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国務大臣(
瀬戸山三男君) 確かにわれわれの古い人間から見ますると、少なくとも学校の先生を殴り飛ばすとか、けがをさせるとか、あるいは学校を壊すというようなことはちょっと想像ができなかったです。まあこんなことを言うとまた古いからということでおしかりになる方があるかもしれませんが、昔は先生というものは神々しいといいましょうか、非常にとうといものであると尊敬をしておった、信頼をしておったといいましょうか、私は教育には尊敬と信頼が大事だ、また教師の方では教え子に対しては非常な深い愛情がなければならないと、こういう
考えでおるわけでございますが、そういう点に欠けておるのはどういうわけだろうかということを私も素人ながらいろいろ
考えております。
昔は修身とかなんとかありまして、あるいは道徳とかいう項目もありまして、いまの学校でも道徳ということを教えるように最近なっておりますけれども、昔のような項目を立ててやるということはなかったです。どちらがいいかどうかということはやはり
考えてみる必要があるのじゃないか。
私は、御存じのとおりに、いまの教育は憲法の精神に従って、教育基本法には憲法のこの精神を子供に植えつけるのが教育の道だと書いてある。すばらしいことだと思っている。先ほど
総理大臣からもお話しになりましたが、御
承知のとおり、いまの憲法はとにかく社会が平和でなければならない、
日本の国が平和でなければ幸せにならない、平和を第一に取り上げておる。平和主義とか言われております。それから、人間の尊厳を
考えなければならない。それには自由であるとかあるいは人権であるとか、こういうことが
原則として掲げられておる。そういうすばらしい
原則を子供の時代から教育をして、より平和な物心両面にわたる豊かな国をつくらなければならない。これが憲法の精神だと思いますが、そのことを教育によって指導しなければならないと教育基本法につぶさに書いてあります。
私は、そのとおりに教育がいっておりますれば、人間の社会でございますから何もかにもきれいにいくとは思いませんけれども、いまのような、すさまじいと私言いますけれども、すさまじいような世の中にはならないのじゃないかと、こういうことを
考えておるわけであります。
私が就任早々
新聞記者会見で、こういう非行の問題等については一面占領
政策にも原因があると、こういうことを言いましたらいろいろ非難される向きもありますけれども、全部これが占領
政策にとは言いませんけれども、占領
政策にも原因がある。これは私は、あるいは反論される方もあるかもしれませんが、こういうことを
考えておるわけなのです。いま憲法なり教育基本法でやりますとこんなふうにならないと思うのですけれども、御
承知のとおりに、占領
政策ではあらゆる
日本の歴史、地理あるいは習慣、習俗あるいは隣組というようなそういう組織まで全部これ一遍破壊しなければならない、こういう占領
政策になっておりました。
私はいまから
考えますと、その当時に生きておったわけでありますが、そこまでしなければ過去の、外部から見ますると悪習が、悪習といいますか、人権が余りにも束縛されたと、こういう状態が改まらないと、そういう
意味でそういうことになったと思いますが、私はこれはその当時としてやむを得ないことである。
そこで
個人の尊厳を言い、人権の尊重を言い、自由を鼓吹した。ところが、それまではいいのですけれども、私から見るとそのほかにもまだ要素がある。これは私は、
日本人の受け方が間違っておったと、こう見るわけでございます。
個人の尊厳あるいは自由、人権というものを尊重しなければならないけれども、それだけでは済まない。憲法にも書いてありますように、教育基本法に書いてありますように、お互いに助け合って連帯の社会をつくるようになっておる。人を尊重しなければならないと、こういうことがいろいろ書いてあるわけであります。その趣旨が教育の面で本当に生かされておるのかどうなのか、こういうことを今後の教育についてもう少し、それこそ衆知を集めてやるべき必要があるのじゃないかということを
考えておることでございます。