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1983-03-22 第98回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年三月二十二日(火曜日)    午前十時五分開会     ─────────────    委員の異動  三月二十二日     辞任         補欠選任      岡部 三郎君     岩崎 純三君      仲川 幸男君     藤井 孝男君      増岡 康治君     田代由紀男君      森山 眞弓君     井上 吉夫君      古賀雷四郎君     山内 一郎君      田中 正巳君     福島 茂夫君      塩出 啓典君     桑名 義治君      原田  立君     太田 淳夫君      下田 京子君     近藤 忠孝君      美濃部亮吉君     前島英三郎君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         土屋 義彦君     理 事                 嶋崎  均君                 関口 恵造君                 長谷川 信君                 藤井 裕久君                 赤桐  操君                 矢田部 理君                 大川 清幸君                 立木  洋君                 伊藤 郁男君     委 員                 井上 吉夫君                 岩動 道行君                 板垣  正君                 梶原  清君                 木村 睦男君                 坂元 親男君                 田代由紀男君                 谷川 寛三君                 林  寛子君                 福島 茂夫君                 藤井 孝男君                 村上 正邦君                 山内 一郎君                 勝又 武一君                 瀬谷 英行君                 寺田 熊雄君                 吉田 正雄君                 和田 静夫君                 太田 淳夫君                 桑名 義治君                 中野 鉄造君                 三木 忠雄君                 近藤 忠孝君                 田渕 哲也君                 前島英三郎君    政府委員        大蔵政務次官   遠藤 政夫君        大蔵省主計局次        長        窪田  弘君        大蔵省主計局次        長        兼内閣審議官   宍倉 宗夫君        大蔵省主計局次        長        平澤 貞昭君    事務局側        常任委員会専門        員        桐澤  猛君    公述人        日本大学教授   北野 弘久君        東京銀行会長   柏木 雄介君        東洋大学教授   新田 俊三君        東洋大学教授   坂田 期雄君        慶應義塾大学教        授        庭田 範秋君        筑波大学助教授  進藤 栄一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○昭和五十八年度一般会計予算内閣提出衆議院送付) ○昭和五十八年度特別会計予算内閣提出衆議院送付) ○昭和五十八年度政府関係機関予算内閣提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 予算委員会公聴会を開会いたします。  昭和五十八年度一般会計予算昭和五十八年度特別会計予算昭和五十八年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。  本日は、昭和五十八年度総予算三案について、お手元の名簿の六名の公述人の方からそれぞれの項目について御意見を拝聴いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。  北野公述人柏木公述人におかれましては、御多用の中にもかかわらず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。  本日は忌憚のない御意見を賜り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承ります。  まず、財政税制につきまして北野公述人にお願いいたします。日本大学教授北野弘久君。
  3. 北野弘久

    公述人北野弘久君) ただいま御紹介いただきました日本大学北野であります。  私は本邦最大の総合大学教授でありまして、したがいまして、あの大学スクールカラーに従って、特定政治的立場と全く無関係でありますので、純粋に学問的立場から意見を述べるつもりでおりますので、よろしくお願いしたいと思います。  それから、私の専門はタックスペイアーの立場から、納税者人権観点から、大変微力でありますけれども、約三十年間税財政を研究してきた者として、そういう観点からきょうは三つの点について所見を申し上げたいと思っております。一つは、所得税減税をどういうふうに考えるかということが一つ、二番目に、不公平税制是正の問題と大型間接税をめぐる諸問題についてどう考えるか、三番目に、歳入欠陥赤字財政の問題をどういうふうに考えるかという、この三点に集約して意見を述べたいと思います。なお時間が制限されておりますので、後ほど質問の段階で補足的な所見を申し上げたいと思っております。  最初に所得税減税の問題でありますが、昭和五十八年度におきましても、所得税につきまして物価調整減税が全く行われないことになっております。周知のように、六年間課税最低限が据え置かれることになります。六年前の、つまり昭和五十二年度のサラリーマン課税最低限は、夫婦子供二人で二百一万五千円であるということを大蔵省筋では発表いたしております。実はこの二百一万五千円という数字自身学問的には誤りでありまして、学問的には虚偽を含んでおるということをこの機会にはっきりと申し上げておきます。給与所得控除額というのはサラリーマン概算経費控除性格を持つものであり、あるいは勤労所得控除性格を持つものでありまして、生活費控除と全く無関係であります。また現代福祉国家におきましては、社会保険料というものは一種学問上の租税でありまして、これを支払った場合に課税所得計算控除するのは当然のことでありまして、これを控除したからといって社会保険料控除性格生活費控除に転化するものではありません。  いずれにしましても、課税最低限というのは生活費控除性格を有するところの基礎控除配偶者控除及び扶養控除三つ控除によって計算されるべきであります。したがいまして、これによりますとサラリーマン課税最低限も百十六万円となるのであります。二十九万円の四倍であります。したがって、この数字政府が認めておりますところの生活扶助基準の百七十万余りよりも大きく下回るのでありまして、この点は非常に注目すべきことでありますが、このことは、法理論的には次のことを意味すると考えていいと思います。  すなわち、憲法二十五条の健康にして文化的な最低生活費規定というのは、一般には社会権条項であると、現代的人権としての社会権条項であるというふうに説明されておりますが、この規定の中には生存権自由権保障意味も含まれております。社会権基礎には、ベースには自由権が含まれておるのでありまして、ここで問題になりますのは、社会権の問題ではなくて、二十五条の自由権の問題であります。国家所得税法という法律を積極的につくりまして、そこにおきまして人々の健康にして文化的な最低生活を脅かすような課税最低限規定を設けるということは、学問的に申しますと公権力が人々の生存的自由を侵害するということになるのであります。これは、二十五条の社会権の問題ではなくて、まさしく二十五条の保障する自由権的な機能由害、十八世紀、十九世紀人権論でありますところの自由権機能侵害であると、こういうふうになってくるのでありまして、二十五条の社会権につきましてはさまざまな見解がございますけれども、この自由権機能侵害につきましては、法律学界におきましては異論はないのであります。すなわち、自由権侵害する法律は違憲無効となるのでありまして、したがいまして、所得税法課税最低限規定生活扶助基準を下回るということは、明らかに学問的には違憲無効の状態にあるということすら言えるのでありまして、このことを本委員会においても慎重に、冷静に銘記していただきたいと思っております。  第二番目に、現代資本主義のもとにおきましては、物価上昇というのは現代資本主義のメカニズムと無関係ではないのであります。しかも、この物価上昇によって隠れた実質増税が行われるのでありますけれども、この隠れた増税というのは国会の承認を得てないものでありまして、したがいまして、憲法財政議会主義法理に反するものとなります。また、この隠れた増税というのは、低い所得のある人——所得層ですね、すなわちローインカムの階層ほど負担が重くなるという逆進的な性格を持つのでありまして、したがって、これまた憲法二十五条、十四条等が予定する応能負担原則——能力に応じて税金負担するという応能負担原則法理にも反するということになるのでありまして、このように見ていきますと、隠れた増税というのは恐ろしいほどの憲法問題を含んでおる。私に言わせますと、こういった増税というのは、先進法治国家におきましては最も恥ずべき一種脱法現象であると、こういうふうに考えております。最近の政府の試算によりましても、この六年間で物価実質ベースで二八・九%上昇するという数字大蔵省では発表しております。所得税だけで、この間、累計で四兆八千四百億円の隠れた増税になるということを政府自身が認めておるのであります。したがいまして、政府としましても、いままでのことを一応御破算にしましても、五十八年度において所得税につきまして最低二兆円の減税が必要であるという数字を発表しております。  物価調整減税というのは、物価上昇によって拡大する不公平税制を少しでももとに戻そうとするものにすぎません。言葉の本来の意味での減税ではないのでありまして、したがいまして、物価調整減税の問題というのは、法の世界から申しますとまさに納税者国民権利であるというふうに観念すべきだと考えます。物価調整減税を行うということは国の義務であると考えることができるのであります。そこで、多くの先進国におきましては、ただし日本を除いた多くの先進国におきましては、物価にスライドしまして自動的に、オートマチックに調整減税を行うという措置現代税制に組み込んでおるのであります。先般も、それから昨年も、労働団体中心としますサラリーマン納税者物価調整減税を要求しまして減税メーデーを行いました。私は、このこと自体は最も悲しむべき後進国現象であると考えております。日本納税者、特にサラリーマン納税者というのは、特殊日本的な源泉徴収制度の適用によりまして、税制上最も初歩的な、プリミティブなレベルでの納税者としての権利すら保障されていないのであります。そういうことで、まさに日本は税に関する法の文化におきましては恐るべき後進国アフリカ並みであると私は常々言っておるのであります。  次に、今回の税制改正におきまして、特定基礎素材産業対策促進税制などの新しい租税特別措置導入されることが予定されております。租税特別措置はこの機会に全廃すべきであると考えております。所得税における有価証券譲渡による所得、これも学問上は租税特別措置でありまして、これも廃止すべきである。昭和二十八年以来行われておりますけれども、これは全廃すべきであると考えておりますし、それから、租税特別措置と見られますところの所得税における配当控除法人税における受取配当金益金算入制度法人税における配当課税率——配当税金を安くする税率法人税でありますが、この配当課税率制度も、それから法人税における、法人税法言葉で申しますと資本積立金——株式プレミアム等中心でありますが、これを非課税にするという制度も、政府筋ではこれは租税特別措置ではないと言っておりますけれども、私に言わせますと、学問的には租税特別措置を構成するものとして、本委員会で慎重に検討していただきたいと思っております。  質倒引当金退職給与引当金を含む引当金制度につきましても、租税負担の公平を中心とする特殊税制理論観点から申しますと、この多くが利益留保的なものとして考えていいと思いますので、これも租税特別措置に該当すると見ていいと思います。  それから、資本金十億円以上の企業の問題につきましては、また後ほど申し上げますけれども、特に、後ほど申しますように、土地財産税中心としたものを措置すべきだと考えておりますが、後ほどまたこれ申し上げます。  それから、現在、土地税制におきまして所得課税の面では、土地保有期間ですね、土地を持っておる期間の長さに応じまして課税あり方を区別する方式をとっておりますけれども、これでは不十分でありまして、やはり保有期間の長短を問わないで適正な価格、さしあたり税務行政上可能な価格と申しますと相続税評価額でありますが、これはもう税務署で調べておりますので、相続税評価額を上回った分につきましては、すべての譲渡益につきまして、それを超える分につきましては禁止的な高率の課税を行うべきである、そういうことをしなければ適正な税制にならないと考えております。  それから、固定資産税等保有課税につきましては、特に棚卸し資産として土地等を持っておるという不動産業者等の遊休——遊んでおる土地等につきましては、これまた禁止的な高い負担固定資産税課税しまして、不動産業が成立しないようにすることが必要である。それほどまで高い税金をかけなければ公平な税制にならない、また地価の上昇もとまらないということになってきます。  それからグリーンカード制度につきましては、目下衆議院大蔵委員会でも審議中でありますけれども、これは延期されることになったのでありますけれども、私はグリーンカード制度導入とは無関係に利子配当分離課税をやめまして、利子配当源泉徴収を徹底することによって、総合課税の実施を行うべきであると考えております。これまた、不公平税制是正するという観点から、ぜひとも本委員会で御検討願いたいと思います。  それから、何といっても不公平税制最大のものは法人企業課税基本的仕組みでありまして、大企業というのは所有と経営が分離しております。それは株主とは別個の社会的な経済的な実体を有する独自の存在であります。実体というのはエンティティーという意味でありますが、大企業現代資本主義のもとではさまざまな公の保護を受けております。中小企業とは異なって、現実的にも継続企業——ゴーイングコンサーンとしての実体を持っております。税制理論的には大企業は独自の担税力を有する主体でありまして、独自の課税単位を構成する主体である、このように考えるべきであります。そして、そのような大企業性格にかんがみまして、現行の比例税制自体憲法応能負担原則に反するものである。不公平税制最大のものはそこにあると思いますので、大企業につきましては、大体資本金十億円以上の法人でありますが、超過累進税制導入しなきゃいけない、そこまでしなければだめだということであります。もっとも政府筋におきましては、法人税はもう限界にきておるということを言っておりますけれども、昨年十二月の大阪労働団体の調査によりますと、大阪に本社のある資本金十億円以上の法人につきまして調査しましたところが、これは五十六年度の決算ベースでありますけれども、法人税実質負担率、当時の税法では四〇%ないし四二%というのが表面税率でありますけれども、五十六年度あたりで、実質税負担率はたった一七・一%になっておる、四〇%以上の税率になるべきものが公表された資料によって計算しましてもわずか一七・一%の数字に落ち込んでおる、業種によっては九・一%、あるいは五・八%の実質税負担率になっておる、こういう驚くべき逆進的な構造になっておるということであります。税金が重いのは中小企業でありまして、不況によって企業倒産などが行われるのは、大企業ではなくて中小企業町工場などの中小零細企業であるということであります。  現代資本主義のもとでは、大企業現代的な担税力というのは所得インカムだけではとらえることができないのでありまして、所得だけの課税では限界がある。所得に表現されない企業担税力をとらえるためには、先ほど申しましたように、資本金十億円以上の法人につきましては、法人税補完税として、国税として法人財産税というものを導入すべきである。さしあたり表現された財産であるところの、つまり目に見える財産であるところの土地だとか、土地権利、あるいは有価証券、こういったものに限定しまして、仮に一%ないし二%の税率を適用するだけでも数兆円の税収が可能であります。私としましては、そこまでしなければ企業税制の不公正は是正されないと考えております。  以上の大企業に対する累進法人税導入であるとか、法人財産税導入を含む増税政策というのは、学問的には不公平税制是正にすぎないのでありまして、当然措置されるべきものでありまして、臨調が考えておりますところの増税なき財政再建には反しない、むしろ臨調の趣旨にも合致すると私は考えております。不公平税制是正としてつかまえるべきである、こういうふうに考えております。  次に、国内的にも世界的にも経済不況が深刻になってきております。経済の面から申しましても、私は軍事費の拡充、軍拡ではなくて軍縮を行うべきだと考えております。また、税金使い道につきましても、憲法原則に従って行うべきである。この予算委員会におきましても、憲法原則に従って税の配分を考えていただきたいということであります。財政の緊縮のもとにおきましては、軍事費あり方については特に経済の面からも、あるいは憲法の領域からいっても考えるべきでありまして、しかるに、昭和五十七年度におきましては軍事費の対前年度伸び率七・八%、これは政府が発表した数字でありますけれども、実質的な軍事費はもっと巨額になると思いますけれども、五十八年度におきましては六・五%と突出しております。  日本世界有数軍事大国であるということになっております。これは憲法観点から申しますと、まさに平和憲法を事実上日本が廃棄した、平和憲法を放棄したと言っていいのではないか、私はそういうふうに考えております。軍事規模が大きくなりますと、ある段階から、それはどんなに個々人は主観的に平和主義者でありましても、それがひとり歩きするようになってきます。私の尊敬するある憲法学者によりますと、人間の体を守るべき白血球がやがてある段階になりますと白血病に転化して、守るべき母体をむしばんでいく、こういうことになるのでありまして、まさに軍事費はそういう構造性格を持っておる。侵略戦争を起こしまして、世界唯一被爆国でありますところの、また平和憲法をいただく日本のとるべき道は、軍拡ではなくて、軍縮こそ体を張って世界に訴えるべきであります。  日本総理大臣は、体を張ってアメリカやソビエトなどの大国に対しまして軍縮こそを訴えるべきでありまして、そうすることが日本の国際的な責任であり、そうすることがまた日本世界から尊敬を受ける唯一の道であります。平和国家文化国家の代表として、中曽根総理大臣軍拡をするのではなくて、世界にこそ平和を訴えるべきである、こういうふうに私は考えております。そのための出費につきましては、中曽根総理大臣海外渡航費用につきましては、われわれ納税者は惜しむことなく税金を払うでありましょう。  日本納税者は、自分たちの納めた税金使い道につきましては監視する、チェックする、コントロールする権利が全く与えられておりません。これも世界に例を見ないのであります。また不公平税制存在につきましても、納税者法的権利として弾劾することができないのであります。サラリーマンにおきましては、自分税金の問題についてすら弾劾できないという、全く権利が奪われてしまっておるという、これは恐ろしいことでありまして、私は先ほどから何回も言っておりますように、税の文化に関する限りは、日本はまさに後進国であるということになっています。情報を公開しまして、それを前提として納税者国民税金徴収面使い道面について、法的にコントロールできる制度を早急に立法化すべきである。そうしなければ、真の行政改革はできないと考えております。アメリカで発達しておりますようなタックスペイアーズシュート、納税者訴訟のような制度特別立法で早急に認めてほしいと思っております。  最後に、時間が来ましたが、私としましては、冒頭に申しました所得税減税というのは、あるいはまた財政再建というものも、真の歳出合理化軍事費を含む歳出合理化、真の行政改革を実行することによって、それから真の不公平税制是正することによって可能であると考えております。  大型間接税というのは、理論的には一般消費税でありまして、この税の導入は何といっても避けるべきであると考えております。一般消費税は、その税の性格自体から言って国民生活を破壊するものであります。それに加えましてこの税金導入されますと、客観的には無限大にふくれ上がるであろう軍事費を担保するということのための租税体系の再編という意味を持つのであります。その点は否定できないのであります。この意味におきまして、私はこの税の導入というのは実質的には憲法改正、改憲である、憲法の改悪であるという機能を果たすものと考えております。  なお、直間比率を理由にしまして大型間接税導入を正当化する議論もございますが、これは学問的に全く根拠ありません。理論的には直接税が一〇〇%になってもよろしいのでありまして、大型間接税導入根拠としまして、直間比率の問題は根拠にならないということを申し上げておきたいと思います。  それから、私は、所得税減税を行うために、もし大型間接税導入をするのであったら、勤労国民としてはこの際所得税減税をあきらめるべきだと考えております。それほど大型間接税導入日本の運命を決定する恐ろしい税金であるということを申し上げておきたいと思います。  それから、もちろん所得税減税のために公債をこれ以上発行しちゃいけないということでありまして、公債発行は一九三〇年代の高橋財政に学ぶべきでありまして、あの恐ろしい高橋財政の失敗から、われわれは公債発行はこれ以上行わない、要するに、公債発行して所得税減税を行うのだったら、これまたわれわれはむしろあきらめるべぎである、そのかわり大型間接税導入公債発行はしないでほしいということを訴えるべきだと考えております。  それから、もう時間がなくなりましたが、第二の予算と呼ばれます財政投融資計画につきましても、この際、学問的には一般予算と同じように、国民納税者が財投のあり方について監視できるような制度を抜本的につくるべきであると考えております。  以上であります。御清聴どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  次に、国際経済、金融につきまして柏木公述人にお願いいたします。東京銀行会長柏木雄介君。
  5. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) 東京銀行の柏木でございます。  本日は最近の世界経済動向と国際金融情勢につきまして述べてほしいというお話でございます。そこで、私はこのテーマに即しまして、時間的制約ございますので、主として三つの問題にしぼりまして申し上げてみたいと思います。  最初に、世界経済、特にその中心でありまするアメリカ経済の現状をどう見ているかを申し上げ、次いで発展途上国の対外債務問題、とりわけ石油価格の下落がこの問題にどう影響するのかにつきまして申し上げ、最後に通貨ないし為替相場の安定化に関し私見を述べさせていただきたいと思います。  まず、世界経済の現状について申し上げますと、現在世界経済は一九八〇年—八二年という三年間にわたる戦後最長かつ最大不況から少しずつ回復に向かっていると見てよいと思われます。また、先週月曜日の三月十四日、ロンドンにおけるOPEC臨時総会で決定を見ました石油価格の引き下げは、産油国には若干の影響をもたらす可能性はあるものの、総じて世界経済の回復にとって明るい材料であると考えております。  さて、一九七三年から七四年、また一九七九年—八〇年と二度にわたる石油価格の大幅な引き上げは、世界経済に対しまして二つの側面から強い悪影響を及ぼしました。その第一は、OPEC諸国などの限られた数の産油国に巨額の富の移転をもたらし、石油消費国側はデフレ圧力と国際収支の悪化という困難に見舞われたのでございます。その第二は、経済活動のほとんどすべての分野に必要な石油が大幅に値上げされたことから、世界経済に強いコストインフレ圧力をもたらしたことでございます。こうして世界経済不況下のインフレ高進という、いわゆるスタグフレーションに陥ったのでございます。  このような状況に対しまして、多くの先進諸国は国内経済の異常な落ち込みを緩和するために、財政面で拡大ぎみの政策をとる一方、インフレを抑制するために金融政策におきましては引き締め的スタンスをとったのでございます。しかし、こうしたほぼ共通な財政金融政策もその組み合わせや、その程度は国ごとに若干相違しておりました。わが国の場合は早期に経済調整のための政策がとられ、雇用、物価の安定を維持しつつ経済成長が達成されたのであります。  アメリカ経済について見ますと、第二次石油値上げは終了したものの、その深刻な影響が生じつつあった一九八一年一月にレーガン大統領が就任したわけでございますが、レーガン大統領は御高承のとおり民間主導型のアメリカ経済の活性化を目指しまして、減税歳出削減、政府諸規制の緩和、撤廃という小さな政府実現に加えて、インフレ抑制のためには通貨供給量の厳格な管理をするという連邦準備制度の厳しい金融政策を承認したのであります。しかしながら、アメリカ経済のその後の推移を見ますと、こうした減税などによる改善効果が出る前に、金融引き締めによる高金利の不況圧力が高まってしまい、経済活動は停滞を余儀なくされたのであります。その結果としまして、財政赤字は拡大する一方、失業率は一〇%を上回るに至ったわけでございます。こうしたアメリカの高金利はアメリカ国内だけでなく、国際的にも多大な影響を及ぼしました。  すなわちアメリカの国内通貨でありまする米ドルは最も広く国際的に使用されているいわゆる国際通貨でありますから、アメリカの高金利によってドルの価値が高まりますと、それが外国の資金を引きつけ、諸外国の金利をいやおうなく引き上げることになり、こうした金利引き上げから来る追加的デフレ圧力として作用しているのであります。  一九八二年に入りますと、アメリカのインフレ率も目立って鎮静化してまいりました。これは石油価格がほぼ安定したこと、高金利のもとで需要が減退したこと、高失業のもとで賃上げ率も低下したことなどによるものであります。その結果、昨年中ごろからアメリカの政策課題は、インフレ抑制よりも当面の景気後退及び高い失業率の改善にウエートが置かれるようになったように思われます。こうして昨年七月以降、金融政策は慎重ながらも明らかに緩和の方向に向かい、公定歩合は〇・五%ずつ七回にわたり引き下げられ、市場金利も急速に低下したのであります。こうした金利低下を受けまして、アメリカ経済は、昨年末ごろから住宅着工や自動車販売など金利に敏感な項目の需要が高まり、在庫調整もほぼ終わりに近づき、どうやら景気の底を脱した感がございます。  しかし、最近のアメリカの金利動向を見ますと、短期金利、長期金利ともに下げどまりの傾向をうかがわせます。一方、インフレ率がかなり低下して、たとえば一月の消費者物価は前年同月比で三・八%の上昇にとどまっておりますが、名目金利からこうしたインフレ率を差し引いたいわゆる実質金利ベースで見ますと、いまだこれはプラス四、五%と、かなり高いのであります。戦後の何回かの景気後退からの回復期に当たりましては、これがゼロないし若干のマイナスであったことを考え合わせますと、こうした高い実質金利のもとで、設備投資の回復を伴った本格的な景気拡大が実現するのかどうか、なお事態の推移を見守る必要があるかと思います。  アメリカ経済のことだけ申し上げましたが、世界経済の状況は、何といっても先進諸国の経済動向が決定的重要性を持っておりますし、その中で四〇%前後のウエートを占めるアメリカ経済の動きが私どもとして最も関心のあるところでございますので、ただいま主としてアメリカ経済のことを申し上げたことを御了承いただきたいと思います。  次に、発展途上国の対外債務問題、特に石油価格下落の影響について申し述べさしていただきたいと思います。  二度にわたる石油価格の大幅引き上げは発展途上国の経済にも直接、間接多大な影響を及ぼしました。非産油途上国の対外収支面でこの影響を見ますと、直接的には石油輸入支払いが増加し、間接的には先進諸国の景気停滞に伴う輸出の減退や輸出商品価格の下落、あるいは国際金利の上昇によって対外利払い負担の増大などによりまして、これら諸国の経常収支は大幅な赤字になったのでございます。一方、OPEC等産油国には巨額な資金、いわゆるオイルマネーが集中したことから、こうした二つのグループ間の資金の過不足を埋め合わせ、非産油途上国の窮状を救い、世界の総需要不足によって生ずる世界経済の大幅な落ち込みを回避するため、資金還流が必要となったのであります。これがいわゆるオイルマネーの還流問題でございます。その結果、OECDの推計によりますと、発展途上国の昨年末現在における中長期債務残高は約六千二百億ドルにも達したのでございます。  こうした状況のもとで、昨年七月以降、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどの中南米諸国が相次いで国際流動性不足に見舞われ、対外債務に係る元利払いに困難を来すようになり、いわゆる国際金融不安が生じたのであります。しかし、これに対しましては、主要先進諸国の支援のもとで、IMFや国際決済銀行が救済に乗り出すことになり、特にIMFはこれら債務国が国内不均衡を是正し、国際収支の改善を図るため、調整政策を採用することを前提としまして、中期融資を実行いたしました。民間銀行としましても、またこうしたIMF融資と並行する形で支払い猶予などに応じたのであります。このような国際金融協力によりまして、この問題は大きな峠を越えたものと考えております。  さて、それでは石油価格の下落はこの問題にどう影響するのか、世上懸念されているわけでございますが、これにつきまして若干所見を述べさせていただきたいと思います。  基本的には私は、先ほど申しましたように、石油値上げによって世界経済がバランスを崩し、悪化したわけでありますから、今後、これと逆の石油値下げは全体として世界経済に好ましい効果をもたらすと考えております。  それを敷衍して御説明いたしますと、石油価格の下落が世界経済に与える影響の方向として、現在それは実質成長を高め、石油以外の貿易を増大させ、インフレを鎮静化させ、またインフレの鎮静は金利の低下をもたらす方向に作用することなど、広く指摘されております。  そこで、こうした世界経済に与える好影響を前提としまして、発展途上国の対外債務問題を考えてみたいと思います。そのためには、これらの国国を便宜上二つのグループ、すなわち石油を輸入する債務国と、石油を輸出する債務国に大別してみることが重要かと思います。まず、石油を輸入する債務国の経常収支を考えますと、これらの国は石油値下げにより石油輸入額が減少し、対外支払い負担が減少し、世界貿易の拡大で輸出も増加することが期待されるのであります。過渡的にもOPEC等の産油国向けの輸出が減少することもありましょうが、全体として見た場合、このグループの対外収支は改善に向かうことが予想されるわけであります。次に、石油を輸出する債務国について見ますと、昨年中ごろ以降の国際金利の低下が、石油値下げに伴うインフレの鎮静化によってさらに加速されますと、金利支払い負担はさらに減少しますし、また石油以外の輸出商品の伸びも期待され、それが石油輸出の減少を補う形となり、総じてそれほど懸念を抱く必要はないのではないかと考えております。  このように考えてまいりますと、発展途上国の対外債務問題への対応として最も望まれることは、石油価格の下落によって一番恩恵を受けると思われる先進諸国が協調して、適切な政策をとることだろうと思います。先進諸国の要請されている政策は、大きく三つ重要かと思いますが、第一に、各国とも経済成長を高め、世界貿易を拡大させることであります。第二に、保護主義の台頭を抑え、自国の市場開放を一層進め、特に発展途上国の輸出増加を支援することであります。第三に、先進諸国は公的援助を含め、対外経済協力の増大に努力することであります。このような先進諸国による政策対応は、発展途上国による自助による国際収支調整の努力、それからIMF、世銀、国際決済銀行、民間銀行による国際金融協力によって、今後発展途上国の対外債務問題は克服されていくものと考えております。ただ、石油値下げに関連しまして私が懸念しておりましたのは、無秩序な値下げ競争によって短期間に急激な下落が生じた場合の混乱でありましたが、幸いに、先般のOPEC臨時総会の結論としまして、当面深刻な事態は予想しなくてもよいような価格水準が実現したことは、まことに喜ばしいことだと思います。  最後に、為替相場の安定化の問題につきまして所見を述べてみたいと思います。  最近、内外の各方面で現在の為替相場のフロート制につきましてその見直し論が多くなっております。このフロート制、変動相場制は、一九七三年の二月、三月の国際通貨混乱期に、いわば一種の緊急避難として出発し、今日に至っているものでございます。しかし、IMFによりますと、IMF加盟国百四十数カ国のうちで、九十四カ国がドルやその他先進国通貨、あるいはSDRとの間で固定相場制を維持しております。三十五カ国はその為替相場の変動を制限する措置をとっております。残りの十六カ国が単独フロートするか、あるいはECのEMSのような共同フロートをしておる状況でございます。この十六カ国には、わが国のほかアメリカ、イギリス、カナダに加えて西ドイツ、フランス、イタリアなどが含まれておりますから、為替相場の安定化問題は、こうした主要国の通貨相互の安定をどのようにして進めるかという問題にほかならないのであります。  さて、過去十年間におけるフロート制のもとで円・ドル相場の変動を見ますと、当初数年間はその変動は比較的小幅でありましたが、一九七七年以降は毎年一ドル当たり四十四円ないし六十二円、二、三割方の大幅な変動を示しております。確かに、為替相場の変動は小幅であればあるほど経済取引がしやすくなり、経済の安定成長に寄与することであろうと思います。フロート制の経験から明らかになったことは、為替相場はしばしば行き過ぎる傾向を持っていること、また、それが国際収支を調整するにもかなりの時間がかかり、効果が遅いということでございます。そこで、もう少し為替相場の変動をなだらかにできないものかという考え方が出てくるわけでございます。かつてのような固定相場制に復帰することは無理だとしても、現在よりは為替相場が安定するような制度的枠組みというものがつくれないものかどうかという意見でございます。しかしながら、主要先進国経済状況、たとえば経済成長率、インフレ率、国際収支、あるいは金利水準などにまだまだ非常に大きな格差がありまして、石油情勢や国際政治情勢も流動的な今日におきまして、そうした制度をつくったからといって、果たして為替相場が安定するかどうか疑問があるように思われます。  それでは、こうした状況のもとで為替相場を安定させるにはどうしたらよいか考えてみたいと思いますが、まず第一に、主要先進諸国が経済状況の収斂を目指して経済政策面での協調を進めることであります。これが実現いたしますと、為替相場は結果として安定することが期待されるのであります。また、主要通貨国当局による協調的介入も重要であると思います。一国による単独介入ではさまざまな面で限界があり、特に為替相場が行き過ぎたときには、関係国当局による協調介入はその反転を促し、為替相場の安定化に役立つものと考えております。  結論的に申し上げますと、当面現在のフロート制にかわるような制度をつくることはきわめて困難であると思います。そこで、当面はフロート制が持つ長所を生かしながら、その欠点をミニマイズするような主要先進諸国間での一層の努力、またその研究を進めることが重要であるかと思います。  以上を申しまして、私の所見を終わります。御清聴どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  7. 岩動道行

    岩動道行君 私は、ただいま両公述人のお話を聞いて大変参考になり、お礼を申し上げたいと思います。  そこで、まず北野公述人にお伺いいたしたいのでありますが、先生はマンモス大学教授でいらっしゃって、しかし、どの政党にも属しておられないということでございましたが、お話を聞いていると、大変これは失礼な申し分かもしれませんが、どの政党にも属しておられないけれども、どうも革マル派的な感じで、きわめて明快な理論的なお話を承って、その意味においては大変感銘を受けたのでございますけれども、現実の財政経済税制というものはなかなか先生のおっしゃるようにはいかぬのじゃないかと、こういう印象をまず持ったことを申し上げたいと思います。  そこで、まず所得減税については、私どもも当然できる限り早く財源を見つけてやらなければいけないという考えでおりますが、それならば、その財源をどうするかということについてはいろいろと考え方があるわけでございます。特に、不公平税制というような表現で、租税特別措置とか、いろいろな問題について先生はその財源についての提案をされております。何か書いたものによりましても、数十項目程度のものを申されておられるようでございますが、それはそれなりにとり得るものもございましょうが、また先ほど柏木公述人が言われましたように、たとえば貸倒引当金、金融機関の。これなんかは、国際金融不安というふうな観点から見ますると、むしろこの際はそのようなものは特別な海外の損失に備えてふやさなければいけない、こういうような点もありますので、こういう点については私はなかなか現実性が少ないのではないかという感じもいたします。  そこで、まず伺いたいのは、直間比率の問題について、むしろ理論的には一〇〇%直接税でもよろしいと、こういうお話を申されておりますが、この直接税だけでいきますと、どうしても景気のあり方によっていろいろと税収が大きく変動してまいります。現在の日本がそのような状況でございます。やはり直間比率をある程度是正をしていくということが税収の安定につながる、こういうふうに私どもは考えているわけでございますが、どうも先生は、所得減税をやるために間接税をふやすならば、むしろやらぬ方がいいというくらいの激しい御意見もございますけれども、現実問題としては、私はやはり大型間接税はある程度今後検討課題としていかなければいけない、かように考えておるわけでございますが、EC型付加価値税というものはどのように、これは先生はもう大型間接税はいかぬと、こういう基本的なお考えですから、EC型付加価値税はもちろんだめだという前提でおられると思いますけれども、これを仮に導入するというような場合には、どのようにしてそのメリット、デメリットを生かしていくかということについての先生のお考えをこの機会に伺っておきたいと思います。  また、時間もございませんので、この点だけにしぼって申し上げておきたいと思いますが、柏木公述人には、アメリカ経済が何といっても今日世界経済の大きな要因であるということでございますが、石油価格が大幅に五ドル下がったと、さらにまたこれは流動的であって、もう少し下がるかもしれないということでございますので、これはアメリカ経済にとっても大きなプラスではないかと思いますが、アメリカとしてはどの程度にこれを生かしていけるのかということ。  それから、発展途上国に対する対外融資でございますが、実はこれはもうアメリカあたりも大変大きな貸し出しをしておりますけれども、そろそろ危ないというので手を引き出してきた、あるいは金融機関がこれを減価償却をもう始めちゃっていると、そういう段階に入ったところで、逆に日本の方がどんどん貸し出しをふやしていっている。特に、東京銀行は為替専門銀行としてその幹事役をやって、そして協調融資が大変大幅に進んでいったと、そのために今日大変大きな苦労が残った、こういうことになると思いますが、日本とすれば、防衛面は専守防衛でございますから、その防衛力の増強には限度がございます。何といっても平和国家として世界日本経済力で寄与していくというためには、発展途上国等に対する経済協力が最も大事な点でございます。そういう点においては、積極的にこれを遂行していくことは官民を挙げてやらなければいけないわけでございますが、一方において、そのような発展途上国等においては経済的な困難があるということから慎重にやらなければいけない、こういうまた逆の面があるわけでございます。そこら辺の協調をどういうふうにしてやっていくのか、これが一つ問題であろうかと思います。  大蔵省でも、今回は特定海外債権引当勘定というものを設けて金融機関で万一のときに備える、こういう制度をとったわけでございますが、これも千分の一から千分の五の間でということで、金融機関の自主性に任せるということでございますが、特にこれは東京銀行のことを申し上げて恐縮でございますが、あなたのところが一番先頭を切ってやっておられるし、また、そういう役割りは当然国家的にも大変大事な立場におありになると思いますが、この引当金の引き当て勘定の制度について、これをどうお考えになっておるか。  もう一つ為替相場、これはなかなか現在のフロート制以外にはちょっと道がないのじゃないかということでございますが、かつて日本は固定相場制を主張しようとしておったけれども、それができなかった。これは細見——当時の大蔵省の顧問でありますか、細見君がその当時固定制でいこうかと思ったけれども、それが実現できなかったということで、現在のフロート制になっておりますが、その中間としてワイダーバンド制というのもいろいろ検討されておりますが、その可能性、あるいはそのような問題をサミットでどのように日本は対応したらいいのか、この辺についてのお考えをこの機会に伺っておきたいと思います。  以上で私の質問を終わります。
  8. 北野弘久

    公述人北野弘久君) 非常にむずかしい問題を出されましたが、私冒頭に断わりましたように、きょうはもっぱら理論的に申し上げるということを申し上げたんですが、あたりまえのことを申し上げたんです。  たとえば、貸倒引当金でありますけれども、これは会計理論上は評価性引当金でありまして、借り方の期末貸し金勘定の評価勘定でありまして、もともとは。したがって、アメリカ税制などにおきましては、個別企業の実績に基づいて引当金の繰り入れ率を決定していくというたてまえになっております。ですから、しかも日本では国税庁の通達で、貸し倒れになる前にある一定の事由が発生しますと、貸し倒れがあったものとして処理するというふうになっております。そのものにつきましては、もはや引当金を計上するまでもないのでありまして、貸し倒れ損として処理するという、こういうことになっておりますので、これは通達で債権償却特別勘定という形で、通達行政でありますけれどもやっておる。そうしますと、日本の大きな企業質倒引当金の実態の多くは、利益の留保であるというふうに学問的にはならざるを得ないのでありまして、そのことを申し上げたのであります。  なお、国際関係の問題につきましては、別途特別に事情があれば配慮していいとは思いますけれども、きょう申し上げましたように、一般的にはそういう性格のものであるということでありまして、これはやる気になればあしたにでもできることでありまして、とても現実性がないとおっしゃったけれども、あなた方のやる意思がないから現実性がないのでありまして、これほど重大な問題をやらないということ自身が非現実的であるという、そういうことであります。  それから退職給与引当金につきましても、これも全くナンセンスの議論が行われておるという・たとえば新日鐵なら新日鐵という大きな企業の従業員何万人の方が一遍にやめるということはあり得ないことであります。税制自身も、あり得ない という前提で法人税という制度をつくっておるわけでありますから。そこで、やめた場合には、もちろん退職金は会社の損金になるのであります。ですから、あらかじめ労働協約等で締結しました退職給与規定に基づいて、毎年退職金の金額を計算して、その分の四〇%を損金に算入しなくちゃならない理由は全くありません。仮に、企業会計上は潜在債務であるということで、計上することは理論上認められるとしましても、税制がそれを認めちゃいけない理由は全くないのでありまして、税制としては企業の現実を踏まえた負担の公平の観点から、幾ばくの金額を損金算入として認めるべきであるかということを別途に考えるべきでありまして、この引当金勘定というのは貸方勘定でありますから、借方のきちっとした資産勘定が特別に保有されなければ、従業員にとっても何の退職金の保証にもならないのでありまして、いずれにしましても、従来の間違った議論が行われておりますけれども、むしろ中小企業などはしょっちゅう退職する人がふえておりますので、そういったリスクに備えるためにはこういった引当金の制度が必要になってくるのですが、中小企業の方はかえって税法上さまざまな要件がありますので、引当金の設定は困難になっておるという——われわれの調査によりますと、これは労働団体が昨年の暮れに発表した数字でありますけれども、たとえば私がある論文に書きました数字を引用しますと、これは東京証券取引所の一部上場会社について調べたものでありますけれども、国家公務員労働組合が現実に調べたのですけれども、これは政府が発表した数字を使って調べたのでありますけれども、非常に低い数字でありまして、期末残高に対する目的使用の金額、取り崩し額というのは、たとえばC社では一・一%しか取り崩してないという。そうすると、要支給額から計算すると一%割ってしまうのであります。そういうことでありますので、中小企業は倒産することがあっても、私は大きな企業は倒産することはないと考えております、倒産するときは日本の資本主義がすなわち大変な状態になるだけでありまして、あり得ないと思っております。  それから、直間比率の問題でありますけれども、きょうも学問上申し上げたのでありますが、直接税は先進国で発達すべき税金でありまして、先進国でしか成功しない。もっとも、ヨーロッパは特殊な事情がありますけれども、アメリカは直接税の比率が九〇%を超えておるというような数字が発表されておりますけれども、直接税は納税者の能力に応じて税金課税するという。それから、税の痛みをきちっと教えるという、そういう意味納税者が納税を通じまして政治に参加するという意識を与えるというこの二点だけをとりましても、直接税は合理的である、理論的には最も望ましいということになっていくのでありまして、そういう意味で私は理論的には直接税が九〇%になっても、場合によっては一〇〇%になってもよろしいというふうに申し上げたのであります。間接税は何といっても逆進的な性格を持ちますし、タックスペインの意識を弱めるという、税痛をなくするという、そういう意味で、しかも特殊な日本的な風土ではなかなか、ただでさえ納税者の意識が低いのですから、そういった間接税を中心とした租税体系になっていきますと、大変恐ろしい日本の政治状況、社会状況をもたらすであろうと考えておりますので、もちろん経済的な問題は言うまでもありません。  ただ、御質問でありますのでお答えしますけれども、EC型付加価値税を導入する場合どうかという御意見でありましたが、私としましては一般消費税の中では一番合理的な税金はEC型付加価値税だと思っております、これはインボイス制度がありますから。先般論議されました特殊日本型の一般消費税はいろんな欠点を持っておりまして、その点ではEC型付加価値税の方がはるかに合理的であるというふうに考えております。ただ、これ一般消費税でありますので、さまざまな、フランスもいろんな問題を起こしております。二、三年前のフランスの新聞の報道によりますと、若い青年実業家たちは、余りにもこの付加価値税の徴税攻勢のために前途を失いまして、中川一郎さんとは違った形で、つまり税務署への遺言状をきちっと書いて自殺を図ったという、これは非常に恐ろしい税金であります。単に税金負担が重いというだけのほかに、税務行政上、納税者は常時徴税権力の監督下に置かれているという、そういうことになる危険性があるのでありまして、非常に恐ろしい税金であるという——売り上げに対する税金でありますから、しかも、必ずしも転嫁できない面がありますので、中小企業者を大きく圧迫するという、これは非常に恐ろしい——フランスという最も一般消費税の発達した国においてすらそういった問題が起こっておりまして、大変な問題が起こっておるということを申し上げておきたいと思います。
  9. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) では、お答えいたします。  最初の、石油の値下がりがアメリカ経済にどういう影響を与えるかという点でございますが、これは他の先進諸国と同じように、私はアメリカ経済の回復に非常にいい影響があるかと思います。もちろん、インフレの抑制というか物価の安定ということがアメリカの中でも最も重要な政策の一つでありますが、やはり石油のような重要商品の価格安定は、インフレの問題から見ても非常に好影響がありますし、国際収支の面で考えてもアメリカは輸入の三割近く、二割何分が石油でありますので、その影響はやはり大きいと思います。インフレの面、国際収支の面の制約から離れて、そうすればアメリカとしては積極的に景気回復に乗り出し得るわけかと思いますが、そこは財政赤字問題を抱えているアメリカとしてどういうふうに処理するか、これからが勝負どころかと思います。  次に、対外経済協力について銀行としてどう考えるのだという点でありますが、私はやはり世界経済がうまく回るためには、やはり先進国から後進国、発展途上国へ金が順調に流れていくということが必要であるということを考えます。その場合に、現在いろんな国が問題を起こし、国際金融不安もある折から、どういうふうに対処したらいいか、この点につきまして私どもとしては自分の銀行だけがうまいことをしようといって、ちょっと危なくなった国があった場合に、そこからまず引き揚げていくというふうになると、一種の取りつけになるわけでありまして、そういうようなことはもちろん慎まなきゃならぬし、また、世界の各銀行が一緒になってある国の救済のために資金援助をしていく。たとえば、最近のアルゼンチン、ブラジル、メキシコ等の場合において国際収支の非常な困難に逢着したときに、もちろん当該国自体自分の力で国際調整を図っていくという、その努力をしなきゃならないし、その努力を前提としてIMFも金を貸すわけでありますが、それにやはり民間銀行もこれに金を貸し続けるということが必要かと思います。アルゼンチン、メキシコ、ブラジルは危ないから、もう金を貸すのはやめたというふうになれば、これはまたたく間にこれらの国が干上がってしまう、行き詰まっていくのは明瞭でありますので、そういう点はやはりある程度の金を続けていく、これはその国々によって状況が違いますし、IMFの要請する経済調整策も違っておりますが、私どもはこういう世界的な国際金融協力の一環として、民間銀行としてもこういうところへの融資を続けていく必要があるかと思います。  そういうときに、いまお話ありましたような貸倒引当勘定、特定海外債権引当勘定ですか、というものが今度、今年度決算から認められるようになりますが、こういうようなことは必要かと思います。また、先般大蔵省からお示しになった基準というものも正しいかと思います。これは、アルゼンチン、メキシコ、その他の国がもうだめになっちゃった、この国がもう貸した金が回収できなくなるという意味ではございません。私どもはIMFの指導のもとに行われておりまするいろいろな対策が必ずや効を奏する。それはもちろんIMFの融資にしましても三年がかりの調整を要求しておりますから、まあ若干の時間はかかるにしても、必ずやこれらの国は立ち直るものと思っております。したがって、これらの国に対する金が焦げついてどうにもならないとは思っておりませんけれども、そうかといって、現実にこういう国際金融不安の折から引当金をつくるということは各国ともやっておりますし、日本だけがしないというわけにいかないということもよくわかりますし、この際こういう勘定をつくることには賛成いたしております。  ただ、諸外国で見ておりますと、この引当金勘定というのは大体私の理解する範囲ではもう免税扱いになっている。日本の場合には税法の関係がございまして有税になっている。この辺はぜひ将来、いま先生からお話がありましたけれども、免税の、こういう海外特定債権引当勘定というものができるようにぜひお願いしたいと思っております。  最後に、為替相場制度についてちょっとお話がありましたが、ワイダーバンドはどうかというお話ですが、ワイダーバンドというのは、やはり本質は固定相場の変動幅をちょっと広くする。私の記憶でございますけれども、一九七一年ですか、ニクソン・ショックの後の対応策としてスミソニアンで新しい体制に移るときにやはりワイダーバンドが必要であるということになりまして、固定ではあるけれども変動幅を、IMF協定にありました一%を少しふやすとか、二・二五%にさらにふやしたことがございますが、そういうふうなワイダーバンド制が今日とれるかどうかという点でございますが、これは要するに固定相場に戻って少し弾力的な幅を持たせてはどうかという話ですが、先ほど冒頭の陳述で申し上げましたように、今日の状況では固定相場へ戻るということはむずかしいのじゃないか、ワイダーバンドということで問題の解決はむずかしいのじゃないかというふうに思います。  以上をもちまして御答弁といたします。
  10. 岩動道行

    岩動道行君 二、三分時間があるようでございますので柏木公述人につけ加えて伺いたいのですが、日本の円相場はどの程度が適当なものであるのか、いま円安なのか、あるいは円高なのか、この辺のところと、そしてECが通貨調整をやりました、これに対する評価、それと日本円との関係についてのお考えをちょっと伺いたいと思います。
  11. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) お答えいたします。  非常にホットな問題で、非常に答えにくいのでございますが、私は、けさの円相場は私が銀行を出るときには二百四十一円ぐらいで、三十円台を突破して四十円になっておりますが、こういう相場はやはり円が安過ぎるのであるというふうに考えます。やはり、いわゆるファンダメンタルズ、経済基礎的条件、インフレ率とかあるいは成長率、国際収支の状況あるいは競争力等々から見れば円はもっと強くあってしかるべきだと思います。それが必ずしも実現しないというのは、金利が非常に大きく響く問題あるいは国際情勢が不安である。有事に強いドルということがよく言われますけれども、確かにいまはむずかしい時期であるという意味で、それだけでもドルが強くなる要素がある。しかし、二百四十一円が弱い、では幾らがいいかというのは、数字で申し上げることはこの席ではちょっと御勘弁願いたいと思います。  それから、けさテレビを見ておりますとECでヨーロッパの通貨調整が行われたわけでありますが、これが日本円にどう響くかという点であります。実は土曜日の相場が、二百三十八円が急にきょう二百四十一円になったということで、これがEMS、ヨーロッパにおける通貨調整の結果かというふうにあるいはお考えになったかと思いますが、実は私どもが見ておりますとそうではなくて、円がけさ弱くなっておりますのは、アメリカにおけるマネーサプライの増加が先週発表になっておるのですが、それが意外に大きかったということから、マネーサプライの増加——すなわちアメリカは金融引き締めに変わるのじゃないか、締めれば金利が上がる、そうするとドルが強くなるというような連想感から急にドルが強くなり円が弱くなったというふうに考えております。  EMSにおける通貨調整はヨーロッパ内の通貨調整でありまして、中心相場に対してドルその他の強い通貨が強くなり、フラン、イタリーリラ等の弱い通貨が弱くなったということでありまして、それだけで円に対する影響はないものと考えております。
  12. 勝又武一

    ○勝又武一君 私はお二人に、二十五分の持ち時間でございますので、大体半々ぐらいというような気持ちで、その辺御答弁の方もお願いしたいと思います。  まず北野公述人にお伺いをいたしますが、私は先生の御意見をお聞きいたしておりまして、決してその核マルだなんという感じはいたしませんで、大部分賛成の気持ちでお聞きをいたしましたが、ひとつ私は、租税負担の公平の原則、こういう立場からそれぞれ先生の問題について三つばかりお伺いをいたします。  まず一つは給与所得者の問題でございますが、俗にトーゴーサンピンと言われますように、きわめて給与所得者とそれから事業所得者、農業者あるいは自由業者等々の大きな差がございます。私はこの中で一番問題は、よく先生の論文にもございますが、必要経費ということだと思います。たとえば、教員でありますと図書費とか研究費とか、こういうことが例の法定の一定率と一定額の給与所得控除では全く不十分だという現場での厳しい声もございますし、あるいは図書費とか研究費とかあるいはその他特定の人たちの被服費とか、たとえばいまの通勤状態等々を考えますとこういう問題についてもきわめて給与所得者の必要経費ということが不十分である。そういう意味で、いまあります法定概算経費控除と実額経費控除額と選択制にせよという御意見を先生お持ちでございますが、それらの問題について、先進国におきましてそういう実額経費控除の実施状況がありますが、それらを考えまして、日本の場合にどうしてできないのか、そういう点についての問題点。  それから、いわゆる源泉徴収制度と申告選択制の問題でありますが、特に給与所得者も年末調整が厳しく、確定申告はきわめて形式的、ごく一部に限定をされています。こういう問題についても、確定申告制度をとるべきだという御主張につきましてももう少しここで御意見をいただきたいというように考えます。  それから二つ目は大型間接税導入の問題です。私も去る総括質問でもずいぶん政府にこの点をお聞きをいたしました。いまの一般歳出の削減がなかなか思ったようにはできないというのが政府の答弁ですし、自然増収の見込みもそうない、しかも赤字国債の脱却は数年でやりたい、五年から七年とか、五年から十年でやりたい。こういうようなことを考えていきますと、政府の考えは恐らく、大型間接税導入しなければいまのいわゆる中期試算というものができない。こういう立場にあるというように私は見ておりますけれども、それが導入されそうな見通しにおきまして、まずこの大型間接税導入された場合の、特に利点は先ほどもちょっとありましたが、私は主に欠陥の問題について、物価上昇するでしょうし、低所得者への負担というものが大きくなっていわゆる租税負担公平の原則が崩れるのじゃないか、こういうふうにも一つ感じますが、この点と、もう一つは、直接税中心日本と間接税中心のフランス等のような外国との場合、日本にこれが果たしてどのように対応できるのか。戦後の取引高税等の失敗は一つもう別の問題にいたしましても、現状における日本のこの対応の仕方について大きな問題を感じますので、この点をひとつお教えをいただきたい。  それからもう一つは、先生もおっしゃられました不公平税制の問題で、私も、特に多くの貸倒準備金、引当金の問題、退職給与引当金、減価償却費、それぞれ皆賛成です。土地増価税等の問題につきましても、何か先生からいま一%か二%で数兆円というようなお話もありましたが、この辺のいわゆる収支のギャップ、年々四兆とかそれ以上になっていくこの収支のギャップを埋めるということを考えましても、これらの点の財源としても私は必要だというふうに思いますが、これらについてのお考えをできましたらひとつ十分程度で、少し長くなっても結構ですが、もうちょっと、そのぐらいでどうぞ。
  13. 北野弘久

    公述人北野弘久君) 先ほど最初の御質問の方に申し上げたのですけれども、つまり日本税制とか財政の仕組みでありますけれども、憲法と無関係に行われているんですね。私は三十年間やってきたこと、それを言っているのでありまして、憲法どおりきちっとやっておれば歳入欠陥も生ずるはずはありませんし、さまざまなこういった問題が起こってくるはずはないんです、少なくとも制度論からいきますと。納税者国民不在の制度になっておりますからこういう問題が起こってくるのでありまして、これほど財政危機だとか大変な日本の運命が問題になっている時期におきまして、いまだに国会におきまして、貸倒引当金であるとか退職給与引当金の問題一つとりましても、まじめに何が不公平税制であるかを考えない議員がおるということ自身が私は国民のために恥ずべきことである、そういうもっと勉強してほしいと思いますですね。一体貸倒引当金の実態が何であるかということを、これはもういろんな方がいろんな形で研究しておりますので、それをよく勉強しないで何か特定の偏見を持って考えておるという、そういう人が議員であるから日本の政治はいつまでたっても民主化されないという、いつまでも後進国並みであるという、そういう、後ほどまたいろいろ質問あればお答えしますけれども。  サラリーマンの給与所得につきましていろいろおっしゃったこと、全く私もそういうことを前から言っておりまして、詳しくは私の小さな書物、岩波新書の「納税者権利」に書いておきましたのですが、アメリカではやっておる、日本でなぜできないのかという問題があるんですね。ドイツでもやっておるという、フランスでもやっておるという。たとえばアメリカで申しますと、アメリカサラリーマンの必要経費の規定というのは、普通の事業をやっている場合と同じ規定しかないんです、皆さん。だから日本アメリカ以上の先進国であるとか、GNP一位、二位だとかということが言われておりますのですから、アメリカ税務行政でできてなぜ日本でできないのかという、これがおかしいのですね。日本大蔵省は有能な人がおるはずですから、できないはずはないんです。アメリカにおきましても簡単な必要経費規定しかないんです。その規定を使って全サラリーマンがたてまえとしては必要経費を確定申告の段階で申告するようになっています。これ、できないはずはありません。  だから、私は日本社会党に協力しまして、数年前に所得税法一部改正案を議員立法の形で出すことについて相談を受けたわけでありますけれども、そのときに申し上げたのはそのことでありまして、いずれにしましてもアメリカでできて日本でできないはずはないという、勤務に必要な経費というのはおのずと決まってくるんです。職種によって決まってくるんです。その人の職業や地位によって決まってくる。たとえばある会社のこういう業種の課長はこの程度の勤務に伴う必要経費がかかってくると、おのずと決まってくるのでありまして、もし何だったら所得税法を給与所得特有の必要経費概念について立法上の整備をすればよろしいのです。それに基づいて税務行政を運営されればよろしいんでありまして、だから、私はアメリカのように年末調整もしないで全部必要経費の申告をするということについては日本の風土に合わないと思っておりますので、そこまで極端な議論はしてないんです。ただ年末調整を受けるかどうかはサラリーマンの選択制にしなさいと。  ある納税者は、一々税務署へ行くのは大変だという人は、別に税務署へ行かなくてもよろしい。その方は法律で決めた定額の、法定額の控除額を選択し、そして勤務先で年末調整を受けなさい、しかし中には特殊な業種、特殊な方がおって、自分は一年に一回ぐらいは納税者としての権利を行使したい、申告納税権というのは私に言わせますと国民主権原理の租税における展開でありまして、まさに憲法上の主権者としての権利であると私は考えておりますので、それを一年に一回は行使したいという人に、おまえは行使しちゃいけないという税制は、これはまさに法治国家に反するものでありまして、憲法上の権利なんですから、だから中にはやりたいという人については保障するという、これは年末調整権を選択制にすればよろしいんですね。そして運用上問題があるのだったらサラリーマンに固有の必要経費概念というものをきちっと法律で法定化する。こういうものはサラリーマンの必要経費にする、こういうものはしないという形で日本大蔵省の有能な知恵をしぼって法律化すればよろしいのであります。  ところが、外国ではそういう規定すらないんですね。簡単な条文しかないという。ドイツでは法定額控除と、ドイツはもともと賦課課税制度でありますけれども、法定額の控除と実際にかかった経費の選択制にしております、ドイツでは。私は仮に必要経費を認め年末調整の選択制を認めることにしましても、税務署に納税者は殺到しないと思います。本当にやりたい人だけが、また必要な人だけが申告に行くのでありまして、これはやっぱり憲法上要求された権利でありますから、きちっと税制上保護すべきであるということが一つです。  それからトーゴーサンの問題に関連しまして、よく間違った議論が行われておりますが、源泉徴収によって確かにサラリーマン所得がたくさんつかまっておるということは事実であります。ですから源泉徴収制度を全面的に適用することから来る所得ハンドの不均衡があることは明らかでありまして、これはもう公知の事実と言っていいと思いますが、ただ、その場合、現在の税制でいろいろ問題がありまして、事業をやっている場合におきまして、事業所得というのは個人の場合には事業主自身が企業体に労働を提供しておりますのですから、これは事業主報酬というのはその事業主自身が一つサラリーマンなんですね。それは給与所得者として扱う、そのかわり事業主報酬につきましてはサラリーマンと全く同じような源泉徴収も行いますし、現在の言葉で申しますと給与所得控除も行うということにすればよろしいのですね。そして本来の事業所得は事業主報酬を控除した残りのものでありまして、これにつきましてはできるだけ記帳を促進していくという、税務行政でできるだけ記帳をしてくださいと。しかし業種によってはあるいは経営の実態によっては記帳できない。夫婦二人でやっておる、あるいは知的業務で、たとえば弁護士業務だとか、そういうものにつきましてはとても帳面をつける余裕はないし、また必要性もない、所得の稼得形態が簡単であるからということでね。それからたとえば夫婦二人で医者をやっておる、小さな零細な診療所をやっておる。そういう場合は看護婦も置けない医者もおりますが、そういう場合は一点単価の計算が精いっぱいであります、とても帳面はつけられないという。  こういう人については私はドイツでやっておりますように、税務署では毎年所得標準率というものをつくっております、業種ごとに地域ごとに。ですから毎年実態調査を行いまして、この地域のこの業種についてはことしは売り上げがこれだけであって、所得率はこれだけだと、こういうものを皆持っておるわけですからこれを法定化するんですね。堂々と発表しまして官報に載せまして、できたら法令にするという。そういうことで、これは実態調査に基づきまして所得標準率を選択させるようにします。選択できない人は自分で帳面をつけまして実額申告を行うという。実額申告が不十分であれば税務署は一定の推計要件を満たす場合には、きちっとした推計課税の方式が適用ができるわけでありますから、そういう形でやれば不公平税制是正はできるということであります。一方、サラリーマンにつきましては、いま申しましたように事業所得者と同じように申告権を保障し、必要経費の保障も制度上行っていくという、そうすると制度上の不均衡はなくなるわけであります。  それから大型間接税のお話でありますが、もうあと一分しかありませんが、私は私の尊敬する今度企画庁長官になられました塩崎潤さんが言っておられることが全く正しいのでありまして、いかなる型の大型間接税日本の風土に合わないということを言っておられますので、塩崎先生のおっしゃることを引用することによって時間来ましたので私は申し上げません。いずれにしても、いかなる趣旨の大型間接税もできるだけ避ける方向で日本財政再建所得減税を考えていただきたいと思います。
  14. 勝又武一

    ○勝又武一君 柏木公述人にお願いをいたします。  ドルの値下げが世界不況の立て直しに効果をもたらすといういまのお話をお伺いいたしまして、特に日本の内需の活性化を図る要因になり得ないのじゃないか、あるいは日本経済のたとえば大幅な輸出をふやすとか景気回復には向かわないのじゃないか、それまでの大きな力は発揮し得ないのじゃないかというような論調をよく新聞紙上でも見かけますけれども、それらにつきまして、特にいま公述人のお話がございました世界不況の立て直しにこれが役立つ関連と、特に日本の景気浮揚効果という点から考えますとどういうように影響を持ち得るのだろうかという点が一つです。  それから二つ目は、特に対外債務の関係でございますが、非産油途上国、これはやはり金利が下がりましてもなかなか金利負担の増大の中で大変だと。そこで五ドルの値下げの問題が特にこの非産油途上国の対外債務問題を心配ないと、これで大体もう国際金融不安も解決をしたと、こういうように考えていいのか、まだまだこの程度のことではいわゆるカントリーリスクの問題やいろんな問題がまだ残っていると、こういうようにお考えになられるのかということが一つ。  もう一つは、先ほども出ましたが、日本の銀行間の、貸倒準備金の設定をする問題で、これも新聞紙上でよく議論があります銀行間の格差が大きいので日本の場合にはこの対外債務の貸倒準備金の設定が非常に銀行の間での格差からくる問題点というのを指摘する論調もございますが、この点について公述人の御所見を賜りたいわけです。  それからもう一つは、これは時間がありましたらで結構ですが、先ほどもちょっとございました為替相場、確かに二百四十一円は安過ぎると、もうちょっと円高でもいいのじゃないかといういまの御質問に対するお答えでありましたが、この為替相場の動向が日本の今後の景気にどういうような影響を持ち得るのだろうか。この点、時間がございましたらで結構ですが、承りたいと思います。以上です。
  15. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) お答えいたします。  ドルが強過ぎるということが昨年来非常に問題になってきている。ドルが強過ぎる結果として、ほかの国も非常に被害をこうむるだけでなくてアメリカ自体アメリカの輸出が伸びなくて、それがアメリカの景気を、足を引っ張っていると言われて、むしろアメリカ自体がこの際ドルを適正な相場水準へ持っていく、値下がりをする方に誘導すべきであるというようなことが先般のアメリカ経済白書にも出ておりましたが、私は確かにそうだと思います。ドルが強過ぎるというはね返りが円が安過ぎるということになっているわけでありますが、これがどの程度調整されればこれがまたどの程度の景気回復に役立つのかという点でございますが、私は非常に大きいと思います。やはりアメリカ経済は、先ほど申しましたように、何といっても世界で一番大きい経済日本経済の倍以上の大きさを持っている経済先進国の中におけるウエートも高いし、この経済がマイナス成長かゼロ成長ということではやはり世界景気の回復はなかなか望み得ない。確かに昨年未来、ことしに入りまして景気回復がかなり顕著になってきていると。ことしが二、三%あるいは四%成長も達成されるかということは非常に心強い限りでございまして、その関連でいまのドルの価格が調整されるということは非常に有効であろうと私は思っております。  次に、非産油発展途上国に対して、その五ドルの石油価格の値下がりがあった場合にどういうことになるだろうかと、これで国際金融不安は大丈夫かという点でございますが、とにかく一番問題の大きかったアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、この三国が量的にも質的にも一番問題の多いところだったと思いますが、これらの国につきまして昨年来のいろいろな話し合いの結果、国際金融協力も実現して立ち直る方向にきているということでございます。その意味で先ほど申し上げましたように、国際金融不安情勢につきましては一応山を越えたという感じでございます。  先ほど申しましたように、こういう国についての調整というのはもちろん一夜でできるわけじゃありません。やはりかなり長いというか、IMFが考えておりますのは三年になりますけれども、期間の調整によって経済再建が達成されるであろうという判断をしておるわけでありますが、そういう意味でことしはとにかく一応一山越えたというふうに考えております。  それから、特定海外債権の引当金の問題でございますが、これは千分の十ないし千分の五十というのは、これは銀行によって自主的に判断をするというたてまえになっております。先ほど申しましたように、債権自体がどうにもならなくなる、焦げついてどうにもならなくなるという判断ではなくて、こういう際であるから各国でもある程度引当金を積んでいるときに日本でも積まなければいかぬだろうということでありまして、海外における状況を見ますと、ほぼどこの国でも自主的判断に頼っている、自主的判断に任せている状況でございますので、日本もそういうふうに幅を持たせた引当金制度導入したかと思います。そのときに銀行によって判断も違うかもしれませんし、銀行により状況は違うかもしれません。したがって、私はそれぞれ銀行によってこの準備の状況が違うのが当然であろうというふうに考えております。これ一律にするということであるならばむしろ趣旨の本旨に反するのじゃないかというふうに思います。ただ巷間伝えられておりますところは、ここで一部の銀行におきましては競争的によけい積もうというような動きがあるやに聞いております、これが本当かどうか知りませんけれども。そういうふうなことじゃなしに、やはり状況を見ながらそれぞれの銀行がそれぞれの状況を踏まえて自主的に決めていくというのが創設の本旨に合致することかと思います。  それから最後の……。
  16. 勝又武一

    ○勝又武一君 結構です。あと二、三分ですので。
  17. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) ちょっと最後の御質問、はっきりわからなかったのですけれども。
  18. 勝又武一

    ○勝又武一君 日本の内需の活性化に、五ドルの引き下げというのは景気浮揚にどういうような効果を持ち得るのだろうか。特に日本の内需の活性化というような問題について力を発揮し得るのだろうかという心配をする論調があるけれども、それについての公述人の御所見を賜りたい。
  19. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) その点は私はやはりこれからの政策の持っていき方でありますけれども、やはりこれは日本経済を活性化するいいチャンスであると。日本としては国際収支の顧慮から言っても、またインフレ問題の顧慮から言っても従来いろいろの制約があったかと思います、経済の運営上。それが石油価格値下がりによってこれからは経済運営がしやすくなってきている。その幅の中において、その枠内においてこれから景気を支えるということにより一層努力するならば非常に大きな効果があるのじゃないか。これは日本に限らず先進各国共通の問題でございますので、こういう問題については、やはりサミットのときに主要国の間で世界景気を維持、拡大していく方向で何とか話し合いがつかぬものかどうかぜひ進めていただきたいというふうに考えております。
  20. 大川清幸

    ○大川清幸君 私も時間が限られておりますの で、いままでいろいろ御質問がありましたが、重複をしない問題で一、二お伺いをいたします。  初めに北野公述人に伺いますが、憲法二十五条の理念を基本にいたしまして幾つか問題を挙げられましたが、たとえば物価調整減税ですね、これは絶対やるべきものだという御趣旨のお話があったのですが、お考えとしてはこれは制度としてきちっとすべきだという御所見なのか、制度としてきちっとすべきだということであれば、現行の所得税制とのすり合わせ等の問題についてはどのような問題点がおありなのか、この辺を聞かせていただきたいと思います。  第二点としては、十億円以上の大型企業、これに対する——退職金引当金等ずっと出ましたからそれは避けまして、たとえて言えば超過累進税制みたいなものを、これを導入したらどうかというお話がございました。これは現行の法人税等との関連でこの制度を仮に導入するとすればどのようなことをお考えか。この二点についてお答え願いたいと思います。  それから柏木公述人にお伺いしたいのは、先ほどお話の中で原油価格の引き下げ現象が急激に起こらない場合は云々という形での御説明がありました。これはしかし時間的な問題もさることながら、五ドル値下げ、二十九ドルですが、これがどの程度まで下がれば金融パニックその他への影響の心配があるのかという点が一つ。  それから第二点は、これはむしろ政府に聞くことかもしれませんが、いま中曽根内閣は財政再建等で一生懸命やっていることは確かなのでしょうが、経済政策的には現状をよく見た上で考えたいというおっしゃり方をしておって、現実にどう対応するかについては余り質問をしてみたところが、私にはいまの中曽根内閣の経済政策の概要はつかめません、まことに残念ですが。そういう中で、特にこうした、いま柏木さんがおっしゃった世界経済に明るい材料として原油値下げをとらえるとらえ方が一つあるわけですが、その中で日本経済を、このチャンスを逃したのではだめなので、これ時間的な問題があると思うのですね、取り組みに。ですから、いまの日本経済の中でどうした経済政策あるいは金融対策で対応すべきであろうか、この辺について具体的なお考えなり複案があればお述べ願いたいと思います。  以上よろしくお願いいたします。
  21. 北野弘久

    公述人北野弘久君) 何分でお答えすればよろしいのですか、私は。  簡単に申し上げます。一つは、物価調整減税制度についてどういうことを考えておるかということですが、これは先ほど申し上げましたように、税制というものを憲法秩序に組み込むことが大事でありますので、現代物価上昇の多くは現代資本主義構造から来るものであるという、これはもうすべての経済学者が認めることでありますけれども、それを前提として現代税制はこう考えるべきであるという、そうしますと、私としましては、現在の基礎控除であるとか配偶者控除であるとか扶養控除という恒常的な所得控除制度とは別に物価調整に対応する特別の措置導入すべきであると考えております。これもかつて日本社会党の関係議員の方に申し上げたことがあるのですが、要するに、物価調整税額控除というものを制度化する、パーマネントな恒久的な一つ控除制度として所得税法に組み込むのであります。所得税法の何条かの中に物価調整税額控除というものをつくるのです。たとえば、物価がどこかの国のように五%なら五%を超えた場合には幾らの税額控除を行うか、その幾らの率は毎年告示または議会の特別立法によって数字だけは毎年の物価上昇度に応じまして決めていくと、数字そのものはそういうふうに決めていくのですが、制度そのものは所得税法の中に決めておくという。それで、それによってある一定時から計算した物価上昇に対応する不公平税制是正を行っていく。そして、またそれとは別に財政上余裕があれば基礎控除扶養控除配偶者控除等の見直しを適当な時期に行っていく。また見直した場合にその見直した時点から計算して、それからその後物価は何は上がったかということで物価上昇の度合いに応じまして、いま申しました物価調整税額控除を決めていくという、これ、二本立てでいくのですね。ですから、所得税基礎控除扶養控除配偶者控除という通常の制度とは別に、自動的にその物価調整に対応する制度をつくっていく。基礎控除を上げないけれども、少なくとも物価調整減税制度をやる必要があるのだということで、その物価調整税額控除制度を国会で御検討いただくと。私に言わせますと、この物価調整税額控除というものは政治家のバロメーターだと考えておりますね、通信簿であると。これだけ政策の失敗、あるいは政策の不都合で物価を上げましたと、悪うございましたと言って国民に謝って、したがってこれだけ調整減税をこの控除を使ってやりますと、ことしはこれだけうまくやったからこれだけ少な目で結構でしょうかということで、こういう気持ちで謙虚にやるべきだということが一つです。  それから累進課税の問題でありますが、これも私の論文にも出てきますし、昨年十二月に国民税制調査会——私もその委員でありますし、かつて代表委員を務めましたが、国民税制調査会というところで出した試案によりますと、私は個人的にこの試案はまだなまぬるいと思っておりますが、一応現在四二%という税率を——三段階に分けるという年所得一億円以下の階層につきましては、一億円までのものについては三七%の低い税率を適用する。もっとも現在資本金一億円以下の法人につきましては八百万円のものについては軽減税制が適用されておりますから、それはもちろん生かしていくのですが、この案ではそれを千万円に引き上げるということになっておりますが、それは一応別としまして、基本税率としましては年所得一億円以下については三七%、それから一億円を超えて十億円以下までのものについては現在の基本税率の四二%を適用する。そして十億円を超えるランクにつきましてはその分については四七%というふうになっていますね。ですから、その点で五%が超過すると思いますが、しかし僕は、所得階層をもっと小刻みにしまして低い階層については二〇%ぐらいでもいいのじゃないかという気持ちを持っています。所得税一〇%からですから、個人企業実体の変わらない零細な法人企業につきましてはもう少しこういうことを考えまして、現在の軽減税制がありますけれども、それとは別に基本税そのものを所得階層ごとにもっときめ細かくやっていいのじゃないかと思っておりますが、一応もし参考になるとすれば、国民税調の案を御検討いただければありがたいと思っております。
  22. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) お答えいたします。  急激な石油の値下がり、五ドル程度であればいいけれどもどの程度になったら金融パニックが起きるだろうかというお話でしたが、幾らまで行ったら大変だというのは実は数字的になかなか出ないと思います。五ドル程度であれば、一番問題のメキシコの例をとりましても、五ドル値下がりによる輸出所得というか輸出の収入減に昨年来の金利の値下がりにほぼ見合っているということから、その程度のものであればメキシコもやっていけると、もう少し多かったら絶対だめかというとそういうことでないと思いますけれども、ちょっと数字的に幾らまで下がったら金融パニックが起きるというようなことではないと思います。ただ私が申し上げたいのは、急激な値下がりを何ドルというふうな線で引くというよりも、今度の値下がりが協調的に行われたというところに評価をしたいと、つまり各国が競争して値下げをするということであって油の値段がどこまで下がるかわからぬというような競争して下がっていく状況があれば、これは一番憂慮すべきことであったと、その点がOPECの中でいろいろ意見が合わないためになかなか石油価格が決まらなかったということが実は皆の懸念したところでありますけれども、それが十二日間ですかの討議の結果一応結論が出たという、それを評価したいということだと思います。  それからいまの財政金融政策でございますが、これは確かにまさに政府にむしろお尋ねになった方がいいかと思いますけれども、石油価格値下がりというのは確かに一つの明るい材料であり、これをうまく活用すれば景気の回復にもさらに一肌脱げるということかと思います。財政の問題は私はよく知りませんけれど、私は、予算の執行面でどういう手が打てるかについてもちろん十分研究しておられるかと思いますけれども、金融の点について特に申し上げたいのは、日本一国だけでどうこうするという問題ではないのじゃないか。つまり今日のような世界経済がお互いにもち合っている、もたれ合っているという関係のときに一国だけで突っ走ってやるということはなかなかやりにくい。今日は、やはり特に金融面ではお互いに連携をとりながら景気を支えていく政策をとっていかなければならぬ。ですから、よく公定歩合を下げたらどうかという議論が出ますけれども、私も前にも申したことがありますけれども、今日の金利水準は非常に高い。さっき申しましたように、アメリカにおきまして、インフレ率から考えれば実質金利はこんなに高いことはいまだかつてないのだと。そういう状況で、ほかの国もみんな引きずられて金利が高いというのはやはり下げたらいい。ただ、金利を下げるについて、どこの国がどこでどう動くという問題ではなくて、皆の国が相協力して金利を下げるような方向に持っていくように協力し努力する。こういう問題について、もちろん御当局も十分考えておられることでありますし、私どもから見れば、そういう話し合いをさらに十分詰めていただき、ことに六月に向かって、サミットを控えてこういう協調がさらに進んで、金利がより一層いい水準にいくことを望んでやまない次第でございます。
  23. 大川清幸

    ○大川清幸君 時間がありますので、もう一つ。  それでは柏木さんにお伺いしておきますが、先ほどの話で、いわゆる十六カ国ですか、フロート制をとっておる関係の国がありまして、御承知のとおり、IMFの近ごろの世界経済に関連したいろいろな機能についても批判される一面もあるのですが、やはり相場の変動は小幅であることが望ましいことは確かなんでございますが、御説明にありましたように、各国間のいろいろな国内の経済事情等の格差あるいはカレンシーの上での貨幣価値のいろいろな格差もあるので、実際にこれはかなりの努力を各国でしていただかないとこの協調はむずかしいのだろうと思うんですけれども、御所見の中でお考えになっていることは、時間がないから単純な言い方ですけれども、フロートの幅みたいなものを各国間である程度の枠みたいなものを決めるような協調だけでも最低限度できないかというお考えでしょうか、どうでしょうか、その辺。
  24. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) お答えいたします。  いまのお尋ねの点は、よく言われています目標圏というかターゲットゾーンはどうだろうかということかと思います。ターゲットゾーン制度というのは、変動の幅にこれ以上持っていかないという極限を設けるというか、そういう制度でありますけれども、これはやはり基本は、一つは関係国間の経済政策の調整がうまくつくということがありますし、もう一つは、介入の問題について一国の介入だけではなくて、協調的な介入をするということができるということ。ですから、そういうふうな意味における制度的な経済政策の調整、協調が担保されるか、協調的介入という制度が担保されるかという点でございます。その点非常に参考になりますのは、例のEMSというのがあります。EMSはそういうふうなことを念頭に置いているわけでございます。もっともEMSの場合には、主体が例のヨーロッパ共同体、ECでありますが、これは将来の経済統合を目指しての団体でございますが、そういう団体の中においてやっていく、今度の調整を見てもおわかりのように、なかなかむずかしい議論が展開される。しかし、最終的にはECの団体の将来のあり方を展望して、やはり何とかお互いに大きな利益に向かって小さな犠牲を払っていくという意味において、協調していくという精神が生かされてようやく結論に達した。そのような経済政策の調整について本当の話し合いがまとまるならばこういう制度は成り立つのじゃないか。ですから問題は、いま十六カ国の間でそこまでの何というか、団体意識というか一緒になって動こうというところまで来なければならないわけでございますが、それにはまだまだもう少し時間がかかるんじゃないかというふうに考えております。
  25. 近藤忠孝

    近藤忠孝君 北野公述人にお伺いしますが、歳入欠陥が毎年大変多額に上がっておりますし、五十七年度も補正を組んだけれども、まだ出てくると、こういう状況であります。  その原因につきましては、それは経済の見通しの誤りだけじゃなくて構造的なものがあると思いますし、先ほど先生もそうおっしゃったのですが、どういう構造歳入欠陥の原因となるのか、これが第一点です。  それからもう一つは、先ほど一般消費税は無限に広がる軍事費の担保となるとおっしゃいましたけれども、その意味をもうちょっとわかりやすくお願いしたいと思います。
  26. 北野弘久

    公述人北野弘久君) 私、非常に微力ですけれども、三十年ほど税制税務行政それから財政全体につきましてタックスペイヤーの観点から研究しているんですけれども、非常に驚いたんです。五十七年度ですね、鈴木内閣が二兆円の国債を減額していきたいという、これは鈴木内閣の唯一の重要な政策でありましたが、その内閣が、五十七年度の途中におきまして六兆円の歳入欠陥があるんだということを報道しました。これは驚いたのであります。それから五十六年度は三兆幾らということでありましたが、五十六年度はまだとしましても、五十七年度は財政緊縮を図り、これから国債をなくしていきたいということを真っ正面から打ち出した五十七年度において六兆円の歳入欠陥を生ずるということを発表しました。新聞はこれにつきましてほとんどコメントしなかったのであります。私に言わせますと、この新聞の態度もおかしいのでありまして、大蔵省は皆さん専門家集団でしょう。二兆円の国債を減額したいという内閣が、その三倍の歳入欠陥を年度の中途において発表することはあり得ないことであります。オイルショックその他のような景気が激しい変動をした場合は別です。ところが、ここ二、三年別に景気の激しい変動があったとは聞いておりません。歳入見積もりというのは大蔵省の主税局が見積もるのでありまして、税金屋が見積もるのであります。個別計算を積み重ねていって税収は幾らほどあるであろうかということを計算するのであります、通例は。そういった地道な作業の上に乗っかって税収を見積もるのであります。法人税収というのは、企業の借方と貸方の差額でありまして、これはちょっと勉強された人ならわかることであります。わかりにくいところは国税庁を通じましてその見積もりの過程におきまして確認させるのであります。ですから、急激な経済変動かない限りは何兆円という誤差は生ずるはずはありません。もしあるとすれば、二つしか理由はありません。  大蔵省の担当官全員が日航の片桐機長のような状態に落ち込んだということです。つまり、正常な判断ができなくなったという、専門家としての判断ができなくなったということが一つ。私は大蔵省の担当官が全員精神分裂症になったとは思いません。  いま一つは、政治過程において、つまり予算の編成過程に何らかの作為が働いたという、つまり大蔵省その他の専門家集団では、当然六兆円の税収は入るはずはないということをあらかじめみんな承知していた、少なくとも予見ができた。それを承知しながらあえて一定の政治的なパワーによってあの五十七年度当初予算案がつくられたんじゃないかという、これは相当学問的には十分それは裏づけ得る現象でありまして、ですから私は、こういった納税者不在、国民不在の予算の編成過程自身を改める必要があるという、これが一つであります。  ですから、六兆円の誤差は何も景気の変動がどうだったかということと関係ないのでありまして、これは私が言わなくても、企画庁長官が就任されました最初のNHKのテレビで言っておられます。自分の主税局長時代はそういうことをしなかったと、経済企画庁はどういう推計を発表しようと、それと関係なしに主税局は主体的に税収見積もり計算をしたという。ですから、何千億円程度の誤差は私はあり得ると思いますけれども、六兆円という誤差ですね、これはあり得ないことでありまして、何らかの政治的な作為が働いたと見ていいと思います。これは国民納税者として十分にそれは弾劾すべき事実でありまして、この辺からきちっと解明しなければ、日本税制財政それから政治の民主化が行われない。これは新聞はほとんど報道しておりません。  それから、大型間接税につきましてはどういう……欠陥ですね。
  27. 近藤忠孝

    近藤忠孝君 一般消費税が無限の軍拡の担保になると先生おっしゃったことです。その意味を伺いたいのです。
  28. 北野弘久

    公述人北野弘久君) 大型間接税の問題は、何も赤字財政が起こってから生じたのではありません。昭和三十一年の、つまり日本が高度成長期に入ったその段階で、当時の政府の税調ですが、当時では臨時税制調査会と言っておりましたが、大型間接税はすでに昭和三十一年の税調の答申に登場してくるのであります。それから、日本が高度成長期を謳歌していた昭和四十三年から四十六年の税調におきましてもこの問題がもっぱら議論されたのでありまして、ですから大型間接税の問題はもともと赤字財政とは無縁であります。本当に赤字財政であるのだったら、もっと後から登場してくるべきであります。  そして、五十年代からの赤字財政というのはかなり人為的側面を持っていると私は考えております。四十年代の終わりから特例公債発行されるようになったのですけれども、何もあのとき特例公債発行しなくても私はできたと思っております。だから、特例公債発行自体がある種の人為的な側面があった。少なくとも、法律学的に申しますと未必の故意が成り立つ程度の失敗と申しますか、予見があったと考えていいと思います。それでばらまき予算をつくったのですね。その結果赤字財政をつくり出したという面があります。それから、四十年代の終わりあたりから当然高度成長期とは違った財政政策を踏襲すべきでありまして、つまり大蔵省中心とした財政当局は軌道の修正を図るべきであったのです。これは十分予見できたはずでありますけれども、それを十分しなかったという、この二つの面で、私は一般的にも個別的にも赤字財政自身はつくられた面があると。  この大型間接税——その赤字財政をつくり出しまして、赤字財政というのはまさに何と申しますか、その大型間接税導入のための口実であるという側面がないわけではないでしょう。ですから、本当の赤字財政を克服するとか、財政再建を考えるというのだったら、先ほど申しましたように、行政改革中心とした歳出合理化学問的な不公平税制是正だけで十分できるのです。私はいろんな論文でそれを発表しておりますから、数字的にちゃんと裏づけをしておりますので、できるのでありまして、問題はやる意思があるかどうかということであります。  国会の議論ではよほど慎重に考えてもらわないと、日本の運命を決定する問題ですから、よほど慎重に考えてもらわないといけません。先ほどどなたかの質問がありましたように、貸倒引当金、いまだに不公平税制ではないという議論がこの国会で行われておりますけれども、これは明らかに不公平税制なんですね。真剣に考えて、本当に皆不公平税制是正を考えるということで日本財政再建と危機を乗り越えるべきでありまして、もちろん歳出合理化無限大にふくらむ軍事費に歯どめをかけるということももちろん大事でありますし、そういうことを真剣に考えればよろしいのでありまして、ですから大型間接税の問題は、これは普通税として取りますから、何か政府の税調では大型間接税であるとか一般消費税という名前は評判が悪いと、そこで福祉目的税とか福祉税という名前に変えようじゃないかという議論が行われておりますけれども、これも国民をばかにする議論であります。憲法上は、すべての税金は福祉のために使うべきでありまして、最初から支出は決まっているはずなのですね、日本憲法のもとでは。そのために国民税金負担するのでありまして、ですから、すべての税金はある意味では福祉目的税です。それを福祉予算に充てるものだけを、大型間接税を福祉税という形で取るという形にすりかえる危険性がありまして、それだけ逆に大型間接税で入った税収を仮に福祉予算に使ったとしましても、残りのものは、いままで福祉予算に回っていたものも全部含めて軍事費等に使われないという保証は全くないのでありまして、そういうことで、そのことを、これはもっと時間があれば客観的にいろんなデータを御紹介して申し上げたいのですが、大体以上のことでおわかりになったと思います。表面的な現象に目を奪われて問題の本質を見失って、恐ろしい日本にしないでください。
  29. 伊藤郁男

    ○伊藤郁男君 柏木さんに一点だけお伺いをしておきたいのですが、原油の値下げによりまして、これが世界経済あるいは日本経済に好影響を与えるだろう、日本経済の立ち直りのきっかけ、そういうものになるのだと、こういうような評価があるわけですが、一方、逆に厳しい見方もあるわけでございまして、原油価格はこの十年間に六〇〇%も上がったのだから、今回一五%ぐらい下がってもほんのわずかな影響しかないのだと、こういう見方もございますし、さらに先般報ぜられるところによりますと、OECDの第三作業部会が出したレポート、先進国に対しまして警告を発するというような意味もあったようでありますが、要するに産油国向けの輸出が今度は減ってしまう、したがって先進国の設備投資もそんなにふえはしないのだと、したがって逆に成長率は二、三年後には低下するのではないかと、こういう厳しい見方があるのでございますが、その辺のことにつきまして御見解をお伺いをしておきたいと思います。よろしくお願いします。
  30. 柏木雄介

    公述人柏木雄介君) お答えいたします。  石油価格五ドル値下がりにとどまらずもっと下がるかもしれないという点、それは確かに石油の上がり方が非常に大きかった、他の商品に比べまして大きかったことは事実でありますし、一般の商品価格も八〇年に比べますと二、三割下がっているものが多いわけでありますが、それに比べて今回の石油の値下がりが少し少ないのじゃないかという御批判もあるかと思いますが、私がまず申し上げたいのは、さっき御答弁申し上げたとおり、競争的な引き下げでなくて話し合いによってできたという点を評価したいということと、それから、それが一応石油を輸入する国から見ても、また輸出する国から見ても、大体ほぼ妥当なところに決まったという点を評価したいという点でございます。これが今後絶対下がらぬということはないと思います。現にOPECに参加していないいろいろな国が石油を安く売っているという情報もありますし、これがまたどういう影響をもたらすかわかりませんけれども、一応ここで落ちついたというふうに考えております。  それから、OECDの第三作業部会の報告に、産油国向けの輸出が減るということを心配すべきであるという点がございますが、確かに産油国は従来と同じような規模で輸入を続けるというのはむずかしいかと思います。したがって、産油国向けの輸出が減って影響を受ける国も多いかと思います。その中では日本とかアメリカが特に多いわけでありますけれども、しかし日本だけの例をとってみましても、石油価格の値下がりによる何というか、対外支払いの減少、つまり輸入の額の減少と産油国向けの輸出が減るであろうと見込まれる金額と比べると、それは格段に違うのでございまして、石油価格の値下がりによる輸入減少の方がはるかに大きいのでございます。したがいまして、産油国向けの輸出が減るということから来る影響のために全体が非常に阻害されるというようなことはないのじゃないかというふうに考えております。
  31. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 以上で、財政税制及び国際経済、金融に関する意見聴取は終了いたしました。  一言お礼を申し上げます。  北野公述人及び柏木公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。  午後一時から公聴会を再会することとし、これにて休憩をいたします。    午後零時八分休憩      ─────・─────    午後一時三分開会
  32. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 予算委員会公聴会を再開いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。  新田公述人、坂田公述人におかれましては、御多用の中にもかかわりませず、本委員会のために御世席を賜りまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。本日は、忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承ります。  まず、経済、景気動向につきまして、新田公述人にお願いいたします。東洋大学教授新田俊三君。
  33. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 新田でございます。  与えられた時間の中で、現在の景気局面並びに現在の景気同岡に関する施策について、若干の御意見を申し上げたいと思います。  現在の景気局面に関しましては、恐らく三つの特色があろうかと思います。  一つ性格は、世界同時不況であるという性格でございます。このような現象が一九三〇年代以降きわめて本格的な不況として世界的に展開されているという、規模の大きさにおいても大変特色のある不況であるということでございます。  第二の特色というのが、景気後退の期間がきわめて長い、三年を経てなおかつ出口がないという、長期的かつ構造性格を呈しているということでございます。この点、若干過去のパニック、恐慌と性格を異にいたしまして、逆に申しますと、それほど急激なショックが出てこないという意味で毛色の変わった不況という性格をもたらしているのではないかと思われるのでございます。  第三点目が、こういう世界的かつ長期的な不況であるにもかかわらず有効な政策的対応がとられていないという、この点が第三番目の特色ではないかと思うのであります。この点から申しまして、忌憚なく申しますと、現在置かれている景気局面は決して不可避の性格のものではなく、政策的な対応の立ちおくれそのものが現在の停滞局面を大変長引かせている、こういうふうに申し上げてもよろしいのではないかと思いますし、私はその意味で現景気後退を政策不況と定義してもそれほど的外れではあるまいというふうに考えているわけでございます。  以上の三つの特色を踏まえて日本経済の動向を見ますと、やはり懸念されたとおり景気停滞色は一段と強まっているわけでございます。つい最近の国民所得統計速報によってこの間の推移を見てまいりますと、昨年十月—十二月期で実質成長率が年率に換算しまして一・八%程度というふうに落ち込んでまいっておりまして、大変景気後退の様相が強くなってきているということでございます。通年で政府予想どおりに落ちつくという見方も有力でございますが、景気後退が一段と強まっているということ自体は否定できない事実であろうと思われるわけであります。また、同じ期間の鉱工業生産も前期比でマイナス〇・六%、一時増勢に持っていったこの鉱工業生産指数が再び下落し減少し始めた、この点も注目すべきではないかと思うのであります。  次に、このような局面をもたらした最終需要要因の動向についてでございますが、やはり懸念されたとおり、日本経済を取り巻く国際的な壁は厚く、輸出に関しては先行指標を見る限り依然として弱含みでございますし、特に十二月の通関実績、ドルベースで見ておりますと前年同月比一三・四%と大きな落ち込みを示し、これによって十一カ月連続前期比マイナスという記録を続けているわけでございます。一口に申しまして、日本経済に関しましては在来型の輸出主導型によって景気を回復するということは大変むずかしい、こういうふうに断言しても差し支えない事態になってきていると思うのであります。  ところで、この経済成長を支える基本的要因としての最終需要動向の中で注目すべき点が一点ございます。これは後ほどの若干の政策提言につながるところでございますので、この点だけ取り出して改めて指摘しておきますと、最終需要構成の中で十月—十二月の段階におきましても、個人消費と民間住宅建設を主とする民間最終消費支出が事実上景気の下支えをしているということでございます。この傾向は必ずしも十月から十二月の間にだけ見られている現象じゃございません。輸出依存度が低下するということから、ある意味では強いられた結果とも見られるわけでございますが、昭和五十七年暦年で見ましても、実質成長率三%のうちほとんどが、二・八%ぐらいが内需によって支えられているということは、一つ日本経済の成長メカニズムが今後とるべき構造を示しているように思われて大変興味深いということでございます。  そういうわけでございまして、世界経済は全体として停滞局面にあり、その中で、先進諸国の中では比較的経済的な意味では良好なパフォーマンスを示しておりました日本経済も、アメリカ、西ドイツがマイナス成長に転化するのに引きずられるように次第に日本経済の成長率自身も落ち込んでこざるを得ない、これが世界同時不況日本経済に対する影響であると見られるわけでございます。  こういうような状況の中で、ややきょうの公述の結論めいた部分を最初に申し上げますと、じっとしていてはこの停滞局面から抜け出すことはできない。何らかの積極的な手を打つ必要がある。そういう積極的な手を打つための条件が、現在のところ少なくとも二つ与えられているという気がするわけであります。積極的な政策の手を打つ、積極的政策を展開するということは、日本経済再建に当たって自助努力をするということになるわけでございますが、そのために二つばかり現在は明るい材料が与えられているのではないか。  一つは、アメリカの景気回復がやや本格化してきているということでございます。御承知のとおり、アメリカ経済の停滞というのが国際経済の全体の沈滞をもたらす主たる原動力であるということはもう常識になってまいっておりますけれども、アメリカの景気後退が実質高金利の影響を受けまして、八二年通年で実質GNPがマイナス一・八%、一九四六年以来の最低の記録を示したばかりでございますが、アメリカ経済で次第にインフレ率が低下し始めているということ、八〇年段階で一三・四%であったインフレ率が八二年には五%台に下がってきたということ、さらにインフレ率の低下によって金利が低下し始めたということ、こういったことによってアメリカ経済の景気後退の底入れが見られ、さらに選挙を控えまして道路補修等を中心とする公共投資等々による積極策がまた打たれ始めているということから、アメリカの景気回復はやや本格化しつつあると見られると思います。八三年度の成長率は、エコノミストの間ではほぼ二・五%程度になるのではないかというのが通説になりつつあるようでございます。これが第一点でございます。アメリカの景気回復並びにアメリカの金利引き下げによって国際的な利下げ協調も可能になってくる。アメリカの高金利が各国の経済成長政策を制約していたということは当然でございまして、特に金利政策に対する制約は厳しかったわけでありますが、この点の制約が若干除かれてきたという点でございます。この段階になりますと、必ずしも日本は常にアメリカだけを見て金利を下げる、つまりアメリカ追随型の金利政策をとる必要はない、ある程度自由度を与えられているというふうに見られるわけでございます。  それから、二番目の大きな問題は、原油価格引き下げの影響でございます。この原油引き下げの世界経済に対して与える影響についてはまだ定かなる結論は出ていないようでございますが、ごく概論的に申しますと、今回の原油価格引き下げは先進国に対するプラスの方が大きいと私は判断しております。それは原油引き下げによる所得再配分効果が中立的である、つまりそれによってプラスする場合とマイナスする場合の効果が等しい場合には世界経済に対する影響は中立的であるということになるわけでありますが、恐らく、この原油引き下げによる先進国の消費支出等々含めてのプラス効果が、原油引き下げの中立的効果を上回るのではないかというふうに直感されるわけでございます。アメリカの場合に、一バレル五ドルの引き下げによってインフレ率が〇・七ないし〇・九%ポイント低下すると言われておりますが、わが国の場合に対しても恐らく、これは一つの試算でございますけれども、実質GNPに対して、原油価格四ドルないし五ドル低下した場合に〇・一%程度の影響がある。確実に恐らくプラス〇・一%程度の効果がある。さらに卸売物価、消費者物価に対しては、それぞれマイナス一・二、マイナス〇・四%程度の効果があるであろう。これに公定歩合がたとえば〇・五%ぐらい引き下げられるという行為が加わりますと、さらにいまの数値が実質GNPに関しては〇・三%ぐらいになろうかということが予測されるわけであります。恐らく、原油価格引き下げによってそれだけで内需の伸びが〇・三%程度押し上げられると予測されるわけでございます。  そういうわけで、いま私が申し上げました二つの条件を踏まえるならば、日本経済が積極的な経済再建について打つべき条件が十分に存在する、特に国際的な条件は十分に存在するということがはっきりしていると思います。何事もタイミングが大事でございまして、いまのこの機会を逸すると、このままずるずると景気後退が続き、不況局面は出口のない構造的な様相を呈するであろうと思われるわけでございまして、何よりもこのいま与えられた政策転換のきっかけを有効に使う、この時期を逸してはならないというふうに考えるわけでございます。この点が第一の柱として私が強調したい点でございました。  あと二つばかり問題を申し上げておきたいと思います。  第二に私が申し上げたいところは、政策転換のきっかけあるいは国内経済政策の転換の性格については内需主導型の成長に転換せよということでございます。言うならば景気回復に対する日本経済の自助努力を行えということでございます。これについては、成長率が二ないし三%で十分均衡がとれているという考え方が有力でございますが、これは大変な誤りだと思います。この二ないし三%程度の経済成長率で均衡がとれているという概念は、先ほど申しました不況性格と大変深いかかわりがございます。不況であるにもかかわらず企業収益力が落ちない、あるいは就業者の増加が見られている、一見不況でないような現象が混在するわけでございまして、この点がいわば縮小均衡論を裏づける一つの材料になっているかと思うのでありますが、しかし、たとえば失業率について現状を見た場合に、一月の完全失業率は二・七二%と二十八年以来最高の水準を示し、しかもこの中には、恐らく十二月で見た完全失業率二・三%の中で少なくとも一・八%程度は構造的失業と見られるわけでございまして、こういう意見が有力でございまして、失業率の高さと同時に失業の構造自身がきわめて問題になってきている。言うならば次第に先進国型の失業構造になってきている。こういうような構造はほうっておいていいという問題ではございませんで、これを放置しておきますと次第に解決困難な状態に転化していくわけでございます。質量ともに失業問題は大変めんどうな問題になってくる。そのために、現在内需主導型でとり得べき措置をとり、経済政策として積極的な手は打つべきではなかろうかということであります。  なお、この財政再建を行っていく形で市場の均衡がおのずから回復してくるだろうと、いわゆるマネタリズム的な発想というのは日本経済の場合他の諸国に比べて一見して妥当しそうな現象も確かにございますが、しかし現在の日本経済は単なる循環局面ではございません。その中に非常に大きな構造的な変化を含んでおります。じゃ、この構造的変化というのは市場機構だけに任せておったのでは均衡を回復する、特に国民生活を基準として経済の均衡を考える場合には、市場構造の自動的調整によって最適均衡に近寄っていくという保証は全くございませんから、この意味でも積極的な適切な政策的対応が望まれるということでございます。そういうことを踏まえまして、日本経済が内需主導型で景気を回復するということにつきましては、そのことが世界の景気の流れを変える一つのきっかけになりはしないか。その意味で、日本経済は国際経済においてその果たすべき役割りを十分に果たせということを主張したいと思います。また、それだけの力がある。そのことが現在の世界同時不況を深刻化たらしめている国際的な貿易摩擦、国際間の不均衡、そういったものを解消していくためにとり得る唯一の、かつ具体的な手段ではなかろうかと、このように考えるわけでございます。  次に、こういう内需主導型をとり得る条件、こういったものについて若干の指摘をしておきたいと思います。幾ら内需主導型でやれと言っても、それをなし得る条件がなければそういう政策提言は抽象論に終わりますが、これについては五つばかりの日本経済が抱えている内需主導型をとり得る条件について問題を指摘しておきたいと思います。  第一は、日本の産業調整能力が抜群だということでございます。特に日本経済のオイルショック以降のハイテクノロジー産業を中心とする産業調整能力の高さというのは実証済みでございまして、他国にはない強みを持っているということが第一点でございます。第二点は、日本における国民経済レベルでの蓄積率がきわめて高いということであります。つまり家計ベース法人ベース政府ベースで見た貯蓄率の合計を蓄積率と称しますが、そういう蓄積率が三〇%を超えているということは、アメリカ、西ドイツ等々の先進諸国に比べてほぼ倍以上の能力を持っているわけでありまして、この点についてきわめて日本経済が有利な条件を持っている。さらに三番目。第一次オイルショックと違って第二次オイルショック後の企業経営は、その収益力から見ても大変安定しているということ、第一次オイルショックの後におけるような経営上の不均衡は生じていないということが第三番目。第四番目は、物価が安定しているということでございます。さらに第五番目。この点は所得論争にかかわる問題になろうかと思いますが、日本労働分配率がきわめて安定的に推移しているということでございます。  そういうわけで、結論を申し上げますと、これからとるべき具体的政策手段については、短期的政策と中長期の政策を二つ組み合わせて展開する必要がある。短期的政策としては、適切な賃上げと減税を組み合わせた購買力政策をとれということでございます。これについては、減税と七%程度の賃上げが先ほど申し上げました諸条件から見て適切であろうと思われます。  まず、貸金引き上げについては、日本経済成長の底がたさが民間最終消費によって支えられているということを御指摘申し上げましたが、これは先進国であればどこでもそういうタイプをとるわけでございます。国民総支出の中に占めるウエートの高さから申しましても、成長寄与率、この民間最終消費、特に個人消費の動向は無視できません。経済企画庁の統計によって日本の分配率の動向を見ますと、昨年五十七年度の分配率見込みが、五十七年が五六・二%であり、五十八年が五六・七%となっておりますが、もしこのデータによって就業者の動向、一人当たり雇用者所得の伸び、いま時間がございませんので正確な数値は必要があれば後で申し上げますが、この計算をデータにする限り、昨年七%以上の賃上げがないとこの企画庁の見込みは達成できるはずがございません。したがって、現在の昨年より〇・五ポイント上がった労働分配率の調整能力をもって七%程度の賃上げは国民所得勘定から言っても十分可能であるというふうに判断いたします。  次に、減税の投資効果に関しましては、御承知のとおりこの減税の投資効果というのは二年度、三年度と時間を経るに従って次第に高まってまいります。私の計算によりますと、初年度〇・二三%名目GNPを引き上げ、二年度〇・三八%、さらに三年度〇・五%というふうに所得減税の効果は年を追って高まってまいります。これを単年度予算的な発想で一年目の効果のみを考えて考えるべきではなかろう、経済政策についてはもう少し時間的要因を入れたダイナミックな発想が必要だということでございます。しかし、所得減税並びに公共投資、この両者につきましては短期的効果はございますが、GNPデフレーターでその投資効果を見てデフレートしてまいりますと時間を追うに従ってこの投資効果は落ちてまいります。  したがって、ここで大事な結論は、所得減税と公共投資による短期的刺激政策は景気刺激のアクセルとしてだけ使うべきであって、これを余り過大に評価し、継続して長年にわたって景気を刺激するということはかえってマイナスの効果があるであろう。そこで、中期的には新しいタイプの公共投資につないでいかなくちゃいけない。その結論は、かつての伝統的なナショナルプロジェクトとしての集権型の公共投資、この投資効果が次第に七〇年に比べて八〇年代で落ちてきていることは計数的にはっきりしておりまして、在来型の公共投資を長年にわたって続けていくということは、成長は名目的にだけ行われ実質的にはふえないという結果になりますので、この政策は長年にわたってはとるべきではない。むしろ地方自治体を中心とした社会開発、地域開発投資という都市型産業に直結する投資をむしろ公共投資の主体にすべきであろう。その意味で今後公共投資の質を新しくし、その主体を自治体におろし、集権的な公共投資の不効率を改めるような、そういう制度的改善をなすことが最後に政策提言としては大事ではなかろうかというふうに考えます。  時間が参りましたので、現在の景気局面に対する主たる政策の具体的手段としては以上の点、枠組みだけにとどめますが、これをもって論述を終わりたいと思います。  大変ありがとうございました。(拍手)
  34. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  次に、行政改革につきまして坂田公述人にお願いいたします。東洋大学教授坂田期雄君。
  35. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) 東洋大学の坂田でございます。  行政改革をテーマといたしまして、これからお話を申し上げさせていただきたいと思います。  五十八年度の予算につきましては、国の予算も、それから地方の地方財政計画を見ましても、一般歳出の上では初めてマイナス予算という厳しい予算編成という方向に大きく転換をした、これは非常に注目されるところではないかと思うわけでございますが、しかし今後の、現在置かれております環境を見ます場合には非常に深刻な事態ではなかろうかと。国の財政を見ました場合に、すでに何遍も議論をされておるわけでございますが、今年度五十兆円予算のうち赤字国債が七兆円、さらにそれ以外に、表には出ておりませんが、国債整理基金への定率繰り入れが停止されているとか、あるいは補助貨幣回収準備資金その他からの資金を充てる。そういうかっこうで、実質的な財源でないものをとりあえず金をかき集めてやるということで、そういうものを合わせますと三兆円から四兆円近く。実質五十兆円のうち十兆円は財源が足りないという状況である。それだけでなくて、いよいよ国債の償還が六十年度から始まるわけですが、利払いを合わせました国債費が五十八年度八兆二千億ですが、今後一兆円ずつ大蔵省の計算ですとふえていく。五十九年度が十兆七十億円、六十年度が十一兆九千億円、六十一年度が十二兆九千億円。いわゆる借金の返済のツケの重圧がこれから一年一年非常な厳しさをもって加わってくる。地方財政も同様でございまして、この間自治省の方から出されました数字を見ましても、地方財政は交付税特別会計が借入金をしておりますが、その借入金の減債額といいますか、借入金の残高が現在十一兆円ほどございますが、この元本償還は五十八年度までいたしておりませんで、来年からその償還が始まる。これで、この借入金の返済が五十九年度は二千五百八十億円、六十四年度に一兆円に上ってくる。このうち半分は国が負担することになっておりますが、地方団体の側から見ますと、この借入金の返済の二分の一と、それから地方債の返済とを合わせますと来年は六千億円、それから六十三年度には一兆六千億円とウナギ登りに増大してくる。このように国も地方も借金のいわゆるツケ、その負担が来年度以降非常に厳しい状態に置かれてきている。こういう状況から見ました場合に、単に単年度の予算だけの収支を合わせるということではなくて、今後の長期の見通しの中で一体どういうふうにしていったらいいのか、そういう長期の進路、方向づけというものがやはり示される、あるいはもっと真剣に検討されなければならないんじゃなかろうかということを痛切に感ずるわけでございます。  そこで、先般も臨時行政調査会から答申が出たわけでございますが、私は特に当面歳出をカットする、当面財源を探すということだけではなくて、やはりシステムとしてどのようにしたら小さな政府になるか、歳出が少なくて済むか、そういう構造的な面からの歳出抑制、その検討こそがより重要なのではなかろうかというふうに思うわけでございます。そのためには、役所の組織とか公務員の数とか、これを減らすということとか、あるいは三K赤字等につきましても、経営形態をどういうふうにしていくとか、医療費の支払いシステムをどう変えていくとか、そういう構造的システムの面から歳出が少なくて済むような形を考えていくということが重要だろうと思うわけでございます。  さて、そこで、きょうは時間も限られておりますので、私はそういう面から見ました場合に、国と地方を通じてどういう形が一番小さな政府なんであろうかと、どういうふうな構造、形態にするのが一番税金の使われ方が少なくて済むのであろうかと、そういう点から見てみたいと思うわけでございます。  それで、そういう観点から見ました場合には、やはり地方分権という方向への改革、これこそが国と地方を通じて最も小さな政府になる方向、形ではなかろうかと思うわけでございます。  その理由といたしましては、いろいろ従来からも言われておりますが、一つは、現在の国と地方を通じて見ました形態はいわゆる多重構造である。国がありまして、国の出光機関があって、県、それから県の出先機関、市町村と、三重、四重の構造で同じような行政を行っている。これを国民税金の使われ方から見ますと、国民の納めました税金のうち七割が国税として人り三割が地方税として入るわけでございますが、七割国税として入りました税金のうち四割は国からずっと国出先機関、県、市町村という形を通じまして地方へおりてきて、地方で使われる。それから税金の使われる段階で見ました場合には、国が三割使って、地方が七割使うという状況でございます。このように現在の国、地方を通ずる行政の形態は、国民税金が一たん国に吸い上げられて、それが国庫補助金という形を通じて地方へ順次おりてきて地方で使われる。そこに大変なむだがあるのではなかろうか。こういう迂回する経路を通るのではなくて、実際に仕事をする地方団体に直接金が行くというような制度、システム、構造を考えるという方法をとれば、現在の国とか国出先機関にいる組織とか職員は大幅に少なくても済むということが言えるんじゃなかろうか。  二番目の理由といたしまして、地方の方が効率的な経営が行われやすいんではなかろうかということでございます。これにつきましては、地方はいや給与が高いじゃないかとか反論はあろうかと思いますので、その点は後で申し上げようと思いますが、中央よりは地方の方が効率的経営を行うという動機、そういう発想が出やすい。これは昭和五十年以降の状況を見てみましても、中央省庁の場合には、今回の臨調審議の経過を見ましても臨調の答申待ちというかっこうでありまして、いわばいかにして自分の省庁を守るかという姿勢でございますが、地方自治体の場合には、これはまあ三千幾つございますから全部が全部とは言えませんが、かなりの自治体の場合にはすでに五十年ごろから進んで、行政改革という言葉は使っていなかったかもわかりませんが、かなり人を減らす、給与の適正化をも徐々ですが行う、あるいは民間委託を行うとか、あるいは機械化を導入するとかというかっこうでかなり行われてきている。これは、やはり住民に身近な自治体でございますから、首長としてはやっぱり選挙をして出てきておりますから仕事をしなければならない。仕事をするためには金がない。金がないから何とかして金をつくらなくちゃいけない。そこでむだを省こう、事務、事業を見直そうということで何とか行政改革という形で金をこしらえて、それで仕事をしようと。そういう意味におきまして、やっぱり住民に身近なところということで、みずから行革を行う。行革は目的ではなくて手段だと。行革でつくったお金で地域づくり、町づくりあるいは住民サービスを伸ばそうと、そういう動機が出てくると言えるのではなかろうか。確かに五十年以降の状況を、さらに臨調審議が始まりましたこの二年の間で見ましても、地方ではさまざまな行革が進められてきておる状況が見られるわけでございます。いま申しました民間委託にいたしましても、たとえばごみ収集の場合には民間は委託すれば大体二分の一から三分の一のコストでできると。あるいは学校給食にいたしましても、これはまだ余り進んでおりませんが、これは民間とか外部委託にすれば半分程度のコストでできる。あるいは最近いろんな施設ができておりますが、施設の経営管理も直営じゃなくて民間あるいは外部に委託する。こうすれば半分以下でできるという状況で、こういう外部委託ということでコストを下げて財源を浮かす。それから機械化。国に比べて進んでおりますのは最近のオフィスオートメーションというかっこうの機械化、コンピューター化、これも国よりかなり進んでいると言えるんではなかろうか。それから、ここ数年来新規採用を抑制する、こういう努力が払われてきまして、昨日の新聞にも出ておりましたが、地方公務員の五十七年四月一日現在の数が、総体としてはなおある程度ふえておりますが、いわゆる一般管理部門、これは〇・三%対前年に比べて減少すると、こういう自治体の努力の成果が出ておるわけでございます。それから組織の見直しとか事務、事業補助金の見直しとか、それから地方議会の定数にいたしましても、このところかなりの自治体で、これは住民からの強い要請も背景としておろうかと思うんですが、定数を減らすというような努力が進められてきている。こういう点から見まして、住民に近い自治体に任した方が効率的な運営というのはかなり行われやすいと言えるのではなかろうかというふうにも思うわけでございます。  それともう一つ、三番目の理由といたしまして、国民の意識、価値観がやはりここ十年来大きく変わってきたんではなかろうか。つまり、国民の意識かかつてのように経済成長、アメリカに追いつこうという意識からもう少し身の回りの生活環境というものを大事にするという方向に変わってきた。このように国民の価値観が変わってくるのに対応して、行政の主役も国が中心ということじゃなくて、もう自治体が中心で、それぞれの地方、地方が創意工夫で行う、こういうふうに大きく行政の環境も変わってきたんではなかろうか、こういう点から見ましても、それぞれの地方にもっと任せるという形をとった方がより全体として効率的な行政形態になると言えるのじゃなかろうかと思うわけでございます。  さて、そこで今回臨調の答申も出たわけでございますが、答申の基本的な考え方といたしましては、国から地方へ、住民から遠いところからもっと近いところへ、頭を小さくしてもっと足腰を強くくするのだと、そこまでそういう表現はとっておりませんが、基本的な考え方としては地方分権という考え方が示されたのでございますが、具体的な内容はかなり弱い状況にもあるわけでございます。  それで、今後の方向といたしまして、臨調で出されました基本的な考え方、これからの方向は、国が中心じゃなくて地方公共団体、特に住民に近い市町村を中心としてという方向、これはもうはっきり出されておりますので、この基本方向を踏まえまして今後具体的な施策が展開されるということを期待いたしたいというふうに思うわけでございます。  その場合に、たとえば中央省庁、今回の臨調答申でも中央省庁段階での減量への切り込みは非常に不十分でございますし、それから国、出先機関につきましてもある程度数を減らすというような方向が出ておりますが、基本的な考え方といたしましては国の出先機関で府県や市町村と同じような仕事をやっている、重なり合ってやっているのは大変なむだだ。それですから、もうこの際府県や市町村に任せるものは任せると、そうすれば国の出先機関で要らなくなるものはもう廃止する。そういう基本的な方向からもっと接近する必要があるのではなかろうかと。そういう点から見ました場合に、たとえば婦人少年室とか統計情報事務所とか食糧事務所とか、これはかなり縮小という方向も出ておりますが、基本的にはもう府県、市町村でやっている、府県、市町村に任せるという方向を出すべきではないか。あるいは行政監察局とか財務部も廃止という線が今度出たわけでございますが、そのかわり現地処理機関を置くという形が出ておりまして、これでは実態は余り変わらないということにもなろうかと思うわけであります。  それから、やはり多重構造をなくすという面から見ました場合には、地方農政局とか港湾局とか、そういう国の出先機関を通じて補助金の申請を出しておりますが、こういう経由機関も廃止するとか、そういう方向が期待されているわけですが、その点も必ずしも十分出ておらない。  それから、国から地方へ任せるという場合には、やはり大きい問題は国庫補助金、これを一般財源化する。最初から国庫補助金というものではなくて、一般財源という形で地方に与えるということが基本的な方向だろうと思うわけでございますが、この点も今回の臨調答申で人件費補助については一般財源化するという方向が出て、これは一歩かなり前進じゃないかと思うわけですが、一歩ずつ前進を期待されるのではないかと思っております。  財源の移譲と同時に権限の移譲ということも大きな課題でございますが、今度の臨調答申でも権限移譲につきましては、国から地方へは若干は出ておりますが、本来その他城、地域の一番基本の町づくり、都市づくりの権限等についてはほとんどおろされておらないというような状況にある。  このような地方分権ということにつきまして、一方では地方に対する不信感も非常に強いことは事実でございます。地方に任したら、給与が国家公務員に比べて二割以上も高いところがあるではないか、退職金も非常に高いのを出している、こんなところに任したら何に使われるかわからないという不信感もある。これが地方分権の足を大きく引っ張っているのではないかと思うわけでございますが、これは全体の自治体から見るとかなり限られた数の自治体でございまして、今後の方向としてはやはりこれをもっと公開、一部住民への公開というのは進んできておりますが、まだまだ不十分でございまして、住民監視の中でこういうものを是正していくという方向をとる。つまり、地方に任せるということは、もっと住民の中へ出して、それで住民の監視の中で効率的な行政が行われるというシステム、構造へと漸次変えていく。やっぱりそれが大事なんではなかろうかと思うわけでございます。  さて、そこで当面どのようにしてこれを進めるか。基本的にはいま申しましたように国庫補助金とか権限移譲とか、いろんなものの地方移譲ということが基本にあるわけでございますが、これが直ちにできない、あるいはかなり時間がかかるという場合、当面地方が望んでおりますことは、地方の行革を、地方でいろんな行革をやっておるんですが、その行革を阻害する原因は国の側にあるという声が非常に強いわけでございます。先ほど申しましたように、地方はこの五十年来、定数を減らすとかいろんな努力をしてきておるわけですが、さまざまな国の制度——国が基準をつくる、国が干渉するということで、何をやろうと思っても壁にぶつかってできない。たとえば、定数の面で見ました場合に、昨日新聞に出ておりましたものを見ましても、地方公務員の数が昨年に比べて、教育、警察、消防とか福祉、こういうものはふえておるわけでございます。これらはいずれも国の方で定数とか基準が決められるものでございまして、自治体の方で定数を減らすということができるのはごく限られたものであります。限られたものについては、先ほど申しましたように、〇・三%ですが減らすということができる。  たとえば、現在社会福祉施設につきましては保育所から老人ホーム、あるいは生活保護の施設にしましても、全部国の方で定数の基準が決められて、寮母さん等の基準が決められておるわけでございます。あるいは図書館にしましても、あるいは農業改良普及員とか生活改良普及員等、国の方で決められてくるという状況になっている。組織にいたしましても、各県の出先機関、農業改良普及所とか病害虫防除所とか幾つかございますが、ほとんど国の方で決められた組織でございまして、自治体の方ではなかなか手がつけにくい。あるいは附属機関とか審議会等、これも国の方で決められたものが府県ですと五十二ある。市町村ですと十四ございますが、実質ほとんど使われないような状態であっても廃止ができない。さらに、地方の側で困っておりますのは、補助金を通じまして細かいところまで非常に干渉、関与がされてくる。地方の創意、知恵を発揮する領域が非常に少ない。  こういう点から考えまして、何とかして補助金についてもう少し総合化あるいはメニュー化ということが言われてきておるわけでございまして、現在、若干そういう方向が出ておりますが、どうも実際を見ますと、メニュー化されたとは言ってもやっぱり名前だけで、実質は従前と余り変わらないという状況のところも非常に多い。さらに、民間委託等につきましても、自治体の方で懸命ないろんな努力で現在進められてきておりますが、中央省庁がこの民間委託に対してどうも消極的である、あるいは反対の意向を示す、そのために民間委託が進まないという状況も若干出てきておる面があるわけでございます。ごみ収集あるいは学校給食、あるいは学校警備問題、あるいは老人福祉センターとか公民館等、こういうものを民間委託とか住民の自主管理にしようと思っても、直営でなくちゃいかぬとか、あるいは雇用促進事業団等の施設についても直営でなければならないというようなあれが国の方から出てきておる。  こういう点から見て、自治体の多くの首長は、地方は行革をかなりやってきている。これ以上やれというのであれば、中央の方でさまざまな干渉をしている、この干渉を外してもらいたい、むしろ地方の行革を妨げているのは国ではないかと、こういう声も地方の方からかなり強いわけでございます。当面まずこの干渉をなるべく緩やかにして地方に任せるという方向が必要なんじゃなかろうかと思うわけでございます。  最後に、このようにいたしまして、これからの行政改革というのは、よく言われておりますように、官から民へという一つの方向と同時に、中央から地方へ、中央は小さくして、それで頭を小さくして地方の足腰をしっかりする。それでさしあたりは干渉しないで地方に任せる。地方に任せれば、もっと行革が進められて地方もぐっと小さくできる。それと同時に中央も、地方に任せれば中央の仕事もぐっと減るわけですから、中央も小さくできる。国、地方を通じてぐっと小さくできるんではなかろうか。地方に任せて、住民監視の中で、住民の総意、住民の活力をこの中へ入れることによって、活力ある社会に向けての行政改革というものが期待される非常に重要な方向、課題ではなかろうかというふうに思うわけでございます。  それでは時間が参りましたので、これでもって終わりにさせていただきたいと思います。(拍手)
  36. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  それでは、これより公述人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  37. 藤井孝男

    藤井孝男君 本日はどうもお忙しいところをありがとうございました。両公述人から大変貴重なる御意見をいただきまして本当にありがとうございました。そこで、大変限られた時間でございますが質問をさせていただきたいと思います。  まず初めに新田公述人にお伺いをいたしたいと思います。  新田先生のお話をじっとお聞きいたしておりましたら、結論的に申し上げますと、大変積極的な政策をいまこそ打ち出さなきゃならない、いままで余りにも消極的に過ぎたのではなかろうか、こういうふうに承ったわけでございます。特に、これまでの政府と申しましょうか大蔵省と申しましょうか、先生のお考えの中には、いわゆるマネタリズム、いわゆる財政再建経済再建する、こういった政策というのはすでに破綻を来しておるんであって、経済を積極的に推し進めることが、それがひいては財政再建をなし得るんだ、こういうようにも承ったわけでございます。  実は、私も最近アメリカの方に行ってまいりましたけれども、先生と同じくいたしまして、アメリカ経済が、まだ景気回復に確固たる証明はないんですが、そういった兆しが見えてきたという状態でございますけれども、私も訪問いたしまして各界各層の方とお会いいたしまして、大変気持ちの上で、また心理的な面でアメリカ経済が、また実質的な面でも、住宅の建築戸数あるいは自動車の販売台数、それから失業もわずかなから率が下がってきているというようなことで、大変これも日本の景気に対して好影響を与えておる。さらに加えて、OPECの原油の値下げ、こういうことで、先生がおっしゃいます積極政策をいまこそ打ち出すべく環境は整ったというふうにお伺いしたわけでございます。  そこで、先生が結論的におっしゃられましたことは、いままでは日本は輸出志向型の、主導型の政策を打ち出してきたんだけれども、今後は内需主導型の政策に転換すべきだ、こういうことをおっしゃられたわけでございますが、御承知のとおり日本は貿易立国でございまして、当然いままで加工貿易でございまして、輸出主導型で経済を支えてきた、これは事実であるわけでございますが、今後内需主導型の経済政策といったものは、その主たるものは一体どういうものであるか、まずこの点につきましてお伺いをいたしたいと思うわけでございます。
  38. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) お答えいたします。  内需主導型の中身についての御質問でございますが、先ほど申し上げた線に沿ってお答えいたしますと、経済成長を支える最終需要構成のうち、比較的短期的な需要効果としては所得減税並びに適切な賃上げによれということでございました。これが内需主導型の短期的要因でございます。しかし、中長期的な要因として、その所得減税と賃上げさえ続ければ日本経済が抱えている問題がすべて片づくというわけじゃございません。やはり一番大事なことは中長期にわたって日本経済の体質を変えていくということでございますから、そういう構造政策をとる必要から言いますと、社会資本ストックへの投資、具体的にはもう少し都市地域再開発に結びついた都市型産業を興せという内容になろうかと思います。  実はすでに、私が定義した意味での社会開発産業あるいは社会開発に対する投資規模というのは、一九七六年、五十一年ですね、実績で申しましても百兆円を超える規模になってきております。私、大まかにこの社会開発投資というのを三つに分けて考えております。一つは社会環境整備に関する投資でございます。これは災害防止、それから用水供給、環境保全、あるいは都市産業空間の開発あるいは再開発、さらに住宅もこれに加えてよろしいかと思います。それから二番目が社会経済的な機能を改善するための投資でございまして、これは情報通信産業に対する投資、あるいは交通輸送に対する投資といったものが加わっております。そういう意味に加えましてさらにもっと長い目で見ますと、経済成長さえ高めればすべて問題は片づくという時代にはだんだんならなくなるわけでございまして、高齢化社会を迎える社会的な環境の激動期にもなりますし、さらに高学歴化が進むといった社会環境の変化を踏まえますと、文化的環境改善に対する投資が拡大してくるであろう。それには、医療保険、あるいは自由時間、教育訓練、こういったところに対する投資額、こういったものを加えまして、すでに実際には百兆円を超える規模になってきている。  これが一九八五年になりますと、これは予測でございますが、恐らくこの投資規模は二倍以上になるのではないかと思われるわけであります。たとえば情報通信産業を一つ例にとりましても恐らく二十兆円を超える規模になるであろう。こういったところに対する投資というのが、在来型の集権的な公共投資の性格と異にした地域開発を中心とした新しいタイプの、しかもこれが先端産業に結びつくというような意味合いも大変深くございまして、きめの細かい公共投資、そういったものが今後の新しい内需主導型の、中長期に見た場合には中心になるべきではなかろうかというふうに考えております。  以上でございます。
  39. 藤井孝男

    藤井孝男君 ありがとうございました。  いまのお話を伺っておりますと、坂田公述人がおっしゃられました、国民のいわゆる意識と申しましょうか価値観と申しますか、それから日本の社会構造そのものが変化している、それに対応していかなくちゃならないというふうにも承ったわけでございますが、そこで、経済というのはよく言われるように生き物であるので、これを殺してはならないということでございまして、その点につきましては先生のおっしゃられるようなダイナミックな政策が必要なんだということでございますが、短期的には減税というものがアクセル的な役割りをする、中長期的にはいまのようないわゆる内需主導型、いわゆる社会構造の変化によってそれに対応していくような政策を打ち出していくべきだということでございますが、その短期的な減税問題それから賃上げの問題、先ほどのお話でよくわかったのでございますが、一方これは国会でも大きな論議を呼んでいるところでございますが、やはり出すものは出すにいたしましても、では歳入の面というのは当然考えられるわけでございますが、そこで国民の価値観と申しましょうか、意識と申しましょうか、もちろん意識の中では減税があって賃上げがあるにこしたことはないのでございますが、そこには財源というものが当然必要であります。そういったときに新田公述人におかれては、いわゆる増税、大幅間接税を含めまして、私乱暴な言い方からすれば、出すものは出すけれどもちょうだいをするものはちょうだいをする。そういったような形でやはり今後はやっていかなきゃいけないんじゃないかというような意見もあるわけでございますので、その点の増税と申しましょうか、国民にも負担をお願いするというようなことにつきましてはどうお考えですか、最後に一言お願いしたいと思います。
  40. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 基本的な視点というのは、私は成長財源論者でございますので、財源自身は経済再建が可能であれば財源問題は、ちょっと乱暴ですが、大した問題ではないと考えております。つまり、財政再建が先で、それがあれば経済再建という諭理を逆に申し上げているわけですが、何らかの形で日本経済が安定成長のラインに乗せられることができれば、これは私五%と見ておりますけれども、これが分岐点だと思うんでありますけれども、その際に、その成長の軌道に乗ることによって税源を確保するという発想が、財政政策の基本でなくてはならないと考えるわけであります。現在の政策は、これはカーター政権の失敗にこりたという意味も多分にあると思うんでありますが、現在の状況のもとで景気刺激政策をとっても、なかなか効果が上がらないという論理が何か前提になり過ぎているんではないか。これは第一次オイルショックのときの状況がそうさせたわけでありまして、現在は先ほどから申し上げているとおり状況が全く逆でございます。つまりアクセルを踏むべき条件が現在あるということですね。したがって、景気刺激効果をとってもそれが産油国に流れるという所得再配分の面でのマイナス効果、先進国にとってのマイナス効果は余りあるまい、したがって、現在この景気刺激をとるためのアクセルを踏み、それが一定の成長につながればおのずからこの税収不足は解消されてくる。どう考えても五十六年、五十七年度の歳入不足額の大きさというのは、経済政策のベテランの方が運営されているにしてはちょっと見込み違いがひど過ぎるんではないかと思うんでありますけれども、それは一つにかかってやっぱり経済成長に対する適切な施策に欠けた結果であると見てよろしいと思うのですね。したがって、経済学者によっては、財源が不足すれば、成長が確実に安定成長の軌道に乗るという保証さえあれば、赤字国債発行も構わないという説すらあるわけでございます。したがって、私はこの説には必ずしもくみしませんけれども、この減税と賃上げということについては、現状の庶民の生活から要望された切実な問題でもあるし、かっこのことが経済成長の軌道に乗るということであれば、そのこと自身がまた財源問題に関するプラスになってくる。こういう意味でダイナミックに考えるべきではなかろうかということです。  赤字国債の発行量を減らすために、短期に増税でという発想はとるべきじゃないと思います。それは時間をかけて徐々に減らしていくべきだろう。したがって、この増税減税論というのは、すべてを増税で塗り込めたり、すべてを減税で塗り込めるということでなくて、だれに対して増税し、だれに対して減税するかという、そういう視点もまた必要でございまして、先ほど申しました企業収益力の高さ、あるいは労働分配率の安定性等々から考えまして、私は法人税の引き上げ等々について、日本企業がある程度は耐えられる体質を持っていると思います。ただこういった問題は、具体論としていつどこに対してということじゃございませんが、ごく一般的に申しますと、減税と賃上げによってアクセルをふかし、それで経済成長が再現し、ひとまず安定成長に乗った場合に、中長期の方向に関しては社会資本ストックの形成を中心とする構造変化の問題につながってまいりますので、その段階では国民の合意のもとに一定の負担をどういう形で行うかという見取り図が必要になってきやしまいかということですね。この点については何よりも国民の合意が必要であるということ、現在の受益と負担の関係はその関係が透明でないと、一体受益した者に対してどのような負担がかかってくるのかという関係が透明でないという意味合いがございます。その意味でもこの社会資本の開発を中心とする投資に関しては、国民経済的な投資貯蓄バランス勘定をしっかりと考えて、国民の貯蓄がどれだけ投資に回るか、そういったことの関係が透明な関係で目に見えるようにする、そのためにこそ地方自治体におけるこのような社会開発投資と住民の負担の関係というのが、その段階では非常に問題になってくるだろうというふうに考えるわけでございます。この点についても結論的に申しますと、短期と中長期の問題に分けて負担の問題も整理すべきではないかというふうに考えるわけでございます。
  41. 藤井孝男

    藤井孝男君 どうもありがとうございました。  それでは坂田公述人にお伺いいたしたいと思います。  行政改革、いよいよ待ったなしというようなことになってきたわけでございますけれども、行政改革、先日最終答申が出たわけでございます。大きく分けまして八つの項目と申しましょうか、行政組織、あるいは現業・特殊法人、また国と地方の関係、また補助金、あるいは許認可、公務員、また予算・財投、さらには情報公開といった分野に分けられるわけですが、その中で特に先生は国と地方との関係について中心にお話をしていただいたわけでございます。そこで、結論から申し上げれば、先生はとにかく国から地方への地方分権を図るべきだということでございまして、地方分権が必要ということを前提にしていろいろお話をしていただいたわけでございますが、私も確かにそのとおりであろうと思います。いわゆる地方の時代と言われて久しいわけでございますけれども、なかなか遅々として進まない。やはりこれは私も全く坂田先生のおっしゃられることに大変同感するところが多いわけでございますが、しかし現実の問題となりますとなかなかそう簡単にはいかない面があるわけでございます。先生もいろいろその点で指摘をされておりましたけれども、特に私も、私は岐阜県でございますが、地元に帰りまして県知事を初めあるいは市町村長からいろいろな陳情を受けるわけでございますが、特にその行政改革の地方分権に関して受けますことは、人事交流の問題が非常に大きく言われるわけでございます。人事交流というのは単に中央官庁から若い方が一つの出世コースと申しましょうか、一つのレールに乗った形で地方に来られるということではなくして、やはり中央の優秀な人材の方が各県庁初めさらには市町村までできれば効率的に有能な方が来ていただく、また地方から中央へ勉強に出ていくといった人事交流というものをもっと効率的に図ってもらえぬだろうか、こういう声が非常に多く聞かれるわけですが、先生もその点につきましては雑誌等にも書かれておられるわけでございますが、その点につきましてまず御質問さしていただきたいと思います。
  42. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) ただいま地方の時代といいますか、その推進のために人事交流を効率的に行う必要があるんじゃないか、その点についてということでございました。確かに私どもが地方のいろんな知事さんとか、あるいは市町村長、あるいは幹部の方にお伺いいたしましても、人事交流というのは国と地方との間、あるいは県と市町村との間の人事交流、これは必要だという声は非常に強くお伺いしておるわけでございます。いろんなアンケートとかいろんなものをとりましても、最近地方の時代という状況になってまいりまして、中央省庁、たとえばある知事さんに言わせますと、東京の霞が関にいたのでは地方の現場はわからないと、現場がわからない人が細かいとこまで干渉したり、そこでいろんな政策を立案してもらっては困ると、こういう声が非常に強いわけでございまして、そういう点から言いましても、やはり、中央で政策立案に当たるためには地方も経験する、地方の人も中央に行って実際の中央の行政を知る、お互いに行政を知るということが非常に必要なんではなかろうかと、私もそのように思うわけでございます。ただ、ただいまも御指摘がございましたが、私がお目にかかりました何人かの首長さんも、人事交流は必要だけど、ただ、地方の部長とか助役とか課長とか、そういうポストのためだけに中央から来るという形では地方の人の反発も受けるし、それはまずいのではなかろうか。そういうことだけではなくて、たとえば普通の平の職員でもいい、普通の係員という形で実際に住民と接触する現場の行政を体験する、そういうようなところまで含めた人事交流が本当に必要なんではなかろうかと、こういう声もございまして、今後は人事交流のあり方等については、もっと地方の意見とか声を聞きながら、お互いにもっとそういう効果があるような形の交流はより一層必要なんじゃなかろうかと、私もそういうふうに思うわけでございます。
  43. 寺田熊雄

    ○寺田熊雄君 最初に新田公述人にお尋ねをいたしたいと思います。  先生の御所論を承っておりまして大変参考になりましたのは、現在の不況世界的なものであるけれども、それは決して不可避的なものではないんだと、いわば政策不況とも言うべきものであるというように分析をなさいまして、そして景気の回復を図らんとすればじっとしていてはいけない、積極的に必要かつ有益な政策を展開すべきであるという結論をお出しになりました。そしていま、客観的な条件は大変有利な展開を見せておる。第一に、アメリカの景気回復が案外進んでおる、石油、原油価格の引き下げがあったと、そういう客観的な条件も活用すべきであるという御意見をお述べになりました。しかし、タイミングが大事であるので、いま必要な政策転換を図って回復のきっかけをつかめと、やっぱり景気回復を引っ張っていく主要なものは内需なのだということでありました。その内需回復のためには、まず、実質所得の向上を図れと、賃上げ、減税という手法をおとりになったわけでありますが、もう一つ、私どもなるほどと感じましたのは、地方自治体を主舞台として社会資本の充実を図れという御意見でありました。  そこで、お尋ねをいたしたいのは、アメリカの景気の回復は日本にとってどの程度の福音をもたらすものであろうか。まず、輸出の増加を来すような、そういう積極的なプラス面があるんだろうか。これは、御承知のように、いま日本アメリカに対してもECに対しても、経済的な侵略者のように言われて、大変な非難をこうむっております。保護主義の傾向が非常に強くなってきた、そういう情勢を見ますと、アメリカの景気回復必ずしも、日本の外需といいますか、そういう面の積極的な推進役たり得ないんじゃないかというふうな考えも持つのでありますが、この点まずいかがでしょうか。  それからもう一つの点は、地方自治体が積極的に社会資本を充実するための公共投資を図ろうといたしますと、その財政的な裏づけはどうしたらいいのかということであります。地方財政は、いま御承知のように、国税三税の額が減りましてある意味で非常に弱っております。自主財源も非常に乏しいということを考えますと、この点の何か裏づけを必要とするのではないかというふうな考えをいたします。  まずこの二点について先生の御意見をお聞かせいただければ幸いであります。
  44. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) まず第一点でございますが、結論的に申しますと、アメリカの景気が回復してアメリカ市場に対する期待が高まるということはちょっと考えにくいですね。なぜかと申しますと、これの典型的な問題としてはローカルコンテンツ法の問題がございますけれども、この法律で示されている方向というのは、やはり構造的な意味日本の——たとえばこのローカルコンテンツ法は乗用車の問題でございますけれども、いわばアメリカ経済の自立化と申しますか、日本の自動車産業の攻勢に対する自衛策を強めていく。しかも、これが、アメリカ労働組合関係の相当に強い圧力もございまして、単に、市場が拡大して、それに応じて自動車輸出が伸びるというふうなことはまず考えられない。自主規制の問題がもともとございますし。むしろこの点の影響は間接的なものじゃございませんでしょうか。つまりアメリカのインフレ率が下がる、金利が下がる、それに応じて先進国の金利政策がやや弾力的にとり 得るというようなことですね。あるいはもっと間接的に見ますと、たとえば、いま二十一カ国債務国がございますけれども、これらに対する日本経済のかかわりあい方、これは金利が一ポイント低下するたびに、合計として五十億ドルぐらいの金利負担を債務国は免れるわけでございますから、こういった意味での影響は来ると思うのですが、お尋ねの第一点の輸出構造に関しては、ちょっとこれは単なる循環的問題ではないということですね。構造的問題であるがゆえに期待を持たない方がいいのではないか。したがって、輸出主導型の経済が再開するということは、アメリカの景気後退をもって早急にその期待を持ってはならないというのが第一の問題に関するお答えでございます。  それから、第二点は大変難問でございますが、地方財政の特に財源問題というのが、少し財政収入論に傾き過ぎているのではないかという気がいたします。つまり、これまで地方財政の財源と言いますと、地方交付税に対する依存であるとか、あるいは地方債に対する自主性の強調であるとか、主として財政面からの問題が強調されていたわけです。ただし、私、この問題については一つの私論でございますけれども、もう少し国民経済レベルでの投資貯蓄勘定の整合性を図った方がいい。つまり先ほど私申し上げたことで、日本経済再建されるための条件として蓄積率の高さ、つまり、中身から申しますと貯蓄率の高さということを申し上げました。家計ベースで見ました場合だって、アメリカのほぼ三倍ぐらいの貯蓄率の高さがあるわけです。それで、GNPの中に占める国債発行のウエートなんか評価しますと、まだまだ日本の方はアメリカに比べて余裕があるとも言えるわけです。  しかし、いずれにしても、貯蓄投資勘定のバランスということを考えていった場合に、これは非常に具体的な問題になりますと、政策金融の問題なり、かつ郵便貯金の問題をどうするかというような問題になってくるわけでございますけれども、やはり日本の貯蓄率の高さを社会開発のような投資の源泉に転化できない現在の構造にむしろ問題があるというふうに考えるべきじゃないでしょうか。そのためには、先進国では大体、預金銀行とか貯蓄銀行というのは比較的国家的な管理のもとに直接置くケースの方が多いのです。フランスもそうでございます。  それから、私が一応参考にして、日本もそういう制度改革ができればなと思うような制度一つとして、西ドイツの自治体銀行がございます。こういったものは直接、西ドイツの場合は中央振替銀行という中央組織があって全国に六百何カ所かの自治体銀行がございまして、大体地方財政の七割ぐらいはそれからの借入によって賄うという実情でございます。そういうような投資貯蓄勘定体系をもう少し政策論的にはっきりした上で、地方財政と言えば中央から何かの形で取ってくるという発想をもう捨てて、その意味での投資貯蓄勘定の自主性、自律性というものをもう少しつけていく工夫をこらせば日本の潜在的能力というものはもっと生きるのではないか。大変まだ漠然とした考え方でございますが、大体そんなことを考えているのです。  ただ、こういう観点でひとつ郵便貯金に関する問題というのは、単にこれを民間の金融機関に市場を開放するというような意味合いだけでなくて、国民経済的な投資貯蓄バランスという一つの政策金融の体系として何らかの処置を施すべき時期が来ているのではあるまいかというふうに考えます。  以上でございます。
  45. 寺田熊雄

    ○寺田熊雄君 これはお二方の公述人に共通の課題でありますが、今度の臨調の五次にわたる答申、それからまた、土光さんによってシンボライズされる臨調の基本的な姿勢といいますか、一言にして言いますと、増税なき財政再建ということが言われます。これに対しましては、果たして現在の財政上の苦境が増税なくして切り抜けられるかという点の批判も一面にあります。  私どもとしましては、たとえば銀行からの借入金が一文もない、むしろ何千億もの手持ち金を持って余裕しゃくしゃくとしている基幹産業もある。たとえば自動車で、これは輸出景気を謳歌したときの自動車産業でありますが、そういうものもある。それから、お亡くなりになってびっくりしたのですが、お一人の方で何百億という株式をお持ちの方もいらっしゃる。いろいろ私どもとしましては、余裕がある大企業であるとか、それから大資産家であるとか、そういう担税能力のある側に対しては増税という手法も許されるんじゃないだろうか。問題は余り担税能力のない一般大衆に対して大きな網をかぶせることをやるべきではないということではないだろうかと考えるのでありますが、両先生におかれて、増税なき財政再建という第二臨調の基本的な主張ほ対してはどういうふうにお考えになるか。これが第一点。  第二点は、坂田公述人のおっしゃった、地方自治体にもっともっと権限なり事務を移譲しろという御主張、これは私も大変大賛成なんですが、ただ、地方自治体の仕事を民間に移譲しろということになりますと、必ずしも実情に合わない面もあるのであります。  たとえば、下水道一つとりましても、終末処理などというものはこれはちょっと、下水道はもちろんですが、ごみにしましても屎尿にしましてもとても民間ではできない。いままでに、民間に任せますと大変不当な不衛生な方法で処理をしてしまいまして、とても民間ではできないので自治体みずからやるべきであるということで、いまいずれの自治体でも恐らく民間に最終の処理を委託しておるところはないでありましょう。  それから、ごみ、屎尿にいたしましても、かつて大阪市で、屎尿の処理などを民間にあそこはもうほとんど委託しておりますが、ストライキをやられましてね、そしてあわてて市が十億円ぐらい金を業者にやりまして、三拝九拝して業務に当たってもらったことがあります、これはもう二十何年前のことでありますが。ですから、やはり食糧の自給率のようなもので、どうしても民間に全部委託し切れない面がありますね。  それから、屎尿処理なんというものも、いま下水道のないところは屎尿も民間に委託しております。ごみも民間に委託しておる。ところが、市でやります場合と比較しますと驚くほどの労働条件の切り下げがあるわけです、民間の場合には。もう労働基準法なんというものは全く守られていない事業体がほとんどであります。そして、その飛ばっちりがどこへ行くかといいますと、たとえば汚い話ですが、一たる全部、八分方屎尿をとって料金を取るのを、二分、三分しかとらずに料金を取っていく。そうすると何回もとらなきゃいかぬわけです。その負担が市民にかかってくるのですね。そういう点が案外知られていない。そういう点、市直接でやりますと、労働者はそんなこそくなことをせぬでも規則どおりやって、消費者といいますか、市民、大衆は安心してそういう仕事を任せてもらえる。いろんな例があります。だから、民間に任せて市の出費を節約すればそれでいいというものでもないようであります。  そういういろんな体験にかんがみますと、自治体は任せ得る業務というのもおのずから限界があると私は考えるのですが、この点いかがでしょうか。お二人の公述人、それぞれお答えをいただければ幸いであります。
  46. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 最初の御質問でありますが、増税なき財政再建という発想は、そもそもその発言が出てきた環境を考える必要があると思うのですね。俗に財界主導型と普通表現されているわけですが、もう少しこれを広い視点で見てみますと、先進国が現在陥っている一つの停滞的状況がある。これはことごとく大きな政府になっている、しかも経済が不活性化している、こういう認識が一つはこの発想の前提にあったと思います。したがって、日本型小さな政府論を目指す発想というのが、一つは国際的な環境からもこれは形成されやすいことでありたというのは容易に理解できるわけですね。入るをはかりて出るをなすという古い言葉がございますが、こういうような世界経済の停滞期で成長が限られ、財政収入が思わしくない。そのときにはもっぱら歳出面を中心とする財政合理化を行うほかはないというような発想があって、それが冒頭に指摘しましたような一種の縮小均衡論につながっているという状況で出てきた発想じゃないかと思います。  ところで、私はこの考えは、率直に申しまして、正確な意味で言う行財政改革と経済問題としての財政再建論をはなはだ混同している議論であるというふうに考えるのです。これは、ヨーロッパやその他先進国で行財政改革と言ったときには、普通、たとえばパーキンソンの法則が働いて役に立たなくなった機構がまだ存在しているとか、そういう官公庁の特に集権的体質からくる不効率、そういったものを是正しようではないかというような発想がもともと行革というような言葉の中身としてあったわけですね。この点はわれわれも、集権的な点からくる不効率を分権的な効率に改めようという意味での行財政改革であれば、大賛成であるわけであります。  ところが、この問題と財政再建論がつながりますと、小さな政府にし、出るをなすということを徹底すればそれが何らかの意味財政再建につながる、これはちょっと原因と結果を逆さまにした発想でございまして、そもそもそういう景気後退に見舞われ、かつ経済的な停滞に置かれた原因は何ぞやということを調べていきますと、それはやはりグローバルなかつ構造的な経済問題からきているわけであって、狭い意味での行財政改革という形で処置し得る問題でないということははっきりしていると思います。  そういうわけですから、先日の大蔵省の、一月二十九日でございましたか、財政の中期試算を拝見しましたけれども、これは一番現実性がある、A、B、C三案のうちで毎年一兆円ずつ赤字国債を減額するという計算を拝見しましても、事実上歳出カットだけでは不可能であるということを改めて証明した結果になっておりますね。したがって、議論の次元をもう変えなくちゃいけない。ですから、経済再建ということと行財政改革の関連をもう一回明確にするということ。それで、経済再建についてはやはり独自のレベルでの政策的提言を行うということ。その関係で増税がどうか減税がどうかという議論をもう一度やり直すということ。  そうしますと、これは通産省の試算でございますけれども、もし二%成長が続くとすると、財政、特に経常部門の赤字額は一九九〇年度に恐らく十五兆円をはるかに超えてしまうだろう。もしこれが五%成長であれば五兆円近くまでこの経常部門の赤字額は減ってくるだろうという試算を出しております。したがって、ここでも成長財源論の正しさ、つまり経済成長が安定的になることがあらゆる財政再建基礎であるということがはっきり示されていると思うのです。  それから、資産者に対する富裕税という御指摘ですが、これは税制上の公平という意味からすれば行って当然だと思うんですね。ただ、なかなかこれはむずかしい問題がございまして、一つは、私、念頭にフランスの富裕税のことがいま浮かんでいるんですけれども、日本とフランスの場合には資産者の構成も違いますから何とも言えませんが、いま私が申し上げた財源を強めるというのは、ともかく国民生活を基準とした安定した成長路線に乗せることが一番基本だということから比べれば、それを前提とすると、やはり補助的政策だと言ってよろしいと思います。そういう財政の面の、税制の不公平はこれは正すのはあたりまえなんですが、それをもって日本の財源が潤う、あるいは財源問題が片づくと考えるのはこれはちょっと間違いだと思います。フランスの場合もそれは社会党が政権をとってさんざんやったんですけれども、富裕税をかけて、奢侈税をかけて、かかるところはいつも決まって同じ十万人のところばかりいくものですから、しぼってもしぼっても出てこなくなりまして、結局国民全体の負担をどういう形で適切に配分するかという問題に戻らざるを得なくなってきた。そういう観点は、中長期の視点から見ますと、やはりそっちの方が基本じゃないかというふうに私は考えるのですが、これは誤解のないように申し上げますが、税制上の不公平は正すということを前提にしての話でございますので御理解願いたいと思うのであります。  以上でございます。
  47. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) まず最初に、増税なき財政再建についてというお話がございました。  これはやはり、基本的にはオイルショック以降経済構造が変わってきた、それに対応して財政構造も変えなければならないというのが基本ではないか。アメリカなんかの場合を見ますと、大体日本昭和五十年に相当する年次から国民総生産に対する予算規模はむしろ縮小方向にある。日本の場合だけが五十七年度まではまだ増大傾向にあった。そういう点から見まして、経済の基調、構造が変わってきたから、それに対して高度成長時代のままの歳出の形じゃなくて、むしろ歳入の構造が変わってきた、歳入に合わせる。そういう意味財政再建というのは増税という方法ではない、歳出を歳入に合わせるんだ、そういうのが基本の方向でずっときたというふうに考えるべきじゃないかと思うわけであります。  もう一つは、日本の国内で見ましても、民間の方は、非常に不況が深刻化いたしました昭和五十年から減量、自分の体を切るということでこの不況を忍んできた。ところが行政だけは、減量しないで高度成長時代のままで、結局足らないのは借金でしのいできたではないか、したがってこれを立て直すにはまず減量が先ではないか、歳出カットが先ではないか、民間の側から見れば当然そういう声、期待になるんじゃないかと思うわけでもあります。  さて、そこでもう一つ、自治体の場合もそうかと思うのでございますが、先ほど小さな政府というのを何遍も申し上げましたが、ただ不況、こういう経済情勢だからもう小さくするんだということだけではなくて、基本的には住民に対するサービスとかあるいはさまざまな積極的な政策、その予算は減らないように、むしろ役所の組織とか公務員の数とか、そちらの面をなるべく小さくして、対住民との関係のものはなるべく維持していこうということが基本的には必要なんじゃないかというふうにも思うわけでございます。  ただ、今後、現在の状況から言いまして果たして増税をやらないで、増税なしで財政再建ができるのかどうか。これに対しては、とても不可能じゃないかという声も幾つか聞かれておるわけでございますが、その場合には、これは高度な政治のお立場からいろいろ御議論なされることかとも思うのですが、やはり行政改革との関連から見ました場合には、国民に対してまず歳出カットでどういうふうにやっていくのかというある程度長期的あるいは中長期的な行政改革の方向、道しるべをはっきり示して、ここまでは歳出でカットするんだ。しかしそれでは足らないからこういう形で増税もあわせてやらなければならないんだという、そういう全体の姿、全体の将来の絵というものをやっぱり示して、国民全体でもって考えるということが必要なんじゃなかろうかというふうにも思うわけであります。  さて、私の方にお尋ねのございました民間委託の点につきまして、単に民間の方が安いからいいということだけではいけないのじゃないかというお話があったわけでございます。確かにそのとおりでございまして、安かろう悪かろうということで、ただ金だけ見て安いからどんどん民間へ切りかえるということはやはり行政としては許されるべきことではない。やはり住民サービスが落ちるというようなことがあってはならない。そういう意味におきまして、サービスの内容とコストの面、あるいはそういう全体的、総合的な判断で当然考えなければならないものであろうかと思うわけでございます。その点は御指摘の、お話しいただきましたとおりかと思うわけでございます。したがいまして、行政としては民間に委託しても当然最終的な責任を負わなければならない。それによってサービスが落ちることがないかどうか、あるいは万一ストライキの場合はどうやって対応するのか。委託をいたしましても最後は自治体、行政が責任を負えるような手だて、方策を講じておくということは当然必要であろうかと思うわけでございます。  ただその場合に、基本的には住民の税金の使い方として直営でやった方がいいのか民間でやった方がいいのか。民間でやれば半分でできる、あるいは三分の一でできるということであれば、それは当然、もし個人が自分の金で、ふところから金を出して物を買うのであれば、半分や三分の一でできるのであれば当然そちらを買うであろう。そういう発想でやっぱりコストを比較するというのは非常に重要ではないか。ただ安かろう悪かろうではいけない。その場合にサービスが落ちるとか、そういう不安や心配があれば、じゃそれをどうやって補うかということをあわせて考えていくということが当然必要であろうというふうに思うわけでございます。基本的には住民の税金を効率よく使うためにはどうするか、それでサービスを落とさないでやっていくにはどうするか、総合的な判断が当然必要かと思うわけでございます。
  48. 大川清幸

    ○大川清幸君 初めに新田公述人にお伺いをいたします。  それは、先生が論文の中でおっしゃっている、大蔵省の単年度型のパターンの中にはまり込んでしまった発想ですね、これに対する御批判とか、中期試算に対する判断等ほぼ私も同感なんですけれども、そこで、先ほど短期的な対応策といたしまして七%程度の賃上げと減税、これをやるべきだろうという御意見もあったんですが、実は発想としては大変わかるんですけれども、財政法上どうしてもバランスがとれるかどうかという現実の問題がございまして、財源と絡んでまいりますとどうも単年度にはまり込んでしまう。そういう前提がございますから、先生の長いスパンで経済を浮揚させる考え方は大賛成なんですが、そのお考えは財政法上の規定などについても何か手を加えた上で考えなきゃならぬというところまで広げてお考えになるのかどうかという点、この点第一点です。  それからもう一つは、内需主導型で今後日本経済を考えるべきであって、大体四%程度の成長を維持していくことが必要だろうというような御意見のように伺ったんですが、その条件として五つばかり条件を挙げられておりまして、所得減税と公共投資が景気浮揚のこれはアクセルだと。おっしゃるとおりだと思うんです。そこで、結論の、結論というか先生のお考えの締めくくりのところでは、社会開発、これですね、論文の方で見ると新しい質を持った社会開発投資を地域を中心に行うべきだとおっしゃっておりまして、先ほどお述べになっていただいた説明だけですと、具体的にどういうことをお考えの中にお持ちなのかちょっとわからない点がありますので、その点をもう少し敷衍してお話が聞けたら大変ありがたいと思います。  それから次に、時間がありませんのでまとめてお伺いをいたしますが、坂田公述人にお伺いしたいのは、臨調答申全般的なことでお話を聞いていると話が長くなってしまいますので、私この間の最終答申が行われた中で、地方と国との問題で機関委任事務とそれから地方事務官の問題ございますね。あの答申は最終的にはどうもお役人の方が国の方へ引き揚げちゃうという基本的な考え方になっておるようでございます。この機関委任事務を解消した方がいいのはあたりまえでございまして、それから全国統一して行わなきゃならない、たとえば年金の事務ですとかそういうものがあるので、お役人さんの方は国の方へ引き揚げた方がいいというような答申になっているやに伺いました。それだけの条件ではないと思うのです。しかし、東京都が二十三区へ事務をおろしたときの実情を考えますと、保健所とかあるいは市中の小公園等は全部充実をいたしております。それからもう一つの例を申し上げますと、たとえば義務教育はこれは市町村の所管になる行政でございます。全国統一しなきゃならないことは統一できておりますし、小中学校の教育に支障は来しておらないわけでございますから、原則的には私は機関委任事務は地方にそのまま移してしまって、事務を行う職員の人々も地方へおろした方がいい。これは私個人の意見なんですけれども、その辺に対する答申と私の意見にははっきり違う方向が出ているんですが、この辺に対する先生の御所見を伺えれば大変ありがたいと思います。  以上三点です。よろしくお願いします。
  49. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 二つばかり御質問受けました。  第一点について、さほど深く考えていたわけでも実はないんですけれども、経済学者の立場からとしての提言ですと、もうこの際そろそろ中期財政計画というタームで財政運営を行うべき時期が来ているんじゃないか、スウェーデン型でも何でもよろしいわけですけれども。で、中期財政年度をつくって、それとローリング方式を組み合わせていけと。これが現在の構造変化が激しい段階での財政計画のあり方ではないかと思うんです。  最近、経済計画についての論争が再現しているようですけれども、いまの経済学の常識から言うと、単年度予算主義とかあるいは経済計画、新七カ年計画もそうでしたが、だんだんその手法が現在の激しい構造変化に対応できなくなっております。ですから目標を一本にして、それが外れた当たったという時代じゃございません。当然中期の計画を立て、かつそれに対してフレキシブルに調整するシステムをとらなくちゃいけない。これがいまどこでもとられているいわゆるシナリオ方式でございまして、そういう経済計画は必要だということで、やはり中期経済政策の時期に来ていると見てよろしいんじゃないでしょうか。その観点から財政法上の手直しをぜひお願いしたいということでございます。  それから第二点につきましては、大変もうこれは具体論になりますけれども、たとえば一つの例を挙げますと、電電公社がいま開発を進めているINS——高度情報通信システムというようなシステムがございます。これは大変巨大な投資額を必要とするわけで、三十兆円とか、そういった規模からしますと新幹線どころの比率じゃないんですが、ただこの情報通信化ということはナショナルプロジェクトとしてやってはだめなんですね。むしろ、たとえば具体的な例を挙げますが、地方自治体が住民サービスに対していま情報公開から情報提供というシステムに入ってきている。そういうときにCATVというようなシステムが大変有効な働きをするというのは技術的にわかっているんだけれども、ところが、こういう技術を現に先に開発しているのは民間企業の方であって、たとえば私鉄企業が沿線に対してCATVのサービスを始めるとか、本当はこういうことは公的な立場から住民サービスとしてもっと積極的に取り上げていい問題になっているわけです。しかもそれが先端技術と結びついている。それからエネルギー開発なんかそうですね。もっと日本は石油依存から脱却するためにはソフト・エネルギー・パスを強化しなくちゃいけないけれども、こういうのは地方の条件に応じて先端技術を使って公的セクターができれば民間企業の活力を使う形で進めるのが一番よろしいんじゃないかと思うんです。その意味で、私がさきに挙げたのは日本の先端産業に属するところをずらっと並べたので、これがどうして地方に結びつくのかという、よく受ける質問なんでありますが、実は発想はその意味じゃ逆でございまして、地方自治体が日本の潜在的成長能力を生かす場になれと、それは最先端の技術を生かす場が自治体だという意味合いで、先ほど申し上げました社会開発産業、これはその性格から申しますとことごとくシステム産業に属する領域なんですね。こういった意味での私どもの言う投資コントロールがいまの自治体の構成なりスタッフでできるかどうか、これは技術論の問題で、ちょっとむずかしい面があると思うんですが、政策転換への方向は大体私が先ほど挙げた項目については地域で現実可能なものばかりであると言って差し支えないと思うんです。むしろだれがそれを請け負うかということと、政策目標、さらに資金上の問題、その政策に関する住民の参加の問題、こういったことが一番大きな問題としてむしろ残るんじゃないかと思います。  以上でございます。
  50. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) ただいまお話しの、臨調答申の中の機関委任事務と、それから地方事務官の問題についてのお話があったわけでございます。  機関委任事務につきましては、ただいまお話しもございましたように、これは国のひもつきのような事務でございまして、監視が加わっているわけでございます。その中で、たとえばわかりやすい例で申し上げますと、参議院の全国区の選挙の事務とか、あるいは外務省の旅券交付の事務、これは明らかに国の事務だから国の事務を地方に委任すると、こういうふうに明らかに国の事務を委任しているものについては機関委任事務という制度があってもいいかなという見方ができるかと思うんですが、現実にはもう都市づくり、町づくり、あるいは環境、さまざまな地方団体独自の行政と思われるようなものまでがすべて機関委任事務というかっこうになりまして、中央の委任ということで、したがって指揮、命令で動かすと、地方自治に反する制度ではないかということでございまして、今度の臨調答申でも、これは解消という方向では出たんでございますが、何か、たしか一〇%程度解消すると、それも何か別の検討機関を設けてということで、きわめて歯切れが悪い中途半端なかっこうになっておりまして、これは地方自治あるいは自治体の側からは非常に不満足だという声が出ておりまして、私もやっぱり本来自治体でやっているような、自治体の事務に同化しているようなものは、もう機関委任事務から外すべきだというふうに思うわけでございます。  もう一つ、地方事務官のお話があったわけでございますが、これは現在県庁の中にございます保険とか、それから労働関係、それから陸運関係で、これは身分と人事権は国家公務員で、指揮命令系統は知事に属すると、あいのこみたいな中途半端な制度でありまして、今度の臨調答申では戦後三十数年たってこんな制度おかしいというので、じゃ国家公務員にするか、地方公務員にするかということで最後までもめて、いまお話しございましたように国家公務員にするという答申が出たわけでございます。これは最近と言いますか、行政改革の方向として地方分権という基本的な方向からいたしますとまさに逆行で、中央集権という形ではないかと、これは地方団体関係者からも強い反発なり意見も出ておりまして、私も非常にこれはおかしいのじゃないかと思うわけでございます。その中でも、たとえば年金関係の事務は、これは市町村段階ではもう市町村の職員が事実上やっているわけですが、府県段階がああいう中途半端な身分でして、むしろその仕事の流れから言っても府県でやっているのを、中途半端なのは府県の職員にするという方がむしろ望ましい自然な形じゃないか、あるいは職業安定所にいたしましても、かつて高度成長時代のように全国的に労働力を流動、確保するという時代じゃない。その地域地域で地方定住を図るために、どうやって労働力を、地方定住の場を確保しようかという努力を自治体がなさっておられる。そういう状況から見まして、地方に任せるという方向にむしろなるべきではなかったかというふうに思うわけでございますが、今後の方向といたしましてはなるべく地方、現場の声をもう少し聞いていただきまして、当然これは法律改正が必要かと思いますが、地方、現場の声あるいは現在の地方事務官の人がどういうふうに思って、感じておるのか、そういうふうな点が総合的にもう少しよく詰められることが必要なんじゃなかろうかというふうに思うわけでございます。
  51. 大川清幸

    ○大川清幸君 はい、結構です。
  52. 立木洋

    ○立木洋君 持ち時間が短いものですから、端的にお答えいただければ幸いだと思います。  新田公述人にお伺いしたいのですが、先ほど内需主導への転換ということを強調されまして、そしてそれに対する若干の施策を積極的に展開するべきであるというふうにお述べになりました。いまの質問とも関連するわけですが、そのときに短期的には七%程度の賃上げと所得減税ということなんですけれども、短期的という意味をちょっと御説明いただきたいのですが、この内需という面から言えば確かに可処分所得の増大ということが問題になりますし、これは施策にはいろいろあるかと思いますけれども、施策としてそういう短期的という意味を述べられたのか、何か別の意味がおありになるのか、このことを一つ。  それからもう一つは、社会資本への投資ということで三つに分類して御指摘になりましたが、いまの景気浮揚、回復という点あるいは社会構造から考えて、この三つの資本投資ということを同列に置いてお考えになっているのか。それとも特にこの面での社会資本の投資というのが重視されてお考えになっているのか、その点です。  それから坂田公述人の方には、先ほど地方を重視されるということについてはまさにそのとおりだろうというふうに考えるわけですが、公述人がお書きになっている別のところでは、たとえば地方自治体のこれからの行革については行政のコストを下げる、あるいは不要な事業を打ち切る、行政の守備範囲を見直す等々の問題が指摘されているわけですね。その中で特にまた住民が行政に甘えたり、依存する傾向が強まっているというふうな批判的な指摘もありますし、これは民間への委託の問題とも関連するかと思うんですが、先生の論文の中では公共部門の役割り、あるいは公務労働の社会的な意義等についての積極的な評価というのが余りにも見当たらないんですが、この点でつまり行政の役割りですね、公的な役割りとそれから行革とのかかわりと言いますか、この点についてどのようにお考えになっているのか、お答えいただければと思います。
  53. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 簡単にお答えいたしますが、確かに短期という言葉の使い方それ自身不鮮明な点があろうかと思います。私は、短期政策というのは当面とるべき政策という意味合いで使っておりまして、しかもそれが時間的経過とともに当初効果を次第に失っていくという技術的な意味を含めまして、短期的という言葉を使いました。こういうふうに言いますと、七%賃上げはことしだけで来年はたとえばゼロでもいいという誤解を受ける場合が多いんですが、そういう意味ではなくて、賃上げの比率にしましても減税の幅は、まあ私は一兆円は必要だと思いますが、そのときどきの具体的な経済条件によってきわめて厳しく制約されているわけですね。そこで、はじき出された数値が一兆円の減税であり、七%の賃上げであるという意味でございまして、この数値が今後の日本経済を安定成長に乗せていくためにずっと継続して中長期的に効果のある勤因となるとは必ずしも考えていないんです。ただ、先ほどから申し上げますように、これはアクセルとしてともかく景気を安定軌道に乗せる手段としては必要なんだ。ただ、その賃上げというのは厳密に言うと景気浮揚のためにやるわけじゃございませんから、これはマクロ的な計算として経済学者の立場から経済成長に対する効果等、つまり勤労者の生活と国民経済の利益が合致する一つの均衡点としての意味合いで申し上げているわけでございまして、短期という意味はさしあたり減税と七%賃上げで景気にはずみをつくれ。ただ、その後には必ず日本経済の中長期にわたる観点からした構造政策が必要になってくる。日本経済の短期と中長期というのは言葉をかえて言えばフローベースの成長メカニズムからストックを中心とした構造に移っていけという意味合いも含まれておりますので、したがってその意味からしますと中長期的に見れば耐久消費財を中心とした個人消費というものから次第にストックの形成に関心が向き、現実的にもそうなっていくという構造が背景に出てまいりますと、これは賃上げだけでは問題が片づかないという意味合いがございます。そういう意味でも短期的な視点ということを申し上げました。  それだけでございましたですかね。
  54. 立木洋

    ○立木洋君 三種類に分けられた、社会資本の……。
  55. 新田俊三

    公述人(新田俊三君) 三種類には一応私便宜上分けましたが、これは実は経済学者の立場から言えば、伝統的なケインズ政策との違いを示す意味でこういう都市開発型産業を挙げました。  実は、マクロ的な乗数効果論では日本経済の成長率は議論できないということがございまして、そこに構造政策を入れるという意味合いがございます。これは伝統的なケインジアンの発想を超える中身になると思うんです。ですから、産業連関効果といったような問題を考えた場合に、地域住民のニーズとそれに対する投資が他方における日本の新しい市場構造や産業構造につながっていくという、そういう意味合いを持たせませんと、この政策は日本経済論における具体的提言にならないわけです。その意味からしますと、私が先ほど挙げた社会開発型の投資というのは、新しい産業を育成するための波及効果を持つリーディングセクターであるという位置を与えたいと思うんです。そういう意味を込めまして、そういう意味での新しい成長主導産業としての意味合いも持たせているということをお答えしたいと思います。
  56. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) ただいまお話しございました、公共部門の役割りについてどう考えているのかということかと思うわけでございますが、これは二つの面からちょっとあれしてみたいと思うんですが、一つは、行政と住民との関係から見ました場合に、従来はどうも行政がやり過ぎる、行政だけがいろいろやるという形になる傾向が非常に強過ぎたんじゃなかろうか。このままだと住民が行政に依存する、甘える、あるいは無関心というかっこうになってしまう。やはりこれからは行政と住民との共同の町づくり、あるいは共同分担、共同作品というかっこうで、住民がもっと町づくりの主人公、主体になってもらう、それが非常に必要なんではなかろうか。そういう意味において、住民の自立というんですか、セルフヘルプというんですか、何かそういう住民の力を行政の町づくりの中へ引き出すということが非常に必要なんじゃなかろうか。そういう段階でいま各自治体がそういう方向に努力しているんじゃなかろうかなと思うわけでございます。  それからもう一つは、今度は民間委託といいますか、むしろそういう面からの御指摘であったかと思うんですが、公共部門の役割りといいます場合に、やはり今後におきましても、権力行政の分野とか、基盤整備とか施設整備とか、こういう面はやはり民間に任すわけにいかない、やはり行政が中心になっていくんじゃないかと思うんです。ただ、これからは建設の時代から管理の時代へと、施設その他がたくさんできてまいりまして、そうすると果たして管理は全部行政がやるのがいいのかどうかということになってまいりました場合に、コストがそう違わなければいいんですが、コストがかなり違う。その違う理由は、非常に専門的な分野の方にやっていただいた方がずっといいとか、いろんな理由もありますので、ケース・バイ・ケースによろうかと思いますが、やはりそういう内容的に見まして、どちらが適当なのか。それからコストの面も含めまして、管理運営業務面についてはやっぱり検討されていくべき分野がかなりあるんじゃなかろうか、そういうふうに思っておるわけでございます。
  57. 伊藤郁男

    ○伊藤郁男君 時間がありませんので、坂田先生に一点だけお伺いをしておきたいと思います。  先生は、小さな政府をつくる見地から、地方への大幅な権限移譲、要するに地方分権への積極的な推進、こういう観点からお話しをいただきまして、まことに私どももそのとおりだと思います。  そこで、これは私どもが年来主張をしてまいっているところでございますが、例の地方財政法第十条の二に言う普通建設国庫負担金というのが相当の額に上るわけですが、これを一括、もうまとめて地方に交付して、地方の一般財源として自由な裁量で使うことができるようにしたらどうだろうか。いわゆる第二交付税の創設の問題を終始提起してまいっているわけですが、大蔵大臣あたりの答弁によると、そんなことをすると、道路の好きな者は道路ばかりつくっちゃう、学校の好きな者は学校ばかりつくっちゃうという、要するに地方を信用していないわけですね。そういうことで、この提起もなかなか実現をされない。  ところが、地方へ行ってみますと、それは結構でございます、大いにやってほしい、こう言うんですが、この第二交付税の創設についてのわれわれの考え方に対しましてどのようにお考えか、御見解を承りたいと思います。
  58. 坂田期雄

    公述人(坂田期雄君) ただいま第二交付税についてどのように考えるかというお話があったわけでございます。  確かに地方分権という考え方から考えました場合に、現在は国庫補助金という制度で、これが三千五百といいますか、三千七百件といいますか、がんじがらめに地方が縛られている、したがってこういう国庫補助金という制度をやめて一般財源化するというのが基本的な方向、地方分権じゃないかと思うわけです。これは一挙になかなかむずかしいんですが、その場合に、現在の地方国庫補助負担金の中には管理運営質的なものといまお話がございました建設的なものと両方ある。それで管理運営的なものにつきましては、特に人件費補助はもう一般財源化すべきだということで臨調の基本答申にもあったわけでございますが、実はあと残っております金額的にも大きい建設投資型の補助負担金、これをどうするか。  それで、これはただいま第二交付税という形でまとめて一括してやるようにしたらどうか。確かに方向としては私もまことに望ましい方向ではなかろうかと思うわけでございます。  現在、それぞれ各省、各局あるいは各課ごとの縦割りの細かい管掌の中にありますから、これをできるだけまとめて、総合化あるいはメニュー化というかっこうでいま進んできておりますが、なかなかそれも進まないんですが、できれば総合化、メニュー化からさらに一歩進めて、全体をくくって第二交付税という形になれば、かなりこれは理想的な形で実現できる、望ましい方向じゃなかろうかというふうに思う次第でございます。  ただ、技術的な面といたしまして、現在普通交付税がございますが、普通交付税は標準的な行政というので、静態的な経費ですから、人口とか面積で案分できるわけですが、建設投資的な経費ということになりますと、人口、面積という物差しでいいのか。これからもっと必要な動態的な経費をどうやって各地方団体ごとにはじくのか、そういう配分の基準をどういう物差しをもってくるかという技術的な問題とか、全体的にまとめて、じゃどういう省庁がどういう形でやるか。具体的な面についていろいろとまた今後検討を詰めなきゃならないかと思うんですが、方向としましては非常に望ましい、理想的な形のものではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  59. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 以上で、経済、景気動向及び行政改革に関する意見聴取は終了いたしました。  一言お礼を申し上げます。  新田公述人及び坂田公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。     ─────────────
  60. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 一言ごあいさつを申し上げます。  庭田公述人、進藤公述人におかれましては御多用の中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を賜り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方につきまして申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承ります。  まず、社会保障につきまして、庭田公述人にお願いをいたします。慶應義塾大学教授庭田範秋君。
  61. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) 御指名をいただきました庭田と申します。  それでは、二十分時間をいただきまして、五十八年度の総予算についての社会保障のあり方、位置づけといったようなことを中心にいたしまして、社会保障そのものの今後の方向といったようなことにも及びたいと思います。  五十八年度の総予算の社会保障に関するところと申しますと、世上ではいろいろの物の言われ方がされておりますが、絶えず防衛費の突出と社会保障のさしたる伸びでないというのは対比されて言われております。一体そういう姿勢がよろしいのかどうかというようなところに入りたいと思います。  まず、予算全体の性格といたしましては、よく言われておりますが、マイナスシーリングの設定の中で、歳出の節約を徹底的に行った超緊縮予算といったような文言が新聞紙上盛んに出ていたわけであります。実際上五十兆円何がしかの総額でありまして、一・四%の微増であるというような指摘がなされております。この一・四%の微増の中で社会保障関係費も同じくさらに微増でございまして、〇・六%の伸びということであります。総額は九兆一千三百九十八億円ということで、これはもう皆様、私たちよりもはるかによく御存じな数字ではないかと思います。  ところで、財政面でのやりくりを特に社会保障にいたしまして一応の福祉水準が維持された、こういう評価が強いわけでありますけれども、果たしてそう見てよろしいのかどうかという点が問題になります。社会保障費は一八・三%でありましたのが、今回一八・一%に落ちておるわけであります。しかも、これは昭和五十二年度の二〇%のピーク時から順次落ちてまいりまして、この間連続的にこの傾向が続きました。この落ち率もさることながら、落ちを続けているという傾向そのものにわれわれは一つの危惧を感ずるところであります。特に、これから本格的な高齢化社会を経まして、さらに高齢社会に到達するというようなことが予想されております。  ところで、そこで問題になりますのは、最大は年金ということでありますけれども、年金は少なくも積み立て方式というのをとっておるわけであります。したがいまして、年金財政というのは、長期にわたった計算の上に成り立つものであります。このようなことを考えますときに、連年のように社会保障費が伸びを落としていって、しかも今回は〇・六%しか伸びなかったということは、なかなか将来を考えますときに重大な問題になるのではないかと思うわけであります。  結局、こういう中で福祉というのは伸び悩みます。そういたしますと、当然政府提唱のもとに、また民間がこれに照応いたしまして、自助努力という言葉が現在流行しているわけであります。しかしながら、社会保障の給付そのものはさしたる伸びを示さない、こういう中でさらに負担だけはどうも増しそうである、このような傾向が指摘されている。そして、所得税減税というものが長期間放置されている、しかもそこに不平等なものが多々ある。このように言われておる中で、一体自助努力論というきれいな言葉国民が果たしてそれに耐えられるであろうか、こう考えるわけであります。少なくも所得が伸びましたり、あるいは税金が軽くなったり、あるいは社会保障の負担が軽くなる、このようなことでありますならば自助努力も可能でありますけれども、負担はどちらかというと厳しくなる、収入もどちらかというと期待ほどには伸びない、しかし社会保障の給付は国家財政の中で緊縮の状態にある、こういう中で自助努力を言われましても、これは相当酷な要求になるのではないか、こう思うわけであります。  なお、福祉というものの中で一番中心は社会保障になりますけれども、これは長期に安定的活動を続けることで初めて本当の効果というものを生み出すわけであります。決して短絡的に福祉というものが推進されるものではないのではないか、こう考えられます。このような中に五十八年度の予算というのは、確かに工夫はみごとに織り込まれてありまして、この点は大変評価をされているのではないかと思うんでありますが、なお福祉は長期的な活動を続けて初めて効果を上げると、こういう中におきまして、この五十八年度の社会保障に関する予算というものは後年に問題を実は送っているのではないか、このような指摘がされてよろしいのではないかと思います。  ところで、予算編成上留意されるべき社会保障の諸点といいますか、あるいは特性といったようなものを少しここで触れてみたいと思います。  社会保障というのは、国民の生活設計の中に現在ではしっかりと組み込まれておる、こう見てよろしいかと思います。そして、国民の一生涯にわたります長期のライフサイクルに応じて位置づけられておる、これも事実でありましょう。そういたしますと、社会保障の負担や給付というものをみだりに変えることは実は慎しまなければならないのではないか。この変えるという言葉の中にはある程度伸び率のようなものも計算に入るのではないか、このように考えます。そういたしますと、ここの、今回示されました予算の編成というものは幾つかの点で問題になるところが出てくるのではないか、こう考えます。  また、全国民を広く対象とする福祉、こういう一つ考え方がございますが、もう一つ福祉の中には、一部の人々、つまり不運、不幸、こういうものに遭われて、まあ俗な言葉で言いますと落ちこぼれてしまったといったような人を救い上げるというような意味の福祉というのと、両方があろうかと思います。そして、五十八年度の予算というものを検討いたしますと、前者の全国民向けの福祉という点ではどうやら抑えられるんではないか。そしてまあ弱者の救済といったような点ではこれは工夫の跡が見られまして、高く評価されるのではないかと、こういうように考えられます。この福祉の二つの部分のどちらを先行させるとか、どちらを現段階においてより高く評価するかとか、こういうのは各人それぞれの判断によろうかと思いますけれども、少なくも全国民向けの福祉といわれるようなものはどうやら抑えられかげんで、そのかわり恵まれない人々、扶助にかかわるような人々の福祉というのは、これはこの緊縮財政の中におきましても相当の努力が払われておると、このように見てよろしいのではないかと思います。  社会保障というのは、むずかしく言いますと、本来は生活破綻ということの事態が発生したときにすぐさま制度が動き出しまして、効果を発揮して、そして国民の生活保障を達成するものであると、このように言われるかもしれません。しかしながら、近代の社会保障の概念というものも拡大傾向をたどりまして、たとえば予防の問題であるとか、あるいはリハビリ、予後の問題であるとか、そういったようなものが含まれるようになってまいりました。  したがいまして、社会保障を取り扱う予算というものの中にもこの予防だとか予後だとか、こういった部分も織り込まれるべきではなかろうかと、こういうことが予算編成上で社会保障をめぐってひとつ注意されるべき点ではないだろうかと、こう考えるところがあります。  また社会保障は、それを取り巻く関連諸事業との総合的活動の中で真の効果を発揮すると、こういうふうに考えられてきております。したがいまして、国家予算においても関連部門と幅広い検討が必要になるのではなかろうか。社会保障に関連するところだけを厳しくしぼり出しまして、そこに目を合わせまして進歩であるとかあるいは後退したとかと、そういう発言もそれはそれなりに意味がございますけれども、なお広く雇用政策、教育問題、環境整備、公害対策と、そういったようなものにも目を向けながら総合的判断の中で社会保障の予算を論ずべきではないだろうかと、こう考えるところがございます。  社会保障が発足して間もない水準の時代、そういう時代ですと、先進諸国の水準に追いつけ追い越せと、これが一つの理想になっておりました。しかしながら、現代のわが国はどうやらこの第一目的は達成したのではなかろうかと。この点も細かく言いますとなかなか問題がありますが、大方はそのような表現をとっております。  そういたしますと、給付水準を引き上げる。給付内容の拡充、給付対象の拡大と、こういった量的な社会保障隣の発展ということを考えるのも確かに意味がございますけれども、これからは質的な面での配慮というものも必要になるのではないか。そして質的な配慮という中には、制度のゆがみの是正と非効率部分の整理と、こういったようなことも同時に考えられるのではないだろうか。つまり、ただただ先進諸国に追いつけ追い越せといったような姿勢だけでなくて、日本独自の問題を織り込みまして、そして徐々に質的な充実というような方向にも社会保障は歩まなければならない。そのような内容を反映したところの社会保障予算の編成であると初めて満点なのではなかろうかと、こう考えるところでございます。  ところで、それでは五十八年度予算の特徴と問題点というものを少し具体的に探りながら、社会保障のこれからのあり方というような点に触れてみたいと思います。  五十八年度予算は全体が破綻はしていない、これはもう間違いなくマスコミその他も指摘しております。そして、破綻をさせないためにいろいろの操作が行われておって、その操作が社会保障の部分にも相当色濃く出ているのではないだろうかと、このような言われ方がまずされるわけであります。  そして、世上では社会保障関係費とそれから防衛費を対比いたしまして絶えず論じております。たとえば社会保障は〇・六%の伸びしかないが、防衛費は六・五%の伸びを示しておる、こういうようなことを盛んに書き立てたわけであります。これは、一時期はやりましたバターか大砲かといったような論議の延長ではないかと思います。  社会保障の歴史を、ちょっとおこがましいんですが申しますと、一番最初はビスマルクの時代でありまして、これは間違いなく社会保障の拡充は即国家防衛力の強化というものとつなげてビスマルクが実践したと、このように言ってよろしいのではないかと思います。そうしますと、社会保障をほとんど運命的にバターか大砲かというとらえ方をするのは果たしてどういうものなんだろうか、ある時期に生まれてきた一つの神話ではなかろうか。そしてその神話を何ら批判なしに五十八年度予算のところの批判材料に使うというのもどういうものだろうかと私自身は若干疑問を持ちます。  と申しますのは、仮に何か緊急の事態といいますか、特別の事情によりまして防衛費が突出したというようなことがあった場合、そのままその論理を用いまして、同時に社会保障の部分の圧縮ということが自動的に認められるような、あるいは何となく運命づけられるようなことになるのではないか。どうも防衛費と社会保障というのを関係づけて論ずるのは一時代前の考え方ではないか。われわれは今年度の予算というものを見るにつきましても、社会保障は社会保障として評価をいたしまして、社会保障独自の判断からそのあり方を論ずべきではないだろうか。ほかのものと関連づけて論ずるのは大変おもしろいんですけれども、そういう姿勢よりも、社会保障の重要性の認識の上で社会保障そのものを論ずべきではないだろうか、このように私は、特にこの五十八年度の予算編成上でマスコミその他が一生懸命両者をからげて論じたことには若干の疑問を持っております。  しかしながら、とにかく連年社会保障の伸び率はダウンをしておる、このことは大変重要であります。なぜかと申しますと、社会保障というのは長期の制度でありますから、一つの傾向というものを持ちます。この傾向というものを通して見た場合、もう連年伸び率が落ちるということ、これ自身も一つの傾向を示すものになってしまうのではないか。こういうわけで連年のように落ちてきた、そしてことしも伸び率が〇・六%というような低いものであるということを考えますと、これが長期の傾向として定着しないようにと祈らないわけにはいかないわけであります。  それから、社会保障をこれから論じますには、高齢化の進行ということをわれわれはどうしても考えなければなりません。そして、高齢化が進行いたしますと、当然年金部門も医療部門もそれぞれ当然増といったような伸び方をいたします。あるいは自然増と言う方がよりよろしいのではないかと思うんですけれども、老人がふえれば当然医療費はかさんでくるわけであります。また高齢者がふえれば年金はかさむわけであります。そして、年金がかさめば、高齢者の生活がよく保障されますと、高齢者は長生きをますますするようになります。長生きをいたしますと、老人の病気持ちの人たちが長く生きられるということで医療費がかさんでまいります。今度は医療費をかさめますと当然長生きをされますから、年金は自動的にふえるわけであります。ですから、医療と年金は連動してふえてまいります。この傾向が将来見られる中で果たして〇・六%の伸びで長期に対するもろもろの配慮というものがそこに展開できるのであろうかという点を大変疑問に感じます。  それから財政面での工夫と申しますと、やりくりと書いてあるものもありますけれども、これは評価をされておりますが、必ずしも好ましい前例にはならないということを言わざるを得ません。国民年金特別会計への国庫負担金の繰り入れの平準化措置と、これはなかなかみごとな工夫でございますけれども、結果的には後日にツケを回すものであります。結局はこれを繰り返していきますと後代負担の増加ということになるわけでありますし、もともと国民年金特別会計にゆとりのお金があろうかといったような論もなされておりまして、どうも工夫をして今年度はまことにみごとであったけれども、これが前例になったり、また後代負担にこれが転嫁されるといったようなことを考えますと、どうもひやりとする成功例であると、こういうふうに考えられます。また厚生年金、拠出制国民年金の物価スライドは見送られるわけであります。これは当然の措置と言えば当然の措置でありまして、インフレ率が五%以下でありますから、これはあたりまえと言えばあたりまえでありますけれども、なお四十八年度スライド制が導入されて以来初めての事例ということであります。そして、ことしがスライドが見送られることは、多分もう来年度はいやおうなしにせざるを得なくなるのではないかと、こういう意味では後に宿題を残したといったようなことにもなるわけであります。  ところで、先ほど申しましたように、恵まれない人たちの分、社会保障の部分、こういうようなところに絡みましてはずいぶん努力の跡があると、こういう点では世間も評価をしているのではないかと私は考えております。  ところで、老人保健制度の発足に伴いましてヘルスサービス、保健事業の推進と拡充に配慮が施されておるわけでありますが、一体この程度でいいのだろうかどうだろうかといった点でまだまだ煮詰めが必要なのではないかという気がいたします。  そのほか、医療費適正化対策を考えまして、そして全般に適正化、合理化を行って予算の縮小を図っておると。しかも不正防止の効果的な期待というような、不正防止の効果の期待といったような点が織り込まれてありますが、これらは勇気を持ってぜひ実践していただきたいと希望するところであります。  事務費の節減とそれの保険料への負担の切りかえという部分もあるわけでありますが、行政サービスの後退にならないように気をつけてほしいと、こう考えます。  それから各種の助成がなされておりますが、これを有効的に使うために配慮が織り込まれるべきではないか。そしてそのような案がすでに出されておるという点は評価せざるを得ません。たとえば国民健康保険の高額医療費共同事業でのこれは有効的に使うというような措置一つでありますが、そこに助成を投入して経営効果をねらうといったような点も評価できるんではないかと思います。  それから結局最後に、結論のところにちょっとまとめて述べたいと思いますけれども、昭和五十八年度の予算というものは、工夫とやりくりの点では確かに評価されるでありましょう。そしてまた、みごとにその成果が織り込まれておると言うことはできます。したがいまして、五十八年度はきっと切り抜けられるのではないかと思いますけれども、先ほど指摘いたしましたように、問題と宿題は後送りにされておりまして、解決をされたのではないと、後送りになっておるだけだというような気がいたします。もしこうやって時を稼ぎながら社会保障の諸制度の抜本改正を用意するというのであるならば、これも一つの路線かと思います。しかしながら、事態は相当急を告げておりますので、案づくりも急がなければなりませんし、また勇気を持ってつくった案を実践する腹をそろそろ固めるべき時期ではないかと、こう考えるわけであります。  そして最後に、予防や予後、不正防止、適正化対策、生活指導、そして家庭と地域の見直し、老人の在宅福祉など新しい問題がこの予算の編成をめぐりましてずいぶんたくさんに提案されておるわけでありますが、ただこういう制度は時間をかけませんと効果は出ません。したがいまして、当座はどちらかと言うと、お金を食う一方であります。ですから、これらが実るのは大分後になってからであるということでありますので、余りその効果を短期的に期待をいたしまして、来年度、再来年度といったようなところにその期待が大きく出て財政再建にそれが役立たれる、こういうように考えてしまうことには少しく疑問があるのではないかと、こう考えたわけであります。  そろそろ時間だと思いますので、一応ここで打ち切りたいと思います。
  62. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  次に、外交、防衛につきまして進藤公述人にお願いをいたします。筑波大学助教授進藤栄一君。
  63. 進藤栄一

    公述人(進藤栄一君) 防衛、外交面から見た今年度の予算はどうとらえることができるでしょうか。周知のように、昭和五十八年度、一九八三年度予算で防衛費は対前年比六・五%増、言われるところのGNP比で〇・九八%、総額にしてたしか三兆円近くにまで達しているわけです。このまま五六中業、つまり五十八—六十二年度正面装備調達計画が予定どおり続けられますと、五十九年度、つまり次々年度には軍事費のGNP比は一%を超えることは明らかになっております。五十一年の閣議決定以来、少なくとも今年度まで〇・八八%から〇・九三%を推移し、しかも周知のように、いま庭田公述人から御説明ありましたように、社会保障予算が大幅に削られ、歳入面における事実上の増税が進行していることを考えますときに、これは確かに軍事費の括弧つきであれ、突出だと言わざるを得ないでしょう。一体、この軍事費の突出はやむを得ざる突出であるのか、それともなおも足りない小さな容認さるべき突出なのであるのか、この問いに私は三つ観点から検討してみたいと思います。第一は、軍事費突出の財政的歯どめとしてのGNP比一%論の数字上の根拠です。二つは、軍事費突出の軍事上の根拠としてのソ連脅威論です。三つは、軍事費突出に関する外交上の根拠としての外交政策の理念と現実のずれです。この三点を手短に順に述べていきたいと思います。  まず第一点、私はGNP比一%論というのは、実にたわいない議論だと思うんです。といいますのも数字上の根拠が全く国際性を欠いているからです。御承知の方も少なくないと存じますが、わが国で軍事費の算定方式というのは、NATO諸国家の算定方式とは全く違っています。NATO諸国家の場合、軍事費の中には、日本軍事費、つまり防衛費と言われるもののほかに軍人恩給、他省庁の関連業務、基地関連費、諸外国に対する軍事援助、こういったものが含まれております。しかるに日本の場合、それら軍事費の重要部分が排除され、いわば最狭義の軍事費だけが軍事費として算定され、それがGNP比で一%を超えたとか一%にならないとか、あるいはNATO諸国から比べて異常に低過ぎるといった形で議論をされているわけです。これは丸と四角を一緒にして比較するたぐいの議論ではありませんでしょうか。もしわが国もまた軍事費算定方式に関してNATO方式をとるなら、すでにわが国の軍事費は〇・九%ではなく一・六%を超えている。二倍まではいかないけれども、二倍弱の数字になるわけです。しかもNATO方式に従って五六中業を達成したときに、この数字は二%近く、五六中業の次の五九中業に突入したときには、対GNP比は恐らくさらに上昇し、日本軍事費は事実上、核装備費を含めたイギリス、フランス並みのものになる。つまり、米ソに次ぐ巨大な軍事費に達するわけです。一体、これだけの軍事費を使って軍事力を装備することによって、わが政府は何をしようとしているのか。率直な疑問を抱かざるを得ません。  第二番目。軍事費突出の軍事上の根拠としてのソ連脅威論について考えてみたいと思います。  一ころ、ソ連のアフガニスタン侵攻当時言われましたいわゆる一九八五年危機説、これはさすがに最近聞かれなくなりました。つまり、ソ連の石油の需給が一九八五年ごろをもって逼迫し、その機会にソ述は世界侵略に乗り出すだろうと。その手始めとして、アフガンを初めイエメン、イラン、アフリカの角、つまり中東の赤い三日月地帯をねらっているのだという、こういった危機説です。そもそもこの八五年にソ連の石油需給が逼迫するという予測自体、全く現実離れした予測であったわけであります。そのことは、ソ連が世界最大の産油国であり、しかも世界一、二を争う確認埋蔵量を持って、そしてサウジ、イランに次ぐ世界第三の石油輸出国であるというきわめて単純な事実を考えただけでも、通常の、普通程度の常識を持つ人間だったらとうてい予測し得ない予測であったはずです。  この予測は、つまり八五年までにソ連の石油需給が逼迫するという予測は、当時CIAによって出されていたわけですが、当時からたとえば石油多国籍企業エクソンはこれと全く逆のデータを出しておりましたし、そして御存じの方もおありかと思いますが、CIA自身、八一年、つまり一昨年四月にみずからの予測が誤りであったということを認めたというきわめておもしろおかしい茶番がつくわけであります。  ともあれ、さすがに最近はこうした常識外れた八五年危機説をとる専門家は少なくなりました。しかし、このごろ言われ始めておりますのは、いわゆるSS20もしくはバックファイアの脅威です。つい先ごろアメリカの国防総省が出した「ソ連の軍事力」と題する報告もこの線に沿っております。そこでは、SS20を中心とするソ連の戦域核における対西欧優位によって力の均衡が崩れた。その崩れた力の均衡によって、ソ連は世界支配に乗り出すことをプランニングしていると書かれているわけです。そして、戦域核バランスの崩壊は欧州でも極東でも見られ、その世界支配への徴候は中東からアフリカ、中南米、東南アジアに及んでいるというわけであります。いわば八五年危機説の改訂版であります。そして同報告は、こうしたソ連の世界支配の動きに対処するために、自由主義陣営は防衛努力をしなければいけない、軍事力を増強しなければいけない、戦域核バランスを回復しなければいけないという主張をするわけであります。レーガン外交の戦略構想基盤と言いかえることができるでしょう。  そして御承知のように、わが防衛庁と政府は、このレーガン軍事戦略に全くそのまま従って、先ほど申しましたような巨大な軍事国家へと突き進もうとしているわけであります。それがいわゆる前年比六・五%増の防衛費、軍事費突出に象徴されているわけです。あるいはその象徴を、先ごろ行われました米韓日三国軍事大演習に求めることができるかもしれません。  しかし、一体、軍事バランスは言われるような形で崩れているのか、どうなのか。軍事バランスによって平和を維持するという考え方自体、相互依存が深化した核時代の今日、きわめて当否危うい、おかしな考え方であると言えるかもしれません。しかし、その当否はさておきまして、ここではともかく、いわゆるソ連脅威論の根拠でありますこの軍事バランスの現実がどうなっているのかという問題について、ごくかいつまんで検討してみたいと思います。  結論を先取りして申し上げますと、確かに七〇年代以降、あるいは八〇年代の今日、ソビエトの軍事力は顕著な増強を見せています。しかし、それにもかかわらず西側は依然として軍事的優位を保ち続けている。見方によっては圧倒的な軍事的優位を保っていると言うことができるわけです。なぜそうなのでしょうか。  恐らく、当委員会で私がこう申しましたら、この結論に対しまして、たとえば、それじゃ一体ソ連は六万台の戦車を持っているではないか、西欧は二万台の戦車しかないではないかとか、あるいは潜水艦に関してソ連は西側を圧倒しているではないかという反論が出てくるかもしれません。しかし、そうした反論に対して、私は次のような観点から答えたいと思います。  第一番目に、現代の兵器体系、つまり軍事力にあって、戦車対戦車、潜水艦対潜水艦が戦い合うという、いわば日露戦争的な時代の軍事的な、軍事力の比較考量は全く意味を持たないということであります。戦車と戦車、潜水艦と潜水艦が戦い合うのではなく、戦車対対戦車兵器、潜水艦対対潜水艦兵器が交戦し合うのが現代の軍事力の現実であります。そのとき、たとえばソ連の四万台の戦車に対し、ソ連は六万台の戦車のうち四万台をヨーロッパ戦線に配備しているわけでありますが、その四万台の戦車に対し、NATO諸国家は五十種類、四十万以上の対戦車兵器を持っております。この現実の重みが浮上してくるわけです。同じことは潜水艦は関しても言える。  第二番目に指摘さるべきことは、現代の兵器体系、特に戦略核兵器の分野にあっては量の比較というのは余り意味を持たないということです。むしろ、軍事技術の変数を入れて考慮しなければならないということです。といいますのも、軍事技術の高度化に従いまして核兵器の技術開発過程でさまざまな質的転換、専門家の間ではブレークスレー、技術革新という言葉で呼ぶわけですけれども、それが生まれて、その結果、核大国は核運搬手段の総量、量の総体を増加させることなく、ミサイルや弾頭の質を高めることによって核兵器の破壊力を飛躍的に増強、強化することができることになったからであります。つまり、核戦力で優位を保つためにはもはや核運搬手段の増量を、量の増強を図ることはさほど意味を持たなくなっているのであります。むしろ、核運搬手段の質や核弾頭の質の向上を図ることの方が費用対効果比の点から言ってはるかに有利な状況が展開しているわけであります。確かにアメリカは、一九六八年以来、ICBM、つまり大陸間弾道ミサイルとSLBM、つまり潜水艦発射弾道ミサイルの総基数に関して、それぞれ一千五十四基と六百五十六基に達した後、これら二つのミサイルの総基数を一切ふやすことなく、ソ連に追いつかれ追い越されるに任せております。  こうして核軍拡競争を量から質への転形という観点から見ましたとき、その競争にあってソ連がアメリカを引き離していたのではなく、逆にアメリカがソ連を圧倒的に引き離し、核戦力の総体においてソ連をはるかにしのいでいるという現実が明らかにならざるを得ません。  ちなみに、いわゆる初期世代のアメリカのSLBM、潜水艦発射弾道ミサイルポラリスA2、これは当初アメリカは四百四十八基を持って、その後これをすべて退役させ、これにかえてポラリスA3第二世代を増強して、七〇年代中ごろからこれも漸減させ、次いで第三世代のポセイドンC3を就役させ、さらにこれを漸減させ、今日では第四世代のSLBMトライデントを就役し始めているわけであります。つまり、総量をふやすことなく、中身を変えていっているわけであります。そして、この一等最初の世代の、SLBMの第一世代であるポラリスA2から、初期世代でありますポラリスA2からトライデントに至る兵力の差は、次のように示されるわけです。  すなわち、射程距離にして千五百海里から六千五百海里、弾頭打ち上げ方式にして単弾頭方式、つまり一個の弾頭を打ち上げる方式から多目標弾頭、いわゆるMIRV方式、さらに個別機動多弾頭、MaRV方式への変化としてあらわれるわけです。それをわかりやすく、一隻の原子力潜水艦に搭載できるミサイル基数に換算しますなら、十六基から二十四基への変化として、核弾頭数にかえますなら、十六発から四百八発への変化として表現できるわけです。  その結果、かつてポラリスA2を主戦力としていた六〇年代にあって、地中海東部の至近距離からでなければオデッサをたたくことができなかったし、その至近距離からですらロシア南部の十六の都市しか標的とすることができなかったのに対し、今日トライデントII型を主力とする八〇年代にあっては、アフリカ大陸の南端近くからでも十分な確度をもってオデッサをたたくことができるし、一隻の原子力潜水艦から四百八の、それも単に都市ばかりでなく、堅固化された核ミサイル基地をも標的とし、それらをすべて壊滅することができるという驚異的な力の増強となってあらわれるわけです。量が変わることなく、質が圧倒的に増強されているという現実がこれであります。だから、アメリカは、地球上どこからでもソ連を繰り返したたくことのできる過剰殺戮能力を、ただ一隻の原子力潜水艦トライデントで持つに至っていると言うことができるわけです。  これに反しまして、ソ連の核兵器廠は著しく劣っております。  時間の関係がありますので、次の三点を触れるにとどめたいと思います。  一つは、ソ連は、同じ兵器廠の中にあって、旧世代の兵器を積み残し続けたまま新世代の兵器が兵器廠につけ加えられているという方式であります。だから、数だけ多いんですけれども、中身はがたがたの兵器であるというふうに言えるわけです。したがって、たとえばよくソ連が、原子力潜水艦が、SLBMが公海上で、あるいは領海で事故を起こすという現象というのは、こういった点からも説明できるわけであります。  二つは、アメリカの場合、核軍事技術の比較優位が存分に利用できるように、陸海空、つまりICBMとSLBMと戦略爆撃機との間で、三軍間の均衡がよく保たれているのでありますけれども、ソ連の場合、技術劣位がありますし、それから地理上の、地勢上の閉鎖性のために、技術開発の比較的容易な地上配備のICBMにほぼ転化しておりまして、それを潜水艦ミサイルが補うという形をとっております。  それで、三つ目は、アメリカの実戦即応態勢が著しく高く、たとえばSLBMに関しては、常時五五%が海にもぐっておりますし、爆撃機に関しては、常時三三%が空を飛び続けております。それに対してソ連は、SLBMに関しては一五%、戦略爆撃機に関しては〇%という数字アメリカの議会報告で出ております。その結果、一つの試算としまして、海中のSLBMと空中待機中の爆撃機の核弾頭数を比べますと、アメリカが四千九百七十発、ソ連がわずか百八十発という著しい差が出てくるわけであります。  こうして見てまいりますと、ソ連が優位した核戦力バランスを背景に西側や日本に核恫喝を行って、政治的、軍事的譲歩を手に入れていくという想定が全くの絵そらごとにすぎないということがわかるのではないでしょうか。  こうして見たとき、SS20の極東配備によって戦域核バランスがソ連に有利に展開し、ソ連の世界支配への動きの徴候がそこにあらわれている、だから日本もまた軍拡をしなくてはならないという議論のおかしさが明らかになります。  第一に、ソ連のSS20は、たとえば極東に配備されたSS20百基、核弾頭数にして三百発の戦城核兵器は、パールハーバーを母港とし、グアムを前進基地として太平洋に配備されている十一隻のポセイドン型潜水艦、核弾頭数にして千六百発の戦略核兵器によって十分相殺されているわけです。正確に言いますと、圧倒して余りある不均衡状態にあると言っていいでしょう。さらに昨年、トライデント型潜水艦オハイオ一隻が太平洋艦隊に就役しておりますけれども、この一隻だけで二百十二発の命中確度の格段にすぐれた核戦力をアメリカは手にしているわけです。そしてアメリカは、今後十年の間に、このオハイオクラスのSSBNを太平洋に十隻、大西洋に十隻配備するということが計画されております。よしんばソ連の地上配備の戦略核ICBMを考慮に入れたとしても、この格差はアメリカにとって著しく優位した格差だと言わざるを得ないでしょう。  では、一体なぜソ連はシベリアにSS20を百基配備するまでに至ったのか。もちろん幾つかの要因を指摘できます。一つは、欧州戦域核削減交渉のあおりを食ってアジアに回ってきたということ。二つは、七〇年代以降中国に配備されている総数にして二百から二百二、三十の戦域核に対抗する意味を持っているということ。あるいは、ソ連自体アメリカと同じように、いわゆる車産複合体というものがあって、いずれにせよどこかに配備せざるを得ないという事情があるということです。  しかし、そうした点を考慮しても、なおさらに重要なことは、少なくともそれらソ連のSS20に代表される戦域核が、米韓日のいわゆる三角安保の事実上の形成からくる米韓日からの脅威に逆に対抗する意味合いを持っているということでしょう。  周知のように、アメリカは現在、韓国と中東に有事が勃発することを想定した上で、極東への核配備の強化に努めています。すでに七〇年代中期の時点で、朝鮮半島にアメリカは一千発近い核弾頭を配備し、アジアに、グアム、フィリピンなどを含めて一千七百発に上る核を配備しています。そしてこの核が、恐らく岩国、沖縄にもまた配備されているという観測すら専門家の間に流されているわけです。そして、先ごろわが国で、三沢にF16を配備することを認めるという決定が見られているし、それからトマホーク巡航ミサイルの配備が間近くなっている。こうした米韓日三角安保の強化に対抗する手段としての意味合いを、少なくともSS20のシベリア配備が持っていることを私どもは知らなくてはならないのではないでしょうか。恐らくそのとき最も大きな問題になるのは——しかし余りにも過小評価されていると私は思うのですけれども、F16の三沢配備ではないでしょうか。  アメリカ側の公式、非公式およそ一切の文献で、F16というのは、核装備の戦域核兵器として記録されています。たとえば国防総省八二年会計年度、長官年次教書百二十八ページには、F16は、トーネードクラス戦略爆撃機とともに、核・非核二重機能を持った戦域核兵器として記録されています。民主党のシンクタンクであるブルッキングス研究所の文献では、一切これは核兵器として位置づけられているわけです。SS20のシベリア配備に非を鳴らす前に、なぜF16の三沢配備に非を唱えないのか。私どもは、御承知のように、非核三原則を持っています。海の上ではない、陸の上にF16が、核兵器が配備されるという事態を私どもは座視していいのか、非常に私は気になることだと思います。  だが、それにしても一体なぜアメリカ政府は、わが政府を誘い込んでまでこうして膨大な軍事力の増強を要請し続けているのか、増強をし続けているのか、この疑問が最後に残ると思います。  簡単に、最後の論点を私、触れさせていただきたいと思います。  一九四五年以降、広島以後世界でさまざまな武力紛争が起こっているわけでありますけれども、つまり、軍事力というのは武力紛争に対処するということを目的にして増強されているわけですけれども、この武力紛争の例をすべて検討してみますと、ただ一個の例を除いて、つまり冷戦初期のベルリン危機を除いてほとんどすべてが——ただ一個と申しましたから、すべてと言った方が正確かもしれませんけれども、いわゆる第三世界でしか起こっていない。あるいは私は、ほとんどすべてと言ったのは、ポーランド、チェコスロバキアの例を入れた場合、ほとんどすべてという表現になるわけです。第三世界の紛争であるわけです。ポーランド、チェコスロバキアというのは、ソ連にとっての第三世界だというふうにとらえることもできるわけです。一体なぜなのか。一言で言って、なぜ第三世界で紛争が起きるのか。これは貧困と圧政のためであるからです。御承知のように、「金持ちけんかせず」という言葉がありますけれども、貧しさと圧政のゆえに第三世界で紛争が頻発しているわけです。しかし、奇妙なことにアメリカは、これら紛争のすべてを、一切を共産主義とソ連のせいにするわけです。ソ連の世界戦略の、世界支配の一環としてとらえるわけです。それがまさに先ごろ発表された国防総省報告の、「ソ連の軍事力」第三版の根幹をつくっている考えであるわけです。  現実には、第三世界でソ連の影響力というのは徐々に失われていっているわけです。その現状をわれわれは知らなくてはいけない。七〇年代に、たとえばソ連が同盟関係を結んだ五カ国の中東諸国家というのがあるわけですけれども、この五カ国の中東諸国家のうちに、早くもエジプトは、条約締結の翌七二年ソ連の軍事顧問団を追放して、七六年には条約そのものを破棄している。翌年七七年にはソマリアがこれに従っている。イラクは、七八年の国内共産党クーデターの失敗から、ソ連離れに向かっている。アフガニスタンは、御承知のように、革命とクーデターの中で内戦に向かっている。わずかに今日、エチオピアだけがソ連との脆弱なきずなを保ち続けているという状況であるわけです。  しかし、こうしたソ連の後退と対蹠的に、逆にアメリカの方は、中東諸国から戦略的な外交上の勝利をむしろ増しているという状況があるわけですけれども、一体どうしてそうした状況の中から、ソ連がアフリカの角を戦略拠点としてアフガン、南イエメン、エチオピアの赤い三日月という言葉で呼ばれるわけですけれども、これに囲まれた中東の油田地帯を軍事力をもってして制覇するという可能性を想定できるのか。実にこれと同じ論理が、日本外交の少なくとも今日のわが政府の外交政策の根底に置かれているわけです。それは、ゼロサム・ゲームの論理と言いかえることができます。自分の方の損失はすべてそのまま相手方の得分と見るわけです。双方の損失と得分を合わせるとゼロになるという意味でゼロサム・ゲームという言葉で呼ぶわけですけれども、これは国際政治を黒か白かで割り切るきわめて単純化された論理です。敵か味方か、ゼロかサムか、それしかないわけです。ソ連の行動の一切がクレムリンの悪魔の選択の行為として描かれるわけです。したがって、バックファイアの侵攻に対して日本を不沈空母にするという考え方が出てくるわけです。  一体、なぜ日本外交をノン・ゼロサム・ゲームで考えることができないのか、こう考えますと、日本には軍事はあるかもしれないけれども外交はない。日本防衛庁はあるかもしれないけれども日本外務省は存在しないという結論に至らざるを得ない。これが日本軍事費における突出を支えている外交政策の理念と現実のずれであると結論づけることができるでありましょう。  以上で終わります。
  64. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  65. 井上吉夫

    井上吉夫君 それでは、まず庭田参考人にお伺いをいたします。  お話しいただいた中でたくさんの参考になる点がございましたけれども、その中でとりわけこれから先の福祉を考えます場合の最大の問題点というのは、どちらかといえば後半の方に触れられました高齢化の進行、このことは当然に年金がかさみ医療がかさむ、それが相互に刺激し合ったような形でさらに一層かさんでいく、連動してふえていくという、そういうぐあいにおっしゃいました。私もそのことが一番これから先、政治や政策の中心点になる、またある意味では一番心配な点ではないかと思います。したがって、このことをやっぱり長期の展開で間違いなく維持できるかどうかという、そういうところを見定めなければ、単年度の出入りということだけではなかなかに本当の意味の将来に向かっての答えにならない。  お話の中で何遍か触れられましたように、どうやらことしの予算の姿の中で特に落ちこぼれの対策という点では大変工夫をこらした点も見えるけれども、総まくりといいますか、マクロで見るとどうもいろんな問題を後送りしている、そういう感じがするということもおっしゃいました。私もいかにもそんな感じがしてならないと同時に、きわめてまたこのことを、最後に言われましたように、抜本的な改革、改正というものに結びつけるには大変な勇気と決断とプロセスが必要になる非常にむずかしい課題である。福祉というのは、できるだけ国民一般にとって言うならば低負担、高福祉が一番望ましいのであって、高い給付を望むならば高負担でなければどうにもなりませんねというのは私は理屈の上では正しいと思う。そして、低い負担でというならば低い福祉しか得られないというのが私は筋としては正しいのではないかと思います。ただ、問題は、年間のあるいは将来にわたっての財政、行政の運営をする中でどのくらいの比率を全行政経費の中で福祉に割くかという分配の問題としては当然にあり得ますけれども、そのことについては前段にお触れになりました。こういう私の考え方に対しまして、質問自体も非常に雑駁な形でございましたが、私はこの際多種類に分かれている年金の問題あるいは医療がこの後どういうぐあいに増高の一途をたどるかということを考えると、さて、長期にわたる改革の方向というものに早急に手をつけなきゃならないという感じを持つわけでありますが、そのことについてひとつ幾つかの考え方の問題点というものを庭田先生から御指摘いただけば大変ありがたいと思います。
  66. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) お答えを申し上げます。  一番最初のところに出てまいりました高齢化の進行に従いまして年金財政がますます苦しくなって、世上で言われる年金崩壊の危機もあるのではないか、こういうことについてどう考えて、どう方向を持っていったらよいかということが一番最初ではないかと思います。  年金崩壊論というのは、そういう形では言われませんでしたけれども、どちらかといいますと、年金の給付ばかりを要求いたしまして、負担の引き上げといったような点にどうしても国民がなかなか合意をしない、そういうようなことを考えまして、政府の方からむしろそれとなく流された一つの情報ではないだろうか、こういう気がいたします。必ずしもそれだけではないでしょうが、厳正なかつ非常に身の締まるような数字を何回にもわたりまして政府の方から出されまして、それを見ると当然崩壊するというふうに心配かわくのが当然のようなテクニックといいますか、歩みをとられていた、こう考えます。  ところが、それが影響が出てまいりまして、それでは国の年金頼むに足らずといったようなことが今度は国民の中で言われ出しまして、年金に対してさして理解のないあるいは年金のむずかしい理屈を理解できないようなところから、国民年金の任意加入の部分を解約してしまう、そういったような状態も出てまいりまして、今度は逆に崩壊はしない、そういうような何となくそちらに持っていくような理論というか、説明というのがいま盛んになされております。  ところで、今度両方とも、実はそれぞれ正しいところがございまして、仮に現在のままで何らの改善努力もしない、ただ、いまのとおりどんどんずるずると今世紀の終わりと、それから二〇一〇年、昭和八十五年というあたりまで持っていきますと、数理計算上ではどうしてもつじつまが合わなくなる、つじつまが合わなくなるのを崩壊と言えば崩壊かもしれませんが、どうしても数字の上ではつじつまが合わなくなります。ですから、依然として大変心配点は残るわけであります。  しかしながら、年金が崩壊するときは正直言って国が崩壊するときだと思います。そのようなことをわれわれは想定したりあるいはそのようなことになるのを見逃すことはできません。    〔委員長退席、理事嶋崎均君着席〕  そういたしますと、ここに努力ということが行われまして、年金給付のまず不急不要な部分を整理しよう、併給を調整しよう、それから給料と年金の関係といったようなものを修正しようと、いろいろ問題が出されまして、その案の一番最終部分につくのが年金統合ということになろうかと思います。  年金統合案というのは確かに基本的年金、基礎的年金をつくる、そして女性、婦人に年金権を付与いたしまして、全国民年金権を持つようにする。つまり、制度の仕組みとしては大変な進歩になりますけれども、その間に給付の節減が図られましたり、負担の強化ということが織り込まれております。これを福祉の後退と言ってしまえばそれまでなんですが、先般「二十一世紀の年金を考える」という中にそのようないろいろな事例が載っておりまして、あの事例のようにすれば年金はもつんではないか、こういうふうな説明になっておりまして、そこでの数理計算を見ますと、なるほどこれならもつだろうなあという気はしてまいります。しかしながら、そこには明らかに負担の増額といったようなことが織り込まれております。そういたしますと、高福祉高負担ではなくて、負担はいまよりもある程度上り、給付はいまよりある程度、事によると不急不要な部分を突破口といたしまして制限される。こういうような形で年金の財政がもつであろう。このような見通しというものは大体つくわけでありまして、この見通しをある程度是認しますならば将来のわが国の高齢化現象も乗り切れなくもない、よほどの努力をすれば乗り切れる、こういうように考えられるわけであります。  ところで、長期にわたる改革方向ということですと、すぐに自助努力というのが出てまいります。しかしながら、これから税金はどうもさして安そうにもなりませんし、社会保障の負担は上がりますし、所得もそれほど、まあ大幅に伸びていくとも思えない。こういうような中で自助努力ということを軽々にわれわれは賛成してよろしいのだろうか。むしろ私の考えは、公的な負担国民は耐えて、そして、世界でも異常に高い貯蓄率がある程度落ちるかもしれませんが、公的負担に耐えて、まず公的制度を守り切ることによって将来の福祉というものをひとつ堅持していきたい、これが先ではないだろうか。何といいましても公的なものと私的なものでは信用度も違いますし、財政の最終保障力というようなものも確かに違います。そういう意味においては、いまばたばた公的なものを後退さして私的なものに切りかえるということをそう簡単に私はのむわけにはまいりません。そう考えるにつきましても、〇・六%ぐらいの伸びを五十八年度に置く程度ではやはり私のいま言ったような方向に全国民のコンセンサスを得るということには少しく力不足になるのではないか、こう考えまして、政府が大いに努力をしてくれますれば、われわれは私的努力よりもまずさしあたって公的努力を守ろう、こういう方向で国民が協力するような体制ができるのではないか。こういうようなわけで、ぜひ政府の公的な社会保障への一層の力入れということを期待してやみません。
  67. 井上吉夫

    井上吉夫君 ありがとうございました。  ところで、いまのお答えの中で恐らくこうかなという連想ができると思うんですが、私はいわゆる基礎年金という考え方、それに上乗せ年金はやっぱりそれぞれの自助努力というものを乗っける形という組み合わせはどうなんだろうかなということをお尋ねしたかったんでございますが、いまのお話で全く否定はなさらなかったような気もしますけれども、何といいましても、やっぱり公的年金部分というものを多少高い負担になってでもそこに一番信頼度も高いし、充実すべきであろうというぐあいにお伺いをいたしましたので、このことは触れません。お答えは結構でございますが、お話の何か途中で、給付の水準とか内容とか対象というようなそういういわゆる量的拡大、そういうものをずっと追求してきた。しかしながら、これをさらに広げていくということになれば、ただいま御質問し、お答えをいただいた中にありますように、当然のことながら相当な高い負担というものがなければ、これはもう年金財政であれ医療であれ、福祉という仕組みが崩壊してしまうということになるので、ここらでひとつ質的充実というものもゆがみの是正等含めて考えていって、言うなれば日本型福祉というものを編み出していく必要があるのではないかという、そういう意味のことをお触れいただいたと思うんですが、そのことについての中身な幾らかでも解説いただいたら大変ありがたいと思います。お願いいたします。
  68. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) 質的というのは、よくこれは世間で悪いテクニックで使われる場合もありまして、余り油断もすぎもならない言粟だと思いますが、量的に伸びないときには質的に強化したなんていう適当な表現をよく使います。ただ、五十八年度の予算の中で計画されている事業の中には、これ正直に言って質的な部分は相当含まれております。一番大きく含まれておりますのが老人保健法におきます——いままでは医療保障といいますと病気になった人の健康回復のための費用ということがもっぱらでございましたけれども、老人保健法の中には間違いなしに四十歳以上の人たちのヘルスサービス、つまり保健事業というものが含まれておりまして、これは治療に対します予防といったようなことになるわけであります。そういう意味におきまして、まずこの予防活動に類する保健事業のところはずいぶん大きな質的の成長ではないか、老人問題を考えるについて質的な成長ではないか、こう考えられます。  それから年金なんかでも質的な問題というのを言いますと、たとえば寡婦年金の部分を強化するとか、あるいは配偶者加算の部分を強化しようとか、それから重度身障やなんかになった人の障害者年金のようなものを少し手厚くしようとか、こういうのは本来の高齢になって年金をもらうというのとは違いまして、重度身障なんかになった場合は、ちょっと高齢で所得が絶えたということではありません。ですから年金といいましても、少し高齢者、老齢年金とは性質が違ってまいります。こういうようなところを強化するというのも、これも一種の質的進歩といったような見方もできるんではないかと思います。  なお、医療保障なんかに関しまして、たとえば、不正請求みたいなものをびしびし取り締まるようなレセプト点検を強化するとか、その他たくさんありますけれども、それぞれは大した予算にもなりませんし、項目がたくさん並ぶわりには余り予算を食わない部分と言ってもよろしいかもしれませんか、従来何となくもう医療、福祉に関しましては、これは聖域でございまして、批判の目を向けることすら危険視されておった。そういうところにも不正を追及しようと、そういうような姿勢が入ってきて、そのような施策が予算の裏づけで五十八年度行われる、こうなりますと、これもあるいは質的な進歩ということになるかもしれない。  また、老人の在宅ケアといいますか、寝たきり老人をどちらかといいますと病院にいままではほうり込んでそのまま置いておきましたけれども、これからはもう一度家庭に引き取らせようと、そのかわり、家庭に何がしかの補助も出そう、それから巡回してくる看護婦制度も強化しよう。こういうようなことになりますと、これもただ病人は病院に収容するといったような医療保障のあり方に対しまして質的な一つの転換にはなるであろう。こういうような新しい試みが確かに相当たくさん入っておりまして、いま言ったようなのがその中でもやや目につく部分、こういうことが言えるかと思います。
  69. 井上吉夫

    井上吉夫君 国民の全部に対して広く社会保障等の水準を上げていく、日本は戦後のああいう状態の中からきわめて短い期間経済力も伸びたし、経済的繁栄がまた福祉という形に大きく力を注ぐ動機にもなって、これまた短期間に数多くの制度というものができ上がっていったと思います。もちろん、福祉を求めていくに限界があるわけじゃありませんから、まだまだこれをさらに伸ばすということの必要性を決して否定するものではありませんが、それを何で賄うかという、そういう収入と支出のバランスというものを絶えず考えなきゃどうにもならないというぐあいに私は思います。ところでこういう中で二つの側面に分けまして、一般国民にまんべんなくいくという、たとえば、国民年金あるいは医療その他を含める、そういうものと、お話の中にもありましたいわゆる落ちこぼれ、生まれながらの重度の障害を受けたりあるいは途中で障害を受けたり、いろんなケースがある、いわゆる社会的落ちこぼれに対する手のつけ方、大きく二つに分けた場合に、一番初期の段階の福祉というぐあいに物を申した場合は後者の方をまず象徴的に示していたと思うんですが、私は日本の場合はどうもこの方がまだまだ手のつけ方がどちらかと言えばかえっておくれて、全般的な方に日が向き過ぎたのではないかな。これはどりちも並列して述べていくことが大変必要ですが、金目から言うならば、私はいわゆる社会的弱者というものに対する対策は少し工夫をすれば、たとえば無拠出の老齢年金を千円上げるだけの金があったならば、私はいまの落ちこぼれという、言うなれば社会的弱者に対する福祉施策というものは現在の倍ぐらいの水準に急速に伸びるのではないか、比較論でそういう感じがするわけであります。  先生の御所見をお伺いしたいと思います。
  70. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) お答えを申し上げます。  確かに福祉にはまんべんなくといいますか、国民全体を覆うような福祉といいますか、生活保障という部分と、それから不幸な人、あるいは不遇な人、まあ不運な人と、こういうような人を巷間、町の中では落ちこぼれなんていう言葉で呼ぶ場合もありますが、仮にその言葉を是認して使うといたしますと、落ちこぼれの人たちを救い上げる、あるいはその人たちの生活を見るというのも福祉であります。ところが、どうも一番最初は福祉といいましても、その中の扶助というような部分、これは昔からあったわけであります。これはもっと極端に言いますと、大昔の社会保障なんていうのがない時代も、たとえば施療院だとか、あるいはいろいろ病気の人を集めましてめんどうを見る、福祉事業というような救済事業ですか、そういうようなものがありまして、    〔理事嶋崎均君退席、委員長着席〕 その原型は昔からもあったわけであります。それを合理的にやりますとそれが扶助、社会扶助とかということになりまして、さらにそれが拡大されて社会福祉という部門を形成いたしました。なぜ日本はまんべんなく福祉というような方に力が注がれたかと、こう言いますと、国民の大方が勤労者ということでありまして、この人たちの生活保障をすることが生産性の維持向上ということにある程度直結をいたします。ですから、こういうところに多大の福祉を提供いたしまして、労働力の円滑な保全並びに再生産を期する、そしてそのことを土台にいたしまして敗戦からの日本再建に努めると、こういうようなことになりましたから、この部分が大いに進歩をし、かつ諸外国の水準に一刻も早く到達しようということで努力をされたわけであります。  その間にありまして、必ずしも社会福祉という点が軽視されたとは思われません。相当程度行われた、特に医療方面なんかにおきましてはある程度行われたと思います。ここで問題になりますのは年金でありまして、無年金者とか、あるいは非常に年金の低い人なんていうのはたくさん出たわけでありますが、年金というのは何年間か被保険者がお金を掛けて、それが年金を受ける権利一つ生み出すわけであります。ですから、年金は時間をかけませんとどうしても無年金者が出たり、あるいは最低額ぎりぎりの年金者が出てしまうと、こういうことになりまして、ただしいまのまま長年これからも続けていきますと、そういう部分はどんどんと減ってまいります。福祉年金の部分は遠からず消えていく。こうなりますと、たとえば落ちこぼれ対策のような意味の福祉年金というような部分がなくなりまして、そして拠出制年金と、そしてその限りにおきましてはある程度の保障水準が保たれると、こういうような状態になろうかと思います。年金は時間をかけながら徐々に高めていく。問題はもう一つ高齢化でありまして、老人であります。といいますのは、老人はある程度年金が来るといいましても、健康を害し、慢性病のようなものになり、そして孤独に悩み、生きがいというものを喪失するようになります。そうしますと、これはそういう言い方はいけませんが、何かあり方としては、社会のもう現役を退きまして、落ちこぼれではないんですけれども、だからといって現役ではないと、こうなります。そうしますと、この層がどんどん厚くなりますと、またいまおっしゃいましたように現在働いている勤労者の福祉のための社会保障ということもさることながら、現在もう労働に従事していない人たちの福祉の確保というようなことも問題になりまして、もう一度全国民一律、全国民に広くということから弱者の福祉というものは見直され直すと、だんだん重点が一方に寄ったものがまた少しずつ寄り返す、高齢化に応じて寄り返す、そういったような現象も今後出るのではないだろうかと、このように考えております。
  71. 井上吉夫

    井上吉夫君 どうもありがとうございました。
  72. 矢田部理

    ○矢田部理君 両先生大変御苦労さまでございます。  社会保障と防衛問題、お二人でお話しをいただいたわけでありますが、もともとお二人とも一つのテーマで連関させて伺うという立場ではなかったわけでありますが、先ほど庭田先生の方からお話がございました。大砲かバターかという議論は少しく古い、社会保障は独自のテーマとして独自に追求をすべきだというお話でありましたが、確かに論理必然的に両者が結びつくとは考えられませんが、現実の財政が非常に厳しいという中にあっては、防衛費かふえれば社会保障費が削られる、こういう傾向に現実政治はあるのではないかという感じが率直にいたします。これは国際政治の面から見ましても、進藤先生が専門でありますが、世界の年間の軍事費は五千億ドルから六千億と言われておるわけであります。その結果、軍事負担が重くなって、社会保障関係の費用がぐっとやっぱり落ち込んできている、圧迫をされているという状況があろうかと思うのでありますが、この現実の政治をどうごらんになるか、両公述人からまず伺いたいと思います。
  73. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) 御一緒にお話をするお方が外交、防衛ということがありましたので、少し絡めた方がよろしいかという気もいたしまして、実はバターと大砲という提案は少し理念的には諭理性がないと、こういうふうに申したわけであります。  ところで、確かに有限な財源をやりくりますと、非常に一つの大きな部分というのがこれが間違いなくバターである社会保障ということにはなります。そして今後もう一つ非常に有力な部分を占めるのが、私はいい悪いは別といたしまして、もし防衛であると、こうなりますと、この両者の間でお金の流し合いというようなものが現実には出てくるということもわからなくはないわけであります。ただ、これはたとえで申して少し皆さんには申しわけないわけでありますが、国を守るなんという、もっと具体的に申しますと、たとえば私が他人の家に借家住まいをしておりますと、そうしますと、火事になって大家さんが一緒に消せと言ったって、おつき合いですから水ぐらいはかけますが、まさか火の中に飛び込むことはないだろうと思います。と申しますのは、どうせ大家の家で、私の方は自分の荷物さえ出せばよろしいわけであります。こう考えますと、愛するに足る国でなければ、自分がこの国で確かに保障されているという自信がなければ、仮に目の前に鉄砲を持ってこられましても、いかに国のためだからといっても、どうもいまの人は私たちのような昭和一けたのようにすぐそれを抱えて飛び出すほど単純ではないんじゃないかと、こう考えるわけです。ですからバターか大砲かという提案をなしている限り、いわゆる有形の武器はどんどんりっぱになりますが、人間はどんどん愛国心を失っていくのではないかと、こんなような気がしてならないわけであります。ですから、真の防衛論者であるならばきっとバターも大砲もと言わざるを得ないんだろうと思います。そういう意味におきまして、昔のように、こっちを落とせばこっちが上がって、こちらが上がったら今度は国民がそれにすぐ従いまして防衛努力というようなものに邁進するというほど、現代国民の思想も物の考え方も統一もされておりませんし、単純化されていないと。思想の多角化、価値観の多様化の中でしかく簡単に国民は踊らないであろうと、こういうような気がしてなりません。しかし、仮に万障を繰り合わせまして社会保障ができておると、確かにそれがわれわれの生活を守るに足り、いまの現状がわれわれが高く評価するに足ると、こうなりますとまた徐々に愛国心もわいてくるのではなかろうか。まあないわけではありませんが、さらに燃えてくるのではなかろうか。こう考えますと、観念的にはどうもバターか大砲かということは、これはまあ理屈に合わなくなります。それではどうなるかといいますと、片一方が突出すると片一方が引っ込む、これはもう当然かと思いますが、ただ原則がございます。それはどこまでも社会保障の充実という方が先でありまして、それを合理化し、効率化し、そして修正をしながらもし余力が出たならばそれをもって防衛に充てると、私はどうしてもそう考える以外ないんじゃなかろうか、こう考えるわけであります。これはバターか大砲かというのではなくて、まずバター、しかして後に大砲と、せいぜい言い直すならそういう以外しかないんではないか、こういうふうに考えるわけであります。もし理想を言えばバターも大砲もということになるんでありましょうが、そのようなことが単純に許されるとも思えませんので、まずバター、しかして後に大砲と。ただしそのバターもやたらに使うのではなくて、合理的に使えば余力も出ょうというものであると、ぜひその辺を考えてほしい、このようにお願いをいたします。
  74. 進藤栄一

    公述人(進藤栄一君) 私はやっぱりバターか大砲かだと思います。バターも大砲もという考え、あるいはバターと大砲が両立し得るという考えは、広島以前には可能であったけれども、今日可能でない。なぜなのか、それは軍事費性格が違っているんです。広島以前の軍事費というのは、基軸はやっぱりマンパワー、それから銃火砲を軸とするわけです。ところが広島以後軍事力というのは技術集約型の軍事力になっているわけです。たとえて言います場合、一番その手っ取り早い例がRアンドDという言葉で私ども呼ぶわけですけれども、つまり科学研究開発費、軍事技術研究開発費の圧倒的な増大というのがあるわけです。兵器開発に伴うRアンドD費、これを見ていきますと、一九四五年以前は大体軍事予算の一%以下しかかかっていないのです。ところが四五年以降軍事予算の一五%はRアンドDに投ぜられるわけです。これをもう一つ別の数字を使いますと、たとえばアメリカの場合、政府のRアンドD、研究開発費の全予算の中の実に七〇%が兵器軍事開発費に、兵器RアンドDに使われているわけです。これには宇宙開発費も加わっているわけです。宇宙というのは軍事と一緒ですから、アメリカの場合は、ほとんど同じと言っていい。  たとえばフランス、イギリスの場合どのぐらいかというと、これは四〇%内外あるわけです。つまり科学技術の基礎をなす研究開発費の大半が軍事費に使われているというのが現状であるわけです。そうなるとどういうことになるかといいますと、他の部門における経済力が停滞していくということになるわけです。つまり技術革新ができないということになるわけです。民事部門における技術革新が著しく劣っていくということになるわけです。軍事力は突出していくけれども、技術的にすぐれたものになっていくけれども、民事面における経済面は非常に停滞していくということになるわけです。そのいい例がアメリカであり、あるいはフランスであり、イギリスであり、そうしてソ連であるわけです。  したがって、ソ連もアメリカも非常に似た貿易パターンというのが出てくるわけです。つまり軍事技術において圧倒的にすぐれている、そして兵器をたくさんつくる、だから武器輸出をしていくわけです。だから、アメリカの貿易構造とソ連の貿易構造というのは基本的に同じ点が二つあるわけです。一つは何かと言うと、軍事輸出を次々に出していくということ、それからもう一つは何かというと、資源産業を軸にしているということであるわけですけれども、それがたとえば日米関係で言えば、武器防衛圧力と農産物圧力という形で出てくるわけです。  話が少しそれましたけれども、要するに軍事費性格が変わった結果、軍事費に金を注ぐことは民事部門における経済の停滞を生み出すということを意味するわけです。  それをもう少し広義に、社会保障費というものを非常に狭義に考えたら、あるいは大砲もバターもという考えも出てくるかもしれない。しかし、そうじゃなくて社会保障費を広く、たとえば社会保障費に加えて教育、社会関連一般費、そういったもの、社会厚生費、病院とか医療とか、そういったものを加えて考えた場合にどういうことになるかというと、やはり先ほど矢田部議員が主張されたように、これは大砲かバターかという選択というのが明らかに数字で出てきているわけです。私はいま手元に数字がございませんのでお見せすることはできませんけれども、これはたとえばガルブレイスたちが理事になっておりますアメリカの有名なシンクタンクがあるんですけれども、そこから毎年報告書が出ている。それによると、軍事費を使う国であればあるほど社会関係費、社会保障を中心とした教育厚生費、これが少なくなっている。しかも、軍事費を使う国であればあるほど生産性が低下していく、したがって経済発展がおくれていくという、そういった数字が明らかに出ているわけです。  しかもこれは、アメリカのたとえば一九四五年以降八三年までの今日に至るバターと大砲との相関関係を見ていっても明らかになるわけです。これは私、数字根拠を挙げると言われれば幾らでも出すことができるわけです。私はそう思います。  したがって、バターか大砲かということは、私は現代の軍事威力の性格の変化から言って、もう疑いない事実であると言わざるを得ないと思います。
  75. 矢田部理

    ○矢田部理君 引き続き進藤公述人に伺っていきたいと思いますが、先ほど米ソの軍事力の比較を幾つかの事例を挙げてお話をいただきました。これは私どももしばしば問題にしてきているのでありますが、日本の軍備を拡大する論理として対ソ脅威論があることはもう周知の事実であります。その脅威論の前提になりますのが西太平洋なり極東におけるソビエトの軍事力が最近急速に増強されている。象徴的に言えば、お話がありましたようにSS20なりバックファイアなり、北方四島における兵の増強なりがしばしば防衛庁筋から指摘をされてきているわけでありますが、この日本中心とする西太平洋における米ソの軍事力、日本を含めた比較などはどんなふうに先生はごらんになっているかお話をいただければ大変ありがたいと思います。
  76. 進藤栄一

    公述人(進藤栄一君) これは数字を挙げていくといろんな見方ができるわけです。私、さっき申し上げましたのは、よく最近SS20とかバックファイアの脅威ということを言うわけですけれども、これは職域核と呼ばれるものであるわけです。戦域核というのは射程距離あるいは航続距離にして千六百キロメートルから五千キロメートル内外の核兵器に関して戦域核という言葉で呼ぶわけですけれども、戦域核だけ掘り出すわけです。しかも、ヨーロッパと違って極東アジアの場合に、戦域核兵器で陸上配備のものというのはソ連しかないというふうにわれわれ考えてしまうわけです。ところが、御承知のように中国にも戦域核があるわけです。これはCSS1、CSS2、CSS3、それから最近はCSS4というのが配備されている、全体でたしか二百基内外の戦域核兵器が中国に配備されているということです。これは明らかに対ソ戦略用として意図されているわけです。ソ連がシベリアにSS20、それからバックファイアを配備したその根拠として、これは日本に対して向けられたんではなくて、中国に対して向けられたんだというふうにかつて説明し続けてきたわけです。これはアメリカの統合参謀本部の方でも、あれは対日用の戦域核ではなくて、対中国用の戦域核なんだという形で説明してきたわけです。  それが最近ソ連側で、これは対日関係にも適用されるんだという形で言い始めているわけです。なぜなのかというと、これは明らかに、私がさっき言ったように、F16とか、あるいは空母搭載のA6とか、A7とかいうそういった戦術核、もう少し射程距離の短い核兵器に対する対抗手段としての少なくとも戦略上の意味を持っているわけです。つまり単にSS20とか、バックファイアという戦域核レベルの問題だけを取り外していきますと、あたかもソ連の方に圧倒的に優位があって、それに対処する手段は、いわゆる自由主義陣営といいますか、アメリカとか、日本とかは持っていないというふうに考えるかもしれないけれども、たとえば中国を入れた場合、あるいはたとえばそれに戦略核と戦術核のレベルに上げて下げた場合は、これは全く事情が違ってくるわけです。しかも、太平洋というのは広い海でありまして、船というのは西から東へ動くことができるわけです。ソ連が配備している戦域核というのは地上に固定されているわけです、SS20は若干動くことができるんですけれども。海上を動くことができる、たとえばSLBM、これは戦略核なんですけれども、アメリカの持っている戦略核は、戦略核であると同時に戦域核としても、つまり短い射程距離を持った核兵器が標的とする地域に対しても同じように攻撃能力を持っているわけです。バイカル湖周辺のソ連の軍事基地に対して幾らでもたたくことができるわけです。だから、そこのところを抜きにして、SS20が配備されているから、バックファイアが配備されているから、それに対抗する兵器が、全くパラレルな兵器が西側にないんでこれはおかしい、したがって、トマホーク巡航ミサイルとか、パーシングIIをアジアに配備すべきであるという考えというのは、何といいますかね、上と下を見ない議論だというふうに言って差しつかえないと思いますね。これはおかしい、全くおかしな議論です。
  77. 矢田部理

    ○矢田部理君 時間がありませんので、もう一問進藤公述人に伺いたいと思うんですが、そういう中にあって、ソビエトの軍事力に対して過大評価がある、西側なり、アメリカの軍事力に対しては、どちらかというと見積もりを小さくしている感じを私率直に受けるわけです。第七艦隊は説明をするが、その背後にある太平洋艦隊全体の全貌については必ずしも明らかにされていない。朝鮮半島を語る場合にも、北の軍事力は大変過大に述べるけれども、南にアメリカが配備している核兵器については語らないというあたりで、大変貴重な御意見をいただいてありがたく思っているわけでありますが、そういう中にあって、先ほど公述人が述べられたのは、日本には防衛あって外交なしというふうに言われたわけですね。いまの状況から見ますと、ソビエト脅威論、あるいはソビエトの軍事力に対する過大評価を基軸にして、軍備拡大の路線を走っているわけでありますが、いま対ソ外交なり、平和を求める外交を日本としてとる場合に、どんな手段、方法、手順が考えられるか、軍縮中心とする外交路線をどういう方向で敷いていったらいいのかというふうなことについて、お考えがありましたら少しくお話をいただきたいと思います。
  78. 進藤栄一

    公述人(進藤栄一君) 具体的な政策はこれは議員さんたちが考えることでして、私がとやかく言うものではありませんのですけれども、はっきりしているのは、脅威というのはこれは意図と能力との掛け合わせであるわけです。ところがいまの日本政府とか外務省が考えております脅威というものは、能力だけで考えているわけです。もし能力だけで考えるならば、日本国家にとって、日本国にとって最大の脅威はどこかというと、これはアメリカであるわけです。アメリカ最大の軍事力を持っている。ところが、意図と能力という形で掛け合わせて考えると、これは外交という考えが出てくるわけであります。でありますけれども、つまり脅威というのは意図を変えることによって幾らでも小さくなるわけです。同盟関係を結んでいるアメリカの軍事力、軍事的な脅威がゼロに等しいというのはそういった意味合いからであるわけです。したがって、論理的に考えると、私は日ソ関係において、いわばヨーロッパでかつてブラント首相が展開したような東方政策、オストポリティークを私は展開すべきであると思う。オストポリティークを展開するために何をすべきかというと、いろんな手段がある。たとえばこれは専門的な用語を使うと信頼醸成装置をつくるとか、お互いにお互いを敵視し合わないんだという、つまりお互いが相手を攻撃し合わないんだという意図をお互いにつくり上げていく、そういった相互基盤をつくり上げていくということ、これが第一点。  第二点として指摘できるのは、私はさっきノン・ゼロサム・ゲームという言葉を使ったけれども、これは経済関係を深めていくことです。経済関係を深めて、お互いがお互いの交渉によって取る分と、お互いの交渉がそれぞれにプラスになるような関係をつくり上げていくこと、これが相互の侵略に対する、侵攻に対する猜疑心をそぎ、ゼロサム・ゲーム的な要素を少なくしていくわけです。つまり脅威を少なくしていくわけです。  端的な話、たとえばこの間経団連がソビエトに大量の団体を送りましたけれども、ああいったような形でもっと積極的に日ソ貿易を展開していくべきであると私は思う。日本とソ連との間というのは非常に巧みな補完関係にあるわけです。なぜかというと、シベリアというのは資源の豊庫であるし、ソ連というのは基本的に工業国家でないわけですね。つまり資源がたくさんあってそれを輸出したがっている。日本は御承知のように資源が全くない状況にあるわけです、非常に少ない状況にある。なぜこれを日本の高度な技術をもって資源開発に協力し、そして日ソ関係に経済的な紐帯をもっと強めないのか、パイプラインをもっと太くしないのか、私はそう思います。これが第二点。  第三番目として当然指摘できるのは、私はやっぱり北方領土だと思います。私は北海道の出身でありまして、中川一郎代議士と同じ選挙地盤で生まれて育ったんですけれども、私が小学校のとき見た地図というのは、あるいは中学校、高等学校、大学時代に見た地図というのは、北方領土というのはあれは赤色じゃなかったわけです。あるいは樺太南半分というのはいま書かれているような白色でなかったわけです。一体なぜ一九七二年、私が赴任したのはたしか七二年なんですけれども、七二年以降北方領土四島が、正確に言うともう少し島があるわけですけれども、赤くなったのか、なぜ日本領としたのか、なぜ南樺太をソ連の領土でもない日本の領土でもない白色にしたのか、私は非常に疑問に思いますね。  これは外交文書をくっていくと幾らでも出てくるわけです。しかも、外交文書上の基盤が日本側で用意できないわけです。その非常にいい例が、たとえばこの間、昨年調和関係の外交文書がオープンされたわけだけれども、北方領土に関しては全部墨で塗られているわけです。なぜ墨で塗るか。人間というのは悪いことをしなければ隠さないわけですけれども、これはやっぱり何かあると疑わざるを得ない。現実に私どもが研究者の間で当時の当事者に聞き書きをし、アメリカの国務省文書その他を検討していくと、これは明らかにやはり日本領土として認められないという、日本領土であることを放棄したという、日本側の意思も入っているし、それが国際的に確認されているという事実が出てくるわけです。ですから、最小限北方領土の問題に関しては棚上げするとか、あるいは何らかの形で現状凍結することが——現状凍結がまずければそれを次の世代の人間たちに、若い世代にゆだねるとか、そういった現実的な解決策をとらない限り、私はオストポリティークの展開というのはできないし、それでなければ日ソ関係の展開はできない。それでなければ日本はさらに軍事力を強めなければいけないというふうに私は思います。
  79. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 私は、庭田公述人にお尋ねいたします。  現在わが国の人口の約九%、一千七十万人が六十五歳以上のお年寄りである。いわゆる高齢化社会に世界平均の四倍の速さで進んでいるわけですけれども、高齢社会つまり人口の一四%を占めるようになるには、政府が言っているようなそういう遅い時期じゃなくて、十三、四年でそういう事態が到来するんじゃないか、こういう危惧を持つわけですが、いわゆる老齢化が猛烈な勢いで進んでいる。これは先ほどからもお話があっておりますように、老人が死ななくなったということばかりではなくて、いわゆる子供を産める世代の夫婦が子供を産まなくなったというところに大きな原因があるのではないかとこう思うわけです。そういったような意味からも、昭和五十一年に政府が出産予想という実際の予想を出しましたけれども、それ以来毎年三十万ないし四十万と大きく政府の予想を下回った出産の実数を示しているわけですが、昭和五十六年十一月にまた改めて厚生省が人口問題研究所から出された、いろいろなそういう推計が出されておりますけれども、これとてもまたその予想を下回っていくというようなことになるんじゃないかと思います。まあ、そういうことになると、大体いままで政府が百八十万ないし百九十万人が生まれるであろうということを想定した、そうした労働力あるいは消費需要と、そういったようないろいろな面にもこれが大きくまた今後響いてくるんじゃなかろうかと。したがって、今後の年金財政にもいろいろな影響が出てくると、こういうように思いますけれども、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  80. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) お答えを申し上げます。  いま数字をお挙げくださいましたけれども、あれは厚生省の発表された数字ということでございまして、日本大学の人口研究をしたところはもう少し厳しい数字を出しております。どちらが正しい正しくないは別といたしまして、現実に厚生省が出しました数字よりも厳しい数字が社会にあることはあるということだけはお伝えできると思います。  ところで、高齢化の現象の中で、人々が子供を産まないということでございます。これは産まないという言い方もできますが、産めないというような言い方もできなくもありません。なぜかと申しますと、ちょうど産んで育てる人たちは一番住宅問題なんかにも困っておりまして、子供をつくることの障害の一つは間違いなしに住宅問題の未解決というような点もございます。  それから今度は、いま子供をつくろうという人たちのところが、ちょうど一番自分が高齢になるときには厳しい状態ですから、自助努力をしろと言われますと、そのお方たちは自助努力をしなければならない。そうしますと余り子供もつくれないと。  それから税金その他、少しまだ若い人は楽なんですけれども、とはいいながら、食費その他という点で概して生活上の重みというのが、結婚してちょうど子供をつくるあたりのところに一番かかってくるのではないかと。そこを突破いたしまして三十五ぐらいまでいきますと、かれこれ生活が楽になりますが、そのころはおっくうになってしまうというようなこともあろうかと思います。  しかしながら、そういう理由もさることながら、一番大きな理由は、女性が働きに出るようになったということだろうと思います。働きに出ることは大変結構でありまして、女性の経済的地位の確立、それから同時に女性が初めて個々の人としての経済力を背景にした人格を持ち得るようになると、こういうような点で女性が働きに出ることは大変結構でありますが、どうしても働きに出る限りにおきましては子供をつくることができないと。それでもいままでの人は子供をつくりまして、そして子育ての間やめまして、再就職をいたします。ところが、再就職をしたときには給料は非常に低いし、それから勤め先ももはや従来のような大企業というようなわけではありませんで、第三次産業のサービス部門というようなことになります。その辺のところを最近の若い女性はちゃんと計算に入れまして、このまま勤めていれば一生、給料もかれこれ男性並みに上がると、給料が上がれば同時に年金もつくと、こういうことになります。やめてしまってブランクができて、そして今度は年金も健保もないようなパートで勤めるのは損だと、それほどまた将来子供に期待することもできないと、こういうようなことが重なりまして、多分御心配のように出生率は低くなることはあっても、なかなか高くなることはないんじゃないかと、こう心配をされます。  ただ、一部のお方は、人間は動物でありまして、一たん低くなるとまた動物本来の自然の反作用みたいなもので結構でき出すんだと、こういうことを言う人もいますが、それに対しまして、先進諸国はどうも最近はその反作用も出にくくなっていると、こういうような指摘もあります。と考えていきますと、人口はだんだん減ってくるであろうというようなことは間違いなしに予想されてまいります。  それでは、お年寄りがふえて働き手の負担をする人が減れば、これはもう文句なしに年金は絶望かということでありますが、仮に国民所得がある程度の伸びをいたしまして、そしてその伸びた成果を国民が年金の方に振り向けることに合意をいたしますと、相当部分は年金財政がそのことだけで解決できると、こういうようなことも言えるわけであります。ですから、年金の将来を人口論的に考えますと、依然として成長は相当程度保たなければならないと。ただ保つだけではなくて、その成果の相当部分を老後に振り向けることに国民が合意をしなければならないと。この二つを欠きましたならば、間違いなしに出生率はなお下がり、そして老齢化スピードはなお上がるという将来を考えますと、年金の前途並びにわれわれの老後の生活の前途というものは大変暗いものになるであろうと、このようなお答えができるんではないかと思います。
  81. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 いまの先生のお話のように、私も全くそういう前途に不安な気持ちを持つ一人でございますが、それを裏づけるかのように最近民間生保、いわゆる生命保険ですね。その加入者の推移の資料をこの間いただきましたけれども、それこそ毎年倍々というような実態でふえ続けていっておるわけです。五十四年の件数が二十一万四千件、それが五十五年、一年たったらばその約倍の四十四万一千件、五十六年は五十七万四千件と、こういうように非常なスピードで生保の加入者がふえていっているわけですが、これがそっくり年金離れが移行したと、そうは私は思いませんけれども、いずれにしてもこういう民間生保の増加というものが、国民が公的年金に非常に物足りなさというか、老後の経済に備えていこうという庶民のささやかな生活防衛の姿ではないかと、こう思うわけですけれども、こうなってきますと、公的年金のウエートを低めるということは当然ながら、こうした個人年金ブームが、公的年金だんだん頼りにならないというような自助努力の姿が高じていけば、結局個人年金を前提とした公的年金制度と、こういうようになってしまう可能性が多いんじゃないかと思いますが、この辺の御見解はいかがでしょうか。
  82. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) お答えを申し上げます。  個人年金の異常な伸びというのは、これは間違いなしに、ある程度公的年金の将来への不安というようなものが国民を駆り立てたというような気もいたします。若干、多分若干だろうと思いますが、その辺のところを悪質のセールスマンがまた逆用いたしまして、公的年金は国の一方的な財政計算で給付が切り下げられたりなんかするが、個人年金は契約であるから、契約は現代の社会においては絶対であるので守られる、したがって、こちらの方が安全であるから乗りかえなさいなどと、ごく一部の悪質なセールスマンが言ったというようなことも若干聞き及んでおります。問題は、その程度の簡単な勧誘にうかうか乗って、国民年金の任意加入の部分を解約いたしましてそちらに乗りかえると、余りに情けない国民の年金知識ということは言えると思いますが、そのようなことを言ってそれを批判してみたところが、何ら救済的意味がないわけであります。問題は、公的年金が不安だから個人年金と、こう言いますけれども、まず第一に言われますことは、個人年金は異常に高い——異常にと言ってはいけませんが、公的年金の掛金なんぞに比べますと相当にやはり高く感じられる、こういう気がいたします。  ですから、もし国民が合理的な判断をいたしますと、これから多分将来提案されてくるでありましょう公的年金の負担増には素直に応ずる方が、それを拒否して、そして私的年金に走るよりは、多分応ずる方が国民にとっては合理的姿勢になるのではないか。そういう意味におきまして、ただただ負担の増額には反対するというのは大変間違った姿勢であると、こう言います。しかしながら、その国民の善意を逆用いたしまして、負担を引き上げるというようなことが万一当局にありましたら、それもまた大変な間違いである、こういうように考えられまして、国民は納得のいく負担増ならばこれに応じようと、政府はぜひ年金制度の改革をいたしまして、納得のいく負担という形で国民に提案してほしいと、こう考えるわけであります。  ところで、個人年金というものを前提にして、公的年金というものをそれにくっつけて老後保障をつくり上げたらどうかということでございますが、これは私はどちらかというと不可能ではないかと思います。なぜかと申しますと、一つには、年金は長い間掛けるから掛金が安くて済むんでありますが、仮に現在五十歳の人ですと、あと定年までの間に掛けるといたしますと月々の負担は大変重くなりますから、これから高齢になろうという直前の人たちは個人年金を利用することができなくなるわけであります。同時に、低所得者は個人年金が利用できなくなる。したがいまして、老後生活における年金格差というものを大変違った形で生み出してしまうのではないか、こういう心配がございます。  さらに、公的年金はそれでもインフレスライドという救いがありますけれども、ほとんどの年金はインフレスライドを持っておりません。インフレスライドなしに三十年後の年金給付を考えてみますと、これはほとんど問題にならないような事態になるのではないだろうか、こう考えていきますと、やはりインフレスライドをとにかく制度として持っておる公的年金を先にすべきである。むしろ、これを言いかえますと、公的年金を守るためにその一部の機能を個人年金に代行をさせようと、このようにでも言う以外にないんではなかろうか。ただし余裕がありまして、むだにお金を使うとか、つまらぬことをするようなことになるよりは、これは年金を買って将来に備える方が個人生活でも国家のためにも役に立ちますから、個人年金というのは、余裕と意思のある人は大いに利用すべきであるが、たてまえとしては公的年金をどこまでも前提に、そしてもし公的な表現をとるといたしますと、公的年金の崩壊を防ぐために一部の機能を個人年金に譲って公的年金を守り切る、このように考えると、かれこれ物の筋道が通るんではなかろうか、私はこのように考えております。
  83. 立木洋

    ○立木洋君 庭田公述人にお伺いをいたしますが、それぞれの国の社会保障制度というのは、その歴史的社会的な条件によっていろいろ差異があるというのは当然だと思うんですが、ヨーロッパの社会保障制度と比べてみますと、日本の事業主負担というのがいかにも低過ぎるんではないかという感じを抱かざるを得ないわけです。これから高齢化社会と言われるような事態があるわけで、この資源、財源の問題ですね。ですから、事業主負担というのを中小企業については配慮いたすにしましても、ふやすというふうなことについてはどのようにお考えになっておるのか。  それから、進藤公述人の方にお伺いいたしますが、先生がきょうも指摘されましたけれども、また書かれておる論文の中でも、軍事力バランス論ということによって平和が守られる、軍事力のバランスによって平和が守られるというふうなことについて厳しい批判をされているわけですが、国連の事務総長についても繰り返しこの点の誤りが指摘されてきておりますし、SSDIの中でも、力による平和ではなく軍縮による平和という方向が象徴的に示された総会ではなかったかという感じを持つわけですが、日本政府がとっておる軍事力バランス論というのは、ただ単なる論の誤りだけではなくして、現実にとっている政策で見るときわめて危険性が大きいんではないか、外交的、防衛的にも、という感じがあるので、この点についてお答えをいただければと思います。  大変申しわけないんですが、私の持ち時間きわめて少ないので、十分お話しいただけるとありがたいんですが、端的に御説明いただければ幸いだと思います。
  84. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) 大急ぎでお答えをいたします。  確かに事業主負担という点で、これを多くして年金の公的水準を上げるというのも一法でございますが、同時に日本には相当充実いたしました企業年金という制度があります。この企業年金も相当な水準になりましたし、その普及率も大変高くなっております。したがって、企業年金の拡充という方法をもって、公的年金、それに企業年金、そして余裕があれば個人個人の努力の個人年金並びに財形年金、こういう発想になるのも一つの道かと思います。ただ、企業年金は、一方におきまして、労働生産性とか、あるいは企業と勤労者の関係を密着にして人間関係を円滑にするとかという特徴がありますが、やはり、斜陽産業であるとか、構造不況産業であるとか、そして経営基盤の弱い中小企業、零細企業なんていうところで、なかなか企業年金が導入かつ利用できない、そういううらみがございますので、企業年金をもって公的年金の不足並びに企業主の負担の増加を抑えるというようなことに短絡的には応ずるわけにいきませんが、企業年金制度は確かに生かすに足る制度である。これはある程度、企業主の老後保障に対する努力を象徴はしているであろう、こういうようにお答えできると思います。
  85. 進藤栄一

    公述人(進藤栄一君) 端的に言いまして、私思いますのは、さっき言ったような軍拡構造、軍事力の性格が変わってきているために、一番大きな危険というのは、戦争が起こることもそうかもしれないけれども、僕はそれより、世界経済がぶち壊れてしまうことじゃないかと思うんです。これ、第一世界が軍事化していくと同時に第三世界の軍事化を引き出していくわけです、これは幾らでも数字を挙げることができるんですけれども。こうなると、要するに、第一世界のマーケットというのは第三世界にあるわけだけれども、第三世界のマーケットが開かれないわけです。もちろん、第三世界をマーケットとしてとらえるべきかどうかという、そういった問題もありますけれども、それはともかくとしまして、日本のようは貿易立国である国家経済によって成り立とうとするならば、これは第三世界の市場というのが広がらない限り、日本というのは繁栄していかないわけです。これが私は、やっぱり、外交は商売なんだという考えであると思うんです。これがない限り日本という国家経済的にうまくできないし、行き詰まりにこざるを得ないし、世界経済も行き詰まりにこざるを得ない。世界経済というのは、第三世界中心にして、いまや外債によって、累積債務によって破産の危機に瀕しているわけです。戦争の危機よりももっとこわい、もっと恐るべき危機に瀕していると言って私はいいんではないかと思うんです。だから、ここのところを考えないと——私は、だから、その意味で、軍拡と開発というのは表裏一体の関係にある、バターと大砲というのは表裏一体の関係にある、これは第一世界でも第三世界でもそうなんだということをもっと僕は真剣に考えないと、これは大変なことになるんじゃないかと思いますですね。たとえば、第二次世界大戦の後、ヨーロッパ市場が崩壊するわけです。ヨーロッパ市場の崩壊に対しては、たとえば、これはまあ是非があるわけで簡単は言えないんですけれども、マーシャル・プランによってヨーロッパ市場経済というのを回復するわけです。これが西側の経済的な立ち直りを生み出すきっかけになったわけですけれども、いまや第三世界の市場を抜きにして第一世界経済というのは立ち直ることができないし、第一世界と第三世界の相互依存関係を深めることなくして世界経済の繁栄というのは支えることできないと思うんです。だからその意味で、同じことが、さっきも言ったけれども、日ソ関係に関しても言える。その意味で、私は、もっと現実主義的な政策をとらなきゃいけないと真剣に思います。それで、戦争の危機を訴えることもいいんですけれども、戦争の危機と同時に、軍拡自体経済を壊していくんだということをもっともっとわれわれが真剣に考えないと、自分たちの足元をみずからの手によって切り崩していくという、非常にアイロニカルな状況になるのではないかというふうに私は思います。
  86. 伊藤郁男

    ○伊藤郁男君 私も、時間がありませんので端的に庭田先生にお伺いをいたしますが、現在、私の身近にも幾つかの例がありますので、大変なのは、三年、五年はおろか、十年もの長期間にわたりまして、寝たきり老人を抱えている家庭だと思うんですね。主婦は朝から晩までとにかくかかりっ切りで疲れ切っちゃう。子供に嫁さんも来ない。こういうことで、場合によっては家庭そのものも破壊してしまうという状況もあるわけですね。だから、こういうようなものを、急速な高齢化社会に入っていく、しかも西欧先進諸国も経験をしたこともないような老齢化社会に日本が突入していくということになると、先生の言われたような日本的なものを加味した福祉対策、特に寝たきり老人対策ですね、どういうことがあり得るのか。どういうことをやれば、そういう悲惨な状況というものを回避することができるのか、その点の御見解を、簡単で結構ですからお伺いしたいと思います。
  87. 庭田範秋

    公述人(庭田範秋君) 寝たきり老人の問題、恐らくこれは老後問題で最大の問題になろうかと思います。ただ、すべての老人が寝たきりなわけではございませんで、寝たきりの老人の悲惨さが目につきますから、何かわれわれ年をとるとみんな寝たきりになるようで大変恐れるわけでありますが、大体一割以下ですから、ここにおいでのお方も二、三人が寝たきりになるぐらいが精いっぱいで、そんなに恐れおののくことではないわけであります。ただ、寝たきりにたりますと、その家族がもう忙殺されるということは間違いございません。同時に、日本の医療保障の一つの欠点でありますけれども、公的な給付以外に私的な負担が大変かさむ。それが寝たきり老人の場合はは大変長期にそれを負担させられて、お年寄りが亡くなったときにはもう家もなくなるというような悲惨なことにもなりかねません。それにつきまして政府の努力を見ておりますと、今回いろいろ提案がなされておりまして、まあ提案ですから余り期待してしまうわけにはいきませんが、在宅老人福祉対策として家庭奉仕員を増強、ただしこれは二千人ふえるぐらいのものであります。それから、デーサービス事業の拡充、七十四カ所から八十一カ所とか、家族介護者教室の新設とか、在宅障害者対策というようなもので、いろいろのことが、たとえば在宅障害者に対しましては七十八から百六に世話をする機関をふやそうとかというようなことも、実は予算の編成の中で出ておりまして、この線をどんどん強化していってくれると一つの救いにはなるであろうと、こう思います。  それからもう一つは、どうしても、日本型福祉というようなもので家庭を見直すことになるわけであります。といいましても、子供もつくりませんし、子供が家にいつかない。なかなか口で言うように私は簡単なものではないと思いますが、ただ一つ、これ、女性はどうにもしようがないんですが、夫婦で、男性の場合は、いままでのように、特に明治のお方みたいに奥さんにいばってばかりいますと、これはもう寝たきりになったときには仕返しをされますので、まあ家庭内民主主義の促進で夫婦一体の協力態勢はつくるべきだ。やはり人間の幸福は、現在も老後も夫婦間の民主的な助け合いにある。こんなのが答えになるかどうかわかりませんが、確かにこれを欠いた人が一番不幸になっているということは事実ですから、逆に、夫婦の協力態勢ができるような人はやや寝たきりになった場合も、夫婦仲の悪い人よりは少しはいいであろう、こう考えます。  問題は、財政的な面であります。お金を渡し、いろいろ手を差し伸べてもなおかつどうにもならぬ。つまり、見てくれなければそれまでになるわけでありますが、これから老人対策の、老人専門の病院じゃなくて、養護ホームとでもいいますか、半分病気の治療、半分そこでお年寄りが生活をするというような、そんなものが今後はふえるのではないか。病院にまる抱え式の老人福祉はもうあり得ない。かといって、家庭に全部帰してしまって、家庭で死ねと、こういったような姿勢もあり得ない。家庭に帰った者には社会保障的な手を差し伸べる。それの限界に来たものには老人の養護ホームのようなものをつくって、医療と生活の両方にわたった施設をこれから徐々にふやしていく。こんなのが新しい老人、寝たきり老人対策の方向ではないかと思います。
  88. 土屋義彦

    委員長土屋義彦君) 以上で社会保障及び外交、防衛に関する意見聴取は終了いたしました。  一言お礼を申し上げます。  庭田公述人及び進藤公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。  来る二十六日午前十時に委員会を開会することとして、予算委員会公聴会を終わります。    午後五時十六分散会