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1983-02-18 第98回国会 衆議院 予算委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年二月十八日(金曜日)     午後四時三十三分開議  出席委員    委員長 久野 忠治君    理事 江藤 隆美君 理事 高鳥  修君    理事 堀内 光雄君 理事 三原 朝雄君    理事 村田敬次郎君 理事 川俣健二郎君    理事 藤田 高敏君 理事 坂井 弘一君    理事 大内 啓伍君       相沢 英之君    今井  勇君       上村千一郎君    小渕 恵三君       越智 伊平君    大村 襄治君       奥野 誠亮君    海部 俊樹君       片岡 清一君    金子 一平君       倉成  正君    澁谷 直藏君       砂田 重民君    田中 龍夫君       渡海元三郎君    中村正三郎君       根本龍太郎君    橋本龍太郎君       藤尾 正行君    藤田 義光君       藤本 孝雄君    武藤 嘉文君       岩垂寿喜男君    大出  俊君       岡田 利春君    木島喜兵衞君       小林  進君    沢田  広君       野坂 浩賢君    鍛冶  清君       木下敬之助君    竹本 孫一君       瀬崎 博義君    中路 雅弘君       楢崎弥之助君  出席国務大臣         内閣総理大臣  中曽根康弘君         法 務 大 臣 秦野  章君         外 務 大 臣 安倍晋太郎君         大 蔵 大 臣 竹下  登君         文 部 大 臣 瀬戸山三男君         厚 生 大 臣 林  義郎君         農林水産大臣  金子 岩三君         通商産業大臣  山中 貞則君         運 輸 大 臣 長谷川 峻君         郵 政 大 臣 桧垣徳太郎君         労 働 大 臣 大野  明君         建 設 大 臣 内海 英男君         自 治 大 臣         国家公安委員会         委員長     山本 幸雄君         国 務 大 臣        (内閣官房長官) 後藤田正晴君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)         (沖縄開発庁長         官)      丹羽 兵助君         国 務 大 臣         (行政管理庁長         官)      齋藤 邦吉君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 谷川 和穗君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      塩崎  潤君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      安田 隆明君         国 務 大 臣         (環境庁長官) 梶木 又三君  出席政府委員         内閣法制局長官 角田禮次郎君         内閣法制局第一         部長      味村  治君         警察庁刑事局保         安部長     大堀太千男君         北海道開発庁総         務監理官    楢崎 泰昌君         防衛庁参事官  西廣 整輝君         国土庁長官官房         長       宮繁  護君         外務省アジア局         長       橋本  恕君         外務省条約局長 栗山 尚一君         大蔵省主計局長 山口 光秀君         文部大臣官房長 高石 邦男君         文部大臣官房審         議官      齊藤 尚夫君         文部大臣官房会         計課長     國分 正明君         文部省初等中等         教育局長    鈴木  勲君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省管理局長 阿部 充夫君         農林水産大臣官         房長      角道 謙一君         建設大臣官房会         計課長     牧野  徹君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      三樹 秀夫君     ───────────── 委員の異動 二月十八日  辞任         補欠選任   正示啓次郎君     中村正三郎君   村山 達雄君     片岡 清一君 同日  辞任         補欠選任   片岡 清一君     村山 達雄君   中村正三郎君     正示啓次郎君     ───────────── 本日の会議に付した案件  昭和五十八年度一般会計予算  昭和五十八年度特別会計予算  昭和五十八年度政府関係機関予算      ────◇─────
  2. 久野忠治

    久野委員長 これより会議を開きます。  昭和五十八年度一般会計予算昭和五十八年度特別会計予算昭和五十八年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題とし、総括質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
  3. 木島喜兵衞

    木島委員 総理、あなた、ことしの最初韓国を訪問されましたけれども、あのときの最初の夜でしたか、歓迎会がありましたな、カラオケなさったその前に。あのときのごあいさつに、あなたが、過去の反省の上に立って新しい日韓関係を樹立するとおっしゃいましたと新聞に報ぜられておりますけれども、それは、過去の反省というのは、三十六年にわたるところの植民地支配から来る物的、人的な損害に対してでありましょうけれども、その植民地支配そのものも含めての反省というように理解してよろしゅうございますか。
  4. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 過去におきまする韓国日本との不幸な事態が起きましたことについて、日本側責任があるということを反省いたしまして、そして、そういう発言をいたしたものであります。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 ですから、その責任あるということは、物的、人的等の被害を与えた、損害を与えたということのみならず、植民地支配そのものについての反省も含まれておったかどうかということをお聞きしておるのです。
  6. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 植民地支配という言葉が適当であるかどうかわかりませんが、ともかく過去と申しましても、特に日本韓国に対しまして、伊藤さんが行ったりして、そして、いわば植民地支配のような形になって、そして、いろいろ迷惑をかけた、そういうことも含めて反省しておるわけであります。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、反省という言葉には、当然これは共同コミュニケにも「反省」という言葉がございますね。この反省は、共同コミュニケ反省もあるいはあなたの反省も、したがって、過去が適切でなかった、正しくなかった、よくなかった、誤っておったというような価値判断がその中に含まれておる、反省という言葉に含まれておると理解して当然よろしゅうございますな。
  8. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 結構でございます。
  9. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、そういう意味では、表現の上にあるかどうかは別として、陳謝という気持ちが含まれておると理解してよろしゅうございますか。
  10. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 結構でございます。
  11. 木島喜兵衞

    木島委員 そのときに、今回の訪韓で教科書の話は出ませんでしたか。
  12. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 教科書の話は出ませんでした。
  13. 木島喜兵衞

    木島委員 しかし、三十六年にわたる、先ほどお話がございますように、あなたが、植民地支配という言葉がいいかどうかということは別として、実質的には植民地支配という言葉をお使いになりましたね。そのことだけなのか。しかし、あなたが訪韓される半年前には、教科書問題でもってずいぶんと国会も決議したし、あるいは民衆も反日運動などを展開したわけですね。だから、本来ならばそのことにも触れるべきことなんだろうと思うのでありますけれども、しかしお触れにならなかったということは、反省の中にはそのことも含めておったというように理解する方が正しいのでございましょうか。
  14. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 反省の中にはそれも含まっていると御理解して結構でございます。
  15. 木島喜兵衞

    木島委員 すると、先ほど申しましたように、反省という中には、正しくなかった、適切でなかった、悪かった、間違っておったとか誤っておったとかということの気持ちがあって、陳謝気持ちもあるということでありますから、教科書のあの問題もまた、そのように間違っておった、適切でなかったというような意思があなたの気持ちの中にあった、あるいはもう少し言えば陳謝する気持ちもあったというように理解してよろしゅうございますね。
  16. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 一般的に申せば、日本側思慮の足らざるところがありまして、そういう点においてわれわれは深く反省しなければならぬと思っておるわけであります。
  17. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、思慮が足らなかったということには、正しくなかった、適切でなかったという価値判断が含まれておった、先ほどお認めになったごとく、そう理解してよろしゅうございますね。
  18. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 そのように御理解していただいて結構です。
  19. 木島喜兵衞

    木島委員 もし中国に行かれたとしたならば、中国でも同じように、こういう機会があれば、あなたがいらっしゃるならば、やはり反省という言葉をお使いになったでしょうね。
  20. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 仮定の問題でございますからお答えしにくいことでございますが、反省の気分には変わりはないと思います。
  21. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、その意味では、反省ということは、韓国に行かれたときの言葉の中に含まれる意味と同じことであるから、したがって中国におけるところの共同声明における「責任を痛感し、深く反省する。」ということは、あなたがもし中国に行かれれば、反省するということがあるだろうとおっしゃるその気持ちは、やはり過去が間違っておった、誤っておった、正しくなかったという気持ちであり、陳謝を含めた気持ちでもっておっしゃると、韓国と同じように理解してよろしゅうございますね。
  22. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 ケースは違いますけれども、当方の気持ちとしては同じように御理解していただいて結構です。
  23. 木島喜兵衞

    木島委員 その辺、これは十年前田中元総理中国へ行ったときに、やはり夕食のときに、非常に軽い意味で、迷惑をかけたと言われたが、それはあるいは通訳の不手際があったのかもしれませんね、けれども大変周恩来首相を怒らせたことがありましたね。でありますから、そういう意味でやはりこのことはあなたの中国に対する戦争そのもの認識ともかかわるわけでありますから、そういう意味でお聞きしておるのでありますけれども、その意味では陳謝気持ちも含めた価値判断が入ったあなたの理解である、反省という言葉をもし使うとすれば、そう理解してよろしゅうございますね。
  24. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 結構でございます。
  25. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、中国との十五年戦争というものは侵略戦争であったと理解していらっしゃると考えてよろしゅうございますか。
  26. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 これは、侵略戦争というものがどういう定義になるか、そういうことにもよりますけれども、国際的にそういうふうに批判を受けておりまして、私たちはそういう国際的批判を受けていることを受容しなければならないと思っております。
  27. 木島喜兵衞

    木島委員 中曽根内閣政治目標の第一は、わかりやすい政治というのだけれども、ちょっとわかりづらいですな。侵略戦争侵略戦争どんずばりなぜ言えないの。だって、国際的には侵略戦争と言われておる、批判されておる、そのことを十分に認識しなきゃならないというようなことをいまおっしゃいましたね。大変わかりづらいですな。どうしてどんずばり侵略戦争と言えないのですか。
  28. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 これは自分主観的なことを公の立場で余り申し上げるのはどうかという気がいたしておりまして、やはり客観的に見て世界的に、国際的に日本がそういうふうに批判を受けている、そういうことを謙虚な気持ちに立って受容する、受け入れる、そういう気持ちを申し上げておるわけであります。
  29. 木島喜兵衞

    木島委員 外務大臣、一九七四年、昭和四十九年、国連総会の本会議総会の総意でということで採択されました侵略に対する定義国連にございますね。これはもちろん日本もそれに賛成しておるわけですね。これは、約半世紀、五十年にわたって国際連盟のころから討議をしながら一致したのです。それに照らして、中国における十五年戦争というのは、侵略戦争、その定義に当てはまりますかどうですか。
  30. 栗山尚一

    栗山政府委員 日中戦争の評価につきましては先ほど総理から御答弁があったとおりでございますが、ただいま御質問国連侵略定義につきましては、私から御答弁申し上げますと、これは先生よく御承知のとおりに、侵略というものを法的に確立した定義としてつくったものではございませんで、安保理事会というものがその機能を果たしていく上で侵略というものを認定するときの一つのガイドラインとして定めたものでございまして、これを過去の事象に当てはめて侵略であるかどうかというふうな尺度としてこの国連の決議を使うということは、必ずしも適当ではないのではないかというふうに考える次第でございます。
  31. 木島喜兵衞

    木島委員 もう一度総理にお聞きしますが、主観的に言っていけないということは、客観的でないとおっしゃるのでしょうけれども、しかし、先ほどの御答弁のごとく、国際的には侵略戦争だと言われておるというならば、客観的ではございませんか。そして、そのことを政府としても十分に認識せねばならぬと言っていらっしゃりながら、なぜあなたは、主観だということで、はっきりとわかりやすく侵略戦争と言えないのですか。
  32. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 歴史的な判定というようなものについてはいろいろ議論もあると思いますけれども、しかし、日本のような立場、いままでの経緯等を見ますと、国際的な批判というものについて謙虚に耳を傾けて戒めなければならぬ、そういう反省がまず立つべきである、自我独善を許されない、そういう気持ちがしておりまして、ほとんど日本行為につきまして侵略であるという判定が下されておる、そういう状況につきましては、謙虚にそれに耳を傾けて、そして、それをそういうものとして受けとめて、そして戒める、そういう立場がいいと考えておるわけであります。
  33. 木島喜兵衞

    木島委員 だから、さっきも主観的に言っちゃいけないとおっしゃったけれども、国際的には侵略戦争だと批判されておるし、そのことは十分に認識せねばならないとおっしゃるならば、まさに客観でしょう。客観でしょう。もし、そうでないなら、国際的に言われていることが誤りになるのですか。誤りであるならば、そのことを十分に認識せねばならぬということにならないでしょう。どうして侵略戦争と言えないのですか。これが十五年戦争に対するあなたの認識なんだろうか。  きょうも二階堂さんが中国へ行かれましたよね。ひょっとしたらこの問答があるいは中国に伝わったら、それは余り聞いたら悪いみたいな気もするのですが、このことをどんずばりなぜ言えないのか。なぜ言えないのかわからないのです。なぜ侵略戦争と言えないのですか。この総理戦争観というのでしょうか、歴史観というのでしょうか、これがむしろ問われたのじゃないですか、今回の教科書問題は。教科書問題は、教科書の表記の問題、表現の問題じゃなくて、むしろ日本のあの戦争に対するところの認識が問われたのじゃないのですか。あれは検定でやったわけでありますから、政府のその認識が問われたのじゃないですか。  そういう意味で、価値判断を持って反省をする、悪かった、誤っておったと、中国でも韓国でも陳謝を含めてそうおっしゃる気持ちがあるならば、そのことが価値判断として侵略戦争であったとどうして言えないのでしょうか。くどいようでありますが。
  34. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 つまり、価値判断の問題というのは、客観性を持っておるかどうかということが非常に大事だと考えるわけであります。それで、いま申し上げたようなケースにつきましては、もう大体国際的にも侵略行為である、そういうふうに判定がつけられておる問題でございます。したがって、われわれはそれを受容する、その判定に従う、そういう考えを持つ、そういう意味で申し上げておるわけであります。そして、戒めていこうということを申し上げているわけなんです。
  35. 木島喜兵衞

    木島委員 だから、国際的に侵略戦争と言われておる、そのことは客観的である、したがって、その客観的なものの判断に従う、そう考えていくということは、侵略戦争だとあなたは考えていると同じことでしょう。どうしてそう言えないのですか。
  36. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 つまり、考える過程というものが大事なので、客観性のあるものという価値が一番大事だと思うのです。いままで日本主観独善で非常に近隣に迷惑をかけてまいりました。やはり国際的な客観性のある声に謙虚に耳を傾けてそれに従っていく、そういう態度がこれからも望ましいと思っておる。日本自分だけの独断でこれがいいと思ったらいいとするというそういう偏狭な態度はとるべきでない、そう思うのです。
  37. 木島喜兵衞

    木島委員 そうなんですよね。だから、過去の戦争は確かに日本独善であった、主観であったかもしれません。しかし、いま客観的に国際的には侵略戦争だと言われていることをあなたはお認めになっているわけです。それは客観的だとおっしゃる。その考え方に従うとおっしゃっている。だったら、この戦争侵略戦争だとあなたが考えるのは論理的に非常に筋が通っているでしょう。どうしてはっきり言えないのですか。言えないとするなら、そこが問われているのだと思う。そこをこれから議論せねばならなくなるかもしれません。
  38. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 結論は同じなんですよね。ただ、申し上げるように、私は、日本人がこれから考えるのは、いままであったような唯我独善ではいけない。日本国内だけの、また、小さな考えばかりを拡大してはいけない。やはり世界の声に耳を傾けて、そして国際的に判定された、まず客観性を持っていると考えられる考えについては、われわれはそれを認めてこれに服する、そういう謙虚な態度で今後もいきたい。そういう意味におきましては、この問題についてはそういう態度でいくべき問題である、そういうふうに自分考えているということでございます。
  39. 木島喜兵衞

    木島委員 だから、侵略戦争だとあなたはお考えになっていいんでしょう。どうして悪いんですか。論理的に続かぬじゃないですか。
  40. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 そういう考えをもってして、国際的にそういう認定をされたという立場から、考えからいたしましても、自分もそのように思う、そういうふうに申し上げておるのであります。
  41. 木島喜兵衞

    木島委員 そのように思うということは、侵略戦争だと思うということですね。それははっきりしましょう。
  42. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 まあ、簡単に言えばそういうことです。
  43. 木島喜兵衞

    木島委員 簡単であろうがなかろうが、そうでしょうが。
  44. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 私が申し上げたいのは、日本人の思考の問題を言っているわけです。  それで、主観的、独善的考え方でいままでやってきたために非常に間違いを犯してきた。やはりこれからは世界あるいは客観性というものをよく尊重して、島国の小さな視野だけでなくして世界的な視野に立って、そうして、その価値というものについてどう考えられているかということを謙虚に受けとめる、その基本的なスタンスが私は大事だと思っているわけです。そういうことからして、この問題についてはそういうふうに判定が下されていると思っておる。したがって、これを受容してそのように思います、そういうことを申し上げているわけであります。
  45. 木島喜兵衞

    木島委員 ですから、したがって、簡単に言えば侵略戦争ですとおっしゃったことは、侵略戦争だと理解してよろしゅうございますね。首を振られましたからそれでいいのです。別にそれ以上――その姿勢が大事だということで、ちょっとくどかったけれども、お聞きしたのでございます。  それから、教科書問題で約一カ月ほどずいぶんと批判されましたけれども、八月の二十六日に、鈴木内閣宮澤官房長官が「「歴史教科書」についての官房長官談話」という政府見解を発表されて、それによって結果的には一応の外交的な決着がついたわけでありますが、これは前官房長官談話でありますから、後藤田さん、これはいまも、この現内閣もその談話は踏襲すると考えてよろしゅうございますね。
  46. 後藤田正晴

    後藤田国務大臣 昨年の八月下旬に宮澤官房長官談話が出ております。前内閣もこの談話趣旨に沿って誠実に履行してきたと思います。現内閣におきましても、宮澤長官談話趣旨に従ってこれを踏襲してまいる、かような考え方でございます。
  47. 木島喜兵衞

    木島委員 そのことは、もう言うこともないのでありますが、大筋を言うならば、日韓共同コミュニケ日中共同声明で述べたところの反省認識は現在もいささかも変わっておらない。この精神教育でも尊重されるべきだが、いまこの両国から批判をされておるので、その批判十分耳を傾けて政府責任是正をする。そのために教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改めるし、同時に、それまでの間は文部大臣の所見でもって教育現場に十分に反映せしめるというのが大筋でございますね。  そこで、このポイントになりますのは、政府責任是正するということでありますが、これは、政府政府責任でもって教科書表現是正するといったのは、両国の要求が理にかなっておるからと判断したのか。理にかなっておらないけれども、アジア諸国から批判をされるから仕方なく是正をする、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで是正する。理にかなっておるからか、かなっておらないけれどもなのでしょうかね、後藤田さん。あなた継承したのだ、これは官房長官談話なのだから。
  48. 後藤田正晴

    後藤田国務大臣 これはもちろん、理にかなっていないことを聞くわけないのですから、理にかなっておるからああいう談話が出たものと、私はさように理解しております。
  49. 木島喜兵衞

    木島委員 官房長官国語の解釈みたいなことで大変恐縮でございますが、この精神学校教育の場でも当然尊重されるべきであるが、いま批判をされておる、だから政府責任是正するということは、日中共同声明日韓共同コミュニケのその反省精神というものは尊重さるべきものであるけれども、しかし、いま批判をされておるから政府責任是正するということは、尊重さるべきものが尊重されておらなかったというように国語上は理解してよろしゅうございましょうか、後藤田教授の採点のほどをお願いいたしましょう。
  50. 後藤田正晴

    後藤田国務大臣 なかなか回りくどい御質問でよく理解ができなかったのですけれども、尊重をせらるべきものについて、中国なりあるいは韓国なりから、あるいは東南アジア各国から批判があったということは事実でしょう。したがって、その認識の上に立って、そういったことの誤解を解くために、政府としては教科書検定に当たって十分配慮してやっていこう、こういうことになったものと私は理解をいたしております。
  51. 木島喜兵衞

    木島委員 是正するというのは、間違っておったから、適切でなかったから、だから直す。誤っておるから直すということですね。
  52. 後藤田正晴

    後藤田国務大臣 その点も、誤っていなければ直す必要がないわけですからね。だからそれは、私はやはり日本側考え方と向こうの考え方は多少の食い違いはあったと思うけれども、あの官房長官談話を出した以上は、やはりその点は日本側に誤っておった点があった、したがって、そこらは直しましょう、こう言ったものと私は理解をいたしております。
  53. 木島喜兵衞

    木島委員 後藤田さんにお聞きしておりますのは、前内閣宮澤官房長官政府見解を出されたものがありますが、先ほど申したとおり、それを踏襲する、したがって、これは官房長官でなければいかぬと思いますから官房長官見解を聞いているわけでありますが、したがって、過去の教科書が記述が誤っておったから是正をするということは確認してよろしゅうございますね、もう一回。よろしゅうございますね。
  54. 久野忠治

    久野委員長 鈴木初等中等教育局長。(発言する者あり)  後藤田官房長官
  55. 後藤田正晴

    後藤田国務大臣 間違っておったかどうかということは、私はよくわかりません。わからぬが、批判を、韓国なり中国側からその点について受けておったということは間違いのない事実であろう、かように考えます。
  56. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、是正という言葉は、たとえば間違っておらなかったのだけれどもよりよくするというのは、これは是正ではない、改善ですからね。是正という言葉は、過去に誤りがあり、間違っておったから直すのを是正と言うのであって、したがって、私は国語の解釈をと、こう申し上げておるのでありますが、だから、そういうように理解してよろしゅうございますねと申したのです。それはお認めになりましたからよろしゅうございます。  そこで……。
  57. 久野忠治

    久野委員長 鈴木局長、ちょっと答弁……(発言する者あり)
  58. 木島喜兵衞

    木島委員 聞いていないです。
  59. 久野忠治

    久野委員長 それじゃ、鈴木局長に申し上げます。質問者は答弁を求めておりませんから……。
  60. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 委員長の御指名でございますので、一言私から……。
  61. 久野忠治

    久野委員長 いや、求めておりません。委員長は訂正をいたします。木島喜兵衞君。
  62. 木島喜兵衞

    木島委員 よく事情はわかるのです。それは文部省の役人からすれば大変なことですから、それはそうでございましょう。でしょうけれども、いまこのことが官房長官談話でもって外交的に一応けりがついた。その官房長官の解釈というものが、是正ということは、誤っておったのであるからそれを直すのであるというように理解をされたわけでありますから、それは文部省がどう理解しようとどういうように言おうと、出したところの政府の方針はそうであるということをいま後藤田さんがおっしゃったのでありますから、そのことをもってこれから話を進めます。  そこで文部大臣、その次に、政府官房長官談話は「教科用図書検定調査審議会の議を経て」とあるわけでありますが、あの審議会の性格というのですか、それは何ですか。――諮問機関ですね。いや大臣、もう時間ないから、諮問機関ですね。首を振っていらっしゃるから、結構です。  そこで後藤田さん、ちょっとむずかしいのは、政府責任是正すると言いながら、しかし諮問機関である審議会に諮って、その議を経て検定基準を改めるというわけね。諮問機関ですから、改めるか改めないかは、それは審議会の勝手ですね。勝手だということは、しないこともあるわけ。しなかったら、政府は、政府責任是正するということにはならなくなるわけ。これはどう解釈すればいいのですか。
  63. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 先ほど、いろいろ意見の交換があっておりますが、是正するといいましても、御承知のとおりに、わが国ではいわゆる国定教科書じゃありません。国でつくっておる教科書ではありません。教科書は、つくった人のものを、法律に従って検定するというふうになっておりますから、いまお話しのように、検定審議会にかけてその意見を聞いて検定をする、こういうことになっております。でありますから、官房長官談話意味は、法律、式次第に従って改める必要があるところは改める、こういうことでやっておりますので、審議会のいまお話しのような検定基準に一項目を加えた、これが今日までの経過でございます。
  64. 木島喜兵衞

    木島委員 後藤田さん、ちょっとあなたに聞くわ。その方が早いようだな。  要するに、政府責任是正するわけでしょう、誤っておったから。そうおっしゃったでしょう。そこでするわけよ。ところが、いま文部大臣おっしゃるように、すると言いながら、だけれども、審議会の議を経て、諮問機関の議を経てだから、諮問機関というのはイエスと言うかノーと言うかわからないわけね、諮問機関だから。ノーと言ったら是正できないわけよ。いま大臣がおっしゃった国定とか検定、それは関係ない、いま言っていることは。そうでしょう、是正すると言ったんだから。是正する手続は、それは執筆者から出てきたときにということになるでありましょうけれども、そのことは、いま大臣がおっしゃる検定や国定の関係じゃないのです。是正すると言ったけれども、是正するのは審議会にかける。審議会というのは諮問機関だからそうでないこともある。矛盾しておりませんか。そうなりませんか。  角田さん、いま首かしげたけれども、あなたはそう思わぬか。こういうのはあなたの方がむしろいいかもしれませんね。あなた、そう思いませんか。
  65. 角田禮次郎

    ○角田(禮)政府委員 私がいま首をかしげたのは、審議会に対して諮問をいたしましてもどういう答申があるか、その答申にもよると思いますが、「政府責任において」と言っている以上、審議会の答申の趣旨その他をいろいろ考えた上で、政府としては一〇〇%審議会の答申を聞かない例も世の中にはたくさんありますから、そういう場合もあるかなと思って、必ずしも政府責任ということと審議会に対する諮問、答申ということが矛盾はしない場合もあるのかなと思いまして首をひねりました。
  66. 木島喜兵衞

    木島委員 矛盾しないことがあるかなあという程度よね。  外務大臣、これで外交的に問題になったところのこの教科書問題が、矛盾しないかなあ――角田さんごめんなさいね、あなたのおっしゃったことを……。こういう矛盾したことで、これで済みますか。
  67. 安倍晋太郎

    ○安倍国務大臣 これは先ほどからお話がありましたように、去年の八月の官房長官談話、その後の一連の措置によりまして外交問題としては収拾をされたというふうに政府としては考えております。  それはたとえば中国におきましては、昨秋の鈴木総理訪中の際、趙紫陽総理は、この問題はすでに一段落したことを喜びをもって見ている、こういうことをはっきり述べました。また、鄧小平中央顧問委員会主任も、この問題は双方の努力で解決した、こういうふうに述べております。またさらに韓国は、昨年十一月二十四日の文部大臣談話に対して、同日、日本政府の一連の措置により是正のための制度的措置ができたとして評価する旨発表した。こういうふうな中国あるいは韓国の公式な発表がありました。その結果として、外交的には解決をした、こういうふうに考えております。
  68. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、諮問機関である教科書検定責任であるところのこの審議会が、政府責任でもって是正するということは、逆に言うならば、審議会は隠れみのであったということでしょう。先ほど官房長官がおっしゃった、この誤った方針を出したのはこの審議会です。この審議会が今度また逆のことを言うということはまさに自己否定です。  だから本来は、いまさら言いませんけれども、辞任をして、あるいは文部大臣は全部を解任して新しい審議会のメンバーでなされなければならなかったことでありましょうけれども、しかし、それはもう過ぎたことでありますが、いずれにせよ、そういうことになりますと、審議会を隠れみのにして教科書政府の力で変える仕組みであることを、この談話政府みずからが証明したことになりませんか。教科書は、政府の力で審議会を動かして、審議会を左右をしてそしてやっているということをみずから証明したことになりませんか。官房長官、どう思いますか。
  69. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは文教委員会でいろいろと御議論のあった点でございまして、先ほど私が申し上げようと思いましたのは、是正趣旨につきましては八月の二十七日の衆議院の文教委員会におきまして……(木島委員「私の質問に対してだけでいいよ」と呼ぶ)そのことが関連いたしますのでちょっと御報告をさせていただきますが、宮澤官房長官は、これにつきましてはよりよいものに改めるという趣旨であるということを明言しておられるわけでございます。したがって、是正ということにつきましては前官房長官はそのように解し、その趣旨を受けてどのような措置をとるかということは、第三項におきまして「教科用図書検定調査審議会の議を経て」ということになっておるのでございます。(木島委員委員長」と呼ぶ)
  70. 久野忠治

    久野委員長 答弁しておりますから、しばらく……(木島委員「聞いておることじゃないのだよ、こんなもの。さっきの件について答えて」と呼ぶ)
  71. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 私は関連がございますので申し上げたわけでございますが、そういう経緯から申しまして、よりよきものに改めるということについて教科用図書検定調査審議会が間違っていたということではございませんで、このようないろいろなことが起こりましたことについて、配慮に足りない面があったとすればどのような解決策があるかということで、文部大臣の諮問を受けて検討した結果、新しい検定基準をこれに加える、したがって、この官房長官談話にあるような形で最終的な決着を図ったという経緯でございます。
  72. 木島喜兵衞

    木島委員 この官房長官談話が出るまで、前日まで文部省の役人が知っておったことは改善という言葉であった。それを宮澤さんが是正という言葉に直された。そのために文部省の次官の首の問題まで出たんでしょうが。内容は聞きません。  しからば、もし是正がよりよきことであるとするならば、国語教科書で、是正とはよりよくすることであって、間違っておったことを直したことではないというように、今後国語検定では是正と改善をそう直すのですか。これが日本国語教科書なんだろうか。是正がよりよくするということなのですか。そういうように国語教科書検定では直すのですか。どの辞書だってそうなっているのだ。その表現によって外交的な決着が一応ついておるのです。もう結構です。  その次。そこで、審議会の議を経て検定基準を変える、その検定基準によって新しく検定をする、官房長官談話は。しかし、それまでの間、一年早くやるけれども、五十八年と五十九年度の教科書は直せないから、その間は文部大臣の所見をもって教育の場に「十分反映せしめる」とあるのです。「せしめる」という言葉の中には、命令的な強制的な、あるいは指導的な拘束的な表現があると思いますけれども。ところが、文部大臣談話は、実はどうということはないですね。「学校教育の場においても、以上の趣旨を踏まえ、今後一層近隣のアジア諸国をはじめ諸外国との国際理解と国際協調の精神を培うことに配意されるよう期待します。」というだけなんです。期待だけなんです。その後の記者会見で小川前文部大臣は、侵略などの記述について具体的にどうせよという権限は文部省にない、個々の教師の裁量にゆだねられるとおっしゃいました。  したがって、是正せしめる、反映せしめる、是正することを反映せしめる、「せしめる」という拘束力を持たなければならぬ、指導力を持たなければならぬ言葉であるにかかわらず、それは個々の教師の裁量に任すのでありますから、個々の教師はそれは従う場合もあろうし、従わない場合もあろう。それでは首尾が一貫しません。整合性のない談話になりませんか。(「是正にならぬじゃないか」と呼ぶ者あり)そうです。是正になりません。この辺をどう考えたらよろしゅうございましょうか、後藤田さん。――これは、後藤田さん。
  73. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 その点は、先ほど来局長からも御説明申し上げましたが、文部省、政府見解といたしましては、その侵略であるとか進攻であるとかいうことをどちらを表現するかということは、それは教科書を書く人の過去の歴史に対する認識表現されたのでありますから、これが間違い、あれが間違いというわけには国としては申し上げられない。しかし、近隣諸国は、その事実を受けた相手国では、それは侵略考えておられるということがよくわかりますので、そういう点を配慮して今後教科書を書く人は書いてもらいたいという趣旨のことを言っておるわけでありますが、五十六年度の検定が済みましたのは、したがって、いままでの記述が全部間違いと断定するわけにはまいらない、そういう意味で、教育の場でそこら辺をよく考えてやってくれと、こういうことを前の文部大臣談話を出しておられる、かように解しております。
  74. 木島喜兵衞

    木島委員 何を言っていらっしゃるのか、わからないんだな。前段と後段がありますがね、侵略を進出にしたのは誤っておらなかった。誤っておらなかったら是正することはないのであって、先ほどの官房長官答弁と違います。しかし、いま私の言っているのは、この官房長官談話の筋は、共同声明共同コミュニケのその反省という趣旨教育の場に生かす、そのために検定基準を直す。しかし当面の、検定を終わっていますぐに直せない教科書は、文部大臣の所見でもって、十分教育界が混乱しないように現場に反映せしめるというのに、せしめる、その談話が、教師の裁量に任すということだから、反映しないじゃありませんかと聞いているのですよ。反映せしめるというなら、反映せしめる明確なる言葉がなければいかぬでしょう。教師の裁量に任すなら、するかしないか、教師の勝手でしょう。それでいいんでしょうか。整合性がないじゃありませんか、一貫性がないじゃございませんかとお聞きしておるのですが、もう一回、御答弁を願います。  本来、これは官房長官の御答弁なさるべきことです、官房長官談話についてお聞きしているのでありますから。官房長官は、踏襲なさり、誠実にやるとおっしゃったのでありますから。
  75. 久野忠治

    久野委員長 政府委員をもって答弁いたさせます。
  76. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいまの木島先生のお話は、これは検定済みの教科書が、新たな検定基準を適用することにより改善されるまでのいわゆる経過措置というふうに言われたわけでございますが、そうではございませんで、一年間繰り上げてやりましても、二年間、問題になった教科書の記述がそのままであるということについては、大臣が談話を発表することによりましてこれまでの教科書問題経緯等を現場に詳しく説明し、その趣旨を文部広報をもって知らせることによりまして混乱が生じないようにする、そういう趣旨を述べたものでございまして、これによって周知させるということは、経過措置としてこの記述の問題について文部大臣が直接指導するとかしないとか、そういうことではないのでございまして、その間の経緯、趣旨を明らかにして教育委員会なり学校の教育関係者に対しその周知を図るということが趣旨でございまして、そのことは文教委員会等におきましてるる申し上げたわけでございます。
  77. 木島喜兵衞

    木島委員 いかに支離滅裂な談話であるかということなんです。いかに支離滅裂な、一貫性のない談話であったか。これは、なぜそうなったかは後に申し上げます。  文部大臣、この間あなたが、臨時国会のときですか、ふところから教育基本法をお出しになりましてね、大変感心いたしました。昔は、かつては教育勅語が教育行政の中心であったけれども、いまはそうじゃないのであって、憲法と教育基本法に基づいて教育行政をやるのであるからと言って、六法全書を持って歩かなければいかぬからと言って、教育基本法をあなたがポケットからお出しになりましてね、私は大変感激したのですよ。  そこで、お聞きするのでありますけれども、教育基本法第十条は、教育は、不当の支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負うということが第一項でありますが、この項目が入ったことは、これは戦前の教育が、国の支配によって国民の思想が統制されながらあの戦争に行ったということの反省に立って、あの教育基本法の第十条が入ったと理解してよろしゅうございますか。
  78. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 そのとおりでございます。
  79. 木島喜兵衞

    木島委員 その「不当な支配」という言葉には、学者によっていろいろと意見の違いがありますけれども、しかし、どの学者も否定することのできない、一つに集約されるならば、不当の支配はだれかというと、それは公権力であると理解してよろしゅうございますね。
  80. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 「不当な支配」の解釈につきましては、公権力というお話がございましたけれども、国民全体の意思を代表するとは言い得ない社会的な勢力、たとえば特定の政党、労働組合、宗教団体など、その組織または活動その他の影響力を利用して教育の中立性を阻害するような干渉、これを不当な支配と言っているわけでございます。
  81. 木島喜兵衞

    木島委員 大変時間がもったいないのですよ。学者によって解釈がいろいろと違うものがあると言ったのだ。いま言わなかったことでは、マスコミだってその中に入っている学者もいる。いろいろあるけれども、しかし共通するものは、だれもが否定し得ないものは何かというならば公権力であろうという質問なんです。そのくらいのことは大臣わかりませんか。
  82. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 教育は真理を研究するところですから、特定の勢力によって左右されてはいけないという趣旨でこういう規定があると思いますが、解釈についてはいろいろあると思います。
  83. 木島喜兵衞

    木島委員 いろいろあるが、どの学者も否定しない一致するものが公権力だろうとお聞きしているのですよ。
  84. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 公権力ももとよりでございますが、あらゆる団体も、特別な団体がそういうことはしてはならないということでは同じことでございます。
  85. 木島喜兵衞

    木島委員 だから、学者の中では必ずしも全部一致しているのじゃないのです。だけれども、一致するものはと言えばと言ったのです。なぜかと申しますと、教育基本法は田中耕太郎さんが文部大臣のときにつくったのです。彼はその本では、やはりこれから新しい意味では、戦前は軍閥だとか財閥だとかいろいろあったけれども、これからは、心配なのは官僚とそれから議院内閣制によるところの政権政党であるという意味のことを言ってらっしゃるのです。すなわち、議院内閣制におけるところの政権政党ということは、内閣が公権力になるわけですね。そういうことをお聞きしているのです。まあいいです。  いずれにいたしましても、そういう権力によって教育の内容を支配する、そのことを通して国民の思想を統制するということは、先ほど大臣がおっしゃったように、価値観を権力が左右してはいけないということで入ったということであります。  そうすると、実は文部大臣、記述については教員の個々に任して、政府侵略だとか進入だとかそういうことを言うのは誤りだ、個々の教員の裁量に任すということが正しいのじゃございませんか、教育基本法からいったら、あなたがポケットに入れている。文部大臣として、教育行政の中心は教育基本法である、その教育基本法第十条は、括弧して教育行政とあるでしょう。教育行政はその第十条によるのです。すると、いまあなたのおっしゃったように、政府教育の内容に入ってはいけないから個々の教師の裁量に任すという、そのことの方が、小川文部大臣のおっしゃったことの方が正しいのでしょう。正しいとなると、政府責任是正すると言ったことが誤ってくる。誤りになる。教育基本法第十条に反する、こういう結果にならないだろうか。  聞いておられて、総理大臣、どうお考えになりますか。
  86. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 非常に専門的な、また故事来歴、因縁のあるむずかしい問題でございますから、専門家に御答弁願いたいと思います。
  87. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 きわめて専門的な小さなことは事務当局から説明させますけれども、いまやっておりますことは、法律に従って検定をやっておるわけでございまして、これは私は、第十条の公権力の介入とかなんとかという問題とは別だと考えております。
  88. 木島喜兵衞

    木島委員 もういいです。進めますから。
  89. 久野忠治

    久野委員長 木島君、よろしゅうございますか。
  90. 木島喜兵衞

    木島委員 時間の空費ですから。  このように教科書問題があれほど、たとえば韓国だって、国会の決議までして要求しましたね。アジア全域から批判をされましたね。だけれども、それを一応決着をしたのは実はあの宮澤官房長官談話なんですけれども、ところが、いま言いますように、そのように矛盾に満ちているのは一体何だ。そうしなければならなかったのは一体何だ。ここに問題があるのです。  実はあの方法以外にあるのです。なぜなら、正誤訂正という制度があります。これでやれば、検定が終わったやつをいつでもすぐやれるのです。申請すれば認める。著者、執筆者が、検定が終わったのだけれども、侵略検定でもって進入にと言われたからそれでもってやった、ところが、これが問題になった、だから改めますといって申請すれば、昨年ですからね、ことしの四月から使われる教科書なんですよ。昨年末それを認めれば全部教科書は書きかえられるのです。印刷が間に合ったのです。一挙解決だったのです。  この正誤訂正というのは四つの条件がありまして、一つは、「誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載があることを発見したとき。」二は、「客観的事情の変更に伴い、明白に誤りとなった事実の記載があることを発見したとき。」三番目、「統計資料の更新を必要とするとき。」四は、「その他学習を進める上に支障となる記載で緊急に訂正を要するものがあることを発見したとき。」まさにこの四番目で言うならどんずばりでしょう。これですべてが解決したのです。教科書はことしの四月から使われる。全部印刷し直して出せたのです。これをなぜやらなかったのか、そのことを局長にお聞きします。
  91. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは韓国中国の意見にかかわる教科書の具体的な記述、これを正誤訂正によって修正するかどうかということも、文教委員会等におきまして十分御審議あったところでございまして、これは文部大臣談話によりまして、正誤訂正の手続によって修正するものではないということをはっきりと述べられておるわけでございますが、その趣旨は、この記述につきましては審議会の審議の結果、相当の理由があって検定意見を付したものでございますし、また、これまでの検定におきまして、国際理解、国際協調の精神につきましては配慮をしてきたところでございますけれども、今回の検定基準の改正によりまして、近隣のアジア諸国との過去の関係に留意して、教科書をより適切なものにするという道を開こうとするものでございますから、したがって、検定済みの教科書誤りがあったとか学習上支障があったということではございませんで、正誤訂正の要件に該当するものではない、そういうことを文部大臣談話におきまして明言をしているところでございます。
  92. 木島喜兵衞

    木島委員 誤っていなかったからなんと言うなら、何も政府責任是正するなんと言うことはなかったでしょう。  一昨年、高校の社会科の「現代社会」の検定でもって、四大公害裁判の加害企業名を削除しなければ発行を許可しないという修正意見でもって削除しましたが、後に文部省は、他の教科の教科書にその公害企業名が出ていることがわかって、そこで正誤訂正をして再修正をして直したことがあります。そういうことをやって、なぜこれができないのでありましょう、これほど国際的になったものを。  同じく昨年度から使用されます中学社会科の原子力発電所の記述について、検定後に科学技術庁からクレームがつきました。文部省はそこで教科書会社に科学技術庁のクレームを参考意見として伝えて、八社中六社が正誤訂正をいたしました。  今回の中国からの、韓国からのその要求を参考意見として出したら、各社は直したのではありませんか。それがなぜ正誤訂正できなかったのでしょう。  私、昨年教科書問題が起こってからいろいろ出版社を調査したけれども、なかなか文部省のことを言わぬですな。そしていわく、勘弁してください、ある程度言っても、私がしゃべったとかこの社が言ったとか言わぬでください、いわば暴力団のお礼参りのようなことがこわいのですと、こう言いました。これが教科書検定の裏なんだろう。まさにそうだ。こういうことがなぜできないのだろう。そのくらいですから、中国韓国から出されたものを参考意見で出しただけでもって教科書は正誤訂正でこの四月から実施されるものは一挙に解決しているはずだ。しかし、それができなかったために、このように宮澤官房長官談話が、一貫しない、矛盾を含んだああいう談話にならざるを得なかったのであります。  そこで、新基準に改定いたしました。この新基準は、近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに当たっては、国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていることという一項が入りました。この一項が入ったことによって具体的に検定はどう変わるのですか、局長
  93. 久野忠治

    久野委員長 鈴木初中教育局長。もう少し大きい声で答弁してください。
  94. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 この検定基準を加えることによりまして、これから発行社が検定申請をするわけでございますが、その際に、問題になりました記述等につきまして発行社がどのようなこの記述の改訂なり、あるいはそのままということもございましょうが、そういう記述をしてまいった場合に、この検定基準を適用してこの発行社の、あるいは著者の自発的な考え方によって記述が改善される道を開こうというものでございまして、これは現在の教科書におきましても、侵略と書いている記述もございますし、また進攻と書いている記述もございますし、それは著者の考え方によりまして個々の記述の内容があるわけでございますので、その道を開こうということでございます。個々の検定によりまして決まるわけでございます。
  95. 木島喜兵衞

    木島委員 この一項が入らなければ、国際協調なり国際理解の記述は書けなかったのだろうか。現に、たとえば教科書検定をするところの基準になるものは、基準をつくるそのもとは、学習指導要領であります。もうこのとおりありますが、これにすでに国際理解あるいは国際社会に理解あるところの人間の育成というようなことは何カ所も出ておる。この検定基準を変えるというけれども、その検定基準の基礎になるところの学習指導要領にはすでにそれがあるんだ。それに従えば、当然、侵略は進入に、進出になるわけがない。  時間がありませんから、もっと進めます。  学校教育法十八条、教育の目標、ここには「国際協調の精神を養う」とある。学校教育法は、教育の目的、教育の基準、この法律でありますが、その教育の目標に、国際協力を養うとある。学校教育法にあり、指導要領にあって、なぜいままで侵略が進出になり、そのためにいま新しく基準の中に一項加えて、そして国際理解や国際協調を養わなければならぬなどと言わなければならなかったのですか。いままでの学校教育法や指導要領を忠実にやれば、侵略侵略であって、このような問題が起こらなかったはずであります。  もっとさかのぼります。憲法前文に「いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならない」とあります。これが基本的にはわが国の外交方針の基礎にもなっていることでありましょう。あるいは日本人が国際社会に生きるところの原則にもなっておりましょう。いずれにせよ、この自国のことのみに専念せずに、他国のことを無視してはならないというこの憲法の前文というものを身に体しておるならば、侵略を進出に――自国のことのみを考えて、他国民の侵略されておったあの人たちの気持ち理解しなかったところに今回の問題があるのでしょう。憲法、基本法、そのもとに学校教育法がある。一貫してそういう法体系のもとにありながら、それを、侵略を進出とした、そして、このような問題になった、ここが問題なんですよ。私はそう思うのです。文部大臣、御所見を。
  96. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 憲法の前文及び教育基本法にいまお話しのような趣旨のことが書いてあることは当然のことだと思うのです。これからの日本の行き先、そうでなければいかない。  ただ、過去の検定の歴史的事実について私つまびらかでありませんから、局長からお答えさせます。
  97. 木島喜兵衞

    木島委員 いや、いいです。それで結構です。  文部大臣、かつて就任されたばかりのときにあなたは、教師が憲法教育をどれだけやっているんだろうかとおっしゃったけれども、実はあなたが、教師が憲法教育をどうやっているかとおっしゃる前に、逆に文部省みずからが憲法教育をやり直さなければいかぬということを今回証明したのではありませんか。  教育基本法前文「われらは、さきに、日本国憲法を確定し」云々として、そして「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と教育基本法は言っております。すなわち、逆に言うと、教育は、教育基本法第一条で主権者をつくることになっております。主権者をつくる、その主権者の養成を目標としながら、その主権者が憲法の理想を実現するその素質を持つ、そういう教育がされる。そのことによって、この問題で言うならば、憲法前文にある国是として国際理解や国際協調が生まれるとこの場合解釈すべきでしょう。そういう意味では、教育基本法の前文は、憲法を実施するところの保障法としての意味があるのです。文部大臣は、先ほど申しましたように、教育基本法をふところに置いて常に教育行政の誤りなきを期していらっしゃる、このことに私は先ほど感銘したと申しました。感動したと申しました。しかし、そのところをこの教科書問題でもってあなたにお考えいただくことがきわめて大事だろうと思います。  時間がありませんから、はしょります。  いずれにしても、憲法から言い、教育基本法から言い、学校教育法から言い、あるいは指導要領から言ってあたりまえのことがなされておらなかった、あたりまえのことをしておらなかったということを証明したんではないんでしょうか、今回の問題は。単に教科書の表記の問題ではないと思うのです。この近隣諸国ということの一項が入ったことから言うならば――近隣というのは、これはどうなんでしょうか、たとえば朝鮮民主主義人民共和国、これは日本政府から言えば余り協調だとか理解していませんわな。政府がしてなくて、近隣諸国、アジア諸国理解を深め協力せいと言ったって、これはむちゃですな。こういう問題もこの中から出てきて、私は、これはきょうは余りぴっとしませんけれども、ちょっとどうなんだろうかと聞きたいところですね。  たとえば、シベリアを含めたソ連というのは近隣になるのかどうか。これはいろいろ問題になるが、これだって憲法の前文では「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある。これは時代が変わって、国際情勢が変化して、この前文はもはや要らなくなったとでもお考えでありましょうか。しかし、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、」あるいは「われらの安全と生存を保持しようと決意」をして、ソ連にいま対しておるだろうか。中曽根さんのこの間のアメリカにおける不沈空母の問題や三海峡の封鎖や運命共同体、これはそういう趣旨からいったら一体どういうことになるんだろうかとちょっと疑問に思うのです。  そうでないと、いかに国民に教科書でもって国際理解や国際協調といったところで、子供は本当にするでしょうか。教育の実が上がるでしょうか。中曽根さん、どう思いますか。
  98. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 やはり国際連合も安保理事会を設けて紛争を起こさせないようにし、紛争が起こった場合にはそれに対する救急措置を行う、それが人類社会の悲しい現実でありますから、そういう現実に即して日本の防衛というものもあり、あるいは自衛権というものもあり、あるいは必然的に安保条約というものも、われわれ自由民主党の側においてはあって、いま国家はそういう仕組みの中に生きておるわけでございますから、やはり国際社会の現実と仕組みについても正しく国民や子供たちが認識を得ることが大切ではないかと思います。
  99. 木島喜兵衞

    木島委員 これはあなたが言葉のあやだとかなんとかとおっしゃったからまあいいですけれども、しかし、少なくともソ連から見たらアメリカは仮想敵国で、そこと運命共同体だというならば、やはりソ連から見れば、日本はソ連を仮想敵国としていると見るでしょう。そう見せないことが外交の基本だということにこの前文から言えばなるんじゃございませんか。どう思いますか。
  100. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 運命共同体という言葉は比喩でありますと申し上げたとおりであります。
  101. 木島喜兵衞

    木島委員 一つは、この教科書問題というのは一体何かと申しますと、いろいろ議論があったけれども、あのときに、この検定が誤っておったとすれば、戦後の教育の根幹が崩れるという危機感が自民党の中にあったと盛んに新聞等でもって言われました。私は事実は知りません。それは一体何だろうか。簡単であります。日教組の左翼偏向、それを正したところのことが、それが変わってくるということでありましょう。いま日教組が左翼偏向であるかどうかということは別にしましょう。しかし、そのことによって直した、教科書侵略を進出にした、直した。その直したことが決して左翼とは言われない。直した結果によって決して左翼とは言えない。韓国政府や民衆、あるいはアジア諸国民から憤激を買ったということは、逆に日教組、左翼偏向是正という名目によって国際的な右翼偏向をしておったということを、この教科書検定がそうであったということを証明することになりませんか。そういう中身を持つように私は思うのです。  そういう意味で、教科書検定審議会の第二部会かな、社会科の担当の第二部会長の大石東大教授は、この人はいろいろみずから反ソ、反共、改憲論者ということを自認し広言している方でありますが、この方は、偏向教科書ばかりが原稿本として審議会には出てくるんだから審議会は右で固めなくてはだめだ、文部省はそういう人だけを集めておると新聞のいろんなところで言っていらっしゃいます。他の方は、私を含めてみんな右だ、偏向の原稿本を右が審議しなければ意味がない、ちゃんとうまく選んでいるよとある人は言っております。けれども、教科書を決定するのはこの審議会のメンバーです。決定するのは、右に直すということは思想審査ではありませんか。思想審査になりませんか。文部大臣どう思いますか。
  102. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 私が先ほど申し上げましたように、教育は中正でなければならない。したがって、検定もそういう立場でやっておる。その現在の検定審議会の委員の人が右であるとか左であるとかいうことは一々審査しておりませんけれども、そういう趣旨で今日まで検定はされておる、今後もそうしなければならない、かように考えております。
  103. 木島喜兵衞

    木島委員 新しい大臣とすればそう信じていただいてそれは結構でありますが、そういう意味では見直してください。  そこで、いま私は思想審査でございませんかと言ったのでありますが、そういう意味では、憲法の二十一条の二項の「檢閲は、これをしてはならない。」というその検閲とは、憲法について詳しい文部大臣の――この検閲というのは、公権力によって、外部に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適正と認めるときは発表を禁止することができる事前審査を検閲と言いますね。とすると、侵略を進出にしたということは、侵略には主観的な価値判断があるわけ。その価値判断がある思想を、価値観を、それを侵略という思想を直して進出にしたんでありますから、これは思想審査であって、しかも、それを聞かなければ発刊を許さないということもあり得るわけでありますから、とすれば、まさに検閲じゃありませんか。どんずばり検閲とは言いませんけれども、少なくとも非常に検閲に近い検定だということになりませんか、文部大臣
  104. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 教科書検定について木島さんのような意見を持っておられる方もあると思います。あると思いますが、小中高校の、いわゆるこれから一人前の人間の素養を育てよう、こういう場合には、もっと客観的な中正な知識、技能を与えなければならない、そういう立場客観的な教科書をつくろう、こういう意味検定の制度もできておるわけでございまして、憲法で言う検閲には当たらないという裁判もあるということを私、承っております。
  105. 木島喜兵衞

    木島委員 以上、宮澤官房長官談話についてずっと一貫して申し上げたのでありますけれども、なぜあんな一貫性のない、整合性のないことを言ったかというと、そして、さっき局長誤りでないと言ったのは何かというと、誤っておったということになると、家永教科書裁判に決定的な影響を文部省が受けるからであります。だから、もとに戻すことができないと主張したところの裁判で、文部省はもとに戻すことはできない、しかし、政府責任是正せねばならない、そこで、同じ基準でもとに戻したのではいけないから、審議会にかけて新しい基準をつくって、それによって直したんだからもとに戻したのではないという理屈をつけるためにこのような非常にめんどうなことになったのであります。私は、そのことを言いたいためにぐじゃぐじゃといままで質問してきたのかもしれません。一応これで終わります。  ただ、ちょっと局長に聞きますけれども、沖縄とかアイヌの問題は今度どうなるの。
  106. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 沖縄の教科書におきます記述につきましては、去る前国会の決算委員会におきまして小川文部大臣が、県民感情等にも配慮をして適切に対応するということを言っておりまして、これから改訂申請等がされる教科書につきまして、その趣旨に沿いまして対応するということを考えておるわけでございます。
  107. 木島喜兵衞

    木島委員 わかりました。すなわち、この間も小林さんからの質問がありましたけれども、国を守るというのは一体何かということでいろいろ議論がありましたけれども、それは別にしましょう。ただ、日本軍によって日本の民衆が殺されたということ。国を守るというのは、少なくとも国民の生命財産を守るということがきわめて重要でありましょう。ところが、国を守ると言いながら、日本の軍隊が日本の国民を殺す、これが戦争ということなんだろう。これは通産大臣、あのときお認めになりましたね、沖縄国会のときに、久米島の日本人の某兵曹長が日本人を殺した、虐殺したということを。事実ある。そのことをなくしたのです。私は、このことは非常に重大なことだと思っておるのです。  そういう意味で、国を守るということは一体何だろうか。この間の話では、自由主義体制を守るんだというお話がございました。確かにそういう意味では、第二次世界大戦までと第二次戦争以降は違う。いままでは近隣と国の利害でもって戦いましたね。いまは体制と体制の戦い。しかし、この体制は、厳密に言うならば、国民が変えるかもしれないのでありまして、変えるかもしれないですな。こういうことというのは一体どういうことになるのだろうか。もう時間がないから入れませんけれども、こういう問題を含んでおる沖縄の記述だと思うのです。カットだと思うのです。  そこで、時間がありませんから別なことだけちょっとお聞きします。  これは、ずっと一貫して私聞きたかったのでありますけれども、横浜の浮浪者の、中学生の連続殺人事件、これは役人さんでもいいです。あれを見て文部大臣どんなお感じを持ちますか。
  108. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 どんな感じを持つかということですが、私は非常に残念で、悲惨な感じを持ちました。これはゆゆしいことである。でありますから、この原因を――ほかにも校内暴力であるとか青少年の非行であるとかいろいろありますけれども、こういう事件は私は、今度が最初じゃないかと思います。いろいろな原因があると思いますが、これを周到に分析して、検討して対応策を考えなければならない、かように考えております。
  109. 木島喜兵衞

    木島委員 大臣、非常に慎重なお答え、ありがとうございました。  とかく、たとえば集団でもってある暴力事件が起こったとしても、その五人なら五人の集団のその行ったことは同じことであっても、そこに至ったところの近因、遠因はおのおのみんな個人的に違うわけですね。そのことを診察して処方せんを書かないとやはり誤ると思うのですから、あなたのいまの慎重な態度は私はよろしいと思うのですが、しかし、このことで言えることは何かというと、一つは、学校からもあるいは家庭からも疎外されておった、相手にされておらなかった、そういう子供たちですね。一つは、落ちこぼれであります。  落ちこぼれとは一体何か。これは教科書とも関係するのでありますけれども、入学試験がありますから、そこに合格するためにはむずかしい知識をたくさん詰め込まなければなりません。しかし、それについていけない子供はおのずから落ちこぼれます。しかし、知識だけが人生のすべてではないのでありまして、あるいは何か特徴のある子は、ばかにされたときに、自分も何か自己顕示欲があるのです。認めてもらいたいのです。それが認められないときに逆に出てくる。弱い者が、いつも虐げられておった者が、相手にされなかった者が、その大人に対して、その大人の中の一番無抵抗な、一番弱い者に向かって出たのが今回の事件の一面ではないだろうか。そういう意味で言うならば、学歴社会、いい有名校、より高い大学を出た者ほどいい社会的地位、経済的地位についている。だから、みんなそこに集中する。そこから落ちこぼれた人たちだとするならば、進学競争の犠牲者であるかもしれません。そういう目でもってこのことを見なければならないのじゃないかと思うのです。  そういう一面と、もう一つ私が感ずることは、人間は本来動物の本能としての残虐性を持っております。これが子供の遊びの中でもって、あるいは餓鬼大将なら餓鬼大将のその下におるという集団の遊びの中でもって、集団の社会的な規範をおのずから覚えてくるのです。そこで、残虐性を本来本能的に持っておるけれども、それが自己コントロールされて大人になっていくのです。  ところが、いま遊び場がない、きょうだいが少ない、家庭でもって相手にされない、めんどうを見てもらえない、学校で遊び友達がいない、そういうことで自己コントロールができなくなってしまって、おもしろいことをやろう、そのおもしろいことをやろうというものが殺人に至る。これはまさに大臣がおっしゃるとおり大変残忍なことであり、大変問題なことだ、まさに重大な問題だと思うのです。ここまでいっている。このことを一体われわれはどう理解したらいいのだろうか。町田の先生が子供を刺しましたね。あれなんかだって、やはり原爆病だと言ってからかわれたという。内向的で弱い。弱い者に、弱い大人に、痛めつけられておった子供たちがそこにいるものだから、したがって、あの先生が刃物を使わなければならない原因になったのじゃないだろうか。  そうなると、学校教育全体というものを考えなければなりませんが、中曽根さんの臨時国会の所信表明の中に、いま物の豊かさの上に心の豊かさを積まねばならない時期だということをおっしゃっております、たくましい文化という中に。大変炯眼だと思うのです。そのことは、昨年私もこの予算委員会でも申し上げました。われわれはみんな金が欲しい。物が欲しい。物が欲しいから、われわれはその物を買うための金が欲しい。その金が最高の価値として、いまわれわれの規範になってはいないだろうか。価値観になってはいないだろうか。金は絶対なものであるかもしれないけれども、しかし、それはしょせん手段であって目的ではない。だのに金が最高の価値だということは、手段が目的化しておる。逆転していることだと思うのです。そういうために、背後に学歴社会がある。入試の地獄がある。戦争がある。そこに落ちこぼれがある。落ちこぼされた者がおる。そういう全体というものを価値観というなら、まさにあなたの、総理の所信表明の中でおっしゃったそのこと全体を政策の中に、社会全体をどう直すかということを抜きにしてこの横浜の浮浪者の連続殺人事件というものは考えられないのではないだろうか。  そのことはもう一つ、九州産業大学の問題もそうであります。文部省は、補助金の二十六億円ほどを返せということと理事長退陣を含む五項目の改善を指示いたしました。ところが理事長は、二十六億の、五年間の金は返す、けれども理事長はやめないという返事がありました。そして、それには文部省と根回しができておる、裏工作ができておると言う。私はそのことを信じたくありません。ないだろうと思う。だから、そのことの、そうでないという措置を、対抗措置をとらないと政治家が迷惑します。  そのことは時間がありませんから言いませんが、ただ、金は返すけれども理事長はやめないとは一体何か。まさに私学の多くの中にあるところの学校屋の発想だと思うのです。学校屋の理論だと思うのです。教育という仕事ではなしに、営利の事業なんです。学校屋です。だから、このくらいの、五つの学部があって、大学院を持っている、一万数千人の学生を持っているのでありますから、一年間の数億の補助金がなくたって、それは少し定員をよけいに入れたらすぐにこれは解決しますよ。けれども、理事長をやめたら学校屋が学校屋でなくなるわけでありますから、やめないということです。それは先ほど、手段と目的が逆になったと言いましたけれども、私学の経営も元来は教学が目的で、そのための経営であるにかかわらず、利潤追求の経営が中心で、そのために教学が犠牲になっているんじゃないのか、そういうものが多いのではないのか。  私は、昨年この委員会で、音楽界、美術界あるいはスポーツ界、学校教育の面でもって何か事件が起こると、いつでもそれは特別な事件、特殊な事件としてそれが追われるけれども、そういうものが常識的に常にあるのじゃないか、そういう体質にメスを入れなければいつでもこういう事件が起こる、起こるとそのことに、いつでもその事件その事件と言っているじゃないかと言ったのだが、それからこれまで文部省は一体どういうことをやってきたのだろうか。  しょせん金が最高の価値だという、総理が所信表明でおっしゃる物の豊かさの上に心の豊かさをというこの価値観の問題が、この九州産業大学でも問われているのじゃないのか。これが資本主義というものなのだろうか。私は、必ずしもそうは思っておらないのです。ここのところを、総理大臣が所信表明でおっしゃったのでありますから、具体的にどうするかということ、このことをまずお聞きしたいと思う。
  110. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山国務大臣 九州産業大学のことに触れられましたから、私の方から一応お答えしておきますが、それから先ほどの横浜の暴力事件、私は、これは間違っておるかもしれませんけれども、率直に言って、経済の発展、科学技術の発展というものが一体幸せにつながるものかという多少の疑問を持つようになった。しかし、経済の発展、科学技術が発展しなければ、まさに国民の生活は上がりませんよ。ただ問題は、その間に、しばしば憲法を持ち出されますが、憲法の精神によって共同の社会をつくるという観念がはぐくまれなければ問題だと思います。そこに大きな欠点がある。私は、物心両面にわたってもう少し豊かな国をつくるにはどうするか、こういうことを深刻に考える時期に来ておると思います。  それから、九産大の問題は、いろいろなうわさが出ておるというお語がありましたが、断じてさようなことはないということをここに明言いたしておきます。事業団からは、二十六億近くの金の返済を求めておりますし、文部省としては、私学に対する法律上の権限の範囲内でいま是正を求めております。まだこれに対する確たる返答は出ておりませんが、その次第によって、法律で許されるだけの措置をとりたい、かように考えておるわけでございます。  それから、一つ加えておきます。ことしの予算編成の際に、私学助成金を減らされることを心配されて、私学の皆さんがたくさんお集まりになりました。それで、予算編成が終わりました。約数十億減りましたけれども、しかし私学も大事でありますから、私学の経営に支障のない最低限のものとして予算編成をいたしました。その際に私は、文部省に私学の代表者が相当見えておりましたが、こういう非常に財政の窮屈な中でも、私学は国民教育の大半を担っておる非常に大切なものであるからということで、最低限と思うけれども予算編成をやった、これをもらい得だという考えであっては困るのだ、これをいかにしんぼうしながらでも、このとうとい金を有効に利用して教育の振興に使ってもらう、こういう精神でやってもらわなければ困るということもくぎを刺しておるわけでありまして、いまおっしゃったとおり、私学をゆるがせにするというわけにいかない、こういうことを考えて今後検討を進めていくつもりでございます。
  111. 木島喜兵衞

    木島委員 ただ文部省も、私学の自治とか私学の独自性というものに文部省の介入し得る限界がありますから、そういう点では容易でないことも十分わかっております。だけれども、やらねばならないことはちゃんとあるのです。たとえば、高額なやみ寄附によるところの裏口入学というのは、これは理事者が主にやるわけですね。しかし入学は、学校教育法及びその施行規則によって各学部の教授会の権限になっております。教授会は、経営には関係ないのでありますから、やみ寄附などというものは関係ないわけです。個人的な場合はあるかもしれませんよ。ところが、その教授会が機能していないところに、私立大学におけるところのよく問題にされる裏口入学というものが出てくるわけでしょう。法律どおりにやっておれば、介入になるかどうかは別としても、少なくともできるはずです。だが、それを文部省が一体今日まで何をしてきたんだろうかと思うのです。  同時に、先ほど申したとおり、文部省のやることは限界がありますから、したがって、私立大学におけるところの大学内における自浄作用、みずから清めるところの作用をどう起こさせるかということ、このことがなければだめだと思うのです。この場合も多分に――すべての私立大学とは言いませんよ。が、多分に学校屋的な営利事業的な経営者が多いわけでありますから、したがって、教学のところから、学部の教授会からそういう声が上がる、そういう各大学の連合ができる、そういう自浄作用を起こしていく、それを経営者に響かせる、そういうことを一体具体的にどうするか。私は、社会党としてそういうことを考えたことがあります。そういうことをやれると思う。そのことを基本的にやらなければ、いつまでたったって百年河清を待つことになるでしょうと思います。  そういうことを含めて、もう時間がなくなりましたから終わりますが、きょうは総理大臣、教科書の問題を中心にしながらいろいろな問題に触れようと思いましたが、とうとう時間がなくて触れられませんで済みませんでした。通告をしながら触れなかった点はお許しいただきたいと思います。  いずれにいたしましても、教科書問題アジア諸国民から大変に非難を受けたわけですね。近くあなたが東南アジアへお出かけになるという話でございますが、田中元総理総理のときに東南アジアへ行かれたときに、反日運動が起こったですね。今度教科書問題が起こったでしょう。アジアの人の中には、何かのきっかけがあったら、何かの事があったときに反日運動が燃え盛るような、そういう心情というものが今日まだあるということ、このことをわれわれが忘れてはならない。このことが今回教科書問題で問われていることなんだと思うのです。今回あなたがアメリカに行かれたときに、あるアジアの新聞は、中曽根さんは専守防衛を放棄し、古い戦争の道をたどっているという社説がありました。日本の経済進出にしたって、いろいろな批判が根底にあると聞いております。  教科書問題は、教科書の表記の問題ではなしに、明治以来のアジア政策全体が問われておる。共同声明共同コミュニケ反省という言葉、あるいは中曽根さんが反省とおっしゃったその言葉は、まさにいま新しくアジア全体を、反省といった意味を含めて見直さなければならないんじゃないだろうか。思い上がってはならないんじゃないだろうか。それが教科書問題の問われた問題であって、教科書の表記の問題ではないと思うんです。  そのことを申しまして、総理の所見をいただいて、私の質問を終わります。
  112. 中曽根康弘

    中曽根内閣総理大臣 非常に大事なことをおっしゃっていただきまして、感銘した次第であります。私たちも、戦争の問題につきましては、繰り返し繰り返し反省をしていかなければならぬと思っております。東南アジアあるいはそのほかに参りましたときにも、そういう点はよく注意して、慎重に出処進退をしてまいりたいと思っております。
  113. 木島喜兵衞

    木島委員 終わります。
  114. 久野忠治

    久野委員長 これにて木島君の質疑は終了いたしました。  次回は、明十九日午前九時三十分より開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時十三分散会