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吉田正雄君 いまの
大臣の
答弁、納得いたしました。ただ、それが庁内においてひとつ完全に実施されるようにということと、庁内でどういう
説明が行われたかわかりませんけれども、先ほどの四、五センチとかという膨大なもの、これは外務省だとかその他の
省庁でもあるんですよ。全
議員に上げるというわけにはまいりません、
委員会の
関係委員の
皆さんに上げます。あるいはそれにも配付できないという場合には、お貸ししますということがですね、当然
秘密文書じゃありませんので。したがって、貸してくれというものですらなかなか貸してもらえないということですので、ここが問題なんです。場合によっては、
国会図書館に出ておりますからそっちへ行って見てくださいとか、あるいは
科学技術庁の中に
資料室といいますか
閲覧室というところがありますからそこで見てください。膨大なものを一々
閲覧室へ行って写し取るなんということはこれは不可能なことですね、図面なんというのはなおさらそうなんです。だから、貸していただければ一日で結構だと言っても、その貸し出しすら渋っておるということなんでして、いま、庁内からいろいろ
説明を聞きましたという
お話がありましたけれども、これも私は、
大臣にどういう
説明をされたのか、いま当初申し上げましたように、非常にその点は疑問なんです。
しかし、
大臣のお
考えというのはよくわかりましたから、そういうことでぜひひとつ今後は実現していただきたいと思います。これは要望いたしておきます。
次に、
わが国の
科学技術政策の基本的な
あり方といいますか、
方向といいますか、ということでございますが、その前に私は基本的な問題を申し上げたい。
わが国におきます重点的な
課題というのは御
承知のように、
科学技術白書等にも書いてございますように、
原子力であるとかあるいは
宇宙開発であるとか幾つか挙げてございます。私はいままで、
科学技術委員会の中では特に
原子力に関しまして非常に重点を置いてきました。
安全性の問題、あるいは最近に至りましては、
原子力というものが、御
承知のように一九五三年の十二月の
国連総会における
アイゼンハワー大統領のアトム
ズ・フォア・ピース、平和のための
原子力ということで、
軍事利用から
平和利用へという
方向が大きく打ち出されたことは
大臣も御
承知のとおりです。さらにこれを受けまして、世界の
原子力科学者が二年後の一九五五年にウィーンに集まって、同じく「
原子力の
平和利用のために」という
会議も開かれておるわけですね。しかしその後の
状況を見ますと、この
平和利用というものが
推進される反面、
軍事的な
利用の面、俗に言う
核拡散ですね、この
状況というものが非常に強まってきておる。場合によっては
人類の存亡をかけた大きな
軍事的あるいは国際的な
課題にいまなっておることも
大臣御
承知のとおりです。
そこで私は、特に
科学者の
あり方と、それから
政治とのかかわりというものを
考えたときに、非常に大きな危惧といいますか、心配を感じております。
それはどういうことかということを長々申し上げますと時間もありませんから、これは
大臣、それからそこに
おいでになる特に
科学技術庁関係の
皆さん、さらには本当に
科学者と呼ばれる
皆さん方、あるいは
学者、
研究者と言われる
皆さん方にぜひ一読していただきたいと思うのです。私も最近これをつくづく繰り返して読んでみたんですが、ドイツの有名な
科学者ロベルト・ユンクという人の書いた「千の
太陽よりも明るく」、副題として「
原子科学者の運命」という本です。御
承知のようにこれには、
アメリカの
原爆開発のトップ的な
学者であったオッペンハイマーの
悲劇というものが、それだけじゃございません、ずっとそれに至るまでのいろんな
研究、
科学者の
状況というものが詳細に書かれておるわけです。
学者の良心というものが、
国家権力によっていやおうなく
軍事利用の
方向に持っていかれた。それに協力した
科学者というものが最後はまた結局
国家によって、全くこれは無実なんですけれども、スパイだったんじゃないかとか、ソ連の手先ではなかったかとか、そういう烙印を押されて追放されていくという
悲劇がここに書かれておるわけなんです。
長いですから一々読み上げませんが、ただここでロベルト・ユンクが言いたかったことが
最初の序文の中に書かれておるわけです。短いですからここだけちょっと読み上げますと、こういうことを言っているわけです。
「精神的にすぐれた若干の
科学者がそれにもかかわらず
地獄の惨禍を惹起する張本人になるとしても、それは何らの矛盾ではない。」なぜなら「彼らの眼には、
原子兵器はあくまで非
現実的なものにとどまるからである。彼らは血を見ず、
焦熱地獄を見ず、苦悩に充ちた
被災者の死を見ないで、ただ数学的公式と
戦術的数式を見るだけなのである。」、「
政治家であれ
科学者であれ、指導の任にある
人々は残念ながらじきにすべてを忘れてしまう。彼らはしばしば
自分たちの狭い
専門分野に関するすべてのことについてあまり実状を知らされておらず、
原子爆弾の悲惨さを
現実に思い描くにはあまりにも
想像力が乏しい。」ということで、
研究者といいますか、
学者の持っている知識、専門的には非常に深いけれども、それがどのように
利用されていったのか、またそれが
利用された結果どうなるのかという
社会的責任について、
科学者というものがきわめて無関心であるといいますか、そういうことをこれはついておるわけです。
そういうことで、今後の俗に言う
巨大科学といいますか、
巨大技術の
開発、こういうことに当たっては、われわれは一番悲惨な
現実というものを
日本において見ておるわけですから、私は
原子力開発の場合にも従来から、
安全性の問題についてはいやというほど繰り返しここで
質問もし、意見も述べてまいりました。しかし必ずしも私は
政府側の
答弁が十分だとは思っておりません。それは例の
原電敦賀の事故についても、
安全局長もここに
おいでになりますけれども、単に書類に目を通すだけだ、現地に行ってみたけれども独自の
調査らしい
調査というものは全くやってこなかったということが、この前の
答弁でもはっきりいたしておるわけですね。そういう点で私は、今後の
原子力行政の
推進に当たっては、
安全性について、これでいいということはあり得ない。あくまでも徹底して常に追求がなければいけないというふうに思っております。
そこで、いま申し上げたような点に関しまして、当初に
大臣はどういうふうにお
考えになっておるのか。また、今後の
研究開発、これは
原子力だけではございません。
宇宙科学に関しても同様です。
米ソの
宇宙開発競争というのはいまや、側面的にはいろんな
平和利用の面もございますけれどもそれはもうむしろわきに押しやられておって、完全にまさに
軍事中心の
開発競争になっておるということは、これは周知の事実でございます。一面で
科学技術が
人類の福祉に貢献したと同時に、裏側から見た場合には、また
人類を悲惨な
方向に追いやっておるという
現実もあるわけですね。これは公害と言われるものが端的な例ですけれども。そういうことで、最近再び
巨大科学とか
巨大技術というものに対してもう一回再
検討すべきではないかという声が、
学者のみならず、世界的にもそういう世論が非常に強まってきておるというふうに思っておるわけです。
今後の
研究開発あるいは
行政の基本的な
あり方として、基本的にそういう点で
大臣のお
考えをお聞きしたいと思います。