○
戸叶武君 私はいまの国連大学の学長の講演も聞いて、あの黒人の中からあれほど教養の高い均衡のとれた知性人というものが、国連大学の学長にふさわしいような人が出てきたのに非常に私は大きな期待を抱いております。またインドネシアから出てきた副学長もりっぱな人であります。そういう点において国連大学を日本につくったということはこれは非常に意義あることで、やはり外国の優秀な学者なりその家族なりあるいは学生なり、東京に国連大学を設けて、そのブランチとして、夏休みが多いですから来て、いろいろフリーなディスカッションをやったり、あるいはほかへ家庭に泊まり歩いたり、あるいは講義を聞いたり、講義を聞くだけでなく、日本の農業のあり方、日本の工業のあり方、
公害との取り組みのあり方、そういうものと親しくやはり触れ合っていくところに触れ合いというものが、トインビーじゃありませんが、百聞は一見にしかずで、人々の心の触れ合いというものが私は新しい一つの文化交流の大きな流れとなっていくと思うんです。
そういう
意味において、たとえば国際的にアジアにおいても大きな貢献をするものは筑波の
公害研究所です。私は筑波大学の学長が若い人がなり、またこの
公害研究所に優秀な人たちが筑波大学でも筑波大学以外でも飛び込んだのを見て、これはアメリカにおいても宇宙科学から
公害問題へ一つの未来の夢を託して優秀な学究がなだれを打ってこの未来をかち取ろうというので飛び込んだときと同じように、これは筑波学園都市の中でうまいところを選んで、
公害問題の見本になるような、将来少なくとも諏訪湖以上に浄化しなくちゃならない霞ヶ浦もいいかげんにされておる、あるいは東京周辺の利根川べりもラインの沿岸の人々のグリーンパーティーの動きのようなものがまだ盛り上がってない、そういうときに、
住民運動と、こういういろんな水の問題、汚水の問題、そういうものと取っ組んでいく絶好の場所にあると思う。
問題は、東南アジアでは高度な教育を受けてもそれを雇ってくれるだけの政府の機能が果たされてない、むなしく学問を抱いて動きのとれないような始末になっているのがインドネシアあたりの若いインテリの軍事政権に対する抵抗の根底になっているんじゃないかと思います。それらに将来に希望を与えるためには、日本よりもっと楽な形においてすぐ実践ができるような人たちに対しても幾つかの資格を与え、政府がそういう人たちを活用していかなけりゃならないような、生活も就職もできる、そして意義あるそこのパイオニアとして
公害対策に対して貢献し、また
公害対策に対して次の役割りを果たし得るようなとりでを築くことがいま一番大切だと思います。
そういう
意味において、昔日本だって薬屋なんというのは大した資格を持たなくてもやれた。医学も、いろいろないまのような高い水準のものになるまでの歯医者さんだって簡単にできた。かえっていまじゃ高くて歯医者なんかにはうっかりかかれない。こういうようなのよりは、私はもっとめがね、レンズだって、西ドイツとスイスの職人の勘のある者を雇えばすぐに熟練工になるという、あの哲学者スピノザがやはりレンズ磨きだったけど。やっぱり大工でも職人でも、何か技術を持った人たちの神経というのは脳みそだけじゃなく血管の中に流れているんだから、一代じゃできないんだから、それを使ってみろと言ったら、たちまちの間に高度なレンズを——ライカなんて昔はわれわれが朝日新聞記者やっていてもなかなか手に入らなかったのが、ライカのレンズはもう日本から全部行くように、そういうふうな、電子科学が発達したからであるが、スイスの時計はもう日本の電子科学によって開発された時計にはかなわない。おれたちは装飾屋になるために山の中にさらにもぐろうというところまでいって、それを向こうで怠慢している間に、なるほどおれら日本人は昔ちょんまげ結って三百年の太平をむさぼったと言うけれ
ども、あの職人、あれがみんな、日本の今日のやはり暗算、そろばん、そういうもののあれが、頭だけの神経じゃなくて体の血管の中に流れて、本能的にやはり新しい高度経済、ドイツとは違った
意味における高度経済の成長は三百年の太平の中から培われたのです。
私は、教育は一番科学技術というけれ
ども、科学技術の基礎の中にもう少しやはり教育というものを、役に立つ教育、役に立つ技術を身につけさせることも必要だけれ
ども、そこいらはナイロビから帰ってからの原さんはいまの心構えでいけば相当私は成果を上げると思いますが、ナイロビに行く前にまああなたの代理、もっともわれわれは何といったって世代が違うんで、一緒に空オケみたいなものでもって歌を歌うことは余りできないんですから、やはり明治、大正から続いた夢、ロマン、日本人の根性を養って、新しい時代に適応する技術者をつくらなきゃならない。
それには、あなたが行く前には、ひょっと来ただけでも何でもわかっている
長官、偉いやつが日本にもいるんだなとあっとびっくりさせるように、やっぱりあなたにかわる若者をとにかくオブザーバーでもいい、外務省
関係の随員でもいいが、総理大臣や外務大臣を国際会議で恥をかかせないために、三通りや四通りのあるいはこうだこうだという急所だけはすぐ間に合うようなデータをいまからつくっておいて、ナイロビの前にいまの私はサミットが勝負どころであって——福田さんなんかなかなか秀才だけれ
ども、やはりあの時分のわれわれと同じころの第一次世界戦争のときになめた経験を基礎としてしか物を言わないから、インフレ、インフレと言っているけれ
ども。
インフレといって、いま上手に日本でもスイスでもドイツでも、うまくアメリカの手に乗らないで、ドルを基準通貨にしておいたようにして、無理な基準通貨論なんかやらないで、水鳥のように水が増してくれば浮くあるいは沈むという形で、金自身の操作に興味をアメリカの株屋なんか持っているらしいけれど、ロシアの方では持っている金をどんどん売っちゃう。中国においても無理して近代化やらなくちゃならないのに、いままで壁の中に張っておいた金でも、このごろはまがいもんじゃない、いいやつがずいぶん香港なんかでも出てきている。買いどきはいまだっていうもんだが、私はそういう点で日本人は達者だと思うんです。
私は原さんが行けば、原さんは温厚な人で、腹立てないで腹にしまって、ポンポンと言って、そして若者に感激を与えて、未来をかち取るような、やっぱり大将はいながらにして多数の者の才能を縦横に使役するというのが、これが将の将たるゆえんであって、そうすれば原宰相ができないとも限らない。やっぱり多数党の中に居眠りしちゃうと、原敬みたいに腹切るどころか殺されてしまう場合もあるので、自民党が、保守党がいつも総理大臣が殺されているのは絶対多数党をとったときに殺されているんです。まさか五・一五事件で犬養毅が軍人に殺されるとは本人自身が夢にも思ってなかったろうから、海軍の少壮将校にピストル一発ぶち込められて、話せばわかるというけれ
どももうそのときには息が切れちゃって対話ができない。死ぬ前にやっぱり自由に言いづらいことでも、勝手なことを言うやつでも話を聞くといって、そしてそれは腹にためておいて、手足のごとく有能なやつをして次の時代に育て上げるという政治家が——長期政権というのが議会政治じゃ一番禁物になっている。
私は、レーガンでもミッテランでも勝つということを、フランスの議員との懇談会においても、保守党が来ていれば共産党も来ているところで、共産党はえらい目に遭う、思い上がっちゃいかぬということも予見しましたが、予見できるのは——ジスカールデスタンさんなんかすばらしい官僚と情報網を、フランスの官僚ほどりっぱなやつはいないというほど持っていたけれ
ども、何しろ機械と頭だけで判断するんだから、やはり肉体の中の血管にまで本能的に入っている知恵がないからとっさには間に合わない。近代科学の中においてはここが山場だというときにはバンと打たなければもう水は向こうの方へ流れてしまって、後は拍子木で、そして火事は済みましたからお引き取りをと言われたら、日本の消防隊だって何にもならぬでしょうや。
そういうふうに本能的なタイミングを逸しない、ダイナミックな一つの直観、経験を、または直観の中に決断の中に政治的責任の中に将に将たる者は持たなければ、もう年じゅう受け身のへっぴり腰の答弁ばかり。あなたなんか余り模範生だから私はきょうみたいな発言は期待しなかったんだけれ
ども、やっぱり相当な時代を読める秀才だけあって百もわかっているんだから、今度はどういう形かで随行じゃなくてもいいけれ
ども先回りして——フランスで一番社会心理学的な教育なり犯罪の原点であるところの問題を大使館に行っても勉強しているのは自治省と警視庁から行っている役人ですよ、びっくりした、おれは。本当にもう、いままでのようないわゆるデカ根性じゃないんだな。本当にデカは役に立たない。このごろは警視庁も消防署みたいなかっこうになって交通事故、交通署になりつつあるが、交通取り締まりもうるさい罰金なんかばかりでやむと思うがあれは間違いだけれ
ども。
とにかくもう少し私は、日本の官僚も秀才がなるんだけれ
ども、この辺で質的転換をするのは、原さんが変わったんだからおれらが変わらなければ、とてもああいう生まじめな人が、生まじめでありながらそれなりに先取りをしなくちゃならない。ナイロビにまで出かけていくというんだから、本当にいまの国連大学の総長に会ってから行ってください。本当に黒人の中でこれほどの見識と良識と英知を持って、世界を相手に国連大学の学長になってもどこからも文句の出ないような人はもう出ない。インドネシアの副学長だってそうです。
私はその点では永井道雄君にもおまえ永井柳太郎より偉いなと言った。永井柳太郎、演説だけはうまかったけれ
ども、うまいだけの、三回も大臣をやったけれ
ども。あの死ぬときにも、私はこれは死ぬと思って聖路加病院に訪ねていって、私は昔から直言居士だから、あなたは三度も大臣をやったけれ
どもこれで一生を終わるかもしれないが顧みて一体何が残ったですかと言ったら、彼は爆弾に焼かれている聖路加病院にもう瀕死の状態にあるんだが、威儀を正しゅうして車いすに乗って出てきて、そして感無量のていであれを眺めていると、ネロほど悪いことはしないでいいことをやってきたのに、そういう人がなぜこのような目に遭うのか。
やはり政治家の生命は見識であり、経論を施すというだけの一つのエポックな転換期において、あの人がいたがためにこうなったというようなことを一つでも二つでも残していかなければ、やたらにこのごろは勲一等なんて喜んでいるやつがいるけれ
ども、後でもってみんな戦争が済んだら金鵄勲章の売り物が出たと同じく、はかないですよ。墓がなくなることが唯物論者のエンゲルスの理想だったでしょうが、それじゃかなわないからひとつ露払いのつもりで慎重に慎重を重ねて、何も随行じゃなくてもいいから、やはり現地に派遣して向こうの問題点、問題点はどういうふうに
処理されたかというのをぱっと外務省を手伝いに使わせて——外務省だけでは
公害問題できないんだから、何でも外務省の縄張りだけを拡大すれば外交だと思っていたらこれは大間違いなんだから、やはり国民外交というものはそういう古い
行政の枠内におけるあれを取り除いて大切なことに対しては備えなければ明日の先取りはできないと思うんで、あなたはやっぱりどんどん若いやつを感激させて、派遣して、余り
予算がないなんてけちなことは言わないで、そのときはまた後払いということもあるから。
このごろはふざけているんだ。日本の憲法からいけば軍事費なんていうのは、もとを崩すとか何とかいうのはあれは統帥権ですよ、統帥権の復活ですよ、事実上。渡辺君に言って、おまえうっかりあれ返事すると恥かくから、どうせ大蔵省ではおまえみたいなおもしろいずうずうしいやつはいないんだから、動物的感覚で物をやっていって、責任は臨調と土光の方に合わせていながらも、変なことをすると憲法違反で最終的にはおまえやり玉に挙げられちゃうぞ。憲法論争なんかやるべきでないんだ。マッカーサー憲法じゃないんだ。国連がもう戦争をやらないという前提、国連憲章をぶち上げて——万国があのときはみんな聡明で利口で謙虚だったんだ。それを母体として日本の憲法はできたんではないか。それを九条にけちつけるようなことは国連の精神を殺すことになるんで、日本憲法を、モデル的な憲法をつぶすことは国連の無力化、ヤルタ体制のインチキ体制に屈服して米英ソだけに勝手なものをやらせて、奴隷戦争をやらせるようなことになるんだから。
おれはおれ一人でも、腹切るのは痛いけれ
ども、とにかくもう少し、もう死んでも一向だれも嘆く者はないから、ソ連でもアメリカでも遊説でも何でもして行きたいけれ
ども、それは相手の国から——発酵しないといい酒ができないと同じく、やはり相手の国から盛り上がらなくちゃ、フィラデルフィアから盛り上がった、モスクワから、レニングラードから盛り上がったと。ポーランドなんかには手出せないですよ。手出したらソ連の手先と思われるような軍事政権でも、ヤルタ協定打破という形で何にも悪いことしないでいて最大の悲劇に民族が遭っているのはポーランドだから。われわれはポーランドは見ていられないと言ってやるだけで、全部の国が共鳴して、これはアメリカとソ連は孤立しますよ、あんなことはもうできっこないんだから。自分たちだけ安全でほかの人に迷惑をかける、こっちは非常な迷惑だ。
そんなことはよけいな脱線になるかもしれないけれ
ども、とりあえず可能なのは、廃棄物の
処理の問題は必ず中心課題としてなってくるときに、それの用意が外務省も防衛庁もできてないときに
環境庁だけはちゃんと用意はしているような、これにはこう答えてこう対処してこうすべきだという三通りぐらいの避難
方法を持ってぱっぱっとやれば、なるほどすばしっこいのがいるなということになって、私はこれが本当の一番いま無視されかかっているところの——まとまりがつかないようなんだけれ
ども、やはり危機に遭えば、乱世になれば忠臣がわかるし、貧乏すれば親孝行の子供ができるし、いまのようにマージャン賭博やゴルフ賭博に憂き身をやつしている限りにおいては人間の荒廃だけでもって、これは日本はどこからも相手にされなくなっちゃうですよ。これがあなた外交官から
事業家から——まあ外務省の場合は比較的そういうのはやらないけれ
ども、労働組合の幹部からみんなマージャン賭博の常習犯のゴキブリ政治家が横溢してしまっちゃ日本の先はなくなって、
公害はその辺から直さなくちゃならないけれ
ども、これをうっかり口外すると私は除名され——もう二、三回やられても平気ですけれ
ども、ここまで転げりゃもうおれの首を切ったやつが損するから刃向かうことはできない。やっぱり水戸光圀じゃないけれ
ども、本当のことを言ってコペルニクス的な発想の転換をやらなきゃ私は本当の変革はできないと思うんです。
どうぞ原さん、そういうふうに、私のいったことは余り腹を立てないで、据えかねるとは言わないでがまんして聞いてくれて、温厚だから大丈夫と思うが、積極的に明日の日本を担うような私は本当にエキスパートの官僚をつくってもらいたい。そうでなけりゃ政治家が責任を負わないで思いついたようなことばかり言っていたんでは長期的な計画も何もないし、世界でも相手にしなくなると思うので、いまこの
公害問題が内と外から、内よりも外から——ナイロビに行くというのはあなたきょうわかっているから行くんだけれ
ども、これはインドネシアよりナイロビの方はやはりフランスからの文化が流れています。イギリスからの文化のいいところも流れています。インドネシアだって中は大変です。よその国を安全と思っては間違いで、田中さんが行ったときでもあの始末でしょう。
田中さんの娘は偉かったと思うんだ。あれはあのとき何とか言っていた、物価、物価と言っておやじのところでささやいているんだ。物価問題のインフレが真っ最中でいまにも革命が起きようというようなときでしょう。やっぱり女の子というのは動物的、動物的というか子供を産む、体で受けとめる神経が発達しているから一個の女は霊感があるんですよ。渡辺美智雄君には、おまえずうずうしいけれ
どもおまえのは動物的勘だと言ったら、いや霊感だと言うけれ
ども、ああ動物にも霊感が出てきたかなと言っているけれ
ども、あれは苦労をして、どん底の苦労をしているから不死身ですよ。これはやっぱり強いものだ。
青嵐会の連中の中にはやっぱり玉置君のように人事院勧告を受け入れさせなければ、需給のバランスはできない。景気は、アメリカのまねだけしているのじゃなくて、やはり購買力というものが——余りふところにないやつが金を持てばおのずからそれを貯金、やっと貯金に回す場合もあるが、このごろ貯金がふえたというけれ
ども、買う購買力もあるので、高度経済成長政策のチャンピオンの割合を伸ばしておけというだけで、自分の方は国にやっかいになっても何らのそれに対する犠牲を払わないで、安サラリーマンにだけ税金をしぼり上げるようなことをしていちゃ、経済の原則からいってこれは重農主義であろうがマーカンティリズムであろうが根底は経世の学です。その時代のニーズに応じてやはりマーカンティリズムもフランスにおける重農主義も起きたのであって、いまの経済オンリーのエコノミカルデターミニズム、唯物史観というような単純な哲学的な論理では国の政治は救えないと思うんです。
あなたがナイロビに行くということはやっぱり勘があるんだなと、勘といままでの経験が危機をやはり
感じているんだなと思う。ナイロビに行った場合、インドネシアより先です。しかし、アジアにおいては曲がりなりにも軍事政権だけど、やはりもっと経済が安定するならば、インドネシアだって、特にタイだって、シンガポールを中心として新しい動きが出るし、中国だって千七百万ないし千八百万の華僑の大部分は福建、広東から出ているんです。あの連中は孫文革命の際は泣きの涙で故郷を去ったが、海外で成功した連中が資金を出して国の独立を念願したんです。そこへ帰ろうというのが辛亥革命あるいは第一次国共合作。国共合作とか辛亥革命とかという既成概念にとらわれるんじゃないです。民族一体となって燃焼して炎となって近代化をつくり上げなけりゃならない、大地に根をおろした現代路線をつくらなけりゃならない。この六、七十年間における試行錯誤はめちゃめちゃであるけれ
ども、いま毛沢東がどうだとか蒋介石はどうだとか、それぞれの価値があるんだけれ
ども、そういうことの議論ではなくて、いまこそ中国近代化のために三千年の文化道統を噴き出させなけりゃならない。
文天祥が持ったようなあの心意気、あるいは朱舜水が持ったようなあの需教の新解釈は朱子学の系統で、朱子の子孫だとまで言われているけれ
ども、それを四人組は壊したけれ
ども、今度は立て直してどんなものでも取り入れて消化して、日本人の胃袋が達者なように、中国人は胃袋は達者だけれ
ども偏食のくせがあるけれ
ども、やっぱり日本人のようにもっと生野菜を食べられるように果樹も安く食べられるようにやったら、現金が入るからみんな三時、四時に起きて上海の市場に農民は繰り出していますよ。私はびっくりした。やっぱり貧すりゃ鈍すで、最小限度いかに
法律をつくろうが強制しようが働らけと言おうが、衣食足って礼節を知るで、特にお百姓は現金をつかまないうちは、やっぱり現金になるようなことでなけりゃいかにおだてられても中国のような不安定なところでは宝を土蔵に隠すだけじゃなく、壁に隠したり、それがどんどん出ているんだ、いま香港では。金は幾らでもありますよ。
そういう点において私は百年の計は人を得るにしかなし、人と木ですよ。本当に緑のグリーンの——中国だってとっさに二十年ぐらい前に並木を敷いたけれ
ども、プラタナスなんかだから早く育ったけれ
ども、何にも大して使い道がないじゃないですか。もっとやはり日本のようなケヤキなりカシなりあるいはイチョウなりそういう木に切りかえなけりゃあの緑は本物にならないんだぞと言いましたが、木より大切なのは人間の生活を安定させ、感激を持たせればおのずから私は秩序というものはでき、
法律でもってふん縛ることだけやったら東条——あんな無責任野郎と言われてもいいような東条さんのような貧困な頭脳きりしか出てこない。あれは体の中へ神経が入ってなかった。
どうぞこれは原さん、私はきょうはあなたがナイロビに行くというので特に私は敬意を表する。アフリカの黒人の知能というものは大変なものですよ。フランスの公使をやっていた、美術
関係の評論家として大学の学者になろうとした外交官は、いまナポリの総領事で成功して以来、フランスのアフリカに対する工作はやはりマルセイユから行ってますから、それからフランスはわりあいに比較的ほかよりは悪いことをやってなかった。ナポレオンがポーランドで崇拝されるのは革命の解放軍として民族を解放したナポレオン、それはマルセイユの歌がやっぱり同じような……