○小渡委員
復帰をいたしまして十年、十一年目になろうとしているわけですから、
県民の皆さんは、いま
一つの海没地の問題を提起しましたけれ
ども、地籍明確化作業も終わったから、次はこれはもう護岸もできてちゃんと復元されて自分の土地は明確になるなと、そしてその上で軍の方に貸しているということは、米軍の方に貸しているということに対して文句を言っているわけじゃなくて、自分の土地というものを現認したいという、これは熱望がありますよ。だから、それに対してはやはりこたえてもらわなくちゃいかぬ。それは護岸をつくることが米軍のその地域を
利用することによって障害になるというんだったならば、それはまたどういう意味で障害になるのかということも明らかにしなければなりませんけれ
ども、まさかそんなことはないはずですよ。護岸はどうでもいい、護岸つくったならば基地としては基地使用にえらい迷惑になるんだというようなことは全くないと思うのですよ。ですから、管理をしている以上関係官庁ともよく相談されまして、第二次振計の十年間ではこれはきちっとしてやろうという前向きの姿勢がいま必要なんですよ。そのことを
指摘しているわけです。
次に、第一次振計の反省の中で、
長官、
県民の総支出の構成比で見た場合、一体
沖縄の
経済というのはどうなっているんだということでございますが、これは、支出構造の変化を四十七年度と五十五年度というぐあいにして実質構成比を見てみたんですが、これによりますと、
沖縄県は総支出の中で四十七年度は、いわゆる
復帰時点です、
復帰時点は、民間部門の最終の消費支出でございますけれ
ども、これが六六・七%でございましたが、五十五年度では民間部門最終の消費支出というのは五五・八%なんです。そして、固定資本形成の中の住宅投資の部門を見ますと、四十七年はその構成比は十三・五%なんですが、五十五年度は八・三%でございます。
企業設備の部門を見ますと、四十七年は二八・九%で五十五年は十三・〇%なんです。それぞれ構成比は、民間部門では
県民総支出の中身としては構成比は
復帰のときよりもどちらかと言えば低いわけですね。ところがこれが財政部門を見てみますと、四十七年は二九・六%でございましたけれ
ども、五十五年になりますと四〇・一%と非常に高くなってくるわけです。最終の財政部門における消費支出を見ますと、四十七年二〇・六%が二〇・五%、約横並びでございます。そして投資の部門を見ますと、四十七年は九・〇%で、五十五年は一九・六%となるわけなんです。だから、国の財政投資が大きく総支出を支えているということが明らかになってくるわけでございますね。
そして、もう
一つ大事な部門がございます。それは移出と移入の部門でございますけれ
ども、この移出部門も四十七年は四八・二%で、今度は五十五年は三四・一%、構成比の上からは移出の部門が落ちてくるんです。ところが、移入の部門でございますけれ
ども、これは四十七年は七二・三%で、五十五年は五九・四%、こういうぐあいになるわけです。これもまた下がってくるわけでございますね。これは、
県民総支出を一〇〇としての構成比でございますから、この分析によって
沖縄の
県民総支出の構成比を見ることによって、
経済の状態をこの十年間分析していく大きな
一つの目安になろうかと思うのです。同時に、米軍地料を含めました軍関係の受け取りというのが、これが四十七年は一九・六%ですが、これが五十五年になりますと六%に落ち込んでしまうわけです。だから
基地経済依存型というのは大分後退したなということにもなろうかと思います。総じまして、本県の
経済というのはますます財政
依存度を高めているということがこれでわかると思うのです。そして移出入のバランス、これはちっとも直らない。やはり移出するのは少なくて移入するのが多いいわゆるざる
経済である。これは
復帰のときとも何ら変わらない。多少の変化は起きたけれ
ども、概して変わらない。これが第一次振計の
経済をとらえる上の反省の大きな材料でなければいかぬと思うのですよ。だから、第二次
振興開発計画を策定するときにはどうすればいいんだ、どうしようかという問題が起きてくるんじゃないでしょうか、私はそのように思うのです。
それで、今度はこれを
産業構造の変化を見ても、すぐわかります。もう時間がございませんから具体的には申し上げません。ただ、第一次
産業と第二次
産業、第三次
産業の
産業別の成長率も言いたいのですが構成比だけから見ましても、これは
復帰のときと余り変わらないのですよ。第一次
産業は、構成比から見ましても四十七年七・五%が五十五年は五・七%と少し構成が変わりましたけれ
ども、第二次
産業は四十七年二〇・九%、五十五年二一・七%、ちっとも変わらないです。第三次
産業は七四・九%が七五・四%、これも余り変わらないです。要するに、
産業構造そのものは、この十年間、国も県も市町村もいろいろ
努力はしてみたけれ
ども余り変化は起きてこない。だから、財政投融資が徹底的に行われない限り、
沖縄県民の所得というのは全く向上しない、こういうことにしかならないのじゃないでしょうか。再生産というものがちっとも起きてこないのじゃないかというような感じがするわけでございます。
そして、先ほど来御
質問も提示されておりましたけれ
ども、雇用問題がございましたが、労働省おいででございましょう。そこで
開発庁長官、これも本当に意を尽くしてください。というのは、いま
沖縄の失業率、五%から六%内外なんです。ところが、あと三年もすれば、五年もすれば失業率八%になるぞということを私はゆうべ知事とも話し合っているのですよ。いまのような
産業構造であるならば、もう必ずなる、こういうことを私は予測しているわけです。それはなぜかといいますと、年齢の階級別
人口調べの資料を見ました。これによりますと、これは県の資料ですが、
昭和五十五年度国勢
調査の数値でございます。十五歳から十九歳までの、生産年齢層の中の本当の若年労働力ですね、この十五歳から十九歳を構成比別に見ますと、全国が七%なんですよ。ところが
沖縄は八・五%なんです。十五歳から十九歳が一・五%も高いんですよ。
昭和五十五年ですから二年前でしょう。十五歳−十九歳は、どちらかというとほとんどがまだ学生だと見ればいいわけです。この連中があと五年もすれば二十になり、二十四、五になります。そのころは、今度は労働市場の中へ流れてくるわけですよ。全くもう求職者になるわけです。全国の七%、
沖縄八・五%ですから、構成比が高いんですからね。全国の労働政策、いわゆる
わが国の労働政策をそのまま
沖縄におしなべていこうとするならば、失業率は必ず、文句なしに上がる、こういうぐあいに
考えているわけです。この部門が一番大事なんです。そして、二十九歳までの構成比というのは、
沖縄の場合は二四・八%占めているのです。ところが全国は二一%なんですよ。これも若年労働力の構成比というのが非常に高い。これに意を尽くしていただいて
——それはいまもいろんな施策を施しておるのは私よくわかります。県が、雇用創出
事業、これを何とかしてくださいということで、
開発庁もそれから労働省も真剣にお取り組みになっていることはよくわかります。しかし、それがすべてだと私は思いません。それだけではこの問題は
解決できない。先ほど、
長官の御決意の中にございました。
産業の
開発だとおっしゃっておりましたけれ
ども、じゃ、
産業の
開発をするのにはどういう種類のものを、どのような形で、いつごろまでにというのが
計画であります。
さて、第二次振計でございますけれ
ども、その第二次振計は、
沖縄ではその
期間中に国民体育大会が行われます。
昭和六十二年です。第二次
振興開発計画の半ばでございます。その間はほとんど、
沖縄県は挙げて国民体育大会の成功へということで公共投資が行われます。ところが、この公共投資
——公共投資の
補助率は全国一律なんですよ。
沖縄だけは
高率補助でやるということはないのです。そうなりますと、各市町村、県が、財政の
対応能力というのは各県よりも物すごく低い。半分以下のところもたくさんあります。そういうところでそれぞれ負担をしなければならない。とてもじゃないけれ
ども、第二次振計、一体何をやろうとしているのか、こういう問題になります。第二次振計でもみんな十分の十ではありません。十分の九もあれば十分の八もあり、十分の七・五もあるわけです。それぞれ起債をしなければならない分も出てくるわけです。今度は起債ということになれば、自治省あたりで、これはまた起債はできないとか制限を加えられるというようなことがあると、第二次振計のせっかくの
計画も、またその辺で歩どまりが悪くなるのではないだろうかということも心配せざるを得ないのであります。同時に、国民体育大会につきましては、これはどうしても短期的に成功させなければいかぬということになると、起債も必要だろうあるいは持ち出しも必要だろう、それは競争して、挙げて市町村が
努力します。そのことによって財政の窮迫を来していく。もうすでに県の
予算はことしから始まっているのですよ。こういう
状況があるのです。私は非常に憂慮をいたしているのでございますがね。その辺
長官、どのようにお
考えですか。