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神谷信之助君 局長も言っておるように、地方財政計画上保障している財源措置というのは、国の
法律に基づいている仕事は地方自治体もやれるように財源を保障しましょうと。だから、言うなれば国の基準ですよね。現在の財政経済の
状況の中における国の基準は保障します、そうすると、後は言うなれば、ちょっと荒っぽく言えば保有財源率でしたね。これはある程度自由にやりなさいよ、その点での自治体のそれぞれの地域ごとの特殊性なり条件というものはそこで配慮しましょうと。これも当初から見たら五%ずつどっちも減っていますね。前は三〇と二五がいまは二五と二〇でしょう。だから、そういうように逆に言うとこれは減らされてきて、今度またそれも減らせと言わんばかりの答申になってきていますわね。そこに地方自治が逆に言うと財政
制度上から言っても狭められている。
だから、いま言っているのは地方財政計画上はずっと保障しているというものは、とにかく国の言っている事業というのは保障しましょう、若干の余裕は、ゆとりは見ていますよ、そこで辛うじて地方自治は財政的にも保障していますよと言うのだけれ
ども、それで、それは高度成長時代はどんどん財源があったからやってもいいけれ
ども、いまは低成長だからそうはいかぬのですよという、そういうようなわけには私はいかぬと思う。逆に言えば、自治体の方こそ住民に直接かかわりがあるわけですからね。低成長時代なればこそ、それぞれの自治体がそれぞれの条件に応じて知恵を働かせ工夫をして、やっぱり住民の生活を保障していく、守っていく、あるいはよけいに地域経済の振興を図っていくというようなことをやらなければいけないということになるわけでしょう。その辺のところが、もう現状は国も財政がどうにもこうにもならぬのだから、地方自治体の方も借金だらけになっているのだから、だから、最低限とにかくいまは保障しましょうということでは、これはだんだん自治体がじり貧に落ち込んでいく、地方自治が破壊されていく道でしかないというように思うのですね。
それで、しかも生活道路の舗装率は東京が七三%、大阪七二%ですけれ
ども、
全国的に言うと三五・七%、それから公共下水道の普及率も東京九九・八で大阪七一%ですが、県庁所在地と大都市だけを平均しますと三九・一七%、こういうように非常にまだまだ社会資本の充実というやつはおくれているわけですね。だから、地域住民の環境改善の問題もおくれている。しかし、もう財政がどうにもならないからこうだと、こうなっているわけです。
それで問題は、何でそうなっていくかという点は、そのほか補助金の見直し問題もちょっと触れたいのだけれ
ども、きょうは時間がありませんから次の
機会にいたしますけれ
ども、非常に何と言うのか、要らぬことを自治体がやり過ぎているという発想が基調にあって、そうして今度の臨調答申というのが出てきているということを強く感ずるのですね。
これは、たとえば具体的に言いますと、去年の暮れ、十二月四日ですけれ
ども、第三部会長の亀井部会長さんに給食の補助打ち切りは困ると言うてお母さん方が陳情に行ったら、朝寝坊をして子供に朝食を食べさせない母親がふえておる、給食はそのかわりになっておるのだというような暴言を吐いているのですね。文部省でも、これ、給食は単に飯を食わすというように
考えてない。教育の一環なんですよ。教育の一環として給食事業というものを促進したのだし、それで、いまもそれを
指導しているわけでしょう。ただ、それは朝寝坊する母親のための給食をやっているというばかなことがあるかと言って補助金を削る。発想が違うのですよ。住民とのかかわりで補助金を見るのじゃなしに、国の財政が赤字だから、どうやって
国民に対する仕事はどんどん打ち切っていくかという、そういうのが露骨に出ている人が部会長になって今度の自治体問題に関する答申が出ています。発想が違うわけです。
いわゆる小さな政府に対して小さい自治体、だから、われわれもむだのない効率的な行政は望みますけれ
ども、しかし、それは国と自治体との関係で見るのじゃなしに、
国民の生活と自治体との関係で一体どうなのかということを見なかったら、私は重要な問題だというように思うのですよ。だから、理屈はいろいろあるのですけれ
ども、結局は初めにどえらい借金が国にある、だからその借金の肩がわりを自治体にどうするかというのが自治体との関係の臨調答申の基本である。だから、初めに借金の肩がわりありきと言わざるを得ないというように私は思うのですよ。
ですから、この点は
自治省も政府機関の
一つですから、国と自治体とのどっちも財政困難で困っておるのに、国に対してそう要求ばかりもできぬじゃないかということになるのか知りませんが、私は、本当に地方自治を守って地方自治の拡充を図る、強化を図るということであれば、そのことをもっと問題にすべきだし、本当に「選択と負担」を無理なしにやるというならば、荒っぽい言い方をすれば、補助金は、あれ、全部国税に入っているやつが自治体に来ているのですから、一たん国税に入って、そして各省から自治体に補助金として来るのだから、だからその分を初めから自治体に地方税財源としてよこしたらどうか、それで地域的アンバランスが当然起こりますが、これは交付税
制度で財源調整をする、それで十分財源を与えているというのなら、いわゆる七割の仕事を自治体がやっているのなら、その七割の仕事を自治体にやらすなら、それに必要な財源を全部自治体の財源にしちゃったらいい。何も国に頭を下げてやっていかなければならぬことはない。それで、国が奨励すべきそういういろいろな仕事があれば、それは国の責任で別の形をとればいい。補助金なり何なりをやる。そうして、それぞれの自治体が「選択と負担」を
自分たちで
考えなさいというのならわかりますよ。取るものは全部取っておいて、そして渡すものはちびりちびりしか渡さない。その範囲内で「選択と負担」だというのは、そんなばかな話はないですね。
だから、それではいつまでも親がかりでしょう。乳離れできない自治体、この辺の財政
制度の問題にメスを入れなければならぬわけですけれ
ども、そのことを抜きにして、行政事務の再配分の問題も含めてですが、そういうことにメスを入れないで「選択と負担」ということだけが先走りするということは一体どういうことなんだということを私心配するのですが、この辺はいかがですか。