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1983-03-04 第98回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    分科会昭和五十八年三月三日(木曜日)委員 会において、設置することに決した。 三月三日  本分科員委員長指名で、次のとおり選任さ  れた。       海部 俊樹君    亀井 善之君       三原 朝雄君    木島喜兵衞君       武田 一夫君    寺前  巖君 三月三日  海部俊樹君が委員長指名で、主査選任され  た。 ────────────────────── 昭和五十八年三月四日(金曜日)     午前九時三十二分開議  出席分科員    主 査 海部 俊樹君       亀井 善之君    三原 朝雄君       大原  亨君    木島喜兵衞君       中西 績介君    武田 一夫君       鳥居 一雄君    寺前  巖君       中島 武敏君    兼務 井上 普方君 兼務 沢田  広君    兼務 鈴木  強君 兼務 永井 孝信君    兼務 玉城 栄一君 兼務 中野 寛成君    兼務 渡辺  貢君  出席国務大臣         文 部 大 臣 瀬戸山三男君  出席政府委員         文部大臣官房長 高石 邦男君         文部大臣官房審         議官      齋藤 尚夫君         文部大臣官房会         計課長     國分 正明君         文部省初等中等         教育局長    鈴木  勲君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省学術国際         局長      大崎  仁君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省体育局長 西崎 清久君         文部省管理局長 阿部 充夫君         文化庁次長   浦山 太郎君  分科員外出席者         警察庁刑事局保         安部防犯課長  古山  剛君         警察庁刑事局保         安部少年課長  阿部 宏弥君         警察庁警備局警         備課長     国松 孝次君         行政管理庁行政         管理局管理官  原田  実君         大蔵省主計局主         計官      米澤 潤一君         厚生省医務局医         事課長     横尾 和子君         予算委員会調査         室長      三樹 秀夫君     ───────────── 分科員の異動 三月四日  辞任         補欠選任   木島喜兵衞君     大原  亨君   武田 一夫君     鳥居 一雄君   寺前  巖君     中島 武敏君 同日  辞任         補欠選任   大原  亨君     中西 績介君   鳥居 一雄君     西中  清君   中島 武敏君     山原健二郎君 同日  辞任         補欠選任   中西 績介君     新盛 辰雄君   西中  清君     武田 一夫君   山原健二郎君     中島 武敏君 同日  辞任         補欠選任   新盛 辰雄君     木島喜兵衞君   中島 武敏君     山原健二郎君 同日  辞任         補欠選任   山原健二郎君     寺前  巖君 同日  第一分科員鈴木強君、第二分科員永井孝信君、  中野寛成君、第四分科員玉城栄一君、渡辺貢君  、第六分科員井上普方君及び第七分科員沢田広  君が本分科兼務となった。     ───────────── 本日の会議に付した案件  昭和五十八年度一般会計予算  昭和五十八年度特別会計予算  昭和五十八年度政府関係機関予算  (文部省所管)      ────◇─────
  2. 海部俊樹

    海部主査 これより予算委員会第三分科会を開会いたします。  私が本分科会主査を務めることになりました。よろしくお願い申し上げます。  本分科会は、文部省及び自治省所管について審査を行うことになっております。  なお、各省所管事項説明は、各省審査の冒頭に聴取いたします。  昭和五十八年度一般会計予算昭和五十八年度特別会計予算及び昭和五十八年度政府関係機関予算文部省所管について、政府から説明を聴取いたします。瀬戸山文部大臣
  3. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 昭和五十八年度文部省所管予算につきまして、その概要を御説明申し上げます。  昭和五十八年度の文部省所管予算につきましては、財政再建という厳しい財政状況のもと、臨時行政調査会答申趣旨をも踏まえつつ編成いたしたところでありますが、文教は国政の基本であるとの認識に立ち、教育学術文化の諸施策について予算確保に努めたところであります。  文部省所管一般会計予算額は、四兆五千三百三十七億五千三百万円、国立学校特別会計予算額は、一兆五千百五十九億一千二百万円でありまして、その純計額は、五兆三百二十三億六千六百万円となっております。  この純計額を昭和五十七年度の当初予算額と比較いたしますと、百三億二千二百万円の増額となり、その増加率は〇・二%となっております。また、文部省所管一般会計予算額は、一・一%の減少、国立学校特別会計予算額は二・八%の増加となっております。  何とぞ、よろしく御審議くださいますようお願い申し上げます。  なお、時間の関係もございますので、お手元に配付してあります印刷物を、主査におかれまして、会議録に掲載せられますよう御配慮をお願い申し上げます。
  4. 海部俊樹

    海部主査 この際、お諮りいたします。  ただいま文部大臣から申し出がありましたとおり、文部省所管関係予算概要につきましては、その詳細な説明を省略し、本日の会議録に掲載いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 海部俊樹

    海部主査 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ─────────────   〔瀬戸山国務大臣説明を省略した部分〕  以下、昭和五十八年度予算における主要な事項について、御説明申し上げます。  第一は、初等中等教育充実に関する経費であります。  まず、義務教育緒学校学級編制及び教職員定数につきましては、昭和五十五年度から第五次改善計画が発足したところでありますが、昭和五十八年度におきましては、昭和五十七年度に行った五百人の定数縮減措置の復元を図るとともに、教職員定数改善増につきましては、いわゆる行革関連特例法趣旨を踏まえて、改善計画の第四年次分として九百三十人の増員を行うことといたしております。  また、教職員資質向上を図るため、新規採用教員等研修免許外教科担任教員研修教員海外派遣教育研究グループ補助教育研究団体への助成など、各種研修を引き続き実施することといたしております。  次に、小学校及び中学校における新教育課程実施状況について、昭和五十六年度を初年度として四カ年にわたり総合的に調査研究を行い、将来の教育課程学習指導方法改善に資することといたしておりますが、昭和五十八年度は第三年次として引き続き調査研究を進めることといたしております。  生徒指導充実強化につきましては、新たに教育相談活動推進事業実施し、児童生徒教育に関しさまざまな悩みを持つ学校教員や父母の相談に応じ適切な助言を行うこととしたほか、引き続き生徒指導推進体制強化を図るための中学校生徒指導推進会議等の開催、生徒指導担当教員研修生徒指導推進校指定等実施するとともに、人間性豊かな児童生徒育成に資するため、勤労生産学習研究推進校事業を行うことといたしております。  義務教育教科書無償給与につきましては、引き続きこれを推進することとし、定価の改定など所要経費を計上いたしております。  幼児教育につきましては、特に私立幼稚園園児保護者の経済的な負担の軽減を図るため、幼稚園就園奨励費補助について、保育料等減免限度額引き上げることとしたほか、引き続き幼稚園施設整備を図ることといたしております。  特殊教育につきましては、重度・重複障害児のための介助職員増員を図るとともは、心身障害児適正就学推進等を行うことといたしております。  学校給食につきましては、豊かで魅力ある学校給食を目指して、学校給食施設・設備の整備を図ることといたしております。  また、児童生徒等の健康の保持増進に係る事業推進に努めるとともに、日本学校健康会の業務についても充実を図ることといたしております。  次に、公立学校施設整備につきましては、校舎等建物新増改築事業について、必要な事業量確保補助単価引き上げを図るとともに、児童生徒急増地域における小・中学校校舎の新増築に対する国庫負担割合特例措置の延長、危険建物改築補助基準の千点引き上げ措置の継続、非木造建物耐力度測定方法定式化を行うほか、新たに大規模改修費に対する補助及び中・高等学校セミナーハウス整備費に対する補助を創設することとし、これらに要する経費として、四千四百八十億円を計上いたしております。  以上のほか、要保護・準要保護児童生徒援助充実地域改善対策としての教育振興定時制及び通信教育振興理科教育及び産業教育充実英語教育振興など、各般施策につきましても所要経費を計上いたしております。  第二は、高等教育整備充実に関する経費であります。  まず、放送大学につきましては、一昨年七月、その設置主体となる放送大学学園を設立いたしたところでありますが、昭和五十八年度は、四月に大学設置するほか、昭和五十九年十二月放送局開局昭和六十年四月の学生受け入れに向けて諸準備を進め、広く国公私立大学との連携協力のもとに、放送を効果的に活用した大学教育実施推進することといたしております。  次に、国立大学整備につきましては、高岡短期大学富山県高岡市に創設するとともに、三重大学に人文学部を設置することといたしております。  また、地方における国立大学中心教育研究上緊急なものについて学科等整備充実を図ることとし、大学学部及び短期大学学生入学定員を三百九十人増員することといたしております。  大学院につきましては、奈良教育大学及び福岡教育大学に新たに大学院設置するほか、研究科、専攻の新設等により、三百五十三人の入学定員増を行うことといたしております。  また、附属病院につきましては、新たに福井医科大学、山梨医科大学及び香川医科大学の医学部に病院を創設するほか、既設の附属病院についても救急部新設など、その充実を図ることといたしております。  なお、国立大学入学料検定料につきましては、諸般の情勢を総合的に勘案し、昭和五十八年度にこれを改定することといたしております。  次に、公立大学につきましては、医科大学看護大学等経常費補助等について、引き続き所要助成を図ることといたしております。  さらに、育英奨学事業につきましては、日本育英会学資貸与について、政府貸付金八百六十八億円と返還金とを合わせて千百十八億円の学資貸与事業を行うことといたしております。  第三は、学術振興に関する経費であります。  まず、科学研究費補助金につきましては、独創的、先駆的な研究推進し、わが国学術研究を格段に発展させるため引き続き拡充を図ることとし、昭和五十七年度に対して十五億円増の三百九十五億円を計上いたしております。  次に、重要基礎研究につきましては、エネルギー関連科学を始め加速器科学生命科学等研究を引き続き推進することといたしております。なお、新観測船「しらせ」の就航に伴い、南極地域観測事業充実について配慮することとし、これら重要基礎研究に要する経費として四百九十六億円を計上いたしております。  なお、学術情報等学術研究基盤整備及び国の内外を通ずる学術交流協力につきましても各般施策を進めることといたしております。  第四は、私学助成に関する経費であります。  まず、私立大学等に対する経常費補助につきましては、臨時行政調査会の第三次答申もあり、二千七百七十億円を計上いたしておりますが、新たに私立大学等研究装置等整備補助として二十五億円を計上いたしております。  また、私立高等学校から幼稚園までの経常費助成を行う都道府県に対する補助につきましては、基本的には昭和五十七年度と同額確保しておりますが、高校生徒急減対策分については、生徒数変動に伴う調整を行い、七百九十五億五千万円を計上いたしております。  日本私学振興財団貸付事業につきましては、政府出資金十億円を計上するとともに、財政投融資資金からの借入金四百六十六億円を計上し、自己調達資金と合わせて昭和五十七年度と同額の八百五億円の貸付額を予定いたしております。  また、専修学校につきましては、教員研修事業等に対する補助生徒に対する奨学金貸与国費外国人留学生受け入れ等事業を引き続き行うほか、新たに大型の教育装置補助を行うこととし、専修学校教育の一層の振興を図ることといたしております。  第五は、社会教育振興に関する経費であります。  まず、地域における社会教育活動拠点となる公立社会教育施設につきましては、引き続きその整備促進することとし、これらの施策に要する経費として百五十四億円を計上いたしております。  また、社会教育活動振興を図るため、社会教育主事社会教育指導員等社会教育指導者層充実に努めるとともに、青少年、成人、婦人、高齢者など各層に対して、学習機会を提供し、地域連帯意識を醸成するための地域活動促進するなど、社会教育の幅広い展開を図ることとして所要経費を計上いたしております。  さらに、青少年健全育成に資するため、新たに青少年社会参加促進事業実施するほか、計画的な設置を進めております国立少年自然の家につきまして、富山県立山町に第八番目の少年自然の家を設置することとし、所要経費を計上いたしております。  第六は、体育スポーツ振興に関する経費であります。  国民の体力つくりとスポーツ普及振興につきましては、広く体育スポーツ施設整備を進めるため、社会体育施設学校体育施設について、その整備に要する経費として二百十四億円を計上いたしております。  また、学校体育につきましては、学校体育実技指導者資質向上に努め、格技指導推進校拡充を図るほか、学校体育大会補助についても引き続き所要経費を計上いたしております。  さらに、生涯スポーツ推進事業について一層の拡充を図るなど家庭学校地域における体力つくり事業充実を図り、たくましい青少年育成と明るく活力ある地域社会の形成に資することといたしております。  以上のほか、日本体育協会の行う選手強化事業国際交流事業等に対して引き続き補助を行うとともに、国民体育大会助成など各般施策につきましても所要経費を計上いたしております。  第七は、芸術文化振興文化財保護充実に関する経費であります。  まず、地域社会における文化振興につきましては、こども芸術劇場青少年芸術劇場移動芸術祭など各般施策について、引き続き所要経費を計上してその促進を図ることといたしております。  また、芸術文化創造援助等につきましては、芸術関係団体創作活動に対する補助芸術家研修芸術祭について引き続き所要経費を計上するとともに、中国引き揚げ者に対する日本語教材を作成するための経費を計上いたしております。  次に、文化財保護につきましては、国民の貴重な文化遺産保存、活用を図るため、国宝・重要文化財等保存整備埋蔵文化財発掘調査、史跡の整備公有化を進め、また、天然記念物の保護及び食害対策充実するとともに、伝統芸能等保存伝承を図ることといたしております。特に、能楽及び文楽の公開、伝承のため、国立能楽堂及び国立文楽劇場施設を完成し、それぞれ昭和五十八年九月及び昭和五十九年三月に開場することといたしております。  また、文化施設整備につきましては、地域社会における文化振興拠点となる文化会館歴史民俗資料館等地方文化施設整備を引き続き行うとともに、国立文化施設については、第二国立劇場環境整備に要する経費を計上するなど、その設立準備推進することといたしております。  第八は、教育学術文化国際交流協力推進に関する経費であります。  まず、主として発展途上国への協力促進するため、国費留学生新規受け入れを引き続き拡充するとともに、外国政府わが国に派遣する留学生のための予備教育への協力を積極的に進めるなど、留学生に関する事業を積極的に推進することといたしております。さらに、ユネスコを通じた教育協力等についてもその充実を図ることといたしております。  また、海外子女教育につきましては、日本人学校増設等にも対応し派遣教員増員等を行うとともに、新たに帰国子女教育受け入れ推進地域指定を行うなど、帰国子女受け入れ体制整備を図ることといたしております。  次に、学術国際交流協力推進するため、二国間、多国間にわたる各種国際共同研究を引き続き推進するとともに、拠点大学方式による発展途上国との学術交流事業先進諸国等との研究者交流事業など日本学術振興会が行う学術交流事業充実を図ることといたしております。  以上、昭和五十八年度の文部省所管予算につきまして、その概要を御説明申し上げた次第であります。何とぞよろしく御審議下さいますようお願い申し上げます。     ─────────────
  6. 海部俊樹

    海部主査 以上をもちまして文部省所管についての説明は終わりました。     ─────────────
  7. 海部俊樹

    海部主査 この際、分科員各位に申し上げます。  質疑の持ち時間はこれを厳守され、議事進行に御協力を賜りますようお願い申し上げます。  なお、政府当局におかれましても、質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔かつ明瞭にお願いいたします。  これより質疑に入ります。  質疑申し出がありますので、順次これを許します。大原亨君。
  8. 大原亨

    大原(亨)分科員 医師の過剰問題というのがありますが、医師養成医療の改革と医師需要、こういうものは密接に関係をしておるわけであります。そういうことで、限られた時間でこの問題を中心に質問をいたします。  このままで参りますと、振り返ってみますと、昭和四十五年以降は私立医科歯科大学が非常に増設をされまして、特に私立医科大学等におきましては比較的金のある開業医の二世とかあるいは建設業者の子供とか、そういう者が金を持ち込んで入る、こういう一つの流れが出てまいりました。一方では、これは私の方は当然だと思うのですが、国立医大を各県に一カ所ずつつくる、こういう方針が実行されてまいりました。  そういう状況でありますが、これから高齢化社会を迎えますけれども、昭和七十五年、二十一世紀、十七年ぐらい後を展望いたしまして、医師過剰時代というものが来るのか来ないのか、こういう認識につきまして文部省厚生省大蔵省、それぞれ認識をどういうふうに持っているか、これはもしなんでしたら、順序は厚生省文部省大蔵省にしてもよろしい、後に答弁するほど答弁がやさしいからそういうふうにして……。
  9. 横尾和子

    横尾説明員 私ども、現時点医師数約十七万人でございますが、これを人口十万当たりで見ますと、大体これまで目標にしてまいりました百五十人という水準になっているというふうに考えております。こういう水準をかねてから目標に掲げまして、文部省につきましても、医科大学養成についてお願いをしてまいったわけでございますが、現在の時点では、なお各分野におきまして、あるいは地域的に見ましても不足を訴えるという状況が残っております。したがって、いまの時点では過剰ということは言えないと考えております。  昭和七十五年でございますが、その時点では人口十万当たりにしまして大体二百人を超えるような情勢になってまいります。二百人という水準も、西ドイツの水準よりはまだ低うございますが、それにしても二十一世紀以降になりますと、その間の医療需要変動もあろうかと思いますが、引き続きいまのままでというわけにはいかないかもしれない、こういう懸念を持っているところでございます。
  10. 大原亨

    大原(亨)分科員 ちょっとあとの答弁は後回しにしまして、いまの答弁で。  いまの厚生省答弁は、現在十万人に対して百五十人の目標を達成をしている、十七年後の昭和七十五年には二百十人、二百人を超える。二百人を超えると過剰になるという問題もあるのではないか、こういう問題点だけを指摘をしておるようであります。適正基準というのは、私どものいまの日本医師医療供給の量、質の問題から考えて、十万人に対して幾らなんですか。それから、国立大学都道府県にあるわけですが、都道府県によりまして最高は十万人に対して幾らか、それから十万人に対して最低の医師数都道府県は幾らか、これを御答弁いただきたい。
  11. 横尾和子

    横尾説明員 二十一世紀になりましたときの人口十万当たり二百十人が、すなわち過剰ラインを超えたということでは必ずしもないと思いますが、ただいまの医師養成力というのは、入学定員が八千三百名ほどでございますので、二十一世紀二百十人ラインを超えてもなお毎年毎年八千人程度の医師養成が続くとすれば、いずれかの時点では世界のどの国も持っていないような医師数二百五十であるとか二百六十であるとかいう水準になるわけでありまして、その経過のある時点ではやはり過剰と思われるような事態が出てくるのではないか、こういう考え方でございます。  都道府県別の現在の医師ばらつきでございますが、一番多い県が徳島県でございまして、人口十万当たり百九十四・一人、一番低うございますのが埼玉県でございまして、八十一・八人という状況でございます。
  12. 大原亨

    大原(亨)分科員 話がありましたように、徳島県は十万人に対して百九十四人であるが、埼玉が八十一八人、こういうふうに半分以下のところもある。少ないところは、それ以外には沖縄とか福井とかいうところも少ないわけですが、そんな医師の数でばらつきがあるということはどういうことなんですか。これでも適正なのですか。たとえば、百九十四人の徳島がどんどんふえていけばどうなるんですか。あるいは石川、鳥取、京都、東京等もふえていけばどうなるんですか。そういう地域的なばらつきの問題と医師の適正な数、そういう問題とは関係ないのですか。
  13. 横尾和子

    横尾説明員 全国的な規模の問題ではなくて、医療という点はやはり個々の患者あるいは家庭からのアクセスという問題が大きゅうございますから、それぞれの家庭医師にかかれるという観点から見ますれば、偏在というのは非常に大きな問題であろうと思います。  かねてから医師数人口に比べて少ない県というところは、非常に概括的に申し上げれば、医科大学がないような県においては医師数が少ないという経緯がこれまでございました。ただいま申し上げました埼玉県を初めとしまして、沖縄県もそうでございますが、新しくできました医科大学卒業生がその地に定着するという時点にいまだ立ち至っていないように思われます。したがいまして、医大卒業生がその出身校地域に定着をする時点におきまして、ある意味でこの偏在がかなり解消されてくるのではなかろうかというふうに考えております。また、あわせまして、医大の配置ということも含めまして医療機関地域的な連携の中でこうした偏りというものをなくしてまいりたいと考えております。
  14. 大原亨

    大原(亨)分科員 いまのに加えて私は補足をしておきますと、歯科医師の場合は入学定員が、昭和四十五年当時が千四百六十人でありましたが、現在は三千三百八十人になりまして、これがずっとふえてまいりますと歯医者の失業時代が来るというように歯科医師会等では言っておりました。  そういうふうに考えてみますと、これは文部省養成との関係が一つ出てくるわけであります。それから、もう一つは、地域的な医師偏在を是正する、あるいは、命令をもって是正するわけにはいかぬわけですから誘導政策をとる、そういうこと等も考えるべきではないのかということであります。現在の無医地区と言われているものはどの程度あるのですか。
  15. 横尾和子

    横尾説明員 無医地区数が千七百五十地区、これは五十三年の調査でございます。無医地区の定義は、おおむね半径四キロメートルの中に医療機関を利用することができないという状況でございます。
  16. 大原亨

    大原(亨)分科員 念のためお聞きするのですが、日本に外国人の医師ですね、主として韓国籍や台湾籍ですね、そういう籍を持っておられる——これは植民地時代に日本医師の資格を持っていたとかあるいはその後取ったとかいうことだと思うのです。日本医師の資格を持たなければいかぬわけですから、試験をパスしなければいかぬわけですから、そうだと思いますが、外国人の医者はいまどのくらい入っておるのですか。
  17. 横尾和子

    横尾説明員 五十六年末の数字でございますが、千五百五十九名でございます。
  18. 大原亨

    大原(亨)分科員 千五百五十九名、これはかなり入っておるわけです。これはほとんど無医地区ですか。どこへ勤務していますか。
  19. 横尾和子

    横尾説明員 三分の二が大都市圏以外のところで働いていらっしゃいます。
  20. 大原亨

    大原(亨)分科員 僻地あるいは島嶼部等の市町村長は三拝九拝いたしまして外国人の医者を誘致をするわけです。日本の医者は自分で希望して行かないわけですね。そういう状態があるわけでありまして、そして、医師過剰時代がやってまいりますとますます偏在するということになります。そうすると、税金を払っておる国民から見ましたら、医療サービスの内容、量と質の面において非常に不公平が出てくるということになりますし、医師過剰時代が来ますと、医療のサービスの内容というものに大きな変化があると思うのです。  医師過剰時代が来ましたら医療費の面においてはどういう変化が出てまいりますか。大きいことだけでよろしい。
  21. 横尾和子

    横尾説明員 現在の医科大学卒業生の就業パターンがこのまま続くとすれば、ほとんどの方が医療機関に従事するかあるいは開業されるわけですから、何らかの形で医療費を増加させる要因になると思います。しかしながら、医師がふえてまいりますと、診療に従事するという領域以外のところに現実には医師に対する需要が大きいわけですが、供給が間に合わないという事態がございますので、そういったところで働かれる方もかなり増加するのではないかと思っております。
  22. 大原亨

    大原(亨)分科員 厚生省医師会を警戒しまして、恐れて、そういうふうに非常に消極的な発言ばかりするわけですが、そういうことが今日の医療の荒廃を招いておるわけです。教育の荒廃は文部大臣のところですが、医療の荒廃を招いておるのはそういうところであります。そういうところをきちっとしないからいけない。  そこで問題は、たとえば防衛医大の学生が卒業いたしましたら防衛庁に勤務しない、ああいうところはいやだ、自由にやりたい、こういうことでほかのところへそれていく問題で議論になっておりました。一人の医学生を養成するために五千万円前後かかる、こういうふうに言われておりますが、文部省答弁してください。
  23. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 医師一人を養成するためにどの程度経費がかかるかというお尋ねでございますが、医学教育に要する経費、いずれもそれぞれの大学に沿革なり施設設備の保有状況とか立地条件とかさまざまな点がございますので、必ずしも一律には議論ができないかと思いますけれども、仮に双方に共通する経費、たとえば学部経常費でございますとか臨時的経費病院本務教員人件費について昭和五十五年度の数字で申し上げますと、学生一人当たり経費は一年間に国立で約五百六十九万円、私立で約六百五十二万円というようなことになっております。
  24. 大原亨

    大原(亨)分科員 これは私学の助成の場合もそうですが、傾斜配分しているわけですね。私学の助成については、医学部、理工学部の方へは傾斜配分をしておる。医学部は特にそうですね。それは私は、医療研究医師養成については特別の配慮をするということは、医療というものは公共性を持っておるわけですから、できるだけ公費で医療費を賄っていきながら、卒業した者が医療の公共性を発揮できるようにという一つの目標もあると思うのです。しかし、いまのように無政府状況医師養成を図ってまいりますと、医師が必要なところへ行かないで偏在がますますひどくなってまいりまして、十万人について百人を割る、八十人であるところがあると思えば、都市によりましてはそうでありますが、四、五百人のところがある。それも野放しにしておいて医師の自由開業制、こう言いますが、武見さんのようなのは銀座でちゃんと診療所をやっておられれば保険なんかやる必要はないのですから自由にやったらよろしいと思います。しかし、全部保険、あるいは大蔵省がいつも問題にしておるけれども医療に対する補助金、あるいは医師養成についてはたくさんの公費を出しているわけです。しかも、一人前の医者にするためには十年内外かかるわけです。ですから、こういう無政府状況医師養成をやる、あるいは配置をやっておくということになりますと、医師が十万人に四百人も五百人もおるところになりますと濃厚診療をやる医師がどんどん出てくる。つまり薬漬け、検査漬け、点滴漬けというふうな、医療といたしましては一番モラルの低いところへ医療行為が集中いたしまして、そうして本当の医療が進んでいかない。良心的な医師はだんだんと生活ができなくなる。こういうふうにいたしまして、言うならばグレシャムの法則、悪貨が良貨を駆逐するようになるのではないか。医療が荒廃するのではないか。そういうことを野放しにしておいて、そして国民の税金を医学教育の方に使っていくということは問題ではないか。  こういう問題を、入学の定数を決めたりあるいは医学部の管理運営をやる経費負担をしたりする文部省はどういうふうに認識するかということは一つの問題でありますし、この問題については大蔵省はどういう判断をしておるかということも問題であります。これは短絡的に多いから悪いというふうなことは私は言いませんし、そういう単純な議論ではありませんけれども、行政管理庁はこういう問題について議論をしたり、あるいは臨調等はそういう議論について何らかの意見をまとめたことがあるのかどうか、これは順次御答弁をいただきます。
  25. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 医師養成の問題について先生からいろいろ御指摘があるわけでございますが、医師養成の数の問題については先ほど厚生省から御答弁があったとおりでございまして、今後の問題としては私どもも医師養成の数が社会的な需要に対応してどの程度であるべきかということについては十分検討しなければいけない課題であるというぐあいに考えております。そのため私どもも、厚生省文部省との間ですでに検討の機関も設けまして、それらの点については十分今後の需要に適正に対応するような対策をとるように事務的な検討は続けているところでございます。御指摘のような点を十分勘案して今後の対応を考えてまいりたい、かように考えております。
  26. 米澤潤一

    ○米澤説明員 お答えいたします。  昭和五十六年十月十六日の行財政改革特別委員会におきましても、米沢隆委員から先生の御指摘と同じような御質問がございまして、当時の渡辺大蔵大臣が、「大変興味を持っております。」という御答弁を申し上げております。ただ、いままで文部省厚生省の方から御答弁もありましたように、今後の医師養成規模の問題については、医療の動向、社会情勢の変化等、やはり専門的な角度から御検討いただく必要もあろうかと思いますので、当面は両省の検討会の結果を見守ってまいりたいと考えております。
  27. 原田実

    ○原田説明員 ただいま御指摘の点につきましては大蔵省の主計官からも御答弁ございましたように、厚生省文部省の間で今後の問題といたしまして十分検討をしていくということでございますので、私どももそれを受けまして定員の審査については適切に対処してまいりたいと思っております。  なお、臨調におきましても、たとえば部会報告の段階でございますが、計画的な人材養成を要する分野の再編合理化につきましては、十分再検討していくべしという報告も出されておりますが、そういった点も踏まえまして今後適切に対処してまいりたいと思います。
  28. 大原亨

    大原(亨)分科員 いまの答弁は全部、全然中身がないことになる。それは、必要性は痛感しておりますという大学局長答弁を、ずっと皆そのとおり言っただけだ。私が指摘したからあるいは従来からもちょいちょい指摘されておるから必要を認めます、こういう議論であります。しかし、それはしかく簡単ではないのであって、政府全体が日本医療政策をどうするかという観点で議論をして決定すべき問題であります。臨調などというのは、そういうことをやるところなんだ。それは国庫補助を切って保険料の負担に回していくとかそういうつまらぬことをやらぬで、トータルとしてどういうふうにやるかということの中で不必要な面はカットしていけばよろしい。  たとえば、十万人に対して医師が二百人を超えておる、三百人を超えておる、そういう地域があるわけですから、百人を下っておるところがあるわけですから、そういうところではたとえば国立医大の学生の定員を傾斜配分することが当然ある、短期的にはできないけれども、じゃ長期的な展望で医学教育はそういうことがあってもよろしいはずだ。国立大学を各県につくったことに反対する連中がおるけれども、それは僕は間違いだと思う。教育と臨床とか調査とかというものを医大中心にやるということは地域医療からいっても決して間違いじゃない。それは小さい県でも機械的に一カ所、こういうことについてはいろいろ問題はあると思うけれども、しかし、それは研究と治療を一体的に進めていく上からもあるいは臨床の現場におる者が大学に行って再教育するということは希望しているわけですから、そういうことをやることは決して悪いことではない。しかしながら、文部省医療需要のことや医師偏在などを考えながら適正に分配していきながら、必要ならば全体として昭和七十五年、二十一世紀を越えてさらに高齢化が進みますが、それに対応する養成計画があってもよろしいというふうに思うわけですが、そういう点について議論がなされていないということは問題ではないか。  それからもう一つ、全部の関係省が出てきておられるところですから、申し上げておきます。厚生省医療法を出すということを従来から言っているのですが、この国会には必ず出す、こういうことを言っているようであります。あなたは厚生大臣じゃないけれども、医療法を出すのか出さぬのかということについてお聞きをしたいと思うのです。
  29. 横尾和子

    横尾説明員 局長が申し上げておりましたように、出すということでいま作業を進めております。
  30. 大原亨

    大原(亨)分科員 これは予算関係法案ではないわけですけれども、つまり医療法を出す出さないという問題になるのは、医師に対する指導、監査の問題があるのですが、それだけではなしに、地域医療計画をつくるということが問題なんです。地域医療計画をつくって、そして、その方に向かって、廃止しようという医療金融公庫にいたしましても、保険医の指定にいたしましても、自分の腕や人格に自信がある人は自由開業医で現金で取ってもよろしいわけです。しかし、皆保険で、保険制度は税金と同じですから、それを支払って保障していくという場合には、それに対応する医療需要の面を考えていかなければ、憲法に租税法律主義というのがあるけれども、主権者である国民が税金を払うという立場で公平にサービスを供給するという、そういう問題について、地域医療計画をちゃんとつくるということが必要である。その中で、たとえば老人保健法の問題もそうですが、ほとんど九九%、防衛医大の医者まで民間で開業したいという将来の希望があるわけです。しかしながら、だんだんと志向が変わりつつありますけれども、なかなかうまくいかぬぞ、過剰競争時代に入るぞ、こういう議論もありまして、勤務医が若干ふえております。それにしましても、日本は卒業いたしまして健康管理とか公衆衛生に回っていく者がほとんどいない。学校の医学部の教育も、そういう面において、いろいろな研究費は業者から取るというふうなこともありますけれども、そういう問題をたくさん起こしておりますが、とにかく医療機関病院、診療所の機能分化とかあるいは保険医の指定の仕方とか医療金融公庫の融資とか専門医制度の問題とか、そういう問題を総合的にやりながら医療計画をつくって、そして強制はしないけれども誘導していくということがないと、医師会だけの意見によって医療政策が決定するというふうなことは、これは限界が来ておる。自由民主党の政治の中で一番悪いのはそういうことであります。自由民主党の政治が長く続いてそういう弊害が出てきておるのはこの面でありますから。  こういう面から考えてみても、やはり行政改革というのはそういうトータルの、しかも政治の進歩につながるような方向で処理しなければいけない、そういうことをやるのが行革ではないか。つまらぬことをあちらこちらをほじくり回してカットするようなばかなことをやっているいまの臨調はだめだと私は思っておりますが、そういうことをやるべきではないか。そういうことの一環として、国立の医大、そして私立医大にいたしましても、量、質ともに必要であるならば国が助成すればいいわけですから、そういうことで医学教育もやっていかなければいけないのではないか。  文部大臣は、非行じゃ何じゃ、憲法じゃいうて頭がいっぱいだと思うけれども、いま私が申し上げたことについて総括的な答弁をいただきたいと思います。それであなたの信任か不信任かを決定いたしますから。
  31. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 医療については素人でありますが、大原さんはこういう面は非常に専門家でございますから、いま傾聴して伺いました。  全体的な医師の数をどうするかということはいままで関係者から答弁しておりますが、トータルとしては、先ほど申し上げましたように、過剰になるかならないか、どのくらいのものをするかということは、医師養成関係文部省医療関係厚生省とよく打ち合わせてやるということを進めておるわけでございます。それから、これから高齢化社会に向かいますし、また医療需要体制もだんだん変化が起こる、こういうことも考えながら、やはり考えていかなきゃならない。いま大原さんのお話しのように、まさに医療国民の税金みたいなものでやることになっておりますから、自由業といっても、医師の倫理であるとかあるいは配置の問題であるとか、そういうことを十分総合的に、これから計画的というと言い過ぎかもしれませんが、考えていかなければならない時代に入っている。こういう点を十分関係省庁全体で考える体制をつくらなければならない、かように考えておるわけでございます。
  32. 大原亨

    大原(亨)分科員 あなたは裁判官をやっておられて、そこだけは公平な議論であります。医師だってみんなそう思っているのですから、良心的な医師が十分生きがいがあるようにしてもらいたい、こういうことをみんな願っているのですから。政策やその他が悪いために悪い医者がはびこっている。武見さんが言っておりましたが、三分の一はもう手に負えない、こういうことを極論までしておりました。そういうことにしたのは行政の責任である、あるいは教育の問題もある、こういう指摘をいたしまして、私の質問を終わります。
  33. 海部俊樹

    海部主査 これにて大原亨君の質疑は終了いたしました。  中西績介君。
  34. 中西績介

    中西(績)分科員 時間がありませんから、簡単にお答えいただきたいと思います。  そこで、一九八二年、五十七年四月から同和対策問題については新法の成立を見たわけでありますが、従来、奨学金については給付制度であったわけです。ところが、大学開放のためのこの奨学金貸与制に改悪されてまいりました。  そこで私は、大臣にお伺いしたいと思いますけれども、従来の同和対策事業特別措置法に基づく同和教育行政としては、部落の子弟の大学への進学を奨励する立場から、一般対策の日本育英会奨学金制度とは別個に、同和対策奨学金制度を給付制として創設してきたということはすでに御存じだと思いますが、どのような理由から、新法成立後、奨学金制度の変更あるいは縮小を行ったのか、その理由について明確にお示しいただきたいと思うのです。
  35. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘のとおり、大学への進学奨励事業奨学金について、従来の給付制から貸与制への切りかえが行われたわけでございます。これは地域改善対策特別措置法によってそのような措置、切りかえが行われることになったわけでございますが、御指摘の点はどういう理由かということでございますけれども、基本的には育英会の貸与自業というものが根っこにあるわけでございまして、それらとの均衡を図ることなどの理由があるわけでございます。もとより、貸与制に切りかえられましても、私どもとしてはこれまでの事業が果たしてきた役割りを十分考えまして、たとえば返還免除制度を導入するというようなことで、真に経済的に就学が困難な者の大学進学の意欲を阻害することのないような配慮は十分いたしているところでございます。
  36. 中西績介

    中西(績)分科員 基本的に育英会方式でもって貸与、結局この均衡ということを気にしておるようでありますけれども、そうすると、同和対策というものは根本的にどう問われておるのですか。
  37. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 その点は地域改善対策特別措置法の「目的」に掲げられているわけでございますけれども、特に生活環境の改善、産業の振興、職業の安定、教育充実等の円滑な実施を図るために必要な特別の措置を講ずるという考え方であるわけでございます。しかしながら、御指摘の点は、個人給付事業の見直しということが行われまして、先ほど御説明したような形になったわけでございますが、その点については、地域改善対策特別措置法に掲げられている「目的」を損なうものではないというぐあいに私ども理解しております。
  38. 中西績介

    中西(績)分科員 それでは、別の角度からお聞きしますけれども、この制度が発足いたしましたのは一九七四年、昭和四十九年ですね。そして、七年間これまで継続をしたわけですね。そこで、この七年間でどういう成果があり、どういう状況になっておるかということの追跡調査はされておりますか。
  39. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 七年間の追跡調査をしているかというお尋ねでございますが、私ども七年間すべてについて把握しているわけではございませんが、たとえば対象地域の同和関係者の子弟の大学進学率について申し上げますと、関係の府なり県なり市の調査によりますと、一般地区に比べてまだ全体的に低い状況ではございますが、近年の状況で申しますと、徐々に上昇してきているという点が言えるわけでございます。  たとえば、昭和五十四年度でございますと、対象地域、これは三十六府県のケースでございますが、一四・二%、五十五年度が一五・八%、五十六年度が十六・八%、五十七年度が一七・六%というぐあいに、対象地域では徐々に進学率が、これは大学の進学率でございますが、上がってきております。ちなみに、その間の全国平均の進学率はほぼ横ばいの状況というのが現状でございます。
  40. 中西績介

    中西(績)分科員 いま言われたものを見ますと、おおよそ、平均しますと年度ごとは一%ずつ上昇しておるということになりますね。ところが、片や一般の場合にはその率は、たとえば一九八二年、五十七年で見ますと、三六・三%ですね。その前年が三六・九%、ちょっと下降ぎみになっていますけれども、これを対照比較した場合に、まだ半数に達してないというのが実態です。こうした給与制度をとったといたしましても、まだ依然としてその率は半分に達しておらないというのがいまの実態ではないかと思います。このことはもうだれが見てもおのずから明らかですね。  ですから、いまあなたが言われるように、進学率が向上したという成果として結局それを認めるということであれば、先ほど言うように、いまここで制度的に個人給付、制度そのものを見直すということがどうして出てくるだろうかということを私は考えるわけですね。なぜこれがわずかの金であるのに続けられないのか。ここが結局、同和対策の主眼点をどこに置いていくかということを考えなければならぬと思うのです。その際に私は、ただ単に大学に進学するから云々でなくて、その実態の中から、部落の内部からどう変革を求めていくかということがなければならないと思うのですね。そのときに、いま大学進学が大体一般化されようとする状況にあるにもかかわらず、部落だけがうんと落ち込んでおるというこの実態をそこから改変をしていくということが、私は大変大きな作用を及ぼすものではあるというふうに考えるわけですね。これはまた後に質問する識字学級の問題からいろいろな問題、たくさんあります。しかし、教育という問題は、これを無視してはならないというのが私の主張です。一番最重要点として教育を置く。その際になぜ——じゃ、このことによってどれだけの金額が浮くんですか。
  41. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 制度は切りかえたわけでございますけれども、予算の金額から申しますと、たとえば、五十七年度から五十八年度の予算で申し上げますと、貸与月額につきましても、二万三千円から二万四千円へ、これは国公立でございますが、私立の場合で申しますと四万円から四万三千円へ、それぞれ引き上げておるわけでございます。また、通学用。品等助成金につきましても三万円から三万五千円に引き上げているわけでございます。したがいまして、予算額で申しますと、五十七年度の二十七億八千四百万余りから二十八億四千六百万余りと、五十七年度に対比いたしまして五十八年度の予算は増額を図っているわけでございまして、事柄としては貸与制に切りかえましたが、予算措置から申せば、私ども、大変厳しい時期でございますが、増額をするということで内容の充実を図っているわけでございまして、それらの点は教育の面について積極的な対応を考えていく予算措置の具体的な一つのあらわれであるということは言えるかと思います。
  42. 中西績介

    中西(績)分科員 育英会の貸与との均衡を考える、こう言っていますね。じゃ、均衡をなぜ考えなくちゃならぬのですか。
  43. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 そのこと自体は、基本的には新しい地域改善対策特別措置法が講ぜられました際に従来の事業の見直しを行いまして、特に個人給付事業の見直しが行われた、その全体の中の一つというぐあいに私ども理解をしております。
  44. 中西績介

    中西(績)分科員 そうすると、その全体のそういうものであって、中身じゃないわけだな。中身でないということですね。なぜならこの個人給付の場合に、貸与の場合だって返済の期間を短くするとか、いろいろ考えているんでしょう。それはなぜかと言ったら、財源が不足するということをあなた方言っているわけでしょう。財源が不足するからそういうことをやるんだということで、そこでカバーする、こういうことを言っておりながら、この金額は伸びているんですよね、いまあなたが言うように。金額は伸びておるでしょう。そして、なおかつ貸与との関係で均衡を考えるということになると、もう矛盾だらけですね。何がこういうものを貸与に切りかえなくてはならぬのか、この点はどうなんですか。
  45. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘の点は、育英会の事業について、たとえば返還期限の短縮等と比べて、この地域改善対策の奨励費が方向としては矛盾しているんではないかという御指摘があるわけでございますが、私ども、先ほど来の答弁の繰り返しになるわけでございますけれども、全体的に個人給付事業の見直しが行われたその中でこれを貸与制にしたわけでございますが、しかし、この給付事業そのものについては、先ほども御説明したような形で予算的にも増額措置を図って充実を図っているという点は先ほど御説明したとおりでございます。  そして、この場合の、これは実施要綱で定めているわけでございますが、先ほども申し上げましたように、貸与に切りかえることに伴いまして返還債務の免除の規定も具体的に要綱には定めておるわけでございます。「奨学金貸与を受けた者の属する世帯が生活困難のため、別に定めるところにより奨学金の返還が著しく困難であると認められるとき。」には返還を免除するという規定も設けているわけでございます。したがいまして、制度全体の実質的な運用から申せば、私どもこのことによる、たとえば従来の給付を貸与に切りかえることによって大学進学率が落ちるというようなことの影響はないものと考えておりますが、それらの点の対応は今後とも十分考えてまいりたい、かように考えております。
  46. 中西績介

    中西(績)分科員 そうしますと、二十七億を二十八億に伸ばしたということは、先ほどあなたが言われた金額からいたしますと、二万三千円を二万四千円に千円アップした、私立の場合には四万円を四万三千円にアップした、これに該当するものが一億伸びたということになりますか。
  47. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 そのように御理解いただいて結構だと思います。
  48. 中西績介

    中西(績)分科員 そうであれば、いま一%ずつ伸びておる、そのことを今度は貸与制によって抑えることによって、むしろこの金額は不用になるということを期待しながらやっているということですか。
  49. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ちょっと、あるいは御質問の意味を私十分把握できないことを……
  50. 中西績介

    中西(績)分科員 じゃ、もう一遍申します。  私が言っているのは、この二十七億から二十八億に予算増をしたということは、結局考えてみますと、千円と三千円アップしたその分に該当するものとしてやっておるということになれば、数の上では一応そういうふうに現状維持するということにしかつながらぬわけですね、具体的には。そうなってくると、いままでは一%ずつずっとふえてきている。それがむしろそこを逆に抑え込むという、こうしたことにしかつながらぬのじゃないですか。
  51. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 人員の点で前年同数であれば、それを抑えることになるのではないかという御質問の意味かと思いますけれども、実はこれらの事業の積算の中身でございますが、これは関係府県、市の事業計画に基づいて積算をしているわけでございます。そして、要件に該当するものについて申請が出れば、ほぼそれは採用されているというのが現実の姿でございます。
  52. 中西績介

    中西(績)分科員 ですから、要件を満たすのが——じゃ、いままで受けておった人が、その要件を満たしておらなかったということではないでしょう。要件を満たしておったから従来のそうした必要経費が要ったわけですよ。それによっていままで算出をされてきたわけですね。そういうことでしょう。だから、その上に立って私は物を言っているわけです。  そうなりますと、この一億というのは、そういうアップ分についてこういうことになります、こう言っているわけですから、そうなってくると、いま伸びつつある、さっきの成果とあなたが言われた分、毎年一%ずつ伸びてきている。しかも、そのことは部落にとっていま一番重要なことなんだ。そのときに、いま抑え込むようなことを何でしなければいけませんか、私はこう言っているわけです。伸びることを、予算ですでに全部断ち切って抑えることになっているんですよ。それが使われるかどうかは別にしましても——それなら追加予算を組みますか。
  53. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 五十八年度の予算の執行に当たって、現実に事業計画が出た上で私ども配分をするわけでございまして、従来の実績から勘案すれば、私ども計上している予算で十分対応できるものとただいまのところは理解をしております。
  54. 中西績介

    中西(績)分科員 私、それが一番嫌な答弁なんですね。たとえば各施設設備費用なんかでも毎年毎年いま削減してきますよね。そうすると、県から、そのことは出てきませんでした、こう言うのです。それで、その実態を私今度全部調べてみました。あるんだけれども、県が全部カットしているのです。抑え込んでいる。それが全部集約されて、これだけしか出てきませんでしたということになっている。そうなると、行政の本質というのは何ですか。抑えることが行政の本質ですか。
  55. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 文部省としては、教育充実発展を図ることが私どもの本務だと考えております。
  56. 中西績介

    中西(績)分科員 それで私は言っているのです。しかも、いま一番重要で、これは七年しかやっていないのです。ようやくそれが定着をし、伸びようかという時期に、これを抑えるようなことをやってはいけないということを私は言っているのです。  大臣、どうでしょう。
  57. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私、細かい数字のことはよく承知いたしておりませんが、抑えるべきものではないと考えております。
  58. 中西績介

    中西(績)分科員 私、大臣の言うとおりだと思うのですね。しかも、これは御存じのように、大学制度については同和対策が始まってから五年後にようやくスタートしたのですね。そして、いま七年です。そして、いま答弁がありましたように、徐々にこれが伸び始めたという大変重要な段階に来ている。これをいま大事にすることが本当に行政の、同和という問題をどうこれから文部省が取り組んでいくかという点で大変重要な施策ではないか。だから、ただ単に私は金のことでいま言いましたけれども、そのことが今度は全般的にどう影響していくかということになると、行政としてのあり方はいま抑えるべきでない、このことを根本において措置をしてもらいたいと思うのです。  したがって、この点は二段階措置ですね、たとえば、返還の免除措置をさせなさい、こういうような——何かお役所仕事というのは全部制限つきというようなかっこうで、そうしたことでやるのでなくて、本当に温かい面での、いま行政改革なんて言っている中身とここはちょっと質が違うのです。この点を本当にあなたたちが理解をしているかどうかの大きな判断になると私は思うのです。したがって、ぜひこのことは、先ほど言われましたように、抑えるべきでないというこの視点に立つなら、出てきたら中央におきましてはそうしたことを、項目に合致するものは絶対にそれを抑えぬという保証をどうするのですか。
  59. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 抑えないという保証をどうするかというお尋ねでございますが、私ども、先ほど申しましたように、積み上げの計画として見積もりをいたしているわけでございます。私ども、この事業充実発展のために努力をしなければならぬという点については、先生御指摘のとおり私どもとしても今後とも対応したい、かように考えております。
  60. 中西績介

    中西(績)分科員 答弁になっていません、何を言っているか、私いま全然わからないのです。ですから、そういうごまかしでなくて、率直に、出されたものについては、その要件が満たされておれば、あなたはこれを制限すべきでないということを通達か何かお出しになるか。具体的に言いましょう。
  61. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 実施要綱をすでに定めて、これは都道府県にも御連絡申し上げているわけでございまして、要件に合致するものについてはすべて採択をするということについては、私どもとしては予算の積算も十分対応できるものというぐあいに理解をしております。
  62. 中西績介

    中西(績)分科員 では、それはそれでよろしいですね。ただ問題は、今度は後、返還を求めるということがどうこれから影響をしていくかということをお考えになったことはございますか。
  63. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 先ほども御答弁申し上げたわけでございますけれども、そのことによって私ども、大学への進学率に影響が出るとは理解をしておりませんけれども、対象地域大学進学率がさらに伸びますような対応策というものは今後とも十分努力をしていかなければならぬことだというぐあいに理解をしております。
  64. 中西績介

    中西(績)分科員 私の住んでいる地域ですでに影響が出ているのですよ。だから、私は聞いておるのですね。すでに大学への進学ということが直ちに出てくるわけです。  ですから、この分については私はペンディングとしておいてもらいたいと思うのは、とにかくいまここで言い切るのでなくて——この点については、先ほどあなたが評価された進学率、成果が上がっておるという面は何かということを言った場合に、こういう点で出てきておるということをあなたは一点だけ申されたから、私このことに固執するのです。ほかにもありますよ、大変重要なことがあるのだけれども、これはいまあなたが答えた中の一点です。ここを生かすための措置として、もし悪影響が出たという場合にはこれをもとに返すということをお約束してください。
  65. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 先ほど来申し上げておりますように、私どもとしてはこの制度についてはすでに実施要綱も定めまして、各都道府県に通知をいたしておるわけでございまして、先ほども御答弁した点ですが、その要綱の要件に合致するものについてはもちろんすべて採択をするということは、いまの予算でも十分積算上見積もられているものと理解をしております。
  66. 中西績介

    中西(績)分科員 約束をするかせぬかをどうだと言っているのだから、約束しますとかせぬとか言ったらいいのです。
  67. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘の点については、そういう事態が起こった場合に、私どもとしては検討させていただきたいと考えます。
  68. 中西績介

    中西(績)分科員 大変時間が短いものですから早口で申し上げておりますけれども、大臣、いまの討議の過程、この点は大変重要な中身だと私は思います。しかも、財源的には、ずっと引き直すと将来長い間におけるわずかな金額であります。二十年で返還ですからね。そういうことになってまいりますと、いまこのことによって、同和地区において内部からどう変革を求めていくか、こうしたものを含めて大変重大な課題になってまいりますから、この点、いま局長が言われましたように、そうした事態になれば再度これは検討するということでよろしいでしょうか。
  69. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 大学に関するところが、この前の改正で貸与制になった。これは、大学へ行って、就職その他で返還の能力のある人には、国民の税金からやるわけですから、返してもらう道を開いておこうということでこうした改正になったと私は解釈しておるのです。しかし、それが経済的に非常に困難なような場合には免除する制度をちゃんと設けておこう、こういう道を開いておるわけでございます。教育というのは非常に基本的な大事な問題でございますから、この改正によって、おっしゃるように、必要な教育が阻害されておるというようなことが現実にあらわれますと、これは考え直す作業をしなければならない、かように考えております。
  70. 中西績介

    中西(績)分科員 そこで、もう一つ矛盾を言っておきますよ。  日本育英会の特別奨学生、自宅外の月額は今年は幾らになっていますか。
  71. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 育英会の特別貸与、自宅外につきましては、国公立で二万六千円でございます。
  72. 中西績介

    中西(績)分科員 変更していませんか。
  73. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 単価の引き上げは行っておりません。
  74. 中西績介

    中西(績)分科員 それを確認した上で、これを見ますと、同和の方の奨学金は二万四千円ですね。これは自宅も何もかも全部同じでしょう。そうなってくると、特別奨学生よりもなおかつ低いという現象すらもいまあるわけですね。いままでは貸与でなくて給付という中身であったからこそそうなっておったと私は思うのです。ところが、今回の場合は、金額も自宅外と自宅の場合と差があります。そうした状況等が出ておるといたしますと、自宅外の人の場合にはそうしたものも十分考慮をするということを約束できますか。
  75. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 単価の比較については、ただいまは国公立の場合で申し上げましたが、たとえば私立で申し上げますと、私立の自宅外の特別貸与は三万九千円でございます。それに対しまして地域改善対策奨学金で申しますと四万三千円ということで、私学の自宅外で申し上げれば、育英会の特別貸与よりも地域改善対策奨学金の方が単価は高いわけでございます。そうして、国公立ももちろんございますが、数から申せば私立大学の場合がケースとしては多いということが言えるわけでございまして、ただいまの単価の考え方というのは、私学の方が数が多いという実態を勘案すれば、地域改善の場合の奨学金の単価の設定というものも、一応私学の単価を高く設定してやるというのも理にかなっているのではないかというぐあいに理解をしております。
  76. 中西績介

    中西(績)分科員 差別発言はやめてください。部落の子供は私学に行けということですか。私はそういう感覚だから物がわからぬと言うのです。どうして私学を高くしているのに国公立を高くできないのですか。そこにあなたたちの感覚の物がわからぬところがあるのです。私はもう時間がありませんから、これ以上追及しませんけれども、そうした一番大事なところがあなたは抜けているということを指摘します。  いいですか、最後にちょっと一言だけ……。
  77. 海部俊樹

    海部主査 時間が過ぎておりますので、簡単にお願いいたします。
  78. 中西績介

    中西(績)分科員 もう時間が過ぎましたから、答弁要りません。やりとりしていると、またいろいろ弁解が出ますから、長くなります。  そこで、私はもう一つだけ識字学級をやりたかったのですけれども、できませんでした。このことだけちょっと。  かつて文部大臣が国会答弁で、字を知らない人の存在は国の恥であり、早急になくすように努力する、こういうことを言ったのですね。これはあったかどうか、この点の確認だけして終わります。あとはまた別のところで……。
  79. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 あったように存じます。
  80. 海部俊樹

    海部主査 これにて中西績介君の質疑は終了いたしました。  次に、鳥居一雄君。     〔主査退席、亀井(善)主査代理着席〕
  81. 鳥居一雄

    鳥居分科員 六十年の四月に開学を予定しております特殊法人立の放送大学につきまして、現況並びに六十年開学への準備状況あるいは問題点、こういうことについて少々伺ってまいりたいと思います。  放送大学につきましては、大学教育に関する政策課題のうち特に教育の機会均等、まあ大量の学生を受け入れられるようにしなければならない、一般社会人の受け入れ機関の確保の必要、あるいは今日マスプロ的な教育が横行する中でこの解消策として大きな意義を持つものである、あるいは学歴偏重社会の中で入試地獄にあたら青春をむだに過ごさなければならない、そういう中での解消策、あるいは大学間格差の是正のための一つの方策、こういうさまざまな課題を担う放送大学であるわけです。  六十年四月開学を考えてみますと、五十六年の学園法案の成立、これまでに幾多の障害を乗り越えてやってまいりまして、あといよいよ六十年四月といいますと五十九年度予算、六十年度予算、これで船出ということに当面しているわけであります。六十年四月に本当に開学できるのだろうか。昨年の予算折衝の段階では、これを引き延ばせという非常に強い外圧もあったように聞いておりますし、今年度の予算案並びに展望の上に立ちまして、六十年四月に断固開学できる、こういうめどはいかがなものでしょうか。
  82. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 放送大学については、先生御指摘のとおり、放送大学学園法案の審議に際しましてもいろいろと御論議をいただいたわけでございまして、現時点の開学、学生受け入れの問題について御説明申し上げます。  昨年度の予算の際に議論もございまして、当初の国会での御論議では、法案審議の際には、五十九年四月の学生受け入れということで諸準備を進めてまいるということで御説明をしたわけでございます。しかしながら、ただいま御指摘のようないろいろな御議論も踏まえまして、学生受け入れを一年延ばしまして、六十年四月学生受け入れということで全体の予算計画、予算の積算等についてもそういう前提に立った予算積算をお願いをしているわけでございます。ただいまのところは、大学設置認可がなされまして、この本年四月から大学は開学になるわけでございます。それから二年間の準備期間を経まして、六十年四月に学生を受け入れるということで予算準備その他積算をお願いしておるわけでございまして、大学関係者ももちろんそういうことを前提に諸準備を進めておりますし、私どもも予算の積算としてはそういう六十年四月学生受け入れということでの諸準備を進めているというのが現状でございます。
  83. 鳥居一雄

    鳥居分科員 そうしますと、一年ずれ込んだ計画の中で教員確保あるいは教材作成、これは五十八年度から早速にも着手するような形になっておりますし、来年度からは学生案内あるいは資料の作成、プログラムテストの開始、こういう手順が組まれておりますけれども、これはそのとおり行っているのでしょうか。
  84. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 私どもとしては、ただいま最初に御答弁申し上げましたような方向で準備をしておるわけでございまして、若干具体的な点について御説明いたしますと、一つは、御指摘のように教員の採用なりあるいは放送準備その他が進められておるわけでございます。  放送局に関して申し上げますと、本年一月に郵政大臣に対して免許の申請を行いまして、本年二月に予備免許を受けたところでございます。今後さらに放送機器を整えまして、五十九年十二月までに本免許を取得し放送局を開局するということで準備をしております。  また施設整備につきましては、ただいま管理棟の建築が進行しておるところでございまして、本年秋には管理棟が完成する予定になっております。また、放送研究図書資料棟でございますが、これはこの春着工いたしまして、来年の秋に完成するというようなことで諸準備を進めております。  それから、そのほか教育課程あるいは入学者の選抜方法などの具体的な事項は、大学設置されましてから大学関係者によって決められることになるわけでございます。  特に大事な点は教員確保の問題でございますけれども、教員確保の点では、学園法が成立後すでに広く全国の国公私立大学等の教員を対象に適任者を得べく公募を行いまして、具体的には、さきに内定されております学長予定者といたしましては、前の千葉大学長でございます香月先生にお願いをいたしておりますし、また副学長としては、前の東京大学教授でございます大森荘蔵先生、それと東京工業大学の小林靖雄先生にそれぞれ予定者ということでお願いをいたしております。そういう方々を中心教員予定者についても具体的な選考を進めておるわけでございまして、教員予定者としては大学設置審議会で五十七年度、本年度でございますが、御審議をいただきまして、全員適格であるという判定をいただいております。本年四月には専任教員といたしまして、たとえば東京大学教授の今道先生、お茶の水大学教授の矢部先生、奈良教育大学の深谷昌志先生等が採用の予定者として具体的に決まっております。そのほかノーベル賞の受賞者の江崎氏、筑波大学の副田義也教授、慶応義塾大学の神谷教授、東京工業大学の江頭教授等については客員教授というようなことで予定をいたしているところでございます。特に教官スタッフについてりっぱな方方をお願いするためには全国の国公私立大学関係者にも御協力をいただかなければならぬ点がございまして、それらの点については十分開学に支障のないようなことで対応をいたしているところでございます。
  85. 鳥居一雄

    鳥居分科員 概算要求の段階で三十七億余の要求をいたしておりますが、政府案では三十億余、こういう形の予算案がいま上程されているわけです。事業を進めていく上でこの開きはどんなような形になっているのでしょうか。
  86. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御案内のとおり、五十八年度予算については学園に対する補助文部省において施設整備を行いますものと合わせまして三十三億八千六百万余りを計上いたしております。  ただいま御指摘の点は、概算要求の金額とのずれについてどういうことかという点の御指摘かと思いますが、具体的な点で申し上げますと、学習センターをそれぞれ用意をするわけでございますけれども、具体的には、学習センターについては当面は二カ所という査定を受けたわけでございまして、残りの個所についてはそれぞれの地域国立大学等と十分交渉いたしまして、借用なりそういう形で進めていくというようなことが考えられるわけでございまして、予算の要求との差は主としてそういうような点でございます。
  87. 鳥居一雄

    鳥居分科員 学習センター、この第一期計画の中で六カ所設置しよう。この進捗状況を見ますと、千葉、東京第一、群馬、この三カ所については固まったようでありますけれども、埼玉、神奈川、それから東京の第二、これはどんな見通しを持って対応されていますか。
  88. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 学習センターの候補地については、先生御案内のとおりそれぞれ準備を進めているわけでございまして、御指摘の点は埼玉、神奈川の点についてであろうかと思いますが……(鳥居分科員「東京第二」と呼ぶ)東京第二については、具体的に既存の国立大学施設等について対応するように種々検討は進めているわけでございます。神奈川、埼玉についても同様でございまして、これらについては、既存の国立大学施設について借用し得るものについて準備をするということで検討を進めておるわけでございまして、現時点ではちょっといまのところまだ申し上げる段階でございませんが、五十八年度に入りまして早早にもそれらの点は進めることにいたしております。
  89. 鳥居一雄

    鳥居分科員 それで、この大学の存立の意義、存在意義と申しますか、これは一つに単位の互換性の実現にあるだろうと私は思うのです。既存の国立大学との協力関係をどのように進め、百二十四単位のうちぎりぎり三十単位まで、つまり四年の単位取得のうちの一年分に相当するものを限界にして現行行われておりますけれども、その見通し、詰まりぐあい、これはどんなものでしょうか。
  90. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘のように、放送大学の一つの大きな意味としては、単位互換そのものは現在制度としてはもうすでに認められているわけでございまして、具体的に既存の大学においても単位互換という事柄は実施をされているわけでございます。しかしながら放送大学の場合、特に単位互換というようなことについては積極的に取り上げていくべきものと思っておりますし、私どもも、放送大学で取得したものを既存のほかの大学の単位として認めていくように既存の大学に対しても十分それらの点は理解を求め、積極的な働きかけをしていかなければならぬことだと思っております。そうなることによりまして、この放送大学と既存の大学との間で結びつきといいますか関連ができることによりまして、この放送大学の一つの意義としては——放送大学は御案内のとおり、テレビ、ラジオを通じて具体的な授業が行われるわけでございまして、そういう意味ではいわば国民に開かれた形の授業ということになるわけでございます。そういうことが既存の大学の従来の授業のあり方に対しても一つのインパクトを与えるということで、既存の大学教育の中身が改革をされていくための一つのよすがとしてこの放送大学が利用されるということが大変大事な点でもあるということは法案審議の際にもいろいろ御指摘がされ、そのように答弁もしてきたわけでございます。  具体的には、これから大学設置されていく際にそれらの点も十分他大学にも理解を求め、そして一般の方々にも、そういうことが行われるという仕組みについて十分、何と申しますか、広報といいますか、全体に理解を深めていただくような施策を進めることが必要であるかと思っておりますし、もとより私どもとしてもそういう点について積極的な対応をこの放送大学がしていく必要があるというぐあいに考えております。
  91. 鳥居一雄

    鳥居分科員 具体的な学生の受け入れでありますけれども、応募者、これが第一期の完了時点とは違って学生受け入れ第一年次、この段階で先着順の入学を認めるという基本方針がありますが、どのぐらいの応募があるものだろうか。これについては文部省として調査もなさっておりますし、どういうふうに見ておられますか。
  92. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 従来行いました調査で一番新しい時点のもので申しますと、昭和五十六年度に調査を行っておりますけれども、五十六年度の調査結果を第一期計画の対象地域の十八歳以上の人口に当てはめて考えてみますと、希望者としては大変大きい数になっておりまして、六百七十万人、卒業を目指す者が四十万人、単位取得希望者が百六十万人という数字になっておるわけでございます。  現実に現在の第一期計画で考えております規模といたしましては、学生受け入れの第一期計画では、初年度六十年度で申しますと一万人を目途といたしておりまして、完成年度では入学者数で一万七千人ということを目途といたしておるわけでございます。  私どもとしては、この放送大学が広く理解をされまして、入学定員はもちろん満たされ、さらにその希望者が多いことを願うわけでございますけれども、まずはそのためにはこういうものができて、御案内のように開かれた大学として、原則的には先着順で入学を受け付けるといったような形のものが広く理解をされて、応募者が多いことを願っているわけでございます。そのための理解を深めるために五十八年、五十九年を通じて努力もしてまいりたい、かように考えております。
  93. 鳥居一雄

    鳥居分科員 調査のように応募者の数が膨大なものであった場合、どういう方式で入学許可を与えていかれますか。
  94. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 具体的な対応は、四月から大学が開学になるわけでございまして、そこでさらに具体的なことは詰めていかれるわけでございますが、考え方としては先着順で、場合によっては抽せんも加味するというような形で対応するわけでございます。第一期計画としては関東地域中心に進めるわけでございまして、私どもとしては、せっかくつくられました放送大学の入学者が多いことを期待し、そのための理解を深めるということがまず先決かと理解しております。
  95. 鳥居一雄

    鳥居分科員 大臣に伺いたいと思うのですけれども、これから六十年四月に開学をしようという動きに対して障害はまだあると見ております。たとえば特殊法人立であるがために、特殊法人の見直しという臨調の方針、そういう中に放送大学の見直しを含めてこの規模の縮小あるいは学生受け入れ後の数年後にあり方を見直すべきだというような意見、こういうようなものに対して断固として開学をし、放送大学本来の使命を果たせるような土壌をつくっていく、こういうお考え、これはいかがなものでしょう。
  96. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 放送大学準備、計画等いま局長からるる御説明申し上げたとおりでございます。初めての試みで、しかも相当大きな意義があると私ども認識をいたしておりますが、先ほどお話しのように六十年を予定しておりますが、そうたんたんたる道ではない。臨調等も何年か先には状況を見直す。物事というのは、一遍やってみましてその成果等を見てよく見直す方法もあるし、縮小する方法もあるかもしれませんが、それは当然であります。これは計画どおりぜひ進めたい、かような考えを持っております。
  97. 鳥居一雄

    鳥居分科員 ひとつがんばっていただきたいと思います。文教あるいは福祉を削りながら、一方において防衛予算六・五%という突出、こういうのを考えてみたときに、ペンを捨てて剣をとるという姿勢はやはりいつか来た道だと言わざるを得ないわけでありますし、臨調の答申は基本的には尊重したいと思っておりますが、こうした開かれた大学を目指す基本計画をぜひ守り抜いていただきたい、こう思います。  続きまして、国立民俗博物館でありますが、この十六日いよいよオープンという段階を迎えまして、実に昭和四十一年から始まった計画がようやくここに実を結ぶということになってきたわけでありますけれども、この歴博の果たす使命は、単に物を展示していくという役割りばかりではない、大事な学術振興という使命があるだろうと思うのです。今回の十六日オープンというのはごく一部だと聞いておりますけれども、今後の歴博の事業計画、概要について御説明をしていただきたいと思います。
  98. 大崎仁

    ○大崎政府委員 国立歴史民俗博物館につきましては、先生お話しのようにこの十六日に開館式を予定をいたしておりまして、十八日から一般に公開をするという運びになっておるわけでございます。  おっしゃいますように、国立大学共同利用機関として五十六年に設置をされておりまして、その目的は歴史学、考古学、民俗学というような分野につきましての、国立大学のみならず全国の研究者の研究上の一つのいわば拠点として発展をするとともに、その研究成果というものを展示を通じまして広く一般公衆に公開をし、文化向上にも資していくということを目的としたものでございます。  設立以来、優秀な研究者が館の教授あるいは助教授として現に就任をしておられまして、それぞれ活動が緒につきつつあるわけでございます。ただ、性格上博物館という事業自体も非常に重要でございますし、その開館に対する要望も強いものでございますので、当面はどういたしましても展示のテーマを中心とした努力が中心になっておるわけでございます。  それで、展示の考え方といたしましてはテーマを中心に展示を進めていく、その各テーマにつきまして館外の協力者の御協力もいただきながら研究しつつ展示計画を立てていくというような形で準備が進められておりまして、この十八日には歴史関係の古代、中世の部分につきまして主として一般に公開ができるのではなかろうか、明年度以降、歴史部門の近世あるいは残されました考古、民俗といったような部門についての展示を急ぎまして、できれば五十九年度中には展示自体は一応完了したいということで準備が急がれておるわけでございます。  もちろん、この間展示テーマ等とも関連をいたしまして、各種の共同研究事業というものも進みつつございますし、資料の収集等の諸活動がなされているというのが現状でございます。
  99. 鳥居一雄

    鳥居分科員 それで、将来の計画として大学院教育への協力を歴博としてやっていこう、あるいは国際交流の上で役割りを果たそう、これはどういうことをお考えですか。
  100. 大崎仁

    ○大崎政府委員 現在、国立大学共同利用の研究機関といたしましてすでに幾つかの研究機関が設置、運営されているわけでございますが、それに共通いたしますのは、日本におきますその分野の研究の一つのセンターとしての活躍をすると同時に、その持っております設備あるいは優秀なスタッフが大学院教育に積極的に協力をするということも重要な使命とするという点にあるわけでございます。  それで、歴史民俗博物館につきましては、まだ残念ながらその段階に至っておりませんが、将来はやはり非常に重要な資料がここに集まるわけでもございますし、それからそれにつきましての優秀な第一級の専門家、研究者が集まるわけでもございますので、この分野につきましてはぜひここで指導を受けたい、あるいは各大学から指導を頼みたいというものにつきまして積極的に受け入れまして、大学院教育あるいは研究指導の一端を分担をしていただきたい、また館自体としても積極的にそういうものを受け入れたい、こういう計画になっております。
  101. 鳥居一雄

    鳥居分科員 質問を終わります。ありがとうございました。
  102. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて鳥居一雄君の質疑は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  103. 中野寛成

    中野(寛)分科員 私は、きょうは教科書問題についてお尋ねをしたいと思います。先般、一般質問のときに時間が足りなくて教科書のことについて触れることができませんでした。そのことを続けてお尋ねをしたいと思います。  この教科書の問題が、一昨年来特に国民の関心を集めるようになった。それは例の歴史教育に関する教科書の記述、これが韓国や中国の方から指摘を受けるということがあったというだけではなくて、むしろそれ以前には教科書の左翼偏向ということがやはり指摘をされて、教科書の中立性を守るためにどうしたらいいかということを国民的な課題として考えるべきだという意見が強くなったことからむしろ始まっていると言っても過言ではないというふうに思うわけであります。この教科書の偏向の問題についてどのようにお考えであるかをまずお聞きしたいわけです。  たとえば、この前の韓国や中国に関する日本の歴史の問題は、ある意味ではこういう現象を生みました。いわゆる愛国主義者的といいますか国粋主義者的といいますか、そういう人々は、教科書の問題は、どういう教科書をつくろうがこれは日本の主権の問題である、諸外国からどうこう言われる筋合いはないというふうに息巻いておりましたし、そうかと思いますと、もっと国際的に視野を広くしてという人たちは、それは別に外国からの干渉に屈服するものではない、むしろ外国から指摘されるまでもなく、みずからいいことはいい、悪いことは悪いと書くべきだし、その一環として指摘された問題も当然是正さるべきだと言いました。  また一方、その指摘の問題とは別に、現在の教科書については、たとえばこういう傾向はないのか。すなわち、日本の現在をできるだけ問題があるように書くという傾向はないか。また反政府、反体制的な空気を、デモの写真を入れたり、またいろいろな記述の中で、いわゆるそういう運動が盛り上がっているというふうな記述をすることによってこれをあおるというような内容はないか。また、資本主義の問題点を指摘する、たとえばその結果として公害問題等が派生をする、こういう記述はたくさん見受けられるわけでありますが、一方、それに対して社会主義の問題については比較的それが理想的な社会であるかのように記述されているということはないだろうか。また国際問題に関して、たとえばソビエトなど共産主義国に甘くて米国など西側諸国に厳しい記述をするという傾向はないか。このことについては、たとえばビキニ環礁における水爆の実験等々については詳しく教科書に記述をされておりますけれども、たとえばソビエトや中国の核兵器の実験について記述されている事例をほとんど見ることはできませんし、そしてその結果、多くの日本人が雨が降れば死の灰がその中に含まれているというふうなことでいろいろと心配をしたケースがありますが、そういう記述を見ることはほとんどありません。  こういうふうなことに加えまして、もう一つは、たとえば権利については基本的人権を含めて多くの記述がなされております。しかし、国民の義務について、納税の義務に始まって勤労の義務、いろいろな義務があります。またそれ以外に、たとえば公共の福祉その他、国民が守るべき義務について触れられている事例をほとんど見ることはできません。むしろどういう義務が国民に課せられておって、それがお互いの権利を守るためにどれほどその義務を守ることが必要なのかというふうなはっきりとした説明をつけての記述というのはなおさら見かけることはないわけであります。  これらのことについて、私どもは今日まで幾たびか指摘をしてまいりました。文部省として、特に文部大臣として教科書の現状についてどうお考えであるのか。そしてまた文部省の御担当の方からで結構ですから、今日までこの偏向問題についてどのように対処をされてきたのか、このことについてお伺いをしたいと思います。
  104. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 中野先生のお尋ねでございますが、これは教科書の検定制度の成り立ちから申しまして、著者と発行者との関係で、著者がまず書きましたものを検定基準によりまして文部省が検定を行うというたてまえになっておるわけでございます。そこのところが一つございます。  それからわが国の現状について詳しく書くということは、たとえば資本主義について詳しく書くというふうなことを考えてみますと、わが国が資本主義体制をとっているという観点からおのずからその現状については詳しく触れるという点があろうかと思いますが、社会主義に関する記述はどちらかといいますと若干簡略になっているというふうな御指摘がございます。簡略になっておりますために記述の説明が不十分であるというふうな点の御指摘はあろうと思いますけれども、検定の趣旨から申しまして、検定基準に適合するかどうかという判断をいたします場合に、この点が非常にバランス上不相応であるということが明確でありますれば、たとえばこの間問題になりました侵略の記述につきましては、文部省といたしましては、侵略と進出という表現が、同時に中国に対する戦争行為でありましても、ヨーロッパの列強の場合の中国に対する行為につきましては進出と書き、あるいは日中戦争については侵略と表記をしている場合に、これは表記のバランス上どうであろうかという観点からつけているものでございます。いま御指摘になりましたようなものの取捨選択ともなりますと、これはやはり著者の取り扱います日本の現状に対する認識と申しますか、社会主義あるいは資本主義に対する認識と申しますか、そういうものが根底になっておりまして、それを基礎としながら教科書としてより適切なものに改めるという観点から検定基準に従って改善意見なり修正意見を付していくという立場から申しますと、でき上がったものはある観念から見ますといろいろな御批判があろうかと思いますけれども、文部省としてはその著者の立場を尊重しながら、検定基準を活用いたしまして、できるだけ客観的かつ教育的な配慮を加えて行うということになっております。  また、権利義務の問題につきましても、これはやはりそのときどきの社会の考え方と申しますか、そういうものが著者に反映し、あるいは発行者に反映いたしまして、それが全体といたしまして教科書の中へあらわれてくるという観点があろうかと思います。そういうものは教科書が検定制度をとっております以上はやむを得ない問題でございまして、あるいは政治的な立場、宗教的な立場、いろいろな観点から検定を行いまして、できるだけ公正な適切な検定によって教科書が適切になるように努力をしていくというのが文部省の立場でございます。これまでいろいろな御意見をいただきましたものは、これが先生の御意見によってどうなったというものではございませんで、その御意見の趣旨は著者なり発行者の方に響く場合もございますし、あるいは検定基準の中で生かされるというものもございまして、そういう総合的な立場から検定基準をできるだけ適切に運用して、よりよき教科書にしていくというのが私どもの立場でございます。
  105. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 申しわけないのですけれども、私は余り教科書を読むいとまがなくて、現在の小中学校、高校等の教科書をよく見ることはまだやっておりません。しかし、教科書は基本でありますから、できるだけ中身がどうなっているかということを目を通したいと思ってやっておりますが、時間がなかなかとれなくてまだ一部しか見ておりません。いまおっしゃったようなことは従来から常に言われておったことでございまして、たまたま先般もあるテレビの対談を、ちょうどこの学校に関する問題でありましたから聞いたのでございますが、教科書にまだ偏向があるという座談会で、特定した名前は申し上げませんけれども、相当の人たちがお話しされておりました。それによると、いまお話しのように、たとえば広島に原爆を落としたアメリカの行為に対しては非常に詳細にけしからぬというようなことが書いてあるけれども、ソ連軍が満州へ行って何十方というわが同胞を抑留したり虐殺をしたようなことはほとんど触れておらない、あるいは北方領土を占領していることは余り歴史記述にない、非常にへんぱじゃないかという話を座談会で聞きまして、まだ私はそういう点も教科書を見ておりませんが、ああそうかなという感じを持って聞いておりました。  そこで、いまの権利義務の問題、これは憲法に大きくかかわりがありますから、社会科にどういう記述があるかということは、まだ全部じゃありませんけれども、ある程度、小学校中学校、高校の社会科の教科書をちょっと見ておりますけれども、その記述全体といたしましては、私は率直に申し上げて、憲法に沿っていいことが書いてあるな、こういうふうな感じを持っております。持っておりますが、常に申し上げることでありますけれども、いまのいろいろな社会の現象を見ますると、文章にいいことは書いてありますが、教え方がどういうふうな徹底された教育になっておるかというと、やや私は疑問を持っておるというのが偽らざる心境でございます。  教科書の検定のあり方についていま初中局長から御説明申し上げましたように、公正な、いわゆる中正なと申しましょうか、偏しない教科書をつくるということを中心に努力をしておるということは私も信頼をしておるわけでございますが、今後ともいま中野さんのお話しのようなことを注意してやっていくべきものである、かように考えております。
  106. 中野寛成

    中野(寛)分科員 大臣も御就任後日が浅いということで、まだ十分見ていないということでございましたけれども、しかし、少なくとも行政に停滞があってはいけないわけでありますから、ましてやこの重要な問題、いま国民的な関心の的になっている問題でございますから、大臣としてもぜひその実態をつぶさに御検討いただき、そして大臣の指導性を持った対応を切望したいと思うわけであります。  さて、次に進みますが、教科書検定基準の必要条件の一つに、教育の政治的中立ということがうたわれております。ゆえに、経済の項ではどの教科書にも資本主義と社会主義の体制の比較は載せられております。しかし、政治の分野において民主主義と全体主義の体制の比較について記述を見ることはまずありません。これもやはり教育の政治的中立の条件に反するというお考えなのかどうか。私は、民主主義と全体主義の考え方、これは言うならば物事の判断の基礎になる、そういう考え方だと思うのですが、このことについてはどうお考えでございましょうか。  ちなみに、たとえば先般来憲法に対する大臣の御発言がいろいろと報道をされております。しかし、少なくとも日本国憲法の精神について大臣も否定されているわけではない。もちろん、日本国憲法のよさをより深く子供たちに認識させなければいけないというお気持ちを大臣もお持ちのようであります。ならば、まさに日本人として誇るに足る憲法を持っている、そういうことを十分に子供たちに教えようとするならば、自由である、民主主義である、そういう体制と全体主義の体制とを比較する、そして日本国憲法というのはまさに自由であり、民主主義体制である、そのことをきちっと規定しているものなんだということを教えることは、これは憲法の精神を正しく子供に認識させる上においては必要なことですね。しかし、このことについて私どもは教科書にその記述を見ることはできません。これもやはり政治的中立という教育の条件に反しているということなんでしょうか。いかがでしょう。
  107. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 指導要領によりましては、小学校の社会科の六学年におきまして、「我が国の民主政治が日本国憲法の基本的な考え方に基づいていることを具体的に理解させる」という項目がございます。中学校高等学校につきましても同様な事項がございまして、憲法に基づく議会制民主主義の理解につきましては、小中高等学校を通じましてよく理解させるような指導要領の内容になっているわけでございます。  また、教科書につきましては、これはいろいろございますけれども、わが国の議会制民主主義の政治体制を理解させるためにいろいろな角度から記述を行っているわけでございますけれども、民主主義のすぐれた点について触れているものがほとんどでございますが、御指摘のように比較をいたしまして、全体主義との比較という観点から記述を行うことも具体的に民主主義のすぐれた点を理解させるという意味では必要な観点かと存じます。まあ二、三の教科書でございますけれども、政治体制の違いといたしまして、自由主義的政治体制と全体主義的政治体制というものを比較して記述をしているものもございまして、この議会制民主主義の理解のためにいろいろな工夫をしながら具体的に教科書としては工夫をしているということでございます。
  108. 中野寛成

    中野(寛)分科員 局長の御答弁では、自由主義と全体主義という比較を記述している教科書もあるということですが、これはきわめて希有な例だと思います。これはまさに基本なんですね。政治に対する物の考え方の基本のはずです。しかし、これらについて触れられることはない。民主主義、それも権利を主張するという立場での民主主義、こういう記述にむしろ重点が置かれ過ぎている。これに重点を置くことは、過ぎることはありませんけれども、しかし、比較して全体主義の問題もやはり触れていくことが本当は必要なことなんではないか。そこに恣意的なものをわれわれはやはり感じざるを得ない、こう申し上げざるを得ません。  これらのことについて、先ほど私が御指摘を申し上げた一連の偏向についての指摘、こういうことについても、大臣は十分読んでおられないとおっしゃるけれども、恐らくいろいろな形で耳にしておられるし、そういう傾向があることをむしろ認識しておられると私は思うのですが、しかし、これらのことについて何か一言発言をいたしますと、その発言そのものがまた逆偏向であるように論議をされる。私は、日本教育を守っていく上において大変残念なことだと思うのです。  で、これらについてはやはり検定制度そのものがもっと、それこそ民主的に、そして国民の目の前に明らかに公開をされる。どの段階で公開をされるかは別です。それはそれとして情報の公開についてのいろいろな原則もありますから、そのことは十分認識をいたしておりますが、やはり検定制度の密室性に一つの問題があるんだということを文部省としてもお考えをいただかなければならないと思います。  ちなみに、現在の検定制度ではどういうことが指摘されているかといいますと、たとえば、検定制度については学校教育法二十一条に規定があるだけで、検定基準、検定の方法などについては行政組織立法や行政措置にゆだねられているわけであります。そこに民主主義の基本ルールである法律主義というものが失われているんではないか。そして行政サイドの一方的な判断に陥るおそれがあるんではないか。すなわち、それは検定ではなくて、実質上の検閲という形になっていってはしないか、こういうふうに指摘をされるゆえんなわけです。そう言われるものですから、またそれを恐れることによって本来の検定に手心が加えられる、今度はいわゆる逆効果さえ生んでいる。事なかれ主義の文部省、こう言われても仕方がない。現在の青少年非行の問題だって、やはり学校現場、そしてひいては文部省の事なかれ主義が今日の事態を生んだのではないのか、このようにさえ思うのです。私は法律で、国民を代表する国会できちっと審議をした法律によってこれらのことが明記され、そしてそれに基づいて運用されていくということであるならば、これはだれも文句の言いようがないわけであります。こういう基本に立って物事を考えていかなければならないんではないだろうか。現在の検定の制度ですと、国民に開かれたものだとどうしても考えられない。  たとえば先般の侵略か進出か、このことにいたしましても、その後のいろいろな分析から判断をいたしますと、新聞記者ができ上がった教科書を手分けをして読んだ。そしてまたそれに加えて、一部の著者や出版労連などの情報から内容を判断をして虚報を生むという事態になったのだという考え方も出されております。そしてまた検定審議会の委員にも、審議会での意見が教科書にどう反映されたかというものが知らされていない。これは検定審議会の委員であった人がみずからそう言っているわけであります。  ところが一方、日教組は独自に教科書を事前に入手する、そして教科書採択に当たっての全国での教科書の展示会の前に教科書白書を発表する、こういうことですね。こういう白書がちゃんと本になって出されているわけですね。それによって、文部省は非公開だとしているけれども、結局特定の人はわかっているわけですね。そしてむしろ国民は知らされない。果たしてこういうことでいいんだろうか。検定審議会というのは文部省の隠れみのじゃないか。その審議会の委員の人選さえ基準はあいまいじゃないか。並べ立てますといろいろな指摘がなされているわけであります。  また現実に、審議会だって毎年二回開かれるだけ、しかも会議は午後だけ。委員はそこでせいぜい二、三点のことが発言できるだけだ。本当の審議会ではないのだ。これも審議会の委員の方々の御意見の中にあるわけであります。  こうなりますと、結局教科書調査官にすべて任せざるを得ない状態になってくる。こういう状態で果たして検定というものは民主的に公正に行われていると言えるだろうか。もし教科書調査官が使命感に徹してそうしていますと言ったって、制度上は必ずしもそういう運用がなされているとは言われない、そういう誤解を生みかねない制度になっている、運用になっているということだけは事実だと思うのです。ゆえに私どもは、教科書法をつくり、そして国民全体の教科書として、われわれは国民共有の財産として教科書を持ち得る、十分みんなが納得して教科書を持ち得るということにしていかなければならないと思うのです。これについては、私はむしろ政治的な判断も含めての高度な判断が必要であろうと思いますから、大臣がまだ就任早々日が浅いという御認識ではなくて、大臣の明快な御答弁をお聞きしたいと思います。
  109. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は就任早々で素人だからかえっていいんじゃないかと思っておるのです。お互い、人間の性質上、物事は型にはまってしまいます。一生懸命まじめにやっておるつもりでも、間違っていることがあるのです。物事というのは大体そういうものです。ですから、たまには素人が見てもいいんじゃないかという気がします。さればと言って、素人がいろんなことを知らないで物事を——組織的にやりますから、知らないで一知半解で妙な結論を出しても、またこれは大きな間違いを起こすという点は注意しなければならぬところだと思っております。  いま教科書の検定の問題でいろいろ御指摘がございました。各方面からもいろいろ聞いております。義務教育がきわめて重要だということ、それはとりもなおさず教科書がいかにあるかということがきわめて重要だということだと思います。でありますから、私は検定制度について、いま検定をどうするかということはありますけれども、いわゆる検定制度ということは、結論から言いますと必要だと思うのです。昔の国定というような、国が教科書を一定してしまうということは必ずしも適当でないという考えを持っております。でありますから、中正なといいますか客観的な教科書がこれら常識を養おうとする小中高校ぐらいの教育には必要である。  ただ問題は、おっしゃるように、検定の作業がどうなっておるかということであります。国民全般といいますか一般は、余り詳細に認識しておらない。もちろん、これは密室性とかなんとかよく言われますけれども、そういう意味でやっておるわけではございませんが、そういうことをよく言われる。御承知のとおりに、学校教育法あるいは文部省設置法とかその他の法律に従ってこれは規則をつくってやっておるわけでございますから、勝手にやっておるわけではございません。しかし、そうは言いながら、それじゃ具体的な検定のあれはどうかということに国民はよく理解がいっておらないと思うのです。  そこでいろいろな問題が起こっておる。民社党さん、あなたの方で主張されておる教科書検定法というものをつくるのがいいのかどうか、検討を要すると思います。また、この検定の作業を公開するということも、いろんな支障が起こる場面もあるようでございます。でありますから、そういうことを考えて、よく公開、公開ということでございますけれども、それは必ずしも適当でないという取り扱いをしておるわけであります。しかし、いろいろこういう問題がありますから、教科書全般についてもあるいは教科書のあり方についても現在、御承知だと思いますが、中央教育審議会にも検討してもらっておりますから、そういう検討を承ってから、もう少し国民が信頼し得る教科書づくり、検討制度というものにいい方法があれば改めるべきだ、かように考えておりますから、そういう考え方で今後進みたい、かように考えております。
  110. 中野寛成

    中野(寛)分科員 終わります。
  111. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて中野寛成君の質疑は終了いたしました。  次に、寺前巖君。
  112. 寺前巖

    寺前分科員 私は、きょうは、去年もやらしていただきましたが、国民体育大会をめぐるところの二、三の問題についてお聞きしたいというのが一つです。それからもう一つは、心身障害児幼稚園助成制度というのがございますが、これをめぐる問題について一言聞きたい。この二つについて質問をしたいと思います。  言うまでもないことですが、国民体育大会というのは、その名称が示すように、本来国民スポーツ振興に奉仕するものでなければならないと思うのです。その国民体育大会が、国威発揚の手段として特定選手養成本位のスポーツという方向に流れていくならば、これは本来の性格から逸脱するものと言わなければならないと思うのです。  この問題については長年いろいろ論議がされてまいりました。したがって、最近も国体の改革委員会なるものがつくられまして、そこでは、広範な人たちが参加できるようにするために二部制を検討したらどうだろうか、あるいはまた中学生まで検討したらどうだろうかというような話も出てきております。中学校生徒の問題については、賛成と言う人もあれば、また「これがために正課体育の中に悪い影響を与えてはいけないじゃないかということを論ずる人もあります。国民体育大会というのは、やはり名称が示すがごとくいろいろな検討しなければならない問題を持っているから、一巡後どうするかということは大きな関心事になるというふうに言えると思います。それらの論議の問題をここで短時間でやっているわけにはいきませんので、私は、いまそういう中で起こっている二、三の問題に限って聞きたいと思うのです。  そこで大臣にお聞きをしたいのですが、いま国の分野においても財政が非常に逼迫をしております。これは御多分に漏れず地方自治体においてもそういうことが言えると思うのです。そういう段階でこの国民体育大会を迎える都道府県あるいは市町村においては、競技種目の問題をめぐってもう少し検討したらどうなんだろうか、民主的に、自分らの町に、県に役立つようにあってほしいなという希望があります。ですから、種目を決めるに当たってはみんなが納得のいくようにやらないと、財政が逼迫しているだけにいろいろ意見が出てくるのは当然だろうというふうに私は思うのです。また、自治体の財政負担の軽減を図る方向で、既存の施設を、あるいはできるだけお金のかからない諸対策をということが出てくるのも当然だろうと思うのです。それから、昔からジプシー選手とまで言われたものですが、教育現場に悪い影響を与えるような、混乱を持ち込むようなことになっては大変だ。私、去年指摘したのですが、自分の県の成果を上げるために、すべての種目にわたって選手がおらない、そこで特定の選手、自分の県の出身の人を戻してきて教育委員会に入れる、学校の先生に入れる、そのために体育の先生が急にふえて、向こう十年間採用されないというような不自然な結果が生まれるという事態も起こってきたわけです。あるいはいま地方選挙が展開される、あるいは参議院、衆議院の選挙が展開される。そうすると、このスポーツの場を政治的なものとして利用されては困る、こういうような問題は当然起こる問題だ。  したがって、国民体育大会というのはスポーツ団体の自主的な運営というだけでなくして、文部省がちゃんとかんで行っている大会だけに、国民がいま持っているこれらの不安に対して、私は、率直に簡素でみんなも納得のいくやり方をすべきであるという態度をまず示されるべきではないだろうかと思う。  かつて佐賀国体をめぐっての問題が国会でも論議になりました。当時の永井文部大臣は、地方財政の事情はよくわかる、ですから国民が参加する自主的な大会になるようにその点については十分考えなければならないということを指摘しておられたものですが、私は、今日の事態の中で、先ほどから言いますように、民主的な運営、財政については自治体がそれにたえられるように自治体の意見を十分尊重するということ、あるいは教育現場にいろいろな弊害をもたらさないように、そして政治的に利用しないようにというこの希望に対して、大臣は一体どういうふうにお考えになっておられるのだろうか、基本的姿勢としてお聞きをしたいと思うのです。
  113. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 国民体育大会が開催されるようになりまして、私、はっきり年月を覚えておりませんが、ほとんど各県一巡するようになった。これは国民的な行事ということで定着してきつつあると思います。しかもそのために、国民体育スポーツ振興に非常に重要な役割りも果たしてきておる。ところが反面、これは数年前から私どもも間接的に聞くわけでございますが、華美に流れると言うと恐縮でございますけれども、はでに流れる。そのかわり、いまおっしゃるように府県、市町村の財政に大きな負担をかけておる。こういう問題がだんだん世間でも言われるようになって、体育であるからもう少し簡素にできないか、当然のことであると思いますが、だんだんそういう傾向に進みつつあると思います。  民主的というお話でございますが、民主団体的にやっておるわけでございますから民主的にやっておると思いますが、各種スポーツ団体との関係もあるそうでありますので、細かいことは局長から御説明をいたさせたいと思います。
  114. 西崎清久

    ○西崎政府委員 ただいま先生のお話のように、国民体育大会地方文化振興、それからスポーツ振興のために、開かれた、国民が大ぜい参加するものでなければならないという点は、私どももそのとおりだろうと思います。従来から参加につきましては、御案内のとおり、加盟競技団体のメンバーでなくてもそのときに参加申し込みをすれば参加できるとか、高校生で外国籍でも参加できるとか、いろいろ改善を図ってきたことは御案内のとおりでございます。  まず実施種目の点につきましては、体協が定めております大会の開催基準要項の中で、細則で種目が四十種目、人員が約二万七千人というふうに定められておりますが、開催県の内定、決定時において開催県を含めて主催者間で協議をするというような形の項目も入っておるわけでございます。しかし実質的には、協議の結果といたしましては、大体細則に定められております実施競技が人員とともに採択されておるという結果になっていることは事実でございます。  それから、あと施設の問題につきましては、私ども、昭和四十九年に通達が出ておりますが、大会に定める細則の実施基準に満たなくても、いろいろと工夫をして開催が差し支えなければそれで施設を利用すべしというふうなことで、質実な大会運営を心がけるようにというふうな指導もしておるわけでございまして、そういう点につきまして、六十一年の京都国体としての二巡目以降これがどういうふうに固まってまいるかということはこれからの問題でございますが、体協でもいろいろ検討が行われておりますので、文部省としましてもその推移を見ました上でいろいろと協議を重ねてまいりたい。これが基本的な考え方でございます。
  115. 寺前巖

    寺前分科員 先ほど局長さんのお手元に、私ちょっと開催基準要項を整理をしてみたのですが、それをお渡しをいたしました。ごらんをいただきたいと思うのです。  いまの性格を具体的に執行するのがこの開催基準であり、要項であり、そして細則になってくると思うのです。これの改定の変化を見ますと、私はやはり考えさせられるものがあると思うのです。  第四次の昭和四十一年の改定のときには、関係する都道府県の諸条件を考慮して国体委員会で何の種目をやるか、規模はどうするのかということを決めて、人数は多くならぬように一万二千から一万千をということを基準にしておったのです。ところがその次に、昭和四十八年になりますと、「主催者間の協議で決定するが、次の基準の参加人員から選択される。」ということになって、一万六千五百、一万千五百、一万千五百というふうに、総枠をずっとこうやって整理をするのですが、やはりふえてくるのですね。しかし、まだこの段階は主催者間の協議ということが非常に位置づけられているのです。原則として全都道府県で受け入れられるものでなければだめだ、ないのがあるのにそれをやるというようなことはいかぬということで、これは地元を十分尊重したと思うのです。  その次の昭和五十一年の第六次改定になりますと、ここでは「考慮し、主催者間の協議で開催県内定時に決定する。」内定時に決定するということで、その内定時にはどういうことになるかというと、その八項のところに「原則としてすべての都道府県実施されている競技とする。」ということで、やはりここでも全国に広がっているものでなければならぬ、しかも、主催者の選択権をここには指摘をしているのですね、昭和五十一年までは。  ところが昭和五十四年になると、ここでは規模が消えてしまうのです。この昭和五十一年のときは、細則をずっと計算すると、規模は一万八千九百三十四人なんです。ところが昭和五十四年になると、今度は規模についての決定権というのは、ともかく四十都道府県実施されているものということになると全種目ということになってしまうのです。やっていない県でもやりなさいということになってくるわけです。だから、海のない県は海のあるところに行ってやりなさい、特例はあえて書いてあるけれども、全種目にわたってやりなさい、こうなって、人数をずっと細則で計算すると一万九千九百五十とふえてくる。  そうすると、私この第四次の昭和四十一年から昭和五十四年の歴史をずっと振り返ると、人員の枠はどんどん広がっていく、それから都道府県が小さい県であろうと大きな県であろうと、今度は選択の自由はなくなってしまって、ふえる一方なんです。いま体協の改革委員会でも問題になっているように、やはりできるだけ参加させる、させ方の問題はブロックやいろいろなやり方があるのだから、ともかくできるだけ参加させるということと、同時に、府県間の競争をやめたらどうだ、そこから出てくる弊害があるじゃないか、必ずしも全体の協賛を得ていないようですけれども、全体としてどんどん規模がふえていって、そこからくるところの弊害という問題を見なければならない段階に来ているのじゃないだろうか。そういう意味で、せっかく御検討いただいているのだったら、ここでぜひ指導性を発揮していただく内容としては、府県回りである以上は自治体の意見を尊重する、規模についても自治体の実態を尊重した上で決めていくべきだということで、自治体の選択権を保障してやるということをぜひ検討していただきたいと私は思うのですが、いかがでしょう。
  116. 西崎清久

    ○西崎政府委員 ただいま主として参加人員の問題と実施競技についての要項の沿革のお話をいただきました。要項の沿革につきましては先生お話しのとおりでございます。  そこで、実施競技の点につきまして私ども考えますには、実施競技につきましても、体協の中で国体委員会というものが設けられておりまして、国体委員会の構成としては学識経験者と開催予定県の代表の方々、それからスポーツ競技団体の代表の方々という方々が入って、開催要項の内容についていろいろ御議論をいただくわけでございまして、その御議論のプロセスにおいて、その時点その時点での御判断として、たとえば実施競技についても先生お話しのような沿革をたどって今日に至っていると考えるわけでございますが、その考え方の基本といたしましては、競技の種目というものがあるとすれば、できるだけ多くの競技が国体において実施されることが望ましい、これがやはり基本にあると思います。毎年、県の事情によってある競技が実施されないとか、県の事情によってはフルに実施されるとか、年度によって競技種目が余り変動を来すことは好ましくない、こういう考え方が基本に一つあると思います。それからもう一つの考え方としては、先生御指摘のとおり、県の事情によっては競技種目を少ししぼるとか足すとか、そこに変化を用いてはどうかという御意見もあろうかと思います。そういう二つの御意見をそれぞれ国体委員会の中で開催予定県の代表の方々も入って御議論の結果、いろいろ変遷をしてきて今日に至っておる。  今日の現状としては、実施競技については細則に定める四十種目を一応やってほしい。しかし、たとえば今度の群馬のような場合、山でございますからヨットは東京でやってほしいとか、一昨々年の栃木については千葉でヨットを、それから埼玉がボートだったと思いますが、当該県でなくてよその県でやることはもちろん結構だ、そういうアローアンスを置いて、できるだけ実施競技は従来どおり余り変動しないでやってほしいという考え方に落ちついてきているというのが現状だと思います。  したがいまして、この現状を踏まえ、今後二巡目以降にどうするかという点はまた体協の内部でもいろいろな御議論があろうかと思いますし、議論の検討が行われる可能性もあろうかと思いますが、今後の問題は別といたしまして、現状としては、いろいろ変化をたどりましたが、そういう考え方で若干の特例を他県でやることにして落ちついておるというふうに考えるわけでございます。  それから人員の問題でございますけれども、確かに先生御指摘のように、ある時期においては三種類の人員を選択するという開催要項になっておったわけでございます。ところが、内定の時点で決める時期にはどうしてもアッパーの方へいってしまうという結果が多うございました。しからば、その三種類設けても常にアッパーの方へ行ってしまうならば三種類設けることの意味がないではないかというふうな御議論が恐らく国体の委員会の中であったんだろうと思うわけでございます。そういうふうな御議論を経て、では三種類決めても意味がないとすれば、一応細則に定めた二万七千人ということを基準にして内定時にいろいろ三者協議して決めようではないかというふうな現在の姿に落ちついてきていると思うわけでございますが、この参加人員につきましては、現在二巡目以降の議論をしておられます国体委員会においても、絶対に現状以上はふやさないというふうな御意見がもう支配的であるというふうに私聞き及んでおります。したがいまして、二巡目以降の問題につきまして、人員の点について言えば、恐らくいまの二万七千人という規模をこれ以上ふやすような体育関係者、都道府県あるいは関係方面、学識者の御意見はないであろう。この辺をアッパーとするという御意見が大勢ではないか。それが私どもとしても望ましいというふうに考えておるというのが現状でございます。
  117. 寺前巖

    寺前分科員 私は、開催県の自治権を大切にしなければいかぬと言うのは、選手にいろんな迷惑もかかると思う。たとえば京都の場合で言いますと、福知山というところで競技をやる計画があります。そうすると宿泊施設をどうするんだ、そう簡単にいかなくなってくるんですよ。これは選手に迷惑かかって、旅館をつくるのかいということになる。私はそういうことを考えると、それは民宿でええやないかと言ったって、民宿で果たして選手の条件を満たすことになるんだったらいいけれども、そこにも新しい問題が生まれるだろう。ですからそういう諸関係を考えて、開催県の意見というものは尊重してやるようにぜひ今後の検討委員会の中でお考えをいただきたい。その基本は、自治権というものをできるだけ尊重するという立場をとっていただきたいということを重ねて提起をしたいと思うのです。  これと関連するんですが、自治権が同じ発想で自治体にまでかぶってくるとどういうことになるかというと、前は開催県の申請書にはなかったことですが、いまでは、昭和五十一年の六月改定以後ですが、会場地の市町村議会の決議書、添付書類が必要となってきているのですね。その添付書、先ほどちょっとお手元にお渡ししておきましたけれども、こういうことが書かされるようになってくる。ごらんいただいたらわかりますが、決議文の一番最後に、「本市を○○○○○の会場地として開催されるよう要望する」と書かされた。  たとえばある町では、重量挙げの問題について府県の協議の中で、おまえさんのところそれでやってくれんやろうかということで、これをめぐって、重量挙げなんて私どもの町でやる人はだれもおらぬのだけれども、そうおっしゃるんだったら器具は私のところで買わんならぬのですか、後々使い物にならぬ器具ですななんて言うて、町長さんと関係者との間に論議が起こります。それはそれでよろしいやろ。ところがそれより前に、国民体育大会を開いてくれということになってくると、そうやというんで、町の中からうちはソフトボールをやってくれという請願書が議会に出ておった。議会の方では、結構や、ソフトボールのあれを誘致しようやないかと、もうちゃんとそれより前に採択されているのや。僕は、それは自然だと思う、やりたいというのは。ソフトボールの熱心なところなんですから。ところが今度は、府でいろいろ調整してきて、おまえのところ重量挙げで何とかならぬやろうか、こうなってくるわけでしょう。あなた、どうなります。議会としてはソフトボールで一たん決めているわけや。決めているものに、今度は申請書出すときには重量挙げの会場として開催されるよう要望するなんて議会へバンとかけてきたら、一たん決めたことと違うことをお決めになることになりますやろ。これはおかしな話になりまっせ。  議会で一たん決めたものがあるんだから、僕はこんなことを添付書類として出しなさいという必要はないんだろうと思う。いよいよ開催することに、やるに当たってということになってきたら、これでいろいろ調整した結果協力してくれるか、協力しますというんだったら、自治体は僕は納得すると思いまっせ。だけれども、一たん決めていることと違うことへ決議を上げさせられるということになってくると、一体わしらの自治権を何ときめているんじゃ、こういうことになると思う。だから僕は、このひな形がもしもおたくの方で指導しておられるとするならば、これは明らかに自治権の侵害になってくると思うのですよ。改めるべきだと思うのですよ。そんな必要ないだろう、こういうやり方は。協力すると言うんだったらそれはまた議会は別や、こう言いよるんですわ。
  118. 西崎清久

    ○西崎政府委員 国民体育大会は、各種目別実施競技があるわけでございますが、市町村がそれぞれの種目を引き受ける場合は市町村が主催者として入るということでございます。そうしますと、先生おっしゃいますように重量挙げ、ウエートリフティングという種目を引き受けた市町村は、それはすぐ施設が、重量挙げで要るかどうか別でございますが、バレーボールとかいろいろな体育施設を伴うものがある。そうなれば市町村としても施設計画を立てて、建築を実施してつつがなく体育大会の競技が実施できるように整備をする必要がある。これは国、県も補助しなければいけないわけでございますが、そういう意味において競技種目を市町村が責任を持って実施していただく体制というのはやはり市町村財政とのかかわりが大きいわけでございます。そういう意味では議会の議決ということが前提として責任体制を持っていただくゆえんではないか、そういう意味でこの決議書を添付していただくということがいま行われているところが現状でございます。  ですから、先生おっしゃいますように、すでに議決しているというところでまた別の話で、府との調整で種目をまた異にするものを引き受けることになれば、異にした種目についての議決をしていただかなければいけない。それがやはり市町村として責任体制を持って実施をしていただくゆえんではないだろうか、そういうふうに余りトラブルがないことがもちろん望ましいわけでございますが、そのためには、都道府県が円滑に市町村間を調整していただくということが前提でございます。しかし、やはりそういう決議書をつけていただいて、市町村の責任体制を明らかにしていただくことが円滑な競技を実施するゆえんであるということで、現在この方式をとっておりますし、そのことが妥当ではないかというふうに考えております。
  119. 寺前巖

    寺前分科員 私の質問していることをよう聞いてくれなあかんわ。僕は決議を上げたらいかぬと一回も言っていない。自分の方からこれをやってくれと何で言わんならぬのや。調整の結果、これやってくれるか、よろしいという決議やったらそれはやりまっせと言っているのだ。だけれども、自分のところはほかのものをやりたいと言うておったのにまた別のものをやりたいという決議を上げさせられるという、そんなこと何でせんならぬだろうか。だから添付書類の形式の問題について、私はこんな自治権の破壊は要らぬことだろう、協力しますというのと違いますかと言うているのだ。
  120. 西崎清久

    ○西崎政府委員 このひな形について、これを文部省なり体協が示しているかという端的なお尋ねであるとすれば、これは開催要項には決議書を添付するということが書いてあるだけでございまして、このひな形はどこでおつくりになられたか、ちょっと私も初めて見る次第でございます。私どもでこのひな形を示す気持ちは現在もありませんし、その決議書の案文についてどのような形でそれが私どもに届くか、決議書であればそれは私どもは結構であるというふうに考えております。
  121. 寺前巖

    寺前分科員 その次に、これとの関係にまたなるんですが、国体参加者傷害補償制度というのが体協でおやりになっています。国体に御参加なさる人の問題で、傷害保険が民間のもあるし、これもある。しかも、この制度によって還元金で体協が強化されるということでおやりになることを否定しているのじゃないのです。  私がここで質問したいと思うのは、学校健康会という補償制度があるでしょう。この補償制度は、小学校中学校高等学校生徒がみんな入っていると思うのです。圧倒的に入っていると思うのです。これは、親御さんが自分の子供の傷害に対して、親権者として、親としてどうしていくかという問題としてお入りになっていると思うのです。ところが、そういう制度が国家的な援助のもとにちゃんとなされているのに、体育大会に参加する諸君に対して、任意でお入りになるのはどんな場合でも自由だと思うのだけれども、高等学校の子供の問題に対しては、体協を強化するためにおまえも一括してここに入らなければぐあいが悪いのだという指導はする必要なかろうと私は思うのです。基本的に学校健康会というのがございますから、それはちゃんと親御さんに入っていただいておりますから、なおこちらにお入りになっていただくならばまたプラスの保障になりますよ、そういう取り扱いの性格ではないだろうか。私は、そこをはっきりすべきだと思うのです。これが出発するときに全国的にもいろいろ問題になりました。文部省としてはそういう態度を明確にすべきだ。  時間がありませんので、もう一つの質問もあわせて一緒にやらせてもらいますが、心身障害児幼稚園助成事業というのがあります。私調べてみたら全国に八千九百七園幼稚園がありますけれども、この制度で助成を受けている県はと見たら二十六県、九百七十二名なのです。ところが、それでは私の京都ではどうなっているだろうかと見たら、百八十二園あって一つも助成してもらっていない。しかし、障害者はおらぬのだろうかと見ると、七十九園に百五十六人入っている。そうすると、せっかくこういう助成事業がありながら、全国にあまねくなっていないということは一体何だろうか。人の命は大切だし、障害者を持ったら親はたまったものじゃないのだから、たった一人でもめんどうを見るべきだ。ところが、この制度が全国の二十六県にしかわたっていないとするならば、この制度のあり方の上において再検討してもらう必要があるのじゃないだろうか。前は十人以上のところに助成した。八人に変化したのだ。前進があったことは事実ですけれども、いまこれの再検討をしてもらう必要があるのじゃないだろうか。  この二つの点についてお聞きをし、大臣の見解もあわせていただきたいと思います。
  122. 西崎清久

    ○西崎政府委員 前段の方は私からお答え申し上げますが、国体参加者の傷害補償制度につきましては、高校生参加者の場合、加入は任意であるということは、私どもは体協との間で打ち合わせ済みであります。その点の指導は、五十六年に出発しておりまして、五十六年七月九日の体育・保健・給食主管課長会議におきまして、スポーツ課長から、このような国体参加者の傷害補償制度が走り出すけれども、高校生については、健康会のこともこれあり参加は任意であるということを明確に指導しておるところでございます。
  123. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 お尋ねの件でございますが、これは先生御指摘のように心身障害の子供を幼稚園に就園させております場合に、国が都道府県のそのような事業、その都道府県がそれを奨励するための補助金を出している場合に補助をしているものでございまして、補助の考え方からいたしますと、ある一定の規模、一定数以上の子供を就園させている、そのことによりまして、教員の手当でございますとか教材でございますとか、まとまった経費が必要であるというところに対しまして、適切な教育を行うというような観点から補助をしているものでございまして、始まったときは御承知のように百三十六人であったわけでございますけれども、年々これがふえておりまして、五十七年度は千三百五十人でございます。  財政状況の厳しい中でこれを維持することはなかなか困難でございますけれども、五十一年度までは十人の基準でございましたものを八人に引き下げまして、いまこれを維持して努力しているわけでございます。都道府県補助の実態、就園の心身障害児の実態等を勘案いたしまして、今後検討させていただきたいと考えております。
  124. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 例の健康会の問題は先ほど申し上げたとおりでございますが、いまの、京都に百八十二園あるのに一つもないという事情をまだよく聞いておりません。いま初中局長から御説明申し上げたとおりでありますが、障害児の教育はなかなか手のかかるものでございますから、財政事情もありますから、勘案いたしまして今後できるだけ広げるように努力してみたい、かように考えております。
  125. 寺前巖

    寺前分科員 どうもありがとうございました。
  126. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて寺前巖君の質疑は終了いたしました。  午後一時から再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十七分休憩      ────◇─────     午後一時開議
  127. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  主査所用のため、その指名により私が主査の職務を行います。  文部省所管について質疑を続行いたします。沢田広君。
  128. 沢田広

    沢田分科員 大臣、お忙しいところ御苦労さまです。  順不同になりますけれども、一つは、過密県の高校増設の問題は、これは義務教育でないだけに大変苦労をしてきているわけであります。首都圏だけでも、東京都は今年度はわりあい少ないようでありますが、埼玉、千葉、神奈川は三万台の中学生が出る、こういう状況でありますから、たとえ六対四の私学と公立に直しましても、五、六十校の高校が必要になるような数字にもなりかねないのであります。そういう状態で、特別配慮はいままでしてきてもらっているわけでありますが、何にしても土地の値段が高過ぎてどうにもならぬというのが今日の現状だと思うのであります。  いまの進学率を考えた場合に、いままで以上に特別に配慮する必要があるのではないかというのが一つ。それから二つ目には、基地跡地などについて従来三分割方針ということで三分の一が留保されているわけでありますから、そういう点については大蔵省財産の払い下げの促進のために、小中の場合は二分の一補助がありますから無料になっていくわけでありますが、そうでない場合は現状価格で買い上げる、これはいまの逼迫した地方財政のもとでは窮屈な、大変な負担になるという状況であります。「十五の春を泣かせない」という言葉もありますけれども、ともかく雨の下で授業をするわけにはいかない。四十四、五人の一割増しをやってみたと仮定をしても、六対四にしてさらに三十校くらいの高校が必要になってくる、こういう状況ですから、その点に何らかの措置を講ずる必要があるのではないのか。  さらにもう一つの問題は、あと五年もたちますと、いまの小学校一、二年は十クラスが六クラスくらいに減ってきますから、大変な減少になってくる。そこが三十六人学級というような説が出てくるゆえんでもあるわけですけれども、その後は高校の生徒もがたっと減ってくる。いまも二年くらいからはどんどん減ってきて、一年、二年は減ってきて、来年もまた減ってくる。五、六年も続いた後は減ってくるという傾向にあるわけであります。  これらの事情を背景としつつ、当面する高校の入学で中学浪人をつくらせない、そういう措置を特別に講ずる必要があるのではないか。私なども、知事には将来はアパートになれるような構造にしてつくったらどうだというくらいな提案も実はしているわけであります。そのまま放置するのはもったいない。建物は堤外といいますか、堤防の外につくって、グラウンドは河川敷に、ゴルフ場に貸しているよりはその方がいいんじゃないかという説も出して、一度に三つの高校が大きなグラウンドを使う、共同利用するというようなことも考える必要があるんじゃないかという提案もしています。いずれにしても膨大な経費がかかる、特別にやはり国がめんどうを見なければならぬ実情にあるのではないかと思いますが、その点ひとつ、あわせてお答えをいただきたいと思います。
  129. 阿部充夫

    阿部政府委員 高校急増絡みの点についての御質問でございますが、全国的な状況から申しますと、高等学校生徒数昭和五十八年度から増加をしてまいりまして、六十四年度がピークということで、この間に増加生徒数は百十万人という大変な数に上るわけでございます。こういった関係から、現在各都道府県におきましては、高校生急増の実情に応じた高校の新増設あるいは学級増等の計画を年次的に立てておるわけでございます。  私どもが受けております報告によりますと、五十八年度から六十年度までに新設校にいたしまして約二百五十校、それから既設校の学級増等を加えますと、面積にいたしまして二百四十万平方メートル程度の建築が見込まれておるわけでございます。  こういった高校新増設に要する経費につきましては、従来地方債等で財源措置をしてまいったわけでございますけれども、昭和五十一年度から、高校急増という問題を控えまして、臨時的特例的な措置として、施設、建物の関係につきましては国庫補助を行うということにいたしたわけでございまして、現在御審議をいただいております五十八年度の予算案におきましても、大変財政状況が厳しい中ではございますが、前年度に比べまして一四%増という、現在としては非常に大幅な金額の、あるいは事業量増加を行っているところでございます。  そこで、先生御指摘の用地費の問題でございますけれども、学校の用地につきましては、従来から、建物の場合と異なりまして非償却資産であるというようなことから、その取得費は一般的に地方債で措置をするという原則に従ってきたわけでございます。現在特別のケースといたしまして、義務教育施設についての用地取得費の補助が行われておりますけれども、これも急増地域指定を受けた地域に限るというように、非常に限定的にいまは行っておるということでございます。こういったような事情あるいは現在の国の財政状況等から見ますと、御指摘ではございますけれども、用地取得費につきまして国庫補助を行うということは、当面きわめて困難なことだというふうに考えておるわけでございます。  しかしながら、御指摘のような事情があることは私どももよく承知をいたしておりますので、高校建設にかかる経費の中での高校用地取得費の重要性ということから、今後とも地方債の充当率、現在すでに九〇%の段階まで達しておりますけれども、さらにこの充当率を高めていただきたいとか、あるいはこの地方債について、政府資金による引き受けが現在四〇%程度でございますけれども、これをさらに高めたいというようなことを関係の省庁にお願い申し上げ、協議を進めているというような状況でございます。さらにそのほか土地税制についての控除の問題でございますとか、あるいは先生のお話にも出てまいりました国有財産の払い下げ等の問題等につきましても、関係省と協議をし、お願いを申し上げているところでございまして、今後ともそういった方向で引き続き努力をしてまいりたいと思っておるところでございます。  なお、御指摘にございましたように、急増期を過ぎました場合にあきが出てくるという問題がこれまた大変深刻な問題でございまして、各県におきましては、たとえば将来特別教室に転用できるようにあらかじめ計画をしてつくるとか、あるいは関西地区におきましては、将来社会に開放する社会開放事業に使うということをもともと予定して学校をつくっていくというようなこと等もいろいろ工夫されておるようでございますし、また各県それぞれいろいろな工夫を熱心にやっておられるわけでございますが、私どもといたしましても、こういった後始末についての考え方も十分やった上でつくっていくようにという指導を重ねてまいりたいと思っておるところでございます。
  130. 沢田広

    沢田分科員 将来の展望を考えてみた場合は、そういうことも含めながら——私の埼玉県で言うと大体二分の一に減ってきますね。十三万八千くらいから七万ちょっとくらいに定着してくるんじゃないかと思うのです。そうしますと私立の問題が当然起きてくるわけであります。半分の高校が浮くわけでありますから、それに関連して私学の振興の問題が今度は当然問題になってくるわけであります。これは高校、幼稚園その他も含めて一緒なのでありますが、その将来を展望した場合に、いま法人にして寄附をして、子供が来なくなったらどうしようかと悩んでいる人はたくさんいるわけです。文教委員会の審議では、私の資産に補助をしてはならないという一つの財政法がありますから、皆、私立はだめだから法人にしなさい、こういう指導をやっておると思うのですが、間違いありませんか。
  131. 阿部充夫

    阿部政府委員 個人立幼稚園についての御質問かと思いますけれども、幼稚園につきましては、学校教育法第一条の学校といたしまして学校法人によって設置することが原則であり、その方向に持っていくことが望ましいという基本に立っておるわけでございまして、現在、私学振興助成法におきまして補助の制度が特例的に開かれておりますけれども、それも法人立を目指して努力している幼稚園についてだけ補助する、こういう仕組みになっておるわけでございますので、基本的な方向といたしましては法人化が望ましいところであるというのが文教関係者のおおむね一致した御意見であろうと思っております。
  132. 沢田広

    沢田分科員 これは、望ましいとか望ましくないとかそうしてほしいとかという期待感ではなくて、法律上はどうなのかということをいま聞きたいわけです。  昔、開拓団が土地を造成して、転用して売れば、これは補助金について返済の義務を負ったわけですね。会計検査院も返済すべきであるという指摘をした時期もあったわけであります。だから、問題は、その補助を返済する義務を負うものなのか。ある参議院議員を通じていろいろな私文書が流れてきていることも承知いたしております。これは返さないでいいのだ、そのまま置いておいても大丈夫なのだ、心配ないのだ、ある意味においては、それだから政治献金してくれというようなことも聞かないではありません。そういう状況もありますけれども、法律的には果たしてどうなのかということをここできちんとけじめをつけておきたいのです。  もしやらなかった場合は返済する義務を負うのかどうか。それから、向こう三年延期したのですか、延期までに子供が来なくなってもし廃業するような事態になった場合に、法人の場合はどう処置されるのか、私の場合はその債務はどうなるのか。その三つ、お答えいただきたいと思います。
  133. 阿部充夫

    阿部政府委員 個人立幼稚園に対して現在行われております補助金について、法人化ができなかった場合に返済義務があるかどうかという御質問かと思います。  これにつきましては、前回国会で関係の法律を御審議いただきました際にも、学校の経常費としてすでに費消されておる経費でございますので返済を求めるつもりはないとお答えを申し上げております。
  134. 沢田広

    沢田分科員 では、これはしなくてもいい。だから、もらい得だからいまもらっておけ、こういうことの指導が私文書で出てきたゆえんだと思うのです。  今度は、その次の質問についてお答えいただきたい。法人にしました、子供がいなくなりました、その場合はどうなるのか、その点をお答えいただきたい。
  135. 阿部充夫

    阿部政府委員 御趣旨がよく酌み取れないのでございますけれども、補助金がどうなるかというお話でございましょうか。
  136. 沢田広

    沢田分科員 幼稚園そのものがつぶれてしまうのだから……。
  137. 阿部充夫

    阿部政府委員 これはもちろん、その間に費消された補助金でございますので、法人としてなくなる、つぶれた時期に返還という問題は起こらないと考えております。
  138. 沢田広

    沢田分科員 その点は、時間の関係でまた折を改めまして……。  ただ、そういういろいろな動きがあることについてはすでに御承知だと思いますし、私もそういう文書をいろいろと見せてもらって、文部省から来てもらって説明を聴取したこともありますから、あえてここでいまそれをとやかく言おうとは思っておりませんが、とにかく誤解を招くようなことはしないでほしい。教育の場であるということの基本的なものが、政略なり個人なりに利用されて補助金が出たり出なかったりということでいろいろと物議を醸すことは特に避けなければならないことである、そこはきわめて論理的に進めなければならぬことであろうと思いますので、そういうつもりでやっていただきたいと思いますが、その点の決意のほどを、イエスかノーかだけ。長いことは要りません。そのとおりだというならそのとおり、若干違いますというなら若干違います、そういうことでお答えいただきたい。
  139. 阿部充夫

    阿部政府委員 幼稚園に対する補助は大変むずかしい問題でございますけれども、私どもといたしましては筋を通して処理をするつもりでおります。
  140. 沢田広

    沢田分科員 そこで、今度は高校の先生の問題なのです。  これは大臣の方に聞かなくてはならぬのでありますが、いまの教育制度のもとでは各県教育委員会が採用を決定する。いまのような状況では各府県に非常なアンバランスが出てくる。このアンバランスをこのまま放置しておきますと、先生の異動が大変苦しくなっていくのではないか。私たちの時分、大昔は国の試験でしたからどこへでも異動が可能であった。ところが、いまは県の教育委員会の試験ですから異動が思うようにいかない。また別の県の試験を受けなければならぬということになりますが、その点については若干範囲を拡大する、あるいはブロック別ぐらいの配慮は考えていく必要があるのじゃないかと思いますが、いかがですか。
  141. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 県立の高等学校教員の人事につきましては、御指摘のように都道府県教育委員会が人事権を握っておりまして採用するわけでございます。したがいまして、その異動とか昇進、そういうものも都道府県単位で行われているのが現法制下における高等学校教員人事でございます。  ただ、教員の採用の時期等につきまして、ブロック等におきましては選考試験の期日を申し合わせいたしますとか、いろいろな形で広域的な採用の取り決め等が行われておりますし、あるいは都道府県間におきまして随時教員交流について人事担当者の協議等がございまして、交流のようなものも実際には行われておりますが、原則は都道府県単位の人事行政でございますので、それをブロック単位に広げるということは、現在の法制下であります限りできないということでございます。
  142. 沢田広

    沢田分科員 それは承知の上で、だからその経過は要らないのですよ。たとえば関東なら関東ブロック教育委員長連合会というか協議会というか、連合で採用を決めていく、それを各都道府県に配置するという道もあるだろう。要すれば、九州なら九州の教育委員長会議を開いてそこで決める、人事委員会と言うかどうかは別問題として、そこで考えていく、こういう道が現行法の枠の中でもあるのではないか。そして、その九州——九州はふえっこない状態ですけれども、脱法行為かどうかわかりませんけれども、たとえば、現在の法律を変えないでも可能なそういう一つの道もあるのじゃなかろうか。もし何ならば法律を変えて、ある程度の枠内の異動が可能である、こういう道を開くことも必要ではないか。もし、できないといま答弁するならば、検討してもらいたい。いかがですか。
  143. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 都道府県によりまして人事行政の方針でございますとか構成、教員の需給関係が違いまして、一概に隣の県と同じような状況ではないわけでございまして、たとえば東京都にのみ優秀な人材が受け入れられるというふうなことを防ぐために、各都道府県が協議をいたしまして、選考試験の期日等を同じくして平等に人材が配置されるというふうなことはやっておりますが、それ以上の人事行政に、各都道府県の人事権を共同で行使するとか、そのような必要性があるのかないのか等を考えますと、いまの時点では、都道府県内の人事行政がいろいろ配慮しながらやっておりますし、また交流につきましてはただいま申し上げましたような実際上の人事担当者の協議等によりまして行っておりますから、それほどの必要性はないのではないかというふうに私は考えております。
  144. 沢田広

    沢田分科員 もういいですよ。実情を全然知らな過ぎる。いま東京都へ試験を受けに来ているのは、鹿児島からであるとか長崎からであるとか、とにかく北海道であるとか新潟であるとか遠く、もう子供がふえないところでは教員の採用はないんですよ。ないところの大学卒業者は、能力のある者はやはり人のふえてくる埼玉であるとか千葉とか神奈川とか東京に来ざるを得ない、受けざるを得ない。地元で受けられて採用できるのならそれにこしたことはないのだけれども、もう受け入れる人数がいないのだから、子供が。だから結果的には、あなたそんなことを言っているが、全く認識不足だよ。どれだけ東京へ全国の人が集まってきているか調べてみなさい、あるいは埼玉に。そうした人たちはいつの日かは故郷に帰りたいという夢を持って来ているんですよ。それが事実でしょう。しかし現在は他の都道府県に行くことは不可能なんです。そこで居を構えて、そこで一生を終わるという原則、まあ年金もらってからは別でしょうが、そうならざるを得ない状況なんです。あなたの言っているのは全く認識不足だ。そういう実情にないんだ。だから東京都なんというのも本当にそういう人たちの集まりなんだ。だから、われわれのところへ頼みに来るのは、群馬の県境の学校へ行かしてくれ、茨城との境に、あるいは栃木との境に行かしてくれ、そうすればうちから通えるから、そういう異動の要請がありますね。しかし、それは一部ですけれども、あなたの言うような実態ではない。  だから、いつかはブロック別に再編成をしなければならない時期が来るんだから、いまからそういう準備にかかっていかなければいかぬのじゃないか。またその人たちに希望を与えていく道につながるんじゃないか。ふえるところもあるし減るところもあるのですから、そのアンバランスを、首切るわけにいかないでしょう、現実問題としては。それこそ二十人学級をつくっていくわけにいかないでしょう、半分に減るんですから。そうなってくれば、結果的にはそのほかの方法をとらざるを得ないとすれば、ふえるところあるいは過疎のところ、そういうところに教育サービスを普及をしていくということにならざるを得ないんじゃないですか。あなたは全然認識不足だよ。これは大臣、なれていないかもしれないけれども、全く認識不足だ、いまの実態の状況を。自分で間違っていると思いませんか。
  145. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 それは、教員の需給の状況都道府県によって違って、関東ブロックとかあるいは近畿でございますとか、そういうところに集中しているのは高等学校だけではないわけでございます。しかし、人事の単位は、いまの法制では都道府県単位に行っているということでございまして、その中でやはり何らかの工夫は行われているということを申し上げたわけでございます。
  146. 沢田広

    沢田分科員 これは時間をとりたくないんです、もう五分しかなくなったのですが。工夫をされるのじゃなくて、とにかくそれに対して道を開くような努力をしてほしいと要望したいのですけれども、その点は何とかそういう道を開くような制度を、これからすぐということじゃないですよ、考えていくということについてはいかがですか。
  147. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 文部省が、都道府県教育長協議会等のいろいろな研究部会がございますので、たとえば人事を担当するようなところと協議をいたしまして検討させていただきたいと考えます。
  148. 沢田広

    沢田分科員 次にPTAの問題なのでありますが、いま結論を言えば、PTAは果たして必要なのかどうかというような危惧を持つわけであります。いろいろな現実の課題を持ち、いろいろ佃題をわれわれも担ってきているわけでありますが、いわゆるPTAでなくてもいいのじゃないか、父兄会でいいのじゃないか、簡単に言えば。ティーチャーとペアレンツアソシエーション両方でなくていいじゃないか、ティーチャーなしで、校長なり教頭なり管理者と父兄とのつながりという会でいいのじゃないかという気がするのでありますが、その点はどういうふうに認識をされておりますか。
  149. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 PTAは、先生御承知のとおりにPとT、親と教師とのアソシエーションであるわけでございます。親と管理者だけでいいではないかという御質問もあろうかと思いますが、私どもの考えといたしましては、PTAは学校家庭を結ぶきずなとなっているわけでございまして、親も教師もこのPTAという中で相協力して教育に当たるということが望ましい姿だと思うわけでございます。
  150. 沢田広

    沢田分科員 もしアメリカから持ってきたPTAが成功しているとすれば——今日の非行少年の問題の原因は多くの要素を持っています。これは一つじゃない。たくさんの要素を持っていることは私も否定はしないのですけれども、やはりPTAを見直す時期になってきているのじゃないかということだけは、私は現実にそういうふうに感じているのであります。だからこのままでいいのか。PTAの会費もだんだん下がって、後援会に依存する傾向が強くなってきましたけれども、しかし、私らが現場で今日までいろいろ扱ってきた経過から見ると、一応PTAというものは運営方法について考え直す時期に来ているのじゃないかという気がするのですが、もしこれ以上現実に生生しい問題を提起してやらなければ考え直さないというならば、これはまた別の機会にそれを全部さらけ出して検討してもらうということになるのですが、あと二分なんですが、文部大臣はどういう認識を持っていますか。
  151. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 PTAは、いまお話しのように、戦後アメリカ式を持ってきてあるわけであります。趣旨は、学校の先生方と父兄と子供の教育相談しながらうまくいこうという趣旨で、趣旨は非常にいいのだと思うのです。ところが、全部私が承知しているわけではありませんけれども、過去においてもいろいろ見たり聞いたりしておりまして、また一面、弊害も出てきております。学校の先生方における欠点と言うとおかしゅうございますけれども、何か弊害もある。また、父兄側、P側の方も本来の使命外の方に走りがちだという欠陥がある。私は、この趣旨そのものは、考え方としてはいい考え方で始まったと思いますが、もう戦後三十数年たっているわけでありますから、考え直すといいますか、そのあり方については、PTAの連合会等もありますから、文部省としてはよく相談をしながら、本来の使命を達成して、いまのような子供の状態にならないように努力するのがPTAの仕事の一つであろうと思います。そういうふうに進めたいと思っております。
  152. 沢田広

    沢田分科員 ありがとうございました。それじゃ終わります。
  153. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて沢田広君の質疑は終了いたしました。  次に、鈴木強君。
  154. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 私は、小中高校生の校内暴力と少年非行の問題、それから山梨医科大学の開設準備の進捗状況、それから放送大学の開設の準備状況、それから山梨大学に社会科学部を新設していただきたいというこの問題について、質疑をいたします。  最初に、山梨大学に社会科学部を新設していただきたいという要望は長いこと続いておるのでございますが、現下の情勢にかんがみ、なかなかむずかしい点もあるようでございますが、これはぜひ将来の日本をしょって立つ学生のためにもと思ってわれわれは執念を燃やしてお願いしておるわけですが、ぜひひとつ新設方、格段の御協力をいただきたい、こう思っておりますが、見通しはいかがでございましょうか。
  155. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 国立大学整備の問題、特に山梨大学に社会学部をというお尋ねでございますが、高等教育の計画的整備という観点から、特に地方国立大学整備充実については、かねて私どももそういうことで努力をしてきている点でございます。しかしながら、昨今の財政状態というのは大変厳しい情勢になってきておりまして、特に予算並びに定員につきましても大変厳しい状況があるわけでございます。かねて山梨大学については調査は進めてまいってきておるわけでございますけれども、そういう状況を踏まえまして、私どもとしてはさらに調査はしていただかなければならぬ点ではございますが、そういう状況から見ますと、その問題については大変慎重に対処せねばならないのではないかというぐあいに理解をしております。
  156. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 大臣、これはなかなかむずかしい問題であることは私はよく知っておりますが、現在の山梨大学は旧工専のまま教育学部が入っておるわけです、師範学校が。理工系と教育学部、これだけでありまして、総合大学的な性格は持っておらないのですけれども、せめて社会科学部だけはつくりたいというのが県民の強い願望でございまして、ぜひ大臣におかれましてもこれから努力をして実現方、ひとつ御協力いただきたい、こう思いますが、一言お願いいたしたい。
  157. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 経過については、いま事務当局から御説明申し上げたとおり、よく御存じのとおりであります。ただ、いま御承知のとおり臨調等の意向等もありまして、非常にむずかしい時期に差しかかっておるというところで、文部省としてできるだけ需要にこたえたいという気持ちはあるわけでありますけれども、そういう関係もありまして、すぐここで承知をいたしました、こう言うわけにはまいらないということでございますが、せっかく調査を続けておることでございますから、今後とも検討を続けていきたい、こういうことでございます、
  158. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 大臣、臨調臨調とおっしゃいますけれども、臨調は文部省を目のかたきにしているのだよ。私はよく知っているのです。定員を減らせば全部文部省が持ってもらうとか、山梨医大の問題のときもそうですよ。私は行政管理庁にまで行きまして、ずいぶんやり合いましたよ。だけれども、生徒がふえていくし、教育はやはり高度な教育を望んでいますね。だから、そのためにあなた、人が要るのはあたりまえじゃないですか。そんな臨調あたりの考え方に巻き込まれては教育というものはだめなのです。少なくともあなたは国務大臣であり文部大臣ですから、こういう問題に、将来に向かって国民の期待にこたえて努力するぐらいのことは言えないですか。私はそれを期待しているのです。
  159. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 鈴木さんのお気持ちはよくわかるのです。私は臨調の話をしましたけれども、財政その他もありますから直ちにというわけにはまいりませんが、今後努力を進めていきたいということでございます。
  160. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 わかりました。よろしくお願いいたします。  それから局長、山梨医大の開設準備状況放送大学の方を、時間がありませんから簡潔にひとつ結論的に御説明をしてください。
  161. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘の山梨医科大学の進捗状況でございますけれども、年次計画によりまして順次講座の設置を進めてきているわけでございます。五十七年度末までに二十二講座を設置し、五十八年度予算案でさらに六講座の設置ということを予算措置をいたしております。附属病院につきましては、当初計画どおり五十八年四月に開設し、十月に開院をするということにいたしております。五十八年度予算案におきましては、そのための診療科十五科、病床数三百二十床ということについての予算措置を講じているわけでございます。医科大学整備については今後とも教育研究、診療活動に支障が生ずることがないよう努力をしてまいりたいと思います。  なお、もう一点お尋ねの放送大学準備状況でございますが、放送大学学園法案の審議に際してもいろいろと御議論いただいたわけでございますが、結論的に申し上げますと、学生を昭和六十年四月に受け入れるということで年次的に準備を進めてまいるということで努力をいたしているわけでございます。  具体的には、準備状況を簡単に申し上げますと、現在幕張地区に管理棟を建設いたしておりまして、これはこの秋完成をすることにいたしております。そのほか、教官の整備等につきましても必要の教官数の確保のために努力をいたしております。いずれにいたしましても、新しい構想の大学でございますので、この放送大学国民各層からの期待にこたえられるような中身となるよう、私どもとしても今後ともその充実に努めてまいりたい、かように考えております。  なお、五十八年度の予算措置の状況でございますが、五十八年度は放送大学学園補助と、ただいま申しました施設整備とを合わせまして、五十八年度予算案では三十三億八千六百万余りを計上いたしているところでございます。
  162. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 山梨医大の開設につきましては大変御当局の御高配をいただきましてここまで参ることができました。香川、山梨、福井とビリっこの方へ追いやられてしまった医大がようやくここまで参ったのでございますが、さっきも私、臨調の問題でちょっと申し上げましたが、ことしの予算の折衝段階でもその要員措置をゼロにするというようなべらぼうな査定がありまして、私たちは湯気を立てて怒りました。あれだけの準備をしておきながら、何たることかと私は憤激をした一人です。しかし、三百二十床の病床を十月から開設できるというので、これはもう山梨県民はもちろんでありますが、近県の人たちにとりましても大変な福音でありまして、感謝を申し上げております。  それで、要員の方は、病院開設に伴って、看護婦さんやそれから先生方ですね、教授、それから事務職等含めまして、何名になっておりますか。
  163. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 五十八年度の措置といたしましては、教職員合わせて二百七十六人について措置を講じております。
  164. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 それから、予算措置はできたそうですね、十五科、三百二十床。全体としては五十八年度予算は幾らになりますか。
  165. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 全体計画は六百床ということで整備をするわけでございまして、これは今後、五十八年度三百二十床の整備が行われまして、五十九年度以降に年次計画で整備を進めてまいるわけでございます。全体の六百床の整備が行われますと、全体計画で申し上げますと、施設関係で百九十四億、設備で五十億余りということになるわけでございます。
  166. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 わかりました。ぜひ予定どおり進捗できるように今後ともお願いします。  それから、小中高校生等の校内暴力と少年非行についてお伺いしますが、私ども最近でも東京の中学校生徒が鉄パイプを持って教員室になぐり込んで先生に乱暴したとか、また横浜では浮浪者を中学生が殺害したというような非常に残忍な憂慮すべきニュースを耳にしておるわけでありまして、全く日本はこの先どうなるのかという心配を、実は非常にしておる者の一人でございます。  そこで、お伺いいたしますが、最近の統計で結構ですから、小中高校生の校内暴力を含めた少年非行というものはどのように推移をしてきているのか。これは警察庁の方から来ていただいていると思いますから、お答えをいただきたい。
  167. 阿部宏弥

    阿部説明員 御質問の件でございますが、五十七年度で見ますと、小学生につきましては一万七千五百九十五人、中学生では十二万七千四百二十二名、高校生で六万一千六百四十四名、総計で二十万六千六百六十一名、こういうふうな状況でございます。
  168. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 その中で、校内暴力に該当するものはわかりますか。わかったらちょっと教えてください。
  169. 阿部宏弥

    阿部説明員 校内暴力関係でいいますと、中学生が七千九百五十二名、高校生が九百五十二名、以上でございます。
  170. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 小学生はゼロですか。——わかりました。  そこで大臣、こういう校内暴力なり少年非行というものが起きている原因は一体何なのかということですね。文部当局としてどういう御見解をお持ちでしょうか。
  171. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 この原因は、私の見方と申しますか考え方では、非常に複雑な原因が錯綜しておるという感じがいたします。これをよく分析して考えてみますると、まず全部が全部じゃないですから、その子供の素質にも原因があると思います。それから、家庭のしつけといいましょうか、家庭教育といいましょうか、その原因もある。それから、学校教育の指導のあり方についても原因があると思います。それから、社会の経済発展あるいはいろいろな進歩といいましょうか、変化の関係から、ちょうど小中学校、特に中学校から高校に上がる当時の心身の状態から誘惑されるような環境が非常に多い。それと、私は、こういうことを言うとまたおしかりを受けるかもしれませんが、教育教育基本法によって、憲法の精神によって指導するということになっております。それはすばらしいことだと思いますけれども、人権、自由という問題についてもう少しその意味を、これは子供ですから余り理論的といいますか、理屈を教えるということは非常にむずかしいのではないかと思います。戦前といいましょうか、戦争に負けるまでの日本の国内の自由、人権の抑圧された状態からの反動で、戦後非常に自由、人権が叫ばれた、これは当然のことでありますけれども、その自由なり人権なりということがどういう意味であるかということ、これはなかなかむずかしいことではありますけれども、深く指導が及んでいないのではないか。といいますのは、私の考えでは、憲法第三章は非常に大切な自由、基本的人権とありますけれども、それは子供に仮に教えるとすれば、わが身をつねって人の痛さを知れとか、あるいは自分が嫌なことは人にやれと言うなというような生き方を本当に指導してあるのかどうかという点に疑いを持っている。そのほかにもいろいろ原因はあると思います。ですから、この解決はそう簡単ではない、こう思っております。
  172. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 大臣のお考えは大臣のお考えとして承りましたが、そう簡単にいかないものだからということでは困るわけですよ。非行がなくなるように、校内暴力がなくなるようにこれは全力を尽くしてもらわなければならない。そして、それが大臣に課せられた大きな責務の一つだと私は思うのです。確かにおっしゃるように、学校教育の問題なりあるいは家庭教育のあり方、それから社会の大人の行状、一国の総理大臣が手錠をはめられて巣鴨へつなげられるなんというところを見ると、若い人たちはどう考えるでしょうか。若い人たちに物が言えますか。そういうところにもあるだろう。また一つは、テレビというものが非常に発展しまして、これが子供たちに与える影響というのも見逃せないと私は思うのです。そういうわけでいろいろ原因はあるでしょう。実はきのう参議院の方では文教委員会で、校内暴力の問題について集中審議が行われておりまして、私ちょっと新聞をけさ拝見したのですけれども、この中に現場教師の問題が取り上げられておりました。そして、教師が疲れているとか先生に対する尊敬の念というのが失われているとかいうようなことがありますが、残念ながら、家庭教育の問題について余り触れてないですね。これは新聞で、まだ私、議事録を全部読んでいないからわかりませんけれども、私は、学校の先生は先生として一生懸命これからの日本を背負う子供のために全力を尽くしてがんばってくれていると思うのです。けれども、私はもう少し家庭教育というものをちゃんとやらなければいかぬということをつくづく感じている者の一人なんです。  ですから、シーズンになりますと、郷里からも小学生が見学に来ます。私は、そのときにもよく話をするのですけれども、おじさん達が学校へ行っているときは、宿題を忘れたら一時間立たされた。女の子をいじめれば先生からコツを食った。それはあたりまえじゃないか。先生はお父さんと同じようにみんなを大事に思っているのだ。だから、悪いことをすれば怒られる。いいことをすれば先生は絶対に怒らないよ。だから、みんなは悪いことをしないで先生の言うことをちゃんと守ってやってください。こういうふうに話をしてやるのです。  多くの児童生徒はいいのです。小中高の非行青少年の校内暴力を含めた数字を警察庁から伺いましたが、わずかの人たちがそういう行状をすると、みんなが悪いようにとられてしまう。非常に残念です。しかし、その芽を早く摘まないと大変なことになる。連鎖的な影響もあるでしょう。私はそう思うわけです。  たとえば、私どもがある人をお訪ねしますと、子供が来て、お茶を出してくれると、お菓子を持っていっちゃうのです。人が来たときになくなっているから、食ってしまったのか、どこか入れたかというふうに見られても困るから、そのお母さんに言うのです。いま坊や、菓子持っていっちゃったよ、子供というのは目が欲しいのだから、人が来たときにはちゃんと先に与えておいて、人様が来たときには持っていっちゃだめよ、そういうことを奥さん、ちゃんと子供には教えておかなければだめですよという話をするわけです。  何か大臣もちょっと言っておったのですが、自由ということ、子供を甘やかすのですね。私たちの子供のころには親には絶対服従です、先生には絶対服従です。そういう気持ちがなくなっていることも事実だと思うのです。ですから、もう少し焦点を幾つかにしぼって、そして、その原因を追及し、非行や校内暴力が起こらないようにやらなければならない。  たとえば、四十人学級というのがありました。やっとこれが日教組の方ともお話し合いしたりいい方向に進んでおったのですが、これも行革、臨調が出てきてつぶされちゃった。四十人以上の生徒を一人の先生が見ていくというのは大変だと思うのです。ですから、行き届いた教育をするためには、少なくとも四十人学級というのはちゃんとやってくれなければ困るのですよ。国民というのは、必要なところにはどんどんと金を使ってもいい、決して文句言いませんよ。不必要なところに金を使うから、国民は税金を納めているから文句があるのですよ。ですから、その辺を取り違えられちゃ困る。ですから、必要なものはどんどんとやって、そして将来を担う子供たちがりっぱな子供に育っていくような教育をちゃんとやってくれなければ困るのですよ。一国の盛衰興亡は教育にかかっているのです。教育は非常に大事です。かつては天皇陛下のためにということで片道のガソリンを積んで敵中に突っ込んでいった、これも教育じゃなかったでしょうか。考え方によると教育はそれだけ恐ろしいのです。ですから、やはり小さいときからのしつけ、これが大事でございますから、もっと親たちも家庭教育というものを重視していかなければならぬと思いますが、学校教育においてもそういう点をひとつ子供たちにもよく理解できるような環境づくりを、大臣、してあげなければだめじゃないですか。逆行するような、四十人、五十人入ったのをそのままやらせるようなことをしているから行き届いた教育ができない。それも一つの大きな原因だということを知っているでしょう。  これは時間があれですから、局長、いま私は自分で思いついたことを言ったのですけれども、何とかしてこれは早期になくせるような手を打ってもらわなければ困ると思っていますから、あなたからもちょっと。
  173. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 御指摘のように、少年非行、特に校内暴力の問題の中でも、教師に対する暴力は絶対になくすべきものだと私も思います。しかしまた、その原因、背景につきましては、いまお挙げになりましたように、家庭の問題でございますとか、家庭における価値観とか世代間のモラルの問題もいろいろございます。そういう面の家庭に対する教育の配慮と同時に、学校におきます教育充実するために、四十人学級は行政改革の関連特例法によりまして財政再建期間中は抑制されておりますけれども、全体計画は変更されておりませんし、私どもは最終目標としてはそういうものを目指してやっていかなければならないと思いますし、教員研修につきましても、具体的な生徒指導でございますとか、カウンセリングでございますとか、そういうものを充実いたしまして、また今度の厳しい予算の中でも教育相談事業というものが認められておりますので、専門家が集団でグループをつくりまして、個別に具体的に相談に応ずるというふうなシステムを実施いたしますとか、そういう点でできるだけの努力をいたしまして、このような事態を一日も早く解消するように努力をいたしたいと考えております。
  174. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 大臣にこれはぜひ意見を聞いて、やってもらいたいと思うことがあるのですが、それは日教組という先生方の組織がございますね。この日教組と文部省の間で十分な接触ができない。大臣がかわると委員長と一回ぐらいお会いになりますか。もちろんいろんな分野においていろいろと労働者の意見も聞いたりしておやりになっていることはこれは当然だと思いますが、もう少しトップにおいて文教行政について忌憚のない意見を述べ合って、そして教師と文部省が本当に一体になってやれるような体制づくりというものができないだろうかということです。現場、第一線で働いている先生方にはそれぞれの意見があるでしょう。そういった意見を十分に聞いて、それでいい意見は取り入れていく、もし誤解があればそれは解いてもらう、そういうコンタクトというものは私は絶対必要だと思うのです。文教行政を進める際に一番重大視しなければならないその点が私は欠落しているように思うのです。去年も私はこのことを大臣に申し上げたことがあるのですけれども、やはり人間対人間というものはいろんな意見を持っているでしょう。しかし、心の通い、そして意思が通ずる、そういう中で初めて九〇%のものが一二〇%の効果を上げるのじゃないでしょうか。  そういう意味で、もっともっと日教組の首脳部とも大臣がひざを交えてお話をすべき機会を持ち、お互いに切磋琢磨して、わが国教育というものをどこにも負けないりっぱな教育にしていくというような理想に燃えながらやってほしいなということをつくづく感じておるのです。それがなければこれはもうだめですよ。ぜひそういう観点に立って、瀬戸山大大臣ですからね、われわれも尊敬しております。あなたは自分の思っていることはどんどん言う人ですから、いろいろ問題もあったようですけれども、しかし信頼をしております。  ですから、ぜひ後世のために、われわれは何年生きるかわかりません、しかし、若い人たちは次代を担ってくれる人たちですから、その人たちのために自分がやってきたその経験を生かして、後世のために、未来のために、後の時代にりっぱな基礎づくりをして、そして日本教育行政というものが本当に軌道に乗って国民の期待に沿えるような、そういう方途を見出すために最善の努力をしていただきたい、こういうことを私は強く願っておるものですから、最後に、大臣の所見を伺って終わります。
  175. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 先ほど来、校内暴力その他の非行の問題解決のためにいろいろ鈴木さんからお話をいただきました。私も全く同じような気持ちで承っております。教育というものは社会をつくり、国を立てるもとでございますから、これはあらゆる努力をして全力を挙げなければならない。もちろん文部省はその部署でありますが、文部省だけでもいかぬ。これは国民的な課題として、私は、将来を考えますと、あなたと同じように心配しておるのですが、解決に向かわなければならないと思います。  日教組との関係がどうだというお話がありましたが、私もそれこそ文部省には近々に入ったばかりでございますが、過去のいきさつもいろいろあるようでございますけれども、それを乗り越えて何とか話を——教育はいろいろな面からやりますけれども、直接の担当は教師でございます。これは本当に子供をどう育てるかということは、子供本人ばかりではなしに、社会、国全体の重大問題でありますから、その使命感を持ってやってもらう教師になってもらわなければいけないのであります。そういう点も話し合ってみたいと思います。
  176. 鈴木強

    鈴木(強)分科員 時間がありません。ありがとうございました。
  177. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて鈴木強君の質疑は終了いたしました。  次に、玉城栄一君。
  178. 玉城栄一

    玉城分科員 最初に、大臣にお伺いしたいのです。  昨年大変大きな外交問題にまで発展しました例の教科書検定の問題についてでありますが、わが国に対して大変不信感をつのらせたということでもあるわけです。それで大臣、いわゆる太平洋戦争の際に、わが国内唯一の地上戦、悲惨なそういう地上戦が展開された沖縄におきまして、いわゆる旧日本軍によって住民が殺害されたという事実があるわけですが、そのことをどのように受けとめていらっしゃるのか、その点をまず伺いたいと思います。
  179. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 先生のお話は、過般の国会等において問題になりました沖縄におきます第二次大戦における日本軍による沖縄住民の殺害の問題であろうかと思います。  これにつきましては、教科書に記述されました際に、この記述の問題をめぐりまして、検定においてこの表現についての意見をつけたということをめぐりまして、沖縄県におきましても国会におきましてもいろいろ問題になったところは御高承のとおりでございまして、この点については小川前文部大臣が、沖縄県民の県民感情等を配慮いたしまして、次の改訂検定において考えるというような御答弁をしておられますし、現在の検定の申請の状況を見ながら、そういう前大臣の御方針もございますし、そのような方向でいま改訂検定についての手続を進めているというところでございます。
  180. 玉城栄一

    玉城分科員 大臣、いまお聞きになられたとおりなんですが、戦争というのはそういう悲惨な行為が行われるわけですから、そういうことがもう二度とあってはならないという立場から、そういう歴史的な事実というものは正確に伝え、そして教えていくということは非常に重要なことだと思うのですが、大臣いかがでしょうか。
  181. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 われわれがこの社会をつくり、また国を立てていきますについては、個人の人生でも同じでございますが、いろいろな場面に遭遇するわけでございます。成功もあるし、失敗もあります。その歴史をちゃんと踏まえて失敗の例は絶対繰り返さない、間違った道は絶対歩かないという決意といいますか、信条といいましょうか、そういうことが非常に大切だと思います。それが進歩発展につながるもとだと思うのです。  いまお話しのように、この前の戦争は、私、率直に言って非常な間違いをしておる。いまさら言ってもしようがありませんが、そういう歴史を踏まえて今後の平和な日本づくりをしなければならない、これが日本国民全体の決意でなければならぬと思いますが、いまお話しのように、沖縄における状況は、それこそ最終段階におけるああいう悲惨な激戦の中でございましたから、沖縄県民の皆さんにはいろいろな部面から被害、損害等が非常にあったことを、直接は見ておりませんけれども想像するにかたくない。でありますから、そういう歴史を正確に記述して残すということは、将来再びそういうことがないようにという歴史の反省につながる、こういうことであろうと思います。私はさような感じを持っております。
  182. 玉城栄一

    玉城分科員 いまの大臣のお答えは、そういう歴史的な事実というものは、正確に教育の場においても伝えていくことが大事なことであるというお話と私承ったわけであります。先ほど鈴木さん、申請の状況等いろいろおっしゃいましたけれども、次の機会にはいまの部分について、端的に言ってどんなふうにされるわけですか。
  183. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは先生も御承知のとおりでございますけれども、要するにその事実を削除するとか、そういうような検定意見を付したわけではございませんで、たとえば戦闘の邪魔になるなどの理由でというふうな理由でございますとか、あるいはその数が八百人であるとか、そういう点についての表現の正確性を求めたために起こった問題でございまして、その間のそごがあったかと存じますけれども、やはりそれは事実を伝えるにいたしましても正確を期して、しかも、その理由にいたしましてもきちんとした形で記述されることが必要だということでございますので、そのような形で申請がありますれば、その申請者の趣旨を認めて検定が行われるということだろうと思います。
  184. 玉城栄一

    玉城分科員 昨年もやはりこのことで沖縄の県民は、戦争中にそういう事実があった、それを検定の段階で表現がどうのこうのということになって、これは大変心外といいますか、そういうあったという事実そのものを否定するということはもう大変なことだということで沖縄でも非常に問題になりまして、先ほど申し上げましたとおり、そういうものを正確にきちっと伝えていくことが平和憲法を守り、そういう国民を育てていくという非常に大事な基本的なことではないかという考えでいるわけですね。  先ほどの局長のお話で、前の大臣もそういう県民感情については配慮するということですから、そういう立場から重ねて瀬戸山文部大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
  185. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いま初中局長からも申し上げましたように、そういう事実を否定するという立場でなくて、私は後で聞いておるわけでございますが、検定は正確な、客観的な事実の歴史を伝えなければならぬということからやっておるようでございます。その点にやや欠けるところがありやしないか、事実の真相と、そういう事件があったことは間違いないようでございますが、多少違うところがありやせぬかというような改善意見といいますか、そういうことがあってああいう事態になったということだそうでありまして、さような事実はない、抹殺するという態度で検定の場で進められたのではない、こういうことだそうでありますから、事実は事実として、そういう歴史があったということは当然伝えていく。  よけいなことでございますけれども、これはいまもそうかどうかわかりませんが、もう二十何年前になりますが、昭和三十一年にロンドンに行きましたときに、私はあの有名なイギリスの国会議事堂に入ってみました。行かれたことがある方はおわかりでしょうけれども、もう二十何年も前の話ですからまだ残っておるかどうかあれですが、ロンドンも、御承知のとおりドイツ軍から爆撃を受けたわけでございます。国会議事堂も爆撃されたのですけれども、それはそのとおり修復されておりましたが、奇妙なことに一カ所だけ壊れたままになっておる。どこがそうなっておったかというと、ちょうど国会議事堂の本会議場に入る入り口が壊れたままになっておる。私どもからすると非常に不思議なものですから、これはどういうわけで修理をしないのだということを聞いてみましたところが、有名なチャーチル首相が、一九四五年ですか四三年ですか、ドイツ軍から爆撃を受けてロンドンは大被害を受けた、国会議事堂も爆撃を受けた、その歴史を事実をもって示すためにこれを残しておけという意見だったのでここだけは修繕しないで残しておいた、こういう説明でした。イギリスは伝統、歴史をとうとぶということはわれわれは昔から聞いておりますが、いまそれが残っておるかどうか知りませんけれども、そういう説明でありました。  これといまのお話とはやや趣が違うのですけれども、やはり将来よくなる意味の反省のために歴史というものを残すことは大事なことである、かように考えております。
  186. 玉城栄一

    玉城分科員 大臣はロンドンの国会議事堂の例を引かれましたが、やはりそういう歴史的な事実というものは、後世の反省のためにきちっと伝えていかなくてはならないという御趣旨でおっしゃっておられたと承るわけでございます。先ほどの繰り返しになりますけれども、戦争という悲惨な行為が行われることによって、軍隊自体が地域住民をいろいろな理由で殺害するという、あってはならないことが行われた。そういうことが二度とあってはならないという意味で、やはり検定の段階でも、そういうことが正確に記述されることが、ちゃんと伝えていくという意味で必要なのじゃないか。大臣もそういうふうにお考えになっていらっしゃると思うわけであります。  それでは、次に移りたいと思います。いま非常に問題になっています非行あるいは校内暴力の問題についてなのですが、その点はいろいろ御議論もされておりますので、現在の幼児教育のあり方とこういう中学生等の校内暴力、これは全く関係なしとは言えないのではないかと私は思うわけであります。その点について、一般論で結構でございますが、現在の幼児教育のあり方というものとこういう問題との関係文部省としてはどのように考えていらっしゃるのか、お伺いいたします。
  187. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 青少年の非行問題につきましては、本人の性行でございますとか家庭の環境、あるいは学校におきます指導とかあるいは社会の風潮とかいろいろな要因がございまして、一概に言い切れない点があると思いますけれども、やはり人間の成長にとりまして最も大事なのは幼児期、幼少のときの人間教育ということでございまして、その意味では、現在幼稚園が集団におきまして専門の教師から遊び等を通じまして教育を受けるという、教育の重要性は大変高いと考えております。直接、幼児期における教育が非行に結びつくかどうかという点につきましてはいろいろな考え方があると思いますけれども、幼児期における教育をしっかりすることによって、非行に走るような芽をできるだけ摘んでおくとか、自制心を養わせるとか、がまんさせるとか、あるいはいまけんかをする仕方を子供たちは知らないというふうなことも言われておりまして、それが校内の子供同士のけんかにおきましても非常に手心を加えないというふうなこともございますので、そういう点につきましては、幼稚園におきます教育におきまして、遊びとかいろいろな運動とかリズムを通じまして教育をすることが可能でございますし、そういう観点から、さらに人間形成の重要性という観点から、幼稚園教育の重要性は今後ともますます高くなっていくと考えているわけでございます。
  188. 玉城栄一

    玉城分科員 そこで、いまの幼児教育のあり方についてですが、幼稚園、保育所とございますね、五歳児、四歳児。こういうあり方についてもっと改善すべき点があるのかないのか、これはもっと真剣にやるという、いろいろな制度的な面でももっと工夫すべき点はないのかあるのか、いかがでしょうか。
  189. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 一つは、三歳児の早い幼稚園教育をどうするかという問題がございます。現在の体制といたしましては、五歳児はほとんど、保育所と合わせますと九割程度が施設に入っております。それから、四歳児もかなり収容されておりまして、あと三歳児をどうするかという問題がございまして、それに対する幼稚園教育としてのカリキュラムをどのように立てていくかという問題が、当面の問題としてございます。  それから、もう一つは、幼稚園と小学校の関連でございますが、これはそれぞれ教育目標なり目的が違っておりますので、必ずしも同じではございませんけれども、幼稚園教育を終えて小学校に入るということを考えますと、幼稚園教育における教育目標と小学校の低学年における教育目標、これがやはりいろいろな意味で関連を持って行われなければならない、その意味でそこのところの指導につきましては、現在、研究指定校等を設けまして幼稚園と小学校教育内容の関連のような問題は重点的に検討しておりますが、そのような内容上の問題。  それから、もう一つは、制度的な問題といたしましては、幼稚園と保育所の関連がございます。これはそれぞれ、保育所におきます保育に欠ける児童の収容でございますから、それは幼稚園とは違うわけでございますけれども、それぞれ違う施設が、地域によりまして非常に偏っている。沖縄等におきましては幼稚園が非常に多い、長野県におきましては少ない、保育所が多いとかいうふうに、要するに幼稚園と保育所の配置が違っている。そういう点から、全体としての幼児教育振興という観点から、それらの配置のアンバランスなどをどう考えていくかというふうに、制度的な問題もございますし、幼稚園教育にはまだいろいろな問題点があるわけでございます。
  190. 玉城栄一

    玉城分科員 いろいろな問題点があるというお話、沖縄のことについてちょっとお話がございましたけれども、沖縄県の場合、幼稚園、いわゆる就園率は非常に高いのですね、九五・二%。全国平均が六四・七%ですからまさに全国一ですね、沖縄の場合、幼稚園の就園率というのは。これは五歳児ですね。ところが、四歳児になりますとぐっとまた減ってきますね。全国平均五〇%で、沖縄は一〇%。それから、いまおっしゃる三歳児にしましても沖縄は非常に低い。この非常にアンバランスの原因、どういうわけでそういうことになっているのでしょうか。
  191. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは沖縄県におきます幼稚園設置されました歴史的な経緯があろうかと思いますが、これは施政下におきまして初等学校令によりまして、初等学校の前段階の学校として幼稚園が一年制として制度化されましたために、しかも土地等の問題がございます関係からかと存じますけれども、幼稚園は初等学校に併置をするという形で指導が行われまして、五歳児につきましては、先生がいまお挙げになりましたように、義務教育に準ずるというような形でいま扱いを受けているわけでございます。したがいまして、当面の幼稚園の収容の政策といたしましては、五歳児の幼稚園の就園を高めるという観点でずっと沖縄県としてはその施策を進めてきたのではないかと存じます。  なお、四歳児の就園率でございますけれども、これは五十六年度の保育所の率で四三・一%、その点から申しますと、幼稚園を含めますと必ずしも少なくはない。  それから、三歳児は、保育所で三八・六%になっておりまして、何らかの形で幼稚園の足らないところを保育所が補完しているというような状況になっているのではないかと存じます。
  192. 玉城栄一

    玉城分科員 幼児教育の重要性についてはますます高まってくるとおっしゃるが、これは全国的にもそのとおりだと思う。沖縄の場合にも、いま申し上げました五歳児、四歳児、三歳児、ちょっとアンバランスがありますし、やはり少ない方への対策は当然文部省としても力を入れていく必要があるのではないかと思うのです。幸いにいままだ特別措置がありまして、補助率も非常に高いわけですから、いまのうちに、そういう制度があるうちに文部省としても力を入れていただきたい、そのことを要望しておきますが、いかがでしょうか。
  193. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 幼稚園振興の私どもの基本方針としては、当面四、五歳児を、希望する者は全部入れるという方針でございまして、四歳児について県の方から申請があれば優先的に補助をするということにしておりますし、三歳児につきましてもいまカリキュラム等を開発いたしまして、その就園を進めるという方向でございますので、県の実態等に合わせまして努力をしてまいりたいと考えております。
  194. 玉城栄一

    玉城分科員 もう一つの問題は文化の問題なんですけれども、文化論の立場で、沖縄文化ですね、御存じのとおり。文化庁の方もいらっしゃっていると思いますが、非常に特徴的な文化であることは御案内のとおりであります。非常に最近沖縄文化に対する関心が、これは国内的だけではなくて国際的にも高まってきているわけであります。  そこで、皆さん方として、日本文化の中で沖縄文化についてどういう位置づけをしておられるか、まず最初にそこのところから伺います。
  195. 浦山太郎

    ○浦山政府委員 ただいま御指摘のように、沖縄文化というものは特徴があるということでございますが、一つは、本土以上に古い日本の姿が残っているということが指摘されているわけでございます。言葉、風俗、習慣にそういった古い日本の姿の面影がうかがわれるというようなことでございまして、さらに、沖縄の地理的環境から申し上げますと、外国、特に中国の文化の影響が著しくて、古来の日本文化と融合して、城郭、建築、絵画、彫刻、それから陶器、染織等に至るまで、さらには舞踊、音楽等の各分野に独自の沖縄文化を形成いたしておるということでございまして、このことがまた日本全体といたしましても、日本文化の多様性を特徴づけておるという形になっているというように考えられるわけでございます。  したがいまして、文化庁といたしましては、各地方においてそれぞれ特色がある文化が非常に振興されることが日本全体の文化にとってもよろしいのじゃないかというように考えておるわけでございますけれども、そういたしますと、ただいま申し上げたような沖縄の現在あります特色のある文化、これがさらに振興されるということが非常によろしいことではないかというように考えておるわけであります。
  196. 玉城栄一

    玉城分科員 五十四、五十五、五十六年度だったですか、三年がかりで沖縄県の久米島という島の文化的な調査を、文部省が相応の補助金を出しまして、これは法政大学の外間先生がキャップになっての調査ですが、その調査の目的、調査の結果の内容、それを簡単でよろしいですから、ひとつ教えていただきたいのです。
  197. 大崎仁

    ○大崎政府委員 法政大学の外間教授を代表者といたしまして、昭和五十四年度の科学研究費補助金の総合研究A、これは共同研究推進するための種目でございますが、その総合研究Aに「沖縄久米島における言語、文化、社会の総合的研究」という研究につきまして御申請がございまして、審議会におきまして厳正な審査をいたしましたところ、非常に価値のある研究だということで採択になりまして、五十四年度から三年間にわたりまして久米島の総合調査というものがなされまして、これに対しまして、合計いたしまして約千三百方円の科学研究補助金が交付をされております。  その結果、非常に研究の成果が上がりまして、これを本にまとめたいということで、同じく科学研究補助金の研究成果刊行費というのがございますが、この御申請がございまして、五十七年、昨年の十月にその報告書が刊行をされております。ここにございますが、こういうりっぱな本になっております。  ねらいといたしましては、久米島というものが非常に伝統的な文化をよく保存をしておる地区である。しかも、稲作を中心とする日本文化に共通するものも持っておるということで、そこの研究と申しますものが、非常に久米島の文化の独自性というものを解明いたしますと同時に、日本文化に共通する特性の理解ということにも資するのではないか、こういうことで、自然あるいは先史の遺跡、言語あるいは年中行事、さらには文化財というような各方面にわたりまして研究がなされ、成果が上げられた、こういうことでございます。
  198. 玉城栄一

    玉城分科員 最後に、時間も参りましたので、これは大臣にもお伺いしたいのですが、実は沖縄文化はいろいろなとらえ方もあると思いますが、私は、これは平和的な文化だという考え方を持っているわけであります。前の総理の鈴木総理がASEANを回られたときに、日本とASEANとのそういう交流を、人の交流、人材育成というような立場から沖縄県に国際センターを設置しようということですでに着工の段階に来ているわけです。もちろんこれは人の交流等いろいろな交流もありますが、どうしても大事なのは文化の交流ですね。これはこの国際センターを通して非常に大事な交流の場にすべき絶好の機会でもある、こう思うわけであります。大変僣越でございますけれども、そういう東南アジアとの文化の交流をすることによって、お互いの不信感だとかいろいろな悲惨な戦争とか、そういうものの防止にも当然つながってくると思うわけであります。  文部大臣とされて、国際センター、それから沖縄文化文化交流ということについて、何かお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
  199. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 突然に私の考えということはございませんが、おっしゃるように、ちょうど地形的にも東南アジアその他との関係で国際的な文化センターをつくることは非常にいいことだと思います。それに、いま文化庁からお話がありましたようなことをかみ合わせてやるのもまた一つの方式ではないか、さように考えておるわけでございます。
  200. 玉城栄一

    玉城分科員 以上です。
  201. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて玉城栄一君の質疑は終了いたしました。  次に、井上普方君。
  202. 井上普方

    井上(普)分科員 私はどうも中曽根総理大臣の施政方針を承りまして、わからぬことがたくさんあったのであります。  その一つに、「たくましい文化と福祉の国日本」をつくるのだ、こう言われた。どういうことかいなと実は思っておったのであります。今度の施政方針演説にまた「たくましい文化と福祉の国」の実現に向かってという言葉が出てまいりました。読んでみましたら、日本人がほとんど自閉症に陥っているような考え方ですな。「いま人々は、繁栄の中でともすれば孤独感と不安感を覚えるような状況に陥っております。」こういうのです。そこで、「たくましい文化と福祉の国」をつくらねばいかぬと、えらい中曽根さんのお考え方は、これこそちょっと被害妄想に陥っているのじゃなかろうかというような感じがする。そこで、また十二月三日の所信表明を読み比べてみますと、「「たくましい」とは、人間の自由と創造力、生きがいという心の内なるものを尊重する考え方を指すものであります。」こうなる。何を言っているのかわからない。しかし「たくましい文化と福祉の国日本」をつくるのだということを麗々しくおっしゃっておるのでございますから、これをやるのはやはり文部省あるいは文化庁だろうと思うのです。どういう御指示があってどんな予算をつけられたのか、ひとつお伺いしたいのです。
  203. 浦山太郎

    ○浦山政府委員 「たくましい文化」の内容につきましては、国民が社会的連帯の中で新しい生きがいと安心を見出しまして、能動的な自己開発の力をはぐくみまして、このような個人の充実を基礎にその活動の方向を積極的に家庭、社会、さらに国に振り向けているようなそういった社会の状態を言うものだというように理解をしておるわけでございます。  そこで言われております文化は、広い意味での文化でございまして、一国の行政で申し上げるならば、各省の行政にまたがるものと思われるわけでございますけれども、文化庁といたしまして、主として芸術、文化等を中心に四百億ばかりの予算を組んでおるわけでございますが、そういったところで芸術、文化中心に進めてまいりたい、こういう予算を組んでおるわけでございます。
  204. 井上普方

    井上(普)分科員 いまあなたの「たくましい文化」の後の方は、やはり総理大臣が言っているのですよ。これは国民が自閉症に陥ったという認識のもとに続いて出てくるところなのです。「繁栄の中でともすれば孤立感と不安感を覚えるような状況」になってきているのだ。だから、その悩みを「そうした中で、長い老後への不安、子供のしつけや教育に対する悩みなど物質的豊かさのみでは解決し得ないさまざまな問題が生じております。人々の孤立感と不安感を取り除き、」と、またきた。「こうした問題を解決していくためには、社会的連帯の中で新しい生きがいと安心とを見出させ、能動的な自己開発の力を導き出すこと、そのための環境づくりが、最も必要である」、こう言っているのです、文章は。あなたの言ったのはここの途中からを読んだだけの話だ。それは「たくましい」の解釈にならない。だから、私は次に聞こうと思っていたのです。この「能動的な自己開発の力を導き出すこと」は文部省の仕事だ。だから、今度の予算の中にはどんな予算が組まれておるのか。大臣、お伺いしたいのです。
  205. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、本会議で、総理の所信表明演説の「たくましい文化」をどう受け取っておるかという質問を受けまして、そのときに「珍しい表現」だと申しました。ただ「たくましい文化」と言うと何か文化にたくましいのとたくましくないのとあるような印象を持ちまして、珍しい言葉だと言ったのですが、それだけでなくて、「たくましい文化と福祉の国」を建設しようというような言葉、私はあれを見ておりまして、そうなりますと、なかなか味のある言葉ではないかというふうに私のその場の感想を申し上げたことを覚えております。  私はそういう語学的なことをよくわきまえておりませんけれども、文化というのは、結局私の感覚では人間の意識とそれに基づく結果だろうと思うのです。でありますから、思想も文化の一つでありましょうし、あるいは行動、いろいろな産業も文化の一つでありましょうし、あるいは芸術、スポーツ、いろいろな面があると思います。そういうものをひっくるめて広い意味の文化、豊かな福祉国家ということになってくるのじゃないかと思います。われわれは日本国憲法から考えるわけでありますから、そこにもあると思いますが、自主的な、創造的な、はつらつとした人間と言うと、またはつらつとは何だということになるかもしれませんが、生きがいを感ずるような社会をつくる、連帯感に満ちた、しかもいわゆる狭い意味の文化の香りの高いような平和な国をつくろう、こういう趣旨だと私は解しております。  そのために何の予算をつけておるのか。それは、文教関係では諸支出のすべてがそういう方面につながる。行政全般がそれにつながると言っても差し支えないのじゃないか、かように考えております。
  206. 井上普方

    井上(普)分科員 あなたの文化に対するお考え方というのは、私は納得できるのです。人間の意識、その結果、これは確かにそのとおりだろうと思うのです。しかし、そこに「たくましい」という言葉が出てくるのですけれども、所信表明で「「たくましい」とは、」と書いてあるのですね。「「たくましい」とは、人間の自由と創造力、生きがいという心の内なるものを尊重する考え方を指すものであります。」こうなる。華麗な言葉を使う中曽根総理大臣なのだが、私らにはわからないのだ。  どうだい、大学局の方おられますかな。これは大学の入学試験の問題になりますか。高等学校の入学試験の問題になりますか。どういう解釈をするかと言うて出してごらんなさい。教科書の一端にこれを使えますか、どうですか。
  207. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ただいまの具体的なお尋ねについては、私、直接お答えするだけの知識を持ち合わせていないわけでございますけれども、教育全体の中で特に言われております点は、たとえば大学教育についてもそうでございますけれども、要するに創造性と申しますか、つくり出す力を養うということが非常に強く言われているわけでございます。単に既存のものを教わるというのではなくて、新しいものを生み出す力、創造力を教育の場でも養うということが大変大事だということが言われているわけでございまして、私なりに理解をすれば、そういう新たなものを生み出していくような創造性を養うことが非常に大事だということを指摘しているのではないかと理解をしております。
  208. 井上普方

    井上(普)分科員 そのことも書いてある。書かなんだら問題になりませんからね。書いてあるのだけれども、どうもわれわれの概念の「たくましい」というのとちょっと違う形容詞が使われている。瀬戸山文部大臣もさっき珍しい使い方をされたなとおっしゃっておられましたが、全くもってわからない。あなたのおっしゃるように、創造力あるいはまた能動的な自己開発の力を見出すこと、まことに結構なことです。だから、それじゃ文部省予算についてはこういうことのために特に予算を組んだか、こういうことを伺っているのですが、どうもやってないようだ。去年の予算と余り変わってないですな。とするならば、言葉の遊戯で政治をごまかすことはともかくやめていただきたい。これは瀬戸山文部大臣に申したところでしょうがないのだけれども、恐らくこの所信表明とか施政方針演説というのは閣議で一応了解されたはずなんです。そうでしょう。だから、こんなおかしげな、大学の教科書にも悪文の最たるものとして使われるような施政方針演説はおやめなさいと言ってこれから文部大臣はひとつ御注意になっていただきたいと私は思います。  それから認識が余りにもオーバー過ぎる。私は先ほど、国民が自閉症に陥っておるというような御認識じゃないかと言いましたけれども、そのとおりなんですよ。「いま人々は、繁栄の中でともすれば孤立感と不安感を覚えるような状況に陥っております。そうした中で、」というようなことを書いてあるのです。同じことが書いてあるのですよ。「人々の孤立感と不安感を取り除き、こうした問題を解決していくためには、能動的な自己開発の力を導き出すこと、」これが施政方針の中に入っているのですからね。特に文部省に対しては、こういうことがあるのだからどんな予算が組まれておるのか、事新しいものがあればひとつお示し願いたい、こう申しておるのでございますが、大臣、そう新しいものはないのでしょうな。
  209. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 文部省は伝統の古い役所でございますから、特に新しい目ぼしいもの等はありません。全体がそういう方向で文教行政を進めるべきものだという考えでおるわけでございます。
  210. 井上普方

    井上(普)分科員 「能動的な自己開発の力」を養うというのはエデュケートそのものであると私は思っております。いまさら取り立てて言う以上、特にこの点に留意した——文部省というのは文教の府です。行政機関なんですから、言ったことはそのまま行政の中であらわしてこなければならないところなんです。これがないのにこういう言葉を使われるのは、大臣、施政方針演説あるいはまた所信表明演説の了解をやられる閣議におきまして、それはどうぞお慎みいただきたい、そんな珍しい言葉は使わぬようにしてくれという注文を出していただきたいと思うのであります。本当に国民は「たくましい文化と福祉の国」というのはどういうことかいなということで実は迷っておるのじゃないだろうか、誤解しておるのじゃないだろうか。先ほどもそこの文化庁の方が御答弁になりましたが、しょうことなしに施政方針の後ろの方をちょびっと読んだだけなんです。あなた自身クリエートする創造力は全然なかったということなんです。まことにもって「たくましい文化」というような空虚な言葉を使われることは私は後世のためにはなはだよくないと思いますので、あえて大臣の所信をお伺いした次第なのです。これは総理に聞いた方がよかったのですけれども、その機会がないので、それがどういうふうに文部行政の上にあらわれてくるか、予算の上でどうあらわれてくるか、実はそれを知りたかったのであります。  その次は、私は医学教育のあり方につきましていままで再三にわたってこの場でお伺いしてまいりました。しかし、御承知のように医者が足らなくなったというのであわてて各県にも公立あるいは国立の大学をつくっていった、そこまではいいのでございますけれども、恐らく昭和六十年になりますと、日本はもう世界第一等の医者の過剰国になるのだということを聞いておるのですが、そうでございますか。
  211. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ただいま御指摘の点でございますが、医師については昭和六十年までに人口十万人に対して百五十人を確保するということを目標として養成を行ってきておるわけでございますけれども、ほぼ今年中にはこの目標が達成されるものと理解いたします。
  212. 井上普方

    井上(普)分科員 そうすると、昭和六十年には幾らになるのですか。
  213. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 厚生省で推計をいたしております資料で申し上げますと、昭和六十年度には、医師の数は人口十万人に対して百六十人程度になるものと想定されております。
  214. 井上普方

    井上(普)分科員 そうすると、十万人に対して百六十人、世界各国、主先進国のうちでどれぐらいの地位を占めるようになりますか。
  215. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 欧米の医師の数でございますけれども、西ドイツは一九七七年で人口十万人に対して二百四人、デンマークが一九七六年で人口十万人に対して百九十五人、フランスが一九七六年で百六十三人、イタリアが一九七四年で二百六人、イギリスが一九七七年で百五十二人、スウェーデンが一九七六年で百七十七人、アメリカが一九七七年で百七十六人という状況になっております。
  216. 井上普方

    井上(普)分科員 大変詳しくお伺いしましたが、しかし、これでいま大都市におきましては過剰な状況が出てきておる。それでは欧米諸国と日本においてどうしてこれだけ医師が過剰な状況になると言われるか、ひとつその原因をお伺いしたいのですが。
  217. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 先ほどもお答え申しましたように、人口十万人に対する百五十人という目標は達成されたわけですが、ただ従来の目標が達成された点は確実になっておりますけれども、先生御案内のとおり、医師地域的な偏在の問題でございますとか、いろいろな要素がさらにそこには絡み合っている点もあるわけでございますが、現時点では、医師が過剰であるとは一概に判断できないのではないかというぐあいに私どもは理解をしております。  ただ、さらに今後の医療需要がどのように増大していくか、高齢化社会になっていくというようないろいろな要素があるわけでございまして、今後の規模についてどう考えるかという点については、私どももすでに厚生省との間で事務的な検討を進めているわけでございますけれども、それらについては、今後の医師養成規模の問題については、いま申しました医療の動向でございますとか、あるいは社会情勢全体の変化等を総合的に検討をしてみなければならない課題ではないか、かように考えております。
  218. 井上普方

    井上(普)分科員 医療需要の増大だ、こうおっしゃいます。それには高齢化社会だ。そこで、医療需要の増大は確かにそのとおりだろうと思います。高齢化社会によって医療需要の増大が行われる。しかし、それをどういうように治療の面においてやっていくかということについては問題がたくさんあると思うのです。  それと、いまの医学教育それ自体を見ますと、人間全体としての見方ではなくて、臓器それ自身についての非常に細分化された教育が行われておるのじゃないだろうか。これはこちらでお伺いすることではないかもしれませんが、医師国家試験を見てみまして、私が教わった内科の教授が、これで私はさあ七十点とれるかなというような問題をお出しになっておるようであります。これはそういう問題ではございません。と言いますことは、非常に細分化した治療が行われつつある。これはやはり直さなければいけないのじゃないか。それはやはり大学教育研究機関において取り上げるべき問題じゃないだろうか。これにつきまして少なくとも国立大学においてはどういうような方法を講じておられるのか、ひとつお伺いいたしたいのであります。
  219. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 医学教育のあり方については、かねてから先生から御指摘をいただいている点でありまして、特に御指摘の点は医学教育全体が確かに専門分野別にそれぞれ非常に深化したところまで教えているのはいいが、全体として生命の尊厳とか、そういうようなことについてどう把握をするかということについてどう教えているのかということで、かねてお尋ねのありましたのは、医学概論についてどうやっているのかというお尋ねがあったわけでございます。  その後、医学概論について各大学での状況等についても私ども調査もいたしたわけでございますが、医学概論はおおむね一年次また二年次において解説しているのが通例でやっておるわけでございます。その中身としては、将来医学の専門知識を学習する前提として、医学とは何かというような事柄を十分身につけさせておくということが必要であるということが言われるわけでございます。  たとえば具体的な例で御説明申し上げますと、医学概論の授業内容は、たとえば旭川医科大学の例でございますけれども、履修主題として、序説、医学史、医科学、生命、病気、医学の実践、医の倫理というようなことを挙げまして、年間を通じて、いわば医学の専門領域に入る前提の知識として、そのような全体的な生命の尊厳という観点からの医学の全般についての知識を与えるというようなことで行われているかと存じております。
  220. 井上普方

    井上(普)分科員 私がまだ医の倫理の問題について入らぬ前に言われたのでございますけれども、診断治療の面におきましても余りにも細分化されておる、全体を見るということが乏しくなりつつあるのじゃないだろうか、こういうことを私は申し上げたかったのであります。  お答えがありましたので、私がここで二、三回申し上げたのでありますが、やはり医の倫理、これを考えさせる時間は必要だろうと思います。旭川医大におきましては医の倫理の問題を取り上げておるようでございますが、あそこは特殊なところで、例の心臓移植をやって大問題が起こったところでございますので、恐らくそういうようなところから生まれてきたのではなかろうかと思うのであります。しかし、それはともかくといたしまして、昭和四十二、三年ぐらいの大学紛争、それの発端となったのは医学教育の古さにあった。これが発端になった。したがって、これでいままでの無給医局員制度であるとか、あるいはまた徒弟制度それ自体が見直されるようになった。  しかし、それは一つの進歩でございましょう。進歩ではあるけれども、一方において徒弟制度のもとに持っておったいいところ、すなわち、あの医局の中で医の倫理というものを先輩あるいは教授からたたき込まれていくその姿が乏しくなってきている。だから、このごろ医の倫理の問題について、税金をごまかしたというのは経済行為なんだから、これは余り医の倫理にはならないと私は思うのですけれども、どうも厚生省には医道審議会とかいうようなくだらぬ、くだらぬと言ったら怒られますけれども、そんなものがあるようでございますが、経済事犯に対してすらそういう医の倫理を振りかざすところに問題がある。それよりもむしろいかにして患者に満足を与え、治療を十分にするかという医の倫理、そしてまた生命の尊厳さ、こういうことを教えるといいますか、考えさせる時間あるいはそういう教育教育と申しますよりはもう一人前でございますので考えさせる時間、そのチャンスを与えるのが医学教育としては必要じゃないだろうか。残念ながらまだ十分にそのことがないのを私は遺憾といたしておるのであります。  数々の医療問題が社会をにぎわしています。これは金銭的な問題ももちろんのことでございますけれども、それ以前に医というものの本当の倫理あるいは生命の尊厳、そういうものを十分に考えさせるチャンスと時間を与えるような教育機関のあり方が望ましいのではなかろうか、私はこのように思いますが、大臣どうでございますか。
  221. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 医学の専門家の井上さんに私ごときが申し上げるのは失礼でありますけれども、横道にそれて恐縮でありますが、最近いわゆる非行青少年の問題があります。生命力のある子供を一人前といいましょうか、将来りっぱな人間に育てるという教職の仕事、これは使命感に燃えてやらなければ本当の教育にならないのじゃないかという気が私はしておるのですけれども、医学といいましょうか医術といいましょうか、これはまさにそのもとの生命を預かる学問であるし、術である。でありますから、その何物にもかえられない生命をお医者さんの一手に預かることになるわけですから、それに対する使命感というものが一番前提に立たないと、いわゆる医術だけではだめじゃないか。これは素人考えでございますが、その上に医術、医学あるいは医薬、いろいろな技術が備わってきて初めて本当のお医者さんということになるのではないか、失礼ですけれどもそういう気がするのです。  しかし、私は医学校のことはよく知りませんが、そういう点が授業といいますか教授の中にないのでしょうか。当然あってしかるべきだと思うのです。
  222. 井上普方

    井上(普)分科員 それが昔でありましたら徒弟制度の中でたたき込まれたのです。無給医局員であるとか、あるいは医局であるとか、そういうことで私どもは教わってまいりました。しかし、それがいま崩れてしまっているのです。でありますから、それにかわるべき何らかのチャンスをつくらなければいかぬのではないかというのが私の考え方なんです。あなたも法曹界に長いことおられた方で、生命の尊厳さというものを常に考えながらやられる職業でもあろうと私は思います。人間の尊厳さといいますか、生命の尊厳さというものをいつも心がけながらやられた御職業だろうと思う。そういう面からしますならば、それがチャンスがなくなっている、だから私はあえて申しておるのであります。大臣、あなたもこのことをひとつ御研究になっていただきたいことをお願いいたしておきたいと思います。  それからもう一つ、これは社会教育局ですね。公民館の使用についてですが、われわれが政治教育集会をやろうとしますと、政党の、あるいはまた特定の政治家が使うことまかりならぬといって貸さぬ公民館がたくさんあるのです。どうしてだとよく聞けば、社会教育法にのっとってやっているというのですが、そんなことはあるのですか、どうなんです。
  223. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 公民館は、先生御指摘のように社会教育法に基づいてできている施設でございまして、市町村が設置しているわけでございます。それで、社会教育法を見ますと第二十三条に「公民館の運営方針」という条項がございまして、「次の行為を行つてはならない。」というふうにして「もつぱら営利を目的として事業を行い、特定の営利事業に公民館の名称を利用させその他営利事業を援助すること。」というのが一つございます。それから二番目に「特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。」というのがございます。また「市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、又は特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない。」というのがございます。いま申し上げましたのが社会教育法の二十三条でございます。これは全国一律にその方針になっているわけですが、具体的に個別の市町村におきまして公民館を設置いたしまして管理運営をどうするかにつきましては、もちろん社会教育法の規定を当然念頭に置きましてでございますが、公民館の設置及び管理に関する事項を条例で定めることになっております。したがいまして、公民館として貸すことのできない事業というのは、それぞれの市町村がこの社会教育法の規定を敷衍して条例におきまして定めているわけでございます。
  224. 井上普方

    井上(普)分科員 そのいまの第二項目ですね、政党の行う営利事業でございましたか。
  225. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 もう一度読みますと、「特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。」そのためには貸すことはできないということでございます。
  226. 井上普方

    井上(普)分科員 そこだ、問題は。果たしてそれでいいのだろうか。「特定の政党の利害に関する事業」法律にはそうなっておるが、これは解釈が非常に広がってまいると思う。大臣は専門家だからあれですが、そういうことで貸すところと貸さないところがある。貸さないところに一体どうしたのだと聞きましたら、文部省からともかくそういうような指令が参りましてということなんですが、出したことあるのですか。
  227. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 先生御指摘の具体的な事例につきまして私どもが承知しているわけでございませんので、その点については何とも申し上げかねるわけでございますが、文部省といたしまして、あるところに貸してあるところに貸してはいかぬというような、簡単に言いますれば公平な扱いを確保しないようなことを指導していることはもとよりございません。
  228. 井上普方

    井上(普)分科員 いや、公平であるとか公平でないとかいうのじゃなくて、政党の利害に関するから貸してはいかぬというのでしょう。ともかくそこで演説会をやる、これは社会教育の一つですよね。それについても制限を加えておる。あるいはまた選挙のときに、そこで演説会をやるからひとつ公民館を貸してくれといったらこれまた断られるのですね。大臣も御存じだろうと思う。おかしいと思いませんか。公民館が候補者を支持するわけじゃないのだから、それを貸さないような条例をつくっておるのは私にはどうも納得いかないのですが、どうなんですか。
  229. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 私どもで申し上げておりますのは、社会教育法二十三条の定めに該当する限りは貸すことはできないということでございます。これは法律に定められているわけであります。  そこで、先生がいま問題にされておる事例がどういう場合なのかが実は具体的にわからないのでございますが、たとえば演説会ですね、演説会のようなものにつきましては、それぞれいろいろな政党があるわけでございますから、他の政党との公平な扱いがないと、ある政党には貸してある政党には貸さない、そういうような取り扱いはいかぬであろうが、他の政党との公平な扱いがある限りは貸してもよいということは申し上げているわけです。  ただ、先ほど申し上げましたように、具体的に条例によりまして管理運営の基準を決めるわけでございます。条例で決めるときに、社会教育法二十三条を受けていろいろ決めているわけでございますから、それぞれの市町村の方針によりまして、その辺は若干の差異があることはあるであろう。そこは地方自治の問題だというふうに思っておるわけでございます。
  230. 井上普方

    井上(普)分科員 わかりました。もうこの程度にいたしておきますけれども、とかく協議といいますか、その条例なるものが、文部省の指導によるんだと言いながら、どうも変な扱い方になっている。各政党に対する公平な扱い方はしなければならぬのはもちろんでございますけれども、そこらあたりもう一度現場、条例を十分ひとつお調べになっていただいて、そして法の精神にもとるようなところは直さすような御努力をしていただきたいことをお願い申し上げまして、質問を終わります。
  231. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて井上普方君の質疑は終了いたしました。  次に、渡辺貢君。
  232. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 一九八〇年代に入りまして、国際障害者年であるとかあるいは国際児童年、国際的にも大変人間を尊重して、その成長やあるいは二十一世紀に向けて新しい時代を担っていくそうした子供たちの大きな発展に期待をかけるということで、国連などが指導しながらキャンペーンも張られているわけなんです。  最初にお尋ねしたいと思うんですけれども、身体障害児、肢体不自由児のお子さんなど養護学校が義務教育になって、そういう意味では教育の門戸も開かれたということで大変父母の皆さんも喜んでいるわけなんです。小学校中学校の課程を経てさらに高等部——私も高等部について見学をさせていただきましたけれども、大変な子供たちの努力、先生方の非常に真剣な取り組みがございます。ある校長先生などは、ちょっと見た目では子供たちの進歩というのはわからないけれども、しかし本当に真剣に教育をしていくと、子供がそれにこたえて、そしてすばらしい成長を遂げる、実践の中からこういうお話をされておりました。子供たちにも希望を与えなければならないと思うのですが、現在高等部に在学をしている全国の障害児の数、そして昨年卒業された高等部の子供たちが就職などで社会に参加をされるといいますか、それはどのくらいになっているでしょうか。
  233. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 五十七年三月卒業の数でございますが、盲学校につきましては、卒業生が七百二十人でございまして、就職者は二百十二人でございます。それから聾学校は、卒業生が八百六十六人でございまして、就職者が四百七十一人でございます。それから養護学校、これは精神薄弱、肢体不自由、病弱ございますが、合わせまして四千六十八人の卒業生でございまして、就職者は千六百四十八人となっております。そのほか、養護訓練機関の入学者とか施設入所者等もございますが、それは省略いたしまして、ただいま申し上げたような数になっております。
  234. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 聾盲唖者も障害児者も、こうやって一生懸命勉強をして、できれば何とか社会に参加をしたいということで卒業してみる。しかし、就職の道は大変閉ざされておりまして、その前には困難な壁があるわけなんですね。全国的にもいま御説明があった数字でありますけれども、たとえば埼玉を見ても、去年卒業した子供さんが七十三名で、さらに進学をされるというんで努力されて進学したお子さんが八名、就職者が二十一名、結局四十四名は家庭に帰らなければならないということなんですね。しかも、ことしの卒業生は百九十一名と三倍近いふえ方、これは全国的な趨勢だと思うのです。  そういう意味で、私は思うのですけれども、やはりこういう障害を持っているお子さん、また家庭の苦労は並み大抵ではないと思うのです。せっかく国際障害者年である、あるいは児童年である、キャンペーンだけでなくて、こういう現実の実態を踏まえながら、文部省としてもそうした子供たちが自立できるようなそういう努力を教育の課程とあわせて社会的な問題にもしながら、とりわけ文部省として積極的な努力が必要ではないか、こう思うのですが、その点についてひとつ局長さん、大臣さんの御見解を伺いたいと思います。
  235. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 御指摘のように、高等部に進学いたしまして、その後の社会参加の道がなかなかむずかしいということは、現在の社会から見まして困難な点があるわけでありますけれども、それにいたしましても、盲学校とか聾学校のように歴史の長い教育分野におきましては、職業の分野もある程度伝統的に開かれておりまして、高等部におきます理療科でございますとか被服、産業工芸とか、そういうものがかなり充実をしておりまして、職業的な能力もつけ得るようになっておるわけでございます。ところが、養護学校は、いまやっと義務制を実施いたしまして日まだ浅く、その方面の開拓も非常に不十分でございますし、また最近は重複障害と申しますか、障害の程度がかなり高い、重いと申しますか、そういうお子さん方が入ってまいりまして、高等部におきましていろいろな教育指導をしているわけでございますけれども、社会参加の前に実際にいろいろな形で自立して生活ができるというようなところが主眼となっておりまして、普通課程のコースの中でいろいろコース分けをいたしまして指導しているわけでございますけれども、職業関係の教科にいたしましてもまだまだ不十分な点があるわけでございます。そういう点につきましては、関係機関との連絡も十分とりながら、今後その方面の開拓もしなければなりませんが、学校におきましても専攻科とか、そういう方面の課程の充実でございますとか、その方面の教育内容の充実も含めまして努力をしてまいらなければならない、かように考えております。
  236. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 渡辺さんのお話でございますが、実は私、先般ちょっとの時間を見まして大泉学園町にあります東京都の養護学校を見させていただきました。これは小中高まであり、生徒さんがおるわけですけれども、率直に申し上げて精神薄弱児あるいは肢体障害の、それも強度な障害の人が多うございました。その教育に当たる、機能回復に努力するという先生方のほとんど一対一の教育で、見学させてもらって指導教育に当たっておられる先生方の真摯な態度に実は感激したわけです。と同時に、非常に強弱の度はありますけれども、肢体障害の度合いの強い子供たちが、その先生の指導は応じて何とかこの生命力を生かして活動ができるようになろう、その努力しておる姿もまさに何といいましょうか神々しいような感じをもって真剣さがあふれておるわけです。  ただ、体の状況が、障害の度合いが非常に強いのは職業につくというのもなんですけれども、あそこは職業の指導のいろいろなことをやっておられますけれども、その不自由な体で何かこれができたということを非常に喜びを感じながら指導を受けておる、こういうことを感じまして、従来から御承知のとおり、局長からも申し上げましたように、肢体不自由者あるいは心身障害者の職業の開拓をやっておるわけでございますが、社会の受け入れ体制が必ずしも十分でない。残念でございますけれども、今後とも、いまも申し上げましたように、教育の面で担当しておるわれわれですから、他の諸官庁とも連絡しながら一層処遇の努力をしたい、かように考えております。
  237. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 大臣も現状をごらんになって大変感銘を深められたというお話でございます。先日も「ハートイン埼玉」というので、民間の方々が作業所をつくったりして、そして障害児、子供たちが手工芸でいろいろな品物をつくって販売する場などを持っておりましたけれども、大変熱心でありました。そういう点でぜひ一層の努力を要請をしたいと思います。  次に、非行の問題に入りたいと思うのですが、きょうも非行防止対策推進連絡会議の申し合わせということで、「最近における一連の青少年非行事件にかんがみ当面採るべき措置について」と、五項目の措置が挙げられているのですが、警察庁の発表によりましても、触法非行ということで補導された子供たちの数が十九万人、前年度に比べて三・八%ふえている。もう戦後最高を連続的にここ数年間毎年超えている、クリアしているという大変深刻な事態であって、そういう点からもこうした会議がきょうも行われたと思うわけでありますが、最近各所で見られている事態、これは私ども政治家にとっても大変責任を痛感いたしますし、何よりもお子さんを持っていらっしゃる父母やそして教育の現場、第一線にいる先生方の苦労も大変だと思うのですが、こういう事態について、一つはどんなふうにお考えをされているか。それから二つ目は、この起こる要因ですね、総理府青少年対策本部などではいろいろそういうものを分析しているようでありますけれども、この二点についてまずお聞きをいたしたいと思います。
  238. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 青少年の非行につきましては、ただいま第三のピークということが言われておりまして久しいわけでございまして、最近におきましてはその非行の年齢が低年齢層に及ぶということでございますとか、かなり強いと申しますか重度の障害を与えるような、そういうような非行が出てまいりましたとか、あるいは校内暴力の中で特に中学校等におきましては教師に対する暴力がふえているというふうな傾向がございまして、大臣もこの間臨時省議を開かれまして、これは文部省全体として重大な事実と受けとめて対応を練らなければならないということで、いろいろな御指示があったわけでございます。  この原因につきましてはいろいろな考え方があろうと思いますけれども、学校におきます生徒指導が、授業の面におきましても、あるいはクラブ活動その他の面におきましても、一人一人の子供に対していわゆる落ちこぼれがないような形で十分に行われているかどうかという観点でございますとか、あるいは家庭が核家族化いたしまして少子家庭あるいは欠損的な家庭がふえる。その中におきます子供の基本的な生活態度、習慣が十分に養われていないままに学校に来ている、あるいはそのような不満というものが学校のような公的な場において発現されるというふうなこともあろうと思いますし、あるいは地域の住民、地域社会におきます連帯感というふうなものがかつてよりは薄れまして、地域の持っておりましたいろいろな教育の力というふうなものが薄弱になっておるというふうなことがございまして、複雑な要因がその背景にはひそんでいると思います。  そこで文部省といたしましても、対応といたしましては、これは何といっても学校が前面に出まして学校教育をしっかりやるということにおきまして、子供たちの学校における生活が知的な面だけではなくて、あるいは運動でございますとか、クラブ活動でございますとか、あるいは徳育の面でございますとか、そういう面で十分に調和のとれた豊かな学校教育が行われるような施策をとる必要がある。現在施行されておりますところの新しい学習指導要領のねらいがそれでございまして、各教科の時間を削減いたしまして、学校においてゆとりを持って自由な時間をつくって、それを生徒の指導でございますとか、集団活動とか、あるいは勤労体験学習とか、そういう面に充てるような余裕を持つような取り組みが可能なようにカリキュラムを改正をいたしてあるわけでございます。  あるいは従来、初等中等教育が主としてやっておりましたところの生徒指導の対策を初等中等教育局だけではございませんで、社会教育局の家庭に対する施策でございますとか、あるいは体育局の体育スポーツ関係施策でございますとか、あるいは管理局が学校施設等を管理しておりますが、そのような施設におきましてたとえば高等学校のクラブハウスあるいはセミナーハウスのようなものをつくるとか、そういうようないろいろ文部省の持っておりますところの青少年健全育成に関します事業を集めまして、モデル市町村を指定いたしまして、その市町村におきましては学校中心といたしまして地域社会家庭全体が一体となってこの問題に取り組むようなそういう施策を進めるとか、いろいろな施策をやっているわけでございます。  しかしながら、過般横浜市の山下公園等に起こりましたところの中学生の集団による大人の弱者に対する襲撃事件というふうなものでございますとか、あるいは町田市に起きました、先生が生徒を刺傷するというふうなことにつきましては、これは非常な事態であるということで、大臣の指示も受けまして、省内にこの問題に関するプロジェクトチームをつくりまして、原因の分析でございますとか、具体的に文部省としてなし得る対応は何かというふうなことを早急に詰めているわけでございます。
  239. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 いま局長から御説明がありましたけれども、ある意味ではいままでも言われていたような対策だと思うのですね。非行の起きる誘因の内的な面、外的な面、両面からやはり考えていかなければならないと思うのです。学校教育家庭におけるしつけというのは、ある意味では、子供の心象を形成していくという点では内的な要因というふうにも言えると思うのですが、そういう意味で教師集団や家庭の役割りというのも大変大きいと思うのですね。  同時に、外的な要因として、子供たちが集団で大人を襲って殺すなんということはちょっといままで考えられないようなことであります。集団で人を襲って殺すというのは戦争ですね。戦争と、あと集団で人を襲って殺すというのは暴力団であります。そういうものが外的な要因としても非行を誘発していく一つの原因を形成していると思うのです。  警察庁の発表によりましても、暴力団の数は二千五百余り、その構成員は十万人を超えているというのですね。しかも、最近は暴力団の暴力行為が非常に多発をしていると警察庁でも発表されておりまして、検挙をされた暴力団の数というのは実に三万二千名に上っている。これは、ここにありますけれども、去年の十月に発表されている昭和五十六年度を取りまとめた犯罪白書の中でも明らかにされておるのです。この中にはいわゆる薬物関係のものも含まれているのです。シンナーは別ですが、大麻あるいはコカインやヘロインなども含まれていますけれども、暴力団関係でも一万人を超えている。こうしたことが非常に大きな外的な要因になっていると思うのです。  総理府の青少年対策本部の、これも十二月に発表した中では、そうした外的な要因としてこんなふうなことが言われているのですね。俗悪な出版物あるいは看板、ゲームセンターなどの環境、不健全な交友、非行を容認する社会的な風潮あるいは暴力的な行為——ですから、せっかく教師や父母の努力があるにもかかわらずそういうものが社会に温存されているということになると、十分な効果を上げることができないと思います。そういう意味で、これは文部省として、管轄外であろうかと思うのですけれども、こうした問題に対しても、非行を誘発する原因がどこにあるのか、学校家庭という狭い領域だけではなくて、やはり全体としてこの問題点をつかんでいく必要があると思うのですね。そういう意味で、特に私はこうした暴力団の横行などに対し、あるいはテレビなどでも子供たちの気持ちを扇情的にあおるようなものが大変多いわけでありますけれども、厳しく対処しなければいけないと思います。そういう点で、その点についての大臣の御見解を承りたいと思います。
  240. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 多くを申し上げませんが、いまおっしゃるように、この原因はいろいろ複雑に絡まっておると思います。子供の素質もありましょうし、その素質が悪ければそれを家庭教育で真っすぐにしていくのが家庭教育であるし、学校教育である。そういう環境もありますし、それから最近の経済発展の中で、反面、非常に家庭がばらばらになってきておる。子供はひとりぼっちでおるというような——一番大切な保育時から指導の時期にその環境にない。いまおっしゃる外界にはいろいろ迷わされるといいますか、悪い方に興味を持たせられる環境が控えておる。それは先ほどお話しのように、いろんな映画でもあるいはテレビでも同じだと思いますが、まだまだ判断力のない子供でありますから、そういうところについ引きずられる。一面においては、暴力であるとか、ああいうものに興味を持ち、だんだん成長するに応じてこういう非行が重なりますと青年期に達するまでにそういうものにつながっていく、こういう現象があると思います。  私は最近の新聞の報道等見ておりまして、ますます拳銃が密輸入されておる、あるいは麻薬の密輸入、警察その他が一生懸命やっておられるのですけれども、あれは根絶しない。法律だけが万能じゃありませんけれども、これは社会を根本的に——日本では拳銃なんか要らないのですから、根本的にもう少し考え直して処置する必要があるんじゃないか、これは文部大臣の言うことじゃありませんけれども、私は前に法務省を預かっていたことがありますから、あの当時暴力団の根絶を指示してやっておった時代がありますけれども、なかなかわが世の中は理想どおりいきませんから、そういう環境はあると思いますから、これは家庭がどうの学校がどうの、あるいは地域社会がどうのばかりでなく、国民全体がもう一遍ここら辺でこれでいいのかということを考えて原因を分析し、その対策を、一挙にはできませんけれども、できることから順次進める、これが非常に大事な時期であろう。文部省にいたしましても、先ほど局長から御説明申し上げましたように、過去にもいろいろ努力をしております。学校あるいは社会その他努力しておりますけれども、その効果の結果がこうなんだからどこかにギャップがあるんじゃないか、こういうところも再検討すべきものは再検討するという頭で対応策を考える、こうしておるところでございます。
  241. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 特に暴力の問題などについては、暴力団など、大臣からも厳しく閣議などにも意見を反映させていただきたいと思うのです。本来、子供たちはきわめて健全だと思うのですが、先ほども局長から御説明があったように、低年齢化しているという、ある意味で非行の克服というのは小学校の課程からだと思うのですね。  これは小学校三年生の女のお子さん、埼玉県川口の三年生が自由に書いて任意に提出をするという「詩のノート」というのがあるのですが、自分のお母さんについてこういうふうに見ているのですね。「おかあさん」という題なんですが、  バイクで雨の中、おかあさんはさむいと思っていなかった。学校でいいはなしがきけるとおもってはやくきた。そんなおかあさんとちょうどあった。おかあさんのかおをみて、雨でかおがびっしょり。よーくみたら、おまけにはなみずがでていた。「おかあさん、はなみずでてるよ。」といったら、おかあさんが「ちりがみちょうだい。」といったから、あげた。五まいまとめてあげたら、一まいでいいのにいっぺんに五まいもつかった。やっぱりさむかったんだな。 これは、もう子供たちの素直な自分のお母さんに対する見方で、本当に親子の触れ合いがあると思うのです。そういう意味で、小学校の課程の中からもこういう今日の非行の芽を根絶するような努力、単に通達だけじゃなくて、やはり親子のそういうものの中からあるいは学校教育の中から、これはやはり文部省が教師集団を信頼しなければならないと思うのです。  これは埼玉の小中学校教職員組合がつくった「どうすれば非行・問題行動を克服できるか」というので、一号から五号まで出しているのですね。「自立をうながす指導のために」「女子の非行にどうとりくむか」「克服のカギは小学校に」、この中で、私見て大変感銘したのは、どんなことがあっても、たとえば先生に子供が暴力をふるった、そういうときでも先生はまず子供を信頼するという、そこを前提にして子供に対して慎重に粘り強く説得をしなければならない、あるいは落ちこぼれの子供たちにも十分に教育が行き届くように教師としての自覚を持った努力をしなければならない。つまり子供たちはすばらしく成長する可能性があるんだということを前提にして教育に当たらなければならないし、非行を克服することができるんだ、こういう自信を——こうしたナンバーワンからナンバーファイブまで出ている、そういうものの中に反映されているんですね。そういう点ではぜひ教師集団のそういう努力を、非行がこんなふうに多いということだけではなくて、そういう努力を大いに評価をして、そのいい点を伸ばしていく、こういうことが大事だと思うのですが、その点について簡単で結構ですけれども、見解を承りたいと思います。
  242. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 先生と生徒の信頼関係教育の基本だと思います。同時に、善悪に対するけじめでございますとか、基本的な人間としてのあり方というふうなものもしっかり教えていかなければいけない。そういう意味で、学校教育におきましては道徳の時間がございますし、いろいろな教科の中でそういうものが教えられるようになっておりますし、クラブ活動におきます人間関係のつながりとか、いろいろな場面がございますので、そういう点で教師には私ども信頼はしておりますので、全力を挙げてこの問題には当たっていただきたいというふうに考えております。
  243. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 ひとつそういうことで大いに努力をしていただきたいと思うのですが、世の中のいろいろな動きが微妙に家庭の中にも反映してくるのです。  これはやはり同じお子さんが書いた詩なんですけれども、「本」という題なんです。こういうふうに書いているのです。  おにいちゃんにたのまれて、おかあさんが、しごとのかえり、本やによって、にほんこくけんぽうとゆう本をかってきた。 これなんです。  おとうさんが、「そんなの中学生がよむやつで、むずかしいぞ。」といっていた。おとうさんは、すこしたって中みをみたら、「おとうさんにもべんきょうになる。」といっていた。おとうさんが「いさむ、ちっとかしてくれ。」といっていた。おかあさんもきょう「べんきょうになる。」といっていた。わたしは、すこしよんだけど、むずかしい。ともちゃんも、おおきくなったら、かしてもらうんだ。おにいちゃんだけのものじゃない。かぞくみんなのものになった。 こんなような作文。これはだれが指導したわけでもないんですけれども、この家庭は、お兄ちゃんというのは六年生ですね。お父さんはタクシーの運転手をやっている方、お母さんは学校の給食の職員なんです。書いたお子さんは三年生の女の子なんですが、ちょっとしたことがこういうふうに子供の心にもいろいろ投影してきます。非常に積極的に「かぞくみんなのものになった。」というふうに日本国憲法、恒久平和、主権在民、そして地方自治や議会制民主主義など大事な日本の根幹になる憲法の問題が「かぞくみんなのものになった。」という、その中に本当に家族の温かみがあると思うのです。中曽根さんが言っているように、大軍拡や不沈空母ではとても家族の温かみはできないと思うのですけれども。  ですから、そういう真摯な子供たち、そういう力をいま本当に教育あるいは政治に携わる者も、行政に携わる者も真剣になって取り組んでいかなければ、これからの日本の二十一世紀を展望しての時代を俯瞰することができないと思いますので、ぜひそういう点での一層の努力を要請したいと思います。  最後に、文部大臣からその点についての御所見を承って質問を終わりたいと思います。
  244. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いま渡辺さんから、子供たちが買ってきた日本国憲法を見て家族で憲法を語るという、私はそこまで行かなければだめだと思うのです。そこまで行くと日本はもっとよくなると思いますが、いいお話を聞きました。努力をいたします。
  245. 渡辺貢

    渡辺(貢)分科員 終わります。
  246. 亀井善之

    亀井(善)主査代理 これにて渡辺貢君の質疑は終了いたしました。  次に、永井孝信君。
  247. 永井孝信

    永井分科員 まず初めに、文部大臣に伺いたいと思うのでありますが、最近国会でもずいぶん取り上げておられることでありますけれども、児童の非行問題ですね。学校家庭それぞれで非行問題について対処しなければならない課題がたくさんある。これは、いまも質疑を聞いておってそのとおりだと思うのでありますけれども、それ以外の環境についてどのように認識を持っていらっしゃるか、大臣の所信を簡単にお伺いしたいと思います。
  248. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いろいろあると思いますが、私は戦後の、これはいいことでありますけれども、すばらしい経済発展、生活の高度化、それに応じて家庭が非常に、核家族化とかなんとか言われておりますが、子供をめぐって愛情が施されるような家族関係でなくなってきておる、こういうのも大きな原因であろうと思います。そのほかに、社会のあらゆる面に利便な問題が起こっておりますけれども、反面まだまだ判断力の薄い成長期の青少年を誘惑するいろいろな印刷物とかあるいは施設とかありますが、そのほかにいろいろ大人の事件がたくさんあります。子供は大人を見習うという点がありますから、そういうものの判断力がなくてまねをする、こういう点もあろうと思いますが、いずれにいたしましても、いまの社会全体をもう少し、私は口幅ったいようですけれども、真剣にと言うんでしょうかまじめにと言うんでしょうか、子供に映る鏡でございますから、私が占領政策に原因があると申し上げたこともいろいろ世間では、誤解と言うと失礼でありますけれども、批判されておる向きもあるやに承っておりますけれども、急激に変わった、敗戦の結果急激に社会制度、いろいろな面が完全に変わりました。変わったのはいいんですけれども、その変わった意味を本当に受け取らない、受け継がないままに急速な発展をしたところに、子供の非行ばかりではなくあらゆる面で欠陥がいまあらわれ出しておる、そういう意味で私は占領政策に大きな原因があるということを申し上げているのです。一言では言えませんけれども、そういういろいろな環境が原因をしておると考えておるわけでございます。
  249. 永井孝信

    永井分科員 最近こういう話を聞きまして私も答弁に困ったことがあるんですが、テレビが毎日毎日ばったばったと人を切る場面が多い。信賞必罰ということがテレビの番組のドラマの流れにはなっているのですけれども、あんなに人を切って殺人罪に問われないのか、こういう質問を受けて私は絶句したことがありました。もちろんドラマのことでありますから、割り切ってしまえばそれまでと思いますけれども、いたいけな子供たちがテレビを見ているときに、いろいろな意味でそれからも影響を受けるのではなかろうか。人の命を粗末にするといいますか、そういうこともそういうところからはぐくまれてきているのではないかと思うのです。これは報道の自由で、規制することはなかなかむずかしい問題でありましょうけれども、こういうものについては人命を尊重するという立場での基本理念を踏まえてもらいたいなという気持ちがいたします。  警察庁もお見えになっておりますけれども、私は兵庫県の出身でありますけれども、この間、兵庫県でまた警察官の収賄問題が新聞をにぎわしました。警察署というところは犯罪の見本のないものはないのではないか、こういう質問をあるところで受けまして、人間の集まりですから、不心得な者が一部おれば、最も信頼されるべき警察がすべてそうだと思われてしまう、第一線で働いている警官たちも気の毒だ、そういう意味ではお互いに気をつけなければいけませんなという一般的な話で終わってしまったのでありますけれども、こういう問題について文部大臣はどう思われますか、簡単にお答えいただきたい。
  250. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 非常に遺憾なことだと思っております。
  251. 古山剛

    ○古山説明員 大変申しわけなく思っておるわけでございまして、ただいま文部大臣のおっしゃったことと全く同感でございます。
  252. 永井孝信

    永井分科員 その問題をここで掘り下げてどうこうということを考えているわけではありません。  時間がありませんので先に進みますけれども、いま文部大臣が言われましたように、学校家庭以外で、いろいろな意味で社会の発展に伴って環境上好ましくないものも出てきている。この問題について、子供を持っている親たちあるいは地域の住民たちが強い関心を示して、環境を浄化するための行動をすることは当然なことだと私は思いますが、これについてはどうお考えになりますか。
  253. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 しばしば同じことを申し上げて恐縮でありますが、国民全体がいろいろなことを分析して、どこに原因があるかということを見きわめて、国民的課題として是正する努力をしなければならない時期に来ておる、かように考えております。
  254. 永井孝信

    永井分科員 環境を守るためにいろいろな法律もあるのですが、法律だけで規制できない分野があるのですね。地域の住民あるいは子供を持つ親たちの積極的な努力と相まって初めて法律の精神が生かされていく、こう思うのでありますが、最近、地域の開発に伴って、たとえば道路が新しくできる。  分科会ですから御容赦いただきたいのでありますが、私の地元でも新たな国道の建設も進んでまいりました。昔から存在する町、村の中に国道がついた。非常に便利がよくなるわけですね。利便性が高まる。ところが、新しくついた国道の周囲に、その国道を走る自動車を目当てに当然いろいろなものが進出をしてくる。これは国民の生活に利便性を与えると同時に、ある意味では地域の環境を悪化させる原因にもなっている、こう思うのですね。たとえば私の地元でもそうでありますが、国道の周囲にまずラブホテルが林立してきた、あるいはビニ本と言われている本を売る自動販売機があちこちに立っていること、大人のおもちゃを売る店が次々出てきたこと、あるいはパチンコ店が進出をしてきたこと。国道などが、大きなりっぱな道路がついたがためにそういうものが進出してきたというケースがずいぶん私の地元にもあるのです。  そこで、きょうはその具体的な問題で善処方をお願いしていきたいと思うのでありますが、せんだっても私の地元でラブホテルの進出問題をめぐって大変な住民運動が起きまして、市長以下、市会でも満場一致でその反対の決議をする、住民の決起集会が行われる、しかし行政府の側は、出先機関でそのラブホテルを風俗営業上問題はないと見たのでしょう、認可を与えるということがありまして、たまたま社会労働委員会でありましたけれども、私この問題を取り上げましたところ、当時厚生大臣の森下さんが、法的には抵触しないけれども、それだけの地域の問題が起きているのに放置できない、善処いたしますということで、結果的にその認可を取り消してラブホテルの進出を阻止したというケースが昨年ありました。  同じようなケースで、今度はラブホテルではないのですけれども、パチンコ店をめぐって、環境を守っていこうという大変な住民パワーが起きてまいりまして、決起集会などが次々行われているわけでありますが、地域的に具体的な例を申し上げますと、兵庫県加古川市の別府町という地区でありますけれども、ここにパチンコ店が進出を計画した。去年の十二月の初めにそれがわかりまして、地域住民がこれは大変だということで、その計画をしている業者にお願いをし、加古川市の市議会に反対の請願行動を起こした。市議会でも満場一致でその請願を採択した、そして警察署にも善処方をお願いしたということで、住民運動がずっと起きていったわけです。  ところが、法律的にいうとその場所にパチンコ店をつくることについては抵触しないのですよ。あるいは県の条例からいっても抵触しない。条例でいきますと、その設置個所から百メートル以内に学校病院がある場合は設置を認めない、こうなっておるのです。たまたま近くにかなり大きな病院があるのですけれども、百三十メートルぐらい離れているのです。学校も百メートルから離れているのです。しかし、たまたまそのパチンコ店の建設場所が小学生、中学生の集団登校地帯になっているということから、これは大変なことだということになってきたのですね。  これは、単に法律に規定するものに抵触しないからということで済まされる問題であろうか。これについて文部大臣、環境を守っていく、青少年の非行を防止するという観点から見ると、純法律的な面ではなくて、行政を進めていく観点から見ればどう思われますか。
  255. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 わが国の憲法は、御承知のとおりに職業選択の自由等いろいろな自由が盛りだくさんありまして、私も二、三そういう具体的体験をみずからやったことがあります。相談を受けている。また、自分の郷里のことを言っては恐縮でありますが、せっかくの話でありますから、宮崎県では国道筋にはそういうものはつくらせないという条例をつくっております。     〔亀井(善)主査代理退席、主査着席〕  いまのお話で、現実に同じようなところですけれども、距離的にそれが法律的に規制できない。たまたま農業高校から二百メートル真っ正面にラブホテルができる。PTAその他、大騒動しました。いろいろ相談を受けて、法律的な建築基準にはかなっておる、建築許可が出ておる、営業面で県の担当の方がどうするこうするという問題がありましたが、法律だけでは万事万般うまく取り締まりをする、規制するということはなかなかむずかしいわけであります。問題は、教育に影響があるかどうか、あるいは大切な青少年の指導に影響があるかどうか、この良識の判断で住民運動等でこれを阻止する、それを行政府も応援するということでなければ解決しないのが現状でございます。
  256. 永井孝信

    永井分科員 いま大臣の答弁にあるように、法律の規定に抵触しなくても、そういう環境を守るとかいろいろなことで住民運動が起きた場合には、大臣いま非常にいいことを言っていただいたわけでありますが、住民の運動の側に立った姿勢で行政を進めていかないと問題の解決はあり得ないという意味のことを言われましたけれども、私はそのとおりだと思うのです。  そこで、具体的にお聞きするのですが、各地に条例もあるのですが、その条例の中に、たとえば公安条例の中で、住民の同意を得ないことにはそういうものの建設ができないというふうな具体的な条例をつくっておるところがありますか。警察庁、お答えいただけますか。
  257. 古山剛

    ○古山説明員 お答えいたします。  住民の同意によって許可にするかしないかというような条例はなかったかと思います。
  258. 永井孝信

    永井分科員 条例をつくるときに、そういうことについていろいろな検討も加えられてきたのでありましょうけれども、その自治体の側にしてもあるいは政府にしても、一つの問題を認可するようなときに、住民の意思と全く正反対のことをただ法律だけで縛っていくということでは、なかなか民主的なりっぱな行政というのはできないと思うんですね。法律にはおのずから限界があるし、法律にはおのずから及ばない部面もあるわけですね。すべてが法律で律し切れるものでもないと私は思うんですよ、いまの社会の仕組みというものは。そうすると、住民の意思というものは何らかの形で生かしていくような工夫が必要だと思うのでありますが、それはどうでございましょうか。大臣どうですか。
  259. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 細かい条例のことは私もよく知りませんが、具体的な例を申し上げますと、これは少年の非行云々にかかわる問題ではありませんけれども、やはり住民の生活環境に関する問題でありましたが、川砂利を取るのにダンプカーが毎日何十台と町の中を運ぶ。そうしますと、まだ舗装もしていない道路でございましたから砂ぼこりがして、とにかく稲作、農作物も非常に被害を受けるし、家庭の中へ砂ぼこりが入ると相当に騒いだことがあります。それはその際に、川砂利を取る認可を県、河川管理者がやるわけですけれども、付近住民の同意を得なければ許可をしないということで許可しておらない事実がありますけれども、その法律がどうなっておるか、私、細かく知りませんけれども、やはりエゴイズムで住民が同意しないというのも困りますけれども、環境をよく調べて、なるほどと思えば行政が指導していくのが当然だと私は思っております。
  260. 永井孝信

    永井分科員 そのいまの大臣のお考えというものを積極的に日常の行政の中で生かしていただきたいと思うのですが、ここにいま具体的に例を挙げました地区の住民大会の決議文を持ってきておるのです。読み上げると時間がかかりますから省略いたしますけれども、この中で言われておることは、この環境を守るために、遊技、賭博類の進出をあらゆる方法で阻止するために地区が全部で立ち上がるということが満場一致で決められた決議文があるんですよ。  そこで、そのことはどういうことかと聞いてみると、もうすでにいま私が具体例で挙げておりますパチンコ店というのは、建築基準法上では抵触しないわけですから、建築許可がおりて、すでに建築に取りかかっているわけですね。このパチンコ店そのものの経営の認可というものはまだ警察庁でおりていないようでありますけれども、すでに建築にかかっている。では実力で座り込んででも阻止しようではないかというところまで、実は運動が発展してきているんですね。  私がここで大事だと思うことは、百メートル以内に学校病院があれば建築できないという条例がある。これは厳密に言うと、メートルをはかって百一メートルあったら許可できるのか、九十九メートルなら許可できないという、しゃくし定規は法律を適用するとそういう問題を含んでいるんですよ。目の前に病院があるんですからね。そばを小中学生が通行するのですから。だから住民が立ち上がった。そのときに、仮に座り込みをする、そのときに法律を守るという立場からすると警察庁は一体どうするのだろう、われわれを検挙するのだろうかという問題もその集会で提起されました。これを検挙する、しないということを明確に答えることは問題あるにしても、この種のケースの問題についての警察庁の基本的な姿勢は、法を守るためには、それは違法な建築ではないのだからあくまでも阻止するということで住民を検挙する側に回るのか回らないのか、一遍答えてくれますか、警察庁。
  261. 国松孝次

    ○国松説明員 住民運動にはいろいろな形があると思うのでございますけれども、そういう住民運動が平穏で秩序正しく行われております限り、私ども警察といたしましてこれに対して何ら関与するものでないということは当然のことでございますが、そうした住民運動の過程で法に触れる行為、違法行為が行われておる、あるいはそれが行われる可能性が非常に強いというような場合には、これはその事案の態様、規模、そういったものに応じまして所要の警備措置をとって、われわれといたしましては違法行為は看過しないという警察の基本姿勢を貫いていくというのが、私どものこの種の事案に対する基本的な方針でございます。
  262. 永井孝信

    永井分科員 警察がこの種の問題を取り扱うときに、やはり子供のためを思い、環境を保全するためにというふうな、その運動の理由としては正当なものがある場合には、やはりそれなりに配慮がある対応をしていただきませんと、暴力団じゃないんですからね、別に暴行行為をやろうというのではなくて、いろいろなケースの反対運動があると思うのでありますが、そこは、当然住民の意思というものがある程度尊重されるような対応が必要だと思うのであります。  私は、このラブホテルの問題をあえて冒頭に申し上げたわけでありますが、この同じ地区におけるラブホテルの問題にしてみたって、法律的には抵触しない。一たん認可もおりている。しかし市当局も住民も挙げて反対しているという事実から、それを尊重して、当時、森下厚生大臣が特別に地方を指導して、その認可を一たん取り消してその問題の解決を図ったという前例をつい最近の例として私たちは持っている。そうすると、同じようなケースでありまして、いま言ったように百メートル以内という基準からすれば抵触しないけれども、これがやはり青少年の非行につながっていくおそれがある。騒音公害という問題もある。静かな住宅地が、そのことによっていわば住みにくくなる。あるいはそこから出てくる用排水路の問題も地域では問題にしている。こういう状況の中で、法律をしゃくし定規に適用するというよりも、住みよい環境づくりのために行政指導の面でもっと積極的にこれを自粛させるようなことが、文部省にしても、あるいは関係省庁、警察庁にいたしましても、できないかどうか、これをひとつお答えをいただきたいと思うのですが、どうでしょう、文部省と警察庁。
  263. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 そういう際には、これは私のいまお話を聞いての考えでございますが、まず市町村、それから県段階、市町村や県は市町村民、県民のすべての幸福を図るために行政をやっておるわけでありますから、そこでそういう采配をふるうべきでないか、事情を見て。中央政府が乗り出していくというのは必ずしも適当でないと私はいま思っておりますが、これはケース、ケースによると思いますけれども、まず第一は、地場の市町村、それから県、こういうところが市町村民、県民の幸せを図るための采配をふるうべきだ、かように考えております。
  264. 永井孝信

    永井分科員 警察庁、どうですか。
  265. 古山剛

    ○古山説明員 風俗営業の許可につきましては、各都道府県の公安委員会の権限事項になっておりまして、兵庫県の場合であれば、兵庫県議会で制定されました風俗営業等取締法施行条例でいろいろと場所的な基準でございますとか、あるいは人的基準あるいは構造設備の基準等を決めておるわけでございます。  それで、お尋ねの場所につきましては、実はいまのところまだ正式の許可申請も出ていないという状況でございますが、事前に相談がございまして、営業所の建築予定地が場所的な基準に抵触するかどうかについて相談があった、そのときにその場所が準工業地域であって、かつ百メートル以内に病院あるいは学校もないということで、場所的基準に抵触しないというふうに認められるという旨を回答しているという状況でございます。  それで、行政指導ということでございますけれども、実はこのケースではございませんが、百メートル以内でも、善良な風俗を害しないと認められるときには許可をする場合があるような規定になっておりまして、その範囲内であれば、そういったことについてもいろいろと住民の同意があるかどうかというようなこととか、いろいろ行政指導もあろうかと思うわけでございますけれども、この場合には場所的には全くそういうあれに抵触しない、ほかの面はともかくといたしまして。その場合に行政指導するということはなかなかむずかしい問題ではないかというふうに思う次第でございます。
  266. 永井孝信

    永井分科員 大臣が冒頭に言われたように、少年の非行問題は学校家庭だけの問題ではない、社会的に存在する幾つかの周囲の環境というものも大きな影響を与えている、だからそういう環境をよくすることも大事なことだということを、そういう意味のことを大臣は冒頭に答えられているわけだ。だから私は言っているのですよ。法律で抵触しないからといって、明らかに小中学生の集団登校の道路沿いであること、準工業地帯ではあるけれども周囲が全部住宅地であること、そして百メートル以内という条例はあるけれども、なるほどそれには抵触しないが、百三十メーターぐらいのところに病院がある。片方は通学路。そうすると、これを単に法的だけで判断をしていい、悪いという判断ではなくて、環境をよくしていくという観点からの行政指導というものがあっていいのではないか。  しかも、もちろん県の公安委員会あるいはいま大臣が言われたように地方の自治体、市町村という問題もありましょう。しかし、このケースで言うと、市議会ではこのパチンコ店の進出に反対の請願を満場一致で採択しているというケースもある。幾ら市議会でそういう採択を求めて市議会で採択をしてくれても、それが拘束力がないということになると一体地方の議会はどうなっているのだ、地方の市会議員なんてどうにもならぬのだな、自治権というものはどうにもならぬのだなということで、地方政治に対する不信感、ひいてはそういうところまで影響してくる。  こう考えると、直接こちらが命令できないものであっても、警察庁は警察庁、文部省文部省、そういうところで県や市町村に対して白粛をさせるように努力をしなさいという指導ぐらいはできるはずだ。それもできないということなら、何のための行政かということになってくる。だから、法律というものは、厳密に言えばすべての国民生活にあまねく及ぶほど事細かく規定できない問題がある。それをちゃんと調和させるのが行政ではないのですか。法律と現実の問題というものを調和させるということは、行政の責任ではないのですか。ここまで住民運動が起きて——住民運動が起きてないところはいいですよ、同意を与えておるのですから。ここでは同意を与えないために、これから警察が仮にパチンコ店の経営を許可するということになってくると大変な衝突が起きると思うのですよ。起きてから、警察が起きたことを取り締まるということであっては遅きに失する。だから、事前にそれを回避するために自粛を求めるということがとられて当然ではないのか。現にラブホテル問題などについては、厚生大臣はそこまでやってくれたという経験を地元では持っている。そう考えていくと、政治にそういう行政指導を求めるのは地域住民の立場からするとむしろあたりまえではないか。これについてもう一回答えてくださいよ。
  267. 古山剛

    ○古山説明員 先ほども申し上げましたように、パチンコ店等の遊技場の場所的な基準につきましては、具体的には都道府県の条例、本件の場合であれば兵庫県の条例で定められているわけでございます。やはり法治国家としては、法に従ったいろいろな行政をやっていかなければならないと思います。それで、個人の職業の自由との関連もございまして、適法な営業行為についていろいろするというような行政指導なりそういうことをするということは、営業妨害のそしりを受けるということにもなりますし、なかなかむずかしい問題ではないかというふうに思うわけでございます。
  268. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 文部省から直接やるというのは、どうかと思っております。
  269. 永井孝信

    永井分科員 法律をそのまま適用して、いい、悪いという判断をすることなら、別にこういうところで議論は要らぬわけです。私は法律を無視せよと言っているわけではない。だから、法律に基づけば、なるほどその地域は営業がされてもいいということになる。距離的に言っても。なるけれども、これだけ地域で住民運動が起きているという現実を踏まえた場合に、法律では許可できる問題であるけれども、やはり地域のことを考えて自粛すべきではないかという行政指導ぐらいできるであろう。市議会も反対の採択をしている、こう現実を踏まえたときに、政治に対する信頼を高める意味からも、あるいは大臣が言われているように、あらゆる非行防止を、周囲から、ずっと環境づくりから進めていくことを考えた場合でも、そのことぐらいは地方に対して自粛のための指導ができないかということは、できるはずだ。また、それをやるべき責任もあるのではないか。私は住民運動が起きていないところを言っているのではないのだから。住民連動が起きて、ここまで町じゅう挙げての騒ぎになってきているという現実を踏まえて、具体的な対応をしてもらいたい。法治国家だから法律を守る、あたりまえの話。しかし、そこからもし派生をして、暴力事件なんか起きないと思うけれども、仮にそういうことが起きたらどうするのですか。それはまた法律によって処罰をするということでは済まぬ問題でしょう。そこのところの血の通った行政を私は聞いているのですよ。それもできないですか。
  270. 古山剛

    ○古山説明員 この風俗営業の対象でありますパチンコ店の設置が許可になるかならないかということは、その当該設置を予定しておられる方については本当に死命が制せらるかどうかという重大な問題であろうかと思います。そういう意味におきまして、やはり私どもとしては、法に定められたところに従ってやっていかざるを得ないというふうに思うわけでございます。
  271. 永井孝信

    永井分科員 いまの警察庁の答弁というのは、全く不満であります。その個人の権利を守ることはもちろん大切である。しかし、その個人の権利と、あるいは地域住民全体の環境を守りたいという、あるいは環境を守ろうとするその権利、これとの問題だと思うのですね。だから個人のその営業の自由を損なわせようと私は考えているわけではないのです。自動車でたくさんのお客さんを呼ぼうという大型のパチンコ店ですから、そういう住宅地でない、通学路でないところにこの場所を求めるということだってあっていいはずなんですね。そういうことも含めて行政指導をできないか、こう言っているのですから、もう一遍答えてください。
  272. 古山剛

    ○古山説明員 まず、先ほどから私ども行政指導がむずかしいと言っておるわけでございますけれども、それはあたかも許可するかのごとき印象を与えますと誤解を招きますので申し上げておきたいと思うわけでございますけれども、まだ正式の申請を受理したわけではございません。したがいまして、申請がございましたら、その後におきまして、条例に定める人的基準でありますとか、あるいはいまの場所的基準あるいは構造、設備の基準等について調査の上、許可の可否を判断するということになるわけでございます。それで、もし仮にほかの基準についてもすべて合致する、そういう場合に、それを警察の指導で、やめなさい、やめておきなさいということはやはり大変むずかしい問題であろうかというふうに思うわけでございます。
  273. 永井孝信

    永井分科員 時間が来ましたので、これ以上質問することができませんけれども、文部大臣、環境を守るために、少年の非行を防止することのために、いろいろな周囲からの環境をよくしていく。その環境を壊すようなことはできるだけさせない。そのさせないための指導というものも、地方にできるだけその全力を挙げてやっていただくということをお願いして質問を終わりたいと思うのですが、それはどうですか。
  274. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いかがでしょうか、永井さん。そういう深刻な問題になっておるのであれば、地元の教育委員会とかなんとかいうことで一遍相談されてみたらいかがかと思うのですが。やはり市会で決議されたとか反対を採択されたとかいうことであれば、そういうところで取り上げて、いまおっしゃるように両方の調和をとることが世の中の必要なことですから、それを図ってみられた方が一番いいのではないかと思ううのですね。警察の方は、さっきお話のとおりぴしゃっと法律にかなっておれば、それをやらぬとまた憲法の問題が起きてきますし、文部省がそれへすぐ乗り出すというのもちょっと筋が真っすぐいっておらぬような気がしますから、教育環境に関係があるならば教育委員会とか、あるいは市議会で阻止しておるなら市長さんとか、そういうところで話し合いができるのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。
  275. 永井孝信

    永井分科員 もう一言だけ、申しわけないのですけれども。  市会には請願をして満場一致で反対の採択がされている。もちろん教育委員会の方にも要望している。しかし、その教育委員会や市会の方がこれをできるだけ自粛させようと思っても、法律的にいうと基準に合致しているという問題があるものですから、なかなかそこが穴があかない。あとは人道上の問題として、建築あるいは営業を考えていらっしゃる方に自粛を求める以外に道がないということになってくるのですね。だから、それはもちろん大臣言われるように地方でやりますよ。やりますけれども、私もここで取り上げた問題でありますから、できるだけ地方にもそういうことについてお互いが、文部省だけではなくて、警察庁もあるいはその他のところも、関係者が力を合わせてこういう問題の処理が共体的に図れるように、最後にお願いして終わりたいと思うのですが、どうでございますか。
  276. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 まあ地元の様子を聞いてみまして、できることならしたいと思います。
  277. 永井孝信

    永井分科員 警察庁どうですか、もうそれ以上言えない……。
  278. 海部俊樹

    海部主査 もう時間も来ておりますから、恐縮ですけれども、後にしてください。  これにて永井孝信君の質疑は終了いたしました。  次に、武田一夫君。
  279. 武田一夫

    武田分科員 まず大臣にお尋ねをいたします。  私は専修学校につきましてちょっとお尋ねをしたいと思うのですが、昭和五十一年ですか、専修学校という制度が発足いたしましてもう七年目に入るわけであります。専修学校というものの地位といいますか、その評価、どのようにお考えでございますか。まずその点をひとつお聞かせいただければ、こういうふうに思います。
  280. 阿部充夫

    阿部政府委員 ただいま先生御指摘がございましたように、専修学校の制度は、昭和五十年議員提案という形で全会一致で成立をして、新しく設立を見た制度でございまして、以来今日まで約七年という時日を経たわけでございますが、その間、年々内容的にも規模その他の面においても充実をしてまいりまして、今日では学校数にいたしまして二千八百四校、生徒数にいたしまして約四十八万人という規模のものにまで成長しておるわけでございます。  これは、特に専門課程、大学に近いようなレベルのものについて申しますれば、すでに従来からございます短期大学と同じ規模のところにまで到達したというようなことになっておるわけでございまして、この専修学校が従来の学校と異なりまして、非常に自由なと申しますか、弾力的な制度のもとで社会の多様なニーズにこたえていけるようにという配慮でできましたこの制度が社会のニーズに合った結果、こういう発展を見ているのだということで、私どもとしては大変評価をしておるわけでございます。もちろん文部省といたしましては、それに伴いまして各種の税制上の措置でございますとかあるいは育英奨学制度の創設でございますとか、いろいろな形での援助措置を年々講じてきておるところでございます。
  281. 武田一夫

    武田分科員 大臣、そういうのが専修学校学校なわけです。私はこの専修学校というのは非常に貴重な存在だと思うのです。というのは、大体大学進学は頭打ちで、特に短大などよりは専修学校へ行く子弟が非常に多いわけです。しかも、会社の方もここを出てくる生徒というのは非常に貴重な存在として、就職もかなりいいはずです。人間もしっかりしているわけです。私もいまから十五、六年前ですが、五年間、各種学校の時代にちょっと教員をした経験がありまして、それ以来関心を持っていますが、先生方も非常に教育熱心な方が多いし、非常に評判がいいわけです。ですから、これは社会に対する貢献度も非常に大きいし、教育における評価も非常に高いものだと私は思っています。  いま局長がそういう話をされたのですが、それではこの七年間、専修学校にどういう恩典と言うとおかしいですが、対応がなされてきたか。専修学校は発足してから七年間、何を与えられてきたかということを一つ一つ見ていきますと、もっと対応は十分にすべきでないかという点がいっぱいあるわけですが、いま何か二、三、税云々とかと言いましたが、いままで専修学校に与えてきたもの、なされてきた対策といいますか対応というものを、具体的にどういうものがどうなっているかということをひとつ列挙してもらいたいと思うのですが、どうですか。
  282. 阿部充夫

    阿部政府委員 全部尽くして申し上げられるかどうかあれでございますけれども、主な点を申し上げさせていただきますと、昭和五十年度に専修学校制度ができましたが、具体に発足をいたしましたのは五十一年からでございます。  その後、まずは税制上の措置でございますけれども、勤労学生控除等の面での拡大、五十一年。それから指定寄付金の対象範囲としての拡大ということで、この関係を取り入れていくこと、これも五十一年でございます。以後、これは年々いろいろやってまいっておりますので全部申し上げかねますが、昭和五十五年度、最近では電気ガス税を非課税とするということで、学校法人とかなり近い取り扱いが行われるようになってまいっております。  また、育英奨学制度につきましては、昭和五十五年度に専修学校生徒に対しまして短期大学とほぼ同じような形での育英奨学制度の適用が行われまして、その後、年々その対象範囲の拡大が行われておるところでございます。  それから、専修学校教員研修事業というのが大切であるということで、教員研修事業費に対する補助昭和五十三年度から開始をして、これも年々充実をしてまいっておるわけでございます。  また、これはちょっと別の観点でございますけれども、国費の外国人留学生大学等に受け入れておりますけれども、専修学校の機能等にかんがみまして、外国人留学生専修学校に入ってもらうことも非常にプラスではなかろうかというようなことで、この国費外国人留学生制度、これは五十七年度、本年度から始めたわけでございますけれども、そういう受け入れの体制もつくりつつあるわけでございます。  また、施設設備の関係につきましては、融資でございますけれども、日本私学振興財団からの融資を、これも年々拡充をしてまいっております。  以上のような点が概要でございますが、さらに来年度、ただいま御審議をいただいております五十八年度予算案におきましては、新しく国から直接各専修学校に対する補助を行う制度といたしまして、大型の教育装置に関する補助というものを新たに計上するということを予定いたしております。  概要そのようなところでございます。
  283. 武田一夫

    武田分科員 徐々になさっているその努力を、私もお話を聞いてわかりました。  しかし、現場の経営者やあるいは教員として長年携わってきている方々にお会いしますと、たとえば専修学校学校教育法第一条の大学や高校とは違うものだということで、それで目的、修業年限とか教育内容、教員の資格等云々というのは各種学校の場合は規定がなくて、第一条の学校とは全く異なる学校制度であった。これは各種学校のときですね。それがいろいろと、たとえば教員の場合は、大学卒業、そしてその後二年間の経験を踏んで六年間とかいう、教員の資格の上における規制というか厳しい指摘をしてきているわけです。それからあと、学校の校舎は自分が持っていなくてはいけないとか借りたものはだめだとか、あるいは面積もこれくらいは最低必要で、人数もこれくらいにしなさい、最低四十人編制でしたか、そういうような規制がどんどんしてこられた。そういうようなことで、もういわゆる第一条の学校に沿ったような、近いものに規制がされてきている。  しかもこれによりますと、入学資格、修業年限、教育水準教育内容等がそれぞれ異なる多様な分野の教育を目指す制度だからそれも結局は第一条の方の学校のそういうものには入らないということを言っているんだけれども、私に言わせますと、入学資格だってきちっといまはほとんど高校卒業でなければならない。これは決まっていますね。大体七割以上はそれでしょう。それから、修業年限も大体二年以上が非常に多い。それから教育水準はかなり高いわけです。その証拠には、短大や大学を出た方がたくさんこの専修学校で学んで、大学で何でこういうことを教えなかったんだということを言うほど充実した教育内容であり水準だ。こういうことになりますと、第一条の大学、高校、その一つに短大が入っているのを考えると、この専修学校というのもそういう対応をする、そしていろんな条件整備をもっとしてあげればいいのではないかというふうに私は思えてならない。その点はどういうふうに考えておりますか。短大の方々は最近入る傾向が少なくなってきたというのも、やはり専修学校に押されている一つの傾向だと私は見ているわけです。それだけに、内容充実、そうしたいろいろな状況がここ六、七年非常に格段の向上をしてきているだけに、ここにある規定というものに私はやはり多少反発を感ずるし、現場の経営者や教員等も非常に不満を持っている。これは解消してあげる方向で検討すべきじゃないか、こういうふうに思うのですが、この点はどうでしょうか。
  284. 阿部充夫

    阿部政府委員 専修学校の制度は、成立いたしましたときの趣旨から見ましても、従来の学校教育法一条のようなかちっとした学校制度にはむしろなじまないものを積極的に奨励し振興していく、こういうことをねらいにしたものでございますが、と同時に、従来の各種学校のレベルにとどまらず、先生ただいまいろいろ御指摘ございましたように、より高い水準のものにこれを位置づけていくという二つの要素を持っておるわけでございますので、専修学校の現在のいろいろございます制度あるいは設置基準等につきましても、そういった二つの基本精神を調和させながらこれを設けておるという性格のものであるわけでございます。  したがいまして、現在ございます、御指摘にございましたような校舎、校地等の基準でございますとかあるいは教員数等の基準は、従来の各種学校に比べますとある程度高くなってはおりますけれども、しかしながら、短期大学あるいは高等学校といったようないわば正規のと申しますか、学校教育法一条の学校に比べれば相当弾力的と申しますか、低いという言葉はあるいは適当でないかと思いますけれども、そういうような弾力的な配慮ができるようになっているというふうに考えておるわけでございます。  教員の資格等につきましても、大学の場合には、教授になる場合には博士の学位を持っていなければいけないということでございますが、専修学校の場合には大学卒二年程度以上というようなところに基本を置いての資格を決めておるわけでございますので、一応専修学校制度創設の目的を達成していくためには現段階では現状程度であろうかというふうに思っておるわけでございますが、なお今後の運営の実態等によりまして、専修学校関係者等とも十分話し合いながら、また必要に応じて、改定の必要が出てくれば十分検討し対応していくというふうにさせていただきたいと思っております。
  285. 武田一夫

    武田分科員 そういう関係者は非常な自信と誇りと希望を持っているんですな。ほかの学校なんかと比べるとけた違いにすさまじい。私は教育の原点がそこにあるように見ております。大学や短大と校舎なんかの規模とか運動場とか、いろいろとありますね。そういうものはさておいて、専修学校の存在というか地位というものを大学並みの評価をする姿勢というものを今後はしっかと文部省当局は示していく、それをいろんな施策の中に一つ一つ着実に実現していくという方向が、これからの専修学校発展に大きく貢献する大事なポイントだと思って私はお話し申し上げているわけでありますから、どうかひとつ、関係者との連携の中でそういう対応を十分にしていただきたい、こういうふうに思います。  それから、私学審議会というのがあるわけですね、また文部省には私立大学審議会、こういうところに専修学校各種学校の意見というものを十分に反映させて、そしてそれが現場にいろいろな制度の改善発展のために寄与するような、そういうことをしているのだと思うのですが、これはどういうふうになっているのですか。  この間聞いたところによると、県なんかにある私学審議会ですか私立学校審議会というのですか、そういうところにそういう関係者の意見が反映しない、反映することができないのだということで不満を言っている方にちょっとお会いしたものですから、これはそうであれば不都合ではないか、こう思うのですが、どういうふうになっているのですか。
  286. 阿部充夫

    阿部政府委員 ただいまお話しの中に私立大学審議会と私立学校審議会と二つが出たわけでございますが、私立大学審議会は文部省に置かれておりますもので、大学関係文部省が直接所轄省として所管をしております関係文部省に置かれまして、大学関係設置認可その他についての諮問にこたえておる機関でございます。専修学校の場合には、これは文部省直轄ではございませんで、所轄庁が都道府県知事になっております関係上、私立大学審議会とは関係がないわけでございます。  そこで、都道府県に置かれます私立学校審議会でございますが、これにつきましては、専修学校制度が創設をされましたときの法律改正によりまして、私立学校審議会の委員の中に、私立専修学校の校長でございますとかあるいは私立専修学校設置する学校法人もしくは学校法人の理事というような方々を加えるような仕組みになっておるわけでございますので、実態ただいま手元に持っておりませんけれども、入っているはずだと思っております。
  287. 武田一夫

    武田分科員 もしそういう入ってないようなところがあるとすれば、これはやはり問題だということになるわけですね。そうですか。わかりました。  それでもう一つ。専修学校で、ことし五十八年から大型教育装置導入による経費補助として、一億五千万ですか、取りましたね。これはちょっとみみっちいですな、私に言わせれば。恐らくコンピューター等の問題でしょう。いまコンピューターのいわゆるソフトウエア、情報処理の仕事というのは、専修学校が受け持つ分野で非常に大きいですよ。しかも、そこに入って勉強する方々の就職なども非常にいい。それでますます評判で入ってくる。ですから、そのために学校としてもかなり思い切った優秀なものを入れなくちゃならないということで努力はしているのですが、かなり苦労している。一億五千万なんてみみっちいことを言わぬで、初年度はスタートが大事なんですから、これは今後一つの大きな日本の産業構造の新しい展開の中で必要な部門です。言うならば目玉です。ここにやはりめり張りをつけて対応した方が文部省への評価が非常に高くなるのじゃないか、私はこう思うのですが、いかがですか。
  288. 阿部充夫

    阿部政府委員 今回の予算案に計上されております、一億五千万円でございますけれども、先生御案内のように、昭和五十八年度の予算編成に当たりましては、全体として非常に厳しい財政状況の中で、各種経費等はおおむね減額が立つという中で専修学校整備のために特に新しくこの補助制度を設けたというような経緯もございます。また初年度だから大きくという話もございますが、運営の実態というものをこれから見ながら検討していかなければならないことだと思いますので、初年度として一応一億五千万円を計上いたしました。  以後の問題につきましては、なお今後の財政状況あるいは専修学校の運営状況等を十分見ながら考えさせていただきたい、かように考えております。
  289. 武田一夫

    武田分科員 大臣、確かに財政事情厳しい、これはみんなだれでも知っている。だけれども、教育というものはそういうときにしっかりと、たとえどういうほかの雑音があろうとも厳然と守っていくのだという姿勢がないと——非行云々とかいろいろなことはありますが、国の政治をとるわれわれの考えの中に、どういう困難な状況にあろうとも教育はしっかり守っていくんだ、そのための環境整備は最高を尽くすのだということがどうも欠けているのではないかと私は思うのです。たとえば農業なんかでも私は言うのですが、こういう情勢で農業も大変切られましたけれども、私学の助成でも、見るとよくもまあばっさり切ったものですな。血がよく出てこないと思うくらい全部ばさばさっと切っていまして、これはずいぶんさばさばとしたやり方をしているなと私も感心するのですが、これではやはり教育に対する愛情というものがないと私は思うのですね。ですから、そういうところでも教育というものは国家百年の大計の中で大事である。しかもここは、実学的な、社会の第一線で中核となってがんばる方々の養成機関としての部門なのです。こういうところに相当な配慮があるということが政治の一つの原点として欠かせないものだ、こう思うのですが、大臣はどうですか。
  290. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 気持ちは武田さんと全く同じであります。私も、この専修学校というのは非常におもしろいというと恐縮でありますが、非常に興味のある制度だと思います。発足以来まだ七年しかたっておりませんから、改善すべきところは順次改善していかなければならないと思います。いま学校制度の問題で画一的だとかなんとか言われますが、人間の才能は千差万別でございますから、みんな同じ方向に歩かせるというよりも、こういう専修学校みたいな実学を学びながら人格を形成していく、こういうのが非常にいいのであって、そういう意味で非常に興味を持っておるわけでございます。  先ほど教育装置の一億五千万は少ないとおっしゃいますけれども、削りに削らなければならないこの財政事情の中で、先ほど局長が申し上げましたようにこれは創設でございますから、それは金額からいうと少ないかもしれませんけれども、芽を出しておけば大きくなるという楽しみを持ってひとつ見ておいていただきたい。  それから、私学助成を削りましたということは、なるほどそうなっております。なっておりますが、これは私学の運営にそれほど支障はない。こういう非常に困難な時期でありますから多少の影響はありましたけれども、これを軽く見ておるということでないことだけは理解してもらいたいと思います。
  291. 武田一夫

    武田分科員 私学助成のたとえば私立大学等経常費補助、その次の私立高等学校経常費助成補助なども、御承知でしょうけれども、毎年これは二分の一に持っていく努力をしろというので一生懸命みんなが努力しまして、少しであるけれども希望のある運動をしてきた人たちがこれを見て、何だ、これが一つのきっかけになってまたトーンダウンするのではないかという心理的な影響が特に大きいですよ。厳しい厳しいといっても、これがたとえばとんとんぐらいだったら私もがまんしようと思っていた。だけれども、特に毎年大変な希望や要望があって、しかも私学というのは、非行云々と言われている中で非行を起こさないということにどれほど教員が熱心にやっているかわかりますか。データをとってみたら、普通の公立や国立とは比べものにならぬくらい彼ら先生方、父兄合わせての対応というのは、これは涙の出るものがありますよ。私は五年間私学で教えた経験がありますが、いまから二十年前ですが、そのときでさえもそうなのですから、いまは特にそういう子供さんがどちらかというと入ってくるのが多いでしょう。そうでしょう。大体、行きどころがなくて来る人間も何人かいるわけですよ。それを命がけで守って教育をしながら、勉強はだめだけれども人間的にしっかりした者をつくっていこうといろいろ努力していることを考えると、これは涙が出てきますね。  そういう現場の方々、そして父兄等々の努力を考えたときに、これは全く残念だと私は思うのですね。今回こうなるのならこの次ははずみをつけてかなり前進するんだという答えをもらわなければ、とてもじゃないがこれはどうしようもないものだ、こういうふうに私は思うのですよ。どうなんですか、それは。そういう人たちのいままでの苦労とか実績とか考えながら、経常費の補助の問題等についてはやはりもっと真剣に取り組むべきではなかったかと思うのですが、今後何らかの形で支障のないように努力するということを約束できますか。  時間が来てしまいましたからその答えだけ聞いてやめますけれども、ひとつ答弁をいただきたいと思うのです。
  292. 阿部充夫

    阿部政府委員 先生御指摘がございましたように、私学助成につきましては、わが国学校教育の中で私学が大変重要な役割りを果たしているということを私どもも十分認識しておるところでございまして、経常費の助成措置の充実にはかねてから努力をしてまいったところでございます。しかしながら、近年国の財政状況がとみに逼迫をしてまいりまして、これについても厳しい対応を余儀なくされているところでございまして、特に昭和五十八年度予算の編成に当たりましては、こういったたぐいの経常的経費については、いわゆる五%マイナスシーリングというような枠取りの中での対応であったために大変苦慮いたしたわけでございますけれども、結果的には、大学関係はごらんのように二千七百七十億というところに落ちついたわけでございます。この額について、私学の現状等から見て十分でないという御批判があるということはもちろん承知いたしておりますけれども、現下の諸情勢等を考えますと、その中では一応の額を確保することができたというふうに考えておるわけでございます。  なお、大学関係につきましては、別途各大学の特色ある教育研究活動を推進するというような意味から、大型の教育研究装置の補助金二十五億円というものを新たに計上もいたしておりますし、また高等学校以下の学校関係につきましては、こういった中ではございましたけれども、ひのえうま対策の生徒数の変化の部分の調整を行っただけで、あとは原則前年同額確保するということで、高校以下につきましては一般国民との関係が密接であるというようなことからも特に力を入れて、こういった一般に減になる中では力を入れて対処いたしたつもりでございます。なお、そのほかに地方交付税の面におきまして、これは自治省の仕事でございますけれども、一定の御配慮をいただきまして、四十数億円ほど積み増しをしていただきましたので、高校に対する国の財源措置といたしましては、全体としては前年度より若干上回るという線に行っておるわけでございます。  なお、五十九年度以降の問題につきましては、財政状況の諸推移等予測できない要因を多数抱えておるわけでございますが、楽観できない状態であることはもとよりのことでございますので、私どもといたしましては、こういった財政事情等をも踏まえながら、今後私学の振興方策をどういうふうに考えていくかということを真剣に考えたいということで、昨年の十月以来私学関係者にお集まりいただきましていろいろ御意見等を伺う機会を数回持っておりますが、なお引き続き何回か会合を重ねましてある方針を考えていきたいというようなことを考えておるところでございます。
  293. 武田一夫

    武田分科員 時間が来ましたので、大臣、ひとつ私学の振興のために十分なる御配慮をいただきたいということを重ねてお願い申し上げまして、質問を終わります。どうもありがとうございました。
  294. 海部俊樹

    海部主査 これにて武田一夫君の質疑は終了いたしました。  次回は、明五日午前九時三十分から開会、自治省所管について審査を行うこととし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時三十九分散会