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竹下国務大臣 現在の経済
状態をどう見ていくか、上田さんと私との本
委員会を通じての議論をずっとトレースしてみれば、言ってみればあなたが拡大均衡で私が縮小均衡、強いて位置づければそういうふうに位置づけられるかな、こういう
感じがしております。
それで、この機会でございますので、私なりに今思ってみますと、今おっしゃいましたように、福祉とか教育とかいうお話がございましたが、確かにこれは、私もこの間三回目のサミットヘ参りまして、どういう
観点から
日本を見ているかというと、これは自由民主党とかいう問題じゃないな、要するに文盲率が仮に
日本の次が
アメリカとしても、十五歳以上の男女にして字の書けざる者が
日本のまず四倍ぐらい。そうすると、ほかの先進国は大体十倍ぐらいおるわけです。高等学校進学率を見ても、
日本、
アメリカ、その次に韓国、それからフランス、西ドイツ、イギリス、こういう順番になります。だから、たまたま歴代保守党政権、あるいは片山内閣もございましたけれ
ども、そういう
日本の過去の政治体制というのが教育というものに非常に力を入れてきたから
知識水準も上がったに違いない、それが
一つには尊敬されておるゆえんになっているのじゃないか。だから、一自由民主党とかいう問題ではなく、
日本の戦後今日まで行われてきた政治の生んだ果実というものは、私は、これは私
どもの先輩たちの努力のたまものじゃなかったか、こういう
感じがしております。
そこで、今度は経済の問題ということになりますと、これは一九四五年に戦争が終わって五年間は、食うに精いっぱい。それから朝鮮戦争を契機として、
日本の工業がもう一遍息を吹き返してまいりまして、それで前進の
時代とも言われるべき五十年代が続いて、繁栄の
時代とも言われる六十年代というのが続いてきた。その辺で、私がいつかも
お答えしましたように、
世界銀行なんかから金を借りて、それでできたものが新幹線であり東名高速であり、あまたの水力発電等のダムである。やはり、うちも、開発途上国という表現は適切でないかもしれませんが、中進国のような
立場で、そういう国際機関等に支えられて今日あるのだな、こういう
感じもしみじみと持ちます。
だが、今仮に一人当たり所得を見ましても、
日本以上に購買力のある国民は
世界にほとんどなくなった。そういたしますと、購買力がないことには、せっかくの
日本の優良な製品も売れないわけでございますから、したがって、経済協力の
必要性もまた現実問題としてそこにもあれば、そしてまた、かつては
日本よりも高いヨーロッパに追いつけ、追い越せ、そういう高い
状態のところへ物を輸出しておった。それが高い
状態でないわけでございますから、勢い安定成長というものにならざるを得ない。そうすると、結局、私がそうでございますが、高度
経済成長になれております。したがって、一〇%ぐらいの成長でないと景気のうちに入らぬという意識が自分自身にあるのじゃないか、やはり四%
程度の成長が普通だというある種の意識転換というものもしていかなければならぬじゃないかな、こういう
感じがしておるところに、よく縮小と言われるゆえんのものもありはせぬかな、こう思います。
それからもう
一つの問題は、話が長くなって恐縮でございますが、やはり私
ども今度サミットで議論したときに思いますのは、
昭和五十二年に、
日本にいわゆる機関車論で内需振興をやってもらった、それはありがたかったという
感じ方がないのであります。むしろ、それによって財政赤字を多くして
日本に済まなかった、こういうような
感じであります。そうして、例えばイギリスにしても、そういう機関車的な役割がかつてのイギリスの支配下の中進国等々から期待されて、自分らもまた全部財政赤字を持った。それで、
世界じゅうの先進国が、人口で言えばサミット参加国というのは六億でございますから一三%、それで五六、七%のGNPを持っておる。だが、それらの国が全部財政赤字になった。したがって、それが高金利というものを生んで、結局開発途上国は今までの債務も返せぬようになれば、新しく金を借りる力もなくなった。だから、むしろ先進国が、緊縮財政とは申しませんが、そういう財政赤字をつくらないような努力をしたならば、その余剰の貯蓄というものが開発途上国へいわゆる
資本輸出されていって、それによって開発途上国もよくなり、先進国のものもまた買えるだけの購買力もついてくるのじゃないか。
だから、今度不思議に思いましたのは、貿易
黒字に対してけしからぬ、こういう話がなくて、
日本の持っておる長期
資本収支の出と
経常収支の黒とがちょうどとんとんくらいになりますから、むしろ
資本輸出国として、低利にして良質な資金の供給源としての
日本の国の役割というようなものが評価されてきておるのじゃないか。だからその
意味においては、おのがじしそのところに従い、先進国がまずはこの財政赤字からの脱却をするのが先決だ、こういうことが一応の合意になったわけです。
そうなりますと、シーリングの問題に返ってまいりますと、シーリングというものは、私も不勉強でございましたが
昭和三十六年から行われております、言ってみれば予算編成作業の
一つの手法ではないかというふうに受けとめます。そうしますと、そのうち、去年のことを思い出してみましても、例えば人件費でございますとか年金でございますとか、そういうものは増分としてこれを位置づけて、それから医療費とか生活保護をゼロシーリングにして、それから一〇%シーリングが四兆幾らか対象になりますか、公共投資等五%シーリングというのが七兆幾らになりますか、そういう形でやって、総枠の中で、大蔵省は専門家ではございませんから、各省の専門家の皆さんでひとつ内なる
改革をしてください、こういう手法でやってきたわけでございます。
これは
一つの手法であって、ただ国民全体に、一概にシーリングといえば何かこう全部頭から五%とか一〇%とか切ってしまうような暗い印象を与えてきたとすれば、やはり我々のPR不足ではなかったかな、そういう反省を持ちながら、いつも申します「七、六、五抜きの四、三、二、」といいますか、
平均値でございますが、その
程度の実質成長率を見込んで孜々営々として努力するのが今のあるべき姿かな。その辺がまた、いつも上田さんに批判されておるところでもあるわけであります。