○米沢
委員 私たちは、現在に至るまで、慎重審議ということでかなりの時間を使って審議をしてきました。既に審議も後半にかかっておると認識しております。しかし、ほとんどの質疑者が、あるいは聞いておられる皆さん方が、少なくとも共通して持っておる認識は、いま
一つ皆さんのおっしゃることがすっきりしない。そして政令、省令事項に関するものでも、今からの作業だというものが多過ぎる。そしてこれから新しい
会社がどういうような行方をたどっていくのかということも、やってみなければわからぬという部分が多過ぎる。そういう
答弁に終始したものと私は思っています。ほとんどの方がそういう感想を持っておられるんではなかろうかと思います。確かに解明された部分もあります。しかし、むしろ解明されない部分の方が多過ぎるのですね。こういう法律の審議なんて初めてです。そういう意味で、ただ長々と質問をする、ただ長々と
答弁してもらう、そして長い時間議論したんだから、この法律はオーケーですわというぐあいにこの法律通したくないのです、本当を言ったら。
確かにいろいろな部分がありましょう。皆さん方がおっしゃる苦衷もわかる。それならば、本当にある年限を経た上で、新しい法案が
施行された後に、やはりそれなりの経験を積んだ上で、法律そのものに瑕疵があるとするならば——なければそれでいいですよ。瑕疵があるとするならば、ひょっとしたら
葉たばこ問題片づかなかったならば、もっとドラスチックな法案にしなければならぬかもしれません。また、それを言うとうるさくなるということで、皆さんおっしゃらないのかもしれませんが、あるいは
経営形態だって、資本の問題だって、民間活力の
導入の問題だって、あるいは公的関与の問題だって、やっておる中で、確かに日々反省をすることは大事です。それは当たり前な話です。しかし、日々の反省をされながらも、やはりきっかけをつかまないと、こういうものは法律にならないのですね。そういう意味で、見直し規定というものをぜひ入れるべきである、この気持ちはわかっていただけると私は思うのですよね。
例えば、この
経営形態の問題
一つとりましても、今後
日本の
たばこ産業が健全な発展をするためになんと言いますけれ
ども、この内容を見る限り、健全な発展をしないように思えて仕方がないのです、本当に。旧来の束縛そのままが入ってきておるのですから、逆に
経営の自主性が発揮できないように、余り発揮されたら困るという意図が見え見えです。確かに
公社よりちょっとよくなるかもしれませんよ。しかし、経常の自主性という名前のもとに、余り自主性を確保してもらったら困るというような気持ちが込められておるじゃないですか、この法律には。活力のある
経営ができるようになっていないですよ、この法案は。それも、皆さん方の苦衷もわかるから、この際この法案を通したとしても、何年か先にはそのあたりを見直すことは絶対必要だと思うのですよ。逆にそういう規定を入れることによって、姿勢がぴしっとするのですよ。そのことが
関係者の不安を呼んだり、さあ、ひょっとしたらというような憶測を呼んで、この法案に関する
施行が難しくなるという一面はわからぬわけでもありません。しかし、そういうわかったわかったという
感じでやるということは、
日本の
たばこ産業全体がつぶれることになるのだから、そういう意味では、この際見直し規定みたいなものを入れて、何年か先には本当にこの法律でよかったのかどうかということを考えようではないかというのは、まさに当たり前な発想であって、そんなの入れることはおかしいなんという議論にはならないと私は思うのですね。
本当にこの法律で、総裁なんかも
経営の自主性は損なわれないとおっしゃるけれ
ども、我々がイメージしておるのは、新しい
会社は
経営の自主性をどんどん発揮してもらって、損なわれないなんて消極的な
感じで物を言っておるんじゃないですよ。積極的に
経営の自主性を確保してもらいたい。そうでないと、新
会社は成り立たないだろうと我々は危惧の念を持っておるわけです。だからこういうようなことを申し上げておるわけですね。果たして、この法案でるる
説明されておりますように、厳しい環境に今から船出するこの新しい
会社が、本当に
経営の自主性が確保できるのだろうか。私は八割ノーと思いますね。見解の相違かもしれません。損なわれないくらいのことではやっていけないと思っておるんだ、これは。臨調が求めました活力ある
経営なんというのはまだ出てこないだろう、そう思うのですね。あるいはまた、これはるる議論になっておりますように、この新しい
会社は、政府が二分の一以上の株式を保有する特殊
会社。しかし、株式の二分の一を持つということは、民間の常識からいって
経営権を支配するということですね。逆にこの法律は、民間的にはなりませんよということを宣言したような法律になっておるわけですよ。
同時に、これもるる議論になりましたように、「当分の間」も先の話、少なくとも政府の一〇〇%出資で始まる。それも三分の二になるまでも大体わからない、解明されない。となると、ほとんどといいましょうか、かなりの長い間政府の一〇〇%出資の状態で行くだろう。そうなったときに、本当に今の
公社形態からどれだけ抜け出せるのだろうか。政府系一〇〇%の新
会社といったら、取り巻くほとんどの皆さん方が、
会社と名前は変わったけれ
ども、少なくとも政府が一〇〇%持っておる
会社なんだからという甘えがやはり出てきますよ。これは民間になったぞなどというものと全然違うわけですよ。また、そういう不安をなくすために、いろいろなこういう工作がなされたこともよくわかっておりますが、果たして
経営形態がこんな調子でいったときに、本当に言葉は悪いけれ
ども、親方日の丸的な
経営というものから抜け出せるのだろうか。ノーという気分の方が強いのですよね。本当に民間
企業としての自覚が確立されるような法案かというと、そうではない。
それは確かに、新しく
会社の社長になられた方は一生懸命やられると思う。しかし、それはそういう姿勢であったとしても、取り巻く
状況が、
経営形態も、はい政府系一〇〇%の出資でございます、法律の中には、
葉たばこの問題もみんな昔と同じようになっております、そうやられたんじゃ、幾ら気持ちとして
経営の自主性だと一生懸命頑張ろうと思っても、形がそうなっていないのだから。そういうものこそ、何年かした後に、本当に
経営形態はこれでよかったのかと反省するチャンスを持つのは当たり前だと思うのですよ。それは一年一年で出てきませんよ。しかし、少なくとも五年という単位をとったら、本当に
経営形態これでよかったのかという議論に必ずなってくると思います。その時点で当然変えようではないかと宣言することの方が、ぴしっと一本この新
会社に背骨が立つことになるんだ、そう私たちは思っておるのでございます。どうでしょうか。