○矢山
委員 私は、話をすりかえておると思うのです。安保改定のところに私はまだ行っておらぬ。これから行くのですよ。安保を制定したときのいきさつを言っている。
安保制定のいきさつから言うなら、何ぼあなた方がそういうふうにおっしゃろうと、やはりアメリカが、自己にとってどれだけの値打ちがあるかということを知らないのに、あれだけ熱心に
吉田さんをなぜ口説くかということですよ。あなたのおっしゃった理屈は、後からこちらが都合のいいように取ってつけたものであって、そのときの状況としては、アメリカは
吉田さんを説得するために全力を挙げたでしょう。しかも、中身についてはだれにも知らせなかったわけでしょう。恐らく
吉田さんも、ワシントンへ行ってそれを見せられて、びっくりしたんじゃないですか。それはそうでしょう。無期限に占領する、自由に日本の基地が利用できる、日本国
政府の要請に応じてとはなっておるけれども、米軍を日本の内乱や騒動の鎮圧のために使用できる、しかも、自衛力は漸増するんだぞ、こういうことまでちゃんと条約の中に入れておる。しかも、
行政協定で米軍の駐留費をちゃんと分担させるようになっておる。駐留米兵は治外法権。まるでこれは属国の条約じゃないですか。あなたが言うのは、後で取ってつけた理屈。そのときの状況というのは、私がいま言ったようなことなんです。
それで、アメリカにとっての戦略価値は、先ほど言ったように、大きなものがある。日本列島を基地にして極東ソ連軍の監視ができる。この行動を規制できる。朝鮮半島や中国の動向の監視もできる。佐世保や横須賀を基地にして、日本のあの工業力を背景にして補給や修理やその他心配なしにやれて、西太平洋からインド洋にかけてわが物顔に振る舞える。これはそういう価値があるのですよ、アメリカにとっては。これは大変なことだ。
そこで、あなたが改定の問題に移られたから改定の問題で言いますが、改定の問題で言うなら、一九五五年に改定申し入れをしていますわね、日本
政府は。ところが、そのときにはアメリカはそっぽを向いて知らぬ顔をしていた。ところがその後、急に変わってきた。なぜ変わってきたか。
一つは、その
過程において日本の経済力もついてきた、国際的な地位も上がったという問題もあるでしょうが、決定的なのは、一九五六年に鳩山一郎先生がソ連においでになって、講和条約の調印を拒否しておったソ連との間に、共同声明を出して、ソ連との国交を開かれた。このことがアメリカに対して、従来のこのまるで属国扱いの安保条約、これは日本の言うとおりに希望を入れて変えなければだめだ、変えないと大変なことになるとアメリカが
考えたと私は思う。そこで、アメリカはこの安保条約の改定に乗ってきたわけです。
そして、その結果から言うなら、なるほどあなたがおっしゃったように、主権の回復ということには新しい安保条約、つまり六〇年安保は貢献をしておる、これは私は否定しませんよ。ところが、本質的に言うなら、基地貸与条約であるという性格は
一つも変わっていない。それどころじゃない。アメリカの軍事
協力者として対ソ軍事戦略の片棒を担がされる危険な側面までがこの条約には入ってきたわけだ。
そういうふうに安保条約を
考えたときに、あなたが何と強弁されようとも、安保条約は、アメリカのアジアにおける戦略、最近で言うなら、対ソ戦略の前進基地としてこれは手放しちゃいかぬという、このもとに私はできたものだと思う。
それからもう
一つ、あなたは、日本が攻撃されたときにはアメリカは助けてくれる、そのかわり日本も基地を提供したのだ、こうおっしゃった。ところが、日本が攻めてこられたときにアメリカが助けに来てくれるとお
考えになっておるのは、余りお人がいいんじゃないですか。なぜかというと、助けに来るか来ぬか、これはあの安保条約の中に、憲法上の手続に従いとある、それぞれの国は憲法上の手続に従いとある。アメリカが、憲法上の手続に従って、日本防衛に乗り出すか乗り出さぬかということを最終的に決めるのはどこで決めるのですか。もし、それが議会で拒否された場合には、何ぼ大統領が助けてやろう、助けてやろう、太平洋軍司令官が助けてやろう、助けてやろうと思っても、これはできませんよ。だからアメリカが、日本が攻撃されたときに日本を助けるというのは、ちゃんとアメリカは抜け道をこしらえてある。ここのところを
総理、間違えてもらっちゃ困ります。