○岩上二郎君 私は長い間、聖徳太子の研究をしてきた一人でありますが、聖徳太子の精神というのは非常に内観的で、しかも仏教的な色彩の非常に強い方でありますし、また非常に自分に対しては厳しい方であります。その聖徳太子なる方がこの和というものを第一義に置いたというのは、いたわりあるいは慈悲とかあるいは正義とか礼節とか信義とか、そういうふうな徳目、それを総称して第一義的に和というものを置いたというふうにわれわれは理解するわけであります。したがいまして、これは日
本人の性格の中に非常に歴史的な
経過をたどりながらずっとおりのようになっていった、そういうふうな非常に日
本人の徳性とでも言うものが一般化されたものであろうと、このように考えているわけでございます。いまの
総理のおっしゃるように、こういうものではないと、やはり平和主義の考え方も非常にあるんだというようなことであいまいでありますが、私はそれも
総理のお考え方でございますから別にどうということはございません。ただしかし、基本にあるものを踏まえるということが政治をする場合に非常に大事であると、このように思いますが、その意味で私は
総理にさらに御
質問申し上げたいと思います。
総理は政治倫理というものを非常に強調されておられまして、私も
国会に出てきて、この政治倫理特別
委員会というものが自民党に設けられてありましたので、これも一番先に二重丸、三重丸をつけて出したんですが、いつの間にか消えてなくなったわけです。この政治倫理特別
委員会の復活を強くお願いしていたやさき、
鈴木総理が非常にえらい強調されていたわけでございますが、これはやはり議員同士の自浄作用というか非常に自分には厳しいものでありますけれ
ども、こういうようなものをやはり推し進めるということが大事だと、このように思います。しかし、なかなかそれらの問題が実現できないということになると、
総理が一番最初に就任のときに声明されたその主張というものが空になってしまうことを私はおそれるわけであります。したがいまして、強くやはりガバナビリティーを持ってひとつ自民党にも各党に対してもたびたびおっしゃっておられますけれ
ども、強くその指導性を発揮していただきたいと、このように思います。
あわせて
政府においても、もうすでにアメリカにおいては
政府倫理法というものをつくられてますし、あるいはこの政治倫理
委員会なるものが西ドイツあるいはイギリス等においてもすでに設けられている実態からかんがみまして、やはり
政府自身もこの
政府倫理法なるものを進める、あるいは提案できるようなそういう一つの考え方をお持ちになることが
総理としては非常に大事なことではなかろうかと、このように思いますので、もう一回ひとつ御
答弁をいただきたいと思います。