○村上
公述人 村上でございます。
昭和五十七年度の
予算のうち、社会保障に関する問題について
意見を申し上げます。
新年度の
予算編成のうちで、特に金額も大きく、将来に対する影響の大きいものは厚生年金等の国庫
負担金繰り入れの減額であります。五十七年から五十九年までの三年間、通常の国庫
負担額の四分の一を減額し、この分は六十年以降に利息をつけて返済するという措置であります。
減額分が予定どおりに返済されれば問題はありません。しかし、実際に返済が可能かどうか。厚生省の試算では、厚生年金への国庫
負担は、五十七年度に比べて六十年度には一・七倍になります。五十七年度の四分の一を削って、これを六十年度に上乗せすると二倍半になります。現在でさえ
負担が苦しくて一部を減額しているものを、二倍以上にふえた時期に支払うことが可能かどうか。しかも、六十年以降も国庫
負担の額は五年ごとに倍増していきます。
もし計画どおりの国庫
負担が維持できなくなったら、それは
政府の
責任なのか。私はそうとばかりは思いません。国庫
負担は
税金、つまり
国民の金です。
国民に
負担する意思があれば履行できるし、
負担する気持ちがなければ、
政府が何と言おうと実行できません。それが小さな金目の金額なら
政府の
責任とも言えます。しかし、年金の
負担はそれほどの小さな金額ではありません。
それでは、どの程度の金額になるものか。いま、厚生年金の加入者が勤続三十五年で退職したとします。平均月収を二十万円とすると、年金月額は約十六万八千円になります。そのほかに、大抵の家庭では妻が
国民年金に加入しています。これも加えると、年金
収入は現在でも約二十万円、将来は二十万円を超えます。
仮に、ごく簡単に年金額が夫婦で二十万円、一人で十万円とします。年金の支給は、厚生年金では女性は五十五歳で男性は六十歳、
国民年金では六十五歳とまちまちですが、単純に六十歳としてみます。
昭和八十五年から九十年になると、六十歳以上の人口は三千五百万人になります。一人月に十万円、年に百二十万円を三千五百万人が受け取るとすると、その総額は四十二兆円になります。そのほかに障害年金とか遺族年金など、六十歳以下でも年金を受け取る人がいますから、これを加えるとさらに何兆円か多くなります。
厚生省の試算では、将来の年金給付額は厚生年金が三十一兆円、
国民年金が六・五兆円で、これに共済年金を加えると約四十五兆円になります。これに対して現在徴収している保険料は、全部の制度を合わせて八・四兆円です。もし仮に、いまのままの保険料の
負担でいくとすると、四十五兆円の年金支払いと八・四兆円の保険料との差額の三十六・六兆円が不足します。この三十六・六兆円という額は、五十七年度
予算で予定している国の
税収総額とちょうど同じ金額になります。つまり
日本の年金制度は、あるいは国の
税収の全部をつぎ込まなければ支払えないほどの大きさの規模に向かって進行しているわけであります。これはまことに異常な状態であります。
政府の
責任というより、
国民全体に課せられた深刻な
課題であります。
年金制度の財政に苦慮しているのは
日本だけではありません。
アメリカでは、数年前から年金財政の危機がマスコミに大きく取り上げられ、中年以下の世代では、将来の年金は当てにできないという不信感が強まっています。
アメリカでは、いまは三人の
勤労者の拠出で一人の年金受給者を支えているけれども、将来は二人で一人を支えることになる。いまの掛金率は給料の約一三%だけれども、将来はこれが三〇%にもなる。これはとうてい支払える金額ではないと考えています。
日本ではどうか。厚生年金では、いまは十二人で一人だけれども、将来は三人で一人になると言われていますが、これは本来の老齢年金だけの数字です。このほかに遺族年金、障害年金、通算老齢年金があり、全部を加えると、少なくとも一・五人で一人になります。
日本は
アメリカより寿命が長く、支給年齢は五歳も十歳も早いのですから、
アメリカよりずっと厳しい状態になるのは当然です。
〔
委員長退席、
小宮山委員長代理着席〕
アメリカでは、財政危機が来るといっても、二十一世紀に入って以後です。これに備えるために、給付の合理化や支給年齢の六十五歳から六十八歳への引き上げが検討されています。
日本ではどうか。
日本の年金財政危機は、もう目の前に来ていると言っても過言ではありません。
国鉄共済は、もうあと二、三年で年金が支払えなくなります。その次に困難が来るのは
国民年金です。
国民年金は一律定額の保険料ですが、各国の歴史を見ても、掛金が一律定額の年金制度が財政的に無理なことは明らかであります。
国民年金は、サラリーマン以外の全
国民に年金制度を適用し、
国民皆年金を達成するために実施された壮大な企てでありました。現在の加入者は二千八百万人。この中には、
所得の高い人もいますが、ごく
所得の低い人や
所得のない人も含まれています。この人たち全体に一律の掛金を求めるとすれば、掛金はごく低い水準にとどめざるを得ません。掛金を高くすれば、
負担についていけない人が脱落します。現に
国民年金では、
負担ができずに免除の適用を受けている人が一一・八%になっています。
国民年金では、毎年大幅な保険料の引き上げをしないと年金は支払えませんが、今後、保険料が上がるたびに脱落する者がふえていきます。二割も三割もの人が脱落すれば、社会保険としての体制をなさないし、それに、脱落して保険料が入ってこなければ、財政は一層苦しくなります。結局は、ある金額以上になれば保険料の引き上げはできなくなります。そこで、別の新しい財源がなければ、引き続いて年金を支払うことはできません。その時期は、五年ないし十年後には来るものと思います。
厚生年金は、
国民年金に比べればまだ余裕があるように思われていました。しかし、
状況が変わってきました。国庫
負担の問題です。もし今後とも
国民が
増税に応じられないとすると、急激にふえる国庫
負担は賄えなくなります。国庫
負担がないからといって、年金制度が成り立たないわけではありません。
アメリカのように、国庫
負担を入れるのは不健全で、労使の拠出だけ、つまり
自己責任で行うのが妥当な方法と考えている国もあります。そこで、もし厚生年金を国庫
負担なしにしてみたとします。労使の拠出する保険料だけで年間の給付が支払えるのは、仮に厚生省の試算どおりに保険料の引き上げが行われたとしても、
昭和六十一年までです。それ以後は、まず積立金の利息で補います。数年後には、それでも足りなくなって、積立金そのものに手をつけます。ところが、積立金は財政投融資の
資金として物に投資されています。道路や港湾や
住宅になっています。財政が苦しいからといって、道路や港湾を金にかえて年金を支払うわけにはいきません。厚生年金の財政も、
一般に思われているよりさらに厳しい状態にあると言わざるを得ません。
なぜ、これほどに多くの金がかかるのか。理由は、それだけ多額の年金が支払われるからです。生涯をサラリーマンで送り、これから退職していく人たちは三十五年勤続が普通です。この場合の厚生年金の額は、給料が二十万円の人で十六万八千円になります。妻の
国民年金を加えると、いまでも約二十万円になります。将来、妻の
国民年金の加入期間が延びると、二十二万円にも二十三万円にもなります。いまの
勤労者の平均月収は二十万円から二十五万円です。仮に二十万円の月収として、
税金と
社会保険料で約一五%差し引かれていますから、手取りは十七万円です。現役の
勤労者が妻や子供を抱えて十七万円で、その人たちの
負担する保険料や
税金で年金の支払いを受けている老人世帯が二十万円というのは、バランスを失った数字ではないでしょうか。いまや
日本の公的年金は、
アメリカよりも何割も高くなっています。かつては、年金でナショナルミニマムを保障すべきだというのが
国民の声でした。いまや、ナショナルミニマムなど言う人はいなくなりました。その水準はとうに超えてしまったからです。
これに対して保険料の
負担はどうか。いまの厚生年金の保険料は給料の約一〇%ですが、この計算でいくと、生涯の掛金が四年間年金をもらうと元が取れます。六十歳の男子は十八年半生きて、その後妻が遺族年金を何年か受け取りますから、平均して支給期間は二十年を超えます。つまり、いまの掛金は必要な
費用の五分の一にしか当たらないし、将来の成熟した状態では、掛金を五倍、つまり給料の五〇%に引き上げないと年金は支払えなくなります。
低
負担高福祉という
言葉があります。給付は豊かに、
負担はなるべく低くしたいと思う気持ちです。しかし、年金制度には妙案はありません。年金制度は
所得の振りかえの仕組みです。年金制度自身は何も新しい富は生み出しません。老齢世代が受け取るだけの額の
負担を勤労世代がしなければ年金は支払えません。
いまのままの状態で進むとどうなるか。年金の支払いは着実にふえ続けます。といって、給料の四〇%も五〇%もの
負担はとても不可能です。その結果、ある時期には、必要な
費用は徴収できないのに年金を支払わなければならない事態が生じます。これが健康保険のような短期の保険であれば、壁に行き当たった時点で対応することも可能です。しかし、年金制度は長期の保険です。掛金をして権利を取得する期間と年金をもらう期間は別々です。三十年間掛金を納めて年金の権利を取得した人に、過去にさかのぼって約束を取り消すことはできません。
もし金のないのに年金を支払ったらどうなるか。それは裏づけのない金の乱発です。結果は言うまでもなく
インフレです。
インフレで物価が二倍になったら、年金は実質的に二分の一に切り下げられます。しかし、そこで終わりにはなりません。年金は法律に基づいてスライドし、二倍になります。その結果は、もうとめどもない
インフレです。国の財政も
国民の
生活も完全に破壊されてしまいます。このような事態は絶対に招いてはならないことです。
従来の年金制度の感覚では、年金額が大きいほど福祉は豊かになるという発想でした。しかし、年金制度は振りかえの仕組みですから、年金が大きくなるほど勤労世代の
負担はふえ、手取りの
収入は少なくなります。いつの時代にも、
国民総生産、つまり物やサービスを生み出すのは勤労世代です。そして、勤労世代が生み出した物やサービスの一部を老齢の世代に配分するのが年金制度の仕組みですから、一方が大きければ
他方は小さくなることは避けられません。
従来の社会では、老齢者の扶養は家族制度の中で行われてきました。親子が
一つの財布を分け合い、
一つのかまの飯を分け合うのが老人扶養の姿でした。もし、せがれが稼いできた金のほんの少ししか親に分けてやらなければ、それは福祉ではありません。また、親が息子の稼ぎの大部分を取り上げて、息子が苦しい
生活をしているのも福祉ではありません。本当の親子なら、分配の方法にはおのずからルールがあるはずです。つまり、本当の福祉は、年金の大きいことでもなければ、
負担の小さいことでもありません。年金制度を通じて、振りかえの行われた後の勤労世代と老齢世代の実
収入、つまり手取り
収入が、両方の世代の家族構成や生計費のニーズの違いを考慮して、妥当なバランスを保っていることです。福祉とはバランス、これ以外にはありません。これからの年金制度を、給付の面でも
負担の面でも、そのようなバランスのとれたものにしていくことが絶対に必要であります。
いま当面している国鉄共済の財政問題は、他の共済年金と一元化する以外に方法はないと考えます。
国民年金については、まず可能な限りの
負担の努力をすることが第一であります。そして次の
段階としては、別途の新しい財源、私の個人的な考えでは新しい目的税しかないと思っております。もし、この種の税を
国民全体の
負担で行うとすれば、それを
国民年金だけに振り向けるのは公平ではありませんから、全部の公的年金に公平に配分し、すべての年金制度に共通する基礎的な部分の
費用に充てるのが妥当であると思います。
厚生年金や共済年金につきましては、給付水準を改めるといっても、ある時期に急激な
改革をすることはできませんから、バランスのとれた将来の姿を想定し、それに向かって計画的に
改革を進めていくことになります。長期の経過期間が必要なことを考えると、
改革には早急に着手しなければならないと思います。
これまでも、年金制度の
改革についてはさまざまの
意見が述べられております。今後年金制度の
改革を考える場合には、三つの条件が必要であると思います。
第一は、
費用の
負担の裏づけがあり、長期にわたって収支のバランスする計画の立てられているととです。年金制度は
所得の振りかえなのですから、一方だけ、たとえば給付だけを示しても案にはなりません。
第二は、一部分または一制度だけの
改革でなく、年金制度の全体について
整合性のある体系になっていることです。現在では、たとえば夫が厚生年金で妻が
国民年金というように、
一つの世帯の中に複数の年金制度が入り組んで適用されています。制度の側よりむしろ世帯の側から見た年金体系の見直しが必要で、特に女性の年金の位置づけを明確にし、現在のさまざまな不合理や不公平を是正することが重要です。
第三は、現状からの移行の方策が具体的に示され、実効性のある内容になっていることです。年金制度はそれぞれが長い歴史を持っています。これまでの経緯を一挙に覆すような
改革は受け入れられません。何年か前までは、年金に対する
国民の関心は、どこまで年金がふえるかでした。いまの関心は違います。いまのままの年金が将来ももらえるのだろうかの不安が強くなっています。サラリーマンの妻の中には、せっかく加入した
国民年金を、先行きが不安だからといってやめてしまう者も出ていると聞いています。国の制度だから間違いないといっても答えにはなりません。いまの年金制度はどう見ても収支の合わない姿になっているからです。本当に安心できる状態にするには、長期にわたって収支のバランスするような姿に戻すことです。
昭和五十七年度
予算は、
増税なき
財政再建という苦しい
状況のもとで組み立てられました。ゼロシーリングという要請から、厚生年金等の国庫
負担の一部を減額する措置がとられています。これは現在の特殊な
状況下でやむを得ぬことと考え、
昭和五十七年度
予算には賛成を申し上げます。そして、このことは、今後の年金問題の緊急度を一層早め、その対応へのより早い着手を
政府に求めたものと考えます。
高齢化社会というと暗いイメージが強くなります。確かに人口の高齢化は、
国民にそれだけの
負担を負わせることになります。いま
日本の人口は、毎年一%ずつふえています。子供が多く生まれるからではありません。寿命が延びて老人の数がふえているからです。老人は働かないで扶養を受ける世代ですから、老人のために人口が一%ふえ、国の総生産が同じなら、平均して
国民は毎年一%ずつ
生活水準を切り下げなければなりません。老人は扶養されるだけでなく、医療や介護などの
費用もかかりますから、一%でなく二%の
負担増かもしれません。しかし一方では、低成長とはいっても年に三%とか四%の実質成長があります。老人扶養の
負担増を差し引いても、まだ何%かは
国民全体の
生活水準は引き上げが可能なはずです。適正な分配のルールさえできていれば、年金制度は十分に安心して維持していかれるはずです。
年金制度は、いまの若い
勤労者も含めて、全
国民の生涯の
生活設計の土台になるものです。有利なようでも不確かなものでなく、つつましくても確実なものでなければなりません。このような方向に向かって、
政府におかれましても、また国会におかれましても、格段のお骨折りをいただけるよう
お願い申し上げる次第であります。どうもありがとうございました。(拍手)