○青島
幸男君 お聞きになっている方も十分御理解いただけなかったと思う人ですがね。私も全くわかりませんでした。どうしても
放送によって
大学を開かれたものにしたいと、こういうお考えでしたら、
結論から申しまして私は
ラジオだけでいいんじゃないかと思いますね。あくまでもこれは補足的な手段なわけですね、
テレビを通じて行うにしても。そうすると、ニュース番組を提供するようにその都度違うわけではございませんで、一年間なら一年間、これを四年間積み立てるということを綿密に
計画なすって発足なさるわけでしょう。そうなりますと、大体どういう内容でカリキュラムを進めていかれるのかということはもう明白に事前にわかっているわけですね。そうなりますと、
ラジオだけで行われても、図形によるものもなければ理解が進まないとかそういうものは十分にパンフレットその他であかないがつくんじゃないですか。私も学校におりまして勤勉な
学生だったとは申しませんが、四年間の教養課程の中でどうしても映像とともにやらなければ受けられなかった、あるいは進められなかったという授業は記憶にないんですがね。何ですかね、私はその
テレビをいきなり御採用になったというところの裏には、
テレビというものの影響度の大きさはさることながら、何かこう華やかで、すぐ飛びつきそうで、しかも大
規模で金がかかりそうで、天下り先も多そうだから、何かはではでしいところにすぐ短絡に結びついていくような感じがして、実際に
わが国の
大学教育を受けたいという熱意のある人々に十分こたえるためにということではなくて、むしろ
文部省の権益拡張と申しますか、はではでしいところに乗り込んでというような底意しか感じられぬような気がしてしようがないんですがな。
実際に
教育を行うんだったら、私、
放送による
大学の
教育はあり得ないとは思いますが、百歩譲って
放送による補足的な手段がもし有効であるとするならば、それは
ラジオで十分なんじゃないか。しかも短波で行えば海外へも通じるくらいで、きわめて小さな手段で小資本で行えるわけでしょう。しかも、実際に繰り返し繰り返し反復、
学生さんたちが授業を受けるためには、いまカセットのいいのも少額でありますし、極端な場合ウォークマンなんて便利な機械もありますね。通勤、通学と申しますか、通勤の間あるいは農作業の間、ウォークマンで授業を受けられるということも可能なわけですよ。しかも、そんなに高くないですね、あれは。それで、どなたでもカセットはいまお持ちになれるチャンスがありますし、実際にいいタイムスイッチもございますので、実際には何時何時に飛んで帰らなくともカセットにとっておけますね。それてそのまま授業を受けるということは、ビデオを用意するだとかあるいはパラボラアンテナで実際に宇宙
中継を通じて受けようというようなことまでお考えでしたら、もっと軽微な経済的な負担で
——あるいは語学なんかの場合、私は絵が実際映るよりは音声だけの方がいいんじゃないかと思いますね。しかも、鉱石
ラジオのころからの歴史的な推移を私ここで申し上げるつもりは毛頭ございませんが、まず、鉱石
ラジオがあって、それから
ラジオができました。それと同じように、
ラジオの
ラジオによる受験講座とか
ラジオによる
教育講座というのはずっと歴史を重ねてまいりましたね。いかに視覚に訴えないで
ラジオで十分な
教育がなされるかということは歴史的にずいぶん考察も研究もなされているはずです。いきなり
テレビに飛ぶというのもいかがかと思いますね。その点を十分に踏まえて御
検討になっているのかとうかというのは実に疑問に思っているわけなんです。
それからまた、もう
一つ申し上げますと、東大生はなぜ珍重されるのか。なぜ早稲田だの慶応だのというところに人々は集中するわけですか。やっぱり東大に入るにはむずかしい試験受けなきゃなりませんね。というのは、あまたの人をけ散らして
——その批判はどうあろうと、現在の
大学受験制度の問題とは別に、すべての
学生さんはやっぱり東大へ入れれば入りたいと思っていらっしゃるんでしょう。一体どこで挫折し、どこで妥協するかですね。やっぱり寝る時間をどれだけ詰めて東大に挑戦できるかということがその人の青春の時期をあるいは決定するのかもしれませんね。ですから、学歴偏重の時代だと言っても悪い点ばかりでは私はないと思います。どの点で妥協するかということが問題だと思いますね。おれはやっぱり東大は無理なんだからこの辺でいいや、早稲田にしよう、これは無理だからもう一ランク下げよう、もう一ランク下げよう、ついには
放送大学に下げようということになるわけですよ。狭き門だからこそ東大は
意味があるんじゃないですか。大ぜい優秀な
学生さんとその苦節をくぐり抜いてきた人々が相接してかんかんがくがく論じ合うんで、ますます切磋琢磨され、あるいは
学問的向上心を触発されて、ますます優秀な
学生さんが育つんじゃありませんか。だれでもうちで寝ていれば見られるというような
——とも申しませんよ、それなりに苦労も強いられるでしょうが、開かれた
大学を卒業したからといってだれが社会的に珍重しますか。このためにいまの学歴偏重の社会が本当に根底から覆されるようなりっぱな
放送大学ができれば、私はもう言うことはございませんが、とても信じかねるんで、ここで苦言を呈しているわけです。
なぜ
ラジオを飛び越えていきなり
テレビに発想が飛びついたのかというところからまず
お尋ねしたいと思います。