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池田参考人 私は、第八期から
学術会議におりまして、ずっと八期以来
改革委員として働いております。第一部で、
専攻は
哲学であります。ただいま
会長の方から
改正法案に対する全般的なことは申されました。時間が十分ということでございますので、私も全般的なことについてもいろいろ申し上げたいことがたくさんありますけれ
ども、きょうはそれよりも具体的に、私、第一部
所属ということで、第一部、すなわち
人文科学、これがこの
法案を実施するとどうなるのだ、
現状はどうなっているのだということを申し上げまして、話が少し細かくなるかもしれませんが、皆様の御
審議の
参考に供したいと思っております。
現在、第一部に
専門部というのがございまして、その
専門部といいますのは、
文学、
哲学、教・心・社、これは
教育、
心理学、
社会学を一緒にして教・心・社、これが
一つの
専門部であります。それから
史学、
歴史学ですね、この四つであります。これに
所属する、このたび
研連を通して
会員を
推薦するということになっております
研究連絡委員会、普通略して
研連と申しますが、は、
語学文学、
西洋古典学、それが
文学に属するものであります。それから
哲学、
宗教史学、これが
哲学に属する。それから
心理学、
教育学、
社会学、
社会福祉、
体育学、以上が教・心・社に屈するものであります。
歴史学、考古学、
東洋学、この
三つが
史学に属するものであります。以上、十二であります。十二と申しましても、実際の、正式の
研究連絡委員会は七つであります。あとの五つは
研連、
研究連絡会と申しまして、これは法律的に正式のものではありません。
予算がないものですから、各正式の
委員会の方の
委員を削って、そしてつくっているような
状況であります。ところが、このうち
東洋学というのは、
哲学、
文学、第二部、第三部にまたがる。こういうふうな
状況で、一部の
研連でありますけれ
ども、二部、三部、四部、七部と、
法律学、
経済学、理学、
医学にまたがるものが多いのですね。これらの
研連といいますのは、もともと体系的に最初からつくられたものではありませんで、
国際学術団体への対応など長い伝統を有するもの、それから比較的最近になって組織されたものなど、いろいろであります。
第二。ところで、第一部
関係の
単一学会、連合体を除きまして
単一学会が幾つあるかと申しますと、二百六十六あります。その中で現在までに正式に登録している
学会は百二であります。
学術会議には
登録学会の
資格条件が定められておりまして、それに基づいて登録した
学会が百二あります。このうち、
学会として
各所連に参加しているものはみんなで合わせて六十六ありますけれ
ども、その中に重複しているものがありますので、実際は五十九であります。
たとえて申しますと、私は
専攻が先ほど申しました
哲学、特に
中国哲学なものですから
日本中国学会に
所属しておりますけれ
ども、この
日本中国学会は
哲学研連にも、それから
東洋学研連にも、
語学文学研連にも
委員を送っておる、こういうことであります。こういうのがほかにもあります。そういうふうに二
研連以上に参加している
学会を、
関係研連との
関係の強弱によって
特定研連に結びつけよう、こういうのが
法案にありますけれ
ども、それはどうも私
どもには適当と思われない。逆に、
研連の中にはほかの部に属するものもありまして、
研連とそれから
専門別、
研連と
学会という
関係はきわめて複雑であります。それにしても、
研究連絡委員会に直接参加する
学会は、先ほど申しました
単一学会に換算して五十九でありますから、全
学会の四分の一以下にすぎません。
第三。
学会というのは、もともと
研究者の
自由意思に基づいて締成された自然発生的な
任意団体であります。第一部
関係で
法人格を持っているのはごくわずかです。私の知っている限りでは、
二つか
三つぐらいしかありません。また、
一つの
分野に幾つもの
学会があります。たとえば
日本文学関係の
学会では二十四あります。
仏教学に関するものが八つあります。そういうふうに、
会員もまた
研究機関に属する者のほか、いわゆる
アマチュア的研究者、
民間研究者、これは別に差別する意味ではありません。この中にもりっぱな
研究者がおられますけれ
ども、つまり
大学なんかに寄り得ない
研究者、これは
地方史研究なんかにそういう方が多いのですけれ
ども、実に
学会というのは多種多様、千差万別であります。また、
専門別を包括した、たとえば
地域研究を主体とする
中国学会のごときもそうですけれ
ども、
内陸アジア史学会とか
モンゴル学会とか
イタリア学会とか、そういう
学会なんかも四十余りありますけれ
ども、このうち
研連に参加しているものは
三つにすぎません。
中国学会を除いて
三つであります。
こうした
現状を通して見る限り、
学会は
研連に対応しておりませんし、
研連は
専門別に対応しておりませんし、
専門別は部すなわち
人文科学に対応していないということが言えます。なぜそうなるかということですけれ
ども、これは
人文科学の本質から来る
特色でありまして、自然然
科学とこの点大いに異なっております。そういうふうに申してきますと、いかにも非論理的、いかにも無秩序のように聞こえますけれ
ども、これこそが自由な
学問の
発展を図るためには必須な
条件あるいは要素ということが言えるでありましょう。
自然科学あたりは、たとえば工学、
医学あたりになりますと、これはヒエラルキー的に
学会ができておりまして、わりと体系的なんですけれ
ども、人
文学はそうでもありません。いま申しましたように非常に、言ってみればばらばらと言うことができようかと思います。
そういうことで、このたびの
改正法案のように政令や規則で町門別をどういうふうに決めても、また
研連を手直ししても、部、
専門別、
研連、
学会というこの
関係を合理的に体系づけるということは、ある
程度の整理は可能でありましょうけれ
ども、困難と言わなければなりません。この困難は、
学問が多様化し、また複合化すればするほど増幅する傾向にあります。
四。
法案の説明、これは私
ども、
法案についての説明を事務当局からいただきまして読みましたけれ
ども、その
法案の説明によりますと、
会員候補者数の割り当ては、
学会の規模や関連
研連との、先ほど申しました関連の強弱によって決まる。つまり、ある
研連とその
学会との
関係が強いか弱いかによって候補者の数なんかが違ったりする、こういうことのようですけれ
ども、規模というものが
学会の存在価値を決めるものではないことは言うまでもありません。
たとえば
イタリア学会なんかは三百五十人しかおりません。先ほど申しました
内陸アジア史学会、
日本モンゴル学会、それぞれ百六十、百七十、ウラル
学会四十三、こういう小さい
学会。しかし、これらの
学会はきわめて重要な
学会であります。もしこういうものが、単に
学会の規模が小さいからといって捨てられるようになりますと、
会員も出せないということになります。
また、
学問の必要から参加しているのでありますから、
研連との
関係の強弱というものの
判断はっけがたい。
研連とどういうふうに
関係が強いか弱いかというのは、なかなかっけがたい。もともと
学問というのは平等でありますから
学会も平等でなければなりませんし、
登録学会相互の問はもとより、登録とか非登録によって、登録していないからといって差別さるべきものではありません。
また、
研連には
会員候補者の選出に関与しないようなものも今度、説明によるとできるようでありますけれ
ども、それこそ
研連本来の
目的と使命とから逸脱するものと言わねばなりませんし、またそういう差別の
判断の基準をどこに置くか、これはなかなかむずかしい問題であります。これを強いて強行しますと、
研連あるいは
学会の間に、平地に波乱を起こすと申しますか、非常に混乱を招くということになりましょう。
五。上記二百六十六の
学会のうち、個人加入で現在登録基準の
会員数が二百以下のものが四十八あります。これは実際は、一九八一年の調べでありますので、この数はもっと減少するでありましょう、
会員は年々ふえるのが一般の傾向ですから。
そこで、その
会員の数だけから見ますと、
登録学会百二のほかに百十六の
学会が登録の可能性を有するということになります。
法案の説明に言うように、
学会に最低一名の
会員候補者を割り当てるとしますと、百十六の
学会がすべて登録した場合に、第一部だけで最低二百十八名の
会員候補者が出てくる、こうなります。これはみんな登録権を有する、登録の資格を有する
学会が登録した場合のことであります。あるいはみんなしないかもしれません。
そしてまた、その
学会から
会員を
推薦する
推薦人というのが出るそうでありますけれ
ども、この
推薦人は一体いかなる基準のもとに第一部の
会員三十名、いま三十名、この中にもちろん
地方区も入っておりますけれ
ども、
地方区とかあるいは専門化でない、非専門と申しますが、これをしばらく除外しまして三十人
程度を選出するのであるか。
推薦人というのはそれぞれの
学会から出ておりますから、自己の
学会から出た候補者を当選させる責任を持っております。したがって、この場合の
協議が成立するという可能性はきわめて少ない。無論
科学者ですから、それぞれ英知を持っている方々ですから、その
協議が成立すればよろしゅうございますけれ
ども、やはりそれぞれ
推薦人は
学会に責任を持っておる。したがって、寸分の
学会から出したいのは人情であります。そうした場合に、いま言ったようにたくさんの
会員候補者が出た場合に、どうやってこれを選ぶか、これは実にむずかしい問題であります。
そういうことになりますと、結局どうなるかと申しますと、これは想像ですけれ
ども、仕方がないからひとつ選挙でもやるか、こうなる。それなら私は、初めからいまの
公選制に基づいて、そして
公選制のデメリットを補う意味で三分の一
推薦制をとっているいまの
改革要綱、これの方がまだ賢明じゃないか、こういうふうに考える次第であります。
いずれにしましても、今度の
法案は、実施しますとしますと、私
ども人文科学、ほかの自然
科学、社会
科学でもさようかと思いますけれ
ども、特に第一部
人文科学の場合は非常に困難に遭遇する。一体どうなるかということなんですね。こういうことで、少し話が細かくなりましておわかりにくかったかと思いますが、また御質問でもありましたら後にお答えするといたしまして、一応私の話を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。