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政府委員(山地進君) いまの問題、大変むずかしい問題であると私も
理解しておりまして、ただ私もいろいろ調べてみたわけでございます。そうすると、この
退職制度に関する紛争といいますか、仲裁とか調停とか、そういうのが起こっているのは二十八年以前、つまり
退職手当の暫定
措置法というのがございますが、そういったものができる前の紛争が主でございます。国鉄の
仲裁裁定もございます。その
仲裁裁定の中には、公労法八条の賃金その他のものに当たるのでこれは当然交渉の
対象になるというような考え方も述べられているのは事実でございます。
しかし、その後この
退職手当法というのは、沿革から申し上げますと若干長くなりますけれ
ども、戦前においては官吏と雇用人というように
公務員が二つに分かれておりまして、官吏についてはそもそもが恩給法だけであると、それが官吏の処遇が若干低下してきたころから、高等官に対する賞与支給の問題が出まして、大正七年ぐらいから官吏については賞与という形で
退職手当相当のものが出てきたと。そういったものが官吏以外の非現業の雇用人については賞与としての
退職手当、これはわりと
制度としては完備されない形で並行して行われてきたのも事実のようでございます。ところが、現業の方でございますけれ
ども、現業の方につきましては、国鉄が主となって国鉄の従業者に対しまして
退職手当というのが設立された。
ところが、そういった官吏、雇用人、あるいは現業の人たちの
退職手当というものが戦後どうなったかというと、物すごいインフレのもとで、恐らく各
企業がそれぞれ払うということについては非常にむずかしくなってきたんだろうと思うんです。それが二十一年に、言ってみれば全体を統一するような形で「退官、
退職手当支給要綱」というのが二十一年にできて、それが二十四年には
退職手当の臨時
措置に関する政令、それから二十五年には国家
公務員等に対する
退職手当の臨時
措置に関する
法律と、こういうようなものが逐次出てきて、言ってみればパッチワークで毎年の
退職手当を辛うじて払うというような状態が起きてきたわけです。
そこで、何が問題だったのかということを調べてみますと、恩給とそれから官吏の俸給令に基づく賞与といいますか、そういったものとか、共済組合の
退職給付あるいは労働基準法による解雇手当あるいは失業保険法の
退職手当、こういった
性格のそれぞれ違うものがごろごろしていまして、その間の整合性がないというのがこういった
退職手当をまとめるのに大変難点だったように私
どもは
理解しております。
ところが、三十三年に五現業の職員と非現業の雇用人に対しまして国家
公務員共済組合法というのができて、長期給付の
制度ができてきた。それで、
退職手当法を改善して、長期給付とそれから
退職手当というものの整合性を認めて、非現業の官吏を除く五現業の職員とそれから非現の雇用人というものに三十三年に
退職手当法というものを改善した。それで、三十四年に、国家
公務員共済組合法ができた
機会に非現業の全体を
退職手当法に包含すると同時に、三
公社についても共済組合法ができているのでこれを一緒にするというような、非常に歴史的な背景があって、その後今日まで至っている。
その間、先ほど申し上げましたように、二十八年までの暫定
措置の時代、非常に不安定でかつ
退職手当が少ない時代には、これを団体交渉すべきであるというような議論もあり、それから二十八年には大蔵
委員会の御決議、これは共済組合法のできるときには
退職手当について三
公社についてよく考えるべきじゃないかというような御決議もあるわけです。ところが、三十四年の
退職手当法ができたとき、つまり共済組合法が別途できたとき以後は、こういった
お話というのは一切ない。つまり私
どもとしては、共済組合法、これは三
公社それから国家
公務員、それぞれ共済組合があるわけです、その共済組合の
制度とこの
退職手当というのが整合性があるものとして今日まで綿々と続いてきているということでございまして、立法論的には、二十八年の大蔵
委員会の御決議があるように、どういうふうな扱いをしたらいいかというのは立法政策の問題もあろうかと思いますけれ
ども、私
どもとしては、この
退職手当法というものが完備されているという意味で、現在のままで進むべきではないだろうか、かように考えております。