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1983-10-05 第100回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年十月五日(水曜日)     午前十時一分開議  出席委員    委員長 金丸  信君    理事 江藤 隆美君 理事 海部 俊樹君    理事 津島 雄二君 理事 三塚  博君    理事 細谷 治嘉君 理事 矢山 有作君    理事 正木 良明君 理事 吉田 之久君       足立 篤郎君    愛野興一郎君      稻村佐近四郎君    今井  勇君       小里 貞利君    大村 襄治君       片岡 清一君    亀井 善之君       澁谷 直藏君    田中 龍夫君       谷  洋一君    中村  靖君       西岡 武夫君    原田昇左右君       保利 耕輔君    村田敬次郎君       後藤  茂君    沢田  広君       森井 忠良君    安井 吉典若       湯山  勇君    渡部 行雄君       草川 昭三君    中路 雅弘君       三浦  久君    小杉  隆君  出席公述人         日本行政学会理         事         元専修大学法学         部長      小関 紹夫君         埼玉大学教育学         部教授     暉峻 淑子君         早稲田大学政治         経済学部教授  片岡 寛光君         産経新聞社論説         委員      千田  恒君         名古屋大学法学         部教授     室井  力君         全日本労働総同         盟副会長    浅野総一郎君  出席政府委員         内閣審議官   手塚 康夫君         内閣審議官   百崎  英君         内閣総理大臣官         房総務審議官  橋本  豊君         行政管理政務次         官       菊池福治郎君         行政管理庁長官         官房総務審議官 竹村  晟君         行政管理庁長官         官房審議官   古橋源六郎君         行政管理庁行政         管理局長    門田 英郎君         行政管理庁行政         監察局長    中  庄二君  委員外出席者         行政改革に関す         る特別委員会調         査室長     大澤 利貞君     ─────────────  本日の公聴会意見を聞いた案件  国家行政組織法の一部を改正する法律案内閣提出、第九十八回国会閣法第三九号)  国家行政組織法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理等に関する法律案内閣提出第一号)  総務庁設置法案内閣提出第二号)  総理府設置法の一部を改正する等の法律案内閣提出第三号)  総務庁設置法等の一部を改正する法律案内閣提出第四号)  行政事務簡素合理化及び整理に関する法律案内閣提出第五号)      ────◇─────
  2. 金丸信

    金丸委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国家行政組織法の一部を改正する法律案国家行政組織法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理等に関する法律案総務庁設置法案総理府設置法の一部を改正する等の法律案総務庁設置法等の一部を改正する法律案及び行政事務簡素合理化及び整理に関する法律案の各案について公聴会を行います。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多用にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。行革関係法案に対する御意見を拝聴し、各案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず最初小関公述人、次に暉峻公述人、次に片岡公述人順序で、お一人十五分程度で一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは、小関公述人お願いをいたします。
  3. 小関紹夫

    小関公述人 今次臨調は、行政改革の視点として、変化への対応総合性確保簡素化合理化信頼性確保を掲げており、行政組織内容は簡素でかつ流動的なものであるべきことを明らかにし、それに沿うて行政改革が行われるべきであるとしております。かくて、行政効率性向上のための施策として、民間活力の利用、行政の活性、弾力性確保が企図されているところであります。  今次の行政改革の特徴は、これらの問題について、いろいろの立場からきわめて多様な意見なり批評が出されているということであります。私個人としましても、第二次臨調の答申を理想的なできだとは考えておりませんし、批判すべき点、要望すべき点も存することは言うまでもありませんが、今日のわが国の置かれている現状から見て、やはりその成果は認めてよいと思うのであります。  行政改革は、ただに今次だけに終わるものではなく、これからも引き続いて行われるべきものと思うのであります。したがって、このたび提出されている改革法案も、それらの一連におけるものとして考えたいと思うのであります。  まず最初に、国家行政組織法の一部を改正する法律案について申し述べます。  右法案内容は、現在法律事項となっている各省庁官房及び部局の新設、廃止政令にゆだね、政府が自由に手直しできることとするもので、これに対し、右は国会統制機能を阻害するものではないかとの意見があるようであります。  しかし、現代のように激しく変動する社会対応する行政を行うためには、行政内容を絶えず進展させる必要があり、したがって、省庁という大もとは別にして、実際の運営に当たる補助組織変更内閣責任において行っていくことは、きわめて弾力に富んだ適切な措置と言えましょう。さらに、これらの変更国民に周知させる公示の方法もとられており、行政官庁独善的体制になることを防ぐ配慮もなされておるところであります。  省庁変更法律事項には手がつけられていず、また国会行政統制については、国政調査権を初めとし、予算審議一般法案審議過程において十分に行われ得るところで、これら補助組織の変動まで一々チェックしなければ国会統制権が阻害されるとは考えられないのであります。  もっとも、基幹的な内部組織である官房及び局の膨張を生ぜしめないかという危惧に対しては、上限が決められているところであり、さらにスクラップ・アンド・ビルド方式によることが述べられており、これによって不当に現在以上部局がふえるおそれはまずないと言えましょう。  イギリスは、各省内部組織は各大臣が定めることができ、省の統廃合や所掌事務の移動についてさえ、政令に相当する枢密院令で定められることになっております。ただし、この場合は両院または一院の同意が必要とされます。  西ドイツでは、各省内部組織は各大臣が定め、省の設置所掌事務政令で定められます。  フランスでは、各省内部組織大統領の発する統令、これは政令に当たるものでありますが、等で定められ、省外局等設置所掌事務統令で定められることになっております。  アメリカの省庁及び次官補以上の職については法律で定められますが、省によってはビューロー、局であります、この設置法律で定められているところもあります。しかし、行政機構改革法という時限法をそのときどきに制定することにより、組織編成については大統領に大幅に権限がゆだねられております。  このように、変動する社会対応し、国民行政需要を満たすために政府行政機構機動力を与えたことは画期的のものというべく、将来の活力を期待したいと存ずる次第であります。  これに対し、もろ刃の剣であるという批判が出ております。しかし、戦後三十有余年、ようやく民主行政が育ってきた今日、国会議員の多数によって指名される内閣総理大臣によって組織され、連帯して国会責任を負う内閣行政責任のあり方も明確になってきている今日、国会行政責任を追及することができないのではなく、いよいよ行政責任重大性確保されるべきだと考えます。国会により信任され、行政権を負託される政府に、より弾力的に、より効率的に行政効果を上げ得る方法としてこのような措置がとられることは、きわめて現代的と認めてよいのではないかと存ずる次第であります。  次に、国家行政組織法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理等に関する法律案について申し述べます。  本法律は、文字どおり国家行政組織法の一部の改正に伴う各省設置法等関係法律二百三件について必要な整理を行うものでありまして、国家行政組織法の一部を改正する法律施行期日昭和五十九年七月一日と定めるほか、新たに各省庁全体の所掌事務規定を設けるとともに、官房及び部の規定並びに庁次長、局、部の次長国務大臣を長としない庁に置かれる総括整理職等政令によることとされる部分の規定が削られております。  その他、附属機関について審議会施設機関及び特別機関に区分し、審議会及び施設等機関について法律で定めることを要しないものについてその規定が削られております。また、政令事項とされるに至った地方支分部局のうちブロック単位設置された機関等の個別の名称、位置、管轄区域及び内部組織についての規定も削られております。  問題は、省庁所掌事務に関する点でありますが、右は、これまでの局単位規定されていたものを省段階に取りまとめたもので、内容には変更を見ないので問題とするところはありません。それに、附属機関についても基幹のものについては依然法律事項と残されているところで、本案についても妥当なものと思量する次第であります。  次に、総務庁設置法案について申し述べます。  政府総合調整機能強化は、首相のリーダーシップ発揮重要要件として先進諸国においてもすでに実現されているところで、わが国においても第一次臨時行政調査会においても取り上げられたところであり、きわめて重要な課題一つとされているものであります。  本法案は、総理府本府及び行政管理庁組織機能統合編成し、総理府外局として総務庁設置しようとするものであります。その点において今回の措置はいまだ理想的のものとは言いがたいのでありますが、行政機関の人事、機構定員管理及び行政監察機能の一体的、総合的の運用をねらいとするもので、新鮮な現代的理論に裏打ちされた総合的行政管理機能強化とその推進を図るものとして、きわめて意義のある措置と言えましよう。  それに、行政組織編成に強い権限を与えられるに至った現在、今後の総務庁責任は一段と重大化してまいったと申してよいと思います。したがって、この措置変化への対応行政効率化に沿うものと言ってよく、これをもとにして一段と政府総合調整機能推進に努めていただきたいと願うものであります。今後その機能発揮に期待したいと存じます。  次に、総理府設置法の一部を改正する等の法律案について申し述べます。  本法案は、総理府外局として総理府本府及び行政管理庁組織及び機能統合編成として総務庁設置されることになったため、本府業務整序を目的とするもので、所掌事務整理総理府総務長官及び総理府総務長官廃止審議会等の各省庁への移管、行政管理庁廃止関係法律規定整理を行うものであります。  注目すべきは、この措置国務大臣が一名減じ得ることになっていることで、その有効な活用は今後の課題であり、内閣強化に充てられんことを希望するものであります。  次に、総務庁設置法等の一部を改正する法律案について申し述べます。  本法案は、府県単位機関整理合理化内容とするもので、地方行政監察局を初め地方公安調査局及び財務部を廃し、それぞれ行政監察事務所公安調査事務所及び財務事務所に改めようとするものであります。  今日、地方の時代と言われるほど地方公共団体行政の水準の向上が見られるようになった現在、いつまでも国の地方出先機関を存置する必要はなく、これを縮小したのは多年の宿題の解決に前進したものとして歓迎したいと存じます。  ただ、地方行政監察局縮小は、地方に対する監察業務の必要がなくなったのではなく、一段と必要となったと言えるときに縮小はどうかと思われる節もないではありませんが、これはこれから検討が望まれている住民監査オンブズマン制実施等と相まって、行政の適正が行われるよう努力の必要があろうかと存じます。  業務は残されるようでありまするから、廃止に伴う欠陥は十分に償われるでありましょうから、実際上の問題はないと存じます。  次に、行政事務簡素合理化及び整理に関する法律案について申し述べます。  本法案は、いわゆる許認可事務整理地方公共団体に対する機関委任事務整理内容とするもので、現状対応する適切なものと思われます。民間活力を促し、行政事務簡素化を進める方法として大きな効果があるものと存じます。ただし、公共性確保のため、必要な規制体制の弱化とつながらないよう配意すべきは当然でありますが、現状は多くのむだが指摘されているところでありまするから、今後とも思い切って整理する必要があろうかと存じ、今回の措置を歓迎したいと存じます。今後一段と作業を進めていただきたいと存ずるものであります。  以上、簡単ながら所見を述べて、上程法律案の速やかな成立を希望するものであることを申し添えるものであります。(拍手)
  4. 金丸信

    金丸委員長 ありがとうございました。  次に、暉峻公述人お願いをいたします。
  5. 暉峻淑子

    暉峻公述人 暉峻でございます。私は、国民生活を代表してこの委員会国民の声をお伝えしたいと思って伺いました。  この委員会が設けられましたときに、私どもは率直に言って、こんな委員会をつくって何をするんだろうというのが本当に率直な国民の声でございます。といいますのは、私どもは、財政再建行政改革というのを一番最初に結びつけて政府側国民に宣伝なさいましたので、行政改革をすれば財政再建もできる、それから増税もしなくてよいということを、正直な人間ほど真に受けて承ったわけでございます。ところが、財政再建プランというのは、五十年代には赤字をなくすという約束は五十九年度というのがめどだったと思いますが、これはもろくも崩れてしまいました。その崩したものは国民の非協力ということではなくて、結局利権ですね、国の財政利権のために使われているという、そのことが本当の理由であり続けていると思います。その幾つかの例は後でちょっと申し上げます。  それで、財政再建というのをなさる気がおありになるならば、いま六十五年度までにやるとおっしゃるのですけれども、少なくとも項目別に、それは税収の問題とのかかわりもあると思いますが、この項目で削っていくのは、こことこことここを第一番目に削り、こういうふうにするという六十五年度までのその表を国民に示してほしいのですね。何の項目が削られて、それでつじつまがどうやって合っていくのか。  それで、中曽根さんが総理大臣になられたときに行革中曽根という言葉を大分売っていられましたので、国民はそれも信用して、今度は何とかなるかというふうに思った人が多いと思います。ところが、中曽根さんがいままでしてくださったことは、国防費をふやすことと、それから改憲への意思が何かちらちらと見えるということでして、行革の方はさっぱり進んでいないということですね。進んでいるのは、文教福祉というものがどんどん削られていって私たちの周りにも困っている人がたくさんおりますが、そういうことだけです。  それで、行政改革をなぜいまの政府ができないかというと、これはやはり政府利権と官とが強く結びついているということで、やろうにもできない。もし利権政府結びつきを断つという気持ちがおありになるのならば、今度のロッキード事件に対してももっとちゃんとした姿勢を国民に示してくだされば、それだけでも私たちは、ああ、政財官の癒着が断てる、そういう気構えがあるのだなと安心するのですが、航特委もどうなったのかわからなくなってしまいましたし、将来の展望というのは、本当に国民からの期待はないわけです。ですから私は、ここに出席するときも、もう何を言ってもどっちみち同じなのだという無力感が先で、出てくる気持ちもなかったくらいなのです。  それで、六十五年度までに赤字をなくすためのちゃんとしたプランが全く示されないで、このごろ、今度は行革財政再建は切り離すという変な話になってきまして、行革行革で別個に審議するというような形になってきました。そのことの国民への言いわけ、あるいは選挙対策というのがこの委員会の仕事ではないのだろうかと、邪推なのかもしれませんが、私たちはこれまでの流れの上でそういう結論に自然になってしまうのですね。第一、この法案で出されている総務庁の案でも、大臣の数はちっとも減らないのですね。これ一つからいっても、総務庁案というのが何のためにつくられるのかさっぱりわからないということです。  私たちは素人ですから、かえってよけいな理屈でごまかされることになれないもので、大変率直にいろいろな疑問が浮かんでまいります。それで、こういう特別委員会をつくって何か審議したという形だけつくって、選挙の後は結局は間接税の大増税という形になってくるのではないかしらというのが、私たち特に主婦の間で非常に心配されていることです。  実際に間接税増税されなくても、すでに大蔵省が発表しておりますように、私たちサラリーマン税金は二年間で二・四倍になっているのですね。六年前に比べると四兆六千億もの増税を私たちだけがしょっているのです。その十兆八千億という源泉所得税法人税の九兆五千億を抜いてしまっているわけで、その中でも給与所得にかかってくる私たち勤労所得税だけでほぼ八兆円、七兆九千億もあるわけですから、私たち間接税増税などされなくても、もうあっぷあっぷしているわけです。  それから、私は東京都の家計調査の中から、私たちが現在どれだけ間接税を負担しているかということを細かく試算してみたのですが、各世帯で所得税とほぼ同額の間接税をすでに負担しております。これはお望みでしたら、「公共サービス国民生活」という先月出しました本の中にその計算の基礎を書いておりますので、どうぞ後でごらんになってくださいませ。  それで、私どもはそれだけ増税をされているのに、では増税された分だけ生活は少し楽になってきたのかというと、とんでもないことでして、御承知のように行革一括法案というのがありましたときに、法律補助金二千五百億円のうち何と二千四十億円の文教福祉に関する予算が削られてしまったわけでございます。予算補助金も千六百三十六億円のうち九百十一億円は文教福祉だったわけで、結局削るというときに、さっき言いました利権とのつながりは断たれないまま、政治献金をしていない私たちに全部しわ寄せが来ているわけなんですね。  これはもう私たちにとっては、幾ら何かを言われましても削られていく、それから予算伸び率を見ましても理屈抜きに数字で示されていることでして、行革というのはどっちを向けて流れていくかということは、本当に一番税金を納め、しかも一番弱い者にしわが寄せられて、これは行革じゃないですね。行政改革というと、国民にとって行政サービスをするものですから、国民生活に一番寄与し得る形になるというのが行政改革だと私たちは思っていたのですね。ところが、全くその反対の形にいってしまっているということを本当に情けなく思っております。  それで、実際私どもの方で今度の予算編成を見てみましても、たとえば厚生省は、本当は何にもいまのサービスはふやさない、それで老人人口がふえたりして当然増になるのが九千億ありましたのに、たった二千億しか下さらないで七千億は削ってしまうというのは、これは大蔵省が言ったのじゃないですね、閣議で決めておしまいになったわけです。閣議がこれを決めておしまいになって、私たちはもうとても大変だといってみんな青くなっているわけですけれども、そうなると、今度選挙が近いということになってくるとこれでは選挙は勝てないといって、自民党の方からまたその七千億をどうにかしなければというふうになってきているわけですね。ということは、私たちから見るとこれは一つの演劇にすぎないので、七千億はやらないと言っておいて、何かある有力な議員のおかげでまたそれが復活したという目玉に使われるのではないか。一体国会行革のことをどういうふうに考えていられるのだろうと思って、まじめに行革の行方を初めからずっと見ている私たちは本当に心配でなりません。  しかも、八割給付になって浮く三百六十億円、入院の給食をもう給付しない、自己負担にする二百九十億円、それから国民健康保険国庫負担千二百億円、そういうようなものは、私たち新聞で報ぜられているものだけをざっと見ましても、たとえばむだな公共事業、そういうものが会計検査院で摘発されたものだけでも四兆もあるということ、これは公共事業が主たるものです。それから、たとえば福井港なんかで何千億円もかけて五年間でたった一隻しか船が入ってこなかったというような例が報告されましたり、本当に一体国民のことを何と思っていられるのでしょう。私たちは、削られればだれか家族がそれを補う。この間コラムニストが老人の奥さんの首を締めて殺した事件とか、老夫婦の心中事件というのが新聞に報ぜられない日はないくらいなんですね。それなのに一体行革というのは何を目指していられるのでしょうか。本当に暗たんたるものを感じます。  それで、いま問題になっている例を一つだけ象徴的に言わせていただきますと、たとえば製薬メーカーとか営利的な医療犠牲になっている富士見病院事件というのも、お金だけかかって国民には犠牲をかけたという例ですけれども、もう一つ、いま精神衛生実態調査というのが行われようとして、これは患者の人権、それから何よりも患者と医者の治療関係を破壊するという形で進められようとしているのですね。これはもう厚生省がやるやる、どうしてもやると強引に言っているのですが、私は統計調査を数多く扱いますので、ここで調べられる調査票を克明に見てみますと、これで調査される項目はみんなわかっているものばかりです。たとえば国の指定統計国民健康調査、ここに今度調べようとするもののもっと詳細な調査があります。それから医療施設調査病院報告、これにも克明なものが載っております。それから患者調査、これも国の指定統計ですが、どうぞごらんください。第一、厚生省そのものが「我が国の精神衛生」といいまして、いま掲げましたこれらの調査から引用してここに載せているから、厚生省が知らないということはないんですね。  今度の土光さんの臨調でも、統計の重複を避ける、このことによって費用のむだ遣いをやめるということをうたっていられるわけなんですが、そういうことがあっても、だれの判こもない、利権も結びつかない、こういう問題でさえ、幾らたちがこれはむだだ、むだどころか犠牲が多いということを説明しても、これは縄張りなんでしょうか、あるいはだれかの何か地位、ポストにかかっているんでしょうか、国民には関係のないところで、どうしてもやると言われているんですね。こういうばかばかしいことというのがあり過ぎるんです。これは、許認可事務の問題にしても何でもそうなんですね。  ですから私たちは、今度の委員会がここに掲げてある幾つかの法案を審議されるということはもちろん結構ですけれども、もうどうしようもない利権との結びつき縄張り根性を断つためには、もうわが国では政権交代ということでこれが是正されませんので、むしろ中央に集中している利権を断つために地方自治体に大幅に税源を委譲し、地方自治体の行政に対する住民参加の手続というものをはっきり定めて、行革の主体を国民に移してもらいたいんです。政治家にお任せしていても結局いままでお話ししたとおりですので、私たちがやります。ですから、そのためにはどうぞ地方自治体の方に主権を渡し、地方自治体に国民が、住民の私たちが参加できるような形でやってください。そしてそのためには、いま一番言われていない、先細りというかぽしょっと言葉でだけ言われた情報公開というのを、私たちが本当にできるようにしてください。そうしましたら、開かれた情報のもとに私たち住民が行政改革のイニシアチブをとりたい、こういうことです。  そういう大きな視点を含めてこの委員会が審議をしてくださるならば、私たちはまだ期待をいたしますけれども、いま言ったような体質ですね、言われても言われても直らない。お砂糖に群がるアリのように、私たちの納めた税金を食い物にする、そういう体質が改められない限りは、この委員会には期待できないという感じを持っております。  以上でございます。(拍手)
  6. 金丸信

    金丸委員長 ありがとうございました。  次に、片岡公述人お願いいたします。
  7. 片岡寛光

    片岡公述人 貴委員会におきまして所見を述べさせていただく機会を与えられましたことを、厚く感謝申し上げます。  今回、六本の行政改革関連法案が提出されるに当たりましての関係各位の御尽力に対しまして、深甚なる敬意を表するものでございます。しかしながら、芸術家がその作品を通じてのみ評価されますように、そこに盛られた改革案だけから評価させていただきますと、必ずしもその内容が十分でないということを指摘しなければなりません。  まず、今回の関連法案を見てみまして、一体何のための行政改革かということが必ずしも明確でないということを指摘せざるを得ないのでございます。本来、今回の行政改革は、「増税なき財政再建」の目的を旗印として始まったはずでございますけれども、直接この目的に奉仕し得る案件と申しますのは、許認可の整理三十九件等ごくわずかでございます。もちろん、複雑に錯綜いたしました現代社会がそのまま昔の小さな政府の時代に戻ることはできませんけれども、とは申しましても、そうかといいましてそれでは大きな政府というのがよろしいわけでもないわけでございます。政府にはおのずから節度というものが求められるわけでございます。  今日、国民経済における財政の占める比重と申しますのは、欧米諸国に比べますればまだ低い段階にあると申しましても、しかし、過去十年間の財政規模の膨張率を見てみますと、欧米諸国に見られない急激な上昇率を示しているわけでございまして、このままで推移いたしますと、先日来瀬島さんが四〇%から四五%という目標を示されたというごとでございますが、その数字を突破するのも間もなくであるわけでございまして、ここに何か思い切った措置というものが求められるわけでございます。  政府は、本省庁に設けられます局の数の上限を現在の百二十八に置くことによって行政規模の拡大に対する歯どめとしておられますけれども、この省における局の数の規模を将来に向かって縮減することを含めて、いろいろな検討を加えていく必要があろうかと思われるわけでございます。その際に、局の数を制限することによって、逆に、たとえば部でありますとか課でありますとか、そういうものが増大してはまた意味がないわけでございまして、これをトータルにどのようにして抑えていくかということを、もうちょっと真剣に考えていかなければならないと思います。  国家行政組織法の一部を改正いたしまして、現在法律事項となっております行政機関内部組織官房でありますとか局、部の設置、改廃を政令事項に改める件につきましては、行政弾力性の要請から申しまして、これはある程度必要かと思います。先ほど小関先生からヨーロッパの例の御紹介がありましたが、全世界的傾向から見ますと、やはりまだ法律事項としている国の方が私は多いと思います。ですけれども内部組織まで法律事項にしているという国は余りないわけでございまして、そういった点では、今回の改正もやむを得ないことであろうかと思います。  ですけれども内部組織政令事項に移管した場合に、一体行政機関の膨張に対する歯どめをどこに設けるかということが問題となってくるわけでございます。一つは、行政組織そのものの中に、行政部内にそういうものをチェックするシステムというものが設けられていかなければならないことは言うまでもございません。従来も行政管理庁の方では、予算編成に連動いたしまして組織の査定を行っておるわけでございますが、そういった機能が一層将来に向かって強化されていくということが期待されるわけでございます。  ですけれども行政部内におけるそういう努力がより有効に作用するためにも、議会における何らかの統制というものが必要になってこようかと思うわけでございまして、野党四党が用意いたしております改正案、新聞等で承っておりますところによりますと、国会に対する報告を義務づけるというのがございますけれども、これはやはり最小限必要なことではなかろうか。それがまた、議会の統制というものを確保するための手段でもあるというふうに考えるわけでございます。  先ほど小関先生からも御紹介がありましたように、アメリカでは大統領が議会から授権された権限に基づきまして組織計画、再組織計画というものを議会に提出いたしまして、議会がこれに対して拒否権を発動しない限りそれがそのまま発効するという仕組みがとられております。この場合、議会は拒否権というのを留保しているわけでございます。そこまでいかないにいたしましても、最小限議会に対する報告義務というのは必要でございますし、またそれに伴いまして、議会の方が果たして政令委任したことが妥当であったかどうかということをチェックする機会というものをお持ちになるのが妥当なことではなかろうかというふうに私は考える次第でございます。  総務庁設置につきましては、果たしてこの財政危機の時代に、これを実行するほど緊要性のある問題であるかどうか、私は疑問を持っている次第でございます。  その理論的根拠となりましたのは、臨調答申にもありましたように、人事による調整という考え方でございますけれども、人事による調整が実際的な意義を持ちますのは人事権と結びついてでありまして、人事権と結びつかない形で人事による調整ということを考えるのは、いささか当を失しているというふうに思わざるを得ないわけでございます。  事実問題といたしましても、行政管理庁が行っております定員管理と、それから総理府人事局が行っております人事管理では、これは本来異質的な性質のものでございます。臨調答申は、同質性の原則と申しますか、同じような機能は同じところに集中することによってより強力な効果発揮することができるという前提に立っているわけでございますけれども、最近では、類似の機能であるがゆえに異なった機関が異なった角度からそれに対する検討を加えた方がいいというような考え方もあるわけでございまして、必ずしもこの総務庁というものの設置が明確な理論的根拠に基づいて提案されているものでないというふうに、理論的には言わざるを得ないわけでございます。  中国の古いことわざに、「はなはだしく民に不便なるにあらざればみだりに改むるなかれ、大いに民に有益なるにあらざれば軽々しく事を起こすなかれ」というのがございます。改革というのは、それによって得られるメリットもありますけれども、それに伴いますデメリットあるいはコストというものが必ずつくものでございます。したがいまして、改革を断行するからには、それによって得られるメリットが明らかにすべてのコスト、デメリットを上回るという保証がなければならないわけでございます。さもない限り、千載に悔いを残すことになるわけでございます。  たとえば、府県単位機関であります地方行政監察局地方公安調査局、それから財務部というものをそれぞれ事務所というものに改めるという案もございますけれども、単に名称を変更するだけの問題が果たして現在やらなければならないことなのかどうか、私は疑問に思うわけでございます。臨調の基本答申におきましては、府県単位機関というものをブロック機関に吸収することがうたわれておりますけれども、活動の性質によりましては、依然府県単位機関を必要としているものもあるということは認めなければならないのでございます。しかし、この問題は、国と地方との行政事務の配分をどのようにするかということを考えた上で決められるべき問題でございまして、その問題を決める前に、それじゃ地方出先機関は要らないのだというふうな議論は、私はできないというふうに思っておるわけでございます。  行政改革には拙速は禁物でございまして、その点、慎重な御審議をお願いしたい次第でございます。(拍手)
  8. 金丸信

    金丸委員長 ありがとうございました。     ─────────────
  9. 金丸信

    金丸委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森井忠良君。
  10. 森井忠良

    ○森井委員 それぞれの公述人の皆様、きょうはお忙しいところ、それぞれの立場から御意見を聞かせていただきまして、どうもありがとうございました。  まず最初に、小関公述人にお伺いいたしたいと思いますが、国家行政組織法の改正案が出されておりまして、御存じのとおり各省庁官房や局等が、今度は法律によらないで改廃ができることになるわけでございますが、これはいままで一つの局とかあるいは一つ官房とか、具体的に申し上げますと、防衛庁設置法等々の改正もいままで出されまして、さまざまな形で国会で議論が行われました。議論が多いものにつきましてはなかなか成立がしにくい、それだけ意見が多いというようなことで、国会で議論が続けられてきたという経過がございます。  それから、この国家行政組織法の改正案に近い改正案が歴代内閣、たとえば佐藤内閣でありますとかたしか田中内閣でありますとか、しばしば計画がされましたけれども、いままで一度も成立をしていないという経過もあるわけでございます。それだけやはり官庁の局や部を変えるということは、国民生活にもずいぶんかかわりがあるのじゃないか、こう言えなくもないわけでございますけれども、基本的に御賛成の立場で意見をお述べになりましたけれども、いま申し上げましたような国会での論議を考えていただきますと、今回の改正案についてはずいぶん無理があるのではないかという感じがいたします。  その点についてお伺いをしたいのと、それから、小関公述人の場合は、何といいますか、もし局の改廃が行われましても、それは周知の方法がちゃんと明らかにされておるから結構だ、こういう御趣旨でございますが、これも御案内のとおり官報に載るだけでございまして、官報というのは、私どもの見ますところ、国民に広く親しまれて読まれている性質のものではないと思いまして、まさに一部の国民にしか行き渡らない、また目を通せないものだというふうに思っておるわけでございますが、その辺、広報の方法についてもお聞かせをいただきたいと思います。
  11. 小関紹夫

    小関公述人 お答えいたします。  国会の審議権の問題につきましては、申し述べたところでおわかりいただいたと思いますので、再び述べる必要はないかと思うのでございます。  行政機構の公示の問題でございますが、実は私といたしましては、現代では行政組織論が大きく変わっているのでございますね。というのは、行政する側からだけ組織論を考えるのではなくて、行政を受ける側からの組織の問題を考えるべきだというのが、現代における従来の伝統的な行政組織論に対する展開なんでございます。アメリカではそれを新行政派の台頭というようなことで、行政組織論の展開が行われるべき時期に来ておるのじゃないかということで、実は私もそういう意味合いで、むしろこれから行政組織をつくります場合には、住民の意向あるいはその行政組織自体が住民にとってプラスになるのかどうなのかというような視点に立って行政組織がつくられるべきだというのを組織論としては考えておるわけなんです。  そういう意味合いからいたしますれば、日本の行政ももうそろそろ変わっていいのじゃないか。ですから、これはいずれかのところで、別の機会でも申し上げたのですが、総務庁政令でやるというようなことにつきましても、実はそういうような手段をとって、もっと民主的な、国民になじんだ行政機構組織、これは補助組織ですから、そういうような点をどんどんとっていくようにならなければ、日本の行政は一歩進んだものとは言えないのじゃないか。そこまでは今度の法案には書いてありません。ですから、そういう意味で、さっき総務庁のところで申し上げましたように、行政機構編成権が与えられる総務庁についての責任重大性はこれからますます大きくなる、現代行政理論で裏打ちされた新しい行政をつくっていくという心がけをしてもらいたいということを含めて、総務庁のときに申し上げたつもりであります。  実は、国会の方の行政統制あるいは審議権も、そういうような内容についての審議あるいは統制が行われるようになって、ただ組織がどうのこうのというのじゃなくて、その組織が果たしてメリットを持って行政効果を上げるかどうかというような意味合いでの行政調査権で徹底的に御究明になるのが本当はいいのじゃないか。そういう意味で、これは政令に譲るということについては先ほど詳しく述べましたから、それでいいのじゃないか。また、そのやり方については、今後は変わっていくべきものだというふうには考えております。  お答えにはならぬかもわかりませんが。
  12. 森井忠良

    ○森井委員 暉峻公述人にお伺いをいたしたいわけでございますが、本委員会でも、行政改革を論ずるということになりますとその前にやらなければならないことがある、たとえば政治の浄化、おっしゃったようにロッキードの追及、政治家の資産の公開、あるいは田中議員の辞職勧告決議案の早期審議、成立、そういったことがまずあって、その後で行政改革を論ずべきだ、こういう意見が出されておりますけれども、この点についてまずお伺いをしたいと思うのです。
  13. 暉峻淑子

    暉峻公述人 おっしゃるとおりでございます。繰り返して申しましたように、もう大変むなしい気がするわけです。  それで、いま最後に私が例を出しましたのは、何のために例を言いましたかといいますと、今度総務庁法案というのが出ておりますけれども総務庁の中には総理府が入るわけで、統計に対するいろいろな調整を行うということも、これは行管の仕事になっております。それで土光臨調では、さっき言いましたように、大変大きなむだな統計をすることはお金も使うし国民にも非常な負担をかける、だからこれを調整するようにと言っているのですが、ちゃんとした権限も持ち、こういう総務庁みたいなものができてやるべき仕事というのもわかっているのですが、現実に行われている、しかも国民には迷惑なだけで何にも利するところはない、そういう調査でさえ防ぎ切れないのですね。それがいま現実に進行中で事前調査のところまでいっておりまして、いまは総理府でもう詰めにかかっているところなんですけれども、そういうこともできない。私たちから見ても、そんなにやさしい、法律にもそういうことはちゃんと調整してむだなものはやめなければいけないというふうにうたってある、合理的にやらなければいけない、質問項目の合理性ということもうたってありながら、しかもできないというような現実がもう目の前にいまあるわけです。これは新聞のいろいろな論壇や投稿にもたびたび登場している問題なんですけれども、そういうことでいて、一体こんな特別委員会法案の審議がされても何になるのか、本当にわからないのです。わかる人があったらこちらが教えてほしいのです。  それで、おっしゃいましたように、いま製薬会社との例の利権の癒着が毎日のように新聞に出ておりますね。あの問題を見ても本当にうんざりします。利権だらけという感じですね。そんなに政治と利権が結びついて、政治家にとっては集票の役割りをし、政治献金もとになり、そして業者にとっては、いまや公共需要、国の財政支出、これに取りつくか取りつかないかということが非常に大きな問題になっている。しかも一方では、独禁法の改悪というのが悠々と議論されているわけですね。こういう状態を考えて、もしこの特別委員会で何か法案を審議したら行政改革は好ましいところに行くと言えるとしたら、なぜ言えるのか、私は逆に教えてほしいのです。本当にわかりません。
  14. 森井忠良

    ○森井委員 具体的にお伺いをいたしますが、ロッキードの問題について、元首相がやがて判決が下るという段階に来ております。これはどう思いますか。
  15. 暉峻淑子

    暉峻公述人 大変恥ずかしいことだと思います。起訴されたという時点でやはり政治の舞台から退かれるべきであったというふうに思います。それが行われていない。「上行えば下これにならう」という言葉がありますけれども、実は財政再建の問題はもちろんですが、行政改革の問題も、それから私ども新聞やテレビなどで見たりその他いろいろな財政関係の研究論文なんかを見ておりましても、国会に合理性が失われてきた。  それぞれの考えが政党によっておありになるのは結構ですから、そこで合理的に議論を闘わせる、あるいは現実の問題を持ってきて実証してこうする、そういう空気が失われたというのは、やはりこのロッキード事件以来なんですね。もう理屈でもない、倫理でもない、現実の問題でもない、ただ力のある者が横車を押してそれで通るという、だからもう議論するのもばからしいというような、私は全部にこれは悪い影響を及ぼしていると思います。これが上で通れば下の方でも収賄、たとえば医科歯科大学の教授の云々というのも言われておりますが、本当に政治はこれを責める資格もないというふうに思います。大変もう何とも言えないということです。
  16. 森井忠良

    ○森井委員 いま薬のメーカーと行政との癒着の問題についてちょっとお話がございました。  具体的にお伺いをしたいわけでありますが、国立公衆衛生院と藤沢薬品の関係で見られるような行政と企業の癒着というものを具体的に断つためには、どういうふうにしたらよろしゅうございますか。
  17. 暉峻淑子

    暉峻公述人 先ほどから、官僚及び官僚に推薦された審議会というものにもう浄化能力がないということは、あらゆる面で証明されているわけですね。ですから私は、先ほどもう一人の方がオンブズマンの話を出されましたけれども、ともかく政治から離れる、あるいは行政から離れたところで国民が参加する、この人をという、そういうような形のところで審議されない限り、どうしようもない。  私は、オンブズマンというのも実はやや疑念を持っているわけなんです。いまのような体質のもとでオンブズマンが出てきても、だれが出てくるかという問題もありますし、ちょっとそこのところも結果的にはやや疑念はあるのですけれども、いまの問題は、さっき私が言いました政権交代ということができなかった非民主的な政治形態ですから、ここではやはり地方自治体がいろいろな形で試みをやってみる。地方自治体の中で公衆衛生院の、ミニチュア版みたいなものがいろいろあるわけですから、そこでやりてみて、どういうふうにうまくいったかという実験を各都道府県で競争的にやってみる、そしてこの県はうまくいったというふうに実験例ができたらそれに政治がならうという、これが私は一番具体的で現実に見込みのあることだと思います。だから中央政府は、地方自治体がいいことをしたときに、介入をしてこれをとめるようなことは、どうぞくれぐれもなさってくださいませぬようにということです。
  18. 森井忠良

    ○森井委員 片岡公述人にお伺いをいたしたいのですが、小さな政府ということに関連をいたしまして、小さければいいというものじゃない、逆に言えば大きくていいというものじゃないということになるだろうと思うのでありますが、日本の場合は、諸外国と比較をしてみますと、皆様方も諸外国の例をお引きになったわけでございますが、公務員の数はそう多くないと言われております。諸外国と必ずしも条件が同じではないという点もございますけれども、一体いまの日本の行政機構というものは大き過ぎるわけでしょうか、あるいは小さ過ぎるわけでしょうか、その辺の規模の問題についてお伺いをしたいと思います。
  19. 片岡寛光

    片岡公述人 お答え申し上げますけれども、まず、ガリバーの旅行記からわかりますように、物が大きいか小さいかというのは比較する対象によって違ってくるわけでございまして、これは一概に言うことができないわけでございます。財政規模の点からいいますと、ヨーロッパ諸国に比べて日本はまだモデストな方に属する。そして、公務員数で言いますと、たとえば人口千人当たり日本の公務員数は四十五人でございますが、イギリスの場合には人口千人当たり百四人、それからフランスになりますと百十一人、アメリカでは七十八人、西ドイツでは七十四人というふうになりまして、日本はきわめて小さな効率的な政府であるというふうに、この数字に関する限りは言うことができるわけでございます。しかしながら、それでは、国民の側のたとえば租税負担の重税感から見まして、果たして国民がそれを小さな政府と思っているかというと、私は、決してそうではない、かなり国民の負担感というものが重いわけでございまして、国民からすれば依然重い政府をしょっているのだという意識があるのは当然であろうかと思います。
  20. 森井忠良

    ○森井委員 一わたり聞かしていただきましたので、一番歯切れのよかった暉峻公述人に少し詳しくお聞きをしたいと思います。  御指摘がありましたように、厚生省予算は大変な切り込みでございまして、おっしゃったように六千九百億削っているわけでございます。そのうち医療費が何と六千二百億削減という形になってまいりました。結果としてあらわれてまいりますのは、健康保険の被保険者本人の二割給付削減、それから御指摘がありましたように入院時の給食費の一部負担というような形になってあらわれてきております。これは国民にとっては大変なことじゃないか。マスコミ等も新聞で、これによって家計に大きな打撃があるだろうというふうなことも言われております。  先生は学者でありますとともに御家庭の主婦でもあられるわけでございますが、この問題についてのお考えを承っておきたいと思うのです。
  21. 暉峻淑子

    暉峻公述人 病気というのはその人の責任でなるわけではないのですね。本当に思いがけずなるわけです。このときにお金の心配、治療の心配があるということは、人間にとって一番不幸なことではないでしょうか。病気であれば、これは所得も失われます。ですから、つつがなく無事に病気が治せる制度があるということは、その国の社会保障制度にとっては一番大事なことだと思います。ところが、これがおっしゃるように切り込まれるわけですから、国民は心の安定を失う。  御承知かもしれませんが、健康保険制度、医療保険の制度がないときに、大正時代それから戦前の家計は病気を心配して幾ら貯金していたかというのは、当時の「主婦の友」などの雑誌を克明にめくってみますと、何と収入の四割を病気のときのためにみんな貯金をせざるを得なかったのですね。これくらい、医療費というものが社会保障制度であるかないかというのは、私たち生活にとても大きな影響を及ぼすものです。これが削られるということは大問題なんですが、削るときに患者及び私たちにその負担が全部かかってくる形で削られるというのが、また第二番目に大問題なんですね。これは、やはり製薬メーカー、それから医療検査機器メーカー、それから営利的な開業医、こういうものと政府との結びつきをまずきちんとしてもらわなくてはいけないということです。  それから、厚生省国民に言うことが毎年毎年変わるのも困るのです。老人保健法が始まるときには、重いものは私どもが必ず責任を持ちます、だからかぜとかおなか壊しぐらいの軽いものは皆さんで負担してくださいということを言われました。これは私、直接大臣と向かい合ってNHKでこの話をいたしたときにおっしゃいました。一年もたたないうちに、今度は、重いものの方は保険財政を圧迫するから別にしたいということなんですね。それでまた二割は私たちに負担しなさいということ、それから高額医療費の負担限度額も引き上げられます。     〔委員長退席、津島委員長代理着席〕  こういうことになりますと、私たちは、日本は平和国家になったときに福祉国家を目指したはずなんですね。他の国家は全然目指してないのです。私たちはもう軍国主義をやめると同時に福祉国家を目指したわけなので、社会の安定があるということは政治家にとっては一番好ましいことじゃないんでしょうか。それが社会の安定がなくなったら、動乱とかいろいろな国で起こっているようなそういうことになってくるわけです。  それから、失業があったり、あるいは産業構造の変化で、ある産業からこちらの産業に移動する間に一時的に持ちこたえなければならないということも、社会には多々あるわけです。こういうときに社会保障制度がその安定を下支えする、それから貿易摩擦でごちゃごちゃ言われているときに内需を確保するというとても大事な仕事を持っているのに、これをないがしろにすれば結局天につばをするのと同じことになると私は思います。  それから、厚生省国民生活の代表者としてもうちょっと闘ってほしいのですね。何か大蔵省よりも勇ましく削るようなことに協力するような、そういう課長さんでは困ると思います。というのは、福祉行政を行き渡らせると怠け者ができるというような、つまり馬の目の先にニンジンをぶら下げてはいしはいしと走らせるのが活力があるような、そういうレベルの低い哲学を持たれては困るのです。そんな哲学はもうどこにも通用しない。本当に救貧法的な十九世紀の発想です。これは土光臨調にも言えると私は思うのですけれども、いまや社会保障制度とか保険制度というのはそんな低いレベルにはないのですね。生産力が社会化すれば消費も社会化しなければ企業の方も大変なことになりますというのが、現状社会保障制度の根本にあります。  ですから私は、その中の一番大事な、御質問にあった医療保険制度を、メーカー及び政治の方で姿勢を正さずに、患者に負担させるという形でつじつまを合わせようというこの問題は間違っている、こういう解決の仕方は間違っていると思います。
  22. 森井忠良

    ○森井委員 国民泣かせの健康保険の改悪、保険制度の改悪という御趣旨のようでございますけれども、御存じのとおり、医療費は国民所得の伸びあるいは賃金の伸びをはるかに上回ってふえていっておるわけです。そこで、厚生省としては本人の二割負担等を強行しようとしているわけですけれども、その前に何かやることがあるんじゃないのか。つまり、医療費のむだですね。たとえば国民医療費に占める薬剤費の割合というものは諸外国に比べてはるかに高い。そして、先ほど来話がありましたように、薬剤メーカーとの癒着もありますが、薬の使い過ぎというようなこともあると思うわけでございます。あるいは、富士見産婦人科に見られるように、乱診乱療、さらには不正請求、そういったもの等もずいぶんありますね。そういった医療費のむだをなくすれば、こういう二割削減というふうな暴挙を行わなくても済むのじゃないかという感じがするわけでございますが、この点についてもお伺いしたいと思います。
  23. 暉峻淑子

    暉峻公述人 民主主義というのは、民が主人なんですね。私は、一番いまの政治家に欠けている発想は、イニシアチブを国民に渡すという思想だと思うのです。ごみ処理場をある研究者がつぶさに探してみたら、パックというのですか、銀紙みたいなものに入ったものがいっぱい捨ててあって、恐らく処方された薬の半分は捨ててあるということは、いろいろなところから、私ども調査をしたところでも、これは世帯調査なんですが、半分は捨てるという答えです。そういうことになるときに、さっき言いましたのと同じですが、ある浄化作用、たとえば医者の連合、薬剤師の連合というようなところが自分たちでチェック機能を持つということが、専門家としての信用を高める、信用という意味でも大変大事だと思います。  それと同時に、いま健康・保健教育というのが学校で行われているのでしょうか。保健の時間というのはありますが、いわば医者へのかかり方、薬の飲み方、こういう健康教育というのは非常におざなりです。ということは何かといいますと、医者と対等に患者が対し得ないということなんですね、どんな薬を処方されても医者にすべてお任せしてしまって。薬というのは、副作用のない薬はないわけで、やむを得ず飲むわけなんですから、飲まなくて治れば一番いいわけですね。ですから、私は、患者が自分の体のことを自分で判断し得るように、医者に適切な質問をして、医者からちゃんとした答えがとれるように、この教育を、つまり消費者教育になるわけですけれども、これをおざなりにしてはいけないと思います。  それからもう一つ、イギリスなんかでも非常に言われていることは、病人を出さないような環境整備ですね。ちょっと話が飛びますが、いま森林関係の費用というのは物すごく削られて、御承知かと思いますが、林政審議会などの報告書を見ますと、立ち木を自分で売ってその上がりで会計のつじつまを合わせるということなんか言われて、十六営林署の廃止、百五十九事業所の廃止というふうに言われていますが、緑の環境とか、都市の私たちが持っていなければならない広場とか、そういう国民の精神、ストレスというものに対する環境保護というものがあることはとても大事です。これは掛川市の例ですけれども、環境を整備して、緑を多くして、国民が公園や何かでよく散歩できたり、あるいは老人がゲートボールなんかをすることができるようになったら、医療費が途端に、ちょっと細かな数字をいま持ってきておりませんが、多分三割から五割ぐらい減ってしまったんですね。  私は、病気というのは、病院のここのところだけでごちゃごちゃやる問題ではなくて、いまの消費者教育、それから環境整備、広い意味の公衆衛生ですね、そういうものを整備することで、いろいろなえげつないことをしなくても自然に私たちが病院に行かなくなるという体制をとることが大事で、それをするものこそ政治なんですね。そんなことは企業ではできないと思います。それなのに、厚生省が今度食品添加物をふやしてみたり、何かがん患者がふえるようなことをしてもらうのは困るわけで、そういう意味で、政治家に、国民の生命、生活、お金のこともですが、もっと責任を持った立案及び執行をしてもらいたいと思います。
  24. 森井忠良

    ○森井委員 医療費のむだの点について、いまもりっぱな御意見を伺ったわけでございますが、いまの健康保険制度では、患者がお医者さんにかかりますと、お医者さんに対して健康保険等から診療報酬を差し上げるわけですね。ところが、これが出来高払い点数制というものでございまして、要するに、どんなに濃厚診療がありましても、たとえば、言われておりますように、ちょっとしたかぜでもむちゃくちゃに検査をして薬をいっぱい上げて診療報酬を稼ぐ、ところが、そういった支払い請求が参りますと、いまは無条件に代金を払う、こういうかっこうになっているわけですね。そうしますと、お医者さんの側ではたくさん検査をした方が得だということになるし、薬について言えば、実勢価格よりもはるかに診療報酬で払う薬代の方が高い。ですから、たくさん薬を投与すればするほどお医者さんは薬の差益でももうかる、こういうシステムになっておるわけですよ。この辺についてやはり改革をする必要があるのではないかと考えますが、御意見を承りたいと思います。
  25. 暉峻淑子

    暉峻公述人 おっしゃるとおりだと思います。そのことについては、私はさっき言いましたように、専門家の集団の中でまず自浄する、自律するというシステムをつくることが大事です。御承知かと思いますが、例の富士見病院事件というのは、あれは結局起訴することができませんでした。民事ではいままだ裁判が続行中なんですけれども、結局検察庁の告訴では有罪にはならないということで、あれだけの証拠がありながら何でこれが処罰できないのかということで、みんな本当に変に、変というよりもびっくりしているわけですね。これは結局、証拠もある、つまり何ら病気になっていない臓器をさっさと摘出して取ってしまったという証拠もあって、できないことはないのにそれができない。  これはなぜかというと、医者のかばい合いです。つまり、法廷に行って、こういう手術は間違っている、これはただお金稼ぎの医療だということを言ってくれる人がないということが一番大きなガンになっているんです。こういう専門家集団というのは大変おかしなことで、たとえば素人に何がわかるかというような言い方をされますが、イギリスなんかでもちゃんと医者と法律家とそれから患者の立場を代表する人々がそういうことを審議するところを持っていて、苦情は年とともにふえていく一方です。イギリスでも医者は初め反対したんだけれども、反対しても事件はどんどんふえるからということでこれが設けられたわけですね。日本はそういう点で、ある営利団体が反対をするということについて政府対応がきわめて鈍い。たとえば民間に任せていい許認可事務なんかは、やはり利権にかかわるからなかなか手放さないくせに、つくらなければならないものはなかなかつくってくださらないわけですね。  では一方、さんざんもうかるところにお金が転げ込みながら、国立病院はどうなっているかといいますと、朝十時半にはもう診療の窓口の受付は閉まってしまうのです。九時から十時半までたった一時間半しか外来の窓口は開いていないんですね。しかも国立療養所などは看護婦さん一人で五十人見ている。一日二百人の外来が療養所でもあるのですが、これはみんなパートの看護婦さんしかやっていない。それから薬剤師その他の資格を持っていなければいけない人が雇えなくて、保健所からたびたびおしかりを受けているような療養所がずいぶんあります。こんなアンバランスですね。  製薬メーカー医療機器メーカーや、それからお医者さんが皆悪徳だとは思いませんが、いいお医者さんもあると同時に悪徳の医者もいるわけで、そっちへむだなお金が流れながら、必要なところにはお金が行ってない、こういう仕組みを、たとえば厚生省などはただただ保険の点数で医師会と相談し合うだけが業務であって、あと政府機関としての何か行政らしいことを戦後なさっていらしたのでしょうかと思います。薬事審議会の問題もそうですし。ですから、私たちは、公共サービスというのは公共の福祉を守る、これが公共サービスですね。だから、そういう役割りを果たさないのだったらそれこそ行政改革で、なくてもいいのじゃないかというふうに思います。
  26. 森井忠良

    ○森井委員 次に、年金のことにつきましてちょっと暉峻公述人にお伺いをしたいのです。  ことしは、年金の引き上げ、つまり物価や賃金のスライドがとめられたままでございます。これは、御存じのとおり人事院勧告がいまもって実施されておりません。去年の人事院勧告もことしの人事院勧告もまだ実施をされていないわけでございます。それに理由をつけて、お年寄りの年金まで凍結という形になっておるわけでございます。おっしゃいましたように、高齢化社会を迎えて老人対策というのはうんとこれから力を入れていかなければならぬ点だと思うわけでございますが、いま申し上げました年金の引き上げのストップについてどう思われるか。さらに、これから老人対策というのはもっともっと力を入れていかなければならぬと思いますが、あなたのお考えを承っておきたいと思います。
  27. 暉峻淑子

    暉峻公述人 いまのストップの問題ですけれども、年金のレベルはやがていまの六割ぐらいに下げられるのではないかという不安は、国民の間に大変広がっておりますね。それで、特に老人問題というのは、老人人口がふえてくるというのは、厚生省の人口問題研究所なんかでももう何十年も前からわかっていたことなんですね。これは、二兆円を上回る防衛費の当然増、つまり後年度負担ですね、飛行機や何かを買った後年度負担が当然増と言われるならば、人間が生きているというのはもっと当然だと思うのですね。そうやって老人がふえてくることがわかっていたのに、それに対する対策がきちんとできていない。まず介護、看護という問題が、ぼけ老人にしても何にしても、いま全く行われておりません。これは家族がやれということで、狭い住居で共働きもふえているそういう家族に無理やりに老人が押しつけられているので、家族ぐるみ共倒れになる、もっともっと社会保障費用がふえるというような形になっているわけで、老人対策費というのはもう何十年も前からわかっていて準備ができなかったという本当の怠慢、政策怠慢だと思います。  それから、年金の問題も、国家公務員共済の場合、共済年金ははっきりした計算が出ているのですが、みんな二十年から三十年積み立てますので、インフレ目減りというのが半分あるのですね。これは本人の失敗でもなければ、それを積み立てている基金の失敗でもない、そういう社会の影響を受けて、結局年金が苦しくなってきているわけですね。これはインフレによってもうけたところ、そういうところが負担をするのがあたりまえで、これを年金レベルを下げるということで解決する、その手始めにインフレによる目減り分を、政府の国庫補助をむしろ減らしてしまうという逆行する形、それから年金の物価スライドもおくらせて、最後にはやめたい、そういうことですね。こういう行き方はやはり公共の福祉に反する。われわれが何のために掛金、あるいは掛金だけでなく税金を納めているかという理由もなくなる。  そして、ではどういうことが起きているかというと、あっ、これはいいとばかりに喜んでいるのは生命保険会社でして、国の年金は信用できませんよ、もうだめになりますよ、崩壊しますよとちゃんと書いてあるのですね。だから生命保険に皆さんお入りくださいという形でどんどん勧誘をして、どうなっているかといいますと、貧富の差が物すごく拡大しているわけですね。貧しい人は大きな掛金を掛けられない。お金持ちは掛けられる。これはがん保険、入院保険も同じです。貧しい人にこそある社会保険制度なのに、お金持ちの人にだけ保障される社会保険制度という、民間活力導入が貧富の差を拡大するという方にずっと動いていっております。これも生計問題からいうと大変なことですね。  それから、公務員のベースアップ、人事院勧告の凍結というのは、もうすでに識者がいろいろ言っていることですが、人事院勧告が何のためにあるかということを考えても明らかだ。  それからもう一つ、なぜこんなに凍結を言うかというと、結局、人事院勧告の凍結は民間の賃金を下げておくことに利用できるから財界が言っているわけですね。だから、人事院勧告による公務員の賃金の凍結ということに賛成するということは、私たち税金が安くて済むというふうな面だけがいろいろに言われますが、そうではなくて、民間に働く人々の賃金がみんな安くなるということの手段として使われているわけです。  それからもう一つ大事なことは、内需というのをもっと真剣に考えてほしいのですね。西ドイツなんかは税率が日本より高いと言われますが、私はこの春行ってきたばかりで、自分と同じ給与の人がどけだけ税金を納めているかというのを個々に当たって歩きました。私よりずっと安いです。これはなぜかといいますと、税金を納めるときの必要経費をサラリーマンにほぼ無制限に認めています。これは車を買おうが、本を買おうが、洋服を買おうが。ですから、一円も納めていないという人もあるのですね。私が財政の専門家に、なぜこんなに無制限に認めるのか、少しは制限をつけてもいいのではないかと聞いたら、これは内需の喚起のためだと言っていました。ですから、たとえば住宅を建てようが、あるいはマンションみたいなところに入っていて建てられないからほかのマンションにもう一部屋借りようが、これは皆控除が認められるのですね。  ですから私は、日本の場合、税金は高い、賃金はふえない、そして賃金からの控除も自分がひっかぶらざるを得ないという、実際の必要経費は全部自分がかぶらざるを得ない、こういう中にあったら内需はもうふえようがないと思いますね。たとえば、私なんかも本は買いたい、だけれども買っても全部自分がかぶらなければならない、調査にも行きたいけれども旅費も全部かぶらなければならないというようなことですから、結局買いたいものが、私の中に需要はいっぱいあるのだけれども、それが買えないということなのですね。だから、人事院勧告の凍結というものは、財政支出を節約するという狭いところでだけ故意に宣伝が行われて、その及ぼす社会的影響の重大さ、つまり、勤労者階級を貧困に陥れる、しかも内需というものは阻害される、ここが見られていないということを大変残念に思います。  それからもう一つ、これは年金もそうだし、公務員の賃金の凍結もそうなんですが、なぜある金額以上の人は凍結すると言わないのですか。年金もそうなんですね。たとえば特殊法人に天下りした理事は退職金の一年計算が一カ月計算になっていますね。あんなことはなぜやめないのですか。私は、退職金も賃金も、幾ら以上、これは生計費の計算か何かすれば出てくるわけで、高い人はとめる、足踏みしてもらう、だけれどもここから以下については絶対に保障するという、それがあった方がいいと思います。それがまず第一に失敗したのはグリーンカードでしょう。あんなに建物さえもう建っているのに、ああいう発想ですね。これがグリーンカードでもう出だしでたたかれてしまった、国会も通ったのに実現しなかったということは、私は、賃金や年金の面でも、それは多分公務員給与の面でもすべてできないだろうと思いますが、できることをやってほしいのですね。こういうことは、やっても、国民は拍手するだけで、決して悪いとは言わない。だけれども、むしろたくさんもらっている人にいつもよく、もらわない人に悪いということがいつも私たちのところに返ってきていると思います。
  28. 森井忠良

    ○森井委員 暉峻公述人に最後の御質問を申し上げますが、あなたは統計調査等に非常にお詳しいわけでございますが、そういった調査をします場合に、やはり人権問題が非常にかかわってまいります、国勢調査にいたしましても、障害者の調査にいたしましても。ヨーロッパでは非常に人権に対する配慮と工夫がなされておると聞きますが、この点についてお伺いをしたいと思います。
  29. 暉峻淑子

    暉峻公述人 この問題は大変大事な問題なので、それこそ党派を問わず本当に考えていただきたいことなんですが、昨年オランダで国勢調査ができませんでした、国民の反対によって。西ドイツではことし国勢調査は十三年ぶりに行われるという予定でしたが、国会を超党派で通った法律であるにもかかわらず、憲法裁判所が差しとめをしましたので、西ドイツも国勢調査ができませんでした。これは非常に象徴的なことなんですね。  というのは、一つは、コンピューターというのが導入されてから、昔の調査方法はコンピューターを使った場合に本当に秘密保持ということについてどのような保証があるかという、この実験、テストというのは行われていないのです。また、コンピューター会社と行政は癒着しているのかしていないのか、まだいまのところはわかりませんが、情報公開というときにいつもコンピューターを入れる話ばかりが出てくるのです。これは臨調の場合もそうだったと思います。この問題で、たとえば民間では武富士事件みたいなものがありまして、NHKのアナウンサーが、秘密であるはずのものがコンピューターから漏れたのでやめざるを得なくなったということも起こりました。その他、スイスの銀行で名前でなく番号で入っていた預金者が見つかったということもあります。これは朝日一新聞に出ていたわけです。コンピューターというものの中で、いままでと同じ調査方法が行われてそのデータの管理が行われるということが一つの問題点になっています。  それからもう一つは、調査をするときに大なり小なりプライバシーを侵すわけですから、調査の目的、これがプライバシーを侵してもなおこの調査をする価値があるのかという点を国民にはっきりしてほしいのですね。ということは、国が国の力で——これは国の権力です、財政だけではありません。国の権力でみんなにいろいろなことを答えさせるわけですから、国民にそれだけの見返りがなければいけない。いいことがなかったら、私たち福祉が増進するような見返りがなかったら、私たちはいろいろなことを調べられて、ただはい、はいと答えるというのはばからしいということになります。それから、答えたくないということになります。ですから調査は、ただ調査のために調査をするのじゃ困るのですね。国民生活に還元されるという目的をしっかりと具体的に示して、そのためには最小限これだけのプライバシーを侵さざるを得ません、でもこれだけいいことが返ってくるのだから公共の福祉のために協力してくださいといってやるべきものだと思います。  それから、プライバシーについては、このごろのプライバシーというのは権利の拡大がだんだん進んでいまして、知られたくないことを知られないというだけでなくて、自分に関する情報をコントロールできる、この権利をプライバシーというふうに言っております。ですから、どんな情報が国につかまえられたか、しかも私たちはそれについて、これは間違っているとか、これは知られたくないというふうにコントロールもできないというのは間違いです。  一つ言わせてください。  今度の精神衛生実態調査ですが、これは患者及び患者の家族に秘密にして、医者が、守秘義務があるにもかかわらず、ただ患者の個人名を明かさないというたった一つのそういう小さな保証だけしかなくて、患者の病状その他のことをコンピューターに入れるために調査票に書かなければならない調査です。  これは理屈がたとえどうであっても、患者は何と言っているかといいますと、もしここにいらっしゃる皆様方が、あなたの顔にふろしきをかぶせてあなたの名前がわからないようにします、だから裸の写真を撮らせてください、その裸の写真は厚生省がしっかり管理して人に見せないようにしますと言ったときに、この中の幾人の方が、では撮ってよろしいとおっしゃいますか。それと同じことをいま精神神経科の患者は国家権力によって強要されているのですよ。  しかも、その目的は何かというと、さっき言ったように、ここにちゃんと指定統計のデータはあるから、目的らしいものは何もないのです。こういう調査がまかり通れば、私は国の統計に対する国民の信用はなくなると思います。反発がふえるだけです。しかも、調査現場の人々が書き込めるような、調査票でもないものが無神経に出されているのですね。私は、こういう調査はやはりしっかり監督してほしいと思います。     〔津島委員長代理退席、委員長着席〕
  30. 森井忠良

    ○森井委員 ありがとうございました。
  31. 金丸信

    金丸委員長 次に、草川昭三君。
  32. 草川昭三

    ○草川委員 公明党・国民会議の草川昭三でございます。諸先生方には大変貴重な御意見を拝聴いたしまして、大変感謝を申し上げる次第でございます。  私は、小関先生と片岡先生にお伺いをしたいわけでございますが、まず最初小関先生に。  実は一昨日、土光さんがここにお見えになりまして、二十一世紀に向けた活力ある福祉社会の建設という臨調の方針を御説明になりまして、行革推進しようという国民の活動は非常に高まってきているけれども、中央では最近その意識が薄れてきたのではないだろうか、こういうような疑念も聞こえているくらいでありますという、控え目ながらでありますけれども、若干の御不満の意思が表明されたのではないかと私は受けとめたわけでございます。  小関先生、臨調の答申を見ながら、そしてまた本日のいままでの提案に対して、先生も、若干の不満はあるのだけれども成果を認めたいという趣旨の御発言がございましたが、最近の動きについてどのようにお考えになっておられるのか、率直な御意見をお伺いしたい、こう思う次第でございます。
  33. 小関紹夫

    小関公述人 お話しのとおりでありまして、今度の第二次臨調が第一次臨調と比較されましていろいろと論議されておりまするところにも、やはりそういう技術的な方法論の問題がまだ余り詰められていないじゃないかというところでございます。たとえば行政手続法というような、私どもからいたしますれば、これこそ今度の大きな行政改革課題一つじゃないかと思われるような点については、今後の検討に譲るというようなことで残されておりまするし、あるいは情報公開とかオンブズマンというようなものも手をつけて、全部ではないにしても、そういうような視点から改革をしていくのが本当は二十一世紀の行政改革につながるのじゃないか、そういう点が、今後の検討に譲るというふうに政府に預けっ放しになっておりますね。そういう点では大変残念な一つの点だと、こう思っておる次第であります。  しかし、とにかくそれは今後の政府に与えられた一つ課題でありますから、今後当然おやりになるであろうという期待のもとに、とりあえずやれるものからというので今度の改革案が出たものだというふうに考えまして、やらないよりはやる方がいいじゃないかという意味合いで、大いにやるんだというふうな政府の意気込みでもありまするし、それを歓迎して、たとえばそれはもう理想に沿わないから理想論について解決をやったらどうだと言いましても、そうなりますといまの現状の案を一応ぶち壊すということになりますので、それではどうかな、一歩前進ならばそれなりで進んで、これから大いにやっていただきたい、こういうふうに考える次第であります。
  34. 草川昭三

    ○草川委員 ありがとうございました。  では、片岡先生にお伺いをするわけでありますが、これも一昨日、臨時行政改革推進審議会の瀬島委員からの御発言でございましたが、国家行政組織法の歯どめとして、政府は定期的に組織を見直す仕組みをつくるべきだというような御趣旨の御発言もございましたし、組織再編については国会に報告することが必要との考え方も出されたわけでございます。私どもといたしましても、ただいま修正案を提出しようということでいろいろと話し合いをしておるところでございます。これは小関先生も少しアメリカの例で触れられたわけでございますが、いま片岡先生の方から、米国の例として時限立法で議会が拒否をするという力、すなわち国民の側に主導権がある趣旨のお話があったわけでございますが、先生、具体的な何か非常に顕著な例、あるいはドイツだとかヨーロッパの方のこの種の問題についてのもう少し立ち入った御説明があれば幸いだと思うのですが、どうでしょうか。
  35. 片岡寛光

    片岡公述人 お答え申し上げます。  ドイツを初めヨーロッパ諸国では、行政組織の裁量主義と申しますか、行政庁による裁量的な決定がなされるのが原則でございます。特に西ドイツにおきましては、内閣総理大臣組織権というものを持っておりまして、行政組織はすべてこの組織権に基づいて決定される。これは過去の歴史からそういうふうになっているわけでございます。  今日的になぜそれでは政府がそういう権限を行使するのが正当かというその理論的根拠はどこに置かれているかと申しますと、それは行政組織の内部の問題は国民の権利義務に直接関係のないもの、したがって法律の留保の及ばないものというのがその理論的な根拠でございます。ところが、果たしてこの行政組織の問題が国民の権利義務に関係ないか、あるいは少なくとも国民が受ける行政サービス内容に密接に関係しているのではないかという観点から、西ドイツにおきましてもこういった考え方に対する反省というものが今日起こっているわけでございます。  わが国は、戦前はこの西ドイツの考え方ときわめて類似いたしました考え方に基づきまして、政府の裁最によって行政機関というものを設置、改廃するということ、これは天皇大権としてそういう権限がその中に含まれて、官制大権という形で含まれていたわけでございますけれども、戦後アメリカの法定主義というものを導入いたしました。しかし、導入する際に、一つアメリカにその当時すでにあった制度を導入することを忘れたものがございます。それが先ほど申しましたいわゆる大統領による再組織計画と呼ばれるものでございます。  大統領が議会に行政組織を効率よく運用するために改革案を提出いたしますその権限というのは、これは議会による授権立法に基づいてなされるわけでございます。一九三二年に最初にこの授権立法、いわゆる再組織法というのが制定されたわけでございますけれども、この時点におきましてはこれがいわゆる永久立法として立法されました。ところが間もなく、一年足らずの間にこの法律が改正されまして、これを二年間の時限立法に変更いたしまして、以降一九三九年、一九四五年、一九四九年再組織法というのが制定されておりますけれども、これは二年から四年までに至る時限立法でございまして、大統領はその都度、議会による明示的な授権に基づいてしか再組織計画というものを提出することができないという制約があるわけでございます。  単にそればかりではございませんで、議会は大統領に対して再組織計画というものを提出する権限を与えますと同時に、それに対して拒否権を発動する権利を留保するわけでございます。たとえば議会のいずれかの一院が六十日以内にこれを拒否する議決をしなければそれが発効するという形で、議会の統制というものが留保されているわけでございます。  ところが、この種の議会による拒否権というのは、これは一種の逆立法というふうに呼ばれておりまして、なぜこれが逆立法と呼ばれるかと申しますと、すなわち大統領が計画を出して議会がそれに対する拒否権を持っている、ちょうど立法の反対の形で行われるという意味で逆立法というふうに呼ばれまして、果たして、議会がそういう形で大統領に議会に属する行政組織設置する権限を委譲することが憲法上正しいかどうかという議論が、実は一九七七年の同法の延長、これは期限が切れますと延長をお願いしてやるわけですが、一九四九年法は八回過去に延長されまして、そして七七年にまた新しく立法化されたわけでございますけれども、その際に非常にその議論が起こってまいりました。しかし、その法律も一九八一年に失効いたしまして、現在大統領は再組織計画を提出する権限を持っていない状況でございます。  そこで、一九八四年をめどに新しい授権立法を策定する作業に議会は取りかかっておるわけでございますけれども、この五月三日に下院の政府活動委員会を通過した案によりますと、これは議会が単に六十日以内に何もしなければそれが通るということではなしに、議会の両院の共同の決議をもってこれを九十日以内に承認する議決をしない限りこれは発効しないというのがこれまで通過した案でございます。恐らくこれは上院で修正されまして、これまでと変わらない再組織法というものが制定されるというふうには予測されますけれども、このように議会が拒否権を握っているというところに、今回の日本のこの提案されております法律案と非常に違う面があるわけでございます。  今回の政令移管という問題は、これは未来永劫にわたって行われるわけでございます。私は行政府が理性的に行動するものというふうに確信しておりまして、それ自体にあるいは問題がないかもしれませんけれども、しかし議会主義というものの本来の姿からいいまして、これはあくまでも議会が主体的に、行政組織のあり方、国民行政サービスに非常に密接な関連のあります行政機構のあり方というものに対してやはり何らかの発言権を留保するというのは、これは当然ではなかろうかというふうに考える次第でございます。
  36. 草川昭三

    ○草川委員 簡単に一つだけ、最後にあれでございますが。  政府も、先ほどの小関公述人もちょっと触れられたのですが、いわゆる時代の進展に対応するには、行政が硬直化をしているといわゆる対応がおくれるという趣旨の御発言があり、今日の法定化を緩和するということを言っておるわけであります。いまも先生からのお話がありましたように、私ども議会の場合も別に時代の対応におくれているつもりはないわけでございますので、それは私は法定化についての妨げにはならないという意見なのですが、一言先生の方から、時代に対応するにはどのような御見解を持っておみえになるのか。——大変恐縮でございます、片岡先生にお伺いしたつもりでございます。
  37. 片岡寛光

    片岡公述人 政府がこの法案を提出いたした場合にその説明理由といたしまして、行政府が社会変化に迅速に対応することに事欠くということが書かれてあったかと思いますけれども、これは議会もやはりその時代の要請に従って行動されておられるわけでございますから、その点では問題はないかと私は思います。  ただ、議会の審議というのは手続上非常に煩雑で、慎重であればあるほどこれは煩雑になるわけでございまして、恐らく政府側の懸念というのはそういうところにあったかと思うわけでございます。しかしながら、私は、議会の側にもそういう行政組織の問題を常時考えるような仕組みというものがもしあるといたしますれば、これはこの要求にも迅速に対応していくことができるわけでございまして、そういったことで問題はないのではなかろうかというふうに考えております。  かてて加えて、アメリカの場合、付言させていただきますれば、大統領は、再組織計画を議会に提出いたします場合に、果たしてその改革によっていかなるメリットが生まれるのか、費用はどれだけ節約できるのかということをあわせて議会に対して報告する義務を負っております。政府がそのような改革を提案する場合にはやはりその理由、そしてそれによってどれだけメリットがあるかということを明示すべきであるというふうに私は考えている次第でございます。
  38. 草川昭三

    ○草川委員 ありがとうございました。  終わります。
  39. 金丸信

    金丸委員長 次に、吉田之久君。
  40. 吉田之久

    ○吉田委員 三人の先生方、御苦労さんです。民社党の吉田でございます。  まず初めに小関先生にお伺いいたしますが、先生も先ほどの御発言の中で、局、部の改編を政令に委任することはもろ刃の剣でもあると仰せられたように思うわけなんです。私ども、この根底の中には、やはり政府側とわれわれ議会の方とお互いに相互不信があると思うのです。一々法改正をやっておる分には、それぞれ党利党略で動いている国会はなかなかに通してくれないことも間々ある、それでは機能的に組織の改編ができない、だから政令に委任してほしい。議会の側から申しますと、役人というものはその組織を限りなく増大させていく、そういう本質を持っておる、政令に委任したら何をしでかすかしれない、こういう懸念もあると思うのです。  そういうことで私たちは、官報に掲載するのは当然のことでありますけれども、年に一回国会に対して報告の義務を政府は負うべきである、われわれはそれが順調に進んで、小さい政府機能的なスリム化に向かっているときはそれを是といたします、それが逆に、ますます逆行している場合には厳しくこれに対してチェックをしていく、こういうことが当面必要だと思うわけでございますが、先生はどうお考えになりますか。
  41. 小関紹夫

    小関公述人 もろ刃の剣というのは、そういう批評があるというので、行政側でこれを機会にどんどん拡張するようなことはしないでほしい、そういう良心的な権限責任が今後の総務庁には一段と加わってきているのではないかということを申し上げたわけなんです。  これはよけいな話でありますが、そういう意味合いで自律的に、総務庁政令をつくりますから、そういうときに自分で自主的なコントロールができる一つの基準を定めてやるべきじゃないか。と同時に、さっき申し上げましたように、組織論が変わってきておりますから、単に政府行政をやりやすいというだけじゃなくて、その組織国民にとってメリットになるかどうかという新しい観点から、たとえばアメリカの行政手続法なんかにありますように、一応の公聴会も開くとかあるいは広く意見を聞いて組織もつくっていく、そういうようなふうに近代化していきたいものだ、そういう意味で今後の総務庁権限責任は重大になってくるだろう、そういうものを考えてほしいということを申し上げたわけであります。
  42. 吉田之久

    ○吉田委員 次に、補助金の問題でありますけれども、これが非常に政治的に利用されまして、ときには選挙運動にも利用されまして、国民は大変不愉快に思っています。だといって、せっかくもらっておる補助金を断るすべもなし、またぐずぐずしておって他に取られれば損だからというので、やはり陳情政治が続いておると思うのですね。  そこで、私たち民社党は、この際、補助金を一括していわば第二交付税的なものにしてはどうか、一々実施個所やその方法まで干渉、特定することはないだろう、次第に地方自治体も成長しているわけでございますから、この辺でそういう大胆な発想の展開をしてはどうかと思うのでございますが、先生はどうお考えでございますか。
  43. 小関紹夫

    小関公述人 お説のとおり考えております。補助金の問題は大きな問題で、同時に、地方自治体の行政水準の向上責任体制をとらせるという点でもこれは大きな問題でありますから、お説のとおりに今後それだけでも一つの検討課題になっていくのじゃないか。そういう点では、今度の点については特に問題にされておりませんが、いずれやはりそういう問題のための特別の研究会とか、あるいは国会の方でもそういう問題について今後の行政の展開、あり方も加えて大きく変わっていくというようなふうに、国会からも御指導あるいはそういうプッシュが行政の方にも与えられてしかるべきではないか。私は、そういう意味においては大変同意見であります。
  44. 吉田之久

    ○吉田委員 次に、暉峻先生にお伺いいたしますが、先ほどのお話、かなり辛らつでございましたけれども、要するに今日の日本の政治の実態、あるいは財政再建の遅々たる歩み、あるいは一向に進まぬ行革、全くむなしいお気持ちを持っていらっしゃるように承りました。事実、私たちも同じ思いでおります。しかし、私たち国会議員やあるいは先生のようなすぐれた方々が、むなしい、そしてもう嫌だわと思われただけではこれはどうにもならない。お互いにこの国に住んでおる私たちの国の将来のことでございますから、やはり私たちはこういう委員会行政改革委員会なんかはむしろ常任委員会にでもして絶えず行政改革をチェックしていく、あるいは促進していく、こういう気持ちを持ち続けたいと思っているわけなんです。  ところで先生は、この社会を階級対立の社会とおとらえになっているようでございまして、したがってすべては利権のために行われておるという不快感をお示しになっているようでございます。私どももそうは思いました。だからひとつせめて地方自治体でも革新自治体に変えてみたらと思って、積極的に参加したこともありました。しかし、あちこちでりっぱな人たちが知事さんになり革新自治体が誕生いたしましたけれども、その結果は何であったか。それは結局権力の裏返しであって、そして膨大な赤字をつくっただけ、ばらまき福祉に終わっただけ、一層私どもはむなしいものを感じているわけなんですね。先生はその点をどうごらんになっていますか。
  45. 暉峻淑子

    暉峻公述人 革新自治体がどういう役割りを果たしたかということですけれども、確かに財政赤字はつくりました。だけれども、革新自治体が敷いた路線、つまり民主というのは一体どういうことなのかということですね。これは本当に革新自治体が残した大きな財産であると私は思います。  それで、もう一つ申し上げたいのは、やはり行政というのは、確かに行政がやることではありますけれども、もうわかり切ったことですけれども、その主人公は国民にあるのですね。だから、国民行政にどのように参加し得るのかという可能性を開き、その現実を開くということが行政のしなければならない一番大事なことで、私がやってやるという、これはやはりいまの政治家の態度ではないと思うのです。その一番大事なことをやったのは革新であり、いまもたとえば神奈川県なんかでやられているのはその方法であると思いますので、財政赤字、黒字ということは確かにあります、だけれども、それは一つの試行錯誤の上でまた解決されていくべきことで、そこにやはり民主、住民の参加があれば解決できる、こういうことだと私は思っています。  それから、ばらまき福祉ということを言われることに私はやや抵抗があります。というのは、新幹線への投資とか河川修理への一カ所の投資というようなお金の使い方と、福祉へのお金の使い方は本質的に違うのですね。福祉もともとばらまくという形で使われるものなんです。だから私は、そのばらまきというのが不必要なところにお金が使われるということならば反対ですけれども。  私は、本当にはっきり言います。福祉はきめが細かくなければ実効は得られない。きめを細かくするためには、やはりあちこちにお金は行き渡っていくものなんですね。これを公共事業と同じように考えられては困るのです。ですから、公共事業福祉のお金の使い方は違うということを私は強調したいために、いまばらまき福祉という言葉の使い方——ばらまき福祉と言えば泣く子も黙ると思われては困るのですね。どこが困っているかということを細かく調査し、相談業務の上でいろいろ相談をし、そして使われていくのが福祉予算です。福祉の要らない強者、強い者はこういう使われ方がわかってないんだと思うのです。だから、福祉のむだと言いますけれども、むだと思う人々とむだでないと思う階層があるわけで、私は福祉のむだとかばらまき福祉ということを余り軽率に言ってほしくないと思います。もっと実態をわかって言ってほしいと思います。
  46. 吉田之久

    ○吉田委員 公共投資なんかのばらまきのむだ、それがどんなにひどいものであるか、私たちはこの委員会でもずいぶん丹念にいろいろ論議を重ねてきたところでございます。ただ、先生のおっしゃる気持ちはよくわかりますけれども、私は福祉といえども、ただ均等に配分することが福祉ではない、本当に困っている人にいかに徹底的に与えていくか、同じ老人であっても、意気軒高たる人もうらやむ人たちもいらっしゃるのです。ところが、あちこちの市町村長さんらは、そんな方にもバスの無料乗車券を渡したり、ほとんど画一的なことをなさっているのですね。それは福祉の濃度を結果的には薄めてしまうことになると思うのです。  その根底に、保守の政治家も革新の政治家も、およそ政治家というものは、みんな自分を支持してくださっている集団に対してサービスしようとする、そういう本能的なものが現在あると思うのです。これをどう克服するかということが政治の改革でありまして、ただ保守を革新にかえるとか革新を保守にかえることがもはや改革ではないような気がしてまいったのです。  そういう点で本当に国民は善良なんです。もちろん国民もかなり昔と比べればエゴ的にはなりつつありますけれども、もっと責任があるのは指導者だと思うのです。私は、先生だと思うのですね。先生方も先生でございますが、お医者さんも先生でありますし、ときにはわれわれ議員も先生と呼ばれることで当惑するわけなんですが、およそこういう指導者の層が自分のエゴを追求し、倫理感を忘れてしまったら、それは保守であれ革新であれ中道であれ、どうにもならないと思うのですね。その点いかがお考えでしょうか。
  47. 暉峻淑子

    暉峻公述人 多分私も世の中から革新的なという方に見られているのではないかと想像しますけれども、私はレッテルを張ることが大変嫌いな人間で、たとえば自民党は全員悪いというふうに言ったことは一度もないはずでございます。その中にも、国民福祉のために考えるあるいは平和のために考えるという方もいられるし、それから革新といっても、たとえば労働組合といっても、労働組合であるがゆえに硬直化してしまって、官僚そこのけの発想しかできないという人がいることも知っています。ですから、どうぞいまの御質問は、私がそれくらいなんですから、一般のたとえば私と同じような職業の人あるいは実際に市民運動をしている人たちが、そんなに保守は悪くて革新はいいとか、階級対立みたいなことだけで事がおさまるというふうに思っている人は、私はいまの日本にはむしろ非常に少ないというふうに思っています。  ただ、いまの吉田先生の質問で大変気になることが一つあるんです。これは貧窮層に福祉をやればいいというお恵み思想ですね。これは、私は社会福祉社会保障制度の歴史をずっと洗ってみますと、一番困っている層に優先順位がある、これは私もそのとおりだと思います。ではそこでとどまるべきか、それは私はそうではないと思います。いま中間層というものがいかに広く、しかもその人たちは板子一枚下は地獄というような上に乗っかっている。これは都市への人口集中とか、あらゆることがすべて中間層にもすぐ影響力を及ぼすという社会の構造の変化だと思うのですが、一例を挙げますと、たとえば図書館というのがあります。図書館は極貧層にとっては必要でないというふうに言う、そういう考えもできるわけです。けれどもそうではないんですね。日本というのは、いま図書館は三万何千人に一つぐらいしかないと思うのですが、諸外国は大体七千人に一つぐらいです。これは何かと言うと、知る権利、それから教育における誤りを自分たちで図書館で学んで、借り出して勉強するという、そういうことの権利として、一番極貧層の貧困と同じ権利として認めているのです。だから、一番貧しいということの中に、ただお金だけがないということをもし考えていられるのならば、現在における貧困の意味というのは非常に違ってきている。  昔は、貧しいということは食べられないという単純なことで言えたと思うのですが、いまの貧困というのは、ともかく人間が生きていくことに対する困難を指すわけですから、人間が生きていくことについての困難の範囲というのは、ただ食べられないということだけではないのです。あるいは病気をして治せないということだけではないのです。これは生活調査をしていると強く感じることです。ですから、貧困ということが極貧層から優先順位を持ってという意味は私はわかりますけれども、もしそこにとどまるならば、極貧層は上に上がれないです。つまり、おまえたちはもう極貧なんだから、そこにお恵みとして与えてやっていれば済むのだ、それよりやや上のクラスがこの程度でがまんしているのだから、あなたたちはもっとその下でよろしいということになります。  ですから私は、いまの御質問なんですけれども、ばらまき福祉ということが変に使われないように、それから救貧思想が社会保障のレベルを落とすということに逆に力をかさないように、それから、いまはCTスキャンとかなんとかいろいろな莫大なお金を要する施設でも何でも出てきていますので、これは中間層の上まで含まなければとても使いこなし切れるものではありません。ですから、技術の進歩をみんなの福祉に還元するためには、福祉というのは決して低い層だけにあればいいというものではないという事態に技術革新の面からもなっているということを御理解いただきたいと思います。
  48. 吉田之久

    ○吉田委員 時間が過ぎましたので、いずれまたお目にかかりたいと思います。
  49. 金丸信

    金丸委員長 次に、三浦久君。
  50. 三浦久

    ○三浦(久)委員 先生方には大変御苦労さんでございます。  私は、まず最初小関先生にお尋ねをいたしたいと思います。  先生は、英国の例を引き合いに出されまして、各省庁の局、部を政令に委任するということを合理化される発言がありました。私は、これはイギリスと日本の法律制度の違いというものを若干無視されておられるのではないかというふうに思うのですね。憲法の第六十六条、ここでは「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の國務大臣でこれを組織する。」こういうふうになっているわけであります。ところが英国では、こういう法律はないと思うのですね。ですから英国で、たとえば局、部はもちろん、ある省庁まで政令で決めておるところもある、こういうふうにいまおっしゃられましたね。ところが、日本ではいわゆる省庁政令で定めるということはできないのではないか、これは憲法原則上できないのではないかというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
  51. 小関紹夫

    小関公述人 省庁はいまは法律事項になっております。それの補助部局としての官房以下の点を政令にゆだねるということですから、そういう意味合いでは、省庁の点については法律事項になっております。
  52. 三浦久

    ○三浦(久)委員 ですから、いま先生がおっしゃったように、問題は、省庁はもう法律で決めなければしょうがない。あとは部局ですね。これを法律で決めるのか政令で決めるのか、そういうことだと思うのですよ。  その問題に関しましては、たとえば、これは何回も論議されているのですが、先生も御承知だと思いますが、第一回国会、第二回国会、ここで国家行政組織法の改正、各省庁設置法、これが審議をされております。このときに、政府原案というのはやはり局、部を政令委任する、こういうことだったわけなんですね。ところが、国会の審議の中で、それは昔の官制大権に逆行するじゃないか、そういうことは許さぬというので、結局法律事項にされたわけですね。  そのときに決算委員長がどういうことを言っておるのかといいますと、これは本会議での報告でありますが、簡単に要約して言いますが、政令でやるというのは新憲法の精神に反する、それから、われわれ憲法を最も合理的に運用せんとする考にとって、これは重大原則の確立だ、こういうふうに言っておるのですね。ですから、憲法の解釈として、いわゆる国家行政組織法律で定める、その法律は、ただ単に省庁設置だけではなくて、局、部、これも法律で決めるということが憲法上の原則なんだというふうに国会は解釈をして、そして修正をしているわけであります。  そして、それがずっと現在まで続いてきております。これは佐藤内閣、田中内閣のときに、三回にわたって現在の国家行政組織法と同じような内容のものが出されましたけれども、審議もしないで廃案になっているのですね。そういう性格のものなんです。ですから私は、この各省庁だけでなくて、その内部部局、これまでもやはり法律で決めるということがいままで、戦後三十七年間ずっと続いてきた憲法上の原則だというふうに考えているわけでありますけれども、先生の御見解を承りたいというふうに思います。
  53. 小関紹夫

    小関公述人 さっき申し上げましたように、戦後三十有余年民主行政が進んでまいりましたので、政府行政責任体制と国会のコントロールの問題が明らかにされて、発展をしてきて、さらに二十一世紀に当たっての行政弾力性確保していこうという転換期に対しての臨調の答申を受けて政府が取り上げたわけなんでありますから、それはそれなりに進展をしていくべきものだ、私はこういうふうに考えておるわけです。さっき各国の事例もありましたように、行政弾力性という意味において政令事項に持っていってもこれは差し支えないのではないか、こう考えておる次第でございます。
  54. 三浦久

    ○三浦(久)委員 きょうは御意見を承るという席でございますので、それに対する反論は差し控えさしていただきたいと思います。  次に、暉峻先生にお尋ねをいたしたいと思います。  先生は、この行政改革、いわゆる中曽根内閣がやっている第二臨調路線に基づく行政改革、この問題についていろいろな会合にお出になられていらっしゃると思うのです。いろいろな市民の方とお話し合いをされておられると思いますけれども、このいわゆる行政改革ですね、私どもはにせの行政改革だ、こう言っておるのですが、その行政改革に対する市民の反応というのはどういうものでございましょうか。
  55. 暉峻淑子

    暉峻公述人 私は、行政改革の問題で講師になったり、勉強会の相談役になったりして、ほぼ全国を歩いております。一番最初これに寄せられる国民の声は、一般消費税の後でしたから、増税は嫌だ、行政改革ができれば増税にならなくて済むという意味で期待をされていた点が一つ。それからもう一つは、利権を排して国民福祉のために行政が向けられる、しかも時代に対応するような行政の姿になる、これが第二点。これが国民が純粋に願っていた行政改革でした。  ところが、いまはどうなっているかと思いますと、もう本当にオール失望です。すべて失望。これはやっぱり利権との癒着というのが次々に明らかになるわけですね。それから行政改革も、たとえば一例を挙げますと、いま盲、聾というような障害児を一般の学校で一緒に教育した方がいいという趨勢になっておりますね。たとえば西ドイツで、私がこの間行ったときなども、半々で教育している幼稚園や学校もありました。ところが、一般の中に入れて、そこに人員を豊富に配置して教育をすれば、教育上もいいのですけれども、どういうわけか、文部省は絶対に分けるということに意地になってがんばっているようなんですね。これは幼稚園と保育園との一体化の問題も同じでして、むしろない方が実際に質が上がるということもあるのです。ところが、その対応が非常にまずい。それから、利権の癒着というのがどうしても切れないのですね。  これを見て、もうみんなうんざりして、結局、端的に言いますと、いまどう思っているかというと、今度の行政改革はにせどころではなくて、結局文教福祉を切るということは言えなかったから、行政改革という名前で文教福祉を切ったんだ、そして何かほかのこと、つまり防衛費とか相互安全保障と言われているような、国民からは受け入れられないことの方にお金を回したのだ、これが行政改革の本体だったのだと言われております。
  56. 三浦久

    ○三浦(久)委員 また暉峻先生ですが、臨調の答申の中に、日本の社会というのは成熟化している、物質的な豊かさにおいて成熟している、私はどこの国のことを言っているのかというふうに思うのですけれども、そういうくだりがありますね。そうして結局、そのために勤労意欲が失われているとか貯蓄意欲がなくなっているとか。ですから、そういう成熟社会における活力をどうやって維持していくのか、それはやはり自助自立の精神でもって社会保障制度その他を見直していかなければならぬ、こういうくだりがあるわけですが、先生は、現在の日本の社会を成熟社会だと臨調が考えているということ、このことについてどうお考えになっていらっしゃるのかということと、もう一つは、自助自立の精神で社会保障制度を見直さなければならないということ、このことについてどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、御意見を承りたいと思います。
  57. 暉峻淑子

    暉峻公述人 成熟社会という意味には、人間が成熟したちゃんとりっぱな大人としての判断力を持っているかどうかということもあると思いますが、それはロッキード事件に見られるとおり、とても成熟した大人の政治家がそろっているとは私は思えませんので、そういう意味では——そうである方もありますが、そうでない方も十分にいられますので、そういう意味でも、成熟社会というのはどうも受け入れられないのですね。  きっと臨調で言われているのは、もう余り飢え死にする人もなくなった、大体富が行き渡って、国民の九割が中流意識を持っているというような、何となくぼんやりしたもので言っていられると思うのですが、ともかく富があるということは、その分配において貧富の差がなくて、所得の再分配がうまくいっているということが成熟の条件だと思うのですね。けれども、そういう意味では成熟していないと私は思います。  社会保障制度は、これは大蔵省も悪いのですけれども、形式的に何か日本はヨーロッパ並みになったというような資料を出していられるのを私は見ましたが、とんでもないのです。たとえば年金額だけで日本はヨーロッパ並みになっていると言われるとすれば、年金は何のためかということを考えてほしいのですね。老人というものは、年金と同時に、看護する人があり、入りたいと思えば入れる行き届いた老人ホームがあり、老人病院があるということが全部一緒になって老人生活があるわけですね。ところが、たとえば西ドイツなんか、福祉年金は三万円ですが、老人ホームで四十万円の給付を受けているのです。  こういう現物給付、介護というようなものを抜きにして、年金額だけ比べて成熟したというふうな言い方は、実に国民をだますものです。ずるい、そんな言い方は。私なんかは学問する人間ですから、聞いていてそういうずるさに耐え切れないのです。私は、そういう意味で決して成熟した社会だとは思っておりません。  それから、自助自立を言われるならば、なぜ独禁法改悪などをするのでしょうか。まず企業が自助自立してくださって、政府の権力を頼らずに、公共事業の不正談合などもしないで、力があるのだから、りっぱに自助自立してもらいたいものです。  それからもう一つ、時間がありませんが、自助自立というのは、社会保障制度という下支えがあって初めていまの世の中は自助自立というものができるのです。これがなくて自助自立ができるということは、大金持ちであっても絶対にできません。ですから、私たちはそれを消費の社会化、公共化、共同化という形で呼んでいて、学問のレベルはそういうものをいろいろと証明しているわけですので、自助自立を言いたければ言いたいほど、やはり社会保障制度をきちんとすべきだというふうに思います。
  58. 三浦久

    ○三浦(久)委員 もう一問だけ。  先ほど先生、救貧対策ということをおっしゃいましたね。よく施政方針演説の中にも、本当に救済を要する人々には温かい手を差し伸べるということを言うわけですけれども、それは裏返すと、いまは余りばらまき過ぎているからほかのものは削るぞ、そういうことだと思うのです。こういう考え方は救貧対策に通ずると私は思うのですね。それで、救貧対策と社会保障制度の違いを簡単にお述べいただきたいと思います。
  59. 暉峻淑子

    暉峻公述人 救貧対策といいますのは、救貧法で見られますように、たとえばエリザベス女王が貧しい人を哀れんで、お恵みとしてやった。そこには合理性も権利の意識もありません。だから、恵んでやるのだから恵まれなくてもあたりまえですね。これは一方的にただお恵みするだけですから、堀木訴訟みたいに取り上げられてしまっても文句は言えない。ただ一方的に国王なり女王なり、日本であれば天皇制のもとでもそうだったわけです。だから、お恵み思想というものには合理性と権利意識がないということです。  いまの臨調の真に救済を要するものというのは、やはりそこにつながっていると思います。社会保障制度というのはお情けで恵んでやる制度ではないのです。これは国民が日本に生まれてきたら、その権利としてこれはあるべきもので、たとえば給付を受けるときも取り上げられるときも、そこに合理的な理由がなければいけないのです。けれども、日本の最高裁は、堀木訴訟なんかの場合でも、これは行政の裁量だという形で、合理的理由を全然明確にしてくれません。これは私は、本当に日本は救貧法の、まだ古い古い思想で社会保障制度を考えているからだと思います。  では、社会保障制度は何かということなんですが、人間というのは、自助自立でいける部分と連帯をしなければいけない部分という両方兼ね備えて、初めて生きていけるものなんですね。これは封建制度の場合は、村落共同体とか大家族制度というのがそういう連帯の部分を受け持っていたわけです。いま連帯の部分を受け持つのは社会保障制度であって、連帯という中で、社会的動物である私たちが相互扶助あるいは連帯をすることによって、いろいろ刺激を与えたりいろいろなことを考え合ったりして逆に進歩する。もしそういう面がなかったら社会は滅びます。  だから、社会保障制度というのは救貧だけではないのですね。救貧も含まれるけれども、もっと大きくは、個々の人間がどうやって連帯をして社会を安定させ、社会の進歩というものを考えていくかという不可欠なものなんです。私はそういうふうに——私だけでなく、社会保障制度というのはそういうふうに考えられているのが現在の考え方です。
  60. 三浦久

    ○三浦(久)委員 どうもありがとうございました。
  61. 金丸信

    金丸委員長 次に、小杉隆君。
  62. 小杉隆

    ○小杉委員 御苦労さまです。  時間にきわめて限りがありますし、また問題点は各党から出されましたから、私は少し観点を変えて質問をしたいと思います。  行政改革を進めるには、やはり痛みあるいは犠牲を求めなきゃいかぬという側面があるわけですが、私どもは、国民に痛みを求める前に、やはり国会みずからあるいは国会議員が率先する、そういう一つの隗より始めよという姿勢が必要だと考えます。そこで私どもは、行政改革に先立って国会議員の特権の見直し、国会改革ということをうたっておりますが、きょうは特に一点だけ伺いたいのです。  私ども国会議員の定数を削減すべきだという考えでおります。アメリカと日本の制度というのは比較的よく似ておりますが、アメリカは上下両院合わせて五百二十五名、日本は衆参合わせて七百六十三名で、アメリカの人口の半分の日本が、国会議員の数だけは二百人以上も多い、こういう現実があるわけです。最近、地方の都道府県とか区市議会では、定数の削減という運動がかなり進んでおりまして、つい最近も、今度できた行革審、土光さんが引き続き会長ですが、このヒヤリングのときも地方六団体、知事会初め各団体の人たちが、地方にばかり行革を押しつけないで、国会の方も定数を減らすべきじゃないかという意見が出たという報道がありますが、こういう国会議員の定数を減らすということについての率直なお考えを一言ずつお聞かせいただきたい。
  63. 小関紹夫

    小関公述人 国会自体として、減らしていくべきだ、それで差し支えないということであれば、それは少なければ少ないほど結構であります。その限界をどこに置くかというのが一つの問題だろうと思いますが、私はそれは大変結構だと思います。
  64. 暉峻淑子

    暉峻公述人 私も減らすことに賛成でございます。ただ、減って残った人が、ただ政治資金に豊かな人で、利権につながる人だけが残ると大変困りますので、減らす場合には、やはり政治資金規正法とか、それから西ドイツの政党法ですね、西ドイツは、何人そこに投票すれば、一人頭当たり三百円、投票した人の数に応じてその政党にお金が行きますね、こういうような形をぜひやっていただくということで、減らすことに賛成でございます。
  65. 片岡寛光

    片岡公述人 本日は行政改革の問題でこちらに召喚されましたので、国会の問題であえて発言する立場にないと思いますけれども、必ずしも議員の数が問題ではない。むしろ質の問題、そして活動の濃度の問題である。私は先ほど来しばしば外国と比較してまことに申しわけございませんが、アメリカの国会というのは、マラソンランナーに行くべきゴールを示すだけじゃなくて、一緒について走るのです。すべて行政活動に対して一々注文をつけるわけです。それだけ一生懸命活動されていらっしゃるわけでございます。ですから、少数になりまして行政のすべての問題をカバーできるならばそれでよろしいと思いますけれども、定数削減になったために、いま以上に議会の統制が弱まるというのでは困ると私は思います。
  66. 小杉隆

    ○小杉委員 終わります。
  67. 金丸信

    金丸委員長 これにて午前中の公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人の皆様には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十分休憩      ────◇─────     午後一時三十二分開議
  68. 金丸信

    金丸委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多用にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。行革関係法案に対する御意見を拝聴し、各案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず最初に千田公述人、次に室井公述人、次に浅野公述人の順序で、お一人十五分程度で一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをお願いしたいと存じます。  それでは、千田公述人にお願いいたします。
  69. 千田恒

    ○千田公述人 千田でございます。  私の仕事は、もともとは皆様の御意見を聞くのが本来の仕事でございまして、ちょっととまどっております。したがいまして、多少失礼なお話を申し上げることになるかもしれないことを懸念しておりまして、そういうことがございましたら平に御容赦をいただきたいと思います。  私は、当特別委員会で審議をされている行革関連法案について、今国会において早期成立をされることを期待しております。いや、むしろ必ず成立をさしていただきたいと、そういうふうにお願いをしたいと思います。  私、仕事柄いろいろの方のお話を聞いたり、講演会で行政改革についてお話を申し上げる機会がありますが、ここ二年間の経験を見て考えてみますと、最初ぶつけられた一般国民の素朴な疑問というのは、行政改革というのは一体何かということでございます。最近は少し変わってきております。私たち行政改革でできることは何だろうか、そういうふうに変わってきております。  行政改革という言葉は非常にむずかしゅうございます。非常に広範で多様な内容を含んでおります。たとえば、歴史的な出来事として明治維新、あるいは戦後の政治改革、そういったものも含めて言う場合がございます。あるいはまた、単なる行政機構機構を改編をするというそういったこと、それから人員整理を指す場合もございまして、そのときどきに応じて言葉の含む意味が非常に多様であるのが特徴だろうと思うわけですが、私は今回問題になっている行政改革について御説明——特に私は報道機関の仕事をしておりますので、読者の方々に御説明をする際にこういう説明をいたしております。視点は二つあろうかと思います。  一つは、納税者の立場から考える、そういう視点でございます。もちろん納税者というのは国民と重なってまいります、一般国民と。主権者でもあります。自分たちの納めた税金の使い道についてこれは関心を持つ、そういうふうに言ったらよかろうかと思います。むだな使い方がないのか、ふらちな使い方がないのか、有効に使われているのか、そういったことが、いわば納税者の立場から行政改革について考える出発点になろうかと思います。そこで出ます素朴な疑問というのは、これは行政改革そのものにつながっていく原点になると私は思います。  単純な例でございますけれども、四千万円退職金の問題がなぜ大きな問題になったのかというのは、納税者の立場で考えれば別に不思議なことではございません。私ども新聞に投書がございまして、ことしの七月一日ですが、「わたしたち行革」という小さなコラムでございます。そこで、東京大手タクシーの会社員の方なんですが、会社都合による退職金の改定要求を出したわけですね。勤続三十五年で、それで要求額が八百四十九万二千四百円、現行が六百二十八万七千四百円である。三五%アップの要求なんですが、そういった要求をしている民間のいわば納税者の方々の感覚からしますと、四千万円退職金の問題というのはやはり非常に不思議なことであり、おかしなことである、そういう問題になろうかと思うのですね。  一体どういうところからそういう問題が出てきたのかということを追跡をするところから、いわば納税者サイドの行政改革というのは始まるだろうというふうに思うわけです。それで、納税者にとっては最終的に自分の意思を表明するのは、これは選挙しかございません。一票を行使することによって意思を表示する、そういうことになろうかと思います。  もう一つ行政改革の考え方と視点といたしましては、何といいますか、ガバナーといいますか、管理者といいますか、理事者側といいますか、あるいは行政の執行側といいますか、そういった方々の立場で言う行政改革の問題がございます。これはいま申し上げました納税者の立場、納税者の要請にこたえる形で自己改革を進めていただくということにほかならないと思うわけであります。効率的で簡素な体制を常に考えるというのは、これは当然要求されることであります、こちらのサイドの方々には。これは国会に対しても当然要求されます。国民の代表者である皆様方は、当然そういう要請を踏まえてお考えになっているはずだと私は考えております。  私の立場は、もちろん納税者の側であります。本日申し上げます私の所見というのは、そういう基本的なスタンスで申し上げることになります。  特別委員会に付託をされております六法案は、臨時行政調査会が出しました答申、それを受けて内閣が決定した改革プログラムに基づいて法案国会に提出をされた。政府は全体構想の第一段階の立法措置であると説明をしております。広く国民行政改革の必要性に関心を持っている状況の中で国会がこの法律についてどういう決定をされるかということは、非常に重大な意味を持っておると私は思います。  こういうふうに申し上げますのをもう少し端的な言い方で申し上げますと、ここ数年の状態というものを振り返ってみて、現在開かれております臨時国会と、特に当委員会で御審議をなさっている皆様方の立場というものを、やはり私なりに考えてみたいと思うわけです。  行政改革というのは、いま抜き差しならないととろに来ている、端的に申し上げれば、私はそのように申し上げられると思います。  理由は二つございます。  最近、政界の引退表明をされた西村英一さん、この方は福田内閣行政管理庁長官、副総理格として入閣をされた方ですが、この方が回想録を書いておりまして、この中で、福田内閣当時、福田首相から福田内閣として何をやるべきかということを副総理格の立場で聞かれた。それで、エネルギーと高齢化社会の問題と行革を重点にすべきであるということを、その当時の総理に進言をした。五十二年の八月に福田さんから、行政改革案を一週間ぐらいでまとめてほしい、そういう指示を受けた。それで党と協議をされたり、省庁内部の意見をまとめて、定員整理、特殊法人、審議会、補助金、行政事務の六項目改革案をまとめた。御承知のように、これは、福田行革というのは失敗をしております。  その結果について西村さんは、その回想録の中で「行管庁と官邸だけでドタバタと作ったものがスンナリ通ったためしはない、第二臨調で案をつくった鈴木行革さえ猛烈な各論反対にあっている。福田行革政府省庁、自民から総スカンを食った」、こういうふうに書いておられるわけですが、西村さんは所感として、議員定数を減らすくらいにまず国会議員がみずから範を示さなければ役所がついてくるはずがない、行革はそれほどむずかしいという、そういう所見を書いていらっしゃいます。  西村さんはさらにそのあと、その後の政府行政機構整理など私が考えていたと同じ線を追っている、ただ中曽根君が違うのは、鈴木首相と相談をして土光敏夫さんを中心に第二臨調設置し、行革を進めていく環境をつくったことは私たちより賢明であった、こういうふうに述懐をされております。私は、ですから、行革の問題というのは、やはり福田内閣のときまでさかのぼって、流れとしてとらえてみる必要があろうかと思うわけです。  それで、第二臨調が発足をして、五次にわたる答申が出されて、現在ここで法案を御審議になっています。非常にわかりにくい法案でございます。これは行政組織の問題であって、当然一般の、何といいますか余りよく知らない、行政技術について深く知識を持たない人にはなかなかわりにくい法案でありますけれども、第一段階であるということが重要な意味を持っているのだろうと思います。  これは、私は新聞記者としてさまざまな御意見を聞きました中で、第二臨調が発足をしたときに、恥いろんな言い方がございました。戦前の枢密院のようなものだ、あるいはもう一つ政府、そういう言い方がございました。それからさらには、GHQになぞらえる、そういう言い方もございました。私は非常に、こういうなぞらえ方というのは興味がございました。というのは、裏返しにして考える必要があろうかと思うわけです。単なる政府の一審議機関にすぎない第二臨調が超越機関のような言い方をされたということは、実は代表民主制のもと責任を持つべき諸機関が十分に機能していなかったのではないか。  これは皆様方に苦言を申し上げるようで申しわけないのですが、国会もそうでございます。国会改革というのは、国民の多くの人が望んでおります。たとえば定数の問題でございます。公職選挙法第四条では、四百七十一人というふうに書いてあります。私は、これは基準の数字だろうと思うわけですね。戦後四百六十六人で出発をして、沖縄が祖国復帰をした。四百七十一人というのはそういった意味の数字だろうと思うわけですね。四十人多いわけですね、現在の現実の定数というのは。私は、国会はそういう意味での定数是正ということをもっと真剣にお考えいただければと思っているわけですけれども国会改革で、国民の側から見ておりますと目立った改革が行われたというニュースは、私は残念ながら耳にしたことはございません。  いまの行政改革というのは、戦後三十八年を経て、政治経済のいわば底流において解決困難な諸問題にわれわれがぶつかっている。袋小路に入っている。それから脱出するためにどうしてもやらなければならない問題、課題として、行政改革というのがわれわれのいわば国民的な課題として現在提示されてきたことだろうと思います。これについてくだくだ申し上げる必要はなかろうと思うわけですね。行政改革自体、国民的な課題であるということについては、ほぼ国民の合意が成立をしていると思います。  一体、この問題というのは、本来は国会がお考えになる問題ではなかったのかということを申し上げたいわけです。現実に福田内閣行政改革を取り上げたときに、これは毎日新聞でございました対談ですが、参議院議長の河野謙三さんと衆議院の保利茂さん、この方の対談の中で、行政改革というのは国会がイニシアチブをとるべき問題ではないか、そういう発言を保利さんが現実にされていらっしゃいます。われわれは期待をしておりました。  国権の最高機関である国会こそがこういった問題に本格的に取り組むべき場所ではなかったのかというふうにわれわれは思うのですが、現実には超越機関と言われるような土光臨調というものを発足をさせて、その答申を受けて現在御審議になっていらっしゃるということです。しかも、国民が求めている国会改革について目立った実績をお上げになっているというふうには思えません。それで、国会に残された最後の手段というのは、要するに選択というのは、やはり現在提示されている行革関連法案について早く結論をお出しになることではないのか、私はかように考えております。  それで、背景には政治不信がございます。現在、全国各地で起きている自治体行革というものの展開、動向というものをごらんになってもおわかりになると思うわけですが、住民運動をなさっている方々の御意見を聞きますと、いま一番心配しているのは何かといいますと、実は国会なんです。今度の行革国会というのはちゃんといくのだろうか。たとえば若い青年経済人の方の中には、おやじから勘当をされて、それで地域の行革に取り組んでいる、そういった話を私は二、三聞いておりますけれども、若い人たちがやはり一生懸命におやりになっています。そういう方々が心配しているのは、一体政治の中枢部ではきちんと決定をされるのでしょうかということです。私は、国会が、そういう意味で非常に抜き差しならないところに皆様方がいまお立ちになっているのではないか、そういうことを申し上げたいわけです。  それで、特別委員会の審議を拝見しておりますと、中道各党で政府提案をさらに強化して、そういう方向でぜひともこの法案をこの国会で成立させようじゃないかというふうに御意見があるやに伺っております。大変結構なことだと思います。いずれにしても今国会中に必ず成立をさせていただきたい。それが納税者の立場に立ってのこれは皆様方へのお願いといいますか、希望といいますか、そういう意味で私の所見を申し上げます。(拍手)
  70. 金丸信

    金丸委員長 ありがとうございました。  次に、室井公述人にお願いします。
  71. 室井力

    ○室井公述人 私は、法律学を勉強している者といたしまして、若干私の意見を申し上げたいと存じます。  行政改革一般については、ここで余りとやかく申し上げる時間もございませんので、直ちにこの委員会にかかっております六つの法律案について若干お話し申し上げますけれども、特に国家行政組織法の改正法律案についてお話し申し上げようと思います。  この法律の改正案を考える場合には、やはり一つの基準がございまして、行政組織権あるいは組織編成権というものの性格の問題でございます。  明治憲法下で、御存じのとおり十条で官制大権あるいは官吏任免大権というものがございまして、当時は学問上、憲法規定がありましたけれどもそれがあろうとなかろうと、行政組織権というのは、ドイツの法律学の伝統を日本に持ってまいりまして、行政府の固有の権限、権利であると言われておったわけです。したがって、それに対する制約を加えるのはせいぜい権力的な、つまり国民の権利、自由に拘束的な規律を加える権限を持つ行政機関、その組織法律事項であるけれども、それ以外のものはもっぱら天皇大権あるいは行政府の固有の権限であると言われておったわけです。  それに対しまして、すでに明治憲法下で行政学者で有名な蝋山政道教授がこれを批判されまして、それは実は専制君主制の遺物である。行政組織には技術的な性質と政治的な性質があるのであって、法律でこれを決めるというのは政治的な性質に着眼しての問題であるのであって、そういう行政府の固有権として組織権を考えるのは初期立憲君主制あるいは専制君主制の遺物であるというふうに批判されておられます。  それに対しまして現行憲法では、言うまでもなく国民主権でございますので、それを前提に議論が展開いたします。そして国会中心主義が憲法で書いてございます、四十一条ですけれども。そうしますと、それと並んで憲法七十三条四号には、官吏に関する事務の掌理について法律に定める基準による旨書いてございます。つまり、この段階ですでに官吏の問題、いまで言う公務員法の問題につきましては、現行憲法は明治憲法の十条の精神を廃棄いたしまして、法律で基準を定める旨になっております。  狭義の行政組織につきましても、何もはっきりした規定はございません。内閣とか会計検査院以外には憲法上規定がございませんけれども、しかしこれは、議会制民主主義と申しまして国民主権及び国会中心主義、議会制民主主義を前提に議論が展開してまいっているわけです。現に、現行国家行政組織法制定当時におきまして、政府の提案では、旧時代の理解を前提に、組織政令事項を前提とする法律案の提案があったわけですけれども国会の中で審議されて結局修正されていまのようになっているわけです。もっとも、昭和四十四年に同法の十九条がなくなりまして、いわゆる総定員法ができます。したがって、現行の行政機関の職員の定員に関する法律二条では、府、省の定員を政令事項としております。このときにもすでにかなり批判があったようです。  このような現行憲法及び現行国家行政組織法に照らしてみますと、わが国におきましては、もう長年、行政組織法律主義あるいは行政組織法定主義というものが存在しているように思います。これは結局、行政府の組織における専権、専断を排して、国民による、あるいはそれを代表する国会による行政組織の民主的統制と公開を目指したものと言ってよいと思います。  同時に、他方で現実の国民生活は、行政のありように大きく影響を受けます。したがいまして、単に権力的にあるいは拘束的に国民の権利、自由に規制を加える組織のみでなく、もっと広く行政組織を公開し、民主的に統制するという原則が現行法上広く存在しているわけでございます。  そこで、そういう憲法規範的な民主的統制の理論と並んで今日問題になるのは、何と申しましても、国民要求に応ずる行政組織の改編または改廃でございます。  第一次臨調以来、今次臨調でもそうですけれども、盛んに行政組織の機動性、弾力性あるいは効率性ということが言われております。こういう組織の機動性、弾力性または効率性といったこと自体、抽象的、一般的には何人もこれに対して肯定すると思います。しかし問題は、国民の要求あるいはそれに対応する行政需要がどのように展開し、つまりその内容においてどういうものであるのか、あるいはどういうふうな方法でそういう要求に対応するのかという場合に、それに対処する最終的な責任はやはり国会にあるのだというのが、国会中心主義の現行憲法のもとでの精神であろうかと存じます。  つまり、行政需要行政機関があれこれ考え、それに応じて機動的にあるいは弾力的に組織を変えるというのは、一つの技術としては一般的に肯定できますけれども、そういう組織の改編に対して、なぜそれが必要であるのか、あるいはだれが一体最終的にその判断を加えるのかといった問題これはやはり国権の最高機関である国会が行うべきであるというふうにも思えるわけです。  国会が判断を加えるということになりますと、非常に機動性を欠く、弾力性を欠くというお話もございましょうけれども国会は毎年開かれているのでして、それほどのことはなくて、一般に国民の合意を得るような組織改編ならば、国会もこれに対して反対するはずがないと思えるわけです。こういう意味で、国会中心主義は、国民要求に応ずる行政組織の改編といった面でもやはり貫徹するように存じます。  もし、そういう国会の権威に基づく判断あるいは改編における究極的な責任という問題がなければ、つまり民主主義の問題を除外すれば、行政組織における次にお話しします今回の改正法律案は一種の全権授権法になりかねない。つまり、戦前の日本とかドイツにあったような一種の全権授権、組織に関する全権授権法になりかねないというふうに思うわけです。  以上、一般的なお話を前提にいたしまして、若干具体的に問題を説明したいと存じます。  今回の国家行政組織法の改正法律案で一番気になりますのは、やはり行政組織の技術的性格を強調するが余り、その政治的なあるいは民主的な性格を形骸化しようとするようなものであるような気がします。  若干具体的に申しますと、御案内のように、今度は現行法の官房、局、部等の法律事項政令事項へ改編したいということでございます。これもいま申しました原則からすれば、なぜそうなのか、それほど官房、局、部等を行政府が国会の審議を待たないで自由に改編することが今日必要であるのかどうか。つまり、国会の民主的統制を排除してまでそれを政令事項にするどういう理由があるのか。一般には説得的には説明されておりません。抽象的な機動性、弾力性のみが説明されております。  第二に、審議会等施設等機関、特別の機関について若干新しい規定が入っておりますが、会等につきまして、私はこれは必ずしも批判的ではありませんで、現在でもいわゆる私的諮問機関と称するものがございます。これは実は私的でも何でもないのでして、私はよく言うのですけれども法律外的な機関ではあるのですが、公の費用、国費を使って行われているのが大部分でございます。それをマスコミ等が私的諮問機関と称するのは、私に言わせれば全く意味がわからないのですけれども、そういう多くの学者が指摘するような、現行国家行政組織法に照らしてみれば脱法行為的な諮問機関、審議会的性質のものがたくさんありますので、そういうものを整理し、そういうものについてはより——それは必要であるのでしょうから、その場合には、そういうものについて一部のものは法律事項から政令事項にするという点は、これは肯定できないではない。  それから、施設等の機関、これもいろんなものがありまして、改正法律案では法律または政令によって定めることになっておりますが、しかし、これも国民のたとえば教育を受ける権利、国民の施設の利用権、平等な公正な利用権を保障することが必要のような施設については、これは法律事項でなければいけないし、現に地方自治法でも、地方公共団体の施設については条例事項となっております。したがって、この改正法律案の中の法律または政令によるという文教施設等、どういう施設等の機関が政令事項になるのか、あるいは法律事項になるのかという基準が、私がいただいたところの参考資料には入っておりません。その基準をぜひ明確にしていただきたい。その上で、いまお話し申し上げましたような国民の権利、利用の平等といったようなことにかかわる施設については、やはりこれは法律事項とすべきであろうということが一般に言われているところです。  特別機関法律事項、これはもう当然のことでして、別に異論はございません。  それから三番目に、具体的には次長等の職の法律事項から政令事項への転換が挙がっております。これも私は、次長等、特に政令事項にしなければいけない理由が具体的に示されていないので、必ずしも十分に理解できません。  あるいは四つ目に、行政組織の一覧表を毎年官報に公示する、これは新聞等の報道では一部修正の余地があるそうですけれども、これはあたりまえのことでして、前の方の話がおさまれば、当然これは出てきますし、さらにまた、一部修正案に示すような意見もあり得ると思います。  官房、局の総数の限度、これもどういうところからこんな百二十八という数が出てきたのか、かなり現行の行政組織を前提にして、それに対する何らかの基準をもっての縮減なりといった措置を講ずるための理論が必ずしも示されていない点で、十分に説得的ではないような気がします。  以上、国家行政組織法の改正法律案でございましたけれども、さらに若干つけ加えますと、国家行政組織法に関連する法律整理法案がございますが、大体いまの法律関係するものですからほとんど問題ないのですけれども地方支分部局の、これは現行法では法律事項ですが、そのうち、ブロック単位機関を政令事項にする、これも同じような理由で十分に理解されるような説明が行われておりません。  あるいは、総務庁設置法案につきましても、人事、組織管理機能行政監察機能、あるいは行政相談機能等総合的に運用するという説明が行われていますけれども組織総合調整機能の必要性は、これは肯定できます。しかし、たとえば人事、組織管理機能行政監察機能行政相談機能と必ずしも同レベルで総合できる性質のものではございませんで、行政監察機能というのは、むしろ最近オンブズマン等で問題になっているような性質を持つ面が強いのでして、それを論理的に同じレベルで扱うようなかっこうになっている総務庁設置法案は、やはり必ずしも説得的でない。     〔委員長退席、江藤委員長代理着席〕  あるいは、総務庁設置法等の一部を改正する法律案、これは地方支分部局の三つくらいのものを事務所に改編する、これも国民要求とどういうふうに関係するのかという点の必ずしも十分な説明はありませんで、むしろ地方行政監察局などはもっともっと積極的に行動してほしいような機構でございますが、それを事務所に変える。あるいは財務部の場合でも、やはり地域住民の経済活動に援助を与える、それに助成を加えていくといったような必要があるならば、必ずしも弱める必要はない。つまり、何らかの基準をもって、こうこうこういう国民の権利、利益に関係があるがゆえに組織を改編するというような説明がやはり必要であろう。何かおざなり的な気がしてならないのです。  もう時間もございませんから、最後に、行政事務簡素合理化整理法案について申し上げますならば、二点お話ししたいのですが、一点は、だれもが指摘しますように、地方自治の観点がきわめて弱いと存じます。  機関委任事務の問題につきましても、あるいは許認可事務の問題につきましても、いろいろ長年言われておる地方自治体の事務、権限強化、あるいはそこへの委譲という観点が非常に弱いような気がしてなりません。  さらに、もう一点申し上げますならば、それは、こういう数多くの分厚い説明資料をいただきましたけれども法律案を一括して審議することの問題性です。つまり、ある種の許認可事務を、たとえば許可制を届け出制にする、あるいは権限を都道府県知事にあるいは市町村長に委任する、あるいは団体委任事務にするといった場合に、それぞれの省庁のそれぞれの法律における許認可事務なら許認可事務、規制事務というものの具体的な性質、やはり国民生活との関係において何らかの基準を設けて論議すべきはずでありますけれども、そういう論議が行われたのかどうか、必ずしも十分にこれも説明されておりませんで、一括して審議されるということですから、相当の程度、委員会のメンバーは、この具体的な中身について詳しい議論をされるに違いないと大いに期待しております。  以上です。(拍手)
  72. 江藤隆美

    ○江藤委員長代理 ありがとうございました。  次に、浅野公述人にお願いいたします。
  73. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 私は、民間の労働組合のリーダーであります。そういう立場に立ってこの行革法案に対する意見を述べてみたいというふうに思っておりますが、この行革法案意見を述べる機会を与えていただいたことに対しまして敬意を表したいと思います。  今国会行革国会というふうに銘を打っていますが、いま審議中の行革法案は、抜本的な行政改革とは言えない、そういう感じがいたしておるわけであります。  私は、前に、臨調及び行革審に対して私たち意見を述べてまいりました。臨調答申は、切り込みが不足でベストとは言えないが、一応ベターとしてわれわれは評価をいたしております。要は政府並びに立法府の決断による実行であると私は述べてまいりました。  さらに、行革審に対しましては、三条機関に限りなく近い八条機関である、こういう見解を持っておりますので、ゆえに行革断行については政府もそのつもりで実行してもらいたい、かように考えておる次第であります。  行政改革国民の声であり、天の声でもある、謙虚に耳を傾けて勇気を持って実行をお願いしたい。いま断行せざれば悔いを千古に残すことになるであろう、そのように思います。国民は、政府の良識と国会の権威に期待をし、臨調答申に対し私たちはもろ手を挙げて協力する姿勢を持っております。  さて、今回の国会に提出をされました法案について、少し意見を述べてみたいと思います。  国家行政組織法の改正の点でございますが、行政組織整理縮小を進めるため省庁局の設置数は上限を百二十八、つまり現行どおりになっておるのでございますが、当然これは見直しを行い、縮小するとの条文を明記すべきではないか。上限だけあって、削減するというところが明確になっておらないというところにわれわれの不満があるわけであります。なお、部、課、附属機関についても見直しを行い、改編、縮小を義務づけるべきであろう、このように思うわけであります。  私たちは、公務員を減らしてサービスのよい効率のよい小さな政府を望んでおることを明確にしておきたいと思うのであります。それが臨調答申の精神であろう。臨調答申の切り込み不足分をもさらに突っ込んで合理化してもらいたい。加えて、縮小の目標に対しましては、どれだけ予算縮小するのか、人員がいつどれだけ減少するのかという点についても明確にすべきであろうというふうに考えておる次第であります。  総務庁設置法案については、その意図する方向については理解できますが、統合の精神である局、部の縮小、人員の削減、予算の削減等については明記されておらない。そういう意味合いにおきまして、再編だけではなく、目的を達成するための手段が必要かと考えられます。  なお、中央省庁の統廃合、予算、人員の削減、このような措置を中央の省庁についても明確にすべきであろう、このように思うのであります。  今回、国土庁の廃止については何ら述べられておらないわけでありますが、当然統廃合の対象として取り上げてもらい、その方針を明確にすべきであろう、このように考えておるわけであります。  さらに、この際申し上げたいことは、行革と並行して、われわれ働く者の仲間としましては、ぜひ減税の問題を取り上げてもらいたい。一兆円の所得税の減税、四千億の地方税の減税、こういうものをぜひこの国会で成立をさせてもらいたいというふうに考えております。財源等についていろいろな議論がございますが、私は、新聞報道でありますから正確なことは申し上げられませんけれども、申告所得の不正、申告漏れ、そういうものが今回の調査で一兆円を超えて、その追徴税額が三千億、こういうことになっておるわけであります。これは一部の調査でありますが、それを拡大することによって三千億プラスアルファの金額が出るものと考えられておるわけであります。一般のサラリーマンは月給から税金を差し引かれておるわけでありまして、一点も隠すことができないわけであります。非常に大きな怒りになっておるのも実態でございます。トーゴーサンとかクロヨンとかクシピンとかと言われている。それぞれの立場によって納税する捕捉率がきわめて不公平である。こういうことに対しましても、ぜひ訂正、改定をお願いをしたいと思うのであります。  さらに、地方公務員関係が特に最近目立つわけでありますが、地方公務員の定員の問題、給与の問題、こういうものは民間準拠という形になっておるわけでありますが、その実態はどうか。われわれ肌で感じるだけでも民間と大きな開きがある。新聞報道によりますと、非常に高額の賃金をもらっておる。四千万と言われるような退職金ももらっておる。給与もわたりというものが存在しておる。法律にない諸手当が支給されておる。さらに最近私が調べたところによりますと、関西の地方都市におきまして共済会から別に一千万円程度の一時金が支給されている。それは本人が四割ないし六割、市側が四割ないし六割というふうなことを出しまして、正規の退職金以外に一時金の一千万円が加算されている。ですから、名目だけ調べてもこれは問題がある。そういうことを十分に理解をしていただきまして、自治省は特に地方に対しましての強力な指導監督をお願いをしたい。  さらに私は、今回の行政改革について、もとへ戻りますが、やはり隗から改めよという点からいきまして、衆議院、参議院、それらの定数の問題そういう点についても十分賢明なる皆さんの御判断を仰ぎたいというふうに考えておるわけであります。  全体的な実施に当たりまして、政府はいつ、どのような法案を議会に提出するかを国民に明示すべきであろうと思います。相撲の星取り表ではございませんが、進行状況について一目してわかるように国民に明示してもらいたい。その法律が通ることによりいかに合理化されていくのか、予算、人員、効果を示すべきであろうというふうに考えておる次第であります。  そのような問題を私たちは取り上げてきたわけでありますが、特に議会で議論になっておると言われる政令事項法律事項の問題につきましては、国民はそれが政令事項でもいいじゃないかというのが大勢を占めておる。法律事項でやるということは、法律事項でなければ国会の、議院の権限縮小される、このような見解を述べられておるように聞いておりますが、国民側から見れば、行政府は行政府、立法府は立法府としての責任に立って行うことが必要であり、政府の諸機関はそれなりに新しい時代に対応するような柔軟性を持って対応することが好ましいのではないか。一般企業におきましては、そういうことは一年もかからない間に実施できる。国会審議等を通じてやるのが非常に長期間かかりますので、そういう面におきましては短期日に対応できるような体制が必要であろうというふうに考えられるわけであります。決して議院の権限縮小せよという立場ではございませんが、十分御配慮を賜りたいというふうに考えておるわけであります。  それから、いろいろの法案を見るときに、五十九年から五年間に一〇%とか一二%削減するというふうな文章がございましたが、一般の企業におきまして五年間も放置するならば、直ちにその企業は倒産に追い込まれる。少なくとも緊急に対応するのは三月とか半年とかあるいは一年とか、こういう短い期間にそれに対応するような体制をとらないと、民間企業はつぶれる。五年に何%というふうな計画は民間では立てられない。そういう実態は、国会におられる皆さん、政府の皆さんと民間との大きな食い違いが出てきておるのではないかというふうにわれわれは判断をいたす次第であります。  それから、最後になりますが、一点だけ申し上げておきますが、臨調の精神を守っていただきたいということにやや反するようなことが一例ございました。米価の値上げの問題であります。米価を値上げするということは、いままでの考えからいってわれわれとしてはどうしても承認しがたいものであったにもかかわらず、米価の値上げがさせられた。臨調は少なくともそういうことは言っておらなかった。そういう点につきまして十分に考えてもらいたいとわれわれは考えておる次第であります。  以上をもちまして、私の意見を終わらせていただきます。(拍手)
  74. 江藤隆美

    ○江藤委員長代理 ありがとうございました。     ─────────────
  75. 江藤隆美

    ○江藤委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。後藤茂君。
  76. 後藤茂

    ○後藤委員 公述人の皆さん方には、私どもの審議を進める上において大変貴重な御意見を聞かせていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。  大変限られた時間での公述でございますから、いまお述べになられた点でなお言い足りない問題がたくさんあろうかと思いますし、また私どもも、これまた御質問申し上げる時間が非常に限られておりますので、十分に意を尽くさないと思いますけれども、ひとつ私どもの疑問なりあるいはお尋ねに対して的確にお答えをいただきたいと思います。  最初に、千田公述人にお伺いをしたいと思います。  今度の行政改革に対しまして、二つの視点、つまりタックスペイヤーの立場からとガバナーの立場からということで、主として納税者の立場からこの行政改革を考えていく場合に、今回行革特別委員会に出された法律というものは早急に実現をしてもらいたい、こういう趣旨の御意見最初に述べられました。  この土光臨調、第二次臨時行政調査会が発足をいたしまして、そして今日まで五次にわたる答申がなされたわけであります。その一つ一つを見ておりまして、理念なき行革というような言葉もささやかれておりますけれども、どうも行政改革という、つまりこれは常に声を高くして行政改革していかなければならぬ、ほっておくと肥大化していきますし、行政のむだなりが出てくる、あるいは効率ある行政というものができなくなってくる、だから常に見直していかなければならぬわけでありますけれども、その行政改革という趣旨、しかも当初は「増税なき財政再建」というものとうらはらの関係で出された行政改革というのと、国会に具体的にその答申を受け、出てまいりました行政改革というものには大変乖離があるというように私どもは判断をしているわけであります。  もちろん、行政改革は進めていかなければならぬということで、私は社会党でございますけれども、土光さんとも何回か意見の交換をいたしました。やはり平和、そして福祉を大切にし、分権を大切にしていく行政改革という理念を持った行政改革が進めていかれなければならないのではないか。それに対して、第二臨調の数次にわたる答申を一つ一つフォローしていってみますと、そうした福祉なり平和なりあるいは分権、これはまた後で各公述人にもお伺いをしたいと思いますけれども、どうもこれが、言葉としては述べられてはいるわけでありますけれども、具体的な指摘がないのではないか。こういうところに、行政改革は進めていかなければならない、しかし、出されてきている法案に対しましてはもっと厳しくその背景というものを指摘をし、そして本当に国民が望む、つまり納税者の立場から考える行政改革になっているのかどうか、本当にむだがなくなり効率ある行政になっていくのかということを、この委員会におきましてもずっと議論をしてきているわけであります。  きょうは午前中の公述人、三人の方がおられました。午後は御三人の方がいらっしゃる。それぞれ若干のニュアンスの違いが出ている。議論をいたしておりましても、与党、野党との間におきましても、また野党の中におきましても、意見が若干違っていくものがあるわけです。本当に国民が望む、納税者が望む行政改革にその第一段階、公述人は第一段階として評価できると言っておられますけれども、この第一段階の行政改革に、共済年金の方は大蔵委員会にかかっておりますけれども、ここにかかっているものがなされているのだろうか。最初は総括的な御意見でございましたので、それぞれの法案の中身についての千田公述人の御批判なり御意見なりというものが聞けなかったので、最初にその点をお伺いをしたいと思います。
  77. 千田恒

    ○千田公述人 われわれの視点といいますのは、やはり現実の動きといいますか、行政改革の問題をめぐる現実の動向というものにウエートを置いて物を考えなければならないだろうと思うのです。私が申し上げました意見一つは、行政改革というのはいわば自己改革としてガバナーの側に立たれる方々に求められておる。果たして自己改革と言うにふさわしい改革がこれまで行われてきたのかどうか。若干そこに疑問がある。  第二次臨時行政調査会国会で御決定になった法律に基づいてできた機関でございますね。たとえば第二次臨調でもいろいろな学識経験者の方の御意見をお聞きをしております。その席で、本来政治が考えるべきものを、国会内閣臨調をおつくりになって、ここで考えてくれというお話になった、考えてくれと言われたわれわれは、今度は学識経験者の方をお招きをしてその御意見をお聞きをする、大変恐縮であるというやりとりがあったのを記憶しております。  どうも本来の課題国民的な課題と申しておりますけれども、解決をすべき課題について決定機能と申しますか、それを果たす機関が十分に機能していたのかどうか、その辺、われわれとしてはやや疑念を持っているわけです。臨調が設けられたのも、実はそういうことがあったのかな。とすると、ある意味では代表民主制と申しますか、それが十分に機能しているのか、それともちょっとおかしいのではないかということになりかねないわけですけれども、最近の自治体行革をめぐる動きを見ておりますと、いわば非常に端的な問題からいろいろ出ておりますね。素朴な疑問からスタートしておるわけです。しかし、四千万円退職金の問題も、ずっと動きを見ておりますと、いわば公共労働のあり方そのものまで議論が市民のレベル、住民のレベルで深まっていく、そういう傾向があります。これは本来自己改革のテーマではなかったのかというふうに私は考えるわけです。住民の側から指摘をされて、それであわてふためいてその改革を考えるというのは、これは順序が逆ではないのか、まずそこの問題があろうかと思うわけです。  臨調についての評価の問題が一つございますけれども、現在の行革をめぐる動きというのは、いわば議会なり、地方であれば地方議会、国会なりあるいはガバナーの立場に立つ人たちが、この辺で負託されていますその責任を果たしていただきたい、そういう意味で、せめて第一段階、これは行政組織法で一般の人々には非常にわかりにくいと思います。しかし、これはどういうことになっても手をつけざるを得ないスタートの法律改正であるとすれば、早期に決着をつけていただきたい、それで国会としての責務を果たしていただきたいというのが私の申し上げたかった意見でございます。  行革がそもそも問題になったのは、やはり財政の問題が引き金であるのはだれもが指摘していることですね。私は新聞記者でございますから、できるだけ読者にわかりやすい言い方で説明をする癖があります。たとえば、五十八年度の予算は一般会計は五十兆三千七百九十六億円ですけれども、これは非常にわかりにくいんです。国民の目、から見ますと何のことかわかりません。兆というのはわれわれと関係のないスケールなんですね。国民一人当たりで見た場合に一体どのくらいの規模なんだろう。一億一千八百万人で見れば大体四十三万円くらいのものだろうと思います。四十三万円と申しますと、中堅サラリーマンの一カ月の家計規模に相当するものですね。そうすると、サーラリーマンであれば月給なんですが、月給に相当する税収というのは一体どのくらいか。税外収入も加えて計算し直してみると、三十万円を超す、三十一万円ぐらいのものじゃないかと思うんです。  歳出と歳入のギャップというのがあって、歳入に合わせた歳出の計画が立っていなくて、借金の体質になっている。一体それはどの辺で解決ができるのかということを聞いてみても、当分解決しそうにない。一体それではどうしたらいいのかということになるわけですね。その中で、当然切り詰めるべきものを考えなければならないということになると思います。だから、福祉とか分権を大切にしてということは、これは確かにそのとおりでございます。しかし、現実に作業を始めてみた場合に、これはいまのたとえば家庭の問題として考えてみても、一体どこで切り詰めるのかということをやはり見直しの作業としてやらざるを得ないであろう。これはもう、そうなると全体について見直すことになろうかなと思います。  土光臨調の答申が出された後、実行段階に入って、自治体でいろいろな動きが出ているのを見ておりますと、そういったいま御意見がありました議論に入る前に、もう少し行革というのを、一体われわれは何をしたらいいのかという国民の問いといいますか、そういうものがございます。そこが出発点になります。国会はそれに答えていただきたいと思うわけですね。したがって、今回出ている法律案というのは、いま御意見がありました問題点と直接絡み合う問題点ではなかろう。まず実行段階の行革をレールの上に乗せるのは、私の方から申せば国会お願いをしたい。もしそれがだめになると、私は非常に大きな反動が起こると思います。失望といいますか、挫折感といいますか、行革をやらなければならないと、いま国民の大多数がそういう関心で見ている行政改革というものをつぶすというのは、ある意味では反動というものを起こすであろうと思うわけですね。むしろ私はそちらの方を心配いたしております。そういう意味できょうの私の意見を申し上げました。
  78. 後藤茂

    ○後藤委員 きょうは御意見を聞かしていただくわけでございますので、参考人と意見のやりとりの時間を持つということは大変失礼だと思いますので、次に進んでいきたいと思うのです。  浅野公述人にお伺いをしたいのですけれども、私もこの委員会で「一九八〇年代経済社会の展望と指針」ということを実は取り上げて、総理やあるいは大蔵大臣、経済企画庁長官等にも御質問申し上げたのです。  その要旨というのは、今度の「展望と指針」というものには、全く数字がなくなっちゃったわけです。労働組合では大変関心の深い雇用は一体どうなるのかということについては、失業率二%というのが出ているだけ。成長率四%あるいは物価上昇三%、卸売物価の上昇一%、こういうことなどだけが出ているわけで、あとは全くないのです。なぜそういうことがないんだ。この「展望と指針」というのは、行政改革なりあるいは本委員会で論議をしておる法律と全く別のものではないというとらえ方をしている。先ほど所得税で一兆円の減税、地方税四千億、一兆四千億ぐらいの減税は直ちにすべきだ、こう言う。ところが、臨調の最終答申におきましても、「「増税なき財政再建」の基本方針を引き続き堅持し、制度・組織改革に踏み込み、政策の根本的見直しを行うような改革推進し」云々ということが出ているわけなんです。それを受けながら八〇年代の「展望と指針」を出している。政府の新行革大綱には「増税なき財政再建」という言葉がなくなってしまっている。議論をしておりましてこの辺がだんだんあやふやになってきているわけです。そうすると、これまでの経済計画というのは、目標における数値というもの、たとえば国民の負担は幾らぐらいになるのだ、あるいは失業率等はどうなっていくのだ、その積算の基礎はこういうことなんだということが参考資料として出されておる。これすらないわけなんです。  そういたしますと、確かに浅野公述人がおっしゃったような点が特に勤労者の大きな要望であるにしても、一体行政改革でどういう財政の効率的運営なり行政のむだをなくしていくか、あるいは、後でもう一つまたお伺いしますし、またこのときに一緒に答えていただいて結構でございますけれども、公共的サービスあるいは国の行政責任、国が持つべきサービスの範囲、一体それがどうなるのだろう。なるほど小さい政府になっていったら結構だ。国際的に見て、私は日本の政府というものは決して大きな政府だとは思いませんけれども、それは一応別といたしまして、小さくなればなっていいということではない部門が、これからの高齢化社会なりあるいは福祉国家をつくり上げていこうとする場合に、いわゆる公的責任というものがどうなっていくのだろうか、この辺が荒っぽく通り過ぎられて、ただ、行政改革は天の声である、だからそれに若干の批判をする者は、これはいまのどうにもならない断頭台に立たされてしまっておる国の財政行政を誤る方向に持っていくんだということで荒っぽくいかれてしまいますと、ちょっと実のある議論にはならないのではないかという気がいたしますので、最近の政府の、土光臨調ができてから今日まで、あるいは今度の委員会における答弁の変化を見てもそうですけれども、こうした「増税なき財政再建」、あるいは減税、あるいは国民社会保険と租税負担を含んだ負担等がどうなるかということの方にむしろ国民は大きな関心を持っている。ですから、今度の法律についてももちろん関心があるかわかりませんけれども、これからどういう負担になるだろうか、どうなっていくのだろうかということの方を政府は明確にしていきながら、それとの関連において今度の行革法案が出されているんだ、この脈絡がどうもはっきりしないのです。  その点、浅野公述人はどういうようにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。
  79. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 ただいまの先生の御意見に対して、大部分私も賛同するところが多うございます。特にわれわれ勤労階級、働く者にとっては、今後世の中がどのように変化していくのか、こういうことに対して大きな注目をいたしております。  私はやはり、日本の将来は、勤労国民として福祉社会を望むということについては全く同感であります。問題は、福祉のばらまきになっていないかどうかということはやはりチェックする必要があるのじゃないか、そういう感じがいたしてなりません。  その一例を申し上げますと、たとえば保護家庭とかということを考えますと、組の何々の人がそういうことに対して政府のお金をいただいておるというふうな事実もあるわけでありますから、そういうところを厳しくして、本当に福祉の対象になるような人に対してそういうものを行うべきだという私は考え方でありますから、その点のチェックも必要かというふうに考えております。  それから、「増税なき財政再建」というのはわれわれが最も望むところでございますが、この「増税なき財政再建」というものは、民間の企業におきましては、どんどん人を減らします。減らすというのは首を切るということではございません。いわゆるやめた場合の補足をやらない、そういうことで、機械化とともにやっていくということでありますから、全体的に予算縮小して、そして効率ある仕事をさしていく、こういうわけであります。そのためには人員の異動、これは当然であります。配置転換、職種転換、そういうものもどんどんやって、いま企業に何が必要かというところへ人員を配置していく、これが企業の実態であります。政府においても、行政府においてもしかりです。いまの行政が、全体が全部必要だとは考えておらない。そういう面で、要らなくなったところはどんどん削除して、必要なところへその人を回す、こういうことがやはり行政としては当然必要なことになってくるのではなかろうかというふうに考えておるわけであります。  それから、社会保障の負担の問題、税金ともあわせてでございますが、われわれもこれ以上税金を高くすることには反対であります。しかしながら、社会保障の問題につきまして、やはり受益者負担という気持ちもある程度持たないと、これは全体の財政上うまくいかないのではないか。その限度については何%がよろしいか。たとえば租税負担であれば二一%以上上げてもらっては困るという考え方はそのとおりでありますが、社会福祉を含めて、たとえば三〇がいいのか四〇がいいのかということは十分皆さんに議論をしていただいて、痛みを分かち合う程度の国民気持ちはある程度理解されるのではないか、こういう考え方に立っておるわけであります。  そういう点につきまして、私はこの経済の「展望と指針」というものを読ましていただきましたけれども、全く従来にない型破りのやり方でありまして、国民はあれを信頼しているという立場にはなかなかなりにくい。もう少し明確に国のビジョンというものを国民に示してもらいたかったという感じを抱いておる次第であります。
  80. 後藤茂

    ○後藤委員 つまり、国の公共的サービスというものが一体どうあるべきか、先ほども、短絡的にとらえて恐縮ですけれども、浅野公述人のお話を聞いておりますと、どうも際限なく公共的なサービスの分野に切り込みがなされていくのではないかという心配をしたものですから、これは後でまた結構でございますが、お伺いをしたいと思います。  室井公述人にお伺いをしたいのですが、どうも中曽根内閣——行管庁長官になられ、さらに総理になられての発言なり国会における答弁を聞いておりますと、やはり古典的な中央集権的性格が大変強い考え方になっているんじゃないか、私はそういうように受け取るわけであります。先ほどの公述人のお話におきましても若干それに似たようなお話があったかと思うのですけれども法律時報等で「行政改革と法」研究会というものを室井さん等も主宰して検討されておられ、大変興味深く私も読ませていただいているわけですが、この中におきましても、「八〇年代以降のいわゆる総合安保体制ないし構想に向けたわが国の人的・物的資源の重点的・効率的再編成を果たさんとするための一手段として」行政改革というものが位置づけられているのではないだろうか、こういう御指摘があり、それぞれ研究者の指摘もそういうところにある。そして、いわゆる中央政府地方政府というものに対して一体どういう考え方を持っているのか。もう一つの研究会ができておりますが、新々中央集権と自治体の選択という政府関係研究集団も行政学者の集まりであるようであります。アプローチの仕方は両方違っているようですが、やはり新しい中央集権というものが地方の時代に逆行して出始めてきているのではないか、いわゆるシャウプ勧告から十七次にわたります地方制度調査会等の貴重な答申、こういうものがすべて御破算になって、中央権力がより強化される行政改革の名のもとにおける行政権機構がつくられ始めてきているのではないか、こういう気がいたします。  先ほどの御説明では十分に意を尽くしてなかったのではないかと思いますので、この点をお聞かせをいただきたい。
  81. 室井力

    ○室井公述人 いまの先生のお話は地方自治の問題にかかわると存じます。  私たちはずっと地方自治の問題を追ってまいりましたけれども、たとえば標準行政という一つの手法でございます。これはつまり、地方自治体の参加とか国民、住民参加とかなしに、国が一方的に決めた基準を標準行政を称しまして、それに見合うような行政をしろということなんですね。なるほど臨調答申の中にもあちらこちら地方自治の本旨とか地方自治体の自律性といった言葉はあるのですけれども、結局は、中央の基準あるいは標準行政に合うように自主的に努力せいというような答申になっていると思います。地方の時代が大平さんのころからずっと政府でも叫ばれておりますけれども、やはり戦後、従来のような戦前から一貫して残ってきた中央集権的な行政方式ではやっていけないという時代に入ったので、地方の時代が喧伝され、それを逆に利用して、むしろ私によれば流線型の中央集権、新しい中央集権方式であるような気がします。  自治体の職員の給与問題にしましてもあるいは定員問題にしましてもあるいは機構問題にしましても、地方自治というものが憲法で存在しているのに、それが行政指導という名を使ったり、財政的な間接強制を使ったりしまして、どんどん抑えられているというふうに見ますと、どうも地方自治だけでなくて、私は、行政改革を考える場合に、やはりいろいろな世界観、行政観あるでしょうけれども、国の最高法規である憲法を基準に考えていこうと思っております。そうしますと、地方自治の問題、九十二条以下の問題をどういうふうにあれこれの答申なりあるいは答申を推進する関係者は考えているのか、全く理解に苦しむわけでございます。  そしてまた、ついでですけれども、その他の問題も同じです。どうも一見あれこれの抽象的な文言においては国民の理解を誘導するような表現をとっていますけれども、その実、どうもごまかしがあるような気がしてならないのです。先生のおっしゃいました点について申し上げますならば、今度の行政改革というのは、国民行政改革を大いに期待しておりますけれども、やはりそういう期待を実は結果的に裏切ることになりはしないかという懸念がいたします。そういう意味で、地方自治の問題のみならず、福祉の問題にしましても平和の問題にしましても、憲法的基準から申しますと相当乖離がある、あるいはそれと逆行している方向での行政改革である。  この機会に若干つけ加えたいのは、私は、きょう実は行政改革一般論について実は余りお話ししませんで、もっぱら本委員会にかかっている法律案について説明、コメントしたわけですけれども、その中で、いまの先生のお話に若干関係いたしますのは、ある組織政令事項にするということは、二つの意味があるわけです。常に簡素化あるいは縮減のみではなくて、一定の組織をふやしたり強化したりすることもできるわけなんでして、それを、何か政令事項化すれば機動的、弾力的に簡素化、縮減化の方向でしかその事柄が動かないように誤解される向きがありますけれども、それはとんでもないのでございまして、つまり、先ほど冒頭に先生のおっしゃいましたような、国の政策を実現するための組織でございますので、組織行政活動は密接な関係がございます。そうしますと、政令事項にすると、行政府が行政府の判断で、自己の判断に基づいて、国会での個別的なあるいは総合的な審議は待たないで、あれこれの施策を進めるための組織を、ある場合に拡大したり、ある場合には、ある政策を忌避するために組織を縮減したりするという二つの方向をとり得るわけでして、それが私たち法律家から見ますと大変困ったものである、憲法から見ればちょっとやはり問題があるだろうということを申し上げたかったわけです。  どうも失礼いたしました。
  82. 後藤茂

    ○後藤委員 いまもちょっと御指摘になりましたけれども、確かに行政機構の問題は、最近の急激な国民のニーズの変化なりあるいは高齢化社会なり、これからの福祉社会を実現していく上においても行政というものは見直さなければならない、そのために機構は常に論議をされ、そしてそれに合うような行政機構にしていかなければならぬことは確かであります。いろいろなことをやりたいが、国会の議を経なければならないので、それが大変だから政令事項にゆだねていくということになってしまいますと、時の政治権力の恣意的な方向にどこまでも拡大解釈をされる、歯どめがなくなる。単に機構が膨張するということじゃなしに、行政機構というものが時の権力の恣意的判断のままに任されるということは一体どうだろう。民主主義は時間がかかるということを言っておりますけれども、そこのところが、今度出されてきている法律を見ましても、もう一つ十分に解明されていないわけであります。  たとえば今度の総務庁の問題にいたしましてもそうなんです。  千田公述人にお伺いをしたいのでありますけれども、これはいろいろなマスコミ等も、一体どうなんだろうか、なるほど人事だとか定員だとか組織管理とかあるいは統計とか、こういうものを統合していくとかあるいは効率的にしていく、それはわかるが、今度の行管とそれから総理府との、ただ余り説明もなしの一本化をしていって、なるほど大臣が一人浮くと言っていましても、これは減るわけじゃないわけですね。これは今度別に使っていくわけですから、財政的な面において助かるということでは全くありません。今度の場合も、ただそれを一緒にしていって、いろいろな抵抗もあったでしょう、しかし、そこにきちっとした理念がないために踏み込みがない。  第一臨調でもそうでありました。この行政機構の総合的な運営、それから企画の総合性、それから財政による総合的な配分ということに対しても、第一臨調も提起をしておりました。今度の第二臨調もまたそれを提起しようとしておりますけれども、結局それがうやむやになってしまっているということになると、今度の総務庁というのは一体どうなんだ。与党内においてもいろいろな議論がいまだにあるわけです。  そうすると、千田公述人がおっしゃった理念を進めていくためにはもう少し議論をさしてみたらどうだ。議論をさしてみると、たとえば官僚の組織温存のための意見も出るでしょう、あるいは非常に理想的な意見も出るでしょう、そういうところをもっと国会の中においても議論をさしていきながら、いまの総合的な管理運営をどういうようにしていくかということ、そのための機構は一体どうあるべきかというものが出てくれば、先ほど浅野公述人が御心配になっているように、どうも国会へ出したらまた反対だ、賛成だと言って結局成立しないんじゃないかということにはならぬと思う。いままでの国会も、やはりこれは当然だというものについては、議論は深めておりましても、その方向に成立をさしてきているわけですから、この点は、冒頭に千田公述人の方からの、どうもこれは本来国会がやるべきだという御指摘の点をさらに踏まえてやっていくことにやぶさかではない。  ただ、いままでの考えと、それから、出されてきておる法律案というものに、私、先ほど申し上げましたように、大変な乖離がありはしないかということのために、こうして公述人の皆さん方にも時間を割いて来ていただき、それぞれ御意見を聞かせていただいて、それぞれニュアンスの違いが出てきているというのは、どうもやはり小首をかしげる面があるということをみんなが心配しているからだと思うのですが、千田公述人、いかがでございましょうか。
  83. 千田恒

    ○千田公述人 総務庁の問題については、これはもともと臨調のいわば総合管理庁の構想の延長線に乗っているものだと思います。ただ、臨調答申で出てきたものと若干違うではないかというのは、これは新聞の上でも取り上げられております。御指摘のとおりであります。  ただ、私が理解するところでは、問題はやはりその統計局の扱いの問題であろうというふうに思います。もともと総合管理庁なりそれを言いかえた総務庁にしても、目的は、組織、定員、人事の管理の面での総合調整機能強化すべきである。これは何といいますか、その組織統合をやって人員が減らないではないかというのは、主用的ではないと私は思います。主眼は総合調整機能を強めるためであって、そこがポイントでございます。これは第二臨調の答申と比較をしてみて、やはり減点をせざるを得ない。組織の上で、統計の問題は別に臨調の考え方というものがあったわけで、その点で若干不分明になっているだろうという感じはいたします。  しかしこれは、たとえば六十点主義というのがございます。これは臨調の会長の土光さんのいわばかねてからの持論ですが、満点主義でいって時期を失するよりは、時期を失しないで六十点主義でもやる方がよろしいのではないか。その場合、タイミングがよければ、六十点主義であっても結果として八十点を取るかもしれない、満点主義を考えて時期を失すれば五十点も差し上げられないようなことになりかねない。私がきょう申し上げておりますのは、そのタイミングといいますか、時期を失しないでおやりいただきたい。  統計の問題については、これは国権の最高機関である国会が、実施後の状況をごらんになってやはりフォローアップをされるべきであると思います。大体日本では、行政については、決定をする段階まではありますけれども、後を追跡して評価をする、そして一体どう改善をするのかという、そういうプロセスが欠けているように思うわけですね。それは後々の問題であろうかなと思います。しかし、六十点主義というのは、やはり決めるべきときに決めていただきたいということを申し上げているわけです。
  84. 後藤茂

    ○後藤委員 六十点であるかどうかということの判断は、これはまあ、きょうのここでは差し控えたいと思います。  ただ、たとえば地方の支分部局の問題にいたしましても、これは局を事務所に看板すげかえではないか、しかも三機関だけでありますけれども。国と地方との財政配分なり行政配分というものがどうあるべきかということが前提になって、それから、これはやはり局ではなしに、あるいは事務所にしていくべきだ、あるいはなくしていくべきだ、あるいはこれはもう少し出先機関としては人員も財政的な裏づけも、あるいはサービス内容強化すべきだというものが出てくればいいのですけれども、これは論議をいたしましても中身が全くないわけであります。  そういたしますと、先ほど千田公述人の方は、ぜひこれは六十点として全体に早く通していくべきだ、そして、その後でまたフォローアップしていくべきではないか。もちろんフォローアップは、いかなる法律なりあるいは行政の過程におきましてもフォローアップしていかなければならぬですけれども、その出発からどうもはっきりしない。そして答弁はこれから先を見てくれということだけでは、にわかにこれは、ああ、よろしゅうございます、それじゃ白紙委任しましょう、ひとつそれじゃやってみたらどうかと言うわけに、なかなかそう簡単にいかないのですが、浅野公述人、この点はいかがでございましょうか。  先ほどの国の公共的ないわゆる行政サービスというものは、企業が市場競争の中で、市場原理の中でコストと利益を考えていきながらやるものと、非常に性格が違うと私は思っているのです。それだけに、その点と一緒にあわせて御意見を聞かしていただきたいと思います。
  85. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 先ほどの後藤先生の公共サービスの問題についてでございますが、私たちも当然公共サービスの必要性は認めております。ただ、私は中央関係については余り知らないのですが、地方の衛星都市、市役所あるいは保健所、いろんなところに参りますと、民間と比較してきわめて能率が悪い。サービスが悪い。そして時間もだらしない。朝の出勤も悪い。夕方も早く帰る。年間の総労働時間が民間に比較して非常に短い。休暇の問題でも、二十日にプラス十日間また休暇がもらえるとか、労働条件の内容がきわめて民間との格差が多い。そういうことを考えると、もう少し生産性とか効率を考えるならば、そういう余裕の人員は十分出てきて、公共サービスを低下さすことはまずないのではないか。これは民間と比較してであります。公共同士の比較は私はできませんけれども民間と比較するならば、おおむねそのような自信が私はあると思います。そういう意味合いで、特に人員をふやさなくても、やりくりの中で公共サービスというものを維持していくことができるのではないか。  また、企業と公共サービスとの問題について差があるのではないかといいますけれども、官庁には企業のような活性化が全然見られない。生き生きしておらない。仕事のやりがいとか生きがいとか、そういうものが果たして市役所などの地方公務員なり中央の公務員にあるのかどうか。こういうことにつきましては、やはり信賞必罰というものがないために、ただお日さん西々で仕事をやっておればいいのではないかというふうなムードが公務員の中に流れておるのではなかろうか、そういう問題を私たちは感じるわけであります。  これは卑近な例で申し上げますけれども、私鉄と国鉄の駅における人員を見ました場合、同じような仕事をやって人数は二倍から三倍国鉄が多い。こういうことで果たして国のお金をどこに使っておるのかというのが私たち民間に働く労働者の見解でありまして、そんなことをしておりましたら企業は競争の中に埋もれてしまう。先ほどの後藤先生の競争原理というものが果たして公共の中で生かされるのかどうかということにつきましては、私は、競争という言葉が不適当であるならば、生産性、効率を上げていただきたい、サービスを拡大していただきたい、そういうことを申し上げざるを得ないのではないか、そういうふうに感ずる次第でございます。そういう意味合いにおきまして、その点の見解を申し述べておきたいと思います。  この機会に一つだけ、私、ちょっと前回の補足をしておきたいのですが、国会行政府との審議権の問題について、議員の皆さん非常に御心配になっていると思うのです。その点は一部私は理解できます。そういう意味合いにおいて、国会調査権をお使いになり、あるいは報告義務等を附帯することによってカバーできるような方法を御選択いただければ大分緩和されるのではないか、私はこういう印象を持っております。
  86. 後藤茂

    ○後藤委員 冒頭に私も申し上げましたように、政府の新行革大綱にいたしましても、あるいは第一弾として本委員会に付託されております法律案等にいたしましても、やはりどうも財政的な裏づけといいますか、先ほどお話がございましたような効率ある行政に一体どれだけプラスになっていくのかということについて、大変大きな疑念を持っているわけです。それは、これから長い目で見ていけば、そのうちに財政のむだというものをこういう国家行政組織法の改正等によってなくされていくのだということかもわかりませんけれども、千田公述人、いま出されております法律案などで、なるほどこれから効率ある行政とそれからむだな面がなくなっていくんだということがこういうように指摘できるという点がございましたら、お聞かせをいただきたいと思います。     〔江藤委員長代理退席、津島委員長代理着席〕  それからもう一点は、補助金の問題なんですね。「補助金と政権党」、こういう本がベストセラーになっていったりしていきながら十五兆円にもふくれ上がっている補助金。しかも、恐らく長い間に行政とそれから政権与党との間の癒着というもの、それから集票マシン等に使われていってしまうのじゃないか。切り込みはなかなかむずかしかろう。しかし臨調が出てきたときには、五兆円ぐらいはカットしてみせるとか、あるいは亀井さん等は何としても三兆円ぐらいは切り込んでいく。それから浅野公述人の組合関係の方からも、この補助金の切り込みというものに非常に強い期待を持っていたと思うのですね。これが見るべきものが全くない。  そういうところにむしろ大きな切り込みがなされて、そして初めて、なるほど今度の行政改革にしても国民が期待を持っておる方向に行くのかな、痛みを分かち合うという方向に行くのかなという感覚にもなってくるのだろうと私は思うのです。この点が全くない。そして単なる看板のすげかえであってみたり、機構いじりであってみたり、あるいは政府の恣意的な権限の幅を有効に使えるように、なるべく立法府あるいは法律的枠組みから外れたいということだけが先走っていはしないかということが私どもの心配であり、指摘なんです。  この点、もう時間がございませんので、公述人お三人の方々から、私がいま御指摘申し上げた点についての御見解をそれぞれお聞かせいただきたいと思います。
  87. 千田恒

    ○千田公述人 まず第一点の問題ですけれども臨調の物の考え方ということについて私の理解している限りでは、簡素ないわば減量というものを実現してもらうために一体どうすべきか。その場合には、やはり行政の人員配置の比較をしてみなければならぬわけです。やはり附属機関なりあるいは地方出先機関に圧倒的なウエートがあるわけですね。一体それをどういうふうに合理的ないわばスリムな形にできるのか、そういった問題で議論が進められていると思います。中央省庁の体制については、そういう視点よりも、むしろ総合調整機能といいますか政策決定機能、そういったものを一体どう高めるのか、弾力的な行政の体制のあり方をどうすべきか、そこが問題だろうと思うのですね。  たとえば、アメリカの行政機構改革法ですか、非常にうらやましいと私は思います。これはもう御承知のように、大統領改革計画を議会に提出をすれば、六十日以内に両院のいずれか一つの議院が反対決議をしなければそのまま効力を発するという、政策決定と組織対応といいますか、その間のタイムラグというのが非常に少なくて済む体制のとり方になると思います。しかし、それはアメリカの話でございまして、少なくとも日本でも、やはり政策決定レベルの体制のとり方については、そういった弾力的な対応策をとるべきだろう、そういうふうにやはり一応分けて私は考えております。  ですから、いまどれだというふうにおっしゃるわけですけれども国家行政組織法の改正というのは、御指摘の人員の問題と直接には関係ないが、私は出発点であると思います。  長い間、新聞記者生活をしておりまして、国会取材はもう二十年を超えております。各省設置法が国会のゲームと言っては大変失礼な言い方になるかもしれませんが、どういう位置にあったかということは、実際に取材体験を通じて承知をしているつもりであります。政令委任にした方がよろしい、それでやってもらいたいというふうに思います。それで、その簡素化の実効がどの程度上がるのかというのは、これは国会国民から負託を受けた皆様方が厳格に見ていかれる問題ではなかろうかというふうに理解をしております。  補助金の問題は、これはある意味では難攻不落のようなところがございます。しかし、少なくとも総額を抑えるという、そういう考え方は明確に出されているはずであります。やはり行革の有効な手段として、総量規制といいますか、総枠規制のやり方しかないのかなということにもなるかもしれませんけれども、一応枠を抑えて、その中で優先度というものをやはりこれから考えるべきではないかと、私はそのように思います。
  88. 津島雄二

    ○津島委員長代理 次に、室井公述人にお願いいたしますが、質疑時間が来ておりますので、簡明にお願いを申します。
  89. 室井力

    ○室井公述人 私は、行政改革、今次のものが減量になるのかどうかという点については、やはり総枠、升が決まっておりまして、それを最大限に効率的に、人的にあるいは財政的に使いたいという一つの政策志向があると思います。具体的に申しまして、たとえば労働基準監督官の問題なんかでも、われわれの教え子が非常に張り切って任務につくわけですけれども、非常に地位が弱まってきまして、先の望みがなくなってかわっていくといったことも起きております。ここら辺はもっともっと強化すべきところもあるかと思うのですが、つまり現在、たとえば情報公開の問題でもそうですけれども、これをもし導入すれば、当然に行政は量が増量します。したがって、いま害われている行政の減量の問題は、われわれからすれば、あるいは憲法からすれば、むしろふやすべきところもあるし、減らすべきところもあるのですけれども、それが逆になっているような気がしております。  それから組織問題ですけれども現代国家は、もうすでにどこの国でもそうですけれども行政権強化あるいは優越性が問題になっていまして、そしてわが国は昔から、明治憲法以来、そういう伝統を持っている、それがさらに現代国家になってより一層強化しているという、世界にも例がないくらい行政権の強い国でございます。これは現行行政法制のすべてを通じて申し上げられます。この点をもうすでに旧憲法下で、先ほどお話ししましたように、蝋山政道教授は危険な傾向として指摘しているわけです。その意味でも、今次の政令事項への転換というのは、やはり十分に慎重に考えざるを得ないと思います。
  90. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 先ほどの後藤先生のお話の中で、補助金の問題等いろいろ出ておりますが、臨調でやられましたその裏話を私聞きますと、臨調はもっともっと突っ込みたかった、ところが、官僚あるいは諸団体、陳情に来て、なかなか切り込みが実際はできなかった、こういうふうな話を私は聞いております。それに対して、私は非常に不満を感じております。当然三K赤字と言われる国鉄、健保、米、そういうものに対してどんどん切り込みをやって、補助金等の見直しは当然やるべきじゃないか。  一番最初に私は、臨調の答申はベストではない、切り込み不足だ、しかし、ベターなものとして今時点においては進めることがいいのではないかという判断に立っておるということを申し上げましたけれども、その考え方はいまでも変わっておりませんし、なお、家庭の中にありましても、収入が決まっておりましたならば、衣服、着物とか服とかそういうものを切り詰めるとか、おやじの小遣いを切り詰めるとかして支出を少なくしていく、交際費も、一万円出したのを五千円ぐらいに下げていく、そういう生活をいまの一般庶民はやっておるわけでありますから、国家におきましても、ぜひそういうふうなところを何とか切り詰める、こういうふうなやり方が好ましい。そして、国民増税の来るようなことはないように私はお願いいたしたいし、さらに現実的には、一般サラリーマンは六年間も税の調整が行われておりませんから実質的増税になっておる、そういう感覚が非常に強いということを申し上げておきたいと思います。
  91. 後藤茂

    ○後藤委員 終わります。
  92. 津島雄二

    ○津島委員長代理 次に、草川昭三君。
  93. 草川昭三

    ○草川委員 公明党・国民会議の草川昭三でございます。三人の公述人の先生方には大変貴重な御意見を拝聴いたしまして、厚くお礼を申し上げるわけでございます。  まず千田先生にお伺いをするわけでございますが、千田先生は、早期成立を願う立場からの視点ということから、納税者の意識問題ということを強く主張をされたと伺ったわけであります。非常にわかりやすい問題提起の中で、国会機能というもの、イニシアチブというものをもっと発揮すべきではないか、同時に、定数等の問題等にも触れられたわけでございます。  私ども、実は臨調が手をつけていない聖域というのですか、二つ問題があると思っておるわけです。一つは、いわゆる防衛費の問題だと思いますし、いま一つは、国会関係の費用というのですか、国会関係の問題だと思います。国の安全と行政改革というものを同じレベルで議論するというのはいかがなものかというのはあるわけでございますが、いまの千田先生の基本的な立場から、一体臨調がなぜこの二つの問題を取り上げられなかったのか、先生なりのいろいろな幅の広い情報収集もあるわけでございますし、いまのお考えがあれば、まずその点についてお伺いをしたい、こう思うわけでございます。
  94. 千田恒

    ○千田公述人 やはり行政について御意見を申し上げる政府内閣審議会が立法府の問題に立ち入って意見を言うべきではないというのは、これは一応たてまえ、形式論としても私は正しいと思います。しかし、問題の出発点は政治の改革にあるのではないかというのは、これは臨調で作業をしたすべての方に共通した問題意識だと私は思います。その問題意識というのは、非常に遠慮がちな表現で数次にわたる答申の中で書かれていると思います。眼光紙背に徹して読んでいただきたい、そういう気持ちがあったのではないかというふうに私は理解をいたしております。
  95. 草川昭三

    ○草川委員 もう一つ、防衛費の問題について。
  96. 千田恒

    ○千田公述人 防御費の問題についてさまざまな議論があったというのは、私は聞いております。しかし、臨時行政調査会でその問題を取り上げるに当たって、大前提を確認しているはずであります。仮に安全保障の問題について議論をする場合には、現行憲法の枠内という、その憲法の枠をはみ出すような議論は避けたいというのは、これも大体臨調の作業をされた方々の合意であったというふうに理解をしております。私は、もし議論をするのであれば、そういう枠を外して議論をしなければ、本来安全保障の問題で議論は成り立たないだろうと思います。政治的な判断は、それから先の問題でございます。だから、いわば臨調の取り上げ方というのは、そういう意味では、取り上げるのか取り上げないのか余りはっきりしない態度ではないのかというふうに結果的に評価しています。
  97. 草川昭三

    ○草川委員 大変ありがとうございました。  では続きまして、室井先生にお伺いをしたいわけでございます。  室井先生のお話の中で、総務庁設置等に関連するところの御意見で、私の聞き間違いかどうかちょっとあれでございますけれども、同じレベルで総合化というものが図れないというお話がございまして、実は揚げ足を取るつもりではございませんけれども総合調整機能強化というのは非常に必要だ、私どももこう思っておるわけでございますが、先生の御意見を延長したという形になりますと、たとえば中央省庁の統廃合だとか総合調整機能強化そのものにアタックできないのではないかというようなことにつながるのではないかと思うのですが、もし私のその点についての聞き間違いがあるといけませんのでお伺いをしたい、こう思います。
  98. 室井力

    ○室井公述人 私が申し上げましたのは、一方で人事、行政機構等の総合調整機能ですね、それが今度、現在の総理府から移ることになっております。従来からの行政管理庁が持っておった行政監察機能、これもあるわけですけれども法律案説明を見ますと、その二つのものを総合的に運用すると書いてあるのですね。ところが、監察機能というのはむしろ——会計については会計検査院がございますけれども、人事とか機構改革とは若干違う調査とか検閲とかいった問題なんですね。あるいは監察機能の中には、現在では、若干違うのですけれども行政相談業務も入っております。そういうものと人事、機構とを総合的に運用するというのがわかりにくいということを申し上げたわけです。したがって、私の考えでしたら、別に組織あるいは人事の総合調整機能は要らないというのじゃないのです。あっていいと思います。そのときには、監察機能と人事、機構総合調整機能とは別な問題なんだから、それを何かあいまいな「総合的運用」という用語を使わないで、別にしてそれぞれ検討し、監察機能においてたとえばオンブズマン制度なんかの導入もありますので、そういう点も考えていただきたい。  もう一点、特に先ほどお話ししませんでしたけれどもつけ加えたいのは、人事なり機構の改編、あるいは総合調整、管理するときに、どうも職員あるいは職員団体というものの権利なり自由というものが、ほとんど今度の場合触れられていないのですね。やはりそこに働く人間、職員の、あるいは職員団体の持っている権利なり自由というものについての言及がなされるべきじゃないかと思うのです。  それともう一点さらに加えるならば、何も行政活動のみならず、組織の改編あるいは総合調整機能の中に、情報公開なり参加の問題を持ち込むべきであろう、私ならそういうふうに持ってまいります。
  99. 草川昭三

    ○草川委員 もう一点室井教授にお伺いをしたいわけでございますが、実は臨調の答申の中にも、いわゆる国と地方の徴税事務あるいは徴税調査効率化、一元化という問題があるわけであります。これは私ども地方自治の精神からどこに接点を求めるのかというのが、先生からも御意見をぜひ聞きたいところでございます。法人税だとかそれから所得の問題は、突っ込んでいきますとちょっと問題があるので避けまして、たとえばいわゆる百坪なら百坪の土地の評価ということだけ考えますと、国土庁は全国で一万六千地点の一月一日付の評価をします。それからもう一つ、相続税は、これは二つの方法がございまして、国がやるわけですね。それから三年に一回ずつ地方の固定資産税は固定資産税。これが一本でできないのかというのですが、間違うと、地方自治の、自分たち調査し、徴税したいというのとぶつかり合いということになるわけですが、その点は特に先生の御意見を賜りたいと思います。
  100. 室井力

    ○室井公述人 いま、国と地方の租税事務については学界でも議論がございまして、たとえば、地方税法というのは枠法である、あるいはあれは単なる標準法であって地方自治体を拘束しないという議論も一部にはございます。私はそこまでは申し上げませんけれども、徴税業務効率化と首つたときには、これは税務職員の方に伺えば一番いいのですけれども、私、専門家じゃございませんけれども、どうもいま実は国税庁の職員が非常に数が減っておりまして、それに対して徴税業務の量がふえているようでございます。     〔津島委員長代理退席、委員長着席〕 だからどうしても重点的に徴税業務をやる。この場合、そういう現状を踏まえて問題にするならば、徴税業務効率化というのは、一方的に、つまり国民なり住民が納得いくような徴税でなくて、中央集権的な基準を設けて、それでざあっとならすというかつこうになってくるような気がするのです。  これは私は税務署の職員の人にも聞きましたけれども、非常に大変な負担で、これ以上どうにもならない、むしろ地方自治体へたとえば財源等を移管したい、移管してもらった方がいいんだ、それで地方自治も高まりますし、同時に国の徴税業務も若干軽減されるということを言っておりましたけれども、そういう一方における事務、財源配分の問題にも絡んでまいります。そういうことをしないで、単に徴税業務効率化を問題にするならば、これはやはり非常に一方的な、中央集権的な効率化であって、国税業務を担当する職員の労働強化は目に見えていると思いますし、住民にとっても説得性のない徴税業務になるかと私は思っております。
  101. 草川昭三

    ○草川委員 最後に、浅野公述人にお伺いしますが、新規の行政需要に敏速に対応するために部局の再編成政令化の問題がいま問題になっておるわけでございます。いまのお話を聞きますと、政令化を認めてもいいのではないかという御趣旨の御発言のようでございます。私ども、いまそこの点が非常に重要な修正点の問題になっておるわけでございますが、もう一度そのような御趣旨かどうかということと、それから民間活力を生かせという御趣旨については私ども全く同感でございますが、いま特殊法人等のあり方が非常に問題になっておるわけでございます。ここに民の柔軟な活力というものが、少なくとも役員等に生かされていないという問題があるのですが、浅野さんの場合の団体として、将来このようなところにもメスを入れていかれるようなお考えがあるかないか、最後にお伺いをして終わりたいと思います。
  102. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 いま先生のお話を聞きまして、私は原則的には政令化の方が好ましいという立場をいまだに持っておるわけであります。ただ、ここで問題になりますのは、議院の権限縮小という問題がございまして、その間をどのように調整をすることが好ましいかという点が、一点やはり残されていることは事実だと思います。そういう意味合いにおいて、国会調査権を使うという問題が一つ、あるいは報告義務を附帯するというふうな問題を付するならば、国会の、議院の権限縮小という範囲はそう大きく影響しないのではないか。いまの法令そのものはそういうことをうたっておりませんので、これから諸先生の議論の中でそのような方向で御議論いただけば結構なのではないかというふうに私は思っております。  ただ、私たちのいままでの認識としましては、諸外国におきましては非常に政令化でやれる例の方が多いということをわれわれの文献では知っておりますので、日本はそのために少し窮屈ではないか、もう少し行政に対してそういうことを任せて、責任を持ってやらすというふうなことも必要なことではなかろうかというふうな判断に立って、そのようなことを申し上げたわけであります。  第二点の民間活力を入れるということには、私は大賛成でありまして、少なくとも特殊法人と言われるようなところには、その管理者の中には半数ぐらいは民間から導入をしていく、そういう形で民間活力ある内容を特殊法人の中に入れていくということが好ましいのではないか。単にお役人さんの天下り的な人だけが重要なポストに座っておるということが、いわゆる公務員と同じようなお日さん西々の仕事になる可能性があるのではないか。そういう意味で、企業でばりばり働いておられる方々を少なくとも半数ぐらいは入れてもらって活性化の方向に向かわれることが非常に好ましい、そういう判断に立っております。
  103. 草川昭三

    ○草川委員 ありがとうございました。終わります。
  104. 金丸信

    金丸委員長 次に、古田之久君。
  105. 吉田之久

    ○吉田委員 お三人の方に敬意を表します。  まず、千田公述人にお伺いをいたしたいと思うのでございますが、産経新聞社の論説委員として千田さん初め皆さん方が事行革に関して大変積極的な御努力を日々展開していただいておりますことは、本当に感謝しているところでございます。  さて、私たちは、今度の土光さんの臨調がこの行革のために大変な御努力をなさいましたが、しかし、にもかかわらず、生まれてきた今度の関連法案なんかを見まして未熟児だと思うんですね。これをこれから育てていくのは、やはり一に私たち国会責任だと思います。同時に、国民が一層行革に対して積極的な関心を払ってもらわなければなりません。この間も、地方自治体なんかが給与なんかでかなり好き候なことをしている傾向が間々見られます。こういう事態に対して、法律でもつくって規制していくべきではないかという意見を申しましたところ、総理は、自律的な精神を失わせたくない、要は世論だ、それは一つにはマスコミの力だ、こうおっしゃっているわけなんですね。新聞人として、これから日本のこの大事な行革を進めていくために一層マスコミの力が必要だと思いますが、その点につきまして一言御決意をいただきたい。
  106. 千田恒

    ○千田公述人 過分なお褒めのお言葉で、大変ありがとうございます。  われわれの立場というのは、われわれは読者を相手にしております。読者というのは、私が申し上げておりますように、納税者の立場で物を考える。そういうスタンスは今後もわれわれは変わらないと思います。  今国会に提出されている法案が未熟児だという御評価でありましたが、私は必ずしもそうは思いません。もし未熟児であるとすれば、臨時行政調査会を生み出された国会責任は一体どうなるのだということになりかねないと思います。さまざまな反対論もございますし、賛成論もございます。その中で答申が出てまいって、その答申に基づいてやっといま国民の前に法案、立法措置という形で提起をされて善ているばかりであります。私は、国会責任においてそれがまだ物足りない、もう少ししっかり歯どめをするんならするでそれは結構でありまして、われわれの方から申し上げますと、政治に対するわれわれの見方は、結果責任を追及する、そういう立場になります。きちんと決定をすべきときに決定をしていただきたい。それでわざわざ六十点主義というお話を申し上げましたが、六十点という意味ではございませんで、多少物足りない点があるとすれば、それは今後国会責任でフォローアップをしていただきたい、そういうふうに考えるものです。
  107. 吉田之久

    ○吉田委員 お説のとおり、私たちも長い時間をかけて、しかも絶えず努力を怠らないで進めていく。そういう意味で、せっかくのこの行革への政府の意気込み、それはそれなりに評価したいと思っているわけなんですけれども、それにしてももっと切り込んでほしかったというような気持ちもございます。私どもの努力は当然のことでありますけれども、一層の御指導をいただきたいと思うのです。  そこで、浅野公述人にお尋ねいたしますが、いま決断せざれば悔いを後世に残すであろうという御決意の表明があったわけでございます。特に、オイルショック以来民間が耐え忍んだ、そしてついにやり遂げたこの改革の努力、これは高く評価すべきだと思うのです。この民間の貴重な経験から見て、いま政府、特に官僚に対して何を望みたいとお考えになっているか。私たちから見れば、民間は下手をすれば会社がつぶれてしまうわけなんですけれども、国はつぶれるということがない、何かそういう危機感のないところから、かなりの格差が精神的に生じておるのではないかと思いますけれども、いかがでございますか。
  108. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 いま吉田先生からお話があったのと私は全く同感の危機感を現在持っておるわけであります。民間の企業は、第一次オイルショック、第二次オイルショック、労使が挙げてこの危機を切り抜けてきました。本当に痛みを分け合って、企業の存続と労働者の職場を守るという立場に立ってやってきたわけであります。そういう意味合いにおきまして、私たち民間の労働者から見るならば、公務員は、中央地方を問わず、そういうふうな危機感は全然ない、こういう印象を持たざるを得ません。  さらに加えて、今回の一連の法案行革の第一歩だというふうに音われておるわけでありますが、全体像を国民としてつかむことができない。どれが全体なのか、今回はそのうちのどの部分なのか、そういう大綱についても明示されておりませんので、できましたならば政府の姿勢として、こういう計画のもとに順次進めていきたい、そのうちの今回のこの三法案だ、だからいつまでやります、こういうふうなこともやはり国民に明示する必要性があるのではないか、かように考えております。
  109. 吉田之久

    ○吉田委員 全体像が大変不明確だ。一体国民はどこへ連れていかれるのであろうか。特に租税負担率なんかはっきり示されておりません。目隠しされたままで歩いていくわけですから、谷へ落ち込むのか、どの山へ登るのかわからない状態ですね。  そこで、浅野さんに重ねてお聞きしたいのですけれども、特に先ほど減税のお話がありました。しかし、仮に減税が実行されても、すぐ後でまた増税がやってくるのではないだろうか。あるいは直間比率の問題も確かに問題ではありますけれども間接税の比率が高まってくるとするならば、いつか結果的に形を変えた増税というものが国民に襲いかかってくるのではないだろうか、こういう懸念がかなりあると思うのですけれども、いかがでございますか。
  110. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 ただいまの吉田先生の意見を聞きまして、私もいま国民が一番心配しているところがそこだというふうに考えておるわけであります。果たしてこの先どうなっていくのであろうかという不安を感じておるわけであります。ちらほら新聞報道によりますと、減税は規模も内容もわかりませんけれども、ある程度やられるのではなかろうかという印象を持ちながら、そのツケは完全にまた間接税で、増税でやられるんじゃないか、こういう危惧を非常にわれわれは持っておるわけでありまして、これが臨調の言う「増税なき財政再建」、いかなる増税にもわれわれはこれに賛成することはできないというのが国民の、われわれ働く者の考え方でございます。間接税といえども、それは現状の段階においては賛成するわけにはまいらない。それで財政再建、切り込んで切り込んで、これを国民が一応認めて、政府国会もよくやった、その段階が過ぎてから改めてそのような問題は議論をすべきであって、現在議論すべき問題ではない、かように判断いたしております。
  111. 吉田之久

    ○吉田委員 次に、政府は、健康保険の被用者保険の本人給付率を十割から八割に落とそう、こういうことを考えておりますことは御承知のところでございます。勤労者の立場としてこの問題をどうおとらえでございますか。
  112. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 いま職場でわれわれの仲間が一番心配しております。現在は十割給付であります。ところが八割給付になりますと、その二割はだれが負担するのか。企業が負担するのか、本人が負担するのか、大問題になるわけであります。私は、健康保険のこの八割給付というものを出される前に、医療制度の抜本的改定、そういうものの見直しがなされて、ここまで政府も皆やりました、どうしてもあとはこうしなくちゃなりませんというところに来るまでは、われわれは健保の八割給付という問題については反対せざるを得ない。もっと賢明な諸先生方の御検討を煩わしたい、お願いをしたいというふうに、国民の声として申し上げておきたいと思います。
  113. 吉田之久

    ○吉田委員 ありがとうございました。  次に、室井先生にお伺いをいたしたいと思います。  およそ行革を進めてまいりますと、何となく緊縮ムード、景気も鎮静化する傾向を否定することができないと思うのですね。したがって、私ども行革を積極的に進めながら、同時にできるだけ民間委託をふやしていくべきではないか。政府自身が直営でやっていること、それはすべてが悪いとは決して言いませんけれども、いかにも効率の悪い、むだの多い要素がたくさんあるわけなのです。この民間委託をふやしていく、全体としての民間の仕事というものを押し上げていくことによって、行革に伴うそういう一つのデフレ的な傾向を未然に防止していくということは大事なことではないかと思いますが、いかがでございますか。
  114. 室井力

    ○室井公述人 いまの御意見は、私、部分的には賛成でございます。ただ、同じ業務民間行政とでやる場合に幾つか違ったことがございます。一つは、行政がやる場合には、やはり責任があり、業務遂行も公正であることが保障されております。第二に、またいわゆる民主主義の原則が行政の場合には常に働きます。住民なり国民がそれに参加したり、議会の民主的統制が加わったりできるわけですね。第三に、先ほどからちょっと問題になっていますけれども、公務員諸君の労働条件の話なのです。やはりいろいろ問題があるのですが、行政業務を行う場合には、一応適正な労働条件が保障されているだろうと思います。  私は、日本の公務員の数が多いとは思っていませんで、国民の数に比較すれば、日本はいわゆる先進国家の中ではまだ少ないわけですね。日本の国土が狭いせいか知りませんけれども、少ないわけです。そうしますと、国民から見れば、日本の公務員の数が少ないというのは、先進国家並みの行政サービスを受けていないか、または公務員の労働条件が他の国の公務員のそれに比べて低いということだと思うのですね。まあ、これは民間の場合もそうですけれども、日本は非常に労働時間が長いし、週休二日制もまだ実現するに至っていないという状況がございます。  そういう中で民間並みに努力せいとおっしゃいますけれども行政というのはやはり継続的、安定的に長期的な展望を持って行われるわけです。その意味で、いま申し上げましたような少なくとも三つの要素あるいは観点において問題を考えたときに、なおかつ公務によるあるいは行政による業務遂行が問題があれば、これはもう全くだめなのでして、行政の自律機能の麻痺ですし、行政の破壊でありまして、そういう行政はやはりやめてもらわなければいけない。したがって、先生のおっしゃった御意見の一部と申しますのは、そういう三つの条件なり要素を勘案して、なおかつ民間に委託した方が当該業務の遂行が国民にとって、地域住民にとって効率的であり、継続性があり、公正であるとなれば、その場合にはやはり民間委託が当然であろうというふうに思います。
  115. 吉田之久

    ○吉田委員 おっしゃるとおりでございまして、ただ安いから民間に全部委託しろ、そんな考え方は私たちは持っておりません。しかし、この辺はそろそろ民間に任せても十分ではないか、いろいろ総合的に判断して何の懸念もない、まして財政があり余っている時代ではない、この辺をよく判断して新しい工夫がいま必要であろうと思うのです。  最後に、いろいろ議員にしてもあるいは研究機関にしても、行革に迫ろうとして問題点を提起しようといたします。これは新聞の場合もそうだと思うのです。ところが、官僚の共通性と申すのでしょうか、通有性と申すのでしょうか、ともかくよけいなことは言うな、いままでが一番いいんだ、こういうことで自然にそういうことを排除する筒口令的なものが敷かれる傾向が間々ございます。こういうことに対して今後どう対処していけばいいとお考えでございましょうか。
  116. 室井力

    ○室井公述人 私もその点は先生と基本的に全く同感でございまして、日本の官僚というものは非常に有能でございます。ある意味ではやり過ぎると思うのですね。自治省が地方自治を指導するとかあるいは通産省が全経済的な諸活動を責任を持つとか、日本の政府なり官僚は、その意味では責任を負い過ぎているところもあります。官僚が非常に優秀であることからだと思いますけれども、同時に、そういう権限なり権力を握りますと、やはり官僚制自身が腐敗してまいります。そういう腐敗を打破して、官僚と言うと悪いですね、民主的な公務員制度を構築するという問題、これはぜひ実現したいと思います。  そのためには、クローズドな、閉鎖された官僚機構をもっと開放して、情報公開の問題もありますし行政手続の問題もありますし、あるいは日ごろからの住民参加の問題もございますが、そういうさまざまな民主的な官僚制に対するコントロールの手法を考えていく必要があると思います。
  117. 吉田之久

    ○吉田委員 いろいろありがとうございました。
  118. 金丸信

    金丸委員長 次に、三浦久君。
  119. 三浦久

    ○三浦(久)委員 共産党の三浦でございます。大変御苦労さまでございます。  まず、千田さんにお尋ねいたしたいと思いますが、先生は「正論」の八一年の八月号、これでこういうようにおっしゃっておられますね。鈴木・土光行革には「安全保障政策への本格的取り組みというかくれた長期的目標があるのではないか」、また「行革が成功した後のシナリオは多分、わが国の自衛力増強である。それが行政改革のウラにある戦略目標だろう」、こういうふうにおっしゃっておられるわけですね。その後ずっと見ておりますと、大体先生が指摘されたような状況になっておると思うのですね。  軍備の拡大、これについての予算はどんどんふやすが、教育、福祉予算はどんどん削減していっているということ、いまそういう状況になっておるわけでありますけれども、現在先生は行革後のシナリオをどのようにお考えになっておられるのか、それとその根拠、さらに、それを肯定する立場におられるのか、それともそれにブレーキをかけなければならないという立場におられるのか、その点まずお尋ねをいたしたいと思います。
  120. 千田恒

    ○千田公述人 いま御指摘の文章は、確かに私の書いた文章だと記憶をいたしております。ただ、それは八一年の八月号でしたか、原稿を出しているのは一カ月早うございまして、原稿を書いたのは六月ごろではないかなというふうに思っております。明らかに現在の認識は変わっております。  これは、鈴木さんの日米首脳会談の結果を読む、いわば新聞記者の読み方と申しますか、いわば推理にすぎないわけで、現実に土光さんの臨調の二年間の結果を見て、行革の目標としているのは決してそうではなくて、明治以来もう百五年たっておりますが、行政機構といいますか、フォルムをこの辺で変えなければならない、そういう内外の条件が幾つも出てきて、それが今回の行革の大きな背景になっておると思います。  たとえば、国内的には高齢化社会の問題がございます。これも一つ一つ挙げるまでもないことかもしれませんが、たとえば情報革命と言われる情報化社会の進展、こういった問題が国内的には非常に大きな問題としてあります。むしろ行革というのは、われわれ日本人の社会のサバイバルの問題ではないかというふうに私は考えておるわけですけれども、国際的にも、国際的な責任が高まっている中で日本はどう対応するのか、そういう問題であって、単純に自衛力の増強が隠された戦略目標であるという認識は、ちょっと切り込みの浅い二年前の私の書いたものだというふうに思います。
  121. 三浦久

    ○三浦(久)委員 ちょっと見通しが狂ったということですね。まあ結構でございます。  それから、浅野先生にちょっとお尋ねいたします。  先ほど、健康保険法の改悪によって本人が二割負担になる、これに反対だと、こうおっしゃいましたですね。今度の予算編成、来年度の予算編成に関しまして改悪になるのはそれだけじゃないのですね。かぜ薬とかビタミン剤、そういうものは健康保険の対象外にする、十割全部払え、また病院に入院した場合には一日六百円の給食の材料代を払えとか、そういうようにいろいろな改悪が出されております。これは臨調の基本答申にあるのですよね。そうしますと、浅野さんがお立場上、その臨調行政改革、手ぬるい、もっとやるんだ、もっと推進するんだ、こういうお立場に立っておられるわけですね。そうすると、そのことと矛盾をするんじゃないかと思うのです。  これは、基本答申にはこう書いてあるのですね。「医療保険の在り方として、高額な医療については適切に保障する一方、軽費な医療については受益者負担を求めるという方向で制度的改善を図る。」そうしますと、かぜなんというのは軽度だから、それは全額自分で払え、こういうことになってきているんですね。それから「また、本人、家族間の格差の問題を含め給付率の見直しを行う。」こういう臨調答申がありまして、それに基づいて現在の本人の二割負担という問題が出てきているわけですね。そうすると、第二臨調路線に基づく中曽根行革推進という立場と、反対という立場と、ちょっと矛盾するんじゃないかというふうに考えるのですが、その辺、どういうふうに御判断になっておられますか。
  122. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 ただいま共産党の三浦先生から御質問がございましたが、私は何ら矛盾をするとは考えておらない立場をとっております。  なぜならば、臨調の場合でも、前提として医療制度を抜本的にまず見直して、それが先行して、そういうものが国民に納得を得られた上で、なおかつ厳しい問題が出てきたら痛みを分かち合おうじゃないかという点についてはわれわれは理解する。あるものをやらずに即八割というような条件が出てくるから、われわれは納得できない、私はこういう意見を持っておるわけであります。まして、健康保険組合のいまの運営は非常に努力をしております。そういう意味合いにおきまして、民間におきましてもあるいは政府管掌におきましても、そういう問題は十分今後の検討の課題になるであろうという立場をとっておるわけであります。  先ほど古田先生からのこれに対する質問がございましたときに申し上げましたとおり、大前提をやってその次にどうだという段階で、われわれはこれの議論に参加してもいいのではないか。ですから、大前提がなされるまではやはりこれは反対せざるを得ない。しかし、臨調自身も大前提をやりなさいということを言っておるわけでありますから、私は矛盾はない、こういう立場をとりたいと思います。
  123. 三浦久

    ○三浦(久)委員 それじゃ、もう一度確認をいたしたいと思いますが、そういう医療保険制度の抜本的な改正というもの、いろいろな方面ありますね、これが行われた後であればそれでもやむを得ない。八割給付というふうに提案があった場合には、その抜本的な見直しを行った後であればこういう改悪を受け入れる用意はある、こういうことなんですか。
  124. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 いまの三浦先生の問題は仮定の問題でありますから、私はいまここで確実な答弁をすることを差し控えますけれども国民が納得できるような条件が設定されたならば議論に参加したいと思います。
  125. 三浦久

    ○三浦(久)委員 わかりました。  今度は室井先生にちょっとお伺いいたします。  臨調答申は行政というものを三つの分野に分けているのですね。一つは、社会保障、教育、農業、中小企業、こういうものは行政の果たすべき役割り、責任領域の見直しが必要だ、こう言っております。それからまたもう一つは、軍事、外交、経済協力、こういうものは本来的に行政責任領域に属するものである。それからまた、エネルギー、科学技術、都市再開発等は新しい行政需要で、責任領域の見直しと制度、運用の改善という両方の視点からの検討が必要だ、こう言っておるわけですが、こういうように行政分野というものを三つに分けて、そしてその見直しを行うとかまた推進をするとか、そういうような考え方というのは、現在の憲法の理念に照らしてどういうふうにお考えになっておられるでしょうか。
  126. 室井力

    ○室井公述人 私は、現在の憲法を人権尊重あるいは民主主義の憲法と考えております。そういたしますと、現代社会の矛盾の中で困難を負っている国民諸階層の日常的な生活条件なり環境づくりを第一番にするのが行政のあるいは国の任務であると考えております。そういたしますと、いまの三つ、これは税金もありますけれども、三つの領域についてのこの答申の主張はやはりちょっと逆転している。もちろん経済協力あるいは外交、防衛が必要でないと言うんじゃないのですけれども、それとの比較において、農業、社会保障、文教の分野の責任領域の見直しを主張するのは、やはり憲法から見ればちょっと逆行しているんじゃないか。むしろ現代国家は十九世紀じゃなくて、そういう社会保障なり教育なりといった分野に国家なり自治体が責任を負うところにその存在理由を持っているわけですから、その意味でもいまのような意見になると思います。
  127. 三浦久

    ○三浦(久)委員 先生の国家行政組織法の改正に関する考え方、よくわかりました。  私も、国家行政組織法定主義というものはやはり守っていかなければならぬ。これは憲法上の要請でございますから当然そうだというふうに思っておるわけですが、これを政令に委任した場合、われわれは有事立法体制とか国家総動員法体制に道を開くことになるんじゃないか、そういうことを可能にするんじゃないかなと思っています。私は先生に私たち意見を押しつける気は毛頭ございませんが、どんな弊害が起こるというふうに先生はお考えでございましょうか。
  128. 室井力

    ○室井公述人 わが国は民主主義国家ですから全然秘密ではございませんけれども、やはり政府は、強大な地位をあるいは権力をいま現代国家が持っております。そうしますと、政令事項組織法の一部を移行いたしますと、やはり国会あるいは国民の目の届かない組織がえが、もちろん事後になって報告があったり官報公示があるのですけれども、事前に慎重な審議なり慎重な議論の交換なしに行政府の方で一方的に決める可能性が出てくると思いますので、その意味では、先ほどお話ししましたように、さまざまな行政権の特権の強化につながっていくと思います。
  129. 三浦久

    ○三浦(久)委員 最後にもう一問ですが、政府は、今回の国家行政組織法の改正につきましては国会のチェック機能は十分働くじゃないか、たとえば国政調査権でもできるし、また予算審議の場合でも十分に審議できるではないか、こういうようにおっしゃっているわけですね。この点について先生どういうふうにお考えでしょうか
  130. 室井力

    ○室井公述人 国政調査権の話、先ほどから何回も出てきておって奇異に思っていたんですけれども、制度上は違うものだと思うのですね。国政調査権は、国会がさまざまな国政について調査をするのですが、そういうことを言ったら、あらゆるものが全部政府に移管すれば政府政令事項にあるいは政府の自主的判断によって決め得るようなふうにしてもいいわけです。国政調査権というのは国会権限をより充実せしめるために存在するんでして、国会の本来の権限を放棄しておいて国政調査権と言うのは話が逆だろうと思います。つまり、法律を制定する議会の本来的な権限のより強化充実のために国政調査権がある。それをほうっておいて国政調査権と言うのは論理が逆であって、やはり制度は全く別のものだと思うのですね。その意味で、私は国政調査権が云々というのは、やはりちょっと話が、筋が違うと存じます。  もう一点、予算審議があるじゃないか。それは、予算予算なんで、予算は金の問題なんですね。御存じのとおり、組織法なり作用法と予算とは全く別個のものでございます。組織改善を予算の枠内ならば自由にできる、委員会でいろいろ議論なさるでしょうけれども。だけれども、制度上予算政府の——日本の憲法では、御存じのとおり法律法律案ですけれども予算予算なんです。案というのは書いてないのです。昔から、内閣が専権的にこれを決定して提出する権能を持っておりまして、いまでもそうですけれども、そういうものですから、全く組織法なり作用法とは違う、それを裏づける支出の見積もりなんでして、その意味で、予算で審議できるからというんでしたら、先ほどと同じように、予算関係のあるものは全部法律事項から政令事項にすればいいわけです。そう思います。
  131. 三浦久

    ○三浦(久)委員 ありがとうございました。
  132. 金丸信

    金丸委員長 次に、小杉隆君。
  133. 小杉隆

    ○小杉委員 お疲れのところ、御苦労さまです。  時間が限られておりますし、すでに論点はかなり出尽くしておると思いますので、私はちょっと変わった観点から、一点だけ伺いたいと思うのです。  行政改革、今回のは私も、まだまだ不十分で第一歩だというふうにとらえておりますが、単なる名称のつけかえとか、そんな程度の行政改革ではなくて、いまやもう、いわゆる根源にさかのぼる改革が必要だということで、既得権の見直しであるとか、あるいは特権の見直しというようなことも求められているわけです。  そこで、端的に言いまして、いまの農産物の自由化というような問題があります。これは御三人の先生にそれぞれ御見解を聞きたいと思うのですが、確かに日本の農業なり畜産業なりの置かれた立場というのは、非常に国土が狭い、あるいは非常に宿命的に生産性が上からないようなことになっているわけですが、一方、生活者というか、消費者の立場から見ると、この自由貿易の時代に、アメリカとかそういう国々よりももっと安い牛肉やオレンジを食べさせてもらってもいいじゃないかということもありますし、それから、農業の今後のことを考えましても、やはりいままでの過保護政策、農業補助金などにも見られるような、そういう問題にやはりメスを入れていかざるを得ないのだろうと思うのです。  将来の農業のためにも、この際、牛肉とかオレンジを自由化をしても、十分日本のやわらかくておいしい肉が、外国の牛肉が入ってきたからといって太刀打ちできないはずはない。それから日本のミカンの手軽さ、テレビを見ながらでも、よそ見をしながらでもむいて食べられるミカンの手軽さ、おいしさというものはやはり競争力があるだろうということを考えますと、いままでの殻の中に閉じこもらないで、思い切った見画しということが必要だと思うのですが……(発言する者あり)もしこの農産物の自由化をわれわれがかたくなに拒み続けることによって、世界各国が保護貿易主義に走って、われわれが自由貿易体制の中で孤立をしてしまうということの方が、むしろ国民一つの総合的な立場でマイナスになると私は考えておりますが、この問題は、いまも大分やじが飛んでおりますけれども、自民党の中にもいろいろな意見もあるし、あるいは社会党やその他の政党にもいろいろな意見があるわけですけれども、この点についてひとつ率直な見解を三人の方からお伺いしたいと思います。
  134. 金丸信

    金丸委員長 簡潔にやってください。
  135. 千田恒

    ○千田公述人 いまの御指摘の農業の開題は、臨調でも大きな問題点の一つであったと思います。  それで、過保護であるというのは、これは紛れもないことだろうと思います。ただ、何といいますか、一体どうしたら日本の農業というのに国際的な競争力を持たすことができるのかどうか、その保護という前提を取っ払ってもう一度やはり考え直してもらいたいという気持ちは、私は個人的には持っております。ただ、私は出身が農村でございません。ですから、そういう立場で感じている感想でございます。意見とまで申し上げるわけにはまいりません。
  136. 室井力

    ○室井公述人 私は農業の専門家でもございませんので、何ともお答えいたしかねます。
  137. 浅野総一郎

    ○浅野公述人 私は、明らかに消費者の立場でありますから、小杉先生の考えていることに本質的には賛成であります。ただ、それを性急にやるか時間をかけてやるかということは、農業政策の中の一環としてお考えをいただけばいいのではないかというふうに考えております。  さらに、農業の中には専業農家と兼業農家がございますので、それらも考えて、日本の農業のあり方というものを十分検討された上でそれらをやられることが好ましいというふうに考えております。
  138. 金丸信

    金丸委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人の皆様には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  これにて公聴会は終了いたしました。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時六分散会