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1983-03-02 第98回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年二月二十三日(水曜日)委員長の指 名で、次のとおり小委員及び小委員長を選任した 。  義務教育学校等における育児休業に関する小  委員       石橋 一弥君    臼井日出男君       久保田円次君    高村 正彦君       坂本三十次君    中村  靖君       野上  徹君    船田  元君       渡辺 栄一君    伊賀 定盛君       佐藤  誼君    長谷川正三君       鍛冶  清君    三浦  隆君       栗田  翠君    河野 洋平君  義務教育学校等における育児休業に関する小  委員長            中村  靖君  幼児教育に関する小委員       赤城 宗徳君    臼井日出男君       浦野 烋興君    狩野 明男君       久保田円次君    中村  靖君       西岡 武夫君    船田  元君       渡辺 栄一君    中西 績介君       馬場  昇君    湯山  勇君       有島 重武君    三浦  隆君       山原健二郎君    河野 洋平君  幼児教育に関する小委員長   西岡 武夫君 ────────────────────── 昭和五十八年三月二日(水曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 葉梨 信行君    理事 石橋 一弥君 理事 狩野 明男君    理事 中村  靖君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 鍛冶  清君 理事 三浦  隆君       青木 正久君    臼井日出男君       浦野 烋興君    久保田円次君       高村 正彦君    坂田 道太君       坂本三十次君    西岡 武夫君       渡辺 栄一君    伊賀 定盛君       中西 績介君    長谷川正三君       湯山  勇君    有島 重武君       栗田  翠君    山原健二郎君       河野 洋平君  出席国務大臣         文 部 大 臣 瀬戸山三男君  出席政府委員         文部大臣官房長 高石 邦男君         文部大臣官房審         議官      齊藤 尚夫君         文部省初等中等         教育局長    鈴木  勲君         文部省大学局長 宮地 貫一君         文部省学術国際         局長      大崎  仁君         文部省社会教育         局長      宮野 禮一君         文部省体育局長 西崎 清久君         文部省管理局長 阿部 充夫君         文化庁次長   浦山 太郎君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ───────────── 二月二十八日  教科書統制反対等に関する請願伊藤茂紹介)(第一〇一七号)  同(伊藤茂紹介)(第一一一二号)  公立大学公立短期大学に対する国庫助成制度等に関する請願山口鶴男紹介)(第一一一一号)  私学助成の増額に関する請願関晴正紹介)(第一一六四号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ────◇─────
  2. 葉梨信行

    葉梨委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。狩野明男君。
  3. 狩野明男

    狩野委員 文部大臣所信に対しまして、自民党を代表して質問をいたします。  大臣所信に、国政の課題であるこの国づくりの基礎となる人づくりをあらゆる場で進めなくてはならない、そして、そのためには、家庭学校社会、それぞれの教育機能充実強化、また一方においてわが国の未来を担う青少年健全育成、これがわが国文教行政基本であるというお話がございました。  そこで、一番大切なのは初等中等教育である、そして初等中等教育においてゆとりある教育をするために、学校家庭社会全般にわたって進めていかなくてはならないということでありますが、最近校内暴力青少年非行化問題が非常に新聞をにぎわしております。特に、最近においては、横浜の無抵抗な年長弱者に対する暴力問題そして死に至らしめた問題、それからまた町田市における中学校教師に対する暴力の問題について、また教師が逆に生徒を刺すという非常にショッキングな事件が起こっております。その後また、各地でそういった校内暴力青少年非行化の問題が毎日、新聞をにぎわしているということはきわめて遺憾なことでございます。これについては、学校教育の問題、社会の問題そして家庭の問題、いろいろその原因はあろうかと思います。  そこで、大臣にお尋ねいたしたいわけでございますけれども、そういった状況に至る原因はいろいろあろうかと思います。わが国は物質的には大変豊かになりましたけれども、そのような社会の風潮がいろいろな経過を経てそういう現象があらわれているというようなことを考えましたとき、こういった教育指導あり方等について、またこの原因を十分究明していかなくてはならないというふうに感じている次第であります。そこで大臣に、こういった原因はどこにあるのか、これからどのような方針で臨まれるのか、お聞きをいたしたいと思います。
  4. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 狩野さんから言われましたように、私は、教育というものはどういうものだ、まさに教育作業経験のない人間でありますけれども、われわれが政治を考えたり、教育考えたりする場合には、私の考えでは、人間というものは、平和で物心両面に豊かな社会、国をつくっている以上豊かな国、世界というものをつくろう、これが願いであろう、またそういうことをするのは、われわれが考えるのは人間社会のことでございますから、やはりそれにふさわしい人間をつくるといいますか、育て上げるということが大事じゃないか。人間はみずから努力をするようにできておりますけれども、いわゆる幼年から小中学校に至る間は率直に言って何もわからないわけですから、それをいま申し上げましたようなりっぱな社会人あるいはりっぱな国民として教え、育てるという時期だと思います。  でありますからいまの義務教育というのが制定されておると思います。そのために従来とも、われわれ文教を担当する者としても、また学校先生方も親御さんたち努力してきているわけでございますけれども、残念ながら、いまお話しのようにいろいろな忌まわしい子供暴力事件が起こっておる。これはいかにも残念であり、一面、文教立場におる者としてはこういう結果が出ておることについては申しわけないという感じを強く持っておるわけであります。  その原因はどうだ、私もいわゆる専門家じゃありませんから全部を分析しておるわけじゃありませんけれども、いま正直に申し上げて、いまさらとおっしゃるかもしれませんが、この事態を見ましてさらに、こういう状態になったのはどこに原因があるか、こういうことをつぶさに検討するように、文部省内でもいま検討をしておるところでございます。  私の感想みたいなことになりますけれども認識では、まさにいま狩野さんがおっしゃったようにいろいろある。いろいろありますが、第一には子供素質がこれは千差万別でありますから、子供素質にも関係があると思います。第二は家庭のしつけ。これは、はぐくみ育てるというのは家庭が第一義でありますから、そこにもいろいろの問題、欠陥と申しましょうか、足らざるところがある。また、教育の任に当たっておる学校先生方教師の面にもどこかに足らざるところがあるのではないか。世間でもそういうことをいろいろ指摘されておりますが、さようなことも考えます。それから大きく言いますと、大きな経済成長と申しますか、急激な経済成長、これは国民全部が望むところでありまして、生活が高度になること、豊かになることを望むところでありますが、その反面、家庭生活の形というものがだんだん変わってきておる。御承知のとおりに家庭教育といってもどこでもここでも家庭教育がうまくいけるという状態でなくなってきておるというこの社会情勢、そういうさ中に、社会環境が豊かになったというのでしょうか、子供を誘惑する、非行に導くようないろいろな施設その他がはんらんをしておる。こういうことがいろいろ重なってこういう状態になっておると思います。しかしさればといって、教育というものはそういう中でもちゃんとした子供に育て、最初に申し上げましたようにやはり社会人としてあるいは国民として世界人として、物心両面豊かな人間をつくり上げるといいましょうか、仕立て上げるというのがまさに教育眼目であろうと思いますから、条件が悪いからこれは仕方がないんだ、こういうわけにはまいらないと思いますので、その点をもう少し——あるいは制度の問題、制度の問題というのも非常にむずかしい問題でありますが、私の素人としての感じではそこら辺にも多少問題があるのではなかろうか。あるいは教科書、私は最近、詳細に見る暇はありませんけれどもある程度見ておりますが、余りに詳し過ぎるのじゃないかという気がするのです。余りに豊富過ぎるのじゃないか。豊富なことは結構でありますけれども、まだ小中学校ではあるいは高校では、こんなに豊富な材料を提供しなければならぬものだろうかというぐらいに私は率直に感じております。こういう点がいいのか悪いのか、子供の負担が余り多過ぎやしないか。それから試験制度が常に問題になりますけれども、世の中にはやはりある程度のテストというものは、これはどうしても必要でありますが、それがほとんど青年期試験試験で終わるというこの現在の制度というものがいいのであるか悪いのであるか、こういう率直な疑問を私は持っております。  それは学制制度にも関係があると思いますが、そういういろいろな複雑な問題が絡んでおるわけでありますから、これは素人が簡単に申し上げるわけにはまいりません、能力はありませんが、十分、各方面意見専門家意見も聞いて、このままじゃいけないということは明確でありますから、対策を講じ、私は全国民的課題としてこの問題を考えなければならぬのじゃないか、かように考えておることを申し上げておきます。
  5. 狩野明男

    狩野委員 ただいま大臣から、家庭教育にもいろいろ問題があるのではないかというお話がございました。確かに子供は親の後ろ姿を見て成長するわけでございます。さらにまた、その親の過保護やそれから放任だとか、いろいろな原因はあうかと思いますけれども、もう一つ、私が最近つくづく感じておりますことは、テレビの影響というのが非常にあるような感じがいたします。  特に民放でありますけれども、民放番組の中には非常に見るにたえないような番組があります。本の場合には、本屋へ行って買わなければならないから、これはわざわざ行かなければなりません。それから映画等においても、いろんな問題の映画がございますけれども、テレビの場合は、家庭において子供たちが自由に見れる立場にあるわけでございます。そこで、民放では番組審議会というのがあるそうでございまして、そこでいろいろ審議しているそうですけれども、果たしてこれが実際に機能しているのかどうか、権限があるのかどうかというようなことが非常に感じられているわけでございます。民放審議会においては、表現の自由という点で、現在のような番組がそのまま認められて、かなりいかがわしい番組が認められているのかもしれませんけれども、それを決めるのは大人でありますけれども、見るのは、まだ判断ができない子供であります、青少年であります。先ほども申し上げましたように、青少年判断ができないけれども、まねることができるわけであります。そういったテレビの見るにたえないような番組等については、非常に問題がある。青少年非行化校内暴力等原因一つではないかと思うわけでございます。  こういうことに関しまして、特に文部大臣からそういう方面に御指導お願いをいたしたいと思う。文教行政一つとして、青少年非行化対策一つとして取り上げていただいて御指導いただきたいと思います。  それから、教員の資質、指導力にも問題があるだろうというお話がございました。確かに、日ごろの生徒指導あり方について教師としていろいろ問題があろうかと思います。わが党は、人材確保法という法律議員立法によってつくり、すぐれた教師確保を目指してきているわけでございますが、その採用方法ももちろんでありますけれども、もう一つは、採用後の教員訓練指導、これが非常に大切ではないかと思います。私の地元の茨城県においては教育会館というのがございまして、そこで採用後の教員訓練が行われておりますけれども、そういう制度、そういう訓練あり方というのは今後とも非常に重要な問題であろうかと思いますので、採用後の教員訓練については、積極的に文部省としても対応していただきたいと思うわけであります。その点について、大臣からのお考えをお聞きしたいと思います。
  6. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 おっしゃるとおり、私もたまには夜テレビを見て頭を休めることがございますが、世界の全体のテレビ状況を私は知りませんけれども、いろいろ書き物なんか見ますと、日本ぐらい朝から夜中までテレビが放映されている国は、世界ではないのじゃないかというふうに私は見ておるのですけれども、いかがでしょうか。  その中に、まあ大人はいろいろな経験がありますから、珍しがって見る程度でございますけれども、いわばアクション物とかなんとかいう、いろいろな子供向きテレビが、朝もあるようですけれども、夕方なんか盛んに、小さい子供たちが食事を忘れてテレビを見ておる。一面、教育の面もあると思いますけれども、そうとは思われない、忌まわしいものがある。また、大人向きテレビのときに子供もおる場合がありますから、同じ部屋におってこれを見るなというわけにはなかなかいかないという、こういう点は、文部省管轄というとおかしゅうございますけれども、そういう管轄という問題じゃありませんから、これは良識として、もちろん放映の方でも良識を発揮して番組を編成しておられると思いますけれども、これは、いまもお話しのように、憲法上の言論の自由あるいは表現の自由の問題にかかわりますから、非常にむずかしい問題がありますが、しかし、事国民を育てるといいますか、青少年を育てるといいう非常に大事な面から考えると、もう少し慎重にお考えを願った方がいいのじゃないか。私の方で指導するとかいう立場じゃありませんけれども、そういう意見は伝えてもよろしいと思います。  それから教員の問題、これは私はいろいろな原因を申し上げました。人間能力は千差万別でありますから、それを小中学校義務教育として同じ教科を与える、そこに非常に困難があると思います。率直に言って、できる子もあれば、できない子もある。それを何とか一人前に指導しなければならない、先生方の苦労というものは大変なものだ。それにしては、もう少しはまりが足らないのじゃないかという感じが、怒られるかもしれないけれども、このくらい大切な仕事ならば、これに一生をかけるというぐらいの努力、しんぼうをお願いしたいものだ、私はこういうことを考えておりますが、言い過ぎでしょうか。  聖職であるとか聖職でないとか議論されておりますけれども、そういう言葉の問題は別にして、この状態を見て、何とかこの子を一人前に育てたい、できの悪い子はよけい力を入れて愛情を込めてやってみたい、こういう先生が多くなることを期待するわけでありますが、研修問題等事務当局から申し上げさせますけれども、まず採用の面からもう少し検討したらどうかということを、私はいま事務当局に申し上げておるわけであります。非常に大事な、基本的な子供教育でありますから、もう少し再検討する必要があるのじゃないかということを課題を出してあるということを申し上げて、後は事務当局から申し上げさしていただきたいと思います。
  7. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 教員研修採用につきましては、その教育上における重要性にかんがみまして、昨年五月に都道府県教育委員会に対しまして通知を出したわけでございます。本年の教員採用選考試験実績を見ますと、都道府県におきましてもかなりの改善が見られまして、たとえば試験におきましては、実技の試験とかあるいは面接、論文等を課するとか、試験内容多様化しておりまして、教員としての知識のほかに、人柄なり総合的な力を試すようないろいろな試験が行われているわけでございまして、今後そのような採用方法多様化をさらに進めて適材を得られるように指導してまいりたいと考えております。  また、特にこの採用の時期を早めることによりまして適材産業界に流れないようにという趣旨通知一つ眼目でございましたけれども、各県におきましては、本年は採用内定時期を早めるような県が大幅に増加いたしまして、それによって結果的にはかなりの優秀な人材教育界確保されたというふうに考えております。今後ともそのような方向で指導してまいりたいと思います。  また、研修につきましては先生承知のように、文部省におきましては新任教員研修でございますとか、採用後五年の研修でございますとか、あるいは教育会館筑波分館におきます宿泊を伴う研修でございますとか、従来から力を入れておるわけでございますけれども、特に今後の研修におきましては、御指摘のございましたような子供たち問題行動に関する具体的対処なり、カウンセリングの問題とか相談事業とかというものを含めまして、時局に合った研修内容を充実してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  8. 狩野明男

    狩野委員 それと義務教育教科書無償問題であります。  わが国においてここ二十年来義務教育教科書無償給与されております。これは大臣承知のように、二十年前にわが党の議員立法によって義務教育無償に関する法律無償措置に関する法律と二本の法律によってこれが施行され、そしてわが国民の間に定着してきたわが国教育行政の根本をなす国と児童とのかけ橋としての教科書無償制度が続けられてきているわけでございます。最近財政上の見地から、教科書無償制度についてはいろいろ議論が出ましたけれども、学校教科書教育中心的教材であり、これを無償で給与するということは憲法二十六条の義務教育無償精神にのっとるものでございますので、今後とも教科書無償については国の教育の大きな根幹として継続をお願いしたいと思うのですが、大臣決意のほどを簡単にお話しいただきたいと思います。
  9. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 簡単にということでございますが、これは簡単でないのでございまして。  結論を申し上げますと、私、文部大臣として、また文部省としては、教科書無償は継続すべきであるという決意を持っております。御存じのように昭和三十七年にこの法律国会で審議され、三十八年から施行されております、一部でございますけれども。二十年の歴史がありますが、この無償を審議した場合の速記録が大分ありますけれども、私はそれを見ておりますが、その当時の政府は、これはまさに憲法二十六条の義務教育無償の原則を生かすためにこういうことをやるのであって——いろいろ議論がされております。これは社会保障性質のものか等の議論がありますけれども、そういう性質のものでなくて、まさに憲法二十六条の精神を生かすための将来誇り得る画期的な制度をつくるのだということが、政府の説明、答弁でございます。私はそれはすばらしいことであるという感じを持っております。  簡単にとおっしゃったから、時間もないようでございますからこれ以上申し上げませんが、ただ、御承知のとおりこれらについていろいろな意見があります。また、臨調等では無償制度を廃止を含めて検討すべきだということになっておりますから、現在中教審等に検討いただいております。その結論を待ってさらに御相談をしなければならぬ、かように考えております。
  10. 狩野明男

    狩野委員 大臣所信の中に、教育学術文化国際交流、それから国際協力の推進というのがうたわれてあります。それにつきまして、実はさきの九十七国会におきまして自民党議員提案によりまして、国公立大学外人教授を任用する特別措置法が、八月二十日ですかに成立し、九月から施行されることになりました。御承知のように、これはわが国学術国際交流ということで、まさに文化的非関税障壁の撤廃であり、国の内外から非常に評価されている法律であります。  せっかくりっぱな法律ができ上がったわけでございますので、文部省といたしましては、国内はもちろんのこと外国においても、いろいろな機会をとらえてこの法律趣旨徹底をして、この法律が生かされるようにしていかなくてはならないと思います。この間、京都大学で一人助教授として採用されることになったというのが新聞テレビで報道されました。この法律施行後、いろいろな機関を通じて積極的にこの法律趣旨を広めているかどうか、それから、現実的に各大学及び大学共同利用機関各地にございますが、そういうところではその後そういう動きがあるかどうか、その辺お聞きしたいと思います。
  11. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 わが国国際社会で生きていきますためには、経済交流だけではなく、人的交流学術文化交流、それには学生の交流あるいはいまおっしゃったような教授交流等が非常に大切であると思います。そうでなければ日本の将来は生きていけないと私は率直に申し上げておきます。狩野さんたち努力されて外国人大学教授制度をつくれということでできた。これについては、おっしゃるとおり国内大学また国際的にもその趣旨をできるだけ徹底して、全部というわけにはまいりませんけれども、できるだけ多くの人が日本学校教授をされるような雰囲気をつくろう、こういう努力をしておりますが、その具体的な実績事務当局から御説明させます。
  12. 宮地貫一

    宮地政府委員 大臣からお答え申し上げましたが、具体的な施策について補足して御答弁申し上げます。  御指摘のように、関係者十分理解をしていただき広く周知徹底を図るということがまず第一に必要なことでございまして、具体的には、法案成立後国公私立の国内の大学長等に対しまして、本法の施行について事務次官名ですでに昨年九月通知をいたしたわけでございます。  そのほか、外務省を通じまして、世界百数十カ国の在外公館、さらにそれぞれの国の大学行政担当者に対しての広報を、これは和文にさらに英文訳をつけまして資料として送付をして周知徹底を図っていただくようにお願いをいたしております。もちろん、文部省広報文部広報やその他でも周知徹底を図っているわけでございます。  そのほか、会議等で、具体的には、たとえば大学設置審議会基準分科会でございますとか、あるいは学術審議会学術国際交流特別委員会でございますとか、学術研究体制委員会等でもこれらのことを説明し、会議としてはほかに国立大学国際主幹会議でございますとか、あるいはそれぞれの七国立大学学長会議等におきまして周知徹底を図っているところでございます。  その後の具体的なケースでございますけれども、御指摘のございましたように、すでに新聞等でも一部報道されているわけでございますが、京都大学人文科学研究所におきまして助教授をこの四月から採用するということで具体的な事務が進められております。  そのほかの大学で相当具体的に煮詰まって進んでいる事柄として私どもが承知しているところでは、これは県立でございますが、神戸商科大学で講師、ほかに共同利用機関としての国立民族学博物館助教授、これはいずれも早ければ大体この四月からということで具体化をするのではないかと思っております。  そのほか、幾つかの大学からも具体的に本件についての問い合わせ等が来ておりまして、私どもとしては、この法律が制定されました趣旨に沿ってそれらの施策が具体的に実効が上がってまいりますようにいろいろと努力を今後とも続けたい、かように考えております。
  13. 狩野明男

    狩野委員 時間がありませんのでこれで終わりにしたいと思いますが、文部大臣お願いしておきますのは、私学の助成の問題でございます。  わが国大学卒業生の七五%を占めるのが私学でございます。それで、わが国の近代化においても、それから民間のあらゆる企業において私学の卒業生が大いに活躍しておるわけでございます。現在まだ三〇%程度の助成でございますけれども、この私学の重要性をお考えいただきまして、これからも私学に対して積極的な助成をお願い申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
  14. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いまおっしゃるように、私学が大半を、わが国教育の部門を担当いたしております。でありますから、いま狩野さんおっしゃるとおりに、私学には、こういう財政事情でありますから十分とはまいりませんけれども、最低限必要な分だけは確保するということで五十八年度も取ったわけでございますが、今後とも私学の振興には努力をしなければならない。ただ、一部私学助成について不穏当な点が起こることを遺憾に思っておりますが、こういう点は強く是正をしながら進めたい、かように考えております。
  15. 狩野明男

    狩野委員 ありがとうございました。
  16. 葉梨信行

    葉梨委員長 湯山勇君。
  17. 湯山勇

    湯山委員 文部大臣に、狩野さんに続いて、初めての質問を申し上げたいと思います。  御所信につきましては精細に拝読いたしました。非常に真摯に取り組んでおられることはよくわかりましたが、きょうはまず第一に、その基本になる憲法教育について大臣がどのようにお考えになっておられるかという問題をお尋ねいたしたいと思います。と申しますのは教育基本法にありますとおり、憲法の「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」、こう明記されております。したがいまして憲法が変われば教育は変わるというのは、これはもう理の当然でございまして、本来ならば中曽根総理も御出席願いたいのでございますけれども、教育の責任者である文部大臣にお尋ねいたしたい。というのは、中曽根総理は国会で、私は改憲論者であるということを明確になさいましたし、憲法についての論議というものはタブーではないということもはっきり国会国民の前に明らかにしておられます。しかも文部大臣は、憲法の改正、言いかえれば自主憲法を制定するという党是を持っている自由民主党の憲法調査会の会長をしておられました。こういうことから、大臣憲法についてどういうお考えを持っているかというのは非常に大きな関心事でございまして、ある人は、たとえば先般大臣が、青少年非行校内暴力等について、それは、非行の根源は占領政策の影響だということをおっしゃったこと等々を考え合わせて、そうするとこれは戦前の教育に返るのではないかといったような懸念もないではございません。  そこで、まずお尋ねしたいのは、総理は、私は改憲論者だとはっきり言われましたが、瀬戸山文部大臣は改憲論者ですか、そうではございませんか、まず伺いたいと思います。
  18. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 まず最初に憲法教育基本法の関係でございますが、私は正直なところ教育基本法をいつも身から離したことはございません。教育基本法は、おっしゃるとおりに、憲法精神に従って教育をする、国民を育てるということでございます。私は正直に言って、いまの憲法考え方と、それを教育基本としておる教育基本法の方針といいますか、考え方といいましょうか、これはすばらしいことだと思っているのです。これは、あえて専門家湯山さんにお世辞を言う意味でなしに、心からすばらしいことだと思っております。  ただ、私は、憲法に書いてあることが、これまた怒られるかもしれませんけれども、憤慨される方があるかもしれませんけれども、憲法そのものの本当の意味が理解されておるのであろうかどうかということを疑っておるのです。憲法の平和主義であるとか、あるいは主権在民であるとか、あるいは自由主義であるとか、あるいはよく言われまする基本的人権の尊重、もう一つつけ加えますと、国際協調の精神、これはみんなすばらしいと思っております。そうでなければ、いまの国際社会の中で日本は生きていけないのだ、私はこういうふうにまで考えておるわけでございます。  ただ問題は、平和主義であるとかあるいは自由、主権在民、基本的人権の尊重、それがどういう意味で、どういうものであるかということを、非常に失礼な言い方でございますけれども、まだまだ深く理解が足らぬのじゃないかという気がしておるわけでございます。そうでなければ、あの憲法のすばらしい理想、そして教育基本法のすばらしい憲法に従った——ここに書いてありますとおり、こういうふうであれば、いまの学校も、まあ世の中というものは生物の社会でありますから、そうきれいにはいきませんけれども、こんなには乱れてこないのじゃなかろうか、これが私の偽らざる感想でございます。教育基本法に書いてあるように、あるいは憲法に書いてあるように、もう三十何年たっておりますけれども、これが心の底からみんなに徹底しておれば、こんなに、白昼、銀行強盗が自動車で乗りつけて歩くような社会にならない、子供先生を殴ったりする社会にならない。反面、先生子供を怒って刺すというようなことも、そう簡単に、ざらに毎日の新聞に出るように起こるはずがないというのが、私の考えでございます。  どこに問題があるんだ。私どもは自主憲法制定ということを過去三十数年うたっておりますけれども、まさに憲法国づくりの本当に基本でございます。申し上げるまでもない。国づくり基本というのは国民生活基本であると私は思います。でありますから、これはみずから考え、みずからつくったという意識がないところにこういう問題があるんじゃないか。残念ながら、いわゆる明治憲法と言われる過去の憲法は、百年ぐらいたちましたけれども、前でございますが、あれでさえも国民がつくったとは私は言えない。だからこそ、この憲法にもいいことが書いてあるわけでありますけれども、だんだんおかしくなってきて、ああいう結果になって、悲惨なわが国状態が現出した。いまの憲法もすばらしいことが書いてあると思いますけれども、それが、自分たちでこういう考えでこういうふうな国をつくろう、こういう国民生活の基準にしようということをみずからつくり出したのならば、もっと腹に入っておるのじゃないかというのが私の考えでございまして、だからこれがいいのならば——もう一つ、そしてこんなに憲法の論議で争いがないように。土台でありますから、土台が年がら年じゅう争われておるという国は、私は知識が狭いですけれども、余り世界にないわけです。たとえ平和主義にしても、湯山さんとは立場が違って考えが違うかもしれませんけれども、憲法九条はすばらしい規定であります。日本は絶対戦争をしてはならない。しかし、何かされたときに黙っておるわけにいかないというのが、生物の本能といいましょうか、どこの国でもそういうふうにしてありますが、その備えができるかできないかという議論をしておる。こういう国は世界じゅうにない。どのくらい軍備をするかということ、これは大いに議論すべきです。軍備を膨大にしてよくなる国は私はないと思います。  しかし、ちょうど市町村に消防組織があるように、火事がないのを願っておってもあるかもしれぬということでいろいろな消防の機械を買うように、それと同じことであります。それだけはやはりしなければならない。そういう点が争われておる。  でありますから、そこまで争われないような憲法をつくったらどうかというのが、正直なところ私の希望でございまして、これは簡単にいかないのですから、国民全体がもう少し深刻に考えて、こうしようじゃないかという状態ができれば、すぐ改憲論者とかなんとかおっしゃいますけれども、あしたには、来年にも改憲ができる、そんななまやさしいものとは思っておりません。  以上申し上げて、後でまた答えます。
  19. 湯山勇

    湯山委員 大臣と私とでは、一致しておる点は、本当の意味の理解が十分できていない、このことについては一致いたします。ただしかし、具体的な御説明で、たとえば九条にお触れになった点、これなどは大臣おっしゃったとおり違います。  大臣のお書きになった「改憲論語」にもいまお話しのような点は出ておりました。これを読ましていただいたのですが、題名も「改憲論語」と書いてございますし、中身も多少砕けた文章になっておりますから、これをとやかく申し上げるつもりはございません。非常に興味深く拝見いたしました。ただ、大臣が会長をしておられた憲法調査会の昨年八月の中間発表では、憲法九条の二項を改正して自衛隊が持てるようにするとか、それからいまの大臣お話にも消防云々ということがございました。  一つ確かめておきたいのは、じゃ、憲法九条の二項については、これは改正の必要があるとお考えなのか、そうではないというお考えなのか、簡単に結論だけお述べいただけたらと思います。
  20. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私が申し上げたいことは、平和主義、日本はみずから戦争を始めるなんということはこんりんざい考えてはならないという、国民全体がそういう気持ちであろうし、またそうでなければならないという考えを持っておりますが、ただ、それだから、いま具体的にあります自衛隊を明確にすることができないというところに問題がある。明確にすると、その本にも書いてあると思いますが、それが暴走しない方法をどうするかということが一番問題点だ、こういうことも書いてあるはずでありますけれども、そういう点を注意して、私はこの点で年がら年じゅう争いのないようにしたらどうかというのが私の希望でございます。
  21. 湯山勇

    湯山委員 そうすると、やはりぎりぎり詰めれば、改憲論……、まあ者と言えるかどうか、改憲を志向しているというふうにとってよろしゅうございますか。
  22. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 そういう意味においては、できれば改めた方がよろしい、こういう立場でございます。
  23. 湯山勇

    湯山委員 よくわかりました。  そこで私は、大臣がこれにも書いておられるし、いまもお述べになったように、憲法をめぐって国民の理解が違っている、非常に不幸なことだと思います。それを正していく道として、分かれているところを一本化するように改正する志向を持っておられる、それもよくわかりました。  ただしかし、今度は文部大臣として、公人文部大臣としては、現行憲法教育の中で基本法どおり実にしていく、その基本は堅持してもらいたいと私は思うのですが、その点についても簡単に御答弁願いたいと思います。
  24. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 それは当然のことだと思います。それは、憲法がありまして、憲法によってあらゆる政治あるいは国民生活が規制されておるわけでございますから、教育はその道を教えるという教育基本法に書いてあるとおりでございます。  私は、重ねて申し上げますけれども、世間でよく言われておりまするいわゆる平和主義、平和を絶対守るという国でなければならないということ、それから、主権という言葉はめんどうでございますけれども、国というのは、自分たちの国だから自分たちでちゃんと都合するのだ、これをいわゆる主権在民と言っております。それから憲法第三章に書いてあるいわゆる自由と人権、これは人間の生きる道を書いてあると、私、そう見ておるのです。ですから、生きる道をみだりに妨げてはいけないという規定が三章で書いてあるわけでございますから、これも当然にそういう教育をしていかなければならぬ、こういうふうに考えております。
  25. 湯山勇

    湯山委員 いまのことを申し上げたのは、中曽根総理が改憲論者である、それから、党内の会議ですけれども、いま教育是正のスタートを切らなければならないということを総理がおっしゃっておられる。それと、文部大臣憲法調査会の会長をしておられたということから、世間一般に、特に教育に携わっておる者の中にいまのような心配といいますか、懸念がありましたので、お尋ねしたわけでした。  なおまた、つけ加えて申せば、奥野法務大臣文部大臣経験して法務大臣になられて、日本教育では、みずから国を守るというところがない、諸外国の公正と信義に依存し、依頼して国の安全を守る、これじゃだめだという発言をなさったことがこの委員会でも教科書の問題に関連して議論になりました。そういうことがありますので、大臣憲法に対するしっかりしたお考えを承っておきたいということでお尋ねしたわけです。  第二は、やはり非行の問題について、いまも狩野さんから御質問ございましたし、これはこの問題だけでお尋ねする必要もあるかと思いますけれども、きょうはその一点だけお尋ねしたいと思います。  それは、教師の責任だとか、あるいは親の責任だとか社会の責任だとかいろいろあります。その中に、お互い政治もまた責任があるのじゃないかという問題です。このことについて、非行の問題、いろいろ論評がございます。その中に田中元総理の論告求刑に絡んで、そのことを言っておる人、決して少なくありません。たとえば、ああいう論告求刑を受けた人がなおかつ金力、権力で平然としてやっている、そういうことがやはり青少年非行原因につながるのじゃないかというようなこととか、あるいはまた、総理や警官の賄賂など汚れた大人世界をそのままにしておいてまじめに勉強せよということに対しては、子供たちは怒りを感じているといったような指摘です。これは識者も同様ですし、それから識者というのじゃなくて、投書等も同じような趣旨のことを申しております。これは政治の世界のことですから、お互い考えなければならない問題で、こういうことに対して、ただ教育行政の最高責任者である大臣が黙っているのもまた誤解を招くことになりはしないか。  そこで、この件について大臣はどういう御所見、御所感を持っておられるか、ここでひとつ、こういう人たちのために明らかにしていただきたい、このように考えます。
  26. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 非行原因その他については、先ほど私の所感を申し述べましたが、実は私が、この非行のずっともとをただすと占領政策にも関係があるということを新聞記者会見か何かで申し上げました。それは新聞その他で報道された。内輪話をしますと、いろいろな、いいことを言ってくれたという激励の手紙も毎日来ております。そうかと思うと、何日か前の毎日新聞でございましたか、「アクション」というところがございますが、あれは電話か何かだろうと思うのですけれども、文部大臣非行原因は占領政策云々と言われたのはとんでもない、政治家が悪いからじゃないか、(湯山委員「そのとおりです」と呼ぶ)こういう指摘がありました。どちらももっともだと思っております。  私は教育者じゃありません、あなたみたいに専門家じゃありませんが、教育というものは理屈ばかりじゃないと私は思うのです。言葉を教え、言語を教え、科学技術を教える、これは生きる道ですから非常に大切でございますが、その前に人としての姿勢を教えることが教育だと思う。それは、素人がこんなことを言っては恐縮でありますけれども、幼稚園から小学校に入るころ、幼稚園に行く前、乳幼児と言っておられるようでございますが、私ども長く人生を生きた人間から見ますと、子供のときは忘れておりますが、やはり人のふり見てわがふり直せということ、親の姿を見ていろいろなことを覚えていく。学校子供も、学校先生の姿を見ていろいろなことを覚えていくというところに教育の妙味といいますか、そういうところがあるのじゃないかと思います。  そこで一般論といたしまして、大人がまずその姿勢を示さなければならない。これは当然なことである。残念ながら、政界でも必ずしもそれほどほめられた姿じゃありません。あえて具体的に裁判にかかっている事件を申し上げませんけれども、みんなが、政治家はいま尊敬されておりません、率直に言って。残念ながら私初め……。これは非常に遺憾なことであります。民主主義の中で国権の最高機関と言われている。これがすべてを牛耳ると言うとおかしいけれども、すべてを組み立てて国民の幸せを図ろうという作業をする部署なのです。これが尊敬されないということはきわめて遺憾であります。ここから直さなければならない、私はそういう考えを持っております。
  27. 湯山勇

    湯山委員 おっしゃる御趣旨はわかります。大臣は電車、地下鉄へお乗りになることはございますまいが、田中角榮という名前は、乗りますとほとんど目につきます。いまも「週刊朝日」ですかに、やはりそのことが出ておるという大きなビラが出ております。全部目につくわけです。そしていまのように平然として二億円の保釈金というのも取り上げた人がありましたが、そういう状態の中で、このことについてです。大臣の選挙区で宮崎県の黒木元知事の判決が出ました。これらも考えてみると、やはり宮崎県民あるいは宮崎県の教育に与える影響は大きいと思います。そういうときに文部大臣としては、法務大臣をしておられた御経験ですから、進行中のものへの御発言は避けたいと言われることもあるけれども、ここで一つぴりっとした御発言があることも教育の上に大きな影響があるのじゃないでしょうか。いかがですか。
  28. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私が言うといつもぴりっとして困るのですけれども、私は、湯山さんがそういう話をされますと、これは偉い人が言ったのじゃないかという言葉が私の教えの一つになっているのですけれども、子供をしかるな、いつか来た道だ、こう言っている。やはり子供の時代は、コマーシャルじゃありませんけれども、わんぱくでも構わぬからたくましく育てという時代があるのですが、それを全部しかってばかりおったのではいかぬと思うのです。また、年寄りを笑うな、これから行く道だ、こう言う。人生の達人の言われたことはなるほどと思う。子供をしかるな、いつか来た道ということですね。それから、年寄りを笑うな、行く道だという言葉があります。ですから、そういうふうに先輩の道を見たり聞いたりして後輩がよくもなり、悪くもなりするのですから、人生の先輩はできるだけ後輩に迷惑をかけないようにすることが一番大事だと思う。人間は、重ねて申し上げますけれども、やはり動物の一種ですから千差万別で、そう神聖なことばかりできませんけれども、その中でもやはりそれを自覚して努力をしなければならない。これはもう各人の人間性と申しましょうか、はたからとやかく言うべきものではなくて、そういうことを考えて進むべきだ、私は未熟ながらそういう確信を持っておりますけれども、人様のことをとやかく言うだけの資格はございませんので、それは各人がどうあるべきかということを考えればすぐわかることではないか、かように考えております。
  29. 湯山勇

    湯山委員 これ以上そのことについてお聞きするのは御遠慮申し上げます。しかしお気持ち、よくわかりました。  そこで、社会教育局長お見えですか。——田中元総理が在任中に、五つの大切十の反省ということを提唱されまして、文部省はすぐにそれに飛びついて、社会教育審議会青少年の徳性と社会教育という諮問をなさいましたね。その諮問には、早く結論を出してもらいたい、簡単な言葉で青少年教育ができるようにという諮問をしております。諮問したのが何年で、答申が出たのが何年ですか。
  30. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 「青少年の徳性のかん養について」諮問いたしましたのが昭和四十九年の六月二十四日でございます。それから社会教育審議会から答申をいただきましたのが昭和五十六年の五月九日でございます。
  31. 湯山勇

    湯山委員 ざっと言って七年ばかりかかっておりますね。早く答申を出してもらいたい。なんでこんなに長くかかったのですか。
  32. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 この問題は非常に重要な問題であるという社会教育審議会の認識で、いろいろな角度から青少年の徳性の涵養についてどのようにしたらよいかということを御議論した結果、慎重に審議していただいた結果このような形になったのだと思っております。
  33. 湯山勇

    湯山委員 大臣は、早く答申をしてもらいたいということを要請しておりますね、諮問に当たって。
  34. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 諮問のときの(理由)のところで、「この際、青少年の徳性のかん養について、早急に検討を進め、その具体的方策を明らかにする必要がある。」というふうに述べられております。
  35. 湯山勇

    湯山委員 ですから、いま早急にというのが七年かかる。何でかかったのかというと、もうこっちから申しますけれども、その間にいまのロッキード事件が起こったわけです。だから答申できない。大臣、いまのように青少年の徳性涵養というような諮問が七年もかかったのは、やはりこの事件ですよ。このことをひとつ頭に置いていただいて、いま御所信の中にも早急に対策を立てるというけれども、ろくな対策ができっこないです、これでは。まずやはり政治を正していく。西洋のことわざか聖書の言葉に、リンゴの山の上へ腐ったリンゴを一つ置けば全体が腐るというのがあります。まさにこのことじゃないでしょうか。きょうも新聞に、非行子供を自宅で何とかさすのはいかぬという通達を出す、おかしいですよね。こんなことを、何か即効薬のように、五切十省が出ればぱあっとやって早く答申をくれ、これに七年かかる。こんなことがむしろ非行原因になっているということを、私は文部省自体反省せぬといかぬのじゃないかということを申し上げるだけにしておきます。  なお、このことについてはいろんな機会に申し上げたいのですが、たとえば四十人学級を早くすればいいのをだらだらしておるというようなことの指摘もあります。それから、生徒指導に熱心な先生が疎外されるという指摘も、これはテレビでありました。これなんかは、ほかの主任制のことは申しませんけれども、一体生徒指導を特定の人が責任を持って主任としてやるということも検討の余地があるのじゃないか。あるいはまた、いろいろあります。マンモス学校の解消とかずいぶんいろいろありますが、それらはまた別な機会にしぼって御意見を申し上げたいと思います。  ただ、安易に、大臣所信にあるように、その機構をつくったからといって改まるものじゃありません。それは、大臣が親なり先生方たちに御要望、御期待される以上に、文教行政に当たっておる者自身が考えなければならない、やらなければならない。このことをひとつ念頭に置いて進めていただきたいと思います。  次に、いま取り上げる問題は多々あるのですけれども、教科書の問題に触れておきたいと思います。  さきに中国、韓国から歴史の教科書について批判がありまして、八月二十六日に宮澤官房長官の談話が発表されました。このことに関連して、予算委員会でも安倍外務大臣は、これで一応外交的には処理できたという御答弁がありましたこと、大臣もお聞きになったとおりだと思います。しかし私は、外交的に処理できたというのがどういう意味かわかりませんけれども、実際はむしろこれからで、その是正の結果いかんによってはなおまた再燃の可能性もないとは言えない、むしろこれからだ、このように考えておりますが、文部省はどうとらえておられるかお聞きしたいと思います。
  36. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 昨年八月二十六日の「「歴史教科書」についての官房長官談話」が出されまして、その中において「政府の責任において是正する。」ということがあったわけでございます。  その具体的な内容といたしましては、三項におきまして「教科用図書検定調査審議会の議を経て」云々ということがございまして、文部省といたしましてはこの官房長官談話の趣旨を受けまして、検定調査審議会文部大臣から諮問をいたし、答申をいただいて、高等学校義務教育学校教科書検定基準を改正いたしまして、さらに同日付をもちましてこの検定基準改定の趣旨文部広報をもって各学校に配り、この趣旨を徹底いたしたわけでございます。これによりまして、官房長官談話におきまして述べられましたいわゆる歴史教科書問題に関する事項につきましては誠実に実施をしたということでございまして、今後はこの検定基準に従い具体的な検定申請に基づく検定を行うということでございまして、この談話の趣旨に従っていろいろな事柄を処理し、さらにこれから進めていくということでございまして、その趣旨で進んでいくということでございます。
  37. 湯山勇

    湯山委員 したがって、この措置は完了しておるのではなくてこれから進めていくということですから、それで結構だと思います。  そこで、この宮澤談話の第二項、「これらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。」、こうなっています。「政府の責任」という、「政府」というのは総理大臣なのか、官房長官なのか、文部省なのか、外務省なのか。それぞれ担当がありますね。それはどこですか。
  38. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは内閣及び関連する行政機関でございまして、その具体的な内容は、その三項にございますように、具体的には検定を行う文部大臣の権限がございまして、文部省において所要の手続を進めるというふうに解されるかと思います。
  39. 湯山勇

    湯山委員 私もそのように考えます。  そこで、文部省へお尋ねするわけですが、「文部省の責任において是正する。」、この是正するというのはよりよくすることだという官房長官談話を引いて、広報でもありますし、それから国会答弁でも初中局長飛び出して、よけいなこととは申しませんけれども、言わなければならない事情にあった。よりよくするというのは当然なのです、悪くするために是正なんてないのですから。それから、そのことを田中文部大臣はりっぱな教科書をつくるという表現でしておられました。これも局長も御存じのとおりです。それは間違いだとは申しません。よりよくするために、あるいはりっぱな教科書をつくるために、あるいは適切なものにするために是正するのでしょう。是正という言葉の意味はどういうことですか。
  40. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 国語学的な表現で申しますと、悪い点を改める、正すというふうなことであろうかと思いますが、この場合の趣旨は、全体の官房長官談話の趣旨をごらんいただきますと、従来の日中共同声明なり日韓共同コミュニケの精神を引用いたしまして、そういうものが学校教育においても尊重せらるべきであるというようなことから、また、いろいろな批判を受けているということを踏まえましてこのような表現をし、具体的には三項におきまして、文部省において所要の手続をしてそのような道を開くということでございまして、そのような全体の文脈から考えまして、官房長官が、この談話が発表されました翌日の衆議院の文教委員会におきましてお尋ねがあった際に、よりよきものに改めるという趣旨であるというふうに答弁しておりますので、そういうことで私どももこれを解釈をして進んでいるわけでございます。
  41. 湯山勇

    湯山委員 よりよいものにするというのはあたりまえなのです。是正することによってよりよくする、あるいは適正なものにする、あるいはまたりっぱなものにする、それは間違いないですけれども、是正ということはよりよくすることだというのは間違いでしょう。そこだけはっきり……。
  42. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 官房長官がおっしゃっているとおりだと私どもは思います。
  43. 湯山勇

    湯山委員 官房長官は国語学者じゃないですよ。国語の調査官、見えておりますか。私、国語の調査官を要求しておったのですが、見えておりますか。
  44. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは先生からお話があったのでございますけれども、突然のことでございますので、私どもの方からお答えさせていただくということでまいっております。
  45. 湯山勇

    湯山委員 それはごまかしです。是正というのは、岩波の国語辞典、広辞林、日本国語大辞典、いずれも、悪い点を改めて正しくする、あるいは間違っている個所を改める、みんなそうなっているのですよ。いま言われたとおりです。初中局長、そういう宮澤官房長官、英語は達者ですけれども、残念ながら国語学者ではありませんよ。国語は正しく読むのが文化国家をつくる、大臣所信にあるように、基本でしょう。是正するというのはよりよくすることではありません。絶対ないです。いかがですか。
  46. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは官房長官がそれを書かれまして、その官房長官が解釈をされたわけでございますから、この文書についてのいわゆる政府の責任において是正するという全体の趣旨は、官房長官が談話を発表された責任者として答弁されているところがそのとおりだと私ども思うわけでございます。
  47. 湯山勇

    湯山委員 違うのです。全体の趣旨はよりよくするというのは認めておるのです、私も。りっぱなものにする、適切なものにする、全体の趣旨はそのとおりです。どうやってよりよくするか、どうやって適切にするか、どうやってりっぱにするかは、是正してするのです。是正というのは悪いところを直す、こうでしょう、日本語を正確に言えば。委員長、そうじゃないですか。
  48. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは、宮澤官房長官談話は外交的な決着を図る文書でございまして、その解釈についてだれが正当な解釈者であるかといえば、やはり談話を発表いたしました官房長官のお答えになっているところが私は正しいと思う。単に国語の字句ではございませんで、全体の趣旨を外交的な見地からこういうふうにまとめましてそれを説明したわけでございまして、その説明の中で官房長官はおっしゃっているわけでございますから、国語の解釈というよりはこの文書の解釈として私どもはそういうふうに解釈をしているということでございます。
  49. 湯山勇

    湯山委員 これは保留します。宮澤官房長官、呼んでください。そうしないと、是正というのはどの字引を引いたって、あなたのような解釈はないです、是正には。ただ、全体としてそのためにやる、よりよくするための是正なんです。それを飛ばして言うのには、何か意図があるとしか思えない。宮澤官房長官を呼んで、是正とはどういうことか。それから国語の調査官、これは検定に当たるのですから正確に解釈するはずです。二人を呼んでもらうように要望いたします。
  50. 葉梨信行

    葉梨委員長 この件は後ほど理事懇談会において御相談いたします。
  51. 湯山勇

    湯山委員 これは保留しておきますから……。  それから、その次に、第三項「このため、」という「このため、」とは、何のためですか。
  52. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは二項を受けまして、全体を受けまして、「批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。」ということを受けているわけでございます。
  53. 湯山勇

    湯山委員 わかりました。そうだと思います。  そこで第三項では二つのことを言っておりますね。一つは、今後の教科書検定については、「教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配意する。」、文章はここで切れておりますね。確認してください。
  54. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 そのとおりかと思います。
  55. 湯山勇

    湯山委員 以下は、すでに検定の行われたものについて書いてある、これも間違いないですね。
  56. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 そのとおりでございます。
  57. 湯山勇

    湯山委員 その中が二つに分かれておりまして、文部省の説明によれば、改訂検定を早めるというのが「同様の趣旨が実現されるよう措置する」ということになる、これもよろしいですね。
  58. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 三項の「すでに」云々のところのお尋ねかと思いますが、それは、三年ごとに行われておりますものについて、五十六年度検定分についてはそれを一年繰り上げてやるという内容でございます。
  59. 湯山勇

    湯山委員 それは切れていないのです。「が」となっておりますね。「が」でつながっています。「措置する」で切れていません。「が、それ迄の間の措置として」とありますが、「それ迄の間の措置」というのはいつからいつまでですか。
  60. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは、今回のケースにかんがみまして、今後の教科書検定に際しましては検定基準を改めて、趣旨が実現されるようやるわけでございますけれども、五十六年度検定済みのものにつきましてはこれを一年繰り上げて改訂検定を行う。この中には書いてございませんが、そういう趣旨の説明をしておりまして、その間のという意味でございます。
  61. 湯山勇

    湯山委員 ですから、昭和何年から何年までということですか。
  62. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 五十八年四月からこれが使われるわけでございますから、五十八年から六十年までの二年間。
  63. 湯山勇

    湯山委員 ということは、それについて文部大臣の所見を明らかにするんですね。いいですか、この文章。「それ迄の間の措置として」、つまり改訂されない教科書を使う、それに対して文部大臣が所見を明らかにして「前記二の趣旨教育の場において十分反映せしめるものとする。」「それ迄の間の措置」が文部大臣の所見、これ、いいですね。
  64. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 「それ迄の間の措置」というのは経過措置ということではございませんで、具体的には、文部大臣が、二年間どうするのだというふうな御疑念がある、あるいはいろいろと質問があるということを考えまして、それについては文部広報によってこの間の経緯等を明らかにするという内容でございます。そういう説明をしておるわけでございます。
  65. 湯山勇

    湯山委員 だから、二年間どうするかについて大臣の所見を明らかにする、いまお答えになったのはそうでしょう。
  66. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 二年間の措置というのは経過措置というふうにおとりになりますとあれでございますが、そうではなくて、二年の間どうするのかということについてのいろいろな質問等あるいは混乱等があることを考えて、その間はこの文部広報によりまして大臣が所見を明らかにするという方法趣旨を反映せしめるということでございます。
  67. 湯山勇

    湯山委員 そこで、文部広報文部大臣談話にその二年間の措置というのはどこに書いてあるのですか。
  68. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 二年間の措置ということは書いてございませんが、全体の趣旨として、この文部広報におきます文部大臣の談話の趣旨は、そのようなこれまでの歴史教科書に関する問題の経緯、それから検定基準を改定いたしました趣旨等を説明いたしまして、それによって現場にいろいろな混乱が起きないように配慮をするということでございまして、それは文部大臣談話全体の趣旨がそのようなものでございます。
  69. 湯山勇

    湯山委員 お尋ねしているのは、いまおっしゃったとおり、宮澤談話では二年間の措置というのが大事なんです。その二年間の措置というのは文部大臣の所見で措置するというので、そのことは、「大臣談話」あるいは「経緯と概要」、それらのどこに二年間というのが書いてありますかということをお尋ねしておるわけです。これはそのための第三項ですからね。
  70. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 そのことは文部広報によって明らかにすると官房長官談話の趣旨に書いてございますので、それを受けてこの談話が出ているわけでございますから、文部広報にございます文部大臣談話はそのものである、二年間と書かなくても、当然、もとでございます官房長官談話の趣旨を受けているということでございます。
  71. 湯山勇

    湯山委員 それはとんでもない。二年間の措置として広報にそれは書いてないけれども談話があるからと言ったって、それは詭弁ですよ。これは全くむちゃです。したがって、この談話は宮澤談話とは違っています。というのは、大臣談話は、その間欠ける──お出しになった文部大臣は、このことについては決してあなた方が書いているようなことじゃなくて、やはり国民感情に対しての配慮の足りない点がある、国民感情に対する配慮という点において足らざる点があったに違いない、かように反省しています。八月二十七日当委員会文部大臣の答弁です。それをほっておく、あなた方のこれは。だから、どこに二年間と読めるところがありますかといったら、ないのでしょう。ありますか。はっきり二年間の措置だというのは、これのどこにあるんです。
  72. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは文部広報を出して、そこにおいて文部大臣の談話を出してその間の経緯を明らかにするということでございまして、それを受けてやっているわけでございますから、書かなくても当然これはその間の経緯をこれによって説明をしている、文部広報を出すということは約束をしたわけでございますからそれに従って出してある、その内容は談話の中に明らかであるということであろうと思います。
  73. 湯山勇

    湯山委員 これも日本語の読める人呼んでください、あなたらの勝手な解釈でやっておるので。この宮澤談話は二年間の措置だ、それはあなたも認めた。じゃ、どう書いたか。書いてない。宮澤談話があるからこれは二年間だと、これによって周知さす措置なんです。措置するのに、宮澤談話にあるから当然だといったってそれはいかぬです。宮澤談話というのは、言葉も勝手にするし、こんなところまで影響ないです。これは措置で約束したことなので、それを補うというのだから、二年間どうするときちっとなければこの談話は意味ないです。
  74. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 文部広報全体をごらんになりますと、その宮澤長官談話も引用してございますし、「答申を受けての文部大臣談話」もございますし、また正式にいわゆる「「歴史教科書」についての文部大臣談話」がございまして、この文部広報全体を通じまして、文部広報によって、大臣の談話を出すことによってこの間のいろいろな誤解なり問題点というものがなくなりまして、日中共同声明の精神の尊重等がこれによって周知される、これが官房長官談話で述べたところでございまして、それに従って文部省としては文部広報を出し、文部広報文部大臣談話を出したわけでございまして、それによってお約束をいたしました内容は誠実に実行しているというふうに考えております。
  75. 湯山勇

    湯山委員 非常に残念ですけれども、あなたの言うことは間違っています。というのは、広報にはそんなこと書いてないのです、あなた方が説明しているのには、「大臣談話の発表は、その改正の趣旨等について説明するために行われたものである。」、改正というのは検定基準の改正です。それを説明するために出したのだと、ちっとも二年間こうするという措置じゃない。これは間違っています。非常に残念ですけれども、この広報は、宮澤談話とは違っていることを指摘しておきます。幾らどうおっしゃっても、二年間どうするというのはないのですから、あなたもないと認めているから。宮澤談話があるからと言ったって、それは違います。談話によって約束したことが守られていない。
  76. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これはたびたび申し上げますが、宮澤長官談話に述べてございますのは、この間の措置として、「それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨教育の場において十分反映せしめる」というところまででございまして、その具体的な内容としては、官房長官が記者会見等におきまして補足をいたしまして、これは文部広報文部大臣の談話を発表することであるというふうに言っておりまして、私どもとしては、文部広報文部大臣の談話を発表いたしまして、その間の経緯等を明らかにしたということでございまして、その趣旨に沿っているというふうに考えています。
  77. 湯山勇

    湯山委員 そういう約束なら、談話はそのことをはっきり書かなければいかぬ、言わぬといかぬです。言っていない。これも宮澤長官、来てもらわぬとどうしてもいかぬですね。なお時間の関係もありますから、これも保留します。  もう一遍国語の調査官に読まして、これのどこで二年間の措置というのがわかるかというのを聞いてきてください。大臣談話にはそれまでの措置ということは一言もないですよ。改訂の趣旨だけしか書いてない。そして時期的なものに触れておるのは「今後」だけです。大臣談話の五「今後とも、」、最後のところに「今後一層」、これだけです。その間二年間というものは何もない。今後というのは何百年先も今後です。十年先も今後。まことにあいまい千万で、二年間の措置とは受け取れません。指摘しておきます。答弁はいいです、同じことですから。  それから、まだあるのです。これは「談話に至るまでの経緯と概要」のところで、正誤訂正に触れています。それで大臣もわざわざ「正誤訂正の手続によって修正するものではありません。」、こんなこと何も宮澤談話と関係ない。二年間の措置とは関係ありません。なぜこんなことを書いたか。あるいはまた「経緯と概要」のところでも、決してこれは間違いじゃないのだから、学習を進める上において支障にならないのだから正誤訂正はやらない、それから、正誤訂正のことを特別に一欄とって説明しています。この大臣談話の「親善を一層進める上で教科書の記述がより適切なものとなる道を開こうとするものであります。」、こうありますね。一体、「より適切なもの」にするということは正誤訂正になりませんか。
  78. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 それは本当の意味の正誤訂正であればより適切なものになるということになろうと思います。本当の意味の正誤訂正でございますね。
  79. 湯山勇

    湯山委員 もう一度言ってください。より適切なものにするための正誤訂正というのはないのですか。
  80. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 検定規則十六条にございますいわゆる正誤訂正の要件に該当し、それによって誤りがただされるというようなことであれば、より適切なものになるということであろうと思います。
  81. 湯山勇

    湯山委員 では、より適切なものにするため正誤訂正というのもあるということですね。
  82. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 正誤訂正は、もともと誤植とか非常に軽微なものを発行者の自主的な申請によって、文部大臣が妥当と思えば認めるということでございますから、それによってより適切になるというようなケースであろうかと思います。
  83. 湯山勇

    湯山委員 あっていいんですね。もう一遍。
  84. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 その要件に該当し、それによって訂正されたものであれば、より適切なものになったという判断ができる場合があると思います。
  85. 湯山勇

    湯山委員 あなたの答弁と前三角局長の答弁と違っておるのです。三角局長は「一番適切なものがいいのでございまして、」、それに比べてより不適切なものということは、適切なものを使う場合に比べますれば学習上支障があるというふうに考えます。だから、適切でなければ、皆いまのように学習を進める上に支障になる。これは昭和五十六年二月二十日、衆議院の予算委員会の三角局長の答弁です。違いますよね。
  86. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 正誤訂正によってすべてがより適切になるかどうかということではございませんで、確かにそういう誤り、明白な正誤等を直すことによってより適切なものになるという場合があろうというふうに私は申し上げたわけでございます。
  87. 湯山勇

    湯山委員 だから、三角局長の一般論とあなたのとは違うということです、簡単に言えば。というのは、大臣談話でより適切なものにするということであれば、三角局長なら正誤訂正の対象になる。あなたは、それをなる、ならない両方あると。それはいいです。  そこで、その正誤訂正とは何かというのを非常に丁寧に書いていらっしゃるその中に、一般的に正誤訂正というのは、検定規則によりまして、「誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載があるとき、これはいいです。「客観的事情の変更に伴い、明白に誤りとなった事実の記載があるとき、統計資料の更新を必要とするとき。その他学習を進める上に支障となる記載で緊急に訂正を要するものがあるときのいずれかに該当する場合に、」とあります。それに対して文部省の説明は「このように「正誤訂正」は、発行者に対し訂正を義務付けるものであり、また、検定とは異なり教科用図書検定調査審議会の議を経ず文部大臣限りの判断で訂正を承認するものであるから、「正誤訂正」が認められるのは、(二)に述べた一定の事由に該当することが客観的に明白で、かつ、軽微な記述の変更に限られる。」と断定しています。これは間違いありませんか。
  88. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ここに書いたとおりでございます。
  89. 湯山勇

    湯山委員 日中平和友好条約が結ばれるということは、そういう訂正はやはり軽微なんですか。
  90. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 それは客観的な明白な事実ということでございます。
  91. 湯山勇

    湯山委員 いやいや、いまの答弁は食い違っています。いままでは日中平和友好条約は結ばれていない段階で教科書がきておった。それが九月に結ばれた。大きな、決して軽微じゃないです。その変更が、これも大臣の権限だけでやるのだから、軽微だ、間違いない、軽微なんですか、この大きな改訂が。軽微と文部省判断しておるのですか。
  92. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 その取り上げた事柄が重要か軽微とかいうことではございませんで、客観的に明白となったようなことというようなことが、これはだれの目にも明らかであれば、それは当然教科書に反映しなければならないという意味で非常に簡便な、その意味では判断を要しないでできるという意味で軽微ということが当たるのではないかと思います。その事柄自体をどうこう判断しているということではないのでございます。
  93. 湯山勇

    湯山委員 責任者は文部大臣ですね。審議会が責任者じゃありません。法律によって、検定の責任者は文部大臣である。その文部大臣が責任持って訂正を認めた、文部大臣限りやるので、審議会にかけないから軽微だということは規則のどこに書いてありますか。
  94. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは、いわゆる検定調査審議会の議を経て、文部大臣が諮問してやっているわけでございまして、それがいわゆる新規検定とか改訂検定でございますが、その手続によらないで文部大臣限りの判断においてなし得るという意味では、私はそれは通常の慎重な手続を経ないという意味では手続上の軽微ということは言えるのだと思います。
  95. 湯山勇

    湯山委員 手続上の軽微という言葉はこの説明のどこにありますか。
  96. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 十六条の全体の趣旨から申しまして、「発行者は、文部大臣の承認を受け、必要な訂正を行わなければならない。」ということと、一、二、三、四と書いてございますその内容が、いわゆる検定調査審議会の議を経ないで行うという、正誤訂正を認めた趣旨がそのようなものであるというふうに理解しているわけでございます。
  97. 湯山勇

    湯山委員 それは文部省の勝手な解釈です。日中平和友好条約が結ばれる、結ばれない、ほっておけないから急遽審議会にかけないで大臣が認めたので、ほっておけないほど事柄が大きいからなんです。学習を進める上において重大な支障がある。いま戦争状態にある、今度は平和友好条約によって新たな関係になったというのは、これは軽微でも何でもないです。勝手な解釈をしてそれで拘束するということは、これはいけません。  それからもう一つ、「明白」なと言うのだから、明白かどうか、事実で判断していただきたい。委員長、これをひとつ配ってください。——そこに、いまのように「軽微な」という上に「事由に該当することが客観的に明白で、」とありますが、客観的に明白かどうかひとつ御説明願いたいのは、お手元の資料です。上の方は説明に時間がかかりますから、簡単に下の方を申し上げます。清水書院の「地理」で、これは正誤訂正をやっているのですからもう言い逃れはできないと思いますから。  左側の方、これは見本本です。右側のように正誤訂正をした。理由はいまの学習を進める上に支障があって緊急に訂正を要するという理由です。違うところはどこかというと、一番下です。「地元の人々の不安も大きく、反対運動で建設できなくなった例もある。」というのを「地元の人々の不安もあり、反対運動で建設できなくなった例もみられる。」、こう正誤訂正しています。これは、そうしなかったら学習を進める上において支障があって緊急に訂正を要する、その理由をひとつそこにあるように客観的に明確に御説明願いたい。
  98. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは、お配りいただいておりますように「温排水が漁業にあたえる影響など、地元の人々の不安も大きく、」というような表現があるわけでございますけれども、原子力発電の危険性や不安などは三カ所にわたって述べておられるわけでございまして、この安全性につきましては慎重な調査研究や対策が行われておりますこととか、住民の間には発電所を誘致しようとする意見もあることなどもございまして、バランスのとれた記述にしないと原子力発電に関する総合的な理解を得るのに支障があるという考え方でこの点を認めたわけでございます。
  99. 湯山勇

    湯山委員 全然説明になってないですよ。現実にここは正誤訂正しておるのですよ。いま局長の言うようなことなら決して「軽微な記述の変更」にはならない。こう現実に正誤訂正しておるのだから、客観的に明白に御説明願いたい。
  100. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 この「大きく」を「あり」とすることは、必要最小限の訂正で総合的な理解を得るようにするにはどうすればよろしいかという観点からこのような表現になったわけでございまして、したがって、これによれば総合的な理解に支障を与えないということで認めたものでございます。
  101. 湯山勇

    湯山委員 全然わからないのです。  局長、学習を進めるという意味がおわかりですか。
  102. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 これは、教師教科書を主たる教材として指導をし、また生徒がその指導に従って授業等を受けるという内容を含んでいるものかと思います。
  103. 湯山勇

    湯山委員 大臣、簡単ですから大臣から御答弁願います。  いまの文章、一番下の列、「地元の人々の不安も大きく、反対運動で建設できなくなった例もある。」というのを「地元の人々の不安もあり、反対運動で建設できなくなった例もみられる。」と直しています。これは直さないとどれだけ意味が違うのでしょう。大きいから反対運動で建設できなくなった例もあるので、あるから見られるので、同じことなんです。ちっとも変わらない。大臣はどう見られますか。同じじゃないかと見られますか、それは大違いだと思われますか。
  104. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は教科書づくりの専門家じゃありませんし、よくわかりませんが、仮に私がこの両方を見たってこれだけではそう大差はないような気がするのです。
  105. 湯山勇

    湯山委員 いまの大臣のが正論です。(発言する者あり)石橋元政務次官も同じような答弁をしておられる。  そこで、これでなくても、ほかの例でもいいから、この第四号に当たる適切な例を出せと言っても、まだ出ないのです。いいかげんなことを書いてきたからお返ししたのですが、まだ出ないのです。ここにあるように、この第四号に当たることが客観的に明白だ、学習を進める上に支障があるというのが客観的に明白だと。これだけでは明白でないでしょう。局長、どうですか。大臣がどう言おうとやはりいかぬと言うのなら別ですけれども。
  106. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 客観的に明白かつ軽微というのは、全体の検定規則十六条の趣旨を申し上げたわけでございまして、たとえばこの「大きく、」がどうかという点になりますと、その四号におきます学習上の支障に当たるかどうかという観点から判断いたしまして、その点については軽微な変更と存じますけれども、この表現を極力必要最小限で抑えることによって総合的な学習に支障のないようにするという見地から申し上げますと、「大きく、」ということはこの全体の原子力発電の持っております効果と申しますか、効用と申しますか、代替エネルギーとしての価値と申しますか、そういうものに不当に不安を与えるというようなこともございますし、この段階におきましては原子力発電の建設が地元の理解も得られながらだんだんと進められているという状況があって、このような表現ではやはり総合的な理解には支障を与えるという観点からこういうような正誤訂正を認めたということであろうかと思います。
  107. 湯山勇

    湯山委員 局長、「反対運動で建設できなくなった例もみられる。」というのは大きくないのですか。こんなのは小さい、軽微ということになりますか。大きい、小さいをのけて、反対運動で原子力発電所がつくれなくなったというのは大きくないのですか。それだけ答えてください。
  108. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 湯山先生の御質問は、その取り上げている事柄の重要性教科書における記述、修正、その内容とを区別して考えますと、原子力発電の問題は確かに大きい問題でございます。しかし、その大きな問題をどのように記述をして、より正確なより総合的な理解を与えるかということにつきましては、その表現において、その軽微な表現等によって、それが総合的な理解を得られ、支障がないようにするということであれば、その点は軽微な表現によって、その正誤訂正によってより適切な教科書になるということがございますので、その意味では、取り上げている内容と実際の検定におきます正誤訂正の扱いというものは区別をして考えなければならないのではないかということを申し上げているわけでございます。
  109. 湯山勇

    湯山委員 大臣、いまの説明、明白でしょうか。相手は子供ですよ。(「不安が小さい場合もあるんだよ」と呼ぶ者あり)小さくてできない例なんかないじゃないか。それはだめだ、資格なし。  委員長、これをやった調査官を呼んでください。そして学習をどう進める、そのときどう支障があってどうだというのを具体的に説明してもらわなければ、これ以上続けられません。一応これできょうあと残して、呼んでもらって……。  いまのは委員長お聞きになっても明白じゃないでしょう。これはその背後に、この広報全体に意図的なものがあるのです。だれがどうしたか存じません。ここにいらっしゃるかどうかわからぬけれども、とにかくこれは非常に曲げられています。これでは宮澤談話の趣旨は生かされてない。間違いない、これでいままで出たものは悪くないのだと言ってみたり、前大臣は欠陥があると言ったのを、それものけて、正誤訂正で早くできるものをしない。それでいろいろな正誤訂正をきちっとやっているかと言えばやってない。だから本当にそうなら私は納得します。そんなに物わかりの悪い人間ではないつもりです。これじゃわからぬですよ。この広報を見て、現場でこれをやってくれと言ったってわからぬです。もういいです。ですから後で理事会で御相談願って、一応私はこれで切ります。時間を食うばかりです。まだもう一つ大事なのを言おうと思っているのに、なくなりそうですから、保留します。
  110. 葉梨信行

    葉梨委員長 先ほどの湯山委員からの出席要求につきましては、後ほど理事懇談会で協議をいたします。  湯山委員の質問の残り時間は十分でございます。  午後一時四十五分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十六分休憩      ────◇─────     午後一時四十八分開議
  111. 葉梨信行

    葉梨委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。有島重武君。
  112. 有島重武

    有島委員 第九十八回国会における文部大臣所信につきまして、公明党を代表して質問をさせていただきます。当委員会理事を務めております鍛冶委員が今度予算の方でまた御質問をするということになっておりますので、代表として私がいたすことになりました。  第一番に承っておきたいのですけれども、大臣、先ほども議論が多少交わされたようでございますけれども、憲法の問題につきまして、伝えられるところ、瀬戸山文部大臣自民党内においても名だたる改憲論者でいらっしゃるというふうに世間一般が承知しておるわけであります。この点について、この認識は誤りがないかどうか。
  113. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 ただ違っていることは、名だたるだけでございます。名だたるというのが違っておる。
  114. 有島重武

    有島委員 それでは、ささやかながらという言い方、そういった形容詞は抜きにいたしまして、大臣は改憲論者である、こう認識してよろしゅうございますか。
  115. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 そう御理解願って構いませんが、わが国では、改憲論者というと何か旧態に戻るようなのが改憲という、言葉の使い方、理解の仕方が非常にはやっております。それは大変な間違いであって、これからの日本をどうしようか、そのための憲法でございます。率直に申し上げて、国民は全部平和を希望している。平和でなければまた日本が立っていかないのです。昔の国際社会といまの国際社会は、細かく申し上げませんが御承知のとおり、日本国際社会で嫌われたりこわがられたり軽べつされたりしたのではだめなのでございます。平和が基本で、これを国民全体が願っておる、これは絶対忘れてはならない日本の進み方だと思います。ですから、憲法考えるときには、そういう国をどういうふうにしてつくるかということ。それからよく主権在民と言われますけれども、申し上げるまでもなく国民の国でありますから、国民がこれを処理する体制でいく。そして生きる道を妨げてはならない。先ほども申し上げましたように第三章は全部そういうことが書いてある。  でありますから、先ほど申し上げたわけでありますが、私がこのままでいいのかという疑問を持っておりますのは、憲法を中心にして余りに国論が分かれておると言うと非常に大げさでありますけれども、ごたごたしておる。国づくり基本国づくりの土台でありますから、憲法にせよ法律にせよもちろんある程度解釈の議論があるわけでございますけれども、根本的な立場の違いのあるような議論がなされておるところに日本の非常に不幸な点がある。基本はいま申し上げたようなことでございますから、こういうことは国民全体で相談をして、もう少しそういう点に争いのないような憲法国民自身でつくってみたらどうか。百年前の明治憲法国民自身がつくったのではないと私は見ておるのです。ですから本当に腹に入っていなかった。だからだんだん軍部の指導などに押されてしまって国会もほとんど機能しなかった。民主主義体制ということで、選挙で国会はあったのですけれども、それが機能しなかった。それがあの不幸な事態になったと私は見ておるのです。ですから、そういうことにならないように、こういうふうな仕組みでつくろうじゃないか、われわれの国はこうしようじゃないかというみずからの気宇で憲法というものをつくる。国民の全体と言っては言い過ぎでありますが、大多数の相談憲法をつくるということはわが国ではまだ一遍もありませんから、そういうことができたらなというのが私の、おっしゃれば改憲論でございます。
  116. 有島重武

    有島委員 先ほどの議論の中でもって、現在の憲法考え方については是と考えておる、ただ、これが本当によく理解されているだろうかということを憂えておる、そしてこれがよく理解されていればこんな乱れた世の中にはならぬのだ、理解されていないのは、自分のものだという実感がないからだと思う、こうおっしゃった。  そこで、大臣御自身は現在の憲法が自分のものだという実感がないのですか。
  117. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は憲法をつくるのにタッチしておりませんから、自分のものと言うと言い過ぎかもしれませんけれども、国民国づくりの基礎であるという自覚を持っておるつもりであります。
  118. 有島重武

    有島委員 そうすると、大臣御自身は自分のものだという実感があるけれども、大部分の者は自分のものだという実感がないのだ、こういうふうに思っていらっしゃるわけだ。そうでしょう。
  119. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 大部分の者と言うと、これはまたおしかりを受ける場合があると思う。私がなぜそういう感想を持っておるかといいますと、たとえば第三章、十条からずっとたくさんありますけれども、国民の自由、権利、基本的人権、これらは私はすばらしいことを書いてあると思っておるのです。先ほども湯山さんでございましたか、お答えしたように、教育基本法もこれによって教育を教えると書いてあるのですが、この規定の本当の意味が国民の大多数にわかっておればこれほど社会が混乱しないのじゃないかというのが私の偽らざる考え方であります。  教科書を見ますと、憲法についても言葉としてはいろいろきれいなことが書いてあるのです。私は憲法のあの文言をいろいろ書いても──小学校、中学校あたりでどういうような教え方をしておられるか直接知りませんからあるいは間違っておるかもしれませんけれども、私から見ますと、憲法第三章の言っている言葉は人間の生きる道を書いてある。これは憲法ができたからそういう道があるのじゃなくて、人間、生物として生まれると、そういう作用といいますか、働きといいましょうか、能力を持っておる。生きる道でありますから、これを妨げたり邪魔してはいけない。ただ生きる道というのはどういうことかというと、自分さえ生きればいいというのじゃなくて、人類が生きなければならない、狭く言うと社会が生きなければならない。私に言わせると、生きるということは人を生かすことだという観念が植えつけられていないような気がする、そこに問題があると私は思っておる。  昔はいろいろなことわざその他で言っておりましたからわかりやすかったのですけれども、憲法の第三章、あれを文章で教科書に細かく書いてありましても見ただけではわからないのじゃないか。あれは「わが身をつねって人の痛さを知れ」ということを書いてある。私はそういう憲法のことを考えてみたらどうかということを思っているということです。
  120. 有島重武

    有島委員 国民の大部分に理解させる、してもらうということに一番大切なことがあるのであって、そのための一つの手段として改憲ということも考えていらっしゃるというようなことに理解をされるわけですけれども、どうしても憲法を変えなければ理解ができないというふうに何か思い詰めていらっしゃるわけでありましょうか。そういうわけではないのか、どうですか。
  121. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いや、変えなければ理解ができないと思い詰めておるわけじゃございませんが、私がいま言ったようなことを憲法にも書いてあるのです。しかし、それが社会の実態にあらわれておりません。たとえば憲法第十三条なんかは、私はあれに書いてあることは「わが身をつねって人の痛さを知れ」ということだと読むのですが、そういうように読んでいらっしゃる学者先生がいらっしゃるだろうかどうか。ですから、もっとわかりやすく、小学校子供にでもと言うと恐縮でございますが、中学ぐらいへ行ったら憲法がすらすらとわかるような憲法国民自身でつくることができないかどうかというのが改憲論者といえば改憲論者、そういうことができれば幸せだということでございます。
  122. 有島重武

    有島委員 国民にとってややわかりにくいお話のように聞きます。  現在の憲法を本当にそのままみんなに理解させていきましょうという努力をまず一番の土台に据えるべきじゃないだろうか。そういった努力を強化するということが文部大臣の一番大切なお仕事ではないのだろうか。それをお進めになった上でもってどうしてもこの点が理解しにくいのだということがあるならば、まさか憲法第一条「わが身をつねって人の痛さを知れ」というわけにいかぬでしょう、幾らわかりやすくてもね。だから現在の憲法をわかりやすくしていくということが大切なのではないかと私は思います。
  123. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 それがうまくいっていれば——三十何年たっておりますから、それでもまだ徹底しておらぬところに私が疑問を持っておるということです。だからもっと教育の面でいろいろ努力をして教えることも当然です。そこまで三十何年間もやって、まだまだよくわからぬような憲法でなくて、もっとわかりやすいような表現、書き方はないものだろうかということでございます。
  124. 有島重武

    有島委員 次の問題に参ります。  大臣学校家庭社会のそれぞれの教育機能を充実、強化しなければならぬ、こういうことを言われております。ここに至るまでも、やや問題がないわけでもございません。「国づくりの基礎となる人づくり」ということは第一番である。それから「そのためには、」というところにつながるわけですけれども、それから続いて非行の問題が出てくるわけですね。「青少年非行校内暴力等の問題について」、これは非常に「憂慮に堪えない」ということでございますね。確かに最近の横浜市内における浮浪者殺害、これは本当に弱い者いじめ、その背景というものは次第にわかってまいりましたけれども、こうしたことが大きく報道をされ、社会問題になっております。町田の忠生中学の先生生徒を刺した、こういった問題も大きな問題になっております。きょうの新聞なんかを見ても、埼玉でもって先生を殴り、下級生を殴っておる。大阪では女の先生にいたずらをするようなことも起こっておる。  こういうことについてさまざまな論評もございますけれども、私も幾つかの中学の先生、小学校先生、また高校の先生なんか、あれから数人の方にお会いして、どんなふうに考えていらっしゃるのかいろいろ聞きました。中学の先生がそろって言われますことは、非常に深刻である。というのは、わが校に限ってはああいうことはないでしょうということは断言できない、いつあの種の事件が起こっても不思議はないという状況の中にわれわれは毎日努力をしております、そういうことを言っておられました。  現在、社会がこれほどそれらの問題を大きく取り上げ、大きな反響があるということは、ここにも大臣指摘しておられるように、「物質的な豊かさの中で心の大切さが見失われ」、こういった社会の背景、あるいは家庭におけるしつけ、学校における教育指導あり方というものが、もう一遍問い直されなければならないような大きな問題であるという認識を持っていらっしゃいますけれども、それを裏返して言えば、社会のどこにまたああいうものがどんどん発生してもおかしくないというような状況がいまあるからであろうと思うのです。こういった中にあって、文部当局としては、そのために学校家庭社会、それぞれにおける教育的な役割りを十分に発揮しながら、その連携を強めていきたい、こう仰せになっておられます。このことについて質問します。  まず学校教育の機能というものが向上しておるのか、あるいは停滞しておるのか、あるいは少しマイナスになってしまったのか、こういった問題である。その中でこうした学校教育、これはさまざまな評価ができるでしょうけれども、特に初中教育、高校まで含みまして、受験競争という大枠の中で、一つの枠の中で、いろいろ努力をしておる、個々の先生方、個々の学校、あるいは地方の教育委員の方々、あるいは父兄の方々、いろいろ努力はしておるけれども、一つの大きな壁となっているのは、これは試験に受からなければしようがないのだ、いい学校に入らなければならないのだ、こういうはざまの中で、心ならずも本当の手が打てないという実態がある、これが指摘されていますね。このことについて私たちも認識しておるが、大臣の御認識を承りたい。
  125. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 細かい専門的なことは事務当局からお答えさせますが、いま有島さんがおっしゃったようなことは私も感じておるのです。学制制度そのものにもかかわりますが、義務教育学校六年、それから中学校三年、九年間、同じ課程で同じように教育をするわけです。それから高校の試験、高校出れば大学試験、先ほどもちょっと触れましたけれども、若いうちの大半は試験試験と、それが頭にいっぱいのような、時代がわれわれの時代と違いますからそれと比較して考えてはいかぬと思いますけれども、そういうふうな状況を私も感じております。しかし、これは日本が非常に教育熱心な国で、もう一〇〇%近く高校に行くような時代でございますからやむを得ないのだと言ってしまえば解決の方法はないわけですから、何とかそういうことが、私は専門家じゃありませんから、いま処方せんを出せと言われても、それはちょっと無理でございますけれども、こういう問題を、これは文部省だけでは、学校先生方だけでも解決ができない、社会全体の考え方が、これは変えたってなかなかだと思いますけれども、そこまで国民的に考えないとこの根本は解決しないと思います。  いまおっしゃったように、私もよく耳にするのですけれども、学校先生方努力するけれども、全部じゃないでしょうが、父兄の方からいろいろ責め上げられる。指導する場合でも責め上げられてなかなか手が出せないというような感じを持っておられる先生方もあるということを読んだり聞いたりしておるのですけれども、ここら辺がやはり受験競争、あるいは有名高校や有名大学に行こうというその前提があればこそじゃないかという気はしておるのです。教育を徹底的にし、学問を十分にするということは非常にいいことだと思いますけれども、そのために人間そのものがスポイルされるということであれば、これは本末転倒じゃないかという気が私は素人ながらしておるのです。  それならどうするんだと言われても、そういう意味で、これはいま文部省内でも過去にとらわれず、いろいろな分析をして検討をしてくれと頼んでありますが、いろいろな審議会等もありますから、そういう点にも専門家意見を聞きながら、何とか改善を進めなければならないというのがいまの私の感想でございます。
  126. 有島重武

    有島委員 大臣が戦後の占領政策の誤りであるというふうに決めつけられましたけれども、特に戦後の学校教育の中に、偏差値という子供たちについての一つの評価法ですか、偏差値によって上級学校への配分を行っていくということが一般化いたしております。特に中学にこれが集中し、それから大学に関しては共通一次試験というもの、これは後でもってやりますから、特にいまの中学の問題の偏差値ということにとどめましょう。これは業者テストというものをどこの学校でもやっておる。これはやらないわけにいかぬというふうな状況にまでなっておる。これがコンピューターによって計算されて、その地域または全国的な平均値が出る、そういう状況の中にあります。これが学校教育機能の向上にプラスになっておるのかマイナスになっておるのか、私にはプラスになっておるとは考えられない。特にさっき大臣がおっしゃいました人間の心の問題等、そういったことについては、本当にマイナスに機能しておると断ぜざるを得ないと私は思います。  そこで大臣、この偏差値の行き方、これは今後もなおずっとお続けになるおつもりですか。それとも過去にとらわれずにこれをやめるとか、何か変更させるとか、そういうようなお考えはおありになるかどうか。
  127. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 非常に専門的な部面がありますから局長からお答えさせますが、このごろ私も素人ながら文部行政を担当いたしまして、偏差直であるとか輪切りであるとか、人間を大根か何かのように表現する、その内容はわからぬでも、偏差値でどうだとか輪切りにしてどうだとかいうので、非常に印象を悪くしておる感じが私はしておるわけです。しかし専門家の話を聞きますと、偏差値というのは統計学上の言葉であって、多くの能力を判定するときにはそういう方が非常に正確にわかる、こういう学問上の研究の結果だそうでございますが、しかし、それだけで人間の価値が決まるのかどうかということを、反面これは考えてみなくてはいかぬのではないかという感じをいま持っております。  共通一次試験も、大学試験が非常にむずかしいところがあるということで、まずおおよそ標準的な試験をして、その中でどのくらいの成績であればここがいいとか、何といいますか、進学指導みたいなつもりで始められた。専門家考えられたのでしょうけれども、これもまた、諸制度というのはやってみてしばらくしますとその長所、短所がわかりますから、余りに短所が多い、欠点が多い、むしろ弊害がある、こういうときにはやはり検討し直すべき問題だと思いますが、非常に専門的にわたりますから、初中局長からもう少し答えさしていただきます。
  128. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 子供の進路を決定する際に何を基準として指導するかということで、先生のおっしゃるように、業者の開発した偏差値にのみよって行うということは、やはり学校教育としては正しくないというふうに思います。学習の評価は、これは教師がみずから指導計画に基づきまして行う学習の評価と同時に、進路を選択する場合におきましてはこの評価にあわせまして、教師がみずから生徒の観察あるいは教育相談等を通じまして、的確にその児童生徒の適性能力を把握して、それをもとに行うべきものでございまして、安易に業者テストあるいは偏差値等によって指導を行うということがあってはならないと思います。  ただ、そういう開発されましたテストを用いまして進路指導を行うということは、一つの参考のデータとして行う場合があろうと思いますが、それは中学校におきます進路指導において、高校に適切な進路を選ばせまして中学浪人をつくりたくないというふうな配慮も働いていると思いますが、いずれにいたしましても過度にそれのみによって行うということがあってはなりませんので、私は、従来から進路指導に当たりましてそのような指導をすると同時に、高校の入試におきましては内申書を重視するとともに、適正な試験によって行うということを各都道府県の自主性において工夫をしてやるような指導をしておるわけでございます。  なお、この件に関しましては、五十一年の九月七日に、学校における業者テスト等の扱いにつきまして指導しているわけでございますが、過熱したそのような業者テストあるいは偏差値等の問題につきましては、過般の省内における青少年問題行動対策省内連絡会議等におきましてもいろいろな意見が出まして、これから少しこの辺は十分に調査をして検討しなければならぬというふうなことでございまして、大臣のおっしゃいましたように、それによって児童生徒の人格形成に支障があるというふうなことのないように、学校教育の正常な姿でこれが行われますような方向で検討をしなければならないというふうに考えているところでございます。
  129. 有島重武

    有島委員 文部省としては、この偏差値による配分ということが、生徒の進路指導の主要なデータになってはいけない、そう判断をしておられる、そういうことだと思います。  それでは、それ以外に一体どういう要素を判断の基準にするのかというふうになりますと、いま内申書ということを言われました。内申書の中には特記事項もございますし、それからどの程度向上したのか絶対評価の部分もあります。ありますけれども、現実の問題としてはこの偏差値によって配分され、そしてその配分された人たち試験を受けて、同程度のその配分はほぼ間違いがないというふうに、業者の偏差値それ自体は非常に正確なものであるというふうに評価されております。  そこで、こういうことがあってはならぬものである、そして五十一年九月にすでに通達も出したわけですね。出したにもかかわらず、出したからこれが鎮静化したかと言えば、全然鎮静化しないわけです。通達を出したから文部省の責任は免れました、こういうものではないと思うのですね。なお研究いたしまして、こういう段階ではないわけです。これは大臣、なるべく早く今年じゅうでも一つの決断を下されて、何らかの処置をとられるべきではないですか。
  130. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 その通達を出したからすべて事が終ったとは考えておりませんで、やはり進路指導に当たりましては、平生の学習の評価とか、本人の進路適性というふうなものを十分に考え指導すべきである、これは学校でも十分わかっていることだと思います。ですから、そのことがわかっているにもかかわらず、偏差値が利用されるということは、やはり過去のいろいろな経験にかんがみて、妥当性なりそういうものがかなり高いということから使われている点があろうと思います。しかし、それによってのみ子供の大切な進路を判断するということがあってはなりませんので、それも決してそれのみによって行うということは適当ではないと思いますけれども、それも用いて平生の観察を加えて行うということは、これは学校としては、進路指導に万全を期するという意味では、ある程度やむを得ない面があろうと思います。ただ、これが過熱しないようにしなければならないということでございます。
  131. 有島重武

    有島委員 鈴木局長に伺っておきますけれども、偏差値の占める重要度というのが、その他の要素、いろいろ個性であるとか努力であるとか、あるいは課外活動であるとか、それとどのくらいのウエート、フィフティー・フィフティー、半々くらいの感じだと思いますか、あるいは現状は九〇%近い大きな比重を偏差値が占めているというふうにお考えになりますか。
  132. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 私も詳しい調査をしておりませんので、適切なお答えにならないと思いますが、かなり高いウエートを占めて用いられているというふうに考えます。
  133. 有島重武

    有島委員 大臣、これは少し大臣御自身も現場をお調べいただければ、すぐにわかることであります。みんなこれではよくない、これではまずいと思いながらどうにもならないこと、これはむしろ行政の方の力をかりなければ、教育現場は、あるいは家庭の方ではどうにもならないような状況にございます。  それから、家庭教育機能ということについて。これは大臣のお育ちになった時代、あるいは私どもが育ちました昭和の初めから戦中にかけてという時代の家庭と現在の家庭とは、もう大変違っておる。家庭教育と申しますけれども、家庭そのもの、一体社会における家庭あり方というものはどういうものだということは大分変わっておるわけでありますね。  私たち公明党のある部局でいたしました校内暴力非行のアンケート調査なんか見ますと、この中で家庭原因があると答えている人が半数以上あるわけですね。それから次いで、本人自身の問題だというのも多いのですね。このアンケートでは、学校にだけ責任をかぶせているというような結果は出ておりません。それで、家庭の中でも半数の人たちが、親のしつけが問題だということを言っております。その次にマスコミ、テレビの悪影響が挙げられております。それですから、この非行問題を含んだ教育問題で、その対策というのは家庭である、その次が学校である、そういうふうに私どもの、これは去年九月に発表いたしました、公明党千葉県本部での、県全部にわたってやりましたアンケートの結果でございます。これに準じたほかの県でもやっておりますけれども、大体似たような傾向が出ております。いろいろな職業の方々に、細かくわたって面接のお答えをいただいたわけです。  そこで一つは、決定的にこれはどうにも取り返しようがないのが、きょうだいが少ないということですな。それからもう一つは、若い親御さんたち、それからお年寄りといいますか、世代の構成が少ない。一口に言ってしまえば核家族ということでございますが、御承知のとおり、一人一家族、二人家族、三人家族というものは、日本三千五百万世帯のうちの五〇%をはるかに超えておりまして、標準世帯以上というのは四〇%以下でございます。そういった家族構成の問題がございますね。それから、いまのテレビの介入が多いということがありますね。もう一つは、昔と比べまして、栄養が多いのに運動量が圧倒的に少ない。こういうようなことが指摘されております。  そこで、いまここでは、家庭を一体どうするかという問題と同時に、ここで言われております、決定的に家庭だけじゃどうにもしようがないような要素がある。これも学校社会教育の方で、いわゆる連携を深めて補い合っていくことができれば、それをやるべきじゃないだろうか。  これは一つの提案を兼ねての質問になりますけれども、下級生の世話を上級生に見させてあげる、こういう試みがところどころでなされておりますけれども、非常に好評を生んでいる場合があります。これは、クラブ活動なんかではそういうふうになるのですけれども、クラブ活動というのは非常に時間数が少ないわけですね。これをいまの家庭教育を補うものとして、もう少し大幅に、一週間に一日くらいはとってしまうというくらいに、五分の一くらいはそういったところで、やっぱり上のお兄ちゃんが下の子供の世話を見てやる、たしなめることもするというようなことですね。昔はそれは家庭の中で行い、いとこ、はとこもいるし、近所の子供たちもいた。そういったところでいわゆる社会マナーといいますか、人の痛さを知るというようなチャンスは幾らでもあったわけですね。いまはそれがないわけですよ。憲法を幾ら書き直してもこれは間に合わぬわけですよ、実感がない、経験がないのだから。その経験を踏ましてあげるというのは——いまの学校というのは、昔きょうだいが大ぜいいたときの体制なんですね。ですから、七歳、七歳、みんな八歳、八歳、全部同じ年齢の人たちがきちんと分類されておって、なかなか交流がなされない。年に一遍の運動会であるとか、いまは週に一遍のクラブ活動であるとか、そういうことになっております。これはやっぱりゆゆしき問題であります。こうしたことを取り返す、一つには、これは文部省の決断によってできることであります。それからもう一つ、このクラブ活動も、高校生あるいは大学生に来てもらう、そういうようなことも、やろうと思えばできるわけであります。  それから、わが同僚の鍛冶清君がたびたびここでもって提言をしていることですけれども、いわゆるセカンドスクールですね。かなり長期間にわたって全寮制の経験を受けさせる、これも一つの学年だけでなしに行っていく、こういうようなことが家庭教育学校の方でカバーする有効な手段である、いろいろな問題はあるかもしれないけれども、やっていかなければならないことではないか。  そのほかにまだいろいろあるかもしれないけれども、とにかくこうした家庭教育の決定的に欠落している面を学校教育でカバーするということですね、このことをひとつお考えいただきたい。大臣、どうでしょうか。
  134. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 家庭教育ということで、私ごとを申し上げてまことに恐縮でございますが、おっしゃったように時代がすっかり違いますね。ですから、直ちにそれがいま行えるというわけでない家庭になってしまっております。実は私は、もう六十数年前のことでございますから、小学校何年であったかはっきり覚えていませんが、多分四年か五年ぐらいのときだったと思います。九州の果ての田舎でございますから、その時分に、どういう理由であったか、その理由は記憶しておりませんが、父親に非常に反抗して殴りかかったことがあるのです。ところが、私の家の前に小川があるのですけれども、そこへ首根っこをつかまれて引っ張っていかれて、頭からその川の中に突っ込まれてせっかんをされたということは一生忘れないことなんです。家庭でも学校でも、やはりそれが一生忘れぬ、私の方角を決めたような大きな教育になっておると私は思っておるのですが、愛情あふれた厳しさというのが家庭でも学校教育でも、口で言うようには簡単でないけれども必要じゃないかと思うのです。それが最近は足らない。  ここでちょっと回り道になりますけれども、私が占領政策にある程度根があるのだと言ったことが非常に誤解されておりますが、個人を尊重しなければならない、人権を尊重しなければならない、これは憲法の大原則でございます。占領政策は、その当時は反動から来ておりますから、それが悪いという意味じゃないのですけれども、そういう点だけ強調されて、さっき私は、生きるということは人を生かすことだというように考えなければ人類はだめだ、それが生物の本来の姿であるということを申し上げましたが、そういう点があの占領政策中は全部忘れ去られておると見ておるのです。個人の尊重はしなければなりませんけれども、それだけに集中して反動的に——戦前のいろいろな社会生活からの反動です。そういう点を私は指摘しておるつもりですけれども、何か戦前に戻るつもりなのかという誤解を世間に与えておるようであります。私は、そういう非常に愛情あふれる厳しさという家庭教育が、本当にまだ育ち盛り——よけいなことを言うようでございますけれども、鳥が巣立つひよこを育てるときに、小さいときには小さなえさを持ってくる、だんだん大きくなるにつれて大きなえさを持ってきて食べさせる、あのすばらしい努力、鳥に限らず犬でも猫でもそうでございますが、そして羽ばたきを教えて、一人前になって大きな羽になって飛んでいけば、それでおまえは一人で生活をしろ、口では言わぬけれどもそういう育て方をしておる。これは私は人間でも親の責任であると思います。その点が忘れられておる。  それはなるほど社会構成、家族構成がだんだん変わってきましたから、いまは御夫婦二人で職場に行かれる家庭も相当多うございます。それこそ、いわゆるおじいさん、おばあさんと一緒に暮らすということもほとんど少なくなった。これは高度経済成長のいい面と悪い面だと私は思うのですけれども、そういうことで非常に不幸と言えば不幸な状況になっておるのじゃないか。さればといって、家庭に飛び込んでいって文部省がどうするということはできませんけれども、いわゆる家庭教育指導とか、家庭家庭でいろいろやっておりますが、それだから今日の子供はもう仕方ないのだというわけにはいかないと私は思うのです。ですから、学校制度というのは、だんだん人知が発達して社会が組織的になりますから、本来なら親が自分の子供が巣立つまで育てる、一種の動物ですから、何らか社会生活をする、国をつくるということになると、組織的な学校で国の責任あるいは社会の責任としてみんな育てていこうというのがいまの学校制度の進んできたものだと思います。  そこで、家庭で足らないところは学校先生にやはりやってもらわなければならない。もちろんこれは先生だけの責任ではありませんけれども、こういう組織をつくってやっておる現代社会ですから、そこに厳しい愛情といいますかな、愛情あふれる厳しさが先生方に欲しい、親がわりだという気持ちが欲しいのですけれども、なかなかいまはそうはいかぬような感じを持っております。  さればといって文部省でどうするのだと言われますと、そうそう対案はないのじゃないかとおっしゃるかもしれませんけれども、率直に言って、ここまで荒廃した荒廃したと毎日新聞テレビを見るたびに胸を痛めるわけですが、国民全体がもう一遍考え直すことじゃないか、それでなければ簡単な処方せんはないように私は思います。こちらの専門家は処方せんを持っておるかもしれませんから、あったらこちらから答えさせてもらいます。
  135. 有島重武

    有島委員 考え直すと言ってくださったから、それも一つの頼りにいたします。  それで、申し上げているのは、教育というと大人子供であるというふうな図式でもってとらえられておりました。いま大臣の御発言もそこに局限されております。私が申し上げておりますのは、人間らしい心というのは必ずしも大人子供だけではない、年上、年下という子供同士、ここにも相当厳しさもあれば、それから小学校六年生は小学校二年生をいじめるというのでなく、やはりこれは大切にするべし、そういうような年上の子供たち教育力、これを学校教育の中に導入するということを考えていただきたい。現在では非常にそれが例外的に行われております。また、つい年上の子から悪い影響を受けたというような悪い面ばかりをいま強調されて、むしろ隔離されている方向に行っているようでありますけれども、悪い影響があるということは、転ずればいい影響を与えさせることもできるわけです。どれが悪どれが善というふうにきめつけるというようなことではなしに、とにかくそういった潜在の力を持っている、それを教育に転換していくということがどうしてもいま必要なのではないのか、そういう御提言を申し上げております。
  136. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 先ほどまことに失礼いたしましたが、有島さんからさっき二、三の御提案をいただきました。私は非常に傾聴しておったのです。  実は、先般ちょっと時間がありまして緑小学校の給食の状況を見せてもらいに行きましたが、練馬区でしたかな。ところが、そこはランチルームというのをやっておるのですけれども、結局昼飯を食べる給食の時間に、ランチルームというものは、高学年と低学年の混合で食事をする。部屋がありませんから交代交代で、たとえば四年生と二年生とか六年生と三年生というふうに、高学年と低学年の子供が一緒の食卓でずっと組み合わせて食事をするというようなところであります。そして上の子供がいろいろ世話をする、あるいは礼儀作法を教える、すばらしいことだというふうに私は褒めておきました。いま家庭にそう子供がたくさんそろっておりません。多くて二人というのが平均のようでございます。あるいは一人、そういう状況の中では、やはり社会の中のきょうだいという考え方で、私はいま有島さんが言われたようなことを技術的にどういうふうにするのか、いまどうということはわかりませんが、そういうものは非常に尊重しなければならない。たとえば東京あたりの町の学校は、黄色い帽子をかぶって、まず高学年が低学年までずっと連れて歩く、あれも非常に私はいいことじゃないかと思いますが、先ほど御提案になったことは、きょう専門家もたくさん来ておりますから、よく検討させていただきたいと思います。
  137. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 学校教育の中に、児童同士の年長の者の教育力と申しますか、それを取り入れるべきだという御提言でございますが、そういう面が確かに必要だと思います。大臣がおっしゃいました学校給食等におきましては、これは特に食堂等を有している学校においてはそのような配慮を加えて、高学年の子供と低学年を組み合わせるなどいたしまして、家庭における問題というふうなものを学校において補う、食事のマナーあるいは世話をするというふうな形で、両方教育という面から申しますと影響を受けるわけでございまして、そういうものは学校におきまして随時工夫をされているところでございます。まだ不十分な点があろうと思いますが、なお、今回の学習指導要領の改訂によりまして、学校においてはできるだけゆとりの時間を生み出して学校に適した活動をするように指導しているわけでございますけれども、九割以上の学校においてはそのような時間を持ち、特に集団活動でございますとか、勤労奉仕でございますとか、あるいは勤労体験学習でございますとか、そういうものを実施をしているわけでございます。下級生と上級生が一緒になりまして運動をする、あるいは労働をする、作業をするという過程の中において、おのずと先生のおっしゃいましたような趣旨が実現していくということが、今回は制度によりましてそういう余地ができるようになっておりまして、いま御提言のような趣旨もその中に含めて指導してまいりたいというふうに考えております。
  138. 有島重武

    有島委員 ぜひひとつ工夫をしていただきたいし、いま給食の話が出ましたが、たとえば三年生、四年生、非常に数学といいますか、算数が質的にむずかしくなる、分数なんか入ってくる、こういうことがある。それを通り過ぎると、そのときは試験はできたけれども、六年生になったらすっかり忘れてしまった、中学のときはまた忘れてしまったというようなことがあります。現在の学校の行き方というのは、ある一定のカリキュラムをとにかく履修させるのだ、勉強させるのだ、させた結果を測定する、どのくらいまで到達したか、こういうことです。それがどのくらい修得され、体の中に体得され、あるいはそれが応用されてきたかというようなことについてはそれほど配慮されない。もう一つは、やる気満々であるかということですね、そういったことも測定されにくいというような機構になっております。  それで、いま申し上げているのは、年上の子供たちの持つ教育力、教育を及ぼす力、これをもっと活用すべきではないか。それからもう一面言いますと、習ったことを、さらにできない人たちに教えていく。これはクラスの中でやるということをもっと範囲を乗り越えて、上級生が下級生をというようなことが一般化される必要がある。これは給食のときだ、クラブ活動のときだというようなことから、もう一つはみ出して大きく教育そのものの中に導入していくべきじゃないだろうか、こういうことを申し上げているわけでございますので、それはひとつ重ねて言っておきます。  それで、大変恐ろしいことでございますけれども、小学校入学したてのときにはほとんど九五%、一〇〇%近い子供先生を信頼し、そして親を信頼しておる。それが十五歳のところあたりになりますと、もう四〇%の人たちしか先生を信頼しない。あるいは先生ばかりじゃなくて、大人そのものに不信感を抱くというような状況があるということは、NHKの調べでもって明らかになっております。これをどうやって回復するかということの解答にもつながっていくと思うわけです。時間がございませんので先に進みます。  教員養成の問題でございます。教員養成と同時にもう一つ採用の問題もあるわけです。教員養成の中で、せんだってもある教頭さんとお話をしておりました。そうしたら、人材確保法という大変結構な法律であるけれども、あれ以来一つ困った現象も起こっております。それは、大変できのいい、学校の成績優秀な方々が入ってこられるという傾向はあるのです。ただ、学校の成績が優秀であったからといって、それが教育者として向いておるか不向きであるか、そのことが必ずしも一致しない。現在その教頭さんはいろいろな学校をたくさん経験していらっしゃるし、ほかの学校を現在もあちこち指導をするような立場なんです。そういった方の言葉ですけれども、大体一〇%程度は、ああこの人は先生におなりになるよりほかの商売を選ばれた方がよかったのじゃないかというような人々もまじっておる、そういうことです。これは非常に重大な問題であろうと思います。これは一つには養成の問題と、一つには採用のときの適、不適の判定の問題であろうと思います。  そこで教員養成審議会の答申、これは大分古く出たものでございますけれども、教員にとって教育に対する使命感あるいは教員にとって教育に対する愛情、子供に対しての愛情、これが大切であるということを言われています。それで、教員養成課程の中でいろいろ学問は教わるわけであります。けれども、こうした大切な教員の資質にかかわることは、それはいろいろ配慮されているのでしょうけれども、どう評価されていくのか、どう訓練されていくのか。教員養成を行って、大学教授の方々の大部分は、御承知のとおり教育現場を経験しておられない方が大部分であります。ですから、学問的な教育に関する知識、原則的なこと、これは口で教えることはできる、体得させるということは非常にむずかしい、そういった状況がございます。  それでこの実習について、これは長年言われていることでございますけれども、実習の期間を長くしなさいというようなことを各方面から提言されている。しかしこれができない。できないのは、受け入れの学校が、余りたくさん来られても迷惑である、また、現在の開放性のシステムの中では、必ずしも教員になるという人でない方々で、まあ資格だけは取っておきましょうということでもって教員養成課程をとっておられる方が大ぜいいるから、そういう方々に来られても学校としては困るのだ、そういうことが報告されておるわけであります。  そこで、二つございまして、教員実習の内実ですね。これは、一人前の教師になったらこういうことをしなければならないのですよということを、派遣した学校、そこでもって実習させるということになっておるようでございますけれども、もっと早く各学校に行って、そして教員の助手を務めてくるというような内容に変えることはできないか、これを一つ伺いたい。  もう一つは、この文教委員会でかつて私が問題にいたしたことでございますけれども、特殊学級といいますか、あるいは心身障害者の教育に携わってくる、これはボランティア活動に非常に近いようなことになるわけでございますけれども、使命感とか愛情とか、そういった観点から見た場合に、教育というものが、たとえわずかな痕跡であろうとも、子供の持っている可能性を信じて、そしてそれを、もうたとえわずかでも引っ張り出していく、将来の子供のことを考えながら、忍耐強く同じことを繰り返しながらやっていく、そこにいわば教育の規範があるのではないか、これを教育実習の中に入れるべきではないか、これは砂田文部大臣のときに申し上げまして、それ以後、文部省の方から通達が出て、それで教育実習にこの特殊学級、心身障害者の世話をさせること、あるいはその学級に参加することをもってこれにかえることができるというふうになりました。なりましたけれども、これが十分進んでおらぬようであります。  この進捗状況だけれども、聞いておきたい。これは差し支えないというような通達なんですけれども、もっと積極的にこれを進めるべきじゃないのだろうか。そういった提案を申し上げたい。いかがでしょうか。
  139. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いま教員採用、養成あるいは実習、こういう問題について、御意見を交えての御質問でございますが、実は私も素人ながら同じような感想を持っておるわけでございます。いままでも採用あるいは養成にはもちろん努力をしておるわけでございますけれども、結論から申し上げますと、現状のこの姿を見ると、まだどこか検討の余地があるのではないか。  採用にしても、何事にもそうでございますけれども、しばしばお話が出ておりますように、これは本当に教育というものに使命感を感ずるような人でないと、この社会のむずかしい子供指導はそう簡単にできない。これは理想的にばかりいかぬと思いますけれども、ただ学問ができさえすればいいというだけでは、教職員というのは必ずしもよくない。学問ができなければいけませんけれども、それだけで教職員の資格ありということは、私はまだ不十分だと思う。そういうものを加味して、そして教員採用についてもう少し考え直したらどうかということを、この間じゅう話し合っております。  それから養成、これも御承知のように養成をやっておりますが、これをもう少し充実するということと、この間、実習について、私たち子供のとき実習ということを聞いておりましたから、どのくらい実習しているのだと言ったら二週間、えらい短い。もっと長いのもあるようですけれども、今日の学校教育状況を見まして、そのくらいのことで実習したことになるのだろうか、もう少しそれは長くしたらどうかという意見も出しておるわけでございます。  それから特殊学校、特殊教育、私はこれも、先般練馬の東京都の養護学校を参観させてもらいましたが、まさにその学校に入っておる子供さんたちも、気の毒といいましょうか、かわいそうというのでしょうか、大変なことでございますが、その訓練、まあ、教育訓練をしておる先生方のその努力、まさに涙が出ました。並大抵ではできない先生のやり方でございます。感激して帰ったのですけれども、こういうこともよほどの愛情、使命感がなければできない問題でございます。ですから、全部ができるのかどうかわかりませんが、できるだけこういう教育の実習ということも必要ではないか。  具体的なことは、局長が来ておりますからお答えすることにいたしたいと思います。
  140. 有島重武

    有島委員 時間がございませんので先に行きます。  いまの問題につきまして、昭和五十五年の三月に大学局の方から出されておったのだと思うのですけれども、小学校、幼稚園、また中学についても、特殊教育学校で実習を行っても差し支えないものとする、こういった通達が出ているわけです。それで差し支えないというのもあれだけれども、これをもう少し積極的なものにやり直したらどうかということです。それで、これがどのくらい進捗しておるのかということです。  それから、いまおっしゃった、確かに二週間というのは短うございますけれども、ここでもって実習をやってきた人たちの感想を聞いてみますと、ここでやはり子供たちと接してみて初めて、よし、おれは教員になっていこう、こういう気持ちが何かわいてくる、いままでの授業とは別な意味合いを持った授業になってきたということを報告をしておるわけでありまして、実習は本当にもっと充実しなければいけないと考えておるわけであります。  そこで、何らかの措置をおとりいただけるように、大学局長から……。
  141. 宮地貫一

    宮地政府委員 御指摘の特殊教育に関する実習を教育実習で積極的に取り上げる件については、かねて先生からもこの委員会で御指摘があった点でございまして、その通知の「差し支えない」というような文面ではやや消極に過ぎるのではないかという御指摘も、かねていただいている点でございます。そこで実は、先般御指摘がありましてから以後の、私どもが具体的に対応しておる点をちょっと御説明をさせていただきたいと思います。  一つは、まず日本教育大学協会によく趣旨を説明いたしまして、今後の努力を要望したわけでございます。それを受けまして、教大協と略称しておりますが、教大協では、障害児教育に関する教育実習につきまして、特に小学校教員養成課程におけるそのあり方について、取りまとめを五十六年六月にいたしております。その中でいろいろな点が指摘をされておりますが、障害児教育に関する教育実習というのは、確かに大変有用であるというようなことが報告をされております。それを受けまして、私ども教大協の会議等においても、この教育実習の改善について趣旨の徹底を図っておりますし、また具体的にどの程度実施しているかの状況につきまして、教員養成大学状況調査をいたしたわけでございます。  現在の、特殊教育に関する教育実習の実施状況でございますが、北海道教育大学は分校単位を一つと見まして、全体の五十三大学ということでつかまえますと十六大学、三〇%が実施をいたしております。これは御指摘のありました当時、たしか五大学程度であったかと思いますので、その点では全国的に伸びてきておるということは言えるかと思います。その実施のやり方でございますけれども、授業参観を実施するものが十二大学、実習を実施するものが六大学というようなことでございます。なお、一般大学については、まだ実施状況についての調査をいたしておりません。  いずれにいたしましても、御指摘がありましてから以後、私どもとしても具体的に対応してきておるつもりでございますが、これらの点が、ただすべてについて特殊教育の分野の実習を義務づけるということになりますと、その点は特殊教育を行う学校の、実習の学校数でございますとか、それらの問題がございますので、そのこと自身を義務づけることはなかなかむずかしい点であろうかと思いますが、趣旨を徹底して、そういう積極的な対応で臨んでもらいたいということは、その後もよく努力をいたしておりますし、ただいま報告しましたようなことで、現実にも伸びてきているということは言えるわけでございます。今後とも努力をいたしたい、かように考えております。
  142. 有島重武

    有島委員 共通一次試験のことについて、ちょっと触れておきます。  もう五年間実施して、難問奇問というようなことはだんだんなくなってきた、そういうことになっておりますけれども、これがやはり、先ほど偏差値のことを言いましたけれども、これとはちょうど同じような傾向の弊害を呼んでおる。それで各大学においても、何か非常におとなしいけれども個性のない、余り意欲のない人々が配分されてくるという感じであるということを報告いたしておるわけであります。それで、これに対して宮城教育大学一つのユニークな入学試験を行ってみた。ところが、こうやってみると、かえって共通一次における平均点の低い人たちが押し寄せてくるという結果になってくるということで、ことしからせっかくの工夫をやめちゃったということでございますね。それからまた、信州大学の経済学部では、ことしから、一科目でも抜群の学生ならば優先する、こういった入試を行っておる。これはいまのところ相当たくさんの人が来ておるということがあるようであります。  これは国立大学に大体限った問題でございますけれども、この方向、いま二つの大学の例を挙げましたけれども、こういった今後の共通一次を一体どうしていくのか。このままいろいろ工夫しながらいけば、これで受験というものは緩和し、そして小学校から高校までの教育というものが正常化するのに役に立っていくというふうに楽観的に考えていらっしゃるのか。あるいはもう少しほかの要素をここに加えていかないと、やはり大きな弊害を生むというふうに考えていらっしゃるのか、どちらか。
  143. 宮地貫一

    宮地政府委員 共通一次について、今後どういう改善方向を考えるのかという点が御質問の趣旨かと思いますけれども、基本的には、大学入試については入学者の選抜方法についての基本的な考え方を述べているわけでございまして、大学入学者の選抜は、大学教育を受けるにふさわしい能力、適性等を備えた者を、公正かつ妥当な方法で選抜するということが第一点と、入学者の選抜のために高等学校教育を乱すことのないように配慮するというようなところが基本点であろうかというふうに思っております。  そういうことで、大変長い検討経緯を経まして、国公立大学についての共通一次という制度を実施することになったわけでございまして、今日まで五回の実施を見たわけでございます。  御指摘のように、たとえば共通一次では、高等学校の基礎的な学習到達度を客観的に見るというような観点から、いわゆる難問奇問というようなことがなくなったとか、そういうような点で共通一次の評価されている点も確かにあると存じます。  ただ一面、特にいわゆる受験産業等によります点数で全国の大学がランクづけをされるというがごとき問題点が、社会的にも非常に指摘されている点も事実でございます。  私どもは、大学入試について、何をどういう方法で改善するかということについては、常にその時点時点で改善を図らなければならぬことだと考えておりまして、文部省にも入試改善会議という、国公私立大学関係者、高等学校の代表者、その他の関係者に加わっていただいて検討をいただく機関も設けているわけでございます。  最近特に言われております点は、一つは教科科目数の負担が重いから、それを減らすことができないかというようなこと、あるいは試験期日の繰り下げの問題など、基本的な点で指摘されている点が何点かございます。すでに国立大学協会におきましても、専門の委員会におきまして問題点の検討にも取りかかっておるわけでございますが、そういう関係者がすでに今後の共通一次の進め方について、いろいろ問題意識を持って検討にすでに取り組んでいるところでもございますので、それらの検討結果を待って、改善すべき点は改善しなければならない、かように考えております。  それから基本的に、一つは入試についてもう少し多様化をして、たとえば推薦入学というような仕組みをもっと積極的に取り入れていくのはどうかということなども、私どもかねて申しておる点でございますが、たとえば推薦入学を行う大学につきましても、逐年ふえてきておるというのが現状でございます。五十六年度でございますと、推薦入学を行うというのが国立でも二四%、八十六学部ぐらいに及んできております。全体的に、私立大学はもちろん推薦入学ということを積極的に取り入れてやっているわけでございますが、そういう推薦入学でございますとか、あるいは、これは大学の開放の問題とも関連がございますが、たとえばいわゆる社会人の入学について特別の枠で入れるとか、あるいは外国学校の卒業者、帰国子女という言い方で言われておるわけでございますが、そういう者の受け入れについて特別の枠で考えるというような大学も、徐々にではございますがふえてきているというのが現状でございます。そういう点で、私どもさらに根気よく各大学指導いたしまして、そういう入試全体について、多様化する点は多様化をさらに積極的に図っていき、また共通一次につきましても、改善点については今後検討して改善に取り組んでまいりたい、かように考えております。
  144. 有島重武

    有島委員 大臣大学の入試につきまして、大学局長からいま長い御説明がありましたけれども、大学教育にふさわしい学力と資質を備えた者を採りたい、そういった趣旨でもっていくわけですね。その大学教育を受けるにふさわしい資質の中に、古い言い方で言いますと志というようなこともあると思うのです。ところが、この点が著しく欠けておる、これが一つ問題だと思いますね。それでいろいろな工夫も要るでしょう。私どもは、一つには、一つ大学に籍を置いても、自分がこれをやりたいというのだったら、ほかの大学に行ってその単位を互換できるようにしなさいというようなことも申し上げまして、これは制度として定着をいたしてまいりました。その進捗状況、これはきょうはもう時間がございませんから、後でもってお届けをいただければ結構でございます。ほぼ承知をしております。特に、外国との単位の互換も非常に強くなりました。  それから、学力は余りないのだけれども志はあるのだ、そういった場合もありますね。こういう方々を一体どうしたらよろしいのか。ある場合には専門学校あるいは各種学校のようなところに行っておる。それでもってなお、年限がたってからもこれを加えながら何か大学卒という資格のところまでいけるような手だてをする。あるいは、大学には入ったけれども、そのときには余りやる気がしない。それで便々といるのではなしに、中途退学をして働いて、ある時点からまた継ぎ足して勉学を重ねるというような手だてのために、単位の累積加算ということをもっと幅広く進めるべきではないか。むしろ大学に行ったら無学年制に近い状況をつくり、それで卒業の要件というものをもっと厳しくしていく、そういう手だてを行うべきではないかということをずっと主張しておったわけであります。単位の互換についてはまだまだPR不足であると思いますけれども、これは後でやってもらう。  それで、累積加算の方でございますけれども、大学設置審議会でもって討議が進んでおるというふうに承っておるわけです。大学を中退して再び大学に入った、これは累積加算が可能なのかどうか、ケース・バイ・ケースでいろいろな例があるかどうか。いま報告を聞いていると、あと五分しかないという紙が回ってまいりましたから、制度的にはこれは何ら拘束性がないのかどうか。この辺のことを、これは大変細かい問題になりますから、ひとつ後で御報告をください。  それから、放送大学の問題でございます。放送大学は六十年にいよいよ開校ということになっておりますけれども、この放送大学は、単位の互換、累積加算に関連して、むしろその単位の互換、累積加算の中心的な機関として機能してもらいたいとわれわれは考えているわけです。それで、既存の大学と放送大学がうまく折り合うかどうか、これが非常な問題になってまいりますので、国大協が放送大学についてどんな評価をしておるか、今度は逆に、将来各国立大学の中に学習センターを設置されるような方向を、いまからもう考えておくべきなのじゃないだろうか、この点について大学局長から。
  145. 宮地貫一

    宮地政府委員 それでは、単位の互換と累積加算の問題については後ほど御報告させていただくことにいたしまして、放送大学についてのお尋ねでございますが、放送大学については、現状をごく簡単に御報告申し上げますと、六十年四月に学生を受け入れるということで、具体的な大学の設置は、ことしの四月から大学が設置をされるように、先般大学設置審議会の認可もいただいたわけでございます。現在まで、学習センターの設置計画の問題、それから他大学との単位の互換について、放送大学がいわば中心的な役割りを果たすべきであるというような御指摘などは、かねて法案の審議の際にも御指摘をいただいた点でございますし、私どもとしても、放送大学については、広く国公私立大学の多数の教員の参加、協力をいただいて実現をしていかなければならない大学だと考えておりますので、単位の互換についてももちろん積極的な対応で考えていかなければならないと思っております。そしてまた、既存の大学と放送大学とがそういう意味で、特に一般教育を中心にした科目等について放送大学が積極的な役割りを果たすということは非常に意味があることだと思っておりますし、また、大学との間ではなくても、具体的に申しますと、いわゆる正規の大学ではございませんが、各省所管の、たとえば税務大学校でございますとか、そういういろいろな教育訓練機関があるわけでございまして、そういうところともまた積極的な連携というようなことを考えていくことが必要ではないか、かように考えております。
  146. 有島重武

    有島委員 最後に一問、国語教育の問題でございますけれども、国語教育というか、国語の問題といいますか、かねてから教育の一番基本になる国語、国語を通じていろいろなものを習うわけでございますけれども、現在の日本語をもう一遍、この国際社会の中でこれから考え直していかなければならないのじゃないかということを御提言申し上げたことがございました。その中で、もう時間がございませんから一つだけ、かなめになりますのが、国語の大辞典を編さんしていくべきじゃないか、それも非常に類例の多い、方言まで入った膨大なものをひとつつくってもらいたい。小学館でもってすでにその試みがございますけれども、国の方でもって年限をかけて取り組みなさい、その際に、インデックスをどういうふうにつけていくのか、いろいろな引き方ができるようにすべきではないかというようなことまで申し上げたのですけれども、その進捗状況を御報告いただいて、それできょうの質問を終わりたいと思います。
  147. 浦山太郎

    ○浦山政府委員 国語辞典の作成につきましては、年来先生大変御関心をお持ちをいただきまして、またいろいろ激励を賜っていることを初めに御礼を申し上げておきます。  現在の国語辞典につきましては、用例を中心といたしまして、用例の大辞典ということで、昭和五十二年から国立の国語研究所で国語辞典の編集準備調査会を設けて検討中であることは従前から申し上げておるとおりでございます。国の研究所で作成するにふさわしい辞典という考え方から、この大辞典には従来の国語の辞典に欠けていると言われているいわゆる用例を十分に盛り込むということを目標としているわけでございまして、現在の作業といたしましては、用例採集のために収集すべき文献あるいは採集用の例数、採集の方法、それから用例の表現形式等について調査検討中でございまして、さらに五十四年度からはこれらの調査検討に並行いたしまして、用例の採集方法について一部実験的試行を行っているという現状でございます。このような本格的な辞典の編集というのはわが国では初めてのことでございまして、実行段階で多額の経費と長期間の作業を要することになりますので、文化庁といたしましては、さらに入念な実験あるいは準備調査会の調査検討を重ねて進めてまいりたい、かように考えております。
  148. 有島重武

    有島委員 いつごろできますか。めどは立ちましたか。
  149. 浦山太郎

    ○浦山政府委員 ただいま申し上げましたように、この点につきましては、先生指摘のように、民間の辞典等の例もございますけれども、私どもといたしましては、やはり慎重に基礎的な作業を積み重ねた上で完成をさせたいということでございまして、期間について、いつまでということを現在特定しているわけではございませんけれども、可及な限り十分な用意をもって完成させたい、かように考えております。
  150. 有島重武

    有島委員 これで終わります。大臣、お聞き及びのとおりでございまして、よろしく御推進お願い申し上げます。
  151. 葉梨信行

    葉梨委員長 三浦隆君。
  152. 三浦隆

    三浦(隆)委員 初めに、紀元節の問題に関連しながら御質問させていただきます。  実は、紀元節が二月十一日毎年恒例のように行われるようになりましたけれども、そこに文部省も後援をしています。そして、ことしは特に中曽根首相が祝電を打ったということで脚光を浴びているわけですが、これに関連いたしまして、昨日の新聞に一斉に箕面訴訟についての判決が載っております。そこで、初めにこの箕面訴訟との関係について御質問をさせていただきたいと思います。  初めに、訴訟判決理由によりますと「各慰霊祭は、宗教行事そのものであって、宗教性が希薄化しているとか、一般に習俗化しているとすることは、できない。」、いわゆる明確に宗教行事であると言い切ったのですが、大臣、それでよろしいでしょうか。
  153. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 一昨日ですか、昨日ですか、箕面の事件が裁判になりましたけれども、私どもの見解としては、あれは習俗的なものであって、特に宗教的行事ということには見ないという見解をとっておるわけでございます。
  154. 三浦隆

    三浦(隆)委員 判決が明確に言い切っておりますし、やはり判決の持つ意味は大きいと思います。  次に、公務員が公人としては宗教行事に参加することは憲法二十条二項に違反するとこれまた明確に言い切っておりまして、新聞によりましてはそのことを大きくこうして活字をもって提起しているわけです。これにつきまして、大臣はどうお考えですか。
  155. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 宗教行事ということについては、いろいろの見解がありまして、従来から政府、われわれとしては、もちろん純然たる宗教行事には公務員その他等の立場では参加できませんけれども、そうでないと判定したものには参加をしておる、これが従来からのわれわれの考え方でございます。
  156. 三浦隆

    三浦(隆)委員 この判決は急に出てきたわけではございませんで、すでに津市における地鎮祭判決などと流れを同じくするものであって、ここでの流れとは一貫して変わってないものであります。つきましては、昭和二十六年九月十日付文部次官・引揚援護庁次長通達というのがこの箕面訴訟でも取り上げられておりまして、ここでは、誤った解釈を示したことになるとこの判決は大変厳しく言っておりますが、それで大臣よろしいですか。
  157. 高石邦男

    ○高石政府委員 従来文部省の示している見解と第一審の判決は違うわけであります。そこで、従来文部省の見解は、こういう事例については宗教行事でないということで、公務員が参加することについては差し支えないという見解で来ているわけでございますが、まだ一審判決でございまして、この一審判決については今後争われていくものと考えておりますので、現在の時点において文部省の従来の態度を変える気持ちはないわけでございます。
  158. 三浦隆

    三浦(隆)委員 この判決に絡みまして、教育長の出席は、公務として出席してはいけない、よってそうしたことで勤務した時間相応の金は返還せよというふうな義務を負わしていますが、これについていかが考えますか。
  159. 高石邦男

    ○高石政府委員 先ほど申し上げておりますように、一審判決ではそういう指摘がございますけれども、今後争われて、最終的な判断が決定するものと考えております。
  160. 三浦隆

    三浦(隆)委員 この訴訟につきまして、ただいまの答弁を伺っておりますと、文部省大臣その他の見解は真っ向から対立していると思います。トータルとして、大臣それでよろしいのですか、そう受けとめて。
  161. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 裁判と行政でございますから、解釈に違う場合がありますけれども、最終的には、判決が決まりましたらそれを尊重する、こういうことになると思います。
  162. 三浦隆

    三浦(隆)委員 この箕面訴訟も、一審でありますが、最高裁で決まったら文部省は確実に従う、いままで過ちであったと認められますか。
  163. 高石邦男

    ○高石政府委員 最終的に決まれば当然それに従って処理することは当然なことでございます。
  164. 三浦隆

    三浦(隆)委員 この判決は靖国神社の行事等についての影響も大変大きかろうと思いますが、靖国神社が戦争中に果たした役割り、大臣どうお考えですか。
  165. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 靖国神社が戦争中にどういう役割りを果たしたかと聞かれても、私は余り詳しくないのでございます。御承知のとおり、明治時代から、国家のために御奉公して生命を失った人はあそこに祭って、国民的感謝をしようというためにできたもの、かように考えておるわけでございます。
  166. 三浦隆

    三浦(隆)委員 靖国神社が教育に果たした役割りは大変大きいので、後ほど一括して質問させていただきます。  次に、大臣個人としまして靖国神社への閣僚参拝についてどうお考えですか。
  167. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 今年は用があって参りませんでしたけれども、時間があればお参りをしたい、かように考えております。
  168. 三浦隆

    三浦(隆)委員 さて、今回の建国記念日につきましては新聞でこう報じております。「「建国記念の日」の十一日、東京では「建国記念の日奉祝運営委員会」(黛敏郎委員長)主催の式典が開かれ、全国各地でも記念式典が催された。特に東京の式典には、中曽根首相が歴代首相として初めて祝電を寄せたほか、総理府、文部省に加え今年から新たに自治省も後援。政府の「国家行事化」の色彩が一段と強まった。」、このように報じられておるわけですが、特にこれまで首相が祝電を寄せなかったのには寄せなかった、あるいは祝電を出し得なかった理由があったと思うのです。それをあえて祝電を中曽根首相が歴代首相の中で初めて出したということは、中曽根首相の考え方そのものがこれまでの歴代総理とは際立って違っていた、私はこう受けとめたいのです。だろうと理解いたします。本当は首相がいれば直接そう伺いたいのですが、おりませんので、ここではやむを得ず、文部省が後援しているということで話を進めさせていただきます。  この紀元節、いわゆる建国記念日というのが国民の祝日に関する法律に基づきまして、「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」ということであるならば、あるいは個人として二月十一日にこの紀元節が行われるということについては若干の見解もありますが、まあ納得できるだろうと思います。ただ、それが国民こぞって祝えないような場合に、それでもあえて文部省は推薦をこれまでと同じようにされるのでしょうかどうか、お尋ねしたいと思います。
  169. 高石邦男

    ○高石政府委員 具体的な行事についての後援の申請がありまして、その後援の内容について審査をした上で後援名義を与えているわけであります。したがいまして、建国記念の日の行事につきましては、先ほど法律の条文をお読みいただきましたように、「国民こぞって祝い、」「建国をしのび、国を愛する心を養う。」ということを各階層の方々の参加を得て行事の運営を図っていこうということで企画されてきている経過から、国または地方公共団体に準ずる主催団体であるというようなことから後援名義を今日まで与えてきているわけでございます。
  170. 三浦隆

    三浦(隆)委員 これまでの式典と大変際立っておりますのは、「式典は「紀元節」の歌が流れるなかで始まり、昨年と同じように司会者の「日の丸を通し、神武天皇陵に拝礼」の言葉で、全員がステージ中央の日の丸に拝礼した。」、そして、さらにことしは進みまして、黛委員長によれば八紘一宇というふうな言葉、あるいはまた天壌無窮というふうな言葉、あるいは万世一系というふうな言葉が使われたようでございます。そして結びの言葉として「一日も早く政府主催となり、中曽根首相だけでなく、神武天皇の子孫である天皇をお迎えしたい」と結んだと伝えているわけでありますが、これは明らかに国民の祝日の法律に規定された建国記念日とは全く違うものと思われます。むしろ戦前的な紀元節とよく似た方向に走っていると理解されますが、大臣はどのようにお考えですか。これは大臣への質問です。
  171. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いまお話しのようなことが行われたということを報告を受けておりますが、私は、文部省としましては、最初からこの行事の進行については国民的な参加ができるような形でやってもらいたい、特定の宗教あるいは特定の政治的な問題を含んでおるような形では困るというようなことを事前に文書をもって主催者の方に申し入れてありますが、遺憾ながらそういうことになったということで、今後これをどうするかということは検討をしなければならない、かように考えております。
  172. 三浦隆

    三浦(隆)委員 いま大臣は検討されるとお答えになったわけですが、もしこのことが事実であったとしたら、いかがですか。検討して中止されますか。これは文部省の姿勢ですから大臣にお尋ねしたいと思います。
  173. 高石邦男

    ○高石政府委員 その前にちょっと申し上げます。  全体の流れにつきましては、特にことしそういう流れが変わったというわけではございませんで、一般的な式の持ち方については、ここ数年同じような形態で行われてきているわけでございます。  そこで、個別の内容につきましては、開会をする前に紀元節の歌が会場に流されるというようなこと、そして拝礼については、国旗を通じて神武天皇陵に拝礼するというような言葉が述べられたこと、そして会長の式辞では古事記、日本書紀における天照大神、神武天皇に関する記述の紹介等が行われたということ、そして黛委員長が一昨年八紘一宇という言葉を使ったことが非常に軍国主義につながるということで誤解をされ、非難をされたというようなことから、今年度も特にその点に触れて、八紘一宇ということを黛委員長が、私が申し上げる意味はこういう意味であるということをかなり具体的に説明をされたというようなこと、そういうのが新聞で伝えられている内容であろうかと思います。したがいまして、国といたしましては、特定の宗教色、政治色を出さないで国民各階層が参加できるような形の行事にしてほしいということを、後援名義を出すに当たりましてつけているわけでございます。したがいまして、今後ともそういう面での主催者側の努力ということを積極的にやっていただきたいということを願っているわけでございまして、今後の内容につきましては、明年度計画される運営の内容を十分見た上で決定していかなければなりませんので、いまの段階で明年度以降の取り扱いについてここでどうこうするということを申し上げることは差し控えた方がいいと思うわけでございます。
  174. 三浦隆

    三浦(隆)委員 大臣はいかがお考えでございますか。
  175. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 ことしのものはもう済みましたから、来年度どういう形でされるかよく確かめてから検討したい、かように考えております。
  176. 三浦隆

    三浦(隆)委員 私は、これがことし初めてであればともかくとして、いまのお答えだと、昨年もそうであった。昨年にこの問題が提起されて、ことしまた同じような繰り返しがあった。それではやめた、結論が出るはずだ、それをことしまたやった、来年はまた検討する、これが繰り返しになってしまうおそれがあるのじゃないでしょうか。ことしが初めてというのであれば、十分に注意して来年からはやめさせるということが一つはできると思うんですね。もし昨年もそうであったとするならば、なぜ文部省は昨年それをもっと注意して、ことしそれを守らなかったことに対して何らかの処置をとられようとしないのですか、お尋ねをしたいと思います。
  177. 高石邦男

    ○高石政府委員 ことし後援名義を与えるに際しましては、いろいろな御意見もございますので、特に特定の宗教色、政治色が出ないように運営をしてほしいという条件をつけまして後援名義を出したわけであります。したがいまして、それについて昨年よりも若干改正された点はございますけれども、なお依然として御指摘のような御意見もございますので、今後そういう点については十分留意をしながら検討していきたいと思います。
  178. 三浦隆

    三浦(隆)委員 天皇制というのは、天皇個人は大変いいお方であったとしても、大変利用されやすい体質をこれまで持っていたのだと思うのです。そういうことからして、二度とそういうふうに利用されたくないという考え方も大ぜいの方が持っているだろうと思います。そこで、この紀元節、いわゆる建国記念日が二月十一日というふうに決まりましたときに、多くの人の反対の声があったこと、大臣も御存じであったと思います。すなわち、国の建国記念日そのものは賛成であるけれども、二月十一日という日をなぜ固執して選ばなければならないのだろうかという反対論についてであります。時間の都合もありますので、その中の主要な見解をひとつここで紹介して、改めて大臣の御見解を賜りたいと思います。  これは皇族の三笠宮の見解でありまして、「二・一一論争と考古学」という、昭和三十一年五月一日付の「日本文化財」十三号に所収した論文からです。また、同宮様は、三笠宮編になります「日本のあけぼの」という本、副題として「建国と紀元をめぐって」とありますが、そこで各歴史学者との対談「歴史研究と学問の自由」というのを司会されておりまして、二月十一日に建国の日を定めることに反対の意見を表明されております。ちょっと見てみますと、「皇室にも直接関係あることであるから、わたくしてとしてはとくに身近かに感ずるしだいである。」「このような重大な問題が、歴史学ならびに考古学上の深い根拠に基づくわけでもなく、きわめて感情的に論議されているのを見聞して、わたくしは肌に粟を生ずる思いがする。」として、神風論あるいは精神力論というのを否定されております。昨今、首相が防衛問題でしきりと精神力論を主張されておりますけれども、精神力論だけでは、防衛だけに限らず、こういう学問的なことを決めるにもふさわしくないのだろうというふうに思います。  そこで、三笠宮はさらに続けて「わたくしも敗戦のころはまったくの空白状態にあった。あらゆるものを信じることができなくなった。神風は吹かず、精神力は巨大な物質力の前にもろくもついえ去り、忠君愛国の教育の根底であった日本の古代史は神話のうのみにすぎなかったことが暴露されたからである。」、いわゆる忠君愛国教育を否定されております。  そして、建国記念日を二月十一日として復活しようという動きに対して、あるいはまた、かつての紀元節否定をけしからぬと言う人たち、これを四つにお分けになりまして、紀元節がマッカーサーによって否定されたと考えることはいけない。「たとえアメリカ人の意向が強力に反映しているとしても、もしそれが正しいこと、よいことであればそれを受入れていっこうにさしつかえないではないか。」、そこで、「二・一一論争で「紀元節はマッカーサーが廃止したのだから復活すべきだ」という議論はまず成り立たない。」、  第二点に、いわゆるノスタルジア論、こうした明治の時代に生をうけた人たちがノスタルジアでこれを復活させようということに対しては、その気持ちはよくわかるのではあるが、「このような国家、民族全体に関する重大問題を単なる一個人のノスタルジアで片づけられたらそれこそ一大事である。もっと冷厳に、感情論でなく、正しい理性によって論議は押し進められなければならない。」としてこれを否定しております。  その次に、「ちょっと風変りではあるが、」とお断わりになって、休日がふえるのだから二月十一日でよいではないかという支持論に対しては、休日が必要であるならば、一年の中のそれぞれの月をよく検討されてそれなりに配慮されるということは十分考えられるでしょうというふうにお答えになっていて、それだけではいわゆる論拠にならないと言って否定されております。  それから、個人の誕生日というものがあるのだから、国にも誕生日があってよいではないかという意見に対しましては、「外国にあるのはたいてい独立ないしは革命記念日なのである。外国の支配から解放されて自主独立の国になったとか、古い支配階級を打倒して新しい政権なり国家なりを建設したという記念日なのであって、およそわれわれが考える紀元節的建国記念日ではないのである。」というふうに述べて、これも退けられております。そして、どうしても紀元節が必要であるならば「二月十一日にこだわらず、いろんな日を考えてみたらよい。」というふうに述べております。  そして「二月十一日という日を考えてみたい。日本書紀にも神武天皇が二月十一日に即位したとは決して書いてない。」古事記にも書いてない。「二月十一日ということは、日本書紀の「辛酉年春正月庚辰朔」」といって書かれたことをグレゴリウス暦によって換算した結果であり、いわゆる実証的な根拠がないのだということを明らかにされております。そしてまた、たとえ神武天皇即位の日と仮に定められても、神武天皇は仮に実在であったとしても「その即位が今から何千何百何十何年前の正月朔日に行われたかということは今日の歴史学や考古学の知識では絶対に決定できない問題である。」とお述べになり、そしてそういうことを無理やり決められることは、「せっかくここまでつみあげてきた実証的な日本古代史の研究成果を一ぺんに水泡に帰してしまうことにほかならない。」、そしてまた「二月十一日を紀元節としたのはつい最近—明治六年—のことである。決して日本民族の伝統的祭日ということはできない」というふうに述べられているわけであります。  また、これに関連しまして、同じような趣旨のことを作家であります志賀直哉も、論文の中で大変詳しくこれについて触れているわけであります。  さて、宮様も述べられましたように、では外国ではいわゆる建国記念日を何カ国くらいが、どのような日に選ばれているかというふうなこと、文部省はどういうふうにお答えになりますか。
  179. 高石邦男

    ○高石政府委員 いまここに手持ちの資料がございませんので、後で調べて御報告したいと思います。
  180. 三浦隆

    三浦(隆)委員 現在、世界の国々の建国記念日、私の手元に約九十一ヵ国、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパ等含めてたくさんあるのですが、どこの国をとりましても宮様の指摘したとおりであります。すべてがそうだと言っても過言でないわけであります。すなわち、天皇主権の時代には天皇にかかわる日をお祝いするということは、それなりに意味があったと思います。しかし国民主権の現在、われわれはやはり二月十一日という日の取り扱いに慎重であらねばならないと思うのです。特に、そこで日の丸の旗を掲げ「君が代」を歌うということ自体にも、昔のことをよく頭に入れながらわれわれはそれを祝っていかなければいけないと思うのです。確かに時代が変わりましたから、過去のことだけ振り返っているわけではございません。法律に示されますように、国民がこぞって祝えるような建国の記念日であるならば、私は二月十一日でもいまならいい、日の丸が掲げられても「君が代」を歌っても、それでもいいと思うのです。ただそれが、紀元節の昔の式典の歌を歌うようになったり、八紘一宇だとか万世一系とか天壌無窮という言葉がやたらと飛び出すような紀元節、いわゆる建国記念日というのは、全く昔と同じ道を歩きかねないじゃないかというところが心配なわけです。そこで大臣の見解をお尋ねしたかったわけです。特に大臣は、憲法改正の方にも大変御熱心のように承っておりますけれども、しかしそれもある程度問題がございます。  試みに紀元節の歌、一段、二段、三段、四段と分かれておりまして、よく歌われておりますのが「雲に聳ゆる高千穂の 高嶺おろしに草も木も なびきふしけん大御世を あふぐけふこそたのしけれ」というわけですが、いわゆる高千穂の峰云々は天孫降臨神話伝説に由来しておりますし、そこから天皇のみいつによって吹き荒れてくる風の強さ、ここになびきふしく国民というのは昔の言葉では民草と言われたのだろうと私は思います。いわゆる主体性を持たない、人権意識を持ち得ない民草ではなくて、今日のわれわれは憲法基本的人権を主張し得る国民であるというふうなことからして、この歌詞は余りいいとは思えないわけであります。特に「三段 皇基の頌」「四段 国体の頌」では、万世一系、天壌無窮、八紘一宇というふうなことを標榜されるような、あるいはむしろそれを肯定し広めようとされるような歌の句詞というものは、やはりこれはいまのわれわれが歌うべきではない歌なんじゃないかというふうに思います。また、こういう歌が公然と歌われるような場合には、文部省としては推薦を取り消すべきものなんじゃなかろうかというふうに私は考えるのですが、大臣いかがお考えでしょう。
  181. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 建国記念日が二月十一日で適当か、いいか悪いかという問題は、その当時非常に論議されたことであります。いま三笠宮様は歴史研究家でございますからいろいろ研究されておると思いますが、それをあえて批評するわけじゃありませんけれども、日本のように古い国、まさに古い国だと私は確信しておりますが、そういう二千何百年とかいうような国の、いつそれが生まれたか、国というかっこうで生まれたかということは、いかなる学者でも私はわからないと思います。わかり得ない。それが現代の人智であります。しかし、できるだけ昔から伝承されたことをやはり誇りとして、自分の国はこういう長い歴史を持っておるのだ、これを建国の日として国民的にやはり将来長く独立を守っていこうという気持ちがあることは、私はこれは悪いことじゃないと思います。でありますから、二月十一日が本当にこの国ができた日であるかどうかということは、率直に言って何十年論争しても決まる問題じゃありません。昔から伝承され、言い伝えられたことをお互い信じて建国記念日というものを祝っていくというよりほかにない。アメリカみたいに二百年前にこうだったとかなんという国と全然違いますから、それを幾ら議論したって私はこれは、むだと言うとおしかりになりますかもしれぬが、そのような気がいたします。  ただ、いまおっしゃるように、歴史というものは変化し、人類というものはいろいろな部面で変化、進歩するわけでございます。われわれの祖先は非常な、野蛮と言うと恐縮でございますが、育ってきたと思いますけれども、いまやこういう国になった。そして国民考え方もすっかり変わってきた。いわゆる進歩の時代に入ってきておるわけでありますから、天皇を中心に昔のような国をつくるなどということはできもしないし、またそういうことを考えるべきでない時代に来ておる。まさに、先ほど来私、憲法で申し上げておりますけれども、われわれ人間の国である。その人間のうち日本の国土に住んでおるわれわれ、いわゆる日本人の国である、こういう意識から国をつくっておるわけでありますから、その中の一人として天皇はずっと昔からわれわれ信じたように、また現在も大多数の国民が信じていただいておると思いますが、国民の心の中心である、こういうことでいまの憲法はできておると思いまして、私は、こういう国づくりの姿というものは必ずしも間違っておらないという信念を持っておりますことを申し上げておきます。
  182. 三浦隆

    三浦(隆)委員 単純に信念で片づけられては大変に困るんですね。結局、昭和十五年に皇紀二千六百年ということでお祝いをしました。しかし国家の中には、二千年であろうと五千年であろうと、それは古ければ古いほどいいのかもしれません。しかし、新しい国もたくさんあるのでして、国というのは古いからいいのではないのであって、その国自体が誇るに値し得るような国であることをよしとしなければならないのじゃないでしょうか。  古いといっても、宮様は歴史学者であるし、余り無理なことを強いてもいけない——すなわち無理を強いるというのは、そのうちにそれ以外の考え方は許せない、学問の自由というものを認めないというふうなことが過去にあったからですね。しかも、そうした日本独特の考え方をかつて朝鮮の人に強い、あるいはいまいる台湾の人、中国の人にもわれわれは強いた記録を持っているんですね。  そして八紘一宇というのは確かに神武天皇の詔として言われたようであります。しかし、神武天皇そのものが実在したかどうかもよくわからないし、いわゆるアジア全体を一つの家として天皇が、日本がそこに優越的な立場をとるというのは、日本の史観としてはいいことかもしらぬけれども、日本の下に位置づけられようとする国の人から見たら許され得ないことじゃないでしょうか。そうしたような気持ちを大臣が持つとすれば、この間来一生懸命やった教科書論争が再度また復活してくるのじゃないでしょうか。そういうふうな考え方をやめるのだというところからこれからの教育は進むのだということを私たちは確認したのではなかったのでしょうか。大臣、再度お尋ねしたいと思います。
  183. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いまはすっかり時代が変わってきておるわけでございます。日本国民考えといいますか、思想というものは完全に変わってきておるわけでございまして、昔そうであったからこれからもそうであるということは私は考えておりません。ですから、紀元節であるから、八紘一宇という言葉があるから、アジアを日本が支配するなどとはとんでもないことでありまして、私はそういう国民は一人もおらない、かように信じて疑いません。
  184. 三浦隆

    三浦(隆)委員 国民が信じているのではなくて、紀元節式典を挙行した人たちはそれを信じて語ったわけです。しかも同時に、それを文部省が推薦しているわけであります。国民全体が認めているというわけではないのですよ。国民はこぞっていわゆる建国記念日としては認めるかもしれないけれども、八紘一宇だとか、あるいは天壌無窮とか万世一系というふうな言葉が出てくる紀元節として認めているわけではないのですよ。  そしてこの八紘一宇という考え方、日本がアジアのうちに君臨する、一番偉い、それに対して朝鮮が従わぬ、どこの国も従わぬ、だからけしからぬ、そこに撃ちてしやまん、滅ぼせ、聖戦だというふうな論理が出たことは、すでに私個人が言うのではなくて、どんな文章を見ても明らかに書かれているところなんじゃないでしょうか。その点をはっきり確認していただかないと、これからの文部大臣の見解の仕方というのは、教科書論争を再びこれ以上にまた激化させるおそれが十分にあり得るものと私は思います。  少なくとも八紘一宇というのは特定の解釈がすでに決まっているものですよ。「国体の本義」といったかつて出された本によっても、その他いろんな解説書によっても、この解釈というのは決まっているわけですよ。勝手に直すわけにいかない。むしろ歴史的な言葉と言ってもいいと思います。そういうふうな言葉が使われてきたということ、それに対して重大さ、その認識すらも持ち得ない、これは大臣として果たしてふさわしいのかどうか。それこそ疑問を感じざるを得なくなってくると思います。あるいは万世一系と言っても、天壌無窮の言葉なんというものは、歴史的にほとんどだれも今日認めておらぬ。それこそ、いまの子供たちに言ったら笑われてしまうと思うのです。  一つの具体的な例を挙げたいと思います。  たとえば、神武天皇が日本書紀では百二十七歳、古事記では百三十七歳。孝昭天皇、日本書紀で百十四歳、古事記で九十三歳。孝安天皇、日本書紀で百三十七歳、古事記で百二十三歳。孝霊天皇、日本書紀で百二十八歳、古事記で百六歳。あるいは垂仁天皇、日本書紀で百四十歳、古事記で百五十三歳と推定されるような年齢というのを、大臣信じられると思いますか、お尋ねをしたいと思います。
  185. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 先ほども申し上げましたように、非常に文化の進んでおらない時代、まだ文字もない時代の千年、二千年も前のことがはっきりわかるはずがありません。ただ、民族としてはそういう古い伝承その他を信じて今日まで来ておるということでございまして、信じるというのはいけないとおっしゃっても、そういうことでございます。  ただ、それだから昔の、支配をするというようなことを何かお考えのようでございますけれども、そういうことの誤りを犯したから大変なことになって、いまや日本が生まれ変わった考え方で憲法を定め、諸政を進めていこうという時代に入っておる、こういうことを私は認識しておるわけでございます。
  186. 三浦隆

    三浦(隆)委員 こういうふうな過去の考え方が正しいという上に立ってのみ明治憲法は成り立ったわけですね。そして、それに疑いを抱く者は治安維持法その他によってびしびしと取り締まったわけですね。大臣はいまの憲法を否定されて、昔のような憲法観というものをお持ちなんでしょうか、お尋ねしたいと思います。
  187. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 とんでもない誤解でございます。
  188. 三浦隆

    三浦(隆)委員 そして、かつての紀元節のような発想が教育勅語に盛られたわけです。そして教育勅語の中でこの言葉をもって、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というふうな言葉も使われてきたわけであります。     〔委員長退席、石橋(一)委員長代理着席〕 教育勅語というのは、教育を行っていく上に大変大切なものを示していると思いますが、しかしその教育勅語が日本国民だけではなくて、かつてわが国の植民地支配下に置かれた人たちにも及んだわけですね。そして教科書論争や何かの中では、そういうことに対する屈辱の思いがぱあっと爆発したように広がってきたわけであります。  われわれはやはり、そうした過去のことを忘れたくとも忘れられないような国際状況があるのではないでしょうか。日本が孤立して生きるのではなくて、世界の中で、特にアジアの中で、特にわが国の植民地支配下の中にあった人々との中で、本当に真の意味での共存共栄を考えられるとするならば、私はそれを忘れてはならないと思うのです。  昨日の三月一日の韓国の記念日にしましても、韓国はこれを新たなる建国記念日として祝おうとしておりますが、われわれにとって、認めることは大変につらいことであります。しかし、つらくてもそれが日本対韓国なり朝鮮との真の友好親善関係を深めるということであるならば、それもまたやむを得ない。少なくとも、二度と再び過去の間違いを繰り返してはいけないというふうに思います。ただ、それに対してもそういう過去の悪かったという認識をかりそめにも薄いとするならば、それは私は大きな間違いだというふうに思います。  もちろん、そういう意味での、大臣もいまの憲法がいい、明治憲法はむしろ間違いだというふうに明確に言い切っていただいた。そこには、延長線上として考えれば、黙っていれば明治憲法はいつまでも続いたわけです。たまたまわが国が敗戦となって、アメリカを中心とする連合国が日本の支配国となって、アメリカ連合国が強いから現在の憲法ができたのかもしれません。自主的に確かにつくったのじゃないかもしれません。自主的につくろうとするなら明治憲法は生きていたからです。だけれども、現在の憲法にでき上がってきたわけです。でき上がる手続、過程論をいまわれわれはとやかく言うべきではないのであって、いまの憲法の中身がよいか悪いか、それがいまの私たちに問われていることだ、このように思うのですが、大臣、その理解でよろしいでしょうか。
  189. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私はいまの憲法が悪いなんということは一つも言っておりません。もう少しよくわかるようにしたらどうかというだけのことでございまして、過去の歴史をいろいろここでお話しでございますけれども、どこの国でも、あるいは個人でも、長い歴史の間には大きな過ちを犯し、はしご段を踏み外すこともあるわけでございまして、それを反省し、再びそういうことのないようにというのが進歩のもとであろう、かように私は考えております。
  190. 三浦隆

    三浦(隆)委員 最近、子供たち非行の問題が言われながら、教科書の中身もおかしいのじゃないか、もう少し修身教育などを復活したらいいのじゃないかというふうな御意見がありますが、確かに教科書というのは、いつの時代にあっても大変大切なものだと思います。  そこで、教科書論に関しまして、いま言いました紀元節の中身をなすような言葉が教科書の中でどのように使われたか、もう一度私は振り返ってみたいと思うのです。そして、同じような過ちをこれからの教科書編成の上において再現させないようにぜひお願いしたいというふうに思います。  ちょっと長くなりますが、「教科書の歴史」という本がございます。すでに文部省関係の皆さんは全員お読みだろうと思います。唐沢富太郎先生の著になるものでありますが、その中で、「修身教科書は、それ自身の中に掲げた”皇国の大使命”すなわち”八紘一宇”の侵略戦争完遂のための全き手段に化した。しかもその"聖戦"の目的美化のために、非現実的神話が、あたかも現実的歴史的根拠として利用され動員されたとき、修身はそれ自身の使命を捨てて、ゆがめられた歴史教育の全き代行者に堕したのである」と述べまして、「とくに注目されるのは」「知らず知らずのうちに、神国観念、皇国思想、臣民的自覚をうながすような配慮がなされているということである」、そういうふうに述べまして、具体的に「ヨイコドモ」の文章で日本の国というのがございますが、「ヨイコドモ」下巻です、「日本ヨイ国 キヨイ国。世界ニ一ツノ 神ノ国。日本ヨイ国 強イ国。世界ニカガヤク エライ国。」というのを引用しております。  だれでも自分の国に誇りを持ちたいものでありますが、そこがいささか行き過ぎて、これからさらに進んで神国思想、神国観念というか、あるいは八紘一宇的な、日本独善的な発展までいきますと、大変こわいのだろうと思います。そして、教科書はこうした意図を受けまして、修身教科書だけではなく、国語の教科書でも音楽教科書でも同じようなことが一貫して流れているわけであります。  たとえば修身教科書の中の題名だけを拾ってみましても、「日本は神の国」「皇室」「天長節 明治節 紀元節」「靖国神社 国民皆兵 武士のかくご」「天皇」「皇大神宮」「日の丸の旗 君が代」「帝国憲法」と並びまして、特に「皇室」「天皇」という項目がたびたび出てまいります。  今日の非行化に走っていこうとする子供たちをもう少し修身、道徳教育によって直したらどうかという見解、一面で私も賛成ではありますけれども、間違っても、こういう内容を持ってきてもよくならなかろうというふうに思います。  また、国語教科書の中では、皇室に関すること、天照大神とか神武天皇など、武士に関すること、楠正成、楠正行、乃木希典、そうしたことがよく出てきまして、国語教科書の中の六三・七%、詳しく言えば、皇室に関すること二七・五%、武士に関すること三六・二%が国語教科書の主要人物として掲げられてきております。  また、音楽の教科書を見ますと、一年、二年、三年、四年、五年、六年の音楽の教科書の中で、一年で「兵タイゴッコ ヒカウキ」、二年で「軍かん 兵たいさん」あるいは三年で「天の岩戸 軍旗 三勇士」あるいは四年で「靖国神社 千早城」「広瀬中佐 少年戦車兵」、五年で「大八洲 小楠公 大東亜 忠霊塔 橘中佐 特別攻撃隊」、六年で「御民われ 敷島の 肇国の歌 日本海海戦 水師営の会見」というふうに並んできまして、教科書は修身、国語、音楽を問いません、すべて一貫した流れの中でまさに軍国主義への流れが鼓吹されてまいったし、いわゆるかつての紀元節はそういうものに利用された苦い記憶を持っているわけであります。  そこで、しつこいようではございますけれども、われわれが祝う建国記念日はそうではなくて、本当に超党派、全議員が国民とともにこぞって祝えるような式典を行ってほしい、あるいは行わなくても結構ですが、そういうお休みの日であってほしいと願うわけです。  そこで、ことし事実として違うことが行われたわけですから、文部省はそれに対して後援をしているわけですが、後援をするには後援をするだけの理由があるはずでありますから、そしてそれが過去とは違った方向をいまたどろうとしているのですから、それに対して明確に文部省として歯どめをかけていただきたい。これがまず第一点。 それから、どうしても直らないときには後援をやめてほしい、このようにお願いするのですが、大臣、いかがでしょうか。
  191. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 いま数々の過去の教科書その他をお話しになりましたが、それは、私の考え方としますと、そういう時代をもうすでに終わった、そういうことを繰り返してはならないというのがこれからの日本の国のつくり方、国民考え方でなければならない、私はそう思っております。でありますから、これから教科書を、そういうふうな昔のような教科書をつくるとか修身の教え方をするということは、これはもう全然考えられないことだと私は思っております。  それから紀元節の問題でありますが、先ほど来お答えしておりますように、これは法律によってできた国の祝いの日と定めてあるわけでありますから、国民がこぞって祝うという姿が一番望ましい。世の中は自由の社会でございますから、いろんなことをなさる方がいらっしゃるわけでありますが、どうせいこうせいと言うわけにいきませんけれども、先ほど来お話しのようなことがありますので、今後、後援するときにはそういう問題をよく考えて処置をしたい、かように考えております。
  192. 三浦隆

    三浦(隆)委員 そうしますと、もう一度、ことし行われたような式典のあり方、それに対して文部省としては事実を確認されて、そしてもし事実が確認されたならば後援しないというふうに理解してよろしいですね。これは大臣に聞きたいと思うのです。文部省の見解です。
  193. 高石邦男

    ○高石政府委員 ことしの式典の状況につきましては、後日、後援名義をいたしましたので内容についての報告が奉祝運営委員会から出されてくるものと思います。  そして、その内容につきましては、国民各界各層の人々が心からその式典に参加できるような形で、特定の政治色、宗教色のないような形にしてもらいたいということも今後重ねて要望していくつもりでございます。今回も運営委員会の方々については、一昨年よりも幅広くその人々の参加を得ているようでございますので、今後どういう形で実施をされるか、その内容を見た上で十分考えていく必要があろうと思っております。
  194. 三浦隆

    三浦(隆)委員 重ねて質問します。  考えてみるかどうかということを聞いたのではないのでして、それがもし事実確認して、あった、いけなかったと思うのなら即刻後援やめるべきじゃないのですか。大臣にお尋ねします。
  195. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 将来のことでございますから、ここでやめるとかやめないとかいうその状態をよく判断して決断をしたいということでございます。
  196. 三浦隆

    三浦(隆)委員 将来のことではないのであって、ことし行われたことなんであります。そして、また来年もこの日が来れば行うことなんですよ。目前のことなんです。そして、このことはきょうでもあしたでも、主催者に対して来年も同じことやるのかと大臣在任中でも緊急に質問していただければすぐわかることなんですよ。大臣、それこそことし衆議院の選挙があるかどうかわかりませんけれども、その前に決着がつくことなんですよ。仮定の問題を言っているわけじゃないのですから、はっきりとお答えいただきたいと思うのです。
  197. 高石邦男

    ○高石政府委員 具体的に来年の式典をどうするか、運営委員会をつくって具体的な式典の内容を決めるわけでございます。したがいまして、その時期は通常でございますと二、三カ月前からそういう準備がされるということで、いまからすぐに準備されるわけではございませんので、来年度の準備に当たって国民各階層の人々が幅広く参加できるような形で運営され、いま御指摘の批判のないような形で運営されていくとすれば特に問題はございませんし、それと違った形でございますればいろいろな問題がございますので十分検討していく必要がある、こういうことでございます。
  198. 三浦隆

    三浦(隆)委員 時間のむだなんです。私は大臣にお尋ねしているのです。わかってからまた十分に検討されたってしょうがないのですよ。大臣もいまのそういうことは決していいと言っておらぬですよ、答弁の流れの中で。こういうふうないわゆる建国記念日として祝うのは、大臣のお答えによれば二月十一日がいいかどうかは別として、古いことで決めたことだからこれはもうわからない、そこは私も折れることにいたします。問題は、二月十一日、私もそれを認めます。その上でしかしそこには国民こぞって祝うということなんだから、昔のような紀元節の歌を歌ったり、天壌無窮だとか八紘一宇だとか万世一系とかそういう言葉をことし使ったという、それはおかしいと大臣も答えておるのですよ。ここでははっきりと、来年ももしそういうことをしては困ると文部省が言い、行ったら検討するのではなくて、そのときは即刻後援はやめますとなぜ答えることができないのですか。時間がもったいない、限られておるのですから、大臣ひとつお願いします。
  199. 高石邦男

    ○高石政府委員 ちょっともう少しつけ加えますと、この会の内容につきましては、会長である木下一雄氏が式辞としてこの式を持つ内容を説明するわけでございます。したがいまして、その来賓の方であるとかそこに参加している方々の言葉、表現、演説の内容、それが一々全部チェックされて、その運営が適切であるかどうかということを論ずるのはちょっとオーバーな行き方でございまして、その会の主催を責任を持って実行する人がどういうような式辞を述べるかというところが中核でございます。いろいろな来賓だとか参加者が言われることが一々問題であるというような形でチェックするということは事実上不可能でございますので、そういう点の限界がございます。
  200. 三浦隆

    三浦(隆)委員 大臣の答弁をお願いします。
  201. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 たびたび同じことを申し上げるわけでございますが、これは運営委員会というのは、またその方々がやられるかほかの方々がやるのか、私どもの方ではわかりません。でありますから、こういう問題がありますから、そういう誤解といいますか建国記念日にふさわしくないような姿では困るのだ、こういうことで、それでなければ、あるのかないのか判断をしなければわかりませんので、いまどうこうということは申しかねる、こういうことでございます。
  202. 三浦隆

    三浦(隆)委員 全然答えにならないのです。文部省が後援するには、後援し得る理由があるわけです。後援した方がいい内容だと思っているわけです。文部省としてはだめなものを後援するわけがないと思うのです。いいから後援すると思うのです。ところが、これまではともかくとして、ことしは明確に違ったわけです。各新聞が書いています。私もちゃんと一部はテレビで見ました。多くの人がテレビでそういう言葉を聞いている、見ているのですよ。だから明確に、そういうことを行ったならばだめだ、もう後援しない、こんなことはだれでも言えることじゃないですか。もし言えないとすれば、逆に文部省はおかしなことになってきませんか。大臣からお答えを聞きます。
  203. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 そういういまのような御意見がありますから、そういうことではできかねますよと言うことはあり得ると思いますが、まだそういうことまでいっておらぬから、ここで最終的なことを申し上げられない、こう言っておるわけです。
  204. 三浦隆

    三浦(隆)委員 それじゃ仮定でも結構です。もしそういうことがことしと同じように行われたらどうしますか。
  205. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 建国記念日にふさわしくない行事であれば、後援はいたしません。
  206. 三浦隆

    三浦(隆)委員 はっきりといま大臣が認めましたので、問題を先に進めたいと思います。  同じようなことなんですが、今度は全然立場が変わりまして、朝鮮人学校の問題についてお尋ねをしたいと思います。  日本教科書の記述がおかしいということで大変教科書論争を繰り返しまして、これから自分の国の教科書も結構いろいろな国々のことを気がねしながら書くようになってまいります。私自身は果たしてそれがいいのかどうかきわめて疑問に思っているところでありますけれども、本来ならば、自分の国の教科書は自分の国が主体性を持って書くべきであって、とやかく言われて書くのは本意ではございません。しかし、向こうの国の人々が、われわれから見るときわめて神経過敏、そんなことまで心配しなくてもよかろうじゃないかということまで心配してきたところに教科書問題があったし、そうした心配を起こす一因がいまくどくどと質問してきた内容にあったのだということであります。  そこで、わが国教科書には昔の教科書に復活するような意思は毛頭ない、大臣の見解です。あたりまえだと思います。と同時に、海外におきますわが国日本学校で使います教科書あるいは副読本、あるいは教員の教え方におきましても、日本だけが偉い国だとして、逆にいってそれぞれの海外の国を誹謗、批判するような教育は絶対行っていないだろうと思うのです。また許されないものだと思うのです。     〔石橋(一)委員長代理退席、船田委員長代理着席〕  ところが、日本国内におきます朝鮮学校におきましては、日本に対する反日的な教育が公然といまもなされていると言われているところに大変大きな問題があると私は考えております。そして、日本におきます教育は、朝鮮大学校であれ、あるいは初級の学校から、やはり北朝鮮の国のいわゆる教育方針というものがあって、それが順次日本の方にも流れていると思うのです。一つに、たとえば金日成首相のお子さんである人の言葉によりますと、彼は金日成首相の言葉を引用して、「教育教養事業は、当然われわれの革命課題と密接に結びつけて、わが国の実情にあうようにおこなうことによって、朝鮮革命の遂行に実際に役立つようにしなければならない」というふうに述べておりますが、こうしたことが具体的にわが国教育の中にいろいろな形で入ってまいりました。たとえば「学科構成と各学科目教授内容は、抗日武装闘争の要求に全的にしたがわせるようにし、教授を実生活と緊密にむすびつける方針が堅持された。」、これは「朝鮮労働党創建二十周年を記念して」の言葉の中からであります。  それから具体的な教育、「軍事教育では、次代を将来の抗日遊撃隊の幹部に育成する目的と、児童団員が当面遂行すべき革命的任務を実践するための軍事知識と訓練とをほどこした。体育では、教育と結合された体育、革命の課題実践と結合された体育、とくに、軍事教育と結合された体育を強化した。」「児童学校教育方針は、教育で主体性を確立し、学科目構成から教授内容方法にいたるまでのすべてを実生活に近づけることによって、次代を朝鮮革命の有能な活動家に準備させるだけでなく、一歩進んで幼いときから困難な革命的実践の炎のなかで不屈の革命闘士に鍛錬し、育成することであった。」、そしてまた「各級学校では教授の政治思想性をたかめ、学科学習をつうじて思想教育をいっそう強化し、広範な社会事業と校外教育をも組織した。ここでは、学校内民青組織、少年団団体と学級担任教員の役割をたかめることが大きな意義をもっていた。」、このことが教育事業にもさらにつながりながらすべてを絡めまして、いわゆる反日教育一本の思想教育に徹する旨が具体的に細かく述べられてきているわけです。  さてそこで、こうしたいわゆる在日朝鮮人学校というのが果たしてどのくらいの数があり、いまどのようになっているのかということを順次お尋ねしたいと思うのです。  初めに、在日朝鮮人生徒児童数、小学校、中学校における在学状況についてお尋ねしたいと思いす。
  207. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 いまの三浦先生のお尋ねは、小中学校に在学しておる児童生徒ということでございますか。——その数字は、私はいま持っておりません。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
  208. 三浦隆

    三浦(隆)委員 細かいことですから結構です。  ついでにお尋ねしたかったのは、進学状況あるいは在日朝鮮人総登録数から見た生徒数の比率、いわゆる日本人の進学率の対比などお答え願いたかったわけです。これはもう統計が文部省からも出ておりまして、実は朝鮮の方の進学率は大変に高いです。日本を凌駕するくらい高い。それだけ教育の果たす役割りは日本以上にさらに大きいということなのです。だから、そこで日本にいる小さい子供たちから大学生に至るまでの子供たちに反日的な教育がこの国内で行われているということは、これはかなり大きな問題になるのじゃないかというふうに考えます。  さらに、本当は質問したかったのは、たとえば在日朝鮮人の教育施設及び教員生徒についてなのですが、常設学校あるいは特設学級の学校総数、私の住んでおります神奈川県でも六校ほどございますが、そしてそこにいる教員の数、日本人と朝鮮人の人との数の比率、そうしたことをお尋ねしたかったわけです。
  209. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 在日朝鮮人学校の数等でございますけれども、私どもが把握をしているところによりますと、いわゆる朝鮮人学校の各種学校として認可をされておりますものが百十校でございます。在学しております生徒数二万六千名余り、教員数が千八百名余りという数になっておりますが、先生指摘のような細かい生徒数の内訳でございますとか教員数の内訳等につきましては、文部省として資料を持っておらないわけでございます。
  210. 三浦隆

    三浦(隆)委員 私の資料とちょっと違うようでありますが、質問の主題ではありませんので省略いたします。  いま、ここの朝鮮人学校の法的位置づけは、わが国はどういうふうに考えているのでしょう。
  211. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 いわゆる朝鮮人学校につきましては、先ほどちょっと申し落としましたけれども、私どもが把握をしております数値といたしましては、全体で百十六校あるわけでございまして、そのうち百十校が各種学校ということで都道府県知事の認可を得ておるわけでございます。したがいまして、位置づけといたしましては学校教育法上の各種学校という位置づけになっておるわけでございます。
  212. 三浦隆

    三浦(隆)委員 そこの学校におきましては、日本の祝祭日などはどのような扱いになっておりますでしょうか。
  213. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 都道府県知事所管の学校でもございますので、具体的な細かい内容は私ども承知しておらないわけでございます。
  214. 三浦隆

    三浦(隆)委員 では、それも省略することにいたします。  特に朝鮮大学校におきましての教育指針についてもうちょっと触れさせていただきたいと思うのですが、気になりますのは、たとえば「アメリカ帝国主義の積極的なひ護のもとに日本」は「人類にあれほど多くの不幸と苦痛をもたらした軍国主義勢力が急速に復活しており日本軍国主義と西ドイツ帝国主義は、アジアとヨーロッパで危険な侵略勢力に成長している。」、また「日本軍国主義に反対するたたかいは、アメリカ帝国主義に反対するたたかいの一環であり、アジアと世界の平和を守るためのたたかいである。日本軍国主義の危険性を過小評価し、それに反対して断固たたかわないならば、これはとりもなおさず日本の反動支配層の侵略的野望を助長することになり、アジアでアメリカ帝国主義の地位をつよめることになる。」、またさらに「日本軍国主義に反対するたたかいを解消させたり、このために日本軍国主義に反対するたたかいを弱めてはならない。すべての社会主義国がアメリカ帝国主義に反対してたたかうとともに、アジアで日本軍国主義に反対して共同してたたかい、一致した行動をもってその侵略的野望を阻止し、破たんさせなければならない。」、以上、いろいろと続いてくるわけでありまして、このことは、われわれがたとえばこの文教委員会を通じながらも、日本国民として日本の国が再び軍国主義者に走ることのないように、これはわれわれも考えているところでありますし、われわれ自身も、教科書の中であるいはその他教育の中で注意しているところであります。しかし、外国の人が外国本国でそう考えたと仮にしましても、日本国内教育として日本国内で教える場合にはいささか問題があるというふうに私は思います。北朝鮮には北朝鮮の行き方があり、わが国わが国なりの行き方があり、それぞれ独立国家でありまして、わが国は、日本とアメリカとの間の日米安保条約を持っておりますし、わが国には自衛隊という存在もあります。そのあり方なり行動についてはいろいろと異論があり、それぞれ必ずしも一致するところではありませんけれども、しかし日本だけを目のかたきにするような教え方が公然とわが国国内で行われるということ、これはまずいのじゃないかと思うのですが、大臣、どうお考えでしょうか。
  215. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私は、いわゆる朝鮮人学校教科書内容をきょう初めて聞きましたが、率直に言って、きわめて遺憾なことであると思います。先ほど、昔の日本教科書お話をなさいましたけれども、それぞれ国々には考え方があるわけでありまして、そういう考え方に基づいて教科書ができている。いまは日本教科書のつくり方は昔と違っておりますけれども、いわゆる共産主義国というのは国定教科書でございましょうから、国の方針というものを国民に教えるといいますか、植えつけるという教育をしておられると思いますが、いまのようなことが本当に考えられておるとすれば非常な誤解であって、世界の平和、アジア平和のために不幸なことである、私はかような印象をもって承りました。
  216. 三浦隆

    三浦(隆)委員 大臣所信表明の演説の中で「かつてない厳しい財政状況下にあって、いかにして活力ある文化国家を築いていくか、また、相互依存の度合いをますます深めつつある国際社会の中で、いかにして国際協力と国際協調を推進していくかを、国政の基本課題として考えていかなければなりません。」、こうあります。私も言葉としてそのとおりだと思います。  そして最後の方に、第六では「文化の振興について」というふうに触れられておりまして、言葉としてはこれもそのとおりだと思うのです。  そこで、ここで私が問題にしたいのは、国政の基本課題として国際社会の中で相互に協力してわが国はいきたいということですから、やはり北朝鮮の人も日本国内学校を持つ以上は、同じように日本と協力的な姿勢をもって学校教育を行ってくれなければ私は困ることだろうと思うのです。  さらに、ここで注目したいのは、日本がかつてない厳しい財政状況下であると言いながら、こうした学校に地方自治体によっては補助金を出しているわけですね。自分の国の学校にすら補助金というか、いまもう補助金削減の声が強くなっておりまして、切り詰めようとしているときに、あえて反日教育を行うような学校に補助金を出していく必要があるのだろうかというふうに思うのです。細かい金額は別としまして、こういう考え方について、大臣、いかがお考えでしょうか。
  217. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 国としてはそういうところに助成しておらないと思いますが、地方団体でやっておるかどうか、文部省としてよくわかりません。
  218. 三浦隆

    三浦(隆)委員 たとえば私の県内の川崎におきましては、これを助成の理由は、川崎市の文化振興に関する助成として行っているわけですね。文化振興という言葉がこういうところに利用されるとは、大臣所信表明演説の中では私は浮かんでこないような気がするのですが、どうお思いでしょうか。
  219. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 国としてはやっておらないわけでありますから、そのかかわり合いを私がとやかく言うことはちょっと差し控えたいと思います。
  220. 三浦隆

    三浦(隆)委員 そういうふうな反日教育を行うような学校というものが今後これからもわが国に続いていくということは、私は大きな問題であると思うのであります。事実を調べられまして、そういうことが、反日教育が果たして現になお行われているものか、あるいは今後とも行われるものなのか、これもお調べになってみた方がいいことなのだろうと思うのですが、文部省、どうお考えでしょうか。
  221. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 先ほど来お答え申し上げておりますように、朝鮮人学校につきましては都道府県知事の所管であるということもございまして、文部省としては具体の教育内容等についてどうなっているかということをつまびらかにしておらないわけでございますけれども、御指摘のようなケースがあるとすれば、これは好ましくないということは確かなことでございます。都道府県等を通じまして、事情を十分聞いてみたいと考えております。
  222. 三浦隆

    三浦(隆)委員 やっぱり公金がそこに流れていく以上は、流れていってもおかしくないような状況設定がなければおかしいのだと思うのですな。だから、やっぱりはっきりと状況はぜひお調べいただきたいし、場合によって、どうにもしようがない場合には学校認可取り消しという手も出てくるのじゃないでしょうか。
  223. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 各都道府県等から十分事情を聞いた上で、検討させていただきたいと存じます。
  224. 三浦隆

    三浦(隆)委員 時間の都合もありますので、この問題はこの辺にいたしまして、さきに外国人学校法というのが制定されかかったようですが、実は私の議員生活前でありますが、これはどういう考え方で、現在どのようになっているのでしょうか、その考え方をお尋ねしたいと思います。
  225. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 外国人学校制度でございますけれども、昭和四十年代の初めに、現在ございます各種学校制度の改善整備をするということが課題となりました際に、外国人学校については、その新しい各種学校の改善した制度になじまないのではないかというような観点から、別途に位置づけることが検討されたというような経緯があるわけでございます。当時の内容を私手元に持っておりませんので、詳しく御説明ができない点、まことに恐縮でございますけれども、その後、昭和五十年に、議員立法によりまして、従来からの各種学校制度と並んでと申しますか、その上にと申しますかというような形で、新しく専修学校制度が設けられたわけでございます。その際に、外国人学校等は専修学校には含まないということが明示されました結果、実態上外国人学校は各種学校として取り扱うというような方向がとられるようになり、現在に至っておるわけでございまして、先ほど申し上げましたように、ほとんどの外国人学校は、朝鮮人学校を含めまして現在各種学校として認可をされておるという実態にあるわけでございます。
  226. 三浦隆

    三浦(隆)委員 先に進みます。次は、放送大学についてお尋ねいたします。  放送大学につきましては、その設置主体となる放送大学学園法が昭和五十六年六月に公布され、その後昭和六十年四月開学に向かって鋭意準備が進められていることと思います。そこで、所信表明にも「生涯教育の要求にこたえ、」とありますが、だれでもいつでもどこででも大学教育が受けられるという生涯教育の時代にふさわしい新しいタイプの大学として国民は授業の開始を待っている人も多いと思いますが、現在の準備状況はどうなっているか、お尋ねしたいと思います。
  227. 宮地貫一

    宮地政府委員 放送大学の準備状況についてのお尋ねでございますが、御案内のとおり特殊法人放送大学学園におきまして、昭和六十年四月に学生を受け入れるということで、ただいま具体的な準備を進めているところでございます。  すなわち、大学の設置に関しましては、本年一月に大学設置審議会から設置認可を適当とする答申をいただきまして、この答申に沿って本年四月からの大学設置を文部大臣として認可をしたというところでございます。また、放送局に関しましては、本年一月に郵政大臣に対しまして免許申請を行い、二月に予備免許を受けたところでございます。今後放送機器を整えまして、五十九年十二月までに本免許を取得して放送局を開局する予定といたしております。  この大学教育課程なりあるいは入学者の選抜方法等具体的な事項については、大学が設置をされまして大学関係者によって決められていくということになるわけでございますが、国会の審議等においても種々御議論がございましたように、基本的には生涯教育の中核的な高等教育機関として、新しい教育システムの創設に向けて万全の体制を整える必要があるわけでございますので、諸準備について遺憾のないようにいたしておるところでございます。  なお、具体的には、建物の準備状況などで申し上げますと、すでに幕張の地に管理棟の建物が本年秋には完成をすることになっておりまして、引き続きまして教育研究棟の建設にも取りかかることにいたしております。また、特に、その他教員確保あるいは学習センターの設置等についても諸準備を進めているところでございます。
  228. 三浦隆

    三浦(隆)委員 放送大学が成果を上げるためには、優秀な教員確保が必要であると考えますが、このことについてどのような現状になっているか、お伺いします。
  229. 宮地貫一

    宮地政府委員 内容的に優秀な教員確保がこの放送大学が今後まさに成功するかどうかの分かれ目の大変大事なところであろうかと思います。  教員確保に当たりましては、設置者でございます放送大学学園において、昭和五十六年に広く全国の国公私立大学等に適任者を得べく公募を行っております。学長、副学長予定者を中心に関係大学関係者等も協議をしながら選考を進めてきておるところでございます。現在まで選考いたしております採用予定者については、すでに設置審議会の第二年目の審査におきまして適格の判断をいただいております。  大学が発足いたしますこの五十八年四月でございますが、四月には具体的に、学長といたしましては前の千葉大学長でございます現在放送大学学園の教学企画責任者をお願いしております香月先生が学長に就任されることになっておりますし、副学長には前の東京大学教授で現在放送大学学園の副教学企画責任者の大森荘蔵先生、それともうお一方、現在東京工業大学教授でございます小林先生に副学長に就任を予定をいたしておるところでございます。ほかに専任の教員といたしましては、たとえば東京大学教授の今道先生、お茶の水女子大学の矢部章彦先生、奈良教育大学の深谷昌志先生らが予定をされておりますし、さらに客員教授といたしましては、ノーベル賞の受賞者でございます江崎玲於奈氏、あるいは副田義也氏、神谷不二氏、江頭淳夫先生、竹内均先生等が予定をされているところでございます。  なお、全体的に第一期計画においては専任教員は、学長、副学長二名、教授三十六名、助教授三十九名の計七十八名でございますし、ほかに客員教員として、教授六十四名、助教授二十一名ということで具体的な計画を、諸準備を進めているところでございます。
  230. 三浦隆

    三浦(隆)委員 次に、放送大学は、社会人家庭婦人等の学生が日常生活の限られた時間を活用して学習できるような学習方法に配慮する必要があると考えるのですが、この点いかがでしょうか。
  231. 宮地貫一

    宮地政府委員 御指摘のとおりでございまして、具体的には放送大学教育は、従来からも御説明している点でございますが、テレビ、ラジオによります放送授業と、印刷教材による学習とレポート提出に対する通信指導、それから学習センターでのスクーリングという三つの方法を組み合わせていくわけでございまして、教育効果が上がりますような組み合わせを、具体的なそれぞれの教科、科目に応じて具体的な対応を検討いたしております。  特に、学生が学習を継続していけるような配慮といたしましては、たとえば日時を変えまして同一番組をできる限り再放送することでございますとか、あるいは通学に便のよい地域にガイダンスとかカウンセリング、スクーリング等を行う学習センターを設置するなど、いわばそういう点で大変きめ細かい配慮が必要でございます。  特に学習センターの点でございますけれども、第一期計画では、学生の通学の便を考えまして、東京二カ所、千葉、埼玉、神奈川、群馬各一カ所、計六カ所置くようにいたしているわけでございますが、学習センターでは、平日のほか、土曜、日曜日には夜間においてもスクーリングが行えるというようなこと、あるいは学生が放送授業を再視聴できるようにビデオ等の設備を調えるなど、きめ細かい諸準備を進めているところでございます。  なお、学習センターにつきましては、具体的に現在それぞれ必要な地に候補を、あるいはなお場所によりましては具体の建物が間に合わない場合には、既存の国立大学等の施設を借用するというようなことについて具体的な折衝を進めているところでございます。  以上でございます。
  232. 三浦隆

    三浦(隆)委員 五十八年度予算では放送大学どのようになっていますか。
  233. 宮地貫一

    宮地政府委員 五十八年度予算でございますが、補助金と施設費を合わせまして全体で三十三億八千六百万円でございます。ちなみに前年度予算は六億五千万円でございましたので、財政的に大変厳しい状況下でございまして、私ども大学の整備全体についても非常に厳しい中でございますが、放送大学につきましては、ただいま申しましたような六十年四月の学生受け入れには遺憾のないような対応をするように、以上のような予算措置をお願いしている点でございます。  具体的な点で申し上げますと、人件費については、二十二人から六十七人ということで四十五人増で四億七千万円余りでございます。管理運営費が一億八千八百万円、放送局の開局経費として一億八千万円でございます。それから大学開学経費として、放送教材作成経費等が五億七千二百万円でございます。その他、教育研究費、建物新営設備費等が一億五千万円で、以上が大学学園に対する補助として十五億六千二百万円でございます。  次に、学園の施設整備費関係で十八億二千四百万円でございまして、これは文部省におきまして放送大学学園の施設、先ほど申しましたように管理棟はすでに着手をいたしておりますが、放送研究資料棟等を整備いたしまして、施設は建設が完了後学園に出資をするという対応をいたしております。  以上、合わせまして、先ほど申しましたように五十八年度としては三十三億八千六百万円を計上しているところでございます。
  234. 三浦隆

    三浦(隆)委員 最後に、軍学共同という問題でちょっとお尋ねをしたいと思います。  といいますのは、大臣所信表明の中で、初めの方に「世界の発展に貢献し得る独創的、先駆的な学術研究を振興する」と、こうあります。それから、終わりの方でありますが、学術研究の振興に関連しながら、「科学研究費の充実等、研究基盤の整備に努めるとともに、エネルギー関連科学、加速器科学、宇宙科学、生命科学等の重要基礎研究の推進を図り、あわせて国内外における学術交流及び学術協力体制の整備を進める等、学術研究の一層の振興のために努力してまいる所存であります。」、こうございます。  言葉としては本当にこのとおりだろう、こう思うのですが、実はこの間来、アメリカに対します武器供与の問題で大変にもめ続けてきたわけです。武器の供与からいわゆる技術の供与、さらにもう一段落としまして軍学共同という形での、たとえば日米一体の研究あるいはそのほかの研究でも結構ですが、それがいわゆる軍事的なものに大変利する研究というふうな場合に、普通の研究と同じような措置、たとえば補助その他がなされるものなのでしょうか、どうか。いわゆる軍学共同研究、それも学際的な研究に対して文部省はどのようにいまお考えでしょうか。
  235. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 具体的内容については局長からお答えさせますが、わが国が一番欠陥と言われておりますのは基礎科学、あらゆる部面において基礎的な科学がおくれておる、こういうことが指摘されて、まさにそのとおりだろうと思います。そういう問題を各大学あるいは研究機関等で研究することはきわめて重要である。わが国だけの問題でなくて世界的に貢献し得るものを研究していかなければならない、こういう考え方でございますが、いまおっしゃるように軍事面の研究をするとか、あるいはそれに利用されるような軍学の共同の研究など全然考えておらないということを申し上げますが、内容については局長から申し上げます。
  236. 大崎仁

    ○大崎政府委員 現在、多国間あるいは二国間におきまして大学関係の研究者を中心といたします共同研究の計画が数多く進行中でございますが、このような国際協力を進めるにつきましては、大学関係につきましては、研究者がその研究を学術上の見地からやりたいということが大前提となっておるわけでございまして、外国わが国との間の研究者間の交流というものが基盤になり、学術上の見地から発展してまいりました場合に、文部省としてそれを支持するということを基本といたしておりますので、ただいまお話しのようなことは現在課題とはなっておらない次第でございます。
  237. 三浦隆

    三浦(隆)委員 これはなかなかむずかしい問題だろうと思うのです。いわゆる学問研究を続けることによって平和な社会がいつまでも続き、われわれの人権が保障されていく、そういうふうなことが好ましいのですが、戦争というのはそれを根底から破壊してしまう。その場合、いわゆる研究、教育、特に軍事教育という、軍に関連するような教育というものがあからさまに共同研究という場合にはだめなんだろう、こう思うのですけれども、そうではなくて、ここに書かれるようないわゆる基礎研究としても、あるいはまたエネルギー関連科学あるいは宇宙科学、生命科学、いずれをとりましても、研究の仕方次第によってはいつでもこれは軍事的なものに利用される色彩を持っているものであると思うのです。そういう意味でこの辺の配慮、いまのわが国では余り課題、問題とはならないとしましても、これから将来的には軍学共同研究、特に学際研究というのは大きな論議を呼ぶようになると思いますので、将来を踏まえながら、私まだ現在のことはよくわかりませんけれども、ひとつ十分に文部省としても御検討、御研究をされてほしいというふうに考えます。  そういうことで、私の質問はこれをもって終わらせていただきます。
  238. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 せっかくの御注意でありますが、断じてさような方向に行ってはならないという考えでございます。
  239. 葉梨信行

    葉梨委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十一分散会