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佐藤(誼)
委員 恐らく今の各自の得点は全部コンピューターで出しておりますから、そのプロセスはいろいろあると思いますが、私は、ずっと今の加藤
所長の発表の経緯から見て、また、あなたは今のような答弁をしましたけれ
ども、コンピューターにインプットしてやろうと思えばできるところまで開発
研究は進んでいると私は思うのですよ。
ところが問題があるのです。これを使うか使わないかという問題があるでしょう。使わないとすると依然として、今もあなたの言われたような教科間の格差というのはなかなか縮めることはできない。それから、今の選択科目の中で一番問題になるのですけれ
ども、特に
社会、理科は、その選択科目によってかなりの平均点の差がある。これは受験生にとっては大変なわけです。ですから、これを何とかしなけりゃならぬということは、使わなくたって問題であるわけだ。この格差をどうするかという問題で
研究している
一つが、出題を
考える、出題のときから。それからもう
一つは、点数配分について、部分点とかあるいは選択点とかいろいろなことを新聞で言っておりますね。ああいう調整のこともあるでしょう。いずれにしても、使わないということを前提にしますと、今のままではなかなか縮められない、これは私は言えると思うのです。
使った場合、調整した場合どうなるか。調整した場合には、公表される点数は格差を縮め、しかも選択科目の格差を縮めることはできます。しかし、自己採点という方法をとっておりますから、自己採点とかなりの乖離が出てきますから、そうするとそこに大きな矛盾が出ることは皆さん推察のとおりです。一方、
大学には調整した点数が行きますし、片一方は自己採点ということで、ここに乖離が出てきます。したがって、受験生の自己採点
方式による第二次の受験校の選択に大きな狂いが出てくるという問題がありますから、これを黙って使うということになりますと、そういう問題が出てくる。さればと言って、それをこういうふうに調整したという公表をいたしますと、そのことについて全体的な問題が出てきますね。いろいろな問題を整理をしていかなければならぬ。そういう問題ですから、なかなかこの扱いは慎重を期さなければならぬと思うのですが、どう見ても、いろいろな方法で格差を縮めようと思っても限界がある。しかし、さればと言って公表して調整すると、そのことによっていろいろな問題が出てくる。そうすると、可能な範囲内で調整した結果を公表するということがあるのじゃないか。このことが私はどうしても疑念として晴れないのであります。
そこで、私は今のことを関連づけて、皆さんに渡しているエコノミストの資料をまずひとつごらんいただきたい。
なぜ私はそういうことを言うか。これはもちろん、
先ほど申し上げました竹内助教授の論文を、はっきり申し上げまして私は参考にしております。これは私一人の疑念じゃないと思うから、慎重に聞いて答弁していただきたいと思う、これは国民が非常に関心を持っているところですから。
その上げました資料の右側の方に、何点ずつ操作されたかということがずっと書いてある。
昭和五十四年はないですね。五十五年以降五十八年まである。五十九年は
先ほど言ったとおり。それで、その操作は図1の方法によってコンピューターに入れて、若干ずつかさ上げをしている。大体五点ぐらいだと彼は言っておる。
そこで、これは
昭和五十八年度の
社会科、左側にありますね。ここで最初に問題になったのは何かといいますと、
社会科の政経と倫社を見ていただきたい。政経はPです。倫社はEです。この図は相関図です。真ん中に引かれている線は対角線です。その上にあるのは破線です。破線と対角線の中に入ってくれば相関関係があると普通常識的に言われているこの図であります。
それを見ながらちょっと申し上げますが、問題になったのは何かというと、政経の点数を入試産業、業者の関係で調べると五十点を切っている。そのとおりですよ。そして倫社との格差が大体二十一点ぐらいあるというのが、自己採点からずっと集計していった業界の見方であったわけです。
昭和五十八年度の政経と倫社についてですよ。ところが、発表されたセンターの点数は、政経で五十二点、倫社で六十三点、格差は十一点となっているのです。つまり、テスト業者は政経と倫社の格差が二十一点と言った。ところが、センターの発表は十一点と言う。つまり十点以上もの開きがここに出てきているわけです。これは大変大きな問題なのですね。
そこで、なぜそういうような違いが出てきたのか。今のことをちょっとこの図で見ていきますと、今のセンターの発表というのは、倫社はEというところに点がありまして、政治経済はPというところにありますが、倫社は約六十二点ぐらい、政経は五十二点ぐらい、これは発表のとおりですから、したがって、この差は十一点です。これは公表されているとおりです。ところが、他の
日本史や
世界史や地理の点数を今の相関図の中で打っていきますと、A、B、W、Jという形になって、この点数は対角線と破線との間に入ってきますから、これは相関があることは明らかです。ところが、今申し上げたEとPはこの対角線と破線から大きく外れております。そうでしょう。つまりそれは、相関関係からいうと、本来からいえば、Eという倫理
社会は破線の上に持ってくる、それからPという点は同じく破線の上にくるのが至当なのではないか。そういうふうに、破線の上に本来位置した点数だと計算をしてみますと、倫社は六十六点ぐらい、政経は四十四点ぐらい。約二十一点から二十二点の差になる。これはつまり自己採点、そして業界がはじいた点数差二十一点にほぼ一致するのです。そうでしょう、副
理事長。したがって、このEという点は破線の上、Pという点は破線の上に打つと本来の姿があり、自己採点そして入試産業がはじいた二十一点の差が出てくるのです。したがって、本来は二十一点の差ではなかったのか。そうすると、政経の五十二点という発表は、本来これが素点ではなくて、素点は四十二点ではなかったのか。つまり八点プラスということです。それから倫社は六十六点ではなかったのか。それから三点マイナス。本来は倫社は六十六点、素点です。政経は四十三点、素点。したがって、その差は二十二点になるのです。そうしますと、ここのところは、
先ほどの自己採点をし入試業者がはじいた二十一点とほぼ一致するのです。ですから、皆さんにお渡ししているエコノミストの
昭和五十八年の倫社は三点マイナス、政治経済は八点プラス、このこととぴたり一致するのです。
ですから、どう
考えてみても、
昭和五十八年度
社会科、倫社Eがこの破線の上に来る可能性は少ない。政治経済が破線から大きく外れてPという点に来る可能性は少ない。大体が、センター発表の点数と自己採点・業者の点数の相関をずっと調べてみると、おおよそ五、六点自己採点の方が高いのです。これは当然だと思うのですね。自己採点の点数の悪い人は、自己採点・業者の偏差値の点数には参加していかないと思う、最初から投げちゃって。ところがセンターの方は、それも含めて全部点数化しますから、センターの方の点数が下がるのは当たり前なんです。自己採点の方が高くなるのは当たり前です。これは、
昭和五十四年からずっと見ると、おおよそセンターの点数に比べて自己採点の方が五点ぐらい上になっているのです。これは常識でそうなんですね。ですから、この図で言いますと、破線の上か破線の範囲内に入るというのが本来からいえば普通なのです。
なぜこれだけが飛び出ているのか、この疑問にどう答えてくれるか。私は、これは受験者の皆さんには納得のいかないところだろうと思うのです。
続けて言います。参考に朝日ジャーナルを見てください。朝日ジャーナル、ありますね。朝日ジャーナルの場合は同じですけれ
ども、これは
一つの科目ですから。五十四年から五十八年までの点数がここにずっと書いてある、配列してありますね。そうすると、五十四年、五十五年、五十六年、この三カ年は、
先ほど申し上げた対角線から引いた破線、つまりセンターに比べて自己採点が約五点近く高いというふうにここにずっとそろっている。つまり、明確なる相関関係がここはありますね。ところが、五十七年、五十八年、丸印です。これは全く対角線上にそろっている。ここに鉛筆で丸書いてありますが、五十九年もこの対角線上に乗っております。そうしますと、普通この破線の上に大体来るのが自己採点の場合の相関関係の常識だと思うのです。完全に対角線の上に乗るということは、センターの発表と自己採点による入試業者の点数が全く一致する、こういうことは私は常識的に余りないと思うのです。したがって、これは五十七年、五十八年、五十九年、点数を五点ずつプラスしたのではないか、そうでないと説明がつかない、こういうところが問題になっているのです。ですから、これから共通一次を
検討しなければなりませんけれ
ども、このことは長い間にわたって議論されてまいりました。
重ねて言いますけれ
ども、今のようにお茶の水女子大の竹内助教授の統計学という根拠をもとにして、私もそれに賛意を表するものでありますから、あえてこれを引用したわけであります。こういう形で明確に出ておりますけれ
ども、この点についてセンターの副
理事長はどう
考えますか。