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1983-03-11 第98回国会 衆議院 本会議 第11号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
五十八年三月十一日(金曜日) ─────────────
昭和
五十八年三月十一日 正午 本
会議
───────────── ○本日の
会議
に付した案件
議員辞職
の件
安井吉典
君の故
議員中川一郎
君に対する
追悼演説
午後零時十三分
開議
福田一
1
○
議長
(
福田一
君) これより
会議
を開きます。 ────◇─────
議員辞職
の件
福田一
2
○
議長
(
福田一
君)
議員横路孝弘
君から
辞表
が提出されております。これにつきお諮りいたしたいと思います。 まず、その
辞表
を朗読いたさせます。 〔
参事朗読
〕 辞 職 願 今般施行の
北海道知事選挙立候補
のため
議員
を
辞職
いたしたく御許可お願いいたします
昭和
五十八年三月十日
衆議院議員
横路
孝弘
衆議院議長
福田
一殿
福田一
3
○
議長
(
福田一
君) 採決いたします。
横路孝弘
君の
辞職
を許可するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
福田一
4
○
議長
(
福田一
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
辞職
を許可するに決しました。 ────◇─────
福田一
5
○
議長
(
福田一
君) 御報告いたすことがあります。
議員中川一郎
君は、去る一月九日逝去せられました。まことに
哀悼痛惜
の至りにたえません。 同君に対する
弔詞
は、
議長
において去る一月十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年憲政のために尽力し さきに
運輸委員長
の
要職
につき また再度国務大臣の重任にあたられた
議員
正三位
勲一等中川一郎
君の長逝を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます ───────────── 故
議員中川一郎
君に対する
追悼演説
福田一
6
○
議長
(
福田一
君) この際、弔意を表するため、
安井吉典
君から
発言
を求められております。これを許します。
安井吉典
君。 〔
安井吉典
君登壇〕
安井吉典
7
○
安井吉典
君 ただいま
議長
から御報告のありましたとおり、本
院議員中川一郎
君は、去る一月九日逝去されました。まことに
痛惜
の念にたえません。 昨年秋に行われた
自由民主党総裁予備選挙
に
ニューリーダー
の一人として立候補された君が、持ち前の情熱と旺盛な
行動力
をもって東奔西走されていたことがわれわれの記憶にいまなお生々しく残っています。 しかるに、君のお姿をいまこの議場に見ることはできません。君の訃報を郷里の
北海道
の新聞は、「「宰相」の
期待
空しく」と大きな
横見出し
で報じました。人の命のはかなさとは申せ、まことに
痛恨
のきわみであります。 ここに、私は、
議員各位
の御同意を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
)
中川
君は、大正十四年三月、
北海道広尾
郡
広尾
町で
父文蔵
さん、
母セイ
さんの十人きょうだいの長男として生まれました。君の生家は、祖父の代に
日高山脈
のふもと、
十勝平野
に入植をした
開拓農家
でありました。 北国の厳しい自然と闘う
開拓農家
の
生活環境
は苦しく、君は小学三年のころから家事を手伝い、家畜の世話や
畑仕事
に従事され、君の右のほおの傷は当時馬にけられた跡であり、
父文蔵
さんは、「
仕事
は早く片づけろ、暗くなって働くのは怠け者だ」と、子供のしつけは厳しかったということであります。 君の御
両親
は、苦しい生計の中から、幼少より聡明利発であった君の希望を入れ、
十勝農業学校
へ入学することを許し、君はさらに
宇都宮高等農林学校
を経て
九州大学農学部
に進み、
昭和
二十二年、同大学を卒業されました。 君は、
学生時代
を通し学業の成績がよいだけではなく、下級生のめんどうをよく見るなどでクラスメートの
信頼
が厚く、休暇で帰郷したときは家業の
農業
を手伝う君の姿が見られました。当時、
河上肇
の「
貧乏物語
」が君の
愛読書
であったということであります。 卒業とともに
北海道
庁に入られた君は、戦後の
わが国
の
食糧事情
が極度に窮迫し、とりわけ貧困をきわめていた
開拓農家
をよく訪れ、
農民
の声を聞き、励まし、
農業
の指導に当たられました。 やがて、
昭和
二十五年、
北海道開発庁
が新設され、君は、選ばれて同庁に入り、
開発担当官
、
開発専門官
を歴任され、二十九年には、本
院議長
であった当時の
大野伴睦北海道開発庁長官
の
秘書官
、引き続き
緒方竹虎開発庁長官
の
秘書官
につかれたのであります。 やがて、君は、
自由民主党大野
副
総裁
から、その敏腕と素質を見込まれ、みずからも
政界入り
を決意し、
昭和
三十四年、十二年余にわたった官界を辞し、副
総裁
の秘書になり、親しくその薫陶を受けられたわけであります。 君は、
昭和
三十八年十一月、第三十回
衆議院議員
総
選挙
が行われるや、
北海道
第五区から勇躍立候補し、
道東地方
の
後進性
を脱皮させ、明るく豊かな
郷土
をつくり上げることを強く訴え、
選挙民
の絶大な
信頼
と力強い支援により、みごと初当選の栄冠をかち取られたのであります。(
拍手
)
大野
副
総裁
のまな弟子に対する肩入れと
応援ぶり
は、当時の
政界
の話題をさらったものでありました。 本院に議席を得られてからは、議運、
農林水産
、
運輸等
各
委員会
を舞台に、議院の運営に、また各般にわたる
国政
の
審議
に、卓越した
識見
とすぐれた
行動力
、
手腕
を駆使して、縦横の
活躍
をなさいました。 とりわけ、君の
農民
の苦悩を肌で感じ味わった経験と鋭敏な
時代感覚
で、
日本農業
を国際的な流れの中でとらえた高い
識見
は、
農政
の分野で多大の
功績
を残されたのであります。今日、
日本農業
は
内外
の厳しい
情勢
の中に置かれており、
農業界
において君を惜しむ声の大きいのは、けだし当然のことと思うのであります。
昭和
五十一年、君は推されて
運輸委員長
の
要職
につかれ、与野党の意見が鋭く対立した
国鉄法案
の
審議
に当たり、それぞれの立場を認識しつつ、
委員長
として柔軟でしかも
調整力
を発揮しながら、最後は毅然たる態度でその重責を果たされました。 また、これより先、
昭和
四十五年一月、第三次
佐藤内閣
の
大蔵政務次官
、さらに請われて四十八年十一月、第二次
田中内閣
で再び
大蔵政務次官
に就任されました。君は、
勉強家ぶり
を遺憾なく発揮し、「有史以来の名次官」との高い評価を受けたのであります。 君は、その
農政
に関する
識見
と
手腕
を認められ、
昭和
五十二年十一月、
福田内閣
の
農林水産大臣
に就任されました。五十二
年産米
の価格決定問題、
日ソ漁業交渉
、
日米牛肉
・
オレンジ自由化交渉等
、直面する困難な諸問題に献身的に取り組み、
わが国
の
農政
に大きく貢献されました。 君の
活躍
は
ひとり農政
にとどまらず、
昭和
五十五年七月、
鈴木内閣
の
科学技術庁長官
に就任されるや、
科学技術立国
を提唱し、
科学技術振興
の新たな
施策
の創設、
原子力行政
の懸案の解決、
国際科学博覧会
の開催の確保、
日英
、
日仏
間の
科学技術協力
の拡大など、
わが国科学技術振興
に大きな
業績
を残されたのであります。 君が
国家
、社会にみずからがいかに貢献し得るか、その
使命感
に燃えながらよく
勉強
を重ね、諸
施策
の推進に
全力
を傾注されたことは、
主義主張
を超え、高く評価されなければならないと思います。(
拍手
)
自由民主党
にあっては、総務、
農林部会長
、
総合農政調査会
副会長、
北洋漁業問題委員長
、
国民運動本部長
などの
要職
につかれ、党の
重要施策
の立案、決定に大きな
役割り
を果たし、その
発言
は常に重きをなしておりました。とりわけ、
党改革実施本部事務総長
として、
党組織
の
近代化
、強化に尽くされましたことは、党内において高く評価されているのであります。 君は、昨五十七年、多くの
同僚議員
の推薦を受け、
自由民主党総裁予備選挙
に立候補されました。最初に
予備選挙
の
実施
を主張したのも君であり、
保守政治
の刷新と
世代交代
を訴え、全国を遊説して人気を集め、ことに
北海道
では、初の
総裁候補
として、「天下を取れ、
北海道
の
ヒグマ
」と励まされました。惜しくも四位に甘んじたとはいえ、このことは、紛れもなく君の短い生涯での最大のハイライトとなったものだと思います。 君は、「どさんこ」として、
郷土北海道
をこよなく愛し、もともと
農林漁業者
の
生活向上
の願いを
政治
に込めた君であり、しばしば
北海道開発審議会委員
を務めるなど、
郷土北海道
の
開発
、発展にも尽力されたのであります。
農林漁業
の
振興
、
釧路漁港
など
重要港湾
の整備、
サロマ湖等
の
湖沼開発
など、君の残された多くの
業績
は枚挙にいとまありません。 かくして、君は本
院議員
に連続して当選すること七回、在職十九年余に及び、まさに
全力疾走
の二十年であり、この間
国政
に残された
功績
はまことに偉大なものがあります。 生前、君は、「
国家
の興亡をもっておのれの任となし、個人の生死を度外におく」という掛け軸を指さし、これで行きたいものだなあと言っておられたと聞きます。常に君の胸中に去来したのは、
国家
の将来の展望と
国民
への深い愛情であったに違いありません。 思うに、君は、鋭い
洞察力
でみずから正しいと信ずるところを勇気を持って主張し貫き通した
信念
の人であり、剛直な
政治家
でありました。 「
真実一路
」の
言葉
を愛し、
保守政治
として継承すべきは守り、改革すべきは積極的に改めるとの
信念
に生き、
毀誉褒貶
を顧みず、大きな誇りと責任を持って
政治
の大道を邁進されたことは、何人も否定し得ないところだと思うのであります。(
拍手
) 君には、時折問題となる言動や勇み足があり、そのため、誤解を招き、批判を生むこともありましたが、しかし、
反骨精神
と、歯にきぬ着せぬ率直さが君の身上であり、陽性で飾り気のない人柄、独特の愛きょうが、常に君の救いとなり、事なきを得たことも、いまはなつかしい思い出であります。 君については、ややもすると剛直な一面のみが強調されがちでありますが、反面、君は、心のやさしい、繊細な気配りの人であり、
同志愛
に厚く、
人間関係
を大切にする人でもありました。この人情味あふれる心情こそ君の
政治行動
の原点であり、この人間像を抜きにして
政治家中川一郎
君を語ることはできません。
中川
君ほど多くの愛称を持った
政治家
を私は知りません。「いっちゃん」「
十勝
のジャガイモ」「北海の
ヒグマ
」、君はそのあだ名の似合う人でした。
頼りがい
のありそうな頑丈な身体、にこにこした童顔と、やさしそうな目、そして気取りのない
野性味
や土のにおいのする
庶民性
は、君に接した多くの人々を、たちまちにして
中川ファン
にしてしまわずにはおかなかったのであります。 また、君は、親孝行でつとに有名であります。
昭和
五十三年、
父文蔵
さんの葬儀の際、君は、「父の厳しさ、母の人情細やかなやさしさが今日の私を育ててくれました」と、亡き御
両親
をしのばれましたが、御
両親
はまさに君の
人生
のかがみでありました。
セイ
さんが亡くなられたのは、君が
大蔵政務次官
としてその力量を遺憾なく発揮されているときでございましたが、君は病床に
メロン
を携え
セイ
さんを見舞われました。
セイ
さんは、出世した息子の姿を目の前に、
メロン
をおいしそうに食べながら、静かにその目を閉じられたと聞いております。 君が、若さと
行動力
という時期から、いまや
ニューリーダー
としての
統率力
のひらめきを見せ始め、これからいよいよその成熟を増し、将来の大成を
期待
されていた矢先のこと、君の旺盛なエネルギーは突如燃え尽き、五十七歳の若さをもって
中川一郎
というユニークな大きな存在が忽然としてわれわれの前から消えうせたのであります。
期待
は大きく、悲しみは深く、ただただ
痛恨
の念は
人生
の無常をかこつのみであります。(
拍手
) いまや、
わが国
の
内外
の
情勢
は激しい流動を続け、幾多の試練と難関に直面しています。 このときに当たり、
前途有為
のすぐれた
政党政治家中川一郎
君を失いましたことは、
自由民主党
はもとより、本院にとっても、
国家国民
にとっても大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。(
拍手
) ここに、
中川一郎
君の生前の
功績
をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
) ────◇─────
福田一
8
○
議長
(
福田一
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後零時三十一分散会