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簑輪委員 この社会保障
制度に関して、憲法二十五条があるわけですね。「すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む権利を有する。」二項で「國は、すべての生活部面について、社會福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」ということが明示されているわけですね。ここが基本となって社会保障というものを
考えていかなければならないと思うのです。
昭和二十五年十月に出されました
社会保障制度審議会の「社会保障
制度に関する勧告」というのがございまして、ここでは「いわゆる社会保障
制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の
原因に対し、保険的方法又は直接公の
負担において経済保障の途を講じ、」「もってすべての
国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである。」というふうに書かれているわけですね。そして続いて、「このような生活保障の
責任は国家にある。」ということが書いてあるわけです。「この
制度は、もちろん、すべての
国民を対象とし、公平と機会均等とを原則としなくてはならぬ。またこれは健康と文化的な生活水準を維持する程度のものたらしめなければならない。」ということが書かれているわけでございまして、国がこの社会保障
制度の全面的な
責任を
負担しているということは明らかだと思うのです。
ところが最近では、臨調とかいろいろなところから、社会保障とは一体どういうものなのかということがまたいろいろな角度から言われているわけですね。たとえば臨調で見てみますと、「活力ある福祉社会の建設」というようなことが言われておりまして、第一に、「個人の主体性・自立性が」云々とあって、「個人の自助努力」というのが掲げられております。第二に、「家庭や近隣、職場等において連帯と相互扶助」。第三には、「
民間部門がより自由に、積極的にその役割を果たしていけるようこというようなことが掲げられているわけです。
〔
委員長退席、中西(啓)
委員長代理着席〕
臨調で掲げられていますこの自助努力とかというのは、これは国の基本的な
責任というのを緩めてしまって、個人
責任の方を非常に強調するものであって、私は間違っているというふうに
考えます。なぜなら、社会保障というのは、一定の歴史を持って生まれて育ってきたものでございまして、その点から言えば、社会保障
制度というのは自立自助ということで、資本主義の社会が発展してくる中で、それだけではどうしようもない
部分について、
労働者階級全体の生活問題を解決するために自立自助の修正という形で生まれ、発達してきたものではないか。したがって、それに対して
公的年金制度というものは、被保険者以外の第三者の
財政参加、雇い主なりあるいは国家というものが社会的扶養という形で進めてきたものではないかと言えると思うのですね。
この臨調の
考え方などを基本にして
考えていきますと、
公的年金制度における国と雇い主の
責任というものをできるだけ少なくしていって、その分を
国民の自助努力というところに押しかぶせていく。さらには、臨調で言いますと、公的関与を見直して
民間部門をより、というふうに書いてありますので、民間保険というような形の方への移行まで
考えていて、社会保障
制度そのものがひいては利潤の対象にさえされかねないという危惧を持っております。私はやはり、国の
責任というものを基本的にしっかり踏まえなければならない。そして、特にこういう問題が出てくる背景の中に
財政危機という問題が出てまいりますけれ
ども、それは事の本質の問題ではないわけで、
財政的見地で事を処理していくというのは、社会保障
制度という
公的年金制度の基本がないがしろにされるものだというふうに思うのです。
公的年金制度というものは、国の
責任によって老後の最低生活保障という、憲法で定めている生存権の政策、そこから来るものでなければならないし、そのように実施されなければならないというふうに思うのですね。
大臣の御答弁は、御自分でもおっしゃっておられましたように、雇用政策的な側面が非常に強いものだというふうに私も
思いまして、それは社会保障という事の本質ではなかろうと思うのです。
そこで、もっと憲法をいろいろ見てみますと、特に十三条では、「すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に封する國民の權利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。」というように、幸福追求の権利というものが高らかにうたわれておりまして、十四条で法のもとの平等も定められている。こういうものを総体として社会保障
制度というのが確立されていかなければならないというふうに私は
思います。
そこで、これに絡んで幾つか婦人の
年金権についてお尋ねをしたいと
思います。
昨年の四月二十一日の大蔵
委員会で私が婦人の
年金権について
質問させていただきました。そして、そこでの御答弁は、「婦人の
年金保障を充実をするという基本的な
立場に立って、この問題に真剣に取り組んでいきたいと思っております。」という答弁をいただいているわけです。
御存じのように、
年金問題というのは婦人にとって非常に重要な関心事でございまして、老人問題は婦人問題であると断言してもいいほど、その比重が大きいわけです。なぜなら、六十五歳以上の女子というのは六百十五万人いて、男子よりも百六十五万人多いということですね。それから、あの戦争の時代を踏まえまして、戦争による独身世代というのも婦人の場合にたくさん生まれておりまして、そういう
方々が老齢期を迎えつつあるわけですから、どんどんとその婦人の比重が高まっていくと
思います。あわせて
平均寿命の差やら、あるいは夫婦の年齢の差とか、あるいは中高年の離婚の増加とか、それから女性の再婚率が低いとか、いろいろな問題があって、高齢婦人の有配偶率というのも男性に比較して非常に低いわけですね。そういう
意味で、婦人が
年金問題に重大な関心を持つということを深く認識をしていただきたいと
思います。
そこで、いま「二十一世紀の
年金を
考える」というのが厚生省から出されておりますけれ
ども、ここで、「婦人の
年金権の確立」というのとあわせまして、「
厚生年金保険の支給開始年齢、
保険料率の男女差についても見直しを進める」ということが掲げられております。それから
給付水準の適正化ということで、併給
調整というような問題もここで触れられているわけです。そういう中で、すべての婦人に固有の
年金権を保障するという措置は、これはもうかねてから婦人が強く要求してきたとこ養いまして、当然の結論だとは
思いますけれ
ども、それをどのように実現していくかということを踏まえて、幾つかの
問題点があるかと
思います。
ことしの七月十五日に社会保険
審議会
厚生年金保険部会というところから「
厚生年金保険
制度改正に関する意見」というのが出されております。ここでも触れられておりますけれ
ども、婦人の
年金を
考える場合、婦人の労働実態とかけ離れて
考えていくことはできないというふうに思うのです。この意見書でも、「女子の支給開始年齢については、労働条件における男女差の解消などのすう勢を考慮し、」「見直すべきである。」というふうになっております。
そこで、労働条件の実態というものを明らかにしていかなければならないと
思いますけれ
ども、いま婦人
労働者は、八二年で千四百十八万人といわれ、全
労働者の三四・六%を占めているということですが、老齢
年金の額は男性に比べて非常に低い水準になっていますが、一体どの程度か、わかりましたら教えてください。
〔中西(啓)
委員長代理退席、
委員長着席〕