見しても、親の代表というのは一体だれなんだろうか。みんなそれぞれ子の親ですが、それぞれの立場から選ばれてあそこで発言をしていらっしゃる。みんな親である、と同時に、みんなある一つ立場を持って発言をする、本当にフラットな親というものがそこに出てこない、これは非常に難しい状況に置かれているんじゃないかと私は思うのですね。  そこで、親の意見というものを私は臨時教育審議会にもどうしても反映させてほしいと、我が党の提言にも強くこれを訴えているわけでありますが、今文部省として、親の代表というのをどういう形で選考してこられるのか。今まだメンバーの選定にはほど遠いというふうにお考えかもしれません。しかし、私はやはり、法律としてメンバーを二十五人というふうに伝えられておりますが、一つの選考を前提とした法律がやがて出てくるわけでございますので、いろんなことを想像がつくのですが、親の代表をどういう形で選んでくるのだろうかな、これについて何らかのデッサンがおありだろうと思っておりますので、この際お聞かせいただければ話が一歩進むのじゃないかと思うのですが、お願いをしたいと思います。
  6. 森喜朗

    森国務大臣 今池田さんのお話一つ一つ大変よく理解もできますし、大事な問題だと思っておりますが、臨時教育審議会におきます人選につきましては、今国会で法案を提出したばかりでございまして、これから御議論をいただきまして設置法をお通しいただくことによって、言葉の表現がよくありませんけれども、土俵といいますか入れ物ができ上がりまして、そして初めて目的所掌事務を決定させていただくわけでございますので、それによりまして総理の方の諮問等も御相談をしていかなければなりません。したがって、人選につきましては、再三申し上げておりますが、できるだけ幅広い、いろんな角度からの方をお願いしたいと考えているところでございますが、現段階でどのような方をということについては、大変申しわけございませんけれども、今ここで即答しかねる問題でございます。  ただ、池田さんからいろいろお話がございましたように、親の立場というものができるだけそうした中に入れるように、先ほどもおっしゃいましたように、それぞれの立場から出られた方もそれぞれ皆人の親でありますから、親と言えば親ということになるわけでありましょうが、やはり教育を受けさしていくというその親の具体的な立場というものが、意見がどのように入っていくだろうか、これは大変大事なところだろうと思います。それから、先ほども申し上げたように、私は、池田さんのような年齢教育を受けた時代と今親になっている時代とは全く違っていると思いますから、そういうやはり年代を経た親という立場考えていかなければならぬ、そういうことも人選をしていく根拠一つになるのではないか。今池田さんからお話を承りながら、そういう我々の時代子供学校へ出していた親と、そして今我々が親になってみて、今の教育の中での親という立場、あるいは特に私たちがちょうど小学校のときに終戦になったわけでありますから、その当時の親というものは、どういう教育というものの背景社会変化というものに対して感じを持ったか。そういう時代の親もやはり私は必要じゃないかなというふうに感じますので、親の立場というものは非常に大事でございますから、できるだけそういう角度で、教育変遷とにらみ合わせたそういう角度で親の代表というのに入ってもらうというのも一つ考え方でないかなということを、今感想として先生お話から感じた次第です。
  7. 池田克也

    池田(克)委員 今の御答弁の中で、親の代表に入ってもらうのも一つ考え方だ、こうおっしゃっておられますけれども、親が入らない臨教審というのもあるのでしょうか。
  8. 森喜朗

    森国務大臣 ですから、先ほど申し上げたように、どんな分野からお入りになってもやはり親は親なんで、かつて子供教育させた経験があるわけですね。池田さんがおっしゃるように、今、学問を受けさしているその子供たちの親という意味もあるのかもしれませんが、私どものような年齢の世代の人を選べば当然そういうことにもなっていくわけでありますから、親の代表という立場で選ぶのかどうかということについてはまだここでどうこう申し上げるわけにいきませんが、今後そういうことを検討していく上に、今先生からいろいろお話しになりましたことは大変参考になります、こういうふうに申し上げておるわけです。
  9. 池田克也

    池田(克)委員 私、この問題を取り上げるに当たって、いろいろ調べたり考えたりしました。  重ねてお願いと申しましょうか、提言を申し上げるようでありますが、他の専門家また親でありますが、むしろもうこの人は親という立場でしか選べないような、そういう状況でぜひ親という立場をいろんな意味で使用していただきたい。つまり、戦後の教育いろいろ変遷の中で、教育権という言葉がまだ十分に私たちにも使いこなせるというか、こなせていないと思いますけれども教育を受けさせる一つの権限と申しましょうか、義務と申しましょうか、戦前は国家であった、そして国家国家一つ目的に沿った青少年教育をした。それにいろいろと反省も加えられて、戦後、教育基本法ができて、そこに親の教育権ということがきちっと定められた。私はそういう意味で、先生方親心委託を受けて教育をする、あるいはまた学校も親の信託というものの上に立って教育をしているんだ、このように理解をしておりますけれども、この辺の理解について、現実に誤りがあれば話が進みませんので、大臣の御答弁をいただきたいと思うのです。
  10. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどからたびたび申し上げているようでございますが、今の先生のいろいろなお話を十分に参考にさせていただいて、人選あるいはまた今後の審議方向などについて十分にそのことを踏まえていきたい、こう思っております。
  11. 池田克也

    池田(克)委員 今の大臣の御答弁にちょっと漏れがあったように思います。教育権、つまり教育をする権利というのは、いわゆる昔は政府、国が持っておった。戦後の新しい制度の上では、親がそれを持つようになった。親の委託を受けて教師子供たちに物を教える、学校は親の委託信託のもとに子供たち教育する、こういう考え方、正しいのだろうと私は思っておりますのですが、これでいいんでしょうか。局長、いかがですか。
  12. 高石邦男

    高石政府委員 本来、教育出発は親にあるという考え方がございます。私自身も、出発点はそこにあると思うのです。  そこで、国家近代化を図っていくために、親の持っている知識、能力、教育の力だけでは教育ができないということで、近代国家においては学校という形態をつくっていったわけでございます。したがいまして、そういう過程からいいまして、ただ公教育教育できる限界というのがありますので、どうしても、しっけ教育であるとか人間としての教育は、本来は家庭責任を持つべき分野であろうと思います。そういう意味で、教育を諭ずる際に、学校教育についての親の意見とそれから家庭が持つべき教育責任という両方の行為がうまく調和していかないと、青少年健全育成は達成できない、こういうふうに思うわけでございます。そういう意味から、親たちのといいますか国民意見というものが、いろいろな教育政策とかそういうものに反映されていくということは必要なことではないかと思うのです。
  13. 池田克也

    池田(克)委員 このところはいろいろな学説もあるようですし、非常に議論もあるところだと思うのです。  私は、ここでしち面倒くさい学説や理屈をこねるつもりは毛頭ないのですけれども、次第次第に親と教育というものが離れていくような感じを実は持つのです。その原因一つは、親が忙しいということもあると思うのです。ですから、例えばPTAなどにも忙しいから必要最小限、どうしても行かなければならない進学の指導があるときとか、一人一人の面接で子供の進路についてどうしても親が行かなければならない、これは行きますけれども、それ以外のときには、忙しさにかまけてとよく言っておりますけれども、なかなか学校へ足を運ばない。行く人は一生懸命に行っているようですが、押しなべて、すべての父母学校に頻繁に通って連携が密であるというふうには私には思えない。  そういう意味で、日本教育現場において親が教育に関与する場として、PTAというものは非常に大きな役割を果たしてきた。率直に言って、PTAというものが、戦後いろいろアメリカから持ち込まれた制度の中で、一番国民の中に定着した組織だろうと私は思っているわけなんですが、このPTAというものが最近ある意味でマンネリ化したと申しましょうか、要らない、つまり新しくできた学校などにはPTAが結成されないで今日まで経過しているというような実例があるのだそうであります。  文部省として、このPTAの実態について掌握をしておられると思いますけれども、今日PTAを結成しないまま教育が進行している学校というのは幾つぐらいあるのか。データがあればお示しをいただきたいと思います。
  14. 宮野禮一

    宮野政府委員 日本PTA全国協議会というPTA全国の連合体の団体がございまして、そちらの方で昨年の十月にPTA基本調査というものをやっていただいております。  それによりますと、PTAの未組織校というものは、小学校が二百十三校、それから中学校が八十八校、合計で三百一校ございます。全体の〇・九%の学校PTAが存在していない学校ということになっています。  そこでお尋ねですが、未組織理由というのもその調査で調べておるようであります。それによりますと、新設校、できたばかりの学校であるためにまだ組織ができていないという学校が、その三百校ぐらいの中で九十四校だそうでございます。それから、詳しい実情はわかりませんが、地域の実情により組織するのが困難であるということで組織されていない来組織校が七十校。それから、そのほか、現在必要性を特に感じていないというような調査になっているわけでございます。
  15. 池田克也

    池田(克)委員 かれこれ一%でありますが、PTA組織されていない。今の答弁によりますと、新しいからないのだということでありますが、この調査の中には、特段の必要性もないというふうな答えも出てきているわけでございます。  こういうようにPTAを持たない学校というものについて、文部省はどういう立場に立って、それはそれで仕方がないということになっているのか、その辺はいかがでしょうか。
  16. 宮野禮一

    宮野政府委員 ただいま申し上げました三百一校の未組織校の大部分は、当分そういう組織をするという計画がないそうでありますが、三百一校のうち、現在準備中であるという学校が六十三枚ございます。これは、主に新設校であるからだろうと思うわけでございますが、そういう学校は近近できるということになります。  いずれにしましても、全体としまして〇・九%というごく少ない学校が未組織校でございますが、PTAそのものは官がつくるものではございませんで、それぞれの学校とその学校の親とが共同してつくり、そして運営して子供教育のために当たるという、言葉として言いますれば自主的な団体であるわけでございますから、文部省がその組織につきまして強制するというような性格のものでもございませんし、また現実にそういう強制的な手段を持っているわけでもございません。PTA学校教育の進展に寄与することは非常に意義は大きいと思いますので、私どもとしましては、教育委員会等を通じまして、できるだけ組織するようにという指導はいたしたいと思っております。
  17. 池田克也

    池田(克)委員 私が、そのできない理由だとか、ない学校とかというのをなぜ取り上げたかといいますと、PTAについての必要性と申しましょうか、もう一つ突っ込んで言うならば活動停滞と申しましょうか、これはある報道一つの手がかりとして私、この問題について関心を深めたわけなんです。  PTA活動停滞している、いや活発にやっていますよといういろいろな御意見があると思います。しかし、私も短い時間でしたが、何人かの専門家の方や父母の方や学校関係者に当たってみましたが、確かに一時ほどの熱気というものはない。PTAというものが今日一つ曲がり角に来ている、こういう感想を漏らされる方があるわけなんです。詳しいデータをもとにして私、申し上げているわけではありませんけれども文部省として、PTAあり方について曲がり角に来ている、こう立場上おっしゃられるかどうかわかりませんが、ある意味考え直す、見直す一つ段階に来ている、このように考えておられるのじゃないかと私は思うのです。その辺についての御答弁をいただきたいと思います。
  18. 宮野禮一

    宮野政府委員 PTAあり方につきましては、昭和四十二年の六月に社会教育審議会報告といたしまして「父母先生の会のあり方について」という基本的な報告が出ておりまして、これはそう長文のものではございませんが、それまで約二十年間の戦後のPTA活動を踏まえて、その反省の上に立って今後のPTAあり方についてまとめた総括的な報告でございまして、PTAに関する考え方としましては、私は現在でもこの報告でよろしいと思っておるわけでございます。したがいまして、その後この報告に従って、文部省としましては、PTAについての指導はこの考え方にのっとって行っているわけであります。  現実PTAというのはそれぞれの学校単位組織されるわけでございますから、直接には市町村の教育委員会に置かれた市町村立小学校中学校単位PTAという団体ができておりまして、それは文部省とは直接関係がないわけであります。PTA活動について全国的な連携を保つために、単位PTAと言っておりますが、これらの単位PTAを連合させていった団体が、総体的に全国団体として日本PTA全国協議会というのをつくっております。この日本PTA全国協議会を通しまして、私どもとしましてはPTA活動活性化について指導していきたいと考えておりまして、全国団体としておやりになっております諸活動につきまして、指導ないし補助金を出すなどいろいろ助成措置を講じているところであります。  現在、曲がり角に来ているのではないか、あるいはPTA活動が多少マンネリ化しているのではないかというのは、これらの単位PTAが数から言いますと非常にたくさんあるものでございますから、そういう単位PTAがあることももちろん否めないと思いますが、同時に、一方で非常によくやっておられる単位PTAもあると思いますので、私どもとして、総括的に今そういう時期になっているのではないかと申し上げることも、ちょっとそれだけの根拠もないわけであります。  ただ、最近のように非行問題というのが非常にクローズアップされておりまして、昨年ごろから特に初市局を中心にして全力を挙げて青少年非行防止健全育成に取り組んでいるわけでありますが、そういう一環の中でPTAも何かやってもらいたいということを私どもとしてはお願いしております。そういう形で全国PTA協議会も取り組んでいるところでありまして、こういう問題を通じまして、PTA活性化というのは図られているのではないかと考えているわけであります。
  19. 池田克也

    池田(克)委員 今の答弁では、大して問題はないとお考えのように私は承ったわけであります。  実は私は報道によって知ったわけでありますが、PTA全国協議会社団法人化動きがある。しかも、これが本年の一月に決定されて、目下その法人化準備を進めている、こういう報道を見まして、私、ちょっと驚いたわけでございます。というのは、何か新しい動きなのか、確かに停滞とか曲がり色とかいう声は聞いておりましたが、それに一つ新しい動きとして、活性化の息吹を吹き込むというのでしょうか、文部省としてこれに助言を与えたのか、一つのゴーサインを出したのか。私は、教育現場における親と子供たち関係を支える最大の団体であろうと思いますが、教育界におけるこの大きな変化というものが余り伝えられなかった。この委員会でもこれからの議論だろうと思いますが、やはり詳細に出していただいて、みんなでこの問題は考えるべきじゃないか、こう思っておりますので、この社団法人化について、その経過を御承知である範囲においてお知らせをいただきたいと思います。
  20. 宮野禮一

    宮野政府委員 日本PTA全国協議会、長いので普通日Pと略称しておりますが、日P社団法人化したいと考えているということは、私ども伺っております。社団法人化したいということで希望をお持ちになって、日Pの内部でいろいろ協議しているということは事実のようでございます。  ただ、今私どもの方に正式な形で、ぜひしたいからというようなごあいさつが来ている段階ではまだございません。この問題は日P自体の自主的な動きでございまして、文部省の方で直接、社団法人化してはどうかということ自体は指導したわけではございません。したがいまして、正式に社団法人化したいというお話が出てきたときに、どういう考え方で、どういう構想で社団法人化したいというようなことは承ることになると思います。現在の段階では、したがいまして、直接私ども日Pのお考えについて承っているとは言えない状況であります。  ただ、私も社会教育局長になりましてから、昨年、非常に非行問題についてうるさくなってきた時期もありましたので、昨年でございますが、文部省日Pとの間で懇談会を持ちまして、いろいろ非行問題について文部省の方の持っておる情報を提供するとともに、PTAとしても何か活動してほしいということを要望したことがございます。そういうときに、もちろん社団法人化の話はその席上では全く出ておりませんけれども、いろいろ日Pとしても考えたいということで、指導資料を出すなり何なりをさしていただいております。あるいはそういうところから社団法人化動きも出ているかもしれませんが、それは私の推測でございますので、その推測の段階にとどまるということを申し上げさせていただきます。
  21. 池田克也

    池田(克)委員 これは、もし社団法人として認可申請が出てくるとすれば認可されることになるのでしょうか。
  22. 宮野禮一

    宮野政府委員 社団法人化するのにはそれなりの条件がありまして、認可申請の内容を審査した上で、省内で、これは事務的な集まりでございますが審査会等もつくっておりますし、そういう審査会にかけて、この団体が公益性を持ち、かつ公益法人としても永続性があるという審査のポイントがありますので、それらを審査した上で認可するかしないかを決めるわけでございます。  日Pの場合には、お話は伺っておりませんけれども日Pとして全国的な団体であり、かつ全国的にも今まで活動をしておりますし、今後、公益法人になった上でさらにその活動を盛んにさせたいというお話であろうと思いますので、そういう観点から、もしいい審査内容のものを、計画をつくっていただければというふうに私どもは願っているわけでありますが、現在の段階ではお話そのものを伺っておりませんので、結果についてはちょっと申し上げるわけにいかないわけであります。
  23. 池田克也

    池田(克)委員 今話が出たとして聞いていただきたいのですよ。  要するに、話が出たら考えるじゃなくて、PTAというのは最も大きな親と子の組織だと私は思うのです。それはもう日常の教育活動に一番大きな影響を持っている。先ほど初中局長答弁にもありましたけれども、親と教育というものは切り離せない、非常に大きな意味を持っている。しかも、その最も大きな団体、これが一私は、その法人化がいい悪いということを、ここで私自身として答えを今持っているわけではございません。しかし、局長報道をごらんになったと思いますけれども、明らかに報道では法人化のための準備がなされている。しかも、その会長が新聞に語っているのですから、正しいかどうか、これは間違ったことは伝えてないと思いますけれども、「文部省から経理上の監査を受けるかもしれませんが、内容にわたることはないと思いますよ。それよりも、組織を強化し、海外交流など独自の事業を進めていくためにも法人化は必要なのです。」こういうふうに法人化必要性を述べている。新聞にこのように公表するくらいですから、当然、内々に文部省に対してどうなのかという話はあったろうと私は思うのですが、いまだに何も言ってない、知らぬというのは、それじゃ通らないのじゃないかな。私は、決して隠す筋の問題じゃないと思うのですね。そこにおかしなことがあるとかというのじゃない。しかも話を聞いていると、十年ぐらい前からこの法人化の話はあったように私は聞いているのです。もうちょっと明らかにした上で議論をしていった方がいいのじゃないかと思っておりますので、もうちょっと突っ込んでその辺を答弁していただきたい。
  24. 宮野禮一

    宮野政府委員 正式の認可申請はないことはもとよりでありますが、現在の段階では、具体的な計画はお聞きしてないわけであります。日Pの方で、社団法人化のためにどういう書類を準備したらよいかとかあるいはどういう事業をやったらよいだろうかということは、いろいろ御研究されているのだろうと思いますので、それはどういうことをおやりになるのかということは想像すればできないことはないわけですが、いずれにせよ、現在の活動をさらに活発化して、その新聞記事にもありますように、岩橋会長も言っておられますように、組織を強固なものにして、活動も活発にして公益性を高めるという内容であれば、私どもは、それは非常に望ましいことであると思っているわけでございます。
  25. 池田克也

    池田(克)委員 ということは、申請されれば認めていこうという方向のように私は受けとめるのですが、さて、これが法人化されると「歴史的改革」だというふうに新聞は報じているのです。「民法上、文部省との関係も、業務の監督を受け、必要に応じて行政命令を受ける立場に変わるからだ。」こういうふうに伝えられますと、従来任意団体として、さっきあったように、組織してもしなくても文部省としてはとやかく言う立場にない。我々も、そうか、親が自分たち子供学校に出して、それをどのようにするか、本当に善意を持って見守る集団、もちろん無報酬、本当に教育関心を持つ人たちの集まりがPTA。その全国組織文部省の社団法人として指導監督を受ける立場になってくるとなると、これはちょっとやそっとでは、はい、そうですかとは言えない。かなり大きな教育の道のつけかえではないかというふうに思って、私は心配をしてお伺いをしているわけです。  大臣、いかがでしょう。大臣はこの話は全然御存じないのでしょうか。
  26. 森喜朗

    森国務大臣 私も、大臣になりましてからいろいろやることもたくさんございまして、ここまで詳細に各局のことを精査しているわけじゃございませんが、話としては耳にいたすことはございました。  それから、今池田さんが持っておられる東京新聞も、この間ちょっと読んでみました。PTA活動というのは年とともにいろいろ変わってくるでしょうし、それから地域社会の特色とも非常に関連がございますし、それから、先ほどお話がございましたように、新しく町を開いたようなところに新設の学校がありますと、まだ地域社会との連帯あるいはそれぞれ人間の生活環境そのものが連帯意識がないときでありますから、そういう意味で、すべてが同じような画一的なPTAにはならないだろうと思います。  ただ、昔、音といいますか、ちょうど日教組が結成されましたそのころから全国PTAが続々誕生した、こう書いてありますが、そのころから見れば、戦後のいろいろな経済情勢の中で、PTA学校の物質的な面でも大変大きな役割を果たしてきたと思うのですね。最近では逆に、経済情勢もある程度よくなってくる、また学校現場につきましては、見方によってはいろいろ批判もございますけれども、ある程度行き届いた教育環境が整いつつあるということになると、ある意味では、お金を出すと口まで出したくなるとか、あるいは先生の授業のことなどあるいは学校の運営等にまで口出しをするから要らないというような声も出てくる、そういう面もあるのだろうと思いますが、一概に、PTAはこういうふうな形ではいけないんだ、あるいは今後こういうふうにあるべきだというようなことはなかなか決めかねるものだろう、こう思いますが、そういう変遷、歴史の中で、いずれにいたしましても学校家庭とをつなぐ大変大事な役割をPTAは担ってきておると思うのです。そういう意味で、日本の特に小中学校、義務教育が、ある意味では質的にも量的にも非常に充実をしてきている。これはしばしば私も申し上げておりますが、むしろアメリカを初め先進諸外国でも、日本学校教育制度について大きな関心を持って、参考にしたいと現実に言ってきているところもあるわけでございます。そういうふうに発展をしてきたということあるいは充実してきたのは、PTAの役割が大変大きかったと私、思っております。まさに、戦後民主主義教育の中でその地域社会にきちっと根づいた小学校中学校の理想的な姿は、このPTA活動によってでき上がったものだと思いますから、私はそういう意味PTA活動というのは欠きに評価をしたい、こう思うのです。  そういう中で、日Pの方からこういうふうに法人化したいという動きがあったということは、それはそれなりの日Pの今日までのいろいろな活動状況を十分考えながら、また新しい展望をにらみながら日P自身で御判断をされたことでありましょうから、そのことは、日本PTA全国協議会というのはある意味で充実した、そしてまた国民の中にきちっと存在を示すという意味で、みずからそういう方向を打ち出してこられたということは、私は評価していいのじゃないか、こう思うのです。  お尋ねのことからあちらこちらへ今話が飛んでしましまいましたけれども池田さんと社会教育局長の御議論を承りながら私、感じたことを申し上げたわけでありますが、私どもの方からしなさい、やるべきであるというようなことは申し上げておるわけではございませんので、日Pの皆さんがそういうお考えでおまとめになったとするならば、まだもちろん正式なお話がないようでございますから、お話があれば、文部省としては素直にそれを受けとめて検討してみる必要があるのではないか。これだけ大きな組織になっていることでもございますし、新しい二十一世紀を担う日本教育全体に対してこれから大きな力にもなってもらわなければならぬということから見れば、財政基盤のこと等も考えて、もしそうした方向に行くとするならば、今の段階で私の意見を求められれば、また御本人たちがそういうお考え考えた末に持ってこられたことであるならば、前向きに考えてあげることが適切ではないかな、私自身、こんなふうに思っております。
  27. 池田克也

    池田(克)委員 今のお話の中に、財政的基盤というお話が出てまいりました。私がいろいろ調べた範囲でも、このPTAの強化という話が出ておりましたが、基本的には財政的強化、つまり社団化して、そこに政府からのそうした資金的な受け入れをより一層しやすくする、こういうもくろみがあるというふうに伝えられているわけですが、仮の話ですけれども、社団化した場合にはそうした予算的な措置というのが具体的になされる、こういう方向になっていくのかどうか、これは局長の方からお伺いしたい。
  28. 宮野禮一

    宮野政府委員 先ほどもちょっと答弁で申し上げましたが、日Pの現在の事業活動のうちの幾つかについて、これは事業費についてでございますが、私どもは、社会教育関係団体補助金の中から幾らかを日Pに対しても現在も交付いたしております。そして、仮に任意団体が社団法人になっても、公益性のある活動全国的に見てよろしいんじゃないかと思う活動については続けて補助するつもりでございますが、任意団体から社団法人になったというそれだけをとらえまして補助金をふやすというようなことは、余り考えられないのではないか。それは日P活動の事業内容によって、こういう事業を考えたから補助してほしいというような、個々の具体的な事業の審査ということになるのではないかと思うわけでございます。
  29. 池田克也

    池田(克)委員 それなら何も、いや、中央の統制が強化されるなんていう誤解を招きそうな社団化に余り進めなくてもいいのじゃないかと思うのですね。やればこれだけのことができて、こういうお金をきちっとつぎ込んで、PTA活動が非常に活性化するし、それが教育と親をつなぐために非常にいいのだということであれば、また私もそれについて判断させていただくわけですけれども、財政的にもそう大きな変化はない。社団になったからといって、そう大きな変化はないのだ。しかし、あくまでも社団というものは、民法上の届け出をする。設立をする手順からいうと、やはり所轄の官庁があってその認可をもらわなければならない。物が言えるような状況にもなるということですね。そうなればまた、いよいよ教育の中央統制だという話につながっていく。幾らそうじゃないと言われても、そういう形が表に出てくればそうなっちゃう。私は今、教育改革を、国民的合意を本当に形成しながら臨教審というものが法律として出てきて、それにいろいろな議論を乗り越えてこの際協力をしながら、教育改革が一歩でも進めばいいと思っているときに、何もよりによってことしの一月にそういう方向を決めて、PTA文部省指導監督のもとに社団法人として再発足する、私、誤解を招く種じゃないかな、そういうふうに思うのです。これは慎重に考えたらいいのじゃないかと思いますが、いかがですか。
  30. 宮野禮一

    宮野政府委員 先ほども申し上げましたように、日Pから社団法人化に関する基本的な考え方をお聞きしてないので推測で申し上げることになるかと存じますが、まず第一に、社団法人になりたいということは、任意団体に比べまして、公益法人になるということはそれだけ社会的地位も、地位と言うとおかしゅうございますが、言葉が悪いかもしれませんけれども社会的な評価も高くなったことのあらわれであり、また、社会的な責任も問われるものであります。したがいまして、社団法人化するということは、即、それだけ自分たち活動の公的な責任というものを自覚していることのあらわれとしてまず社団法人化したいということがあるのではないかというふうに思うわけであります。  それから次に、これもお聞きしてみないとわからないわけでありますが、現在まで日Pがいろいろな事業活動をやっておりますけれども社団法人化するに際しまして、それらの事業活動をこの際いろいろ評価し直した上で、存続すべきもの、さらにいろいろな新しい事業活動というものを考えて、日Pとして非常に意義の高いものを考えていこうという事業活動全般の考え方というものをこの際いろいろお考えになっているのだろうと思います。そういうようなことも総合した上で社団法人化しようということであろうと私どもは推測しているわけでありますが、そういう内容を全部お聞きした上で最終的に私の方が認可するかどうかを決めるべき性質のものである。  いずれにしましても、そういうことで日P自体が社団法人になるということは、私どもとしては望ましい問題ではあると思っておりますが、先ほど大臣からもお話がありましたように、これは要は日P自体の自主的な考え方で、まずそれを尊重して事に当たるべきものだというふうに私ども考えているわけであります。
  31. 池田克也

    池田(克)委員 推測で物を言っちゃいけませんから、一遍事情をお聞きになったらどうでしょうか。そして私の方にも、どういう事情でどういう方向になっていくのか、ぜひそのやりとりについてお聞かせいただきたい。今までこの委員会にいろいろな議論が出てきたわけですが、PTAに関する議論というものは余り具体的にはなかったように思います。しかし、私は大事な部分だと思っておりますし、ある意味では新しい動きが出てきた、これは教育を左右する一つ意味を持つのじゃないかと心配もするわけでございますので、もう一歩突っ込んで事情をお調べいただいた上でこの委員会に御報告をいただくのが一番適切ではないか。  PTAの今後について昭和四十二年の一つの答申があった、そのままでいいというふうに局長おっしゃっていますが、以来十七年ですか、歳月を経ているわけですし、教育を全般的に見直そうという昨今の政治状況の中で、親の立場、そして親と子供が置かれているPTAあり方というものについても、やはり文部省としてライトを当ててみるべきではないか。  大臣、今までの議論をお聞きになって、もう一遍ライトを当てて事情をお調べになって、いかなる方策が一番適切か検討されたらどうかと思いますが……。
  32. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども少し長々と申し上げて、かえって時間をおとりして恐縮に思っておりましたが、池田さんと宮野局長のやりとりの中で私の感想も申し上げたとおりでございまして、こちらから問い合わせるということもいささかちょっと……。文部省としての姿勢で、そんな話が出ておるがどうなのだ、早く持ってくるなら持ってこいと言うのもかえって変な話でございますし、これは日P考えることでございますから、私は自分感想は申し上げたけれども正式にお出しになってこられればそれを素直に考えて、そしてその中で、今先生のおしゃったお気持ちもよくわかりますから、そういうことも十分判断しながら考えていく、判断を下していくことだろう、こう思います。  ただ、今の段階は、私もこの新聞をいろいろ見ておるだけでございまして、推測でいろいろ書いているわけだし、おしまいの方なんか随分無責任なことを書いておるわけで、こういう推測で物を書いていかれると、自民党なんか、私は今政府立場ですが、石橋前部会長さんもそこにいらっしゃいますが、自民党もこんなの読んだら不愉快なことが書いてありますですね。こんなことは現実法人化になればなおでき得るはずがないのでありまして、推測の新聞で余り議論をすることも、文部省としては余り踏み込んだお話をするのもいかがかな、こう思って、先ほど自分感想みたいなことを申し上げておきました。ただ、先生の御心配になる点は非常によくわかりますので、十分に今後とも判断の参考にさせていただきたい、この程度にお答えはとどめさせていただいてお許しをいただきたい、こう思います。
  33. 池田克也

    池田(克)委員 要するに、おっしゃるとおり推測はいけませんので、新聞に出てくれば、しかも新しい話なのでお伺いしたわけでございますので、ぜひそうした点で、文部省に呼んで改めてということは、これはいろいろそちらの御判断でございますが、国会で聞かれたのだろうということになれば、これまたそれに対応はできるだろうと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。  問題を次へ移します。  実は、そろばんの話なのです。これは、ついこの間もテレビでちょっとそろばんの話が出ておりましたのですが、余り時間もございませんので、小学校における算数の教育課程の中でそろばんというものがどう位置づけられているか、こういう問題についてのお尋ねでございます。  率直に言って、最近は計算機というものが非常に普及をいたしまして、どこの家にでも一台ぐらいはある、そう言ってもいいぐらいな普及でございます。とにかく押せば、そして掛けるという記号を押せばたちどころに答えが出てくるという仕掛けでございます。これは子供たちに数学、算数を教えていく一番基本的な状況の中でどんなものなんだろうか、極端に言って余り好ましくないのじゃないか。これだけのそうした学問が発達して、こういうところまで行ったのだということは確かにいいことでしょうけれども、基本的に数の概念を教える段階では、計算機というものの存在を余り表に出さない方がいいのじゃないかと思って私は質問をするわけでございます。  五十二年の七月に告示された学習指導要領でございますが、大幅にそろばんが後退をしております。三十三年の学習指導要領では、四年生、五年生、六年生と通じまして、そろばんについては計算が確実にできるようにする、しかも足し算だけではなしに掛け算、割り算に至るまで、確実にかつ早くできるようにするというふうにうたわれているわけですね。  したがって、昭和三十三年まで、随分前の話になりますけれども、このそろばんというものは子供たちの算数教育にはかなりな重きを置いていたのだと私は思うのでありますが、四十三年の改定では三年、四年だけになりまして、五年、六年はなくなりました。しかも、足し算と引き算だけというふうになってまいりました。五十二年になりますと、望ましいというふうになってまいりました。そろばんによる加法や減法については指導の機会を適宜設けることが望ましいとなってまいりました。必ずしもやらなくてもいい。しかも全体的に、「そろばんや計算機を」云々というふうになりまして、どっちかというふうになってまいりました。  これをずっと押しなべて概括していきますと、そろばんというものが教育現場から次第に姿を消してくるというようなことになるわけでして、私はこれについてはいろいろな御議論があったのだろうと思いますが、これは正しい行き方なんだろうか。大臣、いかがですか。これはいわゆる我我の世代では、そろばんというものについてはそれぞれ多少の経験をお持ちだろうと思うのですけれども、私はちょっとこのままじゃうまくないのじゃないかなと思っておるのですが、御答弁いただきたいと思います。
  34. 森喜朗

    森国務大臣 私は、個人的には、そろばんと計算機とどっちが教育上大事かというと、そろばんが大事だという考え方を持っておるのです。そろばんは文化で計算機は文明だと私は思っております。どちらも大事なことだと思いますけれども、ボタンを押すと自動的にいろいろ結論を得ることができるわけですね。これは文明の進歩だと思う。そろばんは、自分で努力して、自分で判断をして玉を加えたり引いたりしていかなければならない。それはやはり人間の、自分個人の能力というものが非常に大きなウエートを占めるわけですから、そういう意味で私はよく、文化と文明に分けるとそろばんは文化だと。だから教育の基本、特に小学校におきます基本というのは、やはり基本を何回も何回も念入りに教えていくこと、特に、「読み書きそろばん」と昔から言いましたが、基本的なところはそこにあると思うのです。それを将来どういうふうに利用していくのか、それは子供たちの心身の発達の度合いに応じて変化していくことだろうと思いますから、基本はやはり教えることが一番大事だ、こう考えます。  この前、仙台の太白小学校に行きました。一年生のクラスを見ましたら、ワープロみたいなテレビを机の上に置きまして、みんなやっておりました。ああいうことに子供のころから軽くなじむということはいいことだなと思いましたけれども、ボタン一つ押したら何でも出てくるのだなという考え方を持ってくることが教育上いいのかな、もうちょっと後からでもいいような気がする。一年生のころは、もっと基本的なことをきちっと何回も何回も繰り返しやっていくということが大事なんじゃないかな、そういう感想も私は持ったわけでございます。  文部省の方の指導といたしましては、今先生からいろいろ御指摘ございました、小学校の三年でそろばんによる足し算と引き算を指導して、四年以降につきましては適宜機会を設けてというふうになっておりますが、五十二年の学習指導要領というのは、何度も議論が出ますように、できるだけゆとりのある教育をさしたい、余り詰め込みをやらないでおこうということが一番の大きな基本的な姿勢であったわけでございますから、そういう意味現実小学校の課程の中で、算数の課程の中でも計算機やいろいろなものが入ってきておりますから、先生の負担も非常に多くなっておることも事実でございますから、一応は基本的に三年でそうしたものを教え、あとは適宜、そしてまた個人的にというふうにやっていくことが——余りこれ以上、四年になってもこれやりなさい、五年へ行ってもこれやりなさいということを、ゆとりある教育ということを一つのねらいとした指導要領の改定に入れることは、かえって負担になっていくというふうな考え方で、決してこれを無視をしたとか、そういうものではないというふうに私も承知をしておるところでございます。  なお、余計なことですが、去年、そろばんと計算機とどっちが早いかという競技会を何かやったらしいのですが、計算機よりそろばんの方が早かったそうですね。そういうのを新聞で見て、何となく私はうれしかったのです。  私がかつて総理府の副長官をしておりましたときに、総理府の統計局へ行ってみましたら、みんな計算機でやっていますが、実質的に職員はそろばんを四つ並べまして、計算機でやった答えをもう一遍そろばんで全部はじいてやった方がやっぱり資料として確実だ、統計局の人たちはみんなそう言っておりまして、私はその方がうれしいなという気持ちをいたしました。ただ、去年そろばんと計算機でそろばんは勝ったけれども、優勝者は韓国の女性だったというのはちょっと残念だったという、今そんな思い出を持っておるわけでございます。
  35. 池田克也

    池田(克)委員 大臣がそろばんに関心を持っていらっしゃる、これは大変——私もそろばんは大事だと思っておりましてこの質問を取り上げたわけですけれども、ちなみに数学教育学会の調査では、算数の指導に計算機を用いることに賛成した先生は四%だ、こう言われておりますし、また商工会議所で五十八年に行った父母を対象にした調査でも、いわゆる電卓を算数の授業に使うことに賛成した人は五%だった。ところが、五十五年の五月に最終改正された理科教育振興法施行令というのがあるのだそうですが、公立、私立を問わず、全国小学校で一学級の児童数に見合っただけの計算機具、すなわち電卓が国の予算によって購入できる処置がとられた、こういうことでございます。これはそれぞれの学校状況に応じているのだろうと思いますが、こういう処置があるために、数学の先生は、せっかく予算がついて計算機を買ってもらったんだからやろうじゃないかということで、一生懸命やっているということでございますが、この辺も私は子供にとってどちらがいいのかなと、問題の指摘をしておきたいと思うわけでございます。  そこで、この問題については指摘なのですが、いわゆる教員養成大学で、そろばんも見たことがないという先生がいらっしゃるのだそうですね。三年生を受け持って、初めてそろばんというものを手にしたという先生がいらっしゃるのだそうですが、これはどうかなと思うのですね。これは私は詳細にカリキュラムを点検したわけじゃございませんけれども、せめて小学校の教壇に立つ人には、日本の伝統的なそうした計算の手段ですし、今大臣もおっしゃるように、統計局ですらそういうことが現実にあるとすれば、数学を教える先生方の養成の現場でもうちょっと関心を持つようになさったらどうかな、こう思いますが、これは大学局長、いかがですか。
  36. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 教員養成の場合に、先生御指摘では、どうも一度も見たことがない先生がいるという御指摘でございますが、免許状取得のためには、小学校では各教科の専門科目、さらにこれらの教科にかかわる教材研究と言っておりますけれども、教材研究の単位を最低二単位修得ということになっておるわけでございます。小学校における算数の中で取り扱う珠算の程度や内容ということについては、算数の教材研究の授業の中で行われるという仕組みでございます。ただ、現実に各大学の授業がどうかという点は、私どもも全体を把握しているわけではございません。したがって、御指摘のような点は、例えば教育大学協会の中で教科促進委員会というようなものが置かれておりまして、各教科ごとの教科教育の研究促進というようなことを取り上げておりますから、そういうような場などで十分御指摘の点は伝えて、徹底を図っていくようにしてまいりたい、かように考えます。
  37. 池田克也

    池田(克)委員 この問題は、そんなにいつまでもこだわってお伺いするつもりはございません。つまり、先ほど大臣から御答弁が出ましたけれども、基本的なことをきちっと教えていく。これからの教育あり方ですが、小学校教育については、特に「読み書きそろばん」、こう言われておりますように、今は少しいろいろなことがたくさん課せられているんじゃないか。むしろもうちょっとすっきりして、きちっと文字を書くこと、文章を読むこと、数について間違いなく計算が進んでできること、こうしたことに絞っていくべきだ。  私は、小学校の内容について最近の状況をいろいろお伺いしますと、先生方の負担も大変重い。これはカリキュラムの問題になりますけれども、もうちょっとこれを整然として、「読み書きそろばん」ということに絞っていくべきじゃないか。基礎を繰り返しやることが大事だと大臣も今おっしゃっておりましたけれども、基本的な初等教育段階における考え方について一計算機も私はいいと思います。そろばんも当然やる。計算機も、先ほどの文明の産物として当然社会にあるわけですから、それの仕組みや運用について子供たちが習うことは大事だと思いますが、もうちょっと基本に戻ってやるべきだ、このように考えておりますが、今の小学校の課程についてもう一遍ライトを当ててみる。これまた臨教審の問題だということになるかもしれませんが、たまたま数学の問題、算数の問題が出ましたのでお尋ねをしたいと思います。
  38. 高石邦男

    高石政府委員 これは非常におもしろいデータでございますが、実は明治五年に小学校でそろばんを廃止する措置をとっているわけです。ですから、当時はそろばんが計算の主たる武器であったと思うわけです。それはなぜかというと、そういうそろばんに頼らなくて、まず自分の頭で要するに計算できるという教育を徹底すべきだという発想があったのではないかと思うのです。そういう変遷を経ながら、そろばんの取り扱いはずっと流れてきております。  基本的には、先生おっしゃるとおりに四年生までに整数の計算が、そろばんとか計算機に頼らないで自分の頭でちゃんとできるように、そういう教育を数学教育の基本にしているわけでございます。しかし、それと並行して、伝統的なそろばんというのを三、四年生に、先ほど大臣から申し上げたような教育もしていく。それから計算機の利用については五年以降にするということで、五年生以前に使わせないということにしております。それはまさに、子供自身自分の頭でちゃんとした計算ができるという教育が数学教育の基本であるということでございます。したがいまして、計算機の利用については、そういうことの阻害にならないようにということを考え学校では利用しなければならないというふうに思っております。
  39. 池田克也

    池田(克)委員 わかりました。  そろばんの問題は以上で終わりまして、次に修学旅行と飛行機という問題についてお尋ねをしたいと思います。  この問題は、私、前から、実はロッキード事件なんかをやっていたときから考えておりました。貿易摩擦を背景として我が国に対してドル減らしということで航空機の導入が随分と叫ばれた、そんなような状況の中で、子供たちの見聞を広めるために飛行機は非常に大きな手だてだろう。むしろ国で修学旅行用の飛行機を何機か持って、十分これを運用して、中国でもあるいは諸外国でも行かせる。日本が貿易摩擦で指摘をされるほどお金があるならば、こういうことにむしろ一当然子供に対する投資は十分これは将来にわたって生かせるんだから、こんな考えを実は私、持っていたわけです。  ところが、東京都で修学旅行に飛行機を使いたいという請願が出まして、これに対して東京都の教育委員会は認めなかったわけですが、その背景をいろいろ聞いてみますと、昭和三十二年に文部省が出した何か通知があるのだそうですね。安全にということなんでしょうけれども、どうもそれに抵触をするということで東京都もためらった、こんなふうな話が伝わりまして、これは何も東京都に限らないのです。今日、私立高校では三五%ほどが飛行機を使った修学旅行をやっているそうですが、公立は非常に少ない。これはいろいろと事情があろうと思いますが、もう一遍、この修学旅行と航空機という問題は検討に値するのではないか。この経過について、御承知になっていらっしゃる分について御答弁をいただきたいと思います。
  40. 高石邦男

    高石政府委員 実は、修学旅行に飛行機を使う前に、修学旅行自体のあり方がこれでいいかどうかという小中高を通じての基本的な問題がございます。昔のように、その土地を離れでいろいろな名所古跡、都会を見るということのなかなかできなかった時代と、今では非常にさま変わりしているので、その基本的な意味合いかどうかという一つは大きな検討問題があります。  それと、飛行機を使うことについては、これは基本的に文部省は画一的な方針を示しておりません。地域によりまして、かなり飛行機を使っているところがあるわけでございます。私立は先ほどの御指摘のようなことでございますが、公立も例えば沖縄だとか福岡とか、そういうようなところは片道だけは飛行機を使わせるとか、そういうようなことも考えております。したがいまして、修学旅行における航空機の利用自体を制限するとか禁止するという措置は、文部省自体としては考えていないわけです。  ただ、東京都の場合には、いろいろなことを検討した上で結論を出されているようでございまして、東京は日本の真ん中で交通の便利が非常にいい、したがって飛行機を使わなくても、大体主たるところには汽車を使って十分間に合うというような判断だとか、それから父兄負担がどうしても高くなるということから、父兄負担の増高も抑えなければならないというようないろいろな判断をした上で決定をしたようでございますので、今のような角度から修学旅行のあり方、それから飛行機の問題を含めて今後の検討課題だと思っております。
  41. 池田克也

    池田(克)委員 文部省として特に制限したことはない、こういうことでございます。  私もこの修学旅行の問題について、それぞれの父兄の負担、あるいはまた教育委員会での判断があってしかるべきだと思いますが、翻って子供たちの将来を考えたときに、もっと積極的に修学旅行においてこうした海外へまで何らかの手段を講じる。当然、航空会社もあいている時期があるわけです。随分と運賃なんかも安いように聞いております。また船なども、そうした運用次第では随分と経費的に安いものもあるようです。修学旅行の見直しをするというふうな御答弁でしたので、その見直しの一環として、少なくとも高等学校クラスにはもっと海外へ行かせて、もっと視野を広める。国内につきましてはいろいろと旅行の機会もふえたと思いますし、テレビ等で見聞も広まるようになったと思うのですが、海外旅行に対する御検討というのは今までなされたことはないのでしょうか。
  42. 高石邦男

    高石政府委員 先ほど申し上げましたように、国内の修学旅行のあり方自体も、基本的にいろいろ考えてみなければならないことがあると思うのです。したがって、学校教育の一環として全部の児童生徒を対象にし、修学旅行という形で海外まで授業を展開すべきかどうかというようなことについては、相当慎重に検討しなければならぬと思うのです。御指摘のように、国際化社会を迎えまして、青少年段階で海外に行くとか外国人との交流を深めていくということは基本的には必要なことだと思いますが、学校教育の授業計画の全体計画の中でそれを取り扱うことについては、相当慎重な検討が必要であろうと思います。
  43. 池田克也

    池田(克)委員 その慎重、慎重は大事なんですけれども、片方では私学が海外へも行っている。台湾とか韓国とかへ行っている私学もあるわけです。何も台湾、韓国だけではない、近いからそういうことになるのだと思うのですが、ヨーロッパでもアメリカでも、機会があれば子供たちを行かせる。これは要するに教育の全般の中で積極的にそうした方策というのは研究すべきだ。これは常に時代の先導というよりも、後から追っかけていってみんながだんだんそうなったから制度化しよう、こういうことが多いと私は思うのですけれども教育というものにこれだけ関心が集まり、子供たち状況の中で、特に語学については非常に問題もあるように私は思います。これからの二十一世紀に向けてという一つ教育改革の中では、やはり現地を見る、また外国人と直接接触をする、そうしたことがあって、より語学の習得というのが深まるだろう、私はそう思うのです。  その前に、先生の海外研修も当然テーマとして出てくるだろうと思うのですが、慎重に検討されるという御答弁で、私はそれ以上あえてそれに異論を差し挟むわけではございませんけれども、もっと積極的に海外へ子供たちを送って、そして教育について国際的な視野を深める、こういう方向をこの際打ち出したらどうでしょうか。これは大臣の御決断と政治的判断というものがあろうと思うのですけれども、いかがですか。
  44. 森喜朗

    森国務大臣 これも、基本的には各県教育委員会あるいはまた学校が修学旅行について判断をすべきだろう、こう考えております。  余計なことかもしれませんが、私の母校は石川県の公立高校ですが、修学旅行を飛行機で沖縄に行かせております。卒業生、同窓会、PTAみんなで相談をしまして、口幅ったい言い方ですが、私は大賛成をして、飛行機で行きなさいということを私は指示をいたしました。日本じゅうに博物館あるいはその他名所旧跡というのは非常に大事にされて完備されていますし、交通手段、情報化社会、随分変わってきておるわけです。そういうようなことから見ますと、もちろん判断は学校教育委員会と御相談をしてやるべきだと思いますが、単に何かを見に行くということじゃなくて、やはり教育の一環なんですから、一つ目的意識を持ってそうした方向考えてみる必要があるなどいう感じはいたします。計算をしてみましても、汽車で結構時間をかけて、その間にいろいろ使う経費を考えたり時間的な単位数で割ってみますと、遜色全然ないんですね。むしろまとまって早く行ける。途中で何か買い食いをしたりいろいろ使うと、その金を計算すると、案外飛行機の方が安かったなんという結論が私の母校の報告でも出ておりました。  しかし、これもさっき高石局長からも言いましたように、やはりその場所にもよるのですね。北海道の方でございますと、やはり飛行機で来た方が確かにいろいろな意味でプラスだろう、こう私は思います。  もう一つは、海外のお話も出ましたが、もう少しこれからの文化や歴史を知る上においては、さっき言いましたように情報化時代でございますから、日本じゅうの情報など似案外簡単にいろいろな形で入っているわけですから、そういう意味では世界的なグローバルな見方をしていく時期が歴史上あるような気がいたします。特定のところを申し上げていいかどうかわかりませんが、例えば韓国の慶州付近のお寺なども私は二回ほど見てきましたけれども日本の歴史と照らし合わすと実におもしろいことがいっぱいあるんですね。やはりそういうのを、日本の歴史や文化というもののルーツをいろいろ研究していく上においては、韓国あるいはまた中国などというのは大変教育上好ましいなという感じが、私はいつも見ていてするのです。私も子供には勧めて、ここに行って見ていらっしゃいといつも高校生なんかに言うのですけれども、行ってきた人たちが興味を持ってまた探りに行くというようなことで、非常におもしろいのですね。  それから言語なども、確かに英語が外国語としての一つの大きな基本でありましょうが、わずか短期間でも行くことによって、中国語や朝鮮語という言葉を身近に感ずることも教育上非常にいいのではないかなという感じがいたしまして、そういう意味では、私も個人的な考え方は大賛成でございますが、先ほどから局長が申し上げておりますように、経費の問題や安全の問題や、その他いろいろな地域によっても違う面もあると思いますので、基本的には教育委係員会等ができるだけ教育上の見地で前向きに、時代の大きな変化ということも考えながら対応していってほしいなというふうに私は思っております。
  45. 池田克也

    池田(克)委員 そのことに関しては、大臣と全く意見は同じであります。それをどのように制度化していくのか、これはまたこれから機会を得て、こちらからも提案をさせていただきたいと思います。  時間が乏しくなりましたので、最後に、パイロットスクールを進めるための隘路と申しましょうか、中教審の答申の中にも先導的試行という表現が用いられておりますが、我が党はパイロットスクールということを提唱しておりました。同じことです。いろいろ実験を試みながら学校制度の改善をすべきだという提唱でございますが、その際に法律の改正も必要である、なかなか難しくてこれはできなかったんだ、一昨日もたしか馬場先生に対する御答弁の中で大臣はそうしたことをおっしゃっておりました。私どももパイロットスクールを進めたい。一つ一つ随分ありますが、私も神奈川県の高校を見に行ったり、埼玉県、千葉県と非常に実験的な高校もできておりまして、各都道府県で一生懸命やっておるというふうに思いますが、パイロットスクールを進める上で隘路になる、例えば法律改正が必要だというのはどの部分なのか、どういうことが整備されればパイロットスクールは前進するのか。大変時間が短いので、端的なお答えだけいただければと思います。
  46. 高石邦男

    高石政府委員 例えばで申し上げますと、例えば中学、高校を一本化して五年、六年制の中等教育学校という制度学校をつくるということになりますと、現在の学校教育法ではそういう学校というのはないわけでございます。したがいまして、学校教育法の改正をしていかないとそういうことがやれないということになります。  そこで、そういう法律改正をしないで実質的に中高の一貫教育ができるような形の実験というものは実施できないか、そういうことを今度予算で計上いたしました学校制度調査の中でやってみたいという気持ちを持っております。例えば中学校と高校を実質上一本化して、入学試験については特別の配慮を加えながらできるような立地条件の学校、そういうものを選定しながら、そこで一貫した教育を展開してその評価を見ていくというようなこと、それはある意味でのパイロットスクール的なものかもしれないと思うのです。  そういうことで、法律制度を変えることについては、相当論議が行われて一定の結論が出て、国会での法律改正の手続を経た上で実施していくということにしなければならないと思うのです。ところが、現行制度の中の運用でできる範囲内で調査研究をしていくということは、今後積極的に進めていかなければならないであろうというふうに思っておりまして、そういう面での調査研究は推進していきたいというふうに考えております。
  47. 池田克也

    池田(克)委員 前向きにこの問題を進めていただきたいと思うのですが、国立学校の附属校ではこの種類の実験というのはやりやすい立場にある。これは大変大ざっぱなことで恐縮ですけれども、国立学校いろいろ種類があると思いますが、今日そういう実験も行われているように私は聞いております。国立学校におけるそうしたパイロット的なことがあれば、それについての実情、また今後の展望などをお聞かせいただきたいと思います。
  48. 高石邦男

    高石政府委員 国立学校と私立学校、これは割合実施ができやすい条件がございます。現にそういう方向で今後調査研究をしていく場合の一つの重要な対象分野であろうと思うのです。ただ、私たちの方は、公立でそういう形のものができないと、なかなか全体的な結果というものが集約されないから、公立でそういう方法ができないかということを今模索しているという段階でございます。
  49. 池田克也

    池田(克)委員 確かに公立てやっていくことが一番望ましいし、数も多いわけでございますので、ぜひその方向をさらに強めて、制度の改革がいろいろ叫ばれております、いろいろなアイデアも出てくると思いますが、一遍に変えますと大きな影響も出ますので、着実にやっていただきたいと思います。  きょうはいろいろと多岐にわたって御質問いたしましたが、PTAの今後の問題を私としてもさらに突っ込んで研究をしていきたいと思いますので、先ほどお願いをしましたように、この法人化の問題等についても、大臣から直接文部省に呼んで事情を聞くというふうにはいかないかもしれませんが、今集められる状況をぜひ社会教育局の方でもお集めいただいて、お知らせいただきたい。  以上で終わります。
  50. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時五十七分休憩      ————◇—————     午後一時一分開議
  51. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。中野寛成君。
  52. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 きょうは、小学校、高校、大学と順を追って、少し質問を学校教育中心にお尋ねしたいと思います。  先般、この週刊新潮四月十二日号というのが出まして、この四十二ページに「放置される大阪豊中「庄内西小学校」の凄い「教育」」というのが出ました。これは自分の住んでいるところなものですから、私もびっくりしまして、すぐ買って読んだのです。早速内容をいろいろ関係者に問い合わせてみましたが、この書かれている記事の中で、特に誇張とかゆがめて書かれた部分はないようでございます。大体地元のだれに聞きましてもこういう調子でございます。  特に八人の先生が写真入りで、名前も入れて教育の実態を報道されているわけでありますが、小学校二年生の音楽の授業で、音楽の教科書の「君が代」の上に、北朝鮮の「白頭山」という歌の楽譜が張ってあった、こういうことですね。そしてまた、「国歌 君が代」の「国歌」というのを黒く塗りつぶさせた。そしてまた、二クラスでは、「君が代」の載っているページに赤で斜線を引かせていた、こういうことなんですね。  私は、北朝鮮の歌であろうと韓国の歌であろうとどこの歌であろうと大好きでございますから、それは別に、その子供の情操を育てるためにいい歌はどこの歌であろうと教えていいと思います。しかしながら、このなされている行動というのは、余りにも思想的に、かつ意図的な行動がなされているわけであります。これに対して、結局十分な指導がその教育委員会も校長先生も行き届いていなかったということで、その後大騒ぎになっていろいろな行動がとられております。  実は私も、これを今中学校に行っている私の娘に見せまして、どう思うと聞きましたら、ああ、この先生、私が小学校のときの担任の先生や、あの先生昔から変わっててん、こう言うわけであります。私の一番身近に証人がおりましてびっくりしましたけれども、近ごろどうなってるんやと言いましたら、音楽の先生この前「君が代」教えてくれたよ、担任の先生が、おまえら「君が代」習ってんのか、あの歌はあかんねんけどな、こういうふうにおっしゃった、こういうわけですね。  既にこの週刊誌の記事をお読みでしょうから、もうそれ以上申し上げませんけれども大臣、これをごらんになってどういうふうにお感じになりましたでしょうか。
  53. 森喜朗

    森国務大臣 実は私も週刊新潮をとっておりまして、ところがたまたま今週号は見る暇がなかったものですから見なかったのですが、先生からそういう御質問があるというので、けさそのコピーを読んでみまして驚きました。こんなことが本当に行われているのかな、若干オーバーな記事なのかなということで事務当局の報告を受けましたが、御指摘のことは、大阪府の教育委員会を通じて調査をいたしましたら、おおむね事実だそうでございまして、文部省としては、こういうことが現実に行われているということはまことに遺憾なことだと、私も怒りを込めてそう思います。大阪府教委に対しまして、今文部省として厳正な措置をとるように指導をいたしておるところでございます。  詳細必要でございましたら事務当局から説明させます。
  54. 高石邦男

    高石政府委員 この週刊新潮に報道された事実が本当かどうかということの確認の意味と、もし本当であるとすれば今後の適正な指導を求める必要があるということで、四月五日に府の教育長を呼びまして、このことについての問題指摘をしたわけでございます。府の教育委員会も重要な問題ということで、豊中市の教育委員会に対して、具体的な内容の調査を行うとともにこの異常な状態における是正を積極的に進めるというような対応をとっているようでございます。
  55. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私も実は取り寄せました。大阪府教委そして豊中市教委、現場でどういう指導がなされているか、詳細に書かれておるものを私も取り寄せてみました。三月十五日から今日に至るまでどういうことをやったか、こんなにいっぱい。果たして報道されたこの先生たちは、その指導をちゃんと受けとめるのでしょうか。実は、この報告を見ましても、こういう指導をしました、会議を持ちました、そしてPTAの役員の方々の前で校長先生が謝りました、幾つかのことが書かれてありますね。しかし、現場先生方は、自分たちが何をやらかしたのか、そのことがどういうふうに悪いのか、そしてまたどうして問題なのか、そのことをちゃんと認識をして、そして、自分の個人的信条は別にしまして、少なくとも教育現場における先生としての行動について、本当に問題意識を持って直すのでしょうか。上から押さえつけられただけと思っているかもしれませんし、または陰でそれに近いことを形を変えて、戦略戦術を変えてやろうと思っているかもしれないわけですね。まして八人ほどでグループを組んでやっておられたということですが、これはたまたま一つ小学校の中で固まっておられた。これを結局配置転換してほかの学校へばらまいた。しかし、私も地元ですから、学校の現役の先生で私の恩師というのはたくさんおりまして、いろいろ聞きますと、ばい菌ばらまいただけじゃないか、週刊誌にも書いてありますが、あちこちでまた同じことを今度は細胞のごとく広げていくんじゃないかということを、むしろ心配をしているという状態であるわけですね。  指導だとか是正だとかというのは本当に行き届くものなのかどうか、後々の措置も含めて、文部省として的確な措置を講じられるのか、そのことを重ねてお聞きしたいと思います。
  56. 高石邦男

    高石政府委員 昨日夜、府の教育委員会から私の方に報告が参っておりまして、今後の指導といたしましては、まず当該管理職である校長それから教職員について、府の教育委員会は市の教育委員会を通じて指導の徹底を図るということで、校長、教職員を含めての人事の対応ということも考えているようでございます。  報告によりますと、二人の先生が退職をするというような報告も受けているわけでございます。そういうことで、当該管理職である校長が、まずこういう学校教育全体についての異常な状態を是正していくという責任を持って対応してもらう必要があるというようなことを基本的に考えるわけでございます。  したがいまして、こういう異常な状態については、随時指導主事を派遣する等の措置を講じながら適正な教育が行われるように指導していくということでございますので、府の教育委員会も市の教育委員会も、本腰を入れてこれに取り組もうという姿勢が見られるわけでございます。もうしばらくこの推移をごらんいただきたいと思います。
  57. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 ただ、そのときに私は要望しておきたいのですが、大阪の事例が私は一番詳しいわけですが、先日は高槻市の学校の校長先生が自殺をしました。それで、高槻市にしろ吹田市にしろ、私の知るところにおいては、定年を待たずにやめる校長先生が実は続発をいたしております。これはなぜかということはもう申し上げなくても、およそ想像がつくだろうと思います。完全に挟み打ちに遭って苦悩の末、耐えられないと言ってやめていくわけですね。それは結局、だからこの問題にしろ、校長先生一人だけに責任を負わせてスケープゴートにしてしまうということはどうか、そういうことになってはならないと私は思うのですよ。むしろ、それを支える市教委であったり府教委であったり文部省であったり、そこがやはりもっとしっかりした姿勢を持って指導していくということが大事なわけでして、大事についてもということですけれども、私はそういう特定の人がスケープゴートにされるようなことは避けなければいけないと思いますが、念のためにお伺いしておきます。
  58. 高石邦男

    高石政府委員 御指摘のとおりでございまして、現場の校長だけが板挟みになって苦しむということのないようにしなければならないと思います。全面的に府の教育委員会、市の教育委員会、もちろん我々も含めて、そういう状態の是正にバックアップをしていくということが必要であると思っております。
  59. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 学校というのは組織でしょうか。それとも一人一人の教師が独立して、よく言えば自主性を発揮してやるべきもので、組織としての構成というのはまた別だということなのでしょうか。その点についてお伺いします。
  60. 高石邦男

    高石政府委員 学校の管理運営についての最高責任者は校長でございます。したがいまして、校長を中心にして教職員が一致協力し、いわば組織体として公教育を実施するわけでございます。したがいまして、校長の必要による場合には、指示命令に従って教育に当たらなければならないということになるわけでございます。もちろん、先生が一人一人の教育活動を展開する場合に、法令の許す範囲内で自由な創意工夫を凝らしながら教育を展開するということは必要なことでございます。
  61. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 例えば、既に是正はされましたけれども、たしか杉並区の学校教育要覧だったと思いますが、あの中に、結局職員会議が中心になって、そしてその職員会議が最高議決機関で、その決定に従って校長先生が、各それぞれの担当の先生方学校を運営していくという図式が書かれておって、それを私は前に指摘したことがあります。その後あれは直されていると思いますが、ああいうケースはもうありませんか。そして、今また私が申し上げて局長が御答弁になりましたが、本当に局長が今おっしゃられたような運営が全国できちっとなされていると思いますか。実態についてどういうふうに御認識をしておられますか。
  62. 高石邦男

    高石政府委員 大部分の学校では、先ほど申し上げたような形で学校の運営がなされていると思います。しかし、非常に残念なことでございますが、戦後日本教育界は、校長のそういう位置づけ、職員会議の位置づけについて、二つの相対立する見解がずっと対立抗争を続けながら流れてきたという歴史があるわけでございます。一つ、職員会議は最高の意思決定機関である、校長の意思を上回るというような、法令上の解釈としては問題を残すような考え方で運営されているところもございます。しかし、法令上は明確に、校務をつかさどるのは校長の責任とされているわけでございますので、学校の管理運営についての責任は校長にあるということは明らかでありますし、職員会議は、学校の運営を行うに当たって職員のいろいろな意見をまとめるというか吸収していく、そして参考にされていくということでございまして、仮に校長の意思決定と職員会議の方針が異なるという結論が出た場合には校長の意思決定が優先するということで、今日まで指導してきているわけでございます。ごくわずかだと思いますが、学校によっては、いまだそういう正常な姿になっていないで学校の運営が展開されているというところもあろうかと思います。
  63. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私の見聞するところでは決してごく一部ではないと思いますが、そのことについてはここで深くお話し申し上げないで、むしろ局長、そう御答弁なさったけれども、実態はよく御存じだろう、だから私は、今後十分な御指導お願いしておきたい、こう思います。  さて、学校組織が、こう聞いたのですが、これは実は私どもの方で昨年五月に教育シンポジウムをやりまして、そこでいろいろ論議した結果、教育臨調というのを提案するきっかけになったのですが、そのときの発言資料なんです。ある東京都の区立中学校先生発言をちょっと引用させていただきたいと思います。ちなみに、所属は日教組にちゃんと入っておられる人です。  私どもの日常生活の中でも、授業の中でも、そういう特別活動の中でも、基本的生活習慣というのをぴしっと押さえているわけです。中学校教師は往々にして言葉の羅列をして、基本的生活習慣ができていないと言うんですけれども、基本的生活習慣というのは何かということを先生方にきちんと押さえてもらいまして、あいさつ・返事・忘れ物・時間、そして人に見苦しい感じを与える服装をしない、それが私どもの基本的な生活習慣で、これをどの時間にも、授業の中でも教え込んでいくわけです。  そして先生方にそういうふうに共通理解をしてもらうということ。これは、他の学校と違いまして、教師側が職員会議等を開いていないわけです。職員会議というのは年に三回ぐらいしかやらない。あとはやはり主任を中心にしまして、各パートで分掌で行うわけです。これは実は校内非行等をなくした事例としてよく挙げられる学校なんですね。続きを読みますと、  多くの方はご存じないと思いますけれども学校の職員会議ほどくだらないものはないわけです。四十人いまして、その中で自己顕示性の強いのが三人ぐらいしゃべっていまして、あとは全部眠っているわけですね。早く終わらないかなと思うわけです。こういう中では会議の効果というのは上がらないわけです。私どもの場合には、主任を中心にしまして一これは主任制の強化だという批判がございますけれども、どこの社会に行きましても、やはりそれぞれパートには主任がございます。リーダーがいます。リーダーがリーダーシップを発揮していくところが、組織組織としての機能をしていくゆえんであります。私どもの場合には、それぞれのパートを、それぞれのリーダーが中心になって引っ張っていくと。そこで非常に特色的なのは、ブレーン・ストーミングをたくさん入れていく。というふうに民主的な運営をしているのだけれども、やはり校長先生や教頭先生や主任の先生等を中心にしながら、結局組織の機能は機能としてきちっと発揮していく、そこに一つ教育効果を発揮する力が生まれてくる、こういうことがあるわけですね。  これは結局、一番典型的に効果を発揮した学校として評価をされている学校先生、その中心になって改革をされた先生ですね。こういうふうなことが本当に行われなければいけないなと私は思うのです。  しかし、実際は先ほど申し上げたように、組織組織としての役割を果たしていない。校長先生はどこかに飾られて、結局発言権を持たされない。うっかり校長先生がばっとその中で指導力、リーダーシップを発揮しようと思えば、結局突き上げを食らう。その後ろで教育委員会がバックアップしないというようなケースを私はよくお聞きするのです。今、これは豊中市の例を申し上げているわけではありません。しかし、やはり似たようなことがあるのではないか、こういうふうに思うわけでありまして、これらのことについてしっかりした方針を確立し、そしてそれに基づいてしっかりした指導が行われなければ学校の立て直しは進んでいかないと思うわけです。  そういうしっかりした国民のコンセンサスに裏づけられた方針をつくるためにも、実はいわゆる臨教審のようなものが必要だという提案をしたわけですけれども、文部大臣にこの問題についての最後として御所見をお伺いしたいと思います。
  64. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどの問題から含めまして、先生の一人一人の指導というのが教育上最も大事なことであるということが、今さらそうした例を挙げなくてもよくわかるわけでありまして、特に最初の豊中の小学校の問題は、今局長から申し上げたように、今後の指導、推移を少し見ていただきたい、こう申し上げましたが、私はこの週刊新潮を見ておって、その事実は事実としまして、こういうことを教えることにこの先生はためらいかないのだろうか、どういう気持ちになってこういうことをやれるのかなということが一つ。  もう一つは、今後これは私どもで詳細に調べるということが可能なのかどうなのかわかりませんけれども、なぜ北朝鮮の国歌を教えなければならなかったのだろうか。中国だってよかったわけでしょうし、ソ連だってよかっただろう。もし異体制の国歌を教えるとするなら、なぜ北朝鮮の国歌をこうして、ある意味ではグループ的にやる、どういうことでこういうふうになっていったのだろうか。そういう意味で、単に後で指導してほっておくだけの問題じゃないような感じが私は非常にするのですね。先生になられたときにそういうお気持ちで入られたのかどうかわかりませんけれども先生になってからこういう方向にだんだん行かれたとする、あるいはだれか一人がそういうことで指導していってみんながそうなっていったとすると、先生の物の考え方というのは案外単純であるというふうにも見えるし、また、怖いものだなという感じがします。  むしろこれは、文部省としては当然府教委にお願いもし、指導していかなければなりませんが、私は政治家という立場で、なぜこういう北朝鮮という形で出てきたのかなということに、非常に私自身は今興味を持っております。これは党の方ででも、青木部会長もいらっしゃいますから、少しお調べをいただきたいな、そんな気持ちでございます。  それから、後の学校運営につきましてでは、先ほど局長から申し上げたとおりでございますが、やはり校長を中心に組織としての体系というのは大事なことでありまして、学校現場組織的にきちっとしておるということも子供たちに与える最大の教育だ、私はこう思います。家には家の組織がある。企業には企業の組織がある。いずれ子供たちは大きくなってそれぞれの組織の中に入っていくわけでありますから、その組織の中でどのような行動をしていくかということは、法治国家である限りは法の枠の中でやっていくということが大事なことでございます。学校現場もまた子供たちに、学校の運営、あるいは校長がつかさどっていく、所掌していく事柄もすべて教育だ、そういう意味考えますと、学校教育組織的に機能を果たしていくということは非常に大事なことだ、私はこう思います。  中野先生も御承知のとおり、文部省としてそこまで、学校現場にまで手を入れるということは現実の問題としてはなじむことではないわけでありますので、教育委員会がやはりしっかりした考え方を示していただきたい、持っていただきたいということを切に期待をしたい、こういうことでございます。
  65. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 もう一つ、これは高校のことでございますけれども、先日参議院の方で我が党の小西議員が、定時制ですが、向丘高校のことについて御指摘申し上げました。  やみ休暇、やみ手当、職場ぐるみで悪慣行があったということで、これにつきましては是正を指導するということで大臣も御答弁になられておられます。  もう一つ、同じ高校でこういう指摘が出てまいりました。つまみ食いと言うのですか、つまみ休暇。きのうはちょっと資料をお渡ししたのですが、大臣のお手元に行っておりますでしょうか。五十七年四月二十日の時間割と五十六年十一月二日の時間割。これに山のように括弧で線が引かれてあります。これをごらんいただきますと、左上に日付が書いてありますが、五十六年十一月二日と翌年の四月二十日、この二つを見比べていただきましてお気づきになりますのは、この翌年四月二十日につくられたものの山型に線が引かれている部分が多いのにお気づきになると思います。これがいわゆる合併授業というものなんですね。二つのクラスを一つにして、それで一人の先生が教えるわけです。もう一人の先生は、これは必然的に休めるわけですな。  それで、結局こういう実態がありますのでこれを指摘いたしましたところ、東京都の教育長の方からは、昭和五十八年度高等学校講師時数の執行状況報告書の提出について求められて報告書が出された。これとこれを比べますと、社会科において六時間、数学において二時間、外国語において一時間省略されているわけです。結局、それだけ先生の労力が削減されているわけです。  それで、昭和五十六年にやはり区議会等で問題になりまして指摘をされました。指摘をされまして、これはそのときの新聞報道ですが「”つまみ授業” 届け出なし、二十校も」ということで報道されております。こういう指摘がなされたときに是正されたのがこの最初の十一月二日付のものです。これが是正されて、かなりなくなっているのです。  例えば体育だとか音楽だとか、そういうものについてはある程度人数もいなければチームプレーできませんから、そういう合併授業は当然行われることもあり得るだろう。ところが、一週間に三時間習う教室と一時間だけ英語を習う教室とが合併授業、これはどう見たっておかしいわけです。そういうことが平気で行われているから指摘がなされた。それで十一月二日付のものはある程度直っている。さあ年度が変わって翌年四月二十日付、また復活です。こういう状態が続いているわけです。何か指導をしますとその場は直る。直って年度が変わったりするとまたもとに戻る。そしてそれが大目に見られていく。こういう状態で、結局つまみ授業をする。  それで、それによって浮いた時間を果たして何に使われているのか。それが学校のきちっとした教育に使われているというのだったらまだ話はわかります。しかし、その間は、研修という名目か何かがあるかどうかは別にいたしまして、休んでおられるわけです。  こういう状態が放置され続けていいはずはない。結局、それを学校組織ぐるみで黙認をしていく、容認をしていくという体質がまだ各地で残っている。先ほど小学校の問題も、ある意味では共通するものがあるかもしれません。  私は、こういう問題についてもっともっと文部省としては的確な調査指導がなされなければ、結局子供たちが不幸になるのです。このことについて改めてお尋ねをしたいと思います。大臣にまずお聞きしたいと思います。
  66. 高石邦男

    高石政府委員 向丘高校定時制の問題につきましては、参議院の文教委員会でもいろいろな角度から質問がありまして、都の方に対して、こういう事実関係を的確にまず掌握するということと、それに対して是正すべきものについて是正をしていくということが基本的に必要であるということで、随時東京都の教育委員会に対して指導を加えている段階でございます。都の教育委員会も、それぞれの学校の具体的な運営について全部をチェックできていないという点もございますので、運営自体について法令上ないしは条例、規則上違法なやり方でない限りにおいては、それは学校の判断で対応できるわけでございますが、そういう法令上の規定に反するような運営、管理、勤務のあり方ということが行われているとするならば、それは是正していくべきものであるというふうに思っております。
  67. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 僕は大臣に聞きたいと思いますが、こういうことは一学校の問題なんでしょうか。往々にして、こういう問題が一学校の特異現象として出るのではなくて、組織的にそういう指導がなされたり運動形態が組まれたりということが十分にあるし、またそれが現実に現象面として出てきている。ただ、いろいろな力関係その他もあるのでしょう、地域事情もあるのでしょう、全国でということではないけれども、しかしそういう傾向が出てくるということについては、文部省としての明確な分析と指導、対応が必要だと私は思います。大臣、いかがでしょう。
  68. 森喜朗

    森国務大臣 私もこの間、参議院の予算委員会の委嘱審査でこのお話が出まして、実はちょっと驚きました。  全日制に比べて定時制の先生方には、それなりの仕事の場で厳しい面もありますし、条件の悪い面もありましょう。それから定時制に通われる生徒も、いろいろな事情によって少ない場合もあるでしょうし、いろいろな現場というのは、私ども現実には今わかりませんが、便宜的にお互いに助け合って、全く数が少ない中で個々にやるより一緒にやろうかというふうな善意から出てきたものもあるのだろうと思うのですね。だけれども、やはり規則やそうしたきちっとした決まりの中でやっていくことは当然のことでありますが、その中で若干便宜にいろいろな方法を考えた、そのこと自体すべてが悪いとは私はここでは言い切れないと思うのですが、そのことがごく当たり前のようになってしまって、ここにあるつまみ授業でありますとか、その他この間御指摘がありましたような問題等、言葉はよくありませんが、そのことを逆用するといいましょうか、悪く利用して当然のことのようにやっていくという実態が続けられていくことは極めて遺憾なことだと思っております。参議院でもお答えを申し上げましたが、東京都教育委員会を通じて厳しく指導をしていかなければなりませんが、単なる指導だけでもこの問題は基本的にやはり解決しない面もあるのではないかなという感じも、私はいろいろなお話を聞きながら感じたところであります。  そこで、文部省の方といたしましても、定時制高校の変化が非常に激しいですから、そういう定時制高校の変化に対処するために、少し専門家による検討会議を発足させたらどうか、今そういうことを事務局に命じておりまして、いわゆる定時制高校の教育の振興をどのようにしたらいいのか。勤務条件にいたしましても、八時間だということであれば、当然、仮に逆算しても二時ごろから来ていなければならないわけでありましょうが、現実学校に行っても生徒がいないということもあるわけでありましょうし、定時制だけの校舎であればこれは問題ありませんけれども、併用しているところもございますね。そういうところで、かえって入っていくことについてのためらいもいろいろあるのでしょう。そういうことも考えますと、やはり定時制の教員の勤務のことも一遍見直してみる必要があるのじゃないだろうか、そういう意味で、定時制高校に対する検討会議をぜひ文部省として発足させて、少し制度として見直してみる必要があるのではないか、こういうふうに感じて、事務当局にそのように命じているところであります。
  69. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 次に、国立大学のことについてお尋ねをしたいと思いますが、特に医学部の問題です。医学部教授の問題です。  私立の大学については後ほど申し上げますが、私は昭和五十七年四月十九日の衆議院決算委員会で、実は医学部教授のリベート、脱税の問題について指摘をいたしました。そのときに、文部省としても十分指導していくということの答えが述べられましたが、あわせまして大蔵省国税庁の方でも、これは大阪国税局管内だけの問題ではない、全国でこういう問題が起こっている可能性があるということで、全国で税務調査をやるということのお約束をいただいておったわけであります。その後、部分的には新聞報道等でも見受けられるわけでありますけれども、係国税庁としておやりになったその今日までの経緯、そして内容等について、まず大蔵省からお答えをいただきたいと思います。
  70. 岡本吉司

    ○岡本説明員 国公私立大掌の医学部の教授などの勤務医の方々の多額な謝礼とかリベート等を受領している人がいるということにつきましては、既に過去にもお答えしたとおりでございまして、我々としても十分その辺は承知しているわけであります。課税当局といたしましても、これにつきまして従来から強い関心を持っておりまして、可能な限り資料、情報等を収集いたしまして、各国税局におきまして課税の充実に努めているところでございます。この場合、資料の収集とかあるいは適正な課税ということにつきましては、大学などの御協力を得なければなかなかできないという状況というものがございますけれども、現在のところは幸いにしてそういった御理解も賜りまして、割合スムーズに進んでいるという状況でございます。  ところで、国税庁といたしまして全国的な数字の御質問でございますが、本件につきましての全国的な調査事績を特別に取りまとめておりません。その辺は御勘弁いただきたいと思うわけでございますけれども、たまたま一部の国税局におきまして取りまとめた勤務医等についての計数があるので、それを申し上げさせていただきたいと思います。  その結果によりますと、昭和五十八年中に五百二十件ほど調査いたしましたところ、申告に何らかの誤りがあった件数が五百九件ということでございまして、比率で申しますと九七・九%、ほとんどの方が何らかの形で誤りがあったということでございます。この結果、追徴しました税額が三億三千三百万円ということでございまして、一件当たりにいたしますと六十四万円ということになっております。この数字につきましては、御案内のとおり、やや漏れの疑いのある人を選んで調査しておりますので、したがって、この姿をもってすべてだということは言えないというふうに我我は考えております。  さらに、その漏れのパターンといいますか、どういった形で漏れたかということでございますが、これにつきましてもパターンごとに統計的な数値を持っているわけではございません。調査の結果からのおおよその感じということでございますが、例えば次のようなパターンが含まれておった状況でございます。  一番多いのが、やはり他の病院等への応援診療、アルバイトのようなものでございまして、そういった派遣によります給与収入、これを漏らしていたというのがかなり多うございます。それから、製薬会社等から支払いを受けました研究費、こういったものを落としていた例もありますし、それから、病院等へ医師を派遣したことによりまして、これはかなり偉い先生になろうかと思いますけれども、いわば口きき料的にもらった謝礼を落としていた、こういった事例。あるいは原稿料とか講演料等を落としていた、こういった事例がございます。
  71. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 一つの局の話ということで、どこの局か大体わかりますけれども、これは継続して全国的な調査は当然行われているわけだろうと思いますが、今後ともその内容についてはきょうのような形で御報告いただけますか。今後とも調査の継続は当然なされると思いますが。
  72. 岡本吉司

    ○岡本説明員 なかなか国税の方も仕事がふえておりまして、その割にはなかなか定員がふえないということでございまして、我々の仕事のやり方といたしまして極力本来の調査というようなところに振り向けなければいかぬ、こういうことでございますので、いろいろその計数的なまとめというのは、内部事務といいますのは第一次的にカットせざるを得ない、こういう状況でございます。したがいまして、今先生の御要望の御趣旨は十分わかりますけれども、これ以上全国的な数字をとるということになりますと相当膨大な事務量を要することになりますので、先ほど申し上げました程度のことができるのかなというふうに考えております。
  73. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 少なくとも、その統計をとるとかなんとかではなくて、こういう調査、傾向というのは先ほど報告にあったそれだけでもわかるわけでありますから、今後とも厳重な調査というのは当然継続されていく、こういうふうに考えてよろしいですね。
  74. 岡本吉司

    ○岡本説明員 今後とも引き続きまして課税の適正化に努めてまいりたい、こう思っております。
  75. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 結構です。ありがとうございました。  それでは文部省にお聞きしたいのですが、一つの局で五百二十件調査をしたら、これはというのを目をつけて調査するというのは今お話がありましたけれども、それにしても五百二十件のうち五百九件、一つの局で五百九件、この数字を見ただけでいかに膨大なものかわかります。そして一件当たり六十四万円、税額にして六十四万円ですよ。三億三千三百万円。私もある局の直税の方に聞きました。二年前にやりました後会いましたら、中野先生、おかげさまでうちの局の成績上がりました、大学の医学部のこういう先生方の確定申告の金額が去年に比べて三〇%アップしました。——私、随分感謝されました。そのうち国税庁から感謝状でもいただけるのじゃないかと思うのですが、しかし文部省からは逆のものをいただいたりしたら大変ですが。  いずれにいたしましても、こういう事態が続いているのです。文部省、どういう指導をなさったのか。二、三日前これをいただきました。「国立大学医系教官の兼業等綱紀の粛正について注意を喚起した諸会議昭和五十五年以降)」、これだけ開かれていますね。もちろんこれ以外に通達が出されていますし、大変な努力はなさっているだろうと思います。ところが相変わらずなんです。一体どうしてなんでしょう、その原因は。まずお聞きしたい。
  76. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 かねて医学部病院の教官の勤務につきまして御指摘をいただきまして、従来からも私どもも全力を挙げてその改善に取り組んでまいっておるわけでございまして、先生御指摘のように、それらの回数その他については既に御報告申し上げているとおりでございます。にもかかわらず、なおこれだけ、ただいま御指摘のような件数の起こる原因についてどう考えるかというお尋ねでございますけれども、大学の教官全体そうでございますが、特に医学部病院系統の臨床の先生方に対して、ただいま申し上げているような厳正な勤務ということについて繰り返し徹底を図っておるわけでございますけれども、その点がなお必ずしも改善されていないということは大変遺憾に存じております。あるいはこの点は医学教育そのものについて、特に医の倫理その他が大変やかましく言われているときでございますので、医学教育全体のそういう点での注意喚起といいますか、積極的な取り組みということももちろんやっておるわけでございますが、一つには特に臨床系続かと思います。医学部全体ということでは決してないと私ども感じております。特に基礎の先生方なんというのはおよそそういう方面とはかかわりのないことだと思っておりますが、臨床系統の教官について申しますと、医学界全体、医学、医療に携わる者について基本的にそういう体質的な点があるのではないかという点が言われるわけでございます。大学の教官としては、いわばそういう面で指導立場に立つべき者でございますので、当然他に率先しましてそういう点について厳正な対応ということが必要だと私ども、痛感をいたしております。  この点は、さらにそういう指導を繰り返し徹底をして、各国立病院の教官の方々一人一人にそのことが十分徹底するように私どもとしても努力をしなければならぬと思っておりますが、いずれにいたしましても、取り組みとしては、その点については今後とも一層私どもとしても注意を喚起したい、かように考えます。
  77. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 先般もこの委員会で医の倫理をどうして確立するか、また医学生に対してどういう倫理教育をしていくか、例えば医学概論等で教えるということやら、または実際率先して先生方、教官となる教授の皆様方が模範を示すというふうなこと等々、いろいろなことの答弁もまた大臣がなさいましたし、私も申し上げました。しかしながら、教える方がこれなんですね。結局こういう体質の中で、例えば製薬会社からの研究費、これが自分のポケットに入っているんですね。もちろんいろいろな制度があるでしょうから、自分のポケットに入れていいものと大学に入れなければいけないもの、国庫に入れなければいけないもの、いろいろとあるだろうと思いますよ。しかしながら、口きき料なんというのがはっきりと出てくるわけですね。これは税制上の問題だけで処置していいんでしょうか。結局もっと明確な態度というものが文部省で示されない限りは、いつまでたっても悪慣行として続いていくのではないか、見つかった人は運が悪かったで済まされてしまうのではないだろうか、私はこういう気がしてならないのです。  医は仁術ではなくて算術だと言われ始めてからもう随分時を経ました。しかし、その傾向はますます強くなっているのではないでしょうか。それだけではないのです。大学病院にはいろいろな高価な機器が設置されます。研究の手段としてそれは当然必要でしょう。しかし、そこで育った医学生たちは、自分でもし医院を開業してもそういう機器がなかったら、聴診器だけでは患者の病気を発見することができない今日ですとさえ指摘されているんです。先ほど、そろばんか電卓かという話がありました。医師もまた本当は、そういう機械ではなくて聴診器で、問診で病気を発見するということができなければ本当の血の通った医療というものはできないんではないでしょうか。それを逆の方へ逆の方へ持っていっているのが結局こういう大学の体質そのものの、全体の雰囲気なんではないでしょううか。研究を進めるために機械化が進んでいく、大変すばらしいことです。科学技術が進んでいくことは必要です。否定するものではありませんが、教育の場において果たしてもっと考える余地はないのか。多くの課題が、問題が山積をしていると思います。大臣、基本的にどうお考えでしょうか。
  78. 森喜朗

    森国務大臣 基本的には、今中野さんおっしゃるとおり、教育という立場、同時にまた生命を預かる医の教育という立場から見れば、あってはならないことだと思います。基本的にはあなたのお考えと私は同じであります。  ただ、先ほどから宮地局長も申しましたし、また前の国会でも恐らく前任の大臣もたびたび申し上げたと思いますが、医学教育とはいえ、現実教育の中に厳しく手を入れていくことは、長いいろいろな慣習みたいなものがあるのだろうと思いますし、私は直接医学の教育の中に入ったことはないのでわかりませんけれども、病院におきます先生立場、あるいは医学の中でいろいろとお手伝いをしている、そういういままでの慣習、またお医者さんになってからの給与とかそういう面でのあり方、インターン制度あり方、いろいろあるのだろうと思います。こういう問題は、その場その場の問題をそこの場でつまんで改善をしても、なかなか根本的に直らないのじゃないかなという感じが私はいたします。もちろん、基本的には個人それぞれの倫理観にお願いをするということが最大のことであろうと思いますし、こうしたことで文部省からああするな、こうするなと、子供に言い聞かせるようなことを言うこと自体が本来大変恥ずかしいことであり、おかしなことだと思いますが、たび重ねてこうして病院長会議あるいは常置委員会をつくる、事務局長、病院事務部長会議、いろいろなことをやっておるようでおります。それでも効果が上がらないということであるならば、本当に何かの新しい方途を文部省としても考えなければならぬのかもしれませんが、それには、今の医学教育現場、それから今日のインターン制度から医師になる、あるいは大学の医学部から病院に派遣される制度、そういうところ全部を見直してみなければならぬのじゃないかなという感じがいたします。そのことに手をつけることをあえて拒否しているわけではございませんが、できれば文部省などから手を下す前に、大学みずからあるいは大学病院みずから、そうした問題に対して善処でき得るような対処策を考えてもらいたいというのが、私どもから言えば率直な願望でもあるわけでございます。国立大学の医学部あるいは病院の本来の使命といいますか、そういうことを十分発揮できなければいけないわけでありますから、余りいろいろな意味で束縛をしてしまうことによって医学研究そのものが前に進まないということがあってはならぬと思いますので、まずみずからそういう十分な機能を果たし得るようにして、大学みずからあるいは病院みずからがその努力をしてほしいな、そのことを今文部省としては見守っていくしかいい方策がなかなか得られない。そんなことじゃ中野さん、納得されないでまた怒られるかもしれませんけれども文部省としてはたび重ねてそのことを関係者に要請していくということが今私からお話しをできる限界だろう、こう思っております。
  79. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 この問題を私はここ三年間ほど続けて取り上げています。しかし、本当は三年間や五年間の問題ではないですね。文部省がこの問題を指摘したり通達を出したりし始めたのは、もう何十年前の話でしょう。そして、それは直っていないのでしょう。一時期、表向きだけ直ったように件数が減ったりすることはあったかもしれませんが。  この問題は、私は会計検査院にも注意を喚起しました。例えば、大学へいろいろな機械等を入れます。帳簿は入れたとなっているけれども、それが入れただけ本当に数があるか。何千何万という顕微鏡を一々会計検査院が数えるわけにいきませんね。また、こういうアルバイトやそういう人事管理的な問題も、いろいろ会計検査院で注意をしたようです。しかし、直接会計検査院の皆さんに聞きますと、書類が改ざんされていればわからない。一人一人、一つ一つの器具にまですべてに目を光らせるわけにはいかない。今、大学関係者に聞きますと、この二、三年文部省から、会計検査院から注意がある。いかにしてより一層巧妙に隠すかということが今の大学の最大の関心事だ、改ざんのテクニックをいかにうまくするかというのが大学の関心事だと、大学関係自身が私に漏らしています。そういう実態にどんどんなっていくということ、まさに大学医学部が病気なんですよ。その病気をどうして治すか。  今、大臣、大学の自治を大変尊重し、そして医学の将来を心配しての御答弁でしたけれども、そんななまぬるいものじゃないです。これは政治倫理の問題と匹敵するぐらいの大変困難な問題です。しかし、これはやらなければならぬです。そうしなければ現在の医療の立て直しも、そしてまた荒廃も防ぐことはできない、ここが根源なのですから。そういう意味で、私は大臣の決断を促したいと思うのです。いかがですか。
  80. 森喜朗

    森国務大臣 御不満でありましょうが、現段階においては、医の倫理、そしてそうした事柄に対しての病院の自発的な対処策、これは大学みずからあるいは病院みずから考えていただく以外方法はない、私はそう申し上げるしかありません。  今おっしゃるように、こんなことを歴史と言っていいかわかりませんけれども、長い悪弊かもしれませんが、長い一つの習慣で今日まで医学界があるわけでありまして、医学の中に我々素人の立場で手を突っ込むということは、非常に難しいところがたくさんあるように聞いておりますが、すべてのお医者さんが全部悪しき慣行の上に立っているとは私は思いたくありません。しかし、中野さんもいろいろお調べ、お聞きであろうと思いますが、ある程度そういう慣行の中で当然として今日までやってきている面はあるのだろうと私は思います。これをどういう方法でどのように改善をさせるか。文部省としてはそこに積極的に手を下して調査をしていい方法を考えてみたい、私がここでこう申し上げれば本当はいいのかもしれませんが、そういう気持ちを持ってもう一度事務当局とも十分協議をしながら、何かいい方法が大学みずからないのか。そのことがこうして一向改善をしないということであれば、ちょうどこの間の文教委員会でもありました私立大学の不祥事と同じように、国会の中でこうした議論がいつまでも闘わされていくという、闘うというのはちょっと変でございますが、議論が続けられていくということであるならば、本当は踏み込みたくないが、文部省の方もあるいは税務の立場の中からも、何か的確な方法がないかという方途を見出すことを具体的に検討せざるを得なくなる、こういう言い方を私はせざるを得なくなるわけですね。そういう気持ちでそうした答弁も私は申し上げて、ただ私がやりますと言ってもできるものでもないだろうと思いますから、そういう議論が国会でますます深まっていくということ、医の学問に携わっておられる皆さんが、この私とあなたのやりとりの中で十分そのことを考えて、もう一度大学みずから、病院みずから改善する方法をぜひみんなで考えてもらいたい。むしろあなたに申し上げるより、私のこの声が病院や医科大学の中に聞こえるように、私は願望を込めて申し上げているわけでございますが、関係局長を中心にして、いい方向ができ得るようになお一層努力してみたい、こう思っております。
  81. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 大臣の大変配慮された御答弁でございますから、もうこれ以上言いません。しかし、大学局長、このことでは私も随分やりとりいたしましたので、御苦労なさっておられることもお察しいたしますし、そのしらがの一本か二本は、多分そのためにふえたかもわかりません。しかし、これが大変な事態になっている、大変な現状であることは十分御認識だと思います。大臣の御答弁を受けて、事務局の最高責任者としての局長もまた御努力なさると思いますが、二言だけ決意をお聞きしたいと思います。
  82. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ただいまの大臣答弁を受けまして、私どもとしても全力を挙げて努力をいたしたい、かように考えます。
  83. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 次に、私学の問題に移りたいと思いますが、先般来同僚議員から、国士館のことについて触れられました。私も大変心配をしておるわけでありますが、さて、幾つか各論についてお尋ねをしたいと思います。  先般、「学校法人国士館理事会発表」というのが十日に出されました。「文部省改善指示六項目の第一項目(責任者の責任の明確化)について、本日の理事会で下記の通り決定した。」という文章がちょっと手元にあるのですが、「柴田梵天氏は理事長・学長の職を辞任する。」それに付随して「館長制度を設ける。」ということがありますが、「理事長・学長の後任の推薦を文部省に依頼した。」「欠員理事の補充はおこなわない。」「増員される理事・評議員は新理事長就任後選任される予定である。」こういうふうな方針が出されているようでございます。  ところが、こういう方針を打ち出しますときに、事前に教授会、学部長会、それから教職員組合等に相談がないのですね。ぼんぼんこういうのが出されていくわけです。これは理事会が決めて理事会が発表したということかもしれませんが、普通いろいろなことがあるときには、こういうものは大体相談があるものでしょう。例えば教授会にしろ学部長会にしろ、相談すべきものだと思うのです。ところが、結局そういう話し合いは持たれていない。だから四月十日に教職員組合は、東京地労委に対して話し合いのあっせん申請を出したのですね、大臣御存じかどうかわかりませんけれども。これが一つ。現段階でまだ民主的な運営はなされていないということが一つ。  それともう一つは、柴田氏はやめるんだけれども、他の理事はそのまま残るわけですな。新しい理事長が選ばれたときに全理事を選任し直すのかもしれませんけれども。当面、理事が全部いなくなってしまうと確かに困ります。何かまだすっきりしませんが、文部省、どういう対応をなされるのでしょうか。今読み上げました中に「理事長・学長の後任の推薦を文部省に依頼した。」とある。依頼された文部省はどう受けて立つのでしょうか。
  84. 森喜朗

    森国務大臣 詳細な国士館大学からの報告につきましては管理局長から御答弁をいただくことにいたしたいと思いますが、今先生からもお話がございましたように、民主的な運営が今でもなされていないというのは、一つの見方としてはそのとおりなのかもしれませんが、これまでのいろいろな経緯を見ましても、そうなかなかお互いにすぐ話し合って、解決点を持って、それで文部省へ来れるというような、そういう状況でないことは先生もよくおわかりのとおり。しかし、少なくとも文部省としては、今日まで柴田総長の責任をとる必要ということは従来から指摘をしてまいりましたし、何といいましても、この理事長を中心とする理事体制の刷新ということが文部省から指摘してきました最大の改善策ということでございまして、それについて今日までの動きは全くなかったわけでございますが、それが先般、私どもから言えば、各党を含めて衆議院のこの文教委員会等におきますいろいろな議論を踏まえて、大学側、現理事会側が判断をしてくれたものだろうというふうに考えますと、国会の議論というのは非常に意味があった。そして、私も重大な判断をせざるを得ないということを国会でも申し上げ、柴田総長の新聞記者会見を新聞だけで見ておりますが、私が心配するのは当たり前のことですが、大臣にも心配をかけたというようなことで、私どもとしては謙虚にこういう考え方を示しますと。私は、そういうアクションが出てきたということは、むしろ素直に好感を持って見る必要があると思っております。  ただ、今後の問題というのはもう少し推移を見なければなりませんし、現実問題として学内がどういうふうに対応していくのかということを、文部省としても直接調査をしてみたいと思っております。いずれにいたしましても、理事会決定の内容、それから学内の諸情勢、これはすべて今検討中でございますし、調査をいたしておるところでございますから、その推移を見ながら適切な解決ができるように最大限の努力を私としてもしてまいりたいと考えております。  なお、後任の学長、理事長を推薦してくれということでございますが、私立大学でございますから文部省から出すということが果たしていいことなのかどうかという問題も出てまいります。こういう事態でございますから、文部省から推薦すると言っても恐らく各党の皆さんも、まあそれはいいのじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、正常なときに文部省から人を派遣するようなことになれば、これは大学の自主性をということで、逆に皆さんからおしかりをいただくことになることは当然予想されることでありますが、そういうお気持ちが現理事会の中で決定されたということ、むしろ私どもはそのことについてはやはり好感を持って、今後どういうふうにするかは十分検討してみたい、こういうふうに考えております。
  85. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 大学の自治、特に私学の自治を守るということを配慮した答弁ですから、その部分については私も十分了解をいたしますが、文部省からこういうのを学長にしろ、理事長にしろと押しつけたとすれば、これは問題でしょう。しかし、向こうからお願いしますとお願いされて、文部省がそれに対して協力をした場合に果たして介入と言えるだろうか、これはまた全く別の問題だろうと思います。ゆえに、文部省が具体的な人名を挙げて推薦するかどうかは別にいたしまして、文部省として積極的な姿勢で向こうの要請にこたえることは必要ではないのか、こう思うのです。  また、現実に混乱は続いているわけですよ。ある程度穏やかになっていますが、しかし、実際は学校はバリケードを張られて、そして義務教育である中学校の入学式や授業再開さえまだできてないんでしょう。高校はもちろんのこと、同じキャンパスの中ですもの。中学生、どうするんですか、高校生は。まだ大学生はある程度大人だから、事態の推移、事情を理解していると言えるかもしれませんね。しかし、そうはいかないのではないですか。その封鎖されていることによって授業が再開なされない。  その封鎖の理由は、四月五日の夜から封鎖されているんだけれども、結局三月三十一日付で教職員十一人の解雇処分が無謀にも行われたということが原因ですね。その解雇処分をどうするかということについての判断は新しい理事長や学長のもとで理事会でするとなると、これは猶予を許されない問題ではないんですか。警察権力か何かを使ってその封鎖を解きますか。子供たちは勉強できないわけです。少なくとも一日も早く問題の解決が望まれる状態にあることはおわかりだと思うのです。このことについてどうなさるのか、お聞きをしたいと思います。
  86. 森喜朗

    森国務大臣 まず学校、学園の現場が正常になるように、これは言葉はよくありませんけれども、今の理事者側、そしてまた刷新を求める立場、その双方に対しまして文部省としては、まず学校現場が正常になるように指導いたし、お願いというんでしょうか要望というんでしょうか、文部省としてはそれは通しておるわけでございます。  それから、先ほど、大学の自主性、私学の自主性ということを考えての大臣発言というふうに了解をしていただきましたけれども、大学側からそうした適格な方をということであれば、理事会決定後も十分推移を見なければなりませんが、そのこと自体については文部省としては積極的に御協力をしたい、またすべきである、こういうふうに私は事務当局には命じております。そして、少なくとも国士館大学という伝統に輝く大学、その大学の名誉が守られるように、そしてまた、これまでいろいろ国会の議論の中に出てきましたけれども、世間から納得ができるように、そして何といいましても世間全体から見ても信頼が回復できるように、そのことを前提にしたいい教育関係者がいらっしゃるならば、文部省としても積極的にお探しをしたい、そういうことで今私どもも、その対応をいたす構えをいたしておるところでございます。  若干、大学の現場等についてのやりとりは、できましたら管理局長からでも説明さしたいと思います。
  87. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 局長にお尋ねいたします。  大臣の前向きの御答弁でございました。そういう作業をもしなさるとする場合、当然、理事会との話し合いはなさるでしょう。例えば学部長会議だとか教授会、大学の意思を尊重するというのは実はそういうところにもありますね。そういうところとの相談も当然なされなければいけないだろうと思います。今日までの推移からいって、なお一層そういうことに配慮しなければいけないだろうと思います。  ちなみに、一部教授会はもちろん、暫定学長として松島教授を決定するという決定の仕方をしている。他の学部の教授会では、暫定学長として松島教授を承認するというふうな一方の行動があるわけです。そういうふうなこととの兼ね合わせは一体どうなるのか。また、文部省が推薦することによって、今度は教授会と文部省とがぶつかるなんてことは避けなければなりません。当然文部省は、そういう意思はないはずです。そういうことについて、局長の御答弁で結構ですが、どういうお考えですか。
  88. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 本件が起こりまして以来、理事者側に対して私ども、何度も指導等を行ってまいったわけでございますけれども、もちろんそればかりではなくて、学部長会メンバーの方々あるいは組合代表の方々でございますとか、あるいは全体として正常化推進連合といいますか、そんなような名前をつけた団体を結成されているその関係の方々等々、いろいろな方々と全く拒否をすることなく、同等にと申しますか、機会あるごとにずっと話し合いを続けてきたわけでございます。  後任の人事をどうするかということは、まだこれから諸般の情勢を検討して決めることになるわけでございますけれども、例えば推薦をするというような場合に、個々の人名について御相談をするということはそれは到底無理だろうと思いますが、こういったことで、それぞれの御要望というのは現在も聞きつつあるところでございますし、そういうことを積み重ねながら対応を最終的に判断をしていきたい、こう思っておるわけでございます。  なお、ちょっとつけ加えさせていただきますが、特に先生の御指摘にもございましたように、同じキャンパスにあるがために、義務教育段階中学校まで休校措置をとらざるを得なくなっているという状況にあるわけでございます。その点につきましては、大学当局に対してもかねて注意をしておったところでございますけれども、当面中学校の新一年生については、柴田会館というのがキャンパス外にありますので、その施設を使いましてオリエンテーションを行うというようなことを実施いたしておりまして、それだけ若干の配慮はしておるわけでございます。  いずれにいたしましても、封鎖そのものを解除して教育を正常化するというのが最も緊急な課題でもございますので、私ども、昨晩も一昨晩も、学部長会の先生方等にその点のお願い等もいたしておるわけでございます。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕  なお、封鎖の一番の重要な理由が解雇問題にあるわけでございますけれども、この解雇問題につきましても、個々の解雇された十一名みんな同じ事情ではないわけでございますが、それぞれの方方と、それから大学の事務当局との話し合いも、本日朝からずっと続けられているというような状況でございまして、新体制になりました段階で最終判断をすると大学側は言っておりますけれども、そのために必要な資料等につきましては、現在から調製をし始めているというようなところまで来ておるわけでございます。
  89. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 新体制というのはいつごろでき上がるものでしょうかね。もちろん大学サイドの問題がありますよ。しかし、学長、理事長を文部省へ推薦を依願する、げたを預けられてしまったでしょう。文部省としてどう対応するか。十分相談をする、教授会、いろいろなところ、組合とも相談をするとおっしゃった。ぜひともお願いをしたいと思いますが、新体制にならないと問題は解決しないのだったら、封鎖はいつ解かれるのですか。高校や中学校教育はいつ正常化するのですか。めどが立たないということですか。
  90. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 いわば相手方のあることについて交渉事を行っているところでございます。それから、理事会と封鎖側の話し合いも昨晩もずっと続いておりますし、私どもも、けさは担当官が直接現地にまで赴きまして、バリケードの中まで入って学生たちの話も聞くというようなことまでやっておるわけでざいますので、そういう努力を重ねた文部省の誠意等も、逐次理解をしていただいていると思うわけでございまして、そういう意味では、近日中に、ごく近々のうちに封鎖が解かれるようにということを目標にして、現在、最大限の努力をしている最中でございます。
  91. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 せっかくの御努力をお願いしたいと思います。  もう一つ、九州産業大学です。新理事長が学長を首にする、そしてまた地位保全の処分がなされて、三日天下だったというのでまた戻ってくる。いろいろな混乱の中で、その学長だけが反対をした理事会で九対一で、前理事長に三億六千五百万円の退職金と大学研修所の贈与、大学の研修所まで贈与されるという、こんなことが私学といえども本当にあり得るのかと思うような、びっくりするような決定がこの前なされていますね。おまけに、成績原簿が改ざんをされたという疑惑まで出てきて、本当に、いかに乱脈であったかというのが続々、相変わらず出されている。国士館とか九州産業大学の問題はこれだけということじゃないのですね。もっとたくさんの私学の問題がどんどん、例えば音楽大学の問題とか、去年、出てきていますよ。この一つ一つの問題を的確に改善し、改革し、解決していくことが実は大学全体の問題につながっていくわけですね。そういう意味で私はお聞きしているわけですが、この九州産業大学の問題を今後どうなさるおつもりですか。
  92. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 九州産業大学につきましては、一昨年のたしか秋だったと思いますけれども、いわゆる補助金の不正受領問題が指摘されまして以来、学校の運営について、そのこと以外に種々問題があるということが判明いたしたわけでございまして、文部省といたしましても、補助金問題については是正措置あるいはその後の、何と申しますか、いわば懲罰的な措置等も講じますと同時に、学内運営全般につきまして、理事体制の刷新等を柱とする数項目についての指導を行い、その後、その実現をたび重ねて指導してまいったわけでございます。  そういった経過の中で、昨年の十二月十八日に鶴岡前理事長が退陣をする、そして理事の一部が交代をするというような体制の変化があったわけでございます。ただ、これにつきましても、その体制変革の経緯やその結果の中身等を見ますと、文部省指導しているような趣旨に沿ったものとは認めがたいというように考えられることから、その趣旨を新理事長に対しても明確に指導いたしますと同時に、従来文部省指導してきた線を十分配慮して改革を検討するようにという厳しい指導を行ったわけでございます。しかしながら、その後、例えば、今御指摘がございましたように、鶴岡前理事長に対して非常に高額な退職金あるいは研修所の贈与といったようなことが決定されるというようなこともございましたので、去る四月四日であったかと思いますけれども理事並びに事務当局の者を呼びまして事情の聴取等をいたしました。指導等も行ったわけでございますけれども、なお十分でないと判断されますので、来週に理事長に直接出てくるようにということを連絡をしておるわけでございまして、さらに事情、特に退職金問題その他、その後の運営改善についての考え方等につきましての事情を十分聴取いたしました上で厳しい指導をしたいということで、そのような手順を進めているというところでございます。
  93. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 文部省としても、まだこれから理事長を呼んで十分指導していくということですから、そこに期待をしたいと思います。退職金の金額と研修所を合わせたって、今日まで国が補助金を出していたものの年間の補助金の半分、それで食われてしまうわけでしょう。今補助金打ち切っているわけだけれども、実に、幾ら功績があるとかなんとかといったってめちゃくちゃであることだけは、これは世間の常識として簡単にわかることですね。そういうふうなことが今後とも許されていいものか。学校というのはもうかるということであっては困ると思うのですね。ぜひとも的確な御指導を期待したいと思います。  大学の問題は以上で終わります。  最後に、ちょっと青少年非行の問題と色覚異常の問題についてお聞きしたいと思います。  最初に、色覚異常、いわゆる色盲とか色弱とか言われる。大臣、実は私も色盲でございまして、運転免許を取れないのです。赤緑色盲というので、赤と緑の区別がつかぬのです。イデオロギー的な区別はつきますが、それはまあ別として。先般、文部省学校統計によると、高等学校の男子生徒三・七八%、女生徒〇・一四%、これが色覚異常とされておるのですね。これは遺伝の法則で、両親ともが遺伝子を持っていなければ女性には出ぬようになっているわけです。私は一生懸命勉強しました、この遺伝の法則だけは、自分がそうだから。これは全国で三百万人に当たると言われます。この遺伝子を持っているお母さん、すなわち色盲の子供を産む可能性のあるお母さん、女性を含めますと五百五十万人と推定されております。実は明確な数字はわかりません。推定であります。それほどに色覚異常について余り皆さん、認識をお持ちではないのです。  私、最初お医者さんになりたかったのですよ。でも、色覚異常者は医者になれないのです。だから、結局途中で方向転換して、最後ここへ行き着いちゃっているのですけれども、よかったかどうかわかりませんが。しかし、自分が目指した職業につけないというのは、そのショックは本当に悲しいことです。そして同時に、例えばほかの身体障害者の皆さんへの配慮はいろいろなされ始めました。ところが、このことについての配慮がないのですよ。私は、図画の時間が一番嫌でした。だって、図画の先生に、おまえはけったいな色、おかしな色を塗るなとよく言われたものです。こういうことに対する実際の調査とそして対応は文部省教育の中でお考えでしょうか、何か。御配慮は。
  94. 高石邦男

    高石政府委員 学校教育の場で、色覚異常がある意味で障害になるような分野としては、御指摘のように図画であるとかそれから理科、それから交通安全の問題……(中野(寛)委員社会科の地図も見にくい」と呼ぶ)はい。そういういろいろな問題が指摘されておりますので、図画の場合なんかはそういう子供たちに対しては、絵というものを単なる色覚という観点でとらえるのじゃなくて、形だとか姿だとか、そういうものについて褒めながら、そういう色覚の問題について子供たちがコンプレックスを感じないような指導をしてほしいということをやっておりますけれども、なかなかこれがまだ画一的に、全国的に、こうしたらいい、ああしたらいいというところまでの指導が至っていないのが現状でございますので、こういう点の改善はいろいろ考えていかなければならないと思っております。
  95. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 色覚異常というのは、これもまさに今に始まったことではないのでしてね。  これは高等学校の男子生徒のうち三・七八、約四%という数字は、決して私は少なくないと思いますよ。民社党だって四%の支持率を得るのに四苦八苦しているくらいなのですからね。決して少ない数字ではない。そのことに対する配慮というのは、今局長お答えになったとおりですよ。これは就職戦線、だんだん門が狭くなっているのですよ。最近は事務処理の紙にしたって色分けでやるものですから、色覚異常者はだめだと言ってはねられるのですよ。就職の窓口さえだんだん狭くなっていく。私は去年の予算委員会で、信号の上に、赤、黄、青の上に、バツ、三角、丸をつけろ、そしたら色盲の私だって免許取れるぞと言った。今、両手両足がない人だって車の免許が取れる時代ですよ。ところが、その三百万人と言われる色覚異常者に対する配慮はないのですよ。子供たち教育の観点からいったって、これはゆゆしい問題ですよ。子供たちがこのことによってどれだけ泣いているかわからない。ところが、それは数字として上がってこないのです。これは遺伝するから外に対して言わないのです。結婚に差し支えるとか、いろいろなことがあって言わないのです。しかし、ならばなおさら配慮が必要なんじゃないでしょうか。  最近は校内暴力その他、そういう問題がだんだん数が減ってきました。だんだん内にこもってきました。今ふえているのは何ですか。暴力事件じゃないです。不純異性交遊と自殺ですよ。これに対して、また文部省はどういう対応をするのでしょうか。  問題は本当に次から次に山積して大変ですけれども、こういう問題について一つ一つ配慮のある教育というものがなされて初めて本当の教育だと思います。大臣、もう時間がありませんので、大臣に直接お聞きをします。
  96. 森喜朗

    森国務大臣 幼稚園、小中高等学校学習指導要領におきましてのいろいろな配慮については、今高石局長から申し上げたとおりであります。  これは中野さん、おしかりをいただくかもしれませんが、私は個人的に自分の私見を申し上げるのですが、私も中野さんが色覚異常だというのを初めて知りましてびっくりしましたけれども、そういうお立場でそういう方々のお気持ちが一番よくわかるわけですから、本当にあなたのお話、私は胸を打たれます。  しかし、文部省がそういうことをちゃんと調査もしてなかったというおしかりはおしかりとして受けとめますが、中野さんと私もこう長いおつき合いをしていますが、そんな御事情があるということを私自身もわからない。ということは、そんなことを余り調べない方がむしろいいのかもしれない。そういうふうに……(中野(寛)委員「違う」と呼ぶ)いや、違うかもしれませんよ、これは私見だと申し上げた。恐らくそういうことで、かえってそんなことを子供たちにどうかこうかと聞くことよりも、子供が直接先生に言ってくれて、そして先生と生徒との間の大事な約束事として、そして適切な指導をしていくのが恐らく今日までの教育の配慮だったのだろうと僕は思うのですね……
  97. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 大臣、済みません、御答弁の途中ですが、そのことだけちょっと話させてください。  色覚検査というものは、小学校に入学すると必ずやるのです。そして、色盲であるとか色弱であるとか、これは我々のころは必ず通知簿にきちっと載ったのだから。今でもそれは行われているのです。だから、検査をしていないのではないのです。検査してわかっているのです。私は、今まで配慮がなかったことを責めているのではありません。ただ、これから先そういうことを認識して十分な御検討の上に御配慮をなされるべきではありませんか、就職の問題やいろいろなことも含めまして。その先頭に文部省がまず立っていただきたいということです。
  98. 森喜朗

    森国務大臣 私自身もいつもやりましたから、検査がないと言っているのじゃありませんが、そういう調査の集計をきちっと文部省でしていなかったということは大変申しわけないことだと思いますが、改めてこうした問題に対しての御指摘が出てきておりますので、文部省としてもその対応やしっかりした指導をしていかなければならぬと考えております。  この前、参議院の予算委員会の最終締めくくり総括でコロムビア・トップさん、下村さんから、この色覚異常者に対する教育上の配慮ということについての御質問がございまして、今先生もちょっとおっしゃった、世界地図なんか見にくいんだというお話がございました。そういうお話がございましたので、早速文部省といたしまして、トップさん、下村さんが直接、こういうふうにしたらどうかという具体的な教科書を抜き出してそれを国会で御説明ありましたので、それに対します、色地にマーク等をつけろとかグラフとか、地図にはきちっと黒い枠をつけたらどうかというようなことについては、早速教科書協会に申し入れをいたしました。教科書協会の方で検討をするという考え方を示しておるわけですね。そして財団法人教科書研究センターに検討の委嘱を行う方法等を考慮する、こういうことを回答として言ってきておりますが、こうしたことだけではないと思いますので、今先生がいろいろとおっしゃいましたような事柄、教育上また文部省としての行政上やり得ることについては、こうしたことに対して十分配慮をしていきたい、そういうふうに各関係者に注意も促していきたい、こういうふうに考えております。
  99. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 終わります。
  100. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 午後三時三十分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後二時三十一分休憩      ————◇—————     午後三時三十九分開議
  101. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。山原健二郎君。
  102. 山原健二郎

    ○山原委員 教育と政治倫理の問題について、最初に簡単に伺いたいのです。  大臣の御見解を伺っておきたいのですが、今回、中曽根総理が副総裁に二階堂進氏を選んだという問題でございます。この問題は、かつて私も予算委員会で取り上げたことがございますが、田中問題につきましての決着がいまだついておりません。そういう中で、昨年の十二月に総選挙が行われまして、自民党の後退ということと同時に総裁声明が出されまして、この問題と関連して今回、二階堂氏が副総裁になるという事態が発生したわけですが、二階堂氏は、御承知のようにロッキード事件のときに、これについては私は全く関係がないということをおっしゃっておられたわけです。天地神明に誓って金品の授受はないんだということをおっしゃっておりましたが、昨年の十月十二日のいわゆる一〇・一二判決におきまして、ロッキード事件に関する三十ユニットにかかわる問題の中で、五百万円の金品の授受が行われたということが判決の中に明確に出てまいりました。こういう方を副総裁に選ぶということが、教育の問題と関係をしまして本当にどうなのかということなんです。これは中曽根総理が今度の教育大改革に当たりまして、御承知のように各地で演説もされましたが、儒教あるいは仏教、そういう日本にある精神文化を基礎にした道徳の高揚ということをおっしゃっているわけですね。私はその点から見ましても、儒教から見ても、仮に仏教から見ましても、そういった政治家の倫理にもとる行為についてこれを許すようなものは全くないわけでございまして、そういうことで今回のようなことが起こったということに対して、マスコミも一斉に反発をしております。  私は、昨日の新聞の社説その他全部読んだわけでございますけれども、これは毎日新聞の社説でございますが、これは総裁声明にもとるのではないかということですね。そして、二階堂氏はかねてより灰色高官と言われてきておったということが書かれております。さらに、こういうことになってくると、「これでは、首相は今後、教育改革を論ずるとき、徳育の必要を説くことが出来ないではないか。力説すればするほど、国民の側からは「猿のシリ笑い」としか受けとられないだろう。」という警告を発しておりますが、これが大体の新聞の論調だと思うんですね。私はその点で、いわゆる文教行政の最高責任者でおられる森文部大臣がどういう御感想を持っておるか、お伺いをしたいのです。いかがでしょうか。
  103. 森喜朗

    森国務大臣 教育改革を行います総理、そしてまた私ども自民党内閣、そして今度の二階堂副総裁の問題、今御指摘のような考え方もできるわけでございますが、今度の二階堂氏の副総裁就任というのは、あくまでもこれは党の運営に関して総理考えられたものによるというふうに私は承知をいたしております。個人的な政治家としての立場から申し上げれば、その手続とか、もう少し党内の議論を煮詰めてほしかったなというふうに私自身は思っておりますが、総理が党の総裁という立場で党の関係者と協議をされて、先般の党大会で一任をされましたというその決定に基づいて判断をされたものでございまして、こうした政治の問題、ましてをや政党の中におきます人事の問題を教育の問題と一緒に絡ませて議論するということは、私は適当ではないというふうに考えております。山原先生の御心配やまたお考えについては、私はそのこと自体についてはよく理解もできますし、先生お話しされることもごもっともなことだというふうな考え方もできますが、ただいまのところは、これはあくまでも政党の役員等の運営の問題でございまして、かかわり合いかないということは言えないかもしれませんけれども、そのことと教育行政を進めていくということについて、むしろ大人としての判断をしていくしかない、私はそのように考えております。  今後とも、教育国民の、特に児童生徒に大きく影響するものでありますだけに、私としても文部大臣という立場で、この立場を大事に考えて一生懸命教育行政の任に当たっていきたい、こう考えております。
  104. 山原健二郎

    ○山原委員 私にも一言言わせていただきたいのですが、これは派閥の次元とかそんな問題ではなくて、教育改革に大きな陰りができましたね。私はこの前予算委員会で、大臣もお聞きいただいておったと思いますけれども、中曽根総理に対して、教育改革をやるとおっしゃるならば、現在合意に達している四十人学級の問題とか、それから現に育ちつつある子供たちの今日の非行や暴力、落ちこぼれの問題を解決してもらいたいというこの国民の切実なる要求に対して本当にこたえていくという姿勢がなければ、将来に向かって改革をやる、二十一世紀を展望してと言われましても信頼することはできない、その意味で私は予算の面からこの間は追及をしたわけでございます。今度はもう一つの側面として、精神的側面として、本当に教育改革をやるという、しかも道徳項目を大事にしなくてはならぬ、徳育の尊重ということを言っておられる、人柄を大事にするということを言っておられるわけですね。その点について、今度の出来事というのは、これはいかにも国民の気持ちとは離反した行為であるという点で、本当に今後の改革に大きな陰りを明らかに落としたというふうに思います。  かつて、これは一九七四年ですから田中内閣のときでございますが、忘れもしませんけれども、ちょうど選挙のとき田中さんが随分、教師に対する攻撃もいたしました。そして、あのときも教育問題を一つの選挙の争点にされまして参議院選挙が行われたわけでございます。そのときに当時の田中首相が出しました五切十省ですね。これは今思い出しましても、人間を大切にしようとか自然を大切にしようとか、あるいは時間を、物を、国と社会を大切にしようといういわゆる五切、それから十省というのは、友達と仲よくしたか、弱い者をいじめなかったか、お年寄りに親切であったか、生物や草花を大事にしたか、約束を守ったか、交通ルールは守ったか、親や先生など人の意見を聞いたかとか、食べ物に好き嫌いを言わなかったか、人に迷惑をかけなかったか、正しいことに勇気を持って行動したか、こういう項目を挙げられたのですね。  私は、このこと自体、一つ一つ言葉はよくお考えになったものだと思いますよ。けれども、これが本当に人々の心を打ったかというと、そうではなかったわけです。ああいうロッキード事件が起こりまして、これはむしろ逆な効果になりまして、遂にあのときも参議院選挙で与野党伯仲という時代を迎えたわけでございまして、そういう面から見まして、これは今度教育改革に本当に大きな陰りを残したという意味で、本当に教育を論ずる政治家としてお互いにこの問題について黙っておる必要はない。私はむしろ、森文相はかつて自民党の中でも造反をした姿を見ております。自分の信念に基づいて行動された。それは考え方は私と違うとしても、確かに勇気を持って行動された時期を見ておるわけでございまして、そういう意味で私は、まことに森文部大臣としても心中穏やかでないといいますか、残念であるといいますか、そういう気持ちでおいでるのではないかと思うのです。その点をお聞きしたかったわけでございますが、あえて追及はしませんけれども、もう一言お考えを伺っておきたいのです。
  105. 森喜朗

    森国務大臣 私も、予算委員会また文教委員会等でたびたび申し上げておりますが、もちろん教育改革を進めるのは総理大臣が政治的な判断をされたことによりますけれども、私自身教育改革をしなければならぬという気持ちは従来から持っておりましたし、また各党各会派の皆様方も、教育改革に対してそうした国民的要請のある時期だというふうに御判断を、それぞれ立場は異なりますが、お考えになっておりました。そういう時期でございますから、私も総理のその考え方に賛意を示して、今が一番いい時期である、こういう判断を私自身はいたしたわけでございます。  今御指摘のように、党の人事とは申しながら副総裁に二陸堂さんを選ばれた、そのことに対して国民の厳しい批判が出ておるということを、私自身も承知をいたしております。だからこそ、私はなおのこと、今この教育改革の時期でありますだけに、私自身も、自分の気持ちからいえば、いろんな意味で山原先生お話のような点も考えないわけではないわけでありますが、だからこそ、今こそ私自身もしっかりして、総理をしっかり支えて教育改革をしていくことが、よりもっと大事なことではないか、私はこのように考えているところでございます。
  106. 山原健二郎

    ○山原委員 私も納得はできませんが、これは納得して済むという問題ではありませんのでこの辺でおきますけれども……。  二つ目の問題は、国士館大学の問題です。これは今回、四月の十日に柴田梵天氏が辞任をされたわけですけれども、寄附行為の変更をして館長制度を設けて、その梵天氏が名誉職として就任をした。さらに理事の人数をふやす、あるいは評議員の人数をふやすということでございます。そして、当分の間、理事長事務取扱に光定理事、学長事務取扱に柴田梵天氏の子息である柴田徳文氏が就任をするということでございまして、文部省にこれを報告しております。  ところが、これに対しても、今まで質問がありましたから詳しくは申し上げませんけれども、六学部長による声明が出されておりまして、寄附行為の改正は手続上も内容上も改悪と判断せざるを得ない、改善ではなくて改悪だ。むしろ悪くなるという意味ですね。それから教職員組合の声明も、受け入れることはできないということでございまして、国士館問題の解決にはつながっていないということが明らかだと思いますが、これは文部省としてどう受けとめておりますか。先日もお答えになりましたが、もう一回伺っておきたいのです。
  107. 森喜朗

    森国務大臣 事務当局の方で事情聴取をいたしたり報告を受けておりますので、その事実関係もございますので、まず政府委員から答弁をさせます。
  108. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国士館大学の件でございますけれども、四月十日の理事会におきまして大学の管理運営に関して重要な決定をしたということで、十日の夜に文部省に、翌十一日に報告に行きたいという連絡がございまして、十一日の朝、柴田それから光定両氏が見えたわけでございます。柴田氏は既にその前日の理事会で理事長・学長を辞任したということで、光定氏が理事長事務取扱に就任をしているということでございますので、主たる説明は光定理事長事務取扱からあり、柴田氏は前理事長という立場で見えたというようなことでございます。  報告の内容は、先生お話にもございましたように、柴田梵天氏が理事長・学長を辞任する、そして名誉職的なポストとして館長職を設けて、それにつくことを予定している。それから、後任の理事長、学長については文部省の推薦を受けて理事会で決定をしたい、ついては文部省から推薦をしてほしいということ。さらに、それまでの暫定的な措置が必要でございますので、学長、理事長両方につきまして事務取扱を置くということ。それから、理事及び評議員につきまして、今後の大学の適正なる運営をするためにという見地から、理事、評議員の定数を数名ずつふやすというような内容でございます。そして、その理事、評議員の定数の増の関係とそれから館長職の設定の関係につきまして、寄附行為の変更が必要でございますので、その認可申請書を持参されたというような状況でございます。  現在、文部省といたしましては、その持参されました資料等についてさらに十分大学側の考え等を問いただす必要がございますので、逐次質問等を発し、事情聴取等も重ねておるわけでございますが、さらにそれに加えまして、いわゆる正常化を主張しておられるグループの方々、学部長の方方あるいは組合の方々、いろいろな方々おられるわけでございますけれども、そういう方々からの御意見等も数回にわたり事情聴取をしているというようなところでございまして、全体についてどう対応するかについては、それらの事情等十分検討した上で判断をしたいということで、そういう作業を進めているという段階でございます。
  109. 山原健二郎

    ○山原委員 今日の事態は、これはもう当然予測された事態なんですね。安高氏の刺殺事件が起こりましたときにも、私どもも、かなり厳しくこの問題をこの委員会で取り上げてまいりました。そういう中で今度の事件が発生をしておるわけでございまして、あれから本当に長期間にわたって一体何をしておったのかということが問われておると思うのですよ。  今事情をお聞きになっておるというお話でございますけれども、それはそれとして、御努力なさっていることに対してとやかく言うわけではありませんけれども、しかし、あの事件が起こったとき、相当厳しく文部省に対しても要請があったはずだと思います。そして、私のお聞きしたいのは、これで問題が解決するかということですね。この寄附行為の改正につきましても、例えば舘長という新たな組織ができるわけでございますが、「舘長は創立者の後高とし、前舘長の指名による。」しかも「舘長は創立の精神を承継し、この学園を象徴する。」こういうものはほかにありますでしょうか。
  110. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私学でございますので、それぞれの建学の事情とか、そういったようないろいろなことからいろいろな形の職が置かれているケースはあるわけでございまして、例えば総長でございますとか学園長でございますとか、いろいろな名称で寄附行為上制定されているものもあり、事実上置かれているものもあるわけでございます。  ただ、他のケース、私どもも全部を詳細に調べたわけではございませんので、詳細に申し上げかねるわけでございますけれども、一般のケースから申しますと、そういった舘長職あるいは学園長職というような場合には、理事あるいは理事長等を当然兼務するというような形になっているケースが多いわけでございまして、純粋な名誉職というようなケースは例に乏しいのではないかと思っております。
  111. 山原健二郎

    ○山原委員 こういう世襲制の舘長というようなもの、それから象徴というようなものがあるんでしょうかね、今。他にありますか。
  112. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 この世襲制と申しますか、「創設者の後商」云々と書いてある等の点につきまして、現在他の例等を調べながら文部省として検討しているところでございまして、まだそういう例は発見をいたしておりません。
  113. 山原健二郎

    ○山原委員 例えば総長とか、これは専修大学等にもあったりまたなくなったりしているようですけれども、世襲制などというものはあるのか。総長などといっても、本当にすべての人の総意、そしてそれにふさわしい人物がなる場合があるでしょうけれども、それがずっと継承して世襲制になって、しかも象徴ということになる。ちょっと異常な状態だと思いますね、これも。この舘長というのはどういう権限を持っているのですか。
  114. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 学園側からは、全く名誉職であって何らの権限を有しないと伺っております。なお、当然理事会等に出席することもあり得ないことであるということも伺っておるわけでございます。
  115. 山原健二郎

    ○山原委員 そうであれば、そういう規定があるとかいうことが必要じゃないでしょうかね。象徴と言えば、これはほかにもおいでる人がおるわけですけれども、これは国事行為に参加しない天皇の象徴というのがあるわけですね。これは全然何もないでしょう。
  116. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 こういう規定の仕方としてどういうことが適当であるかということは、私どもも検討しなければならないと思いますけれども、ある職を設けます場合に、こういうことをしてはならないとか大学の管理運営にタッチしないとか、そういう格好の規定を設けるというのは非常に少ないんじゃないかという感じがするわけでございまして、条文の趣旨から見れば、少なくとも象徴と書いてあるだけであれば、この条文からはまさに名誉職であるというふうに私どもは読み取っておるわけでございます。
  117. 山原健二郎

    ○山原委員 文部省管理局長はそういうふうにお受け取りになっておられるようですけれども、学内ではそう受け取っておりませんね。  例えば「館長という名誉職に就任したことは、一見形式上文部省指導勧告に答えたように見えるが、実質は柴田梵天館長の院政が制度上、可能である。なおかつ、文部省指導勧告にあるように」これは理事の問題が後で出ていますけれども、こういうふうに出ておりまして、学部長さんたち六名の連名の文書、それから、現に国士館大学の封鎖の状態が解かれておりません、そういう状態、あるいは教職員組合の持っておられる危惧の念、あるいはそれだけでなくて、これは部課長さんたちまでが、事態の早い解決を望むという文書を出されておる。  言うならば柴田梵天氏の周辺に一番近くおられた人までが、今度の問題でこういうふうに柴田梵天氏にいわば反旗を翻して立ち上がっておられるんじゃないかというふうに思いますと、これはもうほとんど国士館大学挙げてこの問題で梵天氏に対する批判的立場をとっているということを見ますと、文部省の受け取り方というのは甘いんじゃないでしょうか。舘長となっても学校の管理運営その他に対しては完全に手を切ったというふうな形で受け取っていないんです、現地では。それはどうですか。
  118. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 私、先ほどからお答えしておりますのは、実態がそうだというふうに文部省が受け取っているというお答えをしているわけではございませんで、この規定の趣旨を、この規定を文字どおり読めば、象徴であるということは、運営上等の権限を持っていないと解釈するのが普通の解釈であろうということを申し上げていると同時に、事情の説明を受けましたときに、いわゆる院政云々という不安が一般に持たれているがということの質問を申し上げましたところ、そのようなつもりは毛頭ない、理事会にも出席をするわけでは決してありません、こういう回答を得ているということだけを申し上げておるわけでございます。  なお、これを後具体にどう判断するか、どう対応していくかということについては、諸般の情勢等を十分に見きわめた上で文部省として判断をしたい、こういう態度で現在おるわけでございます。
  119. 山原健二郎

    ○山原委員 もう時間の関係で端的に言いますが、この国士館大学の問題を解決する道は幾つかあると思います。  一つは、現在問題になっている解雇の撤回だと思うのです。解雇通知の書類を見せていただいておりますけれども、これはほとんど同文ですね。そして、現地にいなかった人までが処分をされているということに対する反発も強いわけでございまして、この解雇の撤回ということをまずやる必要があると思いますが、これが一つと、それからこの解雇に絡みまして、監事である野田平太郎氏が解職させられておりますが、御承知でしょうか。
  120. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 後の方からお答え申し上げますと、監事の任期が既に切れておられた方について、後任を発令するまでの間、前任者にそのまま仕事をやっていただくという学内規程に基づいておられた方でございますけれども、その時点で後任者を発令したということが行われ、結果的に前任の方が解雇されたということは事実でございまして、承知をいたしております。  それからもう一つの、解雇撤回問題でございますけれども、これは大学当局といたしましては、この解雇問題につきましては新しい理事体制が確立した段階でその判断にゆだねたいということを意思表明しておるわけでございますが、なお、先ほどの中野先生の御質問にもお答えいたしましたように、その個々の事情等、個人個人によって十一名の方々が違っているというようなこともあり得ることでございますので、本日朝から、個人個人の方々の当局側の解雇理由と御本人の申し分というのの突き合わせを大学の人事担当の事務当局で開始をしているということで、本日いっぱいぐらいかかってその話し合いが行われる予定である、こういうふうに聞いておるわけでございまして、そういった形でデータを整えた上で新理事会の判断を仰ぎたいということのようでございます。
  121. 山原健二郎

    ○山原委員 今、監事の方は後の方ができたと言われますが、お名前はわかりますか。
  122. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ちょっと資料を調べますので、若干時間をいただきたいと思います。
  123. 山原健二郎

    ○山原委員 この今まで監事を長くやってこられました野田平太郎氏が、柴田梵天氏に対して三月七日に手紙を出しております。その手紙の内容は、「固苦しいことを申し上げますが、私立学校法で規定された監事の職務は財産の状況理事の業務執行の状況の監査と共にこの監査の結果、不整の点のあることを発見したときは、これを所轄(文部省)に報告すること等これが監事の職務であり義務であります。」こういうふうに書いておりまして、当然監事の重要な役割から、その「不整」の事実がありました場合には、これは文部省報告しなければならぬ。それが監事の仕事ですね。そのことを前文に書きまして、「記」として一、二、三、四、五、例えば五番目には「財産の状況、経理の内容について資格ある公認会計士の監査を受けられることはないのか。」「以上重ねて要請しますが本年三月十五日までに文書でご回答下さい。」  これは、監事の野田平太郎さんとしては当然の柴田梵天氏に対する要求なんですね。これをやらなかったら監事の任務はできないわけです。また、文部省の今回の指導による六項目の中にもこのことはあるわけですから、それに基づいてこの野田さんはこういう手紙を出しましたのが、今言いましたように三月七日です。そして十五日までに御返事をいただきたい、こういう当然の職務を遂行した。そうすると、その十五日を待たないで三月十日の日に、手紙を出しました三日後に、この野田氏に対して解職をしている、こういうことです。これが監事という私立学校における極めて重要な仕事を持っておられる野田平太郎氏に対する処遇の仕方でございますが、これも文部省としてお認めになっていますか。
  124. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先ほどの新任の監事の方のお名前でございますけれども、鈴木惣吉氏でございまして、第一航業株式会社という会社の社長をしておられる方が新任の監事として任命されております。  それから、先生おっしゃいましたような監事の解任と申しますか、にかかわります経緯につきましては、私どもといたしましても問題があるケースではなかろうかという印象を持っておるわけでございますが、解任をいたしました理事自身が既に退陣をしてしまったという段階でもございますので、新理事会の体制等がどういう形にしろ、つくり上げられなければならないわけでございますので、そういう中において、こういった過去の問題等につきましても検討が行われることを期待いたしたいと思っておるわけでございます。
  125. 山原健二郎

    ○山原委員 まず、解雇の問題、この十一名の教職員の方に対する解雇の問題を解決すること。二つ目は、これは理事が総辞職して経営陣を一新すること。これは、文部省の六項目の中でも全理事の退陣を求めておると私は思います。これが二つ目。それから三つ目に、問題は柴田氏を断ち切ることです。国士館大学問題のがんは柴田梵天氏なんです。これはもうどんなに弁解しようにも、あるいはどんなに擁護しようにもしようのない事態なんですね。このことがもうすべてがんになっている。だから、柴田梵天氏の周辺におられた方までが造反しているというこの事実、しかも、殺人事件まであったわけですから、ただごとじゃないので、その意味で、館長であるとか名誉職であるとか、あるいは後高であるとか象徴であるとかいうようなことでなくて、柴田梵天氏その人が国士館大学から本当に実質的にも退くことが、今までの経過から見ましてこの国士館大学の問題の解決の一番の道だと思わざるを得ません。その点を文部省はどう受けとめていますか。
  126. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先生も御案内のように、既に柴田理事長が退任されてしまって、現在は理事長事務取扱以下残りました全員で、四名の理事によっていわば選挙管理内閣的な状況にあるわけでございますので、その段階でいろいろな懸案を片づけるということは事実上難しいところはあろうかと思うわけでございます。したがいまして、まずは文部省が推薦するかどうかという問題はございますけれども、どのような形にしろ、新しい理事体制をつくってこれらの問題に対応していくということが現在一番の急務ではなかろうか、こう考えておりまして、そういう方向文部省としても検討もし、協力もしたいと考えておるところでございます。
  127. 山原健二郎

    ○山原委員 五十三年のあの問題の起こりましたとき、御承知のように対策委員会ができまして、この対策委員会については、一応これは文部省もお認めになった時期がありますね。それから大学の方でも、ちょっとこの写しを持ってきたわけでございますが、この対策委員会意見が誠実に一つ一つ実行されておれば今日の問題は起こらなかったと私は思います。あれだけ苦労をされまして、しかもあの大変な事態の中で対策委員会をおつくりになって、そしてその実施の綿密な作業もされましてこういう対策委員会の対策が立てられたわけでございますから、これが本当に実行されておれば今日のような事態は起こらなかったと思いますが、これが実行されていないということ、そしてまた禍根の根が残っているということですね。やはりここのところが解決されなければ、仮に一時的な結末がついたかのごとく見えたとしても、悪しき事態はまた発生する可能性を持っています。  そういう意味で、今度は文部省としましても、あいまいな態度ではいかぬと私は思うのですね。そういう意味では、本当にやるべきことをやっていく、そして、本当に国士館大学が民主的に運営される基礎をこの際築いていくというふうな構えで立ち向かっていただく必要があるのじゃないかというふうに思いますが、その点、いかがでしょうか。
  128. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 対策委員会、五十三、四年当時でございましたか、そういうことが行われまして、一歩前進したかに見えたけれどもその後実現を見なかったということは、御指摘のとおりであろうと思います。私どもも、非常にざっくばらんに申し上げまして、こういったことが柴田体制のもとでできるかどうかというあたりに大きな問題があるというようなことがあるからこそ、理事体制の刷新、特に理事長の責任重大ということで柴田氏の進退についての考慮を求めてまいったわけでございまして、その結果として、いわば一つの前進が見られたというふうに思うわけでございます。私どもの究極の目標は、かねて先生御承知のように、国士館に対して公に指導しております数項目の改革が実現するということでございますので、そういった目標に向けまして引き続きその実現のための最良と思われる方法を考えながら対応していきたい、こう考えておるところでございます。
  129. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一言聞いておきますが、文部省は、現在の全理事の退陣をお求めになっていなかったのですか。
  130. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 これは少し複雑な経緯でございますけれども、既に私ども理事体制の刷新、いわば全理事の退任に近いような、そこまで具体には申しておりませんけれども、そういうたぐいの指導をいたしました。その後に、柴田氏を除く理事は全員が任命がえになったわけでございまして、当時から残っておったのは柴田氏一人ということでございますが、今回御退任になりましたので、そういう意味では、文部省の公式指導後は既に全員がかわった格好になっておるわけでございます。現在残りました理事体制が適当であるかどうかということはまた別問題でございますけれども、形式的にはそのような状況になっておるわけでございます。
  131. 山原健二郎

    ○山原委員 理事の選出、また理事の体制を本当に腹を割ってお聞きしたところでは、まさに梵天氏のいわば側近ということですね。これは全くその機能を発揮していないと言えば一方的になるかもしれませんけれども、本当に国士館大学を運営していく理事らしく動く状態にはないと言われております。評議員にしましても、今までの評議員の中で半数は理事の方でございますし、また、先般起こりましたあの例の安高事件に関係した人たちもこの中に入っておるということで、梵天氏が国士館と本当につながりが断ち切れることが一つでございますが、やはり国士館における理事並びに評議員、この人たちも体質を変えなければ問題の処理にはならぬと私は思いますが、文部省としてはその辺、どういうふうに把握しておられるでしょうか。
  132. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 理事体制の問題につきましては、これは内面指導といたしまして、従来から理事長を含めまして理事の数が五人で運営されておりますが、その体制は、国士館ほどの規模の大学を運営するにしては規模が小さ過ぎるのではないか、言葉が適当かどうかはあれでございますけれども、いろいろな難問題を解決するに当たりましては、いわば挙党一致内閣的な構えで運営をするためには理事の数をさらにふやした方がいいのではないかというような指導もしておったわけでございますが、今回理事並びに評議員の定数をふやすという改正をこの機会にする。そのそれぞれのメンバーについては決めないままに寄附行為の改正についての認可申請が出てきたわけでございますので、そういう意味では新しい体制がつくりやすいような仕組みは考えられているというふうに見ておるわけでございます。
  133. 山原健二郎

    ○山原委員 最後に、文部省が苦労されていることは私はわかります。ただ、前にも随分苦労されたわけですからね。そして解決できないままに、先ほど御質問がありましたように、学校は現在封鎖されておるという、下手をすれば不測の事態が起こるという、これではまた一層問題は拡大をするばかりでございまして、そういう意味では、本当に勘をつかんで、的をつかんで問題を解決していくという姿勢、しかも私学への介入という形にならない巧みな方法といいますか、そういう手だてが今日必要だと思うんです。そういう意味では、大臣もいろいろお考えになっておると思いますし、また御苦労もされておると思いますが、しかし、いつまでも日を延ばすことのできる問題でもないと思いますね。推移を見守ってから解決するという問題でもないと思います。そういう意味で、大臣の決意あるこの問題処理のお考えを伺っておきまして、この問題は私はこれでおきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  134. 森喜朗

    森国務大臣 大変長い間の経緯というのはございますし、それから今、山原さんが大変よく理解をしていただいておるということで、文部省も感謝をいたしますが、私学と文部省という立場、大学の自治、大学の自主性ということを考えまして文部省にはいわゆる限界というものがあるのも、先生も十分御理解の上での御発言であることも、大変感謝をいたしております。  ただ、国会のこの文教委員会が開始いたしますと同時に御論議がかなり活発に深まってまいりましたし、また私自身も、個人的にはこうした不正常な形は決して好ましいことではない。文部大臣という立場におきましてはもちろん限界はございますが、個人政治家として、また、私学というものを大事に今日まで考えてきた一人の政治家として、何とも許しがたい状況であることは、私もたびたびこうした場でも申し上げているわけでございます。  そういう中で、確かに長期にわたることは、これはできるだけ防がなければなりませんが、ここのところかなり新しい動きが出てきたわけでございまして、これは文部省もいろいろ努力をいたしましたけれども、各党会派を通じて先生方の大変な御関心によるところが多いものであろう、また世論の盛り上がりということに対しましての柴田さんの判断というものもあったのだろう、こう考えております。  そこで一番大事なことは、確かにおっしゃるとおり、解職した方々のことをもとに戻す、撤回をしろ、あるいは柴田、完全に切ることということは、確かにそのとおりではございますけれども、今局長が申し上げましたように、今まさに暫定的な、一時的な現状を把握している内閣にすぎないんです。内閣という言葉はいいかわかりませんが、理事体制でしかない。そして、新たな理事長、学長をぜひ選任をしたい、あるいはまた文部省にぜひそのことについて指導願いたい、こう言ってきているわけでございますから、直接するかしないかという問題については別途の問題といたしましても、やはり新しい理事体制ができる、その中で新しい学園の民主化を図っていくということが一番大事なところだというふうに私は考えておりますので、非常に難しいところでございますが、文部省といたしましても、先ほどからたびたび申し上げておりますように、今直接現場に行って調査をいたしたり、意見を聞いたり、いろいろな形でできるだけ早く結論が出るように努力をしておる最中でございます。  館長につきましても、確かに山原先生御指摘のとおり、単にこれが理事長・学長から館長に変わっただけというものならば、これは断じて許しがたいことでもございます。しかし、現実には理事会には出ないとか、こういう後節とするとか云々ということについては、私も若干いろいろ疑問はございますけれども、しかし、現実に権限は持たない象徴的な立場、象徴という言葉もどうかと思いますけれども、そういうことであるとするならば、確かにこのこと自体にはいささか私どもも疑念は挟みますけれども、国士館全体がこのことによって民主的、そして新しい事態に変わっていくということであるならば、そのような角度でもう少し見詰めてみる必要があるのではないかというふうにも私は思っております。  もちろん私自身は、柴田さんそのものを認めるという、そういう立場ではございません。そういう意味で、これからさらに積極的に、大学の自主性ということも十分踏まえながら、この問題につきまして文部省も積極的な対応をしていきたい、こう考えておるところでございますので、いましばらくこの推移をお見守りをいただきたい、このように改めてお願いを申し上げて、文部大臣としての今、見解を問われましたので、お答えとさせていただきます。
  135. 山原健二郎

    ○山原委員 これでこの問題はおきますが、とにかく今までの経過から申しまして、私は、柴田梵天氏がこの国士館大学から本当にきれいさっぱりと身を引くことが先決問題だと思っております。だから、館長とかそういうことについては、これはもうどなたが考えても納得のいけるものではないし、新たな場所をつくっただけという見方も出てくるわけでございますが、とりあえずそれは、理事会にも一切出ない、また運営その他にはタッチしないということは当面明確にすべきだと思いますし、今後の推移によりまして、また各党ともこの問題については関心を持っておりますし、関心だけでなくて、早く解決をしてあげたいという気持ちは一緒だと思いますので、その点今後とも努力を御要請申し上げて、この問題は終わります。  次に、これは森文部大臣に対しては少し気にさわることかもしれませんが、今度の教育改革と関連しまして、中曽根総理に対してはその基本姿勢についてかなりお尋ねもしてまいりました。また、他の議員の方たちも、今度の国会の中でいろいろ質問をしております。  例えば、中曽根首相が「新しい保守の論理」に言われております例の戦後教育は外来種であるという言葉につきましても、中曽根首相の見解は伺ってきたのでございますが、森文部大臣はこの首相の過去の発言に対してどういう御見解を持っておりますか、一言伺いたいのです。
  136. 森喜朗

    森国務大臣 総理の過去の御発言についてどのように見解を持つかということでございますが、私は、総理のすべての発言を全部詳細に調べているわけでもございませんし、断片的にこの国会の審議を通じて、今山原さんも一例具体的に申されましたように、そういう形で認識をいたしておるところでございますが、政治家発言として、総理大臣というお立場ではなくて、政治家というのはやはり恐らくいかなる年限であっても、政治家としてのいろいろな意味での希望や持論というものは持っておられるのだろうと思いますし、それはその都度、政治家というのは情熱を燃やして国民に対し、あるいは選挙民に対していろいろな自分考え方を主張してくることは当然であろうと思うのです。したがって、そのこと自体を踏まえて、この人間はこういう考え方を持っておるから危険だというふうに果たして全部を規定できるものかどうか。やはり総理大臣として今どのように考えて、どのように教育改革なら教育改革に臨む姿勢があるのかということを私は問うべきであろうというふうに思います。  そしてまた、もちろん中曽根個人でやれるものではございません。当然これは党として、議院内閣制である限りはやはり党がバックアップしていかなければならぬことでございますし、当然国会を通じて野党の皆さんの御見解や御批判や、いろいろな御意見等踏まえて、その論議の中でやっていかなければならぬことでございますから、過去に総理がいろいろなことをおっしゃることは、やはり政治家としての希望であり、また夢であり、いろいろな考え方であろうと思いますから、そのことがそのまま総理大臣になられたからやれるということではないと思うし、仮にそういうことをやれるという、そういう今の政治の仕組みではないはずだと私は思います。したがって、そういう意味理解をいたしておりまして、各党会派を通じて、いわゆる教育というこの制度をいろいろな意味で今考えてみるべきであるという、そういう国民的要請というのは極めて大きい、極めてすそ野が広い、こういう時期であるというふうに考えて、この要請に基づいて、今みんなでこのことを考えるという最適な時期に入ってきている。そして、総理個人ではなくて、内閣総理大臣という立場で、政治の一番大事な問題意識としてこの教育改革を提唱されたということに、むしろこの教育改革は今、国民の中に一番大きな関心を持たれているというふうに私ども理解して、この時期にこの方向国民の多くの議論をいただきながら、何とかして二十一世紀を担う子供たちにふさわしい教育制度をみんなで考えて、そして残していくことが、現世の政治家に与えられた最大の責務であるのではないか、こんなふうに私は考えているところでございます。
  137. 山原健二郎

    ○山原委員 過去の発言をいろいろ取り上げて恐縮ですけれども、なぜこんなことをしつこく聞いておるかといいますと、私は、中曽根さんの考え方、それは過去の言葉であり、たしか総理大臣になってからの言葉ではないと思いますが、森文部大臣の過去の発言、これをちょっと見てみますと、これはちょうど文教部会長をされておった時代に、第四回の自民党夏季研修会における講演の記録を読ませていただいたわけでございますが、この中に「わが党の文教政策と日教組対策」というのが載っておりまして、その中でこういうお考えが述べられております。「第二の教育改革は、戦後の占領下にアメリカ政府が押しつけた今日の教育制度である。しかし、これは押しつけられた憲法以上に、今日いろんな意味で矛盾をはらんでいる。」「この量的拡大がある程度満たされることは逆に質的な矛盾や誤ちが生ずることになる。それをこれから改善していかねばならない。このことはおそらく、次の第三次教育改革の実現につながるものと思われる。」  こういうふうに、戦後教育が押しつけられたものであって、そして、今日の教育制度の改善がこの第三次教育改革という、こういうお考えではないかというふうに、この文章から見ますと思われますが、その点はどうでしょうか。
  138. 森喜朗

    森国務大臣 大変山原先生に気にさわることを言うかもしれませんが、山原先生よりも私の方が戦後の教育を実際受けてきたのです。私は小学校二年生になるまで戦前教育です。そして、戦後がらっと変わったわけです。いい悪いを言っているのではなくて、その体験者なんです。だから、環境や政治やいろいろなことで教育が変わると、本当にいろいろな意味教育を受ける子供たちは困るなという、私はそういう感想を持っておるのです。先生先生というお立場でいろいろ感想はお持ちでしょうけれども、私は実際、教育を受けてきたわけですね。今までこのことが正しいと思って教えられたことが全部違ったのですね。そういう意味で、私たちは非常にある意味では被害者だ。こう考えております。  無理な戦争をして、そして世界からある意味では制裁を受けた。そして戦後、新しい民主教育になる、そして自由と平和というものを大事にする、民主主義というものを大事にする。これは私はすばらしいことだと思うのです。そのことについて、私はためらいも何もないのですが、我々がその当時から聞いてきた経過、あるいはアメリカの教育使節団が昭和二十一年三月に来て日本教育制度をしいた、その経緯は、いろいろなところで本を読んだり、いろいろな人の話を聞いておりますから、やっぱり押しつけられたというふうに当時として考えざるを得ないのじゃないでしょうか。日本は戦争に敗れたんですから、私はいたわけじゃありませんけれども、そんなことをアメリカに物を言えるというような立場日本はなかったと思うし、当時おられた方々のお話は、個人的に名前を申し上げるのは失礼でありますから申し上げませんが、当時文部省におられた方のお話をその後自民党の中で講演として伺っても、私はやっぱりそういう形があったのだなというふうに感じます。  だから、そういう意味で、私はすべてアメリカから来た今の制度が悪いということを言っているのじゃないのです。国会の中で一番与野党の皆さんの議論になるところは、また野党の皆さんもいろいろなことをおっしゃいますが、今の日本国民年齢構成を考えてみても、もう昭和生まれは八割でしょう。そして、民主主義と平和というものを大事に考えてきた人たちの方が圧倒的に多いのです。戦争を求めたり、徴兵制度をやったり、戦前に回帰して復興させようなんて考えている人が、今の若い世代にいるはずがないのです。一番大事なのは、むしろ戦争を体験した人たちの観念が一番大事なんでしょう。戦争を体験した人たちは、主義主張は違っても、与野党を問わず、戦争などはしちゃいかぬと一番反省している年齢層じゃないでしょうか。この皆さんがいろいろな意味で、制度的にも政治の上でもブレーキをかけておられて、私は今の健全な日本の政治体制になっていると思うのです。  ですから、私はそういう意味で、単にアメリカに押しつけられたものはいかぬとか、そういうことを申し上げているわけじゃありませんが、たまたま今先生がおっしゃったように、量的拡大はよかったけれども、そのために質的な改革に矛盾が起きた、こう私がたしか申し上げたことが、今先生から御指摘がございましたけれども、確かに量的拡大してみんなが教育を受けられるように広げていった。その結果、例えば高等学校でもそうでしょうし、中学校でもそうでしょう。大量に入れるようになった。入れるようになったために能力といりもの、恐らく人それぞれによって、これは差別ではなくて能力の差異があるのは当然ですね。それが同じような中で、民主主義教育——差別教育をしてはならぬぞという土俵の中で量的拡大をする中に、勉強をもっとしたいと思う人が、ある意味では足どめを食わされている面もあるだろうし、本当はついていくのがつらくて、やりたくないと思う子を無理して現場に入れて教育の土俵の中に議論をさせるから、突っ張ってみたり先生に対するいろいろな意味での対応が出てくるという面がある。民主主義教育というのは大事なことだけれども、そういうところは少し逐次改善をしていかなかったら本当に教育というのは行き届かないんじゃないだろうか、憲法にも「能力に応じてこと書いてあるはずなんだから。そこのところを、民主主義あるいは自由主義、平和主義ということに余りにもこだわり過ぎて、そういう中に矛盾が出てきておることが、やっぱり今日の教育の荒廃の一つ原因になっているのではないか、私はこのような考え方を持って、そのとき自民党の中で講演をした次第であります。
  139. 山原健二郎

    ○山原委員 きょう私は、私の意見は言ってないのです。それで、文部大臣が過去に言われたことを確かめておきたいと思って言っているんですが、反論をしていただくこと、またそれに注釈をつけていただくことは結構ですけれども、もうちょっと短くやっていただきたいと思います、時間の関係で。  それで結局、私はあなたのおっしゃることを単純に受けとめると、押しつけられた教育であったという。これが中曽根さんのおっしゃる、外来種であった、そして文部省や中教審がやっておることは、その外来種の教育の改善を小刻みにやったにすぎないというのが、これが中曽根首相の過去の発言なんですね。それと似通ったものがありますから、その点を確かめておきたいということでお聞きをしているわけです。  それともう一つは、この間お聞きをしたときに、教育基本法に基づいて今度の臨教審は論議をしていただくことを希望しております、しかし、だからといってそれだけにこだわらないで、自由濶達に論議をしていただきたいということの二つ目ですね。そして、答申が出たときには基本法の見直し一仮に教育基本法にとらわれないで自由濶達な論議をした結果答申が出て、教育基本法を変えなければならぬという答申が出たときにはどうしますかということを一つ聞きたかったのですが、それはどうですか。
  140. 森喜朗

    森国務大臣 長い答弁にならないように努めていたしますが、微妙な問題ですから若干言葉が長くなるのはお許しをいただきたいのです。  先生御指摘のとおり、教育基本法、憲法を守ってこの臨時教育審議会があるべきだ、そのように法律に書いてございます。ただし、新しくこの機関にお加わりになる審議委員になられる方々には、できるだけ余り制約をさせないで、御自由な御論議をしていただくことが私はむしろいいのではないかという希望を持っております。ただし、その中で答申をまとめられるという段階になれば恐らく会長が、この法律、いわゆるこの臨時教育審議会の設置、所掌事務、その規約に従っておまとめになるであろうということは、当然常識的に私は期待されるところでございます。しかし、今先先がおっしゃたように、教育基本法に触れるような答申が仮に出てきたときに対しましては、当然このことについては、この設置法案の趣旨というものもございますし、そのこと自身はやはり行政的に進めるにいたしましても、国会で御議論をいただかなければならぬことでございます。その中で当然皆さんのいろんな意味議論を承りながら私は進めていくことが正しいと考えております。  ただ私は——これを言わなければ、これで座れば本当はいいのかもしれませんが、私は、ここのところはやっぱり議論をいずれしなければならぬと思いますが、山原先生ならよくおわかりですが、要は教育基本法のところを何かさわって戦前の教育に戻すのではないかという、そういう精神的なところを先生は非常に心配をなさっておられる。しかし、いわゆる就学年齢や学制という問題、義務教育の年限という、まあはっきり言えば物理的と申し上げていいかわかりませんが、こういうところだったら私は、山原先生、あえてそれはいかぬとおっしゃらないだろうと思うのですよ。教育基本法がいい悪いと言うんじゃないですよ。私はそう思うのです。問題は、山原先先が一番御心配なさるのは、そういう教育基本法をやめて昔の教育に回帰するような精神的な規定にされるということに非常な危機意識を持っておられるのだと思うのです。ですから、おのずと議論をなさる先先方も、それくらいの常識は十分踏まえておやりいただくということは、この教育問題というのがいかに大事な問題であるかということから考えても、また政府からこれからお願いをして委員になられる方の一人一人のお人柄を考えてみても、そういうところに触れるという考え方は絶対あり得ない、私はそのような考え方を持っておるんです。  長くなりまして申しわけありません。
  141. 山原健二郎

    ○山原委員 きょうは十分聞かしていただいております。  それでもう一つは、「教育基本法の精神にのっとりこれは答申が仮に出ました場合に、教育基本法の精神にこの答申がのっとっているか、のっとっていないかということの解釈が当然出てくるわけですよね。それはだれが解釈するのですか。
  142. 森喜朗

    森国務大臣 この「教育基本法の精神」ということを強調して明文化しなさいと言われたのは総理と私なんです。総理もこのことを特に強く言われましたし、私もそのことを事務当局に強く命じてまいりました。法律の形としてはなかなか難しい面があるんだというふうに、当時事務的にもその経緯の途中で聞いたこともございます。したがいまして、このことを入れたということについては与党の一部ではいろいろ議論がございまして、私も随分おしかりをいただいている面もございますが、私は正しかったと思うし、そのことが国民の信頼をつなぎとめ得た、そしてまた中曽根さんのこれまでのいろんな個人的な言動に対してもここのところはきちっと担保されている、私はそのように判断をいたしております。  お尋ねの、どこが判断するかということになれば、最終的にやはり法制局が考えることだというふうに思います。
  143. 山原健二郎

    ○山原委員 ここのところがちょっと問題になって、忠孝の問題で、これはたしか公明党の方の質問に対して予算委員会で出たと思いますが、中曽根総理は、私の解釈によるんだ、こういうことが出たのですね。その事実はありましたか、どうですか。
  144. 森喜朗

    森国務大臣 私の記憶でも、最終的には最高裁の判断というふうに言われたと記憶いたしております。
  145. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう言葉で微妙な食い違いが出てくるものですから今お尋ねしているのですが、もう一つ伺っておきます。  これは文部大臣になられてから本年四月の「時の課題」、それから二月二十七日の内外問題研究会の講演の中身ですけれども、「ホンネの話をしたいのは山々だが、大事業をなし遂げる前なので、若干歯に衣を着せる話になるかもしれないが、お許しをいただきたい。文部大臣を拝命して最も考慮しておかねばならないと考えたことが二つある。一つは、文部省は他の役所のように上意下達はいかず、むしろ上から下りるのを”ろ過”させるような壁が幾つかある。文部省指導と助言と予算の助成配分しかできない。国でこんな方向に決めたが、それをやっていただけるかどうかお考え下さい、という程度のことしかできない官庁だと言える。」このため何をやっているかの批判が多いという御発言ですね。そして、私はこの十年間教育問題と取り組んできた中で常に壁にぶち当たる矛盾を感じた、それは国が教育の権利を持っていないということだ、こういうふうに言っておられます。  私がここで非常に短絡して単純に受け取っているわけではありませんが、森文部大臣の胸の中には、やはり教育権国家になければならないんだ、それがないことがどうもぐあいが悪いんだ、文部省がきっぱりとしないのはそこにあるんだ、やりにくいというのはそこにあるんだ、これを変えなければならぬという気持ちがあられるのではないかと思いますが、これについていかがな軸考えをお持ちでしょうか。
  146. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど申し上げましたように、私は戦前の教育も若干承知をいたしております。戦後の教育を受けて世の中に出てきました。したがって戦前のよき面も知っておりますし、また悪き面も多かったと思います。戦後についても、いい面も悪い面もあると思っております。私は、戦前のよきもの、そして戦後得た新しきよきもの、この両方を大事にしていくべきだ、基本的にはそう考えております。  ただ、私も、先ほどの国士館の議論でも出ましたように、文部省何やっているんだという御指摘は、山原先生も愛情あって言ってくださっていることはよくわかりますけれども現実の問題としてああいう世間に非難があるようなことすらも、文部省として命令を下すということができない役所であるということは、やはりそれぞれの物に、よっては違ってくると思いますから、ある意味ではそれは悪いということだとは言い切れません。それはそれで戦後の文部省教育行政についてはいい方向なのかもしれません。だから、現時点の問題を変えるということはできないだろう、またするべきではないだろう、こう思いますから、私も総理と同じように、教育基本法の精神のもとに改革をすべきだ、こう主張しておるのもそういう意味からでございます。  そして今、教育権が国にあった方が、もっと強い権利があった方がいいというふうに思っておられるかというお尋ねでございますが、今のような民主主義のやり方、特に教育界におきましては、教育基本法の形で地方教育委員会を通じながら進めていくということについてはいろいろと弊害点もありますし、問題点もありますが、現にこうして戦後守ってきたものでありますだけに、このことは私としては大事にしていくべきだという考え方を持っております。
  147. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一つだけ伺っておきます。  同じ講演の中で、こうした改革の新段階に進むということは国が教育権を持つということをどのような仕組みや制度で示していくかに尽きるが、このためには戦後教育の見直しとして教育委員会制度教育基本法までも洗い直してみるときが来ている……。結局、こういうふうな御発言を聞きますと、森文部大臣のおなかの中には、やりたいのは国の教育権の確立、そのための洗い直し、いわば戦後教育の根幹に触れる教育改革をお考えになっておるのではないかというふうに思わざるを得ないのですが、これはいかがですか、もうこれ以上聞きませんけれども
  148. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど、中曽根さんを別にかばったわけではございませんが、私も政治家でございます。しかも当選いたしましてから十五年間になりますが、教育問題をほとんどやってきましたから、私は私なりに矛盾点も感じておりますし、政治家としてこうあった方がいいのではないかという考え方を持っております。しかし、文部大臣になりました以上は、今日の憲法、教育基本法を守りながら、この中で教育制度の見直しをしていかなければならぬという考え方は、私は全く間違っていない、考え方は違えていないということをこの際もはっきりと申し上げておきたいと思います。  ただ私は、戦後の教育の中で何が問題であるかというようなことの議論になれば、教育基本法の話、教育委員会の話も当然議論として出てくるでしょう。その議論をしてはいかぬということじゃないのじゃないかと思うのです。そのことを直すのか直さないのかということになって初めてそこに−先ほど申し上げた、法律の中に担保した、きちっとそういうおそれのないようにしてあるわけでありますが、戦後の教育全体、そしてまた二十一世紀に向けて新しい教育制度考えるということになれば、やはり戦後得た教育制度というもの、あるいはまた戦前の教育にあった点、このこともすべて含めて議論をして当然のことじゃないだろうかというふうに私は思います。そのことと、するとしないということは別問題だと思います。  私は、もう一度申し上げておきますが、私も戦後教育を受けてきて、戦後教育を受けた人たちが今の日本人の構成の中に非常に多いということ、平和と民主主義というものを大事にするということを考えてきた国民の方が圧倒的に多いという今日時点の中で、今の制度そのものを、基本法や教育委員会制度そのものを改革できるとは考えてもおりませんし、そのことについては国民はむしろ定着したものだと受けとめているというふうに私自身は判断をいたしております。
  149. 山原健二郎

    ○山原委員 最後に二十一世紀を踏まえて何をやるべきか、私たちは次の政策の検討に入る、まず第一に考えなければならぬことは、最も大事なことはいわゆる現在の六・三・三制はこれでいいのかどうかにかかっている、これからこの問題に党として本格的に取り組んでいくつもりだ、民主教育の名のもとにできる者が足踏みし、できない子供が取り残される単線型を複線型にして、能力ある者を伸ばすことも将来の日本のためではないか、こういうふうに言っておられます。  だから、今読み上げたところと大臣が今解釈をされたことと合わせますと、お考えは大体わかるんです。私は単線型、複線型の問題についても、単純な考えを持っていません。私も戦前若干の教育者でもありましたし、戦後も教育に携わってきたわけでございますけれども子供たちのそれぞれの発達段階に応じた能力をどう引き伸ばしていくかということについては、単純に多様化であるとかいうことに対して、それはもう頭から差別だというふうな考えを持っておりません。子供たちにさまざまな多様な様式で教育をしていくということがどれほど大事なことかわかりませんし、そういう意味で、さまざまな子供たちの可能性に花を開かせていくという教育をどうつくっていくかという点では、これはお互い今後十分話し合っていけば一致するところも出てくると思いますね。そういう意味では、単なる単線型が悪い、複線型が悪いということではなくて、それは子供たち教育の問題として諭し合っていくことのできるものだというふうに考えております。  ただ、私が心配しましたのは、中曽根首相のおっしゃっておること、それがどうも、経過から申しまして戦前教育への復帰、戦前そのものへの復帰ではもちろんないと思いますけれども、そういう危惧の念を持っておるものですから、また、その発言と文部大臣の過去の御発言が似通った点もあるような気がしまして、この点は明らかにしておく必要があると思いましてきょうはお尋ねしたわけです。この問題については以上で終わります。  最後に……
  150. 森喜朗

    森国務大臣 ちょっと委員長、済みません、今の点に一つだけ。  いろいろと山原先生の御指摘、大変私自身も感謝をいたしておりますが、先生の私の引用文について、速記録に残りますのでちょっと正しておきたいのは、先生ずっと私の発言をおっしゃってこられたのですが、最初のところは党の私の文教部会長時代のところをおっしゃって、途中で最近大臣になってからの「時の課題」のところを引用なさいまして、あと二つの御質問は全部また部会長時代発言なんですが、そこの御説明がなかったから、私が大臣になってからずっと六・三制のことや複線のことを言われたようにちょっと誤解を受けるおそれがございますので、途中から複線になっておりますが、また単線に先生なってしまいましたので、そこのところだけちょっと私から釈明をさせていただきます。
  151. 山原健二郎

    ○山原委員 そういうことです。その出典の方を、ちょっと最後の方を明らかにしなかったものですから、それは失礼しました。  最後に、文化庁長官、お見えになっておられると思いますが、もう読み上げて質問します、あと十五分しかありませんから。大変おそくなって恐縮でございます。  去る四月四日に、芸団協など数多くの文化団体組織されている舞台入場税対策連絡会議の主催による「舞台入場税撤廃を目指す四・四の集い」が開かれておりまして、文部大臣の秘書の方も出席されておったとお聞きしておりますが、あるいは大臣もこの集会の様子はお聞きになっているかもしれません。それで、舞台入場税を撤廃してほしい、あるいは当面、暫定的措置として免税点、現行三千円を大幅に引き上げてほしいという声が強く出されたわけであります。この問題について二、三お伺いします。  まず最初に、この舞台入場税というものの性格についてお尋ねしますが、御承知のように、この税制度昭和十三年の支那事変特別税法で導入されたものでございまして、これが昭和十五年に入場税法となり、今日に至っているわけであります。つまり、制度発足そのものが戦時調達のためのものであり、ぜいたくは敵というような政治、社会状況の中でつくられた、いわば極めて文化的でない、野蛮な税制度ではないかと思うわけでございます。  そして、昭和五十五年にユネスコの「芸術家の地位に関する勧告」が出まして、「最も広く定義された芸術が生活の不可欠の部分であること、かつ、そうあるべきことを認め」「すべての人々が芸術に接することができることを確保すべきである」と加盟国に勧告しています。国際的な指摘にとどまらず、自民党におきましても昭和五十四年の文化振興に関する特別委員会の中間報告で、「国民の文化への参加活動が、生活の中の一種のぜい沢行為であるという考え方を捨て、人の文化活動はそれ自体が人生の一部であるという割り切り方をすることが求めらる」と立派な指摘をされておるのであります。  こういう点から考えますと、この入場税というものが、文化国家を目指す日本にあるまじき野蛮な制度ではなかろうかと痛感するわけでございますが、文化庁長官、この点についての見解をお伺いしたい。どうですか。
  152. 加戸守行

    ○加戸政府委員 この入場税の問題につきましては、芸術文化関係団体、つとにこの減免につきましての要望を続けておられるところでもございますし、また文化庁といたしましても、芸術文化の振興を期するという観点からいたしますれば、芸術文化公演に関します入場税は事情の許す限り減免されることが望ましいと考えているわけでもございます。
  153. 山原健二郎

    ○山原委員 外国の実態はお調べになってはいないかもしれませんけれども、これは去年、五十八年四月二十四日付読売新聞に、東宝の平尾演劇部長が入場税を取るのは日本だけだという指摘をしていることが出ておりますが、こういう状態です。  次に、文化庁が昭和五十二年三月二十三日にまとめました「文化行政長期総合計画について」という報告書でも、「創作活動の奨励援助」という項目の「改善のための具体策」の中で、「芸術活動を活発にするため、公演にかかる入場税の廃止」について検討するよう求めております。文化庁御自身がこういう課題を指摘してから既に七年経過していますが、この問題での前進は一向にありません。  昭和五十六年四月一日の参議院予算委員会の第四分科会で私の党の市川正一議員の質問に対し、当時の佐野文化庁長官は「芸術公演に係る入場税は、事情の許す限り減免されることが望ましい」、「またその趣旨に立って大蔵省に善処方をお願いしてきているところであります。」と答えておりますが、その前進がないのです。  文化関係団体の方々も、もう耐えかねたという思いで立ち上がっているわけでございまして、中曽根内閣は「たくましい文化」をつくるなどと言っていますが、こういう入場税制度の撤廃こそ断行すべきではないかと思うのでございます。その点について長官並びに文部大臣、早急にこれを撤廃するよう手だてを打ってほしいのでありますが、お約束できるでしょうか。これは青木先生ここにいらっしゃいますけれども、超党派の音楽議員連盟を初めとしてこの問題は一致して要求しておるところでございますが、いかがでしょうか。
  154. 森喜朗

    森国務大臣 先生のいろいろの角度からの御指摘、そしてまた諸外国の例、おっしゃるとおりでございまして、私自身先生の御指摘どおりだと考えております。  ただ、前の税制の改正の際にこの入場税の減免をいたしましたのがたしか五十年であったというように思っておりますが、そのときに三千円までということにいたしたわけでございます。もちろん、全部撤廃するというのが我々としても政治家立場からいえば一番理想的であろうと思いますし、これは今山原先生おっしゃったとおり、各党各会派皆さんがそのことを願っておられるということも十分承知をいたしております。五十九年度の予算編成に入ります前の我が党の税制調査会等でも、ここにおられます青木部会長、また前任者であります石橋部会長、皆一生懸命この問題について取り組んでこられたわけでございますが、御承知のように税の改正点というものは非常にたくさんございまして、その中で文部省の中にもまた幾つかございまして、どちらからやるかというプライオリティーの問題に最終的にはいつもなるわけでございまして、全体的な団体の均等、あるいは一応五十年のときやったじゃないか、そういうこともございまして……。基本的には、私どもぜひ呼びかけていかなきゃならぬ。確かに、今日三千円ではもう舞台演劇を見れるはずはございませんし、その辺のことも私たちとしても、若干事務当局は事務当局の立場でございますから首をかしげておりますけれども、気持ちは変わっておりません。  今後とも、私ども自民党に属しておりますから、自由民主党の文教部会にも篤と頑張ってもらいたい、私も政府としてお願いしておきたいと思いますし、文部大臣としてもそういう考え方でおりますということを答弁さしていただきます。
  155. 山原健二郎

    ○山原委員 今触れられましたが、それが最後の質問だったのです。  入場税の撤廃、これが先ほど言いましたように基本的な要求ですけれども、応急措置として入場課税の免税点を、現行、舞台芸術の場合三千円ですが、これを大幅に引き上げてもらいたいという要望が出されているわけであります。この三千円というのは、昭和五十年の法改正で、映画千五百円、演劇等舞台芸術三千円に引き上げられてから十年近く据え置かれたままなのであります。  六年間据え置かれてきた課税最低限度額に対する国民の不満が大きくなって、このたび引き上げ措置、標準世帯で二百一万五千円、それを二百三十五万七千円に措置がとられたわけでございます。この課税最低限度額の引き上げは、昭和五十年、昭和五十二年にも行われております。昭和五十年のときには百八十三万円になっていますので、この額と比べると、この九年間で額にして五十二万七千円、伸び率で二十九%と伸びているのです。ところが、文化、芸術は「生活の不可欠な部分」というユネスコ勧告や自民党の文化振興に関する特別委員会の中間報告立場に立ては、免税点の十年間据え置きなど言語道断と言うべきものでございます。  そういう意味で、昭和五十年の入場税法一部改正案に対し、参議院大蔵委員会で附帯決議がなされましたが、ここでも「政府は、映画、演劇等の免税点について物価等の動向を考慮し、適時に額の引き上げをはかるべきである。」との決議がされております。  私は、法改正のあった翌年の昭和五十一年から今日までの各年ごとの入場税課税額を国税庁から聞いてみました。昭和五十一年の課税総額は三十三億九千六百万円です。これが昭和五十七年度にはどうふえているかといいますと、六十九億四千三百万円、こういうふうになりまして、大体倍以上となっています。この間、年ごとに総額が一〇%、一五%と伸びていますので、昭和五十九年にはさらにこの額が大きくなることは間違いありません。  一方、民間芸術団体活動に対する国の補助額の数字を拾ってみますと、昭和五十一年度の七億九千三百万。これが昭和五十九年度予算では九億七千二百万円。こちらの方は昭和五十六年度、五十七年度の十二億五千万円をピークに、臨調行革のもとで削減され続けて、五十八年度一〇%減、五十九年度は実に一三・六%減にされているのでありまして、五十一年度と五十九年度を比べてみますと二二・六%の増にとどまっているのでございます。  これらのことを考えますと、どうしても改善をしなければならぬ。関係団体が堪忍袋の緒が切れると言うのも当然のことでございまして、今文部大臣からお話がございましたけれども、文化庁長官も大蔵省を説得して、この問題についての決意の表明をしていただきまして、私の質問を終わります。
  156. 加戸守行

    ○加戸政府委員 この問題につきましては、昭和五十二年以来改正の要望を財政当局に続けてまいっておるわけでございますけれども、税制全体の中で総合的に考えなければならない事情等もございますが、ただいま文部大臣からもお答え申し上げました趣旨を体しまして、今後とも関係当局と十分協議をして、努力をしてまいりたいと思います。
  157. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 次回は、来る十八日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時五分散会