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参考人(
大澤誠一君)
労務債の問題についてでございますが、私、
管財人になったときに各債権一覧表を見ますと、九十三億という数字が出ておりました。
夕張に着任しまして、いずれにしろ三億五千万の金しかない、それで、月々十四、五億の金が要る、こういう
事態でございました。それでやはり残炭の処理を極力ふやす
方法を考えました。そして
資金のショートを減らしてまいったんですが、それと退職金あるいは労災、健康保険あるいは鉱産税、固定資産税等の支払いもとめまして月々二億余り、まことに申しわけないことをいたしましたが、支払いをとめてどうにか今日までやってきておるわけですが、九月末に四億くらいの金しかなくなりまして、十月以降になると炭価アップの収入もあるかもしれませんけれども、いずれにしろ
賃金あるいは物品代というものも支払えない
状況になるのではないか、かようなことを考えております。
そういうような
資金状況でございまして、九十三億の
労務債がある。で、行きましてから調べてみますと、だんだんふえてきまして、いま現在よく言われておる百十五億七千万という数字になってきている。それで、先般この百十五億七千万は債権として認めた次第でございます。
そこで、この問題について
北炭社も、この
労務債についてはかねがね皆さん方も御理解願えると思いますように、これはやはり銀行に行ってこの金を貸してくれと言っても筋の通る話ではありません、また通産省の方に
お願いをしても、これはまた
お願いをする筋合いの金じゃないというふうに私は判断をいたしました。でありますから、やはりこの
労務債というものはだれが考えても
北炭社、親子
関係会社そろってこれに対処していただく以外に
解決の道はないというふうに判断をいたしました。で、
北炭社の社長の粕谷さんに
お願いをしてまいったわけですが、当時まだ粕谷さんは社長になっておられなかったので、それまではしようがないなと、こう思って、六月二十六日の株主総会を終わった以降今日まで何十回となし社長に
お願いをいたしてきたつもりでございます。それで、七月二十五日ごろになりまして、とても
北炭社ではこの問題は
解決できない。
三井観光の方の
山本社長に会って何か打開の道がなかろうかと。私は
北炭、北海道炭礦汽船株式
会社というのは本当の親
会社であってすべて采配を振っておられるというふうな
考え方も持っておりましたが、しかしいずれにしろ
山本社長に会ってもらいたい、またそのほかからもいろいろ話がございましたので、お会いをしようと。ところが出張や何かで延び延びになっておりましたのを、八月五日にお会いをいたしまして、
支援要請を
お願いしたわけでございますが、まあ
検討してみようというありがたいお
言葉をいただきました。それで何とかなるんじゃないかという期待も持ったわけでございますけれども、十日の日に口頭で新鉱の
支援はできない。しかしながら
支援ができないということだけでは私は困ると。と申しますのは、萩原さんの、いわゆる二百九億という買い上げ、そのときの名前は
管財人代理粕谷直之という名前で二百九億の買い上げ案と申すものがあちこちに飛んでおりました。私も六月十九日の日に知ったわけですけれども、
北炭の
会社の人ならばいざ知らず、
管財人代理粕谷直之の名前で買い上げの書類があっちこっちに飛んでいる。私はこのときにある人からも、
大澤、もうおまえ
管財人をやめたらいいじゃないか、こういう御
意見もあった。私もまさにそのとおりだと。ただ私はこのときに、金も、買い上げもさることながら、
閉山というものをぐっと表に出さず、私はその当時まで自分から
管財人として
閉山ということは死んでも言っちゃいけない、やはり初心に返った
更生会社というものであるべきであるというふうに考えておったつもりですが、何かしらその買い上げ案を見ましてから非常に奇異な感じを抱きました。がしかし、それはともかくとしまして、十日の日に
支援ということはできないということでございましたけれども、しかしながらやはり、
山本社長には申しわけないことでございますが、上におられる
萩原会長にも会った方がどうかというような御
意見も外部から私は耳にしておりましたので、しかしながら私からお会いをすることも若干筋も違うというふうにも考えまして、しかしながら何しろ
北炭社を統率されているお方ですから、もう一度
山本社長に、本当に萩原さんと御相談をした
最後の
最後の御返事をいただきたい、こういうふうに
お願いをしました。そしてまた、二百九億の買い上げで動いてもらっては困りますよ、その辺のまたそれはそれなりの動き方をされると、二点についてはっきりと問い詰めて御返事をいただきたい、こういうふうに考えて
お願いをしたわけですが、それが十三日の十一時過ぎにおいでになりまして、例の短絡云々というお手紙をいただいた次第でございます。私はその手紙をいただいて二、三分ですっ飛んで帰ったとか、そういううわさがいろいろ飛んでおりますが、私の
会社の方においでになったので五十五分、いつも五十分なり一時間半近いお話しはしているつもりでございます。
会社の方ですから、私が帰るはずがございません。
いずれにしろ、そのお手紙は非常に思い切った処置であって、私は何度も大丈夫ですかと。しかしながら、もうすでに
新聞記者会見も用意をしてきている、午後四時に。それで、やはり余り延ばすと期待を与える、この際やはり
支援はできないのだと、
現金の
支援はできない、こういうことを明確にしなければいけない、こういう御返事です。金の
支援はできないが不動産の譲渡なりあるいはまた不動産の別の使い方がひとつないか。ここのところはちょっと申し上げにくいことでございますけれども、いわゆる不動産
対策。それからやはり、
閉山になる場合の就職、
北炭関連会社における就職のお世話を願いたい。就職のお世話については全面的に
協力をする、各社の社長を招集して大いに
協力をする、しかしながら金の
支援はできませんよと、こういうことでございました。粕谷社長あるいはまたほかの
方々から頼まれておったことについての
回答はこのような次第でございまして、私はこのことは
一つの二十一日の
閉山の申し入れについての決定的なものでもございません。
ただ少なくとも、四月三十日以来、今後も前向きでいく金にしろ一銭の
支援もない。それからまた、いま八月十三日のことを申し上げましたが。本当に申し上げますと、やはり
閉山というあの書類を作成にかかったのは八月早々でございます。もちろん
北炭の方
たちの原稿も中に入っております。しかしながら私は、いよいよ申し入れするときに、
社内預金だけは何としてでも
管財人として持っていないと大変なことになる。幸いにして事件はいま現在起きてないようですけれども、これはやはり
一つのきっかけになる心配があるということを非常に危惧して、せめて半額なりの御
支援をいただけないか。それからまた、今後
閉山した後の福利厚生
関係とかあるいは坑内の撤収費、やはりきれいにして、
最後の掃除をしてお返しする、こういったようなことの
資金について、これは山元で計算すると十数億の金が要る、こういった問題も起きてきまして、これについても全くの
支援はできない、全然金の算段がつかない、こういったようなこと、あるいは前向きの話にしてもみんなかみ合わない。しからばやはり、ここで何か
事態を変える以外に道がない、こういうことで決心したわけでございます。やはり
労務債については何としてでも完済をしていただいて、将来の道を開けていたい、かように考えております。