○
大出委員 詳細に申しましょう。この記録を細かくしておる方は、名前を申し上げましょう、元海将補、海軍少将閣下です、日辻常雄さん。
飛行艇の専門家でございます。この試験実験というのは実は大村航空隊司令部でこの範囲でやったのでありますが、この日辻さんは大村航空隊の司令をおやりになり、海兵の六十四期の方でございます。この時代から
飛行艇の専門家でございます。最後は第四航空群司令でございます。
PS1
開発研究の当人でございます。
これは海上自衛隊の「安全月報」という
皆さんの内部
資料に長年月にわたって連載をされている。しかもこの方は後で本をおつくりになっている。これが書いてあるのは五十六年一月、
つまり去年、三年連続連載。「PX誕生記」、私はここに持ってきてほうり出してもいろんな方に失礼ですから写して書いてまいりました。そのとおり書きましたから要点だけちょっと読みます。
「PX誕生記」。会社の試作段階では
PS1はPXS、その前身UF−XS及び試作一号誕生までの状況。海上自衛隊の
飛行艇を使うことを決めたのは
昭和二十八年、これは例の海上警備隊発足のとき。それが翌年の
昭和二十九年七月一日に海上自衛隊と名称変更が行われる。新明和
——飛行艇の川西、ここで
昭和二十八年に新型
飛行艇と取り組む。そして、この人は、このときに
委員会ができた研究
委員の一人。耐波性の高い新型をつくる、こういうことになった。
そして、
UF1、UF2、P5Mというふうに当時は米国は優秀な
飛行艇を対潜哨戒機としてつくってきた。そして、P6Mというジェット
飛行艇のところで失敗をして、一号、二号機が
墜落をした。このとき、三十年の夏でございますが、
アメリカが新明和に頼んだ。徳田という技師さんが炎天下で防火用水のところで模型をつくって、一生懸命御自分が小さい
飛行艇を引っ張っている。そこへこの人がちょうど行き合わせた。そして聞いたら、
米海軍の依頼で始めたんだ、模型をつくったんだと言う。波消し装置の基本研究、これは成功しました。三十年から今度は高揚力、飛び上がるのですね、この風洞実験をやる、これも成功した。
この二つを合わせまして、さて、
日本でこれをつくるとすれば幾らかかるか、約八十億かかる。そうすると、八十億もかけられない、六十億くらいしか何ともならない。各部にPRをしたけれども、何ともならない。足らない分は
アメリカからと
アメリカに頼みに行った。三十二年に海自が非公式にこの調査を新明和に命じております。そしてその結果、
アメリカは三十三年六月、実地調査に参りました、何人もの方が。P5Mの
技術を
日本に提供しよう。そして、ここからがPXSの
日米共同開発になってくる。
そして、三十四年に海幕は、
日米共同開発を望むということを米軍に申し入れた。
共同開発を望んでいる。
米海軍は、詳細説明のため菊原博士を招請をする。この人は新明和の中心の
技術者であります。この人を
米海軍は求めた。そして、海上自衛隊と十分打ち合わせの上で菊原さんは
アメリカへ行った。そして
アメリカで長時間かけてP6Mの試作の話、
日本の
PS1と同じように
アメリカの新しい
飛行艇をつくる、そして、対潜哨戒機を急速に発展させなければ潜水艇対策ができないということを力説し合って、正式要請があれば
米海軍が資材と
技術で協力をする、足らない分は資材と
技術で出す、こうなる。そして試作に取り組もうということになった。だからSTOL性能の高いものをつくってくれ、こうなる。協力する。海自から正式な申し入れがあれば
UF1一機を実験機として提供する。波高四メートルぐらいでも着水できる、そういうのを何とかつくりたい。ここから始まる。
そして、一番最後のところを読みますと、波高四メートルの海上で感激の握手。
米海軍は当初からPXSの
開発に異常なくらい興味を持って協力をしてくれたが、中でもPXSの本命ともいうべき荒海の試験、これにはずいぶん苦労しているようです。細かく書いてあります。荒海の試験には注目したい。NASC、ネーバル・エアー・シスーテム・コマンド、これは調べてみますというと、
アメリカの海軍航空管理司令部、こういうわけでありますが、ここから、一人じゃないのでありますけれども、ロックさんという責任ある技官の方がおいでになりまして、実は試験を何年もやっているのですけれども、この派遣されてきた技師さんたちがみんなずっとついている。氏は試験期間中、支援艦「すぎ」に乗艦し、熱心な観測を繰り返し続けてきた。試験の成果は、NASC、
つまりアメリカの海軍航空管理司令部、ここに詳細に報告されている。四十三年四月二十六日、ついに試験最終日に到達をして、何と波高四メートルが観測された。横のうねりがあって、PXS、
つまりPX1の前身である実験機、この真横二百メートルに位置する「すぎ」、ここで観測しているわけでありますから、そこへおりてきたこの実験機が、四メートルのうねりのところをみごとにバウンドもしないで着水をした。非常に巨体を持っているロックさんがこの船の二階から飛びおりてきて、菊原博士とまさに感激の握手をして、これで
アメリカの
目的とした五メートルの波高に耐えられる、ついにそこまで来たということで両者は本当に感激の握手をして、
アメリカにお帰りになった。こういうことがちゃんと書いてある。間
違いも何もない。
そして、政治的
背景を
一つ申し上げます。なぜこれが
アメリカで量産に入らなかったか。
日本は大分つくりましたが、
日本は対
潜飛行艇PX1があるというのに何でP3Cを買うのか、問題はここにある。当時
アメリカは、ソビエトその他いろいろなことを考えて、海上、湖沼の上に位置して対潜作戦が行える大型
飛行艇でいくか、それとも陸上の
基地から飛んでいって潜水艦狩りをやる、そういう陸上から飛んでいく大型
飛行機にするかというのでしのぎを削った論争の最中。また、メサットを求めていろいろな軍人の間のあつれき。
日本の海自の中でも、そんなばかなものを何でつくるかという大きな争い、もう亡くなった方もいますが、みんな書いてあります。
そしてPXSが、三十五年からなんですけれども、本当のところは三十七年、八年、九年、四十年、四年間。五年目の四十一年に新防衛
計画ができているのだけれども、ここまでいった。これは最終的には四十三年であります。この間に、ロッキード社を中心にしていまのP3Cの展望ができてしまった。両者を比較するというと、対潜機としては明らかにP3Cの方がいい。だから
アメリカは、そこから大型の
飛行艇の対潜作戦というものを寸陸上から飛んでいく、長時間滞空に耐える、しかも大変な電子機器を備えるいまのP3C方式に大きく切りかえていった。本来ならば
日本は、これだけ国民の金を六十億も使ったんだから、採算見積もり八十億の足らない分は
アメリカから現物供与を受けたんだから、しかも
共同開発で
資料は全部行っちゃったんだから
PS1を使うべきなのに、何で不経済なP3Cを買わなければいかぬのかということになる。
こういうことをやっておって、四十三年四月二十六日、試験の最終日というのは何か。
武器輸出三原則は四十二年にできた。
石橋さんの
質問で何と言っているかといえば、
武器輸出三原則ができたのだから、そのとき以前にあった新
覚書だ、
協定だというもので抵触するのがあれば、このときに全部表に出してくる筋合いではないのかと言っているでしょう。そういうものはないんだからというのであなた方は流したでしょう。これは明確な
共同開発ではないですか。これ以外に
共同開発なんというものがそんな簡単に
存在しますか。しかも、
安田寛さんが提言をしているとおりに、だから残念だと彼は言っているのです。出し合ったはいいが、後みんな
向こうへ持っていってしまう、そんなばかなごとが許されるか、しかも、相手は新
覚書のときには、前とは違う、通常の研究資金を出すのだ、そして
アメリカの陸海空三軍の利益のためにしかやらなくなっているじゃないか、それでも援助とは何だと言って
安田寛さんは怒っているのです。そうでしょう。
こういうことをやっておきながら、ぬけぬけとやらないと答える。知恵を出し合って話し合うぐらいのことはあったかもしれぬがと。私は、そういう
装備局長はやめてもらいたい。
しかも、私は三十八年に国会へ出てきたけれども、内閣
委員会に入って足かけ十五年やったけれども、十五年間ついにだまされ続けた。以来、予算を始めてこれまただまされ続け。歴代の防衛
長官もだまされっ放し。そうでしょう。亡くなった池田さんのときからだ、ぼくは。池田さんから始まって、歴代の
総理みんなだまされっ放し。国民も全部つんぼ桟敷でだまされっ放し。しかも、
安田さんが物を言わなければ
資料交換協定、
交換公文も出てきやしない。これは全部秘密だ。三十二の細目もわからない、何にもわからぬ。六十億、国民の金を使ったこともわからない。そんなばかなことで、これから
技術開発だ
云々だ、
共同開発、冗談じゃない。私は諸君に責任をとっていただきたい。本当に歴代の
防衛庁長官のなさったことを、みんなお並びになって責任をとっていただきたい。亡くなった
総理まで連れてきて私は物を言いたい。
一体そんな、ばかなことがありますか。
しかも、時間がないからもう
一つ申し上げるが、CI、これは簡単に申し上げるが、いまあるC1は三十機ぐらい自衛隊は持っている。配ってください。このC1の方は時間がないから簡単に申し上げておくが、反論があれば後で幾らでも説明する。これも証人がきちっといる。
C1は
アメリカがどうしても欲しい
飛行機だ。CIというのはどういう
飛行機かというと、C130という輸送機が
アメリカにある、それを小型にしたような
飛行機なんだが、
一つ大きく違う。STOL性能が高い。STOL性能とは何か。ショート・テークオフ・ランディング、六百十メートルで離陸できる。だから千二百メートルの滑走路があれば優に飛んでいってしまう。ベトナム戦争の経験で
アメリカは、ずうたいの大きいものばかり一生懸命こしらえてもうどうにもならない、ばんばん撃たれた、このC1型式がどうしてもほしい。このC1というのは、一枚目の右に書いてあるC46、これは
アメリカの
飛行機ですが、この後継機なんです。このC1を
アメリカはどうしても売ってくれと言う。ところが、
武器輸出三原則があるから売れないと
防衛庁は断った。売れなければノーハウその他の諸元をよこせというので、全部やってしまった。これはつくったメーカーがあるんですよ。
おたくには技本というのがあるでしょう。
技術本部です。
技術本部のいまの本
部長は何というのですか。いまの本
部長さんがこの方の専門家じゃないですか。何だってわかっている専門家ですよ。この方がSTOLという問題、
つまり非常に短いところを飛び上がる、この件に関してのまさに専門家だ。STOL性能の高いものをこしらえておる張
本人だ。前の
技術研究本部の責任者は堀さんでしょう。それから、この中に
技術関係
参事官の夏村さん、この間の例の新
覚書の調印者だ。国井
装備局長と夏村
技術参事官が調印している。この夏村さんは大砲の専門家だ。その次は岡太
技術関係
参事官、その次は番匠
技術関係
参事官、いまは冨田さん。岡太、番匠両君は航空工学の専門家だ。これを従えて技研本部はSTOL性の高いC1をつくった。どうしても欲しいというのでこの諸元を全部
アメリカにやった。それによって
アメリカがつくったのが、同じC130を原型にしておりますけれども、これは線引きで書いてあるのをごらんになると、出典が違うから大きい小さいはあるけれども、第一のC1中型輸送機の上の線引きしてあるところの横の機体を見ていただきたい。これと下の二枚目のボーイングYC14の線引きの機体を見ていただきたい。形もほとんど同じです。素人が見たってわかるでしょう。マクダネルダグラスのYC15、これも線引きを見るとほとんど同じです。
つまりSTOL性能というのを、
アメリカはないからどうしても欲しかった。そしてこのC1ができたのは四十八年、
アメリカのこの二つのうちの片っ方ができたのが五十一年、一年おくれてもう
一つ、こういうわけです。これも明確に証拠もございます。川崎重工が、これを渡してから書類は焼却をして今日ないと、こう言う。渡したことをお認めになっている。
皆さん、これは
一体どういうことなんですか。
武器技術は
アメリカにやってしまったじゃないですか、売り渡してしまった。YC14、15ができたのは五十一年、五十二年です。五十一年というのは三木さんの統一方針も決まっている。
私はここで
提案をいたしますけれども、先ほど、どうもおっしゃるとおりなら
共同開発だと
装備局長は言ったが、おっしゃるとおりに
違いない。私は名前まで挙げているじゃないですか。出典まで申し上げたじゃないですか。日誌のようにみんな書いてあるのを書いておられる。うそも偽りもない。私はそのとおり筆記してきた。だから
共同開発に間
違いないじゃないですか。壮大な
共同開発だ。やっているじゃないですか。何で一昨日私のいる目の前でぬけぬけとうそをおっしゃるのか。
防衛庁長官、あなたは、いままではなかった、これから新しくと言う。やっているじゃないですか。責任をとってくださいよ。責任を明らかにしてください。
総理、お聞きになったらわかるでしょう。国民をつんぼ桟敷に置いてこういうことをなさっておって、責任を明らかにしてください。その上で先ほど私、申し上げた新
覚書四十一年六月のもの、それから、先ほどこれまた私が
指摘をいたしております例の
交換公文に基づく
取り決め本文、正式に申し上げますが、
MDAを踏まえておりますまずその
相互武器開発計画、
新聞にすでに載っております。この中の十三
項目、本当は十四
項目でありますが、実はなぜ私がこれまで触れるかというと、この中には魚雷の
開発なんというものが五、六年続いているのですよ、この十三
項目の中のホーミング魚雷。
これも正確に申し上げましょう。
アメリカの魚雷は水中速度が二十ノットぐらい、
日本海軍の魚雷は四十五ノットある。これは速いんだ。私は豊橋の予備士官学校の出身だから、当時から大崎に行って教わっておりましたが、確かにそのとおりだ。酸素魚雷、これは優足性が高い。優足というのは速いということだ。べらぼうに速い。航続距離は長い。だから、
アメリカは優足性の高いこれをどうしても欲しい。二十と四十五なんだからメリットが高い。ところが、
日本の方はホーミング装置を持っていない。だから目玉がない。目玉を
日本は欲しいから、
アメリカは優足が欲しいから一緒になった。それで製鋼所へ行ったのだ。行ったときに、片や電子魚雷というものがあって、酸素魚雷というものの
事故率その他が問題になって、これもやはり企業競争ですよ、つぶされたんだ。形式を言ってもだめなんだ。だから、
開発計画、そしてそれを引き継いでいる三十七年の
防衛目的のための
技術的資料、
情報交換
取り決め、これの
取り決め本文、
取り決め本文の中には先ほど私が申し上げている
交換公文にある
計画、これも出していただかなければ困る。そして、
取り決め本文とそれに基づく
附属書、これを私は新
覚書と一緒にどうしても出していただきたい。そうしないと、これはF15なりP3Cなり、みんな予算に絡んでいる。なぜこんなに高い
単価になるかわからない。お出し願いたい。これは重大な関係がある。
総理、
お答え願いたい。