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1983-02-08 第98回国会 衆議院 本会議 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年二月八日(火曜日)     ─────────────   昭和五十八年二月八日     正午 本会議     ───────────── ○本日の会議に付した案件  上坂昇君の故議員菅波茂君に対する追悼演説  昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案大蔵委員長提出)     午後零時四分開議
  2. 福田一

    議長福田一君) これより会議を開きます。      ────◇─────
  3. 福田一

    議長福田一君) 御報告いたすことがあります。  議員菅波茂君は、昨年十二月二十三日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る一月二十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに文教委員長要職にあたられた議員正四位勲二等菅波茂君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます     ─────────────  故議員菅波茂君に対する追悼演説
  4. 福田一

    議長福田一君) この際、弔意を表するため、上坂昇君から発言を求められております。これを許します。上坂昇君。     〔上坂昇登壇
  5. 上坂昇

    上坂昇君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員菅波茂先生は、一年有半の闘病と御家族の手厚い看護のかいなく、昨年十二月二十三日、御入院中の菅波病院において逝去されました。まことに痛惜哀悼の念にたえません。  私は、ここに、議員各位の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼言葉を申し上げたいと存じます。(拍手)  菅波先生が入院されたと最初にお聞きいたしましたのは、一昨年の夏のことでありました。しかし、このときは、間もなく退院をされまして、九月下旬ごろには地元いわき市で演説会を開くなど、お元気な御活動地元人々は非常に安心したのであります。  そして私も、この年の第九十五回臨時国会に出席された先生にお会いをいたしまして、お元気になられたことをお喜び申し上げたのでした。しかしながら、この臨時国会の終わりごろに、先生はお姿を見せなくなり、再び入院された由承ったのであります。  今度はきっと十分な治療を受けられて、また健康なお姿を議場に見せてくださるものと信じておりましたが、このとき以来、先生は永遠に議席にお戻りになることはなかったのであります。  いま、非常に重大な政治問題が山積しているとき、先生の胸中さぞかし心残りなものがおありだったことと推察申し上げ、心暗くなる思いがいたします。  菅波茂先生は、大正二年二月二十五日、福島いわき四倉町東三丁目に生をうけられました。四倉小学校から県立磐城中学校に学ばれましたが、私が磐城中学校に入学した年に先生は卒業されまして、昭和医学専門学校に入学されたのであります。昭和六年の四月でありました。したがいまして、私は中学時代菅波先輩にお目にかかる機会を与えられませんでした。  先生は、昭和医専昭和十年に御卒業になり、さらに医学の研さんのため、千葉医科大学第二内科研究室に進まれ、十四年三月、同医大御修業と同時に、郷里四倉町に菅波医院を開業されたのであります。  先生郷里にお帰りになるや、憂国の青年医師菅波先生を慕い、多くの若い人々が集まり、サークル活動が開始されました。国民生活伝統的文化日ごとに破壊され、若者たちを戦場に追いやる忌まわしい世の中が進む中で、先生中心とした地方サークルが、人間性の喪失を憂い、文芸活動を通じて、人と人との心の結びつき地方文化の息吹を終戦まで持ち続けたことこそ、平和と郷土を愛し、将来を担う若い力を信じてやまなかった菅波先生の、たくましい進歩的精神のあらわれとして高く評価しなければなりません。(拍手)  敗戦を迎えて、先生は混迷から希望を見出し、新しい民主主義時代に対応するため、戦前からのサークルを発展させた文化サークル松藻会」を主宰されました。昭和二十一年のことであります。この会が中心となり、いわき市に初めて夏期大学を開催し、これによって、地域住民社会に対する新しい目を開く機会を与えられたのでありますが、この夏期大学には、笠信太郎亀井勝一郎土屋清唐島基智三氏ら、一流の方々が講師として参加されたのであります。このことは、菅波先生の進歩的お人柄と情熱が理解されたからにほかならないと存じます。  そしてこのころから、先生を取り巻く若い人々の間に、先生政治家への道を歩むことを要望する声が大きくなっていったのではないかと思量されるのであります。  先生は、昭和三十年四月、福島県議会議員選挙に無所属で出馬されたこともありましたが、この年に自民党福島県連に入党されて、本格的な政治活動に入られたのであります。先生は、昭和三十八年四月の福島県議会議員選挙に、自由民主党公認として石城郡部で立候補、初当選を果たされたのでありますが、このとき、私も平市選挙区で初めて県議当選し、中学の大先輩である菅波先生県議一期を御一緒する機会を持ち、温かい御指導をいただいたのであります。  菅波先生の重厚にして人情味あふれる御性格とフレッシュな識見、理論は、当選後すぐ頭角をあらわし、県議生活二年にして自民党県連会長要職に就任され、自民党福島県議団の支柱として目覚ましい活躍をされたことは、県民のひとしく知るところであります。(拍手)  先生は、県議生活四年目の昭和四十二年一月、地元の衆望を担い、福島県三区から第三十一回総選挙に出馬され、みごとに初栄冠を飾られたのでありますが、自来、六期連続当選を果たされて、中央政界先生の足跡が大きく残されることになったのであります。  物事を決しておろそかにすることなく、どのような問題にも常に真剣に取り組んだ先生政治家としての姿勢は、同僚議員間の大きな信頼を集め、つとに政策通として重きをなしてまいりましたが、それにとどまらず、数度に及ぶ海外視察により国際的見聞を深められたのであります。  ことに、昭和四十六年九月、川崎訪中団の副団長として訪中され、日中国交回復への素地を築かれたことは、まさに特筆すべきことであります。「滞在二十日ともなれば副団長としての私の任務も多くなる。寸暇を見ては、私は、町の中を散策する中国の方に直接肌で触れ合い、そして筆談でお互いに語り合える楽しさがある。字が同じであればあたりまえのことなのだが、このことだけで同一民族の気分がしてくる。やはりわれわれとは歴史的、文化的、地理的に離れることのできない民族なのではなかろうか。それが世界で一番遠くにある国であることは、決してお互いのためにいいこととは言えない。またそこに東洋の悲劇を生じよう。あんな悲しさは二度と起こしてはならないことだ。世界の歴史が大きく変わりつつあるときに、お互いに今度こそ離れないようにしっかりと手を握り合うことが、アジアと世界の平和に寄与することではなかろうか。」これは訪中のときに書かれた随筆「天安門」の一節であり、先生信念であります。  この信念が、訪中直後の第六十七回臨時国会において、中国国連加盟をめぐって提出された時の外相不信任案に対し、同志の諸君とともに本会議欠席を敢行してその意志を表明するという勇気ある行動につながったのでありますが、真実と自己にきわめて忠実であった菅波先生面目躍如たるものがあったというべきであります。(拍手)  先生は、四十七年環境政務次官を務められ、さらに四十八年には労働政務次官として、この年の労働問題解決に縦横の活躍をされたことは記憶に新しいところであります。  本院において先生は、社会労働、決算、農林水産石炭対策など各種の常任及び特別委員会の理事を歴任され、五十三年には文教常任委員長要職に就任されました。文教委員会における誠実にして公平無私な運営は、与野党を問わず委員全員が敬服、称賛するところでありました。このことは、高い教養と文化性を身につけられた政治家としての先生の真骨頂を示すものにほかなりません。  自由民主党内におきましては、志を同じくする同僚諸君といわゆるハト派グループを結成し、軍拡路線を批判して、平和の維持確立に努力されたことも周知の事実であります。  先生は、自民党福島支部連合会長として、地方党組織拡大強化に大きな貢献をされ、同時に、中央では、党の総務、議員総会会長、さらに副幹事長要職を経験され、敏腕をふるわれたのでありますが、特にその識見と手腕を発揮されたのはわが国水産業振興に関してではないかと存ずるのであります。  先生郷土、すなわち福島浜通り地方は、太平洋に面し、沿岸沖合い漁業の宝庫であるとともに、遠洋漁業の基地でもあります。また、先生の生家が漁港四倉町で網元として漁業に携わっておられたこともありまして、先生は若くして水産漁業に深い造詣を持たれていたのであります。このことがやがて中央政界に生かされ、自民党政調会水産部会長北洋漁業あるいは海洋対策特別委員長として、その御活躍はまことに目をみはるものがありました。(拍手)  日米間の二百海里漁業専管水域における漁場、漁獲問題の解決を初め、日ソ漁業交渉においても、北洋漁業隘路打開について、本院代表として万丈の気を吐く御活躍をされたことは各位の御承知のところであります。  先生水産漁業振興に対する御苦労により、全国の漁業界に対する貢献はもとより、減船問題に揺れた郷里福島県の遠洋漁業家、また燃費、資材費の高騰と現実の魚離れに悩む零細沿岸漁業者もいかに大きな恩恵を受けたかははかり知れないものがあります。郷里を同じくする私にとりましても感謝にたえないところであります。(拍手)  先生は、生涯正義を信条とした政治家であるとともに、実に心のやさしい、人間味あふれる方でありました。郷里いわき市は常磐炭田中心地でありましたが、終戦直後の荒廃の中で生活苦に悩む炭鉱の人たちに、トラックいっぱいの魚を積んで炭住を訪れ、無料で配ってあげたというエピソードは、先生人間愛を如実に示すものにほかなりません。(拍手)  政治家は時として仕事にかまけ、家庭を顧みないことがあると思うのでありますが、先生は実に家庭を大切にされた方でありました。いまお子様方はりっぱに先生の御遺志と医業を継承されておりますが、御母堂様と奥様に対して注がれた愛情は特に深いものがありました。  先生は、在京のとき、一日に一度は必ず自宅に電話をかけられ、病床にある奥様の御様子をお聞きになり、励まされたとお聞きいたしております。本当に頭の下がる思いであります。   あかぎれに母の手甲の病む夕   虫干せば母の形見のいとほしく   単衣裁つ妻風鈴に手を休め   病む妻に頬寄せてみし夜のバラ  愛情あふれるこれらの俳句こそ先生のやさしさがにじみ出ているものと私は思うのであります。(拍手)  私は、県会議員また本院議員として十数年にわたり政治家としてのあり方を教えていただいてまいりました。先生は、私を政敵としてではなく、郷里のそして母校の後輩政治家としていつも温い目を注いでくださいました。どんな行事でも集まりでも、「上坂君と一緒に地元の問題と取り組んでいます」とあいさつをしてくださいましたことが、いましみじみと思い出されるのであります。  しかしながら、今日菅波先生すでに亡く、再びその温顔を拝することができません。本当に悲しいことであります。長い、手厚い看護にもかかわらず先生の御回復を見ることのできなかった御遺族方々、ことに奥様の御心情を思うとき、申し上げる言葉もございません。  長年にわたり先生に私淑し、先生を支持してこられた後援会支持者方々の悲しみも、また格別のものがあると思います。  生者必滅会者定離、諸行無常は人の世の運命であります。いま、いたずらに先生の死を悲しむことは、むしろ先生の御遺志に沿わないものかもしれません。  最近の政治情勢に照らし、私は、先生が希求された平和な社会建設文化性豊かな国民生活の充実、そして倫理性を根幹とした国民に信頼される政治確立のため、私たちそれぞれが努力することこそ、菅波先生の御遺志を体するものであるとかたく信じております。(拍手)  御遺族の皆様に心から哀悼の意を表しますとともに、日本の建設に、そして郷土の発展に尽くされた菅波先生の生前の御功績をたたえ、そして感謝しつつ、心から御冥福を祈りまして、追悼言葉といたします。(拍手)      ────◇─────
  6. 保利耕輔

    保利耕輔君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。  すなわち、大蔵委員長提出昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案は、委員会の審査を省略して、この際これを上程し、その審議を進められんことを望みます。
  7. 福田一

    議長福田一君) 保利耕輔君動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 福田一

    議長福田一君) 御異議なしと認めます。     ─────────────  昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案大蔵委員長提出
  9. 福田一

    議長福田一君) 昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案議題といたします。  委員長趣旨弁明を許します。大蔵委員長森美秀君。     ─────────────  昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────     〔森美秀登壇
  10. 森美秀

    森美秀君 ただいま議題となりました昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税臨時特例に関する法律案について、提案趣旨及びその概要を御説明申し上げます。  この法律案は、本日大蔵委員会において全会一致をもって起草、提出いたしたものでありまして、昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金に係る所得税及び法人税について、その負担の軽減を図るため、同補助金のうち、個人が交付を受けるものについては、これを一時所得とみなすとともに、農業生産法人交付を受けるものについては、交付を受けた後二年以内に固定資産の取得または改良に充てた場合には、圧縮記帳特例を認めようとするものであります。  なお、本案による国税の減収額は、昭和五十七年度において約十二億円と見積もられますので、内閣の意見を求めましたところ、稲作転換必要性に顧み、あえて反対しない旨の意見が開陳されました。  以上がこの法律案提案趣旨とその概要であります。  何とぞ、速やかに御賛成あらんことをお願い申し上げます。(拍手)     ─────────────
  11. 福田一

    議長福田一君) 採決いたします。  本案を可決するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  12. 福田一

    議長福田一君) 御異議なしと認めます。よって、本案は可決いたしました。      ────◇─────
  13. 福田一

    議長福田一君) 本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十六分散会