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竹下国務大臣 まず最初の、いわゆる財政の果たす役割りという
意味から言えば、税金を取ってそれをもろもろの施策に支出していくということは、ある
意味において御案内の富の再配分、こういうことであろうと思っております。したがって、富の再配分の問題からすれば、おのずからそこに政策選択の順位が生じてまいります。そして一方、この
年金という問題は
社会保険制度の
仕組みの中でわが国の場合はやっていこう、こういうことになっております。
よく
議論された話でございますが、たとえば健康保険
一つをとってみましても、最初は大企業が、これは安田生命かどこかでございますか、自主的にお始めになって、月給の五%ずつを差し引いてそれを積んでおいて、そしてお互い病気になったときには連帯の責任で
上田内科とか
竹下内科とかを指定しておいて、そこへ行って診てもらえば非常にいい
制度だ、それは大変いい
制度であったわけです。そこからやはり
国民皆保険にしようという思想が出てきた。そうしてなかんずく、いわば
日本統一保険にすればいいじゃないか、こういう
議論が出てくる。そうすると一方、内容のいい大企業の健保などから見ますならば、それは給与は高いし、したがって
掛金は高いし、身体検査して丈夫な人をとりますし、ポンコツになりそうになるときには定年になるしと、こういうことになればその内容はいい。それで、しかし統一するとなれば、われわれは国庫補助なんかは一銭ももらったことはないという既得権に対する
一つの抵抗が生じてくる。そういうのをいろいろな歴史的積み重ねの中で徐々に
国民連帯の保険にしよう。
私は、
年金制度の
仕組みにしても、その成立した淵源から見れば、それぞれいろいろよって立つ
基盤も違っておりますし、大ざっぱに言えば、
負担する方が多くて
給付を受ける方が少なければその保険財政は健全だということになりますし、逆の場合は不健全さを増すし、そこで
国民連帯の責任でひとついまおっしゃいましたような全体像を描いてやっていこうじゃないかという環境がいまやっと熟してきたんじゃないか、それの第一歩であるというふうに御理解をいただきたいわけでございます。
と同時に、いま御
意見を変えての御質疑の中にございました、言ってみればそれはただ金目で
議論するだけの問題ではなくして、やはり総体的には
年金制度の全体像という以上に暮らしのビジョンとでも申しましょうか、暮らしの全体像あるいは
日本国民全体の
老後対策に対する全体像、そういうものの中に位置づけされて、初めてほのぼのとした幸せを
感じて
老後を過ごしていくような社会ができるではないか、これは私も同感であります。
それがさて、いろんな国に比較してどうなっているか。これはまた比較のしようでございますけれども、私は、かつては社会保障あるいは揺りかごから墓場までと言われたイギリス
一つ考えてみますと、租税
負担プラス社会保険
負担、これが大変高くなって、言ってみれば隣のおじさんを自分が養っておるという
感じからして、イギリス病すなわち勤労意欲の低下をして、七つの海を支配したイギリスも一人当たり所得ですれば
日本の八割五分ぐらいしかない、こういうことになったので、その国々の暮らしの全体像というものの立て方というのは、そういうところを追いつけ、追い越せと今日までやってまいりました。
だから、数字の上における水準は追いついてきたという面がたくさんございますが、内面的な暮らしの全体像ということになりますと、これは、
日本は
日本の地域なりあるいは面積、人口密度、全部を勘案したビジョンは、これはお互いが描いていかなきゃならない政治的な
一つのビジョンだということでは私も同感であります。そういう大きなビジョンをお互いが
議論の中で
国民に理解を受けながら示していこう。言ってみれば、その
一つの側面としての
年金の全体像、それに進んでいくためのまず
一つの第一歩というふうに御理解をいただいたら幸いこれに過ぎるものはない、こういうふうな理解をいたしております。