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1984-04-04 第101回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月四日(水曜日)     午前十時二分開議 出席委員   委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有馬 重武君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    臼井日出男君       榎本 和平君    北川 正恭君       河野 洋平君    坂田 道太君       二階 俊博君    葉梨 信行君       町村 信孝君    渡辺 栄一君       渡辺 秀央君    木島喜兵衞君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    池田 克也君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君  出席政府委員        環境庁長官官房        長        加藤 陸美君        文部政務次官   中村  靖君        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房審        議官       齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省大学局長  宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省管理局長  阿部 充夫君  委員外出席者        国土庁大都市圏        整備局計画官   柳沢  勝君        厚生省医務局医        事課長      横尾 和子君        労働省職業訓練        局訓練政策課長  金平 隆弘君        参  考  人        (大学入試セン        ター副所長)   肥田野 直君        文教委員会調査        室長       中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 四月四日  辞任         補欠選任   稻葉  修君     渡辺 秀央君 同日  辞任         補欠選任   渡辺 秀央君     稻葉  修君     ————————————— 四月三日  著作権法の一部を改正する法律案内閣提出第  六二号) 同月四日  学校教育法の一部を改正する法律案佐藤誼君  外二名提出衆法第六号)  公立幼稚園学級編制及び教職員定数標準に  関する法律案中西績介君外二名提出衆法第  七号)  公立障害児教育学校学級編制及び教職員  定数標準等に関する法律案馬場昇君外二名  提出衆法第八号)  学校教育法等の一部を改正する法律案中西績  介君外二名提出衆法第九号) 同月二日  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(藤  原哲太郎紹介)(第一八三八号)  同(伊藤昌弘紹介)(第一九一四号)  同(石川要三紹介)(第一九一五号)  同(上田哲紹介)(第一九一六号)  同(小澤潔紹介)(第一九一七号)  同(鯨岡兵輔紹介)(第一九一八号)  同(小坂徳三郎紹介)(第一九一九号)  同(渋沢利久紹介)(第一九二〇号)  同(山花貞夫紹介)(第一九二一号)  同(与謝野馨紹介)(第一九二二号) 同月四日  私学助成等に関する請願伏屋修治紹介)(  第 二〇七一号)  私学助成増額等に関する請願外三十九件(伏屋  修治紹介)(第二〇七二号)  私学助成大幅増額等に関する請願二見伸明  君紹介)(第二〇七三号)  育英奨学金制度改悪反対等に関する請願伏屋  修治紹介)(第二〇七四号)  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(有  島重武紹介)(第二〇七五号)  同(長田武士紹介)(第二〇七六号)  同外一件(工藤晃紹介)(第二〇七七号)  同(斉藤節紹介)(第二〇七八号)  同外一件(高沢寅男紹介)(第二〇七九号)  同(中川嘉美紹介)(第二〇八〇号)  同(浜野剛紹介)(第二〇八一号)  同(不破哲三紹介)(第二〇八二号)  同(松本善明紹介)(第二〇八三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一二号)      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本法律案審査のため、本日、参考人として大学入試センター副所長肥田野直君の御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————
  4. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。馬場昇君。
  5. 馬場昇

    馬場委員 国立学校設置法の一部を改正する法律案の中で、熊本大学体質医学研究所が廃止されまして医学部附属研究施設に変わる、こういう内容があるわけでございますが、この体質医学研究所というのは昭和十四年に設置されまして、熊本大学でただ一つの附置の研究所であるわけでございまして、これが廃止になるということにつきましては問題がないわけではございませんけれども、今後の研究拡充強化、そういうことを見守るということにしておきまして、きょう私は、別の角度から高等教育機関拡充の問題について大臣に御質問を申し上げたいと思います。  まず第一の問題については、六十一年度以降の高等教育あり方についてでございます。  いわゆる第二次ベビーブームの十八歳人口急増するに当たりまして、大学設置審議会の中の高等教育計画専門委員会が五十八年十月二十一日に中間報告をしておるわけでございます。この内容は、十八歳人口の推移と地域的に調和のとれた配置視点にいたしまして、昭和七十五年、いわゆる二〇〇〇年までの十五年間を展望しながら、当面、六十年度の十八歳人口が百五十六万人ですけれども、六十一年度は二十九万人ふえまして百八十五万人になるわけでございますが、この六十一年からピークの六十七年、これは二百五万人ぐらいになるわけでございますが、それまでの七年間のいわゆる新高等教育七カ年計画という中間報告をなさっておるわけでございます。  これは中間報告でございますが、この本答申といいますか、最終報告というのはいつ出されるのですか、まずそれを聞いておきたいと思います。
  6. 宮地貫一

    宮地政府委員 先生御指摘の「六十一年度以降の高等教育計画的整備について」の報告のまとめでございますけれども、御指摘のように昨年十月、中間報告ということで公表いたしまして、それぞれ関係方面からの御意見を伺っておるわけでございます。  その中では、具体的に各大学団体あるいは地方団体代表者その他関係者から直接ヒアリングをするというようなこともいたしまして、それぞれ御意見を承ったところでございます。それらのいただきました御意見を踏まえまして、ただいま計画分科会検討をいただいておるところでございます。  いつまでにまとめるのかというお尋ねでございますが、私どもといたしましては、少なくとも本年の六月中には取りまとめをいたしたい、かように考えているところでございます。
  7. 馬場昇

    馬場委員 ただいまちょっと答弁もあったわけでございまして、中間報告について各方面意見を聞いておるということでございますが、この中間報告によりますと、その内容が、ピーク時の六十七年度においても現在程度進学率、五十八年度は大学、短大の志願率が四五%で進学率が三五・一%ですが、これを維持するということに中間報告はなっていますが、これはそのまま維持するのか。  それから急増の、結局進学率をそのまま有しますと、入り切らない人たちが大体八万六千人ぐらいになるわけでございますが、これにつきまして、恒常的に定員増を四万二千人ぐらいにする。臨時的にちょっとすし詰めをするのに四万四千人ぐらいを配置する。それで合計八万六千人を消化する、こういうことになっておるわけでございまして、この恒常的な四万二千人について、三大都市圏で二万六千五百人、大体六三%、地方圏に一万五千五百人、三七%、こういうぐあいに割り当てをするんだ、この急増すし詰めについては三大都市圏だけにするんだ、こういうことがこの中間報告に書いてあるわけでございますけれども、これにつきまして、例えば国土庁なんかからは、急増の臨時的な定員増地方に持っていってはどうか、それから恒常的に定員増をするのにも、三大都市圏に六三%、地方で三七%は、これは比率がおかしい、地方と三大都市圏五〇%、五〇%にしなさい、こういうような意見国土庁なんかからも出ておりますし、私も、やはりそうした方がいいのじゃないかと思うのですが、こういう点については今どういうことになっておりますか。
  8. 宮地貫一

    宮地政府委員 高等教育機関地域配置あり方についての考え方でございますけれども、従来から地域配置適正化を図るという考え方で、大都市における新増設抑制を原則とし、地方重点を置いた整備を図ってきておるわけでございます。中間報告においてもこのような地域配置適正化を図っていくという方針で、今後ともその方針を維持していくという考え方でございます。  地域ごと整備目途でございますが、こういう方針に沿いまして、進学率が低いところ、あるいは地元の大学等に進学する者の少ない地方重点を置いた整備を図るという考えに立って設定をいたしておるわけでございます。したがって、地方における整備には十分意を尽くしておるものと私どもは承知をしておるわけでございます。  先ほども申し上げましたように、この点につきましては、特に地域ごと整備目途については、地方公共団体等からも意見が寄せられているわけでございまして、それらを踏まえながら最終報告までには調整を図りたい、かように考えております。
  9. 馬場昇

    馬場委員 恒常的に定員をふやすのに四万二千人、それを、現在でさえも三大都市圏に集中しておる高等教育機関を、六三%を三大都市圏に、三七%を地方にというのは、これは今局長が答弁した筋からいってもおかしいし、最終答申まではぜひそういう点——中間報告によりますと、私、九州ですが、北九州には二千五百人、南九州にはたった千五百人、こういう計算になっているわけでございまして、やはりこういう点については地方重点的に、恒常的な定員の増というのをぜひ考えていただきたいと思うのです。  そこで、大臣に御質問いたしたいわけでございますが、この中間報告を読みますと、整備の基本的なあり方として、「開かれた高等教育機関」にするんだ、それから「高等教育機関国際化」を図っていくんだ、そして「特色ある高等教育機関」にするんだ、こういうような基本的なあり方が書かれております。さらに、財政の都合もあるのでしょうけれども、ここには少し問題がありますけれども高等教育機関整備協力方式として、公私協力方式がある、国公私協力方式がある、一部事務組合協力方式がある、こういうところも検討されておるようでございますが、これについて、六十一年から六十七年までのこの急増計画の中で、単に急増するためだけの応急措置ではなしに、二十一世紀に向けてどうやって日本高等教育を振興していくか、こういう急増入れ物を緊急につくるのではなしに、この機会日本高等教育というのを、二十一世紀を展望するとなっているのですから、振興策拡充強化するというような視点で取り組んでいただきたいと思う。特に、従来文部省は、この大学設置の問題とか学部学科増設問題等につきまして、臨調抑制方針というのに従いまして縮こまっておったわけでございますけれども、これだけ急増対策、しかも二十一世紀に向けてこういう答申も出るわけでございますので、この機会にぜひ、大学新設とか学部学科増設、こういうのも含めて高等教育振興策というのを十分考えていかなければいけないのじゃないか、こういうぐあいに思うのですけれども大臣の御見解を聞いておきたいと思います。
  10. 森喜朗

    森国務大臣 馬場さんからいろいろ多岐にわたります御質問やお考えをいただいたわけであります。私も党におりまして文教部会の仕事をいたしておりましたときからの私の持論でもございますが、やはりできる限り地方にウエートを置いた高等教育機関新設、あるいは学科、あるいは定員増というような方向でやる方がいい、こういう考え方でおりますし、今もまたそういう気持ちでおります。  ただ、この高等教育機関というのは、ただ入れ物をつくればいいというものではなかなかいかぬわけでありまして、地方大学をつくり、あるいは受け入れるだけの定員の枠も広げておきましても、受けるのは高等学校生徒さんであって、やはり専門的なものでない限りはどうしても東京中心とした三大都市圏、そうしたところに偏りがちでございます。これをどういう形で巧みに誘導をしていくかというのは、これからの高等教育機関新設したりあるいは学科をふやしたりする上において大事なポイントだというふうに考えております。  一方では、地方におきましては工場進出などがなかなかはかばかしくいかないので急遠大学にというような発想では、これはいささか問題はありますけれども地方都市におきましては、大学誘致というのは非常に多うございます。したがいまして、そうした地方要求というものもやはりある程度考えていかなければなりませんが、ただ大学をつくり、ただふやせばいいというものでもない、このことも慎重にしていかなければなりません。確かに六十七年の十八歳人口ピーク時という、そのことだけに焦点を合わすことではなくて、そのことがずっと恒常的に、大学が維持発展していけるような、そういうことを十分考えてやはり大学の方策を見出していかなければならぬ、こう思っているわけでございます。  そういう意味で、でき得る限り地方大学というのは——学問というのは、財政が硬直化しているあるいは臨調等答申があるから大学をふやしてはいけません、学部学科をふやしてはいけませんというふうに割り切れるものではない。新しい学問というのは、人類のためにも、また日本世界のためにも、これからどんどん広げていかなければならぬということでありますから、そういう意味では、大学というのはすべて今のままでおさめてしまえというものでもない。あるいは受験というものに関する児童生徒、十八歳人口に合わせて大学をつくるということも一つ政策誘導ではありますけれども、そのことが絶対であってはならぬと私は思っております。したがって、新しい学問の追求というのは人類の未来の問題にもかかわりがあるわけでございますから、文部省としてもそのことについては積極的な対応をしていかなければならぬ、こう考えます。  したがって、そういう財政臨調等行政改革ということから考えれば、今馬場さんからも少しお触れになりましたけれども、これは宮地局長どもよく申し上げております第三セクター方式といいましょうか、そうした大学と県と市とが一体になって新しい方式で見出してやっていくというようなそういう面、これは設置するという物理的な問題であろう、こう思いますが、同時にやはり、新しい学問をどのような方向で将来見出していくのか、こういうことの考え方も必要であります。これだけの交通機関の発達もございますし、日本列島全体が狭くもなってきておることでもありますし、できるだけ地方に特色ある大学というのはやはり今後の大事な課題である、そんなふうに、今雑感も含めながら、馬場さんの御質問や御意見を承りながら、私はそういう考え方を持っておるわけでございます。
  11. 馬場昇

    馬場委員 今、最終報告を六月に受ける、その前に各方面から意見を聞いておるということですから、私が今ここで質問しております、また私の意図というのもぜひ酌み入れていただきたいと思うのです。今大臣が言われましたように、つくって、生徒が来なくなったらどうするかということですが、そういうときにこそ、やはり開かれた教育機関としてとか、あるいは国際化をどうするとか、あるいは特色をどうするとかというようなこと、そうして魅力ある高等教育機関をつくりますと来るわけでございますから、そういう大学とか、そういう意味におきまして十分考えて、特に地方にぜひつくっていただくということでお願いしておきたいと思います。  次に、余り時間がないので簡単に終わりますけれども留学生対策の問題につきまして。昨年五月に中曽根総理東南アジアから帰国されまして、その意向を受けて、文部省に二十一世紀への留学生政策懇談会というのが設けられまして、これが昨年の八月三十一日に答申をしておりますね。  今日の留学生状況というのは、日本留学生砂漠だと言われるくらい本当に貧弱なものでございまして、例えば一九八二年度、日本は八千人余りで全学生の〇・四%。米国は三十一万人で三・一%、フランスが十一万九千人で一〇・八%、西ドイツが五万七千人で六・二%、イギリスが五万二千人で一〇・八%。それに比べますと、本当に留学生砂漠日本状況でございます。こういう状況の中で、結局この二十一世紀への留学生政策懇談会提言は、二十一世紀に向けて我が国国策の最重要な課題一つとして留学生問題を認識すべきだということを出しておりますし、当面、一九九〇年までには現在のイギリス西ドイツ程度の五万人にする。そうしますと、この六カ年間ぐらいで今の六倍ぐらいにしなければならぬわけでございます。そして、二十一世紀初頭にはフランス並みの十万人にする、こういうような提言をしておるわけでございます。これは、総理のじきじきの意向を受けて文部省にそういう懇談会設置されて、それがそういう提言をしておるわけでございます。  これは九〇年にイギリス西ドイツ並みの五万人、二十一世紀初頭にはフランス並みの十万人、これだけ受け入れをするという提言ですが、どうやってこれを実現していくのか、その道筋とか手順とかは文部省考えておられるのですか。
  12. 大崎仁

    大崎政府委員 お答え申し上げます。  ただいま御指摘のとおり、昨年八月三十一日に御提言をちょうだいいたしたわけでございます。御提言は、非常に長期的な視野に立ちましての大筋の方向についてのものでございますので、それを踏まえまして、文部省といたしまして、どういう形で今後施策を展開していくかということにつきまして、現在、留学生のための調査研究協力者の会がございまして、そこにお諮りをして検討を進めておるところでございます。私どもといたしましては、六月ぐらいの段階で、提言を踏まえた今後の進め方についての一応の成案を得たいと考えておるわけでございます。
  13. 馬場昇

    馬場委員 これまた今検討中で、六月に成案を出すということでございます。  文部大臣、まさにこの提言は、国際化社会でこれだけ進んだ日本でこんな貧弱な留学生受け入れ状態というのは国際的にも問題だと思いますし、そういう中で総理のお声がかり提言ができておるわけでございます。教育臨調総理のお声がかりで一生懸命やっておられるのですけれども、こういう問題こそ、六月に成案をつくるとおっしゃっているのですが、ここで文部大臣、とにかく留学生受け入れ専門にするような大学一つや二つつくらなければ九〇年までに五万人はだめですよ。二十一世紀初頭には十万人というのですから、今八千人くらいしかいないのですから、これはよほど発想の転換をして大きくやらなければ不可能だと思います。そういう意味で、留学生受け入れについての大臣考え方とか、一つ二つ留学生受け入れ専門にするような、重点にするような国際的な大学だってつくっていいのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  14. 森喜朗

    森国務大臣 総理提言がございまして、そして二十一世紀までに目標としては十万人でありますが、その直前までは当面五万という形で有識者が中心になった御提言をいただいて、これから政府全体として取り組んでいかなければならぬ、今そういう時点でございます。  しかし、留学生というのは、ただ来てくださいというものでもないのだろうと私は思うのです。とにかく日本に来ていただいて学んでほしいということになれば、これは国費留学生ということになってまいります。これは予算面でかなり大きな前進がなければなりませんし、現状の予算の仕組みからいって文部省だけでは非常に難しい問題がございます。政府全体として取り組むということになれば、また角度を少し変えていかなければならぬと思います。逆に、私費留学生ということでどんどん受け入れることが一つの基本になるのではないかと考えます。  そうなりますと、私費留学生として日本に来て学ぶのだというメリット外国の皆さんが感じてくれないと、日本に行って学びたいと考えてくださらなければ、私費留学生人々がふえることは期待できないわけでございまして、そういう意味では、高等教育のみに限定するわけでもございませんけれども高等学校にいたしましても、世界の国に対して日本に学ぶことに大変大きなメリットがある、あるいは日本に行って学びたいという意欲を持ってもらうことから取り組んでいかなければならぬのではないかと私は思うわけでございます。  当面、さはさりながら、二十一世紀まであと十六年しかないわけでございますから、それにつきましては国公私立あわせて、各外国からの留学生受け入れるできる限りの協力体制文部省としてもぜひお願いしていかなければならぬことであると思いますが、私学に対しても、そういう受け入れる構えをぜひ検討していただきたいと、文部省といたしましてもまた働きかけていきたいと思っているところでございます。  私、この場で私見を申し上げていいかどうかわかりませんが、先ほども申し上げましたように、地方からの大学誘致設置の希望が非常に多いという今日の中で、物理的条件というのはいろいろな意味で、これは第三セクターとかどういう方式を生み出すか、何らかの方法で県と市が一体となって努力していかなければならぬことでございますけれども、これからの地方都市は、昔の旧制高等学校がよかったか悪かったかということではなくて、そういう議論ではなくて、例えば二局は東京でございましたが、円高は私の金沢でございましたし、三高は京都、熊本は八高でしたか……(馬場委員「五高です」と呼ぶ)五高でしたね。そういうふうに、あのころ熊本に行って学んだのだとか、青春の血をたぎらせたときに私は金沢でやったのだという人が、今、日本のいろいろな指導者階級に随分いらっしゃるわけです。そういう地域に学んだことは本人にとっても非常にプラスでありますし、その地域にとっても、それからまた東京や大阪に出て全国に広がって各界で活躍されておるのを見ると、そういう地方に行って学ばれることは非常にいいことだと私は思います。そういう意味で、これからの世界全体を考えてみましても、日本に行って熊本で学んだ、日本に行って仙台で学んだという人が、これから東南アジア世界全体からあってしかるべきだし、またそういう方向を見出していくことが、日本の国の教育にとっても、それぞれの問題を抱えておる地方にとっても大変メリットがあるのではないか。そういう意味で、県や市あるいは地方に現在ある既存の大学がそうした世界の国々から多くの人々を招いて、その地域との結びつきを深めていくという意味からいっても、留学生をできるだけ地方大学の方に誘導していけるように、そのためには、さっきちょっと申し上げましたように地方大学に学ぶというメリットがある、そういう大学にそういう機能や学問をどうしても備えていくという構えをしていくように願いたいと思っておりますし、文部省としてもそういう方向をぜひ指導していきたいと思っているわけでございます。
  15. 馬場昇

    馬場委員 もちろんこの答申にもあるわけですけれども外国から来てもらって、これはおかしい、だめだったといって帰ってもらっても何にもならぬわけですから、そういう意味で本当に魅力のある、世界に開かれた大学ということで、まずみずからをよくすることが必要でしょうし、それから、大臣が今言われましたように、何といっても国費だけで十万とか五万とかできないわけですから、まず国費で留学生を呼ぶ、それが牽引力になって後は私費でどんどん来てもらうようにする。だから、隗より始めよで、まず国費でたくさん呼んで、それを牽引力にするという姿勢が文部省に必要だろうというぐあいに思うわけでございます。  今、答弁もあって、少し物足りなかったのですけれども、やはりそういう意味で立派な大学を、開かれた大学を、そして国費を中心にする、牽引力にするという意味におきましても、一つや二つそういうものを重点にする大学というのも考えていいんじゃないか、こう思うのです。そういう点でこの辺について、大臣若いのですから、馬力もあるのですから、また大臣は二十一世紀にも生きる政治家でしょうから、どうですか、決意は。
  16. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど申し上げましたように、大学全体として留学生を全部引き受けていく、新しいそういう大学というのは今のところは考えておりません。一つ考え方としてやはり検討すべき事柄であろうと思いますが、現在も進めております留学生をできるだけ受け入れていく、そういう特別コースというのは既設の大学にあるわけでございますので、これをできるだけ拡大をさせていく。あるいはまた、全国の多くの国公私立の大学にそうした留学生をある意味では多く受け入れていくような、そういう特別の学部学科、コースみたいなものはさらに増強していく、そういうふうに文部省としても取り組んで当面はいきたい、こう思っております。  先ほど馬場さん、ちょっとお触れになりましたけれども、将来ともに新しい教育改革を見直していくというこの審議機関においては、これはもちろんこれから審議機関の皆さんでお考えをいただくことでございますが、その中で一つの大きな柱として、私は、国際化への時代ということもやはり大きな検討課題だろうというふうに考えております。そういう中で、そうした世界のために開かれた日本大学はどうあるべきなのか、あるいはまた世界人々のために日本教育の上でどういう役割を果たしていくのか、こういうようなこともやはり御議論をいただければ大変ありがたいな、こう思って期待をいたしておるところであります。そういう中から気宇壮大ないろいろな計画が出てきて、その中におのずと、今馬場さんがおっしゃったようないろいろな御提言が生かされてくるのではないか、そういうことを私は期待をいたしたい、こう思っているところであります。
  17. 馬場昇

    馬場委員 次は、国土庁の方来ておられますね。ちょっと質問をしたいのですが、国土庁でも地方定住圏高等教育問題研究委員会というのをつくられまして、これは昨年の六月十四日に答申を受けておられるわけでございます。現状の地方人たちの気持ちとして、地方圏に若者が定着をしてもらいたい、あるいは地方産業の振興に高等教育機関が寄与してもらいたい、地方の文化水準の向上などに高等教育機関が貢献をしていただきたい、こういう点の期待が非常に大きい。そういうような観点からして、各地域高等教育検討委員会設置して、その地域高等教育がどうあるべきかということを検討すべきだという提案になっているのですけれども、こういうことについて、国土庁はこの答申を受けられまして、私が聞くところによりますと、この提言が生かされるように自治体とも話をしてぜひ実現に向かって努力していきたい、こういうことを言っておられるようでございます。  現在、この高等教育問題研究委員会提言、これを国土庁では具体的にどう推進しておられるのですか。余り時間がございませんので、簡単に説明してください。
  18. 柳沢勝

    ○柳沢説明員 お答え申し上げます。  馬場先生御指摘の調査は、地方圏における高等教育の振興のあり方につきまして検討するため実施したものでございます。その中におきまして、先生御指摘のような、地域におきまして高等教育検討委員会設置など具体的な提言が盛り込まれております。  この調査結果を受けまして、国土庁といたしましては、文部省を初め関係行政機関あるいは地方公共団体等に送付をいたしまして、また説明会等も行いまして、その情報提供に努めているところでございます。今後ともこの調査を参考にしながら地方公共団体に対しまして助言に努めてまいりたいと考えております。  いずれにいたしましても、この調査結果の中に盛り込まれておりますように、こういった具体的な提言が実現されるためには、まず地域みずからが考え地域みずからが行動するということが不可欠であると考えられますので、国土庁といたしましては、地方公共団体の主体的な役割が今後大きくなるということを期待しているところでございます。
  19. 馬場昇

    馬場委員 具体的に私の地元の熊本の水俣で、水俣に国際的な環境大学をつくろうということで市議会で決議をいたしまして、今は全市、これは保守、革新を問わず全市民一丸となりまして、議会の超党派で、あるいは商工団体、農業団体あるいはその他の団体、こういうことで運動が起こっておるのですよ。こういうことについて国土庁は御存じか。そして、どう考えておられますか。どう指導されますか。
  20. 柳沢勝

    ○柳沢説明員 お答えいたします。  先生御指摘の水俣の国際環境大学構想につきましては、まだ私ども詳細を承知いたしておりません。国立の国際環境大学設置するかどうかということは直接的には文部省の所管事項でございますので、国土庁意見を申し上げられる立場にはないかと存じますけれども地域振興を所管する国土庁といたしましては、地元である熊本県と地方公共団体の当大学構想につきましての意向を踏まえながら、関係省庁と今後とも相談を重ねてまいりたいと考えております。
  21. 馬場昇

    馬場委員 環境庁、来ておられますね。私は、昭和五十五年、四年前に、こういう意味で、我が日本は公害や環境問題に関する貴重な体験を持つ先進国として、その知見の蓄積を生かして国際協力のもとに環境に関する総合的な学術振興及び国際協力に指導的な役割を果たすために国際環境大学設置してはどうかということを提案いたしました。これにつきまして五十五年に鯨岡環境庁長官は、環境問題は人類のための学問として定着していかねばならぬ問題であり、それを専門とする学校が国の手によってできることは時代の趨勢として当然起こり得る問題であり、その構想を承った以上前向きに文部省などと考えてみたい、設立するとすれば公害の原点水俣・芦北地域が有力だと思う、こういう答弁をなさいました。その明くる年の昭和五十六年にまた私が、我が国の経済進出に対して公害の輸出だとか環境破壊など苦々しく思っておる国が多い、国際環境大学は国際協力の一環として特に開発途上国から数多くの留学生受け入れる特色ある大学にしたい、そのために水俣病関係閣僚会議に諮って関係各省庁集まって検討委員会をつくって検討してくれ、こういう質問をいたしましたところ、鯨岡長官は、馬場先生御指摘の開発途上国の志ある青年を招いて十分勉強してもらい、帰国して自分の国で活躍していただくという構想は非常によいことであり、関係閣僚会議で取り上げよということにつきましても心がけてやっていきたいと思うと、こういう答弁をなさっておるのです。  その後、この鯨岡さんの答弁に従いまして環境庁は国際環境大学の設立に向かってどのように検討なさっておるのか、現在どうなっておるか、将来どうしょうとしておるのか、御答弁願いたい。
  22. 加藤陸美

    ○加藤(陸)政府委員 お答え申し上げます。  馬場先生がかねてから、公害問題を初めとする環境問題に非常に御熱意を持っておられまして、特に水俣病の問題を中心といたしまして私ども環境行政につきまして大変御関心を持っていただき、かつ、環境委員会でございますが、種々御指導をいただいておりますこと、大変ありがたく思っておるわけでございます。  ただいま先生からお話ございました大学、特に環境問題についての学校の問題でございますが、私どももよく伺って承知いたしております。ただ、学校設置云々の問題につきましては環境庁といたしまして云々すべき立場にはないと存じますので、その点はちょっと避けさせていただきますけれども、まず、環境問題というのは非常に幅の広い問題でございますし、また、私ども環境行政を直接担当いたしております立場で見ましても、行政として見ましても、非常に横の幅の広い、関係各省庁と連絡調整を常にしていかなければならぬという、いわば横糸の役割という仕事の分野でございますこともよく承知いたしております。したがいまして、学問の話は専門ではございませんのであさはかではございますけれども、いわゆる学問領域としての位置づけというものはいろいろ考えなければならぬ問題があるのではないかと推察はいたしておるわけでございます。先生おっしゃっております公害問題の原点とさえ言われております水俣病の問題を中心にいたしまして、私ども、その重要性は非常に深く認識しておりますし、また水俣市に、これは環境庁として国立施設を設置しておるわけでございますが、水俣病研究センターを設置しておることは先生つとに御承知のところだと思います。  それで、鯨岡長官時代に先生から熱心な御質疑それから御答弁があったことも承知しておりますので、その後、私ども専門ではございませんが、文部省当局とも御相談をした経緯がございます。他方、国際的な関係につきまして同時に鯨岡長官が答弁されておりますが、この面につきましては、途中は長くなりますので結論だけ申し上げますが、昨年の暮れに国連総会におきまして環境特別委員会というものを設けて、二十一世紀に向かっての環境問題の地球的規模での取り組みを勉強しようではないかという特別委員会設置が決まっておりまして、この春にもスタートしようといたしておるわけでございます。これも先刻御承知のことかと存じますが、そのように学問としても非常に幅が広く、また地域的にも今やグローバルな問題になってきておるということは、先生御指摘のとおりでございます。この問題についてどういうふうに対処していくか、さらにはどんな場所でという問題になりますと、私ここで云々は差し控えさせていただきますけれども、いろいろ考えていくべき問題ではあるのではないかというふうに考えておる次第でございます。  なお、環境庁といたしましては、当面環境庁で直接できる範囲の水俣病研究センター、これは御承知と存じますが、医学を中心にいたしまして、特に臨床医学、水俣病の治療研究から入りました臨床医学を中心とした研究をしておるわけでございますが、この充実は、少しずつではございますけれども定員増等も図ってまいっておるところでございます。
  23. 馬場昇

    馬場委員 結論から言うと、余りやっておらぬというようなことに聞こえたんですけれども、いやしくも国会の委員会でやりましょうという約束をして、各省庁とも話し合ってやると言っているのですが、今のような答弁では納得できない。しかし、これはまた後でおたくには当たって、また一生懸命やります。  文部大臣、もう水俣病は御存じと思いますけれども、本当に人類が経験した最も悲惨な公害でして、その広さとか深さとか悲惨さというのは、もう口には尽くせない問題があるわけで、公害の原点と言われておるわけでございます。あの不知火海沿岸で二十万人くらいの人が水銀の汚染に暴露されているのですよ。実は私は地元ですが、劇症型といいましたら、漁民ですから私みたいな大きい人が、一日に八十回ぐらい、けいれんを起こして布団から落ちるわけです。けいれんを起こす、そういう劇症型から、あるいは胎児性というのは生まれながらにして目も見えない、耳も聞こえない、口もきけない。お父さん、お母さんと名前も呼べないし、植物人間みたいにして、例えば吸引力がないから、おもゆを一杯入れるのに一時間ぐらいかかるのです。そういう胎児性の患者から、そして現在までまだ遅発性、遅くなって現在もまだどんどん発症しておる人もおるわけでございます。また、奇病と言われて、金泥棒なんて言われながら、社会的に水俣病という差別があるし、大変悲惨な地獄みたいな状況があるわけであります。  三木さんが環境庁長官のとき水俣に私と一緒に行きまして、そういう悲惨な状況を見て、もう絶句をされて言葉もない。こういう状況をつくったのは行政に本当に責任があるんだということから、今答弁がありました水俣病総合センター、こういう過ちを二度と繰り返しませんということを、世界に冠たる総合センターをつくって、研究から治療からリハビリから就職の世話から、今後こういうことのないようにといろいろなことで約束されて、今その一部分の研究センターができている。また、石原さんが環境庁長官のときに水俣に行かれまして、本当に水俣病の完全な対策を立てなければ人間は次の文明を語ることはできないというようなことまで言われて、いろいろ対策を立てられたわけでございます。鯨岡さんになっては、この問題を解決しなければ、もう単に現在生きている者の問題だけではなしに人類の将来につながる問題だ、そして環境問題は、地球が人間を殺すのではなしに地球が死ぬから人間も死ぬのだ、そういう意味で今後さらに真剣に取り組まなければならぬ、こういうことで全力を挙げて取り組んできておられました。その中の一環として国際環境大学というのを実は私は提案をしたわけであります。  そういう点について、文部大臣の水俣病や公害、環境に関する認識、考え方も聞きたいのですが、余り時間がございません。問題は今お聞きになったとおりでございますし、資料も差し上げておるんですけれども、何としても、人類は二度と過ちを繰り返しませんと、二十一世紀人類の幸せに向かって——それだけもう国際的な公害、環境の知見があるわけですから、そういうものを研究しながら、また世界からそういう人たちを集めて研究する、教育する。そういう意味で、現在日本にこの環境問題を専門にする大学はない、学部一つもないのです、国立ては。そういう状況の中で、何としてもこういう国際環境大学は二十一世紀に向けて必要じゃないかと私は思うのです。環境庁は、国立と言っておりますものですから管掌は文部省だということで、文部省とは内々打ち合わせをしておるようですけれども、特にこういうところで、国立環境大学とすれば後でまたつくり方も、それができなければいろいろ申し上げますけれども、やはり文部省が所管ですから、その担当の森文部大臣の国際環境大学設立の構想についての御見解を承っておきたいし、ぜひやってもらいたいと思います。
  24. 宮地貫一

    宮地政府委員 初めに私からお答えいたします。(馬場委員「短くしてくださいよ、もう時間が余りないからね」と呼ぶ)  先生、かねて資料もいただいておりますし、拝見させていただいております。また環境庁からも事務的な御照会等もいただいておるところでございます。環境に関する科学というのは大変広範な専門分野にかかわっておりまして、大学でも理学部、農学部、医学部など多数の学部学科にまたがる教育研究が行われておるわけでございます。問題は、環境学という独立した学問が形成されるかどうかというようなことも、今後の学術研究の動向にも留意して見きわめる必要があろうかと思うわけでございます。もちろん、御存じのとおり財政的にも大変厳しい現状もございます。現在新しい学部をつくるならば、考え方としてはやはり改組転換等やれということも言われているわけでございまして、私ども、そういう環境問題についての重要性は先生御指摘のとおり大変大事なことだということは十分認識をしているわけでございますけれども、現時点では基礎的な研究分野の組織を充実するということが第一ではないかと思っておりまして、例えば具体的には科学研究費の活用とか、あるいはそういうさまざまの研究者が共同研究できるような条件を整えるとか、そういうような観点で対応をいたしてまいりたい、かように考えておるわけでございます。  もちろん、地元の大学として熊本大学があるわけでございますが、熊本大学自体の整備ということについても大学側のお考えもあるわけでございまして、例えば、御存じのとおり薬学についての博士課程の問題でございますとか、あるいは総合大学院をどう設置するかとか、いろいろな問題を熊本大学自体でも抱えているわけでございまして、それらの中で私ども慎重に検討させていただきたい、かように考えております。
  25. 森喜朗

    森国務大臣 今、馬場さんのお話をいろいろ伺いました。  水俣のみならず、最近、こうした科学時代といいましょうか、あるいは文明の進達の度合いによっていろいろな弊害が出てきておる。衆議院、参議院含めまして、予算委員会におきましてカネミを初めとして悲惨な事件の問題が提起をされておるわけでございまして、私の持論でありますが、文明が進めば進むほど文化は逆に廃退をしていく。大変怖いことだと思います。当然、そのことを事前に予測をしてそうした学問が確立しておればすべてそれはおさめられるというものではないだろうと思いますが、こうした問題はこれからも、例えば体外受精の問題だとかいろいろ考えてみますと、科学が進めば進むほど我々が想像し得ないような問題が出てくるような気がして、ある意味では今のままでとまっておってほしいなと思うくらいで、文化というものを考え、文化を薫り高く維持していくためには、何かそのような恐ろしささえも感ずるというのが私の正直なところでございます。  そういう意味で、今大学局長からも御答弁申し上げましたが、学問といたしましてはいろいろなや川方があるだろうと思いますし、あるいはまた環境に関する科学といっても理学、農学、医学、いろいろな形で分かれるものでございますから、これからのノーハウについてはまだ検討してみる大事な課題であろうと考えております。  馬場先生の御質問があるということでございましたので、きのう早速この馬場構想を読ませていただきました。やはり御専門の先生だけに、いろいろとスケジュール等も実に細やかにメモしてございまして、大変勉強になりました。学問としてこうして取り上げていくかどうかということ、これは私ども政治家として判断できるかどうかというのは非常に微妙なところでございますが、今後専門人たちによって、こうした学問学問として取り上げていくのか、大学として別個にやっていくことがいいのか、あるいは研究所あるいはまた現在ある高等教育機関の中に組み入れていくことなのか、こうしたことをこれからも検討してみるべき価値のあるものだなということを、私は拝見しながら感じたわけでございます。もちろん、その結果大学をつくるべきだ、独立の高等教育機関としてやるべきだという考え方が出れば、確かに文明病と言われるようなこうした公害の日本の歴史の中でいろいろな意味で最も大きなテーマを投げかけたという意味では、水俣のところにやるということは、日本の国の上においても、世界全体の国から見ても意義のあることだろうなというふうに感じます。  いろいろな意味で、この先生の御指摘は極めて示唆に富む研究課題であるというふうに考えておりますので、文部省としても十分検討をさせてみたい、こう思います。
  26. 馬場昇

    馬場委員 今お話しあったように、科学技術がずっと進歩していくとこういう公害が出、環境が破壊されていくわけですから、それに対応して私たちは公害をどうしてなくするかとか、あるいは自然環境をどうやって保全していくかとか、快適な環境づくりをして美しい豊かな自然を二十一世紀に引き継いでいく、これが本当の財産を残すことになるわけです。そういう意味で今聞きましたら、ちょっとはっきりしなかったわけでございますけれども、私は機は熱しておると思うのですよ。  というのは、先ほど質問いたしましたように、二十一世紀、七十五年まで展望した高等教育機関の七カ年計画があるわけですし、さっき言った国際的規模での長期的な視野で留学生受け入れ問題も考えるわけだし、国土庁の過疎過密の問題からいって地方大学をつくるということもあるわけでございまして、やろうと思えば機は熟しておる。こういう条件の中で、本当に環境を専門とする国際環境大学を二十一世紀に向かって森さんが実現する大学の第一号ということで、これにぜひ手をかけていただきたい、つくっていただきたい、こう思います。  そして、具体的には水俣病関係閣僚会議というのがあるわけですね。御存じのとおりでございまして、これには文部大臣も入っているわけです。これは八つの省庁、官房長官、環境庁長官、大蔵、自治、文部、国土、厚生、通産で形成されておりまして、この水俣病関係閣僚会議で実は水俣・芦北地域の振興は特別にするのだ、水俣病があって高度経済成長からも取り残されて悲惨な状態に今苦しんでおる、それを振興しようということも実は閣議決定になっているわけです。そういう中で、環境庁長官からもその閣僚会議にこの問題を持ち出しなさいと言っているわけですが、文部大臣の方からもぜひ関係閣僚会議に持ち出して、例えば、今こういう財政再建のときで金がどうもないというならば、今言われました水俣病研究センターというのが環境庁であります。しかし、これはほとんどだれも行かないのですよ。宝の持ちぐされになって、私が、おい、ホテルにしちゃだめだぞと言うくらいまだ機能を発揮していない。ここは水俣病研究センターですが、例えばそこで教育もするとか留学生受け入れるとかして、いろいろなことでそこを拡充強化しながらまず一歩を踏み出していく、そして時を見て環境大学に発展させていくとか、やり方はいろいろあると思うのですよ。そのことがこの地域の住民に対して明るさを与える。  この間フランスに行きまして環境大臣に会いました。私がいろいろなことをしゃべったってほとんど関心を示さなかったのが、私は水俣出身ですよと言ったら、おお水俣、どうなっていますか、どうなっていますか、私の国の辞書にも「ミナマタ」という言葉がありますとか言っていましたが、そういう意味で、ここを外国からの留学生受け入れ教育の場にもする。最初は小さいのでいいわけですから、そういうところから始めていってはどうだろうかということを関係閣僚会議に出す。留学生は、例えば外務省と話をして、国際協力基金の中からここに留学生受け入れようじゃないかとか、そういうことで、小さいところからでいいから森さんに一歩を踏み出していただきたいということを強くお願いしたいわけでございます。いかがでございますか。
  27. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども申し上げましたけれども、そうした新しい分野におきます学問というのは、財政がどういう形であれ、臨調のどういう答申があれ、そのことと学問をこれからさらに掘り下げていく、深めていくということとは別問題だと思っております。したがいまして、当面は財政状況あるいは臨調答申というものは当然踏まえていかなければなりませんけれども人類の幸せ、日本の将来の発展あるいは国際社会に役割を果たす、そういう意味からいいましても、日本のこれからの高等教育機関がどのような分野の学問をさらに広めていくのか、深めていくのか、これは単に環境問題だけではなくて、これから招来し得る、また予測し得ない多くの分野があるわけでございますので、こうした問題を大学局あるいは国際局を中心にいたしまして、文部省の中でも十分検討させてみたい、このように考えております。
  28. 馬場昇

    馬場委員 先ほど言ったのですが、研究していただくのは非常にありがたいことだし、ぜひそうしてもらいたいのですけれども、私はこれを五年ぐらい前から環境庁には言っておりますし、なかなかはかどらないわけです。考えてみますと、やはり環境庁だけでは無理だ。文部省が動き出さなければなかなか先に進まないなということも思っております。その文部省も、さっき言いましたように七カ年計画、二十一世紀に向けたそういう急増対策の時期でもあるし、留学生受け入れをたくさんやるという時期でもあるし、過疎過密の問題で国土庁地方につくってくれという意見もあるし、条件は熟しております。学問だけではなしに、教育、そして国際協力のために日本が果たす役割ということが、私が言っております国際環境大学に課せられていいんじゃないか。学問の分野だけでもなしに、そういう点も十分機能を持ったものにしていきたい。そして、今まで苦しんでおります例えば水俣病の患者とか、あの地域人たちが喜んでそこを利用できる、その地域に貢献をする、地域を明るくするということも必要じゃないかと思うのです。そういう意味で、大臣、形態は国立て無理と言えば、さっき言ったように今の国立てやるとしても、環境教育センターを発展させていく、利用するという点。そのほかに、例えば熊本県にどう協力させるか、水俣市にどう協力させるか、あるいは企業なら企業から何か寄附させるとか、そういうこともあると思いますが、設立の協力関係というものを含めまして、文部大臣はまだ若いから二十一世紀に政治家として生きられるわけでしょうから、そういう点について文部省の中でぜひ研究をして、そしてその研究の過程で、閣僚会議に環境庁も持ち出すでしょうから、文部大臣の方も持ち出していただきたいということをお願い申し上げたいのですけれども、いかがですか。
  29. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど馬場さんの御質問の中にもございましたが、例えば国土庁の新しい定住圏構想におきます高等教育振興策、これはどちらかといいますと、受け入れ入れ物のことについていろいろ御提言をいただいているわけでございます。したがって、大学独自の意欲と、そして地方自治体がそれに絡んでいく新しい行き方がいいだろうということは、文部省大学局長あたりがそういう考え方も付言して申し上げているところでございます。  一方、今大学設置審議会で「六十一年度以降の高等教育計画的整備について」という答申の取りまとめの作業をいたしておるところでありますが、これはどちらかといいますと、十八歳人口をどうすべきであろうか、どのように地方誘導していくべきであろうか、むしろこうした問題にポイントを当てて議論をしているところでございます。  この前ちょっと申し上げましたように、入れ物の問題、そしてそうした十八歳人口の動態の問題、それに合わせて、二十一世紀を展望してどのような学問一体これからの日本高等教育に必要なのか、こういうようなことについてはいささか文部省の中でも取り組む必要があるのではないか。今の環境問題も含めながら、いろいろな文明と環境との問題あるいは文明と文化との相関関係、そういうことを考えてみましても、学問はこれからまだまだ無限にあると思います。当面二十一世紀を展望するとどのような学問が必要なのか、馬場先生に御指摘いただきました環境問題も含めながら、文部省の中でそうした学問を少し検討してみる、そういう時期が来ておるのではないか、そういうふうに事務当局にも指導していきたい、こう思っております。
  30. 馬場昇

    馬場委員 これは水俣に関してだけではないわけです。二十一世紀人類の問題ですが、しかし当面、具体化していくとすれば、そういうところで議論する必要があると思うのです。そういう点について、その関係閣僚会議文部大臣も出るわけですから、環境庁長官も出すわけですから、ぜひそのところでも議論していただきたいということですが、それはどうですか。
  31. 森喜朗

    森国務大臣 そうした機会がございましたらお話を進めてみたい、こう思っております。
  32. 馬場昇

    馬場委員 終わります。
  33. 愛野興一郎

  34. 中西績介

    中西(績)委員 私は、国立学校設置法一部改正案について質問をすべきでありますけれども、緊急な課題としてございます国士舘問題についてこの時間を使わしていただいて、確認をしておきたいと思います。  国士舘問題につきましては、三月三十一日までに解決を私たちは期待してまいったところでありますけれども、逆に混乱の度合いが深まってきておるのではないかということを危惧いたしております。したがって特別に質問するわけでありますけれども、まず、先般の学内における梶という理事と組合側の交渉の中で明らかになってきたわけでありますが、文部省が納得する回答を三月末日までにするということをこの梶理事は回答いたしておるわけであります。その中身というのは、この刺殺事件の私学に与えた影響、社会的な影響、不適正な管理責任などを含みまして、責任のとり方を十分検討した上でそうした措置をとるということを言ったようでありますけれども、この点が具体的に出てまいりましたのは、三月十三日の日に文部省あてに出てきたものがございます。それは、国士舘規程整備委員会なるものを国士舘に置きまして、策定をいたしまして、これを文部省に提示をし、その後十五日の日に、柴田梵天、光定、大塚、こういう三名の皆さんを文部省は呼び出していろいろ話をしたようでありますけれども、その中身というのはどういう中身であったのか。さらに、この結論はどういう結論を持って帰ったのか、この点をひとつ明らかにしてください。
  35. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国士舘問題についてのお尋ねでございますが、国士舘につきましては、若干経緯を申し上げますと、かねてから種々問題がございまして、文部省としても長年にわたっていろいろ指導してまいったわけでございますが、昨年の七月に現職の理事が学園内で刺殺されるという言語を絶するような事件がございまして、それを契機に、昨年の九月十六日に「運営体制の刷新等」を中心とする六項目について指導を行ったわけでございます。  その後、学園側から、同年、昨年の十一月十日に回答があったわけでございますけれども文部省が一番重要だと考えております運営体制の刷新という基本的な事柄についての回答が極めて不十分であるというふうに考えまして、その点についての再考を促したわけでございます。  私どもの気持ちといたしましては、できるだけ年度内には何らかの形の解決を得たいということで、その後も事実上の接触等も若干行っておったわけでございますが、この二度目の指導に対する正規の回答が出てこないというようなことから、去る三月十五日に、年度末を控えまして、柴田総長に対しまして直接その後の状況を聞くと同時に、特に中心的な課題であります運営体制の刷新の問題について、従来の文部省の指導を繰り返し、早急な解決を要請したということでございます。  これに対しまして、総長からは、この問題について理事会、評議員会に報告をして検討しているけれどもいまだに結論を得ていないというのがいわば総長の回答でございますが、私どもといたしましては、早急に検討の上、文部省意向に沿った解決をぜひ図ってもらいたいということを重ねて強く指導したというような状況でございます。
  36. 中西績介

    中西(績)委員 そうなりますと、私が先ほど申し上げた、学校法人国士舘規程整備委員会規程なるものを文部省に示したけれども、これは全く回答にはなってないということを指摘し、そしてなおかつ、今言われましたように、運営の刷新について回答せよということを迫ったわけでありますね。そのことはそういうふうに理解してよろしいですか。
  37. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ただいまお話に出てまいりました国士舘規程整備委員会規程云々というのは、学内規程等について整備をすべきだという指導項目に一項目入っておりますが、その項目に対する対応として、現在こんなことを学内で検討中であるという報告を受けたというだけのことでございまして、それはそれとして、理事体制の刷新等の基本問題の解決をぜひやるようにという指導をしているところでございます。
  38. 中西績介

    中西(績)委員 国士舘というところは、理事会は、絶えずこういうようにしてその都度その都度指導をいたしましても、何かこういう規程をつくってみたり委員会をつくってみたり、いろいろなことをすることによってその都度過ごしていくというやり方を、今まで何回となく繰り返してきたわけです。ですから、この一環としてこれが出てきた、こう私も理解するわけです。  そこで、今言われましたように、一番問題は、結論が出ておらないので再度それに対する結論を出せということを迫ったということですか。この点、どうでしょう。
  39. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 まだ結論が出ていないという回答でございますので、文部省の指導した趣旨に沿った結論を早急に出してほしいという指導をしておるところでございます。
  40. 中西績介

    中西(績)委員 それでは大変遅いのではないか、また従来のとおりのパターンを繰り返しておるにすぎない、私はこう言わざるを得ないわけです。  なぜならば、一つずつこれから聞きますが、例えば財政問題一つを取り上げてみましても、私は、国士舘の財政は破綻をするのではないかということを一番恐れています。その中で十四億六千万に上る金を海外へ持ち出しておるわけでありますけれども、特にブラジルに十億送金をしておるわけでありますが、そのうち三億は貸し付け、あと残りの七億は寄附金だと言っておったものがこれも貸し付けたと言っておりますから、返済が果たしてなされておるのかどうか、あるいはそういう返済計画というものがちゃんと立てられておるのかどうか。そして二つ目に、実際に返済はされておるかどうか、どうでしょう。
  41. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ブラジルに対する送金が十億円でございますけれども、これらにつきましては貸付金という説明を受けておるわけでございます。これにつきましての返済金は、ただいまちょっと手元に資料を持っておりませんけれども、一回だけ、金額的にも極めてわずかなものであったと思いますが、入っただけでございまして、その後、利息あるいは元本に対する返済は行われておらないわけでございます。  なお、大学側からは、事情をいろいろ聞いてみますと、端的に申しまして、現地の実態からいって的確に返金がなされてくるということを確実に保証するような状況にはないというふうに判断せざるを得ないと思っております。
  42. 中西績介

    中西(績)委員 私が聞き及ぶところによりますと、その一回の返金もいわゆるブラジルからの返金ではなくて、どうも学校法人国士舘の中からこれが返済されたという中身ではないか、こういうように言われているのです。そこにはまた、極めてごまかしがあるわけです。  これは当たっているかどうか知りませんけれども、私たち全体的に聞き及ぶところでは、約五十」億の借入金があると言われています。そして、海外にこうして持ち出した分については、全然返ってこない。だからこそ、会計の公開が要求されておるわけです。これが要求されてから極めて長い間だっていますけれども、依然としてやみ雲の中にある。こうしたことについて、全く措置されてないというふうに考えていいかどうか、この点どうですか。
  43. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 ちょっと御質問の御趣旨が十分わからなかったので、あるいは見当違いのお答えになるかもしれませんけれども先ほど来申し上げましたように、貸付金につきましては返還の計画が極めて不明確でございますし、実態的に返還金としてもごくわずかしが入ってきていない、そのままストップしているというような状況でございますので、その関係の経理については、将来極めて不安な感じがするという状況にはあるわけでございます。
  44. 中西績介

    中西(績)委員 私が言っておるのは一つの例であって、こうした金だって全部、学校法人所有の土地なんかを担保に入れて借入金によって措置をしておる。その借入金が、当たっているかどうか知らないけれども、仄聞するところによると約五十一億あると言われているのです。こういうような状況なのに、今言うように、持ち出した分についての返済計画も何もない。しかも、これは恐らく取れないだろうということを今言われておるわけです。そうなってまいりますと、会計の公開を要求する側、これは私、より正しい意見だと思うのです。いろいろなところから言われています。ところが、この公開要求に対しては一切触れない、今までそこには回答しないわけです。こうなってまいりますと、私は財政的に破綻をするのじゃないかと思うのですけれども、この点についてはどう把握をしてあるのか、文部省には正確なそうしたあれがちゃんと出されておるかどうか。どうでしょう。
  45. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国士舘大学につきましてはこれまで、五十八年度からは打ち切りになりましたけれども、それ以前は経常費の補助金が支給されておったわけでございますので、それにつきましては文部省に対する収支決算等の報告義務があるわけでございます。この報告につきましては、すべて公認会計士が監査をした上で報告をするということになっておりますので、そういう意味では的確な会計報告が出ているというふうに考えておるものでございます。  国士舘の財政状況についての御質問がございましたので、私どもが把握している状況で申しますと、これは五十八年度の決算はまだでございますので、五十七年度末でもって借入金の残高が約四十一億というふうに把握をいたしております。  なお、国士舘大学財政状況全般ということで見ますと、総資産に対する総負債の割合でございますが、これが四五・八%ということで、負債の方がふえつつあるというような傾向がございますし、また、実質的な帰属収入全体の中での人件費の割合がかなり高まってきているとかといったようなことで、財政的にはかなり硬直化しつつある状況にあろうかと思います。ただ、現状で直ちに経営が不安になるという程度のものとは考えておりませんけれども、かなり硬直化し、悪くなりつつあると申した方がいいかと思います。そんな感触を持っておるわけでございます。
  46. 中西績介

    中西(績)委員 ですから、先ほど申し上げましたように、第一項目の結論が出てないからそれで返すということだけでなく、こうした財政的な問題についても私たちが−これはうわさですから当たっているかどうか知りませんけれども、二名の理事が今度またブラジルへ行ったのですね。だから、何回となく金の催促をしてきているんだそうですよ。それにこたえたかなんか知らないけれども、行く必要もないと思われるときにブラジルに二名行っている。こういうことになると、また金を持ち出したのではないか、そういう危惧がまたあるわけですね。屋上屋を重ねるようなこうした状況というのが次々に出てくるわけです。ですから、財政的にもこうした問題についての徹底した指導をしておかないと、完全にお手上げになってしまった後からでは追いつかないと私は思うのですね。  それからもう一つは、大変な混乱がまた起こり始めています。例えば、今言う財政問題について監査をすべき人、三月十日に監事である野田という人が解職されております。この野田という人が解職されたのを見ますと、これまた驚くのですけれども、監事ですから当然の要求をしたわけですよ。いろいろずっとありますけれども、まず問題は、改善項目の中の「「六 監事による監査の厳正」の内容はどのように実行されるつもりか。」「学園の状況報告して意思を聴くとあるがそれ以後何のご報告もありません。」ということで、まず第一にそれを指摘しています。それから、理事、評議員の変更がなされたけれども監事の自分は何も知らぬが、これはどうなっておるか。それから、「財産の状況、経理の内容について資格ある公認会計士の監査を受けられることはないのか。」こういうようなことを文章にして出したところが、その返答は、この三月十日に解任の通知が来ておるわけですよ。ですから、今の財政問題について、学校の運営の状況理事あるいは評議員の選出方法、いろいろなことについて見てみましても、監事として当然要求すべきことを要求すれば、こういうふうにして切っていく事象が一つ出てきている。  それともう一つ、大変な問題がまた出ておるわけでありますけれども、三月三十一日付で教職員が十一名懲戒解雇されていますね。これは不当解雇として、十名は東京地裁に地位保全仮処分申請をしたようでありますけれども、これは聞いてみますと、ほとんどの人が国士舘のOBですよ。この人たちは出身者なんです。そしてこの中身をずっと見てまいりますと、特に殺人事件以降いろいろございまして、請願をしたりいろいろな措置をとってきた人たちが全部、この中に今度は含まれておるわけですね。  例えばこの中で言えることは、解雇された皆さんの場合にはどういう中身になっておるかといいますと、この中に国士舘在職卒業生会会長の中島という人が入っていますよ。この人は二月に、国会に柴田梵天氏を証人として呼んでいただいて、こうした問題について本当に早く内容的に解明してほしいということの陳情書を出した人です。それからもう一人、この中に国士舘精神を護る会の戸水という人がいますけれども、この陳情の中身というのは、建学の精神を堅持せよとか経理を公開せよとか殺人事件に対する道義的責任を明らかにせい、こういうようなことをした人が今度の懲戒処分の中に入っているわけですね。ということになってまいりますと、このやり方は、邪魔者は全部消せというやり方ではないかと私は思いますよ。  そして三つ目に、四月二日現在、学部教授会が選出をした学部長、従来ならば三月末に発令しておったのにこれをまだ発令しない状況が出てきています。さらに本年度採用した教員、これについて承認をせずに、今度学校が四月から始まっても開議できないという状況がまた出始めています。  ということになってまいりますと、これを全体的に見ますと、三月十五日こうした措置をとったけれども、逆に理事者側あるいは柴田梵天、この人は文部省の改善勧告、このことに対してまさに挑戦をしておるとしか言いようのない中身でもって、次々にその事象というものがあらわれてきておるということが言えるのではないかと私は思います。この点、私はそう認識をしておるのですけれども、そのように認識してよろしいかどうか。これは大臣、どうでしょう。
  47. 森喜朗

    森国務大臣 中西さんのお話を承ってもちろんでありますが、私も新聞等あるいはまた事務当局から国士舘大学の問題につきまして報告を受けておりますが、正直申し上げて極めて遺憾であります。私どもが私立大学というものを大事にしたい、こういう気持ちで私立学校振興助成法をつくった、何かそんな気持ちを踏みにじられたような気持ちで、正直申し上げて、私がこういう答弁をすることがいいのか悪いのかわかりませんが、率直な感情から言いますと、やはり怒りを覚えるものでございます。  ただ、これは私学振興財団法を制定いたしましたときもそうでありますし、私立学校振興助成法を制定いたしましたときもそうでありますが、文部省として、国がどこまで私学のそうした経営の内容あるいは大学の自治という問題、文部省がどこまで一体その権益を侵すことができるのか、あるいはどこまでが文部省としての監督の権限なのか、これはいつも非常に議論の分かれるところでございます。ノーサポート・ノーコントロールなんというよう宣言葉もよくこの時期になると出てくる言葉でございますが、おのずと文部省の行政の中にも限度というものがあるわけであります。ましてや国士舘大学につきましては、補助金の不交付措置をいたしております。補助金の不交付をいたすということになりますれば、ますます文部省としての監督が直接及ばないということにもなってくるわけでございまして、あくまでも大学自身が気持ちを新たにして改革をしていただくということを希望するしかないというのが私の感想でもあるわけでございます。  しかし、文部省としても、中西さんの御指摘をいただくまでもなく、随分いろいろな意味で指導をいたしてきておるわけでございまして、先般も、今御質問の中にございましたように柴田総長を文部省に呼びましたときも、担当官がかなり厳しく指導し、理事体制の刷新等については具体的に文部省としての考え方を示しているわけでございますが、現実としてはその文部省考え方を無視しておるというのが正直なところで、私自身としては極めて遺憾である、こう言わざるを得ないところでございます。  まだるこしいようでございますし、中西先生のおっしゃるとおり、おしかりもいただくわけでありますが、さらに文部省のでき得る範囲の中で指導をしていく、その道しかないわけでございまして、一日も早く私立大学あるいは社会全体、私学全体、そういう立場の中でも、伝統ある国士舘大学の名誉にかけても大学みずからが体制の刷新にぜひ意欲を持ってもらいたい、こう私は願うところでございます。
  48. 中西績介

    中西(績)委員 例えば今申し上げた三月三十一日付の十一名の懲戒解雇についても、文部省が改善六項目を提起しておるわけでしょう。その中身について一つずつをまじめにやろうではないかということを提起した人全部を首切っているわけです。ところが、これは今度だけにとどまるとは私は思いません。これはさらに百名近くの人に拡大されるのではないかという声が既に起こっている。私が今まで言ってきたことは大抵当たっていたわけですね。刺殺をした中村の問題についても、三年前に指摘をしておるものが、実際に手を下して殺したし……。ですから、このことはまさに文部省、改善六項目に対していまだに何ら手を打ってないし、むしろ逆の方向にこうした措置が、例えば財政的な問題についての監事の問題についても、あるいは学内における人事の問題についても、そしてこのような内容的に会計面から、あるいは運営面から全部を改善してほしいという要求をする人たちに対してこういう措置をとるということになってまいりますと、まさにこれは形を変えた文部省に対する挑発行為であるし、挑戦だとしか私は受け取れぬわけですよ。だから、その中で今文部省は何をなすべきかということを考えないと  と申しますのは、いよいよ四月、日時が過ぎていきますとまた学校が始まってまいりますよ。だから、少なくとも三月三十一日までに、生徒が休んでおる期間に何とかそれを片づけておきたいというのが我々の期待であったわけですね。ところが、四月過ぎてさらにこれがエスカレートしていくということになってくれば、これは一番最悪の事態になる、こう指摘せざるを得ないわけです。ですから私は、私たちと文部省との認識の間に大きな開きがあるじゃないかということを今まで何回となく指摘してきたわけです。私は、少なくともこれは文部省に対する挑戦だと受けとめるべきだと思いますけれども、この点はどう受けとめますか。
  49. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 種々先生から御指摘がございましたような、このたびの監事の解任でございますとか教職員の解雇の問題等につきまして私どもも耳にいたしておるわけでございまして、大学当局から言わせればそれぞれに、例えば職務命令に違反をしたとか、個別の条項を挙げまして就業規則違反であるとかいうような理由を述べるわけでございます。また、これまでの経緯から申しまして、私ども大学当局のそのままというわけではない、処分を受けた側にももちろんそれぞれの理由があるわけであろうと思うわけでございますので、この状況については、これから裁判というようなこともあるようでございますので、注意しながら見守っていくしかないと思っているわけでございますけれども、いずれにいたしましてもこういった一連の事柄につきましては、私どもがかねて指導している方向から見て遺憾なことであるというように感ずるわけでございます。  先生から先ほど、三月末までにというお話がございました。私どももそういう気持ちがあったからこそ、三月十五日に総長に対しまして直接、早急に結論を出すようにということを迫ったわけでございますが、結果としてそのことが実現しておらないことを大変残念に思うわけでございますけれども、引き続き粘り強く厳重な指導を重ねてまいりたい、かように考えておるところでございます。
  50. 中西績介

    中西(績)委員 私は、そういう答弁を求めたのではないのです。文部省に対する挑戦として受けとめるべきだと思うけれどもどうなんだ、こう聞いておるわけです。
  51. 森喜朗

    森国務大臣 私立大学を問わず、大学の自治、学問の自由というのは大事にしなければならぬことであります。国公立につきましてはそれぞれ責任ある設置主体者がそれぞれの責任を持ってまいるわけでございますが、私立大学につきましては、まあ世間一般上常識的に考えて、私立大学を経営する人々がこんな不祥事を起こすだろうなどということはまさに想像ができないわけであります。文部省としては、あくまでも大学自身が大学の意義あるいは建学の精神、そうしたことを踏まえながら大学の自治をみずから考えていただけるものだ、そういうお互いの良心的な信頼の中で文部省と私立大学は存立している、私はそう信じております。  先ほど私はちょっと言葉が足りなかったかもしれませんが、私学振興財団法を制定する際、坂田先生いらっしゃいますが、当時文部大臣、大変御苦労をいただきましたところは、国から補助金を出すということについて、それに伴って監督を強化するあるいはチェックするというところが私学の嫌がったところであります。私立学校振興助成、振興の助成費は欲しいが大学の中の会計、経理についてはとやかく外から言われたくないというのがやはり大学全体の気持ちなんです。したがって、一大学がこうした不祥事を起こし、それに伴って文部省が監督権限強化を仮に進めるということであれば、多くの私学はこれまた反対をなさるということになるのです。一大学の不祥事によって多く保の大学が迷惑をこうむる、こういう意味から言っても当該大学はやはり責任を持ってみずから改革をしてもらいたい。文部省としては六項目についての改善要求をいたしているわけでございます。その中の最も重要なところは、現在の経営陣の刷新であります。そのところがなかなか今日もってお聞き入れをいただけないというところが、私にとっても隔靴掻痒の感じがするところでございます。  ここまでこうした不祥事が続いてまいりますと、確かに、私の感想から言えば、中西さんのおっしゃるとおり、私立大学文部省との間の信頼関係を盾に、逆に言えばその法律の一番裏のところをついて、文部省がやるならどこまでやれるんだという意味で、ある意味では挑戦をしていると受けとめても私はいたし方ないなという感じが、今中西さんのお話を聞くまでもなく、最近のこうした不祥事の連続を考えておりますと、そういう考え方を言わざるを得ません。文部省といたしましては補助金の停止しかなかったわけでありますが、だからといってこうした状況を続けてくるということであれば、中西さんのおっしゃったことが適当なのかもしれません。  しからば、それからその上さらにどうするのかということになれば、国士舘だけに対してやり得る措置はあるのかどうか、そのことについてどういう法律が一体裏づけをされていくのか。そうなれば私学全体に大きな問題になります。あるいは現在国士舘大学に対して何らかの方策をということになれば、現在いるまじめな職員やあるいは現在学ぼうとしている学生に対して一体どういう措置がとり得るのだろうか、かなり難しい問題であろうと思います。  こういう議論をあなたと私でやらなければならぬということが非常に不愉快なことで、悲しいことでもあります。こうしたやりとりをもし聞いてくださるならば、国士舘自体がもっとみずから恥じ入って、新しい改善の要求に対して大学みずからがそれに向かって刷新をしていただきたいな、この神聖な衆議院の文教委員会の中で国士舘大学関係者に対して私はこう叫ばすにはおれない、そういう心境でございます。
  52. 中西績介

    中西(績)委員 認識の統一をしておかないと論議にならぬから、この前からそれを私は盛んに言っているわけです。基盤を共通にしておかないと、なかなか論議がかみ合わないわけですよ。ですから、あくまでも信頼を完全に裏切ってやるということになれば、挑戦だとしか言いようがないと私は思うのですね。  例えば六項目を考えてくださいよ。「運営体制の刷新」、できたかといったら、第一項目は全然せぬ。出てきているのを見ますと、逆じゃないですか。この新しい理事長、理事、評議員の体制というのはますます逆行しているし、中身を見たらすぐわかるじゃないですか。さらに「法人全体の円滑、適正な運営」、「海外事業の慎重な実施」、これらについても全然改善されてない。「学内規程の整備と運用の適正」についても、既にあるのにこれもやってない。「教職員の身分の慎重な取扱い」については、これはますますエスカレートしている。「監事による監査の厳正」どころか、まじめにやろうとすれば首を切る。こうなれば、これは全然信頼どころじゃないと言うのですよ、私に言わせると。  ですから、私はあくまでも挑戦としてここで規定づけて、では今何をなすべきかということを考えなければならぬのではないか。ここに問題があると私は思うのですね。だからそのように、私が考えておるように文部省は受けとめることができるかどうかということを聞いているのです。簡単でいいから答えてください。
  53. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど私は、その中西先生の御趣旨に基づいて申し上げたと思っておりますが、あえてこういう議論をしなければならぬということに憤りを感じ、中西先生がそういう御指摘であるならそう受けとめざるを得ないな、私もそういう感想を持ちます、こう申し上げております。  ただ、その挑戦という現時点の事象を踏まえて新しいどのような措置をするかということについて、私はいささか踏み出したことを申し上げたかもしれませんが、全大学に及ぼすことあるいは私立大学文部省の信頼関係、このところに一歩踏み込まざるを得ないということは、私は非常に危険なことでもあり、悲しいことでもある。そのことを今深刻に文部省自身は考えて、何とか私たちがこういうやりとりをしていることに国士舘の関係者みずからが謙虚に耳を傾けて妥当な措置をとってくれないものだろうか、私はそういう願いも踏まえて先ほど答弁もいたしたつもりでございます。
  54. 中西績介

    中西(績)委員 そこで、大臣のあるいは文部省の統一的な見解というのはわかりましたけれども、昨年私が文教委員会質問した際に、瀬戸山前文部大臣は、世間で通用しない体質を持っておるということを言っておるわけですね。だから、今大臣が言うように我々がまじめにここで討論をし、そしていかにあるべきかということを追求しても、そのことがわかるような体質ではないと彼はこの前の論議の中でも言ったのですよ。そのことで私たちはこの前、この意思の統一ができたわけです。そこで今度は、指導の限界に悩んでおるということを言ったわけですね。その中から制度として何かを考えなくちゃならぬ、ここまで言ったけれども、今あなたが言ったような私学という一つの枠があるのでそこまでなかなかいかないということをこの前言ったわけです。森大臣も、この一月の参議院決算委員会の議事録をとって読んでみますと、言語道断だ、みずから反省して努力をすべきであるということを言っていますね。ところが、みずから反省して努力をするということの体質が少しでも、一がけらでもある人なら、この十年間こういうことになっておらないだろう、こう私は考えます。ですから私は、瀬戸山さんの言われた指導の限界に悩んでおるならば、また今のお答えをお聞きしておると、そう受けとめざるを得ないわけです。  そうなりますと、私は、これは提案なんですけれども、勧告ができないものかどうか。例えば、私学助成法の十二条四号の中における勧告は「当該学校法人の役員が法令の規定、法令の規定に基づく所轄庁の処分又は寄附行為に違反した場合において、当該役員の解職をすべき旨を勧告すること。」とありますね。ですから、少なくともこの問題は学校以前の問題ですよ。法令以前の問題です。そこを、法令に抵触をしないからといってこの勧告ができない、あるいは処分についても所轄庁から何かの、例えば会計法上誤りがあったとかなんとかいって処分をされた、こうならなければできないと言えばいつまでもこれはできません。先ほど管理局長が言われましたように、公認会計士にそれが出ておるとするならそれについてとやかく言えません、こう言っているわけですから、実際には破産寸前の状況にまでいこうとしておる状況というのは、完全に私物化した状況の中でそれが生まれてきている。第一、この理事者などを見ていただきますとわかるように、新しい理事などというのはほとんどが自分の身内で固めてしまっているでしょう。こうなってまいりますと、これはどうすることもできないと言ってしまわなくちゃならぬことになるわけです。  ですから、私は今から一つ一つ聞きますけれども、例えば、法令上何があれば抵触したということになるのですか。具体的にどういうことが法令上問題なのか、言ってください。
  55. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 お尋ねの点は、学校法人の役員の解職勧告についての私学振興助成法十二条の適用の問題についてのお尋ねであろうと思いますが、この規定におきましては、法令の規定に違反した、あるいは法令の規定に基づく所轄庁の処分に違反した場合、また寄附行為に違反した場合、こういう三つの場合を掲げておるわけでございまして、例えば補助金適正化法に違反をして不正な補助金の受給をしたというようなことが本人の責任であることが明確である場合等につきましては法令違反であるということが言えるわけでございますが、今回の国士舘大学の場合にそういう明確な法令違反というような事実関係があるかどうかというような点が種々問題があるわけでございます。  しかも、実は国士舘大学につきましてはそれ以前の問題がございます。と申しますのは、私学振興助成法のこの規定は、補助金の支給を受けている学校法人の場合について適用がある規定でございますので、補助金の交付を受けていない場合には適用がないという規定になるわけでございます。したがいまして、五十八年度から補助金の交付を打ち切ったということとの関係でこの条文が適用になるかどうかという基本問題もあるわけでございますので、そういう意味で、法令上この規定の適用についてはなかなか難しい点があるというふうにお答えせざるを得ないわけでございます。
  56. 中西績介

    中西(績)委員 だから、そうなりますとなお検討しなくちゃならぬのは、補助金を打ち切る措置をペナルティーみたいにしてやったこと自体が今度は逆に勧告ができぬということになっておるといたしますなら、この補助金を打ち切る、ペナルティーを科することによって、私学に勧告なりあるいはいろいろ指摘事項を並べ立ててやること、それを実施してないからペナルティー的に打ち切るというこの措置は、いい措置ではないということにつながるんですよ。先ほども私が申し上げるように、大学という学校以前の問題、社会的通念なら、当然この人は完全にみんなから排除されておる人なんです。法人という大学であるがゆえに、この人が総長でおれるわけですよ。だから、この矛盾をどう解決するかということになってくるわけですね。  そうなりますと、私はこの前、昨年論議をした際に、河野さんが質問をしている中に出てますね。三十七年に紛争の調停等に関する法律として名城大学を時限立法でもって措置をしていますね。こういうことだってできるわけです。だから、そういう方向に向けてもし勧告ができぬというならば、特に私細かく聞こうと思ったけれども、五十八年で打ち切っておれば、この私学振興助成法に基づく勧告ですからそれはできないと言うならこれはできなくなっちゃったわけですから、これはもう論議をする必要はなくなったわけですが、そうであれば名城大学に対する昭和三十七年の時限立法、こうした時限立法的な、内容はまたいろいろ検討してそこで組み立てていただけばいいのだけれども、そうしたことはできないのですか。
  57. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 振興助成法の十二条の関係について最初にちょっとつけ加えさせていただきますと、補助金を打ち切ることによって監督の効果が及ばなくなってくるという点では確かにおっしゃるようなジレンマがあるわけでございますけれども、といって監督の権限を及ぼすために補助金を出しておくというのも国のやり方としては適切ではないということで補助金打ち切りという措置を講じておるわけでございます。  それともう一点は、この振興助成法十二条の規定も、あくまでも私学の自主性を尊重するという見地から各種の要件を厳密に定めますと同時に勧告をするというだけの権限でございますので、相手方がこれに従わないという場合には法律的効果が残念ながらないということに相なってくる性格のものであるということをつけ加えさせていただきたいと思います。  なお、ただいまお話がございました時限立法の件でございますけれども、名城大学の問題につきましては、学内がたしか三つぐらいに割れてしまいまして、例えば学生の教育等も相当激しく混乱をし、学生が授業料をだれに納めていいかわからないというような大混乱状況になりまして、その中で相当の年月を経たということから、やむを得ざるぎりぎりの措置としての特別措置を特別立法という形で講じたというようなものでございまして、今回の場合との対比においては、学内の教育研究がどうなっているかという点からいえばかなり差のあるケースであろうかと思います。  いずれにいたしましても、私学全体の自主性を尊重するという意味から、そういう特別立法等につきましても基本的には慎重である必要があると思うわけでございますし、現在国士舘に対してはこういった形で厳しく指導を重ねてきておりまして、全く指導の効果がないかどうかというあたりにつきましては、人間と人間との話し合いの問題でございますので、私ども効果が全くないとは思っておらないわけでございますけれども、そういう意味でさらに粘り強く指導を重ねていくということで当面は対応させていただきたいと思うわけでございます。
  58. 中西績介

    中西(績)委員 私は先ほどからも繰り返しておりますけれども、こうした懲戒解雇の問題が出、そして財政的にもむしろ逆の方向に歩いておる。今局長からの答弁でも、五十七年度は内容的に悪くなってきている。そのことはちっともよくならぬわけですね。だから今度はどうするかといったら、財政の問題を一つ挙げてみますと、体育学部百五十人ですよ。ところが入学させたのは何人おると思いますか、七百名から八百名させているのですよ。このことは、二・五倍ですから私学助成金の受給対象にはならないのですね。二・五倍になればゼロです。ところがその倍以上も入れているということになれば必然的にほかの学部——教養を入れましたほかの五学部の場合は割合まじめに物を考えているからたくさん入れるという理事要求があっても、教授会はそれを阻止しています。ところが体育学部だけは自由がきくわけです。だから体育学部の場合だけ八百名も入れているのですよ。これが学校ですか。体をなしていない。だから私は学校以前の問題があるということを言っているわけです。その基本姿勢が挑戦と私が言うことの意味はこれにもあらわれている。文部省の助成金などというものを当てにせずに、こちらの方がうんと楽だし、だれからも文句言われぬというのがここにあらわれているのですよ。こういうような特別の大学ですから、先ほどから申し上げるように、時限立法として考えたくないと言うけれども、名城大の三つに割れて入学金あるいは校納金をどこに納めていいかわからぬというようなことでなくとも、それより以上にここの場合には、大学としての組織運営上からいたしましてもすべてに問題がある。であれば、大臣が一番恐れておる他の大学に波及するんではないか、文部省の権力が私学にどんどん介入できるような下地をつくるのではないかという各私立学校関係の皆さんのこの危惧は、私は当たっておると思うけれども、特定の学校の特定の年限でこれを措置していくということでもしない限り、これは解決できないと思います。これが続く限り、先ほど申し上げるように教職員の懲戒解雇等については、今やっている、ぜひこうあってほしいということを要求しておる人たちに大きく振りかかってくることは必至ですからね。そうするとさらに混乱を助長していくということになるわけですから、ぜひこの点を考えていただきたいと思うのですが、大臣、どうですか。
  59. 森喜朗

    森国務大臣 現状の国士舘大学と当時の名城大学との差異といいましょうか、そのことについては今局長から申し上げたとおりでございます。  私自身も、先ほどから何度も申し上げますよに、私立大学というものは世間一般から見て大学の自主性を少なくとも誇り得る立場に立つべき人たちであろうという、お互いの信頼感の中に私立学校に対して文部省はいろいろな意味で今日まで指導もしてきたところでございますが、今日こうした事態にまで立ち至るということは極めて遺憾というよりも、むしろ文部省の立場から言えば悲しいきわみだ、私はこう言わざるを得ないと思います。したがいまして、当時の名城大学の時点の時限立法ということも、中西先生から御指摘を受けてこうしたことをこの場で議論しなければならぬということ、このこと自体を国士舘大学関係者が十二分に受けとめてほしいな、できればこの声がそのまま届いてほしいな、ロマンチックな言葉で恐縮でありますが、そういう気持ちがございます。しかし、ここまで文部省が信頼をして改善命令をしておるのにその裏、その裏といくようなことであれば、確かにおっしゃるとおり文部省に挑戦だということに判断をせざるを得ないという面も出てきておるような感じもいたします。今時限立法というようなお話もございましたが、そういう事態になれば各党各会派、国会の皆さんの十分な御論議というものも必要でございますから、そういう御論議を十分に踏まえながら文部省としても最悪、そうした事態について考えてみなければならぬ、そういう時期に来ているのかなというのが現時点で中西さんにお答え申し上げるぎりぎりのところだ、こう申し上げておきます。
  60. 中西績介

    中西(績)委員 このことは国士舘大学に在学する学生、OB、そしてさらに父母、それを取り巻く地域の環境、全部が以前は学長を守っていましたよ。しかし、OBもあるいは学内における職員の皆さんも、今までは一緒にやっていた皆さんも、ぜひかわってほしいということを言い始めているでしょう。そういうように支持する人はいなくなっちゃっているわけですね。そういう状況ですから、このことが今度は私立学校助成法なりいろいろなところに、私学の権威を失墜するようなものに拡大せぬうちに今いち早くやるということが一番大事ですから、だから私はこのことを強く要求しておるところです。
  61. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ちょっと関連。  森さん、さっき私が言ったように、私学の自主性、自治との関係はなかなか難しいと思う。だから、我々は今日、私学に対する自浄作用をどう起こすかということを提唱してきたのですが、ただ、ここまで来るとそうはいかないので、例えば法律改正があると思う。そういう私学から出たところの自浄作用をするところの委員会をつくる。例えばこういう国士舘なら国士舘、私学同士の中でもって自浄作用をどうすべきかということを考えるそういう機関をつくる、その結論に基づいて処分をするという法改正ならば、大臣のそういう問題は解決する。そういう思想に基づくならば、この法律においても私学法の六十三条の聴聞、これは解散その他にかかわることですから、直接使えません。使えないけれども、私立大学審議会等に非公式にこういう問題を、皆さん私立大学が集まっているのだから、管理者が集まっているのだから、どう考えるかという意見を聞く、そのことによって措置をする、そういう措置があると思うのです。そういうことを今日の法制度の中でやるか。やれないならば新しい法律でもって、私学の自主性を生かしながら、権力が支配をすることなしに、自浄作用として出てくるそのものを措置するということを考える、こう法律を変えるか。この問題はまさにもう、先ほどから中西さんの言うとおり、教育以前の問題でありますから、それが放置されていいわけはないのですから、そういうことは考えねばならぬじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  62. 森喜朗

    森国務大臣 私学の自主性というものを大事にして文部省は今日まで対応してまいりました。しかし、瀬戸山前文部大臣の言葉をかりるまでもなく、確かに世間で通用しないそういう事態に立ち至っておりますし、こうしたことが新聞で報道されるたびに、国民全体に、また関係者あるいは私学全体に及ぼす影響も極めて大きい。そういう意味では、文部省の対応についてもいろいろな意味で反省をしなければならぬ面もたくさんあると思いますが、基本的には大学の自主性ということを考えてとってきた処置でございますが、世間で通用しないということであるならば、こうした仕打ちを受けてもこれはやむを得ないのかなという感じがいたしますだけに、中西さんの先ほどからの御意見あるいは今木島さんからいただきました御意見文部省としても十分考えてみるべき段階に入ってきたなという感じがいたしますが、国会でも御論議をいただくことでございますので、文部省が逃げるわけではありませんが、各党各会派の皆様方にも十分な御論議をぜひお願いをしていただきたいな、こう思う次第でございます。
  63. 中西績介

    中西(績)委員 最後に、私は九州産業大学問題で指摘をしておきたいと思います。  九州産業大学におきましては三月三十日に理事会を開きまして、この新聞報道によりますと、鶴岡前理事長に対して、退職金算出規程三億円、これに功績を加味して六千五百万円を上乗せ、三億六千五百万円を支給するということになりました。それにプラスしまして、対馬に研修所というのがあるのだけれども、ほとんどこれは使ってなくて別荘だよと、こういうことを私は指摘しておりましたが、そのとおりになりまして、対馬の研修所を贈与することになりました。そしてさらに問題は、この豪華な公定についても、これは理事長の持ち分の土地の上に大変豪華な公定をつくっていますよ。これは当面八万円で賃貸をする、本人を住まわせるということになりました。  そこで、こういう結果とあわせまして、不起訴だということを理由にいたしまして、問題になっておりました平野前副理事長がこういうことを発言し始めた。この前私は指摘をしましたけれども、教学部門の選出方法に対してくちばしを入れ始めたと同時に、今度こういうことを三十日の理事会でやっております。それは、地検の不起訴処分が出た以上、今各学部から選出をされておる学部長、この人たちが告訴したり何かしたんだから、三人が陳謝しないとこういう問題については対応しないということまで言い始めています。この学部長選出に対してくちばしを入れた。これを振り切って選出をしたんですが、三十日の理事会におきましては、陳謝しなければ発令を保留するということまで言い始めています。ところが、さっきの答弁によりますと、適正化法違反であれば責任が明確だからいろんなことは言えるということを言っている。ここもまた打ち切っているから言えなくなっちゃったけれども、平野前副理事長というのは、この適正化法違反を犯した張本人であり、本人もそれを認めているでしょう。ただ不起訴になっただけです。起訴猶予になっただけです。だから、そういう問題についてはいち早くちゃんと措置をしておればよかった。しなかった。今度また、この私学振興助成法十二条四号には該当しなくなってきた。前はあったのです、この人は。こういう状況が出てきております。そして、役職員の選挙等につきましても、今度理事長がそれに介入をしてくるということもまた出始めている。ですから、こうしたことを考えあわせていきますと、これに対する対応の仕方も、私は普通の状況考えたってだめだということを言いたいんですね。  ちょっと時間が過ぎましたけれども、さらにまた、こういうことが出始めました。前理事長は、今こういう位置づけになっております。三十日の理事会の中におきまして、会議室でやっておった理事会を第一応接室に移してやって、そこに同和会の皆さんが八名から十一名理事会に入り込みまして、そして平野前副理事長、現在は常務理事、彼から、今後の同和問題で前理事長の御協力をいただく意思を署名の上確認するということをして、全部署名をさしたのです。これは大村学長だけが一人反対、あとは全部賛成。そこで鶴岡氏が言うのには、「同和の人とはいっても話ができるようにしたい」。同和会の代表の仲村という人が、「本気で解決できるのか」ということを指摘しています。それに対して鶴岡前理事長は、「最後までやらしてもらう。あすよりその問題に対応する。学校として厳しい対応で臨んでいく。それ相応の措置をとる。人を育てるためには大きな使命感を持っておる」。言える柄じゃありませんけどね。そこで仲村という同和会の人が、「卒業式は仕組まれたものではないか。写真のアップが撮れるはずはない」。鶴岡「仕組まれたもの。これからはこういうだらしないことはさせない。厳罰で臨む。人権擁護対策事務室をつくる」、こういうことを言っておるわけですね。そういう中で同和会の人たちは引き下がった。そして稲井理事長は、「鶴岡さんとは仲よくつき合いたい」こういうふうに言って、前鶴岡理事長がまた再び復権を遂げておるという状況です。ですから、これはまさにもう国士舘問題より以上に複雑になってくると私は思いますね。  こういう状況考えてまいりますと、この問題についても、従来のようなやり方、さっき局長が答えましたね、できておった問題をできなくしてしまったわけでありますから、適正化法違反であればこれは勧告ができたのだけれども、それができなくなってしまったから、そうであれば、私はまた個々の問題についても別個考えていかなければならぬと思いますが、この点について大臣、どうですか。
  64. 森喜朗

    森国務大臣 九州産業大学につきましても先般の委員会、またかねて中西さんからもいろいろ御指摘をいただいております。  これもまた文部省先ほどの、もちろん問題点は幾つか違うところはございますが、大学の自主性あるいはまた私立大学というそうした教育に携わる皆さんというものをあくまでも善意に考えて対応してきたところでございますが、こうした世間にはなかなかわかりにくいことが行われているということであるならば、やはり新しく問題の角度を少し考えてみなければならぬ時期が来ておるな。先ほどの問題とも一緒にするということではもちろんありませんけれども、こうした私立大学の不祥事の世間に与える影響というものを考えてまいりましても、また教育に携わるお立場であるということを考えてみても、文部省の対応に一つの限界が来ておる、新しい段階に踏み切らざるを得ないというようなことも検討してみなければならぬ、こういうふうに思います。
  65. 愛野興一郎

    愛野委員長 午後零時三十分から委員会を再会することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十二分休憩      ————◇—————     午後零時三十四分開議
  66. 愛野興一郎

    愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。佐藤誼君。
  67. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは、まず国公立大学の共通一次試験に関しての質問を申し上げます。  入試センターの副所長でしたか、おいでですか。——はい、わかりました。  それで、共通一次、ことしで六回目を迎えたわけでありまして、受験生三十四万一千と言われておるわけです。特に、最近ずっと毎年問題になるのが、この入試センターから公表される共通一次試験の全教科総平均点並びに科目別平均点、これが本来の素点ではなくて事後調整された点数ではないか、こういう疑念が持たれ、新聞で報道されたり、また国会でも論議された経過がありますね。これは極めて重要な問題だと思うのですが、この点について入試センターはどう考えるか、また文部大臣はこのことについてどうとらえているか、端的にひとつお答えいただきたい、続けて質問を申し上げますから。
  68. 肥田野直

    肥田野参考人 お答え申し上げます。  ただいま御指摘の点につきましては、従来から申し上げておりますが、そういうことは一切やっていないということでございます。御承知のように、問題作成に当たりましては、各専門家、国立大学の教官が出題委員として作成されるわけでございますが、問題ができ上がった段階で採点の正答とかあるいは配点というものは決定いたしますので、それに従って厳正に実施しております。
  69. 宮地貫一

    宮地政府委員 ただいま入試センターの方でお答えしたとおりと存じております。
  70. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 昨年五月十日のエコノミストにこのことについて掲載されておるんですが、これはお茶の水女子大学の竹内助教授の論文だと思うのですけれども、その論文によりますと、第一回目の昭和五十四年はそういうことはなかった、しかし五十五年以降は毎年何らかの平均点が入試センターによって調整されて公表されてきたんじゃないか、こういうことでエコノミストが、皆さん御承知の週刊誌ですね、ここに具体的に、何教科、何科目は何点調整されたかということがずうっと書いてある。そして、それがなぜかということを統計学的な根拠で、つまり相関図表によってずっと出しているわけです。ですから、これは学者ですから信頼できるものと考えます。私は後ほど続いてまたこのことを質問していきますけれども、ここまで数字を挙げ、その専門の学者が理論的根拠まで明らかにして出しているわけです。  なお、引き続いて同助教授によれば、ことしは総平均で十一点のかさ上げ、科目別では英語B、生物はそれぞれ五点のプラス、国語は五点マイナス、しかも全教科、科目にわたってほとんど操作されていたんじゃないか、またいるんじゃないか、こういうことを主張しているわけであります。これは、一般の世論とかあるいはある市民の一人が言ったというんじゃなくて、そういう大学専門の学者まで言っているものですから、どうしても私もこの疑念がぬぐい去れぬのでありますけれども、重ねてこういうことについてどう思いますか。
  71. 肥田野直

    肥田野参考人 この論文についてはまだ十分検討しておりませんけれども先ほど申し上げておりますように私どもはそういう方法でやっておりまして、これはあくまでもその推定値に基づく御議論であろうかと思います。それと、実際に採点しております我々にとりましては、これは全く考えてもみないことでございます。ただ、推定に基づきましてこういう御議論をされているわけでございますが、私どものその平均値等がだんだん格差が少なくなってきたというのは、従来の経験にかんがみまして問題の難易度等を十分に検討してよい問題をつくっている、その成果であろうというふうに考えております。
  72. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そういう調整はないと主張されるのですから、そこはそれで打ち切っておきましょう、また後ほど関連して質問していきますから。  そこで、入試センターは、共通一次科目間格差を是正するために、コンピューター内部の受験生全員の得点を修正する技術を開発されたと言われております。そして、毎年この方法でセンターは事後調整しているのではないかという説が有力になっているわけであります。そこで、使うか使わないかは別ですよ、このような開発されたという、使えば使えるという技術が実際完成されたのか、まだ完成されていないのか。センター、どうですか。
  73. 肥田野直

    肥田野参考人 そういう調整の技術というふうなものについては私ども研究しておりませんが、ただ来年度等から中間発表というふうなことも考えておりますので、それについては検討を進めております。
  74. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今の答弁の中で中間発表というのはどういう意味ですか。
  75. 肥田野直

    肥田野参考人 これは今、国大協で検討中でございますが、もし明年共通一次の実施期日を一月の後半、二十六、二十七日に持っていった場合には、従来のように共通一次試験の概況等についての発表を二次試験の出願の期日前にできなくなりますので、それにかわる措置として考えているものでございます。
  76. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 重ねて聞きますが、先ほど私が申し上げましたコンピューター内部で受験生全員の得点を修正する技術の開発は、研究していないのか、研究はしたけれどもまだ使用にたえるほどその技術が完成していないのか、どちらなんですか。
  77. 肥田野直

    肥田野参考人 コンピューターを使っていろいろ採点するという方式につきましては十分研究はしておりますけれども、それを今のような目的で使うということは私ども考えておりませんし、またそれのための技術というものを研究はしておりません。
  78. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 ただいまの答弁は、昭和五十五年以降、加藤大学入試センター所長などがいろいろな公的な機関、新聞等に発表してきた経緯からいくと、どうもすとんと納得できないわけであります。  時間もありますから私の方から指摘をしていきますが、昭和五十五年十一月十一日、第六十七回国立大学学長の総会の中で、加藤センター所長は次のように言っております。「試験実施科目間の平均点格差の調整の問題がかなり論議されており、その面での研究成果も具体化しつつあるが、この研究発表の取扱いに問題が生じている。」こういうことを言っております。つまり、研究成果も具体化しつつあるということを言っているのです。ずっとその最後の方に、「出来上った段階で吟味することが現実的」と考えるので云々と、こう書いてあるわけです。いいですか。これは昭和五十五年ですよ。  次に五十六年二月の四日、各新聞は一斉に次のようなことを報道しております。例えばサンケイ新聞、「加藤所長は「必要であれば未年の入試に間に合わせたい」としており、」以下云々、つまりこれは得点の格差調整の検討が進んでいることを明らかにしたということに関連しての締めくくりの報道であります。  次に、これは毎日、「従来のように共通一次の素点をそのまま大学に渡すのではなく、入試センターで調整した得点を大学に渡すことを検討している。早ければ来年度から導入も考えたい」、これは言っているのは昭和五十六年ですから、つまり五十七年度を指しているわけですね。  次に、具体的に格差の問題の調整。これは読売、「五点以上の差が出れば調整」、つまり前後十点ということです。それから毎日−今出題によって科目間の格差の調整ということを副理事長は言われましたけれども、新聞の報道の限りでは、今のような報道と関連し、「出題による調整は不可能」と言っております。これが昭和五十六年二月。  次に、昭和五十六年十一月十六日、日本教育新聞、その中に同じく加藤入試センター所長、次のように言っております。今の調整の問題について「「調整をすればできるにいたっている」と具体的な調整方法については研究が進んでいることを述べた。」こういうことです。そして、格差の調整をやった場合、自己採点の混乱が生ずる問題点もあわせて指摘をしている、こういうことです。これが昭和五十六年十一月、日本教育新聞。  そして、昭和五十八年二月号、「大学と学生」という、これはたしか大学局じゃないかと思うのですが、この中で次のことを言っております。同じくセンター所長、「一方、実施時期の繰下げや平均点調整の問題は個々の問題としての対応策は既に大学入試センターの研究調査によりおおよその目処はついているけれども、」云々、こういうのであります。そのとき既に調査によっておおよその目途はついているということを言っているのです。ただしかし、ずっと行きまして、「自己採点ができる方式をとりこそれとの関連云々ということもあわせて言っている、こういう経過があります。  ですから、調整についての研究をしてきたという事実は間違いないし、今の一連の経過をずっと見ますと、手の届くところまで研究成果が上がって、利用できる段階まで来ている、あるいはできたかもしらぬ。しかし問題は、使うか使わないかになりますと、かなり高度の判断が総合的に必要だというような趣旨が言われておると思います。今の経緯からいえば、こういうふうにコンピューターを使ってやっているわけですから、調整をすることが可能な技術的な開発はもう到達していると私は思うのです、このことからずっと推論していきますと。その点、どうですか。
  79. 肥田野直

    肥田野参考人 お答えいたします。  ただいま御指摘のところでございますが、研究部として研究しております一つの重要な問題としまして、特に科目で、受験科目、理科、社会でございますが、それはいろいろ選択科目がございます。その選択科目によって平均点に差が出る、こういう問題が問題になっております。これにつきましては研究部はずっと検討しておりまして、そして、現在の段階では選択科目のいわゆる平均点の差というものを分析いたしますと、問題の難しさ、難易度による差と、それから受験者集団が毎年変わります、そしてその受験者集団は必ずしも学力において同じでございませんで、その学力の差が出ております。それで選択受験者の学力差と問題の難易度、これを分離して、そして純粋に問題の難易度というものがどの程度差があるかということを分離する研究は進んでおりまして、これについては既に発表いたしております。研究成果を発表いたしております。
  80. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 恐らく今の各自の得点は全部コンピューターで出しておりますから、そのプロセスはいろいろあると思いますが、私は、ずっと今の加藤所長の発表の経緯から見て、また、あなたは今のような答弁をしましたけれども、コンピューターにインプットしてやろうと思えばできるところまで開発研究は進んでいると私は思うのですよ。  ところが問題があるのです。これを使うか使わないかという問題があるでしょう。使わないとすると依然として、今もあなたの言われたような教科間の格差というのはなかなか縮めることはできない。それから、今の選択科目の中で一番問題になるのですけれども、特に社会、理科は、その選択科目によってかなりの平均点の差がある。これは受験生にとっては大変なわけです。ですから、これを何とかしなけりゃならぬということは、使わなくたって問題であるわけだ。この格差をどうするかという問題で研究している一つが、出題を考える、出題のときから。それからもう一つは、点数配分について、部分点とかあるいは選択点とかいろいろなことを新聞で言っておりますね。ああいう調整のこともあるでしょう。いずれにしても、使わないということを前提にしますと、今のままではなかなか縮められない、これは私は言えると思うのです。  使った場合、調整した場合どうなるか。調整した場合には、公表される点数は格差を縮め、しかも選択科目の格差を縮めることはできます。しかし、自己採点という方法をとっておりますから、自己採点とかなりの乖離が出てきますから、そうするとそこに大きな矛盾が出ることは皆さん推察のとおりです。一方、大学には調整した点数が行きますし、片一方は自己採点ということで、ここに乖離が出てきます。したがって、受験生の自己採点方式による第二次の受験校の選択に大きな狂いが出てくるという問題がありますから、これを黙って使うということになりますと、そういう問題が出てくる。さればと言って、それをこういうふうに調整したという公表をいたしますと、そのことについて全体的な問題が出てきますね。いろいろな問題を整理をしていかなければならぬ。そういう問題ですから、なかなかこの扱いは慎重を期さなければならぬと思うのですが、どう見ても、いろいろな方法で格差を縮めようと思っても限界がある。しかし、さればと言って公表して調整すると、そのことによっていろいろな問題が出てくる。そうすると、可能な範囲内で調整した結果を公表するということがあるのじゃないか。このことが私はどうしても疑念として晴れないのであります。  そこで、私は今のことを関連づけて、皆さんに渡しているエコノミストの資料をまずひとつごらんいただきたい。  なぜ私はそういうことを言うか。これはもちろん、先ほど申し上げました竹内助教授の論文を、はっきり申し上げまして私は参考にしております。これは私一人の疑念じゃないと思うから、慎重に聞いて答弁していただきたいと思う、これは国民が非常に関心を持っているところですから。  その上げました資料の右側の方に、何点ずつ操作されたかということがずっと書いてある。昭和五十四年はないですね。五十五年以降五十八年まである。五十九年は先ほど言ったとおり。それで、その操作は図1の方法によってコンピューターに入れて、若干ずつかさ上げをしている。大体五点ぐらいだと彼は言っておる。  そこで、これは昭和五十八年度の社会科、左側にありますね。ここで最初に問題になったのは何かといいますと、社会科の政経と倫社を見ていただきたい。政経はPです。倫社はEです。この図は相関図です。真ん中に引かれている線は対角線です。その上にあるのは破線です。破線と対角線の中に入ってくれば相関関係があると普通常識的に言われているこの図であります。  それを見ながらちょっと申し上げますが、問題になったのは何かというと、政経の点数を入試産業、業者の関係で調べると五十点を切っている。そのとおりですよ。そして倫社との格差が大体二十一点ぐらいあるというのが、自己採点からずっと集計していった業界の見方であったわけです。昭和五十八年度の政経と倫社についてですよ。ところが、発表されたセンターの点数は、政経で五十二点、倫社で六十三点、格差は十一点となっているのです。つまり、テスト業者は政経と倫社の格差が二十一点と言った。ところが、センターの発表は十一点と言う。つまり十点以上もの開きがここに出てきているわけです。これは大変大きな問題なのですね。  そこで、なぜそういうような違いが出てきたのか。今のことをちょっとこの図で見ていきますと、今のセンターの発表というのは、倫社はEというところに点がありまして、政治経済はPというところにありますが、倫社は約六十二点ぐらい、政経は五十二点ぐらい、これは発表のとおりですから、したがって、この差は十一点です。これは公表されているとおりです。ところが、他の日本史や世界史や地理の点数を今の相関図の中で打っていきますと、A、B、W、Jという形になって、この点数は対角線と破線との間に入ってきますから、これは相関があることは明らかです。ところが、今申し上げたEとPはこの対角線と破線から大きく外れております。そうでしょう。つまりそれは、相関関係からいうと、本来からいえば、Eという倫理社会は破線の上に持ってくる、それからPという点は同じく破線の上にくるのが至当なのではないか。そういうふうに、破線の上に本来位置した点数だと計算をしてみますと、倫社は六十六点ぐらい、政経は四十四点ぐらい。約二十一点から二十二点の差になる。これはつまり自己採点、そして業界がはじいた点数差二十一点にほぼ一致するのです。そうでしょう、副理事長。したがって、このEという点は破線の上、Pという点は破線の上に打つと本来の姿があり、自己採点そして入試産業がはじいた二十一点の差が出てくるのです。したがって、本来は二十一点の差ではなかったのか。そうすると、政経の五十二点という発表は、本来これが素点ではなくて、素点は四十二点ではなかったのか。つまり八点プラスということです。それから倫社は六十六点ではなかったのか。それから三点マイナス。本来は倫社は六十六点、素点です。政経は四十三点、素点。したがって、その差は二十二点になるのです。そうしますと、ここのところは、先ほどの自己採点をし入試業者がはじいた二十一点とほぼ一致するのです。ですから、皆さんにお渡ししているエコノミストの昭和五十八年の倫社は三点マイナス、政治経済は八点プラス、このこととぴたり一致するのです。  ですから、どう考えてみても、昭和五十八年度社会科、倫社Eがこの破線の上に来る可能性は少ない。政治経済が破線から大きく外れてPという点に来る可能性は少ない。大体が、センター発表の点数と自己採点・業者の点数の相関をずっと調べてみると、おおよそ五、六点自己採点の方が高いのです。これは当然だと思うのですね。自己採点の点数の悪い人は、自己採点・業者の偏差値の点数には参加していかないと思う、最初から投げちゃって。ところがセンターの方は、それも含めて全部点数化しますから、センターの方の点数が下がるのは当たり前なんです。自己採点の方が高くなるのは当たり前です。これは、昭和五十四年からずっと見ると、おおよそセンターの点数に比べて自己採点の方が五点ぐらい上になっているのです。これは常識でそうなんですね。ですから、この図で言いますと、破線の上か破線の範囲内に入るというのが本来からいえば普通なのです。  なぜこれだけが飛び出ているのか、この疑問にどう答えてくれるか。私は、これは受験者の皆さんには納得のいかないところだろうと思うのです。  続けて言います。参考に朝日ジャーナルを見てください。朝日ジャーナル、ありますね。朝日ジャーナルの場合は同じですけれども、これは一つの科目ですから。五十四年から五十八年までの点数がここにずっと書いてある、配列してありますね。そうすると、五十四年、五十五年、五十六年、この三カ年は、先ほど申し上げた対角線から引いた破線、つまりセンターに比べて自己採点が約五点近く高いというふうにここにずっとそろっている。つまり、明確なる相関関係がここはありますね。ところが、五十七年、五十八年、丸印です。これは全く対角線上にそろっている。ここに鉛筆で丸書いてありますが、五十九年もこの対角線上に乗っております。そうしますと、普通この破線の上に大体来るのが自己採点の場合の相関関係の常識だと思うのです。完全に対角線の上に乗るということは、センターの発表と自己採点による入試業者の点数が全く一致する、こういうことは私は常識的に余りないと思うのです。したがって、これは五十七年、五十八年、五十九年、点数を五点ずつプラスしたのではないか、そうでないと説明がつかない、こういうところが問題になっているのです。ですから、これから共通一次を検討しなければなりませんけれども、このことは長い間にわたって議論されてまいりました。  重ねて言いますけれども、今のようにお茶の水女子大の竹内助教授の統計学という根拠をもとにして、私もそれに賛意を表するものでありますから、あえてこれを引用したわけであります。こういう形で明確に出ておりますけれども、この点についてセンターの副理事長はどう考えますか。
  81. 肥田野直

    肥田野参考人 この竹内助教授の御研究につきましては、前々からそういう研究発表を伺ってはおります。しかし、センターといたしましては、実際のデータに基づいて出しました平均点等を発表しているわけでございまして、自己採点の結果に基づく推定による御議論というものには限界があるのではないかというふうに考えているわけでございます。
  82. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 自己採点、推定だと言いますけれども、入試センターが出したものとそれから自己採点と点数が全く一致しないからおかしいなどということを言っておるのじゃないのです。相関関係が明確につけられるような説明ができるのかできないのかということを言っているわけだ。違って当たり前なんです。統計学的には、今のことをずっと推論していけば五点ぐらいの差がつくだろうというのは常識になっている。一致しないのは当たり前なんです。ただそれが、先ほどこれで指摘したように、相関関係を持つ形で発表されているのか、全然相関関係のない形で発表されているのか。相関関係のない形で発表されているとすればなぜなのか。こんなにEとPだけが飛び出るということは普通考えられない。そうでしょう。例えば本来のEとP、EとPに略しますけれども、このEとPが破線の上にあればその格差は当然二十二点にもなってしまう。つまり、倫社と政治経済二十何点の差というのは、受験生にとっては大変なんです。センターとしても発表しづらいと思う。そして、先ほど申し上げたいろいろなセンター所長も、その誤差の範囲はプラス・マイナス五と言っていますから、十点ぐらいでしょう。そうすると、何とか十点ぐらいのところにおさめたいというのは人情です。そうなりますと、この破線の上から飛び出た形にせざるを得ないのです。Eの点は、この図で見ますとなるべく左側、Pの点はなるべく右側、つまり点数をよくするということです。政治経済の点数はよくし、倫社の点数は左に持っていって下げる。そうしますと、先ほど言ったように十一点という十点ぎりぎりまで持っていくことができる。しかし、それは統計学的には説明のつかない形に結果はなってしまうということです。これがE点とP点なんです、いいですか。  ですから、あなたが自己採点と、推論の点数とセンターの点数が違うのは当たり前だと言う。当たり前です、それは。あって当たり前なんです。ただ、それが相関関係を持つ納得できる形で発表されているのか、相関関係のない形で、何とも説明がつかない形で発表されているのか、そこのところがいろいろな学者も一般の受験生もなかなか納得できない。しかも、一点や二点で、これは受験生側なり高校側に問題があるというふうにあなたは新聞の論説で言っておったけれども、現実は、自己採点し、先生方もそのことで一点、二点を争いながら進学指導をやらざるを得ないですよ、今の政治情勢と社会情勢の中では。そうなりますと、この一点、二点の差、特に二十二点違うか十一点違うかなんていうのは大変大きな影響を与えるわけです。そうすれば、政経をとったか倫社をとったかによってその子供の点数は十点も違うわけですから、これはストレートに、場合によっては自分の志望する大学に入れるか入れぬかにつながっていくわけだ。そうでしょう。しかもそれが、今申し上げたような形で調整されていった過程を知らないで自分が偏差値をもとにして入学の希望をしていったとすれば、その情報を誤ったままに自分が進学の選択をしたということになるわけです。極めて重大です。どうなんですか。
  83. 肥田野直

    肥田野参考人 受験生にとって共通一次の点数は非常に大事であるということは、御指摘のとおりでございます。私どももそのために非常に苦労をし、そしてできるだけ正確な得点を、いわゆる学力をはかる、それを念頭に置いてよい問題をつくろうというふうに努力しております。その辺は全く御指摘のとおりでございます。しかし、その出た結果によって受験者が進路を誤る、そういうような影響を与えるようなことは極力慎まなければならないということも考えております。御指摘のようなそういったいわゆる操作というものはしておりません。
  84. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 私は根拠なしに言っているのではない。もう一度、重ねてこの点だけ。  朝日ジャーナルをちょっとごらんになってください。「英語Bの相関図」のことを先ほど申し上げましたけれども、入試センターだって、その右にありますように、この相関関係というのは非常に重視しているのじゃないですか。細かいことはあと言いません。これは例えば東京で受験した、山形で受験したという場合の相関関係をとっているのでしょう、きちっと。この同じ手法を使っているのですよ、「英語Bの相関図」、先ほど申し上げた社会科の相関図。センターだって、同じような相関関係というものを前提にして試験なり点数ということを考えているのじゃないですか。私はこれ以上言いませんけれども、あなたの方だってそういう手法を使っていろいろなことに対応しているんじゃないですか。それだけあえて申し上げておきたいのですが、これはなかなかこれ以上詰めても出てこないのでそこにとどめておきますが、私はどう言われても、今副理事長が言われた説明では納得できません。  ただ、最後に私はその点申し上げておきたいのですけれども、私が心痛むのは、こういう議論が昨年参議院などで議論されておったときに、十七歳の神奈川県の高校生が新聞投書でこういうことを言っているのです。  入試制度に対する考え方がどうであろうと現実は現実であり、毎年何十万人かの青春のエネルギーがここで費やされるのです。  しかし現在の国公立大共通一次試験には、代償としては不似合いで不透明な部分が多すぎないでしょうか。  例えば、大学入試センターの先生がどうおっしゃっても、「カサ上げ」が行われていると、受験生の間では疑うものがおりません。僕も寡聞ながら、それを否定する説得力あるお答えは、いただいた覚えがありません。  何よりも、すべてを公明にすることが先決なのです。まず枝問の配点をすべて公表した上でなら、科目間格差の合理的是正も容易でしょう。  とにかく、これ以上受験生が疑心暗鬼にならなくてもすむよう、速やかな善処をお願いしたいのです。こういう投書です。これが受験生の気持ちなんです。  それから、そのことで悩む高校の先生は、八三年二月十日の新聞の「論壇」の中で、「共通一次「政経」に疑問」ということで出しております。これは、私が先ほどデータを使ったことに関連してのことです。つまり、いろいろありまして、  入試センターも、自己採点との比較で、二次受験校を考えると指導している。とすれば、自己採点が正確に出来るよう配点細目を発表し、採点結果は操作すべきでない。操作するならその内容を公表すべきである。ここまで言い切っている。このことをみんな悩んでいるのですよね。ですから、私はああいう形で、推論と言えば推論かもしれません、申し上げましたけれども、もっとみんなが納得する形でこのことをやらなきゃならぬし、私は今の共通一次の中で幾ら追求していっても、その疑問を解消することは困難だろうと思う。思い切って全部公表すれば別ですよ。私はそう思っておるのですが、どうしてもこういう疑念が晴れないのは当たり前だと思う。  この中に同じく二月二十四日、この高校の先生に対してあなたは、「出題改善に今後とも努力」ということを書いております。しかし、私も読んでみましたけれども、残念ながら説得力はございません。  そこで、私はひとつ、大臣、今のような状況にあります。マークシートでやっておりますから三十四万人のマークシート、ことし終わったわけですが、これは保存しておりますか、どうですか、センター。
  85. 肥田野直

    肥田野参考人 お答えいたします。  答案用紙につきましては、一年間保存いたします。そして後は全部磁気テープに記録してございまして、これは永久保存でございます。実際の答案用紙は一年間保存いたしまして、後は焼却と申しますか、跡が残らないような形でいたしております。
  86. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 幸いマークシートがあるというのですから、当然大学に共通一次の試験の点数は送ったわけですね。その送った点数とマークシートによる素点、このことについて、これは調べれば調べることはできますね。どうですか。整合しているかどうか、そのことです。
  87. 肥田野直

    肥田野参考人 ちょっと御質問意味がはっきりいたしませんが、コンピューターで採点いたしまして、それは全部実際の答案を読み取りまして磁気テープに転記いたしまして、それを採点するわけでございます。そうして、その採点した結果というものを大学には御報告しているわけでございます。そうして、一つ一つの解答のどの解答を選択したかという記録は全部磁気テープには残っているわけでございますが、それを一々大学にはお送りしておりません。
  88. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 ちょっと質問の趣旨が明らかでなかったと思いますが、非常にそういう疑念を持たれております、今申し上げたように。私たちも残念ながらそう思っておる。しかし、私たちは文教常任委員会としてこのことについて責任がある。したがって、その調査する程度なり方法はいろいろあろうけれども、この疑念にこたえるために、入試センターがやった手法について何らかの解明を試みたいと私は思うのです。このことは、今ここで調査団を派遣しろとかどういう形でやるというふうになりますと、ちょっとまだ機が熟さないと思いますから、そのやり方、方法なども含めてこの調査、検討について理事会の方で検討していただきたい。委員長、どうですか。
  89. 愛野興一郎

    愛野委員長 後刻、理事会で検討いたします。
  90. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 その点についてはそこまでにしておきます。ただ問題は、共通一次が出発したのは昭和五十四年からだと思うのです。これは出発の当時からいろいろ議論されまして、今日なおこういう問題があり、しかも新しい問題まで発生してきておる。これはいろいろな見方があるでしょうけれども、しかし今日時点で考えると、これは受験地獄を解消するということの一つの方途として始めたのだろうと思うのだけれども、実際は受験地獄の解消どころか、大学の格差を拡大し、受験生にむしろある意味においては負担をかけ、難問奇問が消えたわけでもない。そういう意味では、むしろ私は受験生に負担をかけて高校教育をゆがめるという、当初から問題にされたけれども、ある面においては予想を超えた大きな問題を社会的に投げかけたと思うのです。また投げかけていると思うのです。加えて私が今申し上げたような素点の調整などという問題が大きく疑問として持たれ、このことでかなりやりとりされてきたわけです。そうなりますと、このことはもはや共通一次問題を根本的に検討し直さなければならぬというところに来ていると私は思う。また、そういうような検討をしなければならぬやの発言も聞いておりますけれども、この辺について総合的に、今までのやりとりを聞き、これからの考え方をひとつまとめて文部大臣の答弁を聞いておきたいと思います。
  91. 森喜朗

    森国務大臣 佐藤さんからいろいろ御指摘をいただきまして、今、入試センターの肥田野さんとのやりとりも伺っておりました。文部省といたしましては、入試センターが公正を持ってそうした素点の調整などはいたしておりません、この基本的な姿勢は私どもも、文部省として、そのとおりであると信じていくことが当然であろうと考えております。  ただ、私も常々申し上げておりますように、この共通一次試験というのは確かに入学試験の問題について大変大きな社会的な問題になっておることも事実でございます。  佐藤さんに今さら申し上げる必要ございませんが、当時といたしましてはやはり進学率が伸びて、そして入試地獄というようなことも当時の社会問題になり、こうした形で吸収していく、これが一つあったと思いますし、難問奇問は解消されていないということでございますが、私どもといたしましては、高等学校がまあこの程度学問であるならば、この程度の進達状況であるならば、こういうことを願って、むしろそれ以上の難しい問題を勉強しても意味がないことですよということを期待しながら、共通一次試験というところで、むしろハードルをそのあたりにとめていただく、このことが私らの切なる願いでございます。  しかし、現実の問題といたしましては、やはり入試センターの問題の出題を初めとして、共通試験そのものをやることが、国立大学関係の諸先生方がお勧めになることでございますから、学者間の物の見方、私ども政治家の見方と、また、このところはかなり考え方が違っているのだなというようなことも、私も大臣に就任いたしましてから、国立大学協会の先生方と議論をいたしておりましても、そんな感じがいたしております。  まあ、こうした諸制度は、これで絶対完璧というものはなかなかないわけでございますから、逐次改善をしていくことが当然であろうというふうに考えております。もちろん試験日の繰り下げでありますとか、あるいは今いろいろと議論になっておりますように、五教科七科目についての選択の問題あるいはアラカルト方式、専攻課程によっては文化あるいは芸術あるいは理科系、それぞれ、このあたりの採点のほかり方のノーハウがないだろうか、こういうことを今議論していただいておるところでございますが、共通一次を仮に完全になくしてしまって、もう一回それぞれの大学で自主的に入学試験をやるということになれば、またもとの繰り返しが続くのじゃないだろうか。なぜかといえば、現実に今、私立大学が参加いたしておりませんから、早稲田や慶応というような特定の大学については、偏差値を我々はすべて信用するわけではございませんが、偏差値の中から見ておりましても、はるかに東京大学よりももっともっと問題が難しくなっているというのは、これはそれぞれの識者が指摘するところでございます。  したがって、共通一次というところで、高等学校がまずまずこのあたりの学問を進めていけばいいのだということ、高等学校学問の体系が崩れない範囲の中で学問を進めていくというところにおいて、このところの、マークシート方式のやり方がどうかこうかということは、同じ時間、同じ条件で三十数万の人たちが一斉に行うということでありますから、このやり方についてはいろいろ難しいところがあるのだろうと思いますが、私は、現在の共通一次試験を改善していくというやり方、そしてもう一つは、学生たちに非常に負担になっております二次試験のあり方について、もっともっと工夫をしていただく、そういう形で改善をしていく以外に道がないのではないか、私自身は、今佐藤先生のお話のやりとりを伺いながら、そんな感想を持っております。
  92. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それなりにわかりましたけれども、私はやっぱり文部大臣ととらえ方の深刻度といいますか、若干違うようでありまして、これはきょうですべてこの問題が片づくわけじゃありませんし、また私、取り上げたいと思いますが、いずれにしても、私は現状のままの共通一次でいいとは思っておりません。予想されたことでもあると言われるかもしれませんけれども、かなり深刻な問題をたくさん投げかけているというこの問題は、やはり受験生や父兄や現場の教師の立場に立って、もう一度きっちりと受けとめて見直すべきだと思うから、この点だけ私申し上げて、次の機会に譲りたいと思います。  そこで、時間がなくなりましたけれども、次は大学地方分散について私、聞きたいと思うのですが、よろしいですか。  今、地方圏の方から、若者の定着とか地方産業の振興であるとかあるいはまた文化の向上、振興であるとか、言うなれば格差是正、国土の均衡ある発展、そして若者を含めた定住圏構想の実現という点から、大学地方への分散、つまり地方への大学の創立、新設、これが大きく求められていると思うのです。文部省も、このことについてはそれなりの計画と施策に努力はしていると思いますが、この際でありますから、文部大臣のこのことについての所見をまず聞きたいと思うのです。
  93. 森喜朗

    森国務大臣 私は、それぞれの地方都市がこれから振興していくためには、先ほど馬場議員のときにも申し上げましたように、かつての第一高等学校から第三、第四というような、そういう高等学校のような形にはならぬにいたしましても、地域と若者とが学問において青春時代に結びついていく、そういう形の中で、地方都市学校中心にして栄えていくということは、文教都市というのは一つの見方から見て非常にいいことではないか。私も党におりましたときに、むしろ積極的にその方向文部省に対しましても努めて努力するようにお願いをしておった立場でもございます。  ただ、最近東京の都内あるいは大阪、名古屋等の大都市圏にあります学校が外に出ていくという。確かにキャンパスが狭くなった、交通事情、いろいろな面もあるでありましょうし、学問をする環境にはなじまないというような事態になり、外に出ていく空気が出てきましたが、どうも調べてみると、東京にありますものは東京近郊にしか出ていかない、大阪のものは大阪近郊にしか出ていかないというのは大変残念なことでございまして、本来言えばもっともっと地方の方に——交通体系もいろいろ変わってまいりました。日本の国内全体が狭く感ずる時代でもございますから、そうした意欲を持った地方に出ていっていただきたいなという気持ちを私は今でも正直に持っておるところです。ただ残念ながら、文部省として、あっちへ行け、こっちへ行けと言って指導ができるものでもございませんし、新しいキャンパスへの移設というものは、国立大学といえどもやはり大学自体が考えていくという、この基本的な姿勢は守っていかざるを得ないところでございます。極端に言えば、単に東京から八王子に移る、まあここが非常に多いわけですが、それだけのことでいろいろお金の面で果たしてお手伝いをしなければならぬのかなということは、個人的には私は非常に疑問に思っておりまして、もっともっと、地方の本当にこうしたところに大学が出てきてくれたらな、あるいは県も市も積極的にぜひ大学に出てきてもらいたいなというところに、むしろお金の面でもいろいろな意味でできるだけのお手伝いをしてあげるということが本来あるべき姿だと私は思っておりますが、現実の法体系や大学の自発的な、自主的な物の考え方から進めていくということであればこうした方向しか今日まではなかったのかと思いますが、今後とも、地方への本当の拡散の意味文部省としてももう少しいい指導ができないものだろうか、十分検討してみてまいりたい、こう思っております。
  94. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今文部大臣が最後に、今日まではということを言われましたけれども大臣は若いんですし、識見もあるし、二十一世紀を唱える大臣だから、この際やっぱり意欲を持って計画を立て、そして実効の上がる——このことはやらなければならないことなんですから。私は、今のままでいったならば、いろんな施策はありますけれども、格差の是正と国土の均衡ある発展、それが実効が上がるようにしないと、地方は全く火の消えたような状態、そして過疎と、悪い言葉だけれども年寄りの地域になってしまうと思う。子供たちは幾ら呼んでも、都市に来て、しかも地球の上にやぐらを組んだ家の中には住めない、そういう時代になってしまうと思うのですよ。だから、これは私は大いに意欲を持ってもらいたいし、これは大学あるいは技術教育、文化の振興というだけじゃなくて、絡んでの問題は、地方の高速交通の問題、高度情報化社会整備の問題、大学学術、これらの問題をあわせて地方がやっぱり産業の振興を図りながら、言うなれば産業の格差、所得の格差、生活文化の格差をなくするという中での教育の問題。そして、今大臣も言われたところの、いかにしたならば地域の実情に合った大学の分散と誘致と立地ができるのか、これをぜひ私は、時間もありませんから、大臣に総まとめにひとつ要請をしておきたいというふうに思います。  そこで文部省は、新長期高等教育計画の中間発表をいたしております。それによりますと、昭和六十七年度ピークに達する十八歳の青年に対処するために、この計画期間、昭和六十一年から六十七年、この期間中に入学定員増について算定をして出しております。それによりますと、八万六千人の増員。うち四万二千人が恒常的増員、そのうちの二万六千五百人が三大都市圏というふうにしております、計画を見ますと。あと臨時の部分についてもずっと見ますと、三大都市圏中心の配分になっておりますね。ですから、今大臣もそういうことを言われたんですけれども、これから六十七年をピークにして十八歳の青年がぐっとふえできますね。当然この大学収容の問題が出てきますが、この計画では、私はどうしても三大都市圏中心計画になっているんじゃないかと思う。そういう意味で、やっぱりもっと地方重点を置いた形で、少なくとも——この比率ですと、三大都市圏、恒常的な定員増ですね、これが三大都市圏で六三%ですから地方ですと三七%ですか。少なくともこの比率はフィフティー・フィフティーぐらいに変えなければならぬのではないかというふうな考えを持っていますが、この辺について、大臣もさることながら、局長どうですか。
  95. 宮地貫一

    宮地政府委員 先ほどもお答えしたわけでございますけれども、昨年十月に中間発表いたしまして、各方面の御意見を承りながら、ただいま最終的な取りまとめの手順を急いでいるところでございます。三大都市圏とその他の地域との配分について、いろいろ地方団体等からも意見をいただいておるわけでございますが、基本的な点で申し上げますと、中間発表いたしましたものの中身につきましても、地方重点を置いた配分ということを念頭に持ちまして数字の配分をいたしたつもりでございます。  と申しますのは、これから十年ないし十五年ぐらいの十八歳人口の増減そのものが、基本的には三大都市圏の方が圧倒的に大きいというような問題がまず第一にあるわけでございます。それからもう一つは、したがって私学の場合で定員に対する入学者の数の実態から申しますと、大都市圏中心に入学定員に対するいわゆる水増し、言葉は悪うございますが、水増し入学になっている部分が大都市圏に大きいというような問題もございます。したがって、中間報告で申しました数字そのものも、現にこれからの十八歳人口の各地域の増減から見れば、本来ならば、例えば地方であれば、全体の案分から申せばもっと低い数値であるべきところを、むしろ積極的に地方大学を充実いたしたいというような考え方で、理論的にはじいた数字よりは上乗せをし、三大都市圏については、むしろ抑えぎみにした数字が中間報告で述べられている数字でございます。  もちろん、そういう一つ考え方に立って作業を進めてきたわけでございますけれども、その地域配分についてなおいろいろ関係方面の御意見もございますし、私どもとしては、最終報告に向けてその点の調整を専門委員会でおまとめをいただいているというのが現時点の状況でございます。
  96. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間もありませんので、その件について国土庁もいろいろな計画、施策を出しておりますから、国土庁としてその点どうですか。何か今の中間発表に対する国土庁内部からの意見、建議もあるやに聞いておりますので、端的にひとつお答えいただきたい。
  97. 柳沢勝

    ○柳沢説明員 お答え申し上げます。  先生御指摘のように、現在大学設置審議会において六十年度以降の高等教育計画に関しての御審議が行われているものの中間報告につきまして、国土政策を担当いたします国土庁の立場から若干の御意見を申し上げていることは事実でございます。ただ、大学地方分散を進め、若者の地方定住に即するような施策を講ずるという基本的な認識におきましては、文部省と私ども考え方が食い違っているとは思っておりません。いずれにせよ、私どもが今申し上げておりますのは、今後多様化しつつ増大することが予想されます高等教育機関への進学需要に適切に対応すること、それから地域ごと整備目途につきましては大都市への集中を抑制して、地方により重点を置いた整備を進めること、並びにそれを弾力的に行っていただきたい、こういったようなことを申し上げておりまして、現在さらに文部省と事務的なレベルの協議を続けさせていただきたいと思っております。
  98. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それで、今の恒常的な定員増中心に私は言うのだけれども、大体ピークになりますと、あなたの方で出したこれを見ると、三大都市中心考えますと四八・五%が昭和六十七年には五〇・八%、また七十五年には四八・〇%、こういうふうに変わっているんですよ。ですから、私はこのことを考えると、三大都市圏は六十七年をピークにして上っていくのが、またもとに戻るのです。五〇%をまた割っていくんですよ。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕  ですから、この臨時のところを三大都市圏にふやしていって、どちらかといえば恒常的な分を地方にふやしていくという、これがやはり前後の安定したやり方じゃないか。三大都市圏はこうなって、またもとに戻るのですから、この部分は臨時的なものですよ、都市というのは。こういうふうな考え方が私は至当だと思う。  それからもう一つは、具体的に大学地方に分散するときにいろいろな計画を立てられておりますね。国土庁もコミュニティーカレッジの問題から、それから文部省もいろいろな組み合わせの設置大学あり方論からあります。私も時間がありませんから言いませんけれども、それでは具体的に地方大学を分散し新設させるためには、それを積極的に推進する具体的な施策が裏づけになっていなければいかぬ。どういう形で設置するのかという設置方式もあります、第三セクターから公私立の方法からね。と同時に、私学振興財団などからそういう分散設立についてもっと助成なり貸し付けをする方法はないのかどうか。それから、税制上の優遇などももっと思い切って与えていいのではないか。これは国土庁などで短大を地方に持っていったらどのくらい金がかかるかなどと試算しておりますから、この辺は文部省としても具体的に実効が上がるところに踏み切っていいのではないか。そうでなければ二十一世紀論で終わると私は思うのです。その辺のところを具体的に検討していいのではないかと思うが、大臣としてはどうなのか。  それからもう一つは、地方に焦点を当てながら、同じような問題を文部省の立場から、国土庁の立場から、それぞれやっています。私もいろいろなものを読ませていただきましたけれども、非常に建設的にやっているのですが、これをもっと協力し合って知恵を出したならば、もっとお互いに力を出し合ったならば、まだまだ効果が上がるのじゃないかと思われる点があるわけです。したがってその点、所管は文部省だと思いますから、文部大臣としてその辺をどう考えるのか。  以上、三点をまとめてひとつ答弁いただきたいと思います。あと答弁で私は終わりますから、最後に重ねてでありますけれども、冒頭申し上げましたように、これから二十一世紀に大きな日本国の課題は、格差の解消と均衡ある国土の発展だと私は思うのですよ。三全総から今度四全総をつくられていきますね。私も全部精査しておるけれども、言葉としてはあるのです。しかし、実際は実効は上がっておりません、これは三全総のフォローアップをやっておりますけれども。ですから、そういうことを考えたときに、教育の問題、つまり大学地方分散の問題、高速交通の問題、新しい二十一世紀に向けての高度情報化網の問題、意欲的にやっていかなければ地方はまさに冬の時代が来る。それはそのときになってからでは遅い。今から手をかけなければならぬし、二十一世紀を展望する若い力と識見を持つ者がそういうことをやっていかなければならぬと思うのです。そういうことをまとめて文部大臣の答弁をいただいて、終わりたいと思います。
  99. 森喜朗

    森国務大臣 正直申し上げまして、佐藤さん、大変難しい御質問をいただいているのです。私は、端的に一人の政治家という立場でございますから、私も基本的にはあなたと同じ考え方なんです。  私自身も党におりましたときは、ここにおられる宮地局長初め文部省の皆さんと、いつもそういう議論のやりとりを今日までしてきたものでございます。例えば中間報告におきます定員の配分についても、私は若干不満なんです。もう少し端的に言えば、大都市圏ははっきり言えば、もう定員増のところをゼロに抑えたっていいじゃないかという考え方だってないわけじゃない。ただし、今日まで抑制してきておりますから、その分が専修学校にかなり逃げているという面はあるわけでございます。もう一つ大事なことは、問題は高等学校三年生の人が受けるということなんであって、進学するという個人の意思で来るわけですから、何かほかに物をやったから外へ回りなさいと言っても、嫌だと言えばそれまでの話。もう一つは、これから十年、二十年、進学率というのが大体この程度であろうなという想定でやっているという点がまずございます。今のような国の財政がもう少し好転するように我々も努力はしていかなければなりませんが、経済状態がほぼこういう形で推移するなという前提が立っています。  私も、実は自分の選挙区でも、大学誘致という問題はどこもかしこも同じように皆要望しておりますが、私はいつも地元から要望を受けると、一遍調べてみなさい、この町に短大をつくったとして、高等学校生徒さんにここに短大ができたら入りますかという世論調査をしてごらんなさい。残念ながらいい結果は出てこないのですね。これは本当の専門的な学問を進めていこうという者と——女子大、短大というふうに決めつけるとまた藤木先生にしかられそうだけれども、やはり現実の問題としては、女性が大学に進む場合は専門的なことよりもある程度教養を身につけるということの方にウエートがかかっておりますから、大変言いにくいことでありますが、私の石川県あたりで、どうせ短大、女子大に行くなら大阪、神戸、京都、東京、悪くても名古屋、こういう言い方をしてくるのですね。そういうことを考えてみますと、ただ地方に振り分けていって、確かに今おっしゃったように地方は恒常的に定員増にする、中央は臨時的なものにするといたしましても、本当に恒常的な定足数をそのままずっと維持し得るだけの魅力のある学問になるのかどうかということが、非常に大事なところだと私は思います。そういう意味で、さっき馬場さんとの議論の中で申し上げたように、キャパシティーを受け入れるものと、その中でここにしか行けない、ここのところに行って学問しなければないんだ、そういう特色ある高等教育を、学問研究を進めていくことで地方に分散するという考え方文部省としては積極的に取り組んでいかなければならぬ、こう考えております。  私学財団の融資あるいは税制についてはいろいろと配慮を加えていかなければなりませんし、現実の問題としては、私学振興財団等では地方に出る場合には優先的に融資をいたしておるようでございます。ただ、私はさっき申し上げたように、神田から八王子へ行くのに優先的にやるのはいかがなものかなという、感想として何となく納得し得ないものがあるわけでございまして、この辺については本当に思い切った、今先生がおっしゃったように、本当に地方が求めていて県や市がいろんな形で優遇する、ぜひ来てくださいという形で行ってそこに学問を開きましょうということについては、より積極的に、あるいは融資のやり方はどういうふうにやっているか知りませんけれども、できるだけそこのところはウエートをかけてやっていくべきだろう、私はこう思っておりますし、そういう指導をするようにしたい、こう思っております。  第三点は、文部省国土庁が力を合わせてやれ、そのとおりだろうと思いますが、わかりませんよ、私はまだ文部省の本当の気持ちを聞いておりませんが、何か地方振興策のために大学を使われるのは学問を進める上ではたまったものじゃないなという気持ちがささやかにあるんじゃないかなと私は思うのです、こんなことがないように私は努めますけれども国土庁の方も、文部省もいつまでもかたくなにセクショナリズムにやってないで、地方がそうやって要求するなら地方を興す先めにひとつその糧になることぐらいいいじゃないか、こういう気持ちもおありだろうと私は思います。この点については役所間の縄張り意識的なものがないとは言い切れない、私はこう思います。こういう問題はできるだけ解消して、文部省も学術を進める上で本当に適切なキャンパスを選んでいくということ、国土庁もそれをいろんな意味で国土総合発展の中に、建設省も含めながら、自治省も含めながら、いろんな角度でバックアップ態勢をしていく。今ほど地方にそうした気持ちを求めているときはないわけでございますから、この時期にそういうふうな形でできる限り、各省庁間で前向きにお互いに協力し合っていくということは、佐藤さんのおっしゃるとおり、二十一世紀日本の学術、研究を深めていくと同時に、国土の総合的な繁栄策という意味からいっても極めて大事な御意見であろう、今後とも積極的にそうした方向で調整ができるように私も微力を注いでまいりたい、こう思っております。
  100. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 以上で質問を終わります。
  101. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 中野寛成君。
  102. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 今まで続いていた質問を若干継続するような形になりますが、私は、国立大学と私立大学の役割分担という観点から少し質問をしてみたいと思います。  国立大学設置に関する文部省の基本方針、こういうふうに実はきのう御通告を申し上げておったわけであります。先ほど来の論議の中で、幾らかそういうものが出されていると思います。私学がなかなか行き届かない地域、また別の視点からとらえれば私学の苦手な研究分野への進出、こういうふうなものを国立が担っていかなければいけないだろうと思います。そういう観点に立って国立大学の果たす役割を、私学との関係で方針として若干お述べいただきたいと思います。
  103. 宮地貫一

    宮地政府委員 国立大学設置に関する基本方針というような観点で、特に私学との関係でどのように考えるかというお尋ねかと思いますけれども、従来高等教育計画的な整備といたしましては、五十一年以降前期計画、さらに後期計画を策定いたしまして今日まで整備を進めてきたわけでございます。  その中で言われております点は、地域間の収容力の格差でございますとか専門分野構成の不均衡等のひずみの是正をするというような考え方で、地方の進学機会の確保と均衡のとれた高等教育の発展というようなことから特に地方における国立大学整備充実を図るということ、従来前期計画、後期計画を通じましてそういう対応をいたしてきているわけでございます。  今後の扱いでございますけれども、全体的に社会的な需要でございますとか教育研究所の必要性、あるいは私学では経営的にも必ずしも期待し得ないようなものでございますとか、いろいろな点を勘案しながら整備考えていかなければならないかと思うわけでございますけれども先ほど来御質問もございましたが、昨年十月中間報告をいたしました六十一年度以降の高等教育計画的整備に当たりましては、地方大学整備については、単に私学で十分賄い得ない分野について国立て設置をしていくという考え方だけでは必ずしも対応できないのではないか、やはり地方における、先ほど国土庁からもお話がございましたが、地域の自主的なといいますか、高等教育機関に対しますそれぞれの都道府県なり市町村なりその地域におきます自発的な動きに対応いたしまして、あるいは国と地方とが協力する方式でございますとか、あるいは学校法人と地方公共団体とが協力し合って高等教育機関整備していくというような方向も積極的にこれから考えていかなくてはならないのではないかという点も、中間報告でも述べられている点でございます。私どもといたしましてもそういうような方向を積極的にこれからは考えていく必要があるのではないか、かように考えております。
  104. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 その方向は私もそれでいいと思うのですけれども財政の問題との関係も考え合わせ、かつ、できるだけ私学の力、また私学の独自性、私学の特色、そういうものを大いに活用していくということは、教育の観点からは大切なことであります。そういう意味で、これからの国立大学の全体的な規模というのはどのぐらいを想定するのか。時代とともに変わっていくとは思いますけれども私学との比率の関係でどうお考えでしょうか。
  105. 宮地貫一

    宮地政府委員 高等教育機関整備に当たりまして、国立と私立の割合と申しますかシェアと申しますか、どう考えていくのかというお尋ねかと思うわけでございますが、公立も含めまして国公立がほぼ二割、私立がほぼ八割というようなのが今日の現状でございます。このこと自体についても、いろいろと言われている点もあるわけでございます。諸外国の場合には、形式上私立てありましても公の金で支えられているものが非常に多い。それに反しまして我が国の高等教育の場合には、大変多くの部分が私学に頼っておって、かつ私学助成財政的に非常に難しい状況に来ておる。そういう点から見れば、高等教育全体に対する公の経費の支出の面から見ればいろいろ意見はあるところであろうかと思うわけでございます。しかしながら、現状の日本高等教育全体がほぼただいま申しましたような割合で設置をされているわけでございまして、それぞれ立場なり役割というものもあろうかと私ども思うわけでございます。そういうものがお互いに特色を発揮し合いながら、質的な充実を図っていくということが肝要かと思うわけでございまして、その点からすれば国公立なり私立とのシェアと申しますか、私どもとしては、ほぼ現状程度を前提といたして今後も質的な充実を図ってまいりたい、かように考えております。
  106. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 今最後に、質的な向上とおっしゃいました。新構想大学、無医大県解消等を含めて新構想大学というのもおよそのめどがついてきた、一段落をしてきた、こういうふうに思うのですけれども、今の質的な向上という御発言と絡み合わせて、今後大学の数もしくは収容能力等を大幅に、今日までのように急ピッチでふやしていくというお考えがあるのでしょうか。それとも、今おっしゃった質の充実の方へこれからは移っていくのでしょうか。先ほど来のお話のように、どの年度で十八歳のいわゆる学齢に達する人数がふえるとか減るとかという、そういう時期的な変動はありますけれども、基本的な考えとしてはどうお考えなんでしょうか。
  107. 宮地貫一

    宮地政府委員 基本的な姿勢はどうかというお尋ねでございますが、既に前期計画、後期計画を通じまして、むしろ量的な拡充よりも質的な向上ということで全体的な施策を進めてまいったわけでございます。  六十一年度以降の計画に当たりましても、その基本姿勢は貫きたいと考えておるわけでございますが、先ほど来御議論のありますように、今後の十八歳人口急増、急減というような事態もあるわけでございまして、それらに対応する施策もあわせ行うことももちろん必要なことではあろうかと思っております。したがって、中間報告で述べられている程度拡充ということは計画をしていかなければならないと考えておるわけでございますが、そこでも述べられておりますように、昭和七十五年度ではやはり十八歳人口がほぼ百五十万人台」なるということを想定いたしまして、その時点では、今日の例えば私学全体で一・三倍程度入っておりますものを一・一倍程度のところまで引き下げていきまして、教育内容的な充実を図っていくということは、やはり私どもの基本的なねらいとして置いているわけでございまして、今後の施策においてもその点は重点を置いて対応していかなければならぬ課題ではないか、かように考えております。
  108. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 そこで、これも先ほどの御答弁の中でありましたけれども、国によりますが、総じて諸外国の場合、私立に対しても国からの補助、てこ入れ等というのはよく行われていると思うのですね。日本の場合はなかなかそう思うとおりにはいかない。現在の財政事情の問題もありますから、酷なことは申し上げません。ただ、少なくとも国立と私立の格差是正についてはもっと努力をしていかなければいけないだろう、まして学生数で二対八くらいのことを今後も維持していくということを考えるとするならば、もっと私学に関する考え方は強化されなければいけないのではないだろうか、こういうふうに思うわけであります。  そこで、ゼロシーリングとかマイナスシーリングとか財政運営、言われているわけでありますけれども、国立、私立の大学関係予算ですね。国立学校特別会計予算に占める一般会計からの受入額の推移、そして私立大学等への経常費補助金の推移、こういうふうなことは、現状と今後の見通しをどのように現在の財政状況の中で見ておられますか。そして、格差是正をどういうふうに図ろうとしておられますか。
  109. 宮地貫一

    宮地政府委員 財政状況が大変厳しい状況でございまして、その点は国立大学につきましても非常に厳しい。例えば、経費の徹底した節減合理化というようなことで対応せざるを得ないわけでございます。  国立学校特別会計の中で、一般会計からの受入額の推移でございますけれども、従来、一般会計からの繰り入れというのは、特別会計創設当時、昭和三十九年度でございますが、八二%程度であったわけでございます。そして昭和四十六年度当時は八三・五%というくらいの割合でございましたが、その後一般会計よりの繰り入れというのは順次比率は低下してまいっておりまして、昭和五十八年度で七〇%を割りまして六七・一%、昭和五十九年度予算では一般会計よりの繰り入れというのは六六・九%ということで、一般会計への依存の度合いというものは、国立学校特別会計について申しますと年々このところ下がっておる。全体的には歳入予算の確保について、例えば授業料の問題でございますとかあるいは病院収入について積極的に増収を図りますとか、いろいろな施策を講じまして国立学校特別会計全体の予算で国立大学として必要な整備を、私どもとしてはいわば最小限のぎりぎりのところで実施しているというのが現状でございます。
  110. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 おっしゃったとおりに、一般会計からの受入額の率は確かにことし六六・九%。しかし、金額は上がっていっているわけですね。いいことです。減るよりは上がることはありがたいことでいいことなんですが、私学の方はといいますと、これは五十六年度、五十七年度が同じ金額ですね、二千八百三十五億円、五十八年度は二千七百七十億円、五十九年度は二千四百三十八億円、今度は金額も含めて急ピッチで下がっている。  こういうふうな状態の中で、果たしてこの私学の問題はこれから大丈夫なのか。結局、むしろ国際情勢の中で日本の場合は逆行しているのじゃないかという印象さえ持つわけです。確かに私学にもいろいろ問題があることは事実です。ここ数年、私学の問題で、よくこれだけ私学の問題があるものだと先ほど指摘されていましたけれども、そういう状態の中で、国民感情は、ある意味では私学に対する厳しい目があるかもしれません。しかしながら、私学の果たしている役割というのは極めて大きいものであることは言うまでもありません、大臣も私も私学の出身でありますけれども。  そういうことを考え合わせますと、私は、こういう現状というのは果たしていいんだろうかな。まして国立、私立の格差、これを見ますと、学納金の比較それから校舎面積それから教員一人当たりの学生数等々、確かに年々わずかのパーセントであるけれども改善されていっているんですね。しかしながら、ことしあたりを契機にして、これはまた逆行していくのではないかという心配をこのトータル的な予算から見て持つのです。果たしてこういう状態で全体的な高等教育というのは、日本の場合充実されていくんだろうか、私は大変心配をするのですけれども、こういうことについてどうお考えでしょうか。
  111. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 国立と私立の大学の格差の問題についてのお話でございまして、先生からただいまお話がございましたような状況があるわけでございます。  国立大学と私立大学の場合には、先生も御案内のように、国立は主として理工系にかなりウエートがあり、私学は文科系にウエートがあるというような分野の違い等もございますので、一概に比較することは難しいわけでございますが、それにいたしましても、例えば本務教員一人当たりの学生数というようなものを見ますと、国立大学は八人に対して私学は二十五人だというような状況でございます。学生一人当たりの校舎面積にいたしましても、国立が二十三・八平米、私学が九二八平米ということで、国立の面積に対して私学は四一%しか持っていないというような実態があります。これらにつきましては、先生の御指摘にもございましたように、若干ではございますけれども、年々少しずつ、ここ数年、率は少ないのですが着実に改善はされてきているというような状況にあるわけでございまして、こういう状況になってまいりましたのも、一つには、私学助成というのが昭和五十一年から充実して伸びてまいりまして、私学の経営にかなりの安定度が出てきたということと、各学校法人がそれぞれ自主的にかなりの努力をされているという、両方の総合の結果ではなかろうかと思うわけでございます。  御指摘がございましたように、国家財政が大変厳しいとかあるいは臨調答申による指摘等もございまして、現在のところ、私学助成拡充するというのは大変難しい時期になっているわけでございまして、そういう点は、これまでの私学助成拡充の経緯から見まして、私どもとしては残念な状況にはあるわけでございますけれども、長い目で見て、将来のためにさらに各種の助成措置等の充実には努力をしてまいりたいと思います。また、私学側の自主的な努力もお願いをするということで、こういう改善の方向がひっくり返らないように各私学に指導をし、また我々も努力をしてまいりたい、かように考えているところでございます。
  112. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私学助成のことについては、確かに臨調が厳しい指摘をされていることは私も承知をいたしております。しかし、そのことは、国立、私立の格差が開いてもいいということの指摘にはなっていないはずであります。民間の力を大いに活用しようという意味では、私学の振興を図るということはむしろ大切なことであります。それはむしろ行革の精神にものっとっていることだろう、こういうふうに思うわけであります。大臣初め私も含めまして、大変優秀な人材を私学は育てているわけでありますから、これからもやはり伸ばしていかなければいけない、こう思うのですが、大臣、ずっと黙っていていただいても大変もったいないので、基本的な姿勢について大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
  113. 森喜朗

    森国務大臣 中野さんからお褒めをいただくほど優秀な人材がどうかは疑問でございますが、私学に学んで、私学が大好きで、そして日本教育はやはり私学によって大きく興隆している、そういうことにかけては、私もあなたに負けないぐらいそういう自負心を持っております。  先ほどからの、午前中の議論にもありましたけれども、むしろ悲しいやりとりだと私は思っておりましたが、私学を大事に思いつつ、私学振興助成法を一生懸命に努力してつくったのにこんなふうに扱われているのかと思うと、本当に断腸の思いでございます。当面抑制を余儀なくされておりますけれども、基本的なスタンスとしては、私学振興法の精神を私どもはあくまでも貫いていきたい、これからも私学助成についての精神はやはり二分の一以内という、以内というのもいろいろな範囲がございますけれども、少なくとも経常費の半分ぐらいはきちっと見ていくべきだ、私はそう思っておりますし、今後とも努力をしていきたいと思っておるところでございます。  よく予算の編成のやりとりのときに出る議論でありますが、受験の問題というのは非常に社会的な問題になる可能性がありますから、受験地獄という言葉がかなり問題になります。だから、もし私学が半分ぐらいに減って全部今の国公立だけだったら大変な地獄が起きるわけで、その分を公がやったら一体どうなるのかという試算を我々も党の部会におるころはよくやって、財政当局とやり合ったことがございます。そういう意味からいきますと、私学に対する補助のあり方というのは、もう一遍基本的に考え直してみる必要があるんじゃないだろうか。  今まではやみくもに、とにかく前年度より何%ふやせふやせと言って一生懸命にやってきたわけでありますが、こういう臨調答申のところで停滞をさせられておるわけでありますから、これからも財政状況は、好転はしていくことに我々は期待をしていかなければならぬし、政治家であります以上は努力もしていかなければならぬが、大きな好転があるということはなかなか考えられるものではございませんので、確かにこの私学補助のあり方というのは、これまではある意味では積んできたわけでありますけれども、一度思い切って、これからはどのところにどういうふうにしていくのかという、もうちょっと、何といいましょうか、抑揚のあるつけ方というのが必要なんじゃないだろうか。ただ、前年度百億円もらっていたからそれから百二十億円だ、百三十億円だ、これは私はいささかどうも問題があるような気がしてならない。ならば学部学科をつくれ、定員をふやせと、こうなる。財政当局からいえば、私学ができるたびにその分の助成費のことを頭に置かなければならぬわけでありますから、当面大学はつくるなというのは当然なことにもなってくる。そのことが、先ほどから佐藤さん、馬場さんの議論に出ておりましたように、地方大学をと言ってもなかなかそこに手が及ばないということになるわけでありますから、やはり私学の補助のあり方というものは一遍根本的に考えてみる必要がある。  今管理局長からも話が出ましたが、私学と国公立との格差は、少しずつではありますが、数字的には少し開きがなくなってきておりますが、それは私学側の改善の努力がかなりあったと私は思う。さっきの九産大の退職金なんて、これはまあ論外でございますけれども、かなり給与面でもいろいろ改善のところがあるじゃないか。確かに教授陣は一般的には国立より若干上回っております。しかし私は、いい学者を求めるということであれば国立のベースより高くしなければならぬという事情はよくあると思います。私は文部省の事務当局にも少し調べてみなさいと言っているんですが、どうも聞くところによれば、事務職員のベースはかなり高いという実態があるようでございますが、そういうところにまだまだ改善していくところもたくさんあるのではないか、こんなふうにも考えているところでございます。  いずれにいたしましても、私学が大事でございますし、今宮地局長からも話が出ましたように、やはり八〇%、八割を私学にということであるならば、私学に対して根本的な、国の援助のあり方というものはもう一度再検討して出発をしていく。そろそろ一遍体制を整えてもう一度主張すべきところは主張していく、こういう考え方を明らかにしていくべき時期が来ておるのじゃないか、私は今そんな感じを持っております。     〔白川委員長代理退席、委員長満席〕
  114. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 この問題ばかりもやっておられませんので次に移りますが、今大臣がおっしゃったように、私学の問題については、本来国でやるべきことを積極的に取り込んだ私学であるとか、新しい時代に対応した研究を、または教育あり方を追求する私学であるとか、そういうふうなところについてもっと助成の幅を、アクセントを持たせるとか、いろいろな工夫の方法があるだろうと思います。今の場合には余りにも画一的ではないかという考え方を持っております。それにアクセントを持たせることは、文部省の今までの感覚ではなかなか難しい。しかし、それをあえて文部省としては踏み出していただきたい。そのことによって、全体の平均が、私学のレベルが低いとかということがもしあったとしても、もし個性的な大学がふえてきて私学に対する評価が上がっていくならば、それはむしろ私は望ましい方向ではないだろうか、こういうふうに思うわけであります。大臣もそのことをお考えのようでございますから、それが文部省考えとなることを期待しておきたいというふうに思います。  さて次に、医学教育について若干入りたいと思いますが、この国立学校設置法の今日までの提案の中では、いわゆる無医大県解消に伴うもの、四十八年以後の新規構想大学に関することがほとんどであったわけであります。そういう中で一つは、この新構想大学定員については、現在出されている法案でも九百十七人ふえて一万八千八百十二人、これは総定員法の枠からは枠外の扱いになっているわけです。しかし、これが一段落をいたしますと——本来総定員法の枠の中で考えなければいけない問題ですわ。今は特別に枠の外に外しておるわけです。そういうことがやはり、この法案を審議しますと我が党の中でもまず最初に、それはどうなっているんだというふうに意見が出てくるわけです。事は教育の問題だからそれは特別だよという考え方もあると思いますけれども、しかし、やはりこういうことは行政機構としては当然考えなければいけないことだと思うのですが、これについてはどういうお考えをお持ちですか。
  115. 宮地貫一

    宮地政府委員 設置定員の措置についてのお尋ねかと思うわけでございます。  先生御指摘のように、昭和四十八年度以降に設置されました国立医科大学等にかかわります教職員定員につきましては、いわゆる総定員法の枠外ということで国立学校設置法によって措置をされているわけでございます。その点は御指摘のとおりでございます。  そこで、今後どういう対応になるのかというお尋ねかと思うわけでございますが、私どもといたしましては、この新設医科大学等のプロジェクトが一応完了するまでの期間ということで対応しているわけでございまして、例えば一番新たに設置をされました医科大学等についても、なお学年進行によりまして病院なりあるいは学部定員について今後も措置を要する点があるわけでございます。おおむね昭和六十年の半ばごろになれば、大体これらの定員需要というものは落ちつくことになろうかと思うわけでございます。  その後、それは総定員法の管理の中に置くべきではないかという御意見かと思うわけでございますが、臨時行政調査会の最終答申でもその点は示されているわけでございます。総定員法に一元化するということも確かにお考えのとおりでありますが、さらに公務員制度全体のあり方とかあるいは国立学校教職員について全体的な定員管理をどうするかというような問題点もありまして、関係省庁ともそれらの点は十分今後詰めなければならない課題とは存じておりますが、既定のプロジェクトで申せば、昭和六十年代の半ばごろまでになれば、国立学校設置法定員の問題についてはおおむね落ちつくという状況でございます。
  116. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 こういう問題でいろいろなところから指摘をされて、文部省がぜいたくだみたいな言われ方をするとばかばかしいですから、やはりこういうことについてはいつまでもこの枠外にという考え方ではなくて、文部省自身も御努力をいただいて、そしてもっと別のところで実質的な教育の効果を上げるための予算が遠慮なく取れる、主張できるという形をとることの方が望ましいのではないだろうかというふうにも思います。もちろんそのために人は必要なのですが、しかし、こういうことによって文部省の姿勢が指摘されるということではやはり困ると思いますから、そういう御努力は前向きにぜひお願いしたい、こういうふうに思います。  さて、次に入りますが、この医学教育に関連して厚生省からもお越しいただいておりますので、ちょっとお聞きします。  先般、予算委員会で我が党の大内議員から、医師過剰時代の問題についてお尋ねをしたのです。厚生大臣文部大臣、最初厚生大臣にだけお聞きしたら、文部大臣が出てきて別の答弁をしたのを覚えております。  現在の医師の数の実態、それから将来の見通し、そしてどうあるべきだという方針、このことについて厚生省のお考えをお聞きしたいと思います。  というのは、例えば健保の赤字の問題でも、私、いろいろ何人かのお医者さんと話をしたことがあるのです。お医者さんがふえますと、これを見殺しにするわけにはいかぬ。といって、既に開業しているお医者さんの所得を減らすということも困りものだ。そうすると、結局健保会計の中からいかにして新しいお医者さんを食わせていくかという、言葉が悪いですけれども、そのためにどうしてもそっちの方へいかざるを得ない。だから、結局お医者さんがふえるごとにやはり健保の赤字がふえていくんだということをおっしゃる方もいらっしゃるのですね。暴論かもしれません。しかしながら、私はあり得るような気がするのですね。また、地域によっては医師過剰、しかしながら、まだ無医村の解消はできないというふうなこともあります。本当は、大学の医局なんかがしっかりしていて、卒業する人に、君はちょっとあそこへ何年間行ってこいよと命令できるぐらいの見識のある教授がずっとそろっておれば、そういう問題の解決も早いのかもしれません。ところが、ほかの方の力を持っていて、そっちの方の力はなかなか持ってないという悪口を言う人もいます。そういうふうなことと考えあわせて、今の最後の問題は後でお聞きしますが、厚生省のお考えをお聞きしたいと思います。
  117. 横尾和子

    ○横尾説明員 まず、医師数の実態の御説明を申し上げますと、五十八年で厚生省が推計しております医師が約十八万人、これは人口十万当たりの医師の数に直しますと百五十二人、一人の医師が受け持つ人口で表現いたしますと六百六十人という数になります。  次に、今後の見通してございますが、昭和七十五年、ちょうど二千年になりますが、その時期にいたしますと二十七万人、人口十万対で二百十人の医師、医師一人当たりの受け持ち人口が四百八十人程度になると思われます。さらにその後、医師は伸び続けまして、昭和百年程度になりますと、これは必ずしも正確な推計をまだいたしておりませんが、先ほど人口十万対百五十二人というものが倍になりまして、人口十万対三百人という状況になるという見通しを持っております。  今後の問題でございますが、厚生省はこれまで、昭和六十年までの必要医師数について見通しを持ってきたところでございまして、六十年以降の問題については見通しをつくっておりません。その意味で、近く将来の必要医師数についての見通し作業に着手したい、こういうふうに考えている状況でございます。
  118. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 文部大臣にお聞きします。  厚生省が六十年までしか計画というか方針を立ててなくて、これからだということなのですが、しかし、現在既に大学に入学していて医学の勉強をしている学生というのは、その後医師の資格を取る人の方が多いわけですね。こうなると、ちょっと厚生省さん、もっと早くやってくださいと言いたくもなりますが、あわせてこれは文部省と大変関係の深い問題でもあります。もちろん、医学部や医科大学を卒業したからといってすぐ医師になるわけじゃないけれども、やはり資格試験に通らなければいけないのだけれども、しかし余り必要数以上の学生を教育してみても始まらないわけですから、当然厚生省との御相談も加えながら今後の方針を立てられるのだろうと思います。無医大県解消の方は努力してもう一応終わったわけですから、あとは今度はそれぞれの学生数の問題になりますね。このことについてどうお考えですか。
  119. 森喜朗

    森国務大臣 今厚生省の説明がございましたように、十万人当たり百五十人という、これがなぜ適正か適正でないのか、私も定かではありませんが、そういうふうに伝えられてきております。それが六十年を待たずに到達し得る。これは非公式に冗談で、親しいものですから言うのですが、渡部厚生大臣がよく、本当は六千人ぐらいの定員でよかったのに文部省が八千人つくったのが悪いのだ、こういうことを冗談めかしておっしゃるのであります。私は、そういうことであるならば、これは前向きに医師の養成計画は少し調整をしていくことが基本的に正しいことだと思うし、それは前向きにやっていかなければならぬ、こう思うのでありますが、何かそこのところへ一歩踏み込んでしまうと、ちょっと厚生省がまた余りいい表現はしないわけです。私は、どうもそこのところがわからないのです。  そうは言いながら、医師の不足のところは現在も解消されていないのです。これは単に離島振興あるいは山村という僻地だけじゃないのですね。現実に大都市のすぐそばにある地方自治体の病院にはお医者さんがいないです。私の郷里でも、私のおやじが町長をやっているのですけれども金沢からわずか三十分ばかりのところですが、お医者さんがいなくていつも困っております。もう町長の給料の三倍か四倍払わなければ来ない、立派な家を建ててあげないと来ない。ちょっと来ているかと思うとすぐ——余りこんなことを言うといけないのですけれども、すぐ帰ってしまうというようなことになって、みんな、町村長、自治体病院を経営しているのは苦労している。こういうようなことを考えますと、やはりお医者さんが足りないんだなということにもなるのですね。  この辺は、先ほど中野さんがおっしゃったように、いずれにしてもお医者さんでありますから個人の職業選択の自由はあるわけでありますが、お医者さんにもう少し使命感を持ってもらって、しばらくはこうしたところに自分も奉職をして、自分のそうしたところの医の学問を進めながら、いわゆる医者は年前、卒後教育をしていかなければならぬまさに生涯教育でありますから、そういう意味から言えば、勉強していってほしいな、こう思うわけでありますが、これは単なる願望にすぎない。やはり厚生省あたりが積極的なそういう配置の指導をしていってもらいたい。文部省としては医師養成をする教育のところまででございますので、そういうことを余計な、役所が違うことでもございますが、厚生省、もう少し積極的に取り組んでほしいな、こう思っておるところでございます。  しかし、いずれにしましても、厚生省も将来を見通した適正医師数の検討というのを始めるようでございますから、文部省といたしましては、その結論を待って対処するということが今私どものとるべき最大の道であるというように考えております。ただ、医学教育ということを進めていく中にあって、現実の問題として、定員百二十名あたりのところでは、学問研究を進めていくことについて若干適正規模ではないというようなこともございますので、その地元の医師数との状況を勘案しつつ、また、その大学の対応の仕方も見ながら、もしやるべきとするならば、大体百二十名の定員を持っておるところからそろそろそういう医学教育の改善という面で検討を始めてみたらいいのではないか、こういうふうに私は事務当局に指示をいたしておるところであります。
  120. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 厚生省の方はもう結構でございます。  それで、この医師の使命ということを今大臣はおっしゃった、大事なんですよ。私はそこまでいってほしいと思うのですね。ところが、その使命感を感ずるもう一つ前の段階に倫理観の問題があるのですね。使命までいくどころか、倫理観で私はもういつも大きな疑問を持たざるを得ないわけです。  実は、当委員会でも、また決算委員会でも私、取り上げたことがあるのです。きょうはそのことをまた繰り返して申し上げようとは思わないのですが、しかし、去年十月九日の新聞でも、たまたま私、手元に持っていたのですが、東京医科歯科大学の教官三人のうち二人がアルバイトしている。無届けで虚偽申告が多いと新聞に大々的に載っています。これは言うまでもなく文部省の方で調査をされ、いろいろ手を打たれていることです。しかし、私が質問したものは、何か新聞に載っていますが、あのころ随分文部省は調査もし、いろいろ手も打たれたと思うのですが、結局こういうのがまだまだ残っているのですね。私は当時具体的な大学の名前を挙げて、事例を挙げて指摘しました。これは全国的な傾向ですよと申し上げた。しかし、私が事例を挙げたのは実は大阪周辺だけだったのですが、今度いよいよ東京に出ているわけです。これは全国的な問題ですよ。これは本人たちは余り悪いことをしているとは思っていない。長年培ってきた−培ってきたという言い方はおかしいけれども、続いてきて慣習、慣例化しているのですよ。先輩もやってきたことを自分はただ踏襲しているにすぎない、先輩がどこどこ病院にアルバイトに行かなくなったそのかわりに自分が医局から派遣をされる。結局そういうことで、人気のある医局、また力のある医局、または大学というのは幾らでもアルバイト先があるわけですね、引っ張りだこ。そこの言うことを聞いておかぬと派遣してもらえないから、自治体病院を初め、いろいろなところがその裏金の捻出に苦労するというのですね。これは本当にゆゆしい問題なんです。医の倫理の問題もあります。そしてまた医学教育、それからその中で医学概論等もっと充実させてやるべきだという意見もあります。しかし、医学概論でこの倫理の問題を取り上げているところは数校にしかすぎないわけですね、この科目が設定されていても。おまけに医学概論で倫理を教えると言ったって、教える先生がバイトしているんじゃ——バイトが悪いとは言いませんよ。しかし、結局脱税をしたり、またリベートを受け取ったり、倫理に反することがやたらと多い。それがまた会計検査院の検査でも指摘をされているし、新聞でも取り上げられる。私もまた実例を申し上げた。これが相変わらず続いているということ。これでは、言うならお医者さんの卵である学生に倫理を教えると言ったってそもそも無理だ、こういう感じさえするのですね。私は、このようなことについて文部省としてどうお考えなのか、二つの面からお答えをいただきたいと思います。
  121. 森喜朗

    森国務大臣 私も中野さんと同じ疑問を常々持っているわけです。私もいつもこれは打ち明けた話をするのですが、教育行政については局長の皆さん、課長の皆さん、私よりはるかにベテランでありますから、私はむしろ教えを毎日請うておる立場でありますが、いつも宮地さんなんかともやりとりをするのです。お医者さんの倫理というのは、確かにお医者さんだけじゃなくて、何となく今、全体的にそういうモラルの低下というのはあります。しかし、お医者さんだからと言うわけじゃありませんが、医師はなおより倫理というもの、モラルというものは大事にしてもらいたい。それを教育の中で何かうまく盛り込む方法はないんだろうか、あるいはお医者さんになって、さっき申し上げたように、自治体病院あるいは公的病院あるいはまた山間僻地に、はっきり言って義務的にそこにしばらく従事するということはできないんだろうか、こういうことも私はいつも疑問に思って事務当局に投げかけるのです。国家試験を通らなければ医師としての業務はできないわけでありますし、国家試験を通ってしまえば、これは職業の自由な選択という憲法の問題に触れるんだということになる。そうなると、結果的に何もできないということになる。だとするなら、やはり単位を取る過程の中で何かこうしたことに奉職を——国家試験を通ってなおかつ社会の中に出ていく上に何かそういう形で所定の単位でも取るような、そして本当のお医者さんとして社会に出て活躍いただくような、何かそんなことができないものだろうか。こんなことで法律的に縛ったり、行政で先生方を強いるということはよくないことでございますが、現実にこれだけ医師数がふえて、先ほど厚生省の発表によってもあれだけの数字が出てくるということであって、なおかつ医師を適材適所にこうして配置ができ得ないという現状を考えれば、やはりお医者さん方の自発的なそういう形での医師の派遣というのは、逆に言えば、今中野さんが指摘されるような、むしろ不純なものにまでなってきているという面もあるわけでありますから、医学教育を進めるそういう制度の中で、憲法に触れないように、強制させるというのはよくないのですが、使命感を求めること自体がなかなか問題があるとするならば、何かいい方法がないだろうか、こんなことを私は毎日考えてもいるところでありますし、文部省でも何か考えてみてくれませんかということを今事務当局にも申し上げているところです。  御質問の点から言えば、中野先生と私、全く同じ考え方でございますが、むしろそうした方向に少しでも踏み切る方策を見出していくということに努力しなければならぬ、こう私は今率直に思っているところです。
  122. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 医師はだんだん過剰時代になる。そしてまた、もうこれ以上大学での学生数をふやすんではなくて、むしろ絞りかげんに将来はしていかなければいけない。そういう状態の中で、やはり質を考えていく。たくさんの学生を養成するそのお金をむしろ質の向上に、それでその使命感、倫理観をしっかりと持った人を育てていく、こういう方向に私は本当に真剣に取り組んでいただきたいと思います。それは、大学の中がもっと本当に使命感や倫理観を持つような雰囲気になっていけば、私は一つの明るい展望もまた開けていくのではないか、このまま推移すれば強制的に何かしなければいけないという気持ちを、こっちもいら立たしい中で持たざるを得ない。  今大臣が、考え方は全く同じだ、何とか検討してください、こう事務当局の方におっしゃっておるというので、私もそれを期待したいと思います。大臣はそう思っているからどうですかと、今大学局長に聞くわけにはいかないのですね、逆になるから。しかし、本当に真剣に検討さしてくださいよ。大臣、どうですか、検討してくださいと遠慮がちに言わぬと、宮地さんが隣にいらっしゃるが、もう命令形でおっしゃっていただいた方がいいんじゃないかと思いますが……。
  123. 宮地貫一

    宮地政府委員 医の倫理の問題と、かねてから先生に御指摘いただいている問題についてお尋ねがあったわけでございます。  倫理の問題、教育課程の中で医学概論——医学概論について私は、各大学それぞれ工夫をして実施しているというぐあいに承知をしておるわけでございます。  さらに入学者の選抜に当たりましても、やはり医師にふさわしい資質、適性を選抜するというような観点で、特に新設の医科大学等においては入学試験で面接なり小論文を課するというようなことをいたしまして、医師の適性をまず入学の段階からも考慮していくという方向は強く出されているわけでございます。教育課程の中身で特に医の倫理の問題を十分会得させるような方向は医学部教育の中においてお願いをしておりますし、そういう方向で指導しておるわけでございます。  それからもう一点、先ほどお話のございました、特に医学部教官の兼業問題を中心にいたします無許可アルバイトとか、あるいは患者等からの謝礼の収受、その他寄附金の不適正な経理というような三とについてかねて先生から御指摘もいただき、その点については私ども事態を深刻に受けとめまして、それ以来今日までいろいろな面で可能な限りのことは私どもとしては努力をしてまいったわけでございます。それらの点は従来、御質疑の際に御答弁もいたしておるわけでございますが、その後の経過で申し上げますと、国立大学関係者会議等において毎回その点については特に十分指導をしておるわけでございますし、さらに昨年も指摘をされたことを受けまして、昨年もさらに医学部長病院長会議あるいは附属病院長会議等の常任委員会においても、それを受けて具体的な申し合わせもいたしております。例えば、兼職兼業手続の厳正な履行の徹底でございますとか、関係業者からの資金受け入れ手続の厳正な履行の徹底、服務規律の保持というようなことで、それぞれ各病院長で申し合わせをいたしまして、その趣旨の徹底を図っておるわけでございますし、機会を見まして、特に医科歯科大学の問題が起こりましてから後もその点については再三徹底を図っているわけでございまして、私どもとしては、こういう努力を決して怠ることなくこれからも続けていくことが必要であるし、よく医学部の体質ではないかという点が言われるわけでございまして、私どももその点については基本的に問題があるのではないかというぐあいに認識をしております。したがって、これからもそれらの点の徹底については繰り返し注意を喚起していくという努力はさらに続けてまいりたい、かように考えているわけでございます。  それから御指摘の、大臣御答弁されました件につきまして、私どもとしてももちろん可能な限りの方策を、改善策をこれからも事務的に検討していかなければならぬと考えておりまして、それらの点については、この国会の論議等も踏まえまして今後とも十分対応してまいりたい、かように考えております。
  124. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 強力な指導をひとつぜひ考え、かつ実行に移していただきたいと思います。通達とか申し合わせではなかなかそれはできない。それはよほどの強力な改革の意欲がなければいけないし、具体的な現場における調査も当然必要であります。報告を聞いているだけでは、これはどうにもなりません。実態を本当に、公に何日に調査に行きますよと言っておいて行くような、そんな調査では絶対に本当のことはわかりません。私は強力な調査と、そして対策を講じていただきたい。そうしませんと、医の倫理を確立しようといったって、また高度な使命感に燃えた医者を育てようといったって、それは現状では無理です。大変失礼だけれども、そう断言せざるを得ません。私はそう申し上げざるを得ません。そしてまた、これからも折に触れてこれは粘り強く私も実態調査をしながら指摘をしていきます。どういう方途をとったか、どういう効果が上がったか、またこれからも折に触れてお聞きいたしますから、ひとつぜひともの御努力をお願い申し上げたいと思います。  そのほかに、実は大学の教養課程のことだとか国立大学の運営のあり方、共通一次試験のあり方、いろいろ質問したいことがございまして用意をいたしましたが、持ち時間はまだ少々ございますけれども、何か審議促進に協力をしてくれということでございますので、私ども考え方は同僚議員が参議院の段階で残余の質問を申し上げます。ということで、私のきょうの質問を終わらせていただきます。
  125. 愛野興一郎

    愛野委員長 池田克也君。
  126. 池田克也

    ○池田(克)委員 公明党の池田克也でございます。  国立学校設置法につきまして、幾つかの大学院の増設がこの法案の趣旨でございます。今後、国立ばかりではございませんが、大学院というものをどう位置づけていくのか、これだけぽっとお尋ねして質問の趣旨は御理解いただけるかと思いますが、大変大まかな質問でありますが、大学院の我が国の教育全体の中における位置づけというものについて御答弁いただきたいと思います。
  127. 宮地貫一

    宮地政府委員 大学院の位置づけについてどう考えていくのか、今後どう増設していくのかというお尋ねかと思うわけでございますが、御案内のとおり、大学院は、国公私立を通じまして学術研究の進歩発展を推進するという点で非常に重要な位置づけを持っております。また、高度の研究者や専門職業人の養成を図るという点でも中心的な役割を担っていくべきものだ、かように考えております。  その改善充実のあり方につきましては、昭和五十三年八月に大学院問題懇談会検討結果がまとめられたわけでございますけれども、かいつまんで申しますと、修士課程については教員組織等の諸条件などを考慮して、教員組織が充実しておりますものについては設置を積極的に認めていくという考え方をとっております。また、博士課程の設置につきましては、いわゆるオーバードクター等の問題もございますので、その点は慎重に扱うという考え方で基本的に臨んでおるわけでございます。  文部省といたしましても、その調査会での検討結果を受けまして、修士課程の新設拡充ということについては、ただいまも申しましたように、その教官組織の充実と相まちましてその修士課程修了者が社会のいろいろな分野で高度の専門性を備えた人材として進出することが期待されるというようなことなどから、社会的な要請なり教員組織その他を考えまして設置をしてきております。  また、博士課程の拡充については、我が国の学術研究水準の維持向上という観点や、あるいはまた修了者の進路等を勘案して、全体的には慎重な対応で臨んできておるわけでございます。  修士課程については、今後とも基本的にはそういう方向で対処することかと思うわけでございますが、博士課程については、最近の学術研究の動向なり、あるいは社会的な要請に対応いたしまして、例えば新しい構想の大学院などが調査検討を進められている点もございます。また、博士課程が地域の学術研究の中核としての役割を果たすというようなことなども含めまして、特に設置の必要性が十分認められるものについては対応していくことが必要ではないか、かように考えているわけでございます。
  128. 池田克也

    ○池田(克)委員 大学院ですけれども、これは教員の免許法の改正にも出てくるのですね。大学院を出た、特修というのですか。私は、大学院というものについてはもっと厳かなものじゃないか。これは大変表現が難しいので誤解のないように願いたいのですが、大学院の設置というものがこうやって次々と出てまいりますけれども、今答弁がございましたように、博士課程、修士課程、それは違うことはわかります。国民全体から見ますと、大学院というのは一体何なのだろうか、いわゆる大学というものと大学院というものの違い、父兄はどの程度わかっているのだろうか。これは文部大臣に率直な市民感情で私は訴えているのですけれども、ひょっとすると、大学というもののインフレ化というのですかね。昔は大学へ行かした。今、みんなそこらじゅう大学へ行っちゃった。この次は大学院だ。次第次第に修学年限というのは長くなる。私は、学問研究というものはやはり深ければ深いほどいいと思います。  前もたしか大臣は、予算委でしたか、答弁しておられましたが、私がもっともだなと思った面があるのです。あれは共通一次試験の科目を減らせという話を国大協の学長さん方に申し上げたときに、五教科七科目くらいをクリアする力がなければ本当はいかぬのだ、大学に入ってくる学生はそれくらいの力があって当然だし、学問はきわめなければならない。しかも大学というものは、我が国は資源のない国だし、学問というものは本当に大事にして深めていかなければならぬ、こういう面が片方にあると同時に、これだけ大衆化した教育というものにおいて、片方では広がりを持ち、混乱させないように門戸を開放していくという面があるのだ。この二面をどのようにさじをかげんしていくのかが難しいところだというような趣旨のお話をされておりまして、私は、今置かれている教育の問題を、これは大変いいポイントを指していらっしゃるなと思ったわけなのですが、この問題と大学院を次々につくっていくという問題とは相関関係があるのじゃないか。その深めるという面と、それから大衆化していく中でどうそれを位置づけていくかという面、これは一遍に一言で答えるというのは大変難しいと思うのですが、ここのところをどっちを先にするのか、やはり今これだけ教育が関心を集めている最中で、順序というものはあるのじゃなかろうか。  今大学局長からお話があったように、博士課程についてはオーバードクターの問題もある。私も承知しておりますが、大学院問題ももう一歩これは見直していく。そして教育改革全体の中で位置づけをして、その位置づけをした上で、ふやすも減らすも統合するも考えていくべきで、一遍ここで立ちどまって考える要素があるのじゃないかなという気がしているのですが、率直な御意見を伺いたいのです。
  129. 森喜朗

    森国務大臣 これは私の出た学校のことですから遠慮なく言っていいと思うのですが、我々の先輩や仲間で、卒業した、就職どうするんだという話をしたら、いや就職行くところないから大学院にでも残るよ、そういうふうに言った仲間がいました。すべての大学がそうだと思いませんけれども、就職が、まあ我々の時代、そんな恵まれたときじゃなかったものですから、また大きな家庭や田舎から出てきた人たちが——田舎という言葉はよくないのかもしれない、差別語かもしれませんが、地方から出てきた人たちにとっては、大きな期待を持たれて大学を出るのに、どうも一応世の中から見てなるほどという会社に入れないものだから、大学院へ行くと言った方が格好がいいというようなことで大学院へ行くような方も確かにあったし、若干今でも私はやっぱりそういう傾向はないとは言えないと思うのですね。  さはさりながら、今局長も答弁をいたしましたように、やはり大学院というのは、大学というのは、高等教育機関というのは、学問研究を行って、その学問研究を踏まえて、それをまた後輩たちに残していく、これが高等教育機関の一番大事な意義だ、こう私は思うのですね。だから、そういう意味からいえば、高度の研究者を養成していくというのは、これはもう絶対に欠くことのできない学問の大事なところだ、こう私は思います。あるいは専門職業人ということで、文部省の答弁を見ると専門職業人、私はどうも、もうちょっと権威ある言葉がないものかな、こう思っておりますが、まあそういうふうに、その道で一生懸命に仕事をしていかれる。そういう意味では大学院というのは、やはり学問というのは深めれば深めるほどこれは深いわけでありますから、一般の大学教育のところでそれを深めていくということは、全体的なバランスからいってもこれは必ずしも私はなじまないことだと思いますから、そういう意味大学院は充実させなければならぬ。まして二十一世紀日本の国はまさに人材しか資源がない国でありますから、学問はどんなに続けても、どんなに深みを持っていっても私はこれは正しい、こう思っておりますから、そういう意味大学院のあり方大学院の充実は、これからも文部省としては必要欠くべからざる大事な方向だろう、こう私は思っておりますが、さっきちょっとたまたま私の例で申し上げたわけでありますけれども、そういう面で使われていないとは言い切れないという面もございますので、大学院のあり方や諸問題につきましては改めて検討してみる必要がある、私はそのように考えております。  したがって、文部省の中にもそういう学識経験者で調査会もできておるよう、でございますから、大学院の今後のあり方について十分議論を踏まえて意見考え方を述べてくれると私は思っておりますが、同時に、高等教育機関全体、多様化だとかあるいは自由化だとかいろいろなことを言われておりますけれども、その学問の、例えば四年制がいいのか三年制がいいのか、あるいは教養部のあり方はどうあるべきなのか、大学院はどういうような立場にあるべきなのか、こういうような問題もやはり日本教育の中で最も大事な、私はここは教育の、いわゆる生涯教育といえば一番ピークのところなのかもしれませんが、一般に言われる教育の面からいえばちょうど社会へ出る出口のところでありますから、到達するところでありますから、ここのところが一番大事でございますので、常々予算委員会等で申し上げてまいりましたが、新しい教育に関する機関でこうした問題も、少し深まった議論を専門的な立場の皆さんでやっていただくことが適当ではないかな。これはそういうテーマでございますから新機関が考えることでありますけれども、私としてはそういう問題も御議論いただきたいという期待をいたしておるところでございます。
  130. 池田克也

    ○池田(克)委員 大学院のあり方も広く考え直そうという御答弁なんですが、要するに学校の先生の資格を決めるときに、大学院を出た人がどうで大学がどうで短大がどうでと言って、私はそれはこれからまた免許法の問題で出てくると思うのですけれども、たまたまこの国立学校設置法の中で確認をしておきたいんですが、やっぱり資格というものと——これは学問内容にもよると思うのです。どうしても大学院でないときわめていけないものもあると思うのですね。とにかく押しなべて大学院卒がこうでというこの議論はちょっと乱暴だし、国民全般から見て、大学院というものの位置づけがまだまだきちっと定着してコンセンサスを得てないんじゃないか。大学ということについては、いろいろ父兄なんかも理解している。大学院まだあるのかということになってくると思うのですね。きょうは時間がございませんので、問題点の指摘だけをさせていただきたいと思いますが、ぜひ御検討願いたいと思うのです。  先に問題を移しますが、専修学校と短大、この問題も、若干今度の設置法の改正には触れております。これは一般論で結構ですが、国立ての専修学校、国立ての短大、これは数は余りないと思いますけれども、今後どういう方向になっていくのでしょうか。大変不勉強なんですが、私が感じているところを申し上げますと、専修学校はだんだん短大化するような方向で、短大は国立て位置づけられていくようですが、専修学校は少し減っていくように私は受けとめているのですけれども、専修学校というものは、最近国民の中にはかなり人気と言ってはなんですが、評価され直してきているように思います。そんな状況から見て、専修学校というものを国立て理想的なものをつくっていっていいんじゃないか、こうも思いますが、専修学校の今後について御所見を承りたいと思います。
  131. 宮地貫一

    宮地政府委員 専修学校一般について申しますと、先生十分御存じのとおり、専修学校制度が発足しましてから大変な伸び方といいますか、学校制度としても非常に大きくなってきておりまして、全体の数で申しますと、今日では、専修学校のシェアといいますか比率は、全体の短期大学の学生数と横並びなり、あるいはそれを上回るぐらいのところまで伸びてきているわけでございます。それは専修学校制度そのものが、非常に多様なニーズに対応し得る仕組みということで受け入れられてきているものだというぐあいに私どもも理解をしているわけでございます。  御指摘の、国立の専修学校についてのお尋ねでございまして、国立の専修学校では、これは今回も御提案申し上げている点と関連をいたすわけでございますが、看護学校が専修学校で現在置かれております。それで、今回も御提案申し上げているわけでございますが、医療技術短期大学整備ということで整備を進めてきております。これは、医学なり医療の高度化、複雑化あるいは人口の高齢化というようないろいろな社会情勢の変化に対応いたしまして、医療技術者の資質の向上を図るというような観点で大学または短期大学で養成することが望ましいという関係者の要望を受けまして、私ども、その対応をしておるわけでございます。  御指摘の点は、専修学校でも十分その点は対応できるのではないか、それをなぜ短期大学として切りかえるのかというお尋ねかと思うのでございますが、大変端的に申しまして、看護学校として置かれております場合の教官の定員で申しますと、教官組織の点が大変薄いと申しますか、これは専修学校の基準と短期大学の基準が当然異なるわけでございますので、看護学校として置かれております専修学校の場合の教官の数が非常に薄い。それが、医療技術短期大学部ということで切りかえることによりまして、短期大学設置基準の適用があり、したがって教官組織の点で大変そこの層が厚くなる。端的に申しまして、医療技術短期大学に切りかえれば教官組織が厚くなって、その点で厚みがつくという点が申せるかと思うのでございます。そういう点から、従来とも、各大学に置かれております医学部附属の看護学校を順次医療技術短期大学部に切りかえるということで、質の充実を図っているということでございます。
  132. 池田克也

    ○池田(克)委員 その点はわかりました。しかし、これも、質問というより私の意見ですが、専修学校を充実していく方向は国民のこれからのニーズの上で大事だと思います。特に専修学校は、国立ての専修学校もどんどんふやして、私は、専修学校からいわゆる一般大学への単位の互換、入学の資格の認定、こうしたものも次第に認めていく方向が望ましいのではないか、このようにも思っておりますので、ぜひこれも御検討をいただきたいと思っております。  時間がございませんので先に問題を移しますが、上越、兵庫等に開設された教員養成大学の運営でございます。  私、以前にもこの法案がかかっている当時審議に参加した者として、その成り行きに関心を持っておりましたが、手元にある資料によりましてもどうも学生の集まり方が余り芳しくない、このように受け取っておりまして、最近少しよくなってきたように受けとめておりますが、それでもなおかつ問題が若干あるように聞いております。特に現職の先生が二年間現場を離れて再教育をされる、この部分について法律をつくって大学をつくってきたわけですが、順調であるかどうか、今後どの点に着目して是正しなければならないのか、御承知になっておる点を御答弁いただきたいと思います。
  133. 宮地貫一

    宮地政府委員 新教育大学について、特にその大学院においで入学定員を満たしていない点があるのじゃないかという御指摘であろうかと思います。  五十九年度の新教育大学大学院の入学者選抜は、兵庫、上越、鳴門、三大学で行われたわけでございます。昨年の八月でございますけれども、兵庫教育大学は募集人員三百人に対して応募者三百十八人、合格者二百八十四人ということでございます。上越教育大学の場合には、募集人員三百人に対して二百二十五人の応募、合格者二百七人という状況でございます。鳴門教育大学は、百五十人に対して百三十八人の応募、合格者が百二十二人ということでございまして、満たない点が上越と鳴門の場合にあるわけでございますが、私どもとしては、その主な理由としては、初めての募集なりあるいは年次計画的な募集中であるということから、その内容が十分周知徹底できていない点もあったのではないか。それからまた、兵庫教育大学は既に修了者が出ているわけでございますけれども、両大学ともいずれも新しく募集を始めたところでございまして、もちろんいまだ修了者が出ていないというような点での社会的評価が必ずしもまだ固まっていないというようなこと。また、みずからの学部卒業生を持っていないということもあるわけでございまして、原因はいろいろ考えられるわけでございます。  しかしながら、いずれにしましてもこれは教員の資質向上という観点から、特に現職教員の再教育の機関として積極的に設置をしたものでございますし、今後年次計画が進行するにつれましてこれらの点も順次解消されていくということになろうかと思いますが、今後とも内容の充実を図りまして、それらの点の当初の期待どおりの運営ができるように私どもとしても充実を図ってまいりたい、かように考えております。
  134. 池田克也

    ○池田(克)委員 せっかくつくった大学ですし、教育の一番根幹をなす教員の方々の資質の向上という非常に期待の寄せられた大学でございます。したがって、このせっかくつくった大学が、いろいろな事情はあるにせよ、定員に満たないという状態はまずいんじゃないか。これは新聞などで余り大々的に報道された内容ではございませんけれども、深く静かに進めなければならない、そして大勢の先生方が喜んでここに集まって、情熱をぶつけ合って、改めてまた教育現場へ帰っていくというようなものであるべきだと私は思います。確かに家庭を離れてここに集まるということは、設置されている都道府県も、あるいは御当人も大変なことだろうと思いますし、そういう負担もあると思うのです。けれども、そんなことは初めから承知の上で、重要な国家的要請でこの大学はできたわけでございまして、これが今日定員に満たないでいるということは弁明の余地がない。文部大臣は速やかにこの現状を回復するような措置を講ぜられるべきではないか、私はこのように思っておりますが、文部大臣にもう一言、この問題についてお答えを賜りたいのであります。
  135. 森喜朗

    森国務大臣 いろいろと経緯等につきましては局長からお話がございました。なお一層叱咤激励をいただいた、こういうふうに受けとめさせていただきまして、所期の目的を達するようになお一層努力をいたします。
  136. 池田克也

    ○池田(克)委員 図書館情報大学大学院化の問題が提案されております。若干その問題とつながりがあるかと思ってお伺いをするのでありますが、青少年の有害図書の規制です。  文部大臣も、この問題については深い御関心を持っていらっしゃると思います。学校教育を預かる責任者として、また著作権は文化庁所管でありますけれども、関連するお立場として、出版物を法律で規制するということは非常に望ましくないと私は思っております。しかしながら、現場ではかなり犯罪につながっている事例も挙げられております。これは、いわゆる今問題になっている少女向け雑誌だけではございません。自動販売機から売られている有害図書等でも犯罪と非常につながっている例が報告されているわけでございまして、ちょっとここではもう読み上げるのははばかられるような、そうした事例が報告をされております。  時間もございませんが、この問題について教育の現場においてできるだけの手を打つということは必要だろうと思います。片方で出版物を規制することもいろいろ検討されておりますし、私はそうしない方が望ましいと思いますが、いよいよの場合には何らかの時限的な関係でも処置をしなければならないかなと、この問題の処置は大変頭の痛い問題だと思います。  私は、そういう意味では読書指導ということで、子供たちは知的欲求を持っておりますので、こういうものに関心を持つと同時に、もっと別のものに関心を向けることも可能だと思うのです。私はそういう意味で、子供たちが読んでいると思われる有害図書の規制、これを今法律にするかどうかと言っている時期にかんがみて、改めて学校図書館の実情、子供たちの読書の傾向、内容、そうした問題を学校現場に呼びかけて、あるいはこうすべきだというふうな方向、一遍には出てこないかもしれませんが、この問題にかんがみて文部大臣の所見をお伺いしたいと思っております。
  137. 森喜朗

    森国務大臣 文部大臣といたしましては、子供たちの健全な育成を図る、そういう大事な仕事でございますので、こうした行き過ぎた性描写あるいは残虐な描写、そうしたことから子供たちを守ることが我々大人の務めであるし、また文部省としてもこのことに一番重きを置かなければならぬと考えております。  最近のこうした出版物というのは、教育上、先生から御指摘のとおり、私は極めて憂慮すべき事態だ、こう考えております。もちろん予算委員会総理の発言からこの問題が大変大きな関心を持たれてきたわけでありますが、従来もこういう不良雑誌等については、総理中心文部省もいろいろと協議をし、処置もしてきたようでありますが、どうもなかなかうまく進まないのですね。そういう雑誌が出る、出てから話題になる、その話題になったことが新聞に出ると、逆にその本が売れるという悪循環になるのです。そうして関係者を呼ぶ。総理府としても、あるいは警察が入るべきかどうかというのは、私もそこは定かではありませんが、指導をする。まことに申しわけなかった、気をつけますと言って、その翌週や翌月号から健全になる。しばらく間を置くとまた出てくる。こういうイタチごっこをずっと繰り返してきた。むしろ何年も繰り返してきたこの積み重ねがここに来ておると私は思うのでありまして、そういう意味では、出版会社の皆さんの自粛が何よりも一番待たれるところでございますが、出版業界の皆さんの意見を聞いてみましても、業界の枠の中とアウトサイダーというものもあるのです。このあたりのところがなかなかまた難しいのです。とはいいますものの、現実に日本を代表するような出版会社が全く恥ずかしいような雑誌をつくっておられる。もっとひどいのは、教育関係の機器や教育出版物をつくっている会社からそうした本が出ておることを経営者自身が知らなかった。恐らく自分の会社に何百冊、何百種類という雑誌があるわけですから全部目を通せないとしても、弁解にならぬと思うようなことが結構現実の問題としてあるということで、総理大臣の答弁を受けて有害図書規制の法案を今与野党間で協議をしておられるということでございますので、文部省としては十分関心を持って見ておるところでございます。  池田さんからも御指摘のとおり、表現の自由という極めて難しい問題はございますけれども、与野党間の合意の中で、表現の自由を侵さない範囲で適切な法律案が取り決められるということを——今日まで積み重ねていろいろなことをやってきておりますだけに、ある意味では限界が来ておるのじゃないだろうか。そういうような考え方からすれば、子供たちを守るという教育の任にある私の立場からいえば、表現の自由を侵さず適切にこの案ができ得るならば、むしろこの法案ができることを私は期待をいたしたい、こう思っております。
  138. 池田克也

    ○池田(克)委員 この問題は、また具体的にもっと時間をかけて議論をしていかなければならないと思いますが、私が指摘したいのは、いろいろと議論されている中で学校現場における読書指導。今のところ当分の間ということで、学校図書館には司書を置いてないのが現状でございます。司書を置けばいいというものではございませんけれども、もっともっと情操のある、しかも子供たちが関心を持つ本というのはあると思うのですね。そういうものに目を向けさしていくということも重要な問題だと思って、今問題提起をしたわけでございます。  きょうは審議促進ということで、それぞれ大変時間が短い中で質問をさしていただきましたけれども、また機会を改めて、この問題について私の考えもお聞き取りいただきたいと思いますし、大臣の御意見も伺って、これは何とか法規制をしないでいい方向にならないかと念願しておるわけでございます。これは答弁は結構でございます。  ありがとうございました。
  139. 愛野興一郎

  140. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょうど、ただいま池田さんの方から有害図書の問題が出ましたので、一言大臣にもお聞きし、また委員長にもお願いしたいんですが、確かに法規制の問題が今出されようとしておるのではないかと思われます。  しかし、法規制の問題は別にしまして、この問題については、例えばこの委員会で集中して論議をするとか、あるいはこれに関係しております出版社その他の自粛を促す意味におきましても、参考人としておいでいただきまして論議をするとか、私も池田さんのおっしゃったように、やはり問題は国民の運動あるいは出版社の自粛によって解決をするというのが一番よい方向だと思っておりますが、法の問題とは別にして、この問題についてはかなり時間を割いた論議が必要だと思います。この点についての大臣の見解を伺いたいと思います。  また、委員長におきましても、理事会の方には一度提出したことはありますが、そういう参考人を呼ぶ等の御意思があるかどうか、伺っておきたいのであります。
  141. 森喜朗

    森国務大臣 委員会で御議論をいただいたり参考人をお呼びするということは、私から意見を申し上げることはいかがかと思いますが、こうした問題は、今山原さん御指摘のように、国民の大変大きな関心を持つ問題でございますので、関係者ができるだけフリーなお気持ちで御議論いただくということは私はとても適切なことだろう、こう思っております。  先ほども池田さんの御質問の中で申し上げましたように、出版をしておられる、その経営をしておる社長は、本が出ておることは知っておりますが、どういう中身が出ておるかということを意外に御存じないという面があるということも私は知りました。かつて私が初めて当選しましたときに、テレビのときもやはりそういう話が出まして、テレビの番組が夜遅くそういうものをやっているということを経営者が知らない、よく見てない、そういう意見委員会の答弁の中であったようなことも記憶いたしております。法規制の問題とは別といたしましても、国会はやはり神聖な国民の代弁者が集まっておるところでございますから、そうした議論が展開されるということは、そういう意味からいっても非常にいいことではないか。大臣という立場で申し上げるのはいかがかと思いますが、同じ衆議院に籍を置く一人として、そんな感じを私は持っております。
  142. 愛野興一郎

    愛野委員長 ただいまの山原委員の御意見は、先般も理事会で御発言があっておりますので、後刻理事会で協議をいたします。
  143. 山原健二郎

    ○山原委員 国立学校設置法につきまして質問をいたします。  この国立学校設置法の法案審議に当たりまして、毎年のように悩みが出てくるわけですね。日切れ法案だともおっしゃるし、さればといって国会の運営自体から見ると、三月三十一日までに法案が成立するという条件は今までほとんどないというような状態でございますから、我々にとっては非常にやりにくい審議になっております。しかし、きょうは各党一致して採決までいくということで、しかも途中で大臣が参議院の方へ呼ばれておるということで、私ども質問も二回に分かれるわけでございますけれども、この法案については私どもも基本的に賛成です。若干の学校大学におきまして教職員定数の減が出ておりますが、これについては批判を持っておりますけれども、しかし法案全体に対しては賛成の態度をとりたいと思っておりますが、幾つかの点で質問をいたしたいと思います。  一つは、今後の高等教育計画についてですが、先ほどから質問もありましたように、ちょうど十八歳人口昭和六十七年をピークにして増大をしていくわけでございまして、昭和五十八年の百七十二万三千人が昭和六十七年には二百四万八千人と、三十二万五千人の増となるわけでございます。これに対して文部省としては大学進学率を大体何%に踏んで、そして何名の定員増をしようとしておるか。これは先ほども数字が出ましたけれども、確認をしておきたいのですが、いかがですか。
  144. 宮地貫一

    宮地政府委員 先ほども御議論が出ていたわけでございますが、御案内のとおり、十八歳人口昭和六十七年度で二百五万のピークを迎えるわけでございますが、その前後で大きく増減をするというようなことになるわけでございます。こういう十八歳人口の推移なりあるいは高等教育の質的充実の必要性というようなことの対応を踏まえまして、今後の高等教育計画的整備あり方については、現在、大学設置審議会において御検討いただいているというのが現状でございます。昨年十月の中間報告では、十八歳人口ピーク時である昭和六十七年度においても現在程度進学率、つまり大学、短期大学で三五・一%ということでございますが、その進学率は維持できるような入学定員の増を図るということが必要であろうということで考えているわけでございます。  しかしながら、六十七年度以降十八歳人口がさらに急減をするということも踏まえまして、入学定員増のすべてをいわゆる恒常的な定員増で行うということは問題があるということで、六十七年度までに必要とする入学定員増のうち約半数程度については期間を限ったものとし、期間を限った定員は六十七年度以降漸次廃止をしていくというような考え方で対応をしているわけでございます。
  145. 山原健二郎

    ○山原委員 いわゆる恒常的定員、それから臨時定員増ということで先ほど数字が出ておりましたが、全体として八万六千人の増、三五・一%の進学率で、そして恒常的な定員が四万四千人、それから臨時定員増が四万二千人というふうに出ているわけでございますが、この恒常的定員増については、私は当然国立大学をふやして対処することと思うのでございます。  その点について伺いたいのですが、今後国立大学学部学科等の設置計画はあるのかどうかということですが、いかがですか。
  146. 宮地貫一

    宮地政府委員 恒常的な定員増についての対応をどうするのかというお尋ねでございますが、昨年十月の中間報告ではその点は具体的には触れられておりませんけれども、その後の関係団体のヒアリングその他を通じて議論が出ております点は、今後の恒常的定員増について国立と私立のシェアをどう考えるのかというような議論がございまして、専門委員会で議論をされている点を御紹介いたしますと、その点は、おおむね現在の国立と私立とのシェア程度で対応するのが妥当ではなかろうか、つまり二対八程度で対応するのではいかがかというのが専門委員会で議論をされておりますおおよその一致を見ている点でございます。  それからお尋ねは、今後国立の学部学科等でどういう増を考えているのかというお尋ねかと思いますけれども、それらの点について申し上げますと、五十九年度予算では具体的には入学定員増は極めて絞られた形でございますけれども学部増設は行わない、学科については極めて絞った形で対応しております。  現在まで予算措置と申しますか、具体的な措置をされた点で申し上げますと、例えば九州工業大学の情報系の学部の創設については従来創設準備に取りかかっておりまして、これらについては今後その準備の進行を見た上で具体的に今後の対応をする必要はあろうか、かように考えております。そのほか、例えば農水産系の連合大学院の問題でございますとか、あるいは人文社会系の学部について個々の大学から従来から対応をしてきております、つまり改革調査等について調査費を計上している大学等もあるわけでございますが、それらの全体の整備をどう進めていくかということはもちろん今後の財政状況等を見ながら、かつ、臨調答申でも指摘されておりますように、新しい学部なり学科をつくる場合には、片ややはり国立大学の組織全体の中で改組、転換を図るというようなことなども指摘をされておるわけでございまして、大変厳しい対応を必要とするかと思いますけれども、真に必要なものについては、私ども、今後十分国立大学全体の整備ということはやはり図っていかなければならない、かように考えております。
  147. 山原健二郎

    ○山原委員 いろいろおっしゃったのですが、特殊な学部設置ですね、それからまた今までの各大学における計画、構想というものに対する改組というようなものがお話に出たわけですけれども、今日の十八歳人口の増大に対する対応としての学部設置計画というのはまず考えられないというふうに受け取らざるを得ないと思うのですね。そうしますと、恒常定員の増大は大学をふやすのではなくて、私学の水増しという言葉は適当な言葉ではないけれども、しかし、結局私学の水増しを認知することによって解決をするという方向に向かうのではないでしょうか。
  148. 宮地貫一

    宮地政府委員 あるいは私、お尋ねの点を多少取り違えている点があるかと思いますけれども先ほど恒常的定員増について、国公私の別については中間報告では触れていないけれども、おおよそ国立、私立のシェアに応じたというぐあいに申し上げたわけでございます。設置者別の整備の近年の動向なり、あるいは現在の設置者別の入学定員の割合なりが一つの目安ということは言えるかと思いますが、臨時的な定員増その他全体、今後勘案しなければならぬ課題はいろいろございます。  御指摘の点で、この計画が何か全体的にはあるいは私学の水増しで対応するのではないかというような御質問のようにお伺いしたわけでございますけれども、私ども私学の入学定員の維持ということについては、教育の質的な向上という観点から大事な一つの観点かと思っておりますので、現在程度の水増しということは、これは今後十八歳人口がふえていく場合に、現状の改善をさらにその時期においてもやっていくというのはなかなか困難かというような議論もございまして、現状程度を維持する。少なくともそれよりも水増しをふやして対応していくということは毛頭考えていないわけでございまして、最終的な目標年次の七十五年度では入学定員に対して一・一程度にまで質的な向上を図るという観点から、入学定員の是正を図っていくという目標も持っているわけでございます。したがって、少なくとも、現状程度よりもさらに水増しをして十八歳人口の増加の対応をこなしていくという考え方は私ども、とっておりません。
  149. 山原健二郎

    ○山原委員 考え方はとっていないと言っても、今まで水増しについては文部省は批判をしてきたわけです。  そういう点から考えますと、私はもっと具体的に聞いていきますが、それじゃ私学助成の問題ですね。ことしは一二%減でございますけれども、結局この私学の水増しをなくするために、水増し分についての助成の減額を今まで文部省は措置してきたわけでしょう。そうじゃありませんか。
  150. 宮地貫一

    宮地政府委員 私学振興財団の助成措置に当たりまして、質的な向上を図るという観点からそういう要素を考慮して補助金の配分に当たっているということは、御指摘のとおりでございます。
  151. 山原健二郎

    ○山原委員 私学助成につきまして、文部大臣はこの間、私の党の藤木議員に対して、私学助成については財政好転までは減額せざるを得ないと思います、こういうふうに答えておられますが、これは間違いないですか。
  152. 森喜朗

    森国務大臣 当面、財政状況あるいはまた臨調答申等もございますので、その方向に従っていかざるを得ないと思いますが、先ほどのどなたかの御質問にもございましたけれども、実質的には私学助成が生かされるような私学助成のおり方、配分の仕方等についていろいろ工夫をして、そして適切に、できるだけ国公私立間の格差がないように、そういう方向で指導していきたい、こういうふうに私は申し上げております。
  153. 山原健二郎

    ○山原委員 結局、私学助成について、財政好転まで削減せざるを得ないというふうに私は聞いたわけですけれども、今度の臨時増募は六十年から一部実施し、それから六十一年から本格実施し、六十七年までやる、これは間違いありませんか。
  154. 宮地貫一

    宮地政府委員 先ほども御答弁したわけでございますが、昨年十月に中間報告がまとめられまして、その後各方面意見を伺って、遅くても六月じゅうには取りまとめをいたしたいということで、大学設置審議会計画分科会専門委員会で作業を進めているわけでございます。したがって、最終的にはまだその点、ちょっと確定的に申し上げがたいのでございますけれども考え方の大筋としては、ただいま先生御指摘になりましたような方向で対応することになろうかと思います。
  155. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、私は予算委員会でも質問をしたのですが、六十五年まで財政状況は好転しないというのが政府の今回出しております計画、しかもそれも、今度の予算委員会におきまして、そのめども困難である。要するに、六十五年になりましてもまだ財政好転は怪しいという大蔵大臣の発言になっております。結局、財政状態が好転するまで私学助成は削減ということになりますと、私学助成を減額しながら私学に対して水増し定員を強要していくということになるのじゃないかと思いますが、そうじゃないですか。
  156. 宮地貫一

    宮地政府委員 先ほどもちょっとお答えをしたわけでございますが、現状程度の水増し入学と申しますか、私学が現状程度以上に水増しをして十八歳人口の増加に対応するというようなことは考えていないというぐあいに御答弁申し上げたわけでございます。私学助成の金額が今後財政再建期間中ふえないというようなことを前提にすれば、あるいは御指摘の点を私が取り違えているのかもしれませんが、逆算をして、私学の学生一人当たりで割り戻せばその点が薄くなるのではないかというような御指摘なのかな、こう想像いたしたりもしておるわけでございますが、その点は、今後私学振興財団で、私学の質的な向上というような観点から補助金の配分等についてもいろいろと工夫をしていく点もあろうかと思います。つまり、特色のある点を積極的に生かしていくというような観点で対応していくような課題もあろうかと思うわけでございます。また、私が理解しておりますところでは、私立大学学部等をふやしました際は、一般的には大体学年進行が完成してから補助金が出されるというような事柄もあるわけでございます。したがいまして、先生の御指摘の水増しになるのではないかという点は、私はちょっと理解いたしがたいのでございますけれども先ほども御答弁申し上げましたような対応で今後も臨んでいくわけでございまして、全体的に十八歳人口がふえていくときの私学の水増し入学を、今よりもその弁を緩めることによって対応するというようなことを考えているわけではございません。
  157. 山原健二郎

    ○山原委員 この臨時増の定員四万四千、その内訳は、今まで文部省の出しております、各大学に対して三月十七日までに報告書を求めているものでは国立が大体八千百名ですね。そうしますと、私学で三万五千九百人、こういう格好になるのじゃないですか。これまでの水増しを認めた上にさらに三万五千九百人ということになりますと、結局七万八千人私学でいわば面倒を見るという格好になるのじゃないですか。
  158. 宮地貫一

    宮地政府委員 お話しのように、期間を限った定員増が四万四千人でございますが、おおむね国立、私立の現在のシェアで見ますと、国立てほぼ八千人程度を見るということになりますると、残りが私学で対応をお願いすることになるわけでございますが、その点はそれぞれの個別の私学の方で入学定員の増を行うということを申請をしていただくことになるわけでございます。その際の大学設置基準についてどのような弾力的な扱い方をするかという問題については、設置審議会の基準分科会でただいま御議論をいただいている点でございます。  かいつまんで御紹介をいたしますと、具体的に例えば校地については、そのための増ということは実際問題なかなか難しいこともあろうかと思います。実際問題としては、多くの私立大学の場合におきましても、例えば校舎の基準にいたしましても、大体基準よりも上回って保有している私学が多いわけでございます。また、教官組織にいたしましても基準を上回って置いている私学が多いわけてございます、したがって、そういうところでございますれば、特段の措置を要せずして入学定員増が基準上は可能であろうかと思っております。  現実問題としては、一番大きい点は、教室の確保その他はできてはおりましても教官組織をどのように確保するか、それを現行の基準どおりで適用していくのか、あるいは期間を限った定員増の場合で申しますと、将来定員を減らしていく時期が出てくるわけでございますので、あるいは非常勤の教員で対応するということをどの程度見ればよろしいか。その点は、先ほども申しましたように、基準分科会でただいま御議論をいただいている点でございまして、その点もいずれ結論を得て、期間を限った定員増の場合の基準の弾力的な取り扱いというものは結論をいただきましたらそれをお示しをいたしまして、個々の私学はその基準で対応をするということになるわけでございます。  したがって、その期間を限った定員増私学が引き受ける分について何も措置をしないということではないわけでございまして、ただいま申しましたような措置を検討していただきまして、実際にそれは学部学科増設なりあるいは既設の学部の入学定員増なりの申請をいただいて、それを設置審議会で審査をして対応していくということになるわけでございますので、何らの措置を要せずしてそれだけの入学定員の増を認めて水増しをしていくというような考え方をとっているものではございません。
  159. 山原健二郎

    ○山原委員 そこのところ、いろいろ上手におっしゃるから私は大分ごまかされているのですけれども、数の上からいったら、これは一方では私学助成はことしも削減しているわけでしょう、一二%の削減ですからね。しかも財政事情の好転までは削減はやむを得ないということで、しかも入学者の数はやはり解消しなければこれは大変な、それこそ入試地獄は一層激化するわけですからね。そうしますと、結局あなた方文部省が一番今まで、水増しだ、あるいは私学の条件の劣悪化につながるんだと言って批判をしてきたそのことを、今度文部省自身が私学に対してやってくださいというふうになっているんじゃないですか。そういうことに対しては、私学から定員を申請をしてくれば、それに対して、例えば教室を含めてその条件を整備するための予算は出るとおっしゃるのですか。私学助成はふやしていくというのですか。それならそれでまた話はわかりますよ。
  160. 宮地貫一

    宮地政府委員 期間を限った定員増私学側の対応でございますけれども、これももちろん、それぞれ個々の私学側で内部で御検討いただきまして文部省に申請を出していただくわけでございます。したがって、それぞれ個別の私学で、今後期間を限った定員増がどれだけ対応できるかということは、個々の私学がこの十八歳人口の全体の増にどこまで対応していただけるかということにかかわっているわけでございまして、これはその数字がそのまますぐ現実の数字になるかどうかということは今後の申請を待ってみなければ、ただいまのところでどうということは議論はできないことではないか、かように考えております。  そして、それをやるために特別の補助を考えているのかというお尋ねでございますれば、その点は私学助成そのものについては、現在の補助金の交付の仕方、それぞれ今後なお工夫、改善を要する点はあろうかと思いますけれども、期間を限った定員増をやるからそのために直ちに補助金とリンクさせるというような考え方はとっていないわけでございます。
  161. 山原健二郎

    ○山原委員 いろいろおっしゃるのでこっちはごまかされそうなので、ここで一服したいと思います。時間も参りましたし、ちょっと腑に落ちないところは後でやります。一応終わります。
  162. 愛野興一郎

    愛野委員長 江田五月君。
  163. 江田五月

    ○江田委員 大学設置法改正案に関連して質問しますが、大臣がいらっしゃらない、しかし大臣がいなくても質問してくれということで、どうぞ皆さん、大臣によく質問の中身を後でお伝えを願いたい。政務次官、ひとつよろしくお願いいたします。  さて、私は、大学の門戸開放ということについてきょうはお伺いをしてみたいと思いますが、昭和五十六年の六月に中央教育審議会が「生涯教育について」ということで答申をお出しになって、文部省はそれをお受けになって、どういう考え方でこの答申に臨んでいらっしゃるのか。とりわけ、きょうのテーマに関係して言えば、この答申の中で第二章二の「今後の課題」の(一)というところに「教育機能の領域別の課題」、その中のイの「学校教育の弾力化と成人に対する開放」で「学校教育、特に大学教育をはじめとする高等教育の制度や運用方法の一層の弾力化、柔軟化を図る必要がある。」というわけですが、さらに「第四章 成人期の教育」、その二の「成人への学校教育の開放」というところで大学教育の開放をいろいろと、諮問に対して答申があるわけですが、これはどういう基本的なお考え方でいらっしゃるのか、伺いたいと思います。
  164. 宮地貫一

    宮地政府委員 大学の生涯教育への対応といいますか、社会への開放でございますが、これはその中央教育審議会の答申にも指摘をされているとおりでございまして、従来は日本学校制度はいわば非常に直線的にと申しますか、小学校、中学校高等学校大学ということで非常に直線的に学校教育を済ましまして、それから社会に出るというケースが非常に多かったわけでございますけれども、やはり社会全体が非常に構造的に変化をしてきたと申しますか、高齢化社会にもなってきておるし、また非常に多様化してきておる。一たん学校を出まして社会人となった後もう一度、再度教育機会を得たいというような希望をする者もふえてきておるわけでございます。そういういわば生涯にわたる教育、学習の必要性ということが認識をされるようになりまして、大学もそういう要請に対応して積極的に社会に対して開放することが必要になってきておるわけでございます。  文部省といたしましては、そういう高等教育を受ける機会拡充するという観点で、具体的な点で申しますと、例えば国立大学でも昼夜開校制というようなことで、社会人が大学教育を受ける機会を得やすくいたしますとか、あるいはまた、昭和六十年四月から学生受け入れを実施するわけでございますが、生涯教育の中核的な高等教育機関として放送大学設置され、ただいま準備を五十九年度予算でもいたしておるわけでございます。六十年四月から学生受け入れをするわけでございますが、放送大学ども大学教育社会人に開放する非常に端的な具体的なケースではないか、かように考えております。
  165. 江田五月

    ○江田委員 昼夜開校制、放送大学、こう言われたのですが、もう一つかなり注目をされているものとして社会人入学ですね、これがあると思うのですが……。
  166. 宮地貫一

    宮地政府委員 社会人の大学入学の点ももちろん確かにあるわけでございまして、大学の入学者選抜という点では、大学の入試そのものがいろいろ議論もあるわけでございますが、特に社会人の受け入れという点は生涯教育の推進という点からぜひとも必要なわけでございます。そういう実践的な経験を経まして、問題意識を持ってさらに勉学を続けたいという人たち大学が積極的に受け入れるということは、大変大事なことであろうかと思います。  五十八年度の社会人の大学入学者は、全体で四千人余りということになっております。そしてまた受け入れに当たりましても、いわゆる通常の入試とは違った入試制度、社会人のための特別の入学者選抜も積極的に考慮されているところでございます。
  167. 江田五月

    ○江田委員 たしか四、五年前でしたか、立教大学でこれが最初に試みられた。その後次第にふえていく趨勢にあるというふうに見てよろしいかどうか。それから、国立大学では今具体的にどの程度社会人入学というのが実際に行われているか、これからどういう方向に向かおうとされているのか、この点をお答えください。
  168. 宮地貫一

    宮地政府委員 社会人のための特別の入学者選抜でございますが、年度的に申し上げますと、五十六年で十七大学二十三学部、志願者が千二十六人で入学者六百四十七人という状況でございますが、五十七年が十九大学二十五学部、入学志願者千五人に対して入学者六百八十人、五十八年度が二十八大学四十一学部、入学志願者千六百六十七人、入学者九百八十一人というようなことで、年度を追ってその点は拡大をされてきているわけでございます。  国立大学では、例えば名古屋大学、一蚕大学社会人のための特別入試を行っております。ほかに、五十九年度で申し上げますと、国立大学では山形大学学部、名古屋大学学部、三重大学人文学部、大阪外国大学外国学部、広島大学学部、これは二部でございます。それから長崎大学教育学部というようなものがございます。  これらの点は、大学社会人開放のためには望ましいことでございますし、私どもとしても、今後ともその方策を積極的に推進してまいりたい、かように考えております。
  169. 江田五月

    ○江田委員 選抜方法で、通常の選抜方法と異なる特別な配慮を行っている、国立大学の場合には端的に言ってどの点が一番通常の選抜の方法と違うのですか。
  170. 宮地貫一

    宮地政府委員 具体的な例で申し上げますと、名古屋大学学部社会人の選抜のやり方でございますけれども、第一次選抜は出願と筆記でございますが、筆記が外国語と小論文、外国語については辞書の持ち込み、使用を許しております。それから、一次合格者に対して面接の選抜試験をするというような形で実施をいたしております。
  171. 江田五月

    ○江田委員 端的に言いまして、社会人に大学の門戸を開放しようと思うと、受験勉強をずっと続けている受験生と比べるとどうしても受験という点に関してはハンディキャップがある。そこで、なるべく受験のために特別の教育をしているということが必要ないようにしなければいかぬ、そこで今の英語の試験とかに辞書を持ち込んでもいい、そういうことになっている。そうしますと、一番のネックは実は共通一次で、これまでの国立大学の門戸開放の選抜の方法が他の場合と違う最大の特徴は、端的に言って共通一次がないということじゃないですか。
  172. 宮地貫一

    宮地政府委員 社会人のための特別の入学者選抜をやっている場合には、定員の枠も別枠で考えるわけでございまして、御指摘のように共通一次を実施していないというのも最大の特色の一つかと思います。
  173. 江田五月

    ○江田委員 この社会人入学、もっと拡充をしていただきたいし思います。  この社会人入学について、さらにこれの拡充を阻んでいるネックとして、例えば社会人になってから、さあいよいよ社会の経験を経て本当に勉強が必要だ、こう思ってきた、しかし、一方で仕事をやりながら大学に入るというのはなかなか難しい。ところが、ILO百四十号条約、有給教育休暇に関する条約というものがあるのですが、これは我が国はまだ批准をしていない。労働省、お見えだと思いますが、これは今後どういうような態度で臨まれるつもりですか。
  174. 金平隆弘

    ○金平説明員 御説明申し上げます。  御承知のとおり、百四十号条約は有給教育訓練休暇の目的の一つとしまして、労働組合教育というようなものも規定いたしております。この点につきまして、実は国内法的に検討してみますと、労働組合法で否定しております不当労働行為、労働組合法七条三号という規定がございますが、それに抵触する可能性があるということがございまして、そういう国内法制との整合性ということについて十分検討してその上で措置を決めてまいりたい、こういうふうに今思っているところでございます。
  175. 江田五月

    ○江田委員 ILO第百四十号条約というものができている。今、批准をした国かどの程度あるか、ちょっと私もまだ十分調べておりませんが、国際的に、小学校からずっと進んで大学まで終わってという、そういう教育だけじゃなくて、いろいろな過程をたどって、さらにこれからある程度社会に出た後に教育を受けたい、そういう者に対して門戸を開いていこうという大きな趨勢がある。これに対して、何か労働組合教育というほんの小さなところにちょろっとひっかかりがあるというので後ろ向きの態度をとられるというのは、どうも納得できない。いろいろ知恵を絞るべきだという気がいたします。  これともう一つ、労働省に有給教育訓練休暇奨励給付金制度というのがあるということですが、これは一体今どの程度の金額で、これからどう臨まれようとしていますか。
  176. 金平隆弘

    ○金平説明員 今先生おっしゃいました有給教育訓練休暇に関して、昭和五十年から労働省としましてはそれを助成するという制度を設けております。雇用保険法という法律がございまして、その中の能力開発事業ということでやってまいっておる制度でございます。  これについては、御承知のとおり、その有給教育休暇というのが労働基準法で言う年次有給休暇とは別に、事業主が教育訓練のために本人の申し出があったときに休暇を与えるということをやっている場合には助成をするというような内容になっておりまして、その本人の申し出及び事業主の承諾というのが二つの要件でございます。  そういう意味で、五十年に発足して以来、制度の普及というのが、本来そういう事業所内における休暇制度というものがまず前提になって、そしてそれが個々の労働者に適用されるということでもって給付対象になるものですから、個々の事業所の中におけるそういう制度の普及というのがなかなか遅々として進まないという問題点を持っております。しかしながら、昨年ですが、従来は事業所の中におけるそういう休暇制度について、例えば労働協約とか就業規則とか、そういったもので決めてなければだめだというふうな要件があったのですけれども、それを緩めまして、もっぱら労働組合の意見を聞いて、そしてそういう計画があってその計画の中でそういう休暇制度を設けるということであるならば給付適用にしますというような改正をいたしております。その結果、最近のはまだ十分には未集計の状態ですけれども、一応想像できますのは、かなり適用がふえてきているのではないかというような改善を見ております。
  177. 江田五月

    ○江田委員 労働省、御苦労さまでした。  社会人入学とよく似たもう一つの制度で、社会人コースというのですか、入学の場合には初めから入学ですが、社会人コース、つまり一定の資格のある者に学士入学のような形で大学の門戸を社会に開放していく、そういう制度がある。これは岡山大学一つあるわけで、ほかのところにもあるかと思います。社会のニーズとして、一般の大学の教養課程を修了している者に開かれているコースなのですが、それだけじゃなくて、短大で勉強した者も、単位がちょっと足りないことはありましょうから、そのままというわけにはいかないけれども、何か多少の努力をすればこの社会人コースへの門戸を開いていただけないだろうか。そういう希望も強いし、短大卒である程度社会に出てきている、こういう者に社会人コースという道を開くことは十分検討する価値があると私も思いますが、いかがですか。
  178. 宮地貫一

    宮地政府委員 三年次の編入定員の問題でございます。  これは昭和三十年代から一部の大学で措置されておりますが、四十年代後半から特に高等専門学校からの編入学を中心に工学部でこの措置が拡充されまして、特に五十一年度に設置されました長岡、豊橋の両技術科学大学においては、高専からの編入学を組織的に行うということで実施をしているわけでございます。その後、工学部以外の学部についても編入学定員が設けられてきております。現在十九大学、二十六学部において第三年次編入定員が措置をされているわけでございますが、その入学資格は、それぞれの大学において編入定員を措置するに至りました経緯もございますので、必ずしも一律ではないようでございます。  しかしながら、お話の短大卒業者にも認めるということについては、原則として私どもは差し支えないものというぐあいに考えております。  なお、御指摘の岡山大学のケースについては、現在は短大からの編入は認めていないようでございますが、大学当局もその点については、六十年度以降の課題ということで検討を始めておるというぐあいに承知しております。
  179. 江田五月

    ○江田委員 どうも時間がありませんのでもう一点ぐらいしか伺えないかと思いますが、今の社会人入学というのは、社会に出て仕事を持つ経験を経てもう一度大学教育に戻っていきたいということです。  ところが、ちょっと観点を変えて、また別の生育の過程、これが帰国子女という問題ですね。日本の国内で制度化された教育のシステムの中で育ってきたというのじゃなくて、外国でいろいろな教育を受けてきた、そして大学へ入る年齢になった、あるいはそれより前に日本に戻った、しかしなかなか日本高等学校にうまく入っていけない、こういう者のために国際バカロレア制度、IBという制度があるわけです。このIBは大学の入学試験を受ける資格、大学入学資格という点ではよろしいのですけれども、しかしそれを認めても、それだけでは。やはり共通一次も受けなければならぬ、それぞれの大学で行う二次試験も受けなければならぬ。  ところが、IBに対して特別の枠をつくって、共通一次の問題などについて特別の配慮をして大学受け入れる、こういう道が開かれておるわけですけれども、これは現在どの程度の国立大学でやっておって、そして今後どういうふうにされるのか。ここでもやはり共通一次免除あるいはそのウエートを少なくするということが、実は帰国子女に対する門戸開放のキーポイントになっているということじゃないのか。  この点を伺って、残余の質問大臣がお戻りになってからのことにいたしたいと思います。
  180. 宮地貫一

    宮地政府委員 帰国子女の入学者選抜の問題についてのお尋ねでございますが、一般論として、国際バカロレアの資格取得者についてはもちろん入学者選抜を認めるという方向で動いてきておるわけでございます。  ただ、帰国子女の場合については、やはり先ほど社会人入学の場合とはまた別の意味で特別の配慮が必要ではないかということは御指摘のとおりでございまして、現在帰国子女を対象といたしまして特別選抜を実施いたしておりますのは、大学で申しますと、国立ては十一大学−筑波大学、宇都宮大学、以下、学部によって多少、例えば新潟大学では教育学部を実施しておりますとか名古屋大学では法学部で実施をしているというようなことで、すべての学部というわけではございませんが、国立て十一大学公立て五大学、私立ては二十六大学が帰国子女を対象といたしまして特別選抜の実施をしているというぐあいに承知をしているわけでございます。  帰国子女はなお今後ともふえていく状況があるわけでございまして、そういう特別選抜が今後とも各大学で拡大されてまいりますように私どもとしても指導をしてまいりたい、かように考えております。
  181. 愛野興一郎

    愛野委員長 午後五時三十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後三時五十九分休憩      ————◇—————     午後六時二分開議
  182. 愛野興一郎

    愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。山原健二郎君。
  183. 山原健二郎

    ○山原委員 先ほど質問と答弁がちょっと私にもわかりにくかったのですが、何となくかみ合わない点がありましたので、ちょっと最初に……。  大学局長の答弁も参酌して、いわゆる八万六千人の募集定員ということは一致しております。そして、私学と国立の今日受け持っている比率は八対二ということですから、八万六千を八対二にしますと、私学が六万八千八百人、国立が一万七千二百人、こういうふうになります。そして、その国立の中で文部省は通知を出しまして、八千百名の臨時募集の計画を各大学に示しております。そうしますと、国立が受け持つべき一万七千二百人のうち八千百人の臨時募集ということになりますと、九千百名が残るわけですね。これは恒常的定員と見てよいのかどうか、これを伺っておきたいのです。
  184. 宮地貫一

    宮地政府委員 ちょっと数字のとり方が私、十分把握できなかったのでございますが、先ほどのお話のように、期間を限った定員増についてはおおむね公私のシェアに応じた対応をするわけでございまして、四万四千に対してほぼ八千余りが国立が対応すべき数ということになるわけでございます。したがって、残りは私学で対応をお願いすることになるわけでございますが、それについても、いずれも各私学から認可申請を出していただきまして、基準については弾力的な運用ということを議論いただいておりますけれども、それで審査をしました上で認可をするという手続はいずれもとるわけでございます。したがって、そのままそれがいわゆる水増しで上乗せされるという形ではないということを、先ほど御説明したわけでございます。
  185. 山原健二郎

    ○山原委員 大学局長、そこにやはり数学のごまかしがあるのですね。今おっしゃったように、八千百人の臨時募集ということで国立が受け持つということになりますと、結局私が先ほど言いましたこの九千百名という国立が受け持たない数字と六万八千八百人と合わせまして、七万七千九百人という数字が私学の受け持つべき数字になってまいります。これは明らかに水増しですよ。それを水増してはないということをおっしゃるわけですね。それは将来土俵を広げるからでしょう。現在の基準で言えば明らかに大変な水増しなんだ。しかも一方では私学助成は削られております。財政事情が好転するまでは助成は削るというわけですから、私学助成は削る。大変な水増しの人数を私学が受け持つということは、結局私学が大きな犠牲を負わされるということは間違いありません。この点を私は先ほどから言っているのですが、これはどうですか。
  186. 宮地貫一

    宮地政府委員 恒常的な定員増について、国立についても相応の対応をすることはもちろん考えなければならぬ点があるわけでございます。したがって、期間を限った定員増の国立が対応するもの以外の残りはすべて私学の対応というぐあいには必ずしも考えておりません。
  187. 山原健二郎

    ○山原委員 そこがもうごまかしで、そういう答弁は文部省らしくないです。今大変な事態でしょう。これだけ十八歳人口が膨大な膨れ上がりをするときに、非常に大事なところで質問をしているわけですからね。あなたのおっしゃることから見ましても、七万人を超す学生を私学が受け持たなければならぬ、そうなるわけですよ。  じゃもう一回伺いますが、国立の方で九千百名を恒常定員として、これに見合う学部学科をつくるということをお考えになっておりますか、簡単に答えてください。
  188. 宮地貫一

    宮地政府委員 恒常的な定員増について国立てどの程度対応できるかということは、今後の具体的な各年度の予算措置に応じて対応しなければならない課題でございますので、ただいま幾らということは申し上げられないわけでございますけれども、もちろん恒常的な定員増についても国立として応分の対応をしなければならぬということは、今後の予算措置その他で私どもとしても対応していくということになるわけでございまして、残りをすべて私学で対応していただくというような考え方は必ずしもとっておりません。
  189. 山原健二郎

    ○山原委員 では、昭和五十一年から五十五年までの高等教育整備についての計画の達成率を見てみますと、毎年二千人で五年間で一万人という計画でしょう。ところが実際は八千八百八十五人。次の五十六年度からの五年間の計画はどうなっておりますか。毎年二千人ずつ増加しておれば、五十六、五十七、五十八の三年間で六千人ふえていなければならぬでしょう。ところが実際には全部で二千人しかふえてないじゃないですか。三分の一の達成率でしょう。恒常的定員を国立大学へ押しかぶせるなんということは実際問題としてできない、考えてないじゃないですか。そこはどうなんです。
  190. 宮地貫一

    宮地政府委員 前期、後期の計画については先生御指摘のような実績でございまして、前期についてはほぼ八割余り、後期については計画を相当下回っているというのは御指摘のとおりでございます。  今後の措置については、私どもとしても、恒常的定員増について国立についても対応すべき点はもちろんあろうかと思いますが、それは個別にこれから財政当局とも対応をしなければならぬ課題でございますので、ただいまこの席で幾らを対応するということは申し上げかねるわけでございますが、考え方としては、国立ても対応する考え方を持っております。
  191. 山原健二郎

    ○山原委員 現在でも未達成ですよ。その上に、今後の新増設を極力抑制するというのが臨調答申ですね。しかも、政府はこれを最大限に尊重する、また着手すると言っているわけですからね。そうすると、こんなものはできるはずがないのですよ。だからここの、文教委員会のこの席上で、少なくとも文部省らしい答弁をしていただかないと、できもしないことをここで約束されても困りますし、実際に臨調答申がなければできるかもしれませんね。極力抑制するという臨調答申を最大限尊重するという立場をとられる限り、この問題の解決はできません。これははっきり言っておきます。どうですか、この点は。
  192. 森喜朗

    森国務大臣 細かな数字につきましては、今、大学局長から御説明申し上げ、山原先生の御納得いただけない点もあるようでございますが、恒常的な面である程度吸収をしていかなければならぬという点も局長、申し上げているとおりでございます。  ただ山原先生、私学に「水増し」という言葉は余りよくありませんが、先生は単なるいわゆる水増しというつもりでおっしゃっておられないことは承知をしておりますが、仮に私学に吸収をするという時点に立ち至りましても、これは当然定員として文部省が相談をし、そして認可をしていくことでございますから、単なる水増しというお考え方で受けとめられても私どもとしては困るわけでございまして、したがいまして、もう一つ——先生の御心配の点はよくわかるのです。つまり、臨調等答申があってこれからも私学助成抑制をされていく、そういう中でできるはずがないじゃないか、こういう御心配だろうと思いますが、当面三年間の財政再建期間という、まあ六十年度まででございますが、今後ともそういう状況が続くのではないか、また私もこの間からの国会で、当分苦しいのではないかということも申し上げておりますから、そういう御心配がある点は十分私もわかりますが、こうした状況になっていくということについては、私はこれは臨調に反したり、臨調に背くという問題ではないというふうに考えます。こういう事態に立ち至っているということについては、十分財政当局とも詰めてまいりたいし、また行政管理庁とも私どもは詰めて進めてまいりたい、こう考えております。したがいまして、いろいろと御心配の向きもございますが、数字的にはかなり詰めた議論をいたしておるところでございます。  問題は、単に私学に負担を押しつけて、そして逆に私学助成抑制していく、その結果、みんなが薄められて私学全体に影響を及ぼすではないか、こういう幾つかの御心配があるという向きで先ほどから私どもに対してただしていただいておるのだろう、こう受けとめておりますが、これからも、私も常々申し上げておりますように、私学振興法を成立いたしました当時の趣旨を体しまして、臨調あるいはまた財政当局と、こうした事態はこれはやはり社会問題でもあるわけでございますので、十分な対応をしていくようにこれから努力していきたい、こう思っているところでもあるわけです。
  193. 山原健二郎

    ○山原委員 「水増し」という言葉はやはり私も気にかかるわけですけれども、現在の基準からいえば、これはもう明らかに「水増し」という言葉を使わざるを得ないわけですね。それからまた、文部省もそのことを使ってきたわけで、言っているわけですが、さらに私学に対する助成は抑制をされ、その上にたくさんの学生がかぶさっていくということになりますと、これは私学の犠牲において今日の苦境を切り抜けようとしておるのではないかという心配が出てきます。もちろん、予算獲得のために努力することはこれはもうお互い、文部大臣を初めとしてやらなければならぬことでありますから、この私学の問題はこれで一応おきます。私は、臨調答申を尊重するという政府の態度がある限り、やはり私学は大きな犠牲をかぶるということをこの際申し上げておきたいのです。  次に、国立大学の臨時増募について聞きますが、八千百名の増員ということで三月十七日に各大学から計画を出さすという通達が行っておりますが、この結果は現在どういうふうになっておりますか。
  194. 宮地貫一

    宮地政府委員 御指摘のように、国立大学で個々の対応がどの程度可能かということをあらかじめ調査をしておく必要もありますので、各大学に対して、どの程度可能性があるかというようなことについての調査はいたしておるわけでございます。しかしながら、三月末というようなことで、時期的にも非常にいろんな行事その他とも重なっておる点もございまして、一部の大学からはまだ回答が寄せられてないというようなものもございます。全体の単純な集計では、現時点で受け入れ可能数としては約八千という数字はつかんでおるわけでございます。  これは、臨時増募を検討するに当たっての第一段階での参考資料というぐあいに私ども考えておりまして、今後具体的な臨時増募受け入れ数については個別に各大学とも相談しながら検討していくということで、明年度の概算要求時期までに個々に相談を詰めていくという事柄でございます。
  195. 山原健二郎

    ○山原委員 この報告書を——これは国立大学の今後の計画に関する問題ですから、国会としても責任を持つわけですが、この資料を本委員会に提供していただけますか、どうですか。
  196. 宮地貫一

    宮地政府委員 国立大学の対応についてどういう対応をすべきかということについて、あらかじめ内部資料として各大学意向を聞くという程度の事柄として、内部資料としてとりましたものでございますから、正式に概算要求をどうするということでの資料ではございませんので、その点は御理解を賜りたい、かように考えております。
  197. 山原健二郎

    ○山原委員 これは各大学とも物すごく苦労しておられるのです。私は幾つかの大学に問い合わせをしたわけですけれども、これは国会で国立大学の今後の構想、しかも教育改革をやられるというのですから、その衝に当たるこの委員会に当然提出してしかるべきものだと思います。また、それが出なければ、各大学とも一体どういうふうになっているのかわからぬでしょう。文部省だけが握っている、これでは大学としても対応の仕方がないのですよ。しかも、これはすごい苦労をされておりまして、これは後で時間があれば申し上げますが、もう時間がありませんけれども、ぜひ私は国会に出していただきたい。これは委員長にもお願いしたいのです。  ここに「文教ニュース」がございます。三月二十六日に出しておるものですけれども、「臨時増募に苦慮、各大学に大きな格差」というのが出ておりまして、この記事を見ますと報告書がまだ半分しか出ていない。しかもその中に、最高五割、中には二人か三人しか出ないという数字も出ている。それから、私学助成の見直しのために私学がまた非常に困難な事態を迎えておるということが出ておりますし、そうすると今度は八千百人を上回り一万人台に国立大学の臨時増募をやらなければならぬ、こういう記事、これは文部省に密着しなかったらこんな記事は出てこない。国会議員は知らない。しかし、マスコミの方ではこれをつかんでおられる。私は当然この国会に出すべきだと思いますが、再度伺いますけれども、いかがでしょうか。
  198. 宮地貫一

    宮地政府委員 記事については私、承知しておりません。  先ほど御答弁申し上げましたとおり、六十年度の概算要求に向かってのあらかじめ各大学の対応がどうかということを内部資料としてお願いをした数字でございまして、各大学に対しても公表しないことを前提にいただいておるわけでございます。いわばそういう事務処理のそれらの資料についても、私どもまだ個々の大学とどうであるかという中身の精査ももちろんいたしていないものでございまして、そういう時点で外部へ、個々の大学状況がこういうことであるということについて出すことについては、私どもとしてはさらに事務的な精査を要するものでもございますし、具体的には六十年度の概算要求をまとめます段階において対応をいたすべきものではないか、かように考えております。
  199. 山原健二郎

    ○山原委員 各大学とも、いわゆる八千百人にどうすれば達するのかという努力はしておられると思うのです。でも、実際他の大学のことはわからぬわけでしょう。うちがどれほどの対応ができるかと、みんな物すごい苦労をしている。だから三月の末になっても半数しか出てこない。これは各大学の苦慮の結果なんです、苦しみの結果なんですよ。それを、しかもあなたの方は夏の概算要求時期、こういうことになってくると予算誘導できるわけでしょう。あなたのところは少ないじゃないか、ではあなたのところは出してきても予算を削るよ、まさかそういう言葉を使わないかもしれないけれども予算によって各大学を締め上げていくということだってできるわけです。だから公開すべきである、公開して、そしてそれに対して各大学が自主的に対応できる体制をとってあげることが、この問題の処理につながるのじゃないかというふうに私は考えておるわけでございますけれども、それをあえてしないということになりますと、これはもう時間が足りませんからこれ以上追求するわけにいきませんが、これはぜひ委員長の方もお考えいただきまして、これを本委員会の今後の大学計画についての資料として提出していただくように御努力をいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  200. 愛野興一郎

    愛野委員長 公開すべきであるか、公開すべきでないか、あるいは文部省として提出するに足る完成された資料のものであるかどうか、十分委員長として検討いたします。
  201. 山原健二郎

    ○山原委員 国立大学の置かれておる実態は、現状のままで臨時増募を行うということになりますと、一方では第六次の定員削減が行われているわけです。そして閣議の決定は退職者の不補充ということでございますから、これはもう事態は大変な事態です。その上に八千百人の臨時増募ということになりますと、八千百人の臨時増募というのは新年度入学定員を見ますと、平均すると国立大学七つか八つの数に及ぶ膨大な数なんです。それを引き受けなければならぬということになれば、それに伴うスタッフ、そして予算が伴わなければ大変な事態です。学校教育法にはちゃんと「大学は、学術の中心」と書かれておりますが、その学術の中心にふさわしくない劣悪な状況に国立大学も置かれていく。先ほど私学の方もそうです、国立大学も置かれていく。  私は、そういう中で中曽根内閣教育大改革などと言っておることは、本当に奇妙だと思っているのです。やるべきことをやらないで幾ら二十一世紀に向かって教育大改革と言われても、私は信頼するわけにはいかない。今日の問題をどうするかということで必死になって内閣を挙げて闘い、教育予算をから取っていかれるならばまだわかりますけれども、もうそれをずたずたに切られて、そして一方では教育大改革と言われても、私はこれは森文相に対して予算委員会で四十人学級の問題でしつこく申し上げたのですけれども、どうもその辺が何と考えても納得いかないのです。だから本当に大学が、例えば二〇%引き受ける大学の場合を見ましたら、人文の場合は授業のこま数が十一こまふえるのです。語学に至っては二十四こま授業がふえる。そうすると非常勤の講師で対応するとしても、全学部から非常勤講師を出したとしても追いつかないのです。結局圏外からお招きしなければならぬ。その際の旅費が出るのか、手当が出るのか、皆目わからないのです。これでは国立大学といえども引き受けることはできない状態に置かれている。  これはある大学の実態ですが、物すごく苦労しているのです。もうこれ以上やられたらもたないと書いてあります。教室にしても個別指導にしましても、もう悲鳴のような文章がここへ出てきております。しかも授業時間帯を十八時三十分まで延長するとかいろいろな努力、教官の部屋まで教室にあてがって、そして文部省の言うことに対して努力をしておられる。おられるけれども、これ以上はだめだということを書いておられるのです。これはもう全教授会で検討した上こういうふうに出されておると思います。そしてその上に学士入学ができなくなる、転部入学ができなくなる、学生の実験室を改善しなければならない、備品も大幅に備えなければならない、常勤に近い非常勤講師がどうしても必要になる、こういうことがたくさん出てくるわけです。これを文部省が今押しつけようとしているのでしょう。これが臨時増募の実態なんです。  この点について大学局長、そういう痛みがわかりますか。私はそれをお伺いしたい。
  202. 宮地貫一

    宮地政府委員 先生御指摘のような状況にあるところでは、増募はとてもできないことではないかと思います。そういうところについて私ども、それでもやってほしいということで押しつけるというようなことは毛頭考えているものではございません。どういう状況にあるかということを把握するために、まさに内部資料として各大学状況をお伺いしているわけでございます。この臨時増募のための施策についてどういう事柄をすべきかということについては、まあ現在検討中でございまして、成案は得ていないわけでございますけれども、現有する施設、定員等の有効利用でございますとか工夫改善を講ずるということで、可能な範囲で受け入れられるところについてお願いをするわけでございまして、先生御指摘のように、そういう状況でとても受け入れられないというところについてまで私ども、押しつけるというような考え方で対応しているものではございません。
  203. 山原健二郎

    ○山原委員 それであれば、逆に問題が出てくるのですよ。八万何千というピークの状態になってくる十八歳年齢をどう始末するかという問題が出てくるのです。だから、各大学とも大変苦慮されましていろいろな検討をされておるけれども、御承知のように半数はまだ報告が出てきていない。これは三月十七日の期限で出されているわけです。でも今三月の末になっても出てこないというのは、それだけ苦労しておられるということだと思います。  きょうはこれ以上言いません。言いませんけれども大学局長、いやそんなところに対して押しつけるようなことはしませんなんと言ったら、八千百名の消化だってできなくなってしまいます。そういうジレンマが文部省にもあるのですよ。私は、そのことも心配して今言っているのです。だから、そういう点では、本当に単なるここのやりとりだけでこれを糊塗するのではなくて、やはり深刻に私は考えていただきたい。そして、本当にそういうことをやるならば、大臣も今言われましたように、大蔵省に対しても本当に予算もとる、定員もとるという構えでいかないと、問題の解決にならないで、むしろ日本大学の質的低下というのが出てきますし、また逆に多くの私学、国立に対して犠牲を負わすことになるということを心配しておりますから、そのことを言っておるということを申し上げておきたいと思います。  最後に、二、三分残っておりますので国立医科大学の問題ですが、今度高知医科大学が初めて卒業生を出すわけですけれども、救命救急センターというものですね。これを四国では高知県だけではないということで随分問題になってまいりまして、医科大学自身も今度卒業生を初めて出すわけですから、なかなかそういう整備は困難だと思います。けれども、もともとがここに医科大学誘致する場合にはこのことが当初の計画に入っておったように思うのです。その点で私は、この国立医科大学という地方においては非常に重要な医療機関となっておりまして、他の病院や県立病院ではできない組織、内容を持っている、その国立医科大学に救命救急センターをつくる必要があるのではないかと思います。この点についてはぜひ検討していただきたいと思いますが、これは大学局長、いかがでしょうか。
  204. 宮地貫一

    宮地政府委員 御指摘のように、新設医科大学につきましては、ただいま学年進行で全体の整備を進めているわけでございます。先ほども御指摘があったわけでございますが、定員措置につきましても、病院の整備等年次計画に従って整備をするということがまず新設医科大学整備といたしましては必要な事柄でございます。したがって、御指摘の救急センターの問題につきましても、それは六十一年度以降の課題として検討すべき課題というぐあいに理解いたしております。
  205. 山原健二郎

    ○山原委員 今度、医科大学に対して行政管理庁が管理運営等についてメスを入れるということが各新聞に一昨日発表されたのでございますが、文部省はこれを御承知でしょうか。また、これに対してどういうお考えでしょうか。
  206. 宮地貫一

    宮地政府委員 私も直接は聞いておりませんが、新聞で記事になりましたことはもちろん見ております。メスを入れるというような感覚ではなくて、通常の行政監察の対象ということであろうかと思います。私どもとしては、もちろん、教育研究に必要な体制の整備ということは今後とも十分整えてまいりたい、かように考えております。
  207. 山原健二郎

    ○山原委員 今度の健康保険制度の改正問題をめぐりまして、国立医科大学附属病院あるいは自治体病院等において非常に心配が起こっているわけでございますが、これと関連しての行管庁の管理運営に対する監査ではないかということを私は感じているわけですが、そういうふうには受け取っておられませんか。
  208. 宮地貫一

    宮地政府委員 行政管理庁の立場で、それぞれ毎年の監察計画というものを立てて対応しているわけでございまして、医師養成全体の問題がいろいろ議論されていることでもあるというようなことなどももちろん考慮の対象にはなっているかと思いますけれども、私どもとしては、必要な国立大学の附属病院の整備そのものについては、今後とも十分対応してまいりたい、かように考えております。
  209. 山原健二郎

    ○山原委員 これは重要な医療機関としての役割を果たしておりますし、また私も、私の県にできました医科大学を見せていただいたのですが、大変な努力ですわ。これはもう本当に苦労をしておられることを知っておりまして、これが今度の法改正によってさらに一層厳しい状態に置かれるということは何としても納得がいかないということを申し上げておきたいと思います。  最後に、きょう中西議員の方からお話が出ました国士舘大学の問題です。これは十二月の解散の前の国会におきまして、余りにもひどい状況にあるということで、柴田梵天総長を本委員会に証人あるいは参考人として出ていただくことが理事会に出ておったのでございますが、その決着がつく前に解散、選挙ということになりまして、立ち消えになっておりますけれども、私は今日の異常な事態、しかも、文部大臣先ほどお答えになりましたように、異様な状態を感じ取っておられると思うのですが、委員長、この際、この問題について、できれば柴田総長においでいただきまして、事態を解明するための参考人あるいは証人として出席をしていただきたいと思いますが、委員長の見解をお伺いをしまして、私の質問を終わります。
  210. 愛野興一郎

    愛野委員長 本国会では初めての申し入れでありますから、後刻理事会で検討させていただきます。  江田五月君。
  211. 江田五月

    ○江田委員 どうも大臣と相性が悪いのかどうか、まだ所信に対する質疑も終わっておりませんで、きょうの質問も、わずかの時間が寸断されたので非常にやりにくいのですが、きょうは実は私は、大学社会に対する門戸開放ということについて、大臣がおられない間に少し伺ってみました。  今、社会人入学の制度であるとかあるいは学士入学というのですか、三年から定員をふやして、その部分に、既に社会に出ている皆さんから入れるようにするとか、あるいはまた、これはちょっと社会人入学と違いますけれども、帰国子女ですね、外国でのさまざまな経験を積んで、そして日本に帰ってくる、そういう皆さんを大学受け入れるために、例えば国際バカロレアの資格を持っている者に対して別枠を設けるとか、そういうようなことがいろいろありますが、大学の門戸開放あるいは単線型教育に対して、その他のいろいろな生育の過程を経てこられた皆さんへ大学を開放するということ、こういうことについての大臣の基本的見解を伺っておきたいと思います。  特に、五十六年六月に出されました中央教育審議会の答申の中で、「大学等の開放に関して、学校内部の理解や支持が得にくく、また教員が社会的需要を配慮した柔軟な教育課程を編成することに消極的である場合が少なくない。大学等の開放の成否は、窮極のところ、学校関係者の意識と姿勢にかかっているのであり、教員や学校の経営責任者が大学等をより積極的に社会の中に位置づけるよう努力を払うことが期待される。」こういうくだりがあるわけですが、この点を踏まえて大臣の見解を伺います。
  212. 森喜朗

    森国務大臣 答弁申し上げます前に、江田先生にも、それから山原先生にも、参議院の予算委員会質疑要求がありました関係でもございますが、そうは言いながらも、衆議院の文教委員会を中断させて参議院の方に行かしていただきまして、大変御迷惑をおかけをいたしまして、おわびを申し上げる次第であります。  また、委員長初め、各党各派の皆さん方も、ただいま御審議をいただいております法律が、時間的に大変急がれておりますということにもかんがみまして、大変御協力いただきまして、こうして夜まで御審議をいただいておりますことに、本当に感謝を申し上げる次第であります。  江田先生と決して肌合いが合わないわけではございません。そういう、ちょうど間の悪かった状況に出てきたわけでございまして、お許しをいただきたいと思います。  基本的に、今先生から御指摘がございました大学を開放していく、私は大賛成でございます。ただ、先ほど答申の御説明もございましたように、大学人というのは、やはりそれはそれなりの理由があると思いますけれども学問を探求していらっしゃいます。そういう社会の中にいらっしゃいますから、どうしても社会から若干隔絶された面も出てくる。そういう意味では、これから新しい開かれた大学へということの対応を、これまでもいろいろ文部省も努力しておりますし、各大学もいろいろな意味で新しいシステムを使っているようでございまして、そういう努力もございますが、なお一層、大学人自体ができる限りこうした方向の頭の切りかえといいましょうか、意識を改めていただくというふうに、これは私どもから期待をしなければならぬことだと思います。  同時に、帰国子女の問題あるいは社会人からの参加、これは総理予算委員会の席上でも申し上げておりますように、一本の線ではなくて、いろいろな線をつなぎ合わせていく、単位の互換制、既にこれも実施をいたしているところもございますが、あるいは専修学校との連結、幾つかの問題がございまして、こうした問題をも十分踏まえて、新しい大学あり方ども文部省としても取り組んでいきたいと考えております。  それから、これは予算委員会でも申し上げたことでございますが、やはり今の教育体系全体を見てまいりますと、高等教育の問題のところに触れないわけにはいかないわけでございまして、そういう意味で、これは新しい臨時教育審議会が御自身でお考えをいただくことではございますけれども、こうした新しい二十一世紀へ対応する高等教育機関はいかにあるべきかというようなことも、十二分にひとつ御論議をいただいて、一つ方向性をぜひお示しをいただきたい、こんなふうに文部省といたしましても期待をいたしておるところでございます。
  213. 江田五月

    ○江田委員 同世代の大臣ですので、相性が悪いと困るわけで、よろしくお願いします。  大学の側がこの社会人入学などについて若干のちゅうちょがあるという点、これは私、やはり理解はしておかなければいかぬと思うのですね。  というのは、大学というのは、そのときそのときの社会の、いわゆる経済界がこういうものを期待しているとか、そういう実情に従って、文部省の指示に従ってカリキュラムをいろいろ組まされるというようなことになっては困る。大学の自治というものはやはりあるわけで、しかし、そういう教育の中身の問題と別に、社会の、特に市民の、産業界のとあえて言わずに、市民の教育を受けたいという要求、こういうものにはやはり真剣にこたえていかなければならぬわけで、大学の皆さんと文部省あるいは今までの経過の中で、文部省がそれほど大学の皆さんの信頼を得ていないというようなことがあるのかもしれませんが、ひとつ若い世代の大臣として、ここは胸襟を開いて大学の関係の皆さんと話を十分していただいて、さらに一層大学を市民の教育を受けたいという欲求にこたえるような大学に変えていく努力をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
  214. 森喜朗

    森国務大臣 私は、大臣に就任をいたしましてからも積極的に国立大学協会あるいは私立大学協会、連盟の皆さんと懇談もいたしております。当面は入試に関しましての改善ということで、私どもから、ああしろ、こうしろということは御遠慮しなければなりませんが、やはり高等教育機関としての使命に対しまして大変皆さんは忠実に努力をしておられますが、同時に、一方におきましては、やはりこうした教育が荒廃しているのではないかという病理現象は現実の問題として社会に起きているわけでありまして、学問を進め研究を深めていく研究者は全くそのことについて関知しないということであってはならない。しかし、同時に、そのことは政治の中でも解決をしていかなくてはならない問題である、こういうふうに受けとめて、国立大学協会、私学関係の皆さんとも今後とも十二分に話し合いを進めて、より建設的な方向づけをぜひしていただきたい、こういうように考えておるわけでございます。  同時にまた、先ほどもちょっと触れましたけれども、これからの高等教育機関というのは、私は何といっても多様にしていかなければならぬ、ある意味では門戸開放もしていかなければなりません。学問をいわゆる修学する年限につきましても、もう少し対応を緩急自在に考えていく必要があるのではないだろうか。まだこれからスタートする段階でございますが、放送大学ども駆使しながら、このことの単位を上手に生かしながら、高等教育の新しい行き方も芽生えてくるのではないかというふうにも考えますし、いずれにいたしましても、単に高等教育に進むのは一回の挑戦で十八歳にのみ限定をされるということであってもなりませんし、社会に出まして勤め働いてからまた改めて学問を深めていきたい、研究をしたいという方々についてもまた大学に招じ入れるようなシステム、そういうことも含めながら今後とも新しい大学の姿をぜひ求めていきたい、こういうふうに考えておるところでございます。
  215. 江田五月

    ○江田委員 ところで、大臣大学をそういう単線型で下から上ってきた者以外の、一遍社会に出て社会経験を積んだ皆さんとかあるいは外国で生育してこられた皆さんとか、そういう人に開放する際に、大学に入るために一番の障害となっている今の制度は何だとお考えですか。
  216. 森喜朗

    森国務大臣 ケース、ケースによって違いますし、それから希望されております大学によっても違ってくると思いますが、大ざっばに言えば試験だろう、こう思います。
  217. 江田五月

    ○江田委員 国立大学の場合にはそれは何ですか。
  218. 森喜朗

    森国務大臣 共通一次試験であろうかと思います。
  219. 江田五月

    ○江田委員 そうなんですね。大学を開放していく。開放しようとすればするほど共通一次を回避しなければならぬ。開放していくという価値と全く反するものが共通一次になっておるという現状が実はあるわけで、これはぜひ大臣、よく認識をしておいていただきたい。大学を多様化していく、画一的な教育を廃止していくという観点からも、共通一次というものを真剣に考え直してみていただきたいと思いますが、もう既に質問持ち時間が終了したという紙が参りましたので、今のことを最後に伺って、質問を終わります。
  220. 森喜朗

    森国務大臣 現在でも帰国子女などの入学につきましては、共通一次を廃しまして二次のところから面接中心にいたしておる、そういう大学も既にございます。  しかし、そういう議論からまいりますと、江田先生のおっしゃりたいことは、そういう多様的なことをやれば共通一次を廃止することが一番意味のあることではないか、こういう御指摘であろうかと思いますが、決して突っ張って申し上げるわけじゃありませんが、帰国子女でありますとか社会人が入ってくるというケースは、やはり現実の全体量からいきますとごくわずかでございまして、共通一次は三十数万の人が受けられるわけでありまして、そういう立場で入られる方も数はわずかでございます。共通一次は全く悪だという考え方は私はいたしておりません。ただ、共通一次を改善していく、そして二次試験のところにもう少し多様性を取り入れていく、こうしたところを私も期待をいたしておるところでありますし、文部省からこういうふうにしろということは言えないことは御承知のとおりでございますから、国立大学協会初め関係者の皆さんが、国民が大きな目でこの問題を注目しておるのだということでいい改善案をお考えいただけるだろう、こういうふうに私は期待をいたしておるところであります。
  221. 愛野興一郎

    愛野委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  222. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより討論に入るのでありますが、別に討論の申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。  国立学校設置法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  223. 愛野興一郎

    愛野委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  224. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  225. 愛野興一郎

    愛野委員長 次回は、来る十一日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時四十七分散会