○三浦(隆)
委員 私は、外交もきわめて大切なことだと思いますけれ
ども、あわせて
教育もきわめて大切であります。
時間の制約もありまして触れることができませんが、たとえば明治二十四年の大津湖南事件というのを思い出しましたときにも、当時の
日本は大変ひ弱でありまして、またそうしたロシアの皇太子を警官が傷つけたことでロシアから何の無理難題を言われるか、むしろこの際はその警官を死刑にした方が
日本の国益に合う、危ないからという
意見があったようでありますが、それを当時の大審院長、児島院長ははねのけたというふうに言われて、いわゆる司法権の
独立を切り開いたというふうに聞いております。
また、戦後の国会におきましても国政
調査権との
関係で司法権との問題が浦和充子事件でも言われておるところですが、私は、立法権、行政権、司法権と並んで今日
教育権というのは、まだ四権
独立とまではいきませんけれ
ども、それは大変に高い地位を占めているものだ、このように思います。外交的配慮もきわめて重要ではありますけれ
ども、
日本のこれからのことも踏まえて
教育権の
独立ということもきわめて大切だ。この点ではむしろがんばっていただきたいと思うのです。
ただ、私が言わんとするのは、がんばるにはがんばり得るだけの理論性、根拠性を持ってほしいということなんです。すなわち、がんばるに値しないようなことをただ何となく無理やりにがんばり続けるというか、それだけではとても
説得力がない。むしろ
教育がきわめて危ない
状況に置かれるということを不安に思うものであります。
さてその上で、
教科書検定制度の問題についてお話をしたいのですが、時間も迫っておりますので、まず先に一括して、質問をいたそうかなと思った要点を述べさせていただきたいと思います。それで改めて振り返って時間がありましたときに要点についてお答えをいただきたいと思います。
教科書検定制度につきましてお尋ねしたかった第一点は、まず制度のあり方であります。
現在、
教科書制度にはソ連を中心とします社会主義国家群あるいはかつての
日本における国定
教科書の採用があり、
日本や西ドイツなどにおけるいわゆる
検定教科書のグループがあり、またアメリカ二十四州、フランス、イギリスなどの認定制度をとっているところがあるわけです。
さて、そこで今日の
検定制度の仕組みがどのようになっていて、そしてそれが国定
教科書にまさる
理由はどこにあるのだろうか。一般に国定
教科書と言われているものは、
教科書の作成は国が行うことと国定
教科書以外は使えないということにあろうかと思うのですが、今日の
検定教科書というものは、
検定という名におきながら、実質的に
文部省主導型の国定
教科書に近くなっておるのではないか、あるいは採択の過程の中で広がっていく過程あるいは
期間が延びていく過程の中でもだんだんと実質的に国定化していくのではないか、そういう疑いもありますので、それに対する御見解が聞きたかったわけです。
次に、教科用図書
検定調査審議会の
委員はだれが、いつ、どこで、どのような基準で決めるのでしょうかということ。それから現在どのような人が選ばれているのか、その人数、氏名、身分、待遇について明らかにしていただきたい。時間があれば、これだけでもお尋ねしたいのです。そしてその法的根拠はどこにあるのか。
それから
教科書調査官におきましても同じでありまして、むしろ
検定の実質的役割りを担う重要な
立場にあられようかと思うのですが、この方たちはどのような人が選ばれているのか、そうした人数なり氏名なり身分なり待遇を踏まえて、だれが、いつ、どこで、どのような基準で決めるのか明らかにしていただきたい。
同じようにまた、
調査員という制度もございますけれ
ども、この
調査員についても同じことをお尋ねしたいと思うのです。
もう
一つには、この審議会の
委員と
調査員の場合には教科用図書
検定調査審議会令というもので決まって、
教科書調査官の場合には
文部省設置法の施行規則五条の二で決まるようになっております。なぜこれだけが違った取り扱いを受けるのかという問題点。
それからまた、これが正確な記事かどうかわかりませんが、私の知り得た範囲内で今日問題となっております社会科
関係の実は
検定に携われた人九名のリストアップがございます。これを見ますと、高校教員一、高専教授二、大学助手一、大学助教授四、
文部省初中局一というふうな振り分けになっております。としますと、現行の社会科の
教科書を大学の教授が自信を持って書いた場合に、その大学の教授の書き方が過ちであると
指摘するのが、いま言った
先生方には申しわけないのですけれ
ども、こうした高校の
先生なり大学の助手さんにやられたのでは、教授にとっても何となく釈然としなかろう、やはり
教科書を書くのがもし仮に教授であるならば、その教授に対して十分なる反論ができるぐらいの学識を持つ人をこそ選んでいかなければならぬのじゃないかというふうな気がするわけであります。
それからこの
教科書と
法律による行政の
関係です。今日
教科書に係る
法律には、
教科書の発行に関する臨時措置法、
文部省著作
教科書の出版権等に関する
法律、義務
教育諸学校の教科用図書の無償に関する
法律、義務
教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する
法律、私の知り得ている限り、
教科書に係る
法律はこれしかないわけであります。すなわち
教科書法ないし
教科書検定法といったものが現在ないということであります。現在
教科書検定については教科用図書
検定規則といった
昭和五十二年の、たとえば
文部省令三十二号という命令があるのにとどまっております。きわめて大切なことを
法律ではなく命令にゆだねるということはきわめておかしいのではないか、このように思うわけであります。
この
教科書検定については
文部省設置法の五条一項、いわゆる「
文部省の
権限」で「教科用図書の
検定を行うこと。」とあります。また同じ
法律の八条十三の二では「初等中等
教育局の事務」として「教科用図書の
検定を行うこと。」とあるのですけれ
ども、
文部省設置法はもともと組織法でありまして
行為法ではございません。また、二つの規定とも
どもに「
法律に従ってなされなければならない。」とあるわけですから、同法は
検定における根拠法とはならないわけです。別に
法律がなくてはいけません。
そこで、法的根拠として援用されるのが
学校教育法二十一条等でございますが、その二十一条、これは「小学校においては、
文部大臣の
検定を経た教科用図書又は
文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」と規定するだけでありまして、
教科書検定について何らの具体性を持つ規定ではないわけであります。したがって、根拠法とはこれまたなり得ないのじゃないかというふうに思います。
すなわち、現在のわが国の体制は、かつてのナチスの授権法や旧
日本におきます総動員法のごとく白紙委任立法はもとより認めることのできないところでございます。しかるに
教科書検定については、かつて行政権が天皇の名を援用すればほとんど無限大の、無定量の
権限を行使することができたということから言うならば、天皇の名を
文部省と置きかえますと、同じようにどのようにでも
検定作業を進めることができ、合否の決定ができると思われるように至ったのではないかというふうに思います。こうしたことから、
文部大臣に圧力を加えればあるいは
文部大臣をやめさせ、かえれば
教科書改訂がなし得るというムードが起こってきたのではないか、このように思うわけです。
そこで、教科用図書
検定規則は命令形式なのですから、本来は授権法があって、その
法律の補充的規定、特例的規定及び解釈的規定にとどまるべきが通説だと思うのです。
また、同時にこの
教科書検定規則の中に八条三項、十条二項に「議を経て、」とございますが、
教育公務員特例法四条二項の「教授会の議に基き、」という似たような
言葉があります。「議を経て、」と「議に基き、」との違い、これもやはり大きなことかと思います。
さて、現行
教科書検定制度は、
法律による行政ではなく、戦前的な命令、通達による行政というふうに言えようかと思います。これを基本的に改めて、
教科書検定制度というものも
法律による行政を貫くべきじゃないか、そのように考えるわけです。
そういうわけで、今後の対応としましては、まず
教科書法あるいは
教科書検定法というものを制定促進する必要があるということです。
ただし、かつて
昭和三十一年
教科書法案というふうなものが出され、廃案になっております。これはきわめて不十分なところが多かったからであります。そこでこの際、
教科書検定についての
検定、採択等を踏まえて、
国民及び諸外国の人々にも納得のいく
法律をつくる必要がございます。
昭和三十一年の
教科書法案第五条には、「
検定の基準」として、「
教科書の
検定の基準は、
文部大臣が
教科書検定審議会に諮問して定める。」とあります。しかし、地方
教育行政法、例の地教行法の規定によります「
教育委員会の設置及び組織」の整った諸規定に比べますと大変に不十分であります。すなわちこの地教行法の
教育委員会規定によりますと、
教育委員に関しての任命の規定、任期の規定、兼職禁止の規定、罷免の規定、解職請求の規定、失職の規定、辞職の規定、服務の規定、
会議の規定など、重要な規定が述べられておるのに、いわゆる
教科書法案には全く欠けていたということであります。そのことは、現在行われている
教科書検定の規則、こうした命令も同じでありますので、正さなければならないと思います。
同じようにして、教科用図書
検定調査審議会の
委員の選任が現行では
文部大臣のみにかかっているわけであります。これも前回文教
委員会で質問しましたが、これを直ちに国会がその
委員の任命に対してかかわりを持てるように審議会のあり方を基本的に改めた方がよい、こう思うのでございます。前回、
文部省の見解は余り乗り気でなかったようであります。すなわち
教育に対する国会の干渉と受けとめたのかもしれませんが、これは明確な過ちであります。たとえばNHKの経営
委員、国鉄の経営
委員、運輸審議会
委員等、明確に国会がかかわりを持って任命を決めているわけでして、
教育というふうなものは、NHK以上に、国鉄以上に、国家の命運を左右するくらいの大きな意味を持つものであるならば、明確にこれは改めた方がよろしいと思うのであります。少なくとも、これを改めるだけであっても、今後
中国なり
韓国への
説明の過程において、
文部省の方針がかなり変わってきたということになろうかと思います。
相手は
説明してもだめだと言ってますますこぶしを高く振り上げておるわけであります。これで決着がつかないと、
文部省なりに圧力をかけてきて、一挙に、しゃにむに、極端に言えば超法規的にでも改めようとする動きが出てきてしまいます。そこで、この問題を打開するために、いわゆる
中国、
韓国の言っていることを前向きに検討いたしますと言うためにも、
教科書検定の制度そのものを基本的に改めてそこでの再検討をするということをぜひともやっていただきたい。
そのことが
文部大臣としてもきっと話し合いができやすい条件づくりになると思いますし、また
文部省も、積極的に
大臣を維持していくようなそうした前向きな検討をぜひともすることを心からお願い申し上げまして、時間が過ぎましたので、これで質問を終わらせていただきます。