○中山千夏君 努力していただけるということは非常にありがたいんですけれ
ども、いま
お話伺っていても、余りにも原子力について御存じであるために、どういうところがわからないのかというようなことがわかっていらっしゃらないのかなという気もするので、ちょっと詳しく説明したいと思うんです。
一口に言って、必要性とか、それから既成事実についての話に比べまして、安全性の話というのは非常にわかりにくいんですね。確かに説明がむずかしいということはわかるんです。ところが、やっぱりわかりにくさの一因というのは、いま私が言いましたように、
理解を促すより先に、合意を求めてしまうというところにあるんじゃないかと思うんです。とにかく安全だということを押しつけてしまおうという姿勢が広報をつくるときに出てきている。いわば、形としては国民を子供扱いするといいますか、そういう形で出てきていて、かえって読む大人の素人にとってはわかりにくいというところがあるんですね。ちょっと、例を見ていただきたいんですけれ
ども、これは女性週刊誌に出たものなんですが、文章の中に漫画が入っていまして、これなんて、もう形からして非常に大人に説明する場合の形態だとは思えないんですね。さすがに、ほかの媒体ではこういうものはありませんから、女というのは、よほど子供みたいなものだというふうに思っていらっしゃるんじゃないかと、ちょっと私は傷ついたりなんかもしたんですけれ
ども。この中の文章にしましても、ざっとこういう書き方をしちゃうから、あんまり親切に書けないわけですよね。安全性に関して、「原子力発電で使うウランは、そのほとんどが核分裂しないウランなのです。」なんてぼんと書いてありますと、これは確かにうそじゃないです。だけど、素人としてはそこだけぼんと出てきても、かえって
混乱するんですね。核分裂でエネルギーを出すんじゃなかったのかしらと、こういうふうに思うわけですからね、かえって
混乱してしまう。
それから、さっきおっしゃった「常識として知っておきたい原子力。」というのは確かに出ています。こういうことを国民に知らしていただくのはすごくありがたいんですね。
新聞なんかの
報道を読んだときでもぴんと来ますから、いろいろな言葉について。ところが、これ楽しみにして読みますと、やっぱりよくわからないんですね。それで、どこが最もわかりにくいかと言いますと、一番核心であるキュリーとレムという言葉の説明が素人に対しては不親切だと思います。しかも、この食べ物の中の放射性物質というところについては、説明文だとレムと書いてありまして、図ではキュリーの単位しか用いられていないんですね。そうすると、キュリーとレムの
関係というのはどうなっているんだろうということが、素人には、そういうことを知らない者にとっては非常にわからないわけなんです。これはどの広報にも言えることなんですけれ
ども、何ミリレム程度は浴びても大丈夫ということがいっぱい書かれてあります。だけど、たとえば、何ミリレムぐらい浴びちゃうと、こういうふうに危ないんだよということについては一つも書いてないんですね、レムに関して。そうすると、われわれ国民は放射能の恐ろしさというのを原爆で持っていまして、放射能アレルギーなんて呼ばれることもありますけれ
ども、そういう土壌の中の国民としては、むしろ不安だったり、このくらい浴びると危ないんだということがまるで抜けていて、これくらい浴びても大丈夫、大丈夫ということはかり書いてあると、かえって疑問とか、不安とかを抱いてしまうわけなんです。
それからもう一つは、通産省の方のパンフレットで、これはすぐ一般の
人たちが簡単に
新聞のようには手に入らないものだと思うんですけれ
ども、これも非常に安全性を強調していろいろ書いてあるんですけ
ども、書き方とか、方法が素人に対して
理解を深めるという
方向では非常に不十分だと思うんですね。たとえば、一次冷却水漏れの事故が、どういう仕組みになって、どのような結果を生むのかということについては全然説明がしてなくて、そして安全性の強調のために、ECCSの説明はこんなに細かい図解でしてあるんですね。だけ
ども、第一次冷却水が漏れてしまったらどうなるかということについては説明がないために、このECCSというものが何で安全確保につながるのかということは全然わからないんですよ。そうすると、漠然と、こういうむずかしい機械がついているんだから安全なんだろうと思うか、逆に漠然としているために不安を持ってしまうということになるんですね。
それから、同じ本で、四十三ページのところに、「一般には、放射能とは放射線や放射性物質をさして使われていますが、実はこれは必ずしも正しい言い方ではありません。」と言い切って、以下放射能という
表現を使わないで説明がるる書かれているわけです。
ところが、これがしばらく行って、四十九ページになりますと、再び「放射能公害はない」というふうにタイトルで放射能という言葉がぼんと出てくるんですね、放射能という言葉の説明もなしに。
さらに五十六ページに行きますと、「ひと口に放射能という言葉で片づけられているものが、実は放射線や放射性物質であることは、すでに説明しました。」と言って、そしてその後に、「自然に存在している放射能にはどんなものがあるのでしょうか。」というふうに続けられる。こういう書き方をされると、素人は物すごく
混乱するわけなんですよね。どうしてこういう書き方になってしまうのかと思って私何度もここのところを繰り返し検討してみましたら、これは故意にか、故意ではないかはわかりませんけ
ども、「放射能とは放射線や放射性物質をさして使われていますが、実はこれは必ずしも正しいいい方ではありません。」と言って、放射能という言葉を退けた部分では、発電所から出る放射線について説明しているんですね。そして、放射能という言葉をいやに積極的に使う部分では、自然放射線のことを説明しているわけなんです。
これは確かに放射能アレルギーを何とかぬぐいたいという窮余の一策なんだろうと思いますけれ
ども、こういう言葉のあいまいな、つまり開発促進に何とか
協力してもらうために、それを急ぐが余りのこういう子供だましのような手法がちょこっとまじっていることが、われわれ素人の
理解を妨げて、その
理解を基礎とした合意を妨げていると思うんです。全般にこれ見ますと、開発への合意とか、受け入れを促すのに急な余りに、ときには子供だましのような手法を用いるんですね。国民のための広報になってないんじゃないかと私は思うわけなんです。国民というのは子供じゃありませんし、
公開ヒヤリングのたびに
反対派と非常にもめるということも知っていれば、「むつ」のことも知っていれば、それから専門学者の中にも非常に危険だというような考えを持っている人もいるということを知っているわけですよね。そういう知っている国民に対して、とにかく安全ですから心配ない心配ないという式の広報を出したんでは、
反対派の説得はもちろんのこと、国民の不安、疑問もぬぐい切れないんじゃないかと思うんですよね。国民はそうよく
理解してなくても、何となく開発の邪魔しなければいいんだというお考えなら別ですけれ
ども、本当に国民の
理解を得て、その上で合意を得て開発をしていきたいんだというお考えであれば、こうした手法はもっときめ細かに、素人にわかるように、
理解できるように、そうむずかしいことじゃないと思うんですね、いま例に挙げたことだけとっても。その辺を考え直すべきだと思うんですけれ
ども、通産省と科学技術庁いかがでしょうか。