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1984-03-23 第101回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年三月二十三日(金曜日)     午前十時三十二分開議 出席委員   委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有島 重武君       青木 正久君    稻葉  修君       臼井日出男君    榎本 和平君       大島 理森君    北川 正恭君       河野 洋平君    坂田 道太君       二階 俊博君    葉梨 信行君       町村 信孝君    渡辺 栄一君       木島喜兵衞君    佐藤 徳雄君       田中 克彦君    中西 績介君       池田 克也君    伏屋 修治君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君  出席政府委員        文部政務次官   中村  靖君        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房審        議官       齋藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省大学局長  宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省体育局長  古村 澄一君        文部省管理局長  阿部 充夫君        文化庁次長    加戸 守行君  委員外出席者        警察庁刑事局捜        査第一課長    三上 和幸君        厚生省児童家庭        局母子福祉課長  佐野 利昭君        参  考  人        (日本私学振興        財団理事)    早田  肇君        参  考  人        (日本私学振興        財団理事)    別府  哲君        文教委員会調査        室長       中嶋 米夫君     ――――――――――――― 委員の異動 三月三日  辞任         補欠選任   池田 克也君     大久保直彦君 同日  辞任         補欠選任   大久保直彦君     池田 克也君 同月二十三日  辞任         補欠選任   町村 信孝君     大島 理森君 同日  辞任         補欠選任   大島 理森君     町村 信孝君     ――――――――――――― 三月二日  私学助成増額に関する請願外一件(池端清一  君紹介)(第四七二号)  同(奥野一雄紹介)(第四七三号)  同外十件(小林恒人紹介)(第四七四号)  同外一件(島田琢郎紹介)(第四七五号)  同(島田琢郎紹介)(第四九四号)  同外五件(岡田利春紹介)(第五一三号)  同外九件(箕輪登紹介)(第五一四号)  同外九件(小林恒人紹介)(第五五七号)  同(斎藤実紹介)(第五五八号)  同(鈴木強紹介)(第五五九号)  同外一件(奥野一雄紹介)(第五七八号)  学校図書館法の一部改正に関する請願(吉田之  久君紹介)(第四九三号)  同(木島喜兵衞紹介)(第五一二号)  私学助成等に関する請願梅田勝紹介)(第  五三〇号)  同(浦井洋紹介)(第五三一号)  同(小沢和秋紹介)(第五三二号)  同(岡崎万寿秀紹介)(第五三三号)  同(経塚幸夫紹介)(第五三四号)  同(工藤晃紹介)(第五三五号)  同(佐藤祐弘紹介)(第五三六号)  同(柴田睦夫紹介)(第五三七号)  同(瀬崎博義紹介)(第五三八号)  同(瀬長亀次郎紹介)(第五三九号)  同(田中美智子紹介)(第五四〇号)  同(津川武一紹介)(第五四一号)  同(辻第一君紹介)(第五四二号)  同(中川利三郎紹介)(第五四三号)  同(中島武敏紹介)(第五四四号)  同(中林佳子紹介)(第五四五号)  同(野間友一紹介)(第五四六号)  同(林百郎君紹介)(第五四七号)  同(東中光雄紹介)(第五四八号)  同(不破哲三紹介)(第五四九号)  同(藤木洋子紹介)(第五五〇号)  同(藤田スミ紹介)(第五五一号)  同(正森成二君紹介)(第五五二号)  同(松本善明紹介)(第五五三号)  同(三浦久紹介)(第五五四号)  同(蓑輪幸代紹介)(第五五五号)  同(山原健二郎紹介)(第五五六号)  私学助成大幅増額に関する請願玉置一弥君紹  介)(第五七三号)  私学助成増額等に関する請願近江巳記夫君紹  介)(第五七四号)  同(西村章三紹介)(第五七五号)  同(春田重昭紹介)(第五七六号)  私学助成大幅増額に関する請願古川雅司君  紹介)(第五七七号) 同月六日  私学助成に関する請願外二件(新井彬之君紹介  )(第五九三号)  同(畑英次郎紹介)(第五九四号)  同外一件(河上民雄紹介)(第七〇一号)  同外一件(土井たか子紹介)(第七〇二号)  同(永江一仁紹介)(第七〇三号)  同(藤木洋子紹介)(第七〇四号)  同(村山富市紹介)(第七〇五号)  私学助成大幅増額等に関する請願梶山静六  君紹介)(第五九五号)  同(額賀福志郎紹介)(第五九六号)  同(葉梨信行紹介)(第五九七号)  同(天野等紹介)(第七〇六号)  同(城地豊司紹介)(第七〇七号)  私学助成増額等に関する請願権藤恒夫君紹  介)(第五九八号)  同外十一件(多賀谷眞稔紹介)(第七〇八号  )  同(三浦久紹介)(第七〇九号)  私学助成大幅増額に関する請願竹内勝彦君紹  介)(第五九九号)  同(西中清紹介)(第六〇〇号)  同(瀬崎博義紹介)(第六八三号)  同外九件(野口幸一紹介)(第六八四号)  私学助成増額等に関する請願浅井美幸紹介  )  (第六〇一号)  同(池田克也紹介)(第六〇二号)  同外二十四件(中村正雄紹介)(第六〇三号  )  同(正木良明紹介)(第六〇四号)  同(井上一成紹介)(第六八五号)  同(上田卓三紹介)(第六八六号)  同(左近正男紹介)(第六八七号)  同(中野寛成紹介)(第六八八号)  同(正森成二君紹介)(第六八九号)  同(和田貞夫紹介)(第六九〇号)  私学助成大幅増額に関する請願天野光晴君  紹介)(第六〇五号)  同(江藤隆美紹介)(第六〇六号)  同(岡田正勝紹介)(第六〇七号)  同(亀井静香紹介)(第六〇八号)  同(福岡康夫紹介)(第六〇九号)  同(堀之内久男紹介)(第六一〇号)  同外五件(上西和郎紹介)(第六九一号)  同(岸田文武紹介)(第六九二号)  同(佐藤守良紹介)(第六九三号)  同(佐藤誼紹介)(第六九四号)  同(柴田睦夫紹介)(第六九五号)  同(林百郎君紹介)(第六九六号)  同(松浦利尚君紹介)(第六九七号)  同外四件(村山喜一紹介)(第六九八号)  同外二件(山原健二郎紹介)(第六九九号)  同(渡部行雄紹介)(第七〇〇号)  育英奨学金制度改悪反対等に関する請願梅田  勝君紹介)(第六二七号)  同(浦井洋紹介)(第六二八号)  同(小沢和秋紹介)(第六二九号)  同(岡崎万寿秀紹介)(第六三〇号)  同(経塚幸夫紹介)(第六三一号)  同(工藤晃紹介)(第六三二号)  同(佐藤祐弘紹介)(第六三三号)  同(柴田睦夫紹介)(第六三四号)  同(瀬崎博義紹介)(第六三五号)  同(瀬長亀次郎紹介)(第六三六号)  同(田中美智子紹介)(第六三七号)  同(津川武一紹介)(第六三八号)  同(辻第一君紹介)(第六三九号)  同(中川利三郎紹介)(第六四〇号)  同(中島武敏紹介)(第六四一号)  同(中林佳子紹介)(第六四二号)  同(野間友一紹介)(第六四三号)  同(林百郎君紹介)(第六四四号)  同(東中光雄紹介)(第六四五号)  同(不破哲三紹介)(第六四六号)  同(藤木洋子紹介)(第六四七号)  同(藤田スミ紹介)(第六四八号)  同(正森成二君紹介)(第六四九号)  同(松本善明紹介)(第六五〇号)  同(三浦久紹介)(第六五一号)  同(蓑輪幸代紹介)(第六五二号)  同(山原健二郎紹介)(第六五三号)  同(小川仁一紹介)(第六五四号)  同(木島喜兵衞紹介)(第六五五号)  同(佐藤誼紹介)(第六五六号)  同(嶋崎譲紹介)(第六五七号)  同(馬場昇紹介)(第六五八号)  私学に対する公費助成大幅増額等に関する請  願(梅田勝紹介)(第六五九号)  私立大学学費値上げ抑制等に関する請願(田  中美智子紹介)(第六六〇号)  国立大学学費値上げ反対等に関する請願(岡  崎万寿秀紹介)(第六六一号)  同(中林佳子紹介)(第六六二号)  同外一件(林百郎君紹介)(第六六三号)  同(三浦久紹介)(第六六四号)  同(蓑輪幸代紹介)(第六六五号)  同(山原健二郎紹介)(第六六六号)  公立大学学費値上げ反対等に関する請願(岡  崎万寿秀紹介)(第六六七号)  同(三浦久紹介)(第六六八号)  私立大学学費値上げ反対等に関する請願(岡  崎万寿秀紹介)(第六六九号)  同(田中美智子紹介)(第六七〇号)  同(津川武一紹介)(第六七一号)  同(蓑輪幸代紹介)(第六七二号)  私学助成増額に関する請願外九件(小林恒人  君紹介)(第六七三号)  四十人学級早期実現等に関する請願小沢和  秋君紹介)(第六七四号)  同(津川武一紹介)(第六七五号)  同(辻第一君紹介)(第六七六号)  同(中島武敏紹介)(第六七七号)  私学助成等に関する請願梅田勝紹介)(第  六七八号)  同(岡崎万寿秀紹介)(第六七九号)  同(工藤晃紹介)(第六八〇号)  同(藤木洋子紹介)(第六八一号)  同(正森成二君紹介)(第六八二号) 同月八日  私学授業料助成等に関する請願愛野興一郎  君紹介)(第七八九号)  同外二十八件(八木昇紹介)(第七九〇号)  同外六件(八木昇紹介)(第八六三号)  私学学費に対する助成等に関する請願川俣  健二郎紹介)(第七九一号)  同(佐藤敬治紹介)(第七九二号)  私学授業料助成等に関する請願吉原米治君紹  介)(第七九三号)  私学助成増額等に関する請願小谷輝二君紹介  )(第七九四号)  同(左藤恵紹介)(第七九五号)  同(中村正男紹介)(第八五六号)  同(湯川宏紹介)(第八八九号)  私学助成大幅増額に関する請願小山長規君  紹介)(第七九六号)  同外一件(兒玉末男紹介)(第七九七号)  同(友納武人紹介)(第七九八号)  同(米沢隆紹介)(第八五七号)  同(上野建一紹介)(第八九〇号)  同(増岡博之紹介)(第八九一号)  私学助成に関する請願外一件(後藤茂紹介)  (第七九九号)  同(砂田重民紹介)(第八〇〇号)  同外一件(永井孝信紹介)(第八〇一号)  同(浦井洋紹介)(第八九二号)  同(瀬長亀次郎紹介)(第八九三号)  同(藤木洋子紹介)(第八九四号)  同(山原健二郎紹介)(第八九五号)  私学助成大幅増額等に関する請願丹羽雄哉  君紹介)(第八〇二号)  同(赤城宗徳紹介)(第八五八号)  同(城地豊司紹介)(第八五九号)  私学助成増額等に関する請願外二十二件(河  野正紹介)(第八〇三号)  同外十件(多賀谷眞稔紹介)(第八〇四号)  同外十四件(山崎平八郎紹介)(第八〇五号  )  育英奨学金制度改悪反対等に関する請願中西  績介紹介)(第八〇六号)  同(田中克彦紹介)(第八六〇号)  同(藤木洋子紹介)(第八六一号)  同(山原健二郎紹介)(第八六二号)  国立大学学費値上げ反対奨学金制度拡充  に関する請願有島重武君紹介)(第八五二号  )  私学助成増額に関する請願外四件(小平忠君  紹介)(第八五三号)  同外一件(安井吉典紹介)(第八八七号)  私学助成大幅増額に関する請願奥田幹生君紹  介)(第八五四号)  同(瀬崎博義紹介)(第八五五号)  同(山中末治紹介)(第八八八号) 同月十四日  私学助成に関する請願駒谷明紹介)(第九  三二号)  同(渡部一郎紹介)(第九三三号)  育英奨学金制度拡充強化等に関する請願(池  田克也紹介)(第九四五号)  私学助成費増額に関する請願木島喜兵衞君  紹介)(第九四六号)  文教予算増額等に関する請願木島喜兵衞君  紹介)(第九四七号)  私学助成大幅増額に関する請願外一件(山中末  治君紹介)(第九四八号)  私学助成大幅増額に関する請願外一件 (佐  藤徳雄紹介)(第九四九号)  同(大原亨紹介)(第九八三号)  私学助成大幅増額等に関する請願城地豊司  君紹介)(第九五〇号)  育英奨学金制度改悪反対等に関する請願佐藤  徳雄紹介)(第九五一号)  私学学費に対する助成等に関する請願木島  喜兵衞紹介)(第九五二号)  四十人学級早期実現等に関する請願工藤晃  君紹介)(第九八〇号)  私学助成等に関する請願経塚幸夫紹介)(  第九八一号)  私学助成増額等に関する請願経塚幸夫紹介  )(第九八二号)  私学助成増額等に関する請願外二十三件(稲  富稜人君紹介)(第九八四号)  同外三十一件(宮田早苗紹介)(第九八五号) 同月十五日  私学助成増額に関する請願斎藤実紹介)  (第一〇四〇号)  私学助成等に関する請願蓑輪幸代紹介)  (第一〇四一号)  私学助成大幅増額に関する請願天野等君紹  介)(第一〇四二号)  同(川崎寛治紹介)(第一〇四三号)  同(田中恒利紹介)(第一〇四四号)  私学助成に関する請願阿部未喜男君紹介)(  第一〇四五号)  私学学費に対する助成等に関する請願(戸田  菊雄君紹介)(第一〇四六号) 同月十九日  私学助成増額に関する請願外二件(斎藤実君  紹介)(第一一八七号)  私学助成大幅増額に関する請願外二件(川崎  寛治紹介)(第一一八八号)  同(川俣健二郎紹介)(第一一八九号)  同(串原義直紹介)(第一一九〇号)  同(五十嵐広三紹介)(第一二五〇号)  私学助成大幅増額に関する請願谷垣禎一君紹  介)(第一二四八号)  同(野中広務紹介)(第一二四九号)  私学助成増額等に関する請願外十二件(中西  績介紹介)(第一二五一号)  私学学費に対する助成等に関する請願中川  利三郎紹介)(第一二五二号) 同月二十二日  私学助成増額等に関する請願矢追秀彦紹介  )(第一二四四号)  同(中山正暉紹介)(第一二八八号)  育英奨学金制度改悪反対等に関する請願(湯山  勇君紹介)(第一三四五号)  同(滝沢幸助紹介)(第一二八九号) は本委員会に付託された。 三月五日  私学助成充実強化に関する陳情書外二件  (第二〇号)  史跡の保護・保存に関する陳情書  (第二一号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  小委員会設置に関する件  参考人出頭要求に関する件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一二号)  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 愛野興一郎

    愛野委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。一  本件調査のため、本日、日本私学振興財団理事別府哲君及び日本私学振興財団理事早田肇君に参考人として御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————
  4. 愛野興一郎

    愛野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木島喜兵衞君。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 この間新聞を見ておりましたら、あなたが甲子園の野球始球式で投げる練習をして、大変モーションが立派ですな。それで、きょう私も時間がありませんからなるたけ直球だけを投げますので、それは直球は時間を急ぐということであります。したがって、御答弁の方もなるたけ、お互い大体そう説明しなければならぬということは余りないだろうと思いますので、そういう意味でどうぞひとつ……。  大臣所信表明最初に「中曽根総理大臣は本国会施政方針演説において、三つの大きな基本的改革に取り組むこととし、その一つ教育改革を取り上げ、今こそ来るべき二十一世紀を展望し、教育改革を断行する時期に来ていると述べております。私もこの点に同感であり」云々とあります。したがって、あなたは中曽根さんとは数次の会談もなさっていらっしゃるようでありますし、一定の共通の意思のもとに主管の大臣としてお考えであると思いますので、きょうはそういう意味教育改革だけについてお聞きいたしたいと思います。  まず最初にお聞きしたいのは、なぜ総理直属機関でなければならないかというのがどうもわからないのです。と申しますのは、第十三国会でありますが、文部省設置法の一部を改正するそのときに、すなわち中教審ができるときであります。昭和二十七年であります。このときに、その趣旨説明の中で、中教審をつくるときのことについてこう言っておるのです。「文部大臣の所轄のもとに中央教育審議会を設置することにいたした点であります。現在、総理府所管のもとに教育刷新審議会が設置され、教育に関する重要事項調査審議する機関とされておりますが、教育刷新審議会は、終戦後のわが国における教育改革方策の樹立に多大の貢献をして来たのであります。しかし今日におきましては、一応その使命を終了した」と考えますから、したがって、全く新たな広くかつ高い見地において慎重に検討を要する問題として中央教育審議会をつくる。すなわち、戦後のあの教育改革のとき内閣直属刷新審議会をつくってきた、それは一定の任務を終わったから、そこで教育文化学術等の基本的な施策をやるために中央教育審議会をつくる。それで二十七回ぐらいやってきたわけでしょう。したがって、そういう角度からすれば今回逆だと思うのですよ。なぜ直属のものをつくらなければならないのかわからない。これはどうですか。
  6. 森喜朗

    森国務大臣 木島先生最初野球練習をたたえていただきましたが、一回だけ練習してみましたが、必ずしも直球ばかりでなくて、自然に、ナチュラルでカーブがかかったり、何となくスライダーぎみのものもございます。国会は、私も木島先生にいろいろと長い間文教委員会で御指導いただいてまいりましたので、できるだけストレートを投げるようにしたいと思いますので、どうぞしっかり受けていただければ大変幸せであります。  今の御質問でございますが、その当時は私もまだ学生といいますか、むしろ子供のころでございますから、当時のそういう国会様子等はつまびらかにはいたしておりません。ただ、これは私の素直な気持ちで申し上げるのですが、背景やそんな専門的なことを木島さんに御説明すること自体がかえって不見識だと思いますが、やはり戦後の日本教育占領政策でつくられたものだろうというふうに私どもは聞いてまいりました。しかし、いろいろないい面も悪い面もあると思いますけれども、明治以来の日本教育をさらに安定、定着をさせた、例えば義務教育年限を延ばすなどして民主教育というものが行われる、あるいは自由主義というものをたっとぶ、そういう意味では日本教育というのは世界の中でも大変立派に、成長という言葉はいいかどうかわかりませんが、してきている、世界の中でも日本教育というのは注目を集めている、私はこう思っております。  しかし、いかなる諸制度も、やはり社会変化あるいは時代変化に対応していく……(木島委員「それはいいんです、なぜ直轄としなければならないか」と呼ぶ)大変恐縮です。最初ですから少し言わしてください。  そういう意味で、これはやはり変化に対応していかなければならぬ。教育も同じだ、私はこう思います。したがって、教育め制度変化に対応していくためには、中教審というものがございましたけれども、中教審だけでは一つの限界が来ておるような感じがいたします。四十六年の答申も大変立派なものでございましたし、それを一つのもとに我々も文教委員会議論を闘わせて、かなりそのことについても具現化を図ってきたと思います。しかし、もう一つ新しい教育の展開をしていくためには、今の教育ということも大事でありますが、もう一つ視点は、二十一世紀を担う子供たちに対して日本教育がどのようにあるべきなのか、そのためには、行政各般にいろいろと関連もございますし、もっともっと国民的な、すそ野の広い議論も必要になってくると思います。そういう意味で、中教審がだめだということではなくて、中教審議論を踏まえながら、その上になおかつ新しい視点角度を変えて教育議論を進めていく、そのためには、やはり総理大臣という内閣全体に責任を持つ、その総理大臣が諮問することによって国民の広い議論を巻き起こすこともできますし、行政各部に対するいろいろな機能の関連もございますから、そういう意味で、中教審を無視するというのではなくて、中教審議論を踏まえつつ新しい角度や新しい視点でとらえていくという意味総理直轄機関として教育改革を進めていきたい、このように考えたわけでございます。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 中教審の、教育学術文化基本的重要施策ということと、今度新しくつくられる法律における、社会変化及び文化の発展に対応する教育実現とか、緊急性にかんがみとか、教育基本法にのっとりとか——それは今までの中教審というのはそうじゃなかったのだろうかというと、そうなんですよね。今積み重ねとおっしゃった。積み重ねといっても、それはしょせん時代変化に応じて、中教審中教審で今日のまた変わったものがあってしかるべきでありましょう。なぜかわからない。戦後の直轄刷新審議会をやめて、そして中教審をつくって基本的な施策をやると決めた。そして二十七回も答申をしてきた。なぜやらなければならないのか。法律にあるものを冬眠させて新しい審議会をつくって、そこで変わりばえのしないことを中教審積み重ねの延長線でやっていくというのが、どう見てもすっきりしないのであります。でありますが、これはまあいいでしょう。  新聞でよく言うでしょう、中曽根さん、政治的に利用しているのじゃないか。これはあなたもわからぬわね。だけれども、もしもそうだったらあなたはくみしませんね。なぜなら、かつて四十日抗争があって、大平さん、新自由クラブの田川さんを文部大臣にする予定でもって総理大臣文部大臣を兼務したことがありましたな。あのときあなたは何もおっしゃらなかったけれども、教育を犠牲にして総理いすをつかむのかとあなたはおっしゃらなかったけれども、私は、そういうあなたの気持ちでしたろうということを察しておりましたよ。ですから、今回また教育を利用して総理いすをということであれば、あなたは賛成なさらないだろうと、そのときのこと、かつての大平さんのことを考えますとそう思うのでありますけれども、そうでないという確証がありますか、そうでないという心証を確実にお持ちですか。
  8. 森喜朗

    森国務大臣 私は、一国の総理大臣が重要な内閣施策として教育問題を取り上げていただいたことに、教育問題に自分の政治生活の大半をかけてきた自分としては、言葉はよくありませんが、総理に大変感謝しているのです。今までも、歴代自由民主党内閣教育を大事にしてまいりました。しかし、それはたくさんの政策の一つにすぎなかったと思っておりますが、総理みずから、教育改革をぜひやりたい、そのために文部大臣十分働いてもらいたい、こういうのが私が官邸に呼ばれたときの総理の私に対するお話でございました。そういう意味中曽根さんが、今木島さんがおっしゃることはまさに想像にすぎませんが、俗に言われるように、内閣の延命であるとか、自分の総理大臣としての地位、再選にというふうに世の中で話すこともあるかもしれませんが、少なくとも総理がこの問題にかけておられる情熱がそんなものと一緒に混同されるような、そういう政治家ではない、私はこう見ております。そしてまた、仮にそのことで中曽根さんがこの秋にどのような形になっても自由民主党の政策は永遠だと思いますし、今日まで教育問題にかけてきた自由民主党文教部会というのは、ある意味では木島先生初め野党の皆さん方の教育に御熱心な先生方とともに闘ってきた歴史もあると思います。そういう意味で、総理がどのようにおかわりになろうと、総裁がどのようにおかわりになろうと、自由民主党の文教政策というのは大事に大事に教育のことを考えて進めていく、そのことは政治の問題とは全く別の問題である、私はこのように認識しております。
  9. 木島喜兵衞

    木島委員 私は察しまするに、一つは各省にまたがっておるとか、そういうことも今まで言われておりますから、そういうことでもあったのだろうと思うのであります。しかし、一つだけ言っておきたいと思いますことは、各省にまたがるということであるとするならば、例えば教育基本法の前文は最初に「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と言っております。  憲法を実現するために各省が存在します。その理想実現の根本は教育の力にまつのでありますから、元来教育を担当する文部省というものは各省にまたがるものであるのは当然であります。でありますから、教育基本法を重視するとするならば各省にまたがるのは当然であって、だからそういう意味では文部大臣の位置づけというものは非常に広いものだ、まさに国務大臣としては非常に広いものだと私は理解するのです。そういう意味で各省にまたがるというのは当たり前のことなんです。だから、そういうことを前提にして総理直轄だということは、私は納得できないのです。その点はどうお考えですか。
  10. 森喜朗

    森国務大臣 国務大臣の任務は、いま木島さんがおっしゃったような意味から言えば、各省すべてにまたがって国の内閣行政を進めることであろうと思うのです。しかし現実の問題として、教育制度を改革していこうとか新しい政策を推進していこうということになれば、やはり各省庁とのすり合わせといいますか調整というのは、これまでかなり大きなポイントになってまいりました。木島さんに余り専門的なことを言うと笑われますけれども、これまでも各省庁間での調整をしなければならぬような問題には、文部省独自の力だけではなかなかうまく的確に進めていけなかった事例もたくさんございます。  そういう意味で、この新しい教育改革というのは、二十一世紀をもう少し展望してみて、戦後の日本教育がいろいろな意味日本の繁栄に大きな役割を果たしてきた、このことはだれもが認めるところでありますが、時代が大きく変わってきて、高齢化社会にもなる、高学歴化にもなる、あるいは情報化時代にも入る、あるいはコンピューター化といいましょうか、我々が考えてもみたことのないようないわゆる科学技術時代に入ってくる、あるいは、これまではある意味日本のことだけを考えておった教育かもしれませんが、国際社会の中の日本の役割というのが二十一世紀に当然出てくる、そういうことを全体的に考えながら日本教育というものを考えてまいりますと、各省庁問を超える問題というのはかなり出てくると思うのです。  そういう意味で、内閣全体の責任を持つ総理がこのことの責任を持って進めていく。しかし、そのことによる中教審との懸念というのはいろいろございますから、今法律の検討を進めているところでございますけれども、文部大臣の地位、文部大臣の権限というものに十分留意をする、そうした法律になるように今努力をしておるところでございまして、ずっと教育に御熱心に御努力いただいております先生方からの文部省や文部大臣に対する大変な御心配というのは、私どもは本当にありがたい気持ちでございます。そうした先生方の議論あるいは予算委員会を通じての議論、そういうことを十分大事にしながら、今新しい法律で、文部省や文部大臣の権限を十分配慮した法律にしていきたい、そういうふうに考えているところであります。
  11. 木島喜兵衞

    木島委員 二省にまたがることを中心に考えて−それだけだとはおっしゃらないけれども、中心に考えるとするならば、これからも出てくることでありますから、中教審をなくして今後直轄にするという論理に発展していく可能性があります。私はそういう立場をとらない。  それから、例えば二省にまたがって放送大学——放送大学というのは、放送があるから郵政省が先なんですね。そうでなかったら放送大学にならないですから。しかし、やりましたね。——というように、努力すればできますよ。あるいは実行力ということであれば、例えばこの法律でも今あなたが考えたいとおっしゃるのであれば、総理大臣はこの答申を尊重しでいかなければならぬというようなことを中教審の中に入れたらいいですね。そういうこともある。だから私は、なぜ直轄かということについてちょっとわかりません。  同時に、直属機関であるということで一つ心配なのは、不当の支配になるのではないかというおそれであります。御案内のように、戦前の教育と戦後の教育一つの特色は、教育を権力支配させない、例えば教育委員会には文部省の指揮命令権はない、あるいは教科書を国定から検定に持っていったというように権力支配を排除したわけであります。  そこで私は、ただし直属機関だからそのおそれがあるなどと言っておるのではありません。けれども、正直に言いまして、中曽根さんだからということが一つあります。例えば中曽根さんは憲法改正論者ということを公言していらっしゃいます。すると、先ほど申しましたように、基本法の前文は、我らは、さきに憲法を確定した、その理想実現は、「根本において教育の力にまつべきものである。」だから、基本法もまた憲法を受け継いでおります。だから、憲法改正論者ということは、逆に言うと基本法も改定論者でなければならぬという論理になると思う。これは中曽根さんに聞かなければならぬので、森さんに聞いてもちょっと、あなたもお困りの要素もありますわね。ですから、その辺は何となくあなたが、こっちがそう察せられるような答弁をなさることもあっていいです。例えば、中曽根さんのことだからわからぬということをそう露骨に言えなければ、えんきょくにおっしゃることも仕方ないですわね。ただ、あなたはよく会っていらっしゃるのだから、私は、やはり疑問に思うことは疑問に思うとして指摘せざるを得ない。しかし、それはあなたがどう御答弁になるか。私は、まずそこが基本にあるように思います。憲法、基本法を守る守るとおっしゃるけれども、私人としては憲法の改正論者である。私人とすればだけれども、公人とすれば、総理大臣とすればそれは守るんだ。国家百年の大計をつくるという中で本当にそういうことができるだろうか、公人と私人というものを区分けできるだろうか、私は大変に心配するのであります。そういう意味で矛盾はしていないかという感じがするのですが、どうですか。
  12. 森喜朗

    森国務大臣 総理と憲法論議というのはしたことございませんが、既に総理は、憲法は守る、そして自分の命の内閣のプログラムと言ったか、ちょっと私は忘れましたが、そういう政治のプログラム、日程の中にはそうしたことは全く考えていない、こういうようにも明確に答えておられます。私も予算委員会におきます審議の経緯、総理と各党の皆さんとのやりとりをできるだけ聞いておりましたが、憲法を守り、教育基本法の精神をしっかり守ってやりたい、こういうこともはっきりとおっしゃっておられるわけでございます。したがいまして、中曽根さんがとおっしゃるお気持ちはわからぬでもありませんが、先ほど申し上げましたように、私ども自由民主党の文教政策というのは、各党会派の皆さんの従来のお気持ちも十分承りながら、教育を大事にしながら考えてきた政党でございます。今日的に日本教育は国民の中にも定着しておりますし、世界の中でも評価を受けている教育でもございます。しかし、先ほどから何回も申し上げて失礼でございますが、新しい視点で二十一世紀に向けて本当に対応できる教育なのかということをもう少し展望して考えていこうということでございますから、中曽根さんの体質、そうしたものと私どもが進めていこうとする文教政策というものと全く一緒にお考えをいただくというのはいかがなものかな、こう思っております。
  13. 木島喜兵衞

    木島委員 中曽根さんは総選挙中に、日本の場合、戦争に負けた昔のものはみんなだめだという、そこから個人主義の教育だけを入れたからこのように教育が荒廃したと言っていらっしゃいます。個人主義だけが戦後教育に残った。私はこのことが大変気になるめです。なぜなら、憲法二十六条というものは、憲法の第三章「国民の権利及び義務」の中に位置づけられております。すなわち二十六条は、国民の個人の人権の体系の中で考えられなければならないと考えておるからであります。それを否定されてはかなわないと思うのです。  例えば、そういう意味でこの近くで言えば二十六条の前、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」二十六条の前の条項、ここに福祉政策が必要でありますね。けれども、福祉を国だけに頼るのではなくて、やはり働いて価値を創造していかなければならない。価値を創造するために、だから二十七条では、すべて国民は勤労の権利及び義務を負う。そして二十八条は、労働三権を保障しておる。そして働く。働くためには科学技術の知識や技術を修得せねばならない。そこに教育が存在するから、その間に二十六条が挟まれておる。だからそれは「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という個人の権利として存在する。そういうように、教育というものを基本的人権の体系の中に位置づけて考えるとするならば、これが個人主義だけがということであっては、私は彼の憲法感覚を疑うのであります。  また、基本法から言いましても、第一条は、教育は人格の完成を目指して云々とありますが、後、以下に続くものは、この個人の人格の完成の属性であります。でありますから、この条文が入ったことは、かつての、戦前の、国に対する個人の従属、個人の隷属、犠牲、そういうものから個人というものを最大限に尊重する人格の完成、言うなれば教育におけるところの人権宣言がここに確立されたと言われております。それを個人主義だけが、そこでそのために今日の教育が荒廃したのだ、まさに憲法の二十六条もあるいは基本法の第一条も否定したところの論理になるのではないか。そういう中曽根さんでありますから大変心配なのであります。権力支配になるのではないかという心配をそこに一つ持つのであります。余り長くなくていいですが、感想がありましたら……。なければないでいいです。
  14. 森喜朗

    森国務大臣 中曽根さんのその演説を全部伺ったわけじゃありませんので、これは木島さんも直接話を聞かれたのではないだろうと思うのです、恐らく新聞その他でああいうのはやはりいろいろな前後の説明があると思うのですね。だから、そういうのはともすれば前後のところが案外消えていて、そこのところだけが新聞などに出てくる、そういう面もあると思うのです。しかし中曽根さんは、私もそんなに深いおつき合いはございませんが、内閣に入りましてから、やはり非常に人の話に謙虚に耳を傾けておられますし、ここに御列席の稻葉先生や坂田先生のような教育のベテラン、御専門家にお会いになると、そういう先生方のお話を本当に、なるほどそうだなというふうに、教育の問題に対しては非常に柔軟にお考えになっていらっしゃる。そういう意味で、先ほども申し上げましたように、予算委員会等を通じて野党の先生方からいろいろと御質疑がございましたことなども十分私どもに注意をするように、そうした先生方のお話の中で本当に正しい意見というのは、これは十分このたびの教育改革について配慮をしていくように、留意をするように、そういう御注意もよくございます。そういう意味で、外からごらんになったりあるいは選挙のときの演説のことだけで、どうぞ人格を余りごらんにならないように、非常に柔軟性ある幅広い、そしてある意味では非常にまじめな政治家である。別に大臣にしてもらったから言うわけではございませんが、私は、短い期間でございますが、一緒に仕事をしながらそういう感想を持っております。あえて感想ということでありますから……。
  15. 木島喜兵衞

    木島委員 余り演説とおっしゃるならば、書いたものでいきましょう。  「新しい保守の論理」、これはもうよく使われておりますから余り言いません。ただ、「文部省の教育方針にしても、中央教育審議会の審議基準にしても、約三十年前、占領軍によって指導された外来種の教育理念や制度の上を走りながら小刻みの改善を行っているにすぎない。」と書いてある。これは総裁選挙に出るときの文章、本です。これは文部省の教育方針も中教審答申も全部、「外来種の教育理念や制度の上を走りながら小刻みの改善を行っている」ということでもって、自民党の文教部会長をし、今また文部大臣であるところの森さん、どうですか、これは容認できますか。今あなた、しゃべったものじゃだめだと言うから、私は書いたものでこう言うわけだけれどもね。
  16. 森喜朗

    森国務大臣 今私も、審議官がくれましたので初めて読んでみました。確かにおっしゃるようにそのような表現がございます。だからこそこういうことを、これは何のときに発行されたのかつまびらかではありませんが、こういうお考えを持っておられればこそ私は御注意も申し上げ、そして教育改革をおやりになるならこういう姿勢で臨まなければなりませんよということを申し上げてきたつもりでございます。  また、あなたも御承知のとおり、藤波官房長官も私の文教部会長前任者でありますから、私以上に教育に御精通でございますし、考え方は私以上に穏やかな方であることも木島さん、よく御存じであります。体型的にもよく似ていらっしゃるところもございまして、一番気心は知っている。その藤波さんも、教育改革に関しての考え方を十分総理に御説明をしている。そういう中で総理が、例えば教育基本法の精神をきちっと法律の中に書くようにというようなことは——これは木島さん、わかるでしょう。私は自民党の文教部会にずっといただけに、このことについてはかなりいろいろな意味議論の分かれるところであるぐらいのことは、先生一番よくおわかりでしょう、我が党で。その中で総理の方がみずから、むしろこうしたことをきちっと書くようにというふうに御指示があったくらいでございますから、その当時は総裁選挙に出る前だったそうでありますが、やはり総裁選をやろう、臨もうということであれば、意欲満々でこういうお考え方もあったのかもしれませんが、総理大臣になって教育改革の任務を進めていきたい、いこうというお考えになれば、今私が申し上げたようなお気持ちにだんだんなってきておられる。そういう意味で、私もいつまで大臣になっておるかわかりませんけれども、私がそばにいる限りは木島先生の御心配のようなことがないように全力を挙げて、私の責任において進めていきたい、こう思っておるところでございます。
  17. 木島喜兵衞

    木島委員 なるたけそうあってほしいと思いますけれども、やはり一方は総理大臣、一方あなたは文部大臣だから心配はあるよね。ただ、あの人の体質というものは、これは後からだんだん話していきますけれども、やはりいろいろなところに出てくると思う。  日本の仏教の慈悲、儒教の礼儀、神道の清く明らけき心、キリスト教の愛、この上に教育体制を築くべきである、これを素直に文部大臣として理解できますか。どうもあの人、戦時中の言葉がよく出ますけれども、国粋主義の香りがするんですよ。においがするんですよ。もっともあの人は、においの中では、民族的文化の体臭を捨てて無臭になったり、他国のにおいを借りたら存在の独立性の理由がなくなるなんておっしゃるのだけれども、私は、そういうことをおっしゃるその中に国粋主義のにおいを感ずるのです。どうも教育の改革論者というのは多分に保守的ですね。自分の受けた過去というものにしがみついておる。教育は未来をつくる。未来をつくるのに、とかく教育の改革論者というのは、我々も含めてそうかもしれませんが、過去のしがらみの中から抜け出せませんね。ところが、中曽根さんは殊にそういう点においては私は非常に強いと思う。そういう点で申し上げているのであります。これはもう答弁は要りません。  そこで、さっき申しましたように、きょう新聞に出ていた文化教育のあれ、あれを一つの下敷きにするというわけね。あなたもどこかで答えていらっしゃるようであります。これは参議院でも質問があったようでありますが、私的諮問機関と公的機関、この混同じゃないかということ。それをざっと読んでみると、十一回ぐらい会議をやったけれども、中曽根さんも含めてだから中曽根さんの意思もこの中に入っているわけだ。教育基本法にとらわれずということ、一方は守るということ。中曽根さんの意思が入っている。それが下敷きになる。しかも、さっきおっしゃった藤波さんが参議院では、私的機関ということについては厳格に規制するとおっしゃった、それが公的な下敷きなんですよ。あなたも、下敷きになるとどこかでおっしゃっていますよ。これも一つの参考資料というようなことをきょうの新聞によれば書いておりますが、今までは下敷きとおっしゃった。こういうところに私は権力支配の心配をするのです。  今幾つか挙げただけでありますが、その点、総合的に心配ないとおっしゃいますか。
  18. 森喜朗

    森国務大臣 新しい機関で御検討いただくことは、新しくこれから御就任をいただく審議機関のメンバーで御検討いただくことでございます。運営あるいは審議の内容、すべて新しいメンバーの皆さんがお考えになることでございますから、きのう総理の私的諮問機関から出ております文化懇の問題を、その意見に耳を傾けようと傾けまいと、これは新しい委員の皆さんのお考えになることでございます。全く拘束されるものではございません。そのように私は承知をしております。
  19. 木島喜兵衞

    木島委員 中曽根さん、予算委員会でも何でも、初めからすべてそう言っていらっしゃればいいのよ。それをちょろちょろちょろちょろ、こうしたいと思う、ああしたいと思うなんて具体的なことを言うから、だからそうなっちゃうんですよ。今あなたみたいに、心に思っていてもそう言っていれば、しょうがないわな、これ以上。そうじゃないんだよ、あの人。だから有島さんが、例えば九年を守るのかと言ったら、基本法を守るのだから九年は守るんだなんて。そうしたらあなたが今度、五歳児も義務教育にしたい、と。それじゃ十年になっちゃう。そんなことはみんな任すのだ、こう言っていればいいのよ、あなたも含めて。そうでないから私は心配だと言っておるのです。まあいいでしょう。  そこで、全部任すとおっしゃる。この委員会、臨時教育審議会ですか、国民的合意と言うのでございますけれども、国民的合意というのは、これは実際大変難しいですよね。中曽根さんはどこかでもって、国民総参加の教育改革なんて。国民総参加の教育改革というのは、具体的には一体どういうことなのか、私はちっともわからないです。国民的合意、どこでどのように担保されるのですか。どのような保障がされるのですか。一億総教育評論家などと言われる今日、ただ合意は容易じゃありません。容易じゃないけれども、しかし容易じゃないからといって捨てたのでは国民的合意は成り立ちません。この辺の決意をまず聞きたいと思います。
  20. 森喜朗

    森国務大臣 新しい審議機関を設置するために、まず国会にお諮りをしなければなりません。国民を代表する各党の皆様方の御審議をいただいて機関を設置するわけでございますから、まず、このスタートのところから国民の合意を形成することが大事だと考えます。  それから、新しい機関がスタートいたしますと、幅広くいろいろな各界の皆さんに委員に御就任をいただくことを検討しなければなりません。これもできるだけ幅広い、いろいろな角度から御意見がいただけるようなことを、これはもう少し先のことになりますが、国会の御意思が出ましてから考えてみたいと思っております。したがいまして、それですべてか、こう言われてもこれはなかなか説明のつくところではないかもしれませんが、できるだけ幅の広い各界の方々に御参加をいただくことによって、またすそ野の広い議論の展開ができるような人選をしていきたい、こう思っております。  それから、新しい機関ができて、新しい委員が選ばれて、その委員の皆さんでお考えをいただくことであることは大原則でございますけれども、でき得ればこの議論を展開していく中で国民の合意を得られるような工夫を、運営も含めながらこの新しい機関の皆さんでこれもぜひお考えをいただきたい、こう思っております。私が余計なことを言うと、わかったと言っておけばいいじゃないかといってまたおしかりをいただくことになるかもしれません。私の言うことは越権になるかもしれませんが、途中でところどころ、議論の中の概要は国民の前にできるだけ明らかにしていく、そしてまた国民の皆さんからいろいろな形で参加ができていけるような、意見が吸収できるような、そういう工夫も凝らすようにぜひしていただきたい。これは、文部大臣としてそういう希望を新しい審議機関の皆さんに申すことは決して越権ではないな、こう私は思っております。いろいろと工夫をしながら、そういう意味では先生方の御意見もぜひまたこの国会を通じながら、こういうやり方はどうだろうか、こういうふうに考えて国民の合意を形成したらどうかというような御意見がいただけるならば、大変ありがたいことだと私は思っております。
  21. 木島喜兵衞

    木島委員 今御意見というお話がございましたが、今あなたが国民の前に明らかにするとおっしゃったことは、これは公開という意味に理解すべきことなんだろうと思うのです。これは、私は正直に言って、国民的合意という前提に立ては両輪といいますか、一体のものだという感じがするのです。  ただ、人選。例えば、何ですか教科用図書検定調査審議会社会科の東大の大石教授、あの人は、おれは改憲論者だ、反共論者だ、しかし文部省はそういうようなことを知ってちゃんとそういう人間だけ集めたんだなんて、新聞に随分堂々と言っていましたね。私は、社会科の教科書の最高責任者がそう言っているような人材がなぜ指名されているのか、大変疑問に思うのですよ。これはきょうは言いませんよ。  ただ、中教審答申がなぜ国民的合意を得られないかというと、国民の中に、やはり基本的にはそういう疑念をみんな持っておる。文部省や政府の言いなりになるような学者が多く集められておみのだろうという説に、国民は比較的そう思っているのじゃないかと思うのです。そこに国民的合意が得られない今までの中教審一つの姿があったと思う。ですから、例えば政治的申立と言うものですから、各党なり各党の推薦者を入れないのですね。入れないという名目のもとに御用学者なり御用文化人と言われる——説ですよ、そういう意見。と言われるようなことになってしまうから、そういう方々だけだから、したがっていろいろとまた答申に対する議論が出てくるわけです。だから、逆に言うならば、政党全部入って、あるいは推薦者を入れて、そこで満場一致制にすれば国民的合意になりますな。満場一致ですよ。これはスウェーデンの中央教育審議会などはやっております。しかし、それでは仮に社会党なら社会党がいたら何でも反対反対じゃ困る、こうおっしゃるのです。しかし、そこと公開とは一緒なんですよ。公開されて新聞社が入れば、毎日それを報道しますね。報道されたら、例えば私が何でもかんでも理屈に合わない反対をしたら、それは世論にたたかれますね。国民的合意という中では、そう言えなくなりますよ。だからそういう意味で、満場一致制と公開とはまさに一体だと思うのです。そういうことを思い切ってやる。  例えば、有島さんの質問だったかな、予算委員会の中で、そういうことについての質問に対して、いや、それは書かれたら委員は本当のことをしゃべらなくなるんじゃないかなという説がありますな、そんな答弁。書かれたから説を曲げる、しゃべれない、そんな委員はだめです。やはり一定のきちっとした教育政策を持ち、同時に、矛盾するようだけれども、国民の声を吸収し得るところの弾力性を持つ、そういう委員が当然ですよ。そうでなかったら国民的合意なんかできっこありませんよ。それをどこかでまとめて中間的に発表したら、その方がいいんじゃないかなんて言ってましたな。プレッシャーがかかる。そんなのは委員に値しないと思うのですが、そういうことも含めていかがですか。
  22. 森喜朗

    森国務大臣 木島さんのおっしゃるように、とやかく外から言われても自分の自説をきちっと述べてそれを進めていく、そういう方でなければならぬことはもちろんでありますけれども、現実の問題として、新しい教育の改革をしていこうということになれば、現在あるものをある程度、場合によっては改廃したり改善をしたりということも出てくると思うのですね。やはり、その過程の中でいろいろな意見が出てくるということは、私は公開の原則というのは非常にいいことだと思いますが、おしかりをいただくかもしれませんが、国会のこの議論も公開の原則ですけれども、政治家ですから自分の自説はあくまでも主張されてまいりますけれども、背景をいろいろ考えると物が言いにくい面というのは、正直言って私にもあります。過去にもありました。(木島委員「それは票に関係するからね」と呼ぶ)いや、それは票とかそういうことじゃないと思うのです。やはりお立場、お立場というものはあると思うのです。ですから、公開の原則は、先ほど言いましたようにいろいろ工夫を凝らしてみたいと思うけれども、すべて討論や議論を全くオープンにするということは、ある意味では、人間ですから自分の発言にどうしても制限をしなければならぬ、外向けの話、本音の話、建前の話というのはやはりあると思いまして、すべてオープンにするということはいかがなものかというふうに私は思います。むしろ、自由濶達な討議をすることの方がより大事なことでありますから、そこで公開の姿勢といいますか、そういう行き届いた方向がどのような形でできるかということについていろいろと検討してみたい、あるいは工夫を凝らしてみたいし、しかし、このこと自体も新しい審議機関の皆さんに御一任し、お考えをいただくことだというふうに思っております。
  23. 木島喜兵衞

    木島委員 少し議論したいところですが、後は人事その他では、例えば国会承認大事になぜしないかとか、あるいは例えば専門委員総理の任命にするというもの、本当は専門委員がつくるのね、一つは。それが総理大臣というのは一体どういうことかという問題もありますが、それはいいです、きょうは時間ありませんからね。  一つは財政。一体あなたのところの関係ではどうなっているのか。例えば、金はかけない方針なのか。第二、かけるにしでもほどほどにするのか。第三、金は幾らかけてでも大改革をやるのか。第四、それとも金に関しては全くいまだ方針なし。この四つのうち、どこですか。
  24. 森喜朗

    森国務大臣 ちょっとお尋ねをしたら失礼なんですが、審議機関全体に対する経費のことでしょうか。改革をすることによって伴う財政、こうおっしゃる……(木島委員「そうそう、改革の方」と呼ぶ)もちろん、新しい教育を見直していくということになれば財政的なものも当然伴ってくると思います。  私は総理にも申し上げでおるところでございますが、教育改革をしようということになれば財政のことは、もちろんこれは行政全般ですから、全く財政のことを考えずにやれということじゃございませんが、本当に教育を大事にし、ちょっときざを言い方でいい表現じゃありませんが、二十一世紀を志向した教育展開というふうに考えれば、財政的な負担という面も出てくることは当然御承知おきでしょうなということは申し上げてきております。
  25. 木島喜兵衞

    木島委員 要するに、あなたもさきの所信表明の中で言っていらっしゃいますが、三つの改革と総理は言っているわけでしょう、行政改革と財政改革と教育改革。したがって、教育改革に金をかければかけるほど財政改革はできなくなりますね。三つの改革だと言っておるけれども、どういうのが出るのかわからぬのですから、うんと金がかかるのが出るかもしれません、さっきおっしゃったようにみんなそれをこの委員に任せるわけですから。うんと金がかかって財政再建ができなくなってもやるのだということになるのでありましょうか。そこのところだけもう一度……。
  26. 森喜朗

    森国務大臣 財政改革も中曽根内閣の最も大事な柱であります。しかし、そのことと教育改革をこれから進めていこうということとは、ある意味ではリンクするところもございますけれども、教育改革と財政再建を常に絡ませた議論は、教育改革を進めることに適当でないと考えておりますし、ちょっと詳細な記憶はないのですが、予算委員会議論の中でも総理は、そういう御質問があったように私は記憶いたしておりますが、そうした財政再建あるいは行政改革がすべて教育改革の上にカバーするというものではないというふうに言明されておったことも記憶いたしております。
  27. 木島喜兵衞

    木島委員 きょうは私、するっと素通りしておきますから、後で順々に部分部分にもう少し深く入りますから、その点お許しください。  次に、それじゃ何をどう改革するのか。一つは、改革の理念は一体何かということであります。しかし、そう言ったってなかなか難しいかもしれません。さっきもあなたは、二十一世紀二十一世紀と言われた。中曽根さんも二十一世紀という言葉は好きですね。二十一世紀というのはどんな時代ですか。例えば、きのうの新聞に松下さんの京都座会のがでっかく一ページ出ましたね。あれも「今日ほど」と言う。いつでも今日ほど、今日ほどと言う。そうなんです。私、そう思う。というのは、例えば人類が何百万年前かというのは、いろいろ説がある。大体二百五十万年前と言われる。二百五十万年前とすると、二百四十九万年は狩猟採集時代、一万年が農耕時代、産業社会が三百年。その三百年の変化が非常に急激でしょう。急激で、しかも幾何級数的に変化していますから、したがって今日ほど、今日ほど、七〇年代は、八〇年代は、二十一世紀は、というのが常に存在するのです。二十一世紀二十一世紀と言うけれども、二十一世紀というのは一体どんな時代を想定しながら教育改革をなさろうとするのか。二十一世紀二十一世紀とおっしゃるならば、一体二十一世紀とは何か。まずこういうところが明確でなければ未来に向かっての教育改革はあり得ないだろう、言葉だけ二十一世紀二十一世紀では済まないだろうと私は思うのです。
  28. 森喜朗

    森国務大臣 私も浅学非才でございますから、二十一世紀はどういう世紀かと言われても、私はこういう時代になるだろうということはなかなか申し上げることはできません。まあ、二十一世紀とは何かといえば、一九九九年の次、西暦二〇〇〇年、単なる暦の延長だと私は考えております。ただ、人間は精神の動物ですから、一つの目標は必要でしょう。例えば瀬古は、つらいけれども何とかロサンゼルスのオリンピックまでは頑張りたいと努力する。我々も、自由民主党がこういう方向で政策目標を掲げていこう、それじゃ一つの目標の焦点をどこに当てていこうか。これは何も、二十一世紀という言葉は私どもだけじゃなくて、恐らく皆さんの政策の中にも書いていらっしゃる政党がたくさんあると思います。ですから、あくまでも人間の一つの努力目標のめどだというふうに私は考えております。  ただ、二十一世紀を、こう言うとまた何だと言われてもそのままになってしまいますが、展望してみますと、社会情勢、国際情勢がいろいろな意味で変わるだろう。(馬場委員「どう変わる」と呼ぶ)今、馬場さんかどう変わるかと言われましたが、質問者じゃないから答えていかぬのかもしれませんが、例えば、まさに高齢化社会というのが来るわけですね。そのときの対応は、福祉を完成していかなければならぬことはもちろん政治の目標でありましょうが、その福祉のあり方はどうなんだろうか。これは単に厚生省の福祉政策だけではなくて、人間の心の持ちどころというものが底辺に当然あると思うし、あるいは、先ほどちょっと申し上げましたが、明治以来の日本教育は追いつき追い越せ、何とか諸外国に勝たなければならぬ。勝たなければというのは戦争じゃないのですよ、とにかく追いつき追い越せと考えた。しかし、臨調でも指摘がありますように、追いつき型社会というのはもう終わったのです。まさに瀬古がいよいよ最終コーナーでトップに立ってしまった。しかし、瀬古は前にあるテープを目がけて走ればよかったかもしれぬが、これからは世界全体が日本を追いかけてくることになる。  経済摩擦、貿易摩擦と言うが、これは単に品物を外国に売るという摩擦にすぎないけれども、もう既に日産自動車を初め日本の企業が諸外国から要請されて諸外国に多く林立していく。そうしますと、諸外国の会社の管理体系といいますか、そのことは日本式雇用にだんだんなってきている、そういう意味での人間の民族的摩擦も出てきているわけです。アメリカやヨーロッパの長い歴史の中での文化、生活が、日本の会社経営による日本の生活ファクターに変わりつつあるという時代にもなってくる。そういうふうに考えた場合の日本の国民が持っている見識、民族性というものも、世界から理解をされていくような民族になっていかなければならない。  そういうようにいろいろな角度で考えてまいりますと、二十一世紀というのはわずか十六年先のことでございますから、視点をもうちょっと長く置かなければならぬのかもしれませんが、二十一世紀を担ってくれるであろう青少年の教育という位置づけをしていく一つ意味で二十一世紀一つの目標にすることは、私は間違っているとは決して思っておりません。
  29. 木島喜兵衞

    木島委員 私は、二十一世紀そのものを議論するのでありません。きょうはこれは余り深く言うつもりはありませんが、例えば今日の産業社会の病理、これはさっき申しましたようにトフラーの「第三の波」ということになるのかどうかわかりませんが、産業社会のひずみなのか、あるいは新しい時代の兆しなのか、これは私もわかりません。けれども、教育というのは未来ですから、そういう見方があってしかるべきものだろうと私は思うのです。  そこまでいかなくても、例えば四十六年の中教審を第三の教育改革なんて言いましたけれども、私は、あんなの冗談じゃないうぬぼれていると思っているのです。第一の改革、第二の改革、これはともに外圧による、黒船によっての改革、敗戦という改革。それは社会全体が変わったのです。社会全体が変わった中での教育改革なんです。あの四十六年の改革の中身だって、社会全体がそんなのじゃないのです。だから、これがもしも改革だということであるならば、そういう時代全体の大変革を想定して、それにどう対応するところの教育かということがなければ、改革でなくて、しょせんは教育の見直しの範囲だと私は思っておるのです。こんなのはしょせん見直しじゃないのか。七つの構想とかなんとかと中曽根さんが言っているが、あんなの見直しですよ。四十六年のが第二と言われれば今度第四なのかもしらないけれども、あの七つのあれだって改革にならないと私は思うのですが、まあそれは私の意見にしておきましょうか。  それは、教育の荒廃をどう直すかということにきっと今の出発があるのだと思います。それで、これも私が言ってしまいますが、教育の荒廃ということは、きのうの文化教育に関する懇談会の前提になっているものも、学歴社会が背景にある、学歴社会があるものだからそこで入試入試ということになる、それで輪切りになる、偏差値になる、そこでもってついていけないのは落ちこぼれになる、非行、暴力を起こす。だから、基本には学歴社会があるのだということが前提になっていることは、あなたもどこかでお述べになっていらっしゃるようでありますが、そういう認識に立っていいと思うのですが、そこに一番基本がある。それだけだと言っているのじゃありませんよ、そこからずっとだんだん出てきているのだというように理解してよろしゅうございますか。イエスかノーかだけ答えてください。
  30. 森喜朗

    森国務大臣 基本的にはそういうことだと思いますが、それだけではないと思っております。
  31. 木島喜兵衞

    木島委員 それでは大臣、こういう文章があります。  これまでの日本教育は一口にいえば、”上から教えこむ”教育であり”詰めこみ教育”であった。先生が教壇から生徒に授業する、生徒はそれを一生けんめいで暗記して試験を受ける。生徒の立場は概して受け身であって、自分が真理を学びとるという態度にならない。生徒が学校で勉強するのは、よい点を取るためであり、よい成績で卒業するためであって、ほんとうに学問を自分のものにするためではなかった。よい成績で卒業するのは、その方が就職につごうがよいからであり、大学で学ぼうというのも、主としてそれが立身出世のために便利だからであった。そのような受け身の教育や、手段としての勉強では身についた学問はできない。それどころか多くの人々は試験が済んだり、学校を出たりすると、それまで勉強したことの大半は忘れてしまうというふうでさえあっただれか文部省の方、今読んだこれはどこの文章だか知っている人がいますか。いないでしょう。これは戦後、国定教科書が廃止になって、そして検定の教科書が出るその間において文部省がつくったところの教科書、戦後につくった教科書であります。その高校一年生の社会科の教科書の中にこのような文章がある。  まさに今日とどんずばりでしょう。立身出世のための、そのために先生が上から教える、その知識を記憶する、試験が終わったら忘れてしまう。そして、戦後進学率が高まってくるに従ってこの弊害は顕著になってきた。文部省がこのときこう言っておって、この解決のために何をやってきたのか。もしもこの教科書を文部省が書いて、これに対してどう対応するかという今日までの教育行政があったならば、今日の教育荒廃は少なくとももっと軽症になっておるのではないか。私はそういう意味では、今日のこのように荒廃せしめたところの、それはこの問題だけじゃなしに、行政の責任というものが明らかにされなかったならば、国民的合意のもとに教育改革案がつくられるとは考えられないと思うのです。まあ質問はやめます。  だから、そういう意味で、学歴社会ということであれば、これも聞きたいところでありますが、時間がありませんからやめますが、戦後教育の見直しというのがありますけれども、学歴社会というのは明治以来の教育の見直しなんですよ。そこに一番基本があると私は思う。このことは後進国全体の共通の問題であります。後進国ほど追いつき追い超さなければならないのでありますから、したがって学歴主義になります。同時に、今先進国もまた進学率の上昇によって同じ問題を持っておりますから、そういう意味で私は、この問題の指摘は基本的に正しいと思う。学歴社会をどう直すかということです。したがって、そこから出発せねばならぬと思うのでありますけれども、そこに対する今日までの行政のあり方というものを私は大変に疑問に思うのです。  同時に、学歴社会をつくったのには財界の責任もあります。財界がそういう方針で人間を集めてきたでしょう。その端的なのが指定校制度です。ですから、私は、財界だって教育に対する自己批判がなければならぬと思う。そうでなくて、例えば財界が随分と教育に対するところの要請をしてきます。それで中教審はその要請に基づいて、一回だけの中教審会議でもって同じ結論の答申をしておることもある。殊に高度成長のときでありますけれども、そのくらい財界は教育を壟断してきた、教育を産業界の従属物にしてきた、そういう自己批判もなければならない。  例えば高校の多様化ですが、人間の能力の多様に対する多様化ではなしに、高度成長のときに初級労働者の多様な必要に応じて実業高校だけの多様化をやってきた。もし人間能力の多様化ならば、普通科におけるところの多様化があってしかるべきである。そうではなかった。ところが、技術革進が進めば進むほどすぐに使える技術者がすぐに使えなくなってくる。変化に順応し得るところの能力が必要になってくればまた普通科に返ってくる。ところが、それをやったものでありますから、かつての封建時代の士農工商の身分社会のごとく、学校教育は普通科、商業、工業、農業、定時制という格付になり、その責任というものを財界が一体どう考えているのか、そういう自己反省なくして教育改革委員になるなどというのは、私はおこがましいと思う。そういう反省の上に立って、だからこれからこうやろうということでなければならぬじゃないかとすら思うところであります。少し私も長くしゃべりましたから、時間がないものだから、あなたもなるたけ短く答弁を頼みます。
  32. 森喜朗

    森国務大臣 だれもがひとしく能力に応じて機会均等に教育を受ける、これは憲法や教育基本法の精神であるわけです。今日の教育の荒廃とあえて言いますか、教育関連しての社会の病理現象といいましょうか、こういうのはやはりある意味では産業の繁栄とともに、これに付随して出てきているものだと私は思うのです。ですから、今財界批判というふうにおっしゃると、ちょっと私も賛成はしかねるのですけれども、日本人が明治に文部省を設置して、そこから新しい日本教育改革が進められていった。そのために身分制度が廃止される、あるいは家柄制度なんというのは廃止されて、みんなが努力してまじめにやれば、言葉はよくありませんが、百姓の子も先生にもなれれば役人にもなれる、これが教育のすばらしい成果だと私は思う。そのことが戦後さらに伸ばされて、さっき言いましたように民主主義、自由主義というものが育ってきた。その中でみんなが努力して、日本の国をみんなでつくり上げてきた。その大きな成果、そしてその大きなみんなのエネルギーによるパイ、ある意味ではそれは財界がつくったと言えるかもしれませんが、そのことによってまた福祉も伸びだし、またみんなが教育を受けようという、そういう機会がどんどん増大をしていったと思うのです。それぞれの家庭で高等教育機関への進学率が高まってきたこともやはり日本の産業の繁栄によるものであって、財界が悪いという言い方で片づけられるものではありませんが、ただ、そういうように機会がふえてみんなが大学に行く、三〇%、三五%、三八%近くまで行く、そのことが別の意味での競争社会みたいなものをつくり上げてきてしまった。そのために指定校制度というのも、ある意味では大学生がふえてきたということも一つあるのかもしれない。もう少し手間暇かけて就職試験も入学試験もできたらもっと細かな配慮が加えられ、こうした荒廃にならなかったかもしれません。現実の問題として共通一次などはまさにそうでありますが、一遍に三十何万人の人が北海道から沖縄まで含めて一緒に受けなければならぬと、ついああいうマークシート方式にせざるを得ないという処理になります。そういう意味から、教育制度あるいは試験制度、やり方、そんなことも思い切って検討してみる必要というのもここにあると思うのであります。  まあ、ちょっと問題の本質から離れまして、木島先生もお疲れですからちょっとお休みをいただく意味で長くなって恐縮でありますが、財界も国民なんであって、みんなが努力して今日の日本の大きなパイをつくり上げてきた、その中でみんなが教育を受ける機会も増大をしてきた、その多くふえてきた中にいろいろな矛盾がまた出てきた、こういうことだと私は理解をしております。
  33. 木島喜兵衞

    木島委員 もう議論しません。ただ、教育は本来、教育そのものが目的であって、国家目的や資本の手段であってはならないと思っております。今おっしゃるように無関係じゃありません。みんな関係あります。けれども、基本的には教育それ自体が人間形成という、人格の完成という教育そのものが目的であって、他の手段ではないということをきちっとしていただきたいという意味であります。  そこで、じゃ学歴社会をどうなくするかという問題。これはまさにOECDの、日本教育を批判した、あのときに来たドーアなんかはこう言っているのですよ。例えば、管理者になると人をおさめているから大変気持ちいい、管理されていると大変気持ち悪い、いつも下で働いていると労働、苦しい、苦しく人生を送る人間に月給をいっぱい上げて、楽しくやっている人間の月給を下げたらどうだ、こう言っている。一つの理屈だよ、学歴社会をなくするために。だって著名な学者ですよね、ドーアは。  それだけじゃないのだけれども、例えばそういう議論があるごとく——ただ、今それを実施せいとは私は言っていません。ただ、どうなんでしょうか、履歴書に学歴が書かれるでしょう。あら、ここにどうも白川さんいて、嫌だな。あんた東大だよな、おれ中等学校だろう、同じ選挙区だよな。選挙のときに学歴書くでしょう。あれ何で書くの。そうすると国民は、選挙民は、白川さんは東大だからやはりなあと、こうなっておれの票は減るんだよな。  かつて私、子供のころもう既に、大正生まれでございますが、そのときに、士族も平民もなかったのに士族、平民と書かされました。私が子供時代。この中に書かれた人は合いないのかな。笑っていらっしゃる方は書かれたのだな。士族、平民と書きました。今なぜ学歴が要るのですか。人間の実力で勝負すると言う。そのことに学歴社会が弊害だと言う。みんな言う。なのになぜ学歴などというものを今日なお書かなければならないのですか、例えば。  そういうように社会全体をどう直すかということに、例えばどうですかね、単位互換制度をだんだん進めますよね、大学——大学間で。単位互換制度を広めたら、私が、時に東大の単位を取ったり九州大学の単位を取ったり早稲田の単位を取ったりしたら、私はどこどこの大学の卒業生じゃないですな。一部は東大であり九州大学であり各大学の何とか。それなのに単位互換制度を広めたら広めるほど、それは卒業証書は固有名詞がなくなりますな。固有名詞がなくなれば、今の学歴社会というのは学校歴社会ですから、そのことは一つ解消しますね。どこを出たかが問題ではないのであって、何を学んだかということであるならば、卒業証書を全廃して単位取得証明だけでもいいかもしれませんな。一番基本が学歴社会にあってそこから荒廃が起こっているとするならば、そのもとから断たなければならぬとするならば……。  そういうことは今私、一つの例でありますが、我々はその他、人材独占禁止法なんという法律まで考えているのですよ。余りある会社がある大学だけをいっぱい採るなということです。というように、いろいろなことを考えなければならないのです。そういう式のことに対して、簡単でいいですよ、時間がないから、大臣の御所見。
  34. 森喜朗

    森国務大臣 学歴を書いたというのは、やはり昔大学、高等教育機関に進む人の率が少なかったころの名残だろう、こう思います。白川さんが東京大学、木島さんが師範学校でしょう。しかし、木島さん、もうたしか五回か六回当選、僕と一緒だと思うのですがね。やはりそれで票が減るのじゃなくて、師範学校を出て先生やって、国会で頑張っておられるという評価の票も相当あるはずだと思うのです。(木島委員「いや、おれ東大ならもっと票をとっていると思う」と呼ぶ)いや、あなたがもし東大でそういう姿勢をしておられたら、ひょっとしたら落ちるかもしれない。むしろ私はそういう意味で学歴と人格、全く関係ない、こう思っております。ただ、今おっしゃったように、単位の互換制が進んだり、例えば先ほどお話に出ました放送大学なども、本当にまじめに放送大学をやれば高等教育機関を出たのと同じ資格がもらえるわけですから、そのことが将来、いろいろな単位をもらって高等教育機関単位取得者というのが学歴になったとすると、そんなことに妙味も何にもなければ、だんだんそんなものを書かなくなる時代が来るのじゃないでしょうか。  そういう意味で、専修学校や単位の互換制や大学全体、高等教育全体の問題、これも新しい機関が検討することですけれども、そういうことの諸制度もいろいろな意味でもし見直しがしていただけるならば、今先生がおっしゃったような、学歴を書いて、そしてそれを世間に公表するといいますか、そのことを出すことが無意味だということにだんだん国民のみんなが気がつくようになってくるのじゃないでしょうか。私はそういう感想を持っております。
  35. 木島喜兵衞

    木島委員 少なくとも学歴を履歴の中に記入しなければならぬなんというのは、学歴社会というものを否定しようとするならば、なくしようとするならば——しかし、これはあなただけではできませんね。しかし、これはやろうとすればすぐできる。この結論を待たなくたっていい。そういう努力が今までなされておらなかったところにむしろ問題があると思うのです。私が子供のころに、平民だ、士族だなどと、昭和の初めなんですよ、それも書かされている。それと同じことじゃないのかという意味で、そういうものは、ひとつやれるものはやっていくということです。  時間になりましたが、一つはそういう学歴社会をなくするということと、そこで次に、じゃ学校教育をどうするかということになってくると思います。  ちょっと古いのでありますけれども、また、かつて申したこともあるのでありますが、昭和五十一年の調査でありますけれども、私が一つ調査をしたところ、一つの算式を得ました。(1プラス〇.3)かける3.44イコール4.5という算式であります。何かというと、一というのはそのときの高等学校の大学進学希望者と大学の入学許容数は一でありました。同じでございました。プラス〇・三とは浪人であります。したがって、本来ならば、浪人がなければ一、入学地獄はないわけです。浪人を入れると一・三倍であります。三・四四というのは、平均して全部で三・四四校受けたのです。これは大学格差があるからです。少し上のところ、ここら辺から少し滑りどめというようなことで三・四四。したがって、平均して四・五倍の入試競争になった。その形は今日も大きく変わっておりません。すると、〇・三をどうするかという問題が一つあります。あるいは一・三でもいいです。一プラス〇・三、それをどうするか。これは生涯の、例えばいつでも大学にはいれる。あるいは高等学校でもいいですよ。という制度をつくったならば、今すぐ行かなくたっていい。むしろ逆に、職場に行って、そして自分の適性を見詰めて、そこでそれに合うところの学部を選ぶということになったならば、一・三は緩和されますね。  これは私、ずっと言っているのでありますが、ILO百四十号条約というのは有給教育休暇というものの条約であります。日本は批准しておりません。これはきょうは言いません。けれども、そういう制度を法的なことも含めてつくれば、一・三は緩和される。これは基本法を守るといいますか、基本法で言いましても、第二条は、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。」とありますから、あるいは第七条では、家庭教育及び勤労の場その他社会においての教育は保障されなければならぬとあるのでありますから、この二条、七条からいっても、こういう制度というものは、尊重されるとするならするほどやらねばならぬ。まあ仮に放送大学、あれは三分の一のスクーリングでしょう。二十日間の年休ではだめなんですよ。だから今までの実験では完了しないのですよ。みんな途中でやめなければならないのですよ、今までの放送大学の実験では。放送大学が一方でやる。しかし、スクーリングを三分の一受けられなかったら一会社を休んだら首になる、賃金が削られる。だったら有給というのは、それは必ずしも一〇〇%の意味ではないですよ、一〇%もあるでしょう、五%もあるかもしれません。あるいは無給であっても休暇だけは保障するということだってあるかもしれませんね。そういう制度がないところに、例えば立教なら立教が法学部で社会人を五%入れましたね。あれは主婦が中心になってしまうのです。そのことが一つ。後でまとめて簡単に答弁いただきます。  それから三・四四、これはさっき言いましたように、平均三・四四校受けたということは大学格差があるからです。今日まで大学格差の解消のために一体文部省は何をやってきたのだろうかと思います。もう余り時間がありませんから言いますが、例えば東大一校の予算は、これは簡単に言ってはいけませんが、東大一校の国から出る予算は、国立大学を予算の順に並べまして、下から二十九校分です。そういう格差、それはもちろん一概にそれだけと言えないですよ。単純に言えません。しかし、この間の三塚さんじゃないけれども、これは我々が六年前に出していることでありますが、だから東大を大学院大学にしてしまえというのもそこから出ているのです。その努力は一体何をしたのだろうか。地域的格差もあります。例えば日大が大体一校で八万人と言われますよね。これは各県の下の方からいうと、学生数でいうと、下の十八県分に当たるのです。日大一校ですよ。こういう地域格差、これを挙げたら切りがないのでありますけれども、そういうことに対して一体文部省は今日まで何をやってきたのだろうか。格差があるから入試がある。みんな同列だから、同質だから格差が出るのです。特色を出せば、横に並べば格差がなくなるのです。比べてみようがないのです。その特色を出すためにどう誘導してきたのだろうか、なかったではないですか。  私学助成にいろいろ言われる。言われる中で、そういうことがあったろうか。確かにそういうものに多少の予算をつけたこともあります。けれども、教育の荒廃だと言われるものをどう直すかという、その視点に立ってのことはなかったでしょう。この間も大田さんが言っていることですけれども、大学の共通一次は三十数万受けるわけだ。三十数万が千からゼロまでずっと並ぶわけだ。序列ですよ。それで輪切りされるわけですよ。高校はその下でもってまた並ぶわけですよ。中学も並ぶわけですよ。三千万近いところの子供たちが、国民総背番号ですよ。今日の教育の荒廃の原因がそこにあるとするならば、ここに対する今までの努力というものは何をしているのだろうか。そして、総理直属のなんと言ったって、僕らは何やと思うのですよ。だから文部省も悪かったら悪かった、一生懸命裸になってやりますという意気込みでなければならぬと思うのですが、どうですか。
  36. 森喜朗

    森国務大臣 大変多岐にわたる御意見の開陳でありましたから、簡単に言えといっても、文部省の方も説明すると、先生の倍くらい時間がないと説明できない。やはり文部省は大変努力をしてきたと思います。これは木島先生も御承知だと思うのです。  ただ、入学試験の改善をするということから言えば、例えば今共通一次が何か悪の権化みたいに言われるけれども、先ほど触れられましたように、当時、高等教育に進むということが増大をしていって、とにかくその量的拡大に対応するためにはというのがやはり一つの考え方であったし、試験なんというのはできるだけ各大学が自主的にやるべきだということでやったことが難問奇問へとどんどん走っていった。また今、共通一次で国立大学はある程度歯どめになっているけれども、私立大学はこれと関係ありませんからどんどん進んでいく。余り偏差値を見るのは嫌ですけれども、俗に言われている偏差値から言えば、東大以上の偏差値に慶応や早稲田がなっているという。これは共通一次に関係なく進めているから、そういう方向にどんどん深みに入っていくのだろうと思う。そういう意味から言えば、当時の難問奇問という試験、大学の出題した先生自身が解答できなかったということから考えれば、この制度はあの当時として出てきた文部省の一つの努力の価値、成果だと思うのです。ただ、これは試行錯誤を繰り返していくことでおりますから、またそれに対して二次試験の問題やマークシート方式がどうだとか、あるいは結局五教科七科目が大変だとか、こういう議論になってくるわけでございます。  私も大臣に就任いたしましてから、精力的と言うと語弊がありますが、教育の改善の問題だけはぜひ何とか取り組んでいきたい。これは教育改革と別問題だと考えてやってみましたけれども、やはり大学の先生方には一つの考え方があって、なかなか我々凡人の意見は入れてくださらない面も多いと思うのです。端的に言えば、五教科七科目がなかったら、これを過重、過剰だと考えるような人は国立大学に来てもらうことはないのだとまで、それに近い表現をされた先生方までおられたくらいであります。ですから、そういうふうに考えてみますと、高等教育全体の問題をやはり考えざるを得ないのじゃないでしょうか、木島先生。  単に受験の技術を改善するだけではこの問題はなかなか解決しない。私が今それを言うと、これは新機関に対する越権になりますから言わないので、さっきの議論展開から言えば、中曽根さんは言い過ぎるからよくないと言って今あなたからしかられたから、そこまで言ってはいかぬのかもしれませんが、そこまで改善し、根本的に改めるということなら、東大偏重している今の高等教育機関もそうでありましょうし、私立大学の助成、これは新しい教育機関とは関係ない問題で、別の考え方で今文部省も努力をしておりますけれども、やはり高等教育機関全体のあり方、学部、学科、あるいは教員の問題、教養部の問題、私は予算委員会を通じて自分の考え方もある程度述べてまいりましたけれども、こういう問題もやはりこの際少し新しい教育機関で検討していただけることを期待したいわけでありまして、このことは新しい機関を決して拘束することではございませんが、そうしたところで見直していただく時期が来ておるのではないか、こんなふうに私は考えております。
  37. 木島喜兵衞

    木島委員 さっき言った私の一つの結論から言う一・三をどうするかというために、生涯のいつでも学校へ行けるところの法的な休暇の保障、それから三・四四校で格差をどうなくするかということ、それでも完成できないときに、今おっしゃった入試制度のあり方が出てくるわけです。  これにも私は意見がありますが、もう時間がありませんからやめますが、ただ一つ言いたいことは、今さらでなくて、現に改革以前として法的に、例えば学校教育法七十五条は、小学校、中学校及び高等学校に特殊学級を置ことができるとあります。仮に高等学校に特殊学級があれば——ありません。小中学校に特殊学級を置くことを進めておりますけれども、ないのです。もしもあれば、法律で小学校、中学校及び高等学校に特殊学級を置くことができるとするならば、中学校の精薄学級に通っている一定の人たちはそこへ行くわけでしょう。高等学校の特殊学級へ行けるわけです。だのに文部省の高等学校の入学選抜については「高等学校教育を受けるに足る資質と能力を判定して行うものとする。心身に異常があり修学に堪えないと認められる者その他高等学校の教育課程を履修できる見込みのない者をも入学させることは適当でない。」という指導なんですよ。だから、定数を割っても試験でもって落としているわけでしょう。入学者が五十人なら五十人の四十八人だった、定数を割っても落としているわけでしょう。ところが、おっしゃるように九四%受験している。そのうち高等学校に九八・五%が入っているわけです。学校教育法七十五条を完全に実施したら高等学校、すなわち中学校の教育というものは変わってくると私は思う。さっき生涯教育の話がありました。単位互換の話がありました。学校教育法六十九条の二項「公開講座に関し必要な事項は、監督庁が、これを定める。」とあります。まだありません、昭和二十二年以来ないでしょう。公開講座はそれを単位にしようという動きもあるわけでしょう。それがない。あるいは四十人学級だってそうですよ。法律があるのです。  この間の山原さんの質問か何かに対するあなたの答弁を見たら、あなたは四十人にした方がいいのか、あるいはその他の改善をした方がいいのかとおっしゃった。誤りですよ、両方含めて。おおむね三年後からあれするということで十二年間と決まっているのです。あなたは誤りです。でありますから、これはことしすぐにやりましょう。おおむね三年というのはことしだからね。しかも十二年間でやらなければいかぬのだから、これはやりましょうよ。そういうものを進める。  さっき入試の話がございましたけれども、入試センターは、一つは実施部門と一つは研究部門があるわけです。その研究部門は、一つは入試のあり方の研究ともう一つは生徒の適性、能力、自分が一体どこを受けたらいいか、自分の将来の適性、そういうことも研究するということになっております。研究部門はやっておらぬでしょう、既に法律にあるものを。これはまさに行政の怠慢です。今幾つかの例を挙げただけです。  日本教育は、例えば中退したら再び入れてくれない。再入学させないでしょう。それをちょっと変えたらいいじゃないですか、いつでも入れるとするなら。そういうことは今日の勧告なんて待たなくたって、そしてそれをやっておったら日本教育の今日の荒廃は、なくなるとは申しませんけれども、少なくとも軽くなっているはずだと思うのです。こういうことを抜きにして一体何をやるのだろうか。  もう時間が来ましたからやめますが、僕は、七つの構想なんというようなあんなものは、一つずつやったら、中曽根さんなんて教育を全然知らぬということになると思うのですよ。例えばさっきの共通一次、これで難問奇問をと言ったんだ。確かにあなたおっしゃったとおり。ところが、なぜそういう難問奇問が出るかということのそこにメスを入れて、そこを解決せぬで共通一次をやったから、逆に今言われるいろいろな弊害が出てきたわけでしょう。なぜ難問奇問を出さなければならなかったのか。そうなったのか。例えば東京の高等学校の入試で学校群、これは、一つは公立高校の格差をなくそうという大きな配慮ですわね。ところがそうやっていったら、国立大学の附属高校、私立の進学校にみんな打っちゃって、新しい弊害が出ますね。あの人の七つの中にそういうものがみんなあるわけですよ。ところが、そんなもの、一つ一つじゃだめなんです。全部総合的じゃないとだめなんですね、おっしゃるとおり。だから、それを七つに分けて、そして緊急なものはやってくれ——緊急答申とかなんとか言っておる。緊急答申みたいなものは、さっきから私が言っておるように、してもらわなくたってやらなければならぬことぐらい、文部省はわかっていると思う。しょせんその程度のものなんですな。だから、私がさっきからずっと言っていることは、大げさな教育改革なんというものはあの七つの構想からはちょっとも感じられませんね。  これらについては細かくは後で我が党の委員が逐次質問しますが、時間がなくなったからまとめて言っちゃったので、これは直球じゃなくて新幹線ですな。何かあったら……。
  38. 森喜朗

    森国務大臣 木島先生の長い教育問題に関する御見識、また示唆に富むお話、大変参考になりました。そういう各般にわたる教育全般に対する問題を幅広く検討をしていきたい、こういうのが政府の考え方でございます。
  39. 愛野興一郎

    愛野委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時六分休憩      ————◇—————     午後一時五分開議
  40. 愛野興一郎

    愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。佐藤誼君。
  41. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 予定では我が党の中西委員が質問することになっていますが、関連ということで冒頭、私の方から質問させていただきます。内容的には、先ほど木島委員が質問したことに関連いたします。  それで、御案内のとおり昨日、文化教育に関する懇談会の提言がなされたわけであります。この内容については、従来報道されているところによれば、これからの臨時教育審議会、この審議の諮問事項として尊重していくというような報道もなされていますね。いずれにしても、この内容がこれからの審議会の審議に影響を与えることは間違いないだろうと思うわけであります。  そこで、文部大臣に、今申し上げた教育懇の提言内容とこれから審議をしていく臨時教育審議会の審議の進め方、これとどのようなかかわり方、関連を持っていると理解しているか、これをまずお聞きしたいと思うのです。
  42. 森喜朗

    森国務大臣 新しい審議機関は、これから設置を見ました時点で新しい審議委員を御選任申し上げるわけでありますが、その審議委員の皆さんでどういうことを検討するかということは、新しい審議機関の皆さんがお考えになることでございます。したがいまして、今佐藤さんが御指摘ございました文化懇の考え方に直接その審議機関が拘束されるというようなことはございません。
  43. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 私は、拘束されるかどうかということを聞いているわけじゃない、拘束されるなんということになればこれは問題ですから。しかし、世上言われるように、私的といえども総理大臣の諮問機関という位置づけにあって、従来もしばしばそれに対する見解を述べられてきたわけですから、これから臨時教育審議会が審議していく内容に何らかの参考になるあるいは影響を与える、こういうことは常識的に我々理解をしているのですが、重ねてどうなんですか、これは全然関係ないのですか。
  44. 森喜朗

    森国務大臣 審議機関との直接のかかわりはないと私は思います。ただ、総理も予算委員会の中でも申しておりましたし私も申し上げた記憶がございますが、日本教育あるいは文化に関する一つの考え方をそれぞれの識者の皆さんがおまとめになったことでございますから、考え方として参考にはなるでありましょう、こういうふうに申し上げてまいりました。
  45. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 参考になるということですが、その参考の度合いがこれからいろいろ問題になっていくだろうと思いますけれども、その場合に、教育懇の提言内容をずっと見ますと、重要な部分に次のことが書いてあるのですね。つまり、総論がありまして、中締めに相当する部分に「我々は、以上のような基本的認識の下に、教育基本法教育に関する特定の見解にとらわれず、特に今後の教育の在り方」云々、こう書いてあります。  つまり、提言の内容に、今後のあり方を追求していくあるいは検討していくという場合に、「教育基本法教育に関する特定の見解にとらわれず」ということが基本になっているわけです。これはやはり我々は十分留意しなければならぬ部分だと思うのです。そういう基本的な視点に立って以下各論がずっと書いてあるわけです。したがって私は、今後どの程度参考にするか程度にもよりますけれども、この点が極めて重要な点ではないか。  ところが一方、出されている臨教審の法案には「目的及び設置」の第一条「教育基本法の精神にのっとり、その課題の解決に必要な」云々、こう書いてある。これは明確にあります。  片一方はこだわらずとあって、片一方はのっとりとあり、しかも十分それは参考にするんだという。十分かどうかは別にしても、参考にするということになっている。その点のかかわりはどういうふうに理解していますか。
  46. 森喜朗

    森国務大臣 文化懇の皆さんが、いろいろな角度で総合的に議論されておまとめになったことであろうと思いますので、その文化懇そのものが教育基本法あるいは憲法をどういうふうに考え、あるいはどういうふうに守る、そのこと自体私ども関知しないことであります。ただ、これから教育改革を進めていこうとする私ども文部省、政府といたしましては、教育基本法の精神を大事にしていきたい、こう申し上げております。新しい審議機関の皆さん方がどういうお考えで議論されるかは、これから審議機関の皆さん自身がお考えになることでありますが、文部省といたしましては、設置法の中にも盛り込んでありますように、教育基本法という精神をしっかり大事にしていただいて御議論をいただきたい、そういう期待を持つということになるかと思います。
  47. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 政府の考え方としては、教育基本法を尊重し、その精神にのっとり、そしてまた臨教審の皆さんも教育基本法の精神にのっとって審議をしていただくことを期待する、こういうことなんですね。  ところが、先ほどありました文化教育に関する懇談会、これを参考にするということなんですから、その参考にすべき内容が、教育基本法にこだわることなく云々という形をベースにして出されてきた内容を参考にしたら、かみ合わないことになってしまうのではないかと思うのですよ、矛盾とは言わなくとも。この辺のところがこれから議論されていくときに、実質的には新聞で報道されているように、文化教育に関する懇談会を十分参考にすることは常識になっていますから、その辺がこれからの非常に大きなすれ違いといいますか、問題点になっていくのではないかなというふうに私は思いますので、まず、重ねてその点、文部大臣の見解をお聞きします。
  48. 森喜朗

    森国務大臣 政府は、教育改革を進めていくという上で憲法や教育基本法の精神を大事にしていきたい、こう何度も申し上げているわけでございます。文化懇の提言の中には、そういう考え方にとらわれずにということでありますが、これは文化懇の皆さんの議論一つの舞台といいますか、そういう考え方でおやりになったのかもしれませんが、教育改革を進めるのは、具体的に進めていくということになればこれは文部省が進めていくわけでありますから、教育基本法の精神にのっとるということは大臣に担保されていくことになると思いますが、その辺で新しい検討機関の皆さんがいろいもな議論をなさるということは、これは本当に自由な議論というものがあっていいのではないだろうか、私はそんなふうに考えております。
  49. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 この問題は先でまた問題に出される部分だと思いますから、きょうは私は関連質問で時間も制約されております。その問題、いずれまた関連していきたいと思います。  第二点の問題は、先ほど申し上げた臨教審法案第一条「教育基本法の精神にのっとり、その課題の解決」以下云々とありますね。その精神にのっとってやってほしいというこの教育基本法の精神は、だれがそれを解釈し理解するのですか。教育基本法という法律がありますね。「精神にのっとり」とありますが、その「精神」はだれが定め、だれが解釈していくのですか。
  50. 森喜朗

    森国務大臣 教育基本法は、これは既に定められた法律でございます。この精神の中で教育改革を進めていくのは政府でございますから、教育基本法の中で政府はいわゆる改革を進めていくということでございますし、新しい審議機関の皆さんのお考えは、私どもとしては、この教育基本法の精神にのっとった中でやっていただけることを期待しておるということでございます。ただし、答申が政府に出てまいります、そして具体的な改革に政府が取り組んでいかなければならぬということになれば、教育基本法の枠の中でやっていくということは当然なことになるのではないかと思います。
  51. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、臨教審の法案の第一条にも「教育基本法の精神にのっとり」とありますね。そしてまた政府も、それにのっとって審議され、答申が出されることを期待する、政府もそれを受けて、教育基本法の精神にのっとって、それを参考にして政策を打ち出していく、こういうことになると思いますね。そのときに受けた政府の側で、「教育基本法の精神にのっとり」とあるんだけれども、また、あなたも今言われましたけれども、その政府の教育基本法の精神はだれが定めていくのか、だれが解釈していくのか、だれがリーダーシップを発揮するのか。  私は、この質問をはっきりするために重ねて申し上げますが、二月十五日の予算委員会内閣総理大臣は、今のことについて次のような答弁をしておりますね。「中曽根内閣におきましては、私が申し上げていることが教育基本法の解釈であり、私たちの確信でございます。したがいまして、この精神、この解釈によりまして私たちは実行していくつもりでございます。」こういう言い方をしておりますね。つまり教育基本法の精神は、中曽根さんが申していることがその精神であり解釈だと、こういう言い方ですよね。そうすると、この答申の方は仮に教育基本法の精神に基づいて審議されてきたとしても、今度それを受けるところの内閣中曽根さんの解釈でやってしまうわけです。  そうすると、私はその先をずっと申し上げますと、審議、答申教育基本法の精神にのっとってきても、最終的には中曽根さん個人の精神や解釈や判断に基づいて取捨選択されて内容がつくられ、施行されていくのじゃないか。それがつまり、この問題の非常に重要な部分である教育改革教育に対する行政権の介入という、これはすぐれて権力の中枢にある内閣総理大臣の考え方が教育改革にぐんと入っていくのじゃないか。このおそれが臨教審の法案の中に潜んでおるのじゃないか。このことは法案が出る前から議論されてまいりましたが、具体的に臨教審の法案を見ても、やはりその危惧が消えないのではないか。このたびの臨教審の極めて重要な部分の一つではないかと私は考えますので、その点、所管の大臣ではないかもしれぬが、文部行政を預かる文部大臣としての見解を聞いておきたいと思います。
  52. 森喜朗

    森国務大臣 法律の最終的な判断というのは最高裁がやることになるのだろうと思いますが、教育の固有の事務を所掌いたしております教育基本法文部大臣の責任でございますから、いろいろと今佐藤先生が御懸念の点の御指摘がございましたけれども、教育改革を進めていく責任は文部大臣にございます。したがって、文部大臣がその判断をいたすということを申し上げることはできると思います。
  53. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 ちょっと後の方を聞き漏らしたのですけれども、重ねて最後の結論だけ……。
  54. 森喜朗

    森国務大臣 文部大臣の責任において改革を進めていくということでございます。
  55. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 当然それは所管の大臣ですから文部大臣がやるのでしょうけれども、予算委員会中曽根総理大臣が今私が述べたように申しているのですから、これを無視したり軽視するわけにいかぬでしょう、文部大臣中曽根内閣一つの所管大臣ですから。そうでしょう。この点、どうなんですか。あなた、自由勝手にできるのですか。
  56. 森喜朗

    森国務大臣 佐藤先生御承知なんだろうと思いますが、その総理が予算委員会で述べられたことは、どなたの御質問だったかちょっと私忘れてしまいましたが、昭和三十一年だったと記憶いたしますが、清瀬さんが文部大臣当時に、教育制度審議会ですか、そういう法案が出まして、そのときの清瀬さんの答弁が、新しい教育基本法では国を愛するとか親孝行とかそういうことは読み取れないんだというような意味のことを大臣が答弁された、だから今度の法律の改正、いわゆるこの審議機関の設置の法案もそういう意図があるのかというような云々で御質問があって、総理は、今の教育基本法できちっと国を愛することや親孝行するというようなことは十分読み取れます、そういう判断ができます、こういう答弁をされて、それについてまた御質問があって、その判断は私がいたしております、こういうふうにたしか総理は述べられた、そのくだりだろうというふうに今私は記憶を思い出しているわけでございます。  したがいまして、何度も申し上げますが、教育基本法の判断は文部大臣がいたすことでございます。総理大臣がこの新しい設置法を提出いたします、あるいは今検討いたしまして成案を見るに至りましたのも、文部大臣の意見を聞いて、あるいは所掌の事務は文部事務次官を充てるというような云々のことも、そしてまた、一番大事なところにも教育基本法にのっとるということをきちっと入れたことも、そうした懸念に対してのことでございますから、最終的には文部大臣が、諮問を仮に受けても、具体的に教育改革を進めるのは文部省でありますから、文部省は教育基本法というものの判断の中でこの改革を進めていくということでございます。  佐藤さんの御懸念は私は十分わかりますけれども、少なくとも文部大臣がそういう判断をきちっとして、教育改革を進めていくことがいつになるかわかりませんけれども、私がいつまでもやっているわけじゃありませんが、そのときの文部大臣はそういうことをきちっと守ってやっていくということは、これは担保されていると私は思っております。
  57. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 文部大臣としての所信と確信はいいのですけれども、この臨教審に始まっての教育改革、あなたも先ほどの答弁でるる言われておるように、まさに一文部省で賄い切れる、締めくくれる問題状況にはもうない、したがって云々、総理府に審議会を設置して総理大臣の諮問機関、こういう流れになっています。ですから、その一環でやる限りすべてが、文部大臣が所管の大臣だから全部締めくくっておれがやるんだ、極論すれば内閣総理大臣が何言ったって私は所管の大臣だ、こういうわけにはなかなかいかぬのが今までの流れであり、枠組みではないかという気がしてならないのですよ。  ですから、あなたがそのように自信と確信を持たれることは何も否定するわけじゃないけれども、どうしてもそういう懸念がある。しかも、それは文部大臣を飛び越えて、権力の中枢である内閣総理大臣直属の諮問機関であって、そして先ほどのような教育基本法の解釈も、今文部大臣が言われた流れはあるにしても、最終的には締めくくった形で「私が申し上げていることが教育基本法の解釈であり、私たちの確信でございます。」こういうふうにきちっと結んでいるわけですよ。ですから、流れはそうであっても、このことはやはりおれがやるんだ、これはきちっと議事録の中に残っているということは否めないと思うのです。  そこで私は、時間も制約されておりますから次に進んでいきますが、この臨教審の法案の、会長あるいは委員の任命がありますが、その中に第五条は「委員は、人格識見共に優れた者のうちから、文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」こうあります。それから第六条は「審議会に会長を置き、内閣総理大臣がこれを指名する。」と書いてあります。  我々の今までの経験や慣例からいうと、審議会においてこの会長の任務と責任と権限というのは極めて大きいと見るのが常識だと思うのです。この会長は内閣総理大臣がこれを指名するんですよ。そうすると、これは先ほどから言っているように、内閣総理大臣の諮問機関の最も重要な部分の会長は直接指名する、こういう形になっているということは、内閣総理大臣のこの問題についての権限が極めて強いのではないか。  とりわけ私が留意をしたいのは、これは新聞の報道ですから私、確かであるかどうかまだはっきりしませんけれども、参議院予算委員会での報道がなされております。その中で総理大臣は、今の委員の人選について次のような答弁をしているのです。新機関の臨時教育審議会については委員の人選で運命が支配されるので慎重に進めている、こういう答弁をしているのですよ。これはうべなるかなですね。そうすると、結局、先ほど言ったように、総理も認めているような、委員の人選が臨教審のこれからの行方や成果や運命まで決すると言っているのです。その最も重要な会長を総理大臣が直接指名するという形になっているのですよ。もちろん指名するからには、自分の思想的にも、場合によっては感情的にも意に沿わない人を指名するとは考えられないですよ。我々の常識からいえば、ツーカーの人が指名される。しかもそれは運命を決するようなポジションである。こうなりますと、国民の皆さんが疑問に思っているような、これは確かに審議会ではあるが、内閣総理大臣の権限、これが非常に強く発揮されて、意のままになるとは言わないけれども、権力の中枢である内閣総理大臣を通じて教育に対する行政権の介入、ひいては国家権力の教育に対する不当な、内容まで入っていくというようなことになりかねないんじゃないかということが、こういう一つの臨教審の法案の中身やあるいは総理大臣の答弁の中でどうも我々は心配されると思いますが、その点どうですか。
  58. 森喜朗

    森国務大臣 新しい教育審議機関が、幅広い各界の皆さんから御参加をいただくということになります。できるだけ自由濶達な、そしてそれぞれ御経験の深い御見識の中から議論を展開していただくわけでございます。そして、今佐藤さんも御指摘がありましたように、専門委員というのもその必要に応じてこれを選任することができます。自由濶達な御議論をいただく中で専門的な事項をある程度起草し、そして具体的な改革というものを考えていく場合には、それぞれ専門の方々が必要になってくるでありましょうから、そういう意味で御選任を申し上げる。それを事務的に所掌してまいりますのが事務局ということになるわけでありまして、二十五名以内という委員あるいは専門委員という、その専門的なことをまだ今からどういうことかということは想定できませんけれども、ある程度常識的に考えましてもかなりの数になる。あるいは事務局もいろいろな角度から検討いたしますので、それぞれいろいろな各行政部門からの参加ということも考えられます。  そういう意味からいいますと、やはりそれだけの多くの皆さんが御議論をされ、あるいはまた具体的な議論の詰めなどということになりますと、それを取りまとめていくということになりますと、かなり権威も必要になってまいります。そういう意味からいえば会長を、ふさわしい、そして多くの皆さんの御意見をある程度取りまとめていくにふさわしい方をお選び申し上げるということになりますと、やはりこれは総理から指名することが一番適当であるというふうに私どもは考えたわけでございます。  佐藤さんはその辺のことが、総理大臣のいろいろな意味での権限、そしてまた政治の介入ということにおそれを持っていらっしゃるのだろうと思います。その点、私はよく理解できます。しかし、具体的な改革の煮詰めを取りまとめていきますのは事務局でございますから、その事務局長に文部事務次官が当たるということを法律できちっと定めておるわけでありますから、そこできちっと、いわゆる佐藤さんの御指摘をいただくような御心配の点はそこで十分にクリアができていく、私はこんなふうに考えるわけでございます。
  59. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 会長はそれにふさわしい人を選ぶという、どういう人がふさわしいかは議論のいろいろ分かれるところだと思いますが、それはそれで一つの考え方だと思いますから言いませんが、今のシステムを私は議論しているのでありまして、重ねてでありますけれども、総理も、委員の人選で臨教審の言うなれば運命が決まるというようなことを言われているわけですが、その最も重要な会長を首相が指名するということですね。そうなりますと、極めて短絡的な言い方だけれども、文字どおり、会長を首相が指名するという形で臨教審の運命まで、首相の言をかりれば運命まで首相が握っているというような解釈すら成り立つわけですね。こういう形で首相のもとに人選を含め力を集中して教育というものを議論してもらい、答申をしてもらって改革していくということが、教育を進める上になじむのかなじまないのかという問題だと私は思うのです。こういうやり方を教育の場に採用していくことは本来なじまないし、だからこそ教育基本法の第十条が「不当な」云々ということを改めて強調しているゆえんだと思うのです。このことは、さらにこれから議論されていくと思いますから、きょうのところはこのくらいにとどめておきたいというふうに思っております。  戦後政治の総決算というようなことも総理が常に言っていることでありますし、それと、行革と財政改革と、教育臨調とは言っておりますけれども、この臨教審がどういうかかわりを持つのか、こういう問題は幾つかあるけれども、それらの総括的な問題はいずれ私の質問の機会に譲りたいと思います。  終わります。
  60. 愛野興一郎

  61. 中西績介

    中西(績)委員 今佐藤委員の方から、あるいは午前中は木島委員の方から、いろいろ臨時教育審議会設置について質問がございましたけれども、まだまだ不明の点がたくさんございますので、論議するのに非常にしにくいわけなんです。したがって、私は希望だけここで申し上げておきますから、でき得れば自後、資料的なものにして、文書にしてでも出していただければと思っております。  と申しますのは、午前中もございましたけれども、今までいろいろ言われておるけれども抽象的な文言であって、これを設置するに当たっての具体的な理由、何が問題になっているのかということが私らにとって非常に不明確です。ですから、この点を整理して出していただきたいということが一つです。  それからもう一つは、問題にされるような中身というのがなぜこの機関に出てきたのか、その点についての原因は何だったかということをある程度、詳細にわたってすることは大変困難だろうと思いますから、少なくとも項目別ぐらいには整理していただきたいと思うのです。  そして三つ目に、先ほど木島委員も言いましたけれども、そうした問題に対する行政として反省すべき点、こういう点について指摘していただければと思っています。  したがって、私はそうした問題をいろいろ指摘したいと思っておりましたけれども、先ほどから論議を聞いておりますと、どうしても抽象的になりますから、ここではもう重ねて質問をすることはやめます。  そこで、文部大臣所信表明がありましたので、この中身について私は一つずつ質問をしていきたいと思っています。  まず最初に、所信と同時にもう一つ、従前から私が取り上げておりました私立学校の問題の中で、九州産業大学が大きく問題になっておりましたので、この点について二、三、先に質問をしておきたいと思っています。  そこで、きょう警察庁の方いらっしゃっていますので、この前質問する機会がございませんでしたからきょうは一番先にさせていただいて、お答えをいただきたいと思います。  九州産業大学におきまして、今なお依然として校内における暴力的支配が継続をしておるという状況があります。警察庁としてはその点は、私がこの前もちょっと指摘をいたしましたけれども、大学学長を一月六日に八時間も軟禁をするとか、それ以前には同和会の人を連れてきて、問題になっておる鶴岡前理事長、現在の稲井理事長、平野前副理事長などなどを初めといたしまして、全部が一緒になって軟禁状態にして責めていく、こうした状況が続いています。さらに拡大教授会なりを開いておりますと、そこに学校の職員と一緒にそうした人々が乗り込んでくるというような状況すらもある。あるいは学校の職員がいすを振り上げたりなんかするというような状況等もある、こうなってまいりますと、これは大変なことだと思います。したがって、学長なり教員がそれぞれ県警あるいは束署の方に届け出ておると思いますけれども、そうした状況をいかに把握をしておるのか、この点について簡単に今の現状を説明してください。
  62. 三上和幸

    ○三上説明員 ただいまお話がありましたように、九州産業大学の中でいろいろと学内の運営をめぐりまして問題が生じておることは、私どもも承知をいたしておるわけでありますが、十二月の十八日に校内で学校の職員と助教授との暴行事件が発生をしたということで、この事案につきましては関係者からの取り調べを行いまして、被疑者を一月十日に送致をいたしております。  そのほか、ただいまもお話しございましたように、一月六日に学内におきまして関係者による話し合いが行われたということも、大学当局等からの通報によりまして所轄の東警察署において承知をいたしておるところでございます。これに対しましては、大学当局との連絡体制も密にいたしまして実情を把握し、所要の対応をするということに努めてきたところであります。  また、二月二十七日に助教授の方が所用がございまして帰ろうとしたところを取り囲まれたということで、口論があったというような事実も承知をいたしておりまして、これに対しましては関係者から事情の聴取をいたしておるところでありますが、それに対しましては、特別被害の申告をしないというようなことの意思表示も聞いておるわけであります。  しかしながら、こういった大学関係の運営をめぐりましての対立が各種のいろいろな事案になってきておるというふうに考えておりますので、私どもとしては、大学当局との連絡体制を緊密に進めるとともに、事案の態様によりましては警察官の臨場措置等をとる等によりまして、不法事案に対しましてはこれを看過しないという態度で臨んでおるところでございます。
  63. 中西績介

    中西(績)委員 今お答えがありました中に、当局との連絡を密にしておるということを言われましたけれども、その当局とはだれを指しているのですか。
  64. 三上和幸

    ○三上説明員 東警察署においてしかるべく窓口をつくって連絡をしておるというふうに聞いております。
  65. 中西績介

    中西(績)委員 学校当局ということをさっきちょっと言われたようですから私は聞いておるのです。そうしますと、学校当局というのは、この被害に遭っておる教職員を指しておるのか、それともそれを加えておる理事者側なりそれに連なる人たちを指しておるのか、どちらですか。
  66. 三上和幸

    ○三上説明員 もちろん、被害を受けました方々からの通報あるいはそういう方々からの事情の聴取ということは当然ございますし、また、その事案について大学の関係者から連絡がございますればそれとの連絡、そういう意味もあるということでございます。
  67. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、一月六日だけで結構です、私今から名前を言いますから、その点で明らかにしてください。  稲井現理事長、鶴岡前理事長、それから平野現理事・前副理事長、それから榎田、福井両理事及び仲村という同和会の人ですね、こういう人々がおったということの確認はできていますか。
  68. 三上和幸

    ○三上説明員 当日、関係の方々が集まったということの話は聞いておりますが、具体的に今、そういったどなたが集まっておるかということについて、手元に資料もございませんので、ちょっとお答えを差し控えたいと思います。
  69. 中西績介

    中西(績)委員 それでは、これは自後、調査をしておいていただきたいと思いますが、よろしいですか。
  70. 三上和幸

    ○三上説明員 把握をいたしておると思いますで、調査をいたしたいと思います。
  71. 中西績介

    中西(績)委員 そこで、学長が八時間にわたる軟禁状態、電話もかけさせぬという状態になっておるわけですけれども、そのときに言われておることは、ある助教授の人が差別事件を起こしたということでもって、同和会の人を入れているのですよ。ところが、その事象というのはむしろ逆に、職員がその助教授につばを吐きかけ、けったという事象があって、これは告訴しておるのですね。こういう事象の中から生まれてきている。そこで同和会の人を入れて、差別をしたということを言わしておるわけですね。  ということになりますと、大臣、ちょっと聞いてほしいと思いますけれども、私は、これにまさる差別はないと思うのですね。差別事象はないのに同和会の人を入れまして、同和地区出身の人を入れて、今度はその人に差別だということでもって脅迫じみた言動をしていくということになってまいりますと、これをやらしておる人たちは最も過酷な差別者であると私は思うのですけれども、この点はどう思われますか。
  72. 森喜朗

    森国務大臣 今、中西さんに御指摘いただきました事例をつまびらかに私は承知いたしておりませんので具体的なことはわかりませんけれども、しかし、少なくとも教育の現場の中でそうした差別的な行為があるということは、実に遺憾なことであるというふうに私は思います。
  73. 中西績介

    中西(績)委員 私が言っている差別者というのは、差別事象がない中でそういう同和地区の出身の人を入れまして、そしてそれに対して、今私がずっと名前を挙げた人たちが、差別をしたということで今度は学長を責め上げていくというやり方ですね。まさに私は、その差別という問題を逆手にとってやらせるということは、これこそ差別だと思いますよ。ここに大学としての本質があらわになっておると私は感じています。私は、このことがこの大学の一番いい例だと思います。こういう状況があるということが一つ。しかも、それには前理事長、前副理事長、現在の理事だとか、そういう連中がみんなかかわり合ってやっておるということです。ここをひとつ認識をしておいてください。  そこで、私がもう一つあれしなければならぬと思いますのは、不起訴処分のもたらした結果は——この前私は予算分科会でやりました。五件にわたって告発あるいは告訴したものが不起訴処分になりました。その中でいろいろ出てまいりましたけれども、そのときの、例えば不正受給の責任者であった平野前副理事長、現在理事です、それからまたほかの案件にも全部がかわりがあるのですけれども、その平野理事が、今までは前面に出てこなかったけれども、今度いよいよ不起訴になった途端に、三月十九日付の文書でもって平野総務担当理事というやつで印鑑までついて、教員の公募の問題だとかあるいは教学側の役職の選挙の問題だとかに対してチェックをするようなことが出始めたわけですね。私は、このことを見ますと、私が指摘をしたとおりに−不起訴になったら必ずこういう問題が出るということを指摘をしたわけです。  そこで、その前に大臣に私はお聞きしますけれども、この中の五ページのところに「今日、私学に寄せられる国民の期待はますます大きくなってきている。私学においてもその社会的責任を自覚し、国民の信頼により一層こたえていく必要があります。」こうなっています。ところが、九州産業大学の場合には、文部省から示された改善五項目についても、これには全然こたえていないということがこの前の予算委員会で明らかになりました。そうなりますと、どうでしょう、九州産業大学というのは、社会的責任を自覚し、国民の信頼により一層こたえていると言えますか。どうですか。
  74. 森喜朗

    森国務大臣 今の中西さんの御指摘をいただきます問題点だけではなくて、やはり九州産業大学の今日までのいろいろなことを私どもも仄聞をいたしておりますが、少なくとも国民の信頼を裏切るもので、極めて遺憾であると私は思っております。  文部省といたしましても、今お話にございましたように五項目にわたる指導をいたし、さらに運営体制の刷新をするように引き続き求めているところであります。
  75. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、先ほど私が言いました、例えば平野総務担当理事が三月十九日付で、教員の公募の問題それから教学側の役職者の選挙の問題で表面に出てくるということになりますと、この人はこういうことに介入できる人であるかどうかですね。これはだれがお答えいただけますか。私は、少なくとも教学の問題であって理事者側の問題ではないと思っていますけれども、そう私がとってよろしいですか。
  76. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 教員の大事に関する事柄でございますれば、基本的には教援会の意向が尊重されるべきことかと思いますけれども、ただいま先生御指摘の点がどのようなものであるか、具体的に私、承知しておりませんので、教務部長等の人事の問題等も含めまして大学側に実情をよく聞きました上で適切な指導をいたしたい、かように考えます。
  77. 中西績介

    中西(績)委員 こういうことなんです。  一つは、教員を公募するに際しまして、採用するわけですから公募するわけですが、そのときに教育職員採用について、これは理事会の決定事項だから教援会審議事項ではないという言い方でもって、こういう言い方をしています。「今後派生する問題については、すべて貴職責任において解決さるべきことを念のために付言します。」ということでもって、こうした教員公募に対してそれを停止せよという言い方ですね。  もう一つは、三月二十二日、きのうなんですけれども、学内における役職者ですね、例えば教務部長だとかあるいは学生部長だとか、こういう人たちの選挙をすることに対して、そのやり方についていろいろ指摘をして、三月二十一日文書でこれを延期せよということを言ってきておるわけですね。  こういうふうに、教学で行われるべきことに理事者が一々全部それに介入してやるということになってまいりますと大変なことですけれども、私はそのことを指して言っておるわけです。
  78. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 先ほどお答えしたとおりでございますけれども、いずれにいたしましても、具体的な事実については私どもまだ聞いておりませんので、大学側並びに教学側双方の意見をよく聞くようにいたしたい、かように考えます。
  79. 中西績介

    中西(績)委員 これは五十九条一項で、教授会審議事項であるということははっきりしていますね。この点があるということはお認めですね。
  80. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」ということがございまして、大事に関する基本的な事柄はもちろん、教学にかかわることでございますれば教授会の審議事項になる、かように考えます。
  81. 中西績介

    中西(績)委員 ですから、今言うように教授会の審議事項なんですよ。それに正面切って、今までは出てこなかったけれども不起訴になった途端に名前を出し、文書で全部それを一々言い始めた、こういうことですね。そうなりますと、これは文部省、だれでも結構ですが、大臣はさっき国民の信頼を裏切るものだと言いましたけれども、こういう人たちの中に反省ということがうかがえますか。
  82. 森喜朗

    森国務大臣 今日まで行われているところを見まして、少なくとも教育という大事な、崇高な仕事に携わっておられるような方々の反省があるとは思えません。
  83. 中西績介

    中西(績)委員 ところが、この前も論議いたしましたように、私非常に残念だけれども、この人たちは反省をしたということで不起訴になったのですね。しかも常識から言うならば、例えば不正受給したのが一億六千万に近い金ですね、一億円以上の詐欺の場合には不起訴なんということは絶対ないですね、今までの通例からすると。これはだれしもが認めている。福岡の地検の場合にはこれを全然追及していないのです。こういう状況が出てきておるわけです。その結果は、先ほど申し上げたように、今まで陰に隠れておったものがまた表面に出て、いろいろ差し出がましいことを言い始めた。こういうところに私は大変な問題があると思うのです。  そこで、私学財団に聞きたいと思います。  不起訴になった理由の中に、地検が財団の理事を呼んで告訴を求めたけれども応じなかったということを地検の検事が言っている。財団の理事は協力的でなかったということを新聞記者の会見の中で明らかにしています。被害申告もなければ意思表明もなかった、こういうことを言っています。  そして二点目に、不起訴になったときに財団にある新聞記者が電話をしました。そして、告訴しなかった理由を聞きました。そのときに、告訴しなかったのは二十五億ペナルティーを科しているということが一つ。二つ目に、不正目的でなく員数合わせの結果、不正受給は副次的だということを言っておる。三番目に、過去一、二年不正受給があったが財団は告訴していない、九産大だけ告訴しなかったわけではない。こういうように答えています。  これを聞くと、どこでもこれはやっておるんだ、ただ単に九産大だけの問題ではないから、一億六千万に上るそうした不正受給があっても、それはあくまでも不正目的でなくて員数合わせのために出てきたのじゃ、こういうように片づけられておる。不正受給は副次的なものなんですということを言っておるのです。そうなってまいりますと、大した問題ではないという意識が私学振興財団にはあると私は断定をいたしますが、二つ答えてください。  そして三つ目に、だれがこういうことを言われたのか。
  84. 早田肇

    早田参考人 私学振興財団の早田でございます。  ただいま、告訴しなかった点につきまして警察の方から理事に直接告訴せよとお話になったということでございますが、そこは事実関係が違いまして、本件が事件として出てまいりましてから、十一月でございましたか、財団の職員も県警に呼ばれまして事情聴取をされております。その時点におきまして県警の方から告訴をしないかというお話がございました。それは間違いなく私ども財団の本部の方にも話が参りまして、財団で協議いたしまして告訴をしなかったといういきさつでございまして、県警の方から直接私ども理事にということではございません。ただ、そういうお話があったということは、これは間違いございません。  財団が告訴しなかったということにつきましては、これはかってもこの委員会でお答えをいたしておりますが、財団としては国と学校との間に立つ特有な地位を持っておるわけでございまして、直ちに本件について告訴すべきかどうか慎重に審議いたしましたが、むしろその点で、過去におきましてもこういう事例が一、二ございましたが告訴していなかった点もございまして、告訴をしないということにしたわけでございますが、財団が日本じゅうの私学の信用も失墜する本件の事件について軽々しく、大したことないというような判断をしたわけではないわけでございます。  それから、次の新聞記者に対する財団の答えでございますが、これは当日私のところに電話がかかってまいりましたので、お答えいたしましたのは私でございます。新聞がいきなり、電話でございますので私の答えそのものをよく御理解いただけたかどうかわかりませんが、その中で特に今お聞きいたしまして気になるものは、不正受給は副次的であるからそれはあえて告訴等をしないんだということを申したわけではございません。当初に、こういうことをしたいという点についてはいろいろ違う考え方もあり得るかもしれない、しかし、それだからといって告訴しないということではなくて、財団の立場として直ちに学校法人を告訴するというようなことはとりあえずしなかったのだ、ただ当該行為が、先ほども申しましたように、補助金の適化法上も非常に問題があり、また全国の私立大学に対する信用を失墜した、こういう点はそのとおりであろう、したがって学校も反省しなければならないし、また我々の方も補助金の交付等については十分反省しなければならないし、今後ともそういう方向でさらに仕事も進めていくということを私はお答えしたわけでございまして、恐らく員数合わせというような言葉は使わなかったのではないかと思っております。  以上が、ただいま先生のお話について私がとりあえず申し上げる点でございます。
  85. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、今ずっとお聞きしておりますと、一点目は、県警からは告訴しないかということを言われましたということですか、確認しますよ。(早田参考人「言われたんです」と呼ぶ)だから、その地検の検事が新聞記者に発表のときに、告訴しないかと言われたときにこれの求めに応じなかったということは、そのとおりですね。県警に対して告訴しないということを言ったんでしょう。  そうすると、それでは聞きますけれども、その理由は何ですか。今私がこうして理由を言ったところが、それではないということを言っていますから、理由をはっきりしてください。
  86. 早田肇

    早田参考人 財団は補助金の交付に関しまして、教職員の給与その他一切のものを学校から徴収いたしますので、これはやはり財団と学校との間に一つの信頼関係というものを持って仕事を行っていくのが本来のやり方であろうと思うわけでございますので、そういう点につきましていろいろ中で話しまして、かつ従前の慣例も告訴をしておりませんので告訴しなかったわけでございます。  ただ、一つつけ加えさせていただきますと、県警からこちらにお呼び出しがございまして、財団の課長及び担当の係長が二日にわたりまして、一切の事項につきまして警察から事情の御聴取もあり、また財団といたしまして、不正に受給した金額の算定、補助金の算出方法その他につきまして一切警察の方に協力いたしまして、できることはすべていたしておりまして、またその過程において供述等も全部供述調書としてとられておるわけでございます。
  87. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、さっき私が言いました早田理事が電話を受けたということですが、二十五億円のペナルティーを科しておるとか、あるいは不正目的でなく員数合わせの結果ということは言っておらない。そしてさらに、九産大だけ告訴しなかったわけではない、こういうようなことは言っていないということですか。
  88. 早田肇

    早田参考人 二十五億のペナルティー——ペナルティーという言葉は、実は私どももなるべく使わないようにしておるわけでございますが、これを科した。これは行政上の問題でございまして、返還すべきものは当然返還していただくのが筋でございまして、これの返還は受けたということは申しております。それから、今まで財団としては告訴した前例がないということも申しております。
  89. 中西績介

    中西(績)委員 だから、そうなりますと、先ほど私が申し上げましたように、これはだれに聞けばいいんですかね、一億円を超える、一億六千万に近い金額をこうして詐取したわけですね、何年間かにわたって不正受給したわけですから。そうなりますと、このことはふだんであれば詐欺として訴えるのですけれども、先ほどから言っているように、信頼関係と言うけれども、ここには信頼関係があったのですか、これをお聞きします。
  90. 早田肇

    早田参考人 財団の仕事の基本的なやり方について、学校との間に十分な信頼関係を保っていくというのが筋でございまして、むしろ九州産業大学につきましてはその信頼を破ったということで、九州産業大学を信頼するというわけではございません。
  91. 中西績介

    中西(績)委員 そうでしょう。まず第一に信頼を破っています。しかも、これは起こったところはどこですか。さっき言われておりましたように、個人の金じゃない、会社の金じゃない、これは国民の血税ですよ。公金ですよ。しかも、起こったところは学校ですよ。それなのにこれを問題にしないというのは何ですか。なぜこれは問題にしないのですか。従来していないということによってこれを規制していくというなら、これから後はしないということでしょう。そうですか。
  92. 早田肇

    早田参考人 今後一切しないということではございませんで、やはり事案によっては考えていくべきものであろうと思います。
  93. 中西績介

    中西(績)委員 じゃ、どれだけのものをすればやるのですか。
  94. 早田肇

    早田参考人 やはり今後は口実の内容によって応ずべきものは応ずるということだと思います。
  95. 中西績介

    中西(績)委員 それじゃ、こういうような問題についてはやらぬということですね。この種はもうやらぬということだな。
  96. 早田肇

    早田参考人 本件は過ぎてしまった問題でございますが、告訴をしないとしたことについてはもう既に事実でございまして、御指摘のとおりでございます。
  97. 中西績介

    中西(績)委員 何言っているかわからぬでしょう。  大臣、もう一つ私が例を出しますからね。これがもし本当のときには、これは大変なことですよ。  一月十二日ですから、これはもう大臣就任してからですね。稲井現理事長と鶴岡前理事長、そして榎田という三名の方が参りました。榎田という人は現理事です。そして、文部省ではそれぞれの課長なり室長が会ったはずですね。この点は間違いないですか。これをわかっている人、答えてください。
  98. 阿部未喜男

    阿部政府委員 一月十二日に、お話がございましたように新旧理事長があいさつということで見えまして、私は所用で会えなかったものですから、担当の課長が応対をいたしました。
  99. 中西績介

    中西(績)委員 その帰りに財団に寄っておるはずですが、これは確かに寄っていますね。
  100. 別府哲

    別府参考人 お答えを申し上げます。  おいでになりました。
  101. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、そこで今度は、帰りました稲井理事長が、教員の役職者、学長とか部長だとか、学生部長だとか教務部長だとか、いろいろたくさんおりますけれども、こういう人に対して、文部省でだれだれと会いました、それから財団ではいろいろな人と会いました、こうして状況報告を自慢げにいたしております。  その中に非常に気になることがある。一つは、稲井さんが言ったのですけれども、十人ぐらい出迎えたり見送りをしてくれました。そうして二つ目に、八木助成部長それから佐々木という人、この二名の名前を出したそうでありますけれども、特に八木氏あたりが、鶴岡さん頑張ってくださいということを言っておる。現理事長、稲井という現理事長から役職者に対してその報告がされておる。これはどうですか。
  102. 別府哲

    別府参考人 お答えを申し上げます。  一月十二日、新旧理事長がおそろいで財団にお越しになりまして、三階に財団の各役員の部屋がございますけれども、その部屋を順次お回りになり、その後、二階と三階に分かれて事務室がございますけれども、その中の部長のところなどを回ってお帰りになったということを聞いておりますが、私たちも、通常の学校法人の理事長の御交代のごあいさつということで儀礼的なごあいさつをしただけでございますし、特段のことがあったようには聞いておりません。
  103. 中西績介

    中西(績)委員 鶴岡さん頑張ってくださいというこの一言で、先ほどから出ておる早田理事が言う告訴しないのは当たり前なんですよ。なぜなら、大学という教育の場でこうした問題を起こし——これは個人じゃありませんね、公金です。これをこんなにたくさんごまかしたり、これだけならまだいいですよ、ほかにたくさん問題はあるんだから。そういうことを行い、しかも、このような告発、告訴もしないという、こういうことがわかっておりながらやらないというその体質。今聞くと、これから後はやるかもわからぬよと。人から言われたらやるのでしょう。言われなければこういうことが見過ごされていくというその体質。  しかも、これがないと今別府さんは言いましたけれども、稲井という理事長は帰ってそのことをみんなに報告しているのです。自慢げに報告をした、こう言われています。この八木氏の場合は、かつて財団に行かれた際に、癒着があるのじゃないかと私たちが言ったら、ないと彼は公言し、せせら笑った。ところが、その明くる日の新聞に飲ませ食わせがあったということが明らかになったところ、辞表を提出した人なんですよ、この八木という人は。そのときの対応の仕方でも随分な対応をしました。私はそのとき怒ったんですから。鶴岡さん頑張ってくださいと言わなければ、頑張ってくれなんということを言ったということを一々報告することもないと私は思いますよ。  今これほど問題になっておるときに、こういう姿勢があるから告訴もできぬわけですよ。私はそう思いますが、大臣、どうですか。こういう状況を考えてまいりますと、告訴しなかったのが果たして正しいかどうか、これが一つ。それから、こういう体質があるということをお認めになりますか。
  104. 阿部未喜男

    阿部政府委員 ただいま御指摘がございました告訴の問題につきましては、財団からその段階で文部省も御相談を受けたわけでございますが、当時既に司直の手が入って捜査が進められているという状況でもございますし、従来告訴をした例がなかったということもございまして、既に司直の手が入っていることだからどうしてもしなければならないということではないのではなかろうかという判断をしたわけでございますが、そのよしあしについてはいろいろ御批判があろうかと思います。いずれにいたしましても、財団自体の中でいろいろ問題がなかったわけではないと思いますが、今回の件につきましては、そういうことで財団自体、種々内部の綱紀粛正、反省等も行っているところでございますので、今後そういうことのないようにいたしてまいりたいと思います。
  105. 中西績介

    中西(績)委員 司直の手が入ったというのだけれども、確かにこういう姿勢をやれば警察が入るのは当たり前なんで、そのときに告訴をしない理由が私たちにはわからぬわけですよ。なぜしないのか。ここにあるように、こういうことかと言ったら、いや、そういうことじゃない、それは財団と学校の信頼関係による、従来しなかったということが理由であって、聞くところの二十五億円をペナルティーで取っておるとかあるいは過去の云々だとか、こういうようなことを言いましたということを言っておりますけれども、私はここがどうしても納得できぬですね。こうなると、文部省もぐるじゃないかと私は思うのですよ。金をこうして詐欺行為で取っておりながら、しかも、告発はしないんですかと言われておってもそれを断るんですから、ここが今一番問題だろうと私は思いますね。今度は検察当局はやらなかったからということを理由にしているんですよ。そして後になれば、こうして暴力事件やいろいろなことがまた始まっている。文部省の言うことは聞かぬ。今度私は原稿をコピーしてあなたに差し上げますからね。文部省なんかはもうむちゃくちゃですよ、鶴岡前理事長に言わせると。ここに全部の問題があると私は思うのです。だから今、平気でおりますよ。大臣、どうですか、この点。異常に思いませんか。
  106. 森喜朗

    森国務大臣 私は、大臣に就任する前からこの九州産業大学の事件を知って、非常に遺憾というよりも不愉快に思っておりました一人でございます。でき得る限り早く文部省の指導に従って刷新をしてもらいたいという気持ちで常々おりましたが、今改めてそういうお話を伺いますと、正直申し上げてやはり不愉快な気持ち、同時に怒りも込み上げてまいります。しかし、先生も御専門ですからよくおわかりのとおり、文部省と、私立大学国立大学を問わず、大学との関係、これはできるだけ改善し指導をして、そしてお互いの信頼感の中で大学が改善をしていってくれることを期待しながらいろいろなことを求めているわけでございます。ただ、直接お目にかかったこともありませんので知りませんが、鶴岡さんですか、大分御高齢の方でもあるように伺っておりますし、御高齢であるといろいろなことで頭の方も、御自分で御都合のいいような判断をされるような人なんではないかなという感じがいたします。  いずれにいたしましても、こうした問題は、先ほど御指摘がございましたように国民の信頼を裏切ることはもう間違いございませんし、私立学校ということの重要性から考えましても、ましてや大学という重要性から考えましても、一日も早くそうした事態が収拾できますように、さらに事務当局から改善をするように指導を強めていきたい、こう思っております。
  107. 中西績介

    中西(績)委員 私、もう一つ確認をしておきたいと思いますけれども、この一億六千万に近い、一億五千八百二十八万一千円の不正受給ですね。このことは告訴に値をしない、こういうようにお考えですか、どうですか。大臣、答えてください。
  108. 森喜朗

    森国務大臣 当時の経緯もございますので、まず管理局長から答えさせていただきたい。
  109. 阿部未喜男

    阿部政府委員 先ほども申し上げましたように、既に司直の手によって相当の捜査が進められているという段階でございましたために告訴までの必要はなかろうかと判断をしたわけでございますが、そうでなければ別の判断があり得たのかもしれないと今考えております。
  110. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、先ほど言いましたように、金額の多寡だとかなんとかじゃなくて、司直の手が入りさえすればこれからはもうやらぬということですね。
  111. 阿部未喜男

    阿部政府委員 事柄の程度によるかと思いますし、それぞれの事情によるかと思いますが、原則として今後できるだけ重大なケースについては告訴をするという方向で財団を指導してまいりたいと考えております。
  112. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、この問題についてはそう大した問題ではない、こうお考えだったのですね。
  113. 阿部未喜男

    阿部政府委員 たびたび申し上げておりますように、司直の手で相当の段階まで捜査が進んでいたということでそういう判断を当時いたしたわけでございますが、今後につきましてはさらによく検討したいと思います。
  114. 中西績介

    中西(績)委員 今私が申しますように、判断というのはすべて財団のそうした態度、それからさらにもう一つは文部省のそういう態度、そういうものが影響して検察側の判断になっているわけですよ。検察側は明らかにできないとは言っておりますけれども、今明らかになっておる部分、この前からずっと私が追及してきた中で言っておりますのは、こういう言い方なのです。  二十五億円返済をした、返済をしたと言うけれども、これは公金ですよね。それから、反省をしておる、私学財団から告訴状が出てない、不起訴になった理由はこの三つです。そうすると、さっきから財団の皆さんが言われるように、信頼関係を失いたくない、だから告訴しなかった、こう言っているわけでしょう。従来はやってない、だから告訴をしてないわけですから、告訴をしなかった、そのことがこれを決定的なものにしたわけですよ。しかも、先ほど私が申し上げるように、一般的な儀礼的なものしかしでない、こう言うけれども、向こう側は名前まで挙げて、佐々木あるいは八木、頑張ってくれという言い方までしておるということになってまいりますと、これをもって癒着としか言いようがないじゃないですか。どうお思いですか。これは財団に聞きましょう。
  115. 別府哲

    別府参考人 先ほど来財団からお答え申し上げておりますように、財団といたしましては、国と学校法人との間に立って補助金を配分する、その公正な配分を行う機関という立場から、私学との信頼関係を大切にしていかなければならない立場にございます。そういう意味におきまして、私学の立場を十分に理解すると同時に、その私学の立場が正しいものであっていただけるように財団としても十分配慮していかなければならない立場にございますし、そういう方向で努力をしてきているわけでございますけれども、ただいま御指摘のようにいろいろございます。これからもそういった点について十分留意をいたしまして、財団の職責を果たしてまいりたいと考えているところでございます。
  116. 中西績介

    中西(績)委員 それはもう私は何回も聞きたくないですね。癒着をしておる云々でこの前委員会でやったのに、それは注意をするということになっている。今度また同じことをこうしてやっているじゃないですか。頑張れと言った。本人がやめるというのをやめさせなかったのはそこにいる理事の皆さんですよ。理事の皆さんが、本人が辞職願を出しておるのにそれを受け付けなかったのですよ。そしてまた同じようなことをこうして言っておるということになれば——そのときは飲み食いをしたということで責任をとって出したわけでしょう。そうでしょう。それをあなたたちが全部カットしているんだから。今度は直接本人に会って、頑張れ、こう言っている。それをまた同じ言葉で……。私はここで引き下がるということはできないですよ。どうしますか。
  117. 別府哲

    別府参考人 当日、本人がどのような言葉でごあいさつをしたかということは、逐一は確認をいたしておりませんけれども、通常、学校法人の理事長さんがおかわりになって新旧そろってごあいさつに見えるということはよくあることでございまして、そういう場合の通常の儀礼的なごあいさつをしたというふうに私どもは理解をしておるわけでございます。
  118. 中西績介

    中西(績)委員 本人がそう言っているんだから、それじゃきょうは引き下がれません。はっきりしてください。
  119. 森喜朗

    森国務大臣 私がお答えをすることが適当かどうかわかりませんが、今の中西議員と別府さんとのやりとりから見ますと、別府理事はどうも直接本人にきちっと、問いただした結果は言ってないと言っているのだそうであります。ただ、その八木さんというのはどういう立場がわかりませんが——これは私の想像ですよ。恐らく職員という立場でいろいろな事件を起こしている人ということで問題があるということであれば、理事の立場ならそのことはかなり明確に発言の中に含まれてもいいと思いますが、職員ですと、そこまで果たして言っていいのかというためらいもあるのかなという感じもいたします。例えばいろいろな意味で、しっかり正してくださいよという意味でしっかりやりなさいよと言っても、鶴岡さんというのは御高齢だそうでありますから、それを激励だと受けとめてしまうということもあり得るかもしれません。したがいまして、もう一遍財団の方に、本人がどういうやりとりをしたのか、しっかり確認をいたしまして、そして先生の方に御報告申し上げることにさせていただきたい。
  120. 中西績介

    中西(績)委員 私がなぜこれに固執するかといいますと、この前もわざわざ進退伺いを出しているのですよ。それをとめたのは理事の皆さんですよ。そうでしょう。確認します。
  121. 別府哲

    別府参考人 事件が表に出ました後に、八木助成部長から、自分は大変長く助成部長として補助金の仕事を担当しておるけれども、その担当業務をめぐってこのような不正受給という事件が起こって世間を大変騒がせておるという点について非常に責任を痛感するということで、進退伺いが担当上司であります理事のところまで出てきたわけでございます。
  122. 中西績介

    中西(績)委員 どうしたかを聞いているのだから、ちゃんと答えなさい。
  123. 別府哲

    別府参考人 当時は補助金の交付事務が非常に山積をしている時期でもございましたし、また、この九州産業大学事件についての事後措置の問題もございましたので、しばらく担当上司の理事のところでその進退伺いを預かっていたわけでございます。その後、翌年の二月になりまして、補助金の関係あるいは九州産業大学の事後措置、補助金の返還等についての措置が終わった段階におきまして、本人に十分に注意をした上で進退伺いを本人に返してございます。
  124. 中西績介

    中西(績)委員 ですから、今言われるように、ちゃんととどめたのはこの方たちです。だから私は、きょうは理事長に出てこいと言ったのだ。すると、理事長は病気だから出てこられぬ、こうくるのです。この前もそうですよ。この前の委員会のときも出てこなかった。しかも今度は八木という助成部長本人に出てくれと言ったところが、それは今まで前例がないからと言うけれども、そういうことになるんですよ。必ずそこでうやむやにしてしまう。これが今の私学財団の体質なんですよ。だから私は、このことは絶対に今の体質をあらわにするものとして文部省は受けとめてほしいと思いますが、大臣、よろしいですか。その確認をしておきます。後でまたやります。
  125. 森喜朗

    森国務大臣 お話の経緯を私もここで伺っておりまして、極めて遺憾なことだと思います。しかし、進退伺いを出し、あるいはまたそれを上司としてしばらくとどめ置く、あるいは返還手続やその他いろいろなことがあれば、ある程度注意をし、今後の指導をも兼ねながら慰留するということも、これは社会の通例としてあることではないかというふうに考えます。もちろんそのことは、今御指摘がありましたように、振興財団そのものがすべてうやむやにしておけということではないわけでございまして、私自身も、私立学校振興助成法を制定した当時の党として責任を持つ立場でございますから、私学は立派に、そして私学の補助が正しく行われていくことを一番願っている一人でございますから、今後ともこうした反省の上に立って指導を強めていきたい、このように思います。
  126. 中西績介

    中西(績)委員 今お答えいただきましたけれども、私たちは、ただ単に私学財団をやり玉に上げてどうだこうだと言うのではないのです。この問題についてはもう一年以上論議をし、しかも前例になった国士舘のように殺人事件まで出ているでしょう。しかも、これは殺人の行われる三年前には名前まで挙げて私は指摘をした問題なんですよ。その当の本人が殺人事件をやったんだ。このように、私学における地位が社会的にどんどん落ちていくということは、我々にとってはもうたまらぬですよ。残念です。ですから、その点からいたしますと、私は今個人名を挙げましたけれども、単にこういう人がどうだこうだと言う前に、その中に体質としてある、こういう問題について告発もせぬ、何もせぬという体質がすべての人たちに出てくるわけですよ。それを私は今指摘をしておるのです。この前も、そうしたことについては反省をするとか、本人に注意をするとか、いろいろ言っているわけです。ところが、また再び同じようなことがこうして出てくるということになってまいりますと、私たちにとっては、私学振興財団というのは大体何なのかということを感じるわけです、これほど私学に対する助成などに影響を与えておるのに。  ですから、最後になりますが、大臣、このことが私学の助成措置に対して影響が全くなかったかどうか、国士舘だとかあるいは九州産大だとか、この点どうですか。
  127. 森喜朗

    森国務大臣 先ほども申し上げましたように、私学を大事にしたい、私学の助成は私立学校振興助成法の趣旨にものっとりましてできる限り伸ばしていきたいというのが私どもの考え方でございます。したがいまして、このたびの私学助成の削減というのは、直接このことのためになされたことではございません。財政事情あるいは臨調答申というものを踏まえて、マイナスシーリングの枠の中で処置をしたものでございますが、確かに従来でございますと、ここに自由民主党部会長もいらっしゃいますが、従来でございますと、予算編成で相当のうねり、高まりで、最後には私学助成を少しでも伸ばそうという高まりは確かに見えたわけでありますが、五十九年度予算については、そうしたことなどもいろいろ考え合わせますと、私学助成にもう一歩エネルギーをという気持ちは確かにわいてこなかったということは、私は感想として持ち得ると思います。そういう意味で、私学全体に対して、これらの問題ある私学はいろいろな意味で極めて影響を及ぼしたということは、はっきりと申し上げることができると私は思います。
  128. 中西績介

    中西(績)委員 そのように影響はあったし、しかも、今のように依然として体質は変わっていませんよね。九州産業大学の場合には、ちゃんと校庭に前鶴岡理事長がいて、車も学校の車を乗り回して、理事長室に入ってきて、そしてこういう問題を、暴力的な問題まで含んでやるわけでしょう。そうしますと、そこに果たして大学としての資格があるかということ。私は、ただ単に平野だとか鶴岡という理事の問題でなくて、その制裁を受けておるのはだれかということを、私学財団の皆さんなり文部省の皆さんがお考えになっているだろうかということを言いたいのですよ。直接被害を受けているのは学生なんです。しかもそれは公金を云々、すべてがそうなっていますからね。この点、私は十分後々、まだこれはやめませんから、出てくる問題を全部さらけ出してやりたいと思うのです。何としてもこれを片づけぬことには、私学の面目などというものは保てませんよ。そういう大学に学生がいる、その子たちはどうすることもできぬようになっているのですから、この点を忘れてはならぬということをぜひお気づきいただきたいと思います。  最後になりましたけれども、時間が来たようですから、今私が申し上げましたいろいろな問題とあわせまして、特に八木助成部長、きょうここに出てこられなかったわけですから、先ほど私が指摘したような問題等についてどのような措置をしたのか、この点で委員長にお願いですけれども、後々理事会なりでさらに詰めていただくようにお願いを申し上げて、終わりたいと思います。
  129. 愛野興一郎

    愛野委員長 委員長より申し上げます。  ただいまの中西君のお申し出の件につきましては、後刻理事会で協議をいたします。  有島重武君。
  130. 有島重武

    有島委員 百一国会における文部大臣の所信に対しまして、質問をさせていただきます。  愛野委員長のもとに私たち文教委員会、実質的にはきょうが初めてでございます。文部大臣にはもう二月以来、衆参の予算委員会を初め、今教育改革という問題で大きな風が吹いておるというふうに言えましょうか、連日、大変御奮闘であり、お疲れだと思いますけれども、私も時間の許す限り、重要な焦点と思われますことを簡潔に申し上げますので、簡潔にお答えいただき、かつ、それが後々の教育改革にまた何か一つの実りある結果を招来するような、そういう質疑ができればと念じております。よろしくお願いいたします。  それで、大臣の所信の第一ページ目でございますけれども「中曽根総理大臣は本国会施政方針演説において、三つの大きな基本的改革に取り組むこととし、その一つ教育改革を取り上げ、今こそ来るべき二十一世紀を展望し、教育改革を断行する時期に来ていると述べております。私もこの点に同感であり、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を育成するため、教育全般にわたる改革を着実に推進していく必要があると考えます。」このように言っておられるわけでございます。  そこで第一番目に、ここで「教育改革を断行する」というような表現でございますけれども、これもまあわからないわけではない。断行と言うからには、なかなか尋常一様ではできないような困難なことがある、抵抗もあるだろう、そういうことも想定し、あえてそれでもなおかつやっていくんだ、こういったお気持ちを込められておるのであろうと私も推測するわけでございます。文部大臣はこれについて同感とおっしゃっているわけでございますので、どのような困難を大体想定しておられるのか、この辺から承りたいと思います。
  131. 森喜朗

    森国務大臣 教育改革の実効といいますか教育の成果というのは、すぐ短時間に、ことし予算をつけて来年具体的なものが国民の前に展開できるというものではない。教育の成果というのは、むしろある意味では五十年、百年ぐらいの長い経緯を見ていかなければならぬものだろう、こう思います。  これは何回か有島先生にもお聞きをいただいたと思いますが、日本の今の国民の中には、価値観というのは、それぞれ教育の過程を経てそれぞれ違って持っておられる方がやはりたくさんいらっしゃる。それだけに、一つの物事をまとめていくについてもとても困難な面がたくさんあると思います。それが民主主義のルールということできちっと枠にはめられておりますから、戦後の日本の国は自由主義、民主主義というものを基調に誤りなき繁栄を続けてきているわけであります。  しかし、これは恐らく有島さんも感じられることだろうと思いますけれども、やはり日本人は、戦前の教育を受けた人、そしてその戦前の教育を受けた人に育てられた人、戦後の新しい教育の中に大人になった人、その人たちが大人になって、その大人に育てられた子供というふうに、これだけ日本の国は、ある意味では四世代があるというふうに私はよく申し上げるのです。それだけに、一つのものに対する価値観、一番わかりやすいことを言えば、例えば国を守るということについては、恐らく有島さん、そこにいらっしゃる馬場さんや木島さんがお考えになる国を守るという概念と、今の子供たちの国を守るとか国を愛するという概念とは全く違ってくるのですね。それは、その人たちにどう責任があるというのじゃなくて、育ってきた家庭環境、社会的背景、あるいはまた人間の教育を培養していく先生からの教え、そんなところからやはり人間の価値観というものは求められていくのだろうと思います。  そういう意味で私は、教育改革を進めていくというのはどういう障害があるか、大変難しい問題だと思いますが、それぞれの皆さんの考え方をどうやって一つに形成、合意を得るかということはとでも難しいことだろうと考えます。しかし、そうは言いながら、教育を何らかの形で改善をしてほしいという気持ちは、公明党さんも社会党さんも共産党さんも民社党さんも、みんな持っておられる。もちろん我が自由民主党も持っておる。また国民の各界各層も、何とか今の教育が何か改善できないだろうかと皆さん思っておられる。  端的に言えば、入学試験が改善されるだけであたかも教育改革だというふうにお考えになっているお母さん方がおられるかもしれぬ。それもまた私は一つの願望だろうと思う。そういう国民全体が、何とか今の教育が何か新しい改革のめどができないだろうかという盛り上がりが今の国民の中にある。そういう中で、総理が政策の大きな柱の中でこのことを取り上げた。私はそのことに、先ほど木島さんの御質問でも申し上げたのですが、大変感動もいたしました。そして、今のように日本人が、戦前の教育を受けた人、戦後の教育を受けた人、両方いらっしゃるだけに、なおそういう意味では、古き失ったよきもの、新しく得たよきもの、そういうものと相まった、新しい二十一世紀を担うにふさわしい子供たちの進路を考えた教育体系を考えるのは今が一番いい時期だ、私はこんなふうに考えているわけでございます。  先生の御質問にちょっと外れたところもございまして、長くなって恐縮でございますが、冒頭でございましたので、あえてそこまでお話をさせていただいたわけであります。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕
  132. 有島重武

    有島委員 大臣が感じていらっしゃる教育改革の困難は、価値観が多様化しておる、いろいろな立場があって、その中でいろいろな考え方がある、この中で合意を形成して見るべき改革をやっていくということ、これが非常に難しいのだ、そこに集中してのお答えであったように思いますけれども、大体その一点、それでよろしゅうございますか。
  133. 森喜朗

    森国務大臣 結構です。
  134. 有島重武

    有島委員 それでは、そういった前提でもっての議論にいたします。  それで、「改革」という言葉なんですが、まずこのとらえ方もまちまちだったら大変なことになる。この所信の表明を拝見しておりますと、第一は「初等中等教育の改善充実」という言葉が書いてある。それから第二番目には、「高等教育の充実」ということも書いてある。第三番目以下、私学についても学術についても、あるいは社会教育、体育、スポーツまたは文化、これはみんな「振興」と書いてございます。  そこで、「改革」ということについてはどういうふうにお考えになっていらっしゃるのだろうか。私たちは、制度の構造を改革していくと言う場合に「改革」というふうに使うのじゃないかと思っておりますけれども、大臣はどういうふうに考えていらっしゃいますか。
  135. 森喜朗

    森国務大臣 改善、改革は言葉の表現でございまして、私は昔から国語の点数が余りよくなかったものですから、有島先生が承知しておられるようなお答えがきちっとできるかわかりませんが、今そこに述べられております文部省固有の事務、教育学術文化につきましては、やはりでき得る限り充実をしていきたい。改め、少しでもよりよくしていくという意味で「改善」とかあるいは「振興」という言葉が使われているのだろうと思います。  「改革」の場合は、全く新しい視点に立って、今まであった制度そのものも全くつくりかえてしまうこともあり得る。これはもちろん審議機関の方が考えることですから、余計なことを言うとまたしかられてしまいますが、そういうことも含めて、つくりかえていくということも想定をしていく。そういう意味で「改革」という言葉が適切かというふうに考えます。
  136. 有島重武

    有島委員 これは矢野書記長の質問でも申し上げた問題であり、続いての予算委員会の私の質問でも申し上げたことでございます。私たちの「二十一世紀 日本教育」というものの中に、改革への三つの段階ということ、教育改革は失敗を許されないから慎重にやっていかなければならぬ。三つの段階を考えましょう。第一は、現行の枠内で内容を充実していくことである、改善していくことである。これは充実ですね。第二番目が、現行の枠組みを弾力的に運用してみることである。それで第三番目に現行の枠を変えていく、これを改革と、我々は改革というものはこのように進めていくべきではないか、そういうふうに言っているわけであります。  矢野質問のところでですか、もし矢野質問のところを持っていらっしゃるならば、十一ページのところで、まずやるべきことをやるというのです。現行です。「それから二番目には、コンセンサスづくりをしていく。そして、机上の空論ではなくて、できるところから、さまざまなテストケース、パイロットスクールだとか、いろんなテストをやってみる、」現行制度の枠内でいろいろな弾力的な試みをやっていく。それも、弾力的なことを一律にやっていくのじゃなくて試みとしてやってみる、こういうことです。そして、その評価をみんなでやってみて、それで改革というものに踏み込んでいくのだ、こういうことでございます。こういったことではないかと、たびたび御提案を申し上げているのだけれども、確たる御返事が今まではなかったわけです。  これはもう本当に、改革とかなんとか言うならば当たり前なことではないかと思っているのですけれども、価値観多様なる世の中でございますので、ここら辺のところからしっかりと合意をしていかなければならないのじゃないだろうかと思いますので、御所見をしっかりと承っておきたいと思います。
  137. 森喜朗

    森国務大臣 公明党さんが編集して発行されました「二十一世紀 日本教育生命が躍動する教育を」を早くから私は有島先生からもちょうだいをいたしておりましたが、御承知のような日程でございますのでゆっくり全部なかなか拝読はできませんが、予算委員会の審議を通じながら、主なところはときどき参考にもさせていただいたり拝見もさせていただきました。皆さんの御提言をなさいました改革への段階、あるいはまた改善、改革の主要課題、極めて示唆に富んだ建設的な御意見であるというふうに私どもは受けとめております。  これから教育改革を政府が進めていく上で、もちろんこれを参考にするとかしないということを申し上げるわけではございませんけれども、先ほど木島さんのときにも申し上げましたように、新しい審議機関にお選びをいただき御就任をいただいた方々がお考えをいただくことでありますが、こうしたいろいろな改革、改善への御提言というのは、私ども自身としても、日本教育をよりよきものにしていくためには極めて参考になる御意見であるというふうに考えております。
  138. 有島重武

    有島委員 大臣の「改革」という言葉についての御解釈を承りたい。
  139. 森喜朗

    森国務大臣 有島さん、済みませんがもう一遍……。
  140. 有島重武

    有島委員 「改革」という言葉をどのようにお使いになるのか、これをしっかりと聞いておきたい。私たちは、この本の内容なんかを今問題にしているのじゃないのです。大体現行枠内でもってまず充実していくのが当たり前であろう、それから現行の枠内でいろいろ弾力的に運用してみるというのが第二番目であろう、そして制度改革へと移るものであろう。これは別に教育論じゃなくて、どんな改革であろうとこういうものであろう。これは日本語の問題であります。示唆に富んだお話である、参考にするというようなことではないと思うのですね。だけれども、これを承認しておかないと、これから教育改革をやります、こうなるのですね。みんなそうかと思っていると、何からょろちょろっとした問題があって、それでおしまいであるというようなことにもなりかねない、あるいは改善と言いながらかなり大幅なことが起こるかもしれない。いろいろな価値観があるということは、言葉遣いもいろいろになるわけでございますから、一番初めのところでまず合意をしておきたいということでございます。
  141. 森喜朗

    森国務大臣 改善あるいは充実、それよりももっと幅広く、もっと意味も広く、また深く、制度も変わっていくということも含める、そういう意味で「改革」というふうに申し上げております。
  142. 有島重武

    有島委員 次に参ります。  総理の御発言と森文部大臣の御発言と、ややニュアンスが違うのじゃないかと思われる点が幾つかありまして、これは判断に迷うことがございます。  それで、予算委員会における問答は大体そのまま信用してもよろしいものかどうか、多少の変更をしなければならぬこともあるかどうか、この辺はどうでしょうか。
  143. 森喜朗

    森国務大臣 今御質問いただきました総理と私の意見、答弁の食い違いがあるように見受けられるという点、具体的に今お話しがございませんでしたが、恐らく教育基本法を改めるのかどうかというあのくだりですか。
  144. 有島重武

    有島委員 はい。
  145. 森喜朗

    森国務大臣 たしかあれは矢野さんの御質問だったと思いますが、矢野書記長が総理に義務教育の年限を改めるのかということをお聞きになりました。御承知のとおり、義務教育の年限を変えるということは教育基本法を改正するということになるわけでありますから、総理は直ちに、改める考えはありません、こういうふうにお答えになった。私はそのことに対して、たしか分科会だったと思います、あるいは参議院の予算委員会でもお尋ねをいただいたのでありますが、私の申し上げました趣旨は、教育制度をどう改革していくのかということは新しい審議機関の皆さんがお考えになることでありますので、その審議機関の皆さんがお考えになることを私どもから拘束をするということは避けたい、そういう意味のことを私は申し上げたわけであります。  したがいまして、そういう意味で、これは午前中の意見にも出たところでありますけれども、改革を具体的に進めるのは政府、文部省でございますから、これは当然教育基本法の精神というものを十分に考えて進めていかなければならぬことであることは何回も申し上げております。したがいまして、新しい審議を進めていく方々が、初めからこの枠でやってくださいということであったのでは自由濶達な議論ができないだろう、こういうことで、拘束したくないという意味のことを私は申し上げたわけでありますので、その点についての総理の発言との食い違いはないと私は思っております。
  146. 有島重武

    有島委員 食い違いがないというお話でございます。そういった認識であると、我々はますますよくわからない。  この質問はこうなんですよ。御承知のように、教育基本法第四条は「九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」ということでございます。この九年という年限、これについて、九年をめどとして、やや弾力的というか、拡大解釈をする余地も残して新しい機関に諮問をすることになるのか、あるいは「厳密にこの九年というものは金輪際動かさないで検討すべし、こうなるのでしょうか。いずれですか。」こういう質問なんです。総理は、「義務教育九年というのは変える考えはございません。」こうおっしゃったわけなんですね。それで新聞はそのように報道をなすっておったようでございますね。  そうすると、森文部大臣とここは全然そごがないという御認識というものは、どういうことになりますかな。
  147. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど大変失礼しました。これは矢野さんではなくて、有島先生と総理のやりとりでございましたので訂正をさせていただきますが、総理は今のような答弁をいたしました。  私が申し上げておりますのは、義務教育は戦後は九年間、これは定着をいたしております、私自身はそれを改正するという考え方を総理と同じように持っておりませんが、新しい審議機関の皆さんがいろいろなことをお考えになる、そのことを拘束するということではない、拘束したくはない、こういうふうに申し上げたわけでありますので、食い違いはない、こういうふうに申し上げているわけです。
  148. 有島重武

    有島委員 委員長はちょっと今かわっていらっしゃるが、お聞きになってどんな感じがなさいますか。何か強弁したようなことが記録に残ってしまいます。  私は、やや弾力的に拡大解釈する余地を残して委員会に渡すのですかと、そこまで親切に言ったのですよ。総理は、そうじゃない、九年だ、こう言ってしまったわけね。森文部大臣は、大体私の質問の趣旨とよく似たふうにお答えになったのですよね。そうすると、これは総理を呼んでこなければならない。委員長の愛野さんいらっしゃらないけれども、こういうことがたくさんあると、文教委員会にも総理のお越しをいただくように今後図っていただかなくてはならぬ。委員長に申し上げたい。  その前に、ここでもって深追いしていても時間がたつばかりでございますから、ひとつ森文部大臣、この件について総理大臣とお話をお詰めになりましたか。
  149. 森喜朗

    森国務大臣 今の問題について、詰めるとか意見を交わすということはいたしておりません。ただ、総理は、これは有島さんが当時御質問をずっと続けてこられた、あるいはその数日前に矢野さんの御意見もありましたし、教育基本法という問題を非常にシビアに総理は考えておられたと思うのです。ですから、例えば制度を変えると言えば教育基本法を変えるということが前提になってしまいますから、私は、そういう意味では総理には、教育基本法というのはとても大事な法律ですから、そのこと自体は十分に頭の中に置いておいてくださいということは申し上げておりますから、そのことについては話したと言えば話したことになるわけであります。  ただ、私は、どうもここのところを有島先生、御理解をいただけないのが残念でありますが、戦後の義務教育のこの九年というのは定着して、そしてその成果はある、だけれどもこれは絶対動かさないのですよ、こう言って新しい機関の皆さんに縛りをかけてしまったのでは議論がなかなかしにくくなるでしょうから、そういう意味で拘束したくないということを申し上げておるわけです。しかし、審議機関の皆さんが制度を変えるような御提案をもし仮になされば、これは十分に留意をしなければならぬことでございますが、先ほど申し上げたように、政府は教育基本法の精神をしっかり守ってやりたいということを申し上げておるわけでありますから、ここで担保されているというふうに御理解をいただきたいな、こう思うのですが……。
  150. 有島重武

    有島委員 後できょうの問答の記録、よく読んでください。  それから、森さんがおっしゃったことは、僕に理解をしてくれと言うけれども、僕は割合と理解をしているつもりなんですよ、これを読んでいただければ。理解をしていない人は総理なんだ。そうじゃないですか。だから、総理にこのことをお話しいただき、よくそこのところ合意を得ておいていただきたい。国民合意もいいけれども、まず総理文部大臣の間に合意をしっかりと得ていただきたい、これをお約束してください。
  151. 森喜朗

    森国務大臣 今、有島さんからお話しをいただきましたことも含めまして、国会の予算委員会あるいは文教委員会等、これからいろいろと議論も重ねていくことでありましょうから、そうした議論の中で大事なところは、総理に私からもよく御説明も申し上げておきたいと思います。  同時にまた、今先生がおっしゃったように、先生はもう少し幅広く弾力的に考えておるんだよというお立場をいただいておりますことも、総理は、あのとき有島さんが質問をされるものですから、あなたの方が教育の専門家で、どちらかというと総理はそういう文教に精通した方ではないわけですから、あの当時の総理の心境は、恐らく非常に慎重に気をつけて緊張しておられたと思うのです。ですから、そういう意味で拘束をされない方がいいのじゃないですかということは、後で私も申し上げた機会もございましたから、十分その点については総理も含んでおられるだろう、こう思います。
  152. 有島重武

    有島委員 これは聞き方によっては問題発言でございまして、森文部大臣中曽根総理を批判、こういうふうになる。今のはそうですよ。  じゃ今度はもう一つ踏み込めば、総理が、それじゃ森さんと同意見になってこれを弾力的に扱うことにしますということになったときには、一体総理はどのような手続をとってこの予算委員会の答弁を修正なさるのか、これは問題ですね。またころころ変わられたら、わからないんだ。それを心配しておるわけであります。これもかなり厳しく、九年というのは変えない、こう言っている。だから、予算委員会における答弁を変更する場合の手続はどのようにするのかということは、これは院の問題です。これが一つです。  それからもう一つは、これは実質的な教育論の問題もあるかもしれないけれども、法の解釈においてそれをどのくらい広げて読むのか、それを厳しく読んでいくのか、こういう問題にかかわってくることなんですね。それで、そういうことを多分に意識されての総理の御答弁であったかと思うのです。  それからもう一つは、ちょっと角度は違うかもしれませんけれども、総理には別なお考えがちゃんとあってこういうふうに言われたのではないかという考えも成り立つわけです。と申しますのは、確かに教育改革を望む声は高い、どうにかしてもらいたいと言っておる。しかし、六・三制そのものをいじるかどうかということになると、世論調査でもっての数字ですと、これは手をつけないでもいいのじゃないかという世論調査がかなり大きいパーセンテージになっているのは御存じのとおりであります。そういうことを踏まえて言われておるのかもしれない。ですから、中曽根さんが始められるこの教育改革においては、まず九年という一つの枠の中でもってやるべきであるというふうに総理はお考えなのかもしれないですよ。森さんの言い方だと、中曽根さんはどうも教育のことについて素人なものだからあんなことを言ってしまったので、よく言っておきます、こういうニュアンスに聞こえるけれども、これはもっと慎重に扱わなければならない問題であると思います。  この問題は委員会としても残しておきたいと思いますので、委員長におかれましてはそのようにお計らいをいただきたい。委員長、どうですか。
  153. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 その前に大臣から。
  154. 森喜朗

    森国務大臣 どうも私の説明の仕方が悪いのだろうと思いますが、申しわけないことだと思いますが、総理は、義務教育九年を変える考えはない、こう言われました。私も、義務教育は戦後九年が定着して成果を上げているから変える必要はないと思うが、新しい審議機関の皆さんが教育制度を考えるについては、九年がいいとか悪いとか、そういうことを最初から拘束するということは越権ではないか、むしろ自由に御議論をいただくということがいいのではないか、私はそういうふうに申し上げて、ただ最後にもう一つ、九年のこの義務教育日本にとっても今非常に定着しておることでもあるし、また教育基本法の第四条で定められておることでもございますし、その点については今改めて検討を加える必要がないのではないか、このように総理は考えておられます、私もそういう意味で申し上げた、こういうふうに答弁をいたしておるわけでございまして、総理教育に素人だなんとかいうことは、あの当時あなたと総理大臣とのやりとりを見ておって、総理大臣が非常に緊張して答弁をされておられましたという、その状況を私は申し上げたのでございまして、批判をしたわけでも何でもないわけでございます。
  155. 有島重武

    有島委員 委員長はまだ向こうですが、よく後で議論の記録をお調べいただいて、これはやはり文教委員会での質疑と予算委員会の質疑とのそごの問題ですから、院全体の問題になりますからこれは別扱いをしていただきたい、いかがでしょうか。
  156. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 ただいま有島委員から出された問題については、後日理事会で御相談をさせていただきたいと思います。
  157. 有島重武

    有島委員 新しい機関を設置なさるために法案をもう準備中である、こう聞いておるわけでございます。  これは、名前の問題もあるわけなんですけれども、「臨時」という言葉をどうしても入れなければいけないのかな、私は余りいただけないなと思っているわけなんです。内実を言えば、二十一世紀教育審議会とか、もう少しぱあっとした名前をつければいいんじゃないかな、こんな感じもするわけです。どうしても「臨時」というのはつけなければいけないのですか。
  158. 森喜朗

    森国務大臣 中教審が恒久的な機関でございますので、臨時に年限を限って教育制度を全般に見直しをしよう、そういう議論をしようということでございますから、中教審が恒久機関でございますので、この教育審議会は「臨時」というふうに名づけたわけです。
  159. 有島重武

    有島委員 これもたびたび問題になりましたことですけれども、中教審じゃどうしてだめなんだろうかということについて、午前中にもそういったことがございましたけれども、もう一遍まとめて言ってください。中教審じゃどうして教育改革はできないのかということです。
  160. 森喜朗

    森国務大臣 新しい教育制度の見直しをしていこうということになります。何回か朝からお話にも出まずし、今先生からもたまたま出ましたように、将来——将来というのはいつだということになりますから二十一世紀、こういうふうになるのでしょうが、二十一世紀を担っていってくれる青少年の教育、その制度を考えるということでございますから、やはり行政の各般に関係のあることは極めて多い。今までのように文部省だけで考えていくべきことでない面がかなり出てきておるわけであります。  そういう意味で、総合的に各機能全般にわたって見直しをしていくということでありますと、中教審は文部省の枠の中といいますか、その中で議論をしていったわけでありますから、その中教審がいろいろと集大成をしてくれておりますから、ある程度その考え方も踏まえて、その上に立ってもう少し角度を変えて見る、あるいは視点を変えて見る。そういう意味で、総理大臣が国務全体に対する統括をいたしておるわけでありますので、総理大臣の諮問の中において、いわゆる日本の行政全般とも相関連をいたしますことも多いわけでございますので、そういう角度でもう一度教育を見よう、こういうことで新しい審議機関を設ける、こういうことでございます。
  161. 有島重武

    有島委員 それだけですか。だから中教審じゃできないと。今のお話だと、それでも中教審でできるのじゃないでしょうか。
  162. 森喜朗

    森国務大臣 中教審でこれまで何回か答申を出してきております。特に四十六年に出しました答申は、かなり多くの各界の皆さんからも評価を受けた。先ほどもちょっと出ましたけれども、果たしてそれが、第三の教育改革と言うことがいいのかどうか別といたしましても、当時そう言われたぐらいのものでございました。その答申に基づきまして、その後、文部省がそれぞれの諸制度をそれこそ充実もし、振興もし、あるいはまた改善もしてまいりました。しかし、やはり幾つかの問題は、端的に申し上げて具体化しないというのも幾つかございました。もう数から言えばわずかでございます。しかし、教育全般から見ると、かなり大事なところでございました。例えば幼保の問題がございました。幼稚園のいわゆる設置義務でございます。あるいは先生方からお出しになっておりますパイロットスクールということとも相通ずるわけでございますが、先導的試行というのもございました。それぞれの理由が当時ございまして、これは具体的に実っていないということも御存じのとおりでございますが、こういう問題を今もう一度改めて、例えばこうした問題を取り上げて、制度として具体化できるのかできないのかという議論をしていただくということになりますと、やはりこれは各行政機能にそれぞれかかわりのあることが極めて多い。そういう意味から言いますと、やはり文部省の枠の中だけでやっていくということについてはかなり限界があるというふうに私どもは考えた次第です。
  163. 有島重武

    有島委員 今のお話だと、行政側が教育関係閣僚会議をつくって対応すればそれで十分じゃないのだろうか、今のお話の範囲では。どうなんでしょうか。
  164. 森喜朗

    森国務大臣 それも一つの考え方かもしれませんけれども、それこそ、政府が介入すると皆さんからおしかりをいただくのじゃないでしょうか。
  165. 有島重武

    有島委員 今のは政府介入ですか。政府は答申を受けて、それで相談をして、それを実施していくという責任があるわけですから、そうすればいいのじゃないですか。それは介入になりますか。
  166. 森喜朗

    森国務大臣 政府が直接教育について、ああしろ、こうしろという言い方はできるだけ避けなければならない。そういう意味で、いわゆる各界から広範な範囲で審議機関の中に委員を派遣して、その皆さんで教育制度全般を議論していただく。そのことを御答申をいただいて、そして文部省が責任を持って進めていくということでございます。したがいまして、今先生がおっしゃったように、関連する行政各般にわたることなら閣僚会議でも開いてやればいいじゃないかという、一つのお考え方かもしれませんが、それでは常日ごろから、いわゆる教育の中立とかそう言っている問題と、やはりその辺でいろいろと問題が出てくる。また、そこのところに御批判が出てくるということになるのじゃないでしょうか。
  167. 有島重武

    有島委員 これは審議する内容が非常に総合的であり、広範囲にわたっていて、それで中教審という文部省の範囲内の機関ではこれはとても間に合わない、こういうような規模であるからである、そういうことが一つ考えられますか。  それから、今の森文部大臣のお話ですと、今度は文部省を超えてだんだん各般にわたることになってしまうので云々ということは、これは行政側でもって相談をすれば十分対応できることではないか、こう申し上げた。それをごっちゃにしないで……。どうして中教審では不足なのであるか。これはよくわかったようで余りわからない。どうでもこうでも、とにかく新しい機関をつくりたい、こういうような感じを受けるわけですね。もう一遍……。
  168. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどから何回も申し上げるように、御審議をいただく中身で私どもから具体的なことを申し上げることは越権であります。が、しかし、例えば有島先生、これからの教育のことを考えてまいりますと、やはり国際的な問題あるいは国際経済、いろいろな視点で考えていかなければならぬことは随分あります。今までですと、単に日本の国民のための教育、しかしこれからは、やはり国際社会全体の中で日本教育はどういう貢献をしていくのか、こんなことも考えていかなければならぬと思うのですね。私は、これを言っちゃうとまた後から余計なことを言うということになったり、これは新しい審議機関の皆さんがお考えになることであるので拘束することになってはいかぬから、私どもから余り具体的なことは申し上げられないわけでありますが、例えばそういう一つ視点もあると思うのですね。  ですから、そういうように考えますと、これからの教育の諸制度は、文部省だけではなくてやはり幅広い、より行政全体に関連をしてくることでもございますし、特に国民的な合意というものも先ほどから議論に出ておりますし、これは私が言うと大変失礼でございますが、総理国会答弁で常々申しておられるように、各党の皆さんとの党首会談をしておられた際にも、各党の皆様方からも教育に新しい視点で取り組むようにというお話もあった。このことがやはり総理一つの判断をそこに持っていったということを私も直接伺いました。したがいまして、政府全体が責任を持ってこれに取り組んでいくということが新しい審議機関をつくるというところの一番大事なところではないか、こう私は思っているところです。
  169. 有島重武

    有島委員 ややわかりました。ということは、中教審も一生懸命やっているけれども、これから審議していかなければならない問題というのは、二十一世紀を目指してということになれば国際社会といいますか、地球社会といいますか、そういう中における日本、そこに活躍する日本人をつくるという、そういう課題がある、そこには経済も絡んでくる、そういったことにまで突っ込んでいくんだ、それは中教審の限度も超えておる、こうなるのですか。
  170. 森喜朗

    森国務大臣 中教審の中で議論をしていきますと、やはり従来の文部省の枠を超えるということが、私は心情的に委員の皆さん方も難しいだろう、こう思います。それと、先ほど答弁をいたしましたけれども、政府全体の責任において進めていくということを考え合わせますと、新しい機関の方が適切であるというふうに考えておるわけでございます。
  171. 有島重武

    有島委員 ややはっきりしてまいりました。文部省一省の従来の枠を超えるんだ、これは確かに改革ですな。今までの文部省の枠内で充実していきましょう、こういう話ではなくなる。枠を超えるんだ。これは文部省の各幹部の諸君も、本当に今の文部大臣のお話は腹にたたき込んでおいていただいて、いろいろな運営の中でなるべく文部省の枠内に事をおさめるというような事務のとり方はなさらぬ、こういうことになると思うのですね。まあちょっと言い方がおかしいかもしれないけれども、枠を超えるような問題でもどんどん扱っていくんだということですね。  それから、もう一つおっしゃったのは、より広い国民合意の形成もしていくんだ。これは確かに、この前の四六答申の中でも「初等・中等教育の根本問題」のところに書いてあるわけでございますけれども、「そのためには広く国民の理解と支持を得て、長期にわたる見通しのもとに計画的に適切な施策の推進をはからなければならない。」こういうようなことを言っているわけですね。「国民の理解と支持」、それで長期的に施策を立てて、こういうことを言っておる。言っているんだけれども、なかなかそれができなかった。今まで十数年も経てこれがなかなかできないんですから、やはりここで一つの見切りをつける。これが限度であったろうというようなことをつけて、それで新たな援軍を呼ぶといいますか、もっと大きな次元といいますかね、一つ上のけたの審議会をつくってこれを見直していこうじゃないか、そういったようなことならばわからないではない。  私たちも、実はちゃんと新しい機関をつくらなければならないんじゃないかということは、我々の議論としては持っているんですよ。持っているんだけれども、持っている上でお聞きするのはおかしいみたいなものだけれども、どうして中教審じゃもう寸足らずでだめなのかというようなことが、もう一つまだ詰まっていない。これももう少し整足をして、第一カ条なり第二カ条なり、国際社会に対応する日本、そういったけたで物を考える、あるいはもっと広い合意を形成する、あるいはより実行に向かっての大きな力、あるいは閣内の総合的な機能を連携して発揮していきたいとか、そういう意味ですね。大体三つ。国際的、あるいはより広い合意、それから閣内の連携、この三つ、よろしゅうございましょうか。
  172. 森喜朗

    森国務大臣 国際的ということを申し上げたのは、一つの例として、私の文部大臣の私見も交えて申し上げたことで、例えばというふうに申し上げたわけでございます。そのことが新しい教育機関で見直される一つの要因であるというふうな、柱であるというようなことを申し上げたわけではございませんので、これは誤解をいただかないようにしていただきたい。私が御説明申し上げる一つの例として取り上げただけでございます。  中教審とは別に新しい審議機関を設けなければならぬというのは、先ほどから何度も申し上げておりますように、視点角度を変えたいということ、政府全体がこれに取り組んでいきたい、こういうことでございます。
  173. 有島重武

    有島委員 これは宿題にして先へ進みたいんですけれども、もうちょっと整理して何かお答えいただけるということをお願いできませんか。今の答え以上のことはないとおっしゃるか、あるいはもう少しこの点、この点、この点、こうしたことで中教審一つの限度を超えると判断するというような整理をお願いできますか。     〔白川委員長代理退席、委員長着席〕
  174. 森喜朗

    森国務大臣 このようなことを改革するとか、例は何ぼでも挙げることはできます。しかし、何度も申し上げておりますように、新しい審議機関の皆さんがお考えになることでございますから、文部大臣という立場で、こういうことも、こういうこともと申し上げれば、大変言いにくいことでございますが、現に傍聴者に新聞記者の皆さんもいらっしゃる。文部大臣はこういうようなことを諮問するのではないかという記事になってしまいます。これは、新しい審議機関を私は拘束することになると思うのです。  私は、今度の審議機関は、審議機関に選ばれた皆さんで、これからの教育はどうあるのか、どういうふうな教育制度を考えたらいいのかということをまず御自由に御議論していただきたい。その中から、これから示されるべきであろう、志向すべきであろう教育の方向を、まず皆さんで自由濶達に出してもらう方法が一番いいだろう、私はこういう考え方を持っているわけです。ですから、余り具体的なことを私がここで申し上げることは、そういう意味で越権だということを申し上げておるわけです。それでも新しい機関をつくるところの理由としてどうも不鮮明でわからないと言われると、私も困るわけでありますが、要約すれば、先ほど申し上げたように、今までの視点やあるいは見る角度を少し変えて教育全般を見直してみたいということと、政府が全体の責任でこれに取り組むのだということ、このことが国民全体の広がりを持ってこの教育論議をいろいろな意味で巻き起こしてくださるであろうということ。そして、これは先ほど申し上げたけれども、私が言うことではありませんが、総理自身が各党の皆さんの御意見もちょうだいをしている中で、総理の諮問する新しい機関でやることがより国民的合意を形成することに一番いいのではないか、こういう判断をしたということでございます。
  175. 有島重武

    有島委員 一番最初に申し上げましたように、今あるものでもってとにかくやってみよう、それからそれを少し枠を広げてやってみよう、それで新しいものをつくっていこう、こういうのが物の順序であると僕たちは思っているものですから、それで中教審としてはここまでやってみた、これはここまできた、だからこうだ、そういうことをはっきりしないと、何だか中教審も中途半端な、それでもって新しい機関をつくったというふうに受け取られやすい、危なっかしい感じがしないでもない、だから申し上げているわけです。ですから、新しい機関をつくっていくということ、ほぼその方向に進んでいるわけでございますけれども、まず中教審というものを見きわめて、そして確かに新しい機関をつくってよかった、こういうふうになってもらいたいわけでしょう。だから申し上げているわけです。別に、中教審の今までやった仕事、それの一つの限度を示すことが次のものを縛るというふうに今言われましたけれども、そういうことではないと思うのです。ただ、こちら側のちょっと聞きたかったことですけれども、大臣、もう少し整理をして何かお答えをいただくようなことができますか、それはちょっともうできませんか。
  176. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど申し上げたことが整理をしたことでございますので、これ以上整理をしろと言われても困る。ただ、中教審は、文部省固有の事務でございます教育学術文化に対する審議、調査を進める機関でございます。
  177. 有島重武

    有島委員 先に行きます。  新しい機関が仮にできたといたします。そのときに中教審を初めほかの審議会も同時並行でもって走らせることは可能でございますね。そういった場合もあるわけですね。
  178. 森喜朗

    森国務大臣 文部省の固有の事務でございます教育学術文化に関しますそれぞれの審議会は、必要に応じて調査、研究、審議は進めてまいります。ただ、中教審につきましては当分の間これは見合わせていくというふうに考えております。
  179. 有島重武

    有島委員 理由はどういうことですか。
  180. 森喜朗

    森国務大臣 教育制度にかかわることでございますので、やはり関連する問題もございます。最終的には新しい機関ができましてから判断をしなければならぬことだと思いますが、目下のところは当面これの審議を進めるということは見合わせていきたい、こう思っております。
  181. 有島重武

    有島委員 できないことではない、だけれども見合わせるつもりである、こういうことですね。
  182. 森喜朗

    森国務大臣 次期中教審の発足は当面見合わせたい、こういうことでございます。
  183. 有島重武

    有島委員 しつこいみたいだけれども、並行して走らせるという必要が起こる場合もあるんじゃないかなと私は考えるわけですけれども、そういった可能性は保留されているのですね。
  184. 森喜朗

    森国務大臣 可能性はございます。
  185. 有島重武

    有島委員 いわゆる四六答申ですけれども、これは、新しい機関ができようとできまいと、現時点でもう一遍いろいろな角度から見直さなきゃならない問題であると思っています。大臣、どうお考えになりますか。
  186. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどちょっと御答弁申し上げた中に入っておりましたが、四六答申の中で例えば「先導的試行」ということがございました。今の時点でございますと、今のような世論あるいは各政党の皆さんの教育に関するお考え方があれば、私は当時は実現したのではないかなという感じがいたしますが、当時といたしましては、やはり先導的試行が具体化するような世論形成はなかったように思います。また、各政党の取り組み方もそういう程度であったというふうに思います。また新聞論調等も、当時としてはまだそれに具体的に取り組むというような、それを促すというような方向ではなかったというように考えております。そういう意味では、今の時期は、改めて教育制度のいわゆる学制の問題をやる、やらないということとは別にいたしまして、国民の中にはこの学制の問題についてはかなり関心が高まっておるというふうに私は承知をいたしております。
  187. 有島重武

    有島委員 これについても、国民合意の問題の限度というようなことがさっきちょっとお話の中に出ましたけれども、この四六答申、我々もこれは評価もし、あるいは批判もしております。しかしこれが、何といいますか、国民合意の一つのてことなっていくということが今まではできなかった。どうしてできなかったんだろうかというようなことは、やはり十分研究しなきゃならない問題であろうと僕は思っております。  それから、昨日、中曽根総理の私的諮問機関である文化教育に関する懇談会の最終提言が出されたという報道がございました。それで、この最終提言の取り扱いというものと中教審答申の取り扱いというものはどのような関係になるのだろうか、今度の新しい機関においてどんなふうにこれを位置づけ、扱っていくんだろうか、これについて承りたいと思います。
  188. 森喜朗

    森国務大臣 中教審につきましては、先ほどからも、また前からの国会での答弁でも何度も申し上げておりますように、中教審議論、これを踏まえて新しい教育機関はスタートをしたい。昨日答申をされました文化懇の意見はあくまでも総理の私的機関でございまして、一つの考え方として参考にはさせていただくことになるのではないか、こんなふうに受けとめております。
  189. 有島重武

    有島委員 昨日、時を同じくいたしまして、日を同じくしてというのですか、世界を考える京都座会、ここから「学校教育活性化のための「七つの提言」」というのが出ました。これをごらんになったと思うんですね。ごらんになりましたですね。各新聞に出ておった。これについての御感想があれば……。
  190. 森喜朗

    森国務大臣 検討したということは承知しております。ニュースで、そういうのを出すというのも数日前に見たことはございますが、中身は全部まだ私は承知しておりません。
  191. 有島重武

    有島委員 これは何か御検討になる御用意がありますか。
  192. 森喜朗

    森国務大臣 私自身よく読んでおりませんけれども、何かそれは松下さんが座長をやっていらっしゃるものですね。かなりいろいろな御見識を持った方々がおまとめになったものでございますから、これも参考にはなるだろうと思います。
  193. 有島重武

    有島委員 片や総理文化懇と片やナショナルの松下さんということですね。東と西でもって出てきたわけですけれども、さっきのお話を承っておりますと、この私的諮問機関のきのう提出されたものも参考である、松下さんのものも参考である、こう言っていらっしゃいますね。大体そういった位置づけでもってよろしいわけですね。よろしいのでしょうか。
  194. 森喜朗

    森国務大臣 そのとおりです。
  195. 有島重武

    有島委員 その程度ということがわかりました。(森国務大臣「そのとおりです」と呼ぶ)それで、私たち、いわゆる文教懇についでちょっとコメントしておかなければならないことがある。  公私混同という問題について、これも予算委員会でも私、総理に申し上げた項目の一つでございました。しかし、大人が公私混同の振る舞いをやっておる。これは教育上好ましくないことである。大人の振る舞いを子供が見ておるわけですから、これは教育上余り好ましくないことであろうと私は思います。例えば、学校の教師がその立場を利用して商売なんかしたら、これは公私混同と言わざるを得ない。こういった公私混同ということ、それが合法的な場合もあるかもしれないけれども、それの及ぼす教育的な効果、これは好ましくないものであると私は思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。
  196. 森喜朗

    森国務大臣 一般に言う公私混同は慎まなければなりません。しかし、今の有島先生が御指摘されますことの公私混同ということはどういう意味か、私はちょっと理解ができなかったのですが……。
  197. 有島重武

    有島委員 この文教懇というのは私的なものであると承っておりますけれども、これは国費によって運営されておったのではないでしょうか。
  198. 森喜朗

    森国務大臣 文化懇は総理の私的諮問機関でおやりになったことでありまして、その経費がどうなったのかというのは、それはちょっと私も承知していないのです。官邸においでいただいて意見を聞く、そうすると、そのときに出したお茶やお菓子は公費になるからいけないということになると、お客様としてお取り扱いをするということであればそれはいいということになると思うのですが、そこまで私が申し上げていいか、実態はわかりませんので、ちょっとその辺が、公私ということの判断が私にはちょっとできかねるのですが、大変申しわけないことであります。
  199. 有島重武

    有島委員 それじゃお調べください。値段が少なかったからいいでしょうというお話とは違う。これが国費をもって行われておる、公費をもって行われておる。このことはやはり一種の公私混同と言わざるを得ないのじゃないだろうか。
  200. 森喜朗

    森国務大臣 例えが悪かったのですが、茶菓、お菓子、お茶で額が少ないからという、そういう意味で私は申し上げたのではないので、私的諮問機関ということは法律によらないことでございますから、そういう意味で私的諮問機関。しかし、総理がいろいろな方から意見を聞くということで勉強される、そのことに公費を使われているということ、これは公私混同というような形には当たらない。総理大臣としてはいろいろな方々から意見を聞いて、そしてそれが国民の幸せに通ずるということであれば、それはそれなりに評価されることではないか、私はこういうふうに思いますが……。
  201. 有島重武

    有島委員 それがそのままだんだんまかり通っていくとこれはまた問題がございまして、じゃ教育現場でもって似たようなことがどんどん行われていったらどんなものだろう。校長先生が勉強するためなんだから、これは生徒のためにもなることなんだからということで、学校の費用を自分の勉強のために使ったというようなことがあってもいいものかどうなのか。これは事教育にかかわる問題で、子供たちもみんな見ている問題でございますので、そういった公私の別ということは、ほかの問題にも増してやはり非常に厳しく意識をなされるべき問題ではなかろうか、こう思うわけです。森さんの感覚ですと、その程度はいいんじゃないだろうか、これはみんなのために結局なるんだからいいんじゃないだろうか。それは総理だから許されるという問題なんですか、あるいはそれは右へ倣えでもって、各県の教育長も教育委員長もそのようにやってよろしい、こういうことになるんでしょうか、いかがでしょう。
  202. 森喜朗

    森国務大臣 私的諮問機関といいましても、それは先ほど申し上げたように、総理自身が勉強されて、そしてそれが国務遂行、国家の繁栄になり、また国民の幸せになるということであれば、そうした勉強をお続けになるということは私は公私混同だとは思わないし、またそれぞれの各省も大臣がそうした私的機関を設けることができるわけでありまして、問題は、今、校長先生の場合はと、こうお取り上げになりましたけれども、校長先生だってやはり子供たち教育のためにあるいはまた学校のために、いろいろな方々と一緒に懇談をされたりお話をされる。それぞれ大臣といい校長先生といい、常識の範囲の中でおやりになることでございまして、そのことが公私混同になるとは——問題は、その出てきた成果を総理なり校長先生がどのようにお使いになるかということにも関係してくることでありまして、その意見を聞いて、自分のために、何といいましょうか、自分のプラスになるように使うということであれば、これはいかがかなというふうに感じられますが、少なくとも校長先生の場合には、学校、子供たちのために、教育のために、あるいは総理は国家国民のためにということであれば、それは公私混同というような判断はすべきではないというふうに私は思います。
  203. 有島重武

    有島委員 じゃ、その程度のことは公私混同とは考えない、こういった御見解をいただいたのですが、ただし今度はその扱いですね、出てきたものの扱い、これは参考程度のものである、こうおっしゃった。そうすると、文教懇の出してきた結論を待って新しい機関を設置するということを総理は前にも言っておられました。総理のお考えと今文部大臣の言っていらっしゃる、参考程度のものであるということに、そごはございませんか。
  204. 森喜朗

    森国務大臣 新しい審議機関は、新しい委員の皆さんがどのようなことを御検討いただくか、審議機関の皆さん自身で御判断をいただくということを前からも申し上げております。文化懇の御提言をいただいたことは、それなりにすばらしい御提言でもあると思います。ただし、これを審議機関の皆さんが参考にされるかどうかは、審議機関の皆さんがお考えになることであろうというふうに思いますが、一つの参考としてそれぞれの委員の皆さんが受けとめていかれるだろうということは、ある程度想像できることでございます。今御指摘をいただきましたように、総理文化懇の結論を待ってスタートしたいというのは、その内容のことではございませんで、物理的なものだ。これは私も総理とお話を申し上げておりました段階で、私的機関であれ、教育文化に関するものが総理の私的機関として審議を運営しているということはやはりよくない。そういう意味で私は総理に、この辺は新しい機関ができるという時点で私的諮問機関は、その機関の運営といいますか、審議はおやめになった方がいいのじゃないかということは意見として申し上げたことはございます。
  205. 有島重武

    有島委員 そうすると、そごはないですね。
  206. 森喜朗

    森国務大臣 総理の考え方と全く食い違いございません。
  207. 有島重武

    有島委員 その辺、もう一つ総理とよくお話しいただきたいという感じがいたしますけれども、それでは先にいきます。  この新しい機関は、どういうことをどのような視点でもって審議をしていくのか。大体の範囲を決めて、それでもって諮問なさるのじゃないかと我々はつい思うわけなんだ。どうもお話を聞いていると、そういうことは何も無制限に審議会を発足させて、そして、その課題もその範囲もすべて委員の方々に新しく決めてもらう、そういうふうに何か言っていらっしゃるらしいけれども、後に申し上げたようなこと、そういったことなんでしょうか。
  208. 森喜朗

    森国務大臣 教育全般にわたりましての諸機能、そうしたことを審議、研究をしていただく、こういうことでございまして、そういう意味で、そういう一つの前提といいますか、教育全般にわたります諸機能、そのことについて新しい審議機関の皆さんで自由濶達に御論議をいただきたい、こういうことでございます。
  209. 有島重武

    有島委員 この審議機関が他の施策を何か縛るようなことが起こってくることはありませんか。
  210. 森喜朗

    森国務大臣 これは御論議の中を見てみないと何と宣言えないことでございまして、今から想像で物を言うということは正しいことではないのじゃないか、適当ではないのじゃないかと思います。
  211. 有島重武

    有島委員 どういうものを参考にするかということでございますけれども、さっきの文化懇も一つの参考である、あるいは京都座会も一つの参考である、そういうことになってきますと、経団連も同友会もいろいろ提言を出したし、それよりも前に四六答申のときに教育制度検討委員会の梅根倍氏が「日本教育はどうあるべきか」、非常に立派な、これも一つの提言と申せるでしょう、こういうものを出しておられます。それから、社会党さんの方から「教育改革と民主主義 国際シンポジウム報告」、こういうのも出ておりますし、私たちも昭和四十六年のときに「教育改革の方途 その視点」、そういったものを出しました。あるいは、その後の国民のコンセンサスをどのように形成していくか、「ひろばの教育」というものも出しました。最近に至っても幾つかの提言を出しているわけでございます。  いろいろなそういった提言、これも全部材料として事務当局においては特にそろえて、これをちゃんと検討する、参考にする、そういうことが当然必要じゃないかと私は思いますけれども、いかがでしょうか。
  212. 森喜朗

    森国務大臣 新しい教育制度全般にわたりまして御検討をいただくということでございますから、この審議機関に参加をしていただく諸委員の方々は当然教育の問題をお考えになってお入りになることは間違いありませんし、またいろいろな角度からの教育に対します御見識もお持ち合わせの方ばかりであろうと思います。したがいまして、それぞれの委員の方々は、御自分の御見識もあるでありましょうし、多くの皆さんから、今有島さんから御指摘がございましたようにいろいろな教育に対する提言もあるわけでありますから、十分にそうしたことを参考にされて臨まれるのではないだろうか。そういう意味で、文化懇も、あるいは先ほどおっしゃった京都座会ですか、あるいはまた有島さんのところでお出しになった「躍動する日本教育」、そうしたこともそれぞれのお立場で勉強されて、そして御自分の一つの考え方を、それをよりどころにされるかどうかは別といたしましても、一つの考え方をまとめて新しい機関に御参加をいただけるのではないか、そういうことを私は期待をいたしたいと思います。
  213. 有島重武

    有島委員 もう時間もわずかになってまいりましたけれども、国民の合意の形成ということについて最後に、時間のある限りお話をしておきたいと思います。  今度やろうとしている教育改革というのは、やはり相当スケールの大きいことになろうかと思います。それだから、その教育改革を進めるためには相当幅の広い、すそ野の広い、国民各界各層とでもいうのですか、国民合意の形成、これはどうしても不可欠であろうと思うのですね。学校ばかりじゃない、家庭も社会もあるいは雇用者側も、こういうことが出てくるのですね、この協力を得る。そして、究極的には国会の両院の決議が国民の合意の焦点にあるべきである。だけれども、この教育改革を成就させるかあるいは空振りに終わるかというのは、やはり教育現場といいますか、家庭の中も一つ教育現場として認識しなければならないでしょう、教育実践のあらゆる場所において一人一人の参加をまたなければならない。そういった意味で国民の総参加ということを総理が言われておる、これもわかるような気がいたします。それからまた、教育になりますとだれでも一家言を持っているから百家争鳴になってもう収拾がつかぬだろう、こういった意見がございますし、いや、よく整理をしてみれば大同小異なんだ、帰するところがあるに違いない、こういうようなこともある。  そこで、合意というのは大体どの辺のことを合意と言っているのか。私は、より関心を持つ、持たせる、それから理解をする、あるいは支持をしてもらう、そして進んで協力してもらう、こういった四つの要素が国民合意というものの中身になるのではないかと思うのです。合意、合意とこれからもさんざん言葉が飛び交うと思うのですが、ひとつ確認をしておきたい。
  214. 森喜朗

    森国務大臣 この教育改革は現下の国民的な要請にこたえて行うべきものでございますから、幅広く国民の皆さんから理解と協力を得られるようにする、そのことが合意だろうと私は考えます。したがいまして、先生が今御指摘をいただきましたのはまさに私も考え方を同じようにいたすところでございます。この審議機関の過程、プロセスといったことも、国民の皆さんから理解が得られるようにいろいろな意味で工夫を凝らす必要があると考えております。ただ、どういうふうにするかということについては、これまた審議機関の皆さんでお考えをいただかなければならぬことだと思いますけれども、今こうして先生と議論をしておりますこと、あるいはまたこれから国会でいろいろと議論を深めていくでありましょうそういう過程の中で、国民の皆さんにできる限りの理解が得られるような工夫を新しい機関の先生方にお考えをいただけるのではないか、こういうふうに期待をいたしているところでございます。
  215. 有島重武

    有島委員 世の中に完全無欠というものはないと我々は思いますよね。だから、より広く、より深く、より力強い合意を形成していく方向に努力しましょうということになろうかと思うのです。だから、それは新しい機関が始まって委員が決まらないと合意そのものも、ということもあるかもしれないけれども……。  それから、我々として委員会でも言い、竹入委員長総理との党首会談のときにも言ったことだと思うのですけれども、一致点は協力しましょう、不一致の点は一致するところまで努力してみましょう、それでもなおかつ不一致点というのはあるものだから、それをあいまいにごまかさないで明らかにしておきましょう、こういうのも一つの合意のルールじゃないかと思うのですね。さっきの総理大臣と森文部大臣が多少の部分は不一致があっても当然だという気もするのですよ。その不一致点の根拠を明らかにしておいてもらえば安心できるのです。それを表面だけとにかくこじつけみたいに一致させる、玉虫色みたいにしなければならぬというこそくなことをやっているようだと、事教育改革を進める上ではかえって害になるのではないかと思うから、この際、合意のためのルールをまずセットするという必要があるのではなかろうかと思うのですよ。  それから、一番最初文部大臣のお話の中に価値観の多様化ということがございましたが、これも整理をしてみますと、社会的立場の中で認め合わなくてはならないけれども、価値観の相違といってもそうめちゃめちゃなことではなくて、親とか保護者の教育に対する立場は行政の教育に対する立場とはちょっと違うということがあるのですね。ちょっと砕いて言えば、心情的な我が子はということが働くし、あるいはもう一つ冷静になってみれば教育投資であるというような場合もありましょう。それから行政側としては、公平を貫いていかなければならない、整合性を重んじなければならぬ、えこひいきはできない、そういったことはあろうかと思うのです。しかし、今度は教師の立場としてみれば、えこひいきしてはいかぬなんということではなくて、みんなまちまちなのが来ているわけですから、どうにかしなければならぬということがあるわけですね。それで一つの使命感の上の立場、それから、教師とてもやはり生活者の一人である、生活も保障されなければならぬという立場もあるわけですね。あるいは、いつかも森文部大臣が、国大協の先生方がこういうふうに言われたということを言われました。学者の考えている教育ということと教師の考えている教育ということ、これは一人一人の学者、一人一人の教師によっていろいろ違いはあるかもしれないけれども、やはり学者と教師は考えが違うと思うのです。学者の方々あるいは評論家の方々というのは、批判的に物を見なければならない、理想的に物を追っていかなければならない、あるいはほかの人と違ったことを言わなければならない、こういうこともあるのじゃないだろうか。あるいは、報道関係の方が来ていらっしゃいますけれども、報道関係の方々の教育に対する興味というのは、何かくっきりと際立った言葉がどうしても必要である。教育の現場というのは、非常に地味で際立たないような長い積み上げが必要である。あるいは政治家。我々も政治家ですけれども、政治家の教育に対する考え方は、ほかから見ればどこかと違った対し方があるわけでしょう。こういったことが基本的に解明されていないと、話がごちゃごちゃになってしまうのではないか。  もう時間が来ましたからやめますけれども、国民合意形成のための基本的なルールを今みんなで考えなければならない、一致して約束事をしておかなければならないのじゃないだろうかということを最後に提言として申し上げたいと思います。何か御所見があれば承っておきましょう。
  216. 森喜朗

    森国務大臣 いろいろと高い御見識の中で先生から御忠告をいただきましたが、この論議を行うことによって、新しい審議機関ができますれば、恐らく委員の皆さん方が十分そのことを踏まえて国民合意が形成でき得るように最善の努力をされることを期待したい、こう思います。
  217. 愛野興一郎

  218. 滝沢幸助

    滝沢委員 時間もずれてきておりますから端的に申し上げます。ひとつ大臣のお答えも端的、的確にお願いしたいと思います。  二月二十九日にこの委員会におきまして文部大臣が所信を表明されました。その中で、二十一世紀を担う青少年教育のためにいわゆる教育臨調のようなものを設置しまして、そして教育改革を断行しようということは、総理大臣が本会議の劈頭におきまして述べられた所信表明と一体をなすものでありまして、この意欲というものは評価をするものであります。  もちろん、我々の立場は、原則としてはこのあり方を支持するものでありますが、今教育界に幾多の課題があること、誤謬のあること、これはそのとおりでございます。しかしながら、このような改革というものは、手法を誤りますると、いわゆる角を矯めて牛を殺す過ちをなしとしないわけでありまして、この点、一つには不退転の決意を持って、一つには慎重に対処されるように望みたいと思うわけであります。  ところで、私は、あなたが文部大臣になられたということで思い当たったことがございます。実は、明治二十二年二月十一日に、時の伊藤内閣文部大臣森有種氏がいわば教育令を廃止しまして学校令を定めまして、近代国家としての教育制度を確立したわけであります。しかし、彼は刺客の手によって倒れたのであります。彼が政治家としての功罪ないしはその評価のごときは、これは、彼の棺を覆うて無慮百年、いまだ定まらざるものがあると私は思うけれども、しかし彼が、教育のためにないしは政治の信念のために命を賭して生きたであろうことは疑いないところであります。そのお孫さんではないだろうけれども、あなたが今文部大臣としてここに臨まれまして、この歴史の中におのれを投入するという意欲、これをひとつどうぞ堅持してこのことに当たっていただきたい、こう思うわけでありますが、決意のほどを改めてお伺いしたいと思います。
  219. 森喜朗

    森国務大臣 たまたま森有禮という名前が出まして、私も偶然森ということでございます。余りにもその偉大さに、日本の姓名というのはもうちょっとたくさんあってしかるべきで、できれば森でなかった方が本当はよかったのかなと思います。  しかし、私も初めて国会に出てまいりましたのが昭和四十四年でございました。そして、これでちょうど十五年目を迎えるわけでありますが、当時、そこにいらっしゃいます河野先生などが自民党の文教部会で大変指導的役割を果たしておられましたし、稻葉先生やさっきいらっしゃいました坂田先生などの御指導を仰ぎながら、教育問題に一生懸命身を粉にしてまいりました。  先ほどもちょっと、午前中の議論の中にもまた有島さんの議論の中にも出ましたけれども、私はそういう力があるかどうかは全くわかりません。ただ、私や河野さんの年代というのはちょうど昭和十二年、終戦直後の中で小学校の二年生ぐらいであったわけでありまして、教育の混乱の中で私たちは大人になってきたわけでございます。したがって、私の年齢は、力があるとかないとかということではなくて、ちょうど日本教育、先ほど申し上げましたように、いろいろな価値観を持つ民族になってしまいましたけれども、そういう意味では、戦前のものもよく理解をしているだろう、また戦後のよさもよく理解しているだろう、そういう年齢に当たるわけでございまして、まさに二十一世紀を担ってくれる、これからの日本を背負ってくれる世代の人たちに対して、よきものと悪しきものの判別は私たちはある程度できるのではないだろうか。  そういう意味で、私自身は、今御指摘のありました初代文部大臣のような、それだけのすばらしい見識も持っておりませんし、そんな力もございませんけれども、私どもにたまたま与えられた年齢がちょうど神の配剤だろう、私はこう考えまして、二十一世紀まで健康でやってまいりますれば、私もちょうど今の総理ぐらいの年齢になります。したがいまして、私どもは、これから教育改革の緒をつける、そしてレールを敷く、そして何とか間違いのないように二十一世紀を担う子供たちが生き抜いてくれるようにしっかりと見守ってあげたい、そういう気持ちでこの問題に取り組んでおるわけでございまして、決意を申し上げるというほど、私自身まだそれだけの深い知識も持ち合わせておりませんけれども、諸先輩のいろいろな御指導を仰ぎながら、日本教育がより世界のために、また日本の繁栄のためになり得るように最善の努力をしていきたい、このように思う次第でございます。
  220. 滝沢幸助

    滝沢委員 大変謙虚なお気持ち、大変結構でございます。  ところで、私は、中曽根総理大臣という人に興味を持ったのです。だけれども、また失望もしている。率直にひとつ総理に申し上げてちょうだい。と申しますのは、彼は若き日に、総理大臣は国民投票で選ぼうという運動をしたのですよ。そのとき私は、新しい発想だ、憲法の定むるところはどうあれ、一つの見識だと思って大変支持をしたのですね。だけれども、御自分が総理大臣になれる可能性が出てきますと、それをおやめになっている。まあ風見鶏と言われますけれども、申し上げてちょうだい、風見鶏のように時の動きを見きわめることは政治家として必要欠くべからざるものであります。しかし、風見鶏はしょせん自分の力では飛ばぬのですよ。自分の力で飛ぶためには、今度の選挙の後で、いわゆる田中の支配を離れで党を運営なさる。いわゆる御自分のお力で飛ぼうとされているわけでありますけれども、幹事長の記者クラブでの講演等の話を漏れ承ると、依然として田中さんのお力が大変にお強いと承ったりしております。事の是非はともあれ、御自分の力でこのたびこそは飛んでちょうだいということであります。  さらに、一つつけ加えて、これはあなたも含めて、私自身に対する一つの戒めとしても申し上げさせていただく。先ほどからいろいろと御答弁を聞いておりますと、先におっしゃったことを肯定しなくちゃならぬ、これは取り消せないということで、答弁にやや苦労されている向きもありますけれども、御存じのように、論語に、君子豹変と言いますわな。しかし、君子豹変は悪いことと一般に言われているのですが、本当は違うのですね。御存じのように、あれはいいことなんです。君子というものは、時に応じて変わるのです。自分を中心として、自分の利害のために変わるんじゃないけれども、変わることに決してやぶさかではない。かたくなに変わらぬ者を小人というと、こうあれには書いてあるのですね。  そこで、どうかひとつ森文部大臣、前にどこで何を言ったということに余りこだわらずに、今日の時点におけるあなたの決意を勇気を持って披瀝しながら今後議会に臨んでちょうだいな、こういうふうに思うのです。一つには総理大臣に伝え、かつはあなたのこのような御決心をひとつお願いしたいと思うのです。いかがですか。
  221. 森喜朗

    森国務大臣 政治家は、個人といわず政党といわず、やはり高い理想、それが実現しそうもないことでありましても、大きな理想を掲げて努力をするということが政治の一番大事な要請だろう、こう思います。  私は、中曽根さんとは個人的にそう親しい関係ではございません。しかし、総理がいわゆる総裁公選論をぶたれたときは、私も政治家を志望する若い一人としてやはり躍動を覚えたことは事実でございます。しかし、党の中におられて、そしていよいよ政権が近づいてくるということであれば、今の制度の中でそのことが可能かどうかということの判断をすることもまた政治家の常でありますから、そういう意味では、君子豹変と言っていいのかどうかわかりませんが、御自分のためではなくて、国家国民のために自分の考え方を変えて党の総裁、総理大臣を目指すということも、これまた政治家として当然のことであろう、私はこう考えております。  ただ、それぞれの内閣教育問題に関しては大事な政策として取り上げてまいりましたけれども、今度の第二次中曽根内閣の発足に当たりまして、教育を最も前面に押し出して、何としても二十一世紀子供たちのために、国際社会の中の日本の新しい役割ということも考えながら教育の諸制度を全般的に見直していきたい、こういう御決意を高く掲げられたということは、私どもも、先ほど申し上げたように、教育を大事に考えておった政治家の一人として、こんな勇気を覚えたことはございませんでした。たまたま私は閣内に入ることになりまして、それだけに総理の意を体しながら、また多くの先生方の御意見をちょうだいしながら、日本教育が過ちなきように私も最善の努力をしていきたい、こう考えております。
  222. 滝沢幸助

    滝沢委員 いろいろ、例えば今度の新しい機構のきちんとした名称ないしはその理念、あるいは任命されるでありましょうところの委員のどういう分野から幾人、ないしは任命の手順等を承りたいなと存じましたけれども、時間でありますからそれを省略しまして、一つだけ承っておきます。  それは文部省が、この新しい教育改革のために総理府がないしは総理大臣がおつくりになるその委員会の中で果たすべき役割は、具体的に何なのかということであります。これを私がここで申し上げることは、何も文部省にだけ言っておるわけではありません。元来各種の審議会というものは、国もそうでございます、県も市町村もそうでございますけれども、各団体の長などを羅列しまして、それで国民のないしは県民、町民の合意を得たり、こうおっしゃるわけであります用語弊があれば大変失礼でありますけれども、仮に経団連の会長さんないしは主婦連の会長さん、労働組合の委員長さん、必ずしも教育のことについての権威でいらっしゃるとは限らぬわけでありまして、各団体の長のようなもので国民の合意だ、こういうような向きもあるわけであります。これはつまり、審議会制度というものが、お役人のお考えを実現するための隠れみのになりやすい面が一つでございます。もう一つは、議会制度というものをうまく通り抜けるためのバイパスになりやすい。この二つの面が、表はきれいに、審議会、国民の御意見をよくお聞きなさると言うのだけれども、現実には官僚のお考えをそのまま追認するようなものになっている、ないしは議会の審議をバイパスして通るというようなものになりやすいことを戒める意味で申し上げているわけであります。文部省がこの制度の中で果たされる具体的役割は何ですか。
  223. 森喜朗

    森国務大臣 審議機関が発足をいたすまでは、文部大臣が中心になりまして委員の人選、あるいは機関の発足までは文部大臣の責任においてこれを進めてまいります。  新しい機関が発足をいたしますと、これまでもたびたび議論の中で、中教審のこれまでの議論を踏まえてというふうに申し上げておりますように、このことは文部省の固有の事務でございますので、文部省の今までの考え方、議論、そうしたものをまず一つ視点、スタート台としていくということになります。当然法律の中にも明記をいたしておりますけれども、文部省の事務次官が事務局長といたしまして所掌事務の責任に当たるわけでございまして、教育の諸機能全般に対してでございますので、文部省がその中心になって進めていく、多くの諸先生方の御意見を取りまとめていく、こういうことでございます。
  224. 滝沢幸助

    滝沢委員 先ほどの議論の中にも、午前中も見えましたけれども、公開の原則、つまり国会に対する報告の義務、これは中間報告というような形もあるのかどうか、どんな形でこれをされようとしておるのか、どうかひとつ……。
  225. 森喜朗

    森国務大臣 議論を、できるだけ国民の皆さんに理解を深めていただくという意味では、公開制ということをおっしゃってくださる、そういうことを御提言くださる方々もたくさんあります。しかし、先生も私よりずっと先輩でいらっしゃいますからよく御理解をいただけると思うのですが、審議会会議をそのまま全部公開することで本当に自由濶達な議論ができるかどうか、これはやはり少しは考えてみなければならぬということが多いのではないかと思います。  しかし、あくまでも閉鎖的に密室の中で議論するということは、やはり国民の合意を得るということでは正しくないだろう、こういうふうに思いますので、これもどういうやり方をするかということについては、新機関の皆さんが御判断をいただくことでございますが、私は全くの公開制をということではなくて、議論があった概要はできる限り国民の前に明らかにして、また国民の幅広い意見を吸収するその一つの糧にしていくというようなやり方も一つの考え方ではないだろうか、こういうふうに思います。くどいようでございますが、どういうやり方をするかということについては新機関の皆さんでお考えいただくということでございます。(滝沢委員国会に対して」と呼ぶ)  国会に対しましても、このこと。につきましては、国民の中で議論を展開していくということの中で国民のいわゆる合意形成ができていくというふうに考えております。
  226. 滝沢幸助

    滝沢委員 国会に対して中間報告を何回するとか、あるいはどういう次元でするとか、最終報告を国会にもするとかいうようなことを承りたかったわけでありますが、ややずれて、ございます。  ところで、この審議会議論するテーマの中にあるかどうか、ないしは、なくとも結構なんだけれども、先ほどの御答弁の中でも、教育基本法というものを不磨の大典のごとくおっしゃっているわけです。これは、そういう答弁がしやすいのだろうけれども、私は、憲法も含めて、すべて人間がつくったものは不完全なものである、これを修正、改正することは当然人間自身の責任だ、こう思うのでありますが、教育基本法について手を触れる考えがあるかどうか。
  227. 森喜朗

    森国務大臣 総理も私も国会の審議の経過の中で、憲法そして教育基本法の精神はしっかり守っていく、大事にしていく、こういうふうに答弁をいたしてまいりました。したがいまして、今度の設置法案も、教育基本法の精神にのっとるということを明記をいたしております。しかし、教育基本法や憲法は、これは改めてはいけないということではないというのは先生も御指摘のとおりでございます。ただし、こうしたことを議論するかどうかは、これは私どもがとやかく申し上げることではないのでありまして、新しい審議機関の皆さんが、幅広い、御自由な御意見の交換があってしかるべきであろう、私はこのように考えております。
  228. 滝沢幸助

    滝沢委員 ですから、議論にならぬじゃありませんか。いろいろなことを聞くと、それは新しい機関がすることだから我々が言うべきじゃない、こうおっしゃる。だけれども、少なくとも総理大臣がないしは文部大臣が諮問機関に物を問うには、これこれこういうことについてどうなのかという問い方じゃないのかな。日本教育はどうあるべきかという一行だけですかな。そこら辺で、やはりこれとこれとこれは少なくとも議論の爼上にのせてちょうだいということになるのじゃないですか。いかがですか。
  229. 森喜朗

    森国務大臣 教育全般に対します諸機能がいかにあるべきか、こうしたことを諮問するということになるかと思いますが、どういうことを、どういう角度から審議をお願いするかということについては、まだこれから、総理を中心にし検討していかなければならぬことでございます。  確かに、先生からおしかりをいただきますように、それでは議論にならぬじゃないかということでございますが、国会の審議過程の中で、予算委員会あるいはまた文教委員会、これから設置法を国会で御議論をいただくわけでございますから、その過程の中のいろいろなやりとり、そうしたものを十分に踏まえつつ、また新機関の皆さんも参考になさるでありましょうし、また、総理も私もそうした議論を踏まえながら、どういう角度から問題を掘り下げていくか、こういうことはその過程の中で考えていきたい、こう思っております。
  230. 滝沢幸助

    滝沢委員 では、そのいわゆる新しい教育改革を審議する機関のことは抜きにして考えまして、あなた、文部大臣といたしまして、今の教育基本法に一〇〇%満足していらっしゃいますか、ないしは、できる、できぬは別、しかしこの点が少なくとも再検討されてしかるべきだというふうにお考えですか。これはどうですか。
  231. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどもちょっと触れましたけれども、私は、教育の大半といいますか、ほとんどが新憲法そして新しい教育基本法の中ではぐくまれてきた一人でございます。したがいまして、いいところ悪いところ、ある程度承知もいたしておるところでございますが、日本の今日の教育は、現実の問題といたしまして教育基本法の中で今の教育制度が定着をしておる。確かに学力偏重でありますとか教育の中の幾つかのひずみが出ております。それはやはり社会変化してまいります、価値観も変わってまいりますから、きしみが出てくることは当然あってしかるべきだろう、私はこう考えます。しかしながら、基本的な今日の戦後の日本教育は、それはそれなりに外国からも評価されてますし、また、日本の今日の大きな繁栄のもとにもなっているわけでございますから、現時点の問題として新憲法そして今の教育基本法、この中で教育が進められていくことが正しい、私はそういうふうに考えております。
  232. 滝沢幸助

    滝沢委員 実は、教育基本法ないしは指導要綱等の中で国民の一部には足らざるものがあると指摘をしている。先ほどあなたは、今までの教育日本国民の教育であった、これからの教育世界の人間としての教育である、こうおっしゃっている、言葉は少し前後しているかもしれませんよ。そしてまた別のくだりで、先ほどの答弁の中であなたは古き失ったよきものをいわば取り戻し、新しく得たるよきものはこれを守るというふうな趣旨もおっしゃったと思います。まことに高い見識でありますが、実はこの教育基本法ないしは今日の指導要綱の中に、国民としての教育の部分が少な過ぎるという指摘があるわけです。個人としての教育の分野が強調されるけれども、国民としての教育の面ないしは、これは価値観の分かれるところ、なかなか難しいことではありますけれども、国家と国民とのかかわり、国家観ないしは歴史観というようなものに対しての規定が少な過ぎるとおっしゃっている向きがあるわけです。いかがお考えですか。
  233. 森喜朗

    森国務大臣 私も、これまた先ほどの繰り返しになって恐縮でございますが、二年生まで戦前の教育でございましたから、随分変わったなということは、当時は幼かったけれどもある程度よくわかるわけでございます。ただ、戦後の混乱期の中で、日本人が想像もしない敗戦というものを迎え、そして全く新しい諸制度日本に展開をされて、その中で教育論議あるいは政策論議、政治論議、いろいろございました。そういう歴史の過程の中で、確かにもう少し国家論などもはっきりと言うべきであるということはあったと思いますが、その当時の社会的背景や国民の混乱した考え方の中では、やはり定着しなかったという面も私はあると思うのです。今日、日本がここまで繁栄して世界の中で大きな役割を果たすようになれば、初めてこうした問題ももう少し大胆な議論、論議が私はあってしかるべきだろう、こう思います。各政党間にも、十年前、二十年前掲げておった政策も次第次第に変わっていく、これまた当たり前のことでございますし、その中で私個人の率直な感情から言えば、何か例えば国旗の問題にいたしましてもあるいは国歌というような問題にいたしましても、そういうことを持ち出すことがあたかも戦前に回帰するのだということに、確かに戦前に近い年代ではそういうおそれはあったのかもしれませんが、これだけ民主主義と新しき教育制度の中で生まれ育ってきた人たちが、ほとんど今や昭和の世代が七割近くを占めておる、いや八割くらい占めておるという今日から見れば、いたずらにそのことが懐古趣味にあるいは昔の戦前にもう一遍戻るなんということは、もう日本人の感覚からないだろう、そういう中では、もう少し新しい角度の中で国家論あるいは国民としての国に対する責任、義務のあり方というようなものは議論を大いに展開していくことが正しいのではないか、こんなふうに感じております。
  234. 滝沢幸助

    滝沢委員 国語教育のことをちょっとお伺いしておきたいと思います。  今日、日本はおかしな国でございまして、日本人として日本語がようわからぬことは恥じゃない。全く大学四年間出てきても日本語がきちんと話せぬ、書けぬという人はたくさんいらっしゃる、けれどもそれは恥じゃない。だけれども、英語が話せないことは何か恥みたいな感じ。これはまことに奇怪なことであり、いわば敗戦のショックからいまだ日本人は立ち直ってはいないことの左証だと私は思うのです。そうした中で小中学校の、高校をも含めても結構だけれども、義務教育じゃないわけですから、そこら辺で今日の英語教育と国語教育の時間の配分等はこれでいいのかどうか、どういうふうにお考えなのかが一つ。  もう一つ、時間がないから一緒に承らせていただきますけれども、国語審議会というのがありますね。当用漢字、常用漢字、新仮名遣い、いろいろ御苦労されていらっしゃいますけれども、臨調が要らない役所を減らせと言ったら国語審議会を一日も早くなくせ、私はこう申し上げても過言ではない。例えば新仮名遣いを決めたけれども、私は短歌、俳句をやっておりますが、短歌や俳句をわかるためには旧仮名遣いがどうしても必要だ。そして、当用漢字、常用漢字で日本人は生きられるかといったら、新聞すらよう読めぬという状態でございましょう。国語審議会というのは幾らの金使っているのか知りませんけれども、何の役にも立ちませんね。あれが日本国語教育界に犯したる罪は万死に値する、私はこう申し上げているわけです。御意見いかがですか。
  235. 森喜朗

    森国務大臣 私も、二十一世紀を展望すると、外国の話学というものがこれから世界に生きていく日本人としては確かに大事な学問だ、こう思います。しかし、私の個人的な見解を正直に申し上げると、正しい日本語、そしてもっと漢字を大事にしてもらいたい、こう思っております。そこにいらっしゃいます稻葉先生が、正しい日本語をしっかり使えということでよく私どもに御指導もいただいてまいりました。私自身は先般、二年ほど前でありますが、中国に参りましたときに、お亡くなりになりましたけれども廖承志先生がいらっしゃって、たまたま早稲田大学の先輩であるという意味で親しみもありましたので、正直申し上げて一番大事な漢字を粗末にしないでください、漢字には音ではなくて表意という意味で無言のいろいろな教えがある、私はとても大事な言葉だと思うし、特に今四十五億になりましたか、地球上の中で漢字にかかわり合いを持つ民族は半分ぐらいある、そういう意味からいいますと、日本も中国ももっともっと漢字を大事にしましょう、こう申し上げておきました。ほかの方々がおられたから笑っておられただけで、日本で頑張ってください、こうおっしゃっただけでございましたが、とにかくもっともっと日本語、そして日本の漢字を評価していくということをとるべきだと私は考えております。  国語審議会についてどうかということについては、私からこの際申し上げることは適当ではない。日本の国語について十分なる考え方を持っておられる先生方が御議論をなさっておられることだろうと思いますが、前段の私の申し上げたところでお許しをいただきたい、こう思います。
  236. 滝沢幸助

    滝沢委員 ですから、風見鶏じゃないけれども、あっちもこっちもうまくったってそうはいかないものでありますから、一国の文部大臣として文部省にかかわる審議会につきまして意見を言うことは適当でない、差し控えるということではだめですよ。私は、あれは百害あって一利なし、こう言っているのだけれども、あなたは、いやそうじゃない、あれは非常に役に立っていると思われるなら、それはそれで結構なわけですから、どうかひとつ……。  そこで、先ほどのいろいろと議論の中で、いわば九年ですか、小学校六年、中学三年、これは堅持する、それは総理大臣、またあなたの御意見だ。その上に高校三年、大学四年、大学院が二年と四年、それに医大ならば六年ということですな。しかし私は、これもやはり議論されていいことだ、議論されなければならない段階に来ておるのではないか。特に言われていますのは、中学校の三年と高校の三年、三・三というのは余りにも小刻み過ぎる、ですから入学すればすぐ試験のことで苦労する、それが教育を阻害しているとも言われているわけであります。  それはそれとしまして、特にここで力を込めて申し上げたいことは、憲法によりますれば教育の機会均等、これは二十六条で言われております。けれども、小学校に上がる以前に、いわゆる幼児教育の段階において、幼稚園に学ぶ子供、保育所に学ぶと言うと厚生省が気に入らぬので、保育所で育てられる子供、どちらにも行かぬ子供、この三つの種類に分かれて差別教育を余儀なくされている。このことは大変な課題だと私は思いますよ。特に「義務教育は、これを無償とする。」と書いてある。けれども、義務教育以前の段階で幼稚園に子供を預ける人は平均月五千五百円程度の負担が強いられているというのでしょう。これは大変なことですよ。そして小学校に入ってきましたら、九九全部できるものからイロハ全部わかるものからアルファベットみんな書けるものから、しかし自分の名前も書けぬ子供まで来るわけです。これで一年生を担当される先生は苦労されているわけです。この間の事情をどうお考えですか。義務教育年齢の引き下げをこの際断行するとともに、いわゆる幼保の一元、いかなる学校経営者、寺院、教会その他の抵抗があるにせよ、これをしなければ今日の教育の課題を解決したということにはならぬと私は思うのですが、いかがですか。
  237. 森喜朗

    森国務大臣 これまで行われました予算委員会の中でも、衆参ともにこの問題はたびたび出ました。また、この問題はかなり以前からの経緯もございます。  私は、もうこの国会から、大臣に就任いたしましてからも申し上げているのです。それは幼稚園も保育所も、機能と目的は違いますけれども、完全に同じようなことをやっているのです。しかし、現実には親の負担からいえば保育所の方が安いのです。そして、子供を預かっていただくというか子供教育を受ける機会といいますか、時間は圧倒的に幼稚園の方が短い。だから教育を受ける子供子供は直接自分の意思は言わないにいたしましても、その親からみればこんな不都合なことはない。今までの議論はどうしても幼稚園や保育所にかかわる大人の方、役所を含めて直接それにかかわる者たちの意見ばかりが前に出てくる。そのことがなかなか意見の合意を見なかった。両方から出ました学識経験者による懇談会も、結果的には両論併記のような形で終わってしまいました。これでは子供たちやそのお母さんたちはたまらないわけであります。  そこで私は、幼保であれ保幼であれ名前はどうでもいいので、新しい考え方で仕組みを少し変えてみたらどうか。幼稚園であれ保育園であれ名前はどうだっていいので、両方相まってとって、そして幼稚園の機能もやる、しかし保育に欠けるという御家庭があるならば午後まであるいは夜までお預かりをいただく。それにはそれだけの制度、仕組みに変えていく。そして、保母さんには幼稚園の教育の資格も持ってもらう、あるいは幼稚園の先生に保母さんの資格も希望するなら持ってもらう、そういうようなことを考えて、やってやれないことはないわけだと思いますが、残念ながらなかなか前に進まなかったのは、やはりそれに連なる役所あるいはまた団体、そこの反対があるからであります。  しかし、市町村長は幼保の一元を一番望んでおります。直接の設置者であります町村長の皆さんは、そのことが一番頭の痛いところであります。現に私が国会でこの議論を出しますと、町村長さんから激励の手紙がたくさん来ます。ところが、保育所関係の皆さんからはクレームに以た手紙がたくさん参ります。最近では特に私を何とかして黙らせようと思うのか、石川県の私の選挙区の保育園関係が大挙して、あの意見はいいけれども、保育所をつぶそうとしている、幼稚園が子供たちが少なくなってつぶれそうになったので、自分たちの立場を考えて保育園を巻き添えにしようとしているなんということまで言って私にいろいろと圧力をかけますが、この考えは間違っている。やはり子供たちのために幼保を一緒に考える段階にそろそろ来ている、この信念は変えたくないのです。  ただ、先生が今おっしゃいましたように、できればそのことと就学年齢という問題をこの際考えてみる必要があるのではないか。こういう視点から考えますと、これまたしかられるかもしれませんが、新しい審議機関で検討していただく課題ではないだろうか。今のように両方から出てきた関係者で考えていればやはり一向に前に出ていかない、こういうことになりますので、できれば就学年齢という見地、そういう視点から新しい審議機関でぜひ御検討いただければ大変幸いなことだ、こういう期待感を持っておるところでございます。
  238. 滝沢幸助

    滝沢委員 今のことは、残念ながら厚生省の意見も聞かなければわからぬというようなことになっておりまして、厚生省の福祉課長さん見えていらっしゃるけれども、両方に申し上げます。  先ほど有島議員の御質問に対するお答えの中で、両方で改革とは何かということを大変時間をかけておっしゃったわけです。私は、少なくとも改革とおっしゃる以上は、多少の血と言わなくてもあぶらぐらいは流さぬといかぬわけでありますから、そういう意味では、とにかく幼稚園協会も保育所の集まりも、お寺さんも教会さんも学校法人さんも、みんなめでたし、めでたしということにはいかぬのでありますから、日本の将来のために過ちなき教育制度実現するために勇を鼓して、特に役所のセクト主義を排して御検討を願いたい、こう思うのです。厚生省の意見はどうですか。
  239. 佐野利昭

    ○佐野説明員 お答えいたします。  文部大臣からおしかりを受けるかもわかりませんけれども、私どもは決して役所のセクト争いで幼保の問題を議論したことはないと確信をいたしております。  御承知のように、保育所は保育に欠けるお子さん方のお世話をするという目的で設置いたしておりますので、その目的を果たすためには現在の幼稚園の制度のもとでそれを果たせない、したがいまして厚生省が保育所をやっておるということでございますので、しょせん、その目的、機能から考えまして一元化は無理なのではなかろうかというのが私どもの考え方でございます。  したがいまして、保育に欠けるお子さんをどういう形でカバーするか、その中で幼児教育をどうカバーするかという観点でございますと、保育所におきましても幼児教育を十分行わなければいけない、幼稚園に行っていらっしゃるお子さんと比べまして保育所のお子さんの幼児教育の質が低いというようなことがあっては困るということから、厚生省といたしましては、従来から文部省と協議いたしまして、幼稚園における幼児教育と同等の教育水準が保たれるように、職員の資質の向上なり保育内容の向上なりということについて努力をいたしております。こういう関係につきましてはほぼその目的を達成して、既に幼稚園と保育所とそういう教育水準の面での問題点は解決いたしたのではないかと私どもは考えております。  しかしながら、家庭の主婦の就労もふえておりますし、また労働時間も長くなってきておるという問題もございます。また、長時間保育なり低年齢児の保育なり、その果たすべき役割はますますふえておりますので、そういう面で保育所としての機能をさらに充実することが必要なのではないか、こう考えております。
  240. 滝沢幸助

    滝沢委員 課長の意見は即厚生大臣の意見ですか。まあ、それはいい。それを踏まえて今私は、保育所がやっている教育と言えばしかられるので、育てていらっしゃる、こう申し上げたのだが、あなたは盛んに、我々の方のやっている教育も立派にやっているとおっしゃるわけです。教育をやっているならば、どうして文部省に全権を委任しないのですか。今、行政改革が言われるときですね。厚生省からあの保育所の仕事を一切文部省に移管しなさい。文部省はそれを引き受けるべきでしょう。少なくとも同じ子供が、お隣近所の子供が、文部省の御指導をいただいているもの、厚生省のお世話になっているもの、そしてどこにも行かぬで家にいるもの、この三つに分かれているということはいかぬですよ。どっちの大臣がどう言おうと、これは憲法違反です。このことをまじめに考えて対処しなければ、今日の政治は歴史の中に罪を問われるときが来ると私は思いますよ。
  241. 佐野利昭

    ○佐野説明員 私は、教育という言葉だけにとらわれる必要はないと考えております。小学校入学前、就学前のお子さんは現在の段階におきましては義務教育ではございませんので、その幼児教育のあり方をどのような形でやるか、それは個々の家庭の判断の問題でございます。家庭教育という問題もあります、それから幼稚園におきます幼児教育という問題もあります、それから保育所におきます幼児教育という問題もあります。幼児教育というのは幼稚園における教育ということで言葉を制限されるべきものであるとは私どもは考えておりません。
  242. 滝沢幸助

    滝沢委員 課長、文部大臣は、それはいわゆる教育年齢の引き下げをも含めて検討されるべき課題だ、これをいわゆる教育臨調みたいなものにかけるかかけぬかは別として、そういうふうなことを遠慮しながらもおっしゃっているわけです。ところが、厚生省が、おいらのやっているのは完璧だ、文部省とはかかわりないということでいるならば、それが厚生大臣の意見ならば、これは文部、厚生両省の意見の完全なるいわば亀裂、こうみなしてもよろしい。何も防衛の問題だけで閣内不統一が問われるべきではない。このように大事な教育の根源について両省の意見が一致しないならば閣内不統一じゃありませんか。だから、あなた、大臣の意見なのか、こう言っているのです。どうです。
  243. 佐野利昭

    ○佐野説明員 すでに予算委員会でも大臣が答弁いたしておりますように、幼児教育の問題は大変難しい問題である、一元化というものはなかなか難しい問題だ、しかし大変大事なお子さんの問題であるから十分文部大臣とも相談をして協議を進めてまいりたいというのが私どもの大臣の申しておるところでございます。
  244. 滝沢幸助

    滝沢委員 ちっとも難しくないですよ。厚生省があの保育所を放せばいいのです。そして文部省がこれを預かって一元化する、そして義務教育年齢を引き下げて、小学校一年と言おうが幼学校と言おうが名前はどうでもいい、いわゆるあのいたいけな子供たちに差別の待遇をしない、これが憲法の精神だと私は言っているわけだ。どうぞひとつ大臣に率直に伝えてください。1次に進みますけれども、教科書のことで一言。  検定制度につきましてはいろいろ言われております。私は私なりの意見があります。  ところで、私はこの前の予算委員会でも文部大臣に問うたところだけれども、憲法第二十六条「義務教育は、これを無償とする。」義務教育とは何ぞやというときに、今教科書がいわば無償になっているわけです。だけれども、これは個人に割れば小学校において二千百七十五円、中学校において三千三百五円ということですね。現実の生活の問題としては、この程度のことが御負担できない御家庭というのはほとんどないと言っていいと私は思うのです。問題は憲法論だけなんです。ところでしかし、国はこのために御存じのごとく四百五十五億円をこの予算案の中に提案していらっしゃる。そしてそれは先般あのごとくして通ったわけです。だけれども、これが戦闘機一台の値段と同じであるとかなんとか、これは偶然ですからそれはいいとして、問題は副読本ないしは教材、こういうものが学校の先生とそのメーカーというか出版社というか、そういうものの間で、商社の社員との間に話が成り立ては、現実の問題としては父兄は全然拒否権なしにこれを買わされるわけです。そして子供さん何人もいらっしゃっても、もうお兄さんのものがあるから要りませんとはいかないわけです。こういう現実。これはちょっといろいろ計算が難しいところでありますけれども、三千円という計算を出している団体もある。月ですよ。ないしは、いろいろな計算がありましてわからぬのでありますが、少なくとも教科書の十倍に値するほどの負担を父兄は強いられていると私は思うのです。これらのことについていかにお考えでありますか。私はこれをいわば指導しろ、ないしは規制しろ、こう申し上げているわけです。とともに、もしもそれらのことに例えば補助金その他で手助けすることができなかったならば、義務教育のいわゆる教科書のごときは貸与制度というのも一つの方法じゃないのかな、こういうふうに申し上げているわけです。いかがでしょう。
  245. 森喜朗

    森国務大臣 滝沢さん御指摘のとおり、憲法第二十六条は、義務教育はこれを有償としない、つまり授業料を徴収しないということを意味いたしておるものであります。したがいまして、教科書を無償にいたしておりますことは、その二十六条のいわゆる義務教育を無償ということの理念をより広く実現する意味で実施をいたしておるものでございます。いろいろ議論がございますけれども、やはりこの制度子供たち、また教育の現場に定着をいたしておるものでございますが、御承知のとおり、臨調から廃止等を含め検討をしろ、こういうふうな提言もございました。しかし、中教審ではまた無償を続けるということでその答申もございました。そういう答申を踏まえてことしは無償をこの予算の中で堅持をしてきたところでございますが、諸般の政策とも関連をいたしまして、党全体の考え方もございますので、来年度につきましてはこの概算要求の取りまとめのときに判断をいたしていくということになります。確かに先生のような御議論もございますけれども、逆に言えば、先ほど申し上げましたような義務教育の理念を広めていくということと、児童生徒に対しまして国が教科書をこうして与えているんですよということに対する国民的な自覚を促していくという意味もあると思います。しかし、おしかりをいただくと思いますが、現実的にそのような形でお母さんたちが渡しているかどうかということに確かに議論を残すところがたくさんございます。しかし、金銭的な価値観の問題からいえば、逆に言えば二千円から三千円ぐらいのお金のことで子供たちに無償の人と有償の人との差があっても困りますし、それから、今貸与制というお話がございましたが、このことも文部省におきましてもいろいろと検討をいたしたところでございますが、日本人の嗜好と考え方からいたしまして、例えば貸与制にいたしますと、その教科書にいろいろ自分なりに線を引いたり注意書きを入れたりというようなことから考えますと、日本人としてはどうもなじまない。それから、確かに先生のおっしゃったとおり、副読本、教材にそれだけのお金をかける今日的な日本教育熱心さの家庭から見れば、仮に貸与制にいたしますと、逆に教育産業がこれと同じようなものをつくって、そして子供たちに親が結果的に買い与えて、一つは貸与制、一つは自分用のものというようなことにもやはり自然な形でなってしまうのではないか、こういう角度からも検討を今日までいたしてきたところでございますが、文部省としてはやはり教科書が無償で堅持されていくべきだという姿勢を今日も持ち続けているところであります。
  246. 滝沢幸助

    滝沢委員 時間が切れてきておりますが、おくれてこられたものですから……。  いま一言だけ申し上げさせていただきますけれども、大臣、学習塾、これが大変盛んになっているわけです。何か生徒の三人に一人は塾に通っているそうですよ。そして二人に一人はおけいこに行っているのだそうです。そして、何か朝日新聞に書いている数字を見ますると、月一万八千円平均を父兄は塾に使っているわけです。そして家計の一一・五%をそういうものに出しているというのですけれども、その数字はいいです。数字はいいんだけれども、私は塾というものは、公立学校がだらしないものだから、責任を果たさぬものだから出てきたところの必要悪だ、こう言っているわけです。つまり、公立学校の方は電気は何ルクスあるいは階段は何度、面積は一人当たり幾ら、いろいろ文部省の基準でやられているわけです。いい環境の中で育つわけです。だけれども、学校が終わったらすぐ塾に行きますよ。塾は、それは物すごい立派な近代的なところもありますけれども、下宿屋の二階でギシギシ言う急な階段を上っていくようなところもあるわけだ。ですから、現実、子供は文部省の標準の中で教育は受けておらぬですよ。  このことについて、塾が存在するということは公立学校がだらしないからだ、期待にこたえないからだという声に対してはどうおこたえになりますか。塾に対しての今後の文部省としての態度いかんというような御質問をさせていただきます。
  247. 森喜朗

    森国務大臣 塾につきましては、直接文部省がかかわり合いを持っているわけではございませんので、これは先生も御承知のとおりだと思います。  ただ、日本人の勉強熱心といいますか、向学心、また親が子供にかける期待感、そうしたものから塾が確かに大きくふえつつある。しかしこの壁も、学習塾もございますしあるいは補完的な役割のものもございますし、また別の意味での、生涯教育の見地の中でもいろいろなものを勉強していく壁も、いろいろございます。先生のお得意となさいます書道も塾ということになるわけでございますし、バレーもございますし、柔道もありますし、柔道などは塾と言っていいのかどうかわかりませんが、広い意味で塾だ。そういう意味で、それぞれ自分たちの趣味や考え方に応じて塾に入っていかれるということは、必ずしもこれは悪いことだとは言い切れない、こう思っております。  ただ、今先生から御指摘をいただきましたように、今の教育、義務教育だけではございませんけれども、学校教育の中に物足りなさを感じて、そしてそれを学習塾で補っていくということであるとするならば、やはり教育の現場を預かる文部省としてはこれは重大な問題として考えておかなければならぬことだと思います。  しかし、正直申し上げて、これはもう滝沢さん、あなたは先輩でありますからよくおわかりのとおり、日本教育というのは、多くの子供たち、その中には能力の違いもございます、考え方の違いもございます、それを一つの土俵の中で勉強させていくというところに先生の一番の悩みがございます。もっともっと深いものを知り、もっともっと勉強したいという子供がいらっしゃる。その子供に照準を合わせれば、結果的に子供が学校に行きたくなくなる、そういう突っ張り的な行為になってくる。その子供に焦点を先生が当てれば、今度はより高い、より深い、学術をもっと求めたいという人はそこに停滞をしてしまう、足どめを食ってしまうから塾に通う、こういうことになってくると思います。ある意味では区別や差別をしないという、教育を機会均等にしていこうというところに教育の現場の、我々がはかり知ることのできない先生の悩みがあると私は思う。そういう意味で学校の先生というのは大変苦労が多いなということを私は感じます。  そのことも含めて、なぜ勉強するのか、なぜより高いものを求めていこうとするのかということの原因を考える必要がある。そういう意味日本教育全体が求める一つの価値観が変わってきている。そういう面から考えますと、やはり教育全般にわたって改革を試みてみるということ、私は、今の国民が一番そのことに期待感を持っているのではないだろうか、こういうふうに考えるわけでございます。したがいまして、教育制度にわたって全般的な見直しというものをぜひ新しい教育審議機関でやっていただきたいということも、こうした問題も含まれているんだというふうにぜひお考えをいただきたい、こう思うわけでございます。
  248. 滝沢幸助

    滝沢委員 実は、先ほど国語教育のことを申し上げましたけれども、私は、今後の教育界にとってこれは革命的な、改革でなくてそれこそ革命的な変化のときがやってくると思うわけです。  そこで、それは速読ですよ。大体演説の原稿なんというのは、NHKなんかの標準もそうでありますが、一分間に四百字ですね。私なんかも早口でありますけれども、その人が五百字でしょうね。ところが、アメリカにおきまして約三百万人の人が、一分間に数万字読めるというわけですよ。韓国におきましては八十万人の人がこれをマスターしている。これを先ほど申し上げました国語教育の面に応用していくならば、いわゆるゆとりの教育というのですか、教育課程を早くやっちゃってお遊びの時間もつくろう、こういうことにもなるし、一切の知識、教育その他のものの根源が国語力にあるとするならば、これはいわば教育界に革命をもたらすものと言われてもよろしいだろう。日本には、残念ながらまだこのことが入ってきてはいない。だけれども、私は日本の国語が、いわゆる国語審議会の方々があのむだな御苦労をされるほどに複雑にして苦労の多いものであるならば、この速読法というものを学校教育の中に入れていってはどうか。少なくともこれに対して一つの関心を持ち、これに対しての一つの試みをなされる必要があろうと思いますが、いかがですか。
  249. 森喜朗

    森国務大臣 私も本当に浅学でありまして、速読学というのを先生から初めて教えられたんです。短い時間に多くの内容を読み取らせるという頭の回転、そういう意味でも大変教育的効果もあるだろう、こう思います。しかし、逆に言えば、そういう速読学をやるためにも小学校、中学校には、むしろそのことをマスターできるように基礎、基本というものをしっかり身につけさせることが義務教育の大事なところだと思います。  速読学を採用していくかどうかについては、これはこれから慎重に検討していく課題であるというふうに思いますし、私自身もこれから勉強させていただきたいと思いますが、先ほども申し上げましたように、そのことの前提として、日本人が正しい日本語、美しい日本語、そしてより漢字に親しみを持つ、そのことをもっともっと基本として義務教育でしっかりと身につけていただくことに文部省はまず専念をしなければならぬ、そういうふうに考えるところであります。  いろいろと示唆にあふるる御意見をいただきまして、今後とも文部省として十二分に参考にさせていただきたい、こう思う次第でございます。
  250. 滝沢幸助

    滝沢委員 時間のなにがありますから協力をさせていただきまして、これで私の質問を打ち切らせていただきますけれども、次回に劈頭申し上げることになろうかと思いますので、いわゆるこの速読術ですね、日本では速読学と言いたいんだそうであります。これをひとつ大臣にも少し御勉強していただきまして、百読は一見にしかずとか、百聞ですかな、まあいずれにしましても言いますから、後で大臣に差し上げますから、再読でなくても結構ですが資料を一読されて、ひとつお願いをしたい、こう思います。  委員長、これで協力させていただきます。      ————◇—————
  251. 愛野興一郎

    愛野委員長 この際、内閣提出、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。森文部大臣。     —————————————  国立学校設置法の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  252. 森喜朗

    森国務大臣 このたび、政府から提出いたしました国立学校設置法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  この法律案は、昭和五十九年度における国立大学の大学院の設置、短期大学部の併設及び附置研究所の廃止並びに国立大学共同利用機関の設置等について規定しているものであります。  まず、第一は、大学院の設置についてであります。  これは、これまで大学院を置いていなかった北見工業大学及び図書館情報大学に、それぞれ、工学及び図書館情報学の修士課程の大学院を、高知医科大学、佐賀医科大学及び大分医科大学に、医学の博士課程の大学院をそれぞれ新たに設置し、もってこれらの大学における教育研究水準を高めるとともに、研究能力のある人材の養成に資することとするものであります。  第二は、短期大学部の併設についてであります。  これは、長崎大学に、同大学医学部附属の専修学校を転換して医療技術短期大学部を新たに併設し、近年における医学の進歩と医療技術の高度化、専門化に即応して看護婦等医療技術者の養成及び資質の向上に資することとするものであります。  第三は、附置研究所の廃止についてであります。  熊本大学の体質医学研究所については、近年の学術研究の進展に伴う医学の教育研究上の要請に対応するため、これを医学部に統合し、同学部附属遺伝医学研究施設の新設等、医学部の教育研究体制の整備を図ることとして、廃止するものであります。  第四は、国立大学共同利用機関の設置についてであります。  国立遺伝学研究所については、文部省の所轄研究所である国立遺伝学研究所を改組転換して、これを全国の大学等の研究者の共同利用のための国立大学共同利用機関とし、これにより遺伝学に関する研究の一層の推進を図ろうとするものであります。  以上のほか、昭和四十八年度以後に設置された医科大学等に係る職員の定員を改めることといたしております。  以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。
  253. 愛野興一郎

    愛野委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。      ————◇—————
  254. 愛野興一郎

    愛野委員長 小委員会設置の件についてお諮りいたします。  それぞれ小委員十五名からなる  義務教育諸学校等における育児休業をめぐる諸問題について調査検討するための義務教育諸学校等における育児休業に関する小委員会及び  幼児教育をめぐる諸問題について調査検討するための幼児教育に関する小委員会を設置いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  255. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  小委員及び小委員長の選任につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  256. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  小委員及び小委員長は、委員長が追って指名し、公報をもってお知らせいたします。  なお、小委員及び小委員長辞任の許可及び補欠選任につきましては、あらかじめ委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  257. 愛野興一郎

    愛野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十二分散会      ————◇—————