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1983-03-18 第98回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年三月十八日(金曜日)     午前九時三十五分開議  出席委員    委員長 葉梨 信行君    理事 石橋 一弥君 理事 狩野 明男君    理事 中村  靖君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 鍛冶  清君 理事 三浦  隆君       赤城 宗徳君    臼井日出男君       浦野 烋興君    久保田円次君       高村 正彦君    坂田 道太君       西岡 武夫君    野上  徹君       三塚  博君    伊賀 定盛君       長谷川正三君    湯山  勇君       有島 重武君    栗田  翠君       河野 洋平君  出席国務大臣         文 部 大 臣 瀬戸山三男君  出席政府委員         文部大臣官房長 高石 邦男君         文部大臣官房会         計課長     國分 正明君         文部省初等中等         教育局長    鈴木  勲君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省管理局長 阿部 充夫君  委員外出席者         警察庁刑事局捜         査第二課長   森廣 英一君         警察庁刑事局保         安部少年課長  阿部 宏弥君         自治省財政局交         付税課長    紀内 隆宏君         日本専売公社営         業本部部長   佐藤治四郎君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ───────────── 委員の異動 三月三日  辞任         補欠選任   有島 重武君     矢野 絢也君 同月四日  辞任         補欠選任   臼井日出男君     粟山  明君   浦野 烋興君     小泉純一郎君   高村 正彦君     毛利 松平君   栗田  翠君     小林 政子君 同日  辞任         補欠選任   小泉純一郎君     浦野 烋興君   毛利 松平君     高村 正彦君   粟山  明君     臼井日出男君   小林 政子君     栗田  翠君 同月八日  辞任         補欠選任   矢野 絢也君     有島 重武君 同月十一日  辞任         補欠選任   臼井日出男君     毛利 松平君   高村 正彦君     小泉純一郎君   野上  徹君     柳沢 伯夫君 同日  辞任         補欠選任   小泉純一郎君     高村 正彦君   毛利 松平君     臼井日出男君   柳沢 伯夫君     野上  徹君     ───────────── 三月十八日  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出第四五号) 同月三日  高等教育学術研究体制充実発展等に関する請願有島重武君紹介)(第一一八七号)  私学助成増額民主的公費助成制度確立に関する請願有島重武君紹介)(第一二三九号)  私学学費値上げ抑制父母負担軽減等に関する請願外一件(水田稔紹介)(第一二四〇号)  私学助成増額等に関する請願矢野絢也君紹介)(第一二四一号)  私学に対する公費助成制度確立等に関する請願有島重武君紹介)(第一二四二号) 同月十日  高等教育学術研究体制充実等に関する請願外一件(長谷川正三紹介)(第一三五〇号)  同(伊賀定盛紹介)(第一四四〇号)  同(佐藤誼紹介)(第一四四一号)  私学助成増額に関する請願福岡義登紹介)(第一三五一号)  障害児学校教職員増員等に関する請願鍛冶清紹介)(第一四〇九号)  同(嶋崎譲紹介)(第一四四二号)  高等教育学術研究体制充実発展等に関する請願伊賀定盛紹介)(第一四三八号)  同外一件(馬場昇紹介)(第一四三九号) 同月十六日  四十人学級の実現、教科書無償制度の存続に関する請願安藤巖紹介)(第一六〇七号)  教育条件の改善、教育費父母負担軽減に関する請願山原健二郎紹介)(第一六〇八号)  国立大学学費値上げ反対等に関する請願(林百郎君紹介)(第一六〇九号)  障害児学校教職員増員等に関する請願有島重武君紹介)(第一六五四号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  文教行政基本施策に関する件      ────◇─────
  2. 葉梨信行

    葉梨委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。栗田翠君。
  3. 栗田翠

    栗田委員 私は最初に、大臣文教行政にかかわる所信について伺いたいと思います。  いままでもすでに各党からの御質問に答えられて、大臣は、文教行政憲法教育基本法精神に沿って進めていくというふうにお考えを述べられておりますが、そのとおりでございますね。
  4. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 そのとおりに考えております。
  5. 栗田翠

    栗田委員 私、大臣がお書きになられたもの、それからいろいろなインタビューお答えになったもの、かなりいろいろ読ませていただきました。そして、その中で感じましたことは、大臣が一貫して言ってらっしゃるのが、現行憲法占領軍に押しつけられたものであるというお考えが貫かれているように思いますが、大臣はそのようにお考えになっていらっしゃいますか。
  6. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 押しつけられたとか押しつけられなかったとか言葉の使い方がいろいろあるわけでございますが、押しつけられたと言う人もあるし、そう言われてもやむを得ない。問題は、あの当時はいま想像もできないようないわゆる占領当初の問題でございますから、日本国民はまさに歴史始まって以来の事態に遭って戦々恐々としていた、そういう状況の中でございます。しかも占領政策というのは日本主権を制限しておった時代でありますから、そういう意味で、これは押しつけられたと言っても過言ではない、抑制されておるという気持ちの中でできた憲法だ、私は間違いないことであると思っております。
  7. 栗田翠

    栗田委員 私が押しつけられたという大臣のお考えを問題にしていますのは、その経過の問題だけではないのです。実はいろいろお書きになっているものなどを拝見いたしますと、押しつけられたものであるから内容が云々ということをずいぶん言っておられます。  たとえば、ここにありますのは、昨年の六月出されている「諸君」という雑誌の中で俵孝太郎氏のインタビューに答えている大臣お答えがございます。この表題がまことに何とも言えない表題で、「現行憲法はオムツである」という表題になっている、こういうものなんですが、この中で大臣は「あのときの占領政策の狙いがあって、それが凝り固まったのがいまの憲法なんです。」とおっしゃっておりますし、「憲法にかかわりのある点で言えば、要するに中途半端な国に作られており、国民が麻薬を仕掛けられとる、これがいまの憲法だと思うんです。」などというふうにおっしゃっておりますね。このお考えはそのとおりなのですね。
  8. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 雑誌対談なんて、こう言っちゃ失礼ですけれども、わりあいに荒っぽいといいましょうか乱雑な応答がありますから、いわゆるどういうことが明確に書いてあるか、現在余り記憶は確かでありませんが、いずれにいたしましても国民本当に理解をして、私がいま憲法精神と言っております、いまここで申し上げませんが、そういうことを本当に理解してやっておるのじゃないことは明らかであります。  こういうふうにしなければならないと言われて現在憲法ができておりますから、そういう意味で、おむつと言ったのかどうか覚えておりませんけれども、雑誌はいろいろなことを書きますが、まあたとえは悪いかもしれませんが、その当時はアメリカ占領軍からすると日本は赤ん坊みたいなものだ、それにこういう憲法というものでやりなさいという、押しつけられた、おむつをはめてもらった、こういう感じがするようなものだ、こういうことでございます。
  9. 栗田翠

    栗田委員 憲法おむつだということになりますと、その中で大臣が言っていらっしゃるお考えは、日本は当時赤ちゃんだった、成長過程にある赤ちゃんだったからおむつをはめたのだけれども、もうそのおむつを外さなければならないようにりっぱに成人したのだというところにお話がつながっているわけですね。ですから、そうなりますと、当時の憲法はもう変えていかなければならないということに当然お話がつながっていく対談になっております。そのおむつ論議そのものは一つの比喩であるかもしれませんけれども、底に流れている考え方というのは、これは重大でありまして、言ってみれば、いまの憲法を否定的に見ていらっしゃるということは間違いないわけですね。これは、ただたまたまそういうことが言われたということではなくて、私、ここにいろんなものを持ってきております。まだその他、あと四つか五つ読んでおりますけれども、一貫しているのがこういうお考えなんですね。  これは「民族政治」、八一年十一月に発行されている雑誌ですが、「憲法改正の進め方」というところでも同じようなことを言っていらっしゃいます。憲法が戦後占領政策によってつくられたものだというくだりの続きに、「このために日本国民がだんだんおかしい方向へ行きつつあるという認識と自覚を国民の皆さんに知らしめなければならない。何度も申上げるように現行憲法はまさにこれは占領軍によって押しつけられた憲法なんです。占領行政上の憲法。はっきりいうと、日本を弱体化する。或は解体する目的でつくられた憲法。」、ずいぶんはっきり言ってらっしゃいますね。こうなりますと、まさに現行憲法日本にとって害悪であって、日本を解体する目的でつくられたものだということになっていくわけですけれども、つまり大臣はこうお考えなんですね。
  10. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いまの憲法害悪であるということを言ったかどうか記憶はありませんが、そういう観念は持っておりません。  私はこう思います。率直に申し上げますが、あの当時の状況というのは、いまの落ちついたといいましょうか、正常といいましょうか、こういう状況じゃちょっと判断ができないような状況の中で経過があるわけでございまして、また、占領軍といいましょうか、連合国日本に対して懲罰的なことをやろうとしたことも、これは当然という言葉が適当であるかどうかは別問題として、やむを得ない、そういう時代であったと私は思います。私に言わせると、あれほどの無謀な戦争をしたわけですけれども、数百万、あるいは一般民衆まで入れますと数千万と言われるような人命が損傷されるという、世界史にいまだかつて例がないようなきわめて激烈な戦争があった、その中で無条件の降伏をするようになった事態の双方とも非常な興奮状態でありました。でありますから、その国に対する懲罰的な措置をとらなければならないという気持ちが起こるのも私は冷静に考えると当然といいましょうか、やむを得ない事態であった。でありますから、アメリカ占領軍のいろいろな、ごらんになっておると思いますが、占領政策方針というものは、再び日本世界に対して戦争を起こしたりなんかして害毒を流さないような、そういう国にしておかなければならない。占領当時は、御承知のとおり一切の産業も自由には許さない、賠償のできるような産業以外、一切許さないという仕組み方針が決まっておったというような状況でございまして、いずれにいたしましてもそういう考え方で、それを受ける方としても、これはやむを得ないことであるという状況憲法もあらゆる制度もできた。過去のいろいろな歴史あるいは社会制度といいましょうか、それから日本の文化といいましょうか、あるいは風習、道徳、そういうものがこり固まってこの第二次大戦というような、あるいは昭和の初めからシナ事変に入って第二次大戦、いまで言われる軍国支配、軍国主義的な国になったのは、日本におけるそういうものの、何と言いましょうか、総合である、そういうものがこり固まってこういうことになった国であるという認識を持っておったと思います。でありますから、それを解体してしまわなければ、そういういろいろな連合国から見る日本の姿というものをつくり変えるというのでしょうか、解体してしまわなければだめだという気持ちがあった。それは私は無理はないことだと思うのです。そういう中ですっかり世の中が変わったような姿につくり上げるというのでしょうか、仕組んでおかなければいけない、これが占領政策であって、その流れ現行憲法であったことは間違いない。  ただ問題は、私はそれだから現在の憲法が全部悪いと言っているのじゃないのです。そういう意味ですばらしい近代国家としての、従来の過ちを再び犯さないようないろいろなすばらしい精神といいましょうか、思想といいましょうか、仕組みがなされておる。その精神仕組み思想を十分理解して、それを生かすような状態でわが国の国民が受け取るような姿でなかった、受け取っておらなかった、それが今日まだ弊害として残っておる、こういう見方をしておるのが私の憲法に対する見方でございます。
  11. 栗田翠

    栗田委員 過去の憲法成立過程についておっしゃったようなお話でございますけれども、それでは現在のきょうこの時点に立って大臣憲法をどう見ていらっしゃるのかということですね。過去、日本を弱体化し、解体するために占領政策憲法がつくられたのだ、それがこり固まったものだというふうにずっと言っていらっしゃったのだけれども、それならば、今日いまの日本状態と、そこにある憲法役割りはどういうふうに見ていらっしゃるわけですか。
  12. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、憲法が、そういうねらいというよりも、そういう状況の中でその占領政策流れの一環として憲法がつくられたといいましょうか、憲法草案が与えられた、こういう考えを持っておるわけであります。その憲法を見ますると、いま冷静にわれわれがこれを味わいながら見ておりますと、よく言われますように、これはだれが考えても当然でございますけれども、平和というものが人類にとって最高に必要なことだという、それが御承知のとおりいまの憲法の大きな柱というか、精神的基調になっておる。これは普通は平和主義と世間で言われておる。それから人間社会には、これは人間社会でございますから、いわゆる個人の尊重といいましょうか、それを別の言葉で言うと自由がきわめて尊重されなければならない、そういう点が過去の歴史において非常に欠けておりました。それとうらはらをなしておる人間の生きる道としての、普通に基本的人権と言っておりますが、これは最大限に尊重しなければならない。そういう自由で人権を尊重する国民集まりが国でありますから、人間集まり国民でありますから、そういう国民がみずからの国を、みずからの社会をどうつくるかということを考え決めていかなければならないという、いわゆる言われております主権在民のそういう社会、国をつくらなければならないという、国でなければならないという基本原則、それと同時に、世界を相手にして戦争をいたしまして、大変な私に言わせると無謀な戦争になったわけでございますが、いまや特に日本の場合は御承知のとおりに世界の国々と相協調していかなければ生きていけない国だ、そういう意味国際協調といいますか国際連帯的な精神の国に進めなければならない。こういうことが私はこの憲法精神に盛られておると思うのでございますが、残念ながら私の感覚では、それをみずからそういう思想でつくり上げたのじゃない、でありますから、その味わいといいましょうか、それを十分に日本国民思想として味わい尽くしておらぬところに、いろんな現象といいましょうか、すばらしい思想理想どおりの国になっていないのじゃないかという気がしておる。こういうことをふだんから申し上げておるわけでございます。
  13. 栗田翠

    栗田委員 大臣がお書きになったもので、一九八一年の十一月、やはり「民族政治」に載っているお話があります。  おととしの十一月でございますが、これを見ましても、戦後の占領政策を同じような形で批判をなさって、つまり憲法批判をしていらっしゃるわけですが、「いわゆる個人主義人間をつくる、それによって、日本の解体が出来る、これがねらいであったわけです。そう書いてあります占領政策指令に。それが教育にも及んで今日に至っているわけです。」とやはりおととしの暮れ言っていらっしゃいます。  先日は国会の答弁の中で大臣——答弁ではありませんでしたね、そのインタビューか何かに、現在の教育の荒廃は戦後の占領政策によってもたらされたものだということをつい先日もおっしゃって新聞で報道されておりますところを見ますと、このお考えは最近まで一貫しているように思うのですけれども、いまおっしゃったこととちょっと違いますが、最近お考えを修正なさったのでしょうか。
  14. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私はめったに考えを修正しない男でございまして、そういう考えではないのです。と申しますのは、校内暴力とか、青少年の非行とか、社会にいろいろな問題が起こりますが、それが全部いまの憲法だとか占領政策に基づいておるとは私は言ってないのです。その占領政策にももとの根がある、大きな関係があるということを申し上げておるわけでございます。  といいますのは、こういう問題は、お互いに意見を交わして理解し合わなければ本当の相互の了解ができないと思いますから、やや長くなって恐縮でありますが、私は、日本憲法、これは妙な言葉で言いますけれども、初めに言葉ありきという感じがしておる。初めに言葉ありき、そういう言葉があるわけでございますが、それでは本当ではないと私は思っておる。それでは御神託である。私は、初めに哲学なりあるいは思想がなければならぬ、そして思想が行動となって、それが言葉となってあらわれる、こういうことでないと、その言葉意味言葉のねらい、それが必ずしも言葉だけを聞き知っただけでは本当味わいというものが理解できない、こういうことではないかと思う。  ですから、私が申し上げておるのは、まさに、いまの日本憲法、初めに言葉ありき。あの憲法は、よく言われますように、アメリカ占領軍から英文の草案を示されて、それを翻訳して、もちろん多少の、日本人の手によって、しかもそれを承認を受けながら、許可を受けながら、一部修正した点もありますけれども、平和主義であるとか——簡単に申し上げますが、平和主義であるとかあるいは自由、あるいは基本的人権、そういう言葉は、よく、言葉として、初めに言葉ありきで、すばらしい言葉だということで受けておりますけれども、その真の意味というものが、必ずしも、みずからの思想ででき上がったものではないと私は思いますから、深く腹に入っておらない。  たとえば自由あるいは基本的人権、私よく第三章を申し上げるわけでありますが、自由とか基本的人権というものは、これは憲法が与えたのではない。まさに生物たる人間の生ける生命力作用として自由であるしあるいは基本的人権と言われておる、言論の自由、思想の自由、学問の自由あるいは職業選択の自由、居住の自由といろいろあるわけでございますけれども、これは生命体として人間が生ける作用、働き、でありますから、それをみだりに制限したり抑えたり排除したりすることは許されないという、これがまず憲法日本憲法ばかりでなくて、人類発展の中でだんだん定められてきたものであろうと思う。  でありますから、憲法第三章を見まするときに、いろいろ三十数条書いてありますけれども、もしあの自由であるとかあるいは基本的人権であるとかいうことを、人間の生きる作用、働き、だからこれを制限してはならないとか邪魔をしてはならないということにいろんな規定があるということがもし思想として理解されておりますれば、まあ人間社会ですから理想どおりはいきませんけれども、率直に言って、白昼堂々と強盗が横行したりあるいは人の命を簡単に殺したり、あるいは校内暴力があったり、学校の先生が教え子を刺したりするというようなことはない、そうざらにあるものではない、そういう意味憲法精神がよく徹底しておらぬのじゃないかということを私は申し上げておるのです。  私は、あの規定を、われわれ古い人間ですから、昔流に言うと、わが身をつねって人の痛さを知れ、自分の嫌なことを人に要求するなということを第三章は書いてあるのだ、こういうふうな思想から始まって、それが意思となって言葉となるというような憲法になっておれば、日本国民憲法になっておれば、もっとあの憲法理想が十分に浸透しておるのじゃないか、こういうことを考え、いろいろ聞かれると申し上げておる、こういうことでございます。
  15. 栗田翠

    栗田委員 できればゆっくりと憲法についてのお話し合いもしたいわけですけれども、その質問もさせていただきたい点がありますが、時間がありません。私は、大臣がいまおっしゃっていることをなるべく正確に理解しようという立場で伺っております。でも、その中でやはりいろいろ矛盾点感じますし、いまのお話の中で強く思いましたことは、私などは戦後の憲法、新憲法ができたときにまだ中学生でした。けれども、大変うれしくこの憲法を受けとめました。あの戦争のさなか、空襲の中を逃げて歩き、そして防空ごうで何日も夜を過ごし、そして軍国主義的な教育の徹底した中で育ちましたけれども、その戦後憲法ができたときに、これこそ本物なんだという気持ちで私なんか受けとめております。「平和憲法の話」という教科書本当にうれしく学んだことを覚えております。  それから、すべて戦後押しつけられたというふうにおっしゃいますけれども、恒久平和を求めて、そのために命がけで闘っていた共産党などの歴史がありますし、それから基本的人権主張民主主義主張、これは大変な弾圧の中で戦前からあったわけです。それが戦後花開いたというふうに私などは考えております。ですから、ここらの受けとめ方、感じ方の大きなずれ、憲法についての、その最初につくられた過程からの受けとめ方の違い、こんなものがあるというふうに思いますけれども、私は、この憲法は守っていかなければならないものだと思います。そして、その立場に沿って憲法内容を正しく理解し、そして正しく実行していくような文教政策がとられなければならないと思いますが、大臣、一言そのことについて御感想を伺います。
  16. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 もちろん終戦当時、敗戦当時、憲法制定当時、みんながみんな全然いまの憲法思想について無能であったなどとは私は考えておりません。そういうふうに理解しておった人もあるし、そうであるべきだという人も相当あったと思いますが、おしなべて日本国民はそこまでいっていなかったと私は認識しておる。でありますから、私は、いまおっしゃったように、この憲法精神本当に理解するようにしていかなければならない。そうしますと、また重ねて申し上げますが、あんなに学校が荒れるはずはないと思っておるのです。私は学校教育現場を知りませんからあるいは間違ったことを申し上げるかもしれませんけれども、もう少し学校現場で自由の意味はどうだ——また占領政策に入りますが、アメリカのような自由主義の国にしなければならぬというような占領政策指令が来ておりますが、個人を尊重するのはいいけれども、自分も尊重するなら他人も尊重するという、個人というのは自分一人だけじゃないんだ、権利というのは自分だけがよくなればいいというのじゃないんだというような、あの憲法本当精神をよく青少年から指導することが非常に大事じゃないか、かように考えております。いまのアメリカ社会が、よその国を言う必要はありませんけれども、私は決してすばらしい社会だとは思いません。余りアメリカ流ばかり学んでおると日本はおかしくなる、率直にかように考えておるわけでございます。
  17. 栗田翠

    栗田委員 憲法精神が正しく理解されたら学校があんなに荒れるはずはないというお考えは、実は私も同感でございます。学校が荒れている責任は家庭とか現場の教師とかそれだけにあるのではなく、文教行政のあり方そのものにも当然責任があると思いますが、そうしますと、その文教行政の中にも憲法を正しく理解していない部分があって、そのようなものもまた、ああいう状態をつくり出した一端になっているとお考えですか。
  18. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 残念ながら私は文教行政はまだ本当に駆け出しでございまして、文教行政を詳細に知っておるという立場じゃございません。ただ、学校のいまの心配されておる問題が、これは一、二の原因じゃないと思うのです。いろいろ複雑な原因が重なり合ってああいうふうになっておると思いますが、私どもはいまそれを、従来からもいろいろ努力しておったようでございますが、それにしても、ああいう状況がだんだん重なり合ってきて、多くなってきておる。けさの新聞を見ても私はびっくりしたのですけれども、新聞社かどこかの調査では、何百校というのが警察の警戒のもとで卒業式をしなければならない。こういう状態というのは私は異常だと思います。昔はそういうことはなかったですから。どこかに欠陥がある。ですから、これは家庭にもありましょうし学校教育のあり方にもあるし、社会——私は社会の現在の何らかの個人主義的な問題が起こりますのもやっぱり占領政策の影響だと思っておるのです。そういう点を全部反省しながら、一挙にはまいりますまいけれども、一つでも二つでもみんなの力を合わせて改良していくということをしなければこの問題は解決しない、かように考えておるわけでございます。
  19. 栗田翠

    栗田委員 どういう点が問題かということなど、気がついたことを後で私も二、三指摘をさせていただきたいと思います。  時間が大変気になりますがもう一つだけ伺いますが、大臣、先日参議院の予算委員会の御答弁の中で、教育勅語どこが悪いかということをおっしゃったと新聞に報道されております。本当にそうおっしゃったのかどうかということ、それからいまそう思っていらっしゃるのかということ、そしてもう一つ伺いますが、大臣の言われる道徳というのはこの教育勅語に沿った道徳なのかどうかということ、ちょっと幾つか重ねて御質問いたしますが、なるべく簡潔にお答えいただきたいと思います。
  20. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 失礼しました。いつも教育基本法とか何とかを財布の中へ入れておるものですから。  教育勅語がどこが悪いかという意味じゃありません。これはちょっと時間がかかりますから探し出せませんが、教育勅語に書いてあったいろんな道徳の項目があります。夫婦は仲よくしなさい、兄弟は仲よくしなさいとかあるいは朋友は相信じて親しみなさいとかいろいろあります。そういう項目は、これは私は古今東西を通じて必要な人間の生き方だと思っておるのです。そういう意味で、そういうものはどこが悪いのでしょうかと。教育勅語全体がどこが悪いのでしょうかなんかは言いません。それは井上計さんが参議院でお問いになりましたから、そういう点はどこが悪いのでしょうかと、こう言ったわけでございます。  たとえば、私は教育基本法憲法のいろんな項目とを比べていま研究しておるのですが、まだ途中でございますけれども、それから憲法の各条章と教育基本法あるいは昔の教育勅語の条項とがどういうふうに違っておるのか、どういうふうな関係があるかということを分析して調べておるのですけれども、たとえば教育基本法第二条「教育方針」に、御承知のとおり「自他の敬愛と協力によつて、」云々という社会をつくる。「自他の敬愛と協力」という、これがもっと徹底しておったら世の中はこんなにおかしくならないのじゃないか、こういう点を私は申し上げておるわけでございます。
  21. 栗田翠

    栗田委員 教育勅語はすでに昭和二十三年の六月十九日に衆議院で廃除決議がされておりますし、同じ日に参議院でも失効確認に関する決議がされております。この中でもはっきり言われていますように、もちろんその「夫婦相和シ」とか「朋友相信シ」とかいうようなことそのものだけを切り離せば道徳として間違いないわけですけれども、全体を貫いているものは、そのような十四項目の徳目が全部忠君愛国の思想に帰結されるという考え方に立っておりますし、それから神話的国体観を貫いているということ、こういうことなどで廃止されているというわけです。ですから、どこが悪いかとおっしゃったので私は心配になりましたけれども、そういう点はもちろん廃止すべきものだということは大臣は確認していらっしゃるわけですね。その点をちょっと御答弁をお願いします。
  22. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、世の中は進歩するものだと思っておるのです。それは、日本ばかりではなくて世界人類歴史——承知のとおりに、いま徳川家康をNHKテレビでやっておりますが、いまから三、四百年前、日本は国内じゅうが始終戦争をしておった、こういうことではいかぬということで、いま世界で一番みたいな平和国家になっておるのです。まだ中近東、東南アジア等はやはり同じようなこと、いまアフリカがまた御承知のとおりやっております。そういう時代流れをずっと酌んできて日本はああいう大変な間違いをしたのです。ですから、明治時代にこういうことをやったということは過去の歴史でありまして、その時代には通用して一応の成果はあったでしょうけれども、いまやもうすでに時代は違うんだ。いまちょうど見つけ出しましたが、「夫婦相和シ」とか何とかかんとかいろいろある、これは古今東西いつの時代でも必要だ。問題は、それをいかなる姿で生かすかということだ。いまや新憲法、現在の時代のわれわれの国づくり、基本法に従ってこういう精神を生かすということが大切じゃないか。それはもちろん、教育勅語は神話をもとにして、天皇制を中心にして、こうやらなければいかぬ、そういう時代はもう過去のものになったのだ。過去の歴史というものは、過ちを見、よいところを見、過ちを捨ててよいところを継いでいくというのが私は歴史発展人類発展だと思っておる。何でも過去に戻る、過去に戻るというお考えをなさることだけはやめてもらいたいと思います。
  23. 栗田翠

    栗田委員 いま大臣がおっしゃったことはちょっとよくわかりませんが、時間が大分たちましたので、まだいろいろ伺いたいと思いましたけれども、この論議はちょっとここで中断いたします。  それで、次のテーマに移らせていただきたいと思いますけれども、一つは、静岡県の障害児学校の定数の問題でございます。  いま、学校の先生たちの定数改善が行政改革の中で遅々として進んでおりませんで、もっと定員をふやさなければならないという声が高まっている中で、特に障害児学校、特殊学校は重度の子供たちの数がふえて負担が非常に重くなってきているわけです。こんな中で、しかも法で決められた標準定数すら満たしていないという実態がある、この問題を取り上げさせていただきたいと思います。  伺いますけれども、静岡県の県立の障害児学校の教員数がいま何人であるかということ、そして標準定数法どおりこれを実施すると実際には何人になるか、その差はどのくらいかということをちょっとお答えいただきたいと思います。
  24. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 静岡県内の公立の特殊教育学校につきましての教員の配置状況のお尋ねでございますが、五十七年五月一日現在で申し上げますと、標準法による定数は九百二十七人でございまして、実数は七百三十八人でございます。したがいまして、その差百八十九人となっております。
  25. 栗田翠

    栗田委員 すでに五十五年に標準法が改正されておりまして、まる三年たっているわけです。三年もたちながら、静岡県では百八十九人も法に満たない状態で教員が配置されているというこの問題、しかもこれは旧法に照らしても相当足りませんね。いま私は県立の障害児学校だけをちょっと計算しましたけれども、県立だけでも旧法に照らして八十名くらい不足しています。ですから、いま公立、つまり市立や組合立などを含めますと、旧法に照らしても百人オーバーするくらいの不足の状態だと思いますが、こういう状態が何年も何年も放置されていることをどうお考えになりますか。
  26. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 この問題につきましては、参議院の予算委員会等におきましても御質問がございまして、文部省といたしましては法律の定める標準に沿いまして、教職員の配置につきまして静岡県に対しましても強く指導してきたわけでございます。  静岡県の説明によりますと、これは養護学校の義務教育化に当たりまして児童生徒の急激な増加に対する措置に追われたこと、あるいは財政事情の緊迫化等によりまして定員増が困難になったこと等をこの原因として挙げているわけでございますが、文部省といたしましては、特殊教育が非常に重要な事項でございますので、財政措置が講ぜられておりますところの教職員定数の標準までは早急に配置すべきものということから、強い指導を行ってきているわけでございます。  この二、三年は県におきましても若干の改善を行いまして、五十八年度から五年計画でこの未充足を解消するという計画を立てておりますので、今後ともこの線に沿いまして一日も早くこれが充足されるように計画を進めることを強力に指導してまいりたいと考えております。
  27. 栗田翠

    栗田委員 五年計画と申しますけれども、私の調査では、五十八年度は改善増九人増だけですね。そうですね。
  28. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 三十八名というふうになっております、訪問学級を除きまして。
  29. 栗田翠

    栗田委員 それは市立、組合立も含めてということですね。しかも、改善増だけじゃありませんでしょう。いまのは自然増が入っていますよ。
  30. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 これは県立の特殊教育学校のことでございまして、五十七年は未充足が四十九名、五十八年度の見込みといたしましては三十八名というふうに改善がなされているわけでございます。
  31. 栗田翠

    栗田委員 いま、未充足とおっしゃいましたか、ちょっと聞き取れなかったのですが。
  32. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 五十七年度の定数と実数の差が四十九名でございますけれども、これを五十八年度は三十八名にするということで、十一名の改善が図られているということを申し上げたわけです。
  33. 栗田翠

    栗田委員 ずいぶん御答弁矛盾しているのですが、さっき、定数との関係で百八十九名不足とおっしゃいましたでしょう。そうなんですよ、実際は。ですから、そんな三十何名なんということはありませんし、未充足四十何名などという簡単なものじゃないはずですよ。時間がありませんので、どうぞ正確にお答えいただきたいのですが。
  34. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 数字のとり方がいろいろございますけれども、これは公立学校全体として考える場合と、市町村を含めまして県立だけというふうに考える場合とあるわけでございますが、先ほど申し上げましたのは公立全体でございまして、いま申し上げましたのは県立学校ということでございますので、県立について県としてはこういう計画でいるということでございます。
  35. 栗田翠

    栗田委員 文部省、こういう重大な事態をもっと正確にお調べになる必要があります。県立だけでもそんなことはありません。何しろ公立は市立二校、組合立一校しかありませんから。あと残りは全部県立。私どもの調査によりますと、県立だけで五十八年度百二名、県が言っているだけで不足です。そういう御調査ではちょっと私、この質問できないですね。困ります。
  36. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 これは訪問教師という制度があるわけですが、それを除いた数を私は申し上げたわけでございまして、訪問教師を入れますといまお挙げになりましたような百二名という数になっているわけでございます。
  37. 栗田翠

    栗田委員 つまり、県立でも定数に百二名不足しているのですね。そして、最初お答えがあった、公立全体で百八十九名の不足なんです。それに対して、三十何名とおっしゃいましたけれども、そのお答えもちょっとよくわからないですね。三十八名が未充足だとおっしゃいましたでしょう。それ、違っていますね。
  38. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 静岡県内の県立の特殊教育学校の小中学部の教師につきまして、訪問学級を除いた分の定数の充足状況を五十七年度で見ますと未充足が四十九名、それについて県としては、五十八年度は三十八名に未充足を減らすという計画を申し上げたわけでございます。
  39. 栗田翠

    栗田委員 今度お答えが小中学部だけになりまして、県立の障害児学校は高等部もありますから、私、ちょっとこれを保留させていただきたい。私の方は全部資料持っておりますけれども、こういうお答えではとても質疑にならないのです。  委員長、いかがですか、その分ちょっと時間を残させていただいて、後できちんとした資料を出していただいて、もう一度やらせていただきたいのです。
  40. 葉梨信行

    葉梨委員長 資料提出その他は役所で計らうことにいたしまして、先に質問を進めていただきたいと思います。
  41. 栗田翠

    栗田委員 それでは、私の方のこれは間違いない、県から聞いた調査資料ですから、それでやらせていただきますけれども、県立だけで五十八年度百二名不足しております。そして旧法でも、五十八年度で八十名不足です。こんな状態ではどうしようもないわけでして、五カ年計画といいますけれども、改善増で五十八年九名だけです。これでは五カ年計画は達成できません。財政事情その他いろいろおっしゃいますけれども、静岡県は財政力指数全国で第五位です。しかも、先生の養成なんですけれども、五十七年度、つまり今度の四月から就職できる立場で合格をした養護教諭の免許を持っている方が六十一名おります。受験したのが二百三十四名。この合格率も非常に低いので、どういう試験をやっているのかと思いますけれども、それにしても、六十一名合格しているのですね。その人たちすら全員採用しない計画になっているわけでして、私、時間がなくなってきたのでちょっと気になりますが、後で正確な資料を出していただきたい。  それからもう一つは、これだけ重大な、法に規定された定数未達成の状態を文部省が正確に把握してらっしゃらないということ自体大問題だと思いますけれども、こういう実態ですから、五十八年は少なくとも旧法の分ぐらいは直ちに全部満たして、二ヵ年計画ぐらいで全部定数を満たすべきだと思いますが、いかがですか。
  42. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 経緯のあることでございますので、私どもとしては従来から静岡県に強い指導をしておりまして、この二、三年の改善の経過を申し上げたわけですが、県自体といたしまして計画を立てて充足をするということでございますので、その計画を確実に実施するように指導してまいりたいと考えております。
  43. 栗田翠

    栗田委員 私はそのお答えに不満でございます。五十八年度に、五カ年計画といいますけれども、五カ年で充足できないような数を初年度の計画にしていて、一体それで、達成すればよいというふうにおっしゃればいいのでしょうか。しかも、もしいまの初中局長のようなお考えですと、一体何のために法律があるのかということになります。法が改正されてすでにまる三年。三年もたっているのに旧法の数さえも、公立まで入れますと百人近く満たしていないというこの実態を見ながら、文部省は五カ年計画でぼちぼちやることをお認めになるのですか。さっきは早急に満たすべきだというお答えだったじゃありませんか。いかがですか。
  44. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 強く指導いたしました結果、改善の実が上がり、さらに計画を持って実施をしたいということでございますので、その計画も含めましてできるだけ早く充足を達成するように私どもとしても指導してまいりたいと考えております。
  45. 栗田翠

    栗田委員 そうしますと、県が現在出している五カ年計画どおりでなく、それをもっと早めるように指導なさるということですね。
  46. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 その趣旨も含めて指導したいと思っています。
  47. 栗田翠

    栗田委員 まだ私、不満でございますが、次に進ませていただきます。  自治省においでいただいたのですが、時間がなくなってしまいましたので、本当に申しわけありませんが、御質問しないで終わりますけれども、お許しください。  次に、九州産業大学の補助金不正受給問題で、一言だけ伺います。  これは予算委員会でわが党の小沢議員が質問しておりまして、経過その他いろいろもうすでに質問も終わっておりますけれども、一つだけ伺いたいのは、九州産業大学の国際経営学科の増設申請書類の中で、偽造、変造があったということを小沢議員がそのときの質問で指摘をしております。これは当然ながら、刑法第百五十九条の私文書偽造、それから第百六十一条の偽造私文書行使に該当する犯罪行為であると思いますけれども、三日の質問のときに警察庁の答弁はあいまいだったわけですが、その後どのように判断なさり、それから捜査などは開始なさったのかどうか、この点を伺いたいと思います。
  48. 森廣英一

    森廣説明員 お答えいたします。  お尋ねの事案につきましては、現在、福岡県警察が関係者からの事情聴取等、所要の捜査を行っているところでございます。
  49. 栗田翠

    栗田委員 その捜査の容疑内容は何ですか。私文書偽造ですか。
  50. 森廣英一

    森廣説明員 お尋ねの国際経営学科増設認可に絡まる問題につきまして捜査を行っておりまして、現在時点においては、それがいかなる犯罪を構成するかというところまでの御答弁を申し上げるわけにはいきませんけれども、現在、捜査中であるということだけはお答えを申し上げます。
  51. 栗田翠

    栗田委員 この前の予算委員会質問の中では、一つは補助金の不正な使用ということがありましたけれども、もう一つは、当然ながら、大学が学科を新設する場合には、文部省に申請書類を提出するわけで、そこに実際にはいない教授や、助教授などをずらずら並べたわけですね。そうしますと、その書類には当然履歴も書かなかればなりませんし、それから印鑑も押さなければならないしということになるわけで、非常勤講師だった人を教授に仕立て上げて報告したり、いろいろなことをしているわけですが、これは明らかに改ざんがされたということになるわけですね。改ざんといいますか、履歴の詐称などがされたということになるのじゃありませんか。
  52. 森廣英一

    森廣説明員 補助金適正化法違反の事件につきましては、すでに捜査を終了いたしまして、地方検察庁の方に送致しております。したがいまして、現在、捜査中のものは、先生がただいまお尋ねの事件でございますが、これが犯罪が成立するかしないかという点につきましては、捜査を終了してからお答えすべきものでございまして、現時点におきましては、捜査中であるという旨のお答えで御容赦をいただきたいと思います。
  53. 栗田翠

    栗田委員 わかりました。  この九産大学の事件は大変忌まわしい事件ですけれども、ただ、このような事件を契機にして、私学助成を減らしていくとか、また本当に必要としている大学に対して配分を減らすというようなことは絶対にしないでいただきたいということを重ねて申し上げておきます。文部省、その点についていかがですか。
  54. 阿部充夫

    阿部政府委員 今回の九産大の事件は、まことに遺憾な事柄でございますけれども、これと一般の私学助成は別の問題であるというふうに考えておりまして、私学助成の問題については、別途、従来どおりの配慮をぜひしてまいりたいと思っておるわけでございます。
  55. 栗田翠

    栗田委員 それでは次の問題に移ります。時間がなくなって、私もちょっとあせっておりますけれども、次に、少年非行の問題でございます。  横浜で浮浪者襲撃事件が起こりました。初めにこの概要について一言説明をしていただきたいのですが、何分時間が少ないものですから、前半の新聞で多く報道されたものは皆さんよく御存じだと思いますから除いて、特に最近捜査の中で新しいグループなどの問題が出てきております。そこらに焦点を当てながら概要を御説明いただきたいと思います。
  56. 阿部充夫

    阿部説明員 お答えいたします。  横浜で発生いたしました連続浮浪者襲撃事件でございますけれども、当初十名の少年を逮捕いたしまして、二月五日の事件について捜査を一応終了いたしまして送致しているわけでございますが、その後五名の少年を割り出しまして、三件の事件を明らかにしております。一つは、二月五日浮浪者八名に対して行いました連続暴行傷害事件でございまして、被疑少年が十名でございます。それから、一月十二日地下街で浮浪者一名に対して行った傷害事件、被疑少年が五名でございます。それから、一月十五日公園で浮浪者二名に対して行った連続傷害事件、これは被疑少年九名ということでございます。現在までこのような一連の事件を解明いたしまして、それぞれ所要の措置をとっております。  それから、別のグループが浮浪者に対して暴行を加えていたという事案でございますけれども、これについては警察としてまだ確認していない状況でございます。  以上でございます。
  57. 栗田翠

    栗田委員 確認できないものもあるということですけれども、何回かにわたってこのような襲撃事件をやっていること、また関係する少年たちの数がふえてきているということ、これは事実だと思います。これは大変すそ野の広い事件だというふうに私は思っておりますし、また、これを聞いた方々の評価でも、特に教育者など専門家は、子供の荒廃がここまで広がっているのかという問題や、それから暴力の対象が一段と様相を変えて出ているという点で、この事件には注目をしております。  ところで、先日文部省の調査官が、三月の初めだったと思いますけれども、横浜の事件に関連して横浜の中学校調査なさったと思いますが、この調査をなさった中学校感じ調査の感想をちょっと伺いたいと思います。
  58. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 去る三月二日でございますが、この問題が起きましてからいろいろと横浜市の関係者を呼んで事情を聞いたわけでございますけれども、やはり学校の実地を調査した方がよろしいということで、担当の調査官が二名で金沢中学校と蒔田中学校を訪問いたしました。  その結果、私が受けました報告によりますと、金沢中学校につきましては、学校内における特別の生徒の問題行動とは見られなかった、しかし、道徳の指導については十分でないところがあるようである。蒔田中学校につきましては、五十六年七月完成の校舎にいたしましては、補修の跡が見られる、なお、道徳の指導につきましては徹底を欠いている点が見られるというふうな報告を受けているわけでございます。
  59. 栗田翠

    栗田委員 この金沢中、蒔田中、私も横浜へ何度か行きまして、父母の方々それから先生方、いろいろとお話を伺い、調査をした中でいろいろなことがわかりました。特に金沢中などで、また蒔田中も含めてですけれども、金沢中などでかなり幅の広い先生の子供への体罰がやられていることは調査でおつかみになりましたか。
  60. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 そこまでの調査の報告は受けておりません。
  61. 栗田翠

    栗田委員 校長にお会いになったり教育委員会なんかにお会いになりますと、そういう実態がなかなかつかめないですね。ところが、たとえば朝日ジャーナルの三月四日号などを見ましてもこういうことが書かれております。  これは金沢中ですけれども、「A中学の場合、全く別々に取材した生徒、親数人の話では、運動部を中心に「教師による暴力的な管理体制」ができあがっているということである。「運動部の暴力はすごいよ。レギュラーの選手が試合中不調で、点があまり取れなかったんだ。そしたら、ハーフタイムに、物陰につれていって往復ビンタ」「先生の許可を得るのを忘れて、日曜日学校へ練習に行ったら、先生にみつかりメチャクチャビンタ」「試合に負けるとその場でビンタならいいほうだが、その先生試合に見に来ないのに翌日にビンタ」「今からなぐるから、なぐられ方教えてやるという先生もいる」」といったようなことがずっと子供たちの証言で出ておりますね。  それから、「こんな話は枚挙にいとまがない感じなのだ。生徒の不満も大きい。「ここの学校の先生は、一度問題児というレッテルを張ると徹底的にそこだけせめてくる感じ。」「クラスみんなで悪さしていたんだけれど、ある者が見つかってしまった。ところが、次に先生がやったことは、問題児といわれている子に、おまえもやったはずだ、と持ち物検査をした。彼かわいそうに、生活指導の先生のところにつれていかれた。最初見つかった子は見つけた先生におこられただけ。彼は暴力的な子じゃないのに、いつもねらい撃ちにされる」。」など、まだたくさんの証言がこの朝日ジャーナルにあります。  私自身もいろいろ直接聞きました。聞いて大変驚きました。たとえばいわゆる突っ張りスタイルで学校に来た子供、これはもちろん厳しく言って直させなければいけませんけれども、その直し方が説得ではなく、体力のある先生が廊下ですれ違ったときに、そういうスタイルの生徒を見て胸がむかつくなどと言って三十発往復ビンタをするというような話がみんなから出ております。  それから運動部の部活が非常に盛んなことは事実で、この中学校は四年連続横浜市の中で優勝しているそうですけれども、運動部で成績が悪くて試合に負けたりしますと全員坊主にさせたり、こういうことが非常に横行しているそうですね。こういう体罰の問題、教師が子供にする体罰をどういうふうにお考えになりますか。
  62. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 学校教育において懲戒が先生に認められている趣旨は、この懲戒によりまして児童生徒の教育的な効果と申しますか、それを高めるという意味でございまして、体罰が法によって禁止をされているゆえんのものは、体罰によってこの懲戒の効果を上げるということは、特に年少の児童生徒に対しましては教育的な面から見て望ましくないという趣旨で禁止をされているわけでございますから、当然こういうようなことは学校教育におきましてあってはならないということでございます。
  63. 栗田翠

    栗田委員 年少でなければいいというわけではありませんね。
  64. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 そういうことではございませんで、やはり教育的な懲戒という趣旨から見まして体罰はいけないということでございます。
  65. 栗田翠

    栗田委員 警察庁がお調べになりました校内暴力の資料を見ましても、注意あるいは厳しいしつけへの反発、仕返しで暴力をふるったという子供が七〇・七%もあるという。全体の中で子供のそういう反発というのは非常に強いわけです。もちろん厳しいしつけに単に反発するという間違った子供の反応もあると思いますけれども、納得のできない厳しさ、特に体罰などに対する子供の反発というのは相当ひどいものがあると思います。  横浜の中学校、今度の関係する中学校全体を見てまいりますと、特徴的なことは、余り校内暴力がありません。学校は秩序整然とした感じです。ところが、その中で、特に学校の中から落ちこぼれさせられた子供たちが、学校の中では暴力をふるわないけれども外へ出て社会の弱い立場に立っている浮浪者を死傷させたというような、そういう形で今度の事件があらわれていることを考えましても、ただ体罰などで抑えつけていくということのゆがんだ影響というのを私は思わざるを得ません。  共産党は、今度の一連の非行問題に関係して、三月十一日に提言を出しました。「暴力否定の姿勢を明確にして学校、家庭、地域の総力でこどもの教育を守る話し合いと行動を」という提言でございます。この中で共産党は、「生徒間の暴力であれ、学校や教師への生徒の暴力であれ、生徒への教師の「体罰」であれ、暴力への制裁、報復といった口実をふくめ、学校内外のいかなる口実による暴力も許さない、という民主主義をつらぬく原則的態度を確立することが、いま、何よりも必要」だというふうに主張しております。もちろん、この間の町田の事件のような中でも特に論議されていますが、先生の正当防衛権というものは認めなければいけないだろうということを言っていますが、これも過剰防衛にはなってはならないということを共産党は主張しているわけでございます。  特に、体罰については、「「体罰」は、動物の訓練や奴隷の使用におこなわれる、人間のあつかいとしては野蛮な方法です。それは、説得を省略し、肉体的苦痛と恐怖で理性を麻痺させ、自発的な反省や自主的思考の機会を奪い、人間としての自覚を弱めていくもので、人間としての諸能力を発達させるべき教育とは正反対のものです。」ということを主張しておりますが、学校教育法十一条が体罰を禁止しているのも同じような考えに立ったものと理解してよろしいですね。
  66. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 体罰が教育的な見地からどうかということにつきましては、いろいろの御議論があるかと思いますけれども、わが国におきましては、学校教育におきましては一貫してこれを禁止しておりますのは、やはり教育は教師と生徒との信頼関係を基礎にして、人格的な影響力なり教師の指導力によって教育効果を高めるという見地から行われるのが望ましいわけでございますから、体罰によりまして教育的な効果を期待するということではなくて、やはり日常の教育なり子供との接触を通じて教育的な効果を高めていくということが望ましいという見地から禁止をされているものというふうに考えております。
  67. 栗田翠

    栗田委員 また、あらゆる暴力に対して教師が毅然として対処していくということ、子供同士の暴力でもそうですし、先生への暴力でもそうですが、そのことが大変必要だというふうに思います。  それでは、次の点に移りますけれども、いまも、教師が子供を理解し、その心が通っていくことが必要だということを局長もおっしゃいましたけれども、当然そうだと思います。そのためにも、条件を整備していくことがいま文部省としてやっていかなければならない大切な一つの柱ではないだろうかと私は考えております。  横浜というのは、全国一マンモス校の多いところですね。中学校の一校当たりの平均生徒数を見ますと、全国でトップです。二番目が川崎市になっておりますが。私が先日調査に行って調べたところ、調査官がいらしたという二つの学校もマンモス校だと思いますが、金沢中が四十三学級、千七百七十七人、それから蒔田中が二十七学級千八十八人、その他、関係するあと三校ありますけれども、それぞれ決して小さくはない学校です。  たとえば四十三学級もあった場合にどんなことになるのだろうかと思って、いろいろ調べてみました。この金沢中、四十三学級の場合、職員室が二つあります。ですから、全校の先生たちが顔を合わせるのは朝の職員会議のときだけ。しかし、何しろ六十九人も先生がおられますから、丁寧な話などはしていられないので、事務連絡だけに終わるそうです。それで、あとは学年ごとに運営をしているのですけれども、一年生がやった非行を三年の先生は知らないという状態、その逆も言えるわけですけれども、そういうふうになっているという実態がわかりました。  それから、一つの学年で、たとえば今度該当する子供の出た二学年の場合、十四クラスあります。ですから、同じ科目を受け持つ先生が二人とか三人とかいらっしゃるわけですね。たとえば六クラスとか四クラスぐらいだったら──まあ六クラスぐらいだったら、一人の先生が英語なら英語で全部持っていく、こういうことができるわけですから、自分の学年の子供の顔は一通りわかる。それがお互いどの先生も教科でそういう持ち方をしていくわけですから、学年全体について把握することができますけれども、マンモス校になって十数クラスというふうになれば、一つの学年でさえ何人かの先生が受け持たなければならない実態になっているということも伺いました。生徒の顔は、その学年の先生でさえもわからないから、校外で何かしている場合にこれがどこの生徒かということがなかなかわからない、そういう状態だそうですね。しかも、学年でやる先生方の会議も、一学年で二十人余の先生がいらっしゃるので、丁寧な話ができないということで、ある先生が登校拒否の子供を自分がどういうふうに立て直したかという発言を一生懸命になさったらば、話が長過ぎる、余り長いと夜中になってしまう、いろいろな人が話すから短くしろといって、切られてしまう。そういうふうに、丁寧な、子供たちの教育にかかわる話すら十分にできない実態だということを私は知りました。マンモス校というのがそういう意味でも非常に問題があるなということを改めて知ったわけでございます。  町田の忠生中学も、これは東京一のマンモス校ですね。この町田で、PTAの決議があの事件の後されておりますけれども、そのPTA決議のトップに「千四百四十九人という町田市内一のマンモス校を解消するため、校区内に中学を一つ新設することを市教委へ働きかける」という決議が出ているわけです。実際、本当に子供たちと心通う教育、子供一人一人を知りながら、お互いに先生方が協力し合って子供を見詰め、また直していくということのためにはもっと適正規模の学校にしていかなければならないということが強く要求されていると思いますけれども、いかがでございますか。今度の一連の事件をきっかけにして、もっと学校の規模を適正化していくために文部省は努力すべきではないでしょうか。いかがですか。
  68. 阿部充夫

    阿部政府委員 小中学校の規模の問題でございますけれども、学校教育法あるいは義務教育学校の施設費国庫負担法といったような系統の法令におきましても、十二学級から十八学級ぐらいのところが適正規模であるという原則を示しておるわけでございます。文部省といたしましては、これまでも、過大規模校がこれを分離したいというたぐいの補助金の申請に対しましてはこれを優先的に取り扱うということで、恐らく一〇〇%対応してきたつもりでございますが、ただ、先生も御案内のように、この問題につきましては、実際の問題といたしまして新設校の位置をどこへ定めるかとか、あるいは学区制をどうするかとか、いろいろな問題が現地で絡んでまいります関係上、現地の市町村当局、大変苦労しておられるというところでございます。  いずれにいたしましても、文部省といたしましては、その補助金の採択に当たりまして、一般市町村の場合に三十学級以上あるいは急増市町村につきまして三十六学級以上というような学級規模で持ってまいった場合にはこれを分離するようにということを強力に指導しておるところでございますし、また、今後ともそういう方向で努めたい、かように考えております。
  69. 栗田翠

    栗田委員 三十六学級では大き過ぎますね。いま方々へ行きましても、文部省がそういう指導をしていらっしゃるから、三十学級なり三十数学級なりにならないと分離しないという動きもあって、もっと適正規模にさせていくための前向きの本気の努力がいま必要だというふうに私は思います。  それからもう一つは、四十人学級の実現ですけれども、これは四十人学級、十二年計画で実施するということが決まっております。しかも、それがだんだん先送りになっています。十二年計画では遅過ぎると思いますが、それすら先送りになっているという実態ですね。  いま先生方に伺いますと、一人一人の子供たち、本当に丁寧に家庭のことまで、それから基礎学力の問題まで見ていくためには本当なら二十五人か三十人ぐらいでなければならないということをしきりにおっしゃっています。せめて四十人学級を一日も早く実現してほしいというのが切実な先生方の要求であり、また特に困難な問題を抱えた学校の要求になっております。いま、道徳教育その他ということばかり文部省はおっしゃっていますけれども、まず国として四十人学級を早期に実現していくこと、それから、たとえば先日も参議院の参考人質問の中で参考人の方から出ていたと思いますが、困難校の場合に先生の特別配置をしてほしいという強い要望があるわけでございます。  実際、いまの中学校などの先生方の勤務というのは本当に涙ぐましいような状態で、昼も夜も夜中もないという実態。子供の問題が起きれば夜中でも駆け回ってその子たちを捜したり、それから授業中にだれかがいなくなってしまったらその子供を見つけにいくために授業をあけなければならないことも出たり、日曜もない、土曜日もないという中でくたくたになりながら献身していらっしゃる方が実にたくさんあって、またそういう中で心身ともに疲れ果てて病気になられる方も多数あるわけでございますから、そういうことを考えていきますと、特に困難校に対する定数の増配ということも、いま強く要求されている、必要とされていることだと思います。  まず、そういう条件整備を文部省は積極的になさるべきではないでしょうか。大臣も所信の中で、五十五年度から発足した四十人学級の実現を含む学級編制と教員定数の改善計画について改善に努めていくということをおっしゃっております。これを、幾ら国の財政が赤字だからといいまして、子供の教育のことなんですから、そういうところに予算を節約するのではなく、十分に早期にやっていくべきだと思いますが、今度の事件と関連させて、特にそのお考えを伺いたいと思います。
  70. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、小学校では先生から習った経験があるのですけれども、教えた経験がないのです。よけいなことですけれども、私なんかは三学級ある学校で六年生まで生徒が百人くらいの小さな村の学校ですから、いわゆる二部教育でやって、非常に楽しい小学校を過ごした経験を持っておるだけでございます。  私も、いま忠生中学校千五百人ぐらい、この間ちょっとほかの用で行きまして、広島の府中中学校はどうなんだと聞きましたら千四百人くらいだ。学校の生徒、学校が大きいから全部悪くなるとは思いません、いろいろな非行その他には事情がありますから。しかし、そんな膨大な学校ではなかなか教育は困難じゃないかと素人としては考えるわけです。  先ほど局長から申し上げましたが、せいぜい七、八百人くらいが小中学校では子供の間でも、また授業される立場からでも一番いいのじゃないかという気がいたしております。でありますから、四十人学級をできるだけ進めようということをやっておるわけでございますが、これもやはり国民の、お考えが違うところもあるかもしれません、国民の税金でやるわけでございますから、やりたくても多少進み方がおくれる場合もある。よけいなことですけれども、国によっては学校の施設もできない国もあるようであれば、そういう国もたくさん世界にあるわけでございますが、日本はそれでもよく充実している。お隣の中国あたりに行ったら、学校をつくるのに大変な苦労をしておられるようであります。国民の税金ですからそう理想どおりにもいきませんけれども、やはり私は教育はいまおっしゃったように、将来にわたって根本問題でございますから、できるだけこれに力を入れていかなければならない。一挙にできると簡単に申し上げませんけれども、そういう方向で全力を挙げてまいりたいというのが文部省の立場でございます。
  71. 栗田翠

    栗田委員 ぜひ全力を挙げてやっていただきたいし、中曽根総理自身が内閣挙げて教育問題に取り組むとおっしゃっておる以上、総理大臣も御理解になられるでしょうから、当然理解なさるべきでありますから、いまの行政改革の中でもそういうことを促進させるように御努力いただきたいと思います。  続きまして、私、子供の非行化を防ぐのには見放さない教育が大切だというふうに思います。レッテルを張って、おまえはだめな子だからもうあっちへ行っていろというようなやり方、さっきの、問題が起きたらば直接問題のなかった子供でレッテルを張られておる子供が特別にしかられるなんということが起こりますと、子供が傷つくのは当然だというふうに思います。  いろいろ荒れた学校が立ち直ったという実践例もたくさんあって、そういうものも私は読んだり見たり、お話も聞いたりしていますけれども、その中で一貫していることは、やはり最後まで子供を信じ、先生が子供を立ち直らせるという立場で手放さずに努力していらっしゃるときに子供は立ち直っておるというふうに思います。  長野の篠ノ井旭高校の、有名な本にもなっております「教育は死なず」などを読みましても一貫してそうですし、それから「ブリキの勲章」などを読んでもそうですし、いろいろな東京都を初めとする方々でのよい実践例みんなそうだと思います。  この間も川崎市の田島中学校の例が読売新聞に出ておりました。「ツッパリ派が”改心宣言”」ということで、突っ張っていた子供が卒業のときに、自分の壊した天井だの壁だの直して卒業していって、みんながそれに協力したという最近にないほっとしたニュースが出ておりましたけれども、これなどを見ましても、生徒指導の先生が生徒のプライドを尊重していた、突っ張りだけでおまえたちを終わらせないという先生たちの熱意が実を結んだのだろう、というふうに校長さんは話していらっしゃいますが、まさに私、そうだというふうに思います。  こういう中で、実は学校教育法の二十六条に出席停止という懲戒措置があります。これは義務教育教育を一時停止するわけですから、非常にいろいろと配慮しなければならない措置だというふうに思いますけれども、ところで、先日横浜の例の中でも、おまえのような子供は学校へ来るな、卒業はさせてやるからと言って、三年の終わりのころ受け持ちの先生が子供を出席停止させてしまったということなどが報道されておりましたし、また実際、私が調査に入ってもそれがあったようでございますが、これは学校教育法二十六条に違反しておりますよね。
  72. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 いま栗田先生、懲戒とおっしゃいましたが、二十六条の趣旨は、性行不良で他の児童生徒の教育に妨げとなるような児童に対しまして、教育委員会が出席停止の措置をとるということでございまして、これは学校内におきます全般の児童の教育を受ける権利を保障する、あるいは学校内の秩序を維持するという見地から、就学義務を課している保護者に対しまして非常に重要な措置でございますので、その際には、市町村の教育委員会が権限を行使するという規定でございます。そのほか校長には懲戒の権限が認められておりますけれども、市町村の教育委員会が行使するような出席停止と同じような措置を校長が行うということは法令では認められておりませんので、仮にそういう措置が可能だといたしますと、学校管理規則等によりまして校長がその委任を受けているという場合に限られるかと思います。したがいまして、そのような実態がどうなっているかということが問題でございますので、私どもとしては早急にこの実態を調査いたしまして、どうするか指導してまいりたいというふうに考えております。
  73. 栗田翠

    栗田委員 この出席停止がもし正当な手続でやられたとしましても、子供が家にいてぶらぶら遊んでしまっていたのでは何にもならないわけで、やはり出席が停止されて子供が家庭にいる場合にきちんとしたしつけ、それから学習が継続されるような条件を配慮しなければならないと思うのですけれども、これは当然の要件でございますね。
  74. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 出席停止にかかわる児童についてどのような措置をとるかという指導方針とかそういうものはまだ十分立っていないわけでございますけれども、教育的な配慮、たとえば自宅におきまして学習の目標を定めてこれを命ずるとか教師が訪問をしてその実情を調べて指導するとかいろいろな方法があると思いますけれども、そういう措置もあわせて行う必要があるというふうに考えます。
  75. 栗田翠

    栗田委員 私も、周りの子供に大変悪い影響があって授業を妨げるような場合に、出席停止が全部悪いというふうには思いませんが、やはり慎重な態度で、教育的配慮を持って、しかも法で定められた手続によっての停止でなければいけないというふうに思います。  ところで、私、初中局長に伺いますけれども、先日、横浜へ参りましたらお母さん方がこういうことを言っておりました。おまえ休んでいていいよ、卒業させてあげるからという例の話のことで文部省に電話をしたところが、文部省は、それは法に定めた出席停止というのがあるのだから違法じゃないのだと答えたということを私は聞きまして、実はびっくりしたのです。それと同時に、心配しましたのは、初中局長が二月十九日に教育推進懇話会でお話をなさっているのですけれども、そのときの記事が日本教育新聞に載っております。こうなっているのですね。「生徒指導問題の解決にむけ、出席停止の措置などの仕組みを活用すべきだとする考えを示した。」というふうに前置きで解説が書かれておりまして、これは初中局長自身のお話の要約ですから、このとおりおっしゃったのかどうか私わかりませんが、こういうふうに要約してありますね。「だが学校教育法では学校全体の生徒に非常に影響があるという場合には、その子どもに対して退学はできないので出席停止という措置を規定している。そうした全体のしくみを考えると、まだまだ学校としてとれる措置があるのではないか。」というふうに書いてあります。これを見ますと、活用すべきだというふうに大いに奨励していらっしゃる感じに受け取れまして、そのことと、文部省が、いやそれは法にあるのだからやればいいのだと言ったという、これはあくまでも伝聞ですけれども、そういうこととが何か結びついて、私非常に心配になりました。措置はあるけれども、見放さない教育ということをまず前提にしていかなければならないということですね。大いに活用せよなどと初中局長がもし奨励をなさったとしますと大変な問題が起きてくると私は思いますけれども、御趣旨はどういうことなんでしょうか。
  76. 鈴木勲

    ○鈴木(勲)政府委員 まず、電話がかかってまいりましたときに省内の担当者が、こういう出席停止があるから法令違反ではないのだというふうなことを言うはずはないと思います。私どもとしては、出席停止という措置が本当に法に定めたとおりに行われているのかどうか、これは重要な要件でございますから、市町村の教育委員会が行使しなければならない、それを、校長が出席停止と全く同じような措置を軽々にとっているということであるとこれは大変問題があるわけでございますので、そういう見地から出席停止の扱いがどのようになっているのかということを詳細に調べる必要があるということでございまして、実はかつて指導担当の課長等を集めたときに調べたことがございますけれども、いわゆる法令に基づく出席停止の措置をとっている県はりょうりょうたるものでございまして、実情は、校長がそれに類するような自宅学習とか校外実習とかいう形でやっているのではなかろうか。そういたしますと、本当にその他の生徒に妨げになるような者につきまして法が規定しております措置を市町村の教育委員会と相談をしてとっているというケースがまだまだその中にはあるのではなかろうか。したがって、そういうものについてはきちんとするべきものはするし、そうでないものは学校教育の範囲内でしっかりと指導する必要がある、その辺の仕分けをきちんとする必要があるのではないかということを私どもは考えているわけでございまして、奨励するとかそういうことをいま決めて指導しているわけではないのでございます。
  77. 栗田翠

    栗田委員 時間になりましたのでもう終わりにいたしますが、学校によっては学校内謹慎という形で子供を校長室にクラスからは切り離しながら、あきの先生が交代で教えているというような大変な努力をしていらっしゃるところもあります。先生方の負担は大変になるわけですが、こういうことまでして努力していらっしゃいますし、こういうことなども大いに認め評価していっていただきたい。そのためにもまず先生方の数の増配、条件整備などに本気で努力していただきたいと思います。また、学校の閉鎖性の問題、子供に自覚を持たせた教育、それから先生方が真に団結して子供のために力を合わせられるような条件づくり、いろいろなことを私はきょうは提起したいと思いましたが、時間が来てしまいましたのでそれは割愛いたしますけれども、この重大ないまの事態は真剣にお酌み取りになって、そして現場の先生とも十分にお話しになって、精神的な訓話だけではなく本当に実体の伴った改善策を文部省は努力していっていただきたいというふうに思います。  最後にその点だけ簡単にお考えを伺いまして、終わります。
  78. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 まさにいまの状態というのはきわめて重大に受けとめております。これはいろいろの原因があると思いますし、快刀乱麻を断つようにはまいらないと思います。しかし、将来のことを考えまして、これは学校、文部省または地教委だけの問題ではなくて、全国民的課題として将来を背負っていく子供をりっぱに育てることに全力を挙げなければならない、かように考えておるわけでございます。
  79. 栗田翠

    栗田委員 終わります。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
  80. 船田元

    ○船田委員長代理 河野洋平君。
  81. 河野洋平

    ○河野委員 文部大臣の所信に関して、若干の御質問をさせていただきたいと思います。  先般の文部大臣の所信を拝聴いたしましたけれども、非常に率直に申し上げまして、文部大臣文教政策に対する所信はそれなりに感ぜられますが、文教行政に対する、つまり中曽根内閣というのは行政改革が非常に重要な仕事だ、こう言っておられるわけですから、文教政策のみならず、文部大臣としては文教行政に対するいわゆる行政改革、これに対してどういう御所見をお持ちなのか、ひとつお伺いをいたしたいと思うわけでございます。  もちろん、今日の文教を取り巻く環境は非常に複雑であり、むずかしい状況にあるわけでございまして、行政改革といってもほかの役所とちょっと違うのだということであるいはあるのかもしれませんが、しかしいずれにしても、中曽根内閣が掲げる行政改革、中曽根内閣の重要閣僚としての瀬戸山文部大臣の行政改革に対する御所見をまず最初に伺っておきたいと思います。
  82. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 河野さん御存じのとおりに、私は文教行政という、いまごろ素人と言ってはいけないのですけれども、全く経験が浅いわけでございます。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕  私は、就任当時、役所の皆さんに、ここは文教委員会で皆さんエキスパートばかりいらっしゃいますが、素人の目から見ると、日本教育はすばらしい、明治以来百年以上過ぎて、長い歴史と深い伝統を持っておる、すばらしい伝統を持っておるが、文部行政だけでなしに人間個人生活にしても、長い伝統と歴史を持っておると、どこかにやはりそれにおぼれてしまう場合がある、その当時はすばらしい制度方針であっても、だんだん時世が違ってくると時勢に合わなくなって、あるいはむしろ逆に弊害を及ぼす場合もあり得る、文教行政を知らないで言うのはけしからぬけれども、人生というのはそういうものであるという意味で、長い伝統があればあるほど常に振り返ってみるということが必要ではないかという就任のあいさつをした。よけいなことでございますが、そういう目で見なければならないと思っておるのです。まだ全般を詳細に知悉しておるわけではありません。  いまの行政改革につきまして、御承知のとおり臨調からいろいろな答申が出ました。これは政府としては、臨調答申を最大限に尊重して、できるだけそれに応じて改革を進めるという方針をきょう決めたところでございますが、そのとおりいけるかどうか、もう少し細部については専門的に検討しなければなりません。  ただ一点、私が気になりますところは、行政改革、もちろん時勢に合わない、あるいは弊害があるところは改めなければなりませんが、教育というのは余り銭金だけで計算すると間違いを起こすのではないか。もちろん国民の負担でございますから、どんなにいいことをやろうと思っても、負担には限度がある場合にはそれも徐々にやらなければならぬ、あるいはやれない場合もある。しかし、余り銭金の計算だけ先に考えると教育というものの本体、本質を忘れるおそれがある、こういうようなことを頭に置きながら文教行政考えていかなければならないのではないか、かように考えておるわけでございます。
  83. 河野洋平

    ○河野委員 私は、ただいまの大臣考えをおおむね支持したいと思います。確かに当初いいと思っていた制度も、時勢に合わなくなってきているものもたくさんあると思うのです。したがって、相当部分見直さなければならないところも出てきている。それから、お役所はもちろん国会といえども、たとえば文教委員会に所属していると、とにかく文教問題というのは一番大事な問題だと思う。私は文教問題を一番大事だと思っている人間の一人でございますけれども、その他の各委員会に所属しておられる方々は、皆それぞれの当該委員会が一番重要な役割りを演じていると思いがちなものでございます。しかし、そうしたことはそうしたこととしておきながらも、ここだけは聖域だなどと思ってしまってはいけないのであって、やはり文教行政も行政改革の一つの役割りといいますか、ターゲットの一つではあると思って考えてみる必要があるのではないかと思うわけでございます。  そこで、少しのっけから細かいことで恐縮でございます。細かいことは事務当局で結構でございますが、行政改革を考える上で国と地方の問題もございます、あるいは補助金ということもございます。いろいろな部分で行政改革についてさまざまな議論が行われておりますが、ここに一つ、「地域からの具体的提言」と称するプリントがあります。この「地域からの具体的提言」というのは、ある県が出したものでございますけれども、このある県は県内の行政をずっと洗ってみて、各省に、こういう問題は少し整理できるのじゃないか、こういう問題については権限の委譲が可能ではないかということをずっと洗ってみた。これは大蔵省から自治省から環境庁から全部あるわけですけれども、その中で文部省という部分があるのです。これは御参考までに何点か申し上げてみたいと思うのです。  たとえば「国庫補助金の改善合理化について」というものがあります。文部省関係も幾つか出ております。学校教育設備整備費等補助金、これらは細目が非常に類似性が強い、似たようなものがたくさんある。こういうものはむしろ効率的な運用を図る意味からも統合したらどうかというのが一つの提言でございます。さらに、これは文部省の中でも文化庁予算のようですが、公立社会教育施設整備費補助金、社会教育施設整備費あるいは地方文化施設整備費補助金、こんな項目があるのですが、これらの補助金は、それを導入して多目的な施設を建設するケースがあるわけですね。こういう補助金、こういう補助金といろいろなものをやってつくるというのですから、そんな細かくやらないで、もう少しメニュー方式ならメニュー方式ということで、がさっとやってくだされば、地方がそれぞれ地方の判断でやりますが、こう余り細かく補助金をあれこれしなくていいのじゃないか、補助金についてはこういう提言です。  私は、これは一つ、二つ例を挙げただけですけれども、類似の補助金がたとえば複数の役所にまたがったものもあるし、調整がなかなかむずかしいものもあると思いますが、いま申し上げた公立社会教育施設整備費の補助金というものは文部省の内部あるいは文化庁の内部にまたがっている、あるいは複数になっているのですから、こういうものは改善する余地があるのではないか、そう思うのですが、これは事務当局どなたか御答弁できれば……。
  84. 高石邦男

    ○高石政府委員 いま先生御指摘のようなことがございますので、昭和五十八年度の予算から、公立社会教育施設整備費補助金と地方文化施設整備費補助金につきましては、補助金を統合いたしまして一本化したわけでございます。文部省といたしましても、補助金関係で統合できるもの、メニュー化できるものについてはできるだけそういう方向で進めてまいりたいと思っております。
  85. 河野洋平

    ○河野委員 これはもう何年前からでしょうか、地方の時代などという言葉があって、この地方の時代という言葉は、言葉だけがどんどん先行して、実態、現実はなかなかついていってないです。現実はいまだに、言ってみれば中央集権的な色彩が非常に強い。もっと地方に自主的な判断、メニューをつくらせる、あるいは地方へメニューの選択権を与えるということが必要だと思うのですね。  これは、地方に行きますと、たとえばスポーツ公園一つつくるのにしても、本当は野球場がつくりたいのだけれども、野球場だけだと補助率が低い、ほかのいろいろなものを合わせると補助率が高くなるからということで、大して利用率も高くないのに総合グランドをつくることで補助率を上げてもらうなんということはしばしばある。これは文部省の所管じゃございませんけれども、あるのです。そういうことを考えますと、私はいまここにたまたま例がありましたから一つ二つ申し上げましたけれども、この手のものはもっと積極的にメニュー化を進めていく必要がある、これは行政改革として非常に重要なものだと思うのです。  さっき大臣は、臨調答申に沿ってということでございましたが、私は、臨調答申というのは行政改革の一つの大きな骨組みでございまして、臨調答申に出ているからとか出ていないからとか、これは臨調で指摘をされなかったからやらなくていいというものではないわけでございますから、いま申し上げたような補助金のメニュー化方式への改善とか、そういったような補助金問題について文部省は積極的に取り組む御意思があるかどうか、もう一度御答弁ください。
  86. 高石邦男

    ○高石政府委員 できるだけ、御指摘のように、統合化できるものは統合し、メニュー化できるものはメニュー化していきたいと思っております。
  87. 河野洋平

    ○河野委員 この問題に関しては、文部省は行革に積極的だ、こういうふうに解釈をいたしましょう。  その次に、これも行政改革なんですが、国と地方の権限といいますか、あるいは事務の簡素化、そういったことをもう少し考えてほしい。この「地域からの具体的提言」はそういうことを言っているのですが、これも非常に細かいことでございますけれども、教員免許状の書きかえというのがあるのです。これは、免許状を持っている者が氏名などを変更したとき、書きかえを都道府県教育委員会に願い出ることになっておる。しかし、免許状の書きかえの実益は、本人である旨の確認さえあればいいのであって、書きかえの要件は戸籍抄本に記載されているのだから、採用時などにそれを確認すればそれで十分じゃないか。一々こんなことをさせる必要はないだろう。細かいことですよ。しかし、それでもこの地域はこうしたことが年間大体二百三十件ぐらいあるというのです。こんな簡単な書きかえ事務をやめるというだけで——そんなことやっていたって余り意味がないのですから。さっき大臣が言われたように、昔は必要だったかもわからぬけれども、いまはほとんど必要でなくなってきた、こういうことをほうっておくために、地方自治体は年間二百三十件もの書きかえ事務をやっている。これはもう廃止できませんか。細かいことですけれども、一つの例として申し上げます。
  88. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 書きかえについての御指摘でございますが、書きかえそのものとしては、やはりその仕事そのものはやめるわけにはまいらぬ事柄ではないかと考えております。あるいは、たとえば同じく免許法の中で、授与をした場合に公告をするという制度があるわけでございますけれども、免許という基本的な事柄の性質から公告ということも考えられるわけでございますが、ただ、免許法が制定されました昭和二十四年当時と今日とでは、確かに大変事情が異なっているわけでございます。今日は、大学教育も当時に比べれば非常に大きく伸びてまいりましたし、免許状を授与される者も非常に数がふえているわけでございます。そういう点からすれば、特に公告をしなくとも、教育委員会が教員を採用するに当たって、公告されて広く知らしめておくということの必要性というものは、現実問題としてはそういう必要はないのではないかというぐあいにも感ぜられます。したがいまして、こういう公告の制度などについて、時代の変化に対応してその事務を整理合理化するというようなことなどは、確かに取り組むべき事柄の一つだと思いますし、その点については私どもも前向きに対応いたしてまいりたい、かように考えております。
  89. 河野洋平

    ○河野委員 いまの局長の御答弁だと、公告を廃止するということについては可能だ、実現できる、こういうふうに受けとめていいですか。
  90. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 そのとおりでございます。
  91. 河野洋平

    ○河野委員 公告をしなくてもいい、これは確かに一つの前進だと思います。前進といったって、もうほとんど意味を持たないものをやっていたというだけのことですからね。しかし、それでもいま申し上げるように二百件以上あるのですから、これはひとつぜひ実現してください。  その公告を廃止するというならば、公告を廃止されたらどうかと思うことがもう一つあります。博物館に相当する施設の指定に係る官報公告、これもずいぶん細かい話ですけれども、これも、地方自治体は、こういうことはもうおやめになったらどうですかと国に提言をしているのです。博物館に類する事業を行う施設で、国立を除く施設にあっては、県教育委員会が指定し、官報公告をする、こうなっている。だけれども、これはもう、博物館相当施設よりももっと上位の登録博物館でさえいまでは県公報の告示のみで官報公告を必要としないとされているのだから、こんなに官報公告と昔ながらのことを言わぬでもいいじゃないか。これはもうほとんど意味がなくなっていると思いますが、これも、どうですか、思い切って官報公告を廃止する、そこまでどうです。
  92. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 御指摘の博物館法によります相当施設の指定につきまして、先生御指摘のように、現在官報公告を手続の要件としておるわけでございますが、御指摘の御趣旨を踏まえまして、行政簡素化の一環として、廃止の方向で検討したいというふうに考えております。
  93. 河野洋平

    ○河野委員 いま非常に細かいことを二つばかり申し上げたのですが、地域が国政に望んでいる、行政改革について、行政内部の規制、民間に対する規制の中で廃止が望ましいと考えますよという七十七項目、各役所にわたって七十七項目あるうちの二項目を私は申し上げて、それはやりましょうと、こういう文部省のお答えですから、二歩前進したというふうに思うのですが、非常に細かいことのように思いますけれども、私は、行政改革というのはこういうことから一つずつ、大臣がおっしゃったように、もう時勢に合わなくなっているもの、そういうものを少しずつでいいから廃止していくことによって、地方の事務の簡素化、これは何も地方の事務の簡素化だけじゃなくて、文部省の事務だって相当簡素化されていくと思うので、こういうことを一つずつおやりをいただきたい。  臨調答申の中には文部省の関係のものも大分議論の対象になって、私学の問題を初めとしてさまざまな議論がありました。そういうところにだけ目が行っていて、こういう細かいところ、これは文部省が少し事務の中で洗い直して見直していけば、これももう要らないなと思うことがずいぶんあるのじゃないか。まだここにはほかにも大分書いてありますが、こうしたことも、地域からの提言と、こうばかにしないで、なるほどそういうことが地方の事務では問題になっているのだな、というようなことをなさった方がいい。  まだ幾つか例を挙げますと、専修学校、各種学校というのがありますが、各種学校の収容定員に係る学則変更の認可なんというのも、私立の各種学校の収容定員に係る学則変更は監督庁の認可を得ることと現在なっているわけですけれども、これなんかも届け出でいいのじゃないか。専修学校についてももう届け出制になっておる、各種学校は認可、これはおかしいのじゃないか、なんということがここに書かれていますね。こういったこともひとつ御検討をいただきたい。特に各種学校というものは、社会の変化で需要がふえたり減ったりするということは相当あるわけですね。ですから、そういうものはかなり縦横に、機動的に対応できるように、それから、かつまたそれぞれの当該地域の判断というものをもう少し信頼していいのじゃないか、余り地方というものを信用しなさ過ぎるのじゃないかということもあって、そんな姿勢では地方分権というものは決して進まない。地方の時代などとおっしゃるなら、あるいは地方の時代という最近のかけ声をそのまま受けとめていらっしゃるなら、もっともっと名実ともに地方分権に進んでいかなければいけないのではないかと思うわけでございます。  こうした細かいことを申し上げれば切りがないのですが、少し別の問題にも触れさせていただきますが、大臣の所信表明の中には高等教育に関する問題がまず取り上げられております。高等教育の問題はいろいろな観点から論ぜられるわけでございますが、今日の大学の姿、大臣、これは全く感想で結構でございますけれども、いまの大学は本当にみんな勉強していて、大学に行くと相当学力がついて、あの四年間は相当学生にとって有益な四年間であるとお考えになりますか。それとも、どうもマージャンをやったりコーヒーばかり飲んでおって、あの四年間はつまり友達をつくったり何となく大人になっていくための準備期間みたいなもので、余り学力を増すということになっていないのじゃないか、余り大した意味を持たないなと思っていらっしゃるか。それはどうでしょうか、大臣の御認識は。
  94. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私も大学というものはもう大分、何十年前の話でございますから現在の大学の実態というものをよく存じませんが、こう言っちゃなんですが、余談になりますけれども、三十年くらい前でしょうか私がドイツに行きましたときに、あの当時、昭和三十一年ですからどのくらいあったのでしょうね、日本には二百か四百の大学がある、西ドイツでは十六とか七とかそういう話が出まして、日本にはそんなに大学教授がおるのかとドイツ人から言われてびっくりしたわけです。なるほどそうだ。ボン大学とかチューリッヒ大学とか、そういう大学教授というのはすばらしいらしいのですけれども、四百も五百も大学があって、そんなに大学教授がおるのですかと聞かれて私も戸惑った、これは昔話ですけれども。  大学というところが、このごろは一般教養といいますか、これは悪いことじゃないと思いますけれども、学問が非常に高度にできる人たちが集まっておるというふうには正直なところ感じないわけです。けさも大学院の話をいろいろ部内でやりまして、今度大学院を少しふやすことにお願いしておるわけですけれども、一体大学院というのはどういうことをやるのだということを私は聞いたわけです。学問することは結構ですが、何しろ五万も六万も学生がいる学校もあるそうですから、それは一つの教養といいますか、全然役に立たぬとは思いません、やはりいろいろな教養、われわれの若い時代と違って想像以上にいろいろな領域といいますか内容が豊富になっておりますから、その程度のところが有効ではないかという気がしておるのが感想でございます。
  95. 河野洋平

    ○河野委員 非常に率直な感想をお伺いをしたわけですが、ある人の話によれば、どうも近ごろの大学というのはそれぞれの都市のアクセサリーになっておる。何か地方都市でもちょっと大きな都市になると、大学でも誘致するか、それはあたかも公園とか病院とか公民館をつくった、あとはうちの町にないのは大学だな、それは、確かに大学を誘致することによってその周辺の教育的な刺激を与えるとかあるいは教育的水準を上げるとかそれはメリットはあります。もちろんメリットはあると思うのです。しかし、大学というものをそれだけの観点でとらえていいのかどうなのか。  確かにいま大臣がおっしゃったように、土地建物を購入してつくることは金さえあればできる、しかし指導者、教育者、そういうものは一朝一夕にできないわけでございます。質の低い指導者に支えられる大学なんというものは、これは本当に何の意味も持たないばかりかマイナスの要素になってしまう。こういうことを考えますと、今日の大学の状況高等教育をこれからさらにどうやっていくかということは相当慎重に考えなければならぬことではないか。  一体この高等教育の整備、中期展望といいますか、これはいろいろ議論がありますけれども、一定の進学率、それから十八歳未満の子供たちの数、これはもうはっきりわかっているわけですから、たとえばこれから五年間とか十年間とか、どういうかっこうで進めようと考えているのか、もう一度ちょっと整理をして御説明をいただけますか。
  96. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 高等教育についての基本的なお尋ねでございますが、特にこれからの整備をどういうぐあいに進めていくのかというようなことを中心にお尋ねがあったわけでございまして、御指摘のように高等教育への進学年齢、十八歳人口になるわけでございますが、これは今後六十年から六十七年前後がピークになるわけでございますけれども、百六、七十万レベルでございましたものが二百万を超えるレベルになるわけでございます。さらに、それが昭和七十五年ぐらいには昭和五十年代前半程度の百五、六十万人程度のところに下がる、これから先ほぼ十五年ぐらいの間に大変四十万から五十万ぐらいふえて、さらにまたそれがもとのレベルへ下がるというような姿が、これはもうすでにわかっているわけでございます。  したがって、私ども現在は、高等教育整備計画についてすでに五十年から前期計画それから五十六年から後期計画ということで整備を進めてきておるわけでございますけれども、ただいまやっております作業は六十年度以降の整備を今後どう進めていくかということを中心に、これは大学設置審議会の計画分科会で御検討をいただいているところでございます。  大きなただいまのような事柄を前提といたしまして、やはり基本的には高等教育全体についても多様化をしていき、さらに弾力化を図っていくというようなことが基本にあるわけでございます。  多様化の一つの問題点としては、言われておりますように、大学進学率というのはこのところずっとほぼ横ばいといいますか、やや伸び率が鈍化しているということが言われておりますし、それに伴ってといいますか、一面注目すべき点は、専修学校の専門課程への進学率というのが上昇してきている、これなどは、やはり高等教育機関についての全体の要請が非常に多様化してきている一つのあらわれではないかということも言われているわけでございます。  それから、やはり大きな問題点の一つは、大都市圏へ大学そのものが集中している。特に大都市圏については抑制を非常に厳しく指導している点でございまして、今日まで五十一年以降の流れを見ますと、いわゆる東京などの二十三区内というようなところについては確かに減ってまいりまして、全国的に見ればそういう大都市圏以外の部分の進学率といいますか、そういうところの収容率が高まってきていることは事実指摘ができるわけでございます。しかしながら、やはり問題点は大都市及びその周辺部、そういうような点から顕著な現象が出ておりますのは、たとえば東京で申しましても八王子に大変多くの大学が集中している、これは、二十三区内について非常に厳しく規制をしていることの一つのあらわれでございます。しかし、私学を中心といたしましては、経営その他から考えればやはりどうしても大都市の周辺に集まらざるを得ないというような現状がございます。今後の十八歳人口の増加も、多くは、たとえば南関東でございますとか近畿とか東海というような大都市圏中心に十八歳人口そのものも大変ふえるわけでございまして、それらをどのように調節を図りながら高等教育機関の整備を進めていくかということも一つの大きな問題点でございます。  したがって、ただいまのところはそういう全体、ほぼ今後の十五年余りのところを見通してそれを前期ないし後期で分けますか、その辺はまだ作業の段階でございますから具体的なところまでは申し上げにくいわけでございますが、目下計画分科会を中心に専門委員会を設けまして鋭意検討を続けているわけでございます。できますれば私どもとしてはことしの秋ぐらいには何らか中間のたたき台的なものでも出して、一般に公表いたしまして、それらについての世間全般の受けとめ方を、反応を見た上で、最終的には五十八年度末にはその計画を取りまとめていきたい、かように考えているところでございます。
  97. 河野洋平

    ○河野委員 いまのお話にもちょっとありましたけれども、専修学校とかそういったたぐいの教育機関が非常に多くの生徒を集めている。いまの大学がともすれば学のうんのうをきわめるために一生懸命行くという感じではなくて、さっき大臣もおっしゃったように教養を高める、あるいは多くの友人を持つ、そういうようなことにだんだんなってきている一方で、各種学校とか専修学校とか、本当に技術を身につけようとか社会人としての特性を磨こうとか、そういう教育機関に人が相当集まっている。それは一つのはっきりした特徴だと思うのですね。そういう中で所信表明の中にもちょっとございますが、後でまた法案の審査があるのですけれども、ちょっと事のついでですからお話を聞かせていただきたいと思いますが、今度国立の高岡短期大学をつくる、私は非常に興味があるのです。つまりこういう短大、短大と言えば女子短大が多い中でこの高岡の短大などは男女区別しないでしょうけれども、恐らく見てみると男の人が多く行くだろうという感じがいたしますね。こういう女と限らない、男性にも広く門戸を開いた短期大学をつくる、これは一般的教養とか高等学校を卒業してさらに広く友人を持ち、教養を高める。まあ言い方は悪いけれども、特に非常にレベルの高い学のうんのうをきわめようというところまでは、もし行くなら短大を出てから行く道もきっとあるのでしょうが、そうでない、取りあえずやろうということで短大というのは非常におもしろい着想じゃないか。これは一時短大というものが相当考えられた時期があったけれども、どうも短大の進学率が下がってやはり短大はだめで四年制かなという時期があったと思うのですが、ここで国立の短大をつくったという着想は非常に私はおもしろいな、こう思うのですよ。  そこで、いまお話があった高等教育の整備計画、これからおやりになる、そう遠からず結論を出されるとおっしゃるが、その中で短期大学というものをどういうふうに考えていくのか、位置づけるのか、これに対してどういう期待を持っているのかということをちょっとお話し願いたい。
  98. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 専門的なことは局長から申し上げますが、私も先ごろ文部省に入りましてから世間のいろいろな学校の姿を間接的にも見ておりまして、同じような学校をつくって同じような人間を育てるような学校がいいのかどうなのか、そこへ非行の問題まで入りますけれども、どうも箱に入れたような方向でいくことが特に小中学校、中学校あたりの子供の精神状態をおかしくするのじゃないかというような感想を持っているのです。  そこで、おっしゃったいまの専修学校、これは最近非常に希望者も多い。またそれぞれ人間の能力は千差万別でございますから、私に言わせると、だれしもほかの者がまねのできないすばらしい能力を一ヵ所か二ヵ所持っておる。ですから、その能力をいかに生かすか伸ばすかということには専修学校あたりは非常にいいのじゃないか。専修学校というものを御承知のとおり数年前から法定してもらっておるわけでございますが、これは相当重視して今後の学校制度として考えなければいけない。そのときに、いまの富山の短期大学、これもただ普通の短期大学というよりも特色のある短期大学をつくろうと考えるといいますか、これは非常にいいことじゃないか。将来こういうものをどういうふうにするかということは事務当局からお話しさせますが、そういうバラエティーのある人間ですからバラエティーのある進学の道を、研究の道をつくるということが今後は大切じゃないか、私はかように考えております。
  99. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 補足してお答え申し上げます。  専修学校についての御指摘でございますが、現状を申し上げてみますと、五十七年度で専修学校の在学者数が全体で約三十六万余りでございます。短期大学が若干上回っておりますが、三十六万九千ぐらいで、専修学校の在学者が五十一年度は九万でございましたのが今日まで非常に飛躍的に伸びてきておるというのが現状でございまして、現在は短期大学の在学者数と専修学校の専門課程の在学者数がほぼ横並びになるくらいの状況になってきているわけでございます。そして専修学校が非常に弾力的に対応できるというようなこと、たとえばかつては洋裁学校が大変多かったわけでございますけれども、今日では、いわば時代の先端技術に類するようなものに積極的に対応するとか、そういう意味社会の変化に非常に対応しやすい体制があり、またそれに対応してきておりますから、専修学校がそういう形で実際の社会的なニーズに合致した対応ができているという点が一つあるのではないかと思っております。  そこで、従来国立の短期大学について計画的にずっと整備を進めてまいっておりますものは医療技術者養成の短期大学でございますが、これはそういう特殊な専門分野の計画的養成でございます。そのほかは国立の短期大学は商系でございますとか工業系統などがございますが、夜間で置いているものでございます。今回高岡に独立の新しい短期大学、これはかねて調査費等計上して準備を進めてまいっておったものでございまして、考え方といたしましては、基本的には地域の多様な要請に積極的にこたえていく高等教育機関として短期大学を置くという考え方で対応しているものでございます。基本的には、特色としてはただいま申しました地域の要請にこたえる学科構成、高岡の場合で申しますと、伝統工芸の技術者を養成する産業工芸学科でございますとか実務的な経理、経営、情報処理、外国語及び国際問題等の分野の職業に必要な能力を養成するための産業情報学科というようなことで、いわば非常に実学的な点に、そういう意味では専修学校がそういう実務に対応しているのと非常に近い形で、それを短期大学という形で置いているものでございます。  それから第二点としては、社会人を積極的に受け入れるような仕組み考えてまいりますとか、単位の履修方法についても弾力化を積極的に行いまして、たとえば単位の互換でございますとか、あるいは物によりましては専修学校における履修単位を短期大学の単位の修得として認めるような方向で考えてまいりますとか、いろいろそういうような弾力化を積極的に実施をしていく短期大学として考えたい。  そういうようなことを受けまして現在は御議論いただいているわけでございますが、大学設置審議会の短期大学の基準分科会におきまして、そういう短期大学について弾力的な扱いをするための基準の改正についても御議論をいただき、そういう対応できるような基準の改正にも取り組んでいるわけでございます。  従来、制度の弾力化ということは、制度そのものはでき上がっておるわけでございますが、なかなか既設の大学では必ずしも実効が上がっていない。そこで、こういう新しい短期大学を積極的に国として置いていくに際しまして、いわば国が積極的なそういう一つの実験と申しますとちょっと言葉が適切でないかもしれませんが、そういう積極的な対応をするための一つの先達と申しますかパイオニアとしての立場をこの短期大学に期待いたしているものでございます。
  100. 河野洋平

    ○河野委員 私は、先ほどからこの短大というのに非常に興味があると申し上げているのですが、この手の学校は非常に地域の実情と密着して考えないといけない。したがって、本来短大をつくる場合には、県立といいますか公立でやることの方が時勢に合っているのではないか、あるいは第三セクターとか私学とか、そういうものでやる方が合っているのではないか。  国立で短大をやるということは、いま局長がおっしゃったように、これは文部省的言葉で言えば一つの先導的試行でしょうか、そういうふうに受け取るべきなんでしょうか。国立で短大をやるということは、どうなんでしょう、これから先も全国各地に国立の短大をつくるというお考えなんでしょうか。これは、こういうことはやはり非常にいいぞということをやってみせて、これから先は私立あるいは公立でおやりなさいよと、言うか言わないかは別として、気持ちとしてはそういう気持ちなんでしょうか。それとも、整備計画の中で短大をまた全国的に各県にずっといくぞ、こういうお気持ちなんでしょうか。それはどうなんだということをちょっとお答えいただきたい。
  101. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 確かに地域と大変密着した大学としての運営が必要なわけでございまして、先生御指摘の、たとえば公共団体、公立で考えるとかあるいはいわゆる第三セクター方式と申しますか、そういうことももちろん考えられるわけでございます。  ただ、ただいま法案で御提案申し上げております高岡の短期大学について申しますと、これは従来、富山の工学部の移転問題でございますとか、このこと自体にかかわっているいろいろ大変長い経緯がございまして、私ども、本件については国立学校設置法改正で御提案を申し上げているわけでございますけれども、先ほど申しましたように、いわば一つの新しいパターンとなるものを国でやるわけでございまして、気持ちといたしましては、実際今後の整備としては、それぞれの地方公共団体なりあるいは言うなれば第三セクター方式というようなものが考えられるべきではないか、むしろそのように考えているわけでございます。こういう運営を、たとえば第三セクター方式で今後積極的に地域で整備するとすれば、そういう方向で整備が図られていくことが望ましいのではないか、かように考えております。
  102. 河野洋平

    ○河野委員 いまも御答弁の中にちらっと出たのですけれども、余りこの問題に入るつもりはありませんが、高岡の短期大学という計画ですね、大臣、これは事務当局から御説明があったと思うのです。  実は、私もかつてこれにかかわり合ったことが若干ございますので、多少経緯については知っているのですが、どうしても高岡市につくらなければならぬ義理が文部省と高岡市の間にできてしまって、しょうがない、何かつくらなければいかぬ、いままでの経緯というのはそういうことです。だから、私は最初から言っているのです。臨調とか行政改革とか言われても、これはしがらみを断ち切らなければ行政改革はできませんよ、行政改革というのはつまりしがらみを断ち切るということなんですから。しがらみがあるから、高岡市にはいろいろお世話になっているから、がまんもさせてきたから、文部省は何かやってやらなければいかぬといろいろ考えた末がこの短期大学だというのだったら、これは短大もかわいそうだし、本当のことを言って、これでは中曽根内閣の一枚看板という行政改革が泣きますよ。そんなことで、地方とのしがらみがあるから、義理があるから義理を果たしてしまおうというのでは、本当に大問題ですよ。しかし高岡というのは、地場産業等の、さまざまな地理的条件とか社会的条件とかという前提で考えても、これは九州につくるよりも北海道につくるよりも四国や近畿につくるよりもあそこにつくることに非常に意味があるのだろうということでなければ、臨調答申で、国立大学の拡充については抑制をすべきだという相当厳しい方針が出ている、一方で、しがらみがあります、義理があります、短大はやります、これはなかなか通りにくい、簡単に賛成しかねる部分があると思うのですよ。先ほど申し上げたように、私も、その長い経緯と、それから、大学をつくろうと思ったら、相当地元の理解とか熱意とか協力がなければできないわけですから、そういう地元の熱意なども知らないわけじゃありませんが、私は、こういうことはこれから先はもうこんりんざいやってほしくない。  まだこういうしがらみでつくらなければならぬようなところがありますか。どうですか。
  103. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 高岡につくります意味、理由づけ等については、私ども、設置の必要性その他について、これはいずれまた法案の御審議の際にも十分御説明も申し上げたいと思います。富山県の全体の進学率の問題、対進学者収容力指数で富山が全国四十七県中四十四位でございますとか、これは、立地条件として必要性を十分御説明し得るものとして私どもも提案をさせていただいておるものでございます。  もとより私ども、臨調の答申において国立大学等の整備について抑制が言われていることについては真剣に受けとめているわけでございます。しかしながら、たとえば高岡短期大学について申せば、先ほど申しましたような形で整備を進めていくということは、私どもは、文教政策の全体の観点からはやはり必要な事柄であろうと考えております。  そのようなものについては整備を進めていくわけでございますが、指摘をされておりますような点で、たとえば具体的にスクラップ・アンド・ビルドというようなことについてどう取り組むかとか、あるいは既存の学部等の転換、改組でございますとか、そういう見直しもやるということについては、それはそれで片方で十分進めて、私ども、決して臨調が指摘しているような点をなおざりにしてこういうことを単にしがらみだけで進めてまいっているものではないということだけは申し上げておきたいと思います。
  104. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、高岡短期大学について従来どういうしがらみがあったか全然知らなかったわけですけれども、いま申し上げましたように、高校の進学率とか、あるいは高岡というのは富山県では工業都市になっておるような気がいたしますから、そういう意味もあって地元の熱意にこたえたのかなという感じを持っておるわけでございまして、ひとつよろしくお願いいたします。
  105. 河野洋平

    ○河野委員 この問題は法案審査のときにするべきことで、少しよけいなことまで立ち入りまして御無礼をいたしました。  大学局にもう一点、共通一次の方について少し伺いたいと思うのです。私は本会議の代表質問でも共通一次について大臣にちょっとお伺いをしたのですが、昨今の報道にもまた出ておりますので、もう一度重ねて伺います。  現行の五教科七科目の科目減あるいはまた一月中旬の実施期日をもっと繰り下げろというような意見もある。これは、二度にしろとか繰り下げろとかさまざまな意見があります。しかし、まず、五教科七科目の科目減あるいは一月中旬の実施期日の変更、これを早急に検討する必要があると思うし、相当検討も進んでいるのではないかと思うのですが、それについて少しお答えをいただきたい。
  106. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 本会議でも先生から御質問をいただいたわけでございますけれども、五教科七科目の科目数についての議論あるいは実施期日の繰り下げ等の議論、いろいろな角度からいろいろな議論があることは御指摘のとおりでございます。  そして、私どももこの点については検討を具体的に、たとえば文部省に置かれております組織といたしましては入試改善会議というような、これは関係者いずれも皆さん入っていただいているわけでございますが、そこで具体的にこの問題についても検討に取り組んでいただくようにいろいろ議論はいただいている点でございます。  たとえば試験期日の繰り下げの問題でございますとか、五教科七科目の是非、それからあるいは文科系、理科系による実施ということはどうかとか、あるいはいわゆるアラカルト方式でございますとか、それから傾斜配点をさらに積極的に活用することはどうかとか、二次試験の工夫改善についてどのようにするかとか、相当幅広く問題点を取り上げまして、これはただいま関係者が議論をいただいている点でございまして、早急にという点で私どももこの議論の煮詰めはなるたけ早く進めたいと思いますが、やはり大学の入試はまずは大学全体の合意を得ることが必要でございますし、また高等学校側の意見も十分聞き、そしてそのことの及ぼす社会的影響でございますとか、非常に幅広く、一面慎重に検討しなければならぬ要素も非常に多いわけでございます。国立大学協会ではすでに第二常置委員会がこの問題を担当しているわけでございまして、第二常置委員会でも具体的な検討に入り、さらに全国の国立大学の学長の意見等も集約するような作業もすでに着手をいたしておるわけでございます。  そういうような具体的な検討は私ども積極的に今後とも進めてまいるようにするわけでございますが、ただ、ただいま申しましたように、非常に大きな問題であり、かつ、影響するところも大きいものでございますし、まず大学人全体の合意を取りつけるということも必要な点でございますので、そういう点を踏まえまして、御指摘のような方向で対応してまいりたい、かように考えております。
  107. 河野洋平

    ○河野委員 相当幅広く慎重に、こうお答えになっているのですけれども、五教科七科目を減らした方がいいのじゃないか、これはもう世論の大勢だと思うのですね。専門家は知りませんよ。担当者はやはり自分のところは減らしたくないと思っているかもわからぬけれども、世論は、五教科七科目が多過ぎるよ、負担が重過ぎるよ、私学に比べて大変じゃないか。この五教科七科目を減らすということについてだけでもいまの委員会の検討はどうですか。それはそういう方向だと考えていいですか。それはそうじゃない、やはりこれは五教科七科目はどうしても重要で、このままいかなければいかぬというのでしょうか。検討の経過はどうですか。
  108. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 確かに世間一般いろいろ新聞論調その他を見たところでは過重ではないかというような意見が多いように私どもも感じております。ただ、高等学校側の意見でございますとか、たとえば先ほど御紹介しました入試改善会議等でも議論をいただいているわけでございますが、高等学校側の意見からすると、やはり高等学校教育全体についての学習到達度というような事柄もあるわけでございまして、もちろんこのことについても私ども一つの問題点という意識は十分持って議論をいただいているわけでございますが、ただ、このことだけを早く取り上げて結論を出すようにという点では、ちょっとやはりそういう取り扱いはややむずかしいのではないかというぐあいに感じます。
  109. 河野洋平

    ○河野委員 全体がまとまるのはいつごろと考えればいいのですか。
  110. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 現在の実施の体制から申しますと、実は六十年度までの実施の体制というのは現在の組み立てというのは動かないわけでございます。したがって、一番早くて六十一年度からの改正を目指すということでございますけれども、議論の煮詰めそのものは私どもなるたけ早く急ぐようにしたい、かように考えております。
  111. 河野洋平

    ○河野委員 それはそうでしょう。少なくとも高等学校の三年になって急に変わっちゃ困るわけですから、六十一年実施ということなら、来年高校に入った人が準備するのですから、それは来年から変えなきゃいかぬ。それはわかりますね。それはいいですね。ということは、もうことしじゅうに結論が出る、こう考えていいですか。
  112. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ことしじゅうというのは、五十八年度中には私ども何とか結論を出すように持っていきたい、かように考えております。
  113. 河野洋平

    ○河野委員 もう一つちょっと念のため伺いますが、入試改善会議とか、この改善のためのいろんな意見を聴取している。まず最初に、入試改善会議に私立大学の関係者は入っていますか。
  114. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 入っております。
  115. 河野洋平

    ○河野委員 今日の共通一次には私立大学が全然参加してない。全然参加してないと言うと、すぐ局長は、いや、一つ入っていますと言うけれども、僕はあの一つは私立と思っていない。思っていないというのは言い過ぎかもわからないけれども、あれは非常に公立的な私立だから、あの一校参加している分については別として、いわゆる私どもが考えている私立の学校の参加というのはないでしょう。ありますか。私の認識が間違っているかな。ありますか。ありませんな。私立は参加してないです、大臣、この共通一次というのは。だけれども、大臣御存じのとおり、いまの大学教育は大部分が私立なんですよ。いいですか。これだけ大部分を私立に依存していながら、国が大騒ぎしてやっている共通一次は私学は何にも参加してない。国公だけでやっているわけですよ。それはやっぱり参加させるように努力をする必要がある。ところが参加しない。なぜ参加しないかというと、やはり五教科七科目に一つひっかかっていることは事実なんですよ。私学に進学を希望している人たちは、私学の入試を突破しようと思ってその科目だけ一生懸命やったら五教科七科目できないのです。そういうことですね。だから私学を希望する人がこの共通一次になかなかダブってかぶってこないということもあります。それからもう一つは、私学が共通一次というものを私学の入学選抜の中に制度として、これを受けたら相当参考にするよというようなところまで踏み切れない。これはもっと積極的に私立大学の参加のために改善する必要があるのじゃないか。国立のためだけに共通一次をやっているというのでは共通一次の意味がもうほとんどないですよ。ほとんどないというのは言い過ぎだけれども、非常に少ない。それから、もう私立大学は参加を全く期待してないというならそれはまたやり方は別にあると思いますよ。これは国立だけの入学選抜なんだというなら。しかし、そうじゃないでしょう。基本的には私立大学にも参加してほしいという気持ちはあるのだけれども、参加してない。どうすれば参加すると思いますか。知恵はないですか。
  116. 宮地貫一

    ○宮地政府委員 御指摘のように、私立大学がわが国に占めている量的な大きさから考えれば、大学入試の改善について、たとえばいま御指摘のような共通一次に私学が積極的に参加できるような方向で改善も考えるべきでないかという点は、かねて御指摘をいただいている点でございます。もちろん科目の問題もあるわけでございまして、どのような形にすれば私学が参加しやすい形になるのか、私学関係者からもいろいろ提言されている問題点も私どもも幾つか具体的なやり方として、いまの形のままでもこういう方法でどうかというようなことも指摘をされている点も承知をいたしておるわけでございます。それらの点も含めて、ぜひとも私立大学も通じて共通一次が全体的な本当に広がった形になり得るような方向にするにはどうすればいいかという観点も十分踏まえまして私ども今後の改善について検討をしているところでございます。
  117. 河野洋平

    ○河野委員 局長私学側から、共通一次の改善のための提言がある、あるいはこうすれば私学は参加できるというところまで言っているかどうかはよくわかりませんけれども、何か私学側からその種の提言がもしオフィシャルにあるとすれば、委員長、ぜひ資料としていただきたいと思うのです。後で理事会ででも御相談いただけますか。
  118. 葉梨信行

    葉梨委員長 この件は後ほど理事会で相談いたします。
  119. 河野洋平

    ○河野委員 局長、これは私も勉強したいと思いますから、ひとつ資料などをいずれの機会かに御説明願いたいと思います。  もう時間でございますからこれで終わりますが、実は私は、青少年対策というのにかねてから非常に関心を持っておりました。毎度毎度この文教委員会質問をいたしますときに、大臣青少年対策については少しいろいろなことを申し上げておるわけでございます。非常に抽象的な、社会の環境をどうしろとか懇談会つくれとか審議会つくれとかということも大事なことですけれども、非常に細かいことですが、一つ一つ具体的に何かをやらなければだめだと思って、酒とたばこ、どうしてもこの酒とたばこが青少年の非行化に突入する原因になっている。大臣、これは昨年のこの委員会ででしたか前回の委員会で警察庁の方に伺ったら、飲酒、喫煙が非行化への引き金になっているケースが非常に多いという御答弁。そこで、何とかして子供たち、子供というか青少年の喫煙、飲酒、そういうものを指導しなければいかぬ。細かいことだとおっしゃるかもわかりませんけれども、最近はたばこは自動販売機、酒も自動販売機。これは子供たちがもう何のはばかるところなくたばこも買える、酒も買える、こういう状況ですね。青少年に与える影響の中では、たとえばいわゆるポルノ雑誌とかそういうものも非常に大きな影響がある、映像も影響がある。しかし、これらは表現の自由などいろいろむずかしい問題があって、これらを法律で規制するのにはまだまだ相当な議論が必要だと思うのですが、たばこ、酒という、これはもう明らかに監督官庁が判断をすればできる問題がなおざりにされているのじゃないか。  これは前回も申し上げましたが、具体的にもう一度大臣にお聞き取りいただきたいから重ねて申し上げますが、滋賀県に多賀町という町があるのです。その多賀町の町長さんは町民にアンケートをやった。何が一番子供たちの非行化につながっていると思うか、大人が悪いとか何が悪いとかといういろいろなアンケートの調査結果の中で、たばこが悪い、酒とたばこが青少年の非行化に一番影響している、そこで、この多賀町という小さな町の町長さんは町民会議というのを開いて、たばこの自動販売機をみんなやめちゃおうということを決めたのです。それはたばこ屋さんの商売も非常に困るし、それからたばこを吸う大人にとっても不便でしようがない、自動販売機があれば二十四時間いつでも買えるのにやめちゃうと言われたのじゃ困るというので大分問題になった。大分問題になった結果いろいろ話し合って、深夜、つまり大人がだれも子供が買うのを監督ができない、注意することができないような時間にずっとたばこ売りっ放しというのはいかがなものかというようなことが町民の合意で決まって、たばこ屋さんもそれじゃいいわということになって、これは非常にいい形だと思いますね。町民みんなの意向です、じゃこういうことを規制しましょう。だけど、これは一多賀町だけじゃ余り効果がないわけで、全国的に、これはたとえばの話ですよ、青少年の非行化に飲酒、喫煙なんというものが一つの引き金になって、どうも大人のまねをしたい、崩れた大人のまねをすることがばかに自分が偉くなったような気がする、かっこうがいいなんという発想から、飲酒、喫煙というものが非行化の引き金だ、そこで、たばこの販売店に対してもう少し指導してもらいたいということをここで申し上げた。総理府の青少年対策本部の方に、これはひとつ専売公社とも相談してほしいとお願いをしたところが、専売公社と相談してくださった。専売公社から、なるべくもう少し厳重に未成年にはたばこを売らないようにしようとか、いろいろ言ってくださった。これがどこまで実行されるかというのは非常に問題ですけれども、しかしそこまで専売公社は、最初はどうも非常に消極的だった専売公社がそこまで踏み込んでくださった。これは専売公社、私は半歩くらい前進したというふうに思っているのです。  大臣、これは御参考までに大臣に申し上げますけれども、アメリカ、西ドイツ、フランス、この欧米三国ではたばこはラジオ、テレビによる広告は禁止されているのですよ。禁止ですよ、酒もたばこも。アメリカでも禁止、西ドイツでもラジオ、テレビによるたばこの広告は禁止ですよ。フランスも禁止です。それは彼らは健康上の問題も相当ある。それからやはりその他いろいろなことを考えているからここまでやっているのですよ。私たちは青少年の非行化とか中学生の非行化とか言うけれども、大部分は大人に責任がある。私は大人に責任があるなどといって子供を甘やかすつもりはありません。甘やかすつもりはありませんけれども、大人が青少年の非行化の環境をつくっているというところに思いをいたさなければいけないと思うのです。  二、三週間前に元文部大臣だった永井道雄さんがNHKの放送討論会に出席をされて、政治がこの非行化問題で何かやることがあるのじゃないかというようなやりとりの中で、永井さんは、それは政治が非常にやるべき仕事がある、第一は、政治家とか政党とか政治が、悪いものは悪い、いいものはいい、悪いことをしたら悪いことをしたやつを排除する、そういうけじめを政治が見せなければ、そういうことをそのままにしておいて、子供たちに、おまえが悪い、何が悪いと言ったって効果なんかない。文教行政がいろいろなことを言ってみたって、中学校がどうなってます、町がどうなってます。それも大事ですよ。私はそれは意味がないと言っているのじゃないですよ。そういうことは大事だけれども、大もとは、毎日毎日、新聞の一面にでっかく出る政治の記事の中で、悪いものは悪い、いいものはいい、悪いものに対するけじめ、こういうものがなければ教育は成り立たない、青少年に対する指導は成り立たないと永井さんはおっしゃったのです。元文部大臣はおっしゃったのです。私はそのときテレビの前で、これだと思いましたよ。  元文部大臣はそうおっしゃったけれども、いまの文部大臣はどうおっしゃいますか。
  120. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いまの文部大臣は大した文部大臣じゃありませんからなにですが、先ほど酒、たばこの販売の話がありましたが、確かにそういう点があると思います。ただ、これは商売で販売機を出しておる、その他いろいろな関係がありますから、直ちにこれを禁止するというわけにいかない。やはり一つの住民運動といいますか社会運動で、国民の合意といいましょうかそういう風潮をつくらなければならない。この問題は御承知のとおり内閣でも内閣総力を挙げて対策を進めるということにしておりますから、一つの国民運動的な方面でこういうことを相談してもらいたい、かように考えます。  それから、青少年非行、いろいろな原因がありますが、昔は、人のふり見てわがふり直せ、こう言っておりました。いまは大人のふりを見てまねをしようということが相当はやっておるのじゃないかと思います。でありますから、やはり大人というものが、特に親がそうでございますけれども、親以外の世間の大人も子供に悪影響のあるようなことは余り見せないことにする、これが非常に大事だ。これはあらゆる面でそうだと思いますが……。特にいまおっしゃったように学校の先生とかあるいは、失礼でありますけれども、国権の最高機関のメンバーというのは、最高機関というのならば最高機関らしく姿勢を正すといいますか、なかなか困難ではありますけれども、その困難な中で身を持するということが非常に大切だ、私自身はそういう信念を持ってやっておるつもりでございます。
  121. 河野洋平

    ○河野委員 もう本会議の予鈴のようでございますから、質問をやめますが、大臣の所信表明の中には、教育をきちっとするためには、みずからの行いをもって全身でこれに当たらなければだめだ、大臣はこう言っていらっしゃる。あるいはまた、社会の風潮が非行や校内暴力の背景にある、これは大臣の所信表明に出ている。こういうことを考えますと、いま大臣がおっしゃった、国権の最高機関たる国会において、悪は悪としてこれがきちんとされるということは、これはあたりまえのこと。あたりまえのことができない、自浄能力を持たない、そういうことが新聞の一面で毎日日本じゅうの全世帯に配られておって、非行は困ったものだ、何とか直す手だてはないかなんて言ったって、そんなことじゃ直りませんよ。まあ私が力んでみても仕方がないですけれども。  大臣のいまの御答弁、なかなか困難なことだなどとおっしゃいましたけれども、これは余り困難なことじゃないのです。やることは簡単なことなんです。簡単なことだけれども、やるかやらないかの問題で、これは文教委員会の問題ではないかもわかりませんが、大臣のお気持ちがちらっと見えましたから、私はきょうの質問はこれで終わりますが、教育の頂点にあられる大臣でございますから、教育的な悪影響のあるものはできるだけ早く改善し、排除していくというために引き続き御努力をいただきたいと思うのです。  きょうは専売公社にもおいでをいただきましたけれども、時間がありませんので、これ以上専売公社とのやりとりはいたしません。延長戦ということで次回にいたしますが、専売公社も青少年非行に相当な責任を感じて、この問題は人ごとじゃない、そういう意味でいていただきたいということを最後に申し上げて、質問を終わります。  どうもありがとうございました。     ─────────────
  122. 葉梨信行

    葉梨委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、来る二十三日、日本私学振興財団理事別府哲君に参考人として御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  123. 葉梨信行

    葉梨委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次回は、来る二十三日午前九時五十分理事会、午前十時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十三分散会