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河上委員 御猶予願いたいというお話でございますから、次の機会でも結構でございますけれ
ども、
委員長、必ずこの法務
委員会でその報告をしていただくようにお取り計らいいただけますか。
金東雲氏は治外法権で守られている外交官であります。その方ですら、私は察するのですけれ
ども、恐らくは外登法の
規定による
指紋がもとで本人であることが確定されたのではないかというように思うのでありますが、無事の民の場合、そうした心配を持つのはむしろ当然のことだと私は思うのであります。現に私
どものところに知らされております幾つかのケース、一九八〇年十一月二十七日に奈良県で起きました
事件、在日
韓国人の
青年が金庫破りの犯人として逮捕されたことがありましたけれ
ども、それは以前勤めていた商事会社の金庫にその人の
指紋が付着しておったため逮捕されたということであります。幸いにして、真犯人がすぐあらわれたために、これは誤認であるということですぐ釈放されておるのですけれ
ども、金東雲ほど権力の中枢にある人でもそうした懸念を持つとしたら、
一般の市民の方が、外登法による
指紋押捺が、要するに犯罪者を前提とした犯罪のおそれありということでこれを押させるのではないかというふうに
考え、またそれがどこかで使われやせぬかという心配を持っても当然だと私は思うのです。
したがって、これは
指紋押捺が外登法
違反以外の犯罪捜査に使われないという保証は絶対必要であることは言うまでもありませんけれ
ども、しかし、
一般の方がそういうふうに見て、自分の一生のうちにこれが使われるのじゃないかというおそれを持ちながら
指紋押捺に応じていくのではないか、そういう配慮は今後持っていかなければいかないのじゃないかというふうに私は思うのでありまして、いま当局側の御答弁によりますと、どうもその辺ちょっとはっきりいたしませんけれ
ども、これはくれぐれも今後気をつけていただきたいと思うのであります。ここに
外国人に対する取り
扱いの
日本の伝統的な
一つの
流れというものが、はしなくも外登法の
指紋押捺と常時
携帯義務にあらわれていると私は思うのです。
先ほど私は御紹介いたしましたけれ
ども、私の友人で戦後早い時期にアメリカに留学した人が、これはそのころは十指で、
指紋押捺をこちらのアメリカの外交機関の部屋でやらされたのを忘れることはできないと言っております。しかし、そのアメリカでも、向こうで
生活している間は常時
携帯の
義務はなかったわけで、何か必要なときにはもちろんパスポートを持っていかなければいかぬということはありましたけれ
ども、そういうことはなかったそうであります。
徳川
時代からいろいろ
考えてみますと、これは
日本だけではなく、世界すべてそうであろうと思いますけれ
ども、
外国人の取り
扱いには
一つの
考え方の上で幾多の変遷があって、一番古いのは、
外国人というのは敵国人というふうに初めから見て、最近、近代でも戦争中は敵国人と見る。あのアメリカですら、アメリカ国民であるにもかかわらず日系市民を
外国人のスパイになる
可能性があるということで、十把一からげにキャンプへ送って悲惨な
生活を強いたのであります。
日本では、百年ぐらい前は平時でも
外国人を敵国人
扱いしたと思うのです。それから、
外国人というのは卑しいものだという
考え方もやはりかなりあったと思うのです。それから、
外国人というものは排撃すべきものである、
外国人は大体いること自体がおかしいんだというような感じで、排外主義をとった
時代もある。いわば賤外主義、排外主義という
時代。そしていまは、恐らくこれはかなり
一般化していると思うのですけれ
ども、相互主義でお互いにこの
程度にしよう、向こうがそこまでやるならこっちもそこまでやるというようなことでやっておるようであります。
今回の外登法におきましても、アメリカは相互主義をとっておって、自分の国民が
外国へ行ってやられた場合は、それと同じことを
国内で
外国人に対してやるという
考え方が
一つかなり強くあるようでありますが、しかし、今回
わが国でも批准をいたしました
国際人権規約というものは、まさに内外人平等主義に立っておるように思うのです。相互主義と平等主義は、大体いま
外国人を取り扱う
各国の
法律体系の
一つの主流ではないかと思うのですが、将来
日本としてはまずその域に達し、さらには平等主義へと進む気構えというものを示さなければいかぬのじゃないかというふうに私は
考えております。もちろんこれは私ひとりの
考えではなく、
法律専門家の間でもあるいは
一般市民の間でもそういう
考え方をとっているわけです。
そこで、大臣にぜひお願いしたいのでありますけれ
ども、今回の外登
法改正案は確かに若干の
前進があることは事実かと思います。しかし、私
どもから見ますと、
国際人権規約、特にB規約を批准して、これから
日本はさらに
国際化社会の中で生きていくためにこうしていくんだ、そういう姿勢にちょっと欠けるような気がしてなりません。ただ
事務を簡素化するとか、そういうような観点がどうも優先しているような気がしてならないのでして、どうか今後、今回の
改正案提案にとらわれず、ぜひさらに進むようにしていただきたいと思うのであります。最近、日米
経済摩擦というようなことで、非関税障壁なんということが非常に言われるようになりましたけれ
ども、この非関税障壁の最たるものはこういう外登法に
流れる
一つの
考え方、またその
考え方を支える——これは政府、お役人だけが悪いということではなく、
日本人全体の中に何かある
一つの
考え方じゃないか、これはやはり突き破っていかなければいけないというふうに私は思うのであります。
先ほど来大臣は、一部の不心得者のために大多数のよい方、その
人たちがかえって不当に扱われないようにするためにこういうことが必要なんだというお
考えでございますけれ
ども、それは
一つの
考え方でございまして、いま私が申しました幾つかの段階で言いますと、
外国人というのは良民ではなくて、何かどうも犯罪を犯しかねない集団である、もちろん大多数はいいかもしれないけれ
ども、やはりそういう者がまじっている集団である、そういう観念に立っておられるような気がしてならないのでありまして、その辺を百八十度、コペルニクス的な転回をしていただかないとこれはいかぬのじゃないかと思うのでありまして、先ほど大臣からいただきました日々に新たに、そのことでやっていただきたいと思います。
そして、お見せしましたこのポスターですね。この坊やはまだ小さくて、恐らく常時
携帯の
義務はないと思うのですけれ
ども、「私も、神戸っ子。」というこの子が大きくなるころにはそういうことは全くないように、われわれお互いの力でやらなければいかぬと思うのです。大臣、ひとつ最後にもう一度その点についてのお覚悟を示していただきたいと思います。