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1982-03-26 第96回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十七年三月二十六日(金曜日)     午後二時一分開議  出席委員    委員長 青木 正久君    理事 石橋 一弥君 理事 中村喜四郎君    理事 西岡 武夫君 理事 佐藤  誼君    理事 長谷川正三君 理事 鍛冶  清君    理事 三浦  隆君       赤城 宗徳君    臼井日出男君       浦野 烋興君    狩野 明男君       久保田円次君    高村 正彦君       谷川 和穗君    野上  徹君       長谷川 峻君    船田  元君       渡辺 栄一君    中西 積介君       湯山  勇君    有島 重武君       栗田  翠君    山原健二郎君       河野 洋平君  出席国務大臣         文 部 大 臣 小川 平二君  出席政府委員         文部大臣官房長 鈴木  勲君         文部大臣官房審         議官      宮野 禮一君         文部省初等中等         教育局長    三角 哲生君         文部省学術国際         局長      松浦泰次郎君         文部省社会教育         局長      別府  哲君         文部省体育局長 高石 邦男君         文化庁次長   山中 昌裕君  委員外出席者         青少年対策本部         参事官     阿南 一成君         厚生省児童家庭         局母子福祉課長 横尾 和子君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 本日の会議に付した案件  公立学校学校医学校歯科医及び学校薬剤師  の公務災害補償に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第四八号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 青木正久

    青木委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件につき調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。佐藤誼君。
  3. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 文部大臣所信表明について質問いたします。  大臣所信表明、これは文章にされていますから、逐一お聞きもしましたが読ませてもいただきました。ただ、この所信表明の中に直接憲法教育基本法に触れた個所はありません。しかし教育行政憲法教育基本法に基づいて進めるのだ、こう確認し理解してよろしいですね。
  4. 小川平二

    小川国務大臣 申すまでもなく仰せのとおりでございます。
  5. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 所信表明の中に幾つかの項目がありますけれども、その中に文化の振興とかあるいは教育学術文化国際交流推進などという項目なり内容がありますが、いままでの質問者も言われましたけれども、残念ながら平和あるいは平和教育、こういうのが所信表明にもなかったし、この文章にもないわけです。私は、いま重要なこの平和問題に対して軽視しているあらわれではないのかというふうに考えざるを得ないのですが、その点どうでしょうか。
  6. 小川平二

    小川国務大臣 これもまた改めて申し上げるまでもないことでございますが、今日わが国教育は、教育基本法第一条が掲げておりますように、平和な国家、社会形成者として必要な資質を培う、これを目的として行われておるわけでございます。児童生徒発達段階に応じまして平和の尊重すべきことを教えておるわけでございまして、たとえば中学校の学習指導要領では、「各国民相互理解協力が平和の維持人類福祉の増進にとって大切であることを理解させるとともに、日本国憲法平和主義についての理解を深め、我が国の安全の問題について考えさせる。その際、核兵器の脅威に着目させ、戦争を防止し、平和を確立するための熱意と協力態度を育てる。」、かようなこと等を指導することになっておるわけでございます。  私が所信表明におきまして特に平和の問題に言及しておりませんのは、たとえば基本的人権の尊重すべきこと、民主主義の堅持さるべきこと、これらの問題について、これを当然のこととして特に言及しておらないのと全く同じでございます。
  7. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 続いて平和の問題について質問いたしますけれども文化という言葉がありますから、私は平和は文化を育てる器であると考えるのです。平和がなくては文化も学問も育たない。特にこのことは、いま文部大臣憲法教育基本法平和主義、そしてまた、この憲法を遵守する上での教育重要性指摘されたわけでありまして、私はいまの文部大臣答弁を聞いておりまして、所信表明の演説にもありませんでしたし、また文部大臣所信表明文章にも平和並びに平和教育重要性言葉としてはなかったけれども、そういうことについては表明並びにこの文言に書いてあるのと同じことだというふうに理解していいですね。
  8. 小川平二

    小川国務大臣 繰り返しになりますが、本来わが国教育憲法並びに教育基本法基本理念でございます平和の尊重、平和維持協力すべきことを旨として行っておるわけでございますから、特にそのことに言及をいたしておらないわけでございます。
  9. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは続けていきますが、第十八回ユネスコ総会は一九七四年十一月十九日、国際理解国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告を採択しているわけであります。その採択された勧告の中に幾多の指導原則がありますが、その指導原則の6には、具体的にたとえば、「教育国際理解及び世界平和の強化に貢献すべきであり、すべての形態及び表示による植民地主義と新植民地主義、あらゆる形態及び種類の人種主義、全体主義及び人種差別政策並びに国民的及び人種的憎悪を醸成し、かつ、この勧告目的に反する他のイデオロギーに反対する闘争における諸活動に貢献すべきである。」、これは一例ですけれども、こういう内容を持った勧告が採択されているわけであります。当然ユネスコに対して、日本加盟国でありますから、この勧告に従ってしかるべき措置をしなければなりませんし、また、この勧告の中身によれば、その行った措置について総会報告すべきだということも書いてあります。したがって、どのような措置をされ、そしてまた総会に対してはどのような報告をされていますか、簡潔に御答弁願います。
  10. 松浦泰次郎

    松浦(泰)政府委員 先ほど先生指摘のとおりユネスコ活動教育、科学、文化を通じまして相互理解を深め、世界の平和と福祉に貢献するというのが根本目的でございます。それを受けて日本昭和二十六年でございましたが第六十番目の加盟国として加盟いたしておりますが、それ以前からすでに民間団体活動を通じまして、ユネスコ目的とする平和を確立するための諸活動推進してまいったところでございます。  このようなことで、この勧告に基づく措置につきましては、御存じのとおり憲章規定によって五十年の第七十五回国会報告いたしますとともに、各都道府県教育委員会及び国立大学それから民間団体等関係機関勧告文を配付しましてその周知徹底を図り、従来から進めてきた事業を積極的に推進するという指導をしてまいりました。また、それ以外におきましても「国際理解教育の手引き」とかその他の出版物においてこのことに触れ、普及を図ってまいったところでございます。  そのようなことから、ユネスコ総会への報告につきましても、御指摘のとおり、憲章規定によりまして報告義務があるわけでございますが、その内容としましては、国会報告しましたこと及び各都道府県教育委員会等周知徹底を図って推進を図っているというような報告をいたした次第でございます。
  11. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 続いて文部大臣にお尋ねしますけれども先ほど平和教育重要性を力説された答弁があったわけです。そこで、文部大臣平和教育内容についてどのように考えているか、簡潔にひとつ御答弁いただきたいと思います。
  12. 小川平二

    小川国務大臣 平和を維持いたしまするためには、戦争発生を防ぐということ、あるいは積極的に平和を建設し平和の達成に協力すべきいろいろの手段があると存じますが、平和の建設に協力すべきことを教えておるわけでございます。
  13. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 まあ簡潔にと言ったので非常に短い形で表現されていますが、私なりに平和教育内容考えてみますと、大筋、指導内容、進め方として三つあるのじゃないかというふうに私はまず思うのです。  それはまず何といっても戦争の持つ非人間性残虐性子供に知らせる、事実は事実として知らせる、その上に立って戦争への怒りと平和のとうとさ、生命の尊厳を理解させるということがまず基本的に大切ではないかというふうに考えるわけであります。  こういう点からいうと、すでにことしから採用されました高等学校の「現代社会」でしたか、その挿絵をめぐりまして、ここにあるのですけれども、それがこの写真なんですけれども、この写真高校社会科現代社会」の中の扉に掲載されることになっておったところが、文部省検定で悲惨過ぎるということで差しかえを命じているわけですね。それで、ここにずっと教科書の「現代社会」の白表紙、つまり原稿本と見本本との対比があるのですけれども、その中ではこういう形になっておるわけですね。これがいま私が見せました丸木さんの「原爆の図」なんです。この図がこの図にかえられているわけですね。私は、これは原爆の悲惨さといいますか事実をそれなりに正確に描写した絵だと思うのですが、それが「原爆犠牲国民学校教師子供の碑」というのにかえられているわけです。ですから、平和教育というのがその事実をありのままに知らせ、その悲惨さというものを体で覚えさせる、そこから戦争に対する一つの悲惨さ、憎しみ、平和のとうとさ、こういうものを体で覚えさせるという点からいうと、こういうことはすべきでない、事実は事実としてやはり子供に知らせることから出発すべきではないかというのがまず私の一つ考えです。  よく悲惨ということを言いますけれども、これは兵庫県の「こども教育」というもので、特に「平和教育実践特集号」でありますけれども、その中に子供広島原爆資料館を見てどういうふうに思ったかという感想がちょっとあるのです。河本みどりという子供ですけれども、これは長い文章ですからちょっと一、二行読みますと、「原爆資料館では、当時の原爆の恐ろしさをうったえた資料が並べられて、二度とこんなことを起こしてはならないよと語りかけているようだった。」、以下ずっとありまして、「私はこんな戦争をなぜしなくてはならなかったのだろうと思った。」、こういうふうにありますね。つまり、原爆資料館を見て原爆の悲惨さの事実というものを体で覚え、そしてなぜこんなことが起こったのだろうか、また起こらざるを得なかったのだろうかという疑問を抱いた。この疑問から学習が始まってくるし、その学習の中から戦争をいかにして防止するかという、先ほど文部大臣が言われた、そういう学習の過程に発展していくのだと思うのですよ。ですから、事実を事実として知らせるということがまず何よりも教育出発点として、特に平和教育において大切だということを特に力説し、このたびの高校の「現代社会」でそういう挿絵を悲惨という理由で差しかえたということは好ましくない検定態度であるというふうに私はまず第一思います。  それから次に、第二番目は、そういう事実を事実として知らせながら戦争原因を追及し、戦争を引き起こす力とその本質を科学的に認識させることだと思う。  昭和五十六年二月二十五日、ヨハネ・パウロ二世の広島での平和アピールの中に、長文でございますけれども、次の一文があります。「戦争という人間が作り出す災害の前で、」、つまり自然災害ではないという意味だと思いますが、「「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということを、我々は自らに言い聞かせ、繰り返えし考えてゆかねばなりません。」、つまり人間の行った行為であるから、そのメカニズムを明らかにしながら人間がそれを阻止することができる、このことを訴えたと思います。そしてまた、私たちはこのメカニズムといいますか、確かにユネスコに言われるように、「戦争は人の心」から云々ということがありますが、それは確かにあると思う。しかし、戦争を起こす一つの経済的、社会的ないろいろな要因メカニズムというものがやはりあり、そういう誘発的な要因の上に成り立っていくのだと思いますから、そのメカニズムというものをやはり正しく教えるということが第二番目に私は大切だと思うのです。  三番目は、戦争を防止し平和を守るためにどうすればよいのか、その展望を明らかにしていくことだと思うのです。つまり具体的にどう取り組んでいったらいいのかという、行動も含めたそういう学習をさせていくことだと私は思うのです。  私はこの三つのことは一貫したものであり、こういう形で完結してこそ、明日の人類生存をかけた平和のためにわれわれが何をなさねばならないかということを子供の中に育てていくことができると思うのです。私はそのように考えますが、文部大臣、なお所見ありませんか。
  14. 小川平二

    小川国務大臣 原爆のもたらす悲惨な状況について、一切これを教科書から排除すべしというような方針検定を行っておるわけでは決してございません。したがいまして、現行教科書におきましてもきわめて端的に、明瞭に核兵器の恐るべきこと、平和を維持すべきことを記載しておるものがございます。前回委員会に際して、栗田翠先生の御質疑関連をいたしまして現行教科書一つをお耳に入れたわけでございますが、これは東京書籍株式会社の小学校六年の「新しい社会」でございます。「核兵器のおそろしさ」という表題のもとで、当時の悲惨な状況について記載いたしました新聞の記事を引用した上で、「現在では、この原子ばくだんの百倍から千倍のはかい力があるといわれる水素ばくだんもつくられ、核兵器をもつ国がふえています。そのうえ、大陸の間を飛んで、目標を正確にはかいできる核ばくだんをつけたミサイルが、ボタンをおせばいつでも発射できるようになっています。もし、これからの戦争核兵器が使われたらどうなるか、考えただけでもおそろしいことです。わたしたちは、地球上から一日もはやく、すべての核兵器をなくし、人類が平和にくらしていくことができるようにしなければなりません。」このような記載をした教科書も現に行われておるわけでございますから、いやしくも核兵器について書いたものを排除するというような方針をとっておるわけでは決してございません。  ただいま引用なさいました事柄は個々の具体的な検定内容でございますから、これは担当者からお耳に入れさせていただきます。  なお、戦争発生を防止するためには、その戦争背景原因というようなことについても教えるべし、こういうお話でございます。人類が今日まで何回もの戦争を経験いたしておりますが、それぞれ原因を異にし、背景も異なっておるに違いございません。個々戦争について触れまするときにその原因についても教える、これも当然そうあるべきだと考えております。
  15. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 先に進みますが、ユネスコ主催で一九八〇年六月九日から十三日までパリにおいて、ユネスコ理事長招集により軍縮教育世界会議開催されたということを知っていますか。
  16. 小川平二

    小川国務大臣 承知いたしております。
  17. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 皆さんのお手元に資料があるかどうか、知っているというのですからあるだろうと思いますが、その軍縮教育世界会議で採択された最終文書によりますと、大変今日的な意味で重要な内容が採択されているというふうに私は思うのです。  その一、二をちょっと申し上げますと、この採択された最終文書の一部分ですけれども、「軍縮教育世界会議は、軍縮へむけての真の前進の欠除、ならびに人類生存を危うくする破滅的戦争がひきおこされる危険のある国際的緊張の悪化を深く憂慮し、教育と情報が緊張の緩和と軍縮推進に大きく貢献しうること、そしてこれらの領域で力強い行動をおこすことが緊急であることを確信し、国連第十回特別総会最終文書、特に、同特別総会政府政府組織、非政府組織に、すべての教育水準軍縮教育平和研究プログラムを発展させる諸措置をとるように要請した一〇六項、ならびに特別総会が当大会開催を歓迎し、明確な学習分野としての軍縮教育の発展をめざすプログラムを確立するようユネスコに要請した一〇七項を考慮にいれ、」つまり前回軍縮特別総会で採択された一〇六項と一〇七項、それに基づいてこの会議が開かれている、こういう趣旨です。  次に、この部分重要だと思うのですけれども、「平和教育本質的要素である軍縮教育は、軍縮にかんする教育軍縮のための教育の両方を含む。教育ないし報道に従事するすべての人は、兵器の生産と取得のもとに横たわる諸要因軍拡競争社会的・政治的・経済的・文化的影響核兵器の存在とその使用の可能性人類生存に対してもっている重大な危険を自覚することにより、またこの自覚をつくりだすことによって、軍縮教育に貢献することができる。」、以下ずっとあるのですけれども、つまりここで言っていることは、平和教育本質軍縮教育だ、そして核兵器の危険を自覚させることにより、軍縮教育に一層の貢献をなすのだと、こういう趣旨のことが言われているということですね。  ですから、特にわれわれが着目しなければならぬのは、この軍縮教育ということと、その中心をなすのは、この核兵器危険性というものを具体的に教えなければならぬということをこの勧告の中で採択しているということがきわめて重要だと私は思います。  引き続いて、附属文書の中にまた次のようなことが書いてある。長文ですから短く引用します。「ユネスコは、平和、軍縮人権の問題にかんして現行教科書を改訂するよう働きかけるべきである」、こういうことであります。それは大量破壊兵器、特に「核兵器発達と、それがもたらす被害についての科学的な研究成果を含むものでなくてはならない。」続いて、「平和と軍縮にかんする標準的教科書の作成、それは世界じゅうの平和教育のすべての教育計画モデル役割りをなすものである。」、こういうことですね。  つまり、先ほどから文部大臣は、平和教育重要性を強調されましたし、具体的に指導要領教科書の中でもということを言われてきた。確かにそれはそれなりに評価できると思います。しかし、今日のまさに果てることのない軍拡と破滅的な核兵器の累増している状況の中で、この軍縮教育世界会議がいま申し述べたことを採択しているわけです。つまり、平和教育は期するところ軍縮教育であり、そして核兵器の恐ろしさを知らせることだ、そして、そのためには従来の教科書というものをここで改訂するように働きかけるべきであって以下云々というこのことを強く要請し、そういうモデルもひとつ検討さるべきであるということまで言っているわけです。  ですから、私は、日本が唯一の被爆国であり、いまこのような反核軍縮の運動が世界的に盛り上がっているときに、確かに平和教育はつながっているでしょうけれども、こういう新しい観点に立って平和教育のあり方を再検討してみる必要があるのではないかというふうに、この軍縮教育世界会議最終文書附属文書の採択を見て特に感ずるのでありますが、文部大臣はその点どう考えますか。
  18. 三角哲生

    三角政府委員 ただいま御指摘文書は、私どもとしてはこういうふうに理解しております。  これは個人資格による参加者会議のまとめでございまして、したがいまして、これの一々について私どもとして論評のごときことをするのは果たしてどうか、こういうふうに思うのでございますが、ただ、軍縮教育につきまして、大学を含む学校教育分野はもとより、社会教育家庭教育あるいはマスメディアの分野、さらには軍縮に関する研究分野などにつきまして、非常に広範にわたって、そして専門的な意見をいろいろな角度から述べられておるのでございます。ですから、これについて一律にどうこうということを内容から申しましても申しがたい面がございます。ただ、私どもとしては、この文章の基調にある軍縮推進に向けての精神と申しますか、そういうことについては十分に理解ができるものでございます。  先ほど大臣からも申されましたように、日本学校教育におきましては、当然のこととして憲法教育基本法などにのっとりまして、世界平和の必要性でございますとか、憲法に言っております平和主義原則などについて、これは児童生徒のそれぞれの精神的な発達段階に応じましてしかるべく指導しているところでございますので、私どもとしては今後ともこの指導を適切に進めてまいろうということでございまして、いま御引用になりましたような精神と私どものやっております学校教育その他の仕事とは、これは大体において一致している、こういうふうに思っておるのでございます。
  19. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 ちょっとそのとらえ方と認識は、何といいますか、おっかなびっくりなとらえ方と対応の仕方に受けとめられるのですよね。というのは、確かにこれは軍縮教育世界会議ユネスコ主催ユネスコ理事長招集ということは紛れもない事実なんですが、その背景になったのは、ここにありますけれども国連軍縮特別総会における最終文書、これは国連で採択されているのですよ。その一〇六、一〇七は先ほど私が言ったとおりですが、この一〇七項に、「総会は、軍縮教育に関する世界大会開催計画している」、これですね、つまり、先ほど言った大会です。「計画しているユネスコの発意を歓迎し、この関連において、ユネスコに対し、就中、教員用手引、教材、読本及び視聴覚資料の準備を通じ、軍縮教育を明確な一研究分野として発展させるための計画を促進するよう要請する。」とある。「加盟国は、そのような資料教育機関教科課程への組み入れを奨励するよう全ゆる可能な措置をとるべきである。」、これが国連総会で採択された文書なんです。これに基づいて、先ほど言った軍縮教育世界会議開催されているのですよ。ですから、全く一連のものなんです。日本国連に加盟しているのでしょう。ですから私はそういう一連のことから言うと、先ほど文部大臣なり局長答弁は何か及び腰な、おっかなびっくりな感じがしてならないのです。再度その点どうですか。
  20. 三角哲生

    三角政府委員 先ほどもこれから申し上げますような意味合いで申し上げたつもりでございますが、日本の場合には、いろいろ手だてを尽くしまして平和主義に基づく教育を戦後ずっといたしておるわけでございまして、この点につきましては十分に留意をしてやってきております。もちろん、ただいま御引用のような一つ会議等勧告と申しますか文書と申しますか、まとめられたその内容については、私どもも十分にこれに留意するということでございますけれども教育内容につきましても教科書につきましても、そういうものを参考にして、もし足らざるものがあれば、また私どもとしては検討し、工夫を加えていく、こういうことでございます。  世界にいろいろな国々があるわけでございまして、その全般に対しての一つの呼びかけ、こういうことであろうかと存じます。なお、会議の性格は、先ほど申し上げましたように、個人的資格で参加した方々がいろいろな角度で専門的に申されたことをまとめたものである、こういうぐあいなものと理解をしております。  内容は、先ほど申し上げましたように、その精神というものは私ども考えと大綱において一致しておる、こういうふうに見ておりまして、そして私どもがこれまでやってまいりましたこともこういったところに入っております精神と非常に調和しておる形でやってきておる、こういうふうに理解をしておるわけです。
  21. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 何かいろんなことを並べ立てているけれども、言っていることがどうもはっきりわからないのですが、つまり簡単に言えば歯切れが悪いということですよ。もっとわかるように明確に言ってもらいたいのです。私は、これを今後の日本平和教育のために大いに参考にし、取るべきところは大いに取り入れてやっていきたい、そのためにこれを検討したい、こういうことでいいのではないかと思うのですが、どうなんですか。はっきり言ってください。
  22. 三角哲生

    三角政府委員 わが国の場合はもう大体やっておりますので、こういった勧告がございましても、一つの参考とはいたしますけれども、この勧告が出たから直ちに教科書云々、こういうことではない、こういうふうに思っておるのでございます。
  23. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 何か開き直りの答弁みたいになってきたのですけれども、平和国日本なんですから、しかも憲法教育基本法に基づいて教育をやるという平和教育重要性を言っているのですから、もっと素直に受けとめた答弁を私は求めたいと思います。私はその点についてはいまの局長答弁満足できません。平和教育の徹底は幾ら徹底したって過ぎることはないのですから、しかも国際的な一つ勧告なんですから、今後十分取り入れ、検討されるように、私の方では求めておきます。  そこで、十分平和教育はやっているということは言われます。そういう流れの上に立っていることは私も認めます。ただここに一、二、これはほんの参考ですけれども昭和二十四年二月九日の教科用図書検定基準の中身をずっと見まして私が非常に重要に感じましたのは、この当時は、算数の検定基準等を見ても、その中に絶対条件と必要条件があって、そしてずっと列記されているのです。いまの検定基準は絶対条件、いま基本条件といっていますが、共通にしている。あと各教科だけ必要条件を書いているという形になっています。いま私が申し上げた二十四年の教科用図書検定基準の算数科数学科検定基準の絶対条件を見ると次のようにある。「教育基本法及び学校教育法の目的と一致し、これに反するものはないか。たとえば、平和の精神、眞理と正義の尊重、」、こうあるのですね。私はなぜここだけ特に取り上げるかというと、この二十四年ごろの検定基準は数学という教科においてすら平和の精神とか真理ということを特に組み入れているということですよ。つまり平和ということがあらゆる教科を通じて学習させるべきだということで一貫している。ところがいまの検定基準を見ると、どの教科にも共通する基本条件が憲法教育基本法に抵触してないか云々ということで一貫して、あと教科ごとの必要条件をずっと記載しているというふうに、非常に変わってきているということですね。この点をまず私は指摘しておきたいと思います。  それからもう一つは、教科書検定に入っていきますけれども、まず第一に、先ほど平和の教育を重視していると言いますけれども、ここにある現代社会検定資料という私が入手した資料ですが、これには、先ほど申し上げたところの原稿本とそれから見本本と対比した形で十六社二十一点の教科書についてずっと対比されておる。これは時間がありませんから一々細かいことは対比はいたしませんけれども、まず目につくのは修正要求というか、修正意見というか、改善意見というか、これが全く平和とか核とかそれから憲法、自衛隊、こういうことに集中しておるのです。それが非常に特徴的だということがまず第一点。  それから、中身にもっと入っていきますと、いまの高校現代社会、その中に原稿に対して修正意見、改善意見、つまり修正要求ですね。これがずっとあるのですけれども、私非常に重視しておるのは次のことなんです。改正の中に、憲法の前文を引用したところがありまして、それに対して改善意見として次のことが書いてある。「憲法制定当時の理念を条文で引用しているが、国際環境の変化を考慮するべきではないか。とくに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保障しようと決意した」の部分を削除したらどうか。」こういう修正要求、具体的には改善意見が出ておるのです。これは先ほどから憲法教育基本法に基づいて教育をやっておるし、平和教育は重要だし、事実このように教科書も採択しているということを言われますけれども、最も基本的な憲法の前文の部分を削除したらどうかということなどは考えられないことではないか。このことについてどう考えますか。
  24. 三角哲生

    三角政府委員 まず第一点でございますが、御指摘になりました昭和二十四年二月九日文部省告示第十二号によります当時の教科用図書検定基準でございますが、これはただいま私どもが定めておりますようなそういう形での学習指導要領というものは当時はなかったわけでございます。教科用図書の検定基準の考え方そのものは内容的にはいまのものとそんなには変わっていないと思っているのでございますが、先ほど申し上げましたような状況から規定の仕方が異なっておる、こういうことでございます。学習指導要領との関連の記述の仕方におきまして、当時は指導要領内容検定基準でも重ねて記載しております。現在の検定基準では、学習指導要領に示す目標、内容によっていること、こういうことを規定しております。したがって、学習指導要領内容を改めて記載するというやり方はしておらないわけでございます。そして、すべての教科に共通する基本条件というのを三つ示してございますけれども、その中で、「教育基本法に定める教育目的方針などに一致していること。また、学校教育法に定める」小学校、中学校、高等学校それぞれの「目的及び教育の目標に一致していること。」、第二点として、「学習指導要領に示すその教科の目標に一致していること。」、第三点は、政治、宗教の問題の公正の点でございますが、省略いたしますが、これは全部にかぶっておりますので、その点で御指摘のような平和の精神というものはやはり全部にかぶってくる、こういうことなのでございます。  それから、先ほどそこでお持ちになっておられましたのは、出版労連というところでつくられた「教科書レポート’82別冊「現代社会検定資料集」こういうものであろうかと存じます。これはただいまの御指摘では、平和とか核問題とか自衛隊の関係について集中してこの検定でいろいろな指摘がある、こういうお話でございましたけれども検定ではこの程度の分量のことだけをやっているのではございませんで、およそ非常にたくさんの意見を付し、そして執筆者なり編集者なりと意見の交換をしながらやっておるわけで、これはごくその一部だろうと思いまして、恐らくこれを編集なさった方がいま御指摘のような問題のところに集中してこれを編集なさったという面もあろうか、こういうふうに思うのでございます。  それから、第三点の憲法前文の問題でございますが、文部省教科書検定におきまして、憲法前文の引用について何かを申すとすれば、たとえば内容が重複しておりますとか、あるいは入れておる場所によりましては文脈に混乱があるとか、そういった理由で引用の仕方について意見を付すことはあり得るわけでございますが、憲法前文を引用してはならないというような意見を付することはおよそあり得ないことでございます。このことは、今回検定を経ました高等学校現代社会教科書をごらんいただければ、そのほとんどにおいて憲法前文の引用がどこかでなされているということからもおわかりいただけるのではないかと思います。このことについては私どもは、一般を誤らせるような形で状況を伝えておる方々がいるのではないか、あえて言えば、余りフェアなやり方ではない、こういう見解を持っておるのでございます。
  25. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 偏った、フェアではないというような言い方をされておりますけれども、これは後であなたの方で検討してもらって結構ですが、いま私が言ったのは、高等学校現代社会に対する検定過程における修正要求、内容的に言えば修正意見、改善意見ですね、その中に明確に、憲法の前文の引用十行、この点について、先ほど私が述べたような形で憲法の前文の一定の重要な部分について削除したらどうかという改善意見が出ているという事実なんです。これは明確に出ていることですから、あなたの方でもひとつ調べていただきたいと思います。いま局長答弁ではそういうことはあり得ないという趣旨のことを言われましたけれども、これはあったとすれば大変なことですから、ぜひあなたの方で検討され、調べられて、後日、私の方にお答えいただきたいと思います。  次に、今日の反核軍縮・平和運動の高まりについて質問していきたいと思います。  いまアメリカのレーガン大統領の中性子爆弾の製造、それからヨーロッパに対する戦域核の配備など、限定核戦争、ひいては全面核戦争の脅威が広がる中で、ヨーロッパを中心に空前の反核運動が起こって、これが世界的に広がっているということは御承知だと思います。また一方、ことしは第二回の国連軍縮特別総会の年であって、日本でも反核・軍縮の署名運動といった市民運動が高まり、そして非核都市宣言、百九にものぼる自治体で反核・軍縮の意見書がすでに採択されていることは御承知のとおりであります。  このことは人類生存という共通の願いに根差すものであり、唯一の被爆国民である日本人として党派、イデオロギーを超えた自然な運動の高まりだと思うのです。私はそう思うのですけれども、こういう一つの運動の高まりに対して、文部大臣はどう考えますか。
  26. 小川平二

    小川国務大臣 それぞれの地方公共団体の議会が自主的に判断して行われていることでございますから、文部大臣としてこの際、これを論評すべき立場にない、このように考えておる次第でございます。
  27. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 この反核・軍縮決議あるいは非核都市宣言の採択に対して自民党がブレーキをかけているというふうに新聞では報道しているわけです。これは先ほど申し上げたように、六月に国連軍縮総会を控え、国民がいま大きく反核・軍縮・平和に関心を持ち、そういう市民運動が高まっている。これに対して自民党がそういうブレーキをかけるというのは、この被爆国日本人としての国民の感情や、あるいは核をなくし、平和を願うというその願いになじまないものだというふうに私は思うのです。それに対して、文部大臣、所見はありませんか。
  28. 小川平二

    小川国務大臣 ただいま申し上げましたような理由で、これは私が論評すべき問題ではない、こう考えております。
  29. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうしますと、簡単にいいますと、反核・軍縮・平和運動の市民運動の高まりや、あるいは自治体で非核都市宣言あるいは反核・平和に対する意見書の採択、こういったものに政府として介入する意思はない、こういうふうに理解していいですね。
  30. 小川平二

    小川国務大臣 平和の重んずべきこと、平和の建設に協力すべきことについて、学校教育において絶えず繰り返して教えておりますことは申し上げたとおりでございます。また、原爆投下に伴う悲惨な実情についても、現に教科書等でも教えておるわけでございますから、その趣旨に少しも異論はございません。  ただ、各種自治団体が議会でさような議決を行うことが望ましいか否かということは、私が判断すべきことではございませんし、現に政府としてこの問題に格別の対応も行っておらないのじゃなかろうか。ただいま自民党がというお話でございますが、自民党のどの部局がどのように対応しておるかということについては、正直のところ、私は存じておらないわけでございます。
  31. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 この反核・軍縮・平和運動に関連して、新聞の報ずるところによりますと、先般まで鈴木総理大臣は、首相として国連軍縮特別総会で、簡単に言えば、世界の世論動向に沿った軍縮論を打ち上げる、そういう報道がなされてきた。ところが、一方、いま自民党がそれに対してブレーキをかけてきているということを申し上げましたけれども、鈴木首相は総裁として国内の軍縮運動にブレーキをかけるようなそういう発言が、あるいは指導がなされているというふうに新聞の報道ではなされているようです。これは御承知のとおりこういう文章ですね。朝日新聞の三月二十五日、「首相も抑制求める」、反核決議に対して、こういう形で、これは恐らく総裁としての立場だろうとは思いますけれども、どうも、首相として国連軍縮総会軍縮の方向に向けたそういう演説をしようとするように言われている、一方、国内においては、反核・軍縮の運動を総裁といえども抑える、こういうような態度を示してくるということは、同一人でありますから大変矛盾したことではないかというふうに私は考えるのですが、文部大臣、どうですか。
  32. 小川平二

    小川国務大臣 無制限な軍拡競争世界の平和を脅かすものであるから抑制されなければならない、これが総理の基本的なお考えであると承知いたしております。ただいま御指摘のことにつきましては、私は事実の内容を詳しく承知いたしておりませんし、総理がどのような御判断をただいま起こっております地方自治体の具体的な動きに対して持っておられるのか、これも承知いたしておりませんので、これを私がとかくの批評をいたすことは差し控えさせていただきたいと存じます。
  33. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは、平和教育について最後の一点でございます。  昨年の八月九日というと長崎市に原爆が落ちた記念日であります。その日に長崎市の本島市長が平和宣言の中で次のことを言っているわけです。「特に教育者の皆さんにお願いしたい。核兵器をなくし、完全軍縮の実現こそが人類の未来に生きる唯一の道であることを子供たちにすべてに優先して教えてほしい。」、こういうように訴えているのです。これは大変りっぱな宣言であり、私は全面的に賛意を表するものであります。特に原爆の体験を受けた都市として当然市長としてこういう宣言を発するのはむべなるかなというふうに思うわけであります。ところが、この訴えた当日——長崎市では従来から各学校とも平和学習の日として生徒がずっと平和の問題について教師の指導のもとに取り組んできた。その日はたまたま日曜であったわけですけれども、いま申し上げたような平和宣言が発せられ、すべてに優先して教えてほしいという市長の訴えにもかかわらず、子供たちは平和学習ということで登校してきたが、ところが校門においてその子供たちを管理職である校長や教頭が阻止をして、帰れということで帰した、そういう校門でのトラブルが幾つかあったということを私は聞いているわけです。それで具体的に申し上げますと、このような報告です。  長崎県下の南高来郡有明中学校の例です。地教委の八月九日の登校日を認めないという通達の後に校門に新しい鎖と錠前がかけられた。当日、雨の中を登校してきた約二百人の生徒たちをどうしても入れようとしない校長、教頭。雨も降り出して傘を差していない子もいるからとにかく中に入れなさいという先生方の話にも耳をかさず、頑として門をあけなかった。やむを得ず事情を説明し、十一時二分黙祷の後、登校日の意味を説明して下校させた。こういうこと。  第二の例。島原市立第一中学校の例。三年ほど前から八月九日には学校行事として「平和のつどい」を文化会館で開催していた。ことしも七月の職員会で学校行事として文化会館で行うことを決定し、学校は校長と確認書まで取り交わしていた。ところが地教委が八月九日の登校日を承認しないという通達を出したため、校長は文化会館の借用手続を拒否してきた。先生方はやむなく近接の四つの中学校に呼びかけ、合同で必要経費を分担し「平和のつどい」を開催した。父母にも呼びかけて会場を盛り上げ、例年以上の成果を上げることができた。  その他、瑞穂中学校でも、校舎を貸さない、中に入れないと追い返され、某会社の食堂を借りての平和教育、また、神社の境内を借りての平和教育など、あまたの嫌がらせの中で先生たちは、心ある地域の皆さんと手を組んで八月九日に平和教育を実施した。しかし、管理職の妨害により、例年九〇%以上の実施が定着していたこのことが、ことしは半分以上実施されなかったという実態にある。  以下ずっと同じようなのがあるのですけれども先ほど文部大臣平和教育重要性を述べられ、そして具体的にこういう形でやっているとも言われた。しかし、現実に起こっている現場の姿はこういうものなんです。文部大臣、どう考えますか。
  34. 小川平二

    小川国務大臣 私は、ただいま御指摘のございましたような事実について承知をいたしておりません。もとより校長が、平和を維持すべきこと、平和の維持協力すべきことを教えるのに異議を差し挟むはずはないと存じております。仰せの平和教育というものの内容がどのようなものであったかということも私は存じておりませんので、具体的な事例を引いての御質疑にはただいまこの場で責任ある御答弁がいたしかねるわけでございます。
  35. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 実態を調査するということを求めたいと思いますが、どうですか。
  36. 小川平二

    小川国務大臣 調査をいたすのにもちろんやぶさかでございません。
  37. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 調査をするということに理解していいですね。
  38. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのとおりでございます。
  39. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは続きまして暴力、非行の問題について質問してまいりたいと思います。  最近の少年非行の実態はどうなっているか、このことについて過日担当の方に私の方からその幾つかの資料の集約されたものを差し上げておりますが、この統計数字に間違いございませんか。
  40. 三角哲生

    三角政府委員 これは私どもの方でも用いておる数字でございまして、ただいま御質問のとおりでございます。
  41. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうしますと、この数字から明らかなように、刑法犯少年、つまり刑法犯中少年の占める割合、昭和五十二年三二・八、昭和五十三年三五・八、昭和五十四年三八・九、昭和五十五年四二・四、昭和五十六年四四・二、ずっと累増している。それから校内暴力事件についても、数字がたくさんありますから端的に言いますと、前年に対して昭和五十六年は三三・八%増。ちなみに昭和五十五年は前年に対して二九・〇増。それから教師に対する暴力、昭和五十六年は前年に対して九五・九%の増。ちなみに五五年は前年に対して六九・八%増。家庭内暴力、昭和五十六年、前年に対して一六・五%増。どの数字を見ても全部累増している。その累増の傾向は依然として後を絶たない。こういう状況であることは事実が示しております。そこで、昭和五十三年三月七日付百三十八号「児童生徒の問題行動の防止について」の指導通知を出し、さらに、昭和五十五年十一月二十五日付三百六号通知を出してこの暴力、非行の問題について文部省指導しております。この通知がこれですね。この二回の指導にもかかわらず、むしろいま申し上げたように暴力事件はふえている。これはなぜなのか、どうですか。
  42. 三角哲生

    三角政府委員 校内暴力等非行の原因背景というものは非常にいろいろな要素がありますと同時に、非常に根深いものもある、こういうことでございまして、要約して若干申し上げますと、やはり非常に物質的に豊かになってきた状況の中で、精神面の問題が、その大切さというようなものがおろそかになっておる。そういうような社会の風潮もございますし、それから幼少期からの家庭のしつけ、家庭でおよそ教師と申しますか、人間の師というような方に対してはこれを尊敬しなければいけないというようなしつけがなおざりになっておって、むしろ親自身が学校の先生を尊敬する態度を持っていないというような状況もございます。  それから一つには、学校そのものの中での指導のあり方、言ってみますれば、家庭、学校、地域社会、それぞれの状況がございますと同時に、児童生徒につきましても近年の状況を見ますと、その意識でございますとか、それから生育過程から形づくられてまいりました性格等にいろいろ問題がございます。  そういうことから、ただいま二つの通達について言及していただいたわけでございますが、御指摘のように、このところずっとまだ非行の状況が全体の件数及び比率の上で非常に増加をしておる、こういう状況でございます。ただ私どもは、こういったことに対する対応は即時的になかなかあらわれにくいので、少ししんぼう強く取り組んでいくという面がございます。それで、各都道府県の教育委員会はもとよりそれぞれの地教委におきましても、各学校と十分に連絡協力して、いろいろな工夫なり、体制なりをつくってまいっておりますので、漸次そういう努力の効果があらわれるということを期待しておるわけでございます。
  43. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 指導しているのですから効果が上がるだろうということでやっていらっしゃると思うのですが、しかし事実は、いま申し上げたように、二度の指導通達を出したけれども、減るどころかふえている。このことが客観的に見れば通知指導が効果を上げていない、こういうことの証明だと思うのですね。これからどうなるかということはこれはわかりませんよ。ただ趨勢的に見れば、まだ多くなっていくのじゃないかということが、私から言わせれば推定されるだけです。これはこの通知指導のあり方を追求していくためには、主たる原因というものの探り方、それに基づく指導のあり方に必ずしも適切さを得ていると言えないのではないか、これは二度にわたる通知を出しても累増しているという事実がそれを証明しているのではないか、私はどうもそう言わざるを得ない。  そこで、いま局長は、環境が物質的に恵まれている反面、心の豊かさを忘れているのじゃないかという趣旨のことを言われました。これは現在文部省考え方の基本にある考え方だろうと私は思うのです。すでに進められている豊かな心を育てる施策推進会議、これは文部大臣の肝いりで出発したと聞いておりますが、その文部大臣の発言の要旨の中に「より基本的には青少年をとりまく環境が物質的には豊かに恵まれている反面、青少年の心の豊かさを育(はぐく)む面においては、不十分な状況にあることが大きな原因となっているのではないかと思われます。」こういうことですね。私は、このとらえ方はあながち否定をいたしません。そしてまた、重要な分野だとも思いますし、またこれは高度経済成長と非常に絡む形でそういう側面が出てきたのだろうというふうにも思います。またそういう点で、この心を育てる云々ということを私は否定するものではないのです。  しかし、この今日の非行、暴力の原因というものを、豊かな心が欠如しているから、心の面が欠如しているからという、こういう対応だけで果たして効果を上げることができるのかどうか。むしろもっと深いところに、第三の時期と言われる今日の非行、暴力の問題がひそんでいるのではないか。そのことをまず探り当てる必要があるのではないかというふうに私は思うのです。  そこで、時間もありませんので、私の見解を最初に述べて、後で御意見を聞きますけれども、いま申し上げたように高度成長に伴う物の豊かさ、心の貧しさがその要因になることは考えられますが、しかしより根源的には高度経済成長、つまり一九六〇年−一九七〇年ごろですか、それとともに肥大化した学歴社会、能力主義に基づく差別と選別の教育、それに荒れすさぶ受験競争など、つまり今日の教育の荒廃と言われるもの自体にその要因があるのではないか。だから、そういうもっと根深いところに原因がひそんでいるのではないか。それが一口に言うならば心の問題、物の問題というふうに表現されるかもしれませんけれども、そこのところを深く掘り下げていかないと、一片の通達や何々々では解決できない問題があるのではないか。  たとえば、いま私は受験競争ということを申し上げましたが、今日の受験競争は上級の学校に入学するために起こるものではないのです。高校から大学に入るためではない。つまり、それは前提ですけれども、よい学校、一流の大学に入るために競い合うところが今日の受験競争の問題点なんです。これは数字が明らかに示すように、高校から大学への進学希望者が五十八万五千人と聞いておりますけれども、大体大学の募集定員と同じ、浪人が十八万五千人としても、大学に入るというだけであれば一・三倍なんです。そんなに厳しい競争があるはずがない。ところが一人平均三・四四校受験している。よい学校、よい大学、つまり格差を求めてせめぎ合う。その結果、四・五倍の入試地獄が出てくる。つまり、これは大学に入るための競争ではなくて、有名校、一流大学に入るためのせめぎ合いなんです。そこはだれが見ても明らかだと思うのです。  そうすると、それは当然学校に格差があり云々ということが前提になってきますから、それでは、そのだれもが入ろうとする学校の格差を助長し、知育偏重の能力主義を生み、受験競争を熾烈にしたものは何であるのか。私はいろいろ要因があると思う。しかしその中で、高度経済成長とともに進められてきた、言うならば経済界からの教育に対する要請、これは私は忘れてならない側面だと思うのです。いま私、詳細なデータを持っておりませんけれども、例の経済審議会でマンパワーポリシーその他いろいろな答申を出し、それが政府に対する要請として出てき、政府計画文部省に流れてくる。こういう一連の経過があったことは、その間の前後の関係を見れば明らかです。いま細かいことは言いません。  ただその中で、私は一、二の資料を提供しますけれども、いま申し上げたようなあの経済成長のときに、政府昭和三十五年十二月、例の国民所得倍増計画というのを出した。これは経済成長に伴う経済界の要請とうらはらの問題だったと私は思いますけれども、その中に「人的能力の向上と科学技術の振興」という項がある。この中に次のことが書いてある。「従来、日本経済において、労働力が経済成長の阻害要因となることはなかった。それは、わが国が豊富なしかも安価な労働力にめぐまれていたからである。しかし、長期的にみれば労働力増加率の鈍化が予想され、しかも将来における科学技術の進歩、産業構造の高度化は、労働力の質的向上を強く要請することになる。」という、「質的」という言葉を使っている。次に、続いて「この際わが国における長期的課題は中等教育の完成である。しかし、この計画期間中最も重要なことは、科学技術者および技能者の量的確保とその質的向上である。」、最後にこういうことがある。「経済成長との関連人間能力の開発活用に関する各種の問題を検討し、その対策の方向を明らかにする。」、こうあるのです。つまりこれは何か心経済成長のために教育に求めるものは知育偏重の能力開発だという、そこにマンパワーポリシー、能力主義、こういうことが経済界の要請として教育界にできていることは明らかだ。これは時間がありませんから、その資料は明らかにしません。  そこで、続いて昭和四十年の中期経済計画をずっと見ていきますといろいろとございます。肝心なところだけちょっと読みます。この能力主義考えの上に立って、「しかしながら、ハイ・タレントとしての資質を有する者の比率は、おのずから限定されているものと考えられるので、これらの者に対する高等教育はその質が低下しないよう配慮し、重点的選択的に行なわれなければならない。かかる観点から、」以下云々という高等教育のあり方について言及しております。つまりそれは何かと言えば、まさに能力主義に基づく知育偏重、さらに加えてのこの四十年は、本当の一握りのハイタレントの養成、それを頂点とした学校の、われわれから言えば格差の構成を前提にしたそういう一つの振興策になっている。  ですから、このことから言えることは、経済界から教育界に対する、まさに高度経済成長とともにこの能力主義に基づくところの知育偏重の教育、さらにそれをパスすることによって上級に進み、しかも一握りのハイタレントを養成するという、そういう学校格差を生む要因というものはこういうところに重要な要因があったのではないかというふうに私は考えるわけです。裏を返せば、能力がすぐれて受験競争に勝ち残っていった者がハイタレントになって、やがて将来が約束される。そうすれば、だれだってそのハイタレントとして選ばれ、そしてすぐれた大学を出、すぐれた就職をするというその道にせめぎ合うのはあたりまえなんです。そういうところから学校教育が、いわゆる知・徳・体、体力や倫理観、そういうものよりも能力としての知育としての数学とか英語とか国語だけに重点を置いた受験中心の教育、そして点数によって、つまり能力によって選別していく。そして選別されたすぐれた者は大学に行くという今日の受験教育、受験競争。そして詰め込み、背番号管理、そういう学校の生徒の管理、そしてまた五段階評価、偏差値、さらに内申書と続いていくわけですけれども、友人の集団よりも、だれかが落ちれば自分が上がるという人間集団の姿がそこに出てくると思う。そういう中で、一定の基準に達しない、能力が伴わないと言われる、ついていけない落ちこぼれがたくさん出てくる、こういう問題が当然出てくると思う。  これは詳細は省きますけれども、たとえば授業が理解ができないということについての調査がずっとありますが、これは三重県の教育研究センターの意識調査です。小学校高学年で半数以上が落ちこぼれだというふうに答えている教師が六六%、中学校の数学では半数以上が落ちこぼれだと言っている教師が八〇%、高等学校では三割が理解できないと言っている。そういう受験競争の中でせめぎ合って、どうしてもついていけない子供を落ちこぼれとし、しかもそれは一、二の落ちこぼれではない、半数以上がついていけない。そこから灰色の学校生活が出、人間関係が薄れ、荒廃していくという土壌が生まれてきているのではないか。  そして一たん家に帰れば、どの親だって子供の幸せを願うし、そのためには簡単に言えばいい大学、そのためにはいい高校、いい小学校、幼稚園、塾。そして親は自分の歩いた道からいって子供に対し、おまえ、いま勉強しなければいい学校に行っていい生活できないよ、そういう押しつけの善意というものが鋭く子供の背中にのしかかってくる。つまりこれが子供から見ればおせっかい。しかし大変な重荷。そこにあつれきがあり、親子の断絶という状況も出てくる。  だから、私はいろいろこういうことを考えますと、確かに心の問題ではあるけれども、今日の荒廃の原因とも言うべきこの灰色の青春、受験競争のるつぼ、これは経済界の要求、教育、そういう一つの制度的な面からそういうものを助長する一つ要因があったのではないか。また、それに適応するために親が教育ママになったりすることを責めるわけにいかぬのです。そういうところに今日の非行なり暴力の大きな要因がひそんでおったのではないのか。  皆さんの指導の中にも不適応という言葉がありますけれども、いまのような落ちこぼれの子供、つまり不適応という言葉だろうと私は思いますけれども、この中に二つ出てくる、無気力な子供、これは何事にも集中できないという子供です。これはたくさんいるのです。これが登校拒否でしょう。それから反発的、攻撃的に変わっていく子供。同じ不適応です。これは指導を受けつけないという子供、親も教師も。これが校内暴力なり家庭内暴力というものの温床になっていくのじゃないか。  私はそういうことを考えたときに、結論から言うならば、単に心の問題とか、時間をかければそのうち成果が上がるのじゃないかということではなくて、今日の教育の荒廃と言われるその原因がどこにあるのか、それといまの非行、暴力は深く底辺でかかわっているのかいないのか、このことを詰めながら本当に地についた指導をしないと、非行や暴力の問題は解決ができないのではないかと私は思うのです。  そこで、時間がありませんから、引き続いてもうちょっとだけ言わせてもらいます。  文部省の通知の「児童生徒の非行の防止について」という中で、児童生徒学校教育に不適応を生じ、以下云々とならないように、そして、児童生徒指導内容について十分理解し、興味と関心を持って意欲的な学習ができるように、児童の豊かな個性や能力に応じて云々、こういうふうにありますね。このことは私は否定しません。しかし、こういうことを言われても、つまり私先ほど言ったような受験競争のるつぼの中に投げ込まれているいまの学校の実態からいって、こういうことはやろうと思ったってなかなかできないですよ。それはもちろん教師の能力と意欲の問題を私は否定いたしませんけれども、基本的に今日の受験体制そのものが大きな問題になっているときに、あえて言うならばこういう一片の通達を出されてみたってなかなか解決できないのがいまの状況ではないか。  さらにあの通知の中に、教師が一体になって云々とあります。それはそのとおりだと思います。しかし、今日の学校というのはまさに管理型の学校になっている。専門職としての指導集団という形でつくり変えていかなければ、そして校長はその専門職指導集団の指導的な長であるという位置づけをしていかないと、本当に一体となった生徒指導の教師集団はできてこない。管理型の学校になっている。しかも教師は父母あるいは地域の受験の圧力に押されている。したがって教師は病気、自殺が多い。  この間も皆さん御承知のとおり、県立流山中央高校の校長先生が自殺をしました。これはその板挟みだと私は思うのです。こういうことが読売の社説の中に書いてある。私は非常に重要だと思うのですが、「しかし管理を強めることは、リーダーシップを発揮することではなく、逆に教師との意思の疎通を阻み、学校を沈滞させるものとなりかねない。真にリーダーシップを発揮するとは、教師集団との信頼関係を作り上げ、その結果、生徒指導について教師全員をどれだけまとめられるか、どれだけ教師に自由な教育の場を用意できるか、にある。」、こういうことを言っている。私は賛成です。こういう条件をつくり上げないで、上から管理し、子供は受験の中に投げ込まれて、背番号で押しつけられていって、競争させられて、家に行けばまた親からやられる。子供は逃げ場がないのです。しかも学校に行けばペーパーテストでやられる。子供には体育がすぐれている子供もある、芸術がすぐれている子供もある。私もかつて教員をやったけれども、教室の中ではだめだけれども、グラウンドに出ると生き生きしている子供がたくさんいるのです。そういうものを認めてやらないところに今日の教育の問題があるのではないか。私はそういうことを考えますと、この非行あるいは暴力の問題は根が深いし、もっと本腰を入れてこの問題に取り組まないと、二十一世紀に向けてわれわれの将来の世代を担う子供たちが本当にわれわれの期待する子供に育っていくのかどうか、私は、今日の文教政策、教育行政の最大の課題だと思う。ちょっと長くなりましたけれども、ひとつ文部大臣の所見を伺いたいと思います。
  44. 小川平二

    小川国務大臣 だんだんお説を承ったわけでございますが、労働力の質を高めることによって生産性の向上を図る、そのことによって経済の成長を達成してその成果を等しく国民に分かち与えるということは、必ずしも財界の要求だとは存じておりません。各国の為政者がひとしく熱心に追求している国策だと考えておりますので、いろいろな事例をお挙げになりましたが、このことが諸悪の根源であるというお説には私は必ずしも賛同いたしておりません。確かに今日の社会に学歴を偏重する弊風がございますから、これを打破いたしまするためにいろいろな努力もいたしておりまするし、今日の酷烈な受験競争を緩和いたしまするためにもいろいろな手だても講じております。それらの点につきましては先生すでに御高承のことでございますから細かいことは申し上げませんが、お説を承りまして大いに啓発をしていただく点なきにしもあらずと考えますので、念頭に置きまして研究をさせていただきます。  末尾のところで管理強化云々というお言葉がございました。私は就任まだ日が浅いものでございまして、学校教育の実情について十分知悉いたしておるわけでございませんから、これは担当の政府委員から答弁を申し上げさせます。
  45. 三角哲生

    三角政府委員 ただいま上からの管理、こういうお話でございましたが、やはり一つの組織でございますから必要な管理というものはあると思います。しかし、上からの管理にいたしましても、それから下からの突き上げにいたしましても理不尽なものがあってはならない、こういうことで、私ども適切な指導、助言をしてまいりたい、こう思っております。
  46. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それで、経済成長というかそういう面で、科学技術、人間能力の開発、これはだれも否定しないのですよ。ただ私が言っているのは、そういう面をいたずらに強調し、そのことが人間のすべての能力と判定の基準になるような進め方をするならば、教育上大変問題が出てくるという側面を言っているのであって、だれだって経済成長とか経済の発展のために科学技術の振興を否定する者はないですよ。ただ、そういう面が非常に強調されて、私から言わせればゆがめられた形で教育界に要請され、それがずっと子供に、全面的に子供発達を図らなければならぬのが、その面だけがいたずらに強調され、そしてそれが学歴社会と結びついた形で、これが今日の大変大きな——これがすべてだとは言っておりませんよ。大きな、非行なり暴力の深い要因になっているのではないか、そこに思いをいたす必要があるのではないかということを私は強調したのです。ですから、私は心の教育が必要だということを否定するのじゃない。もっと深みのところまで掘り下げていかないと、ということを言っているということを文部大臣はとくと受けとめていただきたい。  それからもう一つ、いまの答弁の中で管理は云々ということを言われましたけれども、管理という言葉をどういうふうに理解するかは別にしても、一つの集団ですから、そういう秩序を保たなければならぬということはわかるのです。秩序ということは私は言うけれども、学校現場の中で管理という言葉は使いたくない、専門職としての教師集団ですから。ですから、そういう面をもっと生かしていかなければならぬのではないか。秩序は必要だが、それが管理という名前で余り強くやり過ぎているのじゃないか、持っている専門性と創造性が生かされていないのじゃないかということを強く指摘しているのであって、その点は私は、今後教育行政の基本問題として十分御検討いただきたいというふうに思います。  あと、残念ながら時間がなくなりましたので、教科書の問題について一、二質問をしておきたいと思います。  現在、教科書検定が行われているわけでありますけれども教科書検定の過程がどうも国民にはわからないわけです。教科書というものは、教材として教育上重要な内容のものですし、しかも教育行政の重要な分野ですから、国民がわかる形で教科書が選ばれ、子供に使われていくということが非常に重要だと思うのです。ですから、端的に言えば、教科書検定過程を国民がわかるように公開すべきだ。公開という言葉はいろいろありますけれども、明らかにしていくべきだというふうに考えますが、どうですか。
  47. 三角哲生

    三角政府委員 教科書検定は、先ほどもちょっと佐藤委員から教科書検定基準についてのお話もあったわけでございますが、私どもその基準に照らしまして、できるだけ中正な立場から努力を払っておるものでございます。これは非常にたくさんの数量の教科書につきまして、いろいろな検定基準に照らしました観点から綿密にやっておるものでございますが、その具体的な過程や内容を一々公表いたしますということは、その次の段階での採択というものに何らかの影響を及ぼすというおそれがございますので、従来から検定をする私どもの立場としては差し控える、こういうことにしておりまして、今後もその方針でやっていきたい、こう思っております。
  48. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 審議会で審議され、その答申に基づいて文部大臣が簡単に言えば決めるという形だと思います。この審議会で原稿本を審議していく過程の中で、点数制で合格、不合格ということを決めると聞いていますけれども、それは点数がどういう配分になっているのか、まずさっぱりわからぬわけです。それは恐らく文部省から言わせれば、教科書用図書検定基準に従って点数を決め、それに基づいて内容検定するのです、こういうことだと思うのです。しかしその点数の配分がわからぬ。それから検定基準といったってきわめて抽象的なのです。私も読んでみました。そしてその中から、抽象的なものに基づいて先ほど言った修正意見、改善意見、こういうものが出てくる。しかし、それは審査をする人によってきわめて主観的にそういうものが決められていくということを言わざるを得ない、手がかりがないのですから。  ちなみに申し上げますと、教科書検定の過程を公開すべきだ、こういう世論調査に対して、これは読売新聞ですが、賛成が六八・八%あるのです。反対は八・〇%なんです。こういうことを考えている。それからチェックの許容度、大陸「侵略」を「進出」とこう書くべきだ、「米軍基地」を「施設」と書くべきだという、このことに対してのチェックの度合い、賛成が二二で反対が四六になっている。つまり私は、このことに対する国民世論の動向を言いましたけれども教育基本法の第十条で言うところの、教育が直接、国民に責任を負って行うということになれば、国民世論がこのようなところにあるにもかかわらず、文部省並びに審査委員の、言うならば主観的な配分なりその考え方によって内容が大きく変えられるとするならば、これは国民の目から見たら大変な問題だと私は思うのです。したがってその辺で、なおこの公開なり、あるいはいまのような問題点については考える余地はないのか。文部大臣どうですか。これで終わります、文部大臣
  49. 小川平二

    小川国務大臣 教科書検定は、検定基準に従いまして厳正な態度で、教科用として真に適切な教科書がつくられるように、かような考え方で臨んでおるわけでございます。  この検定内容を公表すべしという御意見でございますが、ただいま初中局長から答弁をなさいましたように、検定を経た教科書は教科用として適切であると国が認定をした教科書でございまして、いずれも一人前の教科書でございます。そのようなものとして採択に際して評価さるべきである、これがフェアなやり方であると信じておるわけでございます。検定に際して、たとえばきわめて多数の誤字、脱字が発見されて訂正をしなければならなかったというようなこと、そのようなことまで含めて一切合財公表いたしますことは必ず採択に影響するでございましょうから、フェアな環境で採択が行われるべきであるという考え方から、ただいまこれを公表するつもりは持っておらない次第でございます。
  50. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 以下の問題については、時間になりましたので次回に譲りまして、以上で質問を終わります。
  51. 青木正久

    青木委員長 河野洋平君。
  52. 河野洋平

    ○河野委員 冒頭に総理府に御質問をしたいのですが、おられますか。——昨年の十月二十三日以降、文部省文部大臣から総理府総務長官に対して、青少年の非行問題で話し合いが持たれたかどうか、お答えをいただきたい。
  53. 阿南一成

    ○阿南説明員 お答えをいたします。  昨年の十月、当委員会におきまして、先生から自動販売機のたばこの規制その他につきましての御質問があり、それが文部大臣から当総理府の方にお話をしてもらうということにつきまして、私たちも承知をいたしておるところでございます。
  54. 河野洋平

    ○河野委員 文部大臣から総務長官にお話があったかと伺っているのです。
  55. 阿南一成

    ○阿南説明員 お答えいたします。  文部大臣から総務長官ということでございますが、事務的に私どもの方に連絡があったことを承知をいたしておるところでございます。
  56. 河野洋平

    ○河野委員 事務的にあったんですな。
  57. 阿南一成

    ○阿南説明員 はい。
  58. 河野洋平

    ○河野委員 それでは、文部省から総理府に事務的に話し合いがあった結果、どういうことになったか御説明願いたい。
  59. 阿南一成

    ○阿南説明員 青少年の健全育成の観点から社会環境の浄化につきましては、従来、私ども、鋭意努力をしておるところでございますが、特にたばこの自動販売機による販売につきましては、先生からの御質問を踏まえまして、公社とも種々協議を図らせていただきました。  たばこの夜間における販売の問題につきましては、小売店の営業上の問題とかあるいは生活上の問題その他につきまして公社からもるる説明がございまして、私どもといたしましても、この問題について全国一律の規制はなかなかむずかしいものであろうというふうに思量しておるところでございます。
  60. 河野洋平

    ○河野委員 前回私は文教委員会文部大臣に対して、青少年の非行化の一つの契機になるのは未成年者の喫煙、飲酒、これが一つのきっかけになる、これはそのときの委員会で、警察庁の方が御出席になって、警察庁の方がきわめて明快に、それが一つ原因です、こういうお答えがございましたので、私は、それではそこだけでもせめて防ごうじゃないか、未成年者の喫煙、飲酒、そういったものが非行化への窓口といいますか玄関口になってしまうなら、そこだけでも抑えようじゃないかということでお話しを申し上げた。現実にそういうことをやっている町があるのですね。前回も申し上げましたが、余りしつこく申し上げませんが、滋賀県にある多賀町という町で町民会議を開いて、非行化防止のために多賀町内にあるたばこの自動販売機、お酒の自動販売機は夜間はストップさせるということを決めて、一定の——これはどれがどの程度の成果という計量化はなかなかむずかしいと思いますけれども、町長さんに言わせれば、私は一定の成果が上がっていると思います、こうおっしゃっておられる。私も、きっと上がっているだろうと思いたいのでございます。しかし、小さな町が、一町だけ自動販売機の規制といいますかストップをやっても、橋を渡って隣町に行けば幾らでも子供がお酒を買える、たばこを買える、これじゃぐあいが悪いですから、できるだけ広範囲に、全国的にひとつこういう運動を広げたらどうだろうかという提案を、大臣、実は前回したわけです。  それで文部大臣も、田中大臣でございましたけれども、非常に乗り気で、それはひとつ総務長官と相談をしてやりましょう、こういう御返事でございましたが、どうもその後一向に進んでいる気配がない。現在文部大臣は、青少年の非行化——これはいろいろな理由がありましてね、一つやめれば、それでもう非行化がばあっととまるというそんな単純なものではないことは十分わかっておりますけれども、演説をしてみても、善処いたします、期待していますと幾ら言ったってだめですよ。まるでだめ。そんな演説をぶったり、善処しますとか期待しますと言うよりは、ほんの少しずつでも、たとえば、たばこはもともと未成年は吸っちゃいけないということになっているけれども、自動販売機をつけてから、もうだれでも、いつでも買えちゃうわけですね、そういうものは、せめて子供が買いに行ったときには、子供は吸っちゃだめよと、たばこ屋のおばさんが注意できるということにしておくべきではないか。確かに、大人が残業の後、夜中に家へ帰る途中でたばこをちょっと買って帰るときには、一晩じゅう自動販売機を運転している方が便利だということはよくわかる。だけれども、未成年の非行化を防止しようと思ったら、大人が多少不便になっても、それはがまんすべきものじゃないか。大人にとって便利だからという理由で子供の非行化をとめずに放置しておくことはよくないというのが私の論旨でございましてね。私は、文部省で、非行化防止のために学校の先生方を督励するのもいいですけれども、非行化の多くの原因はやはり社会環境にあるというふうに思いますから、学校の先生を幾ら督励しても、それだけじゃ非行化はなかなかとまらない。やはり社会環境をやらないといかぬということになると、文部省の中で幾らやってもなかなか不十分な点があれば、これはその当時文部大臣から、それは総理府がそうした調整をおやりになるから総理府と相談しましょう、こういうお話だったですから、総理府と御相談の上どういう施策が具体的に講ぜられたかということをきょう聞いて、いい返事があるのを実は楽しみにして私は出てきたのですけれども、いまのお答えだと、つまり結論は何にもしてない、相談はしたけれども結局は何もしなかったということですか。
  61. 阿南一成

    ○阿南説明員 お答えをいたします。  自動販売機の実態につきましては相当に地域によって格差がございまして、その対策の進め方につきましても、それぞれの地域の諸事情があるということをるる公社側から説明を受けて帰ってきた次第でございますが、総理府といたしましては、それはそれといたしまして、やはり関係業界の方々に地域の実情に調和した自主規制の促進方をお願いいたしたい。それから二点目は、住民の地域活動の促進をさらにやらなければいけない。三点目は、法令、特に私どもの方としましては、青少年保護育成条例というものの指導を持っておるわけでございます。たばこはいまのところ直にかんでおりませんけれども、有害図書等につきましては、ある県の条例におきましてはかなりの縛りをかけておるところもございます。こういったものについて対策を進めていかなければならないというふうに考えておりますし、また現実にその方向で努力をいたしておるところでございます。  さらに七月と十一月に、七月は青少年を非行化から守る全国強調月間、それから十一月は全国青少年健全育成強調月間というものを定めまして、この月間には特に力を入れまして社会環境の浄化活動に努力をいたしておるところでございます。  実は昨年の七月から、専売公社とも協議を申し上げまして、総理府、警察庁、専売公社の連名をもちましてポスターを作成いたしまして、青少年の喫煙防止の広報活動をやらせていただいておるところでございます。こういうポスターを専売公社の費用でつくっていただきまして、総理府と警察庁ということでやらせていただいております。
  62. 河野洋平

    ○河野委員 もう一回文部大臣と少しお話し合いをさせていただきたいと思います。  大臣、警察庁は、子供が非行化するときのきっかけは、ちょっとたばこを吸って大人になった気分になってみるとか、酒を飲んで酔っ払っていい気持ちになってみるというのが非行化へ引きずり込まれる一つのきっかけだ、これは警察庁の調査その他の判断で説明があった。それはそうだと思いますが、大臣どうですか。
  63. 小川平二

    小川国務大臣 非行に走る原因として列挙いたしました文書が警察のものであったか記憶が定かでございませんが、大人のまねをしてみたいという動機が確かにあったと記憶いたしております。そのとおりだと存じます。
  64. 河野洋平

    ○河野委員 心身ともに大人になり切れないうちに大人のまねをして非行化へ引きずり込まれる、そして特定の暴力団とかかわり合いができてしまうとかということがあると思うのです。そこで、少なくとも心身ともに成長をして、もっと自制心がきちっとできるとか、これはやってもいいけれども、これはここで踏みとどまらなければいかぬというような心構えができるまでの間は、やはり大人が注意をするとか法律による規制があるとかということが当然だと思うのですね。  そこで、実にささやかなことでございますけれども、せめて未成年の喫煙、飲酒を多少でも防止する一つの手だてとしてたばこの自動販売機、——もう無制限にだれでも買えてしまうという自動販売機、お酒も自動販売機で売れるのです。したがって、これらは、以前はちょろまかしてたばこを持ってきて裏へ行って吸わなければいけなかったのが、いまはもう大っぴらにたばこを買ってきて、吸うときだけはちょっと陰に隠れれば吸えるという、これはぐあいが悪い。少なくとも、青少年の喫煙を禁止しているわけです。いままではそれがどういう歯どめだったかというと、たばこ屋さんでたばこを売っていたから、子供が買いに行ったら、いけませんよと言えたわけです。しかし、たばこ屋さんがみんな寝てしまったならば、あるいはたばこ屋さんがきょうはお休みだからといって閉めて全然見張ってなくたって自動販売機では買えてしまいますから、未成年者の喫煙あるいは飲酒は以前よりはずっとそういう方向に引きずり込まれる可能性が多くなってきたと言われれば、それはそうだと私は思うのです。  そこで、喫煙してはいけない、酒を飲んではいけないと法律で決まっているのですから、せめてそういう未成年者には売らない、あるいは買いに来ても注意をするという条件のもとでなければ自動販売機も認めない。つまり、自動販売機というのは人手を省くという意味であるわけで、ほかにお菓子を売りながら、あるいは乾物屋さんが乾物を売りながらお店の片隅に自動販売機を置いておいて、子供が買いに来たときに、ちらっと見て、あんた吸っちゃだめよと一言言える、それはまだいい。ところが、完全に店が閉まってしまって、寝込んでしまって、だれも見ていないところで自由に買えるというのはぐあいが悪いのじゃないか。だから自動販売機がいけないと私は言っているのじゃなくて、自動販売機で手が省けるということはちっとも構わないのですけれども、要は、一定の責任者が監視できないときには自動販売機をとめておいたらどうですかということなんですよ。  それを滋賀県のある町でやってみた。やると、さっきもお話があったように小売店でたばこの売り上げが減ってしまうと困る、こう言っていたのですが、現実にやってみたら、少なくともその町の数字を見ると売り上げが全然減らないのです。八時以降は自動販売機もないとわかれば、事前に買い置きをするとかそういうことになったらしくて、たばこの売り上げも全然減らなかったという実績もあるのです。ただただ「吸いすぎに注意しましょう」と書いてあるからいいじゃありませんかとか、あるいは酒の自動販売機には、未成年の飲酒は禁じられておりますというステッカーが張ってありますからいいのですという説明ではもうだめなのじゃないか。いまは、そんなに横着ないいかげんなことをしておいて、一方で未成年の非行が大変だ大変だと口では言うけれども、実際にはこんなささいなことすらできないというのではだめじゃないかと私は思うのですが、いかがですか。  もう少し申し上げましょう。全く同じ話を前回したのですよ。そのとき田中文部大臣はいたく感銘をされて、全く同感ですと答えている。速記に書いてあります。お説のとおりですと田中大臣は答えた。所管大臣である中山総務長官にあなたの意図を申し伝えます、こうきちんと言っているのです。だけれども、申し伝えた結果があの程度だから、もう一回大臣理解をしてほしいと思うのです。いかがですか。
  65. 小川平二

    小川国務大臣 確かに、先ほどからるるお話のありますとおり、自動販売機は青少年を健全に育てていくという観点から大きな問題だと存じております。  初めに引用なさいましたのと似たような例をかつて私は聞いたことがございますが、PTAと地域の団体の強い要望を拒否しがたくなって、比較的子供に与える影響の少ないような場所に自動販売機を移動したという例も聞いておるわけでございますが、さて、そういうことをやって果たしてどの程度の実効が上がるものやら、あるいはまた、全国的にそういうことを行ってもらうのはなかなかむずかしいことと考えております。一番簡単な端的な方法は法律で規制をするということでございましょうけれども、恐らくこれは財務の当局が財政収入確保という観点から強く反対するでございましょうから、なかなか実行しがたいことではなかろうか。  いまの具体的な御提案は、八時以後自動販売機を使わないという……(河野委員「私は八時が十時でもいいと思っているのです」と呼ぶ)申し合わせで実行した、その結果、子供の喫煙を防ぐ上で相当顕著な効果があった、こういうことでございますね。(河野委員「そうです」と呼ぶ)確かにそれは一つの方法でございます。ただそれは自動販売機を設置しておる人が自主的に決定すべきことでございましょうから、なかなかどんぴしゃり全国にわたってこれを実行させるということもむずかしいことではなかろうかと考えておるわけでございます。一つの方法でございましょうから、どうやってそのような事例をより広い地域に広めていくことができるかどうか研究をいたしてみたいと存じております。
  66. 河野洋平

    ○河野委員 ぜひ研究をしていただきたいと思うのです。滋賀県の多賀町の例を申しますと、これは町民会議を開いて全町民が参加をして議論をした結果、やめよう、その結果は小売屋さんからはやはり困るというお話も出たようでございますけれども、いろいろ議論をして、それならば非常に少ない時間でもいい、たとえば夜十一時から明け方五時まででもいいからとにかくとめてみようじゃないかということから始めた。  お酒、たばこ、これらについては自動販売機を認めるときには、少なくとも自動販売機で自動的に売られる場合にはそれを管理できる、つまり売っていい人と売って悪い人と管理ができるということが前提でなければいかぬのじゃないか。とにかく自動販売機を、買い取りだそうですから、買い取ってしまえばそれを置いておいてだれが来ようが、どれだけ売ろうが、どんどん売れるということでいいのだろうかどうだろうか。これは一つの規制でございますから、小売屋さんには一種の不利益になる部分もあると思いますから、法律で規制するといっても大臣おっしゃるようにぴしゃっといかないことも多かろうと思います。しかし、地域的にこういう運動が盛り上がってくれば、それは青少年育成に責任を持つ文部大臣としては喜ぶことではあっても、たばこ屋さんの方のひいきをしてそれはいかぬというべき筋のものではないのじゃないでしょうか。それはいかがですか。
  67. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのとおりでございます。
  68. 河野洋平

    ○河野委員 ですから文部大臣、もう一度総理府と御相談をいただけないでしょうか。そうして総理府さんも知恵を出してほしい。ポスターを張って非行化がとまるかな、僕は無理だと思いますね。先ほども申し上げましたように、やはりいまは、大人は不自由になる、あるいはいろいろ問題が起こっても、いま大人は相当にがまんをしても、青少年の非行化防止のためにもし効果があるならやってみる必要があるのじゃないでしょうか。こういうことをやる以外に非行化防止に、じゃ具体的に文部省は何ができますか。局長に伺いますけれども文部省の方でどなたでも結構だけれども、青少年の非行化防止で文部省がやれることなんかないのじゃないですか、本当のことを言うと。学校を督励する、先生にがんばれ、がんばれと言うことはあっても。この問題は本省が少し知恵と勇気を出して、大人が便利だ、あるいは大人の興味を満たすからという理由で子供の非行化を促進するようなことはやめさせる、酒、たばこ、有害図書、それからまだほかにもあるのじゃないですか。  この前田中大臣とお話し合いをしたのは、もう一つ、テレビ番組もそうだ。教科書の議論が相当かまびすしくあって、私にも教科書問題については意見がありますけれども教科書がいま子供に与えている影響よりも、残念ながらと言うべきか何と言うべきか、テレビが子供に与えている影響の方が大きいのじゃありませんか。それならばテレビのあの番組から受ける影響を何とかしなければいかぬ。しかしこれも、大臣先ほどもおっしゃったように、自由主義社会、表現の自由、これはわれわれが一番守らなければならぬものですから、これも法律できちっと規制をするというわけにはいかないでしょう。しかしそれにしても、未来を担う子供たち教育あるいは育成、健全育成ということに最高責任をお持ちの文部大臣からすれば、いまのテレビにしても雑誌のたぐいにしてもずいぶん心を痛めておられる部分があるのじゃないですか。それならもっと素朴に率直にテレビ制作者に、文部大臣として非常に心が痛む、こういうことでいいか、お互いに子を持つ親として考えようじゃありませんかと文部大臣はおっしゃるべきじゃありませんか。それは何も強権を使って制限するとかなんとか、それはする必要ないし、またできないでしょう。だけれども、やはり教育の最高責任者は率直にそれはおやりになるべきだと私は思いますが、そういうことをおやりになるお気持ちはございませんか。
  69. 小川平二

    小川国務大臣 私はこの種のものを端的に法律で規制してもらいたいと、本当にこれをこいねがっておるわけでございますが、一種の国際的な相場のようなものがあるわけでございましょう。日本だけこれを厳しく規制いたしますと、表現の自由とかなんとかいうことになって訴訟を提起された場合に果たして勝てるかどうか自信が持てないというような種の事柄でございましょうから、なかなかそれも簡単にはやりかねると存じます。  テレビの制作者等に対して文部大臣として注意を……(河野委員「注意というよりお願いでいいと思うのです」と呼ぶ)私のような頼りない大臣がそのようなことを申しましても、果たして先方がどの程度まじめに受け取ってくれるかどうか、なかなか自信の持てない問題ではございますが、この際いささかでも効果があると期待される手段、これはすべて動員しなければならないと考えておりますので、ただいまの仰せの点、ひとつまじめに研究をさしていただきます。
  70. 河野洋平

    ○河野委員 非常に頼りにいたしております。ぜひひとつお願いをしたいと思います。  ただ、大臣、ちょっと気になりましたのは、つまり国際的相場とおっしゃいましたけれども、これはどうぞ文部省のどなたか、ひとつ大臣に各国の事例なども説明してほしいと思うのです。総理府でも把握しているかどうかわかりませんが、たとえば、少なくとも私の記憶に間違いがなければ、アメリカを初めとして幾つかの国は映画などにおける規制は実に緩やかなんです。しかしテレビにおける規制は相当に厳しいというふうになっているはずでございます。それは、映画というのは明らかに意思があってお金を払って見に行く、しかも窓口で未成年の規制をするなど、方法があるわけですね。しかしテレビというのは、もうまともに茶の間に入ってくるわけでございますから、この規制は必ずしも——規制といっていいのか基準といいましょうか、映画の方の基準とテレビの方の基準とは相当違うのですね。それらはむしろ国際相場を勉強していいと思うのです。  日本は少し野放図過ぎるなという感じがございます。ぜひここらはお考えをいただきたい。大抵のことはたくさんおられる文部省のお役人さんを動員してできる話だと思いますけれども、こういうテレビとかあるいは出版という方々に対してはやはり大臣に汗を流していただかなければ、大臣から注意をするとかなんとかということもさることながら、私は、お願いをしてくれと思うのです。やはりあちこちで起こる事件その他を見ると、テレビの影響ではないかと思えるものがたくさんあるじゃありませんか。それを考えて、ひとつお互い子を持つ親としてここは考えようじゃないか。確かに大人の興味を満足させる。視聴率もそれによって上がるのかもしらぬ。しかし子供の問題を考えるときには大人の興味を満足させるからとか大人にとって便利だからということだけでとことんいってしまっていいかどうかということになると、いまわが国にとって非常に問題なのはそこにあるのだから、お互いにがまんをするといいますか、少ししんぼうするところがあっていいのではないかという注意をぜひ大臣から関係各方面にしてほしい。そういうことなしにただただわれわれがこういう国会の中で非行化防止について論じていてもなかなか防止にならないのじゃないか。だから、私はどんなささいなことでも一つ一つ実行をするということをぜひお願いをしたい。  文部省の方に申し上げておきますけれども、私はしつこいから、これは毎回やりますから、今度はどうなった、今度はどうなったと。だから次に私が質問するときにはまたこれについてやりますから、どこまで進んだか、その都度答えてもらいたいと思いますから、それだけは覚えておいてください。  それで、その次に高等学校の話を聞きたいと思いますが、よろしいですか。高等学校教育は、中高一貫教育といいますか、中高で一貫教育をやろう、そしてそれによって中高の教育の中にゆとりをつくろうというお考えのようですね。そう考えていいですか。
  71. 三角哲生

    三角政府委員 中高一貫教育とよく言われるのでございますけれども、おっしゃる方によってお考えの中身がいろいろある場合があるようでございます。私どもが今回の学習指導要領の改訂に当たって非常に注意いたしました点は、従来ともすれば、学習指導要領は十年くらいの周期で改訂をしてまいりましたが、とかく小学校は小学校、中学校は中学校というふうにそれぞれ孤立といいますか、個別にその教育内容というものの検討をやってまいったのでございますが、今回の改訂では、小中高の教育の間の連係といいますか、それに十分留意をして学習指導要領の改訂を行った、そういうことでございます。
  72. 河野洋平

    ○河野委員 小中は義務教育ですから十分連係していただいていいです。しかし、中高の連係というのはどこまで踏み込んで考えていいかということには問題がありはしませんか。高等学校は、大臣御承知のとおり、任意に進むわけでございますから、それを義務教育の中学と高等学校をひっかけて一つの連係といったって、中学でやめてしまう人だっているわけでしょう。  文部省とすれば高校への進学率はもっと高まると思っていらっしゃいますか。それとも進学率はこの程度で頭打ちだ、あるいはこれからはもう少し下がるのじゃないか、どうお考えになっていますか。
  73. 三角哲生

    三角政府委員 進学率の全国平均でございますが、これはもうすでに九四%を超えておりますので、今後しばらく前のようなぐあいに高まっていくということは考えにくいと思っておりますが、なお進学率の低い県がございまして、そういう県がいろいろな意味で努力をいたしたりしますと進学率を押し上げる要因になりますが、反面東京などの非常に人口の多い地域では逆に下がってくるという現象もありますので、かなりつり合いのとれた状況にいまあるのではないか。その一方、専修学校というもののメリットがまた非常に意識されてきておりますので、若干はまだふえるかもしれませんけれども、そう既往のようにぐいぐい伸びるということはないのじゃないかというふうに見ております。
  74. 河野洋平

    ○河野委員 いま最後にちらっとおっしゃった専修学校、専修学校の存在、専修学校の価値といいますか、そういうものはこれから非常に大きくなっていくだろうと見るのはこれは一般的なのじゃないかと思うのです。高等学校への進学率は、いま局長おっしゃったように大体ここらでよくて横ばいと見るのが普通でしょうね。そしてなおかつ、いま高等学校は、進学率は横ばいだけれども、どうですか、卒業率という言葉があるかどうか知らぬけれども、卒業する人のパーセンテージは下がっていはしませんか。
  75. 三角哲生

    三角政府委員 まさに河野先生おっしゃいましたように、進学率ですが、五十四年度に九四%、これがこれまで最高、こうなりまして前年度よりも〇・五%ふえていたわけでございます。ところが五十五年度は九四・二、ですから〇・二%、それから五十六年度が九四・三、〇・一%、ですから伸びるパーセントは非常につり合いがとれたといいますか、この辺で落ちつくのじゃないかということはこの三年間のカーブで見ますと言えるだろうと思います。  それからいま御質問の卒業率と申しますか、これは入学時の入学者数とそれらが各年に卒業した数、これを対比してみますと、全日制で申しますと、五十六年度で見まして九四・九%でございますが、五十五年は九五・二、五十四年が九五・三、五十三年が九五・五、五十二年が九五・七でございますから、卒業率はわずかでございますけれども、下がってきております。
  76. 河野洋平

    ○河野委員 進学率は横ばい、そして恐らく中期的に見ると、専修学校へ行くこの流れというのは相当大きくなるだろうとも思えるし、それから高等学校へ行く人たちの中には、こういう表現はよくないかもわかりませんが、目的意識が非常にあいまいで、やり切らずに途中でやめてしまうという人の数が五%前後はいる、そう考えていいのですね。五%くらいいる、こういう状況の中で、中学と高校の連係といって、これが中高を思い切って一緒にして、六・三・三を思い切って変えて、六・六といくのか六・五といくのかいろいろお考えがあるでしょうけれども、そういうところまで思い切っていこうというなら、それは連係というのはありますよ。それでいこうと思っているなら一つのは連係はいいですよ。いこうと思っていないで、ただ連係連係と言っていていいかどうか、そこら辺は非常に大事なところじゃないでしょうか。せんだっても報道によると、六・三・三制についていよいよ真剣にお考えになるような報道もございましたけれども、こういう席ではなかなかおっしゃりにくいでしょうけれども、一遍思い切って言ってみたらどうですか、局長
  77. 三角哲生

    三角政府委員 大臣からもいずれお答えがあるかと思いますけれども先ほど来おっしゃいました点につきまして若干申し上げますと、御意見のように中学校というのは義務教育、そこで完成するわけでございますので、将来の国民としてどうしても必要な基礎、基本的な事柄、国家、社会形成者としてのいろいろな知識なり技能なりは、そこが一つの区切りということで、そこで一つの完成したものということにして考えなければいけないわけでございまして、高等学校はさらにその上に立って将来の、よりと申しますか、法律では「有為な形成者」というような字を使っておりますけれども、なお普通教育なりあるいは専門教育をそこで展開していくということでございますから、おっしゃいますように中高の連係というのは小中の連係とは若干意味合いを異にするだろう、こういうふうに思いますが、ただできるだけそこのところは、高等学校へ行けない子供、専修学校へ行く子供あるいは職業に入る子供もおりますけれども、九四%という子供高等学校へ行くわけでございますので、できるだけ中高の間にありましても教育内容の面では有機的な連係と申しますかが意図されるように持っていきたい、こういうことでございますが、しかし教育内容そのものを考えますときには、高等学校の年齢段階になりますと、中学校の段階でも若干そういうふうな発達がございますが、より一人一人の能力なり適性なり興味なり関心なりあるいは将来どっちへ進もうか、こういう面についての状況が非常にはっきりしてきて多様になってくるという年齢段階でございますので、高等学校教育もそれに応じた多様な内容を用意していく、こういう必要があると思います。  したがいまして、中学校まではどちらかといえば全国的に内容なり水準なりは共通なものを考えていくという面が強うございますけれども高等学校の場合にはやはり多様な内容を用意するということが非常に大事でございます。その意味で、たとえば中学校と高等学校一つの学校にするというようなことを考えますと、たとえば職業課程の高校など考えれば一番わかりいいと思いますが、一つの学校でそこまで多様な中身を用意できるかどうか。高等学校というところに生徒がそれぞれ中学校を出た段階で入り直すというようないまの仕組みが多様化という点では一つのメリットを持っているのではないか、こういうふうに考えております。
  78. 河野洋平

    ○河野委員 局長、ずいぶん長く続いたのだからやむを得ないと思いますけれども現行の制度にこだわり過ぎているのじゃないでしょうか。現行の制度に人間を当てはめるのではなくて、やはり人間発達とかいうものに制度を合わせていくというふうにしないと、いまの制度に人間をみんなはめ込んでいくという発想では少し無理があるのじゃないだろうかというふうに私は思うのですね。医学的に見てもいまの六・三・三の三・三というところにちょうど人間発達段階、心身ともに発達段階がひっかかる。しかもそこに何回目かの試験地獄みたいなものが来ちゃって、それが非常に問題を起こしていると医学的な見地からおっしゃる方もおられます。現行の制度というものがコンクリートでかたくなでもう壊しがたいものだというふうに考えないで、もっとうんと柔軟に考えるという必要があるのですよ。私はそう思いますね。  だから、たとえば制度の中でも確かに落ちこぼれの方々に対する手当てというのも重要だと思うけれども、伸びていく能力を持った人間がより伸びられる、そういう制度だって必要じゃないですか。飛び級というのですか、そういう制度なんかももっと思い切ってとっていくとか、もうちょっと学校制度について柔軟に考える。かたくなにいままでの制度の中に人間をはめていって能力を押し殺していくというやり方は得じゃない。まあ損得というのは変な言い方ですけれども、必ずしもいいとは限らない。もっと柔軟に教育制度について考えていく。より高い能力を持つ人間は思い切って自分で行けるようにしてあげるとか、それからついていけない人たちもどういうふうに救いながら連れていくかということを考えていく時期じゃないでしようか。もっと自由濶達に制度についても考えてみる。大臣、いかがですか。
  79. 小川平二

    小川国務大臣 現行の制度に固執をいたしまして、何でもかんでも鋳型の中にはめ込まなければいけないというような考えは毛頭持っておりません。ただ、ただいまお言葉に出ておりまする中高一貫校をつくるといたしましても、設置者が異なっておりまするから行政の面に問題が出てくるでございましょう。やる気になれば解決できるはずだ、こうも言えるかと思いますが、実際問題として突き当たる一つの問題点でございましょうし、なかんずく今日のような状況下では財政に与える影響ということも考えないわけにいかない。  そこで、ただいまの御論旨は十分わかるわけでございますが、この時点で一挙に学制の改革に手をつけるということが果たして適切であるかという点につきましてはやはりちゅうちょせざるを得ない気持ちがございます。ただ、言うまでもなく大事な問題でございますから、常時研究を怠ってはならないと存じまするし、現在中教審に教育のあり方について御審議を煩わしておるわけでございますが、これに関連をして学制の問題についてもいろいろの御論議が行われるのではないかと予想をいたしておるわけでございます。さような御論議が出てまいりました場合にはこれをも貴重な参考といたしましてさらに研究していきたい、こう考えております。
  80. 河野洋平

    ○河野委員 いまの大臣の御答弁を私流にこういうふうに解釈したいと思うのです。現行の制度というものを固定してその中でいろいろ議論するということよりも、もう少し幅を広げて、その制度についてもいろんなところでいろんな議論をまずはしてほしい、一遍に制度改革とはいかないけれども現行制度の中でごちょごちょやるのじゃなくて、場合によればそういう枠を超えてでも学校教育制度について議論があっていいじゃないか、そしてそういうものの中にいいものがあればやっていけばいいじゃないか、そういうふうに理解をしたいと思いますが、よろしゅうございますか。
  81. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのとおりでございます。現行の制度についていろいろな御批判、御不満、御意見の出ていることは承知しておりますけれども、そして具体的な改革の提案もたくさんあると存じますが、しからばどうやればいいかということについては今日なお広範なコンセンサスがあるわけでもないような現状のようでございまして、いずれにせよ大変むずかしい問題であり、したがって慎重に対処するほかない、こう考えております。
  82. 河野洋平

    ○河野委員 これも大臣から、現行学校教育制度を含めて、本当に日本のすぐれた能力を生かすために教育制度についてみんなで考えようじゃないかと呼びかければ、それはもうさまざまな知恵が集まるだろう。いままでは現行制度というものをとにかく前提にして、この中でどうするかということだけを考えていた。そういうものを超えてもいいから、少し思い切ってとにかくいま日本学校教育制度についてみんなで知恵を持ち寄ろうじゃないか、そういうぐらいのお気持ちを大臣に持ってほしいと思うのです。私は多少ひっかかりましたが、いま大臣のお話の中にちらっと、こういう財政状況もありと。現実的にはそうなのかもわかりませんが、余り財政状況ばかりで教育を論ずるわけにもいきますまい。多少ひっかかりましたが、しかしわざとそこでひっかかっておいて、次の質問に行きたいと思うのです。  幼児教育について少しお伺いをしたいと思うのです。  「三つ子の魂百まで」あるいは「氏より育ち」、こう言うのですから、もうオギャアと生まれたときから子供教育というものは始まるのでしょう。文部省子供教育で責任を負うのは何歳からですか。
  83. 三角哲生

    三角政府委員 義務教育としては満六歳からでございますが、その義務教育前の就学前教育として幼稚園教育がございまして、これはいま三年保育というのがございますから満三歳から、こういうことでございます。
  84. 河野洋平

    ○河野委員 そういう形のあるものはそうだけれども、実際は母親教室とか、そういうものにも文部省は予算を出しているのでしょう。そういうことを考えれば、ある意味ではゼロ歳あるいはおなかの中にいるときからと考えてもいいのじゃありませんか。
  85. 三角哲生

    三角政府委員 社会教育局の方でいま御指摘のように家庭教育とか母親教育とか、そういう形で子供の養育の問題あるいは妊娠時のいろいろな注意も内容として進めておりますし、それから学校でも保健体育とか家庭科とか、そういうところで、将来母親になった場合のいろいろな心構えなりあるいは基本的な技術なり、そういう内容を盛っておるわけでございます。
  86. 河野洋平

    ○河野委員 そうなんですよ。家庭教育とか母親教室に予算をつけていらっしゃるから、文部省とすればもうゼロ歳から死ぬまでの教育みんなあずかっている、そういうふうにむしろ自信を持っておっしゃっていただきたいのだけれども、しかし、一歩入ってみると、母親教室にお金は出しているけれども、金を出しているというだけであって、どれだけ指導をしているかということになると、どのくらい指導していますかね。
  87. 三角哲生

    三角政府委員 私、ただいま所管外でございますけれども、いま後ろに前の社会教育……(河野委員「どなたからでも結構です」と呼ぶ)
  88. 山中昌裕

    ○山中政府委員 文化庁の所掌ではございませんが、前に社会教育をやっておりましたので、お答え申し上げます。  家庭教育指導資料を作成いたしまして、いま言った家庭教育学級等の指導に当たったり、あるいはテレビを用いました家庭教育相談事業というもので各親御さんの悩みに答えていく、あるいはそれに寄せられたアンケートに対して往復はがきで答えていく、こういう形で中身についても行っておりますし、それからまた学識経験者の方々を集めまして、家庭教育でどういう問題点について親御さんに考えていただいたらいいかというような、審議会とまでまいりませんが、いわば研究会をもちまして、一定の指導に当たって考えるべき手引というものをいただいておりまして、こういったものを教育委員会でこの指導に当たります社会教育主事の方に配付して、指導を万全ならしめる、このようにいたしております。
  89. 小川平二

    小川国務大臣 私が事務当局の答弁を補足するというのはいささか奇妙なことでございますが、ただいま申し上げました家庭教育相談事業というのは、東京、大阪という大都市ではなかなか実行しにくいのでございますが、これを除きましたきわめて多くの府県で現に実行しておりまして、二歳以上の子供を持っている家庭に対して繰り返し繰り返しはがきを出す、幼児のしつけについての基礎的なことを教えますと同時に、子供をしつける上の悩みについて返事をとる、これを収録いたしておきまして、その後、巡回して現場に出向いて指導するときにその悩みに答える、この種のことをやっているわけで、現に六十万世帯について繰り返し繰り返しこれを実行しているという説明を聞きましたので、これは相当濃密なことをやっているなという印象を私は持っております。
  90. 河野洋平

    ○河野委員 大臣に御答弁をいただいて恐縮いたしております。  幼児教育はなかなかむずかしいですね。子供が生まれた時期がとにかくばらばらなんですから、それを一括して教育するわけになかなかいかない。マンツーマンでやらないとなかなかうまく指導ができないというようなことがありますから、マスエデュケーションというわけになかなかいかないのでしょう。そういういろいろなむずかしさがあると思います。ある人に言わせると、どうも文部省へ行っても、文部省の所管ではあるだろうけれどもなかなか現実には指導を受けるのはむずかしい。大変御不礼な言い方で恐縮ですけれども、厚生省へ行ったら厚生省も赤ちゃんのことを大変めんどうは見てくれるけれども、厚生省で一番関心があるのは身長と体重で頭の方は余り関心がないらしい、こう嘆いておられた方があったのですね。そんなこともないと思いますけれども。  そこで幼児教育、まあ赤ちゃんのころのことはきょうはちょっとさておきまして、幼稚園、保育所の問題について少し伺いたいと思うのです。  まず最初に厚生省に伺いますが、現在の保育所と幼稚園と違う点はどこでしょうか。
  91. 横尾和子

    ○横尾説明員 私ども、一番の違いは、家庭にかわる世話の部分を教育機能の下支えとして付加している、抽象的に申し上げればこの点ではなかろうかというふうに理解しております。
  92. 河野洋平

    ○河野委員 そうすると、保育所は、幼稚園の機能プラス保育に欠けるお母さんといいますか、お父さんの保育に欠ける部分を支える。幼稚園の機能プラスそれがある、こう考えてよろしいですか。
  93. 横尾和子

    ○横尾説明員 おっしゃるとおりに考えております。
  94. 河野洋平

    ○河野委員 そうすると今度は文部省に伺いますが、これは子供を預かる時間もたしか幼稚園は四時間、保育所は八時間を超えておるのでしょうか、八時間ぐらいでしょうか。子供を預かる時間の違いも相当あると思いますが、幼稚園でやっていることは保育所でやっているという保育所側の御説明があって、私もそれはそうだろうと思うのですが、幼稚園がというのは変な言い方ですが、文部省所管の幼稚園の教育の仕方と保育所における教育の仕方で差があると文部省はお考えになっていらっしゃいますか。
  95. 三角哲生

    三角政府委員 私ども、幼稚園は、先ほどの御質問にお答えしましたが、就学前の一つ教育として一つの学校の形態でございます。したがいましてこういう非常に簡単なものではございますけれども、幼稚園教育要領というものをつくりまして、これに基づいて一日四時間、こういう教育をやっておるわけでございます。保育所の方でも厚生省の方で幼稚園教育要領に準じたような形の保育指針というものをおつくりになってやっておられますから、そして受け入れております子供は、ただ親の条件が違うというような点はございますけれども子供としてはどういう子供も同じ子供でございますので、幼稚園と似たような教育機能を遂行しておられる。こういうぐあいに理解しておりますが、幼稚園の方は主として午前中を中心とする四時間というものを使いましていろいろな教育活動を組織的に展開いたします。大体その年齢の子ですと教育の事柄をやりますのは四時間というのがいいところの限度である、こういうことでございますので、その後は家庭に帰りまして家庭での生活をする。こういうことでございますが、保育所の場合は八時間ないしは人によってはそれ以上預けてもらう。こういう場合もありますのでございましょうから厚生省の課長の方からもいろいろ御説明いただけると思いますが、必ずしも、教育というものを四時間みっちりやってあとは休む、こういうことではなくて八時間の間でいろいろ御工夫なさっている。ですからやり方の上で必ずしも幼稚園と保育所の間で共通しない部面もあるだろう、こういうふうに思います。
  96. 河野洋平

    ○河野委員 よけいなことはちょっと省いて、小学校の一年生に上がってくる学童といいますか、子供たちで、幼稚園を経験して小学校に入る子供と保育所を経験して小学校に入る子供とそのいずれでもない子供とあるわけですね。いずれでもない子供は申しわけないけれども、この際こっちへ置いておいて、幼稚園を経験して小学校の一年生に入ってくる子供と保育所を経験して入ってくる子供とで学力、小学校の一年でそういう言い方があるかどうかわからないけれども、違いがあるという報告がありますか。それとも、父兄によっては多少違うのじゃないかと心配なさる父兄がおられるけれども、いやそんなことはありませんよというふうに一般的には言われているのでしょうか。それはどうですか。
  97. 三角哲生

    三角政府委員 これは部分的な調査みたいなものはあるようでございますけれども、公の場で一般論として申し上げられるようなものかどうかについては私若干危惧を感じます。それから、小学校一年に入る子供というのはまだ六歳でございますから、幼稚園だから、保育所だからといって知的能力というような面で云々できるような年齢的にも段階でもないというふうな考えでございますが、若干しつけといったような面で、その地域によって、幼稚園の場合はどう、保育所の場合はこうと、こういうことはあり得るかもしれませんが、先ほど冒頭申し上げましたように、それは部分的なデータとしてはあり得ましても、これは全国共通のそういう傾向だというふうにはちょっと申し上げられないと思います。
  98. 河野洋平

    ○河野委員 いま局長そういうふうにおっしゃったけれども、幼稚園だからこう、保育所だからこうということよりも、むしろもっと個別的なものなんじゃないでしょうか。そして知的なものよりもむしろ集団生活にどういうふうにうまくなじんでいく訓練ができているかとかそういうことなんだろうと思うのです。話があちこちになって恐縮ですが、先ほど局長からも話があって厚生省からも伺いますが、教育というか、あるいはしつけといいますか、幼稚園は幼稚園教育要領というものがあって、保育所にもありますね。その指導方針については幼稚園も保育所も違いはないと考えていいですか。字句は多少違うかもしれませんよ。てにをはは違うかもしれないけれども指導方針は違いはない、こう考えてよろしいですか。
  99. 横尾和子

    ○横尾説明員 私どもの保育所保育指針は昭和四十年につくっておりますが、その際、三、四、五歳、幼稚園該当年齢児については指導内容について同じ目的を掲げてございます。
  100. 河野洋平

    ○河野委員 大臣はお気づきになっていらっしゃると思いますけれども、いま全国的に幼稚園と保育所というのはかなり偏在している。地域によって非常に幼稚園の多い地域、そしてその地域には保育所が比較的少ない、ある地域には非常に保育所が多くて幼稚園が非常に少ない、そういう地域がある。それは、局長、そうですね。
  101. 三角哲生

    三角政府委員 おっしゃるとおりでございます。
  102. 河野洋平

    ○河野委員 ということになると、本来保育所と幼稚園というのはそれぞれの目的がちゃんとあって、保育所には保育に欠ける子供たちとか、幼稚園にはそれなり目的があったわけですけれども、いまそういう地域的な偏在などを考えますと、全く同じとは言えるかどうかわかりませんけれども、かなり同じになってきた、あるいはかなりの部分が共通するようになってきた、こう考えていいと思いますが、いかがですか、局長
  103. 三角哲生

    三角政府委員 幼稚園は非常に少なかったり、あるいは未設置の市町村も多いのでございますが、そういうところでは保育所へ行っておる、そして、保育所本来の子供を預かって家庭の機能を果たしてもらうということ、そこまでの必要がない子でも、幼稚園がありませんと保育所の方へ通わせるということになりますので、そういう意味では結果的にそういう市町村においては幼稚園の機能がそこで果たされている、こういうことでございます。
  104. 河野洋平

    ○河野委員 もう一点伺っておきますが、幼稚園と保育所では父兄の負担は相当に違うのでしょうか。これは比較がむずかしいのでしょうかな。もし比較ができる材料をお持ちだったら、幼稚園と保育所と父兄負担はどのくらい違うか、あるいはどのくらい似ているか、御説明いただければ御説明いただきたい。
  105. 三角哲生

    三角政府委員 幼稚園の入園料及び保育料、これが保護者負担でございますが、ちょっと数字が一年前になりますが、昭和五十五年度の全国平均を見ますと、年額で、公立が約三万九千七百円、私立が約十五万六千円、こういうふうになっております。保育所の方は、徴収金額というのは国の基準に基づきまして具体的には市町村が定めておりまして、これを国の基準で見ると、五十五年度には、月額で、生活保護世帯等の低所得階層では無料でございますが、高額所得層の所要経費、全額負担でこれが最高四万五千円強まで段階的に定められておりまして、全国平均で見ると、昭和五十四年度における徴収金額は年額約十二万四千円、こういうふうになっております。ただ、幼稚園の方は教育をしてそして帰るわけでございますが、保育所は八時間おりますから、その間にいろいろ食事をしたりおやつを食べたりそういうことはあろうかと存じます。  なお、必要があれば厚生省の課長さんの方からおっしゃていただきます。
  106. 横尾和子

    ○横尾説明員 保護者負担でございますが、五十六年度のベースで申し上げますと、大体国民の平均年収というのが四百万円程度というふうに考えてよろしいかと思いますが、その階層をモデルとして出しますと、月額で一万四千円から二万五千円ぐらいの幅がございます。
  107. 河野洋平

    ○河野委員 大臣、私いまいろいろなことを申し上げましたけれども、さっき大臣がおっしゃった学校制度の改革について、いまは財政の問題もあるし、恐らくその言葉の裏には行政改革その他非常にこれから行政的にも問題が出てくる時期だという御認識が大臣におありなんだろうと思いましてこういう御質問を申し上げたのは、幼保一元化という問題がずいぶん長い間言われてきたわけですね、幼稚園と保育所というものを何とか一つにまとめられないか。もうどこへ行っても、厚生省所管の保育所と文部省所管の幼稚園というもので、やっていることは大体少なくとも保育所は幼稚園の機能は全部持ってなおかつプラスアルファをやっているということでございます。ところが、書類の問題、行政区分から言うと、片方は厚生省だ、片方は文部省だ、これは非常に問題じゃないだろうか。  私はもちろんその背景にいろんな問題があることは十分承知の上で申し上げているのですが、これはいろんな経緯があるし、歴史的な経過がございます。ございますけれども、もういま幼児教育というものを考えたら、この部分は保育所でございます、この部分は幼稚園でございますというよりも、たとえば、それが望ましいなら、できるだけ保育所にも幼稚園にも行けない子供たちの数を減らしていく努力を思い切ってしてみるとか、いま、厚生省、文部省の縄張り争いとは決して申しませんけれども、所管が違っていろんな議論をしている時期じゃないのじゃないか。幼稚園の方は幼稚園教諭というのですか、先生と呼び、保育所の方は保母さんと呼ぶなんというそんなことで違いをわざわざつくってみるよりも、もっと一つにまとめていく。幼稚園だって、さっき申し上げたように、地域的には、保育所のない地域は幼稚園が四時間教育した後子供をそれ以上に預かって保育所的機能を持っている幼稚園もあるやに聞いておりますし、いろんなやり方があるのだろうと思うのです。  この幼保一元化問題は、これはほうっておいたって臨調から必ず言われますよ。臨調から言われたらしようがない、やりますではなくて、文部省、厚生省がもっと積極的に幼児教育問題について思い切って論じてみるということがいま必要だと思うのですが、大臣、お荷物ばかりたくさん持たせて申しわけありませんが、これは御研究いただけませんか。
  108. 小川平二

    小川国務大臣 仰せの御趣旨はよくわかりまするが、この問題につきましては、厚生省と文部省で共同して設置をいたしました幼稚園及び保育所に関する懇談会というのがございます。そこで御協議、検討願った結果の報告をいただいておるのですが、これは河野先生の仰せに対しましてはまことにそっけないことになるのでございまするけれども、その報告におきましては、いわゆる幼保一元化の問題につきまして、幼稚園は学校であり、保育所は児童福祉施設であって、おのおの目的、機能を異にし、それぞれ必要な役割りを果たしている以上、簡単に一元化ができるような状況ではない、かようなことになっておるわけでございまして、この書いてある限りで確かにそのとおりだと私も思っております。ただ、御趣旨は十分わかるわけでございまして、私も文部省へ参ります前には何となく仰せのような感じを持っておったわけでございます。いまそういう御発言がございましたから、私自身さらに掘り下げてこの問題を研究いたしますことをお約束をいたします。
  109. 河野洋平

    ○河野委員 ありがとうございます。  確かに、私もその懇談会の報告書なるものも読ませていただきました。読ませていただいて、結論は簡単にはいかぬのだというのが結論のように拝見をしましたが、これは大臣お立場上あれでございますけれども、こういう懇談会の報告書というものは大体文部省と厚生省と両省で下書きを書いて頼むわけですから、これでいけばそれは両省の気持ちが、簡単にはいかないよ、こういうことなんだろうと私は思うのです。  しかしこの中をよく読んでみれば、実態は、保育所とはいえ幼稚園、つまり教育機能を果たしている部分はたくさんある。幼稚園であっても保育に欠ける子供たちをめんどうを見ている部分だってたくさんある。それはなぜかと言えば、さっき申し上げたように、地域的偏在を見ればはっきりしているわけですよ。保育所しかないと言うと言い過ぎですけれども、保育所が大部分で幼稚園が少ししかない地域の保育所はこれはもう教育機関なんですね。それから保育所が非常に少なくて幼稚園ばかりの地域は、やはり幼稚園とはいえ、その保育に欠ける子供たちをどうやって少しでも長時間お預かりをするかという努力を現実にしている部分はあるわけですね。ですから、確かにたてまえ上、理論と理論を厚生省と文部省というお役所でぶつければ、こういう結論になりますけれども、実態はむしろ現実の方が先行しちゃっている。現実の方が先行しているけれども、そこにお子さんを預けていらっしゃるお母様方は、うちの子供が行っているのは厚生省所管なのよ、私のところは文部省所管なのよという、川上をたどると全然違うという妙な感じになっている。明らかにこれは二重行政ですね。二重行政だと私は思いますよ。  こうした点は、確かにこれだけ権威のある方がお集まりになって懇談会が報告書をお出しになった直後に、こうは言うけれどもそうじゃないとはなかなかおっしゃりにくいというのはよくわかります。よくわかりますが、五十六年六月当時の状況と大分変わってくるように私は思いまして、実態もさらによく把握をされて、幼保一元化問題はぜひお考えをいただきたい。先ほど大臣の深く掘り下げてという御答弁、非常に私はうれしい御答弁でございました。私はどっちか一方に吸収合併しちゃえとかなんとかという乱暴なことを申し上げているのではなくて、幼稚園にも保育所の看板がかけられ、保育所にも幼稚園の看板をかけて、お互いに相互乗り入れをしてやるとか、あるいは年齢で三歳から何歳までは保育所で、それから上は幼稚園でとか、いろいろな知恵がいままでにもずいぶん出て、なかなかうまくいかずに今日まで来ているわけですが、そうしたことをもう一度ずっとおさらいをしてみていただきたい。幼児教育というのは何といっても学校教育の前、最も野心的分野、これがうまくいくかいかないかというのは国の教育にも非常に大きな影響がある重要な分野だと思いますだけに、ぜひこれらの点は掘り下げて御研究をいただきたいというふうに思います。  厚生省、どうも御苦労さまでした。ありがとうございます。結構でございます。  もう時間ですから、この辺で質問を終わりたいと思いますが、あと一点だけ、これはきょうはこういう問題があるよということをポイントアウトするだけにとどめたいと思いますが、文化財保護の問題がございます。  これは正直白状いたしますと、私、文化財保護法改正の小委員会におりまして、この改正にもかかわった人間の一人でございます。そういう人間の一人でございますだけに多少気になりますので確認をしたいと思って、きょう文化庁に来ていただきました。  その当時、埋蔵文化財を発掘する上で問題は、十分な調査員がいるかどうかということに一番の問題があったわけです。その当時は全国的に見ても調査員がずいぶん少ない、埋蔵文化財について地方自治体にもまだまだ不十分な状況が多かったわけでございまして、そのときに各委員から、こんな少ない調査員で埋蔵文化財の調査というものはできるだろうかという大変心配された意見が多かったわけでございますが、その後の状況はどうなっておりますか、御説明をいただきたい。
  110. 山中昌裕

    ○山中政府委員 昭和四十年代に埋蔵文化財包蔵地におきます工事が非常にたくさん行われるようになりまして、四十五年当時でございますと発掘調査が千百二十九件でございましたが、現在になりますと九千四百十二件というように急速にふえてきております。それで、担当する発掘調査の考古の専門職員が、四十五年当時ですと百三十一人にすぎませんでしたので、あちこちで問題が起こったわけでございます。  いま先生お話しのありました五十年の法改正によりまして、体制の強化と市町村や都道府県の責任の明確化をしていただきまして、そのころでもすでに八百九十八人の専門家がおりましたけれども、国、県、市町村あわせまして非常に力を入れてまいりましたので、現在では二千百四十五人にまで充実強化されております。今後まだ自治体とともに相携えながら充実に努めてまいりたいと思っております。
  111. 河野洋平

    ○河野委員 相当に数がふえたということは大変結構なことだと思います。それだけ地方自治体には負担も多いかと思いますけれども、地方自治体がそういう理解を示していただいているということは大変ありがたいことでございます。  しかし、そうは言っても、これからもまだまだ調査しなければならない件数はずいぶん多いようでございますから、もっとふやさなければならないということなんでしょうが、はて、そんなに専門家というものはたくさんいるものでしょうか。量の問題と同時に質の問題についてはどんなものでしょうか。つまり、どういう方々がその何千人という方になっているのでしょうか。
  112. 山中昌裕

    ○山中政府委員 ただいま申し上げました二千数百人の専門家は、これは全部考古学会の正式のメンバーである、いわばわが国の考古学界の中堅的な方々ばかりでございまして、発掘調査に当たります人夫その他の職員あるいは事務系職員は入れておりません。こういう方々は主として大学の歴史学科や考古学科で養成されるわけでございますが、関係の学科がわりあい充実しておりますので、比較的人は得られております。ただ、大学を出ましても実地の経験がございませんので、やはりそういう専門の研修機関が必要であるということから、国といたしまして、奈良の国立文化研究所におきまして埋蔵文化財センターを設けて高度の研修を行っております。この研修で、たとえば最新の技術手段の利用方法とかあるいは全国でのいろんな発掘調査の経験、こういったものを教授いたしましてその水準の向上に資しておりますが、現在までに約千百名研修を終えておりまして、各地で活躍いたしてくれております。
  113. 河野洋平

    ○河野委員 相当に充実をしていただきましたけれども、まだまだ埋蔵文化財にぶつかって公共事業が長期に停滞をしてしまうとかあるいは民間の企業が工事をかなり長期にわたってストップをせざるを得ない、そういうこともあるやに聞いておりますが、その辺はどう把握しておられますか。
  114. 山中昌裕

    ○山中政府委員 御指摘のような問題がこの十年来しばしばございまして、そのためにこういう人的な充実を急速に急いでまいったわけでございますが、同時に、たとえば事務処理の手続というものを簡素化してまいる、幸い県の体制が非常に充実してまいりましたので、県の方に大幅に事務を委任していくというような形で事務的な処理日数を早めていく、あるいは問題の調整がこじれるようなものにつきましては速やかに文化庁の方に連絡していただきまして、私どもにおります専門の調査官がそこへ行って指導するというような形でいたしておりますので、かつてございましたような長い期間にわたってこじれるというようなものは次第に解決いたしまして、私ども、手前みそかもしれませんが、以前よりずっと改善されてきていると考えております。
  115. 河野洋平

    ○河野委員 文化財を守るという立場から、時に少しかたくなであっても守るときには毅然として守ってほしいというふうに思いますが、一方でそのために思わざる長期間工事をとめられてしまう場面もあるわけで、少なくともお役所内部での書類審査その他のスピードアップ、これはぜひやってあげていただきたい。それから発掘調査にかかる人数ですね。これらについてもできるだけうまく調達ができるように知恵をかしてあげるというような姿勢が望ましいと思います。  もう少し伺いたいのですが、大体約束の時間のようでございますから、少ししり切れトンボですが、きょうはこの辺でやめておきます。どうもありがとうございました。      ————◇—————
  116. 青木正久

    青木委員長 次に、内閣提出公立学校学校医学校歯科医及び学校薬剤師公務災害補償に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。小川文部大臣。     —————————————  公立学校学校医学校歯科医及び学校薬剤師公務災害補償に関する法律の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  117. 小川平二

    小川国務大臣 このたび、政府から提出いたしました公立学校学校医学校歯科医及び学校薬剤師公務災害補償に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  この法律案は、国家公務員等の災害補償制度の改正にならって、公立学校学校医等の公務災害に係る年金である傷病補償等を受ける権利を担保に国民金融公庫または沖繩振興開発金融公庫から小口の資金の貸し付けを受けることができることとするものであります。  以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同くださいますようお願いいたします。
  118. 青木正久

    青木委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十四分散会