○
長谷川信君 戦前、戦中、戦後の激動なこの時期を乗り越えて
総理になられた
中曽根総理大臣に、
考え方について若干の御質問を申し上げたいと思うのであります。
総理は戦争に行かれて経験をされたのでありますし、私も生まれ年は
中曽根総理と同じ大正七年であります。ただ
総理は海軍少佐でありますし、私は一兵卒でありまして、戦争に行きまして潜水艦で三回もやられまして、まあ九死に一生を二回も経験をしたんでありますが、まあ同じ体験をされた
中曽根総理が
総理になられて、私も大変感慨深いものがあるわけであります。
三十七年前に日本の国が戦争に負けて、そしてもう着る物もなかった、食べる物もなかった、そして住む家もなく、大変な時期をいろいろ経過をいたしておったわけであります。それから三十七年たちましたら、まさに今日のような、世界GNP第二位、個人所得の計算からすればアメリカと比べてもそう遜色がないような
状態までのし上がった。そして物価も、まさに世界各国、ヨーロッパ、EC各国と比べましても、まさにその安定度は世界一の
状態にある。また民主主義もこの三十七年間の間に定着をいたしまして、この日本のいまの言論界でも、大臣でも
総理大臣でも、幾ら悪口を言っても何ともないような自由な日本の国になった。もしこれがモスクワでブレジネフの悪口を一時間も街頭で演説をやったら、あるいはひっくくられるかもわからない。あるいは共産圏のある国で幹部の悪口を言ったら、たちまちいろいろ問題が出るかもわからない。それだけ日本の国は民主主義も定着をし、所得もふえ、まさに私は、戦争に負けた国がわずか三十七年間でこんな
状態になった経過あるいは歴史というものは、人類の歴史、世界歴史の中のどこのページにも書いてないと思うのです。これは国民一人一人の努力であることはもちろんでございますが、しかし、三十七年間政治を担当したかじ取りもこれまた間違っておらなかったことを、私は本当に国民の皆さんが理解をいたしておりますし、また理解を深めていただきたいと思うのであります。
そういう中で、ずっと経過をたどってきたわけでございますが、昨今どうもやはり若干世界不況のあおりを食らって、わが国の経済も若干のかげりが始まった。そして貿易の問題、あるいは国防の問題、財政の問題等々、戦後まさにかつて経験のしたことのないようないろいろ難問題が山積をいたしていることも御案内のとおりであります。ちょうどその時期に
中曽根内閣が誕生いたしたわけでありますので、私は
予備選挙で国民の、党員、党友の圧倒的な支援を得られたと同時に、また国民の支援を得て出られた
中曽根総理、
内閣を組織され、大変いま張り切って
仕事をやってらっしゃることに敬意を表するものであります。
いつでしたか
総理はお話しなさっていましたが、いまの時代はまさにノーダウン満塁スリーボールで、もう本当に後にも引けないし、もう一球投げ損なったら大変なことになる時期に引き受けたので、まさに身の引き締まる思いであるとおっしゃっておられましたが、まさに本当にしみじみそういう感懐も深めておるわけであります。
まあしかし、
総理もいつかおっしゃっておられましたように、日本の歴史をずっと見てみますと、たとえば大化の改新のときには、やっぱりあの激動の中でもってちゃんと日本の国は守り抜いたし、その問題の処理をやった。明治維新のときも、これはもうまさに日本の国がどうなるかわからないような
状態の中を、明治の若い
政治家は衆知を集めてあの激動の中を一滴も血を流さないでこれを乗り越えた。そして第二次大戦で戦争にべた負けに負けて、食べる物もなかった、私も
総理も経験をされたのでありますが、芋のしっぽから大根の葉っぱまで食べてがまんをした、そういう経験の中で当時いろいろの
政治家が出られ、あるいは
吉田総理も適切な、しかも先見性のある、そして勇気もある施策をとられて方向づけをされたのであります。そういうことをいろいろ
考えてみますと、まあこの難局は乗り越さなければならないし、また必ず乗り越すことができる、そういうときに中曽根さんが
総理になられたのでありますが、
総理の先見性と、そして英断と決断と、これを国民は期待をいたしておると思うのであります。
私は、これはたしか
総理が書かれた、「正論」という雑誌の五十八年一月号、まあ非常に読んでみまして感銘を深めたのでありますが、
総理にかわって私が若干読んでみますのでお聞き取りをいただいて、なお思い出していただきたいと思うのであります。
日々の生活のどこかで、変革の巨大なうねりを感じているに違いないし、切実な危機感を抱いているに相違ない。
その危機感とは何か。それは、一体これからの日本はどうなってしまうのか、日本はもう行き詰まってしまったのではないか、成長は停まり没落が訪れるのではないか——という不安であり、どうすればこの危機と混乱から抜け出せるのか、その突破口はどこにあるのか、どちらを向けて走ればよいのか——という焦燥感であり、閉塞感ではないのか。
世界史に例のない急速な経済成長に成功し、いまやGNP(国民総生産)がアメリカのほぼ二分の一、国民一人当りのGNPではアメリカと肩を並べるまでになったにもかかわらず、なぜ家庭生活の豊かさを実感できないのだろうか?
アメリカやEC諸国などがますます強硬に日本の輸出抑制と輸入増大を要求しているが、この先、日本経済は、
自分の働いている会社は大丈夫なのだろうか?
自分の選んだ職業は果たして将来生き残れるのか? 不況はもっと続くのか?
税収が大幅に減ったために大増税が行われるのではないか? 増税なき財政再建なんて出来るわけがないのではないか? 国債ばかり増えてインフレが起こりはしないか? 貯金はもっと目減りするだろうか? 行政改革でもっと不景気になるのではないか? これからベース・アップは少なくなりそうだが、一体ローンの支払いをどうしたらよいのか? ロボット、メカトロニクス、光ファイバーといった技術改新、オフィス・オートメーションの進行によって、
自分の職場は将来消えてしまいはしないか? 就職難がもっとひどくなりはしないか? これからの米づくりはどうなるのか? 畜産や果樹栽培は輸入が自由化されたらどうなるのか? こんなに燃料が値上がりし、二〇〇カイリ時代になった水産業は先細りなのか? 鯨はもう獲れなくなるのか? 子供たちはどんな教育を受けさせておけば次の時代に生き残れるのか? こんなに教育が荒廃していては次の世代を担う
人材は育たないのではないか?
等々いろいろ書いてございますが、
老後の設計をどうすればよいのか? 支持政党なし・政治に無関心というシラケ型の人がこれ以上増加すると日本の民主主義は危機に立つのではないか? 日本もやがてイタリアのように共産党が進出し、政治と経済が低迷し、過激のテロが横行するのではないか? 戦争に巻き込まれる心配はないか? 有事立法さえ不備な自衛隊で日本の平和が守れるか? いざという時アメリカは日本を守ってくれるだろうか?……。
日本人がいま抱いている不安感、危機感、イライラの対象は、ごく身近な家庭の日常生活の問題からはじまって国家百年の大計にかかわるものまで、際限がないといってもよいほどである。しかし解決の曙光を見出せないままに、危機感はさらに増殖し、深刻さを増しつつある。政治に対する不満と不信は確実に増えている。日本の戦後民主主義はこのように最大の試煉と危機にさらされつつある。
というような、いろいろ書いてございますが、全く
総理、五十八年一月号に書かれたのが今日そのまま当てはまるような感じがいたすわけであります。だから、こういうまさに明治以来、あるいは第二次大戦後、最大な難局の時期は
総理になられた
中曽根総理から、いろいろこれからの対応についてお
考えの一端をひとつ御披瀝を賜りたいと思うのであります。