○山中郁子君 サラ金がその調停の大きな部分を占めて、国民の生活を守る上での
役割りを果たしているということを裏返せば、サラ金の問題がふえた分だとすれば、それじゃやっぱり調停というのは、同じようにサラ金というのは新しい社会現象であり新しい問題点として出てきているわけですから、やっぱり変わっていないという
件数の増加ですね。そういう
意味で私は、だからサラ金の
件数が多くもしなるとすれば、それは大変社会現象として残念なことで、これは解決していかなきゃいけないことで、そのために
簡裁が役に立つということはもう当然そうしなきゃいけないことなんですけれ
ども、そういう
意味で申し上げているんです。
というのは、ここにこれは「
簡易裁判所」——「庶民の
裁判所をめざして」というサブタイトルがついております
日弁連の編集をいたしました本がございます。もちろん皆さん先刻御承知のとおりだと思いますけれ
ども、これは五十年に
日弁連が第三回司法シンポジウムを「
簡易裁判所をめぐる諸問題」というテーマで開いたときの内容をまとめたもので、歴史的究明と綿密な実態
調査によって
簡易裁判所の問題と、それから理念あるいは現状を浮き彫りにしたものであるというふうに書かれておりますけれ
ども、本当にそのとおりだと思いまして、大変啓発されるところが多いのです。
この中で、たとえばこの口頭受理の問題で、これがその
目的どおりに行われるとすれば、「庶民にとって
裁判所のしきいをとりはずし、より多くの少額紛争
事件を本来の解決ルートにのせるのに役立つであろう。」と。「ところが、その運用の実績は、」——
日弁連がかなり詳細に
調査をされているわけですけれ
ども、「運用の実績は、はなはだ不振というほかはない。
調査しえた範囲の
簡易裁判所のうち、口頭の申立による起訴の受付を
現実に行っている庁は、わずか約二割
程度にとどまる。
地方裁判所管内の全
簡裁を通じて口頭受理がなされていないという例も」千葉や甲府などにあって「稀ではない」と述べています。
そしてまた、「
簡易裁判所の陣容がおおむね手薄であるという現状のもとでは、多くの
簡裁が、口頭受理を万やむをえない場合の例外的
措置とし、積極的に拡充しようとする意欲に欠けているように見受けられるのも、決して無理とはいえないかもしれない。」という分析をされています。つまり、実際の
件数、サラ金問題などであなたがいま強調なされたようなのは、まさにそういう背景でありまして、実際にもっともっとたくさんの、
簡易裁判所の創設の理念に照らして国民が
裁判権の行使を簡易に行うことができるという、そういう積極的な
簡易裁判所拡充強化体制の充実ということが求められているにもかかわらず、
簡裁が「口頭受理に消極的でありつづけることは、庶民の
裁判手続への親近感をますます失わせ、一層多くの紛争を危険な非公式解決手段へ流出させる結果となるであろう。」という
日弁連の分析ですね、これをうなずかしめるものがあるというふうに私は思います。この点で、やはり口頭の受理が職員の不足のために行われていないというそういう現状に、やはりもっと率直に目を向けていただかなければならないと思うんです。
日弁連の
調査に基づく分析でも述べていますけれ
ども、「手続の簡易性は、職員不足によって阻害されている。」と言っているんですね。それで、「
現実には、
書記官が不足し、多忙な大多数の
簡裁では、これらの手続はほとんど実施されていない。
現場の
書記官の話では、訴の口頭受理をすれば、一件受理するのに少なくとも半日かかるし、場合によっては丁寧に
事案をきいて
処理すると、一日中かかってしまい、」、したがって他の仕事が手につかなくなる。だから、書いてきてくださいと、こういうふうになって、いわゆる口頭受理ということが行われないで、結局
弁護士に
依頼するか、あるいは司法書士の
協力を得なければならない。お金がかかる。訴訟することをまた断念する。そういう選択の余地しかなくなって、いわゆる
最初よく駆け込み
裁判所というふうに言われたそのイメージによる手続の簡易性が結局没却されてしまっているという分析をされています。
私は、やはり現状を
調査いたしましても、そういうことは事実の問題としてあると思いますけれ
ども、これらの実態をやはり単に訴訟
件数を機械的に
数字の上で、机上でもって計算するだけではなくて、これらの現状を十分踏まえた上で地裁との相対性でもって
簡裁の方に
事件を移して、それでよろしいんだ、あるいは
簡裁から地裁へ
人間が多少移動して
簡裁の人数が減っていても、それはそれで
簡裁を軽視したことにはならないんだということには絶対にならないと思いますけれ
ども、いかがですか。