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山原委員 あえて申し上げますけれ
ども、今度の
判決をもっていろいろな拡大した
解釈をすることなく、またそのことによって、率直に言っておごり高ぶる気持ちで
教育行政をやっていただかないように切に要望をしておきます。
そして、今度の
判決は、もちろん私
どもにとりましても抗議すべき内容を持っております。真っ正面から
憲法論その他に取り組まなかったという点については、
最高裁判決について私
どもなりに非常に抗議をしたいという気持ちも持っております。しかしこの
判決を見ましても、すべて
文部省が勝ったわけではない。
上告の第一点は、これはもう明らかに拒絶されている。第二点は
判定を出されていない。留保されている。あるいは「
省略」という
言葉を使われている。第三点については、
原則は
認めるけれ
ども、しかしこの点は
審理が不十分だから
高等裁判所においてもう一回
審理を尽くしなさい、こういうことですから、決してあなた方は全面的な勝利あるいは
ストレートに勝利したものではないということを申し上げておきたいと思うのです。
教科書の問題はそれだけにしまして、次に一昨日、お名前を出して恐縮ですが、三浦議員の方から京都の学校の先生のことしの広島教研集会におけるレポートの問題が出されましたので、私もちょっとお聞きしておりまして意外な感じを受けまして、私なりにレポートを取り寄せてみました。これらの問題についても当然それぞれの議員に意見があるところだと思います。しかし同時に、こういう問題の取り扱いについては少なくとも
教育の観点から取り上げていくという
原則を忘れてはならぬと私は思っているわけですが、その
意味でこのレポートを見ますと、このレポートは十五ページにわたる詳細なレポートなんです。その中で指摘されました点、それは約一ページなんです。それはここの非行の問題のところが出ておるわけでございまして、そういう点で記述そのものが正確であるかどうかという点は、これは私にもよくわかりません。それから
一つの学校の問題でなくて幾つもの学校の問題を書いたというようなこともあると思いますが、しかしそれがこのレポートの主ではないということですね。
それでたとえば「竹っ子学級の物語」という報告書になっておりますが、この先生に会うたこともありませんけれ
ども、この報告書を見る限り、小学校の非行の実態というところが問題にされておるわけですけれ
ども、そのほかのところでは、この先生がHという子供さん、これは万引きをした子供が見つかりまして、それを母親とともにスーパーへ返しに行くところから始まっておりますが、その母親が白内障、体が弱いということで、この子供はその母親をばかにして、ときには包丁を振りかざして殺してやるとかいうようなことをしている子供、この子供の、ときには尼崎へ逃亡する、おばあさんのところへ行ったそうですが、そういうところまで追われていきまして、この子供のために何とかこの子供を立ち上がらせようとする努力の記録、これがこのレポートのほとんどの
部分を占めておるわけです。私は読んでみましたけれ
ども、これはやはり
教育者としてのまさに
一つの血のにじむ努力の中身ではないか。ときにはもう
自分の
教育の失敗もみずから掘り出しておりますし、それからまたHという子供のさびしさというものをどういうふうにつかまえていくかということ、また子供たち、仲間同士がどういうふうにHをがんばらしていくかという中で、最後には非行のあらしの中でこのHという子供が図書
委員になったり、班長に立候補したりしていく、そういう子供たちの成長の姿、非行を克服していく教師と子供の姿が描かれているわけです。その子供だけでなくてM・Hの話、T・Kの話というふうに、学級の中で成長していく子供たちの姿を描いたものであります。
そういう点から見ますと、
部分的に確かにオーバーな表現その他があると思いますが、たとえば万引きの問題にしましても、実はこれは私の現在おる町のある学校です。りっぱな学校です。ところがここでも、これはそこに勤める若い先生が書いた本でありますけれ
ども、実は、クラスの四分の三近い子供が何らかの形で四年生までに盗みをしている事実を知ったとき、私は子供の置かれている
状況がこれほど深刻だったとは思いもしなかったというのがあって、私もショックを受けまして実際調べてみたのです、これは今度の問題からじゃありませんが。ところが、近くにニチイという巨大スーパーができまして、そこへ子供たちはほんとに気軽に行ってさっと釣り具なんかをとってくるわけですね。そうして成功しますと、君も行けという形で行く、その次にはお菓子を大量にとってくるというようなことが犯罪意識なしにずっと行われている。ところがこれがなかなか見つからない。それはなぜかというと、
自分の担任の先生に心を許し切ることができないと子供は黙っているわけです。しかし担任の先生とつながりが深まってきて先生を信頼すると、私もこういうことをやったと作文にみんな書いているのです。そこから今度盗み、窃盗という非行に対する対策が生まれてくるわけでして、いまの小学校における現状、大都市圏における現状というのは、オーバーな表現というよりもむしろそういうことがあるわけです。それを隠すことなく解決していく、こういう立場でこのものが書かれたのではないか。三浦先生が指摘されましたところにつきましては
誤りの
部分は
誤りとして正確を期さなければなりませんが、このレポートの主たる中身はそうではないということを私は認識したわけでございます、これはまた後で申し上げたいと思いますが。
ところがこの先生が、この問題がこういうふうに大きくなりますと、若い独身の先生でございますからやはり相当
精神的なショックも受けているのだろうと思いますが、ずいぶん疲れてもいて、一昨日校長先生のところへ年休をとりに行ったわけですが年休はもらえない。校長先生から、本日国会で追及をされるからそれに対応して質問があるかもしれぬから待機せよという返事が来るわけです。それから校長さんから、わび状を書いておけ、迷惑をかけたことについて改めてわび状を書きなさいということを言われておりますが、彼はこのとき年休を出して欠勤をしております。家で寝ているわけですね。ところがそこへ地方
教育委員会の
教育課長それから学校の教頭先生が来ました。彼はかぎをかけて鎖も入れて家で休んでおるわけですがそこへ来まして、管理人も呼びまして隣の家に入って、そして裏からガラスを破って入っているわけです。ずいぶん変なことになるものだなと思う。これは明らかに不法侵入でありますけれ
ども、そういう事態まで起こり、そして文書訓告、それから担任は外される。
処分という問題も学校の教師にないわけではありませんが、しかし、少なくともその辺の問題については全面的に把握をして、そしてそれが
教育的にどうなのかという問題から
考えないといけないのじゃないかというふうに私は思っているわけです。
これは
一言申し上げておきたいと思いますが、この点については
文部省、御
調査になりましたでしょうか、それでどういう
判断をされておりますか。