運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1982-04-06 第96回国会 衆議院 内閣委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十七年四月六日(火曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 石井  一君    理事 愛野興一郎君 理事 佐藤 信二君    理事 田名部匡省君 理事 山崎  拓君    理事 上田 卓三君 理事 渡部 行雄君    理事 市川 雄一君 理事 小沢 貞孝君       有馬 元治君    上草 義輝君       小渡 三郎君    狩野 明男君       亀井 善之君    川崎 二郎君       倉成  正君    塚原 俊平君       吹田  愰君    細田 吉藏君       堀内 光雄君    宮崎 茂一君       岩垂寿喜男君    上原 康助君       矢山 有作君    坂井 弘一君       木下敬之助君    榊  利夫君       中路 雅弘君    楢崎弥之助君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      田邉 國男君  出席政府委員         内閣法制局長官 角田禮次郎君         内閣総理大臣官         房審議室長   石川  周君         内閣総理大臣官         房管理室長   海老原義彦君         内閣総理大臣官         房地域改善対策         室長      水田  努君         内閣総理大臣官         房総務審議官  柳川 成顕君         総理府恩給局長 島村 史郎君         文化庁次長   山中 昌裕君         厚生省援護局長 北村 和男君  委員外出席者         宮内庁書陵部長 福留  守君         法務省民事局第         二課長     田中 康久君         外務大臣官房書         記官      佐々木高久君         外務省北米局安         全保障課長   加藤 良三君         文部省初等中等         教育局中学校教         育課長     福田 昭昌君         文化庁文化部国         語課長     中村賢二郎君         厚生省年金局年         金課長     山口 剛彦君         厚生省援護局庶         務課長     岸本 正裕君         厚生省援護局業         務第一課長   森山喜久雄君         労働省職業安定         局業務指導課長 若林 之矩君         自治省行政局行         政課長     中島 忠能君         内閣委員会調査         室長      山口  一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  三六号)      ――――◇―――――
  2. 石井一

    石井委員長 これより会議を開きます。  恩給法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。矢山有作君。
  3. 矢山有作

    矢山委員 それでは質問を始めさせでいただきます。  きょうは、一つ中国残留孤児の問題、それから一つ従軍看護婦慰労給付金に関する問題、この二点についてお尋ねをしたいと思います。  御承知のように、本年は日中国交が正常化されて満十周年を迎えることになります。しかし、十年の長い歳月が流れましても、中国残留孤児中国からの引き揚げ者の問題などが残っておりまして、戦後処理問題は解決されていないのが実情であります。また、この問題は、人道的な面からも問題の解決を先に延ばすことは許されないと思いますし、その上に、四月一日に石野厚生事務次官と来日中の符浩中国外交部部長との会談で、残留孤児の問題については重要な問題提起もなされております。そしてまた、私自身もこの問題についてはかねて大きな関心を持っておったわけでありますが、なかなか発言機会が得られませんでしたけれども、きょうその機会が与えられましたので、まず第一に中国残留孤児の問題についてお尋ねをいたします。  最初の御質問は、この中国残留孤児の問題に対する基本的な認識がどうかという問題、それからもう一つは、日中国交正常化十周年の事業としてこの問題の解決に財政的にも制度的にも本格的に取り組む必要がある、こういうふうに考えておるわけでありますが、きょう御出席の中で大臣の御出席総理府総務長官だけのようでありますから、政府を代表する立場として、いまの二点について総理府総務長官の御見解を承りたいと存じます。
  4. 北村和男

    北村政府委員 事務的な点に関しまして、まず私からお答えを申し上げたいと思います。(矢山委員「いまのは事務的な質問じゃないよ」と呼ぶ)  孤児肉親捜しの問題につきましては、これらの孤児皆さんの積年の願いでもございまして、また肉親関係者などがどんどん高齢化してまいります現状をも考慮して、今後早期解決しなければならないものと考えております。また、これら孤児日本に帰ってまいりました後の定住化対策につきましても、十分配意する必要がございます。  この件に関しましては、従来とも、厚生省のほかに関係各省協力をして推進をしてまいったところでございますが、今後早期にこれを解決し、かつ実効ある施策早期にとらなければいけないというので、先般厚生省大臣諮問機関を設置いたしまして、各省、それからボランティア方々有識者方々にお集まりいただいて、早急な対策を打ち出すことといたしております。  先生のお話のございましたように、一日の日に符浩外務部部長と私ども石野事務次官が会見をいたしました際に、御指摘がありましたような、新たな悲劇を生まないように双方協力していきたい、そういう御発言もございました。この点に関しましても十分今後留意してまいりたいと考えております。
  5. 田邉國男

    田邉国務大臣 中国残留日本人孤児の問題でございますが、先般の予算委員会におきましても、この孤児皆さん調査をされ、そして現在の状況で進めますと約十年かかるというお話がございました。したがいまして、早期にこの問題を解決する、残された家族の問題あるいはまた養父養母問題等もございますので、郵政省あるいは厚生省中国残留孤児に対して現地で取材をする、これには報道関係協力をして、そしてその撮ったテレビを日本で放映をし、そして事前の確認、本人関係十分認識をした上で日本に来てもらう、そしてその対応をできるだけ早く措置したい、こういう答弁がなされております。私ども政府といたしましても、この問題をできるだけ早期解決をすることが必要であろうと考えております。  以上です。
  6. 矢山有作

    矢山委員 質問をよく聞いておってもらわぬと、私が聞かぬ前から、これから聞こうとしている問題に多少触れながら答弁をやっているわけです。私は質問を通告して細かい話をした覚えもないし、私が聞いたのは、中国残留孤児という問題をどういうふうに基本的に認識しておいでになりますか、こう聞いたわけですよ。これはあなた、事務当局が答える問題じゃないのです。政治家としての立場を持っておられる総理府総務長官から聞きたいわけです。それから、ことしは日中国交回復十周年でしょう。だから、そういう十周年という節目という意味においても、十周年の事業というようなことで制度的にも財政的にも思い切った孤児対策をやったらどうかというきわめて基本的な、抽象的な聞き方をしておるのですから、それに対してお答えをいただいて、そうすればあなた方の基本的な物の考え方はわかりますから、それから具体的に質問しよう、これが私の考え方ですから、そこら間違えぬようにやってもらわぬとぐあいが悪いと思うのです。失礼ですが、総務長官、もう一度お答えください。
  7. 田邉國男

    田邉国務大臣 本来これは厚生省の管轄の問題でございますが、私に政府を代表して答えろということでございますから、私は、日中国交回復のちょうど十周年に当たるこういう際でございますので、まだ残留孤児の問題が未解決であるということはまことに残念に存じます。したがいまして、この問題を早期解決することがやはり日中のあらゆる問題の解決に大変に有効なことであろう、また、これは人道的な問題でもございますので、この問題を早期に、この期に解決をしたい、こういう考えでございます。
  8. 矢山有作

    矢山委員 もう一つつけ加えるならば、こういうことじゃないですか。人道的な問題だから早期解決したい、国交回復も十年を迎えたから早期解決したい、これはわかります。ところが、中国残留孤児人たちはいわば戦争犠牲者でしょう。だから、戦争犠牲者であるという基本的な認識に立つなら、この問題の解決は国が全面的に責任を持ってやるべきではないか、これが私があなた方から聞きたかった第一の点なのですよ。その点、私のいま言った考え方とあなたの考え方は違いますか。
  9. 田邉國男

    田邉国務大臣 この問題につきましては、確かに重要な問題でございますが、ただ、この処理をいかにするか、この手段、方法、いろいろあろうと思います。これにつきましては、担当厚生省が十分な対応をされていくと私は判断をいたしております。
  10. 矢山有作

    矢山委員 どうも一つところで前へ進まぬで困るのですが、総理府総務長官内閣の一員ですから、そういう立場で、この中国残留孤児の問題は、侵略戦争に伴う戦争犠牲者である、だから、どういうことをやるかということは別問題として、国として全面的に取り組んで解決しなければならぬ問題だ、この基本認識は間違いございませんか。どうです。簡単でよろしい。
  11. 田邉國男

    田邉国務大臣 中国政府理解も得、なおかつ養父母理解も得ながら、日本政府としてはこの対応を急いでまいりたい、こう思います。
  12. 矢山有作

    矢山委員 ここでとまってやりとりしておっても仕方がありませんが、どうも何遍聞いても、侵略戦争による戦争犠牲者である、したがって国が全面的に解決責任を負うのだということはおっしゃりたくないようですね、私がそういうふうにお聞きしておってもそのことには直接答えられないで答弁を避けておられるようですから。そういうような政府姿勢が、国交回復十年になるのにいまだこの問題の解決が進んでいかない基本的な問題だろう、私はこういうふうに言わざるを得ません。しかしながら、あなたらの方でどうしてもそのことがはっきり言えないとおっしゃるのなら、言えないと言うものを言わせようったって、首根っこを押さえつけて言わせるわけにもいきませんから、次に具体的な問題に進んでまいりますが、これからが具体的な質問であります。  中国残留孤児は潜在的なものまで含めて一体どのくらいあるのだろうか、これは厚生省でしょうが、こういったことについての見通しをどういうふうに持たれておりますか。また、現実に政府調査依頼のあった者、それから身元が判明した者、そういったものの人数等、どういうふうに把握しておられるか、御説明願いたい。
  13. 北村和男

    北村政府委員 御質問の第一点の、現状についてお答えを申し上げます。  本日現在、孤児ないしは自分孤児ではなかろうかと思っている人から調査依頼がありました数が千四百八名でございます。これまで身元が判明している者五百三十八名を差し引きまして、現在八百七十名について調査中でございます。  それから御質問の第二点の、このほかにもたくさんいるのじゃないかというお尋ねにつきましては、なかなかこの実態を正確に把握することは困難でございます。しかし、一つの目安になりますものは、終戦後引き揚げてまいりました開拓団方々、その他の方々から、自分子供生き別れになったから捜してほしいという数、それと、戦後生き別れになったけれども特別の戦時失跡宣告制度によって戸籍を抹消した方々、そういう方々の合計が、私どもの把握しておりますところですと約三千四百人分ございます。  なお、これにつきましては、先般石野次官中国符浩外務部部長にお目にかかった際も、日本政府がこういう孤児の親捜しをやっているということについて、何分広い中国でございますから、もしも知らない人がいたら大変不幸なことだから、そういうことをやっているということをよく周知徹底していただきたいということをお願いしてございます。
  14. 矢山有作

    矢山委員 孤児対策を進める上で、この孤児の正確な人数がどれくらいあるのか、これを把握する必要があることはもちろんであります。それと同時に、この中国残留孤児というのは、大体いま一番若い人でも三十八歳ぐらいじゃないのですかね、恐らく。それ以上の人たちだと思うのです。したがって、この養父母にいたしましても、実父母にいたしましても、そうした肉親の方がだんだん高齢化する、したがって身元を確認するための手がかりもだんだんなくなってくるということでございましょうから、この調査というものは一刻も急がなければならぬ調査だと思うのです。  そこで、調査を急ぐという意味もあるのだろうと思いますが、厚生省が本年度調査団を編成して中国派遣をし調査するということのようでありますが、この調査団の問題について具体的にひとつ御説明願いたい。何人くらいで調査団を構成し、何日間くらい中国に渡って、そしてどの程度の範囲で調査をするのか、そういう点がわかっておれば御説明いただきたいと思います。
  15. 北村和男

    北村政府委員 五十七年度におきまして、私どもは現在のところ職員三名を中国派遣いたしまして、先ほど申し上げましたまだ調査中の孤児についての面接調査を行いたいと思っております。  なお、この調査には北京にございます日本大使館のこの件担当職員も一緒になりまして調査をいたしますが、まあざっととりあえず現在調査中の約半分くらいの方たちは、御本人から、それからできますれば中国側協力を得て養い親の方からも、子供を預かったときの事情を十分調査してまいりたい。先ほど総務長官からもお話がございました、その際にしぐさその他等のビデオ撮りもやってまいりたい、そのように考えております。
  16. 矢山有作

    矢山委員 そうすると、結局当局は現在調査申し出ておる者についてだけの調査、こういうことですね。
  17. 北村和男

    北村政府委員 当面はそういうことでございます。ただし、せっかく中国に参りますことですから、次官から先方次官お願いした周知徹底方についてもあわせて十分打ち合わせをしてまいりたい、そのように考えております。
  18. 矢山有作

    矢山委員 そうすると、この三人の調査団派遣に伴う経費と考えていいのですか。この調査活動費というのが一千三百万ほど予算に計上されておるようですね。
  19. 北村和男

    北村政府委員 そのとおりでございます。
  20. 矢山有作

    矢山委員 これまで、この孤児問題については民間ボランティア方たちが非常に積極的に取り組んできたわけですね。そこで、いろいろ言われておるわけでありますが、たった三人かそこらの調査団派遣する、どういう人たちが行くのかわからぬけれども、それで果たして十分な調査ができるのだろうかということも言われておるわけですが、これに、民間で長い間残留孤児の問題でボランティア活動をやってきて、そして向こうの情勢にも詳しい、地理的なこともよく知っておる、あるいは情報も収集する力がある、そういう人たち協力を積極的に求めるという気持ちはありませんか。
  21. 北村和男

    北村政府委員 これまで長い間のボランティア方々の御活動、御活躍というものは、私ども大変高く評価しております。それの点もございまして、今後とも中国での調査も含めて、そのような方々十分協力をしてまいりたいと考えておりますが、昨年秋でございましたか、中国政府の方から、今後この孤児捜しの問題については、中国国内における問題については政府間でやりたい、そういう申し出がありました。その原因が那辺にあるのかよく私どもつまびらかにいたしておりませんが、先方申し出でもございますので、政府間でやるということを前提にいたしております。  ただし、その場合、私どもは十分それらボランティア方々の御協力も得たいと思っておりますので、まあざっくばらんに言えば、同行してもいいかということを事前によく先方打ち合わせをしたい、そのように考えております。
  22. 矢山有作

    矢山委員 政府間の問題として問題があるいはあるのかもしれませんが、できるだけそうした民間ボランティア協力を得るように努力していただきたいと思います。  それから、元満蒙開拓団員全国組織があるようです。全国開拓興会というのですか、それの専務理事をやっておられる原田要さんというのが、ことしの二月二十一日から二十八日まで黒竜江省を訪問された際に、その黒竜江省外事弁公室の副主任の孫志堅という人からの発言として伝えられておるのに、なぜ日本政府孤児身元捜しをもっと急がないのか歯がゆくて仕方がない、訪日しておるのは都市周辺孤児が多くて、国境周辺にはまだたくさん孤児がおる、われわれも懸命に調査をしておるが追いつかない、一方で手がかりはどんどん失われていく、五年も十年も待ってはおれない、ここ二、三年で何とかしなければと言いながら、日本政府が直接調査団派遣する、それからもう一つ遼寧省吉林省黒竜江省東北三省に職員を常駐をさせるといったような二点を提言をされて、帰国後日本政府に伝えるように要望があったというふうなことが伝えられておるのであります。  そういうお話日本政府の方にあったかどうか知りませんが、ここで直接調査団派遣するという問題は、一つはそういう方向が出たわけでありますが、しかし潜在孤児問題等々を考えた場合には、やはりこういう提言の中にも言われておるように、この東北三省に早急に調査機関を設置して、そこに調査の専門の担当官を置くということが急がれるのじゃないかというふうに思うのですが、これらの経緯を踏まえながらひとつお考えを聞かせていただきたいと思うのです。
  23. 北村和男

    北村政府委員 自興会の方に私もお目にかかりまして、いろいろ貴重な現地での御意見を承りました。大変参考になります。  孤児がたくさんいる旧満州地区の枢要のところに調査員を置くというようなことにつきましても、あくまでこれは中国の国内問題でございますので、今度調査に参りましたとき、なお細かい点について先方打ち合わせをしたいと思っております。  当面は、私ども調査団を一日も早く中国政府が受け入れてくれて、それからもう一つ先の話でございますが、五十七年度に昨年度の二倍の百二十人を招くことになっておりますので、それを予定どおりきちんと送り出してもらわないと何とも仕事が先に進まないものでございますから、そういう点も十分お願いもし、打ち合わせをしてまいるつもりでございます。
  24. 矢山有作

    矢山委員 自興会の方から、もし調査機関問題等についてお話があったというなら、これを具体化するためには、おっしゃるように中国政府との協議の要る問題だということは十分わかりますから、この提言向こうからなされたというのが事実なら、これは積極的にこちらが協議をしていけば案外処理しやすい問題ではないか。処理しやすいというのは調査機関が置けるということになるのではないかと思いますので、この点はひとつそういう方向努力をしていただきたいと思います。  それから、三月十二日に厚生省は、残留孤児問題を早期解決させるために、厚生大臣私的諮問機関として中国残留日本人孤児問題懇談会というのですか、設置をすることを決めて、そして三月二十六日に初会合が持たれたというふうに承知をしておりますが、この懇談会というのは具体的にどういったことを検討するのか。そして、検討の結果は恐らく意見書に取りまとめて厚生大臣の手元に出してもらうという段取りなんでありましょうが、それはいつごろまでを目途にしてやるのか。それから、せっかく意見書が出された場合に、意見書をもらっただけでほっぽり出したのじゃしようがありませんから、やはりせっかく諮問機関を設置して意見書をもらう以上は、その意見書の取り扱いというのは当然尊重してやるということになるのでしょうが、それらのところを御説明いただきたいと思うのです。
  25. 北村和男

    北村政府委員 この中国残留日本人孤児問題懇談会は、先生おっしゃいますように、目的といたしまして、第二回目の孤児訪日調査が行われたことを契機にして国民の間に大変大きな関心を呼びました。早くこの問題を解決しろという声と、それから、問題解決のために私はこういうアイデアを持っているといった非常に多くの御意見が提出されました。これらをもとにして早急に施策をつくりたいというつもりでつくったものでございます。  懇談会のことでございますから、御自由に御懇談いただくのが筋でございますが、私どもとして主要な検討事項としてお願いしたいことの第一は、肉親調査の非常に早い解決を図るために年次計画を策定すること、それから第二に、潜在孤児をどう調査したらいいかということを検討していただくこと、それから、希望者については日本に家族ぐるみ帰ってきていただくつもりでございますので、その受け入れ体制の整備、こういうことについて御懇談願うつもりでございます。
  26. 矢山有作

    矢山委員 これはいつごろまでが目途ですか。
  27. 北村和男

    北村政府委員 これは大変息の長い問題でございますが、とりあえずことしの夏までに基本的な方向を出していただくように厚生大臣からもお願いをいたしたところでございますが、特にこの問題について厚生大臣のお供をして総理にお目にかかりましたときに、五月末に中国趙紫陽首相日本に来られますので、その際総理から特に当面中国に頼みたいということがあったらば、懇談会で早急にその分だけを早くまとめておいてくれ、そういう御指示もございました。これも懇談会にお伝えをして、五月中にその意見をまとめていただくことにしております。
  28. 矢山有作

    矢山委員 こういう懇談会を設置して取り組まれ出したということは、先ほどおっしゃったように国民関心の高まり、早期解決を求める声、そういったものを背景にされて政府の方も本格的に積極的に取り組もうという姿勢を示されたわけですから、私も結構だと思います。結構だと思いますが、よく考えてみると、検討を依頼された事項というのは、やろうと思えばこの中でもう政府がどんどん自分考えてやれる点もたくさんあるわけです。わざわざ懇談会を設置してそこの意見を聞いてからなんというようなことをやらなくたって、いっときも解決を急ぐという問題だというとらえ方をするなら、私は、懇談会結論を待つのもよろしかろうか、しかし待つまでもなくやれる課題もたくさんあるわけですから、その問題については積極的に取り組んでいくという方向努力をすべきではないかというふうに思います。  特に、積極的に取り組もうとするなら、先ほどおっしゃったように、来年度百二十人程度残留孤児の方を招いて調査をするというようなことではスローテンポで話にならぬわけですから、それを当面もっと速めていくためにはどうするかとか、受け入れ体制を、いま欠陥だらけですから、やれるものをやるためにはどうするか、急ぐなら補正予算で処理するということも考えなければならぬ。こうなってくると、私は懇談会結論が出るのをじっと待っておる――懇談会を否定するのじゃありませんよ。否定するのじゃありませんが、待っておるということよりも、積極的にもっと懇談会意見を待つまでもなしに取り組める問題がありはしませんか、こう思うのですがね。
  29. 北村和男

    北村政府委員 御意見のとおりでございまして、私ども五十七年度におきましては、先般御審議いただきました予算の中に調査団派遣、それから百二十人の招致、そういったものを盛り込んでございます。ただ問題は、五十八年度以降どういうふうに計画をセットするか、そういう点について有識者の御意見を承っているところでございますし、また正直申し上げまして、養い親さんにどう感謝するかというようなことにつきましても非常にばらばらの御意見がたくさんございます。そういうものを懇談会でひとつ一番いい方法に整理をしていただこうというのがねらいでございます。
  30. 矢山有作

    矢山委員 養父母に対してどうするか、これはいろいろむずかしい問題が絡むと思います。しかし、そういう問題以外に、たとえば後で触れますけれども受け入れ体制としての日本語教育の問題とか職業訓練の問題だとか、あるいは今年度百二十人ですか、それを招いて調査をする、それらの問題にしても、急ぐという観点で考えるなら、先ほど言いましたように五十七年度の補正予算ということも考えられないわけじゃないわけですから、そういうふうな急ぐものについては補正予算等も頭に置きながらもっと急いだらどうだ、こういう趣旨で申し上げたので、ひとつ後でまた具体的な問題に立ち入ってから触れさせていただきますが、努力を願いたいと思います。  それから法務省の方見えていますね。  法務省の方にお伺いしたいのですが、日本残留孤児の問題で、肉親が不明の場合でも簡単に帰化を認めるという便法で日本定住の道を開く、こういう方針が決められたというふうに私は新聞の発表で読みました。したがって、この問題について果たして具体的にちゃんとやるという方向で決まったのかどうか、その内容をも含めて御説明いただきたいと思います。
  31. 田中康久

    ○田中説明員 お答え申し上げます。  私どもは、中国残留孤児方々はほとんどの方がまだ日本国籍をお持ちになっているだろう、大体そういうことを推測しております。ただ、国籍というのは、原則的には国籍がある場合には戸籍に記載しなければなりませんから、親元が、日本の親がわかった場合につきましては親の戸籍に登載するという方法考えなければいけないわけでございますが、現在の方法としましては、親が見つからない場合につきましては就籍の裁判、これは家庭裁判所でございますが、就籍の裁判を経なければ戸籍に登載の方法がございません。そのためには、就籍の裁判をやる以上はこの子供日本人であるという判断を裁判所でしていただかなければいけないわけでございますが、親元がわからない場合についてはなかなかその判断がむずかしい場合も出てこようかと思います。  そういうふうに資料が不足の場合につきましては、たとえば孤児証明書があるとか両親の供述があるというふうな状況から判断しまして、一応この日本残留孤児は片親は少なくとも日本人であるだろうという判断はできますので、そういう場合につきましては、これは日本人の子ということで帰化の方を処理したいという考えでございます。現在の国籍法のたてまえでは、日本人の子につきましては日本国内に入ってくれば直ちに帰化申請ができることになっておりますので、一応それに準じた取り扱いをするということを私ども考えておるわけでございます。
  32. 矢山有作

    矢山委員 それでは次に、孤児引き揚げ者の帰国後の定住化対策の問題でお伺いをしたいわけです。  そこで、まずお聞きしたいのは、国交正常化された後に引き揚げ者孤児のわが国へ帰国してきた人たちは、大体どのくらいな数になっていますか。
  33. 北村和男

    北村政府委員 日中国交正常化されましたのが四十七年十月でございます。それ以来五十七年一月末までの数字でございますが、世帯数にして千百四十三、人員にして三千四百四十七名、これは国費をもって引き揚げてきた方々の統計でございます。
  34. 矢山有作

    矢山委員 国費をもって引き揚げてきた人たちですね。この中に残留孤児は入っているわけですね。
  35. 北村和男

    北村政府委員 いま申し上げました数字は孤児を含んでおります。その孤児は六十五人でございます。
  36. 矢山有作

    矢山委員 中国からの引き揚げ者にとってはわが国で生活するというのは非常にむずかしいような事例がたくさん伝えられておるわけですね。ちょうど昨年の四月でしたか、東京都の荒川区でも中国人二世の青年による不幸な事件が起こっておるのですが、こうした事件の発生というものを見られて、その背景というものを一体どういうふうに考えておられますか。その背景について一つ考え方があれば、そこからどういう施策を重点的にやらなければならぬということが当然生まれてくるはずなんですが、それをもあわせて御所信を承りたいのです。
  37. 北村和男

    北村政府委員 懇談会の席上でも、いろいろ有識者方々、特にボランティア方々からの御発言でありましたように、日本孤児でありましても、やはり四十何年間違う国、違う生活習慣のもとに暮らしてきた人は、これは当面日本人と考えてはいけないんだというような御意見がございました。こういう方々にただ日本語を教え、就職をあっせんするだけでは足りない、日本社会に暮らしていくに足る日本人としての全人教育をしなければいけない、そういう御指摘がございました。私ども全く同感でございます。いま非常に不幸な事件が一、二起こっておりますが、やはりそういう点にあるいはその原因があるのではないかと思って、そういうことの起こらないようにどうしたらいいかについても、今後具体的に検討を進めてまいりたいと思っております。
  38. 矢山有作

    矢山委員 この事件の背景というのは、おっしゃる言葉からも推察できますように、端的に言うと、日本側の受け入れ体制が十分に整ってないというのがやはり一つの大きな問題じゃないかというふうに考えざるを得ないわけです。  そこで、日本政府として現在、この残留孤児、いわゆる中国からの引き揚げ者、その受け入れに具体的にはどういうような施策をとっておるのか、それを一つ御説明していただきたいと思いますし、あわせて、五十七年度予算引き揚げ者等の援護ということで、三億五百万円だったと思いますが、予算計上されておるようでありますね。これとの関連をつけながら、ひとつ御説明をいただきたいと思います。
  39. 北村和男

    北村政府委員 先ほどもお答えを申し上げましたように、この孤児問題、特に帰国後の定住化対策につきましては、関係各省従来からも一致協力してやってまいりました。当面厚生省が行っております施策について申し上げます。  これは、孤児だけではございませんで、生活困窮のために自費で帰ってこられない引き揚げ者等に対するものも共通でございますが、中国の現在住んでいるところから北京の飛行場まで来て、そこから飛行機に乗り、それから受け入れ先の日本国内の田舎といいますか親元に落ちつくまでの経費を全部国費で負担をいたしております。  それから、当面帰国したばかりで身の回りの物をいろいろ調えたりする費用が必要でございますので、帰還手当を支給いたしております。これが一人約十二万何がしでございまして、各自に支給をいたします。  それから、一番大切なのは、日本に参りまして当面すぐに生活に困るということでございますので、必要がある者につきましては即刻生活保護の適用をいたします。  そのほか、日本語習得のために当面の材料としてテープレコーダー、カセットテープ等を無料で支給いたします。そのほか、違う国から帰ってくるわけでございますので、帰国時のオリエンテーションも行っておりますし、また、落ちつきました先の家庭に生活指導員を派遣いたしまして、日本の生活になれるように、これは大抵引き揚げ者の先輩をお願いしていますので、中国語もできる方ですので早く日本語を覚えるような事実上の日本語教育もここで行っているわけでございます。  そのほか、関係各省お願いしておりますのは、住宅、就労、それから子弟の教育等でございますが、それぞれ関係各省に連絡をとりながらお願いをいたしているところでございます。  なお、三億幾らのお話がございましたが、これは五十七年度におきまして、孤児を含めた引き揚げ者に対して永住帰国、ずっと日本に帰りきりの人についての六百九十人分と、それからちょっとお墓参りしてみたいといったような一時帰国四百六十人分、こういうものの経費も含めて、約三億五千万ほどを厚生省としては用意をいたしておるわけでございます。なお、生活保護等の既存施策に入ります分は、この数字には乗せておりません。
  40. 矢山有作

    矢山委員 そこで、先ほどおっしゃった中国の居住地から日本国内の落ちつき先までの宿泊費、交通費の支給だとか、それから帰還手当を支給する問題だとか、こういった問題がすでに三月八日の予算委員会の分科会で指摘されて論議になったようですね。  つまり、日本人のその孤児が女性か男性か、これによって取り扱いが異なっておるとか、あるいは一緒に帰国しようとする養父母の扱いをどうするかとか、こういったことがすでに議論になったようですが、それに対しては、その当時の答弁を直ちに実施をしていくような方向になっておるのですか、どうですか。その辺がどうなっていますか。
  41. 北村和男

    北村政府委員 従来から問題になっておりました点でございますので、本年四月から取り扱いを改めまして、中国人の夫を同伴いたします際も、その旅費、帰還手当その他の施策は適用することにいたしております。
  42. 矢山有作

    矢山委員 そのときに同時に議論になっておるのは、同伴して帰国する養父母の問題も出ておったようですね。これも即時この四月から実施に移されるわけですか。
  43. 北村和男

    北村政府委員 どういう方を同伴されるかということは一概に決められません。その家庭のケース・バイ・ケースの判定でございますので、従来からも特別選考という形で養父母の来日を認めたケースもございます。ですから、この点は方針を変えたというわけじゃなしに、今後ともケース・バイ・ケースで判定をいたしてまいりたいと思っております。ただ、原則はやはり配偶者と子供、それが普通のケースでございます。
  44. 矢山有作

    矢山委員 どの程度の範囲までかという議論でなしに、養父母、こう言ってこの間三月八日には議論になっておるようですがね。その養父母を伴って帰国する場合に、孤児本人子供と同じような旅費だとか帰還手当だとかいうものについても扱いをするのか、その辺をもうちょっとはっきり。
  45. 北村和男

    北村政府委員 従来もそういう特別なケースは認めておりましたし、今後とも認めてまいるつもりでございます。
  46. 矢山有作

    矢山委員 それではもう少し立ち入ってお伺いしたいのですが、これは労働省が見ておられるのですか、職業訓練学校への通学の問題については、具体的にはどういう処置をとっておられますか。そしてまた、職業訓練を受けて自立したケースというのが具体的にあるかないか。これは労働省が答えるのがいいのか、あるいは厚生省が答えるのがいいかわかりませんが、それぞれわかる方から御答弁いただきたい。
  47. 若林之矩

    ○若林説明員 中国から引き揚げてこられました方々の就職問題については、先生御承知のように、職業安定所においてきめの細かい職業相談や職業指導を行っておりまして、必要に応じまして求人開拓や、いまお話しございました職業訓練のあっせん等の措置を講じてまいっておるわけでございます。  五十五年度のケースでございますけれども、これまでに職業訓練を受けました方は九十四名でございます。こういう方々の個別の状況を、私、資料をただいま持っておりませんけれども、これまでに就職されました方々の就職先を見てみますと、専門的、技術的職業従事者、製図でございますとか通訳でございますとか、そういったものでございますが、こういったものが二・七%。それから事務従事者、事務でございますとかタイプでございますが、四・四%。運輸通信従事者、運転手でございますが、三・三%。技能工、生産工程作業者、組み立てでございますとか修理でございますとか、プレス、縫製、菓子製造、印刷、溶接等でございますが、六七・二%。サービス職業従事者、調理の見習いでございますとか看護婦助手、接客、クリーニング、美容、こういったものが一四・八%。その他が七・六。こういうような状況でございます。  なお、五十七年度からは、こういった引き揚げてこられました方々の就職のあっせんの強化を図るために職業転換給付金制度を適用することにいたしまして、訓練手当を支給しながら職業訓練でございますとか職場適応訓練を実施することにいたしておりますし、また、広域にわたる求職活動を行います場合の給付金の支給等の措置も講じることにいたしました。  これらの制度を積極的に活用いたしまして、引き揚げてこられました方々の就職の促進に万全を期してまいりたいと考えておりますが、このための予算は、五十七年度分といたしまして五千五百万円計上いたしております。
  48. 矢山有作

    矢山委員 これは余りに細かいことになるのですが、ちょっと参考までにお伺いしておきたいのですが、帰還手当が大人の場合、一人当たり十一万九千八百円になっていますね、五十七年度予算での支給額が。これは、何を根拠にしてこういうものははじき出したわけですか。
  49. 北村和男

    北村政府委員 先ほど私、十二万何がしと申しましたが、いま先生のお挙げになりましたのは、五十六年度予算の数字でございまして、これは物価アップを見まして現在は十二万五千二百円になっております。  この根拠でございますが、やはり身の回りのものをとりあえず、台所用品を買うとか、それから最低限度の身の回りのものを買うとかいうことで、当初十万円で出発いたしたわけでございます。これに毎年物価アップ改善を加えて、ただいま申し上げましたような数字になっているわけでございます。
  50. 矢山有作

    矢山委員 はい、わかりました。  それから次に、言葉の問題についてお伺いしたいのですが、何といったって日本語は残留孤児は忘れてしまって話せないわけですから、帰国してもやはり一番問題になるのは言葉の問題だと思うのですね。この言葉を教えるのに一体政府は何やっているんだろうか。先ほどおっしゃった語学の教材やテープレコーダーやカセット、こんなものを支給しておられるということは承知しておるのですが、語学教育について政府自体がやっておられること。この教材等の支給だけですか。
  51. 北村和男

    北村政府委員 先ほども申し上げましたように、引き揚げ者孤児を含めた引き揚げ者には生活指導員を配置しております。この人たちには引き揚げ者の先輩を充てていますので、そういう日常指導の中で最低必要な日本語を教えることにしております。  そのほか、これは文部省の管轄でございますが、子供さんを連れて帰ってまいります帰国子女の学校教育の問題もございますし、それから最寄りの場所に日本語を教えるような機関があるというときに、そこに授業料を払って習いに行く、そういったものは、生活保護を受けている方であれば技能習得費としてこれを支出するといったことを考えております。  ただ今後、日本語教育というのは大変大切なことでございますので、どんな方法が一番効果的かということは、先ほどの懇談会でいろいろ御議論をいただこうと思っております。
  52. 矢山有作

    矢山委員 それは懇談会の議論もいいですが、生活指導員を行かして、その生活指導員は引き揚げ者の先輩だから日常の会話ぐらいはできる。それは日常の会話ぐらいは、こんにちはとか、おはようとか、ありがとうございましたとか、これは幾らですか、これぐらいの会話ができたんじゃ、これはとてもじゃないが就職しようといってもできる話じゃありませんしね。これはやはり言葉を教えるというのは、受け入れ体制としてきわめて重要な課題ではないかと思うのですよ。だから何か積極的に、帰ってきたらたとえば一年間なら一年間言葉を教えていくような方策というのは考えられないのですかね。これをやらぬとどうにもなりませんよ。
  53. 北村和男

    北村政府委員 確かにそういう御指摘の点がございます。それで、何度も懇談会ということを申し上げて恐縮でございますけれども懇談会の方で御検討願う中に、どのような機関、どのような施設に収容してやったらいいかというようなことも具体的に御検討いただくことにしております。  ただ、ここで非常にむずかしい問題が一つございますのは、中国語だけをしゃべる人を一つのところへ収容してしまうと、中国語で全部用が足りてしまって、教室に行って日本語を習う、これはわれわれが外国語を習うということの場合も同様なんでございましょうが、なかなか教育の問題は一長一短あるようでございます。この辺について一番効果的な方法を今後早急に策定したい、さように考えております。
  54. 矢山有作

    矢山委員 言われてみれば、帰国した孤児の人だけを集めてやっておると、慣れておる中国語だけを使って日本語になかなか習熟しない。それは、なるほど言われてみればそういうふうな感じもします。しかし現実の問題として、やはり言葉を覚えさせるということはきわめて重要な、基礎的な問題だというので、民間の機関ではある程度取り組んでいるのがあるようですね。社会福祉協議会が語学教室を開いたり、あるいは夜間中学が取り組んでみたり、あるいは最近では、この四月から拓殖大学が語学教室を開く、こういうようなことも言っておられるようですが、そういうことだけでは不足じゃないか。一つのところへ引き揚げ者だけを置いていたら得意な中国語だけをしゃべって日本語に習熟しない、言われてみればそういうことはありますが、日本語教育というのは、多少の問題点はあろうとやはり何としても一カ所に集めて本格的な言葉を教え込むということをやらぬとだめなのじゃないか。これはどういう方策がいいか懇談会検討してもらうとおっしゃるのだけれども、どうなんでしょうか。本格的に政府が取り組まぬから、見るに見かねて福祉協議会が取り上げたりあるいは夜間中学校が自発的にやったりあるいは今度私立大学がまた自発的にやるということになっているのですから、どうなのでしょうかね。
  55. 北村和男

    北村政府委員 日本語を習うという問題は語学教育なのか生活指導なのか、この辺非常に分岐点が入りまじっております。私どもとしては、当面日常生活に事足りる日本語を早く身につけてほしいということを考えてやっているわけでございます。  ちょっと古い統計でございますが、五十三年に引き揚げ者の実態調査を行ったことがございました。その結果を見ておりますと、日本に来たときには日本語がまるきりできない、五年ぐらいたつと日常生活にはほとんど支障がなくなったというデータが出ております。     〔委員長退席、愛野委員長代理着席〕 だから、五年を待たずに二、三年でできる方法はないか、今後とも文部省とよく御相談をしてまいりたいと思います。  また、お話にございました社会福祉協議会その他の民間ボランティア方々には今後ともますますよく連絡をとりながら、やってまいりたいと思います。
  56. 矢山有作

    矢山委員 文部省に相談をするということなんですが、文部省は何かいい知恵がありますか。いままでやっておることとか、何かいい知恵があれば、この際聞かしていただきたいのですが。
  57. 中村賢二郎

    ○中村説明員 中国引き揚げ者に対します日本語の指導は、ただいま厚生省の方からも御答弁がございましたように、援護や生活指導の一環として、厚生省を中心に各都道府県の援護担当課を窓口として行われているものでございますが、文部省関係におきましては、学齢期の児童、生徒につきまして、学校において日本語指導に特別の配慮をいたしておりますし、成人につきましては、夜間中学校などで日本語の学習をお助けしているというふうな施策を講じているわけでございます。また、成人の引き揚げ者につきましては、昭和五十七年度から、言葉の面から円滑な生活適応を助ける実際的な日本語の教材、日中対訳のカセットテープつきの学習書でございますが、これの開発、配付、さらにこれを用いました指導法の研修を行うことを予定いたしております。これによって引き揚げ者日本語の習得が一層促進されますよう図ってまいりたいと考えております。  また、先ほどお話にございましたが、今回厚生省におきまして中国残留日本人孤児問題懇談会が設けられまして、この懇談会検討事項一つとして、受け入れ体制の問題も取り上げられると伺っております。文部省といたしましては、その検討結果を踏まえまして、厚生省協力いたしまして日本語教育問題についてさらに対処してまいりたいというふうに考えております。
  58. 矢山有作

    矢山委員 子供の場合は、学校へ受け入れて日本語教育をやるということで、ぜひ精力的に取り組んでやってもらいたいと思うのです。  成人の場合、文部省もある程度かかわりを持っているのだろうと思うのですが、夜間中学校等で成人向けの言葉の教育をやっておるのは、文部省が直接かかわっておるのですか。
  59. 福田昭昌

    ○福田説明員 中国からの引き揚げ者のうちで成人に対する日本語教育で、いま御指摘の夜間学級の件でございますが、これは中学校教育の中でやるわけでございますので、本来の性質からしますと、成人に対する日本語教育をこういう中学校でやるという性質のものではないわけでございますけれども、実際の面の現実的な対応一つとして受け入れておるわけでございまして、五十六年五月一日現在で、東京都、大阪府、広島県など五都府県の中学校夜間学級二十校に三百三十八人の引き揚げ者が在籍をしておられまして、日本語を中心として学習をされておるわけでございます。
  60. 矢山有作

    矢山委員 最近の報道によりますと、いまやられておる日本語教育の施策だけでは足らぬというので、東京都の江東区が独自に語学教室を始めるというようなことも伝えられております。いろいろお骨折りはいただいておると思いますが、何と言っても言葉の問題というのは定着していくための基礎条件ですから、これは文部省もいま二十校ぐらいの夜間中学で成人に対する語学教育をやっておられるということですが、まだまだ不足だという声が大きいようですから、厚生省、文部省ともにこの問題についてはさらに全力を挙げて取り組んでいただくようにお願いをしておきたいと思います。  それから、先ほど労働省の方から、雇用対策の問題についてはある程度説明をしていただきました。恐らく先ほどお触れになった引き揚げ者の生活実態調査というものの中でこういった問題も全部調査をしておられるのだと思いますから、時間の関係もありますので、そうした生活実態調査ができておりますれば、後ほど資料として私お見せをいただきたいと思うのですが、よろしゅうございましょうか。
  61. 北村和男

    北村政府委員 五十三年度分の解析結果につきましては、後刻先生のところにお届けするつもりでございます。
  62. 矢山有作

    矢山委員 それは五十三年度に調査をされたものですが。
  63. 北村和男

    北村政府委員 ちょっと古うございますが、五十三年度分が仕上がっております。なお、五十五年度に実施いたしました分につきましてはいま整理中でございますので、まだでき上がっておりません。
  64. 矢山有作

    矢山委員 最近の新聞、と言いましても三月七日の新聞を私、拝見したのですが、厚生省中国孤児に対する就労の場を確保する一環として、全国にある老人ホームだの社会福祉施設に受け入れるということを考えておられるようでありますが、これは報道のとおり事実でしょうか。そしてまた、具体的にはどういう計画をお持ちなのか。いつごろから始めていくということを含めて、ちょっとお聞かせをいただきたいのです。
  65. 北村和男

    北村政府委員 新聞報道によりますと厚生省がそういう方針を決めたというふうになっておりますが、事実は同じようなものなんですけれども、全国社会福祉協議会の方からお申し出がありまして、日本語教育の方も現在やっているが、大いにやりたい、それからまた、どういう職業につくのも職業に貴賎はないからいいのだけれども、できることならわれわれ社会福祉施設側においても、孤児を含めた引き揚げ者たちが自立していくために希望するならば受け入れる用意がある、そういう意向の表明がございまして、私ども大変ありがたいと思っております。現に、ある施設ではこの四月から、これは孤児ではございませんけれども、引き揚げてこられた御婦人を一人採用して、炊事婦の見習いのようなかっこうで採用し、勉強してもらって、将来は調理師になり栄養士になってもらおうという計画をいま進めているということを伺っております。
  66. 矢山有作

    矢山委員 受け入れる際に、そういうふうに最初無資格でもいいようなところへ受け入れて、そしてその間にそれぞれの資格を要するところで働くということになれば、資格を取るんだということも一つ考え方だろうと思うのですが、しかし、社会福祉施設等で働いてもらうにしても、やはり資格の問題を伴う、一定の学歴が要るとか、いろいろな問題がありますね。こういった問題は具体的にどう対応されようとしているのですか。
  67. 北村和男

    北村政府委員 社会福祉施設に例をとりますと、幾つかの職種がございます。そのうちのあるものは、看護婦でございますとか栄養士でございますとか、資格を必要といたしますが、一般の保母などは学歴、資格を問いません。そういう場合に、まずそこに入ってもらって、それから中国でいろいろ専門的な仕事をしていたそういう資格を、生活の資を得ながら勉強していくというのが非常にいい方法だと考えております。
  68. 矢山有作

    矢山委員 私は、これは就労の場の確保として非常に重要な問題だからちょっと新聞を頼りに御質問いたしますけれども、たとえば就職について一定の学歴、資格が必要というような場合がありますね。その場合に、たとえば中国の高校を出ている、ところがこちらへ来て働くのに学歴として高校卒の資格が要るんだというような場合、一体その扱いをどういうふうに考えられますか。あるいは看護婦の経験のある者、教育を受けて看護婦の試験を日本で改めて取らなければいけないのか、それとも中国で看護婦の資格を持っていればそれを認めて、看護婦として使うといったようなことにするのか、その辺の考え方はどうですか。
  69. 北村和男

    北村政府委員 学校の就学の問題、学歴の問題につきましては文部省の方からお答えをいたしますが、厚生省も、私の所管ではございませんけれども、たとえば看護婦でありますとか、そういった種類のものでございますと、それぞれの法律で、外国で免許を取っている人は一定の要件のもとに日本の国家試験を受けて日本における資格を取得する道がございます。しかし、何と申しましてもあらゆる試験は日本語で試験をいたしますから、日本語の問題を読んで答案を書き、必要な場合には口頭試問を受けるという程度日本語の学習が前提になります。もちろん、中国引き揚げ者中国孤児だから特別に甘い試験をするというわけにはまいりませんけれども、私ども援護局は孤児立場に立ってできるだけその試験がうまく受かるように今後ともお世話をしていくつもりでございますし、省内の関係各局とも十分連絡を密にしてまいりたいと考えております。
  70. 矢山有作

    矢山委員 文部省は。
  71. 福田昭昌

    ○福田説明員 資格試験の関係は、それぞれの資格の条件を決めております免許関係の法令によって資格が決められておりますので、いまちょっと手元にそれぞれございませんで、多岐にわたっておろうかと思います。仮に日本の義務教育を経ておらなければならないという条件になっておるとすれば、先ほど御紹介しましたような中学校夜間学級を卒業するとか、そういうことが必要になってこようかと思います。(矢山委員「そこのところがちょっとわからなかった」と呼ぶ)  免許につきましては、それぞれの法令によってどういう資格が必要かというのはそれぞれで決めてありますので、非常に多岐にわたっておりますので私も一つ一つについてちょっと記憶ございませんが、仮に日本の中学校を卒業していないといけないという条件の決め方がされておるとしますと、現在の制度でいきますと、たとえば例を申しますと、先ほど御紹介しました中学の夜間でも行きまして、そこで中学校卒業の資格を取るということが必要になってこようかと思います。また、大学とかあるいは高等学校への進学ということになりますと、外国の制度とのつながりで、外国、この場合は中国でございましょうが、必要な年数を向こうの方で終えておれば日本の高等学校、大学にもまた進級できる。あるいはまた、向こうでそういう資格も取ってないという場合には、中学校卒業資格認定試験だとか大学入学検定試験だとか、そういったものを受けることによって上の学校へ進学できるということになろうかと思いますが、職業関係につきましてはそれぞれの決め方によると思いますので、いまの程度しか私からお答えできないわけでございます。
  72. 矢山有作

    矢山委員 特に職業関係で資格の要る場合、これはやはり先ほど援護局長がおっしゃったように、日本での一定の資格が必要とされている場合に試験をやってそれを通らなきゃだめだ。しかし日本語はろくにできないし、それを習って試験を受けてそこを通って資格を、というのはこれは大変な話だろうと思うのですね。  そこで、全部が全部というぐあいにいくのかいかぬのか、個々の資格を要するものの内容に立ち入っていろいろ検討しなきゃならぬ余地はあると思いますが、しかしできる限り、向こうでたとえば看護婦をやっておったのなら、それを見て看護婦として認めていくとか、あるいは向こうの保育所で保母をやっていた、日本の場合保母の資格が要りますよね、そうした場合に資格を与えていくのかいかぬのか、ここら辺、やはりできるだけ弾力的に扱っていった方がいいのではないか。そうしないと、せっかく社会福祉施設に受け入れるというような話が協議会あたりから出てきて、厚生省もそれは結構だ、大いにやろうじゃないかということになりましても、まさに炊事婦だとか何だとかいったような仕事しかない、そして何か資格を必要とするようなところにはなかなかつけない、こういうことになってしまうので、その点は特に御検討いただきたいと思うのですが、先ほど御答弁いただきましたが、重ねてはっきり御答弁をいただいておきたいと思います。
  73. 北村和男

    北村政府委員 最初は資格のないところで働いていただいて一生懸命勉強していただく。その勉強について私ども本当に親身になって応援をしたい、試験を受ける先の部署にもその旨をよく連絡して実効が上がるように、日本でりっぱに生きていっていただきたい、そのように考えております。
  74. 矢山有作

    矢山委員 新聞報道ですからいろいろ書き方はあると思いますが、三月七日の日本経済新聞ですか、これを見ると、一定の資格を要するものの扱いについて非常に幅のある扱いをしてもいいんだというような解説になっておるものですから、これは思い切った措置をとられるんだなと思っておりましたが、実際にこうして話を聞いてみると、新聞で伝えられておるような、相当幅広く対応しようということでもないような印象を受けます。しかし、その点はできる限り弾力的な運用をしていただきたいというふうに重ねてお願いをしておきたいと思います。  それから次に、三月八日の衆議院の予算委員会第一分科会での話のようでありますが、坂田法務大臣が帰国孤児受け入れ体制の問題で、帰国の後にとりあえず半年なり一年なり、国で施設をつくって、その施設に収用して日本語教育やあるいは職業訓練などをやって社会に出ていくようにしたらどうだろうかというような問題を提示されたようです。私見というふうに断っておられるようですが提示をされておるようですけれども、私はそのことを見まして、これは一つ考え方じゃなかろうか。引き揚げてきて言葉もできない、就職口もない、わずか一人頭大人で十二万そこそこの帰還手当をもらって、さあ自分で就職を見つけて自立しなさい、これはとてもできる話じゃありませんので、そうなるとやはり坂田法務大臣が提示をされたように施設をつくって、そこに入ってもらって、そして一年間ぐらいしっかり言葉の勉強もしてもらう、言葉の勉強をしながら職業訓練もそこで受ける、そして自立できるような基礎をこしらえていく、これは実にいい御提示だと思うのですよ。それをどうするか。私は、これは政府として、私見と断っておられますけれども、私見という扱いで、そうかといって聞き捨てにするのでなしに、取り上げていただくのが非常にいいんじゃないかという気がいたしております。厚生省のお考えも承りたいし、先ほど言いましたようにきょうの出席大臣総務長官だけですから、総務長官考え方といいますか、こういう提示に対する所見も承っておきたいと思います。
  75. 田邉國男

    田邉国務大臣 ただいまの中国孤児日本に帰ってきたときの措置といたしましては、坂田法務大臣が提案された内容につきましては私は大変によき方法であろうと考えております。こういう形で日本に帰ってきて安心して日本の風俗、習慣になじみ、そして独立して仕事につける、そこに孤児の生きがい、そしてまた日本の社会生活に十分順応できる人間ができ上がる、そういうことを考えましたときに、そういうような施設、そして対応をすべきではないか、私はそう考えております。
  76. 北村和男

    北村政府委員 私どももかねがね、こういう施設収容といったことで問題解決するということも一つの大きな問題であろうと思いましたので、先般、懇談会で御検討いただくテーマの一つとして、収容センター問題についてもいま御検討いただこうと思っております。  ただこれにつきましては、先ほども申し上げましたようにやはり長所も短所もございます。どのような方法の施設が一番いいのか、これから具体的に検討を進めてまいりたいと考えております。
  77. 矢山有作

    矢山委員 総務長官、積極的な御発言をいただきまして、ぜひ内閣の一員として積極的に実現できるように御努力いただきたいと思うのです。  それから、厚生省の方も前向きにとられておるようでありますが、先ほどちょっとあなたが言われた、中国から引き揚げてきた人だけが一つところにおると、やはり通用しやすい仲間同士で話のできる中国語に頼って、なかなか日本語が習熟しにくいという問題のあるのもわかります。     〔愛野委員長代理退席、委員長着席〕 わかりますが、しかしそういう問題を克服して、より以上の成果が上がる収容施設をつくって、そこで勉強してもらって言葉を覚えてもらう、職業訓練をやるということは、あなたがおっしゃった欠陥以上の効果があると私は思いますので、この点はひとつぜひ、総務長官のせっかくの御発言もあるわけですから、事務当局の方としても前向きで対応していただきたい、前向きというのは実現する方向対応していただきたいというふうに思います。  それから、残留孤児の問題ではいろいろ問題があるのですが、たとえば肉親は確認できた、身元ははっきりした、しかしながら都合でやはり中国で生活するという孤児の人もあると思うのですね。あるというか出てくると思うのです。そういう中国残留孤児に対して、里帰りの助成制度、こういうものをやったらいいのじゃないかという提言もなされておるようですね、いろいろ民間ボランティアの方あたりから。やはり帰国後に問題がいろいろ多い。たとえば言葉の問題から、職業の問題からして問題が多い。そういうことを解決していくのにも里帰りの助成を制度化するというのは有効な方法じゃないかと思うのですよ、養父母立場考えても。この点どうですか。
  78. 北村和男

    北村政府委員 先ほど永住帰国の世帯数と人員を申し上げましたが、同様に、一時帰国という制度がございます。これは肉親に会うとか先祖のお墓参りをするとかそういう制度でございますが、それが、やはり同様日中国交回復後の累計でございますが、世帯数にして三千二百五十世帯、人員にいたしまして五千四百二十二名の人が一時帰国して、また向こうに帰っております。今後ともこういう制度を活用したりあるいは定期的にまた里帰りができるといったようなことをこれも考えてみたい、さように考えております。
  79. 矢山有作

    矢山委員 その場合に、やはり財政措置も積極的に裏づけをしながら制度化する、そういう方向でぜひ御検討いただきたいと思うのです。これはやはり日本に帰ってきてからの困難さ、また残されてくる養父母の問題、こういった点を解決するのには、もし孤児本人がそういう気持ちがあるなら、中国におったままで生活をしながら、帰りたいときに、まあ無制限にというわけにはいきますまいが、里帰りに対する助成制度があるということになれば私は有効だと思うので、ぜひこれは制度化されるように積極的に検討していただきたいと思います。  それからもう一つは、やはり例の年金問題なんですよ。この孤児の人、先ほど言いましたように大体三十八歳以上でしょうから、そうすると、これは御案内のようにこのままでいくと国民年金にも入れない。これもすでに議論になっているようですけれども、やはり老後生活というものを考えるなら、こっちに永住帰国を認めるわけですから、そこらで何らか国民年金なら国民年金の適用が受けられるような方法というものは全然考えられないのかどうか、その点いかがでしょう。
  80. 北村和男

    北村政府委員 年金問題は援護局の所管ではございませんけれども厚生省内におきまして年金当局もこの問題の所在に十分関心を払っております。将来の検討事項としていろいろ勉強していくと申しておりますので、私ども孤児の側に立って年金当局ともよく話し合いをしたいと思っております。
  81. 矢山有作

    矢山委員 先般の予算委員会の第三分科会で議論になっておるようですが、このときには余り前向きの答弁はなかったようですが、これはやはり厚生省内部のことですから、年金関係の方は見えておりませんけれども――見えていますか。
  82. 石井一

    石井委員長 年金課長がおります。
  83. 矢山有作

    矢山委員 それでは年金課長の方から直接お考えを承りましょうか。
  84. 山口剛彦

    山口(剛)説明員 先生十分御承知のとおり、わが国の年金制度は社会保険のシステムをとっておりまして、老齢年金受給のためにも一定の資格期間が必要だという原則がございます。したがいまして、中国孤児の方だけ年金制度で特例を設けるということは大変困難なことでございます。この点は御理解いただけると思うのですが、ただ、年金制度全体といたしましても、中国孤児の方に限りませんで、たとえば外国に長く滞在をされてお戻りになって、先生御指摘のように三十五歳を超えて国民年金制度に入られる方は現実にはおられるわけでございます。そういった国民皆年金のもとで年金制度に結びつかない方をどうするかということは、年金制度全体として今後真剣に取り組まなければならない大変重大な問題だという認識は私どもも持っておりますので、そういった全体の問題としてこの中国孤児方々の老後の年金制度のあり方ということにつきましても検討をさせていただきたいというのが、私どもの基本的な考え方でございます。
  85. 矢山有作

    矢山委員 事務当局考えるとどうしてもいまの法律制度の中できちっと囲い込まれておるものの範囲で考えようとするから、大変むずかしいのだろうと思います。しかしながら、これは人間がつくっていく制度ですから、しかも、あなたがおっしゃるように国民皆年金のもとにあるわけだから、そんなにたくさんおるわけじゃなし、こういう人たちというのは、中国残留孤児で引き揚げる人にしてもあるいはあなたがおっしゃった長期の海外在住者でこちらへ引き揚げてくる人にしても数は知れているわけですから、そういう点は繰り返すようなことですが、国民皆年金だと言う以上はやはり枠を広げるべきでしょう。高度な政治的な判断を要するんだと言って大上段に大臣答弁されておるようですが、これは政治的な決断を要する面もあると思いますが、これはぜひそういう特殊な事情というものを配慮して、特に私が先ほど中国残留孤児の問題を基本的にどうとらえるのだと言ったのは、そういうところへ思い切った処置が欲しいから言ったわけです。要するに戦争犠牲者ですからね。そういった人でこちらへ帰ってくるというのですから、ぜひ年金の適用の枠を広げるように努力をしていただきたい。援護局長も積極的な御発言のようだから、ひとつ厚生省内部で全力を挙げて御検討いただくようにお願いしたいと思います。  それから、先ほどもちょっと触れたわけですが、四月一日に石野次官が符浩外交部副部長と会談をされまして、その際、副部長の方から問題が出されたようですね。いままでの運動の過程で新たな問題が出ておるのも事実だというので、一つ養父母の扶養の問題、それからもう一つは、一部の帰国者が妻や子供と縁を切っておって、少数とはいいながら新しい悲劇が生まれておる、こういうようなことを発言をなさっておるようであります。そして、これらを善処しなければ本来の成果が損なわれかねない、両国で力を合わせてやりましょうというふうな御発言だというふうに新聞紙上伝えられておりますけれども、私はこれはまさに深刻な問題だと思うのですよ。いずれにしても、小さい子供を三十数年にわたって育ててきて、そして養父母は年が寄る、そういう中でせっかく育てた子供は帰ってしまう。これはまさに養父母にとっては悲劇だと思いますね。それからまた、この指摘されている事実があるかないか、恐らくあるから指摘されておるのでしょうが、一部の帰国者が妻や子供と縁を切る、これもまた大変な悲劇です。だから、こういったことが指摘されておるということに対してどう対応するかというのは、私はまさに真剣に考えなければならぬ問題だと思いますが、これについての所見があれば承りたいと思います。
  86. 北村和男

    北村政府委員 養父母にどう感謝の意をあらわし、その後の生活をどうするかという問題が一つの問題でございますが、やはり基本的には中国の国内問題であろうと思います。中国の社会保障をどう養父母に適用していくかという問題であろうかと思いますが、感謝の方法懇談会でいろいろ御検討いただきますが、その中で、物質的なものも中国政府の意向を十分踏まえながら今後検討していくことになろうと思います。  それから、第二の帰国に際しての問題は、これは大変むずかしい問題でございます。私ども具体的な例として承知はいたしておりませんが、孤児本人についてまいります家族は、日中両国の血を受けた人たち、特に子供はそうでございます。そういう人たちにとってみたら、外国へ行ってこれからの生活をすることでございますから、その辺家庭内の問題をよく始末をしてからでないと、実際問題として日本に定住することができないであろうと思います。ただその場合、どの家庭についてどういう方針をとるかという問題は、これも挙げて中国の国内問題でもありますので、今後とも両国政府間で十分個々のケースについて協議を重ねていきたい、そのように考えております。
  87. 矢山有作

    矢山委員 これはまさに御指摘のように、私もむずかしい問題だと思います。物的な問題だけで片がつく問題でもありませんし、物的な問題だけ片づけようとするとまた問題が派生するおそれもあるし、そしてまた基本的にはおっしゃるように中国の国内問題ですから。しかし、この中国残留孤児の歴史的経過を考えるなら、やはりこれは日本側がその養父母問題等について積極的に対応しなければならぬ責任があるわけですから、その点は両国間でむしろ日本側が積極的な対応をするように、日中友好のためにもひとつぜひお考えをいただいておきたいということで、きょうは要望だけにとどめておきます。  それから、もう時間が迫ってまいりましたが、次に従軍看護婦慰労給付金の問題でお尋ねしたいわけであります。  この問題は、すでに日赤の従軍看護婦に対して慰労給付金が支給されますときに、この慰労給付金の性格はどういうものかということでいろいろ論議があり、そういう性格づけをめぐって、たとえば物価が上がるからといってその慰労給付金を手直しをするということはやらないのだというような御答弁の出たことも承知をしておりますし、それから、しかしそうは言いながら、この慰労給付金を積算するときに恩給に準じて積算をやっているじゃないか、そういう立場からするなら、これは物価の上昇等を考慮して手直しをすべきだという議論も出されておるという、その論争の経過は承知をしておりますが、この問題でどういうふうな御見解か、依然としてその当時のお考えが一歩も進んでおらないのかどうか、ひとつお伺いしたいと思います。
  88. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 お答えいたします。  旧日赤救護看護婦あるいは昨年から支給開始されました旧陸海軍従軍看護婦に対する慰労給付金の問題でございますが、その基本的な経緯といたしましては、先生ただいまお示しのような問題があるわけでございまして、基本的に申しますと、兵役の義務のない女性の身でありながら、軍の命令などございまして戦地あるいは事変地において戦時衛生勤務に従事した、こういう特殊事情を考慮しまして、日本赤十字社が支給することとしたものでございます。その経緯から考えまして、どうも一般の年金のような老後の所得の保障を図るという性質のものではないのではないか、むしろ戦争中おかけした御労苦に報いるための慰労給付金であるということかと考えております。  このような慰労給付金の性格にかんがみまして、現在のところ慰労給付金の額を改定するというようなことは考えていない次第でございます。
  89. 矢山有作

    矢山委員 その御答弁だろうと思いながら質問したわけでありますが、しかし、いろいろ議論がありましたときに、毎年予算措置をして慰労金を出すという形をとっておるということは何が何でもこの慰労給付金についてその額は固定させて動かさぬという意味ではないのだ、将来予期しないような経済変動等があればこれは対処する方法検討しなければならぬのだという答弁もなさっておるわけですね。そこで、将来予期しないような経済変動というのですから、かなり大きい経済変動という意味なのだろうかなと思って読ませていただいておるのですが、これは具体的に言うとどういうふうなことを考えておられるのですか。
  90. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 先生おっしゃいましたような政府答弁もあったわけでございますが、この予算で措置するということは、いわば毎年度毎年度の予算における勝負ということにもなるわけでございまして、今年度予算の概算要求のときに当たって、私どもとしてもこの慰労給付金をどうすべきかということを検討したわけでございます。  増額と一概に申しましても、厚生年金のような物価スライドの方式もございましょうし、また恩給のように公務員給与にスライドするという行き方もあるわけでございますけれども、いずれの方式をとるにしても、物価スライドであれば一定の生活水準を保障するという考え方になる、それから給与スライドであっても老後の所得を保障するという考え方になる。先ほど申し述べましたような基本的な慰労給付金の性格から考えて、どちらもなかなかむずかしい問題であるということとなっておるわけでございます。  もちろん、今後におきましてまた大きな経済情勢の変化というものがございましたならば、慰労給付金の改善について、日本赤十字社の意向なども参酌しながら慎重に検討することは考えねばならないと思っております。
  91. 矢山有作

    矢山委員 年金的な性格を持つものではないということは、いままでの論争を通じても答弁の中に出ておりますし、いまも承ったわけでありますが、しかしながら、計算の方法は恩給に準じて、そして十万円から三十万円年額支給するという形をとっているわけです。物価がどんどん上がっていく、年々上昇する。そうすると実質価値は目減りしていくわけですから、そうすると、増額しろというのと違って実質的に目減りだけは防ぐという観点に立つなら、やはり物価なら物価を考えながら手直しをしていくというふうなことはあってもいいのじゃないか。たとえば、五十六年度の物価の上昇の程度というのが「五十七年度の経済見通しと経済運営の基本的態度」ですか、これにも出ておるようでありますが、四・五%見ておるようですね。それから五十七年度の見通しでは四・七%、こう言っておりますから、両方合わせれば九・二%ですか、いずれにしても九%から一割近い物価というのが、この二年で言うなら、五十六年度、五十七年度を見ても上がっていくわけですから、だから実質の目減りを避けるという最小限度の配慮は欲しいと思うのですけれども、積極的に取り組まれる意向はありませんか。総務長官どうですか。
  92. 田邉國男

    田邉国務大臣 この問題は大変議論をされたところでございますが、本来この従軍看護婦の給付慰労金は年金と違う、こういうことが前提で支出をされた経過もございます。いま室長からもお話がございましたように、社会情勢の大きな変化があった場合には日赤とも十分相談をしてそして対応したい、こういうことでございます。したがいまして、私どもとしては、年金的な感覚ではない、ただ余りにも差が開いたときには、社会常識としてこれに対応しなければならない、こういう意味でございまして、その点も、十分日赤当局とも打ち合わせをして今後の検討の課題としたい、こう考えております。
  93. 矢山有作

    矢山委員 激しい経済変動といいましても、二〇%も三〇%も物価が上がった段階で考えようかというのじゃちょっと酷な話でして、この五十六年、五十七年両年度を見ても一割近い物価の上昇だというふうに言われるわけですから、実質目減りを避けるというぐらいな最小限度の配慮はあってほしいと思いますので、これはひとつ積極的に御検討お願いするということにしておきます。  それから、これは一度資料としてお見せいただきたいのですが、元日赤の救護看護婦、それから陸海軍の従軍看護婦で慰労金を受けておられる人の数、それから十万円から三十万円の範囲ですから、大体どういうふうに、何ぼのところが何人というふうなことは調査できておるだろうと思いますから、これは後刻資料でお見せいただけますか。
  94. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 簡単に御説明申し上げます。  昭和五十六年度末におきまして慰労給付金を受けております旧日赤救護看護婦及び旧陸海軍従軍看護婦の総数は二千五十六名でございます。これを金額段階別に申しますと、十万円が千四百五十二名、十四万円が二百五十一名、十八万円が二百八十五名、二十六万円が五十二名、二十八万円が十三名、三十万円が三名となっております。
  95. 矢山有作

    矢山委員 それではわかりましたから、資料の方はよろしゅうございます。  最後に、この慰労給付金の問題で私どものところに、ぜひこういった点を配慮してほしいということで参っておりますので、それを申し上げてお考えを聞きたいと思うのです。  これもすでに日赤の看護婦さんに慰労給付金が出されるときに論議はされておる問題ですが、一つは、すでに死亡した者の遺族に対する措置。それからもう一つは、在職十二年未満の者が相当数おるということから、これらの者に対する救済。それから三番目に、外地在職期間を各種公的年金に通算する措置、こういったものが要求として出されてまいっておりますが、これに対するお考えを承りたいと思います。
  96. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 お答え申し上げます。  まず第一点の、すでに死亡された方でございますけれども、死亡の時期にもよるわけでございますが、死亡の時期が支給開始時期以後であって、すでに請求が出されているという方でございましたならば、もちろん支給開始以後亡くなるまでの期間というのはもらえるわけでございます。ただ、その前に亡くなられたという場合におきましては、やはりこの慰労給付金の性格が御本人に対する慰労である、御本人が非常に戦争中御苦労をなさったということに対する慰労であるという基本的性格からしまして、遺族に対して特段の給付を考えるということはしていないわけでございます。  次に第二点の、十二年未満の方、勤務期間が加算年を加えて十二年未満の方に対して何らかの救済措置は考えられないかという問題でございますけれども、この慰労給付金の制度を立てますときに参考にしましたのは恩給制度でございますけれども、恩給制度におきましても加算年を含めて十二年以上ということが一つの要件になっておるわけでございます。恩給以外の他の年金制度を眺めてみましても、これは非常に短い期間で年金がもらえるという措置でございまして、と申しますのは、戦地に行っておりますといま申しました加算年が本来の勤務年数の三倍つくわけでございます。したがいまして、戦地に三年在職すれば年金が出るというのが恩給制度の兵に対する恩給でございます。これと全く同じような立て方をいたしまして、戦地において戦時衛生勤務に三年従事すれば給付金が出るということになっておるわけでございます。これをこれ以上短縮するということははなはだむずかしい問題でございますので、御理解いただきたいと思います。  それから第三点の、他の公的年金への通算でございますが、これは私どもの所掌から外れますので、他の政府委員に御答弁いただければと思います。
  97. 山口剛彦

    山口(剛)説明員 三番目の公的年金制度の通算の問題でございますけれども、厚生年金に看護婦さん等の女子の医療従事者が強制適用になりましたのは昭和二十八年でございます。日赤の看護婦さん等については、十九年から任意でございますけれども適用しておったという事情がございます。しかし、厚生年金そのものが外地には適用されてないということでございます。それからまた陸海軍の旧共済組合につきましては、一部厚生年金で特例措置を講じておることは御承知のとおりでございますけれども、これも、組合員として一定の拠出もしていただいた、あるいはまた組合員の方々が本来ならば厚生年金の適用になる方たちであるというような特殊の事情を考慮いたしまして特別な配慮をしているということでございますので、いま御指摘の、外地で組合員としての拠出もしていただいてないというような期間、また組合員そのものでもないという期間を厚生年金の年金制度としての期間として見るということについては制度的に大変無理な点があるということで、この問題について年金制度で対応するということは大変むずかしいと私ども考えておりますので、この点は御理解いただきたいと思います。
  98. 矢山有作

    矢山委員 いろいろ承ればそれなりの理由があって、これらの問題については早急にはこたえられぬということのようであります。しかし、戦中外地にあって戦時勤務をやっておるという実態等から、これはまた今後それぞれ要求は出てくると思います。ひとつぜひ御検討いただきたいと思います。  ただ、死亡した者の遺族に対する処置という問題は、これはまあ余り年金的な性格であるとか性格でないとかいう議論よりも、生きている人たちにすれば、自分たちは幸いにして生きておるからいまもらっている、ところが死んだ人は全然放置されておるというのには、やはり同じように戦地で働いてきた者として忍びないというような気持ちが多分にあってこういう要求が出てきておるのだと私は思うのです。したがって、この慰労給付金の性格論議だけにこだわっておるとこれまた全然処置なしということになるので、こういう点は、慰労給付金を始めたときにしてもそれなりにいろいろな要望があり議論がある中でこうした方法考え出されたわけですから、いま言いましたような問題の今後の対応についても、これは検討するということで処理をしていただきたいと思います。私どももそれぞれのまた要請を踏まえながら論議をしていきたい、お願いもしていきたい、こういうふうに思っております。そのことを申し上げて、大体時間が参りましたので、私の質問はこれで終わらしていただきます。どうも御苦労さまでした。
  99. 石井一

    石井委員長 午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時二十四分休憩      ――――◇―――――     午後一時三十二分開議
  100. 石井一

    石井委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。上田卓三君。
  101. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 恩給法等の一部を改正する法律案が審議されておるわけでございますが、どう言いますか、毎年かさ上げと言いますか予算がふえていく、こういうことで、われわれそういう意味ではいい傾向だ、こういうふうには思っておるわけですが、問題はその中身と言わざるを得ない、こういうように思っておるわけでございます。特に、恩給の実施時期はもともと現職の公務員の給与よりも一年おくれ、こういうことが定説と言ってもいいのではないか、こういうように思っておるわけでございまして、そういう点で今回についてもその実施が四月じゃなしに五月、こういうことで、行政改革という絡みでかれこれ七十億がそれで浮いてくるというのですか、あるいはそれを逆にすると七十億余分に要るということにもなるのかもわかりませんが、そういう点で非常に不満である、こう言わざるを得ないので、まずその点について明らかにしていただきたい、このように思います。
  102. 島村史郎

    ○島村政府委員 四月を五月にしました点につきましては、何回も御説明を申し上げましたが、一つには、臨調の答申で昭和五十七年度の恩給費については極力増加を抑制しろ、こういう一つの勧告が出されておりまして、これを尊重しなければならないということと、もう一つは、国家公務員の給与につきましても一定の制限が加えられておるわけでございまして、いわゆるボーナスにつきましても要するにベースアップが見送られておるというようなことから、そういう臨調の答申を踏まえ、さらに国家公務員のベースアップ等の状況を考えまして、今回昭和五十七年度につきましては何らかの抑制措置を講ずる、そのためには四月を五月にせざるを得なかったということでございまして、この点につきましては御了解を賜りたいというふうに考えるわけでございます。
  103. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そういうことについてわれわれ自身納得できないわけでありますが、いずれにいたしましても、恩給について、特に軍人恩給については国会でたびたびわが党の同僚議員からも指摘しておるところではありますが、いわゆる侵略戦争に加担したというのですか、そういう意味で戦争責任のある方々が、長期であるあるいは七十歳以上ということで、たとえばこの表によりますと大将の位の方は今度の改正案では年額五百七十三万円ということになっておるようであります。最前線で生死をさまよっていた、そういう本当に一兵卒というのが九十七万ということで、非常に上に厚く下に薄いというか、恩給制度そのものにそういう欠陥があると言わざるを得ないのかもわかりませんが、年々このアップ率についても下の方が若干高いということもわかりますが、にもかかわらずやはり上と下は大変な開きがあるわけでございまして、急速に下の方をレベルアップしていくということでなければ幾ら比率を掛けてももともとの基礎数字が低いわけでありますから、これはやはり抜本的に是正するという気構えが必要だと思うのですが、その点についてどのように考えていますか。
  104. 島村史郎

    ○島村政府委員 先生も御指摘のように、私どももそういう格差は縮めてまいりたいということで、そういういわゆる社会保障的な考え方を導入していきたいということで従来もやってきておるつもりでございますが、なおさらにそういう面も進めてまいりたいというふうに考えます。
  105. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 抜本的にひとつ見直しをしていただかなければ、国民は納得しないのではなかろうか。恩給関係予算だけでも一兆七千億に上る、膨大な国民の血税でもってあてがわれるわけでありますから、そういう意味で、特にいま反核反戦のそういう機運あるいはかっての戦争責任というものも大きく問題になっておる時期でありますから、その点について是正方をお願いを申し上げておきたいと思いますし、そのことについてはいまから述べます従軍看護婦方々の場合についても私は言えるのではなかろうかというように思います。  さて、五十六年度から旧陸海軍の従軍看護婦方々に対して慰労給付金という形で支給が始まったわけであります。先ほど矢山議員からも同じ趣旨の質問があったわけでありますが、まず、何人に対して支給がされておるのかということでもう一度御説明いただきたいと思います。
  106. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 お答えいたします。  支給対象人員を申し上げます。昭和五十七年三月三十一日現在の慰労給付金の受給者数でございますが、合計二千五十六人となっております。
  107. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そこで、戦地加算を加えて実在職年数が十二年以上、こういうことに限られて、それに対して十万ないし三十万の慰労金を出す、こういうことになっておるわけでありますが、いわゆる給付金の金額別の受給者数について内訳を御説明いただきたい。あわせて旧日赤の従軍看護婦の場合もお答えいただきたい、こういうように思います。
  108. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 お答え申し上げます。  ただいま申し上げました二千五十六人、これは旧日赤救護看護婦及び旧陸海軍従軍看護婦の受給者数の総数でございます。  これに対応します支給金額別の受給者数でございますが、十万円の方が千四百五十二人、十四万円が二百五十一人、十八万円が二百八十五人、二十六万円が五十二人、二十八万円が十三人、三十万円が三人となっております。  なお、これを旧日赤と旧陸海軍とに分けて申し上げますと、旧日赤が合計千百十六人、旧陸海軍が九百四十人となっております。
  109. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そこで、こういう従軍看護婦方々が非常に高齢化しておるわけでございまして、そういう社会情勢の変化等もあり非常に生活に困窮を来しておる、こういうような実情があるわけでございまして、やはり年々それを大幅にアップしていただきたい、こういうように思うわけであります。  この従軍看護婦方々は、当時は二万三千人ほどの方々がおったように聞いておるわけでございまして、いまの支給を受けておる方々はそのうちのごくわずか、こういう実態になっておるのではなかろうか。それは十二年未満である、こういうことでいわゆる欠格者ということになっておると思うわけでありますが、やはりこういう方々こそ非常に生活が苦しい、そういうことで、やはり十二年未満の方々に対しても救済の手を差し伸べるべきであり、差し伸べてほしいという強い要求があるわけでありますが、これについてやはり何らかの形で対処していくことがぜひとも必要だ、私はこのように考えますので、その決意のほどをお聞かせいただきたい、このように思います。
  110. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 十二年未満の旧従軍看護婦に対して何らかの救済措置が必要ではないかという御趣旨の御質問でございますけれども、加算年を含めて十二年という考え方は、当初恩給制度における兵の恩給受給資格年限を考慮して設定したものでございます。それで、いろいろな年金制度の中で恩給制度は比較的短い期間で年金が出ることになっておりますが、とりわけ戦地において勤務した兵の場合には、戦地における戦務加算を配慮しますと実際に戦地に三年勤務すれば年金が出る、その制度をそのままならいまして、戦地において三年間戦時衛生勤務に従事した看護婦さんにこの慰労給付金が出るというようなシステムになっておるわけでございます。したがいまして、これをさらに短縮するということは大変困難な問題と考えております。  なお、先ほど、五十六年度末三月三十一日現在において九百四十人受給対象があると申し上げましたが、五十六年度から陸海軍の従軍看護婦に対する慰労給付金は支給が開始されておりますので、まだ初年度でございますから必ずしも全部出そろっておるわけではございません。今後逐次ふえていきまして、最終的には千三百人ぐらいまでいくという見込みでございます。
  111. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それにしても、従軍看護婦方々が当時二万三千近くおられたということで、やはり支給を受ける方は少ない。そういう意味で、この問題を解決していく場合にいろいろむずかしい問題があるにしても、十二年未満の方々に対して何らかの形の措置をぜひとも引き続いて検討していただきたい、このことを強く申し上げておきたいと思います。  次に、先ほども申し上げたわけでありますが、やはり物価の変動、こういうこともありますし、そういう意味で私も恩給法の一部改正案が上程されたときにしばしば申し上げておる問題でありますが、いわゆる物価スライド制を導入すべきではないか、こういうことで、それについていろいろむずかしい面もあるかもわかりませんが、そういうものを勘案した実質的な増額というのですか、そういうことが図られるべきだ、このように考えておるわけでありますが、そういう点についての考え方についてもう一度明らかにしていただきたい、このように思います。
  112. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 旧日赤救護看護婦及び旧陸海軍従軍看護婦に対する慰労給付金の増額、物価スライドなどの問題の御質問でございますけれども、先生よく経緯御存じのとおり、この慰労給付金は、兵役の義務のない女性の身でありながら、軍の命令などによって戦地あるいは事変地に派遣されて戦時衛生勤務に従事したという、戦時中の大変な御苦労に報いるために日本赤十字社が支給することとしたものでございまして、この経緯を考えてみますと、いわゆる年金的な、これによって所得の保障を図ろうとする年金的な性格のものとちょっと異なるのではないかと思われるわけでございます。むしろ戦時中に非常に御苦労があったということに対する慰労のための給付金である、こういうふうに基本的な性格の問題がございますので、物価スライドとかあるいは所得スライドとかいうことがなじむのであろうか、実は非常にむずかしい問題ではないかということがあるわけでございまして、現在のところ慰労給付金の増額改定ということについて考えていない次第でございます。
  113. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いま答弁のあったように基本的な認識がわれわれと基本的に違うわけで、そういう意味で私も先ほど、あなた方の立場というものも、一応現状認識というのですか基本的な認識がそういうことになるならばスライド制の導入というものはなじまない、こういうことになるから、そういうものを導入するというよりもそれに見合った、見合ったというのですか、それに配慮を加えた、実質的にそうなるような増額というものをやはり今後ともさらに前向きに努力してほしい、こういう趣旨の説明ですから、その点、そういう意味でもう一度答えていただきたいと思います。
  114. 海老原義彦

    ○海老原政府委員 先生御質問のとおり、これまでも国会においてしばしば物価スライドにしたらどうだとかいろいろの御質疑がございまして、またそれに対するいろいろな政府答弁もございまして、これらを受けてさきの九十四国会においても「増額を検討すること。」という附帯決議をいただいておりますので、私どもとしましては、附帯決議の趣旨を尊重いたしまして検討はいたした次第でございます。  これは法律的な制度でなくて、予算上のものでございますので、予算の要求時点において毎年検討し直すことはできるわけでございまして、昨年も検討したわけでございますが、先ほど申しましたような結論に達しまして、現在のところは増額は考えていないわけでございます。  しかしながら、今後社会経済の大きな変化がございますならば、これは慰労給付金の額の改善について日赤の当局とも相談しまして検討をすることを考えねばならないということは感じておる次第でございます。
  115. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 やはり年々物価は上がっているわけで、恐らく下がったためしはないんではないか、このように思いますから、そういう大きな変化があったときに云々というよりも、やはり毎年毎年ふやしていくということが正しいのではなかろうか、私はこういうように思いますので、毎回このことが議論され、また附帯決議等もされておる、こういう状況をかんがみて、ひとつ今後の努力お願い申し上げたい、このように思います。  ついては、五十七年度の予算で、恩給室の方で五百万円計上されておるようですが、その使用目的といいますか、あるいは調査目的といいますか、そういうものをひとつ室の方から御説明いただきたい、このように思います。
  116. 石川周

    ○石川(周)政府委員 御質問の五百万円は、戦後処理問題懇談会検討経費の件と存じます。     〔委員長退席、佐藤(信)委員長代理着席〕  政府といたしましては、これまで戦没者遺族、戦傷病者等について一連の援護措置を講じてきたところでありまして、昭和四十二年の政府、与党間の了解もございまして、戦後処理に関する一切の処置は終結しておりますので、新たに特別な措置を講ずることは適当でないと考えております。  ただ、一方におきまして、御承知のように戦後処理問題につきましては、戦後三十六年を経た現時点におきまして、一部に何らかの措置を図るべきであるという強い御要望があることも事実でございます。政府といたしましては、民間有識者による公正な検討の場を設けまして、戦後処理問題という問題をどのように考えるべきかを検討していただきたい、このように考えまして、予算五百万円をお願いいたし、戦後処理問題懇談会お願いいたしたいと考えておるところでございます。
  117. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ぜひとも、戦後処理の政策に十分反映できるように、今後の努力お願い申し上げたい。  次に、総務長官お尋ねいたしますが、去る三月の二十五日に戦没者追悼の日に関する懇談会から長官に報告書が提出されておるわけでありますが、それに関して若干御質問を申し上げたい、このように思います。  そこで、この報告書の中に、まず「基本的な考え方」という項目があるわけであります。この冒頭に、ちょっと読み上げますが、「いかなる民族も、歴史的に重要な体験を得たとき、そこから教訓をくみ取り、これを将来に生かそうとするのは、当然のことと言わなければならない。その意味で、先の大戦は、日本民族にとって銘記すべき未曽有の体験であった。亡くなった多くの同胞を追悼するとともに、そこから各自の教訓をくみ取り、これを将来に生かすことは、我が国にとって重要な課題であると考える。」云々、こういうことで、非常に格調高い文言から始まっておるわけでございます。そういう意味では、本当に歴史的なそういう重要な体験をわれわれ日本人がしたわけでありますから、やはり二度とあのような忌まわしい戦争が起こらないようにわれわれ自身が努力しなければならないし、世界の国民皆さん方にもそのことを、やはり言葉だけじゃなしに、実際の行動としてあらわしていくことは非常に大事なことだ、私はこういうように思っているわけであります。  そこで、お聞かせいただきたいのですが、この「先の大戦は、」という言葉があるわけですが、さきの大戦というのは、どの大戦を指しておるのか。具体的に言うならば何年から何年までのことを言っておるのか、お聞かせいただきたい、このように思います。
  118. 石川周

    ○石川(周)政府委員 報告書におきましては、「先の大戦」という漠然とした表現をとっておりまして、この趣旨は、報告書の中にもございますように、本来、追悼し平和を祈るというようなことは国民一人一人の心情の問題である、こういうところから、そこを明確に規定する必要は必ずしもないのではないかというような御趣旨が背景にあるのではないかと理解いたしております。  ただ、御議論の過程あるいは三百十万人というような数字その他から考えまして、さきの大戦というのは、シナ事変以降のことを指しているというふうにおおむね理解いたして差し支えないのではないかと考えておりますが、ただ、先ほど申し上げましたように、国民一人一人の心情が基本である、こういうことでございます。
  119. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 何年から何年までですか。
  120. 石川周

    ○石川(周)政府委員 何年から何年までという厳密な限定はございません。
  121. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 あなたがシナ事変からではないか、三百十万という数字から見るならば云々とおっしゃったんだから、私はどの大戦を指し、何年からの戦争を言うのか、こういうことを言っておるわけですから、その中身についても議論をするわけでありますが、わかりませんというのは、そういう答弁ではだめじゃないですか。
  122. 石川周

    ○石川(周)政府委員 わかりませんと申し上げたつもりはございませんで、ただ、報告書に明確に書かれておりませんということでございます。三百十万人というような数字から考えれば、あるいは懇談会の御議論の過程から考えれば、シナ事変以降を指しているというふうに理解して差し支えないではないか、このように思いますが、シナ事変というのは、昭和十二年七月七日から、このように理解いたしております。
  123. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 私はやはり、大戦と言うならば、過去どこから基準に置くのかという問題があるだろうと思いますが、日本のいわゆる侵略戦争というものはやはり一九三一年の旧満州に対する侵略から始まったと私は見るべきではなかろうか、こういうように思うわけでありまして、それからこの一九四五年の八月十五日までには、それじゃどれだけの人々が亡くなられたのか、その点についての数字はお持ちでしょうか。
  124. 石川周

    ○石川(周)政府委員 そのような数字を私どもは持ち合わせておりません。
  125. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それは必要がないからですか。
  126. 石川周

    ○石川(周)政府委員 必要の有無ということよりも、懇談会の御議論にございませんでしたし、私どももそのことにつきましての勉強を格別にいたしているというわけでもございません。手元に資料がないということでございますし、あるいは厚生省ならば数字があるのかもしれません。
  127. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 時間の関係もありますから、多くの方を呼んでないということはありますが、少なくとも戦没者を追悼しようじゃないかというときに、その対象の人たち国民の個々人から言ったら、私のお父さんは入っているのだろうか、おじいさんは入っているのだろうか、率直にそうなるのじゃないですか。それは厚生省だったらつかんでいましょうというようなことじゃなしに、やはり戦没者の追悼の日を制定しようというならば、それは当然、これは報告書をまとめたのは懇談会方々であるということは事実でありますが、やはり所管の省としてあなたの方でその数字というものを的確に把握することが大事だし、また国民皆さん方に、これは何年何月から大体何年何月までの戦没者だということを明確にすべきじゃないですか。わかる人、答えてください。
  128. 岸本正裕

    ○岸本説明員 厚生省では、昭和三十八年から毎年政府主催で行っております全国戦没者追悼式の実施部門を主として担当してきているわけでございますが、その際、本式典の戦没者の範囲といたしましては、昭和十二年七月七日に始まりましたシナ事変以降、第二次世界大戦の終結いたしました昭和二十年八月十五日までの戦争による戦没者を対象としてきております。  その間に亡くなりました方々は、全体で三百十万人に上るわけでございまして、内訳を申し上げますと、軍人、軍属、準軍属が二百三十万人、一般人が八十万人ということになります。
  129. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そうしたら、まずこの部分だけをそれじゃ議論しましょう、それでは答えになってないのですが。  そこで、昭和十二年ですか、シナ事変以後ということでありますから。三百十万人だ、こういうことです。軍人、軍属が二百三十万人、そして民間人が八十万人、こういうことをお答えいただいたわけでありますが、軍人、軍属の中で、いわゆる外地で亡くなった人と、それから日本本土といいますか日本で亡くなった人、これは民間の場合もありますから、その数字を言っていただきたいのですが、そこでさらにつけ加えて質問することは、当時日本の国籍を持っておって、軍人軍属のもとで働いたいわゆる台湾人の方であるとか朝鮮人の方は、その中には含まれておるのかどうか、そのこともあわせて御質問申し上げます。
  130. 岸本正裕

    ○岸本説明員 ただいまお答え申し上げました軍人、軍属、準軍属の死没者二百三十万人の内訳は、外地で亡くなられました方が二百十万人、内地及び周辺が二十万人でございます。それから一般人の八十万人の内訳といたしましては、外地でお亡くなりになられた方々が三十万人、内地が五十万人ということになってございます。なお、この内地の五十万人という数字につきましては、全国戦災都市空爆死没者慰霊塔記録、姫路市にございますそこの記録によったものでございます。  それから、先生の御質問の第二点の、元日本人、当時日本籍を持っていた台湾人または朝鮮籍の方々の死没者がこの中に入っているかどうかということでございますけれども、これは三百十万人の中に入っております。
  131. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それで、この民間人の八十万人の中で、日本国内で戦災で死亡した人が五十万人ということでありますが、これも限定して「日」に祭られている云々ということもありましたが、これは大変少ないですね。  たとえば広島、長崎は原爆が落ちているんですよ。私自身も確かな資料を持っているわけじゃないですけれども、広島で戦災で亡くなられた人は十五万から二十万人ぐらいおられるのじゃないかと言われておりますね。それから長崎においても十万から十五万人ぐらいが亡くなっているんじゃないか。当然沖縄でも、激戦地だったわけですからここでも十五万人ぐらいは亡くなっているだろう。いわんや、私は大阪でありますけれども、大阪でもたくさんな方が亡くなったことを、私はまだ小さかったのでありますけれども自分の目で確認して、大阪でだれも死ななかったということはないわけで、本当にたくさんの方が亡くなっておる。当然この東京においても、全国至るところで戦死者といいますか、空爆とかいろいろな形で死亡者が出ておるのです。  私は先ほど申し上げたように、戦没者を追悼するというのなら、やはりはっきりと、いいかげんな数字じゃなしに、調べられる限りの努力をして国民にそのことを明らかにすることが必要ではないかと思うのですが、その点に関してどのようにお答えいただけましょうか。
  132. 石川周

    ○石川(周)政府委員 戦没者を追悼し平和を祈念する日の趣旨は、先ほど先生がお読みになられましたような基本的な考え方に沿ってのものでございまして、かつ報告書にございますように、個人の一人一人の心情の問題であるということでございますので、数を厳密に規定して、ここから先の人は追悼の日の対象とし、ここから先以外の人は追悼の日の対象としないという区別を設ける必要があるかどうか、報告書ではそこまで厳密な言及はされていないように思います。国民の一人一人の心情を尊重してそういう追悼をし平和を祈念する日を設定することが適当であるという考え方を示されたというふうに理解いたしております。
  133. 岸本正裕

    ○岸本説明員 一般の戦災死没者が五十万人ということで、少ないのではないかという御疑問を呈されたわけでございますけれども、私ども、正確な数字ははっきり申し上げましてどこも把握できないような混乱の状態であったのだろうと思います。かなり以前に全国戦災都市の都市連盟というところでつくりまして、また姫路市に空爆死没者慰霊塔を建てた、そのときの戦災都市のメンバーが集まりましていろいろと精査をし、計算をした結果五十万人という数字を出されているわけでございまして、私どもといたしましては、これを権威あるものとしてずっと使っているわけでございます。  なお、先生のそういうお考えがございますので電話でいろいろ広島とか長崎にも聞いてみたわけでございますけれども、はっきりとした数字というのはなかなかつかめていないようでございまして、いろいろな数字がございます。  たとえば昭和二十一年に発表いたしました広島市の調査課まとめでございますと、広島の原爆死没者は十二万人であるということのようでございますが、二十年の県警の発表では七・八万人、県衛生部の同じく二十年の発表では四・六万人とか、いろいろございます。長崎の場合も同様でございまして、いろいろとまちまちの数字が挙げられております。例を申し上げますと、原爆資料保存委員会報告昭和二十五年の数字では七・三万人となっているようでございます。長崎県の二十年八月に発表いたしました数字は一・九万人、それから二十年十月に再度発表いたしました数字が二・三万人というようなことでございます。  非常にむずかしい中でいろいろ関係者が苦労して集めた数字だということでございまして、私どもといたしましては、全国戦災都市のメンバーが集まりまして苦心して集計したものを権威あるものとして使っているわけでございます。
  134. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 確かにああいう混乱期であるとはいうものの、またそれから相当の期間が、年限が経過しているということもありますけれども、大変な開きがありますよ。われわれの実感から見ると非常に少な過ぎるように思うわけでありまして、そういう点で、非常に調べにくいでしょうけれども、その点は非常に大事なことではなかろうか、こういうように思っておるわけであります。法治国家であり、当時においては、欧米等のそういう諸国と戦うというんですか、それだけの力のあったというか、戸籍もなければ何もないというような状況でなかっただろうと私は思うので、国がちゃんと調べようと思えば私は十分調べられるものではなかろうか、こういうように思っております。ただ、これを余りここで議論しても意味がないと思いますが……。  そこで、厚生省の方にお聞かせいただきたいのですが、一九三一年、いわゆる旧満州事変以降の、外地だけでいいと思うのですけれども、戦没者、亡くなった方は、それを入れますと何人おりますか。
  135. 岸本正裕

    ○岸本説明員 一九三一年以降の死没者の数字につきましては、いま現在ここで手持ちの資料はないわけでございますが、私どもが、先ほども申し上げましたように昭和十二年七月七日以降の、シナ事変以降の戦没者のうち、元日本人の現台湾籍、朝鮮籍の旧軍人軍属数につきましては掌握しておりますので、お答え申し上げたいと思います。  まず台湾籍でございますが、死亡者のうち軍人が二千百四十六人、軍属が二万八千百五十八人でございまして、合計三万三百四人でございます。  それから朝鮮籍でございますが、軍人の死没者が六千百七十八人、軍属が一万六千四人、合計で二万二千百八十二名ということになっております。
  136. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 私、何かこだわっているようですけれども、一九三一年以降から一九四五年の八月十五日と言ってもいいでしょうし、その後もやはり亡くなっていっている方もあるわけですから、その範囲ということにもなろうかと思いますが、これは手元に資料がないということなんですか、それとも厚生省へお帰りになっても資料というものはないということなんですか。いま手元にないけれども厚生省にあるというんだったら、これは後日お届けいただきたいと思うのですけれども
  137. 岸本正裕

    ○岸本説明員 いま手元にございませんけれども厚生省の資料にはあるようでございますので、後日お届けいたしたいと思います。
  138. 佐藤信二

    ○佐藤(信)委員長代理 後から出してもらいます。
  139. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それで、先ほどのお答えの中で三百十万人、これはだれであるかというようなことじゃなしに、霊と言うたんですか、何か全体にそれは戦没した人を追悼するんだというような意味があったと思うけれども、個々の人々にとっては果たしてどうなのか、これも疑問はやっぱり残るわけですからね。それから、何のたれべえということでなくても、その範囲というのは私は非常に大事だというように思うし、日本のそういう過去の戦争責任あるいは戦争がどういう経緯で行われていったかということを考えるならば、私はやはり旧満州に侵略戦争を起こした時点から考えていかなければその点はやはり大きな開きがあるわけですから、シナ事変からだというなら、何だ、その前はどうなんだというふうなことになりますから、やはりその点は先ほどのような答えだけでは国民は納得しないし、私自身も決して納得するものでないということをまず明らかにしておきたいと思います。  そこで、それに突っ込んだ形でお聞きしますが、勝てば官軍、負ければ賊軍というような言葉があるのですが、「先の大戦」という言葉で象徴されておる大戦が、いま言うたようなシナ事変以降ではないか――私は、さきの大戦というのはもうちょっと広い形で、侵略戦争が始まった初期からやはり考えるべきだというように、その範囲の問題はあるにしても、日本が戦争で負けたからあの戦争が間違いであった、勝っておればあれは間違いでなかったんだというように思っておられるのか。いわゆるあのさきの大戦の性格をどのように考えておられるのか。これはひとつ長官、国務大臣でありますからちょっと答えてください。
  140. 田邉國男

    田邉国務大臣 さきの大戦についての、これは日本にとってどういう意味するかということなんですが、大変お答えはむずかしいことだと思います。ただ私は、前大戦というものが、やはり日本の膨張政策といいますか、そういうものの一環としてああいう戦争が起きた、そういうことを考えましたときに、やはりあの戦争が各国との経済的な、また政治的ないろいろの話し合いの中でああいうことを構えることを未然に防ぐことができなかったか、それが大変に残念に存じております。したがいまして、結果論で物を言うことは大変むずかしいことでございますが、さきの大戦にああいう結果をもたらさないようなことを、当時において各国との協調、そして話し合い、政治的な解決、そういうものをしていたならばこういう結果にはならなかったであろう、こう判断をいたしております。
  141. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そんなにむずかしく考える必要はないんじゃないですか。そんなことを言っておれば日本国民も納得しないし、諸外国も納得しないんじゃないですか。まあ長官自身はわりと良心的に答えたつもりでしょうけれども、明確に答えられるのではなかろうか。勝敗は別にして、先ほど私が言ったように負けたからどう、勝ったからどうということではなしに、あの「先の大戦」と言われるもの自身がやはり基本的に、どう言いますか、侵略戦争であった、日本が加害者であり他の国々は被害者であるということ、あの戦争は間違っておったということはなぜ言えないんですか。答えてください。
  142. 田邉國男

    田邉国務大臣 さきの大戦によりまして、相手国も、またわが国も大きな損害、痛手をこうむったこと、そしてやはり戦争の悲惨というものをお互いに感じた、そういう点では戦争のないことが大変重要なことであろう、こう私は判断をいたしております。
  143. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それじゃあれですか、どちらも犠牲者であり、どちらも加害者であったというような、そういうことなんですか。戦争の結果が両方に大変な悲惨な結果をもたらした、二度とこういうことは起こさぬ方がいいということですか。戦争責任の問題は全然ないのですか。先ほど長官は膨張政策が云々ということでわりといいところまで進んでおったのですけれども、いまの発言を聞くとまたぼけてきているのですが、どうなんですか。かつて外国が日本に攻めてきた。一方的と言ってもいいだろうと思いますけれども、その昔、中国で元というものがあって、元が攻めてきたということは、僕ら中学生の時代に習ったこともありますが、やはりさきの大戦をずっと眺めてみるならば、太平洋戦争勃発の後半から、非常に本土自身が空襲を受けてわれわれ自身も逃げ回った経験があるとは言うものの、やはりその戦争責任ということを考えた場合に、いまこの日本政府考えておるように、われわれは憲法から言うならばいまの自衛隊は云々ということになりますが、専守防衛という言葉もあるわけでしょう。そういう観点から見ても、専守防衛したんじゃなしに、やはり、どう言いますか、先手必勝というんですか、大陸へ攻めていったというその行為自身が非難されているんじゃないですか。それはどうなんですか。全然罪の意識がないんじゃないですか。それじゃ国務大臣として問題ですよ。
  144. 田邉國男

    田邉国務大臣 日本のさきの大戦については、いろいろと歴史の上に批判もあるし、いろいろ問題もある。それで、私は考え方が二つあるような感じがいたします。  と申しますのは、やはり日本が大きく経済成長、そして日本が大きく伸びていくためには、いろいろの資源を必要とする。ところが、日本は資源はない、そういう意味ではやはり資源が欲しいという考え方、こういうものがやはり一つの膨張政策をとってきたのではないかと思います。ところが、その資源を獲得することは即他国の領土を侵略する、そういう形に結果はなったと私は思います。  しかし、これはやはりいろいろお互いに資源を持てる国が資源のない国に融通する、こういうお互いの話し合いというものが事前にできれば、こういう問題は起きなかったであろうと思います。ただ、当時における軍の政策というものが、私はかなり判断は、やはり日本の資源を確保し、日本の経済的、そしてまた軍事的な力をつけることが日本の外交上にも、そしてまた内政上にも非常に重要であると判断をしたと思います。たまたまその政策が衝突をした、こういうことになります。  ですから、一つはやはり日本民族の膨張という問題、もう一つはやはり軍部がもう少しその対応を慎重にしておればよかった。結果においては戦争という形になりました。これはやはり私は、日本の軍部がもう少し自重をし、そしてまたその対応も十分の判断を持って対応する方法があったのではないか、こう考えております。
  145. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 これはちょっと冒頭に言っておきますが、これは長官の個人的な見解を私は聞いているわけではないんでね、個人的であっても問題があるし、また政府を代表しているということであればなおさら問題になる。私自身もやはり議事の促進というんですか、審議というものを考えて、ある程度二時間だったら二時間内で質問をできるだけ終えるようにというふうに思っておりますが、そういう二時間ほどたてばもういいんだというような構えでいいかげんなことを言っているんだったら、私は何時間でもやりますよ。あるいはその部分については留保するということもありますからね。余りなめたようなお答えは許しませんからね。その点、まず冒頭に申し上げておきたい、このように思います。  いまの長官の発言を聞いておれば、日本は資源の乏しい国であるから、資源がスムーズに確保ができなかったらやむを得ないんだ、膨張政策をとっても仕方がないんだ、だからそういう当時の事情を勘案するならば、話し合いで解決すれば双方がよかったんだけれども、そうならないので、資源が確保できなかったからやむを得ずやったんだというふうに、戦争の肯定になるんじゃないですか。なりませんか。答えてください。この国会の討論というのは、確かに人は少ないですけれども、私は日本国民を代表してしゃべっているのですよ。この議事録というものは、世界各国にも、日本の国務大臣がどんな答弁をしているかということは、これは後に残る問題ですよ。まじめに答えてください。
  146. 田邉國男

    田邉国務大臣 私がいま申し上げましたのは、日本は資源のない国である、したがって、現在においてもやはり日本は資源が欲しい。ということは、地下資源を開発しよう、そしてまたいろいろのエネルギーを獲得しよう、これは私は当然なことだと思います。当時においても日本はいろいろな資源を欲しいという考え方、私はこれは国民もすべてそう念願をしておったと思うのです。  ただ問題は、それが武力によってその問題を解決しようというところに問題があった。したがって、日本軍の軍部がそういう形で武力に訴えた、こういうところに問題がある。したがって、さきの大戦というものはわれわれ国民が大いに反省をしなければならぬ、そしてこういう戦争を再び起こすべきではない、こういう考え方であります。
  147. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ちょっと前向きになってきたようです。日本は資源がないと言われているけれども、今後いろいろ科学技術の発達の中でどうなるか別にして、今後においてもこれは資源小国というのですか、皆無に近いわけでありますから、私はかつての四十年昔の議論をしているようだけれども、今後の日本の生きる道についてもこれは深い関係があるわけですから聞くわけですが、そういう意味で、いま長官おっしゃったのは、資源かない、それを確保するためにもっと平和的な話し合いで貿易を通じて、貿易という言葉はなかったけれども、そういう形で解決すべき問題を軍事力で確保したということがいかぬ、こういうことですね。  初めから私はそう言っているのですよ。あの大戦のいわゆる戦争責任がどちらにあったのかということを私は言っているのですよ。その根には資源の問題とかそういう問題があったにしても、そういう形で他国に対して侵略をしていった、そういうことであの戦争は侵略戦争であり過ちであったというように考えているのかどうかと私は言ったのだから、最初からその点ではっきりと二言、三言で言えば済んだ問題じゃないのですか。侵略戦争であったのですね、間違うておったのですね、さきの大戦は。どうなんですか。
  148. 田邉國男

    田邉国務大臣 私は先ほど申し上げましたような経過で、結局武力に訴えた、これが問題であった、こういうことであると思います。
  149. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 個人のけんかでもそうですわ。けんかするときにはいろいろ理由があるのです。しかし、ずばり言うならば、先になぐった者がいかぬということになるわけでしょう。そういう武力に訴えたということがいかぬのでしょう。だからその点を明らかにしておかないと、今後も資源が確保しにくくなったからということで、日本がまた軍事大国になって、私はもうすでになっていると考えますが、また戦争をしかけかねない。強いところにはよう行かぬけれども、弱いところにはかかっていくというようなことになりかねないじゃないですか。だからその点で、やはり戦争責任日本の側にあった、アジアを初め世界の国々に迷惑をかけた大戦であったというように、それでいいですね、そうですと答えてください。
  150. 田邉國男

    田邉国務大臣 さきの大戦は、先ほど申しましたように日本はあらゆる面において資源の不足した国である、やはり日本の繁栄を来すには資源の確保をしたい、そういう中で私は外国ともいろいろの折衝そして貿易、いろいろやったと思います。しかしそれがどうしても十分でなかった。しかし、さらに話し合いをすればとかいろいろの方法を講ずればよかったのですけれども、戦争という形に訴えた。これは私は日本国民にとっても大変悲劇であり、そしてまた、戦後こういう貴重な体験を生かして非核三原則、そしてまた防衛問題についてはやはり自国を守る防衛という形に日本が形を変えて、そして世界との調和、平和を図っていく、そういう体制になった、こういうことであろうと思います。
  151. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 何かいろんなことを言うから私も長く言わなければならぬので、それじゃ戦前は、明治以後ずっとでありますが、天皇を中心とした全体主義国家というのかあるいは軍事国家というのですか、そういう一つの天皇制のイデオロギーに基づいて、そして大東亜共栄圏というような一つの構想があったのじゃないですか。それは資源の確保ということにもなるのかもわからぬが、あるいは日本の大和民族はすばらしい優秀な民族であって、他のアジアの国々は日本よりもいろいろの面でもっとレベルが低くて、逆に言ったら彼らを助けてやるのだ、日本はアジアの盟主である、こういうふうな一つの軍国主義的な物の考え方、全体主義的な物の考え方で、日本はもともと平和な国家体制であったのだけれども時たま資源の問題で、相手の出方の関係で急になったというような問題じゃないのじゃないですか。やはりそういうところまで議論は進まざるを得なくなると思うのです。また、だからこそ戦後そういうものを支えてきた財閥の解体とかあるいは民主化というのですか、また、かつての旧明治憲法を廃止して現在の憲法ができたのも、過去のそういう戦争を中心とした体制自身が間違っておる、まさしく日本の国体を一新しなければならぬ、そういう反省の上に立って今日きているのじゃないですか。その点どうですか。
  152. 田邉國男

    田邉国務大臣 ですから、先ほどから申しておりますように、日本のさきの大戦は、日本にとって大きな犠牲を払い、そしてまた諸外国に対しても大きな犠牲をかけた。こういう点については、平和条約を機に日本は侵略をしない、そしてまた他の領土を侵さない、いわば非核三原則にのっとって平和な国家に向かっていく、そういう考え方に立っていま国の繁栄を図るべく努力じている、こういうことです。
  153. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 まだまだ大臣とは法案の関係で議論する機会もありますし、同僚議員もおられますから、ぼく一人で云々という気持ちはありませんが、いずれにしてもさきの大戦でわが国が大きな犠牲を払った。ただし、外国の侵略に対して祖国を防衛するんだという正義の戦いであるならいざ知らず、少なくとも犠牲を払ったというよりも、それは他国に対する侵略であったのでしょう。だから、その犠牲を払った日本の――ちょっと隣の人、あなたは何という名前。人をばかにしたような潮笑はやめておきなさいよ。長官に対してサゼスチョンするのはいいけど、こちらの顔を見てにこにこと意地悪く――国会議員を侮辱するのですか。あなた、何という名前ですか。委員長、ちょっと注意してください、感じ悪いですよ。謝りなさい、承知せぬぞ。
  154. 佐藤信二

    ○佐藤(信)委員長代理 わかりました。注意します。  ちょっと速記をとめてください。     〔速記中止〕
  155. 佐藤信二

    ○佐藤(信)委員長代理 速記を続けてください。  上田卓三君。
  156. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 こちらの顔を見なくてもいいのだ、長官の方に耳打ちしていればそれでいいのだ。  そこで、この戦没者追悼の日を設定しよう、こういうことになってきますと、やはりこの戦没者がどういうことをしたのか。僕から言わすならば、日本侵略戦争によってアジア初め世界の多くの国々でも戦没者が山とあるわけですよ、たくさん出ているのですよ。そういう日本の犠牲になった外国の戦没者をまず追悼しなければならぬ義務がわが国にはあるんじゃないですか。大臣、その点どう思いますか。そんなのは関係ない、こういうふうにお考えですか。
  157. 田邉國男

    田邉国務大臣 その問題につきましては、それぞれの国と友好を結び、そしてその中で、講和の条件はいろいろのものがあるわけで、それに対していろいろの対応をしておるのが日本現状であります。
  158. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それは少しおかしいと思うのですよ。  きょうは外務省の方お見えであるからちょっと聞かしていただいたらありがたいと思うのですが、この報告書の一ページ目の下の方に「また、欧米諸国における実情についても調査するなど、各方面の考え方をできるだけ広く参考とするように努めた。」こういう言葉があるのですね。だからこういう戦没者追悼の日を設定する場合に、狭い日本だけのことじゃなしに外国の事例なども調べて広く意見を求めて参考としたということになっておるのですが、懇談会に提出された外務省の報告にはどのようなものがあったのか。特に私の手元にありますのは西ドイツの場合ですが、国民追悼の日はいわゆる侵略戦争で犠牲を受けた他の国々の人も追悼しているのですよ。そうじゃないのですか、外務省の人答えてください。
  159. 佐々木高久

    ○佐々木説明員 お答えいたします。  総理府から調査依頼を受けまして、主要国十五カ国につきまして調査いたしました結果を踏まえて一覧表にした資料がございます。  それで、西ドイツからの報告によりますと、戦没者追悼の対象でございますけれども、第一次大戦以降のすべての方々であるということでございまして、軍人のみではない、民間の犠牲者の方々も含まれるということでございます。外国人も含まれるかどうかということにつきましては、報告電報の中にそういう記述がございましたので、懇談会に提出しました資料にもその旨を書いたわけでございますけれども、どこまでどういうふうに含まれるかという詳しいことにつきましては、その報告だけではつまびらかではないという状況でございます。
  160. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 やはり戦争の性格によって、相手が侵略してきたのだ、そして向こうに犠牲者ができたのだ、そんなのまで追悼する必要があるかどうかという問題もあるので一概に言えないと私は思うのだが、少なくとも外務省のこの資料によると、西ドイツの場合は外国人も含んでいるということは、恐らくその戦争がドイツ軍によるところの侵略戦争であった、他国に迷惑をかけた、だからその戦争で亡くなった自国民だけを追悼するのじゃなしに、その戦争によって他国の人たちが侵略されて多くの犠牲者を出した、そういう人たちも祭ろうという趣旨ではなかろうか、素直にそう解釈した方が正しいのではないかというように私は思っておるのですが、そうじゃないのですか。
  161. 佐々木高久

    ○佐々木説明員 その点につきましては、調査事項の中でその点に焦点を当てまして調査を命じたわけではございませんので、この場ではっきりしたことは私ちょっとお答えいたしかねます。ただ、その報告の中にそういう文言があったということでございます。
  162. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 おかしいじゃないですか。調査の目的がそうでなかったと言うけれども、そういうことは大事なことじゃないですか。それも第二次世界大戦だけじゃなしに第一次世界大戦のときまでさかのぼってですよ。それだから私先ほど、シナ事変以降ということじゃなしに、一九三一年ごろから旧満州へ侵略していったその過程からやはり説き起こすべきだというふうに申し上げたのも、何もドイツがしているからわが国もせないかぬということじゃなしに、そのことが正しいからで、そういう一つの事例というのも大事なことでしょう。だから私申し上げておるわけです。また、そういうことでなかったら外国の事例を調べる必要はないのですよ。そうじゃないですか。西ドイツが、どういう戦争の責任規定があって、どういう気持ちで国民追悼の日をつくっているかという、そこが私はキーポイントだと思うのですよ。あなたはわからないと言うのだけれども、これは個人的にどう思いますか。  これはあれですか、たとえば日本の旧軍人軍属に属していた台湾人とか朝鮮の方々のような、そういう意味の外国人も含むというふうに理解しておったのですか。ここは大事なことですよ。
  163. 佐々木高久

    ○佐々木説明員 先生の御指摘の点はごもっともだと思います。しかし、その調査の電報なり何か書く段階で多少の問題があったと思いますけれども、ほかの国からはそういう点につきまして実は明示的に回答が来ておりませんで、そういう点で、先ほどもお答え申し上げましたけれども、外国人を対象としているのかどうかというような質問になっておりませんので、まことに恐縮でございますが、現時点ではそれ以上はちょっとわかりかねるということでございます。     〔佐藤(信)委員長代理退席、委員長着席〕
  164. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 この懇談会の報告の中に「同胞を追悼する」という言葉が出ておりますよね。だからこれは日本人だけということになるのだと思うのです。間違いなく西ドイツの場合は、侵略されて犠牲になったそういう人たち、外国人も追悼しているんですよね。そういうことですから、この報告書自身どういう傾向の人たちがどういう意図で報告しておるのかは別にして、先ほどの大戦という言葉でいいと思うのですけれども、かつて日本の膨張政策、侵略戦争で犠牲になったアジアを初めそういう戦没した人たちも含むことが正しいのじゃないですか。その点どう思います。そんなものどうでもいいんだ、そんなものはその国で勝手にやったらいいんだ、われわれは、要するに同胞が犠牲になったんだから、亡くなったんだから、それだけ追悼すればいいんだというような考え方ですか。
  165. 石川周

    ○石川(周)政府委員 これは日本政府総理府からの諮問を受けましての民間有識者お答えでありますので、日本国民の問題、同胞ということが考え方の中心になって、それを追悼し平和を祈念するという結論が導き出されたものと理解いたしておりますが、平和を祈念する、そして報告書にもありますように、未曽有の体験であって、この体験を将来に生かすことは重要な課題であるという物の考え方の中には、あらゆる戦争、その災害というものは同胞だけでない、すべてのものに悲惨な結果を及ぼす、そういうものへの反省を含めての考え方であることは当然であろうかと存じております。
  166. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ということは、この報告書では同胞ということになっておるが、政府としては、戦没者を追悼し平和を祈念するという日をつくるということは、当然侵略を受けて亡くなったそういう犠牲者をも追悼するんだ、外国人も含んでいるんだというふうにおっしゃったのですか。
  167. 石川周

    ○石川(周)政府委員 背景としては、そういう理解というものがあろうかと存じますが、「日」の趣旨といたしましては、やはり主権の及ぶものといいますか、日本政府の制定する日でございますので、戦争で亡くなられた方々を追悼しということになるのではないかと思います。ただ、それはあくまで個々人の心の問題であるということがございますので、外国人の方々も追悼するということを否定しているというような趣旨では決してないと考えております。
  168. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 否定していないと言えば入っているということになるのですけれども、入っているのかと言ったら入っていないのですね。否定していないというものの、追悼する戦没者の対象には外国人は入っていないということは事実ですよね。  ちょっと先に進みます。  四ページにこういうことがあります。「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の制定手続については、全国戦没者追悼式が従来、毎年閣議決定で決められてきたことも考慮し、閣議決定により制定することが適当である」こういうことで、閣議決定の問題については後でまた述べますが、全国戦没者追悼式がずっと従来閣議決定でなされてきているのですが、この追悼式も外国人は入っていませんね。あるいは入っていないとしても、それではそういう犠牲になった各国の代表を、式典ですか、そういうようなものに呼ぶ、そういうことはしているのですか。外国の方をお呼びしたいということは聞いたことないのですが、そういう事実はありますか、ありませんか。
  169. 岸本正裕

    ○岸本説明員 各国代表の方々をお招きしたということは聞いておりません。
  170. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 聞いてないということは、ないことですね。私はここらあたりが問題になるのじゃないかと思うのですね。  やはり、日本が非常に経済大国になってきた、そしてまたアメリカのレーガン政権からもっと応分の軍事負担をせよというような、シーレーンの確保とか、こういうようなことがあって、五十七年度予算についても防衛予算が突出している、われわれはそういうふうに考えておるわけであります。そういう意味で、日本がだんだん経済大国だけでなしに軍事大国になりつつある。そういう意味では、かつて日本の侵略によって大きな痛手をこうむったアジアの方々は非常に心配していると思うのです。非常に右翼的な、と言えばどうかと思いますけれども、昔をしのぶような、そういう復古調というのですか、そういう動きがあることも事実だし、また憲法を改正、正すんならいいのですけれども、改悪ということにもつながってくるだろうし、また今回のこういうような制定を契機にして靖国神社への公式参拝が始動するのではないか、大っぴらにやられてくるのではないか、こういうような懸念が広まってきているんですね。  だから、私申し上げるように、やはり日本が平和国民であって、そしてかつての戦争を非常に反省して、世界の人々に非常に迷惑をかけた、申しわけない、そして平和国民であるということを、日本国民だけでなしに世界の国民に知ってもらうためにも、もしかそういうことがあるならば、戦没者追悼の中には日本軍によって殺害されたそういう戦没した人たちをも同時に祭り、また、そういうような式典があるならば当然外国の人たちも呼んでくる、こういうことが望ましいんじゃないですか。長官、どうですか。
  171. 田邉國男

    田邉国務大臣 この追悼の問題でございますが、これは戦没者を追悼し平和を祈念する。この問題につきましては、この報告書によりますと、やはり同胞という言葉があります。私は、日本の国籍を有した者が、亡くなられた者に対するいわば戦没者を追悼し平和を祈念する日、こういう形にしたものだと解釈をしております。
  172. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 どうも納得できないですね。外国人をその対象にも加える、まず供養するというのですか追悼するなら、日本軍によって犠牲になった人々を真っ先に供養して、追悼して、そして同時に、日本のそういうかつての軍部のファッショ的な体制の中で多くの日本国民が戦地に駆り出され、あるいは国内において戦災を受けた方々にも、大変申しわけないと一緒に追悼する。そして多くの外国の方々を招いて、日本がこれだけ反省しているんだ、そういう意味では、不戦の誓い、二度と外国と戦を交えない、絶対戦争しないんだという不戦の誓いの日こそが私は望ましいんじゃないかと思うのです、八月十五日というのは。外国の代表も来て、皆さん、仲よくしましょう、かつてのああいうことはいたしません、仲よくしましょう、これが正しいんじゃないんですか。長官、もう一度答えてください。
  173. 田邉國男

    田邉国務大臣 私の判断は、戦没者を追悼し平和を祈念する日、この内容につきましては、同胞というその言葉の内容はやはり日本の国籍を有する者に対する考え方だと理解しております。
  174. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いや、理解しているんだけれども、その理解が間違っているんだから、そういうふうに物の考え方を変えなさい、変えることが正しいんじゃないですか。亡くなった人あるいは外国のそういう戦没者に対して本当に追悼する気持ちがあるならば、やはりそういう気持ちだけじゃなしに、そういう体制をとることが一番正しい、こういうように思うわけであります。  時間の関係もありますから少し前へ進めたいと思いますが、国民の中には、先ほど申し上げたように、戦没者追悼、平和を祈念する日ができることによって総理とか閣僚の靖国神社への公式参拝が始まるのではないか、その前提としてこの追悼の日が設定されるのではないかという疑念といいますか、疑問といいますか、そういうものが起こっておるわけでありますが、その点についてどのようにお考えでしょうか。
  175. 田邉國男

    田邉国務大臣 先ほどから申しましたように、戦没者を追悼し平和を祈念する日という日を新たに設けることは、何か靖国神社公式参拝につながる、こういう御指摘でございますが、そうではなくて、やはりこの戦没者を追悼し平和を祈念する日は、さきの大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念することを目的として設けたものでございまして、これがいわば靖国神社の問題と関係はないということを私ははっきり申し上げておきたいと思います。
  176. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 政府を代表して、国務大臣である総理府長官がそういうふうにおっしゃっておるので、本当は信用したいのですよ。関係はないと言っているんだから関係がないんだろうというふうに思いたいのですが、しかし、きょうは自民党の先生方もたくさんおられますが、自民党なり、あるいは靖国神社公式参拝を総理とか閣僚がすべきだというようなことで、要請運動というのですか、いろいろな団体があるでしょう。そういう団体は、大体自民党の支持者が多いですよね。そういう団体が野党なら、ぼくはどうも言わないのですよ。しかし、政府の与党でしょう、自民党は。閣僚がそういうことは関係がないんだと言ったって、自民党の方でそういう靖国に対する公式参拝をすべきだという方針があり、自民党のそういう支持者たちがそういう形で訴えているとなれば、幾ら長官が政府を代表して関係がないと言ったって、結局はいま関係がないと言っているが、そういう日ができれば、その次には今度は公式参拝ということになるのではないかという疑いが、いや関係ありませんと言えば言うほど、それはそんなことはない、この報告書はやはり透かしてみないとこういう形になりはしないか、こういうふうに思うのです。  それでは長官、関係がないと言うならば、この日が制定されても絶対に今後総理とか閣僚の靖国神社に対する公式参拝は、まあいままでも非常に問題があるのですが、公式にということになれば、公式にはいけないということになるわけですから、公式参拝というのはあり得ないですか。断言できますか。
  177. 田邉國男

    田邉国務大臣 私は、靖国神社は日本のこの今日の繁栄を来した、大きな犠牲をされた方々でございますから、私は率先して靖国神社に私的に参ります。ただ、申し上げたいことは、先ほどから盛んに公式参拝、公式参拝とおっしゃるけれども、私は、この日の制定と靖国神社の問題は関係がないということだけをはっきり申し上げておきます。  ただ、自由民主党という政党は非常に幅の広い政党でありますから、中にはいろいろの意見もあります。それ一つをとらえて、すべてをそれに帰一するということはやはり私は問題があろうかと思います。
  178. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 個人でどのような思想信条でやられても、それは憲法にも思想、信条、信教の自由というものをうたわれているわけですから、そういうことを私は問題にしているのじゃないので、やはり国家とかあるいは地方公共団体とかそういう関係が、一つの宗派というのですか宗教だけを大事にするというのですか、あるいはそういうお参りをするということは、これは憲法上、法律上において禁止されていることではなかろうか。ただ、いま大臣は、私は参拝するというようなことを何かえらい大きく述べられたようですけれども、靖国神社というもの、大臣考えている靖国神社というものと、われわれがというのですか多くの国民考えているのとでは、やはり少しずれがあるのではないかというように言わざるを得ない、このように思うのです。  私もそういうのは専門家じゃありませんが、靖国神社ができたのは、これは天皇の命によって建てられ、特に戊辰戦争、いわゆる官軍といいますか、勝てば官軍というのはそこから出てきているわけですけれども、そういう天皇を長とした官軍と、そして幕府方というのですか、そういう戦いの中で天皇のために一命をなげうった、そういう人々を祭る神社としてできたのではないか。あるいはその後においても日清、日露戦争というような形で、われわれはやはりそれ自身も侵略戦争であったというように思うわけでありますが、いずれにしても天皇の命令によって戦場に赴いて亡くなっていった、それも、一般の戦没者というよりも軍神といわれるような、本人はそういう侵略戦争であったと思っているかどうか別にして、やはりいまから言うならば、われわれから言うならば、先ほどの戦争責任の問題もありましたように、私は、やはりそういう人々は幾ら天皇の命令であると言ったってこれは間違った侵略戦争に積極的に参加していった人、上になればなるほどその戦争責任というのは大きいのではないか。そういう戦争の大変責任ある立場の人、俗に言うと軍神と言われるわけですけれども、そういう人たちを積極的に祭られている神社じゃないですか。その点どうですか、政府はどう思っているんですかね。
  179. 田邉國男

    田邉国務大臣 戦没者の追悼でありますが、たまたま靖国神社という神社に祭られておる、そのことが何か靖国神社の公式参拝という形になっていく、こういうように理解をされておられるのですが、私は国民の大部分の方がこの靖国神社の追悼、亡くなられた戦没者の皆さんの冥福を祈り、そして今日の平和があるのは皆さんの大きな犠牲であった、これからわれわれは平和国家をつくっていくんだ、そういうことをお互いが心の中に刻み込まれながら参拝するのであって、靖国神社そのものをということよりも、戦没者を追悼するというところに皆さんが意を用い、そして参拝をするのである、私はそう理解をしております。
  180. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 さきの大戦で戦没した人たちをすべて追悼するための神社じゃないですよ。多くの無名の戦士と言われた人たちは皆地方のいろいろなところで祭られておるわけで、靖国神社に祭られている人というのは、ほんのごく一握りの、それもかつての戦争のたとえばA級戦犯と言われる人も含めてそこに祭られているんじゃないですか。そして、そういう犠牲者がおったからいま平和になっているんじゃなしに、そういう人がおったから日本がああいうように敗戦になって、多くの犠牲を出して皆が亡くなっていったんじゃないですか。どうなんですか。靖国神社は戦争で犠牲になったすべての人を祭っているのですか、そうじゃないでしょう。
  181. 山中昌裕

    ○山中政府委員 靖国神社は昭和二十一年九月七日に東京都知事に申し出まして設立されました宗教法人でございまして、その目的といたしますのは、この規則によりますと、「明治天皇の安国の聖旨に基づき、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳を広め、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成する等を目的とする。」こういうことになっておりまして、祭神としては戊辰以来の国事に殉ぜられた人々、こういう形になっております。特定の方だけではなしに、いまお話しのあったような戦争で亡くなられた方を合祀しているというふうに思われますが、宗教法人のことでございますから、その範囲について厳密にどこどことあるかどうか、私ども現在わかりません。
  182. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 靖国神社というのは戦前からあったのですよ。戦後宗教法人として再発足したと言うのですが、法人格として位置づけたというだけのことじゃないですか。それから国のために亡くなった方、戦争の責任問題は別にしても、すべてを祭ってないですよ。そこはちょっとお言葉がおかしいと思うのです。  それでは、どこかの宗教団体が、これから私のところの神社は、私のところのお寺は、あるいは新興宗教が、過去ずっとさかのぼって戦争で犠牲になって亡くなった人間みなこれから祭っていくんだということになってきたら、そういうものに対して国などは積極的に、大臣であろうとどうであろうと、それが宗教団体であろうとなかろうと参拝するということになるのですか。やはり一つの宗教団体なんでしょう。個人で行くのなら私はどうも言うておりませんよ。しかし、やはり長官ともあろう人間が私は断固行きますよと言うたって、それは一つの宗教団体じゃないですか。どうなんですか。
  183. 田邉國男

    田邉国務大臣 私は、戦没者がたまたま靖国神社に祭られておる、そう判断をいたしております。そこで、この戦没者を追悼し、そして平和を祈念する。その祈念する日をつくる。たまたま八月十五日に、従来日本武道館でやっております。  私は個人として、自分の弟は戦死をしておる、靖国神社に祭られているので、私としては当然行くべきだ、そう思っておるのです。
  184. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 個人か公かということはいろいろありますけれども、あそこで祭られておる人はごく一部なんですよ。調べてすぐわかることなんですよ。それは感じということではなしに、はっきりしているわけです。すべて戦没者があそこに祭られておるのじゃないですよ。もしかすべての人が祭られておるからという理屈を言うならば、そうしたら先ほど言うように、各宗教法人、各団体がすべて祭っておれば公が介入していいのかという問題になってくるのではなかろうかと私は思うのですね。  もうちょっと前に進みましょう。  自治省の方お見えだと思うのですが、府県とか市町村が、靖国神社とか護国神社に玉ぐし料とか献灯料、そういう名目で直接間接に公金を支出しておりますね。この実態についてちょっとお答えいただきたいと思います。
  185. 中島忠能

    ○中島説明員 私たちはその実態を全部承知しているわけではございません。
  186. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 あなたは全然承知していないのですか。承知していないものは報告しようがないけれども承知しているものは言うてくださいよ。
  187. 中島忠能

    ○中島説明員 ことしの一月の末ごろだったと思いますけれども、ある新聞社の方が、お調べになった結果だということで数県の名前を持って私のところにお見えになりました。その府県はそういう事実があるかどうかということでございますけれども、その県といいますのは、青森とか岩手とか山口とか、そういう六県か七県だったというふうに記憶しております。
  188. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 けったいな話ですね。文化庁の人もお見えですが、いずれにしても、これは国でも同じですが、地方公共団体がそういう靖国神社とか護国神社に直接間接を問わず公金を支出するということは憲法違反、法律違反になるんじゃないですか。その点どうですか、文化庁の方。
  189. 山中昌裕

    ○山中政府委員 憲法八十九条に、宗教上の組織または団体に対して公金の支出あるいは公の財産の利用を差しとめる規定がございます。この規定に該当するものであるかどうか、これについて、地方自治体のその支出がどんな形のものであるかということによってそういう場合が出たり、あるいはそれに該当しないというような場合があろうかと思います。それは一つ一つその支出しているお金の性質その他を考えて判断しなければならないと考えております。
  190. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 その性質とか、そんなことを考えなければならぬという問題じゃないでしょう、玉ぐし料とかあるいは献灯料ですか、はっきりとしているわけですから。特定の宗教法人にそういう形で公金が支出されているということで、あれですか、どこの宗教法人であってもそういう要請があれば支出してもいいということになっているんですか、そういうことはいかぬことになっているんじゃないですか。そういうケース・バイ・ケースというのはあり得るんですかね。どうなんですか。
  191. 山中昌裕

    ○山中政府委員 憲法八十九条に言います公金支出の禁じられている場合というものに当たるかどうかということでございますが、お尋ねの玉ぐし料というような形のものは、たとえばどういう性質のものとして出ているのか。玉ぐし料と申しましても、たとえばお祭りのときの寄附金みたいなものもございますし、それから参拝したときに納めるお金もございますし、いろいろなものもございます。それから、納める方がどういった趣旨でどういった性格のものとして納めているかにもよりけりだと思っておりますが、この八十九条に該当するものであれば憲法違反でございますからできないわけでございますが、それに該当しない、社会通念上差し支えない場合もあろうかと思っておりますので、そういうものについては一向差し支えないと思っております。
  192. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それは解釈の問題だと思うので、各宗教法人がそういう形で、お祭り的なものであるとかそういう軽い気持ちであるとかということで拡大解釈できるわけですな。憲法の規定というものは、そんな解釈で支出していい場合と悪い場合があるんですか。
  193. 角田禮次郎

    ○角田(禮)政府委員 憲法にかかわる問題でございますから、若干私から補足して説明さしていただきます。  結局問題は、玉ぐし料とか献灯料というような名をもって公費を支出すること自体が憲法八十九条に違反をしないかどうか、あるいはまた、その支出の原因となる行為があわせて憲法二十条第三項に違反をしないかどうか、こういうのが御質問の趣旨だろうと思います。  そこで、一般論として申し上げたいと思いますが、この点については実は津の地鎮祭事件の最高裁の判決というものが一つの大きな手がかりになるわけでございます。この判決では、直接には地鎮祭そのものの二十条三項との関係が論ぜられておりますけれども、同時に八十九条に関連する部分についても、その一つの判断の基準を示しているのであります。  この判決では、神職に対する報償金とか供物料金について次のように述べているわけであります。当該支出金を支出することの目的、効果及び支出金の性質、額等から見て、その支出自体が特定の宗教組織または宗教団体に対する財政援助的な支出であるかどうか、また支出の原因となる行為がわが国の社会的、文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超えるものであって、その行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長または圧迫、干渉等になるものであるかどうか、そういうものによって合憲か違憲かを定めるべきである、こういう考え方を示しているわけであります。  そこで、先ほど来文部省の方の政府委員からもお答え申し上げましたように、お尋ねの玉ぐし料や献灯料についても、その実態にもよると思いますが、ただいま述べたような諸点を基準として合憲か違憲かを判断すべきである、こういうふうに考えるわけでございます。
  194. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 去る二十四日の箕面のいわゆる忠魂碑違憲訴訟の判決でも明らかなように、いわゆる公共団体かそういう宗教活動にそういう援助をするというのですから、そういうことはいけない、こういうことを判決でも述べておるわけです。いまの話を聞くと、ある一つの思想というのですか、宗教的な物の見方、考え方で積極的にそういう援助をする場合はいけないのであって、軽い気持ちで、金額も少し、たとえばそういう玉ぐし料とかというような、積極的に財政活動あるいは宗教活動を積極的に応援するということでない簡単なことだったら支出していいということですか。
  195. 角田禮次郎

    ○角田(禮)政府委員 簡単なことというふうには言えないと思いますけれども、先ほど申し上げましたとおり、目的、効果及び支出金の性質、額等から見て、その支出自体が特定の宗教組織または宗教団体に対する財政援助的な支出であるかどうかという言葉は、最高裁の判決そのものの言葉を私引用して申し上げたので、別に簡単だからいいとかいうふうには書いてございませんから、その点はそういうつもりで申し上げたわけではございません。
  196. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 やはりこれは非常に大きな問題であり、他の宗教団体なども非常に関心が深いわけですから、この問題についてやはり違憲という判例も出ておるわけですから、あるいはそれは問題にならないと思って府県とか市町村が玉ぐし料を出しておったが、それがどうもおかしい、どうもまずいんじゃないかということで、自主的であるかどうかわかりませんが、若干そういうことを是正している府県、市町村もあるやに聞いておるわけでありますが、いずれにしてもこれは自治省において正しく指導することがいいのではないかと私は思うのですが、それは御指導いただけますか。どうでしょう。
  197. 中島忠能

    ○中島説明員 いま法制局長官が挙げられました津の地鎮祭判決とか、あるいは五十三年の十月でしたか公式参拝に関する政府の統一見解等がございますが、そういう資料を参考のために地方団体にお上げするということは、御要望があればいたしたいと思います。
  198. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 これは大きな問題ですから、ぜひ厳重に正しく御指導を願いたい、こういうように思います。  いまの議論でもおわかりのように、長官、靖国神社は正真正銘の一宗教法人、宗教団体なんです。宗教に関係なしに、ある宗派にかかわりなく、宗教的な意味合いなしに、どう言いますか、全国のすべての過去の戦没者を祭ってあるということじゃないのですよ。戊辰戦争以来のそういう一つの軍神というんですか、天皇のために命をささげた、そういう宗教的色彩を持った神社であることは明らかなんでありますから、そういう点で、やはりそういう一宗教法人を一つの国の公式な宗教団体として認めようという、それがまた戦前の、戦争に積極的にかかわった人たちがいまになってそういう日本の民主主義に歯どめをかけて過去に戻そうというような、そういう動きの一環として、特に八月十五日を不戦の誓いとか、もう二度と戦争をしないというようなことではなしに、逆に言うならば、いままでの戦いを一生懸命にがんばった人間は偉いんだ、国のために死んだんだ、天皇のために死んだんだ、そういう人間はこれは国を挙げてお祭りをしなければいかぬのだという一つの物の考え方でやっているわけですから、長官は戦没者を追悼し平和を祈念する日というものと靖国神社に対する公式参拝とは別だと言っても、これはもう絶対に公式参拝しませんと言うならいざ知らず、そうでない限り、あるいは長官が、いや私は個人的にどうのこうのということになってきたらなおさら国民は疑念を抱く、こういうふうに私は思うのです。そういう意味で、こういうような大事な問題、議論を呼ぶ問題は閣議決定で勝手に決めるというのじゃなしに、国権の最高機関である国会で十分に審議をして、やはりそういう法的な手続をとることが正しい、このように感じるわけでありますが、その点について長官どうでしょう。
  199. 田邉國男

    田邉国務大臣 さきの私の諮問機関でございます戦没者の追悼に関する懇談会、この有識者のメンバーのみなさんが一致して、こういう形をとることが一番いい、こういうことになったわけでございまして、これは長い間、いわば終戦の日というものも八月十五日として国民の中になじんできた日でございます。したがって、その日を戦没者を追悼し平和を祈念する日とすることがいいのではないか、こういうことでこの日を近く閣議で決めたい、こういう考え方であります。靖国神社の参拝とこれと結びつくという御意見でございますが、私はさようなことはないと申し上げております。
  200. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 私たちは、長官のそういうお言葉にもかかわらず、冒頭から申し上げておりますように、この日が、日本国民だけじゃなしに、やはり日本侵略戦争によって戦没された外国の方々も追悼するんだ、あるいはその日には外国の代表もお招きするんたとかあるいは――靖国神社の公式参拝とは直接関係ないと言いながらやはりワンセットで進められてきておるのではないか、こういう疑念があるわけでありますから、やはりこういう問題が明らかにならない限り、国民は納得しないし、私たちも絶対に反対であるということを申し上げたい、このように思うわけであります。  冒頭にも私申し上げましたように、戦争で亡くなられた方個々人は何も罪のない方でありまして、冥福を祈るということはこれは言うまでもないわけでありますが、その追悼する日の位置づけというんですか、戦争責任を不明確にするだけではなしに、そういう戦争を積極的に推し進めた人が祭られている、あるいはそういう人々をたたえていこうという軍国主義につながる、そういう立場からわれわれは反対しておるのだということを最後に明確に申し上げまして、まだまだ長官にはこういう問題等について質問する機会もあるのではないか、このように考えておりますので、時間も来たようでございますので私の質問はこれで終わりたい、このように思います。
  201. 石井一

    石井委員長 次に、榊利夫君。
  202. 榊利夫

    ○榊委員 まず恩給についてでありますが、今回恩給の実施時期を一カ月おくらせて五月一日からにしておられます。この問題は、そうでなくてもすでに恩給の実施時期というのは現職公務員の給与より一年のおくれがあるわけであります。したがいまして通算すると一年一カ月のおくれになる、こういうことになります。一方、毎年国会では、おくれをなくすように、こういう附帯決議が行われております。これはもう各党一致でそうなっておるわけでありますが、そういう国会での総意を政府はどういうふうに受けとめておられるのか、まずこれが第一点の質問であります。
  203. 島村史郎

    ○島村政府委員 国会の附帯決議につきましても、私どもはそれを尊重して、十分それを実行するように心がけてまいりたいというふうに考えております。
  204. 榊利夫

    ○榊委員 そうなっていないわけですね。逆におくれがひどくなっている。この点については行政府が国会決議を軽視している、こういう批判を免れないと思うのですけれども、どうでしょう。
  205. 島村史郎

    ○島村政府委員 そういう国会の附帯決議をわれわれも尊重しなければならないわけでございまして、ただ、こういう問題につきましても急激にこれを実現するということは非常にむずかしい問題でございまして、私どももそういう努力をしてまいりますが、長期的な立場からもひとつごらんをいただきたいというふうにお願いを申し上げるわけでございます。  今回の恩給のベースアップにつきましても、いままでは、前は十月からでございましたのをだんだんと縮めて、昭和五十二年からずっと四月にしてまいったのでございます。そういうことで努力をしてまいったわけでございますが、五十七年度につきましては、またこれは特殊の事情によって一カ月繰り下げざるを得なかったということでございますので、この附帯決議を尊重するということについては私どもも十分考慮してまいる所存でございますが、長期的に見ていただければ一番ありがたい、こういうように考えております。
  206. 榊利夫

    ○榊委員 今回だけだ、こういう趣旨のようでありますけれども、ぜひひとつ国会決議の軽視ないしは無視を是正するように努めていただきたいと思います。  恩給を国家公務員の給与にスライドさせる、このことでも、御承知のように法律上の措置を講ずるよう毎年全会一致で要求しております。国会の意思を尊重するといういまのお言葉でありますけれども、そうするならば、改善する時期を含めてはっきりさせてもらいたいものだ、こう思うのでありますが、いかがでしょうか。
  207. 島村史郎

    ○島村政府委員 改善する時期につきましても、一年おくれの問題と、それからもう一つは、現在五月、八月と二段階改正をしている問題、それから今回の四月、五月の問題、期間の問題について申しますとその三つがあるわけでございまして、この四月、五月の問題につきましては私どもも五十七年度限りにしたいということで考えております。  それから、四月、今回は五月でございますが、五月にベースアップを行い、さらに八月にかさ上げをして実行していくということにつきましても、これはすぐには一本化はできませんけれども、長期的な観点から逐次実現をしてまいりたい、こういうふうに考えております。
  208. 榊利夫

    ○榊委員 総務長官、そろそろひとつお願いしたいのですが。  いずれにしましてもことしは一カ月、努力はしているけれども、なかなかそういっていない、これが事実でありますが、特に国会の意思の尊重という点からいいまして、こういうように国会決議が――実は私たちこのことを言うのはいまか初めてじゃないのです。去年も同じ質問をしているのです。このようにずっと無視されていく、こういうことになりますと、恩給受給者の方々は、これは、国会は進めろと言っているんだけれども政府内閣がさっぱりそれに従わない、つまり内閣批判を強めるということにならざるを得ないわけであります。やはりそのことを一言だけ総務長官に、どういうお考えなのか伺っておきたいと思うのであります。
  209. 田邉國男

    田邉国務大臣 この問題につきましては国会の附帯決議もございます。私どもは、この附帯決議は国権の最高機関たる国会の御意思でもございます、この改善の指針となるべきものでございますから、政府といたしましては十分これを尊重して、その実現をでき得る限り努力を払ってまいらなければならない、こう考えております。
  210. 榊利夫

    ○榊委員 ひとつ国会決議をお飾りにしないようにお願いいたします。  次いで、恩給問題と関連いたしましていわゆる七三一部隊の問題で質問をいたします。  旧満州、つまり中国東北地方にいました旧軍人軍属のうちで、関東軍防疫給水部に所属していた軍人軍属などがいます。そのうち恩給官員、つまり恩給を受ける公務員、これは何人いたのか、それから非恩給官員は何人だったのか、資料ございますか。
  211. 森山喜久雄

    ○森山説明員 関東軍防疫給水部、通称石井部隊という部隊でございますが、この部隊の復員者、つまりお帰りになった人のうちで恩給公務員の数、恩給公務員の数と申しましても普通恩給の年限の資格があるかどうかわかりませんが、一応身分的に恩給公務員となるという人の数を申し上げます。  私どもで保管しております留守名簿という名簿がございまして、これは昭和二十年一月一日現在で外地にあった部隊の所属者の名簿でございます。これは終戦後も残務整理で復員の記録などを書き込んだものでございます。これによりますと、将校が百三十三名、准士官、下士官、兵、これが千百五十二名、それから文官と申しますが、これは技師とか技手、それから属官でございますが、これが二百六十五名、合計千五百五十名です。  それから恩給公務員でない人、つまり雇傭人が主体でございますが、この方々が二千九名。  以上でございます。
  212. 榊利夫

    ○榊委員 関東軍防疫給水部というのは、いまもちょっと出ましたけれども、隊長の名をとって石井部隊とも称しておりますが、この本部が七三一部隊、石井部隊、これは国際法でも禁止をされている細菌戦の研究、実験をやっていた部隊であります。細菌爆弾もつくっていた。その隊長の石井中将の名をとって石井部隊、こう言っていたわけでありますが、いまの政府答弁を聞きますと、いまの数字を合計しますと約三千五百名を超える数字が出てまいります。これはいままでどこでも聞けなかった新事実であります。  軍人はともかくといたしまして、いま言われた非恩給公務員二千名、たとえば嘱託とか雇傭人というのはどういう人でしょうか。軍属ですか、あるいは日本人ですか、中国人その他も含まれているのでしょうか。
  213. 森山喜久雄

    ○森山説明員 この二千名の方は軍属でございます。
  214. 榊利夫

    ○榊委員 軍属といえばもちろん日本人、こういうことになりますね。合計三千五百名を超える、これは大変な大部隊であります。これが細菌戦の研究、しかも生体実験までやっていた。これまでは、七三一部隊というのは大体二千三百名とかあるいは二千六百名とか、こういうふうに言われておりました。  ところでもう一つお尋ねいたしますが、政府の持っておられる資料では、防疫給水部本部はハルビンに本部があって、そのほかに五つ支部があったはずでありますけれども、これを合わせますと、そこの軍関係者は幾らいたのでしょうか。
  215. 森山喜久雄

    ○森山説明員 私の方に部隊略歴というのがございまして、これを見ますと、昭和二十年六月十五日の時点でございますが、配置状況が書いてあるわけでございます。これによりますと、本部がハルビンにあったわけでございますが、ここに約千三百名、それから支部がハイラル、これが約百六十五名、それから牡丹江約百名、孫呉約百三十六名、林口約二百二十四名、大連二百五十名。約百三十六名とかいうのはちょっとおかしいのでございますが、これは書いてあるとおりに私申し上げているわけでございます。これを足しますと約二千三百ぐらいになるんじゃないかと思うのですが、これはいま申し上げました軍属なんかが入っていないのじゃないかというふうに推定しております。
  216. 榊利夫

    ○榊委員 ほぼ明らかになってまいりました。恐らくその二千三百名というのが石井細菌戦部隊の終戦時の軍籍要員とでもいいますか、そういう者だろうと思います。それを含めまして膨大な三千五百名に上る陣容を構えていた。  ところで、その中には女子軍属がいたとされておりますけれども、これはいかなる人々でしょう。
  217. 森山喜久雄

    ○森山説明員 申しわけございませんが、そこまでちょっと調べておりませんので、先ほどの留守名簿などを調べまして、後ほど御報告申し上げたいと思います。
  218. 榊利夫

    ○榊委員 これはただの事務員なのか、あるいは慰安婦とかそういった人なのか、あるいはこの中に日赤の看護婦さんは含まれていなかったのかどうなのか、それについてはわかりませんか。
  219. 森山喜久雄

    ○森山説明員 留守名簿には日赤の看護婦も載っている場合がございます。ですから、留守名簿をもう一回よく点検いたしまして女子の方がいらっしゃるかどうか、その職種は何かということは後ほど御報告いたします。
  220. 榊利夫

    ○榊委員 私たちの調査では、多分この中には日赤の看護婦もいたはずであります。そうしますと、これは大変な問題なんですね。国際法も禁止をしている細菌戦の研究、それに軍人じゃありませんよ、日赤の看護婦もあるいは引き込まれていた、本人にとっては大変不幸なことでございましょうけれども、もしそうであればこれは国際的にも大問題、ヘーグ協定違反その他大変大きな問題になるわけです。そういう性質の問題だということをここで申し上げて次に移りますけれども、したがって、これはきちっと調べていただきたいと思います。  関東軍防疫給水部の前身が発足したのは昭和二年であります。一九二七年です。ところで、政府の方にある資料では、本格的に細菌戦の研究、生体実験などを始めたのは大体いつごろだというふうに出ておりますでしょうか。昭和二年発足当時からでしょうか、それともある時点からでしょうか。
  221. 森山喜久雄

    ○森山説明員 私の方に持っておりますこの部隊関係の資料と申しますと、先ほど申し上げました留守名簿と部隊略歴しかございませんので、部隊略歴を見てもそういう記事がございませんので、ちょっとわかりかねるわけでございます。
  222. 榊利夫

    ○榊委員 大体昭和二年にこの前身が発足しまして、十回くらい編成がえをやっております。そして関東軍防疫給水部と称するようになったのは一九四〇年、昭和十五年であります。このときにすでにはっきりと細菌の研究、それから各部隊の防疫給水、血清、種痘、予防、そういうもの、それに基づく青少年の教育までを含めて任務づけが行われているように思います。大体このあたりから本格的なそれを進めたというふうに理解されるように思うわけであります。  ところで、この七三一部隊についてはあれこれの報道がいまあります。特に最近、森村誠一さんの「悪魔の飽食」、これはここに持ってきておりますけれども、これが衝撃のドキュメントとして早くも百万の大ベストセラーになる、こういうようになっておりますが、テレビや新聞、週刊誌でもずいぶん取り上げられておりますし、国際的にも、実はこれがもう一つのアウシュビッツだ、ヨーロッパじゃなくて中国東北部で日本軍がアウシュビッツ的な大虐殺をやっていたということで、いま大きな反響を呼んでおるわけであります。  きのうの夕刊にも載っておりましたけれども、おとといアメリカのCBS放送でもこれを大きく取り上げたようであります。要するにこれはペストとかコレラ、天然痘その他の細菌を使っての細菌戦、ガス戦、これの研究、人間の生体に馬の血を注入する、どこまで生きるか、冷凍実験をする、生きたまま解剖する、しかも人間を丸太ん棒の丸太と称して、つまり物とみなして生体実験の材料としたわけであります。その犠牲者は三千名に上ると言われています。内訳は中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、ポーランド人、オーストラリア人、アメリカ人、イギリス人、大体これくらい確実になっておりますけれども、ほぼそういうふうに理解してよろしゅうございますか、あるいはそういうことも御存じでしょうか。
  223. 森山喜久雄

    ○森山説明員 その間の事情は承知しておりません。
  224. 榊利夫

    ○榊委員 つまり、その種のいろいろな情報、報道もあるということは御存じだろうと思いますが、いずれにしましてもそういう大変残虐で非道なことが行われたわけであります。これはもう本当に侵略戦争の狂気と悪業の所産であります。  しかし、私がここで強調したいのは、実はこの問題の戦後処理は終わっていないという問題なんであります。その点では日本政府としてこれはもう全面調査をしてもらいたい。関係諸国との問題にもなっていく性質の問題だ、これだけの多くの国の人たちが生体実験の材料にされているわけでありますから。おとといのCBSの場合も、アメリカ人がやられた、こういうあれですし、それぞれの国、いま挙がっているだけでも八カ国は挙がっているわけであります。したがいまして、総務長官は戦後処理の所轄大臣でもありますけれども、この問題についてはひとつ真剣に全面調査をやっていただきたいと思うのでありますが、いかがでございましょう。
  225. 田邉國男

    田邉国務大臣 この問題につきましては、先日の報道で私も承知をしたわけでございます。戦争という異常な状況下で行われたことにせよ、人道上まことに遺憾であると私は思っております。このような悲惨な結果をもたらした戦争は再び繰り返すべきではない、こういう決意を新たしておる次第であります。
  226. 榊利夫

    ○榊委員 調査はいかがでしょう。
  227. 田邉國男

    田邉国務大臣 この調査の問題については私のところの所管でございませんので、関係省によく照会をしてみたいと思っています。
  228. 榊利夫

    ○榊委員 省が違う、こういうことではなくて、これは恩給の問題とも直接関連してくるわけでございますけれども、これは内閣として責任を持って調査をしていただきたい。だから長官の方からもひとつしかるべきところに、閣議でも問題を提起していただいて、全面的な調査、真実の究明、これを明らかにする、そのことをお約束できますかしら。
  229. 田邉國男

    田邉国務大臣 厚生大臣とよく打ち合わせをしてまいりたいと思います。
  230. 榊利夫

    ○榊委員 厚生省はこの問題は調査を始めていますか、あるいは行っていますか。
  231. 森山喜久雄

    ○森山説明員 私のところでは調査をしておりません。しかし、これはむずかしい問題だと思いますが、なかなか困難ではないかという感じがいたします。
  232. 榊利夫

    ○榊委員 いまさっき総務長官は、新しい角度で厚生大臣の方に問題提起をして、こういうことでございましたけれども、重ねてひとつ全面調査お願いをいたします。  実は、七三一部隊が日本に引き揚げる際、石井中将は軍事機密はもちろん、軍歴をも隠すこと、公職にもついてはいけない、このことを隊員に厳命しているわけであります。そのために軍人恩給を申請しなかった人々が多数に上っております。このことは御存じでしょうか。
  233. 島村史郎

    ○島村政府委員 私ども、その辺はよく承知しておりません。この前、森村誠一さんの本を読みましてそのことを承知いたしましたが、具体的にはその辺は私どももよく事情はつかんでおりません。
  234. 榊利夫

    ○榊委員 秋田の魁新報というのがありますけれども、その新報に御当人の投書も載っております。  ところで、隊員はそういう状況だった。隊長の石井四郎、彼は数年前死亡しておりますけれども、この人は恩給は受けていたでしょうか。
  235. 島村史郎

    ○島村政府委員 ちょっとプライバシーの問題にかかわりますので、その辺の答弁は差し控えさせていただきたいと思います。
  236. 榊利夫

    ○榊委員 この人は、裁定を受けて恩給をちゃんともらっていたはずであります。そういう点では言うなれば、国民の血税の中からちゃっかり、部下はともかくとして御本人は恩給を受け取って、まさに森村さんの「悪魔の飽食」にちなめば悪魔の恩給ということになるでしょうが。お答えにくければ特定しないでも一般でいいですけれども、中将の恩給という場合には、戦後いまから四年前までずっと恩給を受けているとすれば、額はどれぐらいになりますでしょうか。
  237. 島村史郎

    ○島村政府委員 中将の場合でございますと、恩給が復活しましたのが昭和二十八年でございますから、二十八年から五十七年ぐらいまでの間約三十年間、二十九年になりますか、それを計算しますと約二千万円ぐらいになると思います。
  238. 榊利夫

    ○榊委員 一時七三一部隊長を石井中将とともにしていた北野政次という、この人も中将であります。この人も恩給を受給しているはずでありますが、その恩給額は大体右に準ずる、こう見てよろしゅうございましょうか。
  239. 島村史郎

    ○島村政府委員 中将でございますれば、大体そういうことになると思います。
  240. 榊利夫

    ○榊委員 実はこの人はまだ現存中だと理解しております。いずれにしましても、石井中将にしても北野中将にしても細菌戦研究をやり、しかも三千名という大量の人たちを生体実験をやって命を奪った。とりわけ敗戦直前、もう本当に大量殺人をやったわけです。秘密が漏れるのを防ごうとして皆殺しをやったわけです。そういう言うなれば悪魔、こういう人たちは戦後も恩給つきで、ところがこれに協力させられた人たちは使い捨て、いまも黒の十字架を背負っている。軍歴を隠さなくてはいけない、公務員に、つまり役場の吏員になることもできない、禁じられているから。  そういう点では、ひとつ厚生省お尋ねいたしますが、石井中将がやったと言われる命令、つまり軍歴を秘匿せよ、公職につくな、こういったものはもちろん過去の話であって、現在生きているものではないと思うのですけれども、どうでしょう。
  241. 森山喜久雄

    ○森山説明員 そういう話は聞いたことがないわけでございます。
  242. 榊利夫

    ○榊委員 聞いたことがないくらいかつての軍の命令が生きているはずはない。生きているはずはないのだけれども、実際にはそれに縛られている人たちがいるということもまた事実なんですね。悲劇といえば悲劇でしょう。そして軍歴を隠し、公務員にもなれない。そして今日までもちろん恩給その他これは無関係。私はそれを弁護するつもりは毛頭ありません。やはりこの人たちもある意味合いでは生体実験その他に参加してきている。  七三一部隊の人たちもそうですが、もう一つ一〇〇部隊というのがある。これは長春郊外ですが、もとの新京の郊外にあった。これも同じような細菌戦の研究をやっていたわけでありますが、これの元隊員もやはりほぼ同じ状況に置かれております。  その点では、もはや軍歴を隠せといったそういう命令は生きていないのだということを何らかの形で告知する必要があるのじゃないかと思うのですけれども、これはいかがでございましょう。
  243. 島村史郎

    ○島村政府委員 私どもは七三一部隊ということではございませんが、一般的に言って、恩給は請求しないともらえないわけでございますので、そういうふうに恩給の請求につきまして要するにPRを実はやっておるわけでございますし、政府広報あるいは新聞、テレビ、ラジオ等を用いまして、市町村あるいは厚生省の方等を通じまして一般的にそういう広報を実はやっているわけでございます。  先生御指摘の七三一部隊の方につきましても、先生がさきに言われましたように、森村誠一さんの「悪魔の飽食」というのは非常に百万部も売れたということでございますので、これは相当のPRになっておるのじゃないかというふうに感じますけれども、私どももそういうPRということにつきましては一般的にしてまいりたいというふうに考えております。
  244. 榊利夫

    ○榊委員 本はベストセラーだ、それはPRだ。いまその続編は私たちの新聞の日曜版に連載しておりますけれども、いずれにしましても、そういう自然のものにゆだねるのじゃなくて、現に何千人の方がそういう状況があるのですから、告知しないでも、少なくとも議事録にでもそういった戦争中のものはもう生きてはいないということをやはりとどめておく必要があるだろう。だから、生きていないというこのことについてはそうだと、こういうことを言っていただけると思うのです。長官いかがでございましょう。それはもう常識の部類ですから。
  245. 島村史郎

    ○島村政府委員 ちょっと質問の趣旨がわかりませんが、軍歴を隠せという意味でございますか。
  246. 榊利夫

    ○榊委員 つまり、戦争末期に旧軍が命令をした、その命令はすでにもう生きてはいないのだ、いまは効力を持たないのだ、こういうことですね。これはもう常識ですね、そう理解していいですね。
  247. 島村史郎

    ○島村政府委員 それはそういうふうに理解していただいて結構だと思います。
  248. 榊利夫

    ○榊委員 それでは次の質問ですが、アメリカのジャーナリストのジョン・パウエルという人の論文があります。それによりましても、情報公開法で公開された戦後のマッカーサー司令部、GHQの文書には、終戦直後にこの元七三一部隊の首脳部と米駐留軍との間に密約が交わされている、細菌戦の技術を対米提供する、七百ドルだ、安いものですが、それと引きかえに戦犯にすることは免除する、こういうことにしたということがGHQの文書にあるわけであります。そのことは米国務省が日本側に伝える、そういうことも述べているわけでありますけれども、この当時のアメリカ側の通報など関係記録は外務省にあるのじゃないかと思うのですが、これは公表できるのでしょうか。
  249. 加藤良三

    ○加藤説明員 お答え申し上げます。  何分三十年以上も前の、わが国がまだ占領下に置かれておりましたときのお話のようでございますので、外務省といたしましてその御指摘のような事実、それに関する記録というようなものがあるか、この点は承知しておりません。
  250. 榊利夫

    ○榊委員 このGHQ文書はもう公開されたのです。実は私も見たのです。ですから外務省はアメリカに問い合わして取り寄せてみて、そうだとすればそれに照応する文書、これはちゃんとあるでしょうから、戦後の講和の前のものもそれは調査していただきたいと思う。
  251. 加藤良三

    ○加藤説明員 お答え申し上げます。  外務省といたしましては、個々の小説でございますとかあるいは論文ないしは伝聞に基づく報道といったようなものにつきまして、その内容の一々を対米照会するという立場はとっておりません。
  252. 榊利夫

    ○榊委員 そのGHQ文書は、もう三十年、公開されていますよ。それは外務省、手に入れてないんですか。だとすれば、不勉強というほかない。やはりこれは入手をして、責任を持って――直接日本に関することなんですから、いま手元にないとすれば入手する方法は幾らでもあります。問い合わせることだって幾らでも可能だと思うのであります。余りしたくない、こういう態度のようでありますから、それはもうこれ以上質問しませんけれども、いずれそれはやっていただきたいと思います。  それからもう一つ、戦後一九四七年から五二年にかけて、在日米軍四〇六部隊、これは厚木にいた部隊、ここで旧七三一部隊の者が多数米軍属として使役されていた、こういう事実が伝えられるのでありますが、この人たちはどういう仕事をやっていたんでしょうか。当時そういう使役として使われていた日本人、それはどれぐらいいたんでしょうか。それから、その関係記録があるとすれば、これはもう三十年も過ぎたものですから公表できると思うのですが、いかがでしょうか。
  253. 加藤良三

    ○加藤説明員 これまた何分三十年以上も前の占領下時代のお話でございまして、そのような事実があったというふうなことは、外務省として承知いたしておりません。
  254. 榊利夫

    ○榊委員 ずいぶん外務省というのは不勉強だと思うのですよ。やはりもっと責任を持ってそういう問題について勉強して調査をして、少なくとも日本人に関することですから、必要であれば直ちに問い合わせをしたり資料を取り寄せたり、それぐらいの勤勉さをひとつ持っていただきたいと思います。  ところで、大戦末期の風船爆弾の中に、石井部隊のつくった細菌が詰められていたんじゃないか、こういう報道もあります。あるいは戦後アメリカ側に資料が渡されて、朝鮮戦争やインドシナ戦争でも使われたのではないかという報道もあります。あるいは昭和二十三年、例の平沢貞通の長崎町の帝銀事件の際、やはり七三一部隊の関係者がたくさん調査されている。どうも手口が以ている。そういういろいろな七三一部隊に関しての情報や報道が相次いでいるわけであります。  私はそういう点では、あくまでも戦争犯罪やあるいは化学の悪用、そういう悲劇を繰り返してはならない。繰り返さないためにも、政府としては七三一部隊について知る限りの調査をやり、また資料があれば、その資料をある限り再点検をして、国会に提出するとかあるいは公開するとか、そういう積極策をとるべきではないか、こう思うのでありますが、総務長官はいかがお考えになりますでしょうか。
  255. 田邉國男

    田邉国務大臣 この問題は私の担当の問題ではないと思っておりますが、いずれにいたしましても、これが厚生省関係あるのかよく調べまして、検討さしていただきたいと思います。
  256. 榊利夫

    ○榊委員 ところで、この七三一部隊の首脳は、いろいろ調べてみますと、八・一五の敗戦を待たずに特別輸送手段で早々に帰国しているのです。細菌爆弾を運んできていまして、大事だから日本に持って帰ろう、しかし処理に困って玄界灘で一晩じゅう海に捨てて、捨てれば海水で死んじゃいますから、そういうエピソードもあるわけであります。  それから私ここで申し述べたいことは、彼らはいち早く日本に帰ってきたが、その陰で、通常の日本人居留民、開拓団員、こういった人たちは異常な苦難と苦労を強いられたという戦後の歴史なんです。最近問題の残留孤児もそうでしょう。これは重要な戦後処理問題の一つだと思います。三十数年、言いあらわせぬ苦労があった。この十年来帰国永住者は六十八名、一時帰国者が二百四十名と聞いておりますけれども、まだ相当、千名から三千名ぐらいの帰国希望者があると聞いております。これはやはり基本的に希望がかなえられるようにしていかなければなりませんし、また自立のため、日本語の習得や技能の習得、就職その他の援助や整備が必要だと思いますが、特にこの点では帰ってきた場合の戦後の労苦への慰労金、これはやはり積極的に考えていいんじゃないかと思うのですが、総理府としてはこの問題、検討される意思はございませんでしょうか。
  257. 岸本正裕

    ○岸本説明員 厚生省といたしましては、中国残留孤児肉親捜しの調査並びに、孤児が帰国を希望する場合に、また日本に永住を希望する場合に、引き揚げ援護の措置また自立更生のためのいろいろな定着化対策について、各省力を合わせてやっていくということでこれを進めているわけでございます。慰労金につきましても、先生の御趣旨はわかるわけでございますけれども、私どもといたしましてはきわめてむずかしい問題だというふうに考えるわけでございます。
  258. 榊利夫

    ○榊委員 これはぜひひとつ検討を始めていただきたいと思います。  それから具体問題にこういうものもあるのです。同じ帰国者でも、男女の差別がある。横浜の井上清八さんという人の場合ですと、兄さんと妹さん、きょうだい二人帰ってきた。それぞれ連れ合いと子供がいる。別家庭を営んでいる。ところが、妹さんの方は夫が中国人だ。中国名だ。そうしますと、兄さんの方は帰国の旅費とか帰還手当、これは子供の分も出るのです。ところが妹さんの方はそういう、つまり嫁いだという関係にあるために本人の分だけしか出ない。こういう点では処理に格差が大変ひどいわけであります。  これはやはり基本的には家族全体に渡すということが至当だと思うのですが、人道問題として、戸籍法の改善その他の問題もありますけれども、緊急に各種の助成などでの差別解消、少なくともこれをやるための具体策はやはりすぐ検討すべきじゃないかと思うのでありますが、この点はいかがでしょう。
  259. 岸本正裕

    ○岸本説明員 引き揚げをする場合、中国人の夫であるか日本人の夫であるかによって現在まで旅費その他につきまして差があったことは事実でございますが、新年度になりまして、この差を解消するようにいま検討いたしております。いまのところ、新年度に入りましてからまだ具体的な事例はございませんけれども、そういうことの起こらないように対応していきたいという考えでおるわけでございます。
  260. 榊利夫

    ○榊委員 ひとつその点での一層の努力お願いします。  次の質問ですが、戦没者追悼、平和祈念日の制定問題でお尋ねします。  総務長官お尋ねしますが、総務長官の要請で昨年発足した戦没者追悼の日に関する懇談会が、三月二十五日に報告書を総務長官に提出した。政府はそれに基づいて八・一五を戦没者を追悼し平和を祈念する日として近く閣議決定をする、そういう予定だというように報道されております。私どもは、終始侵略戦争に反対してきた党として、毎年八月六日とか九日の原爆の日、あるいは八月十五日当日、終戦記念日、あの十五年戦争の犠牲者を心から悼み、二度と悲劇を繰り返さない、そういう反戦平和の誓いを新たにしているものでありますが、そういう立場から見て幾つかの根本的な疑念があるのです。  一つは、この報告書を読ませていただきますと、さきの大戦で生命が失われた三百十万の同胞を追悼する、こういうふうに書かれておりますけれども政府としてはこの大戦というのはいつからだと考えておられるのでしょうか。
  261. 石川周

    ○石川(周)政府委員 ただいま先生御指摘のように、報告書の中で三百十万人という数字が出ておりますこと、あるいは懇談会での御議論の過程を承っております私どもといたしましては、報告書の中で「先の大戦」と書かれておりますその「先の大戦」は、シナ事変以降、昭和十二年七月七日以降の戦争状態を指していると理解いたしております。
  262. 榊利夫

    ○榊委員 そうしますと、これは九年にしかなりませんね。少なくとも今度の戦争は上海事変からずっと一つに十五年間続いてきたわけであります。若干の中断はありますけれども、実際にはそれからずっと大陸侵攻が始まっていっているわけでありますから、やはり十五年、これがさきの戦争の実態だったと思うのです。そこで三百十万人の命が奪われているわけであります。しかも、これは明白な他国に侵略していった戦争であります。  ところが、この報告書には侵略戦争の言葉は一つもありません。二千数百万名のアジア諸国の犠牲者への悼みの言葉も一つもありません。反省の言葉もない。日本国憲法もその前文で、「政府の行爲によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」と明確に書いているわけであります。そういう立場とは違っている。あるいは侵略戦争肯定の立場か、こういうふうに思わざるを得ないのでありますけれども、鈴木内閣の態度としては、この戦争についてはどういう態度をとっておられるのでありましょうか。
  263. 石川周

    ○石川(周)政府委員 報告書の御説明として申し上げますと、報告書の中で侵略戦争云々というような言葉が入っていないことは御指摘のとおりでございますけれども、たとえば「大戦の犠牲者を追悼することは、単にそれのみにとどまらず、将来に向かって平和を願うことにほかならない。」等々、この報告書の中では、追悼するとともに平和を祈念するということの重要性が随所に説かれております。そうした報告書が侵略戦争を肯定しているような受け取られ方になるというふうなことは考えていないところでございます。
  264. 榊利夫

    ○榊委員 つまり、鈴木内閣としては、さきの戦争は侵略戦争であったということは認めると、こういうことですか。
  265. 石川周

    ○石川(周)政府委員 報告書におきましては、戦争の性格論、分析まではいたしておりません。
  266. 榊利夫

    ○榊委員 私は内閣の態度を述べているんです。報告書云々じゃないんです。それに従って今度決めようとしているんです。鈴木内閣としては、侵略戦争についてはどういう態度なのかと、こういうことなんですよ。
  267. 石川周

    ○石川(周)政府委員 私ども理解しておりますところでは、この報告書に従いまして、尊重いたしまして、戦没者を追悼し平和を祈念する日を制定するという措置をとろうとしているということでございます。
  268. 榊利夫

    ○榊委員 いや、あなたに聞いているんじゃない。私は内閣の態度を聞いているんだから、これはやはり総務長官に答えていただかないと。つまり、もう一回言いますが、さきの戦争は侵略戦争であったということをお認めになりますかどうですか、こういうことです。
  269. 田邉國男

    田邉国務大臣 今回の戦争は大変な犠牲を払い、またわれわれ国民ひとしく、再びこういう戦争があってはならない、こう肝に銘じております。そういう意味で平和を祈念し、そしてよりよき民主的な平和国家をつくっていこう、こういう考え方でございまして、さきの大戦はお互いに大きな犠牲を払っておった、その反省の上に立って対応をしていきたいと思っております。
  270. 榊利夫

    ○榊委員 どうもやはり核心からはお逃げになるんですよ。なぜ反省するか。他国に攻め入った。日本人も犠牲を受けたけれども、より以上に相手方に何千万の犠牲を与えたわけでありまして、それについて痛烈な自己反省がなくてはいけないと思うのです。それでこそ再びこういうことをやってはいけないということにもなるわけであります。私はその点では、率直に言って、問題をはぐらかすような政府の態度についてははなはだ不満であります。  ところで、今回のこの戦没者追悼の日の問題を、先ほどもちょっと質問に出ておりましたけれども、靖国神社問題と結びつけて、戦犯の東条英機、彼まで今日靖国神社には英霊として祭っているわけであります。西郷隆盛は祭られていませんけれども、東条英機は祭られているんです。この靖国神社への公式参拝実現について、今度の追悼の日の設定はこの公式参拝実現への第一段階だ、そう言っている団体などもあるようでありますけれども政府もそういう見方、立場なんでございましょうか。
  271. 田邉國男

    田邉国務大臣 その靖国神社の公式参拝とは全然関係がないことを御理解いただきたいと思います。
  272. 榊利夫

    ○榊委員 先ほども結びつくものではないという答弁、いま同じような答弁をいただきましたけれども、結びつかない。実は、私ども一般新聞で見たところによりますと、これが発表された翌日の新聞に出ました自民党の見解というのは、第一段階だ、こういう言葉はあるんですよ。ですから、それは政府立場とは違うということになりますが、そのことを一応押さえて、そのことを述べて先に進みますけれども、やはり結びつけてはいけないと思うのです。これは別の問題だ。ところが、実際には第一段階として、さあ今度は公式参拝だ、こういう動きがあることも事実であります。  ところで、報告書では、一方では追悼というのは基本的には個々人の心の問題だと述べられております。いろいろな追悼の仕方があっていいと思うのです、個々人の心の問題として。ところが、特定の日というものを政府として決定し、政府ベースの全国戦没者追悼式をやる、そして地方公共団体、民間団体にも右へならえさせていく、あるいは少なくともそうさせていこう、これはやはり自家撞着じゃないかと思うのです。心の問題というのはいろいろなあれがあっていい。ところが日を設定して右へならえ。信条、意見がさまざまである以上、国家的に特定の日だとか行事を押しつけない、これが私は近代民主主義の原則じゃないか。いわゆる政教分離というのはそこから来ていると思うのですね。一つのものを押しつけたら大変なことになるから、国家と宗教というものは分離する。したがいましてこの問題は、日の設定を閣議決定すべきでない、総務長官としても拙速を戒めていただきたいというのが最後の質問でございますが、いかがでございましょうか。
  273. 田邉國男

    田邉国務大臣 懇談会の報告書は、戦没者を追悼し平和を祈念する日を設けるに当たりましては、この問題に関してさまざまな意見が存在することに配慮をして、国民の大多数が素直に受け入れられるようなものにする、こういう考え方に立ちまして、いろいろと意見を述べております。政府といたしましても、この懇談会の報告書の趣旨を十分尊重し、対応していきたいと考えております。  実は、昭和三十八年以降毎年八月十五日に実施してまいりました全国戦没者追悼式は、国民の間にいわば定着をしておるものと考えておりまして、この報告書においても「今後も従来どおり続けていくことを要望する。」こういうように書いてあります。私どもはその趣旨に沿ってまいるつもりでございます。毎年八月十五日の戦没者追悼の日というのは閣議決定をしてまいりました。今回もそのような形をとってまいることが一番自然ではないか、こう考えております。
  274. 榊利夫

    ○榊委員 私はその考え方に反対だ、このことを述べまして、あと七、八分しか時間がございませんが、最後に、陵墓古墳の保護の問題でちょっと質問させていただきます。宮内庁の方、来ていらっしゃいますね。  高松塚の古墳だとか最近の埼玉古墳の発掘等々で、いわゆる陵墓古墳への関心は非常に高いものがあります。ところで二つ問題がある。一つは、陵墓古墳を文化財として破壊から守っていく。もう一つは、歴史の真実、学術研究のために広く公開する。この二つだと思うのです。  ところが御存じのように、陵墓の範囲というのは明治初年の知識で決定されたままでありますね。そのために前方後円墳なのに後円部の頂点部分しか指定していないとか、今日の知識水準から言えばいろいろな問題がある。ところがどんどん開発が来て、それで破壊されていく。この点については、すでに六、七年来、考古学あるいは歴史学関係の十学会が陵墓の保護と公開を求める声明を出したりして、また宮内庁とも繰り返し折衝が行われてきていると聞いておりますが、どういう進展がございますか。
  275. 福留守

    ○福留説明員 ただいまおっしゃいましたとおり、前方後円墳等完全に取り入れていないという問題もあるわけでございますけれども、これは宮内庁だけの問題ではございませんで、文化庁、関係都道府県、市町村、そういうものと密接に協力いたしまして、全体で取り上げるべき問題だと思います。宮内庁といたしましても、関係官庁等と連絡を密にしながら進めてまいりたいと思っております。
  276. 榊利夫

    ○榊委員 どうも要を得ないのですね。関係官庁と話し合って、自治体と話し合ってと言うのですけれども、さっぱり進んでいないようであります。つまりこの間に進展はなかったのでしょうか。  それから、陵墓というのは一体何を指すのでしょうか。研究者が立ち入れない宮内庁管理の陵墓はいま幾つあるのでしょうか。この点お尋ねいたします。
  277. 福留守

    ○福留説明員 陵墓は天皇及び皇族を葬るところでございますので、しかも現に祭祀が承継されておりますいわば生きた墓であります。したがいまして、その中心である墳丘部については立ち入りを認めていないわけでございますが、陵墓の堤防その他外周部につきましては、管理上支障がない範囲におきまして学者、研究者の方に立ち入りを許可することといたしております。
  278. 榊利夫

    ○榊委員 立入禁止は全国で幾つあるのですか。
  279. 福留守

    ○福留説明員 ただいま申し上げましたように、陵墓につきましては、墳丘部についてはすべての陵墓に立ち入りを認めておりません。
  280. 榊利夫

    ○榊委員 幾つあるかと聞いているんだけれども、すべてだと言う。大体二百近いんじゃないでしょうか。  いま、天皇、皇族の墓だと言われましたけれども、近畿地方にあるあの巨大な前方後円墳、これは諸部族の有力者の墓ですわ。大王権、つまり天皇権と言いかえてもいい、それが部族の有力者の間を移動していたということは、これは学問上の定説です。蘇我であるとかその他、有力者がいたわけであります。だから、あの巨大な前方後円墳、必ずしもいまの天皇家とはかかわりがない。ですから、真実の学問的研究への扉を閉じるべきじゃない。その扉をあけて、そして大いに学問的研究をさせる。そのことによって、また歴史の真実も明らかになってくるのじゃないでしょうか。それを宮内庁だけで独占しているということは、合わないと思うのです。  矛盾は幾らも挙げることができますよ。神武天皇の陵なんというのは、大体建国の日二月十一日も神話ですけれども、神武天皇の陵そのものが、中世の土壇の上に江戸末期に土盛りしたものでしょう。加古川の日岡高塚にしましても、明治初年に景行天皇の陵だとされているのだけれども、もとは円墳ですよ。崇神天皇陵と言われるものも、これは崇神天皇が生存されていた時期とはずいぶん違う。  そういうふうに見ますと、学問的に見ますと、いろんな問題があるのです。ですから、これはやはり学問研究にゆだねる。そのことによって、わが日本の歴史の正しい認識もそれだけ深まる。私はこういう立場で、陵墓古墳への立ち入り研究、これは大いに広げる、こういうことをやるべきではないかと思うのです。すでに宮内庁の宿題としても、陵墓古墳への立ち入りの基準、これをつくろうということになっていたと思うのですけれども、いまこの宿題はどこまでいっていますか。
  281. 福留守

    ○福留説明員 古代高塚式陵墓、これは典型的なものでございますが、それについての見学、立入基準につきましては、すでに昭和五十四年に内規を作成いたしまして、堤防その他の外周部について、管理上支障がない場合においては、純粋に学術研究のために見学したいと申し出る者については見学を許可することにいたしております。  なお、見学を許可する対象者といたしましては、大学、短大等の教員あるいは都道府県教育委員会や学術研究機関に所属する者で考古学及び歴史学を専攻する研究者ということにいたしております。  なお、学会等にも、新しいところでは昨年九月に、いわゆる考古十二学会の代表と私懇談いたしましたが、その席でも明言いたしておりますので、すでによく御承知のことと思います。
  282. 榊利夫

    ○榊委員 つまり、できるだけ早くその立ち入りの基準をつくると言う。だけれども、まだ今日まで発表されていませんね。どうして延び延びになっているんでしょう。
  283. 福留守

    ○福留説明員 発表というお尋ねでございますが、一昨年の辻議員の御質疑に際しましてもお答えいたしましたし、繰り返しになって恐縮でございますが、考古学界の代表との懇談会の席上でも明言しておりますので、これは周知の事実であると承知いたしております。
  284. 榊利夫

    ○榊委員 つまり、非常に狭くというのが宮内庁の立場のように思うのです。やはりもっと広く一般に、国民、学界の学問、研究その他の対象にしていく、こういうことが望ましいわけであります。  いわゆる陵墓参考地というのが全国に四十六カ所ありますけれども、これはどういうものでございますか。
  285. 福留守

    ○福留説明員 陵墓参考地につきましては、葬られている皇族につきましては特定されておりませんけれども、皇室の祖先のお墓であるということでございますので、なお立ち入り等につきましては陵墓と同じように認めておりません。
  286. 榊利夫

    ○榊委員 皇室の祖先の墓と言われますけれども、どこでそれを証明されますか。ほとんどの古墳はだれが被葬されたのかもわからぬのでしょう。何年何月の築造かということもわからないのでしょう。だれの墓かわからないのだから、祭祀もやりようがないのです。不思議な存在であります。それなのに文化庁ではなくて宮内庁が独占をしている。  いま現代考古学に開放して調べてもらえば、この古墳は何年につくられたか、千五百年前のものであっても大体二十年の誤差しかないのです。確定できるのです、今日の科学的なそれを使えば。そうすれば、この古墳はだれの古墳だということもほぼ確定できるのです。ところがいま、皇族の祖先の墓だ、そう言ってふたをかぶせたままで、ではだれの墓なのかということはさっぱりわからない、調べようがない。これは科学的信憑性という点からも非常に問題がある。もっと開かれた宮内庁であってほしい。そして、この古墳についても学界と国民の前に広く公開をして、日本の歴史の真実の解明、日本人が日本の歴史を正しく知るために公開をするという立場で御努力お願いしたい。そうでなければ、わが日本に中身のないままに聖域みたいなものが特別に幾つかつくられて、大変不思議な状態が続いていくということになるわけであります。その点、いかがでしょう。
  287. 福留守

    ○福留説明員 陵墓参考地の根拠いかんということでございますが、これは文献、伝承その他いろいろ考古学的な調査を含めまして、総合的に現在陵墓参考地として引き継いでおるわけでございます。  それからなお、公開の点につきましては、先ほど立ち入り、見学等についてだけお答えしたわけでございますけれども、陵墓関係資料の公開につきましてはいささか努力しておるつもりでございまして、関係文献の閲覧、陵墓地形図の頒布等を実施いたしております。なお、陵墓の営繕工事に伴う調査等に際しましては、人数をしぼってではございますが、学者、研究者の方にすでに三回にわたって見学をお認めしておるわけでございます。なお、調査概要につきましては書陵部紀要に掲載してすべて公開されております。また、出土品につきましては、鏡と装身具の展示会を過去に開催したわけでございますが、その他のものにつきましても今後、展示会を計画しております。これらの出土品につきましては、地方博物館等から要望がございますれば貸し出しをしておるということでございまして、公開につきまして全く閉ざされておるということではございませんので、資料等につきましては積極的に前向きに努力しておるつもりでございます。
  288. 榊利夫

    ○榊委員 最後です。  いま発表されましたように、私聞きながら半歩前進した。陵墓参考地の一層の公開についての再検討にしてもその他についても、私いま再三申し上げたような方向で、一方では破壊から守る、同時に広く公開をして科学的な研究に任せていく、こういう立場で二歩も三歩も進んでもらいたい、そのことを最後に要望して、質問を終わります。
  289. 石井一

    石井委員長 これにて質疑は終局いたしました。  次回は、来る八日木曜日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時四十六分散会